2017年09月20日

JCP創立65周年記念感謝の集い B ―「書くこと、話すこと、伝えること」−

IMG_7978.jpg講師としてお迎えした船本弘毅師(83歳)のご尊父・船本坂男牧師は日本キリスト教団・大阪城北教会で40年間牧会された方で、JCPにおいては「東の満江、西の船本」と言われた方である。
私も1989年秋に大阪城北教会(吹田市)でJCPの集まりがあった時にお目にかかったことがある。その時は既に引退されて名誉牧師になっておられた。
毎年発行された400字の『証し新書』は「あいうえお」順に掲載されるので、いつも私の次に船本牧師のお名前があった。

以下は65周年の記念講演「書くこと、話すこと、伝えること」の聞き書きによる記録である。
啄木にとってふるさとは懐かしい所だけではなかったが、「ふるさと」を詠ったうたを多く残している。

「汽車の窓 はるかに北に ふるさとの 山見え来れば 襟を正すも」

ふるさとは生まれ育った地、帰って行く地という外面的なものだけではなく、「心のふるさと」や「魂のふるさと」などと思える地でもある。

今年は病床についていたので行くことができなかったが、13年前から私の生まれ故郷・伊豆の下田教会へ毎年一回手弁当で牧会に行っている。「来年また来ます」と言うと、「来年もお会いできればいいのですがね」と何人か仰る。

そういう年なんです、我々は。
それは一期一会の会であり、まさにJCPの感謝会も一期一会の会である。

ブーバー.png20世紀の最大の思想家の一人であるマルティン・ブーバー(1878〜1965。87歳でエルサレムで没)は、著書『出会い −自伝的短編−』の「問いと答え」で次のようなことを書いている。

第一次大戦前夜(1914年5月)、友人の老牧師ヘヒラーを駅へ見送る道中で問いかけられた。
「愛する友よ、我々は重大な時期に生きています。どうか言ってください。あなたは神を信じますか」。

ブーバーは答えるまでにしばらく時間がかかったが老牧師を安心させるために、「その件については私のことを心配なさる必要は何もない」と言って見送った。

しかし、その同じ道を帰って行くとき立ち止まらざるをえなかった。「私は本当に神を信じているのだろうか」と、正しい言葉を見出すために一歩も踏み出せず長い間立っていた。

証し文章を書き、人に伝える。厳しさがある。私たちも重大な時代に生きている。自分の言葉で、自分が本当に信じていることをいかに書き、いかに伝えるか。これが証し文学に求められていることである。

私たちが神を3人称で言うのではなく、「我と汝」という関係で言われなければ本当に信じていることにならない。「そもそも神なんて」と論議している時は信仰などない。

ブーバーの有名な『我と汝』は、2人称の神は老牧師に問われた時に考え出されたものである。

私は国民学校(6年間)の一期生として入り、その最終学年として卒業し、まさに戦争を経験した人間であり、そのような時代に生きた。

その後新制中学制度になり第一期生として関学(関西〈かんせい〉学院・キリスト教主義教育)に入学した。入学式で矢内正一(まさいち)校長は「この学校には何もない。しかし、君たちがいる。君たちは希望である」と言われた。

国民学校では人間は兵隊になって国のために死ぬためにあると教えられていたから、「あなた方は希望であり、一人ひとりがこの学校を作って行くのだ」と言われたので12歳の子供は驚いた。

この一言が人の歩みを変えた。以来51年間、関学で学び関学で教えてきた。言葉は話すことによって、聞くことによって人を変える。

矢内正一師の告別式で日野原重明さんが弔辞を述べた。日野原さんの恩師だった。
「私の人生の節目とも思える時はいつも幼い時に覚えた聖書の言葉が浮かんだ」と、聖書をもって生きたのが日野原氏の人生だった。

証し文とは聖書の言葉を現代の人に自分の言葉で書くことだと思う。牧師の説教も信仰の証しであり、話す時も書く時も自分は今こう理解しているということを常に心にとめて、聖書の言葉を私の言葉で書き、話すことが証しである。

IMG_7982.jpgまさに今も重大な時代、時期に生きている。わが命も国状も明日どうなるかわからないからこそ、身を削って書いていかねばと思った。
神さまが一人ひとりのペンの力を強めてくださるように
祈ります。(完)

IMG_7990.jpg附記:私は高校2年生の聖書の時間にブーバーの「我と汝」を初めて知った。これがマルティン・ブーバーの『我と汝』の全訳本である。

この本は大学を卒業する1974年の2月に購入したもので、以来常に身近に置いている。1923年に公刊後、日本語訳での出版はこれが初めてなのであろうか、創文社から昭和33年に初版発行、これは昭和48年発行の35版の本である。
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posted by 優子 at 10:26| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

JCP創立65周年記念感謝の集い A ―Intermission−

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日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)65周年を迎えるにあたり、かつての会報の中から貴重な記事を見つけたのでここに記録方々ご紹介したい。

これは満江 巌理事長の手になる会報・『香栢』100号(1989年2月発行)を記念して、JCPの前身である「キリスト教文筆家協会 会報 創刊号」から初代会長・村岡花子の一文を転載されたものである。


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そして時を経て、現在のJCP会報である。
これまでの移り変わりを端的に記されている貴重な記事である。

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次のページで9月16日の創立65周年記念感謝の集いで語られた、聖書学者・船本弘毅氏の講演の概要を書き記しておきたい。
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posted by 優子 at 17:32| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

台風が去った飛鳥路へ ―棚田の彼岸花と案山子―

DSC06630.jpg台風明けの今日、夫に誘われてユキと3人で飛鳥(明日香)へドライブに出た。目当ては飛鳥にある棚田の彼岸花と案山子だ。

私は10年以上も前にNさんに連れてきてもらって知っていたが運転できないので道が分からず、40分ほどで石舞台に到着したものの、そこからすぐ近くなのに30分もウロウロして到着した。
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稲が金色に染まるまでもう少し

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案山子は昨夜の暴風雨に耐えたのだろうか

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ユキは「へのへのもへじ」を知らなかった

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稲田を見守るジャンボ案山子「忍者」

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ミニヨンの案山子
「ユキ、ミニヨンってなあに?」

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(Photo by Yuki.)

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初めて見た黄色いヒガンバナ

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(Photo by Yuki.)

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ツクツクホウシの声と蛙やコオロギが飛ぶ初秋の里山

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岡寺の春
飛鳥路に5〜6回は来ているが、
元気なうちにもう一度サイクリングで回りたい。
藤本優子さま
「棚田の案山子と彼岸花」拝見させていただきました。
いいですねえ、棚田の風景。次々と面白い案山子が現れ実に楽しく、
昔の実用的な案山子しか見たことがなかった私には驚きでした。
それに、蛙の写真、あれも面白かった。
子供のころ、ネコじゃらしの穂で蛙つりをしたときのことを思い出し、思わず笑ってしまいました。
それから、最後にあった「岡寺の春」の写真もいいですね。
ほんとに素晴らしく、十分に楽しませていただきました。
ブログ楽しみにしています。 
   
         感謝!(関東のY・Hさま)
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posted by 優子 at 21:09| 随想 | 更新情報をチェックする

JCP創立65周年記念感謝の集い @ −まずは到着までの珍道中―

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今朝7時43分、台風一過の空。

台風18号の影響で16日夜の帰宅時もかなりの強風になっていたが、その後ずっと落ちついていた。昨日の夕方、奈良県にも全ての警報が出されたものの台風の影響さえ感じなかった。ところが23時前から突然の暴風に震えあがり、下記の記事を書いていたが独りでいるのが怖くてベッドに入った。

乱気流に入った時の飛行機のような音と揺れが1時間半も続いた。日付が変わった頃から次々と周辺地域の警報解除が発表されていたので、まるで合格発表を聞くかのようにラジオのニュースに耳をそばだてながら恐怖に耐えていた。

全く被害のない地域でこの恐怖であるならば、避難されている人々の恐怖は言葉にならないだろう。体験しないと人の痛みはわからないし、想像するのも難しいのだと自戒しながら嵐が通過していくのを待っていた。
大災害になっていませんように。ニュースを見るのがこわい。

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16nichi asa.jpg16日早朝、朝顔がこんなに咲いていた。大雨ですぐにしぼんでしまうのがかわいそうで写真を撮っていたら、予定の時刻よりも数分遅くなって大急ぎで駅に向かった。

新大阪で指定席を取らずに改札を入ってしまうというミスをして緊張加速。再度出ることができたのはいいが、混雑していて列車も予定していた「のぞみ108号」は満席。幸い次の列車に空席があったので胸をなでおろして7時40分に新大阪を出発した。

この段階で脳みそはシェーカーで思いっきり振られた感じで十分に刺激的だった。これで気を抜いてもいいかとスターバックスの分厚い卵サンドを平らげて、コーヒーを飲み始めたところで東寺が見え、はや京都に着いた。

東京駅では下車する直前にお聞きした男性が、駅構内でも迷走しかけていた私に再び声をかけてくださり1番線乗り場の方向を教えてくださり雑踏の中に見えなくなった。
それにしても東京の高層ビル群と人の多さには改めて驚いた。大阪駅も同じ込みようだけれど広いので圧倒された。

前回は順調に行けたのにとガッカリしつつも1番線のエスカレーターを元気よく上っていった。が、なかなか着かない。「まだかいな」。

ここで東京のエスカレーターは長いというのを思い出して「えらいことをした」と、途中から息を切らせてホームに到着。
誰も自力で上ってくる人はいなかったので止まってもよかったけれど、やっぱり心が弾んでいたのでジッとしていられなかった。それにこの日はすごく元気だった。

「中央線は進行方向先頭の車両に乗る」。
念のために駅員さんに御茶ノ水に行く電車か間違いないことを確かめて、結局検索した予定通りの電車に乗ることができた。

「御茶ノ水で下車したらすぐの階段、そこが駿河台口」。
御茶ノ水駅の階段は10年前に久保田先生を介助しながら上ったので鮮明に記憶していたが、事前に教えていただいたペン友の案内がありがたくメモを読み直しているうちに到着。
16.1.jpg「階段を上がると改札あり」。
ここまで来ればもうわかる。
改札を出た瞬間に早く着いておられた長原さんに声をかけられて「おおー」と歓声が出た。
「改札を出ると斜め左手に十字架が見える。OCCビル」。
ビルの上に十字架が見えた!

「どんどん入ってエレベータで4階。エレベーターの裏側に当たる416室」。無事到着!
部屋に入った瞬間、あの方この方と懐かしい友との再会、握手を交わす。しかし池田牧師も久保田先生もE兄弟のお姿もなくさみしさが突き上げてきた。

関西ブロックからは5名参加し、内2名は前日に宿泊しての参加だった。

5年後の70周年感謝会にも生かされて元気であるならば、この記事が参考になるだろうという思いもあって記録したが、高齢になると5年という年月は大きな変化をもたらす。本当に明日のことはわからないお互いである。

天に帰られた先人たちを思いさみしくもあったが40名が集い、関東ブロックの方々の心のこもった多大なるご愛労のおかげで、主の御臨在に満ちた、それはそれは豊かに祝された感謝会だった。
                        (つづく)

posted by 優子 at 08:44| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

家の教会2017㉝ ―何が人を汚すのか―

嵐の前.jpg
嵐の前の二上山(雄岳)
台風18号で気を揉んでいるが晴れ間さえあり、既に洗濯物も乾いた。
そして14時16分大阪府東部に大雨洪水警報が出た。

2017年9月17日(日) (201733回 家の教会)
9時40分〜10時30分
出席者 2名(With R)
@ 初めのお祈り  優子
A 主の祈り
B 讃美歌  187番「主よ、いのちの言葉を」
C 聖書輪読 マルコによる福音書 7章1節〜23節
D お話   優子
E お祈り  1人ずつ

マルコによる福音書 7章1節〜23節: 
7:1 さて、パリサイ人と、ある律法学者たちとが、エルサレムからきて、イエスのもとに集まった。
7:2 そして弟子たちのうちに、不浄な手、すなわち洗わない手で、パンを食べている者があるのを見た。
7:3 もともと、パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人の言伝えをかたく守って、念入りに手を洗ってからでないと、食事をしない。

7:4 また市場から帰ったときには、身を清めてからでないと、食事をせず、なおそのほかにも、杯、鉢、銅器を洗うことなど、昔から受けついでかたく守っている事が、たくさんあった。
7:5 そこで、パリサイ人と律法学者たちとは、イエスに尋ねた、「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言伝えに従って歩まないで、不浄な手でパンを食べるのですか」。
7:6 イエスは言われた、「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である、
『この民は、口さきではわたしを敬うが、
その心はわたしから遠く離れている。
7:7 人間のいましめを教として教え、
無意味にわたしを拝んでいる』。
7:8 あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。
7:9 また、言われた、「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ。 7:10 モーセは言ったではないか、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。
7:11 それだのに、あなたがたは、もし人が父または母にむかって、あなたに差上げるはずのこのものはコルバン、すなわち、供え物ですと言えば、それでよいとして、
7:12 その人は父母に対して、もう何もしないで済むのだと言っている。
7:13 こうしてあなたがたは、自分たちが受けついだ言伝えによって、神の言を無にしている。また、このような事をしばしばおこなっている」。
7:14 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた、「あなたがたはみんな、わたしの言うことを聞いて悟るがよい。
7:15 すべて外から人の中にはいって、人をけがしうるものはない。かえって、人の中から出てくるものが、人をけがすのである
7:16 聞く耳のある者は聞くがよい〕」。
7:17 イエスが群衆を離れて家にはいられると、弟子たちはこの譬について尋ねた。
7:18 すると、言われた、「あなたがたも、そんなに鈍いのか。すべて、外から人の中にはいって来るものは、人を汚し得ないことが、わからないのか。
7:19 それは人の心の中にはいるのではなく、腹の中にはいり、そして、外に出て行くだけである」。イエスはこのように、どんな食物でもきよいものとされた
7:20 さらに言われた、「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。
7:21 すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、
7:22 姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。
7:23 これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。
お話:
エルサレムの律法学者は 人々にとても尊敬されていた人たちでした。しかし、パリサイ人や律法学者たちがイエスさまのもとに来るのはいつもイエスさまを非難する材料を見つけるためでした。

ここでは手を洗わないでパンを食べている弟子を見て非難してきました。言うまでもなく食事の前に手を洗う習慣は衛生的であり、とても良い習慣です。

しかし彼らは形式的な事柄を問題にし、衛生的な汚れと良心や善悪など宗教的な汚れと混同して取り上げていることを反対されました。彼らの弟子たちへの非難はとりもなおさずイエスさまへの非難です。

イスラム教徒の知人からお聞きしたのですが、ムスリムの方々は毎日5回メッカに向かって祈り、祈りの前には体を清めるそうです。
手を洗うだけではなく、口や足まで洗うのです。しかも手や足などは全て右側から洗うことに決まっているそうです。

日本でも神社や寺院に手水舎(てみずしゃ・ちょうずや)があり、参拝前に体を清める意味で手を洗い口を漱(すす)ぎますね。

そのやり方にも決まりがあり、まず右手で柄杓(ひしゃく)を持って左手を洗って、柄杓を持ち替えて右手を洗い、口を漱ぐときは左手で口元を見えないようにし、最後は柄杓の柄を洗うために柄杓を立てて水を柄につたわせて置くなど、まるで茶道の作法のようで抹茶を点てる時の茶杓の扱いを思い出させます。

共通しているのは、汚れたままでは神さまの前に出ることができないという思いであり、パリサイ人や律法学者たちが訴えていることも容易に想像できます。

この場面で彼らが主張していることは口先だけの形式的な信仰であり、神の言葉ではなく人の言い伝えを重視しているとイエスさまは叱責されたのです。

十戒の第5戒に記されている「あなたの父と母を敬え」についても例に出されました。

彼らには食べ物についても細かい決まりがありました。
旧約聖書(レビ記、申命記)には宗教的汚れの問題から食べてよいものといけないもの、また、汚れてしまった者が神の前に出るための供え物や清めの儀式について細かく記されています。

例えば「食べてよい動物」は、牛、羊、ヤギなど反芻するもので、ひずめが分かれているもの。魚類はヒレと鱗(うろこ)のあるもの(レビ記11章9節)、鳥類は七面鳥、昆虫はイナゴです。

しかし、イエスさまは食物に汚れたものと清いものとの区別はないと明確に仰いました。聖書にも「手を洗わないで食事してはいけない」ということは書いていなくて、それは人の言い伝えであり、慣習やしきたりとして守っていたことなのです。

人を本当に汚すものは何でしょうか。それは水で洗えば落とせるものなのでしょうか。そうではなくて、汚すものは外から入ってくるものではなくて人間の中から出て来るものであると言われました。私たちの心から出てくるものなのだと。

例えば悪口を聞いていると不愉快になるでしょ?! 
それが人を汚すという意味です。
「汚れ」は自分の外側にあるのではありませんから洗ってもきれいになりません。人間の心こそが汚れの源でありますから、外側ではなく自らの内側こそが大切なのです。

修行や苦行を積むのではなく、悟りを開くのでもなく、自らに目を向けてこそ「汚れ」(罪)に気づかされ、それに気がついた人は汚れからの解放と救いを求めるわけです。

イエスさまは、私たちのどうしようもない汚れ(罪)を赦して解放するために、私たちの汚れ(罪)を全部ご自分の身に背負って、十字架にかかって死んでくださいました。そのために私たちと同じ人間になって地上に来てくださいました。

主イエス・キリストによる罪の赦しを与えられると、「妬み」という「悪い目で人を見る」ことからも解放されていきます。私は実に遅々たる歩みですが少しずつ変えられているのがわかるのです。
黒崎幸吉はこの箇所を「内と外」として次のように書いています。
「外側の行為を潔くすることは困難のようであって実は容易であり、内側の心を潔くすることはその反対に容易のようであって困難である。人間の心の中を見得るものは自己と神とのみである故、人はその心の汚穢を他人の前に偽り隠し、これによって外側の行為を聖者のごとくならしむることができる
しかしながら人は神によらざれば自己の内心を潔めることができない。それ故に人は難行を忌避して易行に移り行き、従って宗教は常に外側の行為を喧(やかま)しく言う律法主義に陥る。イエスの粉砕せんとし給えるはこの外側のみを飾る律法主義であった」。

日本にも多くの慣習や因習があり、日本人は多くの恐れに縛られています。私たちがそれらの恐れに縛られていないのは、主イエスの教えにより解放されたからです。

主イエスは、パリサイ人や律法学者たちが神のみことばよりも言い伝えや慣習という、人間の思いを大事にしていることを叱責されました。

勿論他者の発言を無視してはなりません。と同様に大切なことは、唯々諾々と無批判に他者の意見に迎合するのは自己を持たないことであり無責任でもあるのです。

改めると言うのは勇気がいるでしょう。例えば長年やってきた事業や家事を若い人に世代交代していく時もさみしさや葛藤があることでしょう。特に時代に応じてやり方を変えていかねばならない時、それまで自分がやってきたことを否定されたと感じるかもしれません。

しかし、神のことばは私たちを常に新しく造り変えていくものであり、みことばに聞き従うとは自分が変えられることを選ぶことなのです。

人生は選択の連続です。自分はいかに生きるのか。
刻々と変わっていく状況や環境に在って、自分はいかに生きるかということが常に問われています。そして何を選び取っていくのかは一人ひとりに任されています。

主イエスの御愛の中で賢い選択ができるように祈りつつ進んで行きたいと思います。
1.主よ、いのちのことばを
  あたえたまえ わが身に
   われはもとむ ひたすら
  主よりたまう  みかてを。

2.ガリラヤにて みかてを
  わけたまいし わが主よ
  いまも活ける ことばを
  あたえたまえ ゆたかに。
posted by 優子 at 15:32| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年09月15日

台風18号見据えながら東京日帰りに挑戦

ふうせんかずら.jpg今や数時間でもテレビやラジオをつけていないと何が起こっているかわからない。
今朝はゆっくり8時半を過ぎてテレビをつけると、またしても北朝鮮がミサイルを飛ばし襟裳岬付近の上空を通過したと報じていた。

(フウセンカズラ)

7時53分.jpgその映像で釧路港に群がるカモメたちを見た瞬間に目頭が熱くなった。日常の光景に心が癒され、カモメは何も知らなくていいなぁと思ったのだが、このような危機をどうすればよいのかと悲しみで目が潤んだ。
決して戦争になりませんように!!!

自然界も神の秩序が破られて世界で大災害が起きている。

明日からの3連休に非常に強い台風第18号が日本列島縦断の予報が出ているが、どうか被害が最小限に留まりますように。

既に九州南部では断続的に激しい雨が降っており、関西も今夜から雨で17日に暴風雨を伴って接近するという。

それでも明日は予定通り東京へ行くことにした。早朝5時50分に家を出て10時半に御茶ノ水到着予定である。帰阪するのも遅くなるので帰られるかどうか心配であるが、祈りつつ出発しようと思う。

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クリスチャンペンクラブが創設されたのは私が生まれた1951年、NHKの朝ドラで取り上げていた村岡花子が初代会長である。

私は洗礼を受けた1987年に、JCPの理事である大学の恩師のご紹介で入会した。ただし母が亡くなった1996年から2003年頃までしばらく中断していたが、次女が東京へ行くことを機にメールの必要を感じてパソコンを使い始め、まもなくJCPの活動を再開することになった。

その後5年ごとの記念会には毎回参加し今回で3度目である。それ以外にも次女が東京大学大学院で修士号を修めた2006年春に3日間ほど滞在した時に、ペン友と再会すべく御茶ノ水まで娘が住んでいた千駄木の家から一人で地下鉄に乗って行ったことがある。

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会場の御茶ノ水クリスチャンセンター(OCC)は
関東ブロックの方々がいつも集っておられる例会会場だ。

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船本氏プロフィール.jpg

関西ブロックからは5名の参加である。
60周年の記念会は、理事長・池田勇人牧師が病身の身を押してお顔を見せてくださった。その翌春、神さまのみもとに帰られた。昨日のことのように思い出される。

前回は新幹線の中で大江健三郎の『あいまいな日本の私』で天皇について読んでいて、その直後に東京駅で天皇皇后ご夫妻と1メートルにも満たない距離で目と目を合わせてお目にかかったものだから、その驚きたるやいかばかりだったか!
さて明日はどの本を入れて行こうか。

今夜は睡眠導入剤を飲んで4〜5時間なりとも眠らなくてはと、夕方から緊張状態になっている。肉体は心以上に季節に敏感で、8月の終わり頃から覿面に血圧が高くなっているのでしんどい。

8時5分.jpg13日に手術されたNさんは翌日のお昼過ぎに電話をかけてきてくださるほど順調だった。「昨日の夜もぐっすり眠れて、全然痛くない。動くと傷口が痛いだけ」と明るい声だった。麻酔の事故もなくてよかった。感謝!
これで安心して楽しんでこられる。

明日の帰宅は22時頃になるだろうか。無事に帰阪できますように。
皆さんも年を重ねておられるだろうか。いよいよ明日5年ぶりにペン友と再会する。

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posted by 優子 at 20:32| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

Nさんの手術無事終了!

Nさんの手術は無事に終わった。予定していた3時間よりも早く、その半分の1時間半で! ご長男さんから吉報が入った。
患部を取り除き、人工股関節も順調に入れ替えることができたようだ。

昨日奈良県は大雨警報が出て小学校は全日休校になった。当地では9時頃には殆ど止んでいたのに警報が11時になっても解除されなかったためだが、近鉄電車は不通になっており、名古屋に向かうアーバンライナーが駅で止まっており、知子はプラットホームで3時間近くも待って、会社に着いたのはお昼頃だったという。

入院されるNさんも同じ電車だったようだ。Nさんは2駅向こうまで自動車で出られたが、そこからも電車は行かず、さりとて道路は渋滞しているというので結局知子と同じ電車だと昨夜にいただいた電話でわかった。かわいそうに、辛かったであろう。

その電話の受話器を取ってくれた幸悠も驚いていた。いつものNさんの声からは想像できない落ち込みようだった。
「出ばなが悪かった。手術も簡単には行かないと思う」と、何度も言って落ち込んでおられた。

私はあの時どうして「大丈夫! 神さまはジンクスを超える!」と言ってあげられなかったんだろう。朝から心が乱れていたのを放置したままだったからだ。人間は見事に自らの内面が現われるのだ。

そのあとずっとバークレーの祈りを読んで本心に立ち返らされて心を正すことができた。

今朝目覚める直前の短い時間にNさんの夢を見た。
Nさんは私の寝室の隣の部屋に寝ておられた。
「眠れた?」
「一睡もできなかった」

手術の前夜は睡眠導入剤をもらって眠れたはず・・・それを思い出して気にしないようにしたが、気持ちは重かった。

「主は今に至るまでわれわれを助けられた」。

         (サムエル記上 7章12節)

「この喜びも試みも 天上からくるもの 
われらの日時計の上を愛の指針がめぐるゆえ
われらはすべてのことが
われらのためになされると確信する。
主にまったき信頼を置く者は
主がまったき真実であると知る」。    
         (バークレー)

思い煩わないで主イエスの愛に委ねた。

最近では珍しく、今朝は朝一番にパソコンを開いた。真智からメールがきていた。

「ママ、大丈夫。主が直接、Nさんを励まして力付けてくださっている。
お祈りしています。
中村さんの不安が和らぎますように、心も体も支えられますように。
手術を担当される方々も、主が強めて、最善の治療がなされますように。 ママ、パパ、お姉ちゃん、ユキのことも、いつもお祈りしています。
真智子」
ありがとう、真智、そして太志君。
それでも朝から「(手術まで)あと5時間」「あと○時間」「(手術が始まって)30分」「1時間」と、朝から何度も何度も時計を見ていた。ご家族の方、プールのお友だちも、祈りの要請をお願いした千里さんたちもそうだったことだろう。

先ほど遊びから帰って来たユキに伝えると、
「やったー! よかったね」
麻酔の事故もなく、本当によかった。
執刀医、麻酔医、看護師、また見えない所で働いてくださっている全ての方々に感謝します。術後の経過やリハビリも順調でありますように。
posted by 優子 at 18:05| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

『種を蒔く』4号寄稿文が『香芝九条の会 会報』に掲載さる

昨日発行された『香芝九条の会』会報に拙文が掲載された。今年6月に刊行された日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック発行の『種を蒔く』4号に寄稿した「それでも希望を失わず ―東日本大震災6年目に思うこと―」である。

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6月末か7月の初め頃だったと思うが「香芝九条の会」で労しておられる方と話していて話が弾み、この記事をお渡しした。

本になった文集も常にクリスチャンの方々だけではなく、いつも10名ほどノンクリスチャンの方々にお届けするのだが、今号の4号は手持ち部数が足りなくなり追加購入したくても完売したため、印刷屋さんから送られてきた最終校正が反映されたゲラ刷りをお渡ししたのだった。

するとまもなく、この文章を「九条の会」会報に掲載させてほしい。関係者の方々の賛同を得たら掲載させてもらってもよいかとの打診があった。

これはキリスト信仰の旗印を鮮明にした文章であるので掲載されるのかと一瞬思ったものの、「九条の会」はあらゆる立場の人々が憲法9条保持を訴える集まりであるので快諾し、紙面の関係で省略されることも承諾し引用箇所もお任せした。

このたび会報の最後4ページのほぼ1面を割いて掲載してくださっていた。6か所も誤字脱字があったのは残念だったが、限りある紙面での抜粋引用箇所については満足している。

「憲法九条と私」欄に掲載していただいたので少々無理があるが、下記の青字部分が掲載されている。下線部分が削除されなかったことを神さまに感謝します!

それでも希望を失わず

     ―東日本大震災6年目に思うこと―         

      藤本 優子


「イェッしゃま(イエスさま)、きのうじしんがおこりました。もうおきないようにしてください。かじになって、いえもたおれて、みんな、ながれていきました。たすけてください」。

当時3歳9ヶ月だった孫は、東日本大震災後しばらくのあいだ同じ祈りを捧げていた。あれから6年過ぎて絶望感は深まるばかりである。原発事故で破局的事態になっても、為政者たちは方向転換せずに原発を再稼働させた。彼らはもう一度経験しないとわからないのだろうか。

015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチは、昨年11月末に福島県を視察して言った。「チェルノブイリと同じく、国は人の命に全責任を負わない」と。

しかし、日本は旧ソ連よりももっと冷酷で恐ろしい。当初チェルノブイリでは、住むことも生産することも禁止されていた(年間)5ミリシーベルト以上の汚染レベルに、日本政府は百万人規模の住民を居住させており、国民の命を最優先しない。

あの時、政府は真実を隠し、「直ちに健康被害が出ることはない」と当時の内閣官房長官・枝野氏は録音テープのように繰り返した。一体いつの時代の知識であのようなことを言ったのであろうか。この時から始まった政府への不信感は募るばかりで、6年経った今も混迷を深め続けている。

農業や漁業に従事する人々の努力にも関わらず福島産の需要は伸びないというが、これは風評被害ではなく放射能なのだ。もっと正確に言えば、「政府の言論統制と嘘による知られざる核戦争」であると物理学者・矢ヶ崎克馬氏が訴えている。

この非常事態ゆえに、今からでも政府は方向転換して、人権を第一にして再建していくべきだ。私たちは何を第一とすべきか、全ての人に価値観が問われているのである。

放射能汚染時代にあっては自分さえよければよい、自分の家族さえ安全な食ベ物ならばよいということはあり得ない。平和や異常気象の問題もそうだ。全てが世界的規模で関連しているのであり、ブルンナーが言うとおり、今や「安全な場所などどこにもなく、私たちは隠れ場のない野原の中を行くように、どんなことが起ころうとも、それに身をさらさねばならない」時代である。

また、アレクシエービッチが、「日本社会に人々が団結する形での『抵抗』という文化がない」と言ったことも心に刺さった。私自身の中にも同じものがあると常々感じているからだ。

例えば原発再稼働や改憲に多くの人々が反対の声を上げ、私も小さい声ながら反対を叫び署名を集めつつも、傲慢で権力をふるう政治家たちを見ていると、「反対してもしょうがない」と何度も諦めそうになり、そんな自分を嫌悪することしきりだった。

被災者たちが世界の人々に感銘を与えた規律正しさや辛抱強さは日本人の誇るべきことだ。しかしまた、私たちはあまりにも主体性に欠けてはいないだろうか。

然界も傷み続けている。ミサイルが落ちた海の中も大きく破壊されていることを思うと我慢ならない。空の鳥や海の生物は苦痛を訴えることもできずに苦しみ死んでいく。世界は深い闇に覆われ、視界ゼロメートルの常態になってしまった。

私は年を取れば取るほど自分のどうしようもない弱さや人間の罪深さがわかるようになった。それゆえに誰に祈ればよいかを知らされていることがありがたくて、そのことの感謝から祈り始めるようになった。

万物を創り全てを支配されているまことの神を知り、そのお方と交わる術を与えられて、日々刻々感謝し、また悔い改めることができるとは何たる恵みであろう

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせてくださった」。

(ペテロの第1の手紙1章3節)


これこそがイースターの使信であり、私はこの言葉を心から神の応答として受け止めることができるようになった。これはこんな時代でも生きていけるように、神さまが全ての人々に与えてくださっている希望である。だから絶望しそうになっても絶望しない。

あの悲惨な被災地で、多くの被災者がイエス・キリストへの信仰を持ち、受洗の恵みに与られていることが報告されている。どうか一人でも多くの人が復活のキリストに希望をつないで生きていくことができますように。

春の風はやさしく肌を撫で、小鳥のさえずりが心を癒す。花々や小さな生き物たち、そして、子どもたちの未来を奪ってはならない。

【憲法九条】
  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
posted by 優子 at 11:53| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

家の教会2017㉜ ―神の恵みが与えられるのはあなたが正しいからではない―

2017年9月10日(日)  (2017第32回 家の教会)
IMG_7708.jpg10時〜10時30分
出席者 2名(With R)
@ 主の祈り
A お祈り    優子
B 聖歌     229番「驚くばかりの恵み」
C 聖書輪読   申命記9章1節〜5節
D お話     優子
E お祈り    1人ずつ
申命記 9章1節〜5節:
9:1 イスラエルよ、聞きなさい。あなたは、きょう、ヨルダンを渡って行って、あなたよりも大きく、かつ強い国々を取ろうとしている。その町々は大きく、石がきは天に達している。
9:2 その民は、あなたの知っているアナクびとの子孫であって、大きく、また背が高い。あなたはまた『アナクの子孫の前に、だれが立つことができようか』と人の言うのを聞いた。
9:3 それゆえ、あなたは、きょう、あなたの神、主は焼きつくす火であって、あなたの前に進まれることを知らなければならない。主は彼らを滅ぼし、彼らをあなたの前に屈伏させられるであろう。主があなたに言われたように、彼らを追い払い、すみやかに滅ぼさなければならない。
9:4 あなたの神、主があなたの前から彼らを追い払われた後に、あなたは心のなかで『わたしが正しいから主はわたしをこの地に導き入れてこれを獲させられた』と言ってはならない。この国々の民が悪いから、主はこれをあなたの前から追い払われるのである。
9:5 あなたが行ってその地を獲るのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。この国々の民が悪いから、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。これは主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた言葉を行われるためである。
お話:
IMG_7762.jpgこの箇所はモーセに率いられてイスラエルの民がエジプトから脱出し、その後40年間の荒ら野を旅して、いよいよ約束の地カナンに入って行こうとしている時に、モーセが「イスラエルよ、聞きなさい」と呼びかけて神の御心を語るところです。

4〜5節にありますように、モーセは民に思い違いをしてはならないことを繰り返し告げて、約束の地に入れと勇気づけます。モーセは約束の地に入る前に生涯を終えるので、申命記はモーセの遺言でもあるのです。  

モーセの言葉は、まさに私たちへの戒めであり励ましでもあります。「ヨルダン」とは「死の世界を超える」ということであり、ヨルダン川を渡って約束の地に入るということなのです。

ついでながら、モーセとアロンが約束の地に入れなかった理由については諸説あり、岩を2度打つことは神の真理を疑うことであるというのが主流になっているようです。

私たちも常に私たちの一歩先を歩いてくださる主なる神さまのあとに続いて、勇気をもってヨルダンを渡っていくのです。

しかし、向こう岸は天国ではなく、かえってこちら側にいた時以上の闘いがあるのだと思います。神に導かれる者にとっては、信仰を授からなかった時よりもはるかに多くの試練や闘いを経験すると思うからです。

しかし私たちは一人で闘うのではありません。神が先頭に立って戦ってくださるのです。そのあとを私たちは勇気を奮い起こしてついて行くのです。その時に私たち誰もが陥る思い上がりや勘違いを警告しているのです。

IMG_7773.jpg神さまが約束の地を与えてくださるのは、イスラエルが正しいからではありません。
私たちが正しいからではなくて、この地に住んでいた国々の民が悪いから(神に逆らっているから)、彼らを追い払ってお与えになったのです。

私たちもこのような錯覚をしがちです。神さまから祝福が与えられた時、自分が正しいからと勘違いしてしまうと神さまの祝福が祝福ではなくなり、心の自由を失ってしまうことでしょう。

私は物事が順調に運んだとき、「努力を報いてくださってありがとうございます」と感謝し、試練の時は「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と口ずさんで励むのですが、どんな時も「自分の罪、頑なさを忘れるな」と口ずさんでいたいと思います

(下線部分の詩篇103篇2節は新改訳です。口語訳のそのすべてのめぐみを心にとめよ」より直截的でわかりやすいので新改訳で記憶しています。)

自分の罪、自分の弱さを深刻に受け止めて生きる、そのことが信仰生涯の要諦だと思います。

ついでながら健康であることが祝福ではありません。物事がうまくいくことも、社会的地位や財を得ることも、優秀であることも祝福の証しではありません。もしもそれらを祝福とするならば、人間の価値観を基準にした「ハレルヤ信仰」に陥っているのです。

人間は実に頑なで強情です。9章6・7節にあるように、どんなに良くしてもらっても感謝を忘れて文句を言うのです。

9:6 それであなたは、あなたの神、主があなたにこの良い地を与えてこれを得させられるのは、あなたが正しいからではないことを知らなければならない。あなたは強情な民である。
9:7 あなたは荒野であなたの神、主を怒らせたことを覚え、それを忘れてはならない。あなたがたはエジプトの地を出た日からこの所に来るまで、いつも主にそむいた。

文語訳では「汝は項(うなじ)の強(こわ)き民なればなり」と訳されています。旧約聖書に何度も出てくる有名な言葉です。

彼らがエジプトから脱出する時、目の前は海、すぐ後ろにはエジプト軍が迫る危機一髪の時に、神さまが海を分けて向こう岸に渡らせてくださったという奇跡を体験しました。それでも荒ら野での日々に不満を言ったのです。

「エジプトで奴隷でいたほうがましだった」と!

神さまは人間が強情であることは百も承知の上で私たちを救い出してくださいました。主イエスを信じる者には、一切の罪ゆるされて永遠の命まで与えてくださったというのに、私たちは試練の時に不満を言うのです。これが人間の実相でありどうしようもないお互いなのです。

これでは主なる神に従っているのではなくて、神を自分のために利用しようしているのと同じではないでしょうか。イスラエルの民も繰り返し主に背き、裏切り、罪を犯しました。まったく私たちの姿そのものです。

神さまはこれまで多くの善きことをしてくださいました。そのことを忘れないで、自分の力でするのではなく、主イエスに依り頼んで導かれる者でありますようにと切に祈ります。

イスラエルの民はモーセの執り成しによって約束の地に前進して行ったように、 私たちは主イエスの十字架の死と復活によって、いつもいつもイエスさまが執り成してくださっています。

IMG_7710.jpg私たちが何度も限りなく弱さを露呈してしまっても、勇気を出して主イエスに助けを求め、イエスさまとの関係を持ち続けることです。
頑なにならずに刻々に悔い改める素直な心を失わないで歩み続けていくとき、少しずつ主イエスに似た者に変えられていくのです。

この1週間もさまざまのことがあるでしょうが、主に在って打ち克とうと新たな気持ちで励みたいと思います。

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ひとり生えの芙蓉。

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山桜に見つけた小さな秋

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今が新緑の常緑樹クスノキ。

posted by 優子 at 16:31| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

ブルンナー読書会L −「移ろうものと移ろわざるもの」

9.9.jpg前回は知子の5か月ぶりの参加と、帰国中の次女夫婦も交えての読書会だった。次女夫婦は再び帰米して寂しさもあるが、心に希望の灯が灯っている限り人間の適応力は雄々しく、今回も至福の時を過ごした。


今日は『フラウミュンスター説教集T』の「移ろうものと移ろわざるもの」で、今回から当番制で内容を紹介し感想を述べるなど発表形式で行うことになった。


ss.jpgその第1回目に指名してくださり、私は意欲的に準備し、1枚のペーパーに記したものを配布して発表した。

最初に讃美歌239番を讃美し、聖書輪読後、開会の祈りを捧げて読書会に入って行った。

コリント人への第一の手紙 
13章8節〜13節:
13:8 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
13:9 なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
13:10 全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
13:11 わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
13:12 わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
13:13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

私のレポート:

ブルンナー読書会(第13回) 2017.9.9(土)藤本優子

『フラウミュンスター説教集T』 「移ろうものと移ろわざるもの」

            聖書個所:Tコリント13章8節〜13節

【時代背景】

この説教は第2次世界大戦終結後3年過ぎようとする1948年5月9日のものである。第2次世界大戦により、これまで積み上げてきた文化的成果は葬り去られ、永続するものは存在するのかと疑問視され、虚無感と「すべては過ぎゆく」という感情に襲われている。この前年10月に国際連合が発足したが、米ソの対立は激化し、1949年にはドイツが東と西に分断される。


【要約】

移り変わっていくものはこれまで積み上げてきた価値観や文明、文化だけではなく、教会やサクラメント(礼典)や説教もすたれていく。というのは、神の啓示そのものは永遠なものであっても、その認識が部分的であるがゆえに、神学者や牧師の言葉も無条件に真理の究極の結論ではなく変化の支配下に置かれている。


しかし、全く純粋に神的なものを意味する「愛」が唯一存続するものである。それは「無条件に与える愛、欲求や欠乏からではなく満ち溢れる豊かさから生じる愛」、即ち、神の存在自体である。「神は人間となって、十字架につけられたイエスの姿をとって、われわれのところに来られた」のである。


このことを自分の問題として考えられるようにブルンナーは2人称で語る。「神があなたを愛しておられることを受け入れ、それを喜ぶこと」、心を開いて「差し出された神の手をしっかり握ることが信仰」である。その時、神の愛があなたの中に入る。

(この個所はブーバーの「我と汝」を思い起こさせた。)


「信仰」それ自体は永遠ではなく、地上の生涯が終われば信じる必要はなくなる。神の愛のうちに生きるからである。しかし地上にある間は、「にもかかわらず」という言葉を絶えず語らねばならない。「私は罪人であるにもかかわらず神は私を愛してくださる」というふうに。


信仰の目標は「全き者」であり、信仰者は「全き者」を「希望」の形において所有している。そして究極の目標が達せられる時には「希望」としてではなく、現実として所有することになるゆえに信仰と希望は消え去る。


しかしその時も消滅せずに存在し続けるのが「神の愛」であり、「神の愛」は神の本質であり永遠ゆえに朽ちることはない。それゆえに信仰と希望よりも偉大である。


「われわれは、一切の事物のはかなさに対して不安を持つ必要はない。われわれが信仰と希望によって神の愛のうちに堅く立っているかぎり必要はない。神の愛のうちに堅く立つことこそが問題である」。


【感想と気づかされたこと】

前回の学びで「イエスとの関係を持ち続けること」に続いて、今回の「永遠に残るのは神の愛」であるということが今更ながらよくわかった。


というのは、「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」の「愛」を、私はどうやら数年前からヒューマニズムの愛(人間愛)の意味合いで読んでいたように思う。


つまり信仰がなくても愛深い人が素晴らしく、永遠に残るのは信仰ではなく愛なんだと勘違いしつつあった。


というのは、相変わらず愛のない自分の姿に失望していたことと、また熱心な信仰者であっても「えっ?」と思うことも見て、人が最後に残すものは信仰や希望ではなく優しさ(愛)なのだと錯覚していたようである。


そして近年は無常を強く感じるようになっていた。しかし、無常として世界をていたわけではない。 「無常」というのは日本の精神風土に生きる日本人の精神的特質の一つであり、自分自身もはかない存在で無常なものとして生きていると思う。


それゆえに何事も傍観者的で当事者になって考えるという実存的な態度が養われにくいことも無関係ではなく、福音が伝わりにくいこととも深く関係していると思われる。


私がヒューマニズムの愛と錯覚しつつあったことと無常感と相関関係があったと、自分なりに納得でき、迷いから覚めた。 


 以下は下村さんのご講義より:

IMG_7728.jpgヨーロッパでは神が人間を支え、引っ張っていく力を果たしていたが、第1次、第2次世界大戦を経験して、殆どの人が信仰を失っていく。教会に通っていても同様に。

信仰をもっている国同士が争ったのであるから大打撃であり、ヨーロッパ人は虚しさを感じ、無常やニヒリズムと重なってますますそのような考えになってしまった。

IMG_7737.jpg神の啓示そのものは永遠なものであっても、受け止める者の認識が部分的であるがゆえに一時的で儚(はかな)いものに属する。

従って神学者や牧師の言葉も無条件に真理の究極の結論と見なすわけにはいかず、「絶えず未解決の問題や解決不可能な問題が残る」ので絶えず新たに始めねばならない。
ルターですら「自分は新前の狙撃兵のように、ようやく聖書を読み始めたばかりで初歩クラスの生徒である」と言っている。

C・S・ルイスは『痛みについて』で、人間はツルツルのボールの上に杭が立つようなもので杭はすぐに滑り落ちてしまう。そのように人間は持続的に神のもとで謙虚になっておられないゆえに、常に立ち返らないといけないと。

ブルンナーは「愛」には2つあると言う。一つは「にもかかわらずの愛」であり、もう一つは「〜ゆえの愛」である。


「にもかかわらずの愛」は無条件の愛であり、これは生まれながらの人間は持っていない。これを「アガペー」(神の愛)と言い、条件は一つだけしかなく、それは神の愛を受け取ることである。その愛に触れて初めて可能になる。

「〜ゆえの愛」を「エロース」と言い、愛する対象に条件があり、自分にとって価値がある。これは生まれながらの人間が愛することができる「自然的なもの」で、即ち、真善美へのあこがれを手に入れようとする愛である。

信仰とは心を開くこと、神の愛を受け取る手である。将来の希望という形で所有している「神との交わりの完成」が出会いとしての真理であり、真理が実現する。そして愛。

信仰が過去に、希望が将来に属するならば、愛は現在に属する。神の愛は現にわれわれの心の中に在る。なぜならば信仰をとおして受け取ったから。

愛は現在し、われわれも現在せしめる。「なぜなら愛の存在するところ、現在があるから。愛の存在しないところには、われわれは真に存在せず、過去の悔いと悲嘆のうちに生きるか、未来の憂慮のうちに生きるかのどちらかである」。それでは現在を生きていない。

ドイツ語の「現在」(Jetzt)には、時間的な意味だけではなく、「今、現に在る」という二つの意味があるので、この箇所を訳すのは難しかった。
愛は永遠の現在である。

科学的真理はある程度の理解力があれば誰でも解るが、「神の愛」はすべての人が解るわけではない。信じる人、それを生きる人だけが解る真理である。

「神の愛のうちに堅く立つこそが問題です。それのできる人は、およそ人間のなしうる最善のことをなすことができます。しかし、それのできない人は、たとえどれほど有能な人間、どれほど偉大な天才であっても最善のことをなすことができません。愛こそが問題です。神こそが問題です」。

次回は10月14日(土) テキスト箇所は「教会の礎石」。
                 発表者は下村喜八さん。

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感謝! 
お手作りの「長ちゃんかぼちゃ」とイチジクのジャム。
かぼちゃは50センチもありました!

posted by 優子 at 21:07| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

ジンジャーの花

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長い夏休みもアッと言う間に終わって4日の朝。8月の初めに去年のアサガオの種を見つけて蒔いたら、9月1日から咲き始めた。以来毎朝見るのが楽しみで朝一番に見に行くこともある。

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今朝は明け方に雨が降ったのか、雨粒をのせていた。

アジサイ宅のKさんを訪ねると、またしてもたくさん頂戴してしまった。
クリスマスの便で真智子にも送ってあげようと思う。
ブローチを太志君が同僚の方にお渡ししたらすごく喜んでくださって、「手芸品には興味あるけれど、見ただけでその巧みさが分かる美しい作品だ」と、真智にもたくさん話してくださった外国の女性。

kさんにそのこともお伝えした。「マチ、kさんはお元気やったよ」。
kさんは85歳、先日も自治会の方々に差し上げられたそうだ。私にも惜しげもなくくださるので、友人をお連れしたいほどだ。

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当市の公民館の教室で毎月80〜100名の方々に教えておられたそうだ。参加者の材料を準備するだけでもたいへん。何度も大阪へ買いに行かれ、それはそれは活動的な日々を生きてこられた。

月に一度一緒に作りましょうと誘ってくださっている。心の負担感もなく楽しみだと。手芸など縁のない私も良い時間を過ごしたいと思い始めている。


IMG_7681.jpg→ これは持ち運びできる針山つきの裁縫セット。開けると・・・


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すごいでしょ!
これをマチに送るね。
あの方この方にとお友だちにも差し上げたくなる。

白い花はジンジャーの花。
花を楽しむでけでショウガはできないんだって。

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もう花の盛りは終わって少ししか咲いていないけれど
「いい匂いがするから」と切ってくださった。

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あの虫捕り網は、先日買ったばかりのユキのだ! kさんの庭から見つけて微笑んでしまった。
でも家に帰るとユキの網があった!!!😞 では誰のん?

ユキに尋ねると、「koのも百均のんって言ってたからkoのやわ!」と、一緒に遊んでいた3年生のko君の網だった。
kO君が来たので渡してあげたら、今日は公園へ置いたままだったとか。😃

一昨日、ユキがお友達にサワガニがいる場所を教えてあげると言って、ここで4人で遊んでいた。確かに市の人が草刈りをしてくださって見晴らしがよくなっている。

置き忘れている網を動かすと取りに来た時に困るだろうからと、kさんはそのまま置いてくださっていた。

その日は10匹ほどカニを捕ってきて、大きいのも4匹ほどいた。洗面器に入れて籠をかぶせて玄関のポーチに置いていたのだが、翌朝(昨日の朝)一匹もいなくなっていた。

ユキは必死になって捜したが一匹も見つけられなかった。この辺りは水辺がないのにどこへ行ってしまったんだろう。かわいそうに! 


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ジンジャーの花。
クチナシの花に似た甘い匂いが部屋中に漂っている。

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posted by 優子 at 22:55| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

家の教会2017㉛ −破れを繕い平和を実現する者―

IMG_7617.jpg朝の10時過ぎ、夫を誘ってドライブに出た。
葛城山麓を走り、御所(ごせ)市、五條市、吉野方面、そして、ユウターンして吉野熊野の玄関口「吉野路大淀町の道の駅」へ。
御所市で昼食を摂り14時半頃に帰宅。(写真は二上山:右側が雄岳、左が雌岳)。ユキはサッカー教室のあと、午後は友達と野球で不在だった。

今日の礼拝は夫にも声をかけず、夜に私だけで守ることにし、疲れていたがリビングの棚を整理し3時間半も体を動かし続けた。

2017年9月3日(日)  (2017第31回 家の教会)
20時50分〜21時40分
出席者 優子
聖書  マタイによる福音書 5章9節
      イザヤ書 58章11・12節

マタイによる福音書 5章9節:
「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう」。
イザヤ書 58章11〜12節:
58:11 主は常にあなたを導き、
良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、
あなたの骨を強くされる。
あなたは潤った園のように、
水の絶えない泉のようになる。
58:12 あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興(おこ)し、
あなたは代々やぶれた基を立て、
人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、
『市街を繕って住むべき所となす者』と
呼ぶようになる。
考え導かれたこと:
毎年8月は特に過去の戦争を思い起こして、2度とあやまちを犯さないために考えを深めるのですが、その間も北朝鮮と米国との関係が一触即発状態の緊張が続いています。

米朝だけではなく韓国、日本など周辺国も緊迫している中、今日またしても北朝鮮が核実験したことを夕方に知りました。 

国連は人類の英知を結集させて努力を重ねていますが、北朝鮮のように挑発や攻撃をし続ける相手にはどのように対処すればよいのかわかりません。

これを国家間のことだけではなく、自分の人生において思い描きながら考えてみたいと思います。一方的に挑発や攻撃される場合だけではなく、自分を傷つける相手を想像して、今一度「平和をつくり出す人たちは幸いである」と仰ったイエスさまの言葉を考えたいと思います。

まず注目したいのは、主イエスは「平和を愛する人は幸いである」と言われたのではなく、平和をつくり出す人は幸いである」と仰ったということです。

ということは、ただ口先で「平和は素晴らしい」と思っているのではなく、実際に争い合っている相手、あるいは人々や国と向き合わないとなりません。思い願っているだけならば何と容易なことでしょう。

国と国の場合、まさに国家間のことになると最終的には軍事力によって平和を実現しようとします。それは現代だけではなく、どの時代においても同じでした。常に力のある国により征服という形で治められていったのです。

これでは争いは治まっても本当の平和を実現したことにはなりません。例えば第2次世界大戦が終結したあとも、戦争中の報復としてナチスと関係なかった一般ドイツ人がたくさん殺されるなど、東ヨーロッパの各地で血が流されました。

権力のある者(国)が仲裁に入ってさえ、本当の平和を来たらせることはできないのです。しかも、主イエスは権力者ではなく貧しい人々に「平和をつくり出す人たちは幸いである」と言われました。

神の御ひとり子であるイエスさまは人間の姿になって、しかも王としてではなく最も弱い者になって地上に来てくださいました。

それは人々の一切の罪をその身に背負って、私たちの身代わりになって死んでくださるためでした。神さまはイエスさまの受難を通して、神を必要としないで生きている私たちの罪を赦してくださり、神さまと和解させてくださったのです。

そのことがわかって感謝が溢れて悔い改めた人がクリスチャンですから、自分の苦手な人に怒りや恨みをぶつけることは、その攻撃をイエスさまにしていることにもなるのです。

クリスチャンはピースメーカー「和解の使者」として生かされる民であり、先ほど読んだイザヤ書に「破れを繕う者」とあるとおりです。

このことは自分の力でするのではありません。実際人間の努力だけでは絶対にできません。真に主イエスを慕い、主イエスを信じて委ねていくときに可能になるのです。

私たちは神さまから赦しを受けたお互いが、和解の使者として主から遣わされているのです。そして「彼らは神の子と呼ばれる」のです。

「繕う」には「管理する」「整理する」という意味があり、主イエスは私たちを破れを繕う者、建設者のような人、基を据える人として用いようとされるのです。

かつて私も非道で不当な攻撃を集団から受けたことがあり、私の人権を侵害し、母のいのちの尊厳をも犯されました。しかし、その真っ只中にあっても心は平安でした。

彼らが暴言を吐き続けている時も、「イエスさま、彼らはあのようなことを言っています。どのように答えればいいですか?」と祈っていました。その時も、その後も、一度も言い争いをしたことはありません。神さまがそのようにさせてくださっているのです。

時に憤りと悲しみが突き上げてきて苦しむ時がありますが、その時は「イエスさま、助けて!」と小さな声で御名を呼び祈るのです。何度も何度も。

今振り返るとこのような生き方を、主イエスは平和をつくり出す大きな業であると喜んでくださっているのだと思いました。尊い経験をさせていただいたことを感謝し、あの頃の真剣さに立ち返りたいと思います。

対立や争いは国家間のことだけではなく、職場や学校、また家庭でも絶えません。しかし主イエスはそれぞれの所で、私たちが向き合う相手の間に立ってくださって、破れを修復してくださることを信じることができるのは本当に恵みです

いつまでも挑発し攻撃をやめない北朝鮮のために、もっと真剣に祈り求めねばなりません。戦いが治まるだけではなく、真の平和の実現へと主イエス・キリストに祈り努力を続けることができますように。

米日韓が北朝鮮の挑発に乗らないように。
為政者たちが謙虚になって全能の神に助けを求めることができますように。そして、神さまが為政者たちに神さまの知恵を授けてくださって、この危機を回避できますように切に祈ります。
posted by 優子 at 22:22| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年08月31日

夏休み最後の日に -夏を楽しむ―

★この記事は9月2日に書いたのを、散歩当日の日付で記録した。

IMG_7379.jpg8月31日のアサガオ。
この日から一挙に涼しくなり朝晩は肌寒いほどだ。日中は強い陽ざしだが湿度が低く快適。

今夏はあまりにも暑くて散歩したのは一度だけ。マチ・クマが日本を発つ前夜、2人に誘われて3人で歩いた時だけだった。

心の力が抜けていき心地よくて50分も歩いた。話しながらリズミカルに歩いていた感覚が昨夜のことのようによみがえってくる。まだ3週間にもならないのに、何て懐かいのだろう。

夏休み最後の日、ユキもようやくこの日の午前中だけはお友達と遊ぶ約束をしなかったので散歩に出かけた。サワガニやトンボを追いかけるユキを見ながら1時間以上歩いた。

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ザクロの実

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これは前日30日、アジサイ宅のKさんに
ぶどうをお届けした時のもの。

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コムラサキが色づき始めていた。
「み(実)」が大好きだった2〜3歳頃のユキを思い出す。

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よココニキリギリスがいる.jpg
これがキリギリス、鮮やかな緑色にびっくり!

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まだアブラゼミがいた。

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昨夏、Nさんに教えてもらった「ナラ枯れ」。
ナラ類やシイ・カシ類の木が枯れる被害が広がっている。

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これが被害木の根元。
ユキは何でもよく知ってるね。

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アキアカネがいっぱい。
今年からは捕ってもすぐに逃がしてやるようになった。


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でもこんな網で捕ったんだよ。
夏の初めに買った虫捕り網はボロボロで、
棒も短くなってしまったけれどナイスキャッチ!
(今日2日に新しいのを買った)

夏休み中に乳脂が3本抜けたね。
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風に揺れて落ちてきた木の実。
「こんな時期から落ちるのかなぁ」と上を見上げると
木の半分がナラ枯れに侵されていた。
このように葉っぱと一緒にたくさん落ちていた。

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「あそこにツクツクホウシがいる!」

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「ひとり生え」のユリ。

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ピンクのノウゼンカズラ

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一日花のムクゲ

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こんな花は初めて!

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柿の実も大きくなっていた。

急に季節が変わるのは好きではないが、とにかく涼しくなってホッとした。これまでは風さえあればクーラーなしでもいられたのに、昨夏頃から風があってもクーラーなしで居られないのは年齢が高くなってきたからだと思う。

今夏は蒸し暑さも耐えられなくて気温の低い朝からつけ、12時間以上つけっぱなしていたことも珍しくなかった。

涼しくなって嬉しいけれど、それでもやっぱり夏の終わりはさみしい。
夏から秋へ、秋から冬に向かう季節の変わり目はさみしく、最後の輝きを放って咲くアサガオを目に焼き付ける。限りある命の使い方を教え励ましてくれているようだ。

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posted by 優子 at 19:13| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

谷口稜曄(すみてる)さん逝く −核兵器廃絶を訴え続けた「赤い背中の少年」−

IMG_7186.jpg16歳の時に長崎原爆で被爆し、「赤い背中の少年」(The boy with the red back)で知られる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員・谷口稜曄さんが、十二指腸乳頭部がんのため30日に長崎市内の病院で亡くなられた。88歳だった。

長崎の日のニュースに谷口さんのお姿が見えなかったので、どうされたのかなぁと思っていたところだった。

原爆投下の生き地獄のみならず、あの大やけどの激痛に「殺してくれ!」と耐えねばならなかった地獄。あの痛みの拷問を耐えねばならないならば、いっそ即死していたほうがよかったと思われたことだろう。

ああ、よくぞ耐え抜いてくださった。
いのちが保たれたことも不思議でならない。

その後もずっと肉体の苦痛に耐えながら核兵器廃絶を訴え続けてきてくださり、本当にありがとうございましたと涙する。使命を果たして生き抜かれ、ようやく一切の苦痛から解放された谷口さんに哀悼を捧げます。

2015年8月9日、長崎市主催の平和式典で被爆者を代表して日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表の谷口稜曄さんが発せられた「平和への誓い」をここに刻ませていただいた。

谷口稜曄さん.jpg70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。

地獄はその後も続きました。火傷や怪我もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。

70年前のこの日、私は16歳。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロメートルの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩きつけられました。

しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。

谷口少年.jpgそれから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7カ月の病院生活、その内の1年9カ月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。

谷口すみてるさん.jpgそのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。

かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。

谷口稜曄さんの背中.jpgアメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。

戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を推し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。

今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者をはじめ平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。

私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。

谷口さんは、爆心地から北方1.8キロの所を自転車で走っていて被爆された。3000〜4000度の熱線と放射線によって背後から焼かれ、次の瞬間猛烈な爆風によって自転車もろとも4メートル近く飛ばされ、道路にたたきつけられた。

以下は、谷口さんが命がけで語り続けてくださったことである。

突風が過ぎ去ったので顔をあげて見ると、建物は吹き倒され、近くで遊んでいた子供たちが、ほこりのように飛ばされていたのです。私は、近くに大きな爆弾が落ちたと思い、このまま死んでしまうのではと、死の恐怖に襲われました。でも、私はここで死ぬものか、死んではならないと、自分を励ましていたのです。

しばらくして、騒ぎがおさまったので起き上がってみると、左の手は腕から手の先までボロ布を下げたように皮膚が垂れ下がっていました。背中に手をやってみると、ヌルヌルと焼けただれ、手に黒い物がベットリついてきました。

それまで乗っていた自転車は、車体も車輪もアメのように曲がっていました。近くの家はつぶれてしまい、山や家や方々から火の手が上がっていました。吹き飛ばされた子供たちは、黒焦げになったり、無傷のままだったりの状態で死んでいました。

女の人が、髪は抜け、目は見えないように顔が垂れふさがり、傷だらけで苦しみもだえていました。今でも、昨日のように忘れることはできません。苦しみ、助けを求めている人たちを見ながら、何もしてやれなかったことを、今でも悔やまれてなりません。

多くの被爆者は、黒焦げになり、水を求め死んでいきました。

私は夢遊病者のように歩いて、近くのトンネル工場にたどり着きました。女の人に頼んで、手に下がっている皮膚を切り取ってもらいました。そして、焼け残っていたシャツを切り裂いて、機械油で手のところだけふいてもらいました。

工場では新たな攻撃に備えて他の所に避難するように言われました。力をふりしぼって立ち上がろうとしましたが、立つことも歩くことも出来ません。元気な人に背負われて山の上に運ばれて、木の陰の草むらに、寝かされました。

周りにいる人たちは、家族に伝えて欲しいと自分の名前と住所を言い、「水を、水を」と、水を求めながら死んでいきました。夜になると米軍の飛行機が機銃掃射して来ました。その流れ弾が私の横の岩に当たって、草むらに落ちました。

夜中に雨がシトシト降り、木の葉から落ちるしずくをしゃぶって、一夜過ごしました。夜が明けてみると、私の周りはみんな死んで、生きている人は見当たりませんでした。

そこで2晩過ごし、3日目の朝、救護隊の人たちに救助され、27キロ離れた隣の市に送られました。病院は満員で収容できず、小学校に収容されました。

それから3日後、被爆して6日目、傷から血がしたたり出るようになり、それと共に痛みがジワジワと襲ってきました。1カ月以上治療らしき治療はなく、新聞紙を燃やした灰を油に混ぜて塗るだけでした。

9月になって、爆風で窓が吹き飛ばされたままの長崎市内の小学校で、大学病院が治療をしているとのことで、送られました。そこで初めて医学的な治療を受けました。

まず輸血でした。でも、私の血管に輸血の血液が入っていかないのです。内臓がおかされていたのでしょう。貧血が激しくて、焼けた肉が腐り始めました。

腐った物がドブドブと、体内から流れ、身体の下にたまるのです。身体の下にはボロ布を敷き、それに体内から流れ出る汚物をためては、1日に何回も捨てなければなりませんでした。

その当時、やけどやけがをした被爆者の身体に、うじ虫がわいて、傷の肉を食べていました。私には1年過ぎてから、うじ虫がわきました。うじ虫が傷口をかじるのがたまらなく痛いのです。

あの写真は約半年後「1946年1月31日」に撮影されたものです。

私は身動き一つできず、腹ばいのままで、痛みと苦しみの中で「殺してくれ!」と叫んでいました。誰一人として、私が生きられると予想する人はいませんでした。医者や看護婦さんが、毎朝来ては、「今日も生きてる、今日も生きてる」とささやいておられました。家の方では、何時死んでも葬儀ができるよう準備していたそうです。

身動き一つできなかったので、胸が床ずれで骨まで腐りました。いまでも、胸は肋骨の間がえぐり取ったような深い溝になり、肋骨の間から、心臓が動いているのが見えます。

1年9カ月たって、ようやく動けるようになり、3年7カ月たって、全治しないまま病院を退院しました。その後も、入退院を繰り返し、1960年まで休みなく治療を続けてきました。

1982年ごろから、ケロイドの所に腫瘍ができて手術を受けました。その後も医学的にも解明できない、石のような硬い物が出来て手術を繰り返しています。

あの日から半世紀が過ぎました。過去の苦しみなど忘れ去られつつあるように見えます。だが、私はその忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。

私は、かつて自分をその一コマに収めたカラーの原爆映画を見て、当時の苦痛と戦争に対する憎しみが、自分の身体の中によみがえり、広がって来るのを覚えます。

私はモルモットではありません。もちろん、見せ物でもありません。でも、私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないで、もう一度みてほしい。

私は奇跡的に生き延びることができましたが、「生きる」とは「苦しみに耐える」ことに他なりませんでした。かつて最大38万人いた日本の被爆者はいま、23万人に減りました。私たち被爆者は全身に原爆の呪うべきつめ跡を抱えたまま生きています。

核兵器は絶滅の兵器、人間と共存できません。どんな理由があろうとも絶対に使ってはなりません。核兵器を持つこと、持とうと考えること自体が反人間的です。

最初の核戦争地獄を生身で体験した私たちは、65年前のあの8月、核兵器の恐ろしさを本能的に学びました。核攻撃に防御の手段はなく、「報復」もあり得ません。

もしも、3発目の核兵器が使われるならば、それはただちに人類の絶滅、地球とあらゆる生命の終焉を意味するでしょう。人類は生き残らねばなりません。平和に、豊かに。

そのために、皆で最大の力を出し合って、核兵器のない世界をつくりましょう。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません。

私は核兵器が、この世からなくなるのを、見届けなければ安心して死んでいけません。長崎を最後の被爆地とするため。私を最後の被爆者とするため。核兵器廃絶の声を全世界に。

長崎平和公園.jpg ノーモア ヒロシマ!
 ノーモア ナガサキ!
 ノーモア ヒバクシャ!

先月、国連で核兵器禁止条約が採択された時、病床から渾身の力をふりしぼって語られたことが遺言となった。

「今回核兵器禁止条約ができるということは非常に喜ばしいことだと思います。次から次に核兵器が必要だと言って持つ国が増えてきてますから、絶対減らす努力をしなければいけない。残念ながら被爆国の日本政府がこれに賛成していません。

今後は、核兵器を持っていない国が持っている国を包囲し、一日でも早く核兵器をなくす努力をしてもらいたい。そうしなければ一応話が決まっても何も役に立たない。

被爆者が一人もいなくなった時に、どんな形になっていくのか一番怖い。我が子のためにも私たち生き残った被爆者が頑張らなければいけない」。

29日早朝にはまたしても北朝鮮が弾道ミサイルを発射を強行し、今回は日本上空を通過した。日米韓は戦争回避の努力を続けているが、国連決議も全く無視し続ける国ゆえにどうなるのか心配でならない。

ミサイルの避難訓練実施のニュースも報じられ、小学生が机の下で身を屈める映像に胸が痛む。災害の避難訓練ではなくミサイルなのだ。子どもたちはどのように感じているのだろう。

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posted by 優子 at 17:03| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

晩夏


IMG_7291.jpg今日は夏休み最後の練習だったサッカー教室は、先週に続いて今週も午後3時半から6時まで校区の中学校で汗を流した。

途中にブドウの直売所があり、昨日に続いて今日もデラウエアを買いに行った。この店ではデラウェアを買い、巨峰は別の店へ行く。デラウエアはまもなく終わる。


道路沿いににある店頭にも少しだけブドウの木があり、「色はついていないが少しは甘みがのってきたから」と一房だけデラウェアを切りとらせてくださった。スパイクを履いていたので脚立に登りにくかったそうだ。
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  この辺りだけデラウェアがあったが、ほかは全て大粒種だった。

ぶどう栽培が盛んな大阪のぶどうを代表するデラウェアは、
すぐ近くの県境を超えた柏原市が産地で、
柏原ワインの知名度も高くなっている。
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私は子どもの時からデラウェアが大好きで、今でも一度に5〜6房は食べられる。

IMG_7301.jpgそして、中学校に到着。お友だちは誰も来ていなかったが、草刈りをしてくださっていたのはコーチだったとのこと。傍まで確かめに行っているのに声をかけられないユキ。(>‗<)

先週は友達と自転車で行ったのだが(平坦な道ではないから大変!)、早く着きすぎたのでコーチたちと一緒に草刈りをしたというのに。

刈った草をトンボで集めるのが楽しかったと話していたシーンが、先週のサッカー教室のブログに掲載されている。

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そして、これは今日の様子。

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ハナミズキが実をつけていた。

ついでにこれは昨日の夕刻。飛行機が空高く全速力で上がって行った。
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飛行機を見るといつも真智と太志君を想う。

私は今も窓を開け閉めするときに家の前の道路をしばらく見つめている。本当にここでマチとクマがいたのだろうか、本当に一緒に遊んでいたなんて信じられない思いで。

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これは再び日本を発つ前日だ。今回最後の夕食とばかりに必死で作る。もう別れる覚悟はできていてもどんなに辛いことか。何度経験しても慣れることはない。
まもなく夏が終わりそれぞれ新しい季節を迎える。
posted by 優子 at 21:25| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

家の教会2017㉚ −「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。−


IMG_7279.jpg「おはよう!」と声をかけてくれているような朝顔。
先週は暑くて寝苦しかったのに、昨夜は窓を閉めないと肌寒いほどの涼しさ、おかげで熟睡できました。
夜になると鈴虫の声を聞き、今朝は「秋の空に変わったなあ」と夫の一言。蝉の声もほとんど聞こえず、爽やかな風が部屋を通り抜けていきます。礼拝後はしばらくの間、3人で俳句を練って楽しみました。

2017年8月27日(日)  (2017第30回 家の教会)
8時30分〜9時
出席者 3名(R&Y)
@ 初めのお祈り  優子
A 主の祈り
B 子どもの讃美歌 讃美歌21・60番「どんなに小さい小鳥でも」
C 聖書輪読         マルコによる福音書 9章14節〜29節
D お話               優子
E お祈り
F 讃美歌   312番「いつくしみ深き」

よう開けなかった朝顔.jpg(→)8月14日、こんなに大きな蕾だったのに開かずに終わった朝顔の花ふたつ。

マルコによる福音書 9章14節〜29節:
9:14 さて、彼らがほかの弟子たちの所にきて見ると、大ぜいの群衆が弟子たちを取り囲み、そして律法学者たちが彼らと論じ合っていた。
9:15 群衆はみな、すぐイエスを見つけて、非常に驚き、駆け寄ってきて、あいさつをした。
9:16 イエスが彼らに、「あなたがたは彼らと何を論じているのか」と尋ねられると、
9:17 群衆のひとりが答えた、「先生、口をきけなくする霊につかれているわたしのむすこを、こちらに連れて参りました。
9:18 霊がこのむすこにとりつきますと、どこででも彼を引き倒し、それから彼はあわを吹き、歯をくいしばり、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」。
9:19 イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまで、あなたがたに我慢ができようか。その子をわたしの所に連れてきなさい」。
9:20 そこで人々は、その子をみもとに連れてきた。霊がイエスを見るや否や、その子をひきつけさせたので、子は地に倒れ、あわを吹きながらころげまわった。
9:21 そこで、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられると、父親は答えた、「幼い時からです。
9:22 霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。
9:23 イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。
9:24 その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。
9:25 イエスは群衆が駆け寄って来るのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、「言うことも聞くこともさせない霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」。
9:26 すると霊は叫び声をあげ、激しく引きつけさせて出て行った。その子は死人のようになったので、多くの人は、死んだのだと言った。
9:27 しかし、イエスが手を取って起されると、その子は立ち上がった。
9:28 家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
9:29 すると、イエスは言われた、「このたぐいは、祈りによらなければ、どうしても追い出すことはできない」。
お話:
今日は主イエスが汚れた霊に憑りつかれた子を癒された時のお話です。このところから私は3つのことを考えさせられました。

特に注目させられたのは、「このたぐいは、祈りによらなければ、どうしても追い出すことはできない。」と言われたイエスさまのお言葉ですが、これは弟子たちの問いに対する答えとして語られたものであるという点です。

私たちも何かをするときには祈ります。例えば『種を蒔く』を差し上げるときも「神さま、この本を祝して用いてください」と祈ります。ましてや、弟子たちが悪霊を追い出す時にも祈ったに違いありません。

しかも6章7節〜12節に、「また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、(略) 悔改めを宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、大ぜいの病人に油をぬっていやした」とありますように、弟子たちは癒した体験もしているのです。

しかしこのたびは癒すことができなかったのであのように尋ねたのですが、イエスさまは何を教えようとされたのでしょうか。今まで読み流していたのですが、そのことこそを示されたのだと思います。

即ち、主イエスは「あなたがたの祈る姿勢に問題がある」と言われたのではないでしょうか。弟子たちが癒すことができるのは、弟子たちに力があるのではなく、そこに働いているのは主イエスの大能の力であり、弟子たち(私たち)を用いて聖霊の働きによってみわざをなされるということ。

この本質、神さまとの正しい関係がおざなりになっていたのではないかと受け止めました。だからこそ、時には神の助けを祈り求めながらも、実は自分の努力だけで必死になって思い煩ってしまうのだと思います。
この時の弟子たちの祈りの姿勢は、まさに私のことでした。時に惰性的になっていた自らを探られました。

そのような彼らにイエスさまは悲しみと憤りを感じられましたが、見捨てず最後まで共に居て面倒見てくださいます。

注目した2点目は、汚れた霊に憑かれている子の父親です。
「しかしできますれば、わたしどもを憐れんでお助けください」と願ったこの言動は、相手が人間である他者に対してならば礼儀正しく謙遜な心を表しているでしょうが、神さまに対して無礼千万であり何もわかってはいません。。

しかし、神さまに対してならばどうでしょうか。神さまとの関係においては決定的に間違っています。神への全幅の信頼がなく、「癒されなかったら別の方法を考えよう」という思いさえあったのではないでしょうか。

もしもそうであるならば(それが人間の常なのですが)、父親は主イエスの力を借りて自分の願っていることを実現しようとしたのであり、それは正しい信仰ではありません。だからこそ主イエスは、「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」と言われたのです。

しかも注視すべきは、イエスさまは「わたしには何でもできる」と言われたのではなく「信じる者には何でもできる」と言われたことです。

ここで主イエスは父親に神さまとの正しい関係を教えられました。父親が中心で主イエス(神)が父親の計画に協力するのではないのです。何にも先立って神の存在があり、主従を転倒させてはいけません。

人間が考え出した「カミ」や新興宗教の教祖のように、人間の下に祈る対象である「カミ」を位置づけているのと同じです。

時に私たちも気がつかないうちにこのような誤謬に陥ってしまうことはないでしょうか。あくまでも神が主で、私たちは神さまのみわざのために用いられていくのです。

これこそがまことの神への信仰であり、この真の信仰に立つ時に初めて、不可能を可能にされる神の全能の力と恵みを体験するのだと主イエスは教えておられるのだと思いました。

「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。
"`If you can'?" said Jesus. "Everything is possible for him who believes."

「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。
"I do believe; help me overcome my unbelief!"
何という素晴らしい叫びでしょう。父親は聡明でした! 

否、父親はイエスのみことばによって心が開かれたのです。
しかしまた不思議な言葉ですね。「信じます」と断固たる心で主イエスを信じて信仰告白しながら「不信仰なわたし」と言っています。でもこのことも私はよくわかります。これが考えさせられた3つ目のことです。

父親は神と人間が転倒していることに気づかされて正しい信仰への転換を経験して「信じます」と叫んだと同時に、弱くてどうしようもない自分ゆえに「不信仰なわたしを、お助けください」。「不信仰であっても我が子を癒してください!」と願ったのです。

黒崎幸吉は言っています。
「真実なる要求なき者にとりてイエスは用なき他人である。祈りは神との霊の交通であるり、人は祈りによりて神の力を受け、この力によりて悪の霊に打勝つことができる」と。

そして、「悪霊に憑かれて苦しめられし少年の姿は、サタンに捕われて苦悩する罪人に似ている。罪の苦悩を経験してここに至らざる者は未だ真に罪の力を知っているものということができない。
而してかくのごとくに死にたるものとなるに及べばイエスは御手を伸べて彼を立上がらしめ給う。悪霊より救われし者の姿も全くかくのごとくであるということができる」と。

信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。

まさにこれこそが私たちの祈りであり、心底から願い求めるものでないならば祈る必要はないのです。もしも助けが必要なのに求めないならば堕落であり「この世ながらの地獄」です。

かつて神なく生きていた私たちは、主イエスの十字架の死によって罪赦されて救いの恵みをいただきました。そして、神の子とされて歩みながら、聖霊の働きを通して救いの恵みを周囲の人々にお伝えする者として用いてくださるのです。

IMG_7285.jpg神に祈ることができることこそが最高の恵みであり、主イエスを信じる者に与えられた神の特権です。ですから私たちも神の全能の力と聖霊の働きを信じて主イエスに助けを祈りましょう。

物事がうまくいかない時も、私の思いではなく、神さまが最も善いようにしてくださるということを信じて前進していくのです。

附記:礼拝後コーヒーブレイクして、ユキはおじいさん(良輔)と自転車で「○○台」へサイクリングに出かけた。何度か行っているそうだ。

E291A3E382B5E383B3E382BFE38195E38293E38288E3828A.jpg坂道は歩いて上がり、下り坂が何とも涼しく最高とのこと。
夫の自転車は、昨年のクリスマスにユキがサンタさんからもらった白い自転車だ。
午後3時半からサッカー教室がある。
posted by 優子 at 11:06| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

塾に通った4年生の夏休み  ―ユキが言ってみたかった一言は―

IMG_7184.jpg「次女ご夫妻帰国、藤本家にとって夏のしばしは楽しい時でしたね。
夏休みも終わり近く、孫との笑顔、一瞬とはいえ大切にしてほしいです。
9月は東京で会えますね」。
ペン友N兄さんからのお便り感謝!

9月半ばに日本クリスチャンペンクラブ創立65周年記念集会が開催される。
「ユキは東京へ行ったことないから一緒に行きたい。『はやぶさ』と『こまち』が見たい」と言う。

連れて行ってあげたいけれど運賃が(>_<)。
そうでなくても4時間余り滞在しての日帰りだし、その上にユキの分までは・・・。


IMG_7249.jpgこれは何だ?!
今日洗濯物を取り入れている時、裏に妙な形に気がついた。
いつも注意して見ているわけではないが、光の反射を見たのは初めてだった。しかもこの模様!
ユキに声をかけたものの大急ぎで裏へ走って行った。雲の写真を撮る時と同様に瞬時に形を変えてしまうと思ったからだ。

IMG_7250.jpg反射光の正体は2階ベランダだった。
(目に悪いので太陽の光は消した)
それにしても面白い形だ。どうしてこのような形になるのか知りたい。

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アガパンサスにセミの抜け殻がついていた。

IMG_7237.jpg夏休みも終盤。ユキは毎日飽きもせず遊びに夢中。
「トカゲ、おばあちゃん、袋もって来て」と寝言を言うほどに虫を追いかけ、野球をして遊んでいる。

今週からは毎日塾通い。
朝食後は塾の宿題(と言っても5分か10分間で完了)をして、9時頃からお昼まで遊びに行き、昼食後は塾へ。80分間の学習後、一息つく間もなく2時間半遊びに行く。この炎天下で。

7月後半の一言日記に目がとまり、「じゅくにいってべんきょうしました。じしんがつきました。」と書いてあった。相変わらず全て平仮名で。
「自信がついた」というのは、一人で電車に乗って行き帰りできたことである。

そのこと以上にユキは非常に満足していることがある。
それは「今日は塾があるから遊ばれへん」と人並みのセリフを友達に言えたことだ。いつもいつもフリータイムのユキは、遊びに誘っても友だちは不在のことが多く、塾に行ったことがなかった知子や真智子と同じ経験をしていた。

何事も慎重なところがあるユキだが、「焼きたての食パンが売ってるから買ってきたろか?」と第1日目から電話してきたのには驚きつつも頼もしく感じた。

IMG_7182.jpgしかし、受験勉強でもあるまいに家でやればすむことであるし、夏休みに塾は懲りたはず。真智たちの帰国中は、行く所もいっぱいあって塾の日時を変更してもらわねばならなかったからだ。
その関係で今週は連日通って12回コースをこなしている。残すところようやく2コマである。

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自治会掲示板にあるサマースクールの写真を撮り方々、
塾へ行くユキを駅まで送った。


IMG_7211.jpgその帰り、公園のサルスベリ(百日紅)を見に行った。

玄関のハクチョウソウ。
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今年は「ひとり生え」のユリがいっぱい!

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今夏もキリンのように顔を出したユリ。
昨年根元近くで切っておいたのに。
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チャッピーの小屋もなくなった2017年夏。
今年も夏は終わりを迎える。

posted by 優子 at 18:24| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

チャッピーの小屋を廃棄 ―悲しみは懐かしい思い出に―


IMG_6794.jpg8月初めに整理をしていたら懐かしい写真が出てきた。こんな写真があったことも忘れていた。

写真に印字されている日付がメチャクチャなので正確さにかけるが、これはチャッピーが来て2度目の夏、私たちがこの家に引っ越してきた2度目の夏(2001年)の頃だと思う。

ということは、真智は大学3回生の頃だ。チャッピーはテニスのボールが大好きで、よく遊んでいた。

私が小学校2〜3年生の時に1〜2年間ほど犬を飼ったことがあった。祖父は、「犬が餌を食べている時は手を出したらあかんで。噛まれるから、絶対に手をもっていったらあかん。畜生やからな」と言っていた。

確かに食べている時に近くに行くと、チビは食べるのをやめて静止したままで「ウー」と唸ったので怖かった。チャッピーを飼い始めた時、私はそのことを娘たちに伝えた。
しかしチャッピーは絶対にそんなことはなかった。食べている時にエサ入れを動かしても平気だった。

しかしテニスボールで遊んでいる時にチョッカイを入れるのは怖いと思った。それほどテニスボールがお気に入りだった。私はチャッピーを畜生(けだもの。鳥獣虫魚の総称)だなんて思いたくなかったから、動物の本性を引き出す誘因にならないようにした。

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真智はこの2枚の写真を持って帰った。(私はもうアメリカへ「行った」というよりも「帰った」という表現のほうがしっくりするようになっている。)

IMG_9787.jpg11月にチャッピーが死んで2年になる。小屋の木は腐って、ずいぶん前から屋根は2枚とも抜け落ちていた。

ようやく今春過ぎた頃からあの時の悲しみも和らぎ、ユキと知子も小屋の廃棄に応じてくれたので、ちょうど真智子もいる時に撤去することにした。次女夫婦が日本を発つ前日に。

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チャッピーの小屋.jpgその翌日のごみ回収の時に、マチたちが日本を離陸するまでに清掃車が持って行ってくれた。その時、家族皆が「バリバリバリ」という音に気づいた。胸が痛んだ。

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死ぬ1か月前のチャッピー。
今日、チャッピーのリードも捨てることに決心した。
いや、やっぱりとっておくべきか・・・これだけは。

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チャッピーは私たちの心の中で今も生きている。

「チャピー、おいで! 一緒に遊ぼ!」

やっぱり悲しみが胸を突き上げてくる。

posted by 優子 at 22:48| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

家の教会2017㉙ −マチ・クマに導かれて―

IMG_7137.jpgこれは先週の礼拝記録である。次女夫婦は帰米後すぐから出勤している。いつものように今も時差ボケで慣れるまでしんどそう。

今朝はユキの全校登校日で午後はサッカーのため礼拝は休んだ。大人たちは午後に読書しー夫は次女に手渡された三浦綾子さんの『光あるうちに』をまもなく読了―私は知子と分かち合いに導かれた。

2017年8月13日(日) (2017第29回 家の教会) 
13時30分〜15時30分
出席者 オールメンバー6名
@ 奏楽       知子
A お祈り      太志
B 主の祈り     一同
C 讃美歌      298番「安かれわが心よ」
D 子ども讃美歌   10番「小鳥たちは」
E お話       真智子&太志
  お祈り      一人ずつ
F 讃美歌      405番「神ともにいまして」


2人は出発前も仕事に追われ、帰国してからも多忙を極めたが、私の霊性がスローダウンしているのでマチ・クマがリードし、「まとまりがないながらも」と聖書から数か所引用しながら折に触れて思うことをシェアしてくれた。

真智子:
ヨブ記 2章7節〜10節:
2:7  サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで、いやな腫物をもって彼を悩ました。
2:8 ヨブは陶器の破片を取り、それで自分の身をかき、灰の中にすわった。
2:9 時にその妻は彼に言った、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」。
2:10 しかしヨブは彼女に言った、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。

ほか13章23節、19章14節〜18節、38章1節〜2節。

人間は、よくないことが起こると、神にこらしめられているように感じるけれど、そうではないと思った

ルカによる福音書 6章22節〜26節:
6:22 人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
6:23 その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。
6:24 しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。
6:25 あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである。あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。
6:26 人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。

人間はふとすると、地上で起こること(人の評価など)から自分が正しく生きているかを推し量ってしまうけれど、地上のことと御国のことが一致しない、むしろ逆相関するぐらいであることを思った。

主は人間に「正しさ」よりも、「くだかれた心、素直な心」を求めておられるのではないか、と思う。

自分で自分の価値を作ったり守ったりすることをしなくていいのは恵みだと思う。主が愛し、主がここに置いてくださったから生きる。どんな状況でも、逆境の中でも、主は私と共にいてくださることを信じて、主を想って歩みたい。

ヨハネによる福音書 16章31節〜33節:
16:31 イエスは答えられた、「あなたがたは今信じているのか。
16:32 見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである。
16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。
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主を知って弱さを生きる。そのことを生きることこそが大きなチャレンジだと思う。それによって信仰と人格が練られていくのだと思う。神さまが居られるから私は今日も生きよう、明日も生きようと思う。

太志:
創世記 39章9節:
39:9 この家にはわたしよりも大いなる者はありません。また御主人はあなたを除いては、何をもわたしに禁じられませんでした。あなたが御主人の妻であるからです。どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」。

サムエル記下 12章13節:
12:13 ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。

自分の罪を考える時に、誰に何をしてしまったかだけではなく、神を思い、神に対する罪として考えることを思った。

ヨハネによる福音書 9章41節:
9:41 イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。

この聖句は、私自身の罪の在り方をよく捉えていると思う。人間的な思いや恐れによって、自分を良く見せようとしたり、自分で何とかしようとしてしまいがちだと思う。

マタイによる福音書 6章33節:
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

むしろ主を恐れて、神の国と神の義を求めて、生きたいと思う。

ヨハネによる福音書 16章33節:
16:33 「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。クマ.jpgしかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

この聖句には、読むたびに励まされ支えられている。世のなやみに対して主は勝利されているのだから、勇気を出して悔い改めて、主を想って生きて行きたい。
posted by 優子 at 18:50| 家の教会 | 更新情報をチェックする