知子は日曜日の午後もやらねばならぬことに追われ、私も3時間余りの睡眠時間では体調に自信がなかったので帰宅したのだった。
最近は毎回このような事情で欠席が続いているが、その時は資料を私の週報ボックスに入れておいて下さるのでありがたい。
今回は「聖書・憲法・原発」というタイトルで高見敏雄牧師が御講演された。その資料から上山修平氏の『放射能を聖書の視点から考える』(新教出版社刊)についてだけ記録しておきたい。
上山氏は日本キリスト教会横浜海岸教会の牧師で、京都大学工学部卒業後、放射線CTの設計開発に携わるが、問題を感じて牧師に転身した経歴の持ち主である。
まず、「理解されていない放射能の本当の危険性」として4点を挙げて説明されている。
@ 放射能の危険性は、その値がゼロになるまで存在し続ける点にある。
放射線障害については、怖さの全体がまだ分かっていない怖さ、それが放射能の怖さであることをしっかりと認識すべきである。
A 晩発性障害は、宝くじに当たるような確立的障害である。
安斎育郎氏は分かりやすく「癌当たりクジ型障害」と表現されている。宝くじと同じように、放射線を相当浴びても癌にならない人もいれば、わずか浴びただけで遺伝子が傷つけれてしまう場合もあり、確率的障害であることを認識しなけらばならない。
B 放射能の怖さは、生体内濃縮を起こす怖さである。
例えば、牛が微量のヨウ素131の付着した葉を食べ続けていくうちに生体内で濃縮され、その牛乳は数百万倍に濃縮されてしまう。
C 環境ホルモンの怖さは、すでに放射能に現れていた。
ナノ(10億分の1)やピコ(1兆分の1)という極めて僅かの量でも人体に蓄積して悪影響を及ぼすと言われている環境ホルモン(内分泌攪乱化学物質)は、原爆や原発によって20世紀半ばより空気中に拡散し続けている人工放射性核種についてすでに言えることであった。
つまり、自然界には存在しなかった物質を人類が作り出し、予想外の悪しき副産物に苦しめられている。そのような現代科学を代表するものこそが、核分裂や放射線利用なのである。
では、聖書から何を聞き取るべきか!
@ 創世記11章1〜9節(人間によるバベルの塔建設と神によるその停止)
人間が天まで届く塔を建設しようとした時、神が人々の言葉を混乱させて建設を停止させた。これは人間が神の領域まで入り込もうとする時に伴って起こる神の恵みの行為である。
神が人間には予想できない大きな不幸と悲惨をもたらすことを警告して下さったのであり、これを「神の恵みの停止介入」と受け止めるのかどうかは我々の判断に委ねられている。
A ローマ人への手紙8章18〜25節(被造物のうめき一核分裂の際の放射能)
自然界にウランのような放射性元素は存在するが、そのままの状態では濃度は薄く、連続して核分裂を引き起こし続けるような事態は起こらない。
上記の「被造物のうめき」の箇所を読むたびに、神の被造物の一つであるウランが呻く呻き、流す涙を人間がエネルギーとしているのではないかと思われてしかたがない。
B 使徒行伝24章25節(「正義・節制・来るべき裁き」を語るパウロ)
キリスト信仰を語るとき罪人を赦す主イエスの愛を思いがちだが、パウロは「正義や節制や来るべき裁き」について話したというのである。
相手により語る内容は異なるのだ、ということを思わされる。特に「節制」について語った点に注目したい。
人間の限りない欲望に対する自制心。信仰的に言っても、核の平和利用など本当にあるのかどうか、早急に考え直すべき時が来ているのである。
そして、上山修平氏はそのまとめとして、シュバイツァーが激怒したエピソードを紹介している。
かつてシュバイツァー博士は、ICRP(国際放射線防護委員会)が初めて一般人に対する線量限度を勧告したと知った時(1954年)、
「誰が彼らに被曝を許容することを許容したというのか(Who permitted them to permit?)」
と激怒したという(『新公害言論』P222参照)。
本来、神にしか決定できないはずのことを、しかも他者に害を与えることの許容量などというものを、人間が決定し始めたことへの激怒である。
この『放射能を聖書の視点から考える』は、『福音と世界』の2000年2月号「特集=東海村臨界事故の衝撃」に「東海村臨界事故から問われること―現代科学が生み出したものを聖書の視点から」と題して掲載されたものである。
上山氏は「3.11」の原発事故後、エレミヤ書を通して感じたことを次のように書いておられる。
「イスラエルにとってのバビロン捕囚が持つ意味と、日本にとっての原発事故が持つ意味との比較です。あの苦悩が『イスラエルの中のある人々にとっては』、深く自分たちの罪に気づかされ、『残りの者』となり、新しい信仰に導かれるきっかけになりました。
今回の原発事故は日本人をどのように変えるのでしょうか、また変えないのでしょうか。否、日本人と言うのは正しくなく、『日本人の中にある人々を』と言うのがイスラエルに起こったことからして正しいのでしょう」。
「今回の原発事故は日本人をどのように変えるのか、また変えないのか」とは、私が常に考えさせられていることであり、ここでは取り上げなかった大江健三郎氏が指摘している「『頑張れニッポン』イデオロギー」、「『大丈夫日本』精神」もまた同じ認識だ。
便利さと効率性のみを追い求める生き方を悔い改めてこそ「頑張れニッポン」は励ましとなるであろうが、人々との繋がり一色で突き進む日本の行く末が心配でならない。
横の繋がりだけではなく、何か大いなるものの存在に目覚めて縦の関係との座標軸をもって進んでいかねばとの強い危機感を感じる。
このことは生命倫理の問題も全て同じで、高度に発展し続ける科学といかに向き合うか。つまり絶対的価値観を持って管理しなければ人類の滅亡を加速させる。
書きたいことが泉のように溢れ出ているが強制終了しよう。
尚、前掲の聖書箇所は「続きを読む」に掲載させて頂いたので是非お読み頂きたい。
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