2006年08月31日

○○市図書教育研究会の講師に招かれて

この地に移って6年経った時に民生委員の御用を賜り、そのことを通して○○小学校の校長先生とお出会いした。

このたびは校長先生が当市図書教育研究会の会長をされている関係から、同研究会夏期研修会の講師の一人として私を引き出して話す機会を与えて下さったのだ。

7月下旬に長女の結婚式があるので開催日を8月に入ってからということでお願いした。先生方にとっては明日から新学期を迎える夏休み最終日である。

市民図書館の会議室での研修会、出席者は16名。
お一人目の演者は東大阪の図書館長も兼任されている当市の市民図書館長で私にとっても興味深いお話をされた。

そして5分間の休憩をとったあとはいよいよ私の出番。最近は人前で話すことも遠ざかっていたので少々緊張もしたが、気がつけば1時間近くも経っていたので驚いたことだった。

二人の講演が終わり会を閉じるにあたり、副委員長を努められている中学校の教頭先生からも心からの嬉しいコメントを頂き、校長先生に至っては、
感動して涙が出ました。私は映画を見て涙を流すことはありますが、人の話を聴いて涙が出たのは初めてです。
今日は自分自身を振り返りながらお話を聞かせて頂きました。

と、とても励ましになるご感想を頂戴した。

このような機会を与えて下さったことを感謝し、今日のレジメもまたここに記録しておきたい。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

感動できる心を育てたい  
     
           2006年8月31日 ○○市民図書館にて
                        藤本 優子

T 母親としての目覚め

@ 子どもの本について書かれた書物との出会い
A 学級通信との関わり
B PTAで育てられた懇談会や講演会。また、母親主体の学年通信や広報でのペン活動。

  ※ PTA主催の行事は自分が考えることにより参加するイベントを!

U 読書会で感性を磨く

@ 「東大阪読書友の会」御紹介
A 読書会に入って眼が開かれたこと
    
V 子育てで大切にしたこと

@ “show’n tell” 「ショウン テル」

A 「誰々が言ったから正しいのではなくて、誰々がどんなことを言ったから正しい」と考えられる子に。

W 自分自身と子育てを振り返って伝えたいこと

@ 子どもに良い自己像をつけてやる
A 人生の諸段階での本分を大切に生きる
  「勉強はできなくてもいいんですが、心の優しい人に育ってほしい」?
B 心を開くことの大切さ
  自分に正直であること
  心が自由であれば感動することはいっぱいある

X 読書は確実に人生の糧になっている

@ 子どもを本嫌いにさせないで!(夏休みの宿題で読書10冊?) 
A 読み、語り合い、書くという3本柱(家族新聞)

Y 結び

 ワーズワースの詩       「虹」

空に虹を見る時 私の胸は飛び上がる
私の生が始まった時もそうだったし
私が大人になった今もそうだ
私が老年になった時もそうあれかし
さもなければ、私を死なしめたまえ
子どもは大人の父だ

そして、私は私の生涯の一日一日が
おのずからなる敬虔によって
結び付けられるようにしたいものだ


心は目に見えないが、長い時間をかけて心を耕すことが「生きる力」になる。
感動できる心を育ててやりたい。
感動の蓄積こそが知識を生かし、人生を開花させていくと確信している。


posted by 優子 at 16:23| 教育 | 更新情報をチェックする

永濱利廣さんテレビに出ておられたよ!

ミネソタの太志さんと真智子へ!

今朝の6時の経済ニュースにエコノミストの永濱さんが出ておられたよ!
ただ、それだけで〜〜〜す。

読者の方へ!

ブログを個人メールにしてごめんなさい。
この方は真智子たちの結婚式に来て下さったお方で、スピーチも面白かったからついお話したくなっちゃいました。
あしからず(^^)。
posted by 優子 at 06:09| 随想 | 更新情報をチェックする

文学作品に見る人間の真相 ―選ぶということ 自由に生きるとは― E

8 『それでも人生にイエスと言う』


「『我々は人生から何を期待できるか』という主観的な観点から『人生は何を我々に期待しているか』という客観的な観点への転換」をしなければならないというのである。
即ち、「我々は人生から何を期待できるか」という自己中心的な人生観では、自己のための力の追求でしかなく、そこからは「何のために生きるのか」という問いに対して限界があり、生きる意味の答えは出てこない。

人生の意味を問うのではなく、問われているのは私なのだ。 
「自己から人生を問うのではなく、人生から自己を問う」というように、それは人生観の180度転回であった。

「生きるとは、問われていること、答えること、自分自身の人生に責任を持つことである
」。
故に強制収容所の運命にある悲惨な人生にも意味があり、そこから意味を見出すか否かは、その事実に対してその人がどのような態度をとるかである。

ブーヘンヴァルト収容所の囚人たちは、彼らが作った『それでも人生にイエスと言おう』を歌いながら行動に移し、雄々しく乗り越えたのである。

ベートーベンの「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」は私の座右の銘であるが、ベートーベンもマイナスと思われることからプラスへ、否定から肯定へ、即ち、苦悩を通して歓喜に至ったのである。

かくして真の喜びや生きる意味は、人間的に見れば不幸と思われることを通してでしか得ることの出来ないものであることに目が開かれた。
そして、このことが内的成熟の普遍的真理であるということを納得させて頂いたのである。

かつて私は、善良に生きている人ほど苦難が多く、他者への配慮もなく、言いたい事を言っている人ほど順風な状況にある不条理さに苦悩したのであるが、高慢な私が神に赦されて、今ここにこうして在ること自体が不条理なことであると思うに至った。もっともっと砕かれ、目が開かれていきたいと心から願う者である。

これを書くにあたり、牧師であり同志社女子中学・高校の宗教主任として長年教壇に立っておられた恩師、西村幸郎先生のご著書によるところが多大であることを申し述べたい。
人生の朝まだきに、師の授業で聖書をモチーフにして生きることを考えさせて下さったことが、私の人格形成の土台になり人生の羅針盤になっていたことに気付かされ、改めて師のお教えに感謝が溢れる。

また、既に天に帰られた谷口諭先生と、今も背後で祈って下さっている幸子先生との出会いがなければ、この軌跡はなかったであろう。
谷口先生ご夫妻、宗原千里姉はじめ、多くの友人、知人、お一人おひとりに感謝しつつ、今よりまた新しい一歩を踏み出して行きたいと思う。

自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放してくださったのである。だから、堅く立って、2度と奴隷のくびきにつながれてはならい。」 
          
             (聖書・ガラテヤ人への手紙5章1節)

                    完

主な参考文献]

*『愛と信頼を求めて』     西村幸郎著   ヨルダン社 1969年
*『人間への旅立ち』      西村幸郎著   ヨルダン社 1985年
*『夜と霧』(フランクル著作集1)  ヴィクター・フランクル著
                      みすず書房  1961年
*『死と愛』(フランクル著作集2)  ヴィクター・フランクル著
                      みすず書房  1961年
*『それでも人生にイエスと言う』   ヴィクター・フランクル著
                        春秋社  1993年
                    
posted by 優子 at 05:41| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年08月30日

面白くなってきた『カラマーゾフの兄弟』

・・・しかし予め言うておきますがな、どのような努力にしても目的に達せぬばかりか、かえって遠のいて行くような気がしてぞっとする時、そういう時あなたは忽然と目的に到達せられる。
そして絶えず密かにあなたを導きあなたを愛された神様の奇跡的な力を、自己の上にはっきりと認められますじゃ、・・・


生きることは何と味わい深いことだろうか!
このセリフは、ドストエフスキーが残してくれた人類の遺産、『カラマーゾフの兄弟』に出てくる愛の人ゾシマ長老が語った言葉である。

前述の記事にもあるように、このたびも10日間ほどではあったが「小さな不自由」の中に捕らわれてしまい、相変わらずの進歩のない己の姿にガッカリしていたのでゾシマ長老の言葉に深く共感した。
そして何よりも、神の恵みの中に生かされているという喜びを確認することができた。

信仰が奇跡から生まれるのではなくして、信仰から奇跡が生ずるのである。
これもまた信仰者でないとわからぬ経験であろう。

祈りの友がブログで呼びかけられた〈『カラマーゾフの兄弟』読破ツアー〉が8月
15日から始まっている。
私は8日遅れで参加している上に毎日読めていないし、時には3〜4日間も読まない日もあり、かなりの遅いペースでやっている。
しかし、昨日くらいから面白くなってきて明日は出番だというのに、今日は2時間余りも『カラマ・・・』の世界に引き込まれていた。

現在、226ページをゆっくり旅しているところである。



posted by 優子 at 21:41| 文学 | 更新情報をチェックする

文学作品に見る人間の真相 ―選ぶということ、自由に生きるとは― D

6 導き出した結論

人間の自由の本質は「選ぶ自由」であり、選んだことには責任がついてまわるということであり、「人はいかに生きるのか」という問いに対しても、一定の答えがあるわけではなく、私たち一人ひとりが自分で選びとり、見出していかなければならない。
 
大切なことは、「・・・からの自由」だけでなく、何ものにも支配されない主体的な自由、即ち「・・・への自由」を共存させていないと、いつしか自己を失い不自由な中に落ち込んでしまうことになる。

まさに、当時の私がそうであった。
今も小さな不自由を何度も繰り返しては本心に立ち返るのであるが、まことに人間の一生は日々悔い改め、新しくされて生きるのであり、また、そうでありたいと願う。

真の自由人であるならば、四方から押し寄せてくる困難の中にあっても、のびのびと人間らしく生きていくことができる。
例えば、「私は苦悩に打ちのめされながら希望をもっており」、「ガン末期でありながら心安らかに」というふうに生きることができるであろう。
そして、この生き方こそが、矛盾だらけで不条理な現実(人生)をも乗り越えることを可能にする。私の目指すのもこのような生き方である。

7 後日考
 
以上が、6年前(即ち1994年2月)に語らせて頂いたことの要約である。

講演内容を考えるためにフランクルの本を読み直し、学生時代から20年を経てフランクルと個人的な出会いをしたのである。
その時、苦悩に打ちのめされそうになっていた私は息を吹き返したような感じであった。
それからまた6年を経て、より深くフランクルを知ることになる。そのことをここに書き留めておきたいと思う。

母が亡くなって3年3ヵ月後、2000年の真夏に父も亡くなった。
その年の10月、父の納骨を済ませた帰りに次女と旭屋書店へ立ち寄った。フランクルの『それでも人生にイエスと言う』が読みたかったからである。

この本は、既に1993年12月に出版されていたことを知り、私は深い感慨を覚えた。
講演会の時には、既に世に出ていたのである。
しかし、もっと早く読んでいればよかったというものではない。
すべてのわざには時がある」のだ。この時であったからこそ、フランクルのメッセージが私の中に深く届き、受容することができたのである。
フランクルは、1997年に92歳の生涯を終え、神の御許に帰られた。

私はこの時までは、生涯かけて人生の意味を問い続けていきたいと考えていた。
しかしそうではなくて、意味を問われているのは私の方であるということに目が開かれ、大きな衝撃が走った。 
この発見は、神と出会ってコペルニクス的転換を果した時と同様に、私にとってはその次に来る大きな出来事であった。
いや本来ならば、神と共に歩む生涯に入れられた時に視点が変えられていたはずであろうが、この時、知的な理解を越えて自己の深いところで理解できたのであった。

               (最終章につづく)
posted by 優子 at 07:13| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年08月29日

文学作品に見る人間の真相 ―選ぶということ、自由に生きるとは― C

6 真の自由とは
 
国会図書館の受付に、「真理があなたがたに自由を得させる。」という言葉が刻まれている。
この言葉は、聖書の「ヨハネによる福音書 第8章32節」からとられているのは周知の通りである。
では、「真理」とは何かという大きな哲学的な問いであるが、椎名麟三は、「人間に自由を得させるものこそ真理なのである。」と言っている。実に具体的で分かりやすい表現である。
 
ここで有名なマルティン・ルターの『キリスト者の自由』に書かれている二つの命題を提出したいと思う。これはいろんな学問領域で用いられる有名な概念である。

キリスト者は全ての者の上に立つ自由な君主であって、何人(なんぴと)も従属しない。キリスト者は全ての者に奉仕する従僕(しもべ)であって、何人にも従属する。
 
この2つの命題の意味するところは、キリスト者は信仰によって自由であり、愛において全ての者の僕であることを表している。
言葉を替えれば、キリスト者は第一に「・・・からの自由」と「・・・への自由」を持っている者であると言いかえることが出来る。
 
例えば、ノーベル平和賞を受賞し暗殺された黒人牧師、マルティン・ルーサー・キングは、このルター的自由に根拠づけて黒人解放運動を推進した。
そのことは彼の著書『自由への大いなる歩み』の中に記されているが、黒人は白人から自由を勝ち取るだけではなく、人種差別から自由になること。
即ち、白人になろうとするのではなく、黒人であることへの自由を持たない限り、真の自由を得ることは出来ないと考えた。
 

また、第2次世界大戦中にユダヤ人であるがゆえに強制収容所へ送られ、そこから生還した精神科医、ヴィクター・フランクルが体験談を書いている。
『夜と霧』、『死と愛』などは、あまりにも有名である。

収容所の人々は飢えと重労働を強いられている。そんなある極寒の朝、身近に病人が出た。
すると、何人かの人がその人の枕元に、僅かな食べ物である小さなパンとスープを置いて労働に出て行った。
自分もフラフラであるにもかかわらずである。

この状況を見ていたフランクルは、「極限状況に置かれても人間には自由がある。自分の在り方を決める自由がある」のだと気づいた。
しかも、パンとスープを与えた人は、決して知識人でも牧師や神父たちでもなく、平凡な生活を送っている普通の人々だった。

講演会のレジメを作るために読み直していた時、私はこのところに釘付けになった。
あの頃の私の苦悩は、究極的には神への怒りであり、神との七転八倒の闘いであった。
その7〜8年も前だったと思うが、母は私に「我が子が相手の人格に左右されるなんて、こんなに悲しいことはない。」と言った。
相手がどうであれ自分はどう生きるのかである。
人生とは選び取っていくものなのだという母の教えが私を敗北に向かわせなかった。

母は既にこの時、全く身動きができない状況であり語ることもできなかったが、母の教えが私を神に向かわせたのだ。その背後で神が私を憐れみ、母の生涯を報いて下さったゆえである。

かくして長い黙想のあと、私は再び力を得て立ち上がることが出来た。
「だからね、人間の本来の自由とは、諸条件からの自由ではなくて、それら諸条件に対して、自由のあり方を決める自由である。」と、フランクルが私の耳元で優しく語ってくれているように、この言葉に慰め励まされたことを今も鮮明に記憶している。

                (つづく)   
posted by 優子 at 07:21| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年08月28日

真智子たちの引越し事情

最新版ミネソタ便りが届いた。
「確かにスーツケース3つと幾つかの手持ちかばんだけど、自分で運ばないと駄目でメッチャ大変よ。」と、真智子たちの引越しもまた私が思っていたような気楽さではなかった。
失礼しました(汗)。

「自動車がないために公共バスを使って何回か往復しなくてはいけないし、しかも、今の仮住まいの寮は8月30日の朝8時にチェックアウトしないと駄目なので、荷物をいつどこに運ぶのか結構頭を悩ませている」。

「それに、30、31日はどこで寝るかも決めないといけない。
28日から大学でのオリエンテーションが多いので時間もとられる・・・」など、大変さを想像することもしないでごめんね。
いずれにしても新居を築くための引越しは大変だから、心身ともにタフでありますように。

そして最後に、「ミネソタからのリアルな近況報告でした(^^)v
こういう逆境をこえて、人間的に成長もできると信じて
。」と結ばれてあった。

いよいよ9月が始まる。
本場アメリカでの北米式の厳しい留学生活が開幕するわけだ。
日本では唯一、そのスタイルを実践していると言われている東大大学院で優秀な成績を修めた真智子たちである。
気分転換を大切に体力と気力の維持に留意して、思う存分に神さまから与えられている賜物を磨いてほしいと願っている。

常に新しい明日に向かって果敢に挑戦していく若者に神さまが臨んで下さるように!

ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。
すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起こす。
しかしひとりであっては、その倒れる時、これを助け起こす者は災いである。
またふたりが一緒に寝れば暖かである。ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。
人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当たるであろう。
三つよりの綱はたやすくは切れない


                   (伝道の書 4章9〜12節)

真智子と太志君、そこに神さまが加わって3人で人生を紡いでいってほしいと願っている。
生涯を終えようとする時には見事なまでの人生が紡ぎ上げられているであろう。主の守りと導きが豊かにありますように祈りつつ。
posted by 優子 at 17:32| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

文学作品に見る人間の真相 ―選ぶということ、自由に生きるとは― B

3 選ぶということ

人格を表す英語の“person”(パーソン)は、ラテン語の”persona”(ペルソナ)が語源と言われている。
この「ペルソナ」という語は、「劇の役柄や役者の面」を表すものであったが、ギリシャ語の“prosopon”(プロソーポン)という語と関係があり、この「プロソーポン」が「顔」の意味であるというのだから驚きである。

「40歳になったら自分の顔に責任を持たなくてはならないと言うのよ。」と、娘時代に母から何度も聞かされていたことを思い出すが、先人はよく言ったものである。 

さて、主人公が仮面を選択する時に「内側からやってきた」とあるように、顔が人間の内面性と関係し、「顔」の選択が「人格」の選択に関わっていることに気付き困惑する。
言い換えれば、それは主人公の生き方に深く関わっているからであり、「自分が選ぶということは、自分を選ぶということ」でもある。ということは、人生とは自分が選びとっていくものであることに気付かされる。
ボーボワールは、「一つの目的のために行動すること、それは常に選ぶことです。限定することです。」と言っているが、まさに人生は選択の連続でもある。


4 人間は自由な存在である

小説では、主人公は顔を自由に選ぶことができるにも関わらず、十円玉を投げてその裏表で決めようとする。そこには、自由から逃れて何か客観的な根拠を求めようとする気持ちがよく出ている。

「この自由さは、一見気楽なようでいて、じつはひどく厄介な問題だったのである。」

と、つぶやくところがある。ここがこの問題を解く重要なカギであろう。

本来、人間は自由な存在であるのに、自分の生き方に確信を持てない時は恐れ、不安になる。
例えば、日柄が悪い、家の向きが悪い、間取り、印相、手相、名前、前世の因縁・・・・と、挙げればキリがなく、日本人はまるで恐れに縛られているようである。

実は自由であるというのは、とてもシンドイことであり主体性が問われることである。松浪信三郎は、「人間は自由でしかありえない。最大の重荷は、人間は自由でしかありえない。」と述べている


posted by 優子 at 07:49| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年08月27日

文学作品に見る人間の真相 ―選ぶということ、自由に生きるとは― A

     
2 安部公房『他人の顔』のあらすじ

まず、物語のあらすじを紹介しよう(新潮文庫のブックカバーより)。
 
「液体空気の爆発で受けた顔一面の蛭(ひる)のようなケロイド瘢によって自分の顔を喪失してしまった男・・・失われた妻の愛を取り戻すために“他人の顔”をプラスチック製の仮面に仕立てて、妻を誘惑する男の自己回復のあがき・・・。
  
特異な着想の中に執拗なまでに精緻な科学的記載をも交えて“顔”というものに関わって生きている人間という存在の不安定さ、あいまいさを描く長編」である。 

安部公房は、東ヨーロッパでは「日本のカフカ」として名声を得た人であるが、公房にはカフカのような「底なしの不安」はない。
また、この作品で言うならば、顔を失ったことにより自己の存在について深刻に悩むということもないことから、カフカと質的な違いを感じる。

1993年1月に急逝した惜しまれる国際的作家である。

以下は本文からの引用である。
 
どう考えてみても、人間という存在の中で、顔くらいがそれほど大きな比重を占めたりするはずがない。人間の重さは、あくまでもその仕事の内容によって秤られるべきであり、それは大脳皮質には関係しえても、顔などが口をはさむ余地のない世界であるはずだ。・・・しかし、・・・その警告は、ひっそり足音もたてずに、内側からやってきた。外に向かっての防備だけに気を奪われていたぼくは、不意をつかれ、あっけなく打ち倒された。」

「よりどり見どりと言えば、いかにも気軽で、たのしげだが、しかしいずれその中から、どれか一つを選ばなければならないのだ。・・・この自由さは、一見気楽なようでいて、じつはひどく厄介な問題だったのである。」
 
このあたりにこの作品の主題を読み取ることができるのではないだろうか。

今から数年前のことであるが、九死に一生を得たカーレーサーの太田哲也さんが、レース中の大事故で顔を無くし複顔されたという報道があった。実際にこのような形成外科手術が行われていることを知り衝撃を受けた。
この小説では、顔を失った主人公が顔を選ぶのである。そこで、顔と人格の関係を考えてみたいと思う。

                    (つづく)
        
  
posted by 優子 at 06:35| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年08月26日

文学作品に見る人間の真相 ―選ぶということ、自由に生きるとは― @

急に読み返してみたくなり、2004年2月に発行された『あしたづ』に掲載されたものを転載したい。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

1 はじめに

読書会で取り上げた本のテーマを書き出してみると、〈人間の生と死、孤独、怒りと復讐、夫婦や親子、恋愛、友情、女性の生き方、安楽死、老い、エゴイズム、虚栄心、性、恐怖、信仰、不安、矛盾や不条理、戦争、罪、人間の原点を問われるもの〉 など、作者はいろんな視点から人間を描いている。

最後に挙げた「人間の原点を問われるもの」とは、人間が飢えという極限状況におかれた時、人肉を食べたというものであった。人間というのは、実に不可思議で矛盾をいっぱい抱えた無気味な存在ですらある。

椎名麟三は、「文学というものは、徹頭徹尾人間というものが問題になる文化領域の一つであるかぎり、人間というものについて考えずにはいられない。」と述べ、また別のところでは、「文学の問題は、人間の問題であり、人間の自由の問題である。」と述べている。

私の若い頃からの関心事は「人間について」であったが、今から思えばそれは漠然としたものであった。
しかし、壮年になり人生の矛盾や不条理の問題に出くわしてから、どのように生きるべきかを真剣に考え始め苦悩した。
そして、矛盾や不条理をいかに乗り越えていくかに焦点が絞られ、そのことはいみじくも椎名麟三が言っている「自由の問題」でもあった。

その悩みの中にあった1994年のこと、ご記憶の方もおられるかもしれないが、同じ演題で当センター講演会の講壇に立たせて頂いた。
当時の私は苦しみの意味がわからず、心は不自由で窒息しそうな状態であった。そのような時、事務局(大阪商業大学・サークルセンター)の黒木さんから講師のご依頼を受けたのである。思いもしないことだっただけに少々躊躇したが、チャレンジする意欲を失っていなかったことが幸いした。

お引き受けした私は、講壇で語らせて頂く内容を考えながら書物を読み直していた時、袋小路から抜け出す道を見出したのである。
そんな訳で、私にとって講演会の出来事は今も忘れられない通過点になっている。
その後も悩みながら悪戦苦闘の年月を経たのであるが、かくして、それを知的にだけではなく感情も伴って頷くことができるに至った。

今回は、講演では触れなかった自己の内面にも触れながら、私が辿りついたところまでを書きとめておきたいと思う。
そこで10年前の講演内容と重複するが、安部公房の『他人の顔』を題材に人間の真相を探ることから始めたいと思う。

                    (つづく)
posted by 優子 at 21:36| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2006年08月25日

針の穴を通り抜ける

人間とは自己中心で立場が変われば自分勝手にもなる弱い者だが、相手が生死にかかわるような状況の時にも自分達の身勝手さだけを主張し、相手を思いやることなど微塵もできない人々がいるのだ。
そのような人々を見せつけられ、あまりの生き方の違いに私は怒りを通り越して、彼らが滑稽に見え唖然とした。

その後一ヶ月余りの間、悶々とした日々を過ごしていたが、突然霧が晴れたように新しい境地が訪れた。
つまり、「人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる。」というのは真実であると受容するに至り、思春期の頃に先取りした両親の教えが自分のものとなった。

少ない人生経験ながら、私は今まで神の正しさを自分の経験で納得しようとしてきたが、経験から見ればそれは矛盾だらけで、「人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる。」ということにも疑いを感じた時があった。
しかし、最悪と思われる出来事を通して、ついに私の求めていたものについて神さまが説明し納得させて下さった。

即ち、この人たちは健康も与えられ、ずっと順境にありながら感謝の心なく、絶え間ない不平を糧として生きている。
このこと自体が祝福のない重い鎖を引きずって歩いているではないかと激しく魂が震撼した。

一方、私が出会った多くの病床にある人々やそのご家族は、苦難の中にあっても「ありがとう」の言葉があり、他者を思いやる心を持っておられた。
回復不可能な病を負い、生きていることさえ闘いである人々は、人間的な目から見れば不幸であるかも知れないが、すでに祝福の中にあることに深く気づかされた。

私は今までに多くの人を通して助けられてきたが、私たちにはお互いの間の温かい心の交わりや深い喜びがある。共に慰め励まし合って生きられること自体が、自分の生き方を刈り取っているではないかと納得させられた。

辛く長い年月であったが、こうして頑なな自我が砕かれて、ついに針の穴を通り抜けることができた。
そして、今までに起こった一切の出来事の意味が結晶し、人生の宝物をまた一つ見出せた喜びに満たされている。

私たちは人生の途上において、果たして何が自分のために最善であるかはわからないのだから、希望をもって何事にもチャレンジしていきたいものである。

彼らを思いやるようになるにはもう少し時間が要るだろうが、これからは魂を損なわずに生きていけそうな気がする。

      (東大阪読書友の会会報 2000年4月発行
                 『かわちの』第48号より転載)

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは1999年12月の大打撃から3ヶ月経った頃に書いたものであり、前述の記事にも触れているノックダウン事件と同じ人々による大打撃によって覚醒に至った証しである。

イエス・キリストは言われた。
よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。
」と。

自分の頑なな自我が粉砕されなければ、針の穴を通り抜けることはできないのだ。
初めて私の強固な岩盤が砕かれたこの出来事は、自分史にとっても大きな通過点であり、この時から新しい一歩を踏み出したのである。
そして、これを書いた4ヶ月後に父が召された。

以来、もっともっと砕かれていきたいと願いながらの味わい深い旅路を続けている。

30代半ばまで、私は何度も何度も両親を悲しませた。
母は言った。
『実るほどこうべ(頭)を垂れる稲穂かな』という通りや。言いたいことを言うてたらあかん。『言いたいことは、あした言え』と言うやろ。
そしたら明日になったら言うてもええんやな?
いいや、言うたらあかん。
そしたらいつ言えばいいの?いつになったら言ってもいいの?
死ぬまで言うたらあかん。言わんでいいんや。言いたい人には言わせといたらいいんや。痛くも痒くもないやろ。我慢できる人間が一番強い人や。
私は悔しくて号泣した。

私は母と父のためにも救い出されたのだと思う。
すでに母の脳内に大変なことが起こっており、すぐ目の前に苛酷な難病の宣告がされる日も来ているというのに、娘がこれでは悲惨すぎるではないか!!!
愛なる神さまは、母と父の支えになるためにも私を救い出されたに違いない。







posted by 優子 at 07:57| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年08月24日

回復の時

いつものように昨日の歓談でも校長先生(女性)から盛りだくさんの話題で楽しませて頂いた。
さすがに今回は教育に関する話に終始したが、特にこの方とのお話はつまらない世間話ではないから、全く退屈しないで何時間でも話し込んでしまう。忙しい校長職の合間を縫って時間のある時を見つけてお電話下さるのだ。

私は毎年7〜8月から11月末までは執筆活動に集中し(去年は『リア王は悲劇か』に燃えていた)、特に去年は同じ時期に国勢調査の仕事を引き受けざるを得なくなったためテンヤワンヤで、お訪ねしたのは12月に入ってからだった。
校長は大変な勉強家で歴史、文学、仏教にも明るく、ご関心が多岐にわたるから話していて実に楽しく面白い。2時間なんてあっという間だ。

そんな昨日の歓談で、「マザーテレサのような人でもいじめにあうんですねえ。あのような素晴しい方でさえいじめられるんですから、私など当たり前やなあと思いますよ。」と言われ、私は間髪居れずに「そのお話は励まされますねえ」と言ったものだ。
実に考えさせられるではないか!

私は15日にノックダウンしてから、やはり昨日もまだ全快ではない状態で訪問したのである。
今回の出来事は姑息な集団苛めの構図ではなかったかもしれないが、相変わらずの非難中傷は耐え難い最強度の訓練である。
故にマザーテレサの話が力になった。
「神さまはこのお話を私に聴かせて下さるために今日の時をもたせて下さったのかと思います。」と口走ってしまったほど、私に人間の醜い一面を思い起こさせ、再び彼らのことを客観的に受け止めることができた瞬間だったのだと思う。

数日前にもブログ読者からたいへん励まされるメールを頂戴している。

「サイレントリーダーなので滅多にお便りもしないで申し訳ありません。
けれども、日々のブログの中の文章にどれだけ励まされている事でしょうか。今日はお礼をと思ってお便りしました。」


と、このお言葉でどんなに励まされ支えられたことだろう!

ああ、良き闘いを闘っている方もおられるんだ!
私の書いたもので励ましを得てくださっている方もおられるんだ!


時に応じて神さまはいろんな方法で弱り倒れている者を抱き起こして下さるのだ。そして、「励まし合う」ことがどんなに大切で尊いことであるかを深く気づかされた。

我々は生きている限り悩みや思い煩いから解放されることはない。
しかし、
  
   わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。
   途方にくれても行き詰まらない。
   迫害に会っても見捨てられない。
   倒されても滅びない。
    
        
            (コリント人への第2の手紙 4章8・9節)

そして、主に在っては確実に鍛えられていっていることも真実である。
マクロ的に見れば手に取ってわかるほどに変えられている。ミクロ的に見れば現実的には相も変らぬ進歩のなさに打ちひしがれてしまう時もあるが、私たちを創造して下さった神さまはこう言って下さるのだ。

   恐れるな、わたしはあなたをあがなった。
   わたしはあなたの名を呼んだ、
   あなたはわたしのものだ。
   あなたが水の中を過ぎるとき、
   わたしはあなたと共におる。
   川の中を過ぎるとき、
   水はあなたの上にあふれることがない。
   あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、
   炎もあなたに燃えつくことがない。

              
               (イザヤ書 43章1・2節)

しかも、42章の最後25節には、

   それゆえ、主(神)は激しい怒りと、
   猛烈な戦いを彼らに臨ませられた。
   それが火のように周囲に燃えても、彼らは悟らず、
   彼らを焼いても、心にとめなかった。


とあるように、これが我々の頑なな姿なのである。
それにもかかわらず愛なる神は、このような我々を見捨てることはなさらないで、「しかし、ヤコブよ」と声をかけ、「恐れるな!」と言って下さるのである。

私にとって書く時は神との対話の時である。
心が騒いでいたり、自己中心で醜い気持ちに縛られていては何も書けないので、ブログの更新は我が魂のバロメーターでもある。
これからも喜びも悲しみも怒りも失敗も全てのことに意味を見出すことができるようにと願う。
喜びの時は感謝を、不条理に苦しむ時は祈りながら絶望へと傾く心を神に向けるために書いていこう。
今再び自分を取り戻して確信することは、やはり物事を認識するにも、物事を正しく認識できるかどうかは、その人間の精神的な成熟の度合いによるということである。

だから悩みこんでも人を恐れてはならない。
恐れるべきは全てをご覧になっている神であって、私は神を畏れて生かされている者である。
ハレルヤ!

☆ 読者子の皆様、ブログ休筆が続くようであれば私を案じて下さっ
  て、その時はお声をかけて下さい(笑)。

☆ 新来者の方へ
  前述の『リア王は悲劇か』は、右側「カテゴリ」の「掲載文より」に公
  開しています。
  青字にしているところが特に強調したいところです。心血注いで書
  いた評論をお読み頂けば嬉しいです。
  
☆ 感謝録
  再び活力がみなぎり弾力のある心を取り戻すことができました。
  祈って下さったお一人おひとりの上に、神さまからの豊かな祝福が
  ありますように。
    
posted by 優子 at 09:47| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年08月23日

今年の秋は読書活動一色?

昨夜は疲れていたのに頭が冴えて眠れず、1時間余り『カラマーゾフの兄弟』を読み始めた。
今朝は睡眠不足の目覚め。こんな日に限って朝から大忙しで、関屋小学校の校長先生より講演会のことでお電話を頂き早速学校に赴いた。
担当の先生も加わって3名で語り合った熱く楽しい2時間であった。
やはり私は教育の話になると燃え出して情熱が溢れてくる。
しかしながら当日は香芝市の市民図書館館長と共に、それぞれに1時間半時間を取って下さっているというから「エライコッチャ!」である。

『カラマーゾフ』はどうなるんだろう・・・・早々から風前の灯か。

そのあと民生の訪問仕事を終え、花園図書館長に体験読書会開催や交歓読書会のことで電話をした。
体験読書会については双方の認識が違っていて、既存の読書会とは別に全く新しく読書会を立ち上がらせたく、ついてはそのリード役を一人か二人でやってほしいと言うことだった。
来月の例会で訂正とお詫びをしなければならない(汗)。

とにかく、目下の急務は香芝市の図書教育委員会だ。
「細く長くお願いしたい」と仰って下さる先生の御期待に応えて励みたいと思う。



posted by 優子 at 16:58| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

『カラマーゾフの兄弟』読破に挑戦!

今月の読書会は大阪商業大学のお盆休みと重なり第4火曜日の今日開かれた。
近鉄電車小阪駅に降りた私は直ぐに栗林書店へ入り、岩波文庫の『カラマーゾフの兄弟』1巻目を買った。

今朝の記事にご紹介したM姉が、8月8日だったと思うが姉(しまい)のブログを通して『カラマーゾフの兄弟』読破ツアーを募集されていた。
ドストエフスキーと言えば『罪と罰』しか読んだことはないし、『カラマーゾフの兄弟』は世界文学全集でも分厚いのが2冊。
私は頭から「無理!」と諦めていた。

しかし、昨日の「子育て法」の記事に書いたような心境であるならば、読破ツアーに参加しないのはおかしいではないかと気がついた。
今、読まなければ読まずに死んでしまうだろう。
こんな名著を読まずに死ぬのは惜しい。だから遅ればせながら参加することにした。
ツアーは14日から始まっている。
主催者ご提示の岩波文庫で4冊。
全1532ページ、1ヶ月に1巻の目安で12月半ばにツアー終了予定である。9日の出遅れはキツイが挑戦しようと思う。
あなたもいかが?

ところで、『カラマーゾフの兄弟』で思い出すのは日野原重明師だ。
日本赤軍による「よど号ハイジャック事件」に遭遇した日野原師は、拘束されていた飛行機内で『カラマーゾフの兄弟』を読破したと書いておられたように記憶している。
あの非情な状況でドストエフスキーの大作を読破されたとは、何という不動平安な境地でいらしたのだろうかと師の信仰に尊敬の念を覚え心打たれたものだ。

今日の読書会は、司馬遼太郎の『この国のかたち 5』だった。私は行きの電車で20分間ほど斜め読みしただけのお粗末さだった。
『カラマーゾフの兄弟』を買った栗林書店は小阪商店街の入り口で、そこから600メートル先に「司馬遼太郎記念館」がある。斯く言う私もまだ行ったことはない。
会のメンバーには郷土史家もおられ、地元の作家だけに面白い話もいっぱい聴けて楽しかった。

そのあと、半年ぶりに役員メンバー5名とケーキセットでティータイム。
この国の行方ではなく読書会の行方を語り合い、あとはペチャクチャと楽しいおしゃべり。やはり、読書を楽しみとされる人たちの話は私を退屈させない。
皆さんと別れたのが6時前。
私はもう少し時間をつぶして夫の車に便乗し、途中、外食して8時前に帰宅した。
posted by 優子 at 21:49| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

神さまからの励まし ―「希望の風」より―

祈りの友でありぺン仲間のブログ記事に奮起した!
筆者M姉は御茶ノ水聖書学院で講座を開いて教えておられ、礼拝説教にも用いられておられるライターである。
毎日、ペン仲間のブログを読ませて頂きながら励まされている私は、20日の記事からも大いなる励ましを受け取った。M姉(しまい)のお許しを得てここに掲載させて頂きたいと思う。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

8月20日(日) 礼拝説教から 勝利者イエスの励まし

7日目ごとに巡ってくる主の日(日曜日、礼拝の日)は、イエス・キリストを信ずる者にとっては待ち遠しいうれしい日です。
何十年と判で押したようにくり返していることですが、6日間の日常を後に、神の家である教会へ出かけるのは小さな旅のようです。

教会へ行くのが旅ではなく、日曜日の礼拝から6日間の旅に出発するとも言えましょう。
教会はたましいのふるさとです。こころの実家です。この家で生まれた者たち(教会員・兄弟姉妹)と会い、語らい、いっしょに座について、父(神さま)の話に耳を傾けるのです。父は無限の愛で迎え、汚れた衣服を脱がせて最上の衣を着せ、祝宴を設けてもてなしてくれます。

今日も慰めと励ましに満ちた父の話(礼拝説教)を聞きました。
聖書箇所はヨシュア記5章、エリコ攻略を前にしたイスラエルのニューリーダー・ヨシュアの前に、神さまがあらわれ、あなたの立っているところは聖なる場所だから、《あなたの足のはきものを抜げ》と命じ、戦いの総大将を買って出るくだりです。厳粛で身震いするようなシーンです。そして神自らが旗を振る戦いは勝利間違いないのです。

エリコは堅固な城壁に囲まれ、難攻不落の町として名をとどろかていました。そこへ戦いを挑まねばならない若きヨシュアは、勇敢な戦士であっても、胸中には幾ばくかの不安と恐れがあったにちがいありません。

神を信じつつも、勝利を確信しつつも、心の隙間から忍びよる疑いや不安に揺さぶられるのが人というものではないでしょうか。
今いるところが、今立っているところが受け入れがたく、時に逃げ出したい思いに駆られます。
神さまはそここそがともにおられる聖なる場所であるとささやかれます。苦しみ多き場所であればあるほど、はきものを脱いで私に任せなさいと言われるのです。なんと慰めに満ちたおことばでしょう。

このお方にお任せして、自己主張をやめて、自己を放棄して、勝利の主のおそばにいればいいのです。
そうしたいと願います。そうしようと決心します。今いるところを主います聖なるところとしてはきものを脱ぎますから、あなたの勝利で輝かせてください。あなたの栄光があらわれ、聖名が崇められるところとしてください。

『あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです』  ヨハネ16章33節

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私たちは何度も何度も試練に出くわす。
しかも今回は、長い年月をかけて練られてきたつもりが、全く同じ試練でここまで打ちのめされるのかと自分の弱さに気力が萎えてしまっていた。勿論、根本においては明らかに造り変えられていることは即座にわかった。

しかし、あまりに自己中心に生き続ける人たちを忍ぶことは至難である。
悔しい。怒りたい。しかし、言うまい。
彼らに左右されないようにと忍耐はできても、正直のところ情緒面でノックダウンしていた。
ノックアウトではないが悶々としていた1週間を過ごし、今、神の援軍により立ち上がらんとしている。私は主イエスからのメッセージであると受けとめた。

主に在る兄弟姉妹、私のためにも祈って下さいますようにお願いします。
posted by 優子 at 08:01| 引用文 | 更新情報をチェックする

2006年08月21日

名付けて「ダイヤモンドカット式」子育て法

ダイヤモンドは面の角を切っていくと美しい色が出て、カットの具合によって光り方が違い、カットが多いほど美しいということはよく知られています。
このことからヒントを得たのですが、私たちは自分の能力を開発しようとする時、「あれも、これも」と多くのものを獲得しようとします。

しかし、私の子育て法はダイヤモンドカットに似ています。
その子にとって一番大切なものを生かすために捨てる、カットしていくことがあります。
宝石デザイナーは、それぞれの宝石の持つ美しさを生かしてデザインするそうです。
宝石でさえそうであるなら人間ならば尚更のこと。
一人ひとりの良さを見つけ出して、それを伸ばしてやらなければと思います。

梅の木に桜の花は咲かないし、桜の木に梅の木は咲かないように、その子にしかない良さを引き出してやりたいものです。
   

      (PTA広報委員会 1992年2月29日発行
                 ふじとニュース37号より転載)

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

子育てを振り返ると反省することの方が多い。
これまでの経験をふまえてもう一度子育てができるならば、学習面においては書道とそろばんを習わせたいと思う。

ところで50歳を過ぎてから、この私流子育て法を我が身にも適用したいと思っている。
残り少なくなってきた人生を視野に入れた時、自分の最もやりたい事に焦点を合わせて、「あれも、これも」ではなくて大事のために小事を捨てていく段階に入ったと考えるからだ。

とは言うものの、私など「あれもこれも」やっているわけではない。
時たま自分の研究課題に集中できている時に、読書会で決められたテキストを読むのが負担になる程度だ。
そのような時は読まずに行くのだが、近年は読まずに出席することが多く今後の方向性を決めねばならないと思っている。

文学にしてもキリスト教文学を中心に読んでいきたいと思うし、小さなことで言えば、教養を高めたいという気持ちも大切だけれど読みたいものを読もう、英語で日常会話くらいは話せるようになりたいが英語よりも漢字を覚えたいと思うようになった。

読書会をやめることも考えているのだが、私はかなりの怠け者であるから読書会をやめてしまえば退廃していくのかもしれないし、神さまの導きを祈りながら賢い選択をしていきたいと願っている。


posted by 優子 at 08:35| 掲載文 | 更新情報をチェックする

3泊4日のワシントン旅行

16日の早朝にミネソタを発ち、お昼頃にワシントンに到着した二人。
モニュメント、ホワイトハウス、大蔵省、ホロコーストミュージアムなどワシントンD.C.の観光を楽しんだという速報を入手した。
全て歩いて回ったので疲れもしたが、とっても良い時間を過ごしたようである。

DSC00955.JPG


モニュメントの前で。
いつも手をつないでいる微笑ましいカップル。


DSC00977.JPG

リンカーン記念像の前で


今朝の7時15分頃、真智子が声をかけてきてくれた。
15分間ほどの短いチャットだったが開口一番に、「ワシントンはミネソタと違って魚料理があった!」と話してきたところに、ミネソタでの食生活の厳しさを感じた。

ワシントンは、「湿気があり日本に近い暑さだった」、「日本人が多かったので日本に帰ったようだった」とのこと。
二人のキャラクターゆえに友人の輪も広がり、かの地でも良き日々を過ごしているようで嬉しい。

また、「日本人の先輩にお寿司をご馳走になったよ。」と言い、アボガドやきゅうりなどを巻いた「カリフォルニア巻き」が一番好きだと話していた。
そう言えば肝心のIMFのことを聞かずにいたが、IMFの先輩なのだろうか・・・。

しかし、居ながらにしてこのようなことを話し、写真を見、またブログに公開できるなんて、東京間でさえ驚いていたのに、何千キロ離れたアメリカともできるのだから、改めてインターネットの威力に驚愕している。
それどころか、月と地球間でも可能なのだ!

インターネットの威力と言うより、神が人間に与えて下さった能力のすごさに驚異し、知識の拡大に伴って人間の成熟度を高めていかねばならないことを痛感する。

再び乾燥しているミネソタに戻った二人、幸いな住まいを与えられたので次なる仕事は引越しだろう。
posted by 優子 at 08:05| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年08月20日

子供は可能性の卵

モーツァルト君、これでは雑音だ。音符の数が多すぎる!
・・・『フィガロの結婚』の初演を耳にした皇帝フェルディナンドの感想。

君は決して大物にはなれないだろう。
・・・学校長が10歳のアインシュタインに語った言葉。

これらは何という見当違いの言葉でしょう。
このような的外れの言葉や評価は数限りなくあります。

発明王エジソンは子供の頃、薄ボンヤリに見え、小学校の先生から「こんなバカな子はいない。」と言われました。
また、今世紀最大の科学者アインシュタインは、成績にムラがあり外国語と歴史は大嫌い。大学の入学試験でも数学は非の打ちどころがなかったのですが、他の科目は全く駄目で不合格でした。
フランスの天才数学者ポアンカレも大学入試には失敗しています。

日本では「教育」という時、詰め込み、強制、辛いというイメージを受けますが、「教育」という言葉の語源はラテン語で「引き出す」という意味であり、それは単に能力開発ではなく、一人ひとりが個性的に自己の可能性を実現する事を意味します。

また、「学校」という言葉の語源がギリシャ語で「暇」という意味があることもよく知られていますが、それは人間が人間らしく成長するためには長い時間が必要であるということなのでしょう。

人は皆、一粒の種です。
ましてや子供は可能性がいっぱい詰まった卵です。
自分の可能性の限界も分からない私たちが、我が子といえども一個の独立した人格に可能性の限界をつけられるはずがありません。

私たちは子供たちの良き励まし手になって、子供の中に向上への意欲をこそ育ててあげたいものです。
    

 (東大阪市立藤戸小学校PTA広報委員会 1991年3月17日発行
                 ふじと27号より転載)

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の教育観の一端を書き記したものである。
時代は21世紀に移り、アインシュタインは「今世紀」ではなく「前世紀」、20世紀の天才であった。
posted by 優子 at 17:34| 掲載文 | 更新情報をチェックする

2006年08月19日

成長の足跡 ―娘の作文から―

31日に予定されている講演会の準備をしていると、幼かった時の娘の作文が目にとまった。全ての作文を取っているわけではないが、子供の感性に感動したものを身近に置いてある。

この作文は、真智子が小学校5年生の時に書いたものである。
31日の講演会では読書教育がテーマなので、その視点から私の教育論を語らせて頂こうと思っているので資料にピッタリの作文であろうかと思う。
子育て中にも何度かの機会を得て先生方と意見を交わしたことが懐かしく思い出される。


      いやないやな学校生活

学校がいやだ。
「発表しよう。教室はまちがう所だ」と言うけれど、
発言の言い方を「○、△、×」に言ってしまって、そんなことが言えるのだろうか。
そんなふうに先生に言われて発言する気になるかしら。

人それぞれ感じ方はちがう。
だからこそ出し合う。
算数の答えはただ一つ。
だけど国語の答えは色々あるのに先生に「ちがう!」と言われたらもういやだ。

もう先生にそ(染)められて平気な子もいる。
みんなは先生のロボットだ。
どうしてみんなは自分の意見を持たないの?
あなた達にはわからないかもしれない。だけど私には分かる。

この先生は班という単位がお好き。
発表数も全部班できょうそう。
みんなの顔はおに(鬼)のよう。
「なんでもいいからてきとうに言い。なんで手をあげへんの?」
「いま考えているから。」と言ったら、答えを教えてくる。

何でも形にはめられて、個人のよさが全ぜん出ない。
じゅぎょうも自分らしく聞けない。
しせい(姿勢)も大切だけれど、しせいばっかり気にしてたら聞く方がおるすになる。
あぁ、私らしく勉強したい。


あなたはどのような感想を持たれただろうか?

この先生は、発表者と同じ意見の人には「○」で、そうでない人には「×」、あるいは「△」のカードで示させたのである。
この頃の東大阪市内の学校では何でも「班活動」、「班競争」と言うほどに班単位での指導が主流だった。
このことは東大阪だけではなかったであろうと想像しているが、それが行き過ぎてその弊害まで出ていた。
今はどうなのか。また、香芝市の学校はどうなのかなど興味深く、今から会合が楽しみである。
posted by 優子 at 18:51| 教育 | 更新情報をチェックする

真理に立って生きる

  イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた。
  「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、
  あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。
  また真理を知るであろう。
  そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。」

              
              (ヨハネによる福音書 8章31・32節)

神と出会い、神と共に生きる生涯へと導かれたこと、これ以上の幸せはない。
しかしながら時には、いつまでたっても神さまの言葉が私の内に根を下ろしていないと自らを嘆き、主(イエスさま)を失望させるばかりの者である。
しかし私が嘆こうとも、ひとたび聖書を神の言葉と信じてイエスさまを受け入れた者、主が流して下さった血潮で贖(あがな)われた者は、責任を持って生涯の終わりまで導いていって下さるのだ。

神を信じてから私の内で顕著なことは、人を恐れなくなったということである。
神を畏れる者は神以外のものを畏れることも、恐れることもない。
また、私に刃を向ける人に対しても「よい人生を」と願えるようになっているということだ。
「罪を憎んで人を憎まず」というような感情である。
彼らの言動に痛めつけられた時も、彼らのために、私にとっては「敵」のために祈る心をも芽生えさせて頂いていることにも気がついた。

汝の敵を愛せよ。
人にはできないが、神にはなんでもできないことはない。」と言われた主。

だから私は主に依り頼んで進んで行こう。
一回限りの人生を無駄に生きたくはない。
地上生涯を終えて神さまと直にお会いできるその日まで励もうと思う。

posted by 優子 at 08:55| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2006年08月18日

神の前における自己

読書会で宗教戦争について話題になることがある。
読書を糧とする人々でさえ、「キリスト教やイスラム教の人たちは戦争するが、私たち日本人は宗教に寛容だから理解できない。」といった発言をされる。
しかしながらこれでは、自分には関係無しとする無責任な傍観者の考えではないだろうか。

なにも他国のことだからとか、宗教が違うからとかの意味で傍観者だと言っているのではない。
同じ人間である自分自身はどうなのかという視点がなければ、物事の本質は見えてこない。

聖書は、戦争の原因は人間の心の中にある欲望であると言っている。
少なくともキリスト教国と言われている米英国は、「汝の敵を愛せよ。」という最も大切なキリストの教えに反していることから、キリスト教国という栄誉を受ける資格はないであろう。
真理(神)の枠組みがあってこそ真の自由を得るのであり、それを外しては欲望の奴隷となり、自己破壊・社会崩壊に至ることは明白である。

個人であれ国家の問題であれ、愛することができなくても断じて武力を行使してはならないのだ。
人々が宗教戦争と呼ぶものは、「神の名」を利用した欲望の衝突であることに気づかなければならない。

国家間のことだけではなく我々自身にも同じことが言える。
と言うより、自分自身を見つめれば気づかされる。
私は自分の心が不自由を感じる時、自己中心的な考えに捕らわれていることが多い。
しかしまた、そのことに気づいても直ぐに素直な気持ちになるのは難しい時もある。

我々は人を許しても「あの時こうされた」と覚えているし、「あの時こうしてあげた」と、いつまでたってもどこまでも自己を立てようとする。これが人間の実相であり、我々の努力や修養ではどうすることもできない姿なのだ。
この頑なな心や自己の内面の醜さと闘っていく生き方こそが、「神の名」にふさわしい闘いであろう。

       (東大阪読書友の会会報 2004年4月発行
                   『かわちの』第52号より転載)



posted by 優子 at 14:46| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

「下には永遠の腕がある」

人生の行き詰まりや失意を経験することは幸せである。
その時こそ神の恵みと力を経験し、神が支えて下さっていることを実感できる時だからだ。

  「下には永遠の腕がある。
         
                (申命記 33章27節)

神さまが動かぬ愛の聖手をもって握りこんで下さり、守って下さり、導いて下るのだ。何という力強い励ましであろうか。
同じく25節には、
 
  「あなたの力はあなたの年と共に続くであろう。」と書かれてある。

文語訳聖書の言葉は一層我が魂に力強く迫る。

  「汝の力は、日々汝が求めるところに従わん。

主よ、感謝します。アーメン!

千里さん、昨日はお電話をありがとう。ご多忙な中、尊い時間を割いて頂きありがとう。
知子、ありがとう。
また、歩き始めたから安心してね(^−^)。
posted by 優子 at 07:24| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2006年08月17日

『癒されない心の祈り』より

        沈黙する勇気

                  石井錦一(1931年生まれ・牧師)

  神さま
  不当な苦しみや いわれなき中傷にあった時
  人は 何もかもすべてをぶちまけて
  語りつづけたいという思いにかられます
  とめどなく自己弁明し
  人の言動を非難し 恨みつらみを
  言うことができます
 
  けれども わめき叫びつづけているうちに
  どうすることもできない空しさを感じて
  何も言わない 言えない気持ちになるのです
  主イエスは あの十字架の上で
  「どうして私をお見捨てになるのですか」と
  苦悩に満ちた叫び声をあげられました

  しかし そこには 神の愛の痛ましいまでの
  沈黙がかくされていました
  主の誕生の時にも 母マリアの沈黙を
  「これらのことをすべて心に納めていた」と
  聖書には二度までも記しています
  父ヨセフについては一言も記されていません

  しかし 沈黙のうちに決断し 行動する
  ヨセフのたくましい沈黙は 心を打ちます
  深い温まりをもつマリアの沈黙と共に
  復活の事実を証しする「沈黙の墓」の真実を
  ただ信じることを教えられます

  私にも この世の苦しみに耐えて
  沈黙する勇気をあたえてください

   
posted by 優子 at 08:05| 引用文 | 更新情報をチェックする

2006年08月16日

終わりなき「靖国問題」に思うこと (後編)

他者との関わり方において私が心に留めていることは、先に述べた「群盲模象」の喩えとヘーゲルの弁証法である。

「弁証法」とは、「正」と「反」の二つの矛盾する概念の両者を生かしながら、一層高い段階で調和統一(「合」)することであり、「止揚」(しよう)、「Aufheben」(アウフヘーベン)と呼ばれている考え方である。
その「合」にまた「反」が現れて意見が対立するが、調和統一しながら上へ上へと進んでいく。

このように何かを決め合意を得るためには、お互いに意見を出し合い、お互いの最高の妥協点を見つけることが大切である。
そのためにはまず発言することから始まる。
その場合、「群盲模象」の喩えを心に留めておくことは大変に有益である。
発言するにも自己中心的な考え方であってはいけないし、他者の意見の聴き方としても、この教訓の訓練度は高い。
この2点は私の思考の中核に据えていることがらで、12年前の講演会でも語らせて頂いた。

「靖国問題」はまことに難しい問題であり、私は情緒的に語ることができても論理的に語る知識の持ち合わせもなく、連日のテレビを見ながらそんなことを考えていた。

他者の意見を聴く姿勢や自分が批判された時に如何に処すか、その時こそ人間の本質が現れるのである。
常に良き訓練の機会としたいものである。
posted by 優子 at 19:12| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

自転車も運べるアメリカのバス

DSC00907.JPG

太志君がバスに自転車を積んでいるところ。アメリカのバスは自転車も運んでくれるというから驚きだ。
それぞれに自転車を購入し、アメリカの生活に馴染んでいっているようだ。
若者は心が柔らかいので順応力も旺盛で励まされる。

posted by 優子 at 16:34| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年08月15日

この出来事も幸いなれ!

谷町9丁目のお寺さんが、何軒も回った最終6時頃に当家へ来られることになっているので、夕方から義母の家(義母とは2世帯住宅である)でお盆の交わりのために行っていた。
帰宅したのは11時頃、すぐに犬の散歩を短く夫婦で行った。

一日を終えた今、今朝早くに書いた記事を改めて肝に銘じている。
我が身に、私たち夫婦に衝撃的な出来事があったが、どんな時にも主に祈れる私は幸せだ。

どうか主が私の心を導いて、神の愛と忍耐とを持たせて下さいますように。
私の行いで周りの者が神を否定する事がありませんように。
かつて、苦しい大きな戦いに耐え抜いた頃のことを思い出して、今一度忍耐と寛容を身につけさせてください。
私に委ねられているものを守り通すことができますように、主よ私を強くして下さい。

わたしたちは、キリストの教えの初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。・・・・・・・・・
いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、また、神の良きみ言葉と、来たるべき世の力とを味わった
」のであるから。
 
posted by 優子 at 23:55| 随想 | 更新情報をチェックする

終わりなき「靖国問題」に思うこと (前編)

今日は終戦記念日。
それに先立って毎年の「靖国問題」論争。予想していた通り、小泉首相は今朝、靖国神社に参拝すると言うニュースがラジオから流れていた。

ブログで政治や社会問題については取り上げない方が懸命であると思っいるが、感じ考えていることを書かないならばブログの存在意味がなくなる。そもそも歴史や政治について知識がない私には語ろうにも語れないが、それ以上に人間の根源的な姿に関心がある。私はこれらの論争を聞きながら人間の真相、実相に関心が及ぶ。

議論を聴きながらしみじみ思うことは、人間は他者の意見を客観的に聴くことは至難で、他者の意見のみならず自分自身の姿さえ正当かつ客観的に見ることは至難であるということだ。それどころか究極的には、人間の見方はどうしても自分の主観ゆえに歪んでしか見ることができないように思っている。

そこで私の戒めとしていることの一つが、盲人象を撫でる」という喩えである。「群盲模象」(ぐんもうもぞう)と言われるこの喩えは、考えさせられるものがある。

10人の目の見えない人に象を触らせて、象はどのようなものかを聞いたところ、耳を触った人は「大きなウチワのようである」と言い、足を触った人は「大きな丸太のようなものだ」と言い、シッポを触った人は「ほうき(箒)のようだ」・・・とぞれぞれ自分の触ったところを話す。
ここまではいいのだが、自分の答えが正しいと思い込んでいるので喧嘩になってしまう。
この喩え話は、我々のやっているのはまさにこのようなものであると大変考えさせられるものである。

確かに、一人ひとりの言っている事は象を叙述しているのだけれど、「私の触ったところは」という一言が足りないのだ。
このことを心に留めているか否かで物事の見え方が大きく違ってくる。

その次に大切なことは百家争鳴になっては行けないということであり、意見が対立した時いかに対処していくか、続きは別の機会にゆずりたい。


戦争が終わって61年。
戦争経験者が「この道はいつか来た道」と警鐘を鳴らす人々も多い。
日本は何処へ行こうとしているか。日本の行方を見守っていきたいと思う。

posted by 優子 at 07:40| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2006年08月14日

ひっそりしたお盆休み

今年は娘たち2人共が居ない寂しいお盆休みである。
知子の結婚記念誌『感謝と祈り』の最終ページに記載した「今後の予定」によれば、今頃は実家に滞在しながら家探しに奔走中のはずだったが、薬の卸業という仕事柄、一般の人々のようにお盆休みは無くて帰省は25日になるらしい。

昨日は年に一度の両親の墓参に行った。

母が入院した時から、お盆休みやお正月など実家の家族との再会は病室になった。
続いて父の時を経て、そして、父が召されてからは墓地が待ち合わせの場所になった。
お寺の境内に入った時、昨日ほど懐かしい気持ちになったのは初めてだった。悲嘆のプロセスは完了しているので、涙を誘うような感情は全くなかったが、元気だった両親と一緒に来ていた頃のことを思い出していた。
父はよく笑いながら「僕はこのあたりやなあ」と、霊標を示して死後に自分の名前が刻まれる場所を言っていた。
そんなことを言っていた頃には、そんな日はまだまだ100年200年先のことのように思っていたのに、もう6年も前に名前を刻まれてしまうなんて・・・・。

このあと兄と3人で食事をし、子供達の結婚式の写真を兄に渡した。
楽しく懐かしい時間だった。

そのあと香芝チャーチに向かい、3時からの礼拝にちょうど間に合った。
この日は福野牧師が来られていた。
福野先生は知子たちの結婚式後まもなく中国へ宣教に出かけられていたので、お目にかかってお礼を申し上げるのは初めてだった。

この夜、真智子たちの結婚式のビデオを見たが、たった2ヶ月前のことだったとは思えなかった。
続いて、太志君が撮ってくれた知子たちの結婚式のビデオを見た。

娘たちが私たちへ感謝の言葉を述べてくれている時のシーンでは2人とも爆笑した。
私は娘の語りかけに応じて首を振っているのに対して、夫は首をやや左へ傾けたまま不動、固まってしまっている。表情がない夫の姿に大笑いした。

私 「あの時、どんな気持ちやったの?」
夫 「神妙に聞いててん。」
私 「胸に熱く感じてたん?」
夫 「ただ聞いてただけ。」
私 「涙は出そうになかった?」
夫 「いや、もうちょっとというところやったなあ。」
私 「どっちの方が涙が出そうになった?」
夫 「真智やなあ。知子は笑ってたからなあ。」

真智、惜しかったね!
この人の涙を見たかったのに!

2人の生活になって2週間余り、早々から私たちに会話はない。
夫が仕事を終えて帰って来ると、
「おかえりなさ〜〜い!今日は何かあった?何かしゃべって!!」という決まり文句でお出迎え。
夫は「何にも無い」と、30年変わらずこのように言って来た。
休みの時は、朝昼晩に「何かしゃべって!」と言う私。
まさしく新婚当初にもどった私たちである。

posted by 優子 at 21:32| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2006年08月12日

日本ではお盆休み

一方、こちらは今日から16日までお盆休みである。
今朝は涼しいうちにと6時半頃家を出て、車で20分ほどの所、叡福寺(えいふくじ)にある藤本の墓参に行った。

勿論、クリスチャンである私は親と言えども亡くなった人を拝むことはしない。
どんなに立派な人物だったとしても人間に祈ることはしない。たとえキリストの聖母と言われるマリアであろうと、ペテロやパウロでも例外はない。
祈るお方は、まことの神さまだけである。
心を込めてお墓の掃除をしたあと、私は墓前で神さまを讃え感謝の祈りを捧げた。

「今日は大勢で来てくれておじいちゃんが喜んでいる」と穏やかに語った義母。総勢7名であったが、関屋へ越してきた頃には考えられなかったほど一人ひとりが変えられてきている。
先のことも一切を神さまにお任せして私は常に心安らかに過ごしている。
明日は服部緑地公園(大阪)にある昭徳寺で兄と待ち合わせている。
そこに竹内家のお墓がある。

posted by 優子 at 16:23| 随想 | 更新情報をチェックする

真智子たちの住居が見つかった!

かなりのストレスに耐えていた太志&真智子カップルに道が開かれた。

6日に日本を発った2人は、到着した翌日の7日(現地日時)には銀行口座を開設するというタフさを見せつつも、とにかく食事には辟易していた。
田舎町の国分にもあるサンドイッチの店「サブウェイ」さえも、本場の味はイマイチ。幸い、中華料理の店を見つけて何とか生存を続けているという状態である。
それぞれに携帯電話を持ち、自転車も購入し、これはと思う家物件があれば電話をかけ続ける努力をし、「今日は現物を見て回る」と言っていた。

先ほど吉報が入った!
「今日」、即ち我々からすれば昨日11日のこと、「家が見つかったよ!」という知らせ。
しかも、最高の条件だ。
大学から歩いて15分の近さ。ガスコンロは4つあり、冷蔵庫もついていて光熱費込みで月額620ドル。
しかも、大阪生まれの大阪育ちの娘の手腕を発揮したところアメリカ人にも通用し、590ドルに値引きしてもらったというからスゴ腕である。

真智子は学者にしておくのがもったいない。
営業にも向いている。
そう言えば就職活動している時、大学3回生の3月末早々に内定をもらった大手銀行の総合職。その集まりで副頭取りが「うちの行員に話し方を教えてやってほしいよ。」と言われたこともあったよね。

話は横道にそれたが、しかもである。
その家主さんご夫妻はすこぶる良き人々のようである。
ご主人は弁護士とのことだが、太志君の促しで念のために大学の法律サービス機関へ契約書をチェックしてもらいに行ったところ、そこの弁護士さんからも家主の彼は信頼できる弁護士だとお墨付きを頂いた。人品骨柄第一印象は間違っていないであろう。

現在、家は改装中で真智子たちが入る時にはきれいになっているらしい。
家が見つかったとしてもどこも9月1日からしか入居できないと嘆いていたのに、ワシントンD.C.から帰って来る19日頃には改装も終わっているから入居OKだという。

物件先を訪ねた時、内装業者の人と家主の奥さんが居られ、夫人といろいろ話しているうちに”I like you."(私はあなたが気に入った)の連発。
「ここは赤く塗ろうと思うんだけれど、あなたは何色がいい?マチコの好みに合わせたいわ。」というほど気に入られようだ。

"I really want you to live here."と何度も言って下さる奥さんだそうである。
この出会いに深い意味があるのだろうか。
主(神)のご計画を期待したくなるほど気持ちが強められている。

「友達も増えて、とっても良い状況になってるよ。」とチャットからも真智子の明るさが伝わっていた。
まだ1週間にもならないのにたいしたものだ。
surviveされたし!

住所が決まれば「結婚しました」カードを作って発送と次々と大変ね(笑)。
これからも主の導きがあらんことを祈りつつ。
posted by 優子 at 16:13| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年08月11日

死別の悲しみは癒やされていた

 知子殿

青い空に白い雲が暑そうに汗をかいているみたい
また暑い夏の訪れです。
知子も学校で元気に頑張っているとの事 何よりです。

おじいちゃんも頭の毛が薄くなっただけ暑さを感じます。
でも夏は大好き。
汗をかいて人生を感じます。
生きているということでしょうね。

知子の元気そうな笑顔を思い浮かべ乍ら
おじいちゃんも頑張ります。
では また   さようなら


知子、覚えていますか?
ママでさえすっかり忘れていました。
これはね、知子が中学2年生、1991年6月27日(木)におじいちゃんが書いてくてた手紙です。
昼食後、何気なく『親ばと子ばと新聞』をめくっていたら171号に目が止まりました。

6月27日、小学校の創立記念日で休みの真智子と2人で実家へ行った。妹もかわいい盛りの真理ちゃんと共に来た。
5時間ほどの交わりで、特に父とは昼食の僅かな時を共に過ごしただけだったが、その時の笑顔は今も鮮明に残っている。

知子と真智子は心身ともに健やかに育ち、勉学もしっかり頑張っていることを話した。
父は子供達に品物代わりにとお小遣いをくれた。
この日、会えなかった知子には言葉を添えて、忙しい父は知子への想いを走り書きの手紙に託してくれた。
お父さん、ありがとう。
知子の人生の宝物がまた一つふえた。
このような愛の中で人は人らしく育っていくのだと思う。


これがその時のお手紙です。

今日は町内会の集会所で100歳で亡くなられたお婆さんの葬儀を手伝っていた。
晩年の10年間は関屋病院に入っておられたが、100才のご生涯ということで粗供養と共にめおと(夫婦)の長寿箸を頂戴した。
読経の中、私は受付の椅子に座ったまま天空を見つめていた。

   われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
   われらのよわいは70年にすぎません。
   あるいは健やかであっても80年でしょう。
        ・
        ・
   われらにおのが日を数えることを教えて、
   知恵の心を得させてください。

            
                (詩篇 90篇9〜12節)

私は蝉の声だけを聞いていた。

   悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。
   死はすべての人の終わりだからである。
   生きている者は、これを心にとめる。
   悲しみは笑いにまさる。
   顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。
   賢い者の心は悲しみの家にあり、
   愚かな者の心は楽しみの家にある。
 
            
                (伝道の書 7章2〜4節)

と、聖書の言葉を繰り返していた。

そういえば、父が亡くなったのも真夏だった。
8月8日だったから、葬儀は10日だったのかもしれない。
100才の母を見送る71歳の娘さんも泣いておられた。
71歳まで親の居る人もいるんだと羨ましくもあったが、私はもう2度と再び、親と死別の悲しみを味わわなくていいんだと自分に言っていた。

今日は母と父の悲しみは蘇らなかった。
それでもやはり、冒頭の父の手紙に目が止まったのは父への思慕だったのだろう。
父が逝って6度目の夏である。
posted by 優子 at 14:44| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2006年08月10日

気になる北越製紙のゆくえ

「北越製紙 日本製紙と提携」

毎朝夫が見ている5時45分からの経済ニュース。
今朝のトップの見出しを見た私は驚いて、即、夫に伝令した。
「エエッ?!」と、既に朝食を終えてギックリ腰の痛みに耐えつつ歯磨きしていた夫も驚きの声を上げた。
合併ではなく提携だと聞き直し、一息ついてテレビの前に戻って来た。

長女の結婚式の翌日だったか、翌々日だったか覚えていないが、北越製紙の合併問題で業界に激震が走った。代理店関係者にも突然の直下型地震だった。
長女の結婚式数日前の7月19日、夫の東京出張はテレビの画面に何度も登場されている王子製紙の社長就任披露パーティーだったが、王子製紙は北越製紙との敵対関係にあるわけだ。

娘たちの結婚式に来て下さっていた某会社の支店長初め多くの人々には、夜が明けて事態が一変している現実に驚きを隠せなかったことであろう。

私も昨年2月、北越製紙の三輪社長とお目にかかって親しくお話させて頂いている。
30年近くも前から続けられている親睦のための関西北越会。
長年のお誘いにも関わらず出不精ゆえに御辞退し続けていたが、夫よりも周りの方が強く引っ張り出して下さって昨年初めて参加させて頂いた。
各社ご夫人方からも「デビューですね」と歓迎して頂きお仲間に入れて頂いたところだが、せっかくデビューしたのに北越会がなくなるとすれば残念だ。

その時御目文字した北越製紙の三輪社長は、とても気品あるジェントルマンと拝察。この時にも他社との合併問題が浮上していたが、「北越製紙はどことも合併しません。」と語気を強めて語られたスピーチはたいへん印象深い。

20世紀末から時代が大きく動き、経済界も合併再編の時代である。
製紙業界においてもメーカー、代理店、そして、美濃紙業のような卸しと、それぞれのセクションで合併吸収という現代の下克上を思わせる厳しい時代に在る。
卸業の経営者にとっても他人事ではなく、厳しい年月を過ごしている。
歴史や文化史の知識があればいろんなことを感じ考えられただろうに、それができない。私は何も見えないもどかしさを感じている。

来月再び北越会で三輪社長とお目にかかるが、その時はどのような決着を見ることになっているのだろうか。
陰ながら賢い選択がなされるようにと祈っている。
posted by 優子 at 09:21| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2006年08月09日

同志社同窓会報より 1985年に想いを馳せる

同志社同窓会報25号(1985年8月1日発行)に掲載されている若かりし頃の妹の文章に、私は54歳になった今も魂が躍動する。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

海外だより
 
      南太平洋の楽園 西サモアより


4月某日、ニューヨークの国連開発計画本部でプログラミングに関するセミナーに出席したあと、大阪の自宅で1週間の休暇をとり、5月1日、南太平洋は西サモアの首都アピアに戻ってから、乾季にもかかわらず、当地は例年になく雨が降り続いています。

英文豪サマセット・モームの「雨」の舞台は、ここから飛行機で30分程のアメリカ領東サモアで、時に激しく、時に弱く、間断なく降り続く雨の様子は、その小説によく描かれていると思います。

西サモアは1962年に南太平洋で初めての独立国で、現在も旧宗主国のニュージーランドを初め、日本やオーストラリアからたくさんの援助を受けています。
国連からも農業、漁業を初め、電信電話、金融関係に至るまで、様々な技術援助を受けていますが、人々の生活が物質的に近代西欧化されるスピードよりも、それに附随する問題を増やすスピードの方が、より大きいのではないかという気がしてなりません。

例えば、援助でトラック1台搬入されても、それを整備する人間は日本のボランティアグループの1〜2人しかいないし、部品を注文するのに何ヶ月もかかったりするという状況です。
日本政府が寄付した「タウタイ・サモア」という中型漁船も寄付されてから1年後には浸水の為のエンジン破損で、何千万ものお金が新しいエンジン取り付けに必要となるという具合です。

独立以来23年、英語を国語と採用し、西欧の近代文明を摂取しようとする努力にもかかわらず、私たち日本人が明治以来、本格的に富国産業を始めた頃の技術レベルとは比べものにならない程の高い技術で、現代世界の政治経済、コミュニケーションはこの小さな国(鳥取県くらいの国土で人口16万人)をも巻き込み、維持しようとしています。

発展途上国は「自助努力」をもっとしなければいけないという議論を聞く時、食物の豊富な南太平洋の島々に白人が入り込むまでは自給自足で独立独行であったことを覚えていなければいけないと思います。
サモア人に人工衛星のプロジェクトの効用を理解せよというのは、赤ちゃんにマイクロコンピューターを与えて、その価値を尋ねるようなものです。

それでも、国連開発計画の活動が、あらゆる人種、国籍の若いエネルギーを注ぎこみ、あらゆる国際経済、金融上の問題を抱えながら、試行錯誤してゆく過程に私が参加することができて、本当に大きな意義と感動を覚えます。
    
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは妹が30歳くらいの時のことである。
同志社からサモアまで原稿依頼があったということを記憶している。

サモアは最貧国の一つとは言え、食べ物は豊富な国だ。
しかし、水道の設備もあるものの水道から出てくる水は濁っており物まで混入している始末。

従って炊事での切り傷さえおろそかにはできず、破傷風の恐れがあるために手当てが必要となるのだが、そのことがまた翌日のラジオで放送され一挙手一投足注目される存在だった。
とにかく赴任していた時は、妹はサモアの有名人であったという。
毎日のニュースで、大統領の次に国連やその職員のことが報じられていたというから驚いたものだ。

あれから20年。
今も世界のあらゆる所で、あらゆる国の数え切れぬ人々が労しておられる。
しかも今では開発途上国の援助よりも、人間の愚かさのために四苦八苦し人類は混迷を深める一方である。
国内においても、あらゆる領域で何から手をつけてよいかも分からぬ状況であるが、だからこそ一人ひとりの生き方こそが大切であろう。

何か大きなことはできなくても、自分の置かれた所でそれぞれの良さを活かして自分の務めを果たしていく、このこと以外に正解は見出せない。
国を動かすような大きなことであれ、どんな仕事も一つひとつ全てが地味で忍耐の要ることなのだ。

posted by 優子 at 12:19| 引用文 | 更新情報をチェックする

2006年08月08日

ミネソタとスカイプしたよ!!!

民生委員会から疲れきって帰宅したのが4時前、何となくパソコンを開けるとメールが4つも入っていた。
まず、節子姉のメールを開けると飛び上がるような嬉しいメールだった。私への温かいお言葉に涙しながら読み始め、次には喜びの声を上げた。
ご主人の手術の傷口も癒され、今日は術後初シャワーですって!
良かったですね!
おめでとうございます!
抗がん剤投与が必要とのことですが、私は神さまに感謝と信頼の祈りを続けます。
そして何よりも驚いたのは、術前の祈りにおいてご主人様が神さまを受け入れなさっていたなんて!!
感謝です!!
ギデオンの聖書の最後の告白を復唱されたところって、ここですよね!

私は神の御前に罪人であり、主イエス・キリストは私の罪のために十字架にかかって死んで下さった事、及び私を義とせんがために復活して下さった事を信じ、キリストを私の個人的な救い主として受け入れることを、いまここに告白いたします。

これを節子姉のあとについて復唱されたのですね。
ハレルヤ!
私から「おめでとう」の聖書の言葉を贈ります。

よくよくあなたがたに言っておく。
 わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、
永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているの
である。

          (ヨハネ伝 5章24節)

節子姉のメールで疲れが吹っ飛び、次に長女からのメールを開けた。
ようやくパソコンが繋がったのだ。
そこにも慰めと励ましの言葉が書かれてあり、娘は結婚したけれど私の娘に違いないんだと喜んでいたところだった。

と、その時、太志君がオンラインになった。

大急ぎでチャットで声をかけた。
「今、そちらは真夜中の2時15分ではないの?」
「さすが!」
と言ってくれたものの寝ないとダメじゃない!

直ぐにスカイプに切り替えて太志君と真智子と3人で話した。
まるで東京に居た時と同じだ。
大学からパスワードももらったけれど、SEの太志君が居たからこそワイヤレスでも繋げることができたらしい。

時差ぼけもないとのこと。
というのは、東大でも朝まで頑張ってレポートを出してから夜まで寝ていたことも度々だったので平気だそうだ。
4月に一度、大学の様子を見に来ていたことがストレスフルにならずにすんでいるらしい。
食べ物 最悪!」と早々から言っている2人。
お気の毒!

私はすごく元気になった。
神さまってすごいな。もうだめかな・・・と思った時に、友からメールを頂いたし、娘たちともパソコンが開通したし、一回目の大危機から救われた。
こうなれば私も明日からライフワーク再開だ!
1回きりではなく、来年も招いて頂けるような講演内容を考えようっと!

節子姉、ご主人のお祈りにも力が入ります。
また教会でね。ありがとう!
posted by 優子 at 17:33| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

日常生活に戻る

今日は民生委員会がある。
9月の敬老の日にむけて寝たきりの御老人へのプレゼント作りもあり、朝の9時過ぎから一日仕事である。

31日には読書教育に関する講師としての出番もある。そろそろ準備に取り掛からねばならない。
10月には花園図書館で豊中の読書会との交歓読書会も控えている。図書館長や講師の先生との準備もあるからボヤボヤしてはいられない。

東京からの帰り道、ガラッとした近鉄電車の中で力なくボンヤリと座っていた。
力が抜けたように元気が出ないのは何故だろう。
決してバーンアウトした(燃え尽きた)わけではない。
それとは違う。
それよりも何か取り残されたような気持ちがしていた。そして、親としての責任を果たしたという安堵感もあった。
いろいろ自分の気持ちを探りながらそんなことを考えていた。

そしてわかったことは、要するに、これまでの4人の生活は2度と再び戻ってこないという寂しさだった。
これからは子供達がこの家に訪れたとしても、「何日泊まっていけるの?」というわけで、一緒の家庭、同じ我が家だったのに、ここはもう「泊まる」所に変わったということだ。
力が抜けた原因はそのことだと納得した。
寂しい限りである。

しかし、子育ては成功したのである。

娘達よ、2人の生活を大切にね。
新婚時代の数年間は特に周辺への配慮もほどほどにして自分達の生活を創り上げてほしいと思う。
その点、外国へ行ってしまった真智子たちは気楽な人生でもある(笑)。

時計が8時を打った。
さて、重い気持ちを奮い立たせて出かける用意をしよう・・・・。
posted by 優子 at 08:01| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年08月07日

アメリカへ無事着陸

真智子たちは無事に到着したようである。
飛行機事故もテロのニュースもなく主に感謝した。

大学院での指導教官であったブラウン先生がミネソタ大学に来ておられたそうだが、入れ違いでお目にかかれないと言っていた。
パソコンは大学で直ぐに使えるらしいが、メールが来るのは少し落ち着いてからだから1週間後くらいになるだろう。
日本ではお盆休みの来週15日16日は、米国の首都、ワシントンD.C.にあるIMFの本部へ出向き小切手を受取りに行くとのことだ。

IMFから給付を受けるのは真智子だけだが、配偶者にもホテル代は出るので彼の飛行機代だけ実費で一緒に遠出する2人。
向こうへ行っても休憩なしのスケジュールである。
7月の終わりから数学が始まっているらしいが、いいのかな?余裕の2人である。

飛行機を降りた時から外人の世界。いや、そこでは君達が外人だ。
英語、英語でゾッーとする。
でも夫婦一緒だから日本語を話せていいよね。

まあ、気楽にね!
今は7日朝の8時半、もう起きた? 昨日は眠れた?

      Good luck on your study!!! (^0^)

posted by 優子 at 21:32| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

不安定な我が心

ミネソタ州との時差は14時間。
今、朝の8時48分だから、向こうは日曜日の夜6時48分、日本時間より2時間引いて半日前というわけだ。

乗り継ぎのロスで3時間待ち、それからまだ5時間の飛行と言うのだからアメリカは広い。
ようやく今、ミネアポリスに到着する頃だろう。
空港からタクシーも予約済みとのこと。
最低の荷物で行ったとは言え、大きなスーツケースを2つとキャリーバッグ。
手荷物はパソコンの詰まった重いリュックを背負っての旅立ちだった。

私の妹が西サモアに赴任した時は、包丁からまな板まで揃えて別便で多くの荷物を送ったが、今回もダンボール一つ分の送料が3万円ほどするため、真智子たちは一つだけ別便に託したものの最低必需品だけを携えて旅立った。

しかも真冬はマイナス40度にもなるというミネソタだ。こちらで用意した防寒着も、かの地ではスプリングコート程度だというから役に立たない。
しかし行き先は消費大国、日本同様に物が溢れたアメリカである。しかも2人一緒だから心強い。

真智子たちもこれから家探しをしなければならないが、大学が用意しているテンポラリーハウジング(”temporary housing”、一時的に借りる臨時の住まい)を3日間予約していると昨日聞いた。
従ってその間に捜さなければいけないのであるが、妹のような国連の専門職員としての赴任であっても、住宅さえ到着してから自分で探さなければならなかったのだから、今改めて妹の強さを知った。

赴任地は国連が指定している最貧国の一つであり、文化の違いもアメリカとの比ではない。しかも全てを女性一人でやらなければならなかったのだ。
そのような状況での見送りをした両親の想いもまた、私たちの比ではなかったことを思い知らされている。

まだ20年ほど前のことなのに、父も母も全てを経験し、成し終えて、とっくに生涯を終えてしまっている。

たった1日、家を空けただけでも・・・・・私がお願いしたことは何も守ってくれなかった夫。
犬がいるからと玄関も縁側も開けたまま外出する始末。
いつまでたっても彼は私の気持ちを心に留めてはくれないのだ。
洗濯機を3回まわして干し終えたものの、疲れと生活に大きな変化のある今はこんなことさえ耐え難い。
posted by 優子 at 09:01| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年08月06日

真智子、伴侶と共に日本を飛び立つ !

私の主たる関心事は時に応じて変化してきたが、好奇心に基づくという点では共通している。

小学校の頃には宿題さえも忘れて飛び回っていた私だが、中学生の頃から学校で新しいこと学ぶこと、一生懸命になって考えることが面白くなった。

大学で経済学を学ぶことを決めたのは、日本史から人間の群像が見えた時であった。高校生だった私は、時代を遡っても共通する人間の姿や経済に強い興味を抱いたのである。

そして、本校の経済学部に入学し、経済学に没頭する日々を送り今に至るのである。

この卒業論文の作成中、私は大学卒業後も経済学を続けることを決心した。研究職についての厳しい就職状況を覚悟した上での果敢なる挑戦である。

動植物を見つけては夢中になり、遊びを考えては友達と駆け回っていた頃と同様の好奇心が、「童心」が騒いだためである。
 

2人を見送ったあと、これが私の耳に真智子の声で聞こえていた。
そして、結婚式に寄せて贈ってくださった神戸大学の指導教官のメッセージを思い出していた。

彼女は神戸大学経済学部で学業が一番の六甲台賞と、論文が一番の最優秀論文賞の両者を獲得した、神戸大学経済学部ではダントツの学生でした。

これは前人未踏の業績で、今年も含め彼女だけが得た、神戸大学では燦然と輝く業績です。しかも、2番に大きな差を持ったずば抜けて1番の学業成績を修めました。

彼女は経済学部のみならず、理学部にも数学の勉強に通っており、授業後も熱心に教師に質問に行き、彼女の努力家たるや並はずれており超優秀な学生でした。

東京大学大学院においても自分を磨ききった真智子。
一つだけ勘違いの解答を書いたために失敗して「良」があったと思うが、見事なほど全てに「優」を並べていた。
そして今日、新しい挑戦をするために次の夢に向かって飛び立った。
こんどは生涯を共にする伴侶と共に!

いよいよ出国ゲートの前に来た。
これより先は一緒に入って行けない。
真智子を抱きしめた私は涙がボロボロ流れた。
真智子は涙をこらえていた。
もし私の家族に囲まれていたら、あんなに簡単に涙は止まらなかっただろうと思う。

今度再会する時には、離れていた間の経験を語り合おうね!
真智子、大志君。
いってらっしゃ〜〜〜〜〜い!!


お父さん、お母さん、26年間、本当に有難うございました。
今日からは太志さんと二人で信頼しあい、協力しあって、明るくあたたかい家庭を築いていこうと思います。

8月からはミネソタ大学に移り、新しい生活を始めますが、2人で支え合いながら一生懸命頑張ります。

アメリカは遠く離れてしまうようで寂しいけれど、お互い、寂しさを吹き飛ばすぐらい充実した日々を報告するつもりです。                  
                      真智子

2013年8月22日追記:
冒頭に掲げた文章は大学卒業論文「あとがき」より抜粋。
論文は"神戸大学経済学部ホームページ・「最優秀卒業論文賞受賞者」"の平成14年度に公開されている。



posted by 優子 at 22:16| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年08月05日

主と共にそれぞれの季節を生きる

家田さんが病床に就かれて4ヶ月半になる。
急性期の危機から脱し、その後の回復力は目を見張るものがあったが、今は遅々とした日々を過ごしておられるから介護するご夫人と共に慰めと希望が必要だ。

今日は今から東京の多摩へ向かう。
今夜はお言葉に甘えて家田さん宅に泊めて頂くことになっている。(成田さんからも快くお誘いを受け感謝しています。)
洋子さん(夫人)と良き時を過ごす事ができますように。
新幹線ではエックハルトの『神の慰めの書』を読むべくバッグに収めた。

そして、明日は成田さんたちにお昼前に八重洲中央口でひらってもらい、共に成田空港へ向かう。
真智子は東京ではすっかり成田さんご一家にお世話になったことだろう。

長女と次女の婚家先のご両家の上に主の豊かな祝福がありますように。

真智子たちはいよいよ明日出発だ。
今回は直行便が取れずロスで乗り継ぐことになる。
あらゆる危険から守られて無事に目的地に到着することができるように祈ろう。
7月28日、自宅を出る前に真智子を抱きしめなかった心残りがあったから、空港でこの胸にもう一度強く抱きしめよう。

【旅程】
ノースウエスト航空 NW002便
2006/08/06 15:45   東京 (成田国際空港) 出発
2006/08/06 09:45  ロサンゼルス (ロサンゼルス国際
            空港)到着

ノースウエスト航空 NW576便
2006/08/06 12:15  ロサンゼルス (ロサンゼルス国際
             空港)出発
2006/08/06 17:52  ミネアポリス (ミネアポリスセント
             ポール国際空港) 到着


真智子と太志君。
睡眠時間を惜しんではいけないよ!
睡眠不足ではいい仕事ができないからね。頭の動きが鈍り想像力も働かなくなる。

私の考えでは理数系においても、その根本にリベラルアーツが備わっていないと真の能力は発揮できないと確信している。
何事をするにも学者もまた例外ではなく、それを成す人の世界観いかんにより研究成果が決定されることを私は疑わない。
だから座標軸を神に定めて大いに研究に打ち込んで下さい。
常に心を正して神さまと共にね!
学者としても、きっと驚異のひらめきへと導いて下さっていることと確信しています。
成田夫妻でノーベル賞も夢ではないよ!

病むに時があり、癒されるに時があり、悲しむに時があり、笑うに時がある。
人は皆、それぞれの人生の段階を生き、今の私はしばしの平穏な日々を許されている。
しかし私もまた、母や父の介護に通う10年間はアップアップの状態だった。
治らない病人を介護するのはとても辛く、私は小さなことにも活力を見出して通り抜けてきたように思う。
今日は叔母が来てくれる、今日は千里さんが来てくれる・・・と。
また、病院で知り合った人との語らい、電車の中で見た見ず知らずの人の笑顔・・・そんな小さなことに慰め励まされて乗り越えた日々だった。
相手の人柄も見えるようにもなった。
今度は私が慰め手とならせて頂きたい、主に在って。
目指す多摩丘陵病院へ無事に行き着くことができますように。

夫は今朝も出社した。
美濃紙業では祭日のある週の土曜日は半日業務を行うようになっており、今日は知子の結婚式の日と振り替えての出社である。
今日は夫の分まで元気をお届けし、明日は夫の分まで真智子を見送ってきたいと思う。

千里さん、メールとお祈りをありがとう。
posted by 優子 at 08:08| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2006年08月03日

恩師の愛に励まされて

小学校1・2年生の担任の先生から真智子と私たち夫婦宛に写真集が届いた。
先生手作りのもので結婚式当日の写真を写真屋さん仕上げのように作られていて見事と言うほかはない。
現役時代に培われたパソコン技術は相当なものだ。

しかも、先生から教え子へという温かいお気持ちが溢れていて、真智子が発つ寂しさを覚えている私は大きな励ましを受けた。
今春、40年間の教職生活を終えられた先生は、ご自身のライフワークである華道や絵画の世界でもご活躍されていてとてもお忙しい中、真智子の出発に間に合わせて作って下さったのだ。

ここで告白!
本当ならばここで頂戴したポートレイトを写真でお見せしたいところだが、実は技術習得ならずであった。
結婚に際して娘達に最新のデジカメを買ってやり、私は今まで真智子が使っていたものを譲り受けることにして張り切っていたが、このパソコンが最新ということと、譲り受けたデジカメが6〜8年くらい前の旧品であるため取り入れられないということで断念した。
しかし、この3月まで使っていたパソコンもウインドゥズXEだったけれど、簡単にできていたというのに残念だ。

そんなわけで7月27日の夜遅くから教えてもらったことは、スカイプのビデオ設定の仕方と受け方のみ。
スカイプ自体の設定法も時間切れになって自ら諦めたのだった。

幸せな真智子。
このような尊いご愛をいっぱい受けて人は一人前に成長していくのだろう。
私も寂しくなった時は先生を思い出し、そして、当日集まって下さった方々や多くの友人知人を思い出して元気を出そうと思う。

6日には是非共、先生の心づくしのアルバムを真智子に持って行ってやろう。
それと、今朝の掃除で見つけた米ドルで500ドル。
これはきっと、真智子が6年前に1ヶ月間ヒューストンへ行った時の残金だろう。
無駄にならずによかった!
posted by 優子 at 14:53| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

真智子たち、出国まであと3日

真智子たちの出発日も迫って来た。

昨日は朝から大学で休学手続きをして、人と会い、必要な買い物、銀行での手続きなど多くの用事をこなした真智子と大志君。

「マクロTA(ティーチングアシスタント)としての仕事(採点、点数記録、解答作成、返却)も無事終えました。何かと間に合っている感じです。順調。」と、短いメールをくれていた。

TAと言えば、昨年度の大学院生の評価による「トップTA賞」も受賞した。
解り易い授業展開と質問に対する的確な応答が評価されたのではないかと私は想像しているが、その最後の仕事もやり終えたのだ。

日本に居るのはあと3日。
6日の午後、飛行機が飛び立つ。
私は心の中で「成田から成田が行く」と笑っていたけれど、やはり寂しさが募ってくる。
posted by 優子 at 07:54| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年08月02日

過剰適応しないでゆっくりね

我が家が2人と1匹になって5日目を迎えた。
先月26日の朝のことだったと思う。
目覚めると同時に「子供達はもういなくなった」と寝とぼけながらつぶやき、次の瞬間、「アッ、まだ真智子がいる!!」と大喜びで飛び起きたことだった。
そして、28日のお昼前に真智子も東京へ発った。

以来、朝と夜が最も辛かった。
夜半にトイレへ行く時と朝起きた時に見える空っぽになった二つのベッド。
犬の散歩を兼ねて毎日、知子を見送り迎えに行っていた駅までの道も辛かった。
時には寂しさが急に胸を突き上げてきて涙したこともあり、用事の合間にボヤーっとしていたことがよくあった。

ところがである。
すでに慣れてきているから人間の順応力はすごいと思う。
しかし、順応していくことは素晴しいけれど、過剰適応しないようにと思う。
寂しい時は寂しい。その寂しさもまた今しか味わえぬことだからごまかさないでいたい。
いずれ今の時も最高に懐かしい思い出のページになることだろう。

そして、私たち夫婦はわかったのだ!
結婚したことが寂しいのではなくて、離れるのが寂しいのだということを!
「娘が結婚しても、歩いて行ける所くらいに住むとすれば寂しくないよね。」と夫と納得し合ったのだ。

真智子も成田のご両親にとても良くしていただき、昨夜はスカイプでお義母さんともお話した。
「娘がいないから娘ができたみたいで嬉しいんです。」と、男の子ばかり3人を育てられたお義母さんが仰った。
真智子は嫁という意識が希薄で、お義母さんにすっかり甘えさせていただいているようだ。

土曜日の上京についても成田さん、家田さん双方からお招きを受けている。
本当に感謝します。
真智子にも会えるのなら忘れ物はないかと、昨日は千駄木から送られてきたダンボールを全部開封し整理完了させたよ。

この数日間、私でさえションボリしてボヤーっと座り込んでいたことがあるのだから、苛酷な状況の家田さんはどんなに辛いことだろう。
お義母さんの心身もどんなにお疲れになっているだろうかと、知子に話しながら私は声を詰まらせた。



posted by 優子 at 10:27| 随想 | 更新情報をチェックする