2006年05月29日

ユニークな人生を!

24日に地域の小学校の校長先生から講師のご依頼を頂いた。
ご自身が会長をしておられる委員会で、子供たちへの読書教育について何か話してほしいと言われ、思いもかけないお申し入れであった。
14〜5人の先生方が対象の委員会であるとのこと。
娘達の結婚事情をお話し、8月5日以降ならばと感謝してお受けした。
次女はビザの関係で8月6日までは入国できず、知子の結婚式のあと1週間ほどここに滞在するためであるが、話す構想を練ってレジメを作る時間を取るのを忘れていた!

読書教育については私の最も興味ある点ではないけれども、広義にはその領域内のことであるからチャレンジしたいし、喜んでお受けした。
香芝(かしば)市にもデビューである(笑)。
「共に人生を分かち合いましょうよ!」と申し上げると、「そうですよ!」と共感し賛同して下さる校長なのだ。
このことを通して出会いが深まっていくことを祈っている。
このことはまた、娘達が一気に巣立ったあとの私への神さまからのご配慮なのかなあと感じたりしている。

かつて、小学校の広報誌や家族新聞を書いていた1889〜1992年頃のこと、
毎日新聞大阪本社編集局次長のK先生から
「貴女の書かれている文章に共鳴、感動したから手紙を書いています。・・
”親ばと子ばと新聞”いいですね。
もう116号ですか。まずびっくり、感心!!・・・・」
と仰って頂き、何度かお目にかかって熱く語り合ったことがあった。

このたび校長先生からご依頼を頂いた時、
ユニークな人生に敬服しています。」と仰って下さったK先生のお言葉を思い出した。
いろんな人がおられるが、校長先生との出会いもまた民生委員をお受けしたからこそであり、主体的に生きる人生はおもしろいものである。
娘達に励まされて私もまた、この時を大いに楽しみ人生に磨きをかけていきたいと思う。


posted by 優子 at 12:15| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年05月28日

勝利 感謝 主に栄光!

今日は教会のバザーだったので富田林会堂まで行った。
長女は体力がないので已む無く欠席。
夫もここ3ヶ月、休みなしであるから顔に疲れが出てきている。
私達も帰宅してから2時間(夫は3時間)熟睡した。

今週の週報に
次週礼拝で、藤本優子姉が日本イエス・キリスト教団放出教会より当教会に転入会されます。歓迎します!
と書いて下さり、ご紹介下さった。

放出教会へ行けば懐かしい方々が優しく迎えて下さり、まるで実家に帰ったのと同じ気持ちである。
実に不思議であるが、主に在る神の家族に対しては初めてお目にかかる方でも、すぐさま心からの親しい交わりを経験する。
そして、今では南大阪福音教会でもすっかり馴染み、多くの兄弟姉妹が何年も前から名前を覚えて下さっている。
これからは、地上の生涯の終わりまでこちらでお世話になることになろう。
感謝である。

    「主の勝利!
    戦い終えて、勝利手にして 主に感謝ささげます。
    尽きせぬ感謝ささげます。
    勝利 感謝 主に栄光!」
  
    
今朝のこの讃美は、まさに今の私の心境であった。
昨日、仕上げにかかりだした知子への冊子最終ページに掲げたいと思う。

悩みに悩み抜いて神と出会い、呻きながら苦しい涙の深い谷を通ってきたが、私が神にどんなに従えぬ時でも、主は私を慈しみ深く、深い愛と忍耐で支え、私が納得いくまで付き合って下さった。

そんな至らぬ者が親であったのに、最愛の娘達をも育て巣立たせようとして下さっている。
一度は破壊しかけた、いや、破壊していた家庭を修復して下さり、夫婦間も親子間も強い絆まで与えて3者それぞれの道を歩み出させて下さるのである。

我が子が巣立って行くという大きな節目に、これまでの人生に勝利させて下さった感謝を大きな声で叫びたい。 
 
posted by 優子 at 17:08| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年05月27日

常に優先順位を考えながら過ごす日々

この春からの多忙さで、私は常に優先順位を考えながら過ごしている。
それでも選択に困りイライラを覚える時は、イエスさまのお言葉を思い出して進めてきた。
  
  「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
  しかし、無くてはならぬものは多くはない。
  いや、一つだけである。
  マリヤはその良い方を選んだのだ。
  そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである。


            (ルカによる福音書10章38節〜42節)

この『マルタとマリヤ』の内容を記載することこそが『優子の部屋』の使命でもあるのに、別の機会に譲ることはマルタ的であると懸念しつつも、今回は日々の記録のみにとどめておきたいと思う。

我が家での家庭集会『オリーブの会』も3月から中断している。
娘達の結婚やセンリさんのお嬢さんのご出産などの関係で、4月の例会を開いてから一時休会させて頂こうと思っていたが、3月末にセンリさんのお義母さんが脳梗塞で入院されたことから一ヶ月早く休会させて頂き9月から再開の予定である。

読書会のテキストも今年に入ってから一冊も読んでいない。
9月の『不如帰』までは無理であろうと思う。

次女の結婚式に間に合わせるための冊子作りに必死だった4月20日から26日(そのあと2度も原稿に手を入れたために最終は5月8日)までの間は、特に日々刻々において今、何を優先させるべきかを考えながら過ごしたものだ。

その後、一息ついてから長女のに取り掛かったが、共にこのブログからもそれぞれの関係記事を転載しているので2日間ほどでその大部分を仕上げて小休止していた。
そして、今日の午後、知子は会社の食事会で外出したため夫と2人で重要箇所に取り掛かった。
「パパから知子へ」と銘打った部分を夫に語ってもらい、私がノートテイクして仕上げるのである。その部分は無事に完了した。

その時に夫が吐露した知子への謝罪の言葉を聞いた時、奇跡だと思った。

私は驚きを隠して平静さをふるまったものの、しかしまた、こんなに嬉しい出来事なのに何と私の感性は鈍いのだろうと思った。
長い年月をかけて祈ってきたことが叶った時、また、長い年月の間、心配したり悩み続けていることが起こった時、喜んだり悲しんだりする感覚が鈍くなるのではないだろうか。
私はいつもそうなのだ。
知子が救われた時の喜びがそうだった。
真っ暗闇の状況から急展開したので唖然とした状態もしかたないが、私はもっともっと喜びたいのに感覚が麻痺したような感じだった。

一方、前記の証しで触れたことだが、兄嫁が母のことを「あんた」と呼んだのを耳にしたことについてである。
洗礼を受けた半年後、そこに至るまでの自分自身を振り返りたくて書き綴ったものには、そのことが抜け落ちていたのだ。私にとっては、そのことこそが最も大きな出来事であったのに記憶からこぼれ落ちていたのである。
自分でも信じられないことである。

サスペンスドラマではないが、人はあまりにショッキングな出来事に出会うと記憶喪失になったり、そこの部分の記憶が無くなるのと同じだと思った。
危機的なことが起きた時、自分を守るための自己防衛システムなのだろう。
そして、兄嫁のエピソードが抜けていることに気がついたのは、なんと10年以上も経ってからのことであった。
即ち、10年の時間を要して私の心の傷が癒されたのだろうと理解している。
   
ところで、夫の心情告白に対して私が鈍い反応であったとは言いつつも、その喜びを出せば夫はその思いを引っ込めてしまうかもしれないからと、私は鈍いながらも感情を抑えてキーボードをたたいていた。

私の祈りはついに、ついに叶えられた!
父と娘は再び結ばれた。
私が父を慕うように、知子も父親を慕う幸せな娘に回復され、夫も一人前の父親に成熟したのである。
こうして神さまは、着実に結婚式までの日々に一人ひとりを整えていって下さるのだ。
主の豊かな祝福の中での結婚式を備えて下さっていることを感謝します。

知子が生まれた時から振り返ることは夫婦の素晴らしい時間でもあった。

知子は父親よりも早く勝利させて下さっていたので、父親へのわだかまりは解消していたが、私は神さまが完了して下さったことを少しでも早く知子に伝えてやりたくて、その夜、式に先立って本文を読み聞かせてやった。
挙式まで2ヶ月足らずになった娘時代の日々を、大切に大切に過ごしてほしいから。
ハレルヤ!
イエスさま、ありがとうございました!

真智子の原稿が目に入り、「ピアノを弾く」が「引く」になっており誤字を見つけてガッカリした。
来週初めには仕上げて納品してくれるというのに!
せめて、知子のは落ち着いて校正しなければと思う。

いよいよ挙式まであと2週間。
主役じゃないのにドキドキしてきた昨今である。

posted by 優子 at 23:17| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

主の御名(みな)によって来たる者に祝福あれ!

昨日の記事へのコメント

優子さん、素晴らしいあかしをありがとう。
万事を益としてくださる神さまの業を見せていただいて、感動しています。

心の痛みを覚えつつ書かれたのでしょうね。
真実のあかしを書くときは、身が引き裂かれるような思いがするものです。
神さまは、祝福してくださっておられることでしょう。

         Posted by 土筆文香 at 2006年05月25日 17:56


6回に分けて掲載した我が魂の旅路 『イエスさまとの出会い ―わが生涯は改まりぬ―』に頂いたコメントである。
深い慰めが全身に流れるのを覚える。
主よ、そして、文香さん、ありがとうございます。

実はこれを書き始めて2回目まできた時、やはり止めよう。今からでも取り下げて非公開で保存しておこうと思ったほどに葛藤していた。
祈りつつも決断できずにいた私は、公開して3日後だったと思うが、第1回目の冒頭部分に次のように書き加えるように内なる促しを感じた。

初めにお断りしておかなければならないことは、今も未解決な問題や状況にある人々について触れることである。

その大前提として申し上げておきたいことは、私は信仰生涯に導かれて10年を過ぎた頃から霊の目が開かれて、私の敵であった人々のことを祈れる者に変えられたことである。
何ゆえにそこに至ったのかを語るには、どうしても語らなければ語りえないことがあり、それはまた普遍性を意味することであるゆえにご理解頂いて最後までお読み頂きたいと思う。


これを書き足したあとは葛藤も消え、文香さんのコメントへのお返事で述べたように意志的に最後まで書き終えたのである。
即ち、
 今こそ心の痛みを犠牲にしてまでもお伝えしたいと思いました。
 まず、私自身のためにです。
 人はいつ何があるかわからないからです。
 肉体余命はあっても、例えば若年性痴呆症でそれより先に精神余命に終
 わりが来るかも知れないし、既にもう始まっているかも知れません。
 
 とにかく私が生きてきた証しのために、そして、我が子に伝えておきた
 いために導かれるままに書きました。
 ひょっとしたら、今これを読んで下さっている方のために御用させて下
 さっているのかも知れません。
 文香さん、ありがとう。
 文香さんからのコメントが何よりの祝福です。
        

文香さんは私のペン仲間であり、今年からはブログ仲間の一人に加えて頂いている。
お許しを頂いて『生かされて』(右のリンク先にあり)の5月23日の記事から、一部を以下に転載させて頂いた。

先日の礼拝メッセージの中で土浦めぐみ教会と交流の深い、韓国大方(デバン)教会の3つのスローガンを教えていただきました。

1:知識の限界は、神の言葉によって(克服する)
2:能力の限界は、信仰によって(克服する)
3:状況の限界は、祈りによって(克服する)

解説
1:決断に迷ったとき、神さまのみこころを求めるが、それがわからないときは、神の(聖書の)言葉によって教えていただく。
2:困難な問題にぶつかったとき、神さまはいたずらに苦しみにあわせるようなお方ではないことを信じる。つまり、神の善意を信じる。
3:人間の力では不可能なことでも神さまは可能にしてくださる。神さまの力に信頼して祈り続けることが大切。どうしようもない状況でも、祈ることはできる。


全く「アーメン」である。
私もまた文香さんが言われるように、このスローガンを私のものとしたいと願っている。
posted by 優子 at 13:53| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年05月25日

イエスさまとの出会い ―わが生涯は改まりぬ 最終章―

私が教会へ行き始めた時、母は「いい事やと思うわ。」と言い、三日坊主の私が教会通いを続けるので、そのうちに「あんまり凝りなや。」と言うようになった。
それなのに受洗後しばらくすると、「優ちゃんには良かったと思うわ。」と言い、次には「いい笑顔になったなあ。変わったなあ。」と喜んでくれるようになった。

父も「優子の顔、良くなったなあ。いい笑顔になった。」の連発だった。
こうして兄嫁のことでギクシャクしていた親子関係も円満に修復された。

洗礼を受けた妹も父と抱き合って喜び、その10日後の1988年12月22日、夫の2年間の出向に伴ってタイの地へ飛び立った。
 
2年前の苦悩のお正月とは打って変わり、私達は喜びに包まれた。
母は「優ちゃん、クリスチャンになってよかったなあ。今年は、ええお正月やったなあ。本当に良かった。また、おいでや。」と、その顔は喜びに満ちていた。
(しかし、この時すでに母の体内では大変なことが起きており、この夏に難病を宣告されることになる。)
傍らにいた父の顔にも、安らかな喜びが溢れていた。
私はハッと気づいたのだが、私の顔が変わっただけではなかった。
父や母にも微笑みが戻っているではないか。
忍耐強く明るかった母の顔も、明るく振舞う父の顔も暗くなっていたのに、この笑顔は何年振りだろう。
 
神は、神を愛する者たち、
すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
      

(ローマ人への手紙 8章28節)
 
こうして私はこの御言葉を握らせて頂いて、今ある全てのことに意味があると信じて歩み始めたのだった。

神との出会いはゴールではない。
人生の目的と意味を知らされて、まさに、そこからこそが真の人生が始まるのであり、私にとっては凄まじい壮絶な荒野(あらの)の始まりでもあった。
しかし神は、そのような苦悩と涙の谷を歩まなければならない私のために、まず神と出会わせて下さり備えをされてから、み業(わざ)を開始されたのである。
今の私には神の愛が痛いほどわかる。

誰それが悪いのではない。
今に至って心底から思うことは、私は兄嫁のおかげで神と出会い、それら理不尽で不条理な一切の母の苦難を通して神の愛と恵みを知る者となったのである。
神は私がこのように思えるようになるまで愛と忍耐をもって導いて下さったのだ。

私が語気を強めて述べたいメッセージは尚もここからである。
兄嫁のことや婚家先の親族との確執など何処にでもあることである。
私は決して特別な苦しみがあったから神と出会ったのではないのだ。
日々の報道を見れば、どんなに多くの人々が不条理な苦しみや悲しみを負っていることだろう。
北朝鮮に拉致された人々とそのご家族、我が子を殺された親の悲惨な苦悩、また、テロや大津波に遭って家族を失うというような悲しみと苦悩。
しかし、これらさえ現代に始まった試練でも悲惨でもないのだ。
あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。」と、主が言われた通りである。
    
ましてや、私の経験はどこにでもある平凡な事柄であり、それらと比べれば苦しみとさえ言えなものである。
しかし思うに、深刻な病いや事故、経済的破綻・・・などの場合はともかくとしても、私が神との出会いに至った平凡な出来事においては、「悩むにも悩む側に能力がいる」とアイロニカルに言いたくなるほど、人々は真剣に悩んでいないように見える。
自分の身に起こっていることなのに、あくまで傍観者的で主体性に欠けすぎている。
それは、社会生活においてもそうである。

多くの人々は自分の内面を見ようとせず、原因は常に他者であり、状況や環境のせいにし、あるいは自分をごまかして通り過ぎていくのだ。
それではせっかく生かされているのに、命を無駄に費やす人生でしかないではないか!
悩める者は幸いである。
物事がうまくいかず悩むことは、幸せに至る絶好の好機なのだ!

1987年に救われてのち15年を経て苦悩を突き抜けさせて頂いた時、ついに私も恵みの中で喜んで生かされる者に変えられた。
頑なな私だったから15年間もの時間や出来事が必要だったのである。
以来、日々、自分の弱さを思い知らされ、神さまの御臨在を感じながら生かされているのだから何と幸いな事であろう!
これからいよいよ主(イエスさま)にふさわしい者にするために、私を剪定されて生涯の完成へと向かわせて下さるのであろう。

自分で気がついていなくとも、真により良きを求めて生きている者には神が私にして下さったように、必ず貴方とも出会って下さり導いて下さるのだ。
主は常に「聞く耳のある者は聞くがよい。」と招いておられ、貴方の応答を待っておられるのだ。
私は全てのことの背後に神の摂理があると、キリスト者として受け止め信じる者である。
主よ、感謝します。アーメン!

posted by 優子 at 10:25| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年05月24日

次の帰省は誕生日の夜遅く、いよいよ挙式4日前

18日(木)の夜遅くに次女が婚約者と帰って来て23日(火)の朝に戻って行った。
18日の2人は、一度学校に出たあと一ツ橋大学へ講演に行き、再び大学へ戻ってから大阪へ向かったというから超ハードだった。
そして、19日(金)はパスポートを受け取りに行ってから関西大学へ講演に出かけた。

21日(日)のこと。
私の妹一家が我が家へお祝いを持って来てくれた。
妹たちは、この新居に移って初めての訪問である。
イエスさま、ありがとうございます。
長い間、破れていた妹との関係が、急きょ修復の方向へ導かれつつある。
主の臨在を感じる食事、歓談の時間が流れ、写真の父と母の顔が喜んでいるように見えた。

妹のピアノで知子と私は何曲も讃美歌を歌った。
妹はかつて教会で奏楽のご奉仕もしていたらしいが、慣れた手つきで弾きながら歌っていた。そして今、声楽を学んでいる者らしく私のような裏声ではなく綺麗な声がよく出ていた。

主よ、感謝します!
「結婚式までの一切のことの上に神さまのお導きがありますように」と祈り続けている私の祈りを聴いて下さり、主はあらゆることを整え、成就させていってくださっているのだ。


    わたしにつながっていなさい。
    そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。
    枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶ
    ことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなけれ    
    ば実を結ぶことができない。
    わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
    もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっ
    ておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。
    わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。


         (ヨハネによる福音書15章4〜5節)

この日、私は何度も何度も神さまに感謝しながら歌い、笑い、涙ぐんだ。
そして、真智子が結婚式次第に選んだみことば、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である・・・。」を噛み締め、口ずさみながら食器を洗った。

その後、一緒に3時からの礼拝に出る予定であったが、式の最終打ち合わせのために致し方なく妹達を見送りクリスチャンセンターへ急いだ。

22日の月曜日は、花嫁のメイクとヘアーのリハーサルで私も付き添った。
日頃は薄化粧の真智子がメイクされていくのを見ながら胸が熱くなった。

次に帰って来る時は6月6日の夜遅くである。
6月6日は真智子の26歳の誕生日であり、挙式4日前である。
真智子はようやく一人で帰って来る。
挙式の日までに家族揃っての会食は成らなかったが、
「家でママの手料理こそが真智にとって最高の思い出になるよ」と言ってくれた長女。
そうやね。
知子と真智子とパパとママと4人で、感謝な時を感謝して過ごさせて頂こうね。
posted by 優子 at 11:02| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

イエスさまとの出会い ―わが生涯は改まりぬ D―

これは洗礼式の直後に妹から届いた手紙である。

雨上がりの山は深い緑に冴えて、思わず歩みを緩めて見とれてしまうほど綺麗です。
今のお姉さんも、この山のように輝いておられます。
これから真の人生を妻として、母として、何よりも人として生きてゆかれるかと思うと嫉妬心すら湧いてきます。
初めて素直に「お姉さん」と呼べる気がします。

これまでは、何をとっても私の方が優れているとか、落ち着きがある等と内心自惚れていたのが一転して一挙に追い抜かれてしまった。
そして、この差は一朝一夕には縮まるものでない気がして取り残された思いです。     
         (中略)
 
私の正直な気持ちを言うと、「負けた!!」。
しかも、人生の一番大切な場面で「負けてしまった!!」というものでした。同時に、こんな素晴らしい姉を持って嬉しい、心強い、そして誇りです。
私の心の中の優ちゃんに対する評価、位置も逆転してしまい、戸惑ったりまごついたりしてしまうほどです。私の心の中に劇的な変化が起こって、その波がまだ収まらず激しく波打っているのです。

信仰の問題は自分一個の問題であるから、キリスト教の本とか送ってこないでと言ったくせに、こんな事をお願いするのは調子良すぎると思われるかも知れませんが、どうか私達を引き上げていってほしいと思います。
勿論これは優ちゃんにお願いすることではなく、神に祈ることなのですが、みんなの心に真の平安が呼び込まれますようにと祈ります。
 
でも本当に不思議ですね。
私にとって一番近しい人である優ちゃんが、私の一歩先を歩む人であるように感じます。優ちゃんの劇的な変化を一番感じているのは私であるかも知れません。
 
私も牧師さんの言われたように教会を捜して行ってみようと思います。
結婚直後にも、サモアに居る頃にも思っていた事でしたが、今まで実現せずにいました。
洗礼式の際の牧師の言葉、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」が、耳の奥に熱い感動と共に残っています。
私も救われたい。
ノアの箱舟に乗りたい。
扉が閉まる前に、と思います。
真の人生を歩みたいと思います。
                  
     親愛なるお姉さんへ
                        K

               1987年6月9日              
 

妹は子供の時から学業に秀で、同志社女子中学校に入学した時もダントツの成績で合格し、同志社の歴史に残る住谷悦治総長の前で威風堂々と新入生代表の挨拶をした。
大学では経済学を学び、大学院では国際関係論を学び政治学の学位を得た。

その後、国連の試験にパスし経済専門職員に任命されて、当時、国連開発計画(U.N.D.P.)が力を入れていた最貧国の一つである西サモアへ派遣された。
雇用条件は国連であり、給与は日本政府から出されるので外務省の試験にもパスする必要があり、その難関も突破しニューヨークでトレーニングを受けて単身サモアへ渡ったのだった。

この時、妹のようにプロで派遣されていたのは世界中でたった3名という時代であった。
しかし、国連のモラルの低さに絶望した妹は一年で国連を去った。
後年、「あの時、私がクリスチャンであったなら、その中においても別の働きができたと思う。」と語っていた。

さて、妹からこの嬉しい便りを受け取った日、妹は室内プールでダイビングした時に腹部に激痛が走り、必死の状態で運転して病院へ行った。
医師より子宮内膜症と診断され、8月に開腹手術。
(子供を産みたいので卵巣を残すことを選択。そのための薬物療法で体調が悪化し、医師の指示に反して薬物を直ぐにやめて漢方に変えた。
幸いにして2年後にタイ・バンコクにて女児を出産する。)

そして、私が受洗して一年半後の1988年12月11日、
妹は日本フリーメソジスト岩出教会において塚本且治牧師より受洗。
この時も両親と共に私の家族も列席した。
posted by 優子 at 10:25| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年05月23日

イエスさまとの出会い ―わが生涯は改まりぬ C―

印刷業を営み社会的にも活躍している父が、20年来、保護司まで務めている母が、なぜ、兄嫁に対して腫れ物に触るかのような扱いをするのか。
兄は自分の結婚生活を建て直す勇気もないのかと、悩み苦しんだ。

「本当に仲の良い明るい家族やな。」と、夫が結婚当初によく言っていたほどに幸せだった私達だが、一人の人間のために家族が家族ではなくなっていくように思われた。
破滅への道を辿る私達のために、神さまは私を教会へと導いて下さったのだろう。
そして、教会から足が遠のく私に何度も幼い子供達をとおして声をかけて下さっていた。
 
家族全員が重苦しい年末年始を過ごした。
この時、あの忍耐強い母が言葉少なく苦悩に満ちた表情で訴えたことを思い出す。
「私には尊敬できる人がいない。保護司をしていて恥ずかしいけれど、家裁へ行って私の気持ちを全部聞いてもらいたい。」と。
私と妹はもちろん賛成したが、父と兄は断固として反対した。
男の面子なのか知らないが、あの母があのようなことを言うのには、余程のことがあったのだろう。積もり積もった余程の事が。
今の私ならば・・・・と思うと悔やまれてならない。

お見合いで結婚した私達の仲人が兄嫁の両親であった。
それが縁で、兄をみそめた仲人が娘の伴侶にと縁談話を持って来られたのだった。
さて、年が明けて1987年1月15日、兄嫁の母親(父親は亡くなっている)も加わって全家族が集まる場を設けた。
嫁の母親は父親(夫)の遺影をもって娘に語っていた。それでさえ彼女の心は全く動かされることはなかった。
「4人の娘の中でこの子だけが・・こんなんですねん。」
「これからは私に言ってきて下さい。」とお母さんが言われたが、私は一度でさえ相談することはなかった。仮に、相談しようと思える方であったところで根本的な解決にはならないと直観したからだ。

私達がこんなに優しく親しみをこめて接しているのになぜだ?
という怒りと憎しみが募り、苦しい日々が続いた。
あの人のように自分から噛み付いていくことはしたくないが、相手がそうならこちらも同じようにしてやると心の中で居直ってみたものの、そのような生き方は我慢できなかった。

そして、苦しみが頂点に達した時から私の魂は徐々に神様に立ち返るべく導かれていた。
2月に入って毎日5〜6時間は聖書をむさぼり読んだ。
そんなある日、いつものように子供達を学校・幼稚園へ送り出し、手早く家事を済ませて机の前に静まった時、
    
     今日も朝から私の問題を知り、私の弱さを知り、
     必要の全てに心を配っておられる方がある。
     今日も私に会おうと、ひとり待っておられる方がある。


という言葉が目に入り、涙がボロボロ流れてきて声をあげて泣いた。
泣き止んで顔をあげた時、そこに優しい目でじっと私を見つめておられるイエスさまを見たように思った。
 
教会に通い始めた頃、洗礼を受けたいなあと思ったことがあるが、クリスチャンとは人に仕える人生、まして私は長男の嫁である。夫の両親や弟妹の顔が浮かび、〈ああ、やめよう。損な役ばかり引き受けて、いいように利用されるだけや。〉と思った。

しかし、損な役ばかりでもいい、奉仕の人生でもいい。
炊事をしていても掃除をしていても人を憎み、夜も眠れない生き方から解放されたいと、いつしかこの事だけを願うようになっていた。

そして、造り変えられる事を信じて1987年6月7日、ペンテコステの日に洗礼を受けた。
この時、自分の罪については全く気がついていなかった。
優しく両手を広げて迎えて下さっている神さまの胸に飛び込んで行ったのである。
こうして私は35歳にして主を信じる者とされ、夫や子供達、また、両親と妹夫婦に見守られて洗礼を受けたのであった。
posted by 優子 at 16:55| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年05月21日

イエスさまとの出会い ―わが生涯は改まりぬ B―

子供達はイースターの時以来、毎週喜んで教会へ通っていたが、私達夫婦は10月頃から殆ど行かなくなっていた。
そんな私達のために「今度の日曜日は、パパとママが教会へ来てくれますように」と、子供達が毎日祈ってくれていた。
「ママ、クリスマスには絶対来てね。指きり。」と、12月に入ってからは毎日指きりをさせられた。さすがに私も約束を守ろう、子供達の心を大切にしようと思っていた12月のことである。

自動車で30分の所にある実家なのに半年ぶりに行った。
やはり、母だけが忙しく夕食の準備をしていた。
いつも母が夕食を作り、インターホンで嫁の部屋にできたことを伝えているのだった。
私達が行っても、兄嫁は出てきて挨拶さえしない。

私は母の代わりに夫や兄達にコーヒーを入れようとした時、彼女が入って来て
「勝手に人の家の物をさわらんといて!」と激しく言ってきた。
そこにあるのは全てお皿一枚にいたるまで母が買い揃えたものでさえある。私は驚いて一瞬ハッとしたが、いつものように心を静め、その動作を続けた。

すると、彼女は母に対して、「あの人にさわらせんといて。あんた、なんでそんなことさせるのん!」と激しく言った。
母に対して「あんた」とは、我が胸中筆舌に尽くしがたし!

両親は嫁のことを忍び、私達に何も言わない母だが、「このごろ私のこと『あんた』と言う。」と、ポツリと言ったことがあった。
さすがの母も沈んでいた。
それを知った時の私の思いもまた、どのようなものであったか。
私が激怒しては余計に母を苦しめることになると思って、その時は穏やかに聞き流したのだが、この時、私の耳でそれを聞き、私は遂に忍耐の緒が切れてしまった。

そこには両親、兄、兄の4歳の息子、そして、私の夫と子供達がいた。彼女につられて私も暴言を吐いた。
しかし、冷静さを取り戻し、正座して手をついて暴言を吐いたことを2度詫びた。
そんな時も彼女は足を組んだままいつまでも言葉を慎もうとしない。
彼女を黙らせることも出来ない父や兄にも怒りが込み上げ、
「ママー、やめて!」と泣き出した長女の姿を見て、私は泣きながら帰って行った。

帰って行く私よりも、泣きながら帰って行った娘を想って母や父はどんなに心を痛めたであろうか。
しかも、あの地獄に留まらなければならない母を思うと私の胸は張り裂けそうだった。
母はただの専業主婦ではない。
父の経営する会社の経理を受け持ちながら、保護司や民生委員だけではなく地域の人々のために労する忙しい日々である。
特に12月という忙しい中、半年振りに実家に来る私のために茶碗蒸しまで作ってくれていた母に申し訳なくて、今も胸が痛む。   
posted by 優子 at 00:57| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年05月20日

イエスさまとの出会い ―わが生涯は改まりぬ A―

兄嫁の求めに応じて両親が家を建て替え、兄夫婦の家族を迎え入れて10ヶ月後の1986年6月。聖日礼拝のあと実家へ行った時、私は父と大喧嘩をした。
相変わらず勝手気ままな兄嫁のことで、
「どうして何も言わないの?」と私が父に不満をぶつけた時、
「この俺が我慢しているのに、なぜおまえが言うのか!」と、父が激怒した。
社会的にも指導的立場にある父が、経済的にも支えてやっている側の父が、なぜ、兄嫁に対してそのような態度でいるのか。
「どんなに我慢しているのか分からんのか!」と言う気持ちを、なぜ、この私にぶつけなくてはいけないのかという憤りでいっぱいだった。
 
こちらから挨拶をしても知らん顔する兄嫁のことを母に愚痴ると、
「幼稚園に行っている子になら、『朝は、おはようございますと言うのよ』と教えられるけど、
30歳にもなった人には教えられへん。10年待ったげて。」と母は言った。

私も彼女に心から接してきた。
傲慢な言い方かも知れないが何度も何度も許し、いつも笑顔で接してきた。
姑と嫁、嫁と小姑との確執は世間ではよくあることであり、きっとお互いに原因があると考えるだろうが、兄達が婚約して初めての家族の顔合わせの時から挨拶もしないし、新婚旅行の見送りに行った時もそうだった。

家族の顔合わせのあと、この結婚は考え直したほうがよいと私は真剣に両親に言った時、
「兄を取られるような気持ちから妹の嫉妬もあるのと違うか?」と、父が言った。
しかしこの時、私には1歳の知子までいたのだ。
自分の人生も活気があり、父の言うような思いから訴えていたのでは決してなかった。

彼女がある日、たくさん靴の並んだ玄関で「嫌いな人の靴は踏んで行く」と言ったことがあり、あまりに驚いて妹と顔を見合せたことがあるが、確かに人格形成に多分に問題のある人だった。

両親は私達3人を、人の真心の分かる人間になってほしいと願って育ててくれた。
「人にしてもらったことは一生忘れたらあかんよ。
でも、自分がしてあげたことはその場で忘れなさい。」
また、「『実るほど頭の垂れる稲穂かな』って言うやろ。」と、母によく言われた。
そして、兄嫁のことで悩みこんだ時、
「相手がそうだからと相手に左右されて、私の娘が相手のように人格を落とすなんて、それほど悲しいことはない。」と母が言った。


忍耐強く、嫁のことも愚痴を言わない母と父だ。
しかし、なぜ私達ばかりこんなに我慢しなければならないのか。
あの人も同じ人間なら、私達と同じように良心がある筈だ。良心が痛まないのだろうかという腹立たしさを、自分ではどうすることも出来なくて私は何度も母に辛く当った。
そして、そういう自分がどうしようもなくて苦しみは二重三重だった。 
posted by 優子 at 09:00| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年05月19日

イエスさまとの出会い ―わが生涯は改まりぬ @―

6月4日の礼拝で南大阪福音教会へ転入会させて頂くにあたり、私がいかにしてイエスさまと出会ったかを刻んでおきたい。
初めにお断りしておかなければならないことは、今も未解決な問題や状況にある人々について触れることである。

その大前提として申し上げておきたいことは、私は信仰生涯に導かれて10年を過ぎた頃から霊の目が開かれて、私の敵であった人々のことを祈れる者に変えられたことである。
何ゆえにそこに至ったのかを語るには、どうしても語らなければ語りえないことがあり、それはまた普遍性を意味することであることをご理解頂いて最後までお読み頂きたいと思う。      

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

両親はクリスチャンではないしキリスト教について詳しく知っていたわけではないが、我が子にキリスト教主義の教育を受けさせたいとの願いから、兄妹3人とも中学校から同志社で学ばせた。
新島襄の教え、毎朝の礼拝、週に1時間の聖書の学び・・・など、今から思うと来る日も来る日も、み言葉の種が蒔かれていた。
そして、自我の目覚めと共に人間とは何か、自分とはいったい何かと考えるようになり、大学時代には哲学や思想書に答えを求めていたこともあった。

幸せな結婚、2人の娘達にも恵まれ何不自由のない生活だったが、今振り返れば心からの満足感がなかった。
夫の両親のことでは結婚生活の最初から悩まされ続け、親に盲従する夫は理解しがたく、私自身の自己の確立と共にそのことの重大さに目が開かれていった。

そしてまた、環境や状況ではなく自分自身の生き方、即ち自分の内的生活が充実しない限り真の心の満足は得られないということも気づかされていった。
それを得ようと愛読書であるヒルテイの本を読み、クラッシックの音楽を聴き心を静めるのだが持続することはできなかった。

1986年の2月頃だったと思うが、毎週日曜日の朝にテレビで『見えますか愛』というキリスト教の番組をやっていた。
私は教会に行くつもりはなかったが、その番組で近くの教会を紹介してもらったところ、案内状だけではなく牧師夫妻が来訪されたため成り行きにまかせて、1986年のイースターの日に、家族と共に私は生まれて初めて教会の門をくぐった。

この頃すでに兄嫁のことが両親や兄、そして、私にとって大きな悩みとなっていたが、この時真剣に何かを求めて教会へ行ったわけではなかった。
私は34歳、夫40歳、長女8歳、次女5歳であった。

私にとってクリスチャンとは書物の中の人であり、私も彼らのように力強く、明るく喜びに満たされて生きていきたいという憧れが娘時代からあったが、自分とは全く縁のない不可能な夢だと思っていた。
しかし時が来て、私の深い願いをご存知であった神は私を教会へと連れ出された。

posted by 優子 at 19:40| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年05月18日

メビウスの輪

「メビウスの帯」は文学の象徴と言われている。
それは裏表のある一枚の帯(長い長方形)で、その4つの角を左上からA、左下をB、右下をC、右上をDとすれば、そのAをCに、BをDにつなぎ合わせることでできるのが「メビウスの帯(輪)」である。
つなぎ目を消してしまえば、表側を歩いて行って自然に裏側に入ることができる。

これが言わんとしていることは即ち、何が終わりで何が始まりなのかわからず、この世は何が原因で何が結論なのかわからないということである。
ひとひねりした輪の一面を辿って行くと元に戻ることから、文学は「メビウスの輪」だと言われている。

しかし、まことの神を知らされた者は、我々が何処から来て何処へ行くのかも知っている。
私の文筆活動は、「メビウスの輪」の中を歩き続けている人々の救命活動とも言えよう。
輪廻のごとく解決のないメビウスの輪だけで人生を終えてほしくない。
一人でも多くの人に、「栄光への脱出を成さしめ給え」と祈りつつペンの業に励むことが私に賜った使命である。

ところで、太宰治はあれだけ聖書を読んでいたのになぜ自殺したのかとはよく問われることだ。芥川龍之介しかりである。
しかし、彼らは聖書に触れてはいても神への信仰がなかった。
故に、メビウスの輪のようにグルグル回っているだけで、どれだけ聖書を探求し続けても何も出てこないのは自明の理であった。

いかに突き詰めたところを書きとめるかが作家の命であるが、彼らは日本の文学者の中でも鋭い視点を持つ少数派であり、真理を求めていたからこそ聖書を読んだのである。
ならば何故、あれだけ聖書を読んでいたのに神と出会えなかったのかということについて疑問が残る。
しかし、それは神の領域であるから我々が軽々に糾弾することではなかろうと思う。
ただ一つだけ言えることは、聖書は祈りつつ読み、読みつつ祈るものであるということだ。  

    真理によって彼らを聖別して下さい。
    あなたの御言(みことば)は真理であります。

               
               (ヨハネによる福音書 17章17節)

    キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている。
                 
                (コロサイ人への手紙 2章3節)

文学や音楽だけでなく自然科学の分野においても、全ての領域において神と出会った人々の功績はひときわ偉才(異彩)を放っている。
posted by 優子 at 09:20| 文学 | 更新情報をチェックする

2006年05月14日

母の日礼拝

まぼろしの影を追いて うき世にさまよい、
移ろう花に誘われゆく 汝(な)が身のはかなさ。
(おりかえし)春は軒の雨、秋は庭の露、
       母はなみだ乾くまなく、祈ると知らずや。

幼くて罪を知らず、胸に枕して、むずかりては手に揺られし
                        むかし忘れしか。
汝がたのむ神の みもとには来ずや、小鳥の巣に帰るごとく、
                        こころ安らかに。
汝がために祈る母の いつまで世にあらん、とわに悔ゆる日の来ぬまに、
                        とく神に帰れ。


母の日礼拝で必ず歌われる讃美歌510番も私の愛唱歌である。

あなたは、「母の日」が教会から始まったことをご存知であろうか。
1908年5月、アメリカのアンナ・ジャービスという女性が、教会学校で長く教えていた母親を記念して追悼会を行った。
その日アンナは、母への感謝を表すために母の大好きだった白いカーネーションを会堂に飾り、追悼会の終わりに参加者に配った。花を手にして感動しながら帰る人々を見たアンナは、この「母の日」の行事を全国に広げ、その後20年ほどの間に全世界に広まっていった。
やがて、赤いカーネーションは生きているお母さんを、白は亡くなったお母さんを表すようになった。
             

南大阪福音教会ではその趣旨を汲み、時期的に高騰しているカーネーションではなく別の花の苗を婦人方にプレゼントしている。
切り花ではないから、我が家のプランターに植えた花は増えながら夏の終わりまでベランダで咲き続けてくれる。

中学・高校時代に私の心に毎日蒔き続けられたみことばの種が、16年後に芽を出して教会へ導かれた。
34歳の5月のこと、母の日礼拝でこの讃美歌を歌った時、あまりの懐かしさで胸が痛くなり2番と4番の歌詞で涙が溢れて歌えなかった。

その10年後に、母は地上から姿を消した。
母が去ってからの数年間は「母の日」が嫌だった。
スーパーで「母の日」の文字を見て、生協のチラシを目にして心が痛み、私はそれらから目を避けた。
そして今は我が子のために、夫、兄、妹のために、娘の伴侶たちのために祈る日々である。

知子が2歳2ヶ月の頃、私がこの讃美歌を歌うと「るっとしーのお歌」と言っていた。
「祈ると知らずや」のところを、私はやや勢いをつけて「いいのるっと知ーらずや」と歌っていたからそのように言っていたのである。
讃美歌285番と90番を2歳2ヶ月の知子が歌っている声もテープにとってあるが、娘達の生後1ヶ月の泣き声から始まる言葉の成長記録と共に、13歳(真智子は10歳)までの思い出が4本のテープに収められている。
これらを新しいテープにダビングして知子と真智子に渡してやりたいと思う。

今朝の礼拝で、講壇の前で讃美する婦人たちの中に加えて頂いている幸いを想う。
そのあと、突然のご指名を受けてお証しさせて頂けたことも感謝だった。
今日の私は母を慕う娘としてよりも、我が子を想う母としての意識の方が勝っていた。
ようやく母の悲しみも癒され、母親としても一人前になれたような気がしている。

今日の週報に真智子たちのことを記載して下さっていたので刻んでおきたい。
「先週の礼拝において、成田太志氏と藤本真智子姉の婚約式が持たれました。
挙式は6月10日、大阪クリスチャンセンターです。
結婚後、お二人でアメリカに5年間留学されます。
おめでとうございます!」


主よ感謝します。
posted by 優子 at 20:00| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2006年05月12日

転入会の手続き完了

1987年6月7日、日本イエス・キリスト教団放出(はなてん)教会で小山恒雄牧師(現在は名誉牧師)より洗礼を受けてから、まもなく19年が過ぎようとしている。
そして、東大阪よりこの地に来て7年が過ぎた。
8年目に入った先月頃から内的な促しを感じて、今までそのままにしていた教会籍をRCI(リバイバル・チャーチ・インターナショナル)南大阪福音教会へ転籍する手続きを始めていた。

7日の夜に放出教会の薮野牧師より転出を役員会で承認され、明日、書類を南大阪福音教会へ送付して下さる旨のお電話を頂いた。
そして、先ほど福野牧師からも手続きが完了し転入会式の日程についての打診があった。

転入会をせずに籍をそのままにしていた理由は2つあった。
礼拝の文化が違うと言えばいいのだろうか、南大阪福音教会は12歳の頃から慣れ親しんでいた同志社の礼拝と違っており、同志社と共に放出教会もまたオーソドックスな静かな讃美であったから、最初の何年間は抵抗を感じて馴染めなかった。
読み慣れた口語訳聖書を読みたいということもあるが、讃美歌が歌いたくて決心できずにいた(午後や夜の集会では聖歌を讃美していた)。


1年ほど前だったか、『人生を導く5つの目的』を読んでいる時に、
最も良い礼拝は・・・・神があなたにお与えになった背景と個性に基づくそれぞれのスタイルがあってよい」という箇所があった。
深く私の心を捉え現教会の礼拝への理解が大きく広がり、また、私は私の礼拝スタイルを重んじていいのだと解ったことから、固定観念から解放され抵抗感もなくなった。
そして、礼拝は自分を満足させるために捧げるのではないことにも気づかされた。
讃美歌を歌いたいという思いは今も変わらないが、この教会に転入会させて頂きたいとの道が示された。

籍をそのままにしていたもう一つの理由は、私が転入会する時は夫が洗礼を受ける時にという願いがあったからだ。それはまだ成就されていないが安心して主に委ねているので、神さまに示された通りに手続きを進めていた。
それら全てが完了した今、号泣したいほど感極まるのはなぜだろうか。

初めて教会の門をくぐったのは1986年のイースターの日であり、結婚して9年後だった。
あれから20年が過ぎ、この12月で結婚して30年を迎える。
当時、日曜日の朝に『見えますか愛』というキリスト教番組を見ていて、最後に案内された自宅付近の教会を紹介してほしいと葉書を出したことから、小山牧師ご夫妻が訪問して下さった。
あの時はただ、近くの教会を知っておきたいという気持ちだけで、特に何かを求めていたわけではなかったつもりだが、私の心の中をご存知であった神さまの絶妙なる愛の導きにより教会へ導かれた。

福野牧師は14日と21日は留守をされるから明後日の母の日礼拝の時か、6月4日・・・はいかがかと仰って下さっている。
明後日とは急で心が動揺し、気持ちの高ぶりを覚える。

「イエスさま、いつにして頂いたらいいですか?・・・・」と相談した瞬間に6月4日にしようと思った。
受洗したのが、6月のペンテコステの日だった。
カレンダーを見れば、今年のペンテコステは6月4日だ!
洗礼を受けて19年後のペンテコステに転入会式だなんて絶妙なる一致、最高に嬉しい!
これなら愛する放出教会への想いも忘れずに、私の心に熱くとどまり続けるから本当に嬉しい。
イエスさま、ありがとう!
小山牧師、放出教会の上に神さまの更なる祝福がありますように!
放出教会はこれからも私の故郷であり続ける。
そして、南大阪福音教会の皆様、これからよろしくお願いします。
posted by 優子 at 18:21| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年05月10日

出番を待つ花々 感謝の叫び!

今朝、アジサイにつぼみがついているのを発見した。
長いあいだ楽しませてくれたチューリップは去り、赤・白・ピンクのツツジが町のあちこちで初夏へと誘ってくれる。
我が家の庭には、半月ほど前からスズランがたくさんの花を咲かせている。
地面に顔をつけるようにして花に近づけば、爽やかな香りが私を包む。

雑草と言われている2ミリほどの花にも小さな小さな花びらがたくさんついていて、その驚きと美しさを感じる感性は年と共に深まっていく。
神が創造されたものに驚くばかりである。
一年中を通じて私達を楽しませ、慰めを与えて下さる神を褒め称える。

白もくれん、桜、ハナミズキ、ツツジ・・・・そして今、梅雨に映えるアジサイが自分の出番を感じて準備を始めている。
長い寒い冬の間は枯れ木のようになって耐えていたアジサイが、2月頃から小さな芽を出し始め、今、勢いを増して伸びている姿に私は感動する。
不細工なほどに枝を切り落とされていた惨めな街路樹も芽吹き始めた。
今年も暑い夏になれば大きく枝を張って日陰を作ってくれることだろう。

子育ての任務を終えようとしている私は、今しかできないことに心を注ごう。
長女の結婚が決まってから今に至る4ヶ月間にも、神は私の切なる祈りを聴かれて私自身を整えていって下さっていることが手に取るようにわかる。
挙式当日には、娘の門出を祝う母親にふさわしく備えて下さるのだ。
地上に在る限り子供達の助けになってやりたいと願うのが親心である。
そして、子育てにおいては今こそ完了の時、最後の出番に励んでいる。

二上山の表情も日々変わっている。
深緑と淡い黄緑のコントラストから始まり、今は黄緑が緑色に変わり、まもなく万緑の季節を迎える。
今、悩みの中にある人たちよ元気を出し、祈り抜いて歓喜に至れ!
私は今、これまでの長い年月の苦悩の実を刈り取らせて頂いている。

至らない私達夫婦ゆえに、成長期の子供達に計り知れぬ苦悩を与えてしまったが、神は全てのことを勝利させて下さった。
私だけではなく子供達も夫も、神と共にあることにのみ人生の意味と価値があることを知ったから、あとのことは問題ではない。
神に委ねて進んで行けばいいのだ。
それこそが真の味わい深い人生ではないか!
夫が信仰告白する日も備えられていると確信して祈っている。

イエス様だけが私の全ての事を知り、人にはできない愛と忍耐をもってここまで連れてきて下さった。
父と母の苦悩も無駄にはされなかった。
何よりもまず2人とも天の御国に入れて下さったから再び会えるのだ。
その後も、両親の流した涙を一滴も無駄にはされなかった。
父よ、母よ、
私はお二人との別れのあとについに不動の平安を与えられ、娘の私はこんなに喜んで感謝して生きる者に変えられたのだ!

神と共にあるならば必ず時が来て大きな実を刈り取らせて下さるのだから、何事も失望するには及ばない。
ハレルヤ!
私は可能な限りの大きな声で主を讃える!
posted by 優子 at 08:52| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

主に在る真智子との時間

昨日までの超多忙な日々を終え日常に戻り一息ついている。
彼ら若者でさえかなりハードだったと言うから、私達夫婦もまた健康が支えられたことを感謝する。

真智子は大和高田へ行ってパスポートの申告手続きをしようと、2人は午前中に公共バスに乗ってまずは市役所へ向かった。
今回は明日の朝に家を出て、午後の授業に間に合うように東京へ向かうことになっている。

いろんなスケジュールの関係で、結婚を前にして真智子たちと共に生活する時間が思っていた以上に与えられそうである。
結婚式当日は大阪のヒルトンホテルで一泊し東京へ帰るはずだったが、3〜4日後(?)に神戸大学から講演に招かれているのでまた戻って来なければならず、ホテルで1泊したあと翌日に再び実家(ここ)へ戻ってくるかも知れないのだ。
また、姉(長女)の結婚式の翌日に日本を発つ予定だったが、ビザの関係で8月6日以降でしかアメリカに入国できないので、1週間ほど共に居られそうである。

今までならば「ヤッター!」とばかりに喜んでいた私だが、今この1行を書き始めた時に神様のみこころを感じ取った。
短い時間ではあるが、日常生活における私の生き様を通して次女にも信仰生活に触れる時を与えて下さっているのだ。
次女夫婦と共にする日々にも神さまの深い御心があり、深い意味と深い喜びがあることを具体的に気づかせて下さった。

人は赤ちゃんの時から両親の口から出る一言一言を聞き、両親の物事に対する感じ方、考え方、また人や物への関わり方を見聞きしながら人格形成していくように、最愛の真智子が私の元から自立し遠く離れる前に祈りの生活に触れさせようとされているのだ!

クリスチャンにとっては祈りは呼吸と同じである。
人は呼吸しなかったら生きられないように、クリスチャンは祈りがなければ生きてはいけない。
祈らなくてはならないのではなく、瞬間瞬間の何もかもを神さまと語らいながら生かされている。
知子にそうであったように、真智子にも母親の傍にいて母の信仰を継承させようと時を与えて下さっているのだ。
少ない日々であっても、いつかきっと神様が良きに変えて下さるから全く心配はしていない。
ハレルヤ!
私の霊も魂も心も感謝と喜びが溢れている。

まさに人生は宝探しである。
信仰者の目には神さまの道案内が見えるのだ。
今までもずっと人生で大切なことは必ずタイムリーにわからせて下さっていた。
ただ、神に目を向けさえしてていれば!

   喜びは、感謝の心を持つ人に与えられます。
   人生を豊かにしてくれる一人ひとりに、
   特に全ての恵みの源である神様に感謝をささげる時、
   喜びはどんどん大きくなっていきます。


                (ジーン・ワトソン)

posted by 優子 at 13:09| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年05月07日

溢れる恵み 真智子たちの婚約式

真智子の婚約者は成田太志(なりたふとし)さんという。
今朝の礼拝で聖餐式に引き続いて2人の婚約式が執り行われた。

福野牧師は2人を前に誘われ、開口一番に「素敵なカップルでしょう。」と言われた。

真智子さんはよく知っていますが、成田さんとは昨日初めてお目にかかりましたが大らかな人だなあと思いました。
聖書には『学識の賜物』という言葉はありませんが、このお二人はその賜物を与えられておられます。・・・・
」と紹介して下さった。そして、
「昨日、急に思いが与えられて、私から『婚約式をしませんか』と言ったんです。」と話された。
やはり私の祈りを神様がお聞き届け下さったのだ。
しかしまた、福野先生でなければこのような恵みに与ることはできなかったと深く感謝している。


こうして今日、2人は神と会衆の前で婚約を公表した。

真智子はまだ信仰告白をしていないし、この教会に籍を置いているわけでもないのにこのように招き入れられて教会から花束まで頂いた。
聖餐式においても福野牧師の導きにより、真智子と太志さんはパンとぶどう酒を拝受したこともまたこの上ない喜びであった(2月5日の記事、カテゴリー「神・聖書」参照されたし)。

牧師が2人を前に祝福を祈って下さっている時、私の目から洪水のように涙が流れた。
その涙はただただ感謝の涙であった。
これで私は安心して2人を見送ることができる。
イエス様、ありがとうございます。


しかもその上にである。
今朝のメッセンジャーであるインドのシャム・アンソニー牧師が、
「今日はルカ伝からメッセージをするつもりでいましたが、今、素晴らしい婚約式に立ち合い、予定していたメッセージは今夜の集会にまわして別の話をします。」と、ご自身の伴侶との出会いに神が介在されていたことを証しされ、神の愛を語って下さった。
師は何度も何度も2人にアイコンタクトを取りながら話された。

神様は2人を特別に省みて下さったのだ。
親から独立し大海原に船出する2人にご自身の存在と臨在を明確にされた神様。
こんなにも2人を祝福して下さっているのだ。
「今日の事は一生忘れない」と私に語ってくれた太志君。
2人の師と共に4人で、また、牧師夫人や私達も加わって写真を撮らせて頂いた。

このあと、式と披露宴の奏楽をして下さる佐々木姉と一緒に食事をし、当日の選曲に楽しい時が流れた。

ハレルヤ!
主よ感謝します。
私は私の生涯をキリストに頼って奇跡の生涯にしよう」。

   あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、
   彼らの間で星のようにこの世に輝いている。
  
              
              (ピリピ人への手紙 2章15節)
posted by 優子 at 22:40| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年05月04日

主に栄光あれ!

  神はおまえの魂のうめきと
  心の沈黙の嘆きとを聞いてくださる。
  誰にも話してはならないことも、
  神には安心して言ってよい。
  不幸と苦難を神はやがて覆され
  神は死をも手中に収められている。
  満ち足りていなさい。

      
        ゲルハルト作詩「満ち足りて心安らかなれ」

2ヶ月ほど前に書きかけていたものだ。
それからでさえ私はどんなに導かれてきたことであろう。
神様はとてつもないほどの驚くべきことをしようとされているのだろうか。
イザヤ書を読み直しているのだが、その箇所を見失ってしまったのだ。
聖書を読みたい。
ゆっくり思う存分聖書を読みたい。

主を讃めたたえます。
私にとっては15年間も積み上げてきた祈りが、成就されていくような気配を感じている。
私もいけないところがいっぱいあった。
しかしまた、言葉では尽くせない忍耐と流した涙があった。

  私は長い間、強風に耐え、
  長い間、苦しみを忍んできた。
  私の枝、私の根は、
  それでこうして広がったのだ。


荒い荒い荒削りの私から始まり、
今、荒削りとなり、これからいよいよ細かいところにまでノミが入れていかれるのだと期待している。

常に神に顔を向けて生きていくならば、全ての事を益として下さることを経験し続けている。

昨夜、長女は婚約者と共に10時半頃に帰宅。
次女が帰宅したのは最終電車の3台前、11時30分頃だった。
1ヶぶりの帰省であるので、私はまるで神戸大学時代と錯覚するような出迎えになった。
いつもこうして一緒にいたいけれど・・・・・。

疲れぎみの私は、娘がお風呂に入っている間にベッドに入った。
神様に一つ一つ感謝し明日からの事も委ね、安らかに直ぐに眠ってしまった。


  
  
posted by 優子 at 07:30| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年05月01日

神さまからのビッグなプレゼント!

4月29日のこと、神戸大学のアドバンストコースの仲間が真智子たちを祝うために東京に集まって下さった。最も遠方の方は、新幹線に5時間も乗って下関から駆けつけて来て下さったという。2歳4ヶ月になる子供さんを連れた方もおられた。
生涯忘れることのできない楽しい時を持たせて頂いて、真智子は幸せ者だ。
この思い出もまた生涯の宝物、お友達の笑顔を思い出せば辛いことだって乗り越えていける。
主よ、集って下さったお一人お一人を省みて下さい。
どうぞ、この若者達の生涯もあなたが祝福しお導き下さい!

真智子たちは結婚式の後日、東京に戻ってから東大関係の友人や地元である彼の友人達と披露のパーティを予定しているらしい。
50〜60人もの集まりになるというから驚いた。
友達が多いのは本当に素晴らしいことだ。
お金では買うことができない、まさに”priceless”である。
それぞれにそれぞれの山あり谷ありの人生があるが、これからも友を大切に、共に励まし合いながら人生を進んで行ってほしいと願う。

真智子たちは長女の結婚式の翌日に日本を経つ予定であったが、ビザの関係で8月6日以降でしか入国できないことが昨日わかったところだ。
9月5日から始まる授業との関連だそうだ。
「お姉ちゃんの結婚式のあと、どこで暮らそうか」と、日本では住む家のないカップルである(笑)。
遠慮気味に話すのは次女らしさなのだけれど、ひょっとして私が嫌な周波を出しているのかもしれないと反省もあり。
だって、真智子だけではなく彼も一緒だから気を遣うから・・・・。
「それで気を遣っているの?」と言われそうなくらいリラックス優子でもあるが、やはりね・・・・・。

アメリカへ行くまでの2週間、私達は真智子と一緒におられるのだ!
真智子が選んだ最愛の人は私にとっても最愛の息子だ。
神さまからの思いもかけないビッグなプレゼント。
新婚ホヤホヤの真智子夫妻(変な感じ・・・)との時間を感謝します。
神さま、ありがとう!!!


その滞在中にまた、いろいろやってもらおうっと。
メディアプレイヤーに好きな曲を入れてもらおうっと。いや、自分で入れ方を覚えなくてはね。
デジカメも使えるようにならなくてはね。娘達に一つずつ買ってあげたので、真智子が使っているお古を私が使うことになっている。
機械や新しいことを始めるのが苦手だけれど、新分野の開拓だ!
今こそ、始める時!
7月22日は知子の結婚式を終えて、真智子夫婦と一緒に4人で帰宅できるなんて!!!
ヤッター!!
嬉しい代わりに、また別れが余計に辛くなることもお忘れな〜〜く!!。

posted by 優子 at 10:22| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする