2018年05月23日

良心なき政治家たちと反則行為を謝罪したアメフト選手

5月6日に行われた日本大学と関西学院大学のアメリカンフットボールの定期戦で、関学大の選手に悪質なタックルを仕掛けて負傷させた日大の選手が、昨日記者クラブで記者会見を開いた。

反則行為には監督とコーチの指示があり、強靭なパワハラの圧力により冷静さを欠いた精神的に追い詰められての行動とはいえ、そのことに「ノー」と言えずにやってしまったのは自分の責任と謝罪する彼の真摯な生きざまと、日大アメフト部の中からも監督やコーチの現状について正当な多くの声が上がっていることに心打たれた。

本来ならばそのようなことは当然であるにもかかわらず、自浄能力皆無の腐敗しきったおぞましい現政権与党の現況に困惑し続けているので非常に新鮮に感じた。

昨日も安倍首相の嘘を証明する文書がまたも出てきたが、早速本人はもとより周辺人の習性となっている嘘を重ねている。これまでにも決定的な証拠を突きつけられても観念しないで罪を重ねていく彼らに反吐が出そうになる。

トップを守るためというのが彼らの大義名分になり罪意識を感じることもなく堂々とやっている。彼らに国を預かる者の責任感は微塵もない。官僚たちも青雲の志で省庁に入ったのではなかったのか!

「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません」。
         (ヨハネの第一の手紙 1章8節〜10節)

『荒野の声 −日本人への警告ー』に記されている長谷川 衛(まもる)牧師の言葉が聞こえる。

「悲しいかな、彼らは悪を善といい、善を悪という。暗黒(やみ)を光といい、光を暗黒という」。
罪を犯すのはあたりまえ。汚れることは清いことより良いという。日本の政界。「水清ければ魚住まず」。政治とはきたないもの、といい、それが当然だという。

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とにかく、危険極まりないタックルを受けた選手は重大な怪我でなくてよかった。脊椎を損傷すれば重篤なことになっていたであろう。
神さまが心身ともに完全に癒してくださるように、そして、悪質な行為に対して心から謝罪している若者の心をも癒してくださり、始まったばかりの人生を守り導いてくださるように祈るばかりである。

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2018年05月22日

みことばの花束@

IMG_0685.jpg「主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています」。(詩篇104篇24節)

分子と分子がぶつかって偶然にできた機械仕掛けの宇宙に生きるか、主が創造された慈しみの世界で暮らすか、選択によって全く異なる人生となります。私たちは、大空と大地の間に現わされた主の愛と知恵を、今日も喜び味わい、楽しみ歌います。

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「神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです」。(第一コリント 7章15節)

人生の目的や倫理・価値観が異なる人と、生活や仕事を共にするのは大変です。衝突が避け得ず、相手が離れていくなら、一旦、離れさせなさい、とパウロは教えます。感情の渦巻く中で正しい判断をするのは至難です。相手を変えようとすれば関係を悪化させるだけです。自分が平和を維持しなければ、相手との関係再建の道は開かれません。

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「主は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みゆえに、彼らを憐まれた」。(詩篇106篇45節)

私たちはキリストを信じることで新しい契約に入り、神の国(永遠のいのち)の祝福を保証されています。聖書を学ぶとは、主との契約内容を知ることでもあります。その内容を具体的に知らなければ、「契約を思い起こしてください」と主に嘆願することができません。主の方は、豊かな恵みを用意しておられます。

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「世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです」。(第一コリント 7章31節)

お金も、知識も、良い評判も増え始めると楽しくなります。しかし、増えても飢えるばかりです。狐が細い体で狭い垣根からブドウ畑に入り、たらふく食べて太り、また数日体をやせ細らせて隙間から外に出た、という話と同じようになります。世の富や知識は、それを用いて永遠に価値あるものを残すためにあります。

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柿の花

「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます」。
              (第一コリント8章1節)

神を認めない知識は人を傲慢にし、神に信頼する知識は謙遜にします。愛のない知識は破壊と虚無に導きます。お金も知識も能力も、愛が動機になってはじめて、人の徳を高め、希望の言葉を生み出します。知識や能力の量で人に負けてもいいのです。それが人を高ぶらせるなら、ない方がいいのです。主にも人にも喜ばれるのは、愛する心と謙遜な態度です。

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ナンキンハゼの若葉

「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです」。(第一コリント8章2・3節)

神に愛され、神を愛し、神に知られている、それで心は十分満ち足りている。これが真の知識です。この知識以外に、世の知識がいくらあっても、何も知らないに等しいのです。世の知識ではたましいは救えないからです。

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大きなクスノキ

「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される」。(詩篇41篇1節)

自己中心で不義不正を働く人間がはびこる社会でも、それなりに持ちこたえているのはなぜか。それは、損得勘定を度外視し、自己犠牲をいとわない人たちも多数いるからです。社会を陰で支える役割を誇りとしましょう。見返りを忘れた人助け、お返しが期待できない人への援助は、主に覚えられています。

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「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」。(詩篇39篇7節)
主は、主を待ち望む者を恵もうと、待っておられます(イザ30:18)。主を待ち望むとは、主の教えを口ずさみ、賛美し、思い煩わずに祈ることです。御言葉を学ばないことは自分の知恵と力に頼ること、祈らないことは主の恵みは不要という意思表示です。しかし、主を待ち望む者は聖霊の力を受け、自分を超えることができます。

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 ―キリストの栄光教会より―
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2018年05月20日

ブルンナー読書会㉑ −神の契約(スイス連邦同盟へのチューリヒ加入600年記念)−

今月も昨日の午後、下村喜八師をお迎えして「ブルンナー読書会」を開催できたことを感謝しつつ記録しておきたい。

IMG_0707.jpg今回はエーミル・ブルンナー著、下村喜八訳『フラウミュンスター説教集T』の10回目、説教のタイトルは「神の契約(スイス連邦同盟へのチューリヒ加入600年記念)」。
出席者:all member.
開会礼拝:讃美歌90番「ここも神のみくになれば」(知子奏楽)、聖書朗読とお祈り(下村喜八師)。
今回から学びの最後に一人ずつ祈りをもって終える。

エレミヤ書31章31節〜34節:
31:31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
31:32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。

31:33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。

31:34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

下村師のお話より:

この説教は1951年に語られたものである。今回は二つの契約について学び、二つの契約に似た人間の政治の形でスイス同盟があり、それとの関わりの中で神の契約のことが語られている。

スイス連邦同盟とは、「1291年8月1日、中央スイスのウーリ、シュウィーツ、ニートワルデンの3地域が「同盟」を結び、それぞれの地域の自由と自治を守るために相互の援助を誓い合った。これを中核として次第にスイス連邦が形成されてゆく。チューリヒがこの同盟に加わったのは、1351年のことである」。

スイス連邦同盟とは、ハプスグルク家の支配にあった時、外からの権力に抵抗して3つの州が同盟を結び自治を手に入れた。自立心が強く、圧制に対して自治を求める気運があった。その後ハプスブルク家との戦いに勝つ。現在は23州。政治の連邦体制を執る。シラーが戯曲『ヴィルヘルム・テル』を書いたのも同盟ができた頃である。

images.jpg※スイス独立のきっかけとなったヴィルヘルム・テルは、他民族の支配を拒否し、悪代官の帽子に頭を下げなかったために逮捕された。テルの息子の頭の上に置いた林檎を見事に射抜く事ができれば許すと言われ、見事に林檎を射抜いた話。ロッシーニの『ウィリアム・テル(英語名)』の序曲もあまりにも有名だ。

スイスの連帯と秩序の特殊性は、まさに、それが同盟(契約)であり、相互の自由な結合である。かつて神がシナイ山でご自身の民を選び、ご自身の啓示の形式として同盟締結という形式を選ばれた。同盟(契約)において常に決定的に重要なことは相互性である。これこそが神の啓示がもつ法外さ。

聖書における契約は、神と人間との相互関係の契約である。

「それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。

それでモーセは行って民の長老たちを呼び、主が命じられたこれらの言葉を、すべてその前に述べたので、 民はみな共に答えて言った、「われわれは主が言われたことを、みな行います」。モーセは民の言葉を主に告げた。(出エジプト記19章5〜8節)

「それゆえ、あなた(ユダヤの民)は、きょう知って、心にとめなければならない。上は天、下は地において、主こそ神にいまし、ほかに神のないことを。 あなたは、きょう、わたしが命じる主の定めと命令とを守らなければならない。そうすれば、あなたとあなたの後の子孫はさいわいを得、あなたの神、主が永久にあなたに賜わる地において、長く命を保つことができるであろう」。 (申命記4章39・40節)さらに、申命記6章21〜25節参照。

古い契約は、戒め。律法を守ることが契約の条件で、幸いを得るための条件となる。歴史書のヨシュア記から列王記はカナンの地におけるイスラエルの歴史を契約違反として描き出す。(ヨシュア記23章16節、士師記2章20節、列王記下13章18節参照)

神による契約破棄は神関係の断絶をもたらす。神の秩序とこの世の秩序は関係しているというのがブルンナーの立場である。

神がご自身の言葉によって人間から自由な応答を、そして、ご自身の忠誠によって人間からそれにふさわしい忠誠を引き出そうとされる関係である。

神は人間を、意のままに動かす客体としてではなく主体として、物としてではなく、神によって語りかけられると同時に神に語りかけなければならない人格として取り扱われる。

「客体として」とは機械のようなもの、奴隷や道具のように人間が思いのまま動かせるものであり、「主体として」とは自由意思をもつものであり自由と責任が伴う。

この関係の中で人間の応答責任(Ver-antworlichkeit:フェア‐アントヴォルトウング)が生じ、神は人間を同盟のパートナーにしようとされる。このことにおいて、神は人間に応答責任と同時に自由をも与えられる。

イエス・キリストの血と肉による契約。十字架の契約。イエスの十字架の死は、この新しい契約を成就するための犠牲の死を意味する。旧い契約の条件は律法を守ること。新しい契約の条件は神の愛を受け取ること(それ以上の条件は全くない)。

聖書にある神と人間との間の契約関係という概念(あるいは思想)に初めて注目したのは宗教改革時代のチューリヒの神学者たちであるとされる。

契約の神学は後に改革派の神学者によって継承され、16、17世紀のイギリスのピューリタンたちによって展開されていった。ブルンナーもこの神学を受け継いでいる。彼の神学の核は「出会いとしての真理」であり、思索の神学ではなく、宣教の神学で、人間の自由と応答責任を強調する。

IMG_0677.jpgイエス・キリストに対するバルトの問いが、「このような恵みをもって私を救ってくださるあなたは誰ですか」であるとすれば、ブルンナーの問いは、「主よ、あなたはどこへ行かれるのですか」である。(大木英夫『ブルンナー』30頁)

ゆえに、ブルンナーは日本のような極東まで宣教に来られたのである。

預言者エレミヤの約束の言葉(前掲)は、二つの契約を対照させている。一つは、エジプトの奴隷の家から導き出した民と結ばれたシナイの契約であり、もう一つは、神が「彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」贖罪の契約を語ることだった。

この新しい契約の本質は、罪の赦し、贖罪の契約、神の賜物としての恵みの契約という点にある。われわれは、死によって神との和解をもたらされた救い主への信仰をとおして、この契約の中で生きている。

われわれには新しい契約という土台に立ち、神のひとり子をとおして心から父なる神の名を呼び、神の子として彼に語りかけることが許されている。

神の赦しの慈しみによって生かされているゆえに自分自身も慈しみ深い人間になる、またイエス・キリストをとおして神の愛を豊かに経験したゆえに自分自身も受けた愛をさらに隣人に手渡す−そのような意味において、われわれは証人なのです。

人間の法律も神の律法と関わっており、神の支配は神の独裁ではないというのがブルンナーの立場である。人間の応答責任がある。

いつの日か地上の世界に別れを告げて神の面前に歩み出さねばならない時が来た時、そこで通用する別のパスポートは、彼の血で署名され、彼の復活で押印された契約証書があるからこそ安心して死ぬことができます。

しかし重要なのは良く死ぬことではなく、良く生きることです。なぜならイエス・キリストを信じる信仰は、われわれを来世において初めて神のものとするのではなく、すでにこの世において神のものとするからです。

「だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである」(ロマ14・8)。われわれは、イエスに属する者として死ぬことができるように、イエスに属する者として生きようではありませんか。アーメン。


IMG_0710.jpg今回の学びをとおして改めて「契約」には重い責任があるということを強く感じ、学校や職場など社会生活はもとより、家庭においても然り。他者との信頼は相互関係によって成り立つものであるということを考えさせられた。

「鼠のシッポ切りの実験」について。

ヴァイスマンはネズミの尻尾を20世代以上(?)にわたって切り続け、右回りに回らせ続ける実験をしたところ、尻尾を切られたネズミの親から短い尻尾を持つ子供は生まれなかった。しかし右回りに回ったことから、形態は遺伝しないが学習は遺伝するという結果を得た」という話をお聴きして、自分自身の生き方がいかに大切であるかを思った。

IMG_0692.jpg次回は、6月23日(土)午後。

聖書朗読、祈り、内容の要約や考察など発表当番は優子。
posted by 優子 at 21:25| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2018年05月15日

「神は信じる人の内に働かれ、信じる人を通して働かれる」。(『デイリーブレッド』より)

IMG_0659.jpg今日の聖書のみことば:
ヘブル人への手紙13章20・21節
「イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。」

神が働いておられると最近感じたのはいつかと友人たちに尋ねると、ある人は「毎朝、聖書を読むとき。新しい一日が始まるとき。あらゆる局面で共におられ、一歩一歩導いてくださるとき。問題に遭遇しても喜びを失わず乗り越えようと頑張れるとき」と答えました。
私は彼女の答えが気に入りました。なぜなら、それは、神がみことばと内住の聖霊を通して、神を愛する人のそばにおられ、その人の人生に働かれていることを述べていたからです。

IMG_0646.jpg神が信じる人の内で働かれるとは素晴らしい神秘です。ヘブル人への手紙の筆者は、その手紙を締めくくるにあたって「イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い…」(ヘブ13:21)と語り、祝祷につないでいます。

彼はここで、この手紙の要点を再確認しました。つまり、神は、神に従おうとする人にその力を授け、神の栄光のために、その人の内に働き、その人を通して働かれるという真理です。

IMG_0655.jpg神の働きに驚かされることもあります。例えば、自分を不当に扱った人を赦せたり、扱いの難しい人に忍耐出来たり…。「平和の神」(20節)は、私たちを変え、私たちを通して愛と平和を広げます。

さて、あなたは最近、神の働きをどんな風に経験しましたか。ーAmy Boucher Pye

さあ一緒に祈りましょう。
主イエスよ、ご自身の栄光のために、御心を行う力を授けてくださり感謝します。今日、私の目を開いてください。そうすれば召されたことが分かるでしょう。主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
以上『デイリーブレッド』5月15日「神が働かれる」より。
音声でもお聞きになれますので是非お訪ねください。

「しっかり握っている自我を捨てると、平安が訪れます。
 イエス様が共にいてくださることを忘れないでくださいね」。
posted by 優子 at 22:52| 引用文 | 更新情報をチェックする

2018年05月14日

知子の心 −「母の日」にオリーブの木−


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「ママ、いつもありがとう
 このオリーブを傍らに置くことで
 ママの心が元気になりますように!」

「母の日」の昨日も、知子は朝から仕事のことで知識を得るべく全日外出していた。そのお昼前に知子から贈り物が届いた。オリーブの苗木だった!

これまでも洋菓子や財布、衣類など何度も贈られたことがあるが、そのほとんどが結婚するまでだったように思うので、贈り物に心を配ってくれていたことに驚き、しかも小豆島旅行で強く私の心を捉えたオリーブの木だった。

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「あなたが、 たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、 また健康であるように祈ります」。
(ヨハネの手紙 3章2節)

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ユキが5年生になったある時、「何でもいいからやってみたいことを書きなさい」だったかの課題が出て、「ユキはチャッピーに会いたいって書いた」と聞いて目頭が熱くなり、「Mちゃんはお母さんに会いたいって書いてたのが見えた」と静かに付け加えた。

幼稚園の卒園前にお母さんを亡くしたMちゃん。Mちゃんは「母の日」をどんな思いで過ごしていたのだろう。45歳だった私でも辛くて店内で見る文字を避けた。Mちゃんはお母さんにプレゼントしたくてもお母さんはいない。世界中探してもいないのだ。

そしてまた、幼子を残して死んでいかねばならなかったお母さんのことを想って涙が溢れてならなかった。60歳70歳になっても親が健在な人もいれば、わずか6歳でお母さんと死別した子もおり、先週は新潟で大桃珠生(たまき)ちゃんが7歳で殺されてしまった。私は祈りながら涙が止まらなかった。

どのような言葉をもって慰めることができるだろうか。ただただ神さまがご遺族を特別にお守りくださるようにと祈るばかりで、私たちは悲しむ人々のことを忘れてはならない。

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この苗木を広い所に移し替えながら大きく育てようと思う。
知ちゃん、ありがとう。
posted by 優子 at 14:58| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年05月13日

「近くに住んでいたらすぐに会いに行けるのにね」

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ママ
母の日のメッセージはいいよ、とママは言ってたけど、やっぱり送りたくなって、メールしています。

ママ、ママでいてくれてありがとう。
私のこと、いつも想ってくれてありがとう。

いつも心のどこかで、
「私も母になって・・・」と照れる日がくることや、
母になったからこそ見える景色や感謝をママと話すのを夢みてて、
母の日がくる度に、
いつもどこかで
そうなれてないことが悲しかったり、
ママも残念だろうな、って思ったり。

IMG_3847.jpgでも今日は、
その悲しみもあるけど、
そう思えるママが与えられてること、
感謝したいと思いました。

ママ、ありがとう。
神様、ありがとう。

どんなところを通ろうとも、主はママと一緒。
近くに住んでたら、ちょっと会いに行ったり
ちょっと外に食べに行ったりできるのにね。

真智子

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真智、小学2年生だった?
優子お義母さん
先日はお電話でお話しできて嬉しかったです。
近くに住んでいたらすぐに会いに行けるのにね、と真智とよく話しています。
IMG_6820.jpg優子お義母さんからいただいた多くのものに触れるたびに、
優子お義母さんの優しさを感じています。
いつも真智と共に優子お義母さんのことを想ってお祈りしています。
優子お義母さんが心から接してくださること、いつもとても感謝しています。

太志

ありがとう。
ワシントンD.C.と日本ではあまりにも遠いね。
IMFは4月が年度終わりだからと、ずっと多忙だった2人。もう何年も前から1年中忙しくしている。私は邪魔しないように1〜2ヶ月メールを交信しない時もある。

5-11-5.jpg今日は土砂降りの雨だったけれど、二日前の晴天の日にアジサイの葉っぱにいくつもデンデンムシがいた。こんなに小さな生き物も梅雨が近いのがわかるんやね。みんな頑張って生きているね。

「わたしは彼らに一つの心を与える。すなわちわたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。(エゼキエル11:19)

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(へブル12:2)
祈りの友から贈られたみ言葉です。
私たちの心にも頑なな石の心があるならば取り除いて肉の心をくださるように。そして、私はイエスさまから目を離さないように。

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オオバンは1年中日本にいるみたい。
posted by 優子 at 21:59| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2018年05月11日

小豆島譚 ー5日間を要してようやく僅かを記録すー



IMG_0504.jpgもう2週間前のことになる。

4月28日朝、駅へ向かう道の桜の樹は真っ赤に熟したサクランボが鈴なりで、小鳥たちがついばんでいた。


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私が1年中で一番好きなサクランボの季節。

私も一粒だけいただいたけれど、人の手の届く高さまでの実は軸だけになり、種がいっぱい落ちていた。

小豆島は温暖で陽ざしがたっぷりなのに関西より季節は2週間遅く、寒霞渓に向かう新緑のここかしこにヤマフジがどっさり花をつけていた。


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これは小豆島を発つ4月30日の朝8時半。2泊目のホテルからだとエンジェルロードにもっと近づいた。早朝の景色と違って朝靄(もや)が水面まで降りていたが、それでも幻想的な風景だった。

前日、右側の島のぐるりを回った。柵よりもずっと外側を歩いていた所は海の中。


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3日目の30日は、「オリーブの森」を訪ねて樹齢千年のオリーブの木に感動し、そのあと再度「寒霞渓」に向かった。

昨年末の仕事納めの翌日、12月30日から元旦の夜まで知子は独り旅をした。せっかくの次女夫婦の帰国中だったが精神の限界に達し、しかたなく真智たちがいるからユキも寂しくないだろうと小豆島に渡った。

レンタカーを借りて元旦の朝も知子は独り寒霞渓に立っていた。広いパーキングには自動車一台止まってはいなかった。凍てつく寒さを感じながらも1時間以上も立っていたというから、体も正常な感覚ではなかったのだろう。


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その時、知子の目前にあった寒霞渓は岩山を顕わにしていた。
その4ヵ月後、岩山が新緑に覆われていたものだから驚異した。



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新緑に覆われた寒霞渓を信じられぬ思いで見つめていた知子。

もっとゆっくり留まっていたかっただろう。


オリーブビーチでも、ただただ海を見ていたという。


次の2枚は冬のオリーブビーチ。

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冬の海は水の色がより一層澄んでいる。


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雨降る海は暗澹とした景色に変わる。

IMG_0443.jpg4月29日は午前9時から12時間(150qまで走行可)、30日は午前9時から4時間(70qまで走行可)レンタカーを借りた。29日はゆっくり見学していたので60qしか走らなかったが、30日は71q走った。オリーブ園にも何度も行った。

昨年の7月14日、知子がユキを伴って行った時、「二十四の瞳」の岬の分教場や醤油造りで有名な「醤(ひしお)の郷(さと)」は詳しく見学したので今回は訪ねなかった。

4月30日、お昼過ぎにレンタカーを返してバスで坂手港まで行った。



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知子よ、ユキと幸せに生きよ!







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淡路島の風力発電

明石海峡大橋が見えて来た。


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世界一長い吊り橋・明石海峡大橋



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子は今回も行きも帰りもずっと甲板にいた。真冬の船上は寒くて内臓が震え上がったという。寒霞渓でも海でも、ただただ生きる意味を問うていたのだろうか・・・

1月1日、甲板から小豆島が見えなくなるまで見つめていたという。そして、前方に陸地が見えてきた時の暗澹たる気持ち・・・。真智たちがワシントンへ戻ってから1週間寝込んでしまった。

1月の「ブルンナー読書会」で下村さんが久しぶりに知子の顔をご覧になった瞬間、「魂の抜け殻のようだ」とひどく驚かれた。

そんな状態で悩みに悩んで、1月15日、私や祈ってくれていた友の予想に反する決断をした。


つまり、ユキと私、そして、社員の家族の生活を支えるという使命感から、引き続き留任して経営に携わることを選び取った。二期連続、会社の財務を建て直し、多くの関係者から高く評価されている。

全く学ぶことなく無責任きわまりない夫・・・

そんな人生で終わっていいのだろうか?!

私はもうわからなくなってしまった。疲れた。


『夜と霧』を書いたフランクルは、強制収容所の過酷な状況を生き抜くためには、「自己離脱性」と「自己超越性」が求められると書いています。私は昨日のお話を聞いていて、知子さまはその両方をお持ちだと思いました。おそらく苦しむ中で、それを身につけられて来られたのでしょう。


下村さんが言われたとおり、知子は「未来に向かって生きた人」、「いつの日かこの私自身によって満たされるべき意味に向かって生きることができた人」を生きているのだと思う。

私は旅行から帰ってきてから、股関節や腰の痛みのため横になる日々が続き、肉体の苦痛も加わって魂の危機を感じている。ついに信仰を喪失しつつあると。7日には次女も心配して電話してきてくれた。ようやく痛みも軽減して今日少し散歩に出た。

「出エジプト」に始まった知子の旅路、神さまが開かれた道は必ず全うされると信じる。主に在ってであれば。

「主よ、私は今、気分を落ち込ませる状況から目を上げ、栄光の君なるあなたを仰ぎ見て平安を得ることを選びます」。


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2018年05月06日

小豆島の旅 ー生きている限り人生途上、いかに生きるかー

E59D82E6898BE6B8AF.jpg4月28日(土)、三ノ宮(神戸)からジャンボフェリーで3時間半、小豆島・坂手港に到着。船内では富雄(奈良)在住の土庄(とのしょう)出身の83歳男性とずっと話していた。知子とユキはずっと屋上の甲板にいた。

共に坂手港からバスで土庄港へ。男性は終点の手前で下車された。私は何十年来の知人のようにすぐに親しく話していたので、もう会うことはないと思うとさみしくて心を強くして幸せを祈りつつ別れた。

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土庄港。この日は疲れたのですぐにホテルに迎えを頼んだ。
帰り30日はこの前のベンチで昼食を摂った。

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エンジェルロード。
1日2回、干潮時に陸地が現われる。
これは28日の夕方5時前、ホテルの部屋から撮った。

これを40倍でズームアップするとこんなによく見える。
すご〜い! カメラはかさ高く重いが値打ちがある。
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4月29日朝5時過ぎ。

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同日朝7時半。

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29日7時半頃、朝食を終えて庭へ出た。

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29日(日):朝9時からレンタカーでいざ出発! 
      最初に「銚子渓お猿の国」へ。

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この時期はベビーラッシュで4月に生まれた赤ちゃんがいっぱいいた。去年生まれた子猿は元気に駈けまわっていた。33年前に来た時は私の腰の高さまである大きな猿が多かったのに、猿の種類が違うのか親猿も一回り小さくなっていた。

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それでもたくさんのお猿に囲まれると怖くて、動けなくなって知子とユキにガードされて通り抜けた。

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ここは昔のままだった。アルバムを開くと1985年8月2日に来ていた。

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今から33年前だから、知子7歳、真智子5歳、私は34歳で良輔は39歳だった。

おてんば娘の真智が、「お猿が怖くて大きな声で泣いた。一人で歩けなくてぴったりひっついていた」とアルバムに記されていた。

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この時、私たちは結婚9年目にして初めての家族旅行だった。2泊3日の小豆島の旅、大阪港の弁天ふ頭から坂手港まで4時間半。子供たちにとっては船も初めてで、船内をウロウロして退屈することはなかった。

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銚子渓の「お猿の国」をあとにして次は寒霞渓(かんかけい)。
ここは国指定の名勝で日本三大渓谷美に選ばれている。
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陽ざしに輝く新緑のアーチをくぐりながら、
今回はロープウェイではなく自動車で頂上へ。

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これは寒霞渓にある総工費1億円のトイレ。
冷暖房完備で、BGMが流れ、公衆電話も設置されている。
自然光を取り入れた広く清潔な洗面所。

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元旦の朝、知子は誰も居ない寒霞渓で長時間立っていたため
内臓まで冷え切り、ここからユキに電話したという。

寒霞渓で昼食を摂り、オリーブ公園、オリーブ園(前ページに記載)、そして、オリーブビーチへ行った。

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4-29-18.jpgオリーブ公園でユキはオリーブソフトクリームを、私たちはコーヒーフロート。こういう類はいつもノツノツの私だがコーヒーもおいしく全部飲んだ。

母と子の記念写真を撮らないと!
オリーブ色を象徴する緑のポストの横でハイポーズ!

そして、後ろに見えるオリーブビーチに向かった。この日は肌寒く風も強かったのに何人かの子どもたちが泳いでいた。

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ユキは半パンに履き替えて遊ぶが、兄弟がいないとさみしい。
誰もいない元旦の海、ここでも知子は長い時間海を見ていたという。

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干潮時刻に合わせてエンジェルロードへ行くと、
こんなに陸地が広がっていた。
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IMG_6397.jpgこれは昨年7月14日夕方4時のエンジェルロード。(過去ログ2017年7月17日に掲載)






4月29日、夕方4時45分頃。島のぐるりを回った。
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ヒトデやカニ、ヤドカリがいたね。

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地元の人は潮が引くとアサリを採りにくる。


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ホテルにチェックインする前に戻ってもらって
世界一狭い土渕海峡へ。

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行きのフェリーでご一緒だったMr.サカイさんは、子ども時代にこの海峡で泳いでいた。小豆島へ帰るたびに景色が変わっていったと嘆いてもおられた。
「昔の良さは無くなった。バージンロードか何か知らんけど(いえ、エンジェルロードですが)何でも観光地にしてしまいよる」と。

小豆島の中心地は土庄(とのしょう)だが、土庄港は海が浅いのでジャンボフェリーは坂手港に着く。地元の人の話は興味深い。私たちは「小豆島」を平坦に読むが、サカイさんは「小豆島」の「しょう」にアクセントをつけて言われたので私もそのように読むことにした。それぞれの土地の言葉、イントネーションを大切にしたいから。

奥様が昨年2月に脳梗塞になって帰省するのは2年ぶりだという。いつも二人で来ていたが・・と寂しそうに言われた。

「藤本さんと一緒でよかったですわ。ひとりやと気持ちが暗くなってしまうから。帰ったらまた介護の日々やから数日間だけでも気分転換しようと思います」。

別れ際に仰った言葉が耳に残っている。
これからも元気づけてあげたい、何かお役に立ちたいと思ったが、行きずりの人として別れようと心に決めた。親しくなると悲しみも増える。サカイさんは83歳、私だってもう66歳、40代の頃のように人間関係を豊かに築き上げていかないほうがいい・・・そのように自分に言って聞かせて別れた。
記録しながら生起してきた自らの思いを
次の「小豆島譚」に続けたい。
posted by 優子 at 21:40| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年05月04日

「樹齢1000年のオリーブの木」と「隠れキリシタン」の小豆島

ゴールデンウィーク前半の4月28日(土)から30日(月)まで知子とユキと3人で小豆島に滞在した。小豆島へは昨年6月以来、知子は4回目、ユキは2回目で、私は娘たちが幼かった頃に行った30数年ぶりの2回目だ。

せっかくの旅行なのに私は24日朝のギックリ腰が癒えぬまま、痛みと体力のなさで、まるで介助される老人のように自動車から降りる時に時間がかかり、すぐには痛くて歩くこともできず老いの身が思いやられた。

昨年、小豆島の役所主催の島内巡りに参加した知子は土地の人のように詳しく、観光地だけではなくドライブしながら病院や町役場などの公共施設やスーパーマーケットに至るまでガイドしてくれた。時系列ではなく印象的な景色を思いつくまま記録したい。

4月30日(月)2泊して帰る日:
肌寒く霧雨が降る曇天。2日目もレンタカーを借りて出発。
「オリーブの森」は観光バスも立ち寄らない知る人ぞ知る穴場で、鶯や小鳥のさえずりが心を癒した。

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樹齢千年のオリーブ大樹
2011年の「オリーブの日(3月15日)」の記念日に合わせて、
スペイン・アンダルシアから1万キロの海を越えて
「オリーブの森」に移植された。

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今年も青々とした新芽に無数の蕾をいっぱいつけていた。

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初夏になると小さな白い花が咲き、香りを漂わせ、
秋になると青い実をつける。
美しいだろうなぁ。花も実も見たいなぁ。

生きる力に溢れ、平和と希望の象徴オリーブは
「生命の樹」と呼ばれている。

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4月29日(日):ここは「オリーブ園」
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オリーブは聖書に出てくる代表的な植物だ。オリーブの歴史は古く、紀元前3000年には地中海沿岸で栽培が始まっていたという。日本では1910年頃、この香川県・小豆島で初めて栽培に成功した。

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エマオ途上.jpgオリーブ園に入った瞬間、Robert Zündの" The Way to Emmaus "「エマオ途上」の絵の中に入ったような気持になった。

イエス・キリストが復活された午後、エルサレムから11キロにあるエマオ村に向かう道を、失望落胆して帰って行くクレオパともう一人の弟子に現れたイエス・キリスト。2人はイエスだと気がつかなかったあの絵だが、よく見るとオリーブの木ではなかった。

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オリーブの葉の色はシルバーグリーンという。

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何時間でもゆっくりしていたいオリーブの園だった。

オリーブ搾り機.jpgちなみに「ゲッセマネ」はオリーブを搾る場所であり、「ゲッセマネの祈り」を「オリーブ園の祈り」とも言う。
これは、オリーブ園にあったオリーブを搾る機械だ。


祈りの家.jpgこのオリーブ園を登った所に「小さな祈りの家・オラトリオ」がある。ここを訪ねる人もごく僅かだ。
豊臣秀吉のバテレン追放令により、1587年にキリシタン大名・小西行長が所領だった小豆島に高山右近やオルガンティノ神父をこの島にかくまった。その後、1ヶ月に1500名も洗礼を受けたという。

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知子が元旦に訪ねた時は閉じられていた。この日は幸運にも開門されていたので礼拝堂を見学して署名を残してきた。

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ランプはムラノ(ベニス)のガラス工房の作品で、
ランプに注がれる油はもちろんオリーブ油。
聖地エルサレムの香り高いオリーブ油と、
小豆島で採れたオリーブ油を混ぜて使っている。

キリストはギリシャ語で「油を注がれた者」の意。

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知子の説明で小豆島に隠れキリシタンがいたことに驚き、キリシタン研究者・神田宏大(ひろお)牧師の話を思い出した。2009年に太宰治の一文を掲載していただいた『河内のおもちゃ箱』に神田牧師が「戦国時代の河内キリシタン」を執筆されている。

河内から堺までの6000〜7000人のキリシタン集団が築かれて、河内にリバイバルが起こったこと。しかも九州よりも河内地域の方がヨーロッパと直結して、正統な信仰を継承していたこと。また、1600年当時の日本の人口が1500万人だった時にキリシタン人口が75万人が通説になっているといったことなど、過去ログ「野崎観音はキリシタンの寺だった!」にも記録している。

折しも今朝未明、ユネスコが「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が高い確率で世界遺産に正式決定されると報じた。「隠れキリシタン」ではなく「潜伏キリシタン」という馴染のない言葉は、ユネスコの諮問機関・イコモスが世界遺産としての価値を端的に表す名称に変更するよう指摘したものであるという。

それに先立つタイトルについて、禁教下で守り通した信仰に焦点を当てよとのアドバイスは、自然も人間も動物までも何でも神として拝む日本人の精神構造からは出ないだろうと感じ入った。
posted by 優子 at 09:23| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年05月03日

Dさんが読書会会報に刻んでくださった16年前の出会い

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(『かわちの』66号掲載文の冒頭一節より)

今年1月27日の夕方、Dさんからお電話があり、私と初めて出会ったのはいつだったかご存知ないかと尋ねられた。というのは、東大阪読書会が創設されて今年50年にあたり、今号の機関紙にはそれぞれの読書会との関わりや読書会への思いをテーマに書くことになり、入会したのは16年前で正しいかどうか尋ねてくださったのだ。

私はさっそく会報のバックナンバーを調べた。お出会いした翌月の読書会に来てくださったが、どのテキストの時だったか思い出せない。

読書会会報に続いて結婚以来ずっとつけている「生活記録簿」(100枚綴りのノート)を調べた。今ではもうノートに記すことは殆どなく白紙の状態だが、あの頃ならば必ず記録しているはずだ。嬉しい出来事だったから。

あの時はもう母も父も亡くなっていた。しかし、悲しみから立ち上がっていたのだと思う。「一目見て何かしておられる方だとわかりました」と仰ってくださったDさんの言葉が神さまからの励ましのように感じ、あの数分間はキラキラ輝く思い出として残っているからと、記憶を辿りながらページを繰った。

ところが記憶は冬ではなかったという程度で、季節も定かではなかったので数時間要して漸く「No.20」にたどり着いた。

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2002年8月21日(水)、
午前9時25分頃から30分までぐらいの数分間だった。

2002年8月と言えば、父が亡くなって丸2年過ぎた時だった。
赤く囲んだのは今回探し当てたときに記したもので、この日は8月の読書会翌日で、9月は私の推薦図書(柳田邦男著『犠牲(サクリファイス)』)だったので図書館へ関係図書を借りに行った時のことだ。

Dさんは早速9月の読書会に来てくださり、同じ電車で小阪(大阪商大)へ行ったことも記録されていた。もう16年前になる。当地へ移って4年目だったのか…

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今朝、Dさんからお電話をいただいて「今日お会いしたい」と、いつものレストランでお出会いした。

このゴールデンウィーク前半の4月28日(土)から30日(月)は長女と孫と3人で小豆島へ出かけ、初めて夫婦別行動をとった。娘は2日間レンタカーで名所を回ってくれた。

しかし、24日朝になったギックリ腰(左側だけの軽症だったが左の股関節も苦痛)で介助が必要な老人のようだった。義母のことも日々精神的に大変なことが増えてきているのでまいっていた。いろんなことがあり、旅行後も霊肉共にダウンしたままなので心ある人に会いたかった。

途中からご主人も来てくださり時間を忘れて楽しい時を過ごした。教職者だったご伴侶に今更ながら聞けない敬語の使い方をお聞きしたり、日本語の乱れについても盛り上がった。素敵なご夫妻、共に知的でユーモアに溢れ、一緒にいて本当に心地よくて4時間も話していた。昼食をご馳走していただいて申し訳なくてならなかった。

4月の読書会で発行された『かわちの』66号をいただいた。冒頭に掲載させていただいたDさんの文章も66号掲載文である。
よき人との出会い、出会いこそが人生の財産だとしみじみ思う。感謝や人生の喜びのわからない人々に傷つくことなかれ!

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天竹さんは同志社出身で聖書に触れておられ、一時期谷口家の家庭集会に集ってくださっていたが何年か前に逝去された。
東大阪読書友の会50周年、西口孝四郎さんご夫妻を偲び、これからも読書会が継続されんことを祈ります。
Dさんには「絶対に役員のお願いはしませんから」と入会していただいたのに、私は2009年3月で退会してしまい(翌4月からユキと生活を共にするようになって行けなくなったが)、その後、書記、会長を2期務めてくださった。ありがとうございます。   

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附記:外出中に、旅行のブログが未だアップされていないのを心配してワシントンの次女から電話があり、良輔と30分ほど話していたという。少しずつ更新していこうと思う。
樹齢1000年のオリーブの木や小豆島にも1500名のキリシタンがいたこと・・・。そして、今年の元旦の朝、誰もいない厳寒の寒霞渓や海で知子がひとり長い間いた風景を記録しながら深く心にとめたい。
posted by 優子 at 21:28| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2018年04月28日

「証しとしての文学ー三浦綾子ー」 ―日本クリスチャンペンクラブ関西ブロック例会―

4-23-9-53be8.jpgこれは4月21日(土)に大津教会で開催されたJCP関西ブロック例会で大田正紀先生(梅花女子大学名誉教授、日本近現代文学研究者)の講演内容を聞き書きしたものである。

「証しとしての文学―三浦綾子」
日本では文学か宗教かという二律背反でとらえる人が多い。明治のキリスト教文学はロマンティズムと結びついたキリスト教だったため、憑き物が落ちたように信仰が失われて行った。これがプロテスタント文学の限界ではなかったか。しかしカトリックは、人間に期待を持っていなかったところに文学が起こってきているので、人間の悪や罪を見つめるところがあった。

三浦綾子はあくまでも証しとして文学を書こうとしていた。私が出会ったイエス・キリスト、私が出会った闇と、闇を乗り越えさせてくださった光を書きたいと思った。三浦以後は力あるプロテスタント文学者は途絶えている。(三浦の生い立ちは割愛)

三浦のキリスト教との出会いは小学2年生で、2戸一住宅の隣家に越してきたクリスチャン一家の子、前川正と美喜子に誘われて旭川教会の日曜学校に通った。その後、前川家の転居と美喜子の夭逝で繋がりが途絶える。

堀田綾子は代用教員として尋常小学校や教場、国民学校で奉職。黒塗りの教科書を使い皇国主義の教育をしてきたが、戦後民主主義への転換で国家の欺瞞的な教育に加担したことに気づき、教壇に立つ勇気を失い、自責の念から教職を退いた。

このあとすぐに肺結核を患い13年の療養生活が始まった。綾子は真面目な教師ではあったが虚無的な思いにとらえられ、求愛されるまま2人の青年と二重婚約し、養生せず酒も煙草もやめていなかった。

三浦綾子のキリスト教信仰と文学創作に大きな影響を与えた青年が二人おり、一人は入信に導いた前川正である。前川は北海道医学部に進学したが肋膜炎に罹り、静養して一時全快するも結核再発。

作歌活動するが短歌の芸術を高めていくことが目的ではなく、「我いかに生くべきか」との人生論で基督教徒としての「信仰に生きる道」こそ最大の課題だったという。

前川は再会した綾子に今のままでは魂ごと死んでしまうと真摯に諫め、キリストに従って新しく生きるように勧めたが、綾子は死にものぐるいで抵抗した。前川より聖書信仰とアララギ短歌を教わり、言葉と思いを正しくすることを諭され、次第に心が開かれて行く。

4-23-2.jpg綾子は結核から脊椎カリエスになり札幌医大病院に転院。西村久蔵の訪問を受けつつ回心を果たし、小野村林蔵牧師より病床洗礼を授かる。

綾子は二重婚約していたことがどんなにひどいことか気づく。そんな中でいのちに導きキリスト教を教えてくれた前川正を病気で亡くした。ギプスに固定されたまま愛する者の死を聞くほかなかった綾子の苦悩は想像を絶するものであったろう。

 「笛の如く鳴り居る胸に汝を抱けば 吾が淋しさの極まりにけり」
 「背骨の一箇所痛む処あるをば告げずして 雨降るひるを臥し居つ」
                  『生命に刻まれし愛のかたみ』より

その後、前川正と瓜二つのクリスチャン、三浦光世と出会う。光世は前川の弟さんと間違えられたほどよく似ていた。そのとき綾子は未だ寝返り一つ打てない状態だった。光世は綾子の回復を待って4年後に旭川六条教会で結婚式を挙げる。

光世は信仰に導いてくれた前川の愛の記録を生涯大切にするように勧めた。『生命に刻まれし愛のかたみ』は、妻がかつて愛していた男性の追憶集であり、光世の存在なくしては成らなかった。あなたがあなたのままでいることを大切にしたいという「存在愛」の形を歌ったものは稀有なものである。

結核療養者同士の二人は祈りをもって結婚生活を始めた。
子どもがいるから結婚に意味があるのではなく「断念の愛」もある。子どもがあるなしに関わらず、相手が居ることを喜ぶというのが夫婦にとって第一のことだ。三浦文学は光世が口述筆記の係を引き受けることにより始まった。最初に夫婦は必ずお祈りをして書き始めると言う非常に珍しい姿勢で、最期の時まで変わることはなかった。

「許さずは許されじとキリストの言ひ給ひしを三十年許し難き一人吾にあり」
「少年吾に母を罵りし草野某忘れ得ぬは許されざることか」
神さまはゆるさないのは罪だと言われるが、僕はやっぱりゆるすことができなかったと、光世もまた素直に信じるようになったのではなく葛藤の中で信じられるようになった。従って二人の魂の合体である。

「吾のこの今日ある陰に信捨てし祖父の祈りもありしかと思ふ」
今は信仰を捨てていると言えども、いつも僕をかばってくれたおじいさんの祈りが僕を守ってくれていたのではないか。光世の信仰と歌と生涯は、綾子の中で醗酵して『塩狩峠』『泥流地帯』などに豊かに実り、作品に昇華されている。

4-23-8.jpg作家デビュー作『氷点』
『氷点』は終章の陽子の遺書から書き出されたというから、三浦さんのテーマ、モチーフだったと言っていいかと思う。

「けれども、いま陽子は思います。一途に精いっぱい生きてきた陽子の心にも、氷点があったのだということを。私の心は凍えてしまいました。陽子の氷点は、『お前は罪人の子だ』というところにあったのです。私はもう、人の前に顔を上げることができません。どんな小さな子供の前にも。この罪ある自分であるという事実に耐えて生きて行く時にこそ、ほんとうの生き方がわかるのだという気も致します。けれども、今、『ゆるし』がほしいのです。おとうさまに、おかあさまに、世界のすべての人々に。私の血の中を流れる罪を、ハッキリと『ゆるす』と言ってくれる権威あるものがほしい」。

これが一番伝えたかったことであるが、日本古来の「継子いじめ」として伝わり失敗作だと嘆く。「私の筆が足りなくて、私が本当に言いたかった、キリスト教の原罪ということが十分にはわかってもらえなかったんですから」と。この小説の主題は、神に向かうべき人間が的をはずし、金や名誉や地位の方を向いて自分中心に考える「原罪」なのだ。

「神の痛みの神学」で有名な北森嘉蔵牧師は、三浦の原罪理解を行き届いたものとしながら、「しかし、『的をはずれる』のは罪の定義ではあっても、ただちに『原罪』の定義にはならない。

むしろ詩篇78章56〜57節の『狂った弓』、つまり矢ではなく弓、行為ではなく人間の側に歪みがある、それが原罪なのだ」という。大切な指摘である。

「そうせざるをえないこと」をして「そうしたいこと」をする、それが原罪である。アウグスティヌスは「幼児は罪がないのではなく、単に罪を犯す能力がないだけである」と言った。すべての人間のなかに罪があるというのだ。

また北森は、陽子のなかに「身代わりの苦しみ」ともいうべきものがあると興味深い指摘をしている。本来殺人者の子ではないにも拘わらず罪ある者として裁かれた陽子は、イエス・キリストを指し示す存在で、それ以上に大事なのは陽子の絶望だ。

ここには「地上で罪をゆるす権威をもっている」(マルコ2章10節)と宣言されたイエスの言葉への渇望がある。したがって、贖い主「イエス・キリストを知らなかったことが、陽子にとっての真実の『氷点』だったのである。」と結論される。

陽子は「自分の中の罪の可能性を見出した私は、生きる望みを失」ったのだと思う。その罪がなんであるか明確には描かれていないが、兄の徹とその親友北原邦雄という二人の異性の求愛の前に、かつて自分が憎しみ嫌悪してきた母夏枝と同質の自己中心的な誘惑性を自覚したことが大きいのではないか。

自分の義しさが一点でも崩れたとき、陽子は己を支えることができなくなった。それが陽子のなかにある罪の自覚と贖い主との出会いが、『続氷点』で描かれなければならなかった理由だ。

韓国で『氷点』が出版される時『原罪』として出版されたという。佐古純一郎は、クリスチャンにわかってもらえる前提で書いたらどうかと『塩狩峠』を書くことを勧めた。日本人をクリスチャンにしようとした『氷点』ではなく、『塩狩峠』が日本人に届き、イエスさまを信じて生きたい物語を届けることができた。

朝日新聞社の1千万円懸賞小説に『氷点』が入選したとき、朝日の学芸部にキリスト教を理解する門馬義久記者(現役の牧師)がいた意味は大きい。

夫・光世さんは懸賞金1千万(内450万は税金で徴収)は「わたしたちは1円も手をつけないようにしよう」と、背広一着、ネクタイ一本も買わなかった。綾子の13年間の療養生活で多額の借金を背負ったお父さんに、教会の献金、療養中物心両面でお世話になった方々への挨拶などに使い、テレビを購入したのは10年後のことだったので、テレビ放映された「氷点」のドラマは見ることができなかった。
このほか、ピューリタンの生と死『塩狩峠』、ヨブ記としての『泥流地帯』『続・泥流地帯』、昭和への遺書『銃口』なども時間の許す限り語ってくださった。

附記:
▼ この日、学びの前に2018年度の総会を開催、会計報告も承認された。担当者選出ではメンバーのやむない事情で、今年度も書記(12年目?)・会計(7年目)・例会係(4年目?)をお引き受けした。

▼ 毎年6月と11月は千里ニュータウン教会を会場にしていたが東牧師が召天されたので、今後は大阪方面や神戸方面で会場を捜したい。

▼ 次回6月16日(土)は、梅花女子大学(大阪府茨木市)で開催することが決まった。講師は京都外大の長濱拓磨先生、講演のタイトルは「柴田錬三郎『眠狂四郎』と遠藤周作『沈黙』 ー切支丹物をめぐる二人の交流を中心としてー」。
posted by 優子 at 07:00| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2018年04月27日

朝鮮半島南北首脳が境界線を超えた!

今日は歴史的な一日と朝から報道番組を見ていた。
分断の象徴である軍事境界線を徒歩で超えて韓国領内へ入った金正恩氏。次に金正恩氏の声かけに応えて文在寅大統領が向きを変えて北朝鮮へ入った。正恩氏から手をつなぐ所作が見えた。手をつないで笑顔で話しながら境界線を越えて北朝鮮に入る二人の姿に強く胸を打たれた。

この時、36か国のメディアが集まっているプレスセンターで大きな歓声が上がったという。みんな誰だって平和を望んでいるのだ!

70年間も分断されてしまった不幸な歴史、これを機に分断された民族が統一されますように!
そもそも大韓帝国として存立していた朝鮮半島を日本軍が侵略したことに始まる。第2次世界大戦で敗戦した日本は撤退。そのあとにソ連とアメリカが半島を統治しようと乗り出して分断に至った。日本人はそのことを意識しているのだろうか。心が痛む。

分断後の北朝鮮の内政により国民の悲惨さは増し加わった。金正恩氏を見ていると父から子へと受け継がれた悪を忘れさせる表情だった。
しかし、韓国の人々、また北朝鮮や世界中の人々が彼をゆるしても神さまはゆるされない。しかしまた、全世界の人々が彼をゆるさなくても彼が悔い改めるならば神さまはゆるしてくださると、心の中で彼に語りながら見ていた。金正恩氏の悔い改めと南北平和への導きを祈るばかりである。
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金正恩氏は言った。
「ここにたどり着くまで11年かかった。(軍事境界線は)簡単に超えられた」と。

多くの評論家は金正恩氏の本意ではないという。誰にも本心はわからない。しかし私は祈る、パンムンジョム(板門店)が平和の象徴となりますように、神の憐れみを切に祈る。そして、拉致された人々がすぐにでも母国に帰ってくることができますように。ご両親が命あるうちにと祈る。

「完全な非核化を通じて核なき朝鮮半島を実現する!!!」
決して過去に戻ることはないと!!!
私はパンムンジョム共同宣言を喜ぶ。
posted by 優子 at 18:07| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年04月26日

家庭訪問の季節 ―新たな出会い―

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写真は4月4日に写したハナズオウ、今春覚えた花の名前だ。
「ハナズオウが咲くと家庭訪問の季節を思い出す」とは、南アルプスと中央アルプスが見える伊那盆地で育った親友のNさん。いつまでも残っている懐かしい光景は人生の宝だ。
関西ではずいぶん前に花は去り、すべてが新緑、サクランボの季節である。今年も新年度が始まり、孫の小学校では先週末に初めての授業参観と懇談会、PTA総会があり、今日は家庭訪問最終日。

例年通り一番遅い時間を希望して、知子は慌ただしく夕方に帰宅した。私も幼稚園の家庭訪問時より同席させていただいている。時には先生から電話を受けることもあり、互いに顔を知っておく必要があるからだ。

4-26-1.jpg昨年に続いて今年も新任の男性の先生である。担任を持つのは初めてという25歳のフレッシュマンとお聞きしていたので、期待と少々の不安が相半ばしていたが、今年もまた素晴らしい出会いが備えられていた。

最終番とあっていつも予定時間の10分をはるかに超え、今日は1時間も話し込んでしまった。最初は遠慮がちに先生と知子の会話を聴く側にまわっていたが、そのうちに会話に加わり教育について熱く語り合った。フレッシュマン先生は何事にも問題意識が高く、その要となる理念をしっかり持っておられ深く共感し合った。

4-26-10.jpg私はあまりに感動していつまでたっても高揚感が冷めやらず、心地よい疲れと腰が痛くて(24日朝にぎっくり腰になったので)ソファーに横になった。
気がつけば「今の世の中も捨てたもではない」としみじみ語っていた。あの時、近藤さんは今の私が味わっている気持ちを感じてくださっていたのだと思い出し、近藤さんを偲んだ。

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これは1990年3月に発行された「東大阪読書友の会」会報『かわちの』38号に書いてくださった故近藤一さんの文章だ。
私が読書会に入会して2年後であり、書かれた内容は1989年8月、私に代わって6年生の知子が出席した時のこと、私は37歳だった。
以来、近藤さんは「知子ちゃん」「知子ちゃん」と愛してくださり、お手紙と共に何冊も本を贈ってくださった。

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4-26-4.jpg「知子ちゃんへ  また好い本を見つけたら送ります。佳い本を沢山読んで下さい。心が広く美しくなりますから」。

振り返ると、これまで多くの人たちに愛され支えられてきたと深く気づかされて目頭が熱くなった。今日の家庭訪問を通してその思いを強く感じて近藤一さんを偲んだ。もう一度お礼を申し上げたいのにお会いできないのが耐え難く、地団太踏んで泣きたいほどだ。

当小学校はここ数年の、特に保護者側の異様な在りように違和感と問題を感じているので、私は機会を見て近いうちに校長を訪ねようと思っていただけに、健全な精神のフレッシュマン新任教師との出会いに計り知れぬ喜びを感じ、忘れていた感情が完全によみがえり、私の内側から情熱と意欲が湧き出るのを覚えた。

若い精神に触発されて神さまからの励ましと新たなるチャレンジをいただいたような気がする。長く保持して励みたい。

2018.4.23.jpg今年度、知子はPTA委員になり、学級委員と文化部。当校では学級委員もまた各種委員会のどこかに所属しなければならない。文化部といっても正しくは広報の仕事だ。
しかし、本来のPTA新聞のようにPとTが共に考える紙面づくりではなく、幼稚園と各学年の写真を貼った行事記録だけのようである。
幸いメンバー全員が違和感なく会話が成り立って心を通い合わせることができるのは神さまのご配慮と感謝している。良き出会いへと深まっていけばいいなと思う。

子どもを授かった人は、子育てを通して自ら育ち直していきながら自己を確立していかねばならないと思っている。高齢者になった今もえらそうなことは言えないが、私が子育て中に最も重要視したことを今日もお話ししたことだった。

「誰々が言ったから正しいのではなくて、誰々がどんなことを言ったから正しい」と、自分の頭で考える人になってほしいと。(それはここに記録している)

考えや思いを分かち合える喜びは人生の生きがいだ。
ユキ小学5年生の春、時は初夏、輝きの季節である。息絶え絶えだえだった私は再び気力横溢して歩み始める。

自分自身の喜びに浸ってユキのことを書き忘れていた。ユキは優秀だという。4年生の学習に躓いている子がたくさんいるのに先日も100点取ったと。何事も目立っている。良いことで目立っているから誉めてあげてくださいと言われて驚いた。

帽子ボロボロ.jpg2年前、上級生の真似をしてわざと帽子のツバを折ったユキ。すでにこんなに破れて卒業まで使えるのだろうか。思い出になる帽子は6年間使用したものがいい。ユキの小学生時代を抱きしめるために。
「カナヘビトカゲは目がクリクリしてかわいい。一匹○○にあげたから3匹入ってる」。
5年生になっても大きなケースに入れて登校した。
posted by 優子 at 23:07| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年04月22日

「家の教会」雑感

4-22-4.jpg今朝は町内会の集まりに、午後はユキが昨日に続いてサッカー教室のため、今日の礼拝は聖書輪読と祈り会で終わりました。

輪読箇所はルカによる福音書17章、知子とユキの3人でしたが、誘えば良輔も参加したと思います。同じ部屋に在席していました。

私はこの箇所から、私たちの信仰がからし種ほどに小さくても、本物の信仰ならば神さまの力が信仰を通して働くというメッセージを受け取りました。

4-22-5.jpg昨日は日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック例会の帰りの電車でペン友と話していた時、統計によると信仰に導かれた人が生涯信仰を失わない人は4分の一だと聞き、なるほどなぁと考えさせられました。というのは信仰生涯を全うするということの重さ、恵みの大きさ、また、至難さを思うからです。

そのとき私は内村鑑三のこんな言葉をお話ししたことでした。

「私は少年のころ洗礼をうけクリスチャンになった。その時から今まで信仰生活を続けてきた。そして伝道するようになった。かえりみて、信仰的には一向進歩したとは思わないが、今まで信仰生活をやめなかったこと、伝道をやめなかったこと、それが感謝である」。

著名な神学者(旧約聖書学者)の故浅野順一牧師も語っています。
「私もそうだと思います。信仰者が曲がりなりにも生涯変わらず信仰の道を歩んでゆくのは、それは、たいへんなことだと思います」と。

4-22-3.jpg内村鑑三や浅野順一のようなりっぱな人物と自らを同列に並べて申すのは口幅ったいことですが、私もまた感謝するのです。

そして、「家の礼拝」を始めて1年ほど経った頃から強く感じますのは、聖書を読み、祈っている時に最も神さまが働かれるということです。

それに関連して、今冬高校時代のテキストの一冊だった浅野順一の『旧約聖書入門』を読み直していた時に、そのことを裏付けてくれるような内容が書かれていました。

★ 聖書はできるだけゆっくり、考え考え読むために音読するのもよかろうし、またできれば数人で輪読するのもよい。輪読から自分自身で会得するところは非常に大きいものがある。

★ 聖書の参考書ばかりを読んで聖書そのものを読まぬことは、聖書の勉強からいって外道ともいうべきものであろう。

★ 旧約のうち何か一書について注解を用いて丹念に勉強することも結構であるが、注解書にとらわれる必要はない。注解書は参考にしかすぎぬのであって聖書を読み、それを理解する者は自分自身だからである。

★ 聖書との関係は直接的でなくてはならず、説明つきでなければ、と言うのではだめです。(略) 牧師の説教や注解は参考にしか過ぎません。それ以上を注解や説教に期待しますと、期待されるほうで困ってしまいます。聖書は自分で読むべきであります。

★ 自分の理解や解釈をあまり主観的な勝手気ままなものにしないために、参考書を用いる程度に止めておけばよい。

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礼拝は抱えている問題を持ってままで神さまの御前で安らいで、日常のすべての事から解放されて神を讃美し、新たなる希望という力と導きをいただく時。礼拝は時間があるからするのではなく、時間を聖別して神にささげる時。

ユキは高学年になり思春期に入っていく年齢に達しましたので、人生とは何か、人は何のために生きるのか、また、生きる上で最も大切なものは何かを、イエスさまのみことばによって共に考えながら進めていきたいと思います。

4-22-1.jpgついでながら浅野順一は、エレミヤにおける「真実」の意味とは、単にまことであり正直だというばかりではなく、「現実に対して目を覆わないこと。現実がどんなに辛く、どんなに嫌であっても、それをはっきり見る正直さと勇気を失わないというものである」ということに深く頷かされました。


昨日の日本クリスチャン・ペンクラブ例会の学びで、大田正紀先生が語られた「証しとしての文学ー三浦綾子」の要諦は近々お分かちしたいと思います。

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附記:聖書輪読会のあと、夫と食料の買い出しに行き、ついでにデジタルカメラを買った。これまでの20倍ズームから40倍になり、遠くのオオバン(水鳥)もこんなに鮮明に写せて感激したが、大きさも重さも2倍になったのが難点。この画面の5枚は全て新機種で撮ったものである。

私がデジタルカメラを使い始めたのは遅く2009年春からである。1台目は2009年4月から5年間、2台目は20014年・ユキの幼稚園卒園式の時から4年間、今も利用しているが24000枚以上撮っているので今回のセールで買った。

午後3時過ぎ、義母の世話と町内会の用事を終えて、久しぶりに夫婦で歩いた。夫は昨日、岡寺の牡丹とシャクナゲが観たいからと独りで飛鳥へ出かけて石舞台も見学していた。

「独りで行って家族連れを見てさみしくなかった?」
 笑って頷く。
「家庭円満で独りだったらさみしくなくても、不和で独りは辛かったんとちがうん?」
 夫はやっぱり笑って首を横に振った。
「だからあかんねん。。。hopelessやなぁ」

posted by 優子 at 23:31| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2018年04月19日

春はやっぱり喜び、いのちの輝き!

スイセン、ハクモクレン、桜から始まった春も今やたけなわ。次から次へと花が咲き百花繚乱の春。我が家に咲いているのは名残のチューリップだけだが、外に出ると小鳥たちの囀(さえず)りを聞きながら自然界の営みに目を奪われる。

ウグイス、イソヒヨドリの鳴き声しか聞き分けられないけれど、小鳥たちのかわいい声が飛び交う。ささやかな自然の中もまた "Nightingale Serenade" の世界、疲れた心を癒してくれる。
久しぶりの青空、気持ちの良い春の日。

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新しい葉に入れ替わったクスノキ。

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初めて見る花、名前をしらべなきゃ。

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何ていう花だろう、サルスベリに似ている。

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これも初めて見る花、美しいね。

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昨日の青く写っていたのは雨粒だったと思う。

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これも初めて見る花。

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空いっぱいに枝を広げるハナミズキ、気持ちよさそう。

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チロリンソウと教えてもらった花。
正式名はウキツリボク(チロリアンランプ)だって。

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裸の幹から直接小さな新芽を出していた。
これはどんな木だろう、花を咲かせるのだろうか。
公園の中にある木なのに全く見えていなかった。

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これはタイサンボク。
花は天に向かって咲くと教えてくださったあるじは
高齢になられてグループホームに移られた。

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淡いピンクの蕾が慎ましい。
花も何て麗しい色だろう。

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まもなく開花するツツジ。

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愛らしい春の花。

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こんなにも楽しませてくださる神さまに感謝しつつ今日も春を楽しむ。

庭のチューリップも今日もこんなに力強く咲いていた!
このまま姿を消さないでほしい・・・
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チャッピーがいたらいいのにな・・・
チャッピーがいなくなって3度目の春。
チューリップは21日に姿を消した。
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2018年04月18日

いのちの輝きとはかなさ織りなす春

「主よ、わが終わりと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください」。(詩篇39篇4節)

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ワラビが出ていた。

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色づき始めたサクランボ。

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ヤマフジ

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シャクナゲ

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2度の雨にも耐えた遅咲きの桜

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オオデマリ

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この辺りに来ると空気が一段と澄み
霊肉共に生き返る心地す。

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今朝まで降っていた雨に打たれて、
羽の濡れたひな鳥のよう。

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ヒメオドリコソウ

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花の時を終えたユキヤナギ。

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今、われ咲く時!

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根元から切られても芽を出す強さ。

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息をのむ美しさ!

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こんな模様のシバザクラ。

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これは初めて!
植えられている花にも魅かれてしまった。

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これはモミジの花。

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青く見えるのは何だろう。
もっとしっかり見てこなくては!

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何という美しさ、これもチューリップ!

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左は赤エンドウ豆。
私が最も心安らぐ眺め。

そして、春の野原もまた。
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私の原風景にある祖父を思い起こさせる矢車草。

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今年も矢車草が咲き始めた。
posted by 優子 at 20:52| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年04月17日

ブルンナー読書会S ―二種類の悲しみ―

IMG_3319.jpgこれは4月14日(土)の記録である。

今回はエーミル・ブルンナー著・下村喜八訳『フラウミュンスター説教集T』の9回目、説教のタイトルは「二種類の悲しみ」。
開会礼拝:讃美歌90番「ここも神のみくになれば」(知子奏楽)、聖書朗読とお祈り(知子初当番)。

コリント人への第2の手紙7章8節〜10節:
 7:8 そこで、たとい、あの手紙であなたがたを悲しませたとしても、わたしはそれを悔いていない。あの手紙がしばらくの間ではあるが、あなたがたを悲しませたのを見て悔いたとしても、
7:9 今は喜んでいる。それは、あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めるに至ったからである。あなたがたがそのように悲しんだのは、神のみこころに添うたことであって、わたしたちからはなんの損害も受けなかったのである。
7:10 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。
私の感想:
私が本当に主イエスと出会うまでは、病気や災難など自分の責任によらない悲しみが「神のみこころに添う悲しみ」であり、自分の愚行から出たことはそうではないと感じていた時があったような気がするが、ある時ユダのことから「いや、そうだろうか」と立ち止まって考えさせられた。

ペテロはユダと同じようにイエスを裏切ったが、ユダはペテロと違って自ら命を絶ってしまった。と言うことは、嘆き悲しみ、愚かさに気がついたあとに、救いに至るものと滅びに向かうものがあるということではないか。

ペテロは恐怖に負け、ユダは金に目がくらみ、共に無垢の苦しみゆえの悲しみではなかったのに、2人の末路は天と地の違いになった。

と言うことは、悲しみ自体がどうのこうのではなく、抱えている問題が身から出た錆であるかないかでもなくて、悔いも嘆きも、悲しみも苦しみも、それらをどのように通過していくかだと気づかされる。

詰まるところ神に祈るかどうかが、救いか滅びかの分かれ道であり、「神の御心に添った悲しみ」というのは、神を主と認め、神に祈るかどうかで決定される。ユダは神に助けを求めるべきだった。

大きな試練が来た時、私たちも初めは利己的な祈りをするのだろうが、祈りの中で神さまが触れてくださり、祈りが変えられていく経験を何度もしている。悔い改めは神さまがなされることであり、自力でできるものではない。


知子の発表:これは4月14日(土)午後、3時間集中して作成したもので、これをもとに発表した。(マチ・クマにはエクセルのデータを送ります)

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下村さんレクチャーのノートテイク:
罪とは間に生じる人との関係に起こる人格と人格の間で起こる。従って、誰かに対する罪であり、それは神に対する罪である。

・一方の悲しみは救いをもたらし、他方の悲しみは死をもたらす。

・イエス・キリストによって新しくなるという意味は、陽光が絶えず射すキリスト教とは何の関係もない。それは宗教的な幻想である。

・救いに至らせる悲しみは神から来ており、救いに至らせない悲しみはこの世から来ており、両者を識別する決定的な標識は、「悔い改め」にある。

・正しい悲しみは悔い改めに導く悲しみであり、それは回心の時にしか体験しないようなものではなく、庭の雑草取りのように絶えず行わねばならない。悔い改めによって、問題なのは本来私自身であるという認識にまで突き進まねばならない。

・神を妨げている自我、神と隣人を愛するよりも自分自身を愛する自我、是が非でも自己主張する自我、これこそ人間の本来の病、聖書が罪と呼んでいるあの病です。

「十字架の愚かさと躓き」(P63、lastより8行目〜P64,4行目)でも学んでいる。
「われわれは、自己の悲惨の深み、従って人類がその一切の進歩にもかかわらず病んでいる、あのすべての悪の根源をまだ見ていません。私は私の本質の深みにおいて転倒している、神を喪失し、自己を追及して神を回避しているということ、ほかならぬこの認識こそ重要なのです。(後略)」
転倒した命、転倒した生。

ルターは人間を、「おのが内へと屈折した心、したがって究極には自己自身を愛し、神と隣人を愛さない心」と定義しています。

自分の罪深さがわかって、キリストと共に十字架につけられることによってのみわかる。キリストと共に十字架につけられることによってのみ悲しみがわかる。

悲しみは悔い改めと一つになっている。自分の罪を知り、愛の認識が深まり、罪の認識が深まり、そしてまた、愛の認識が深まるというように、ないまぜになって進んでいくように思われる。出口のある悲しみである。

・「その時、あなたは、自分自身が神との和解を得ていること、神と結ばれていること、そして新しい生にあずかっていることをも認識するのです」。これらは一挙に起こると思う。

4-17-21.jpg・自己憐憫から生じる悲しみは出口を持たず、ますます問題と悲惨の中へ入り込んでいくだけだが、悔い改めを生む悲しみは出口をもっている。その出口とは、イエス・キリストの十字架を通って復活と永遠の世界へと至る出口である。

次回は、5月19日(土)。次回より学びの最後に一人ずつお祈りして閉会する。

4-16-6.jpg附記:下村さんは知子の発表を感心してくださり、「ゼミでは『優・良・可』のどの評価をつけられますか?」とお聞きすると「秀です!」と仰り、―私の発表はギリギリ「可」をもらえるかどうかだから―我が子が褒められるのは自分のこと以上に嬉しかった。

posted by 優子 at 21:13| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2018年04月15日

家の教会2018O −ヒゼキヤが失ったもの―

4-13-14.jpg2018年4月15日(日) 
       (2018第16回 家の教会)
9時20分〜10時20分
出席者3名(with良輔&ユキ)
@初めのお祈り
A主の祈り
B讃美歌    199番「わが君イエスよ」
C聖書輪読     列王記下20章1節〜19節
Dお話     優子
Eお祈り    1人ずつ
F頌栄     讃美歌541番「父、御子、みたまの」
知子は講演会参加のために全日外出。
ユキに先週のホセアの話もしたので長くなった。
列王記下20章1節〜19節:
20:1 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子預言者イザヤは彼のところにきて言った、「主はこう仰せられます、『家の人に遺言をなさい。あなたは死にます。生きながらえることはできません』」。
20:2 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った、
20:3 「ああ主よ、わたしが真実を真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください」。そしてヒゼキヤは激しく泣いた。
20:4 イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、
20:5 「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。
20:6 かつ、わたしはあなたのよわいを十五年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守るであろう』」。
20:7 そしてイザヤは言った、「干しいちじくのひとかたまりを持ってきて、それを腫物につけさせなさい。そうすれば直るでしょう」。
20:8 ヒゼキヤはイザヤに言った、「主がわたしをいやされる事と、三日目にわたしが主の家に上ることについて、どんなしるしがありましょうか」。
20:9 イザヤは言った、「主が約束されたことを行われることについては、主からこのしるしを得られるでしょう。すなわち日影が十度進むか、あるいは十度退くかです」。
20:10 ヒゼキヤは答えた、「日影が十度進むことはたやすい事です。むしろ日影を十度退かせてください」。
20:11 そこで預言者イザヤが主に呼ばわると、アハズの日時計の上に進んだ日影を、十度退かせられた。
20:12 そのころ、バラダンの子であるバビロンの王メロダクバラダンは、手紙と贈り物を持たせて使節をヒゼキヤにつかわした。これはヒゼキヤが病んでいることを聞いたからである。
20:13 ヒゼキヤは彼らを喜び迎えて、宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は一つもなかった。
20:14 その時、預言者イザヤはヒゼキヤ王のもとにきて言った、「あの人々は何を言いましたか。どこからきたのですか」。ヒゼキヤは言った、「彼らは遠い国から、バビロンからきたのです」。
20:15 イザヤは言った、「彼らはあなたの家で何を見ましたか」。ヒゼキヤは答えて言った、「わたしの家にある物を皆見ました。わたしの倉庫のうちには、わたしが彼らに見せない物は一つもありません」。
20:16 そこでイザヤはヒゼキヤに言った、「主の言葉を聞きなさい、
20:17 『主は言われる、見よ、すべてあなたの家にある物、および、あなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物の、バビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはないであろう。
20:18 また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られ、バビロンの王の宮殿で宦官となるであろう』」。
20:19 ヒゼキヤはイザヤに言った、「あなたが言われた主の言葉は結構です」。彼は「せめて自分が世にあるあいだ、平和と安全があれば良いことではなかろうか」と思ったからである。
20:20 ヒゼキヤのその他の事績とその武勇および、彼が貯水池と水道を作って、町に水を引いた事は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。
20:21 ヒゼキヤはその先祖たちと共に眠って、その子マナセが代って王となった。
お話:

4-13-17.jpgこの箇所はヒゼキヤの病気とバビロンから見舞いに来た使者の物語です。「そのころ」というのは6節から類推して紀元前701年のエルサレム包囲のことと関連するということです。

旧約時代においては寿命は神に従う生き方と深い相関関係があり、長寿は神の大きな祝福であると考えられていました。ゆえに39歳にしてヒゼキヤの死の病の原因は深刻です。

ところが18章5節〜7節には正反対のことが書かれています。

18:5 ヒゼキヤはイスラエルの神、主に信頼した。そのために彼のあとにも彼の先にも、ユダのすべての王のうちに彼に及ぶ者はなかった。

18:6 すなわち彼は固く主に従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。

18:7 主が彼と共におられたので、すべて彼が出て戦うところで功をあらわした。彼はアッスリヤの王にそむいて、彼に仕えなかった。

ヒゼキヤは主に在って敬虔な姿勢で、王として自国内外の危機管理に励みました。歴代誌下32章7・8節にもあるように、敵の脅しにも屈せずに民を励ます信仰の人でした。

「心を強くし、勇みたちなさい。アッスリヤの王をも、彼と共にいるすべての群衆をも恐れてはならない。おののいてはならない。われわれと共におる者は彼らと共におる者よりも大いなる者だからである。彼と共におる者は肉の腕である。しかしわれわれと共におる者はわれわれの神、主であって、われわれを助け、われわれに代って戦われる」。民はユダの王ヒゼキヤの言葉に安心した。

しかしいつしか熱心に励んだゆえの高ぶりの罪に捕らわれてもいたのです。「私は主に在って多くの善を成した」というヒゼキヤの驕りを砕くために、神さまは苦悩を与えられたのですが真剣に祈るヒゼキヤの願いを叶えてくださいました。

このことから神さまが決定を下した後でも覆されることがあり、ヒゼキヤは神さまに祝福された人物であったことがわかります。

主から与えられた癒しのしるしは、「アハズの日時計を十度あとに戻す」というものでした。「アハズの日時計」とは、アハズがソロモンの神殿の西側に設けた王の入口の階段のことで、これを日時計として用いていました。

「十度」とは「十段」のことで、時を戻すというのは大いなる奇跡です。ヒゼキヤは苦悩の中で神さまの恵みに触れて真に神さまを知り、その時はじめて苦悩を通して感謝に至ったのです。

「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。これは、あなたがわが罪をことごとく、あなたの後に捨てられたからである」と。(イザヤ書38章17節)

ところがこのヒゼキヤが病を癒された喜びで迂闊になったのでしょうか。当時はまだ小国でありましたがバビロンから来た見舞いを喜んで、倉に納めてあるものを全て見せたというのです。つまり国の内情を見せたということですが、何よりも自らの功績を誇るという、神さまへの信頼を忘れた愚行をしでかしてしまったのです。

これを「気のゆるみ」とか「軽率な行為」と言うのでしょうが、これが私たち人間の実相なのです。神さまに死の宣告をされたにも関わらず癒されたのに、後に迎えるバビロン捕囚という裁きを告げられたのです。

その時のヒゼキヤの言葉に驚きます。自分が生きている間が平和で安全ならば良いとは、かつて信仰をもって国を治めていたヒゼキヤの魂は完全に失ってしまっています。

まさに「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。」(ルカによる福音書9章24節」とイエスさまが言われたとおりです。

そして、ヒゼキヤの子マナセ(ユダ王国14代目)は、偶像礼拝を復活させ悪行を尽くし、その罪がユダ王国滅亡の原因となりました。

ヒゼキヤから多くの教訓を学び取りたいと思います。人生が順調な時ほど要注意なのです。驕りが人生を取り返しのつかないことにしてしまいます。神の言葉に従う時に祝福が伴うことを忘れてはなりません。

なお、エルサレムの城壁の中に造った地下水道(ヒゼキヤ・トンネル)は1880年に発見されました。今から2700年前にヒゼキヤがアッシリヤの脅威から水源を確保するために造ったものです。

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2018年04月13日

ハナミズキに魅せられて

自然界は神秘であり、私たちが生かされていること自体が神秘だ。

「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である」。(詩篇100篇3節)
「汝自らを知れ」とギリシャの哲人は言います。しかし、自分の造り主を知らずに、自分を知ることはできません。私たちは造られたもの、造った方のもの、その方に養われるものです。この謙虚さがないかぎり、いつまでも自分はわかりません。主を知るほどに、自分のなすべきことが見えてきます。

春が深まり新緑が輝く季節を迎え、ヤマフジが咲き始めた。新緑と青い空、陽ざしに輝く木や花に惹きつけられる。

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今までハナミズキは特に好きな花ではなかったのに、
この春生まれて初めて惹きつけられた。

ここ何年も歩かなかったので知らなかったのかも知れないが、
今春のハナミズキは特に生命力に溢れ、
花の勢いと色の鮮やかさに目を見張る。

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遅咲きの桜かと思って近づけば、これもハナミズキだった。

花が開き始めた時の姿にも驚いた。
まるでフクロウの顔みたい。
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なんて個性的な花だろう。

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何枚撮っても飽きず、花の数だけ撮りたかった。

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5ミリほどの花に止まった1センチほどの小さな蝶。

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ドウダンツツジ

「あなたがたの高慢はよくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか」。(コリント人への第一の手紙5章6節)
一片の高慢が人生全体を狂わせます。自己過信は精神の動脈硬化を引き起こし、血管を脆くさせます。しかし、一片の謙遜さえあれば、心は和らぎ、寛大になり、人から慕われ、仲間が増え、将来に希望が広がっていきます。とにかく見栄を張らずに生きましょう。

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桜の季節が終わった今から最も好きな季節が始まる。
この寒い冬の日にも何度も想っていたサクランボの実る頃
神を身近に感じながら生きる幸せ。明日はブルンナー読書会。
posted by 優子 at 22:48| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年04月11日

試練の春を往く人々を覚えて

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これは吉野山、4月のカレンダーの写真より。
30年以上も文字だけのカレンダーを利用していたが、
今年度から景色入りのカレンダーにした。

美しい風景を貼るのも季節のタイムリーさを逃さないように、今こそ吉野の桜! とは言え関西に住んでいて私はまだ行ったことがない。

桜が咲き始めるころから自然界は日に日に変わり、日々記録しておきたい衝動を押さえて何度も見たいものだけでも記録しておきたい。せめて1日前の花ならば受け入れられる。

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ツツジがほぼ満開の所もあった。

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池の周りの名残の桜。
今から開花する桜のマイペースさがいい。

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今日行けばフリージアは全てなくなっていた! なぜ?!

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お気に入りの今年初めての品種に見とれる。

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陽ざしに輝く花も見入ってしまう。

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これは今日の裏庭で見つけたハルジオン。
昨春の感動があまりにも激しかったので二日酔いの感じ。

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ミヤコワスレ

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ナルコユリ

そして短い散歩に出た。
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これは「ベニバナトキワマンサク」。

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あちこちで見る今春記憶した花。
名前を調べると「ツルニチニチソウ」だった。

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圧巻! 吹き出したモミジの若葉。

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春の名残の風景。

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今朝は10時半から国会中継があるので30分ほどで帰宅するつもりが、知人に呼び止められたり初めての人と話したりで遅くなってしまった。この写真を撮ったら大急ぎで帰ろうとしたら3人目のMr.kさんに声をかけられて30分間も話していた。

昨日膀胱癌の再発がわかって3回目(ポリープの時から数えると12回目)の手術をされる。人生についていろいろと話してこられた。
2週間前に初めて親しくお話しした女性は、「元気になったら山野辺の道を御一緒に歩くのを楽しみにしています」と言われ、昨日肺がんの手術をされた。

愛する人を亡くされる方も絶え間ない。試練の春を通られている方々の上に神さまのお守りがありますように祈ろう。そして、福音をお伝えすることができますように。

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柿の新芽

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posted by 優子 at 23:41| 随想 | 更新情報をチェックする