2007年06月30日

1年の半期を終え、今一度姿勢を正す

昨日ご紹介した三浦さんのインタビューをお聴き下さっただろうか。その中で話しておられるが、三浦さんは出産予定日の2週間前に早期胎盤剥離で死産され、「人生にこんな悲しみがあったのだ」と、26歳にして深い悲しみをなめられた。

長女の出産予定日は7月6日でいよいよであるが、今まで守られてきたことを感謝し、無事に出産させて下さるようにと改めて心を低くされている。

6月半ばからは予定を入れずに、娘がいつ産気づいてもいいようにと家事をためないで待機しつつも、何も手につかなくて落ち着かない日々を送っている。
これではいけないと思って、先週は『あしたづ』の草稿を考え始めたものの中断し、今週からは本を読むことにした。25日から28日までの4日間は、『真理はあなたを自由にする』に夢中になった。読了した今も読み直している。

さて、主の年2007年がスタートして、早、半年が過ぎた。
時間の経つのはなんと速いことだろう。
ロシアの文豪トルストイは、こんなことを言っている。
「最上の幸福は、1年の終わりにおいて、年頭における自己よりも良くなったと感ずることである。」
1年ごとに自分が少しでも向上することだというのだ。

F・B・マイアーの『きょうの祈り』、6月30日の祈りを我が祈りとしたい。

主なる神さま。
いつしか、今年も半分が過ぎます。果たして、今年の誓いをどれだけ果たしえたかと、あわてます。地上の歳月の短さを、つくづく思い知らされて青くなります。

悪魔がそれをあざ笑うように感じます。求めても得られなかったではないか、叩いても開かれなかったではないか、願っても叶えられなかったではないか、祈っても応えられなかったではないか、お前は見捨てられたのだ、神の祝福は去ったのだと、聞こえて来ます。

けれども、主よ、神よ。
それは、決してあなたが去られたからではありません。
私の足りなさに原因しているのです。また、時が至っていないのです。あなたは私のかたえにあって、祝福をいっぱい抱えていらっしゃるのです。
どうぞ今年の後半に期待させてください。


「神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」
            

               (ローマ人への手紙 8章39節)

さあ、収穫の季節に向って元気に励もう。
時や現状にだけあくせくするのではなく、人生の行く手に目をやって進んで生きたいと思う。主に在って。

posted by 優子 at 16:51| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年06月29日

ペン仲間の希望姉がラジオ出演、文香姉はトラクトに!

クリスチャンペンクラブ理事であり、私の敬愛する希望姉がラジオ出演されました。正確には、ラジオは明日放送ですが、インターネットでは今日から聞くことができます。

希望姉(しまい)、そうです、このブログでリンクを張らせていただいている『希望の風』の著者です。
最近では、当ブログの6月21日に御登場下さっています。

ラジオ放送は、AM1566kHz、6月30日(土)午後9時55分から30分間の『コーヒーブレイク・インタビュー』です。

インターネットでは、http://www.febcjp.com 、本日より2週間聴くことができます。
さあ、あなたもすぐにクリック・オンして、お聴き下さい!
ご本名は三浦喜代子さんです。


最初から引きずり込まれました。多くの苦難を越えてこられた軌跡は、まさに奇跡そのものです。

1990年6月22日に日本クリスチャンペンクラブの関西での集会、奈良文書伝道研修会が開かれた時に、私は初めて喜代子さんとお出会いしました。
教会へ行き始めて以来購読していた『百万人の福音』誌で、既に三浦喜代子さんのお名前は知っていましたから、「この人なんだ!」と憧れをもって眺めていました。
1987年にペンクラブに入会して以来、『あかし新書』の文筆活動はしていましたが、夏期学校に参加したこともなかったので、喜代子さんの方は私のことはご記憶なかったでしょう。

そして、個人的な出会いが深まっていったのは2003年頃ですから、あれから10年以上の年月があり、その間の私は神さまのお取り扱いを受け、訓練されていた苦しい時でした。
そして今、このような交わりを頂いていることを感謝します。神さまからの励ましであると受け止めています。

『メメント ドミニ』の読者の皆さま、是非、お聴きください!
そして、もう一つ!


同じく親しくしていただいている『生かされて』の土筆文香さんは、『よろこびの泉』の7月号で証しされています。
『よろこびの泉』は、毎月初めに多くの教会で配布されているトラクトです。ご本名は島田裕子さんです。

7月1日は第一聖日ですから、私たちは富田林の会堂です。
長女がいよいよ出産なので行けるかどうか心配ですが、早く見たいです。今月号は特にたくさん頂いて、多くの人々に配布させていただこうと思います。

真の平安と人生の意味を求めておられる方々の魂に届き、お2人のお証しが尊く用いられますように祈りつつ。

posted by 優子 at 14:05| JCP関係 | 更新情報をチェックする

アメリカ人の友の結婚式にインディアナへ

QOOVEU@??q.jpg

「添付した写真は、噂の鮭の照り焼き&焼きなす、という夏のスペシャルメニューです!
めっちゃおいしかったよ。
焼きナスは、ママの手伝いを一回したことあったから、できると思ってやりました。焼き網は無いから、トースターで焼いたの。大成功。アメリカのナスって種だらけのデカナスだけど、気にならないぐらいのおいしさに仕上がりました。

鮭の照り焼きも、この写真のは第二回目なので、照り焼きソースは生姜を利かせて、隠し味的にオイスターソースを入れたの。
爆発的に美味しくなりました。ママも試してみて(^^)。」


昨日のブログを見て、早速、写真を添付してきてくれたのだ。
私も千里さんに教わって以来、焼きナスはトースターでしてるけれど、娘はよく思いついたものだ。

さて今頃、真智子たちはインディアナに着く頃だろうか。
と言うのは日本時間で言えば、彼らは昨夜から遠出しているのだ。以下が、このメールの書き出しである。

「ママとパパへ 

明日(28日)から、アンディーの結婚式に出席する為、インディアナに行ってきます。
アリエルの車に乗せていってもらいます。アリ&マリアム夫妻の車にジーナが乗る、という形で、車2台合計人数6人で行きます。・・・  

まちは、結局新しいドレスは買わず、ピンクのワンピースを着ることにしました。あのワンピースに敵うものはないと思ったからです。真珠の首飾りとイヤリング(両方イミテーションだけど)でバッチリ決まりそうです!」 


渡米する時、本物の真珠は持たせないで気軽に使えるようにとイミテーションを持たせたが、ドレスのことと言い、私は我が娘ながら、次女のこのようなところに強く惹かれ、反対に感化されてきた。
制限の中で、与えられた状況下で喜びを見出して生きる。
感謝して生かされている真智子は美しく輝いている。


29日が結婚式で28・29日はインディアナのホテルに泊まり、30日はシカゴに行くらしい。
同乗させてくれるアリエルがシカゴの友を訪ねるので、娘たちもシカゴにいる東大院時代の同期だった友を訪ねるプランにして、「その夜は泊めてもらうことになりました(^v^)」と言うことだ。
そして、その翌日と言うから24日のお昼過ぎに、再びアリエルと合流してミネソタに向かうとのこと。

私は地球儀を回して確かめた。
「インディアナはどこや」と夫も覗き込む。大まかに見ても大阪からだと新潟を越えるほどの距離がある。長い道中も事故や事件から守られますように。

我が家に滞在中、アメリカ人の結婚式と披露宴に招待されてお祝いをどうしようかと考えていたが、結局どうしたのだろうか。
私は、「日本のようにお金を包むということは絶対にないと思うよ。かえって失礼になると思う・・・」と話していたのだが、「郷に入れば郷に従え」だ。さてアメリカ式にどのようにしたのだろうか。
新しい経験はエキサイティングで、今からリポートが楽しみである。

楽しんできてね!
主が共にいて下さり、あらゆる危険から守って下さいますように祈っています。

posted by 優子 at 07:53| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年06月28日

2人のクリスチャン経済学者とのインターネット往復書簡

昨年、真智子の結婚記念誌の最後のページに次のように書いた。
「真智、アメリカでもブログ読んでね!
イレーヌとマリーのように、
これからは真智とママとのコレスポンダンス。」
と。

キュリー夫人は仕事の関係から、愛娘イレーヌと離れ離れの生活が多かったが、30年間続いた400通にも及んだ母と娘の往復書簡が残っている。

私の愛娘の一人が遠くアメリカに渡ることを知った時、たいへん辛い気持ちになったものだが、結婚生活の初めから娘だけではなく娘婿もまた、このブログを読んでくれており、今では娘だけではなく婿ともメールのやりとりを重ねている。まさに時代を反映した”internet correspondance "(インターネット往復書簡)である。
しかも、こんなに早い時期に霊的な深い話し合いまでできるなんて、誰が想像できたであろう!
私の祈りに神さまが応えて下さっただけではなく、神さまの思いは私の思いをはるかに越えていたのだ。


最近のものをお読み頂きたい。


6月25日:太志君

私がよく用いる森有正はね、こんなことを言っています。
「私の場合は、全てそうで、大体偶然なことで入ってきて、それが私の中で必然的な姿をとり始める。
これが、ほとんど全ての私の勉強の場合の、例外のない過程です。
そういう経過をたどって、全てのものが私の中で必然的になってくるわけです。」
と。

                 

6月26日:優子お母さん

森有正の「偶然なことで入ってきて・・・必然的な姿をとり始める。」という表現が、僕の信仰心をとてもうまく言い表していると思います。
まさに僕にとって、信仰を持つ以前の人生からして、偶然の積み重ねが今の自分を支えている、という感覚があったからこそ、信仰を告白するに至ったのです。
今までの自分の人生そのものが、僕にとって主イエスの奇跡の証でした。

それと同時に、主への感謝を忘れていて心がむなしくなっている瞬間には、とても寂しくて、その度に、父なる主へ気持ちを寄せていただいています。
弱い自分にめげるときに、主を見上げて祈ることができるのは幸いですね。常にはできていなくても、気付いたときにはいつでも主に祈ることができる、ということですね。そのタイミングすら、主からの恵みなのですね。
主に在って、感謝・感動し、心をこめて行う、という優子お母さんのお勧めの「3k」(ブログで見つからなかったので間違ってるかもですが^^;)が、とても心に響く好きな表現です。

このメールを読んで、真智と、全ての偶然から神の御手を感じる、という話をしました。
真智にとっても、経済を目指すようになったこと、神戸大に入ること、東大院に入ることなどは、偶然のようでいて主の御手が感じられると、話し合いました。

メールを送信する前に、メメント・ドミニを読ませていただきました。
今日の記事はとても面白く感動しました!!
きっと僕のことを思って書いてくださったに違いないと、ちょっと厚かましいかもしれませんが、読んですぐに感じました!

学部時代(東大で経営学を修めた)でのゼミが経営史の和田一夫先生であり、大塚史学の大塚久雄の名前は聞き及んでいました。
彼もクリスチャンだったのですね。
マックス・ウェーバーをまた奈良へ帰ったときに読むのがとても楽しみです。
速水前総裁の告白から、信仰の力強さを改めて感じています。
主に在って生きられることを心から感謝いたします。
アカウンタビリティーは、実は学部1年のときから気になっていた表現で、この記事を読んでとても納得しました。

               

6月26日:太志君

今日のブログ内容は太志君のお察しの通り、いえ、実はそこまで深く感じていたわけでもありませんでした。だから一層私を喜ばせます。
私は信仰を持った2人に、同じ経済学を専門とする著名な人の証しが、2人への励ましになるかと思ったのです。
あるいは専門的なことで、何かのヒントに結びついていく糧になるかと思ってのことでした。ただ、それだけでした。

しかし、文中にマックス・ウェーバーのことが書いてあり(何度も読んでいるのに忘れていましたが)、「ああ、これは太志君が手にしていた本だ!」と、思った次第です。
しかも、大塚先生の名前も親しく知っていたというから私は感激しています。
「アカウンタビリティー」のことも、参考にして頂けて本当に嬉しいです。

      
また、向こうの生活の様子も書いてきてくれている。

6月22日:

優子お母さんのお勧めどおり、こちらでも海産物をいただこうと、先日、鮭を買ってきて、照り焼きにしてとても美味しく食べました。
醤油と砂糖で漬け込んでから焼き、最後に漬け汁をかけて、照り焼きにしました。真智の味付けセンスには、本当に脱帽です。
「お酒とかあればもっと美味しくできるかも」と言ってましたが、僕にとっては、今の味で砂糖と醤油だけなんて、すごい驚くくらい美味しかったのです。

時差ぼけはまだ少し残っていますが、昼間に大学に行くことで、だいぶ昼型に戻っています。
昨日、たまたま、大阪学院大学で発表された先輩の黒川さんと会ったので、夕食を共にしました。一緒に来た先輩の知り合いも増えました。偶然出会わせていただけたこと、主に感謝しております。


外国暮らしと言っても日本食にはそれほど不自由のない生活だが、さすがに味醂までは備えていないので、砂糖で照り焼き風に仕上げるところはさすが女の子である。(「女の子」なんて言ったら、ジェンダーの問題で異議を唱えられるかも・・・)

6月22日:

ところで、いただいた包丁で鶏肉を切ったら、とても切り易かったです!
アメリカ産のギザギザ刃の包丁とは比べ物にならないスムーズさでした!
 

DSC01523.JPG

これはギザギザ刃包丁で作ったある日の夕食。
我が家よりもはるかに野菜も豊富でヘルシーだ。
冷やっこにはネギまであるよ!!!
 

DSC01395.JPG

2006年の秋だったか、初めて作ったお弁当。黒ハート


神に愛されている2人の微笑ましい光景が目に見える。
白身の切り身を鱈(タラ)だと思って買ったらナマズだったという笑い話もある。
ところで、冷凍庫の cat fish(なまず)はそのままかしら?(^^)
以上、メールは許可を得て掲載させて頂いた。

経済学を通して神の働きに加わっていく2人は、これからも神の御言葉を食物と共に頂きながら、神から与えられた能力を大いに磨いて、大いに用いられんことを祈っています。
忙しい時は、返信メールのお心遣いは御無用にね!
 
                    主に在って  ママより
posted by 優子 at 08:46| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年06月27日

ダーウィンは自説・進化説を否定していた!

チャールズ・ダーウィン(1809年〜1882年)が『種の起源』を発表したのは1859年、ダーウィン50歳の時である。
初版第1版1250部は即日完売したと言われており、「多くの人々が唯物論者や無神論者となるほどに強い感化を与えた」と言うことだ。

当初、ダーウィンは医学の道を歩み始めたが、途中から神学の道に転じた。
そして、22歳の時に、軍艦・ビーグル号に乗って5年間の遠洋航海に出た。1831年から1836年というから、22歳から27歳の時である。南アメリカの南端、ティエラデルフエゴからニュージーランドにまで行っている。

若き彼の目に映った原住民は、人間とは認めず動物のようであり、悪魔であったと言っている。そして、「猿から人間への進化の移り変わりの”つなぎ”である」と考えた。

ビーグル号のダーウィンたち以前に、ティエラデルフエゴ原住民と接していたイギリスのアラン・ガードナー船長がいた。彼らのことを哀れに思った船長は宣教師となって1836年から当地に赴いて労し始めた。

「この人たちも私たちと同じように、永遠の命を受けるように選ばれているのです。もし、彼らの言葉で福音を伝えることができるなら、私は自分の命を惜しいとは思いません。」

そして、宣教活動に入った15〜16年後のこと、イギリスから届くはずの食料が遅すぎたために同労者たち全員が餓死した。遺体で発見されたガードナーの手にはしっかりと聖書が握られていた。
彼のあとに遣わされた宣教師たちもまた、原住民に殺されて悲惨な死を遂げている。しかし、ヨーロッパのクリスチャンたちは、宣教の結果が悪くとも決して諦めずに支援し続けた。

ダーウィンが再び20年後にティエラデルフエゴを訪れた時の驚きは、いかばかりであっただろうか!
彼は原住民もまた神の祝福に与っている姿を見て、進化説が否定されるべきことを認めないわけにはいかず、否定することを恥ずかしいとさえ思わないほどだった。
そして、次のように書き残している。

「世界のどんな大きな奇跡よりも、宣教の働きの結果起こったティエラデルフエゴの奇跡は、はるかに偉大であると確信する。」
また、
「今日の状態を批判する人たちは、子どもを殺して神にいけにえとして捧げる行為や、あらゆる不正や軽薄な行動が、キリスト教の影響で少なくなったことを忘れてしまっています。」と。

この訪問以後、ダーウィンは毎年、宣教援助金を送り続けた。
そして、ティエラデルフエゴの奇跡と同じ偉大な奇跡がダーウィン自身にも及んだ。
死の床についていたダーウィンを知人の女性作家が訪れた時のこと、彼は聖書を開いて神の創造説を熱心に読んでいたのだ。
そして、告白している。
「あれ(進化説)は、若い者が考えるような未熟な論理ですよ」。
彼の説は彼自身を満足させてはいなかった。


彼はその女性に、「キリストの救いについて知っているならば教えて欲しい」と、熱心に頼んだ。
そして、息を引き取る地上生涯の最後の数分間に、ついに今まで否定し続けてきた聖書に真理と平安を見出したのだ!
ハレルヤ!
神は、1人として滅びることを願ってはおられない!


Dr.Charles Darwin saved late in his life.
Hallelujah!!
And I hope same to you.
syalom.
Yuko in Christ.

追記:ウィキペディアによれば、「ダーウィンが死の床で信仰を告白したとか、創造論を認めたと言われることがあるが、これは後年の作り話である。最後の言葉は息子フランシスに向かって言った『死ぬのは怖くない』だったと言われている。」とある。

真実はわからないとしても、「死ぬのは怖くない」という言葉一つでさえ、これをどう理解するのか議論の呼ぶところであろうが、私の知りたいことはダーウィンの真実ではなくて、神の真実、聖書を深く知りたいのみである。

posted by 優子 at 07:48| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年06月26日

聖書を読まずして人生を終えることなかれ!

聖書は、人類に最も影響を与えた書物である。
昨日の記事でご紹介した速水優は、「仕事の上での決断や辛苦の都度、私を支えてくれたのは聖書の言葉である」と言っているが、まだ聖書を手にしてお読みになったことのない方は、どうか聖書を読まずして人生を終えないでほしい。
ここに歴史に名を残した人物の遺言をご紹介したい。

「いかなる世俗の歴史におけるよりも、聖書の中にはより確かな真理が存在する。」
         
              (アイザック・ニュートン)

私は、神の天地創造の”足跡 ”を探していく人間である。」

              (アインシュタイン)

「浅はかな哲学は人の心を無神論に傾け、深遠な哲学は人の心を神に導く。」         
         
              (フランシス・ベーコン)

「神と聖書なしに、この世を正しく統治することは不可能である。」
         
              (ジョージ・ワシントン)

「私の生涯に最も深い影響を与えた書物は、新約聖書である。」         

              (ガンジー)

「聖書は、これまでに神が下さった最上のギフトである。世界の救い主から発する一切の良きものは、この書を通して我々に伝道される。」         

             (リンカーン)

「聖書はただの書物ではない。それに反対する全てのものを征服する力を持つ生き物である。」
         
              (ナポレオン)

「キリスト ― この広い宇宙に、その名によって魂を救うことのできる者は、この人をおいて他にはない。」
         
              (ドストエフスキー)

「人間の知的文化が進歩し、自然科学が進んでその広さ深さを加え、またいかに人の心が望むままに広くなろうと、福音書から導き出せるキリストの高潔さと道徳的修練を越えていくことはないであろう。」        

              (ゲーテ)

「信仰は、生の力である。」      (トルストイ)

「私はやっとこの頃になって、福音書を書いた4人が私たちに伝えたキリストを愛しだした。キリストを、今日の私には、行路の人のようにみることはできない。」
         
              (芥川龍之介)

ファーブル、ケプラー、コペルニクス、ガリレイ、ジイド、マーティン・ルーサー・キング、マザー・テレサ、シュバイツァー、アンリ・デュナン・・・など、挙げればきりがない。

日本人は自然や人、動物まで何でもかんでも神にして崇めるから、まことの神がおられることをどうしてもお伝えしたいのだ。霊的な面からだけではなく、科学との関連で述べたい。

聖書は科学とも全く矛盾しないということは、最先端の科学者の証言で明らかである。日本は世界で最強の進化論信奉国であるが、生物に自然発生はないのだ。
D・N・Aで遺伝子の秘密が明確にされ、多くの科学者が進化論では説明不能だと言っている。

セントジョージだったか、ノーベル賞を受賞したビタミンC発見者が、どうしても創造主の存在を考えねば説明がつかないと述べている。また、同じくノーベル賞受賞者のワックスマン博士においては、聖書の創世記からヒントを得て、土に目を向けて土壌菌からストレプトマイシンを発見したのである。

一方で現代のような科学万能時代でも、最も単純な大腸菌さえ作ることはできないというではないか。
私はここに厳然たる神の臨在と創造を見るのである。遺伝子操作はできても、我々は無からは何も作り出せないのだ。


次の記事では、進化論(正式には仮説であるから進化説)を提唱したチャールズ・ダーウィンについてお話したい。
posted by 優子 at 08:42| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年06月25日

前日本銀行総裁 速水優が語る「私の歩んだ道と人生」

前日本銀行総裁 速水優がクリスチャンであることをご存知だろうか。
1998年10月17日、日本銀行総裁就任後はじめて講演された中から、「おいたちと信仰」については別の機会に譲り、「キリスト信仰と職業」から一部抜粋してご紹介したい。

(20歳で洗礼を受け)社会に出てから約50年が経った。
この世の誘惑にひかれ、試練をたくさん受けてきたが、神さまの導きにより良い教会、良い友人に恵まれてきた。
海外に出た時も日曜日は教会に通い、神さまの御前(みまえ)に砕けた心で自分の罪をゆるしていただいてきた。これがクリスチャンとして神さまから与えられた大きな力である。

困難な状況で沈んでいる時も、礼拝に出席しながら牧師の説教、聖句、讃美歌に触れ、唯一の絶対なる神さまの栄光を讃え、苦しい時には牧師に自分のことを祈っていただいた。こうしたことが自分の力となってきた。職務で重責に追われている時も、日曜礼拝にはなるべく出席した。

私自身、全くの土の器であり、少しも立派でない器である。それを、神さまが用いようとしておられる。

日本銀行の総裁のような重責に就いては、ますます神さまへの祈りと導きを必要としている。日本銀行本店の総裁室の奥には小さな部屋がある。そこに、私は2つの掛け軸をかけている。
一つは「平安は主にある」、もう一つは「恐れるな、わたし〈神)はあなたと共にいる(イザヤ書43章5節)」である。

むつかしい局面に立たされたり、これから何が起こるか分からないという時、こうした御言葉を思い出し、心の平安を得ている。
これまで、こうした困難を一つひとつ乗り越えられたことは、信仰のおかげであり本当に神さまに感謝している。

マックス・ウェーバーの著作で『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という経済学の古典がある。
私は学生時代に一生懸命これを読んだことを記憶している。
これによれば、近代の資本主義を支えてきたのはプロテスタンティズムであり、神さまから与えられた召命を全うしようとする信仰の力が、資本主義の経済の発展の力となったというのである。

当時、東京大学の経済学部教授で著名な故大塚久雄先生が、戦争直後、モノが不足しているなか、大学のYMCAの薄暗い寮の中で、力強く説教されたことを鮮明に思い出す。
(注:大塚先生は比較経済史学を中心に活躍され、「近代欧州経済史序説」、「近代資本主義の系譜」などの業績で国際的評価を受けた。マックス・ウェーバーの宗教社会学とマルクスの唯物史観論の方法を統合した、いわゆる「大塚史学」を構築した。)

大塚先生は、「衣食足りて礼節を知り、そうりん満ちて栄辱を知る」と言う儒教の教えと対比させて、イエスの「山上の垂訓」(マタイ伝5章3節〜6節)を説いた。

  心の貧しい人たちは、幸いである。
        天国は彼らのものである。
  柔和な人たちは、幸いである。
        彼らは地を受け継ぐであろう。
  義に飢えかわいている人たちは、幸いである。
        彼らは飽き足りるであろう。
   

このイエスの教えは儒教とは全く正反対である。
戦争直後に情熱的に話していたのを覚えている。この職業観、召命観に導かれてきたと感謝している。

私は、現在ここで立っているのは、すべて「神の恵み(By the Grace of God)」によるものだと強く感じる。

これを「神の恩寵(おんちょう)」とも呼ぶ。
パウロも、苦難にいる時や嬉しい時において、すべてこの「神の恵み」と感謝している。

第3者や周囲は、私を妬み、私を中傷しても、「神さまがすべてを知っておられる」と思い、あまりこうしたことを気にすることはなくなる。どんな時にも、「主と共にいまし、主すべてを知り、主われを愛し給う」と思ったら、謙虚に自分が正しいと思う道を進むことができる。

最近、日本でもよく言われる「アカウンタビリティー」とは、実は聖書の言葉である。・・・この言葉の本当の意味は、「全能の神さまの御前で、他人がなんと言おうと、自分のしていることを申し開きができるかどうか」である。

中央銀行としても、他人が何を言おうと、神さまの前で申し開きができるかどうか、つまりアカウンタブルかどうかが重要となってくる。
                   (完)

文中に出てきた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、次女夫婦が日本を発つ前日に、婿が真智子の書棚から手にしていた本だった。
続きを読みたそうだったが、運ぶ本がたくさんあったので断念して書棚に戻していた。実は私も真智子の東京時代の留守中に少し読んでいたが中断したままである。

我々もそれぞれの使命を明確にされて、神に用いられる生涯でありたいものだ。
posted by 優子 at 17:13| 引用文 | 更新情報をチェックする

2007年06月24日

「主に ハレルヤ♪ ハレルヤ♪」メール着信!

優子さん!!

久しくご無沙汰しています!
毎日、優子さんのブログによって、どれほどわたしは慰められていることでしょう!
このところ、教会もお休みしているので・・・。

主の愛はなんと深く大きく暖かなのでしょう!
ひとつまたひとつと確実に、春の雪解けのように、優子さんの祈りに応えてくださって!
優子さんの苦悩の時を少しだけれど、知る私にとっても嬉しくて、主をほめたたえずにはいられません。

栄光!主に!捧げます主に!ハレルヤ!

知子さんの出産も間近。 
準備万端整え、こころふくらませて初孫を迎える優子さんの笑顔、目に浮かびます。
ご安産心から祈ります!

“ひかり”もまた主からの慰めです。
babyは、ほんとに可愛い!!!
ママは睡眠不足と戦っていますが・・・。

産婦の応援は、体力も要ります!
優子さん、身体に力蓄えておいてくださいね!
私は、1週間風邪ひいてしまい、うつさない様にと大変でした。

God Bless You! 
              Setsuko

「主に ハレルヤ♪ ハレルヤ♪」とは、なんて素晴しい件名なんだろう。
5月29日の12時15分、3082グラム、ひとつのいのちが誕生した。

ひかりちゃんのご誕生おめでとうございます!
かおるさんは順調に回復されていますか?
ひかりちゃんの吉報を頂いたあと、その後も何度もメールをと思いつつも、お疲れの節子さんに返事を書かせてはいけないと思って自粛していました。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

このメールから励まされて霊感を受け、私は久しぶりに「メサイア」を聞きたくなった。
昨年12月7日の記事に取り上げたヘンデルは、たび重なる障害や困難が来ようとも、何年にも及ぶ挫折の日々においても歩みを止めなかった。
挫折しながらも、苦しみながらも励み続けた。

ヘンデルの「跳ね返す驚異的な力」の根拠は、自分でもがき苦しまないで手を離して、神に委ねることで平安を得ていたからだ。
「失うことで得る」とは、悩まないで手を離して神に委ねることではないだろうか。
自分の力でやろうと、もがき苦しむのではなく、それから手を離す。神に委ねることで神の平安が充満し、人生に情熱を注げる。そうすることで、解決への道は神によって開かれていく。
神に委ねるとは、聖書の言葉と聖霊の働きを熱心に求めて生きるということであるが、私は今まで以上に霊の働きを実感できるようになってきた。

「失えば得る、死ねば生きる」 " Lose to Get,Die to Live. "

節子さんの信仰生涯から教えられ、また、このメールを通して、「これからも、今回のように手を離せばいいのだ。」と、主から語られているように感じた。

お兄ちゃんになった倫太郎君と、ひかりちゃんの幼子が、神の御手の中で愛と知恵に成長されますように。
そして、節子さん全御家族の上に、神の豊かな祝福がいよいよ満ち溢れますようにお祈りします。
ひかりちゃんの献児式の日を楽しみにしています。


ハレルヤ!
主に栄光あれ!
posted by 優子 at 19:49| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年06月23日

今は恵みの時、回復の時 ―人は愛し合うために生まれてきた―  

優子さん

娘さんの御出産をやさしく見守っておられる優子さん。
優子さんの、お顔を拝見できないのはさびしいですが、今は思う存分にご家族をお守りください。
愛情の温かい輪ですっぽりと包まれて無事に安産されるようお祈りします。

ありがとうございます。
欠席を重ねている私に、T会長と共に御寛容下さっている副会長Mr.Mさんからもメールを頂戴している。役員さんたちは、今月に入ってから3回も4回も動いて下さっているから本当に心苦しい限りである。

このような時にいつも思うのは、人は他者から愛を受けて豊かに育てられていくということだ。
私は、多くの人たちが祈って下さっていることを気配で感じ、私もまた人の気持ちになって接していきたいと強く思わされている。

そして、もう一つ嬉しい便りを記録しておきたい。
21日に長女に送られてきた私の妹からのハガキである。父と母にも聞かせてやるが如くに一字一字を刻もう。


もうすぐ知ちゃんの赤ちゃんがやってくると思うと、未来に希望が湧いて来ます。
知ちゃんと真智がそれぞれに、結婚に恵まれ、頑張っていることはすごく嬉しくて、特に知ちゃんが近くにいてくれるので心が軽やかになりました。
アメリカにいる2人も私の心の張りなります。もちろん。
安産をお祈りしています。
                   2007年6月19日

長女の家から車で10分ほどの所に住んでいる妹は、母親代わりのように娘に愛を注いでくれている。2日前の妹からの電話では、イザという時のために、長女がかかっている病院までの道を確かめるために車を走らせてくれていた。
娘時代からの不定愁訴を抱えながらの妊婦・知子のために、食欲が出るようにと具だくさんの中華スープや焼きたてのパンを持っては、何度も訪ねてやってくれている。

「今年初めの頃は、叔母ちゃんはママのことを『あの人』と言っていたけれど、そのうちに『姉』になり、今では『お母さんは』とか『ママは』とまで言うようになったよ。」と、嬉しそうに話してくれる知子。

「あの父と母に同じように育てられた妹が何故?!!」と苦悩する不幸な長い年月があったが、今、神の時が来て、共に謙虚にされている。
このように変えられるために何か大きな出来事があったわけではない。話し合って和解したわけでもない。

しかし、私だけではなく、クリスチャンである妹もまた祈り続けていた。切に求め続けていたのだ。
人間の頑なな傲慢さゆえにお互いを理解できずにいたが、その間もそれぞれが積み重ねてきた祈りを、神さまはずっと聴いておられたのだ。
妹には妹の心の傷、悲しみがあったのだと思えるに至った。
いつかの記事で、人生の謎の一つが解き明かされたと書いたのはこのことである。妹と長女との関わりを通して神が和解へと導いていって下さっていることがわかる。


知子は、自分たちの新居をどこにするか叔母に相談したわけでもないのに、このようにセッティングされ、全てが不思議としか言いようがない。既にあの時から神さまのご計画があったのだ。

そして、今は恵みの時、回復の時なのだ。
私達の意志の強さや努力によって変わってきたのではない。
時でもない。
なぜならば、神の御介入なくしては絶対にこのようにならないことは、今までの人生で経験済みだ。どんなに鈍感な人でも50年近く生きているならば認めざるを得ないはずだ。

イエス・キリストが、妹や私の魂(心)を変えていって下さっているのだ。
私たちは何と祝福された者であろうか!!


私が常に言う人生の悔いを残してはならないとは、このことなのだ。罪も死後のことも解決されただけではなく、人生の破れを繕っていって下さるのだ。
イエス・キリストを道先案内人として生きていくならば!


お父さん、お母さん、安心していて下さいね。
お父さんとお母さんが今も愛してやまない私たち兄妹3人を、お父さんとお母さんの愛の形見である私たち3人を、神さまは必ず一つにして下さるからね。
これからも神であるイエス・キリストだけを信じて、お父さんとお母さんが願っていたように心を尽くして生きていくからね。


人は愛されるために、愛し合うために生まれてきたのだ!
このブログを読んで下さっているお一人おひとりの上に、
特にまだ神さまをご存知でない方の上に、神のお導きと祝福が豊かにありますように!


私は愛と感謝をこめて同じメッセージを贈り続けます。
posted by 優子 at 08:21| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2007年06月22日

日本語から気づかされたこと ―個人としての自覚をもって生きる―

20日の記事で敬語について考えていると、言語がその民族の精神や文化に大きく関係していることに気がついた。そのところで、「できる限り文末を曖昧にしないで自分の考えを述べるようにしている。」と書いたが、実はこのことも私のキリスト信仰に無関係ではない。

例えばこうだ。
英語で「これは本です」と言う時、相手が天皇であろうが、大統領であろうが、あるいは、友人であっても、"This is a book."である。
しかし、日本語ならば相手によって、「これは本でございます」、「これは本です」、あるいは、「これは本だよ」と言い方が変わる。

即ち、日本語では相手にとっての私というのが大前提であるから、言葉が意識と密接に関係してくるわけだ。
言語学者ではないが、思索の人、森有正は「日本語自体が相手に同調する仕組み」だと、次のように述べている。

たとえば、自分が話す相手の地位、身分、関係によって言い方が変わってくるという、敬語法の使い方が、言葉の中枢まで入っています。

ですから相手の判断にさからわない。
相手の判断を自分の判断に照らして、それを裁断するということをしない。相手との関係で動揺する。決して自分のおもったことをそうだとは言わないで、そうではないでしょうかと言ったり、相手がなにかやったことも、相手がそうやったとは言わないで、そうではないだろうかというふうに言うわけです。

たとえば日本の古い文章を読むと、高貴の人について述べた文章は、疑問の形をとっているのが多い。「かく思い給うゆえか」とか、何々であるということを、疑問型で表している。判断をさしひかえているわけです。
日本語には判断をさしひかえる形が、言語構造そのものの中に多すぎる。そのために客観的な認識というものが発達しないのです。

             『生きることと考えること』より


なるほど。
日本語は言葉そのものが批判的ではないから、日本では実証的な学問は進歩しないということもうなづける。しかし、私がここで高名な学者の文章を引用しているからと言って、私に批判精神がなく実証的ではないと理解されては困るが(笑)。

こう考えてくると20日の記事で述べた感想を覆すことになるが、言葉が先にありきで、言葉が曖昧な日本人を作ったと言うほうが正しいのかもしれない。  

いずれにしても、日本人が主体性に欠ける根拠はここなのだと思った。
ゆえに、この国で自己を確立し、自分らしく生きるということは大変に高度な訓練になってくるわけだ。
かくて、私は神との出会いにより、聖書を通して独立した自己形成の過程に導かれてきたのだ。

その根拠となるのは、神の前には全ての人が平等であるということだ。と言うことは、誰一人として他の人に対して特権的な地位を持っていないということでもある。
日本に本当の民主主義が根付かない理由もここにある。 
「私」は相手との関係による「私」ではなくて、常に私は私なのである。


デカルトとパスカルの研究者であり、キリスト者である高名な思想家、森有正の鋭い感性と高い知性が残してくれたものは、時代を越えて我々の道標となるであろう。
私もまた自分の責任において考え、発言していく歩みを続けていきたい。
posted by 優子 at 08:52| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年06月21日

言葉の花束に感謝

優子様

今ブログを拝見して思わずメールしています。
もうすぐなのですね。
自分の時以上に興奮といいますか緊張しますね。
すぐにうれしいうれしい時がやってくるのです。しばらくは何も手につかないでしょう。

主に守られてお元気な赤ちゃんが誕生しますように。
お嬢様も守られますように。
ニュースを心待ちにしています。
                   おばばの先輩より

感謝。19日の夜に希望姉から頂いたメールだ。
ご高齢のお母様を在宅介護されながら、いくつもの重責についておられる姉が、ご多忙でお疲れのなか書いて下さった。

6月12日には、河内の郷土サークルセンターのT会長さんからも優しいお心のこもったメールを頂いている。

藤本様
 
 私どものクラブ(拓本クラブ)にも9月に次女の
かたが出産ですと 今日 教室で話されました。
思わず羨ましい!と 2〜3の声があがりました
 赤ちゃんが抱けるんです
 私はたまにですが 抱かせて下さいと言って
 抱かせて貰っています
 
 お世話をして差し上げてください
 そしていっぱい楽しんで下さい
 お気をつけて!!

私は書記という3役の立場にありながら、勝手させて頂くことが重なり恐縮している。これは、16日に開かれた臨時役員会の欠席をお願いした時のご返信である。
快くご理解を示して下さる方だけに、甘えすぎてはいけないと思う。中には厳しい内容のメールが返ってくるので、T会長のお人柄がより深く心に沁みる。

立場によっても優先順位は違ってくるが、日常の些細な事にもその人の価値観(生き方)や人柄が見事に現れるものだ。
批判的な人はそのままにして、私はしっかり自分の限界を設定してバウンダリー(境界線)を保とう。


今日明日と民生児童委員会は旅行である。
posted by 優子 at 11:41| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年06月20日

日本語の誤用について

私は母国語である日本語を正しく使えない。
日常語に不自由を感じていたのだろう。長女が小学校に入学して夏休み前の個人懇談会で、それとなくお聞きしたことがある。先生は「書写しているうちに身につく」と言われた。
「そうか・・」と喜んだものの、怠け者の私が一回として実践したことはなかった。

長女が小学校4年生になった時、人に読んでもらう文章(PTAの広報誌「母親通信」)を書く機会が与えられた。その時から仕上げは常に長女に読んでもらっていたように思う。
小学4年生の子供の国語力を信頼し、自信のない助詞の使い方を見てもらい、私がおかしな日本語を書いていないかチェックしてもらっていたのだ。

今になって思えば、それが娘の学力向上に寄与したのかもしれない(笑)。学校で系統的に読み書きを学び始めたとは言え、たった3年後の子供を師としたのであるから「ホンマかいな(本当?)」と思われるだろうが、本気でやっていた本当の話である。

以来2年前まで、活字になる文章には必ず長女に目を通してもらっていた。最後の数年間は、「主語と述語が一致していない」とよく注意されたものだが、昨年に私は師から自立の時を迎えた。娘は婚約、結婚で忙しくて頼めないし、それを機に独り立ちした。

正しい日本語を書く自信もないのに、次女にブログを開いてもらって大喜びするところは私の長所の一つだろう。その楽しさを原動力にして、書くことで論理力を養おうと励んでいる。

書く上で気をつけているのは、できる限り文末を曖昧にしないで自分の考えを述べるようにしている。
我々は、相手に物事をはっきり言うのは失礼だと考えるのか、相手との関係を壊したくないために「ノー」と言えない。それは私だけではなく、日本人の性格であることに気づかされた。
「そう言えるのではないかと思います」とか、「そんなことはないとは限らない」とか、遠回しで婉曲な言い方がなんと多いことだろうか。

その原因は、日本人が曖昧だからこのような言い方になるのか、日本語が曖昧だからそうなるのか興味ある観点であるが、やはり、我々が自己表現しないというところに原因があるようだ。
言語には著しくその国の文化が反映されるものだ。


もう一点は、修飾語をたくさんつけて長文にしないこと。
「いったい何が言いたいの?」と思わせるような、クドイ書き方をしていないか、梅雨のようにジメジメした文章になっていないかと心がけている。
また、私の文章は唐突過ぎる感もあり、接続詞の使い方もよろしくない。句点の打ち方も迷うことしきり、文章は実に難しい。

ついでながら、ずっと気になっている婿の名前の「太志(君)」について解説(言い訳)させていただきたい。
と言うのは、このブログは自己満足の日記のつもりではなく、家族以外の人々に読んでいただくことを意識して書いているので、本来ならば筆者の身内となった婿に敬称をつけて書くのは間違っているからだ。

時々、わが子のことを「ちゃん」づけで話す人がいるが、大変聞き苦しいものであるのと同様に、本来は「大志」と書くのが正しいのだが、今はまだ書きにくい。
そこで、「(君)」とカッコをつけることで、「その無作法を承知していますが、自然に書けるようになるまでお許し下さい。」というような気持ちを表している(笑)。
そのように読み取っていただければ感謝である。

開放的になった現代の良い部分として、「内・外」意識も親・兄弟姉妹・夫婦・子供くらいにして、一個の独立した人格として欧米式にファーストネームを呼び合う感覚で、「さん、君」付けでもいいかなと思ったりもする。まあ、もうしばらく自然に派生してくるものを待とうと思う。

ついでながらもう一つ、誤用がまかり通っている奇妙な言語現象がある。それは婚家先の家族に対する言葉遣いだ。
関西では「○○さんが〜される、〜しておられる」という敬語を、くだけた日常敬語では「〜しはる、〜してはる」と言うが、伴侶の両親や兄弟姉妹のことを他人に話す時もこのように言うのが一般的だ。
見識のある方は正しく話されているが、こんな時代になっても遠慮深い表れなのかもしれないが、私には奇異に聞こえる。

稀(まれ)には、夫の名前を「さん」付けで話す人まであり、「ええっ?」と驚くことがある。これは論外としても、「内・外」の意識構造からは完全に逸脱している言い方が一般的になっているから、正しい語法で話す人に出会うと嬉しい。

私も日本語を大切に正しく使いたいと願っているので、間違いを指摘してくださればありがたい。


posted by 優子 at 16:11| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年06月19日

娘の出産前待機中に母は”You Tube"?

長女は昨日の受診で、もういつ生まれてもいいとのこと。
赤ちゃんは2768グラム、「そんなことまでわかるの?」と驚く。
本来ならば出産近くになれば実家へ帰るのだが、長女の場合は病院が遠くなるので私は一人で自宅待機だ。

そして、今のうちにと今朝は朝一番に美容院に行ってカットを済ませてスッキリした。2駅向こう(大阪寄り)まで出かけるのだが、辺鄙な所に住んでいるとカットに行くにも運賃がかかって高くつく。
さて、これでいつ出動しても良い状態になった。

今日は第3火曜日なので、今頃は読書会が開かれている。
外出するのも気が気ではないし、かと言って今もまだ娘の所に行ってやらないのだが、せめて私が自宅にいることで娘の不安感も軽減されるのではと休ませて頂いた。

ところで、次女が今回の滞在中に、パソコンに”You Tube ”を設定してくれたので時々楽しんでいる。
「ユウ チューブ」なんて聞くのも初めてだったが、パソコンは何でも叶えてくれる魔法の箱のよう。使いこなせない私には今もブラックボックスだ。

ブルーコメッツから始まり、尾崎紀世彦、加山雄三、ダニエル・ビダル、・・・思いつくまま懐かしい歌を聴いている。
中学3年生の頃に夢中になっていた「アンディ・ウィリアムス・ショー」まで楽しめるのだ。アンディもなんて若いのだろう。見ている私も14〜15歳に戻っている。
「優ちゃん、先にお風呂に入ってしまいなさいやー」と、階段の下で叫ぶ元気な母の声も聞こえてきそうな感じ。
「はーい、もうちょっとしたら入る!」。

Sherlly Bassey ,”This is my life ” ,” Yesterday when I was young.”は、懐かしすぎて胸が痛む。”Love story”も最高だ。
その曲を聞いていた頃の時代に即座に変換され、私は19〜
21歳くらいの大学生になる。

Julie Andrews, Tom Jones,Engelbert Humperdinck,
The Monkees
,"Daydream Beliver".
Bee Gees ," Massachusetts","Holiday","How deep is your Love."
Frank Sinatra ,"New York New York",
Frank and Nancy Sinatra ,"Something Stupid"は、ヤンリク(ABCラジオのヤングリクエスト)でよく流れていた。

人生で最も懐かしいのは中学から結婚するまでの頃だ。両親も若くて元気だった。
1976年夏、私の婚約中にヒットしていた、あおい輝彦の「あなただけを」も見つけた。「ふたりの世界」はテレビ番組そのまま見られるが、韓国語になっている。

真智子たちが行ってからも忙しかったが「忙中閑あり」で、実は毎日開いて懐かしい青春の世界を楽しんでいた。
コーヒータイムのひと時、気分転換には最高だ。

"You Tube" is a wonderful world of my youth. 
なのです。

真智、新しい世界を楽しませてくれてありがとう!
でも、楽しみも一時お預けにします。





posted by 優子 at 15:06| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年06月18日

「許す・赦す」とは”long suffering "ということ

1987年6月7日に小山恒雄牧師から洗礼を授けていただいて、20年の月日が流れた。
その年月が20年よりもはるかに長く感じるのは、人生の意味を知るために組まれた苦しみと悲しみの濃厚な過程だったからだと思う。
いつしか人生の意味も目的も明確にされて、何を大切にして、何と取り組まねばならないのかもわかった。


私も母と同じ70歳で召されるならば、持ち時間はあと14年あまりとなった。あるいは、それよりも早いかもしれないことを思うと、悔いのないように生きねばと思う。

ところで、私は人を許せぬ苦しみで神と出会ったが、20年前の私は「許す(赦す)」ことの至難さや苦悩は今ほどもわかってはいなかった。
その後、いろんなところを通らされていく中で、他者を許せぬ自分に苦しみ、「許し」は常に私の大きなテーマだった。


洗礼を受けて2週間後の礼拝説教で、小山牧師はピリピ人への手紙4章4節〜7節から「主の寛容を知らしめよ」と題されて語られたが、その中でひとつの言葉が深く心に響いた。

「許す」ということは、" long suffering "なのだと!

日本語で説明されるよりも何とわかりやすい説明であろうか!
許しには長い心の痛みがある。長い間、苦悩が伴うというのだ。

結婚後から読書生活が始まり、特に渡辺和子さんの著書から多大な感化を受けた。この方によって25歳から第2の人格形成が成されていったと言っても過言ではない。

渡辺さんは、2.26事件で殺された教育総監・渡辺錠太郎の次女として生まれた。その後、カトリックの修道女となり、上智大学大学院卒業後、ボストン・カレッジ大学院で教育学博士号取得。
36歳の若さでノートルダム清心女子大学学長に就任され、
1990年までの27年間務められた。現在80歳になっておられる。
このような人物にして、次のように語っておられる。

心から許すなどということが、人間に果たしてできるのでしょうか。イエスさまにはそれがおできになりました。―神さまですもの。
でも、私には、どうしても心の片隅にこだわりが残ってしまい、そしてそのことで苦しむのです。

「わたし(キリスト)の天の父(神)も、もしあなたたち一人ひとりが、兄弟を心から許さないならば、あなたたちも同じようになさるであろう」というキリストの言葉は、かくて恐ろしい言葉に思える時があります。

でも私は、あのキリスト、そして、そのキリストが語った天の父は、人間の弱さを知り、その精いっぱいの努力と闘いをきっと評価してくださると信じています。

心の中の葛藤、そして心から許せないがゆえの謙虚さを見てくださるキリストを信じて、今日も私は生きつづける勇気をいただくのです。

”7回 ”などと考えたり、数えたりせず、絶え間なく、つまり、その7を70倍するほどに根気よく、他人を許し、また自分の心の中に芽生えてくる”仕返し ”” 意地悪 ”” 恨み ”” 口惜しさ ”等と闘う勇気をいただくのです。

            『愛することは許されること』
                ―聖書からの贈り物―


著者の豊かな知識と共に、御自身の心を正直に書き綴られていることに強く惹かれてきた。
その著述から、愛の働きに裏づけされなければならないというカトリックの歴史的思想を感じないでもないが、文書伝道者として神の召しを受けた者として、私も自己の内側を正直に語れる書き手になりたいと励んでいる。

”long suffering "

みんなもそうなんだ、自分だけが弱くて醜い存在ではないのだと思い出すことで、主を見上げて立ち上がる力が湧いてくる。
進歩がないと思えるような私でも、何度も何度も立ち上がり、主に手をつないでもらって歩き続けることこそが、最も尊いことなのだと思い出しては立ち直る。

私も自己を飾らずに、弱さを分かち合える書き手となるようにと力強い召しを感じている。
posted by 優子 at 12:07| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2007年06月17日

父の日 ―夫に父が重なる時―

今日は「父の日」である。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、
「1910年にアメリカ・ワシントン州のJ.B.ドット夫人が、彼女を男手1つで自分をそだててくれた父を覚えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。・・・
1972年(昭和47年)になり、アメリカでは国民の祝日に制定される。・・・
父の日の花はバラ。ドット夫人が、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。」

尚、「この項目『父の日』は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。」
とのこと。
まさに、みんなで書き上げる百科事典である。

今朝の礼拝で、夫も壮年の人たちと6人で「キリストにはかえられません」(聖歌)を讃美した。教会からいただいた「父の日」のプレゼントの一つ、肩たたきは帰宅早々重宝に使っている。

午睡のあとパソコンを開いていた時、黒部の写真に添えてミネソタから嬉しいグリーティングカードが届いた。ミネソタ時間17日の午前3時前に送信してくれている。
ふたりの尊い気持ちが嬉しくて、親の名にふさわしい者に成熟していきたいので、その一部をここに刻むことを許してほしい。
いつも僕ら夫婦のことを優しく見守ってくださり、本当に有難うございます。
滞在中にいつも僕らのことに心を砕いてくださっていること、美味しいものをご馳走したいと思ってくださる優しさ、お父さんとの仕事、黒部へのとても素敵な旅行、・・・・・そして義理の関係以上の、父母として見守ってくださっていること、挙げればきりがありません。
本当に心から感謝しています。
お父さんとお母さんから、親の愛というものを実感しています。
素敵な家族と出会え、結ばれたことが、心から嬉しいです。・・・

これからも仲の良い家族でいさせてください。未熟な僕ではありますが、祈りながら努力していきたいと思います。
心からの愛と感謝を込めて。
                    太志・真智子

黒部に行ったのは、ちょうど一週間前の今日だったとは信じられないほどだ。
私達も本当の親子のような関係になっていく幸せを感じ、共に時間を過ごすことがとても大切だと気づかされている。

知子の出産も近い。
母親の大切な出番でもある。
母にしてもらったことを我が子にしてやりたいと思う。

娘たちが結婚してから、夫が父と重なって見える時がある。
娘たちや娘婿たちへの夫の想いが、父を思い出させるのだ。

懐かしいお父さん。
お父さんに会いたい。






posted by 優子 at 17:39| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年06月16日

同志社同窓会報に遠き日々を想い、来たるべき日を想う

毎年8月初めに発行される同志社同窓会報が早くも昨日届いた。同志社の女子教育に生涯を捧げた宣教師デントン先生の生誕150年記念号でもあった。

「デントン・ハウスの客間はホワイトハウスを除いて世界で一番興味深い場所である。」

と、ある外交官が評しているが、訪問者芳名録には同時代の著名な人々のサインが残されており、キャンパス内にあったデントン・ハウスにはいつも世界中から著名な訪問客で賑わっていた。

「永眠恩師」のページを開いて息を呑んだ。
この1年間に亡くなられた方が4名もおられたからだ。
何歳で召されなさったのだろうか。80歳前後になっておられた方もあろうが、お一人はまだ70歳にもなっておられなかったのではないだろうか。
もうこの地上に居られないとは、なんて寂しいことだろう。

卒業生が師を偲んで書かれたものを読んで羨ましく思った。
同志社時代の私は主体性のない生き方だったから、先生方とは誰一人個人的出会いもなく過ぎてしまったからだ。

どの年代であれ、求める者には良き人物との出会いがある。
しかしながら、中・高時代から成人する頃までの若い時というのは、人生で最も大切な時期だと思う。感化されるような人物との出会いは何にも優る生涯の宝だ。
そして、その出会いもまた、その人自身の主体的な生き方なくしては得られないものと理解している。


夫は早朝からゴルフに出かけた。美濃紙業主宰の接待ゴルフである。夫を見送り、私もチャッピーと散歩に出た。
朝露で草が光っていた。キラキラ光る草の露を見ながら、気がつけば讃美歌368番を歌っていた。

     つとめいそしめ 花のうえの
     きらめく露の  消えぬまに、
     とき過ぎやすく 暮れはちかし、
     あさ日てるまに いそしめよ。


私の人生もいつかは終わるだろう。
イエスさまによって罪と死は既に解決されている。だからこそ、大いに人生を楽しみつつ成すべきことに心を尽くそう。

ボンヤリと過ごしてしまったにせよ、同志社で学ばせてくれた両親に対して改めて感謝の念が込み上げてくる。

10月6日(土)女子部バザー
11月4日(日)10時から16時45分、今出川キャンパスでリュニオン
11月17日(土)9時45から12時まで、栄光館ファウラー講堂にて「ミス・デントン生誕150年、没60年記念会」
12月21日(金)11時から相国寺長得院墓前にて、「デントン先生永眠記念墓前礼拝」、そして、
翌年2月12日(火)17時から19時30分まで、新島会館にて「新島襄生誕記念会」が予定されている。

デントン記念会の折に懐かしい栄光館、同志社を訪ねてみたい。

posted by 優子 at 11:27| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年06月15日

ミネソタ物語・結婚1周年の結実

2007年、新しい年が始まった早々に、私達夫婦にとっても予想だにしなかった突然の大嵐にみまわれた。
すさまじい闘いに対して祈りに徹することなくしてはおられなかった次女夫婦である。これからも乗り越えてゆかねばならぬハードルはあろうが、彼らはそれに余りある最高の喜びをいただいたゆえに明日への希望に満たされている。

地上で起こっている全てのことは、神が許されたことであると我々は知らされている。
しかし、この段階で人はどんなに苦しむことであろうか!
「なぜ、こんなことが?!」と、
受け容れられない怒りと悲しみで絶叫する。自分に責任のないことであるならば尚のこと、その苦悩は筆舌に尽くし難い。
そして、苦しみぬいて、魂の格闘の末に神に託していくのである。


しかし、神に導きを乞う者にとっては、人生の最悪は最悪のままでは終わらないのだ。
最悪こそが最善なのだ!
神が許された苦難であるから、格闘の末に受け入れることができるように導かれ、必ず乗り越えさせて下さるのだ。
しかも、ただ乗り越えさせて下さるだけではない。

幼い時から成人する頃まで熱心に求め続け、イエスさまを信じて生きてきた真智子が、苦しみの極みで「祈ろう」と言った。
この一言がいかに重いことか!!
この時の真智子の苦悩を表現できぬはがゆさ、とにかく、この時から道が開かれていった。
信仰生涯は、苦悩のどん底に突き落とされた時から始まっていくのだ。

内村鑑三は言っている。
「最良の聖書の注解書は苦難である。人生苦である。人生で苦しまずに聖書はわからない。」と。

確かにこの人生において、苦しみや悲しみ、あるいは、努力なしに喜びを味わうということはあり得ない。
この苦しみを通して太志(君)はイエスと出会った。
そして、私の切なる願いを、こんなに早いうちに叶えて下さったのだ。
ハレルヤ!


我が家に滞在中も1日2日は読めなかった時もあるが、毎晩、ベッドに入る前に聖書を読んでいたふたりだ。
彼らにとっては読まなくてはならないのではなくて、読みたくてしかたがないのだ。「ロマ書」から読み始め、今は「テサロニケ人への手紙」を読んでいた。

神さまは、学者の道を歩む彼らに特別な計画がおありなのだろう。そして、彼らが人生の終わりに振り返った時に思うことだろう。
「あなた(神)は、私達の生涯を最善に導いて下さっていたのですね」と。


神の栄光がふたりの上に現されますように!


太志君が言ってたように、スカイプで国際家庭集会をやりたいね(^−^)。
今日も良い一日を!・・・いや、14時間の時差があるから、そちらでは14日の終わりを迎えているね。言い直します。
明日も良い一日をね! 主に在って。
posted by 優子 at 08:56| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年06月12日

イソトマの花

   日付: 6月12日 (火) 便名: NW 806
   出発: ホノルル国際空港, 21:15
   到着: シアトル/タコマ国際空港, 5:49 (6月13日 (水))

   日付: 6月13日 (水) 便名: NW 806
   出発: シアトル/タコマ国際空港, 9:05
   到着: ミネアポリス/セントポール国際空港, 14:23


食料品だけではなく沢山の書物が詰め込まれた22キロと30キロだったかのスーツケースを2つずつ、これだけで100キロ以上の荷物である。
背中にはPCの入った重いリュックを背負って、今から約1日半の旅である。日本時間では14日夜明け、午前4時半頃にミネソタに到着する。
関空からはミネアポリスへの直行便がないため、今回はハワイ経由で11時間のハワイ滞在中に海で泳ごうと水着も持参だ。若さは特権だ。素晴しい!

私はプラットホームで見送り、今、静まり返ったリビングに在る。別れは目頭が熱くなるも、さほど辛くもなかった。
年取った私が、反対に若者から生きることの素晴しさを見せられて、彼らの大いなる未来に想いを馳せながら感動していたからだ。

家を出る1時間前から流していたエルガーの「愛の挨拶」が、私の脳裏にずっと聞こえていた。帰り道の花屋さんで、薄紫色に咲く5弁の花に引き寄せられた。

isotom.jpg


「南半球の涙 イソトマ」という名前も初めてなら、見るのも初めてだ。いや、見ていたかもしれないが、私には全く見えていなかった。
タクシー代のおつりがあったとは言え、めったに花を買い求めることのない私が買ったのだ。そして、そのこともまた嬉しかった。

花を手に、「愛の挨拶」のメロディを口ずさみながら帰宅したのに、どうしたことだろう。門を入った瞬間に涙が溢れ出た。

家の中は静まり返っていた。


プラットホームで真智子と太志(君)と手をつないで祈った。
このように生きる若い2人を、神さまが守り導いて下さらないわけがない。電車に荷物を運び込み、ドアが閉まる瞬間に真智子が言った。

「パパによろしく。
お姉ちゃんにもよろしくね!」


真智子の瞳は神さまからの愛と希望に満たされていた。
勿論、太志(君)も!!
真智子と太志(君)に神のご加護を祈りつつ、私は電車が見えなくなるまで立っていた。


   「愛のない者に、神はわかりません。
    なぜなら神は愛だからです。」
   
          
              (第1ヨハネ 4章8節)
 
 ♪ 5月中旬から始まったアメリカの学生の夏休みは9月初
   旬まで続くが、2人は24日間の滞在で再び飛び立って行
   った。
   以上、5月19日からの11の記事は、「ミネソタ便り 帰国
   版」とも言うべきカテゴリである。
   どうか、無事に到着するように祈ってやって下さい。
posted by 優子 at 17:46| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年06月11日

次女夫婦と共に感動旅行

9日の早朝6時前に家を出て、10日夜10時に帰宅。
私達夫婦は次女夫婦と共に黒部峡谷と立山アルペンルートを旅して来た。
9日朝は夜明け前の雷雨が嘘のよう、不安定な天気ながら出発から帰宅までラッキーな空模様だった。

DSC01638.JPG


DSC01640.JPG


黒部峡谷トロッコ列車の鐘釣駅下車、気温は6、7度。
川原まで下りて湧き出ている温泉(40度くらい?)で足湯を楽しむ真智子と太志(君)。

DSC01647.JPG 

黒部ダム。後ろに見えるダムの真上も歩いた。


DSC01670.JPG


ここは室堂(むろどう)、ミネソタではない。気温は1、7度。
トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイ、トロリーバス、高原バスに立山ケーブルカーと、何度も乗り継ぎながら立山アルペンルートを辿った。

DSC01663.JPG

私は中学3年生の夏に一度だけ登山の経験があり、中央アルプスの駒ケ岳頂上まで登ったことがあるが、自然がこんなに美しいと感動したのは今回が初めてだと思う。
写真に美しさをとどめられないので目に刻みながら、この大自然を創造された神さまを想っていた。

9日の朝7時半に梅田を出発して10日の夜8時45分に梅田着、バス走行距離は930キロメートル。

楽しい思い出一杯の旅行だったが、土日の関西はひどい天候だったと聞き、チャッピーはさぞかし辛かったことだろう。







posted by 優子 at 23:19| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年06月09日

ヤマアラシ ジレンマ解決法 ―私の「3K」―

ストレス多き現代で悩むことと言えば、やはり人間関係ではないだろうか。
ショーペンハウアーの寓話である「ヤマアラシ ジレンマ」は、人間関係の的(まと)をついた、現代人には金言に値するたとえ話である。

昨年だったか、近年亡くなられたフロイト学派の権威、小此木啓吾氏の「なぜ『困った人』なのか」から抜粋引用させていただきたい。この「困った人」とは、臨床心理学(カウンセリング)の場面で用いられる言葉で、問題多き人のことを意味する。

では、「ヤマアラシ ジレンマ」について、

ある寒い朝、2匹のヤマアラシがお互いを暖めようとして身を寄せ合ったが、それぞれが自己主張のトゲを持っているために相手を傷つけてしまう。
やがて2匹は、ある程度お互いを傷つけ、ある程度お互いを暖め合う適当な距離を発見したという話である。

このように、ある程度の傷つき、怒り、憎しみが絶えず交錯するのが人と人のかかわりである。ヤマアラシ ジレンマを乗り越えて関わりを持つことが出きなければ、人間関係はうまくいかない。

どこかで自分の感情を抑えて相手の気持ちに従うとか、妥協するとか、我慢することができない人とはうまくつきあえない。その意味で協調性が大切だ。


ストレスに悩む時の私の解消法は、最善にして最高の方法である「三つのK」を働かせる。
それは、(神に)感謝する。感動する。そして、をこめて関わるという、私の「3K」である。
あなたもお試しあれ!(^−^)
posted by 優子 at 05:16| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年06月08日

真智子、神戸の大叔母を訪ねる

真智子にとっては大叔母にあたる私の叔母を訪ねて、昨日は朝から次女夫婦と3人で神戸へ出かけた。
神戸は六甲の山の手を走る阪急電車、次にJR、阪神電車と並行して3沿線走っている。叔母の家は阪急とJRの間にあるが、私たちは最も海沿いを走る阪神電車に乗った。石屋川駅で降りて、川沿いに六甲山に向って15分ほど歩く。

我が家に自家用車がなかった6〜7歳の頃まで、両親と兄妹と何度も歩いた懐かしい道である。叔母の家に向っている5人のシルエットが見えるようだった。
その辺りは野坂昭如の処女作、『火垂るの墓』に出てくる舞台である。

上がってみると御影(みかげ・石屋川より一つ大阪寄りの駅)第一第二国民学校御影公会堂がこっちへ歩いてきたみたいに近くみえ、・・・国道(2号線)に電車3台つながって往生しとるし、上がり坂のまま焼跡は六甲山の麓まで続くようにみえ、・・・
「えらいきれいさっぱりしてもたなあ、みてみい、あれ公会堂や、兄ちゃんと雑炊食べに行ったろ」・・・
阪神石屋川の駅は屋根の骨組みだけ、その先のお宮もまっ平らになって御手洗(みたらし)の鉢だけある。


昭和20年6月5日に、B29、350機の大空襲を受けた神戸の町を、主人公の清太が母の安否を求めて歩く場面である。

結婚してから一度電車で行ったことがあるが、電車で行くのは30年ぶりぐらいだろうか。
国道2号線沿いにある中央公会堂は、戦災にも阪神大震災にも免れて昔のままである。震災の時には救護所となり食料が配られた。

叔母は昨年から体調が悪く、今年の2月にはお腹を23針縫う大手術をしていた。昨日の6日には溜まった腹水を抜いてきたという。術後、2度目だそうだ。
私たちはいつものように心からのもてなしを受けて、共にかけがえのない時を過ごした。

「孫のない私が、真智子ちゃんとこんなに楽しい時間を過ごさせてもらって、いつもお母さん(優子の母)に申し訳ないなあと思う。」
と、叔母(78歳になる母の妹)は今回も何度も言った。

母と父は、真智子が高津高校を卒業してから神戸大学へ進んだことも、首席で大学を卒業して東大の大学院へ進んだことも、IMFから奨学金をいただいて結婚と同時にミネソタ大学の大学院で研究生活に入ったことも知らないのだ。
両親の晩年は悲しみ多い年月であっただけに、叔母はこのように言ってくれるのだろう。


しかし、私は叔母が実の孫のように真智子や知子のことを愛してくれていることが嬉しくて、大きな慰めになっている。父と母に代わって愛してやってほしいと思う。
そして叔母もまた、私の両親の分まで幸せな時を過ごしてほしいと願っている。


「知子ちゃんの旦那さんにはまだ会ったことがないから、是非、赤ちゃんと一緒に来てもらってね。」
と言ってくれた叔母。

真智子たちは、帰国した時には必ず訪ねることを約束して、叔母の健康が強められますように祈りつつ別れた。

このあと梅田へ戻り、再び阪神百貨店に入った。
叔母に持っていった泉州(大阪)特産・水茄子のヌカ付けを真智子たちにも食べさせてやりたくて購入した。
そして、6時過ぎに鶴橋駅で真智子たちと別れた。6時半に上六で神戸大学時代の友人と待ち合わせているからだ。私は7時前に帰宅し、真智子たちは10時過ぎに帰って来た。
今日もまた感謝な一日だった。
posted by 優子 at 22:20| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年06月07日

あなたは我が子に何を残してやりますか?

日本を代表する思想家であり、敬虔なキリスト者であった内村鑑三は、我が子に残してやれる最大のものは神への信仰だと語っている。

「それは事業でもなく、教育でも、愛情でも、名誉でも、財産でもなく、実に万物を造り、支配したもう神を信じる信仰である。」
(『後世への最大遺物』より)

子どもへの親の責任は重く、特に影響力を持つ母親の責任は多大だ。

ところで、最高の人生に導く「書物の中の書物」と言われている聖書は、1600年間に渡って、40人余りの手によって書かれた書物である。しかも、驚くべきことに内容は完璧に統一されている。

現在、2426の言語に翻訳されて、年間に6億冊印刷、今までに3880億部発行されている。
(聖書翻訳については、昨年の12月10日の記事に詳しい。)

詩人ハイネは語っている。

「なんという本だろう!
世界と同じほどの広がりを持ち、創造の深遠から始まり、限りなく高く、青い空の果てにまで達している。
日の出と日の入り、誕生と死、約束と成就、人間のあらゆるドラマが、この本の中に収められている。」


聖書は、神さまからあなたへの愛の手紙であり、あなたを慰め、救いを与えるものです。
あなたの上に、あなたのご家庭に、まことの神さまの御祝福がありますようにお祈りします。
posted by 優子 at 06:50| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年06月06日

真智子の誕生 ―育児日記を開く―

1980年(昭和55年)6月6日、午後3時2分、真智子産声を上げる。
体重 3420グラム、身長 48.6センチ、
胸囲・頭囲 共に34センチ。

6月7日:
夕刻6時半、出産して28.5時間後の授乳時に、初めて私の乳房を吸ってくれた可愛い私の赤ちゃん。
知子を見慣れているから、なんと小さいこと。

6月8日:
名前を真智子と命名。
この夜午前1時頃、真智子が吐血、誕生すぐの赤ちゃんにはよくあることで心配なしとのこと。お乳が張り出して痛い。

6月9日:
吐血のため授乳中止、心配。新生児黄疸出る。

6月10日:
黄疸の検査結果、合格。
臍の緒とれる。6日に生まれた3人の赤ちゃんの中で最も早かった。

6月11日:
黄疸(数値13)が少し強いため、お昼より母乳ストップ。心配。
夕方、会陰(えいん)切開縫合部分の抜糸。

6月12日:
黄疸(15.7)はもっと強くなるが小児科医の許可が出て、30時間ぶりに母乳の許可が出る。50CC飲む。

6月13日:
普通ならば今日が退院のはずが、黄疸のために退院は延期。
主治医(産婦人科の女医)が、早く黄疸がとれるようにと、念のために母乳を再びストップとの指示。

6月14日:
数値は依然高く、今日も退院は叶わず。
授乳後、ミルクを吐く。これも黄疸と関係があるのではないかと心配。
この夜、知子は初めて一人で(パパは一緒)藤本の家に泊まりに行く。
そのことを知らない知子に、「パパと一緒にママのお見舞いに行ってあげてね」と嘘をついて送り出した母が、たいそう心を痛めていた。行く途中に病院(大阪・扇町の北野病院)を訪ねてくれた。

6月15日:
黄疸の数値が「11」に下がり、お昼より母乳再開。多分、明日退院。検査のたびに、採血のために足の裏に針を刺されて泣く真智子。痛々しかった。

6月16日:
数値は「10」に下がり、無事退院。
黄疸の原因は、抗AB型血液型不適合を起こしたためで、後の心配も全くいらないとのこと。

6月17日:
夫が知子を実家に連れて来る。
知子、真智子と近くで対面するも、なかなか傍に寄らず、そのあと、指先で少しさわっただけ。しばらくの間、この状態が続く。

6月21日:
お七夜。祝宴のあと、知子は夫と藤本の両親と共に再び藤本の家へ。
この時は私も本当に辛くて泣いた。両親は、14日にすごく泣いたからか、今夜は大丈夫だった。知子は、1週間後の29日に再び実家に戻ってくる。

それから3ヵ月後の9月15日:
実家でのこと。
夜、父が真智子をあやしていると大きな声で長いこと笑う。
面白くてたまらないように、ケラケラと笑う。
私は嬉しくて嬉しくて恥ずかしいくらい泣いた。
たった3ヶ月前に生まれたのに、もうこんなにかわいい声を出して笑ってくれるなんて、本当に嬉しかった。
なのに、私があやしてもニヤニヤするだけで声を出して笑ってくれない。

日記はつづく。
昨年に続いて、誕生日を共に過ごせる幸せを感謝。

真智子、27歳のお誕生日、おめでとう!
主が真智子を祝福し、守って下さいますように!


 
posted by 優子 at 00:54| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年06月05日

妊娠35週目に入り、いよいよ出産間近か

「赤ちゃんは、もう生まれる準備を始めてるね。」と、医師が言われた。
昨日の定期健診結果も順調との報告を受けてホッとしたが、いよいよ出産間近からしい。最近よくお腹が張るのは、赤ちゃんが誕生準備態勢に入ったからだという。

神さまはすごい! 完璧なんだ!


子宮口も閉じていているから心配はないのだが、硬い子宮筋肉でできている子宮口を出産時には10センチも開けるわけだから、今から時間をかけて赤ちゃんも備えていくらしい。それがお腹の張りとして現れるというのだ。

次回は2週間後の健診予約だが、それまでに生まれることもあるというからビックリした。
近頃では37週を過ぎれば早産でもなく正常分娩とのこと、かと言って7月6日の予定日を過ぎるかも知れないらしいが、いずれにしても私もまた準備態勢に入らなければならない。

21・22日の民生委員会の旅行は辞退しよう。
昨年も娘達の結婚で欠席したが、最初の年だけでも参加しておいてよかった。今後は大切な用事は受けないようにして我が子のために備えていこう。

胎の中の生命を祈り、祈られて、今まで守られ育まれてきた。
受胎してから祈り続けられてきた子供は、なんと幸いな事であろうか!
いよいよ出産、生命の誕生である。
全てのことを握っておられる神さまに委ねて、知子は何も案ずることはないよ。そして、子が誕生してからは、愛の中でしっかり躾け、時が来れば、その子もまた自分で人生の方向を決めていくだろう。


子供は祝福のしるし、賜物として与えられるのだから、どうか大切に夫婦共に神さまの愛の中で子育てをしていってほしい。
それだけが私の願い。

まもなく会えるベビーよ、願わくば7月になって出ておいで!!
いや、これは神さまにお願いすべきことだろう。
真智子との時を心残りなく過ごして2人を見送ってやれますように!


昨日は寝不足ながら USJ を一日楽しんできた真智子たちは、さすがに昨夜は10時過ぎにベッドに入った。
今朝は父(我が夫)と共に美濃紙業に出社し、午後には彼らがソフトを提供した大手出版社を訪問することになっている。その後は上六(上本町6丁目)あたりでカラオケを楽しんでくるらしい。
良い一日をね!

お父さんとお母さんにも、今の知子や真智子を見てほしかったな。
明日は真智子の27歳の誕生日。
もうすぐ真智子も叔母ちゃんになるのね。(^−^)
人生は進んでいく。
posted by 優子 at 10:29| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年06月04日

抱きしめる愛

昨秋に知子が保険員さんからもらった USJ のチケットを、妊娠したからと真智子たちに譲ってくれていた。
次女も伴侶も共に初めての USJ だ。今回ようやく時間がとれて朝から出かけたが、あと1週間で見送りの日が来るので、私は今日から寂しさ先取り期間に入った。もうやだ〜(悲しい顔)
今日は夕飯作りまでタップリの時間があるので昨日の続きを考えてみたい。

5月24日の記事に書いた、「あなたは暗い顔をするからねえ。」という言葉は、その人の人生観を表しているだけではなく今の時代をも象徴しているように思う。   

我々は大変な出来事に出くわせば暗い顔にもなるのがあたりまえだ。ガッカリするようなことが起こればガッカリするのが当然であるのに、ガッカリすると悪いことにされてしまうのが現代である。

悩んでいることを格好悪い、あるいは、恥と思うのだろうか、自分の問題を無関心に装う人々ばかりであり、装うのでさえなく、そのことに気づいていない人たちも多い。

確かに誰彼に話せるわけではなく、お互いの関係の熟し度により接し方も違い、真の友と呼べるような個人的出会いにまで深められる人は極めて少ない。

しかしながら、私に言わせれば、彼らはガッカリする能力さえ失われてしまって、苦しむまいとして喜びを感じる能力まで失っているように見える。


この点について対称的な視点からライトを当てると、このこともまた昨日の記事の主旨に要約できるのではないだろうか。
即ち、全ての問題は愛に帰結するのだと。

前記事に重複するが、人は十分な依存なしでは自立はありえない存在である。特に今の日本人は、依存と自立を逆に考えているから問題は複雑に絡む。
また、あらゆる世話はしてくれたが拒否的だったという親もあり、外側だけでわからない事例もある。


我々は成長段階のある時期から自立を目指すのであるが、それに先立って、まず親の愛をタップリ受けていないと、その子は親の愛を求めてさまよう一生になるだろう。

娘たちは独立したが、私は今まで以上に親の重大さに気づかされ、今からの時も心して大切に生き始めたいと思っている。

次女への想い、また、次女夫婦や長女夫婦との交わりも、長女が出産する手助けも全てのことに、神さまへの感謝を忘れずに心を込めて過ごしていきたいと思っている。
特に、どちらの娘にも寂しい想いをさせないように! 


ここに再び「ご機嫌たまの宅配書店」から一つ引用させて頂きたい。「ラビ」とは、ユダヤ教界の宗教的指導者であり学者でもあるような存在である。

一人の少年が、父と共に、ラビのもとにやって来ました。
父は少年が「良い子」になるような説教をラビに頼みました。
ラビは彼と二人きりになると、少年を胸に引き寄せ、無言でただずっと抱きしめていました。
ラビは父親に「十分に叱っておきました。この子は良い子になるでしょう」と言いました。
少年は成長しラビ・レコヴィッツとなりました。
自分に寄り添いケアしているだけで自己受容は進むようです。
     (参考)「ブーバーに学ぶ」斎藤啓一 日本教文社


神さまもまた私たち一人ひとりをこのように抱きしめて下さるお方である。私もそのような母親でありたいと願いつつ、新しい一歩を踏み出そう。

posted by 優子 at 12:55| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

全ての問題は愛に帰結する

   セルフ・イメージの逆説

罪人とは、自分と向き合い、自分の内なる悪を自覚して(感じ取り、 納得し、同意して)、そのために心砕けた人です。
 
自分に向き合わない度合いと、つまり自分を知らない度合いと、他者に影を投影して(他者を)批判する度合いは比例します。
 
生きることは自分の複雑さ、不思議さを知り続けることです。
そのとき、セルフ・イメージは回復してゆきます。
説明できない逆説です。

   
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・

    境  界  線

知人がヘンリー・クラウド&ジョン・タウンゼントの『境界線』という本を読んでいます。水澤都加佐さんの『燃えつき症候群』を参考に思い出してみました。

・ 身体の境界線〜疲れたら休む、安心できる居場所がある
・ 感情の境界線〜自分の感情をごまかさない
・ 責任の境界線〜他人の庭の草取りはしない
・ 時間の境界線〜どう時間を使うかは自分で決めます
 
私は境界線を守る人です。

        
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・

   甘えた人が自立する

たま君が子育て中の時、泣いている子どもを抱っこしたほうがよいか、しないほうがよいかが話題になりました。
 
明橋大二さんは、「甘えていいときにじゅうぶん甘えた人が自立するのです」と言います。
河合隼雄さんの「過保護なくして親離れはない」(五月書房)という本もあります。
 
キリストによって神の愛が保証され、今は甘えの時、中年の私も自分と神様に安心して甘えます。
甘えればまた自立します。
     
 
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上、「ご機嫌たまの宅配書店」より転載させて頂いた。
なるほどと思う。
日本人は親に依存しすぎて自立できず、アメリカ人は自立しずぎて依存することを学んでいるということを聞いたことがある。

幼い頃からの育ち方だけではなく、それ以後も社会人になるまでの親の愛と親との関係は、極めて大切であることを痛切に感じている。
仮に愛に満ちた健全な家庭環境であったとしても、子供が寂しさを感じたまま見過ごしてしまうと後年になって問題が生じてくるほどに、全てが愛の問題に帰結するのである。

私は最近、人々と関わる中で興味深く観察概観していることがあり、人間は3種類に分けられるのではないかと思っている。

T 真剣に人生の意味を求める人。
U そうではなく、あるいは、人生がうまくいっているような生き
  方を続ける人。 
V 悪が何であるかも全くわからない人。


多くの人々がUであるが、私は最近Vの範疇の人々に強い関心を抱いている。

例えば、給食費や保育料を払わなくても平気な人々が続出しているが、そのような人々もまた同じ線上にあるV枠内の人々である。
「みんなで渡れば怖くない」だったか、これに代表される日本人特有の意識構造なのだろうが、もはや笑ってなどいられない退廃した社会になってしまった。

そして、彼らVに分類される人々もまた、愛されたことのない人たちではないだろうか。私にはそう思えてならない。
posted by 優子 at 09:47| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年06月02日

真智子夫婦は日本経済学会へ

6月10日は真智子たちの結婚1周年だ。
昨年も今の時期、結婚式直前に経済学会があり、福島大学で研究発表をしたと聞いていたものの、私も多忙で詳しくは何も聞かないまま通り過ぎた。
検索できるようになったので開いてみると今も載っているではないか!
ページを開くことができた嬉しさと、真智子の名前を見つけた嬉しさが重なって、重なりついでに、ここにも娘の足跡を記録して3重の喜びを味わおう。
これは、2006年6月4日(日)・午前の部で発表したものである。
労働と所得分配 会場A-6
(S-32) 座長  京都大学 遊喜一洋

The Firing Cost Enlarges the Age-Heterogeneity in the Unemployment Rate
      
    東京大学大学院 藤本真智子
                (Richard Anton Braun)

討論者 京都大学 遊喜一洋


そして、今日・明日と今年の日本経済学会全国大会が大阪学院大学で開かれている。
「狭い世界だし、留学中に忘れられないために(笑)」と、2人揃って出かけて行った。私が作ったお弁当を持って!
結婚披露宴に御臨席下さった神戸大学の恩師の方々や東大の友たちと再会し、ミネソタ大学からも発表する知人がいるとのことだ。今夜は夕食会を楽しむ予定である。

昨夜は夫君が真智子のホームページを作り始めていた。
お披露目はミネソタ大学にリンクの許可を得てからとのことだから、もう少し先になるが、このブログでご紹介できるのを楽しみにしている。

一方、長女たちは今日の午後、病院で開かれる出産に向けての教室に夫婦で参加する。夫が分娩室に立ち会っての出産を選んだからだ。
赤ちゃんを迎える備えにも心が躍ることだろう。

それぞれのカップルが良き一日を過ごすことができますように!

そして、我が夫は製紙メーカーの招待ゴルフで、私はチャッピーとお留守番。
久しぶりの一人の時間である。
海谷氏に同人誌や機関紙を送付して下さったお礼の電話をした。いつも長くなるので、努力して最短で切ったものの1時間話していた。その中で、今日もまた励ましのお言葉を頂いて感謝している。

「藤本さんは喜怒哀楽が表現できるからいいなあと思う。
正直なんやなあ。・・・藤本さんの書いているものに注目する者はいつも注目しているから、これからも書き続けて下さい」。

           (^−^)
これでも「ミネソタ便り」?
これでいいのだ!
posted by 優子 at 12:37| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年06月01日

「オリーブの会」追記

前記事にある2番目の設問に対して、印象的だった真智子の発言を記しておきたい。

A もしイエスが、「財産の半分を差し出したらあなたの家に泊
  まります。」と言われたら、ザアカイはどうしたと思います
  か?


財産を差し出すことがザアカイにとって解決ではない。
ザアカイの問題は、人々から多額の税金をだまし取っていることや、何とかして止めたいと思っているのに止められない自分がいて、その葛藤に苦しんでいたはずだ。

そのようなザアカイにイエスさまがあのように言ったら、ザアカイは私の悩みを解ってくれないとガッカリしただろうし、財産を差し出したくないと思ったであろう。

心の問題が解決であるから、富の分配が答えではない。
イエスさまに対して、「こういう私が嫌だ。だから改めたい。」と自分で判断したことが尊いと思っただろうから、「あなたはそういうことを言う人なのですね?」、「そのような表面的なことしか見ないのですか?」と、ザアカイは絶望して去って行ったであろうと思う。


私はこの発言を受けて、同志社時代に学んだことを思い出して「富の分配問題が主題ではない。」と気づかされた。
そのテキストを開いてみると次のように書いてある。

富める青年には全財産を求められ、ザアカイには、その幾分を施す決心をしただけで救いが起こった。
即ち、人の霊魂の救いは、それが神に拠り頼むか如何にかかっているのであって、資産の処分の方法と程度の問題ではない。富の分配問題は経済問題としては重要なことであるが、信仰問題の中心課題ではない。


真智子たちが帰国してから2週間が過ぎた。
2人は今週になって、『ジョニィ』、『天地創造』を見ていた。
そして今、『十戒』を見終わってベッドに入った。明日は日本経済学会があるからだ。何度も夫婦で神さまのことを語り合いながら鑑賞していた姿に、アメリカ生活の2人の姿を見たように想う。

私のもう一人の愛娘、気になっている長女のことも神さまは関わって下さっていたことを知り、気持ちが軽く明るくなった。

今朝の電話で、「昨日はいいことがあったよ」と、傷心の長女が話してくれた。私たちが家庭集会の恵みに与って居た時、私の妹が長女を訪ねて共に幸いな時を過ごしていたのだ。
神さまが妹を長女のもとへ遣わして下さっていたのだ!
長女の様子を聞いた夫も安堵の表情をした。

午後には妹からも明るい声で電話が入った。
29日の夜、長女を駅まで見送りに行った時に妹の深い心の内を聞かされて、私の人生の謎が一つ解けた。そのことは別の機会に譲るが、長女を通して、私と妹の関係も修復していって下さっている神を崇め感謝します。
祈って下さっていた友たちに心から感謝します。
posted by 優子 at 23:57| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

第30回 「オリーブの会」(家庭集会)

昨日は我が家での家庭集会だった。
いつも来て下さっている節子姉は、29日にお2人目のお孫さん御誕生のため、また、もうお一人のNさんもお孫さん関係で欠席されたが、今回はミネソタから帰国している次女夫婦が加わり7名で聖書を開いた。

箇所はルカによる福音書19章1節から10節、有名なザアカイの話である。
この箇所は、4月22日の記事に礼拝説教をリポートしているので、今回は話し合った質問のいくつかをご紹介したいと思う。

@ 自分がザアカイの被害者だったら、イエスさまがザアカイの  
  家に泊まりに行くということを、どのように思いますか?

A もしイエスが、「財産の半分を差し出したらあなたの家に泊
  まります。」と言われたら、ザアカイはどうしたと思います
  か?

B もしイエスが、「まず罪の償いをしなさい。そうしたらあなた
  の友になろう。」と言われたら、あなたはどうしますか?

C 何のためなら、1日で財産の半分を差し出すことができま
  すか?

D イエスはなぜ、町で一番の悪者の所に行かれたのです
  か?

E イエスさまは今、あなたに言われます。「今日、あなたの家
  に泊まりたい」と。あなたはどうしますか?

F イエスさまはザアカイを捜していたのですか?
  ザアカイがイエスさまを捜していたのですか?(3・9・10
  節)


これらの話し合いの中で娘たちの真剣に求める鋭い意見を聞き、私たちの方も姿勢を正された思いだった。
たった今、2人から感想を聴いてみた。


真智子の感想:

ザアカイの話は何度も聞いていたが、昔話的にしか聞いていなかったように思う。
質問されることにより考えることができ、1人だと1つのメッセージしか受け取れないが、人が話していることを聴くことにより考えが触発されて、今まで気がついていなかったことを気づかされて、大変有意義な時だった。

太志(君)の感想:
イエスさまのことは真智から、そして、お義母さん(優子)から教えてもらってきたが、話し合いを通じてイエスさまのことを共有できるのが新鮮な体験で嬉しかった。
自分の素直な気持ちを出して、それをまた素直に聴いてもらえるのが嬉しかった。みんなが素直に聴いてくれるという安心感があり、素直にしゃべろうと思った。ともすれば自分を飾ったりしてしまうが、自分の思ったことを素直にしゃべられるから嬉しかった。

26日の谷口先生宅では、アメリカから帰国した娘達のために日本の味をと、バラ寿司とお蕎麦を用意して下さり愛深い親心が身に沁みた。
谷口家では毎回このメニューで昼食を用意して下さっていた。私たちも何十回ご馳走になったことだろうか。10年ぶりに再び味わえるとは思いもしない先生手作りのご馳走だった。

そして昨日もまた、友より深い愛を受けた。
それぞれに手作りの品々を持ち寄って下さりポトラックパーティー(アメリカの典型的なパーティー形式である持ち寄りパーティー)になった。
神の家族を与えられていることを今さらながら身に沁みる。


集会のリーダーをして頂いている冨美子姉から、お帰りになった早々にメールを下さり大きな励ましを頂いた。

「今日は豊かな思いで帰路をたどりました。
 若いお二人の、信仰が芽生えていますことを知り、主をあがめました。
いろいろなこともおありでしょうけれど、ミルトンの詩のように全ては良しとしてくださる方を覚えます。

今日はスペシャルランチでお方付けも大変だったかと思います。
どうか、ご滞在の日々をさらに主が導いてくださいますように。・・・

本当に今日はありがとうございました。」


冨美子さん、感謝します。
どうぞ、これからもお導きください。
お一人おひとりに感謝し、主が豊かに報いて下さいますようにお祈りします。
イエスさま、ありがとうございます。
posted by 優子 at 18:06| オリーブの会 | 更新情報をチェックする