2007年01月31日

正しさと怒り

テレビで大相撲の八百長問題が取り沙汰されている。
嫌疑をかけられている当事者の一人に、「怒らないんですか?」とインタビュアーが質問した。その力士は、「やましいことをやっていないから怒らない」と応えたが、私は「objection !」の手を挙げたい。

果たしてそうだろうか。
身に覚えの無いことを言われ、誹謗中傷された時、人は怒らないだろうか。事実と違うから怒るのであって、反対に自分にやましいことがあると怒れないものだ。

確かに私の経験からも、あまりの非道さにぶち当たった時には唖然としたものだ。こちらも激しく反論すればよいのだろうが、相手があまりに自己中心的な物の考え方に立ち、限度を越える考え方や感情をぶつけられた状況下では、私の怒りは麻痺し唖然としてしてしまった。

その時の私に恐れは全く無く、神による不動の平安が私に忍耐と冷静さを保持させた。その根拠となるのは、全てを神様がご存知なのだからという神への信頼であった。
自己中心的な人に言ったところで伝わらないであろうし、全権を握っておられる神様が見ておられるのだ。善悪はいずれ神が明らかにされる。神様がみこころを実現されるであろうから、私は神に信頼していればいいと思って黙することにしている。

言葉で反論するのではなくて、私が信じているように生きることだ。きっといつか証しさせて下さるからと思えるようになった。
しかしまた、常にそれが正しいとも言えないのではないかと思う場合がある。そのことはクリスチャンの逃げではないかと探られる場合もある。

社会では怒りはよくないこととされている。
クリスチャンならば尚更のことと、間違ったクリスチャン倫理に縛られて二重の重圧を感じるかもしれない。しかし、時としてイエス・キリストも怒られたことを忘れてはならない。

時と場合によっては意見を述べねばならぬ時もある。クリスチャンは、いや、日本人クリスチャンはと言った方が正しいかもしれないが、発言することと「許し」を混同している人も少なくない。
怒らないことが寛容や柔和な人であると思っている人も少なくない。

あるクリスチャン知人のお孫さんが医療過誤に遭い、過誤は明白だったが病院側に申し出ることはされなかった。それでよかったかどうか、苦悩の心情を吐露されたことがあった。

その時は傾聴するのみで私見を申し上げなかったが、私は問題を提示すべきだったと考えている。
人間の能力は有限である。万能ではない。だからミスも起こる。起きてしまった出来事はどうすることもできないが、だからこそ今後に活かさなくてはならない。同じ苦しみを後の人に体験させてはいけないという信念が大切ではないだろうか。そして、二度と再び同じ間違いをしないように問題を明確にすることが、過誤に遭った人の使命でもあろう。真正面から対峙することは、決して「許し」と相反することではない。
そして、そのような時に思い起こす聖書の箇所がある。

「恵みとまことは、互いに出会い、
義と平和とは、互いに口づけしています。」

                   (詩篇 85章10・)

我々が正しさを強調する場合、刺々しくなりやすい。
北森嘉蔵牧師は、「正しさと平和は結びつかないことが多いからこそ」、この箇所は意味深いのだと語っておられる。
だから「互いに口づけ」し、「一致する」のだと著書から教えていただいたことを心に留めている。


私もまた言うべきことを言わずに問題から逃げ、今も悲しく心痛む悔いがある。
父が救急車で運び込まれた劣悪な救急病院でのこと。
病棟の若いヘルパーTさんが父を虐待していたのだ。父は個室だったが、大部屋の患者さんの家族の方からも何度も聞き、それどころか、私は連日にわたる父の訴えを聞きながら何もしなかったのだ。

静まり返った休日の病院を出ようとした時も、「あの人はひどいよ。病院に言わなあかんよ。」と、掃除係りの婦人にも言われたのに、それでも、私は何も言わなかったのだ。
私は何という娘だ!
何という人間だ!

言うことで余計に悪い状況にならないだろうか。私のいないところで、ますます父にひどくしないだろうかと人質に取られた気持ちになったのも事実だ。
しかし、それだけではなかった。
ひょっとして、私は彼女(ヘルパーさん)に嫌なことを言う人間になりたくなかったのではないか。きっとそうだ。

あの頃は今のように祈ることもなかったように思う。
それが大きな悔いだ。
精神的に疲れて無気力になり、父が私に助けを求めているのに、私は最愛の父を見捨てたのだ。
神と共にあるならば知恵が与えられていたはずだ。人を恐れず、正しければ訴え、必要ならば怒る勇気も与えられていたはずだ。


posted by 優子 at 17:03| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年01月30日

感謝できる心を感謝する

私達が神であるイエスを求めるのは、神様から選ばれているからである。神様から選ばれているからこそ捜し求めるのだ。

私は信仰生涯に入ってからも長い間イエスさまのことがわからなかった。私の眼が開かれていなかったからだ。分からないから自分で頑張ろうとしたものだ。まさに自力の信仰だった。しかし、艱難を通り抜けさせて下さった時、眼が見えるようになっていた。

今も時として息苦しくなる時がある。
私が不快な状態になっている時は、きまって感謝も謙遜さも失いかけているから驚きだ。
特に何かあったからということばかりではない。
かつては、その原因の多くが出来事によってであったようにも思うが、今はそうとばかりは言えない。古い自分との闘いの中で、自己中心的な気持ちに支配されそうになっている時にストレスを感じている。

今は「ストレス」という言葉を多用する時代であるが、「ストレス」という言葉の創始者であるセリエ(カナダの生理学者)は、「ストレスは感謝によって解消する」と言っている。
全くその通りだ。
感謝する魂が蘇った時、私に神の平安が戻っていた。

今朝の長女からのメールと電話は神様からのもの。そのことにより、心が完全に神様に向けられた。
そして、午後には主に在る友との交わり。近隣にクリスチャンの友を置いてくださったのは神様からの贈り物であり、友と私へのお計らいであろう。共に励まし合って良き人生を生きたいと思う。


金田福一師は言われる。

自力の信仰は、両手に思い荷物を持って、努力の階段を、上がって行くようなものです。
彼は、「努力している、上がってきた」という、自負の誇りがつきまといます。そのような傲慢な人間がトラブルを起こすのです。
自分の強さで生きている人は、必ず、不安と動揺を持っています。
ところが、その階段の横にエスカレーターが上っています。「神の恵み」と呼ばれています。素直に、それに乗ればいいのです。両手の荷物も下ろせばいいのです。
そこではもはや、努力の必要はありません。乗せられていくだけです。だから、誰一人、威張る人もないのです。人を傷つけるような強さもありません。

「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストと共に生かし、―あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。」
          (エペソ人への手紙 2章5節)

「神の恵み」は無条件であり、そのまま賜ればいいのに、ところがまた、「ありがとうございます」といただくことは、なんと難しいことであろうか。それほどに人間は傲慢で頑ななのである。
しかし、ひとたびイエスさまの愛を体験した者は、日々、刻々、悔い改めることができるのだ。何という幸せ!

感謝と謙遜。
これが私のキーワードである。健全に生き生きしているかどうかの指針である。私だけではなく、全ての人の指針であろう。
posted by 優子 at 17:39| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年01月27日

谷口家の家庭集会の恵み

娘婿のお母様が今日初めて二人の新居を訪ね、短い時間であったが3人で良き時間を過ごされた。本当ならばそこにお父様のお姿もあるはずだったが、「要介護5」の認定を受けられており叶わなかった。
しかし、今日はデイサービスの日という神のお計らいにより、安心して外出させて下さり、午後は家庭集会へと導かれ恵みの座へと招いて下さった。

私達夫婦は朝から梅田(大阪)で買い物を済ませ、キリスト教書店にも5分間だけ立ち寄った。Aさんへの本を買うためだ。そして、大急ぎで生駒山を越えて奈良(学園前)へ向かった。

主よ、感謝します。
谷口家の家庭集会に招かれた恵みを感謝します。今日は家田さん以外に、もうお一人新しい方をお迎えしていた。

商大関係でご懇意にさせていただいている理事のお一人Aさんだ。谷口先生宅とは1丁目違いという近隣にお住まいになっている。もう8〜9年前のことになるだろうか、以前にもお誘いした事があったが、今年いただいたお年賀状に「聖書を教えて下さい」と書いて下さっていた。
今度こそ来ていただけるという思いが与えられて、大喜びで声をかけさせていただいていた。81歳のAさんは腰痛であり、明日は講演の御用もあるとお聞きしていたが、無理をおして来て下さったのだ。

放出教会の薮野牧師からみことばを解き明かしていただき、祈り、愛に満ちた交わり(出席者16名)、お二人は神の愛の中に居られた。

交わりの時、知子が結婚披露宴で演奏したデュランの「ワルツ」をご披露した。知子もまた皆様の愛の中で育てられ、これからも育てられていく。何という恵みと感謝!


「このような経験は初めてです。
皆さん、顔(の表情)が違う。また寄せていただきたい。」
と感想を話されたAさん。
ハレルヤ!
主よ、感謝します。
今までにも讃美歌や小さな本をお送りしていたが、今こそ主に在る人々との交わりの中で、主が御臨在される愛の中に身を置いていただきたかった。この方は読書家であり文筆家であるから、私の証しと共に今日も一冊読み物をお渡しした。家に帰られてからも主が導いて下さることを信じてこれからも祈り続けたい。

家田さんもまた「本当に楽しい一日だった。」と娘に電話が入ったとのこと。
悲しみも感じながらの闘いの日々であろう。だからこそ神様のメッセージが魂に届くのではないか。福音(喜びの訪れ)を届けたい。そこから祝福は流れていくのだ!

皆さんが帰られたあと私たち4人だけ残り、谷口先生が娘のために、赤ちゃんのために、子の父となる婿のために祈って下さった。私の祈りに続いて娘も祈った。

今日の聖書の箇所は、マルコ伝1章29〜31節。
主は救い出されたクリスチャンだけではなく、まだ主を知らないその家族にも深い愛を注がれる方である。心配し深く憐れんで下さるイエスさまの人格がよく現れている。
新しく来られた方々も、今日から神に祈っていただきたい。
自分で悩みこまないで何事も主に申し上げて相談しながら、共に進んで行こうではないか。

「ものごと全てを良きに成したもう。」
讃美歌から深く慰めを受け、力を与えられる。
「きみ(イエス)に守られて今日まで来ぬと。」
讃美歌を歌うと心は神に向けられていく。
心を開く人は幸いである。その人は神と出会うであろう。


posted by 優子 at 22:52| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年01月25日

あなたの心を神のみまえに注ぎ出せ! 


「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。
そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。
神はわれらの避け所である。」

                    (詩篇62篇8節)

「神よ、わたしの叫びを聞いてください。
 わたしの祈りに耳を傾けてください。
 わが心のくずおれる時、
 わたしは地の果てからあなたに呼ばわります。
 わたしを導いて
 わたしの及びがたいほどの高い岩に登らせてください。
 あなたはわたしの避け所、
 敵に対する堅固なやぐらです。」

           
                    (詩篇61篇1〜3節)

「人生の困難な出来事があまりにも大きいと、人は立てなくなる。理解に苦しむ出来事に直面し、虚しさに心が萎えて、うちひしがれてしまう時がある。」

昨日、冨美子姉にお借りした中野牧師のメッセージから力強く導かれていった。中野先生は奈良福音教会のバッハ大好き牧師で、冨美子姉のお引き合わせで我が家の家庭集会にもゲストとしてお迎えしたこともある。
牧師自らが『マタイ受難曲』をピアノ演奏されながら、バッハの作品について語って下さったのだ。

今朝のデボーションのあと以下のことを書き終えようとした時に、真智子から声がかかり次女夫婦と27分間スカイプした。
チャッピーの散歩は10時前になってしまったけれど、今朝のCDを通して力を得て、久しぶりに大きな声でチャッピーに讃美歌を歌ってやった。

では朝に書いていたものを続けたい。


しかしだ!
私の心が萎えてしまう時でも、困難と重荷に耐えることができなくなる時でも、あなた(イエス・キリスト)が静かに私の傍に来て下さる。
私が心を静め、主の御名を呼び求める時、既に主は私と共に居られることを知る。 

私たちに祈りをもって神に語りかけることができるようにと、神は救いの道を与えて下さっている。イエス・キリストにより既に救いの道を完成させて下さっているのだ。
神と交わる術(すべ)を知っている人は幸いである。キリストを通してでしか神と交わることはできないのだから。

このまことの神に心を開いて歩んでいく人は、神の真実なみわざに触れることができる。どのような時でも心を静めて神に祈る中で、確かに神が近くに居て下さることに気づかされる。そして、目の前に立ちふさがっている大きな困難に立ち向かわせて下さる。

神は祈りの手を差し伸べておられ、悩める者に必ず祈り手を置いて下さっている。祈りとは実に深いものである。祈っている者は祈りの力を知っている。それゆえに、私もまた祈りの友に私の問題を語るのだ。祈っていただくために!

神は祈りを聴いておられる。
常に傾聴し続けて下さっているのだ。
私の祈りだけではない。私のために、私の家族のためにあの方、この方が祈って下さっているのだ。そして、あの方、この方のために私も祈っている。
ああ主よ、祈って下さっている方に私たち以上の祝福がありますように!

さあ、神を見上げて立ち上がろうではないか!
神の勇者よ、祈り、神の知恵を求めて聡くあれ!
posted by 優子 at 12:36| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年01月24日

人生のオアシス・家庭集会の恵み

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。
神を信じ、またわたし(イエス・キリスト)を信じなさい。」
 
              (ヨハネによる福音書 14章1節)

昨年3月を最後に休会していた「オリーブの会」を再開した。
いつも来られていたお二人は欠席されたが、節子さんと青葉台のAさんが初めて来て下さった。共にクリスチャンであり、今日はクリスチャン5人の交わりとなった。

ヨハネ伝14章1節から11節までを通して、それぞれが深いところを探られながらみことばを読み味わった。
「あなたは今、心を騒がしているものがありますか?」
「あなたにとって、心騒ぐものはどんなことですか?」
と、冒頭から鋭い問いかけがあった。

昼食後の交わりにおいて、共に経験を語り合いながら豊かな時間を共にした。
「これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。」(ルカ伝24章36節)ように感じた。

神と自分自身に正直に向き合った者の恵みは大きい。
イエスさまとのより深い出会いや新しい発見が、それぞれの心のうちであったことだろう。それぞれ抱えている問題は違うけれど、神に信頼する人への恵みは大きい!

今日の交わりに励まされてまた会う日まで、それぞれ置かれた所で雄々しく歩みを進めていこうではないか。

「神と共にいまして 行く道を守り・・・
荒野を行く時も、嵐吹く時も、行く手を示して絶えず導きませ。
また会う日まで神の守り、汝が身を離れざれ。」


讃美歌405番を歌い、祈って散会した。
主よ、感謝します。アーメン!

次回の「オリーブの会」、は3月22日(木)に予定しています。関心のある方はどうぞご連絡下さい。心から歓迎します。
posted by 優子 at 21:29| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年01月23日

初めての刑務所視察

民生委員児童福祉部会から奈良市般若寺町にある奈良少年刑務所を訪れた。今から99年前の明治41年に建築されたレンガ造りの刑務所は、全国で唯一昔のまま残っている建物である。
私たちは最初に暖かい会議室で説明を聴き、参観(見学とは言わない)させていただいた。

建物を囲む壁は、想像していたのより遥かに低く5メートルの高さである。
それは、所内から外の景色を見て受刑者の心を和ませるようにという設計者の意図による。外の景色と言っても山々や街路樹の上の部分が見える程度であるが、所内にも大きな桜の老木がいくつもあり樹木が多いことでも有名であるという。このこともまた受刑者達の心を配慮したものである。

ここに収容されている受刑者は850名で、犯罪者が増加している今、ここもまた収容率118パーセントとひっ迫している。これに対して職員は200名、1人の刑務管が50〜70名を担当している。

収容対象は、20歳未満から33歳までの初犯の男性で、平均4.3年の服役年数だ。
所内では昨年に創設されたホームヘルパー科も含めて、14種目の職業訓練があり、ここで資格が取れるようになっている。

明治時代に建設された獄舎は合理的に考えられてあり、手のひらを広げたような設計になっていた。これだと中央から5本の指のように5棟の獄舎が広がっているので、そこから全体を見ることができる。ただし、この形だと収容人数が少ないため、その後はマンション群のように並行して建てられるようになった。

廊下を挟んで両側に独居房があった。
廊下の中央部分は吹き抜けになっていて、落下防止のために鉄柵がかけられてある。そのため1階の通路の様子も見える。

本来は独房であるが2人で使用している。
壁の厚さは50センチあり、獄舎のドアも厚い木で作られている。畳2枚がひかれ、各房には20年ほど前からテレビも置かれている。あとは小さな洗面所と丸見えのトイレがあるのみである。
4人用房内のトイレは見えないように個室に区切ってあったが、それも上半分は自殺などの事故防止のため透明ガラスになっていた。
房の中を覗くと家族だろうか、どの房内にも写真が目に付いた。また、日々の目標が書かれたものも貼ってあった。

所内では受刑者が整列する光景や、「1、2、3・・・」と点呼しているところを何度も見聞きした。

「ギス監」というのもあった。
これは奈良奉行所時代の遺物で、キリギリスを飼う時の格子状の籠を意味している。太い木で作られた格子状の独居房を想像していただくとよい。

かつて「監獄」と呼ばれていた名前を「刑務所」に改められたのは大正11年のこと。そういえば、私が子どもの頃、明治生まれの祖父は「監獄」と言っていたことを思い出した。時代によって言葉も大きく変わっていくのだ。

再び暖かい会議室に戻って質疑応答のあと、3時頃に刑務所の門を出た。外へ出ただけでもホッとするほど、中は寒々とした光景だった。
私はとても疲れを感じた。

その後、富雄にある大きな料理旅館「百楽荘」で早い夕食会を持ち、今年度の部会の打ち上げをした。刑務所にはたった1時間半の滞在であったにも関わらず、私の気持ちは重かった。連れのおひとりも同じことを言っておられた。
帰り道、富雄にあるおしゃれなケーキ屋さんにも立ち寄り、ようやくその頃になって現実感は完全に戻った。

夕方4時前から7時半頃まで、長女の家からそう遠くない辺りにいたのだ。そして土曜日には谷口家の家庭集会に集うために再び学園前(富雄)まで行く。
帰宅したのは8時、明日は祈ってきた我が家の家庭集会だ。
今日感じたことや考えは別の機会に譲ることにして、走り書きだが明日のためにこれで終わろう。
posted by 優子 at 21:31| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年01月22日

主に在って賢い選択を願う日々

先週、日本キリスト教団出版局から図書目録や「信徒の友」の献本が届いた。さっそくパラパラとページをめくっていると、「エッ?」と声が出た。
「私にとって書くということ」という書名の本があるではないか。作者が三浦綾子というから二度びっくりした。

来月発行されるサークルセンターの研究冊子『あしたづ』に、私は同じ題名で寄稿しているのだ。平凡な題名であるからこういうこともあるだろうが、ガッカリした。しかしまた、あの三浦綾子さんと同じテーマで書いたことに満更でもないと思った。

今日はその編集会議で2校目の作業を終えてきた。次回最終校正は2週間後にあり、2月24日の理事会で発行配布される。2月の読書会は終わっているので、会員にお配りするのは1ヵ月後になる。

編集会議のあと、役員だけになったのでサークルセンターの今後を話し合った。
読書会だけではなく理事会もまた高齢化であり、この世界では私のように50代はまだまだ若く活動的存在である。

ところが実のところ、私は読書会の代表から退こうと思っている。それだけではなく、あるいは退会することも視野に入ってきているため、理事会に対してもご相談せねばならないことになる。そんなことを何気なしにお聞きしていた。

今年は思い切って大きくハンドルを切っていきたい。その覚悟は固い。
しなければならないことはともかくも、私は何を最もやりたいのか今も自問自答中であるが、必ずや行く道を照らし出されると思って考えているところである。


ところで、クリスチャンペンクラブのホームページ上に、『生かされている喜び』の内容が公開されている。
本当はあの方にも、この方にも差し上げたかったが、心ならずもお届けできなかった方々も多くおられる。
この画面右側の「リンク」先から、ペンクラブの画面を開き、左側「NEW」のところをご覧戴きたい。私もまた何度も読ませていただいている。
posted by 優子 at 18:42| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年01月21日

導かれゆく新しい魂

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「雪が少ないなぁ。異常気象のせいかなぁ。」
「ゲレンデがなだらかやなぁ、日本と違ってアップダウンが少ないなぁ。」

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「これだけ大柄な外人(?)ばっかりなのに窮屈さがないから、広い部屋なんやろうなぁ。」

18日の写真掲載に失敗し、画面上に指示されるままに容量を100MB増やしたのだが、どうなっているのか心配しつつやってみたところ・・・
できたよ!!!

二人は上手に気分転換をはかりながら留学生活をたくましくエンジョイしている。
再び宿題も出てハードな日々が始まっているが、聖書を読み始めながらの新しい年のスタートである。
今の二人に最もふさわしいみことばを贈りたい。


「おおよそ主をたより、
主を頼みとする人は幸いである。
かれは水のほとりに植えた木のようで、
その根を川にのばし、
暑さにあっても恐れることはない。
その葉は常に青く、
ひでりの年にも憂えることがなく、
絶えず実を結ぶ。」


                 (エレミヤ書 17章7・8節)

そして、神さまからの伝言です。

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。
それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。
その時、あなたがたはわたしを呼ばわり、
来て、わたしに祈る。
わたしはあなたがたの祈りを聴く。
あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。
もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる。」
      

            (エレミヤ書 29章11〜14節)

神が真智子にして下さったように、太志君もまたそう遠くない日に神の子として下さるという確信を、私は既にいただいている。

「わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。」(同書 24章7節)と。

主よ、感謝します、アーメン。


追伸:
ママ達も今日は夕方まで大忙しだった。
礼拝後は大急ぎで帰り、電気屋さんを待った。
この家に引っ越す2週間ほど前に購入した洗濯機が、かなり前から高水位で洗えなくて、「一日5台限り」と書かれた昨日の折り込みチラシを見て昨日の朝一番で買いに行ったの。

お姉ちゃんに買ってあげたようなドラム式ではなくお気に入りの従来のタイプ。東芝商品で29000円。8000円ほど安かっただけだけれど、とっても気に入っています。

でも、あっという間だったので洗濯機さんに「ありがとう」も「さようなら」も言えなかった。
今朝、最後に洗濯した時に言えばよかった。
スクラップにされるのかなあ、使い捨てしたことにも罪悪感を感じます。
30年後に北極まで消えようとしているというのに!!
posted by 優子 at 17:25| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年01月19日

ルターに学ぶ主体的決意

前述に関連して「ローマ人への手紙」について、また私が知りうる限りのことを、時に応じてミネソタの娘達に伝えてやりたいと思う。
親鳥が雛に餌を与えてやるように、みことばを噛み砕いて運んでやり、良き導き手とならせていただきたいと願っている。

この書の中心思想は、「福音とは何か」ということである。
ルターによれば「ローマ人への手紙」は、「新約聖書の中の最高の書物であり、最も純粋な福音である。」と語っている。

今週は軽い風邪なのにしんどくて3日間ほど寝て過ごしていたが、17日の夜はさすがに眠れなくて18日未明から『われここに立つ』という本を一気呵成に読了した。

「われここに立つ、他はなしあたわず」とは、主体的生き方を示すマルティン・ルターの有名な言葉である。

「醜悪な現実に直面しても断じて挫けない。
どんな事態に遭遇しても、『にもかかわらず』と言う希望をもって生きる勇気を失わない人間。― そんな人間だけが人間らしく生きる『天職』を持っているということが出来る」
のだ。

真智子と太志君は、聖書を1節ずつ交互に読み合い、語り合いながら、聖書がもっている意味を明らかにされていくだろう。

聖書の語りかけを聴くことができ、それに対して応答している二人は素晴しい。それもまた神の賜物だ。
聖霊は謙遜な心に働き、聖霊によってのみ、人は信仰をもつことが許される

きっとこれから、キリストと個人的な出会いに導かれていくことだろう。そして、今までわからなかった神やキリスト、そして、自分自身のことも分かり、揺るがぬ確信と希望が与えられることであろう。

聖書を本当に理解したいならば、「祈りつつ読め、読みつつ祈れ」と言われている。
どうか今のように読み進めていってほしいと願っている。

「イエスをあてにする習慣は平安の基です。」


posted by 優子 at 23:22| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年01月18日

聖書によって一つにされる日米の親子

アメリカに戻った二人は、新学期が始まる前に五大湖の一つ、スペリオル湖のほとりのロッジを借りて、総勢8人でスキーを楽しんだという。
素敵な写真を添付してもらったので掲載しようとしたら、「容量いっぱい」とかでできなくて残念。
しかしながら、それよりも最高に嬉しい内容が書かれていた。

「ママ、さっきローマ人への手紙の1章を読みました。
まち、聖書のイメージが変わったよ。
聖書は、自分と真剣に向き合う、向き合わされる本だね。他にも色々考えて太志と熱く語ってるよ。
また今度ママとも話したいよ。太志も同じような衝撃的な感動を持ってるようです。マチよりも熱く語っているぐらいです。
信じられない。」
said Machiko.

「いかに聖書が、自分自身に訴えかけてくるものかを、二人で感じあえました。今後とも読み進めていきます。」said Futoshi.

Hallelujah!
Amazing Grace!


私も彼らに励まされてもっともっと聖書をよみたい。
真智子が東京に移って半年後に、私は遅ればせながらパソコンを利用し始めた。最初の頃は聖書についてばかり真智子とメールで話し合っていた。

真智が根津教会で聴いた説教から、マルコ伝にあるぶどう園の話が最初だったね。

今再び、今度は娘婿も一緒に聖書について語り合えるなんて、こんなに嬉しいことはない。そのおかげで私も熱心に聖書を読みたくなるし、最高の励ましになる。
そのかわり、またまた読書会の本が読めないよ!
2月は『ワイルド・スワン』で上中下と3冊もあるのに、今もまだ一冊目の後半部分だ。
Oh,help!

主よ、感謝します。
聖霊によりインスパイアされて、私達の内に神の言葉となりますように!
       Syalom!
posted by 優子 at 21:38| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年01月17日

今後の方向性に自問自答の日々

「あなたもこれからですね。
お暇になったでしょうから、思い切ってやりたいことをやるという気持ちでお書きになればどうですか。とりあえず、お嬢さんの結婚に焦点あてて。
何か書いたら見せてください。」


お正月早々に親しくしているクリスチャン作家Hさんからいただいたメールである。
この方は実に人間への洞察が深く、人生の様々な局面における心理を見事に表現される。「今はもう新しいのを書き下ろすのはしんどいので、昔書いたものを、手直ししたりして」おられるそうだが、まるで泉から湧き出てくるように運筆爽やかで、毎日2〜3枚は書いておられた。

お若い頃の文学仲間に島尾敏男や富士正晴らがおられ、Hさんも「viking」の同人であった。かの久坂葉子(川崎財閥創設者の曾孫、芥川賞候補にも挙がった作家)もご存知だ。久坂が21歳の時、阪急六甲駅から電車に身を投げた興味深い話も聴かせていただいたものだ。

Hさんとは私が臨床心理士の勉強をしていた時に知り合った友(この方は最後までやり通されて資格を取られた)の紹介で出会った。その後4〜5年間だったと思うが月に1回、梅田・茶屋町のレストランを会場に2時間居座って5〜6名で勉強会を重ねていた。母が亡くなって1年後くらいの時からだったと思う。

Hさんは何度も大きな賞を受賞されておられ、2001年9月には、筑紫哲也氏も絶賛した『不思議の薬 サリドマイドの話』が出版された。Hさんご自身もサリドマイド禍と闘った母であり、日本初の薬害訴訟の裁判に尽力された。

私達仲間で出版記念祝会を太閤園で開き、Hさんからお食事をご馳走していただいた。その後、読書会のテキストに選び講師としてお迎えしたこともある。
この方が今も尚、書くように勧めて下さるのだ。
もう一人の作家、海谷寛氏からも「藤本さんの文運を祈る」と書かれたお年賀状をいただいた。
「今からでも本気でやってみようか・・・」という想いがちらつく。


今後の進路に悩みぬいている今、お二人の言葉が強く迫る。
真剣に悩みつつも、いつまで逡巡したら気がすむのかという己への怒りと情けなさ。努力できない怠惰な自分自身を知っているだけに自問自答の日々が続いている。
本当にもう時間がない。
始めるには最後のスタートチャンスだ。いずれにしても、まもなく進路決定することになろう。


posted by 優子 at 09:32| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年01月16日

優子よ、今こそ信仰を働かせよ!

「わたしはある時、全く失望して頭を抱えて悶えていました。
それを見て妻は言いました。
『もし神様がお亡くなりにならないで、確かに生きておいでになるものなら、その生きた神様にお頼りするあなたが、どうしてそんなに失望なさっておられるのですか?』
私は神への信頼が不徹底だったことを神に詫び、そして、元気を取り戻しました。」


ルターの告白である。
偉大なルターでさえいろんな心理状態を経験しているのだ。
「目を上げて高きを見よ!」と主は仰せられる。
「いつでも祈るべきであり、失望してはならない」

わたし(神)が目を留める者は、
へりくだって心砕かれ、
わたしのことばにおののく者だ。

         (イザヤ書 66章2節)

私は私に賜った信仰によって立ち上がろう。

風邪のため、今日の読書会欠席する。
12時から新年会、2時から次年度のテキスト選びがあるのに、不本意ながら一切を千里さんにお願いした。
千里さんの風邪がひどくなりませんように!

posted by 優子 at 11:39| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年01月15日

ブログ炎上?

昨夜のテレビで初めて「ブログ炎上」なる言葉を知った。
ブログにコメントが殺到する状態を言い、数も1600とか半端ではないからブログは閉鎖に追い込まれる事態となる。これを「ブログ炎上」と呼び、有名人のブログに多いらしい。

本来ならば自分の書いたものに対して、コメントが殺到するのは喜ぶべきことである。批判であれ何であれ反響があるのは嬉しいことだ。ところが、殺到したコメントは心を傷つける書き込みが殆どなのだ。
匿名だからコメントを書けるということもあるが、やはり匿名だと無責任な内容になりやすい。
「ブログ」は匿名社会の最たるものだろう。

実のところ私も未だにブログに対して確固たる考えに到っておらず、スタンスがしっかりしていないから悩みもする。
夫は「自己満足でしかない」と言い放つ。
そうかも知れない。
しかし、私がもっと懸念しているのは、甘えの構造を自らが突っ走っているのではないかという感覚だ。

かつて、「タマゴッチ」という遊びがあった。
私はやったことはないが、いつも面倒を見ておかないと死んでしまうというものだったと思う。つまり、このブログを読んで下さっている友人や知人に、「タマゴッチ」と似たようなことをしてもらっているのではないかという感じが今もぬぐいきれないのだ。

ブログの内容が、私の主旨とずれていると感じるからこのように思うのだろうか、あるいは自意識過剰なのだろうか、今もまだスッキリしない気持ちが残る。

特に前回のような内容を掲載した時に感じる。
その前日にはブログの方向性を考えていくと言いながら改まっていないのだが、13日の記事も十分吟味した上での掲載だった。と言うのは、近隣の人々が平和に楽しく集っている光景に心打たれたからだ。

まあ悩みながらも、もう少し続けてみようと思う。
ブログを継続するかどうかも含めて、最善の在り方が導き出されていくことであろう。

posted by 優子 at 17:04| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年01月13日

残りの任期も心を込めて仕えたい

11日から民生委員の仕事も始まり、研修会のあと信貴山(しぎさん)の料理旅館で新年会があった。
今日は老人会から新年会にお招きを受け、実は今年初めて出席させていただいた。1年目は義父が亡くなって間がなかったことを理由に欠席させていただいたが、本当のところは苦手なのだ。2年目もそうだ。

私は明るい性格なのだけれど、結構恥ずかしがりやでもある。
人の中に入っていくのは平気に見えるらしいが、あまり好きではない。そのくせ大いに楽しんでいるし、時には調子に乗ってしまうほどであるが(笑)。

昨夜から風邪でダウンした夫にブランチを済ませて自治会の集会所へ急いだ。どこの会も世話役さんは大変だけれど、みんな本当に楽しい時間を共に過ごしておられた。
私も大笑いした。
昼食後、家に余っているカレンダーを取りに帰った。毎年1月の「オリーブの会」で貰い手はないか店開きするが、好みに合わないものは残ってしまう。今年は義母の家にもたくさんあったので隣りにも寄って持って行ったが、あっという間になくなった。

老人会の集まりは、仲のいい大きな家族のようで素晴しいと思った。でも、もう一つの本当の気持ちを言えば、馬鹿笑いばっかりでつまらないかな・・・。
皆さんが本当に頭の回転が速くて、面白く駄洒落を言い合って笑いが絶えない。私も最初はお愛想で笑っているのだけれど、そのうちに本当に面白くなって笑い、体中振動させて笑うので腹筋運動になるほどだった。
でも、これで毎日が過ぎていくのも虚しいなあと思った。

地域では毎週木曜日に60歳代前半の人たちが、高齢の人たちのために「いきいきサロン・仲良し会」を開いておられる。もう1人の民生委員さんは会のメンバーでもあり、そこで知り得た独居の方の情報を私に入れて下さっている。
私は今まで2〜3度しか行っていないのに、今や私のこともまた多くの人たちが知って下さっている。「委員さんはお若い人がいい、今年も宜しくお願いします」、「いつお世話になるか分かりませんが・・・」と、多くの方から丁寧なご挨拶を頂戴した。

ところが、自治会長に次期民生委員を探していただきたい旨を申し出ているので、皆さんからこのようなご挨拶を受けると大変に心苦しかった。
12月が新年度である1期3年の民生委員の任期も、この11月末で任期満了となる。残す10ヶ月半の期間も心を込めて果たしていきたい。
posted by 優子 at 17:26| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年01月12日

より個性化に方向づけたい『優子の部屋』

次女がこのブログを開設してくれた時、「ブログとはWebの記録(log)」だと教わった。
今改めて調べてみると「ブログ」は造語であり、1990年後半から登場し、娘が言ったように直訳すると「ウェブ日記・記録」である。そして、2000年に入り、"We blog"と”blog"は動詞として使われるようになり、名詞にもなっている。

というわけで、「ブログ」は日記なり記録であるから何を書こうと自由であるが、私の場合は客観的な記録というよりも、内面的な日記的性格のものだ。そして、発表の場として位置づけられてきた。

私はその折々の感動や発見したことを書いてきたつもりであるが、あえて書かなくてもよいと思うような退屈な記事もあった。
「今日は○○へ行き・・・」、「今日は・・・があった」というだけの活動報告では退屈だ。書いている私が退屈ならば、読んで下さる方にとっては退屈極まりないであろう。

毎日書くことに重きを置いてはいけないし、駄文を連ねてはいけない。毎日のように書くのだから推敲が不十分で散漫な文章になるのも仕方がないだろう。しかし、文章は推敲よりも内容こそが大切である。
書きたいことが有るか無いかが命だ。


私の師の1人として忘れられない西口孝四郎氏は、「『びっくりしたなぁ、もうー』を書け」と言われた。
そのためには、感性を磨かなければならない。
感性を磨くためにはこだわりがなければいけない。問題意識を持たなければ何も感じることはできない。

そして、もう一つ私が大切にしていることは、人間の真実の姿を恐れずに醜い心の中も書く。綺麗ごとにしないということだ。しかしまた、これが難しい。
しかしながら、私は人間の悲惨さと偉大さと、神の目が常に我々の上にあり、神は生きて働いておられることを書いていきたいのだ。

posted by 優子 at 17:52| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2007年01月11日

第27回「オリーブの会」は24日(水)です

昨年3月で休会していた家庭集会を再開、今月は1月24日(水)に決まりました。

関屋に移って3年目に入った2002年4月から、我が家を開放して家庭集会をもたせていただいています。メンバーはだいたい5〜6名、多い時で11名でした。8月は休会させていただいていますが、日程の調整がつかないこともあり27回目というわけです。

この会は聖書を読んだことのない方を対象に、それぞれの人生経験を通して感じたことを自由に語り合いながら読み進めていく「聖書を読む会」ですから、どなたでも気楽にお出かけ下さい。

「オリーブの会」の特徴は、話を聴くだけではなく参加者も話し合うのです。
取り上げた聖書の箇所について司会者が質問し、それに対して自由に感じたことを話し合うのです。みんなの発言を通して気づかされることも多く、聖書に聴き、聖書に答えを見つけます。

例えばこんな内容です。

クリスマスの出来事から処女マリヤがみごもったことについて、ルカによる福音書1章26節〜38節を例に考えてみますと・・・

◎ 神様が、この若い女性をイエスさまの母親にお選びになっ
  たのは何故でしょうか。
◎ マリヤは妊娠する前からどうして処女がみごもることを信
  じられたのでしょうか。
◎ イエスさまが処女からお生まれになったという事実が、多く
  の人にとって信じにくいのは何故でしょうか。
◎ 皆さんの人生には、神様でも不可能だと感じることがある
  かもしれません。それは、どういった問題ですか?(話し
  たくなければ心の中で答えてもいいです)
◎ もし神様があなたにマリヤに与えたような恵みと、苦しみ
  に満ちた使命をお与えになると言われたら、あなたはどう
  答えますか?

など、聖書の中の人物に自分を置き換えて20もの視点から考えるのです。


当日は、大阪や東大阪から11時着の電車で来てくださる方々の関係から、始まるのが11時15分頃のため、昼食はいつも1時頃になります。
その後、4時頃まで楽しい交わりが続きますが、退屈な世間話に終始せず経験を分かち合える楽しみな時間です。
昼食は粗食で恐縮ですが、こちらで用意させていただきますので手ぶらでお出かけ下さいね。

月に一度、日常から解放されて神の前に心を静め、自分自身を振り返る時を持つことは何と幸いなことでしょうか。
人生は努力だけで決まるものではありません。
どのように歩むかが最も大切なのです。


 ☆☆☆関心のある方は、是非ご一報下さいね。☆☆☆
 
 ♪♪ 新しい年の門出にあたり、
     この一年が祝福多き年でありますように!
 ♪♪
posted by 優子 at 06:51| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年01月10日

快晴の空に飛び立つ!

1月9日、成田空港からアメリカに向かって飛び立った!

「machikoがサインしました」と、真智子がオンラインになった。
エッ?
時間は今、(午前)10時45分。
 「マチ?」
私はチャットで呼びかけた。
「ママ、無事に着いたよ。疲れたー」と返してきた。 

主よ、感謝します!
パイロット初め全ての人々に感謝します!

真智子たちは到着して早速ラーメンを食べ、シャワーにも入り、あとは寝るだけ、部屋は我が家よりも暖かくてポカポカとのこと。クマと一緒にぐっすりと24時間冬眠するといいね。

posted by 優子 at 11:18| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年01月09日

マチとクマも第2ラウンドスタート!

今日、真智とクマ君のパジャマを洗いました。
真智、ママは朝からずっと真智のことを思いながら掃除をしていました。
3時40分、飛行機は予定通り離陸しましたか?
今頃は雲海を抜けて広い天空を飛んでいることでしょう。

今日も時間切れで、真智のベッドもクマ君のベッドも2日の朝に起きた時のままです。真智子と太志君のベッドの抜け殻を見ていると、寂しくて涙が出てきました。でも、泣いてないでママも頑張るよ、真智子のママだものね。

ママの机の上に真智子たちの年賀状とお姉ちゃんたちの年賀状を置きました。これを見ると力が涌いてきます。

真智子たちの年賀状には懐かしい結婚式のハイライトシーンが4つ。
そして、新婚旅行のサイパンの海も印象的、ママのブログにも記録したね。その写真には、「未来に向かって歩いて行く」というメッセージを込めているのね。
東京での2次会ではよく100名も集まって下さったね。
そして、真ん中に真智と太志君が笑ってる。

真智、またね!
太志君、元気でね!

愛しいマチとクマに神の平安と守りがありますように、ママはいつもお祈りしているよ。マチとクマ君もイエスさまと共にね!


またね!

着いたらスカイプしてね!
 
posted by 優子 at 17:28| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年01月08日

真智子夫婦 明日 再びアメリカをめざす

12月25日夜に真智子と再会し、1月2日までの8日間は本当に楽しい日々だった。
東京へ発つ前に神戸の叔母の家へ行った時、いつもなら長女も一緒なのに共に居らず、結婚したことを実感した。
長女は婚家先に在り、次女も東京に向かい伴侶の実家へ向かった。
娘達はそれぞれの婚家先で新しい人間関係を築いていく。
親であってもそれは私達のあずかり知らぬことであり、親子、姉妹の道もそれぞれ違っていくことに、そこはかとない寂しさを感じた。

しかし、それでいいのだ。
幸い、先方でもよくしていただいて感謝。

今夜、次女夫婦と私達夫婦でスカイプした。元気そうだった。
前期の成績が帰国中に発表されたとのこと
なんと、2人共が「オールA」だったとは!!
よく頑張ったね、努力の結晶だ。
寝食惜しんでよくやったね。

神様、クリスマスの夜、お互いに元気な姿で再会し、健康も守られて良き時間を過ごせたことを感謝します。
娘達は再び目的地に向って飛び立ちますが、その間もあらゆる危険からお守り下さって、無事にミネソタの地に到着することができますようにお守り下さい。

真智子、太志君、また会う日まで神様と共にね!
良き日々を生きようね!!

     行ってらっしゃい!!!

日付: 1月 9日 (火) 便名:NW 28
出発:東京 - 成田国際空港 (NRT), 15:40
到着:サンフランシスコ国際空港, CA (SFO), 7:50

日付: 1月 9日 (火) 便名:NW 360
出発:サンフランシスコ国際空港, CA (SFO), 12:10
到着:ミネアポリス/セントポール国際空港, MN (MSP), 17:53


若い2人に神様の豊かな祝福がありますように!

posted by 優子 at 22:50| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年01月07日

主よ、兄にこそ豊かな祝福を下さい!

窪田空穂(うつぼ)がクリスチャンであったとは昨日まで知らなかった。
私は母が亡くなった直後から、書棚に眠っていた「母をうたへる」近代歌人の短歌集に夢中になった。特に斉藤茂吉と窪田空穂が私の心を深く慰めた。

5日葬儀の帰りに15分間だけ立ち寄った書店で、『日本のキリスト教芸術 文学』を買った。昨日読んでいて驚いた。
窪田空穂が牧師の牧師と言われた植村正久より洗礼を受けていたのだ。それを知った私の驚きは、空穂に惹かれていた私の直観に対する喜びでもあった。

ついでながら今気がついたのだが、その「近現代短歌」の章を執筆されているのは大田正紀先生ではないか!
私の手許にある書の著者も、心豊かな感性の解説者として親しみを感じていたが、空穂がクリスチャンであったことなど全く触れていない。大田先生はいい仕事をなさっておられる。

ところで、空穂はいくつになっても、いや、歳を取れば取るほどに母親と父親の面影を偲んでいる。空穂と同様に、通夜の席でも葬儀の時にも兄と私は父母への感謝が溢れ面影を偲んでいた。

兄は通夜の時に言った。
「お母さんがお正月開けに参っていた門戸厄神(もんとやくじん)と清荒神(きよしこうじん)に、僕も10年前から参ってる」と。

でもね、お兄さん。
お父さんとお母さんは私達にとって、生きている限り続く道標には違いないけれど、お母さんはイエス様を信じて逝去したのですよ。
その時のことは『生かされている喜び』に書いてあったでしょ。(当ブログ12月10日付けに掲載、カテゴリ「掲載文(神・文学)」参照)
今までにも話していたし、その時録音していたテープも聴いてもらったし、今回、文字でも読んでくれたでしょ。
お父さんも間違いなく神様の御許に召されたのですよ。

これらのことを話す時間はなかった。
神様、私の愛する兄に、誠実で寛容な兄にこそ、神様のお導きを下さい。
主よ、いよいよこの兄にも祝福をもたらして下さい!
どうか兄と出会って下さい!

posted by 優子 at 21:39| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2007年01月05日

「死んだら終わりや」、夫はアッケラカンと言った

棺の中の伯母は私より28歳年上だが、私にも必ずやってくる死を想った。亡き母や父の追慕の悲しみではなく私自身のデスマスクを想った。その時は、私が悲しんだように娘達も悲しむことだろう。

火葬場から式場に帰って来た時、地にまいてある塩を踏んでから会場に入るように指示された。塩で清めるという考え方である。彼らにとって死は忌み嫌うものなのだ。若い頃はこのことに憤りを感じたものだが、まことの神もそのように仰ってはおられないことを知り嬉しかった。

今夜のチャッピーの散歩で、
「人間は死んだら終わりやと思うで。死後は何もないと思う。」と、夫は珍しく饒舌だった。
「それやったら、この世のことはこの世にいるうちに精算されるはずや。
日本のような豊かな国で生まれた人と最貧国に生まれた人、9.11のテロやこの前の津波で一瞬に死んでしまった人など、何も悪いこともしていないのに不慮の事故に遭い、あるいは、生まれた時から病気や障害を持って生まれた人がいて、かたや、順風満帆な人生にありながら自分さえよければいいような生き方をしている人が元気で長生きしているとか、完全に不平等やんか。
それだけを見ても、絶対に死んで終わりであるはずがないと思う。そうは思わない?」 

「思わんなあ」
「でも、創価学会の人達は少なくとも死んだら終わりやとは思っていないよ、あなたは無神論者なの?」
「そうや」

和やかな雰囲気での話し合いだったが、私はガッカリした。夫は未だ何にもわかってなかった。

「悩みのある人が宗教を求めるんや。伯母さんもそうやろ? 子供を2人も続けて亡くしたから宗教に入ったんや。
創価学会は南無妙法蓮華経の言葉を唱えれば守られるようなことを言ってたけれど、言葉が違うだけでキリスト教も言ってることは同じや。」

「そしたらあなたは、私達が信じる信仰と同じやと思ってるの?!」

私の驚きと失望はいかなるものだったか!
これを機に別の話題に変えたが、今これを書いていて疲れがドッと出てきた。悩むこともなく求めてもいない夫、でも希望を失わないで祈り続けよう。
兄のことも祈り続けよう。
教会が用意していたクリスマスのトラクトが少なくて、クリスマス前に兄に送りそこねた『生かされている喜び』を昨夜渡した。
夫や兄の上にも、今も変わらず神のご計画が進行中であることを忘れないで信じて祈り続けよう。

posted by 優子 at 23:46| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2007年01月04日

伯母の通夜に

今日の昼食は義母を招いてお好み焼きを囲み、3人で幸いな時間を過ごした。感謝。
夕刻から実家近くの葬儀場へ向かった。大阪市内と言えども香芝から高速道路を乗り継いで30分だ。父と母の懐かしい町。もう父と母がいないことにも慣れて胸は痛まなかった。

「優ちゃん」と従兄弟達に声をかけられた。
「優ちゃん、お母さんに似てきたなぁ」と何度も言ってくれた人もいた。60代くらいの時の母と重なって見えてきたのだろう。年末に白髪を染める暇もなく、「どこのお婆さん?」という老けようだから、今夜ヘアーマニキュアをした。

しかし、母に似るなんて、なんと嬉しいことか!
「母の顔に似てる? ありがとう!」と私は言った。兄も父に似ていると多くの人に言われると言う。


伯母は続けて2人の子供を亡くしたことから創価学会に入信したと聞いている。昭和30年からだということを今夜知った。地区の支部長を務めていたこともあり多くの会員達が来られていた。
繰り返される「南無妙法蓮華経」を耳にしながら私はずっと黙想していた。

  「今は恵みの時、今は救いの日です。」

              (第2コリント 6章2節)


福音を伝えなければと迫られたように感じた。
妹夫婦を上六まで送り、9時半頃帰宅した。自宅に着く頃、外気温は大阪より6度も低くなっていた。

明日、夫は初出の日、お得意先へ役員3名と共に挨拶回りのため私だけの弔問となる。
年の初めに厳粛な場に導かれたことは幸いである。これからの日々を本当に大切に過ごしていきたいと思う。ご遺族の慰めを祈りつつ、主と共に葬儀に臨みたい。
posted by 優子 at 23:58| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年01月03日

ブログ開設1周年、娘達はそれぞれの道を往く

主に在って新年のご挨拶を申し上げます。

「主(神)をおのれの喜びとせよ。
 主はあなたの心の願いを叶えてくださる。」(聖書)


今年の年賀状に記した聖句です。
神を信じ、神と共にある人は弱り果てて落ち込んでも、神は決してそのままにはしておかれない。「鷲のように翼をはって上」らせて下さるのです。「つまずきが起こることは避けられない」けれど、困難に出会うごとに主との一体感を体験するのです。何度も何度も立ち上がって主と共に日々を重ねる人は、必ずや最高の終わりへと導いて下さるということを私は信じて疑わないのです。
この年の明け暮れにどんなことが起こるのでしょうか。
今朝も兄から訃報が入りました。伯母(父の兄嫁)が亡くなったのです。明日のことは一切を神に委ねて今日一日を精一杯生きていきたいと思います。

このブログを開設して2年目に入りました。
「次女がブログを開設してくれました。時々、見てくださいね。」という開設記事からも分かりますように、私はブログが何かもわからずに2006年1月3日にスタートしました。
私は嬉しくてメル友たちにブログ開設をお知らせしたら、「見ましたけれど何も書いていないので何も書くことはありません。」というメールをいただきました。ホント、その通りでした。

しかしまた、「優子さん、やるではありませんか!」と希望姉、そして、千里さんや浩司さんから即コメントを書いていただいたことが強烈な印象として残っています。
その翌日の記事は、真智子を新大阪駅まで見送った時のことでした。指定席が取れなくて自由席も満席で真智子は東京まで立ったままでした。

以来、一年間に429記事、400字原稿用紙にして1000枚は突破していると思います。ブログを読んで下さっている方がおられ、このような励ましをいただいてこそ継続できたのです。
読者の皆様、どうぞこの年も読んでやって下さいませ。
コメントは受け付けていませんが、ご高評を仰ぎたくメールをお待ちしています。


ブログ開設と共に始まった昨年の多忙さといったら人生始まって以来でした。娘達の結婚という大きな出来事があり、私達夫婦にとっても新しい人生のページがめくられたのです。そして、この夏に長女は母になるのです。

クリスマスの夜に次女たちが帰国し、私達のもとで1週間過ごしました。長女達も次女達の滞在予定に合わせて30日から年末年始を全家族共に過ごすことができました。
そして、元旦の午後は母屋で藤本の親族と交わり、その夜に長女達は帰宅しました。ここから婿の実家まで2時間かかるため、新居で一晩寝て翌2日から婚家先へ出向くとのことでした。

次女達も昨日、婿の実家へ向かいましたが、その前に私達と共に大叔母(78歳になる私の母の妹)を訪ね、それはそれは楽しい時を過ごしました。叔母はたくさんのご馳走を用意して待ってくれていました。私達のために3段重ねのおせち料理も作ってくれていました。
私は両親が健在だった頃のお正月を思い出しました。
心づくしのご馳走をたくさん用意して迎えてくれていた母。いつも2組のお重を用意して私達の分も作ってくれていました。病気になってできなくなって料亭に頼むようになってからも私達の分も頼んでくれていました。

たった3時間半の滞在でしたが、叔母が用意してくれていた食べきれないほどのカニの山も4人で平らげ、溢れる愛とご馳走に満たされました。
新大阪駅で真智子を見送った時、私の目に涙はありませんでした。これからも2人で助け合って励み、愛を深めていくことでしょう!
ハレルヤ!感謝です。

しかし、家に帰ってきた時はさすがに寂しかったです。
子供の結婚式を終えて帰宅した時の、ドラマでよくあるシーンと重なりました。
家の中はシーンと静まりかえっていました。
次女の結婚式の夜は長女の婿を泊めてやらねばならなかったし、長女の時は次女の婿とお母さんが一緒だったのでホッとできなかったため、昨日初めて味わった寂しさでした。
私は後片付けをする気にもなれず、お風呂に入って休みました。

ただし、もう1人の娘を躾けなければならないことに救われもしました。ゴミ箱のペールに入りきれない生ゴミがドッサリあるので、チャッピーに野良猫が来ないように頼んでいったのに、猫ではなくて犬が来たのです。
信頼を裏切ったチャッピー、自分が野良犬になってどうするの!!

この一年も胸が熱くなるような、生きがいを覚えて生きる日々でありますように!
あなたの上に神様の祝福が豊かにありますように!


posted by 優子 at 16:51| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする