2007年04月30日

悲しみの連休を送っている友に

今年から4月29日を「昭和の日」と呼ぶようになった。
娘達も結婚して、代休の今日もたった2人だけの静かな休日である。
ゴールデンウイークに入った3日目も晴れて、今日は26度を越えたとか。ようやく毛布からシーツに変え、明日は雨というので家事に大忙しだった。

母が亡くなり、また、父まで亡くなってからというもの、盆休み・お正月・ゴールデンウイークなど、全家族が集まるシーズンは特に辛く寂しかったものだが、今では母親を訪ねる義妹を見ても、すっかり平気になった。
妹とはいえ私より2歳年上だから、いくつになっても元気でいる母がいて、帰る所があっていいなあとは思う。しかし、良い時間を過ごせばいいと思うようになった。

そして、2月末にお父さんを亡くされた友のことを思い出して胸が痛んだ。家族が集まって楽しく過ごす連休は、テレビニュースでも里帰りや道路の渋滞状況ばかりで辛いことだろう。

私もかつては、生協のチラシやスーパーで目にする「母の日」や「父の日」の文字を見ただけで、耐えられなくて避けたものだ。でも、年月が和らげてくれた。

友の上に神の慰めを祈りつつ・・・・・
posted by 優子 at 17:47| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年04月29日

自分の死を思いつつ生きる

27日の朝、6時半に目覚めた叔母は、隣りで眠っている夫(叔父)に目をやった。その時、顔がいつもと違うように感じたらしい。横向きになって寝ていた夫に触れるとバタンと仰向けになり、既に亡くなっていた。
死因は高血圧による心筋梗塞。
その時、体はまだ暖かかったので、午前4時頃に心停止になったのであろうとのことだった。

叔父の姉である私の母は難病で苦しみぬいて亡くなり、叔父は一日も寝込むことなく亡くなった。両極にあるふたりの亡くなり方を話すと、「お母さんが苦しみをみんな持っていってくれたんや。」と、神戸の叔母が言った。

私も心情的にはよくわかる。でも、本当のところは決して身代わりではないだろうと思う。
私には神のみ心も意味もわからないが、とにかく母を、最後まで耐えせしめて天国へ入れて下さったということだけ納得させて頂いている。

ところで、一般的には年配者がする「止め焼香」を、故人と最も血の濃い男性ということで兄が務めた。
焼香する兄を斜め後ろから見ていた私は、「お父さんに似てる」とつぶやき、父の面影を追っていた。
葬儀の後、「お兄さん、お父さんそっくりやなあ。」と、びっくりしたように夫が言い、神戸の叔母も、いとこ達も声を揃えて言ってきた。
年と共にますます親に似るとは何という嬉しいことだろう!


通夜、葬儀に列席し、今回もしみじみ思わされたことは、人は裸で生まれて、成長し、励み、財や地位や名誉を成すだろうが、死ぬ時は、それら一切何一つ持っていくことはできないということだ。

持っていけるのは、生きている間に培われた人格だけ、愛だけだ。そして、あとに残るのも愛だけだ。愛こそが最も偉大なのだ。私も金銭や物から自由にされて、時間と能力と共に人生を有効に用いる者でありますようにと祈った。


そして、両親の愛する私たち兄妹3人の残りの人生を導いて下さいと祈った。特に、母の苦難を共に負ってくれた兄を救い出して下さいと、今も涙を流して祈っていた。

さて、これからの人生のラウンドをいかに生きるか。
叔父のように、予告なしに死が突然に来ることも忘れないで、神の希望を抱いて生きていこう。

「死は人生の終末ではない。生涯の完成である。」       
               (マルチン・ルター)


posted by 優子 at 22:19| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年04月28日

突然の訃報 叔父の死

大きな悲しみや苦しみがきた時、夜が明けて明るい朝になると尚更に信じられず、あれは夢だったのだろうか、夢であってほしいと思う。今朝もまた、私は非情な現実を受け容れるために心が痛んでいる。

昨日の午後、兄から叔父の死を知らせる電話が入った。
あまりに突然の訃報に耳を疑った。
叔父は病床生活だったのだろうか!
顔を合わすのは悲しみの時や法事の席だけで、年賀状を交わすだけになっていたから責めを感じた。そして、ようやく1時間後にお悔やみの電話ををかけた。

「優子姉ちゃん!」
従姉妹の懐かしい声に心が強められた。

叔父は一日も病むことなく突然に亡くなったのだ。今月初めには孫たちと一緒に旅行に行き、前夜(26日)もいつもと変わらぬように夕食を摂り、お風呂に入って寝床についた。そして、翌朝、叔母が起こしにいくと亡くなっていたというのだ。
どんなにどんなに驚かれたことであろうか!

訃報が入ったあと直ぐに神戸の叔母に連絡するのだが、ずっと留守電のままで叔母にも胸騒ぎがした。連絡がついたのは夕刻の6時過ぎで、2月下旬から1ヶ月間入院して開腹手術したというのだ。

今もずっと微熱があり、今日初めて外出したものの、帰宅して留守電を聞く元気もなく寝ていたら娘が来て、訃報を聞かされた叔母もどんなに驚いたことであろうか。
「私ひとりになってしもた」と叔母は泣いていた。

1月に白内障の手術をした神戸の叔母とは、電話で何度もやりとりをしていたが、両目とも無事に終えて安心した私は、その頃から直面した新しい試練に没頭していたのだ。

神戸の春の風物詩である「いかなご」の季節も終わってしまい、毎年送ってくれる叔母手作りの「いかなごのくぎ煮」が届かないので気になっていた。
その間にそのようなことがあったなんて、電話さえしなかった私は自責の念にかられた。

人生とは苛酷なものだ。
みんなそれぞれの苦難があり、乗り越えていかねばならないのだ。自分に与えられた課題を誠実に、雄々しく果たしていかねばと心に刻み直した。
主よ、わが終わりと、
わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、
わが命のいかにはかないかを知らせてください。

               
          (詩篇 39篇4節)

人生がどんなに盛んな時にも、このことを忘れてはならない。

叔父は75歳だったというから、母とは6歳違いだったのだ。
父と同じ年齢で亡くなったんだ。・・・もう、そんな年になっていたなんて・・・・。
亡くなった両親は年を取らないが、叔父たちの年齢も母が逝った時のまま私の中で止まっていた。


年を取ると若い時以上に体力の個人差は大きく、元気で長生きの人も多いけれど、70歳を過ぎると人は亡くなっていくのだ。
叔父と最後に言葉を交わしたのは、父方の伯母の死を知らせた1月3日だった。その叔父が、昨日の朝にはもう遺体になっていたなんて。

今一度、このみことばを心に刻んで、悔いのない日々を過ごしていきたいと思う。生かされている恵みを感謝して。



posted by 優子 at 10:11| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年04月27日

昔、関屋は交通の要所だった!!

朝9時を待って、読書会の海谷さんに電話した。

昨日お訪ねしたDさんは、視覚障がい者のために朗読ボランティアをされていて、読書会のOさんのために『かわちの』朗読の労を執って下さっている。
朗読に先立って、固有名詞や地名などの正しい読み方を調べなければならない。歴史作家である海谷さんの原稿は難しいので、直接お聞きすることにしたのだ。

しかし、いつものように話はそれだけにとどまらず、今日は「関屋」について話をして下さった。

まず、「関」がつく所は、重要な流通の場所を示し、かつての「名古野」が「名古屋」になったように、「屋」もまた発展した場所を示すものであるというのだ。

山に囲まれ、今は鶯が鳴く静かな住宅地であるが、昔は大和と河内(かわち)の間にある重要な地点、大勢の人が行き来する賑やかな交通の要所で、並みの集落ではなかったという。


交通の要所であるから、良いものも悪いものも入ってくる。良いものは受け入れるが、悪い物は入れないで跳ね飛ばすということを先祖はやってきた。
日本の言語そのものがそうだし、文化も土地の生活も全てが土地との関係がある・・・と伺い、歴史を見る目を持つと物の見方が変わり、知識が豊かだと楽しいだろうなと思った。

「藤本さんは知的好奇心が旺盛やからええなあ。話していて楽しいわ。・・・吸引する磁石もいるが、柔らかく跳ね飛ばすのも必要やで。」と、さりげなく教えて下さった処世術は、私の最も苦手とするところだけに愛を感じた。

いつも話が尽きず、お昼頃までしゃべってしまうこともある。
今朝は20分そこそこで「サヨナラ」して、Dさんにメールを打ちかけた時にDさんからお電話を頂いて無事完了した。

谷口先生からも次回の家庭集会の時間変更の電話が入り、「オリーブの会」も5月31日に変更された。今朝は会社勤務の事務職のような活気ある忙しさだ。
複数人の間の日程調整も、メールのおかげで何と簡単なことだろう。特に電話をかけるのが苦手な私にはありがたい。
「オリーブに連なるお一人お一人のうえに今日の祝福をお祈りいたします。」とO姉。

今日も一人ひとりの営みが始まった。
あなたの上にも神の祝福を祈りつつ・・・
posted by 優子 at 11:00| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年04月26日

Dさんとの出会い

今日の午後は、隣り駅にお住まいのDさん宅をお訪ねした。
昨日、集会の後片付けをし始めた時に、頂き物のたけのこをおすそ分けしたいとの嬉しいお電話を頂戴していたのだ。

今朝は今朝で、昨日も集会に来て下さっていたOさんから会いたいとのお電話があり、Oさんはウオーキングされているので歩きながらお話することにして、Dさん宅までご一緒して頂いた。

Dさんもまた当市在住の「東大阪読書友の会」会員である。
2002年8月21日(水)のこと、市の公共バスでDさんと運命的な出会いをした。


市役所に到着するまでの2分ほどの間に言葉を交わし、私は読書会のことを話していた。いつもならば読書会の機関紙『かわちの』を携帯しているのに、この時は珍しく持っていなくて、Dさんのご住所を教えて頂いた私はその日のうちに案内のお手紙を投函した。
後日、Dさんは私のことを、「ひとめ見て、この方は何かされている方だと思った。」と仰ったことが嬉しかった。

翌9月、柳田邦男著『サクリファイス・犠牲』の時から入会して下さり、今では会の中心になって下さっている。
「役は絶対にお願いしませんから安心して下さい!」と太鼓判を押しておきながら、今年度から書記をお願いすることになってしまい心苦しい限りである。

Dさん宅ではご夫妻で歓迎して下さり、お玄関先で失礼するつもりが時間を忘れて歓談してしまった。
ご主人は大学で教職課程の学生に国語を教えておられるので、お話が大変興味深く、「今さら聞けない」謙譲語や敬語についても恥を忍んでお聞きしたり、本当に楽しい時だった。


そして、好物のたけのこを持たせて頂いて見送られる側に・・・・、実家から帰って行った遠い日のように・・・・、私はその愛の中に留まっていたいと思った。
いくつになっても父と母が恋しいのだ。


Dさん宅を出てから、近くにある2軒のスーパーをハシゴしているうちに空模様が悪くなり、帰り道で雨が降り出した。Oさんの傘に入れて頂くが雨風でボトボト、「雨にも負けず風にも負けず」に家路を急いだ。
帰宅したのは6時10分。
しばらくして、雨に困ったのではないかとDさんからお電話を頂いた。

私は幸せ者。2happa2a1.gif
Dさん御夫妻、ありがとう!!
Oさん、ありがとう!!

posted by 優子 at 23:46| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年04月25日

第29回 「オリーブの会」(家庭集会)

イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。

イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。

すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。
「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」

イエスはこれを聞いて言われた。
医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたし(イエス・キリスト)は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。
       

       (マタイによる福音書 9章9〜13節)

ここのところはイエスさまが12人の弟子のひとり、マタイを招く箇所で、「パリサイ人」とは、自分たちは正しき者と信じていた人たちのことです。
司会者の問いかけは10くらいあっただろうと思います。

イエスさまがあなたに、「わたしについて来なさい」と言われたら、あなたはどうしますか?

病気や罪の経験をしたのは何故ですか?

あなたは病人ですか、それとも丈夫な人ですか?


それらの問いかけに対して、それぞれが自分の深いところを探り、また、神さまに探られて、思ったことを自由に語り合いながら進んでいきました。

「神さまはいけにえを求められたのではなく、あなたの足りない部分はわたし(イエス・キリスト)が引き受けると仰って支払って下さったのです。
私たちは『ありがとうございます』と頂戴すればいいだけなのに、いけにえを献げようとばかりし、神に喜ばれることをしようしようと思ってしまうのですね」。


日本人だけではなく、難行苦行しないと神に認めてもらえないと思ってしまうのも人間の実相なのでしょう。

ホセア書6章6節には、
「わたし(神)はいつくしみ(誠実)を喜び、犠牲を喜ばない。
はん祭(全焼のいけにえ)よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。」
とあります。

「いけにえ」とは、律法を形式的に守ることに熱心なパリサイ人であり、クリスチャンもまた、ともすればパリサイ人のごとくクリスチャン倫理に縛られかねないと思いました。

イエスさまは、自分を正しいと思っている人たちのためではなく、自分の弱さに嘆いている人、自分はダメだと思っている人、生きる意味や自分の存在に関わる深い渇きを感じている人・・・・たちのために来て下さったのです。

いえ、全ての人が病める者であり罪人ですから、キリストを必要としない者は一人もいないのです。それどころか、自分には必要ないと思っている人、そして、パリサイ人こそ、最もキリストを必要とする最大の罪人なのです。


イエスさまを中心にした交わりは、最高の安らぎであり生きる力を頂く時です。今日、集まった一人ひとりの心にゆとりと喜びを与えて下さったことでしょう。

次回第30回の開催日は5月31日です。
毎年、8月は休会させて頂いていますが、7月は長女の出産を控えていますので、その次は9月になってしまいます。

多忙な現代に生きる私たちだからこそ、静まる時は特別大切です。状況が許されるならば手の業(わざ)を休めて、神の前で心身を休め静かにリトリートの時を持ちましょう。
次回は次女夫婦がミネソタから一時帰国していますので、共に恵みの時を過ごすことができれば最高の喜びです。

今、私の耳にイエスさまの小さな声が聞こえます。
あなたにも聞こえませんか?

「あなたは十分に力がある。さあ、立ち上がりなさい。」と。

                  (^−^)

posted by 優子 at 22:56| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年04月24日

「みことばの花束」(一粒社)より

わたし(神)はあなたの間から病気を除き去ろう。 

             (出エジプト記 23章25節)

祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギーです。
それは地球の引力と同じ現実的な力です。
医師としてのわたしは多数の人たちが
あらゆる他の療法で失敗したのちに
祈りという厳粛な努力によって
病気や憂鬱から救われた例を目撃しています。
        
            
            (アレキシス・カレル 生理学者)

私が主を求めると、主は答えてくださった。
             
            (詩篇 34篇4節)

ああ 私たちはなんとしばしば平安を失い
ああ なんと不必要な苦しみを負うことでしょう。
それはみな 私たちが全てのことを神の前に
祈りのうちに携え出ないからです。

            
            (讃美歌「いつくしみ深き」の原詩)

カテゴリ「音楽」を開いてください。2006年4月30日の記事に詳しくご紹介しています。
尚、心境の変化により、昨日から敬体文にしています。
桜も終わり、自然界は新緑の季節です。元気をなくしておられる方のためにお祈りしています。

posted by 優子 at 10:08| 引用文 | 更新情報をチェックする

2007年04月23日

病床に主の慰めと励ましを

我々が困難な出来事に直面した時、当初は主の御旗を掲げて雄々しく進んでいきます。
ところが、病気に例えるならば、急性期を終えて何年間も続く治療期間に入っていくような状況を想像してみて下さい。しかも完治するという保証のない状態をです。

人生で経験する厳しい訓練は、長い治療期間に入ってから始まるのではないでしょうか。
急性期の時は一心不乱ですから、今日のことに精一杯です。深い苦悩はまだ頭をもたげてはこないでしょう。しかし、急性期を終え安定期に入ると精神的危機が待ち受けています。

3月に入ってからの私は、その危機に対して危機的状況だったのでした。
「全く死んでいない自我、・・・自分に何度失望したか知れません。・・・自分の弱さや限界を見る時に、私達は真の十字架の恵みを体験するのです。」
ある神学校卒業生が書いておられる一文に、みんな同じなのだと励まされます。クリスチャンならば皆、誰もが経験しておられることだと思います。

昨日、完全に神の前に立ち返り、まるで憑き物が落ちたかのように心が軽くなりました。
そして今日、神さまに整えられて、国立大阪医療センターに入院しておられる方の病床を訪ねました。

病院に入り、深く謙虚にされました。
「イエスさま、ごめんなさい。私は今まで何をしていたんだろう。健康も与えられていながら・・・」と、心の中で話し続けていました。

病者は美濃紙業の社員の方です。
私は親の気持ちでした。
娘たちは大人に成長させて頂きましたから、これからは獲得するのではなくて、手放し捧げていく者になりたいと願いました。


「祈らせていただいてもいいですか?」
彼はクリスチャンではありませんが、共に涙して祈りました。
夕刻帰宅してすぐに奥様から頂いたお電話で、「祈って下さったよ」と仰っていたとお聞きし、主の導きを感謝しました。


主よ、どうかYさんを完全に癒してください。今直ぐに胆汁を止めて下さい。神さまが奇跡を起こして下さい!
あなたの平安と力で満たして下さい。
今夜は安心しておやすみになっておられますように。奥様とお子達をもお守り下さい。神さまのなさることは、人間の思いを越えて最善であることを信じます。
病いと闘っておられる方々の上に、神の豊かな守りと癒しがありますように、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。

posted by 優子 at 23:58| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2007年04月22日

ザアカイのように本心に立ち返る

さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。
ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は収税人のかしらで、金持ちであった。
彼は、イエスがどんな人が見たいと思っていたが、背が低かったので、群集にさえぎられて見ることができなかった。

それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。
イエスは、その場所にこられた時、上を見あげて言われた、
「ザアカイよ、急いで降りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。

そこでザアカイは急いでおりてきて、喜んでイエスを迎え入れた。人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家に入って客となった」と言った。
ザアカイは立って主に言った、
「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もし誰かから不正な取立てをしていましたら、それを4倍にして返します」。

イエスは彼に言われた、
「きょう、救いがこの家に来た。この人もアブラハムの子なのだから、人(イエスご自身のこと)が来たのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。

今朝の礼拝は、ルカによる福音書19章1節から10節、有名なザアカイの話からメッセージされた。

エリコは地球のヘソと言われている死海の上、西側にある町で、ザアカイという名前はヘブル語で「罪なき」、「義人」の意味で、ゼカリアの短縮形である。

人々から嫌われていた職業であった取税人のザアカイが、イエスと出会って180度変えられた話である。
一言で言うならば、奪い取る生き方から与える生き方に変えられたのだ。
牧師は、自己のセルフイメージとの関連で話された。

生きる意味を求め、死を確認できるのは人間だけである。
誰でも意味のある人生を送りたいと思っているし、捜している。自分は何者かと、みんな自分捜しをしている。

ところが、自分自身のイメージがマイナスイメージならば、そのうちに自分を支えきれなくなる。その究極が自殺である。
内面の苦しみやストレスを物を盗むことで発散する人もいる。盗むことが悪いとわかっていても、どうすることもできない。

自己評価は、経験からマイナスに作り上げられてしまうことが多い。
ザアカイもまた自己評価が低かった。
しかし、ザアカイの内側は違っていた。「自分は変わりたい!」と思っていた。意味のある人生を送りたいと思っていた。きっと誰しもそうだろう。

イザヤ書43章3節には、
「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。」
とある。
私を造られた神さまが、このままの私を評価して下さっているのだ。
「わたしの目には」とは、神さまは私のことがかわいくてかわいくてしようがないのだ。目に入れても痛くないほど愛して下さっているのだ。
本当の不信仰とは、そのことを受け入れないこと、知らないことだと思う。


人間の愛情には限界がある。
コミュニケーションもうまくいかないこともある。
しかし、我々が望むものは愛なのだ。箴言19章22節に、
「人の望むものは、人の変わらぬ愛である。」と書いてある通りだ。ところがどうだろう。イエスさまの十字架を通して変わらぬ愛を提供されているのに、我々はなかなか受け取らない。

イエスさまに、「急いで降りて来なさい。」と言われても、多くの人はザアカイのように降りては来ないのだ。

人々は別のものがあるからいらないと思っているが、いつか分かる時がやってくる。だから私たちは伝えていかないといけない。

人を責めているが、それは自分を責めているのである。口では言わなくても、私という人間が大嫌いな人なのである。
しかし、神さまがその人を愛しておらることを伝えなければならない。

ザアカイはそれを受け取ったのだ。

ザアカイはイエスさまを受け入れた時に、自分のプライドを捨てた。もはや、人が何と言おうとよかったのだ。

ザアカイは、イエスさまに自分の名前を呼ばれた瞬間に、イエスさまがわたしの価値を認めて下さった方、わたしに生きがいを与えて下さる方、特別な方であることを発見したのだ。

私(優子)もまたイエスさまと出会い、イエスさまが共に居られるからプラス思考に変えられて意気軒昂だったが、最近はマイナス方向に悩み込んでしまった。その原因は、現実に目を奪われてしまったからだ。そのうちに自分の力でやろうとし、自我に支配されて、結局はそういう自分に躓いて頭を打っていた。

しかし、だからこそ、今朝のメッセージは深く受け取れた。
人生がうまくいかないことは幸いである。
頭を打って、より深く神の恵みを知る。それが人生の歩みではないだろうか。


牧師は最後に、
 「あなたの祈りが地に落ちることはない。
みことばの約束にしっかり根ざしている限りにおいて、確実に祈りは聴かれている。この一週間も、確信を奪うようなことに惑わされないように歩んでいきましょう!」
と、説教を結ばれた。
まるで、神さまが私に伝えたいがために、福野牧師の口を通して語って下さったように感じた。

イエスさま、ごめんなさい。
ありがとうございます。
今、悩みの中におられる方にも主の励ましが届きますように。そして、ザアカイのように再び本心に立ち返れたことを感謝し、友人、知人のことを祈ります。


私は大急ぎで教会から帰り、昼食を頂いて、一言、次女とチャットし、自治会の総会に出席した。
その時も、いつだってイエスさまは共に居て下さった。
posted by 優子 at 17:24| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年04月21日

人生は神のドラマ

「私たちの失敗も成功も、悲しみも喜びも、生も死も、
『イエス・キリストの再臨』という究極のハッピーエンドに向けての、壮大な人類救済劇の大切な一こま一こまである。」


ハレルヤ!
だから、それでも道は開かれる。どんな問題も道は開かれる。
解決は神にしかない。

「愛することは赦すこと」。
この言葉だけが強く迫ってくる。


商大の新年度総会(理事会)のあと、読書会の新会長さんと2人で喫茶店に入る。
疲れたので、予定していた社員さんのお見舞いは来週にして帰宅した。

posted by 優子 at 20:49| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年04月20日

苦しみの中で語られる神からのメッセージ

「悲惨としか言いようのない事件が神の前にどのような意味を持つのかを、著者は聖書の中に探る。」

これは、『グラウンド・ゼロからの神の恵み』という本の推薦文である。
世界貿易センタービル崩壊から1年後、そのビル近くにあるブルックリン・タバナクル教会を牧会するジム・シンハラ牧師が書いたものだ。推薦文を最後までご紹介したい。

「私たちが理解に苦しむようなことであっても、神はそれを通してみこころを行われる。
ヨブのように、多くの悲しい出来事の中で理由も根拠も見出せないまま、ただ神の真理にすがるしかない時がある。

神が選ばれた民イスラエルが、エジプトで400年の苦役に耐える中で主を呼ぶ民に練り上げられたことに、著者は思いを馳せる。

この新しい戦争によって、人々がいのちと永遠を考えるようになった。アメリカ全国民が信じてきた『明日は必ず来る』という神話は崩れた。
そして、『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう』(ヤコブ4章15節)と言うべきなのだという真理を突きつけられている。

神以外に行き場がないことを知って、多くの人が神に立ち返っているという。
人々は、どこででも祈りをささげ、神を求め、聖書の販売部数は記録的に伸び、今まで教会に行ったことがなかった人が教会に集うようになっている。

神は今この時に、一人ひとりが神に立ち返り、周りに何がおきても神への信仰に立つことを願っておられる。理解できない苦しみの中で、神への信仰を見出すメッセージだ。」



先週末、クリペン集会で頂戴した『恵みの雨』のバックナンバー、2002年10月号から引用させて頂いた。

社会の現状だけではなく、それぞれの人生においても理解に苦しむような試練の中におられる方も多い。私もまた昨日の記事最後に書いたような気持ちにさいなまれそうになる。

しかし、あのような方向に突き進んでいくと暗闇に行きかねないことは、過去の苦しみから学んだ。
私はもう神に反抗したり敵対して、虚しい厭世観に捕らわれているほど持ち時間は多くはない。

この推薦文に目を向けて下さったのも主(神)である。
私の心に、そして、これを読んで下さっているあなたの心にも、聖霊の雨が豊かに降り注ぎますように!

苦しみの中でしか聴くことのできない神の語りかけを聴き逃さないように、私も主を見上げよう。
新しい朝と、新しい思いと力を与えて下さったことを感謝します!
posted by 優子 at 07:24| 引用文 | 更新情報をチェックする

2007年04月19日

重荷を下ろして重さを知る ―父母に捧ぐ―

4月17日に発行された読書会会報『かわちの』第55号に現在の想いを綴った。

      重荷を下ろして重さを知る
                 ―父母に捧ぐ―


子供達が巣立ち、養育の重荷を下ろしてからその重さに気がついた。そして、今になって親としての自覚を持ち始めたような気がする。遠くから我が子を見守る立場になって初めて私は、父と母が私をどんなに愛してくれていたかわかるようになった。

大きく時代が変わったことや状況の違いもあるが、私が結婚する時に両親にしてもらった十ぶんの一さえ娘達にしてやれなかったことを不憫に思う。

母は「財産分けのつもり」と言って、十分な嫁入りのこしらえをしてくれた。それら目に見える品々よりも遥かに超えて、これまで受けてきた両親の愛情が痛いほど身に沁みる。

父は、「僕が老いて死んでいくことよりも、子供たちが年老いた時のことを思うとかわいそうでな。」と言っていたが、兄からも同じ話を聞いて共に父母を偲んだことであった。

ご近所の方に教えて頂いた「親に受けた恩を子に返す」という言葉から、不肖な私は深い慰めを感じたものだ。

「おのれ生ある間は子の身に代わらんことを念(ねが)い、おのれ死に去りてのちには、子の身を護る(まも)らんことを願う。」と、『父母恩寵経』にあるらしい。
この想いこそが親の想いなのだ。

両親には何一つ孝養を尽くすことができなかったが、父母が愛してやまなかった娘が良き人生を全うすることを喜んでくれるに違いない。


年を取りながら本当の親になり夫婦になっていきたいと思う。人生の大海に漕ぎ出して行った娘達を背後で祈りつつ、我が人生の仕上げに入っていこう。

                     〈完)


17日の読書会の帰り、車内で見たスポーツ紙の「32名射殺」の文字に震えた。帰宅してテレビをつけると、アメリカでとんでもない事が起こっていた。その夜には長崎市長が銃弾に倒れ、夜半に亡くなられた。

「人間が犯す罪の責任はいったい誰にあるのか、被造物である人間にか、それとも人間を罪を犯すことができるようにした神に責任があるのか・・・」など、方向性を間違いかねない疑問も脳裏をよぎる。

言葉が出ない。
ただ悲しくて、悔しくてならない。
韓国人の犯人の家族もまた、何と言う悲劇であろうか!!
posted by 優子 at 17:02| 掲載文(父母) | 更新情報をチェックする

2007年04月18日

読書会2007年度スタート!

新会長のもと、新時代に入った東大阪読書友の会の新年度が昨日スタートした。
40年以上も前から姉妹関係を結んで頂いている豊中の読書会も新会長さんになり、ここ数日、メールで今後のことを話し合っている。昨日発行された機関紙『かわちの』を今朝投函した。

今月のテキスト、幸田真音(まいん)の『あきんど』は全く読まないまま出席したので面白みも半減し、せっかくの機会を無駄にしたようで惜しいことをした。
キリスト教文学となると読書会に物足りなさを感じるが、やはり読書家達の感想にはしびれた。視野を広げ感性を磨ける魅力あふれる会だ。

先日来の夫の『JPニュース』の原稿には近江商人のことも触れているので、近江商人・半兵衛の見事な生き方に興味深く耳を傾けた。
この作品には、苦境や逆境にあっても常に前向きで諦めない半兵衛を通して、近江商人の視野の広さや、飢饉の時には社会のために助けた商人の生き方と夫婦愛が描かれている。

夫を通して僅かながら知った紙業界もまた、世紀末より時代が大きな変革期に入り、メーカー絶対優位の構図の中で卸商はいかに生き残るかという現状だ。

「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」で商売をした近江商人の理念は、こんな時代だからこそ尚更に意義深いものであろう。これを企業倫理として、使命感をもって新しい枠組みを構築していってほしいと思う。

「この本を新入社員の研修に使われたらいいと思う。」とは、元商社に勤務された女性の感想だが、経営者たちにも読んでもらいたい本に違いない。
posted by 優子 at 10:46| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年04月17日

憂えてはならない!

ネヘミヤ記のメッセージは、「さあ、再建に取りかかろう。」(2章18節)という御言葉の中に要約されている。

ネヘミヤは崩れたシオンの町を再建するために、アルタシャスタ王の献酌官という一身の安逸と栄光の座を捨てて、廃墟となったエルサレムに戻り、敵たちのすべての妨害と嘲笑、苦難にも、不屈の信仰と情熱によって崩れた城壁を再建した。


エルサレムの再建が主題となっている「ネヘミヤ記」には、BC
538〜BC400年までのことが書かれている。

「憂えてはならない。
 主を喜ぶことはあなたがたの力です。」
      
               (ネヘミヤ記 8章10節)

このみことばによって私はどんなに励まされてきたことだろうか。
ネヘミヤは順風満帆の時にこのように言ったのではない。最悪の時に言ったのだ。
順調な時に「ハレルヤ、主よ感謝します」と神を讃美することは簡単だ。しかし、試練の時にこそ「ハレルヤ!主よ、感謝します。」と言って立ち上がれと聖書は語っている。

四方八方を困難なことに取り囲まれようとも、天上は大きく開かれている。生きる力は神から来る、力は神さまから頂くのだ。


今回のことも状況が改善されたから危機から脱出できたわけではない。どんな時も行き詰まりとは霊的状況を言うのだ。
行き詰まった時はいつも状況にだけ目をやってしまっている。
今回のこともしかり。
間違った悩み方をする時には問題にだけに焦点が合わされてしまう。そこに焦点が合わされてしまうから行き詰まるのか、どちらが先かはわからないが、狡猾な悪魔は我々をうまい具合に窮地へ追い込むのだ。

「何故こんなことが」と思うようなことも全ては神が備えられたことなのに、いつしか、まさに、いつしか、そのことに不平不満が溢れ、見事に希望も愛も全て失われていった。

困難なことを通して神の御業が成し遂げられていくことを忘れてはならない。だから不満ではなく感謝なのだ。
そうなんだ!
だから「主にあっていつも喜びなさい。」、「すべてのことを感謝しなさい。」なのだ。
人間的な思いで判断しないこと。必ず「平安な義の実を結ばせ」て下さるのだから!
神は私達を修復してお用いになる。用いることができる者にまで修復して下さるのだ。

読者のあの方も祈って下さっていたことであろう。
危機一髪でサタンの罠から救い出されたことを感謝します。
ハレルヤ!
さあ、私たちもネヘミヤのように立ち上がって新しい一日を始めよう。
posted by 優子 at 08:12| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年04月16日

行き詰まりから脱出してから

民生児童委員会は全国的に12月1日が年度初めだが、総会は4月の定例会で開かれる。
この民生に対して、県と市から多額の活動費助成金が下りる。私たち北地区28名に対して約400万円である。市全体では3地区だから1200万。
1年目は東大阪市でもそうなのかと探りをいれたところ、同じような手ごたえだった。
どこもかしこも財政が逼迫していると耳にタコができるほど聞いているが、税金の使い方に問題があり過ぎる。社会福祉関係の民生委員会ひとつとってみてもこの通りだ。半分近く削ったところで活動できるだろう。それらは飲食代に費やされるからだ。

他市のこととは言え、毎年45000円頂いていた読書会への助成金が、ここ3年前から下げられ続けて今や3万円になった。どこの市でも同じような税金の使い方をしているのだと思うが、使途への違和感に問題を感じ続けているのに、異議を唱えることもしないで通り過ぎていく自分が情けないと思う。

13日の定例会から帰宅して、私を民生委員に指名して下さった方に、今期1期だけで委員を辞めさせて頂きたい旨の電話をした。
その方がこの自治会のドンであり、市全体の民生委員会のドンでもあられたことをあとで知った。奥様が大病になられたために私にご依頼下さったのだが、幸いにして、奥様は完全にお元気になられた。

1期で辞めさせて頂くのは心苦しいが、22日の自治会総会前に辞任希望のご相談したところ、ご理解下さり親しく30分以上もお話できたことを感謝している。

同13日夜には「JPニュースレター」掲載文の校正を手伝った。
ゲラ刷りは12日に会社に届いていたが、その日、夫は東京へ出張していたので13日の夜に持って帰ってきた。ところが、校正というようなものではなく全面的な変更が必要だった。

わざわざ東京本社から取材に来て下さっての記事であるが、文章がわかりにくく、内容的に意味不明なところもあり、夫が熱く語ったポイントもずれていたり、・・・というわけで私の出番となった。

早速その夜から夫と取りかかり、昨日も3時間、夜は一人で午前1時半まで3時間かかって仕上げた。
人の文章に手を入れるのは、すごくやりにくいものだ。その方の句点の打ち方の癖や、言い回しに縛られがちになるからだ。結局、失礼ながら殆どを書き直すことになった。

活字になって配布されるのだから正しておかなければならない。職人魂というのはこういうものなのだろうか、志をもってやっていることは納得いかないままでは手放せなかった。

これも霊的枯渇状態の危機から脱したからこそできたのである。
「(油が乗っている時は)頭が冴えるように夕食もお腹一杯に食べないで、早く後片付けをして風呂から上がり、徹夜して書き続けるよ。」
土曜日にクリペンのK姉が言われた言葉に意欲をかき立てられた。

K姉はいつも酸素ボンベ(?)をキャリーバッグに伴って参加される。自己免疫力までとても弱く危機に包まれているのに、K姉の前向きさに感動した。既に2冊の本を出版されている。イエスさまがK姉を愛して支えておられることがよくわかった。

そして、「ようし、私も頑張るぞ!」と完了させたが、3時間の睡眠ではしんどくて今日はゴソゴソと雑用をこなしていた。
posted by 優子 at 17:26| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年04月15日

クリペンでの学びと恵み

最初に久保田先生より、「国木田独歩とその周辺」と題して独歩概論の講義を拝聴した。

「文は正直である。まさに『文は人なり』である。
弱者へのヒューマニズム、驚異哲学・宇宙の不思議を吐露し、運命に流される者の悲劇を書いた独歩の作品は、爽やかでくどくどしさがなくわかりやすい」。


大田先生が文学好きになられたのは、国木田独歩の『春の鳥』に感動したからかもしれないと言われたが、実に描写が上手でわかりやすくその情景が見えるようだ。

私は卒業論文で国木田独歩を取り上げたので、大田先生から現在の独歩研究の一端を興味深く聴かせて頂いた。

独歩の有名な詩「山林に自由存す」は、
「ワーズワースというよりもバーンズの詩を使ったのではないかと比較文学者から指摘がある。」というのだ。

My Heart's in the Hightlands,heart is not here.
(私の心はハイランドにある、私の心はここにない) 


で始まる、「私の心はハイランドにある」という美しい詩を教えて頂いた。卒論指導で指摘されて、ワーズワースの詩を原文と共に読んだことが思い出された。

独歩は受洗しているが最後まで自然の中に神を見る汎神論的自然観であった。
亡くなる前に「祈れない」と苦しんだ独歩だが、これは独歩の誠実さであると、次のように話された。

「なんのためらいもなく祈ってしまう我々よりも、かなり真実な人ではなかったのではないかと思う。
自分の気持ちをさらけ出して神に祈れないという独歩の誠実さ、自分をごまかせないから祈りたいのに祈れないという苦しみである。
このような独歩を簡単に背教者と言ったり、信仰を持っていないからキリスト教文学とは言えないというのは間違っている。」


高名な文学者である笹渕友一先生の基本的な考え方は、独歩も人格として神さまの前に立っていたことは間違いないというものである。

北村透谷は洗礼を受けつつも自殺したが、自分は罪ある人間だという意識がとても強かった。そこが、独歩とは大きく違っている。
また、有島武郎も受洗してあのような死に方をしたが、神の目に見られる自分を意識していた。しかし、「神と私」だけであった。有島や透谷には、イエス・キリストが私のためにという、最も大切なイエスさまの贖いがわからなかった。


大変興味深かったのは、独歩にも洗礼を授けた明治時代の偉大なリーダーであった植村正久牧師のことだ。

植村正久の信仰は、晩年にはイエスさまの恩寵を言うようになったが、それまではプロテスタントなのにカトリックのような、いやそれ以上に自分の善行によって、努力によって・・を強調し、鎧兜(よろいかぶと)をかぶったような説教であったというのだ。

「天は自らを助くる者を助ける」のような自助努力で神を求めていく人、自分で努力して切り開いていく熱心さで神を求めていく人には、「私の罪の贖い」というのがわからない。

若者が信仰に導かれても、揺れ動いている魂を受けとめて信仰の確信に導いていく成熟がなければ、若い人々の魂は落ち着けないのではないかと思いますね。


と言われた大田先生。

日本にキリスト教が入ってくるまで孤児院もなかったし、重い知恵遅れの子を受け入れる施設が必要だということも気づかなかったということを聴き、文学者などの知識人たちだけではなく、キリスト教が日本社会に大きな影響を与えたことを再認識し神を讃えずにはいられない。

そして、私にとっては学びだけではなく恵みの座であった。
帰りのロビーで、私の耳元で「もっと力を抜いて」と大田先生が優しく仰った。
その言葉から私は自分の姿に気づかされた。
神の恵みを感謝し、もっと力を抜いて新しい季節を初めていこうと思う。
posted by 優子 at 22:16| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年04月14日

日本クリスチャンペンクラブ関西ブロック研究例会

昨日の民生児童委員定例会に続いて、今日は楽しみにしていたクリペン研究例会だった。
夫はゴルフで不在なので昼食の用意も必要なかったが電話が長くなって、予定より一本遅い12時8分の電車になってしまった。その上に、大阪駅では間違って神戸方面の電車に乗ってしまい、慌てて次の駅で乗り換えて吹田駅に辿り着く。必死で歩いて滑り込みセーフ、1時半ジャストに無事到着した。

「アッ、お見かけしたお顔だ!」
東京から日帰りでN姉(クリペン理事)がお見えになっていた。そして、久保田先生だけではなく大田先生も安土教会牧師もお見えになり、内容豊富で興味深い文学論が交わされて実に楽しかった。参加者12名。

面白い!
私の求めていたものはこれだ!
読書会では満たされない時があるが、クリスチャンによる文学研究会(読書会)は深く満足できる。方向決定に間違いはなかった。

今日の作品は国木田独歩の『春の鳥』と『忘れ得ぬ人々』だった。学びの内容については次の機会に譲りたい。
会員の作品講評から憲法論議もあり、O牧師や大田先生が憲法についての考えを語られたが、私も考えてはいるものの憲法前文から読み直したこともないお粗末さだ。

大田先生は今回もたくさんの貴重な資料を配って下さった。
そして、思いもかけず昨年末に発行された御著書『祈りとしての文芸 ―三浦綾子・遠藤周作・山本周五郎・有島武郎』を下さった。
もったいないことだ。覚えて下さっているだけでも嬉しいのに・・・先生とイエスさまに感謝の気持ちで胸が熱くなった。
一生懸命勉強しなくては!
元気を出して今から真剣に文学に取り組んでいこうと思う。

そして、先生は「遠藤周作論はよく書けていましたよ。あの卒論ならば『A』をあげます。よく突っ込んで書けている。」と仰って下さった。(『遠藤周作が世に問うたことと聖書的視点からの問題点』は、カテゴリの「掲載文(神・文学)」で公開している。)

そう言えば今回の掲載文『私にとって書くということ』は大田先生にお送りしていなかった。
この作品について久保田先生からご指摘されたことは、「鋭く追求していてよく書けているが、自分はどうなのかということが書けていない。」と仰った。
最も大切な結論を書いていないとは、・・・そんなはずはないがと思いつつも、これが発行されてから気になり始めたことこそが欠落していたことに気がついた。

つまり、柳田邦男についての批評はできていても、私自身は正直に書けるのかということについてが欠落していると仰っているのだ。
正直のところ、校正している段階でも気がついていなかった。
しかし、昨日の記事にもあるように、まさに今、私はそのことで悩み続けているのである。

今日の帰りにも大阪駅でO姉とK姉の3人で20〜30分間は話していただろうか。お二人とも本を出版されており、今も200〜300枚の作品執筆中というから私は自分にガッカリした。何も書いていない。

しかも、小説を書けるかどうかは別にしても、小説ならば何でも書けると思い始めていたのに、話しているうちにそうではないと気がついた。
「私小説として読まれたら、痛くない腹を探られるようで嫌だな。」と私が言うと、
「そうだけれど、その思いはある時点で吹っ切れる。」
「ドキュメンタリー作家よりも小説家のほうが勇気がいるのではないか。私にその勇気はない。」
「ある人が、小説を書くというのは自分の腸わたをさらけ出すことだと言われた。」とO姉。

全くその通りだと思うと同時に、すっかり気が重くなってしまった。O姉は、「自分は書けないと思っていても、神さまが導かれて書かせてくださるのよね。」と言われたが、私に小説が書けるのだろうか。

最初に仰ったように「藤本さんは評論が向いているように思う。」というのが当たっていると思う。
別れてからもずっと電車の中で考えていたが、到着する頃には道を示されたように思った。
私に小説の技法は向いていないと。




posted by 優子 at 23:24| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年04月13日

人生経験を統合していくために小説を書く?

今まで創作活動には全く興味を持たなかった私だが、近頃は小説を書けたらいいがなあと思うことがよくある。
自分の気持ちをトコトン掘り下げて書きたくても、柳田邦男さんが述懐しておられるようにドキュメンタリーとして書くには限界がある。
特に私は、何事もその通りを書かないと気がすまないところがあり、それが書けないとなればプロット(物語の筋、作者が意識的に考える筋)を考えた物語に仕立て上げるしかないのだ。

これもまた読まれることを意識して書き続けているからこその思いであろうが、今から始めたいと思うほどの関心もなく、今の私には煩わしい思いでもある。

1月17日の記事を読み直した。
その後、2月半ばにHさんから頂いたメールでは、

「短い物でもいいから何か作品をお書きになることをおすすめします。
文学というのは、人間を書くことであって、物事を書くのではない、と思います。いつも人間に興味をもって観察している、そしてそれを文章化してゆく、その訓練をなされば、と思います。
あなたならもう書けますよ。」


と書いて下さっていた。

私の関心事も全て人間そのものであり、人間の実相なのだ。
しかし、書きたいけれど書けない。
周囲への配慮ということだけではなく、それ以上に、自己と対峙するというのはまことに勇気とエネルギーのいることだと気づかされているからだ。

機関紙にであれ掲載されたものは読んでほしい。書く人は読んでほしいから書くのだ。だからこそ私も読んでもらえるものを書きたいと思う。
人間であるならば誰もが関心のあること、普遍的なことを書きたい。書き方が下手であっても、せめてなりとも自分の関心事は表現されているのだろうか。このブログもどれだけの人が興味を持って読んで下さっているのだろうか。
「そんな難しい話はいらん、暗い話はいいわ」と拒否される方は例外としても、退屈な内容になってはいないだろうか。

作家活動されているもう一人の知人、海谷氏は次のように言われた。

「さらけ出すのが恥ずかしいところから書く。
それが書けなかったら、それが書けないことを書く。・・・
3人称でも書けない時は時代や国を変え、大阪で起こっていることを東京で起こっていることにし、あるいは、ありもしない架空の場所で起こっていることだとしてしまう。

文章は間と間で繋がっている。
最初にきついものを書いて読者を逃がさないようにもってきて、『いったいこの話はどうなっているんだろう』と言うようなことで人は惹かれる。
肝心の恥ずかしいことは少しだけ書き、『また書くね』となれば読者を惹きつけるのは簡単だ。」


読書会には健康上の理由から何年間も欠席されているが、
2005年3月だったか難波で待ち合わせて久々の再会を果たした。これはその時の文学談議の中で教えて下さったことだ。

「現実と虚構の接点を書くのが小説だ」とは、放出教会の富樫姉の弁。絵画をされ、俳句を極められた文学的資質豊かな富樫姉も自然の中で黙想された方だ。

ところで、昨日のNさんは花や自然が大好きで「得意の分野」であろうが、あの方の感動は心が曇っている人には味わえぬものだ。とても親切であり心の均整のとれた方である。

この記事のカテゴリーを何にすればいいのかわからない。
お2人のアドバイスを何度も読み直したいので、お2人共通の接点である「読書会」にした。
posted by 優子 at 10:31| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年04月12日

名残りの桜の中を鯉のぼりが泳ぐ

「今週は忙しいと言ってたけれど今日はどこか行くの?」

今朝9時前、姉妹のように親しくして頂いている近隣のNさんからドライブのお誘いを受けた。家庭集会のメンバーでもあるNさんは、方向や地理感覚バッチリのドライバーで、今までにもいろんな所へ連れて行って下さった。

私は瞬間に考えた。
クリペン課題図書の国木田独歩も読んだ、今は手を抜けない書き物もない。週に一度の2階の掃除だけだ。
「いいよ!」と返事をして、大急ぎで1・2階の掃除を済ませて連れて行って頂いた。

まず、ログハウスのレストラン「わだきん」で昼食タイム。
Nさんは食事処もいろんな所をご存知である。私は勿論この店も今回が初めてだ。
洋食なのにライスの盛り方を尋ねられ、Nさんは中盛り、朝食を食べていないおなかペコペコの私は大盛り!
おいしくてペロリとたいらげた。

Nさんはしだれ桜を捜していたのだが見つからず、初めての葛城山麓公園へ入った。
さすがに桜も葉桜になりかけていたが、既に石楠花(しゃくなげ)が咲いていた。

「光にあたって花が透き通って見えるよ!真紅の石楠花もある。綺麗ねえ。」
「この時期の雑木林は綺麗なのよねえ。緑にもいろんな色があって、これからは一日一日山の色が変わるよ。・・・何か山がモソモソしているように見えるのよね。」


なんて素敵な表現だろう。
鈍感な私はNさんの感動に感動するばかり。


「うわぁ、綺麗!名残りの桜ね。・・あれがトキワマンサクよ!」

Nさんは股関節が悪いので(私は股関節以上に近頃は両膝が痛む)全て運転しながらの観賞である。頭脳がキレル。
Nさんの感性は透き通っている。
花木の名前を本当によく知っておられて、美しいものを感動をもって享受されるから、同行している私はいろんなことに眼が開かれる。
芽を出したばかりの新芽やカエデの花・・・今日もたくさん教えてもらった。


「友だちは大切にね」と母がよく言ってたが、そのことの意味がよくわかる。友は何物にも代えがたい人生の宝物だ。いつも友たちの顔を思い出して助けられている。

このように身近にもかけがえのない友を与えて下さった神さまに感謝している。当地に移ってから天使犬チャッピーが来てくれたこと、そして、Nさんとの出会いで緊張が取り除かれた。

「知ちゃんの子だって直ぐやよ。2歳にもなればここで遊べるよ。」

芝生が敷き詰められた広い広い公園、アスレチックもあり、名残りの桜を背にたくさんの鯉のぼりが泳いでいた。
とても大らかに泳いでいた。



posted by 優子 at 16:56| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年04月11日

愛する知子へ ―孫の誕生を待つ母より―

3月7日の記事に続いて、柏木道子さんの『いのちを待つ日々のために』から一部引用させて頂き知子に贈ります。

「しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。
私の乳房に拠り頼ませた方。
生まれる前から、私はあなたに、委ねられました。
母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。」
                
                
                (詩篇 22篇9・10節)

この月頃から日1日と赤ちゃんは急速に大きくなってきます。お腹もどんどん大きくなって前に出てくるでしょう。
妊婦のクラスや母親学級などの講座で実際の出産時の呼吸の調整法やその時を知る方法等を学ぶことができるでしょう。

陣痛をはっきり知ることができるだろうかとか、出産の痛みに耐えられるだろうかという不安がよぎるかもしれません。
そのことについては心配は不必要です。身体の生理的しくみは実にうまくできています。・・・不必要な不安感は生まれ来ようとしている赤ちゃんの動きを不自然にしてしまうでしょう。

ですから月満ちる出産までのこれから2か月ほどの日々は、リラックスした自然な動きと規則正しい生活のリズムの中で全身を包んで過ごすことが望ましいのです。・・・・

この頃にはもう自分が母親になろうとしていることにすっかり馴れて、体内で成長しているもう一つのいのちと一体感を持ち、2人を生きていることが自然になってくるでしょう。

そのような関係の中から誕生後にも続く母子の絆がだんだんと強められていきます。それは母親として養育の責任を果たす力の源になるでしょうし、麗しい母性の由来ともなります。

このような思いを妻が夫と分かち合うことができるなら、そして生まれ来ようとしているいとし子への思いを2人して確かめ合い強めることができるなら、それは父親、母親になる大切な心の準備となります。

人生で最も大きな仕事をしようとしている妻には、夫の日常の細やかで具体的な愛の行為による励ましといたわりが必要です。このことによって胎児にも父親の愛を伝えることができます。

身体的・生理的変化に加えて情緒も動揺しやすくなっている妻を、この時こそ夫は十分な配慮と包容力で力強く支えなければなりません。そのことによって夫婦としての愛は強められ、親となる用意ができていきます。

<お祈り>


恵みとあわれみに富む父なる神さま、
8か月もお守りくださりありがとうございました。
私たち夫婦をそして胎内のいとし子を、
また、家族の一人ひとりを守って祝福してくださりありがとうございます。
今日に至るそのすべての時が御手の守りの中にあったことを感謝します。
主よ、
月満ちていとし子がこの世に誕生する時、
私の肉体を離れて生きることをスタートしてからも、
今までのようにお守りください。
くすしき創造が今日も胎の内で進められていることを思い感謝します。
主のなさることはすべて時にかなって美しいことを信じ、おゆだねします。
感謝しつつ御名によって祈ります。アーメン。



2006年7月22日の結婚式前後の過去ログを開いてみました。
知子はもうすぐママになるのね。
出産予定日は7月6日、それはママ誕生の予定日でもあるのね(^−^)。

昨日一昨日は知子の体を心配して剛臣さんが早く帰って来て夕食を作ってくれたのね。微笑ましい光景が目に浮かびます。

柏木さんが書いておられるように、「夫の具体的な愛の行為による励ましといたわり」を感じます。こうして、「夫婦としての愛は強められ、親となる用意」が成されていくのですね。
感謝です。この機会に、彼も週末にでもブログを読んでもらえたら嬉しいです。

今日も体をお大事に良き一日を過ごしてね。
ママは幼稚園の入園式に行って来ます。
チビちゃんの入園だって、きっとあっという間ですよ(^^)。
posted by 優子 at 06:37| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年04月10日

私のイースター 暗闇から光に 

8日の夜、文香さんが送信して下さったメールで、祈って下さっていることを知り意外な感じがした。
祈って下さっているであろうことさえ気がつかなくなっていた。
何をするにも誰かとおしゃべりしていない限りは、神さまの前で自分の姿を見つめ祈っていたが、ブログを読んで下さったクリスチャンの友が祈って下さっていることに驚くとは、どういうことなんだろう。

私は祈りを知らない人間だからだろうか。
いや、そうではない。
私も友のことを祈り、友が悩んでいたり試練の渦中にあるならば常に祈りに覚えているのに、励ましのメールを頂いてハッとさせられた。

忙しかったこともあるが、昨日は友のブログを読ませて頂いていなかった。
昨夜ブログを開き、文香さんの8日の記事を読んで泣いてしまった。何度読んでも泣いてしまった。

わたしのいちばん好きなつくしの写真をアップしました。
満開の桜の下に生えていました。つくしも神さまを見上げています。目だたないけれど、見つけた人が思わず微笑み、ほっとするようなつくしになりたいです。

今日はイースターです。イースターはイエス・キリストの復活を祝い、記念する日です。
今日のメッセージは、イエスさまの墓に女たちがやってきた場面からでした。女たちはイエスさまの体に香油を塗ろうとしていました。でも、墓は大きな石でふさがれています。  

女たちは自分たちの力では石を動かせないことを知っていました。「あの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか?」と不安でいっぱいでした。それでも香油を塗りたい一心で墓に向かいました。ところが女たちが墓にいくと、石はすでにころがされて墓の入り口があいていました。

わたしたちも自分の力ではどうしようもない大きな問題、困難にぶつかることがあります。望みも消え、途方に暮れることがあります。途方に暮れたときこそ目を上げて主を見上げるようにとの薦めがありました。


そうです。イエスさまをよみがえらせて下さったお方がおられるのです。石をころがしてくださったお方がおられるのです。だから、どんな困難があってもかならず解決していただけると確信します。イエスさまはどんなときでも生きる力を与えて下さると約束してくださっています。死に打ち勝ったイエスさまを心から褒め称えます。


私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
            (Uコリント4:8)


今読んでも涙が流れ、主の励ましを強く感じる。
(「生かされて」を開いてください。文香さんの優しい語りとつくしの写真が心に沁みます。)

神の前に静まって自己を省みるのはいいが、私は主(神)に目を向けていなかった。悶々としてはいたが、いつのまにか、ついに7日から問題と状況しか見えなくなり、自分の力で人を導こうとしていたことに深く気づかされた。

そして、今朝、節子姉からもメールが届いていた。
主は友たちを通して立ち上がらせて下さった。気を失っていた者が意識を取り戻したような感じだ。


優子さん!

いつもありがとう!!
メメントドメニ2,3日見過ごしちゃって、今開いて読ませていただきました。
優子さん元気を出して!! 思わず心の中で叫びました。

いつも私は、あなたに会う度、励まされていますのに、今心重くしておられる優子さんに何と声をかけてよいか・・・元気を出して欲しいと心から願いますけれど、私には適切なことばの蓄えもなく、只々神様にお祈りしています。

昨日、イースター礼拝にお姿見えませんでしたので気にはなっていましたが・・・
知子さんもベイビーも大事なくてよかったです。・・・・

イースター礼拝にはロセーン師のメッセージで恵まれました。・・・
イザヤ9章2節 
  「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
   死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」


ロセーン師が取り次いでくださったみことばです。

イエス様は、今この時も、優子さんとともにおられ、励まし、慰め、力づけ、支えてくださっていることを感謝します。  

God Bless You!!      Setsuko


節子さん、ありがとう。何度読み返しても涙が出ます。
祈って下さっていた方々、本当にありがとうございます。
イエスさま、ありがとうございます。
このこともあのこともよろしくお願いします。あなたにお任せします。


posted by 優子 at 07:25| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年04月09日

霊的枯渇

行き詰まりを感じている。
勿論、自分自身にである。
人生において、いずれの時にも外側のことは問題ではない。仮にどんな困難な出来事であろうと、自分自身が神との交わりに何もはばむものがなければ心は豊かに働くのだ。

今の私には深い感謝がない。
感謝がないから不満が出る。
不満があるから感謝がない。
こんなこと自明の理だ。
私は何度経験すれば習得できるのだろうか!!

神を知らなかった時のような思いに支配されている。神との交わりをはばむのは自己中心な思いである。私は全く変えられていないではないかと自己嫌悪する。

しかし、だからこそ主を見上げるのではないか!!
だからこそ、今こそ、賜っている信仰を働かせるのではないか!!
信仰は感情ではない。
自分の意志で選び取るのだ、賢く神に向かうことを!!


こんな私でも、「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを選ぶ」(ルカ3・22)と、主は手を差し伸べて下さっている。
人生とは、最後まで神に向かう旅なのだ。

先日ある方から頂いたメールで、「読む者に負担をかけない表現で書き続けている」と仰って下さったことが心に残っている。
今朝の記事が読んで下さる方々に負担感を残しませんように。

今日は小学校の入学式に列席しなければならない。幼稚園入園式に定例会と、今週は民生委員の仕事が続く。
主よ、気が重いです。私の心をお導き下さい。
posted by 優子 at 06:56| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年04月08日

「カルバリの愛を知っていますか」

わたしの人生を
根底から揺るがすような試練には
会いたくないともし思うならば、
ひどい仕打ちを受けること、
孤立すること、
不快な状況に置かれること、
理解できない試みに会うことを
もし避けようとするならば、
その時わたしは
カルバリ(十字架)の愛をまったく知らない。


主よ、やはり私は最悪の試練だけは避けたいと願います。
怖いです。
でも、あなたが私を支え守り抜いて乗り越えさせて下さることを信じています。

「神を信じている者には、偶然はありません。
これをしっかりと受け止めるなら、いかなる試練も乗り越えることができるはずです」。


イエスさまが仰ったように、明日のことは思い煩いません。
とにかく、私の一切の罪を赦して下さっているから安心して生きて行きます。

追記 
昨日から長女夫婦が来ていた。出産準備の買い物に行き、今朝のイースター礼拝を守って帰宅するはずだったが、昨日からずっとお腹が硬く張り、病院の指示により8時15分過ぎ、病院へ向かった。夫は犬の散歩で不在。
お昼過ぎに約束している大学時代の友のこと・・・・。
どのようにすればいいのか連絡待ちである。
神に祈れることがありがたい。

昨日、長女夫婦とギクシャクしていたことについて話したことが良くなかったのだと思う。
私もまたカルバリの愛を全く知らない人間だ!!

幸いにして特に心配はないだろうとの連絡が入り、
友との再会も果たした。
忘れられないイースターの日になるだろう。
まだ今も心が乱れている。
          (午後8時記す)
posted by 優子 at 08:35| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年04月07日

明日はイエスが甦って下さった日!

イエス・キリストは木曜日の夜に最後の晩餐を摂られて、金曜日の朝9時頃に十字架に架けられた。
人々はイエスを嘲弄した。

「彼(イエス)は他人を救ったが、自分は救えない。
イスラエルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。
そうしたら、われわれは信じるから。」


人々とは兵卒、群集、祭司長、学者、長老たち、そして、十字架につけられた強盗であり、それは全人類を代表しているのである。
その中に私もあなたも同じようにいたのだ!

「昼の12時になると、全地は暗くなって、3時に及んだ。」

イエスの死は人間離れした聖者としてではなく、完全に我らの死の苦しみを経験して下さった完全な神であった。

神と出会ったキリスト者は、私は、イエスが十字架から降りずに、私の罪を背負って私の身代わりになって死んで下さって、罪の贖いを成就されたがゆえにイエスを信じるのである。

土曜日の今はまだ死んで葬られている。
しかし、イエスは3日後に甦られたのである。
現実にも死んだ人が息を吹き返した話はあるが、3日もたてば腐敗し始め、蘇生ということはあり得ない。

「さて、安息日(あんそくにち、ユダヤ教では土曜日)が終わって、週の初めの日の明け方に」、イエスが復活されたのである。以来、全世界で日曜日が聖日(休日)となった。

イエスの死を悲しみ、すっかり絶望していた人たちは「恐れながらも大喜びで」知らせに行ったのである。

恐れと歓喜、悲痛と歓喜、苦悩と歓喜は、霊的な事柄においては同時に存在することができるのだ。
ハレルヤ!


クリスマスと共にイースターは特別な日です。
いえ、クリスマス以上に意味深いものなのです。イエスの復活がなければ私たちの信仰はむなしく、多くある宗教と同じで人生の修養でしかなかったでしょう。

8日は全世界の教会でイースター礼拝がもたれます。
私たち家族が初めて教会の門をくぐったのは、21年前のイースター礼拝の日でした。
あなたも一度、教会へお出かけ下さい。

あなたも、そして、あなたのご家族も神の愛を厚かましくお受け取りになりますように!
悔いのない人生を過ごして参りましょう!
posted by 優子 at 10:25| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年04月06日

忘れ得ぬ春の下見

9時に天満橋キャッスルホテル集合。
「河内の郷土文化サークルセンター」主宰の5月見学会下見に参加するために、1人で行けるか心配な私は知能・触覚全開して必死で辿り着いた。

近鉄電車を降りてから地下鉄に乗るまで2回聞き、降りてから1回、4回目は「キャッスルホテルはどこですか?」とホテルの玄関前で聞く始末。痴呆もかなり重症だ。

地下鉄谷町線は8年前まで何度も乗っていたではないか!
高津高校で6年間役員をしていたので、何度も谷町9丁目でも降りていたではないか!
いつも乗り換えていた谷町4丁目の次の駅が天満橋だと今日まで知らなかったとは、いかにボンヤリ生きているかわかるというものだ。
7時半に家を出て1番のりで25分前に無事到着したものの、すっかり疲れてしまった(笑)。

さて、今日の目的は紀州熊野古道の起点となっている天満橋、八軒家(はちけんや)から四天王寺までの歴史街道を歩くのである。永田屋昆布本店玄関に「八軒家船着場の跡の石碑」があり、この名前からわかるように昔はこの辺りは海であった。
「その昔、京となにわを通う30石船の発着場として、かなりの賑わいを見せていた」。

「熊野街道起点の碑」の前に福助ビルがあり、ここから南に向かって歩き始めた。
1キロほど歩くと農人橋(のうにんばし)1丁目の南大江小学校に出る。その正門横に「太閤下水(背割り下水)」があり、
400年後の今も使われていた。
大阪市では今日が小学校の入学式、式場に入場する1年生がかわいくて、下水道を覗くも太閤時代の想像を妨げた。

谷町筋から一筋西へ入っているので自動車も少なく、歩きよい歴史街道である。旧い家に「うだつ」があり、「うだつが上がらん」という意味と共に教えて頂いた。

しばらく歩くと大衆文学作家の登竜門である「直木賞」の名になっている「直木三十五の碑」があった。
すぐ傍には「榎木大明神」なるものがあり、木が神になっていて私には異様に映った。

そして、谷町筋に出ると「日本のシェイクスピア」と呼ばれている「近松門左衛門の墓」がある。国指定史跡になっているが、ビルの片隅にあり教えてもらわないと通り過ぎてしまっているだろう。

ここから下寺町と呼ばれ、広い道の両サイドに寺が林立している。当日は日蓮宗・妙光寺でトイレ休憩させて頂くためにお寺の方にお願いした。境内の桜も満開だった。

高津神社には桂文枝の碑があった。落語「高津のトミクジ」で有名らしいが知らないので残念。聞いてみたいものだ。
神社裏側の階段は両サイドから出会うようになっていて、縁結びの意味が込められた「相合坂」と名付けられている。
今日の2時から歌舞伎の坂田藤十郎が来て、大絵馬の除幕式が予定されていた。
この近くに娘達の母校、高津高校があるらしいが方向音痴の私にはわからない。

そして、当日の昼食場所、生國魂(いくたま)神社に到着した。

私たちもお腹ペコペコで、上六近くに出て昼食を摂った。
午後はメモするのも忘れ、順番を思い出せない(>_<)ほど楽しく歩いていた。
現高津高校出身の織田作之助が、『木の都』に書いている大阪7坂のいくつかを歩いた。口縄坂に清水坂・・・。
そして、愛染堂に行き、梶井基次郎墓所である日蓮宗・常國寺もあった。


満開の桜に神社やお寺、旧い家並みは歌舞伎の舞台を見ているようだった。

そして、ゴールの四天王寺に到着してティータイム。
新年度スタートに備えて、大阪商業大学の新室長のOさんとIさんとも親しくなり、我らが会長Tさんと副会長のMIKIOさんにエネルギッシュな情熱が漲っていた。

一足先に帰られた前会長・往生院住職のKさんと副会長のNさん。春爛漫の楽しい一日、7人で歩いた下見は私の心に珠玉の思い出として残るであろう。

この役員会や読書会は教会の方達の交わりと同じで、全く違和感がない。
それぞれが自分にできることを喜んでしておられるので、他者に強制することもなく寛容である。だからこそ心からできるのだろう。私もいろいろ気づかされ育てられていることを感謝している。


緊張することなく自分らしく居られる人々との楽しい時、今日の晴天と同じように私達の心も上天気だった。晴れ
posted by 優子 at 23:30| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

チューリップ

チューリップの花が綺麗に咲いている。
若い頃、花を愛する人に悪い人はいないと聞いたことがあった。
しかし、そうではないようだ。

しかしながら、どこの家のチューリップもかわいくて美しい。
花だって心の美しい人に世話をされて咲きたいだろうに、どこの家のチューリップも美しく咲いている。
静かに、文句を言わないで、みんな健気に咲いている。
育てている人の心に関係なく美しい。

私はチューリップに教えられ、励まされた。
美しい人になりたいと思った。

星野富弘さんもこんな詩を書いておられる。

「つばき」

木は自分で
動きまわることができない
神様に与えられたその場所で
精一杯枝を張り
許された高さまで
一生懸命伸びようとしている
そんな木を
私は友達のように思っている
posted by 優子 at 06:09| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年04月05日

寺子屋で福音に触れていた祖父

私が人生への目覚めと言えるような問いかけを抱いたのは、大学を卒業する半年くらい前だった。そして、卒業する間近かになってその問いをもって哲学の教授を訪ねた。

「(4回生の夏に)85歳で亡くなった祖父の晩年に、何もしなかった悔いがある。このことをきっかけにして私が人格的に成長したとしても、死んだ祖父の人生にはどのような意味があるのか。私を人間らしくするためにという考え方は自己中心的であり、それでは祖父自身の人生は何だったんだろうと思う。」

この疑問は祖父への取り返しのつかぬ後悔から生じていた。

生涯独身を通した祖父を末っ子だった父が養父として迎え入れた。私が生まれた時からずっと一緒だった祖父との幸せな思い出がいっぱいある。

祖父は晩年、若い頃患った結核が再発して菌も出ているからと結核の専門病院に入院した。
最初のうちは何度か病床を訪ねたものの、病気がうつらないかという気持ちと、こともあろうにゴルフに熱中していたために、長い間訪ねることなく亡くなってしまった。

私が最後に駆けつけた時には霊安室に運ばれたあとで、祖父が寝ていた布団に手を当てると温かかった。
「また来るからね」と言っておきながら何ということ!
しかも、それから3ヶ月も経ってから良心の声に促され始めるのだから話にならない。


私は第2外国語はドイツ語ではなくてフランス語を履修していたので師との馴染みは薄い。教職課程必修でもあった哲学の講義を2回生の時に受講しただけの関わりあったが、この答えを知りたくて研究室をノックしたのだった。

師は日本を代表する哲学者西田幾多郎、その弟子である田辺元の直弟子で、京大で学ばれた「京都学派」の哲学者である。人品骨柄、見るからに哲学者らしい風貌をされていた。

「私は寺の住職の息子で・・・」から始まり、大乗仏教と小乗仏教について話して下さったが、求めていた回答は何も聴けなかった。

今思うと、あの時なぜ、宗教論の先生を訪ねなかったんだろうか。一般教養で川上先生(現クリスチャンペンクラブ理事)を存じていたのに、このような答えは哲学に見出せると思っていたのだろうか。あるいは、哲学者、藤峰徹定(てつじょう)先生の硬い雰囲気が強烈だったからだろうか。

先生は熱心にドイツ語を個人レッスンして下さるので、その後も研究室に通ったがアルファベットだけで卒業式を迎えた。
そして、結婚後まで数年間文通を交わしたが、私の中に目覚めた深い問いかけもいつしか消えてしまった。

同志社へ通い始めた頃、毎日教えてもらう讃美歌や聖書の話が嬉しくて、私は毎日母や祖父に讃美歌を歌い聖書の話をしていた。
母は穏やかに微笑み、祖父は「キリストはええなぁ。」と、何度も言っていた。

祖父は寺子屋で福音に触れていたのだ。
寺子屋で外国の宣教師から聖書を学んだ話をしてくれた。
「キリストはええなぁ。おじいちゃんも讃美歌をたくさん覚えてたけど忘れてしもた。」と言っていた祖父だから、きっと天国に迎え入れられていると信じている。


1973年に85歳で亡くなったから明治何年の生まれだろうか。実家の仏壇の引き出しにあった過去帳に書いてあるはずだ。

おじいちゃん、本当にごめんね。
どんなに寂しかっただろう。
おじいちゃんが最も必要とする時に、私はゴルフに没頭していたのです。赦してください。
哀れな私を見つけ出して下さった神様に感謝します。


祖父と再会した時、直接お詫びを言いたいと思う。

数日前、祖父が作ってくれた本立てを机に置いた。

posted by 優子 at 18:05| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2007年04月04日

晴れのち雷雨のち晴れ


さくら

車椅子を押してもらって
桜の木の下まで行く

友人が枝を曲げると
私は満開の花の中に
埋ってしまった

湧きあがってくる感動を
おさえることができず
私は
口の周りに咲いていた
桜の花を
むしゃむしゃと
食べてしまった


旗尾池の桜が満開だ!
この時期、愛犬との散歩は毎日お花見コースを歩く。
「チャッピー、地面の臭いばっかり嗅いでいないで桜を見てごらん。」と言ってるのに、チャックンは知らんぷり。

私は大きく広げた枝の下に立ち止まる。
誰もいない静けさの中で雷に打たれたように棒立ちになり、もはや祈りすらない。
温かいものが体中に流れる。
神さまから息吹が体中を走る。

4月に入って冬に逆戻り、今朝の奈良は0.5度の寒さ(この日、東京では雪が降った)。既にすっかり夏毛になったチャッピーは気の毒なほど寒そうだ。どこの犬も冬毛のままなのに気の早いチャックン。
朝の日差しを受けて歩いていたら急に曇りだし、パラパラと小さな雨が降ってきたので、途中で会った知人とも長話をせずに家路を急いだ。

キーボードの手を休めて外を見れば真っ暗。
晴れから一転して20分後には雷雨になった。
かと思えば明るい日差しになり、しばらくするとまた暗くなってきた。
全く人生と同じだ。

負けないぞ!
神さまからの課題を一つひとつ解いていくんだ。
イエスさまと一緒に。


日々草 

今日も一つ
悲しいことがあった

今日もまた一つ
うれしいことがあった

笑ったり 泣いたり
望んだり あきらめたり
にくんだり 愛したり

そして これらの一つ一つを
柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の
平凡なことがあった

                      星野 富弘
posted by 優子 at 09:41| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年04月03日

遠藤周作への違和感

読書会5月のテキスト『落第坊主を愛した母』を読み終えた。遠藤周作の母のことで、遠藤の作品を監修したものである。

遠藤の母を知る人は皆、「烈しい人だったけれど愛さずにはいられない女性だった」と言っている。成績が悪く馬鹿扱いされていた遠藤に、「周ちゃんは大きいことをする人間になる」と常に言ってくれていた母だった。

遠藤周作は実に正直な人間だと思った。

特に『母なるもの』から遠藤の人間性を読み取れる。
他人が読めば何でもないようなことであっても、本人にとってはかなりの勇気がいったであろうからだ。なかなか書けるものではない。

私は遠藤文学について語れるほど何も読んでいないが、彼の作品が正しい聖書理解に立っているかどうかについては、やはり大きな疑問を感じる。

晩年の傑作と言われている『深い河』に異質さが際立っている。と言うよりも、遠藤の持つ危うさがここに至ったという感じだ。
イエスの暗喩とした「玉ねぎ」呼称や、輪廻転生を予感させて終わるところなどは聖書とは全く異質のものである。

輪廻にはいつまでも解決はないし、第一、死ねば別人に生まれ変わるのであれば、2度と再び会えないではないか!!

『深い河』について、大田正紀氏が7年前に書かれたコラムでは、
神やイエスを玉ねぎと符号化する「周作玉ねぎ教」も、市民社会での他宗教への寛容と愛の実践という装いをとっているが、偶像崇拝の日本の神々や現人神を「神」のもう一つの顔と呼ばせかねない危うさがある。

と書いておられる。
3年前に没頭した『海と毒薬』と『悲しみの歌』について(「掲載文」)、私なりに満足できる結論に達したものと符号するような資料を手にした。昨秋、読書会の講師にお招きした折に大田氏ご自身の興味深いレポートを頂いたのだ。その中に、

「『滅びに定められた人間』の絶望が作品の底部に奏でられている」。

とあり、「やっぱりそうなんだ!」と、大いに共感した。

しかし、この遠藤もイエスに迎え入れられたであろうと思う。
それについては神の領域であるが、日本という独特の精神風土に生きるキリスト者、私もまたその危うさに在ることを覚えていたい。


posted by 優子 at 17:13| 文学 | 更新情報をチェックする

2007年04月02日

婿にもIMFから奨学金が!

「飛行機のチケット取りました。
5月18日(金)18:20に関空に到着します。
帰りは、6月12日(火)21:00に関空を出発します。」


3月25日に着信したメールである。

昨日のスカイプでは、今回の挑戦で娘婿もIMFから奨学金を受けられるようになったとのこと、ミネソタでは今も日本の真冬並みの寒さだろうが、「おめでとうの春」である。

娘は既にIMFから奨学金を頂いての留学であるが、婿はミネソタ大学からの奨学金のために多人数の採点などかなりの仕事を課せられている。今度の日本滞在もTAの仕事日程の関係で3週間余りが限界なのだ。

「この1年で仕事の大変さがわかったから、本当にありがたい。2年目からは研究になっていくので、仕事をしていると研究する時間がなくなるから、IMFには感謝して精一杯やる。
しっかり研究することが恩返しになる。」

と娘は開口一番に言った。
夫婦だから助け合っているのだろう。娘の言葉から苦労を窺い知ることができた。

「IMFからの奨学金だけれど、日本政府がお金を出している。日本やアジア人の有能な人間を育て、アジアシェアーを増やそうとしている。」とのこと。
しかも、夫婦揃ってIMFから奨学金を頂けるのも珍しく、大変ラッキーなことだというから、私は2人の将来に大きなビジョンを描いてしまう。

娘は一時帰国にあたり、「夫婦で長期間滞在させてもらうことになるから」と私への配慮も行き届いて、次女らしい(笑)。

「夕食後の食器洗いをまちとクマでしたいなー。
クマは家事の中で一番食器洗いが慣れてるし、めっちゃ乗り気です。あと、夕方のチャッピーの散歩も。

さらに、前からアピールしてるけど、まちの料理能力があがっているから、作らせてほしいなー。

まち達はお手伝いで充実感を得られるし、ママに偏りがちな家事負担も調整できるし、一緒に休憩の時間を多く取れて、いいのではないかな、と思ってるの。」


自立した娘の心配りに胸が熱くなった。

次女は姉の赤ちゃん誕生を見たいと思っていたのだが、産後、実家で静養する姉と重ならないようにと帰国予定日を決めてくれた。

私が最も楽しみにしていることは、次女たちの滞在期間中に谷口先生宅の家庭集会と、我が家での家庭集会が予定されていることだ。
2人は厳しい学究生活にあっても、今も少しずつではあるが聖書を読んでいる。ロマ書から、次の第1コリントを読んでいるとのこと。
感謝。
2人がクリスチャンとの交わりの中で豊かな神の愛に触れて、アメリカでの生活につなげてほしいと願う。

神は娘達にも無くてはならぬものを備えていて下さるのだ。
主を見上げて元気に励もう!



posted by 優子 at 08:34| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

春の恵み

    「北風よ、起これ。南風よ、きたれ。
    わが園に吹いて、その香りを広く散らせ。
    わが愛する者が庭にはいってきて、
    その良い実を食べるように。」
                              
                 (雅歌 4章16節)

真智、覚えてる?
真智たちの結婚披露宴で関先生(放出教会CSの学校長)がスピーチの最後に話されたみことばだったね。


恵み深い神さま、小鳥がさえずり、色とりどりの花が春を告げています。今年も生命あふれる春の季節が巡ってまいりました。
人は一生のうちにこの春を何度喜び楽しめるのでしょうか。気持ちのいい季節です。チャッピーまで春を喜んでいるように見えます。


主よ、悲しみや困難な出来事をはるかにしのぐ喜びを感謝します。主よ、このみことばのように私の心にも入って来て下さい。

今週は受難週です。
私の罪のために一切を耐え通して下さったことを感謝申し上げます。
あなたの受難なくして、今の私はありませんでした。
あなたなくしては、この春もなかったのです。

主よ、命在る限り信仰に立たせて下さい。
どのようなことにも雄々しく突撃する心を与えて下さい。
常に揺れ動く弱い者ですから、常に私を握りしめていて下さい。

目指すは天の御国です。
私のふるさとは、もはや実家ではありません。
我がふるさとは天にありとの境地に至らせて頂いています。
天の御国には懐かしい父と母もいます。
そこに到るまでは苦渋があることも承知の上です。

天の御国を目指して良き日々を生きていきたいと思います。
受難週を送るにあたり、己の罪、至らなさを深く受け止めさせて下さい。そして、今年のイースターが、去年よりも少しでも深い感謝と喜びを拝受できますようにお導き下さい。

主に在る悩みの中にある方々に慰めと励ましがありますように。私たちが勝利に至るまで最後まで守り導いて下さい。
そして、一人でも多くの方が神と出会われますように!

とにもかくにも、全権を握っておられる神さまに祈る者として下さったことを感謝します。
そして、神が祝福して下さることを信じています。
ハレルヤ!







posted by 優子 at 21:58| 神(聖書) | 更新情報をチェックする