2017年08月18日

ブルンナー読書会K ―「主よ、それは私のことなのですか」―

IMG_7129.jpgこれは次女夫婦が帰国滞在中の8月12日(土)の記録である。
前回でブルンナーの『我は生ける神を信ず 使徒信条説教』を読み終わり、今回から当読書会の導き手である下村喜八さんが翻訳された『ブルンナー著作集 第7巻フラウミュンスター説教集T』(教文館)に入った。

今回は昨夏に続いて次女夫婦も交えて、そして知子も久々に参加して6名の読書会。多すぎず少なすぎずベスト人数で話が盛り上がり実に楽しん学びの時だった。

最初に 讃美歌239番を讃美し、聖書輪読後、下村さんが開会の祈りを捧げられた。

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讃美歌を歌っているところ。知子は奏楽中、写真はユキ。

マタイによる福音書 26章20節〜30節: 
26:20 夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。
26:21 そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
26:22 弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。
26:23 イエスは答えて言われた、「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。
26:24 たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。
26:25 イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。
26:26 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
26:27 また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。
26:28 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
26:29 あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。
26:30 彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。

いつものように最初にわからないところや感想を述べる。
(良輔と知子の発言を書き留めておらず、全てにおいて不十分な聞き書きで申し訳ない。マチ・クマはアメリカから訂正加筆してね。言い足りなかったこともご自由にね!)

ブルンナー読書会D.jpg太志君:これまではユダのことを自分のこととして考えていなかったことに気づかされた。

真智子:「そうだ、あなたのことだ」と言われた時に裁かれているように感じていた。p13・L3にあるように、危険に曝された時に裏切ってしまう自分があり、イエスを信じたいと思っているのに裏切ってしまう。私はそのように生きたいんだけれど、こうやってしまうというように。

だからこそ、「『主よ、それは私のことですか』と尋ね、さらに『そうだ、それはあなたのことだ』との、屈辱的であると同時にすばらしい慰めの答えを受け取ることによって与えられるのです」。(p16)
イエスに躓くことから始まるのだと思った。

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下村さん:イエスの弟子の11人は皆ガリラヤ出身でユダのみ別の出身地という解釈もあり、ユダはナショナリズム色が強く、イスラエルのこの世的な開放を望んでいた。

会計役を任されていたのでかなりの高レベルの人間だったようである。銀貨30枚というのは奴隷一人の売買の値段であり、罪が大きすぎて自己嫌悪に苦悩するユダ。

優子:私が驚きをもって読んだのは(15ページ)、ユダが裏切りの手はずを済ませたあとも、イエスはユダを救おうとされていたというブルンナーの言葉。
「それにゆえにこそイエスは、『あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言われるのです」と。

そして、「たとえ遅きに過ぎるということがあるとしても、イエスに立ち帰るに遅すぎることはありません。まだイエスの声が聞こえるかぎり、・・・」という箇所。

イエスの声が聞こえる限り、聞こえるうちにイエスに立ち返らないと、「激しく泣く力も勇気も、従って悔いて引き返す力も勇気も」失われてしまうことを強く心に刻むべきと思った。

もう一点は10ページ最後の行に、「『私は贋(にせ)のメシアに従ってきた。騙されたのだ。彼は神の国を約束したのに、今犯罪者として死のうとしている』。そうユダは思いました。」というところを読んで、私もまた今よりももっと信仰が浅かった頃の心理経験は、ユダの思いと同じ延長線上にある苦悩だったと思った。

私の母は脊髄小脳変性症という進行性の神経難病で苦しんだ。かなり不自由な身になっていた時、やかんのお湯をポットに入れるのは危険なので電気ジャーポットを使ってもらうことにしたら、電気コードに足を引っかけて100度近くのお湯を浴びた。身動きできない母は胸から腹に至る広範囲に筋肉に達するほどのやけどを負った。

私は神を信じるがゆえに、両親と同居する非情な人に耐え続け、神さまは母を守ってくださっていると信じていたので慟哭した。

あの時の神への憤りは「私は贋のメシアに従ってきた」というユダの思いと通じると思った。


IMG_7128.jpg私たちはユダの裏切りと「あまり違わない行為をなすということ」。

ユダの裏切りとペテロの裏切りとの罪の大きさの違いは、「それでもペテロはイエスとの関係を絶とうとはしなかった」ということであり、私たちもどんな危機的情況の時もこのことを忘れてはならない。

「信仰は自分で得たのではなく、人生は一瞬一瞬の決断である。どんな時も自らに絶望しないで、人生全体が神の恵みのもとにあることを忘れないように」。
  
次回は9月9日、「移ろうものと移ろわざるもの」。
この時より聖書研究会のように当番に指名された人が、最初に内容を説明紹介することになった。初当番に指名され、意欲的にさせられて感謝!

時にピント外れの発言をして恥ずかしくなる時があり、下村ゼミの学生だとしたらどんな成績をつけられるのだろうと思って赤面することがある。「優」「良」「可」、せめて「良」をいただきたいものだ。

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附記:ここ1〜2年前から聞き書きができなくなってしまい、この記事も逐語記録ではない。理解力だけではなく年齢以上に記憶力も非常に低下しており、最後の言葉も誰の言葉だったか思い出せない。下村さんか真智だったと思うが。
posted by 優子 at 09:55| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

兄の一言 −マチ・クマみんなで墓参の時に―

IMG_7099.jpg毎年盆休みが近づくと兄の方から両親の墓参をいつにしようかと電話が入り、今年も例年通り休みの初日に決まった。
その電話で「『種を蒔く』(4号)読んでくれた?」と尋ねると読んでいないというではないか!

兄は讃美歌をよく知っているので井置牧師との記事ならば読んでくれると思って、今回初めて贈ったのであるが全く読んでおらず、「ええ本やな。よくできている」と、印刷業を営む者として見ていただけだったのでガッカリし呆れた。

「お兄さん、会うまでに是非読んでね」と言っても「仕事が溜まって忙しいからなぁ」と言われたので期待しないで再会したのだった。

ところがである、8月11日のこと。
墓参のあと兄の車に乗った私は、ランチを共にするレストランへ向かう車内で思いもよらない喜びの激震に打たれた。自動車を走らせてまもなく兄の方から話題に出し、しかも驚くべきことを延々と話した。

「すごい出会いやなあ、びっくりした。
こんな出来事は(神を)求めている人に起こるんやなぁ、優子のように生きている人に起きる」と何度も繰り返したのである。

私は雷に打たれたように驚き、神さまが働いてくださったことを知らされて厳粛な気持ちになった。
これこそ神の奇跡であり、このような出来事が起こっていたとは思いもしなかったから、何事も失望してはいけないと思った。

私はここ何年間は心の余裕もなく、兄と再会する喜びだけで行っていた。それまでは1年に一度の再会を大切に用いようと、祈りながら讃美歌のテープやCDを準備して臨んでいた。

兄もまた中学から同志社で学び、私以上に新島襄を敬愛する「同志社人」である。中学入学当初から覚えたばかりの讃美歌をよく歌ってくれていた。

まもなく聖歌隊に籍を置き、よく家の中にバリトンの声が聞こえていた。中高時代(高校時代?)は教会にも通い、クリスマスには毎年「同志社イブ」に参加し、四条河原町や烏丸でキャロリングに参加していた。

ところがその兄が讃美歌「ああ主のひとみ」を知らないというのだから、これまた激震するほどの驚きであったが、神さまは証しを用いて兄に触れてくださったり、これこそ決定的な驚きであった。

今年も話が盛り上がり2時間以上のランチタイムだった。兄はこんな懐かしいことを話した。

IMG_7101.jpg「知ちゃんか真智ちゃんが生まれた時、『プランタン』でパンを買うて北野病院へ行った。あの頃ホワイティ梅田の地下街に『プランタン』があった」。

「私もよく覚えている。あれは真智が生まれた時で、プランタンのパンを買ってきてくれたこともよく覚えているよ」。

その時、兄が身近な人のことをひとこと呟いたので悩んでいることがわかった。心を静めて「何かあったん?」と聞いたが何も答えなかったことなど、30年以上の時を経て思い出した。兄がこのような苦悩を語ったのは後にも先にもこの時だけだった。

自動車の中で「優子は文才があるから書いたらええ。書き続けていくとええな」と、そんなことまで言ってくれた。兄はそのように思ってくれていても、私は語彙が少ないし文才もない。

それでもいかに自分の思いを表せばよいかにこだわる。特に感動した時、また、悲しみ、怒りなどの感情だけは自分が納得できるように書きたい。描写以前に自然に溢れ出る思いを言葉にしたくて一心にこだわるのだが何と難しいことか。
今日のタイトルも気に入らなくて保留。

兄の身に起こった奇跡から玉木功牧師の言葉を思い出した。

IMG_7116.jpg「神さまの働きが思わぬところで実っている。その事実を本人は知らないが、隠れたところで大いなる働きをしていかねばならない。それが文書伝道として最も的確な場であることを忘れてはならない。

私達の書いていることがいつどこで実るかわからない。売れない本であっても、それがどれだけ大きな励ましを与えているかわからない。
心に描いていることを書き上げることができますように!」
          2009年の夏期研修会にて

たった一人の人でいい。この拙いブログもまた神さまが用いてくださいますようにと、これからも祈りつつ書き続けていきたいと思う。

兄もまた主イエスと個人的に出会うことができますように。兄自身が感じた驚きの感動が無駄になりませんように祈ります。
神の祝福あふれる2017年夏を感謝します。
     
附記:マチ・クマの2017年帰国時の思い出のために、そして私も記憶しやすいので「真智子(ワシントン便り)」のカテゴリに収録した。
posted by 優子 at 12:32| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

2017夏 マチ・クマとの時 −25枚の写真をここに−

 8月13日(日) 小さな晩餐会

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IMG_7024.jpgこれは少々「やらせ」でポーズをとってもらったが、今年もやっぱりユキは眠りかけていた。今年はまだ7時半にもなっていないのにネ。


2014夏.jpgちなみにこれは3年前(2014年)。

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そして2年前(2015年)。
共にマチ・クマにご馳走になった。

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8月14日(月)滞在最終日の夕方に。

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良輔は点数をカウントしている。

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負けて拗ねるユキ、なだめる真智(^−^)。

次はキャッチボールだよ!
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ユキが大人並みのすごく速いボールを投げるのでびっくり。

      IMG_7075.jpg IMG_7083.jpg  

      あっ、おへそが! フー、かっこいい!
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IMG_7061.jpg帰宅早々に初めて乗ったジェイボー(ド)。
今回で2回目?

IMG_7098.jpg「3分間ぐらい乗れるようになったよ。
一輪車の感覚に似ているね」。


そしてこのあとはトランプで遊んだね。まぐれ当たりが連発して「神経衰弱」は私が一番だった。
         

2017出発C.jpg時間は速く過ぎ去り、昨日の朝早く再びマチ・クマはD.C.に帰って行った。神さまが置いてくださった所に。

そして、
「 無事に、お昼の12時半ごろに自宅に到着しました。シャワーを浴びて、スッキリしました。こちらは雨です。

荷ほどきを始めたけれど、あらためて、沢山もたせてくれて、本当にありがとう。温かいです。太志も心から感謝しています。

こちら、パラレルワールドのようで、再び変な感じです。日本に居たのが噓みたい。ゆっくり荷ほどきしながら、写真を見ながら、頭を整理しようと思います。
本当にありがとう。
真智子」

今日未明(午前2時過ぎ)真智から、そして太志君からも心のこもったメールが届いていた。

「今回の滞在も本当に温かく迎えてくださって、心から感謝しています。美味しいご馳走をたくさんいただき、洗濯も掃除も運転も、すべて言いつくせませんが、大人二人を迎えることの大変さを思い、少しでも家の事をお手伝いできればと思っていましたが、結局今回も、していただくばかりになってしまったと思い、申し訳なく思っています。また、たくさん持たせてくださって、とても感謝しています。
 (略)
ユキちゃんと過ごせた時間もとても楽しく、また、しっかりと成長している姿を見ることができて、感動しました。ユキちゃんに『また一緒にゲームしたり、キャッチボールしたり、お出かけしたりしようね!』とお伝えいただければ嬉しいです。

再会の時を楽しみに、真智と共に頑張ります。どんな道でも、主が共に歩んでくださっていることを信じて、希望を持って行きたいです。

早朝にお見送りしていただき、ありがとうございました。皆さんが心身ともに元気に癒されますよう、心から主に祈っています。

本当にありがとうございました。太志」

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狭い玄関は履物でいっぱいだったのに、また4人に戻ってしまった。

次の3枚の写真は4月に見せてもらっていたけれど、真智たちの日常を想いたくて貼らせてもらった。この程度ならばいいかと思って・・・

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IMFの屋上で真智が所属する局の人々と。
右側の道路を5分ほど歩くとホワイトハウスがある。

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左の彼は日本人で東大大学院の後輩。
IMFに勤務して6年目になるマチ・クマにも
日本人の後輩ができた。

真智はIMF「ナンバー2」の人の前で発表する機会を与えられて、上層部の人しか入れない円卓の会議室で15分間ほど話したそうだ。そこに真智の上司はもとより全局長30名ほどを前にして、実に真智らしく話したようだ。

発表を終えると「ナンバー2」の人から”Excellent work”(優秀な仕事だ)と言われ、真智が部屋を出ようとする時も、彼は立ち話しておられたのにもう一度”Excellent  work”と声をかけてくださったという。大きな励ましとなったことだろう。

この話を聞きながら中学生時代の英語暗唱大会でスピーチしている真智と重なり、国際機関で活躍する娘の姿を想像して目頭が熱くなった。両親にも聞かせてあげたかった。

かつて真智が教育局(正しい名称を忘れた)にいた時に制作したオンラインコースは今も用いられており、今オンラインコースで勉強している受講者がビデオの真智を見つけて「あっ! あなたは」と声をかけられるそうだ。添削指導や質問に答えたりするのは別の人が担っている。

「真智、インストールしてくれた戸部豊さんのトランペット、"Spirit Hymns"を聞きながら書きました。その中でも特に『今日の祈り』が胸を熱くし霊性を高めてくれます。勿論すべての曲がワンダフルです。ありがとう」。

IMG_1760.jpg附記:8月10日にも花火をしてもらい、これは12日の花火。この夜、私は心身ともにダウンして9時頃から眠ってしまった。
ごめんね。もう大丈夫。
写真をパソコンに入れておいてくれてありがとう!

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真智の憂いも喜びに変えてくださることを信じます。
私もマチ・クマに励まされて歩いていきます。

posted by 優子 at 10:50| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

再会の喜びと別れのさみしさと

8月4日午前1時すぎ、ワシントンD.C.を発つ次女からメールが入った。
「今、飛行機に乗りました。もうすぐ出発です。あっという間に日本に行っちゃうなんて、なんかワープするみたいで、気分転換に感じてます。またね〜。真智子」

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マチ・クマが帰宅した朝の朝顔。
2階のベランダから写す。
同日15時、無事日本に到着し、横浜で2泊して6日の夕方に帰宅した。滞在期間が少ないので目まぐるしいほど盛りだくさんの8日間を過ごし、再び今朝5時過ぎに家を出ていつもの便で帰って行った。雨の日に。

今朝5時21分のツーショット。
2017出発D.jpg次女夫婦は帰国する数か月前から直前まで仕事に追われる日々で、帰国してからも毎日のように外出し予定をこなすのに追われていた。

その間にも私たちの苦悩に何度か介入して話し合ってくれた。いつもこのことに終始せざるを得ないのが悲しい。
ようやく12日夜に真智と二人で話す時間が与えられ、「おやすみなさい」を言ったのは午前2時半になろうとしていた。それでも真智たちの話題があっただろうか・・・

出発の日はいつも早朝4時起き。あと1時間もすれば日本を離陸して、あぁ、またアメリカへ行ってしまう。

6日(日):夕方4時半頃帰宅、マチ・クマと1年ぶりの再会。荷物を運び入れたすぐあとにユキにせがまれて真智はジェイボーに挑戦。

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乗れた! 初めてなのにすごい!

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私はすぐに洗濯機を回し、夕食は「長次郎」へ。この日、知子は勉強会で不在。

7日(月):台風5号の警戒警報のため全校登校日(ユキの塾も)は休校。その雨の中、近隣のNさんがこの前いただいた話題の食パンとともに高価な卵を買ってきてくださった。二人は翌朝から毎朝生卵かけご飯を食べていた。

8日(火):生協配達時にNさんに用意していた品とメッセージカードを手渡す。IMG_1693.jpg午後、マチ・クマともにアジサイkさんを訪問。真智はメッセージカードとともに感謝の品を届けて、私は帰宅し真智はヘアーカット(ユキと太志君も一緒に)へ。

写真は良輔の母と。93歳にして足腰の痛むところもない。せっかくユキが撮ってくれた写真だが、右端の太っちょ優子を外してトリミングした。

9日(水):私は真智と高島屋へ。ユキは太志君に「あべのハルカス」へ連れて行ってもらい、塾の駅(自宅の最寄り駅の一つ向こう)まで送り届けて布施へ戻って真智と合流。ありがとう!

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このジオラマがユキのお気に入り。これで3回目?

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マチ・クマは良輔との時をとってくれ、18時に布施のロータリーで待ち合わせて3人で夕食を共にした。

この日、ユキは昼食やジオラマで遊ぶ費用を太志君に支払ってもらうのを遠慮し、とても気遣ったそうだ。コンビニへ入ったとき、お菓子だけは自分で買ったという。

そんなユキに驚いた太志君。私もまた私たちの知らないユキの姿だった。確かに遠慮気味のところがあるユキだが、小学4年生ともなればそのような気遣いができるようになるのだろう。私もまた深い感動を覚えた。

10日(木):神戸の叔母を訪ねる。「ユキの変」で出発が遅れ、帰宅も21時になった。叔母にも添えた心のこもったメッセージ、今回の交わりはこれまでにない祝福を感じた。

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叔母は89歳。10年ほど前から膝が痛くて歩行困難。

11日(金):両親の墓参に。兄と年に一度の再会。人数オーバーのため私は真智と電車で行き、良輔は寺で知子とユキを降ろして後、同乗した太志君と真智との「WhatsApp」(日本で流行っている『ライン』のようなもの)交信により服部緑地駅まで迎えに来てくれた。

両親が眠る昭徳寺からレストランまで私は兄の自動車に乗った。その時、兄の方から『種を蒔く』掲載の証しについて感想を言ってくれ、その言葉に驚愕した。後日書きたい。
兄を交えてのランチタイムも今年は最も盛り上がり神さまの祝福を感じた。

外出中にRちゃんの御両親来訪、夕刻Rママのみ再訪。RパパとRちゃんは明日よりパキスタンに帰郷とのこと。

12日(土):ブルンナー読書会も盛り上がった。(後日掲載予定)

13日(日):ユキはサッカーのため午後の礼拝。マチ・クマによる礼拝。時間を忘れた2時間半ものロング礼拝だったのにユキは静かにしていた。
そのあといつも行くレストランで小さな晩餐会。帰りに生協の店へ寄る。

14日(月):太志君と真智は帰り支度。夕方にバドミントンやキャッチボール、トランプで遊ぶ。夜、知子から報告あり。3時間半に及ぶ長い話し合いになり23時散会。

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来夏(7月)は真智にイタリア語圏内へのミッション(出張)予定が入っているので8月の帰国は無理であろうとのこと。

2日前、バージニア州で白人至上主義を掲げるグループに抗議する人々との衝突が起きた。バージニアと言えばD.C.のすぐ近くに隣接する州ゆえに心配。
デモや暴動などが起きた時は必ずIMFから連絡が入り、避けて行き来するから大丈夫と安心させてくれたが。この暴動が起こった時も連絡が入ったという。

まもなく二人は日本を発つ。
D.C.着は日本時間今夜11時40分頃。偏西風に乗って帰国時よりも短時間で着く予定。
また逢う日まで神の守りがありますように!

23時40分追記:
「無事に着陸しました。感謝です。
頑張って家まで帰ります。真智子」。
23時38分(ワシントン時間15日朝10時38分)、
無事D.C.に着陸とのメール着信。感謝!
 まずは安心して家路につく2人の無事を祈りつつパソコンを閉じます。
「ありがとう。おやすみなさい(^-^)」


posted by 優子 at 10:44| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

原爆パネルや戦時中の暮らし −第16回 平和のための香芝戦争展よりB−

今日は長崎に原爆が落とされた日である。
「後世の人々が 生き地獄を体験しないように
生きているうちに何としても
核兵器のない世界を実現したい」。

この想いから被爆者たちが始めた「ヒバクシャ国際署名」。2020年までに世界中で数億人の署名を集めて国連へ届けようとしている。

私と真智は高島屋の前で核兵器廃絶の「ヒバクシャ国際署名」に署名した。どうか一人でも多くの人が署名してくださるように!
「平和のためにあなたにもできること、それは署名です!」
オンライン署名は「ヒバクシャ国際署名」で検索!

5-0.jpg「来て 見て 聞いて 考えよう。戦争の悲惨さと平和の大切さを!」

8月5日(土)〜6日(日)に開催された「平和のために香芝戦争展」では、戦争遺品やヒロシマ・ナガサキの原爆パネル、戦時中の暮らしなどが展示され、戦時食の「すいとん」の試食も提供されていた。

小麦粉をこねた「すいとん(水団)」だが、少し山芋加えたような食感でおいしかった。水でこねると固くなってしまうのでお湯でこねるとよいそうだ。大根と人参が入っていた。

満州・シベリヤ抑留体験も聞きたかったが、私とユキは5日の午後のみ参加した。ここに戦争展の展示物の一部を掲げておきたい。


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5-4.jpg  けん玉.jpg
「昔の遊び」コーナーでは「けん玉じょうずやね」と注目されていた!

折り紙コーナーではユキお得意の3枚で折る駒を折っていた。
手裏剣の折り方はユキが教えてあげたので驚いておられた。

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平和を脅かす者はたれぞ!
「憲法は戦争で亡くなられた多くの人々の遺言だ」。
posted by 優子 at 18:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

「『青い目の人形』の声が聞こえる」 −第16回 平和のための香芝戦争展よりA−

IMG_6947.jpg語り部の鈴木知英子さんは13歳の時に終戦を迎え、戦争の中を生きてこられた。その後47年間戦争体験を語っておられる。
アメリカ人の宣教師シドニー・ギューリック博士が「日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと」日米親善のために1927年のひな祭りに合わせて人形を贈ってくださった。

12729体(ウィキペディアによれば12379体)の青い目の人形は船で贈られてきた。受け入れに尽力したのは渋沢栄一で、全府県に配られた。日本からは答礼人形として市松人形を贈った。

ところが戦争が始まり敵国の人形ということから校庭で焼却したり、藁人形に仕立てて突き殺すなどして処分された。

その中に勇気ある人たちにより天井裏や物置、石炭小屋などに隠したものが全国に334体見つかり、奈良県には4体現存している。

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人形には全て送った人の名前が記されたパスポートを持たされていたが、(大和)高田市の人形には何もなかった。

当時、現在の香芝市には4校の小学校があり、人形歓迎会をしたという記録が残っているが、その後どうなったかわからない。炭俵の中に隠してもらった五條のパトリちゃんは炭まみれで見つかった。

語り部として行く先々で4歳の子供から大学生までが、「おばちゃん、何で戦争いらんて言わんかったん?」と言われた。(「いらん」というのは「嫌」と言う意味の奈良弁。

戦後に生まれた人たちも「戦争は知らない」と言わないでほしい。それでは無責任であり戦争を知ってほしい。昔々の物語ではない。

私はこれまで「人形を助けた!」と言う人はいても、「私は人形を焼き殺した」と言った人に出会ったことがない。

このタイトルからすぐに思い出すのは童謡「青い目の人形」だが、野口雨情作詞の童謡は1921年に発表されたものだから無関係である。

奈良には空襲は無かったと言われているがあった。一番多かったのは榛原空襲で11名が死んだ。

私は王寺で空襲に遭った。大阪が燃えている火を見て人ごとのように「きれいなあ」と思っていた。そして次の日にえらい目にお(遭)うた。艦載機は軒下へ入って来て撃つ。戦後70年にガンカメラでわかった。

子どもたちに「命は一つやで」と言うと、4年生の子が「リセットできるで」と言った。この子たちに命の大切さを伝えている。

「ミサイルが落ちた人、かわいそうやなあ」など、戦争を人ごとだと思っていてはいけない。語り部もまた、さらけ出さねば真の語り部とは言えない。

言うてないことがある。言えんかったことがある。言いたくなかったことがある。どうしても書けなかったことがある。それは人形を焼いた人の気持ちだ。焼かれた人形の気持ちをどのように表現したらよいかわからないから。しかしそれでもかなり書いている。

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posted by 優子 at 23:41| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

ゾウに乗った少年がやってきた! −第16回 平和のための香芝戦争展より@−

夫と知子は会社の方の結婚式のため来られなかったが、私はユキと二人で市の戦争展へ出かけた。今や多くの方が合唱曲『ぞう列車がやってきた』をご存じだろう。

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戦後唯一生き残った東山動物園の2頭の象(エルドとマカニ)については、私も子育て中に『ぞう列車』の歌と共に知ったのであるが、そのエルドに乗った少年のお話が聴けるというので楽しみにしていた。

萩原量吉さん.jpgこれがエルドに乗った少年・萩原量吉さんだ!
まず謙遜な人柄に魅かれた。穏やかにしてメッセージ性溢れる話は私の心深くに届き、子供や孫に伝えねばならないと強く感じた。
戦争が終わったとき5歳だった萩原さんは、大学卒業後高校で化学を教えられ、退職後すぐから平和活動をされている。まもなく77歳になられる。

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これは戦争が終わって4年余り経った1949(昭和24)年、三重県津市高茶屋小学校3年生の時、遠足で国鉄(現JR)に乗って東山動物園へ来た時の写真だ。写真屋さんだった友人のお父さんが遠足に同行されて撮ってくださった。

の中にも10数人の子供は父を亡くしており、「お父さんを亡くした同級生の子らが、どんなに苦労されたか、生活が大変だったことか」と何度も言われた。

「このときゾウは鉄柵(園舎)から出ている。とにかくゾウの背中の上はとても高かった(6〜7m)。背中には硬い毛が生えていて、ズボンを通して痛かったことをよく覚えている」。

「軍部の圧力と戦い、ゾウを命がけで守り抜いた園長の勇気と努力に学んで、2度と戦争を起こさないようにしたい」。

★ 2015年度の世界の軍事費は、1米ドルを100円とすると167兆6000億円。

★ 世界の栄養不良の人は、約7億9500万人。世界人口の9人に1人とも言われており、毎日1万9000人もの子供らが死んでいる。

「ということは4〜5秒間に1人死んでいるというのに、世界の軍事費は1秒あたり530万円と、ものすごいお金が費やされていく。それだけあればどれだけの命を救うことができるか!
こんなに無駄なことをやって人間が殺しあう。戦争とは集団的殺し合いだ」。

★ 戦争ほど儲かる商売はない。「死の商人」の存在。
戦車1台 10億円、自衛隊は1000両保有。戦闘機1機 100億円、1000機を超える。イージス艦1隻 1400億円、6隻あり。

★ 日本の起こした戦争による犠牲者は日本人310万人以上。外国人犠牲者は2076万人以上。

★ 当時の日本の平均寿命は、昭和19年 男47歳、女50歳。
昭和20年 男29歳、女38歳。(何ということ!)

★ 日本軍は住民を守らず集団自決を命令誘導し、沖縄戦の死者は沖縄県民 15万人。日本兵 7万3000人、半数以上が餓死者。

「今やいつか来た道への逆もどり、歴史の逆行をゆるしてはならない。私たちは知らず知らずのうちに追い込まれ、徐々に仕組まれていっている。どんな戦争準備も芽のうちにつみとらねばならない」。

三重県は8月末に、内閣官房、消防庁、三重県、津市の主催で、「X国から弾道ミサイルが発射され、我が国に飛来する可能性があると判明」という想定で訓練される。

「ミサイルを避けると言うが何処へ逃げよというのか。
堅固な建物に逃げよ?! 風上に逃げよ?!
地球上にある核の5%を使えば(聴きまちがいかもしれない)、地球上に死の灰の壁ができるので紫外線が通らなくなる」。

萩原量吉さんと.jpg

「未来を作っていく子供たちが『戦争を二度としたらあかん』という思いが広がっていけばいい。
私は戦争を体験した最後ぐらいの世代だと思う。憲法は戦争で亡くなられた多くの人々の遺言であり、世代を超えて平和の大切さを伝えていきたい」。

エルドに乗った少年・萩原量吉さんと出会ったユキよ、成長と共にその意味を深めていきながら萩原さんのバトンを受け継ぐ一人になってほしい。

私や萩原さんが居なくなった時、ユキが平和の尊さを語り続ける一人であってほしい。私も意識を高められて私のできること、書いて訴え続けていきたいと思う。


このあと、1927年に日米親善のためにアメリカ合衆国から日本に贈られた12729体の「青い目の人形」が辿った戦争の悲惨と、今も全国で現存する300体のうち、奈良県に4体の存在を確認した鈴木知英子さんの話をお聴きした。

明日にでもお分かちしたいと思うが、昨日次女夫婦は無事母国の地を踏み、明日夕方帰宅する。再びD.C.に向かって家を出る15日早朝までの8日間は二人との時を第一にしながらも書きたいと思う。


附記:昨日はペン友・N兄が出展された「50000人の写真展 2017」の大阪会場となっているグランフロント大阪にユキと出かけ、3人で昼食を摂りながら良き時を過ごした。
posted by 優子 at 23:46| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年08月03日

夏休みの光景 明日は真智たち帰国

異常な湿度の高さに参っていたが数日前から例年の日本の蒸し暑さに戻ってホッとしている。幸い夜も涼しくなり明け方には窓を閉めなければならないほどで、気持ちよく寝ているのにいつもカラスの声で起こされる。

IMG_6799.jpg半月ほど前からカラスの姿が目立つ。近くに飛んできた時、「ハー、ハー」とカラスの荒い息遣いが聞こえた。これは今朝、食卓から網戸越しに撮った。

夏休みも早2週間過ぎようとしている。算数と国語のプリントは既にやり終え、習字も自治会主催で開いてくださる3日間のサマースクールで昨日終えた。

今年も書道は、「日展会友」と言って日展で10回入選されたTさんが教えてくださった。
課題の字は「手紙」、これを提出する。
   IMG_6790.jpg  IMG_6791.jpg 

ついでに吉野神宮主催の課題字も練習した。
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残っている宿題は、リコーダーの練習など毎日しなくてはいけないものを除いて絵だけだが、めったにリコーダーの音は聞こえない。

IMG_6806.jpg今朝は知子に代わって交通当番に立った。ユキは久々にプール遊びに参加した。

参加する子は少ないので3地域一緒に行くそうだが、今朝は5名だから多い方。1人だけの時もある。

ユキはさっそくお茶を飲んでいる。
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今日は久しぶりにカンカン照り。プールに入って楽しんできたと思ったら、保護者が「参加」の印鑑を押したプールカードを持って行くのを忘れて見学だったって!!!
昨夜から知子が、今朝私も先に用意しておくようにとあんなに注意していたのに!

メリハリをつけられない相変わらずのユキは、夏休みだけの塾通いとなった。1回80分間で、子ども預かり所のごとき復習塾だ。ひと駅とはいえ1人で行かせるのは心配で、最初は私が同行したが2回目はひとりで行って帰って来た。

とにかく夏休みになっても午後は5時間も遊びに行ったまま帰ってこない。遊ぶのは大いに結構だが自学自習できないとは情けない。直前のプールの準備さえ後回しにして、私に虫を見に行こうと誘ってくる。

そんなユキも真智たちの帰国を楽しみに待っている。いよいよ次女夫婦は明日日本に着陸する。2日間は関東で友人と再会し、こちらに帰宅するのは6日夕方である。

お米屋さんに玄米も届けてもらい、昨日今日と午前中の3時間掃除に精を出して頑張った。浴室の天井は脚立に登って慎重にやったが怖かった。再び落ちでもすれば今度は肩腱板断裂だけでは済まないだろう。

よく注意しながらも、ここまで癒してくださったことを神さまに感謝し、掃除できる喜びを味わいながら塩素で天井を拭いていた。

私はかなり運動神経が愚くなっているのに、93歳の義母はソファーの肘掛に登って壁高くにあるクーラーのコンセントを抜くので、尋常ではない元気さである。

猛暑でもクーラーをつけないのでつけに行くのだが、すぐに切ってしまいコンセントまで抜くのである。まさか本人が抜いていたとは想像だにしなかったので聞かずにいたのだが、それを知ってから事故が起こっていないか気が気ではない。

娘時代に買った一冊の本を捜しているのだが出てこない。捜しながら本棚1段分の本を廃棄した。これを機に身辺整理ができそうな気がする。

ああ、それにしてもエリザベット・ルスールの本が出てこない。どうしても変わらぬ夫に尽くしたエリザベットの本を今こそ読みたくて、去年から何度か捜すのだが見つからない。童謡の文庫本も見当たらない。

次女が帰国を前に発注した本が次々とアマゾンから届く。
私は次週生協に注文する品を打ち込む。
「この商品が届くときはもう真智はいないんだ・・」。
毎年繰り返す再会前の楽しみと別れの寂しさである。

「考えるは美しく、祈るはひとしおすぐれ、愛するは全てである」。
               (エリザベット・ルスール)

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posted by 優子 at 18:05| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

日野原重明さんの告別式説教

聖路加(ルカ)国際病院名誉院長の日野原重明さんの葬送・告別式が7月29日午後1時から青山葬儀所(東京都港区)で営まれ、約4千人もの参列者が聖書の言葉に耳を傾け、祈りと賛美に心を合わせた。

司式を務められた聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂のチャプレン団、主任チャプレンのケビン・シーバー司祭の告別説教概要を『クリスチャン・トゥディ』より転載させていただいた。

聖路加病院のチャプレン.jpg敬愛する日野原重明先生が成し遂げられた偉業をこの場で一つ一つたたえても、たたえ尽くせません。ただし、キリスト教信仰においては、人の功績と天国への望みはまったく無関係です日野原先生もそのことはよくご存じでした。先生が長年温めてこられたこの信仰について少し説明させていただきます。

キリスト教信仰では、「すべての人間は神の憐(あわ)れみを必要としている罪人である」と考えます。聖書がいう「罪」とは、あからさまな大罪ではなく、自分の創造主である神に背を向け、神がいないかのように生き、神によって生かされている恩恵を認めないことを意味します。

その意味では、神を認めない世の中に生まれた人間は皆、罪人だといえます。人間がそんな風潮に流され、神に背を向けていることが、世の中のさまざまな苦難や悲劇の原因となっています。

それとは違う生き方、違う価値観に基づいた暮らし方をしようと思っても、なかなか難しいのが現実です。ところが、そういう人間でも、創造主である神は父親のようにとことん愛してくださいます。

そして、人間を罪の悲しみから解放するために、御子イエス・キリストを送ってくださいました。イエス・キリストは十字架の上で、罪人の代わりにご自身の命という高い代価を払って、私たちの罪の赦(ゆる)しを勝ち取ってくださったのです。

これを「福音」(良い知らせ)といいます。日野原重明先生はこの福音を子どもの頃からよくご存じでしたし、この福音は先生にとって大きな力となりました。先生のすべての功績は、こういう神の憐れみへのお返しだったといえます。

よど号ハイジャック事件の時、先生はそのことにより深くお気付きになりました。「神様が赦して、改めて命を与えてくださった」という強い確信をいだき、残された命をもって社会や人々に仕えようと決心なさったのです。

変動の多い時代を過ごしたクリスチャンドクターとして、日野原重明先生はこの神の憐れみをさまざまな活動を通して私たちに示そうとなさいました。一流の医療をはじめ、音楽、新老人の会の活動、子ども向けの「いのちの教室」などです。

神の憐れみは確かなものだからこそ、今日、私たちは確信をもって日野原先生を神様のもとに送り、天国での幸福を祈れるのです。

前掲の同記事に掲載されていた内容も興味深い。

シーバー司祭は、日野原さんが召天した日は立ち会うことができなかったが、危険な状態と言われた14日(金)夕方、自宅を訪問したという。

「まだその時は日野原先生の意識がクリアだったので、塗油式(病人の癒やしのためオリーブ油を額などに塗って祈る)をして、ご家族や院長らと一緒に賛美歌を歌って祈る時間を持ちました。その賛美の歌声を聞きながら日野原先生は涙を流し、お祈りの最後もしっかり『アーメン』と言われました。皆、言いたいことはちゃんと伝えて、すごくいい会話でした」。

司式をする上田司祭は、2003年からチャプレンをしていて、日野原さんとの関わりも十数年に及ぶ。

「5、6年前から日野原先生は、自分の死ぬ時に必ず鳴っていてほしいのがフォーレの『レクイエム』、特に『ピエ・イェズ』だと言っておられました。愛唱賛美歌は『丘の上の主の十字架』(『讃美歌21』303番)。

聖路加での合同のクリスマス礼拝などではいつも日野原先生があいさつをされるのですが、それがいつの間にかクリスマスの意味を伝える説教になっていました」。

日野原さんのクリスチャン医師としての姿はー

「つい最近まで、緩和ケア病棟に毎週木曜日のお昼頃、回診して、人生の最期を迎えようとしている患者さんの手を取り、医者としてごく自然に祈り、いい励ましと助言の言葉を掛けていました。何より日野原先生が部屋を訪問するだけで、すごく明るく変わったりする患者さんが多いです。延命効果があります」。

そうシーバー司祭が言うと、上田司祭が「日野原効果」と合いの手を入れた。「日野原先生は初めて会った患者さんともいろいろな話をされます。その上で短く、患者さんが疲れない程度に祈られます。それで回診から帰ってくると『今日の患者さんはこういう人だよ』とわざわざ私に言ってくれたりしました」。

「日本で病院に音楽療法を導入したのが日野原先生です」とシーバー司祭。

「日野原先生がずっと関わっていた患者さんがもうすぐ息を引き取るという時、私を呼んで、音楽療法士を連れて病室訪問したのですが、賛美歌を歌っている中で患者さんが亡くなられたのです。

そこにいた日野原先生は『こういう最期は素晴らしい。私もこういうふうに人生の終わりを迎えたい』と言われたのですが、まさに日野原先生はそのような時を過ごされました。とても穏やかで、苦しむこともなく、皆に賛美歌を歌ってもらい、それ以外はずっと賛美歌のCDを流されていました」。

HINOHARA.jpg日野原さんはどのようなクリスチャンだったのだろうか。

「日野原先生が好きな聖句は、『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ』(ヨハネ15:5)。

それは日野原先生のクリスチャンドクターとしてのアイデンティティーにもつながっていると思います。自分がイエスさまにつながって、イエスさまから命と力と賜物が流れてきて実を結ぶと考えておられた」とシーバー司祭。

トイスラー.jpg

「この礼拝堂に創始者のトイスラー先生の言葉の刻んだタブレットが飾られているのですが、そこに『ADVENTURE IN CHRISTIANITY』と書いてあります。日野原先生がそれを見て、『そうそう、これが私が言いたいことなんだ』とおっしゃられていました。クリスチャンである自分が新しいことに取り組んでいくということがすごく大切なことだと」。

そう上田司祭が言うと、シーバー司祭もうなずく。

「常に日野原先生はチャレンジャーです。神さまに与えられたものをきちんと受け止めて応えたいという意味で、常に新しい領域に入ろうと考えていました。それは医療だけではなくて、音楽とか、スプリチュアルケアとか・・・」

「90になってからゴルフを始め、俳句をやり始めた」と上田司祭がそれを受けると、シーバー司祭も「100歳からフェイスブックを始めたんです」と付け加る。

「日野原先生をひとことで言うと、いろいろなことに関心を持つ人。やったことで満足せず、常に新しいことに目標設定をして進んでこられました。

『常に福音を伝えなさい。必要であれば言葉を使いなさい』というアッシジのフランチェスコの言葉がありますが、聖路加のミッションは、神の愛を一流の医療と看護を通して伝え続けるということです。

そのミッションを今でも聖路加が意識し続けられているのは日野原先生のおかげです。患者さんからも、聖路加の雰囲気、患者との接し方はやはり質が違うと聞きます。そのキリスト教精神はちゃんと生きています」とシーバー司祭は力を込めた。

聖路加.jpg

ネオゴシック様式の聖路加国際病院旧館の中央にある礼拝堂の外観(1936年完成)。奥に見えるのは聖路加タワー。

聖路加国際大学と聖路加国際病院が建っているのはもともと築地居留地(明治時代、外国人を1箇所に住まわせた場所)。

ここには、横浜に続いて東京で最初のカトリック築地教会(35〜36番地)やプロテスタント各派の教会が建てられるとともに、明治学院大学(元東京一致神学校、17番地)、女子学院(6番地)、青山学院大学(元海岸女学校、10→18番地)、立教学院(37→57〜60番地)、雙葉学園(45〜47番地)、暁星学園(カトリック築地教会内)、関東学院大学(元東京中学院、42〜43番地)、女子聖学院(14番地)といったキリスト教主義学校の発祥の地でもある。

01yuri2b.jpg聖ルカ礼拝堂に献花に訪れた際、ここが日本キリスト教史における重要な場所であることにぜひ思いを馳せてみてはいかがだろうか。百数十年の時を超えて、同じ場所で日野原さんをクリスチャンドクターとして長年用い続けられた神さまの深い摂理に触れ、感謝の祈りに導かれるに違いない。


posted by 優子 at 14:33| 引用文 | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

『種を蒔く』4号よりC −それでも希望を失わず ―東日本大震災6年目に思うこと―−  

それでも希望を失わず

     ―東日本大震災6年目に思うこと―         

      藤本 優子


「イェッしゃま(イエスさま)、きのうじしんがおこりました。もうおきないようにしてください。かじになって、いえもたおれて、みんな、ながれていきました。たすけてください」。

当時3歳9ヶ月だった孫は、東日本大震災後しばらくのあいだ同じ祈りを捧げていた。あれから6年過ぎて絶望感は深まるばかりである。原発事故で破局的事態になっても、為政者たちは方向転換せずに原発を再稼働させた。彼らはもう一度経験しないとわからないのだろうか。

015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチは、昨年11月末に福島県を視察して言った。「チェルノブイリと同じく、国は人の命に全責任を負わない」と。

しかし、日本は旧ソ連よりももっと冷酷で恐ろしい。当初チェルノブイリでは、住むことも生産することも禁止されていた(年間)5ミリシーベルト以上の汚染レベルに、日本政府は百万人規模の住民を居住させており、国民の命を最優先しない。

あの時、政府は真実を隠し、「直ちに健康被害が出ることはない」と当時の内閣官房長官・枝野氏は録音テープのように繰り返した。一体いつの時代の知識であのようなことを言ったのであろうか。この時から始まった政府への不信感は募るばかりで、6年経った今も混迷を深め続けている。

農業や漁業に従事する人々の努力にも関わらず福島産の需要は伸びないというが、これは風評被害ではなく放射能なのだ。もっと正確に言えば、「政府の言論統制と嘘による知られざる核戦争」であると物理学者・矢ヶ崎克馬氏が訴えている。

この非常事態ゆえに、今からでも政府は方向転換して、人権を第一にして再建していくべきだ。私たちは何を第一とすべきか、全ての人に価値観が問われているのである。

放射能汚染時代にあっては自分さえよければよい、自分の家族さえ安全な食ベ物ならばよいということはあり得ない。平和や異常気象の問題もそうだ。全てが世界的規模で関連しているのであり、ブルンナーが言うとおり、今や「安全な場所などどこにもなく、私たちは隠れ場のない野原の中を行くように、どんなことが起ころうとも、それに身をさらさねばならない」時代である。

また、アレクシエービッチが、「日本社会に人々が団結する形での『抵抗』という文化がない」と言ったことも心に刺さった。私自身の中にも同じものがあると常々感じているからだ。

例えば原発再稼働や改憲に多くの人々が反対の声を上げ、私も小さい声ながら反対を叫び署名を集めつつも、傲慢で権力をふるう政治家たちを見ていると、「反対してもしょうがない」と何度も諦めそうになり、そんな自分を嫌悪することしきりだった。

被災者たちが世界の人々に感銘を与えた規律正しさや辛抱強さは、日本人の誇るべきことだ。しかしまた、私たちはあまりにも主体性に欠けてはいないだろうか。

然界も傷み続けている。ミサイルが落ちた海の中も大きく破壊されていることを思うと我慢ならない。空の鳥や海の生物は苦痛を訴えることもできずに苦しみ死んでいく。世界は深い闇に覆われ、視界ゼロメートルの常態になってしまった。

私は年を取れば取るほど自分のどうしようもない弱さや人間の罪深さがわかるようになった。それゆえに誰に祈ればよいかを知らされていることがありがたくて、そのことの感謝から祈り始めるようになった。

万物を創り全てを支配されているまことの神を知り、そのお方と交わる術を与えられて、日々刻々感謝し、また悔い改めることができるとは何たる恵みであろう。

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせてくださった」。

(ペテロの第1の手紙1章3節)


これこそがイースターの使信であり、私はこの言葉を心から神の応答として受け止めることができるようになった。これはこんな時代でも生きていけるように、神さまが全ての人々に与えてくださっている希望である。だから絶望しそうになっても絶望しない。

あの悲惨な被災地で、多くの被災者がイエス・キリストへの信仰を持ち、受洗の恵みに与られていることが報告されている。どうか一人でも多くの人が復活のキリストに希望をつないで生きていくことができますように。

春の風はやさしく肌を撫で、小鳥のさえずりが心を癒す。花々や小さな生き物たち、そして、子どもたちの未来を奪ってはならない。
posted by 優子 at 11:53| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

家の教会2017㉘ −サウル王の弱さ−

2017年7月30日(日) (2017第28回 家の教会)

IMG_6744.jpg9時20分〜10時15分

出席者 3名(with R &Y)
@ 初めのお祈り   優子
A 主の祈り
B 子どもの讃美歌  10番
        「ことりたちは」
C 聖書輪読     サムエル記
        13章1節〜15節
D お話       優子
E 聖歌       623番「いつかは知らねど」
F お祈り      一人ずつ

サムエル記13章1節〜15節:

13:1 サウルは三十歳で王の位につき、二年イスラエルを治めた。

13:2 さてサウルはイスラエルびと三千を選んだ。二千はサウルと共にミクマシ、およびベテルの山地におり、一千はヨナタンと共にベニヤミンのギベアにいた。サウルはその他の民を、おのおの、その天幕に帰らせた。

13:3 ヨナタンは、ゲバにあるペリシテびとの守備兵を敗った。ペリシテびとはそのことを聞いた。そこで、サウルは国中に、あまねく角笛を吹きならして言わせた、「ヘブルびとよ、聞け」。

13:4 イスラエルの人は皆、サウルがペリシテびとの守備兵を敗ったこと、そしてイスラエルがペリシテびとに憎まれるようになったことを聞いた。こうして民は召されて、ギルガルのサウルのもとに集まった。

13:5 ペリシテびとはイスラエルと戦うために集まった。戦車三千、騎兵六千、民は浜べの砂のように多かった。彼らは上ってきて、ベテアベンの東のミクマシに陣を張った。

13:6 イスラエルびとは、ひどく圧迫され、味方が危くなったのを見て、ほら穴に、縦穴に、岩に、墓に、ため池に身を隠した。

13:7 また、あるヘブルびとはヨルダンを渡って、ガドとギレアデの地へ行った。しかしサウルはなおギルガルにいて、民はみな、ふるえながら彼に従った。

13:8 サウルは、サムエルが定めたように、七日のあいだ待ったが、サムエルがギルガルにこなかったので、民は彼を離れて散って行った。

13:9 そこでサウルは言った、「燔祭と酬恩祭をわたしの所に持ってきなさい」。こうして彼は燔祭をささげた。

13:10 その燔祭をささげ終ると、サムエルがきた。サウルはあいさつをしようと、彼を迎えに出た。

13:11 その時サムエルは言った、「あなたは何をしたのですか」。サウルは言った、「民はわたしを離れて散って行き、あなたは定まった日のうちにこられないのに、ペリシテびとがミクマシに集まったのを見たので、

13:12 わたしは、ペリシテびとが今にも、ギルガルに下ってきて、わたしを襲うかも知れないのに、わたしはまだ主の恵みを求めることをしていないと思い、やむを得ず燔祭をささげました」。

13:13 サムエルはサウルに言った、「あなたは愚かなことをした。あなたは、あなたの神、主の命じられた命令を守らなかった。もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。

13:14 しかし今は、あなたの王国は続かないであろう。主は自分の心にかなう人を求めて、その人に民の君となることを命じられた。あなたが主の命じられた事を守らなかったからである」。

13:15 こうしてサムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギベアに上っていった。サウルは共にいる民を数えてみたが、おおよそ六百人あった。

お話:

今日はイスラエル王国の最初の王だったサウルについて考えたいと思います。紀元前10世紀といいますから、今から3000年前のお話です。サウルはベニヤミン族の出身で、背が高く美しい若者でした。神さまがサウルをイスラエルの王に立てたのはサウルが30歳の時でした。


僅かな武器しか持っていないイスラエル兵は、強い軍隊と武器を持っているペリシテ人と戦わねばなりません。サウルは3000人の兵を集めて戦いますが、サムエルに7日間待つように言われていたのに最後まで待つことができなかったのです。



ペリシテ人との戦いではイスラエルの民が勝ち目のないことを悟り、兵が次々と逃げていき、サムエルの到着が遅れ、いよいよ八方塞がりになり、怖くなって窮地に追い込まれてしまったサウルの心境は私たちにもよく分かります。 


でもこの時にこそ、神さまへの信仰を働かせねばならなかったのです。私は今もまた自らに言い聞かせる思いで話しています。希望が感じられなくなった時こそ、その人の信仰が本物であるかどうか試される時であり、信仰を奮い立たせる時なのです。


神さまは私たちの思いと願いを超えて、常に最善に成さるということを本当に知っていて信じているのであれば祈って待てたのです。


サウルはなぜ待つことができなかったのでしょうか。サムエルの言葉が信じられなかったからです。サウルは不安と恐怖にたまりかねて、そして、民や兵の心をつなぎとめようとの思いから、自分の考えで自分の力で打開しようしたのです。そのことをサムエルが「愚かなことをした」と言ったのです。


神を恐れず人の気持ちを恐れたのです。「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである」(箴言29章25節)のとおりです。


最後の一人になってしまっても、いえ、だからこそ神の言葉を信じて待たねばならなかったのです。「もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。」と、それがイスラエルの王であるサウルに求められていたことだったのです。


サムエルがサウルに王として選ばれていることを告げたとき、サウルは「わたしはイスラエルのうちの最も小さい部族のベニヤミンびとであって、わたしの一族はまたベニヤミンのどの一族よりも卑しいものではありませんか。どうしてあなたは、そのようなことをわたしに言われるのですか。」(9章21節)と謙虚な人でした。


ところが王になって最初のアモン人との戦いでの大勝利が躓きとなり、自分の力量によるものと己惚れて高慢になってしまいました。この変化は誰にも起こり得る人間の弱さであるゆえに、笑うに笑えないお互いの姿ですからよく理解して心に留めておかねばなりません。


余談になりますが昨今の政治界の出来事は、自分もまた同じ立場になれば犯しうる過ちであるのだろうなぁと自らを見つめながら見ていますが、延々と続く「言った言わない」状態では誰が嘘を言っているか断言することはできないとの思いを持ちながらも、人はどこまでも嘘をつき続けることができるのだなぁと人間の実相を興味深く見つめています。

彼らはどこまでも問題を複雑にするばかりです。もっと最悪はあるのです。今からでも、今こそ心を正して真実を語ることです。そのような人を神さまは赦し道を拓いて行ってくださるでしょう。


彼らは悔い改めのチャンスがあるのに機会を逃し続け、自分から逃げ続けています。その点、民進党の蓮舫さんは勇敢です。自らの足りなさを認め、何よりも自分を見つめたいとは何と素晴らしく、これからを注目したいと人物だと思いました。


さて、サウル王は自分の考えや感情で事をなしていったために神さまに見捨てられ、それ以後は何をしても祝福されませんでした。そのような時にこそ自分自身を見つめ直さなくてはいけないのに、その怒りをダビデに向けたのです。


そんなサウルにも神さまは悔改める機会を2度も備えてくださいました。しかし、相変わらず気がつかず、自分を変えることなく人生を終えました。王として在任したのは僅か2年間でした。


時には「あなたはわたしよりも正しい。わたしがあなたに悪を報いたのに、あなたはわたしに善を報いる。きょう、あなたはいかに良くわたしをあつかったか・・・」(24章)とか、「わたしは罪を犯した。わが子ダビデよ、帰ってきてください。・・・わたしは愚かなことをして、非常なまちがいをした。」(26章)と言うのですが、後悔はしても悔改めることはありませんでした。


口先だけの言葉にさえ聞こえますが、サウルの本心だったのだと思います。要は後悔と悔い改めるということは全く違い、神の導きがなくては悔い改めることはできないということであり、そしてまた私たちも同様に軽薄になってはいないかと自らを鋭く振り返らされました。


サウルやイエスさまを裏切り銀貨30枚で売ったユダの人生でさえ、神さまの御手の中にありました。ましてやユダはサウルが知らなかった神さまの「新しい約束」をも知っていました。


ユダはイエスさまと共に居たので何度も奇跡を見、教えを聴いていました。あとで後悔して銀貨を返しましたが、首を吊って死んでしまいました。そうではなくて、その時にこそ悔い改めることができたらよかったのです!


ユダの最期から遠藤周作の『悲しみの歌』と『海と毒薬』の主人公・勝呂のことを想起します。勝呂は戦時中に米軍捕虜の生体実験をした後ろめたさを感じ、戦後、戦犯の刑を終えてから人知れずに善良な開業医として生きましたが、最後は自ら首を吊って果てました。


悔い改めずして善行を積んでも罪から解放されることはないのです。そのままでは永遠の滅びであり天国へは行けないのです。それゆえに遠藤は死なせたのです。


私たちもサウルのように口先だけの後悔で終わってはいないでしょうか。日々神さまに探っていただいて悔い改めさせてくださいますように切に願います。


神さまは常に私たち誰にも悔い改めの機会を与えてくださっているのですから、悔い改めを拒んではなりません。多くの人がしているように先送りばかりしていると、多くの人のように命の終わりに間に合わなくなって悔い改めないまま死んでしまいます。


サウルの弱さは私たちの弱さゆえに今朝もう一度心に刻みたいと思います。私は今朝もう一度神さまのメッセージをしっかり受け取ります。


それは、どんなに心細くても、いつまでたっても希望が見えなくても、失望しないで神さまを信じ続けること。御心に叶う祈りであれば必ず成就してくださることを信じることをです。


もしも自分の罪に気がついているのに悔い改めの機会を逃していると、政治界の一部の人々のように、そのうち自分の罪に気づかなくなってしまいます。朝に夕に神さまとの交わりの時を大切にしようと思いました


附記:
15章には4回も「悔いた」と訳されている動詞があり、その「原語は『ナーハム』נָחַםで、本来は『慰める』という意味」の動詞を「悔いた、悔まれた」という意味で使われており、「神が『悔やまれた』とは異常なことである」との解説を読んで腑に落ちた一件があった。

「期待していたことが裏切られたという思いが全面に表されています。同じ動詞で『慰める』と訳される場合は、期待していた以上に力づけられたり、励まされたりした場合の表明です。『慰める』のも『悔やまれる』のも同じ感情の裏表ということがてきます」。
これはヘブル語に詳しくヘブル的視点で聖書を読んでおられる銘形(めいがた)秀則牧師(空知太栄光キリスト教会)の『牧師の書斎』より引用させていただきましたが、某牧師の驚くべき誤釈を思い起こさせました。

ノアの洪水、創世記6章6〜7節の「主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、『わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる』と言われた。」を例に出して、「神は間違いをおかす」と無知蒙昧なことを説教として語った牧師(?)のことです。

このことを当人にお伝えすべきかどうかは未だ保留にしていますが、一度お目にかかるべきかどうかも自らを整えられながら祈って導きを待っているところです。

ヘブライズムの視点で読み解いてくださっていた東道男牧師が召天されてのち、銘形秀則牧師と出会えたことも不思議でなりません。求める者を決して捨て置かれない神の御手を感じずにはいられません。

「ヘブライズムは、神の視点からものごとを考えることです。つまり、神本位の思想です。人間中心的な視点を持つヘレニズムでは理解できないことが多々あると思います。主の祝福がありますように」。

銘形牧師より、ブログへの転載についても「どうぞ自由に転載してください。」と、6月初めにお許しをいただいています。

なお、話の中で触れた遠藤周作の『海と毒薬』『悲しみの歌』は、下記で取り上げていますので字の上をクリックしてください。
バッタの赤ちゃん.jpg
         この時期はバッタの赤ちゃんがいっぱい!
葉っぱをさわるとパラパラと音がしてあちこちでバッタが跳ねる。
ここにも4匹いる。大きさは1p〜1.5p。
礼拝のあとまもなく、ユキはおじいさんと京セラドーム大阪(試合は楽天vsオリックス)へ出かけた。

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2017年07月23日

家の教会2017㉗ −幸いな人たち(山上の垂訓)−

2017年7月23日(日) (2017第27回 家の教会)

IMG_6649.jpg9時30分〜10時00分
出席者 4名
@ 初めのお祈り  優子
A 子どもの讃美歌  
19番
「天にいますわたしたちの父」
B 聖書輪読    
マタイによる福音書 
5章1節〜12節
C お話       優子
D お祈り      優子
E 讃美歌      354番「かいぬし我が主よ」
F 後奏       知子
マタイによる福音書 5章1節〜12節:
5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。

5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。

5:3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。
5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。
5:5 柔和な人たちは、さいわいである、
彼らは地を受けつぐであろう。
5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、
彼らは飽き足りるようになるであろう。
5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、
彼らはあわれみを受けるであろう。
5:8 心の清い人たちは、さいわいである、
彼らは神を見るであろう。
5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。
5:10 義のために迫害されてきた人たちは、
さいわいである、
天国は彼らのものである。

5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。

5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

お話:

最初に今輪読した箇所に入る前の4章の終わりのところを読みます。

4:23 イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。

4:24 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。

4:25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきてイエスに従った。

山上の垂訓 .jpgそして5章に入るわけですが、5章から7章は「山上の説教」と呼ばれている有名なイエスさまの教えです。真の幸福とはこの世的な人間的価値観の「幸福」とは対極にあり、神の視点で解かれています。

先ほど輪読した1節から12節に書いてあるのは「私たちの心の在り方」で、5章13節から48節は「対人関係としての新しい律法」を、6章1節から18節には「宗教生活」を、6章19節から34節には「経済生活」について、そして7章には「雑多の問題」について教えておられます。

「心の貧しい人たち」とは、新約聖書の原典であるギリシャ語を直訳すると「霊において貧しい人々」という意味ということですから、神との関係において貧しいということです。

即ち、「心が狭い」とか「卑しい」というようなものではなく、自分の正しさや能力でしようとしないで神に依り頼んで生きる人のことです。神さまからその時々に必要な心の糧を与えていただいて生きている謙虚な人のことです。

「天国」とは死んでから行くところではなく、神が支配されている「神の御国」の意味です。従いまして神の教えに従って生きる人には地上で生かされている時から天の国に在るのです。

「悲しんでいる人たち」とは、生老病死はもとより人生途上で経験する不条理な悲しみ、また自己と対峙し自己洞察できる人間のみが知る自己の罪を知り、それらの悲しみを悲しむ人のことです。

この世(世界)で成功者になろうとするならば、他者を押しのけてでも先を行かねばなりません。弱肉強食の世界を勝者として生き抜くには、他者を排除し圧力をかけ、策を弄し神経をすり減らしての日々を生きていかねばなりません。

彼らはこの世の権力や富を誇り、力で支配しようとする者たちであり、その対極にあるのが「柔和な人」と言えるかと思います。少なくとも柔和な人は成功者にはなれないでしょう。しかし神さまは「彼らは地を受け継ぐ」と、最後に勝利を与えてくださるのです。

「義に飢え渇わいている人」とは、神の前に正しく生きたいと励んでいる人のことです。しかしながら、この世は不正や欺瞞などあらゆる悪があふれています。

日本の故事に「清濁併せ呑む」という言葉がありますが、これは善でも悪でも分け隔てなく受け入れることが度量の大きいことであり、それを「良し」とする考え方を比喩したものです。

では私たちはいかに生きるべきでしょうか。正義の基準を曲げることはしません。しかし、理解し合えそうにないとわかったら、必要以上の争いをしないように聡明に境界線を引くのが幸いです。

「憐れみ」とは「他者への同情の念。人間に対する神の真実な愛の感情」の意味です。人は自分の蒔いたものを刈りとります。悪意の人にも悪を返さないで憐み深くありたいと思います。

「未来の報いを信じて相手から報いを求めない高尚な心で生きる。しかし、『正当なる報いは神必ずこれを与え給うのであって、人はまた当然にこれを期待することができる』とある」からです。

 「心の清い人たち」とは心の純粋な人のことです。自己中心に陥りやすい私たちお互いは、行為に先立つ動機に不純なものが混じっていないかと常に吟味すべきと思います。心が平安であるかどうかで示してくださいます。

年を取ると「平和」という言葉の重さをしみじみ考えさせられます。自己の立場を少しでも主張すれば衝突します。私たちの生活においても国家間においても同じで、主張し合うならば共に破滅するしかないのです。

「平和をつくり出す人たち」とは、平和な関係を作ろうと励む人のことです。「人類みな兄弟」と、私の知らない人、どこか遠くの誰かを愛したりゆるすのは容易なことですが、職場の人、あるいは近所の人や親族だったらどうでしょう。

自分を害する日々関わる困った人をゆるすのは至難です。しかし、私たちは平和を作り出していかなければならないのです。

神さまは常に正しく評価してくださることを思い出して一線を画するのです。神の心を自分の心とする時、自己主張や自己弁護から解放され神に委ねることができるのです。

「義のために迫害されてきた人たち」とは、神の正義を求めたために悪く言われたり攻撃されたりすることです。これまで数え切れない多くの人々が迫害を受け殉教しましたが、天国において大いなる報いがあるのです。

正しく生きようとする人々が受ける「迫害は一時であって天国は永遠」であり、「義のために責められるものの幸福はこの点に有している」と黒崎幸吉は語っています。

最後に文語訳聖書では、全て「幸いなるかな」で始まっており、この翻訳の方が原文に近いといいます。

神が天から「幸いなるかな」と呼び掛けてくださっています。これこそが地上のどんな災害や苦難からも決して奪い取られることのない幸いなのです!

「幸福(さいわい)なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。 
幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。 
幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。 
幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。 
幸福なるかな、憐憫ある者。その人は憐憫を得ん。 
幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。 
幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へられん。 
幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり」。


IMG_6655.jpgユキは来る日も来る日も朝から蝉を追いかけている。今年からおじいさんが居なくても、一人で飽きずに遊んでいる。
今日は礼拝の後、ユキと二人で蝉とりに出かけた。珍しく曇っていたので暑くなかったが、帰宅したらすぐにシャワーでさっぱりしないではいられなかった。IMG_6657.jpgこの木には10個以上の抜け殻があった。自然の神秘!

IMG_6658.jpg
この穴は何だろうと思っていたら
蝉が出てきたあとだと教えてくれた。

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捕まえてはしばらくして逃がしてやる優しいユキ。
「ありがとう、ユキちゃん!」って
蝉は元気に飛んで行った。

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私にも何度も捕らせてくれた。
ニイニイゼミとクマゼミを捕ったよ!
2015年3月の右肩腱板断裂の痛みも殆ど感じない。
感謝!

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数年ぶりにお目にかかったMさんは、
ユキを一目見て思い出してくださった。
「私はわからなかった」とお連れ合い。
お連れ合いは腰を破裂骨折して入院されていたという。
「大きくなったねー」「大きくなったねー」
何度も驚いてくださった。
これからはお健やかな日々でありますように。

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「あっ、結婚してる! 早く帰ろ!」
クマゼミの雌を捕り、そこへ雄を入れたら
ひっついていた。

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「オスが産卵を促している」とユキ。
(ほんまかいな)
「難しい言葉を知っているんやね」。
このあとしばらくするといなくなっていた。


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2017年07月20日

証し人・日野原重明さんの生涯

IMG_6580.jpg「彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。
(ヨハネ黙示録
     14章13節)

7月18日、日野原重明さんがとうとう神のみもとに帰られた。105歳だった。
日本の医学界に多大なる貢献され、全ての領域に計り知れぬ影響を及ぼされたご生涯であった。

メディアでは日野原さんが生涯現役であったことや、延命や緩和医療について、またいかにして長寿にあやかるかなどの視点で取り上げられているばかりで、日野原さんを生かした根幹に全く触れていないのは残念だ。

ただ立派な人物だったと言うだけではなく、何がそのような生き方を可能にさせたのかという内実を知りたいというアプローチがない。そこに私は人間の本質に目を向けない日本人の在り方が如実に表れていると感じる。

視線をそらすというのではなく、関心がないから気づいていないのか。いや、気づいているからこそ無意識の内に本能的にそらしてしまうのか。
日野原さんはクリスチャンの両親(父は牧師)に育てられ、父の影響を受けて7歳で洗礼を受けた。

私が日野原さんの本を初めて読んだのは1988年4月(『人生の四季に生きる』)、今から29年前、36歳の時だった。

30代と言えば地に足つけて社会的な経験も重ねながら人格形成が完了される年代である。私はなかなか実践が伴わない者であるが、考え方において大きな影響を与えられた一人である。

以来、日野原さんの本も数多く読みながら、自らの老年期を待たずして神さまが「老い」と「死」について考え始めさせてくださったことを感謝してい

そのことは即ち、それまで以上に真剣に人生の意味を考え始めたということであり、クリスチャンの生涯に入れられてまもなくの時であり、一字一句すべて精神の髄にまで浸透していった。

それでもやはり30〜40代の頃は、テレビでそれらの特集を観ていてもまだまだ先のことと思っていたことが、今になってよくわかる。

そのうち母が難病を負い、弱って行く母を看ながら母の死について考えるようになり、母の「より良き死」を願って多くの書物を読み漁った時期でもあった。続いて病床についた父のためにも。

自分の精いっぱいのことをしたが、母と父の死はどんなに大きな悲嘆と喪失感を与えたか。そしてその悲しみを通して(悲しみのあとに)神と人間的な出会いを得た。

63歳を過ぎた頃から体力の衰えを感じ、65歳になってからはより衰えを感じるようになった。老いとは全てを略奪されていくのだというのも予想がつくようになった。死は最後の闘いなのだ。

正直のところ体力を失って来た頃からそういったテーマには目をそらしている自分がいた。しかしこのたびは逃げずに観ていたが、間違いなく自らの死を思いながら観ていた。

最愛の両親のことでさえ「死」は人ごとだったのかもしれない。それでも間違いなくあの時の学びや経験は、自らの本番にいたる過程で役立つと思っている。

キリスト信仰にとって教義や神学も大切であるが、それらに傾倒するのではなく、神との密なる出会い、神との親しい交わりの経験こそが決定的に大切なことであるとしみじみ思うようになった

信仰を与えられていても人間は弱い。実に弱い。最期まで強くなることはない。しかし、それを恥じるのは傲慢でさえある。なぜならば自分の弱さを認めることができるからこそ神との出会いを可能にし、苦悩する魂をイエスご自身に接ぎ木されたのであるから。

それでも体調がすぐれない時や、悩みに激しく悶えるときは意欲や気力が落ち、その時は自己嫌悪し最も辛い耐え難い苦痛である。しかしそれこそが生きるということなのだ。

自らの弱さを認め、それでもなおひたすら虚心(素直な心)を求めることこそが真の信仰であり、それはどんな時も神の恩寵を信頼し感謝して生きているという証しにほかならない

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日野原さんが多大なる影響を受けたウィリアム・オスラーの『平静の心』は1997年1月に購入し、私はオスラーから人間学を学んだ。

「必ずしも祝福が得られるとは限らない。敗北に終わる闘いもあり、諸君の中にはそのような苦しい闘いに耐えねばならない者も出るだろう。その時までに、不幸にめげない明るい平静の心(cheerful equanimity)を身につけておくことが望ましい」。

拙文「医師よ 驕るなかれ」(1993年4月、41歳)は、オスラーやトゥルニエに感銘した発露である。http://yukochappy.seesaa.net/article/16086310.html

IMG_6555.jpg梅雨明けした昨日、直射日光に耐える朝顔。
あまりにも美しい。








IMG_6565.jpgそして、13時頃に力尽きた。




「草は枯れ、花はしぼむ。
しかし、われわれの神の言葉は
とこしえに変ることはない」。
    (イザヤ書40章8節)

日野原重明さんが蒔かれた数え切れない種は、これから芽を出して実を結んでいくことであろう。


附記:軽い熱中症か、16日からしんどくて寝込んでいた。夜は涼しくて扇風機もいらず今朝は肌寒かったほど。昼も夜も眠ってばかりいた。

posted by 優子 at 16:47| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

5日遅れのバースデーケーキ

「ユキ、10歳のお誕生日おめでとう!」
ろうそくが10本になったね。
IMG_6469.jpg一昨日の朝、「ブルンナーの会」のケーキを買った時にバースデーケーキを予約して、昨日みんなでBirthday Cakeをいただいた。

私と良輔は土曜日のに続いて昨日も「今度は6月だったマチのお誕生日」「と、少し早くフーのお誕生日もかねて、またケーキ」と、私はユキの言葉についだ。

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担任のN先生から素敵なバースデーカード!
                  
IMG_6453.jpg知子とユキの旅行中に届いたスケートボードを昨日の朝早くから乗っていた。
これは私たち祖父母からのプレゼント。

    IMG_6455.jpg

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14〜15日、ユキと知子は小豆島へ行っていた。最高に美しい所だったとユキも感激していた。

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土庄(とのしょう)港 「太陽の贈り物」

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話題の「エンジェルロード」(天使の散歩道)

エンジェルロード.jpg潮の満ち干きで道が現れたり消えたりする人気の観光スポットだが、この時は途中まで。

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『24の瞳』の「岬の分教場」前の海

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国の有形文化財「マルキン醤油記念館」
合掌造りとしては最大規模の建物

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天然醸造蔵 「麹も見たよ!」と感激の知子とユキ

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オリーブ畑

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オリーブの葉
先がハート形になっているのは奇形らしいが
あの短時間にこんなに見つけたのはすごいそうだ。

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日本のオリーブの発祥地にだけあるオリーブ色のポスト

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穏やかな瀬戸内海の風景

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DSC06543.jpg DSC06542.jpg 

10歳の旅路が始まった。
ユキの生涯が幸せでありますように!

posted by 優子 at 11:36| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

家の教会201㉖ −失望せずに祈れ(やもめと裁判官)―

IMG_6459.jpg2017年7月16日(日) 
     (2017第26回 家の教会)
8時〜8時30分
出席者 2名(With R)
@ 聖書輪読   
   ルカによる福音書 
                     18章1節〜8節
                     11章5節〜13節
A お話     優子
B お祈り    一人ずつ

ルカによる福音書 18章1節〜8節:
18:1 また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。
18:3 ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。
18:4 彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そうしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。
18:6 そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。
18:7 まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。
18:8 あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。

お話:
今朝の主題は「祈り」であり「失望しないで祈れ」です。
「神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官」とは、一言で言えば「不正な裁判官」で、お金持ちや社会的地位のある人のためには喜んで裁判するけれど、ここに出て来る「やもめ」のように貧しく立場の弱い人のためには何もしない裁判官のことです。

そんな裁判人がようやく裁判してやろうという気持ちになったのは、「これではいけない」と反省したからでも、正義感や義務感からではなく、お金のためでもありませんでした。やもめの女性がしつこくて面倒をかけるからでした。

この譬えを話されたイエスさまが、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。」 と肯定的に言われ、「まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。」と、神さまを不正な裁判官と重ねて見ておられるのは少々驚きですね。

しかし、このお話の要点は1節の「失望せずに」というところです。新共同訳聖書では「気を落とさずに」と訳されています。

私たちも「危険から守ってください」とか、「健康を支えてください」と祈りますが、私たちの祈りは人間的な幸せを求めるのではありません。何よりも神の最善が成るようにと神の導きを願います。

しかしながら長いあいだ祈りつつ主に在って励み続けても、あまりにも状況が変わらない時は気を落としてしまうことがあります。時には形式的な祈りになり、気持ちが入らない時もありますね。

それでもやはり神さまを無視して生きることができず、私たちが祈り続けるのは全てのことを神が支配されていることを信じているからです

現実世界は「神を恐れず人を人とも思わないような」悪の力が支配しているのですが、気を落とさずに絶えず祈ることが大切なのです。そして祈りながら自らの内面が変えられていくのです。

こんな悪い裁判官でさえ、やもめがうるさいからと裁判したのです。「まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。神はすみやかにさばいてくださるであろう。と主イエスは言われるのです。

「人の子が来るとき」とは神が裁いてくださり神の国が成就される時です。だからその時まで悪が支配する世の中にあっても失望しないで絶えず祈り続けなさいと教えられたのです。その模範がこのやもめの姿なのです

この内容は「友にパンを3つ貸してください」という話を思い出させます。聖書を読んだことのない人でも耳にしたことがある「求めよ、さらば与えられん」という有名な箇所です。

ルカによる福音書:11章5節〜13節を読んでみます。

11:5 そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。
11:6 友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、
11:7 彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。
11:8 しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう
11:9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであ
ろう
11:10 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである
11:11 あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。
11:12 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
11:13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。

「求めよ! 捜せ! 門を叩け!」と、ますます熱心に諦めないで求め続けること、神に祈り求めることがいかに大切であるかということです。

私たちは失望してしまいそうな悩み苦しむ現実の中に在っても、いえ、そのような時だからこそ、神さまは時々ご自身の存在をチラッと見せてくださいます。

例えば拙著『メメントドミニ』最近の記事では、もう10年も前のことですが井置牧師との不思議な出会いでした。

あるいはまた、国連事務次長の中満泉さんのご家族は、私たちが10年来通わせていただいていた家庭集会でご一緒だった方の娘さんであり、泉さんが良き働きをされていることを、神のご支配を垣間見せてくださるのです。

それらのことを通して「わたし(主イエス)だ、元気を出しなさい」と励ましてくださり、気を落とさずに絶えず祈る者に示してくださるのです。

私たちは弱いですから気持ちが沈みもします。だからこそ互いに人生や経験を分かち合える家族や友との交わりは本当に大切なのです。

昨日は「ブルンナー読書会」を通して下村さんと実に良き交わりの時をもちました。まさに地上のオアシスでした。

インターネット時代になって私たちはますます忙しくなってしまいましたが、「忙」の字が示すように忙しくしていると心を亡ぼしてしまいます。
しかし、その文明の利器を上手に使って、月に一度メールやスカイプで交信し合うのは非常に大切なことだと気づかされました。

「しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。
これについて黒崎幸吉はこう述べています。

「人間の世界における信仰の将来は決して楽観することができない。イエスも常に信仰の前途につき消極的思想を持ち給うた」。

IMG_6460.jpg昨日学んだブルンナーの説教からもこのことを強く感じています。自らの信仰を強めてくださるように祈りたいと思います。
祈りの中で導かれて、まもなく葬儀に参列する良輔に「伝道の書」7章2節のみことばを贈りました。
「悲しみの家にはいるのは、
 宴会の家にはいるのにまさる。
 死はすべての人の終りだからである。
 生きている者は、これを心にとめる」。

今朝は主の御臨在を豊かに感じるひと時でした。神さまが祝してくださったことがわかります。感謝します。

今日のユキのサッカー教室は15時半からですが夕方追記:知子が間違って思い込んでいたとのこと。中学校まで一人で行って、誰も居ないので帰って来ました)、礼拝は無理強いして出席させるものではありません。私はもう家族への気遣いをしずぎないで、「神第一」の生活を選び取っていきたいと思います。
posted by 優子 at 10:22| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

ブルンナー読書会J ―裁きと赦し―

DSC06552.jpg今月の司会役は良輔。最初に讃美歌312番を讃美し、聖書は「詩篇130篇」を拝読、開会の祈りを捧げた。
今日は11章を学び、ブルンナーの『使徒信条講解説教』を読み終えた。(最終章の12章は4月の例会で終えている)

「我は罪の赦しを信ず」。

主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、
主よ、だれが立つことができましょうか。
しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう」。
(詩篇30篇3節〜4節)

下線部分は論理的に矛盾しているように見えるが、これがこの章の最大のテーマであり、これをどう説明するかに尽きる。
ブルンナーはこの本の最初に、第2次世界大戦が始まった年であり、今は嵐の時代の始まりであると書き出している。

即ち、ナチス・ドイツの侵略をブルンナーは神の裁きととらえている。唯物的自己中心的に考えるのが近代文明であり文化であり、これに対する神の裁きであるという。

ここでアッシリヤの歴史を見る。イザヤ書10章5節「ああ、アッスリヤはわが怒りのつえ、わが憤りのむちだ。」にあるとおり、神はアッシリアを使ってイスラエルを打ち、歴史の中で強国を道具に使ってイスラエルを裁かれたのである。

フリードリヒ・シラーは「世界史は世界審判である」と言っているが、それは真理の反面であって「神の大審判の序曲に過ぎない」。

「私たちは、例外なく最後に死ぬものであり、神の最後の審判の座に、最後の審判などないとあざ笑っていた不信仰者も、聖書の言っていることを真実であると知っている信仰者も、共に引き出されるということ」。

「主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか」。
私たち全ての人に共通な3つのことがある。それは、

@ 死ぬということ。
A 神の裁きの座の前に立つということ。
B この裁きにおいて誰も立つことができないということ。

パウロはロマ書(7章14節〜24節)で、罪の呻き、罪責感の深さを書いている。

「わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。

わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。

そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。わたしの内に、すなわち、わたしの肉(生まれながらの人間、性質)の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。

すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。

そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。

わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」。

実に私たちは「あまりにも罪人」なのであり、神の裁きには耐えられない。さらに恐るべきことは、「神は私たちの不義に目を留めないで赦してくださる」という慰め、最も厳粛な思想を気軽に飛び越えていく。まるで安全を保つ避雷針のように!

そんな私たちにブルンナーは、「私はキリストを信じている! 罪はすでに赦されている!」と、ハッピー・エンド物語のようになっていないかと、私たちの目を開けと訴える。

「地の塩であるはずのキリスト教会が、すでにこのような厳粛さの喪失によってこれほどまでに腐敗しているならば、(略)神に対する恐れが失われているなら、信仰は味の失った塩のように、何の役にも立た」ない。

今や牧師会でも「贖罪」を話題にする人は極めて稀であるという。贖罪、即ちキリストが私たちの身代わりに十字架につかれたことを何回も何回も心に思い出さないと、避雷針のごとき安価なゆるしになってしまう。

「おかしな避雷針みたいに解釈された許しの楽天主義で満たしたとは、何という誤解を奨励してきたことでしょうか」。それは「神をもたない説教」であり「虚構の慰め」である。

「もし私たちが、自分に対して絶望し、神の裁きに耐えることができないゆえに私たちは何の救いもなく、滅びてしまうのだと思うとき、まさにこのことを信ずることが許されており、そして信じるべきであります」。

私たちは十字架を素通りするのではなく、十字架を通って赦しを受け取るのです。「本当に罪を悲しみそれを誠心誠意で全力をもって拒否するところの真に悔い砕けた心なしには、罪の赦しはない、ということであります」。

「神よ、あなたは私たちをあなたに向けて造られました。私たちの心はあなたのうちに憩うまで安きを得ないのです」。

このアウグスティヌスの告白こそが神の本質である。
私たちは神を信じたら立派な人になるのではない。神の懐(ふところ)の中に安らぐことができる。それが信仰の核である。

「しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう」。
この言葉は論理的に考えたらおかしいが、人格的関係として考えたら納得できる。
母と子供の本当の結びつきがあれば、子供は母の好まないことをすることを抑制する。そのように私たちが本当に神と結合されたならば、私たちは神に対する恐れと畏敬と、神の秩序と命令に対する尊敬を持つ。人格的結びつきがなければ真に罪の赦しもない。
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昨夕、日暮れ前の二上山(雄岳)
記載方法がわからず囲みがいくつもになっていますが意味はありません。

次回は、8月12日(土)
テキストは エーミル・ブルンナー著『ブルンナー著作集』 
第7巻「フラウミュンスター説教集T」下村喜八訳(教文館)。
1章「主よ、それは私のことなのですか」。

翻訳者直々のご高説を直接拝聴できるとは、ますます驚くべき恵みである。次回は1年ぶりに帰国する次女夫婦滞在中の読書会である。学びの後に昨年以上にいろんなことを話し合いたい。
不思議な神の御手に感謝して。

DSC06548.jpg今朝の光景。母親のために植えた野菜の世話をする夫。

※ たった今20時20分に知子とユキが帰宅し、その2分後に良輔も帰宅(お得意先の方のお通夜で天王寺へ、明日はお葬式)した。

posted by 優子 at 20:23| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

森鷗外 『鎚一下』 −日本クリスチャンペンクラブ・関西ブロック例会−

IMG_6369.jpg明日でJCPの6月例会が終わって1か月になる。書記を仰せつかってから10年ほどになるが、これまでどんなに遅くなっても1週間以内に報告書を作成していたのに、このたびは今頃になってようやく先月の「学び」を復習することになった。

というのは例会の1週間後に東牧師が召天されたことや、井置利男牧師に恵贈していただいた本を読んでいたので、学びの内容を省略した報告書を作成して提出していたが、ようやく今、森鷗外の『鎚一下』を資料共に読み直したところである。

私はこれまで『鎚一下』(ついいっか)という作品名さえ知らなかったが、講演の冒頭で大田正紀先生が語られたことが興味を感じさせる導入となった。

「森鷗外は日本の中ではキリスト教会から一番遠い人だと聞いていたが変わってきた。
鷗外の三男の類(るい)は受洗していないがクリスチャンとして認めてはいいのではないか。杏奴(あんぬ:後妻・志げの間に生まれた次女)はカトリックの洗礼を受けている。

鴎外が晩年にキリスト教に近いものを書いた。それが『鎚一下』で、モデルが本間先生という日本人であることと、ヨーロッパで出会ったキリスト教を軸にして書かれた珍しい本である」。

その時代背景は幸徳秋水に代表される大逆事件が起こり、国家権力を握った人間は秩序を少しでも乱そうとする者は全て検挙していき、勝手に人を死刑にし、考えられぬ残虐な汚名を着せられて殺されていった。

『鎚一下』は、鷗外が明治の末年に「かのやうに」「吃逆(しゃっくり)」「藤棚」「鎚一下」の4作の短編を『かのように』にまとめて出版したものであるが、「 鎚一下」は他の3作品と趣が違っている。

鷗外はこの作品で、「無信仰だが宗教の必要性だけは認める」という穏健な思想の持ち主たちのおかげでドイツは治まっているということを、主人公・秀麿の口を通して語っている。

深井智朗は著書『19世紀のドイツ・プロテスタンティズム −ヴィルヘルム帝政期における神学の社会的機能についての研究−』で、「鷗外は今まで誰もが気がつかなかったような視点でキリスト教を見ていたのであり、日本の神学者でも気づいていないことを知っていた人物である」と述べている。

ドイツの強みはとりわけルター派神学(新教神学)、すなわち「リベラル・ナショナリズム」であり「プロテスタンティズムの神学」に基づいているという結論を鴎外は導き出した。

そして日本の世情が非常に不穏になってきた若者たちに、ドイツには政府だけではなく教会もあるのだと、「社会における宗教の役割を肯定できる人が重要なのであり、それが近代人であり、実はそこにこそドイツの強みがある」と訴えている。

鷗外は、近代ドイツの教養ある人々はすでに信仰は失っているが、制度としての宗教が政治的な役割を果たしているという矛盾も見落としていなかった。

さらに日本においては、果たしてこのような立場は可能かと問題提起し、今から100年以上も前の1912年に小説の手法で論じていたことは驚くべきことだと思った。

以上、貧しい理解力と稚拙なまとめではあるが、これを下知識として『鎚一下』を読んでいただくと鷗外の熱いものを感じていただけると思う。
分かりやすい短編なので是非お読みください!

📖 ブログの書き方がリニューアルされてリンクの埋め込み法がわからないので、ここhttp://books.salterrae.net/tuyuzora/html/OUGAI025.htmlをクリックしてください。

IMG_6373.jpg附記:今朝早く、知子とユキは一泊二日の旅行に出た。かけがえのない我が子とのプレシャスな時を過ごすために。
担任の先生もよく理解してくださり快諾してくださった。今日予定していた算数のテストも、「小数点は得意やから5分でできた!」と昨日一人だけ済ませてきたが「ほんまかいな」😃 
帰宅は明日の夜。
私たちもまた明日はプレシャスな時、『ブルンナー読書会』である。感謝!
posted by 優子 at 08:24| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

国連事務次長の中満 泉さんは谷口家の家庭集会でご一緒だった、あの中満さんだった!

IMG_6367.jpgニューヨーク時間7月7日午前、核兵器の使用や保有を禁ずる核兵器禁止条約が国連交渉会議で採択されたことを、8日のニュースで注目していた。日本政府は5核保有国と共にボイコットしたことも。

最近ではすっかり『クローズアップ現代』を観なくなっていたのだが、昨夜お風呂上りにたまたまつけたテレビ画面に、日本人女性初の国際連合事務次長の中満泉さんインタビューが始まり、興味深く観ていた。

しばらくして「『中満』とは珍しい名前、聞き覚えがある。泉さんという名前も。お母さんと顔もよく似ておられる」と、井置牧師の時と同じく居ても経ってもいられなくなって、番組が半分過ぎた頃に2階にいる夫に尋ねたが全く記憶していなかった。

しかし、あの、中満さんに間違いない
谷口先生の家庭集会でご一緒だった中満さんに違いない!

中満泉さん.jpg私は電話は緊張するので大の苦手だが、そんなこと言っておられない。今すぐにでも谷口先生にお電話したかったが夜も遅いし、今朝9時になるのを待ってお電話した。

やっぱり、そうだった!

今から25年から30年ほども前のことになる。知子と真智子が小学生だった頃だ。泉さんは知子より14〜5歳年上の方だった。

泉さん自身は家庭集会に来られたことはないが、いつも目の見えない90歳になるおばあさまとお母さま、そして妹のMさんと御一緒だった。

1990年代の頃は内戦していた「ボスニア・ヘルツェゴビナに行っていますので祈ってやってください」とお母さまが話されて、共によく祈っていた。
おばあさまも実に気品のある方で、目が見えないということから、私はいつも『アルプスの少女ハイジ』に出て来るペーターのおばあさんと重なってしかたがなかった。

泉さんは少なくとも3代目のクリスチャンである。今は関東に住んでおられる中満さんは、今「泉のこと、祈ってやってください」と谷口先生とのお交わりが続いている。

谷口先生は泉さんのことをこのように言われた。
「神さまの憐みと導きがなければあのようなことはできませんよ。神さまはすごいねえ」。

本当にその通りだ。
神はそれぞれに与えたもうた賜物を、自ら磨きつつ励む者に働かれて用いられるのである。

「あなたが自分の力で成し遂げるようにと求められるものは、何もないことを覚えてください。
どんな小さなものでも、またどれほど大きなものであっても」。

私もまた、昨夜のテレビを観たということ、そして今朝、10年ぶりに谷口家の家庭集会で養われていた信仰をありありと思い出させてくださったこと。それもまた神さまである。神さまのご意思を感じないではいられない。

そう、いつも私が希望を見失いそうになっている危機的情況の時に、今にも崖っぷちから落ちそうになっている最悪な時に、主はこうして私にもわかるように示し立ち上がらせてくださる。

「優子、優子、しっかりしなさい。わたし(イエス・キリスト)だ」と。そして、「何事も一生懸命な優子さんのこと」、谷口先生が仰ったように「神さまはおまえが必要なんだ」と。

泉さんのお子達は毎年夏休みになると(アメリカだから5月頃から?)日本の中学校に留学しておられたとか。だから昨夜のテレビでも、「めっちゃ」とか「〜じゃん」(「じゃん」は関東弁?)という現代日本語も話しておられたんだと微笑ましく納得した。

そして8月に広島と長崎を訪問されるというから、お母さまも娘との再会を楽しみにしておられることだろう。

私は今朝のテレビでトランプ氏親子の発する動画を見て、もはや言葉を失ったあとだっただけに、中満さんのことがわかり、こんな世界であっても神さまは最善を尽くしてくださっていることを伝えて励ましてくださったのである。

失望してはならない。いつも祈るのだ。熱心に祈るのだ。私にとって最善である神さまの時に、必ず与えてくださることを忘れてはならない。私が望んでいた以上のものを!

「わたしたちは、さらに彼(主イエス・キリスト)により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」。
            (ローマ人への手紙 5章2節〜5節)

数日前の記事に「私の信仰の母T姉」と書いたのは谷口先生のことである。
今週からクマゼミが鳴き出し、昨日から朝顔が咲いた。チャッピーのいない2度目の夏である。

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posted by 優子 at 11:24| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

『自分史 予科練から牧師へ −わが生涯(90年)の証し―』(後編)

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これが私たちがお出会いした頃の井置牧師だ。

2005年(79歳)〜2010年(84歳)の単身赴任の東大阪キリスト教会時代である。このご奉仕を最後に84歳で牧師を引退されて埼玉県のご自宅へ戻られ、再び「日本バプテスト浦和キリスト教会」へ教籍を置かれた。

IMG_6305.jpg御本には私に洗礼を授けてくださった小山恒雄牧師のことにも触れておられ、私は実父のことのように懐かしく胸を熱くして読んだ。小山先生は井置先生より3歳年下で、1929年に福島県会津若松市に誕生され、2008年5月に召天された。
神学校の級先輩お手紙に2級先輩と書いておられるとおり、両者の年譜から2年が正しいに小山恒雄という友人がいた。東北人特有の粘り強さとその真摯な人柄は誰からも尊敬され、成績も優秀な人だった。

卒業後は兵庫県の山奥にある丹波地方の小さな教会に赴任し、苦労していると聞いていたが、その小山先輩が、あるひヒョッコリとぼくを訪ねてきてくれたことがあった。
         (略)

小川に沿って歩きながら、ぼくは教会のこと、牧師のこと、神学校の舎監のことなどを、小山先輩に打ち明けた。まるで溜まりに溜まったものを吐き出すように喋った。

小山さんは、度の強いメガネをときどき指先であげながら、じっとぼくの話を聞きつづけてくれた。そんなぼくたちは、いつしか、先の大戦で戦死した人たちを記念する碑の側に座っていた。

そして、どちらからともなく、2人で讃美して歌った。(讃美歌213番)・・・ぼくのために祈ってくれている小山先輩の声を聞いているうちに、やがて涙も乾き、晩秋の風が心地よかった。

※ 今週からブログの編集方法が大々的にリニューアルされたためにやり方がわからなくて、次の引用詩も二つの囲みになってしまっていますが一連の詩としてお読みください。
いろいろ試行錯誤してもわからなくて現在シーサーサポートさんに問い合わせ、やり取り中です。

キキョウまもなく開く.jpgとても印象的だったのは井置牧師のご家族への情愛だ。
「いとしい妻」に見る夫像、またお子達への詩(下記)に溢れている優しい父親像。円満な家庭をも実現され、子から孫へ、そして2015年には「ヒジジ」になって曾孫さんにも愛を注いでおられる。

「生後25日」 御長女・路(みち)さんへの詩:
路よ/お前に「路」と名付けしは/ゆえなきことにあらず/お前の父と母が/ひたすらに歩んできた/イエスへの路を/お前も歩んでくれることを/ひとえに願いしゆえなり/
路ちゃんの/顔/まあるい顔/路ちゃんの/目/まあるい目/路ちゃんの/口/まあるい口/
親バカの父は/みんなに/笑われても/まあるい/心で/まあるい/路ちゃんを/ニコニコ/だっこしています
路ちゃんが/泣いている/どうしたんだろう/路ちゃんが/くしゃみした/どうしたんだろう/路ちゃんが/ウンチ出ない/どうしたんだろう/わかい父と母は/額を集めては/ただ/オロオロするばかり

「ゆう」ちゃん 御長男・豊さんへの詩:

いつの頃からか/あなたは/「ゆう」ちゃんと/呼んで/「ゆう」ちゃんは/みんなから/「お父さんに似ている」と言われます/そうかも知れません 

もしかしたら/顔だけではなく/性質も/似ているのかもしれません/小心なところや/涙もろいところは/ウリ二つです/だから「ゆう」ちゃんにも/イエスさまへの/信仰が必要なのです

ある日/あなたは/「お父さんはぼくに/牧師になって/ほしかったのでしょう」/と言いました / でも/そんなことはありません

神さまは/それぞれを/良く知っておられて/それぞれが/もっとも活かされる/そんな道を/歩いてくれることを/望んでおられるからです
それに/牧師というのは/神さまからの/「お召し」が必要なのです

2度の聖地旅行ではイランとイラクが交戦状態に入る前だったため、旧約聖書の宝庫であるウルや旧コリントなど多くの遺跡を訪ねておられ、近年の状況を想うと今後も2度と企画されることのない旅行だと思った。何よりも多くの遺跡は破壊されてしまって存在しない。

井置牧師は「この超後期高齢者となったぼくに、どんな奉仕を献げることが出来るだろうか。ただ『お客さま』のように無為に過ごしているだけでは不本意なのである」と、周囲からのご依頼に応えてご奉仕されている。

IMG_6330.jpg不思議なる御手による井置牧師との出会い。
2006年7月の井置牧師からの問い合わせと同年10月の読書交歓会は、翌2007年7月の驚愕すべき憤りと悲しみの出来事に悶える私のために、神さまが打たれた布石であり神の先回りの恩寵であった。

このことは、神を求める人には常に神のまなざしが注がれていることのお証しである。そのことを忘れないで希みをもって最期まで励まねばならないと思う。



posted by 優子 at 17:42| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

ユキは10歳になった!

知子初出勤の朝.jpg2010年9月1日、知子初出勤の朝である。ユキは3歳2ヶ月だった。

この時ユキが泣くのを我慢しているのがわかった。幼児ながら無理を言ってもどうしようもないことをわかっていて、ママを困らせてはいけないと我慢していたのを私は今もよく覚えている。

その日のブログにはこのように書いてあった。

ユキは、「ママ、いつ帰ってくる?」と何度も聞いて、一度は「ママー!ママー!」と窓際で叫んでいた。義母も「(ユキは)どうしている?」と心にとめてくれていた。


ユキは朝食の時も昼食の時も同じように祈っていた。

「イェスしゃま、
 今日はおじいちゃんとママが会社へ行ったでしゅ。
 ユキちゃんはおばあちゃんとお留守番でしゅ。
 この食べ物を感謝しましゅ。
 ママが早く帰ってきますように。
 このお食事を感謝していただきます。
 イェスしゃまのお名前によってお祈りしましゅ。
 アーメン。」

今日は『ごんぎつね』をリクエストされて読んだのだが、母を失ったゴンと死んでしまった母狐が可哀想で、今日もまた途中から涙を流しながら読んでいた。そして、涙を拭いている時に「スースー」聞こえる寝息に気づいた。
午後1時半、ユキはいつものように読み始めて5〜6分で眠ってしまった。

ユキ、ママはもうすぐ帰ってくるよ。ママがひどく疲れてなければいいけれど・・・ね。

IMG_6290.jpgそれから約7年、ユキは今小学4年生。そして今日10歳になった。靴のサイズは22.5センチ、背丈はもうすぐ137センチぐらいか・・・大きくなった。

それでもまだこんなにかわいいズボンをはいている。

「ただいまー!
漢字の50問テスト、ユキは92点やった!
Yちゃんは100点やったから、おばあちゃんに500円もらうんやって! 94点の子も、98点の子も、96点の子もいっぱいいて、76点と78点の子もいっぱいいたわ!」

今日生協さんから届いたばかりのカップのかき氷を食べ、スイカも食べてから宿題をすませて、またしてもすぐに遊びに行ってしまった。
給食もあと2日、今年もまもなく夏休み。子どもは社会も家庭も平和の中でのびのびと成長させてやるのは大人の義務であり、幸せに成長する子どもの権利だ。

    

   「置かれたところで咲く」

          (作者不明)

神が置いてくださったところで咲く
しかたがないと諦めてではなく
「咲く」のです。
「咲く」ということは
自分が幸せに生き
他人も幸せにするということです。

「咲く」ということは
周囲の人々に あなたの笑顔が
私は幸せなのだということを
示して生きるということなのです。

” 神が私をここに置いてくださった
それはすばらしいことであり
ありがたいことだ "
あなたのすべてが
語っていることなのです。

「咲く」ということは
他人の求めに喜んで応じ
自分にとって ありがたくない人にも
決して嫌な顔 退屈気な態度を
見せないで生きるということなのです。

      
2015.6.3お手伝い.jpg難しいなぁ。
特に最後の奨めは時に難しくて、特に今は排除したい気持ちだけれど、これからもそのことを憶えて生きていかないとね。

この写真は初めての掲載、2年前のユキはこんなにかわいかったよ。背伸びしてるよ。


附記:
マチ、今日は電話ありがとう。
ワシントンは真夜中だったのにね。
2人の帰国を楽しみに待っています。
玄米も買っておくね。

posted by 優子 at 17:50| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする