2007年10月31日

佐藤昌平さんの病床洗礼、明日との知らせ受ける

11時半頃、節子姉から、昌平さんの病床洗礼が明日の3時頃から執り行われるとの連絡を頂いた。

昌平さんは昨日一昨日と酸素吸入を使うほど容態が悪化しておられ、見舞われたエリック牧師が洗礼日を急いだほうがいいとのお計らいである。お孫さんの帰宅時間の関係から3時頃になっている。

今夜、ハル師が日本着陸、奈良に着くのは夜8時頃になるとのこと。

個室に入っておられるが、洗礼式はご家族と昌平さんの妹さん(間違ってお聞きしていたらごめんなさい)以外は、病院ゆえに周囲への配慮から香芝ゴスペルチャーチの徳山伝道師と私ということで、皆様への愛と祈りに感謝されていた。

受話器を置き、祈る。金田福一牧師の言葉を読む。

いずれの点滴も、私の生命を地上に引き止め、引き延ばすためではありません。
「父のもと・・・・み国」に到るべき道は、既に決定されています。

点滴は、「父のもとに」到達するまでの日々に、私を強め、支えて下さるためです。

肉体がその使命を終わる時、その意識はキリストに伴われて、み国へ行くのです。召天です。

すべての人がこの世に生きていく目的は、そこに行くためです。イエスさまにお会いしたら、そこに行く希望を持つことができます。
お会いしないならば、不安と悲しみで、世を終わらなければなりません。



「あなたがたは、心を騒がしてはなりません。
神を信じ、またわたし(イエス・キリスト)を信じなさい。

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。
あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
わたしの行く道はあなたがたも知っています」。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父(神)のみもとに来ることはありません」。


            (ヨハネ伝 14章1節〜4節、6節)

昌平さんは既に、主の愛のただ中におられることだろう!
[ 心配しなくていい。わたしについておいで!」と招いて下さっている主と共に!
主を信じる者は天国に連れて行って下さる。
神の全き平安のうちに!!!!


川上先生初め、祈って下さっている方々へは、このブログを通してご連絡させて頂きます。
posted by 優子 at 13:39| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

「主の御名によって来る人に、祝福があるように!」

ここにもう一度だけ恩師の励ましメールを刻ませて頂きたい。主に感謝しつつ・・・
会えてうれしかった。

優子さんのブログほど充実したブログはありませんね。

1 よくこんなに書けるなあ、と感心
2 すばらしい家族の情愛
3 信仰のほどばしり 読むと、ほのぼのとした印象が余韻として残ります。

佐藤君、喜んでくれたけど、無理して話をしたので、疲れたのではと反省。いつもの笑顔を取り戻してほしいと、祈っています。

真智子さんの帰国が待たれますね。できたら会いたいです。

誕生日おめでとう! もう56歳? 信じられなーい・・・。
優しそうなご主人によろしく。一緒に遊びに来てください。

涙の溢れるところに神さまの愛も溢れている。
素晴らしい心情ですね。

先生、ありがとう!!!

昨夜お風呂から上がってパソコンを開いていた時、川上先生からのメールが着信。
私は嬉しくて、2階にいる夫に階下から叫んだ。真智子と夫に(会社で読んでもらいたくて)転送した。すると、先ほど真智子からも嬉しい共感メールが届いた。
川上先生とのやりとり、熱いね。
ママの燃える気持ちが手に取るようです。
生きるって楽しいね。

ありがとう、真智!


私はブログを書き始めて多くのことを気づかされ、信仰の高嶺へと足が向けられている。
頂戴するメールで言葉を変えて語って下さることで、「ああ、そうなんだ・・・」と、自分でも気づいていなかったことを教えられることたびたびであり、それゆえに単に嬉しがってばかりの掲載ではない。

私の心の内を話し、共に心を開き合うことで励ましと新しい気づきが与えられ(時には大発見の時もある)、喜びはまるで底引き網で集めてくるかのようだ。最近の日々のように。
新しく開かれた境地を書きとめておきたいのに、いつも書きたいことが溢れて困っている。

先週23日のノーベル賞受賞レセプションに参加するといっていた真智子に、その様子も教えてほしいとお願いしていたことを書いてくれている。
ところで、先週末はなんとなく疲れがたまってて、動物園は延期にしました。

先週のノーベル賞のレセプションは、とってもアメリカ的な感じでした。
演説台を中心に集まった人々が立ったまま色んな人のスピーチを聞く、という感じでした。スピーチまでは自由に周りの人と話す時間で、シャンパンとかオードブル的なお料理(クリームチーズクラッカーとか)がサーブされてました。

スピーチによると、Hurwicz先生は、教師としてもいい働きをされていたようでした。また、研究者間の交流を大切にして、ミネソタ大学経済学部の現在の雰囲気を構築する上でも貢献された、とのことでした。

もう一人のノーベル経済学賞受賞者であるEric Maskinという先生も参加して、スピーチをしてました。 まちは、その日、試験後だったので、立ってスピーチを聞いていると途中から気分が悪くなって、大変でした。
         またね。真智子

今もまだ疲れが残っているみたいなのに、メールをありがとう。
先日の東京博物館での漱石見学を思い出すよ。ふらふら
よく眠るのよ! 何と言っても寝るのが一番!!


ところで、文章というのは書いている者の心身の状態が見事に表れるものだ。
しんどい時、落ち込んでいる時、喜びに胸弾ませている時・・・。

葛藤しているならば、それを書き表してこそ書く意義があるというものだ。私にとっては書くことは神の前で葛藤を語りながら、神の御声を聞こうとすることにほかならない。

しかし、心が正されていないと書けない。
唯一このことだけが書く時に求められる。というより、醜い気持ちや自己中心に覆われてしまった時は何も書けない。一行として書けない。


「ありがとうございます」とか「コスモスが美しい」くらいは書けるだろう。しかし、そこに私の心がエックス線のように読み取れるので、心なき文章は却下する。第一、それ以上は続かない。

「ありがとうございます」と書く時には、心からそのように思えないと書けないし書かない。私にとって書くということはそれぐらい厳粛で真摯な行為なのだ。つまらないことも書いているが、これが私の信条である。

それゆえに運筆状況は私の霊的バロメーターでもあり、私にとって書くことは神との対話、黙想の時なのだ。


素直で純粋な心を取り戻した時は神の恵みを深く感じ、感動と文章が溢れてくる。今もまた神の平安と感謝に満たされている。
励ましの言葉を素直に喜び感謝できるのも主に在ってこそのこと。自己顕示や自己欺瞞にならないようにと常に戒めつつ。
ぼくへのメールは無用。優子さんのブログがあるから。・・・

人生って、さびしく、悲しく、落ち込むことがいっぱい。だからこそ、明るく楽しく、励ましあって生きたいんですね。

のんびり神さままかせ。これって、いいと思わない?
大賛成!!
先生、私もようやくその深い思いがわかるようになってきました。自分の力で頑張ろうとしないで、神さままかせにできるようになってきました。
でも、落ち込んだ時にはよろしくお願いします!!


「主の御名によって来る人に、祝福があるように」!!

(詩篇 118篇26節)
posted by 優子 at 10:53| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年10月30日

感謝の56歳を迎える!

午前8時、育児戦争まっただ中の知子から「お誕生日おめでとう」電話が入り、パソコンにはミネソタからカードが届いていた。
ママ、お誕生日おめでとう!
ママの信仰はまち達がより人生の喜びを感じることができるように導いてくれました。これからも、ママの人生を大いに開花させて、周りに喜びを振りまいていってね。真智子

お誕生日、おめでとうございます!
優子お母さんの文学活動がさらに大きく実を結ぶ一年でありますように。影ながら応援しています。太志

ありがとう!!!!!!!!!!!!
本当にありがとう!!!!
知子、そして真智子と太志君、それぞれに忙しいのに心にとめて頂いてありがとう。
何よりも私を喜ばせたのは、「ママの信仰はまち達がより人生の喜びを感じることができるように導いてくれました」というメッセージです。私にとってこれ以上の幸せはないのです。

昨夜父と母に話していた。
「お父さん、お母さん、私は56歳になります。とてもとても幸せな56歳を迎えます。知子と真智子はしっかり育ってくれました。」と、神さまに感謝し夫にも話していた。

昨日知子に、「たまには実家へ帰ってきたら?」と尋ねたが今週も来ないと言うので、知子の「お食べ初め」の祝いにと両親が整えてくれた祝い膳を、今朝夫から婿に託してもらうことにした。

昨日何十年ぶりかで箱をあけると、実家で見慣れていた漆器屋さんの懐かしい栞が入っていた。母はお正月の重箱も屠蘇器も全てこの店で買っていたようだ。

実家へ帰っても何もしなかった私も、母の体が不自由になりだしてからはお正月の道具をかたづけるのを手伝った。母も父も亡くなってから実家の整理をした時、ボロボロになっていた包装紙の切れ端を捨てずにとっておいた。
その頃から覚えている懐かしい名前である。
「菱屋 杉原漆器店 京都市下京区万寿寺町通西入る」と書いてあった。


「藤本の紋は下がり藤に『一』が入るの?!間違いないの?!」と、祝い膳を求めに出た先の母から電話がかかってきた。3年後の真智子の時にも同じように電話があった。これもまた母らしい。

足つきお膳に飯椀、汁椀、平椀、つぼ椀、そして、まん中に「歯固め」の思いをこめて茹で蛸を入れる蓋の無い器を置く。地方によっては石を入れるらしい。

雛人形には女紋を入れるが、お椀には地方によって女紋(実家の紋)を入れるところもあるとのこと。女の子は「黒内朱祝膳」、外側が黒で内側が朱色で、男の子は反対である。

そのような言い伝えや形式には固執しないで、母(知子)が使った祝い膳を子や孫に譲っていくということこそ最高の伝承文化だと思う。
先様も気楽な方々なのでありがたい。私たちは祝い膳の代わりにお祝いの気持ちを包んでやろうと思う。

生後100〜120日に行う日本の伝統文化を知ることも大切だろう。この機会を捉えて家田さんたちとの交わりをもち、共に神への感謝と孫の成長を祈ることができれば幸いだ。

両親は祝いの品々を整えて藤本の家に届けてくれたが、祝宴も実家の両親が設けてくれた。父が知子の成長を祝って一口食べさせてくれている写真が残っている。
真智子の時には藤本の両親も気遣いをみせてくれ、私たち主催で東大阪のマンションで両家の両親が集っての「お食べ初め」だった。

母は食べ初めのお膳も京都まで行って揃えてくれていたのだ。
何事も軽い軽い感謝の気持ちだけだったから、私はそんなことさえ知らなかったのだ。もうとっくの昔に両親とも死んでしまっているというのに、今になってわかるとは!!!

お父さん、お母さん、ごめんなさい!!! 
私だったら感謝もしない子供なら文句を言うに決まっている。
婚家先から一方的なことを言われた時も耐え忍び、その上に何も私に聞かせはしなかったね。一度として藤本の両親を批難したことはなかったね。

私は子供たちが結婚してから尚のこと、お父さんとお母さんの大きさを痛いほど感じています。私は全く親に似ない不肖な娘です。
また辛くなってきた××××

私も親孝行がしたかった。
義母は娘と一緒に旅行に行くそうだ。嬉しそうに昨日、義母が語っていた。何度も何度も義妹が親孝行している姿、今回は久々に辛い感情がある。私は最後の最後まで受けてばかりだった。


ブログはいいものだ。
子供の幼少期のことを唯一知っている親が、ブログを通して折々の小さな出来事を話し子供たちが読む。
何気ない話ではあっても、そこには私の気持ちが込められている。これこそが我が子に残してやる最大の遺産だと思う。こういうことに私は価値を置いている。


56歳の誕生日を元気で迎えることができたことを感謝します。

知子へ:
「このお膳はお正月やお祝いの時に出して使えばいいよ」とおばあちゃんが言ってました。ママはおばあちゃんの心を無駄にしてしまったけれど、ユキに使ってやってくれれば嬉しいです。

真智子へ:
「父母を想う」、昨年10月25日の真智の手紙を読んで涙が溢れて止まらなかった。ブログは人生の足跡やね。悔いのない日々を生きようね。
posted by 優子 at 14:07| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2007年10月29日

立てよ、いざ立て、主のつわもの!!

み恵みを身に受くれば 我らも今は強し
み力により頼みて み戦さの先に立たん

(おりかえし)
いざ進め、たゆみなく、 いざ歌え、声高く、
み言葉に従いて 我らも今は強し。

讃美歌448番である。
母の苦難の時、特に後半の5年間にいつも口にしていた讃美である。
時にはガックリ頭(こうべ)を落として心身ともに疲れきり、歌詞をボソボソとつぶやきながら歩いていたものだ。

しかし、私は今、讃美歌380番を、節子さんに、そして、昌平さんに歌いながら祈っている。

節子さん、そのテープに「たてよいざたて」の讃美歌が流れたら思い出して下さい。背後で祈りの手を挙げて讃美している者がいることを!!!
千里さんもお忙しい中、電話を下さいました。みんなお祈りしていますからね!!
      

      立てよ、いざ立て 主のつわもの、
      見ずや、み旗の ひるがえるを。
      全ての仇を 滅ぼすまで 
      君(イエス)は先立ち 行かせたまわん。


この讃美は、「キリストの旗のもとに、勇敢にこの世の悪と戦うクリスチャンの姿を歌う力強い讃美歌」ですが、昌平さんもまた完全に神のものとされるための戦いの日々、私たちは祈りと讃美の陣を張ろう。

      立てよ、いくさは やがて終わり、
      とわの勝ち歌 高く歌い
      尽きぬいのちの 冠りを受け、
      栄えの君と 共に治めん。


天にいらっしゃいます私たちの父なる神さま、昌平さんを見出して救い出して下さり、ありがとうございます。心から感謝申し上げます。
主よ、私たちは弱い者ですから、どうぞ最後まであなたが昌平さんを支えて下さい。あなたが栄光をとって下さい。

私たちは誰一人例外なく人生の途上で多くの苦しみを経験します。家庭の問題、経済、健康、心の苦しみ・・そこを必ず通って行きますが、あなたと出会えたことをこの上なく感謝します。

主を信じる者は必ず勝利させて下さいますから安心立命の境地であります。私が勝利するのではありません。神が、全知全能なる神が勝利させて下さるからです。

どうか、昌平さんの肉体の苦しみを耐え忍ばせ、支え抜いて下さいますように。節子さんのことも守り支えて下さい。

病床洗礼に招いて下さることを感謝します。
私を整え聖めて下さい。
イエス・キリストは全ての人に与えられていますから、私に賜った信仰も新しくされて、いよいよ宣教のためにこれからの生涯を用いて下さいますように、尊い主イエス・キリストの御名によって信じてお祈りします。
                     アーメン
posted by 優子 at 23:05| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

帰国の飛行機予約!!!

27日土曜日の朝、久々に1時間近くマチ・クマ夫婦とスカイプした。
まずは笑える小話2つ!

「ハローウィーンに何かしたら?」と友達。
日本人の真智子たちは、「何をしたらいいのかわからない。教えてくれたらいいよ」だって!!わーい(嬉しい顔)

ホント、我々日本人に「ハローウィーン(万聖節)」は馴染みがない。そこで、当てにならないと言われている「フリー百科事典・ウイキペディア」に登場してもらおう、この程度は参考にしていいだろう。

ハロウィーン (Halloween) は、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる、英語圏の伝統行事。諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになった。

ケルト人の収穫感謝祭がカトリックに取り入れられたものとされている。ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。

     
 (以上、ウィキペディアより引用)


人間というのは、絶対なる真理、まことの神を知らないうちは死者の霊だの、たたりだのと恐れるのも世界共通である。
私は改めて神を知らされた恵みを感謝し、比類なき幸せと喜びを再確認!

ついでながら「ケルト民族」というのも興味深い。
去年からヒットしている「千の風に乗って」の歌もケルト民族から由来しているが、一昨年の『「リア王」は悲劇か』<掲載文(神・文学)に公開>の執筆中のこと、シェークスピアを調べていた時から興味深い。

では、2つ目の小話を。

先日「持ち帰り試験」というのがあったが、「持ち帰り」とは言え試験だから相談してはいけないことになっている。
「括弧して『夫婦を含む』と書いてあるけれど、夫婦に亀裂が入るからやめて下さいって言いたかったよ」と真智子。
「でも、本当にふたりとも守ってやっていたよ!」と、没頭している2人の光景が目に見えるようだった。

ニンニクを食べると目が覚めるからと、ニンニク料理を作って頑張っていたらしい。
試験前にはニンニク料理をストックせよ!!
とにかく体力の勝負という感じである。
試験が終われば12時間寝るというのもすごい!
私はいつもクマの冬眠シーンを想像して微笑んでしまう。太志グマだけに、2頭のクマが仲良くベッドで寝ている姿を想像して微笑ましく想う。


さて、このスカイプで帰国予定を聞いた。
年末年始は飛行機代が高くつくので新年になってからにすればと言うと、1月17日から今冬もスキーに行くと言うので10日過ぎには帰ったほうがいい。
時差ボケは帰国時よりも渡米時のほうが強く出るというので、余裕をもって1週間ぐらい前には帰らないと、せっかくのスキーを楽しめないものね。

来年は私のミネソタ行きが実現しそうな予感がする。
実は私だけではなく、真智子も私の英語を心配してくれていた。「発音はいい方だから」と慰めの言葉と共に。

(>_<)

関空からだとミネソタへの直行便がなく、乗り換えもしなくてはいけないし、セントポール国際空港はすごくわかりにくいらしいので、今回の帰国時に私のために「要所要所の写真を撮ってくるよ」と笑っていた。
「可寿子おばちゃん(私の妹)がニューヨークへ行きたいからミネソタにも行くかも」と言うと、「それなら安心!アンディにエアーマットを借りるから2人泊まれるよ。」という瞬時の言葉から、真智子の不安感がマジだったことがわかった。
(うわぁ、やっぱり無理かも!!)がく〜(落胆した顔)


妹は国連の職員だったから公用語の英語と第2外国語(ドイツ語)もOKのはず。錆びついていなければ。
その点、私は錆びつく心配もない。今から英会話も始めなくてはね。
This is a pen. I am a girl.・・
では、見果てぬ夢に終わりそう。考えるだけでストレスになってきた。

早速スカイプの翌日(28日)に、飛行機の予約をとったとメールが入った。

優子お母さんへ

太志・真智子です。昨日のスカイプ、とても楽しかったです。
先ほど、飛行機の予約を取りました。
値段など考慮して、結局、12月27日夕方関空着、1月14日昼関空発といたしました。詳細は以下の通りです。・・・・

帰るのがとても楽しみです(^^) またお世話になります。
取り急ぎご連絡まで。
           太志・真智子

私たちも楽しみにしているよ!!
ユキ君の真智子おばちゃんと太志おじちゃんのお帰りだ!!
滞在中に1月の「オリーブの会」を開くことができますように!
神さま、また再会の時までお守り下さい。
posted by 優子 at 13:20| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年10月28日

佐藤氏の病床に川上先生御夫妻の愛溢れる

節子さんに慰めと励ましと祈りをこめて、今朝、讃美歌40曲をテープに入れていたら節子さんからお電話が入った。
ご主人の容態や状況を話して下さった。
病床洗礼に私も立ち合わせて下さるとのこと、そして、今日のお昼過ぎに川上先生が病院を訪ねて下さるとのことだった。

教会から戻り昼食を終えてくつろいでいた時、再び節子さんから電話が入った。「土・日は夫がいるので車に乗せてもらえる」から、お役に立てることがあるならばとメールでお伝えしていたので、先生に会わせてあげようとお声をかけて下さったのだ。

私たちは大急ぎで病院へ急いだ。
佐藤さんはしんどいのに挨拶をしようとして下さった。
先日16日に東京でお別れしたばかりの川上先生と再びお目にかかるとは思わなかった。香芝の病院で。
師と佐藤さんは高校時代に1年間御一緒だっただけなのに、深い友情を育んでこられ家族ぐるみの交わりを持っておられた。


師は私の大学の恩師であり、『百万人の福音』誌上で日本クリスチャンペンクラブの理事をされていることを知り、受洗後すぐに師と連絡をとりペンクラブに入会させて頂いた。

節子さんは、別の教会から香芝ゴスペルチャーチに来られて、節子さんのほうから親しくお声をかけて下さり、以来ずっとブログの愛読者のお一人として私を支え励まして下さっている。ブログを書き始めて2ヶ月後の頃だったと思う。
その節子さんが、ブログに登場した川上先生を知っていると言われた時には驚いた。

節子さんとの出会いは神の深いお計らいがあると予感している。節子さんご夫妻との出会いは、きっと私にとって、いや私たち夫婦にとっても大きな意味があるのだろうと思い始めている。

私たちは10分ほどで師ご夫妻が帰られる時に失礼した。長居をしてはならない。教会を出る時、ボックスに入れていこうかどうか迷った讃美歌のテープをお渡しできてよかった。

ご長男は既に東京へ戻られ、娘さんはお子さんの運動会で不在、ご次男の方がご両親のそばで寄り添っておられた。ご夫妻にとって、なんと心強いことであろう。神の臨在を強く感じた。

まもなく洗礼を受けようとされている昌平さん!
神さまはどんなことがあっても昌平さんをつかんで離しはされないから、これからのことは一切なにも心配いらないですからね。
私たちがイエスさまをつかむのではなくて、イエスさまが昌平さんをつかんでくださるのですからね。これから深く神さまと出会っていかれることでしょう。どうか私の夫にも神さまのことを話してやって下さいね。
  

川上先生は牧師の資格ももっておられ、ある時期は牧会もされていた。節子さんは、賢島から駆けつけて下さった先生ご夫妻のお姿に心強くされたのであろう。共に師をお見送りし、私ももう一度節子さんに別れを告げようと振り返った時、節子さんが泣いておられた。

我々に涙が溢れる時、神の恵みもまた溢れているのだ!


再び病室に戻らねばならない節子さんを思うと胸が痛む。
朝に夕に祈っています。



posted by 優子 at 23:07| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年10月27日

55周年記念集会・感動の閉会礼拝

ペンクラブ55周年についてはこれを最終回とし、16日・2日目の講演、『ドストエフスキーの信仰と文学』では、小見出しだけ触れるにとどめたい。

1、内村鑑三の文学論 
2、遠藤周作の文学論 
3、ドストエフスキーの生涯における原体験


何と言っても、ドストエフスキーが死刑執行直前に恩赦によって命救われたという恐ろしい体験はあまりにも有名である。
刑場の柱に3人がくくりつけられて、彼は2列目にいた。
3人は銃殺され、いよいよ次という直前に皇帝の恩赦が出て処刑を免れた。これは皇帝に対する信頼度を増させるために最初から仕組まれた事件であっというが、想像するだけでも身の毛がよだつ。

4、ドストエフスキーの信仰
5、ドストエフスキーの文学
6、クリスチャンが書くことのできる小説


たった45分間にこれだけの内容を語って下さったということ自体に、まず驚いてしまった。貴重なレジメを頂いて感謝感激。
早く時間を気にしないでこの世界に没頭したい。このような高尚な意欲に溢れる時、私は最高の幸せと喜びを感じる。

来年からとにかくじっくり聖書を読みながら、内村鑑三、森有正、北森嘉蔵など関連の書物を読みたい。次にドストエフスキーを筆頭とする国内外のキリスト教文学、大音楽家の信仰と音楽についても読みたいものがいっぱいある。
少ない蔵書ながら、書棚は私の精神界である。学生時代に買った本さえ読んでいないものも多い。もう新しい本など必要ない。ここにあるものだけでも死ぬまでに読みたいものだ。

ドストエフスキーのような特異な体験をせずとも、ゲーテ、ベートーベン、シューベルト、漱石、・・・など、内面の傑出した人々に共通するのは、苦悩と共に深い自己洞察があった。このどちらが欠落しても生み出されなかった人類の遺産である。
天才とはまさしく苦悩を昇華して卓越した文学や音楽を産み出した人々のことである。


最後に玉木副理事長(東山キリスト教会牧師)による感動の閉会礼拝のメッセージと祈りで、この関連記事を終えたいと思う。

私たちに聖書が与えられたということは感謝なことであります。私たちに聖書を与えられたことは神さまの選びの大きさ、愛の大きさを痛切に感じるものであります。(ヨハネ伝5章38節〜
40節)
信仰に出会い、聖書を通してみむねに到る・・・信仰が成立してその歩みが始まる。永遠の命のことばを持っている方を信じることが信仰です。

我々はいつしか亡くなった人の存在を忘れてしまいます。我々は忘れてほしくないために墓石を作り、ある人は巨大なものを作ります。個人への気持ちを忘れない、先祖代々といってもせいぜい4〜5代です。

しかし、書物は個体の死を超越して故人となった人との交流を可能にしてくれるのです。従って何百年前の人とコミュニケーションを持つことができます。
我々は福音書を通して鮮明にコミュニケーションできるのです。
書物は一種の墓石です。
人は本によって個体の死を乗り越えて、過去や未来の人々とコミュニケーションできるのです。

私たちはやがて召されていきますのでお墓のことを思いますが、墓石のことを遺言に書くのはやめましょう。
そうではなくて、「本を出版してほしい!ここ(CD、フロッピー)に入っているから出版して欲しい」と書きましょう。出版費用のお金も添えて(笑)。

出版の祈りです。
我々はペンのわざをしている者でありますから、自分の書いたものが孫に、教会の友に、遠方の人にも届くことができるようにしましょう。

書物は人類の大いなる遺産でありますから、墓標ではなく書物を残していきましょう。神さまは私たちに聖書を下さったのです。それゆえに私たちは在るわけです。


神さま、文書伝道のわざの仲間に召して下さって、メンバーの一人として加わり本当に感謝しています。集会の意義を改めて感謝します。
(講師の)お2人の器により新しい世界が開かれ、これからの道を切り拓いていくことの恵みが与えられたことは本当に感謝であります。
今月も来月も「あかしの文章」を書いていくことができるように主の導きを与えて下さい。

特に聖書を通して教え、励まして下さい。
恵みをなお豊かにお与え下さい。
心からこの集会に出席できたことを感謝し、皆さまの上に神さまの祝福がありますように、帰り道もお守り下さい。
主イエス・キリストの御名を通してお祈りします。アーメン。


55周年記念感謝集会は私にとって、とてつもなく大きな節目となった。神さまは私に明確に語って下さった。

晩夏の頃からの多忙さから読書会と文化振興のために捧げる時間について深く考えさせられるようになり、これからの私にはもっと大切な使命があるのではないかとの思いを感じていた。その思いは上よりの啓示であったと悟るに到ったのだ。

読書会のことも役から退いてから1年間見守らせて頂くことになり、責任を果たして安心して去っていくことができる。これこそ最高によかったのだ。

読書会に関わるサークル全体の役員の務めがあと1年残っており、事務局からも、もう1年読書会の会長を継続して、サークルの改選時と足並みを揃えて欲しいとの強い要望があったので、あと1年会長を務めてから退会しようと決心したのが今年初めであった。

そして、2月初めに現正副会長のお2人と話し合った結果、今年度から重責を退くことになり、そのことも神のみこころとしてお受けした。

民生委員を一期で退くということについては、自分の思いを優先しているのではないかと長く祈りめぐらしていたのも事実であった。しかし、ついに迷いは消滅して引かせて頂くように申し入れたのだった。

1年間に及ぶ祈りの中で決心に到らせたことは、当初に感じた組織自体への違和感たるものどうしようもなく、前時代の意識に支配された地方性、その組織に果敢に挑むには大きなエネルギーを要するだろう。しかし、既に明確な使命を与えられた私には時間もエネルギーも割くことはできないと思った。

今までのように2期目も問題に目を閉じ続けていくのであるならば、私は私らしさを失い完全に安きに流れてしまうだろう。
ならば、民生委員の人材はクリスチャンのペンの働き人よりも何百倍もあるのだから、他の人にお願いしようと決意したのだった。


この記念集会に参加できたことは神の力強い招きであった。
今夏の出来事で大きな挫折を経験し、もう立ち上がれないと思っていた私を回復せしめ、希望姉と文香姉を通してもう一度「行きたい」との願いを私に呼び起こされた神。


閉会礼拝のメッセージは、玉木牧師の口を通して語って下さった私への神のみこころだった。
希望姉と文香姉との再会、恩師との出会いを深め、久保田先生からも大田先生からも多くの師や兄弟姉妹たちから愛を受けた。
それらペンの仲間たちとの交わりと共に、神は私に閉会礼拝のメッセージを伝えんがために連れ出して下さったのだと思っている。

玉木先生から誌上メッセージが2日前に届いている。
posted by 優子 at 11:54| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年10月26日

書きながら頭の中を整理しよう

近頃の注意散漫は重症だ。
連日、I さんからもNさんからも、時には一日に2回ずつの電話があり、聞き書きしたものをまとめておかなければと気になりながらも今日までしていなかった。昨日の電話で、Nさんと大阪駅での出会いはキャンセルされた。ミードの教会へ行くことを薦めた。

そして、今朝の I さんからの電話を機にそれぞれの言い分や状況を書きとめたのに、テーブルの上を片付けていたら無くなってしまった。どこにも動いていないのに無い。諦めて外出した。

さあ、そこでも同じミスがあった。
民生の高齢者福祉部会の集まりのために、持って行った発表内容のリポートを無くしてきた。
今日は11月8日の定例会での発表を前に、リハーサルと打合せをかねての大切な会合だった。私の番も終わって席に戻ったが、さて、そのあとがわからない。フロッピーに原稿があるから困らないし、これから手を入れないといけないので惜しくはないが、この不注意さにあきれてしまう。呆けてきたのだろうか。自分でも怖い。

パワーポイントで映像に写して頂いた内容が大きく違っていたこともあるが、前日に10分ほどしか見直すことをしなかった不真面目さで最悪の発表だった。感想は良かったと大拍手を受けたが、原稿通り載せて頂くようにお願いしてしっかりリハーサルしておかなければならない。

55周年の感想文400字も今月末、日が迫ってきている。
来月の読書会テキスト『エマ』も読まなくてはならない。
来月末締め切りの『あしたづ』(8000字くらい?)は、6月に少し書きかけたままで中断している。


そこで23日に、11月末にある香港旅行をお断りした。
2年前にデビューした北越製紙主催の「関西北越会」の旅行である。今回は北越製紙創業100年と関西北越会30回目を記念して海外旅行になった。
夫の仕事関係上、夫婦同伴が好ましいのだが、いつものように夫は何も自分の気持ちを言わないし、賛成も反対もしない。かといって「一緒に行こうよ」とも誘わない。

実はこのことのためにお盆休みにパスポートを取っていたのだが、休会の理由は体調に自信がないことが第一の理由だ。
それと、3泊4日で25万円、主催者側からも一人10万円ぐらいは援助して下さるのではないだろうか。
とにかく毎回ゴージャスな旅行である。

また、メンバーに合わせて服装の準備も大変なのだ。
旅行前には毎回、夫婦で高島屋とそごう行くのだが、女性失格のごとき私は服の買い物ほど苦痛なことはない。いつもデパートの中を歩きながら、母がいてくれたらなと娘時代を思い出してばかりいる。

しかも、今回は買い物に行く時間もなし、これら諸々のことから祈り導き出した確固たる選択であった。
これまでの結婚生活において、大事なことほど夫の求めに応じてきた私だから、夫は行くだろうと思っていたのだろうか。いや、断りを入れてくれないのも夫らしい。

私は3日間祈って考えていたことなので、直接代理店の支店長さんに電話した。「体調のことなので無理にお誘いできませんよね・・・来年は国内ですから是非また御一緒に」と承諾して下さり、1ヵ月前なので旅行社にもキャンセルして下さった。

その夜、帰宅した夫はニヤッと笑っていた。不機嫌でなくてよかったが、ニヤッとするくらいなら夫から断ってくれればいいのに。
直接妻が電話すると余計なことを憶測されて嫌だろうと思うのだが、こういうところは夫の嫌なところだ。若い頃ならパワー全開で喧嘩になっていた。愚痴っぽくなってきたから停止!

「香港は行けないのにミネソタへは行けるんか?飛行機落ちるで」と、夫は飛行機を怖がる私に言った。
「落ちても心をこめて悔いのない生き方をしているからいい。」

とにかく、香港行きが無くなったので気持ちは楽になった。
来週は久々にずっと家に居られるから、落ち着きを取り戻して、体調を整えたら猛烈に頑張るぞ〜〜〜!
posted by 優子 at 23:15| 随想 | 更新情報をチェックする

川上師のトークから

再び15日夜の続きに戻ろう。
音楽の集いのあと8時20分頃からクリペンを代表する4人の師たちが、一人10分間ほどの短い時間に濃密な話をして下さった。その中から川上師のトークをお分かちしたい。

池田牧師:「汗をかき、恥をかき、愛を書く」

川上先生:


太平洋戦争は情報戦争でもあり、暗号で戦争をやっていた。アメリカは日本の暗号を解読できたから山本五十六の船を撃墜し、サイパン、グアム、硫黄島を攻撃していった。

アメリカの暗号にはインディアン・ナバホ族の言葉を使っていた。
このナバホの暗号をしゃべる人(ナバホコード トーカーズ)が、日本人と和解したいから来て欲しいとの知らせを受けて、川上師は10月初めにハワイへ出向かれた。


「ゆるすこと、愛すること、平和を求めること」をテーマに、特攻の生き残りや学徒動員で苦しい思いをしている人が集まった。

私の父は9人の子供を残して69歳で死んだが、どんな思いで死んでいったんだろう。私は許せても、許せるのだろうかと複雑な気持ちがあった。
和解の話が半日あった。
ナバホ族はアメリカ人に、「おまえたちはジャップ(日本人を蔑んだ呼び方)に似ているから」と馬鹿にされ、一方で尊敬もされて、絶対にこのインディアンを守らなければいけないと精鋭がつけられた。
彼らは第一線で関わっているうちにアメリカ人と友情が芽生えてきた。
(映画『ナバホ ウインド トーカーズ』)

ナバホの人たちは、アメリカ人に馬鹿にされながら友情が芽生え、日本人と戦いながら日本人に親しみを感じるという矛盾した葛藤の中で戦ってきたという。

父の気持ちを思うとアメリカを許せなかったが、この会議に出て、私の心のわだかまりが解けアメリカ人を許すことができた。
父はアメリカ人を恨んではいなかっただろうが、「お父さん、これでいいよね」と父の許しを得たように思った。

ハワイの言葉、「アロハ」には愛の言葉が入っている。
「アロ」は「顔」の意味で、「ハ」は「呼吸」を意味する。
即ち、「顔を見合わせる」、「息を合わせる」という意味である。


これはアダムに神が息を合わせるのと似ている。おでこを合わせあうのである。
我々は許し合おう、愛し合おう、平和のために働いていこうと言い合って別れた。

と、師は話された。


師のお名刺には「アメリカ先住民伝統文化研究家」と記されている。インディアン名は「アメリカライオン」(Little Cougar)、裏側にもカラフルな文字で次のように書いておられる。

しあわせへの 3つの マジック
いい顔=にこにこと 
 いい夢=天に向かって 
  いい祈り=おかげさまです、ありがとう

幸せとは 『仕合わせ』 のこと
 仕え合う よろこびの こだま
posted by 優子 at 06:26| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年10月25日

ハレルヤ!節子さんのご主人様が病床洗礼を!!

昨日の「オリーブの会」の出欠をお聞きすることも遠慮していた節子さんが、朝の日射しを受けて我が玄関前に立っておられた。闘いの中にあるからこそ主に在る恵みを共にしたいとお出で下さったのだ。

集った7名は神のみ前で心を静め、心を合わせてご主人様の上に最善を成して下さるように、そして、ご主人に寄り添われる節子さんの心身を強めてご主人を支えることができるように篤い祈りを捧げた。

今朝パソコンを開けた時、節子さんから驚くべきメールが入っていた。今朝の3時過ぎに送信して下さったものだ。医師からの厳粛な告知に涙を流しておられたのであろう。

優子さん!
今日はほんとにありがとうございました。
あなたのやさしさをいっぱい受けた素晴らしい日でした!
なんと謙虚でお気遣いに溢れたお方なのでしょう!優子さん あなたは!!!
ほんとに神様の子と呼ばれるのに相応しいお人!
一緒にいるだけで
     暖かく心嬉しく そして幸せな思いに満たされてしまいます!
  ありがとう! ほんとにありがとう! 主よ感謝します!

同じ時間、主人昌平もまた、素晴らしい祝福された時を持っていました!
以前所属していた神の愛チャペルの牧師Eric・カーフマンの見舞いを受け、信仰告白をし
11月初旬に来られるイリノイのグレースチャーチのハル師(アメリカで出会った方)も立会いのうえ病床洗礼(?)を受けることにした というのです。夕6時過ぎデボラ夫人も見舞いに来てくださってエリックから聞いたと、とても喜んでくれました。 ハレルヤ!!

でも今日は病状が今までのうち一段と辛そうな日でもありました。
主治医の先生が「私も出来るだけの治療をしていきますがこの病状から見ると、今がより過酷な状況になっていく入り口とも言えるでしょう。
精神的にも家族の支えがより重要にもなってくるので共に頑張っていきましょう・・・。」

別室での話しでした。
先生の前でしたが途中から涙が溢れ困りました。
一人になると駄目です。主に祈りながら涙がとまりません。
けれど大丈夫ですよ!心の中には不思議と平安があります。
主が共にいて下さるから!!!
私も主を愛していますから!!!

優子さんの日々のご活躍主に祈りつつ心から応援しています!!!
何より健康も守られますように! 
God Bless You!
           Setsuko

何度読んでも、涙なくしては読めません。
抱きしめてあげたい。
しかし、神さまは節子さんやご家族の祈りに応えて下さった。祈りは聴き届けられたのだ。
昨日は、その前日に再入院されたご主人のもとから来られ、そして、集会のあとは再び病院へ戻られた節子さん。送って下さったNさんにも心から感謝します。

節子さんのお姿に救われた者の姿、神の栄光を拝しました。

ご本人はどんなにしんどくて苦しいことでしょうか。
そして、ご主人に寄り添われる節子さんのことを思うと、どのように申し上げてよいかわかりませんが、主イエスさまはご主人と共に居て下さり、「心配しなくてもいい。私についておいで!」とご主人の手を引いて下さっているのですね。

こんな驚くべき奇跡を見せて頂くとは、信仰の薄い私には畏れ多く初めてのことでした。声も出ず、心の中で「ハレルヤ!」と神の大いなるみわざを噛み締めていました。
まさに、昨日讃美した聖歌の通り、「驚くばかりの恵み」Amazing grace です!

節子さん、このブログを通しても多くの方々が祈って下さっていますからね!!「雄々しくあれ、強くあれ!」
病床洗礼の時に私も立ち合わせて頂いていいでしょうか。周りの方への配慮もありますね・・・教会でかおるさんにご相談しようと思いますから、返信はご無用になさって下さいね。

ハレルヤ!
主に感謝します。
どうぞ主よ、昌平さんの苦しみをあなたが和らげて下さり、ご夫妻に幸いな時間を下さいますように。
そして、3人のお子達との時も豊かに祝福して下さいますようにお祈りします。

知子と真智子と太志君へ:
節子さんはこのような時にあって、知子と真智子たちの日々をどんなに喜んで下さっていることでしょうか。真智子たちのことにユキのうつぶせのことも仰ったよ。
最近は「親バカブログ」になっていたのに、ブログを読むことだけを楽しみとし、いつも励まされていると仰って下さったのです。
いのちが受け継がれた若い世代の子供たちが、神に罪赦され自由にされて喜んで生きている、その姿が年老いていく私たちを励ますのです。
私の子供達よ、節子さんのご主人のために祈って下さいね!
共に慰め励ましあって進んで行こうではありませんか!






posted by 優子 at 17:34| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年10月24日

母を偲びつつ I さんのことを思う

今夜も高知県の病院の I さんから電話が入った。最近は頻繁である。要は多額なお金の問題だ。

電話だけでは埒(らち)が明かず、来週、大阪におられるNさんにお目にかかることにした。目を見て話せばおおかたの人柄がわかるだろうと思うが、「人を信じやすいから」と私の弱点を注意してくれた夫の言葉も心にとめた。

お互いに面識はないからと合図を決めて大阪駅で出会うことになった。その電話をNさんにしたあと、再び I さんから電話が入った。祈らずにはいられない。

父と母が生きていたら、あの母でさえ「関わらないほうがいい」と反対したかもしれない。
私だって神さまを知らなかったならばそうだ。しかし、放ってはおけない。内なる促しを成さずにおれば、あとで大きな悔いを残す。罪意識にも苦しむだろう。今しかできないことなのだ。

会うまでに法的な相談窓口を調べておき、必要ならば示してあげなければならないが、この方たちは80代と70代後半である。いつまで命が保たれていると思っておられるのだろうか。

私はNさんの言い分を傾聴したあとは、Nさんの良心に話してくるつもりだ。私が力になれるのは魂の問題であり、この方たちがこのようなままで人生を終えてはならないから。


今日の「オリーブの会」に節子さんも来て下さったが、I さんとNさんに関わって思うことは、抗がん剤治療中のご主人と、その傍らで節子さんもまた辛く苦しい日々を過ごしておられるが、なんと清らかな苦難であろうと思う(お心を傷つけていませんように)。
人は確かに生き方を刈り取っていくのだ!


1996年の今夜は、入院していた母のもとで泊まる最後の日となった。この夜日付が変わった1時28分に、神さまは母の心臓を止めて全ての苦しみから解放して下さった。
もう11年前にもなるとは!
母と父を偲びつつ・・・I さんのことを思う。

「ユー(優子)は、よくあれだけ聞き取れるなあ。僕は殆ど何を言ってるのかわからんかった」と、夫は I さんの話しぶりを聞いて驚いていた。

私の理解力を補うためとアドバイスを受けたくて、電話をテブラフォーンにして夫にも話を聞いてもらっていたのだ。

「お母さんの時もそうやったなぁ、ユーだけが聞き取れていたなぁ」と夫は言ったが、入院してからの1年3ヶ月は殆ど全くわかってやれなかったし、母もまた全く口を動かせなくなってしまった。

さすがに I さんは15年前よりもしゃべりにくくなっておられたが、それでも私には95パーセントはよくわかった。

母が亡くなってから、もう、11年にもなる。
その間も I さんは・・・と思うと、何とも言葉では言い表せない気持ちになる。

時間のあるうちに未解決の問題を解決する努力をしなくてはならない。
和解できないものか、あるいは気持ちよく別れるのか、人生の終末が近いことは確かなのだから、最善へと導かれるように神の憐れみを祈るのみ。

今日の家庭集会に1年9ヶ月ぶり(?)に来て下さった悦子さんからのメールが届いた。
もう11年 になるのですか…年月の経つのを凄く早く感じます。
「今から病院へ行くのよ」って高津の門を出て二人で駅へ向かいながら歩いた事をこの間のように思い出しています。

真智子の高津高校時代に学年委員長をしていた時、PTAでご一緒だった。この時は既に母は召されて、父の病床に通っていた時だった。
神さまが悦子さんの人生を導いて下さって最高の人生へと変えて下さいますように!


posted by 優子 at 23:22| 父母を想う | 更新情報をチェックする

クリスチャンが育んだ日本の唱歌

「ん?」、今確かに鶯が鳴いた。2度も鳴いた。
「桜の狂い咲き」ではないが「鶯の狂い鳴き」だ。そういえば昨秋も聞いたが、鶯の声を聞くと心が和む。いよいよ冬に向かう厳しさを感じるが、春の声を楽しみに冬を生きよう!

さて、9日前のリポートとは遅きに失するが、日本クリスチャンペンクラブ55周年記念会の夜にもたれた「音楽と感謝の集い」を記録しておきたい。

15日の夜のプログラムは、クリスチャンのご夫妻によるトロンボーンとピアノコンサートだった。
最初に「やすけさは川のごとく」(新聖歌252番)に始まり、讃美歌のメドレーで幕が開いた。

次に、マスカーニの「アヴェマリア」(我が長女の大好きな「カヴァレリアルスティカーナ」の間奏曲だ)、映画「ミッション」のテーマソング・「ガブリエリのオーボエ」の解説をお聴きしながら演奏を楽しんだ。

「ミッション」は私もテレビで見たことがあり、1750年の南米を舞台にした映画は、音楽と共に大変印象に残っている。演奏者は、
「我々クリスチャンにとっては惨いとかかわいそうとかいう思いだけではなく、宣教のチャレンジを与えられた」と感想を述べておられた。

そして、「クリスチャンが育んだ日本の唱歌」と題して、我々が歌い親しんでいる唱歌の中に、クリスチャン作曲家と作詞家がいたことを教えて下さり、その喜びを多くの方々にお分かちしたい。

作曲家・滝廉太郎は聖公会の教会に通っていて、「荒城の月」を発表の時に洗礼を受けた。その翌年に発表した「花」は、組曲「四季」の中にある。廉太郎は僅か23歳の生涯だった。

共に私の大好きな歌だ。
「荒城の月」については、カテゴリ「音楽」の2006年4月30日にも書いているので、是非もう一度お読み頂きたい。


「ふるさと」、「おぼろ月夜」を作曲した岡野貞一は、40年間、本郷中央教会で奉仕していた。
文部省唱歌の作曲家の名前が公表されたのは、歌が世に出てから90年経った1989年のことであった。

「赤とんぼ」を作詞した三木露風は、幼い時に母と生き別れた悲しみがあった。後年、北海道のトラピスト修道院に国語の教師として赴任。「赤とんぼ」を発表した翌年に洗礼を受けている。
「赤とんぼを見ながら主イエスに思いを馳せていたのではないか」と演奏者の言葉。

その作曲者・山田耕作は、家族の強い影響を受けて受洗している。しかし、クリスチャンであるのに戦時中に国の要請に応じて軍歌も作っていた。
晩年、聖路加病院に入院した時に、耕作は讃美歌を耳にして大粒の涙を流して激しく泣いたと言われている。

きっと深い悔い改めへと導かれて天に帰る備えをして下さったのだろう。神はひとたびイエスの血潮で贖って救い出した人を、最後まで決して見放したりはなさらないのだ!

最後にトロンボーン演奏者・岡山徹氏は、
「皆さまのペンのお働きが主に祝福されますように、そして、この世にある限り健康も守られますように」と述べて、マロットの「主の祈り」で幕を閉じられた。ピアノ演奏は夫人の真弓姉。

「お弁当(夕食)もおいしかったですが、霊の糧も頂きまして胸がいっぱいです」と結ばれた司会者(希望姉)の言葉の通り、私たちはご夫妻に感謝の拍手を送った。

「ミッション」とはラテン語で「派遣する」という言葉に由来すると読んだことがある。
音楽を通して神のメッセンジャーに召された御夫妻。私たちペンの仲間は文筆活動により神に召された同労者である。

与えられた賜物が違うように、同じ文書伝道者であってもその人でしか書くことのできないものがあり、私は私のイエスを書き続けようと思いを固くした。

「あなたのうちにある神の賜物(神への情熱)を燃え立たせなさい(新たにしなさい)」。

      ・・・・・・・・・・・・・

尚、この記事は「JCP関係」ではなく「音楽」のカテゴリに納めておきますね。右下の「音楽」をクリックしてね。2006年4月
30日の記事も出てくるよ!

posted by 優子 at 06:43| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2007年10月23日

3ヶ月健診でBCGもしたよ!

さて、今日は長女から「問題なくスクスク育っている」と3ヶ月健診リポートだ。
「ナント予想外に、BCGを受けましたよ。数秒泣いただけで強い子ユキちゃんでした!」と知子ママ。

ユキ、BCG.jpg


とにかくママが腱鞘炎になるくらい駄々っ子ユキなので、休日には夫が妻を助けてくれるこちらもまた微笑ましいカップルだ。
休日は昼も夜もパパの手料理。
インスタントだと本人は言うけど、マーボー豆腐・ナス・カレーなどだって全て素があるんだから、立派な料理です。「こんなん切っていためてるだけ」といえば料理って全てそんなものだもん。
さて、チビ君は、
一日で最高に機嫌がいいのは起きたて、午前6時〜7時半です。夜になればなるほど超わがままちゃん。お風呂上りも!
最近ゆっくり食事ができずに交代で抱きながら食べてます。
いつもユキは起きてるので、転がしたまま声だけであやしながら、パパが行くとすぐ動き出すから、平日はユキと共存です。

泣き叫んでもお散歩に出ればピタッと止まる場合が多いので一日雨だと困ります。
これは19日のユキ、
10・19 うつぶせのユキ.jpg

添付されてきた写真を見てビックリ!
「首もまだしっかりしていないのに、こんなことをして大丈夫?」と、私はマウスを持つ手を離して長女に電話した。
時代によって子育て法も反転さえするが、うつ伏せにするのはいいという。そういえばそうだったような気がする。

とにかく臆病な私は、「こどもフェスタ」の準備の時も、長い風船でイヌやウサギを作られない。風船をひねって形作っていくのは怖くてたまらなかった。

「大丈夫、大丈夫、割れるだけやから」と、大らかで気楽な言葉が嬉しくてやってみたがダメ。
それでもどうしても一つは作りたくて頑張ったけれど、イヌの顔と耳を作ったところでやめてしまった。

今回の娘への電話も臆病な私らしい。
怖がりは加齢と共にひどくなっているようで困ったものだ。
posted by 優子 at 06:44| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年10月22日

クマが動物園に行く

今、先のブログをアップして読み直していると目頭が熱くなった。
神と共に歩み、神に生かされている二人の姿に励まされ、私は衰えていくけれど、娘に命が継承されていることに慰められたからだ。

多忙なためとはいえ、本当に疲れやすくなった。
昨日も朝から町内会の草引きがあり、9時から1時間半近く頑張っただけで一日のエネルギーは尽きてしまう感じだった。

春秋の2回、街路樹の土の所やアスファルトの間から長く伸びた草を刈り取るのだが、今回は私もみんなやる気満々でおしゃべりするも、手を止めないで予定の10時を過ぎてもやっていた。実にきれいになって、毎年掃除後の数日間は道路を眺めるのを楽しみとしている。

そのあと大急ぎで家を出て20分遅れで礼拝に集ったが、買い物と昼食を済ませて帰宅した時にはクタクタ、再びギックリ腰になるかと思うほどの腰の痛みになっていた。

しかし、どうしてもやりたい仕事がある。未だ冬の布団を出していないので、寝具を入れ替えねば寒くて眠れないからだ。
タオルケットを布団に重ねてカーデガンを着て寝ていたが、一昨日の奈良の最低気温は5.9度まで下がり冷たいベッドは辛い。

帰宅して30分ほど横になりながらも迷っていたが、3時半頃から掃除をやりだした。そして2時間、しんどかったとはいえ40歳代後半なみに動けたが、再び疲労困憊。

これが年を取っていくことだと思った。
体力が以前とは違って、ひどく落ちている。今はまだ動けたが、そのうちにもっとできなくなっていくのだろう。体力の衰えを実感した。腰が痛い。


そんなわけで少々ションボリしかけていたので、ブログを読みながら真智子たちの若い日々が一層輝いて見えた。
嬉しかった。
長女も幸せに母親を生きている。
今の順境の日々を感謝しつつ大いに楽しもう。
聖書は決して禁欲的であれとは言っていない。試みの時のためにも今の順境の時を感謝して大いに味わおう。

先ほど9時9分に新着メール着信!

ミネソタ来てねー(^^)案内できるところ増やしとくね。ミネソタ近隣への旅行もかねた方がいいかもだけど。

動物園の記事をみて、「くまもー」って言ってました。
くまは大の動物好きで、来週末はついに近くの動物園に連れて行くことになりました。COMO ZOOってところで、入場は200円ぐらいとのことです。

試験勉強頑張ってます。
メール&ブログ有難う。
          またねー。 真智子

ありがとう!!!
ママは今から衣類の入れ替えです。
posted by 優子 at 10:52| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

ミネソタ大学教授が今年のノーベル経済学賞受賞者の一人に!

さっき(20日土曜日の朝のこと)は久しぶりにしゃべれて嬉しかった。忙しい中、有難う。
赤い発疹は、カブレ程度で早く治るといいね。疲れはしっかり寝て解消するのが一番よ。(スカイプのあとブログを読んでくれての言葉だ)

言い忘れたことを一つ。
今年のノーベル経済学賞を受賞した一人は、ミネソタ大学の教授でした。ミネソタ大学経済学部のホームページ上に写真とか載ってます。 http://www.econ.umn.edu/

ただ、写真からも分かるように、かなり御高齢の方で、まち達は授業で教わっていないし、会ったこともないです。
でも、ミネソタ大学所属中にノーベル経済学賞を受賞する先生が現れるとは、驚きでした。

本当!!
”2007 Nobel Prize Winners in Economics! ”
と出ている。
近年、ミネソタ大学から経済学でノーベル賞受賞者は2人目だから、世界の経済学のメッカの名に恥じないね。
続けニッポン!

スカイプでは、「有名な人がいる大学に来ているのだから、気負わずにドンドン質問しているよ」と話した真智子。
「Machiko & Futoshi」夫婦でノーベル賞も夢じゃないかも!
神さまは太志君までも御手のうちに入れられて夫婦の歩みを一つにされたから、私は大いなる予感を感じずにはいられないのだ。
この子たちの賜物を大いに用いられるような気がしてならない。


8日にはミクロ経済学も合格の結果が出たとのこと。
東大大学院でも試験時間は3時間(以上?)だと聞いていたから、今回はさほど驚くことはなかったが、一つの教科が3時間
45分間の試験というのだから、集中力を持続させるだけでも訓練されていないとできない。(この時間があれば、梅田まで行って阪神百貨店名物のイカ焼きを買ってくることができる。)

面白い話もあった。
試験の答案はボールペンで筆記するので、初夏に帰国した時に「消せるボールペン」なるものを買って渡米した。
線で消して書き直してもいいのに、2人の日本人は消しゴムで消す動作をしているから教官にはどのように映っていたのであろう。(ボールペンなのになぁ????)
こんなボールペンを開発するのも日本人の得意技に、「『頑張れニッポン!』って感じ」と笑っていた真智子。

「消せるボールペン」は予想通り大いに役立ったものの、クマは途中でインクがなくなってしまったそうだから、この次は2人で1ダースくらい買って行けばいいね!!!!


メールはまだ続く。

先週の土曜日(13日)に、遅ればせながら「祝一年目修了食事会」をしたよ。メニューは
1.出し(汁)ご飯
   (炊き込みご飯のことで、母や私の言い方を
    受け継いでくれているのが嬉しい)

2.鶏の唐揚げ
3.チキン南蛮
4.豚の角煮味噌味
5.ベーコンきのこサラダ
6.カリフラワーとミニキャロットのディップサラダ
7.きゅうりとわかめの酢の物です!

まちも成長したと思わへん?
もう、主婦の仲間入りかも。結構効率よく作ったよ。くま副料理長もよく手伝ってくれたよ。

聡史君はビールを買ってきてくれました。美味しかったし、楽しい会になりました。さらに、沢山作って余ったので、今週はお料理が楽チンでした。

お料理.jpg


聡史君と.jpg

水曜日に初めてアメリカで美容院にいきました。
行く前に値段を確認する電話とかもして、かなり緊張したけど、出来栄えは満足です。

machiko.jpg

真智、パパが写真を見て言った一言はね、
「うわっ、毛が多すぎるわ!」だって!


machiko パーマ.jpg

こういう細かいくっきりパーマがあてたかったから、とても嬉しい。アメリカは日本と比べて、こういうくっきりパーマをあてる人が多いと思うから、むしろアメリカでパーマした方が満足できるかも、と思うほど。
ちゃんとイメージとか聞いてくれたし、話しながらいい髪形を決められたよ。  
        じゃ、またね。真智子

自宅を離れて3年間の東京時代にも東京の美容院に行ったことがなかった真智子だ。スキバサミで適当にやりながら実家へ帰っては直ぐに美容院へ飛び込んでいた。
この1年2ヶ月のアメリカにおいても同じ。
ところが、ついに外国の美容院に行ったとは!

ハードな研究生活の中にあってアメリカンライフを楽しみ余裕も見せている。
何よりも2人は今もずっと毎日聖書を読み(耳が痛い)「ヘブル書が終わってヤコブの手紙を読んでいます」、「奈良に帰ったら毎晩聖書輪読会をしたいね」と言っていた。 

だからなのだ!!
美味しい食事(パン)だけではなく、神の言葉で霊も満たされているからこそ、苛酷なプロジェクトを一つひとつ進めていくことができているのだ。神の御手のうちに。

感謝!!!

23日にも試験があると言っていた真智子と太志君。
例のボールペンは無くなったかもしれないけれど、ママは「頑張れ日本」と応援しているよ!
(^0^)
posted by 優子 at 09:24| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年10月21日

恩師・川上先生から届いた感激の励ましメール!

昨日は市の体育館でダーツ(針ではなく磁石になっている)担当のご奉仕だったが、なにしろ800名(?)の子供たちを相手に3名で対応するのだから大変!昼食休憩で席を離れたのも13分間。自分だけゆっくりなどしていられなかった。

的の布に引っ付かずに床に落ちた羽(?)を拾うのが大変だった。膝と腰がガクガク、その上に常に説明したり慰めたりの声かけのために喉もカラカラで、熟年には苛酷な奉仕だった。もう無理!

しかし、他地区の委員さんたちと一緒にとても楽しい交わりで、心は秋晴れのように爽やかだった。

体育館前には、滋賀県から移動動物園も来ていて、ポニーとヤギがいたよ!!
すっごく可愛かった。もっともっとゆっくり見たかったな。
一頭のヤギはお腹に赤ちゃんがいた。車に揺られて大丈夫?歩くたびにお腹が左右に大きく揺れていた。
大きな亀もいたので甲羅を人差し指で触ってみたよ。とても硬くて、こんなのが爪のように生えているのかと思った。
他にウサギ、鶏、マーモット、インコなど・・・・いろいろいたよ。

帰宅早々夫に「動物園に行きたい!!」と言うと、「チャッピーがおるやんか」と言った(笑)。
Oさんが「来年は孫を連れておいで」と仰り、そんな日がくればいいなと微笑んだ。


帰宅し一息ついてパソコンを開けると次女と川上先生からメールが入っていた。いつもなら第一番に開く娘のメールを差し置いて、先生の「すごい!!!」という件名に引き寄せられた。
師は私の母校の名誉教授になっておられる。

私が嬉しいのと、娘たちへの励ましの贈り物をしたく、師のコメントメールを刻ませて頂きたい。(読者の皆様、私の嬉しがりをお許しください。)
優子さん:

驚きと感銘。真智子さんも太志君もすてきですね。
名は体を顕わすといいますが、二人の場合、それがぴったり。
じつにいい母娘。知的でユーモアがあって・・・。幸せがいっぱい。その幸せをばらまいてください。

命令! 来年、かならずミネソタへ行くこと!

その前日の初メールでも、

「すごいブログですね。圧倒されました。見事なブログです。・・・とにかく新米おばあちゃん、おめでとう。
来年はかならずミネソタに行くことを目標にしてください。」


と、嬉しい励ましメールを頂いた。
出不精で、ましてや外国など考えられないが、やや本気になりつつある。
真智子も昨朝のスカイプのあとにメールを送信してくれているので、それは次の記事に書きたい。

自分の欠点ゆえに失敗して落ち込むことの多い私だが、人は皆、いろんな方々との交わりを通して励まされ教えられて立ち直っていくのだろう。

昨夜、高知の I さんから2度も電話があった。
漸く全貌が見えた。
神さまからだと思う。いよいよ時間も迫ってきているのだろうと感じている。
深刻な問題だけに涙なくして祈らずにはいられない。
神の導きを祈ろう。
必ずや最善に導いて下さるのだから!
posted by 優子 at 07:54| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2007年10月20日

友が日展入選10回目の快挙!

ああ、何からお話したらいいのでしょうか。
「ミネソタ便り」と同時に恩師からも嬉しいメールが届いていますのに、たった今、吉報が入りました。すぐに「おめでとう電話」を差し上げました。ご本人のお許しを頂きましたので、ここにも刻ませて頂きます。
今年、10回目で大きい節目になりますので通りたかったのが本音です。お陰様で叶いました。ただただ嬉しいです。
母に報告しましたら、私の顔をクリクリ目で見てくれました。
優子さんがいつもおっしゃって下さる、神さまの恵みに深く感謝しています。私を支えて下さる優子さんが神さまです。ありがとうございました〓 智子

そうではないのです。
智子さんのそう遠くない将来に、神さまに出会われることを祈ります。主よ、これからもお導き下さい。

11月に入ると、(いや11月20日過ぎからと仰ったかもしれない。そうだとしたら、あそこ!漱石の展示が11月18日までと書いてあるから、江戸東京博物館かも!行った行った、私も行ったよ!!)東京で日展が開かれ、そのあと全国を巡回して例年ならば2月頃に大阪で開かれるとのことです。その時には是非、私も天王寺の市立博物館まで馳せ参じたいと思います。

智子さんは来年の日展会議で「日展会友」の称号を与えられるそうです。「会員」ではなくて「会友」です。


これはとてつもなくビッグなことなのに、私には「すごい」としか思えなくて、無知というのはこういうことなのですね。
まことの神を知らない日本人が「ふう〜〜ん」というのと同じです。


上田智子さんは、先週の土曜日(13日)の記事にある病院をお訪ねしたかたの娘さんです。

智子さんは、本当に真面目すぎるかたぶつ(ごめんなさい)な方でしたが、私の葛藤を分かち合ううちに徐々に心を開いていって下さいました。
「主の働きは、無防備になることから始まる」ことを、私は何度も体験しています。神は私の弱さを用いて下さるのです。

この春には我が家にも来て下さったのですよ! 我が家の「生節の押し寿司」ブームの時にお招きしました(笑)。
智子さんに聖句を書いて頂こうと思って、2ヶ月ほど前から硯箱をリビングルームに置いています。

主よ、感謝します。
どうぞ、お母様の体調を安定させて下さり、智子さんが安心して上京することができますようにお守り下さい。

「すべてのことの背後には、偉大なデザイナーである神の御手(支配、導き)があります。あなたの人生は、偶然や運命や幸運の産物ではなく、マスタープランに基づいて造られています」。ハレルヤ!!

お互いに励ましあって素晴しい日々を歩んでまいりましょう。
posted by 優子 at 22:41| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

つまらないこと

一昨日(18日)から右胸に発疹が出ている。
何となく痒い感じがして気がついた。赤い摸様だけではなくブツブツとしている。これが帯状ヘルペスなのか?疲れがたまっている時に出るというから・・・と、一瞬ヒヤッとした。
しかし、あれはすごく痛いものと聞いているから違う。

昨夜帰宅した夫に言うと、夫はすかさずにシップを貼っていたからだと言った。
「ここ、触って?」と言うと、夫は指一本で触った。「気持ち悪がらないで、2〜3本で触ってよ」と触らせた。

東京へ行く時に持っていくのを忘れてから貼っていないが、打撲した日から1ヶ月以上も朝夕貼り変えて、24時間ずっと休みなくシップを当てていた場所だ。
今頃になってかぶれたのだろうか。3日目の今も同じだ。

今日は市民のお祭りの一環である「子供フェスタ」がある。
私は11月4日の「ふれあいフェスタ」の担当だったが、その日は日曜日だから教会に行けないなと思っていたら、ちょうど20日(今日)は出られない人がおられて入れ替わったというわけだ。

8時半に集合して3時半まで詰める。
長時間だから腰がもつか心配であるが、今回で最後のご奉仕だから頑張ろう。

たった今、マチとクマとスカイプした。
外出するからと7時~7時16分の短い時間だったが幸せ!!
この話はまたあとで。(現在7時19分、急がなくては!)
posted by 優子 at 07:00| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年10月19日

生きる悲しみを訴える I さんに、神の慰めがありますように!

「優子さん、
私はお母さんと違って長生きしてるけど幸福でないよ。
決して長生きが幸せではないよ。辛いことばかり。お母さんは幸福だったよ。

私は長生きしたくないの。辛いことばかり、・・・長生きは幸福ではないよ。ホント、ホント、本当の話よ。長生きが幸福と言う人もいるけれど、私は早く死にたいよ。

お母さんは幸福だったよ。・・・・あなたはいつまでも優しくしてくれて嬉しいよ。ありがとうね」。


母が住友病院へ通院していた時に出会った方から、今朝電話が入った。87歳の I さんは、遠く高知市の病院からかけてきて下さったのだ。

I さんとお出会いしたのは、もう15年ほど前のことになる。日傘をさして歩いて来られた I さんの姿が今も鮮やかに残っている。
この方も母と同じ脊髄小脳変性症だが、症状は母とは比べものにならないほど軽く、進行もとても緩やかだった。
ろれつがまわりにくく話しにくそうではあるが今もはっきりわかり、住友病院でお会いしていた頃と殆ど変わっていない。症状は人によってこんなにも違うのだ。

独身の I さんは5年ほど前に高知の病院へ移られ、その後はお手紙を2度、お電話も2度ほど頂いた。その間に大阪におられる男性Nさんからは、何度も電話で相談を受けていた。複雑な事情がある。

時には、受話器をとると挨拶もなく唐突に話し始められるので、長時間の電話には忍耐がいることもあった。しかし、無責任な受け応えもできず、どちらの言うことを信用していいかわからない時もあった。

私は10日ほど前に、I さんにトラクトと小さな本を同封した手紙をお送りした。I さんの親戚宛に送るのだが、Nさんの手紙は届けてもらえないとのことなので、私からの手紙だけが唯一の連絡方法になっている。私のであれ早々と届けて下さったことを感謝した。

I さんにお手紙を郵送してから再びNさんから電話があり、その時の伝言を伝えるべく再度今朝また I さんに手紙を投函したところだったが、今朝の電話で直接Nさんの伝言をお伝えすることができてよかった。
涙ぐんだ声でNさんに会いたいと仰り、双方の気持ちを確かめることができてよかった。

インターネットはありがたい。
I さんが居所を教えて下さったので電話を切ってから直ぐに、入院されている病院を検索してNさんに伝えた。ついにNさんは I さんと連絡がとれるようになった。そして、「帰ってきたらすぐに報告します」と仰った。

これは神さまが働いて下さったのだとわかった。
そして、「イエスさま、ごめんなさい」と祈り始めた。もっと心をこめて、もっと祈って関わってこなかったことをお詫びした。

I さんの嘆きは「生きる悲しみ、死ぬ喜び」なのだ。
今までの電話でも毎回同じ事を仰り、手紙にも同じことが書かれていた。主よ、それでは地獄です。今からでも、いや、今こそあなたのことをお伝えせねばなりません。今こそ心を開く可能性に満ちた時なのですね!


天にいらっしゃいますイエス・キリストの父なる神さま、
私はイエスさまによって罪赦され永遠の命を頂き、恵みの中で生かされています。先日も55周年の集いで、あなたの栄光を拝し、あなたの喜びと希望を頂いて新しい力に溢れています。

祈らせて下さい。
私を祈る者とさせて下さい。
私はこのような時に差し上げられるように、私に賜った神の愛を書き表したいのです。私がお伝えしたいことを小さな本にして差し上げたいのです。

ただ死を待ち望むしかない絶望の I さんのような御老人に。
望みをなくしておられる病床の方に。
人生の不条理に苦悩しておられる方に。
理不尽な事件に巻き込まれて悲しみにくれておられる方に。
誰からも愛されていない嘆きの中におられる方に。
人を許せずに苦悩しておられる方に。
そしてまた、意気揚々と励む神を知らない若者にも。
そして真智子夫婦のように、
神と共に励む若者には大いなる励ましを。
私が頂いている慰めと励ましを多くの方々にお届けしたい。
それが私の願いなのです。

主よ、どうぞ絶望の床にあるI さんを慰めて下さい。お送りした本が I さんの心を開き、あなたからの慰めと励ましが豊かにありますように。

私は高知まで出向かなくていいのでしょうか、そのことも教えて下さい。
私の道先を照らして下さり、あなたの御用のために私を用いて下さいますように、尊い主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


(追記:16時8分にNさんから連絡がとれたとの電話あり。
    神さまが最善にお導き下さいますように。)
posted by 優子 at 11:32| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年10月18日

江戸のおみやげ 犬張子と孫

ここでちょっとブレイク!

日本情緒ただよう犬張子は江戸のお土産だったのです。

犬張子2.jpg 


   どうですか? 笑ってしまうでしょう!
   想像していた通りの雰囲気です。


話が前後しますが16日の解散後、私は関西のお仲間おふたりに同行して江戸東京博物館に行ってきました。最初から東京見物に参加するとしても選ばなかったであろう博物館です。そういう知的なところに関心がないからですが、このコースのみに11名が集まり、ダジャ〜〜レ連発のA兄のご案内で同行しました。

先に1人で帰ろうか見物しようかと、優柔不断な私は何度も迷ってのことでした。
御茶ノ水駅から3つ目の両国駅から歩いて2分。駅に着くとテレビでおなじみの両国国技館があり、その隣りが博物館でした。

漱石生誕140年と、「朝日新聞に小説記者として入社し、プロの作家になって100年の年」を記念しての特別展、「文豪・夏目漱石」が開かれていました。

漱石が住んでいた千駄木の家も写真にありました。
膨大な書物の9割以上(?)が英書で、ノートも英語、数学も英語と数式でした。成績表や英国留学中の妻への手紙からデスマスクまで展示されていました。
外国の見物人も多く、とにかく蔵書は英語で書かれたものばかりですから、彼らも熱心に見物していました。
「オー、ソーセキ!」

しかし私は、とにかく眠たかった。
睡眠不足と疲労で気分が悪く吐きそうになり、展示品を覗きながら何度か睡魔に襲われてフラーと倒れそうになっていました。

「やっぱり、先に帰るべきだった!」と後悔しきり。

その上に私の切符は格安チケット屋で買った指定席つきで、お連れと一緒だと「ひかり」しか乗れないので、この際「のぞみ」で一足先に帰阪すればよかったのでした。
実に優柔不断でいや〜〜〜な性格です。

しかし、やっぱり私もグランマでした。
2階の一般展示場では目が覚めて、江戸のお土産を買ったのでした。私はお土産は買わない方ですが、犬張子のぬいぐるみを見てすぐに買いたくなりました。
これを早速、翌日(17日)に夫から婿に手渡してもらい、今日はかわいい写真が届きました。チャッピーと同じで動くユキを写すのも大変、いつも10回は取り直すそうです。

今はいいお顔をしていますが、ご機嫌が悪いと反り返って泣くそうです。ぐずってばかりのパタリロ(今、私がつけたニックネーム)を抱いてばかりの知子ママは、ついに左手が腱鞘炎になってしまったとのこと。
私は早く抱きた〜〜〜い!揺れるハート

今夜は夫が不在。
何やらの会合で琵琶湖のあたりに宿泊しています。明日のゴルフは雨模様でお気の毒さま。

追記:今日また新しく「JCP関係」のカテゴリを作りました。
「JCP」とは、「Japan Cristian Penclub」(日本クリスチャン・ペンクラブ)のことです。
さてこの記事は、「JCP関係」か「知子の育児便り」かどちらがいいでしょうか?



posted by 優子 at 22:27| JCP関係 | 更新情報をチェックする

山本周五郎と聖書

希望姉もまた昨夜遅くにブログをアップされた。
文香さん、希望姉、そして私の三者の記事で、55周年の全容がより鮮明になるので、『希望の風』も覗いて頂きたい。そこにも私たち3人の真夜中の交わり(笑)が記されているので、私は再度喜びを味わっている。

姉(しまい)は55周年記念会のあと、長野新幹線に乗って牧師をされている娘さんを訪ねて群馬へ向かわれた。多忙な姉ゆえに短くも親子の良き時間を過ごされたことであろう。そして昨夕(?)、ショートステイされていたお母様を迎えに行かれて、再び娘としての役目も加わる日常に戻られたのだ。

クリペンの事務局長であり、このたびの実行委員長としての重荷を負って下さった方である。神さまが姉の御愛労に対して大いに報いて下さり、疲れを癒して下さるように。

さて、今日は15日の第1回講演、大田正紀先生による『祈りとしての文芸 山本周五郎と聖書』を記しておきたい。

配布された貴重な資料もまだ読んでいないが、4枚のプリントと、『山本周五郎の生涯と作品 周五郎のイエス、周作のイエス、シメオンのイエス』の冊子を頂戴した。
昨年10月の交歓読書会で大田先生をお迎えした時に、山本周五郎について少し学ばせて頂いているので、小見出しだけに留めたい。

『ちくしょう谷』は、「兄の手紙を受け取った若者の回心、赦すことと仕えること」を書いている。マタイ伝18章21節。

『五弁の椿』は、<父(神)の名>による裁きと復讐断念の物語。ロマ書12章19節。

『赤ひげ診療譚』は、「罪に傷つき、傷つけたものの献身」を書いている。マタイ伝5章44節、ロマ書13章1節。

『青べか日記』は、周五郎の日記であり創作の原点である。

『人間の尊さは何をなしたかではなく、何をなそうとしたかである』と周五郎が言っている。

晩年の周五郎はニヒリストになり、未完で終わった遺作、『おごそかな渇き』は周五郎の作品とは思えぬ虚しさを書いている。
自分は本当に救いが必要な人間であること。そして、向こう岸で完全に苦しみを拭って下さる方がいるということを、周五郎は自分の救済をかけて書いていたものである」。


そして、最後に周五郎への愛をこめて語られた。

「周五郎ほど聖書をよく読んだ文学者はいない。
神さまはその人の生涯の中で、全部汲み取って下さる方である。
周五郎は教会に行っていないからクリスチャンと言えるのかと問われるだろう。しかし、何を求めながら生きたか、何をなそうとして生きたかは、私たちクリスチャンが安住しているところを越えて、私を聖(きよ)めて下さい、私を用いて下さいと願っていたのではないか」
と。
      
ついでながら、先週の交歓読書会で取り上げた藤沢周平は、周五郎にあこがれて「周」の一字を取ってペンネームにしている。
私は藤沢周平の本を『蝉しぐれ』しか読んでいないが、2人の共通性を感じる一方で、その中核となるところに異質なものを感じていた。
即ち、周平はヒューマニズムを書き、周五郎はヒューマニズムとは質を異にする人間の根源的なものに焦点を当てているのだと思っていた。今回の学びでその直観が正しかったと受け止めている。


今回もまた、クリスチャンの文学者でしか読み取れない真髄を解説して下さり、大いに私の文学活動の肥やしになった。

posted by 優子 at 12:43| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年10月17日

55周年記念・開会礼拝説教より

関東、中部、関西、札幌から49名が一堂に会した。
開会礼拝の初めに讃美した讃美歌332番は私の魂を震わせ、体内を熱いものが流れた。
この熱いものは何だろうか。それはこの所に招いて下さった神への感謝だと、讃美しながら思った。

日本におけるクリスチャン人口は僅か1パーセントであり、その中でもまた数少ないペンの証し人として選ばれている。その感謝と感動だった。

今年の証し文章の課題は、「愛すること・赦すこと ―平和を求めて」である。
聖書・ルカによる福音書23章34節。
「そのとき、イエスは言われた、
『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』」。


地球の危機、民族間の対立(ルワンダの100万人の虐殺、地雷は1億9千万個)と飢餓(1分間で32人死亡し、年間では1500万人も)を挙げて、「傷ついている世界」を語られた。

ムンクの絵画『叫び』の背後にある画家の痛ましい生涯。
心の奥底に封じられた慟哭。


「日本が63年間不戦であったのは憲法9条があったからであり、日本人が憲法を守ったのではなく、憲法が日本人を守ったのだ」とし、「自分探しの日本国」を考えさせられた。

次に、「勇気ある戦争告白こそ平和の第一歩である」ことを教えられた。
高木敏子の『ラスト・メッセージ』、保阪正康の『あの戦争はなんだったのか』を紹介されたあと、有名なドイツのヴァイツゼッカーの演説の一部を朗読された。(『荒野の40年』・岩波書店)

「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」。

「私は間違っていた」、「私たちは間違っていた」と言う勇気。
鈴木正久の勇気と愛と命をかけた戦争責任告白から、自虐史観や感情論ではなく、歴史を冷静に学ぶことの大切さを教えられた。

「戦争を見たくないという人間の罪」、この言葉が強く印象に残っている。
嫌なもの、嫌なことは見たくないということも人間の罪であるというのだ。私の視点(生き方)は間違っていなかったという思いだけではなく、「そうなんだ」と深く頷き理解が不確かであったところが補われた。

また、反ナチ活動をしたデーケン一家のこと、キング牧師が実践した「汝の敵を愛せよ」。
「我々は『ウェルカム』と言っても心の中には怒りと悲しみがある。・・・イエスさまが『汝の敵を好きになれ』とは言わなかったのはありがたかった。直ぐに好きにはなれないが、愛することはできる、祈ることはできる。愛には贖罪の力があるからだ」。

マザー・テレサの愛のわざ。

オードリー・ヘップバーンは晩年、ユニセフ親善大使としてソマリアへ行った。黒人の子供を抱いた姿を見てグレゴリー・ペックは語った。
「あの頃(『ローマの休日』)の彼女は妖精だった。しかし、ソマリヤに行ったオードリーはもっと美しかった」と!


最後に『アッシジのフランチェスコの祈り』を朗読され、「私たちも小さな仲保者にして下さい。平和の道筋とさせて下さい」と説教を結ばれた。

「神さまから託された貴い《あかし文章》の使命にもう一度しっかりとどまり、強くされ整えられて、前進していきましょう」。
池田牧師の言葉を心に強く刻む。
尚、『平和の祈り』は、このブログでも10月4日のページでご覧になることができる。

付記:旅行が苦手で大変なストレスを感じるくせに当日の朝に用意するという矛盾。いつも使わぬバッグさえ出しておらず、クレンジングやローションなど化粧品のサンプルを必死で選んでいたのは家を出る20分前だった。
服装も同様、ついに考える時間なく全くの普段着で出かけてしまう始末であった。

最も楽しみにしていた大切な時に聞き逃してばかりのノートテイクも、多忙な日々だったからと言いわけにもならない。

最も大切なことを失うことのないために、今後は本気で自分の限界を知って選び取っていかねばならないことを悟った。


ご判読下さい。
posted by 優子 at 23:09| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年10月16日

ついに再会を果たす!

午後9時、無事に帰宅しました。
さあ、何からお話しましょうか!
こんなに疲れているのに書きたくてたまりませんが、さすがに今夜は体力も限界ですので、どうぞ『生かされて』をご覧下さい。早速今日の記事がアップされています。
その中で、めったに会えない私との再会を喜んで下さって感謝感激です。


では、お2人のお許しを頂いていますので登場して頂きましょう!
私の信仰の友でありペン仲間の希望姉と文香姉です。

3姉.jpg


まん中のかたが『希望の風』筆者の希望姉、右のかたが『生かされて』筆者の文香姉です。「リンク先」をクリックして下さいね!この写真は、昨日の1回目のブレイクの時に撮って頂きました。

この夜9時過ぎに散会、私は外の風に吹かれたくて10名くらいの方々とご一緒に、Y兄の道案内でガーデンパレスまで歩いて行きました。この方が、裕子さんのブログにコメントされている「サムサムさん」だったのです。有名な芸能人に会ったような気持ちでした(笑)。

会場の御茶ノ水クリスチャンセンター前の道路は、「明大通り」で、直ぐ近くに明治大学が見えました。
センターを出て左側に向くとすぐ右前方にJR御茶ノ水駅があり、正面には日本医科歯科大(病院)、左に順天堂(病院)が建っています。
お仕事でいろんな大学を出入りされていたというY兄から東大も近いと聞き、フッと真智子と太志君のことを思い出しました。

医科歯科大の正門から裏門を抜けるとすぐにホテルです。
「明朝は裏口入学して正門から出ましょう」と、東京の方々はユーモアに溢れ何度も笑わせて下さいました。昨夜は大田先生もご一緒に、私たちは気持ちのいい風に吹かれていましたが、5〜6分も歩けば着いてしまいました。

朝は通勤する人々の通路になっていて公道のようでした。
今朝は川上先生と2人で裏口入学してきました(笑い)。師は今年も既に6回の国際会議に出席されているとのこと、記念会でも素晴しいお話をして下さいました。それらも全てお分かちしたいと思っています。

娘たちのことも訊いて下さり、次女がミネソタ大学に留学中であることを話すと、大変に驚かれ喜んで下さっていました。「既に親を越えてるじゃない!」と肩を叩かれ、「越えまくりです」と笑っていました。娘のHPアドレスもお送りすることになっています。

そして何よりも、師は節子姉のご主人と高校時代からの親友だったことをお聴きしていますので、そのこと共に、今、病床にあられることをお伝えしました。

昨夜はシャワーと歯ブラシを済ませて、私たち3人は時間を忘れて話していました。お互いにブログを読み合っていますので話は尽きません。最後に希望姉のお祈りで感謝な時を閉じました。
午前1時20分、あっという間の3時間でした。
posted by 優子 at 23:56| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年10月15日

喜びと感謝と希望・55周年記念会に出発!

いよいよ祈ってきた日本クリスチャン・ペンクラブ55周年記念会に出発である。新大阪発10時43分の「ひかり368号」に乗り込み、名古屋までの各駅で仲間が合流される。

東京のスタッフの方々は11時に御茶ノ水クリスチャンセンターに集合される。毎回の例会を持たれている場所である。
 
文香さんが11日のブログでOCC(御茶ノ水クリスチャンセンター)の写真を載せて下さったのは、おのぼりさんの私が通り過ぎてしまわないためだったなんて!感謝感激だった!
12日の記事に「追記」に記した。
今回は関西組10名くらい(?)の方々と一緒で大安心。

「裕子さん(ペンネームは文香さん)ありがとう。
マクドの手前ですね? 了解しました。
2年前は集会後にウインドーショッピングを楽しみながら地下鉄の御茶ノ水駅まで歩いたので、結構記憶に残っているんですよ。いよいよですね。いよいよ会えますね!!」


今日の予定は、午後2時に受付開始。
2時半から開会礼拝が始まる。
奨励されるのは理事長であり霞ヶ関教会の池田勇人牧師。
3時から第1回講演、講師は当ブログに何度も登場されている大田正紀氏、『祈りとしての文芸・山本周五郎と聖書』。
4時〜5時 ブレイク。
5時〜 全員で夕食準備。
6時〜 感謝夕食会と記念撮影。
7時半〜9時は、音楽と感謝の集い。演奏と「55周年喜び・感謝・希望のトーク」がある。
司会は希望姉、パネリストは池田氏、玉木氏(東山キリスト教会牧師)、久保田氏、川上氏(私の大学の恩師、一般教養で宗教論を受講)の4人。
最後にみんなで讃美とお祈り。
9時に解散。宿泊者はガーデンパレスへ移動。

明日は9時より第2回講演で開始。
黒川知文氏の『ドフトエフスキーの信仰と文学』。
黒川氏は文学博士(東大)で愛知教育大教授、聖書キリスト教会牧師である。
10時〜 記念撮影、ブレイク。
10時半〜総会とブロック報告。
11時〜 閉会礼拝、奨励は副理事長の玉木功氏。
11時半に解散。

その後は、オプションで浅草雷門や教文館出版社と?の東京見物も用意して下さっている。

私は帰宅した翌17日もまた香芝市の民生児童委員大会があり、先月は民生委員会旅行の翌日に肋骨を強打したので要注意している。
疲れ過ぎないことと、あわてないこと!

私はこの集会で、神さまが今よりももっと明確なビジョンを示して下さると期待している。
また、希望姉と文香姉と3人での交わりの時を楽しみにしている。「ホテルに戻って、落ちついたらお会いしましょう。真夜中にでも…。」と、 8日に嬉しいメールも届いている。

霊肉共に最高の状態で臨むことができますように!
そして主よ、快く行かせてくれる夫をも祝福して下さい。
大いに恵まれて、その恵みを夫や周囲の人々に流していくことができますように!



posted by 優子 at 06:19| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年10月14日

『蝉しぐれ』の感想と争点の正解

教会の帰りに昼食と買い物を終えて3時に帰宅した。
昨日、病院のお土産で頂いたローズマリーの匂い袋は、「頭をクリアにし、集中力をアップさせる」と書いているので、ハーブを嗅ぎながら朝の続きを書こう。

まず、走り読みもいいところの私の拙い感想から。
8日のブログに書いたが、私は15人目の発表だったにもかかわらず順番までに考えることさえできなかった。面白くて夢中になっていたからだ。こうなればブログに書いたことくらいしかない(笑)。それを思い出す時間を作ろうとしてか、私は話すつもりもなかったことから話し始めていた。

私は読書会に入りながら読書が苦手、特に小説は苦手だから、この分厚い本(350ページくらい)を手にした時は溜め息が出た。ところが、目次を見ると最後に「蝉しぐれ」となっているので「やったー!」と喜んだ。短編集だと思って、たった18ページなら大丈夫だと安心してほったらかしていた。
              
            (既にここで笑いを呼んでいた)

ところが、井上会長さんから忙しくしている私に「分厚い本だから・・・」とビデオを送って下さり、そのメールの言葉で「分厚い?・・ん?」と驚いた。本を見直すと一冊全部だとわかった次第。そりゃそうだろう、たった18ページの内容を、いくら伸ばしても2時間の映画にはできないだろうと気がついた。

ならば、この映画を見てそのまま行ってしまおうと(ここで大爆笑になっていた)思ったが、不思議なことに見終わると原作を読んでみたいという気持ちになって読んだ。

原作にはいろんなところで蝉の描写があるのに、映画では心象風景としての蝉の鳴き声はさほど印象に残っていない。ただひとつ映画のよかったところは、元服するまでの文四郎とふくを描いたところだ。風景と音楽効果も絶妙で、実にうまく描かれていた。

文四郎の父・助左衛門が、午前11時頃に切腹するという時、父がまだ生きている時に、父の死骸を乗せる荷車を手配するところは胸が詰まった。「生まれましたよ」と誕生した赤ちゃんではないが、父が死体になって運び出されてたまらない気持ちだった。
そして、市中を通る時の人々の白い目に耐えながら父を運んだ文四郎の気持ちはどんなであっただろうか。

しかし、文四郎には良き友がいた。友だちは人生の宝だというが、本当にそのことがわかった。あの2人の友がいたからこそ乗り越えていけたのだと思う。

それと、先ほどから問題になっている最後のところだが、私は肉体関係はなかったと思う。
そして、そのことよりももっと思ったのは、文四郎の妻の気持ちだ。きっと文四郎は妻を愛し、誠実に家庭を築いてきただろうが、夫に自分とは別に愛する人がいるなんて嫌だ。(適切な言葉が見つからなくて「嫌」としか表現できないもどかしさ)

それ以上にもっと嫌なのは、私が文四郎だとしたら、映画の『タイタニック』ではないが、妻とは別に秘めたる人がいて生きなければいけないことだ。道徳的にどうこうではなく、運命とでも言うのだろうか、そのような人生を生きなければならないのはたまらないと思った。


と話し終えた時、ざわめきの反響の中で、「いやぁ、よくわかりましたよ!」と大きな声で豊中の森本副会長さんが仰って下さって、最高に嬉しかった(^0^)。


さて、感想を言い合う中で話題になった文四郎とふくとの関係だ。
結論から言えば、これは単純明快に肉体関係はあった。こう読むのが正しいというものではなく、読解力を問われる問題でさえないほど明確に書いてあった。
以下は本文最後の3ページから抜粋引用したものである。

お福さまはうつむくと、盃の酒を吸った。そして、身体をすべらせると、助左衛門(文四郎の後年の名前)の腕に身を投げて来た。二人は抱き合った。助左衛門が唇をもとめると、お福さまはそれにもはげしく応えて来た。・・・
どのくらいの時がたったのだろう。お福さまはしばらく声をしのんで泣いたが、やがて顔を上げて振りむいたときには微笑していた。
ありがとう文四郎さん、とお福さまは湿った声で言った。
「これで思い残すことはありません」       
      
           (省略)

―あのひとの・・・・。
白い肌など見なければよかったと思った。その記憶がうすらぐまでくるしむかも知れないという気がしたが、・・・


以上、肉体関係があったのは明確であり議論の余地無しであった。
読書会のあとの昼食会で大塚さんに教えて頂いて、「ホンマ(本当)や」と思った。
しかしまあ私だけではなく、たくさんの人が間違って読んでおられたのにも驚く。かの井上ひさしもまた、ということだ。

これだけ明確に書かれているのに間違って読むということは、読み手の願望で読んでしまうことがあるということだろうか。そのこともまた私には興味深く、人間について説明する時の一例になるのではないだろうか。

長い長い記事をお読み下さりありがとうございました。
いやぁ、読書会って本当に素晴しいですね。
posted by 優子 at 16:30| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

藤沢周平の『蝉しぐれ』読書会 ―白熱した話題とは!―

では12日のブログ「昨日と今日で疲れも限界」の続編、藤沢周平の『蝉しぐれ』の感想をご紹介したい。
豊中と東大阪の交歓読書会だったので長くなるが、興味ある方には面白い内容だ。議論になった点と、私の感想は次回の記事に続けたい。


文四郎が父を尊敬し、信念をもって生きていくところに感動した。(父を切腹させた)里村に刀を突きつけて「死に行く者の気持ちがわかりますか」という強い言葉に感動した。

「その介錯がまさに首の皮一枚をのこす見事なものであることが、はじめて見るにもかかわらず文四郎にはわかった。」というところで、「父を介錯してくれたのは、どなたでしょうか」と介錯人の名前を聞いたのは、それが作法なのかどうかわからないが、文四郎はどういう気持ちだったのか知りたい。
おふくの内面はあまり書かれていない。
毎週火曜日のBS2の7時45分から「周平アワー」があるが、そこで周平は、「現代物を書くと私小説になりそうだから現代物は書かない、人間の本質は同じだから、差しさわりがなくていいので時代小説を書く」のだと言っている。


最後の文章、「白い肌など見なければよかったと思った。」というところから、男女の関係があったなとわかっていい感じがした。

五間川(ごけんがわ)が決壊しないように、土手を切って下流に流れる水を半減させようとする所で、稲田をつぶさずに水を荒地に流すために切る所を変えるところや、「政治は治められる側の気持ちを汲むことだ。親父にされたことを覚えておけ。」という言葉が印象に残った。

「父の死を恥じるな」というのが、文四郎の一生の支えであったと思う。二人の良い友に恵まれている。
全体を通して静かであり、読んだあとすがすがしさが残るところが一番好きなところである。


下級武士が貧しくありながら誇りをもって生きているところに共感を与えるのではないか。全編に爽やかな風が吹いてる。

3人の若者がそれぞれに個性的である。ナヨナヨしている与之助、世慣れた逸平、正義感が強く無駄な争いはしないりっぱな文四郎。静かな強さ。心の奥底に美しいものを持って大人になった。
日射しや風、暑さ、寒さが肌で感じ、迫ってくる時間や敵など、気配を感じる小説だった。


この本は時間がたっぷりあれば1回で読み終えただろうなと確信した。私はたっぷり時間がないので3回で読んだ。
文四郎は頭脳だけではなく武道もできたから、このようなりっぱな人格形成をしたのであろう。
井上ひさしさんを待たないまでも、海坂(うなさか)藩の地図を作りたいと思った。みんなで力を合わせて洪水を防いだところでは、今は近隣で力を合わせることがなくなり、それで生きていかれるということだなと思った。
最後のところ、文四郎とふくは結ばれている。


文四郎は頭が良くて剣もできた。貧しくも努力と誠実さで悔しさをはねのける力があった。人徳があったから村雨という秘剣を伝授されたのだろう。ふくとはできていたと思う。

「海坂」とは、あるかなきかの緩やかな傾斜のことを言う。
藤沢周平は、新聞小説としてこれを書いている時は不満足であり反響もなかったが、一冊の本になって良いものだと思った。新聞小説は書き終えてみないとわからない性格があるものだと知ったと語っている。


文四郎の均衡の取れた判断力、実行力を知るために、現代の青年にも読んでもらいたい。

文四郎がふくを抱き寄せた場面で、あとをつけてきた者を斬って、ほぼ死んでいるのに止めを刺したのは、2人の姿を見た者を生かせてはおけないというのが、文四郎の強い感情だったのではないか。
この作品は年を取ったからこそ味わえるのであり、学生時代には今ほども味わえなかっただろうなと思う。


情景描写が素晴しいので映画監督も一生懸命だったという。
藤沢周平と親しかった井上ひさしが周平に、文四郎とふくの肉体関係はあったのかどうか最後のところを聞いたらしい。すると周平が急に嫌な顔をしたので、聞いてはいけなかったんだと思ったとのこと。


あれは絶対に結ばれてくれないといけない。結ばれないと悲恋にならない。結ばれて別れ、一生、今の思いを持ち続けてほしい。

学問を修めた友、夫婦仲良く幸せに生きた友など、それぞれに成長した少年3人の成長物語とも読める。
文章の素晴しさ、短くて読みやすく詩情に溢れ、描写が過不足なく書ける人は他にはないのではないか。


映画化されたものを見るといつもガッカリするが歌舞伎座の芝居でもよかった。小説は作家のもの、舞台は役者のもの、映画は監督のものと言われる。私は文四郎とふくは結ばれたと思った。

私は純愛だったと思う。

名文と言っても三島由紀夫のような美文調ではないから、余計なものが入っていず、これこそが本当の名文だと思う。

切腹させられる前の父と面会した時、文四郎は思いがあるのに何も言えなかったところ、言わないといけない時に何も言えなくて、人生には悔いがつきものというところに人生のすれ違いを思った。
結ばれていても結ばれていなくても悲恋である。純愛で悲恋だった。



以上である。
東大阪から8名が出席し、合わせて25名。10時半から12時半の短い時間で全員が発表でき、盛り上がった大読書会だった。

最近の私は、とにかく多忙な日々なのでゆったりと文学に浸れる日常ではなく、疲労困憊で参加したためにノートの記録もわかりにくいところがあった。そのくせ楽しみすぎてメモするのを忘れたところもあり(>_<)、不十分な書記であった。

この続きは尚も次のページに続く(^−^)。



posted by 優子 at 09:06| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年10月13日

献児式の感謝スナップ集

献児式@.jpg

献児式A.jpg


そして、これは生後3ヶ月(10月11日)の写真だ。

3ヶ月.jpg

生後3ヶ月.jpg

 First smile  初めての笑顔

あなたが生まれて以来、
私の愛はあなたを照らし、
炎となって燃えています。

あなたの内に愛は輝き、
あなたの目に光がともされています。

あなたの初めての笑顔に
私は今日、確かに見ました。
あなたのすべての愛のきざしを。



posted by 優子 at 15:56| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

あの頃の悲しみに引き戻されはしなかった!

疲れすぎると眠りにくい時もあり、お茶のカフェインもいけなかったのか、昨夜は午前1時半頃まで眠れない上に5時間以上は眠れなかった。

献児式の写真は週明けの15日に、写真にして言付けてくれるとのこと。催促したら今朝長女が送信してくれた。
「洗濯物を干したら直ぐにアップするからね」と返信したものの急用が入った。チャッピーの散歩から帰ってきた夫が郵便受けに入っていた葉書きを見つけたからだ。

民生委員をお引き受けしたおかげで出会った方からだった。
お母様が1年余り前から関屋病院に入院されている。葉書きには、

「メール、本当に嬉しかったです。・・・今日は病院の敬老祝賀会です。私がスゴーク楽しみにしているんですヨ。お時間がおありでしたら、お寄り下さい。午前中は病院に居ります」。

と書かれてあった。

時計を見ると10時だった。
日暮れまでにやっておきたい山積みの用事が脳裏をかすめた。しかし、何を第一にすべきかは直ぐにわかった。
自分の時間を捧げることが最も尊いことであることをわからせて頂いた。


病院は、徒歩でたった5分の所にある。
私はあわててお化粧をして心の備えのないまま家を出、神さまに遣わされた者として整えて下さるように祈りながら歩いた。

病院内はすごく混雑していて見つけられず、病棟にも居られなくて、アナウンスも効果なく、ついに立ち尽くして居た時に出会えた。着いてから20〜30分は経っていただろう。

どの人(患者さん)も殆ど同じ状態の方ばかり。
しかしもう、私はその頃の悲しみに引き戻されるようなことはなかった!
私はその恐れを感じることなく、心を尽くすことができた。
そのことを刻んでおきたいために書いている。


母と父の10年間の経験で、車椅子の操作も全く違和感はない。
世間では、親の介護の経験を活かして介護士になったという話をよく聞くが、私は絶対に嫌だった。病院や施設に近寄るのも嫌で避けていた。

父が亡くなった翌春に、生協の委員に求められて役を受けた。そのおかげで当地のことも少しわかった。
2年目は地域委員長にもなって忙しい2年間を過ごしていたが、その2年間に何度か老人ホームの見学会があった。殆どがオプションだったが、私は一度も行くことはなかった。
しかしもう、かつての自分に引き戻されはしなかった。
父が亡くなって7年後の発見である。 

そういえば、今月は母が亡くなった10月だ。もう11年にもなる。クリスチャンにとっては「死ぬ」でも「逝く」でもないというが、私は今も「亡くなった」と表現するのが最も私の気持ちに添うている。

さて、関屋病院に着いた時、「よさこいソーラン・和太鼓」の最中だった。このあと、大神楽曲芸があった。
10時から午後3時まで、たこ焼き、おでん、お寿司、飲み物、ケーキサロンがサービスされ、中・高時代のバザーを思い出させる食券を受付で頂戴した。地域の老人会の方たちもたくさん来られていた。

ケーキと言っても超一流、リーガロイヤルホテルのケーキである。黒いスーツを着たホテルマンも来ておられ、ホテルのお皿とフォークで頂くのだ。

3年前のこと、5ヶ月間ほどの入院生活で11月末に亡くなった藤本の父の時のことを思い出した。この日、知子も一緒に義母や夫の弟達と総勢7名で義父を囲んでケーキを頂いた。

時は過ぎ去っていく。
Tさんが用意しておられた使い捨てカメラと携帯電話で、Tさん母娘の写真を何枚も写して差し上げ、帰り際にはお訊ねもしないで声を出してお祈りしていた。聖霊の導きであった。

ベッドの柵にいくつものお守りがぶら下がっていたのを思い出したのは今。どうか真の神の恵みが届きますように!


あんなに混雑していたコーヒーサロンがすいていたので、私は厚かましくも大好物のケーキを頂いてきた。時間は12時20分、夫の顔を思い浮かべながら大急ぎで頂くなんて、ロイヤルのケーキも台無しだ。

私は86歳になられるお母様とも面識はなく、脳梗塞のために認知不能になっておられるので、娘さんの友にならせて頂こうと思い、お母様をお訪ねしたのはたった一度だけだった。
でも、神さまから示されてはいた。
その友のためにも時々訪ねてあげなさいと。


そうだった。
私は神さまから千里さんという友を送って頂いたおかげで、涙の谷を越えることができたのだった。母の場合はよく理解できたということもあったけれど、訪ねて下さったことで私はどんなに嬉しかったことだろう!
千里さんや谷口先生ご夫妻の愛で支えられたのだ。


主よ、感謝します。
私は心新たに献身させて頂きたいとの願いを与えられています。その確信に導かれることを最も期待して55周年の集いに参るのです。
主の導きを強く感じながら。

これからもTさんのためにも、お母様の容態を支えて穏やかな時間を下さい。そして、今の時を用いるために私を整えて遣わして下さい。


「母の穏やかな姿を見て頂き、本当に嬉しかったです。
母にもおいでいただいた事がとても刺激になったと思います。優子さんを目で追っていましたもの。あなたのお優しい心が母の胸に響いたのだと感じました。本当に本当にありがとうございました」。


主に栄光をお返しします。


posted by 優子 at 14:55| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2007年10月12日

気持ちは一足先に東京へ

記事を書き終えてリンク先のブログを覗くと、『生かされて』の昨日11日の記事にお茶の水クリスチャンセンターの写真が載っていた。記事を拝見して疲れの中にも微笑んでしまった。2年前に一度、東京のペンクラブの集まりに参加して行ったことがあるからだ。

その頃、次女の真智子は東大の大学院に籍を置いていて、修士修了式に出るために3泊4日くらいで上京した時のことだ。

これがその時の写真。赤門前でツーショット!
経済学修士号の学位を得た真智子。

経済学修士取得_IMG.JPG

2005年3月。懐かしいね、真智。
真智の研究室は、
赤門を入って右二つ目の建物だったよね。
ママは東大構内をチャッピーと散歩したかったな。

この3年後には経済学博士号を取得して真っ黒のガウンを着るはずだったが、博士課程を1年終えて休学届けを出し、今は本場アメリカでPh.Dを目指している。

ガウンの色は学部ごとに決まっており修士と博士でも色が変わる。
実はこのガウン、経済学部のではない。教育学部だったかな? クマ(娘婿の愛称)の友人がレンタルしたものを借りて写したのだ。わーい(嬉しい顔)

『希望の風』さんとJRの御茶ノ水聖橋駅だったか駅の前で再会した。そこからクリスチャンセンターは直ぐだった。
その日は2泊目だったので、娘の家の地下鉄・千駄木駅から一人で迷わずに行けた。
真智のいない東京は寂しいな・・・。
一人で千駄木の家を訪ねてみたい。
いや、寂しがってなんかいちゃダメだ!
真智が東京にいた3年間には一度も行かないで、
よく言うよね(笑)。

留学中に一度はミネソタへ行かなくっちゃね!
実は8月にパスポートを取ったよ。
今度は10年用のをね! 手(チョキ)
年を取ってから10年用を取るなんて、生きる姿勢が前向きなったでしょ!


私の気持ちは一足先に55周年である。
この記念会のために準備して下さった東京の方々の御愛労を想うと、胸が高鳴り目頭が熱くなる。気持ちが高ぶって疲れや眠気がなくなってしまった。

13日21時50分追記:
ブログ『生かされて』に書かせて頂いたコメントへの返信を読んで、すごく嬉しかった。
なんと、私のために写真を載せて下さったのだ!
 
優子さんへ (文香)
2007-10-13 12:15:42

優子さんがOCCビルは初めてだと思い、行き過ぎてしまわないように(笑)写真をアップしましたが、2年前にJCPの集会に来られていたのですね。わたしは、その日都合が悪くて(理由は思い出せません)行けず、お会いできなかったのでした。

もうすぐお会いできること、わたしも胸が高鳴ります。忙しい中におられる優子さんの体調が整えられますようにお祈りしています。

あの日、裕子さんは体のお加減が悪かったのです。
初めてお目にかかるのを楽しみにしていたのでガッカリしたことをよく覚えています。
私もまた、裕子さんの健康が守られますようにお祈りしています。
* この記事は真智子の現ミネソタ時代ではないが、私には懐かしい東大時代の写真を掲載したので、写真を見たくなった時のために「ミネソタ便り」にした。

今後は「ミネソタ便り」は真智子の部屋であり、「知子の育児便り」は知子の部屋である。
posted by 優子 at 22:04| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

昨日と今日で疲れも限界!

昨日は葬儀式を終えてH姉と共に社会福祉センター近くで降ろして頂いた。おかげで民生児童委員会の定例会に遅刻することなく15分前に着いた。

この近くにご自宅のあるH姉と別れて、元気よくセンターまで歩いたものの、昼食抜きということもあり席に着くと急にしんどくなってしまった。

会議の途中の休憩では、メンバーの方からの差し入れのシュークリームが配られた。こういうことはめったにないだけにラッキー!
私はガソリンを補給するかのようにお腹に入れた。お隣りの席のMさん(いつも送迎していただいている近隣の方)の分まで頂いて、ペロリと2個平らげた。

定例会のあと各部会がもたれ、そのあともまだ私たちの部会だけ残ることになり、修行に耐える心境で頑張った。来月の定例会で発表するからだ。
帰宅した時は5時前になっていた。
昨夜、夫は仙台に行って不在だったがベッドに入ったのは11時だった。

今朝は疲れが残り朝からしんどかった。
腰痛だけではなく背骨まで痛く、まぶたは重く腫れぼったく、いよいよ疲労の色が濃くなっていた。

今日は豊中の岡町図書館で交歓読書会だった。
『蝉しぐれ』の感想をまとめる間もなく当日を迎えてしまい、こういう時は電車の中で必死になるのだが、今日は友(読書会のメンバーで、一つ手前の駅から乗ってこられる)と一緒だからできなかった(>_<)。
こうなれば最後の手段で、読書会が始まって発表の番が回ってくるまでに考えるのである(^−^)。


42回目の交歓読書会、こちらからは8名が出席した。
皆さんの感想については明日の記事でご紹介したい。

夜9時、夫が無事帰宅した。

「立石山は頂上まで登ったからしんどかった。蔵王(お釜)は6度で寒い寒い。風も強かったし」と少々疲れぎみ。

ハードな1週間が終わった。
そして、いよいよクリスチャンペンクラブ55周年記念会である。今日の帰りに大阪駅で東京往復の新幹線の切符を買ってきた。






posted by 優子 at 21:26| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年10月11日

徳山兄葬儀式の朝に

葬儀式の朝に金田福一牧師の書を開く。

        決して死ぬことはない
   
   イエスは言われた。
   「わたしは復活であり、命である。
   わたしを信じる者は、死んでも生きる。
   生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことは
   ない。
   このことを信じるか。」
      
        
           (ヨハネ伝 11章25・26節)

みな「死」を話題にすることを避けます。恐れているのです。
人間はみな死ななければなりません。死ななくてもよい人は一人もありません。
癒しへの願望の本音は、「死にたくない」ということです。

しかし、私たち主に在る者は、「死ぬる」のではありません。
「逝く」のでもありません。
イエスさまが、み国へ連れて行って下さるのです。
主イエスさまにお出会いした時から、「永遠の生命」は既に注がれています。

苦しい時にも平安があり、召される時にも感謝できるのは、人間の能力の問題ではありません。
注がれているキリストの御生命の力によるのです。
平安も感謝も、主のみわざなのです。


アーメン(その通りです)。
このメッセージは、母の通院介助の帰りに買った『召され行く友に』からの引用である。「1993年2月26日、この日に読了する」と記されている。
あの頃、私は母の難病の悲しみをどうすることもできなくて苦悩していた。

痛い時は痛いと言い、苦しい時は苦しいと言います。
が、心の底に、感謝と平安があります。
呻きながら、「主よ、感謝します! アーメン!」と叫びます。

自分では絶望、現実は絶望、しかし、主が、何かをなさいます。

主のご支配の中に入れられることが「救われる」ということです。

主よ、感謝します。


今日の葬儀式で初めて教会の門をくぐられる方もたくさんおられることだろう。
まだイエスさまを知らない方々に、牧師のメッセージが届きますように。神さまがお一人おひとりの心を開いて下さって語って下さいますように。


posted by 優子 at 08:26| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年10月10日

「死を覚えて生きよ」と自らを正す

商大での役員会を終えて3時過ぎに帰宅した。

徳山兄の前夜式(お通夜のこと)に参列するために、どなたかに乗せて行って頂きたく朝のうちにメールや電話でお願いしておいたところ、明美さんのおかげでO姉にお願いすることができた。

まず、O姉が青葉台の明美さんをお連れして、6時に我が家に迎えにきて下さった。運転できない私は、いろんな方に助けて頂いてばかりだ。途中、二上(にじょう)のT姉宅を経由して富田林の教会へ向かった。

クラシック音楽が大好きだったという徳山兄のために、来日中のピアニスト、シークフリード・テッパー氏が「美しく青きドナウ」と聖歌を演奏された。
ドイツのオペラハウスで3年間、カナダではバーリントン・モーツァルト室内管弦楽団の指揮者兼音楽監督を14年間するかたわら、多くの大学でも教鞭を執っておられる方だ。

今日の午前の香芝ゴスペルチャーチでは、予定通りピアノコンサートがあった。何年か前に夫と聴かせて頂いたことがあり、その時の感動を覚えているので用事のために行けなくて残念に思っていた。

ヨハン・シュトラウスのあまりに美しい音楽に悲しみが交じり合い、「こころ安し、神によりて安し」の聖歌が会堂を充満した。

今夜は富田林会堂でも開かれることになっていたが、前夜式での演奏となった。信仰者のプロの演奏は魂を揺さぶった。

私は徳山兄の遺影を見た。
教会のバザーでは毎年玄関先のテントで、焼そば係を威勢よく指揮して下さっていたお顔がはじけた。
しかし66歳とは、永遠のいのちが与えられているとはいえ短い地上の生涯だった。

私は9時に帰宅した時、夫がチャッピーの散歩に連れて行ってくれていた。今日も無事に帰宅したことを感謝し、直ぐにパソコンを開いたところ、9時15分に長女からメールが入った。
知子たちも赤ちゃんを連れて来ていたと、帰路についている車中からのメールだった。

知子たちは8時頃に教会に着いたらしく、おなかの虫おさえにと私の分もおにぎりを一つ作って持ってきてくれて、帰りは私を送ろうとしてくれていたらしい。終わってから捜したが会えなかったとのこと。
ありがとう!
剛臣くんにもよろしく伝えてね!


明日は11時から葬儀式、午後は民生委員定例会だ。
黒い服は教会の2階で着替えるのがいいだろうか・・・。
O姉は帰りもまた、定例会のある社会福祉センターまで送って下さるというのだから申し訳なくて、感謝して受けるのが辛いほどだ。

私も私のできる親切を惜しみなくしなくては!
今しかない。
今日という日は、2度と歩くことができないのだから!
人への愛こそが人生で味わえる最高の幸せなのだから!!


今夜の式で牧師が読まれた聖書は詩篇23篇だった。
今夜ほど魂に深く強く届いたことはない。
  

   主はわたしの牧者であって、
   わたしには乏しいことがない。

   主はわたしを緑の牧場に伏させ、
   いこいのみぎわに伴われる。

   主はわたしのたましいを生きかえらせ、
   御名(みな)のために、わたしを正しい道に導かれま
   す。

   たとい、わたしは死の陰の谷を歩むとも、
   わざわいを恐れません。
   あなたがわたしと共におられるからです。
   あなたのむちと、あなたの杖はわたしを慰めます。

   あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
   わたしのこうべに油(聖霊)をそそがれる。
   わたしの杯はあふれます。

   わたしの生きているかぎりは、
   必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
   わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。



ああ主よ、ご遺族の上にあなたの慰めが豊かにありますように!
そして私もまた、最期の一呼吸まで導いて天の御国へ連れて行って下さいね!
posted by 優子 at 23:58| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

朝の光景 寡黙な夫

「明日は古新聞回収日だけれど、先月は打撲した翌日に運べたし、それに、ヒビが入って1ヵ月でこんなに良くなるのかなあ」と、パーキングに歩きながら夫に話した。
夫は無言でニヤッと笑っている。
「ヒビは入っていなかったと思ってるの?」
相変わらず黙ってニヤッと頷くだけ。
「ええ? そしたら私が嘘をつくことになるやんか」と笑いながら言うと、夫もニタッと笑っている。
「私が悪いのではなくてあのお医者さんやで」。

そして、発車しようとした夫に言った。
「今日は10時に商大に行くから、今頃は愛妻が東大阪の地にいるんやなあと想いを馳せてや」と。
そういえば、この時も何もしゃべらなかった夫。
本当に寡黙と言うのか面白みのない人だ。
言葉を忘れたおっさんか?!相性が合わん!
父だったらいっぱい言葉をかけてくれるのに・・・・。


娘が退職してお弁当作りがなくなってからは朝一番にパソコンを起動させる。時間のない特別なとき以外は、いつも前日の記事を読んで書き直すのが日課である。
私のブログは更新してから24時間後にようやく落ち着く。熟成時間が要るわけだ。

この記事も帰宅して読み直した時、「おっさん」や「相性が合わん」を削除するかもしれないというように。
時には家を出てから、「あれは書かなければよかった」、「あの表現はまずい」と気になることもある。書いて直ぐに公表するブログというのは怖い。

外出が続く日々は、目が覚めた瞬間「今日はどこへ行く日やったかいな」と起き上がる。
外出の日は電車の中でデボーション。
そして、今からチャッピーと一緒にデボーション。


7時42分、徳山兄の訃報が入った。
posted by 優子 at 07:25| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

市民ワーキング会議2回目の出席

市の保健センターが主催する「市民ワーキング会議」は、「健康かしば21」計画の見直しと食育基本計画策定などを話し合うもので、今年の6月から来年2月まで9回予定されている。
国の施策なのだ。

今日で5回目を重ねる会議に前回から参加している。
私は民生委員の立場で、その活動を通しての意見を求められる。考える対象世代を5つに分け、私たちのグループは20歳から39歳の成人世代について考えている。メンバーの中には保健センターや役所からも数人加わっておられる。

珍しくと言っては御幣があるが、公の集まりにすればなかなか内容のある話し合いである。私は第一回目から出ていなかったこともあり、何が何だかわからなくて、特に前回はピントはずれな意見を言っていた。

さて、今日の最終討議ではこれらのことをいかに伝えるかの意見を求められた時、私は次のように述べた。
「PTA役員でも何でもそうだが、出た人は役どくで知識や気づきを得られるが、それをいかに分かち合うかである。まず、身近にいる人たちに伝えていくことが大切だが、市の広報活動を活発にしなければいけない」と。

私の見るところ、何でもやりっぱなしが多い。
例えば、かつては読書会においても会報は会員だけに留まっていて配布されていなかった。私は早速、東大阪市の中央図書館である花園図書館や4箇所の分室に配置し、大阪府立図書館ができた時にはそこにもお願いに行った。香芝に引っ越してからは、香芝の市民図書館にも配置してもらっている。

市民会議のような活動も関係者だけに留まりやすい。
何事も全体に流して(返して)いかねばならない。そのことにより、関心のある人を呼び寄せることができるかもしれないし、それが連鎖反応となって活発化されていくからだ。ペン活動は、「一人でもいいから」という情熱をもって広報活動することだ。話しながら、かつての情熱の日々が蘇っていた。

「では、藤本さんも伝えて下さい」と言われたので、「今日のブログに書きましょう」と応えると、「ブログを書いておられるのですか」と保健師さん初め数人のドヨメキがあった(笑)。
そんなわけで取り上げたものの、肝心の内容には何も触れられず義理的な書き方で申し訳ない(>_<)。

「健康市民は香芝の財産」という声も出た。
私は思わず、「行政の目的とする落としどころに着地したという感じですね」と言ってしまった。国民が健康で長生きしないと医療費削減に繋がらないからだ。

では、特に興味深かったことをシェアーしたい。
それは、住みやすい町が健康を作るとのこと!
周りの人々への信頼感を調べて年齢死亡率を掛け合わせると出てくる「年齢調整死亡率」があり、アメリカ合衆国の結果から犯罪や治安も健康にリンクしていることがわかる。

最も住みやすい所は、ノースダコタ州、アイオワ州、そして、元気で長生き3位がミネソタ州だ!
まるで田舎度ランキングのような感じがしないでもない。
        
こういう所は心の健康だけではなく、地域住民の参加が多く、元気に生きている人が多い地域というわけだ。そう言えば、私たちの住宅地もかなり高い高齢率だ。

さて、私はどうだろう。
ここは都会と違って空気はいいし、緑が多くて静かで住み良い環境である。近隣の方や友にも恵まれている。
が、情けないかなストレス度は今も高い。
「それでは、どうして?」と問われる前にふらふら退散しよう。

「ストレス」という言葉の創始者セリエは、「ストレスは感謝によって解消する」と言っている。
しかも私は感謝すべき方を知っている。神と出会えたことが最高の感謝だ。
そして、今日も玄関前まで送り迎えして下さったOさんに感謝しつつ・・・
おやすみなさい。
posted by 優子 at 21:51| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年10月08日

初孫の献児式、そのあとは『蝉しぐれ』の世界に

昨日の恵まれた献児式を速報したいのに、掲載する写真が一枚もなくて残念。

娘夫婦の愛児は私たちの初孫であり、家田家にとっても初孫である。昨日の献児式に家田の大おばあちゃんも出席して下さり総勢7名。藤本の義母にも熱心に誘ったがダメ、食事会だけでもと頼んだが欠席だった。

大おばあさんたちは共に元気な84歳同士で、伴侶を見送ったのも同じだからどちらかに寂しい思いをさせることもない。社交的で明るい家田の大おばあちゃんは会えなくて残念がっておられた。

昨日は節子姉のお孫さん、ひかりちゃんの献児式も同時にもたれたので、より思い出深い献児式になった。2人の赤ちゃんが神さまの愛の中でスクスク育っていきますように。

普通、献児式では子の両親以外は前に進み出ないのだが、節子さん御夫妻が前に出て行かれて、司会者(牧師?)が私たちにも声をかけて下さったので講壇の前に出て行った。

ひかりちゃんのおじいちゃん、節子おばあちゃんも一緒だったから、おとな10名に赤ちゃん2名、そして、ひかりちゃんのお兄ちゃん倫太郎君が一列に並んだ思い出に残る嬉しさも2倍の献児式だった。

教会の撮影係のカメラのフラッシュが何度も光っていたし、兄弟姉妹も撮って下さっていたので見せて頂くのが楽しみだ。

そのあと、香芝市の料亭(「卯の庵」、真智子の婚約式の宴席もここだった)で家田さん主宰で食事会を開いて下さった。
家田さんのご主人様はこの席に集うことができなかったが、これからの子供のお祝いは家田さんのご自宅がいいだろうと話し合った。

家田さんは今も「胃ろう」(おなかにあけた小さな口からカテーテルで栄養を入れる)の穴は閉じられていないが、自宅では3度の食事を口から摂れるようになっておられるとのこと、ゆっくりゆっくり時間をかけて。
家族の愛が食道を開かせたのだと思った。
勿論、そのことを良しとされた神のみこころによって。

節子さんのご主人様もまた、昨日病院から一時帰宅されて、お孫さんの献児式に来ることができた。すぐにまた病院に戻られるが、どうか神さまが体力を強めて元気にして下さるように、徳山兄、西村兄のことと共に病床にある方々のために祈り続けよう。

2ヶ月ぶりの孫は、びっくりするほど大きく重くなっていた。
顔も全く違っており、泣き顔にかすかに生後直ぐの面影を見たほどだった。


一つの節目を終えてホッとしたのか、昨夜になってようやく昨夜に郵送して頂いた『蝉しぐれ』のビデオを見た。
これは8月か9月だったかにテレビ放映されたのと同じもの(成人した牧文四郎役が市川染五郎)だったが最後まで見ていた。

見終わると本が読みたくなって今日は一日読んでいた。
時には飛ばして大変雑な読み方だが読み終わった。やはり本で読むほうがよかった。

原作にはいろんなところで蝉の描写があった。
映画でももっと蝉の鳴き声を心象風景として効果的に使わなきゃと不満を感じた。ただひとつ映画のよかったところは、元服するまでの文四郎とふくを描いたところだ。
風景と共に日本人の自然観がよく出ていて、音楽効果も絶妙で、とても味わい深く描かれていた。


文四郎の父・助左衛門(緒方拳)が藩内の勢力争いに巻き込まれて、反逆の罪で切腹を命じられた。その当日、午前11時頃に切腹する父親のために、父がまだ生きている時に、父の死骸を乗せる荷車を手配するところは胸が詰まった。

後年、「父の死を恥じてはならぬ」と言い残した父の心情を深く理解するようになった文四郎。亡き父も満足したことであろうと慰められ、私はすっかり小説の世界に入っていた。

さて、一言の感想をどうまとめようか。


posted by 優子 at 21:43| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年10月07日

「真実のあるところにだけ怒りがある」 ―「正しさと怒り」完結―

「日本の神学が世界のキリスト教界において市民権を得るために決定的な貢献をした『神の痛みの神学』」がある。
その著者である北森嘉蔵(かぞう)牧師の説教集や書物もまた私の座右の書である。

山のようにたまっていたアイロンかけと掃除が終わって一息つこうとした昨日の夕刻、北森牧師の本を開いた。
「真実のあるところにだけ怒りがある」。
以前に線を引いた箇所に目が止まり、その箇所を読み直した。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。
 憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。」
 
     
               (エペソ人への手紙 4章26節)

怒るということは、「真実」のもつ裏がわである。
真実のないところには、怒りというものはない。・・・・不真実の行為の場合には、怒るということはありえない。真実のあるところにだけ、怒りがある。その限りにおいて、怒りには正当な位置が与えられるということができる。

「怒ることがあっても」という言葉は、「怒れ、しかも・・・」と訳す事ができる。つまり怒ることがいちおう命令されているとも解される。

しかし、聖書はただちに語をついで、「しかも、罪を犯してはいけない」と言う。・・・それは罪に転化する危険がある。・・・怒りが永続するときには、罪に転化するのである。

それでは、怒りながらも、その怒りを永続させないということは、具体的にはどのようなことを意味するのであろうか。

それは、「神がキリストにあってあなたがたをゆるしてくださったように、あなたがたも互いにゆるし合いなさい」ということを意味する。


「ゆるし合う」ということは、怒りを愛によって克服することである。

     ・・・・・・・・・・・・・・・

「アーメン」である。
「アーメン」とは、「まことに」、「真実である」、「そうでありますように(So be it)」という意味だ。


当ブログ1月31日記事の「正しさと怒り」について、8月10日にも考えさせられた。この時は、最初に自分が唱えた異論に対して異論を唱えた格好になっている。
結論は正しい怒りであったとしても、あまりの悔しさにあうと忍耐の限界を超えてしまうから、罪の誘惑からは遠ざかれということを書いた。

昨日、北森師の「真実のあるところにだけ、怒りがある」という言葉を読んで、やはりそうだという慰めを得た。神さまからの慰めであると直観した。

そして、「怒りを愛によって克服することである」の言葉に目頭が熱くなった。
すると、「わたし(主イエス)に任せていればいいんだよ」という言葉が聞こえ、心が満たされて涙ぐんだ。


9月を迎える頃には再び全てを神に委ねていたが、この1週間は悶々としていた。その心がこうして万全に備えられた。
神は臨在を示して下さりいつも励まして下さる。
私を顧みて下さり、神の子にふさわしい美しい心で献児式を迎えさせて下さることを感謝し、祈って下さっていた友にも心から感謝している。


そして今朝、これを書こうとした時に真智子からメールが入った。

「 今日は献児式やね。・・・幸悠君がすくすく育つように、まちもくまも、自分自身と向き合いながら祈ります。真智子」と書いてくれていた。

ミネソタは晩秋だと思っていたら、「今日はまた暖かくて半袖を着ているぐらい。本当にミネソタの天気は毎日変わるから、世間話としても盛り上がりやすいよ。」
ということは、ミネソタは徐々にマイナス30度の世界に進んでいくのではないのだ。

こちらはミネソタほど極端ではないけれど、昨日の最高気温は大阪で27、9度だった。今日からお天気は下り坂、今週はずっと雨模様だから肌寒くなるだろう。

真智、ありがとう!
もっともっと深い感謝に溢れ、謙遜な人間になることができますように。そして、昨日、26年の生涯を閉じたベトちゃんのことを思いつつ教会に向かいます。

これからも真智子と太志君が、神の御手に導かれて最高の人生を送ることができますようにお祈りしています。
二人のことを神に感謝します。
posted by 優子 at 07:42| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年10月06日

どう?写真でも美味しそうでしょ♪

チキン南蛮作ったよ!
さっき食べ終わったところやけど、超おいしすぎて最高すぎて、感動がおさまりません!クマは感動しすぎて失神してます。

どう?写真でも美味しそうでしょ♪

真智のクッキング.jpg

南蛮酢もタルタルソースも手作り♪

チキン南蛮.jpg


ママの声:チキン南蛮にタルタルソースはミスマッチと思ったけれど、定番の組み合わせだったなんて。ゴメン!)

真ん中に少し映っているのは、何と名付ければいいか、“炒り鶏”のようなものです。基本は、ママの筑前だきです。こんにゃくもごぼうもないので、命名に困ってます。

でも、ごま油が良く効いて、お出汁も効いていて、かなりおいしく仕上がっていて、大人気です。昨日に作っておいたので、もう一品、という感じで食べているというわけ。

更に、映っていないけど、今日は古くなりかけたトマトでトマトスープも作りました(今日はごちそう)。玉ねぎ、ジャガイモ、トマト、ベーコン、鶏肉でコンソメベースで作ってます。

まちのお料理能力、相当上がってるよ(^^)v くま、毎日大喜びです。
では、またねー。
                 真智子


1日の朝、久々に真智子とチャットした。
現地時間の夜8時過ぎなのに今も大学にいると言うので、明るいうちに帰宅するように伝えた。
東大時代は毎晩と言っていいくらい真夜中も研究室だったが、アメリカ生活も1年3ヶ月目に入り、精神的に余裕が出てきたのだろうが油断大敵!
慎重な2人だから大丈夫だろうが、アメリカにいることを忘れないでねと念を押したことだった。

その時の近況報告によると、2人ともミクロの試験にパスしたとのこと!大学によっては不合格になれば奨学金が打ち切られて帰国せねばならないという。
今期の試験では、23人中10人も不合格で、その中には実力のある人もいたというから娘夫婦は努力が報われてよかった。

娘は学者と妻の二役をこなし(楽しみ?)、優しいベターハーフと愛の巣を作っている。揺れるハート
家庭の雰囲気はおもに妻が作っていくものであるから、苛酷な学究生活なのに食卓を大切にしている娘を素晴しいと思う。私も見習わなくては!

料理をも情熱を傾けて楽しみ、夫の喜びを我が喜びとする娘。
そのことがとりもなおさず、幸せな家庭と夫婦の文化を築いていくことになる。イエスさまと共に!


真智、メールありがとう!
今日は爽やかな秋晴れでね、パパと一緒にチャックンの散歩に行ったよ。歩いていると汗ばんでしまった。
どこからかキンモクセイの香りが漂い、コスモスの花がやさしく風に揺れていたよ。
ミネソタはもう晩秋って感じかな。
ではまたね。
   真智、愛してるよ!
posted by 優子 at 09:52| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年10月05日

良心の盲目こそが人間の悲惨だ

どの時代にも悪徳や犯罪はあったが、今ほど人間性が堕落し腐敗した時代はなかったのではないか。

国会議員の政治資金収支の問題も、社保庁職員や市町村職員による年金保険料の着服や不正受給額が4億円以上になっていることも、ここまで腐敗が蔓延していたのかと絶句する。

若い新人力士を死亡させた事件も然り。
当事者はこんな最悪な出来事にも人間性を喚起することができず、最悪さは深まる一方である。角界のリーダーたちも同様に判断能力はなく、組織は機能していなかった。

全ての組織に部外者である中立の監視・査定委員会がどうしても必要だと思うものの、いずれ世の中は、中立な監視人も腐敗して機能しない時代がくるやもしれない。
国連の動向を見ているとそのような危うさも感じる。
理性は無力だ。


人間は、良心が盲目に陥った状況こそが最も悲惨だと思う。
私は絶望に陥らないためにイエス・キリストを見上げよう。
人は高慢だけではなく絶望もまた危険であり、神の恵みから離れてしまうからだ。


若者を死に追いやった人々の良心が目覚めるように。
神は人の心の中に悔いの痛みを見るやいなや赦しを与えられるのだ。本心から悔い、全ての主権者である神に赦されて、そして、地上で法の罰を受け、成すべき償いを果たしていってほしいと願う。

息子さんの無惨な死に苦しみ悲しむご両親のために祈ろう。
同じような苦しみにある方々が、「善をもって悪に勝」つことができるように、神が真実を明らかにして下さってご遺族の苦しみを和らげて下さるように祈ろう。

仮に真実が明らかにされ、本心で謝罪されたからとて被害者は心が和らぐわけではなく、その時はまた新しい苦しみでもある。
謝罪を受け容れる痛みを通っていかねばならず、悲しみは生涯の終わりまで負うていかなくてはならない。被害者ご遺族のことを覚えて祈っていきたい。

今日は聖書を開いたあと『パンセ』を開いていた。パスカルもヒルティも・・・・落ち着いて読み直してみたい本がいっぱいある。

日記:

有料老人ホーム「エデンの園」については、レポートを仕上げて2日の夕方に添付送信済み。(しかし、1日の夜は何もしないで寝てしまった。意志が弱い。)

豊中との交歓読書会の『蝉しぐれ』は470ページ、今はまだ
60ページを読んでいる。
2日の夕方、読書会のI会長さんからお助けマンが届いた。作品を忠実に描いたビデオがあるからと郵送して下さったのだ。最善を尽くそう!

この3日間で疲れはとれたが、来週から再び10日間休憩なしとなる。霊肉共に守られますように祈りつつ進んでいこう。



posted by 優子 at 16:43| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年10月04日

「誰かが真実を伝えねばならぬ」 ―長井健司さん無言の帰国―

映像ジャーナリストの長井健司さんが遺体になって帰国された。
先月27日にミャンマーのヤンゴンで反政府デモを取材中に銃撃されて死亡、撃たれた瞬間、体が吹っ飛んだ映像からも至近距離で撃たれたことは明白だ。

悲しい。
たまらなく悲しい。
そんなに何度も同じ映像を流さないでと心の中で叫ぶ。
戦地や暴動の地に赴くカメラマンやジャーナリストの勇気に敬意を表す。

1990年の湾岸戦争の時から戦争がリアルタイムで報道されるようになった。あの時、我々は安全で暖房のきいた茶の間で見ていた。爆撃弾で光る夜空の画像だけを見ていると、その下で起こっていることを想像する能力も奪われていくようだった。

人間性喪失もはなはだしい現代にあって、我々の目を覚ましてくれるジャーナリストたちの働きは多大だ。

長井さんは、「誰も行かない所に、誰かが行かねばならない」、「誰かが真実を伝えねばならぬ」というのが口癖だったという。
そして、銃弾に倒れた。
このような使命感に貫かれた生を生きる人には、神はその思いと共に、それを実行する勇気と力をも添えて与えて下さるのだとしみじみ思った。

ご遺体は、カメラのグリップを握ったままの形だったという。
彼の人生を象徴している。
その手は祈りの手にも見える。


この最悪の出来事をお許しになった神のみこころはわからないが、このことを通してミャンマーが平和への道を開いていくことができるように祈ろうではないか。

まず、自分の隣り人を愛することができるようにと祈ることだ。自分自身の姿を振り返らないで平和を祈ってもむなしい。平和もまた自分の身近から始まっていくものだ。自分を苦しめる人、嫌な人を愛することができますようにと祈ることだ。


長井健司さんとご遺族に哀悼の意をこめて、私の祈りにフランチェスコの祈りを添えたい。

        平和の祈り          
             
             アッシジの聖フランチェスコ


ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。

ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。

わたしたちは与えることで受け、
ゆるすことでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。
                        
                      アーメン


主よ、年老いたご両親をあなたが慰めて下さいますように、そして、長井さんの死が一粒の麦となって多くの実を結ぶことができますように、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
posted by 優子 at 22:46| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年10月03日

歴史教科書記述問題

「出版社はたいへんやなぁ」
昨夜、ニュースを見ながら夫がつぶやいた。
既にこの時期は、来春配布される教科書の3分の2くらいはできあがっているらしく、仕事柄夫の視線は熱い。

美濃紙業は、中学校の数学と理科の教科書に使用する紙を入れさせていただいているので、教科書問題が夕食での話題になった。

と言っても、夫の関心はこれで終わり。
私の関心は本論にある。


沖縄は「本土の捨て石」にされ、「日米双方の死者約20万人のうち半数以上が沖縄県民」とされた凄絶(せいぜつ)な地獄を経験し、戦後もずっと「島ぐるみ闘争」を続けてきた。

今春3月、沖縄戦の集団自決に「軍の強制もあった」という記述を改正すると公表された。これを知った沖縄県民の驚きはいかばかりであったろう。県民の怒りと悲しみは一挙に噴出した。

このことは既に歴史研究や裁判により明らかにされたことであり、今まで認められていたことであったにもかかわらず削除され、今度は記述復活も含めた修正方針に転換すると言ってきたから、文科省の変身振りにも驚く。

要望を受け容れられる方向であることを何よりも歓迎するが、それで終わりとはできないことだ。こんな大きな出来事に対してカメレオンのようにコロコロと変わる文科省が不可解でならない。

これについては他国との関係性の問題ではなく、自国内のことであるのに、何故検定委員会はまた変更しようとしたのであろうか。その理由を知りたいものだ。

「沖縄戦および戦後の沖縄は近現代史の集約」であり、国民や国家が正しく座標軸を定め、明日への歩みの核をなすものである。
個人の人生においてもそうだ。
現実を正当かつ客観的に受け止めねばならない。しかし、このことが我々には至難なのであろうが。

事実関係は真実を記さねばならない。
真実を記したからとて、何も憎しみを誘発させるものではない。そこに目的を置くような教育をするならば、その国の未来はないだろう。大切なことは真実なる過去を知り、しっかり受け止めて、いかに生きていくかである。


何事も全てに先立って無知や無理解をなくさなければならないと思う。正義の名の下に間違いを犯すことがないためにも、もういいかげんに野蛮な戦争に決別するためにも。

ケネディ大統領が、「山上の垂訓(キリストがガリラヤ湖のほとりの山上で語られた説教)で解決できないものは一つとしてない」と語っているが、祈りによって、できる限りのことを一人ひとりが成していかなくてはならない。
今回の沖縄県民の闘いは沖縄の使命だと私は理解しているし、私たちにとっても同様であり傍観者であってはならない。


三浦綾子は書いている。

「学問は真実でなければなりません。
とりわけ歴史は、その時の政府の都合で勝手に書き改められるべきものではありません。

国を愛するとはどういうことでしょうか。
時の政府の言うままに、唯々諾々と従うことでしょうか。
国のすることだから、何でもよしとするのは、国が大事なのではなく、自分が大事な人間のすることです」。

          
                 (『藍色の便箋』より)

別の範疇の問題ながら、「どこで線を引くか」ということも常に脳裏を行き来する。


posted by 優子 at 15:52| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年10月02日

知子夫婦転居して1年、家族は3人になっていた!

長女は結婚後の2ヶ月間を福岡に住み、9月30日に生駒市に転居し、婿は10月1日付けで美濃紙業に入社した。
あれから1年が過ぎ、今は家族が3人になっているとメールしてきた娘。忙しくてすっかり忘れていたから忙しすぎるのはよくない。心を滅ぼさないように気をつけなければと思う。
娘の話題は今やわが子のことばかり、微笑ましい母親を生きている。

「前からすごい握力なのでこれを探してきたら、やはり少し持ちました!おもちゃや自分の手にはまだ関心なさげだけど・・・。

三ヶ月検診の案内も市からきたよ! 今月末くらいに連れていくつもり。・・・

今日(10月1日)で転居転職一年です。去年の今はユキの影もなかったのに不思議です。
散歩が大好きなユキなのに今日はしんどくて連れってやれなかった。あまりにぐずるから今から少し近所をまわってきます(^^ゞではまたね」。

KK.jpg

そろそろおもちゃもいるようになってきた頃。
枕元に見えるピンクの魚の形をしたものと、手に持っているガラガラは、真智子が赤ちゃんの時に使っていたもの。27年前の今頃、真智子はちょうど4ヶ月を迎える頃だった。

私から坊やにシュヴァイツァーの言葉を贈りましょう。幸せな大人に育ちますように。

あなたの行く末に何が待っているのか、
私にはわかりません。
ただ一つわかっているのは、
人に仕える道を見いだした者のみが真に幸せになる、
ということです。


私もまた熱心にそうありたいと願っています。
この30日に56歳になる今もです。
posted by 優子 at 08:06| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年10月01日

思い出に残る I 部会長の高齢者福祉部会

民生委員会の高齢者福祉部会当日の今朝になって、2週間ぶりにレポートに取り組む始末である。今日の部会に提出するように言われていた分だ。
たった2時間足らずだったが一生懸命すれば、どのようにしようか考えが出てきたから不真面目であったことを部会長さんに詫びたい。ずっと取り組んではいたのだが真剣ではなかったのだ。

民生委員会では毎年、3つの部会に別れて勉強会がある。メンバーも毎年変わる。
私は1年目に障害者福祉部会、2年目は児童福祉部会、そして、今年は高齢者福祉部会に所属しての学びである。

6月初めに「ハートフルかしば」の説明をお聴ききした。
これは、介護を受けるには若すぎるためにサービスを受けられない人々のための住民参加型在宅福祉サービスであり、社会福祉協議会は絡んでいない有料ボランティアによるサービスである。

社会の変容に伴って出産前後の人の手助けもしておられる。身体介護は1時間1000円、家事・子育て支援は800円(土・日・祝日はもう少し加算)である。

そして、肋骨を強打した日(笑)に有料老人ホーム、「奈良ニッセイエデンの園」と「介護老人保健施設 奈良ベテルホーム」を見学してきたが、これらのことを11月の定例会で発表することになっている。(もう一人の方が「ベテルホーム」を担当して下さることになった)

部会長は市のパソコン教室で指導される御仁で、部会の発表はパワーポイントも導入して各人にプレゼンテーションを課された。
時間はタップリあるから自分のパートを自由にやれと、初めてのやりがいのある部会である。


それなのに、肝心のレポートの進捗状況をお知らせしないで、先週はパソコンのことで助けてもらった。どこをさわったのだろうか、画面左上の「←戻る→」の矢印(それをアイコンと言うのもしらなかった)がなくなってしまい、一週間ほど困っていたのだ。

例えば検索するにも毎回右上の「×印」を押すので、そのたびにもとのページを起こしてこないといけないから、不便極まりなくうんざりしていた。
持つべきは友である(^−^)!!
助けを求めたら、丁寧にやり方を書いて来て下さり、「これで出てくるはずです。 うまく出てくれば、拍手喝さいです」と。

気合いを入れてやったら、出てきた!!
あの時は本当に嬉しかった。9月28日のことである。今日お目にかかった時、
「どうしたら消せるのか聞きたいですよ。あの方法を逆にしない限り消えないはずだけどなぁ」
と笑っておられたが、私にもわからない。とにかく感謝感激。
同じことで困っておられる方があればお教えしますよ。あのメールは大切に「覚え書き」フォルダーに保存してありますから。

さて、今夜から頑張らなくては!
明日もまた、『あしたづ』の編集会議のために商大行きである。
こうなれば今夜も頑張るぞ!!
今日も仕事をしながら、仕事の合間を縫って途中から部会に出てこられて、暫くして帰っていかれた方が2人も居られた。
専業主婦で、しかも私はノラリクラリしているので甘い甘い。もっと真剣にしなければ!
大いに励まされて気分はとても爽快である。

I部会長さん、ボケボケ藤本ですみません。

打ち上げの日を11月20日にOKしてきたが、その日は読書会、しかも、講師の先生をお招きしての大切な会だから絶対に休めないのに覚えてもいないし、手帳に書いてさえいない最悪さ。

帰宅早々メールを発信したら、
「了解しました。 全員出席で行いたいので、日程再調整します。 10月定例会の日に決めましょう。」と、 今しがた感謝なメールを受信した。

今夜と明日で仕上げる覚悟でやるぞ〜〜〜!
posted by 優子 at 18:23| 随想 | 更新情報をチェックする