2007年09月30日

信仰による祈りは病者を癒す

礼拝のあと、友たちと共に入院されている友のご主人を訪ねた。
もう随分のあいだ点滴だけで口からは食物を摂っておられないとお聞きしていたが、外観は今までと同じように見え、目には力を感じた。
神さまが支えておられるのだと思った。

    主は病いの床で彼を支えられる。
    病む時にどうか彼を
    全く癒してくださるように。

            
                 (詩篇 41篇3節)

休日の病院はどこも静かだ。
私は一瞬、過ぎ去った嵐を思い出したが、母や父の時の痛みは微かですぐに消え去った。そして、ご主人を支える友の姿からみことばが照らし出された。

    主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。

                 (詩篇 32編10篇)

愛と祈りに支えられるとき不思議が起こることを信じる。

主よ、どうか私も友の苦難を祈り支える一人として下さいますように!

その後、2人の友を教会へお送りしてから、私たち夫婦は今日もまた家なきジプシーのように食事のために車を走らせた。
昨日の昼食に立ち寄ったレストランでは冷房が入っていたが、さすがに夜はタオルケットでは寒くて布団を出した。そして、今日の昼食をとったレストランでは暖房が入っていた。

暗く冷たい雨の日曜日である。
秋が深まっていく時はいつも心細くなるから、今週半ばには再び30度になるというので嬉しい。

明日から10月。
そして、来週はいよいよ孫の献児式である。
posted by 優子 at 17:22| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年09月29日

物事は心象風景で見よ ―三瀬弁護士の講演より―

昨日も30度を越す暑さだったが、今朝は長袖のブラウスをはおらないと肌寒い涼しさである。

昨日の大会には、我がブッロクからも約半数の方が来られていた。今年は民生委員制度創設90周年にあたるとのこと、講演はテレビでおなじみの三瀬顕(みせ けん)弁護士だった。話上手で面白いだけではなく、幼少の頃から苦労された方だけあって人間味豊かな温かい方だった。

弁護士という仕事柄多くの人間模様を見てこられた三瀬さんは、世間的には「えらい人でも不仲の夫婦が多い」とのことで、家庭や夫婦円満こそが幸せであると話をされた。

最初に、「粗大ゴミ、朝出したのに 夜帰る」と言われて私も大笑いしてしまった。(決して良輔さんのことを思って笑ったわけではないからね。ピー、愛してるよ!)

神戸の大震災のあと、離婚が急増したそうだ。
地震の時に、夫は妻を助けずに自分だけ逃げてしまったというのが理由である。笑うに笑えない、確かに最悪の打撃である。

あの震災の時、大阪の実家でも震度5はあっただろうか、その時のことを父が何度か話していた。
「僕はお母さんの上に寄り添って、『大丈夫や、怖ないで。死ぬ時は2人一緒や』と言って抱きしめてたんや」。
私は、「お母さん、良かったね。」と母に語りかけ微笑んだ。

当時の母は難病がかなり進行していたので、1ミリでさえ自分で体を動かすことができない状態だったから、どんなに怖かったであろうと思う。
「お母さん、『突然の現場になっても逃げない夫』で良かったね」。

また、「一つの言葉でも全く別の言葉になる」ことを教えて下さった熟年夫婦への提言も感動した。

例えば、夜に雨戸を引く時に美しい満月を見た妻が、「ねえ、お月さんがきれいよ」と夫に言ったとしよう。その時に夫が「それがどうした」と言えば会話が続かない。「いや、○○子のほうがもっときれいだよ」とまで言わなくても、「そうだね」と言える夫になろうと。

2年前に奥様を癌で亡くされた三瀬さんは、話しながら涙を拭いておられた。

ところが同じ言葉でも場合によっては全く違う意味にもなる。
例えば、夫が「失業した」と言った時に「それがどうした」と言う場合は全く意味が違ってくる。「それがどうしたのよ。大丈夫よ。」と夫を励ます言葉になると言うのだ。

私は話を聴きながら、こんなことを思っていた。
路上で自動車のパンクを直している人に「大変ですね」と声をかけたとしよう。この「大変ですね」は同情と労いの言葉であり、あるいは、「お手伝いしましょうか」の気持ちを込めている場合もあろう。
ところが、これに対して「うるさい!」と怒鳴る人もいるだろう。そういう人は実に不幸な人だと思う。私の周りにも「ありがとう」や「ごめんなさい」を言えない人がいるが、その人たちに腹を立てることはないのだ。

「今、世界で50箇所の紛争があるが、竹島問題でも本気でやれば国際紛争に発展する。どこで線を引くか は、その人の人格であり知性である」。
このことが私にとって最も意味深く、大きな収穫であった。今後の人生に活かしたいと思う。


いろんな話をされたが、現状を見るにも「物理的ではなく心象風景で物事を見よ。心の豊かさは物事の受け止め方による」こと。また、「高齢者になるほど、興味、好奇心、物事に感動する心が大切である」というのが話の要諦だった。

民生委員の大会にふさわしい講演内容であった。
私たちは役目上、他者の家の事情を知ることになるが、それをどのような想いで聴かせて頂くのか。

例えば、ワイドショーのネタのように面白おかしく聴いている人は、容易に守秘義務に反する行為をするだろう。そういう人は自分自身が自分の人生の当事者になっていないことを証明しているのだが、稀に民生委員としての資質を問われるべき人を見かけることもある。
お互いに人生の最後まで心を育てていきたいものである。


ところで、今回の打撲は公務傷害に当たるとのことで、役員さんが申請書類を手配して下さっていた。そういえば2年前の今頃、国勢調査員の説明会で傷害保険の話があったことを思い出したが、自損事故なので恐縮しながら書類を頂いた。

その瞬間を目撃されたMr.Sさんにもお目にかかったので、肋骨にヒビが入っていたことをお話しすると驚きつつも、「あれはひどかったからなあ。箱のかどにあたったからなぁ」と頷かれていた。気をつけねばならない。

今日の午前中は、楽しみにしていた谷口家の家庭集会だが商大の理事会と重なり、どちらを選択すべきかずっと祈っていたところ、夫が半日仕事(会社)があることがわかり理事会に出席することに決めた。
帰りは商大前で夫と待ち合わせて31年目のデートである♪

今日も神と共にあり、霊肉共に守られて一日のわざを行うことができますように。
これを読んで下さった貴方にも神の祝福を祈ります。
posted by 優子 at 08:22| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年09月28日

神への信頼と確信

すがすがしい朝、神を思いつつチャッピーと歩く。私の人生を支配し、私のことをことごとくご存知であられる神さまとの黙想は楽しい時間、至福の時である。
そして、今、開いた聖書の箇所は詩篇第1篇である。

   悪しき者のはかりごとに歩まず、
   罪人の道に立たず、
   あざける者の座にすわらぬ人は幸いである。
   このような人は主のおきて(言葉)を喜び、
   昼も夜もそのおきてを思う。

   このような人は流れのほとりに植えられた木の
   時が来ると実が結び、
   その葉もしぼないように、
   そのなすところは皆栄える。

   悪しき者はそうではない。
   風の吹き去るもみがらのようだ。
   それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。
   罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
   
   主は正しい者の道を知られる。
   しかし、悪しき者の道は滅びる。
 

「悪しき者」とは、「自分が基準な人、確かな人生の目標がない人、安定を失った人」のことであり、「あざける者」とは「神をあざける者」の意味である。
人は善行を積み重ねることによって罪から救われるのではないことがわかる。

時には霊的に落ち込むこともある。
しかし、常に最善へと導かれるのが神であり、最もふさわしい時に必ず助け出して下さる。友の祈りと関わりに支えられて今の回復を得させて下さったことを感謝している。
私は自分自身の弱さをもっともっと知り、砕かれて愛の人に変えられていきたいと切に願っている。

感謝のご報告:

ご心配をおかけしました打撲もかなり回復しました。今では前かがみになったり電気のコードを挿したり抜いたりする時に強い痛みがあるくらいかなぁと思います。

とにかく2週間は寝起きする時の痛みだけではなく、寝ていても痛くてうなっていましたから、早朝に目が覚めていたのもそのせいでした。私は歳のせいかと思っていたのですが、綾子さんのメールで気がつきました。

事実25日の朝は目が覚めたら8時で、ギョッとびっくりして起きました。夫はとっくに会社に着いている時間です。ところが、反省したのに翌日もまた7時半でした(>_<)。この時は夜中に一度も目が覚めないで7時間も連続で熟睡したのでした。

こんなダメ妻に対しても何も文句を言わない夫に申し訳なくてなりません。「ごめんね」と言うと「はいはい」と笑っています。「いつも口だけや」とも。
夫の現役時代も残り少なくなってきたので、朝の妻業も一日一日が大切です。家のローンが残っているのでまだまだ元気で働いてもらわなくてはなりませんが(笑)。

今日は奈良県の民生児童委員大会で(大和)八木まで行きます。打撲のことを心配して下さり、「出席できないようならば代わるよ」というお心遣いを頂いて感謝しています。少し早い目に出て、お連れの方3人で昼食を共にすることになりました。
その前に今から掃除です。


病いと闘っておられる方々に特別の祝福がありますように、どうか神さまが慰め励まして下さって、苦難を通り抜けて行くことができますように主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
今日もイエスさまと共に感謝して一日を始めます。
友たちに感謝しつつ
posted by 優子 at 09:04| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年09月27日

後ろのものを忘れ、前のものにからだを伸ばしつつ

次回の「オリーブの会」は、10月24日(水)に決定!!

「オリーブの会」は、毎回皆さんの都合を出し合って次回の日程を決めている。
私はここずっと祈っている井置牧師をお招きしたいことと、その時は平日ではなく、より多くの方々に来て頂くために土曜日か祝日を考えていることをご相談した。
早速昨夜のうちに井置牧師に日程をお伺いし、再度今日の午後に日程調整したのだが、残念ながら実現するのは11月以降になった。

「オリーブの会」では、これまでに2回の特別集会をもっている。
第6回(2002年11月21日)に谷口幸子先生を、第15回
(2003年10月16日)には、冨美子姉のご紹介で奈良福音自由教会の中野博誉牧師をお招きした。中野先生はバッハ大好き牧師で、「バッハの奏でる神」というテーマでピアノ演奏を交えてお話して下さった。


ところで井置牧師は、私に洗礼を授けて下さった小山恒雄牧師と関西聖書神学校で同窓だった。またJCP(日本クリスチャンペンクラブ)では湯河原での夏期学校に参加されていたことがあり、「あかし新書」の第3編に投稿されているとのこと、30年ほど前のことになる。
また、谷口先生にもお話したところ、次女ご夫妻が埼玉に転勤されて導かれたのが井置牧師の教会だったとは、不思議な神の御手を感じる。

電話の最後にも優しいお言葉を頂いたが、先ほど届いたお手紙にも記して下さっている。

どうぞ、あまりにご自分をお責めになりませんように。
どんなクリスチャンもみんな完成に向かって、神から『工事中』の人間ですから。
神から愛され、赦され、受け入れて頂いているお互いであることを何よりも喜んでまいりましょう。
(テサロニケ人への第1の手紙5章16〜18節、ピリピ人への手紙3章13節)
                   在主

8月の危機的状況の時、友たちの祈りとメールや電話で関わって頂いて危機を乗り越え、神さまを見上げられるようになった。そこまで回復しつつあった時に井置牧師との出会いがあった。

師は、無牧の教会(牧師のいない教会)だった東大阪キリスト教会に、昨春から単身赴任で来られたということも知った。
「方向は未だにわからなくて、生駒山を見て東だなと確かめるんですよ」と仰っていたが、「ああ、その日はクリスチャンセンターへ行く予定です」とか、「クレオ大阪のセミナーへ・・・」とか、若者以上のエネルギッシュな声に驚いた。
 

井置先生から頂いたみことばを厳粛に読んだ。

「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」
           

      (第1テサロニケ 5章16節〜18節)

「兄弟たちよ。わたし(パウロ)はすでに捕らえたとは思っていない。ただこの一事(いちじ)に努めている。
すなわち、後ろのものを忘れ、前のものに向ってからだを伸ばしつつ、目標を目指して走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。」

           
        (ピリピ人への手紙 3章13・14節)

尚、昨日から新しくカテゴリ「オリーブの会」を追加した。
posted by 優子 at 18:21| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年09月26日

あなたは死の問題の解決はされているか?!

31回目の家庭集会である今日は4ヶ月ぶりの再会であり、再開であった。妹も交わりの中に加えて頂いたことを感謝している。
私は最初のご挨拶で、讃美歌243番を作詞された井置牧師のことをお話し、妹の奏楽で243番を讃美した。初めに冨美子姉(しまい)のお祈りに始まり、続いて聖書を1節ずつ輪読した。
今日の箇所は「ヨハネによる福音書11章1節から46節」、「ラザロの復活」のところである。長くなるが聖書から引用したい。
さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、マリヤとその姉妹マルタの村ベタニヤの人であった。このマリヤは主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であって、病気であったのは、彼女の兄弟ラザロであった。

姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」と言わせた。イエスはそれを聞いて言われた、「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。
 
イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。ラザロが病気であることを聞いてから、なおふつか、そのおられた所に滞在された。それから弟子たちに、「もう一度ユダヤに行こう」と言われた。

弟子たちは言った、「先生、ユダヤ人らが、さきほどもあなたを石で殺そうとしていましたのに、またそこに行かれるのですか」。
イエスは答えられた、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである」。そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」。すると弟子たちは言った、「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」。

イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。するとイエスは、あからさまに彼らに言われた、「ラザロは死んだのだ。そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである。では、彼のところに行こう」。
するとデドモと呼ばれているトマスが、仲間の弟子たちに言った、「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか」。

さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに4日間も墓の中に置かれていた。ベタニヤはエルサレムに近く、25丁ばかり離れたところにあった。大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。

マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。

イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。

マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを呼び、「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」と小声で言った。これを聞いたマリヤはすぐに立ち上がって、イエスのもとに行った。

イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えしたその場所におられた。マリヤと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、彼女は墓に泣きに行くのであろうと思い、そのあとからついて行った。
マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。

イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。イエスは涙を流された。

するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。

イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。4日もたっていますから」。イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。人々は石を取りのけた。

すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。

マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。しかし、そのうちの数人がパリサイ人のところに行って、イエスのされたことを告げた。


           (以上、口語訳聖書より)

第1問、「ラザロたちはイエスさまが愛して下さっていることがどうしてわかったのですか?」
とっぱなから私は頭をもたげてしまった。
私自身がイエス(神)に愛されているということがなかなかわからない者なので、神さまから私の心の中を探られた感じがした。

それについて、冨美子姉(しまい)の言葉に深く頷いた。
「愛されるというのは交わりが無かったらわからない。イエスさまは、ラザロたちの家に滞在して話し合われている。神さまとのかかわりを持たなかったらわかり辛いであろう」と。

「皆さんの苦しみについても4節の言葉が当てはめることができますか?」
4節の言葉とは、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」というものである。

今日の箇所は、「死」という重いテーマであり、死の解決に焦点が当てられている。
私たちは病気が治った時、「癒された」とか「生きながらえた」と言うが、治ってもいつかは死ぬのである。
あなたは死の解決がなされているだろうか?
あなたが死の床に就いた時、平安があるだろうか?


確かに老後の問題はあるが、こんな歩みの私でも確かな想いを頂いている。神に受け容れられた者の魂の平安と喜びである。
「私の中では既に神の栄光が現されているのかなという思いがある」と語られた節子姉のように、私もまた困難に立ち向かった時にもそうでありたい。
いや、自分の力でそうするのではなく、その時こそ神がそのようにさせて下さるのだ。一時は魂を揺さぶられようとも、神は力強く私を支えて突破させて下さるのだ!

冨美子姉が、「クリスチャンは死に向かって生きるのではなく、生から生に向かって生きていく」と言われた言葉も印象的だ。

あなたは、あなた自身の死の問題は解決されているであろうか?
老人になるまで生きられるとしても、10年や20年はアッと言うまである。サマセット・モームは言っている。

「絶対に間違いのない統計。それは、人間の死亡率が
100パーセントだということだ。」

posted by 優子 at 23:44| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年09月25日

橋をかけて下さるキリスト

「電話したけどお留守みたいやね。また忙しく外出してるのかな。ひさびさにパソコンあけてblogを見てびっくりしました。
ヒビ…?それから、期待してたなんて夢にも思わず、辛い思いをさせてしまい…ゴメンね。

沖縄(夫不在)の三連休があったので、普通以上に息抜くときがなく、疲れがあったので、とにかくとにかくこの三日間ゆっくりするのを目標に先週は頑張ってました。

留守をユキと過ごせた達成感と自信はついたものの…先週は毎夜私一人ベッドで寝たんだけれどうまく寝付けず、益々疲れがたまっていました。とにかく私は疲れたら弱い目にくるから、出産後日常的に目が痛くて痛くて。・・・

今もずっとぐずらせながらメールしてました。寝たり起きたり忙しいチビです。また体調のこと教えてね。メール待ってます。お大事にね。」


イエスさま、感謝します。
祈りつつも下手な書き方とエゴゆえに知子を傷つけないかと思っていましたが、このようなメールをくれました。
これを読んで思います。私は自己中心な想いに捕らわれかけていたと。そしてあの時、私を自己中心から解放して下さったおかげで罪を犯さずにすんだことを感謝します。あの瞬間から私の心は軽くなりました。
いろんな想いはありますが主に委ねます。
そして、どんな小さなことでもいつも主の御名を呼び、主と共に過ごしていたことを思い出しました。感謝します。

どうか、知子が眠ることができますように!
神の御腕の中に知子と幸悠が眠ることができますように!


明日は我が家の家庭集会「オリーブの会」です。
初めて妹も来ます。今日も明日のことで電話した時も、妹のひどく傷ついている心があらわになりました。一緒に集えること自体が奇跡であり、あなたのご計画なのです。これからこそイエスさまが良いようにして下さるのだから委ねます。
助けを求める者には、あなたは橋をかけて下さいます。明日、私が主の愛に満たされて妹を迎えることができるようにして下さい。

知子へ:  
受話器を取った時に切れてしまいました。ソファーに寝転んでいたので起き上がるのに痛くて時間がかかったのです。治るまでは10CALLくらい待っててね。
posted by 優子 at 22:53| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年09月24日

より良い生き方を選ぶ

「ねえ、聞いてよ! 結婚した息子に言われたの。お母さんと妻がぶつかり合った時、僕は妻の味方をするよって。なんて冷たい息子なんでしょう!」と嘆いた湊(みなと)さんに友は言った。
「 あなたは喜ぶべきよ!子育てに成功したのよ! そのような息子に育てたあなたは立派な母親なのよ!」と。

私の道しるべの一人、湊晶子さんは現在75歳。今も東京基督教大学で名誉教授をなさっているのだろうか。お若い頃はNHK教育テレビの英会話中級を担当されていた。

湊さんはご自身が5代目のクリスチャンという羨ましい家庭に育ち、敗戦の廃墟からやっと日本が立ち上がりかけた頃、フルブライト交換留学生として渡米し、同じ留学生であった化学者と米国で学生結婚。湊さんは、ホイートン大学大学院でキリスト教史を専攻(修士号取得)された。
帰国後、共に大学の教師を務め幸せな結婚生活を送っておられたが、突然の事故で夫は44歳で天に召された。長男は高1、次男中2、長女小学4年生だった。

著書『女性のほんとうのひとり立ち』は52・3歳の頃に書かれたものであり、『輝いて生きたい女性に贈るひとこと集』はPTA新聞でもご紹介した。

長い前置きになってしまったが、あんな立派な湊さんでも私と同じようなことを思ったんだということを思い出しているところである。
というのは、この3連休には「怪我は大丈夫?」と長女が孫を連れて顔を見せてくれるだろうと、私は心の底で期待していたのだろう。


そのうちに、私だったら実家に行かずにはおられないと思ったり、昨日から良くない感情が私の中に湧いてきて不自由な心になりかけていたのだ。というわけで、湊さんがテレビで話しておられたことを思い出して自分を戒めているところである。

今日も夫とゴロゴロ寝ていた。
おかげで肋骨の痛みは少し楽になったように思う。
昨日も今日もお昼は外食に出たが、外食はつまらない。2人になってから外食が多くなり、食べたいものなど無かった。

そして、父の姿を思い出して嗚咽した。
父が亡くなってからライオンズクラブの人から聞いた話である。母が亡きあと、外食するために父が一人でウロウロしているのを駅近辺でよく見かけたと。
「お父さん、ごめんなさい!!!」
車で30分で行けるのに私は父を助けなかった。
あの頃はもう家庭がメチャクチャでそれどころではなかったから、自分のことだけで精一杯だった。
父に申し訳ないことをした。
どんなに悲しかったことだろう。
父の気持ちが今までよりももっとわかった。
父の悲しみが痛いほどわかった。
私は何ということをしたのだろう。親不孝者だ!!
昨日今日の私たちでさえこうなのに、妻を亡くした71歳の父は辛かっただろうに、文句などひとことも言ったことがなかった。早く再会して詫びたい。


いつか、私たちもどちらか一人になるだろう。
先週からずっと「エデンの園」のレポート(民生委員会の高齢者福祉部会で見学した有料老人ホームのこと)を考えているので気持ちが重い。今も何も書けていない。

昨日の小学校運動会に来賓としての参加も欠席させて頂いたが、残すところ僅かな期間となった民生の仕事だけに、心ならずも欠席せねばならぬ無念さ。理解して下さり快く受け入れて下さるだけに尚のこと辛い。

そして、思った。
この思いは、老人になって介護される身になった時の気持ちに通じると。何もできぬ自分が申し訳なく、情けなく、厄介者だと思うのだろう。
その切なさを共感するが、そうではなくて感謝して受ければよいこと、感謝して人の世話になることが人生最後の学びであろうと思った。


私の長女への思いは自然な親の感情である。このこと自体は良いも悪いもない。しかし、そのあとが大切なのだ。
日常感じる機微、その些細な感情もまた人生の諸段階におけるものであり、自分の気持ちを大切に、かつ、適切に処理していくことは思いのほか大切である。


時には、結婚した娘への気持ちも経験者のアドバイスを乞い、気持ちを分かち合いながら成熟していきたいと思う。
まだ首も据わらない赤ん坊だから外出は大変だ。あるいは、調子が悪いのかも知れない。自分中心に考えるのはやめよう。
より良きものを選び取っていきたいものである。このこともまた、我々は生きている限り新しいことと出会い、その都度いかに生きていくのかを選び取っていくことにほかならない。残り少なくなってきた人生に磨きをかけていきたいと思う。

そして、私は今こそ主イエスを見上げよう。
主を仰ぎ見て生きていこう!

「彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた」
           
             (詩篇34篇5節) (^0^)
posted by 優子 at 23:57| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2007年09月23日

新しい希望を抱く 御夫妻

昨日の毎日新聞朝刊第1面に若いご夫妻の写真が掲載された。
昨年8月に福岡市で飲酒死亡事故により3児を亡くされた大上哲央さん・かおりさんご夫妻が、愛子ちゃんを抱いて退院するところだ。
愛子ちゃんを出産した瞬間のかおりさんの泣き声は、今、思い出しても胸がつまる。私もかおりさんと共に声を上げて泣いた。

6年前の東名高速道路での飲酒死亡事故
で、大型トラックの泥酔運転により3歳と1歳の子供たちを亡くされた井上さん御夫妻のことも想う。
猛火に包まれた後部座席にいる子供たちをどうすることもできず、あの地獄を目撃しなければならなかった夫人の苦悩と悲しみは筆舌に尽くし難い。この方たちの悲しみは決して癒されることはないであろう。

善良に生きておられる2組の御夫妻の上に起こった出来事は、何という理不尽で不条理であろう!
この方たちだけではない。もっともっと多くの方々が不条理な悲しみや苦悩の中にあることを忘れることがないように。

神さまは大上さん御夫妻にも新しい命を育てるようにと授けられた。
愛子ちゃんを抱くかおりさんの笑顔を見ると、笑顔が戻った娘を見る母親の気持ちにさせられて、何度見ても目頭が熱くなる。かおりさんの顔だけを見つめ、愛子ちゃんを見る。そして、妻を見る夫の視線に安堵が感じられ、哲央さんの優しさが溢れている。私はこれからもご家族のことを祈りに覚えたく掲載された写真を切り取った。


これからも何度も悲しみに打ちひしがれることだろうが、混乱の苦しみを越えた2人に「希望」の言葉を贈りたい。何よりも子供は希望の象徴だ。これからの困難も勇敢に乗り越えさせて下さるように!
希望は勇敢な人間に実現する。

どうか主よ、悲しむ人々に特別の祝福で満たして下さい。
井上さん御夫妻を初め、事故や事件に巻き込まれて苦悩する人々、病いや障害を負っている人々、希望を失っている人々に神さまの慰めと励ましが豊かにありますように、友人や知人のことと共に祈ります。


2009年5月28日追記:
初孫の出産前から娘夫婦との衝突が続いていたため、その後ずっと疎遠になっていた。その問題は2年後の春、2009年3月29日(日)の夜7時45分頃の電話で神によって真実が暴露されたのである。

大上かおりさんを娘のように感じて新聞に掲載された写真を切り抜き、机の前に座ればいつも目の前に見ながら大上御夫妻の幸せを祈り続けていた。
それゆえに記事のカテゴリは「知子への想い」になるのである。

posted by 優子 at 22:40| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年09月22日

やっぱり肋骨にヒビが入っていた

打撲した箇所の周辺部分の痛みは取れたが、未だ強く痛む。ソファーやベッドでさえ寝起きする時は苦行である。
8歳メスの柴犬チャッピーは13日から生理(発情期)で、散歩中にグイグイ引っぱるから痛くて困る。昨日、夫は六甲でゴルフのあと有馬泊まりで今朝の9時20分に帰宅した。夫に一眠りしてもらってから再度医院へ連れて行ってもらった。

今日は打撲して10日後である。
医師は今回も触診することも視診することさえなかったが、そんなものなのだろうか。今も痛むことを話したところ、「ヒビが入っているか折れてるのかも知れんなあ。ヒビが入ってるんやろなあ」と言われた。
エエッ?!
確かに「折れてるかも知れない」とも言われたと思うが、肋骨を折ればこんなくらいではすまないだろうし、新聞では「肋骨を折る重傷」と表現するではないか。

膝や骨盤(?)などにできたアザも消えかけているが、胸には未だにアザが全く出てこないので尋ねてみたところ、深いところに強い力が加わったからだと仰った。(ふ〜〜ん、そういうことなのか・・・)

そして、コルセット(胸部固定帯)を勧められ喜んで分けていただいた。というのは、昨日から腰用のコルセットを胸に巻いていたからだ。巻くと幾分楽になる。

とにかく話しにくい医師だ。
しかし、決して偉そうで高圧的な人ではなく、その反対である。ソフトで話しやすいタイプなのに話しにくい。患者さんで混んでもいないのにソワソワされて落ち着かず、まるで恥かしがりやさんのようで私もこれで精一杯だった(>_<)。

カウンセリングの言葉で、カウンセラーがクライアント(来談者)の話しぶりに合わせることを「勢い合わせ」と言うが、このお医者さんは穏やかな感じなのに勢いに飲み込まれてしまうのだ。

シップはこの前もらった35枚では足りないので、今回は56枚、7袋を処方してもらってきたが、「ヒビが入ってるんやったらシップは必要ないやろ」と言った夫の言葉に、「それもそうやな」と思いつつ隣りの薬局へ入った。

実は、ヒビが入っていたところでどうしようもなく「ひにち薬」だと聞いているので心配もせず、真剣に祈ってもいないことに気がついた。ところが、痛みはいっこうに良くならず不安になってきて、一昨日から謙虚に祈り始めたところだった。

ということは、私は友たちに祈られていることを感謝しつつも、そのことにも不遜な態度であることに気づかされた。心を注ぎ出して祈って頂きながら、その尊い祈りを軽んじていたことを神さまと友たちに詫びた。

そして、「ひにち薬」もまた神さまからのものだと気づかされた。
我々に自然治癒力を与えてお造りになった神への信仰が私たちを癒すのだということを改めて知った。今回の打撲は、傲慢さと謙虚さを気づかせるための機会だったのかも知れない。
一歩前進である。


posted by 優子 at 16:26| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年09月20日

終の棲家を考える

一般的には50代を過ぎると子供が家から去り、家の中が空の巣になる。我が家も例外ではないが、私は空の巣症候群に陥っていないから主に感謝!(^−^)

先週は高額の有料老人ホームを見学してきた。打撲のせいだけではなく、やはり気持ちは重かった。
「こんな所に入れる人はいいけどなあ」と仲間の男性たちと話していたとおりだが、そういうことではなく、仮に入れるような経済力があったとしても重い気持ちだった。

私の関心事は外側の環境ではなくて、あの恵まれたホームに入居していても尚残る不安や悩み、即ち、お金で全てが満たされたのかどうかを聞いてみたかった。

見学する者も説明する側も見事に環境だけを問題にしていた。心は置き去りにされていた。少なくとも創立は一人のクリスチャンから始まったと言うのに、施設側の説明や雰囲気からはキリストの精神性は感じられなかった。

あの日は打撲直後で、とても集中できる状態ではなかったので感性も乏しかったこともあるかもしれないが、レポートを書こうにも未だ打撲の痛みが強くていっこうに進まない。しかし、今つぶやきを書いただけでも考えられそうな気がしてきた。

市や地域の取り組みでは、心に満足を得るプログラムはなく、笑いや遊びが全てであると言っても過言ではない。死を拒絶する現代にあって、ますます死を見ないようにさせているのが世のやり方である。お世話をする側の若い者たち自身がそうなのであろう。

その精神性は乏しく、人生を振り返り喜びや苦労を分かち合う場は少ない。せいぜいカルチャーセンター的なものが最高峰であると私には見える。しかし、人は誰でも心の琴線に触れるものを求めるのではないだろうか。高齢になれば尚更だと思う。

では、教会が魂への配慮を行い、老いの恵みを分かち合える場、地域の老人の生きがいセンターのようなものとして提供できないものだろうか。キリストのもてなしの中で楽しんで頂いて、ショートメッセージを贈る。高齢者のクリスチャンが大いに用いられるだろう。

「エデンの園」では魂への配慮はなされているのだろうか。
私たちの世代は親の老後をみるが、子供に老後を期待できない時代である。私はどのようなところを終(つい)の棲家(すみか)としたいのか、自分の問題として考えてみたい。
posted by 優子 at 22:51| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

魂を躍動させる日々を生きたい

       青春            
                 サムエル・ウルマン作 

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地に這い、
精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。

君にも我にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。
人から神から美、希望、喜び、勇気、力の霊感を受ける限り
君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲嘆の氷にとざされるとき、
20歳であとうと人は老いる。
頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已(や)む。


     ・・・・・・・・・・・・・・・・

私の大好きな詩であり、ご存知の方も多いであろう。
2日遅れたが、「敬老の日」にちなんでこの詩を掲げよう。
かつて私の講演会の折りにこの詩を紹介し、大いに励まされたとの反響を頂いた。

それより以前には、PTA新聞『ふじとニュース 第9号』
(1991年9月3日発行)でも「敬老の日」を前にしてご紹介した。そして、
「これからも事物や思想、真理に対する関心と探究心を燃え上がらせ、より高きものに向かってお互いに励みましょう。1日1日を大切に。」
とコメントを付け加えた。

20年近く前、いろんなところでこの詩を耳にし目にした。
ダークダックスもこの詩にメロディをつけて歌っている。題名は勿論「青春」である。

私がなぜこの詩に魅了したかと言えば、ヘブライズム的なものを感じとったからだ。ウルマンという名前からもわかるように作者はユダヤ人である。

そして、この詩を越えてはるかに私を魅了するのは、ロバート・ブラウニングだ。
老齢になった時、最も必要とするのは神への信仰だ。
その時のために神と共に歩み、魂を開花させ、神に向かって前進していきたいものだ。そして最後に、死を突破していくのだ!
生きている限り理想を追い求め、魂を躍動させ、突然に死を迎えても悔いのない日々を私は生きたい。
posted by 優子 at 16:57| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年09月18日

記憶に残る読書会となりぬ 

5ヶ月ぶりに読書会に出席した。
バスツアーに行かれた89歳のS翁はお元気な姿を見せて下さったが、88歳(?)のMs.Kさんは3ヶ月前から欠席されているとのこと。今朝、千里さんからの電話でも高齢のKさんのことを心配していたところだった。長い間ご無沙汰してしまった。

10月は年に一度の豊中の読書会との交歓会があり、今年は岡町図書館に出向く番である。テキストは藤沢周平の『蝉しぐれ』とのこと、待合せのだんどりを決めた。

そして、11月は商大のホールを会場に「公開読書会」である。テキストの『エマ』上下2冊を借りてきた。チラシ配布や案内状送付に励んで一人でも多くの方の参加を募りたい。

さて、今日のテキストである漱石の『門』について。
その前半部分は、不倫の恋愛が終わったあとの夫婦生活が描かれている。主人公・宗助は、安井のことで罪意識があるために絶えず怯えている。その宗助に対する皆さんの感想は、私をひどく失望させた。


お一人の方が、「これ(不倫)は人間の弱さなのか、(出会ったのが)運命なのか」と仰ったことが唯一まとはずれでない領域の感想だった。
やはり漱石は高い倫理性の持ち主であることのみを確認する、私には非常に物足りなさを感じる読書会だった。漱石の専門家とまでは言わずとも、西口氏のような導き手のありがたさを改めて思い知った。


そして、もう一つの出来事と共に、今後の行く道を神さまが再認識させて下さったようで、傷心ではなくて、今後の行く道を選択したことへの大いなる激励であると受け止めた。
10月の例会はペンクラブの集まりで上京するので欠席をお伝えした。

夕刻暗くなって1通のメール便が届いた。
日本クリスチャン・ペンクラブ55周年記念誌である。
「喜び・感謝・希望」の文字は、タイムリーな神さまからの励ましであった。私の中にも明確に、救われた喜びと感謝と希望があり、傷ついた心が慰めに満たされ、今日の出来事は神さまのご配慮だったのかとさえ感じている。

posted by 優子 at 21:48| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年09月17日

静かだったチャッピーとの3連休

昨日の大阪の最高気温が34.5度ならば、今日は35度を越えているに違いない。とても強い日差しだ。(34.8度だった)。

今日はゆっくり寝坊しようと思っていたのに、今朝も昨日と同じ時刻に目が覚めてしまった。今日は昨日よりももっと良いお天気なので5時半にはかなり明るくなった。既に昨日のことが懐かしい。

年齢のせいだろうが、5時間以上連続して眠れなくなってしまった。さすがに今日は疲れているので、午前10時ごろから3時間近く2度寝したので元気になった。

今も打撲したところがかなり痛い。周辺の痛みは和らいできたものの、手のひらを拡げた大きさはゆうにある直撃した箇所は強い痛みがある。昨日1日外出したからだろうか、今朝からまた深呼吸ができない状態だ。

ブログを読んで下さった友からカボチャの切り方情報を頂いて感激している。
「かぼちゃは、丸のままちょっと茹でてから切ります。まあ近頃は、半分のを買ってくることも多くなりましたが。」
また、
「かぼちゃはふつうでもきついです。私はいつも四分の一を買いますが、こんな手があると聞いています。 ラップして1,2分レンジにかけると、包丁が楽にはいるそうですよ。お試しあれ。」
ありがとう。即、真似します。

31年も専業主婦をしていて我ながら情けない。(>_<)
私も近年は、めったに丸のまま買うことはない。もう1ヵ月も前のこと、150円と安かったので飛びついた。Mサイズだから使い切れるだろうと買っていたのだが、ホント、丸ごと買うと切るのが大変。カボチャは切ったものを買うべし!

午後は5ヶ月ぶりに出る明日の読書会準備をした。
テキストは漱石の『門』、前半は何回挑戦しても退屈でたまらず挫折。途中から前半終わり頃まで斜め読みしたものの後半は面白い。感想をメモ書きして完了。

夫は2晩も不在だったが、私も静かでゆっくりできたというのが実感だ。さて、我が夫は何時頃に帰ってくるのやら。連絡先も日程表も何も置いていかないからわからない。
結婚31年間、毎回、同じことを言ってきたがこの通り。夫は家族のことを何と思っているのだろうと、もはや悩むこともすまい。
そうだ、飛行機の到着時間を長女に聞いてみよう。



posted by 優子 at 17:12| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年09月16日

湖北へ行ってきたよ!!

楽しかった!!!
疲れた〜〜〜〜〜!!!

目覚まし代わりの夫が不在なので緊張したけれど、5時15分に起床、昨夜のうちに用意していたブログをアップし、チャックンの散歩も終えて6時45分に家を出た。

役員は8時前に集合、それより先に事務局のMさんが受付準備をしていて下さることになっている。私が到着したのは7時
40分。それなのに何ということ!
既に参加者が列をつくって受け付けは大わらわである。
8時15分が過ぎる頃にはあと4〜5名を残すだけだった。参加者の3分の2くらいが70歳以上の方だからだろうか。早朝でも何のそのである。私は役員さんや事務局の方への挨拶もソコソコに即行業務開始であった。

一段落して、細かいスケジュール表が役員たちに配布された。
「エエッ?!」、出番が最後になっているではないか!

私と同じことを担当される先頭2号車のT会長さんと、「先に終わればいいのにね」と慰め合って、いざ出発!

今日は役得で一番前の席、なんと見晴らしがいいのだろう!
「藤本さんは感激家やからなぁ」と、横に座ったK氏は微笑まれた。
打撲した胸は痛いけれど、気がつけば大笑いしていた。今朝はかなり良くなっているようだ。

特別国宝に指定されている渡岩寺(どうがんじ)の十一面観音も鑑賞してきたよ!
でも、暑かったのと、83名という大人数だったから期待していたような感慨はなかった。
無理をしてでも8月の下見に連れて行って頂けばよかった。(とは、嘘。格好をつけている。あの頃の精神的状況はとても行けるものではなかった。)

観音さんの説明を聞いている時にアブラゼミの鳴き声がして驚いた。バスガイドさんが「さすが湖北ですね」と言われたが、秋が早く訪れるはずの湖北に夏の初めに鳴くアブラゼミだから、その意味が知りたかった。でも、聞けなかったので、どなたか教えてほしい。
この寺の中に井上靖の碑を見つけた。
「慈眼 秋風 湖北の寺」と書いてあった。

風情があり本当に素晴しい湖北の村だった。行ったことはないが津和野のように道の脇に水路が流れて大きな鯉が泳いでいた。水車もあった。

最後の見学先、雨森芳洲庵も終わり、また気になってきた。
チャイムが鳴ったら試験が始まるという学生気分満喫状態で、メモを何度も手にして落ち着かなかった。
きっとK氏は心の中で笑っておられたに違いないが、格好なんかかまっていられない。親友のMIKIOさんにもきっと話題にされるだろう(笑)。


そして、湖北路「道の駅」を出発した。
商大事務局の方からのアナウンスが終わり、3時45分頃だったと思う。ついに出番がきた!

「老けたガイドですが・・・」で笑いをとっているうちに、「何から言うんだったっけ」と思い出して、あとは何とか滑り出した。文学碑のことを付け加え、十一面観音を鑑賞した感想も加えて、適当にアドリブを入れて終了した。
ホッとした!!
もう何年間も人まえで話すことがないから緊張した(>_<)。
しかし、すごく楽しかった!!
2号車のT会長の解説も是非是非、お聞きしたい。「感動した私の感想を言い過ぎたらどうしよう・・・」というようなことを仰っていたから、お聞きしたくてたまらない。

今日も晴れの好天に恵まれた。お年寄りの方が多いだけに心配していたが、事故なく無事に帰って来た。商大の方々や役員さんたちに感謝している。読書会からも6名の人が参加して下さった。

しかし、13時間近くの外出は疲れた。
私は皆さんのタフさに驚くばかり。「明日は敬老の日で老人会よ」と、今日の疲れも何のそのである。私は20歳年上の方たちよりも体力がない。

昨夜もぐっすり眠ったけれど、明朝はゆっくり眠ろう。
おやすみなさ〜〜〜い!!!


いつも一緒にいて下さった神さまに感謝しつつ
posted by 優子 at 22:27| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

史跡見学会バスの中での出番

今日は「河内の郷土文化サークルセンター」主催の「第18回史跡見学バスツアー」である。日曜日は教会で礼拝を守りたいので、私は18回目にして初めての参加である。役員をお受けした昨年も勝手させて頂いている。

さて、今日は「観音の里」として知られている滋賀県伊香郡高月町を見学する。「今年は朝鮮通信使開始400年になるので雨森芳洲の故郷を訪れる。」とは、ホームページ『小阪庵だより』の日記に書かれている。私は「雨森芳洲」の名前さえ知らない。

さて、このバス内で出番だよと声をかけられたのが7日の役員会でのこと。最多忙の日々の上に、胸を強打するドジをしながらも何とか昨日一昨日で書き上げた。不十分ながらもこれで良しとしなくては!!

今日は民生の旅行のように甘えてボンヤリしていてはいけない。そうでなくても本当に寛容に許して頂いているから、今日は一生懸命しなければ!
私の出番は出発して早々だ。商大を8時半に出発して東大阪北ICより近畿自動車道に入り、吹田から名神に向うまでに指名がかかる。以下がまとめた案内内容である。
これでいいかなあ?・・・ いい、いい!
いつものように take it easy ! では、 スタート!


皆様もお聞き(?)下さい。

只今ご紹介頂きました東大阪読書友の会の藤本です。かなり老けていますが、バスガイドさんになったつもりでご案内申し上げます(^−^)。

今日見学します滋賀県高月町、「観音の里」で有名な湖北地方は、作家・井上靖が書きました『星と祭』という作品の舞台です。湖北地方の観音像が描かれたのが縁で、ふるさと創生の一環で高月町に井上靖記念室と碑が建てられました。平成5年春にオープンし、入館料は無料です。

今日は残念ながら参りませんが、記念室には、井上靖と高月の人々との交流の写真パネルと著作本などが展示されていますので、今日のツアーで興味をもたれた方は別の機会にお出かけください。

さて、私は読書会ということで先輩役員の方からご指名頂きまして、『星と祭』についてご案内させて頂きます。この作品は読書会でも11年前(1996年5月)に取り上げていますので、今日の見学を楽しみにしていました。拙いながら記憶を呼び起こしてお話しさせて頂きます。

本文の中に、「運命とは、人間とは、人間の一生とは、生とは、死とは・・」とありますように、この作品は人間の根源的な問題を取り扱った文学の香り豊かな作品で、600ページの長編です。しかし、読み始めると引き込まれて一気呵成に読まされてしまう本でした。

内容は、突然、愛する娘を湖の遭難で失った会社社長 架山が、悲しみを癒すために20日間のヒマラヤへ行き、エベレストの観月旅行をします。その後、娘と共に死んだ青年の父親、大三浦に誘われて湖北から東へと琵琶湖周辺の古寺を巡る話です。

突然の事故死で死体も上がらないという悲しみと苦しみ、登場人物である父親の心の葛藤は地獄です。苦しみ抜いた果てに、湖上の月光を浴びながら葬儀をすることで、ようやく悲しみに終止符を打って心を鎮めていくのを描いています。

十一面観音は人間の業を一身に担って立っているものであり、十一の面は人間の災難や苦しみに大きな救いを発揮する表現で、この作品の中に出てくる『乙女の観音さん』と呼ばれているのが十一面観音菩薩です。

本文から心に残る箇所をいくつかご紹介したいと思います。

「人間の悲しみというものは、もともと消えたり、薄らいだりするものではないかもしれない。水のように蒸発したりするものではなく、石に刻み込まれた跡のように、それは永遠に残るものかもしれない。」

「自分や大三浦が十一面観音を拝むのは、おそらく信仰というものとは別なのであろう。実際に十一面観音の前に立って何も頼みもしない、祈りもしない。だが、その前に立って特殊な精神の安定を感ずるということは何なのであろう。」

「娘よ、みはるよ。
さあ、今夜から君は本当の死者になれ、鬼籍にはいれ。
静かに眠れ。そして君を生んでくれたお母さんのもとに還れ。
これからは君はお母さんを静かに見守って上げなければならぬ。」

「架山は大三浦によって、愛する者の死を処理する方法を教えられたような気がする。
悲しむ事、祀(まつ)ること、おそらくこの2つ以外、いかなる愛する者の死への対し方もないに違いないのである。」


次に、読書会で出た感想からいくつかご紹介します。

@ 私は十一面観音のことが大変興味深かった。人は何か人間の力を超えた大いなるものに心惹かれるということ。特に、十一面観音という人間の業を一身に担ってくれているものを拝みたいというのは、とてもよくわかる。

A 私は信ずる心がないのか、仏さんの顔はみんな同じ顔に見えるが、美意識のある人がそれぞれの仏さんの顔に心を打たれるのだと思う。

B 「エベレストの月見とは贅沢だと思った」という感想がたくさんありました。

C 小説の舞台装置として、美的感覚としてヒマラヤを持ってこないといけなかったし、人間は、優しさや謙譲の心を持たなくてはいけない、その具現化として観音さんを持ってきたと思う。

D 私は2人の子どもを亡くしているが、子供を亡くすとはこんなものかなと思った。
8年経って「もがり」が終わったとあるが、やはり人間にはそれだけの時間が必要なのだと思ったのが一番の感想である。


E 「もがり」とは亡くなってお葬式が済むまでの期間を言うのだと思っていた。
両親を見送った時には乗り越えられたように思うのだが、私としては6年前に亡くした娘のもがりは終わっていない。いつまで経ってももがりの期間は終わらない。
架山はどういう気持ちでもがりが終わったのか知りたい。


以上です。
最後の方のは、「娘が列車に身を投げた」と言葉少なに話されましたが、こんな深い悲しみを背負っておられる方がおられたことを知り、厳粛な気持ちにさせられました。

また、この本を読んでいる時に、難波康子さんが遭難されたニュースが飛び込んできまして、ヒマラヤ登山の話を読んでいましたのでより実感をもって訃報を聞いたことでした。

日本古代の「もがり」の状態は、生と死との中間にあるということで、葬儀を営むのは死の確認であるということです。
尚、井上靖は「星」は運命を、「祭」は鎮魂を表していると語っています。
「運命」と「鎮魂」ということですね。

最も不可解な運命の問題ですが、当時の私にとって、とても関心のあることでしたので、運命について少し触れたことを覚えています。
この地上の生涯において、説明のつかない理解に苦しむ様々なことがありますから、それをどう考えればよいのかということを考えさせられました。


私は観音信仰を持っていませんが、この本を読んで十一面観音像を見たいと思っていましたから、今日は本当に楽しみにして来ました。観音像を私はどのように感じるのだろうか楽しみですし、鑑賞したあとでもう一度、本を読み直してみたいです。

最後に読書会のご案内を簡単にさせていただきます。
「東大阪読書友の会」は毎月第3火曜日の午後1時から4時まで開いています。
会場は今朝集合してくださった大阪商業大学の谷岡記念館です。今月はあさっての18日、夏目漱石の『門』について感想を話し合います。どうそ、お気軽に覗きにいらして下さい。大歓迎いたします。

では皆様、良い一日でありますように、今日はどうぞよろしくお願いいたします。
ご清聴ありがとうございました。

長文をお読み下さりありがとうございました。
posted by 優子 at 05:23| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年09月15日

美濃紙業創業60周年の沖縄旅行

美濃紙業創業60周年ということで、2年に1度の今年の慰安旅行は今日から2泊3日の沖縄である。たぶん50周年の時にカナダへ行き、それより前にはサンフランシスコに行っている。

沖縄を直撃した台風11号は沖縄から遠ざかり、予定通り飛行機は飛んだのであろう。今朝こそは雨を覚悟していたのに晴れていた。チャッピーと共に駅まで夫を見送った時、夫は珍しく何度も振り返って熱い視線を送ってきた。60歳を過ぎてだんだん可愛くなってきた。

また打撲の話で恐縮だが、昨日の夕食にカボチャのサラダを作ろうとした時、まさしく刃が立たなかった。小さいカボチャだったので丸のままのを買ったのだが、肋骨が痛くて痛くて包丁を入れることさえできなかった。急きょ、ジャガイモに変更した。

夕食後、カボチャは夫に切ってもらっておいた。
結婚後7〜8年頃だったか、同じようなことがあった。カボチャが固くて包丁を入れたものの抜くこともできずに、帰宅した夫に切ってもらったことがある。勿論、その時の私は元気そのものでカボチャが固すぎただけ、懐かしい思い出である。

我々は指一本怪我してもどんなに不便なことか。
股関節がひどく悪かった時には、大根おろしができなかった。
普段なんでもなくやっていることでも、体のいろんなところに力がかかっていることがよくわかった。飛んだり走ること以外に、体を左右に揺することは厳禁で、力を込めての大根おろしなどはもってのほかだった。

チャッピーの散歩は夫と一緒に夕食後50分間ぐらいを、ペチャクチャしゃべりながら(8割を私が話す)歩く。関係が悪い時や、しんどかったり、忙しい時にはどちらか1人で行く。
昨日の散歩中のおしゃべりでも、夫らしさ爆発で笑ってしまった。
「麻生さんが、福田さんは周りの状況を見て立候補するのでは積極性に欠けると言うてたけど、確かにそれではあかんなぁ」と夫が言った。
「では、ピー(夫の愛称)は積極性ある?」
「それは、なかなかやなあ。」と言うので大笑いしようとしたら、肋骨が痛くて笑えない。笑いたいのに笑えないのも苦しいものだ。夫のキャラクターに笑ってしまう。

今朝、予定通りならば飛行機は10時に飛び立ったはずだと思いながら眠ってしまい、目が覚めた時は午後1時前になっていた。寝ぼけ頭に明日の「河内の郷土文化サークルセンター」主催のバスツアーを思い出して、午後1時が夜10時頃の悲壮感だった。
井上靖の『星と祭』についてしゃべらなければならないのに、まだできあがっていないからだ。

沖縄旅行が良い交わりの時となり、思い出深い旅になるように旅の無事を祈ろう。
しかし、今日はなんて蒸し暑いのだろう。
一挙に冬になっているミネソタも寒くて嫌だが、今日も30度を越えているに違いない。

外から一瞬、甘い香りがした。
キンモクセイの香りだろうか。
posted by 優子 at 16:56| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2007年09月14日

母子誕生2ヶ月の日々

昨日は娘たちから「大丈夫?」と同じ件名でお見舞いメールが入った。その後、昨日も今日も長女から電話があった。育児便りの前に私の状態をご報告したい。

昨朝から痛みが広がり、鎖骨の下あたりから右胸全般、脇、右の肩甲骨から上、肩、右の二の腕が痛い。肩の痛みはひどい肩こりの痛みだ。しかし、痛いながらも深呼吸もできるようになった。膝や骨盤(?)あたりにアザができている。

昨日は古新聞の回収日なのに、外に出してもらうことを夫に頼み忘れたので困ったが、意外にもいつものように義母の分までほぼ苦痛なく運ぶことができた。
今日は掃除もした。チリハタキを使っても痛くなかった。

困るのは食器洗い、手洗い、お風呂であり、もっと痛いのは畳に寝起きする時だ。これはかなり痛い。左手で体を支えて起きる。右上半身は麻痺しているみたいでとても重く感じる。脳梗塞の麻痺はこれに似ているのではないかと思う。
ベッドだから寝起きにも苦痛は少ないが、ソファーでの寝起きが最も楽で今朝からは平気でできるようになっている。
皆様にご心配おかけして申し訳なく、感謝しています。

では娘母子のことを。
知子の不眠症は子供が原因していた。お乳を飲んでお腹が一杯でも眠ってくれなくて、ある時は2時間も立って抱いていたという。
自宅へ帰ってから1ヶ月余りの間、毎日1〜2時間の睡眠時間で疲労困憊し、ついに昨夜は子供を伴侶に頼んで別の部屋で寝てもらったので、4時間少し眠れたから元気になったと喜んでいた。今回が初めてのことらしいが、時々助けてもらうといい。

以下は今日のメールから。

うつぶせ寝はダメだけど、うつぶせ遊びは背筋や便秘などにかなりいいと奨励されているので時々しています。
やり始めはとても喜び、一生懸命パタパタして二〜三度は首を持ち上げ、なんと逆に向けたよ!そのうち泣くけどね。週ごとの発達メモを読むたび、本来の月齢、週数よりすごく早くて活発みたいだと実感します。

いつも手足バタバタしてます。
「構って、遊んで!」と、こっち見ながら起きている時はたいてい呼んできます。今もずっと一緒に遊びつつメールしてます。一緒にいて遊ばないと泣くから今も休憩できません(-.-;)。

いつも私を目で追うから疲れはあってもかわいいです。
写真写りが実物と違うけど、何となく私の赤ちゃん時代の目と眉毛に似てると今日特に思いました。
お大事にね。


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         ゆきひさくん、ママも寝させてやってね!
posted by 優子 at 16:15| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年09月13日

安倍首相辞任

昨夜、「安倍首相が辞任したの知ってるか?」と夫に聞かれて、私は「えっ?」と言ったきり一瞬言葉を失った。

「敵前逃亡辞任」、「職場放棄辞任」など、怒りと批判の嵐が吹きまくっている。無責任と言われても仕方がない当然のことであろう。世界も大きく取り上げている。

私は政治家の責任の重さを感じながらも、首相夫人は辞任表明している夫の姿をどんな想いで見ておられたのであろうかと思いながら見ていた。
きっと、夫が語る一つひとつの言葉に頷きながら見守られていたのであろう。


7月の参院選大惨敗後に続投を決断した安倍首相に驚きながらも、私は見守る立場で見ていた。続投を決意するには最大級の勇気を奮い立たせたことだろう。その後、8月末に内閣を改造したが、またしても遠藤前農相の補助金不正受給問題が発覚し、さすがに私もウンザリした。

任命責任を問いたい感情も強く噴き出した。
しかしまた、彼らは任命されて後に不正を働いたのではない。だから任命責任なのだが、殆どの政治家が不正をやっているのではないかと思われてもしかたがない状況である。

となれば、安倍さんも続投を決意した時に最大級の真剣な覚悟をしたはずだ。ならば、腹をくくって、何故にもっと熱く語れないのだと今後に期待する気持ちは萎えていった。

これでは未だに傍観者の態度ではないかと失望した。この失望感は私には致命的であった。安倍首相にしっかりとした人間観がないことに起因していると考えるからだ。


所信表明のあとには衆院本会議で与野党の代表質問があることも承知の上。健康問題ゆえならば、せめて所信表明しないで辞任すべきだった。
麻生氏に裏切られたなど流言どおりの原因であるならば、今の困難を歯を食いしばって通り抜けてほしかった。

しかしまた、そのことも最大限の努力をされたに違いないからこそ、こんな時の辞任になったのである。もはや政治家たちは批判ではなく己の姿勢を正して本務に最善を尽くすことだ。

人の意見には真摯に耳を傾けなければならないのは言うまでもないことだ。そして、自分は何を選び、いかに生きるかだ。
私は自分の考えを大切にしなければならないと強く思う。事が重要な問題であればあるほど、自分の本意を曲げて周囲に合わせてはいけないというのが55年の人生観である。


悩み考え、迷い、自分の生き方を選び取ったならば、仮にその結果が悪くても、あの人がこう言った、ああ言ったからというような不純な感情に苦しむことはない。

人は何事も失敗してでしか身につけることはできないのだから、その失敗が今後の経験に繋がっていくのである。これこそが人生の醍醐味の一つであり、悔いのない生き方であるから立ち直りも早い。だから自分の信念を曲げてはいけないのだ。


そして、常にどんなことでも、「もっと最悪はある」というのが私の考えである。
今が最悪であっても、どんなことであれもっと最悪はあるのだ。

今回の辞任を通してそんなことを考えていた。
安倍首相は、他の政治家ほど名誉欲で腐っていないと推察するだけに残念である。窮地にある日本国のために、為政者のために熱い祈りを捧げよう。

拉致被害者家族、有本嘉代子さんは、
「初めて北朝鮮と真剣に向き合ってくれた政治家だった」
と語っている。我々もこのことを忘れてはならない。

posted by 優子 at 18:04| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年09月12日

あわや肋骨にヒビが!

「昨日は私がいなくて寂しかった?」と、旅行から帰って来た昨夜、夫に聞いた。夫は、「やかましく干渉されなくて、久しぶりにゆっくりできた」と満面の笑み。

そして、今夜6時、助けを求めて会社へ電話した。
我が伴侶、良輔は優しかった!!
「今から高速に乗って直ぐ帰る!」と言って帰って来てくれた。
大胆に転んで今も痛くて深呼吸ができない。


ことの顛末はこうだ。
今日の午後12時49分頃のこと、午前の仕事が終わって次に移ろうとしていた時のことだった。全く平坦な社会福祉センターのロビーで見事なこけ方をしてしまい、右乳房外側を強く打撲した。

とにかく、夕刻に医者へ行って来るほどの痛みがあった。
3枚のX線写真を撮って診て頂いたところ、幸いにして肋骨にヒビは入っていなくてシップを処方されただけだったが、強い打撲だから治るまで長くかかるとのこと。

今朝は8時半に家を出た。
香芝市に45ほどある老人会から1866名が参加される「老人祭り」。祭り期間の10日間に地区ごとに福祉センターで一日を過ごされる。今日は約200名の参加者で、その中に私の自治会も入っているので近隣地区の民生委員5名もお手伝いというわけである。

今年もまた民生仲間の方たちが、私の股関節と腰(今年から膝も)を思いやって下さり、抹茶運び、茶碗洗いなど体に負担がかからないようにと、常に優しいご配慮を頂きながらの3時間だった。

打撲したのはご奉仕を終えて、5人の仲間と共に福祉センターの食堂で昼食を終えた時のことだった。
私は午後も高齢者福祉部会の研修会があり、他の場所へ移動しなければならなかった。ガラス越しにお連れの人が迎えに来て下さった姿が見えたので、話の内容を惜しみながら席を立った。
待ち合わせの時間まで2分あったので走る必要などなかったが、性格だから仕方がない。

そして、センターの出入り口前にさしかかろうとした時のこと、私は見事なショーを演じてしまった。ちょうどその時、同行するもう一人の男性委員Sさんも2階から下りて来られて「あっ、藤本さん」と思った瞬間だったらしい。やはり右胸から倒れてひどく打ったという目撃証言だった(笑)。

その時、私は部会の会計なので用意してきた施設への手土産を持っていて、その頑丈すぎる菓子箱(箱代だけで450円!)の端っこに胸が当たった。
両手も前に出たので手のひらが痛かったが、既に全ての衝撃を胸で受けたあとのことで、サラサラ生地の服でスキーのように床の上を腹ばいで滑ってようやく止まったほどの勢いだった。

すぐに民生仲間の男性Sさんが駆け寄って下さった。
痛いは、格好悪いはで、周囲を見た。周りのお年寄りやセンターの案内女性2人の目も全てが私に集中していた(>_<)。
しかし、55歳はまだ若さが残っていた。
私は無理なく立ち上がってセンターを出て、車に乗り込み訪問先へ向かった。

ところが、打撲して1時間後くらいすると痛みがひどくなり、深呼吸もできなくなってきた。
「痛い!」
楽しみにしていた施設説明も聞き逃してばかりで、ついにメモを取るのもあきらめた。11月の定例会で部会の発表があり、しかも私は今日の「エデンの園」について担当することになっているが、何の感動も問題意識も感じられなかった(>_<)。
見学後の部会も精いっぱい集中して、5時前に帰宅した時はクタクタだった。

その後、知人の電話と友の訪問があったので話した。
Sさんも、近隣の友Nさんも「今からお医者さんへ乗せて行ってあげるよ」と言って下さり、人の優しさが心にしみた。Sさんに教えてもらった医院へ電話すると夜は7時半までやっているというので、直ぐ夫に電話すれば間に合う。6時ならばまだ会社にいるはずだ。

明日の朝、連れて行ってくれることになっていたNさんにメールした。すると、すぐに電話がかかってきて「主人が帰ってくる電車の時間までに間があるから、ついでに連れて行ってあげる。」と直ぐに来て下さった。夫には医院へ向かってもらうように携帯に電話した。機転がきくNさんの指示どうり、全てを終えて医院から出た7時、夫が到着した。

テーブルを拭くのが痛い、かといって左手でするのも同じくらい痛い。
「打撲は明日になったらもっと痛くなるのに、まだやってんのか?そんなこと(ブログ書き)してたら大変なことになるで」と、お風呂から上がってきた夫が言った。
そういえば、ますます痛くなってきたようだ。

ようやく、明日明後日は小休止、楽しみにしていた外出なしの日だから安静にしていよう。しかし、16日のことが心配である。
疲れすぎると止めどなく、くだらない事ばかりを書いてしまう。もうやめよう。

帰りに立ち寄った店で、安倍首相が辞任したと夫から聞いた。
posted by 優子 at 23:16| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2007年09月11日

夢千代の里 湯村温泉へ

9日夜は胃まで痛くなってくる始末で、寝つきが悪く3時間少しの睡眠時間で出発した。旅行が苦手な私である。実は昨日から1泊2日で民生児童委員会から県外研修旅行という名目で兵庫県美方郡湯村温泉へ行って来た。

香芝インターから西名阪、近畿道、中国道、舞鶴若狭道、北近畿豊岡道を経て、途中、出石(いずし)を散策した。出石藩五万八千石の城下町風情が残る町並みは、まさに「但馬(たじま)の小京都」だった。

長女が小学校低学年で次女が幼稚園の頃に、私の両親と6人で立ち寄ったことがあったが、早朝だったので町は静まり辰鼓楼(しんころう)を遠目に見ただけだった。この名前も今回知った。

現在は時計台として親しまれ、定時になれば陣太鼓の音で時を知らせる辰鼓楼、私たちも午後1時に聞いた。そして、そこの池で泳ぐ大きな鯉を見ていると胸がジーンと痛くなった。これも私の原風景のひとつに違いない。共に鯉を眺め、写真を撮って下さった副会長のKさんと資料館を訪ねた。

今夏話題になった「コウノトリ郷(さと)公園」附近を走った時、私は車窓から空を見上げた。「コウノトリ巣立つ」と刷られた7月31日当日の読売新聞号外を土産店で頂いた。この巣立ちは私自身の再出発と重なる飛翔であり、私には意味深い出来事になったからだ。
ところで、コウノトリとよく似た鶴との違いは、木の上に巣を作るのがコウノトリで、鶴は地上に巣を作ることだ。何かの例話に使えそうで面白く聞いていた。

お酒とカラオケつきの少々苦手な宴会を終え、先に部屋に戻って眠りかけたものの、同室のお2人が戻ってこられて目が覚めた。寝ててはいけないかなと思って話に加わったはいいが、1人だけ寝そびれてしまって、結局2時間足らずの睡眠時間で朝を迎えた。
体力も限界ぎみ、何度もイエスさま思い出しては心を強くして過ごす一日になった。

今朝は、山陰の網代(あじろ)港から浦富(うらどめ)海岸の島巡りに出た。台風だった3日前は波の下に飲み込まれていた所もあり、昨日もまだ波は高かったそうだが、今日の日本海は快晴で波も静かだった。

  はじめに神は天と地を創造された。地は形なく、むなしく、闇
  が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおってい   
  た。・・・
  
  神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水と
  を分けよ」。そのようになった。
  神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上
  の水とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられ
  た。

                (創世記第1章1節〜8節)

広い海を見、天を仰いで神を讃えた。
果てしなく続く水平線、静かな海。
しかし、「冬の日本海の波は、防波堤の障害物をも軽々と乗り越えて押し寄せてくる」。そんな冬の海を想像して身が引き締まった。

次は、車窓観光した「アメリカ人が設計した鉄橋は西部劇を思わせる」余部(あまるべ)鉄橋もまた、私には特別の感慨があった。
1986年(昭和61年)12月28日午後1時25分頃、日本海からの突風にあおられて鉄橋中央部付近より転落し、橋の真下にあった水産加工工場で働く主婦5名と車掌1名の計6名死亡という痛ましい事故があった。

この日の夕方、私は強風の中、現実の出来事を受容できずに苦しみぬき、ひたすら中央大通りを西に向かって歩いていた。
いよいよ神と出会う3ヶ月前の頃のこと、両親や娘たち、夫を心配させた日だった。今日は感慨深く余部鉄橋を眺めていた


この旅行でS・Mさんと民生委員について考え合い、委員会のあり方を分かち合えたことは神の導きであったと思う。
私は1期で退くが、引き続いて4期目の重荷を負って下さるSさんは、帰りの車中で神の愛について熱心に聴いて下さった。このような時をもてたことをお互いに喜んだ。
Sさんの上に神の豊かなお導きと祝福がありますように!

明日も早朝からお昼まで社会福祉センターで「老人祭り」のご奉仕、午後は高齢者部会で老人施設「エデンの園」へ赴く。
心と体力が守られますように!
posted by 優子 at 23:26| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年09月10日

ペンクラブでの学び ―芥川龍之介のこと―

8日のペンクラブ例会では、大田先生が芥川龍之介と『奉教人の死』について興味深い話をして下さり、今回もまたクリスチャンでなければ読み取れないことを教えて下さった。

「芥川は自分はソドムに落ちた人間であり、やがて神さまが裁きにやってくるのが見えていた人である。それゆえに自分の罪を清めたい、贖いたいという思いを強く持った人であった。

ところが、神の愛と神の義は取り上げるが、イエスさまが私の罪を贖うためにやってきて下さったということが足りない。これは芥川だけではなく、日本の文学者に共通していることである。」


「ソドム」とは、旧約聖書に出てくる神に滅ぼされた罪深い悪徳の町の名前である。
大きな驚きだったのは、『蜘蛛の糸』は仏教から取った話ではなく、ヨーロッパにあった種本を元にして書いたものであり、『羅生門』も今昔物語をもとにしたものではなく、生きるために盗んでもよいとする悩みの中で、自分を一つだけ肯定するものとして書いたのであろうということだった。
落ち着いて芥川の作品を読んでみたいと思った。

芥川が終生抱いていた疑問が、芥川の篤信の友人である恒藤恭(つねとうきよし)宛ての書簡に書かれている。恒藤の家族はクリスチャンであり、恭も求道していた人である。

「イゴイズム(エゴイズムのこと)をはなれた愛があるかどうか。
イゴイズムのある愛には、人と人との障壁をわたることは出来ない。イゴイズムのない愛があるとすれば、人の一生程苦しい者はない。

周囲は醜い。自分も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい。しかも人はそのまま生きることを強ひられる。一切を神の仕業とすれば、神の仕業は悪(にく)むべき嘲弄だ。

僕はイゴイズムをはなれた愛の存在を疑ふ。(僕自身にも)僕は時々やりきれないと思ふ事がある。
何故こんなにして迄も生存を続ける必要があるのだろと思ふ事がある。そして最後に神に対する復讐は、自己の生存を失ふ事だと思う事がある。僕はどうすればいいのだかわからない」。


遠藤周作が師と仰いでいるのが芥川だというのも驚きだった。いや、驚けるほど遠藤や芥川を知らないけれど、自分なりにとても興味深い。
遠藤はキリスト者であるが芥川と同じような問題意識を持っていたように思う。


このあとはペンクラブの本筋とも言うべきもの、会員が書いてきた文章を講評し合ったが、私は何も書いていないから持参したことがない。今回は心にまだ十分な余裕がなく、いつものように鑑賞できなかった。妹と一緒ということもあり緊張していたと思う。

事実、会の初めの自己紹介で発した妹の言葉からも察して頂けるだろう(笑)。
「姉とは10年来、疎遠になっています・・・。ペンクラブに入っていることは知っていましたが、このようなことをやっているとは知りませんでした」。
正確に覚えていないほど、妹が何を言うかわからないと緊張したのは確かである。しかし、こうして「(笑)」と書けるほど私の心は平安だったが<再び(笑)>。


話はそれたが、熱心になって取り組めば大いに発表の場を提供して下さるというのだから、私も本気になって始めたい。
関西ブロックから100ページの本を出版するためにずっと原稿を募っておられ、今で4分の1ほど集まっているとのこと。一人につき3篇書いて欲しいとのこと。私も是非3篇載せてほしい。

O姉は300枚をめどにして新たな本の執筆に取り組んでおられる。既に資料収集も終えて、構想を練りながら100枚ほど書いておられるというからすごい。

私だって、残りの時間はクリペンで昇華したいという切なる願いがある。今再び、55周年記念会に上京しようとまで力強く立ち上がらせて下さった主、そのことを思うだけで涙でキーボードを打てなくなるが、きっと私にもさせて下さることを信じて励もう。

posted by 優子 at 06:32| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年09月09日

妹と共にペンクラブ例会に集う

昨日の正午、鶴橋のプラットホームで妹と再会した。
妹と一緒にクリスチャンペンクラブの例会に集うなんて、とても信じられない、夢にも思わないことだった。

大阪駅構内も著しい変わりようだが、お互いに同志社へ通っていた頃を思い出していた。
「電車が延着した時はこの店に入ったね。」と言うと、
「私はここにあった店で、よく飲み物を買ってた」と喫茶店の隣にある店を指して妹が言った。そこは随分前からシュークリーム屋さんになっている。
中学生の妹の姿と両親のことを思い出して胸が熱くなった。

私が高校1年生になった時に妹が中学校に入学してきた。私たちは3年間、一緒に通学した。
冬は雪のために電車が延着するのも珍しくなく、高校生になってからは京都駅から学校までタクシーに乗ったことも度々だった。
私が高校3年生の冬は特に多くて延着慣れしてしまい、大阪駅の時点でかなりダイヤが乱れていた時に、「どうせ遅刻ならば(礼拝に出られないだけ)空いた電車で行こ」と、1回だけ喫茶店に入ったことがあった。そのことを妹も覚えていた。

同志社女子中高は(男女共学の同志社中高も)私服だから目立たないが、40年も前のこと、生徒が喫茶店に入るのは校則にも違反していた。私は妹を誘って大人ぶったところを見せたのを覚えている。

そして、京都方面行きの懐かしい7・8番線ホームへ向かった。階段の石もプラットホームも全くそのままである。大阪から3つ目の吹田駅界隈の景色も変わってまったが、アサヒビールの大きな工場は同じところにあるが改築されている。
「このあたりに『今日も元気だ、タバコがうまい』という看板があったん覚えてる?」と妹。
「あったなぁ。時代がわかるなぁ」と笑った。
会場に着くまでいろんなことを話し合った。

ペンクラブのこと、芥川龍之介や『奉教人の死』については明日の記事でお分かちすることにしたい。
2年前の夏期学校以来初めて来られたN姉とも再会できて感謝だった。55周年記念会にも共に集うことを約束し、再会を楽しみに別れた。

妹も「今日は行ってよかった」と言ってくれ、26日に予定している我が家の家庭集会を楽しみにしてくれている。これも全て神さまのおかげだ。
イエスさま、妹の心の傷を完全に癒して下さいと、家路に着くまでずっと祈っていた。神さまの受け皿と力強い支えで、今までの不仲を修復して下さっていっているのだ。
主に委ねよう。
次回会うまでの時間をも用いて私たちを導いて下さるのだから、「神によりて安し」だ。


尚、教会からのメールにお応えして、孫の献児式は10月7日希望とお伝えした。
第1聖日(日曜日)は聖餐式(せいさんしき)があり、長時間にならないようにと今月もこの日にさせて頂いたが、来週は美濃紙業の慰安旅行で15日から2泊3日で沖縄に行くので7日にお願いした。
知子たち夫婦の返事が週報印刷に間に合わず、今日の週報には次のように記して下さっていた。

「今朝予定していました家田幸悠(ゆきひさ)君の献児式は、延期になりました。祝福をお祈りします」。

これからの1ヵ月間もまた、子の親、それぞれの祖父母たち一人ひとりに神さまは関わろうとされている。共に導かれ、備えられたいと祈っている。

今日の礼拝で、5月29日に誕生された節子姉のお孫さんと初めて会った。
ひかりちゃんは天使のようだった。やわらかな微笑みが心の緊張をほどいてくれた。
posted by 優子 at 20:32| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年09月08日

明日の献児式延期 ―最善をなされる神―

昨朝、牧師夫人のご母堂様が亡くなられたとのメールが入っていた。ご夫妻共に石川県加賀へ行かれるので9日に予定していた孫の献児式が延期になった。

献児式とは、クリスチャンの家庭に新しい命が授けられた時、生後1ヶ月から3ヶ月の頃に神さまに感謝の祈りを献げ、祝福を受けるものである。
父親である婿はまだ信仰を授かっていないが、2人の出会いが深まっていく過程で、「知子が信じている神さまをもっと知りたい」との思いをもち、導きに与り結ばれた2人である。婿もまた献児式を喜んでくれていることを神に感謝している。

母体もスッカリ回復したが、相変わらず強い不眠症のためにしんどい日々を送っている。(どうか、知子の体調が改善されるように祈ってやって下さい。)
11日に生後2ヶ月になる幸悠はスクスク育ち、まもなく体重も2倍になろうとしている。
@X.bmp

@XV.bmp

@XQ.bmp

南大阪福音教会では「献児式」を「祝福式」と呼んでいる。
儀式として重んじるものではないから、この日にしなければいけないというものではない。祝福を受ける子供の全家族が神の愛に一つにされて、共に感謝の祈りを捧げ、祝福を祈ることが最高の備えであり献児式である。

昨夜、夫に延期を伝えた時、「神さま(がされたこと)やなあ。」と言った。夫はよくわかっているのだ。イエスさまのことが。
私も不思議な計らいを感じないではいられない。これは、私だけのためではない。
神は全てのことをご存知であり、特に祈り求める者のためには全てのことを万全に運んでいかれるということ、そして、必要に応じて神の御心をわからせて下さり励ましを送って下さるのだ。きっと、一人ひとりが備えられるために時間を下さったに違いない。


未来のことは神さまに委ねて、その日だけを真実に生きていこう。最善に導いて下さっているのだから。

「あすのことを思い煩うな。
 あすのことは、あす自身が思い煩うであろう。
 一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」
           
          (マタイによる福音書 6章33・34節)

生と死。
ご遺族の上に神さまからの慰めが豊かにありますように。

posted by 優子 at 09:19| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年09月07日

古巣に戻って、またまた元気回復

3ヶ月ぶりに郷土文化サークルセンターの役員会に出席、事務局の方と7名で盛りだくさんの議案を審議していった。
まずは、今月半ばにある「第18回史跡見学バスツアー」である。

私は役員であるにもかかわらず昨年も欠席させて頂いたが、今回はいろんな兼ね合いから参加することにした。定員50名で募集をかけたところが大盛況でバス2台の83名となり、2台それぞれに役員や理事を配置するところから決めていった。

行き先は「観音の里」として知られる琵琶湖・湖北の旅、滋賀県伊香郡高月町である。私以外の方はよくご存知の「善隣外交の雨森芳洲」も、私は聞くのも初めてである。

私は本当に何も知識がなく、いつもこんなぐあいにやっているが、その地に井上靖の記念館があるということから、「藤本さん、井上靖を調べてきて話してくださいな」と上司(?)の一声。
「ええ?(ちょっと待って)」

この時、「井上靖」という名前ははっきり聞こえて認識できているのに、ボケしているのか「井上ひさし」しか浮かばなくて、「どんな作品があったかなぁ」と思い巡らしながら適当な返事をしていた。

『星と祭り』という名前を聞いて脳の焦点が合わされた。
この本は読んだ。よく覚えている。湖北が作品の舞台になっており、「もがり」という言葉を教わったし、十一面観音が出てくる印象深い作品だった。

K氏は、そのことについて車中で何かしゃべれと言うのだ。別のバスにはT会長が担当される。Tさんも大変感動されたそうだ。

記憶に残っている作品だから何とかなるだろうと、出番を与えられてやる気満々である。私はかなり自分らしさが戻っていることがわかり嬉しかった。しかし、制限時間は約1週間、そのうち5日間は全くできないから大変だ。

急に足が痛くなって歩けなくなったT会長は大丈夫だろうか。
Nさんと商大を出たのは1時過ぎており、お腹ペコペコ。一緒に近くのお蕎麦屋さんで昼食を済ませて帰って来た。

そして、夜9時、夫が帰ってきた。


「お帰り! どうやった? うまくできた?」
「フッフッフ。まあね」
「できばえはどのくらい?」
「80点くらいかなあ(笑)」

200名近い人の前で大役を果たしてホッとしたのか、お風呂の中で演歌を歌っていた。烏の行水であっという間に出てきた夫は笑いながら続けた。

「10月にまだもう一つあるねん。今度はトップバッターや。
精神的にプレッシャーばっかりかけられる」
と言って、大笑いしながら2階へ上がって行った。

さてさて、私もお風呂に入ってゆっくりしないと明日はクリペンの学びがある。今週半ばの妹からの電話で、妹も行きたいとのことで今回初めての参加となった。これこそ神の導きと信じて心安くして行こう。
posted by 優子 at 21:40| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

心の棘が取り除かれていく日々

昨日は市民会議のあと、ご一緒した知人と2人でコーヒータイム。
会議の続きの「市民の社会的役割」から話し始め、民生委員の働きから世間話も織り交ぜて話し込んでしまって、帰宅したのが6時半。夕飯は超最悪。
一日の勤労を終えて帰宅した夫に、レトルトのカレーにブロッコリーだけとは情けない。いつものように全く不平を言わずに食べてくれるから、よけいに辛い。

それでも私には収穫があったから、夫よ喜んでほしい。
いろんな話を伺いながら人間の複雑さを思い、それを合わせ鏡のようにして自分の姿を映し見る気持ちで聴いていた。帰宅してからイエスの言葉が肉声として聞こえてきた。

「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか。
自分の目にある梁を見ないでいて、どうして兄弟に向って、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。
偽善者よ、まず自分の目から梁をとりのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。」


これはルカ伝6章41.42節であるが、マタイも7章3.4節で書いている。

例えば、他者のことで悩み込んでしまうと見方自体に歪みが生じる危険性がある。そのことばかりに気がとられていると、そのうちに自分の中にある梁が丸太のように大きくなり、ことによれば失明の可能性さえあるとヒヤッとした。

人との交わりは大切だが、もっと大切なのはその中で自分はどのように生きていくかである。処世術ではなくて、他者からいかに良きものを吸収していくかが大切であり、その能力いかんで人格や人生も違ってくる。

「人の話を聴けないようになったらあかんなぁ。65歳まで(の生き方)かなあ、それからは変わらないように思う」と言われた知人の言葉は、多くの人たちと関わっておられる方だけに参考になる。

そして、私自身について嬉しかったことは、いろんな情報が入ってきても尚、各人の良いところをクローズアップして見られるようになっていてブレないところだ。ここは若い頃とは大きな違いだ。

人は皆、「裸の王様」なのかも知れない。
自分の姿は正しく見えないのだと思う。
しかし、見ようとするならば人との交わりをとおして気づかされていくだろう。
最近の私は視野狭窄になりかけていただけに、良くない力が緩められて、今朝は一段と視界が明るくすがすがしい。

「この頃のブログは暗いなぁ。斜め読みしかしてないけど(笑)。『藤戸ニュース』を書いていた頃は明るくていいよ」との感想もいただいた。
「確かに」(>_<)と言いつつ、「私は今、人生の節目のような気がしている」と応えた。
未だ冴えない気持ちも残っているが、ここを通り過ぎれば再びグーッと伸びる時期の年輪のように、意気揚々と元気溌剌とした日々が到来するだろう。

今夜、夫は夕食なし。
例年、帝国ホテルで開かれる北越製紙主催のビヤーパーティがある。今年はスピーチを頼まれているので緊張気味(?)で家を出た
私だったら「どうしよう」「できるかな?」「できるよね?」と、1週間前ぐらいから騒々しく話題にして出陣しただろうに、夫はいつもと変わりなく黙して出発した。
スピーチは終盤にあるらしいから今夜のご馳走も十分に楽しめないだろう。昨夜はレトルトカレーだったのに。
しかし、今夜帰ってきたら、絶対にいつものように饒舌になって実況中継してくれるに違いない。
成功を祈る!

アッ、9時10分の電車なのにお化粧もしていない。
私は商大の役員会へ出発だ。
posted by 優子 at 08:36| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年09月06日

人生は七転び八起き ―『オリーブの会』再開―

4ヶ月ぶりに家庭集会『オリーブの会』を開きます。
第31回は9月26日(水)11時15分開始です。

行ってみたいなと思われる方は、どうかお出かけください。その思いは神さまからの招きです。

前回5月31日は、ミネソタから帰国していた真智子夫婦が加わっての恵みの座でした。「スカイプで日米同時家庭集会を開きたいね」と言ってくれていたことを懐かしく思い出します。

真智子たちも4日から新年度が始まり、イエス・キリストにスパークされて、より一層に創造性も取り込まれて、2人の魂と頭脳が躍動し続けているのが伝わってきます。
若い命を大切に生きている2人を想像すると、消極的になっていた私の魂が高鳴ってくるのがわかります。それぐらい私の魂も回復しています。
お祈りして下さったおかげです。本当にありがとうございました。


真智子と大志(君)だけではなく、遠くの方々には、ブログにて家庭集会の恵みを流していきたいと思います。神さまが集会開催を実現して下さり祝して下さいますように祈ります。

背後で祈って下さっていたお一人おひとりを覚えつつ、自分自身のためにメールを刻ませて頂きます。弱ってきた時の気付け薬のつもりです。
8月28日受信   S姉より

優子さん
よかった!健在で!
暑さで身体もお疲れだったのですね。
このところブログをお書きになっていなかったので、すごく心配してました。

でも、あのお部屋のソファーで 先人達の書き残された文を読み返したりして・・・ゆっくりと自分をも見詰めたり・・・そんなじかんを持たせて下さった神様に感謝です。

お送りしたテープは教会でお会いできた時渡そうと このところ いつもバッグに入れていたのですが、お名刺に住所が書かれていたのを思い出して・・・。

いまの優子さんのおもいとは全く焦点が合わないかも、とも思ったのですがそれでも、いいえ それなら尚更のこと、或いは息抜きになればと考えて、勝手なおもいで送ってしまいました。・・・
只々、優子さんに元気になってもらいたくて・・・。

はやく、その捕われから解放されて本来の優子さんに一日も早く立ち直れますように・・・主よ!お願いします。

今日の光太郎の文に接して久し振りに感動を覚えました。
また 人が心に思い体験することをこんなにうまく表現できるのはさすが・・・。
同じ様な状況や感情を人は日常経験しますが、かなしいかな其の儘それを文章に表現することは出来ません。
それを文筆活動する人は代弁してくれるのですね。
光太郎の思い と共に こんなことにも感動してます。

優子さんのブログで いっぱい学ばせてもらっています。
もう限界で余り本を読む力もありませんので、手っ取り早くといったら悪いですが、いろいろと知ることが出来て有り難いです。
いつも 感謝して 喜んで 楽しみに拝読しています。

明日の千里さんとの時間 主の祝福を祈っています!!!  
God Bless You!!!!  

8月29日受信   K姉より

優子様 数日ブログがなかったので、どうなさったかと心配しました。昨夜拝見してほっとしました。・・・
秋に期待して、秋の主に望みをおいて、進みましょう。
55周年もいよいよ最終準備です。これが日々重いのです。お祈りご協力お願いします。 お元気でね。おまごちゃんによろしく。  
 
9月4日受信   Y姉より

優子さん
ご無沙汰しています。今日のブログを読んで嬉しくなってメールしました。
讃美歌243番の作詞者とお話できたなんて……すでに会っておられたとは……。しかもJCPに在籍されていた方だとは……。
まるでドラマを見ているようです。まさに神さまの導きですね。

先月の終わりのころ、3日間ブログを書かれてなかったとき、心配でよほどメール出そうかと思ったのですが、出せずにただ祈っていました。9月に入って希望の光がさしてきたように感じ、嬉しく思っています。
「すべてを神さまにお任せできるようになった」と言われた優子さん。素晴らしい信仰です。
10月はお会いできますように。祈っています。
           
9月4日受信   C姉より

ブログ読みました。
本当に悩んで悩んで、とことんまで悩み抜いた時、神さまが優子さんを救い上げてくださったんですね。1日から3日までのブログを読み涙が止まりませんでした。主よ感謝します。
知子ちゃんとの長い電話とありましたが、主の導きを祈っています。
あわれみ深い主に感謝しつつ。

9月4日受信   O姉より

以前に「私は苦境です」とのメールを頂きました。
詳しいことは分かりませんが、神さまがきっと道を開いて下さると信じ、お祈りします。 

9月5日受信   真智子より

メールありがとう。
ママが少しずつ元気になっている様子で、とても嬉しいです。
ほっとしました。具体的な様子は分からなくても、苦しそうなのは伝わってくるので、真智も太志もお祈りしていました。これからも祈っています。

スケジュールが精力的で、すごいね。用事が沢山、というだけでなく、とても精力的な日々だな、と感じます。・・・股関節や腰の痛みはちゃんとケアしてね。

こちらもいよいよです。
新しく始まる授業の先生は、とても分かりやすい講義をするので、かなりヒットでした。研究も、4〜5年なんてあっという間に過ぎるので、心して進めていこうと思います。

お姉ちゃんとのことはいつも祈っています。
献児式のことも祈ろうと思います。
またね。    真智子

何度読んでも涙が出てきます。本当にありがとうございました。いいかげんに強い人間になりたいです。

「すぐに声を立て、人の注意を引いては、自分の苦難の押し売りをし、そのために多くの隣人を心配させて実にわがままです。・・・

大切な隣人の気持ちを少しでも煩わしたり、時間を浪費させないように心がけさせて下さい。その代わり、嬉しいこと楽しいことは、すぐ隣人にも振舞って、よろこびの輪を大きく広げて行けますように!」


マイアーの祈りを常に心にとめつつも、弱い者は弱い者として助けを求めてしまうのです。いつも甘え過ぎないようにと自分に言い聞かせているのですが、騒々しい者です。(ここでストップ!これ以上の想いは不必要だからです)

しかし、ここに至れたことを感謝し主を見上げて励みます。お心にかけて下さった方々に、神の祝福が豊かにありますように祈っています。

今日は民生委員会の関係で市民ワーキング会議に出ます。新しい発見がありますように。お互いに今日も良き一日を生きることができますように!

       今の顔です(^−^) 、手(パー) 「ありがとう!」
posted by 優子 at 06:17| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2007年09月05日

回復に至る嘆き

先の讃美歌243番の「三たび我が主を否みたる弱きペテロを顧みて」や、マイアーの祈りの「ペテロが絶望のさ中に落ちていた時」については、聖書のルカによる福音書22章54節〜62節に詳しい。イエスがいよいよ十字架に架けられようとする時の出来事である。
人々はイエスを捕え、引っぱって大祭司の邸宅へ連れて行った。ペテロは、遠くからついて行った。人々は中庭の真ん中に火をたいて、一緒に座っていたので、ペテロもその中に座った。

すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人も、イエスと一緒にいました」と言った。
ペテロはそれを打ち消して、「私はその人(イエス)を知らない」と言った。しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それは違う」。

約1時間たってから、またほかの者が言い張った。「確かにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。ペテロは言った、「あなたの言っていることは私にわからない」。すると、彼がまだ言い終わらぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。

主(イエス)は振り向いてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。そして外へ出て、激しく泣いた。

ペテロは命を捨ててでもイエスについて行くと誓った者である。しかし、イエスが捕らえられた時、自分まで捕まるのではないかと恐ろしくなってイエスを見捨ててしまった。

その時ペテロを見つめられたイエスのまなざしは、決してペテロの裏切りや弱さを責めるものではなく憐れみに満ちていた。それゆえに尚更に自分のしたことがたまらなくなり、外に走り出て激しく泣いたのであろう。

この箇所はあまりにも有名である。
バッハの『マタイ受難曲』やレンブラントの絵画は勿論のこと、音楽、美術、文学・・あらゆる分野の巨匠たちが、自分の信仰を天分をとおして昇華した。

ペテロはイエスの一番弟子であり、公生涯3年3ヶ月間を共にした。ペテロは、イエスが捕らわれる前のオリーブ山で、「主よ、私は獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」と宣言するほどの弟子であった。

それに対してイエスは、「ペテロよ、あなたに言っておく。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは3度わたしを知らないと言うだろう」と、具体的に指摘された。ペテロには何のことかわからなかったが、主は前もって全てを知っておられたのだ。

というのは、弟子たちの信仰を揺さぶり試練に会わせたいというサタンの願いを、イエス神ご自身がお許しになったからだ。
それゆえに続けて、「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい。」とペテロに言われたのだった。
   
私は今朝この箇所を読んで涙が流れてしかたがなかった。
イエスさまは私のことも祈って下さっていたのだ。
私が立ち直るようにと、イエスご自身が私のために祈って下さり、回復を待って下さっていることを直に感じた。


ここでひとつ気づかされたことがある。
「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救いを得させる悔い改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。」(第2コリント7章10節)というみことばを、今まで間違って解釈していたように思う。

たとえば病気や災難など自分の責任によらない悲しみが「神のみこころに添う悲しみ」であり、自分の愚行から出たことはそうではないと理解していた感がある。

しかし、ユダのことを思うと「いや・・そうだろうか」と立ち止まった。ペテロはユダと同じようにイエスを裏切ったが、ユダはペテロと違って自ら命を絶ってしまった。

と言うことは、嘆き悲しみ、愚かさに気がついてのちに救いに至るものと滅びに向かうものがあるということなのだ。ペテロは恐怖に負け、ユダは金に目がくらみ、共に愚かで悲しい出来事だった。共に無垢の苦しみゆえの悲しみではなかったのに、2人の末路は天と地の違いになった。

と言うことは、悲しみ自体がどうのこうのではなくて、抱えている問題が身から出た錆であるかないかではなくて、悔いも嘆きも、悲しみも苦しみも、それらをどのように通過していくかこそが大切であり、詰まるところ神に至るかどうかなのだ。 



そして、救いか滅びかの分かれ道は、神が私(あなた)を憐れみ、赦して下さっていること、そして希望の未来を備えて下さっていることに気づくかどうかにある。私の場合は、もう一度、厚かましく受け容れるかどうかにあった。遠藤周作の作品の人物・勝呂の結末を思い出さずにはいられない。

従って、「この世の悲しみ」は神の悲しみに気づかない悲しみということであり、それはどこまで行っても後悔でしかなく救いがない。そして、純粋に悩めば悩む人ほど虚無主義か自殺という破滅に至る悲しみなのだ。

当事者意識が欠落していては始まらないが、かといって、自虐にのみ陥り、神を見失っては愚か過ぎる。


事実、ユダは自分のやった取り返しのつかないことに嘆き、後悔の苦しみに耐えられずに自殺した。自分で自分を裁かないで、神に助けを求めるべきだったのだ。
しかし、この最も簡単なことが何という難しいことか!
何という狭き門であろうか!

畢竟、それは傲慢であるから難しいのであり、それ故に「狭き門」と表現するのであろう。

ペテロが回復するには長い時が必要だったに違いない。
しかし、イエスご自身が祈って下さったゆえに、再びイエスの赦しと愛に深く目覚めていった。
今回の私のこともまた、イエスご自身が祈って下さっていたことを知りハッとした。そして、今も私が奮起するのを待って下さっているのだ。

20年前の6月、私もまた私が受けるべき辱めと苦しみをイエスさまが身代わりになって死んで下さったことを信じる者とされた。
本来ならば、私の罪が白日のもとに暴きだされて、辱めと責めと罰を受けねばならなかったのに、裁き主である絶対なる神はイエスの十字架ゆえに全てを不問にして永遠の命まで与えて下さった。


大切なことはただ一つ、イエスから目を離さないことだ。
それさえ忘れなければ、命ある日々は全て愛の学校なのだ。
井置牧師はペテロの如くにイエスの愛を深く体験されて、かくなる言葉で表現された。
師との出会いの不思議を改めて思う。
私は今、神さまが私に強く迫っておられることを感じている。何を伝えようとされているのだろうか。聴き取れる者でありますようにとの祈りになっている。
 
posted by 優子 at 12:00| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2007年09月04日

讃美歌243番 まさに今、神の招きぞ! 

   讃美歌243番  神の招き  

 1 ああ主のひとみ、まなざしよ。
   きよきみまえを 去りゆきし
   富める若人(わこうど) 見つめつつ、
   嘆くはたれぞ 主ならずや。

 2 ああ主のひとみ、まなざしよ、
   三たびわが主を いなみたる
   よわきペテロを かえりみて、
   ゆるすはたれぞ、主ならずや。

 3 ああ主のひとみ、まなざしよ、
   うたがいまどう トマスにも、
   み傷しめして  「信ぜよ」と、
   宣(の)らすはたれぞ、主ならずや。

 4 きのうもきょうも かわりなく、
   血しおしたたる み手をのべ、
   「友よ、かえれ」と まねきつつ
   待てるはたれぞ、主ならずや。

神のみ前でことごとく砕かれて、ことごとく神の愛を知った者でしか詠めない詩である。その電話で私は井置牧師に高橋和子姉のお証しを朗読した。今から56年前、讃美歌243番は次のようにして誕生した。
    
 愛の眼ざし

讃美歌『ああ主のひとみ』243番。
私は此の讃美歌を歌う時、イエスの深い愛の痛みに咽(むせ)び、終(しま)いまで歌う事ができなくなる。

作詞者、井置利男氏は、昭和26年神学生であった。
その頃彼は「これでもクリスチャンなのであろうか、学校を辞めようか」と悩んでいた。
その日は特に心重くいつもより早く教会の祈祷会に出かけた。沈みゆく夕映えに教会堂は茜色に染まっていた。その時まるで不意打ちに心の中に聖書の言葉が蘇って来た。

「『人よ、我なんぢの言うことを知らず』。なお言い終へぬに頓(やがて)鶏鳴きぬ。主、振反(かえ)りてペテロに目をとめ給う。」

           (ルカ伝 22章60節)

全く思いがけない事であった。
彼は一瞬イエスの目が自分に注がれているのを感じ、「こんな私をも赦して下さる」ことに気づき祈祷室に駆け込み、祈り、此の詩を綴った。

彼は再びイエスの愛に捉えられ溢れる涙は詩(うた)となり多くの人々の中に流れて行った。イエスの愛の眼ざしが、此の詩をとおして今日の私の中にも入って来る。

先生は静かに聴いておられた。朗読が終わってからも黙しておられた。

「先生、私は今もまだ相も変わらずの愚かな姿なんです。特にこのたびはどうしても立ち上がれなくて・・・」と、自然に口に出ていた。
すると、先生はなんと仰ったか!
「素晴しいですね。そのように生きておられるのですから・・・」と言われたように思う。
私は続けた。
「いえ、30代ならばともかく、私はもう55歳なんです。先生は、あんなにお若い時に変えられて。私は相変わらず全く神さまがわからないのです。だから何度も繰り返してしまうのです。」
どうしても神さまのことがわかりたいという一念で師に食い下がってお聞きしたのだ。すると、
「みんな一緒ですよ。大丈夫ですよ。私たちは罪赦された罪人なんですから。」と、穏やかな口調で言われ、師の表情まで伝わってくるようであった。

「先生、是非お話して下さい。今から祈り始めます。そう遠くないうちに、春までに機会を設けますので是非お願いします。」と申し上げると、「証しさせて下さい」と、こんな小さな者の求めにも喜んで応えて下さった。
私だけではもったいない。一人でも多くの方に聴いて頂きたいと思う。

「大丈夫ですよ」

井置牧師の唇をとおしてイエスさまが私に語って下さったのだ。「優子、さあ、立ち上がりなさい。」と、差し伸べられたイエスの手を握りしめて、私はイエスの御手にすがって導かれることを選び取る

悔い改めたとは言え、今はまだ、言葉を尽くしても伝わらぬ悲しみや悔しさがある。しかし、それら全てのことをイエス・キリストが知って下さっているのだから、もういい。イエスさまが知って下さっていることが慰めになり、ようやく全てを神さまにお任せできるようになった。


井置先生のお話を私だけではなく、多くの方々もお聴きすることができるように祈り始めよう。
posted by 優子 at 14:50| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2007年09月03日

神は愛なり ―驚くべき神の愛―

先週30日の民生委員のお仕事会(同志社同窓会ではこのように言う)では、独り住まいのご高齢の方へのプレゼントに箸紙を作った。
奉書をベースに美しい絵の和紙を張り合わせて、その和紙の部分で鶴を折った美しい箸袋である。杉のお箸を入れたものを3膳と、かわいい絵が描かれた木綿のハンカチをセットしたものである。

敬老の日までまだ日があるが、いよいよ連日多忙となるので今朝、お届けすることにした。悔い改めて本心に立ち返った私は、久々に心もスッキリと14人分を持って家を出た。お一人おひとりのことを祈りつつ、そして、午後の用事も終えてホッとした時だった。

心の平和を取り戻した私は心安らかに、コリント人への手紙
13章を味わいながらブログに打ち込んでいた。打ち終えた時、目の前にある言葉が目に入った。
「愛すること 赦すこと―平和を求めて―」
ペンクラブの今年の執筆テーマである。

しかしこの時まで、今年こそはとても書けないと思っていた。赦すこともできない私が書けるわけがない。これは、まさに今ただ中の、と言おうか、今再び私の人生のテーマになっていたからだ。

しかし主は、私を伴われた。

私は本棚から『愛について』を取り出した。
1993年にペンクラブから発行された証し集である。偶然に開いた所が、高橋和子さんが書かれた「愛の眼ざし」だった。

讃美歌『ああ主のひとみ』243番。
私は此の讃美歌を歌う時、イエスの深い愛の痛みに咽(むせ)び、終(しま)いまで歌う事ができなくなる。
作詞者、井置利男氏は、昭和26年神学生であった。

「井置?」
ここまで読んだ時、珍しい名前、聞き覚えのある名前だと思った。勿論すぐに去年お知り合いになった井置牧師のことを思い出した。確か、下の名前も「利男」だったのではと名刺ファイルを確かめた。
やっぱり、字も同じ井置利男氏だった。

牧師のお歳は知らないが、昭和26年(私が生まれた年でもある)に神学生だとすれば、年頃も大体一致する。
次に讃美歌を開いて見た。
確かに、作詩は"Toshio Ioki"になっている。まさか!

どなたのことか、読書会関係の方ならば思い出して下さるであろうか。昨年7月13日の記事を引っ張り出してこよう。

家を出る直前のこと、東大阪市の花園図書館長さんからお電話を頂戴した。
今年の読書会機関紙『かわちの』を読まれた方から、私の方へ連絡を取ってほしいとのことだった。読書会の事務局を花園図書館とし、会報には役員名しか記載されていないため図書館経由でこちらに届く。・・・

館長さんから問い合わせを受けて、午後3時頃になったが民生の仕事から帰ってきてお電話を差し上げたところ、その方は東大阪にある教会の牧師先生だった。
時々このように新しい方から読書会への問い合わせを受けるが、今回のように読書会のことではなくて私自身への問い合わせは初めてだった。
私の書いた文面からクリスチャンだと分かったとのことで連絡を取ってほしいと言って下さったのだ。副会長の千里さんもクリスチャンであることを話し、主に在る者同志、直ぐに親しく話したことだった。

師は地域に開かれた教会として「こども文庫」や書道教室などに場所を提供され、明日がその第一日目であるとのこと、神様が御教会を豊かに祝福し用いて下さいますように!
今春、埼玉から移って来られたばかりで大阪商業大学が何処にあるかも分からないと仰った牧師のためにもお力になりたいと思う。


そう、あの時の牧師先生だ。
そして、牧師は同2006年10月18日の読書交歓会にもご出席下さり、その会場で早速、大田先生にもお引き合わせし、お互いに名刺を交換されていた。

讃美歌の作詞者であるのかどうか、私は居ても立ってもおれず直ぐに師の教会へ電話した。残念ながら不在。
その後、長女との長い電話やお年寄りの留守宅を回り終えて夕刻6時半になっていたが、もう一度電話した。繋がった。そして、

やっぱり、作詞された井置利男牧師その人だった!

以前、クリスチャンペンクラブに入っておられたとお聞きしていたので、もう一度お尋ねしたら30年ほど前に在籍されていたということだった。

このような深い出会いが用意されていたとは!
しかも、今のこの時に
、私の最もふさわしいみことばを、昨日も一昨日も読んでいたところを!
詩・曲共に美しい愛唱歌である243番は、同志社に入学して以来直ぐに覚え、40余年、何度も慰められ力づけられた讃美歌である。

なんということか、神はそれを作詞された牧師と出会わせて下さったのだ。そのこと以上に驚くのは、神さまが既に昨年に布石を置かれていたことだ。
そして、大打撃のあとの息を吹き返したばかりの今、大病をした病気上がりのような弱々しい今の私にご紹介して下さった。低くされたこの時だからこそ、師との出会いの意味を深く感じとれる。
神の奇しいみわざだ。
イエスの眼差しはずっと私にも注がれていたのだ。


この続きはページを改めて明日にご紹介したい。
神さまは生きておられる。




posted by 優子 at 21:49| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年09月02日

日本クリスチャンペンクラブ55周年記念と感謝の集い

JCPが創立55周年を迎えるに当たり、【記念と感謝の集い】を、10月15、16日にわたって、お茶の水クリスチャンセンターを会場に行うことになりました。
大田正紀氏と黒川知文氏による講演、夜は祝賀愛餐会を催す計画をたてています。1日だけの出席も可能です。JCP会員でない方もぜひご出席下さい。


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2007年のテーマ

    祈りつつ書き、備える              
       
         池田 勇人 (霞ヶ関キリスト教会牧師)


今年10月15,16日、JCP55周年感謝の集いをOCC(御茶ノ水クリスチャンセンター)で計画しています。
このために、ぜひ祈ってください!

ダビデは遺言歌の中で「私の救いと願いとを、すべて育て上げてくださる」(Uサムエル23:5)と神に信頼しきっています。

「救い」に関して言えば、人の大切なものを盗み、罪のない者の血を流し、家庭内の不和を解決できず、民の数を数えることで安全と祝福を確認しようとした罪深さを自覚しつつも、あわれみの神に幼児のごとく赦しを求める一信徒でした。

「願い」に関して言えば、家族と民族の救い、王国を支える人物が育つことと考えてよいでしょう。そのため神殿建築にも彼はよく備えて、息子ソロモンに引き継がせてゆくわけです。

「育て上げてくださる」―これは前節の若葉を受けて、芽生えさせてくださるという意味です。神を真に恐れて民を治める者は、雲一つない朝の光、雨露が若草でキラキラ輝くようだというのです。

山村暮鳥は、この朝の息吹きの中に、生ける神の臨在を感じて詠っています。

     『朝あけ』
  
  朝だ 朝霧の中の畑だ
  玉蜀黍(とうもろこし)とかぼちゃ、豆、芋
  ― そしてわたしは神を信ずる ―
  まだだれも通らないのか この畑のなかの径(こみち)を
  わたしの顔にひっかかり ひっかかる蜘蛛の巣
  その巣をうつくしく飾る朝露 
  此のさわやかさはどうだ
  ― いまこそ わたしは神を信ずる



祈って、備えてほしいこと。

【1】 祈って今日書くべきあかし文を紡いでいこう!
【2】 祈って55周年が互いの励ましと感謝の時となるように・・・
   経済が祝されるように・・・
【3】 55周年からさらにステップアップして、JCPがあかし文章家
   を育て、日本のキリスト教界を支えてゆける存在と成長し
   てゆけるように

     
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このために準備して下さっている兄弟姉妹方、委員長の労を執って下さっている希望姉を覚え、私も是非行きたいとの祈りが強くなっています。

ところで、大田正紀師は昨年10月に東大阪読書友の会が開催した豊中との読書交歓会(山本周五郎著『日本婦道記』)の講師としてお出で下さいました。
ご講演内容だけではなく、クリスチャンとしての師のお人柄に触れ、参加者たちは初めて経験する何か特別なものを感じておられたようでした。

この9月8日にはペンクラブ関西ブロックの集まりで芥川龍之介についてお話下さることになっています。あなたもいらっしゃいませんか?

    
 関西ブロック例会

と き  2007年9月8日(土)13時30分から
                 17時
ところ   吹田市民会館
564-0072 大阪府吹田市出口町4-1
     06-6388-7351  
参加費   500円
内容
みことばと祈り 松本瑞江
学び
久保田暁一著 『日本の作家とキリスト教』
            (芥川のところ)
芥川龍之介  『奉教人の死』  
各自、読んできてください


クリスチャンは勿論のこと、クリスチャンでなくても文学に関心のある方はお出かけください。『奉教人の死』は読み辛い文章ですが、数ページの短編です。
神のお導きがありますように!
posted by 優子 at 18:00| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年09月01日

信仰の飛躍あるのみ!

新しい月を迎えた。
今日を機に、あのコウノトリ(兵庫県豊岡市の県立コウノトリの郷公園で43年ぶりに誕生した幼鳥1羽が、孵化(ふか)確認から73日目の7月31日に飛び立った)のように私も信仰の飛翔しよう!
もう十分に悩んだ、もはやこれ以上は無用である。
信仰の飛躍あるのみ!

F・B・マイヤーの祈りを我が祈りとして歩いていこう。

正しい人を招くためにではなく、罪人を招くために。
        (マタイによる福音書 9章13節)

私の神さま。
私の心は、なんと罪にまみれ、不潔な思いで腐り切っていることでしょう。
きのう今日だけでも、たくさんの罪とがを覚えて顔が熱くなりますが、それからそれへと今までの生涯の罪とがの思い出が一勢に襲来すると、私は望みを失って、震えるばかりです。悪臭を放つ、手のつけようもない病人である私は、深い絶望に息をひそめます。

しかし、主よ、なお思い切って、こんな私をあなたの御前におささげ致します。あなた以外に持って行き場がないからです。

どうか、あなたがどんな罪人をも愛し、御自らの血をもって洗いきよめて下さる救い主にいますことを、私に、かたく信じさせて下さい。

神さま、私はつくづく忍耐に欠ける者です。
堪忍できない者です。
2年3年と、どんなに話しても通じないことに怒り心頭し、ついに忍耐の緒が切れてしまったのです。これからの長い人生を始める者には、どうしても正しておかなければいけないと思う親心からでした。

しかし、あまりに伝わらないことの繰り返しに、いつしか祈りを忘れてしまっていました。私は醜い化け物と化し、あなたをないがしろにした結果は実に哀れなものです。

しかし、私はもう一度、あなたを信じてお任せします。
ようやくこのような気持ちになれたことを感謝します。ここに至るまでに多くのとりなしの祈りが積み上げられてきたことでしょう。感謝しています。
どうか私を助けて下さい。
まず私を赦して下さい。

そして、いつか神の時が来たら、必ず、彼らをも変えて下さると信じさせて下さい。もう決して、2度と再び、自分の思いでやりませんように。
もしも暴走しそうならば絶対に私を打ちのめして下さり、あなたに任せて時を待つことができる忍耐を与えて下さい。
私は今、主イエスを仰ぎ見ます。

今も私の周りは暗雲が立ち込めています。
しかし、私は主を仰ぎます。
いえ、それだからこそ、私は主を仰ぎ見ます。
暗雲の中に、あなたの赦しと励ましと希望の虹を見ます。


今はまだ、私の心は完全にあなたのものに戻ってはいませんから、何をどうしたらいいのかわかりません。これまでのように、目先のことで自分に無理させることがありませんようにと思います。どうか、一つひとつ教えて下さい。

偉大な信仰者、マイアーの祈りに合わせて祈ります。

あなた(イエス・キリスト)は、マグダラのマリヤが失意に打ちしおれた時も、また、シモン・ペテロが絶望のさ中に落ちていた時も、個人的に伴いたまいました。
たとえ、私の後ろに影がなくなったとしても、あなただけは私と共にいたもうのです。

それも、ただの道連れであるにとどまらず、私の贖い主、私のとりなし手、私の仲保者として、いつどんな時に神の審判の座に立たされても、私の前に立って、私を弁護して下さろうとしておられるのです。

今日は夫の62歳の誕生日です。
子供たちも自立し、それぞれの家庭を築き始めています。どうか、それぞれに幸いな実を実らせてくださいますようにお導き下さい。
あなたの十字架のもとに私の重荷を下ろします。下ろせたことを感謝します。心が軽くなりました。

夫との日々を感謝し、大切に過ごしていこうと思います。どうぞ私たちを最後まで守り導いて下さい。

2007年明けからの8ヶ月間との告別、
今日は新しい出発の日。
友たちに心から感謝しつつ
posted by 優子 at 18:49| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする