2006年06月30日

私達の世界

2002年の元旦に届いた知人からのメッセージを読みたくなった。

もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には・・・・・
57人のアジア人、21人のヨーロッパ人、14人の南北アメリカ人、8人のアフリカ人がいます。
52人が女性です。48人が男性です。70人が有色人種で、30人が白人。
70人がキリスト教以外の人で、30人がキリスト教。

6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍。
80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字が読めません。
50人は栄養失調に苦しみ、1人が瀕死の状態にあり、1人は今、生まれようとしています。
たった1人が大学の教育を受け、そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています。

もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火を見るより明らかです。
また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

もし、あなたが今朝、目覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら、・・・・あなたは今生き残ることのできないであろう100万人の人達より恵まれています。

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないなら・・・あなたは世界の5億人の人達より恵まれています。

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会の礼拝に行くことができるなら・・・あなたは30億人の人達より恵まれています。

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人達より裕福で恵まれています。

もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭の入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの1人です。

もしあなたの両親が共に健在で、そして2人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なことです。

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう。なぜならあなたのことを思ってこれを伝える誰かがいて、その上あなたは全く文字の読めない世界の20億の人々よりずっと恵まれているからです。

昔の人がこう言いました。
「我が身から出るものはいずれ我が身に戻り来る」と。

お金に執着することなく喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく人を愛しましょう。
誰も見ていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとく伸びやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。


初めて読んだ時と同様に胸が熱くなっただけではなく、生かされている原点に再び立ち返らされた。
このことを真に受け止めることができたなら、何と素晴しい人生になることだろう。

posted by 優子 at 18:05| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年06月29日

それでも尚、望みを捨てず

先日、米国から帰ってきたばかりの早紀江さんが、ブルーリボン祈り会でお話されたテープを聴きました。
早紀江さんはかつて赤面恐怖症だったそうです。「そんな自分がブッシュ大統領と対談することになるなど思いもよらなかった」と、言っておられました。最初はとても緊張したけれど、「大統領就任式のとき、聖書を手にしておられたのを見ました。わたしも大統領と同じクリスチャンです」と言ったら、ブッシュ大統領が握手をしてくれ、それで緊張が解けて、普通のおじさん、おばさんとしてお話しすることができたそうです。


この記事は祈りの友であるペン仲間、土筆文香さんのブログ『生かされて』よりお許しを得て掲載させて頂いたものである。
横田早紀江さんがクリスチャンであることは、当ブログでも1月30日の記事でご紹介させて頂いた(画面右下にある「過去ログ」の1月をクリックして頂くと出てきます)が、文香さんの土浦めぐみ教会では過日、「横田めぐみちゃんミニ写真展」が開かれていた。
その時の記事をもう少しご紹介しよう。

「わたしの人生にもめぐみの人生にも何か大きな使命のようなものが与えられている」と考えるようになった早紀江さんは、この出来事を通して神さまが何をなさるか平安の中でじっと待つことができるようになったそうです。
 
「この苦しみの中で神さまに出会ったことが最高のできごとだった」
「『めぐみは生きている』ということだけにしがみついていると、何かあったときに落ち込んでしまう。何があっても、神さまのもとへいくことができる、神さまが最善をなしてくださる」
と語られる早紀江さんの信仰に心打たれました。


昨日、28年ぶりに母と再会した金英男(キムヨンナム)氏。
年老いた母の顔、姿に心揺さぶられない者があろうか!
そして、もう一人の母の姿に悲しみが極まった。
横田早紀江さんの心中もまた我々の想像を絶するであろう。
人はここまで苦悩に耐えられるものであろうかと、数奇な使命を与えられているご夫妻のお顔を私は我が魂に刻む如くに見つめた。

早紀江さんは言葉に絶する苦悩と悲しみの途上で神に出会い、神はこの母を闘いの先頭に立たせようと、慟哭の長い年月を経て、「わたしの人生にもめぐみの人生にも何か大きな使命のようなものが与えられている」と言わしめる信仰の高嶺へと導かれた。

ご家族が今までとてつもない長い年月に流した涙と忍耐。
今こそ国際世論が大きなうねりとなって各国の為政者たちを動かし、北朝鮮の悪が解決されるように!
全ての家族の再会が成就されて、北朝鮮の国民も開放されるように心血を注いで祈る。
我々もまた、その瞬間が来るまで拉致家族の人々を励まし続け、完全な解決が1日でも早く成されるように祈っていく使命がある。

敵国に連れて行かれて苦しんだヨセフが、苦難の末に神の栄光を拝した時に語った言葉は早紀江さんを励ますであろう。

  あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、
  神はそれを良きに変わらせて、
  今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。


                      (創世記 50章20節)

神はめぐみさんたち拉致された人々の苦しみを決して無駄にはなさらない!
posted by 優子 at 12:15| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2006年06月26日

友の花から伝わる愛

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  プリザーブドフラワーなら生花に近く、
  水やりの手間もなく(水はやらないで下さい)
  真智子ちゃん、知子ちゃんのご結婚から
  優子さんが、ご夫婦お二人だけの生活に少し慣れる頃まで、
  日持ちがします。
  
  初心者ですが、心をこめて作りました。
  花を楽しんでいただけたら、幸いです。    綾子


6月初め、大学時代の友人から贈られた不思議な不思議な本当の花。
その1ヶ月余り前に教会のS姉から娘達に贈って頂いて、初めて「プリザーブドフラワー」を知ったところだった。
それまで名前さえ聞いたこともなかった。(遅れてる〜〜〜)
そういえば、この前の谷口家の家庭集会の時にも見かけて、「こんなに普及しているんだ!」と驚きの発見をしたものだった。

しかもそれをご自分で作られたというからびっくり仰天している。
どのようにして作るのか想像もつかないから、是非お聞きしたい。

綾子さん、この写真は夜に撮ったので暗い感じになってしまってごめんね。
昨夜、真智子にデジカメの使い方と、写真をパソコンに入れる方法を教わったのですが、時間不足で続きは次回の帰宅時になりました。
今度こそ全ての技術をマスターして、良い写真を自分でパソコンに取り込んでブログに載せるからね!

真智子は今朝早く夫と共に家を出ました。
お昼前まで会社にいて、その後、東京から来る二人と合流して四人で出版社へ出向き、仕事が終わればそのまま東京へ向かいます。

じんわりと寂しさを感じている今、このお花に慰められています。
大切にします。
綾子さん、ありがとう!
posted by 優子 at 09:41| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年06月23日

悲劇を生んだ背景 A

前の記事に関連して、かつて小学校PTA新聞でぺン活動していた時の拙文を転載させて頂きたい。

   解決することではなくて理解することが大切
 
     (スイスの精神科医ポール・トルニエの言葉)

最近はマニュアルばやりで出版物も「○○はどうすればよいか」というハウツーものばかりですが、それらは実態の紹介と警鐘を鳴らしているだけで解決の処方箋はありません。

人は皆、理解されたい、愛されたい。

全ての問題の解決はこの一語に尽きると思っています。
しかし、他者を理解する、愛するとは何と難しいことでしょうか。
そしてまた、他者に対して人はどこまで心を開くことができるか、そのことが最も大切なことではないでしょうか。

「門」の中に「耳」がある「聞」き方ではなく、「耳」が外にあって14の心を持つ「聴」き方、これは訓練されなければできないのですが、私達も子どもの話を聞き流すのではなく傾聴するように努めたいものです。


      (東大阪市立藤戸小学校PTA広報委員会 1992年3月6日発行
                   ふじとニュース NO38より)

冒頭のトルニエは有名なクリスチャン精神科医である。
ヨルダン社から著作集が出されていたが、出版社が倒産したため手に入れるのが難しくなっている。どこかの出版社が版権を買い取り名著の復刻版が世に出されることを願っている。
トルニエもまた私に大きな影響を与えた人物の一人である。

「傾聴する」ことの大切さは聖書から教えられ、臨床心理学、カウンセリングの学びを通して具体的な技法として教えられた。
お互いにいびつな親であっても目に見えない努力を積み重ねていく時、子どもは幸せな大人に成長していくのではないだろうか。
posted by 優子 at 14:53| 掲載文 | 更新情報をチェックする

悲劇を生んだ背景 @

21・22日と休養したおかげで、すっかり元気になった。
その間のテレビ報道では、秋田の小1男児殺害に続いて、奈良の高1長男の殺人・放火事件と、「まさか」と思う事件があとを断たない。

その背景にある畠山鈴香容疑者の子ども時代を知り、容疑者が哀れで激しく心が痛んだ。小・中学校時代の写真の容疑者を見ると、強く抱きしめてやりたい衝動に駆られる。
あの時ならば間に合った、幸せな大人に成長できたであろうに!と思う。

人は愛を受け、愛することがなければ生きていけない存在である。

いろんな方向から検証して真相を究明しなければならないが、これらの事件は同じ延長線上にあり、根源は一つであると考える。
人々はいろいろ評論し警鐘は鳴らしても、そこに解決はない。
我々は今からでも真剣になって事の重大さに気がつかなければならない。

人は皆、理解され、愛されたいのだ。
子どもなら尚更のことである。
大人になってまでこのような受身のままでは成熟した人間とは言えないが、成熟するためにはどうしても愛こそが必要なのだ。
40年50年と人生を積み重ねていく時、我々は大なり小なりいろんな経験をしていくものであり、私もまた危機的な状況を経験してきたからこそ声を大にして言いたい。

人は愛され理解されて初めて自分らしく生きていけるのだ。
それは他者との比較によってではなくて、自分にしかない良きものを伸ばしていく生きかたに変えられていくのだ。

     
     生きることは  愛すること
     愛することは  理解すること
     理解することは 赦すこと
     赦すことは   赦されること
     赦されることは 救われること 


テレビを見ながら私の信条であるこの言葉が脳裏に響いていた。

posted by 優子 at 13:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

ママから真智子へB 記念誌『感謝と祈り』より

今までいろんな方にお世話になってきた。
生まれた時からずっとお世話になった方々のお顔を思い出します。
その方たちだけではなく私達の見えないところで、もっともっと多くの人たちの善意と親切に支えられ助けられてきたことを忘れないでいようね。

これからの長い人生には避けることのできない試練もたくさんあるだろうけれど、嘆き悲しむことも敗北も失敗も貧しさもそれらは恥ずべきことではない。
何度も何度も立ち上がることが尊いこと。前進しないことが恥ずべきことだからね。
一つの扉が閉まる時、必ず別の扉が開かれていることを忘れないでね!

「それゆえに、人生は失敗と見えるところにて成功する」のです。
私には神さまのなさることはパラドックスとしか見えません。
だから、どんなに最悪に見える時でも神さまに祈りつつ元気を出して進んで行ってください。

私は今まで、真智子から溢れている若者らしい情熱と希望にいつも励まされてきました。どうかこれからも神さまと共に在って、魂を躍動させて大いに人生の冒険をしてください。
「倒れるは立ち上がるため、敗れるはより善戦するため。眠るは目覚める(死は天国に移されて生きる)ため」と歌って天に凱旋したブラウニング。

最後にママの大好きなブラウニングの詩の一節を、真智子と太志さんに贈ります。

       Grow old along with me !

The best is yet to be,
The last of life, for which the first was made:
Our times are in His hand
Who saith “ A whole I planned,
Youth shows but half ; trust God: see all nor be afraid ! ”

    老いゆけよ、我と共に!
   
   最善は常に未来にあり。
   人生の最後、そのために最初も造られたのだ。
   我らの時は御手(神の手)の中にあり。
   神言い給う「全てを私が計画した。
   青年はただその半ばを示すのみ。
   神に委ねよ。全てを見よ。しかして恐れるな!」と。


真智子。かわいい真智子、愛しい真智子。
たくさんの思い出をありがとう。いたらない母親でごめんね。
真智子に励まされながら、ママもパパと一緒に一日一日を大切に楽しく生きていくね。  

これから私達は老いに向かっていくから肉体的にも弱さを覚えてくるけれど、だからこそ助け合い補い合って夫婦愛を深めていきたいと思っています。
今しか味わえないことを味わいながら、山頂を目指して歩いていくからね。

真智子は太志さんと共に、そして、常にイエスさまと共に3人で素晴らしい生涯を築き上げてください。
一日に10分間でもいいから2人で聖書を読み、デボーションの時を持ってね。
  
 「わたし(神)の口から出るわたしのことばも、
  むなしく、わたしのところに帰っては来ない。
  必ず、わたしの望む事を成し遂げ、
  わたしの言い送った事を成功させる。
  まことに、あなたは喜びをもって出て行き、
  安らかに導かれて行く。」
               
   
               (イザヤ書55章 11・12節)

 「あなたの重荷を主(神)にゆだねよ。
  主は、あなたのことを心配してくださる。
  主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」
                    
                    
                    (詩篇 55編22節)

知子と真智子は私の喜び、命です。
たった2人の姉妹です。
いつかママとパパが天に移されたあとも生涯仲良くするのよ。
共に励まし慰め合って良い人生を生きるのよ!
この二つがママの願いです。

太志さんと真智子の上に、神さまの祝福が豊かにありますように、
ママは命ある限り祈り続けています。


         完
posted by 優子 at 07:43| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

ママから真智子へA 記念誌『感謝と祈り』より

1999年4月に東大阪から関屋に引っ越し、翌日が神戸大学の入学式だったね。
家の中は踏み場もないほどだったけれど、ママも一緒に行った。
その間、お姉ちゃんが一人でかたづけてくれていたのよ。
家のローンが始まり大きな出費を抱えているので、通学に2時間かけて大阪を通り抜けて神戸まで通ってくれたね。ありがとう。

毎朝6時起きで家を出て、そのうちに殆ど毎日が最終電車だった。
過労で何度か胃痙攣になり、一度は旗尾池診療所から救急車を呼んで頂いたよね。
あの時は特にひどくて、強い薬を使われたせいか真智子の顔色が土色になったまま回復せず、「ご主人を呼んでください」と言われてママは動転した。
この日は土曜日でパパは美濃紙業主宰の接待ゴルフだったけれど、飛んで帰って来てもらった。連絡を受けたパパは、まさか若い真智子が全南病院に運ばれたと思わないから、藤本のおじいちゃんが運ばれたと思って帰って来たんだって。
いつも神さまの守りがあったね。

2回生の時のトピックは、毎日新聞社大阪本社で開かれた全国学生英語弁論大会で優秀賞を受賞して、関西代表に選ばれて東京本社まで行ったこと。
今も神戸大のホームページに「2000年(5〜6月)のニュース」って載っているよ。

大学時代にも親しい友人に恵まれて、3回生の頃から何度も泊めて頂いたね。
麻耶ちゃんとスクちゃん。
数えていないけれど、4回生の時には週に2度くらいもお世話になっていたのではないかしら。麻耶ちゃんとスクちゃんのお蔭で、真智子は思う存分学業に専念できたとママは感謝を忘れない。

神戸大学を首席で卒業し、その上に最優秀論文賞まで受賞して賞状と共に金時計と大理石の盾を頂いた。
「2冠王は神戸大学始まって以来!」だと言われ、子育ての終わりにママは最高のプレゼントをもらったよ。
そして、将来の事を考えに考え抜いた末に就職せずに東大の大学院に進んだ真智子。

ママの感動感知器はこれが限界で針が振り切れてしまったけれど、真智子の才能はいよいよこれから発揮していくのだろうと思っている。
これからも神さまから与えられた賜物を磨き、それを神と人々のために用いて下さい。
私が嬉しいのは真智子が優秀だからではない。
真智子が神さまと共に在るから嬉しいのです。
だから嬉しくて神さまに感謝しているのです。


おばあちゃんが入院していた時の病室に置いていた日誌に、おじいちゃんはこんなことを書いてくれているよ。

1996年3月19日(火)夜10時30分 三郎
今日は嬉しい日。平成2年頃より悩み多い日の連続だったが、今日は本当に素晴らしく嬉しい日。
真智子 高津高校 合格の日。
嬉しくて、思はず涙声で真智子と合格の嬉しさを電話で話した。
真智子は関西女子中学生英語コンテスト第2位入賞に引きつづきの快挙である。
心安まる嬉しいことの少い最近であっただけに、「これからは万事好転するぞ」 と、思はず快哉をさけんだ。
おばあちゃんも良くなってくるぞ。
きっと、きっと、そしてみんな仲良く心ひとつにして。


これを読むと、真智子が高津に合格した嬉しさよりも、あの頃の悲しみや苦悩の方が強く思い出される。
おじいちゃんとおばあちゃんの苦難だけではなく私達にも深い苦悩があった。
しかし、神さまは勝利させて下さり今日まで導いて下さったことを思うと、私は流れる涙をどうすることもできない。

「結婚披露宴でスピーチするからね。」と、真智子の小さい時から言っていたおじいちゃん。情感豊かなおじいちゃんが元気だったら、きっと今日の真智子を詩に詠ってくれたことでしょう。

真智子が大学2回生の夏、2000年8月8日に75歳で神さまのところへ帰ったおじいちゃん。おばあちゃんとは1996年10月25日に別れたから、この秋にはもう10年になるのね。
70歳だったおばあちゃんは80歳で、おじいちゃんは81歳か・・・これからも真智子やママの心の中に生き続けてくれるよ。


                             つづく
posted by 優子 at 16:09| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

ママから真智子へ@ 記念誌『感謝と祈り』より

ママから真智子へ
寝返りが標準より一ヶ月も早くできた真智子。
真智子の芸術的な鏡文字や創作絵本に感動し、幼かった頃に書いたものは今も大切にとってあるよ。

幼稚園へ通うお姉ちゃんが羨ましくて、
「大きくなったら真智も一人でお外へ行くの。今は小さいからママとお手々をつないでお外へ行くの。」と言っていたのに、一人で東京で暮らし、今度は長期で外国へ行くのね、太志君と一緒に。

卒園時のインタビューで、「大きくなったら天使になってイエスさまのお手伝いをしたい」と言っていた真智子は、小学校低学年時代まで腕白で男の子に飛び蹴りまでしていたよね。

古くなった給食パンの残りだけではなく石ころまでランドセルから出てきた時はびっくりしたよ。
何度もお姉ちゃんがきれいにしてくれていたこと覚えてる?
特に3年生の終わりまで、お姉ちゃんにはお世話になったよね。

薄暗くなっても帰って来ないので学校にお電話したら、
「もうとっくに帰られましたよ。」と小寺先生に言われて恐縮し立場がなかったよ。
お姉ちゃんの場合は、先生が「すみません。今すぐ帰します。」と言われ真智と正反対だった。だからね、真智が遅くなってもママは二度と学校へ電話しないで捜しに行くことにしたよ。
「出て行きなさい!」と怒って家から締め出せば、本気で出て行き緑橋(地下鉄三駅先)まで歩いて行った真智子。今思えば、小さい時から根性があったんやね。

虫取りの網や虫かごを持って登校する姿や、学校の行き帰りに木の枝にぶら下がってターザンごっこをしている真智子を、ママはいつもマンションの8階から見ていたよ。
時には望遠鏡でもね。
低学年時代、忘れ物の女王だった真智子は、ついに最高の方法を見出したよね。時間割に関係なく毎日全ての教科をランドセルに詰めて行ったのには笑ったよ。お見事!

遠い日の光景がママの目には今も鮮やかに見える。
ママは真智に注意しながらも、そんな真智子が大好きだったよ。


関西女子中学生英語暗誦大会2位入賞に続いて、高津高校に合格したことを喜んでくれたおじいちゃん。最後の入院中だったおばあちゃんもそこまでは知ってくれているね。そのあとのことを聞いたらきっと2人とも腰を抜かすと思うよ。

塾へ行くことなく自学自習で優秀な成績を修めたお姉ちゃんと真智子。
お姉ちゃんの足跡を踏んでいくかのように、真智子も中学校の文化祭では市民会館で英語のスピーチをし、ピアノ演奏でもお姉ちゃんと同じように一番難しい部分を見事に弾きこなしたね。
卒業式の時も真智子の伴奏で生徒と共に保護者も一緒に歌ったね。
卒業式のあとに、まだ公立高校の入試が控えていたのに知子も真智子もたいしたものだ。

高校3年生の夏にクラブを引退してからの真智子にも目を見張ったよ。
全員が受験に向かって力を出し切っている時に、「ごぼう抜き」のようにして学年で一番になってしまうんだもの。日本史では全国模試で一番だったよね。
そんな真智子を見ていると、やる気がなく学業不振だった中・高時代の自分自身が出てきて、いろんなことを感じ考えたものだった。
しかし今は、若い時の時間を取り戻すかのようにママも燃えてるよ!

そんなに優秀なのに、実力に似合わず本当に気弱だった真智子は、大学入試の前期試験に落ちてしまった。
ママが一人で発表を見に行ったよね。
確実にダメだろうと覚悟して行ったからショックは小さかったけれど、公衆電話に列を作っている人たちはみんな吉報を伝えていて、彼らの喜ぶ光景を見ていたら真智子がかわいそうになって涙が溢れてきた。
真智子に伝えた後、六甲の坂道をひとり悲しく下りていったことも今は懐かしい。

直ぐに気持ちを取り直して後期試験に臨んだ真智子にも教えられたよ。
そして、見事合格!
嬉しかった!
家族揃って発表を見に行った帰りに、入院しているおじいちゃんに吉報を伝えに行ったけれどわかってもらえなかったね。元気だったらどんなにか喜んでくれただろうに。


                 つづく
posted by 優子 at 16:04| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年06月21日

日野原重明師と星野富弘氏の対談番組の御紹介

この日曜日の続きになりますが、次週25日(日)の朝7時から日野原重明さんと星野富弘さんの対談番組があります。

日野原重明さんは現在94歳、現役の内科医です。
聖路加国際病院名誉院長、聖路加看護大学名誉学長・・・・など多くの重職にあり著書の数も数え切れず、日野原師が日本の医療現場や医学教育に与えた影響も計り知れません。
私は1988年4月に師の著書『人生の四季に生きる』と出会って以来、大きな影響を受け続けています。ついでながら、かつて「成人病」と言われていた疾患を「生活習慣病」と改名されたのも日野原師です。

星野富弘さんは、中学校で体育の教師をしていた時、器械体操中の事故で首から下の自由を失いました。
闘病中にイエス・キリスト(神さま)と出会い、僅かに動く口に筆をくわえて詩や絵を描き始めました。

    何のために生きているのだろう
    何を喜びとしたらよいのだろう
    これからどうなるのだろう

    その時 私の横に
    あなたが一枝の花を置いてくれた
    力を抜いて 重みのままに咲いている
    美しい花だった


この詩は藤の花の絵に添えて書いておられます。

テレビ番組「ライフライン」のホームページは、http://pba-net.com/tv/tv.html です。このアドレスをクリックしてみて下さい。
そして、是非テレビもご覧下さい。関西の方はサンテレビジョン神戸放送です。
「2週目は『いのち』についてや好きな聖書のことばなどについての対談」です。
きっと貴方も新しい力と励ましを受けとられることでしょう。
私も今から楽しみにしています。
posted by 優子 at 21:15| ご案内 | 更新情報をチェックする

心のスケッチ

駅前交番所の玄関先に数年前からツバメが巣を作るようになった。
親鳥はせっせと雛に餌を運び、親鳥が巣に戻ってくる時に出くわすと、私を警戒して親鳥は絶対に巣に寄り付かないで、遠くなり近くなりして私が遠く離れるまで雛を見守っていた。

そんな先週の中頃だったか、賑やかな雛の鳴き声がしなくなり居なくなったことに気がついた。数日後、交番のご夫人にお会いした時にお聞きしたら、「巣立っていきましたよ」と言われた。その何でもない言葉が私の心の琴線に触れて胸が熱くなった。

巣立っていきましたよ

昨日は読書会に出席するために東大阪へ行った。
子ども達も何度も通ったであろう小阪駅界隈を歩いても、いつもとは違ってなんとも懐かしい感じがした。
文学作品を読むのと同じで、生かされている間は常に新しい発見がある。

posted by 優子 at 16:04| 随想 | 更新情報をチェックする

パパから真智子へ 記念誌『感謝と祈り』より

パパから真智子へ
幼稚園時代、コマまわし大会で優勝したいから教えてほしいとせがんで一生懸命練習していたことや、縄跳びの二重跳びに挑戦していた真智子。
10歳くらいまでの真智は、ユニークで遊びが大好きなワンパク娘でした。二人目は男の子がほしかったけれど、真智みたいな元気いっぱいの女の子だったからよかった。

ピアノはお姉ちゃんに追いつこうと必死になって頑張っていた。
うまく引けなくて手を噛んででも頑張る真智はえらいと思った。小学校を卒業するまで続けるようにママに言われたけれど、中学卒業までやり通したことはえらかったね。

小学校5年生の時にミニバスケットを教えてくれとせがまれて、休日に学校へ行ってプレーを教えたことが印象に残っています。
日曜参観の時、保護者と子供達との試合でパパのナイスプレーが真智を喜ばせ、そのことがまたパパには嬉しかった。
高校に入ってバスケをやり、大学院に行ってからも太志君の母校の麻布高校で、OBたちと一緒にバスケをやっていると聞いて、大きくなってもパパが教えたバスケをやってくれているのが嬉しかった。
真智との共通の接点はバスケットボールかなあ。

中学校から自ら勉強に燃え、コロッと勉強に転身したのが不思議やった。
お姉ちゃんが何もかもにずば抜けていたから、方向転換になったのはお姉ちゃんの影響からかなあと思っています。

高校生になってまでサンタクロースの存在を信じていた純真さにびっくりです。
親としてもクリスマスイブの夜のスリル、懐かしく思い出されます。

大学時代、毎日重たい本をリュックに詰めて通う真智は大学でも有名だった。
友達を家に連れてきて、缶ビールの空き缶の多さにびっくりしたことも楽しい思い出です。
お酒に強いのは誰に似たのかなあ。 

ママの頭の良さと明るさと誰とでも仲良くしゃべっていく勇気。
そして、パパの根気と頑張りがミックスされて、今の真智があるんではないかと思っています。

東京での3年間、誕生日や父の日には必ずカードを送ってきてくれてありがとう。
還暦祝いに贈ってくれた体重計に朝晩乗っています。今の体内年齢は38歳です。
これからも、毎日インナースキャンして健康管理に努力するからね。
アメリカへ行って結婚生活と勉強と大変だけれど、体に気をつけて頑張ってください。

大志君、真智は事務的な仕事が苦手で、これからは太志君に振ってくるだろうと思うけれどよろしく頼みます。
お料理も上手でマメだけれど、誰かやってくれる人がおるとやらない可能性があるから、注意してください。「研究室でコーヒーを入れるのは、真智よりもナリ君の方が多い」 と言っていたから、注意、注意!

2人の幸せを心から祈っています。
太志君、真智子のことよろしく頼みます。
posted by 優子 at 15:07| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年06月19日

☆こんな父(夫)ですねん。

今日の美濃紙業での会話。
臨場感を損なわないために大阪弁のままお送りします。

知子   「今日、博史さん(課長)がね、
     『藤本さん、今週で終わりやと思うと寂しいなあ。
     来週から出勤せえへんと思うと、社長は何も言いはらへん
     けれど、辛がってはるんやろなあ。
     俺ら、他人の自分達でさえ、この3ヶ月が早かったなあ。』
     って言うてはってんけれど、やっぱり寂しい?」

父 
   「会社に来なくなっても家に居るやん。」

知子と私 「エエッ??!!!(びっくりマーク)」

私 
   「でも、1ヶ月すると家にも居らんようになるよ。」

父    「生駒(いこま、家を構えようとしている所)へ行ったら居る
      やん。」

知子と私 「エエッ??!!      
       そしたら真智のことも寂しくないの?」

父 
   「スカイプを設定してくれているし、カメラまでつけてくれた
      から顔も見られる。
      何処へ行っても平気や。」

このように言って、大きな口を開けて顔を真っ赤にして大笑いしていた。

知子と私
 「終わってるわ。(若者用語で〔処置なし〕の意味)」

 このデリカシーの無さ。
 単に居る居れへんのことを言っているのではないのに、これぞフジモト流! 
 お見事やわ!

これに対して20日午後10時半のメールより
「ブログ読んだよ。パパ大好きさ。 真智子より」
posted by 優子 at 21:16| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

真智子 結婚後から渡米までの日々 

結婚の「引き出物」に入れさせて頂いた『感謝と祈り 真智子への想い』は、以下のようにして閉じた。

人生の季節の変わり目は心身にこたえます。
当分の間はこの冊子を開いては涙し、
真智子との25年間(26年間の間違い)がどんなにかけがえのないものであったかを想いながら、家族の思い出を私の中に結晶させていくのでしょう。            
真智子へのはなむけで書いたつもりでしたが、私自身への慰めのためでもありました。

                     良輔 60歳
                     優子 54歳

    真智、アメリカでもブログ読んでね!
    イレーヌとマリーのように、
    これからは真智とママとのコレスポンダンス。
    愛しているよ、まっく〜〜ん!

今後の予定

1ヶ月間ほど東京千駄木の家(1DK)に住み、
7月半ば  東京大学大学院に休学届けを出して研究室の荷物を運び出す。
       千駄木の家を引き払い、アメリカへ送る荷物の準備と不要な物
       を実家へ送る。
7月22日 姉の結婚式。
       ビザの関係でこの日より2週間、実家に滞在。実家の荷物
       整理。
8月 5日 渡米予定。
       到着後直ぐに家探しとのこと。

             ふたりの健康が支えられますように!


これを書いた5月初めの予定と違って、新婚旅行にも行き、その後実家で4日間過ごして、今朝東京へ戻った。
その間の神戸大学での感謝な一日、そして、24・25日も仕事に掛かりっきりであった。
彼の採点付けを手伝い、模範解答をインターネット上に掲載したり、いつもこのように助け合ってやっているようだ。
しかし、二人一緒に我が家にいる時は常にこのようであるから、娘との交わりの時間は食事の時くらいだけ・・・・・。

それでいいのだ、それだけでさえ感謝なのだと心の中で自分に言い聞かしている。

昨夜にスペイン人の教授からのメールで木曜日の授業が水曜日になったというので、急きょ一日繰り上げて今朝の9時半ごろ東京に向かった。
26日には美濃紙業の仕事があるので真智子は今週末から再度帰宅。
彼は親知らずを二本抜歯してから、月曜日に来阪することになっている。その時、彼らが日本を留守にする間の担当者も同伴して出版社へ向かう段取りである。

今日は東京へ戻る前に大阪でコンタクトレンズを購入してから、結婚式に来て下さった神戸大学時代の友人と昼食を共にするという。

結婚式の日に持ち帰った花もいたんで残り少なくなった。

次は長女である。
長女の婚約者は福岡であるため、式や披露宴の準備は全て長女一人でこなしている。
次女の結婚が急きょ、しかも長女よりも先に決まったために次女に没頭するのも仕方がなかったが、これからは長女のためにも精一杯関わってやりたい。

会社勤務も今週で終える。
そして今週末、娘は彼と共に家田のお義父様のお見舞いに伺うことにしている。
主に示されて、娘は家田さんに主(神)の平安と希望を届けに行くのだ。

posted by 優子 at 17:12| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年06月18日

父の日礼拝の恵み

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今日は「父の日礼拝」で、我が夫も恵みの中に入れて頂いた。
真ん中ノーネクタイの君がそうである。
右端に立っておられるのが、香芝の群れのために労して下さっている徳山伝道師。
パパになって半年の1年生パパである。

若者も一人加わっての壮年たちで聖歌536番を讃美している。
今日は2〜3名の欠席者がおられたが、これが香芝ゴスペルチャーチの男性陣である。
たぶん4年前の父の日だったと思うが、プレゼントして頂いた30センチくらいの「ゴールドクエスト(?)」は私の背丈くらいに伸びている。
今年は素敵な観葉植物を頂いた。

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私達の前に座られた親子。
若き父が幼き子の手をつないで「主の祈り」を讃美している姿に、
知子や真智子の幼き頃の姿が重なり、
夫と私は胸が熱くなり涙した。

女の子は5歳、ちょうど真智子が教会に集い始めた頃と同じ年齢である。

神さまを信じて生きていく時、人生は豊かに広がり深くなっていく。
posted by 優子 at 19:46| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

たった今見つけた「両親への手紙」

ママへ

両親への手紙-ワードバージョンを渡します。
でも、オリジナルバージョンも諦めずに探してね♪

真智子


何という心のないことをしてしまったのだろうと悔いている。
真智子からもらった「両親への手紙」を無くしてしまい、結婚式を終えて家に帰ってきた時から捜し続けているが今も出てこない。
クリスチャンセンターにもお聞きしたが届いていない。
披露宴の終盤で手紙を手渡された後、いろいろ動きがあり大変だったにしても、心あらずだからこんなことになるのだ・・・と悔やんでも悔やみきれないでいた。
ところが、
あった!!
たった今、見つけたのだ!

どこで無くしてしまったんだろうかと・・・・まさに今、これを書きながら一つひとつシーンを思い出していた時、ひょっとしてバッグに入れたかも・・・・と、バッグを開けたら入っていたのだ!
このことからも私のどうしようもない不注意人間であることが証明されている。
全てを丁寧に捜したつもりなのにバッグの中を見ていなかったなんて!
いや見ていたのに、見ていなかったのだ。私にはこのような不注意が大変多い。
しかし、とにかくよかった!
本当によかった!
真智、ごめんね。
ついに昨日、真智子から手紙をワードでもらったところだった。

お父さん、お母さん、今日はこんなに素敵で幸せな結婚式と披露宴を開かせてくれて、本当に有難う。
2月に大学から合格通知が届いてから今日に至るまで、本当に色んな決断の連続で、私自身でも戸惑うほどの人生の急展開だったように思います。
そんな中、お父さんとお母さんは状況をしっかり受け止めて理解してくれて、協力してくれて、私にとって本当に大きな支えでした。
留学については、いつも「寂しい」と言って嫌がっていたのに、「まちがやりたいんやったら、行っておいで」というお母さんと、隣で「そうや」と頷くお父さんに、言葉で言い尽くせない感謝の気持ちがあふれます。

これまでを振り返ってみると、お父さんとお母さんは、いつも私にとって大きな支えでした。
進路に迷ったり、うまくいかなくて悩んだりした時には、もう聞くのが嫌になるんじゃないかと心配になるぐらい、私の話を聞いてくれて、「まちらしく頑張り」っていつも背中を押してくれました。
心配しがちなお母さんでさえも、私の弱音をものともせず、いつもどっしりと受け止めてくれて、本当にいつも助けられてきました。こんなに怖がりの私が数々の失敗にめげず、むしろ肥やしにして今日までやってこられたのはお父さんとお母さんのお陰だと心から思います。私は本当に幸せだと思います。

お父さん。
お父さんとの一番の思い出は、何といってもバスケです。
私が小学校のミニバスを始めたとき、土日毎に運動場に忍び込んで特訓したよね。
高校時代にバスケ部だったというお父さんの動きはものすごくかっこよくて、私はお父さんを目標に頑張っていました。買ってもらったボールで、ミニバスの練習がない日もマンションのガレージで練習していました。レギュラーの一人として名前を呼ばれた時の心臓の鼓動は忘れられません。参観日でバスケをした時、何人がかりでマークしてもシュートを決めるお父さんに悔しがりながらも、世界一かっこいい、って思っていました。

お母さん。
お母さんは我が家の太陽です。お母さんがいると家の中がいつもパッと明るく、騒がしくなるからです。
そんなお母さんとの一番の思い出は、サン・テグジュぺリの「星の王子さま」です。
私はまだ小学3年生ぐらいだったと思います。読んで何となく考えたことを言ったときに、お母さんが感動して聞いてくれるのが嬉しくて、色んなことを考えては話に行きました。そして、お母さんが参加している東大阪読書友の会がちょうど「星の王子さま」を取り上げた時、私を連れて行ってくれたよね。自由に意見を交わす読書会の雰囲気の中、私は勉強の先にある面白さを感じたのを覚えています。
お母さんと真夜中まで熱く語り合ったことも、とっても幸せな思い出です。

お父さん、お母さん、26年間、本当に有難うございました。
今日からは太志さんと二人で信頼しあい、協力しあって、明るくあたたかい家庭を築いていこうと思います。
8月からはミネソタ大学に移り、新しい生活を始めますが、2人で支え合いながら一生懸命頑張ります。アメリカは遠く離れてしまうようで寂しいけれど、お互い、寂しさを吹き飛ばすぐらい充実した日々を報告するつもりです。今日は本当に有難うございました。

                     真智子
posted by 優子 at 08:26| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年06月17日

Machiko&Futoshi 新婚旅行

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背景の絶壁は「バンザイクリフ」。

敵の捕囚になることを恥とした日本人が、ここから「万歳」と叫びながら身を投げた。
昨夏、戦後60年を記念に、天皇ご夫妻がこの地に訪れて
平和を祈られたことは記憶に新しい。

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神が創造された美しい海。

かつてこの地が地獄と化し、悲惨な光景が展開されていたとは
とうてい信じられぬことである。
平和で限りなく美しいゆえに悲しみが突き上げてくる。

真智子はこの写真に「未来に向かって歩いて行く」という意味を込めているという。
その未来は真智子自身の未来にとどまらず、これからの時代を創り上げていく若者達による人類の未来に向かっての歩みである。
昨日より今日、今日より明日に向かって私も歩いて行こう。
早速、私のパソコンのデスクトップの背景をこの写真に変更した。
posted by 優子 at 23:47| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

神こそわが盾 ―谷口家の家庭集会に集う―

雨の午後、近隣の知人をお誘いして奈良市学園前の谷口先生宅の家庭集会へ集った。
(谷口家の家庭集会については、2月18日の記事に僅かながら詳しく記載しているので、画面の右下にある「過去ログ」の2月をクリックして頂くか、カテゴリー「日記」をクリックされたし。)
自動車で1時間余りの所である。
長女も次女夫婦(「夫婦」だなんて変な感じ)も自宅に居たが、3人とも過労ぎみで私達夫婦だけの参加になった。

  罪深きこの身を愛して イエスは木に掛かられ いのち捨てぬ
  何たる愛ぞ! 愛ぞ!
  涙にむせびて イエスを見るほかなし
  救いはこの身に成就しぬ われいかで疑わん 主の御業を 


これは聖歌453番、曲はフォスターの「スワニー川」である。

私達は喜びと感謝を積み重ねさせて頂いていますが、「成就しぬ」の「ぬ」は完了を表す助動詞で、あなたのために私のために、既にもう救いが成就してしまっているのです。
あとは神さまに心を開いて、私のためにして下さった十字架の救いがどんなに素晴しいものであるか、それを体験させて頂きとうございます。


集会の初めに語られた谷口先生に導かれて、恵みの時を感謝した。

私の右側に座った夫も、左側に座られた知人も時々音をはずし、私もまた高い声は裏声で三人とも下手ながら聖歌を歌った。しかし、神さまは心からの讃美を大いに喜んでおられたことであろう。

一節づつ輪読した詩篇18篇は、敵であるイスラエルの王サウルや、その配下から追われていたダビデを主(神)が助け出された時、ダビデが主に述べたものである。
放出(はなてん)教会牧師の薮野先生は、
「神様を知り、神様に頼ることを知ることができたら幸せである。挫折を経験した時に神様を経験できたらとても素晴しい事である。」とメッセージを結ばれた。
  
 あなた(神)は苦しんでいる民を救われますが、
 高ぶる目をひくくされるのです。

                       (27節)

神さまこそ岩であり、みことば(聖書の言葉)こそ岩である。

  
posted by 優子 at 23:03| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2006年06月16日

新婚ホヤホヤ成田夫妻の初仕事

昨日の土砂降りの雨とうって変わって晴れのお天気で嬉しい限りである。
朝から4回洗濯機を回してやっと完了し、干すところがなくて玄関先にまで干し場を作って満艦飾である。

新婚ホヤホヤの成田夫妻(笑)は、結婚後初めての仕事で先ほど家を出た。
神戸大学の経済研究科(大学院)からお招きを受けており、出発する間際まで専門的なことを話し合っていた。昨夜も遅くまでやっていたようである。

この関係で挙式後も東京へは戻らずに関西にとどまり、その間の短い時間を利用して3泊4日の新婚旅行に行って来たというわけである。

さて、私のほうも娘達の事だけに目を向けてはおられない。
小学校の校長先生からお電話が入ったのだ。

香芝市には小・中学校合わせて14校あり、その図書教育委員会(?)による香芝市図書教育研究会が8月に開かれ、そこに講師としてお招き下さっている話の続きである。
市民図書館を会場に図書館長も交えて半日という長丁場らしい。
「8月9日以降でしたらお受けできます」とお伝えしていたものの、話の構想を練る時間を忘れていた(汗)。

このことを聞いて真智子は目をパチクリさせた。
ママだって人生を充実させ楽しんでいるよ!(^−^)
これが好評ならば来年1月か2月にもお願いしたいとのこと。人前で発表することは大変に良い勉強になる。このような場を与えられたことを感謝し、大いにチャレンジしたいと思う。

10月には花園図書館で豊中と東大阪読書会の読書交歓会があり、それに先立って梅花女子大学の先生との打ち合わせや図書館長にも挨拶のご依頼もせねばならない。それに、この時のテキストは私の推薦図書だから丁寧に読んでおかなければならないし・・・「えらいこっちゃ!」である。

それと、私のライフワークになっている『あしたづ』への寄稿がある。
約1万字の作品であるから、毎年11月末の締め切りに向かって遅くとも8月には書き始めなければならない。
しかし、今年は全く本を読んでいないし研鑽を積んでいるものも皆無である。だから今回は文学ではなく、昨今の悲惨な事件から人間の根源に焦点を当てて考察したいと、今朝のテレビのワイドショウーを見ていてひらめいた。

忙しく動けることを感謝し、一つひとつ丁寧に進めていきたいと思う。

posted by 優子 at 12:55| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年06月15日

感動の「母親業卒業証書」拝受

藤本優子様

先日来、結婚式のいろいろな写真を拝見し私も喜びを共にさせて戴いております。

特に14日の写真の優子さんは、目がウルウルしていますね。
感無量という処でしょうか。

また御家族で撮った分は御一家の喜びの大きさが、ストレートに画面から飛び出して来ます。
本当にお目出度ございます。

又指導教官からの祝辞を拝見し、人格形成の重要な若い時に
お二人は本当に素晴しい人生の師に巡り会われたなと思います。

ブラウン教授の祝辞には本当に感銘を受けました。
教授の深く優しい思いを汲み上げ、無駄無く気品ある日本語として表現された奥様との2人3脚は、お二人が踏み出される門出の何よりの餞だと感じました。

娘は母を見て女性として育ち、また追いこして行きます。
今迄精一杯活動して来られた優子さんが母親であったからこそ、二人のお嬢様は人生の素晴しい伴侶を選び、親が心配する必要なく巣立って行かれるのですね。
これで母親業は卒業ですね。
本当にご苦労様でした。

これからは御自分の時間を大切にお使い下さい。


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・

親しい交わりを頂いているクリスチャンドクターのO氏から、このような嬉しいメールを頂戴しお許しを得て掲載させて頂いた。

氏のお言葉を反芻しながら、しみじみとこれまでの年月を想う。
「育児」とは、まさしくそれは「育自」にほかならず、子育てを通して自分自身がどんなに育てられてきたことか。
そして今、子育てを完了した今しか感じ得ぬことを深く感じ取りたいと思う。

真智子たちは飛行機事故にも遭わず、元気で今日の正午過ぎに帰って来た。

私がいつも祈りに覚えている事の一つにあるのが、飛行機、船、列車、・・・など交通の仕事に携わって下さっている方々、また、宅急便など深夜も長距離を走って下さっている方々の安全である。
お蔭で短くも幸せなハネムーンを過ごす事ができた。

二人はお風呂に入り、昼食を摂ったあと、早速、写真や購入した旅のDVDを見せてくれて、3時頃から熟睡している。
二人分の洗濯物をドッサリ山積みにして(笑)。
こんなに真智子の世話ができるのは、何年ぶりだろう。
この子達も8月になればアメリカへ発つ。
やはり、それが辛い。
そのことを思うだけで鼻がツンと痛くなり、涙が出てくる。

でも、0先生のメールに励まされて元気になれます。(^−^)
ありがとうございます。

posted by 優子 at 16:47| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

太志君の指導教官 吉川先生からのメッセージ

成田太志君、真智子さん、おめでとうございます。

ご両親様、ご両家の皆様も幼い頃のお二人の姿を思い浮かべると正に感無量のことと思います。

東京を離れられない為、遠くからにはなりますが、私もお二人に心からのエールを送りたいと思います。
私事になってしまいますが、私が結婚したのは23歳、家内が22歳の時でした。
お二人と同じように新婚生活はアメリカの大学町で始めました。
そうした事もあり、お二人の結婚により30年以上前のアメリカ生活が思い出された次第です。

私たちが暮らした東部でも冬には零下20度を下回る様な寒い日がありましたが、今考えると不思議なくらいに苦にもならなかった。
それが若さというものなのでしょう。
ミネソタはもっと寒いかもしれませんが、お二人にはそんな寒さを忘れる様な楽しく充実した日々が待っていると思います。
健康第一、勉強第二を心がけてアメリカでの新生活を大いにエンジョイして下さい。
 ご結婚おめでとう。

   2006年6月10日       吉川 洋


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小泉内閣を支えるブレインのお一人である。
やはり骨太政策改正のために東京を離れられないでおられるのだ。

23歳で結婚されて30数年になられるということは、私と同じくらいのお歳なのであろう。
共に人生の盛りを過ごし秋を迎えようとする年代である。
それぞれに年月を積み重ねてきたのだと思うと、深い感慨を覚える。

今考えると不思議なくらいに苦にもならなかった。
 それが若さというものなのでしょう。


この言葉は私の胸に力強く響いた。

若い二人に神の祝福あれ!
神と共に最高の生涯を歩まれんことを!
posted by 優子 at 06:38| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年06月14日

真智子の結婚式スナップ C

 巣立って行く我が子を手放さなければならない寂しさよりも、
 幼かった真智子が大志君という半身と共に、
 比翼の鳥の如く、
 空高く飛び立って行く姿に感謝と喜び極まる。

 
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      娘から父の胸に贈る感謝のブートニア

 私達が結婚したのは29年前、私は25歳になったばかりだった。
 あの時の両親のように、
 今度は私達が我が子の門出を見送る側に立っている。
 なんて不思議なんだろう。
 
 お父さん、お母さん、ありがとう。


 
posted by 優子 at 16:29| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

真智子の指導教官 ブラウン先生からのメッセージ

成田太志さん、藤本真智子さんのご結婚に向けて

                   リチャード・アントン・ブラウン


大志さん、真智子さん、ご結婚おめでとうございます。
本日は残念ながらお二人のご結婚を祝うこの席に出席することはできませんでしたが、心よりお祝い申し上げます。お二人のご結婚に際し、お二人初めご出席の皆様に、指導教官というよりも人生をお二人よりも長く経験した一人としてご挨拶させていただきたいと思います。

本日、ご出席の皆様は、新しい家族の誕生をお祝いする為にお集まりになられました。
家族とはチームです。
大志さん、真智子さん、今この部屋を見回してみてください。
いろいろなチームを目にすることができるはずです。これから成長しようとしているチーム、成熟されたチーム、メンバーがたくさんいるチーム、少人数のチーム、またこれから自分のチームを編成しようと、このメッセージが読まれている間にも、虎視眈々と将来のチーム・メンバーのスカウト活動をしている方もおられるかもしれません。
まだまだ「チーム」という言葉さえ覚束ない幼いチーム・メンバーも中にはいらっしゃるでしょう。ただそんな幼いチーム・メンバーでも、もう既に「チーム」とは何かと言うことを直感的に学び、その価値に気がついているものです。
ここにお集まりの皆様は「チーム」というものの大切さを理解し、大志さんと真智子さんが新たなチームを編成することが重要な、そして喜ばしい出来事だからこうしてお集まりになっているのだと思います。

しかし人はなぜ家族をつくるのでしょう?
人類の長い歴史の中で、この問いに対する答えは単純なものでした。子どもを作り子孫を残す為です。家族のこうした機能が円滑に行われるよう人間社会は発展してきました。

家族の中での夫の役割、妻の役割、父の役目、母の役目は誰の目にも明らかで、それぞれが自分の役割を果たしていたのが、伝統的な社会です。
けれども大志さんと真智子さんは、新たな時代に向かって生きています。
新しい時代でも家族が子どもを産み育てていくことに変わりはありませんが、家族の中での役割の分担については、昔よりも遥かに複雑です。人間の歴史の中でも、この現象は非常に新しく、まだまだ試行錯誤の状態です。

家庭を築くということが昔ほど単純でなくなってきている今日、新郎新婦のご両親におかれましては、若いお二人のすぐそばにいて、何か力になれることはどんなことでもなさりたいお気持ちでしょう。
ご子息、ご令嬢は、そのような親御心をよそに、結婚と同時に親元から遥か離れた異国の地、それもあろうことか、限りなく北極に近いミネソタで新しい生活を始めることになります。
ご両親としては少なからず不安を感じておられることとお察しいたします。

でもどうぞご安心下さい。

ミネソタは、冬は北極並みに寒いところです。あまりに寒い為、夫婦は冬の間、身を寄せ合って暖を取らざるを得ません。夫婦円満の基本です。ただしご両親がミネソタに行かれる場合は、冬は避け、秋に行かれることをお勧めいたします。

第二に、ミネソタ大学の経済研究科は地球上で最も厳しいところです。
けれども幸いなことに、大志さんも真智子さんも東大の経済研究科を卒業されています。
一説によると、東大の研究科で生き残れた者にとっては、ミネソタでの研究活動は朝飯前、とはいかなくとも「昼飯前」だといいます。お二人は大丈夫でしょう。

三つ目に、大志さんと真智子さんにとってミネソタは、東京での生活とあまり変わらないかと思います。今お二人の東大での級友たちが何人かミネソタに行っています。東大時代を懐かしみながら、ミネソタでも一緒に楽しく徹夜で勉強に励むことができます。

お父様、お母様、多少は安心して頂けましたでしょうか?

余談ですが、ミネソタについてもう一つ、「インディアン・サマー、インディアンの夏」という英語の表現をご紹介させて下さい。
10月下旬から11月にかけ、紅葉が深まる頃、晴天に恵まれ暖かい日が続くことがありますが、こうした美しい秋の日を指して「インディアン・サマー」という言い方をします。

大志さんと真智子さん、お二人の末永いお幸せを心から願っております。
どうぞミネソタで存分に寒い夜を過ごし、素晴しいチームを作り上げてください。
そしてお父様、お母様、ミネソタの「インディアン・サマー」を満喫なさってください。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブラウン先生は式の翌日からご家族でドイツへ発たれるとのことで、已む無く祝福をメッセージに託して下さった。
真智子は師と未だ日本語で話したことはないと言うから、きっとメッセージは英語で書かれてあると思い、長女に代読のあと要約してもらう手はずになっていたが、なんという素晴しい日本語であろうか。
ご夫人が日本の方とお聞きしていたものの、文学の香り漂よう格調高い完璧な文章なので重ねて感動した。
ご自身のお仕事(?)は家庭に持ち込まないアメリカ人のブラウン先生が、今回初めてご夫人に協力を求めて下さったらしい。
翻訳の労を執って下さったことを感謝し、私のブログ(まさにウエッブの記録)にも刻ませて頂いた。
Thank you very much.
I'm really grateful to Mr. and Mrs. Braun.
posted by 優子 at 15:12| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年06月12日

真智子の結婚式スナップ B

真智子結婚式@.jpg

披露宴のキャンドルサービス。
私達のテーブルに喜びと感謝の灯をともす2人。
父親と視線が合致した時の真智子、その笑顔を見て私は満たされた。
真智 B.jpg

披露宴も終わり再びガーデンテラスにて。
殆どのお客様もお帰りになり、友人達に囲まれていた時のことだった。
うわぁー!
真智、嬉しいねーーー!
CONGRATULATIONS !


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幼い時からキュートでボーイッシュな真智子。
しかしまた、福野先生が式で仰ったようにとても繊細な真智子。
洋服を買いに行く時間もなく数少ない服を着まわし、真智子以外は全てが男性と言っても過言ではない男性社会で頑張っているパワフルレディー。
そんな女性とは思えないほど美しく可愛らしい花嫁真智子。

先ほど、関屋駅発4時過ぎの電車に乗って太志君と関空へ向かった。
新婚旅行は3泊4日のサイパンへの旅。関空からだと何と3万円なんだって!
美しい海にもぐろうと水着やゴーグルを詰めていた。

ふたりよ、主に在ってプライスレスな時を!
ハレルヤ!
全てのことを主に感謝し、旅の無事を祈る。


以上、これらの写真は知子(長女)のフィアンセが撮ってくれました。ありがとう! 
posted by 優子 at 18:48| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

☆ 真智子の結婚式スナップ A

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家族揃ってパチリ!
7月には長女も花嫁になります。


これは、式のあとガーデンテラスに出てフラワーシャワーを浴びる新郎新婦です。

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今、この写真を次女に教わりながら自分で掲載しました。
そのあとすぐに次女は喉が痛いと言ってベッドに入りました。
今日の4時頃に家を出て、8時頃の便でサイパンに発つというのに・・・心配です。
posted by 優子 at 11:48| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年06月11日

真智子の結婚式スナップ @

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結婚式で歌う讃美歌と拝読する聖句は真智子が選んだ。
讃美歌は愛唱歌の一つである467番、聖書はヨハネによる福音書 第15章4・5節である。

  わたし(神であるイエス・キリスト)につながっていな
  さい。
  そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよ
  う。
  枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけ
  では実を結ぶことができない。
  わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
  もし人がわたしにつながっており、またわたしがそ
  の人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶ
  ようになる。
  わたしから離れては、あなたがたは何一つできない
  からである。


聖書朗読、牧師のメッセージ(祝福の言葉)のあと、聖書の上に真智子の右手を置き、その上に新郎と福野牧師の手を重ねて祈って下さった。
続いて聖歌隊の人達だけで428番を讃美して頂きながら、二人は結婚の誓約書に署名した。
そして、牧師による結婚の宣言に移った。

  創造者(神)は初めから人を男と女とに造られ、そし
  て言われた、
  それゆえに、人は父母から離れ、その妻と結ばれ、
  ふたりの者は一体となるべきである。
  彼らはもはや、ふたりではなく一体である。
  だから、神が合わせられたものを、人は引き離して
  はならない。


と、福野牧師は二人が結婚したことを声高らかに宣言された。

下の写真は、式の始まる前にガーデンテラスで福野正和牧師と写したスリーショットである。

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この日は幸いにも雨は降らず、曇り空であったので暑くなかっただけでなく、写真撮影にとっては絶好のお天気であったとのこと。
フラワーシャワーもできたし、たくさんの写真が撮れた。
これもまた思いもかけない神さまからのビッグなプレゼントだった。
写真の出来上がりが楽しみだ。

posted by 優子 at 23:11| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

今日は真智子の誕生日

真智子の育児日記の第1ページには次のように記載されている。

(1980年)5月28日の健診で子宮口が2おうし(この字を教えて下さいませんか?「し」は「指」ですよね?)開いていると言われて実家へ帰る。
予定日の6月5日も過ぎた翌朝午前4時40分、破水したのかと思って目が覚める。
トイレで「しるし」を見、同時に腰の強い痛み。
5時頃より陣痛開始。
朝食を摂り、知子を母に頼んで夫と病院へ行く。
6時半、病院着。夫は8時半ごろ会社へ向かう。
9時、病室より陣痛室へ移る。
正午頃よりかなり苦しくなり、これより3時間後の午後3時2分、女児出産。
体重 3420g、身長 48.6cm。
APスコアー10点満点の元気な赤ちゃん。感謝。


真智子を出産するために病院へ向かう時、「知子をよろしくお願いします。」という改まった言い方を初めて母にしたことを覚えている。
あの時、私にも母親の自覚が備わっていたのだと思った。
知子の時もそうだったが、夫が実家に来ている時でよかったと母は言っていた。
上記の育児日記を掲載した家族新聞「親ばと子ばと新聞」(109号1990年6月6日発行)には、続けて次のように書かれている。

以来、10年間、喜んだり心配したり、真智子の成長と私の足跡が育児日記に綴られてきた。
いろんなことが去来し目頭が熱くなる。
大きくなった真智子を抱きしめて、幸せの涙が止まらなかった。

神さま、今日まで小さな真智子を育てて下さったことを心から感謝します。
この小さかった足が、今では21.5cmに成長しました。

(家族新聞には、病院で頂いた誕生時の足型のついたカードを掲載している)
神さまから賜った心身を健やかに育んで下さり、最高の生涯を築いてやって下さいますように、私の愛する真智子をあなたに委ねます。
今日の喜びを感謝します


また、10歳になった真智子からは、

今から10年前は、わたしも赤ちゃんだったんだと思うと、なんかその小さい時のわたしをだいてみたい。
10歳になって、とてもうれしい。
おたん生日会もしてもらえるし。


と、かわいい字と絵が残っている。
そしてその紙面には私の父からの詩を掲載してある。
それら、父が残してくれたものの中からいくつかを、引き出物に入れる真智子の冊子に父直筆のまま掲載した。
そのうちの一つをご紹介しよう。

   菊 薫 る
   たべぞめの日に
   ねがえりが
   出来たと ママの
   はしゃぎ声

 真智子ちゃん
 ママが大騒ぎで 
 喜んで電話してきましたよ。

  昭和55年10月5日(日) 真智子たべぞめの日に


お父さん!
真智子が結婚します。
posted by 優子 at 09:38| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年06月05日

わたしのペンテコステ

私は1987年6月のペンテコステ礼拝で放出教会で洗礼を受け、19年目の同じ日の昨日、南大阪福音教会へ転入した。

「ペンテコステ」とはキリスト教会の歴史にとって、クリスマスやイースターと共に忘れることのできない大いなる日である。
キリストが弟子達に言い残されたとおり、復活された50日後に聖霊を降(くだ)された日である。
聖霊とは三位一体(父なる神、神の子なるイエス・キリストの神、そして、聖霊なる神)の神であり、クリスチャンに与えられた内住される神である。
我々が神を信じることができるのもこの聖霊の働きである。
聖霊は人に宿り、神の啓示(みこころ)を感じ、生かされる原動力になっている。


弟子達はこの聖霊を受けて、新しい勇気と勝利の確信と喜びに満たされた。          特にこの日のペテロの説教は特筆すべきものであり、「イエスこそがキリストであり、救い主である」と立ち上がった。
その説教に聴衆は深い感銘を受け、その時に多くの人々(3000人)がクリスチャンになった。
そして、この日から世界に福音(喜びの知らせ)宣教を開始したのである。
尚、「ペンテコステ」とは、ギリシャ語で「第50」の意味である。

今朝、改めて示されたみことばは、
   
   わたしの按手(あんしゅ)によって内にただいた神の賜物を、
   再び燃えたたせなさい。
   というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、
   力と愛と慎みの霊なのである。

        
             (テモテ第2の手紙 1章6・7節)

先月の第一聖日礼拝で真智子たちの婚約式を執り行って頂き、いよいよ今週末に挙式である。
そんな日々にあって、社員の事故が起こり、そのことにより今までの案件・問題が具現化した。これにより営業マンへの一層の過重負担も大変に心配だ。
経営者である夫の上に神様のお導きがあるように!
何よりも本人が祈ることができますように!
そのためにも先に立てられた私と娘の使命は重大である。
ずっと祈り続けている。
posted by 優子 at 09:27| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2006年06月03日

全てを主に委ねて歩まん

がんばれ花嫁ママ!
冊子完成もなによりです。花嫁への最高のプレゼントになるでしょう。
優子ママだからできたことです。
賜物を最高に使いましたね。


6月1日の記事に頂いた希望姉からのコメントである。
嬉しい!
とても嬉しい!
「そうなんだ」と、改めて喜びを噛み締めることができた。
時々、疲れを覚える私にとって、このお言葉でどんなに力強く支えられたことだろう。
ありがとうございます。
今までにも何度もこのような励ましを頂いてきたからこそ、今まで続けてこられたんだなあと感謝している。
そういえば、『優子の部屋』を開設して今日で6ヶ月目に入った。
計157記事だから、平均すると毎日書いてきたことになる。
当初感じていたブログの悩みも消え、自分の中でブログの位置づけも定まったようである。

そして、ついに来週の今日は真智子の結婚式だ。
今頃は披露宴が始まった頃であろう。
私も忙しくてメモすることも忘れていたが、花嫁の真智子は今ごろ福島県にいるはずだ。
昨日から何度かパソコンを開けているが、いつも「オフライン」になっているから、日本経済学会は2日と3日なのかもしれない。
学会を日曜日にはしないか・・・と思いつつ、6日夜の真智子の帰宅を心待ちにしているところである。

夏へグッと近づく6月。
暑くなり梅雨入りも間近かである。
10日の天気予報は雨模様だから、快晴すぎる今日の分を半分くらい来週に取っておいてもらえないかなぁ・・・。
お天気がよければガーデンテラスに出て、フラワーシャワーやブーケトスもできるから空模様が気になるところである。
まあ、お天気のことも神様にお委ねしよう。

知子の冊子を悔いのないように吟味して、式の当日に兄の引き出物の中に原稿を入れさせてもらうことになっている。

posted by 優子 at 15:23| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする