2007年05月30日

リア王の愚行を犯した愚かなりし我

真智子たちが帰国して以来、ずっと3〜4時間の睡眠時間の日々で、今朝は夫を見送ることさえしなかった。全く気がつかず、目が覚めたのは6時半を過ぎていた。雨が激しく降っていたので、そのまま11時半後頃まで眠った。

昨夜、誤解だったことがわかったが、28日の夜に私はひどく怒り、嘆き悲しんだ。私は相変わらず、リアやグロスターの如く愚か者だ。人の言うことを信じやすく、疑い、性急で、何度学んでも改まらない己の姿に、もう人生を終わりにして欲しいと思うほど長女を傷つけてしまった。

その時、私の感情を吐き出させてくれた真智子は、私が落ち着きを取り戻してからロマ書(ローマ人への手紙)1章を読んでくれた。ゆっくり、ゆっくり、一言、一言を噛み締めるように読んで、次のようなことを話してくれた。

感情と向き合い、正しく対処すれば自分がわかる。
例えば、自分が不快に思っていることや、おかしいと思うことを相手に伝えることが大切。そのためにも、まず、感情を本当に沈めないといけない。
憤りや嘆きをぶつけても解決にならない。まず、その憤りや嘆きを取り去るために感情を処理すること。そのためには、感情を吐き出させてくれる人が必要である。

不快に思っている時は立ち止まらなければならない。それはシグナルであるから、自分の感情に向き合うこと。それが、自分自身を大切にするということである。

胸のざわめきが治まり、落ち着いた時に、自分の本当の望みが言え、罪を犯すことも最小限になる。そして、自分がどのように感じたかを言うことが大切である。

神さまは必ず与えて下さるから自分の思いや考えで判断しない。それが、神さまと私(あなた)のバウンダリーである。優先順位は常に変わるから自分が判断しなければならないが、神さまに知恵が欲しいと望めば必ず与えて下さる。

幸せになる唯一の方法は自分の心に向き合うことだ。
聖書が言っていることは、常に「自分で判断しなさい」ということであり、「今、立ち上がりなさい。」と言うことだ。気がつかないままに今までやってきたけれど、気づいたならば「立ち上がれ!」と言っている。
それが神さまの望んでおられることである。そして、何が起こるのかも、そのことの意味も私たちにはわからないけれど、常に最善であることを信じて、努力は尽くす。


何を悪と思うのかもあなたが判断しなさい。
アダムとエバが食べてはならない木の実を食べたのも、彼らが選んだことである。それが神さまと私のバウンダリーである。
人と人の間にもバウンダリーがあり、従って、相手の意思決定もその人に任せなければならない。

「バウンダリー」については別の機会に譲りたいが、一言で言えば「境界線」である。

時には自殺したいと思うほど苦しみに苛まれることがあるが、死は解決ではなく、自殺すれば逃げたい気持ちが永遠に続くと思った。だから、逃げ切れず逃げ場はどこにもない。逃避しても、苦しみは永遠に続くと思う。
人間には限界があり、自分の罪をわかっていくのが人生なのかも知れない。真剣にわかろうとすることが大切である。

聖書は他の本と違っていた。
 
学問するにも知恵も脳も使うのだけれど、聖書は自分を見ながら読まないとわからない(見えない)。聖書の言葉を自分の心に映しながら、合わせ鏡にしてメッセージが見えると言えよう。

だから、何回読んでも違うメッセージがあり、自分の人生に映ったイエスさまを語り、自分の人生を通じて見た神さまの力を話したい。

私は自分を突き詰めていってイエスさまに出会った。
どんなに話しても相手に伝わらない言葉の限界を知った。それは、人間の限界であり、自分の限界を知ることでもあった。
これが、「あの時、聖書がなかったら私たちはつぶれていた」と言ったことの意味である。そして、「祈ろう」と神に助けを求めた瞬間から不思議に変えられて導かれてきた。

わからないものはわからないと神さまに言うのが信仰である。学問でさえ、わからないと言ってそのままにしておくとずっと分からないままだ。わからないところはわからないと言い、中途半端ではなく、トコトン神さまに求めていくことが信仰である。
 

                        以上

神を「信じない」と言えば解決はない。
「信じる」と決断するかどうかが人生の分かれ道だから、今もまた明日からのことを「私は全能で愛なる神を信じます」と、立ち上がろう。私たちの上に神の導きが豊かにありますように祈って下さい。


posted by 優子 at 17:53| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年05月28日

次女夫婦と私のペンテコステ

26日土曜日は、待ち望んでいた谷口先生宅の家庭集会だった。開拓伝道をされている薮野牧師の関係で、今回から10時半に変更になった。

次女の伴侶は同日朝7時半に伊丹空港着陸、9時半には私たちとの待ち合わせ場所である(奈良市)学園前駅に到着していたが、道路が混んでいたので再会したのは10時前だった。

4日間の東京滞在中も主が伴って下さり、娘と私は絶えざる祈りを捧げ、彼は主に守られてほぼ全てのことを成し終えて帰郷した。彼の友たちの助けも計り知れず、私は改めて友情の尊さを知った。
こうして、谷口先生宅前で長女夫婦とも合流して全家族が神の恵みに与った。

使徒行伝1章1節から14節の薮野牧師のメッセージは、私だけではなく次女夫婦の心にも深く届いた。

「神さまの約束を祈って待ち、祈りの結果、神の時が来て聖霊が下った。それがペンテコステ(今年は5月27日)である。教会の誕生日でもあるペンテコステは、クリスマスとイースターに次ぐ大切な記念日である。

14節に書かれてある彼らの祈りは、神の約束を信じて祈る信仰の祈りだった。心を合わせて、真剣に打ち込んだ祈りであった。
心を合わせることは簡単なようであるが簡単ではない。陰のサポーターとも言える背後の祈りは大切だ。

結果的には彼らの祈りが成就したのは10日後だったが、そのことはわからないで祈っていた。
神さまが「良し」とされる時がきたら、必ず応えて下さるのであるから私たちも祈り続けていきたい。」


今回の出来事を通して私も真剣な生き方に変えられていた。
娘たちがここに至るまでの神の守りと導きは、私の目にも見えるほど鮮明だった。
娘夫婦にとっては、それぞれが苛酷な闘いと祈りの5ヶ月間であり、神の勝利を体験した出来事であった。これからの長い人生においても、ビッグスリーに入るような大きな出来事になるだろうと思う。

ペンテコステは、イエスが十字架の死を遂げて悲しみと失望の日々を送っていた弟子たちに、突然、上より聖霊が下り、霊に満たされた大いなる日であった。
「聖霊とは、神の右にあって、この世を支配し続けているキリストの約束の霊、即ち、キリストの霊」そのものであり、勇気と力と喜び、そして、勝利の確信である。


そして、彼が東京へ遣わされる前夜の出来事は、まさしく私たちのペンテコステ(聖霊降臨日)だった。

今、彼の荷物が我が家に到着した。


posted by 優子 at 09:22| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年05月26日

JPニュース"TOP INTERVIEW" より 「経営は人生そのものである」 

先日、日本紙パルプ商事株式会社広報室から『JPニュース
168号』が発行された。その見開きの「トップインタビュー」に夫の記事が掲載されている。
これは4月半ば頃から夫の秘書として手伝ったものであり、夫の経営理念が述べられているので、早速当ブログにも転載して美濃紙業の広報活動に用いさせて頂きたいと思う。


題して、『経営は人生そのものである』!

[プロフィール]ふじもとりょうすけ

1945年生まれ、大阪府出身。大阪経済大学卒業後、美濃紙業入社。1980年取締役、1981年代表取締役専務、1989年代表取締役社長就任。
「趣味はゴルフとテレビでのスポーツ観戦。駅伝からフィギュアスケートまでジャンルを問わない。休日の日課は愛犬の散歩。」

−御社の業容について教えてください。
 
当社の取扱品は、売上高ベースで洋紙が約8割、板紙とその他で約2割です。
洋紙の売上高のうち、約20%が教科書や学習参考書等の出版関係となっており、大阪圏の卸商としては出版社向けの販売が多いのが特徴です。
板紙は少しずつ減ってきていますが、紙器印刷業社向けの白板や書籍の表紙用途の高板などをおもに扱っています。

−昨年FSCのCoC認証を取得されたとお聞きしました。
 
今まで環境に配慮した用紙というと再生紙が主流でしたが、昨年、植林木を使った森林認証紙をお客様に提案し、印刷会社と当社がFSCのCoC認証を取得して、大手家電メーカーの製品カタログにFSC森林認証紙を採用していただきました。

エンドユーザーにおける森林認証の認知度はまだまだ低く、FSC認証を取得しても成約に結びつくケースは少ないのが現状ですが、当社ではこうした新しい挑戦が早々に商売に結びついたことにより、今後も意欲的に取り組んでいくつもりです。

今や地球環境の問題は万人の問題ですから、我々も紙を扱う者としての認識を深め、最良の紙を提示して啓蒙に努めたいと思っています。そのことが企業の社会的責任を果たすことにも繋がると考えています。

−物流施策についてはどのようにお考えですか。


1995年に、東亞洋紙店(現在は光陽社と合併)の物流子会社だったトーア運輸に、大阪紙文具流通センター内の3社が出資して、4社による共同配送を開始しました。

当初は、自社の販売先情報が他社に漏れてしまわないかという懸念がありましたが、企業倫理は守られ、至急の配送についてもお互いの協力により解決し、コストダウンを実現することができました。今後の課題としては、トーア運輸の採算性の問題が残っています。

今年4月からは東亞洋紙店の合併により1社抜けましたので、トーア運輸の経営合理化と新たな参画会社を募って一層の発展に努めます。

−藤本社長の経営に関してのお考えをお聞かせください。
 
商人の鑑とする近江商人の言葉に「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」があります。この考えは時代が大きく変化した現代でも通じる考え方だと思います。現代の社会環境にあてはめてみますと、「買い手よし、売り手よし、世界もよし」ということになりましょうか。
今や一企業、一国の利益だけを追求するのではなく、地球環境に配慮して社会全体に貢献する意識が必要です。
 
その理念にも通じるものとして、資生堂の池田守男社長が語る「V字回復の秘訣」が心に深く響きました。
一般の会社組織は社長をトップにして、役員、管理職、一般社員というピラミッド型を形成していますが、池田社長はこの構図をさかさまにした「逆ピラミッド型組織」を実践されたのです。
 
経営の中心に据えた「サーバント・リーダーシップ」とは、「偉くなりたいと思う者は、みな仕える者になりなさい。」という聖書の言葉からきています。

即ち、社長が一番下になって販売員に至る全社員に仕えるという発想です。
これはクリスチャンである池田社長だからこその発想であり、聖書的価値観に基づいたものなのです。 
私も長年、教会で牧師の説教を聴いていますからよく理解できました。
社員一人ひとりの良さを引き出して、それを最大限に発揮できる人材に育てる、私もそのようなリーダーでありたいと励んでおります。


−社員教育についてのお考えをお聞かせください。
 
当社の従業員数は現在21名ですが、この2〜3年でベテラン社員が定年を迎え、営業の主力が若手社員に切り替わります。目下の課題は、ベテラン社員が有している知識や経験をいかに若手社員に継承していくかということです。

例えば営業部門では、ベテラン社員はお客様と良い関係を保ちながら、適切な利益を確保するような商談をしますが、若手社員は成約させることが先に立ってしまい、必要以上にお客様の要求を聞いてしまうことがあります。
こうしたことをなくすために、若手営業マンをベテラン社員に同行させて、商談の進め方や交渉の仕方を肌身で学んでもらっています。

また、職場環境の向上や業務の効率化を目的として、“改善委員会”や“物流委員会”などの委員会を立ち上げ、社員の間で議論したものを会社に提案してもらっています。
このほか、日紙商の提言書をテキストにして当社の強みや弱みを分析したり、当社の経営課題を明確化する勉強会を行うことにより、社員の主体性を育むための機会を設けています。

−今後の抱負についてお聞かせください。
 
我々の取引先業界である印刷業界は製造業から情報産業へ移行し、この業態変動についていけない会社は廃業せざるを得ない厳しい変革期にあります。
一方、国内の紙需要が伸びない状況下で、メーカー及び代理店の合併が進む中にあって、卸商もまた生き残りをかけた熾烈な戦いをしています。

社長に就任してからの18年間を振り返ってみますと、経営はまさに人生そのものであり、順境な時もあれば逆境の時もあり、そして、自分自身の生き方が大きく反映されることを実感しています。
紙業界においても、メーカーさんに「サーバント・リーダーシップ」を発揮していただいて、流通にも利益が残り、「三方よし」の画期的な枠組みを構築するために、共に使命感をもって前進していきたいと思います。

−本日はお忙しいところありがとうございました。


 日本紙パルプ商事株式会社 広報室 K・Mさんに感謝!    
 この記事を28日にコピーして社員さんに配布予定。

美濃紙業のホームページ・アドレスは、
        http://www.p-mino.co.jp です。
posted by 優子 at 01:10| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2007年05月25日

みことばを握ってつき抜けよ!

   主は情け深く、あわれみ深く、
   怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。
   主はすべてのものにいつくしみ深く、
   そのあわれみは、
   造られたすべてのものの上にあります。・・・

   主は倒れる者をみな支え、
   かがんでいる者をみな起こされます。・・・

   主は呼び求める者すべて、
   まことをもって主を呼び求める者すべてに
   主は近くあられる。

   また主を畏れる者の願いを叶え、
   彼らの叫びを聞いて、救われる。

   すべて主を愛する者は主が守られる。
   しかし、悪者はすべて滅ぼされる。

   私の口が主の誉れを語り、
   すべての肉なる者が聖なる御名を
   世々限りなくほめたたえますように。

                 
                    (詩篇 145篇)


「各々がくぐり抜ける試練は、神が選ばれる。
 その中をどう歩むかは、各々が選ぶ。」

「苦しみは、私たちを壊すためではなく、神に導くためである。」

「神がチャレンジを与えられたら、信仰によって飛び込もう。」

「明日のことはわからないが、明日を握るお方を信じることはできる。」 

「神は見えないところで常に事態を掌握されている。」

「神は聞く耳をもつ者に語ってくださる。」

「神のみそばを歩むなら、神の導きははっきりと見える。」


ハレルヤ!
主よ、感謝します。
今日まで守られて、ここに至らせて下さったことを感謝します。最後まで守りお導き下さい。そして、道を誤っている人々のためにも祈ります。
主を知ること、主が常に共にいて下さることを知って生きる者とされたこと、これ以上の祝福はありません。
最高の人生を歩ませて下さっていることを心から感謝します。

   主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
   疲れることなく、たゆむことなく、
   その英知は測り知れない。

   疲れた者には力を与え、
   精力のない者には活気をつける。
   若者も疲れ、たゆみ、
   若い男もつまづき倒れる。

   しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、   
   鷲のように翼をかって上ることができる。
   走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

             
                    (詩篇 40章28節〜31節)
   
「新しく力を得」の直訳は「力を交換する」であるから、人の力に神の力が加わると解することができ、古き己に死して新しい己に蘇ることである。

「神が召されたなら、それを成し遂げる力も備えられる。」

確かに神は私の愛する次女夫婦を導いて、「人生の急流を乗り越えさせてくださっ」ている。
それだけではなく私の視野をも拡げて下さり、私にも生きる力と希望に溢れさせて下さった。
主よ、ありがとうございます。

「キリストが素晴しいことをして下さると知らせたいなら、まず自分にして下さったことを語りなさい。」

神の子とされた者たちは、神の武具を取り、神のことばと絶えざる祈りと証しによって前進していこう!!

posted by 優子 at 08:49| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年05月24日

求めよ! 捜せ! 門を叩け!

愛には3つの愛がある。
1つめは「〜だから愛する」という" because of "の愛
2つめは「もし〜だったら愛する」という" if "の愛。そして、
3つめは「〜であるにもかかわらず愛する」という" in spite of ”の愛だ。

勿論神さまの愛は3つめの愛である。
私がこんなに相変わらずの人間であっても、神さまは私を愛して下さっていることが深くわかるに連れて、主体的に生きる人間に変えられ続けている。

私が不思議に思うことの一つに、なぜ人々は人生がうまくいっているかのように振舞うのだろうかということがある。
私に見えているところでさえ、決してうまくいっていない人ばかりなのに!
私の人生において、どんなに醜悪な現実に直面しようとも、七転八倒の日々を過ごしながら勝利へと導かれてきた。


今回の苦悩していた時に、「あなたは暗い顔をするからね」と、ある方に言われて嫌な感じがした。うまく叙述できなくて言葉の表情をお伝えできないが、そのように言われるところに、私はその人の人生観の一端を見るのだ。

「暗い顔をして」いて結構!
私はきれいごとで通り過ぎていくことはできないし、それは自分の気持ちを置き去りにするということであり、自分自身と向き合っていないということなのだ。

確かに、私が暗く悩んでいる時には、クリスチャンでさえ遠ざかるという感じもしなくはない。分かち合いたいのに心の中を隠す人が多いので分かち合えず寂しい想いもするが、しかし私は今、私の生き方を誇りにさえ思う。

自分の気持ちを大切にするということは自分自身に向き合うことであり、それは葛藤と向き合うということだ。このことなくして真の解決を得ることはない。


 「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。 
  捜せ、そうすれば見出すであろう。
  門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるであろう。
  すべて求める者は得、捜す者は見出し、
  門をたたく者はあけてもらえるからである。


「求めよ、捜せ、叩け」と、まさに今回の次女夫婦は熱心に激しく求めていったのである。
神の救いは神の自由なる賜物であるが、これさえ求めることなしには与えられることはない。 
「あの時、聖書がなければ私たちはつぶれていた。」と、感謝と喜びの涙を流して言った娘の姿に神の真実を見た。


31日に我が家でもたれる家庭集会「オリーブの会」を、神さまが豊かに祝福して下さいますように!
次女夫婦が集会の恵みに与れることを感謝し、特に今回の昼食は次女たち遠来の客を迎えての「ウェルカム・パーテイー」にしよう。

この2人を祝福された神さまが、2人を通して私たちに新しい力を吹き込んでくださるように!
交わりを通して神に求めることの真剣さと、苦しんでおられる方には叱咤激励と希望を注がれることであろう。
ヨブになさったように!
神さまからの今から祈り備えていきたいと思う。
posted by 優子 at 22:59| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年05月23日

神は愛なり! ―5.21夜の出来事―

一昨日と言えば、朝は暖房を入れたほど肌寒い朝だったが、月曜日がたった二日前のこととは思えないほど遠い日に感じる。その日、夫は旭川にある製紙工場へ紙の出来具合を見るために出向いて不在だった。

   「キリストは我が家の主、
    食卓の見えざる賓客、
    あらゆる会話の沈黙せる傾聴者。」


この言葉の通りイエスさまは常に共に居られて、私たちの会話に深く耳を傾けて下さっていることを覚えながら3人で夕食を始めた。
そして、夕食後のことだった。

私が映画監督ならば、この夜の出来事をどのように表現するのだろうか!!!
話し合っている時、稲妻が私たちの上に落ちたように、神の愛が私たち3人の体内を突き抜けたのだ。
この夕食後に起こった祝福を書き記したいのに、私には表現の術がわからない。
神さまはこれまでの一つひとつのことを完璧に導き、ついに、未だ残っていたかすかな不安を完全に拭い取って下さったのだ。

「備えは完了した。 安心して出でよ!」と、まるで、『ベン・ハー』のシーンにあるキリストに触れた病人が一瞬にして完全に癒されたように、私たちにかすかに残っていた不安や恐れを完璧に取り除いて下さった。

今まで日本とアメリカと離れていても、私たちはメールやスカイプで語り合い、筆舌に尽くしがたい苦悩にも雄々しく前進してきた。特に娘夫婦の苦悩は私の比ではなかった。

再会してからもいろんなことを分かち合ってきたが、娘達だけではなく、私の信仰生涯においても、かくも鮮明に神の臨在を体験したのは初めてだった。

娘と婿が積み上げてきた祈りと備えの真剣さ、多大な時間をかけて成してきた一つひとつを知り、学問を修めながら、よくぞ心身が守られたものよと思う。

鋭くメスを入れていく娘に真剣に呼応する彼、この真摯な2人に対して見事に神の知恵が与えられていくのを、私はたった2〜3日の間にも何度見たことであろうか!

神さまは私達を特別に祝福して下さったのだ!! 
いや、神のみこころに叶っている祈りであるからこそ、真剣に熱心に祈り求める者には必ず与えて下さるのだ。


神は愛なり!
 

電撃的な神の愛、奇跡を体験した私たちは喜びが尽きなくて、その夜(21日夜)もまたチャッピーの散歩は夜中の11時過ぎになり、ベッドに入ったのは午前2時を回っていた。あまりの栄光を拝したので、疲れているのに感謝の祈りが尽きなかったからだ。

神の平安は努力や訓練、修行で得られるものではない。全て神さまからのものだ。熱心に求め続けてきた2人を勝利へと導かれたのだ。
今は語れないが、いつか時が来れば、神さまは彼らに語らせられるであろう。その専門の道においても娘たちは神さまからのビジョンを受け取っている。

このような苛酷な試練を与えられた主は、彼らの上に神の栄光を現そうとされているのだろう。若い2人の人生に神のみこころを実現しようとされているのだから、摂理に任せてゆけばよいのだ。
これからも神のみことばに従っていくのだ!
こうして神さまに完璧に備えられた婿は、昨朝、伊丹から東京へ飛び立った。


娘達が帰国しているたった3週間ほど一緒に居られるこんな時に限って急務が生じるものである。
この出来事の流れの中で時系列的に話が前後するが、21日夕刻に民生関係の急な連絡が入り、あるお宅へ走って行った。帰る時には暗くなっていたが、娘夫婦がミネソタ生活でよく作っている料理を作ってくれていたので8時頃から夕食につけた。

そして、昨日もまた午後の全ての時間を捧げなければならなくなったので、次女には長女との再会の日にしてもらい、姉の家に向かった。私は共に行けなかったが、2人はきっと尊い時間を過ごしたことであろう。

月曜日の朝、長女が婚家先から頂いてきたスナックエンドウのおすそ分けを婿から言付かった夫は、エンドウ持参で北海道へ行って来た(笑)。

昨夜、姉と別れて8時過ぎになった次女を迎えに、チャッピーの散歩を兼ねて駅まで行った。長女を送り迎えしていたことが懐かしく、そして、次女はまたアメリカへ戻るのかと思うと寂しくなった。私の気持ちも、アメリカへ「行く」のではなく「帰る」に変わっている。

娘の2台あとの電車で夫も無事に帰宅し謝祷した。
夫や次女のお土産話で花が咲くかと思っていたが、お互いに体力の限界を超えていたので、話もソコソコにして12時過ぎにはベッドに入った。

昨日のクライアントのためにも祈ろう。
神さまに遣わされた者として心をこめて面談に加わったが、直面している問題に直視できる人は何と少ないことだろうかと思う。大変な出来事なのに、それ以上に大変なのはその人の心だ。
人の心、生き方こそが問われているのに!!
問題を直視すれば道が開かれていくのに!!
自分自身に向き合わなくて解決はないのだ。


連日のこともあり、もはや憤りではなく悲しかった。
しかも、民生委員という公的な立場では神さまを伝えられないもどかしさがあり、このことも委員を拝命した当初から感じていたことである。
しかし、「それでも道は開かれますから!!」と、祈りながらお伝えしたのだった。

posted by 優子 at 10:23| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年05月21日

礼拝メッセージに聴く神の声

今日(正式には昨日のこと)の礼拝説教では、出エジプト記
3章1節〜10節からメッセージを執り告がれた。

「礼拝に出る大きな目的は、どういう現実がありましても、そこから目を離して、天的なもの(神)に目を向けるということです。」とメッセージの冒頭から、私は神さまからのダイレクトで力強い励ましを受けた。

その要諦をお分かちしたい。

イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセは、聖書に出てくる5大人物の中に入る一人である。
モーセの両親、特に母は愛と際立った信仰を持っていたのであろう。それは、我々が考えているような物事がうまくいくことではなく、その子が神さまを見て真っすぐに成長でき、信仰を宿すことができるようにと願う祈りであった。

信仰は押し付けるものではなく、祈りによって伝えられていくものであり、決して強制できるものではない。母に祈られていたモーセが信仰を賜ったように、神さまはあなたの涙の祈りを決して忘れない。

そして、神のみことばが私たちの魂に触れていく時、神さまから与えられた使命に目覚めていき、願いと情熱が与えられて献身の思いへと導かれていく。

王の息子として育てられ、なに不自由なく40年を過ごしたモーセであるが、40歳からの荒野(あらの)の時代には能力も立場も何も発揮できない時だった。
モーセのプライドを砕き、ただの人になるための40年間を経て、神に用いられていくようになる。
そして、ただの人になった時に残ったものは何か。
それは、信仰である。
神の国における視野、神の展望を持つためには、自分の自我が砕かれないと見えないのだ。


神はモーセを一つの民族を導き出すリーダーにするために
40年間を費やされた。その間に、モーセは自分の弱さを理解し、優しさと思いやりを身につけていったのである。

我々に葛藤があり、痛みがあり、それらを通りながら弱くされていくことは幸いなことなのである。

神は私達を用いることが目的ではなく、そのような人物に築き上げることを喜びとされている。神は私達を愛しておられるだけではなく、信頼して下さっているのである。その信頼に応えるためには能力と情熱と献身、そして、神の国の視野が必要であり、それは自我が砕かれた時に大きく拡がっていくのである。

それゆえに試みを受け、闘いがあることは良いことなのである。神は私を信頼して下さっているから、私はその信頼に心から応えたいとメッセージを結ばれた。

このメッセージを個人的に賜ったものと受けとめた私は、新しい希望と力を得て教会をあとにした。

そして昼食を摂りながら、次女夫婦にも早速メッセージを伝えた。
今朝も是非一緒に礼拝にと願っていたが、長旅の疲れをとる睡眠時間もなく、疲労の色は濃くなるばかりの中にあって、連日の長時間に及ぶ備えのために已む無く欠席した。

   「人生の意味を知らない者のようにではなく、
    むしろそれを知っている者として、
    しっかりと責任をもって生きなさい。」

        
           (エペソ人への手紙 5章15節)

と、神さまが娘夫婦を激励して下さっているように感じる。

私はブログを毎日書くものとは決めずに、示されるままに書いているが、今夜も深夜になったにも関わらず書きたくて書いた。しかし、今夜もまた推敲しないものをお読みいただく無礼をお詫びしたい。
次女と共に過ごせる今もまた、私の整理上、次女関係のことは「ミネソタ便り」としよう。
posted by 優子 at 02:00| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年05月20日

「ツイてる」話・パートUと、見上げた信仰者ふたり

16日に続いて、「ご機嫌たまの宅配書店」より「ツイてる話」です。
   
        感謝と嬉しさ

斎藤一人さんのお勧めですが、「ツイてる」という言葉を一日に千回言うと良いそうです。
私の知人は百円ショップでカウンターを買って「ツイてる、ツイ
てる」とカチカチやっています。

例えば、雨の日に車に水をかけられたら、「スーツを着てなくってよかったツイてる」と自然に、前向きに思えるのかな。
 
人は嬉しいから感謝をするのではなく、人は感謝するから嬉しくなるのです。
私は感謝して生きてゆきます。

「天国言葉」の「許します」が言えないとよく聞きます。
そういう時は、「ツイてる」の前に「あの人のおかげで」を入れます。
「あの人のおかげで」今の自分がある、だから「ツイてる」、「(だから)ありがとう、許します」となります。


共感共感!!
何度読んでも笑ってしまいます。あなたも笑って下さいましたか?
気持ちがダウンしておられる方だっておられるだろうと思って、実は17日の夜に夫がお風呂から上がってくるのを待ちながら、1時間もかかって探し出してきた涙ぐましい愛なのです。

今夜(19日)も昨日に続いて、遅くまで充実した一日でした。
次女夫婦と何度も神さまの話に時を忘れて話し合いました。
こんなに大きな奇跡ってあるでしょうか!!!
次女夫婦の信仰は見上げたものです。
百卒長を褒められたように、イエスさまはこの2人を喜んでおられることでしょう!!

引き続きこれからも豊かな祝福の中を歩ませて下さい!!


そんなわけで、チャッピーの散歩は日付が変わった12時5分からになりました。
さすがに私も眠くて、「オシッコを3回したからいいか・・・」と、チャッピーには10分だけで終えてもらいました。そして、娘がお風呂から上がったあと直ぐに入った次第です。

明日の朝は9時から町内会の草引きに始まり、そのあと大急ぎで教会に行きますので、今夜のうちに「ツイてる話」第2段を掲げておきたいと思います(^0^)。
と申しましても、このシリーズはこれでおしまいです。
今後は皆様からの「ツイてる話」を常時大募集させて頂きますので、どうか、私を笑わせて下さい。

では、おやすみなさ〜〜〜い。眠たいです。






posted by 優子 at 02:14| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年05月19日

神の恵みはあなたにも差し出されている!!

夕刻7時23分、「ママ!真智。無事に着いたよ。今から難波(なんば)に向かいます。」と言う一報が入った。
直ぐに感謝の祈りを捧げていたら、既に難波に到着して2人を待っている夫からも真智子から電話があったことを知らせてくれた。

そして、9時10分頃だっただろうか、チャッピーがひと鳴きしたので外へ出た。
「お帰りなさい!」
娘は着陸寸前に飛行機に酔うほど疲れきっていたので遠慮したが、私は婿を抱しめた。

主よ、感謝します。

無事に再会し、4人で食前の祈りを捧げて遅い夕食が始まった。

2人はしみじみと、神が厳然として存在しておられることを話した。そして、疲れている今夜も聖書をもってベッドに入った。
主に立てられた2人を神が完璧に導き守っておられるのを見た。

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私も聖書を開こう。
あの方々も、これを読んで下さっていることを願いつつ、神さまから私の心に示されているままにお伝えします。

罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。

悪しき者はその悪しき行いによって滅ぼされ、
正しい者はその正しさによって、のがれ場を得る。

悔い改めて、あなたがたの全てのとがを離れよ。
さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。あなたがたがわたしに対して行ったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。

今は恵みの時、今は救いの日です。


神の恵みはあなた方にも差し出されているのです。
神の「恵み」とは、「あなたの罪は赦された」という、完全な赦しの宣言であり、それをあなたが「ありがとうございます」と受け取った時に、神による修復が成されていきます。

人生を無駄にしないでください!

神さまはあなた方を愛しておられるから全てのことを明るみに出されたのです。今、神さまがあなた方に手を差し伸べておられます。どちらを選択するかはあなた自身が決めることです。
神さまは決して強引にはされません。祝福を受けるか、滅びに至るかはあなたの選択に委ねられているのです。
「今は恵みの時、今は救いの日」なのです!!
神の豊かな導きがありますようにお祈りしています。


日付は19日ですが、18日を終えて今から就寝します。
posted by 優子 at 01:29| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年05月18日

神に祝福される人 ―癒しのシャワーをあなたにも―

人生は退屈どころか刺激に満ちている。
「そんなことぐらいで!」と、重い病気や経済の破綻などの深刻な出来事を経験された方からは一蹴されるかもしれないが、悩みもまた人と比べてどうのこうのではないから、気持ちを分かち合うことは幸いである。

私はイエスさまとの関係が深まるにつれて、どんな悩みであれ問題の焦点は、常に一つのことに集約されることに気がついた。即ち、問題の最終段階は自分のエゴから解放されることだ。

畢竟、全ての問題の解決は、自分から自由にされることであり、それは、神さまを通してのみ可能である。平安な時には自由があるから、平安は霊的状態の大切なバロメーターでもある。神と一致して事を進めていく時には、道が開かれていくことも何度も経験済みだ。

それなのに、1ヶ月ほど前は平安がなく苦しみの中にあった。悶々とする4ヶ月を過ごして問題自体への苦悶は委ねることができたが、相変わらずの自分の姿に苦悩した。
私は自力の信仰なのだろうか。
そうではないはずだ。
もしもそうであるならば、どうすれば柔和な人格に変容するのかと、烈しく神に問うていた。求めているのに得られないのは、神さまの責任ではないか。自己嫌悪に悩むことほど苦しいことはない。

そして、このように間違った方向に悩んでしまっている時は、無意識であっても他者と比べていることにも気づいた。
神さまは「そのままでいいんだ」と言い続けて下さっているのに、「ダメだ、ダメだ」と思ってしまう。

本性に戻ろう戻ろうとする姿は、物理学では「○○の法則」と呼び名がつけられていたように思うが、それと同じである。心理学でも似たような概念があったが、常にどんな時も闘う相手(敵)は他者ではなくて自分自身なのだ。自分自身ほど困難で強い敵はいない。

以下は平安が戻ってから、たまたま開いた『人生を導く5つの目的』からの抜粋である。まるで癒しのシャワーを浴びているようだった。

聖書は語っています。
「神は強い人々を辱めるために、この世の弱い人々を・・・意図的に選ばれました。」
あなたが弱さを抱えているのは、偶然ではありません。神は、あなたの弱さを通してご自分の力を現そうとしておられるのです。

神は、自分の力に頼ろうとする人には感心されません。
むしろ、神は自分の弱さを知り、その弱さを認めている人の近くにいてくださるのです。主イエスは、自分の必要を素直に認める人を「心の貧しい人」と呼ばれました。これが、神に祝福される人に見られる、第一の心の態度です。・・・

神は、「謙遜な者に恵みを施される」お方です。
謙遜とは、自分を押さえ込んだり、自分の長所を否定したりすることではなく、正直に自分の弱さを認めるということです。あなたが正直になればなるほど、神はあなたに恵みを与えて下さるのです。

私たちが傲慢にならないように、長所だけではなく短所も与えて下さっているのです。私たちが弱さを覚える時、神を慕い求めるからです。

あなたは自分の人生において、一つの決断をしなければなりません。
人々に良い印象を与えていきたいのか、それとも人々に良い影響を与えていきたいのかを。

人との間に距離を置いておけば、人から良く思われることもそう難しいことではないでしょう。しかし、影響を与えるためには近づかなければなりません。
人に近づけば、あなたの欠点も人の目に明らかになるでしょう。
しかし、それで良いのです。リーダーにとって最も大切な資質は、完全であることではなく、真実であるということです。


今一度、神さまにより自分自身から解放されて自由人として生き始めている。
最近よく思うことの一つに、私が天国に到着した時には、全ての人が私と同じであったことを知るのではないかと思えてならない。
「そうだったのか! みんな同じようなことを感じていたんだ。醜いのは私だけではなかったんだ!」と。
ならば、素直に、厚かましく、みことばを頂戴しなければ損だ。何度も何度も、毎日毎日、神さまの祝福を頂いて、大いに神さまの愛の中で人生の冒険をしなければ今を無駄にする。

常に悔い改めて、何度も赦していただいて、そのあとは、幼子のように自分の姿に悩まないで、主を喜んで生きよう。
主に在る兄弟姉妹と共に励まし合いながら。



posted by 優子 at 08:13| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年05月17日

主に備えられて真智子たちを迎える

いよいよ真智子たちは日本へ向かう。
ハレルヤ!
感謝します。僅かな滞在ですが、どうか主よ、2人の霊肉の疲れを癒して下さり、最善にして最高の時間を過ごさせて下さい。主のみわざが成されますように祈ります。

昨夜10時頃(ミネソタの朝8時頃)から1時間半、私たち夫婦と真智子たちと4人でスカイプした。

「神に従って行けば 行き止まりになることはない。
 神が痛みを通して教えられることは、全て私たちの益になる。」


今、一切の経緯を読み終えたが、私の心は主の平安と愛に満たされている。

再会にあたり全ての備えを成された神さま、あなたの御名を讃美し、感謝します。
あなたは真剣に求める者には、どんな時も、必ず責任をもって導き祝福して下さいます。あなたにお従いできたことを感謝します。
私の想いに寄り添い、ここに至らせて下さったことを感謝します。これから経験する痛みの中を通る時も、私を支え導いて下さい。導かれる者として下さい。


日本に向かっている真智子たちをあらゆる危険からお守り下さり、明日の夜、この胸に抱きしめさせて下さい。今まで彼らと共に居て下さっていることを感謝します。どうか娘夫婦が地上を去る生涯の終わりまで神と共にありますように、母である私は何よりもそのことだけをお願いします。

そして、私が日々関わる人たちにまことの神をお伝えすることができますように、私を砕き、整えて用いて下さい。心に覚えている方々お一人おひとりの上に、また、このブログを読んで下さっている方々の上に神さまの豊かな祝福を祈ります。

posted by 優子 at 11:09| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年05月16日

何度読んでも、どんな時でも笑ってしまう「ツイてる」話

時間がある時に訪ねる私のオアシスからお笑いをご紹介します。
「ご機嫌たまの宅配書店」と言って、すごく鋭く豊かな感性の持ち主で多くの気づきを与えられます。今年、遊んでいる時に出会ったクリスチャンのサイトです。そこからのご紹介です。
あなたもきっと笑うよ!

 斎藤一人さんの「ツイてる!」という本を読んでいます。
「今日は曇りだ。どんよりしてイヤだな〜」と感じたら、その後で、「でも、ツイてるな」と言うのだそうです。
「どうしてツイてるの!」と突っ込みが入りそうですが、「人知を超えるほど、自分はツイてるんだ」と書いてありました。
「人のすべての考えにまさる」、
「人知をはるかに超えた」という感じでしょうか。
気持ちや感情、理屈はともあれ、「ツイてる!」と言う(書く)
ことから始まります。

「天国言葉」効果集(1)

「ついてる」「うれしい・楽しい」「感謝してます」「しあわせ」「ありがとう」「ゆるします」(「天国言葉」斎藤一人)をまだ続けています。

 その効果かどうかわかりませんが、
・ 家の庭のダンボール箱に時々、ビンやコーヒーの缶が捨ててある →路上に散らかされなくてこの箱に捨ててくれてツイてる

・ 頓珍漢な質問→自分が深く考えることができツイてる

・ 中古で安く買ったCDに斑点→音跳びがないか繰り返し集中して聴けてツイてると思えました。


面白いでしょう?!
前はもっとあったように思いますが、今は見つける時間がありませんのでアシカラズ。

(神様が)ツイてる、
(だから)うれしい、たのしい

 これでいつでも違和感なく「ツイてる」とカウントできます。
 「ツイてくる」と言うと少し感じが違ってきます。
 ともあれ、どんな時も神さまはあなたにツイてます。


今日は怠け、しんどくて午後は2時間寝ていました。しかし、2ヶ月前くらいから夜も昼も熟睡できないのでスッキリしません。しんどいからとブラブラしてしまい、私もかようないいかげんな人間です(笑)。
少し元気になったのでこのサイトを開いていましたら、入院中の社員のご夫人から吉報が入りました。
ついに胆汁は完全に止まり、今日から2センチずつ管を外に出しているとのこと。

ハレルヤ!!!
神さま、感謝します!!!
ありがとうございます!!!
言葉では言い尽くせぬ今までの辛い日々を耐えさしめ、また、そのご主人を支えてこられた奥様をお守り下さりありがとうございます。
退院の日も近いと伺いました。
あなたが備えて下さっている自然治癒力をいよいよ盛んならしめて、どうか完全に癒して下さい!!
これからは、私たち健康な者にはわからぬ快復の喜びを与えて下さることでしょう。まだ、食欲はないとのことですが、焦らずに一日一日ゆっくりと元気にして下さい。

私達を造られ、命を握っておられる神さま、感謝します。
このことを通して神と出会われますように、引き続き守りお導き下さい。
そして、私の身に起こる時も彼のように耐えさせて下さい。夫が病床に就く時もご夫人のように夫を励まし支えることができますように。そうしてくださることを信じて、明日からのことも全てを委ねて一切心配しません。


とにかく、神さまと知り合いになれてツイてる!!! (^0^)

このカテゴリを何にするか迷った末に、「美濃紙業関係」とした。仕事関係の方が気が向いて、このカテゴリだけを読んで下さるかも知れないと思ったからだ。
読み終えた方が「どうして『美濃紙業関係』なんだろう」と思われても、そう思った時には少しでも神さまのことを読んでもらえたのでツイてる 長いオチ。わーい(嬉しい顔)
posted by 優子 at 18:06| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

日々、神のみこころに添う選択を!

昨日は読書会(テキストは遠藤周作の『落第坊主を愛した母』)だったが、4月から頭の揺れが未だ解消せず、夜10時頃までの10時間に及ぶ外出は自信がないので欠席させて頂いた。

午後の数時間は同じ町のO姉のお誘いで数時間を共にし、6時半から大阪商業大学事務局の方々をお招きしての歓送迎会に出席した。
私は役員だからということもあり、苦手な酒の席にも出るようにしているが、構成メンバーは長年文化活動されている方たちばかりなので、終始文化の話題で花が咲き退屈しない。

特にいつも興味深く感じるのは、市の職員やOBの方たちの話だ。勿論お役人として来ておられるのではなく、ご自身が会の主宰者である文化人であるから東大阪市の文化発展のために熱いのだ。

昨日の席でお聞きしたのは、「野崎参りは 屋形船でまいろ」で全国的に知られている野崎のことだった。この歌はたしか、直立不動で歌っておられた、まん丸めがねの東海林太郎さんの持ち歌ではなかったかと思う。
私の親の世代で流行した歌だが、50代以上の人ならば耳に残っておられるだろう。題名は「野崎小唄」と言うらしい。

野崎参りは 屋形船でまいろ
どこを向いても 菜の花ざかり
粋な日傘にゃ 蝶々もとまる
呼んで見ようか 土手の人

野崎参りは 屋形船でまいろ
お染久松 切ない恋に
残る紅梅 久作屋敷
今も降らすか 春の雨

何かすごく懐かしくて、何が懐かしいのかと言えば、この歌を耳にしていた娘時代であり、懐かしいのは両親のことだった。

ところで、その方たちは野崎の菜の花漬けと共に市のアピールをしようと熱く語っておられた。その方々から、『あしたづ』に掲載して頂いている私の作品について、「いい文章を書いてはる」と褒めて頂いてすごく嬉しかった。きっと内容に共感して下さっているからだと受け止めた。
お酒がそう言わせたのだろうか(笑)。

この嬉しさの勢いに乗って、私を民生委員に推薦して下さった方にも、最新号の『あしたづ』と共に『リア王・・・』や『かわちの』をお届けした。
この方は3年前に、『文学作品に見る人間の実相』をお読み下さっていたが大きな病気をされたので、その後は遠慮し中断していた。しかし、もうすっかり全快されているのでこれを機会に、今朝、お届けすると大喜びで受け取って下さった。
今年もまた11月末締め切りで原稿募集されるから、そろそろテーマを考え始める時期到来だ。

そして、いよいよ18日の夜に次女が帰国する。
特に今回の交わりの時間はとても大切なので、日本にいる間は娘たちとの時間を優先したいと思う。27日の郷土文化見学会(カテゴリ「読書会関係」の4月6日を参照)はお役目もあるので、娘たちを誘って大阪の町を一緒に歩くのも良しと思っていたが、やはり礼拝への促しを感じている。

昨夜の歓送迎会のあと、当日の役割分担などを話し合われていたが、心苦しくも会長と副会長さんに休ませて頂くことを申し上げ、皆さんが快く了承して下さって感謝している。

また、先日亡くなられた大阪商業大学前学長の学園葬が6月3日にあり、この日は第1聖日なので娘達と共に聖餐式の恵みを楽しみにしているが、さすがに「この日も・・・」とは言えなかった。滞在期間中に民生委員の外出も3〜4回ある。

教会や教界の活動ではなく世俗で活動する者は常に闘いがある。クリスチャン一人ひとりの言動は重く、いずれにしても人の歓心を得ようとしないように、責任を果たしつつも、許される限りは信仰をもって境界線を引いていきたいと思う。
posted by 優子 at 11:27| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年05月15日

母の使命と幼児教育

昨朝は民生委員会から幼稚園児の登園時にティッシュ配りをした。去年は保育所を担当した。園児の小さな手にはティッシュさえ大きかった。

園の先生と立ち話ししながら、娘達がお世話になった幼稚園の先生を思い出していた。
私にとって長女の入園は、特に強烈な印象として残っている。

短大で幼児教育を学んだ人たちが、専門職員として活動しておられる姿は私の目に眩しく映った。何の問題意識もなく大学時代を過ごし、まもなく見合い結婚し、すぐに子供達を授かり、ボヤ〜〜と生きていた私には、彼女達の姿は衝撃的だった。

私とはさほど変わらない年齢の人たちが輝いていたのだ。その衝撃に始まる長女の入園は、子供の成長だけに留まらず、私の社会性が育まれていく始まりであり、母親としてだけでもなく人生の始まりでもあった。

それから27年、昨日は懐かしさというよりも、初めて幼児教育について関心を持って保育者や園児達を眺めていた。先生とも少し話した。
そういえば、去年の幼稚園創立50周年の記念誌に私のメッセージも刻まれている。冊子が見当たらなくて正確なことはわからないが、限られた字数で伝えたことは、

「ゆりかごを動かす手は世界を動かす」のだから、高い理想と情熱をもって幼児教育に携わっていただきたいという要旨だった。

幼稚園生活の2年間は、幼児だけではなく親にとっても大切な時である。現代のような時代であるから尚のこと、幼児教育はもとより親を導くという重要な使命がある。
三浦綾子さんは書き残している。

「母親は子供の魂の導き手。子供が母の言葉を聴き、することを見て育つ、子供は親を真似て育ちます。

『親は針、子供は糸だ』とよく聞きますね。
針が真っすぐに進めば、その縫い目も真っすぐになります。
曲がって進めば、正直に縫い目も曲がります。
この社会を造っている私たち大人は無責任に生きられません。」


どんなに時代が変わろうとも、子供の問題は親の問題であることに変わりはない。

「神よ、私の母を祝福して下さい。・・私の全ては彼女のおかげです。」とは、リンカーンの言葉である。
神への篤い信仰に生きた偉大な母が、わが子を神に用いられる器に導いたのである。


神さまは昨朝の小さな任務さえ用いて、私を主の牧場(まきば)に連れ帰って下さった。こうして、「母の日」の一日遅れの昨日、神により心の棘(とげ)と悲しみを取り除いて頂き、神の平安と感謝に満たされたことを感謝した。

そして、昨夕も時間が与えられて義母と散歩をした。人のうわさ話で終わりませんように・・・主は会話を導いて下さった。

私たちが引っ越してくる以前は、テニスコート横の急な坂道は義父と義母の散歩コースだったそうだ。
「おじいちゃん(義父)は、いつもここに座って休憩していた」と義母に教えてもらった。

その姿を想像しただけで私は涙が出た。
「思い出しても、お義母さんはもう悲しくないの?」
「思っても仕方がないことだから・・」と、少し寂しそうな顔をした義母。

この石にお父さんが座っていたことを夫に話してやろう。
何度も何度も通っている道だ。
そして、いつかまた昨日のことも思い出になるのだろう。
posted by 優子 at 10:40| 教育 | 更新情報をチェックする

2007年05月14日

『花さき山』の如く 天に宝を積む

私の好きな絵本の一冊に『花さき山』がある。斎藤隆介の文と滝平二郎の絵ともに素晴しい。
山菜を採りに行った10歳のあやは山ンばに出会い、やさしいことをすると美しい花がひとつ咲くと教えられた。花さき山の物語は、心に残る感動の名作絵本だ。

ImgDispBookR.jpg

かつて、PTAの広報でペン活動していた時の記事を転載したい。15年半前のものであるが、決して賞味期限切れの文章ではなく、それどころか時を経て、より一層に声を大にして伝えたい内容である。

     子供の感想文に感動する

『花さき山』を読んだ小学校2年生の女子(高知県)の感想文をご紹介します。

本のまん中のページは、真っ黒で、その中に、白い字で、
「そのなみだが、そのつゆだ」と、書いてあるだけです。
白い、大きななみだのつゆと、うす青い花が、ひとつだけさきかけているさしえです。
でも、ここを、よむのに、いちばん、時間が、かかります。


この感想文を読んだ時、あまりの驚きに言葉が出ませんでした。小学校2年生の小さな子が、読書の楽しさを知っているのです。
書いていないことを想像する楽しさを知っているのですね。
自分の経験を思い浮かべて、自分も辛抱して、あるいは、頑張って咲かせた自分の花を想像していたのでしょう。

    (1991年11月22日発行 ふじとニュース17号より)


美しいものや気高いものに感動できることの素晴しさ、私はそこに人間の尊厳を見る。

山ンばは言った。

「あや、おまえの あしもとに さいている 赤い花は、
それは おまえが きのう さかせた 花だ。」


きのう、妹のそよが祭りの赤いベベを買ってほしいとせがんで母親を困らせた時に、

「おっかあ、おらは いらねえから、そよサ かってやれ」

と、あやが母親に言った時に咲いた花だった。

優しさと辛いことを辛抱したけなげさが花になる。
「自分の宝を天に蓄えよ」と言われたイエスの教えと重なり、あやのように天国に花を咲かせていきたいと思う。


「あっ! いま 花さき山で、おらの 花が さいてるな。」
posted by 優子 at 14:54| 掲載文 | 更新情報をチェックする

2007年05月13日

「母の日」は心痛んで終わった 

5月の第2週目の聖日は、世界中の教会で「母の日」礼拝がもたれた。我が亡き母に感謝の念を深くし、母として子への想いを新たにした。
礼拝後のファミリー会にも参加し、夫の承諾を得てのことだが教会を出たのは2時半近くになり心苦しかった。

その足で、毎年ゴールデンウイークの頃に買っていた野菜の苗を買いに行った。やはり1週間遅いと殆ど無くて2つ目の店で何とか手に入れることができた。
帰宅後、気になる家事もそのままにして義母との時間を優先し、苗を植えたり、赤えんどう豆を取ったりして過ごし、そのあと、苗を買い足すために一緒に近くの花屋さんを訪ねた。

ここにはあったという夫の喜びよう!
キュウリ、ナス、トマトなど、夫は母一人分に私たち2人分よりも多く買う。こういう時はいつも寂しさを感じる。

その後、義母は散歩の間中、老人会で聞いてくる鬼嫁に泣く気の毒な未亡人のことを話し続けた。この話も既に3度目。
私は時間を共に過ごすことが最高のプレゼントだからと7時まで共に過ごしたが、肉体的疲れに精神的疲れが加わった。

義母は恵まれた人だと思う。

漸く夜の10時半を過ぎてパソコンを開くが、父と母の日々とあまりの違いに胸痛み号泣した。
熟睡していたチャッピーは、泣いている私を心配し回り出した。そして、傍に行くとお座りして、「泣かないで! 泣かないで!」と必死で手を出してきてくれる。チャッピーを心配させ続けてはならぬと涙を止めた。

やはり、この世は不条理極まりないと思う。

しかし、私はもう、その問題については神の領域であるという結論に達したから、「もういいのだ」と何度も自分に言い聞かせた。

先のことだけに目をやり、自分の命の日々を精一杯最善を尽くして生き抜くのみ。私は義母のように人のことを批判している暇などない。そんなことで時間を使いたくはない。

義母よ、人ではなく自分の人生に関心を持ってほしい。気の毒な友の話を聞いたのならば、自分自身はどうなのかを思い巡らせて気づきを得て、嫁たちにも恵まれた老後の幸せを、真に、思いっきり味わう日々を送ってほしいと願う。

教会の兄弟姉妹たちのために祈った。

今日届いていた次女からの「母の日」のグリーティングカードや、3日にプレゼントと共に手渡してくれた長女の手紙を何度も読んだ。
posted by 優子 at 23:59| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2007年05月12日

ストレスフルなチャッピーとチャッピーストレスの私 

蚊が出てくる前のこの時期は、フィラリアの薬を処方して頂くために動物病院行きで、チャッピーにとっては昨日に続いて今日も受難日だった。

帰宅した夫に小休止してもらって3時過ぎから出発した。隣町の二上(にじょう)駅前の医院である。3年ほど前には医院の前で嫌がるチャッピーを引っ張った時、首輪が抜けてしまって困り果てたことがあった。

チャッピーは近鉄電車の線路内を悠々と走っている。
小さい子供の機嫌をとるように言葉をかけながら追いかけ続けた。通過する電車に轢かれたのではないかと目を閉じたり、電車が二上駅に到着したことにも気がつかず、私が轢かれるところだったとヒヤッとしたり、飼い主が呼んでも全く言うことをきかない。

医院の人から頂いた餌でおびき寄せても、近くまで来るが逃げてしまう賢さ。ちっ(怒った顔)
「この餌なら臭いが強いですから。」と別のを持って来て下さり、疲れたチャッピーも餌に釣られて夫とはさみうちで御用となった。1時間以上の捕り物で疲れ果てた。


今日も車から降りたチャッピーは直ぐに察知した。
野生の馬が「ヒヒーン!」と暴れている様子を想像して頂きたい。かつての悪夢は2度とゴメンだ。昨日、首輪を緩めてやったままで窮々にするのを忘れていた私は、チャックンを抱きかかえて医院に入った。

私の手から暴れ降りたチャッピーは、ストレス度最強に達して回る回る、『ちびくろサンボ』のトラがバターになる場面とは比べものにならないくらいの高速である。

チャッピーを買い求めた生後3ヶ月の時から回る癖があり、嬉しい時も回るのだ。ペットの番組に応募して賞金を稼がせようかと思ったこともあるほどだが、今日のようなストレスの時の回り方は全く違う。小さな円を高速回転する。
かわいそうに、理屈のわからないチャッピーにとっては計り知れぬ恐怖なのだ。

まんが悪く15分以上も待たされてストレスが極致に達したのか、今日は待合室でオシッコまでしてしまった。がく〜(落胆した顔)
しかも、大量に。ふらふら

幸いにして、血液検査の結果も異常なし。体重は注意はされなかったものの、やや重めの9.8キロ。11月までの薬、6回分をもらって帰った。10800円也。ちなみに、こちらで狂犬病の注射をして頂くと700円アップの3900円とのことだった。

次回は秋にもう一度、8種だったか12種だったかの混合予防注射に来なければならない。
チャッピーは経験を重ねるたびに扱いにくくなり、私のストレスもかなりのものである。しかし、チャッピーは私のストレスどころではないに違いない。

今夜は1階と2階のイビキでやかましいことだろう。犬も人間と全く同じイビキをかくので笑ってしまう。

posted by 優子 at 23:01| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

ミネソタの気温も30度!

「今日はなんと30度だったよ。
カラッとしているから、家の中だと冷房なしでも平気で、汗もかかない状況だったけど。」
とは、ミネソタ10日の気候である。

マイナス30度まで下がる地だから、今頃は日本の2月くらいの気候かと思っていたが、このメールを読んで私の中のミネソタは一気に明るい季節に塗り替えられた。

日本でも9日は30、4度だったが、翌日は20、8度に下がり、雨の肌寒い一日となった。
姑は「おこた(炬燵・こたつ)を出した」と言ったが、そのような人も何人かおられた。
毛布やカーディガンも洗濯してなおした(かたづけた)のに出してきたとか、また洗うのは嫌だから出さずにクッションを抱いて我慢したとか・・・道で会う人会う人が話題にし、昨日の民生委員会でも、会議後の乳幼児のおもちゃを作りながら同じ話題に花が咲いた。

私は幸運にも時間切れで電気カーペットを片付けられなかったおかげで、10日だけではなく昨夜も快適だった(^−^)。今朝の朝刊を見ると昨日の最低気温は11度で、まだまだ朝夕は肌寒く、午後1時を過ぎないと家の中は寒い。

さて、真智子たちは、11・12日が今期最後の試験で奮闘中だ。これが終われば1年目のコースワークが終了とのこと。
14時間の時差のあるミネソタから、
「確率論のテスト終了し、残すところ、明日のマクロのみとなりました!がんばります。」
と、メールが入っていた。
アメリカなのに土曜日も平日並みなんだ・・・。美濃紙業も今日はお昼まで出勤で、9時から全体会議が始まっている。

いよいよ帰国する日も近い。
来週の今頃は2階のベッドで寝ていることだろう。

主よ、全てのことをお守り下さっていることを感謝します。
2人を無事に日本まで送りとどけて下さり、あなたと共に幸いな時を持たせて下さいますようにお祈りします。
posted by 優子 at 09:49| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年05月11日

チャッピーの予防注射・無事終了

日が近づくに連れて気になっていた狂犬病の予防注射(私ではないですよ!)が無事に終わってホッとした。

去年は特に困ったのだ。
会場の50メートルほど前から怖がって歩いてくれず、こともあろうにチャッピーは地面に貼り付いてしまった。とにかく怖がりなのだ。そして、何とか到着したものの接種させてくれない。
「チャッピー、お願い!キャー! 」
「抱きかかえてください!」
注射器を持った獣医さんや市の職員さんも必死になって言って下さり、私は叫びながら格闘したが、
「ここでは無理ですから動物病院でして下さい」ということになり、トボトボ帰って行った。

しかし、これでは情けない!

せっかく頑張ったのに、この機会を無駄にしたくなかった。それに個別にしてもらうと、いくらか知らないが費用が高くつく。
「よし!!」と気合を入れて、もう一度挑戦することにした。

職員さんたちは、「また来た」という感じで笑っておられたが、恥ずかしいなんて言ってられなかった。するとどうだろう、先ほどとは比べられないほど簡単に終わった。
このことから私は一つの教訓を得た。飼い主がしっかりしなければ犬にも伝わるのだ。犬だけではなく、このことは日常生活にもあてはまるだろう。

さて今朝のこと、首輪が抜けないように強く締めなおして家を出た。
場所は自治会集会所前で歩いて2分もかからない所だから、家を出ると犬の鳴き声が聞こえていた。チャッピーは早速異変を感じ取ったた。どうやら鳴き声に意味があるようだ。ただし大変に大まかな程度に。

「ああ、どうしよう」と、私も不安を感じながら歩いて行った。
チャッピーも「変だ、変だ」という感じで歩いていた。

しかし、去年よりももっと近くまで歩いてくれた。
が、もう少しという所でストライキ、動き回って抵抗した。ここで抑え込むしかない。すると、
「そこまで行きますから、頭をしっかり抑えてください!」
「これでいいですか?!」
「いいですよ。」と、獣医さんが来て下さり無事終了!
何度経験しても感謝感激の御礼を言って引き上げる。

痛かったであろうと思ってお尻を撫でてやろうとしたら、「ウッー」とうなられてしまって怖かった。チャッピーはやっぱり犬なんだ。

疲れた〜〜〜〜〜!!
行って帰って来るまで6分だったけれど、何という充足感だろう(笑)。これだけで今日一日分の労働を終えたような気持ちだった。

コーヒータイムをとる暇もなく掃除を終えた。まもなく民生委員の定例会に出かけなければならない。
今日のカテゴリは「家族」にした。
いつも傍に居てくれるチャッピーだから。犬 
posted by 優子 at 12:03| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2007年05月10日

見守りから見える子供たちの姿

季節の変わり目のこの時期は、衣類や布団など冬物から夏物への交換で主婦は大忙しである。
8日の気温は27度、昨日は30度ラインを突破する異常気温であったが、絶好の家事日和で私も大いに用事をこなした。洗濯機を4回も回し、その合間も大忙しの2日間だった。

そんなわけで8日の小学校低学年の下校時見守りも、ついうっかり忘れるところだった。連休明けの学校は遠足の時期で、この日は大阪の自然博物館に行って来たという遠足帰りの子供たちが下校してきた。

子供たちは疲れていたということもあろうが、「しんどい!車にのりたい!歩きたくない!」とブツブツ言うばかり。そのくせ、そんなに歩いたのかと問えば、「バスやったから全然歩いていない」と言っている。

私は子供たちの想像力に働きかけて「ごっこ遊び」で歩かせようと思ったが、子供たちは同じ言葉を繰り返すのみで、一人の子供は通りがかった車に向かって、「乗せてー ! 」と怒鳴ったのには驚愕した。
「今時の子供はこんなものでしょうか・・・。」と、もう一人の安全パトロールの婦人とあきれていた。


すると、ひとりの女の子はむやみに花をちぎりだしたので、
「花をそこで咲かせておいてあげて?」
「ちぎったらかわいそうよ。きっと、そこで咲きたいと思っているよ。」
と言っても、表情ひとつ変えずに3つ目もとった。しかも、よその家の花である。残ったのはたったひとつだけだった。

もっと驚いたのは、その子は別れぎわに私の手のひらに花を押し込んできたのだ。この時も全く言葉も無く表情も変えないままだから、私は「ン?」とあっけにとられた。

その夜、そのことを夫に話すと、「子供は反発したんや。」と夫は間髪入れずに言ったが、私には意味がわからなかった。「ユー(私のこと)に反発してるんや。」と夫の説明を聴いて、ようやく理解できたが、すぐにわからなかったのもあまりに子供らしさを感じない子供だったからだ。

きっと4日のY君やRちゃんだって、時には「しんど〜〜い! 歩きたくない。車に乗りたい。」と言うこともあるだろう。しかし、彼らのそれとは全く異質なのだ。
7〜8歳にして、既に育ち方が現れているのだ。この年齢の子供自身に責任はなく、親の価値観や生き方が反映しているのだ。ひとりの男の子は覚悟してイヤイヤながらも歩き始めたが、みんな揃って挨拶できないどころか傍若無人さには愕然とした。

かたや、昨年6月13日のバックナンバーにある見守りでは、「おとなと子どものバッタをつかまえた」と言って、バッタの入っている右手の握りこぶしを見せてくれた1年生がいた。物忘れのひどい私でも、その子の意気揚々とした姿に感動したことを今も覚えている。当然ながら挨拶もできる子供だった!

今や給食費や保育費も払わない親が続出しているご時勢だ。しかも、殆どの人が支払える状況なのだ。このような親に育てられた子供の行く末や次代を憂えずにはいられない。人の子の親なのに、人間としての義務や道徳を無視しても平気な人たち、全く理解に苦しむ親がいるのだ。
彼らに我が子への愛があるのだろうか?!

幼い子がいくらねだっても与えられないものがたくさんあるように、子供が成長するまでには親に愛があるからこそ与えないことも多々あるが、そんなことは彼らには全く解せぬであろう。

今回の見守りの出来事も然り。
彼らは大きな家に住み、豊かに与えられている子供たちであり親たちだ。しかし、経済がどんなに豊かに満たされていようとも、これでは不幸に向かって大きくなっているようなものだ。

小山牧師が何度も口にされていたエマーソンの言葉を想起せずにはいられない。

   思想の種を蒔いて 行為の実を刈り取り、
   行為の種を蒔いて 習慣の実を刈り取り、
   習慣の種を蒔いて 品性の実を刈り取り、
   品性の種を蒔いて 永遠の運命の実を刈り取る。


生き方がいかに大切なことであるか!
その生き方を支える祈りは最も大切なものだ。
人生を無駄にするまい!


posted by 優子 at 11:02| 教育 | 更新情報をチェックする

2007年05月09日

「月満ちて、その定まった日に」 続編

赤ちゃんの目をじっと見て上げてください。誕生直後の赤ちゃんは、目を開けて辺りを見まわすのです。・・言葉をかけてあげると、もう赤ちゃんはしっかり聞こえているのです。・・なでてあげてください。赤ちゃんの全身に点在している触感覚はお母さんやお父さんの愛撫を感知することができ、この世でのスタートを愛情いっぱいの中で始めることができるのです。・・・

私たちはだれも、誕生後の記憶などもっていません。窮屈な産道を死にものぐるいで通り抜けてきたことなど全く忘れてしまっています。けれども分娩時に新生児が全身に受けた皮膚刺激は、赤ちゃんのその後の成育に重要な意味を持っているのです。

『タッチング』(平凡社)という本の著者A・モンタギューは、次のように記しています。
「新生児や子どもがさまざまな形で受け取る皮膚刺激は彼らの身体や行動の健康な発達にとっても、もっとも重要なものである。人間にとって触覚刺激は情緒あるいは情愛関係の健全な発達のために、基本的に重要であると思われる」。

多くの動物学者は動物の親が生まれたばかりの子供に示す情愛をその皮膚接触の仕方に見ています。そのこまやかな世話の仕方は驚くほどの愛情表現のようです。

長時間の陣痛や難産の後では、産婦は赤ちゃんに愛を伝える余裕はないかもしれませんが、できるだけ早く赤ちゃんとの親密な時を持つことが望ましいのです。
なぜなら、この時は、母子共に感受性が著しくなっており、赤ちゃんのこれからの成長にも、産婦の回復やその後の育児にもつながる決定的に大切な時だからです。

(お祈り)

神さま、ただ、ただ感謝の気持ちでいっぱいです。
すべてのお守りをありがとうございます。
与えられた小さないのちをありがとうございます。
弱々しく、無力に見えるこの赤ちゃんを
どうぞお守りください。
そして、私たち親にふさわしい愛と知恵で
与えられた尊い賜物を育てさせてください。
深き感謝をもって、主の御名によって祈ります。
                 アーメン


                       完

知子へ

1977年11月18日の早朝4時のこと、トイレに起きて立っている時でした。何の自覚症状もなく風船が割れたような音と共に破水して、直ぐに入院しました。知子が誕生したのはそれから23時間後の19日午前2時37分でした。

出産時の標準的な出血量は200mlですが、ママは800mlも出ました。そして出産後、一度は授乳したけれど、トイレで大量出血したために授乳ストップになりました。

和式のトイレだったんだけれど、少しきばった(いきんだ)時に出血し、トイレ中が血の海になりました。一気に大量の血が通ったので膣が痛かったほどでした。

それで12時間くらいだったと思うけれど授乳中止になりました。幸いにして増血剤を服用する程度でしたが、ママはその時、授乳中止になってホッとしたことを覚えています。子供のことよりも5〜6時間続けて眠りたかったのです。
3時間ごとに起きて授乳室に行くのが辛かったからとはいえ、母性愛も全く備わっていない者でした。


だから、知子の出産後は、柏木さんが勧めておられるように母子一体になっていなかったのです。
でもね、知子は、このような優しく聡明な女性に成長しました。
だからね、良質な書物を読み、良き交わりを通して知識を得るんだけれど、理想通りできなくても心を神さまに向けてさえいれば大丈夫よ。

人は皆、不完全極まりないし、困難な問題がたくさん出てくるし、しかしね、その時に「より善いもの」を選び取っていくのです。「より悪いもの」は選ばないことです。

しかしまた、どんなに最上の行為であれ、人間のなすことには不完全さが残る。それでいいのです。その認識がなければだめなのです。神さまを知る者とされたこと、これ以上の幸いはないのです。ママは随喜の涙を流して感謝しています。

いよいよ出陣、あと2ヶ月ほどですね。
これからも神さまに委ねて安心して出産日を迎えてください。


明日、『知子の育児日記』(誕生から3歳7ヶ月頃までのもの)をパパに言付けます。
未熟なママだったけれど、神さまに祈り、感謝しながら育てていたことを知るでしょう。
知子が誕生した時から神さまと共に育児をしていたのですよ!
その知子がもうすぐ母になるのですね。

posted by 優子 at 07:51| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年05月08日

愛する知子へ ―『いのちを待つ日々のために』より―

まもなく妊娠9ヶ月目に入る知子に、柏木道子さんの『いのちを待つ日々のために』の最終章、「月満ちて、その定まった時に (9か月〜10か月の頃)』から抜粋して贈ります。

「天(あめ)が下のすべての事には季節があり、
 すべてのわざには時がある。
 生まるるに時があり、死ぬるに時があり、・・・」

      
               (伝道の書 3章1・2節)

胎児も次第に下腹部に移動し、全身の生理は出産に向けて準備が始まります。・・・間もなくあなたは、幸いなる”母”と呼ばれる女性となり、ご夫妻の愛のあかしをしっかり抱くことができるでしょう。

ドイツの有名な幼児教育学者のフリードリヒ・フレーベルは、
140年(現160年)以上も前に、初めて母となった人を次のように美しく表現しています(『母の歌と愛撫の歌』荘司雅子訳、キリスト教保育連盟)。

初めて子を見つめる母の感情

神さま、あなたは妻である私をとても幸福にしてくださり、
この世の生を天上の喜びで飾ってくださいました。
今あなたは私を人間の最高の位にお選びくださり、
あなたのおかげで私は天使を産みました。

父となられた夫よ、いとも美しい和合のしるしとして、あなたにこの子を渡します。
どうぞ祝福してください。
この子は夫婦の心と心とを永遠に結ぶ
何もかもがそろって見つけられますもの。

わが子よ、生まれる時は苦しかったでしょうが、
さあ、おやすみ、あなたの両親の胸もとで愛に見守られて、
きっと、いつもやさしい心づかいで、
私たちみんなの命として大切に大切に育ててあげましょう。

父なる神さま、生命の永遠の泉よ。
その泉を この子のためにもその流れを、
勢いよく清くすきとおるようにお放ちください。
 
私たちはみんなあなたのこどもです ― あなたの家族です。
それゆえ、私たちがいつもひとつの愛であなたに結ばれていますように。


時満ちて誕生したわが子を見つめる母の顔ほど、表現しがたい喜びに包まれた美しい顔はないでしょう。だからこそ、世界で最初の幼稚園を創設し、幼児教育の必要を世に明らかにしたフレーベルも、その原点を初めてわが子を見つめる母に求めたのです。

一大仕事をなしとげた心に湧き上がる思いは、単純な喜びだけではないかもしれません。こんなに小さくまだ何もできないいのちを、これからこの私がうまく育てていけるだろうか、・・・。
              
                 
                長いので2回に分けるね
posted by 優子 at 10:56| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

5月4日の追記

長女夫婦は午後に帰宅した。
教会が遠方であることや、今通っている教会では2時間以上に及ぶ長時間の礼拝なために、体に負担をかけるので休ませ私達も共に過ごした。
この3日間の滞在中にもお腹が少し大きくなったように感じるほど胎児の成長は著しい。体重超過をセーブするひまなく明日は受診日だ。


さて、4日の記事を書いた前提にある私の思いを補筆しておきたい。
例えば『私にとって書くということ』でも触れたように、肉体の病いについては語れても心の病いは語りにくいのと同様に、信仰の弱さは語れても、真実に心の葛藤を分かち合える人は非常に少ない。

人生の途上にあって最も大きな試練は何かと考えてみると、命を揺さぶられるような深刻な病気であり、事件や事故に巻き込まれる悲劇などを思い浮かべるが、平凡な日常にあっても悩みや自己の醜さを正直に語り合うことのできる人は極めて少ない。いや、「クリスチャンも」ということも付け加えなければならない。
4日の記事は、このことを思いながら書いたものであることを付け加えておきたい。


例えば文学作品で私が最も印象に残っている正直な告白は、
2006年9月4日の記事に転載した『遠藤周作・・・A』(カテゴリ「掲載文/神・文学」)で述べた戸田の告白である。これが遠藤周作自身の経験であれ、あるいは創作であったとしても、戸田のような自己開示を私は求めるのだ。

遠藤周作とは信仰解釈を異にするが、遠藤は自分自身や人間の実相に対峙できた人物であり、さすがに作家だと思う。

話すには時とメンバーを選ぶであろうが、クリスチャンの深い交わりの場であっても自己の経験を語り合える人は少ない。即ち、出来事に対してどのように向き合い、感じ、苦悩し、導かれていったかということをだ。重い話は敬遠するのだろう。
信仰生涯を分かち合うためには、深く思索した先人が残してくれた書物に求めていくがよいのかもしれない。内村鑑三にも共感すること大なりだ。


4日の記事後半(緑の字のところ)は、そのようなことを思いながら書いたものである。
posted by 優子 at 22:35| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年05月05日

誕生前の初孫にお友だち第一号が!!

一作夜のことになるが、結局、前回記事を書いたあともバタンキューとはいかず、NHKラジオの「深夜便」(毎晩朝までつけっぱなしている)を4時過ぎまで聞いていた。しかし、6時半過ぎには既に起きていた夫の音で起こされてしまい昨日は2時間半の睡眠時間だった。
睡眠不足で目はヒリヒリしながらも、庭でバーベキュー!、昨日はエキサイトした一日だった。

娘夫婦が計画してくれていたバーべキューを昼食時に楽しんだのだ。裏庭には唯一の農作物である赤エンドウ豆を植えてあり、残る空間も草ボーボーで足の踏み場もないので、夫は鍬で草を取り除いて場所作りにかかった。
その後、なかなか炭に火がつかず、私は材料の準備もすっかり終えたが、11時から火をつけ出して火がついたのは1時45分だった(><)。

大急ぎで義母を呼びに行き、2世代同時母の日の始まりだ。
と思いきや、その時、「いい匂いがしてるー。こっちこっち!」と4歳のRちゃんがパパとお兄ちゃんを呼んだ。そして、お隣りの小学校一年生のY君とパパの3人も加わって、賑やかな本当に楽しい時間が始まった。

2人の子供たちは子供らしい子供で、幼い時の知子と真智子のように表情が豊かで会話が途切れない。話しかけても一生懸命に応えてくれるので、私はすっかり夢中になっていた。
小さなお客様達を見送った時、「よし、これならおばあちゃんになれる!」と思ったことだった。

メインゲストの一人だった義母は既に昼食を終えてきたとは言ううものの、狭い場所で座るところもなくて私同様に一口も食べないままだったが(><)、言葉数の少ない義母も可愛い子供達だと連発していた。

「Rちゃん、Y君、もうすぐ生まれてくる赤ちゃんのお友だちになってね。」と言うと、「いいよ。全部で8人のチーム!ここは秘密基地にしよう!」とR君。
初孫のお友だちまでゲットした楽しい楽しい一日だった。

今、私の傍らで夫と婿がベッドを組み立てている。



posted by 優子 at 09:23| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

長女とのおしゃべりで頭が冴えて・・・

心が正されると心が軽くなり、本当に生き易くなる。
睡眠不足の長女なのに、夫と婿が寝てから、かつてのように長女と2人で話していた。もうすぐ妊娠9ヶ月に入る娘と、いつのまにか3時間も話し、午前2時近くになっているのに気づいて私は急いでお風呂に入った。
本来の自分自身に立ち返った私は、情熱も戻りつつあるのはいいが、頭が冴えて眠れそうにないので一冊の本を手にした。

『人生を導く5つの目的』
は、聖書と同様に常に開きたい本なので目の前に置いてあるが、今たまたま開いた箇所を読んでいると、ここ数ヶ月の苦悶の嵐を通り過ぎた私に、神さまが静かに語って下さっているように感じた。

自分の成長が遅々として苛立つこともあります。しかし、・・

「わたし(神)が計画したこれらのことは、すぐには起こらない。ゆっくりと、着実に、そして確かにその幻が成就する時は近づいている。遅れているように見えても気落ちしてはならない。これらのことは必ず起こるからだ。
ただ忍耐強くありなさい。一日たりとも遅れることはないのだから。」
(ハバクク書 2章3節)・・・

これから先の道のりを考えるのではなく、自分がここまで来ることができたことを覚えて感謝する必要があります。あなたは、まだなりたい自分になっていないかもしれませんが、同時にかつての自分とも違っているのです。・・・

ですから前進し続けることです。
カタツムリでさえ、辛抱して(ノアの)箱舟に到達できたのですから!


そして、最近の苦悶の中で感じていたことの確信も得たように思う。即ち、

経験とは、自分に起こったことではありません。それは、自分の身に起こったことを、あなたがどう扱ったかということなのです。」

神がその痛みの経験を用いたいと願っておられるのであれば、あなたは喜んでそれを分かち合わなければなりません。


このところである。
クリスチャンが他者のための導きになればと願って語る事柄、即ち、神がおられ神がどのようなことをして下さったかということを語る時、どれだけの人が正直に自分の心の動きを語っているであろうか。

私も例外ではないのだが、いや、だからこそ感じていることであるが、例えば「己の弱さ」について語る時も、「私の弱さが・・・」というような表現だけでは苦しんでいる人には届かない。

「弱さ」というような曖昧で美しい言葉ではなくて、その困難な出来事に出会って、どのような気持ちを経験したかを語ってくれなくては、慰めや希望を感じ取ることはできないのではないだろうか。


それぞれ感じ方や感じ方の強弱はあろうが、結局のところ人は同じような心理状態を経験するのである。例えば、キューブラ・ロスが語っていることからもわかる。
だからこそと言うべきか、しかしながらと言うべきかわからないが、普遍性のある事柄であれ、苦悩の人は真実な気持ちを聞きたいのだ。

怒りも嘆きも憎しみも・・・それら心の内をこそ聞きたいのだ。
そして、苦しみながらも、どのようにして神の希望に至ったのか。あるいは、再び平安へと導かれたのか。それらこそを語ってほしいのではないだろうか。

そのように感じるのは私ひとりではないと思う。
私が1ヶ月前に悩んでいた、小説の技法を用いようか云々については、まさにこのことでもあった。

さて、これを書いていたら余計に頭が冴えてしまった。早くしないと夜が明けてしまう・・・・眠られますように・・・。

posted by 優子 at 03:15| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年05月03日

「明日行くの、ずっと楽しみにしてたよ!」

今朝目覚めた時、新緑が明るい日差しに輝いていた。雨や曇りのどんよりした朝はたった2日間だったのに、明るい朝は久しぶりのように嬉しかった。

「今何時?」
「7時40分」と言って夫はベッドから出た。私はもう少し寝ていたかったので目を閉じたが、
「あっ、今日は知子たちが来る!」と、飛び起きた。
やっぱり、私も楽しみにしていたのだ。

「明日行くの、ずっと楽しみにしてたよ!・・・・
明日、おなかみてびっくりしないでね〜。
本当に一日一日変化していって大変です。」

知子からの昨日のメールだ。
2週間続けて婿の実家へ行った娘は、1週間でまたお腹が大きくなっているとおばあさんやお義母さんに驚かれたそうだ。
どのくらい大きくなっているんだろう。1ヶ月ぶりだからびっくりするかもしれない。

「たった一晩ですが、明日はみんな集まって8人になります。」と、いつもご夫妻だけでお住まいの同じ班の方が、昨日の朝、嬉しそうに話しておられた。
この自治会の65歳以上の老齢化率は30パーセント以上と言うこともあり、大型連休は出向くのではなく圧倒的に里帰りしてくる子供達を迎える側が多い。東大阪に居た時は、生協の共同配達を休止される方が多かったが、ここでは逆で注文品も多くなると生協の方も仰っていた。

私たちも知子たちが来るまでに、食料の買出しに行ってこよう。
さて、昼食は何にしようか・・・。
平凡な日を感謝して、今日を始めよう。
posted by 優子 at 08:58| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

季節を味わう

私は常緑樹にも落ち葉があることを去年まで知らなかった。
落葉樹と違って、新しい葉が生えてから古い葉が落ちるため、丸裸にならないで入れ替わる。今が落葉期である。
落ちた葉は、まるで子育ての役目を果たし終えた親のようであり、産卵後の鮭のようであり、亡くなっていく親のようにも見えた。

今朝のチャッピーの散歩では、地面に這いつくばうようにして小さな小さな花を見た。直径1.5ミリくらいの大きさの中に数え切れないほどの花びらがあるのだから見事としか言いようがない。

ツツジは色とりどりの花を咲かせて初夏を告げ、花々はどうして自分の咲く時期を知るのだろうかと、これらを創造された神の完璧さに感動する。

そういえば、チューリップは秋に植えて土の中で寒い冬を越さないと咲かないそうだ。だから、時期はずれに咲かせるチューリップは、冷蔵庫に入れて凍えさせるそうだから無理やり咲かせられた花はかわいそうだ。

花の美しさも、秋の紅葉も、寒さによって美しく咲き、鮮やかに紅葉する。しかし、花木にとっても寒さは辛いことに違いない。
人間もまた、苦しみや悲しみを経験しないうちは美しくはないだろう。それらを経て心豊かな人間になっていくに違いない。

では、無理やりに咲かすために与えられるチューリップの苦しみは、我々にとってはどんなものなんだろうと考えてしまうが、ともかく、花々も定まった季節に楽しみ、野菜も旬のものを味わいたい。
人生もまたそうあれかしと願う。
posted by 優子 at 16:36| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年05月01日

積み重ねる祈り 兄の救い

「主イエスを信じなさい。
 そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」
     
             (使徒行伝 16章31節)

このみことばを唱えて、小山牧師は私を洗礼層に沈められた。それから20年後の今も、神は約束を果たされつつある。

私と違って、あの両親にしてあの息子ありと呼べる兄は、実に寛容で忍耐強い人だ。誠実に生きているこの兄にこそ、神の祝福が豊かに注がれますように、必ずや兄を救い出して下さいと切なる祈りを重ねている。

お昼過ぎのこと、兄から電話があり30分も話していた。
先日の葬儀のことを労い合い、父と母の生涯を語り合い、両親への篤い感謝に溢れて神さまの話に及んだ。

「お母さんもお父さんも救われて天国へ行ったから、お兄さんもイエスさまを受け入れてね。お父さんとお母さんは我が子たちと再会するのを楽しみにしているんだから、お兄さんもイエスさまを信じてね。今は夫も神さまを信じているから。」
と、私は力強く話した。

「若い頃は、もっと大きなことができると思ってたけれど、何もできなかったなあ・・・。」と、兄は寂しそうに言った。

「それこそが人生を深めている人の言葉だと思う。・・・人生苦もわからない者に聖書はわからない。
人間は弱いから、信仰を与えられてからも揺れ動き悩むけれど、神さまの平安がある。自分の限界を感じた時こそが恵みの時であり、最悪なことを通して必ず最善へと導かれる。神さまは、いつも逆説的だからね。

生きている限り、次から次へと問題が起こってくるけれど、困難なことが来た時は必ず神さまの導きの時だから、落ち着いて神さまを求めてね。必ず道は開かれているからね!!」
と話した。

「神さまは私の祈りを聴いて下さっていた!」と、受話器を置いた瞬間に叫んだ。
私は神さまの臨在を強く感じ、感謝の祈りを捧げた。

神さまの約束をイエスさまご自身が私に感じさせて下さり、これからもどこまでも神を信じ、希望を持ち続けようと心を強くされた。

私は人から受けた悪も、私の中にある醜い自我も、もう一度、十字架のもとに置こう。
それらを手で握りしめていたら、それに縛られ、最愛の兄にもイエスさまを伝えられなくなってしまうから。
posted by 優子 at 22:41| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする