2006年03月29日

IMF奨学金からも合格の電話

先のブログを書いている時、真智子が嬉しいニュースをチャットしてきた。
人生の悲しみと喜びのコントラストが、あまりにも鮮明である。
喜びの時に入院中の父の容態が急変したこともあった。
非情な現実に支配されないためにも気持ちを転じて刻んでおこう。

今日、Japan−IMF Scholarship Program (IMF奨学金)から電話が入ったという。
学費免除で往復渡航券、書物などの雑費、健康保険料などのほかに月額1500ドル(年間18000ドル)支給される。
となれば、ミネソタ大学からの奨学金を辞退してIMFから行くことになるので、ミネソタでのTA(指導補佐)などの義務から逃れられ学業に専念できると喜んでいる。
3年目の夏休みにIMFのインターンシップに参加する義務があるが、それはいい経験になるだろう。
卒業時には、IMFに一度は就職面接を受ける義務もあるらしいが、ということは、もしも大学の教授職が空いてなくても、IMF職員として一般職ではなく研究スタッフとして仕事をするのだからやりがいがあると語っていた。

チャンスと自分の努力がうまくタイミングよく合致するのはめったにないのに、私は恵まれている。」と語った真智子。

東大での3年間、学問に打ち込んだ娘の日々を想う。
外人の主任教授は、「君は東大ではもう学ぶものは何もないから出て行け、出て行け。」と言われるそうだ。
やはり親として嬉しくて今の気持ちを刻んでおきたいのだけれど、
私は何も大きなことをやっているのではない。」と、今回帰省した時に言われたことを思い出す。
自分とは違う虚像が一人歩きされては困る。私はただ自分のやりたいことを熱心に励み、人生を大切に生きているだけだ。」と言われて、私が娘に重荷を負わせることがあってはならないと反省したことであった。

IMFからも電話だけで正式に文書が届いたわけではないが、努力が報われていくつもの大きな道が開かれた。

若い青年の魂には燃えるような勢いがある。
それぞれの夢に向かって燃える若い魂。
常に熱心に求める心の人に
良き人々との出会いが思わぬところにハプニングとして起きる。
今回のことも熱心に求め励む真智子に
またとない機会を与えられたのだ。

新しいビジョンが示された真智子。
再び神と共に新しい出発の時。
山頂を目指す若者に神の導きと守りがあるように。
そして、
苦難の中にある人達が今こそ神さまと出会われるように!
posted by 優子 at 22:26| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年03月22日

スタンダード「新しい季節のはじまり」より

読書会に入会して1年2ヵ月後の1989年4月に発行された会報『かわちの』第37号掲載文より。
       ・・・・・・・・・・・・・・ 
結婚して12年。
妻になり母になり子育てに追われて、いつしか自分自身であることを忘れていたように思います。
私から母親であることを除けば何も残らないような生活になっていた頃、徐々に子育てから解放されてきた私は再び自己への問いかけに気づきました。
人間とは何か、生きるとは、死ぬとは・・・・・これらは娘時代からの関心事でした。そして、今後の私にとっても最重要事項であると思います。

2500年前に書かれた『伝道の書』に

  先にあったことは、また後にもある。
  先になされた事は、また後にもなされる。
  日の下には新しいものはない。


とありますが、どんなに時代が進もうと新しいものは何もなくて、一人ひとりが日々の体験を通して、この世の真理を自分なりに確かめていくことが生きるということではないかと思っています。

それにしましても、読書の嫌いな者が読書会に入会させて頂くというのも珍しいものだと思います。
しかし常々、私の中に通奏低音として読書の喜びを知りたいという思いがありました。そして、自分に与えられた能力が何であるかを知り、それを今からでも開発しようと歩み始めた頃、読書会へ導かれたのです。

人間にとって出会いは大切であり、不思議なものだと思います。
人との出会い、書物や思想との出会い・・・・それらの究極において、神との出会いがあるのではないか。人は神と出会わんがために生かされているのではないかと思います。

そして、この読書会との出会いもまた私にとって新しい季節の始まりとなる大切な出会いであったと理解しています。
月に一度の集いは、母でもなく妻でもない一個の自己自身に戻れる時であり、いろんな人生の諸段階を歩まれる人々のお話は心の栄養であり財産になっています。
読書を伴侶とされる皆さんの知識の豊かさには毎回驚かされます。私には学者集団に見えます。
そして、それ以上に素晴らしいのは、お一人おひとりが物事を新鮮な目で見、自由な精神で心豊かに生きておられることです。

現在の私は、「聞けども聞こえず、見れども見えず」ですが、将来は聞き、見ることのできる心に育てていきたいと胸をふくらませております。

聖書に「外なる人は滅びても、内なる人は日々新たなり。」とあるとおり、私の人生も年を取るにつれてますます開花し、成長させていきたいものだと思います。
メンバーの皆様、読書会に不相応な者ですが、読書会の終身会員として末永くお仲間に入れて下さいませ。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この時、私は37歳だった。
神と共に歩む生涯に入れられて1年8ヶ月頃に書いたものである。
夫は43歳、長女は小学校5年生、次女は2年生だった。

それから17年。
今までの道のりを振り返り、深い感慨を覚える。


posted by 優子 at 08:36| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年03月21日

再び「新しい季節のはじまり」

2003年4月、今から3年前に綴った想いである。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     再び「新しい季節のはじまり」

『かわちの』に初めて寄稿した第37号の「新しい季節のはじまり」を読むと、いささか懐旧の感がある。あれから15年を経て娘達の自立への旅立ちである。

去年の春、長女は新しい仕事に就き、大阪府下ではあるが会社近くで独り住まいを始めた。
引越しの日、何もかも運び出されて娘の部屋は空っぽになり、喜ばしいことだとわかっていても慣れるまで本当に寂しかった。

そして、今春から次女も東京へ行く。
将来のことを悩みに悩んだ末に、やはり学問がしたいと大学院への道を選んだ。
夫も私も娘の向学心に対して喜んで支援してやろうと思う。
これから家族の構成も大きく変化し、狭い我が家でも2人抜けると空間が目立つだろう。

正直なところ、子供達の巣立ちと言うよりも、子供達からの自立という方がふさわしい。
母を亡くして3年が過ぎようとした頃、「ルー君(その頃の私の愛称で『ルー』とは『サル』の『ル』である)は、過去ばかり見ている。過去を振り返るのも大切だけれど、もっと未来に目を向けなければ!」と次女に諭された。

その1年後に父が亡くなった時も、娘達は退行的な感情に支配されそうになる私に、時を見ては声をかけ意欲を引き出そうとしてくれた。
今思うと、あのころ巣立ちの準備が完了したのであろう。

幸いにして子供達の巣立ちに間に合うように、私にも少しずつ母親の覚悟が備えられていた。
しかし、このような平凡な出来事にも熱い想いでいっぱいになり、私の中で優しくいつまでも生きてくれている父と母に語りかける。

再び「新しい季節のはじまり」である。
娘達から譲り受けたパソコンには、私への期待がいっぱい込められている。

     (東大阪読書友の会会報 2003年4月発行
               『かわちの』第51号より転載)

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この頃、長女はファイザー製薬のMRをしていた。
MR時代後半の週末には帰宅することが多くなったものの、帰宅しても仕事をしていた娘はゆっくり私にパソコンを教える余裕はなく、私もまた積極的に教わりたいという気持ちはなかったように思う。だから、パソコンは放置したまま5ヶ月間ほど埃をかぶっていた。

次女が東京へ発って夫婦2人の生活にも慣れた頃、長女はファイザー製薬を退社したので夫婦だけの生活は4ヶ月間で終止符が打たれた。
それを機会に新しいパソコンを買って長女に教わり、ついに私の人生にもパソコンが導入されたのだ。
2003年9月のことだった。

そして、この12日にもう1台買い足した。
というのは、使っていたパソコンに2〜3の不具合があり、もはや1日でもパソコン無しでは困る生活になってしまっている私である。となれば、次女の婚約者がシステムエンジニアでもあるから滞在中にセットアップして頂ければ好都合!。
以来、古いのは故障した時のスペアにして、14日から早速新しいのを使っている。
感謝(^−^)。

今また、新しい季節が始まろうとしている。
人生はいつもそうだ。
誰にとっても生きている限り、常に新しい未来にチャレンジしていくのだから!
posted by 優子 at 13:30| 掲載文 | 更新情報をチェックする

2006年03月20日

新しい思い出 『ハウルの動く城』

久しぶりの晴天に恵まれて家事に大忙しの一日になった。
夕飯作りまでのしばしの時、ホッしてパソコンを開く。
真智子がメディアライブラリーに入れてくれた『ハウルの動く城』を聞きながら今の想いを刻む。

3年前の今頃、真智子が東京へ発つ前によく聞いていたのが『千と千尋の神隠し』だった。
その頃の私はまだパソコンを使っていなかったので、さっそくセンリさんにお願いしてカセットテープに録音して頂いた。その曲と『天のベール』を片面ずつ入れたものを毎日毎日、朝から晩まで流し続けていた。
以来、その2曲は「2003年・春」の思い出となり、それを聞くとあの頃の寂しさ、希望、季節感も一瞬によみがえる。

そして今また、私は新しい思い出作りを始める。
パソコンから繰り返し繰り返し聞こえる『ハウル』。
『千と千尋』もそうだったが、『ハウルの動く城』がどんな映画なのか私は知らない。いつかテレビ放映された時に見たいと思う。

急きょ真智子の結婚まで決まり、ふたりとも私たちのもとから飛び立って行く2006年。
当分の間、我が家には『ハウル』の歌が流れ続けることだろう。
Life is going.
posted by 優子 at 16:41| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

人生の早春賦

     幸いなことよ。
     あなた(神)が選び、近寄せられた人、
     あなたの大庭に住むその人は。
     私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の
     良いもので満ち足りるでしょう。
 
        (詩篇65章4節)

今朝、神様の前に静まって聖書を開いた時に示された箇所である。
このところは「詩篇の早春賦」と言われ年頭の恵みを表している。
溢れる感謝と共に、これから大海に漕ぎ出していく長女と次女、それぞれに最高の伴侶を与えられたカップルの若き4人に「人生の早春賦」を贈りたい。

18日の夜、我が家に新しい全家族が揃った。
この日が初対面であったそれぞれの婚約者達、彼らはすぐに親しい交わりになった。
そして、昨日のお昼過ぎに次女たちは東京へ戻った。
改札口に入る前に私を抱きしめてくれた真智子。
2人はいつまでも手を振ってくれていた。
私の目に涙はなかった。
それどころか、いつもなら電車が見えなくなるまで見送るのに、夫と私はプラットフォームにいる娘達を見送ることも全く忘れて帰ってしまったほどだ。
きっと駅に着いた瞬間に彼が「手袋を忘れた」と言ったことから、「宅急便に押し込んでから送るよ」とすぐに気がついたのは良かったが、夫と私の気持ちはすっかりそのことに向いてしまったのだ。
これが老化現象なのか、あるいは薄情なのか・・・。
いや、心の深いところで娘達2人のことを私達は安心しているからだろう。
それに5月には2度帰って来る、きっとすぐにまた会えるから平気だったのだろう。

2人の後姿を見送りながら、「娘一人だけの見送りは辛い・・・」と話していた母の言葉を思い出していた。
私の妹は大学で経済学を学び、数年間社会に出たがやはり学問がしたいとニューヨークへ発ち政治学の修士号学位を取得した。
その直後に国連の経済専門職員として西サモアに赴任した。20年余り前のことであるが、当時は女性でこの地位にあるのは日本では数名だった。

そんなわけで、両親は娘の留学時代から何度も何度も伊丹空港から娘を見送った。
そんな時、「人生の伴侶と一緒の娘を見送りたい・・」と、母は寂しそうに言っていた。
「娘がどんなに活躍して輝いていても、一人で食事をしてる姿を思うと辛い。」とも言った。
幸いにして、妹にもニューヨーク時代に同じく留学中の男性との出会いがあった。
彼は工学博士号を取得して帰国したが、後に結婚を考える出会いに深まり彼は西サモアに妹を訪ねたという。

私も今、外国へ娘を見送ろうとする親心を経験し、この年になってしみじみ母の気持ちを想う。
ただし私の場合は伴侶と共に留学する娘を見送るのだから、母の心中とは比べものにならないだろう。

また昨夜は、長女の婚約者とも深い心の触れ合いを感じる時が与えられた。
大切に大切に手塩にかけて育てられた息子に母の愛を感じ、ご両親の想いが伝わってきた。
そしてまた、親を想う子の熱い想い。
親思いの優しい息子だ。

我が子を想う親の気持ちは私達も同じこと。
だから、彼らを愛さなければならないのではなくて愛さずにはいられない。
私は既に今、娘を取られるという思いではなく、2人の息子を与えられたという思いに変えられている。

昨日の礼拝後(3時からの香芝ブランチ)は、夫と私は公共バスで帰った。
我が家には自動車が1台しかないので長女たちに譲り、お邪魔虫は退散、退散!(笑)
めったに会えない2人が愛おしい。

今朝は長女の婚約者と共に3人で会社へ出発した。
美濃紙業の社員の人たちに紹介できる今の喜びは、娘に勝るものはないだろう。
私達にとっても思いもしなかった不思議な出来事としか言いようがない。
神様のなさることは我々の思いをはるかに超えている。
だからこれからも、どんな時もどんなに辛く苦しくとも神に委ねていこう!
posted by 優子 at 10:53| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2006年03月17日

自分でしか歩むことのできない人生を!

昨日の記事最後にあるメールを下さったO姉より、こんなメールも頂いてる。お許しを得て一部転載させて頂いた。
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1年のうちに、しかも半年も空かずに巣立ちのときを迎えられますこと、心中お察しいたします。
かつて私の母が、『子どもは育ててみるだけ』と申していました。
実感するこのごろです。
               (略)

寂しさや、思い通りにいかない事を生き抜いてくださいませ。
思わぬ発見や力が与えられると思います。

真智子さんたちは、きっと次代の日本を担っていかれることでしょう。
これまで、多くの学問によってすばらしい功績が成し遂げられてきました。
しかも、神を畏れる方たちが色々な分野におられます。
どうぞ、アメリカに行かれても、神を求める生活を続けられますようお祈りします。

ソロモンのように知識に富に力に秀でた人物が
「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。
神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」と結んでいます。

                (略)
巣立ちのとき。 
胸ふくらませて飛び立とうとする人たちを受けとめるには、周囲の私たち自身にも、夢や理想の実現を信じて歩む気力と体力が必要です。
草木をいっせいに芽ぶかせるエネルギーが、人間をも元気にする。 
そんな力をもつ春の足音が、すぐ近くで聞こえてきます。  
     (婦人の友編集部 2005年4月号巻頭言)
      
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は今、いろんな葛藤を経験する中で砕かれねばならないなあと気づかさており、友からの言葉は深く心に響いた。今そのことを学ぶチャンスであるから、この人生の段階における一つ一つのことを心をこめて経験していこうと思っている。

また、真智子に頂いたお言葉もありがたく承った。
次女たちは、今後、社会に対して発言できる立場を与えられるであろうから、周りへの影響は我々よりも大きいゆえに神様に用いられる学者としての活躍を願っている。

「我が校をして深山大沢の如くになし、小魚も成長せしめ、大魚も自在に発育せしめ、小さな魚も大きな魚ものびのびと泳ぎまわり・・・」とは、新島襄の言葉である。新島が抱いた大学像である。
全ての人がリーダーである必要はない。
人は皆、その人にしかない良きものがあり、それぞれの素養を活かして自由に生きられる校風を目指したのである。

花嫁衣裳も決まり娘を見送る覚悟もできてきた今週初めのこと、
海外生活は5年間で終わらず、PHD取得後も外国暮らしになるであろうと2人で話しているのを聞いてしまった。驚いて尋ねると、
「卒業後は日本も含めて世界に向けて就職活動をすることになるから・・・」と娘は言った。

再度、覚悟するのに2日間の時間を要した。
娘の足を引っ張ってはならぬ。
安心して飛び立たせてやらなければ。


昨日、真智子と彼はようやく時間がとれて私が録画したトリノオリンピックのビデオを見ていた。
2人並んで見ている後ろ姿を我が目に焼き付けた。

娘たちよ。
これからも人生の座標軸を神の基に定めて、それぞれの伴侶にも神様が届いて下さって、神様と共に3人で紡いでいく人生を切に願う。それぞれの半身と共にすばらしい生涯を築き上げることができるように、これからも娘たちの幸せを神様に祈り続けよう。
posted by 優子 at 09:28| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年03月16日

家庭集会「オリーブの会」第26回

昨日はいつも来てくださっている人たち3名共ご都合が悪くなってしまい、私達3名だけの集会になった。
かねてより私たちだけで一度集まりたいと話していたこともあり、特に私にとっては娘たちの相次ぐ結婚を前にして私自身もまた人生の大きな節目を迎えており、超多忙な日々に在る今こそ幸いなクリスチャンの交わりを持たせて頂いたことは神様のお計らいであった。

聖書の箇所はヨハネによる福音書5章1節〜18節、
「見捨てられていた人」というタイトルで自らを深く探りつつ神様の語っておられることに耳を傾けた。

エルサレムにあるベテスダの池の周りには、
「おおぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた」。
この池に時々、主(神)の使いが降りて来て水を動かすのであるが、水を動かされて最初に池に入った者は、どのような病気にかかっている人でも癒されると言われていたからである。
そこに38年もの長い間、病気で苦しんでいる人がいた。
・・・今は後略して後日、加筆しようと思うが、是非、聖書を開いてお読み頂きたい・・・

共に語り合った中で印象深かったのは、
※ イエスは何故この人に近づかれたのか?
※ 38年間も苦しんでいる病気とはどんな病気であり、その人はどんな
  思いで生きているのであろうか?
・・・など、それぞれの人生経験を振り返りながら思い巡らした。

私達は健康が揺さぶられた時、大きな不安と恐怖に苛まれる。
ただ治りたいという一心で、わらをもすがりたい思いになるのは当然であろう。
しかし、神以外に助けを求め、それに寄りかかってもむなしい。

  主はこう言われる。
 「異邦人の人の道に習ってはならない。
  また異邦の人が天に現れるしるしを恐れても、
  あなたがたはそれを恐れてはならない。
  異邦の民のならわしはむなしいからだ。
  彼らの崇拝するものは、林から切りだした木で、
  木工の手で、おのを持って造ったものだ。
  人々は銀や金をもって、それを飾り、
  くぎと鎚(つち)をもって動かないようにそれをとめる。
  その偶像は、きゅうり畑のかかしのようで、
  ものを言うことができない。
  歩くこともできないから、
  人に運んでもらわなければならない。
  それを恐れるには及ばない。
  それは災いをくだすことができず、
  また幸いをくだす力もないからだ」。
    
           (聖書・エレミア書10章2節〜5節)

多くの日本人は、さまざまな恐れを持っている。
日柄が悪い、家の向きが、間取りが、印相が、手相が、名前が、前世が悪い、前世の因縁だと・・・・まるで恐れに縛られているといっても過言ではない。
真に恐れるべきものを知らない時、人は恐れる必要のないものを恐れるのではないだろうか。
それゆえに、まことの神様を知っているということはどんなに幸いなことであろう。


午後のひと時は、巣立っていく子供のこと、また、親である自分のことや自分の親への想いなどを語り合った。
日が長くなったこともあり、お見送りしたのは5時前になっていた。
このような友を与えてくださった神様に感謝が溢れ、友を見送りながら友の祝福を祈った。
次回は、4月19日(水)に予定している。

 「昨日はゆるやかな時が与えられ、ありがとうございました。
  それぞれが迎えた、子どもの独立に寄せる思いを重ね合わせ、感じ
  あい、余韻を含んで帰路に着きました」。
                    (今日届いた友からのメール)



posted by 優子 at 17:39| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2006年03月14日

クリスチャンペンクラブのホームページに公開された証し

      春の喜びを知った愛娘    

「お母さん、私ね。この頃、桜の花が好きになって立ち止まって見てしまうの」
「年を取ってきた証拠やね」と母は微笑んだ。
私が35歳を過ぎた頃のことだったと思う。

収穫の秋や、人生の収穫を実感するのも大きな喜びであろうが、私は春が好きだ。
厳寒の冬を過ごしたからこそ感じられる春の足音。
2月の終わり頃になると、寒さの中にも日差しは春を感じさせ、まもなく春の訪れまで一直線となる。

季節は常に順序よく春夏秋冬を繰り返すが、人生の四季は夏から急きょ冬を迎える場合もある。
また、ライフサイクルで言われる「春」が10〜20代の楽しい時であろうと、その時期が苦しみに満ちたものであることもある。
小学校6年生の時の問題教師によるいじめに始まり、最愛の祖母の難病、家庭の不和など本人の責任とは関係のない苛酷な苦しみが長女を暗闇へと追い込み、その心と身体を病ませてしまった。
何よりも未熟で至らない私達夫婦自身の問題ゆえに、娘を苦悩の深淵に追いやったのである。   

人は悲哀に徹して、いや応なく神のもとに追い込まれ、試練に耐え忍ばせ、長い年月を経てついに神を知る。
神は責任を持ってそこまで至らせて下さり、あとで振り返った時、どんな時にも最善を尽くして下さっていたことを知る。
この境地こそが春の喜びである。

「美しい」と「きれい」が違い、「喜び」と「楽しい」が違うように、苦しみを乗越えられたからこそ味わえる喜びが春の喜びに喩えられよう。
その時、ライフサイクルで言うところの春の盛りが過ぎていようとも、その若者は神との交わるすべを知り、これからの長い人生を神の恵みの世界に生かされていく。

試練の時は誰しも神が恨めしくもなろう。
しかし、どんなに苛酷な人生であっても、時が来れば必ず神が苦しみを取り去って下さるのだ。
人生の晩年にこそ最大級の春が来る。
その祝福が来た時、今までの苦しみとは比べものにならない喜びに包まれる。
神は私達に永遠なる「春」の喜びを与えようとして苛酷な試練を許しておられるのであるが、このことを受けとめることができるまで人はどれだけ苦しむことか。

理屈に合わない人生の苦悶を通して娘の魂も開花し始め、大きな苦しみと悲しみをくぐり抜けた時、「春」の喜びを知る者とされた。
生あるうちは何度も小さな春を経験し、地上の闘いも終わりに達した時、イエスを信じる者は、とてつもない喜びに満ちた春の世界へ移される。
魂が躍るではないか!
晩年こそが神の祝福に与る時。
完全な春の中で永遠に生かされるのだ。
イエスが復活された時も、万物復興の春であった。ハレルヤ!

『悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている』。
         (第Uコリント6章10節)

私の心は揺るがない。
愛娘27歳、2005年の元旦に。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは2005年1月にクリスチャンペンクラブの機関紙に掲載され、その春にホームページ上に公開されたものである。
ある期間、私は家庭を安らぎのないものにしてしまった。
特に長女にとっては父親と理解し合えない長く苦しい年月であったが、時が来て今や父と子の関係も完全に修復された。
そして娘は今、ついに春を迎えた。
これら一切のことを感謝し神を讃える!
posted by 優子 at 13:05| JCP関係 | 更新情報をチェックする

娘と父

わが子たちとの別れの時が近づいた。
人は家庭に生まれ、家庭と別れを告げて自らの人生を歩み出す。
いつかは来ると覚悟はしていたが、巣立ちは突然にやって来た。
喜びも悲しみもどんなことであれ、覚悟していても常に突然のような気がする。

時を大切に心を込めて過ごしているのに、何と早く過ぎていくことだろう。
母の時も父の時もそうだった。
私の人生の終焉もまた突然と感じるのかもしれない。
だからこそ、そう遠くない将来に私の人生も必ず終るということを強く意識するようになった。
平凡な日々がどんなに大切で尊いものであるかがわかる。
しかも全ては、毎日繰り返されている日々の営みの中で成されていくのだ。

昨日、次女の花嫁衣裳が決まった。
楽しそうに決めている2人の姿は幸せそのものだ。
長女もまた、今週末に2人で衣装を決めに行くことになっている。
娘たちよ、大いに今の喜びを味わうように。
そうすれば、逆境の時も耐え忍びやすいであろうから。

長女の衣装を決めたあと立ち寄ったスターバックスで、
「真智の花嫁姿なんて想像できない。結婚なんてまだまだ先のこと・・・」と、元気よく笑いながら言っていた夫の姿は既にない。

私達は結婚して30年近くになるが、今まで知らなかった夫の姿だ。
娘を嫁がせた父親は、みんなこのことを通ってきたんだ。
しかし、寂しくて辛いのは幸せな親子関係だからこそのこと。
私は神様に大きな声で感謝したい。
全てを完全に修復され驚くばかりである。
神様の御心に叶う祈りは必ず聞かれるのだ!
 
posted by 優子 at 09:27| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2006年03月10日

お世話になった根津教会牧師が明日テレビに!

次女が東京で出会った根津教会の鍋谷憲一牧師が、明日のハーベストタイム(関西だと土曜日の朝7時からサンテレビ神戸放送)に出演される。

3年前の今頃、次女が東京千駄木に住まいを移すために私も娘と上京した。
あの時の緊張した気持ちは今も忘れられない。
全く知り合いのいない東京である。
東大に居られる神戸大出身の先輩数名だけで、娘も大変に心細がっていた。
引越し荷物の整理も終え、私は一足先に帰阪。
院の手続きをすませた娘も大学の卒業式のために帰阪し、再び3月末に上京した。
そして、入学式が始まる前に千駄木から本郷界隈を散策中に根津教会を見つけて自ら訪ねたのだった。

根津教会は60年前の東京大空襲も免れ、国から有形文化財に指定されている木造の落ち着いた教会である。不忍通りだったかと思うが曲がって直ぐの所にあり、東京とは思えないホッとする空間だった。
根津教会を牧会されている鍋谷憲一牧師は、長年、大手の商社マンだった。
しかも、かつてはキリスト教嫌いだった人が牧師になられ、このたび『もしキリストがサラリーマンだったら』という本を出版された。
娘が訪ねた頃はまだ伝道師であられたから、牧師になられてまだ2年目くらいだろうか。

礼拝やお説教はとても厳粛であるが、講壇から降りられると気さくに話してくださる面白く目の大きなかわいい先生である。

上京した1年目は娘も緊張の日々に在り、家庭的な雰囲気を恋しく思ったのであろう。
日曜日の朝はゆっくり眠るので礼拝よりも夕拝に出ることが多く、そのあと夕食を頂きながら暖かいフェローシップの中に集わせて頂いていた。

根津教会月報『根津の泉』第100号(2004年7月)に、
私達も根津教会に連なる者として一言載せて頂いている。思い出のために刻んでおきたい。

  約1年前に偶然根津教会を見つけた頃は、まだ東京の地に慣れていなかった私です
  が、今ではすっかり馴染みました。
  大学院で日々経済学に勤しんでいます。
  最近、”ブドウの木”の話をよく思い出します。
                    (真智子)
  

  昨春、東京での生活を始めた真智子に教会を探そうとの思いを与え、
  根津教会へと導いて下さったことは神様の啓示でした。
  神様と鍋谷先生ご夫妻、教会の皆様に心から感謝しています。
  私も今年こそ御教会を訪れたいです。
                    (優子)

その半年後、ようやく2005年3月にお訪ねした。既に夫は2度、長女も1度訪ねている。
その頃の次女から届いた携帯メールも大切に残している。

2004年6月6日付け
  マチも(雨だから)歩きで教会行ったヨ。
  帰り際に「まちこちゃん誕生日でしょ?」って女の人が声かけてくれはってん。
  びっくりしたよ。
  だって、昼は多分相当行ってないし、実際、マチはその人のお名前知らなかったし。
  嬉しかったから、勇気を出してお名前を聞いたら荒川さんっていうの。
  何かのきっかけでマチの誕生日を知ってたらしいのだけど、今日マチを見た瞬間思い
  出して下さったらしい。
  なんか、イエス様に「おめでとう」って言ってもらった感じです。

                   まちこ


この日、次女は24歳の誕生日だった。
そういえば3年4ヶ月の東京時代を終えるにあたり、鍋谷先生にも御報告方々お礼に上がらねばならない。
  
posted by 優子 at 12:45| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年03月09日

溢れる慶び、沈む夫

次女までが巣立つことになった。
長女の結婚が決まった矢先に、次女まで結婚することになったのだ。
人生の伴侶となる彼は、同じ東大大学院生で同じ研究室に籍を置く人である。
もう2年以上も前から、お互いに真摯に人生を見つめながら交際していたことを私達も承知していた。そして、昨春頃には人生を共に分かち合うことを確かめ合っていたようである。

しかし、私達はもうしばらく先であろうと思っていたのに、その時が突然にやって来た。
5年間という長期間の留学が結婚を決意させたのだ。
いや正確には、同じ留学受け入れ先から2人共に学費免除の上に年額2万ドル支給されての合格通知を受け取ったからだ。

となれば、2人で400万円余りの年間収入が得られることになり、親から経済的にも自立でき結婚生活が可能になる。
私も大賛成である。
私は常々、彼に対してありがたくも心を痛めていたことがある。
娘達の日常は真夜中に帰宅する日が殆どであり、バイク2台連ねて彼は娘を自宅まで送り届けてくれるのだ。そして、娘が部屋に入るのを見届けたあとに40〜50分かけてバイクを走らせて帰宅する。疲れている時や終電に間に合う時は、再び大学に戻ってバイクを置いて電車で帰宅する。そのまま研究室で眠ることもしばしばだという。

年収400万円あれば暮らしていける額であり、経済的に自立できれば2人が別に暮らすことはない。
いずれアルバイトで収入も得ることだろう。
娘も研究をこなしながら、既に2年前から教授のアシスタントを務めて院生の指導に当たり収入を得ているからだ。彼はこの他にも東京都庁のHPを作成したり、複数のバイトをもこなしているのだ。

彼も5日の日曜日から我が家に滞在しており、昨夜、私達夫婦は正式に彼から申し出を受けた。
誠実で優しい良き青年であり、私達は何も反対する理由はなく喜んで申し出をお受けした。
私の頬に涙が流れた。

たぶん今年、次女は海外へ出るであろうことを覚悟していたので、長女の挙式も秋まで延ばさないで7月にしてもらったくらいだが、語学研修のために本来ならば5月中に日本を発つらしい。
しかし、それは叶わない。
幸いにして東大では外国人の教授や研究者が多く、研究発表も英語であるし日本人の教授の講義まで英語だと言うから驚きだ。こうなれば、その日常に培われた語学力に期待して心配しないことにした。
しかし、遅くとも7月中には到着していなければいけないため、東京の住まいの後始末やビザの手続き・・・・などから6月中に挙式しなければならない。

彼は東京の人だが、挙式をこちらでやってくださるとのこと。
ありがたくお受けすると同時に頭の中は東奔西走状態である。
挙式場近くにいる親として尚更、尽力せねばならない。

今日、3人で森之宮や谷町など大阪城界隈の教会を訪ねた結果、大阪クリスチャンセンターで挙式して頂くことに決まった。
幸いにして6月初めにある日本経済学会の発表日とも重ならず6月10日(土)と決まった。
神様が私達より先回りして、全てを整えておいて下さったのだ。
谷口先生のお導きとお働きのお陰で、見ず知らずの牧師先生やクリスチャンのブライダル会社の兄(きょうだい)にもお世話になり感謝が溢れる。クリスチャンドクター氏を初め、ブログ読者達の行き届いた御配慮も忘れない。
  (☆神様、多くの兄弟姉妹を本当にありがとうございます。)

2人は月曜日から毎朝、夫と共に出社し美濃紙業との関係で労している。
「現役東大生」をキャッチフレーズにCDソフトを開発し、夫と共に大きな出版社を回っている。
この時期、出版社はとても多忙な時期だが各社共、役員や担当者を10人前後召集して娘と彼の話を聴いて下さっている。既に反響もあり今日も式場選びの後、急きょ呼び出されて出版社に向かったほどだ。

次女が巣立つ。
しかも長女よりも早く。

来週末に東京へ戻るまでにできる限りのことをしておかなくてはならない。
13日(月)は花嫁衣裳選びだ。
1ヶ月置いて、今度は次女の花嫁衣裳を選ぶなんて・・・・・。
このようなことを誰が予測できたであろうか。

長女の婚約式の日から沈みがちの夫は、ますます元気がなくなっている。
娘たちを次々と盗られていくような気持ちなのであろう。
この夜、「もう諦めなしょうがないやろ・・・・」と自分自身に言って聞かすように、夫はポツンと言った。











posted by 優子 at 23:48| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年03月08日

「『リア王』は悲劇か」 ―リアの生涯を考える― F

        八 終わりに

英語圏の国の家庭には、聖書と共に必ずシェイクスピア全集があると言われている。
大阪府立中央図書館にも430冊余りの文献があったのには驚いた。
しかし、シェイクスピアは私が今まで研鑽を積んできた作家でもなく、しかも専業主婦の傍ら思い立って3ヶ月余りでするのであるから十分なことはできない。

そこで、『リア王』に関する作品論と、シェイクスピアの信仰という観点からの作家論に絞ることにした。
もとより英文学の素養もない私は、シェイクスピアの必読書と言われる古典的名著も全く知らないまま、ただ書名から盲目的に十冊を借り出しての取り組みであった。

検索中に聖書の『ヨブ記』との関連で書かれた作品論が目に留まり、大変興味深く感じたが別の機会に譲ることにした。
確かにリアは、ヨブのように大切なものを次々と失っていき苦難の中を通らされていくが、「そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかっ」て生きている善良なヨブとは違う。
また、最後にコーディリアの死という苛酷な悲しみまで通らせてはいても、シェイクスピアには悪人が栄え、善人は悲惨であるという苦悩はない。勿論、勧善懲悪で事足りる世の中ではないという認識に立っていることは言うまでもない。

シェイクスピアは当初、この作品の題名を『コーディリア』にしようと考えていたというが、コーディリアに焦点を当て『ヨブ記』との関連で論じるならば面白いものになるであろう。

紙面の関係上、この作品のキーワードでもある「無」、「仮狂」や「羊狂」とも言うべき「道化」(“clown”ではなく“fool”)、また、「逆説」について取り上げることができなかった。

シェイクスピアの物の見方や人間観は単純明解ではなく、特に人間性の複雑さへの認識は深い。「千万の心を持つシェイクスピア」と言われているが、人間は一人の人に万の心があるくらい複雑で不可解な存在なのかもしれない。

シェイクスピアが直視する人間の中に在る「悪」と、それがもたらす破壊、その跡に残る無垢な者が受ける苦難と悲惨な光景は、今も変わらぬ世界の姿である。
現在、世界の経済を動かす巨大企業のある会社の社長昇格テストでは、シェイクスピアの本を一冊渡してレポートを書かせるのだという。その発想や視点に「さすが!」と唸ってしまうのだが、為政者達にも是非必読してもらいたいものである。

気高い魂を得て召されたリアの生涯を通して、私は改めて人間の死という厳粛さを神様に示されている。
人生の途上において、私達もそれぞれの嵐を越えて行かねばならないが、嵐は祝福への序曲である。
しかし、苦難が人を謙虚にし成熟させるのではない。
苦難と闘いながらも、かえって心を歪め頑なにしていく人も少なくないであろう。大切なことは、その苦難をどのように越えていくかである。


即ち、認識を深めていくことができるかどうかにほかならない。認識の深化によって現実を見る眼が変わり人間が変えられていく。手ごたえのある人生を送りたいと願うのであれば、苦痛を伴うものでしかありえないということもまた改めて銘記せねばなるまい。
   
  それだけではなく、患難をも喜んでいる。
  なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、
  練達は希望を生み出すことを知っているからである。
  そして、希望は失望に終ることはない。
  なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、
  神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

                          (聖書)

願わくば、私もリアのように苦難を通して心の目が開かれていき、苦難の極みにおいて歓喜と勝利を得る生涯でありたい。
神の確かな望みを見失うことなく、自分自身の死に向かって成熟していくことができるように、神の導きを切に祈りつつ拙論を終えることにする。
               
                        (完)

参考文献

※シェイクスピア作品研究              和田勇一著 英宝社  1980年
※シェイクスピアにおける悲劇と変容      青山誠子著 開文社出版 1980年
※シェイクスピア悲劇の本質          本多顕彰著 紀伊国屋書店 1960年 
※シェイクスピア 四大悲劇          富原芳彰著訳 英潮社出版 1977年
※シェイクスピア ―言語・欲望・貨幣―  テリー・イーグルトン著 平凡社 1992年
※シェイクスピアはわれらの同時代人        ヤン・コット著 白水社 1992年
※シェイクスピア悲劇の研究         古澤満雄著 大阪教育図書 1983年
※新潮世界文学 シェイクスピアT                新潮社 1968年        
※リア王                          岩波文庫 2000年
※Tragedies   William Shakespeare      Random house(UK) 1993年
※ケンブリッジ インターナショナル英英中辞典
                     CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS 1994年
※聖書(口語訳)   日本聖書協会 

                    






posted by 優子 at 08:50| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年03月07日

「『リア王』は悲劇か」 ―リアの生涯を考える― E

リアの死は外面的には敗北のようにも見えるが、内面世界(魂)においては静謐が成就されての臨終であった。

リアの死は苦難の終止符であり、全ての苦悩や悲しみからの解放であった。
多くの人々はリアの死を「万事窮す」と見るであろうが、一切の苦難を経て悔い改めに至らせて下さっての死は、「こと終われり」という神様の完了の宣言であったと、私は信仰によって受け止めている。


コーディリアの死後、最後までリアは神々の名を一言も呼ばせていないのは、シェイクスピアの意図的なものであろうと青山誠子は述べている。少し長くなるが興味深いところなので引用したい。
  
  シェイクスピアは神の摂理を否定し、人間の世界を支配するのは盲目的な運命で
  あると考えているのであろうか。いや、そうではなかろう。
  なぜならこの作品で、秩序に抵抗し無神論をいだくのは、悪のグループの人たちに
  限られているからである。
  シェイクスピアはこの劇の中で、神々は人間の祈りに応じたまうとは限らず、摂理は
  人間によっては計り知れぬものだということを言いたいのであろうか。
  摂理へのゆるがぬ信仰に裏打ちされた『ハムレット』の世界から『リア王』のこのよう
  な世界に至るシェイクスピアの悲劇、さらに異教の神々のしろしめすロマンス劇の世
  界への軌跡は、一面、神と人間との関係の探求の道と見られるのではなかろうか。

このことが、〔3〕で触れた青山の「異教の世界を選択する必然的志向が存在していた」という理由なのである。

この作品は異教の世界を舞台にしているが、精神は深くキリスト教的である。
即ち、悲劇は迷信やたたりなどの原因によって起こるのではなく、人間の起こしたものであることを深く認識している。
そして、全てが神(天)の眼にさらされており、心の「目覚め」は自らの苦悩や深い悲しみを経て、初めて達成されるものであると強く訴えている。
        

        7 『リア王』は悲劇か否か

冒頭で述べたように、私にとって悲劇とは自分には責任のないことによる苦難を意味していた。
従って、父リア王に対して真実を守り、真実ゆえに勘当され、父と再会するが殺されてしまうコーディリアの生涯こそ悲劇であったが、リアに対しては同情し哀れみを感じても悲劇だと考えられなかった。

再び読み終えて思うに、確かに自分に責任のない苦難や悲惨な出来事も悲劇であろうが、リアやグロスターのように自分の愚行によるものもまた悲劇であると考えるようになった。
なぜならば、この愚かさはリアの愚かさに留まらず、人間の本質を示す愚かさであり我々自身の姿であるからだ。故に『リア王』は悲劇でないどころか、普遍的経験について書かれてあり、人生は悲劇の連続であるとさえ言えよう。

私は次女にシャッポを脱がざるを得ない。
それどころかリア王の愚行に対して「そんな馬鹿な」と思っていた私は、未だ自分の姿がよく見えていなかった。リアの愚かさは笑うに笑えない自分の愚かさであり、お互いの姿だったのだ。
私は「無知の無知」であった。
まさに「無知の知」、「汝自身を知れ」である。


ついでながら、かのトルストイは『リア王』を「抗しがたい嫌悪感と退屈」と批評した。
彼はシェイクスピアの最も厳しい批評家として知られており、300枚を越える大論文『シェイクスピア論および演劇論』では、全作品を否定しているという。
これでは「人生の師」と仰がれ、私が抱いていたトルストイの人物像と真っ向から対立し、新たな興味も湧いてくるというものである。

             (次回最終章につづく)
posted by 優子 at 09:59| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年03月06日

「『リア王』は悲劇か」 ―リアの生涯を考える― D

         6 コーディリアとリアの死

コーディリアと再会した牢獄でのリアは、謙遜な人間に変えられていた。
最愛の娘との和解を達成され、正気に戻り、尚且つ、この世の地位も権力も金も一切は空しいものであると眼が開かれた。この世的なものに価値をおかず、許しと祈りの生活こそが至福であると気がついた。

  さあ、牢獄に行こう。
  お前と二人だけで、籠の中の鳥のように歌をうたおう。
  わしの祝福が欲しいというなら、わしはお前のまえに膝をつい
  て許しを乞おう。
  そんなふうにして生き、祈り、歌い、たわいない昔話などして、
                        (5幕3場)

これがコーディリアと和解して辿りついたリアの最終的な境地であった。二人が到達した魂の気高さ。もはや、この二人の静謐を壊すことはできない。
  
  からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
  むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。  
           
                        (聖書)

シェイクスピアは、人間の魂(精神)は如何なる時も如何なることからも自由で束縛されないのだという人間の素晴しさをも訴えている。そして、苦悩や悲惨な出来事を越えるすべは、内面世界(魂・精神)の成熟にこそあり、そのことこそが最高善であり至高であることを私は改めて心に刻みたい。

リアはハムレットのように「雀が一羽落ちるのにも特別の摂理が働いている」という強い信仰ではなく、揺れ動き、時には神を見失いもして、再び神(摂理)への信仰を回復するのである。
しかし、懐疑や苦悶はあっても神への反抗はなく、ただ「機を熟するのを待つ」忍耐であった。このことはまた、人間シェイクスピアの信仰生涯でもあったのであろう。

コーディリアの亡き骸を抱きながら語ったリアの臨終の言葉、特に最初の4行は実に悲痛である。
  
  そして可愛いやつがしめ殺された。もう、もう、命がない。
  犬が、馬が、鼠が生きているというのに、
  なぜ、お前には息がないのだ?お前はもう戻って来ない。
  絶対に、絶対に、絶対に、もう絶対に!
  頼む、このボタンをはずしてくれ。ありがとう。
  これがあんたに見えるか?娘の顔を見ろ、この唇を、
  ほら、ほら!(息絶える)
                          (5幕3場)

また最後の2行については、これ以上付け加えることがないほど過去の批評史において様々に論じられてきたという。
即ち、リアはコーディリアの唇が動いたように感じて、蘇生を確信した歓喜の表現と見るのか、絶望の表現と見るのかである。ここは、それほどまでに難問であり、多くの学者に注目されてきたという。

しかしながら、人生を神の摂理によって支配されているものと受け止めているシェイクスピアは、リアが悶死したと読まれては無念であろう。
これは苦痛の極限における人間の姿であり、リアはコーディリアの死を認めて、悲しみに耐えながら息を引き取ったと理解できる。コーディリアの唇が動いたように感じた時、リア自らの死を迎えた瞬間であったことから、あえて解釈するとすれば、愛娘との再会を暗示しているのではないだろうか。

シェイクスピアはそれらを明示せず、「リアにしか見えないもの」とエドガーに語らせて、リアの中に閉じこめたまま劇を終らせている。
リアがその生涯の死に際に見たものは何だったのであろうか。

                 (つづく)
posted by 優子 at 08:36| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年03月05日

「『リア王』は悲劇か」 ―リアの生涯を考える― C

       5 シェイクスピアの意味する「忍耐」

エドガーは「みじめなトム」に変装して裸体に近い姿でリアと苦しみを共にし、いかなる苦境に在っても絶望せず、耐え抜くことを知っている。
 
  「苦しみも連れがあれば耐えられる。」       (3幕6場)
  「不運のどん底に落ちれば浮かび上がるだけ。」    (4幕1場)
  「これが最悪だと言っているうちは、どん底ではない。 (4幕1場)
  「時の塾すのが何より」               (5幕2場)

と、エドガーは悪のはびこる中で人間の善を信じて耐えていこうとする。
「時の塾すのが何より」とは、希望をもって待つということであり、岩波文庫の脚注と重なるが私も聖書のことばを想わずにはいられない。
   
   天が下のすべての事には季節があり、
   すべてのわざには時がある。
   生まるるに時があり、死ぬるに時があり、・・・・
   神のなされることは皆その時にかなって美しい。


さて、「万事、機が熟するのを待つのが肝心だ」の英文は“Readiness is all” であるが、原文では”ripeness”だという。この言葉は「円熟すること、熟すこと、発展させること」という意味であり、私はここにシェイクスピアの意図を明確に読み取るのである。

ヤン・コットも次のように述べている。

このシェイクスピア的な翻訳不能の≪成熟≫という言葉は、文字通り成熟することであると同時に、あらためて身を委ねることをも意味する。人は成長して死に達しなければならないのだ。それがすべてなのだ。

即ち、シェイクスピア(エドガー)の言う忍耐はただ我慢するのではない。
神に全てを委ねて、神のみこころに叶うことが成就されるのを信じて待つという、信仰による希望の忍耐である。
このことはまた、全てのことに時があるように、私達に与えられている持ち時間には限りがあり、人は自らの死に向かって成熟しなければならないという意味でもある。

この嵐が止んだ時、リーガンはゴネリルに毒殺されゴネリルも自殺して果て、悪も滅んだが痛ましい善良な犠牲者も出た。
コーディリアの死を通して気付かされたことは、「悪」は厳然として存在し、一旦「秩序」が破られて解き放たれた「悪」の力はドミノ倒しのように行く所まで行くということである。

しかし、「悪」の増大と共に「善」もまた動き出していた。
明日への希望は、嵐の中でリアの認識に至る姿と最期を見た人たちが生き残っていることである。
エドガーはリアの死を見てもまだ希望を捨てず、この劇の結びをエドガーに語らせていることからも、作者が彼に国家の回復を託していることが読み取れる。
リアの苦悩は無駄ではなかった。

                          (つづく)
posted by 優子 at 08:06| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年03月04日

『リア王』は悲劇か ―リアの生涯を考える― B

次に次女を頼っていくが、リーガンはゴネリル以上に冷酷だった。
そして、荒れ狂う嵐の中、リアは荒野をさまよい歩きながら二人の娘を呪う。

  二度と会うまい。お互い二度と顔は合わすまい。
  とはいえ、お前はわが肉、わが血、わが娘だ、
  いや、わしの肉に宿った病毒だ、・・・・・・
  泣くものか、自然の情けを知らぬ鬼婆ども、
  二人とも必ず復讐してやるぞ、・・・・・
                      (2幕4場)

リアは傲慢であったが、ここまで言わしめる娘を持ったリアは悲劇だ。
私は、ゴネリルとリーガンからダンテの『神曲』にある「地獄篇」を想起したほどだ。
  
  心に苦がなければ、体は苦痛に敏感だ。わしの心のこの嵐は
  五感を鈍らせ、何も感じさせない。脈打つもののほかは。
                        (3幕4場)

リアの苦悩はいかばかりであったことだろう。
「人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心が痛むときは、だれがそれに耐えようか。」と聖書にあるように、リアもまた肉体の苦痛よりも精神の苦悩のほうがはるかに大きいことに気がついた。そして、他人の罪を責めるだけではなく、貧しい者たちへの憐れみに目覚め、狂気を通して驕り高ぶりの罪を洗い清めていくかのようである。

  ああ、今までわしはこのことに気づかなかった!
  奢れる者よ、これを薬にするがいい、
  身を曝(さら)して惨めな者が感じていることを感じるがいい、
  余計な物を振り落として彼らに与え、
  天道いまだ地に堕ちていないことを示すがいい。
                        (3幕4場)

一方、グロスターの庶子エドマンドは、グロスターの嫡子であり兄であるエドガーに取って代わろうと企み、エドガーが父を殺そうとしていると嘘をつく。

信じやすさと迷信深さが欠点であるグロスターは、信じている子に裏切られたと思い込み、彼もまた計り知れぬ苦しみを通らなければならないことになる。

エドマンドは、グロスターがリアを助けようとしていることをリーガンの夫コーンウォールに告げたことにより、グロスターはコーンウォールに両目をえぐりとられる。グロスターは両眼を失った後にようやく真相に気づき、「正邪の別を、仮相と実体の別を見分ける視力を持ち」、「感じるように見る」ことを学んだ。

  目が見えたときには躓いたものだ。今はよく物が見える、
  物を持っていれば安心して油断するが、無一物になれば
  かえってそれが財産になる。ああ!可愛い倅(せがれ)エドガー、
  お前は欺かれた父の怒りの餌食だった、
  命ながらえお前に触れて見ることさえできたなら、
  わしは両の眼を取り戻した、と言おう。
                        (4幕1場)

肉体の痛ましい再発見である。
グロスターはエドガーを捨てた自分の愚かさを嘆き、不幸な者への同情も知り人生への認識を深めていく。この箇所は何度読んでも目頭が熱くなり深く感動的である。

その後、グロスターの自己認識はリアのように深まることもなく、個人的段階に留まったままであるが、かつてのグロスターよりもより善いより賢い人間として死んで行く。

一人は驕り高ぶりから、一人は「信じやすさ」から同じ愚を犯した二人の父親。
そのためにリアは狂気、グロスターは目を失うという代償を払わねばならなかった。
シェイクスピアは肉体の盲目と精神の盲目を示し、心の盲目は肉体のそれよりもはるかに怖いものであり、全ては心の眼が見えなかったためであると訴えているかのようである。

リアはグロスターの死を契機に、子に背かれた忘恩の苦しみからもっと高い次元の深い苦しみへと飛躍する。ここにリアの「目覚め」の兆しを見ることができる。
即ち、人間本来の生きる意味と目的に方向が示されていき、読み手である私もいつしかリアと一体になって考えさせられていた。
                          (つづく)
posted by 優子 at 08:18| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

『リア王』は悲劇か ―リアの生涯を考える― A

        3 私のシェイクスピア概観

本論に入る前に印象的に感じたことを述べておきたい。

まず一点は、冒頭から第一場面の終わりまでの展開が非常に速いということである。
しかも、コーディリアが最も優しい娘であるということをよく知っているリアが、言葉の愛情テストごときもので判断してコーディリアを勘当し、あっという間に国土を他の二人に分け与えてしまう。
「そんな馬鹿な、どうして?」と笑ってしまうほど私には信じがたいことであり、リアリズム
的視点からは理解できないことだと思った。

コールリッジもこのことを「全くの荒唐無稽」と呼び、多くの読者にも躓きの石となっているらしいが、ヤン・コットは、次のように述べている。

『リア王』の導入部は、心理的なまことらしさを求める人からすれば馬鹿げて見えるだろうが、シェイクスピアの劇は殆ど例外なく単刀直入に劇全体の基調を定めてしまう。

ということである。
思うに、シェイクスピアはリア(人間)の受苦や善と悪の闘いをこそ書きたかったのではないだろうか。

もう一点は、敬虔なクリスチャンであったと伝えられているシェイクスピアが、何故この舞台を「神」ではなく、「神々」という異教の世界に設定したのかということである。
幸いにして、青山誠子は『シェイクスピアにおける悲劇と変容』で次のように論じている。
  
「神」(God)の名を舞台で用いることを禁じる法令が1605年5月に発せられて以後、劇作家や俳優たちは、異教の神々(gods)を代用することで急場をしのいだが、『リア王』の執筆はこの法令以前、1504〜5年の冬(または1505〜6年の冬)と推定される。

しかも『リア王』以降の劇は、『マクベス』を除いて全てが異教の世界に展開しているという。青山は、
  
シェイクスピアの心に、異教の世界を選択する必然的志向が存在し ていたと推定せざるを得ない。

と述べており、この点については終章で触れることになろう。

        4 リアとグロスター

リアには絶対者としての誇りと傲慢さがあり、そこから生まれた一切の反抗を瞬時も許さぬ性急さである。
シェイクスピア悲劇の殆どが、「性格は運命である」という言葉に要約されているとおり、これがリアの致命的欠陥であり、そのために「親子の愛」という情のみならず、間違った国譲りの愚行を犯し、今まで守られてきた「秩序」も乱してしまう。

長女ゴネリルの忘恩だけではなく、その夫オールバニー公や執事オズワルドまでがリアに対して不遜な態度をとり、ついにリアはゴネリルを呪う。
 
  聞け!自然よ!聞け!愛する女神よ!聞き袖え!
  この雌を孕(はら)ませるつもりがあるなら、
  こいつを石女(うまずめ)にしてくれ!
  こいつの腐った肉体からは、親の誉れとなるような子は
  生まれさせてくれるな!どうしても産ませるというなら、
  悪意の塊のような子を授けてやって、
  それが長じて自然の情を知らぬ天邪鬼となり、
  この女の拷問の責め苦となるように!

               (つづく)
posted by 優子 at 08:11| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

『リア王』は悲劇か ―リアの生涯を考える― @      

『あしたづ』に掲載された拙著を7回シリーズで転載させて頂きたい。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・

        1 はじめに
 
日野原重明は著書の中で、「死というものを勉強する場合には、文学がすごく役に立つ。殊にシェイクスピアは、人間の死に対する恐れとか、死との対決とかを、見事に描き切っている。」と書いている。

2000年の夏に父をも天に送った私は、改めて「生きるということ」と「死ぬということ」についてじっくり考えてみたいと思い、翌年6月の読書会で『リア王』を取り挙げて頂いた。そして、50歳代半ばになろうとしている今、半生を振り返り残り少なくなってきた人生を統合していくために、私はもう一度『リア王』を読み直してみたいと思う。

ところで、この作品はシェイクスピアの有名な四大悲劇の中でも彼の最高の姿と言われているが、自分の愚かさが招いたことであるから私には悲劇だとは思えなかった。

昨夏、夏休みで帰省していた次女と久しぶりに文学や人生について語り合った時、私は参考のために娘の意見を聴いてみたところ、間髪いれずに
「いやあ、これほどの悲劇はないよ。」と言い放ったから驚いた。
そして、次のようなことを言った。

「リア王は、耳障りのいいことを言う人を優遇するという愚かなことをしてしまったけれど、ある日、自分がそのような愚かなことをしたと気がついた。しかも、それによって生じた辛く情けない状況の中でね。この逆境が自分に全く責任のないことから生じているなら、どれだけ気が楽だろう。でも、自分の愚かさから生じたことであるから悔やんでも悔やみきれない」。

だから悲劇だと言うのだ。

「なるほど」と、私は考え込んでしまった。私の視点とは全く反対であり、にわかに探究心は旺盛になって取り掛かった次第である。

        2 『リア王』の梗概と主題

梗概は、有名な作品であるから簡単にとどめておきたい。

権勢をほしいままにする老王リアが、言葉によって三人の娘たちの愛情を試し、その結果に基づいて王国を分割しようとする。
リアは末娘コーディリアの真心を信じられず、偽善も明白な長女ゴネリルと次女リーガンの歯の浮くような賛辞を信じて、領土と王権を二分する。

その後、ゴネリルとリーガンはリアを虐待し追放してしまう。リアは計り知れぬ苦難を受け、狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野を彷徨う。最後にリアとコーディリアは再会するが、コーディリアは殺されリアも死を迎えるという悲惨な結末で終わる。

この作品は、リア王とコーディリア、ゴネリル、リーガンを中心とする主軸に、グロスター伯爵と嫡子エドガー、庶子エドマンドをめぐる副筋を実に巧みに絡み合わせて人間模様を織り成している。

リアとグロスターは、信じている子に裏切られたと思いこみ、コーディリアとエドガーは愛していた父に裏切られるという筋書きである。愚かな二人の老人は共に不実な子に欺かれ、愛情深い子を勘当するのである。

主題は、親子の愛情と信頼に関わるもので、特に父と子の問題と年を取った父親の愚かさである。もう一点は権力と金(豊かさ)の問題であり、それらをもぎ取られてどん底に落ちて全く裸になった時、人間はどうなるのかということである。

「千万の心を持つシェイクスピア」とコールリッジが言ったとおり、シェイクスピアはこの作品においても「親と子、老人と若者、夫と妻、主人と家臣、権力者と下積みにある者など、さまざまな人間関係を俎上に乗せ、この世の権威と人間の真実に揺さぶりをかけ問いかけている」。

                    (つづく)
posted by 優子 at 08:27| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年03月01日

父母に捧ぐ 受け継がれるもの

2001年5月の『広報かしば』に顔写真入りで掲載されたものである。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・

     受け継がれるもの

今年、次女も成人式を迎え、素晴しい子育ての季節が終ろうとしている。
私は子供の成長に気をとられていつしか人生の半ばを過ぎた。
結婚して24年が経ち、まもなく両親のもとにいた年月と同じ時間が流れる。

長女が中学校に入学した頃から、私の中で母の姿がクローズアップされていった。
私が子供だった頃の母の姿だ。
わが子の成長と共に、子育ての大任に目が開かれていったのであろう。
と同時に、両親の深い愛と子供が賜物であることを深く味わえるようになった。

父と母は言葉で教え、自らの生き方を通していかに生きるかを示してくれた。
悩みや苦しみが意味を持つかどうかは、その人自身にかかっている。
また、感謝や真の喜びは状況によらず、自分の内側から湧き出てくるものであり、
人はそれぞれの成熟の度合いにふさわしいものを受けている。
私の人生も年を取るに連れてますます開花し、自分自身の内に多くの喜びを見出す者となりたい。

娘達は今、自分の根を下ろし枝を張ろうとそれぞれの道を歩み始めている。
この子たちがこれからどのような人生を築き上げていくのか、私は幸せな期待に胸をふくらませている。そして、父母の教えをその孫たちも受け継ぐことができるように、私も良き人生を全うしたいと願う。

未来を語り合う二人は、若い命が眩しいほど輝いている。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・

月に一度発行される市の広報誌に「ペンリレー」という紙面がある。
内容は自由で執筆者が次の執筆者を選んでいくから「リレー」というわけだ。

執筆のご依頼を受けたのは関屋に移って2年も経たない頃であり、2000年8月に父が亡くなって半年後のことだった。
この家からも1年4ヶ月、父の病床に通えてよかったと思っている。
母も父も私の終の棲家になるであろうこの家に来てくれることはなかったから、病床であってもせめて生きている父に触れて帰宅することで、父の思い出をこの家に残すかのような心境だった。

ついに父まで亡くなってしまい、私は半年間くらい写真の父の顔さえ見ることができなかった。
悲しくて目を合すことができなくて写真の前を通る時は目を避けた。
「お父さん」とも呼べなかった。
たぶん、父が死んだという現実に向き合いたくなかったのだろう。
11月半ば頃だったと思う。
犬の散歩の帰り道で、私は勇気を出して小さな声でそっと「おとうさん」と呼んでみた。
すると一気に涙が溢れて私は自宅に走って入り号泣した。

そんな悲嘆の頃に執筆依頼を頂いたのである。
その時、このこともまた神様からのことだとはっきりわかった。
そしてこれを書き上げた時、悲嘆のプロセスを一歩進めることができたように思った。
もう5年5ヶ月も経っている今も涙が溢れた。
posted by 優子 at 11:06| 掲載文(父母) | 更新情報をチェックする