2007年03月31日

親を失うこと ―友の悲嘆に寄り添う―

3月初め、大学時代の友人から2月末にお父様を亡くされたとの訃報メールが届いた。
2005年3月に真智子の修士終了式で上京した折に友と28年ぶりの再会を果たしたが、その直後にお母様が倒れられてまもなく亡くなられた。74歳のご生涯だった。

そして、お父様まで逝かれ、「親のない子」になってしまった友がかわいそうでたまらなかった。
私はもう両親が居ないのにも慣れたからいい。友が今、あの悲しみの中にいるのかと思うとかわいそうで抱きしめてあげたいと思った。

お慰めの電話を差し上げた時、大学時代にお宅へ電話した時のことをお話した。
何度かお母様が、「節子は今、父親と散歩に出かけております。」と言われたことがあり、夕食後に父と娘の散歩だなんて何と素敵な親子だろうと、私はそのたびにお2人の光景を想像したものだった。
春の宵だったような気がする。


お父様は東大の法学部を卒業された方で、卒業生が利用できるという東京会館で友は挙式され、和歌山から茅ヶ崎へ嫁がれた。
ご両親にお目にかかったのはその時一度だけだったが、私には今も鮮明な記憶として残っている。

私は45歳になる直前に母を、48歳で父を亡くしたから、私でさえ親の死は「不当な死」ではないが、「肩身の狭い思い」とでも言えばいいのだろうか、私が感じていたのと同じことを友が語ったことに深く共感した。

親の死は大きな悲しみであり大きな喪失なのに、順送りだからということで社会は低く見積もりがちである。母の死は私にとっては痛ましすぎたので、そのような感情さえ希薄だったように思うが、父の時には慰めの言葉をかけて下さった方には反射的に言ったものだ。いや、枕詞のように常に最初に言っていたものだ。
「親ですから・・・・」と。

友のお父様は80歳を越えておられたから、「年には不足はないので・・・」と仰ったが、その心の内には痛ましいものがあった。

悲嘆は人によって違い、親との関係が親密であった人ほど衝撃的である。
しかし、両親を亡くして私は気がついたのだ。
親が逝く悲しみは、両親の末期の病床生活や未解決問題の苦悩をも越えて、私と兄にとっては最高に幸せな親子だったということだ。そのことが大きな慰めになったから、悲嘆の中にある方にはそのようにお伝えしている。
「幸せなご生涯でしたね」と。

「痛む部分こそ価値がある部分であり、悲しみを感じる資質は、価値ある人格の一部である」。

死別から1ヶ月あまり過ぎて死のショックは和らいだであろうが、今頃は喪失感が強くなっておられることだろう。
死別の悲しみを体験した私は、友の気持ちを理解し助けになることができるだろう。感情についての会話を遮断することのないようにと心している。
ゆっくり焦らずに自分の気持ちを大切にしてほしい。
私も悲嘆から回復したように、いつか時が来て、この悲しみが友の人生の中に統合されて豊かな人生へと導かれていくのだから。


残されたご家族の上に神による慰めが豊かにありますように。そして、法事で帰省される友との再会の時にも主が共にいて下さいますように。


posted by 優子 at 14:12| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2007年03月30日

自己への旅

東大阪読書友の会会報 1992年3月発行
              『かわちの』第40号より転載

「自己への旅」


「運命は選択である」と言ったのは、ハンガリーの精神科医ソンディであるが、この言葉を受けて「選択は運命をつくる」とも言える。

私が読書会で多くの友と出会えたのも選択したからである。
以来4年間に人生の深みへと方向が定められていった。そのことを思うと、まさに、
「私選ぶことは、私選ぶこと」であると気づかされる。

一人ひとりに与えられた賜物は違い、いかに自己実現していくか。私達は常にその過程にいるわけであり、この自己を知ることが人生後半の課題である。

人生の前半はたいしたことはなくても、後半に見事に伸びていく人があるが、私も小さきは小さきなりに、精一杯自分の花を咲かせたいと思う。
自己は魂の問題であるから、自己への旅路を行くほどに深い喜びを得ていくのだろう。

いよいよ本番とも言える人生の折り返し点に立ち、40歳を生きる今の心情を書きとめておきたい。

      
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それから15年の年月が過ぎた。
この時、神経難病に侵された母に寄り添っていかねばならない悲しい重荷があった。それを「本番」と書いたのだ。

どのような人生であれ、後半の人生は自己の内面に向かわざるをえないのではないだろうか。
自己の内面にあるものと向き合い、嘘隠しのない自分の感情や考えに気づくことだ。このことほど勇気を必要とするものはない。自分自身と向き合う者は神の言葉に耳を傾け、神と出会うことであろう。

同時代に生きるお互いが共により良い人生を生き、共に精一杯生きたと思える人生を終えたいと願う。

このブログは私の「自己への旅」の記録であり、私が成熟していく実況中継でもある。

posted by 優子 at 23:16| 掲載文 | 更新情報をチェックする

2007年03月29日

汝が身を主に任せよ!

衝撃的なメールには氏が最近の近著に書かれている内容も伝えて下さっている。


・・・ところで、この本が「あとがき」を残すだけになったころ、私の生涯で決して忘れ得ないであろう一つの悲しい出来事が起こった。
心密かに誇りに思っていた長男真一の急逝である。

実のところ、20年前の『ほんとうの生きかたを求めて』を書いたとき、そこには、まだ小学生であった長女の将来を慮る思いが幾分かあった。いわば、娘に対する父親のメッセージだった。

それと同様にこの本にも、これから20代、30代の青年期を歩むはずであった彼に対する思いがあることも確かであった。それが思いもかけず、24歳で逝ってしまうとは・・・・。
 
それゆえ、本書を読まれた若い方々の幾人かでも、彼が生きられなかった分、これを心の糧として歩んでいただければ望外の喜びである。



全部剥ぎ取られて、それでも残るものは天地を創り、私達を支え永遠の命を与えて下さった神さまだけとなる。
神さまだけは決して私達をお見捨てにはならない。
ここに立つのだ。
ここに立つ人には天国における神の祝福があるのだ。

徹底的に自己破綻して立ち上がるのだ!
神は決して苦しみを苦しみだけに終わらせはなさらない。

今のレント(受難節)の時を主の御足のあとを思いながら歩く、そして、だからこそ、喜びの復活の日を迎えさせて頂けるのだ。
この私もまた神の祝福に与れる者でありますように!

枯れ木は芽を吹き、生命が外に溢れ出した。
どんなに打ちのめされていようとも、神を信ずる者には永遠の命が与えられている。地上ではなく天の御国(みくに)に目を向けて生きるのだ。

今朝も鶯が大きな声で春を告げている。
神さまからの励ましを受け取ろうではないか!



posted by 優子 at 07:52| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年03月28日

汝 生きよ

読書会の議案書は新会長のご尽力で無事に作り上げることができ、今日の午後には6名が花園図書館に集まって印刷も引継ぎも終え、新年度を迎える準備が完了した。
『かわちの』の校正も全て終え、皆さんのご協力を心から感謝している。
責務の荷を下ろしてホッとしたからだろうか、私はとても疲れて帰宅した。

いや、それだけではあるまい。
昨日と今朝の記事について頭から離れず、親御さんは今、どんな想いで居られるのだろうかと思うばかりで、午後からの明るい春の日差しがよけいに悲しみを増した。
自宅までの道でも一人になるとすぐに讃美歌を歌っていた。泣き出しそうになる気持ちを抑えた。

私の心が苦しみ、
私の内なる思いが突き刺されたとき、
私は、愚かで、わきまえもなく、
あなた(神)の前で獣のようでした。

しかし私は絶えずあなたと共にいました。
あなたは私の右の手を
しっかりつかまえられました。

あなたは、私をさとして導き、
後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。


 天では、あなたのほかに、
だれをもつことができましょう。
地上では、あなたのほかに私はだれも望みません。

この身とこの心とは尽き果てましょう。
しかし神はとこしえに私の心の岩、
私の分の土地です。

それゆえ、見よ。
あなたから遠く離れている者は滅びます。
あなたはあなたに不誠実な者をみな滅ぼされます。

しかし、私にとっては、
神の近くにいることが、しあわせなのです。
私は、神なる主を私の避け所とし、
あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。


           (詩篇 73篇21節〜28節)

あの方に、「汝 生きよ!」と、神のみ声が聞こえる。
posted by 優子 at 18:53| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

地上の悲しみ ― 祈り ―

父なる神さま 新しい朝をありがとうございます

かつて 朝は喜びではありませんでした
苦悩し悲しみの時は ずっと夜であってほしかったのです

祈ることもできず 呻くしかない長い年月がありました
しかし主よ、あなたは呻きをもずっと聴いて下さっていました
私は呻きもあなたに届いていることを知っています

主よ 今 耐えがたき苦しみの日々にある方がおられます
我が子が自殺した親の絶叫が聞こえます
胸が張り裂けそうです
耐えがたき悲しみにおられる方を支えてください

周りに兄弟姉妹がおられることでしょう
しかし どんなに深い信仰者であっても
その方を慰めることは誰にもできないのです
それはあなたにしかできないのです

主よ あなたはどんなことがあろうとも
私たちを決して離さずに捉えていて下さいます
どのような苦しみがあろうとも
私たちを神さまから引き離すことはできないのです
あなたが守り抜いて下さるからです
悩み苦しもうとも 祈れずとも 私たちは信じているのです

今わかりました
悩むのは心であって 神を信じるのは霊なのですね!
心は苦しんでいますが 霊は信じているのですね!

私たちは生きている限り苦悩し続けますが
主を信じる者をあなたから引き離すことはできません
あなたがしっかりとつかまえて導いて下さるからです


神を信じ 神と共に生きる者として下さったことを感謝します
苦悩のどん底にある方も
あなたに支えられていることを信じられることを感謝します

ハレルヤ!
主よ 感謝します

最後まで真実に歩いていきたいです
あなただけを信じて生きている者たちをあなたの霊で満たし
神の栄光を現すものとして生かして下さい

主よ 特別にあの方をお守り下さい
そして まことの神を知らず苦悩や悲嘆の中にある方が
あなたと出会うことができますように祈ります

今日も私と共にいて下さい
2度と引き返すことのできない今日を誠実に歩ませて下さい
尊い主イエス・キリストの御名によってお祈りします


posted by 優子 at 08:15| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年03月27日

ただただ神の守りがありますように

「私にとって書くということ」をブログ上に転載させて頂いたが、それに関連した衝撃的な出来事を数日前に知らされた。

ある方のご子息が半年前に自ら命を絶たれて、柳田邦男さんと同じ苦悩の中に居られることを知り、私は言葉にはならない衝撃を受けている。
ここに文字で祈りを刻むことさえ慮り、ただただ、息子さんを亡くされたご両親をお守りくださいと祈るのみである。

「あすのことを誇ってはならない、1日のうちに何がおこるかを知ることができないからだ。」と聖書にあるが、明日のことも自分のことも誇るのではなく、かえって低くされ、自己の姿勢を正されている。

しかしながら、一般と比べること自体が愚かであることを十分に承知しつつも、「どうして?!」という思いが治まらないほど動揺を隠せない。

確かに「悪しき者」は喜びも感謝も得ず、砂時計のように少なくなっていく人生を浪費しているし、その人々に対して早く良き人生に導かれんことをと焦りを覚えこそすれ、もはや怒りの対象ではない。

しかし、この方の場合、残された者にとって息子さんの死はどのような意味を持つのだろうか。
そして再び、最も不可解な人間の運命の問題に迷い出てしまうほどの衝撃だ。

息子さん自死の苦しみも神が許された苦しみであるのならば、本人の責任でも親の責任でもなく神の責任なのか・・・・。
あるいは、やはり夫婦や親子関係に問題があったのだろうか。

知らせて下さった方のメールには、
「親になり、親であり続けるということに、どれほどのことが含まれているのか、知り得ていませんと実感するこのごろです。」と結ばれていた。

今の私には、神を信じて生きている人ほど神の栄えがないようにさえ見える。
高尚に過ぎるのか?!
かたや、大きな病いから救出され、しかも神の言葉に助けられたのに、かつて以上に自然や人間を神として拝む人に接して愕然とする。

苦しみを経験しても神に出会う人はごく僅かだ。

十分に納得できる答えを地上で得ることはできないのかもしれない。人生は複雑で波乱に満ち、謙虚にならざるを得ない。

今朝、黄色いチューリップが咲いた。なんともいえず美しい。
           ・・・ただただ、慰めをを祈りつつ。
posted by 優子 at 16:49| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年03月26日

小阪から長田を歩いて美濃紙業へ! 

24日は学園前にある谷口家の家庭集会の日、美濃紙業では祝日をはさむ週の土曜日は半日出勤のために、私は会社まで出向いた。
しかも、JR環状線や地下鉄を乗り継いで長田まで行かずに、読書会の時と同じ近鉄奈良線小阪駅で下車して長田まで歩いた。

途中、千里さん宅の郵便受けに本を届け、御厨(みくりや)の村中を歩いて行った。
「ああ、ここはこの家の角に犬がいて・・」と、すごく吠える犬に緊張して走り抜けた所・・・何か切ない気持ちも混じった懐かしい時空だった。

しかし、村を抜け藤戸小学校が見えてきた時には切なさは消えて笑顔になった。

第2寝屋川を渡り、ただ懐かしくて学校を目指して歩いた。

校門の前に立ち、入学式や卒業式の日を思い出した。
運動場に目をやれば運動会の日に児童会会長で挨拶した知子や、元気一杯に駆け回っている真智子の姿が見えるようだった。

N君の家の前は「楠根川緑地」になり、短い坂道はアスファルトに舗装されて小さな風景は少し変わっていたけれど、娘達が登下校した小道を通り抜けると、かつて住まいしていたマンションが見えた。

私は8階に目をやり、右から2番目の部屋に焦点をあてた。
あのベランダから娘達を見送り、下校してくる姿を見ていたのだ。そういえば、真智子がターザンごっこしていた木は無くなっていた。


そして、中央大通りに出た。
この下は地下鉄中央線が通っている。私は信号を待ちながら長田駅に向かう道を見た。
笑顔が消え、沈痛な気持ちになった。

長田を去る前の6〜7年間は、母のために住友病院や実家に通い、そして、母の死後まもなく父の病床に通った日々だった。駅までの道を見た時、あの頃の疲れた心身で行き来していた私の姿が見えたのだ。

「しかし、全ては過ぎ去った」。
信号が変わり、大通りを渡り始める時、私は自分にそう言った。

そして、再び明るい気持ちになって美濃紙業に到着した。
香芝市の田舎に引っ込み、犬の散歩に慣れた私にとって30分の道中はあっという間だった。

この日は、営業から倉庫の人たち全員集合して全体会議が行われている。企業再編の厳しい時代、熾烈な戦いの日々である。私は紙文具流通センター事務局の談話室で待ちながら、夫が手腕を発揮できるようにと思い巡らせていた。

夫が神の導きを頂きつつある今、私は切なる祈りを捧げている。現役最後のステージで、夫が信仰の恵みに与かるクリスチャン経営者しての実践の舞台を備えて頂きたいのだ。

今日の午後は、「JP(日本紙パルプ商事)ニュース」のトップ紙面掲載の取材に来られる。
夫が初めて神に祈っての経営理念や人生を語る場である。
実践の経験を重ねながら、神の豊かなる導きと祝福を明確に知る者として下さいますようにと、私の祈りにも力が入る。


教会や集会で、また、紙のご用命は美濃紙業に!
主に在って宣伝までさせて頂くブログ、ホームページをご覧下されば感謝です。
アドレスは、http://www.p-mino.co.jp です。

(内心の声//「会社概要」は改善の余地あり。まず、もっと改行しないと読みにくいよ。一緒に更新させてね!)
posted by 優子 at 07:28| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2007年03月25日

谷口家の家庭集会の恵み

昨日は谷口先生宅の家庭集会に長女夫妻と共に4人で集わせて頂いた。

薮野牧師は、マルコによる福音書 5章21〜43節からメッセージを取りつがれた。
この箇所には、生まれた時からずっと12年間も病気だった少女が癒された話と、ヤイロという人の12歳になる娘が生き返った2つの奇跡が書かれている。
薮野先生が話された要諦をお分かちしたい。

会堂司という高い地位にあるヤイロが、死にそうになっている娘を助けようと自分の立場も周囲の目もかなぐり捨てて、ただただイエスさまの足元にひれ伏して言った。

「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください。」(23節)

そして、娘のもとへイエスさまをお連れする途中に12年間も病いに苦しんでいた女(12歳の少女)がいた。

女は、「せめて、(イエスの)み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思って」、「群集の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。」 のだ。

私達は肉体の健康に関心があり癒しを求めるから、この時の女にもご利益的なあやしいものが混じっていたかと思う。

しかし、イエスにさわった少女に瞬間的な癒しが成されて、「わたしの着物にさわったのはだれか。」と言われた。
イエスさまは女に告白するチャンスを与えられたのであり、この時、女は信仰に立たされた人生の節目となった。

女はイエスさまに、「すべてありのままを申し上げた。」
するとイエスさまは、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」(34節)と言われた。

ギリシャ語で書かれている原書によれば、23節の「助かる」と、34節の「救う」は同じ言葉が使われており、「その子がなおって救われますように」という意味である。


教会は「どんな病いの人でも来て下さい。治してみせます。」というような看板をあげたことは一度もない。

我々は病気になって自分がいかに無力であるかを思い知らされるが、肉体の回復だけに留まらない救いがあることを知る。

これまでの12年間は人生でそう短くない期間である。

そうこうしているうちに、ヤイロの娘は亡くなってしまったという知らせが来たが、イエスさまはヤイロに、「恐れることはない。ただ信じなさい。」と言われた。

この時がヤイロの信仰の節目であり、信仰に立たされた時だった。

イエスさまの言葉に捉えられて、イエスさまの前に出るのが人生の節目であり、始まりである。
一人ひとりがイエスさまの前に出るということが大切である。


今回も来て下さったAさん、そして、夫や娘婿にも主が迫って下さるように。
そして、この記事を読んで下さっている方に、イエスさまから声をかけていただいたなと思われる方は、応答して幸いな人生を選び取っていかれますように!
神は全ての人に声をかけておられるが、選び取るのはその人自身なのだ。

今年のイースター(主イエスが復活された日)は4月8日で、それまでの46日間を「レント(受難節)」と呼び、全人類の罪のために、私のために、あなたのために身代わりになって十字架の苦しみの死を遂げて下さったことを思いながら過ごす日々である。
私が負うべき罰を一切負って下さったのである。
主の苦しみを想いつつレントの日々を過ごしていきたい。

十字架の意味を知り尽くして涙しておられた姉(しまい)たちのお姿に接し、私もあとに続く者でありたいと願う。
敬愛する姉たちのお顔を思い出しては励まされ、主と共に歩む生涯に導かれたことを感謝している。
posted by 優子 at 16:46| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年03月24日

2通のおはがき落手

昨日、2通のお葉書を頂戴した。
1通は読書会の重鎮Mさんである。
母と同じ昭和元年のお生まれだから81歳になられる。元気の塊のような方で、私の2代前に2年間会長を努めて下さった。今でも1ヶ月に10冊も読破される読書家で理解力も記憶力もすごいものである。
ちょうど昨朝、来週の会合のことでお電話した直後に落手した。押し寿司のお礼と共に嬉しいことを書いて下さっている。

「長い間、会長として読書会を支えて下さったことも御礼を申し上げねばなりません。
故西口様ご夫妻もきっと喜んでおられたことと思いますよ。ありがとう。」


古くから居られる方からこのように言って頂いて、心残りも和らぎ安堵した。

もう1通は、久保田暁一先生からだ。
昨年、読書会の講師にお招きした大田正紀先生の師である。
娘達の結婚記念誌『感謝と祈り』と「私にとって書くということ」についてご講評下さっている。

『感謝と祈り』については、「娘様に寄せる熱い祈りが、ひたひたと私の胸にも伝わってきました。素晴しい結婚プレゼント誌です。」と書いて下さり、

後者に対しては、
「非常によく突っ込んで考察した作品です。よく読書もされています。
が、引用過剰で、やや冗漫な感じがします。・・・・
藤本さんの追求姿勢と筆力を私は高く評価し、期待しています。また、後日。」
と書いて下さっていた。

ご講評を伺ってもう一度読み直した。
確かに引用文が多くて、シャープさに欠ける。
次回のペンクラブの集会で、詳しくご指導下さるとのこと。どなたからであれご指導頂くのは初めてのことだが、ありがたく厚かましくお教えを乞おう。

瞬間、「もう55歳、今から始めて何になるんだ」というささやきが脳裏を過(よ)ぎった。
いや、それでもいいんだ。
私は文学者になりたいとか、大学で教えたいというような夢などない。それらのためならば確かに遅すぎる。
人生を一日にたとえるならば、私はもう夕方4時頃を迎えようとしている時だ。

しかし私は何かになりたいのでも、人に評価されたいのでもない。ただ、やってみたいのだ。
中年を過ぎてから初めてやりたいことができたとは悔しい思いもあるが、私は今を最高に楽しむのだ。
健康が与えられているうちに!


この知的探究心も神と出会って始まった。

文学、科学、歴史、芸術など全てに関心が出てきた。
しかし悲しいかな、中高時代に真剣に学習した経験を持たないから、努力することを継続する力が培われていないし、理解力も集中力も養われていないから意志の弱さに負け、多くの時間を無駄にしてしまった。

しかしながら、我が子は学ぶ喜びを身につけてくれたから大変嬉しい。
ハウツー的に言うのは軽薄だが、子供の能力を引き出すにも、まず神の存在を教えることだと確信させて頂いたから、娘達の人生の早い時期に天地を創造されたまことの神さまを知る者として下さったことを、私は最高に嬉しく感謝している。

そして、今や私も人生を楽しみ、真剣に一心不乱に生きている。と言えば言い過ぎかもしれないが、子供時代に勉強しなかった者が勉強しているとはおもしろい。

写真の中で、父と母は優しく微笑んでいる。
posted by 優子 at 08:15| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年03月23日

第28回 恵まれた家庭集会「オリーブの会」

「ピンポン!」とチャイムの音。
「はぁ〜い!ようこそいらっしゃいました!」


寒さも一段落した昨日、家庭集会のために我が家まで来て下さった5人の方々を次々にお迎えした。毛の生え変わり最盛期のボロボロチャッピーは、今も学習できなくて吠えまくってのお迎えである(>_<)。

今回は、マタイによる福音書16章13〜23節を深く読み味わった。
最初に出された質問は、「イワシの頭も信心から」と言われている「信心」とは、どのような信心であろうかというものであった。

話し合う中で、私は、毎月1回四国のお遍路さんに行っている親しい友にお遍路さんについて尋ねてみた。
すると、「ツアーの殆どの人たちは私達と同じで、スタンプラリーをしているような感じだ」と言われた。自分達は達成感を感じる程度だけだが、中には悩みを持って何かを求めて来ている人もいるとのことだ。

特に日本人は、何か功徳を積まなければ幸いを得られないと思い、修行や修養によって上っていこうとするものだ。宗教を自己の修養と考えるならば、どの宗教も大差ないであろう。

しかし、私たちクリスチャンが信じている神は、功徳や修行を積めば認めてもらえるいうものとは全く異にする。
こちらが上って行くのではなくて、神ご自身が降りてきて下さったのだ。

その神さまは、100匹の小羊のうち1匹が迷い出ても、99匹の羊を野において迷い出た羊を捜し求める方なのだ。そして、その1匹を見つけた時、その1匹を抱きかかえて、喜んで群れへ連れ帰る神であり、まさに「放蕩息子」の父の姿なのだ。

さて、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と聞かれたイエスに、シモン・ペテロは、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と答えた。

「イエスは主です」と認め、神に祈ることができる信仰は、いかなる学問も体験も、瞑想でもってしても持つことはできない。私が信仰告白できたのも、神の特別の導きによるものである。

イエスはペテロに、「あなたは教会の礎石だ」と言われ、まもなくご自身が十字架の苦しみを受けて3日目によみがえられることを話された。
するとペテロは、「あなたにそんなことが起こるはずはありません。」と言った。
するとイエスは、ペテロを「サタン(悪魔)」と呼ばれ、「邪魔をする者」と言われた。

この箇所についても深く考えさせられた。
司会者が、「信仰生活においても人のことを思ってするアドバイスと、神のことを思ってするアドバイスがある」と言われたが、私は今、これを書きながら最近経験したことを思い出した。

アドバイスも神から離れてなされる時、サタンに利用されてしまうのだ。イエスは、ペテロのイエスに対する切なる愛を感じておられただけに、それを利用した狡猾なサタンへのお言葉だった。

そして、やはりそうだったのだ!
私自身へのサタンの攻撃と思われる出来事についても明確に示された。

即ち、私たちも信仰が高まり神の恵みが豊かにされる時に、サタンが激しく攻撃してくることを忘れてはならない。
信仰が高きに導かれていく時こそ、サタンに対する警戒を要するのだ。



この集会でも「生節の押し寿司」を用意し、皆さんがおいしく召し上がって下さってとても嬉しかった。 (^−^)
また、それぞれに持ち寄って下さったデザートがテーブルに溢れた。
主よ、感謝します。

主よ、この地で持たせて下さっている家庭集会を用いて下さい。
どうか、どうか、今後は手ぶらでいらっしゃって下さいね。
次回は4月25日(水)を予定しています。
一度行ってみたいなと思っておられる方、ご連絡をお待ちしています。
posted by 優子 at 12:06| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年03月21日

私に影響を与えた西口孝四郎氏

「読書会のなか、故西口さんとか千里さんとか生節の押し寿司、私が存じていることが書かれており、思わず"頑張って!優子さん”と言いたくなりました。」
MIKIOさん、ありがとうございます!
大好きだった西口さんのことをお話したくなりました。


私にとって西口孝四郎氏は忘れられない人である。
読売新聞東大阪支局社会部デスク、支局長の経歴であるが、この方ほど愛と情熱に溢れた谷崎潤一郎研究者はいなかったであろう。その西口氏に深く敬意を抱いた出来事があった。

これまでにも何度も転載させて頂いている『ふじとニュース』、次女が小学校5年生のPTA広報でペン活動をしていた時のことだ。
健全な小学校であったからこそ保護者による自由な広報活動ができたのであるが、2学期に学校側から「待った!」をかけられたことがあった。

2学期末に発行する新聞に、「今や塾通いはあたりまえ、これでいいのでしょうか?!」というテーマで、学校5日制のことも織り込んで特集を組もうとしていたのだが、このようなことにさえ学校側は体面を気にしたのだ。

結局、設問は「塾」から「ゆとり」中心に変えられてしまった。よく耳にした学校側の検閲はなかったものの、これではそれに準ずるものである。


ようやくこの年度に実現した、みんなに読んでもらえる新聞作りをつぶされないために、私は次年度への引継ぎを前にして広報活動を正しく位置づける記事を書いた。

それが学校側を大いに刺激した。

即刻、学校とPTA3役から広報正副委員長と私(夫を委員長とし、私は書き手としてやらせてもらっていた)に呼び出しがかかった。

発行5日後の夜、校長・教頭先生、PTA3役に私たち広報委員3名の11名が集まり、3時間半に及ぶ激論が11時まで続いた。3役は学校側に与(くみ)し委員会を支援しなかったから、我々は孤立状態になった。

さあ、困った。
しかし、このようなことで挫折したくない。
ところが、約9ヶ月間に40号を重ねたことからもわかるように、原稿ができ上がれば印刷のためにたびたび私1人で学校へ行かなくてはならないから気持ちがひるんだ。

この話し合いの前に、私は大学を卒業して以来はじめて憲法の本をひもとき、自由権、特に21条の言論・表現活動について熱心に読み直したものだ。学生時代とは比べものにならない熱心さで読んだ。

また、広報のおかげで出会い一目置いて下さっていた毎日新聞大阪本社編集局次長(PTA新聞講座で有名)にも相談した。私たちは間違っていないと言われたが、「まあまあ・・これ以上は対立しないで・・・」とのアドバイスにがっかりしたものだった。

次に西口氏にも相談した。
すると、西口氏は「戦え!」と言われたのだ。間違っていないのだから、ここで引いてはいけないと言われた。
先のアドバイザーから「引け」と言われて失望したものの、戦うにも恐れがあり、いろんな議論を想定して相談した。

すると、「いつでも行ったげる。これは大切なことやからな。」と何度も言われた。それまでの経験では、言葉では言っていてもいざとなれば逃げ、多数派に調子を合わせる人ばかりというのが私の印象だっただけに、西口氏の本物の生き方に圧倒され尊敬した。

そこで、手書きの新聞に11名の話し合いのことも記事にし、最後の一文で次のように締めくくった。
「委員会に任されて出来上がったものに対して批判ばかり言うことは、言論活動の制限・弾圧になりますから、まだ反論があるなら投稿して紙上ですべきです」。
(元読売新聞社会部デスク、現在は評論家の西口孝四郎先生
より)

するとどうだろう。
水を打ったように騒ぎはピタッと静まった。
法律的にも検討し、専門家に意見を求めるなど真正面から取り組み、紙上に専門家のコメントを公表したことが良い結果に繋がったと思っている。

そして、「父母の豊かな力量を引き出せるPTA、意欲を大切にされるPTAでなければ、PTA離れはますます激しくなると思うからです。」と広報誌に書いたように、「PTAとのトラブルを心配して毒にも薬にもならない『ことなかれ広報』を作る」ことなく、最後まで信念のペンを奮ったのだった。

ちなみに、2学期末にとったアンケートによると、手書きの新聞『ふじとニュース』を「毎号読んでいる人」が79パーセントで、「発行を楽しみにしている」と答えた人が63パーセントという画期的な結果も得ていた。

あの時、恐れがあっても勇気を奮い立たすことができたのは、西口氏の後ろ盾があったからだ。この時、私も西口氏のように社会に対して発言する人間でありたいと強く思った。

今、これを書きながら、すっかり忘れていたあの時の精神の高揚がよみがえり、西口氏が私の自己確立に多大なる影響を与えた人であったことに気がついた。
どうしても流されてはならない、信念を曲げてはいけない事があるのだ。このことを思い出してすごく幸せな気持ちに満たされ、意欲と力が横溢している。
posted by 優子 at 23:58| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年03月20日

新しい出発を前に

放出教会のU姉に着物を着せて頂いて長女の中学校卒業式に臨み、1時からの読書会にも色留袖を着たまま出席した。
1993年3月16日、41歳の時のことである。

この例会で故西口孝四郎氏より会長に抜擢された。

この時、読書会に入って5年経っていたが、書記や副会長も経験せずに突然の会長とは思いもせず、書記に任命された千里さんと共に目を見張ったものだった。

西口氏ご夫妻は私を広い社会へ引っ張り出して下さり、2年間に多くの薫陶を受けた。その秋には読書会設立25周年の周年行事があり、夫と中学1年生の真智子、そして、真智子の担任の先生やPTAの知人たちも集って下さった。夫が撮ってくれたビデオを久しぶりに見たいものだ。

以来、千里さんと2年交替で4期務めさせて頂いた14年間は、読書会にとっても「F・M時代」と呼ばれるような1時代となることだろう。感慨無量である。

たぶん、1年後には退会することになると思う。
もう、私の中では完結している。
入会当初に「終身会員としてよろしくお願いします」と言っておきながら、「良い後継ぎができて安心した」と喜んで下さった西口先生はどのように思われるだろうか。


役員から退き、近い将来に会からも退くことを感じ始めていたので、この1年間心を砕いてきたことをそのままにして去ることはできない。
先輩達が残して下さった良き気風継承のためにも、どうしても正しておかなければならない点について、悩みに悩み祈りに祈った結果、来月の総会に先立って今日の例会で会員さんたちに図るべく導かれた。
気の重い読書会であったが平安はあった。
平安を頂いたから公の席で話す導きを得たのだ。平安は神さまからのゴーサインだと受け止めた。

私にとっては今回でリーダーとして最後の感慨無量の読書会であったはずだが、実はそのことも忘れるくらい重い気持ちであった。しかし、共に祈って下さっていた千里さんの祈りも重ねられ、審議には集中して細心の注意を払って言葉を選んだ。

その人は公の場で漸く理解して下さり、解決を得た。

家庭的な読書会であるが、原則を作っておかないと細かいところへの配慮に欠けることが生じてくる。
例えば、この人は(会からの援助金を)貰った、この人は貰っていないなどだ。
何よりも市から助成金を頂いて運営している団体であることを忘れてはならない。

私は安堵した。
今後は運営しやすくなることだろう。
40分後、読書会に入ったが、皆さんの感想をお聴きしながら主に感謝し、帰宅してからしみじみと感謝した。
これで西口先生への責任も果たせたように思う。

今日の読書会テキストは小川洋子著、『博士の愛した数式』だった。本当ならば私も千里さんのように多くを語ったことだろうが、上記の悩みの中にあったため、一気呵成に読んだものの読後感はお粗末なものであった。

悩みがあると感性は冴えるのだが、今回はそうではなく、かえって鈍った。
また、難題解決でホッとしたのか、皆さんの感想もあまり印象に残っていない。本文(青い字)を引用しながら私の発言だけを記録しておきたい。

最も印象深く残っている箇所は、

永遠に正しい真実の存在が必要だった。目に見えない世界が、目に見える世界を支えているという実感が必要だった。厳かに暗闇を貫く、・・・・
「君の利口な瞳を見開きなさい」


この「君の利口な瞳を見開きなさい」という言葉を読んだ時、「今日、もしみ声を聞くならば、・・心を頑なにしてはいけない。」という聖書の言葉(ヘブル書3の7・8)と重なった。

「そう、まさに発見だ。発明じゃない。
自分が生まれるずっと以前から、誰にも気づかれずそこに存在している定理を、掘り起こすんだ。
神の手帳にだけ記されている真理を、一行ずつ、書き写してゆくようなものだ。その手帳がどこにあって、いつ開かれているのか、誰にもわからない。」


この数式に隠された意味を知っている者は限られている。
その他大勢の人々は、意味の気配すら感じないで生涯を終える。・・・


ここなどは、人生における神との出会いそのものだ。特に日本人にとってはそうだ。
最後に、いくら大きな数字であっても、そこに「0」をかければ「0」になる。人生も同じである。
私は神と出会って人生が変えられた。


以上が私の感想であった。

今日の例会で『あしたづ』を配布し、2月24日(カテゴリー「読書会関係」)に思いついた願いが叶い、生節(なまぶし)の押し寿司を作って持って行った。エネルギーのいる審議を抱えていたが、心は平安だったから体も軽く作ることができた。

8合のお米ではお1人に1人前ずつは足りそうになく、半分にしたものを22個分持って行き完売! 11本分だが結構重たかった。
皆さんのお口に合っただろうか。
おいしく召し上がって下されば嬉しいな。
posted by 優子 at 22:51| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年03月19日

心新たに信仰の船出を!

     の器ごときこの者が   
     をとって
     を書く
     (かぐわ)しきキリストのかおり伝えたくて


クリスチャンペンクラブ理事長の池田勇人牧師による「土筆文香」というペンネームに、文香さんはご自分でこのように意味づけされて、祈りの通りキリストの香りを放つ文章を綴られている。

今日の文香さんのブログ「生かされて」に、私のブログを紹介して下さり感謝している。
今日と17日の記事にも書かれているように、取材の白羽の矢が当たったことに始まるこのたびの顛末は、神の絶妙なるセッティングがあったことに驚かされる。

これからも神による不思議な物語は続いていくであろう。
この記事を読んでおられる方の上にも同じように、神は全てのことに目を配っておられるのだ。

番組をご覧になった方から、「『弱さを誇る』というところに心が動かされた」とのコメントが多く寄せられたとのこと。
心動かされた人たちは、ご自分の弱さを知っているからこそのこと、素晴しいと思った。全てはそこから始まるからだ。

私は時として自分自身の相も変わらない姿に嘆き苦しみ、あるいはまた、世の人々との関わりに疲れてしまうことがある。そのような時に限って無意識の内に強くなろうとしているようだ。私もまた、文香さんを通して慰めと導きを頂いた。

「恐れてはならない。わたし(神)はあなたと共にいる。
驚いてはならない。わたしはあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わが勝利の右の手をもって、あなたを支える。」


            (イザヤ書 41章10節)

主がお一人おひとりの心に喜びと希望を与えてくださいますように!

クリスチャンの方には神さまの祝福と励ましを、そうでない方には、今まで知らなかった、今まで感じなかった神さまの愛を受け取って頂きたい。
どうか、「放蕩息子」に出てくる弟のように神さまの愛を拒否しないでほしい。

全知全能なる唯一絶対の神さまをお伝えすべく、これからも日々の出来事や感じ考えていることを刻んでいきたいと思う。
私自身も今より心新たに信仰の船出をしよう。
           
                 
                    主に在って









posted by 優子 at 17:44| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年03月18日

全ての人に神の愛が届きますように!

文香さん、『ライフライン』拝見しましたよ!!
夫はビデオでと言っていたのに、一緒に放送時間にテレビを見ました。

経験した者でしか語りえない文章とお話に感動しました。
不安や恐れなど揺れ動く気持ちを正直に語っておられる文香さんから、神さまのメッセージが流れていました。きっと多くの人たちの心に浸み込んでいったことでしょう。


私は改めてブログを開設してくれた次女と、次女にその思いを与えて下さった神さまに感謝します。
ブログへの関心すらなかったのに、次女を通して新しい道を開いて下さったのです。ブログを書かなかったら文香さんともここまで親しいお交わりに導かれていなかったと思います。

読者の皆様、病いと闘っておられる方に知らせてあげて下さい。癌と闘っておられる文香さんのお話ならば、きっと素直な気持ちで聞いて下さると思うのです。
「生かされて」のブログを教えてあげて下さい。


また、文香さんはクリスチャンペンクラブのホームページも管理して下さっています。
『生かされている喜び』の中から3篇ずつ更新して下さっていますから、是非、「リンク先」からご覧下さい。
書かれた人たちの闘いぬいてこられた信仰生涯から、きっと力強い慰めと励ましを受け取られることでしょう。

今日も教会へ行けることを感謝します。
多くの困った問題も全て神さまのところに投げ出して、リフレッシュさせて頂きましょう。そして、新しい力に満たされて新しい週を始めたいと思います。

   主にすがる我に悩みはなし 
   十字架のみもとに荷を下ろせば
   歌いつつ歩まん ハレルヤ! ハレルヤ!
   歌いつつ歩まん この世の旅路を


メールに代えて文香さんにブログ上で感謝します。
文香さん、これが番組を拝見した私の想いです。
励ましをありがとう!

神さまが文香さんの健康を支え守って下さいますように。
そして、これからもご健筆をお祈りしています。
posted by 優子 at 08:35| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年03月17日

ぼろぼろな柴犬

「何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
 動物園の四坪半のぬかるみの中では、
 脚が大股過ぎるぢゃないか。
 頸があんまり長過ぎるぢゃないか。
 雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
    ・
    ・                     」

高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」ではないが、この時期のチャッピーは「ぼろぼろな柴犬」である。

2月初めから毛が抜け出し、後ろ足の手羽先(?)はすっかり夏毛。今は首も頬のあたりも背中からもムクムクと毛が浮き出てボロボロだ。それをつまめば毛の塊がゴボッと抜ける。

アメリカでは例年よりも早く夏時間になったが、チャッピーの夏準備だけは毎年早くてご近所でも有名で、ひどい年には大寒を迎える前から抜け出すのだから気の毒なほどである。

昨日は12、6度あったが一昨日は8、2度で、6日からずっと寒い日が続いている。
朝は0度前後で寒〜〜〜い!
13日の次女とのスカイプでは、「今日(12日)は15度で雪がドンドン溶けている」とのこと、ミネソタの方が暖かくて驚いた。

早くも週末を迎えた。
今朝は夫と一緒にチャッピーの散歩に行くか・・・・。

♪ いよいよ明日の朝7時、サンテレビ『ライフライン』にチャンネルを合わせて下さいね!
私も今夜は録画の予約をして寝ましょう。





posted by 優子 at 08:23| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2007年03月16日

親鸞は聖書を読んでいた!?

12日のこと、大阪商大での役員会のあとMIKIOさんとT会長さんと3人で昼食に行った。パクパク頂きながらセンター運営のことからキリスト信仰や親鸞まで、盛りだくさんの話題で楽しいひと時だった。
その時に、「早くブログで書きたいと思っていることなんです。」と申し上げたことを、今日ここにご紹介したいと思う。

それは、親鸞は聖書を読んでいたのではないか?! ということだ。

9歳で出家し、20年間もの年月を比叡山にこもり天台宗の厳しい修行を徹底的にされた親鸞が、「いずれの行も及びがたき身なれば、とても地獄は一定(いちじょう)のすみかぞかし」というのが最後に行き着いた境地だった。

親鸞はわたしのような罪深い者は「地獄以外に行き場がない存在だ」と述懐しており、それはルターを想起させ、パウロの徹底的なる自己への絶望とも重なる。

「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。
だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」


ところで、親鸞が聖書を読んでいたという学説があり、以下は西本願寺の末寺に生まれて牧師になり、文学者としても高名な佐古純一郎の『パウロと親鸞』からの抜粋である。

ヨハネ福音書ができると、浄土3部経の原初的な阿弥陀経ができるのがほぼ紀元100年前後なんです。
それで、今、西洋の仏教学者の中には、インドにおける浄土信仰には、福音の思想が影響を与えているという学説が非常に強くなってまいりました。日本でもそういうふうに考える仏教学者がおります。

これが証明されたら、ちょっと本願寺はまずくなるんです。
もっと言いますと、親鸞聖人が聖書を読んでいたという説があるんです。天台の図書館に景教の宣教師が訳した漢訳の聖書が持ち込まれていたというんです。
もう親鸞の時代にはできていました。親鸞は20年、天台の図書館の本は一冊残らず読んでおりますからね。

親鸞の読んだ聖書は、本願寺の宝庫にあると言う人がいるのです。もう古い話ですが、アメリカから来た宣教師が、その時の本願寺の偉い人に頼んで見せてもらった、という記録があるんです。

龍谷、大谷の仏教の歴史を研究する若い学者がそれをなんとかしようとしたが、本願寺はノーコメントというから、どうかわからないですね。
だけど、教えとして考えると非常に共通しているんです。両方とも「永遠の命」と、「まことの光」なんです。

実に興味深い話である。

posted by 優子 at 15:43| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年03月15日

全ては神のプロビデンス(摂理)!

次女が東大大学院にいた時のこと、私は娘とのメールのやり取りで娘のことを「抜群の向上心を持つ学生」と表現したことがあった。(真智、覚えてる?)
東大の教官から、「君は強いグラウンド(素質)を持っている」とも言われた娘だ。

その真智子が東大では満足できず、同じ道を往く伴侶と共に海外へ修行に出た。その2人が、今や娘だけではなく婿もまた神さまと共に在るという不思議な神のご計画を見ている。
そのことが私を驚喜させ、この子達の将来の幻を見せて頂いている。

学者というのは、いつの時代にも最も多くことを知りながら、最も大切なことを知らず、特に日本人においてはそうだ。
自立した娘であるが私のもとに居た時のように、これからも私が感動したことや考えさせられることを伝えながら、神さまから賜った信仰をそれぞれの魂に豊かに育っていくように導き手となりたい。

敬虔な信仰をもって神に祈る者とされた娘。
そのことのためには大きな痛みがあるが、必ずや「このことは神の摂理であった」と証しするに到るであろう。
「摂理」とは、神が造られたところのものを守ることであり、それは無くてはならぬものを備え、神の栄光のために行われることである。

イエスさまがこのことのために、幼い日に真智子の魂に十字架を刻んで下さっていたのだ。そして、神のみわざが始まったのだ。真智子との出会いを通して彼も救われていく。

真智子が伴侶と共にいよいよ神より与えられた天分を大いに磨き、神と人のために用いられんことを切に祈っている。

真智、昨日のスカイプ、ありがとう。
優しい気持ちが嬉しかった。
今日はママから2人に聖句を贈りましょう。
(^−^)


「そういうわけだから、人生の意味や目的を
知らない者のようではなく、知る者として、
それにふさわしい責任感をもって人生を生きなさい。
現代の時代のあらゆる困難にもめげず、
あなたの時間を最高に生かすのです。」

       
       (エペソ人への手紙 5章15・16節
                  フィリップス訳)

アーメン。
主よ、感謝します。
全てのことをあなたにお委ねします。
posted by 優子 at 10:42| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年03月14日

寒空にチャッピーと讃美歌を歌う

昨日は朝から大変な忙しさ、読書会関係と地域のことから始まった。
その間にミネソタから声がかかったが待ってもらい一段落してから少し話した。試験が終わり春休みに入った真智子とのチャットで元気になった。
その後に生協さん。

しかし、多忙の中にも喜びがあった。
双方の間に立って何度もやり取りしての感謝なご紹介のお役があった。神さまはUさんのことも心にかけて関わって下さっていることを見せて下さった。いつか時が来て、どちらにも神さまをご紹介できますように感謝と喜びの祈りを捧げた。

昨日のような記事は尚更に集中して書きたかったが、それらの合間あいまに書きながら、昼下がりにはもう少しで下校時の見守り時間を見過ごしてしまうところだった(汗)。

そして、近隣の友の来訪のあと、朝一番にしようと思っていた読書会の方への電話を忘れ、ハッとしたのが5時前だった。1時間近くも話していたので終わった時には暗くなっていた。

そんなわけで小さな仕事ばかりだが、昨日は休憩する暇もなく食事もひどいものだった。夫が東京出張だったので夕食を作らなくてもよかったものの、私一人だからと朝食抜きで昼夜の2食も菓子パンとたこ焼き(共にお昼前の生協配達で届いたもの)では情けない。神さまの大切な御用のためにも食生活を大切にせねばならない。

しかし、私の魂は安らぎを得ていた。
と言うのは、昨日は朝の電話で陰鬱な思いになっていたのだ。だから真智子とのチャットで「元気に」なり、ご紹介できた「喜び」もより深く味わえたのだ。

そして、「放蕩息子の話」のブログを書きながら不快感が癒されていき、神による強い支えと力を頂いた。夕刻には日も暮れた寒空の中をチャッピーと讃美しながら歩いていた。
ハレルヤ!


「我に来よ」と主は今、やさしく呼びたもう。
などて愛の光を 避けてさまよう。

(繰り返し)「帰れや、我が家に、帰れや」と主は今呼びたもう。

疲れ果てし旅人、重荷を下ろして、
来たり憩え、わが主の愛のみもとに。

迷う子らの帰るを 主はいま待ちたもう、
罪も咎(とが)もあるまま 来たりひれ伏せ。


これも私の愛唱歌の一つ、讃美歌517番である。メロディーをお聞きいただけないのが残念である。
そして、もう1曲、気がつけば聖歌418番3節を感涙して歌っていた。

「わたしの神よ キリストよ、ほかには誰も頼りません。
あなたばかりをあてにして この世の中を旅します。」



神により世の戦いに勝利し、夕刻には神の全き平安に包まれて力が漲っていた。必要ならば公の場で、言うべきことを明確に言おうとの勇気と力も与えられた。
また、主を知らなくても、自己を省みて心を正しながら生きている人に幸いあれ!
私はその方達に「良き訪れ」を届けたい。全てを支配されている神さまに出会って、神と共に安心して前進していけばいいのだとお伝えしたい。

神は全てを見ておられ、力強く支え勝利へと導いて下さるのだ。主イエスだけをあてにして生きていこう。
闘いの中にある人たちに神の平安と力あれ!

読書会機関紙は印刷屋さんに届いたとの連絡を頂いた。
次は議案書作りにかかろう。


posted by 優子 at 09:38| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年03月13日

あなたも私も神に愛されている!

「放蕩」の語源は「救われざること」の意味であり、「放蕩息子」は神と人間の関係を示すたとえ話である。

理解を助けるために、まず2〜3の解説を加えたい。
ユダヤ人にとって豚は汚れた動物であるから、その飼育者は虐げられていたことであろう。イエスが生きておられた当時、「指輪を手にはめ」るのは貴人の風習であり、履き物をはかないのは奴隷の姿であった。

さて、弟が家を出て「食べることにも窮しはじめた」ことは、霊的救いを求める第一歩であった。
困ることは良いことである。
なぜならば、人は自ら足りている時は、また、足りている者は求める心がないからである。
とは言うものの、苦難の時に人は人間に頼りやすく、目には見えないまことの神に祈り求める人もまた少ないように思う。

「神を拒否して、その手の外に出たら自分で世界を作り得ると思う人間の愚かさ。
しかし、それは自分を完全に喪失することになった。
自由追求において自分を失ったことに気づく。これは自分の罪認識でもあった。
弟は父の子であり、兄の弟であることにこそ、自分本来の自由に生きる道があったのだ」。


一方、正しく生きている兄は、父の愛をより多く受けるのは当然だと思っている。
これもまた世の常識であろうし、弟への嫉妬心もよくわかる。
しかしイエスは、兄は父のもとに留まっていても父との関係を失っていると言われるのだ。

兄と父との関係は律法的であり道徳的関係であるにすぎなくて、それゆえに、父がいかに息子(弟)を心配しているかも兄は無関心である。父の悲しみに同情できず、息子が帰ってきた父の喜びもまたわからなかった。兄には全て与えられて父のもとにいるのに最上の喜びを知らず神の恩恵がわからなかった。ここもまた自らを探られるところではないだろうか。

ここで大切なことは、罪を悔い、赦された弟の方が、正しい兄よりもはるかに幸福な人間になったということである。

しかし、父は兄をも愛している。

「子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである」。


神にとって、神に背を向けて生きている者は死んで失われた者であるから、まさに弟の帰還は「死んでいたのに生き返」った奇跡であった。
兄は、外側の正しさだけで生きているパリサイ派の人々をも指しているので、この箇所からイエスは彼らもまた神の愛の中にあると言っているのではないだろうか。

レンブラントの晩年の作品が全てを語っている。悲しみの連続であった人生がレンブラントを創り上げ、天の御国(みくに)へ帰って行ったのだ。


拙いものであるが、この記事をお読みになると12日の引用文(青色のところ)も味わい深くお読み頂けると思う。
絵では右側に立っているのが兄である。
そして、「この放蕩息子の父こそ、彼(レンブラント)の自画像である」と、ナウエンは書いている。

私も弟を経験し、兄も経験した。
これからも兄のように自己義認して驕りもするだろう。
しかし、そのたびに即刻悔い改めて神の愛に立ち返る者でありたい。
そして、これからはひたすらに「父」へと導かれていきたいと願う者である。










posted by 優子 at 16:00| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

放蕩息子の話

少し長くなるが、聖書・ルカによる福音書15章11節から32節最後まで読みたい。

また(イエスは)言われた、
「ある人に、ふたりの息子があった。ところが、弟が父親に言った、
『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。
そこで、父はその身代(しんだい)をふたりに分けてやった。

それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果たした。
何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどい飢饉があったので、彼は食べることにも窮しはじめた。

そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。

そこで彼は本心に立ち返って言った、
『父のところには食物のあり余っている雇い人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天(当時、神のことを「天」とも言った)に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
もう、あなたの息子と呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇い人のひとり同様にしてください』。

そこで立って、父のところへ出かけた。
まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。

息子は言った、
『父よ、わたしは天に対しても、あなたに向かっても、罪を犯しました。もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません』。

しかし父は僕たちに言いつけた、
『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。
食べて楽しもうではないか。
この息子が死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。
それから祝宴が始まった。

ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえたので、ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。

僕は答えた、
『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。

兄は怒って家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、兄は父に向かって言った、
『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくるとそのために肥えた子牛をほふりなさいました』。

すると父は言った、
『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。



以上が有名な『放蕩息子のたとえ話』である。
一字一句、みことばを打っていると、イエスさまが私に語って下さっているようであった。
先のレンブラントの絵を見ながら私の想いを探ってみたい。
posted by 優子 at 13:19| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年03月12日

『父の家に立ち返る物語』

来月のサークルセンター理事会(総会)に先立って10時から役員会があった。その行き帰りの電車の中で『放蕩息子の帰郷 父の家に立ち返る物語』を読みたくて、書棚から取り出して急いで家を出た。

この本は2003年10月10日、交歓読書会の帰りに千里さんと梅田のキリスト教書店で買ったものである。ヘンリー・ナウエンの名著であり、エルミタージュ美術館にあるレンブラントの絵が表紙になっている。
prodigalson.jpg

プラットホームに立ち、私は迷わずに7章の「レンブラントと父」を開いた。

レンブラント遺作の一つであり、苦難の生活を経て到達した作品である・・・。強調されているのは、息子よりも父のほうである。・・・・桁外れに情け深い神の愛が・・・・。

苦しみ抜いた多くの歳月を通して、芸術家の心の内の、光を放つ愛の火はますます大きくなり、立ち返った息子を歓迎する父の心の内で燃え立っている。

子が家を出ること、・・全てを失うかもしれないことをも含むものだ。父の心は、それらの選択によって、すべての苦しみが生まれることを知っているが、愛するがゆえに、・・拒否できる自由を差し出す。・・・

慈しみ深い祝福の腕を差し伸べつつ、決してそれを誰にも押し付けようとせず、常に待ち続けている父である。・・・父の願いはただ一つ、祝福を与えることだ。・・・

父は、彼らを罰することを望まない。子たちはすでに、自分のわがままな思いと行動によって、充分過ぎるほどの罰を受けている。

レンブラントの絵の真の中心は、父の両手である。・・・
危険な時に私を守り、嘆きの時に私を慰めてくれた両手だ。それは、見送る時に振られ、帰って来るのをいつも歓迎してくれた両手だ。この二つの手は、神の手だ。

レンブラントは息子だった。そして、父となった。その経験が彼に、永遠の命に加わる備えをさせることになったのだ。



読み進むうちに車内の雑音も全く聞こえなくなり、立ち読みしながら涙で潤む目を押さえた。
そして、わが子のことを祈り続けておられる母親の姿を想った。涙で祈る母の子は必ずや父のもとに帰ってくるであろう。その時には、素晴しい生涯が待ち受けているのだ。

「父」とは「神」のことである。
聖書が語る神は、「拒否できる自由を差し出す」。「わが愛の内に居れよ」と望んでおられるが、決して押し付けるものではないし、押し付けられるものではない。

ただ神は、誰一人として例外なく全ての人を「桁外れの愛」で愛しておられることを知って頂きたい。
敬虔なクリスチャンでさえ神の愛がいかなるものかわからないだろう。
ましてや、私など全くわかってもいないのだと思う。きっと地上の生涯を終えてから、「ああ、あなたはこんなにまで私を愛して下さっていたのですか!!」とわかるのだと思う。
しかしながら、私は神の愛をお伝えしたくて書かせて頂いているのだ。


次の記事で、聖書にある有名な「放蕩息子」の話をご紹介しようと思う。
posted by 優子 at 18:14| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年03月11日

祈らされる魂

昨朝、「私にとって書くということ」を掲載して頂いた『あしたづ 9号』と、娘達の結婚時に作った記念誌を久保田暁一先生に御送付した。
日本文学者である久保田先生を知ったのは、当市の市民図書館で見つけた『日本の作家とキリスト教』を読んだことに始まる。その後、再開したクリスチャンペンクラブでお出会いし親しくお導き頂いている。

1日には知人の老医師にも掲載文をお届けしたが、いつものように早速送ってくださった礼状を読んでひどく心が痛んだ。
「活動盛り、人生の最高期に居られる奥様と、先も1、2年に見えてきた私とは比較にならず・・・・。」

と、この方には珍しく厭世的な内容が記されてあった。谷口家の家庭集会にも秋から中断されている。

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。
悪しき日がきたり、年が寄って、
「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、


                (伝道の書 12章1節)

私はこの聖書の言葉を思わずにはいられない。
だからこそ、80歳を過ぎておられようとも、今からでも神を求めよと願うのだ。とにかく、「今日」という日は全ての人にとって最も若い日だ。90歳で救い出された人の話もある。心を頑なにしないで幼子のように、純粋に厚かましく神の懐に飛び込めばいいのだ。
私は今一度、切に祈り、いつ、いかなるアプローチが最善であるか神の導きを求めよう。

クリスチャンは人生の最後こそが最善、晩年こそが神の祝福の時、老年期こそが本当に霊魂が冴えわたる時なのだ!!
私はこれから先のことは一切、神にお任せする信仰を賜った。自分の頑張りではない。神さまが最後まで責任をもって伴って下さると信じられるようになった。


昨日の午後、久々に長女夫婦が来宅した。
予定の1時間ほど前から外でゴルフクラブの素振りをしながら娘達を待つ夫。その姿に私も嬉しくなった。

今日は午後3時の礼拝に4人で教会へ行き、幸運にも福野牧師のメッセージ。知子たちにとっては久々の再会、礼拝後にも祈って頂いた。
知子は懐かしい第2の実家へ帰ったように兄弟姉妹との楽しい時を持たせて頂いた。
その後、娘達と外で夕食を済ませ、婿にも神さまが語って下さいますように祈りつつ別れた。
posted by 優子 at 22:08| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年03月09日

コメント感謝録

昨年7月4日の記事に表明させて頂いて以来、コメント欄を設けることなく双方交流ができない物足りなさを感じているが、時々頂くメールに励まされ感謝している。

今日ご紹介する方も前回のMIKIOさんと同様に初めてのご登場だ。私がお願いして壇上(?)に引っ張り出させて頂いた。(笑)

Kさんとは民生委員会でお知り合いになり、個人的な出会いへと導かれた数少ないお一人である。Kさんはブログを書き始めた時から読んで下さっていて、定例会でお目にかかった時もいつも穏やかな笑顔で「読んでいますよ」とお声をかけて下さり、尊いお励ましを感謝している。

これまでにも何回となく励ましのメールを頂戴していたが、今回は祈りに導かれて勇気も頂いて掲載のお申し出をした。Kさんのお許しを頂きここに刻ませて頂きたい。

藤本様

民生児童委員で何時もご活躍され、大変な労力ご苦労様です。
何時も活気のある笑顔で接して頂き、その真心に何時も感服致しております。加えて、会でお逢いしても笑顔は変わることなく滲み出ております。

加えて、初回からのブログを拝見し信仰の深さ、豊富な知識、そして見聞の広さ感銘を受けています。
 
中でも親子の絆に俟つわる思いと旅立ち、人間としての愛の深さなど、万人に知って伝えたいその思いを綴った連続のブログ、これからの折に触れ導いて戴ければ幸いと存じます。

また昨日委員会の見送りの際、お預かり致しました書籍また拝読致したいと思います。

     ・・・・・・・・・・・・・・・

 Kさん、7日は家まで送って下さりありがとうございました。
その本はお返し下さらなくてもいいのですよ。
これからもブログの読者でいてくださいね!(^−^)
善良に生きておられるKさんご一家の上に、神の豊かな祝福がありますようにお祈りします。

文面からも誠実なお人柄が拝察される。
書籍とは"POWER FOR LIVING"(パワー・フォー・リビング)、「生きるための力」である。
祈り導かれている方々にお届けしたいと思う。

posted by 優子 at 10:13| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年03月08日

「生涯の日々に」

考える時間をとっておきなさい
  それは 力の源であるいす

読む時間をとっておきなさい 
  それは 知恵の泉である本

愛し愛される時間をとっておきなさい
  それは 神より与えられた特権である黒ハート

親切にする時間をとっておきなさい
  それは 幸福への道であるかわいい

笑う時間をとっておきなさい
  それは 魂の音楽であるるんるん

与える時間をとっておきなさい
  利己的であるには一日が短かすぎる犬

働く時間をとっておきなさい
  それは 成功の代価である手(チョキ)

祈る時間をとっておきなさい
  それは 地上の最大の力であるパンチ


あなたも良き一日をお過ごしになられますように!
私も生かされている感謝に溢れて新しい一日を始めましょう。(^−^)晴れ

追記
この記事同様カテゴリーの「引用文」(大発見!この記事の最後右下にある「引用文」もクリックできたよ!)を開いてみると、改めて神さまから大いなる励ましを受けた。
2006年11月23日、また、8月22日と8月17日の2つの記事は、「1代目クリスチャンの闘い」に書いた出来事を指しており(カテゴリ「掲載文(神・文学)」御参照)、衝撃直後の私の姿がある。
8月22日の希望姉の記事では、励ましを受けられた方も多く居られたことであろう。今、闘いの中に在る方は是非お読み頂きたい。必ずあなたにも神さまが語って下さることであろう。
posted by 優子 at 09:29| 引用文 | 更新情報をチェックする

2007年03月07日

山積みの仕事もこなしていけますように

今年も幼・小・中学校の卒業入学式の時期到来で、来賓として赴かなくてはならないので外出が多くなる時期でもある。

4月からの民生委員会の役割も決まり、3年目の最後は老人福祉部会会計の下命を受けた。「命令」ではないが、心情的には「下命」の感強しである。

昨日の保健センターでの分担は11月初めになっているので、予定通りならばちょうど初孫の4ヶ月の頃である。今度はどのような感慨を抱くのであろうか。何事も経験に如かずであるから、そのことにも我ながら興味深い。

春の到来は用事も多く到来する。
まず、4月の読書会総会を控えて議案書作りがある。
3年前までは図書館の職員さんがやって下さっていたのだが、東大阪市の財政難で人手不足のためにやってもらえなくなった。私は未だエクセルを使えなくて(>_<)、去年のように前年度のところを消しながら打っていき、あとは図書館の担当者に泣きつくしかない。

会報の編集は先週終えたが、原稿追加分があり再度やり直しだ。もう制限時間いっぱいになっている。
紙幅の関係でレイアウトは頭を悩まし時間がかかる。最後はジグソーパズル感覚だ。原稿を割愛できないから何とか収まるようにするのだが今から頭が痛い。

昨日に続いて今日は民生委員の定例会だった。
日暮れが遅くなり4時半に帰宅しても明るいので嬉しい。
洗濯物を直して、空き腹にお餅を8つ入れ、書くことでホッとひと息ついている。

イライラしては何もできなくなる。
落ち着いて優先順位を定めて、一つひとつかたづけていくことだ。ブログを書くことでカタルシスされたのだろうか気持ちが楽になった。

posted by 優子 at 17:10| 随想 | 更新情報をチェックする

愛する知子へ ―孫の誕生を待つ母より―

「今、早速ブログを読ませてもらいました。本当に嬉しかった・・・今週末で確か23週目となるところです。
この時期から「流産」はなくなり、「早産」に転じるとの事。
まだ25センチ、500g程度のチビちゃん、早く成長してほしいです。 知子」


もうすぐ母になる知子へ


ママは、知子が神さまの愛の中で新しいいのちを授かり、神さまと共に胎児の成長を待つ日々であることを心から感謝しています。
実は知子から妊娠の吉報を聞いて直ぐ、『いのちを待つ日々のために』(柏木道子著)を購入しようと検索したんだけれど、もう廃版になっているのか見つけられませんでした。
著者が大学の学長をしておられたことを思い出して、学長秘書室まで電話したんだけれど、このことを話していなかったよね。
ママはここでもミスをしてね、大阪基督教短大なのに間違えて大阪女学院に電話していたというボケぶり。でも、それはそれは親切に調べて下さったよ。でも、ここで中断してしまい本は持っていません。

この方は柏木哲夫師の奥様で、一度、放出教会にもゲストとして来られたことがあってね、ママは向かい同士で昼食を頂いたよ。
全て揃っていないんだけれど、小冊子『いのちのことば』に連載しておられた時のものの中から一部引用させて頂いて知子へ贈ります。そして、神さまをご存じない妊婦さんにもお伝えできる機会を祈りつつ書写します。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・

この頃からお腹はだんだんと前につき出て大きくなってきます。無理な体勢をとったり、下腹部に力を入れないようにさえ注意して、一日をリズミカルに過ごすならば、赤ちゃんは自らに与えられた生命のリズムの中でどんどん大きく成長していきます。

胎児は未来の父親、母親の声のトーンから、お祈りのことばから、讃美の響きや笑い声の中から、生きる力と成長のエネルギーを感じとっているに違いありません。

母親の愛情や喜び、恐れや不安はたとえ無意識レベルでも胎児に伝わっていき、赤ちゃんは共感してしまいます。
母子の絆はこれによって成り立っていきますから、母親の慢性的な不安や長引く緊張は胎児にとって避けるべきことです。

また母親がいろいろの事に気を散らし、心に混乱や矛盾があるならば、胎児も母親との絆を持ちにくくなり、誕生後も母子関係のスムーズさを欠く場合があります。

私たちの営む生活はいつも平静であることを期待することはできません。
困難な事態は妊娠のあらゆる段階でも起こるでしょう。目に見える外的な困難があっても、胎児は母親の心が自分に向けられており、愛が注がれて誕生を待ち望まれていることを感じるならば、敏感に反応してよく成長していきます。

2人の愛の結晶が神さまのお守りの中で誕生する日を思い浮かべつつ、明るく喜びに満ちて日々をお過ごしください。

(お祈り)
全知全能の父なる神さま、
今日までのお守りをありがとうございます。
小さないのちが今まで御手の中で育まれ、私たち両親になろうとしている者に、大きな喜びをお与えくださっていることを感謝いたします。

あなたは私の心にある思いをすべて御存知です。不安も恐れもあります。あなたはそのすべてにじっと目を注いでくださることを知っています。

主よ、どうぞ、不安を希望に、緊張をゆだねる気持ちに変えて、わが内にみわざをなしてください。

小さな手、小さな足で合図する愛しきわが子への思いをあふれさせてください。
私たち親の思いと行いが日々御旨にかなって御前に献げられますように。
感謝と喜びを持ってお祈りします。アーメン。


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・

このあと「7〜8ヶ月の頃」と「9〜10ヶ月の頃」のところもお届けするね。
今この時も知子の体内で神のみわざが成されているなんて、驚愕以外のなにものでもない。
情緒不安定になりやすい妊娠期間中も神さまの平安と喜びに包まれていることを感謝し、最高に快適な胎内で赤ちゃんが予定日近くまで守られるようにお祈りしています。

暖かい春が来たら買い物に行こうね(^−^)!

4日は異常暖冬で23、4度まで上がり初夏のようだったけれど、昨日から真冬の寒さになったね。明日も寒いとのことだからお大事にね。
posted by 優子 at 11:04| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年03月06日

4ヶ月健診の出来事 ―娘が母になる!―

「育児のことを誰に相談しますか?
今後、民生委員が子育て情報を持ってお訪ねしてもいいですか?」など、

生後4ヶ月健診児の母親に対して、民生児童委員が子育て支援に関するアンケートをとるために保健センターへ出向いた。
香芝市の民生委員会が昨春から始めた新しい取り組みで、3地域から計3〜5名の参加である。

私はもうすぐ孫を迎えるというのに、殆ど無感覚に近い感情でお母さんと赤ちゃんを見つめ、自分が年取ったことの寂しさを感じていた。

しかし、赤ちゃんやお母さんのしぐさをジッと見ているうちに、長い間喪失していた記憶が戻ってくるような感じがした。
すると突然、「知子がお母さんになるんだ」という想いが込み上げてきて、気がつけば涙が流れていた。
(ここは教会ではない、お仲間のてまえ涙は困る)と自分に言い聞かせて、私は気持ちを抑えた。

涙を拭いて再び見てみると、若いお母さんが知子になっていた。知子がこどもの服を脱がせている。新米ママは慣れない手つきで子供をあやしながら脱がせていた。
(アッ、危ない!知ちゃん、腕に気をつけて!)と、私は心の中で叫んでいた。

知子が子供を育てていくのだ。

なんという素晴しい感慨だろう。今書きながら再び涙が溢れて何も見えなくなった。


真智子のように4ヶ月で寝返りしている子も居た。
そうそう、寝返りを始めるとすぐにひっくり返るので着せにくかった。


私は、この33名の赤ちゃんたちの幸せを祈った。
子供の人生はどこでどう違っていくのだろうか。やはり親いかんで幸不幸が決定されていくのではないかと見つめていた。

泣き続けている赤ちゃんに、民生委員の仲間が上手に声をかけてあげていた。若いママはどんなに助けられたことだろうか。これこそが「子育て支援」だ。何でもないことでも新米ママにはどんなに大きな助けだろうか。その光景を麗しいと思った。

真智子がおなかの中にいた時、知子を予防注射に連れて行った時のことだ。今日の私のようなボランティアの方が、「お母さんは妊婦さんだから私が代わりましょう。」と言って、嫌がって逃げようとする知子をご自身の膝に抱いて受けさせて下さった。
私はその方のお顔すら覚えていないが、感謝の気持ちは今も薄れてはいない。
「その人に恩返しできなくても、受けたご恩を別の人にお返しすればいい。」と、母がよく言っていたことも忘れはしない。

神さま、今日の御用を感謝します。
引き続いて月が満ちるまで娘をお守り下さい。
また、節子姉の娘さん、民生委員のNさんの娘さんもお守り下さい。いや、全ての妊婦さんの上にあなたのお守りが豊かにありますように。
そして、誕生した新しい命が心身ともに健やかに育っていきますように、主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。
アーメン。


posted by 優子 at 17:49| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年03月05日

礼拝メッセージ「砕かれる人への神の憐れみ」

昨朝の礼拝では、創世記32章22〜32節から「砕かれる人への神の憐れみ」と題して説き明かされた。

「ヤコブ」は「押しのける者」の意味
の通り、自分のことしか考えない自己中心な生き方をしていた。このヤコブが大変な人生の危機にあった。それは、ヤコブにとって大切な人々である母リベカの乳母デボラの死、続いて妻ラケルと父イサクまで次々と世を去って行ったのだ。

しかし、これらの中にあってこそ、神はヤコブの内面を取り扱われ、聖別し整えられていかれたのである。

私もまた実に苦しい中を通された。
神さまと四つに組んで格闘する長い年月があった。先の「私にとって書くということ」で引用した谷口師とのやり取りの頃は、まさに苦しみのどん底だった。

今振り返るに、私もまた神を知らなかった時は、いつもヤコブのように神を押しのけてきた。
だから苦しかった。
全てを治めておられるのは神であるのに、私はこの世的なものさしで見、なぜ正義が成されないかと絶叫し苦しみもがいていたのだ。神が時を定めて下さっていることを疑い、自分の力で治めようとしていていたのだ。

何という傲慢な思い上がりだろうか。
しかし、それはあとになってわかることだ。
そのように深く悩み苦しみ、葛藤することは必然であったであろう。この深い苦悩ゆえに神と出会い、苦しみを通りながら砕かれていったのである。


これからもまだまだ砕かれていかねばならぬ私だが、ヤコブ同様に聖書に登場する人々も失敗し、苦悩を経験していることに励まされる。

悩むべきことに悩める人は幸いである。
経済的危機や病気だけではない。己の心深くにある醜さに気づき悩める人は幸いである。ましてや、己の悪に気づかない人は生きる喜びも何もわからず、そのような人生こそがこの世の地獄でなくてなんだろう。どうか己の間違いに気づき、悩み、悔い改めへと導かれることを切に祈る。


さて、神はこのヤコブに「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。」と言われた。「イスラエル」とは「神の王子」、「神に立てられた王子」という意味である。
そして、ベテルに帰って来たヤコブを(35章)「再び祝福された」のだ。

ヤコブをイスラエルに変えて下さったように、私も変えられたいと熱心に求める。神さまの祝福を受けたいという強い信仰をもって生きる者であるようにと願う。
私が私の努力で変えるのではない。
私を、人を変えることができるのは、神さまの真実の愛と永遠の希望だけである。

今、苦悩の中にあるあの方、この方のことを思いながら祈りつつ書いている。
神に祈り求めて生きておられる人々を、神は常に見守っておられる。あなたが崖っぷちから落ちることを決して許されない。だから、神の力強い御手で必ずあなたの魂を守り、ゆく道を照らして行って下さる神に一切を委ねよう。

この世においても、神はツジツマを合わせておられる。思いもよらない時に、思いもよらないことから悪を暴露されるのだ。
何よりも悪を行う者に喜びはない。他者への愛なき人もまた感謝も喜びもない。あるのは不平と不満ばかり。
さあ、イエスを見上げよう!
神に全てを委ねて彼らに捕らわれてはならない!



posted by 優子 at 09:08| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年03月04日

コメントメール着信!感謝とご案内

我が教会の総会を「エルサレム会議」と言う。発想豊かでウイットに富んだ福野牧師の命名だ。
私は昨年6月に放出教会から当教会に籍を移し、今回が初めての総会出席である。洗礼を受けていない夫も快く同席させて頂けて、夫もまた私に合わせ長時間の同行を感謝している。

総会では、それぞれの立場で感じていることを出し合い、思いを理解し合えた素晴しい時であった。
しかし4時頃閉会の予定が、終わったのは夕刻の6時前というからびっくり! こんなことは初めてらしい。

お風呂の番を待ちながらパソコンを開けると、前日記事に同じく疲れが吹っ飛ぶような嬉しいコメントメールが入っていたから、またまたびっくりした。親しくして頂いているブログの友、文香さん(「お気に入りリンク」の「生かされて」の筆者)から頂いたものだ。

優子さん

「私にとって書くということ」読ませて戴きました。
書くことについて、これほどまでに深い考察で書かれておられることに驚嘆し、多くのことを教えられました。
また、文献から引用されているものを読んで、優子さんがこれまでにどれだけたくさんの本を読み、自分のものとしてこられたかがわかりました。

特に心に残ったのは、谷口師の手紙と、この優子さんの言葉です。

>最近特に重視していることは、時として経験する醜い感情を恐れないということだ。ましてや文書伝道を使命としているならば、心の葛藤をも正直に書き記してこそ、神の慰めと希望を人々に伝えられると信ずるからだ。

書くことの意味と目的は、自己に向かって旅をし「真の自己」にかえること
というのにも共感します。

わたしも「書くこと」を追求していきたいです。



私の最も熱い想いを読み取って頂いてとても嬉しい。

さて、このコメントを下さった文香さんが、18日・日曜日(朝7時から)のキリスト教テレビ番組『ライフライン』に出演されるのだ。すでに2月15日にご自宅で収録済みであり、先日は御茶ノ水のクリスチャンセンター屋上で追加収録されたとのこと。

『ライフライン』については当ブログで何度もご紹介しているが、そのホームページにお顔と共に予告掲載されている。
       http://pba-net.com/tv/tv.html
  (このアドレスをクリックするだけでご覧になれます。
   そこを閉じたい時は、その画面右上にある「×」マークを
   クリックすればOKです。)


文香さんがどんなお話をされたのか、私も今から楽しみにしている。とにかくお顔の通り、とても穏やかで繊細な優しい方だ。
今秋のクリスチャンペンクラブ創立55周年記念会には上京して、再会するのを楽しみにしている。

もう一度大きな声で言います。
次の次の日曜日、18日をお忘れな〜〜〜く!

posted by 優子 at 21:57| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年03月03日

コメント感謝録

「何事もあきらめずに挑戦すること」、これが今回の大きな感想だった。
と言うのは、昨年の読書量は2〜3冊というお粗末さだったにも関わらず、かえって私にとって最も書いておきたいことを書くことができたからである。
貴重な発表の機会を無駄にすることなく挑戦できた充足感を強くしている。いつか私の夢が実現する暁には、これを書の巻頭にもってきたいと思う。

ところで、2月24日の記事でご紹介したMIKIOさんが、ご自身の「小阪庵だより」に今回の作品について取り上げて下さっている。感謝をもってここにも刻ませて頂きたい。

2月25日付けダイアリーより

河内の文化サークルセンターの記念誌「あしたづ」の”書くということ”についてのご文章を読み、”書くこと”の重みと自覚の必要性を感じたが、私は日記に日常のことを唯、”した”ことの羅列に終わっているのが残念と思う。

2月28日付けダイアリーより

よく見ては励まされるブログがあるが、私が尊敬する女性がこの中で日記を書いておられる。ブログの名前”メメント・ドミニ”アドレスは、・・・・。

と紹介して下さり、私は嬉しくて大いに励まされた。

また、『あしたづ』にも寄稿され作家活動されている海谷寛氏から、
「よく書けてる。藤本さんは真摯やなぁ、私の仲間も評価している。・・・書いておくと残る、それが一番大切なことや。これからも書いていきましょう。」

と、昨日お電話を頂いた。ご高評を頂いてとても嬉しい。

しかし、私は決して人の褒め言葉に舞い上がったりはしない。これらが私の中で大きなエネルギーとなるからここにも刻むのだ。そして、気持ちが沈む時には、このページを開いて励ましを得るために。

確かに「継続は力」だ。
1年余りのブログ執筆を重ねたことで、より明確に方向性の焦点が合わされていっていることを感じている。
いよいよペンの業が祝されるように祈りつつ励みたいと思う。





posted by 優子 at 12:07| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

「私にとって書くということ」最終回

2006年のお正月に、次女がインターネット上にブログを開設してくれた。何のことかもわからずにやり始めたが、当初は流行に乗ることに若干の抵抗があり、短時間で文章を書く訓練にしようと自分を納得させた。

以来、1年間に429の記事を書き、今では私のライフワークの中心に位置づけられつつある。
「ブログは個人の記録だけではなく、時代の記録にもなる。」と評価して下さったのは、読書会会員であり作家活動されている海谷寛氏である。

いつまで続くか自信はないが、ただ祈りつつ、ブログに私の世界観や人生観が見え隠れする文章を紡いでいきたいと思う。そして将来、その中から自分で選りすぐったものを一冊にまとめたいという願いも芽生えてきている。

50歳で亡くなった精神科医の西川喜作氏が、「死とはその人の人生がインテグレイト(集約)されて出てくるものではないか。」と言っている。現在55歳、私もこれまでの人生をインテグレイトしていきたいと思う。

昨年の6月に次女が、7月に長女が巣立って行った。
各10日間ほどの短時間の取り組みではあったが、私達夫婦の長女と次女それぞれへの想いを記念誌にして引出物に入れさせていただいた。その巻末に、それを読んで下さる方々に私のメッセージを刻んだ。ここに転載させていただいてこの拙論を締めくくりたいと思う。

『過去には感謝、現在には勝利、未来には希望の人生!』

私たち家族が初めて教会の門をくぐったのは、1986年のイースター(復活祭)の日でした。
今からちょうど20年前の3月、長女は小学校2年生、次女は幼稚園年中組でした。

その頃、私は身近にいる人のことで深く悩んでいました。
私はその人を憎み、心はその人に縛られました。
しかしそのことが、最も大切な私の心の眼を開く道に導いてくれたのです。そして、ダンテの『神曲』にある通り、まさに人生の半ばにして私は神と出会い、1987年6月、35歳で洗礼を受け新しい生涯に入れられました。

その直後から始まった苦難。
それに先立って、神さまが私の受け皿になって下さったことがわかります。そして、愛と忍耐をもって私を守り導いて下さいました。

その苦悩と悲しみの中で、いつしか神の愛を知る者に変えられ、私は今、恵みの中で生かされています。
今も未解決の問題がありますが、「過去には感謝、現在は勝利、未来には希望!」と大きな声で神を讃美し、神さまに希望を置いて生きています。

森有正は書いています。

僕は墓の土を見ながら、僕もいつかは必ずここに入るのだということを感じた。そしてその日まで、ここに入るために決定的に帰って来る日まで、ここから歩いて行こうと思った。

そして1976年、パリにて65歳の生涯を終えて彼は墓に戻って来ました。私にも必ず来る人生最期の時を厳粛に考えさせられています。

人生で最も大切なものは「時」です。
人生の目的がわからなかった頃は、あり余る時間があっても活かすことができませんでした。

既に54歳になり、残り少なくなってきた時間を思うと焦りを感じる時もありますが、私に与えてくださった賜物を十分に活かすことができるように、祈りつつ励みたいと思います。

                    感謝と希望に満ちて

  [追記] インターネットを使っておられる方は、ブログ
      『メメントドミニ』(http://yukochappy.seesaa.net
      を覗いてくだされば嬉しいです。


参考文献

@『犠牲 わが息子・脳死の11日』  柳田邦男著
                 文春文庫   1999年
A『「犠牲」への手紙』 柳田邦男著  文芸春秋 1998年
B『「死の医学」への日記』 柳田邦男著 新潮社 1996年
C『感受性の領分』  長田弘著   岩波書店  1993年
D『アンネの日記』 アンネ・フランク著 文芸春秋 1967年
E『バビロンの流れのほとりに』  森有正著 
                 筑摩書房   1967年


                    (完)
posted by 優子 at 08:50| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2007年03月02日

「私にとって書くということ」D

7 私が書きたいこと

私がこの世の不条理について最も苦しんでいた頃、今も忘れられない手紙がある。霊的導きをいただいていた方からの手紙で、少し長くなるが引用させていただきたい。

・・・は、とても私に助言できるほど簡単なことではないので、どう申してよいか分かりません。ただはっきり言えますことは、そのような問題に直面して生きることがあなたの人生であり、個性であり、人格の独自性であると思います。
自ら欲したのではない、賜った人生であるということです。
  
「悪人がなぜ栄えるのか」がテーマであると受け取っておられますが、ヨブはあの特殊な賜った苦難を通して、その問題に取り組みました。そして、ヨブ個人の経験が普遍的な全人類の財産になりました。
   
あなたもふりかかる苦難に対して、相手への洞察と共に、それを契機として自己へのキリストからの語りかけを発見する使命が与えられているのではないかと思います。
それが個性的なあなたの人生であるのではないでしょうか。
闇が深いほどトンネルの向こうは輝いています。その輝きを全て苦難にある人の共有財産になるまで高めて勝利してください。 
   
あなたもキリストから必ず本質的な答えが必ず来る筈ですので、聖書に耽溺されますように。早急な答えではなく生涯かけての長い時間におけるものと思い定めて、その時、キリストに集中されますように、神はキリストにおいて現されていますので。
 

敬愛する谷口諭師から1994年11月26日にいただいた手紙である。この時は母が召される2年前であり、師はこの4年後に75歳の生涯を終えて天国に凱旋された。私はこの手紙をいただいてから10年近くもの年月を経て、ようやく神さまから納得させていただき、神の恵みがわかる者とされた。

そして今、50歳半ばに立ち、残り少なくなってきた人生を思う。
最近特に重視していることは、時として経験する醜い感情を恐れないということだ。ましてや文書伝道を使命としているならば、心の葛藤をも正直に書き記してこそ、神の慰めと希望を人々に伝えられると信ずるからだ。

これからの生涯は、どのような軌跡を辿らせていただけるのだろうか。
ダンテやシェイクスピアも否定的な感情を恐れないで追求したからこそ、『神曲』や大悲劇の『リア王』などを生み出したのである。
私も私に賜った人生を、神さまに置かれた所で、私は私らしく生きていきたいと思う。そして、神の前で自らを探りながら、書くことを通して経験したことをどのように人生に位置づけていくべきか、神の導きを求めながら進めていきたいと願っている。

8 最後に
 
森有正は真摯に自己と向き合った思想家であり、バッハを愛したオルガン奏者だった。そして、彼の著書こそが第一級の魂の記録であろう。
手紙の形式で書かれた日記、『バビロンの流れのほとりにて』の第一日目には次のように書き出し、結んでいる。
   
一つの生涯というものは、その過程を営む、生命の稚い日に、すでに、その本質において、残るところなく、露われているのではないだろうか。
         (略)
たくさんの問題を背負って僕は旅に立つ。この旅は、本当に、いつ果てるともしれない。ただ僕は、稚ない日から、僕の中に露われていたであろう僕自身の運命に、自分自ら撞着し、そこに深く立つ日まで、止まらないだろう。
 

これは、1953年10月8日、有正42歳の記述である。それから23年後に旅は終わった。

「旅に立つ」とは、どこかに行くことではない。
内なる自己に向って旅することであり、「真実の自己」にかえることなのだ。そしてこれこそが、私にとって「書くこと」の意味と目的であり、冒頭に記した問いの答えである。


                    (つづく)
posted by 優子 at 07:24| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2007年03月01日

「私にとって書くということ」C

6 正直な魂の記録

もう13年も前のことであるが、私は母の通院介護に関わるようになって1冊のノートを作った。
当初は投薬名や医療者からの助言などを書いておこうと30枚綴りの薄いノートを用意したのだが、そのうちに母の言葉や様子を記すようになり、いつしか自分の想いも書くようになっていった。そこで2冊目からは100枚綴りのノートにした。
以来、母が亡くなるまでの2年7ヶ月間に6冊にもなった。
600枚1200ページである。
 
時には書くのが心身共に苦痛な状況もあったが、自分の苦しみや葛藤など全てを正直に書いた。私にとって日記を書くことは神との交わりであるから、安心して本心を吐露することができた。人に読まれることを意識していないから、怒りや嘆きも自分自身の醜さも全てを書いた。

心身共に大変だった時も書き続けたということは、それだけ激しい精神的苦痛だったということでもある。
ひょっとしたら書くことで鬱状態にもならず、あるいはまた、苦痛から逃げないで危機を乗り越えることができたのかもしれない。これらのノートは百戦錬磨の魂の記録である。

ここで忘れられない出来事を書き添えておきたい。
読書会で『犠牲』が取り上げられた同じ月に、ある有名な精神科医を導き手とした読書会があった。この時は3〜4回目の出席だったと思う。
その例会で精神科医の口から、「最近はいろんな人が闘病記を書いたりするが、・・・書かなくてもいいのにねえ。・・・」と話されて、これが精神医学を専門としている人の意見かと私は耳を疑った。そこにその医師の驕りを感じた。

本を出版することは、誰か特定な人々だけの独占特許ではない。私は不快感を通り越して怒りを感じた。
ちょうどその時、その会に向かう電車の中で赤ペンを入れて校正していた『犠牲』のレジメを持っていたので、私は失礼を承知の上でそれを医師にお渡しした。この3章にも取り上げている柳田氏の「書くことの現代的意味」をお伝えしたかったからだ。

これに関して1年後に2つの気づきを得た。
1つは、私の情動が激しく反応したことには理由があったのだ。この時、父が召されて2年目が過ぎようとしていたのに、私はまだ悲嘆のプロセスの中にあったのだ。
この年、父が召された季節が近づいてきた頃から、ある人々に対して強い怒りの感情が急に湧き上がってきて、今まで何年間も耐え忍べていたことが耐えられず、自分の感情を持て余すほどに人を許せぬ気持ちに苦しんでいた。

私は次の年もまた、このような感情に支配されるのではないかと、3度目の夏を迎える6月頃から不安を感じたものだ。しかし、夏を迎えても私の心は穏やかだった。
このことから、2年目の頃はまだ「悲嘆の癒し作業」(グリーフワーク)期間中であり、情緒不安定だったために医師の言葉に情緒的に反応したということがわかった。

即ち、私が悲しみを受容できるまでには3年という時間が必要だったという気づきである。しかしながら、その精神科医に対する印象や考え方においては、今も当時と同じであることも付け加えておきたい。

                    (つづく)
posted by 優子 at 10:10| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする