2007年12月30日

私の2007年エピローグ

真智子が東大の大学院に在籍してた時にはよく想像したものだ。
この家の隣りが東大の敷地だったらどんなにいいだろうと。しかし、さすがにミネソタ大学大学院に移ってからはそのようなことを想像することはなくなった。

お互いに元気な姿で再会して3日目の夜である。
帰国した夜から話をしてばっかり。大学院生活、ミネソタの教会のこと、聖書の話、家主のメアリーさんのこと・・・、いろんな話題が続く。

   「人生の意味を知らない者のようにではなく、
    むしろそれを知っている者として、
    しっかりと責任をもって生きなさい。」

      
           (エペソ人への手紙 5章15節)

と聖書にある通り、真智子が幼い頃、放出教会で蒔かれた種は命の時を得て豊かなる成長を続けている。日々人生の意味を考えながら生かされている。そして、半身をも共に豊かなる生涯へと展開され続ける姿に、私は神の導きを明確に見ている。

真智子は何よりも自分の心を守ることに努め、最大限に努力する学究生活を楽しんでいる。決して順風満帆だからではない。娘がこのようにできること自体が神の賜物なのだ。

仕事納めの28日、夫は夕方に帰宅したので急きょ日本料理の店に電話して雨の中出かけて行った。娘達は日本食にも不自由しない生活だが、さすがに大喜びで味わってくれる二人の姿を見て親としての幸せを感じた。

この日は年賀状も作ってくれて感謝感激!!!
続いて自分たちのも作ったが10枚限定だった(笑)。

これらをブログにも保存しておきたいなと言うと、ミネソタに帰ってから年賀状をスキャンして送ってくれることになり楽しみが増えた。

昨夜半からアラレ混じりの雨が強く降りつけ、この冬初めての寒波の今日、次女たちは夕刻から三宮(さんのみや・神戸)に出かけた。神戸大学経済学部のアドバンストコースの友たちが集まって下さったのだ。

私は「最終電車に乗り遅れないようにね」と見送った。
一瞬、神戸大学に通っていた頃と錯覚した。
卒業してもうすぐ5年になろうとしているのに、しかも今はミネソタ大学に籍を置いているのに大学時代が昨日のことのように感じた。

昨日、パソコンのビデオで見せてもらった堂々たる英語ティーチング光景は、我が子ながら敬服した。婿もまたたいしたものだ。
東大の大学院にいた頃に、テキストでしか知らなかった世界のトップ経済学者チャーリー、キーホー初め有名学者が多数居り、マックグラッタン、コッチャラコータ教授達からは指導を受けているのだ。

学部生は「○○教授」と呼ぶらしいが、真智子たちになると同じ研究者として見なしてくれ、ファーストネームで呼ぶというから日本では考えられないことだ。

それにしても、2年目でこのように話し合うのは特別らしい。「その研究は面白い」と我が娘はすでに頭角を現してきている状況のようだ。

そしてそれ以上に私を驚かせ続けることは、真智子が語る聖書の話だ。真剣に求める者には神はここまで真理の知恵を与えられるのかと身震いする。

そのことも近々にご紹介したいと思うが、娘との話の中で大きな発見があった。
かつて『海と毒薬』の主人公・勝呂の自殺や、漱石の『こころ』の先生の自殺についてである。著述で触れたように(カテゴリ「掲載文(神・文学)」、共に最後の章あたり)、罪を自覚し、その引き換えにつつましく罪滅ぼしの生活を重ねても平安はないということである。

そのことについて、「カトリック信仰であれクリスチャンの遠藤が、なぜ勝呂を自殺させたのだろうか」と私がつぶやいた時、「クリスチャンだからではないの?」と即座に真智子が返した。
私には気づかなかった正反対の視点だったからうならされてしまった。

勿論、私の評論内容は何ら変わることはない。
つまり、生体実験に加担した勝呂は刑にも服し善良な開業医として年月を重ねていたが、常に人知れぬ恐れを持ち逃亡者のように生きていた。

罪を犯したならば、神の前に罪を告白し、そして、犯した相手に謝罪せねばならないのだ。仮に相手が死亡していても、その人に、その遺族に詫びてこそ神の平安があるのだ。
それをしないでは決して安らぎはないだろう。

だから自殺させたというのだ。
いずれにしても救いはないが、これならば理解できる

私を悩ませる今の問題についても同じことが言える。
人は間違いを犯した時、代替行為で罪の相殺はできないのだ。自分の問題を見ないで生きていく人たちが殆どである。「だから『狭き門』なのだ」と真智子は言った。

また、問題が未解決のままであることを本人が一番知っているからこそ平安がなく、恐れがあるから直ぐに怒りとして反応するのだ。
自分自身の姿を見ることほど勇気のいることはない。


   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

私の一年も終わろうとしています。
愚かなこともたくさんしてきた一年でしたが、少なくとも自分の愚かさは自覚できているつもりです。だからこそイエス・キリストを慕い求めないではいられないのです。

今も昨年と同様に大きな岩が私の前に置かれています。
しかも一つではありません。いずれも深刻で大きな問題ですが、神の光に照らされて導かれているものもあれば、昨年よりももっと最悪に見える問題もあります。
しかし、私は神にある平安を頂いていますから恐れず失望落胆もせずに進んでいく覚悟です。

「神は最悪の事態から最良のものを引き出すことができるお方」であることを信じます。

このブログを読んで下さっている貴方の上にも神の豊かな導きがありますように、そして、共に導かれる者でありますように祈ります。
私は希望をもって新しい年を迎えます。


この一年間、私を支え励まして下さった友人たちに心から感謝します。
読者の皆様、どうぞ良き新年をお迎え下さい。
posted by 優子 at 22:39| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年12月27日

もうすぐミネソタチャッピーと会える。

昨日に引き続いて朝晩は冷え込んだものの最高の晴天に恵まれた。リビングルームは23度にもなって、15分間ほどうたた寝してしまった。

知子は昨日からすっかり元気になっていたが、今朝はユキ坊が熱を出した。今日は木曜日のため休日診療所へ行くところだった知子は、「初めての場所だから祈っててね」と電話を切った。

子の親になれば苦労も始まる。
赤ちゃんに玉子酒を飲ませるわけにもいかないし・・・。
幸いにして今のところは心配なしとのことだった。

クリスマスに届いていた『あしたづ』のゲラ刷りを、ミネソタチャッピーが帰るまでにと昨日3時間かけて校正したものと、高知のIさんへの本をクロネコさんに届けたのが3時半頃だった。

ところがだ、帰宅して鍵を開けようと思ったら鍵が無い。もう一度、歩いた道を見ながらクロネコさんにも尋ねたが無かった。
とにかく常にボンヤリしているので困る。
このようなことは何度も経験しているのにまだ懲りない。

1時間後、ひょっとしてとチャッピーの散歩をかねて交番所を訪ねるとアッタ!!!
届けて下さっていたのだった。
交番所の夫人はいつも親しく話しかけて下さり、時には1時間もおしゃべりすることもある。今回、警官であるご主人さまにもお会いして、御夫妻共に善良なお人柄に触れて何とも言えぬ幸せな気持ちになって帰宅した。そして、ついに鍵を首からぶら下げることにした。

その2分後、5時48分に電話が鳴った。
「マチ、今から南海(電車)に乗って帰るね」と元気そうな声だった。もう日本にいるんだ、アメリカではない。
今頃は夫が難波へ迎えに行っているはずだ。難波へのお迎えもこれで3回目。最後まで無事に帰ることができますように。

8時迄には帰るだろう。
さあ、忙しくなるぞー!!!!(嬉しい悲鳴)
日本に無事着陸しました。お祈りして下さってありがとうございました。
posted by 優子 at 19:08| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年12月26日

愛しい知子と真智子

帰国便 (12月26日 朝 8時40分 ミネソタ発−27日 夕方 5時10分 関空着)Flight: 752Depart: Minneapolis/St. Paul International Airport, December 26, 8:40 AMArrive: Detroit Wayne County Metropolitan Airport, December 26, 11:33 AM
(乗り換え)Flight: 69Depart: Detroit Wayne County Metropolitan Airport, December 26, 1:00 PMArrive: Osaka Kansai International, December 27, 5:10 PM


日本は26日朝を迎えた。
真智子たちも12時間ほどのちには日本に向かって飛び立つのだ。関空への直行便がないため、デトロイトのメトロポリタン空港で乗り換えになっている。事故無く無事に到着するように!
マチとクマの風邪は治ったのだろうか。

一方、知子もまた風邪を引いてしまった。
気になって電話した昨夕刻、今からお医者さんに行くところだと言った。婿は営業会議のため帰宅が遅く待っておられず、熱が37.8度のなか自分で運転して子供同伴で受診するしかなかった。

近くならば、せめて子供を見ていてあげられるのにと知子を不憫に思った。頑張れ、知子ママ!!!

23日のクリスマス礼拝は放出教会へ行った長女一家だが、どうやらその前日にうつったらしい。
ユキ坊が2回目の3種混合の予防注射に行った時のこと、外来患者がいるので車で待っておくように指示されたらしいが、翌23日から喉が痒く咳が出だしたという。

幸い、今のところ子供にはうつっていないが時間の問題だろうか。私も悠長な気持ちで風邪を長引かしている時ではない。緊急出動にも対応できるようにと気を引き締め直した。

昨日から再入院された方のことも辛くてならない。
深刻な病気の方々のために祈り続け、私たちにできることをさせて頂きたいと夫婦で語り合った。

追記:
インフルエンザ検査ではマイナスの反応だったとのこと。38度の熱でもうろうとしていた知子が、頓服も飲まないで今朝は平熱になったとの電話が入った。
昨夜、日本酒を買って帰宅した婿が玉子酒を作ってくれ、夜中に2度も着替えるほど汗をかいたという。
「ママが言ってたように玉子酒ってすごいなあ」。

というのは、私も結婚直後、直後もいいところでハネムーンに出発する前夜のことだ、38度近くの熱を出してダウンしてしまった。
31年前当時、アメリカへの直行便は週に2便しかなくて出発は挙式2日後だった。挙式当日はホテルで一泊し、翌日は新居で過ごした。その夜のことだった。

「私は行けないから良輔さん一人で行って」と夫に言ったほどしんどかった。
その夜、我が新夫が玉子酒を作って飲ませてくれたのだ。
「こんなもの効くのかなあ・・」と思いながら飲んで寝たところ、翌日は奇跡的な元気さになっていたから驚いた。その話を覚えていた知子があのように驚いて電話してきてくれたのだった。

私も風邪には玉子酒がいいということは聞いて知っていたが、実家ではやったことがなかったので私の驚きようは、まさしく今朝の知子と同じだった。
剛臣さん、ありがとう!
婿と若かりし夫が玉子酒を作る姿を想像して微笑ましかった。

しかし、ユキ坊が咳をしているとのこと。
子供が寝ている時は一緒に寝るように、私も母と同じことを言っていた。    
(8時30分記す)
posted by 優子 at 07:55| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

サンタさんへの手紙 ―知子編―

マチコちゃんは、かけないから知子がかきます。
サンタさんへ マチコより。
パズルをください。
これは知子7歳1ヶ月、真智子4歳半の時である。
また、真智子の芸術的な字の下には、「あみと虫かごください。とかいている。」と妹のために書き添えてくれている。妹思いで、常に真智子のめんどうをよく見てくれていた知子お姉ちゃん。

これら何枚ものメモ書きを一枚の手紙にしたものがあり、以下は知子の結婚記念誌『感謝と祈り』の幼い日のスナップ写真に添えて掲載したものである。
さんたさんへ 知子より
さんたさん、いま、わたしが一ばんほしいものは、ほうせきばこです。だめだと思うけどきょくは”えりーぜのために”がほしいです。

わたしはママのほうせきばこを見せてもらって、「わたしもあんなやつがほしいな。」と思って、たのみました。

いもうとがほしがっているのは、虫かごとあみです。
どおか、さんたさん、このおくりものを下さい。おねがいします。お手がみほしいんだけどなー。

次は1986年、知子9歳の手紙である。
サンタさん、わたしは、本当は、おかし(菓子)なしでもいいから、ぬりえ3さつほしいんです。
『ポリアンナ』と『マジカルエミ』と『ミンキーモモ』のぬりえがほしいです。

いもうとの真智子は、『ミンキーモモ』のぬりえと、『しょうぎ』をほしがっています。わたしがとめたけど、『本』もほしがっています。

ことしからピアノもならっています。
毎日、がんばって、かんしゃくをおこしながら、がんばっています。
だから、真智に、おまけして、よくばりだけれど、『本』をあげて下さい。むりだったらいいんです。

どうか、このおねがいきいて下さい。
見えないけどあなたがいることをしんじてます。
いつもプレゼントをありがとう。
あふれるあいを・・・・・サンタクロースおじいさんへ。
となかいたちさんがんばってね。
           藤本知子より

これらの宝物に触れて懐かしい日々が私を優しく包む。
ここに2006年11月15日の記事に書いたことをもう一度書き添えたい。

「子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースが本当はだれかを知る。知ってしまえば、そのこと自体は他愛のないこととして片付けられてしまうだろう。

しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。
わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためでなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生みだすこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」。


アメリカの児童文学評論誌に掲載されていた一文の大要を紹介し、『サンタクロースの部屋』の著者は次のように語る。

「サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。
だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎え入れることができる。・・・・

のちに、いちばん崇高なものを宿すかもしれぬ心の場所が、実は幼い日にサンタクロースを住まわせることによってつくられるのだ。・・・

ここ数年の世の中の動きや、子どもの状態を見て来ますと、わたし自身は、それよりも、子どもが本と出会う以前の問題の方が、もっと緊急を要することに思えてなりません。
本を読んだら読んだだけのことがあるような、そんな子どもにするにはどうしたらよいか ということです」。


サンタクロースが両親であったことを知った時、そこにポッカリ穴が空く。その穴に神を招く。私は娘たちに神の存在を信じて生きていってほしいと願って育てた。
娘たちが教会へ導かれて神の存在が明確にされたのちも、子どもたちはサンタクロースに矛盾を感じることはなかった。


サンタクロースは、神であるイエスさまのお手伝いをする者であり、その後、10年以上もの年月サンタクロースを信じていた。
そして今、神は娘たちを通してそれぞれの伴侶にも祝福を流し始められた。wreath_f5.gif
全世界の人々よ、救い主が地上に来られたことをお祝いしよう!
メリークリスマス!

posted by 優子 at 17:02| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

吹雪の中クリスマス礼拝に向かったカップル

長女のサンタさんへの手紙の前に次女のことを続けたい。
14時間のミネソタとの時差があるが、昨夜まで待っていても真智子からのメールがなくて、私は「昨日、教会へ行った?」との1行メールを送信してからパソコンを閉じた。

そして、クリスマスの今朝、嬉しいメールが届いた。
行ったよ。フェローシップ日本人教会です。http://web.mac.com/shinyakaneko/iWeb/Site/Home.html
行ってとても良かったよ。
また、帰ったら色々話すね。

昨日はすごい寒くて吹雪で、バスの乗り継ぎなどがとても過酷でした。最近疲れていたこともあって、まちもくまも風邪気味で、今日は寝てます。帰国までに治したいです。
ママたちも風邪治して元気になってね。またね。
真智子

ハレルヤ!!!
     
      「いと高きところでは、
      神に栄光があるように、
      地の上では、
      み心にかなう人々に平和があるように」
     

この箇所が私の心を最もとらえるクリスマスの聖句である。
クリスマスは全ての人々に喜びと希望を知らせるものであり、全地に生きる人々に祝福の歴史が始ることを告げている。


" Gloria, In Excelsis (グローリア、イン エクセルシス)"と言われるこの天使の歌を「頌栄」と言い、これにまさる光景は他にはない。

ハレルヤ!
天に居られる全知全能なる神さま、愛する真智子を、何よりも真智子の半身をも二人一緒に教会へお導き下さったことを感謝します。
あなたはこの2人に大いなる特別なご計画をお持ちなのでしょう。全てはそれゆえのことと受けとめています。

主よ、真智子を感謝します。
あなたの栄光が現される生涯とさせて下さい。
人生の最後まで守り導き、神の恵みの中で歩ませて下さいますように母として祈り続けます。
知子と真智子を感謝します。

神の導きに従う者はなんと幸いなことでしょう。
歓喜に満ちたクリスマスの朝を迎えたスクルージのように、私もまた主イエス・キリストを信じて生きる者は、「何もかもが自分に喜びをもたらすものだと知った」!!!


今朝神に導かれて救われなければならない魂のためにペンを執り、あるご夫妻宛ての葉書きを投函した。


posted by 優子 at 10:16| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年12月24日

サンタさんへの手紙 ―真智子編―

小公女せえらのにんぎよおとほんいさつ そんだけください
「小公女セーラの人形と本一冊、それだけ下さい」と書いている。縦書きなのに左から書いてあり、「ぎ」の濁点は左側に打ち、「さ」は鏡に映したように逆さまの鏡文字になっている。真智子5歳の時のものである。

次は1989年、9歳のものである。かわいい入れ物にアンケート用紙が入れてあり、
「おねがい。サンタさん、会いたいよー!!
 サンタさんへ、これもって帰って、アンケートはらい年もってきて、まちこ」
と書いた紙を貼っている。
まちこのおねがい アンケート
  しょうじきにこたえてね!
 ※うそつかないで!

Q1 まちと、まちの家族は好き?
  (       )

Q2 サンタさんの服装は、赤と白の(括弧の中に
  はサンタさんの絵が描いてある)服?
  それともちがう?
  (       )ちがうんだったらどんなかっこ?

Q3 ソリは空をとぶ?○をつけて、
  イエス  ノー  どちらでもない

Q4 オーストラリアなどあたたかい国では、ヨット
  で行くの?
  (       )

Q5 (ア)サンタさんはしろいヒゲ? イエス ノー
   (イ)サンタさんの頭はハゲ?  イエス ノー

Q6 サンタさんはおおぜいいるの?
  (       )

ありがとう。うらにえがかいている。

・・・そして裏面には長袖と半袖のワンピース姿、和装、水着の女の子の絵がかいてあり・・・

まえの絵とどっちがいい?
   (      )
どれが一番好き?必ず順番に番号を書いて。

・・・とあり、「サイン」まで求めている。

そして、翌1990年には、
サンタさんへ!
メリークリスマス、サンタさん黒ハート
ことしは黒ハートダイヤクラブでごめんね!
きょ年のアンケートよう紙かいてかえしてね。
いつもごめんね。
読んだらサインしてね!ごくろうさま!
まちこからサンタサンへ。
読んでね、ごくろうさま。

真智子は本当にユニークで面白い子どもだった。
あと一つご紹介しよう。
サンタさんへ  まちこから
まちの大好きなサンタさん。今年もまたきてくれて、とってもうれしい。
一度でも会ってみたいな、サンタさん、ひみつにするから・・・。でも、いそがしいよね。まちだけにくれているんじゃないもんね。

毎年会えるんだったら(目で見れる)、どんなにうれしいか。
でも、ねていても、わすれずにきてくれるだけでも とってもとってもうれしいの。
サンタさん、いつまでも、ずーっと、まちがけっこんして子供が生まれて、年をとっても、ずーっと、ずっと、大好き。信じます。

サンタさんは、いつかまちをわすれるかもしれないけど、まちは死ぬまでわすれない。
プレゼントがこなくなったらかなしいけど、でも、この喜び。いそがしくなったら、もう・・・。できればずっとちょうだい。えんぴつ1本、おかし1つでもいい、それか、毎年まちの書いた手がみをとりにきて。
大大大大大好きなサンタさんへ
来年も来てね!! まちこより  

そして、「約束 来年も来てね」とイラストの女の子に言わせている。字からすれば先の手紙に続くものと思われるが、私ともあろう者が何歳のものかを書き忘れている。

とにかく斯様な娘の夢をつぶさないために、私たち夫婦にとっては一年中で最も長いクリスマスイブの夜だった。

子供が家に居る時に配達されては困るからという念の入れようで、毎年、そごうから二重包装にして送ってもらっていた。
それを押入れに隠しておき、イブの夜は夫が娘たちをお風呂に入れている間に大仕事。私は大急ぎで外側の包装紙を外して出しやすい手前に置き換えた。

竹馬の時は必死だった。
子供たちの入浴中に、マンションの廊下にある電気室に隠してあった竹馬を大急ぎでベランダに運び出した。その年は枕元ではなく茶の間の壁に立てかけた。その時、子供が起きそうな気配を感じたので窓も少し開けたままで寝床に戻った。

クリスマスの朝、開いている窓に子供が気づいたので、「サンタさんは姿を見られるのが恥かしかったので大急ぎでトナカイに乗り込んだのかなあ」とつくろったものだ。

毎年、イブの夜だけは夫とも一致団結し、スリル満点の楽しさを味わった。
サンタさんにサインを求める紙を置き始めたのは長女だ。とにかく小学生なので英語はまだわからないからと、私は安心して筆記体で書いたものだが、真智子は感激の勢いで学校へ持って行き得意げに「サンタさんにサインしてもらったよ!」とお友達から先生まで披露した。
(>_<)&(^0^)
懐かしい懐かしい微笑ましい思い出だ。


あのユニークなヤンチャ娘が学者になるとは予想外。
27日の夜、この冬もミネソタから帰って来る。
早く真智子をこの胸に抱しめたい。
posted by 優子 at 22:18| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年12月23日

夫と並んでキャロリング、嬉しかった!!!!!

毎年、紙を買って頂いているお得意先の関係で宝塚ホテルとホテル阪急のクリスマスケーキ売上協力の要請がかかり、21日は予約していたのを持って帰って来た。
今どき、どこのケーキも高いだろうが宝塚ホテルのケーキ(5号)は3500円。
「ケーキ代返してや」と夫は言うが、香港旅行で完全な無駄買いをしてきたので返したくない。「ご馳走さま」と食べた者勝ち!(^−^)

ケーキの分け前は真智子が東京に移って3人になり、昨年から私たち2人になってしまったから2分の一ずつ。二人揃ってこんな顔わーい(嬉しい顔)をして喜んだ。

夫は2回に分けて残りは今朝食べていたが、私は一度に昨日のうちにおなかの中に入ってしまった。風邪を引いていてもケーキは美味しかった!!

岐阜行きで疲れたこともあり、21日からついに風邪も本格的になってしまった。
岐阜の帰り道では疲れた夫は目が見えなくなって、「無事に帰れますように」と心の中で祈ったというから驚いた。

22日の午後は夫婦共に3時間もお昼寝グーグー。
夫はほぼ元気を回復したが、私の風邪(インフルエンザではない)は治まらず、今朝のクリスマス礼拝のあとは愛餐会にも出ないで即行帰宅して休息。
おかげで5時半過ぎからの「イエナリエ」でのキャロリングは感謝の内に終わった。

我が夫も昨年に続いてノリノリ。
今年は特にぶっつけ本番だったこともあり、一曲目の「もろびとこぞりて」でさえ、良ちゃんはエライ間違っていたねえ〜〜。
でも、イエスさまは喜んで下さっていたよ!


生後4ヶ月と2歳の坊やたち徳山牧師ご一家共々に総勢大人10人にチルドレン達5名のキャロリング、感謝感謝だった。

忙しい教会のスケジュールも終盤に入ってホッとされる頃であろう。リーダーになってやってこられた方々は無理をしてこられたり、気の緩みもあるだろうから風邪に御注意!
注意していてもなってしまった悔しがっている優子より。


posted by 優子 at 20:51| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2007年12月22日

谷口先生のお葉書きから

ご丁寧な身に余るお礼状を頂戴いたしまして、びっくりしています。私の方こそ、早速お礼を申さねばなりませんのに、申しわけなく思っております。

さぞお疲れになりましたでしょう。
何から何まで真情のこもったおもてなしに与り、霊と肉も共々にみたされ、恵まれて、感謝いっぱいの集会でございました。

井置先生のメッセージから私は新しい光に出会わせて頂きました。
Tコリント13章の『愛は寛容にして慈悲あり、愛は妬まず、誇らず驕らず・・・』

自分の名を入れると最初から××ばかりの人間ですのに、その故に、クリスチャンでありながら、何とみじめな自分かと失望落胆の繰り返しですが、イエス・キリストを入れると、すべて完全なる○○の愛をもって、こんな罪だらけの私を愛し抜いて下さっていることに、ご聖霊の光をあてて下さいました。
よく読んで知っている聖言なのにね。

神様の光りに照らされなければ、人間、自分の罪もわかりませんし、罪がわかっても失望落胆のままでは、サタンの思うつぼです。

しかし幸いなるかな、どんな××人間でも、イエス・キリストの十字架の血は、完全にきよめて愛の人間と変貌させて下さるのですから、自分を見ないで十字架の上でイエス様が罪なき血を流して下さった神様の救いのわざを見上げていこうと新しくせられました。

すばらしい集会でした。
また剛臣さん(長女婿)の証しも、神様が兄弟の心に働いて下さっていることを知らされて感謝にたえません。

知子ちゃんが「夫の証しが私にはいちばん嬉しかったです」。実感がこもっていて、私も嬉しかったです。


早速、栄子(御次女さま)にも集会のこと電話しました。栄子も喜んでいました。

栄子さんは転勤先の埼玉で井置先生の教会へ導かれて礼拝を守っておられた。神のお計らいに驚くばかりである。

一昨夜遅く疲れ切って帰宅した時、郵便受けから夫が渡してくれた。今も朝に夕に祈って下さっている谷口先生の関わりがなければ今の私はなかった。
来たる2008年もまた先生の健康を守って下さいますように!
1月19日の家庭集会にお招き頂いていることを、神様に深く感謝している。
posted by 優子 at 08:09| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年12月21日

23時無事帰宅!

昨朝は予定通り6時過ぎに家を出て9時半に到着した。
私が岐阜へ行ったのは2度だけで、もう22〜3年も前のことになる。
遺体となって安置されていた叔父の顔も記憶のままだった。
義父の兄弟は6人が2人になり、義母も2人亡くなり4人になった。

20年以上前に初めて訪問した時、建て替えられた近代的な家のリモコン操作の照明に驚いたものだった。今でこそ我が家も眠くなればリモコンで電気を消すが、今回はトイレのドアを開けた瞬間に電気がつき便器の蓋が開いたものだから都会よりも都会的な家に驚かされた。

真智子よりも一歳年上のMちゃんや、お兄ちゃんのY君もすっかり立派な大人になっていた。
知子や真智子のことを覚えてくれていたし、「知ちゃんが上手にピアノを弾いていたよね」と私と同い年のK夫人が、私でさえすっかり忘れていたことまで記憶して下さっていた。

20年ほど前に93歳で亡くなった義母のお母さんの葬儀には、あんな田舎にまで各製紙メーカーや代理店の人たちが大勢来られて、「いったいこれは誰の葬式じゃ、こんなこと一色(いっしき、地名)始って以来だ」と村中の話題になったそうだ。

まさしく美濃紙業全盛期だった。
婚約当初は「大阪では5本の指に入る」と言っていたのに、その後、「両手だけではなく足の指まで要るかなあ」と笑っていた夫だが、今や紙業界も統廃合の厳しい時代真っ只中である。美濃紙業も吸収されてしまうのか天下分け目のすさまじい戦いに応戦し続けている。


帰りは6時半に発ち、豊中岡町に住んでいる叔父(5年ほど前に退任された美濃紙業の前常務)を岐阜羽島まで送り、いよいよチャッピーの待つ我が家目指して走り出したが、途中の分岐点で間違い伊勢街道に入ってしまっていた。

とにかくこの車のカーナビは当てにならないから信じなかった。
目的地を設定すれば到着予定時間は7時間後の午前1時半と出る始末。
そんなアホな!

しかし、今回は正しいことを言ってくれていたのだ。
高速に入ってすぐに次の出口に向かわそうするカーナビに、「出ろ出ろと、とにかく出さしたがる」と夫の言葉で2人して笑っていたが、あの時、伊勢街道に入ってしまったから教えてくれていたのだった。ふらふら

「今どこや?」
「津、日本で一番短い地名の津」と私が答えた時、夫はその段階で妙だと思ったらしいが疲労でウッカリしたのだ。私の方は常に頭の動きが静止したままなので気づくわけがない。

高速を出てユーターンし再び高速に入った。
「良ちゃんは絶対に間違わんのに」と後部座席で義母が言った。
「ここを間違えると今度は名古屋に行ってしまう」と夫。私も人任せにしないでしっかり表示板を見た。疲れて運転すると怖いと思った。見えにくく、距離感もわからなくなっていた。

早朝も名古屋から大阪に向かうトラックの大名行列に驚いたが、夜が更けていくとともに大阪に向かうトラックまで多くなり、両方向とも平日の大阪市内を走っているような混みようにビックリした。みんな苛酷な日々を生きているのだ。
私は事故にならないようにずっと祈っていた。

今朝は疲れているので少し遅く出社するように義母と一緒に何度も言ったが、男の仕事は我々が考えているほど甘いものではないのだろう。

義父の社長時代は運転できないということもあったのかお抱えの運転手がいた。自宅と会社の送迎だけではなく仕事中の移動もゴルフの時も全て運転手がついていて、とにかく恵まれた時代だった。
9時頃に出社して、まず会社の向かいにある喫茶店で専務とコーヒーを飲むのが日課で帰宅は6時。今はそんな悠長な時代ではないし性格もあるのだろう。

夫の幼かった時に大野伴睦と一緒に撮っている写真がある。夫の父方の祖父が大野伴睦と兄弟だった(従兄弟ではと思うが義母は兄弟と明言している)。
人は幼いままではおられない。
伴睦の膝に座っていたかわいい良ちゃんは、再びハンドルを握って今日も戦いに出て行った。



posted by 優子 at 07:50| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2007年12月20日

真智子たち、23日はクリスマス礼拝に!

昨朝、過去ログを読んでいた時にミネソタの真智子から声がかかった。
「おはよう」「ママ?」
「ママ」「真智、元気?」といつもの会話からチャットを始めた。

「この頃のブログ更新、燃えてるね。精力的やね。真智たちも・・・」と、近況を伝えてくれた。
まだブログには書けないが、とにかく神さまの御介入により見事に変えられつつある。真智にとって1年前とは天と地の違いと言える。
主は真智子の涙を一滴さえ無駄にはされない!親の私たちの涙もまたである。

そして、真智子は言った。
「次の日曜日にママが教えてくれていた教会へ行ってみようと思うの。バスで40分ほどだからそう遠くないよ。調べてくれてありがとう!」と言った。

今年の初めに大変なことが発覚し、私たちは新たな荒野を歩まされている。特に真智子の苦悩はいかばかりであろうか。
私ができることは何か。
神に守り導いていただくしかない。

私はアンテオケ宣教会に連絡してミネソタの教会を教えてもらった。次女たちの住まいに最も近くて安心して通える教会を教えてほしいと。1週間近くして連絡があった。

かつて、安海牧師も行かれたことがあると安海牧師夫人から紹介された教会なので安心して娘に伝えた。(真智、ママの記録を消してしまっているので教会の名前をまた教えてね)

そして、神の時が満ちて、ついに、23日のクリスマス礼拝にミネソタの教会に集うなんて、何と幸いなことか!
主よ、心から感謝します。

私は嬉しくて嬉しくて、昨朝のチャットのあとはヘンデルの『ハレルヤコーラス』の部分だけをオートリバースして何度も繰り返しながらブログを書き出した。
そして、家を出る直前にCDを消して、ヘンデルの喜びを我が喜びとしてお昼前から梅田へ向かった。


喪中の葉書きを下さった主をご存知ない悲嘆の中にある方々に、慰めの本をお送りしたく、気になりながらも大阪まで出かける時間がなかった。

そして、ブログ『生かされて』の筆者、島田裕子さんが「ペンライト賞佳作」に入賞された「心のフィルムに」が掲載されている『百万人の福音』を読みたくて!
早速帰りの電車の中でページを開いた。
ずっとブログで読ませて頂いていたから、あの頃のお父様との日々を写真で拝見して胸が熱くなった。

昨日は一時間しか書店に居なかったが、こんな短時間でそれぞれの人にふさわしい本を買えた。
自分自身にも5冊も買ってきた。早く読みたい!読める時間ができたとは言え、今の私は何て意欲的なんだろう!この上昇気流を逃してはならぬと思う。

一昨日から風邪気味なので、梅田へは昨日一日休養して今日行くつもりであったが、今日は早朝6時頃から日帰りで岐阜へ行くことになった。
夫の叔父(義母の弟)が17日夜、お風呂に入っている時に倒れてそのまま急逝されたのだ。81歳だった。夫の風邪引きと腰痛は楽になったというので、夫の運転で義母と私の3人で出かけることになった。

いつか私も地上を去る日が来る。
悔いのないように生きるんだ!
最愛の知子と真智子だけではなく、その伴侶たちもまた間違いなく神が導いて下さっているから元気を出して前進だ!


多忙のあまりチューリップを植えるのを忘れていたし、大阪中央郵便局の前を歩いて年賀状作りを忘れていたこともまた忘れていたことを思い出した。筆グルメは触ったこともないからどうしよう!今度は年賀状作りに専念しなくては!

神さま、今日の行きも帰りの道中も危険から守って下さい。終始注意して運転することができますように夫を支え守って下さい。そして、岐阜に着くまでに私の心を備えさせて下さい。
posted by 優子 at 05:16| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年12月19日

F最終回

今朝はずっと過去ログを読み直していた。
ブログには出来事だけではなく心の軌跡をこそ書き綴りたいと思っているが、まさしく今回のことは神の祝福に与るまでの軌跡が記されてあった。

特に9月1日からの記事、9月6日のメールを再読して涙している。ペンクラブのO姉と真智子には今回の大打撃、即ち、 親としての思いをわかってもらえぬ悲しみと悔しさに倒れて立ち上がれなかったこと ―を話していなかったが、ペンクラブのK姉、Y姉、また、C姉とS姉には話して祈って頂いていたので、あのようなメールを頂き心配をおかけしていた。

真智子を初め多くの友に祈られ、優しいお言葉で支えて頂いたゆえに今に至ることができたことを改めて感謝している。
節子さん(S姉)は、あの直後からご主人の癌再発という苛酷な日々が始まったことを思い、改めて厳粛な祈りと感謝を捧げている。

今回のことで大切なことを気づかされたことも書いておきたい。それは、「もてなす」ということだ。
10月にペンクラブ55周年記念集会で上京した時、疲労のために肝心のメッセージや学びが頭に入らなかった経験から、
15日の昼食はお寿司屋さんに注文しようと考えていた。

しかし、家庭集会だからふさわしくないと重々承知しているので、祈りつつも自分の体力と相談しながら注文するのは13日まで延ばしていた。
そのような日々に在った時、12日に届いた川上先生のメールにハッと気づかされることがあった。

川上先生は体調を壊しておられたので佐藤昌平さんの葬儀式ではお会いできなかったが、6日の夕刻に節子さん宅を弔問された。ちょうど「クリスマス御殿」での讃美を関西テレビに生中継された時のことだ。

「佐藤君の写真がとっても穏やかで優しく写っていて、まさに佐藤君そのもの。うれしく思いましたが、正直なところ、もう一度元気になってほしかった!

節子さん、散らし寿司のご馳走をつくってもてなしてくれました当分、心身ともに大変でしょうが、まずは元気な様子で、安心しました。」


このメールを拝見した瞬間にハッとした。
「ご馳走を作ってもてなしてくれました
「もてなす」という言葉に触れて、大切なことを置き去りにしてしまったように感じた。

確かに疲れすぎては最も第一にすべきメッセージを聞き漏らす。しかし、私はそこに比重をかけすぎていたように思った。この気づきもイエスさまからだと直感した。瞬間に散らし寿司(母流には「バラ寿司」^^)を作ろうと決心した。


その翌13日のことだった、谷口先生からお礼のお電話を頂いた時に「昼食はどうなさるの?あなたひとりで作られるの大変ね」と仰ったので、そのことをお話したら「それはいいことですね。私のできるご奉仕はこれだけですからと作って下さいね、感謝ですね。」と仰った。
こうしていつも何でもない一言一言が私には恵みの導きになっている。

さて、井置牧師のお話でわかったことは、9月4日の記事に掲載させて頂いた「愛の眼差し」には、作詞されたのが神学生の時と書いてあったが、神学校に入られる以前のことであった。

新しく編纂された『讃美歌21』にも数曲、井置牧師作詞の讃美歌が入っているとのこと。「美しい讃美歌ですよ」と仰ったので是非教えて頂こうと思っている。

今回、「ICレコーダ」「デジタル・ボイス・レコーダ」とも呼ばれている、「記者などメディアの人たちがインタビューなどに利用している」ものを宗原パパ(千里さんの愛夫)からお借りして、千里さんが録音して下さった。

宗原パパこそは、我が家にパソコンを導入して下さった恩人であり、メカに強いご主人様にいつも助けて頂いている。
「今回も本当にありがとうございました。」


録音するのを忘れてプログラムの途中、讃美歌312番からになるがきれいに入っていた。メールで添付して送信できるらしいが、容量が大きすぎてフロッピーを使っている私にはできなくて残念。
「すみません(>_<)。」
そして、ごめんね真智。日本へ帰ってから聴いてね。
posted by 優子 at 10:46| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年12月18日

E信仰の証し「ああ主のひとみ」

メッセージの前に、井置利男牧師のプロフィールをご紹介したい。

1926年  兵庫県姫路市に生まれる
1949年  入信(兵庫県西脇教会)
1955年  関西聖書神学校卒業(神戸市)
1959年  日本聖書神学校終了(東京都)
        結婚
1962年  西川口教会開拓伝道と牧会(埼玉県)
1998年  同上教会退任
        天城山荘常駐チャプレン就任(静岡県)
2005年  天城山荘退任
        東大阪教会牧師就任


「チャプレン」とは人の働きを示す言葉で、病院やホテルなど教会(チャーチ)ではない施設の祈りの場所(チャペル)で働く牧師のことを言う。
無牧(牧師不在)だった東大阪教会へは単身で赴任された。

井置牧師は第2次世界大戦では海軍のパイロットとして、国家存亡の為という目的で尽くされたが、敗戦の虚脱状態で生きる目的を失い、心も荒れ果てて教会へと導かれた。1949年(昭和24年)22歳のことであった。

敗戦後の日本は即座に価値観を180度転倒させた。
同じ頃、教師として呻吟していた三浦綾子さんの姿を重ねながら私はメッセージに引き込まれていった。長い記事になるが牧師の信仰のお証しをお届けしたい。

     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

その敗戦の虚脱状態に在って、自分は誰からも必要とされていないと思いました。人間にとってこれ以上の不幸はありません。
「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ」
石川啄木がこの短歌に詠っているのがあの頃の心境でした。

そんな22歳の春のこと、ポスターを見て教会へ行きました。
讃美歌312番を聞いた夜の感動を今も忘れずにいます。
その集会後に、「人生の目的はなにか。人は何のために生きているのか」を矢継ぎ早に牧師に聞きました。すると、「聖書を読みなさい。そして、教会に行くように。」と、このふたつのことを奨められました。

その日から聖書を読み教会へ行く生活が始まりました。
そして、最初に私の心を捉えたのがコリント人への第一の手紙13章の言葉でした。ここは「愛の賛歌」と呼ばれる有名な箇所です。
私が長い間求めていたのは「これだ!」と思いました。このように生きることこそ人間が本当に幸せになる道だと思いました。

は寛容であり、は情け深い。また、ねたむことをしない。
は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」


さて皆さんにお伺いしますが、このような本当の愛を持っておられる方がどのくらい居られるでしょうか。
自分に本当の愛があるかないのかテストしてみる方法があります。13章4節から7節(上記)のところは、本当の愛の性質が書かれているところですが、この「愛」のところに自分の名前を入れ替えて読んでみると、自分に愛があるかないかわかります。

「恨みをいだかない」「いだかない」とはメモをしない、心のノートに記録しないということです。この本当の愛が無いということが聖書の言う「罪」ということです。

私は本当の愛に生きることこそが人間の本当の幸せになる生き方だと思って、それに向かって歩き始めました。
しかし、言うは易く行うは難しです。
頑張リズムの生活はいつまでも続けられません。やろうと思えば思うほどやれない自分、偽善的な自分に気づき(目覚め)始めていき、心の深い所で悩み始めていきました。


そして、聖書の期待を裏切るばかりの自分はクリスチャンになる資格はない、キリストの教会の恥さらしだと自分を責めるようになっていきました。

「罪を知っていながらキリストの赦しを信じられないのなら、それは絶望でしかない」と言ったキルケゴールの言葉そのままが当時の私の心境でした。
神が招いて下さっているのに、教会へ行くということは苦しみを増幅することでしかありませんでした。


自分を責め続けていた年の秋の夕暮れのこと、頑張リズムの心で教会の祈祷会に出席するために道を急いでいました。私の心は重く、あたかも屠所に引かれる羊のような気持ちでした。

教会の庭にあった柿の実が夕日に映えて真っ赤に光っていたことをはっきり覚えています。遠くで鉄を打つ音が聞こえていました。

その時、ルカ伝22章の61節の言葉、「主は振り向いてペテロを見つめられた」という言葉を、不意打ちのように思い出しました。
自分の弱さのために一度ならず二度三度もイエスを裏切ったペテロ、このペテロの全ての罪を赦しておられるイエスさま。
主の愛と赦しが告げられている言葉が私の心に蘇ってきたのであります。その時のイエスさまの眼差しは自分にも向けられていることを感じたのであります。

自己嫌悪の中でのた打ち回っている自分、もう自分を責めるのはやめろ!全部赦されている、解放されているんだ!赦されている者として、解放されている者として生きるんだというイエスの眼差しを感じました。

そのことに感動して作詞したのが讃美歌243番でした。その2節を見て下さい。
そして、私は勘違いしていました。
私たちが信仰していく前に、神が私たちを愛されているということを告げられているということであります。


こんな者を寛容の愛で、情け深い愛で、どこまでも耐えて希望を持ち続けて下さる愛で愛して下さっている。キリストから愛されているということが告げられているところなのです。
私たちはこの愛で誰ももれなくキリストから愛されているというお互いであります。

先ほどの「愛」のところに「イエス・キリスト」を入れて読んで下さい。
「イエス・キリストは寛容であり、イエス・キリストは情け深い。また、(イエス・キリストは)ねたむことをしない。・・・」


私たちはこの愛で愛されているお互いなのです。
キリスト教の信仰生活は、神の存在を云々することではありません。
神の愛と背比べをする生活でもありません。
その愛に気づいていく生活、その愛に喜んでいく生活です。


「いつも喜んでいなさい、全てのことに感謝しなさい」とありますように、神の愛に気づいていく時、喜ばざるをえない、感謝せざるをえないようになっていくのです。
その生活の中で、私たちの中にも奇跡を起こして下さるのです。そうです。自分を愛し、隣人を愛していく人に変えられていくのであります。
皆様の上に神さまの導きが豊かにありますように。祈らせて頂きます。            
                   (完)
      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

牧師の祈りに続いて、一同で讃美歌243番を讃美した。 
 
1 ああ主のひとみ、まなざしよ。
   きよきみまえを 去りゆきし
   富める若人(わこうど) 見つめつつ、
   嘆くはたれぞ 主ならずや。

 2 ああ主のひとみ、まなざしよ、
   三たびわが主を いなみたる
   よわきペテロを かえりみて、
   ゆるすはたれぞ、主ならずや。

 3 ああ主のひとみ、まなざしよ、
   うたがいまどう トマスにも、
   み傷しめして  「信ぜよ」と、
   宣(の)らすはたれぞ、主ならずや。

 4 きのうもきょうも かわりなく、
   血しおしたたる み手をのべ、
   「友よ、かえれ」と まねきつつ
   待てるはたれぞ、主ならずや。
                 アーメン

谷口姉と吉見姉のお祈りに続いて私も祈らせて頂いたのち、会衆一同で「主の祈り」を捧げて第一部を終了した。
     
主の祈り
   
    天にまします我らの父よ
    願わくはみ名をあがめさせたまえ
    み国を来たらせたまえ
    みこころの天になるごとく
    地にもなさせたまえ
    我らの日用の糧を今日も与えたまえ
    我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく
    我らの罪をもゆるしたまえ
    我らをこころみにあわせず
    悪より救い出したまえ
    国とちからと栄えとは
    限りなくなんじのものなればなり
            
                  アーメン
posted by 優子 at 17:19| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

D聖書(口語訳)拝読箇所 

ルカによる福音書22章54節〜62節

それから人々はイエスを捕え、ひっぱって大祭司の邸宅へつれて行った。ペテロは遠くからついて行った。
人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。

すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。

ペテロはそれを打ち消して、「わたしはその人を知らない」と言った。
しばらくして、ほかの人がペテロを見て行った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。
約一時間たってから、またほかの者が言い張った、「たしかにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。

ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。
すると、彼がまだ言い終わらぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。
主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。そして外へ出て、激しく泣いた。


コリント人への第一の手紙13章(全)


たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。


愛はいつまでも絶えることがない。
しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。

わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。

わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。

わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。
しかしその時には、わたしが完全に知られるように、完全に知るであろう。このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
posted by 優子 at 14:44| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年12月17日

C井置牧師を囲んで記念写真

オリーブの会.jpg

ユキ坊で大変な知子ママが、9時半頃に写真を送ってきてくれているので、メッセージ内容よりも先にお目にかけたい。

井置先生が81歳だなんて、とっても見えない!
昼食後のケーキとコーヒータイムの前に済ませておけば、学会のために1時20分にお帰りになった橋本先生も入って頂けたのに残念でならない。

「さて、忘れてたらサイアクと思ってメールしてますが、今日結婚記念日って覚えてる?
blogに書いてなかったし二人とも忘れてそうだから!
ではよい夜を。」
と優しい娘。
知子の予想通りスッカリスッカリ忘れていた。
知子が30歳になったから今年は31年目のanniversary!

昨夜、娘たちが帰って寂しくもホッとしてベッドに入って思ったことは、「明日は17日か。同志社のクリスマスページェントやなあ。今年も行けそうにないな」と、思ったと同時に眠りに落ちたのだった。

しかしまあ、自分の結婚記念日を忘れるなんて!
とは言うものの、覚えていた年のほうが少ない。
さて、我が夫は覚えているかな?帰ってきたら直ぐに聞いてみよう。

「今日は何の日?」


posted by 優子 at 15:48| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

Bインテルメッゾ(間奏曲)

毎朝出社する時に夫は自動車の外気温を表示し、私も飽きもせずにやりとりを交わす。私たち夫婦の真冬期間限定の光景である。

15日のゴルフは、「優勝したで!ハンディー4で41と42なんて初めてや!」と嬉しそうに帰って来た。
美濃紙業の接待ゴルフなのに、主催者が優勝して喜んでいていいのかな?!
賞金のデパートの商品券はご奉仕してくれた娘夫婦にプレゼントし、翌16日のデートの軍資金にしてもらった。

娘婿は谷口先生たちをお送りしたので、妻と子どもとは数時間再会しただけで自宅に戻った。
そして昨日、生駒市主催「クリスマスコンサート」のチケットを買っていた娘は生駒に向かった。8時間ほど私たちだけで孫の世話をすることになっていたのに夫は風邪でダウンして一日中寝ていた。その上にギックリ腰になってしまった。
そんなけで孫の世話を楽しみにしていた夫はガッカリしていた。

今日も私の女性用のコルセットを巻いて出社した。62歳という数字にギョッとするものの、確かに以前のようにタフではなくなってきた。

知子はお箸を持つのも痛いほどの腱鞘炎だったので、孫の世話と我が家の子・チャッピーの世話をしながらの集会準備だったので、ついに昨夕は再び腰がギクッとなりかけた。
しかし、祈られてきたおかげで体力が支えられただけではなく体重は2キロ減少し、体脂肪も32から27、5に下がって感激!

今朝は4度と冷え込んだが澄み切った我が心には心地よかった。昨日の友のメールを読み直して友の愛に涙した。

そして、冨美子姉が仰っているように、私もまたライフサイクルが最終段階に切り替わろうとしていることを強く意識している。友たちに励まされて、私もまた自分の務めを果たして共に天国で憩いたいと願う。

最後のステージをいかに生きるのか。
これまでの人生を統合していく時である。
私にとってはやり残していることを成すというよりも、やりたいことが明確になったという感が強い。限りある時間を意識しながらより一層集中していきたいと思っている。

「星のように急がず、しかし、休まずに」!(ゲーテ)

今日の記事は、特別集会全記録の間奏曲である。
posted by 優子 at 08:44| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年12月16日

A「オリーブの会」同労者からの感謝メール

優子さん 
 
 凝縮した時をありがとうございました。

井置先生の焦点のぶれない はっきりとした それでいて慰めに満ちたメッセージ 感謝でした。

そして豊かな昼食のひととき、
それに続く お一人お一人の 重みのあるお話し
心に染み入りました。

優子さんがおりおりにお出会いになった方々との 交わりを大切にしてこられ、今日私たちは そのおすそ分けに あずかりました。
ぴーんと姿勢が正された思いで、帰路は背中を伸ばして 歩きました。

優子さん、今ごろは ぐーっと 疲れを感じておられるころと お察ししております。
どうぞ ゆっくりお休みになって下さい。
そして 静かなクリスマスをお迎えください。

井置先生がお話になった 柿の実が 枝に残る 風景を見ながら 教会の道を上っていかれた様子が なにかしら心に残りました。
私たちも 新しい ステージに着実に向かっていますね。

新しい年も どうぞよろしくお願いします。
老松 冨美子 fumiko oimatsu

この日、冨美子さんは夕方からの予定も入っておられたからかなりのお疲れだったであろうに、深夜になってまでもメールを書いて下さった。
本当ならば出席された方々に早速感謝のメール送らせて頂く私だが、さすがにこの日は疲れてしまって12時前にはベッドに入ったと思う。
共に労して下さっているもうお一人の千里さんもまた、午前1時26分にメールを送って下さっている。
優子さん

主がこのオリーブの会を愛し今日の特別集会を豊かに祝福して下さいました。先生とのやりとり、出席して下さる方々へのきめ細かい配慮、多忙な準備と緊張は如何ばかりだったことでしょう。本当にお疲れさまでした。

知子ちゃんの指のことも、ユキ君のことも守られましたね。和やかなお交わりができ感謝でした。
剛臣さんが心の内を話され教会に行きたいと言われたことはとても大きな喜び、本当に何よりです!良かったね。

剛臣さんの送迎のお働きありがとうございました。
知子ちゃんとユキ君もう一泊されるんですね。嬉しい大切な時間、主の恵み溢れる時間となりますように。遅くなりましたが今日はゆっくり休んで下さいね。何もかもありがとう。


お2人とも毎日ハードな日々を過ごされており、しかも連日夜遅くまで起きておられるから私の日々などとは比べものにならないだろう。
それなのに私は15日夜にはどうしても井置牧師や橋本先生、また、谷口先生と吉見姉にお礼状が書けなかった。体力の限界だった。

冨美子さんは前夜も帰宅されてからプログラムの訂正がないかを電話で聞いて下さって、それから印刷にかかって下さったのだ。

千里さんもまた、

「優子さん いよいよですね。
駅で4名了解!掃除、おすし、お吸い物、食器類、目に見えない用事多数。全ての準備に主の助け、支えを祈ります。ユキ君にも特別な守りがありますように。出席者全員の健康も守られますように。

ケーキは一口大のオレンジケーキですが12時頃(多忙な千里さんは夜に作って下さった)に焼き上がりましたよ。お皿を使わなくてもいいように考えて持って行きます。一口なのでフォークもいらないかな。

録音機も忘れないようにしなくっちゃ。
主に感謝しつつ。知子ちゃんとユキ君に会えるのを楽しみにしています。」


と、14日午前2時過ぎの着信メールだった。

いつもいつもおふたりの温かいお心遣いと寛容な愛に支えられて33回を迎えることができた。言葉では表現できないほど感謝している。

短い睡眠時間まで削って書いて下さったメールを自然消滅させるにはもったいなくて、また、これらのメールにこそクリスチャンの生き方が濃密に現れており、まさにクリスチャンの息遣いが伝わってくる。
私はこのような優しさに触れて今まで支えられ導かれてきた。メールを掲載させて頂くのは、この神の愛を感じ取って頂きたいとの願いからである。


節子姉と明美姉からも全く同じ愛に満ちたメールを頂戴していることを、感謝を以って書き添えておきたい。
人は愛され、大切にされて育っていくのである。感謝。


posted by 優子 at 23:28| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年12月15日

第33回 オリーブの会特別集会 @

       〜 第 1 部 〜          
                   司会:藤本優子
                   奏楽:知子

讃美歌 285番「主よみてもて」      会衆一同

祈 祷                 老松冨美子姉

聖 書 
ルカによる福音書22章54節〜62節    司会者
コリント人への第一の手紙13章(全)   宗原千里姉 

井置利男牧師ご紹介              司会者

讃美歌 312番「いつくしみふかき」    会衆一同

奨 励   主題 「ああ主のひとみ」  井置利男牧師

讃美歌  243番「ああ主のひとみ」     会衆一同

祈 祷            谷口幸子姉・吉見和恵姉

主の祈り                  会衆一同

昼食タイム

       〜 第2部 交わり会 〜

終 礼 讃美歌405番「神と共にいまして」  会衆一同

祈 祷                     司会者   


これが今日のプログラムである。
祈り祈られてきた「オリーブの会特別集会」は、主の御臨在豊かな集会となり、井置利男牧師のメッセージは一人ひとりの魂に届き、会衆一同が溢れる恵みを与った。

この集会のために、遠くからは8時前にご自宅を出て下さった橋本先生と徳山姉。

また、長女の婿はイエスさまの御用を快くしてくれ、奈良市学園前の谷口先生や吉見姉を送迎してくれた。

先月23日に半身(ご主人)を天に送られたばかりの節子姉もお出で下さった。徳山姉の半身もまた10月半ばに召されなさった。お2人の悲しみが和らぐまで背後で祈らせて頂きたい。

近くからは青葉台の明美姉も集って下さった。急な御用のためにお出でになれなかった方々もおられ、今日は12人の集会だった。

奨励された内容や記念写真は後日にアップさせて頂こうと思う。
知子が自宅に帰ってから写真を送信してくれることになっているが、橋本先生は一足先に同志社大学の学会に向かわれたのでご一緒でないのが残念だ。

今回の集会はクリスチャンたちのことなのに、1週間ほど前からの出欠確認のことで実は最高レベルの緊張になっていた。
20年来お導きを頂いている放出教会の谷口先生と吉見姉の存在が緊張を和らげてくれ、「クリスチャンの集まりは何も気を遣わなくてもいいのよ」とリラックスさせて下さった。まるで母のような存在に感じた。

徳山姉とも親しい交わりへと導かれて主に感謝している。香芝チャーチの方々は全ての食器を洗って下さって本当に助かった。
そして、冨美子姉、千里姉にも心から感謝している。

お・や・す・み・な・さ・い!(^−^)

         続きを読む
posted by 優子 at 22:51| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2007年12月13日

「日記すてき(^^)」 ―ブログ考B―

優子お母さんへ
今日のブログ、読み終わってため息じゃなかったですよ(^o^)。
人との気持ちのやり取りとか、読んでほっとしたり、考えさせられたりすることが多いです。 また楽しみにしてます。
                   太志

おしめの旅、大変やったね(笑)。
人間の心って、親切というか、やさしい気持ちに触れると、すごく幸せになるよね。
泣きチビ達にもよろしく(^^)      真智子

ミネソタでも読んでくれている次女夫婦からのメールに、また胸が熱くなった。太志君の「今日の」というのは、日本と時差の関係で昨日のブログのことである。
ありがとう!

真智とクマへ:
もう10年以上も前の読書会でね、「信仰を持っておられる藤本さんの感想を聞かせて頂くのを、いつも楽しみにしているんです」と仰ったBさんの言葉が今も印象に残っているの。

ここからは、2006年4月1日と3日の記事に続く「ブログ考B」の話題になるけれど、読書会のBさんの言葉から、日々の出来事に対して私がどのように感じ、どう考え、あるいは対処するのかを綴っていこうというのが、ブログを開設した当初からのスタンスなの。
聖書の話ならば検索すれば数え切れないほど出てくるし、幸いにも(?)、それを書き続けるほど聖書の知識もない。

私はね、日本という国で主に仕えていく一人のクリスチャンの息づかいを書き表したいと思っているの。

確かに、日々の記録だけではつまらない。
「今日はああした、こうした」だけではつまらないから、それだけではなく、その時の気持ちや考えを書くようにしているけれど、チョクチョクそのような内容にのみ偏ってしまっていることに気づく時がある。

その時はまた大きくハンドルを切るようにしているけれど、まもなくブログ開設3年目に入るので再び方向性を模索しているところです。書きたいことが書けないのは物足りない。

しかしまた、これがブログの限界だし、だからこそ小説の手法をとる必要性を感じています。これに関連して先月下旬には、ずっと読み続けて下さっている作家の友からお手紙を頂きました。まさに「静かなる読者」からのね。

「あなたが何もかも包み隠さず日々延々と綴っておられて、実に興味深く拝見しています。
でもいつこの文章がフィクションに変化していくか、それも期待しているのですけれどね・・・。」
と。

しかし、私は創作には向いていない、自分には書けないのがよくわかる。
例えば一つの記事を書くにも時系列的にまで一つひとつ書かねば気がすまないほうだし、それが文章としては愚作でしかないとわかっていてもです。まさに「文は人なり」だとしみじみ思うよ。人物が見事に出るのです。

ただ一つ友のご指摘で意外だったのは、私は良いことだけを、人生が順調に行っていることだけを書いているということだった。
ママは決して、何でも「ハレルヤ!アーメン」でかたづける「ハレルヤ信仰」ではないつもりだし、それどころかそれと反対だと思っている。


ブログでなど公開する必要は全く無いけれど、クリスチャンの交わりでさえ自分の問題を話す人はごく稀です。しかし、分かち合ってこそ気づきが溢れる。ママはそんな出会い、集会、また、有限ながらもブログの実現を望んで励んでいるの。

しかし一方で、友の助言も全くその通りなの。
と言うのは、ママは感じ考えたことを書いているけれど、もっと自分の、いや、それは一般化していいと思うけれど、もっと人間の醜さを書けと仰っているの。作家の目で見ると、こんなの(『メメントドミニ』)は「ハレルヤ信仰」だと仰っているわけなの。何も書き込んでいない、うわっつらのことというわけです。


とにかく、私はどうしてもフィクションとしてプロットを組めないので、得意の文学評論を通して人間の実相に深くメスを入れていきたいと思っている。2008年からのチャレンジがまさにそのことなのです。

真智の表現、「おしめの旅」には感服した。経済学者にしておくのがもったいない(笑)。「考えさせられたりすることが多い」と言ってくれたクマの一言は、私の最も嬉しい反響でした。ありがとう!!

チビを泣かせてほっといたら、直ぐに眠ってくれてブログまで書けちゃった!!
民生のからみで参加すべき「市民ワーキング会議」を欠席してごめんね、Kumikoさん。

ついでながらマチとクマ、kumikoさんもまた、チビの滞在中に「お医者さんにでも行くようなことがあったら、いつでも言ってね、車を出すから」と仰って下さり感謝感動した。ママは本当に幸せ者だと思う。
お互いの中にある良きものを育て合っていけるなんて、生きるって本当に素晴しい!
人との出会いを大切にしたいと思う。
このような友を与えられたことが民生の最大の財産になったよ。


マチ・クマ、そして、作家のHさん、ありがとう!
まあ、模索しながら、もう少しこのまま続けていこうと思っています。
posted by 優子 at 15:49| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2007年12月12日

2つの新鮮な感動

「大忙しの一日だった」の内容を書きたいが、「日記なんか書いても読む者には面白くもない」と作家の友の声が聞こえてきそうだし(笑)、「日記は本人にだけ意味があるのであり、他人にとっては徒労」だというようなことを西口氏も言われていたけれど、まあ書かせて欲しい。

今日は新鮮な感激が2つあった。
まず、天理教の方との出会いだ。

その方は私のあとを引き継いで下さった民生児童委員さんで、ご自宅が○○教会となっているバリバリの信徒である。

今日はご一緒に社会福祉協議会へ行き、生活福祉資金借金者のことで協議会の担当者と3者で引継ぎし、書名捺印を済ませて全ての責任が完了した。

その行き帰りにいろんなことを話し合った。
1日の我が家での引継ぎの時に一冊の本を差し上げたところ、早速読んで下さってキリスト教に対する感想を話して下さったのだ。

天理教については教科書に出てくる程度しか知らなかったので、私にも大変興味深いものだった。別の項で書きたいと思う。

その後大急ぎで掃除を済ませて駅まで長女を迎えに行った。
5ヶ月になる孫は、いわゆる抱き癖がついてしまったのか置くと泣く。娘は一日中休む暇なく抱いているので、随分前から両手とも腱鞘炎になってしまった。長期間薬を塗布しているので肌にも炎症が出ている。10日には整形外科を受診して親指に力が入らないようにする装具をつけている。

そこで、助けを求めて実家へ帰って来たというわけだ。
15日の家庭集会では奏楽を頼んでいるが、指が痛くて練習もできない状態だ。


さて、無事に我が家に着いてホッとしたものの、私はウッカリしてオシメではなくパンツ式のを買っていたものだから、さあ大変!

娘は運転することができても我が家には自動車は一台しかないので、山を越えてオシメの交換のために歩いて行った。

泣きチビ、(ママに)密着チビ、生きている限り寝ている時も動きまくるマグロのように日中は寝ないので、娘は寒い日でも長時間散歩に出る日常である。そこで「片道30分の道のりなんて軽い軽い」と娘に励まされて、3人で山越えをした。

しかし、ついに帰り道で雨が降って来た。
娘の変わりにバギーを押していたが私でも大変だった。必死になってバギーを押している時、民生委員でご一緒だった旧村のFさんが通りかかられて声をかけて下さり、憐れな私たちを我が家まで乗せて行って下さったのだ。

親切が身に沁みた。
この感動の感謝をどう表したらよいかわからない。人間って素晴しいと思った。このような心の触れ合いが、落ち込んだ時の私をも元気づける。


しかし、読者は思われるだろう。
このような円満な人間関係にあるのに、どうして何度もストレスフルな民生委員会だったと書いているのか、いったい何がストレスだったのかと。

書きたいが書けないこともある。しかし、書ける範囲で書いていきたいと思っている。そのことは社会に対して重要な発言をすることでもあるからだ。


そんなわけで、お母さんの胎に居る時から天理教しか知らないと仰った方の話から、広遠な範囲で考えさせられたこと。そして、Fさんの親切に感動したことをどうしても書いておきたかった。

貴方は最後までお読み下さってやっぱり溜め息でしたか?
posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年12月11日

ご主人を亡くされた友がまたひとり

今日もまた悲しみの葉書きが届いた。
私と同じ世代の友人がご主人を亡くされたというので「えっ?」と息を呑んだ。胸がえぐられるような思いがした。

兄と小学校同窓の私より2歳年上の女性である。母の通院中に住友病院で出会ってから親しくなった実家の近くの方だ。今では1〜2年に1度くらいの電話だけだが、いつも「優子ちゃん、優子ちゃん」と呼んで下さり、優しい声が耳に残っている。

ご実家のことでご苦労耐えぬ方が、今度は62歳のご主人までも10月に亡くされていた。62歳と言えば私の夫とおない歳である。
「・・・兄も病院のせいで亡くし、今また主人までも・・・実家のために一緒に頑張り、私を支えてきてくれたのに、今も信じられなくて・・・」と葉書きに書いて下さっていた。

居ても立っても居られず、祈るにも落ちついて祈れず、書棚の前をウロウロし、どのようにしてお慰めの言葉をかければいいのだろうかと次々に本を手にするが、どれも役に立たずに戻していた。

とにかくお慰めの電話をしようと、静まって祈った。
声をかけた瞬間にお互いに泣いていた。1時間半以上もの間、病院のこと、医師のことなど、堰を切ったように話された。

「子どもはまだ若いから、お葬式も何もかも一人でしたの。・・・主人はいつも私の横に立っててくれていたのに、今は誰もいなくなってしまった

今になって思うのは、主人はどれだけ私を大きく包んでくれていたか思い知らされた。・・・・優子ちゃんもご主人を大切にね。」
と仰った。

友の言葉が身に沁みた。
9日の礼拝で節子姉も同じことを仰って下さった。「ご主人を大切にね、仲良くね」と。
本当に本当にそのことを心に刻まねばならない。

私が忙しい忙しい、体力がないなどと言いながら順風な日々を過ごしていた頃、ひろみちゃんは8月からご主人が苛酷な状況に急変し、10月15日に亡くなられていたのだった。
病院側、医師の在り方が問われるような不幸が絡むだけに、悲嘆のプロセスにも影響を及ぼすので心が痛む。

平成9年から、「この9年間に兄、母、父、そして主人と4回もお葬式を出した」。お慰め言葉が見つからなかった。

人生の後半、終盤にかかってくると悲しみや試みが多く押し寄せてくる。悲しむ方々に遣わされた時はいつも、私もしっかり通り抜けて行くことができますようにと祈らずにはおられない。


神さま、愛するご主人を亡くされたひろみちゃんを抱しめてやって下さい。ひとり泣いているひろみちゃんや節子さんを慰めて下さい。
お2人とも素晴しい夫婦生活を送られた方たちだから、頬を流れるのは愛の涙であり感謝の涙だから心配はしていませんが、ひろみちゃんに神の慰めをお伝えすることができますように。


22時10分追記:
7時40分になっても帰ってこない夫を心配しながらブログを書き始めた。夕食を済ませ、チャッピーの散歩から帰ってきても自動車が戻っていない。
今週は金曜日に最後の忘年会があるだけだと言っていたし・・・。

ようやく10時近くになって思い出した。
今夜は出版社の社長さんと久しぶりの麻雀だと言っていた。友のことが我が身に起こったらと悲壮な気持ちになり始めていたから、友たちに後ろめたさを感じながらもホッと胸をなでおろした。事故無く無事に帰宅することができますようにと祈り、玄関が開けば「お帰りなさい」の前に神に感謝する日々。
こんな平凡な日常がいつまで許されるだろうか。「順境の時は感謝して生きたらいいのよ」と言って下さった富樫姉の言葉が脳裏を過ぎる。最後に向かって大切に過ごしていきたいと思う。
23時40分、夫は疲れた様子で無事帰宅した。
posted by 優子 at 20:16| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年12月10日

喪中葉書きが届く日々

12月に入ると喪中の葉書きが届く。
今日も届いた悲しみの葉書きを手にしてしばしたたずみ、母と父を亡くした時を回想していた。そして、あの頃すがるように読んでいた数冊の本を開いてみた。

「愛する人を亡くすと故人や友人に憤りの気持ちがこみあげてくることもあります。憤りの気持ちは、心のやるせなさから生じる一時的なもので、悲しみが癒えていく過程で生じる自然な感情です。

怒りの気持ちは悲しみときわめて密接に結びついています。だから、激しい憤りや怒りを感じ、それを爆発させることがあっても、罪悪感に捉われる必要はありません。・・・・

どんなに辛くても少しも取り乱さないで自制できるということを自慢して言わないで下さい。・・・必要なだけの時間をかけて、あなたなりにあなたなりの悲しみを癒して下さい。・・・
悲しいのに悲しくないふりをしたり、再起できていないのに再起できているような顔をする必要など少しもないのです。・・・

愛する人との死別は人生の危機であって、家族みんなで分かち合うべきものです。・・・一人でいるのが格別辛いのは、故人の誕生日や命日です」。


あちこちに赤い線が引いてあった。
ご遺族にとっては、特にこれからの一年間は辛く悲しい日々を過ごされることだろう。友として死別後の深い悲嘆を支えることもまたとても大切である。

安易な言葉ではなく、死後の悲しみや怒りなど混乱した感情を安心して吐き出してもらえる存在でありたい。決して軽薄な慰めを口にしないようにと自らを戒めた。

主の慰めの中で涙ながらにも笑える日が訪れますように。
posted by 優子 at 18:10| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年12月08日

新しく開かれた道に胸躍る56歳

メール有難う!
テレビ出演無事終了したみたいね!
多くの人との温かい交わりが、とても素敵です。・・・ビデオで見るのも楽しみにしてるよ。

昨日はついに一日中ダウンしていた。今朝も疲れが残っていたが、午後から何とか掃除だけはやり終えた。しかし、15日のプログラム作成の続行はならず中断である。

昨日は寝起きの合間に、冨美子姉に教えられて「割付」画面まで進んだが、用紙を横長にして「左から右に」のところをクリックできなくて、以後は冨美子姉のご好意に甘えて表紙部分をお願いした。

心身が疲れた時は、異世界であるミネソタからの便りが私をホッとさせてくれる。昨日のメールには次のように結んであった。

まち達は今日、英語のテストでした。また奈良に帰ったらじっくり話すけど、10分間のティーチングを採点されるテスト。緊張したけど、なんとかなったと思う。ほ。・・・

今週末はマイナス20度の世界になるそうです。
さむー。またね。
               真智子

どんどん冷えていくのね。
もうすぐ再会できる喜びと共に、話題が尽きなくて寝不足の日々到来でもあるから、私も体力を戻しておかないとね(笑)。

いよいよ新年からは第何期になるのだろうか、私は再び、そして、最後の学びの時代に入っていく。
先月末に久保田先生より御著書、『椎名麟三とアルベエル・カミュの文学』を送って頂いているので、この書物から読み始めることになるだろう。

関西(かんせい)学院大学(通称「関学」、関西の有名なミッションスクール)で開かれているキリスト教文学会を紹介して下さった。

「聖書のペテロの挫折(裏切り)と再生の記事は、ぼくも深く注目しています。遠藤周作も注目しています。
研究会に藤本さんもOさんも出席して欲しいと思うので日をあけておいて下さい。」
とお手紙を添えて下さっていた。

ありがたいお招きである。神の導きである。身が引き締まるのを覚える。私にとっては新しい始まりであり、学究の場で学べる最後のチャンスと胸を弾ませている。

そして、このような時もまた、私を文学開眼へと導いて下さった西口孝四郎氏のお顔を思い出して感謝の気持ちが溢れるのである。

クリスチャンペンクラブ2008年初回の例会では、太宰治の『人間失格』がテキストになっている。多くの人々に読まれている作家であり作品である。

読書会でも取り上げたが、今度は一般の読書会ではないから、先生のお話と共にクリスチャンたちの感想も非常に興味深い。胸が躍る。そしてまた、今読み直すとどのように感じるのかそれ自体も興味深い。

久保田先生は、次の三つを注意して読んでくるようにとのことだ。
1.「人間失格」とは、どういう意味か、
   何をもって「失格」と言うのか。 
2.なぜ今も多くの人に読まれるのか。その魅力。
3.内容、書き方、文体について、どう思うか。


おもしろそう!!!
新しい気持ちで真剣に研鑽を積んでいきたいと思う。
感謝。心の疲れは癒された。
posted by 優子 at 16:50| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2007年12月06日

楽しかった讃美のテレビ出演

皆さ〜〜〜ん!
今日はテレビをご覧下さりありがとうございました。
お騒がせしました(^0^)。


「見たよ!」と早速お電話やメールを下さり感謝します。

「すごいお家ですね。聞きしにまさる何とかでただただ見ほれていました。」

「想像以上にとても素敵なイエナリエでした!」

「テレビ、バッチリ見ました。とっても楽しそうで、嬉しくなりました。リハ―サルで歌って居られた時も拝見していましたし、点灯のリハ―サルも通りかかりました。何だかとっても嬉しいです、バンザ―イ!素敵です。」

私たちの顔までは鮮明に映っていませんでしたが、本番直前に福野牧師ご夫妻も駆けつけて下さり、生後3ヶ月の赤ちゃんから80歳近いご婦人まで総勢20名を越えていました。

歌い終わった直後、庭内に入ってこられた町のお寿司屋さんの奥様が声をかけて下さいました。
「(讃美歌を)歌っているのはこのあたりの人やでと聞いて来たんやけど、ああ、藤本さんやったん。いいことしてるなあ。・・・」と、すごく熱く仰って下さったものだから、私は新たな感動に興奮ぎみになってしまいました。

参加者が大勢だったことと、夕食時間ということで皆さんには休憩して頂かずにそのままお別れしました。
「コウケンさんが藤本さんに挨拶したいって・・・」との伝言をお聞きして、牧師御夫妻と神学生の方は部屋でセルフサービスでくつろいで頂くことにして、大急ぎで走って行きました。
勿論、手には『パワーフォーリビング』を持って、ディレクターさんにもお渡ししてきました。パンチ

皆の健康が守られ、お天気と気温まで何もかも幸いに保って下さった主に感謝します。

今日の出来事を通して近隣の方々にも、私がクリスチャンであるという信仰の旗印を高く揚げたのです。
いよいよ主の証し人として歩ませて頂きたいと切に願っています。


posted by 優子 at 23:18| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

15日のプログラム1ページ目はできた!

本来ならば12月1日に連絡しないといけないところだったのを、ようやく今朝井置牧師にお電話した。
我が家の家庭集会の様子をご説明して、先生のご意向をお聞きしながらご相談した。

受話器を置いた手でパソコンの電源を入れた。
早速プログラムを作り、印刷したものをFAXで送信すると正午前になっていた。
午後は明日のためにと2〜3箇所の掃除を終えて一安心したものの、6時前になっていたので急いで再度牧師に電話した。

まだそんなに話した事もない先生なのに、プログラムの順序を検討しているうちに一緒になってプロジェクトを進めていっているような感じがした。これもまた懐かしい思い出になるのだろう。
プログラムの主要ページを完成させて一安心。
次はキャロリング!
パンチ

今日は北風が吹いて寒かったが、明日は今日と打って変わって南風の暖かな晴天。夜から下り坂になるとは何という幸運。

毎日毎日疲れモードの私。そんな私をいつも笑わせてくれる淳子姉のメールが届いていた。
ハレルヤ!
先ほどゴスペルから戻ってきました。
6日3時半ゴスペル集合です。
香芝からは8名車で行きます。(守号です)

富田林からも何故か何人か来るそうです。
口パク参加します。(今日、練習してきたのでは?)
明美さんもすごく乗り気です。大野さんも同じく。防寒着用意していきます。
暖をとらせて下さり感謝です。

皆さん自然体でまいりましょう。
ぶっつけ本番楽しみになってきましたね。
では明日お会いしましょう。

何度読んでも笑ってしまう。
淳子さん、急な呼びかけに対してご協力感謝します。20名は無理だったけれど、5名くらいだったらカッコつかなかったから感謝してます。
でも、私は、先ほどから、また、胃、が、痛、い、よ〜〜〜。


posted by 優子 at 20:55| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年12月04日

委嘱式を終えて気分は最高!!

12月1日付けで全国の民生児童委員が新規改選された。
3年前の委嘱式は藤本の父の葬儀だったので委嘱式に出たのは初めてである。義父が亡くなって3年経ったのかとしみじみ思う。

2期以上の経験年数者が24名、1期3年の者が21名退職した。
県や市から感謝状(2期以上の人は厚労省からも)と記念品を頂き、記念写真撮影のあと、次期も残って下さる方々や新任の方々90名余りの方々を両サイドに見送られて歩くのは、まさに卒業生気分だった。

3年間の感想を問われれば、「濃厚な社会勉強をさせて頂いた」という一言に尽きる。

「ありがとうございました」と私がご挨拶しようとする前から涙ぐんで下さったMさん、本当に熱い心で握手の手を差し伸べて言葉を一杯下さったMR.IさんとYさん。

「泣きそうになったからアホなことを言ったのよ」といつも送迎して下さったMさん。今期からは北地区の副会長としてご奉仕される。


3年間に市の行事で何度もご一緒するうちに、他地区の方々とも顔見知りになり、感慨を分かち合った。

私は下の子供も高校を卒業してから当地に引っ越して来たので、地域のことや人々と関わる機会がなかったが、民生のおかげで地域のことがわかり、地域や広範囲の人たちと知り合えたことが何よりの財産になった。すでに東大阪時代よりも多くの知己がいる。

式のあとは引退した者たちで、大和平野を見渡せる料亭に連れて行って頂いて豪勢な昼食会に参加した。(これは自費ですから!)(笑)。その席でテレビ中継のことを思い出して、しっかり6日のことをPRさせてもらった(^−^)。

と書いていたら、先ほどディレクターさんからメールが入った。

テレビ局の人は13時に到着しセッティング、15時ドライリハーサル(カメラを使わない動き確認、主にスタッフ)

「ドライリハーサル」なんて専門用語を耳にするのは初めて。
おもしろそう!
そして、私たちのリハーサルが3回もあるんだって!!

16時10分から1回目のリハーサルで、2回目は16時30分、3回目は17時10分頃というから驚いた。たった5〜10分間くらいの場面のためにもここまでするのだ。
そして、17時30分頃に生中継本番になるんだって!


何事も気楽に楽しく挑戦しすぎかも(>_<)。
「知ーらんで、知ーらんで!」と不安と緊張が高まってきた。

尚、「曲は、モロビトか、キヨシコノヨルがいいと思うのですが、現場で決めさせてください。」とのこと。

しかしよく考えてみると、肝心の私が練習できていないことに昨夜気がついた。讃美歌は歌えてもメンバーとの合同練習は皆無だから、こうなればリハーサルの時しか練習できないというわけだ。

明日の練習にもとても行けない。
明朝はやっとのことで井置牧師との打ち合わせに入るのだ。先生の御経歴、歌う讃美歌やメッセージのタイトル・・・などをお聞きして、簡単ながらプログラム作成にかかれる前段階までやっておかねばならない。そうでないと、せっかく舞い込んだ6日の嬉しいハプニングも楽しめないだろう。

しかし、何事も前向きでチャレンジする者には、神さまはこんな経験までさせて下さるのだ。私は個人的にも神さまからの大いなる励ましと祝福であると感じている。
どうか本番まで体調が守られて、兄弟姉妹たちのハーモニーにとけこむことができますように!


主よ、聖歌隊の一人ひとりの健康を守って下さい。
そして現場で、また、テレビで見て下さっている人々にクリスマスの喜びを、「あなたは愛されていますよ」という神さまからのメッセージを、お伝えすることができますように!


今から祈って讃美する者にふさわしく整えられるように備えていこう。


posted by 優子 at 18:25| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年12月03日

冷たい雨の日なれど我が心は快晴なり!

既に11月末で任期満了したが、12月初めの歳末助け合い募金活動は古いメンバーでの最後のご奉仕である。3回目の今朝も7時半から募金箱を首から下げて駅頭に立った。

この駅にもかつては多くの通勤客があったらしいが、近年は数えようと思えば数えられるほど少ない乗客だ。現役世代が引退したための減少であり、65歳以上が31パーセントという高齢化著しい住宅地である。

さて、民生委員会を退くにあたり、会のあり方について大きな問題を感じていることと、委員会に対する福祉行政の立場と当市福祉課の考え方を聞くことを残すのみとなっていた。

幸いにして今朝は社会福祉課の課長が来られていた。
この4月の人事異動で新しい任に就かれた方であり、定例会での印象だけではどのような方なのわからないが、時間を頂戴したい旨を早々にお伝えしておいた。

すると、人の足が遠のいた9時過ぎに声をかけて頂き、立ち話ではあったが大体の主旨を伝えることができた。民生委員会と福祉課との位置づけ(3年間に自分で調べてさえいなかったので)と、当市福祉課の姿勢も少しはわかった。

少なくとも自己防衛的で自分の感じていることを一切述べようとしない人ではないという印象を受けた。事実、話されたいくつかの事例からもハンドルさばきをして下さっていることがわかったので、一縷の希望を持つことはできた。

「噂ではあの人は・・・」と早速、彼に対する外野の声を入れてくる人があり、相変わらずだなとウンザリしたが、私は人を信じて関わっていく生き方だから全く左右されることもない。自分の目で見て自分で考えて判断している。
さすがに鈍感な私でも2年過ぎた頃から見えてきていた。私は私なりに主なる人々のあり方は見えているつもりだ。

明日の委嘱式でお会いした時に再度、今後も行政に対して熱い視線を向け続けていることを課長にお伝えしておこうと思っている。


たった一度の20分程度の会話で人物がわかるはずはない。しかし、私にとっては少なくとも福祉課の方では初めて共感できる見識をもった方だったから、あの方の言葉が本心であると信じて、意欲が損なわれることのないように支援していきたい。

帰りも冷たい雨が降り続いていたが私の心は快晴だった。
「終わった!!!」
ようやく自分なりの終止符が打てる気がした。


帰宅して大急ぎで関西テレビの担当者に電話した。
参加者は10名、テレビ局も了解して下さった!
聖歌隊のガウンがあればという担当者の意向だったが、かえってそのままの方が良いでしょうとのことだった。その方が私がイメージする地域にとけこんだ街の教会にふさわしいだろう。
リハーサル後は我が家で休憩して頂くことになている。あとはディレクターさんからのメール連絡を待つのみ。

昨晩からイルミネーションが点灯した。
25日までの毎晩10時まで。ただし雨天の時は中止。

この間、見物客が交通事故のないようにと、吉田さんや親しい方たちで外の見守りに立たれるからご苦労も多い。
最後まで事故がないように背後で祈らせて頂こう。

では、これをお読み下さっている関西圏の方々は、是非ご覧下さるか、当日はビデオに録画予約して外出して下さいね。 
                      わーい(嬉しい顔) 犬
   6日(木) 8チャンネル・関西テレビ 
        夕方5時からの『スーパーニュースアンカー』
     生中継コーナーはだいたい5時半頃からだそうです。




posted by 優子 at 14:36| 随想 | 更新情報をチェックする

2007年12月02日

ミネソタの最高気温はマイナス10度!

ママへ

原稿ご苦労さま。完成させてすごいね。

バッテリー交換大変やったね。自分でやってえらいやん。
「『バッテリーなしではパソコン使えるか』っていう質問はgood questionだったやん」ってくまとまちで言ってるよ(^^) 。

クリスマスはテレビにも出現するとは。。。ビデオとっておいてね。

そういえば、先週、ウォルマートで小さなクリスマスツリーを買ってん。メアリーに飾り用の電飾を貰っていたから。
というわけで、「セキナリエ」ならぬ、「ミネナリエ」が誕生しました。

風邪は治ったよ。ありがとう。
今週は、宿題の締め切りが重なって、あまり眠れない日が続いたけど、昨日ゆっくり寝て、回復してます。

ところで、こちらの今週の気温は、最高気温−5度ぐらいで、しばしば−10度をきってました。今日は大雪です。さむー。

今日から12月。
あっという間に冬休みになるので、楽しみにしてます。 またねー。

              真智子

真智、ありがとう!!
ママも頑張ったよ。しかし、既に10箇所訂正したい箇所を発見(>_<)。
なんせ原稿用紙27枚分なので、卒論の最低枚数の25枚しか書けなかった時よりも格段の進歩なのですが、実はかなりオーバーしているの。(このブログが役員さんたちのお目にとまりませんように)

1.5倍にもなっているんだけれど毎年これでお咎めなしだから、今回こそはどうしても書き込んでおきたいことだったので提出したよ。
だからこそ4日の編集会議は会議の情勢を見ながら、時に応じて必要ならば泣きついてでもお願いしたいこともあったので、どうしても休みたくないのだけれどね。

お姉ちゃんもね、こんなことを書いてくれていたよ。
あの文章、昨日は開いたもののユキちゃん暴れて断念。
またいつか時間ある瞬間にゆっくり読ませてもらうね。なんか15ページあるの?すごいね。
前半は読んだけど、西口さんのことや杉山さんまで出てきて…ママが読書会入った年齢に自分が近づいてきたことにびっくりです。

結局、この2年間の読書量はゼロだったから今回も研究発表ではないけれど、内容としては最高に満足しているの。今回のことは私の信条であり、ママの生きる姿勢だから。あっ、同じことか(笑)。

真智もハードな日々だったのね。
よく頑張ったね!!!

ママはついに半ダウンです。過労です。
昨夜は胃痙攣になってしまった。真智のとは比べものにならないくらいにすごく軽かったけれどね、かなり疲れが溜まってしまっています。

昨日の引き継ぎはみっちり2時間かかり、その段階で背骨まで痛くなって15分間横になったけれど、午後はイエスさまの御用で病院で待ち合わせていた方がいてね。

一足早く行ってお母様の病床を訪ねたけれど、おじいちゃんと同じ表情を見て悲しかった。民生の関係で出会った方なの。昨日の2時間の交わりの時にもイエスさまのことをお話したよ。

「あなたの素晴らしい笑顔に接して、話も聞いて頂き、又貴重なお話も聞かせて貰い、バワ―をもらいました。 気分が明るくなりました。
素敵なご本も頂き、早速母にみせました。お花が大好きだった母ですので、しばらくして、可愛いいと言いました。解ってくれたのだと思います。 本当にありがとうございます。」


ママはね、しみじみ思うよ。
人はお互いに慰め合い、励まし合って生きていくことがいかに尊いかってことをね。私が多くの人から同じ愛を受け、その中で生かされているのがよくわかるから。


イエスさまに感謝しています。人間関係で悩むこの方を励まして下さい。あなたの祝福へと導いて下さいますように祈り続けます。
書道界で大きな立場で働いていかれる方だと思い始めているので、そのこともまた祈らされています。

昨夜、パパに民生の引き継ぎのことを話していたら、感慨無量になって泣いてしまった。
東大阪でも文化行政委員を10年させて頂いていたけれど、ここの民生の会はとにかく異様で過剰なストレスの世界だったから出かける前には祈り、気がつけば家を出る時間ギリギリになってヒヤットしたこともあったよ。

それでも尚、自分らしく生きられなかった不全感があるけれど、誠心誠意、心をこめてやり終えた3年間を思うと、イエスさまが私を支えて倒れないように守って下さっていたことがわかって泣いてしまったの。


15日に大切な集会を控えているので、とにかく2〜3日休養して疲れをとらないとね。
パパも休みなしになってしまうので、今日の礼拝は休みます。
6日のテレビ出演が実現するか否かは今日の礼拝後の結果によるの。集まれる人数如何の問題でね。

真智からの労いメールに癒され、バッテリ交換のコメントも嬉しかったよ。専門家のクマにも言ってもらって嬉しいです。まるで母親に褒められている時の幼児の得意げな気持ちです。

自助努力する習慣を身につけなければと思います。これから老いに向かいます。パパは元気で長生きの血筋(?)だけれど、命は神さまが握っておられることだから、もしかしてママがあとになるかもしれない。その時のためにも心構えは大切だから。
今からママの新しい季節の始まりです。

節子さんのことを思います。
神の慰めの中で思いっきり泣いておられることでしょう。15日の集会に来て下さるとのメールがあり主に感謝。節子さんの上に慰めと励ましが豊かにありますように!
 

ありがとう、真智子。か・ん・しゃ。
イエスさまがマチとクマと共にいて下さいますように祈っています。
再会を楽しみにしています。
posted by 優子 at 09:28| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2007年12月01日

テンヤワンヤの日々

2日前のこと、東芝から「ノートPC用バッテリパックの事故に伴う自主交換プログラムに関する再度のお詫びとお願い」と書かれた、何やら放っておけない封書が届いた。

2006年1月から6月だったかに製造されたPCに発火の可能性のあるバッテリがあるとのこと、現在3件の事故が出ているからと7月から無償交換しているというのだ。がく〜(落胆した顔)

依存心の強い私は、瞬間的にミネソタにいる真智子夫婦や子育てで忙しい長女に助けを求めようと思った。
しかし、とにかくやれるところまで自分でしなくてはと自分を励まして挑戦するも、「http://・・・」のアドレスにさえアクセスできなくて情けない限りだ。そして昨朝、東芝の窓口電話に助けを求めた。

製造番号、型番を言って待つこと20秒ほど、「お宅様のバッテリは発火の可能性があり・・」と聞いてビックリした。
ところが、何もわからない私にも懇切丁寧に関わって下さり、無事にバッテリも取り外せた。手(チョキ)
「新しいバッテリが届くまではPCを使えないのですか?」と愚問を再度繰り返す始末(汗)。まあ、こんな私だから毎日が刺激に満ちている。

読書会のことで失望して寂しい思いをしていた私に、今週に入ってから励ましのお葉書きが届いたり、関西学院大学で開かれている日本キリスト教文学会への道も開かれたビッグニュースに、つくづく夫まで神のなさることに驚いている。

さて、今朝は10時に新民生委員の方が来訪される。もうお一人の大先輩Mさんも同席して頂いての引継ぎである。

「用事は忙しい人に頼め」と言うとおり、忙しくしている人ほど何とか時間を捻出して引き受けて下さるのだろうが、新人さんも忙しい方のようだ。
私は3日(月)のつもりでお電話したが、今日を希望されたから片付ける時間がなく、私の書斎を兼ねているリビングはメチャクチャ(>_<)。

夫はゴルフに出かけて留守なので気兼ねがない。
ゴルフと言ってもプライベイトではなく毎回仕事がらみで、今日も大きなお得意先との会である。香港旅行の疲れもとれたらしいが、今週から3週連続で土曜日はゴルフ。
4〜5年前までの1時代は殆どが平日だったが、不景気になった近年は20年前くらい前までの状況に戻っている。

今日も心を込めて生きることができますように。
そして、今日も主が共にいて下さいますように。
posted by 優子 at 07:53| 随想 | 更新情報をチェックする