2020年02月22日

SPRING AGAIN ー「ディリーブレッド」よりー

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「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」。(コリント人への第一の手紙10章31節)

日々何をしたかは、どんな態度でしたかに比べると、重要ではありません。「深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」の心で働き(コロ3:12)、赦し、愛し(13-14節)、「すべて主イエスの名によって」(17節)行わなくてはなりません。

何をするかは重要ですが、なぜ、どんな姿勢で、誰のためにするのかは、もっと重要です。ストレスで擦り切れるまで働くのか、神に誉れを帰するように、自分のしたことにイエスが意味を与えられるように働くのか、私たちは日々、選択することができます。後者を追い求めるなら、必ず満たされるでしょう。
                     
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「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい」。( エペソ人への手紙4章2・3節)ある法律に関して国を二分する論議が起こり、クリスチャンの意見も分かれました。そしてお互いを「心が狭い」とか「信仰の妥協」と非難しました。神の家族が意見の違いで分裂し傷つくことがあります。私も聖書の教えを生活に適用させることで意見の違う人から揶揄されたことがあります。しかし、反対意見の人を傷つけたことが、私にもあったでしょう。
たぶん問題は、違う意見そのものや、言い方ですらなく、その裏に隠れた本音でしょう。つまり、単に意見に反対しているのか、それとも反対意見の人たちをやっつけるべきだと思っているかです。

聖書的でない点を指摘したり、自分の信念を説明したりすべき時もあります。そのときは、謙遜と柔和、寛容と愛をもつようにと、エペソ人への手紙4章2〜6節は諭します。何よりも、御霊の一致を保つために努力を惜しまないことが大切です(3節)。
解決しない論争があります。しかし、神のみことばは、私たちの目標は、相手をやっつけることではなく、常に互いの徳を養うことだと教えます(29節)。議論に勝つために不遜な態度を取りますか。それとも、同じお方を主と仰いでいることを忘れず、主の真実を主の時に主の方法で理解させていただこうと努めていますか(4-6節)。
・愛する神よ、私が真実を語る時に、相手を負かすためではなく、その人の徳を養うために、愛をもって語れるように導いてください。

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シュウメイギクの新芽

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「お聞きください、私たちの神。私たちは軽蔑されています。彼らのそしりを彼らの頭に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください」。(ネヘミヤ記4章4節)

ネヘミヤは、拒絶されたと感じたり、相手の意見を論破したりせず、神の助けを求めました。自分たちへのあざけりを訴え、守ってくださるように祈り(4節)、神に不安を完全に委ねてしまうと、彼らはやる気を起して黙々と再建に取り組みました(6節)。
私たちはネヘミヤから、自分の仕事や奉仕に対する批判に動揺しないことを学べます。感情を害して反撃するのではなく落胆から守ってくださるように祈りましょう。そうすれば、一生懸命仕事を続けることができます。
・主よ、がっかりしている私を守ってくださり感謝します。その批判が正しいか間違っているかを見極め、あなたを信じ、心を込めて働きを続けられるように助けてください。

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「主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから」。( 詩篇18章19篇)

作家のマーティン・レアードは散歩の途中、4匹のケリーブルーテリアを遊ばせる男性をよく見かけました。3匹は広い野原を自由に駆け回っていますが、1匹は飼い主のそばをぐるぐる回るだけです。その犬は保護犬で、ほとんどの時間を檻の中で過ごしたからです。自由になっても狭い檻に閉じ込められているかのように行動していました。

聖書は、神が救ってくださらなければ、私たちは罠にかかってどうしようもない状況だと語ります。詩篇の作者は敵に追われ、「死の綱」に取り巻かれ「死のわな」にかかりそうだと語ります(詩18:4-5)。そんな苦しみの中で、彼は神を呼び求めました(6節)。すると神は恐ろしい力を表し、御手を伸べ、彼を捕らえてくださいました(16節)。

神は私たちにも同じようにしてくださいます。神は鎖を断ち切り、私たちを束縛から解放してくださいます。神は私たちを自由にし「広い所に」連れ出されました(19節)。それなのに、未だに牢獄に閉じ込められているかのように、同じところをぐるぐると回りつづけているならば、何と悲しいことでしょう。神の力によって、恐れや恥、抑圧に留まらないようにしましょう。私たちは救われ解放されました。自由に走ることができるのです。

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posted by 優子 at 22:06| 四季と黙想 | 更新情報をチェックする

2020年02月21日

「死ぬ日まで天を仰ぎ」 尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯と詩 −日本クリスチャン・ペンクラブ例会― 

2月15日(土)JCP関西ブロック例会で学んだことを記録しお分かちしたい。

大津教会礼拝堂A.jpgいつものように1階会議室で例会を始めてまもなくのこと、大津教会第2代目の原 忠和牧師の前夜式(通夜)準備の関係で3時までに部屋を空けねばならなくなり、2階の会議室に移動した。忙しく動き回っておられる牧師夫人が私たちのお茶までお世話くださり申し訳なかった。すでに翌日の週報には「昨日(15日)の朝、逝去されました」と記されていた。

大津教会はヴォ―リスが設計した伝統ある教会だ。教会の玄関ロビー共に2階もまた当時にタイムスリップしそうな雰囲気だ。

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 講演者は大田正紀先生(日本近代文学研究者、梅花女子大学名誉教授)
「死ぬ日まで天を仰ぎ」 尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯と詩              
IMG_2256.jpg八木重吉の評論で有名な森田進は、ハンセン氏病の詩を読む人。日本のみならずアジアも含めたキリスト教詩人の会を作った。森田がテジュンにある学校で文学の教師として行かれた時に、日本の詩が紹介されていなかった。

尹の詩は自然の中で魂の孤独をうたう立原道造のような抒情詩人である。尹は韓国が日本に併合されて日本へ来て青春を送り、同志社大学時代に特高に捕まって福岡で2年間収監され獄中で死んだ。今は韓国のキリスト者の英雄の一人として崇敬されている。

1886年 朝鮮の北部咸鏡(ハムギョン)の辺境で国を守ってきた無名の武官の曾祖父尹在玉(ユン・ジェオク)が、一族を連れ、中華民国東北部(旧満州)間島省和龍県間島省子洞(ブッカンドファリョン県カンド省チャドン)に移住、開拓に取り組む。

1900年尹氏一族、さらに和龍県間島省明東村(ファリョン県カンド省ミョンドン村)に再び移住。母方の熱心なキリスト教徒である金躍淵の指導を受け、集団入信。民族自立を目指し協力して、学校・教会を設立。この地は力ナダ長老教会が熱心に宣教してきた。(「韓国キリスト教が生んだキリスト者詩人・尹東柱」蔵田雅彦)


IMG_2301.jpg1910年 日韓併合が行われた。当初、総督府は武断統治を実施した。

日本は朝鮮から「七奪」を行ったと非難される。

@主権 A国王 B人名 C国語 D姓氏 創氏改名 E土地 土地調査事業 F資源。

韓国の教科書では「片手にピストル、片手に測量器」を抱えて全土の40%を収奪したと記すが、そのような事実はない。

ピストルは野獣を追い払うためであり、そのような全土調査はしていない。
創氏改名については自民党でただ一人、石破茂(4代目のクリスチャン)のみが、この人たちの言葉と名前を奪ったのであるから、その痛みを知らなければならないと言っている。

今日、黄 文雄などによって一方的な収奪ではなく、朝鮮の近代化のための「七大貢献」「七恩」であったとする説もある。

1917年11月30日、明東村に、父尹永錫、母金龍の長男尹東柱として生まれる。父方のいとこの宋夢奎は9月28日に同じ家で生まれている。小学校も同じで文学を志向、日本留学も同時に目指す。

1919年3月1日、三・一独立運動。「朝鮮独立万歳」を叫び、民衆・学生が蜂起。数千人が死亡、5万人近くが逮捕される。総督府支配を文化政治に方針転換した。 李(イ)承晩(スンマン)ら上海に大韓民国臨時政府を結成。

200万近い人がデモに参加したが、厳しく弾圧されたことをきっかけに統治の仕方を変更した。

1925年明東小学校に入学。同学年に父方の従兄弟宋夢奎(ソウモンギュ)、母方の従兄弟金禎宇(キムジョンウ)、文益燥らがいた。
1931年明東小学校卒業。記念に金東煥詩集『国境の夜』を受け取る。1932年カナダ長老教会が設立の龍井の、恩真(ウンジン)中学校に入学。

総督府は、「内鮮一体」のスローガンのもと、神社参拝を強要した。天主教(カトリック)、監理教 (メソジスト)は国民儀礼として受け入れたが、平壌の長老系教会は反対し、宣教師らは国外退去される。
1934年詩作を始める。
1935年 北長老教会設立の平壌の崇実(スンシル)中学校に編入。
1936年 朝鮮総督府に就任にした南次郎、皇民化教育を徹底して推進。神社参拝拒否で廃校処分になる崇実中学校から故郷の親日系の光明学園中学部に編入。『カトリック少年』 に童謡を発表。鄭芝溶の詩を耽読。

神社参拝は宗教ではなく国民儀礼であると強要した。
併合した時の韓国の識字率は6%であったが20%に上がった。ハングルの言葉を徹底し日本でも学ばせた。

1937年進学問題で父と対立。父の望んだ医科でなく、文科を選ぶ。日中戦争勃発。

1938年 ソウルの延禧専門学校(現・延世大学校)に入学。三年間寄宿舎生活を送ることになる。3月、「朝鮮教育令」改定され、中学校の朝鮮語科目が全面禁止され、日本語使用が強要された。

1937年『朝鮮日報』や『少年』に詩や童謡を発表。「宗教団警」成立。宗教の国家統制が敷かれる。

自画像

山の曲がり路を廻った田んぼのへり 人里離れた井戸をひとりで訪れてはそうっと覗いてみます。

井戸の中には月が明るく雲が流れ空が広がり青い風が吹いて秋がいます。

そして一人の男がいます。
なぜかその男が憎くなって帰っていきます。

帰りながら一人になってその男が不憫になります。引き返して覗くと男はそのままいるのです。またその男が憎くなって帰っていきます。

帰りながらも気になってその男と離れがたくなります。

井戸の中には月が明るく雲が流れ空が広がり、青い風が吹いて秋がいて追憶のように男がいるのです。
                (1939年9月)

自分とは誰かと思うとき、空々しく、自分のことをネガティブに捉えている。

1940年「創氏改名」実施。

1941年延禧(ヨンヒ)専門学校を卒業。自選詩集を出版しようとしたが果せなかった。

韓国でずっとミッションスクールで学んできた青年は、日本で文学の勉強をしたいと思っていたが躊躇いがあり、詩集を出す。自分の信仰を失いがちになったりするが、信仰に立ってこれからのことを考えたい。しかし、朝鮮語で詩をうたうこともできない。

渡日するために平沼東柱と創氏改名。いとこの宋は宋村夢奎(むぎ)と創氏改名。
立教大学へ行き、その後同志社大学の史学科へ進学する。

日本基督教団成立し、在日弊基督教会は日本基督教会に吸収され、日本基督教団に飲み込まれた。

序詩

死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥もないことを 葉群れにそよぐ風にも 私は心を痛めた。
星をうたう心で
すべての死んでいくものを愛さねば
そして私に与えられた道を
歩んでいかねば。

今宵も星が風にこすられる。
      (1941年11月20日)

「死ぬまで天を仰ぎ」について、他の詩人は「空を仰ぎ」と訳されているが、キリスト者にはロマンティックな「空」や「天」ではなく、私は誰であるか。私はどういう生き方をしているか。神さまからどのように見つめられているかということで「天」と訳すべきである。

1941年 キェルケゴールを耽読。渡日し4月、立教大学文学部英文学科に入学。「たやすく書けた詩」などの詩を作る。10月、同志社大学文学部英文学科に入学。京都市左京区で下宿生活を始める。京都大学文学部史学科に進学したいとこの宋夢奎も同じ京都市に下宿。

懺悔録

緑青のふいた銅の鏡に
わたしの顔が残っているのは
ある王朝の遺物だから
こんなに辱められるのか

私は懺悔での文を一行に縮めよう

―満二一十四年一ケ月を どんな喜びを望んで生きてきたのか

明日か明後日かその楽しい日に
私はふたたび一行を書かなければならない。

―あの時あの若かった歳に
どうしてあのように恥ずかしい告白をしたのか

夜ごとにわたしの鏡を
手のひら足うらで磨いてみよう。
そうすればある隕石の下にひとりで歩いていく
悲しい人の後姿が 鏡の中に現れてくる。
             (1942年1月24日)


1947年7月、京都下鴨警察署に宋夢奎が独立運動の疑いで逮捕され、同月、尹東柱も同署に逮捕され、多くの蔵本、作品、日記が押収された。12月、二人とも送検。

1944年 二人とも起訴。京都地方裁判所の裁判の結果、治安維持法違反で懲役2年を宣告され、二人とも福岡刑務所に投獄される。

1945年2月16日、尹東柱獄死。3月6日、龍井に埋葬。3月10日、宋夢奎獄死。5月、尹東柱の墓に「詩人尹東柱之墓」という碑を建立。

東柱は何のために捕まったのか資料は残されていない。いとこは反日の人と手紙をやり取りしたというだけのことで捕まった。

1948年 詩集『空と風と星と詩』(正音社)初めて刊行。

1955年 10周忌を記念して再び『空と風と星と詩』(正音社)刊行。命日に延禧(延世大学の前身)で10周忌追悼会開催。

1968年延禧専門学校時代の寄宿舎前に「尹東柱詩碑」を建立、除幕式挙行。1977年『特高月報』(内務省警保局保安課発行)に収載された尹東柱、宋夢奎の取調べ記録が発見され、不明だった二人の嫌疑の概要が初めて分かる。

1984年尹東柱全詩集『空と風と星と詩』(伊吹郷訳、記録社)日本で刊行。

1995年2月7日、ソウル・ロイヤル・ホテルで「民族詩人 尹東柱先生逝去50周年記念会」が持たれる。2月16日、同志社に「序詩」の詩碑が建立、除幕式挙行。同日、延世大学で50周年追悼会開催。18日、日本キリスト教詩人会後援で「尹東柱を考える会 ― 獄死50年に想う」を開催。

韓国のKBSとNHKの共同で尹東柱の生涯を制作。
KBSは3月3日、NHKは3月11日、NHKスペシャル「空と風と星と詩 尹東柱・日本統治下の青春と死」として放映。

このような繊細な詩を書き続けたことは詩人として評価すべきであり、政治利用すべきではない。

上智大学の心ある学生や、いくつかの大学のクリスチャンの学生は偶像崇拝はできないと拒否したために処罰された。上智大学そのものは偶像崇拝してはいけないと判断しながらそのまま放置し行かせているところはよくない。そして処罰された学生はひどい目にあったことは考えねばならないのではないか。

奄美黄島の人たちが初めてカトリックを受け入れた。仏教や神道の影響を受けたくないゆえに5000人の人が入信した。神父を来させ亡くし、信者の集まりを禁止し、最後はキリシタン弾圧と同じような状況になっていった。

昭和の戦中時代に天皇制という一神教になった。保守的な教会は最後まで闘った。改革派の教会は書物を取っておき神学校そのものを閉じた。


反日種族主義.png2019年7月に出版されたソウル大学名誉教授のイ・スンマ著『反日種族主義』(副題は「大韓民国危機の根源」)は、日韓併合によって韓国は近代国家になったのに、悪いことは全部日本にしているという内容の本である。

かつては貴族と王族の下に「リャンマン」という知的に優れたといわれる人たちだけがエリートになれるという階層があり、そのほかに奴婢という奴隷階層もあった。その奴隷階層を日本が解放した。

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教会を出た大通りから左側すぐそこに琵琶湖が見える。
JR大津駅は右に徒歩数分だ。

★ 次回は、4月18日(土)大津教会にて、13時より17時。
スピーカーは、児童文学者・今関信子先生
2020年度総会開催します。年会費は藤本まで。
『種を蒔く』5号発行に向けて遠方会員の方もご寄稿ください。

posted by 優子 at 16:30| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2020年02月19日

「イーブン・チャンス」 感染症との闘いは社会性を高めるチャンス! C

白鴎大学の岡田晴恵特任教授が語られたこと:

政府は今も「発生早期」の段階認識で「流行宣言」を出していないが、拡大期を認めないといけない。市中感染があると拡大期に入ったというのが常識である。

将来的に感染者数が増えた場合、キャパシティーを超えない対策を打つ。重傷者が出た場合は、感染者病床を重傷者に適用したい。

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相談や受診の目安は「4日続いたら」、「2日続いたら」という認識で大丈夫かなと思うが、これならば今の医療資源で対応できるのかなと推察するが、(政府は)そのことを言わないといけない!

「帰国者・接触者相談センター」になっており、この段階で腰が引けている。早期の制圧手段が必要。

大事なのは病院の数ではなくベッドの数! 
病床の確保ができているかどうかだ。
今、大胆な行動計画を作らないと間に合わない。医師ならばわかると思う。クリニックが代行できるものはクリニックが代行し、先手先手にやるというはそこなんですよ!!!

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感染拡大シミュレーション

来週になると爆発的な数になるだろうから今からそのようにしなければいけない
2009年の新型インフルエンザのプロットコル( protocol :複数の者が対象となる事項を確実に実行するための手順について定めたもの)を使おうよ! あの時病院の入り口に発熱外来を作ったように。

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コロナウィルスのバリエーションの広さがあるのに、目安があまりにもアバウトすぎてどの病院へ行ってよいかわからない。ミスリードする場合もあるから医師のトップが説明すべきだ。

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中国での湖北省以外の封じ込めは一桁に成功している。今後の最新の知見は日本の現場からであり、世界保健機構もそれを調べて対策を打っていくことになる。("WHO" はポリティカル・サイエンスで動いているが)

★ コロナウィルスは、ドアノブなど金属・ガラス・プラスティックなどの上で最大9日間感染力を維持する。消毒などで1分以内に不活性化する。

★ コロナウィルスはインフルエンザと逆で湿度(50%)が高いと感染力の維持が長く、低い(30%)と短い。

岡田晴恵さんは穏やかにして、専門家として言うべきことは発言されるので注目している。このような危機に御用学者は不要だ。

★ アメリカには国民皆保険制度がなく医療機関受診費用がとても高い。風邪で外来受診すると数万円かかることや、検査で10万円以上もかかることもあり、インフルエンザの死亡者が多いのは医療を受けられないからだ。

2月14日現在、米国内での新型コロナウィルス感染者は443人検査して15人陽性。アメリカの医療現場に詳しい徳田安春医師はインフル患者の中に新型コロナ感染者がいる可能性は高いと語っている。

ワシントンD.C.の真智たちにも伝えたくて書きました。

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ちょうど1週間前だったと思うが、「感染症は個人を超えた社会の病気」だから、自分を守ることは他者をも守ることになる「イーブン チャンス」(even chance)なんだという話を聞き、一人ひとりの人間性を高めていく機会になると明るい気持ちになった。

この試練を通して自分のことだけではなく他者のことを思いやれるようになって、豊かな社会が築かれていく機会になるのではないか。神戸の大震災が「ボランティア元年」と言われたように。

そんな先週末、伴侶は鼻づまりのひどい風邪症状で帰宅した。マスクはしていた。幸い熱もなかったので夫婦共にマスクをして同室で眠ったが、もしも猛威を振るい始めている感染症だったらと不安になって、金曜日の夜は数時間しか眠ることができないまま翌日の日本クリスチャンペンクラブ例会に参加した。

伴侶はその後も食欲あり入浴も欠かさず、土・日は完全隔離状態で休養して回復したので月曜日はマスクを着用して出社した。

ところがである。その翌日の昨日は会社に着いてからもマスクをしないで終日過ごしていたというのだ。マスクが手に入らないならばどうしようもないが、今は周囲の人々のためにマスクをするべきことを再度説明した。

更に驚くべきは夕食後に薬剤を入れてうがいをしているではないか。聞きただすと帰宅直後にやらずに夕食後にやっているので唖然とした。

今月に入ってから日に日に新型コロナウィルス感染が深刻になってきている日本において、丁寧な手洗いやウガイは実践しているだろうと信頼していただけに、幼児に対するように傍につくことはしなかった。

そこでもう一度帰宅後は必ず丁寧な手洗いとうがいをするように促すと「何も迷惑かけてないやないか!」と怒鳴ったので、どこまで非社会的な行為をするのだろうと驚くばかり。これでは在宅中もマスクをしなければならなくなる。

「イーブン・チャンス」という言葉を聞いて思ったことは、例えば、超自己中心的な人ならばうつされたくないからの一辺倒で自己防衛するだろうが、それでも結果的には社会の為にもなる。

そしてその後いつしか自分や自分の家族だけではなく、日常関わる人々にも心をかけて共に助け合っていこうとの思いが生まれたら人生は意味深いものに転換される。

本人だけの問題ならば自由にすればいよいが、今からでも衛生観念と倫理観を持ってほしい。皆で意識を高めて感染の拡大を少しでも軽減しようと努力している時である。

私もまたこのチャンスを通して人格が練られて心豊かに生かされるように願うばかりだ。

「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる」。  
                   (へブル人への手紙12章11節)

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posted by 優子 at 18:08| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2020年02月14日

新型コロナウィルス、ついに国内で流行 B

「現時点で流行していると判断する疫学的な情報は集まっていない」との厚労大臣の見解はあまりにも甘い。報道番組によっては、事実を正しく把握しようとしない政府寄りのコメンテイターが多く、そのような番組ではうんざりした表情になられる岡田晴恵教授の認識と注意喚起事項を記しておきたい。

IMG_2198.jpg岡田晴恵さんは医学博士でありながら、日本ペンクラブと日本児童文学者協会の会員でもあるというから、裾野が広く全人的立場に立った医療従事者なのだと思った。

市中感染が顕在化してきた今、国内の医療をどうするか集中すべきである。政府は一般論を語っている。新型コロナウィルスはそうではない。一般的な感染症にすり替わっている一般論を語るのではなく、真実を見なければならない。

和歌山県・済生会有田病院の50代男性外科医の発症は、ここまできたかという感じだ。サーズやマーズの時も院内感染で拡大した故に、医師が感染した最も怖いパターンだ。 
有田病院院長は新しい患者の受け入れを中止し、入院患者と病院関係者全員のウィルス検査の実施や、病院に来た人に「接触者外来受診」を呼びかけるなど、和歌山県ともに良い対応だ。

中国以外の貴重なデータになるので医師は少しでも早く症例報告を出してほしい。そのことにより重症になっていく人を救い上げていくことができる。人道上の救命を第一に動くことだ。
国内流行を考えると、発熱外来と一般外来と入口の段階で分けて、あるいは、病院ごとに分けるなど、各医師会や地域で決める。かつてのサーズやマーズの時の行動計画があるのでできる。

新型コロナウイルスによる肺炎の治療でエイズの発症を抑える抗HIV薬が有効とのことについては、肺炎にも多種あるので、確定診断をつけてインフォームドコンセントを取らないといけない。

流行は止め難い。感染症学会(専門家)はもう流行が始まっているという認識だ。国内で散発的な流行が始まったということであり、今は点と点がつながっていないが、来週には線でつながるだろう。

この段階になった今、政府は流行が始まると言わなくてはいけないのに、この事態を受けてもなお大臣は判断できないと言っている。先入観(先入概念)で見えないことにしている。予想できる状況になっているのに流行判断を避けるのはなぜなのか。なぜ流行を認めたくないのか

リスク軽減のために、トイレ周りは要注意。ウィルスは便だけではなく尿にも出るため、便器の蓋を閉めて流すこと。ウィルスは便の中で守られており、経口感染するサーズの場合は便の中で4日くらい生きる。サーズの場合は快復後1カ月半経った便中にもウィルスが出ていた。

温水洗浄機能は飛び散るので便器廻りを汚染する可能性があり、塩素でマメに掃除すること。また、手洗い後の乾燥機も使わないなど、できる限りリスクを下げること。

罹患ハイリスクの65歳以上の高齢者は3588万人、基礎疾患を持っている人は「人ごみに行かないでください」という消極的なことしか言えない。タクシーは窓を開けて運転するのがいい。
軽症の間は外出しないように。公共福祉の規制強化。

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なお、ダイアモンド・プリンセス号は最新の水処理施設が備えられており、汚水は分離・殺菌処理された排水を、約20q離れた海で放出されるという。

なら生協の衛生関連商品は2月2回から3月1回注文書までは全て企画中止になっている。。マスクは3月に入ると入ってくると言われたので安堵した。

先週ドラッグストアで台所用アルコールを購入できた。我が家ではずっと以前から帰宅したらスマホやカメラを台所用アルコールで拭くので台所以外でも必需品だ。

しかし、台所用は口に入っても大丈夫なものであるからウィルス対策には効果がないのではないかと思う。医師は(濃度の濃い)アルコールでスマホを拭いても尚ついている場合もあるから注意するようにと言われたので、台所用でも効果があるのかに言及すると返答に困っておられた。

テレビのコメンテイターの声:
★ 今までは自分が罹らないためにマスクしていたが、弱者のためにマスクするという意識に変えていく必要がある。これからは自分が保菌者という意識をもってうつさないようにという意識でマスクをする。

★ 政府は矮小化しているように思えてならない。政府はパニックを起こしてはいけないからと思っているのかも知れないが、厚労省の発信に疑いを持っている。それこそがパニックだ。

私も思う、政府はいつになったら事実を伝えることが最善であることを学習するのだろうか。とにかく正しい知識を得てリスクを下げる努力をするも、神経質になりすぎないように冷静に対応していくのが賢明だ。

船内の乗客、乗務員、医療従事者の方々がウィルスの脅威から一日も早く解放されますように。気力を支えお守りくださることを切に祈ります。

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2020年02月12日

冬晴れの自然界で新たな感動を

冬ばれの昨日、私は知子と二人で小一時間散歩に出た。池の冬鳥の様子を見て「こんな所があったんやなぁ」と、何度も来て知っている知子が言った。その静けさの中で鳥の声だけが聞こえ、自然界に佇(たたず)んでいる娘が、日々の緊張から解放されていくのがわかった。「まさに "golden pond" やね」。

「明日も早いけれどまだ帰られないし、明日からも忙しくて仕事がまわっていかない」。
社長に就任して以来、再び6時過ぎに家を出て帰宅は23時過ぎの日が始まり、かつて過酷な日々が続いていた年月がよみがえり私はトラウマを感じていた。近年でさえ9時頃の帰宅だ。

「これは今だけやからね」と安心させてくれたが、今は挨拶回りやお祝いに来てくださる方々で時間がとられるので、外出する前の1時間だけでも仕事をと6時頃に家を出る日もあり、2月は各銀行への決算書の説明で時間もとられ多忙を極めている。

14日は最後の参観日なのにうっかりして予定を入れてしまっていたので、これだけはよほどのことでない限り外すことができなくて変更していただいた。

そういえば先週は何年かぶりに知子に代わって登校時の交通当番に出た。ユキは母親以上に私の登場を嫌がり、「当番に出ていない人もたくさんいるんやから」と当番を休むように言うので、そのような無責任なことはできないと忠告し、それならばみんなが行ったあとに来るように言った。

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知子は名実ともに意思決定する立場に立つことを決心して、昨年11月の全体会議で社長職を務めることを社員に告げていた。私は全く知らなかった。知ったのは年末の12月30日、次女夫婦とスカイプする前日だったと思う。
「もはやママに相談することではなく、自分で選択し決断することだと思ったから言わなかった」知子は言った。

お祝いに来てくださった方から「よくこのような厳しい時に社長を引き継がれましたね」だけではなく、良輔に「よくこのような厳しい時に継がせられましたね」と、父親への非情さを言われた方も何人かおられたという。

知子は何一つ父親から全く引継ぎもされずに財務を建て直して会社の信用を取り戻した。しかし、その仕事の苦労をもはるかに超える苦悩の年月だったことを思うと、言葉が詰まる。私は社長にはなってほしくなかった。

しかしまた、地獄のような試練の中を通されたゆえに善良に生きておられる方々との出会いもあったことを思うと、それこそが人生の財産であり、生きる喜びである。
知子が選んだのであるならば勿論これからも支えてやりたい。私たちの生活を支えてくれている知子を。神の摂理を信じて。

2-8-4.jpg「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」。(詩篇30篇5節)

明けない夜がないように、過ぎ去らない悲しみはありません。涙が「喜びの叫び」に変わる朝は、必ず来ます。主は私たちの知らないところで、喜びを準備されています。涙のただ中に、喜びの芽は吹き始めているのです。悲しみに心潰れても、そう信じる余裕を心の隅に確保しておきましょう。主を見上げれば、喜びの予感が生まれます。
  
これからも神さまにいただいた賜物を豊かに用いられて、ますます磨かれていきますように。そして偽り多き世の中で誠実に生きている人々に神の豊かな祝福がありますように祈ります。

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今、不安と苦痛の極限状態にある横浜のクルーズ船内の方々の精神的状況はいかばかりかと祈り続けている。

乗客、乗務員の方々に新鮮な空気を思いっきり吸わせてあげたい。この静かな冬鳥の様子を見せてあげたい。一刻も早く下船して医療を受け、元気になって帰宅できるように祈ります。献身的に労してくださっている方々の上に神の助けがありますようにお祈りします。

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(Photo by Yuki)

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました」。(ローマ人への手紙4章18節)

望みえないときこそ、信仰です。でなければ、いつ信仰を働かせるのですか。信仰は、御言葉に対する知的同意ではありません。単なる平穏無事状態でもありません。信仰とは、暮らしの中で、現実に主の力と憐みを体験することです。試練の中でも悲しみに浸らず、絶望に身を任せず、一歩踏み出すことです。信仰は用いるために与えられています。

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「たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたの鞭とあなたの杖、それが私の慰めです」。(詩篇23篇4節)

「死の陰の谷」は、羊が羊飼いを最も身近に感じる場所です。羊飼いの鞭は野獣を追い払い、杖は羊が道から外れないように守ります。私たちも人生の闇に包まれるとき、主との距離が最も縮まります。主の「鞭と杖」を肌で感じるときです。

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「主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる」。(詩篇25篇12節)

神の愛は、独り子を与えるほどの愛です。もはや「私は愛されていない」などとは言えません。神の聖さは、すべてを隔絶しています。夢にも「私は正しく聖い」などとは誇れません。主の愛と聖さを恐れよ。これが人間にとってすべてです(伝道者2:13)。主は、主を恐れる人の耳元で、「この道に進め」とささやいてくださいます。

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「主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう」。(詩篇28篇7節)
主を盾とするなら、苦しみの時は必ず過ぎ去ります。人の悪意や悪口にも、主に拠り頼んで動じなければ、やがて相手が恥じ入ることになります。心躍らせ喜ぶなら、病気であっても心までは冒せません。感謝と賛美は、耐えられそうもないことを耐えさせます。 
                      (キリストの栄光教会より)

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posted by 優子 at 23:59| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2020年02月10日

感染拡大を続ける新型コロナウィルス A

新型コロナウィルスの感染が広がっている。不安と恐怖の中に閉じ込められている方々、医療従事者はじめ、あらゆるところで献身的な業を尽くしてくださっている方々のために祈る日々である。

先週の月曜日時点で日本感染症学会は、「すでに街の中で散発的な流行が起きていてもおかしくない状況である」との見解を出していた。

今後国内に感染が広がっていくことも視野に入ってきたので、白鴎大学教授の岡田晴恵さん(元国立感染症研究所研究員。医学博士。専門は感染免疫学、ワクチン学)の注意喚起事項を書きながら頭に入れたい。

IMG_2002.jpgすでに日本人同士の感染が起きているのに、日本人同士の感染は数字に含まれていない。
今や街の中で散発的な流行が起きていてもおかしくない状況なのに、湖北(省)関係者しか検査できないため、「湖北省のしばり」をなくした専門外来の設置が必要だ。

クルーズ船のPCR検査をやってない人は3400人。全員の検査はできるのに、なぜやらないのかわからない。フェーズ(phase:段階、局面)を変えることを考えねばならない。

エアロゾル感染が起こっていると思う。手すりやドアのノブなど堅いところに付着したウィルスは長い時間(24時間だったか?)生きている。
50歳以上は要注意、65歳以上はハイリスク。

8日に発表された「エアロゾル感染」とは、「飛沫に接触して間接的に体内に入ることだけが感染経路と考えられていた(飛沫感染)が、同一空間内にいる感染者の飛沫が浮遊する空気(エアロゾル)を吸い込むことによっても感染すること」。

他方、欧米ではコロナウィルス騒ぎでアジア人を警戒している。警戒するのは理解できるが暴力沙汰はいけない。
花粉も飛び始めておりマスク不足はますます深刻ゆえに、欧米の国々からマスクを支援してもらえるとありがたいのだが、その視点は意外に盲点になっているだろうかと思う。

これは生まれて初めて見た杉の花(?)。
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2月4日にはこんな色に変わっていた。
これが飛散するんだ。
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posted by 優子 at 23:06| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2020年02月08日

ブルンナー読書会㊴ −キリスト信仰ー

2-8-1.jpgテキストはエーミル・ブルンナー著、下村喜八訳 『フラウミュンスター説教集U』(教文館)の6回目、説教のタイトルは「キリスト信仰」。
出席者:3名(知子)
開会礼拝:讃美歌239番「さまよう人々」
聖書朗読・祈り:下村さん
奏 楽:知子

マタイによる福音書16章13節〜18節:
イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。

そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。

すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。

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下村さんの解説(青字):
テキストは口語訳聖書を使っているので、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」となっている。「キリスト」の中に「救い主」という意味があるが、一般の人は読み飛ばしてしまうので、新共同訳聖書は「メシア」と訳されている。
「血肉」の意味は普通ならば血族の意味だが、聖書では「生まれながらの人間」の意味である。

前回の説教「信仰の正しい理解と誤った理解」で(ブルンナーが)予期した通り幾人かがひどく憤慨して、ブルンナーは聖書を信じていないと批判があった。(そこで次の説教が始まる)

私は聖書全体の主題であるイエス・キリストを信じている。聖書は、イエス・キリストゆえに、この貴重な宝を蔵しているゆえに、かくまで大事な書物なのである。

ルターが「聖書はキリストの寝ている飼葉おけである」と言っているように、キリスト信仰が問題なのであり、聖書信仰が問題なのではない。聖書を読んでイエスと出会うことが大切なのである。そこで今回は、マタイの一節を選びキリスト信仰の始まりについて語りたい。

ここで驚かされるのは、イエスが弟子たちに向かって、彼についてどのように考えているか尋ねておられるところだ。

われわれは教えられることに慣れていて、尋ねられることには慣れていない。いつもわれわれに期待されていることは、まさに、人々や聖書や教会や牧師がわれわれに教えることを信じること、つまり本当であると思うことなのである。
この権威信仰、教義信仰は、決して聖書的意味での信仰ではない。

イエスは、長い間弟子たちと生活を共にし、彼らの目の前で不思議なさまざまな業をなされたあとで、また彼らに神の意志と計画を知らされたあとで、弟子たちに尋ねておられる。

イエスは弟子たちが、イエスの中に神の不思議な現在を本当に感じ取ったかどうかを、かたずを呑んで見守っておられるということ。

★ 処女降誕という表象の意味での、神の子の肉体面での性状に関しては、預言者たちは何も語っていない。ただ旧約聖書のギリシャ語訳が、若い女性から生まれるメシアの降誕について語っているイザヤ書の箇所を、間違って「処女」と訳したに過ぎない。

イザヤ書の箇所とは7章14節:「それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる」。

これはブルンナーの合理主義的なところで、必ずしも処女降誕を信じる必要はないと言っているのだと思う。それが神話のようになって、新約聖書に入ってきた可能性があると言っている。従って、処女で本当に生まれるのだろうかと躓く必要はない。

「わたしはあなたに言う、あなたの罪は赦されているという箇所は、ルター訳では「赦される」になっているが、共同訳も「赦されている」と訳されている。ここですでに権威は与えられており、「わたし」という表現で語りかけておられるのは神ご自身である。

神は人格的関係として神が愛する対象、語りかける対象として人間を創られた。この世は神の愛する意思を体現されたものであった。イエスの歩みを見れば、イエスの中に神の国がある。従ってあなた方の中に神の国が来ていると言える。しかし我々は皆、罪を持っているゆえに、未来に完全な神の国が現れる。

自分がイエスを必要としていると認識する人のみが、実際にイエスを信じているのである。救い主を必要としない人は、イエスを信じることもできない。

しかしわれわれが自分は救い主を必要とすると気づいた瞬間、その瞬間、エマオ途上の弟子たちに起こったのと同じことがわれわれにも起こる。

その時われわれの目は、イエスの神的本質、彼の神的性格、彼の神性に対して開かれる。信じない人間は、自分が救い主を必要とするとの認識をまだ得ていないという唯一の理由から信じない。その人は自分ひとりで人生を処理できると思っているからです。

ペテロの告白に対するイエスの答えは、
「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である」。

この自分自身の認識は聖霊の贈り物である。人間が自分でなしうる事柄ではない。またその際、いかなる聡明さも何の役にも立たず、いかなる愚直さも何の障害にもならない。これからのちあなたは、キリストによって神との人格的交わりのうちに生きることになる。文字によらず、霊による、われわれを生かす信仰である。

隅のかしら石キリストの上に神が何を建てようとしておられるのか。それは、キリストの教会(ゲマインデ:群れ)である。「エクレシア」(主に召された群れ)という言葉は普通「教会(キルへ)」と翻訳されている。

しかしイエスが考えておられるのは、われわれの教会のようなものではなく、それは途方もない誤解である。全体主義国家に似た教会組織、ローマ教皇教会でも、われわれの教会や教派のどれも意味していない。

★ ペテロがイエス・キリストに対し、「あなたこそ主であり救い主である」と信仰告白した最初の人間である。

「改革されし教会は、絶えず改革されるべし」(Ecclesia  reformata semper reformanda)

われわれは、突然キリスト者になり、そしていつまでもキリスト者でありつづけるというわけにはゆかない。われわれは絶えずキリスト者にならなければならず、日ごとに新たに信じなければならない。

「改革」という言葉は新約聖書にはただ一度しか出てこない。その箇所で使徒パウロは言っている。
「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ(改革され)るようにしなさい」。ロマ書12章2節)」。

われわれは絶えず変革されなければなりませんし、信仰はわれわれの内部で絶えず新たにされなければなりません。キリストの群れも全くそれと同じです。

父のもとに至る道の途上にあって、使徒ペテロのあとを追うということが私個人にとって何を意味するのであろうか。

この道はご自身のことを「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14章6節)ということをおできになった方がわれわれのために開かれた道である。

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感想:
義務的なもの以外は何事も自分の関心から始まると思うが、「いかに生きるか」や「いかに生きたいのか」など、倫理や信仰については自省を伴い自分自身から出発しなければ始まらない。

神(イエス)との出会いは、まさにブルンナーが言っているように、イエスを必要と認識している人のみが開かれた道を進んでいくのであり、いつまでも神がわからないという人の不可解さも改めて理解し納得させられた。

私が信仰に導かれてまず教えられたことは主体性であり、主体的に生きるようになったこと。高校の聖書の授業でこの言葉を知って以後、少しずつ自らの中に根を下ろしていたと思うが、イエスさまと出会ってから真に変えられたように思う。

そしてその後10年余りの年月を経て50才近くになった頃に、「神の絶対的真理は徹底的に主体性の真理である」ことを受容するに至った。

35歳で信仰生涯に入れられてのち、母が難病になり、母のように弱者のためにも労して生きた人が難病で苦しんで70歳で果て、一方、他者のことなど全く考えず言いたいことを言って生きている人に長い健康な老後がある、そのことに合点がいかず苦しみ抜いていた時のこと。

ある時「神の絶対的真理は徹底的に主体性の真理である」というキルケゴールの言葉が目に留まり、あの人がどうのこうのと言ってるようではいけない。あの人がどうのこうのではなく、神の真理は徹底的に私と神さまとの関係なのだとわかった。

目頭を潤ませながら納得した。
神さまが納得させてくださったのだ。

ブルンナーの説教を読みながら、これまでの32年あまりの信仰の歩みを振り返らされてそんなことを思った。

次回は、3月14日(土)、発表当番は知子。

posted by 優子 at 22:35| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2020年02月05日

神の労いと励ましを感謝して、尚も励まし合っていざ進まん!

2-5-2.jpg信仰の導き手のおひとり、敬愛するクリスチャン・ドクターのOさんからメールをいただき心から感謝します。

神さまはこれまでの年月を通して苦悩の胸突き八丁を乗り越えさせてくださって、知子は社長に就任することを選び取ったのであるが、これからも人は皆生きている限り試練は避けられず、それゆえにその時に必ずや力づけられるであろうゆえにここに刻ませていただいた。
真智と太志君の言葉もまた。

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藤本優子様

今までブログはずっと欠かさず拝見しております。
嬉しい記事にどうしてもお便りをしたくなりました。

今までずっと皆様を守り導いて下さっていた事、主に感謝致します。

知子さんが火中の栗を拾って以来
何時健康がダウンするかと案じておりました。

主が霊的、精神的、肉体的に藤本家の皆様を今迄守り、これからも先立って約束の地に導いておられる事を改めて見させて頂きました。

知子さんはこれから社長として母親としての務めが絶えない事と思います。しかし常に主が共に居られるので、何があっても支えられる事でしょう。

今、ブログの記事を通してYou Raise Me Up の歌詞が頭に浮かんできます。

When I am down and, oh my soul, so weary
When troubles come and my heart burdened be
Then, I am still and wait here in the silence
Until you come and sit a while with me

You raise me up, so I can stand on mountains
You raise me up, to walk on stormy seas
I am strong, when I am on your shoulders
You raise me up to more than I can be

どうぞこれからも主の肩に乗せて頂いて平安の内にお進み下さい。祈っております。

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ママ、お姉ちゃん、パパ

今日は、お姉ちゃんが社長に就任する日やったんやね。イエス様がこれからも一緒。

ブログを読んで、1990年に、すでにママはこんなにも強い深い信仰を持って、祈って歩んでいたんだということを、何よりも強く感じました。主と共に歩んできた人生、と心に強く感じました。

全てが主の御手の中。
イエス様が一緒。

真智子

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知子お義姉さん、優子お義母さん

メメントドミにあげてくださっていた、知子お義姉さんの朝礼でのメッセージを真智と共にお読みしました。
真智は「今までのお姉ちゃんの歩みと気持ち、そして今の気持ち、優しさと強さ、イエス様と共に歩む姿が伝わってきて、心が温かく感じた」と言っていますが、僕も同じように感じました。知子お義姉さんの歩んで来られた苦しい道のりを受け止めたメッセージが、胸に響きました。

スカイプできて良かったです。皆さんのこと、いつも真智とお祈りしています。

太志

真智、太志君、ありがとう。嬉しいです。深く慰められ癒されました。これからも負けずに励むね。
" You Raise Me Up "を真智と太志君にも贈ります。


真智の詩を思い出しました。

       わたしは くずばこ


    わたしは くずばこ

    いやなことや かなしいことが

    とびこんでくる


    わたしは くずばこ

    いっぱいになると イエス様が

    とってくださる


    わたしは くずばこ

    イエス様わすれないくずばこ

    いつもわたしは イエス様のもの


これは、3年生の夏に書きました。
この詩を、教会の人達だけではなく、イエス様を知らない学校の先生や、パパのお仕事のおじちゃんや、いろんな人が、ほめてくださいました。
そんな時、本当にこの詩は、そんなにすごいのかなーと思います。
でも、ほめられたのだから、とってもうれしいです。
わたしの黄色いかさに、緑のマジックで、『わたしはくずばこ』の詩を書いています。
だから、雨の日はいつも、この詩といっしょに歩いています。
もちろん、イエス様とも歩いていますよ!

    (1990年10月発行、放出教会創立40周年記念誌より)

記念誌寄稿文は次女が小学校4年生の時に書いたもので、「わたしはくずばこ」は、それに先立つ1989年10月号の『百万人の福音』に掲載され、加藤常昭師が次のように評してくださった。

「作者は小学校3年生。まさに幼な児のように捉えている明快な信仰の世界を、大人たちも学ばねばならない」。

あの頃、母の難病や私の股関節の心配ごとなどが前面に立ちはだかり、まさに苦難の始まりだった。次女はそれらのことを「いやなことやかなしいこと」と表現したのだ。昨日のことのように思い出される。

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真智の合言葉「いつもイエス様が一緒」は、この時生まれたんやね。
真智こそ小学校の低学年の時からこんなに素晴らしい信仰を与えられていたんやよ! そして、人生の伴侶にも賜ったんやね。

神さまの御計画は必ず成ることを忘れないで、老いも若きも人生を謳歌しよう。分かち合いながら。

「人の心には多くの計画がある。
しかし主の計りごとだけが成る」
(箴言19章21節)

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posted by 優子 at 18:25| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2020年02月04日

社長として初朝礼で語ったこと

2-3-5.jpg昨日、子育て中に書いていた懐かしい家族新聞『親ばと子ばと新聞』を読み始めると、当時の娘たちの姿が動き出し、心地よい数秒間は私を憩わせた。そして、それからの30年の出来事が思い出された。

その前年には母に難病告知され・・・
そして68歳になった私は今も書いている。鉛筆ではなくパソコンで。こうして今も生かされ、書くことができることを感謝し、今日も書こう。

これは昨日の朝、毎月月初にもたれている朝礼で知子が語ったことである。
30年という時を経ての社長交代です。本日より私が実務上のトップとして意思決定、業務を執行していくのですが、周知のとおり5年前から既にそうでありましたので、今回の社長交代により通常起こりうる銀行・調査会社の信用が多少ゆらぐということは全くありません。

銀行は、経営を立て直すために私が入社してきたと誤解していますが、実際はそれとは全く逆の状況、入社理由でした。

入社して今年で約10年になります。数えてみると、この中に6名ほど、当日の朝もここにおり、そして今日の私を見てくれている人たちがいます。
覚えてくださっているでしょうか? あの時、私はここで入社挨拶をしたとき、まだ半泣きするほどに心が痛んでおり、Mさん(常務)に先導されて皆さんは私に励ましの意味で拍手をしてくれました。

しかし、その半年後、東日本大震災の年です。業績の悪化を受けて私は立ち上がったのですが、何を進言しても「一従業員のあなたは発言する立場にない」とMさんに一蹴されました。そこからのスタートで、この10年は本当に長く苦しい道のりでした。

経営の立て直しだけでも至難の業でしたのに、誰一人、実は経営財務の知識も、そしてそれ以上に紙業界に対する危機感が皆になく、何を説明しても理解されず反対されたので、その中で説得して断行していくことは私にとって二重三重の苦しみでした。

その財務と人事両輪の立て直しが2017年に完了しました。しかしその後も今日に至るまで、本当に苦しかったです。一番苦しかった時に、私は何度か涙を流しました。その悔し涙を見、血の出るような思いを一番知ってくださっている人は〇〇税理士です。その次には顧問弁護士でしょう。

ですから、これまでの10年の苦しさを思えば、今日交代することに正直、特別な思いはありません。私はこれまで通りにただただ真剣に続けていくだけなのです。

そして、もう一つ、私が意識してきたことは業界に女性がゼロであるという事実です。いえ、業界だけではなく、例えば帝国データバンクの担当調査員によると、彼の担当先約400件のうち、女性経営者は2名であると。

つまり、業界を問わず、まだまだ日本においては女性といえば事務員さん、かわいいOLという認識であり、そういった旧態依然たる意識の根強い中で、そしてこれはかつては隠したいことでありましたが、ひとり親であることです。

その私が、女性として対等に男性と商談することは、このような日本社会に一石を投じる事になるのではないか。そんなことも意識しながらこれまでも頑張ってきました。これからもそのような気持ちで頑張っていきたいと思っています。

そして社内体制についてここで強調しておきたいのは、トップは交代しても、しかし会長は引退ではないという点です。
現に新興出版という一番大きな得意先を会長1人で担当している事実があり、このもっとも大切な先を、4年以上かけてしっかりと引き継いでいくと取締役会で約束したことも、この公の場で報告します。

就任によって呼称は今日から社内外変わりますので、皆さんも認識を改めて頂きますようお願いしますが、これまで通り、ともに頑張っていきましょう。よろしくお願いします。

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posted by 優子 at 09:00| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2020年02月03日

知子、社長職に

E696B0E38197E38184E587BAE799BAE291A0.jpg知子が美濃紙業に入社したのは2010年9月、離婚成立後8カ月経た時、まだ心身の回復途上にあった。ユキは3歳1か月だった。
これは初出社の日の早朝、ユキまで外に出てママを見送った。幼いながらも自らを律しているような表情に見える。

入社半年後に東日本大震災が発災し、業績がマイナスに転落した。それを知った知子はいよいよ危機感を感じて立ち上がった。この時より知子の猛勉強の苦しい道が始まる。

早朝6時半に家を出て、帰宅するのは毎晩11時を過ぎていた。それが何年続いただろうか。ユキの幼稚園時代はユキは母親と数日合わないこともたびたびあり、母子ともに不憫だった。

ある時、知子が上司に進言すると「一従業員のあなたは発言する立場にない」と一蹴された。私に言わせれば、そのような返答自体がこれまでの会社の在り方を物語っている。父親(私の伴侶)も然り。

その後わかったことは、それまで役員も皆、資金繰りも何もかも全く分かっていないままやっていたことだ。知子の子供時代から堆積されてきたことを社内の風紀ともに抜本的に変えていかねばならなかった。

とにかく私も不安でならず2012〜4年頃にお世話になっている銀行関係の方を訪ねたことがあった。私が予想していた通りの見解だった。

ある時、「社長、こんなことしてたら倒産しますよ!」と言ってくださったが夫の心に届かず、その後も何度、怒髪天を衝くような出来事があっただろうか!

知子は入社2年後に取締役として財務と人事の両輪で経営改革に乗り出した。それは凄まじい努力と忍耐の日々だった。とにかく引継ぎは皆無、一切の引継ぎもなく、ずぶの素人が先人から全く薫陶を受けることもなく、ただ神の導きを信じて「出エジプト」への道に踏み出したのであった。

そして5年の年月をかけて2017年に改革は完了した。( 『being & doing』にその軌跡が記録されている)

私たちの企業規模で13本の借り入れがあったと聞くだけで、取引銀行の担当者は専門知識があるゆえにどれだけ立て直したかを理解された。
努力が決算書に結実し始めた2015年度に財務を立て直し、今期で5期目を重ねた。借入金の90%を連帯保証なしに変更、無担保の当座貸越枠を1億、そして創業73年目にして第一回銀行無担保社債の発行。こうして努力が報われて改革を成し遂げることができた。

思い起こせば良輔が社長に就任したのは1990年。あの頃書いていた家族新聞を昨日手に取った。

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これを読んだ時、これまでのことを思って破り捨てたい気持ちになった。その心情は筆舌に尽くしがたい。

しかし、そうではない。

これは私が如何に生きてきたかの証しではないか!

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知子はこの日大雪だったこともよく覚えていた。そしてこんなことを話してくれた。
「今までママにも言わなかったけれど、あの日2時間目が終わった15分休みの時、寒いのにわざわざ教室の窓を開けて中庭の銀世界を見て、静かに喜びを噛みしめていた」と、小学校卒業前の日のことを。
そして続けた。
「この時から経営改革を始めていないといけなかったのに」と。

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この文面にも児童会会長として辣腕を振るった
当時の精神性が鮮やかに表れている。

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真智は本当にユニークで面白い子やったね。

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2枚の家族新聞を良輔にも読んでもらった。常に黙して語らないゆえに私は尋ねた。
「どう思った?」
「・・・・」
「後悔してる?」 
 頷いた。頑なな人が頷いた・・・が

私は今からでも、今度こそ悔い改めて、生きる喜びを知ってほしいと祈り続けている。命ある限りまだ間に合うのだから。
もう2度と私たちを絶望に追いやってはいけない。

これは卒業式間近の知子と3年生を終える真智子。
1990年3月
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知子が小学校卒業を前にしていた時から30年の月日が流れ、知子の息子がまもなく小学校を卒業する。あの頃、知子が卒業制作に取り掛かっていたように、ユキも3月19日の卒業式を前に卒業文集作りや卒業制作にかかる。

そしてユキもまた母親同様に小学校卒業を前に、ユキの場合は母親が社長になったことを重ね見るのであるが、そのことへの思い以上に、知子が会社に入ってくれていなかったらどうなっていただろうということと、当地に移って以来今もなお非情な苦痛を強いられ続けている荒野の日々を思うと、私の胸に神への感謝だけではない複雑な思いがある。

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知子は知子の賜物を不条理と思える使命に用いられ、
真智子もまた自らの賜物を生かして国際舞台で励む。
言うまでもなく、賜物とは何かができることにあらず!

神さまがそれぞれに与えられた賜物は
さまが用いられるのであり、
そのために信仰をもって励むということである。

個々の人生は神の御手にあり。
この時、このような二人の未来を想像するだになかった。

1月31日の株主総会には心ならずもユキのことで出席できなかったが、今日から新たなる節目に入る。しかし、知子の姿勢はこれまでと全く変わらず、これまで同様に神のお導きと知恵をいただきながら精一杯尽くすのみである。

いかなる苦悩であったかを語ることはできないが、知子はいつも「ユキとママと従業員の生活を守るために」と言っていた。何よりも自らに言い、歯を食いしばって試練の中を通っていたのであろう。

神さまは知子を火の中、水の中を通されたけれど、やけどもせず、溺れることもなかった。そして神さまはいつも神の絶妙のタイミングで助け人を送ってくださり、心ある人との出会いを備えてくださっていた。そのこともまた、知子はことあるごとに私に伝えてくれた。心の通い合い、分かち合い、それこそが生きる喜びであり人生の宝、財産なのだ。

「わたしは四十年の間、あなたがたを導いて荒野を通らせたが、あなたがたの身につけた着物は古びず、足のくつは古びなかった」。(申命記29章5節)。
このみことばの通りだったと知子は何度も神に感謝し、私はその言葉を聞くたびに主のもとに導かれていた。私こそ主に従って歩んでいく知子のことを背後で祈らせていく立場であるのに、2年ほど前から気力が萎えてしまっていた。

IMG_2561.jpgこれを書き終える今、私を覆いそうになった良くない思いは消えて感謝に変えられた。
ユキはこんなに大きくなった。ひとり親でも多くの方々の愛の中で育まれながら心豊かにこんなに大きくなった。

ここまで大きくなれば、もしも私に何かあっても何とかやっていくだろうと思うこともあるが、いやいや猶の事しっかりさせていただかなくてはと背筋を正す。

いよいよ疾風怒濤の思春期が始まる養育の大任と職務の重責を担っていく知子に、これからも主の助けがありますように祈って支えてやりたい。


posted by 優子 at 08:50| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2020年02月01日

「寒い冬の中 春はめざめる」 ー朝の黙想ー

「なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救いが、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか」。
(ローマ人への手紙13章11・12節)

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球根の中には 花が秘められ、

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さなぎの中から いのちはばたく

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寒い冬の中 春はめざめる。

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その日、その時をただ神が知る。

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沈黙はやがて 歌に変えられ、

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深い闇の中 夜明け近づく。

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過ぎ去った時が 未来を拓く。

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その日、その時をただ神が知る

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いのちの終わりは いのちの始め。

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おそれは信仰に、死は復活に、

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  ついに変えられる 永遠の朝。

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その日、その時をただ神が知る。

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(讃美歌21 575番)

posted by 優子 at 09:30| 四季と黙想 | 更新情報をチェックする

2020年01月31日

目に見えないウィルスの脅威 @

中国・湖北省武漢市で新型コロナウィルスによる肺炎が発生したのは、先月2019年12月8日で、日本で初めて感染者が発見されたのは今月6日頃だったという。

今週に入って感染者数が日ごとに増えている。国内の感染者は17人、現在24か国に広がっている。日本でも湖北省の滞在歴がある外国人は2月1日0時より入国拒否される。

今や武漢だけではなく中国全土に広がり、感染者の推移は武漢で感染した人が2261名に対して、武漢以外で感染した人は5543名になっている。まもなく3次感染、4次感染になるとどこで感染したのかも特定できなくなる。

コロナウィルスは目の粘膜にも感染し、便からも排泄されるので大変強(したた)かなウィルスだという。ゆえに温水洗浄を使用してはいけない。また飛沫が目の粘膜感染するので、感染症の専門家は誰も皆コンタクトレンズではなくメガネだというから、コンタクトレンズの付け外しは念入りに手洗いせよと喚起された。

IMG_0599.jpg高齢者は不要不急の外出を控えることができても、通勤通学など大多数の人はそういうわけにもいかない。コロナウィルスはインフルエンザ同様に低温と乾燥に強い。とにかくマスクを着用して気合を入れて手洗いし、ウガイの励行だ。

夫は何事も真摯に向き合わず、目には見えないものを軽んじ何度言っても鼻で笑うばかりだが、漸く今夜は素直に頷いてくれた。これは自己防衛だけではなく感染を広げないために励行しなければならない。

さきほど生協から、不織布マスクの商品在庫不足で商品確保が難しくなったために、注文者に配達中止のメールが入った。注文した時は今ほど緊迫感を感じていなかったが、収束するまで何カ月もかかるようだ。とにかく冷静さを保持して恐れすぎないことだ。

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感染された方の不安が軽減されますように。
研究者、医療従事者の方々初め、チャーター機、空港、ホテル、あらゆるところで労してくださっている方々のことを祈ります。

posted by 優子 at 23:40| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2020年01月30日

冬の散歩道 ー今日のみ言葉ー


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「隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません」。(ルカによる福音書8章17節)

真理は必ず現われます。隠しても、その力は言葉と行いに現われ出ます。罪もそうです。隠しても、顔と言葉としぐさに浮き出てきます。キリストをいつも心に思っていましょう。キリストが真理だからです。真理は罪に打ち勝ちます。私たちの表情や言葉から罪が消えます。

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「だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです」。(ルカによる福音書8章18節)

心の頑なな人は、主の恵みを拒絶します。高慢な人、卑屈な人、怠慢な人の心は「ザル」状態です。恵みが注がれても垂れ流しです。恵みは謙遜な人に流れていきます。素直な人はそのすべてを受け止めます。結局、従順な人が一番豊かです。

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「すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません」。(ロマ書3章22節)

正しく生きようとする人ほど、自分の汚さと惨めさを思い知ります。思い知って謙虚になれた人だけが、神の義を見出します。そして、神の義を受けるのは、ただ信仰によるのみです、それが神の平等です。信仰によって生かされていることを忘れないようにしましょう。

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「まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、…願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい」。(Tテモ2:1)

神は誠実な祈りを通して働かれ、数えきれない方法で人々を励まし、みそばに近づけてくださいます。誰かのことがふと頭に浮かんでも、具体的な状況は分からないかもしれません。しかし、神はご存知です。そして、私たちの祈りに応えて、その人を助けてくださいます。

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「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい」。(テモテへの第一の手紙2章1節)

政治・社会批判は必要ですが、社会的地位の高い人々のためにとりなすことも、私たちの務めです。単なる傍観者の批判で終わらないためです。為政者の思考、言動、品格には、国民の欲望や道徳水準が反映しています。御心が彼らにも成るように祈りましょう。

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「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます」。(テモテへの第一の手紙2章4節)

この神の願いの中に、あなたの愛する人も、愛せない人も入っています。愛する人の救いのために祈るのは当然です。しかし、とても赦せないような人のために祈るのは、十字架にかかられた主の願いそのものです。自分の感情を越えて、主の願いを自分の願いにして、どんな人のためにも祈る広い心を持ちましょう。

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「男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい」。(テモテへの第一の手紙2章8節)

心に怒りが生じたときは、さっと両手を上げて祈りましょう。議論になりそうなときも、人に批判的になったときも、心の中で手を上げましょう。そのイメージでいいのです。それを続けていれば、祈りの手が反射的に上がるようになります。怒りや論争で心をすり減らさず、時間も無駄にせずに済みます。

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「女も、慎ましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行いを自分の飾りとしなさい」。(テモテへの第一の手紙2章9・10節)
自己中心で心卑しい人は、その性質が顔に現れます。それは、巧みな化粧や高価な装身具や衣服でも隠せません。でも、聖霊の喜びに満ちた人の顔は品良く輝きます。誠実と柔和こそが真の装身具です。 

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「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」。(ルカによる福音書8章22節)
イエスはガリラヤ湖で舟に乗り、弟子たちを向こう岸の異邦人の地へと連れ出されました。主はあなたを乗せ、新しい出会いへと船出されることがあります。それは、今まで経験したことのない恵みの世界を見させるためです。自分の人生はこんなものだと思ってはなりません。主は将来に、最高の祝福を用意しておられます。あなたの信仰はそのためにあるのです。

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「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ」。(詩篇37篇23・24節)
困難な道であっても、主に喜ばれる道を歩むと、心に決めておきましょう。主の教えに反する道は、一時逃れにはなっても、結局、苦い実を結びます。主の道は困難そうでも、実際に歩めば平安なのです。倒れても、主が再起させてくださいます。

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「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな」。(詩篇37篇7節)
自己中心に立ち回る人や意地悪な人に対しては、とにかく相手と同じ土俵に立って争わないことです。主の土俵に立って眺めることで、冷静になり心に余裕が生まれます。聖書の倫理観、価値観に立ち続けて動かなければ、いつか主からあなたに報酬が支払われる日が来ます。

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サクラソウ、強い風に揺れていた。

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この丸いものは何だろう。この桜の木に3つぶら下がっていた。

これは「ウスタビガ( 薄手火蛾 ・薄足袋蛾 )という、ヤママユガ科のきれいな大型の蛾で、在来のカイコの仲間の繭」だった。「手火(たび)』とは、提灯のことで、この木にぶら下がる薄緑色の繭の姿から名付けられた」とのこと。10〜11月に成虫になって出てくるので、この中は空っぽだった。

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オオバン

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皇帝ダリアは切り倒されていた。
生命力に溢れ毎年大きく成長して、10月末頃から雄大な姿で存在感を主張する皇帝ダリア。無残にも切り落とされては花の時を繰り返していたのか。

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リーガース ベコニア
先週、名倉屋さんでいただいた花。
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「主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」。(詩篇37篇3・4節)
人の成功を妬まず、善を行って損しても苛立たず、主を喜びとするのが、ダビデの目指す暮らしです。主に愛され、主に知られていることだけで、十分なのです。自分の利を優先して考えるから、争いが生じ、平安を失うのです。主に信頼し、淡々と誠実を尽くすのが一番です。
以上、キリストの栄光教会より
posted by 優子 at 17:52| 四季と黙想 | 更新情報をチェックする

2020年01月27日

希望を告げた献堂式 −希望は希望を生み出すー

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昨日、馬見労祷教会の献堂式が執り行われた。
私たちは2016年3月末、無牧だった教会に牧師が着任された時より退いているが、その後牧師は2年後に突如自ら辞任されたと聞いている。以来、木ノ脇牧師が中心となって代務を担ってくださっていることも。
馬見労祷教会は私たちが当地に移って以来、紆余曲折しながらも5年間祈りに祈って導かれた教会ゆえに、私は祈り備えて献堂式に集った。夫と二人で。

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会堂建築の基本理念は、「地域に愛される開かれた教会」、「地域の人が行ってみたいと思う教会」を掲げられていた。
建て替えなくても自分たちの生きている間は何とか使えるだろうと先送りするのではなく、次代の若い人々のために建てよう。平均年齢が75歳という20名ばかりの小さな群れである、建てるのは今しかないとの思いで一致したという。

E3839AE383B3E38386E382B3E382B9E38386E381AEE587BAE69DA5E4BA8B.jpg木ノ脇牧師のお奨め(説教)で建築実現に至るまでの様子をお聴きして、私は一同が聖霊に満たされた聖霊降臨の光景を想わされた。牧師が語られた「希望」は私にも深く届いた。それは献堂式目録の巻頭に刻まれている。

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馬見労祷教会の創設に関わった賀川豊彦はJCP(日本クリスチャンペンクラブ)とも関係が深い。かつて馬見労祷教会を牧会されていた花盛牧師はJCPの理事のおひとりであり、賀川を敬愛され、賀川の伝道の原点を大切にしている「イエスの友会」を率いておられた牧師だった。

「イエスの友会」は「イエス団」の中に位置づけされるのだと思う。私はJCPの古い会員(1987年夏入会)というだけで多くは聴いて知ったことばかりだが、イエス団の働きをされている方もおられ、その関連から私にとって馬見労祷教会は賀川豊彦との関係を強くされた教会でもある。

IMG_1507.jpg敬愛する木ノ脇悦郎牧師とは1年1カ月ぶりの御目文字だった。会堂は出席者で埋め尽くされ、茶話会に残らなかったためご挨拶することも叶わなかったが、記念写真撮影前のごった返している時に出会った。

今回も聖霊に生かされておられる眼差しに圧倒され、溢れる思いを抑え、師の眼差しを見つめるばかりで、短く言葉を交わした。1分間ほどの短い時間ではあったが、神のご配慮とご臨在を強く感じた。

その夕刻、教会の方から電話をいただいた時、やはり「木ノ脇牧師ゆえに献堂できたと思う」と語られた。

私は新会堂を見たいとの思いだけではなく、それ以上に外側よりも内側が新たにされているだろうかとの思いで式に臨んだゆえに、神の促しを感じつつも、もう少し祈って自らが整えられねばならないと思う。

その究極においては、何事も、私がいかに神に赦され愛されているかを全身全霊で味わい知ることに尽きる。

讃美歌の一曲は「さぁ共に生きよう」(讃美歌21の419番)だった。これは米ソ冷戦時代東西に分かれていたドイツで生まれた讃美歌だ。分断の背後には、どのような分断であれ人間の罪が介在している。しかし主は、分かたれた民をひとつにされるおかただ。
「さぁともに生きよう、主は聖霊により、分かたれた民をもひとつとなされる」。

1年前から親しくお世話になっている御所教会の長老さんが2名出席してくださっていた。私は馬見労祷教会の者としてお礼を申し上げていたことにあとで気がついた。

「主が家を建てられるのでなければ、
 建てる者の勤労はむなしい。
 主が町を守られるのでなければ、
 守る者のさめているのはむなしい」。
          (詩篇127篇1節)

「またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。
このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである」。
           (エペソ人への手紙 2章20節〜22節)
posted by 優子 at 23:20| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2020年01月15日

次女夫婦、アメリカの経済学会のカンファレンスで発表! そしてインフルエンザ。。。

1月16日17時40分追記:
断片的なメールしかできてなかったのに、くまの写真が載ってるAEAのページを見つけてくれて、すごい!」
今日の午後、次女から最高に嬉しいメールが入っていた。そこで、日本語訳訂正と、添付してくれた2枚の写真とクマのビデオをリンクした。
真智のビデオも後日掲載予定。楽しみにしてるね。

かなり時間が経ってしまったけれど、次女夫婦は1月3日から5日までサンディエゴで開催された”American Economic Association” (AEA:アメリカの経済学会) のカンファレンスに出席し、それぞれに研究論文を発表したことを記しておきたい。
とは言うものの私は日常英語さえおぼつかない者ゆえに、インターネットで開いても全く理解できなかった。

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真智子のセッションは"Macroprudential Policies"マクロ細心の政策?)で、共著者が多い中から参加できただけではなく発表者にも指名されたので、マチ・クマ共にそれぞれ頑張った論文を発表する場が与えられて幸運だった。

追記:上記の取り消し線部分は「『マクロプルーデンス政策』です(^0^)。ママの想像力にニッコリしたよ」。

クマは、ポスターセッションでの発表ということでビデオ収録もしたようだが、この画面を見つけたがビデオまで探すことができなかった。クマは右下にいる。

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2_onpu_ak.gif追記のビデオ ”Futoshi Narita on using Google data to study poor countries”(An interview at the 2020 AEA poster sessionより)ここをクリックしてね! 
私は知ってる単語を聞きとって想像力豊かに(^0^)話を作って理解しようとしたけれど全くダメでした。

お姉ちゃん、インフルエンザになっちゃったんやね。実は、くまと私もインフルエンザにかかちゃってました。でも、薬の効果もあって、随分回復してるよ。心配かけるし、まずは回復のために寝たおしたいと思って、今回は、メールは元気になってからしようと思って黙ってたよ。ごめんね。

このメールが届いたのは1月12日、知子がインフルエンザになったことを書いた11日の記事を読んでくれたからだ。ということは、私たちが沖縄から帰宅した翌日1月5日にメールを送ってくれた時は、声が出ない本番前の最悪の時だったことを知り、何度もその時のメールを読み返した。

「ママ、ありがとう! いい時間でよかった。いい写真😃。父もよかった。サンディエゴも暖かくて感謝です。カンファレンスはあと1日、頑張るね」。

二人は1月2日にD.C.を発ち、6日に戻ったのだが、サンディエゴにいた土曜日(4日)の夜にクマ(次女の伴侶・愛称)が発熱した。

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幸いクマの発表はこの日に終わっていたからよかったが、真智子は金曜(3日)の夜に喉を痛めて、声が全く出ない状況が続いていたというから精神的にも厳しかったことだろう。

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発表前には、のど飴を買いに行き、はちみつと生姜の飴を見つけて、舐めると発表の時だけ声が出て本当に感謝したとのこと。


そして日曜日(5日)のセッションが終わってから、二人で応急診療してもらえる病院に行き、クマはインフルエンザと診断された。

次女はその時は発症してなかったそうだが、きっとうつるだろうということで、共にタミフルの処方箋を出してくれ、予定通り飛行機に乗ってもよいと許可されたので、頑張ってD.C.へ帰ってきたという。

2人とも咳は出てなかったけれどマスクして、「周りの人にうつってないことをお祈りしました」と書いてあった。(私はこのような祈りができるだろうか。) その夜、真智も8度弱発熱したとのこと。真智が言ったとおり薬を早く飲んだので軽く済んだのかもしれないね。その後順調に回復していることを願いつつ。

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この写真は、2019年12月31日の11時20分頃。11時から3時間スカイプした時のユキだ。
スマホでポケモンをゲットしたとマチ・クマに見せている。いつも感動豊かにユキの心に寄り添ってくれる二人。

この時すでにクマは咳が止まらなくて困っていた。何度か受診して薬も飲んでいたのにね。元旦のスカイプは中止したけれど、真夜中の12時までスカイプしてごめんね。

最後に、このカンファレンスに、以前D.C.で出会い、友情を深めているAさんも東京から来られるので楽しみだとスカイプで話していた。Aさんは、2018年の大阪地震の時、いち早く次女に地震があったことを知らせてくださり、次女から電話が入った。
「私たちの安否を心配してくださったAさん、ありがとうございました」。

posted by 優子 at 23:16| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2020年01月11日

1昨日から知子はインフルエンザでダウン。昨朝洗濯機が壊れ、夕方にユキと学校へ、夜にお詫びの電話で心癒され豊かに恵まれて、今朝のサッカーでユキがナイスシュート!

1月9日(木)、本を読んでいたら玄関で音がしたのでユキが帰宅したと思って「おかえりなさ〜い!」と玄関に走ると、知子が立っていた。「どうしたん?」と聞くと同時に時計を見ると3時20分、下校時間にはまだ早い。

知子はしんどくて早退してきた。(事務所は)あんなに広いのにうつったからすごい感染力だと脅威を語った。父親に電車で帰宅してもらい知子は自力で運転して帰宅し、夕診の時間を待って再び自力で出かけた。私は知子の寝具を真智のベッドに移した。

運転できないと助けてやれず。事故を起こさずに無事に帰宅できますようにと、ずっと祈っていた。
「おばあちゃんは何で運転でけへんの?」とユキは言うが、私が若くて今ここで子育てしないといけなくても運転免許は取らない。やりたいとは思わない、能力もない、要は怖がりなのだ。

発症時間が短いとインフルエンザの検査をしても陽性反応が出ないので医師共に、明日再度来診するかどうか思案したそうだ。反応が出ないと処方できないという。

そこで賭けのつもりで検査をしたところ、インフルエンザA型の陽性反応が出て喜んだので看護師さんが怪訝な顔をされたそうだが、知子にすれば少しでも早く診断されて欠勤日数を最短にとどめたい一心なのだ。

帰宅する時には39度1分にまで上がっていたが、薬局を出てから取り急ぎ自動車の中で側近の者に連絡作業を終えて帰宅した。無事故を感謝した。長湯でなければと医師は入浴許可も出されたので、この夜入浴した。 そして今夜は余裕で。

というわけで私も一昨日の夕方から休憩する時間もなく一生懸命動いた。悪いことは重なるもので、こんな時によりによって昨朝洗濯中に洗濯機が故障した。喚きたい気持ちになったが「訓練、訓練」と自らを励して大らかに対処した。

高熱の中、知子がスマホでアプリとやらを検索してくれたので、開店時間を待って「アプリを見たのですが」と家電量販店に電話した。商品が決まり、値段の交渉も終え、配送の日時を待っていると即行来てくださることになり、何と、電話を入れて1時間半後に設置完了した。

どんなにありがたかったことか!
しかし肉体的にはきつかった。
洗濯機を取りだした後の汚れを取り除き、最後に玄関から廊下の拭き掃除、1・2階の掃除。ようやく小休止しようとしたら担任の先生から電話が入り、下校時にユキがお友達のランドセルを壊したとのことで、ユキからも状況を聴きたいとのこと。

すでに遊びに出たユキに連絡してこちらから二人で学校へ出向いた。喧嘩や嫌がらせをしていたのではなく、仲良し同士でじゃれ合っていたら金具が取れてしまったとのこと。何度か外れたことがあり、状況もよく理解してくださり、しかし夜にHa君のお母さんにお詫びの電話を入れた。

すると思いもしなかった喜びに満たされた。心ある人との交わりほど幸せを感じることはない。Ha君ママとの電話で心が心底癒され、神の祝福に満たされた。

お父上のことをお尋ねすると、言葉を詰まらせ涙ぐまれた。年末に急に体調を崩されて入院されているとのこと。瞬間、母や父の時のことが昨日のことのように思い起こされて、どんなに辛かろうと涙がにじんだ。親の老いは悲しい。慰めを祈った。

「これからも幼なじみの友達と思って仲良くしてやってください」と、私よりも先に仰られて恐縮し感謝した。6年ぶりにHaママとの会話はユキのお友達のママとの出会い・この記事の後半に記録)神さまの御配慮だった。最もちょうど良い時に。

私はあまりにも人間の道に外れたことをし続ける人々の存在に驚愕し、悩まされ、彼らは何を喜びとして生き、死んでいくのだろうと考えさせられことも少なくないので、心豊かに生きておられる人との交わりは人生のオアシスであり、生きる力になる。良い生涯を築き上げられていることが嬉しい。

知子は幸い今朝から36度台に下がり食欲もあり著しい快方に向かっている。

今日は12.5度の暖かい日、ユキは思いっきりサッカーをやってきたと帰宅するなりシュートしたことを話していた。いつも一緒にサッカー教室のブログを見るのだが、「6年生のきれいなミドルシュートには・・・これユキのことやで」と嬉しそうに言った。

今日は一月?と思えないほどの暖かい日より。
野球との兼ね合いでちょっと幅が狭かったですが、そんなコートの中でも白熱試合。
6年生のきれいなミドルシュートには大人も手が出ません。
大人も子供も休日に楽しくサッカーをする。そんなサッカー教室です。

シュートをした時の写真ではないが、今日の様子:

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そのうち暑くなって上着を脱いだ。
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そしてこれは1月5日、沖縄から帰宅した翌日だ。
この時の気温は(7.8度/2.7度)
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附記:今日のブルンナー読書会は下村さんの御都合で休会となり、次回は2月8日(土)に変更された。知子もインフルエンザに罹患したので不都合が重なってよかった。

posted by 優子 at 23:15| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2020年01月09日

四季の黙想 −我が霊は満たされてありー

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「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」。(ヨハネによる福音書15章33節)

いつまでも平穏な時代が続くとはかぎりません。今は、大災害、大異変、迫害に備えておくべき時代です。しかし、恐れてはなりません。すでに主が闇の力に勝利されたからです。私たちは主と共に勝者として立ちます。

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「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」。(第2コリント5章17節)

今年何歳であっても、あなたは新しく造られた者です。新しく造られた者は天に属します。天に属する者は、今の世の風潮に流されません。人の評価が良くても悪くても、高慢にも卑屈にもなりません。世の古い基準ではなく、キリストの新しい基準に基づいて歩みます。

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「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」。(第2コリント4章16節)

クリスチャンは神の言葉で生きます。御言葉は私たちの魂を生き返らせ、日ごとに年ごとに新しくします。外見美を知識や技術でどんなに磨いても、心の貧困や衰えは隠せず、ときには逆に際立たせます。しかし、「内なる人」の新しさは輝いて、「外なる人」の衰えを覆い尽くします。

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「主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる」。(詩篇103篇4・5節)

信仰者は主の恵みで生かされています。良いもので満たしてくださる主に信頼します。鷲は自力ではなく、翼を広げ、風に乗って空高く舞い上がり、地上を見渡します。私たちも信仰の翼を広げ、聖霊に乗って飛翔し、神の計画の全体を見渡すことで、新しい希望を受けます。

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「神の御名はほむべきかな。とこしえからとこしえまで。知恵と力は神のもの。神は季節と時を変え、王を廃し、王を立てる。知恵を授けて賢者とし、知識を授けて悟りのある者とされる」。(ダニエル書2章20・21節)

ダニエルの祈りです。現代は、何か問題が起こると、ネットで解決策や情報を検索します。しかし、ネットはフェイクが多いのです。ダニエルは、患難や危機を乗り越える力を、神の知恵と知識から得ました。

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美ら海公園で見つけたヒヨドリ

「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。『私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません』」。(ダニエル書3章16節)

「金の像を拝まないなら、燃える炉に投げ込む」という王に、ユダヤの三人は即座に「問答無用」と応じました。サタンの語りかけに対しては、即座に「問答無用」です。一瞬もためらいを見せてはなりません。ためらえば、つけこまれてしまいます。
(キリストの栄光教会より)
                   
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1月7日の朝焼け。まもなく雨が降り出した。

posted by 優子 at 22:46| 四季と黙想 | 更新情報をチェックする

2020年01月07日

沖縄は別世界だったC ーひめゆりの塔ー

慰霊碑の名称は、植物のヒメユリとは無関係で、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊にちなんでいる。
「ひめゆり」の由来は学徒隊員が通っていた母校が併設されることによって、沖縄県立第一高等女学校の校友会誌『おとひめ(乙姫)』と沖縄師範学校女子部の校友会誌『白百合』を合わせて『姫百合』となり、戦後ひらがなで「ひめゆり」と記載されるようになった。

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1930年からの長引く戦争により学校は徐々に軍事化されていき、1945年3月23日に米軍の沖縄上陸作戦が開始され240名が戦場へ動員された。

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慰霊碑の前に実物の壕がある。

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解散命令直後の6月19日早朝、米軍のガス弾攻撃を受け80名が死亡。バスガイドさんによれば「先生に布を尿で濡らして口鼻にあてろと言われて生き残った」と、ひめゆり学徒で生き残ったのは教師1名、生徒7名。さらにそのうち3名は壕を出たあと亡くなった。

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生徒たちが動員された沖縄陸軍病院は那覇市の南東5キロ、南風原(なんばる)の丘に掘られた横穴壕だった。病院壕の中は、血と膿と排泄物の悪臭が充満し、負傷兵のうめき声と怒鳴り声が絶えなかった。

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重傷を負った手足は切断するしかなく、ノコギリで切り落とし、その手足は重く、それらを処理するために決められた穴へ捨てにいかねばならなかった。生徒たちの仕事は、負傷兵の看護のほか、水汲み、食事の運搬、伝令、死体埋葬だった。
しかもそこは前線同様の戦場であり、弾の飛び交う外にも出て行かねばならず非常に危険な仕事だった。教師2名、生徒9名が亡くなっている。

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若くしてあの地獄を通ってきた人が、このような素晴らしい人格者として生きてこられたことに思いを致す。人間は弱くとも斯くも強くもあるのだ。

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資料館の中は撮影禁止になっている。

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ちょうど昨年末の12月23日の午後にBS3で、吉永小百合、乙羽信子の『あゝひめゆりの塔』を観たところだった。かなり忠実に描かれていた。
映画の途中でもユキに「一緒に見よう、今度行く所だから」と何度か声をかけたが、「怖いから見ない」と言ってきかなかった。

見学後のユキの表情から、昨秋修学旅行先の広島で戦争と平和について学び感じたことがあったのだろう。私はひとりで回ったのだが、ユキは母・知子の話に耳を傾けながら真剣に見学したという。

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記念館で1冊の本を買った。公式ガイド版と案内されていたと思うが、資料館に展示されていた写真や文章が載っている。明日あたりからゆっくり読めるだろう。この本はユキに譲りたい、そんなことも思って購入した。

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ユキが自撮りで撮ってくれたね。
私はどこを見ればいいかわからなくて焦点合わず。

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ひめゆり記念館の見学を最後に那覇空港から帰路に就いた。その帰りの機内で、米軍がイラン革命防衛隊(IRGC)の対外工作を担う精鋭部隊のガセム・ソレイマニ司令官を殺害したとの字幕スーパーが流れた。

字幕を読んで、ミネソタで「U.Sがビン・ラディンを殺した」という新聞記事を見た時と同じ恐怖と不安を感じた。

IMG_0999.jpgついでながらシーサーにいささか関心がある私は、海洋文化館で見た戦場となった地に立つシーサーも記憶しておきたい。

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獅子(シーサー)の由来はエジプトに始まるというから、人間の中にある普遍的な精神観なのだと納得した。悪霊を追い払う魔除けの意味を持ち、最初は屋根など高い場所と決まっていたが、今は屋根から降りて門の左右に穏やかな表情で一対ずつ置いているそうだ。そもそもは瓦を固定させるための漆喰が残って勿体ないから作ったという。

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また行きたいね。

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那覇国際空港

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昨日が仕事始め、ユキも今日は始業式、ようやく5日に散髪屋さんに行ってスッキリして登校した。

そして、今朝9時半過ぎに真智から連絡あり、
「無事DCに着陸しました。感謝です!」
感謝!

誰も皆、今からよく生きよう。
2度と通ることのない今日を大切に生きよう。
                               (完)
posted by 優子 at 17:53| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

沖縄は別世界だったB −大火災後の首里城ー

首里城が焼けて観光客が激減し、収入も大幅に減ったのだが、火災後196日目の今も以前と同数の職員を抱えている。今は美(ちゅ)ら海財団がカバーしてくれているとは添乗員さんの話。

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守礼門をくぐる

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2000年12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が日本で11番目の世界遺産として文化遺産に登録された。
世界遺産はこれ↓
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歓会門
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首里城の城郭内へ入る第一の正門で、
「歓会」とは歓迎するという意味。

IMG_1216.jpg次にくぐる門の手前右側にある湧き水は、龍の口から湧き出していることから「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれ、王宮の大切な飲料水だった。そしてまた、この龍樋の名にちなんで瑞泉門と名づけられた。瑞泉とは「立派なめでたい泉」と言う意味だ。戦争で落ちてしまった龍の首は戦後ひっつけて原型をとどめている。

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瑞泉門(ずいせんもん)
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漏刻門(ろうこくもん)
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漏刻門は櫓(やぐら)の中の水時計で時間を計ったことで名づけられた。別名「かご居(よ)せ御門(うじょう)」と言い、身分の高い役人も国王に敬意を表してここで籠(かご)を降りた。
そのような門の横にユキが座っていた。
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広福門(こうふくもん)
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奉神門(ほうしんもん)
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「御庭(うなー)」へ続く最後の門。
3つの入り口があり、中央の門は国王や身分の高い人だけが通れる門だった。毎朝8時25分から45分まで、ここで開門を告げる朝の儀式「御開門式(うけーじょう)」が行われる。
ここからは焼けた奉神門左側(北側)にあたる。
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城壁は万里の長城を模している。

首里城の入り口近くに那覇市立・城西小学校があり、出た所すぐにカトリックの聖アンデレ教会があった。

昨年10月31日未明に火災が発生し、首里城が火の海になっている映像は胸が締め付けられる悲しみだった。駆けつけた人々の様子から、沖縄県民にとって首里城は精神的支柱であることがよくわかった。大火災は、正殿と北殿、南殿が全焼し、5度目の焼失となった。

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本日1月7日、玉城デニー知事は、「首里城復興の一環として、3月上旬をめどにプロジェクションマッピング(映像投影)を開始し、視覚的に首里城を復活させ、集客を図る考え」を表明した。復興を祈るばかりだ。


IMG_1122.jpg今回印象に残った沖縄の言葉は「グスク」(城)だった。
2005年のアルバムには次のようなことが記されてあった。

沖縄の言葉は「ア、イ、ウ」の3母音、30音から成り、「エ」が「イ」に吸収され、「オ」が「ウ」に吸収される。即ち、「アイウイウ」となり、「雨」は「アミ」、「桃」は「ムム」になる。難しい!
琉球とは「玉のように美しい国」という中国の言葉。
別れの挨拶は、「グスヨマタヤータイ」。

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沖縄の地が安らかでありますように。

posted by 優子 at 17:52| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2020年01月06日

沖縄は別世界だったA −沖縄の自然界は驚きで満ちているー

パック旅行はゆっくり見学できなくて、観光名所に「でん(タッチ)」して帰ってくるだけで好きではなかったが、パック旅行は斯くも気楽なものかと知子は心からリラックスしていた。

年がら年中あまりにも多忙で神経をすり減らしているからだろう。知子が2〜3日だけでもストレスから解放されてリラックスしているのが嬉しくて、私もリラックスできた。

今や旅行と言えばフリータイム全盛時代で添乗員付きパック旅行は非常に少ない。しかしまた、もっと高齢になるとパック旅行に参加できなくなるのも実感できた。
出発時は血圧が160だったので医師の指示通りデパスを飲んで出発した。ふらつきながら。

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那覇空港に着いてまず驚いたのは、バスに乗るとクーラーがついていたこと。お正月にクーラーとは!

沖縄の平均気温は23度、私たちの滞在中は21〜2度だが陽射しが強くて暑い。空港のトイレでジーンズ下に履いていたタイツを脱いだ人がいたが、朝は1度の時に出発した私も重ね着していた薄いセーターを昼食後に脱いだ。2年生の男の子が3日目に軽い熱中症になってバスの出発時間に遅れたほど暑かった。

1日目:瀬長島ウミカジテラスで自由昼食から始まった。泡盛、東南植物楽園。(マハイナウェルネスリゾート沖縄泊)

2日目:美(ちゅ)ら海水族館と海洋文化館、プラネタリウムは添乗員さんのミスで入れず。古宇利(こうり)ビーチ、フルーツランドで自由昼食、お菓子御殿で紅いもタルト、万座毛、首里城。(ロワジールホテル那覇泊)、夕食は国際通りステーキハウスへ(私たちはシーフード鉄板焼きを)。

IMG_1372.jpg夕食後は国際通りを30分ほど夜の街の社会見学がてら、県庁あたりからタクシーでホテルへ。

県庁前交番のシーサーと再会できなくて残念。これは2005年2月25日。

3日目:みーばるビーチでグラスボートに乗って海の底を見て、おきなわワールドで王国村散策(希望者は鍾乳洞へ)。「ひめゆりの塔」で数分の解説後に自由昼食。私たちは昼食抜きで記念館へ。そして那覇空港へ。14時15分発の便で帰阪。

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これは、ザー バオバブ(za baobab)。
『星の王子様』に出てくるバオバブの木だと思う。

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ユスラヤシ並木

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トックリヤシ並木

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初めて見た「蛸の木」。
幹の下方部から気根と呼ばれる根がタコ足状に伸びてくる。多くの街路樹に植えられていた。

実をつけるのが「小笠原蛸の木」
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熟した実

上ばかり見て歩いていて石に躓いたと思ったら実だった。
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パパイヤの木

バナナの木
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「ガジュマル」の木に妖精が宿ると言われているそうだ。

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これもガジュマル
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これはヘゴの木

幹に小判のような模様がある。
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これは広範囲の面積を占める米軍基地。
この日は僅かしか人を見かけなかった。
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東南植物楽園を出たあたりは常に戦闘機が飛び続けているそうだ。お正月だから見かけなかったが。


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海洋博公園・美ら海水族館

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ユキはエイを撮るの?

ママ(知子)も撮ってるね。
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水槽内を掃除中。
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チンアナゴ
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これは誰かに似てると知子と笑いが止まらなかった。
笑えるようになれば「突き抜けた」のだ!
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今年からは一日中インターネットに張り付かないで。

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サトウキビはこんなに背が高い。花は12月に咲いて、1月から3月が収穫期。竹のようなものを刈るのだが、刈るというより倒すと説明されたように、とても堅かった。
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サトウキビ畑。これがサトウキビの花。
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パイナップル畑は酸性土壌の北部で栽培されている。
沖縄は冬がないので植物の成長が早い。花は今の時期、冬場の方が多い。ところどころで桜の花も見た。1月末に桜祭りがあり、2月にコスモス祭り、3月にツツジ祭りとは、四季の移り変わりが全く違う。

5月に梅雨入りで、野山に白い花が咲くと梅雨到来のサインらしい。この頃に月桃という花も咲く。桜前線は沖縄から始まるが、紅葉前線は沖縄には届かない。

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像の鼻で有名な万座毛。

これぞぴったりのロケーションにイソヒヨドリ!
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自宅周辺のイソヒヨドリよりも眼光が鋭く感じる。
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夕日は東シナ海に沈む。
東シナ海と聞いて緊張が走った。
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沖縄の日の入りは17時50分頃で関西よりかなり遅い。
日の出は7時18分頃だから15分ほど遅い。


みーばるビーチからグラスボートに乗って海底を見ている。私は小学生がかわいくてならない。5年生と2年生の兄弟。兄弟がいるといいね。ユキもお兄ちゃんにならせてあげたかったな。この写真のユキは6年生に見えないね。

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みーばるビーチに流れ着いた「枝サンゴ」。
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地元の人は1日漂白剤に漬けて箸置きに使うそうだ。

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ハブのことでは、ガイドさんがたびたび草の中に入らないようにと声をかけておられたが、何と沖縄には県人口(145.2万)の半数(72万匹)もいるとは驚いた。ハブ酒も見た。

posted by 優子 at 17:45| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする