2006年11月29日

「あしたづ」脱稿

「あしたづ」への投稿文は、「私にとって書くということ」と題して書いた。
11月末締め切りで、毎年12月半ば頃に初校が送られてくる。「あしたづ」の校正は2校目まで執筆者がすることになっているからありがたい。

私の場合は原稿用紙に書いて出す場合でも、ゲラ刷りが上がってきても印刷屋さんの植字ミスよりも、こちらの訂正加筆による初稿(一回目の校正)となる。「あしたづ」へは初めて投稿した5年前からデータで提出するので、尚のこと殆どがこちらの訂正ばかりである。

そして、年があけて1月後半に2校目、3校目は2月に入って編集委員たちだけで目を通す。私も去年から編集委員になっているので、3校目も自分でできるのでありがたい。
そして、2月20日頃に発行される。その時はすぐにブログ上に転載したい。今から楽しみだ。

原稿はほぼ書き上げているが、締め切りの時間がある限り手放せず、いいかげんに「良し」としなければキリがない。
何度も読み直していると、そのうち日本語が分からなくなってくる。特に助詞の使い方。主語と述語が一致しない文章になってしまったりする。
もう止めようと決心した。

アッ?!
もう止めようもなにも、明日が締め切りではないか。
時々、このような驚きに驚く。頭はどうなっているんだろう。
疲れた頭でも今から最終チェックして、明朝、夫に頼まなくてはならない。送付している時間がなくなってしまったので、直接、商大事務局まで持っていってもらうことになった。
と言うより、最初から当てにしていたところもある。

夫は今日、東京へ出張していた。
チャッピーと一緒に駅まで迎えに行った。
「四谷駅前に上智大学があった」というのが今日の発見だったらしい。
真智子のいない東京出張は少し寂しそう。
自分からは殆ど話してこない夫に、こちらからいろいろ話しかけながら歩いた。
「真智との待合せは、本郷駅辺りが一番多かった」。
今日は、「こっちへ行ったら千駄木か・・・」と思って見ていたそうだ。
「真智がいないと寂しかった?」
「ちょっとな」
と、かなり寂しそうな表情をした。
3年間の東京帰りはいつも夜遅かったが、今日は7時過ぎに帰って来た。
posted by 優子 at 23:34| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年11月28日

サムエル・ウルマンの『青春』より

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
時には、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異にひかれる心、幼子のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。

君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷に閉ざされる時、20歳であろうと人は老いる。
頭(こうべ)を高く上げ、希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。



さあ、頭を上げて、これからも事物や思想・真理に対する関心と探究心を燃え上がらせ、より高きものに向って励もう!
一日一日を大切に。
知子、ありがとう!
posted by 優子 at 18:11| 引用文 | 更新情報をチェックする

2006年11月27日

地に落ちる時は神が支えつつ、共に落ちてくれる

操作ミスのために27日の記事(羽鳥明牧師のラジオメッセージ 勇気ある生き方―新島襄―)まで消してしまった。
『あしたづ』の原稿さえ未完成であり、それを改めて打つには長いため別のものにした。

機関紙『朝祷』(2006年8月1日 第943号)より

   一羽の雀は1アサリオンで売られているではないか。
   しかし、そのうちの一羽すらも、
   あなたたちの父(神)なしに地上に落ちることはない。

            
           マタイによる福音書(10章29節)

これは岩波書店の新約聖書翻訳委員会訳です。その脚注に、
「地に落ちる時は神が支えつつ、共に落ちてくれる、の意。『父なしに』を殆ど全ての訳は、『父のお許しがなければ』(新共同訳)などに敷衍(意味を広げる=編者注)しているが、あらずもがなである。」
とあるのを初めて読んだ時、私は本当に嬉しかったのです。

私も、それ以前に知っていた「父のお許しがなければ」という訳から、「全てを厳格に司る神」という印象を受けていたように思います。

しかし岩波版によって、雀一羽に示される神の憐れみを見て、それまで神に対して感じていた距離が縮まりました。
         〈略)
雀一羽の側をも離れない神は、すさんだ霊的状態にあった私を支えつつ、共に暗闇の中に居てくださったと思います。

今後もどのような道を歩くことになるかわかりませんが、いつも憐れみの神に信頼することができますように。



「1アサリオン」とは、ローマの青銅貨である。
「1アサリオン」は、一日の労働賃金に相当する「1デナリオン」の16分の1に当たるから、今で言えば500円くらいになるのだろうが、100円くらいの感覚ではなかっただろうかと思う。

以上、励ましを受けた記事を引用し、28日の21時46分に再構築した。
posted by 優子 at 21:46| 引用文 | 更新情報をチェックする

2006年11月26日

全てを守られて一週間の責務を果たす

今朝は7時からキリスト教番組『ライフライン』を通して主(神)の前に静まり、祈りのあと、8時前に義母のところへ今日のことを打ち合わせに行き、9時から近くの親族たちと総勢9名で義父のお墓参り。
いよいよ6日目最終日は義父の3回忌の法事から始まった。
お寺さんは11時半かと思っていたら11時に来られ、知子たち夫婦は5分遅れで到着。

12時前、会食に出かけるみんなを見送り、私はお茶づけを流し込んで商大へ向かう。
到着したのは1時半。サークル代表者による活動報告が今や始まらんとするところ、滑り込みセーフ!
私の出番は4番目だったので一息ついた。

発表内容は昨夜遅くと今朝の合間で仕上げた。
ブログの記事から必要な部分を切りとって、話の流れを考えながらセロテープでツギハギしたものだ。書き直している時間はなかった。不真面目で不本意ながら、ブログと言うのはありがたい。
もう1ヶ月前以上のことであっても、一度書いたものだから記憶は蘇ってくる。当然のことながら、読書会直後のあの時に印象深かったことや感動したエッセンスを書いたものであるから使えるのだ。
今回は10分間ほどの持ち時間だから内容的にはこれで良しと、自分なりに納得して壇上に上がった。
今日もいい経験をさせて頂いた。緊張したが、盛んに活動していた頃が懐かしかった。


そう言えば10月18日(カテゴリの『読書会関係』)の記事にある通り、今回は代表者だけではなく何人かの方達で発表しようと思っていたが、会員全員が都合が悪く欠席のためにこのようになった。

そして、ハッとした。
お寺さんは11時となっていた(汗)。
娘への連絡ミスは私だと分かっていたが、いつから私の勘違いが起こったのだろうか。とにかくブログはすごい!!

まだあった(あえて強調することもないが)。
今日の昼食について、義母は簡単にお寿司でも取って家でするということになっていた。義母が決めていたので私もそのつもりで心準備していたら、いつしか義弟の嫁の意見で変更、19日に知って驚いたが、このようなことも相談のないことも毎度のことで慣れっこになってしまっているが・・・・。

話題を戻そう。
昨日は新聞を見て遠路、姫路から来て下さった人もいたことを聞いてびっくりした。二日間の催しは大盛況に終わった。
後片付けを終えて、7人で小阪駅近くのお店で鍋を囲んで打ち上げをした。
楽しかった!
実に楽しかった!
上記のような日常だから、心ある人々との交わりはまことに生きている喜びを感じる。
東大阪市の文化発展のために具体的な話で盛り上がり、この人たちは何か大きなことをやりそうと胸をわくわくさせて聞いていた。いつかテレビでも紹介されるかもしれないようなことを!わーい(嬉しい顔)

娘の体のことも気になり明日を待ちきれずに電話すると、二人は無事に帰宅し娘も元気そうだった。主が共に居てくださって、それぞれの務めを果たすことができた。(心から主に感謝!)

さて、『あしたづ』の原稿締め切りまであと4日、クリスチャンペンクラブからも今月中に800字の原稿依頼を受けている。
私の本務中の本務だから熱心に祈り求めて完了したい。


最後に、たった今届いた井野宣教師のメールマガジン(NO,20 -2006,11,26-)より

この日曜日は教会暦に於いては一番暗い日曜日。
そして来週の日曜から待降節(アドベント)が始まります。
待降節はイエスさまの訪れを待ち望む時期。この真っ暗な地上に第1アドベントから第4アドベントまでろうそくの光が1本ずつ増えていき、段々と明るさが増していきます。暗いドイツにいると、「イエスさまが世の光である」という事が実感として体感できます。


お忙しいのに教会の帰りに商大へ立ち寄ってくださった千里さん、ありがとう!
慰めと励ましをいただきました。
打ち上げをした人々、地に住む善良な人々に神の祝福が届きますように!
posted by 優子 at 22:09| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2006年11月25日

「サークルの集い」大盛況!・・・あと一日も祈りつつ

今朝は商大に8時集合のために7時に家を出た。
幸運にも今日は美濃紙業も半日勤めがあるため夫の車に同乗して到着。

23日の朝日新聞と読売新聞に今日明日の催しの案内が掲載されていて、新聞を見て遠くから来られた方も多く、今日は朝日新聞が取材にも来て下さっていた。
明日は共同通信社が来られるとのこと。記者クラブに連絡してくださった役員さん方に感謝である。

念願の郷土料理「ジャコ豆」を試食し、石臼でコーヒーを挽かせてもらって賞味もさせていただき大満足!
最初は教えていただいたとおりにコーヒー豆を5〜6粒ずつ入れて挽くのを楽しんでいたが、そのうちにじれったくなりたくさんの豆を入れて大失敗。
そういったしんぎくさい(ゆっくりする)ことを味わうことが目的であるのに、インスタン文化に慣れきってしまった現代人のしそうなことだ。私と同じことをしていた人もいた(笑)。

「東大阪で80年」と題するハウス食品の加藤氏の講演会も大盛況で、140名近くのかたが参集された。
お話の中で興味深かったのは、ハウスさんでは18年前から「さん付け運動」をスタートし、「横のつながりを重視して風通しのいい組織に」という理念で、部長にも社長にも「○○さん」と呼び合っているという。

かなり以前のことであるが、同僚弁護士同士で「先生」と呼び合うのは滑稽だというので、「センセー呼称廃止運動」が話題になったことがある。
日本人は「センセー」と呼びたがるし呼ばれたがる人種だと思っているが、会社で役職名を呼ばないというのは奇妙な感じがした。


ハウスさんからの豪華なお土産をいただいたからではないが、地元のハウス食品に一層の親近感をもった。

今朝の会場設定後、22日の午後に気合いを入れて書いた読書会の展示ポスター(?)を掲示したもののお粗末で申し訳ない。

明日は義父の3回忌の法事と重なり、お寺さんが帰られたら大急ぎで家を出なければならない。
午後1時半から活動報告があり舞台に上がって発表する出番まである。内容は10月18日の読書交歓会のことと決めているものの、全く何も考えていないから今日のブログも走り書きで終えよう。

長女たちは今日の午後、谷口家の家庭集会で恵まれ、お一人おひとりに祈っていただいたことだけ短く電話で聞いた。
明日の法事には長女夫婦も来るので娘の体調が心配である。今が最も大切な時だけに、主よ、どうかお守りください。
会食の時は居てやれないので、新人の婿と親族への取次ぎや心配りは夫に委ねよう。
イエスさまが共に居てくださっているから思い煩わないでいよう。

夫は会社を終えた午後から私との同行を選び、夕方まで商大で共に過ごし一緒に帰って来た。

一日一日特別に祈りつつ過ごしてきた多忙でストレスフルな1週間の務めも明日が最終だ。
新しい週の初め、明朝は礼拝を捧げられずともそのところで神を礼拝しよう。
主よ、明日もまた最後まで私と共に居てください。
posted by 優子 at 22:08| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2006年11月24日

真智子夫婦 クリスマスに帰国

アメリカでは23日は「サンクスギビングデー(感謝祭)」で祝日だった。
「七面鳥の代わりに買った鶏肉の丸焼きもおいしかったよ」と、今朝、真智子がチャットで声をかけてきてくれた。

帰国便のチケットもとれ、24日にアメリカを発ち25日に関空着。飛行機
新年2日までここに滞在して後半は夫の実家に滞在、そして、1月9日に再び成田から成田夫妻がアメリカへ向う予定だ(笑)。


実は21日に婿のお母さんから届いた長女へのおめでとうメールで、「スカイプで年末年始の予定を聞きました。チケットが取れたとの事。」と、私たちが知らないことが書かれてあったので、驚きと共に一瞬ではあったが嫉妬を感じた。
これも人間の実相であるとはいえ醜い自分の姿を悔い改め、真智子も忙しくてウッカリしているのだろうと直ぐに気を取り直したのだった。
今朝のチャットで聞いてみると、いつだったか私と短くチャットした時はチケットを捜していた頃で、その直後に航空券が取れたために連絡済みだと勘違いしていたらしい。

さてさて嬉しいが年末どころではなくなるなぁ、どのようにしてやればいいんだろうか、知子の家にも連れて行ってやりたいし、日々の献立は・・と、私はチャットしながら頭の中は迎え入れ対策(?)が交錯していた。

それに、今度という今度こそ、デジカメからパソコンに写真を取り込む方法を教わらないと!
ほかに聞いておくことはないか。
迎える準備と共に質問事項もまとめておかなければと、嬉しく忙しい時期の到来である。(^−^)

折りしも12月3日からアドベント(待降節)に入る。

「アドベント」とは、クリスマスの4週間前の日曜日から始まり、救い主イエスを待ち望みつつクリスマスの準備をする期間である。

教会では、今年ならば1週目の12月3日に1本のロウソクが灯され、10日には2本、17日は3本、そして24日の礼拝では4本のロウソクが灯される。
4本揃った時のロウソクの長さはそれぞれ違っているわけである。

「アドベント」は、ラテン語の”Adventus”「来臨」の意味で「待降節、降臨節」と邦訳されている。

クリスマスに向って私達自身の心をこそ備えていきたいものである。









posted by 優子 at 11:31| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年11月23日

「地の塩」として地域社会に仕えたい

今日は香芝市の社会福祉協議会と福祉課主宰による「障がい児・者ふれあいの集い」に朝早くから出かけていた。
福祉センターの庭ではテントが張られ、たい焼き、みたらし団子、おでん、カレーライス、そして、焼きそばが売られ、おでんは昨日、社協の人たちが作っておいてくださったとのことだ。
これらの模擬店は社協さんと民生委員が担当した。

センターの中では喫茶コーナーのほか、障害者の方たちが作ったパンや野菜・・などが売られていた。
今回初めて参加した私は、障害者とのふれあいを中心に、お楽しみコーナーのスーパーボールすくいの係だった。

今日もたくさんの新しい感動があった。
特に「盲人卓球」には驚いた。
ボールの中に鈴のようなものが入っていて、その音をたよりに卓球するのである。本来の卓球と違うところは、卓球台の上を転がせるので台から5センチくらい離してネットが張られている。
私もやらせていただいたが、目を閉じてするとなると全くできなかった。それを目の見えない方が上手にされるので驚いた。

また、「手でさわる布の絵本や地図」にも感動した。
香芝市の市民図書館では常置されているので何度も見せていただいていたが、それらは幼児の絵本かと思っていた。ところが、点字のプラスチック板も縫い付けてあった。
時間をかけて布で絵を描いていくという、ボランティアたちの地道な愛労によるものである。

「手作りコーナー」では、婦人達が子供や若者に寄り添って一対一で教えておられ、その光景はなんとも麗しく心和む雰囲気が満ちていた。懐かしい子供の頃にタイムスリップしたようだった。

「スーパーボールすくい」の番をしている時、これまでにも何度か障害者の施設でご一緒した重度の心身障害の女の子がお母さんと共に来られた。
その子は10代後半くらいだろうか、寝たきり状態で、移動する時はリクライニングの車椅子である。
お母さんがスーパーボールを始めた瞬間だった。子供さんの異常に気がついた私はお母さんに知らせた。痙攣発作を起こされたのだ。

お母さんはその子の胸を優しくトントンしながら、「大丈夫、大丈夫やで。しんどいなぁ。」と言葉をかけられ、まもなく痙攣発作はおさまった。
「いつもこうなんですよ」と、お母さんは落ち着いて言われたが、初めて見た私はどうなることかと思った。

どんなにたいへんな日々をすごしておられることだろうか。
「よかったね。こんなに優しいお母さんがいてよかったね。神さまにお祈りしていますからね」
と、子供さんに話しかけていた時、お母さんが涙ぐまれた。

私たちクリスチャン(教会)が「奉仕をする」と言う場合、教会内のことを指すことが多いが、私は常々教会の外にこそもっと奉仕することを忘れてはいけないと思っている。

私自身の優先順位やその意味を考えながらも、やはり今も地域や郷土の文化活動に労することが多く、教会でのご奉仕ができていないことを心苦しく思う時もある。
しかし、文書伝道の使命をより明確にされてからは、その賜物を磨く使命も与っていることに気づかされ、日々の務めの次には本を読んだり書いたりすることを優先するように心は定められた。
それぞれが分担し合う。目的は一つである。
あれもこれもとなれば私には体力がなく、何よりも忙しすぎたり疲れすぎては良き働きができなくなるので、自分の限界をよく知って励むようになった。

今日の御用を通して地域の人びとの心を慰め、支えになりたいと改めて思った。
教会外に対してこそが私の持ち場であるという思いは強い。
教会に行ってみたいという人が起こされるように、教会と社会のパイプ役が私の使命であると受け止めている。

  
  「あなたがたは、地の塩です。・・・・
   あなたがたは、世の光です。・・・」


キリストの言葉を深く心に刻んで、これからも触れ合う全ての人々に仕えていきたいと願っている。

今日出会った人々、特に障害を負うておられるあの方、この方の上に、そのご家族の上に神さまの恵みが豊かにありますように。


posted by 優子 at 20:45| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年11月22日

全てのことに神を認める

25日の土曜日は楽しみにしていた谷口家の家庭集会だが、私は読書会関係の『サークルの集い』にどうしても出席せねばならない。
幸いにして娘達夫婦は谷口さん宅まで車で20分ほどで、娘夫婦が家庭集会に集えることを主に感謝している。
確かに神さまは責任を持って導いていかれるのだ。

娘が谷口先生に妊娠したことをお伝えした時、
「あなた方の結婚そのものが、主が結ばれた結婚だと物語っています。私も見せてもらいました。
結婚だけではなく、次々にあなたにみ業(わざ)を現していかれる主は凄い!」
と、主をほめたたえられた。

と言うのは、母が生から死へ移されていく頃、娘は一時期生理が止まっていたのだ。
母が召される1週間位前(?)のことだったと思うが、私は病院に寝泊りした夜半、廊下ですれ違った心療内科医に相談したことがあった。

神経内科病棟の続きに心療内科病棟があり、患者さんの話から聞き知っていただけであったが、私は初対面の医師に個人的にお尋ねしたのだった。

母がまもなく召されようとしている頃に娘の危機的状況を察知し、私も無我夢中だった。

医師は次のように仰った。
娘が「悩みをお母さんに話しているから心療内科に受診しなくても大丈夫。そのような子は力があるから自分で解決策を見つけていくだろう」。
母の死を前にして我が娘のことをどうすることもできない私は、とにかく、この医師の言葉で支えられた。

そして、医師がそのとき話されたことは、生理がない原因を探るためには、まず婦人科で血液検査の必要があると教えていただいていたので、母が召された直後から国立大阪病院の門をくぐったのであった。

その1年後からは胃のぼうまん感を訴え、少食すぎて注意するほどなのにドンドン体重が増えていくなど、何年間も奇妙な症状に苦しみ続けた。
消化器内科を受診し胃カメラの検査をしても正常で、医学書にもないような不定愁訴が続いた。
ようやく生理が戻ってきたが、医師は排卵していないだろうから子供はできないだろうと言われた。しかし不思議なことに悲観性な私が、このことだけは全く動じなかった。10年前のことだが、以来今まで不安因子にもならなかった。

とにかく、このような不健康な娘だっただけに私達は結婚後順調な妊娠に驚喜したのだ。
今、同じようなことで悩んでおられるなら、いや、どんなことで悩んでおられようとも大丈夫!
神さまは私たちにとって最善を成してくださることを信じて生きていけばいいのだ。子供に恵まれることも最善ならば、恵まれないことも最善だと信じて生きる者に変えられていく。
どんなこともその信仰をいただくまでには、多くの苦しみや葛藤、涙がある。
しかし、必ずそこに到らせて下さることを信じられるから、これからも大丈夫なのだ!


娘は谷口先生との電話で、新たに感じ始めていた思い煩いも打ち明けた。
父となる夫と共に祈って子を産み、クリスチャンホームを築くこと。その為に自分の信仰を強め、どう伝えていけばいいか。ただ目を閉じて訳もわからず黙って聞いているのではなく、同じ信仰を持って一緒に祈っていきたい。一緒に聖書も読みたい。『イエスの生涯』のDVDを見て話したりするが、それは教材にすぎないし・・・という焦りだ。

そんな娘に谷口先生は語って下さった。
「焦るのは間違いよ。
ルツのところを去年読んだでしょう?ことがどうされるかをただ祈って待てと。
なぜなら、主が結ばれた結婚だからです。
あなたは神によって立てられた。もう彼が救われることについては大安心しておけばいい。

それがクリスチャン同志とは違う結婚の凄さですよ。

一人の魂は全世界の何よりも勝るとある通り、知ちゃんが彼に対して主から指名されたのだから、神さまが責任を持って導いてくださるのです。

赤ちゃんや幼児に対して言葉で何を言っても伝わらない時、親は陰で祈るよね。それと同じ。
早く、今、今と思うけれど、今は父としての責任感も出てきている彼に対し何も伝道しなくてもいい。
知ちゃんの姿や家庭集会の雰囲気に触れて長年かけて感じていくのだからね。

自分が彼をクリスチャンにするのではない。
神様っていうのは、本当に気が長いよ〜!!
私たちは急ぎたくなるけど、陰で祈っていれば、あなたが何をしなくても主が動かれるときが必ず来る。
待っていればいい。安心して普通に過ごしていなさいね。


先生を通して主のお言葉を聴いた娘に平安が戻った。
実は私こそが間違った焦りを感じて、その思いを娘に伝えた私の愚かさが原因したように思う。
25日は夫だけでも集会の恵みに与れるように熱心に祈ろうと私も気づかされた。夫だけでもと誘ったけれど、私が行けないからと自分の都合に合わせて、簡単に諦めていたことを悔い改めた。
posted by 優子 at 17:49| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2006年11月21日

いのちを育む

神戸のパルモア病院は、三宅廉小児科医師がキリスト教信仰に立って、聖書の「善きサマリア人」の教えを実践するために情熱を傾けて設立された、日本で初めての周産期医療病院である。
周産期医療病院とは、産婦人科と小児科の壁を取り除き、お互いに緊密に提携して妊娠・出産・育児に関わっていく医療を提供してくれる病院である。

三宅廉師は1989年に天に帰られたが、『いのちを育む』の中で今もこのように語っておられる。

「たしかに胎内では完全閉鎖のゆりかごといえる子宮という密室で、しかも厚くベールに包まれ、中では温度は快適、外界からは何の変化も受けない。
それに全く無菌的というから、これほど恵まれた天国はない。
そこで一個の受精卵から胎児が育つのであるが、決して小さな細胞のかたまりではない。

一個の人格であり、はかり知れぬ未来を秘め、すばらしい可能性と多様性をもつ人間なのである。
そして必ず両親から約2万の遺伝子を受け、そのためにこの世に二つとない独自性とユニークさともつ傑作品なのである。」


長女は18日の土曜日に総合病院を受診し、分娩予約も済ませてきたという。
私が身ごもった時は信仰もなく、神様の深い愛も真理も知らずにいたから、娘が神の御手の中で愛を感じながら妊娠期間を過ごせることが嬉しくてならない。この気持ちを何と表現すればよいのだろうか。

娘の胎内で神のみわざがなされているのだ。
世代を超えて神の恵みが流されていく。娘を通して恵みが胎の子だけにではなく、子の父にも流れていく。

神に祈れる生涯であること、これ以上の祝福された生涯はない。
posted by 優子 at 10:46| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2006年11月20日

おじいちゃんよりともちゃんへ

      バースディ    S.53.11.19.
                    三 郎

 
ともちゃんね ともちゃんね
今日は ともちゃんの バースディ
しっかり たっちも できました 
長いまつげと まんまるおめめ
いつも にっこり 可愛い子

   ともちゃんね ともちゃんね
   今日は ともちゃんの バースディ
   もうすぐ幼稚園に通います
   白いはんけち おむねにとめて 
   いつも 元気な 可愛い子 

ともちゃんね ともちゃんね
今日は ともちゃんの バースディ
けうから うれしい 一年生に
白組 赤靴 元気にはいて
いつも やさしい 可愛い子

   知ちゃんね 知ちゃんね
   今日は 知子の バースディ
   中学 女子大 大きくなって 
   春風 希望に 青い空
   いつも 幸せ 可愛い子

知ちゃんね 知ちゃんね
今日は 知子の バースディ
こんなに 大きく なりました
 人のこころの とおとさや
 人のおかげを 知りました
パパ ママ 本当に有難う
パパ ママ 本当に有難う
 ほんとうに
 ほんとうに ありがとう
  


  知子へ
  昭和53年11月19日
  ちいちゃな恋人 ちいちゃなブランコ 等
  作詩予定が お仕事が忙しくて 出来ませんでした
         竹内のおじいちゃんより 


知子が一歳の誕生日に作ってくれた父の詩である。
知子と真智子に贈ってくれた詩や手紙は、何よりも高価で尊い宝物として残っている。

昨夜、叔母からの電話で知子のおめでたを伝えたら、
「優ちゃんがおばあちゃんになるなんて!」
と何度も驚いて喜んでくれた。叔母は母より2歳年下の妹である。息子や娘は結婚したが孫はいない。

「お母さんとお父さんが生きてたらどんなに喜んでくれたやろなぁ。今時80歳や81歳やったら、まだまだ元気やもんなぁ。」と、私が感じていた同じ心情を共有してくれたことが嬉しくもあった。

知子は両親にとって初孫で、父が53歳、母は52歳でおじいさんとおばあさんになった。
父の詩にも今までとは違った感慨を覚える。
posted by 優子 at 09:20| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2006年11月19日

29年前の今日、私は母になった

昭和52年11月11日 出産予定日 全くその兆候なし
11月18日 午前4時 破水する
11月19日 午前2時37分 女児出産


長女の育児日記1ページ目の記録である。
日記は出産後4ヶ月半も経ってから書き始めており、それまでのことはひかえていたメモを書写した程度である。

この日の明け方、トイレから出てきて和室に入ったところ、突然に勢いよく洗面器をひっくり返したように破水し、畳の上は湯気がたっていた。
急いで病院へ電話した。破水すると菌が入るのでシャワーを使わないで直ぐに来るように言われた。
いざとなれば覚悟が定まり恐れはなかった。

ちょうど前夜から泊まりに来てくれていた夫と共に病院へ向った。
夫は8時頃には会社へ行き、そのあと母が来てくれたが、陣痛が弱くて困った。夕食後再び両親が来てくれたが、面会時間が終わっても生まれない。
助産婦さんは母に帰るように言ったが、廊下でずっと待って居てくれた。母がすぐ傍に居てくれることでどんなに心強かったことか。
私は母の姿を思いながら陣痛に耐えるのだが、夜中の12時になっても「赤ちゃんが動いているからまだ時間がかかる」と言われて嘆いた。

そして、ついに生まれた。
母は直ぐに父に知らせ、父は藤本の義母に知らせてくれた。この日は会社の慰安旅行で夫は白浜温泉へ出かけていた。そんな時代だったのだろうか。妻が陣痛室に入っているというのに旅行に行くなんて!

「赤ちゃんも見せてもらったよ。元気な赤ちゃんで、大きな声で泣いたから男の子かと思った」と、母の表情は喜びで充満していた。母から知らせを聞いた父は、「感謝が溢れ、喜びの鐘が町から町へと鳴り響いているようだった」と言っていた。

29年前の今日、私は母になり、父と母はおじいちゃん、おばあちゃんになった。
posted by 優子 at 09:35| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2006年11月18日

長女懐妊 奇しい神のみわざ 

主よ。あなた(神)は私を探り、
私を知っておられます。
あなたこそは私のすわるのも、
立つのも知っておられ、
私の思いを遠くから読み取られます。
あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、
私の道をことごとく知っておられます。
ことばが私の舌にのぼる前に、
なんと主よ、
あなたはそれをことごとく知っておられます。
あなたは前からうしろから私を取り囲み、
御手を私の上に置かれました。

そのような知識は私にとって
あまりにも不思議、
あまりにも高くて、及びもつきません。

    (略)

それはあなた(神)が私の内臓を造り、
母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
私は感謝します。
あなたは私に、奇しいことをなさって
恐ろしいほどです。
私のたましいは、それをよく知っています。
私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、
私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ、
あなたの書物にすべてが、書き記されました。
わたしのために作られた日々が、
しかも、その一日もないうちに。


詩篇139篇のダビデの讃歌が私の心深くに届く。
神さまがどんな時もいつも私に目を注いで下さり、見守っていて下さっていることを知って生きられるとは、何という恵み、何と心強いことであろうか。

長女の胎に新しいいのちが与えられた。 
13日の夜の電話で、娘は父親に代わってほしいと言った。
娘は私にではなく父親に第一報を伝えたかったのだ。受話器から娘の声が漏れ聞こえていたので、私も夫と同時に大喜びの歓声を上げた。
私だけではなく、結婚式でもついに涙しなかった夫の目頭もうるんでいた。
その時は6週目ということだった。

娘たちが母親と父親になろうとしているのだ。
話の中で気になっているのは、下腹に突っ張り感があると言っているので、子宮の収縮ではないかと心配している。

神さま、危険から守って下さい。
私もまた一切を主に委ねて過ごしていくことができますように。
心配やストレスが赤ちゃんの成長を妨げることがありませんように、娘の心身を守りみわざを成して下さい。

どうか今こそ婿が神に感謝することができますように、神に祈らせて下さい!娘にももっと祈らせてください。
親になろうとしている二人を導いて下さい。
胎の中でみわざを成してくださっている間に、二人もまた神さまからの贈り物を抱くにふさわしい者に造り変えて下さい。

赤ちゃんを迎える日まで二人が共に祈り、神様のお守りがあることを確信して、安心して過ごしていくことができますようにお導き下さい。
大きな喜びをお与え下さっていることを感謝します。
尊い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン。
posted by 優子 at 17:33| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

子供の魂に刻むみことば

    私の子供達へ (ドロシー・ロー・ノルト)

批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。

敵意に満ちた中で育った子は、誰とでも戦います。

ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります。

ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気を持ちます。

心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。

励ましを受けて育った子は、自信を持ちます。

褒められる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。

公明正大な中で育った子は、正義心を持ちます。

思いやりの中で育った子は、信仰心を持ちます。

人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大切にします。

仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。



1990年のベストセラーになった『アメリカインディアンの教え』(ニッポン放送出版)より引用したものである。
2014年春追記:これは「アメリカインディアンの教え」ではなく、「子は親の鏡」というドロシー・ロー・ノルトの詩だ。
2003年9月に出版された『子どもが育つ魔法の言葉』の冒頭に「誤解された」と記されており、特に最後の言葉は次のように正されている。
「和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる」。


ある本にある次のような記事も目にとまった。

先日、小学校1年生の子供が幼児を殺す事件がありました。
それを聞いた時、教会学校へ来ている一人の子供が、とっさに「だれの命だと思っているんだ。神様の命だって知らないから殺すんだ」と言ったのを聞きました。
創造主であるまことの神様を信じる世界観、人生観を学んでいる者は、そのような反応をします。


聖書には次のような箇所がある。

あなたがたは、わたしのことばを心とたましいに刻みつけ、・・・・・それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。
あなたが家に座っているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、それを唱えるように。


             (申命記 11章18・19節)

私達は子供に「いじめをしてはいけない」と言う。
知的に教えることは簡単である。しかし、子供は我々がしていることを真似るのである。
良識ある者はいじめこそしないかもしれないが、人と摩擦が起こらないように、あるいは好かれたいために状況によってコロコロと変身する。
神を畏れず人を恐れて生きる生き方だ。
自分を育てることもせずに年齢を重ねている人のなんと多いことか。
一人ひとりが自分の心に問うべきであり、お互いを批判し合っている時ではない。
人を批判できる者は誰もいないのだから。


posted by 優子 at 17:32| 教育 | 更新情報をチェックする

2006年11月16日

盲導犬の育て方に学ぶ

盲導犬は生後1年あまりの間、犬好きの温かい家庭で大切にされて育てられる。その間に人との信頼関係が育まれ、この時期の育てられ方が盲導犬になれるか否かを決定すると言われている。

「おすわり」、「進みなさい」などの訓練は生後1年2ヶ月頃から始まり、日本語ではなく英語を使うのは、英語には男性と女性言葉がないからである。

まず、「服従訓練」から始まり、次に「誘導訓練」、そして最も大切な「利口な不服従の訓練」へと移っていく。
これは危険な時は従わないというものである。

犬には信号がわからないため、盲人が周囲の状況から判断する。
しかし、盲人が「Go(ゴー・行きなさい)」と言っても、車が来たりして危険な時は従わないという高等な訓練である。

このあたりは、人間の教育にも言えることではないだろうか。何事も盲従するのではなく、主体性をもって生きていく。
唯々諾々と従っていくべきことと、そうではないものとを見分けることのできる人間に育て上げなければならないことと同じである。


そして、最終段階の盲人と共に行われる4週間の訓練で完了する。
盲導犬に対するこれらの訓練の厳しさの根底には、犬への深い愛情がある。
サーカスの動物は飴と鞭で調教されるが、盲導犬は「Good!(よくやったね、それでいいんだよ)」という褒め言葉で訓練する。


愛情と忍耐によってである。
「よくやったね。それでいいんだよ。」と、常にその子どもの良さを伸ばしてやれる親、また、どんな人からもその人の良さを見ることのできる人間になりたいものである。

 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
 愛は自慢せず、高慢になりません。
 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
 怒らず、人のした悪を思わず、
 不正を喜ばずに真理を喜びます。
 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、
 すべてを耐え忍びます。
 愛は決して絶えることがありません。

            
        (コリント人への手紙第1 13章4〜8節)

このように有能な盲導犬になるには、愛情一杯の環境で育てられることが必須である。
動物でさえそうならば人間ならば尚更である。
人は愛に満たされた中でこそ健全に育っていく。人格が作り上げられる基礎となる幼児期がことさら大切であることもわかる。

いじめによる自殺があとを絶たず、連日報道されている。
昨日、地域の小学校を訪問した時に、子どもたちの荒れ方やいじめ問題を保護者からの生の声を聞いた。問題はここでも深刻である。

私に言わせれば、社会の影響もあろうが、どんなに時代が変わろうとも、子どもの問題は親の問題である。
いじめの問題もまた、大人たちがやっている姿そのままである。
いじめる子をただ批難し排除するのではなく、いじめ問題にはありとあらゆる、人生のすべての問題が結集していることに気づかなければならない。

とにかく、いじめられている子を緊急避難させて守ることが最優先である。
そして、これらの問題には即効性のある解決法はないことを思い知って、関わっていくことが肝要である。


いじめる側の子どもについて言うならば―

人は誰しも嫌われたいと思っている人はいない。
他者にひどいことをする人は自分を防衛している人なのだ。そのような環境に育てられた気の毒な人であり、問題の本質はその親や環境である。
このことを知っていれば、いじめる子やその親についてもっと理解することができるであろうし、寛容になって関わっていけるのではないだろうか。


我々は多くのまちがいをするお互いであるが、そのたびに自分自身の姿が見える者でありたい。
posted by 優子 at 12:56| 教育 | 更新情報をチェックする

2006年11月15日

見えないものを信じる心を養う

私に大きな影響を与えた『サンタクロースの部屋』の冒頭に次のようなことが書かれている。

「子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースが本当はだれかを知る。
知ってしまえば、そのこと自体は他愛のないこととして片付けられてしまうだろう。
しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。
わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためでなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生みだすこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」。


アメリカの児童文学評論誌に掲載されていた一文の大要を紹介したものである。そして、著者は語る。

「サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。
だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎え入れることができる。・・・・

のちに、いちばん崇高なものを宿すかもしれぬ心の場所が、実は幼い日にサンタクロースを住まわせることによってつくられるのだ。
と。

「ここ数年の世の中の動きや、子どもの状態を見て来ますと、わたし自身は、それよりも、子どもが本と出会う以前の問題の方が、もっと緊急を要することに思えてなりません。
本を読んだら読んだだけのことがあるような、そんな子どもにするにはどうしたらよいかということです。」


既に1978年にこのように警鐘を鳴らしておられたのである。

サンタクロースが両親であったことを知った時、そこにポッカリ穴が空く。その穴に神を招く。私は娘たちに神の存在を信じて生きていってほしいと思った。
娘たちが教会へ導かれて神の存在が明確にされたのちも、子どもたちは矛盾を感じることはなかった。サンタクロースは、神であるイエスさまの御用をする天使であり、その後、10年以上もの年月サンタクロースを信じていた。

「むしろ、見えないものを信じることを恥じ、サンタクロースの話をするのは、子どもをだますことだと考えるおとなが、子どもの心のふしぎの住むべき空間をつぶし、信じる能力を奪っているのではないだろうか。」

どんどん劣悪化していく環境で子育てしなければならない現代だからこそ、この示唆は以前にも増して真実に輝く道しるべである。
幼い心を養い、知性を育んでいく。
そこに知識を獲得していってこそ人生が開花していくのである。


posted by 優子 at 08:50| 教育 | 更新情報をチェックする

2006年11月14日

サンタクロースを信じる心

ここに一冊の本がある。
『サンタクロースって いるんでしょうか?』(偕成社)は、8歳の少女がニューヨーク・サン新聞社に書いた質問に対して、記者が愛情いっぱいの返事を社説に書いたものである。
今から100年前に実際にあった話で、ご存知の方も多いことだろう。

きしゃさま

わたしは、8さいです。
わたしの友だちに、「サンタクロースなんていないんだ」っていっている子がいます。
パパにきいてみたら、
「サンしんぶんに、といあわせてごらん。しんぶんしゃで、サンタクロースがいるというなら、そりゃもう、たしかにいるんだろうよ。」
と、いいました。
ですから、おねがいです。おしえてください。
サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?

         バージニア・オハンロン
         ニューヨーク市西95番街115番地



「そうです、バージニア」という返事の書き出しで有名な社説も少しご紹介しよう。

そうです、バージニア。
サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。
この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、まごころがあるのとおなじように、サンタクロースもたしかにいるのです。・・・・

サンタクロースをみた人は、いません。けれども、それは、サンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです。
この世界でいちばんたしかなこと、それは、子どもの目にも、おとなの目にも、みえないものなのですから。・・・

サンタクロースがいない、ですって?
とんでもない!
うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。それどころか、いつまでもしなないでしょう。
1千年のちまでも、百万年のちまでも、サンタクロースは、子どもたちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれることでしょう。


数分間で読み終える小さな本である。
この社説を書いたフランシス・P・チャーチは、「人間生活のあらゆる面について、ふかい洞察力とするどい感受性をもった人物だった」。
この話を日本に紹介した中村妙子は、「この社説が、当時の物質文明・合理主義の風潮が強まる中で、精神面の重要性を強く感じていた人びとのあいだに、大きな反響をよんだことはいうまでもありません。」と述べている。

まもなく29歳になる娘の子育て時代からも、幼稚園児でさえサンタクロースはいないと思っている子どもたちばかりであった。
サンタクロースを信じていた娘達は、それらの声に惑わされないで、よくぞ高校生になってまで信じてくれていたものだと思う。それなのにその夢を無残にも、無残なやりかたで私がつぶしてしまったとは!

20年前にいじめ問題が社会問題になり、今では自殺していく子どもたちがあとをたたない。
もう怒りさえ表せないほどに悲しく、無念で、無力感にさいなまれてしまう。
いじめ問題を追跡した全ての事例に共通しているのは、いじめた側の子どもたち殆ど全てに問題を抱えていたという報告がある。
今からでも、今こそ、大人たちが気づこうではないか!
私にできることは何か?!
私は真剣に考え始めている。

子供たちが小学生の時、感情的になってこどもを怒っていた私に、「子どもは愛されれば愛されるほど美しく育っていくのだと思う」と言った妹の言葉は、今も私の心に深く刻まれている。
サンタクロースを信じることのできる子どもに育ててやってほしいと思う。
posted by 優子 at 11:43| 教育 | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

黙想

人生を振り返るなら あなたはわかるでしょう、
ほんとうに生きた瞬間とは あなたが愛の霊の中で事をなした時であることが。
             
            (ヘンリー・ドラモンド)


感謝の念をもつことだけが 人生を豊かなものにする。             
            
            (ディートリッヒ・ボンヘッファー)


人生でもっとも大切なこと、それは、わたしたちの存在も手にするものも全て、神からいただく恵みということ。
              
            (ロイド・ジョン・オウグルヴィ)


神の恵みのほかに何もない。
わたしたちは恵みを歩み、恵みを呼吸し、恵みにより生きて、死ぬ。
             
            (ロバート・ルイス・スティーブンスン)


人々への愛に満たされた人生を歩みなさい。
            
            (聖書 エペソ人への手紙5章2節)


神を愛する者たち、そのご計画に従って召された者たちには、すべてのことが共に働いて彼らの益になるように、神はして下さると知っています。
    
          
            (聖書 ローマ人への手紙8章28節)


わたしの子供たちが真理に歩んでいると聞くほど 嬉しいことはありません。            

            (聖書 ヨハネの第3の手紙4節)


posted by 優子 at 23:24| 引用文 | 更新情報をチェックする

2006年11月12日

読書の秋C ―読み聞かせは愛のささやき―

画面右側にあるリンク先、「生かされて」の今日の記事冒頭に私のブログを紹介して下さっている。(嬉しいでするんるん感謝るんるん

タップリと読み聞かせをしながら育てられた文香さん。お子達の光景が微笑ましくて笑ってしまった。
かつて、『読み聞かせは愛のささやき』という小見出しで書いたことがある。

おとなに本を読んでもらうことは、子どもにとっては、またなんとふしぎでうれしい経験でしょう。
おかあさんの手にかかると、本の中で眠っているように見えた主人公が起き上がって動き出すのです。

ひもののように見えたかんぴょうや石のように見えた氷づけのエビが、おいしいちらしずしに変わるように、ことばを通して自分の中にあるイメージ、目には見えない世界をつくりあげるようになるのです。


  『サンタクロースの部屋』―子どもと本をめぐって―
         (こぐま社発行)より引用

読み聞かせは母のささやきだと思います。
そして、子どもはそれを感じとっているのだと思います。
「あなたが大切なのよ。あなたの成長を楽しみにしているのよ」と。


  (小学校PTA新聞 1991年11月15日発行より)

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は子どもの本について書かれた本から多くのことを学んだ。
『サンタクロースの部屋』も貴重な一冊である。

「手塩にかけて子供を育てる」という言葉は、私が子供の頃にはよく耳にしていたが今や死語に等しい。私自身、実際に日常会話で言ったことも聞いたこともない。
しかし、文香さんはまさに「手塩にかけて」育て上げられたのだ。
タップリと「愛の生ワクチン」を飲んで育ったお子達は、人生の試練の時も雄々しく乗り越えていかれることだろう。


posted by 優子 at 20:20| 教育 | 更新情報をチェックする

2006年11月11日

子供たちに良書のワクチンを!

優子さん

>かつて存在し、もはや過ぎ去ったものの思い出に、静かに沈滞すること、そのような悲嘆は喜びであり、慰めであり、祝福です。

ブログで紹介されたマックス・ミュラーの言葉に嬉しくなりました。悲嘆は苦痛ではないとわたしも思います。
悲しみに暮れて泣いていても、心の底に喜びがあることが不思議です。

真智子さんの「モモ」の感想文も読ませていただきました。中1でこれだけ的確に主題をとらえていることにびっくりです。
このように素直な心で物語の世界に入っていく子供がいると思うと、わたしも児童小説を書きたいなあ……と創作意欲が出てきます。


今日のブログで子供達に読み聞かせをしていたことを書きましたが、「モモ」や「ナルニア」、「はてしない物語」を何か月もかかって読み聞かせたのです。
「モモ」を読み聞かせたことを今でも子供達は覚えています。なつかしいです。
ほんとに
『子育ては本当に楽しかった。
子供を育てていた頃が一番楽しかった。』
ですね。

わたしはそれにこうけ加えました
『子供が巣立った今も楽しい。これからも楽しい。主にあって。人生これからが本番。』


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

10日に届いた文香さんからのメールを再度お許しを得て掲載させていただいた。
1週間前からの悲観病という持病も快方に向い出したようだ。
次女の声もずっと聞こえている。
「またママは過去ばかり見ている。過去を振り返ることも大切だけれど、もっと未来に目を向けなければ!」と。

了解!

長女の優しい声かけも身に沁みている。
今日は美濃紙業の人たち7人が新居に来て下さると、心を弾ませて準備をしていた娘。冷たい雨の日になってしまったが、よい時間をもったことだろうと思う。話を聞くのが楽しみだ。

私も今日は自治会の自主防災訓練のために半日外出していた。幸いにして途中で雨が上がったので、消防車から放水するのを見たり体験することができた。私は消火器の使い方を体験させてもらった。委員になっているので昨夜の準備と共に忙しかったが、リードしてくださる自治会長さんたちのおかげで私も地震災害に対して初めて危機感を持つことができた。

ところで、昨日の文香さんのブログを拝読して驚嘆したものだ。
テレビゲームばかりやっていると前頭葉が変化してしまうというのだ。驚きと共に、わからなかった問いの答えを見つけた時のように「やっぱりなあ」と思った。
そして、
「『いま、子どもたちがあぶない!』には、子供たちにメディアワクチンを打つことが必要だと書かれています。メディアワクチンとは、質のいい本を読み聞かせることだそうです。」と書いておられる。

大人になってからでさえ良くも悪くも影響されるのだから、子供時代なら深刻だ。大人が気づかなければ未来はない。
posted by 優子 at 22:23| 教育 | 更新情報をチェックする

2006年11月10日

黙想

人々は、悲嘆は苦痛であると思っています。
しかしそうではありません。
かつて存在し、もはや過ぎ去ったものの思い出に、静かに沈滞すること、そのような悲嘆は喜びであり、慰めであり、祝福です。

私たちに悲嘆を忘れるように勧め、また楽しい集いに参加するように勧めて、それで私たちを慰めようとする人々がいます。
しかしそのような人々は、慰めの何たるかを知らないのです。

もし魂が実をつけようとするならば、そこはまず鋤で耕されなければなりません。

あなたが経験してきたような苦しみは、豊かな収穫を確実にするための、土壌の深い掘り起こしのように思われます。


     マックス・ミュラー 『人生の夕べに』より
posted by 優子 at 16:58| 引用文 | 更新情報をチェックする

2006年11月09日

スローダウンの日々

私の聞き間違いではなかった。
今朝、春に鳴く鶯が鳴いていたのだ。昨日の午後も鳴き声を聞いていた。
肌寒くなり春先と同じような気温になったから勘違いしたのだろうか。秋の鶯は初めてだ。

今月末の原稿の締め切りに向って今日も一日中机に向っていて、気がつけば電気スタンドの明かりだけで部屋の中は真っ暗になっていた。

頭が冴えなくなって11時頃に1階の掃除をした。体を動かせていい気分転換だ。
昼食が3時過ぎ、書き方を考えながら洗濯物を入れ、何時頃だったか夫から、今夜は神戸で会合があるから夕食はいらないと電話が入った。
ずっとやってられる、ラッキー!
夕食を作らなくてもいいから嬉しいものの、ひどい食生活だ。

しかし、こんなに集中できているのに冴えない。
最近は気持ちが重くて、特に朝目覚めた時が最も辛い。今週は夫を見送ることもできていない。
いや、起きる気も萎えてしまっている。こんなこと何年ぶりだろうか。夫が行ってから、あるいは会社に着いた頃に起きている。申し訳ない。情けない。

昨夕は近くにいる気の許せる友と立ち話をして慰められた。
励まされた。
幸いな生き方をされている方の背後にご両親の姿を見ると言った時に、一瞬にして友の目から涙が流れた。
昨秋、お母様に続いて1週間後にお父様も亡くされた友。
大らかで肝っ玉母さんのような優しく頼もしい方である。家庭集会にも来て下さっているが、スタッフの事情で再開は来年になる。
今年は一度もランチに行っていないから、是非とも時間を割いてご一緒したいと思った。
11月中に。
posted by 優子 at 18:45| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年11月07日

厳しい冷え込みが作り上げる紅葉

交通事故死が年間1万人に対して、自殺者が3万人を越えることを思うと、私が接しているこの人も追い詰められている状態かもしれないと心に留めて接したいと思う。
子供の養育の問題、仕事、人間関係、親の介護や自分達の老後の問題・・・と、悩みを抱えておられない方はいないだろう。

昨日の民生委員会でお聴きした老人介護の現状もまた闘いの日々である。
委員会では児童福祉・障害者福祉・老人福祉部会の3つに別れ、1期3年の間にそれぞれの学びの場が与えられている。
私は去年は障害者福祉であったが、今年は児童福祉部会で児童相談所を見学した。来年1月には少年刑務所を訪問することになっている。

昨日の老人福祉部会の方々の発表の中で、今現実に経験されている老いた親の在宅介護について話された。
高齢者が高齢者を介護する時代と言われている通り、60代の人が90歳前後の舅や姑を介護されている。

週に4日間デイサービスで預かってもらい2日間家におるが、その間も訪問リハビリに来てもらっている。ここに到るまでが大変だった。
介護に100点はない。肩に力を入れたらあかん。頑張ったらあかん。


ご自身が病気になられた方は、「介護する側に健康があってこそできるんだなあと思う」としみじみ言われた。
ご自身も苛酷な病いを負われ、さすがに今までのように何もかもできず義父母自身でできることは自分でするように突き放された。
そのことにより介護される側も残された機能を働かせるようになり、手伝ってあげた時には「すまんな」という感謝の言葉がでるようになったというのだ。


お二人とも本当によく仕えておられると感動し多くのことを教えられ、神の祝福を祈りつつ聴かせていただいた。

老人は「生」と「死」のはざまにあり両方に向き合っているので、夜に手を強く握って離さず「世話になったな、もう逝くからな。」というようなことを話していたかと思うと、朝にはケロッとしていると言われたこともお二人の経験談に共通していた。   

季節は巡り木々も紅葉しているが、美しい紅葉は朝晩の厳しい冷え込みがないと見られないという。私達の人生も同じだなあとしみじみとわかる年齢になってきた。

苦難の時をいかに生きていくか。
私達の人生の歩みも順調な時ばかりでは深い喜びを味わうこともないだろうし、逆境があってこそ人格が高められていくのではないだろうか。
ましてや自死しては、せっかくの喜びを味わえないではないか。

      冬が来たら
               坂村 真民
  冬が来たら
  冬のことだけを思おう
  冬を遠ざけたりしないで
  むしろすすんで  
  冬のたましいにふれ
  冬のいのちにふれよう


この詩には人生の冬の過ごし方がこめられている。
神様の祝福と励ましを受けながら、逃げないで最後まで到らせていただきたいと願う。




posted by 優子 at 22:12| 随想 | 更新情報をチェックする

読書の秋B ―新聞に掲載された真智子の感想文『モモ』より―

「真智子さんの感想文も感動しました。
物語の中にすっかり入って、ここまで感じ入ることができるとは……。
豊かな感性に驚いています。

小学生の時の知子さんと真智子さんの感想文を読ませていただいて、なぜか創作意欲がわいてきました。」


再び嬉しいコメントを下さった文香さん。
今日はお母様の御用で再び実家へ帰られるとか、お父様のお姿がなく悲しい思いをされることだろう。

まだ20日経ったばかりの痛々しい中におられ、これから秋が深まり年の暮れに向かう辛い日々だが、愛する者を天に送った悲しみを創作活動でますます昇華されるに違いない。
神様の愛と慰めの中で。
文香さん、元気出してね!


文香さんの創作意欲再燃協力のためにも(笑)、もう一つ真智子の感想文を引っ張り出してきた。
朝日新聞に月2回折り込まれるローカル版『あさひピープル』の102号、1993年8月15日付け誌面に掲載されたものである。
読書会の取材に来られてお知り合いになった女性記者Nさん(現在読書会メンバー)に依頼されたのだ。

あれは真智子が中学一年生の夏休みのこと。
ある夜突然にNさんから電話が入り、娘に感想文を書いてもらえないかということで、真智子が最近読んでいた『モモ』について書いたのだった。

この時、新聞に掲載される顔写真を撮るために、谷町9丁目にある「木馬館」で落ち合った。そこは大阪で唯一の子供の本の専門店である。
母の通院介護の日に合わせてもらい、真智子と一緒に病院の帰りに行ったことを覚えている。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・

   『モモ』の不思議が私をとりこにする

7月1日号の特集「ステキな本との出合い」を読んだ長田の藤本真智子さん(新喜多中1年)=写真=からつぎのようなお便りをいただきました。


ミヒャエル・エンデ著の『モモ』は私の一番大好きな友達です。
その魅力といえば、やはり「不思議」をたくさん持っている女の子で私をひきつけるのです。
 
それにモモが出会ったマイスターホラが言っている「致死退屈症」という灰色の病気にかかっている人は、現在もいると思います。
この灰色の病気は人間を無気力、無関心、まるで生きながら死んでいるようにしてしまう病気です。

物語に出てくる灰色の男はハゲ頭で、持ち物から体のすみずみまで灰色で、この男たちは人の時間の「ゆとり」を奪っていきます。
今の大人の人たちのほとんどは、まるでこの灰色の男たちに時間を盗まれているようです。せかせか歩き、顔はこわばって・・・。

でも、私はこのファンタジー物語の灰色男がモモと同じくらい好きなんです。
悪者の味方になるのはおかしいけど、最後の一人が消える時、なんだか「消えちゃだめ、消えないで」と応援してしまいました。

灰色の男は時間を大切にしていないとわいて出てくる人物です。気をつけたいです。
私の名前が灰色の手帳のリストに載らないように。



『星の王子様』から3年後に書いた『モモ』は、成長と共に知的には格段の高まりがある。
しかし、成長と共に失われていく感動の表現法はベールに包まれていくように、真智子独特の子供らしいユニークさを楽しめたのはこの頃までだったように思う。
勿論26歳になった今も、この個性を基盤にして知的冒険を続けている。予想もしなかった理論経済学のスペシャリストとして。

私が母と同じことを言うのは後ろめたさを感じるが、やはりそうなのだ。
子育ては本当に楽しかった。
子供を育てていた頃が一番楽しかった。
知子と真智子は私の宝物、感謝。
posted by 優子 at 13:58| 教育 | 更新情報をチェックする

2006年11月06日

読書の秋A ―次女の小学校4年生の感想文より―

「知子さんの6年生の時の読書感想文を読んで感動しました。
『さすらいの孤児ラスムス』はわたしも小学生の時読んだ記憶があります。

『何回も迷い、考えて、自分の行く道を選び、一つの山をのりこえていくということが大切なんだね。その時、道ができるのだと思う。』

6年生でこのように考えた知子さんはすごいなあと思いました。
家族新聞を続けて書いておられ、ちゃんととっておられる優子さんもすごい!」


感謝。
文香さんからこんなに嬉しいコメントをメールで頂き、お許しを得て記録させていただいた。

さて次なる登場は次女、真智子もまた小学校の時に4年生代表で発表した感想文が『親ばと子ばと新聞』
139号(1990年10月16日発行)に記されている。
真智子らしいユニークさが出ている感想文である。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      『星の王子さま』を読んで

                  藤本 真智子


王子様のふるさとの星、B−612の星は、すてきな所だな、と思いました。なぜなら、とても小さいというのが一番の所です。
小さいのに、なぜすきなの、とみんなはきっと聞くでしょう。


それは、星が小さいと、いすを少し動かすだけで、入り日を何度でも見られるからです。王子様は、
「だって、かなしい時って、入り日がすきになるものだろ。」って言った時は、王子様の本当の気持ちと、私の本当の気持ちがいっしょだったから、うれしかったです。
王子様は、43度も入り日を見た時が、あったっけ。
その時は、よほどかなしかったんだね。

それからその次は、その星にいる王子様がとっても正じきで、やさしい、いい人だからです。私は、王子様のことが大すきです。花がさいたよろこびも、よくわかります。うれしかった。

王子様がやさしい人だと私がはんだんしたところは、花への思いです。だから、花も王子様のことがすきになったと思います。

王子様が旅に行く時、花の気持ちになって行っちゃいやだな、と少し思ったけど、やっぱり行ったらいいなと思いました。
いろんな人と会って話をしたら、その方が、かなしいことも少ないと思うからです。


地球に来た時、サハラサバクじゃなくて、日本やアメリカなどにいてたら、ヘビにはかまれなかったと思います。
王子様がかまれて弱々しくなってきた時、私は、とてもかなしかったです。
私は、王子様がたおれた時、とっても、とってもかなしかったです。
でも、そのたおれた体が星にもどったから、よかったね、と思いました。
     

       ・・・・・・・・・・・・・・・・

なんて豊かな感性で読んでいるのだろうと改めて感動する。

原稿用紙の余白に描かれてある絵も家族新聞に掲載した。
余白に絵を描くなんて私の発想にはない。しかも提出する原稿用紙にである。そのような真智子らしいところを大事にした。
文末に倒れた王子様、そして、月や星と共に元気な王子様を窓から見ている女の子(真智子自身)の後姿が描かれている。

記事を読んでいると16年前のことがつい昨日のことのように思い出される。その一部をご紹介しよう。

一学期の頃、真智子は学校へ行く準備を終えると、本棚から本を取り出して読んでいました。毎朝10分間ほどの短い時間、椅子にも座らないで本棚を背に床に座って読む真智子。・・・

真智ちゃん、あの時あなたが読んでいた本は、『釈迦物語・天と地のかけ橋』でしたね。その次は『かぎりなくやさしい花々』。
お姉ちゃんと真智は、パパとママには似つかない読書好きな子供です。
去年の春に始めた「親ばと子ばと読書会」が2回で中断したのも、パパとママの熱意のなさからでしたね。1年に3回、春・夏・冬休みだけでも続けることができたら最高ですね。


本を読まない者が戦争を起こす。
本当の読書人は、荒々しいふるまいを嫌うものだ。

          
              (三浦綾子)
posted by 優子 at 10:08| 教育 | 更新情報をチェックする

2006年11月03日

読書の秋@ ―長女の小学校6年生の感想文より―

昨日の記事で選び取ることの大切さを書きながら娘の感想文を思い出した。長女が小学校6年生の時に書いたものである。
『親ばと子ばと新聞』の24号(1989年10月18日発行)そのままを転載したい。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夏休みに私が書いた読書感想文が学年で選ばれました。
6年生の代表として10月16日月曜日に全校児童の前で発表しました。
これがその作文です。
ママに書き方(この場合、主人公に話しかけるようにということ)のヒントをもらっただけで書いた文であるだけに、とてもうれしかったです。
ママに仕上げも読んでもらっていないんです。

発表した後、堰先生(3・4年の担任)が、「藤本さん、前期出っぱなしやな。じまん大会にも出たし・・・。先生、あの作文感動したわ。」と言って下さいました。

これからも本を読みたいです。読書週間がはじまって、もう4さつ読んだけど、なんといっても読書の秋!
読書は心を育てる。(学習面、家族の合言葉)
ママもパパも真智もたくさん本を読んでね。



     『さすらいの孤児ラスムス』を読んで

                 6の1 藤本 知子


私達が生きていく時、選ぶということがどれだけ大切か、この本を読んで教えられました。

ねえ、ラスムス。
いつもむちでたたかれる孤児院の生活がいやでにげ出したくなっても、私ならラスムスのようににげ出すことは絶対にできない。
ヒョーク先生に何とおこごとを言われ、おこられるだろうかと思う。ラスムスだってこわかったでしょう。あの時の勇気と決断力はすごいと思う。

その後、風来坊のオスカルに出会って、いっしょに旅をしていて、強とう事件にまきこまれた時、強とうが自分の足先まで来て黒いくつまで見えた時や、強とうにかい中電とうで照らされた時や、すごいスピードでおいかけられてきて、死にものぐるいでにげた時もあった。
そんな時、私だったら声も出なかっただろう。
ましてやラスムスのように、オスカルを助けようなんて思わなかった。あんな状態の時までオスカルのことを考えていたラスムスはすごいと思う。

それから、とってもお金持ちのお百しょうさん夫婦の家にもらわれる時、断ったね。
ラスムスの好きな子犬もいたけど断ったね。お手伝いさんが3人もいる広い家、農場もあったけど、生きていく時、そんなものはなくてもいい、と気が付いたんでしょう。
孤児院にいる時はそちらの方がいいと思っていたけれど、今のラスムスにはオスカルがいたし、十分だったんでしょう。

お百しょうさんの家に住むということをふり切ってオスカルと旅を続けたラスムス。そう決心できたからオスカルと住むという道ができたんだね。
こんな大きな決断をしたラスムスの心はすばらしいと思った。どちらを選ぶかということが人生を変えてしまうんだね。

ラスムス。
あなたが経験したように、生きるということは、迷い、考え、そして選び取っていくものだということが分かったよ。
生きていく間に迷ったことのない人なんていないだろう。何回も迷い、考えて、自分の行く道を選び、一つの山をのりこえていくということが大切なんだね。その時、道ができるのだと思う。

私はまだ、本気で迷ったことなんてないけれど、これからそんなことがあれば、どちらが大切なのかをラスムスのように考えて自分で選ぶよ。
ラスムスが、美しい人や持ち物を選ばず、やさしいオスカルと生活することを選んだように。


   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今ならばパソコンでブログということになろうが、手書きの家族新聞であるから子供時代の字と絵がそのまま残っている。
これは私の宝だ。
勿論、結婚した娘達には184号全てを持たせた。

    
posted by 優子 at 07:57| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2006年11月02日

人はなぜ自ら死に向かう

連日の悲痛な報道に私の心は硬く凍ってしまう。
「檻に入りたがるライオン」は老いを迎えた人々の話であったが、人はなぜ自ら死に向かいたがるのだろうか。
子供の自殺は特に言葉が出ない。
何度同じことを繰り返せば大人たちは気がつくのだろうか。

さすがに10年前までのように「いじめられる側にも問題があるのではないのか?」という、全く物事の見えていない主張は耳にしなくなったが、つい最近までこのような強者の論理がまかり通っていた。

しかし、教育関係者の実態には唖然とする。
子供が先生に悩みを訴えても、ここまで伝わらないものなのだろうか!
どの機関も常に防衛的で保身の立場を崩さない、今や事が起こってさえ考えようとしなくなってしまっている。
教師としての適正を問うと言うよりも、人間としての適正があるのだろうかと言いたい。

一方、仮にいじめた子が刑法にふれなかったところで、その子をそのまま素通りさせていくことに驚愕する。
きっと現場では関わっているであろうと信じているが、我が子がいじめた側ならば、何よりも我が子のために事の重大さに気づかせて謝罪させねばならない。
そのままにしていて幸せな大人に成長するわけがない。
本人が心底から気づくように、そして、死んでしまった子のご両親にわびなくてはならない。

あまりに重い問題なので筆が重くなってしまう。
いじめを苦にした子供の死は別の範疇になろうかと思うが、人はなぜ自ら死んでいくのだろうか。

人は真の自覚や反省が伴うと鬱状態になり、このことから真面目な人ほど鬱になりやすいと言われる所以である。
悩むべきことに悩める人は幸いだ。全てがここから始まるからだ。
そして、悩みぬいた次の段階こそが大切で、真理を求めて飛び立つか、つぶしてしまうか、自分の人生は自分の手の中にあるのだ。当人の選択にかかっている。


文学の世界を見ても漱石は自殺してはいないが、苦しみぬいた末に「死」か「発狂」か「宗教」しかないと考え、自分の分身である『こころ』の「先生」を自殺させている。芥川、太宰、川端康成・・・最近では江藤淳まで自ら死んでいった。

私など悲観的になって気持ちが沈むことも度々である。しかし、その時に主イエス・キリストを見上げるのだ。
ルターも言っているではないか。
「希望は強い勇気であり、新たな意志だ」と。
また、「悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」とは、フランスの哲学者アランの言葉だ。

人間とは自らの意志によって良いほうを選び取っていく存在であることがわかる。
では良いほうとは何か。
人間や自然を神格化した偶像に求めても平安も導きもない。
日々刻々に神を求め、神と共に生きていく。ここに素晴しい人生が展開していくのではないだろうか。

posted by 優子 at 11:10| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年11月01日

ヤフーのモデム交換さえ必死な私

「ただいま執筆中につきご遠慮ください」だったか、志賀直哉は自宅の門にこんな札をつるしていた。
私は幸い来客の少ない生活だからいいものの、締め切りまであと一ヶ月、しかもその間に12日間は一日中外出しなければならないから時間がない。今日はアイロンかけだけをして、昨日に続いて朝から執筆に没頭していた。

ところがだ、ヤフーから新しいモデムが届くと言われていたのを全く忘れていた。
BBフォン同士ならばかけ放題を売りにしているヤフーだが、あまりの不具合に業を煮やして、ついに昨日カスタマーサービスに電話をした。
電話中にしょっちゅう切れるのはあたりまえ、それどころかBBフォン同士でもつながらなくて有料でかける始末、もっと困るのは有料でさえかけられぬ時だ。
そこで、モデムを新しいのと交換することになった。
とは言っても改善はさほど期待していない。

とにもかくにも、モデム交換のことをすっかり忘れていたものだから大変だった。
宅配さんに待って頂いているので焦る、ミスしてなかなか閉じられない。
「このままだと消える可能性があります」とか何とか、画面に注意事項が表示される。
それは困る。
しかし、うまくできない。
これ以上待ってもらえない。
ええい、もう消えてもしようがないと閉じて、とにかくモデムとアダプターを渡して新しいものをもらった。

さて、一人でできるだろうか。
今まで一切を長女に頼っていたから一人でできない。
全てにおいて私は依存心の塊のような人間だから、こんなことでさえどんなに自らを励ましながらやったことか!
幸いにして同じ色どうしをつないでいけばよかった。

電源を入れる。
つながった!
ワードは消えていないか?
フロッピーを入れるとまた何か出てきた。
先ほど閉じる前にブログから移してきた文章に手を入れたりしていたからだ。
「ダイアログボックスが開いたままです」というのも出てきた。
日本語なのに5回も6回も読んでもわからない。もう、消えてもしかたがないと腹をくくって「いいえ」をクリックした。
とにかく注意事項の表示は消えてくれた。
しかも、文章も消えずに残っていた!!

何ともいえぬこの達成感はなんだろう(笑)。

モデムとは関係のないことのように思うのだけれど、パソコンの字も10月7日の記事に書いたようなゴシック体の濃い字体ではなく、ノーマルになっている。

とにかくこれからは人を当てにしないで、自分の頭と力でやりださなくてはならないと思った。
いつも傍にいてくれていた長女も結婚していないんだから!

とにかく今日はよくやった!
受話器から雑音も消えている。
ようやくこれで午前の活動を中断してお昼ご飯である。
posted by 優子 at 14:42| 随想 | 更新情報をチェックする