2007年02月28日

「私にとって書くということ」B

5 柳田邦男の実相

『犠牲』は『文芸春秋』の1994年4・5月号に掲載された。その直後から大変な反響があり、読者から300通もの手紙が届いた。しかも、その殆どが自分の苦悩を聞いてほしいという内容だった。

現代はかなり開放的になってきているとは言え、体の病気は話せても心の病いは話しにくく、ましてや自殺となれば「語れない死」であるから、遺族は二重三重に苦しんでいる。柳田氏はその現状を知り、1998年に『「犠牲」への手紙』を出版することになった。

この『「犠牲」への手紙』から、私が『犠牲』を読んで感じた推察は的外れでないことがわかった。すっきりしない不満も解消された。なぜならば『犠牲』を書いた頃は、息子さんの自殺から半年ほどしか経っておらず、ようやく混乱期を抜け出た頃の執筆であり、著者の精神的状況を察することができたからだ。

では私の推察についてはどうか。
即ち、柳田氏に抱いた疑問であるが、柳田氏の正直な心情告白によりそのことも解消された。
たとえば、河合隼雄氏(ユング心理学者)や山本博道氏(詩人)との対話で、柳田氏の深い苦悩と混沌とした悲しみを語っているくだりがある。

洋二郎は、母親の極度に不安定な日常も幼少期からずっと見てきただけに激しい葛藤になっていた。・・・洋二郎の精神的な葛藤とか親とか兄に対する確執とかが残された日記や遺稿の中にはいっぱい書いてあったんですが、それは書けなかった。

洋二郎は僕に対しては、怒鳴ったり食器や椅子を投げたり、電球や鏡を割ったり、かなり感情をストレートに出したけれど、母親や兄に対しては、ほとんど出さずに日記にぶつけていたんです。・・・単行本にする時にも全部書けなかった。
もっと重要な部分は、まだ書くことができない。 
  

『犠牲』は父親と息子の関係記録であっても、母親と息子の記録が書かれていないんです。重要な部分です。
あるいは、僕の夫婦関係についての亀裂の部分を書いていないんです。・・・突っ込みが足りないから、まだまだきれいごとになっているんです。
僕には、もっと膿を出さなきゃいけない、血を出さなきゃいけないことが山ほどあるわけです。
でも、そこは書けないでいます。
・・・


ここに痛々しいまでの柳田氏の真実な姿がある。
これこそが私の感じていた不満の根拠であったから、内容については具体的に触れていなくても、この正直な告白に深く同情し納得した。また、続けて次のように語っている。
   
それに困ったことに、ノンフィクション作家は首尾一貫した人格者でなければならないかのような暗黙の期待、あるいは虚像の中で執筆活動させられているんですね。・・・人間というのは矛盾だらけの存在なのに、実在の自分についてありのままを書くというのは本当に難しい。

実のところ、4年前に読んだ時はこのところも共感していたが、今改めて読み返してみて前半部分に柳田氏の甘さとごまかしを感じる。

作家が「人格者でなければならないかのような」というのは理解できないでもないが、そこに柳田氏の人間についての洞察と人間理解の不確かさを感じる。
ゆえに自己開示できていないからなのか、あるいはそれ以前の段階として、正直に自分自身と対峙できていないからなのか考えさせられる点である。

我々の心の深いところにある怒りや憎しみ、虚栄心、高慢心、あるいは嫉妬といった醜さは全ての人間の姿である。まず、これらの感情と向き合い、ありのままの姿、自分の弱さを認めることが必要ではないだろうか。

ありのままの姿を受け止めるということと、「ありのままを書くという難しさ」は矛盾するものではないが、「虚像の中で執筆活動させられているような」というものとは異質のものであろう。

評論家でありノンフィクション作家であるならば尚のこと、自分の弱さを本当に認めることができた時に、豊かに感じとることができ、虚像を生きていく危うさからも脱出できるのではないだろうか。

ここで思い起こすのが、キリスト教で「密室の祈り」と呼ばれている祈りである。イエス・キリストが弟子達に祈りかたを教えられたところだ。
   
また祈る時には、偽善者たちのようにするな。
彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。・・・あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父(神)に祈りなさい。
          
         (聖書 マタイによる福音書6章5〜6節)

クリスチャンにとって「祈り」は神との交わりであり、常に我々
に呼びかけて下さっている神への応答である。
この時イエスは、公衆の前で祈るなと形式的に禁じられたのではない。祈りは神に対してするものであるから、人に聞かせるものでも、人に見せるためにするものでもないことを教えられたのだ。

では、読まれることを意識して書く場合はどうなのか。
おのずと限界があり、偽善性がつきまとうであろう。

私が指摘する柳田氏の甘さとごまかしは、この偽善性と同じ線上にある問題だと感じている。

                    (つづく)
posted by 優子 at 09:42| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2007年02月27日

「私にとって書くということ」A

     3 書くことの現代的意味

2002年9月の読書会で柳田邦男氏の『犠牲(サクリファイス)』を取り挙げていただき、私が推薦したこともあって、このほかにも何冊かの著書を読んだ。柳田氏は『「犠牲」への手紙』の中で、人はなぜ書くのかについて次のように語っている。
 
 @ 書かなくてはいられないような抑えがたい情動に突き動かされて書く。
 A 自分の生の証しを書く。
 B 自分の癒しのために書く。
 C 癒しだけではなく、一歩進んで自らの再生のために書く。


と述べ、また『「死の医学」への日記』では、

現代は闘病の社会化の時代で、様々な人々が闘病記を書いて出版するという日本の文化史、精神史上かつてなかった現象である。

と述べている。そして、書かれたものは誰かを励ますことになるから、この現象は良いことであると評価している。私も全く同感である。

心理療法で言われるところの「カタルシス」は、苦痛や不安、悲しみ、怒り、罪悪感・・・など、否定的と思われる体験や想いを言語化する時に、葛藤や感情が表出され排出されることから浄化される(カタルシスされる)ことを言う。
心のうちを話すことはとても大切なことであり、心の健康にも関わってくる。

では、「書くこと」はどうであろうか。
「読むことは人を賢くし、聞くことは人を豊かにし、書くことは人を確かにする」と言われているとおり、「書くこと」は「話すこと」よりも高次な段階に位置づけられるものである。

例えば、難病に苦しんだ母のことを書くならば、母の死を社会化することになり、同じ苦しみの中にある人を励ますことができる。そしてそのことが、難病を見事に闘い抜いた母の生を社会的にも意味あるものにするのではないだろうか。

     4 『犠牲(サクリファイス)』
 
次に、「書くこと」と関連して、柳田氏の心情を吐露しているところを引用しながら考えを進めていきたい。
まず最初に『犠牲』の内容をご紹介しよう。これは柳田氏の御家族に起こった実話である。
 
夫人は35歳の時、4歳の次男洋二郎さんが交通事故に遭ったことをきっかけにして、強度の不安と抑鬱症を中心にした心の病いに陥り、その症状を20年以上のあいだ繰り返しながら悪化していった。
 
洋二郎さんは中学3年生の時、学校で友達にチョークを投げつけられて目に怪我した頃から神経症を持つようになり、母親の病気と絡み合って進行するような状態になっていった。その中で長男はウイルス脳炎で倒れ、新薬で助かったものの、しばしば全身痙攣発作を起こすという後遺症を抱えていた。
 
このように家の中がとても混乱した状態だった頃のことである。1993年8月9日の深夜、長年神経症を患っていた洋二郎さんがとうとう自ら命を絶ってしまう。25歳だった。11日間、救命センターで深昏睡状態が続き、途中から脳死状態になり、8月20日死亡した。
その間のことを書いたドキュメンタリー作品である。


我が子の自死(自殺)と脳死という過酷すぎる十字架を負った親の苦悩は計り知れない。柳田氏も絶望して、一家心中でもしようかという気持ちがチラツクところまで追い込まれていったが、まもなく書くことによって自らの再生の道を見出していく。
 
表題の『犠牲』は、脳死になった息子の腎臓を提供したことからつけられ、「わが息子・脳死の11日」という副題が添えられている。
痛ましすぎる重い内容である。
その著者に対して冷酷な読後感かもしれないが、私には息子が自ら命を絶ったことについてよりも、脳死になった11日間のことのほうが印象に残り、何かすっきりしないものを感じた。

わが子が脳死状態になるという苛酷な現実。
しかし、それだけではなく、あるいはそれ以上に、脳死に到った息子の自殺にこそ計り知れぬ痛みがあるだろうに、私にはそのことがあまり伝わってこなかった。
この感じ方が間違っていないとしたら、著者は無意識ではあっても自分自身の気持ちを偽っているのではないかと推察される。

                    (つづく)
posted by 優子 at 08:53| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2007年02月26日

初めての愛妻弁当

次女がミネソタへ移って半年が過ぎた。
先々週の中間試験も二人とも体調を守られて健闘できた。
先学期の確率論は「あまりの難しさにひるんだ」らしいが、悪戦苦闘して今学期は、

「月曜日(19日)に確率論の試験がAクラスの成績で返ってきたよ。
今日(22日)は、マクロの試験も返ってきたよ。
平均が大体50点のテストだったけど、まちは75点とったよ。」

       
さすがマクロ経済学は余裕やね!!よく頑張ったね!!)

24日の土曜日には、自動車を持っている日本人の友に買出しに連れて行って頂いたそうだ。自動車で行く時には、お米、タマネギ、ジャガイモ、トイレットペーパーなど、重い物やカサのある品々を買ってくるのだという。
二人助け合って励んでいる次女夫婦。

ミネソタと15時間の時差があるのに、いつも「オンライン」になっている。今もチャットで声をかけてきてくれた真智子と2〜3分間だけ話した。
娘が初めて作ったお弁当を見せてくれたのだ。
夕食の時に作ったらしいが、そのことをまたクマ(婿の愛称)が喜んでいると聞き、私は微笑ましくて幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。

「もう、夜中の1時半よ! 早く寝ーや」と打つ。
「今から寝るよ、おやすみ」
「おやすみ、ぐっすりおやすみ」と打つが、寂しくてチャットを切り辛い。

私は真智子のオンラインが消えるまで待った。
健気にやっている娘をベッドまで見送る想いでラインが消えるのを見つめていた。
「オフライン」になった。

かわいい真智子、ぐっすりおやすみ。
太志君と一緒にぐっすりおやすみ。
遠い日本の我が家から愛を込めて、「おやすみなさい」。
イエスさまはいつでも二人の傍に居て下さるからね。


魔法の箱、パソコンよ、娘に会わせてくれてありがとう。
posted by 優子 at 16:58| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

「私にとって書くということ」@

先日発行された『あしたづ』に寄稿したものをお読み頂きたい。
昨年は娘達の結婚で明け暮れして何も研鑽を積むこともできなかったので、「私にとって書くということ」をテーマにして自らを探ってみた。
秋を迎えても多忙で落ち着かない日々でのこと、たった1ヶ月間という例年以上の最短時間だったが、私の中核となっている想いの一端を書くことができて満足している。6回に分けて転載させて頂きたいと思う。


私にとって書くということ

     1 はじめに

長田弘が『感受性の領分』でこんなことを書いている。

何を書くかあらかじめ知って書いたことがない。
自分が惹きつけられる何かがそこにあるとおもう。その何かを見つけるために自分自身がそれを知りたいために書く。書くというのは、自分の言葉をたずねることだとおもえる。いつだって書いてみるまで、書き終えるまで、何を書くか訊かれてもこたえられない。何かをいいあらわしたい欲求がある。その何かを知りたいから書く。


この詩人の言葉を引用して、私が感じていることと全く同じだと言えば生意気であろうか。実は私も同じ想いを抱いている。

私にとって「書くということ」は、炭鉱夫が鉱山深く手で掘り進んでいくが如く、自分の内面に向って探求していくことである。私の中の最も深いところに向って、そこにあるものを自分自身で見極めるために掘っていくような気持ちである。アインシュタインが、「神様のパズルを解くのが好きだ」と言っているのと似ているような感じもする。

そのためには頭の中で考えているだけでは進めない。
話すことによってでも進めない。
書くことでしかだめだ。
書くためには孤独になって自己と向き合わなければならない。
そのことでしか見出すことはできない。
私はなぜ書くのか、なぜ書きたいのか、何を書きたいのか。自分自身を探りながらそれらのことを考えてみたいと思う。

     2 アンネ・フランクのこと

まず脳裏に浮かんだのが『アンネの日記』である。
アンネ・フランクが、「キティ様」と名付けて書き綴った『アンネの日記』を開くと、第一日目から日記帳を「あなた」と呼び、日記を書く理由を次のように述べている。

私は胸の奥にあるものを、一切合財さらけ出したいのです。・・・友人はたくさんいても、ただふざけたり、冗談を言い合ったりするだけだから・・・(略)・・・

つまり、心の深いところは話す気になれないので、

私はこの日記帳を心の友にしようと思います。そして、このお友達をキティと呼びます。

アンネは自分の心のうちを誰かに話したい、聞いてほしかったのだ。
恐怖と困難な屈辱的隠れ家生活においても、「キティ」に語ることにより精神を成熟させていったアンネ。少女にとって書くことは生きることであり、無意識のうちに神との対話に導かれていったように思う。

ルーズベルト大統領夫人がアンネのことを、「情熱、英知と豊かな情操によって感受性が非常に強く、利口な子供なら書くだろうと思われる両親との関係、自意識の発達、成人の問題を書き、かつ考えた。」と述べている。
このことからも「書くこと」が、どんなに意義深いことであるか理解できるのではないだろうか。

                    (つづく)
posted by 優子 at 08:16| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2007年02月25日

地上でのことは地上で

ようやく今から私の至福の時、ブログタイムが始まる。
今日は礼拝のメッセージ(香芝チャーチ・午後の礼拝、徳山伝道師)を織り込みながら神さまとの時を楽しもう。

あなたがたがわたし(神であるイエス・キリスト)を選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
           
           (ヨハネによる福音書 15章16節)

この「任命した」という言葉には「植える」という意味があると言う。即ち、私達は神が主権を持って、この時代に、この国の、この人間関係の中に一人ひとりを植えられたのだ。
神は私達一人ひとりが抱えている問題も全てをご存知である。あなたや私でしか果たすことができない使命と力をも備えて植えて下さったのである。

「どうしてこんなことが!!」と文句を言いたい難題が与えられているが、神は私達がそこに留まり、自由意志をもって神を選び取っていくことを願っておられる。
聖書に解決を求め、神に祈っていく時、自己本位な考え方は取り除かれて神の平安を得る。そして、行く道が照らし出され、ついに神の強力なエネルギーでみことばの扉が開かれるのだ!
みことばの戸が開くと、光が差し込み、
わきまえのない者に悟りを与えます。

                (詩篇 119篇130篇)

悩みも悲しみも生きているからこそのこと、問題から逃げてはならない。
ましてや、死ねば終わりだなんて、とんでもないことだ!
この世で全てが終わるならば、神は人間的価値観でもって全ての人々を平等に創られたであろう。健康や富も、知能や人格も何もかも全てを平等にされたことであろう。

しかし、現実は何という不公平か。
どの国に生まれたかによってでさえ、天国と地獄の違いである。平和な国の日本人に生まれても、小児ガンの子供、事件に巻き込まれて殺された人、冤罪で人生を奪われた人など挙げればキリがないほど苛酷な人生がある。

かたや、我々のように一般的な日々が許されている大多数の人生があり、また、犯罪を犯しても全く悔い改めぬ人たちなど、これだけをとってみても死んで終わりではありえない。この世で終わるならばこの世で帳じりを合わされることだろう。

娘時代に洋裁教室に通っていた時の未完成の服が今もそのまま残っている。スカートの裾の仕上げをしないで仕付け糸のかかったままの服が3〜4着と、歪んで付けてしまったファスナーもそのままのワンピースが引越しの時に出て来た。

「お母さんはもう死んでしまったのに、未だに宿題をやっていない。」と、私は何とも言えない気持ちで今もそれらを見つめることがある。
このような悔いは二度と経験したくない。

洋裁の先生には「裾の仕上げは家でやっておきます」と言って、新しいものをやりたくて次から次へと製図し裁断するのを見てもらっていたが、人生のできごとは「あとでする」というわけにはいかないのだ。
この地上でのことは、この地上にいる間に励まなくてはならない。先には延ばせず、今しなくてはならないのだ。

次女が愛読し、結婚式でも引用したヨハネによる福音書15章4・5節も開きたい。

  わたし(神であるイエス・キリスト)につながっていな
  さい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながってい
  よう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だ
  けでは実を結ぶことができない。
  
  わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
  もし人がわたしにつながっており、またわたしがそ
  の人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶ
  ようになる。
  わたしから離れては、あなたがたは何一つできない
  からである。


みことばには力がある。
心を癒し、希望へと向かせる力がある。そして、神の導きを選ぶか否かは、私達の選択に任されている。

聖書を通してキリストより解決しようとするのが私の生き方だ。それが私の人生であり、私の個性だ。
そのための文筆活動であり、ブログであり、家庭集会である。


新しい週も、それぞれが置かれたところで、雄々しく、味わい深く生きていきたいものである。苦しい時は苦しみ、悲しい時は悲しみ、しかし、それもまた、生きているからこそのこと。
今を精一杯生きよう「神が私の身元引き受け人」になって下さっているのだから!
人生は素晴しい!
生かされている今を感謝して悔いのないように生きよう。
posted by 優子 at 22:40| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年02月24日

嬉しい反響を再び

20日の読書会記事に対して嬉しいメールを頂戴している。
Mさんは当ブログに初登場、お許しを頂いて掲載させて頂いた。

優子さん
ブログを興味深く拝見しました。
「ワイルドスワン」「マオ」の本のそれぞれの読書感想に感銘を受けました。
私も中国へ5回ほど行きましたが、興味尽きないほどとてつもない大きな国だと。一言で表わせないところですが、このような国が隣国としてあり、日本がいい意味でも悪い意味でも関わっていくのでしょうね。
優子さんのブログを拝見し勇気づけられていますよ。
           (ありがとうございます)

また、ある友は息子さんに図書館から『ワイルド・スワン』を借りてきてもらって読んでおられる。

ワイルド・スワンは、三百ページまで読みました。・・・引きずり込まれドキドキしながら・・下巻も楽しみにしています。
次回の読書会に私も参加しても良いのでしょうか?


ですって!!!
大歓迎ですとも!!!
嬉しいメールをありがとう!

ところで、最初にご紹介したMさんはバリバリのパソコン通でホームページも開設されている。「小阪庵だより」という名前の通り、何とも言えないホッとする空間で、私もチョクチョクお訪ねしている。

私の最近の記事にも出てくる「生節の押し寿司」は、先月Mさんが主催されたサロンのおかげで、15年ぶりに我が家の献立に復活したのだ。

私はサロンには参加させて頂かなかったのだが、先日の読書会でも参加された方から嬉しい反響を頂いた。
ところが、大阪出身の私にも馴染み深いものなのに、河内の方なのに「押し寿司」をご存じない方も多かったのだ。

そこで私に一つの考えが浮かんだ。ひらめき
邪魔くさがりの私でも、これは簡単に作られるので次回の読書会に16〜17人分作って持っていこうと思っている。実現できるかどうかちょっと自信はないが、喜んで頂けること請け合いだからお持ちしたい。

母が使っていた檜(ひのき)の押し寿司の型で、今年になって4回作っており、実は2日前のお客様にもお出しした。とてもおいしく召し上がって下さったので、次回の家庭集会の献立はこれで決まりだ。
ただし、大食いの私は一度に2人分はいただくので豚になりそう。(ではなくて、既になっている。今朝はついに55キロ、昨秋から4キロも肥えてしまった。)(>_<)

「小阪庵だより」を開くと写真入で作り方が紹介されているので、関西以外の方もご覧あれ!
私が使っている型は、掲載されている写真一つ目の幅の狭い方の分で、長さはその5分の3に当たり、長さ14センチで幅5.5センチの箱寿司である。(実は、未だにデジカメから写真をパソコンに取り入れられない。)
カテゴリ「読書会関係」の11月25日に出てきた「ジャコ豆」も見て頂くことができる。

今日の午後は、サークルセンターの理事会、講演会、懇親会とたくさんのプログラムが続いている。Mさんは、その副会長をされているから大変だろう。私も3役になっているので(本心を言ってスミマセン)、懇親会へは13年ぶり2回目の参加である。

そして、今日の理事会で『あしたづ』が発行配布されるのだ。
嬉しい!
チャッピーではないが、早く自分の小屋で読みたい。お風呂から上がって冊子を手にする時のワクワク感は、何度経験しても飽きないのである。(^−^)
posted by 優子 at 07:30| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年02月23日

神の栄光を讃美する

花は 自分の美しさを知らないから 美しいのだろうか
 知っているから 美しく咲けるのだろうか


なんという深い洞察であろうか。
トイレに入るたびにこの詩が目に入る。今朝は星野富弘さんの詩を読んでみたくなった。

蝶にも 針を持った蜂にも 同じ顔 同じ香り 同じ蜜
花よ 私にない その心よ


美しくは 生きられないけれど 
美しく生きた 一人の人を 思いながら 
生きて行くことはできる


柚子の皮をきざんで 
小さなかけらのかほりを 愛しむ私
その同じ私の中から 
憎しみや欲望が 湧いてくるのだからおかしい


自分の顔が いつも見えていたら
悪いことなんか できないだろうなあ
自分の背中が いつも見えていたら 
侘しくて涙が出てしまうだろうなあ
あなた(神さま)は 私の顔を いつも見ている
私の背中を いつも見ている


木をみれば 草をみれば 花が咲くのは 年に一度
後は静かに 時を待っている
人間も同じ 
私も同じだと思う
あくせくするのは 止めよう
一度で いい 
ひとつでいい


川の向こうの紅葉が あまりにきれいだったから 
橋をわたって行ってみた
ふり返ったら さっきまでいた所が見え
向こうの方が きれいだと思った


何のために 生きているのだろう
何を喜びとしたら よいのだろう
これからどうなるのだろう
その時 私の横に あなたが 一枝の花を 置いてくれた
力をぬいて 重みのままに咲いている 美しい花だった

   
  (この「あなた」は、星野さんを介護しておられる妻とも
   読めるが、やはり「神さま」と読むのが作者の真意だろ
   う)

立っていても 倒れても 
そこは あなた(神さま)の手のひら


暗く長い 土の中の時代があった
いのちがけで 芽生えた時もあった
しかし草は そういった昔を ひとことも語らず
もっとも美しい 今だけを見せている


知らなかったよ 
こんなにきれいだったなんて
すぐそばにいて 知らなかったよ


  (これは、「白い十字架に似ている」とも詠っておられる
   ドクダミの花のことである)

作者の星野富弘氏は現在60歳になっておられる。
中学校の体育教師になられてまもなくの1970年6月17日、器械体操の好きな星野さんがクラブ活動中に宙返りに失敗し、頚髄を損傷して首から下が麻痺し手足の自由を失った。

何度もの危機を脱して命をとりとめたが、命の危機に劣らぬ精神的危機の中でイエス・キリストと出会い、僅かに動く口に筆を加えて詩や絵を描き始めた。そして、最悪の苦悩を負いながらも、自分ひとりで何一つできなくなった星野氏が喜んで生きる者にされた。
氏の上に神の栄光が現されたのだ。

最も苦しみを負っている弱い立場の星野さんが、命の大切さと、神と共に生きる歓びを伝えておられるのだ。
私はこのようにされた神を讃える。
ハレルヤ!

ここに到るまでに多くの人々の愛の支えがあった。特にお母様の深い愛に涙する。神さまから富弘さんに良き伴侶を与えて頂いて、お母様は安心して天に帰られたことであろう。
最後に私の大好きな詩2篇を掲げたい。

母の手は菊の花に似ている
固く握りしめ 
それでいて やわらかな
母の手は 菊の花に似ている


神様が 
たった一度だけ 
この腕を 動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れる ぺんぺん草の実を見ていたら
そんな日が本当に 来るような気がした


詩を読みながら私の涙も止まっていた。
posted by 優子 at 12:27| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年02月22日

全てのことを益とされる神

優子さんのブログ(美しい虹はかならずかかる、裁判官との質疑応答、人が人を裁く事、等)を読んでいる内に、神様がこの文章を通して語りかけて下さっているのに気がつきました。

私も含めて人は自分を基準に無意識に他人を裁いたり見下したりし勝ちです。
多くの場合、独り善がりな思い込みで相手を殺す言葉を口から平気に出してしまいます。どちらにも言い分はあるでしょうが、神で無い人には相手に優る正義等ありません。それでも相手を非難したり、自分の正当性を強く訴えたり何とか相手よりも優位に立ちたいのが人間なんですね。

前述のブログはイエス様の為さった事や、あり得ない様な事態の中で自分を見失っている時の神様の約束がどのようなものかをもう一度私に教えてくれました。

事実、思いもかけない様な方法で多くの人の助けがあり、逃れようの無いと思われた事が解決の方向へ動きだし、今、神が約束された虹を見ています。

正にメメント・ドミニですね。
ブログを続けて下さる事を感謝致します。更に豊かに用いられます様お祈り致します。


(2月14日着信メールをお許しを頂いて掲載させて頂いた)

バロック音楽の通奏低音のように、常に問題や悩みを抱えて生きるのが人生であるが、よくもまあ、こんなに次から次へと押し寄せてくるものだと思う。
短期間で落着する「強度1」のものから、経済の破綻や深刻な病気など最大級「強度5」のものまで多種多彩だ。

今の私はどうだろうか。
「強度4」の打撃で打ちのめされながら「強度2〜3」が到来した。そのような昨日、お慰めするつもりでお招きした知人から反対に慰めを頂いた。思いもかけない花束に恐縮したが感謝してお心を頂戴した。
私は、花がこれほど美しいと感じたのは初めてかもしれない。胸の痛みを感じるほどに心に慰めが沁みる。
「悲しむ者は幸いなり」である。
苦悩し打ちのめされた心だからこそ、美しく静かに咲いている花に惹き付けられ深い慰めを受けるのだ。

泣くこともまた素晴しい。そのうちに再生の涙に変わっていくことだろう。

敬愛する知人から頂いていたメールを読み直しながら、今度は私がそのメールを通して力強い励ましを頂いた。私もまた、「あり得ない様な事態の中で」翻弄されそうになっていた。

祈りつつ成すべきことを成す。
そして、大切なことは、状況を見るのではなく、神の約束を信じ、進むべきべき方向を見失わないようにすることだ。

今、同じような苦渋の中にある人たちも忘れないで!
時に応じて成すべき処理をしていき、あとは神に丸投げせよ!
状況に目を奪われてはならない。状況ではなく、神に目を向けよ!


私は励まし合うことの大切さを心にとめているが、今改めて我が心に刻む。友たちは、たゆまずに良き闘いを闘っておられるのだ。お互いに励まし合って人生の最後まで良き闘いを闘い抜きたいと思う。
まさしく、

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事が益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」
          
             (ローマ人への手紙 8章28節)

画面上のタイトルに意味を書き加えておこう。
「メメント ドミニ」とは、「汝の主を覚えよ」という意味であり、「主(しゅ)」とは、神であるイエス・キリストのことである。

                     Oさんに感謝しつつ
posted by 優子 at 16:56| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2007年02月21日

むさぼり喰うが如くみことばを読む

神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう・・・。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

だれでも、手を鍬(すき)につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。

おおわれているもので、あらわされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。

あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたし(イエス・キリスト)はすでに世に勝ったのです。

どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

見よ、わたし(神)はあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。

主は倒れている者をみな支え、かがんでいる者をみな起こされます。

世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。

神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。

忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。



私に洗礼を授けて下さった小山牧師は、「『すべての事』とは全ての事です。どんなに喜べないことも全てです。」と言われた。どんなことでも全ての事を感謝しなさいと教えていただいた。

今こそ私はこう言おう。
「主よ、感謝します、アーメン!」

私も主に励まされて信仰生涯を戦い抜きたい。
私にいただいている信仰を働かせて、さあ、立ち上がれ!
今日も主が共に居てくださるのだ!
posted by 優子 at 07:41| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年02月20日

盛り上がった読書会『ワイルド・スワン』

文庫本で3冊という『ワイルド・スワン』の読書会、出席者18名は時間を忘れて楽しんだ。
参加者に共通した感想は、「隣りの中国でこれほどのことが起こっているとは思わなかった。日本人でよかった。」というものだった。
その代表的な感想をご紹介したい。読まれた方は、特に興味深く読んで下さることであろう。

3代の女性(祖母・母・著者)それぞれが素晴しい。著者は、父と母の深い愛の中で育ったから、こんなに素晴しく人生を生き抜けていけたのだと思う。
父は一切のコネを排除し、妻さえ助けなかった。母は何度も離婚を考えながらも、そのような夫を愛するお母さんのことが分からなかったし、発狂してしまうほどに全てを共産党に命をかけた父の人生は何だったんだろうと思う。


中国の国民性だからここまでできた。

広大な領土で一つの言葉でない国をまとめる難しさ。
貧富の差をなくすというのが共産党の思想なのに、国が自分の手に入ったとたんに、自分の身を守るための政策に変わってしまう。国をまとめる人はいつの時代にも、まとめたとたんに自分の身を守らなければならないのは宿命なのであろうか。
密告して恨みをはらすという凄さ。
無知を奨励する毛沢東。
情報操作の怖さ、恐怖と情報操作によってこんなことになってしまうとは。
主人公は非常に強いが、大学へ行き、イギリスへの留学についても全てコネだったということにいい気持ちがしない。


正確な歴史のドキュメンタリーであるにも関わらず、一つひとつの描写が見事で小説かと思うほどだった。
毛沢東を偶像化し神格化するほどにしないと国をまとめられない。それを達成したあとも、絶えずスローガンをもっていないといけなくて、一党独裁国は孔子批判までした。「毛沢東はモウタクサン」と日本に逃げてきた人がいた(笑)。
中国は一党独裁にしておかないと、内戦状態になるだろうという一つの知恵があり、従って現代も一党独裁で経済は開放しようということになっている。
お母さんのすさまじい精神力と生命力の凄さと強さ、また、知力も凄いものだ。


著者はイギリスへ国費で留学したのに母国へ帰らないのはどうしてか知りたいと思った。
権力を握ったら自分もそうなるのかなあ・・。


改革開放のために家族を犠牲にして、発狂するほどに革命に生きた人の人生は何だったのだろうと思う。54歳で死んだお父さんの悲しさと惨めさに比べて、女性のたくましさ。何よりもおばあさんが聡明だった。

家族を犠牲にして死の間際まで自分の信じ守るべきものを守ったお父さん。そういう父をいたわる家族に熱いものを感じた。
地獄のような恐ろしさ、3代女性の強さと素晴しさを感じた。


毛沢東は知識人を怖がり、農民を軽蔑しているのに農民を上手におだてて動かす。
私は戦争体験をしているから、情報封鎖の恐ろしさは身をもって知っている。大本営はいつも「勝ってる、勝ってる」だった。
中国の人口は13億人、日本の10倍だから治めるのは大変、うまくいかないところを隠し、人民のはけ口を日本に向ける。今も中国は怖い国だと思う。


お父さんの一徹な生き方に似た人が日本にもいた。戦後はヤミのお米を食べないと生きていけなかったのに、「ヤミ米は食べない」と言って餓死した判事がいた。
主義を通すということと、生きていくということ、それによって家族にどれだけ負担をかけるかということも考えねばならない。
それに対して主義も曲げずとも、いろいろ疑問に思い、悩みながらも臨機応変に家族を守るお母さんは素晴しいと思った。


(久々に出席した人)
皆さんのお話を聞いていると素晴しい解説を聞いているようだ。この本について何人かの人にお聞きしたら、どなたも「長いよー」と言われ、絶対に読まないでおこうと思って来たが、今は絶対に読もうと思っている。

(中途失明の人)
10年前にテープで読んだことがある。
日本は民主主義でよかったと言うのが第一の感想だ。
日本では朝の挨拶は、「おはようございます。今日はいいお天気ですね。」だが、中国では、「おはようございます。昨日はご飯を食べましたか?」というのが挨拶であったほど、食べ物が無い国だった。原子爆弾欲しさのために人民を餓死させる国だ。
『マオ』には、「20世紀の大虐殺者」という副題が付いているくらい、毛沢東がこんな悪辣なことをしたということが書かれている。本当の共産党の恐ろしさが分かった本だった。


今まで近現代の歴史を学んでこなかった。内容がすさまじく、あまりの惨さに精読できなかった。

最後に私(11番目に発言)の感想は―

警察に逮捕された父を救うために母が周恩来に会えたことと、著者が留学できた大きな幸運。
留学するのもコネを使ったということに対して、私は反発は感じない。これを読んでコネについて一部考え方が変わった。
ここまでの地獄にあっては、生き残るチャンスがあるならば、また、とても優秀なのだから留学できるチャンスがあるならば、コネをあえて排除する必要はないと思った。しっかり学んで後に貢献すればよい。
留学試験勉強に際しての蘇(スウ)先生の協力に感動した。良い助け人が送られたと思った。
私も年を取ってきたせいか、若い人たちに心が向く。これから長い人生を生きていく若い人たちに、私の今までの経験や知恵を、また、忍耐力をも活かして援助したいと思っているので、蘇先生の働きに感動し、お母さんの気丈さと聡明さに感動した。


著者がこの本を世に出した功績は大きい。中国で起こっている内情を世界に知らせ、計り知れないほど貢献した。そのことも中国から脱出し、自由が保障されている国で学べたゆえである。原書は英語で書かれており、著者の弟が中国語に翻訳したが、今も中国では解禁になっていない。

このあと、今日は7名で喫茶店へ。ケーキセットを前にしての2次会、読書会パートUも盛り上がった。一人の方が急がれるので席を立たれたのを機に終了した。あっという間の1時間、5時近くになっていて驚く。

尚、会の初めに来月を待たずに次期役員を発表した。
次回は今年度最後であり、私にとっても思い出に残る会となるだろう。テキストは映画でも大好評だったという『博士の愛した数式』(小川洋子著)だ。
読書会の雰囲気をあなたも体験しませんか?
歓迎します!!

posted by 優子 at 23:39| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年02月19日

まだ見ぬ孫の話から昔を追憶して涙す

「孫の世話をする時は、知子や真智子の小さい時と重ねて見えるだろうし、きっと『ともちゃん』、『まちちゃん』って呼んでしまうと思う。」と言う私に、夫は「孫には孫を思う」と言った。

夫は私に赤ちゃんのお風呂の入れ方をレクチャーしてくれるほど、今から孫の誕生を楽しみにしている。私は冷たいのだろうか、愛情がないのだろうかと悩んでしまう。

私は数えるほどしか乳児をお風呂に入れた経験がない。
私達の世代の主婦は、「子供は母子家庭で育てたようなものでした」と言われる方が多い中、私はとても恵まれていた。夫は残業のない業界であり、会社から自宅まで徒歩で10分ほどだったから、毎晩7時半頃には帰宅していた。

産前産後を実家で過ごし、その間は母が沐浴してくれていたし、1ヵ月後に自宅に帰ってからは夫がお風呂に入れてくれたからだ。私はバスタオルで迎える役で、息がピッタリ合っていた。以来ずっと、娘達が小学校3〜4年の頃までお風呂に入れてくれる夫だった。

しかしまた、このような夫であるのに子供が熱を出した時は常に変異を起こした。
仕事から帰ってきても、「熱は下がったか?」の一言もなく、子供の顔を見に行くこともしなかった。私は夫が平気であることが理解できず、そのことが原因で数え切れないほど喧嘩した。

ある時など、連日の高熱が続いている幼子がいても平気でゴルフに行った。大切な取引先の接待ゴルフならともかくも、実父と弟たちとのプライベートゴルフだった。しかも、一言の言葉もなく行ってしまう夫だった。
その時、私は次女を身ごもっていた。
いつものように両親に助けを呼ぶしかなかった。この時、父は外出していたので、代わりに兄と母が飛んで来て救急病院へ連れて行ってくれた。兄は私の体を気遣い長女をネンネコでくるんで抱き、自動車に乗ってから私に抱かせてくれた。

このような何でもないことでも、既に父親になっているにも関わらず夫には考えられないことだったから、あの時の光景は今も鮮明に覚えている。家庭環境や育ちの違いとは言え、違いすぎるゆえの苦悩だった。

書いているちに途中から筆が止まっていた。
辛くて、不快になり、悲しくて泣いてしまった。まだ懐かしいとばかりに微笑んでは語れぬことなのだ。しかし、私の涙は夫への怒りではなく、私達の結婚生活を支え続けてくれた両親を想っての涙だ。


両親は何度も何度も阪神高速に乗って東大阪まで走ってくれた。「あの親ありてこの子あり」と言うが、どんな場合にも例外はある。私は親に似ない例外だった。
喧嘩は夫が居る時だから、いつも夜だった。一日の仕事を終えてホッとしている時に娘から電話なのだ。両親が50代だからまだ元気があったのだろう。午後8時過ぎから何度自動車を飛ばして駆けつけてくれたことだろう。

「僕が行くと良輔君に角が立つといかんからな」と、父はマンションの下で待ち、「良輔さん、優子はわがままですみません」と母だけが上がって来てくれた。
母は私の気持ちを聞いてくれ、穏やかになった私に優しく諭してくれた。「辛抱できる強い人間になれ」と。
母が来た時、夫は一言も挨拶さえしない時もあった。(何ということだろう。父母と藤本の両親とのあまりの違いに苦しみ続けたことも思い出し、今もまた涙が溢れてしまう。・・・もういい。通り過ぎたことなのだ!)

私は一階まで母を送って行って父にも詫びて感謝したが、あまりにバツが悪い時は8階のベランダから父に手を振った。
「愛してるよ! 頑張れよ!」と、父はどんな時も笑顔で手を振ってくれていた。

父と母は夫のことを悪く言ったことがなかった。藤本の親のこともだ。見事なほどに一言も聞いたことはなかった。私はそんな両親を誇りに想う。「我が親に優る親なし」と言うが、私もまた愛情深く尊敬できる親をもつ最高の幸せ者だ。

親ほどありがたいものはない。
「世の中に思ひあれども子をこふる 思いにまさる思いなき哉」と、紀貫之も子を想う親の愛を詠っている。


娘達が結婚してからの大きな気づきは、今からこそが親としての磨きをかける時だということだ。
私はとても両親のような親にはなれないが、私なりに励もうと思っている。子供の養育という義務と責任と学びの段階を終え、これからは私達を支え続けてくれた両親のように、私達が娘達を見守ってやる番である。今までの経験を経て年を取った者らしく、常に愛の受け皿になって娘達を支えてやりたいと願っている。


「おのれ生ある間は子の身に代わらんことを念(ねが)い、
おのれ死に去りてのちには、子の身を護る(まも)らんことを願う。」

親の心はどれほど愛情深くありがたいものか、死んでも子のためになろうというのだ。

お父さん、お母さん、本当にありがとう。
今ようやく私達もお父さんとお母さんのような夫婦になってきました。だから安心してね。
これからの年月は、人生の仕上げに磨きをかけて本当の親にならせていただきたいと思っています。


写真の中から父と母が笑っている。
「知子と真智子のこと、頼むで。幸せにな。」と、父の声が聞こえるようだ。
posted by 優子 at 11:45| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2007年02月18日

私にはわからない孫のかわいさ

ブログの友、希望姉(しまい)の記事を読んでいると胸が熱くなる。ここに一部引用させていただこう。

「さあて、たいへんなことになりました。同居の長女家族がパパの転勤で移転するのです。会社人間に転勤は付き物、過去にも何度かありましたが、同居するようになってから丸7年、遠方へいくことはありませんでした。今年は免れられないだろうとの予想通り、とうとう現実になってしまいました。一大ショック!。

S君が2歳を迎える直前に同居が始まりました。産前産後はずっと我が家にいましたし、その後もひっきりなしに行ったり来たりしていました。・・・Mちゃんは同居後に生まれました。陣痛がはじまってママがパパと産院に行ったとき、S君は私の手をしっかり握って見送り、その夜はパパが帰るまで私のベッドに休みました。
翌日から、二人で産院へ日参しました。新しい小さな妹をうれしそうに眺めて、さっそく抱っこしました。S君は3歳になっていました。」


そして今、お孫さんたちの名前を呼びつつ、寂しさで枕をぬらしておられる姉(しまい)。
私は美しいと思った。心美しく幸せな人生を送っておられる光景だと思った。

希望姉が母の姿と重なり、まもなく孫を迎える私自身とも重なるのだが、正直のところ孫のかわいさはまだ私にはわからない。
子育てを経験しているのに想像できないのだ。
いや、想像はできるが「本当にかわいいよ」と言われても実感をもって想像できないのだ。
「孫って本当にかわいいよ。顔を見たらきっとそうなるよ。」と友が言ってくれるのだが、私はまだ漠然とした気持ちしかなくて、孫の顔を見てもこのままだったらどうしよう。私は母性に欠ける薄情な人間なんだろうかと気になっている。

しかしながら、希望姉の突然の展開に胸が熱くなる。
寂しさは良き人生を送っておられる幸せの証しだ。
特にこれから成長していくお孫さんたちにとって、どんなに大切な同居期間であったことだろうか。その素晴しさは計り知れない。
愛情いっぱいのクリスチャンホームで、ご両親だけではなくおばあちゃんの愛の中で育まれたS君とMちゃんは、大人になって厳しい状況に立たされた時も、きっと幼かった日々を思い出して雄々しく生きていかれることであろう。
人は愛の中で育ってこそ、たくましく美しい大人に成長するのだ。


孫を迎えようとする私に、希望姉の記事は私を豊かな心へと導いてくれる。
年老いたお母様とお二人になられる希望姉に、神の慰めと励ましと助けが豊かにありますように!
春を迎える頃にはきっと希望の風が吹いていることだろう。


私はまだ孫よりも我が子が可愛い。孫の顔を見ればどうなるか自分でも興味津々だが、あんなにかわいがってくれた母でさえこうも言っていた。
「孫が可愛いのは我が子が可愛いから」。

その通りだと思う。
我が子が可愛いからこそ孫も可愛いのだ。
新しい心理体験が続く日々である。
posted by 優子 at 20:31| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2007年02月17日

チャッピーもスカイプしたよ!(笑)

昨日の午後3時、玄関ドアの開く音がした。
来た!!
「ともちゃん、よく来たね!!」
「こんにちは!」
私と娘の声が同時に重なった。
自動車で40分ほどなのに、長女とは1月2日以来の再会であった。

昨日は婿が美濃紙業入社以来初めての出張で、王子製紙日南工場見学のために宮崎泊りであった。
長女は婦人科の受診を済ませて家に戻り、自動車を置いてから電車でやって来た。幸いにして母子共に順調で6ヶ月目に入った。

昨夜、帰宅した夫も嬉しそうにニヤッとした。
「知ちゃんや真智が居ると食事がよくなるから、もっと来て!」と寡黙な夫が笑っていた。
昨日は私も頑張った。通常20〜30分で済ますのを2時間半も夕食の準備にかかっていた(笑)。


そして、今日の午後、メールチェックをしようとパソコンを開けると真智子が声をかけてきた。真智子の顔を見ながらのチャットは初めてだった。
「お姉ちゃんもここにいるよ」ということで、スカイプに切り替えた。おなかの中の赤ちゃんの話をしてから、チャッピーも傍に居ることを話した。

チャッピーは今時の犬とは違って外で飼っているが、夜は玄関の土間に居る。放しているが絶対に上がっては来ない。
そして、晴れた冬の日の午後は、時々リビングに入れてやる。チャックン用に買った土足用の玄関マットに乗せて運んでくる。汚ながりの私の性格を知ってか、部屋の中でも絶対にそこから出ない賢い犬だ。
今日は雨の日だが、長女も久々ということで特別に入れてやっていたのだ。

真智子が「チャッピー」と呼ぶと、耳を動かした。
キョロキョロして真智子を捜したが居ない。
帰って来たのかと思って玄関の方を見、そちらに向かってお座りをした。
かわいいチャッピー。でも、胸が痛くなった。真智はアメリカなのだ。 

私はチャッピーを真智子に合わせてやりたくて必死になった。
「違うやんか!
チャッピー、ここ! 真智はここや!」と、パソコンの画面が見える位置にマットを動かしてやった。
ついに目と目が合った。


「チャッピー、ワン言って?!!」と、声も聞かせてやろうとしたが鳴いてくれず、大好きなミルクを見せて鳴かせた。
「ミルクあげるからワン言うて?!」と言うと「ワン」と言うからだ。
苛酷な研究生活を送っているミネソタの真智には、チャックンの元気な声まで聞いてアニマルセラピーになったことであろう。

文明の利器を介して、家族全員集合の思いもしない幸せな時間を過ごした。あっという間の1時間半、楽しかった、本当に楽しかった。

急いで用意に取り掛かった。食料の買い物をして知子を送ってやらねばない。
昨夜の献立で好評だった生ぶしの押し寿司を作って持たせてやり、お隣りの義母にも届けて家を出た。買い物のあと、3人で富雄の「タゴール」で夕食をした。

真智たちも今度連れて行ってあげるね!
おしゃれなカレー料理のお店でね、熱々のナンも最高だったよ!
知子と真智子、パパとママとチャッピーと。
かわいい娘達、また会える日まで良き日々をね!


長女を家に送り届けて、私たちはまた二人になった。
posted by 優子 at 22:17| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2007年02月16日

兄弟同士の相続争い

京都は東山知恩院近くにある布製の鞄(かばん)屋さん「一澤帆布」をご存知の方も多いであろう。私はまだ行ったこともないし持ってもいないが、全国的にも有名で商品には赤枠のタグで『 一澤帆布製』と縫い込まれている。

その店の先代(父親)が亡くなってから後継者争いが続いている。父親と共に仕事をしてきたのは二男の信三郎氏で、長男は家を出て銀行員をしていた。

もめごとの発端は、父親が残した遺言が2つも存在していたからだ。一つは「長男と四男に譲る」と書かれてあり、もう一つは「次男の信三郎氏に譲る」と書いてあった。これについては長男の主張が認められて決着した。

しかしながら、ずっと父親の仕事に携わってきた信三郎氏としては納得できないであろう。従業員達もまた長男に対して、「何もしてこなかった者が・・・」というのは印象的だ。
信三郎氏は縫製の機械一式を持ち出しており、熟練した職人達も全員が信三郎氏について行った。そして、店の斜め向かいに「信三郎帆布」を開店した。
これが昨年のワイドショーで取り沙汰されていた経緯である。

ところが、このたび兄が弟を提訴したというのだ。
長男の訴えは、「信三郎に機械を持って出られたから店を再開するまでの損害額を支払え」というものだった。
カバンのデザインの9割は四男が父と二人で考え出したものだというから、この問題も複雑に絡む。「真似するな!」というわけだ。
長男の立場から見れば、「長男と四男に」という父の遺言書がある以上、主張するのもよくわかる。
しかしながら、父親はなぜ家業を継いでいない長男にという遺言を書いたのだろうか。これでは次男も心穏やかではない。彼と父との間にも何かあったのかもしれない。

小さい頃は仲の良かった子供達が裁判で争うとは、親にとってなんという悲しみだろうか。まず何よりも財産のある人は親の責任として、自分達が死んだあとのことを処理しておかなければならないのだ。このことは財産家だけの問題ではない。お金の額に関わらず人は争うのだ。

当事者は物事を正当に、且つ、客観的に見ることは難しいものだ。
だから第三者に介入してもらい、法律的に解決するしかないのだが、判定を下す人もまたどこまで正当客観的に見られるかという心配もある。

カウンセリングの現場でも、訓練されたカウンセラーでないと「逆転移」を起こしてしまい、客観的に見えなくなってクライアント(来談者)に振り回されてしまうことがある。
「逆転移」とは臨床心理学用語で、一言で言えば、自分の体験による個人的感情や反応をクライアントに向けてしまうことである。


いずれにしても、法的な解決は究極的な解決ではない。法律のことは分からないが、民事裁判による解決は双方の妥協点を見出すことにあると思うからだ。本当にお互いを理解し合い、許し合えた時が真の解決だ。

兄弟姉妹で争うことほど悲しいことはない。親にもいろいろだが、私の両親ならば悲しむに違いない。だから私は親の悲しむことはしない。
闘うべきことには闘う勇気を求めるが、主(神であるキリスト)が悲しまれることはしない。


posted by 優子 at 14:35| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年02月15日

春の喜びは厳寒を超えてこそ大きい

昨日は例年より早く関東以西で「春一番」が吹き、先週末には自宅近くで鶯の声を聞いた。いつもならば春の訪れに大きな喜びを感じるのに、異常なほどに暖冬だった今年は胸躍らなかった。春の喜びは厳しい寒さに耐えてこそ感じるものなのだ。

半生を振り返っても同じように思う。
人生苦を知らなかった頃ではなく、私が地に足つけて生き始めた30代からの日々、しかも、最も苦しかった頃が懐かしい。今もまだ僅かながら悲しみと心の痛みはあるが、私に憎悪はない。主に在って今までの人生を勝利させていただいたから、懐かしさでしかない。

しかし、これからこそが人生の本番だ。
最たる本番は自分の死を死んでいくことだ。
そこに到るまでには再び呻きの日々もあろう。しかし、人生がどんなに素晴しく尊いものであるかを知ったから、私は今、頭(こうべ)を上げて主にこう言おう。
「最後までよろしくお願いします」と。

これから身体的には衰えていくが、精神面はそれに反比例して幼児期の成長に匹敵するくらいに成熟していくのではないかと期待している。まさに、人生の収穫期に入るのだ。

そして、私に与えられた全ての行程を走り終えて人生を振り返る時、全てのことを感謝する人間に変えられていたい。
苦難の時は、人生の最後に歓喜を味わえることを思い出して進んでいくことができますように。
苦難が激しいほど喜びが大きいことも忘れないで!
そして今、苦難の中にある人々の上に絶大なる神の支えがありますように。


夕方、民生委員の仕事で近隣を行ったり来たりしたが、神様はいつも不思議なことをされる。関屋病院へ行ったことで大切な人に会わせて下さった。その方の年老いたお母様が先週から容態を崩しておられるのだ。私はその方のことをずっと心に覚えつつも2月半ばになってしまった。

神様、第一にすべきことを第一にしないでごめんなさい。悔い改めます。赦して下さい。
主よ、回復させて下さい。そして、もうしばらく穏やかな日々を下さい。一人で泣いておられる娘さんに神様の慰めと励ましが届きますように。もう一度、私を主に遣わされる者として下さいますように祈ります。もっと深く悔い改めさせて下さり、整えて下さい。


若い人も、中年の人も、年老いた人も、どの人にとっても今は大切な時。神に導かれて限りある日々を大切に、お互いに良き日々を生きたいものである。
春の歓びを味わうために!



posted by 優子 at 22:57| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年02月14日

『ワイルド・スワン』読了

2月の読書会の課題図書『ワイルド・スワン』をようやく読み終えた。12月から借りていたもののピッチを上げて読み始めたのが1月末からで、上・中・下、合わせて950ページの大作だった。

毛沢東の文化大革命が、これほど残虐な恐怖政治であったということを私は知らなかった。
作者ユン・チアンは1952年生まれ、私とはたった1歳違いなのだ。私が生まれた1950年代の日本は戦後の混乱も落ち着き、戦後復興から経済成長へと移行し、平和と豊かさに満たされていった。
同世代の私は本を読みながら、「私が15歳の時か・・」、「70年と言えば万博、私は大学一年だった・・・」など、常に自分と比べてしまうほど、隣りの中国では信じられない地獄の日々だったのだ。何度も北朝鮮の現実ともダブって見えた。
文革の犠牲者は数百万から二千万人とも伝えられている。

1976年に毛沢東が亡くなっって1ヶ月も経たないうちに4人組が逮捕されたが、あの時のテレビ映像は今もよく覚えている。私が結婚する2ヶ月前だったのだ。

作者は革命後初めての、1949年以来の海外留学生となった。1978年のことである。最後のところは何度読んでも涙がこみ上げてくる。

私はこれまでの26年間を思った。特権を味わい、苦難も味わった。勇気を見、恐懼(きょうく)も見た。
人の温情や忠節を知り、また人の醜い本性も知った。
苦痛と破壊と死のまっただ中で、何よりも強い愛の力を知り、生き抜いて幸福をつかもうとする人間の不屈の力を見た。

さまざまな思いが胸に去来した。
いまは亡き父のこと、祖母のこと、俊英(チュンイン)伯母のこと。これまで、つとめて思い出さないようにしてきた。3人の死は、あまりに辛すぎる思い出だった。でも今はきっと、この私を見てよくやったと喜んでいてくれるだろうと思った。

       (略)

中国がしだいに遠くなる。
窓の外には、銀色の翼のむこうに遥かな宇宙が広がっていた。
私はもう一度だけこれまでの人生に思いを馳せ、それから未来に目を向けた。新しい世界を、この手に抱くのだ。

ユン・チアンは留学先のイギリスで言語学の博士号を取得し、以来現在もロンドンに在住している。54歳になっておられるチアンさんに会ってみたい。
読書家達の感想を聴くのが楽しみだ。


一刻も早く北朝鮮も解放されねばならない。この21世紀の、この今も、北朝鮮では地獄が続いているのだ。チアンさんはどのような思いで見ておられるのだろうか。

昨日終わった6ヶ国協議も未だ希望の道は示されていない。拉致被害者の方たちの苦悩を思うと、「神様いつまで待てばいいのですか?!」と忍耐の限界に苦しむ。
安部政権への支持はかなり少なくなっているが、協議会で初めて日本国の意志を通したことを私は評価し、そこに希望をつなぎたい。今一度、真剣に祈ろうではないか!

posted by 優子 at 15:38| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年02月13日

同志社のリベラル・アーツ教育

同志社女子中高では毎週1時間聖書の時間があり、高校1年までの4年間は聖書について学び、高校2年にキリスト教の人間観、結婚観・・などを学ぶ。

そして、高校3年時には文学作品をとりあげて聖書をモチーフにして小グループごとにディスカッションし、毎回その時のレポートを提出せねばならなかった。
期末試験の問題は「愛するということについて」、「信じるとは・・」というような問題だったと思うが、試験の時には原稿用紙だけが配られる。
今も返却された1学期の原稿用紙が手許にある。45分間に4枚書いている。この時の成績は「5」で、中高6年間成績不良生だった私が真面目にやった教科であった。

実はこの目覚めに到る前段階があった。
高2の家庭科では『狼に育てられた子』を読み、カマラとアマラから人が人として育つにはいかに環境が大切かを学んだ。

その試験でも原稿用紙が配られた。私の評価は「3」だった。「4」はつくだろうと思っていただけにガッカリしたものだ。
「『5』だった人の書き出しは、『人間とは』だった・・・」と、学年中の話題になった。
「・・・・・」、私は大変興味深く黙って聞いていた。

成績が悪くても平気な私が、これには反応していたのだ。
「人間は」と大上段から打って出るのか・・・と、私はやる気を見せていた。テーマと共に書くことに関心があったのだろうと思う。


生徒達は単純に書き方の技術のように話していたようだが、これには大きなヒントを得た。
その時の私の答案はお粗末過ぎたからだ。先生が話されたことを書き写しただけだった。しかしこれとて、私にとっては真面目に試験勉強したのだった。だからこそ感じえた悔しさであり、努力しなければ悔しさも感じない。

私が書いたものには「だから、どうなのか」という考察がない、「だから私はこう考える」ということを書かなくてはダメだと思ったのだ。
次の学期は「4」だったと記憶している。同志社時代の成績表は結婚後に全て破棄してしまっているからわからない。
(>_<)


このことを経て、高校3年生1学期の聖書の成績で「5」を取ることができた。しかし、私の答案用紙には「−α(アルファ)」と書かれていたから、「5」にもプラスとマイナスがあるのだ。これを「+α」にしたいと思った。あんなに全てのことにやる気のなかった私が意欲的になっていた。

「どうすれば他者をも中心にした生き方ができるのかについても書いてほしいと思いました。」と先生のペンが入っていた。
そこまで書けば「プラス」になるのか・・・と、書く技術だけではなく深く考える方向への導きを得た。
2学期、3学期は「+α」の「5」をもらって満足し、初めての成功感を味わっていた。


本を読んで、自分の頭で考えさせる教育は血となり肉となる。リベラル・アーツに重きをおく同志社教育は素晴しいと思う。

しかしながら、なぜあそこまで私は中・高時代に勉強なかったのだろうか。それが人生最大の悔いである。中・高時代の学習知識があれば、それを土台にしてどんなに知る楽しみを味わえたことかと思う。

この人生の大損失の経験から、子供達には小さい時から勉強好きにさせるべく私は仕掛け人を心がけた。子供達自身の努力があってこそ成功したのだが、私は子供達がいつまでも知的探究心の旺盛な女性であってほしいと願っている。まさに「生涯楽習」である。

私だって悔いてばかりはおられない。
今の私で楽しめることを大いに楽しみたいと思う。読みたい本が山積みだ。
ああ、子供時代には考えられなかったことだ!!!
posted by 優子 at 10:42| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2007年02月12日

人が人を裁くということ

裁判官の席に座らせていただいた時、イエスを裁いたユダヤ人たちの裁判の光景や、武田泰淳の『ひかりごけ』に出てくる光景を思い出していた。

高校3年生の時、聖書をモチーフにして文学作品を読む授業があった。『ひかりごけ』はその中で知った作品であり、とても印象的だったので、読書会に入って一年後(1988年4月)に取り上げていただいた。

この作品は野上弥生子の『海神丸』や、大岡昇平の『野火』のごとく飢餓に迫られた者が人肉を食べた、あるいは口まで入れるが飲み込まなかったなどという内容と類似する。

第二次世界大戦末期に起こった「難破船船長人喰い事件」を題材にして書かれたもので、我々人間の中にある不気味さや実相を鋭く問うている。

人喰いをした者は後ろに光の輪が出て、食べていない者には輪が見えるという内容であり、作者は裁くものが裁かれるという深い問題を提示する。
仏教に深い関わりのある武田泰淳は仏教哲理で書き進めたが、そこに救いの道は示されていなかった。

私が17歳の時に初めて読み、読書会で再読してから19年経ち、36歳から55歳になった。今再び読むとどのように感じるのだろうか。興味深い今日的テーマでもある。
裁判員制度導入を前にして、もう一度読み直してみたい作品である。

これで大阪高等裁判所視察レポートを終わります(^−^)
posted by 優子 at 10:42| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2007年02月11日

裁判官との質疑応答から

さて、裁判員制度についての説明のあと、裁判官との質疑応答も設けられていた。それがまた、私には非常に興味深く有意義であった。

裁判官の年齢は23歳から65歳までということを聞き、あまりの若さに驚きを隠せず、「裁判官に人生経験は必要ないのですか?」と、私は間髪入れずに質問した。
これはよく出る質問であり批判も多いと前置きされた上で、
「必要ないです。(略)しかし、そうも言い切れないかなあ・・・」
というような回答だった。国家試験にパスしてすぐに裁判官ではなく、3〜5年間の助手的な働きは大切であろうと思う。

説明を聴いたあと私は3〜4のお尋ねをしたのだが、その中で特に興味深かったことは量刑についてである。

多くの先進国では死刑制度が廃止になっているが、日本は世界の流れと逆行しており死刑が存置されているので、私は考えさせられている。しかしまた一方では、重大な罪を犯した者に刑が軽すぎるのではないかという思いもある。

世論もまた同じ思いであろうという印象を持っているが、裁判員制度導入により国民の意見が反映されていくとすれば、私は現行の流れを加速させていくのではないかと懸念する。

裁判所が我々に対して自由な発言を求める場合、百家争鳴になってはいけないので裁判官が方向性を示してもらわないと危険ではないかと思うが、
そのあたりはどのように考えておられるのかと問うてみた。

それに対しては、「前例に基づいてやっていく」とのこと。
そうだった! 判例に基づいて罪に相当する刑が決められていくであろうと安心したことだった。
発言回数が多いので恐縮しつつも、どなたも発言されないのでこの機会を無駄にしてはならずと最後にもう一度手を挙げた。
「裁判所に入る時、身体チェックはされないのですか?」
と、傍聴席で感じた気になる質問をした。

すると、「オウム事件の時は調べたが、その後はしていない。裁判所は誰でも入っていいところなので調べたりしない。」と、安易に答えられたので驚いた。

「では、アメリカの裁判所でもボディチェックをしていないのですか?」と聞いたところ、当然のことながらするのだ。そこで私は詳しく今日の感想と考えを述べた。

日本ではまだテロは他人事なのかもしれないが、先ほどの傍聴席でも被害者のお父さんが感情を抑えきれない様子だったし、凶器を持って危害を与えようと思えばできそうな状況だった。

傍聴している私も恐怖を感じたことを話し、何が起きるかわからない現代はボディチェックは必要ではないか
と述べた。
裁判官は理解して下さり事務方の人に記録しておくように申し付けられた。

しかしながら私が失望的驚きを隠せないのは、「裁判所は誰が入ってもいいところなので調べたりしません。」と意気揚々と答えられたところだ。

これは日本の学校教育で間違っている点と同じだと直観した。
即ち、「平等」と「画一的」を同じだと考える愚かさだ。画一的に全てを同じにすることが平等であると考えている日本人、特に幼稚園や小・中学校の教育現場で行われていることを想起させた。

「誰でも入っていい所」で「調べる」なんてとんでもないという発想なのだ!

そして、私はこれを書きながら大きなことに気づいた!
このことこそが法律家の誤謬なのだ!
これこそが裁判所が説明した裁判員制度導入理由の最たる例話になろう。説明してくださった裁判官ご自身を初め法律の専門家達が、法律という観念でしか見られなくなった視野狭窄、思考狭窄の一例であり、ゆえに一般市民の感覚と思考が必要なのだ。


書くということは素晴しい!

真智子へ
真智、どう?
真智が難しい数式で経済学を追求していくのと同じだと思わない?
ママにとっては執筆が真理探究のツール(道具)なのです。
昨日と今日のブログは、思いもしなかった解を導き出した証明のようで、きっとママの感動を共感してくれると思う。


気がつけば1時間半が過ぎていた。久々にエネルギッシュな記事になった。自分から出て行こうとしない私にとって、民生委員会が提供してくれる学びの場は貴重だ。

読んでくださった皆様、ありがとうございました。
あなたはどのようにお感じになられましたか?


posted by 優子 at 09:23| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2007年02月10日

裁判員制度とは

「疑わしきは被告人を無罪に!」、
「疑わしきは罰せず」
を旨として裁判は行われている。

法律の専門知識がない一般国民が裁判に参加するという裁判員制度は、世界の先進諸国では広く行われている。
日本では法律の専門家だけで厳格に進めてきたために、専門性ばかりが高くなり審理期間(裁判期間)も長くなるということで、法曹界では長年にわたって議論になっていたということだ。

そこで一般市民も加わることによって、判決内容を分かりやすく、審理期間も短くするというのが導入理由だという。国民の負担を軽減するために日数を長くするわけにはいかないというわけだ。

このことにより調書の読み込みではなく、ドラマにあるような証人尋問を中心にした裁判になっていくだろうというねらいもあるのだそうだ。

私たちが関わるのは民事事件ではなく刑事事件である。
しかも、殺人、強盗致死傷、誘拐、放火・・・など、深刻な罪名ばかりを扱う。

裁判官3名と市民6名をメンバーとして、被告人が有罪か無罪かを決める。弁護士は検察官の立証をつぶしていくわけだが、我々もまた、どちらが嘘をついているのか、どちらが正しいのかを見ていくのである。

法律の概念に捕らわれないで、「こういう時、普通はどうなんだろう?」と我々の経験則から証拠を吟味していくのだ。

そして、最終的には多数決で有罪か無罪を決める。

ただし、多数派の中に裁判官一人が加わっていなければならないことを条件とする。大変重要なことだと思った。そして有罪の場合、どのくらいの刑罰を科すのかという量刑について審議するのだ。

裁判は誰でも自由に申し込みの必要もなく傍聴できる。貴重な体験となろうからお勧めしたい。
我々は世の中の出来事を自分とは関係のないこととし、常に傍観者として見ているように思う。特に主体性に欠ける日本人にとって制度導入は良いことだと思う。世の中の出来事を自分の問題として考える姿勢が養われていくのではないだろうか。

しかしまた、人が人を裁くという大きな問題がある。
私は裁判官の席を見つめながら、文学作品・武田泰淳の『ひかりごけ』を思い出していた。


posted by 優子 at 14:09| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

大阪高等裁判所視察

昨日は民生委員会(参加者30名余り)から大阪高等裁判所を視察した。堂島川を隔てて中央公会堂の前にある大きな建物だ。

最初に法廷の様子や流れを聞き、午後から始まる14の刑事裁判の中から関心のあるものを自由に傍聴させていただいた。2時半には最初の201号法廷に戻らなければならないが、途中退席(入室も)は自由なのだ。

私は迷わず「殺人、死体遺棄、未成年者誘拐、脅迫」を傍聴しようと、新件(第一回目の裁判)ではなかったが一人で10階へ急いだ。殺人を犯した人の表情を観察したかったのだ。
1005号法廷のドアを開けると傍聴席は既に満杯、開廷まであと1分。踵(きびす)を返して8階に降りたが、目指す法廷が見つからずに焦った。幸い空席があったものの既に始まっていて一瞬躊躇したが、私は勇気を出して静かに法廷内へ入った。


事件名は傷害致死、今回が一回目の新件であった。
私が席に着いた時、被告人は起訴状の内容に「間違いありません」と答えていた。サスペンスドラマでおなじみの光景だ。
新聞配達所に勤める者同士のもめごとで、被告人は海岸の防波堤へ被害者を連れ出して相手を倒した。被害者は岸壁から海に転落し、同行していた人(被告人と被害者共通の知人)が助けんと努力し、被告人も10分後から一緒に尽力したが死亡した。

私の横に座っていた女性は終始泣いておられた。被害者の恋人かお姉さんかと思われたが、そのうちに被告人の関係者だとわかった。
傍聴席の最前列に座っていた男性は、何度も怒気のある言葉を吐き、裁判官から何度も注意された。彼が被害者の父親であることはすぐにわかった。


検察官の起訴状朗読があり、それに対して弁護士から異論を唱え、次回は互いに証拠を立証することになる。そのための必要準備期間から次回の日程を決めて40分で終了した。

このあと裁判員制度について説明を受け、充実の質疑応答の機会を得た。そのことについては次の記事に書きたい。
    
posted by 優子 at 13:40| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2007年02月09日

1代目クリスチャンの闘い

今週初め、1月25日に発行された『関西ペンの声』が届いた。
『関西ペンの声』は、JCP(日本クリスチャンペンクラブ)関西ブロックの会報であり、私にとっては内々(うちうち)である神の家族に向けて書くことが多い。それゆえにブログ上には公開しないつもりだった。
しかし、このブログを読んで下さっている方の中に、知的にであれ求めておられる方や、人生について真剣に考え始めておられる方々も居られよう。その方たちの理解を助けるものになるかもしれないと思い、数日間の祈りから内なる促しを感じて公開に踏み切った。

公開することを夫がためらわずに承諾してくれたので、夫に感謝しつつ転載させていただくことにした。

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一代目クリスチャンの闘い
           
我が国にもキリシタン時代の迫害の歴史があり、61年前の戦争中にも弾圧があった。そののちは信教の自由が保障され、力による迫害はなくなったものの、今も目に見えない闘いがある。

では、現代クリスチャンの闘いとはいかなるものか。
それは今も現存する家制度の問題である。一代目クリスチャンとして立てられた者たちは、祈りつつ信仰生活を守っておられることであろう。

夫のように長男であれば問題は尚のこと深刻である。
夫は20年も前から福音を聴きつつも、未だ信仰告白に至っていない。その原因は、全家族の初穂として立てられた私の至らなさと、夫自身の渇きのなさからだと思っていた。
確かにそれも大いに関係しているだろう。しかし、それだけではなかったことを知った。

今夏(2006年)の盆法要で親族一同が揃った席でのこと、「キリスト教だから家を継がせるわけにはいかない。」と、姑や弟妹たちが私達に言い放ったのだ。
夫の胸のうちを聞くと、長男という夫の置かれた立場もまた重荷になっていたことがわかった。

日本という特殊な精神風土の社会で主(しゅ)に従っていく時、神を畏れるのか、人を恐れるのか常に問われる。キリスト教と仏教の問題だけではなく人間関係の問題もあるのだ。

しかし忘れてならないことは、我々がいま享受している信仰の自由は、これまでの長い歴史の中で先人達が血と涙で勝ち取って下さったものであるということだ。
私の闘いは私一個の闘いではなく、現代のクリスチャンの闘いであり、今後に継承されていく重大な使命がある。
夫の置かれた立場を重んじて下さっている神は、私達が主を見上げて知恵と勇気を求めるならば、必ず道を開いて下さると信じている。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2006年8月15日のことであった。
当日のブログ記事、「この出来事にも幸いあれ」には具体的には何も書かなかったが、行間から苦渋が読める。その後もしばらくの間、悶々としていたことが記録されている。
と同時に、困難ゆえの慰め、逆境ゆえに神に目を向ける幸いな信仰者の姿がそこにある。

夫に賜っている神の恵みを感謝し、いよいよ力強い導きと祝福を頂戴することができますように。
求めておられる方の上に、そして、このことを通して私もまたより強められんことを祈りつつ・・・・・。
posted by 優子 at 06:49| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年02月08日

マイナス30度の世界

「窓際(カーテンと窓の間)にブドウを3粒程おいておいたら、見事に凍ってシャーベットになりました。(>_<)」

なんという寒さ。驚き!!

真冬のミネソタはマイナス20〜30度という極寒の世界だが、こちら5日の朝は、珍しくチャッピーの水に薄く氷が張っていたが、日が昇ればポカポカ陽気、14〜16度という3月下旬の暖かさが続いている。

地球の温暖化が進み、異常現象が世界のあちこちで頻発している今、ミネソタの寒さは喜ぶべきかなである。

娘達の住居は、水道代も光熱費も込みで賃貸料を払っているが、広い家なのに部屋代だけにしても安い額であり、室内は我が家より遥かに遥かに暖かいのだ。
しかし、京都議定書にも参加しないアメリカを思うと「よかったね」とばかりは思えない。

アメリカの前副大統領ゴア氏の映画は、世界中にセンセーションを巻き起こしている。温暖化は大変深刻な状況であることが周知された。その原因は、人々が出した温室効果ガスであることもほぼ断定された。

1980年末頃から熱帯の森林破壊についても、大きな声で警鐘を鳴らし続けてきた人々がいた。
しかし、ずっと長い間、自然保護(protection)と自然破壊(destruction)が、批判し攻撃し合って愚かなことを続けてきたのだ。そうではなくて、自然保全(conservation)に目を向けなくてはならなかったのだ。

神は全てのものを創造された。
「全てのもの」とは文字通り「全て」なのだ。
その被造物の中心であるのが人間で、神は人間に他の一切を管理せよと託されたのである。

我々は地球の資源を利用しないと生きていけないし、自然を利用するということは破戒もしながら生きていくのであるが、しかし、保全せよと任されたのだ。

自然保護ではなくて、自然保全に目を向けなくてはならなかったのだ。そのままで保つのではなく、自然や資源を利用しても良いが、自然が保たれるように育て守りなさいと神は言われているのだ。


南太平洋の赤道近くのキリバス共和国はまもなく消滅する。住民は「もう何をしても手遅れだ」と嘆いている。
あと30年で北極の氷は無くなり、今世紀末には6、4度だったか温暖化が進むと報告され、5度以上高くなった場合はどうなるのか予測できず、これからの10年間にも大変なことが起こると警告されている。

しかし、今からでもできることをしなければならない。
「たとえ明日、この世界が滅ぼうとも」である


そのためにも全ての管理者として任された我々は、創造者である神と出会うことが全てのことに先立つのだ。
管理者が歪んでいて、どうして正しく管理していくことができようか。神と出会い、神と和解することが全世界を守り、地球環境を保全していくことになるのである。

電気代も水道代もお金を払えばいいというような時代ではないのだ。使うエネルギーを最小限にしなければならない。家族数と比較して高額を支払っている人は、後ろめたさを感じなければならない時代なのだ。

夫は今週に入って、「熱いからチョッキは脱いで会社に置いてきた」と言っている。そこで、私は夫に言うのだ。
「そこまで暖房を強くしないで!
あなたは業界の重職にあるのだから、もっと意識を高く持って紙業界に啓蒙していく働きをしてほしい。」
と、連日の話題に上っている。
「良輔さん、頼んまっせー!!」

我が家では、5年ほど前から暖房をつける時も20度に設定している。私もまた、環境問題にもっと関心を持たなくてはならないと思う。今からでもできることをやらなければならないのだ。

今日の記事のカテゴリーは、「ミネソタ便り」の範疇ではないようだ(笑)。
posted by 優子 at 08:18| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年02月07日

キリスト信仰は宗教にあらず?

私は内村鑑三が好きだと言えるほど著作を読んでいるわけではないが、彼の真摯な姿勢と、それゆえの真理を探求する強烈さに惹かれ、内村の内面に共鳴するところが多く影響も大きい。

昨日の記事にもあるように、私の賜った信仰生涯を私は宗教と言う枠組みでは捉えていない。
なぜならば、宗教と言われているものを見れば難行・苦行がつきものである。救われるためには難行・苦行が条件につき、たくさんの金銭が要求される。
怪しげな宗教でなくても、お金の額で戒名が変わるのだ。何ということだろう。そんなものが真実だと思えるのだろうか。そんなものをありがたいと思っているのだろうか。


宗教ではなくて、絶対者である神との関係で生きることが至福なのだ。
私たちは聖日(「せいじつ」と読む。日曜日)礼拝を守り、献金し、教会の奉仕、また、社会での奉仕もあろう。
しかし、これらは一つの標準であり、掟ではない。「〜ねばならない」のではなく、それらは全て本人に委ねられている。掟の中からは何の祝福もこない。
これらをどのように成していくかは、その人の信仰生涯によるのである。


何よりもまず、聖書が言う「救い」とは、「回復」の意味であり、英語で restoration と言う。私たちを創って下さった神様との関係を回復するという意味である。
回復された者は死んで終わりの人生ではなく、永遠の命を賜わり、その即刻から永遠の日々を生き始めるのだ。
神との関係を持たず、神に背を向けて生きていた私たちが
180度方向転換して生きていくことである。その時に、人生の目的が分かってくるのである。

内村鑑三は最晩年に到って、「キリスト教は宗教にあらず」という確信を得た。キリスト教が宗教だと言うならば、仏教など他のものは宗教ではないと言っている。
私は鑑三に感化されてその考えが自分のものになったのである。
posted by 優子 at 16:44| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年02月06日

美しい虹は必ずかかる

「わたし(神)は雲の中に、わたしの虹を立てる。」              
                (創世記 9章13節)

40日40夜の大雨、あのノアの洪水のあと、青空も青い海も二度と再び戻らないかに思えた。
しかし、放した鳩がオリーブの葉をくわえて戻って来た。
そして、鮮やかに美しい七色の虹が空にかかった。

親愛なる友へ、あなたを想って書いています。

母が亡くなってしばらくしてから、父はいろんなことを話してくれた。私が高校時代の頃だったか、いつ頃のことか全く覚えはないが、父が経営していた会社の大きなお得意先が倒産した時の話だった。

「今で言えば5000万円もの額を倒されてなあ。あの時は、夜が明けるのが怖かった。ピストルがあったら頭を撃って死んでいたかも知れん。」と語った。
その後、幸いにして両親の努力が報われて危機を脱出し、会社は倒産することはなかった。

私は45歳にして初めて父の苦労の一端を知った。
我々もいつ人生の苦境に立たされるかわからない。経済の破綻、病気、事故、災害、・・・・と、危機的状況は溢れている。

今、危機的状況におられる友よ、それでも道は開かれる!
行く手には虹がかかる!
今は頭を抱えていても、必ず虹はかかる!

しかし、宗教に助けを求めてもダメだ。正統派であろうと邪教であろうと、そんなものは虚しい。宗教ではなくて、神に求めるのだ。
今こそご主人は、神に出会う絶好のチャンスを手にされたのだ!

まことの神、唯一絶対の神が居られることを私は大きな声で言いたい。人間が考え出したカミではなくて、今こそ、全てのことを支配されている全知全能なる神と出会ってほしい。

大雨、洪水のあとに虹がかかることを絶対に忘れないで!
必ず道は開かれるのだから。
posted by 優子 at 23:52| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年02月05日

私はハンドルを切った

今朝は9時前に家を出て帰宅したのは夕方5時ジャストの一日仕事だった。
今回の編集会議で『あしたづ』の最終校正が終わった。事務局の方のお世話も頂いて5回の校正を終え、明日印刷屋さんに渡せば、いよいよ印刷にかかり、24日に発行配布される。
活字になった時の喜びは何度経験しても新鮮だ。

会議が始まってまもなくのこと、2週間前の編集会議で宿題が出ていたことを思い出した。1月末までに150字以内で「あとがき」を書かなくてはならなかったのだ。只今、事務局へ送信完了。
新聞記者をされていた編集委員のIさんは、前回の場で難なく書かれた。「記者をしていた時は電話を聞きながら原稿用紙に書いたことも度々でしたよ。」と言われたから驚いた。脱帽。

編集会議のあと、正午からは読書会の役員さんにご足労願って次期役員選出について御相談した。食事のあと、場所を喫茶店に移し散会したのは4時だった。和やかな雰囲気の中で会の存続のために知恵を出し合った。

私は役職から退きたいと思う。
了承して下さった。
会存続のためにと犠牲的精神で75歳の方が受けて下さることになった。それでいいのだろうか。またしても心が揺れて祈っていた。しかし、その方の決心も固い。
4月を待たず、まもなく始まる機関紙の編集から引継ぎを開始したいと思う。
会の代表者ではなくなるが、サークル全体の書記の任期を務めさせていただくことも役員会が了解して下さった。

ずっと祈りながら考えてきたことだ。
千里さんも賛成して下さった。
ついに、私はハンドルを大きく切った。






posted by 優子 at 23:47| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

神よりの恵み充満す

私達は人生の途上において、努力しても報われなかったり、思いもせぬことを経験する時があり、そのような時に神に祈れる幸せを思う。

「しかし、時として自分の考えを変えたくないという気持ちが働き、あるいはまた、自分の思いや願いが実現するようにと無意識のうちで思っていることがある。そして、周りにプレッシャーをかけ、無意識のうちに周りに要求している。」

と、牧師は自戒しながら語られた。しかし、

「祈れば祈るほど自分が変えられていく。
祈れば祈るほど自分が謙遜にさせられていく。
祈れば祈るほど嫌な人を愛することができるようになっていく。

困ったことや不都合なことに出くわした時、最初はわめき散らしていたが、それでは子供と同じだ。しかし、いつしか使命をやり遂げるように導かれてきた。

我々の中には霊的資質が隠されている。
思っていたことが突然破られることがあり、個人的経験には必ず霊的な危機が伴う。それゆえに、神に祈るように導かれていくわけである。
それは、神が私の中の賜物を引き出していくためである。」


創世記28章10節〜22節から説教されたところから、私が深く頷かされたところである。

「神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」

              (ヤコブの手紙 4章6節)

今朝の説教を通してうぬぼれや高ぶりを悔い改め、再び私の中に神による平安と喜びと力が充満した。
新しい週も主が伴って下さいますように!

闘いの中にある友たちのために祈らせていただき、私もまた祈っていただきたい。
神の豊かな祝福がありますように!


posted by 優子 at 21:12| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年02月03日

タイトル名を「メメントドミニ」に変更

今朝は久しぶりに冴えない目覚めだったこともあり、自分の弱さに負けて夫に喧嘩を売ってしまった。
30年このかた言い続けているのに、今朝もまた夫はお菓子を歩きながら食べたことに腹が立った。お菓子のクズが落ちる前に私は大きな声でどなった。

玄関で丸くなって寝ていたチャッピーは即座に座った。
ドアを隔てているのにチャックンは非常時を察知し、頭を低くしながら怯えて震えていた。
チャッピー、ごめん!
犬には悪いと思ったが、夫に対しては今までの悔しかったことが出てきて、そんな気持ちにはなれなかった。まもなく夫はチャッピーを連れて散歩に出た。

私は心を静めるために森有正の言葉を拾い読みしていた。

「私は、眠りから醒めた瞬間はどういうわけかいつも大変さびしい。自分が孤独であるような気持がするのである。こんな時ほど、世界観とか思想とか信念とかいうものが無意味に思われる時はない。」

「人間が美しい人格とともに、避けることのできない欠点や暗さを終りまで持ち続けることは、それ自体偉大なことではないだろうか。これもまたその人間そのものなのだから。」

「生活に生甲斐を見出だすということが、絶望の最も著しい徴侯であることを徹底的に書かなければならない。これはむつかしい主題であるが、同時にもっとも普遍的な主題でもある。」


徐々に感情は静まっていった。

昨秋だったか「優子の部屋」を検索すると、いかがわしい部屋が溢れていて嫌な感じがしていた。心が静まった時、タイトルを変えようという全く突然の衝動を感じ、タイトル名を変更させていただいた。

(リンクを張らせていただいている方々や、「お気に入り」に入れて下さっている方々にご迷惑をおかけしてすみません。そのままご利用下さっても結構です。)


「メメントドミニ」とは「汝の主を覚えよ」という意味で、冷蔵庫に貼って私が毎日心に留めている言葉だ。
「汝の死を覚えよ」を意味する「メメントモリ」という言葉はよく知られている。「今日は私の残りの日々の最初の日」であることを覚えて、主と共に始めよう。
posted by 優子 at 10:27| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年02月01日

老人会「笑いのわ学校」参観

地域の老人会で、新年から10回シリーズで「笑いのわ学校」が始まっている。
香芝市地域支援事業、特定高齢者施策の一環で、すぐ近くに在る関屋病院の在宅介護支援センターが労して下さっている。今や全国でいろんな取り組みがなされているが楽しみだけではなく、お年寄りの心に語りかけるようなアプローチがなされているかどうかに関心を持っている私は、支援センター長にお聴きしたところ、今日の「笑いの講義」だけでもとご推薦いただいて参加させていただいた。

老人会から長年退いていた義母も、この機会に復会することになり毎週楽しみに行っている。今朝は、義母に何年間も声をかけ続けて下さっていたKさんと共に3人で集会所へ行った。

さて、精神科医である関屋病院院長は「日本笑い学会」会員で、別名を笑門来福堂医院院長 あやしや小丸と称される。これだけでも笑ってしまう。地域の名人物とお聴きしていたが、私は今回が初めてだった。

とにかく話し方はプロ顔負けである。
笑った笑った。大いに笑った。
笑いの効用についてはこれまでにも読んだり聴いたりしているが、改めて興味深く拝聴した。

精神科の病いを負っておられる方の特徴は「笑えない」こと。
食後に笑うことで血糖値が30ほど下がる。
笑って元気な人は風邪をひきにくい。
若い頃、「風邪を引くのは気がたるんでるから」と両親に言われたことがあるが、まんざらウソではなく学問的にも裏づけられるようだ。気を張ってテキパキやり、あるいは、笑うことで免疫グロブリンが増加し感染予防になるからだ。
面白くなくても笑う、笑っている人の顔を見るだけでもいい。
面白くなくても笑うというのはナンノコッチャ!
これで心の働きと言えるのだろうか・・・・。

ところで、生物学者ノーマン・カズンズ博士のことは興味深かった。あやしや小丸氏の話されたことに解説を加えて御紹介しよう。

500分の1の治癒率である難病、強直性脊椎炎の宣告を受けた彼は、自分の「心の働き」を生物学的見地から分析していき、「笑い」によって難病を克服したのだ。

「脊推と関節の骨が一本残らず火がついたように痛みながらあおむけに臥ているのは、笑いどころの騒ぎではない。
そこでわたしは順序を立てて計画を実行するように指図した。まず手始めに滑稽な映画がよかろうとわたしは思った。
     ・
     ・
効果はてきめんだった。ありがたいことに、十分間腹をかかえて笑うと、少なくとも二時間は痛みを感ぜずに眠れるという効き目があった。」
と記している。
笑いと自然治癒力の関係を立証したのである。

このお話のあと、絵手紙の書き方を教えていただいた。
講師は同じ老人会の会員である。「笑い」のあとは音楽や国語・・・と、毎週多彩なプログラムが組まれてあり、会員がそれぞれのリーダーを務める。
まさに地域は人材の宝庫である。
とてもよいやり方だと感心し感動した。

義父は関屋病院で4ヶ月間お世話になって亡くなった。
病院には、「たとえ明日、この世界が滅ぼうとも私はリンゴの木を植えよう。」というルターの言葉が掲げられている。ナースのエプロンにも、「私を平和の道具として下さい」と英文で記されていたので、キリスト教主義の医療機関かと思ってお聴きしたことがあった。違っていたが親しみを覚える病院である。

ところで、世の中はこぞって健康ブーム。
しかし、「元気で長生き」は人生の目的ではない。元気で長生きしながら如何に生きるのかである。

我々は人生の途上で神と出会い、神を喜び、神の栄光を現すために生かされている。感謝し楽しく生きる時に笑いがある。
しかしまた、笑えない出来事からも神は大切なことを教えて下さるだろう。いや、笑えない出来事にこそ真の喜びが隠されている。その最高のものを見つけるためにもユーモアを忘れず、笑いを取り入れて、「すべてのことを働かせて益としてくださる」神を仰いで前進しよう!


関屋病院の方々に対しては、これからも病院の模範として尊い働きを期待し、感謝の気持ちを伝えていきたいと思う。私自身の社会への関心が強くされたことが嬉しい。


posted by 優子 at 17:55| 随想 | 更新情報をチェックする