2006年12月30日

妹夫婦が姉夫婦の愛の巣に

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次女の真智子カップルは生駒に新居を構えた姉夫婦の家を訪ねた。
姉へのおみやげは1歳頃の幼児が着る服とヨダレかけだった。黄色の上着にはミネソタ大学のネーム入りである。
長女が電子オルガンを弾き、次女も何曲か弾いていた。
私達の傍に娘達がおり、その傍らにそれぞれの最良の伴侶が寄り添っている。何という幸せであろうか。

私に帰る実家がなくなって10年近い年月が過ぎた。今ではその寂しさも和らぎ、今年は4人だった家族が6人になった。

そして、ああ、お父さん、お母さん!
今度は私が里帰りする娘達を迎える側になりました。


天にいらっしゃいます父なる神様、あなたにあっては全てが良きものとなり、必ずや最後には喜びとして下さいます。
この一年も私をここまでお導き下さったことを感謝し、来たる新しい年も常にあなたの御名を呼びながら進んでいくことができますように。


2006年の門出に書き始めたブログが、いつしか一年間の日々を重ねようとしています。お読み下さったお一人おひとりに心から感謝申し上げます。
そして、皆様の上に神様の豊かな祝福が注がれますように祈りつつ、どうぞ皆様、良き新年をお迎えください。
posted by 優子 at 23:58| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2006年12月29日

自分の弱さと向き合う

お父様を天に送られた文香さんは、この一年を振り返って今日のブログに感謝な事柄を書いておられる。
私もまた主の前に深い黙想へと導かれた。

今日で夫も仕事修め。
明日は長女の家へ次女夫婦を案内するために、毎年30日に行くお正月前の買い物を今日に振り替えた。今年は次女達と4人で、4時間近く5箇所を回った。娘にも大量の食料品や雑貨品を買ってやった。
近くにいる長女と同じように次女にもしてやりたい。遠く外国にいるので尚更だ。めったに買ってあげられないのだから。
娘達の結婚が決まってから姉妹同じようにという思いがある。

嫁がせた親の想いは複雑で悲しくもある。
父母はどのような想いだったのだろうか。こんな時は両親の胸に飛び込んでいって話したいと思う。

もしも私が、
「私の足がよろけています。」と言ったとすれば、
主よ、あなたの恵みが
私をささえてくださいますように。
私のうちで、思い煩いが増すときに、
あなたの慰めが、
私のたましいを喜ばしてくださいますように。
     
       (詩篇 94篇18・19節)


posted by 優子 at 23:24| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年12月28日

珠玉の時

昨夜、次女たちと長女の結婚式のビデオを見始めたものだから、年賀状書きがますます遅くなった。気がつけば午前12時が過ぎていた。
しかし、100枚では大幅に足りない。ザッと数えてあと30枚は必要だ。娘達の分が要らなくなったからと夫が予定枚数を減らしすぎたのだ。

さて、モーツァルトは仕事がはかどるとばかりに、モーツアルトを流しながら3人で頑張るのだが、私は思いつくたびにアメリカのことを聞くので仕事がはかどらない。
午前3時終了、もう限界!
真智子達は4時頃だったか・・・。

今日は午前中に真智子が美容院へ行くはずだったのに、今度は自分達のビデオをかけたものだから再び私までジョイントした。2人は1時間遅れで出て行った。
昨夜も今日も3人で大笑い。年末にええんかいなと思うような忘れられない珠玉の時。 (会えばまた別れが辛い・・)

知子たちの結婚式のDVDを次女の婿にコピーしてもらって、家田のご両親に差し上げようと思っている。ついでに真智子たちの分も、もう一組作っておいてもらおう。
2人は大急ぎで駅に向かった。
帰りに年賀状を買ってきてもらうことにした。
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娘達が巣立ったあと何度もビデオを見ようと思っていたが、ビデオがあることも忘れるほど私も日々の務めに追われていた。
さて、今夜の献立は何にしようか・・・・。
posted by 優子 at 13:07| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2006年12月27日

一年を振り返って明確にされていること

「神がどうこう、信仰がどうこう言っている間はまだまだ・・・」
とは、かつて小山牧師(私に洗礼を授けて下さった現放出教会名誉牧師)が講壇で話されたことである。

新しい生涯に入って11ヶ月目の頃に聴いた私は、「神がどうのこうの、信仰がどうのこうの・・」との思いはあれど、そのことについて真剣に苦悩するのはもっとあとになってからだ。
苦難が頂点に達する頃に到って激しく神と格闘した。それは、まさに荒野で叫ぶリア王を想像させるような状況下であった。

今振り返るに、牧師のこの言葉は言い得て妙である。大変によくわかる。全くその通りである。
そして、ひとたびそこを通過せしめた時には、恵みの世界に目が開かれるのだ。

まもなく幕を閉じようとしている一年の終わりに、これまでの信仰生涯を振り返りながら一つのみことばが明確に示されている。

  「(主イエスは)傷ついた葦を折ることなく、
   ほのぐらい灯心を消すことなく、
   真実をもって道をしめす。」
                 (イザヤ書 42章3節)


神は実にこの通りの真実で愛なるお方である。
私の弱さも全てをご存知の主は、人にはできぬ愛と忍耐をもってここまで連れて来て下さった。
神を求め、神に救い出された(出会った)者は、責任を持って導いて行かれるのだ。どんなに神に反抗して泣きわめこうとも、ひとたびイエスの血潮で贖い出された者を決して見捨てることはなさらない。

信仰が与えられた時、神は私の中に一つの光を灯して下さった。その後、どんなに激しい嵐の中を通されようとも、火は今まで消えることはなかった。
このことを24日のクリスマス礼拝で気づかされた。消えるどころか灯された火は大きくなっている。

また、私は今まで、
「悩むべきことに悩むこともしない人々、悩むにも能力がいるのだ。」と豪語していたが、そうではないのだ。
悩むということもまた神の恩寵なのだ!

大いなる祝福が注がれた2006年を経験した今年、これらのことに目が開かれて、神の恵みがより深くわかるようになった。


神様は我々とは違って、一旦始められたことは必ず成し遂げられるお方である。
そのためにも私の頑なな自我が砕かれなければならないところが一杯ある。これからも神との闘いがあるだろう。しかし、それは主に在っての果敢なる闘いであり挑戦である。それゆえにこれからのことも心配しない。
一切を神に委ねて生きていくことを神に申し上げよう。


帰国直後の真智子たちは昨日、大手出版社を訪問すべくたった4時間ほどの睡眠時間で早朝から美濃紙業へ出社した。「ハードな生活に慣れているから時差ボケはないよ」と次女は言っていたが、さすがかなりお疲れ気味。
会社では合間に私達夫婦の年賀状を刷ってきてもらったので感謝!
今日は大急ぎで年賀状に集中である。

真智子たちは今もベッドの中である。
昨夜から睡眠13時間目、連続してこれだけ眠れるのはやっぱり若い!
彼らが起きてくるまでに用事を済まして・・と、子供達が赤ちゃんだった頃を懐かしく思い出しながら・・・。




posted by 優子 at 11:25| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2006年12月26日

モヨちゃんは私達の3人目の子ども

お人形遊びが大好きな女の子、現在10歳の小学校1年生のMOYO,Beatrice モヨ,ベアトリスちゃんはマラウィ(アフリカ)に住んでいる。

11月初めのこと、「ワールド・ビジョン・ジャパン」が支援を求めるテレビ番組があった。
ワールド・ビジョンの働きは、「貧困、飢餓、災害、戦禍などで苦しんだり抑圧されている人々が、明日を夢見て、希望を持てることができる社会の実現を目指し」、子どもが成長するまでの長い年月にわたって関わり、自立できるように支援していくものである。

スポンサー支援を呼びかけていた番組が終わった時、私と夫は全く同じ思いを与えられて気持ちは一致していた。
「支援させてもらおう」。 
世界では恵まれぬ子供達が溢れているのに、娘達は豊かな社会で無事に育ち、2人とも巣立っていった。


しかし、私は暫くの間、祈り、用事をしながら神様と話していた。私の感情だけで決心したのではないかと自らに問うていたのだ。
と言うのは、もう15年も前のことになるが、私は無責任なことをやってしまったからだ。ワールドビジョンの働きに参加しようと、インドの男の子の里親になったことがあった。しかし、継続的に支援しなければならないのに1年足らずでやめてしまったのだ。手紙を書いてやることもなく、罪深い行為だった。

それ故に神様と対話しながら自らに問うていた。
私の感情でのことではないのかと自らに問うた。
いや、そうではない。
娘達が無事に大きくなったことへの感謝の気持ちからだ。
本当ならば2人の子供を援助したかったが1人から始めることにした。愛のない不純な気持ちで始めるならば、天国に宝を積むどころか大罪を犯すことになる。
私は祈りつつ思い巡らしてから受話器を取った。

番組ではクリスマスまでに3000人の子供に愛の手をと訴えていた。昨日25日午後3時に問い合わせたところ、3130人だった。
この働きに賛同して下さる方は、
ワールド・ビジョン・ジャパン(0120−465−009)までお電話下さい。

貧困、紛争、飢餓、災害。
これらの問題で真っ先に犠牲になるのは
いちばん弱い立場にある子どもたちです。

今、世界では、
3秒に1人の子どもが
防げるはずの病気で命を落としています。

1500万人の子どもがエイズで親を奪われ、
30万人の子どもが武器を手に戦場に立たされ、
1億2100万人のこどもが
初等教育を受けられずにいます。

一人ひとりが統計の数字ではなく、
可能性に溢れた尊いいのち、
地球の未来を担う存在です。

日本から世界へ―
あなたのさしのべる手が今、
国境を越えて世界の子どもに
届けられようとしています。
 

「何もかもはできなくとも、何かはきっとできる」。


日本の支援者は2005年度末で2万1159人である。

昨夜、真智子夫婦と無事に再会できたことを神に感謝しつつ。
posted by 優子 at 06:36| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2006年12月25日

まもなく関空に着陸!

日付:12月24日 (日) 便名:NW 742
出発:ミネアポリス/セントポール国際空港, MN (MSP), 6:45
到着:デトロイト・メトロポリタン空港, MI (DTW), 9:32

日付:12月24日 (日) 便名:NW 69
出発:デトロイト・メトロポリタン空港, MI (DTW), 13:05
到着:関西国際空港, Japan (KIX), 17:10(12月25日 (月))


次女夫婦は8月初めに日本を発って4ヶ月半ぶりに帰国する。今夜から我が家に滞在して1月2日に東京へ向かう。

アメリカとは言え、行ってしまえば東京と同じ感覚である。メールにチャット、スカイプまで簡単にできるのだから殆ど寂しくはなかった。
神戸大学を卒業して東大大学院へ移った時のほうが、今回とは比べものにならないほど寂しかった。何度も何度も涙を流していた。

さて、娘達が結婚してから2階の掃除は週2回から1回になっていたが、さすがに先週は2階の掃除をすることさえ忘れてしまうほどだったから、久しぶりの掃除で時間がかかった。今日は良いお天気だったので感謝。
しかし、年末の掃除ではなく日常の掃除である。それとベッドメイクとトイレの掃除で腰痛も限界。しかし、今夜からは夕飯の用意も精を出さなくてはならない。感謝な悲鳴である(><)。

年が開けて2日は神戸の大叔母(母の妹)を訪ねてから新大阪駅へ送ることになっている。次女は結婚の前にもアメリカへ発つ前にも叔母に会いにいくことができなかったので、首を長くして待ってくれている。
叔母の子どもたちも結婚しているが、孫のいない叔母にとって娘達を孫のように思ってくれている母にまつわる懐かしい人である。
そのあと、東京へ移動して婿の家で1週間過ごして、再びアメリカへ発つ二人。

5時10分、真智子たちはまもなく関空に到着する。
やっぱり嬉しくて涙が込み上げてきた。

posted by 優子 at 17:09| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

感激のキャロリング!

昨日、長女達は東大阪の放出教会で、私達は香芝の教会でクリスマス礼拝に与り、共に恵みに満たされた一日を過ごした。
私達は皆さんよりも一足早く3時頃に教会を出て、大急ぎで食料品の買い物を済ませて4時過ぎに帰宅した。
長女の体が気になったので短く電話すると感謝と感激に溢れる長女の声。神に感謝し、安心して最後のプログラムに進んだ。

一息つくひまもなくチャッピーの鳴き声、教会の人たちが到着! 1歳の赤ちゃんから75歳のお婆さんまで総勢20名ほど来て下さり、全員がテラスに上がった。
このような聖歌隊も素晴しいではないか!


「メリークリスマス!」
私は大きな声で始めた。
「みなさ〜ん、クリスマスおめでとうございます!(家政婦役の市原悦子風だった)
私達はここから二駅向こう、下田(しもだ)にあります香芝ゴスペルチャーチの聖歌隊です。・・・」


庭内を見学する方達を前に15分間ほどのキャロリングだった。その間、終始動かずに聞き続けておられた人も何名かおられた。
讃美している我々が感動した。
終わった時にはイルミネーションのお宅から飲み物まで頂戴し、感謝と共にこのように受け入れて下さっていることに感謝と喜びが溢れた。

今朝早くにチャッピーの散歩の折にご主人にお目にかかった。その後、奥様にお礼を申し上げた時、「感激しました」と今後も期待して下さり、私の方からも引き続いてさせていただくようにお願いした。

主よ地境を広げて下さい!
地元に神様の祝福が流れていきますように!


吉田様ご一家の上に神様の豊かな祝福がありますように。
クリスマスの喜びが全ての人に届きますように!


そして、快くキャロリングに参加し、共に大きな声で讃美してくれた夫に感謝。「グローリヤ」と夫の声が夜空に響いた。イエス様は本当に喜んでご覧になっておられたことだろう。

今夜アメリカから帰国する次女夫婦も、イルミネーション最後の日に間に合って嬉しい。
posted by 優子 at 17:08| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年12月24日

ハレルヤ! 神に栄光あれ!

クリスマスおめでとうございます!

今まで心を備えて過ごしてきたアドベントも最終日を迎え、今朝クリスマス礼拝を捧げます。

   神の御子(みこ)は今宵しも ベツレヘムに生まれたもう
   いざや友よ、もろともに   急ぎゆきて拝まずや
                 急ぎゆきて拝まずや

   「神に栄えあれかし」と、  みつかいらの声すなり、
   地なる人も讃えつつ     急ぎゆきて拝まずや
                 急ぎゆきて拝まずや、


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妊娠初期で不安定な長女も1時間までなら自動車に乗ってもいいとのことで、今朝は高速道路を乗り継げば40分くらいで行ける東大阪の放出教会へ向かう。2ヶ月ぶりの教会である。

教会へ向かう二人を感謝します。
婿も共に喜んで教会へ行き、神の家族と共にクリスマスをお祝いできることを感謝します。主よ、どうぞ娘の体をお守り下さい。どうぞ往復の道も危険から守り、二人を祝福して下さい。

神様、この二人の結婚を通して私と夫は昨日も話しました。
あなたを信頼して全てをお委ねする時、全てを良きにして下さるということを。主よ感謝します。これからのことも、娘達夫婦の生涯の終わりまで守り導いて下さると信じられる、そのことをも感謝します!
このブログを読んで下さっているお一人おひとりの上にも、私達と同じ祝福がありますように!

   「きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主が
    お生まれになった。この方こそ主なるキリストである。」


世の人々が、この喜びの訪れ(福音)を自分のこととして受け取ることができますように、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。

近くに教会がある方は是非、お出かけ下さい。どなたでも喜んで迎えて下さいます。
あなたに神の豊かな祝福がありますように!

クリスマスおめでとうございます!


posted by 優子 at 08:28| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2006年12月23日

「恐れるな。」

さて、この地方で羊飼いたちが夜、野宿しながら羊の番をしていた。すると主の御使いが現れ、主の栄光が彼らをめぐり照らしたので、彼らは非常に恐れた。
御使いは言った、
「恐れるな、見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。
あなたがたは、幼子が布にくるまって飼い葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

               (ルカによる福音書 2章8節〜12節)

天使はこの最大級の喜びの知らせを、誰よりも先に羊飼いたちに伝えた。
当時のユダヤでは、羊飼いと言うのは最下層の最も貧しい人々であった。教育も受けていない無知な者で、裁判では証言能力の無い人々であった。
それは今の私たちを象徴していることでもある。
しかし、この世の成功者からほど遠いところに居た人々に、最初に神の愛は届けられたのだ。
救い主である神の御子は、この世の権力者として現れたのではなく、無力な赤ん坊となって現れて下さったのである。

「恐れるな!」
この言葉ほど最も必要な慰めのメッセージがあるだろうか!
全知全能の全権者である神が、「わたしに全ての解決があるから恐れるな」と語って下さっているのである。
「救い主が誕生したから恐れることはない」と!


先日の読書会の帰りのこと。
車窓から暮れていく空を眺めながら、
「たそがれよね、本当にこの通りなのよね。私はもう古希なのよ、もう人生のたそがれなの・・・・。」と、しみじみと語られた。
私はすかさずに、「『夕暮れに、光がある』と聖書に書いてありますよ。」と言うと、その方の顔はパッと明るくなった。


人は皆、将来や死を恐れている。歳を重ねていくと切実である。切実でない人こそ不可解だ。
しかし、神に信頼すれば、死も将来のことも何もかも一切のことを恐れなくてもいいのだ。今こそ神に逃げ込もうではないか!

その夜、読書会の友に最後の一冊、『生かされている喜び』と共にお手紙を書いた。
今朝、それをお届けする。

主よ、その方に「恐れることはない」と語って下さい!
その方の人生に神様の介入がありますように!
このメッセージは自分に語って下さっているメッセージだと受け止めることができますように!
本当のクリスマスとなりますように祈ってお届けします。
posted by 優子 at 08:38| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2006年12月22日

「忙中閑の時」に恵み溢るる

朝のチャッピーの散歩もそこそこに、(と言っても最近はずっと10〜15分ほどの怠けぶりだが)8時に家を出て長女の受診に同行した。
近畿大学医学部奈良病院は山の上にあった。
娘の住まいする最寄の駅で落ち合い、そこから車で10分ほどのところである。

胎児は5.3センチになり3倍に成長していた。

私も外来の主治医とお目にかかれて安心した。患者側も医師を初診しなければならない。信頼できるに足るかどうか第一印象は大切である。

「あれが電子カルテと言うものでね・・・」と、診察室から出て娘の解説を興味深く聴いた。確かに紙の消費は4分の1ぐらいになっている。検査や支払い用紙、そして、薬の番号札はかろうじて紙が使われていたが、夫が言うに、そのうちに紙の消費はなくなるだろうとのこと。家業柄、紙に関心が向く。

次回の予約や母親教室の予約などを終えて、地階のレストランで昼食を摂った。近的な近病院は、院内のレストランも病院の中とは思えない雰囲気と豪華さだった。
そこは「都ホテルおおさか」直営店のレストランで、しかも、安価で最高だった。
病院でバイキングを食べるとは思わなかった。
バイキングの種類は少ないが、スープにパン、サラダにデザートまでついて1000〜1300円。不謹慎だが、「ランチに困ったら近大病院へ行こう!」と言いたくなるほど、おいしくて雰囲気も良くてファミリーレストラン並みの価格なのだ。

診察中の娘を待ちながら、私は北野病院の産婦人科を初めて受診した時のことを思い出していた。
母が一緒に行ってくれた。

私は受診後も恥ずかしくて1時間くらい頬の紅潮が冷めなかった。私の場合は子宮の発育が少し悪かったために内診だけではわからず、妊娠反応を見るために尿検査をして、翌朝の電話で「おめでたですよ」と言われたものだ。
病院を出て、昼食は阪急百貨店のレストラン街にある中華料理店へ入った。もう30年も前のことだ。
そして、今度は私が娘のおめでたで産科に来ているのだ。
胸がいっぱいになった。


娘の家に着いて早々、持って行った私のパソコンを開けて年賀状作成に協力してもらったが未完のまま終わる。
電子ピアノでクリスマスの讃美歌を弾いてくれた。
パイプオルガン調でキャロルを聴くと最高だった。

娘の家なのに、しかも娘と二人っきりなのに、私は落ち着かず2時間ほどで家を出た。別れの辛いこと。だから行くのは嫌だ。自宅で見送るほうがいい。やっぱり一緒に暮らしたいかな・・・。
私が一度も娘の家に行かないので娘のお友達は意外らしい。私にすれば娘の方が頻繁に実家に行くものなのになと思う・・・。私の世代で既にそのような幸運な時代に変わっていた。だから私など2週間に1度は行っていたように思う(夫の実家へは2ヶ月に1回くらいだったけれど)。
夫に感謝!
娘が妊娠していなければ、大阪で待ち合わせて買ってやったり、食事をしたり楽しもうと思っていたので残念だが、そんなこととは比べものにならない喜びが来たのだ!

娘と食前のお祈りをしていただいた昼食、楽しかったね。
今日のことを、娘もまたずっと覚えていてくれることであろう。
私のように。
お母さん、懐かしいお母さん、ありがとう。
そして、主に感謝。
posted by 優子 at 22:52| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2006年12月21日

できあがってきた次女夫婦の年賀状

次女夫婦は18・19日に今学期の試験を無事に終えたようだ。最近はミネソタ時間の真夜中にも毎晩オンラインになっていたので厳しさは伝わっていた。
そんな大変な期間に現地時間の午前1時や2時頃(こちらでは夕方4〜5時頃)にスカイプしたこともあった。

25日夕刻に関空に着陸してわが家に滞在して、後半は東京へ移動するために新幹線指定席の確保や、彼らの年賀状を代金引換で受け取ってほしいことなどで話したことがあった。

しかし、すごい時代が到来したものである。
10年余り前だったか、近畿大学主宰のインターネットの説明会に夫と長女の3人で行ったことがある。留学生もたくさん参加していて、留学生がアメリカの御両親とメールのやり取りするところを見せていただいたが、全く予備知識の無い我々には、何が何だかさっぱりわからなかった。
驚くべきことにも驚けない状況であったから、江戸時代の人が昭和時代に連れて来られた以上の衝撃だったのではないかと思う。

今回も娘達はアメリカの家に居ながらにして日本の業者に年賀状を発注し、それがわが家に届いたのだから驚いてしまう。
今頃になって、こんなことに驚いていては笑われるだろうが、インターネットが画期的な大変革時代を到来させたことに驚くことしきりである。
しかも既に多くの新しい問題が多発しており、人間の進むべき方向は今まで以上に真剣に日々吟味されねばならない。なぜならば変化する速度が著しく速いからである。しかも尚、ドンドン加速度を増しているのだ。


さて、これを書いている時に娘から呼びかけられてチャットからスカイプに切り替えた。
昨日の午前と午後にミクロ(経済学)とマクロ〈経済学)の試験を終えて、全ての試験を終えたとのこと。前期では夫婦共に成績は「A」を取ったという。
こちらの大学院では日本の大学院以上に評価は厳しく、例えば「A」にもいろんな段階があり成績は厳しく付けられるため、教官からも「よくやった」と高評されて嬉しそうだった。

スカイプする少し前に年賀状が届き、点検かたがた手に取ると結婚式が蘇ってきて胸が熱くなった。
100名もの友が集まって下さった東京での2次会やハネムーンの写真もレイアウトされていた。

昨日は婿のお母さんから素敵なクリスマスカードが届いた。
「大志達が帰国の折には、またお世話になります。」と書いて下さっていた。こちらこそお世話になりますである。そして、婚約時代のように「大志」ではなく、「大志達」となっていたことにも感慨を覚えると共に複雑な気持ちもしている。

こちらへは年末の滞在で、年が明ければ2日には発つ。
年末最後の週は新年を迎える準備でチャッピーの手も借りたい時であるし、何もかも整えて迎えてやりたいところだ。
しかし、「ただ月が変わるだけ」と、私は既に優先順位を入れ替えている。
「ただ月が変わるだけ」とは、母の通院時代に患者さんの娘さんと励ましあった言葉だ。病状にもよるが、家族に病む人がいるとお正月の準備どころではない。
しかし、私は神様から何を最も大切にしなければいけないのかを教えられているから、心安く優先順位を正せるのだ。

しかも、今回は喜びのためである。

だから年末の用事よりも、娘達との時間を大切にしていろいろご馳走してやりたいと思う。東京でも成田のご両親が心を尽くして下さるであろう。
posted by 優子 at 13:46| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年12月20日

「あなたは神から恵みを受けたのです」

昨日は朝から大阪商業大学で役員会、午後からは読書会。
役員会が延長したために昼食抜き。
さもありなんと思って朝食は2人分をおなかに入れて行って正解。昨夜のオムライスのライスが直径26センチのフライパンに満杯に残っていて、それを軽くペロリとたいらげた。
(大食い優子、一日に1キロも太り、体重計は「ピピピピ」と音が鳴り止まず、見れば「急激肥満」と出ていた。余計なお世話!)

読書会は瀬戸内寂聴の『手毬』、私は13〜4年前に読んだことをいいことに「あとがき」さえ読み直す時間がなくて出席。不真面目会員である。しかし、それでもおもしろかった。
来月の新年会の人数を把握した。予約しておかなければならない。
月・火と植木屋さんが来ておられるので、昨日は「アフター読書会」に残らないで帰ろうと決めていたのに誘われれば断れず、ケーキセットを前にして1時間ほど歓談した。

6時ごろ帰宅、郵便受けに原稿のゲラ刷りが届いていた。
これもできるだけ早急に校正して送り返さねばならない。
このほか、社会福祉課に報告書も大至急書かねばならないし、実は最も頭の痛いもう一つの大至急仕事が昨日勃発した。

もう半年も前から、読書会主宰で読書教育推進のためにどこかの小学校でフォーラムを開催し、商大のホールも無料で提供するから読書会主宰で何かやってみないかと学術研究室の室長からご依頼を受けていた。

3ヶ月前の例会で時間をかけて皆さんにも審議していただいたが難しく、私自身にもアイデアがなくて、昨日は辞退の結論を持って年末のご挨拶をして早々に帰るつもりだった。

ところがである。
「まだそんなこともやってないんですか?」と、厳しい室長相手に挑戦せざるを得なくなった。読書会のため、ひいては私自身のため。こんなに厳しくも熱くシツコク(ごめん、熱心に)言われるのは、神様からのことと受け止めて承諾したのだ。

豊中の読書会しか交わりがないので、まずは大阪府下(香芝市も加えよう)の読書会を検索して選び出して呼びかけをすることから開始。1月例会までに文章化して会員の皆さんに説明できるまでに立ち上げておかねばならない。

『カラマーゾフの兄弟』もある(ふらふら)、今週中に書かなければならない。
金曜日は受診日の娘と共に病院へ同伴することになっている。
土曜日は富田林市の<すばるホール>でクリスマスコンサート。日曜日は教会、夕刻はクリスマス御殿で聖歌隊として出番もある。
師走同様、「クリスチャン走る月」である。
月曜日には次女達も帰ってくる、掃除も最低限はしたい。

そんなわけで、特に今週は平日の礼拝は時間を割くことができない状況だった(ちっ(怒った顔))。
そこで昨夜には無理であると結論を出して眠ったものの、近隣にクリスチャンがおられてお誘いしていたこともあり、今朝の祈りの中で一切を神様に委ねて教会を優先させた。そのように決断することができた。

そして、恵みを一杯いただいて帰ってきた。
時間と体力は減ったが、霊の力は回復された。
家の近くにクリスチャンの友が与えられたことが何よりも嬉しい。その方は我が家の家庭集会だけではなく読書会にも行きたいとのこと。
私達は共に神様からクリスマスの大きな喜びをいただいたのだ。この出会いは2人にとって大きな意味のある出会いになるのだと思う。


今日読んだ聖書(ルカ伝 1章26節〜35節)の箇所から、私が直接いただいたみことばを心に覚えておきたい。

「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。」

「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。」


最近の私は長女が身ごもるという最大級の喜びよりも、ノロウイルスの恐怖の方が大きくなっていた。
朝に夕に思い出しては祈っていた。わが娘のことだけではなく、全ての妊産婦のために、乳幼児のために、家田さんのために、病気で体力のない方のために、・・・いや、全ての人々のためにと祈っていた。しかし、力強い平安がなかった。

娘ではなく私が怖がっているのだが、このような病気の流行もご存知である神が身ごもらせて下さったのだ。そうであるからには何かあろうとも、最後まで守って下さるのだから安心していればよいのだ。恐れることはないのだ。知子は神から恵みを受けたのだから。

そして、マリヤが言ったように私も心から神に申し上げよう。

「ほんとうに、わたしは主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と。  

天使ガブリエルの言葉は、神を信じる全ての人々へのメッセージでもあろう。
「あなたは神から恵みを受けたのです」と!
だから、どんなに落ち込むようなことがあろうとも、神に見出していただけたことを思い出せば元気が涌く。
神を信じて生きる人よ、今この時も神のご計画は進行中であることを忘れないように!


さて、今夜と明日で至急の仕事をかたづけなければならない。夜は体力的にも自信がない。しかしながら、このように時々ではあっても中・高校時代にこれだけやれていればなあ・・と思う。
posted by 優子 at 17:49| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年12月19日

Oさんからも嬉しいメールが!

クリスチャンドクターのOさんからも嬉しいメールをいただいた。
コメントを受け付けていないために孤独を感じる時もあり、大きな励ましにさせていただきたく許可を得て掲載させていただいた。

藤本優子 様

17日で結婚30年を迎えられたとの事お目出度ございます。
一口に30年と言いますが振返るといろいろな事があったと思います。

25年目の結婚指輪のお話を伺って、素敵なお嬢様を育てられたと感服致しました。人の心に寄り添う事のできる人は、今の世にあっては本当に貴重な存在だと思います。やはり優子さんの真摯な生き方がお嬢様方の生き方に繋がっているのですね。

子育てを卒業し、お二人だけの生活に戻られてからが人生の一番良い時であると思います。(祖父母の役割がその内発生して来ますが、それも併せてトゥルニエの言う人生の実りの秋がやって来ているのです)
どんな収穫があるのか楽しみですね。

ブログには何時も励まされ、感謝しています。
何気ない日常生活の中から意味あるポイントを見つけ、読者を引き込む文章に仕立て上げる力量さすがです。
今後も楽しみに拝見致します。

昨日から急に寒くなりました。
お身体ご自愛下さい。

               (12月18日落手)

Oさんは長年の間、「トゥルニエ読書会」を主宰してくださった方である。常に寛容に受け止めていただき、私の背後にいてくださるスーパーバイザーのごとき心強い存在である。
 
※ 19日はブログ会社の24時間メンテナンスのため閉鎖さ
  れていたため、この記事は20日の15時29分に書いて
  いるが19日付けで記録した。
  というわけで、ブログは「アリバイ」にはならないのです。
  日時は操作できるのです。これはサスペンスの見過ぎの
  発想ですね
(^−^)。
posted by 優子 at 15:29| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年12月18日

今年の感謝と喜びを!

優子さん

ハレルヤ
結婚30周年記念日お目出とうございます!!

優子さんは今年が結婚30周年、わたしは25年。
子どもたちが巣立ち、夫婦2人暮らしになったことは共通していますね。
ご主人のこともお祈りしています。

24日にご主人と一緒にキャロリングするなんて、素晴らしいですね。

クリスマス御殿、きれいですね。写真でこれだけきれいなら、実際はもっとすごいのでしょうね。
近かったらわたしも訪れてみたいです。

イブの夜に響く歌声に多くの人が耳を傾け、主を知ることができますようにお祈りします。
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感謝。
文香さんから昨夜のうちに頂戴したメールだ。
文香さんは昨日のご自身のブログもアップしておられないから、かなりお疲れであろうとお察ししているのにメールを下さったのだ。
早速ブログへの掲載許可をお尋ねしたら、「昨夜優子さんのブログを拝見したら、うれしくなって書かずにはいられなかったのです。」とお返事を下さった。

そして、いつものように笑ってしまうような楽しい「30周年、おめでとうメール」を下さった淳子さん、ありがとう。
淳子さんも24日の聖歌隊よろしくね!

文香さん、淳子さん初め多くの友や知人を想いながら、この一年の感謝と喜びを振り返る。
私と共に歩み、私を支え、励まして下さった神様。
そして、家族や友人知人たちに感謝の気持ちを伝え、悲しみや苦しみと共に生かされている喜びを分かち合いたいと思う。

年末の風物詩が忘年会ではなく感謝会になれば素晴しい!
                                       
posted by 優子 at 11:22| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年12月17日

24日夕刻、クリスマス御殿で私達夫婦もキャロリング!

アドベント第3週目を迎え、来週24日はいよいよ最終週である。
13日の夜のこと、「クリスマス御殿」(12月6日の記事ご参照)の吉田さんがキャロリングを依頼して下さったのだ!
「みんな教会へ行かないから好評だった」と仰って下さったのだ。
私はあの翌朝早くにタバコの吸殻などのゴミを掃除し、お礼に伺ったのだがこのような反響は知らなかった。

早速、教会スタッフに伝令した。
ところが、今年は全域ではなく富田林駅前のみのキャロリングとなっているのだが、昨日のスタッフ会で香芝チームだけで5時頃から来ていただくことに決まった。
ハレルヤ!
当日は同じ頃から富田林駅前でキャロリングがスタートするのでメンバーは少ないと思われる。こうなれば私も聖歌隊員だ。そして嬉しいことに夫も聖歌隊として参加してくれるという!
ハレルヤ!
今日は結婚30周年記念日、素晴しいプレゼントである。
忘れられぬ思い出となるだろう。


これがクリスマス御殿だ。

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そして、ここがチャッピーも入れていただいた庭内である。
この右側奥に一階のベランダがあり、3年前はそこに聖歌隊を招き入れていただいた。

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イルミネーションを始めて10年目の現在、電球3万5000個を数える。
「関西一円のカップルらの隠れたデートスポットにもなっている。週末ともなると、一晩で2千人を超すこともあるとか」。
    (2枚の写真は「マイタウン奈良 asahi」より転載させて
     頂いた。)


近くの方だけではなく大阪の人も是非お出かけいただき、私をも訪ねていただきたい。ご連絡大歓迎!

次女たちは24日にアメリカを経ち、25日に帰国する。
その夜から1週間わが家に滞在して、1月2日に婿の実家に移り9日に再びアメリカへ発つ。だから帰宅する25日夜の最終日に見られるわけだ(笑)。
美濃紙業の人たちも大歓迎!
聖歌隊員として参加する夫も見もの。(大丈夫かいな・・・)

心を静めてその日に備え、キャロルをイブの聖夜に讃美しよう。今から「コールユブンゲン」でもひもといて発声の練習をしなくては!!
いや、音がずれようとも私達夫婦も兄弟姉妹と共に讃美させていただくなんて、主は夫のこともとても喜んで下さっていることであろう。思いもかけない最高の贈り物をいただいた。

13日(水)10時半から、香芝ゴスペルチャーチでクリスマスの集いがあります。国分福音教会の富浦佳子師をゲストにお迎えし、クリスマス水曜礼拝のあとの昼食は、ポトラック形式で各自持ち寄っての愛餐会。キャンドルサービスもあります。
あなたも共に本当のクリスマスを過ごしましょう!


「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」

       (ヨハネによる福音書 1章5節)

posted by 優子 at 17:34| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年12月16日

神のみこころに叶う人に平安あれ!

先週のうちに民生委員の定例会も終わり、その翌日に歳末の慰問金をお届けした。児童下校時の見守りも終えて、一応今年の任務は終了したわけであるが、自主的な活動には小休止はない。

しかし、年末年始で家族のことにかまけてしまうであろうから、こちらからの働きかけも小休止になってしまうので、今週は気にかかっている方々のことを第一にしていた。
日を変え時間を変えて何度もお訪ねすれどお目にかかれず、福祉課へ相談したり、昨夜漸く近隣の人から情報をいただいて一安心したところだ。

多くの人々が問題を抱えている。
いや、問題の無い人は誰もいないだろう。
経済の破綻、経済的な問題に関わりなく家庭崩壊している家も多い。外観は大きな立派な家屋であっても、その中に温かい家庭はないのだ。神様の慰めを必要としている人、励ましと導きを必要としてる人がこの町にも溢れている。

「人の一生は重き荷を負うて、遠き道を行くがごとし」と述懐した家康の言葉を思い出し、そしてまた、「人はその人が生きてきたように死んでいく」という言葉も脳裏に浮かんでいた。


親の老いに悲しんでいる人、生きる意欲をなくして引きこもっている老人、破産した人・・・かと思えば、健康も経済も親子関係も全て満たされているのに感謝なく不平ばっかり言っている老人・・・。
お訪ねする時にトラクトを持って行きたいが、民生委員という肩書きがあるために已む無く、背後で祈らせていただくことしかできない。このことも任務に就いた当初から気づかされ、導きを祈らされていることである。

私と違って多忙で少しの時間を見つけては訪ねていた母。
私は母と語りながら歩いていた。今こそ母といろんなことを語りたかった。そして、これらの人々との触れ合いを通して、神様もまた私に何かを語りかけられておられるのだろう。


「悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう。」と主は言われた。
あの方に、この方に、主の豊かな慰めと祝福がありますように!
祝福された待降節を過ごす事ができますように!


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posted by 優子 at 20:46| 随想 | 更新情報をチェックする

2006年12月15日

17日は結婚30年周年

かつて、「トゥルニエ読書会」でクリスチャン精神科医の工藤信夫師は、「60歳までは夫婦の危機がある」と仰っていた。
離婚のリスクが低くなるまであと10年か・・・と私は笑っていたが、それからまた5年過ぎて明後日17日には結婚30周年を迎える。

「あなたが結婚した相手ほど、あなたの弱さと強さを知っている人が他にいるでしょうか。」と、ドレッシャー牧師は語る。
たしかに、もはや両親よりも夫の方がはるかに私の全てを知っているし、夫についても同様である。結婚25周年を迎えた時、私は初めて夫婦であることを実感したように思う。

その時は既に夫の両親の傍に住まいを移していて、その直後に最も大きな衝撃を経験していた。あの時、夫は初めて問題を実感し始めたのではなかったかと思う。その後も大きな危機があったし、これからもあろうが、選ぶ答えは決まっている。
結婚25周年の時に刻んだ想いをここに記録しておきたい。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「25年目の結婚指輪」

私達夫婦は、それぞれ7回目のお見合いで結ばれ25年が過ぎた。私にとっては、両親のもとにいた年月と同じ時間であり、ようやく互いの成長バランスを取り始めたように思われる。
これまでに一度だけ結婚記念日を祝ったことがあるが、今回は銀婚式だから祝会をしようと話していた時、
「結婚指輪を作ったらいいよ。」
と次女が言った。

結婚時、夫は「男が指輪をするのはかっこ悪い。」の一言で、私の願いに気をとめることもなかった。私の指に納まっているはずの指輪も、結婚して10年が過ぎた頃には消失していた。いや、本当のところは高慢不遜にも自ら外して捨ててしまったのである。

それまで何の苦労も知らずにきた私も、このあと苦難と無我夢中の中を通された。今は哀歓愛憎も一つの段階を経たように思われるが、書くにはまだまだ筆が生々しくなる。

両親を天に送り、今まで私を覆ってくれていた人生の屋根が取り払われたようで心細く思うが、もう今までのように弱虫じゃないぞという気持ちもある。

さて、娘の提案に飛びついた私達はデパートの宝石売場へ走った。
どの指輪にしようかと熱心に選ぶ夫の姿を見て、過ぎた日々がいとおしく感じられた。一週間後に、<1976.12.17 R to Y> <1976.12.17 Y to R>と刻まれたリングをそれぞれの指にはめ、その夜、母教会の燭火礼拝に導かれた。

思いもかけない神様の万全なご配慮に驚き、深い感謝と喜びに満たされた。
今後は二人が一致し、いよいよ真の愛に成長していくことができますようにと共に祈った。

姑は、「男の人が指輪をするなんて」と25年前と同じことを言ったが、私の両親は心から喜んでくれていることだろう。私の耳に鮮やかに父と母の声が聞こえる。そして、長い間忘れていた春の感情が萌え出した。

私は今、人生の新しいページをめくろう。
天気は実に明朗で、私の魂は横溢している。 

      (東大阪読書友の会会報 2002年4月発行
                  『かわちの』第5号より転載)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この夜、次女は外出先から直接教会へ行ったが、私達夫婦と長女は千里さん宅で夕食をご馳走になり、食べ立ちで教会へ見送っていただいた。
この時はもう父も母も逝ってしまっていなかったが、実家へ帰った時のように愛を受けた。千里さんご夫妻と神さまへの感謝を忘れない。
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今年は娘二人ともが一気に去っていき、夫婦二人に戻った。
さて、17日はどのように過ごそうか。
posted by 優子 at 10:50| 掲載文(父母) | 更新情報をチェックする

2006年12月14日

King of Kings, and Lord of Lords

1743年、『メサイア』初公演で時の国王ジョージ2世が、「ハレルヤコーラス」のところで感動して立ち上がったことから、今も「ハレルヤコーラス」になると聴衆が総立ちするようになった話は有名である。
私の心を強くする「ハレルヤコーラス」の歌詞を、ヘンデルはヨハネの黙示録からとっている。

ハレルヤ、万物の支配者である、我らの神である主は王となられた。ハレルヤ!
                 (19章6節)

この世の国は私たちの主およびそのキリストとのものとなった。
主は永遠に支配される。ハレルヤ!

                 
                 (11章15節)

王の王、主の主、主は永遠に支配される。ハレルヤ!                 
                  
                 (19章16節)
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Hallelujah,for the Lord God Omnipotent reineth,
Hallelujah!
The Kingdom of this world is become the Kingdom of our Lord and of His Christ,and He shall reign for ever and ever,
Hallelujah!
King of Kings,and Lord of Lords,
and He shall reigen for ever and ever,
Hallelujah!


中学生の時代から聴き親しんでいた兄の「ハレルヤコーラス」が、今も私の中で響いている。
「King of Kings,and Lord of Lords,(for ever and ever,)
and He shall reign for ever and ever,」
と、力強い兄のバリトンが聞こえる。

母が愛聴していたクリスマスのレコードの最後が「アーメン」だったが、それが『メサイア』の最後の部分であったことに今年気がついた。
「アーメン」の言葉だけで歌われる『メサイア』の最後は圧巻である。

リンカーンは、「聖書は、神が人間に贈った最大のプレゼントである。人間にとって望ましいものは全て聖書の中にある。」と語っている。

世界中で毎年5億冊以上もの聖書が出版され、日本には溢れているというのに未だ福音の届かぬ奥地のようだ。
耳を傾ける人は実に少なく心が痛む。

神を知らずに生きている私たちを罪より救い出し、永遠の命を与えるために、神は救い主なるイエス・キリストを地上に贈って下さった。それがクリスマスの出来事だ。
クリスマスの喜びが多くの人々に届きますように! 
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☆「ハレルヤコーラスについて教えて」などの検索から訪問して下さり感謝します。
同カテゴリ「音楽」の2006年12月7日の記事、「神が与えて下さった最高の音楽『メサイア』」もまた是非お読み下さい。この記事の一番下にあります " posted " の「音楽」をクリックして下さい!
ヘンデルの信仰生涯をお知りになってこそ、讃美の喜びと力が溢れてくることでしょう!
(2008年11月8日追記)
posted by 優子 at 17:34| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2006年12月13日

これからも主イエスと共に歩こう!

『生かされている喜び』の「あとがき」を、出版担当理事の川上与志夫先生がペンを執られている。川上先生は私の帝塚山(てづかやま)学院大学の恩師である。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「人生はドラマである」
「事実は小説より奇なり」
などと言われているが、ここに記された証を読むとその感を強くする。筆者一人ひとりの人生の背後には、余人には計り知ることのできない奇跡があったのだ。

よく知ったにこやかなあの人、この人。
その笑顔の背後に秘められた苦難の足跡。そのドラマを知って、おどろき、心を痛め、あるいは安堵し、感動し、そして感謝した。衝撃とそれにつづく敬服が、あの人この人との心の絆を強くしてくれた。

読みながら、思わず何度も筆者に語りかけていた。
「悲しかったね」「辛かったね」「よくしんぼうしたね」「よくがんばれたね」「いい支えがあってよかったね」

逆境から抜け出そうとしている人は、神の愛に疑念をいだき、神をのろい、ときには信仰から遠ざかる。それでも、神は人を裏切らない。

もがいてがんばってきた自分を、ある時点で否定するように導かれる。不思議な啓示である。
素直に導き従うと、人生は「生きる」から「生かされる」に移行する。
すべてを投げ出して身をゆだねるとき、主の愛、主の臨在は知らされるのだ。
これこそが信仰。
そのよろこびを伝えるのが証。

辛い日も恵み、悲しい日も恵み、平凡な日も恵み。
文章による証を越えて、「生かされる」生による実証が求められている。
主題である「志に生きる」とは、一瞬一瞬の実証を積み重ねていく、日々の歩みに他ならない。

今日もまた、にこやかに明るく、感謝して、祈りつつ歩もうではありませんか。
    

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

川上先生は一回生の時に履修した宗教論の指導教官であり、大学生活全般についてのアドバイザーでもあった。
私は大学を卒業して13年後に受洗、『百万人の福音』誌上で日本クリスチャンペンクラブ掲載記事に師のお名前を発見。直ぐに連絡をとり、師のご推薦でペンクラブに入会させていただいた。

師の「あとがき」にも力強い励ましを受けた。

私は信仰生活を経ながら、神は全知全能であり、全てに目を注いでおられるということが分かってから、神がご存知でおられるのだからと思えるようになった。
娘の胎内でいのちが組み立てられ成長させて下さっているように、常に、今も、主のご計画は進行中なのだからと希望を持って祈り続けられるようになった。

だから私もまた、「今日もまた、にこやかに明るく、感謝して、祈りつつ歩」むことができるのだ。
大きな奇跡である。


「主イエスと共に歩きましょう、どこまでも
 嬉しい時も、悲しい時も、歩きましょう、いつも」
と、幼い娘達が歌っていた時の声と笑顔が、私を前へと誘う。


ご案内
『生かされている喜び』は、213ページのB6版並制、日本クリスチャン・ペンクラブから発行されています。(1300円+税)
ご希望の方は代金(送料とも1500円)を日本クリスチャン・ペンクラブ事務局 郵便振替00170−0−161838 までお送り下さい。
posted by 優子 at 08:42| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2006年12月12日

母から私に世代交代の感

久々に大阪へ出た。
心斎橋での用事をこなしたあと、梅田へ向かった。
キリスト教書店で本を探す至福の時、しかし、たった1時間で腰が痛くてたまらず購入したのは一冊だけ、あとはインターネットで買うことにして早々に切り上げた。

実家へ母の介護に通っていた時や、住友病院に入院してからも、いつも帰りに立ち寄っていた阪神百貨店と大丸。
あの頃もエスカレーターに乗りながら横に写る自分の姿を見ていたものだが、「どこのおばあさん?」と言うほど私は年を取っていた。
10年も経てば仕方がないか・・・・。
腰だけではなく膝まで痛くて、体力も外側同様に大きく衰えた。しかし、まだ55歳でこんなことでは老いすぎではないか。

長女にマタニティ服を買ってやろうと見に行ったが、本人の好みを聞いて年が開けてからのことにして早々に帰ってきた。

今まで50〜60歳のお母さんと娘さんの姿を見ると、羨ましく、悲しかったものだが、そういった悲しみは過ぎ去りつつあるようだった。
そこに私と娘の姿が重なりつつ見えた。
母と私ではなくて、私と娘の姿に代わりつつあった。
posted by 優子 at 17:36| 父母を想う | 更新情報をチェックする

燃え上がる志

       「燃え上がる志」                 
                    藤本 優子

私は30歳になるまで、「志」など全くなかった。
中学受験が影響したのかもしれないが勉強嫌いになり、同志社へ入学したものの早々から勉強しなくなった。
道を反れることは一度もなかったものの、中・高時代は学業不良で母や父を悩まし続け、果ては都落ちであった。
大阪から片道2時間かけて通学する我が子のために、早朝5時起きでお弁当を作り続けてくれた母の心情を想うと今も心が痛む。
 
長女が幼稚園に入園する時のことだった。
身上書に、「子どもはどんな人になって欲しいか」という項目があった。その時、私に明確な考えのないことにハッとした。

自分自身がどのように生きたいのかも分からない者が、どうして我が子に「このように生きて欲しい」と言えるだろうか。
精一杯考えた末に、「自分に与えられた能力を能動的に発揮する人になってほしい」と書いたことを覚えているが、これが私の30歳の姿であり、遅い目覚めであった。

しかし、今はどうだろう。
私も我が子もそのように生かされているではないか!
6年間の同志社時代に、私の心に日々蒔かれていたみことばの種が芽を出し、35歳にして神と出会って人生の座標軸が定められた。その時、神は私の深い想いの中に「志」を刻んでくださったのである。


その後、見事なまでに私だけのカリキュラムを組まれ、人生の関が原の如き信仰の日々を通された。特に10年間は百戦錬磨の時代であったが、その間に「志」は芽を出し養われていった。

大切な若い時代に刻苦勉励しなかった私が、今、年を取るほどに燃え上がる志をもって生かされているのだ。
両親の労苦も無駄にはされなかった。

多様化で多忙な現代は、クリスチャンでさえうっかりしていると主体性を失ってしまう時代である。人との摩擦を恐れていると世の中においても発言もせず埋没してしまう信仰生涯になってしまう。
私たちは闘わないことがよいのではなく、何と闘うかである。
ともすれば闘うべきことに闘わず、闘わなくてもよいことと闘ってしまう弱い者であるが、神と共に在って生かされるというのは何という恵みであろう。


私に残された時間、生涯が、神に用いられるものであるように、いよいよ熱心に励みたいと思う。

「堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである」。 

           (コリント人への第一の手紙 15章58節)


 ―『生かされている喜び』(あかし新書第27篇)
  日本クリスチャンペンクラブ発行(2006年12月)掲載―
  
    
posted by 優子 at 07:38| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年12月11日

キリスト者の志

私が初めてクリスチャンペンクラブの夏期学校に参加したのは、近江八幡市が会場となった2005年のことである。
その時に池田勇人理事長(霞ヶ関キリスト教会牧師)が奨励された説教要旨が、『生かされている喜び』に掲載されているので今一度心に刻むべく引用させていただきたい。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    「志に生きる」
  
  志をはたして いつの日にか帰らん
  山は青き故郷 水は清き故郷

大正3年(1914)に発表された唱歌、高野辰之作詞「故郷」の3節です。曲は岡野貞一(キリスト者の作曲家・オルガニスト)ですから、最後に「アーメン」を付加しても違和感がありません。

星雲の志を抱いて、新しい出発をしている若人らの祝福を祈ります。「星雲」を辞書で見ますと、「グレート・アンビション(大望)」とありました。
「ボーイズ・ビー・アンビシャス!」(少年よ、大志を抱け)と言い残して、W・S・クラークは米国に直行と思いきや、何と彼は京都同志社の新島襄を訪ね、「オー・マイ・ボーイ」と抱きかかえています。国禁を犯して留学した新島は、すでにクラークと旧知の間柄だったのです。

W・メリル・ヴォーリズ(日本名 一柳米来留 ひとつやなぎめれる)は、教育、医療、福祉、建築と幅広く活躍した宣教師。「福音のためにはどんな事でもする」(Tコリント9・23)青い目の近江商人でした。
琵琶湖の東近江八幡に赴任して、2005年でちょうど100年ですが、生涯を支えた彼のモットーは「志に生きる」でした。

新島は日本仏教のど真ん中京都に、キリスト教宣教の足がかり同志社学園をつくりました。
ヴォーリスも仏教会から反発を受けながら、福祉の土着化に多大な足跡を残しました。志に生きる人々によって、このように福音や文化は進展し、重い歴史の扉が開かれてきたのです。

さらにこのようなリーダー達だけが偉かったのではなく、彼らを支えた名も無き仲間達、志を半ばにして命を捧げていった民衆を、決して忘れてはならないでしょう。
歴史の表舞台に登場した勇者達はもちろん、彼らに志を起こさせてくださった神に気づく眼差しを持ちたいものです。
歴史(ヒストリー)なる言葉が、神の物語(ヒズ ストーリー)から生まれたのですから、歴史の真の主人公に、まず耳を傾けてまいりましょう。

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる・・・」(ピリピ2・13)

世の多くの人の志とキリスト者のそれとの違いは、第一に、神が与えてくださるということです。もちろん棚からボタ餅式ではなく、よく考え祈りに求める中に、ということです。

第二に、私達が消耗品として使い捨てにされることはなく、神が最後まで責任を持ってくださるということ。神が始めてくださったことなら、必ずや完成させてくださる(ピリピ1・6)との信仰に立ちたいものです。

第三に、与えられた志を目当てにし、今なすべき小事に忠実であれ、ということ。
自分にはもっと大きな奉仕があるはずだと、夢想しつつ朽ちてしまわないようにと祈ります。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キーボードを叩きつつ、一言一言、魂に刻んだ。
主よ、この小さき我もまた、主と共に生涯を全うさせ給え!
posted by 優子 at 10:50| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2006年12月10日

ビジョンというプロセスを通してイエスに見(まみ)える

アドベント2週目の礼拝では、ウイクリフ聖書翻訳宣教団体の太田貴士宣教師を通して神様からの励ましをいただいた。

「ウイクリフ聖書翻訳宣教団体」は、聖書翻訳されていない未開地にて、聖書の翻訳を通して神のことばを伝えていく働きをしている。
ウイクリフ派遣メンバーの3割が翻訳者で、あとの7割はパイロット・医師・教師・サイトを作る人・・などである。

現在、世界では6912の言語が話されており、このうち
2600の言語がまだ聖書翻訳されていない

存在すら知られていない人たちは約3億8000万人、南米・アフリカ・東南アジアの地域であるという。

太田師たちが向かったインドネシアのジャングルの奥地は、小さなボートで3日かかって着いた所である。電気も水道もない石器時代のような生活で、原始宗教アミニズムが支配する世界である。
彼らは偶像を拝み、罪意識があるので動物の血を流して清めているというが、彼らに罪意識があるというのは、私にとって感動の驚きであった。

彼らは書き言葉を持たないため、彼らの言葉を書き留めて文法をつかみとって言葉を理解していくのである。
20年30年かけて一言語の翻訳を完了させるという、言語に絶する忍耐を伴う仕事である。しかもマラリアやデング熱の恐怖など最悪の生活環境である。

師は言われた。

「ビジョンを確信するまで長い時間がかかる。
しかし、ビジョンは決して目的ではない。それよりももっと大切なことはプロセスだ。
我々はビジョンというプロセスを通してイエスに近づく者とされていく。故に諦めてはいけない。続けることである。約束されているのだから!
『失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります』と」。


私達が日本語で聖書が読めるようになって140年ほどであろうか。
日本人ならば誰でも耳にしたことがあるヘボンは、自国の全財産を処分して日本宣教のために生涯を捧げた医師である。
ヘボンを初め、多くの外国の宣教師たちの尊い働きによって、私達も心に響く母国語で聖書を読めるようになったのである。

クリスマスを間近かにして、太田宣教師を初めとするウイクリフの方々に神様からの特別な祝福がありますように!
私達はみことばをあまねく人々にお伝えし、ひとりでも多くの人が心を開いてイエス様を心に迎えられますように!

「失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」

                  (ガラテヤ人への手紙 6章9節)

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posted by 優子 at 21:30| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

「神に生かされてこそ人は生きる」 

 
 「神に生かされてこそ人は生きる」  
     
                          藤本 優子
                         
実家へ母の介護に行った帰り道、高校生の頃におられたお手伝いのおばさんと出会った。80歳前後になっておられたその人は、母の容態がかなり悪いことを知り、遥か昔に母から借りていた8万円を返しに来られたのだ。

返してもらえなくてもいいの。困っておられるのだから、こちらに余裕があるのなら差し上げたと思って渡してあげなさい。

お金を無心に来る人にも快く用立ててやっていた母の姿が甦った。

忙しい時も時間を見つけては困っている人を訪ね、愛の労を惜しまなかった母が、神経難病に侵された。末期には五体の一切が動かず横たわっているだけの肉体となった。
思考力と感情は侵されなかったものの、唯一の意志伝達法がかろうじて動く瞬きだけであった。
これ以上の残酷な生かされ方が他にあるだろうか。

闘病中期の頃、困難な口調で言った。

優ちゃん、○○さんはわがままやけれど、赦したげてね。

母は、自分や家族に対して筆舌に尽くしがたいことをし続けている人のことを言ったのである。
クリスチャンでも何人の人があの非道さに耐えられようか。
しかも、たった一つのみことばも握らせてもらっていない、キリストを知らぬ母が、赦してやれと言うのだ。

「神様、何故この母に難病なのですか!」

私は慟哭苦悩した。


最後の1年3ヶ月の入院期間中に、神様は教会の信仰篤きご夫妻を母に遣わして下さった。師は短くメッセージを語り、夫人は母の手を握って祈られた。

「神様、今までの長い年月、お母さんは愛を尽くし、誠実を尽くして近隣の弱き者、貧しい者の為に尽くしてこられました。
しかし、どんなに立派な人でも罪を持ったままでは天国へは行けません。どうぞ、お母さんの罪を赦し・・・」、


祈って下さったあと、

「お母さん、いつも『イエスさま』って呼んで下さいね。声が出なくても心の中で『イエスさま、イエスさま』って呼んで下さいね。わかったら目を閉じて下さいますか」と言われた。

その時、母はしっかり瞬きをした。 

神は母に、死んでも死なない、焼いても焼けない永遠の命を賜ったのだ。

今になって、そのことがどんなに大きなことであったかを思い知らされ、号泣感謝するのみである。
また、そこに至るまでの長い年月、苦しみ続けていた私に神様がどんな想いで寄り添い、見守って下さっていたかを想う。


「神を知る前は人生の夜明け前」であり、神様と出会い、神に生かされてこそ人は生きるのである。
私もまた祈りとみことばに生かされる者となった。

「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである。」          

               (マタイによる福音書4章4節)


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ―『生かされている喜び』(あかし新書第27篇)
  日本クリスチャンペンクラブ発行(2006年12月)掲載―
  
    

この出来事は1995年8月21日のことであり、「信仰篤きご夫妻」とは谷口諭・幸子先生ご夫妻である。
大阪、近くに堂島川が流れる住友病院の一室でひとりの魂が救い出された時のことである。
後年、私もまた神様の愛をわかる者と変えられ、変えられ続けているのである。
posted by 優子 at 07:32| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2006年12月09日

巻頭言より

『生かされている喜び』巻頭にある、ペンクラブ理事長 池田勇人牧師の言葉を抜粋引用したい。

あかし文章道に生きる心構えは、いかにあるべきか。
まず第一に、死ぬべきものが生かされているという感謝があること。
罪と恥のとりことされていた私が、「死者の中から生かされた者として」(ローマ書6・13)ペンが与えられているとは、何という光栄!

第二に、命の創造者、所有者なるキリストのみ手に握られているということ。
5つのパンと2匹の魚がキリストの手の中で祝されたように、祈りつつ文を紡いでゆきたい。

第三に、私の作品がどのように導かれるのか、結果はみ手に委ねて平安でいること。賞からもれても、神からの誉れを信じて・・・・。

     
     神様 なぜ

   自分の心臓は
   私が動かしているのではないから
   私は生かされているものなのだ
   とわかっているはずなのに
   時々自分の思ったようにいかないと
   疲れてしまうのは なぜ?

   生かされているということは
   今日の命を感謝しているということ
   生かされているということは
   生かしてくださっている方を 讃美すること
   と わかっているはずなのに
   不満や愚痴が多いのは なぜ?

   私はみ国幼稚園の
   まだまだ愚かな園児です


次に、私の拙文ながら大きな出来事をお読みいただきたい。
posted by 優子 at 20:46| JCP関係 | 更新情報をチェックする

あかし新書 第27篇出版される

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12月1日に、日本クリスチャンペンクラブより出版された『あかし新書 第27篇』である。
毎年1篇ずつ版を重ねているが昨年は発行されず、今回は2年分合わせての内容である。
第1章では「生かされている喜び」(1200字作品)、第2章では「志に生きる」(1200字作品)、そして、第3章では4000字作品と、総計75名の作品が綴られている。

私は1、2章のテーマで寄稿した。
私が誌面に登場したのは第12篇からだ。前理事長時代は
400字作品で、字数が少ないほど文章は難しいものだ。 
 
 第12篇 私とイースター        (1988年) 
 第13篇 日本キリスト教史の人物像 (1989年)
 第14篇 私と昭和            (1990年)
(第15編 改訂版 わが母)       (1991年)
 第16篇 日本に捧げた宣教師    (1991年)
                    (この作品で新人賞受賞) 
 第17篇 聖書と平和          (1992年)
 第18篇 愛について          (1993年)
 第19篇 隣人への手紙        (1994年)
             

第20篇の「苦難の意義」の原稿を送ったが、1995年秋に出来上がってきた本を見て、満江理事長の手違いで掲載漏れになってしたことが分かり、以後長い期間の休筆となった。

そして、再開したのが2004年発行の『第26篇 患難をこえて』であるから、10年近くものブランクがあったことになる。
ペンを置いた頃、我が呻きがどん底に達しようとしていた時であった。

「神は、すさんだ霊的状態にあった私を支えつつ、共に暗闇の中に居てくださ」り、ここまで導いて下さった。感慨無量。

「生かされている喜び」で取り上げたシーンは、ちょうどペンを置いた1995年のことである。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 5日に発生した画面の異常は、この記事をアップしたことにより完全に正常に戻った。正常に戻るのではという予感も2日前から感じていたが、最後まで残った12月2日〜4日の左右に伸びた画面の原因は今もわからない。感謝。

※追記 12月1日〜4日の記事は今も変なままだった。でも感謝!!(20:27記す)
 








posted by 優子 at 09:43| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

くすしいみわざ

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「只今10週目、今日現在で赤ちゃんは2.8cmに!
三週間で超音波画像は何と四倍になりました!」

ハレルヤ!
主よ、感謝します。
この幸いなクリスマスの月に特別な贈り物を感謝します。

真智子へ
真智がママのおなかの中にいた時、ちょうどこの頃の真智子を画像で見せてもらったよ。今改めて驚愕し、感慨無量です。


「あなた(神)はわが内臓をつくり、
 わが母の胎内でわたしを組み立てられました。
 わたしはあなたをほめたたえます。
 あなたは恐るべく、くすしき方だからです。
 あなたのみわざはくすしく、
 あなたは最もよくわたしを知っておられます。
 わたしが隠れた所でつづり合わされたとき、
 わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。
 あなたの目は、
 まだできあがらないわたしのからだを見られた。
 わたしのためにつくられたわがよわいの日の
 まだ一日もなかったとき、
 その日はことごとくあなたの書にしるされた。」

           
                 (詩篇 139篇13〜16節)

このダビデの讃美を私も大きな声で讃美したい。
かつて私も母の胎内に宿り、私の胎内にも命を宿らせて下さり、そして今、わが娘の胎内に子を宿らせて下さった。
今ほど深くダビデの讃美を味わうことはない。

神様が常に、じっと目を注いで見て下さっていることを知っているとは、なんと心強いことであろうか!

今、娘の胎内で行われていることは、まさしく神様の御業(みわざ)である。ただ神様と共に大事に過ごしていけば、何もせずとも全てを神が創造していって下さるのだ。神と共に生きるということもこのことと同じではないだろうか。

娘の胎の子も、必ずや神様を讃美することであろう。
どうか、そのように育てさせて下さい。母親の信仰を継承させて下さい。あなたの愛の中に育んで下さい。
主よ、月が満ちるまで母子共に守り育んで下さい。

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posted by 優子 at 23:18| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

スクルージの如くにあれかし

昨年12月の読書会は、チャールズ・ディッケンズの『クリスマス・キャロル』だった。その時のMさんの感想に深い感動を覚えた。
「うっとうしくて、すごい嫌やなあと読み出したけれど、これは私やと思った。私のことが書いてあると思った。
自己を深く洞察しておられるだけではなく、実に正直な告白である。

私がなぜそこまで感動したのかを考えた。
この作品に触れる時はいつも、「私もスクルージのように変えられますように」と新しい気持ちにさせられる。
しかし、「私はスクルージほどではないな」という気持ちも、なきにしもあらずなのかもしれない。

感想の表現は人それぞれであろうが問題は表現云々ではなく、いかに自分の姿に気がついているかである。気がついていてもMさんのように正直に発言できるかどうかの問題もあろう。
しかし、私の場合はそれではなく、「私はスクルージほどではない・・・」という思い上がりがあったのではないだろうか。
そういうことだ。
感想自体に優劣はないだろうが、時として、発言する人物の真相が見事に現れるものである。

私には忘れがたい感想であった。

主人公のスクルージは、冷酷無慈悲な守銭奴の老実業家で、書記のボブ・クラチットを薄給で雇用し、全ての人々に嫌われている。
クリスマス前夜、7年前に亡くなったかつての共同経営者マーレイ老人の夢を見る。スクルージと同様の生き方のまま生涯を終えたマーレイの亡霊は、良いことをしなかったことを悔い、いかに苦しみ続けているかを語る。そして、スクルージにこれから3人の精霊が出現すると伝えたのである。

そして、夜が明けた。

クリスマスの朝を迎えたスクルージは生まれ変わっていた。


するとどうだろう。引用してみよう。

何もかもが自分に喜びをもたらすものだと知った。散歩することが―いや、どんなことでも、これほどの幸福を与えてくれるとは、夢にも思ったことがなかった。

ありがたい!
これから先の時間も自分のもので、なんとか埋め合わせをつけることができるのだ!


そして、作品の最後を次のように結んでいる。

「彼(スクルージ)はいつもこう言われていた、クリスマスの上手な祝い方を知っている人があるとすれば、それこそあの男だ、と。
そういうことが、わたしたちに、わたしたち全ての人に本当に言われますように!

そして、チビのティム(クラチットの末息子)が言ったように、

ぼくたちだれにも神の祝福がありますように!」

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神様がスクルージに与えて下さったのは、人を愛する心であり、生かされていることを感謝する心だった。

ぼくたちだれにも、あなたにも神の祝福がありますように!
 
posted by 優子 at 12:00| 文学 | 更新情報をチェックする

2006年12月07日

神が与えて下さった最高の音楽 『メサイア』

「クリスマスには『メサイア』」と言われるほどの比類なき名作は、ヘンデルの生涯の中で最も暗く苦しい時に作曲された。

脳卒中のために右半身は麻痺し、リウマチで体の動きはとれず、しかも、彼の音楽を最もよく理解し支持してくれていたキャロライン王妃の死。
それだけではない。
資金に欠乏した彼の貸し主は逮捕され、ヘンデル自身も債務者用監獄に投獄の恐れがあった。

そのような病気と絶望と貧しさの中、一片の聖書の言葉がヘンデルの心にひらめいた
1741年8月22日から9月14日、彼は貧しいアパートの一室でペン握ると一気に『メサイア』を書き上げた。
260ページにも及ぶ楽譜である。

この間、家に閉じこもったままで食事もろくに摂らず、
「作曲の最中に訪問した友人は、激しい感情の高揚で彼がすすり泣いているのを目撃している」。
ヘンデル、56歳の時のことだった。

こうして、「神が人類に与えて下さった最高の音楽」、『メサイア』(「救い主」の意味)が誕生した。


バッハと同じ年に生まれ、同じルター派の信仰者であったヘンデル。
当時の音楽家は教会だけで活動していたが、ヘンデルは世俗的な歌劇や室内楽の作曲も手がけたため、信仰を同じくする者からも攻撃や妨害があった。

「驚くばかりの恵み(アメイジング・グレイス)」の作詞者であるジョン・ニュートンでさえ1年以上にも及ぶ批判攻撃を続けた。
しかし、ヘンデルは批判で返さなかった。


大主教に対しても、「私は聖書をよく読んでいます。ですから自分が導かれた解釈を選びます。」と毅然とした態度をとった。

彼は生涯の終わりまでキリストに従う篤い信仰者として生き、「最終的な成功を収める前の何年にも及ぶ挫折の日々においても、ヘンデルは活動を止めなかった」。

あらゆる障害、たび重なる困難が来ようとも、ヘンデルには「跳ね返す驚異的な力」があった。
それ故に『メサイア』が誕生したのだ。
まさに『メサイア』は神様からヘンデルへの贈り物であり、人類に与えて下さった最高の贈り物となった。
ハレルヤ!


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追記:この後編を2009年12月3日の記事に書いた。

posted by 優子 at 17:31| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2006年12月06日

刑務所の中のクリスマス

今からご紹介する出来事は、カナダの『シャイツマン』という新聞に載った実話です。

あるクリスマスの夜のことでした。
ひとりの女の子が小さなプレゼントを胸に抱いて、震えながら暗い道を歩いて来ました。その女の子のお父さんは殺人犯で刑務所の中にいるのです。

しかし、もうとっくに面会の時間は過ぎ、何度お願いしても守衛さんはお父さんに会わせてくれませんでした。
とうとう女の子が泣き出した時、刑務所長が通りかかりました。
そして、所長さんからお父さんに、そのプレゼントを渡してくれるということで女の子は帰りました。

そのお父さんは乱暴で規則など全く守らず、手のつけられない囚人でした。独房の中で、所長からプレゼントを受け取った男はリボンをほどきました。
すると中から一枚の紙切れがありました。

「大好きなおとうさんへ。
おとうさんが殺人犯だということが恥ずかしいと言って、おかあさんは家を出てしまいました。
クリスマスにおとうさんにプレゼントを贈りたいと思いましたが、お金がありません。
そこで、おとうさんが優しくなでてくれた、わたしの赤い巻き毛の髪を切りました。
これを、今年のプレゼントにします。
おとうさん、わたしはどんなにつらくっても、さびしくっても、おとうさんが帰ってくるまでがんばります。
だからおとうさんもがんばってください。
刑務所は寒いと思います。
おとうさん、風邪を引かないで・・・・」



娘の手紙を読んでいく男の目に、ドッと涙があふれました。
そして、箱の中から赤い巻き毛をつかみ出すと、その中に顔をうずめて泣き出しました。

次の日、男は、まるで別人のようになっていました。
そして、大きな刑務所の中で最も模範的な囚人に生まれ変わったのでした。
愛ほど人を変えるものはありません。〓[〓°Ν??〓〓.gif
クリスマスには全てに先立つ「愛」を贈りたいですね。
どうぞ良いクリスマスをお迎え下さい。

    
        (藤戸小学校PTA新聞 ふじとニュース24号
               1991年12月20日発行より)
posted by 優子 at 10:57| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

最高の贈り物 @

この記事は昨日5日の12時7分にアップしたものであるが、「このまま続けます」を掲載しても画面の右側から消えてくれず、いろいろ試行錯誤するなか今日付けに変更すると、とにかくデザインだけはスッキリと回復した。

ただし、不可解なことに4日以前の記事はご覧の通りそのままであり、本来右側にあるべき表示も最下段になったままである。
しかしまあ、ここまで復旧できて感謝。
タイトルは「@」のままで掲載した。


ある年のクリスマスのこと、次女の一言に感動した。

「まちちゃん、サンタさんからプレゼントもらってよかったね。
 ママには何もこなかったよ。」


「ママ、この前のクリスマスに、サンタさんにプレゼントもらったやんか!
クリスチャンになったやんか!」


私が受洗したのは1987年で、「この前のクリスマスに」というから、この会話はその翌年1988年のクリスマスの時のことだろうか、年月日が記載されていない。
1988年だとすれば、真智子は8歳で私は
37歳の時である。


「ママはクリスチャンになったやんか!
ママこそ最高の贈り物をもらったやんか!」

と、私がクリスチャンになったことを喜ぶ我が子に感動し、二重の喜びは今も忘れられない最高の贈り物になっている。

posted by 優子 at 10:07| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2006年12月05日

最高の贈り物 A

長女とのクリスマスに関する思い出もある。知子が7歳の時のことだ。家族新聞(1989年11月14日付け、第33号)より引っ張り出してこよう。

「もうすぐクリスマスね。ことしも サンタのおじいさん きてくれるかしら。」
「きっと きてくれると おもうよ。」
「そうね、1年かん がんばったものね。ともちゃんの かおを 見るの を たのしみに まっているよ。」
「ほんとうに まっているかなあ?」 
「いまごろ プレゼントを よういしていると おもうよ。なにを おね がいしたの?」
「あのね、本を5さつ おねがいしているのよ。」 
「5さつも? 本がすきなのね。きっと ともちゃんの よろこぶような 本を もってきて くださるとおもうよ。」
「まま、ほんとなの? うれしいなぁ。」 
「ママも おねがいしたよ。」
「なにを おねがいしたの ママ?」 
「いつも やさしい こころで いられますようにって おねがいしたの。おこってばっかりの ママだからね。」
「でも、おこるのは わたしが わるいから ママが おこるんだよ。」 
「ごめんね。とても よい子の とも子に ふさわしいママに なるからね。」 
「ママが あやまること ないよ。わるいのは わたし なんだから    ね。」 
「たのしい クリスマスにしようね。かぞく4人 みんなが きれいな 気もちで クリスマスを むかえようね。」
「うん、かぞく4人で たのしく クリスマスを やろうね。」 
     

これは知子が小学校1年生の時、1984年12月23日の学級通信に載せていただいたものです。
字を覚え、短文も書けるようになった知子と、絶対にしゃべらないで、二人の鉛筆対談をノートに綴る宿題でした。

知ちゃん、覚えてる? ママとこんなお話をしたのね。

この2年後のクリスマスから、私達家族4人は、イエスさまの誕生を喜ぶ、本当のクリスマスを迎えるようになりました。
今年は結婚して13回目のクリスマスです。

                  
   2anim_te02ab.gif            (以上、家族新聞より

この続きに面白いことを書いている。

ところで、知ちゃんと真智ちゃん!!
今年もクリスマスが近づいてきたけれど、プレゼントはもう決めたのかな?
11月中には決めておかないと、サンタさんが困ってしまうよ。
ねぇ、パパもそう思うでしょ?

それと、今年からは、サンタさんにサインをしていってもらったり、去年のように「指紋を押して下さい」って、スタンプと紙を置いておくのはやめようよ。
クリスマスイブの夜は、本当に忙しいサンタさんだからね。
サンタさんは指紋を押そうとして下さったのか、スタンプの蓋があいていたね。きっとその時に、知ちゃんか真智ちゃんが目を覚ましそうになったんじゃないかな。
イブの夜は、パパとママまで緊張してゆっくり眠れなくって・・・・・・


子育て時代の楽しい光景だ。
私達夫婦にとってクリスマスイブの夜は一年中で最も長い夜だった。
この年の知子へのプレゼントは、本2冊(『サンタクロースっているんでしょうか』と『大きいツリー、小さいツリー』)、そして、コアラのぬいぐるみだった。そのぬいぐるみに知子は「ランタ」と名付けた。
4歳の真智子にはドッヂボールと絵パズルを届けた。
2年間ほどの家族新聞だったが、この中には私達家族の思い出が一杯詰まっている。
時間が経っても色あせるどころか、ますます輝きを増す宝物である。
posted by 優子 at 14:08| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2006年12月04日

人となられた神

シーザー、ヒトラー、織田信長・・・・など、これまで数え切れないほどの人間が神になろうとした。それが人類の歴史であると言える。そして、現代も北朝鮮に存在する。

しかし、神は人になって下さったのだ。
しかも、王の王、主の主、神であるイエス・キリストは、貧しさの極みの中に生まれて下さった。

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「キリストは神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕えるものの姿をとり、人間と同じようになられたのです。

キリストは人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死までも従われたのです。
それゆえ、神は、キリストを高くあげ、すべての名にまさる名をお与えになりました。」

         
              (ピリピ人への手紙 2章6〜9)

「誰もイエスさまの足音を聞きませんが、この罪の世界で、柔和な人々がイエスさまを受け入れる時、イエスさまはそこに来たまうのです」。

と綴っておられるのは大塚野百合さん。
そして、その著書『讃美歌と大作曲家たち』で、私も大好きな讃美歌115番を、「米国が生んだ最も美しい讃美歌」であると書いておられる。

  「ああベツレヘムよ などかひとり
  星のみ匂いて ふかく眠る
  知らずや今宵 くらき空に     
  とこよの光の 照りわたるを」


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これを読んで下さった方々にクリスマスの喜びが届きますように!
posted by 優子 at 17:45| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2006年12月03日

世を照らす光がきた

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アドベント第1週目の今朝、礼拝堂の前のロウソクに1つの灯がともった。
イエス・キリストは「すべての人を照らすまことの光」と呼ばれている。

キリストは神であるのに、神のことが私達にわかるように人間として生まれて下さった。
そして十字架の死を死んで下さった。
それは、死んで3日目に復活し、王の王、主の主であることを証しするためであった。
そして今も、私達のために執り成して祈り導いて下さっている。

世間はクリスマスの意味もわからない人たちが騒いでいるが、今年こそ本当のクリスマスの意味を知っていただきたい。

「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子(みこ)を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
   
           
               (ヨハネによる福音書 3章16節)


posted by 優子 at 18:00| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2006年12月02日

あなたにも本当のクリスマスを!

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文香さん、できたよ!!!
やったーーーーー!!!!!!
私にもできた!!!!
すごく嬉しい!! すごく楽しい!!!るんるん
文香さん、ありがとう!

長い時間かけて見つけて下さった宝物を惜しげもなく分かち合って下さって感謝します。
そして文香さん、この絵を提供して下さっているakaneさんもクリスチャンですね!
akaneさん、ありがとう。お知り合いになりたいな。
これからカットも入れられるので楽しみ、連発しそう!!! 
最後のほうに入れていたこのカット記事、嬉しくて嬉しくて冒頭に持ってきてしまった。

さて、世界史を2分したイエス・キリストの誕生、それがクリスマスの出来事である。
”BC”(紀元前)は、”Before Christ”「キリスト以前」を、
”AD”(西暦)は” Anno Domini”「主〈キリスト)の年」の意味である。

即ち今年は、キリストが救い主として人類の歴史に介入されてから2006年という意味である。

先日、我らが日本クリスチャンペンクラブのホームページに素晴しいカット入りで、クリスマス物語が公開された。
祈りの友、文香さんの御愛労によるものである。

同志社女子中・高では、毎年12月17日に生徒達による「クリスマスページェント」の礼拝がある。
その日の午後6時から一般の人たちをお迎えして、朝と同じクリスマスページェントが催される。当日の夕方には、栄光館ファウラーチャペル前から長い列ができる。
ペンクラブのホームページを読み始めた時、あの懐かしいページェントで厳かに聖書朗読していた生徒達の声が聞こえてくるようであった。

この記事を読んで下さった方は、直ぐに画面右側にあるリンク先、「クリスチャンペンクラブ」をクリックしていただきたい。
そして、出てきた画像の左側に”new”の動く字のところの「聖書の引用によるクリスマスページェント」をクリックすれば、あなたも本当のクリスマスにいざなわれることだろう。

HPを管理して下さっている文香さんに更新のお礼メールかたがたお聞きした。
「この美しいカットや画面をどうやって作ったの?」
するとご丁寧な返信と共に、そのことを今日のブログに書いて下さると書かれてあった。
今日アップされた「生かされて」(画面右のリンク先)の記事も興味深い。
 (最初はここに冒頭のカットを入れていた)

12月は「師走」というが、希望姉(ブログ「希望の風」の執筆者)は「クリスチャン走るの月」と書いておられる。
まさに「クリスチャン走る」である。
健康に気をつけて、私も走ってベツレヘムまではせ参じたいと思う。

そして、共に主の御降誕をお祝いしよう!
posted by 優子 at 19:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2006年12月01日

歳末たすけあいの募金活動に立つ

ついこの間、新しい年が始まったかと思えば早12月を迎えた。
昨年に続いて今朝も7時半から2時間、関屋駅前で歳末のたすけあい募金活動に参加した。
スラックスを2枚重ねての重装備である。

初めて募金活動に立った昨年は、ずっと横田早紀江さんたちのことを考えていた。
拉致されて帰らぬ我が子のために、30年間も立ち続けておられるご家族の方たちの忍耐と悲しみを思っていた。

都会とは違って人口の少ない駅頭であり、募金して下さる方は少ない。
私は30分もすれば腰が痛くなり、今も強い痛みが消えず、しびれもある。腰痛に耐えるために「マッチ売りの少女」の切ない気持ちを想像していた。

そんな中、一人の障害者の女性が立ち止まって下さった。すぐにダウン症だとわかった。この方は本当に僅かな金額であったが、美しい心からの募金だった。

経済的に満たされていても出し惜み、あるいはまた、「私はお札を入れますよ」と言わんばかりに入れる人もいる。
神さまが最もお嫌いになることだ。
神さまは私達の行為ではなく常に心をごらんになる。
この女性の行為と表情に触れて、私はイエスさまがお褒めになった婦人のことを思い出していた。マルコによる福音書12章の場面だ。


イエスは、献金箱にむかってすわり、群集がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。
多くの金持ちは、たくさんの金を投げ入れていた。ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ2つを入れた。それは1コドラントに当たる。

そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、

「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、献金箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。
みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。


1レプタは1デナリの128分の1に相当する最小単位の銅貨であり、1コドラントは1デナリの64分の1である。
1デナリは当時の一日の労働賃金に当たるから、婦人が入れた額はごく僅かであった。

しかし、婦人が入れた2レプタは、数百万円にもまさる多くの尊い献金であった。
アドベント(24・26日の記事後半を参照)を前にして、クリスマスのグリーティングを!


「いと高きところでは、神に栄光があるように、
 地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。
                       アーメン!
posted by 優子 at 16:31| 神(聖書) | 更新情報をチェックする