2007年11月30日

6日夕方の関西テレビに香芝チャーチの仲間が出演?!

書いておきたいことがいっぱいなのに、民生の残務で今日も大忙し。今も「だった」とは書けないほど、やり残しの用事がいっぱい。そんな今しがた、ビッグニュースが舞い込んできた。

12月6日の夕刻、関西テレビの『スーパーニュースアンカー』に出演しないかとお声をかけて頂いた!
ノー、ノー、私ではない。落ちついて書いていこう。

まず最初に、たった今(21:40)チャッピーと夜の散歩で、「クリスマス御殿」のあるじMR.吉田さんからお聞きしたことからお話しよう。今夜もお仲間に助けられて飾り付けの仕上げをされていた。実に謙遜な方である。

12月6日と言えば、神戸のルミナリエが午後6時に点灯する。そこで、このルミナリエよりも先に点灯させようということで、今回は中継車が来ての生中継なのだ。

昨年にお聞きしたのだが、このMR.吉田さんは去年から「河内の郷土文化サークルセンター」の監事をされているKさんのご主人とお知り合い。ご一緒にシドニーまで行かれて「河内音頭」を公演されるほど親しくされているのだから、人のつながりに驚く。

さて、私たち教会員はクリスマスイルミネーションのお宅、私が「クリスマス御殿」と呼んでいるお宅の庭内で、これまでに2回キャロリングをさせて頂いている。

今年は既にキャロリングのご依頼に上がり、教会側が希望している12月23日の5時半頃に日程調整ずみだったところ、夕方、吉田さんからお電話が入った。

ディレクターさんから概要を伺ったが、具体的な内容をやりとりしておいたほうがいいだろうと、私は名刺とメモを持って駆けつけた。2分とかからない。

生中継コーナーは5時半頃から始まるので、そこで我らが登場というわけだ。感激!
ただし出演条件として3時半から4時頃までリハーサルが必要とのこと。当然のことながら、さて、木曜日の夕方に教会のメンバーがどれだけ集まれるだろうか。

こうなれば「密着チビ」もママと一緒に応援を頼みたい気分。それに聖歌隊の練習は進んでいるのだろうか?と心配もあり、お返事は後日させて頂くことになった。


「生中継は僅かなので一曲ですか?
それならば周知されている讃美歌109番の『きよしこの夜』がいいですか?」
と、朝からの頭を切り替えてやりとりをした。
Hディレクターさんの讃美歌独唱(?)も素晴しく、参加者が少ない時には出場して頂いてはと脳裏をよぎった(笑)。

ただし、雨ならば中止になり、報道番組なので何かあれば番組内容が変わることを了承。番組作りの一端を見た感じで面白かった。
吉田さんに感謝して帰宅し、即行、教会に電話するも不在なため、南大阪教会に電話した。幸いにして福野牧師が出て下さり伝令した。

観衆にインタビューをしている時も後ろで歌っておいてほしいとのこと。こちらも選曲は大切だ。やはり日本人の耳にもなじみのある讃美歌の歌詞がいいと思うのだが・・・教会へのご奉仕ができていないので発案するのも遠慮し、今年もまたアドベントを迎えてしまった(>_<)。

報道部のディレクターに制作技術局の運用技術部の方、そして、アシスタントディレクターの若い女性から名刺を頂いた。
カメラはここに置いて・・と、既にいろいろ考え始めておられた。

私は調子よく「『スーパーニュースアンカー』を知っています」と言ったものの、夕方のニュース番組は10チャンネルがお気に入りだったから、今後は関西テレビファンにならなくては。(これホンマ)(「ホンマ」とは「本当」の意味)

話の合間に、「聖歌隊と言いましても子供からお年寄りまで、地域にとけこんだ『街の教会』をイメージしておいて下さらないと、例えば同志社のグリークラブというような感じではありませんので」と、幻滅感を与えないように言葉を添えておいた(笑)。

とにかくこちらのお宅は、毎年各テレビ局3局くらいで取り上げられている有名御殿である。私はまだ一度も見たことがなくて残念だが、関西テレビは今回初、しかもこんなに大々的に取り上げられるのも初めてというのだから胸が躍る。
出演可能かどうかは教会からの結果待ち、テレビ局へは3日までに連絡することになっている。

いよいよ2日の聖日からアドベント(待降節)に入る。アドベントとは、イエスさまを待ち望みつつ降誕をお祝いする準備期間を言う。

イエスさまはニコッと笑っておられるのかな?
実現させて下されば楽しいな。

posted by 優子 at 19:00| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年11月29日

原稿送付!今日もまたexhausted!

昨夕4時55分、夫は香港から無事帰還した。
「はい、写真、写真」と早速集合写真を見せてくれたが、どれもこれも楽しそうではない顔ばかり。
「楽しくなかったん?」と聞けば、「もひとつな」と答えた。
「なんで?もしも私が行ってたら楽しかった?」「かもね」だって。
「藤本社長、ずっと笑顔がなかったから楽しくないのか心配していました」と、世話係のM氏を心配させたほど楽しくなかったらしい。ふ〜〜〜ん。

私は昨日も今日も疲れきっているので夫とゆっくりしたかったが、実は昨日中に原稿を書き上げられず一昨夜に続いて昨夜も残業だった。
今朝も早くから取り組んでいたが、せめて1ヶ月前からでも昨日今日ほどのひっ迫感でやっていれば・・・と思うものの、あれ以上は無理だったし。

例年通り最終日の明日、夫に直接商大へ持って行ってもらうつもりだったが、3日間も会社を休んでいたので忙しいからと一日の時差が生じたので大変。

今日は1時間ほどの外出だが11時から苦しい中断。
自分自身のけじめとして、集会所でもたれている老人会の方々に民生委員辞任のご挨拶をして完了!

昼食をおなかに流し込んで再起動するも、ついに3時になってしまったので、それで良しとした。

印刷はしたものの、フロッピーのデータを別のフロッピーに入れられずに焦った。毎年やっていたことなのにできなかった。仕方なく夫と娘たちに添付してメールを保存しておいてもらうようにして、フロッピーと印刷したものを送付完了。

その後、部会の会計報告書を整理したりして一息つく暇もなく、夕刻から民生・部会の打ち上げに出かけた。またギックリ腰になりそうな感覚もあるほど行く前からクタクタだった。そして、ようやく一日が終わってホッとしている。

1回目の編集会議は12月4日、私も編集委員だがこの日は民生委員会の委嘱式のために欠席させて頂かねばならない。
とにかく書き上げたので一つ肩の荷が下りた。
次に迫っているのはペンクラブの課題だ。


夫のお土産話に興ずることもできないほど時間がとれないでいる。
中国は空気が悪く、どこもここもクーラーがついているので寒かった、鳩の丸焼きが出たという話くらいだ。

夫は私のことを聞いて下さる方々に、「肋骨にヒビが入って」という欠席の言い訳をしていたらしいが、私はとっくに治っている。1ヶ月余りで完治したからと、ピーはヒビなんか入っていなかったと言っていたくせに。

来年は北越製紙地元の新潟旅行、紙をすく新しい機械ができるのでお披露目もかねてらしい。

良輔さん、今度はまた一緒に行くからね。私と一緒なら笑顔が出るなんて可愛い!!
でもね、一生に一度でいいから、愛の言葉がほしい優子です。
娘たちの結婚を機に、私たちも夫婦としての熟成段階に入ったようやね。
良輔さん、良き日々を生きていこうね。
愛してるよ〜〜〜〜!!揺れるハート
posted by 優子 at 23:42| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2007年11月28日

4ヶ月のユキ坊でリフレッシュ!

早朝から原稿書きに根をつめていて、「て・に・を・は」の使い方もわからなくなってきたので、ユキ坊でリフレッシュしよう。超ビジーで掲載できていなかった4ヶ月のユキだ。
とにかく「少しも私の体から離れないチビ、私と密着してると機嫌よくて離れてると激しく泣く。二人のときは目茶苦茶泣き?がなくなり、泣く理由がわかりやすくなってきたけれど・・」。

ユキ笑顔@.jpg

ハイハイポーズのユキ.jpg

ユキのアップ.jpg

髪の毛が薄かった知子の赤ちゃん時代でももっとあったよ。これから寒いよ〜。
「今も3時間泣きたおしている・・・結論は女児の数倍男児は大変、しかもその中でも筋金入りでタフ過ぎるみたい。育児の大変さマックスの子みたいです」と知子ママ。

とにかく抱いていないと泣くので、ついに右手も腱鞘炎になってしまった。
(ママに)密着チビ、ぐずりチビ、タフ児・・・といろいろ呼ばれているユキくんはお外が大好きチビである。

さて、今「留守宅用」冊子を見ると、14時40分に夫が関空に到着する。うわあ〜〜たいへん!あと3時間しかないよ〜。
ユキ君ではないが、このような時は再飛行してきてもいいよという気分(ごめん)。

さあ、一心不乱にもうひと頑張りして、帰ってくるまでに仕上げてしまわなければ!

「洗面用具、ねまきなど用意されていない場合がありますので、ご自身でお持ち下さい」と読んで目が点になった。ちゃんと用意されていたのだろうか。ピー、ゴメンネ。不憫な夫。ダメな妻。
posted by 優子 at 13:20| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年11月27日

香港より愛をこめて?

葬儀式の昨日は2時過ぎに帰宅した。休憩はあとの楽しみにして、独り住まいのお年寄りの方々を訪ねて民生委員を退く前のご挨拶に回った。

「みんな結構に暮らしてはる高級住宅街に用事なんてないんやから、民生委員は一人でいいのになあ」と仰った方、また、ある方は、「藤本さんが辞めはるなんて気の毒やなあとみんなで話してるんです」と言われて意味がわからなかったので、「えっ?気の毒とは?」と言葉が出てしまった。

「いや、藤本さんのことを悪く言っている人は誰もいませんよ」と説明しておられたが、世間の人はいろいろ噂話に花を咲かせるものだ。
「そういうのではないですよ」と言えども右から左に流されたようだった。そのような話に時間を費やすには惜しすぎる。世間の噂を耳にしたところで私は全く気にもならない。これもまた感謝である。

殆どの方々が心から惜しんで下さって、「これからも心の支えにしていますからよろしくお願いしますよ」と涙ぐんで下さった方も数人おられ、胸が熱くなった。神さまに感謝した。

そして、ホッと一息ついた夕方6時過ぎのこと、一本の電話が入った。
「はい、藤本です」
「私です。こっちは暑いわぁ」と、香港にいる夫の明るい声だった(^0^)。

私は悲しみの式直後であったことと、25日から夫が不在だったことから、夫からの明るい声に戸惑った。どちらが現実なのかわからなかった。
私には夫との生活が許されていたんだということを思い出すほど、友の悲しみは私の現実でもあった。


夫がすごく可愛いと思った。
だって、嬉しそうに私に電話してきてくれるんだもの!


「このスーツケースあかんわ。・・・ヒビ入ったから申請しておくわ」と、国際電話が安くなったとは言え、そんなどうでもいいことを話すので「電話代が高くなるよ」と笑って3分ほどで切った。

夜も寂しさを感じる余裕もないほどクタクタで、25・26日の夜はバタンキューで眠ってしまった。夜中も一度も目が覚めず7時まで熟睡していた。玄関内に控えしチャッピーと共に。

1ヶ月余り前からずっと気になり続けている原稿締め切り。
全く怠けてはいないのに今年はどうしてこんなになってしまったのだろう。2年前でさえ国勢調査をやりながらも、ここまで必死ではなかったのにどうしても時間がとれなかった。

今回の内容は、私に影響を与えた西口孝四郎氏のことなので、従来の評論ではないが、氏の筋金入りの厳しい新聞記者の姿と、中央公論で発表された谷口潤一郎研究者としての功績と、私が感化された出来事と西口氏への思い、そして、晩年に「罪の告白」をされたことなどを書き残しておきたいのだ。

そのことはまた、私にとっては20年間の読書会への惜別と新しい出発を意味する大切な寄稿である。

ずっと手付かずのままで中断してしまい、漸くにして今からと明日だけの僅かな時間しかなくなってしまったが、制限の中で最善を尽くしたいと思う。
posted by 優子 at 15:33| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2007年11月26日

葬儀式にルイ・アームストロングの歌声が会堂を充満す

神はひとりごを賜うほどに
世人(よびと)を愛したもう神は愛なり
ああ 神は愛なり けがれはてし
我さえ愛したもう神は愛なり

前夜式の夜が明けた。
冬の朝の散歩は住宅街を離れて畑が続く道を行く。今朝もチャッピーと歩いた。
神は節子さんの最も愛する人をお召しになったが、神は愛にして愛の方であるのだからと自分自身に言ってやり、聖歌392番を歌った。誰もいなかったので、そのうち大きな声で讃美した。

Nさんは教会での葬儀は初めてだからと持ち物や作法を聞かれ、緊張されていたが快く教会の葬儀式に参列して下さった。
Oさんも大阪から駆けつけて下さり、昨日も今日も大勢の方々で会堂はいっぱいになった。

今日は富田林本会堂、南大阪福音教会の主任牧師である福野牧師が式辞を述べられた。
知子の結婚式に御臨席下さった冨美子姉は「結婚式のメッセージの時も思ったけれど」と、エリック牧師を初め、周りの方々への配慮に満ちた福野牧師のメッセージから、師の懐の大きさに敬服されていた。

昌平さんが大好きだったルイ・アームストロングの歌が流れる中、ご遺体と最後のお別れをした。

I see trees of green,red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself
What a wonderful world

I see skies of blue and clouds of white
The bright,blessed day,the dark say goodnight
And I think to myself
What a wonderful world

The color of the rainbow so pretty in the sky
Are also on the faces of people going by
I see friends shaking hands
Saying how-do-you-do
They're really saying I-love-you

I hear babies crying,I watch them grow
They'll learn much more than I'll ever know
And I think to myself
what a wonderful world

Yes,I think to myself
what a wonderful world


今、アームストロングの歌をオートリバースしながら歌詞を打っている。私も20歳くらいの時から歌っている大好きな歌である。

まもなく生後6ヶ月を迎えるひかりちゃんの泣き声を聞いていると、間違いなく昌平さんの祈りが実を結んでいくことであろうことを予感させた。

昌平さんと節子さんの願っているように、倫太郎君とひかりちゃんたちは神の愛の中で育まれている。なんという祝福だろう!
そして、2人の幼子が成長した時には、必ずや神が造られた世界の美しさと神の愛を知ることであろう!


家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり
愛する顔 いつもの席に見えぬぞ悲しき
さはれ 天に一人を増しぬ 
清められ救はれ全うせられしもの一人を

家には一人を減じたり 帰るを迎ふる声一つ見えずなりぬ
行くを送る言葉も 一つ消えうせぬ・・・

地には一人を減じたり その苦痛 悲哀 労働を分かつべき一人を減じたり・・・
さはれ あがなわれし霊の冠をいただくべきものひとりを 天に増しぬ

天に一人を増しぬ 曇りし日もこの一念に輝かん・・
家に一人を増しぬ 分るることのたえてなき家に 一人も失はるることなかるべき家に
主イエスよ 天の家庭に君と共に坐すべき席を 我らすべてにも与えたまへ


3人のお子達それぞれの人生が、いよいよ神のご計画によって豊かに展開されていくことであろう。ご遺族の方々の上に大いなる慰めと祝福がありますように!

そして、参列されたお一人おひとりの心を導き、救いの喜びを得ることができますように祈ろう。
posted by 優子 at 20:24| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年11月25日

佐藤昌平兄(きょうだい)前夜式

「皆様、ここに昌平さんはいません。
魂は迷ったりしないで直接イエスさまのところに行きました。
昌平さんは73年間、イエスさまを『知らない、知らない』と言って生きてきました。・・・しかし、自分の力では良い人になれないとわかったのです。自分から『70年間の罪を赦して下さい。』と祈りました。・・・」


エリック・カーフマン牧師の式辞である。
11月1日に昌平さんの病床にて洗礼を授けられた方であり、司式は徳山守師が務められた。

節子夫人が遺族代表の挨拶で語られた言葉は、夫婦として深い人生を刻んでこられた人のものであり、今も涙が出てしかたがない。

主人は(クリスチャンである)私と娘のこれからのことを思って、祈りも込めて主にすがりついたのだと今思います。

・・・10月23日に再々入院してからの1ヶ月間は絶食状態でしたが、私たちにとって濃密な時間でした。・・・

ヨハネによる福音書の『わたし(イエス)のいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』・・・

結婚して44年間の旅路は苦しみの想いはありません。
2人でよく頑張ってきたんだなぁと思います。・・・」


強く私の心を打った。
昌平さんは73歳で節子さんは68歳。
私たち夫婦は来月で結婚31年周年を迎えるので、私たちも
44年間一緒に居られるとすれば、夫は75歳で私は69歳になる。
節子さんたちも私たちと同じような年齢で結婚生活を始められたんだと、ご夫妻の年月を想うと感慨無量で言葉が出ない。(もっと今の気持ちにふさわしい言葉を知らないのか!気持ちをうまく表現できずに苛立ちを感じる。)

昌平さんの何よりの形見であるお2人の息子さんたちもまた、イエス・キリストの救いの喜びを知ることができますように!

昌平さんの友人である川上先生(私の大学の恩師でもある)が不調を訴えておられたことを知り心配していた一週間だったが、訃報のお知らせのあとも節子さんにも御連絡がないとのこと。

川上先生は節子さんに携帯電話の連絡先を伝えておられたので教えて頂き、ようやく7時過ぎに連絡がとれた。
「今、会議中なの」と仰ったのでとにかく一安心し、要件のみを申し上げた。
「いつ亡くなられたの?」
私が話し終えてもしばらく黙しておられ、「わかりました」とだけ仰った。
悲しみがつのる。

夫は今朝早く5時59分の電車で関空に向かい、北越製紙の旅行で香港へ発った。
原稿締め切りが迫っていることへの配慮から一晩泊まりだが、私が寂しいだろうと昨日から長女夫婦が来てくれいたので、婿が自動車で駅まで送ってくれてありがたかった。


知子たちは子供がぐずって泣き止まず、黒い服の用意もないので私を教会近くまで送って生駒の家に帰宅した。
4時からの納棺式に立ち合わせて頂くことができた。

イエスさまの救いに与った者には、再び会えることを約束して下さっている。人間と違って神の約束は絶対であるから、悲しみはしばしのこと。
また会える!!
節子さん、必ず会わせて下さるのだからね!!!
今は思いっきり泣けばいい。
主は必ず昌平さんを節子さんに返して下さるのだからね!!!
posted by 優子 at 23:09| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年11月24日

Oさんのご返信と悲しみと

優子さま

メールありがとうございました。
紙商健保の方々の熱心なご依頼と良い準備に励まされて当日を迎えましたが、パワーポイントがうまく作動できず、皆様には忍耐していただきました。
それでも、OKのメッセージを返してくださり、感謝でした。

聖書の箇所は箴言14:30からでした。
「穏やかな心はからだのいのち、
激しい思いは骨をむしばむ。」

さらりと流しましたので、お心にとまったことでも嬉しゅうございます。

事業主でいらっしゃるご主人さまにも、日々おしかかる責務がおありと推察いたします。
どうか、主がご主人さまのお仕事の上に大いなる助けを送ってくださいますようお祈りいたします。

12月15日のことでは良い準備をすすめて下さっていますこと、とても感謝です。
紙商さんでのお役も終わりましたので、心を15日に向けて備えて参ります。
寒くなりましたが、皆様の体調が守られ、ご出席が叶いますように。

感謝します。
13日に一斉に御案内メールを発信しました。
心に示された方でパソコンを使われていない方々にはお手紙を郵送しました。
現在、15名です。
昨日には、20日読書会でご講演下さった橋本先生からも出席のご連絡を頂きました。

狭い自宅ですので心配もありますが、「マルタとマリア」を思い出して、最も大切なことを最優先しようと励まされています。祈り進めて参りますので、皆様も祈りに覚えて下さいますようにお願いします。

今日は長女たちが3ヵ月半ぶりにやって来ます。会社(美濃紙業)が半日ありましたので、着くのは昼下がりになるでしょう。
何とか掃除を済ませた今パソコンを開けると、30分ほど前に教会とSさんからも訃報が入っていました。

昨日も服部記念病院の前を通ったのでした。
病床にお訪ねしたかったのですが、夫に遠慮するように言われて祈りながら通り過ぎたのでした。夜には11日にお見舞いに行かれたA姉からご容態をお聴きしていたことでした。この時はもう天国に凱旋されていたのですね。

神さまが「もういいよ」と、ようやく昌平さんの心臓の動きを止めて下さったのですね。昌平さん、よく耐え忍ばれましたね。
今は一切の苦しみから解放されて主と見(まみ)えておられることでしょう。また、お会いできますね。

ご遺族の上に、特にS姉の上に神の慰めが豊かにありますようにお祈りします。
                    
posted by 優子 at 13:35| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2007年11月23日

紙商健保組合「健康教室」の講師がoさんだった!!

目が覚めると外はすっかり明るくなっていた。
「良輔さん!エライコッチャ、もう7時20分や、はよ起きて!」
軽いいびきをかいていたのに即座に「もう起きてます」と返した夫。その瞬間に、「ああ、今日は祝日やった。ゴメンゴメン、起こしてしもたなあ、続きを寝て、もっと寝てや」と言って、私は階下に下りた。

アメリカでも今日は ”Thanksgiving Day ”(感謝祭)で、毎年
11月の第4木曜日だから今年は「勤労感謝」と同じ日の休日である。(真智たちは時差14時間遅れ)

※勘違い!今日は金曜日だったことを夜11時に気がついた(>_<)

さて、最近の記事でチョクチョク登場する夫は今日も出番である。
昨日の2時45分のこと、珍しく夫から電話が入った。
厳かな感じで前置きを話し出すので、心配性の私はたまらなくなって「悪い話?」と言葉をはさんでしまった。
「違う」と言われて安心して聞くと、「健保組合の『健康教室』の講師がOさんやねん!」と嬉しそうに話した。

Oさんは家庭集会「オリーブの会」のリーダーを務めて下さっている姉(しまい)で、私がお姉さんのようにお慕いしている素晴しい方である。

「トゥルニエ読書会」を紹介して下さったのもF姉である。
教会はもちろんのこと、いろんなところでご奉仕され指導的立場で用いられている方で、長年「KGK(キリスト者学生会)」のお働きもされている。

お若い頃は淀川キリスト教病院で看護師をされ、今は保健師としてご活躍されている。
昨日の紙商健康保険組合主催の「平成19年度 健康教室」は、今年から設けられたものであるが、「講師のO先生のお話が好評だったのでまたお願いした」というわけで2回目とのことだった。残念ながら1回目は欠席している。

夫は健康管理事業推進委員会の役員なのに、なぜ当日まで講師を知らなかったのだろう。「知らんかってん」と笑っている。

夫の健康管理のためにもチャッピーの散歩は、真冬並みの寒さになった今も夜である。昨夜の散歩中はこの話で盛り上がり笑ってばかりだった。

「職場のメンタルヘルス」をテーマでお話されたことを話してくれるのだが、「聖書の言葉も引用しはったで」と言うから、「どんな言葉だった?」と聞けば、「忘れた」と言うのも夫らしい。(Oさん、今度教えて下さいね)

「今日の話からすると、ユー(優子)がしんどがるのはストレスのせいやなぁ」。
(ホンマかいな)
「そうかぁ、これでは証しにならへんなあ、確かに常にストレスフルやったから。でも、主に在って民生委員も終えられて悔い無し!読書会もね!」と、神さまの話になった。

ひとりで行く今朝の散歩でも感謝が溢れて溢れて、祈りの声が大きく大きくなって、いつしかイエスさまとおしゃべりしながら歩いていた。

「チャッピーの働きも終わったかな?」と夫が言った。
家族崩壊の危機に突然やってきたチャッピーだったから。
チャッピーと目と目が合った。
「ありがとう、チャッピー、長生きしてね」と言うと、また私を見た。心労をかけてばっかりで許してねもうやだ〜(悲しい顔)。これから犬孝行しよう。

夫との会話も一段落した時、雲の合間から見える天空を仰いだ。静寂の宇宙のように私の心も澄みわたっていた。
そして、家に着くまでクリスマスキャロルを歌っていた。

♪Oさん、心から感謝しています。
「オリーブの会」が33回目ということは、もう32回もこんな遠くまで来て下さったのです。前回の後片付けをしている時、O姉と千里姉に感謝の涙で目を潤ませながら食器を洗っていました。
そして今改めて、数え切れないほどこのような友と出会わせて下さった神さまに感謝します。


今日は夫の香港行きの準備だ。私はギックリ腰になってしまったのでお断りしていてよかった。
夫は、「ユーも行ったらよかったのに。腰も楽になってたのに」と言いながら留守宅用の旅程表を渡した。
「いや、まだ痛いし、それにあの会も気を遣うから。最近はストレスでしんどなるやろ。それに、私は人おじするから。」
「どこが人おじするねん、笑ってしまうわ」だって!

posted by 優子 at 10:34| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2007年11月22日

野に咲くユリの花のように

心の糧にしているオースティンの言葉に関連して、かのエドマンド・バークもこんな言葉を残している。
「忍耐は仕事を支えるところの、一種の資本である」と。納得!

ところで、私が所属しているいくつかの会の知人たちが、それぞれに人間関係で悩んでおられるが、それは生きている証しというものだ。それを通して共に自分に磨きをかけていこうではないか!

私も飛んでくる火の粉を神の盾でかわしながらサバイバルしているので(>_<)、
昨日一昨日はパソコンの背景画にしているユキ君にどんなに癒されたことだろうか。最近届いた写真を早くおばあちゃんバカでご披露したいと思っているのに「超ビジー状態で処理できません」。

それに対して正反対の生き方をされている久保田先生と、O姉の慎ましさに私は深く心打たれた。
野に咲く百合の花を想った。
このブログを読んで下さっている方々を思った。
祈りに覚えて下さっている方々を思って深い慰めを得た。


と言うのは、11月4日に放送された久保田先生の番組要約を当日のブログ記事に書いたが、それをペンクラブのO姉が印刷して10日の関西ブロック集会で久保田先生にお渡しして下さっていたのだった。

そのことを先週半ばに届いた久保田先生からのお葉書きで知った。
私は直ぐにお返事をと思いながらも昨日になってしまったが、お葉書きにはO姉が皆さんに放送連絡して下さったことへの感謝と共に、ブログで「放送内容の要約を見事にしていただき、ありがとうございました」と書いて下さっていた。

人間というのは見事なほどに心のありようが外の姿に映し出される。人格は明確に現れ、外側を繕うことは絶対にできないことだ。
神に祈れる幸いをしみじみ感謝し、深い慰めを得て癒された。


19日の記事を読んで下さったY姉からは、「ご主人の愛情と協力に心打たれました」と書いて下さっていた。

主に在る方々との交わりを通して、私もまた「喜ぶものと共に喜び」、「互いの徳を高めることを、追い求め」る生涯に導かれれている。
祈りの友たちを思い浮かべて、私も野に咲くユリの花のように慎み深く生きていきたいと願っている。


主よ、感謝します。
傷ついた魂を癒して整えて下さったことを感謝します。体力も回復しました。しかし、腰痛がひどくて座っているのが苦痛です。しかし、私は腰を痛めてでさえ書き上げたい、命を削って書き上げたいのです。
どうか『あしたづ』への最後の原稿を自分で納得できるまでに仕上げることができますように、集中力と腰を支えて下さい!

posted by 優子 at 09:58| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年11月21日

「東大阪読書友の会」新時代始まる

今朝も腰痛がひどくて長くは座っておられなく、橋本先生と豊中読書会の方へのお礼状と、昨日お会いできなかった元会員のFさん、そして、久保田先生にお手紙を書くだけで精一杯だった。

その後は何もできないで朝の10時から一日中横になっていた。『あしたづ』の執筆が全くできないので焦る。あと1週間しかない。夜になって少々楽になったので昨日のことを書いておきたい。

「汝の心の庭に忍耐を植えよ。その根は苦くともその実は甘い」。
18歳の時に出会ったオースティンの言葉である。
オースティンについては、『高慢と偏見』の題名だけはよく知っていても未だ読んだこともなく、『エマ』については書名さえ知らなかった。

昨日の「第1回 公開読書会」は大成功だった。
開会時から壇上に椅子を並べ、会員7名と豊中読書会から3名も加わって頂いて10名が座り、いつもの読書会の雰囲気で感想を述べることから始まった。
そのあとは退場し、「『エマ』に見る上流中産階級の特性」と題する橋本先生の講演に移った。

ジェイン・オースティンが生まれたのは18世紀、英国の激動期である。
エドモンド・バーク(Edmund Burke 1729-97)がイギリス議会上院で語った有名なアメリカとの和解演説(1775年1月20日)から始まった橋本先生の講演は、最初から聴衆をひきつけた。

「和解によって平和を勝ち取ろう。平和を勝ち取るために我々(英国)が譲歩しよう。強い者が譲歩しよう。
弱い者(アメリカ)が持っているのは『今』という時だけなんだ。彼らの持っている『時』を良い時にしてやろう。機会を持っているだけなんだ」。

という有名な演説。

その時代的背景を聞きながら、どの時代にも偉大な人物が置かれているものだと思った。
ここで聖書を引用された。「伝道の書」である。

「天(あめ)が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、・・・」

最後は
「愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある」
で終わっていると。


エミリ・ブロンテやシャーロット・ブロンテは聖書の言葉をちりばめているが、オースティンは全く無い。しかし、大切なことはすべてナイトリーに語らせている。・・・

発言しないといけない時にはしなくてはならないと、ここで第Uコリントの4章16節の「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」を引用されたが繋がりを聞き漏らした。

橋本先生の情熱は人をひきつけ、講演後の小休止の折に商大の前室長O氏が先生を紹介して欲しいと仰ってこられた。
何しろ3時間目の講義に間に合うようにと急がれており12時半には商大を出たいとのこと、「先生が退場されたらOさんも直ぐに外に出て下さい」と講演中にメモを届けに行った。

講演終了後、控え室に戻られてからの10分間足らずの間に謝礼をお渡ししてO氏をご紹介、3人とも早口で会話した。

O氏は大阪商大で橋本先生に10回シリーズで英文学講座を持って頂きたいとのこと、来年度は既に予算も決まっているので再来年になるが、橋本先生もその方がありがたいとのことで快諾されて即決した。

今はどこの大学でも生涯教育に力を入れている時代である。
橋本先生は子育てが終わった1976年から学部に入り、そして大学院へと進まれた御経歴だけに、生涯教育には関心があると言われた。

お互いに思いもかけない機会が備えられていたと、私は信仰により受け止めている。大学としても幸運なのだろうが、個人にとって意味深さを感じる。

即ち、努力している者には突如チャンスが訪れるということだ。我々には突然と思えても、それは間違いなく神が備えておられた神の時なのだ。クリスチャン学者の活躍はことのほか嬉しい。


このO氏から頂戴した額が今もリビングの壁にかけている。商大でさせて頂いた講演会の時の写真だ。

昨日の講演会もまた、8月29日の記事に記録されているとおりO氏のご好意によるものだ。3ヶ月足らず前から進めてきたことを振り返り感慨無量である。

主催者の読書会のメンバーは当然のことながら、事務局のMさん(恵子姫)には大変お力を頂いた。バス見学会に続いて「サークルの集い」の大変な時に、読書会のことでも多大なるご苦労をおかけしてしまった。感謝を忘れまい。

実のところ開会後は少々寂しい気持ちだった。
せっかくO氏が声をかけ続けて下さっていたのだから、何とか頑張って会長時代にすべきだった。ということはO氏の室長在任中でもあったのだからと思いながら眺めていた。

しかし、橋本先生は11月にならば時間が取れるということだったし、何よりも私が1年早く役をおりることになってしまったから致し方なし。決定したのは2月5日だった。

周年行事以外では初めての試みであった今日、橋本先生のパワーと相まって役員さんたちの苦労が祝された。それゆえに会が終わった時には、私の読書会への惜別の情も完結されていた。
「東大阪読書友の会」は新しい一歩を踏み出した。


家路に着く頃、私に新しい風が吹いていた。
神さまからの希望の風が。(^−^)
posted by 優子 at 23:23| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年11月20日

「サークルの集い」カット集

17日司会.jpg

17日は石上敏教授の講演会の司会でした。
感動したことを後ほど書きとめておきたいと思います。
(この時は右耳にイヤリングがついているのがわかります)

yukosi3DSC00657[1].JPG


これは2日目18日のオープニング、田中絹子会長のご挨拶です。10時30分から始まる老大東部フレンド様による「笑い講」のハッピを着させてもらっています。
                       続いて、

A 11時から東大阪の郷土映画「ナノハナ」上映
  青年会議所理事長や青年会議所50周年委員会などから3
  名をご紹介。
B 1時30分から3時まで各サークルの活動報告

と、盛りだくさんのプログラムでした。

昨年もここで読書会の活動報告をしました。(過去ログ2006年11月26日御参照)
10月に大田正紀先生をお招きした時の交歓読書会、山本周五郎の『日本婦道記』に焦点を絞って話しました。

この時も最多忙の中でしたので、まとめる時間がどうしてもなくてブログ記事をもとに語ったのを思い出しました。
ブログに折々の感動や問題意識を刻んでおくことは実に素晴しいことだと再確認したことでした。

yukosi5[1].JPG 


この写真の時は全てのプログラムを終えて、最後の締めくくりを語っているところのようです。
コメントを考える体力と時間が無かったので、もう思いついたまま話すしかありませんでした。しかし、感動に満たされていましたので心からの言葉が出てきました。

そして、最後に次のように語ったように思います。
「これからも大阪商業大学から宝満載の河内の郷土文化を全国に発信し続けていきましょう!」と。

yuko7[1].JPG


これはロビーの展示風景です。
右側ピンクの服を着ているのが私です。
昼食後に読書会の方々と20日(今日)の公開読書会の打合せをしているところです。

撮影者はサークルセンター副会長のMIKIOさんです。
「嬉しがってブログに載せたいので」とお願いしていたのでした。思い出のスナップ集をありがとうございました。

TIME IS UP!!!

今日は長女の出身校でもある関西外国語大学准教授の橋本登代子先生をお招きします。昨秋に一度だけお目にかかっただけですが、9時20分頃に小阪駅でお出迎え役です。

この先生もクリスチャンなのです。
当カテゴリ「読書会関係」の2006年9月8日に記録されています。

では急がなくては!
今から洗濯物を干して、チャックンの散歩をして、お化粧をして・・・・OH,HELP!


posted by 優子 at 07:24| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年11月19日

総合司会役、緊張感ありの楽しい経験だった!

商大ホール.jpg

これが大阪商業大学の「ユニバーシティホール蒼天」である。
この舞台の左端に立って2日間の司会役をさせて頂いた。
緊張したが、とても楽しく良い経験をさせて頂いた。明日もまた、このホールで読書会を予定している。

ホッとしたのか今日は疲れ果ててしまい、腰も痛くなっていたので午前中は寝ていた。大好きなブログも3日ぶり、しかも夜になってしまった。夫は「今日も休んどき」と言うが、少々元気になったようなので書いておきたい。

17・18日と「河内の郷土文化サークルセンター」の「サークルの集い」は、このホールのロビーに各サークルの展示をし、今年も石臼で豆を挽いた薫り高いコーヒーコーナーも設置した。
2006年11月25・26日に前回の様子が記録されている。

17日の土曜日は午後の講演会に合わせて12時半頃から3時半頃までの参加だった。6月から8月まで休ませて頂いていたから、この催しの準備も本番も頑張り時だったのに、ギックリ腰になってしまい無念だ。
土曜日は電車で行くのは自信が無かったので、夫から「自動車で連れて行ったるで」と言ってくれて嬉しかった。

ここでちょっとオモシロイ話を。
土曜日の朝、夫の前でリハーサルしていたら「総合司会やから自分のことを言わなあかんで」と夫のアドバイス。業界の副会長や副理事長の役もやっている経験から司会役は馴れたものらしく、参考になることをいろいろ教えてくれた。

「ホンマやなあ、よく教えてくれたわ。そしたらこれでいい?『本日の総合司会は私、東大阪読書友の会の藤本が務めさせて頂きます。どうぞよろしくお願いします』」と、台本に書き込んだ。
「そこで拍手してくれるから」
「そうかなあ?」
「こんな言い方もあるで」と寡黙な夫がいろいろ言ってくれるではないか。
「もういいって!直前にいろいろと別の言い方を言われたらややこしくなるから」と、今から思えば直前にすごい余裕だったと思う(笑)。大丈夫かいな!

それが、大丈夫だったのです!!

「お知らせいたします。ホールにおきまして1時30分より大阪商業大学経済学部教授 石上敏(さとし)様により、『河内の歴史と文学』と題しまして・・・」
と、アナウンスを終えたら、席上から夫が両手で○(丸)のサインを送ってくれているではないか(笑)。ニヤッとした私は、たった一人のサポーターに笑顔を送った。

自己紹介した時は拍手までに一瞬、間があったように思うので、帰ってから夫に聞いてみると、やっぱり夫から拍手を仕掛けてくれたような感じだった。これぞ夫婦愛!ご協力感謝!

緊張感があったが楽しかった。いい経験をさせて頂いて感謝している。脳もすこぶるリフレッシュされて冴えたように思う。
この話をお受けした時は正直のところ少々困っていた。
その夜、夫に話すと「やったらええやんか!」と瞬間的に言われ、「そうか?」と夫の言葉に励まされて瞬間的に情熱が湧いてきたのだった。


夫は私が活躍している姿を喜んでくれ、いつも気楽に背中を押してくれる。そんな夫を嬉しく思い感謝している。

ところで土曜日のこと、無事に終了して直ぐに帰らせてもらったが、帰りの車中でショッキングなことが発覚した。
「イヤリング取っとくわ」と言いながら左のを取り、右の耳を触ったところ、無い!!
「あっ、無い!落としたんや。ゴメン、良ちゃん、ごめん。もう一生、作れへんから堪忍して。働くから!」と矢継ぎ早に言葉を続けた。
こんな時も何も文句を言わない夫を尊敬!
私はめったにイヤリングをつけないのに、当日朝になって急につけたくなったのがいけなかった。

私は宝飾に全く関心がないので、イヤリングは結婚の時に母が持たせてくれたこれ一つだけだった。
ところが、まだ新しかったのだ。
と言うのは、兄の婚約が決まり家族顔合わせの時の食事会で片方を無くしてしまっていた。知子が1歳少しの頃だったから結婚後2年余りの頃から、以来27年間もそのままにしていて昨年に作り直したところだった。

娘たちの結婚が決まった昨年の初め、真珠のネックレスとイヤリングを作ってやった時に、これに合わせてもう片方を作ったところだった。今回どちらを無くしたのかはわからないが、27年ぶりに2つ揃ったのに娘たちの婚約式につけただけで終わってしまった。

30年前の頃は真珠は高かったが今は安くなったと店員さんに説明されたが、私には値引きしてもらってさえ「片方だけで6万円?」と思った。
実は17日の帰りに、出たついでにと梅田のキリスト教書店まで行ってくれたので、その時に落としたように思う。

日曜日は電車で行き、最初から最後まで務めることができたが、イヤリングが落ちていないかチラチラ床を見ていた。

私はもう2度と一生涯イヤリングをつけることはないだろう。




posted by 優子 at 22:54| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年11月16日

当たり前でないことを忘れることなかれ!

今朝は6時20分まで寝てしまった。
毎晩ナイトテーブルのラジオをつけて、NHKのラジオ『深夜便』をかけっぱなしで寝るのだ。私よりも早く5時40分頃に起きる夫は、私が目を覚ますようにとラジオをつけたまま階下に下りる。
ところが今朝は、私を寝させておいてあげようという計らいからラジオを消してあった。
「夫の優しさ発見!」である。ありがとう!

特に弱い方の左足で体重を支えるので、今朝から筋肉痛になっているし股関節も痛む。

「喉もと過ぎれば暑さ忘れる」というが私は忘れすぎだ。
再び、お風呂も苦痛になった。
風呂場やトイレの手すりがありがたい。
階段を上がるにも必死、痛みのストレスで動悸がひどい。お風呂上りに居間で寝転んだもののベッドに行こうにも起き上がれない。肋骨をお強打した時は起き上がるまでが大変だったが、腰を痛めるとこのあとも立ち上がれない。

どうやっても立てなくて情けなかった。
母がどんな思いで過ごしていたのか、父や義父のことも思い出し自分が年老いた時のことを想像した。そして、一人になった時のことを想った。その悲しみは夫ではなく私にと思う。


多忙な用事をこなしていけるのは健康であるからだ。
意志が弱いのどうのこうのという前に、歩けるのも、話すのも、食べるのも、全て当たり前ではないのだ。
私は何のために母の悲しみを通ってきたのかと改めて振り返らされている。


「激痛の時は安静第一」と友からの嬉しいメール。今朝、ミネソタからも届いていた。弱虫の私にはタイムリーな励ましが身にしみる。私もそのようでありたい。

良輔さん、今夜もお風呂を洗ってね。
チャックンの朝の散歩は何とか終えたけれど、歩くのも痛いです。当分、いろいろお願いします。
回復後は今度こそ家庭的な妻に変身するからね。


posted by 優子 at 10:59| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2007年11月15日

今度はギックリ腰!

この前の定例会で重いものを持ったのもいけなかった。
年がら年中腰痛を訴えている私だが、最近もまた特に警戒警報発令状態中だった。朝食を済ませた直後の9時半頃(?)、かがんだ時にギックリ腰になってしまった。
右側だけだから痛いながらも歩けるので軽い方だが、それでもかなり痛い。

ギックリ腰は母の介護に通っている時に2回経験している。
2度とも疲れきっていた時で、気持ちの上でしんどい時だった。実の母のことでも、「行くのはいやだなぁ、しんどいなぁ」と思っていた時だった。


登校拒否の子供が訴えるように、行く朝は股関節の痛みが特にきつくなるのだから不思議だった。そして、覚悟を決めて玄関を出た時には痛みも楽になるのだから驚いたものだった。

2回のぎっくり腰はそんな時に起こったので、精神的に関係するものだとばかり思っていたがそうではないようだ。
こんな時に起こったのだから!
とにかく2日前から腰が痛くて、昨夜はもうクタクタだった。


民生の仕事もいよいよ幕を閉じようとしている。
昨日の「市民ワーキング会議」は継続して出ることになっているが、小学生下校時の見守りも終わった。

20日には「キューピークラブ」という名の子育て支援の集まりがあり、高齢者福祉部会が行く番になっている。
私は大切な読書会とブッキングしたので欠席、会計を預かっているのでそのあとの昼食会の費用を先ほど言付けてきた。ぎっくり腰になったのはその30分後くらいだった。

部会の打ち上げが29日夜にあり、あとは12月3日朝の歳末助け合い募金活動と4日の委嘱式を残すのみとなった。式後の引継ぎのためにも整理しておかなければならない。

私のけじめとして委員が交代することをお伝えするために、11月最終の老人会で御挨拶させて頂こうと思っている。それに先立って独居の高齢者の方々にご挨拶に伺おうと思う。

肋骨騒ぎはまだ少し前のことなのに既に不自由さを忘れ、深い感謝も忘れがちになり元気で動けることに慣れてしまっていた。
しみじみ愚かなことだと思う。


「肋骨がこんなに順調に回復したのも皆さんに祈って頂いていたからやねぇ」と、過日に千里さんと話していたところだった。
と言うのは、「いつまでもスッキリせずに痛みを訴えておられる人も居るよ」と、千里さんがしみじみと仰ったのでハッとしたのだった。

こうして座っているのももう限界。
左のお尻に体重をかけて座っているのでそこがしびれているし、座っていても痛い。立ち上がるにも顔が歪む。不自由なものだ。今一度心を静めて、神のみこころに添うように過ごしていきたいと思う。

これを書きながら、今の私には必要なことだったかもしれないと既に思い始めているが・・・、17・18日の役目と、原稿締め切りが迫っている。

posted by 優子 at 10:35| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年11月13日

先の記事追記・参加御希望の方はご連絡下さいね!!

集会参加を希望して下さる方は、今月末までにメールか電話にてご連絡下さいね。
準備の関係と、アクセスのご案内をさせて頂くためです。路上駐車も大丈夫です。あるいは、迷われたあげく当日近くになってからご連絡下さっても大歓迎です。

メル友の方にはメールでもお誘い発信させて頂きますね。

それに、我が家のすぐ近くに香芝市では有名なクリスマスのイリュミネーションのお宅があります。毎年、関西のテレビに何度か放映されています。

ご主人様は河内音頭の音頭とりで有名な方のようです。
今年も先週からご主人様が夜に飾りつけを始めておられ、昨夜はお仲間を集めて大勢で励んでおられました。今年も新しい電飾が増えていました。玄関入って直ぐの所に赤い大きな球状のがありました。

点灯は夕方5時ですので15日集会のあと、お時間の許す方は「クリスマス御殿」(優子命名)をご覧になっては如何ですか?

過去ログ・2006年12月17日をご覧下さい!!
右側のその箇所をクリックしてくだって、17日のところまでスクロール(下へ動かす)して下されば出てきますよ!!

今年も香芝ゴスペルチャーチのメンバーがキャロリングに行きます。日程はこれから調整します。
聖書のメッセージをもっと織り込んでもいいなぁ・・と、関わってみたいことが一杯ありますがアレモコレモはできません。
目下の急務は今月末締め切りの原稿を仕上げてしまうことです。

17・18日に大阪商業大学で催されます「サークルの集い」も迫まってきました。昨日は3人の役員さんたちだけで展示の準備をして下さっています。
昨日、T会長さんからの電話で私はホールでの映画会、講演会や各サークルの活動発表など、2日間共に総合司会役を仰せ付かりました(>_<)。(台本がまだなのですが・・・内心の声)

実に残念ですが17日の谷口家の家庭集会は、今回もサークル関係のために欠席です。夫は一人では行きませんから夫のためにも残念です。
知子夫婦たちにとってはチビ君のデビュー、皆さんが幸悠に会えるのを楽しみにして下さっていますから、なんと感謝なことでしょう!!

20日も同じホールをお借りしての読書会です。
講師の橋本先生に申し訳ないですが、テキスト『エマ』を読むのは諦めました。
以上、頭を整理しながらの追記でした。
posted by 優子 at 20:07| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

讃美歌「ああ主のひとみ」の作詞者・井置牧師が我が家へ!

第33回 「オリーブの会」特別集会のご案内

クリスチャンの方ならば讃美歌243番「ああ主のひとみ」をご存じない方はおられないと思います。
私も同志社女子中学校に入学した早々に覚え、信仰生涯を歩む今、何度も慰めと励ましを与えられております。

讃美歌はメロディだけではなく、歌詞が聖書のみことばからきていますので、力をもって魂に響いてまいります。     

讃美歌243番  神の招き  

 1 ああ主のひとみ、まなざしよ。
    きよきみまえを 去りゆきし
    富める若人(わこうど) 見つめつつ、
    嘆くはたれぞ 主ならずや。

  2 ああ主のひとみ、まなざしよ、
    三たびわが主を いなみたる
    よわきペテロを かえりみて、
    ゆるすはたれぞ、主ならずや。

  3 ああ主のひとみ、まなざしよ、
    うたがいまどう トマスにも、
    み傷しめして  「信ぜよ」と、
    宣(の)らすはたれぞ、主ならずや。

  4 きのうもきょうも かわりなく、
    血しおしたたる み手をのべ、
    「友よ、かえれ」と まねきつつ
    待てるはたれぞ、主ならずや。

次回の家庭集会は、これを作詞された井置牧師をお迎えしての特別集会を持たせて頂くことになりました。
歴史ある讃美歌の作詞者とお会いできること自体が不思議です。このような機会はめったにないと思いますので、この記事をお読み下さっている貴方も是非お出で下さい。


『神の痛みの神学』で有名な日本を代表する神学者の一人、日本の神学が世界のキリスト教界に大きな功績を残した北森嘉蔵牧師は、著書『日本人と聖書』で次のように書いています。

「裏切ったペテロを見つめられたイエスの眼差しを讃美歌にとり入れたのは、日本が初めてで、西洋の教会や西洋の神学では十分とりあげられていなかった。
日本の心の在り方ゆえにこのことが可能だった」


井置牧師から神さまのメッセージをお聴きしましょう!!!
勿論、クリスチャン、ノンクリスチャンを問いません。
信仰は押し付けるものではありませんし、特にイエスへの信仰は押し付けられるものでもありませんのでお気軽にお出かけ下さい。

私はよくこんなことを想像するのです。
時に応じて友人や知人から良き招きに与りながらも、耳を傾けないまま年月が過ぎてしまい、声をかけて下さった方々も私も歳をとってしまった。あるいは、年老いた自分だけが残ってしまったシーンです。

そして、「ああ、友と一緒に歩んでくればよかった。ねえ、どうすればいいの?」と嘆き悲しみ、既になすべきことをなして地上の生涯を終えて去って行った友たちを思う姿です。

あるいは皆さん、私が死んでしまってから、「藤本さん、熱心に言うてはったなあ」と、あとになって後悔しないためにも遠方でなければいらっしゃって下さい。
大歓迎いたします!!

この記事をご覧下さっていること自体が神さまのお計らいによるものです。
私は主(イエスさま)を知ってから積極的になりました。厚かましく感謝してお受けできるようになりました。

この集会を通して、神さまは私にも大きなギフトを用意して下さっていると信じます。それは大きな気づきや閃きかも知れませんし、参加されたどなたかと深い出会いを計画して下さっているのかも知れません。あるいは、ペン活動への情熱や何か具体的なビジョンを見せて下さるのかも知れません。


12月15日(土) 10時30分から始めます

昼食はこちらで用意させて頂きますので手ぶらでお出かけ下さい。
この日は私の敬愛する谷口幸子先生(81歳)も来られます。『メメントドミニ』にはチョクチョク「谷口先生」のお名前が登場しますでしょう?是非ご紹介させて頂きたいです。

当地は辺鄙な所ですが大阪駅からですと1時間、鶴橋からですと30分でお出でになれますので、関西在住の方は是非お出かけ下さい。
慌しい12月ですが、この日はリトリートをかねて3時頃まで幸いな時を計画しています。どうぞお祈り下さいね。

チャッピーも待っていますから、是非来て下さいね!!                        
 ワン! 犬
posted by 優子 at 14:07| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年11月12日

ユキちゃんの「お食べ初め」は晴天だった

10日は幸悠(ゆきひさ)のお食べ初め。
週間予報では雨だったのに曇りから晴天の一日になった。
出かける前に1時間近くスカイプしていた真智子によれば、ミネソタでは既に0度を切っているのに、この日は20度以上の汗ばむ陽気となった。

食べ初め.jpg


食べ初め5.jpg


半袖でも平気なほど暑かったね。
ミネソタの真智たちは真冬なのにね。

私たちは3時過ぎに「さよなら」して、娘たちは日曜日の夜に帰宅した。
楽しい一日をありがとう!
posted by 優子 at 22:43| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

高い感受性を磨きたい

「この世に生まれる時の葛藤や苦しみについては我々は知るよしもないが、この世から出ていくのは決してたやすいことではない」。  
                (トマス・ブラウン)


昨日の徳山守牧師任職祝賀礼拝に、節子姉が一瞬来られたことを淳子姉からお聞きした。
昌平さんは小康状態を保っておられるとのこと。
昌平さんのこと、ご主人を支えておられる節子さんのことを朝に夕に祈り続けているが、今一度、母や父の時に学んだことを思い出したい。

「死が苦痛なのは孤独による」と神学者ポール・ラムゼイは言っている。「見捨てられることが死そのものよりも衝撃を与え、死以上に苦しい」と。

「病人をお見舞いする時に、その患者さんの感受性と牧会者のそれとは全然次元が違うということを、まず知っておかなければならない。

患者さんは我々の持つ感受性どころではなく、10倍も20倍も高い感受性で話すのだから、感受性を磨かねばならない」
と日野原氏は訴えておられる。

母の場合は人間たらしめる思考力と感情が残されていながら、一切の機能が奪われて体は肉の塊と化し、その上に最後の数年間は完全に意志伝達法を奪われた病いだったから、医師が言われたように「この世の地獄」だった。
唯一、癌患者さんのような苛酷な痛みだけは無かったが。

人々のためにも多くの時間を捧げた母の生き方、難病の悲惨、看取りを通して気づかされたことは、人は他者のために役に立って生きることのほうが、お世話をされて生きることよりも遥かに遥かにたやすいということだ。

私が助けてもらわないと生きていけなくなった時、いかに生きていくのか。動けることを当たり前のように享受してきた人生であっても、人生の最後の教科は人の世話を受けねばならないということだ。


「母逝きて5度目の夏。
母は我々には想像もつかぬ懊悩、不安、絶望と闘っていたのだと改めて思う。不抜の忍耐を必要としたことだろう。」
と、ノートに書いてあった。

しかし今、私はこう書き加えよう。
「神によって苦悩を和らげられていたかもしれない。
母は真理を知らされて霊肉の苦しみを和らげていたかもしれない」
と。

9日夜に再会した美濃紙業のYさんのこと、Oさんなど・・社員の方々のことと共に、祈りの初めはいつも病気の方々のことから祈り始める。そして最後には、私もまた昌平さんのように耐えさせて下さいと、自分自身の試練や死に備えて祈る。

節子さん!
昌平さんも節子さんも一人ぼっちではないからね。
川上先生、淳子姉、奥村姉、大野姉を初め、教会の兄弟姉妹は勿論のこと、老松姉、千里姉たちも背後で祈って下さっているからね。








posted by 優子 at 11:42| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年11月11日

刺激に満ちた9日のこと

9日は長田で夫と落ち合う前に高島屋へ出かけた。
ベビー服のバーゲンをしていることを、数日前の新聞紙上で見つけた夫から聞いていたからだ。

「ファミリア」のブルー色とかわいいクマのマークを見るなんて何十年ぶりだろうか。全てが母の思い出に繋がっていく。
藤本の義母も、長い間、誕生日とお正月には衣服を贈ってくれていた。こんなふうにして孫のことを思いながら買ってくれていたんだと胸が熱くなり、姑が買い物をしている姿も想像した。

母は義母と違って忙しい日々だったのに、孫たちのことにも時間を割いてくれていたんだと感慨無量。
しかし、私は気づくのが遅すぎる!
深い感謝に溢れた時はいつも父も母もいない。
兄と同じ年齢の義妹は、昨日から義母とふたりで旅行に行っている。私も父や母とそのような時間がほしかった。親孝行できる義妹、元気で長生きしている親をもつ人が少々羨ましくもある。

私は心の中で言おう。
お母さん、ありがとう、お父さん、ありがとうと。
孫の買い物を楽しみながら、私もまた祖母らしく育てられていくのだろう。

畠山鈴香被告は、小さい頃の不幸な経験が人間形成に暗い影を落としたが、恵まれて育った者はそれゆえの使命がある。愛を受けて育った人間が後天的に心歪ませたまま生き続けるのも悲惨だ。

約束の時間よりも30分も早く長田に着いてしまい、家を出る時から極度の腰の痛みがあったので勇気を出して会社へ行った。こう見えても私は恥かしがりやなところがあり、よほどのことがないと会社に入っては行かない。

3階、エレベーターのドアが開いた。
10名ほどの社員さんたちが残っておられた。気弱く2〜3名の方々と挨拶して夫と会議室に入った。デパートで買ってきたお弁当を頂いてから、皆さんに挨拶し、娘婿にも声をかけて6時10分過ぎに会社を出た。

20分後には井置先生が牧会されている教会近辺に着いていたが、わかりにくくて30分も探して席に着いた時は8分遅刻。
声楽や演奏をたっぷり聴かせて頂き、讃美歌を歌えて本当に幸せだった。今行っている教会では讃美歌を歌わないので。
ただし、井置先生は声を痛めておられるからとメッセージがなかったのは残念だった。

富田林のメンバーであるM兄のご実家が東大阪であることは知っていたが、先月の献児式の日にお聞きしてビックリしたことがある。
実家に帰ってこられた時はこの教会に行っておられ、しかも、ここでMS.Nさんと私の話題が出たからビックリしたと話して下さったのだ。私も驚きの声をあげた。

Nさんは読書会のメンバーであり、今も東大阪のお粗末な図書館行政に情熱を注いで下さっている。私も10年間、市の図書館協議会委員の任に就かせて頂いたおかげで強い関心を養われた。

クリスチャンでないNさんが何故教会にということだが、ちょうど昨年の10月に井置先生と連絡を取り合っていた頃から、教会を地域の方に用いたいという井置牧師のお考えで、書道家でもあるNさんが子供たちに書道を教えておられるのだ。

Nさんは、かつて朝日新聞の「あさひピープル」の記者をされていて、真智子が中学1年生の時には新聞に取り上げて下さった。(過去ログ・2006年11月7日の『読書の秋B』に掲載)

14年後の今も「真智子ちゃんはどうしておられますか」と、9日夜も夫に聞いて下さっていた。体調を壊しておられるNさんのためにも祈ろう。
あの時はまだNさんと懇意ではなかったから、どんなルートで私に声をかけて下さったのか是非お聞きしたいと思う。

M兄はK姉も紹介して下さった。
河内の郷土文化サークル関係で昨年から何度も耳にしていた『ルツ』という喫茶店オーナーである。
クリスチャンならば「ルツ」と聞いただけで、店の経営者はクリスチャンではと瞬間に思うことだろう。やっぱりそうだった!


今年の読書会でもこの店のことが話題になったので、私は「ルツ記」のことと共に話したことがあった。その方にもお目にかかれた不思議を思い、何かご計画があるのだろうかと神の御手を感じて名刺をお渡しした。

直ぐ近くには花園キリスト教会もあった。
東大阪キリスト教会は本当に小さな群れである。老後の日々も宣教のために捧げておられる井置牧師のお姿に強く迫られるものを感じ続けている。

12月15日の我が家の家庭集会では、井置先生をお迎えしたいと予定している。
今回は午前10時半から始め、従来の学びではなく先生のメッセージに耳を傾け、昼食後は自己紹介とメッセージについての感想などを語り合いながら親しい交わりの時をもちたいと計画しているところである。

♪ 井置牧師について、また、牧師との出会いについては、9月3日、4日の記事をお読み下さい。
posted by 優子 at 11:17| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2007年11月10日

介護つき分譲マンションの発想で!

昨夜の東大阪キリスト教会のチャペルコンサートに続いて、今日は初孫の食べ初めの祝いで京都まで出かけた。
2日続けての幸いな時間を過ごすことができた感謝と共に、今はすっかり疲れてしまった。

これらのことは後日に書くとして、タイムリーを失わないうちに昨日の記事を続けて、発表最後に部会長が話されたことをお伝えしたい。

有料老人ホーム「エデンの園」入居するには高額が必要であるが、例えば、持ち家の人ならば家を処分すれば入居可能になるという話だった。

入居資格は60歳からで、配偶者と5歳の差まではOKということなので、例えば夫が60歳で妻が55歳でも入られるという意味だろう(「だろう」というような不確かなことで申し訳ない)。

60歳から入って何十年過ごそうとも、70歳から、あるいは80歳から短い年月であっても何千万円という入居一時金は同じなのだから、どうせ入るならば有効に使ったほうがいいというわけだ。

どの老人施設に入るにも何年という順番待ちが現実であるから、たとえば50歳になった時から予約しておくといいとのこと。
施設から通勤することは可能だから60歳からは施設からすればいいわけだ。実際にそのような方もおられる。

「なるほど」と思った。
介護つき分譲マンションと理解すればよい、発想の転換である。


しかし、決心するには十分に調べて何度も足を運び、できるならば体験入居をして決めるのがよい。
でないと、入ってから後悔しても全財産を投入してしまっているので帰る所がない。
この話をお聞きしながらそんなことを考えていた。

12〜3年前のことになるだろうか、谷口諭先生が毎月1回、「ニッセイエデンの園」にメッセージをするために行っておられるとお聞きしていたので、キリスト教の施設だと想像していたが、「ニッセイ」がつくからどうなのかなと思っていた。

最近になって谷口幸子先生にお聞きしたところ、入居しておられたクリスチャンの方々のためにご奉仕されていたのだった。
開園当初はクリスチャンの入居者も多かったらしいが、みんな亡くなられたとのこと。

見学当日、谷口先生もここを歩かれたんだとお姿を想像しながら玄関を入って行ったのだった。

posted by 優子 at 21:51| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年11月09日

『エデンの園』の感想と感想にこめた祈り

先の記事に引き続いて、発表時に述べた感想を記録しておきたい。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に私の感想を述べたいと思います。

私たち夫婦の経済では、このような恵まれた環境を終の棲家にすることはできませんが、しかし、ここに入れたとしても何か憂鬱な気持ちで見学していました。
そして、老後の安心を手にいれても尚残る不安や願いは何だろうかと思いながら見学していました。

そこで後日お電話で、(と言うのは、9月12日の記事にあるように、この1時間ほど前に肋骨にヒビが入るほどの打撲をしていて、感性も思考力も低下していて聞いてみることもしなかったからです。電話をしたのも25日でした。)入居者の心配事はどのようなことか話せる範囲内で話して下さいませんかとお聞きしましたところ、お答えはなく、ただ一言、「心療内科がありますから」という返事が返ってきまして、ひどくガッカリしました。
ああ、私が憂鬱になった原因はここにあるんだろうな思いました。
 
最も大切な心の問題については関心が払われていない印象を受けました。
そのことは即ち、老人ホームなのに死を見ないようにしていることの現れであると私は理解しています。
チャプレンもいないので人間全体としてみてくれる人がいないのです。

職員たちは、あたりさわりのない日常茶飯的な話題でお茶を濁しているのでしょうか、高齢者が最も必要とする心の関わりを持ってくれる窓口もありませんでした。

私たちはいつかは私たちの力の及ばない死を迎えます。
その時は、肩書きもお金も地位も全て何の力にもなりません。
確かに、「エデンの園」に入るには高額なお金が要りますが、その先にある死が目の前に迫ってきた時にはそれもまた無力です。

人生の最大の本番は、自分の死を死んでいかねばならないということです。
その時、これまでの生き方が問われますから、まさしく毎日の生き方を通して死の準備をしていくのだと実感させられました。

「人は生きてきたように死んでいく」と言われています。
良い人生を歩んだ人は良い死を迎えることができるという意味です。
良い人生とは、病気をしなかったとか、地位や名誉、財産を得たというものではありません。
与えられた人生をいかに誠実に生きてきたかということであり、感謝して生きてきた人は感謝して死んでいくという意味です。


「高齢者福祉部会」は死を見据えての福祉がテーマです。
高齢者と接する時、いえ、民生委員の仕事は、お話を伺いながら自分自身の生き方を振り返り、心を尽くして関わる尊い仕事です。
しかも、そのことを通して自分自身が成熟していく訓練にもなります。

私は一期だけで退かせて頂きますが、3年間にいろんな学びや気づきの場を与えて下さったことを感謝し、この経験を今後につないでいきたいと思います。
ありがとうございました。
              (完)

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


北地区の委員28名のうち、9年間、6年間、また、私のように3年間とさまざまではあるが13名が退き、12月からは一部地域の人口増加などにより3名増員されて新しい年度に入る。

私はこのメッセージの中に、精一杯の願いをこめた。
このような話を耳にすることのない方々に、イエス・キリストという名前を出せない、神について語れない場であるからこそ、キリストの福音(喜びの知らせ)の香りらしきものでもいい、お一人の方にでもお伝えすることができればという祈りをこめて語らせて頂いたので、話し終えた時の大きな拍手に感謝し充足感を感じた。

また、ごく僅かな人であるが特にその方々の心に触れることができますようにとの願いをこめた。
それは、民生委員たるもの守秘義務を守らねばならぬことはもとより、他者の話を面白おかしく聞くものではないということだ。

人は50歳を過ぎれば人生が複雑極まるものであり、他者の家庭や人生で起こっていることを批判している場合ではない、そのような人生の段階ではないことに気づいてほしいとの願いである。

そのような軽薄な姿勢は、とりもなおさず自分の人生の当事者になっていないことを意味し、自分の人生に対しても傍観者であることに気がついておられないのだ。
反対にそのことがわかれば守秘義務を守ることができるだろう。


新年度が始まればまた数回の新人研修会があろうが、それらの話にはこのような精神性は皆無であるから、話す機会を与えてくれないものだろうかと思うほどである。

そしてこのこと以上に、まさに民生委員として資質の問題を問われるような人もおられ、今後も継続されるだけに気づきが与えられますようにと祈るしかない。

私にとってもこの3年間は本当に貴重な体験だった。
何よりも地域社会に目を向けさせられたことが大きい。発表全体の締めくくりをされたSさんが言われたように、「日常的に助け合う社会作り」の意識を持てたことが嬉しい。

行政に対する関心も一層に強くなった。

また、民生委員会に投入される不必要なほど多額過ぎる税金について新聞誌上でも問題になっていたらしいが、そのことへの問題意識はますます強い。

国家を司る省庁や議員たちの腐敗しきった実態とは違っても、これらは同じ延長線上にあり同じ臭いを嗅ぎ取っている。


昨夜はバスで1時間かけて伊賀上野まで出向いて豪華な伊賀牛を頂きお土産つきだった。会に所属している限り組み込まれていくしかなく、このことも退会する大きな要因である。

社会福祉センターで解散の時、「藤本さんの発表、感動したわ。ありがとう!」と再びNさんが仰って下さった。
Nさんの後姿を見ながら神の祝福を祈った。


尚、「エデンの園」に関連して、終の棲家に関する参考になることをお聞きしているので、ページを改めて書きたいと思う。

今夜は東大阪キリスト教会を訪ねることにしている。
体力に自信がなかったので数日前に井置牧師に連絡したのだが、夫も一緒に行ってくれることになった。
井置先生は「ご主人も来て下さるのですか、短いメッセージなんですが」と恐縮して下さっていた。
6時過ぎに美濃紙業がある東大阪・長田駅附近で出会うことになっている。

昌平さんと節子さんのことを覚えつつ




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有料老人ホームレポート

佐藤さんご夫妻のことを覚えつつ、昨日の民生委員定例会で発表(約15分間)した内容を2部に分けて今日の記事で一挙にレポートしておきたい。

私の出番は3番目で、まず、高齢のお姑さんと同居されている方の感動譚と、認知症のお母様を看取られた方の体験談があった。
私はそれらの話をお聞きして感じたことから話し始め、最後の感想の中でも触れた。
なお、文中の「・・・・」は、パワーポイントにより画像が変わったことを意味する。

・・・・・・・・・

    有料老人ホーム  「奈良ニッセイエデンの園」 


設立と経営母体は、財団法人ニッセイ聖隷健康福祉財団です。

この名前からわかりますように、「日本生命保険相互会社」と「社会福祉法人 聖隷福祉事業団」が共同で設立した財団です。
職員は全て聖隷社会福祉財団から出向されています。

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まず経営の母体となる聖隷福祉事業団についてご説明します。
この事業団は、浜松に本拠地を置きます我が国最大の社会福祉法人で、今から77年前に創立されました。

聖隷の創設精神は、キリスト教精神による隣人愛の精神で、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛しなさい」を基本理念としています。
「隷」という字は、「しもべ、従う」の意であり、「聖隷」とは、「神のしもべ、あるいは、神に奉仕させられた」という意味で、このあとに説明される「ベテルホーム」の「ベテル」は聖書の中に出てくる言葉で「神の家」を意味します。


創設の発端は、貧しく結核を病み悲嘆に暮れていた一人の青年の窮状を見るに忍びず、数名のクリスチャンの青年達が一部屋の病室を立てて迎え入れたことに始まります。昭和5年5月のことでした。

結核と言えば当事は命取りの病気であり、しかも、人々から忌み嫌われる病いでした。病気と飢えと迫害を負った悲惨な結核患者たちの善き友となるために、彼らは持てるもの全てをなげうって愛のわざに励みました。

結核菌の伝播や地域発展の阻害を理由に地域住民から激しい反対運動も起こりましたが、誠心誠意を尽くして病原菌伝播の心配はないことを説明し、理解を請いながら患者さんたちの看護にあたりました。

とにかく極度の窮乏状況ですから、若きクリスチャンたちは患者さんの残飯を食べ、素足で看護に専念していたということです。その姿が多くの人々に感動を与え、理解者を集め、援助金が送られました。

その後も尚、存続の危機がありましたが、いよいよもう駄目だと諦めかけた翌日に、天皇陛下より多額なお金が下りて現在の財団を見るに到ったのです。

 
創立に尽力した一人、長谷川保師は昭和40年代の日本は欧米に比べて高齢者の自殺が多いことに目を向け、救済的事業だけではなく老人のためにも事業を展開していきました。
そして、1942年に財団法人の認可を得て以来、現在に至るまで多くの枝を張り続けています。


この理念と沿革を有する「社会福祉法人聖霊福祉事業団」が創業60周年の時に、日本生命保険相互会社の創業100年とを記念して、平成元年7月に「財団法人ニッセイ聖隷健康福祉団」が設立されました。

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「奈良ニッセイエデンの園」は、現在の厚生労働省から認定されたWAC法に基づく特定民間施設第1号施設です。

WAC法とは、平成元年に施行された「民間事業者による老後の保健および福祉のための総合的施設の整備促進に関する法律」の通称です。

WAC法の理念は、厚生労働省の「ふるさと21健康長寿のまちづくり事業」にあり、高齢者にとって必要な「健康」・「生きがい」・「安心」を一環して行っていくことです。

従いまして、「ニッセイエデンの園」には複合施設として、温水プール・アスレティッククラブ、診療所、各種の文化教室講座が設置され、ゲートボール、書道、陶芸、卓球、マージャンなど25のサークルがあります。
これらは地域の方々にも開放されています。「ふれ合いプラザ」の催しが開催された時には、有料にて参加してもらっています。

診療科目は内科、循環器科、整形外科、心療内科があり、医師と看護職員が24時間、365日常駐され安心できる支援体制で設けられています。症状が重い時には指定病院になっている「日生病院」、「三室病院」、「奈良県立医科大学付属病院」に転送されます。
このWAC認定の民間施設は、現在、全国に5つあります。

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では、「エデンの園」一般居室をご紹介したいと思います。
これは一般居室です。
映写の関係から小さな写真は見にくいため、最も高額な部屋をご紹介しています。

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浴室(一般浴室)です。

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これが見取り図です。
この場合の「入居一時金」は、1人の場合が6140万円、2人ですと6930万円になります。これはこの園での最も広い高額な部屋で、部屋とバルコニーを合わせて23坪あまりの広さです。

この半分くらいのサイズが最も小さな部屋になり、その場合は1人入居ですと2520万円、2人ならば3310万円です。


この「入居一時金」とは「部屋に住む権利がある」という意味で、終身利用権方式により、亡くなった場合は法人に返してまた新しく権利者を募るというものです。尚、入居されて10年以内ですと返還金があります。

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しかもこの上に、毎月の利用料金が必要です。
月額利用料金表にありますように、1人入居の場合は約13万円、2人入居の場合は約22万円です。

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この他に、駐車場や来客者の宿泊設備もありますが、部屋代や食事代など必要に応じて使用料金が請求されます。

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これは、介護居室です。

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そして、介護浴室です。
介護居室は35戸あり、9月12日現在24戸が利用されていました。
具合の悪い時や退院後のお世話をしていただく部屋です。勿論、入院中のお世話もしていただけますし、これらについての追加料金はありません。
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ここが、大食堂で100席あります。
肉料理と魚料理の2通りのメニューがあり、前日の3時までならキャンセルできます。

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これが大浴場です。

写真は以上です。

現在、入居契約しているが、まだ定住されていない方が40〜50名おられるということです。
一般居室は362戸あり、現在の入居率は約97パーセントで、そのうちの4分の1がご夫婦やご兄弟など2人で入居されています。
85パーセント以上が近畿圏の方で、そのうち大阪の方は50パーセント、奈良の方は22パーセントで、平均年齢は79、6歳です。

「エデンの園」は、キリストの教えを理念としていますが、無宗教で運営されていますので、チャプレン(牧師)もおりません。運営については、入居者の代表者や全員を対象にした全体会を開いて参画型での運営をしているということでした。

施設の概要については以上です。
最後に私の感想を述べたいと思います。


次のページに続く




posted by 優子 at 09:08| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2007年11月08日

今日も神と共に始めよう

夜が明けた。
今秋初めて感じるような冷たい朝だ。
神が昌平さんと共にいて下さるように、病室のご夫妻を想いながら深い黙想の中、チャッピーと歩いた。

今日はまもなく外出せねばならない。
地域の小学校が全日開放するオープンスクールが年に一度あり、我々民生児童委員にも見学依頼の案内がきている。
そのあとは午後から定例会があり、今日の会で高齢者福祉部会の発表がある。

昨日は『あしたづ』の執筆の合間に一度目を通しておいたが、感想にいたっては手直し刷り直しで、結局2時間も時間を割かねばならなかった。
自分の専門領域内の話でもあるので大丈夫なのだが、今回のショートメッセージならばいろいろ話せるだけに台本など作らないほうがよかったかもしれない。学生時代の試験前日の気分だった。

今日は一期3年間最後の定例会となるので、夜は打ち上げの会食があり伊賀上野まで出向くらしい。最後とはいうものの4〜5回の任務が残っている。
昨日ゴルフだった夫にアリナミンを飲んでもらったが、私も夫に倣って飲んで行こう。

今日も神と共に、自分の務めを誠実に果たすことができますように。
posted by 優子 at 08:06| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年11月07日

神を信じ神に委ねるのみ

病床で救い出された1日(木)の昌平さんの体力は、まさに神が支えて下さった奇跡だった。
以後、悪くなられる一方で、肺は真っ白で痰を吐き出すことができなくなっておられる。受洗の翌日には、あと3〜4日だと医師から告げられて、再び東京からご長男が駆けつけられていた。

エリックさんと徳山師に来て頂いて葬儀の相談をされたとのこと。

依然悪い状態だが、今日、ご長男は東京へ戻られた。
今はもう話すこともできないので、親族の方々にもお見舞いお断りの電話を入れておられるとのこと。私も自宅で祈らせて頂こう。

夕刻7時半頃、節子さんから伝えて下さったご主人様の容態である。
このような時、病院から一時間ほどの自宅へ帰るのでさえ、どんなに辛かったことか。ご長男のことを思うと心が痛む。主が彼を支え励まして下さいますように!
   
   「正しい人は決して動かされることなく、
    とこしえに覚えられる。
    彼は悪いおとずれを恐れず、
    その心は主に信頼してゆるがない。
    その心は落ち着いて恐れることなく、・・。」


            (詩篇 112篇6節〜8節)

医師から悪い知らせを聞いても平安を失うことなく、雄々しく進んでおられる節子姉にふさわしいみことばである。
これから通っていかねばならぬことも神の御手の中、何があっても神を信頼していかれる節子姉を見ていると、神は昌平さんだけではなく、妻の節子さんをもしっかりと支えておられるのがわかる。
私の時もそうでありますように!

原因不明の悪性腫瘍、脊椎癌と宣告されて、1997年、36歳で召天された能登一郎牧師は次のように書いておられる。

みなさん、平和を心の中に持っておられますか?
新改訳聖書では「平安」と訳されています。心に訴えかけるという点では「平安」のほうが響いてきますけれども、事の本質を正しく表しているのは、新共同訳の「平和」のほうだと思います。

というのは、結局、心の平安は神さまとの関係が正しくないと絶対にやってきません。神さまとの関係が「平和」でないと、決してやってこないのです。今、そのことを痛感しております


『神様の絵の具』には、3年余りの闘病中に語られたメッセージがまとめられている。その中で強烈に残っていることは次のことだ。

「苦しみの中に祝福があるのだ」ということです。
苦しみと祝福は決して相反するものではありません。
病気が癒されるという祝福もあれば、病気が癒されないという祝福もあります。物事がうまくいくという祝福もあれば、うまくいかないという祝福もあります。


時に教会でも牧師が、もう瀕死の状態の方のことを癒して下さいと祈るのを聞くことがある。
それでは牧師自身が死を受け容れていないことになるではないかと思う。そのようなことを聞くと私でさえ心が乱れるから、死にゆく人の魂は尚更であろう。平安を祈ろうではないかと叫ばないように口に手をあてたことがある。

病室の窓から 差し込む日差しの中に
時を止めるほどの不思議な安らぎが満ち
うとうとと僕は夢を見た
神様の声がした
                             (能登一郎)
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2007年11月06日

信じられない孫の存在 まもなく4ヶ月

午前10時2分、ドドドドッと直下型の地震があった。
そんなに長くはなかったものの、テーブルの下に行こうとしてもひるんでしまって、パソコンの前に座ったまま揺れているテーブルを見ていた。
一瞬、死を意識した。
死を前にして悩みは吹っ飛んでしまった。

震度3、怖かった。
呼吸が落ち着いてから外へ出た。義母はケロっとしていた。
お隣りの奥さんも神戸の震災を経験しているからと平気だった。

私は心臓の鼓動が落ち着いてから『あしたづ』の原稿を再び書き始めた。今朝、MIKIOさんに励まされて油が乗ってきていたところだったが、残念ながら直ぐに外出の時間になり12時過ぎに家を出た。

保健センターへ4ヶ月乳児の健診に来られたお母さん方に、民生児童委員からの子育支援としてアンケートをお願いするためだ。
1回目は去年の今頃かとばかり思っていたら、今年の3月6日のことだった。その時の感動が記されてある。

今日は前回よりも赤ちゃんばかり見ていた。
4ヶ月にもなるとしっかりするものだ。ほぼ首も据わり、声を出し、早い子は寝返りをしていた。
私は赤ちゃんを見ながら幸悠(ゆきひさ)ばかりを想っていた。

「実家は大阪なんですけれど微妙に(若者用語を生で聞いたのが嬉しく面白くて心の中で笑った)遠くて、2ヶ月に一回くらいしか帰らないんです。小さいうちにいっぱい見せてあげたんですが・・・」と、親を思う優しい娘心が嬉しくて親子の幸せを祈った。

11日には孫も4ヶ月、10日に会えるのを楽しみにしている。

明日が外出でない限り、油が乗っている時は夜も頑張るようにしているが、残念ながら保健センターを出た段階で既にクタクタだ。
実に体力がない。
少し前までは体力ではなくて意志が弱いゆえに耐力がないからだと情けなく思っていたこともあるが、そればかりではないようだ。
今だって心はこんなに燃えているのだから!
posted by 優子 at 18:44| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年11月05日

トゥルニエを読む

O兄に機会を与えられてトゥルニエの「人生の四季」を開く。

「青年時代には私たちは成功とはただただ進歩とか何か積極的なものであると考えていますが、年をとると、成功よりも実り豊かな敗北というものがありうるし、自分を一層豊かにしてくれる断念というものも存在するということを発見できるようになります。・・・

中年の時期を生きるということは、以前にも増して一層、多く選択するということなのですが、その選択は、結局、高齢期へと召喚されることにほかなりません。

すなわち、生活が自制と断念とから成り立っており、地上の財産が徐々にその輝きを失っていく時期である高齢化へ召し出されることなのです。」


聖書にある『ヨブ記』や『詩篇』、『エレミヤ記』の詩人たちの苦悶が、私の人生においてもあった。
まさに太陽が中天にかかろうとしていた頃から47〜48歳の頃まで、神と出会ってまもなく始まった約12年間は、すさまじい嵐が吹きすさぶ神への激しい反抗の時代だった。

「この時代は熟考の時代であり、しばしば激しい反抗の時代でもあります。
神は往々にして自分の敵に勝ちを得させ、自分の最も忠実なしもべに試練をこうむらせます。悪しき者が成功するという事態は一体なぜ起こるのだろう?
こういう不正に対して我々はどう考えるべきなのか?」


そして、エレミヤが行き着いた結論は、

「勝利よりももっと深く、もっと勇ましく、もっと実り豊かな成果が存在するのだという考えであり、また、奇跡とは、敗北や不成功を受け入れることであるという考えです。」

この箇所に私は「98.4.22、考え込んでしまった」と書いている。この頃は殆ど反発を感じなくなっていた。
ヨブが手を口にあてたように、私はもう神に立てつく気持ちはなく、トゥルニエの言葉に反発ではなく慰めを感じ始めていた。

そして、父が亡くなった2000年8月には私の中で奇跡が成就されていた。即ち、人間的価値観における敗北や不成功を受け容れることができたという奇跡であり、ようやく神の霊的な眼が開かれ始めたということであろう

1998年4月といえば母が亡くなって1年半、父が病院へ運ばれて1年経っていた頃だ。その時の思いは今も揺るぎないが、今もなお生まれながらの性格に悩み落ち込むことがあるが、

「今となっては、私たちの性質が善いか悪いかを知ることが問題ではなくて、私たちが自分の性質を神の計画に叶うように用いているかどうかを知ることが大切なのです。」

とトゥルニエが語っているように、これからもひたすら主イエスを見上げて歩いていこうと思う。

posted by 優子 at 18:28| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2007年11月04日

久保田暁一先生の放送から ―中江藤樹の宗教性―

今朝のラジオ放送を録音しつつ夫と共に久保田先生の話を拝聴した。心に残っていることを記録しておきたい。

藤樹は「神」とは言っていないが、人格神なものを考えて信仰していた。(まさに" something grate "だ!!)

教育者藤樹は、人は皆それぞれに素晴しいものを持っているということを教え、藤樹の人間信頼の奥には神なるものへの信仰があったのであろう。
中江藤樹の教え「五事を正す」とは、

「貌」― 顔かたち。愛敬の心をこめてやさしく和やかな顔つき
     で人と接しましょう。

「言」― 言葉づかい。相手に気持ちよく受け入れられるような
     話し方をしましょう。

「視」― まなざし。愛敬の心をこめて暖かく人を見、物を見るよ
     うにしましょう。

「聴」― よく聴く。話す人の気持ちに立って相手の話を聞くよう
     にしましょう。

「思」― 思いやり。愛敬の心をもって相手を理解し思いやりの
     心をかけましょう。


自分を良く見せ、自分の功績を宣伝するのではなく、静かに生きて自分の思いを深く求めていった藤樹は、実に純粋な人であった。

日本の代表的評論家・小林秀雄は「学問の天下人」と激賞している。
権力や政治の天下人ではなくて、学問の天下人だというのだ。

生涯を田舎の地にて自分の生き方を深め、隣人を感化していった藤樹は、この世の栄えや名誉を求めることなく、人の真似のできない、損得を言わずに命をかけた桁外れの馬鹿者の生涯だった。

ゆえに偉大なる人であり、その生き方に親しみを感じたと語る久保田氏に、私は同じものを感じる。

ところで、琵琶湖をはさんで2人の偉人、儒学者がいたことに驚いた。
9月に知ったばかりの朝鮮外交に活躍した雨森芳洲は、湖北の高月町で生まれ、中江藤樹は湖西の安曇川(あどがわ)町で生まれている。


中江藤樹は関が原の合戦から8年後の1608年に生まれて
1648年に生涯を閉じ、その40年後に雨森芳洲が生まれているので2人は出会うことはなかったが、近江商人を初め、近江地方からりっぱな人物がたくさん輩出していることも興味深い。

敬虔なクリスチャンである久保田氏は聖書について何も触れられなかったが、人は何に惹かれるかで人生の方向が決定されると思った。

2011年9月26日追記:
久保田先生は2007年6月13日に第1回目の中江藤樹賞を受賞された。
 

posted by 優子 at 21:27| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年11月03日

3つのお知らせです!!!

昨朝から夫は高知へ飛び、今日はゴルフをして帰宅します。
一人だったからか、今朝は6時まで6時間も連続睡眠、トイレに行って再び8時前まで寝てしまいました。寝すぎて腰が痛くなるほどですが、チャッピーがいてくれるので一人でも怖くありません。

今日は秋晴れ!
朝の日射しで木々がキラキラ輝いています。大急ぎでチャッピーを散歩に連れて行ってやりました。目を覚ましながら30分歩いてきましたが、明日はこんな寝坊をしては大変!

と言いますのは、日本クリスチャンペンクラブの理事で、著名な文学評論家である久保田暁一先生が、NHKラジオ第2放送の「宗教の時間」で中江藤樹(とうじゅ)についてお話されます。

昨年7月に致知出版社から出版された『中江藤樹』には、「内村鑑三が『代表的日本人』の中で、“理想的な学校教師”と称えた人物の思想と生き方にせまる」との書評。   
 放送は明朝です!!
    11月4日(日) AM8:30〜9:00
 
再放送は11月11日(日)5:30〜6:00ですが、AMかPMかが分からないとのことです。

久保田氏は日本ペンクラブの会員でもあられます。
日本語で言えば「日本作家協会」であり、私が所属しているのは「日本キリスト者作家協会」というわけです。

生誕400年の中江藤樹は「江戸時代初期の儒学者で、その思想の特徴から『わが国陽明学の祖』と言われ、亡くなってからは『近江聖人』と呼ばれ」ている人物です。
私も是非、録音しながらお聴きしようと楽しみにしています。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

続いて、次回の
「第33回 オリーブの会」は、12月15日(土)です。

平日ではなく土曜日になっていますのは、井置利夫牧師をお招きしての特別集会を予定しています。讃美歌348番を作詞された牧師です。
カテゴリ「JCP関係」の9月3日と、「オリーブの会」の9月27日にいきさつを書いていますので覗いて下されば嬉しいです。

この日は土曜日ですので、御夫妻でお出かけ下さい。
残念ながら夫は会社主催のゴルフがありますので欠席です。
まだ細かいことを決めていませんが、早く手作りのチラシを作ろうと思っていますのでお祈りに覚えて下さり、今からこの日を予定しておいて下さいね!!

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・

また、井置牧師が牧会されている東大阪キリスト教会「秋の特別伝道集会 チャペルコンサート」の案内状が届いています。

日時  11月9日(金)夜7時から
場所  近鉄奈良線・花園駅下車、花園北小学校の近くです

    駐車場が無いので自動車はご遠慮下さいとのことです。

バイオリン、ピアノ、声楽など多彩なクラシックを楽しみ、井置牧師のメッセージ「愛に生きる」をお聴きします。

その日のカレンダーを見ると空白、「行きたい!」と思ったのですが夜なのです。実は翌日に孫の「お食べ初め(お食い初め)」があり、ペンクラブ関西ブロックの集会も残念ながら欠席です。
井置牧師の教会を訪ねたい、行きたいなと思って祈っているところです。

そう遠くない方は是非、お出かけください。
そうだ、読書会の方にお知らせしましょう!
1つ2つ隣りの駅にお住まいの方も何人かおられます。

久保田先生のラジオ放送のことも!
昨秋、交歓読書会の講師としてお出で下さった大田先生の師ですから繋がりがあります。内容共に関心を持って下さることを祈りつつ、主からのひらめきを感謝します!!

posted by 優子 at 09:37| ご案内 | 更新情報をチェックする

2007年11月02日

誕生日おめでとうメール感謝録

藤本優子様

10月30日は56歳のお誕生日だったのですね。
本当にお目出度うございます。
旅に出たりしない限り、毎日楽しくブログは拝見いたしております。(いつもサイレントリーダーですいません)

怪我をされたり、辛い思いをされたり、喜んだり、楽しんだり、いつも120%全力投球の優子さんですね。

最近の記事から少し気になるのは、頑張り過ぎているのではないかと思 うのです。

トルニエの「人生の四季」でも記されている通り人生にはそれぞれの時期があります。

今までそれぞれの時期をうまく過ごしてこられたので優子さんにとって次のステップへ移っていくのは難しくないでしょう。

新しく始めること、今まで通り続けていくこと、残念ながら手放していくことの選択が迫られるのがこれからの季節ではないでしょうか。

あまり無理をされずにますます楽しく有意義な日々を過ごされることを 祈っています。

            クリスチャンドクターのO兄より

今の私にふさわしいご教示を感謝します!

とにかく9月からの忙しさは初めてと思うほどで、複数の宿題をこなしながらですので先週まで連日の外出期間は必死でした。

一昨日の夜は2時頃まで座っていました。
この日は朝昼の食事も忘れてしまい、一日中パソコンの前に座っていました。空腹に気がついたのは夕方の4時前でした。大食漢の私にはありえないことです。

昼間は民生関係のプレゼンテーションに手を入れ、担当者と3回、計6回のやりとりをしながらということもあるのですが、疲れた心身では感動のない文章になり、400字が書けなくて遅くなってしまったのです。

今はメールで添付できるからいいようなものの、それでさえ2時間遅れで日付けが変わってしまいました。郵送ならば29日には投函しなくてはいけないところですから、インターネットに感謝感謝です。

いよいよ今月が終われば一段落します。
今月末が原稿締め切りの『あしたづ』の執筆にしても、今回のテーマでなかったらとてもできないことです。それゆえに尚のこと、心をこめて書いています。

「新しく始めること、今まで通り続けていくこと、残念ながら手放していくことの選択」を拝読して、2〜3年前から思い始めていたことはこのことだったんだ、私は人生の秋が訪れていることを察知できていたんだと嬉しく思いました。

その深い認識があったのかどうか明確ではないのですが、祈りの中で進むべき道を照らされてきました。
体力の衰えを感じていますので、これからは忙しくしないで、神の祝福と恵みを深く味わっていきたいとの思いに変えられています。

まさに、" doing "ではなくて" being "ですね! 

何をしたかではなくて、どのように生きたか、在りかたが大切なんですね。これからも忘れないでいたいと思います。

ところで、工藤信夫先生の『トゥルニエを読む』が出版されていますが、Oさんが主宰されていた『トゥルニエ読書会』でのことがたくさん触れられているのでしょうね。未だ拝読していませんが、このような会は継続されていないのですか?
キリスト者として成熟を目指して再開したい、この領域に絞り込んで新しい季節を生きていきたいと思いますので、どうぞお導き下さい。
ハレルヤ!
早いものですね。
半世紀もすでに6年の歳月が過ぎて
なお24時間平等に時を刻んでいます。
火星に行けば若干長いかもね?
11月忙しく過ごしても退屈に過ごしても
同じだけ過ぎ行きます。
過ごされ方は、優子さん次第です。
今日という感謝な1日がつつがなく
クリアー出来た事がまた感謝ですね。
主の祝福に今日は特に満たされますように。    アーメン
    シャローム☆淳子

「半世紀もすでに6年の歳月が過ぎて」の冒頭からグサッときて瞬間吹き出してしまいました。
淳子さんは面白く、しかも鋭い!!

自意識に悩まされることなく、大らかで動じない淳子さんからもたびたび主の導きを感じます。
いつもバースデーカードをありがとう!!!!
淳子さんもお忙しいのに、毎年忘れずに届けて下さってありがとう!!今年は忘れてしまって1週間くらい遅れてしまってごめんね(>_<)。

「今日という感謝な1日がつつがなくクリアー出来た事がまた感謝ですね。」
私も大きな声でアーメンです!!!

posted by 優子 at 12:22| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年11月01日

ハレルヤ! 天国行きの備え完了

 
       洗礼式      
     佐藤昌平兄弟
    2007年11月1日 
     カメラ        
「だれでもキリストのうちにあるなら、
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

          コリント人への手紙U 5章17節

エリック牧師が作ってこられた式次第を真似てみた。
このあとにも、聖歌と聖句が続く。そして、上記カメラカット部分に佐藤氏の写真が掲載されていた。
以前に通っておられた神の愛チャペルで、写真を撮っておられる佐藤さんが写っている。佐藤さんはいつも写真を撮ってあげていたので、こんな写真しかなかったとのこと。素晴しい!

お元気な頃の佐藤さんの写真を見ていると、たまらなく悲しい。母と父の時に感じたのと同様に、何か悪い夢を見ているようで頭がフラーとした。

エリック牧師とデボラ夫人、ハル牧師とパム夫人、節子姉、次男さん、長女さんと6歳の倫太郎君と5ヶ月のひかりちゃん、昌平さんの妹さん、徳山伝道師と私、10人と2人の乳幼児が洗礼に立ち合った。

昌平さんは、とにかく外人がお好きで、教会には英会話を学ぶために通っておられたとのこと。4〜5年前にはご夫妻で渡米されてアメリカンライフもエンジョイされている。

佐藤さん御夫妻はハル牧師御夫妻とも知己の仲であり、今日は4〜5年ぶりの再会だった。このお2人の来日もまた奇跡的な出来事であると言われたから、神さまは昌平さんを励まそうと大きな贈り人を遣わして下さったのだ。なんという喜び!!

厳粛な洗礼式の終わりに、私たちも導かれるままに一人ずつ祈った。気づかぬうちに涙が流れて止まらなかった。

エリック師が洗礼式のあとで、アメリカから届いたEメールを読まれたが、そこにも温かい愛が込められていたことをあとで知った。
「日本では結婚式の時などには電報を読むでしょ。だからハッときづいた。今なら間に合うからと、今朝の5時頃にアメリカへ電話してEメールを出してくれるように頼んだんだ」
と言われた時、私は思わず
”It's a good idea!”と言っていた。
全てが昌平さんの懐かしい方々からのメールだった。

「今まで昌平のことを友と言っていたが、これからは兄弟だ。」と、嬉しそうに語ったエリック牧師。
ハレルヤ!天国行きの備えは祝福のうちに完了した。
佐藤兄の容態は落ち着かれてましたか?
家族はどんな状態でも生き続けて欲しいと望まれるでしょうが、時は神が決定され、従うしかありません。
その時まで神の家族の祈りに支えられなんと幸いなことでしょう。
苦しみ 痛みから少しでもいいから解放されますように。アーメン     シャローム☆淳子 
  

たった今届いた淳子姉からの祈りに合わせて私も祈り続けたい。
posted by 優子 at 22:42| 神(聖書) | 更新情報をチェックする