2008年03月31日

今のこの命は神の栄光が現されんため

「時が良くても悪くても、それを励み、」 (テモテへの第2の手紙 4章2節)

主権者にまします神よ。
この瞬間にも病いに倒れる者があり、大事故に遭う者があり、そしてこの瞬間に息を引き取った者もあることでしょう。

私が、こうして祈りに静まり、姿勢を正している事自体、大きなあなたのご摂理の中にあってのことだ、と思い知ります。

この心臓の一打ち、脈拍の一鼓動、この一呼吸すべてが、あなたの主権のうちに許されていることを覚える時、これも主が何とかして私の救いを成就させ、ご自身のご栄光を現させるためのものだと自覚させられて、身も引き締まります。

願わくは、今日の時々刻々がそうした大きな御心のために、せっかく与えられている時間であることをわきまえて、貴く用いさせて下さい。


              マイアーの『きょうの祈り』より


気持ちが萎えた時には友人たちに励まされて、最後まで忠実に成し終えることができますように。
posted by 優子 at 18:27| 引用文 | 更新情報をチェックする

2008年03月30日

苦しみは私たちの益のため

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
 それは、患難が忍耐を生み出し、
 忍耐が練られた品性を生み出し、
 練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
 この希望は失望に終わることがありません」。


          (ローマ人への手紙 5章3〜4節)

幼児が「どうして?どうして?」と言うように、私たちも神さまに「どうしてこんなに苦しまねばならないの?」、「どうしてこんなことになったの?」と言います。

しかし、十分な理由と目的があるのです。
全てが愛の御手と、誤つことのない神の知恵によってなされるのです。試練も病いも患難も、私たちの益のためです。

私たちの内に忍耐と練られた品性を生み出し、失望に終わることがない永遠の栄光にあずからせるのです。ですからパウロは「患難さえも喜ぶ」と言っているのです。


            秋山恵一著 『祈りの花たば』より

信仰は苦しみを苦しみだけでは終わらせないのですね。
感謝。
クリスチャンの方には神さまの祝福と励ましを、そうでない方々には神の愛を感じ取って下さいますように!
posted by 優子 at 22:11| 引用文 | 更新情報をチェックする

2008年03月28日

コレステロール検査結果最悪

3月6日に検査した結果が知子滞在中に送られて来た。
尿の潜血反応は14〜5年前から(+)のまま、一度も精密検査もせぬままだ。肥満度(BMI指数)は、これでも22、9と正常範囲だった。

総コレステロールが287mg/dl(正常値は130〜219)と高く、特にLDL(悪玉)コレステロールは119mg/dl以下でないといけないのに、196mg/dlもあり要治療域のため医者へ行くようにとの注意あり。
ちなみに、HDL(善玉)コレステロールは40以上だから76mg/dlならば多い方だろう。

さすがにショックで一昼夜シュンとしていた。
娘たちが結婚してからメチャクチャな食生活をしていた。寂しさを紛らわし、次々に続出する難題のストレス解消もあったのか、食べたいものを食べたいだけ食べていたのだから当然だ。
ひどい時は一日にケーキを3つも。好物のフィナンシェなど焼き菓子ならばいちどきに6〜7個は食べていた。

甘いものは買ってまで食べないこと、いただきものは良しと決めていたのに毎週買っていた。頂き物の菓子折りも娘に託けてやればいいのに一人で食べていた。
今日から改善生活に入った。おなかいっぱい食事するが、まずは間食をやめることにした。

妹から電話あり、祈りに力が入る。

午後3時頃に長女親子を見送って歯医者さんへ。
よく見ると歯石もなく、良く磨けていると褒めていただいた。歯ブラシの仕方を教えて頂き、長女からの「ありがとう電話」で伝えた。

疲れていたが2時間かかって2階も掃除して6時に終了。
今夜は簡単夕食どころか、最悪夕食を見た夫が「これだけ?」と言ってフッと笑った。

幸せな疲れだが、まぶたが重く垂れ下がっている。次女の婿に長いメールを送信した。

愛しくてならぬ知子と真智子。
今夜は私の愛する娘たちを想いながら眠ろう。
posted by 優子 at 22:34| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年03月27日

32年目の夫婦の光景

25日夜のこと。
夕食の後片付けをしている時、夫が「シェーバーの替え刃を洗面所(排水溝)に流してしまった」と言い、その上に「まあええやろ」とそのままにしておくと言うのだ。

「ええことないわ。どうするん?」と言ったものの、それ以上は関わっていられない。孫のお風呂が控えているので、「住友林業のメンテナンスに相談するわ」と言って仕事を続けた。

すると、ゴソゴソと音がする。自分でやっているのだ。ふらふら
神戸の叔父もコンタクトを度々流してしまった娘のために、何度も外して見つけたと言ってたから・・・と思ったものの、我が夫は仕事が雑でマメではない。

どんなことをしているのか引き戸を開けて見たかったが、見れば悲鳴を上げてしまうに決まっている。
「イエスさま、夫に文句言いませんように、忍耐させて下さい。このこと自体が素晴しい感謝な生活なのですから!と、グッと我慢して台所の後片付けをやっていた。

「あったで!」

「水漏れしてない?」
「少しだけしたけど拭いといた」
「ちゃんと拭いといてくれたんやろね?」
「うん」

私は疲れていたので爆発を回避するためにチェックしないことにした。
翌26日朝、洗面所下の開きを開け、石けんの下に手をやると湿っている。湿っているどころかぬれている。ぬれているどころか水浸しだ。ちっ(怒った顔)

8時50分、拭きとって乾くのを待ちがてらに会社に電話した。
「メダカが泳げるくらい水がたまっているやんか!」とは言ったものの、文字から受ける印象ほど決して強い言い方はしていない。

その後、長女の婿から娘に電話があった。
自宅から社長に電話があったからと、婿は妻(長女)の具合いが悪くなったのではと心配したのだ。月曜日の目まいのあとだったからだが、内容を聞いて爆笑していたとのこと。

まあ今となっては、夫のおかげで綺麗に掃除できた。長女が結婚前にやって行ってくれて以来とか。

夫に電話した私に春風のような優しさはなかったが、若い頃とは違っている。周囲の人々の気持ちを和らげてあげられる春のような女性になりたいとものだ。

いよいよ桜前線到達、東京の桜は今日満開になったという。
大阪や奈良では昨日開花宣言があったが、当地では今ようやく白モクレンが満開で、桜の蕾も明日にも開きそうになってきた。あんなに厳しかった冬が行き、今年も春になった。

「年々歳々花は同じなれど 歳々年々人は同じにあらず」
とは古人の言葉である。

これを読んで下さっている貴方は、どのような春をお迎えになっていらっしゃいますでしょうか?
ご一家の祝福をお祈り申し上げます。
posted by 優子 at 22:41| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2008年03月26日

懐かしい中学校恩師のメッセージ

月に1度ほど真智子の部屋を掃除している。
ハタキをかけながら、時々書棚の本を手にとって開いてみる。3月初めに中学校卒業時のサイン帳を見つけた。恩師や友人に書いて頂いたファイルの1ページ目に、音楽科のO先生のメッセージが刻まれていた。

O先生は長女が中学校に入学した時に他校から転入して来られた。美しく華のある女性だった。一度も受け持って頂いたことはないが、知子が在学中に「どうしたらそのような子に育てられるのですか?」とビックリするようなことを尋ねられたことがある。

そして、真智子が中学校2年生の秋に出産され、我が娘の知子の名前からそのまま「知子」と名付けられたと伺っている。

そのO先生のメッセージをミネソタの次女に届けてあげたい。
時には懐かしい日々に優しく抱かれるのもいいものだ。故郷に帰ってホッとひと息ついて鋭気を養うように・・・。

私が知子を産んで、暫くベッドの上で安静にしておくように言われた時、なぜか「時の旅人」という、あなたのお姉さんが伴奏してくれた曲ばかりが頭の中でグルグル回っていました。

そして今、「Never End」が、私たち3年生の教師たちがいつものように口ずさむ曲です。あなたが伴奏してくれた曲です。

「色々とありがとう!」と藤本さんには、先生からお礼を言わねばなりません。力が及ばず、つらい思いをさせたこともあったと思います。

でも、いつも笑顔で、美しい言葉づかいで先生は頭が下がる思いでした。
高津でも、あなたの魅力が存分に発揮できますように・・・!

真智子の結婚式の時にご臨席願おうと思っていたが、残念ながら小さな祝宴になってしまって実現できなかった。
長女次女共にお世話になったO先生の消息を尋ねて、娘たちの近況をお伝えしたくてならない春である。

かつて、東大阪市立新喜多中学校におられた大阪和子先生は、いま何処に?!
posted by 優子 at 16:54| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年03月25日

イースターの祝福、我が家に届く

昨日はイースターで、お義母さんに教えていただいた教会に二人で参りました。

牧師の金子先生は、ルカによる福音書24章の、イエスの復活を信じられずに失意の中にあった二人の旅人に、イエスが現れて二人を説いて励ます、というところを説教されました。

これを聞いて、家に帰ってから真智と、以下のようなことを話し合いました。
イエスの復活が信じられないというは、自らの罪という現実を見て、希望が持てずに絶望している、という状態と同じなんだと思います。

たとえ復活を聞いていたとしても、イエスの死という現実に直面した時に、復活という希望が持てなくなってしまった彼らの心境と、罪が許されており、希望は失望に終わることが無いと、聞いていながら、現実に自分が罪を犯した時に、その罪に絶望してしまう心境とが、同じだと思います。

イエスは、復活が信じられない二人を、心が鈍くなっている、と言われましたが、このように感情に邪魔されて心が素直じゃなくなり、罪が許されていることを信じられずに絶望する、ということが、多々あると思います。

信じられずにいた二人の旅人のところに、直接イエス様がお働きになったことについて、真智が、この信じられなくなるという人間の弱さを、イエス様が重視して、直接にケアして下さるんだと、希望を与えられたと言っていました。
これを聞いて、僕も勇気付けられました。
       
        ・
        ・
希望をお伝えいただいたこと、有難うございました。・・その愛を心から感謝いたします。
このようなメールのやり取りを、神に感謝いたします。

                 太志

「わたし(神)は雲の中にわたしの虹を置く。
 これはわたしと大地の間に立てた契約のしるし
 となる。」

                 (創世記 9章13節)

虹は希望の象徴です。
ノアの洪水のあと、神は和解と約束のしるしに天と地を結んで虹をかけられました。
私たちの日々に暗黒の雲が立ち込める時も、神の約束された虹が、その雲の中にすでに輝いているのを信じることができますように。
          
              『ことばの花束 希望』より

今朝9時過ぎに、知子たちが来ました。昨日の発作のこともあるのか、疲れた顔色でしたが回復してきているようです。
今夜は私がユキと一緒に寝て、知子はひとりでゆっくり寝させてやることになり緊張の夜です。

太志君、イースターの喜びと希望をありがとう。
今の経験が私たちの霊魂を豊かに耕してくれることを信じます。
太志君が素直な心を取り戻して前進の気構えを強め、必ずや私たちを歓喜の声を上げる日までお導き下さいることを信じます。
神の豊かな祝福が私たち一同にありますように!
posted by 優子 at 22:34| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年03月24日

頭位変換性めまい?!

「知子の具合いが悪いって知ってるか?剛臣君が直帰したらしいで」。夫から電話が入った。
4時頃だったと思う。
私は直ぐに娘に電話した。
お昼から急にひどい目まいがして3時間後の今も、泥酔した人が倒れるような状態であると話していた。

婿はお父さんの脳梗塞の前駆的症状に似ているからと、万が一のために悔いを残したくないとのことで、営業中の出先から自宅に向かった。幸い脳外科医の受診ができた。
診断名は「頭位変換性めまい」、良性で心配なしとのことだった。

明後日水曜日の夜は、婿のアメリカンフットボール時代の友人との夕食会があって帰宅が遅いので、娘と孫がこちらに来る事になっている。それで、結果が心配なければ今夜送っていきたいと婿からの電話もあった。

さあ大変!
娘と孫の寝床を整え、お米を4合洗った。
毎度お馴染みの簡単夕食ではいけないので、ほうれん草の白和えをほぼ出来上がった時に電話が入った。
娘の明るい声を聞いて心配ないことがわかった。よかった!

MRIを撮ることもなく、薬さえ処方されずに帰宅したとのこと。
それで今夜は自宅で・・・と、私への気遣いをしながら娘が言った。それがいい。

娘たちが来ないとなれば、即座に毎度お馴染み簡単夕食に再リセットされ、頭の中で再びスイッチがカチッと切り替わる音がした。

今では民生委員の仕事もないから、どこにも気兼ねなく娘の手助けになってやれる。
今月からゆったりと歯医者さんにも通っている。
歯ブラシによる磨耗で歯茎がへり知覚過敏がひどくて、気になりながらも何年間もほったらかしていた。医師には3回だけ通うように言われたが、過敏を和らげる薬剤の塗布だけでは治まらず、途中から樹脂を塗って欲しいと申し出たので今日で6回目、いよいよそれもあと1回で終了する。

歯医者さんへは7年振りなのに全く虫歯もなく、歯石も一箇所だけとほめていただいてビックリした。食後3時間から10時間後の歯ブラシも日常のことなのに。

今日は2時間ほど身が引き締まるハプニングが起こったが、婿の電話の声が今も耳に残っている。いい夫婦になってきたと幸せな気持ちだった。これもイエスさまからだとわかる。

さて、イサキを焼いてお味噌汁でも作るとするか。
posted by 優子 at 18:49| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年03月23日

イエスの復活は信じざるを得ない事実だ!

今日は主イエスが復活されたことを喜び感謝する復活祭、クリスチャンは互いに「主のご復活、おめでとうございます」と挨拶を交わす。

教会に着き自動車から降りるその時、「復活というのは信じられんなぁ」と夫は言った。
「そうかもね」と、私はカウンセリングマインドで夫の枠組みに合わせて理解を示した。そして、どうか今朝の礼拝を通して信じることができますようにと祈りつつ教会に入った。

いつものように何箇所も聖書を開かれての説教をお聴きしている時、ある所で近くのみことばに目が向けられた。マタイ伝27章62節から66節までのところだ。改めて主が示して下さったのだ。

そこにはこんなことが書いてある。
祭司長やパリサイ人が、イエスは3日後によみがえると語られた言葉を思い出して、その恐れと共に、イエスの弟子たちが死体を盗んで「イエスは甦った」と民衆にふれ回るかもしれないとピラトに告げに来た。そうなればその惑わしのほうが最悪になると。

それを聞いたピラトは、できるかぎりの番兵を出して、イエスを葬った墓の石を封印して番をさせたという記事だ。

そして28章には、その「見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震え上がって、死人のようになった・・・都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した」とある。

このところからも明白なように、信じる、信じられない云々ではなく、イエスの復活は事実そのものなのだ。これを書いている今、2階から下りて来た夫にこのことを話したが全く無反応。全く言葉はなかったが私は続けた。

彼らはイエスの死後も尚、恐怖が消えずに、イエス復活の風説を恐れて防ごうと企てた。
ところが、その企てが却ってイエスの復活の事実を証明する材料になってしまったことに注目せねばならない。


即ち、人間が悪賢く計略をもって神に敵対しようとも、却って自滅するという神の現実、恐るべき神の力を私は受け取るのだ。
番兵たちがイエスの復活の証しをすることになるとは、これ以上の正当で客観的な証言があろうか!!!


夫よ、見ても信じないとは頑なすぎるではないか。私は悲しい。

知子家族は放出教会の礼拝に集い、イースターの愛餐会、そして、2時から教会の墓がある飯盛山(いいもりやま)霊園での墓前礼拝にも同行したとの知らせがあった。
懐かしい。
一緒に行ったことがあるのに、知子は全く記憶になかったなんて(>_<)!

私たちもお導き頂いていたが、私は午後からの自治会総会を外せなくて、私たちは近く香芝の教会で礼拝の恵みに与った。

真智子たちも明日、バスを乗り継いで教会へとイエスさまご自身に招かれている。
真智子と太志君に神の豊かな祝福がありますように!
14時間遅れのミネソタでは、まもなくイースターの夜明けを迎える。


「死は勝利にのまれた」。
ハレルヤ!
真智、イエスさまがどんな時も共に居て下さるよ!
イースター、おめでとう!
posted by 優子 at 18:35| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2008年03月22日

今まで30数年間、ありがとうございました

私にとって最後の役員会もまた有意義で魅力ある会議だった。来月の新年度第1回目の理事会、総会についての審議だった。

来年はサークルセンター25周年の周年行事もあり、今日の会議からも役員さんたち一人ひとりのパワーが溢れてきて、それらが大きなうねりとなっていく兆しを予感した。

10時から始まった会議は12時20分に終了し、私は後片付けもしないで早々に失礼した。美濃紙業半日出社の夫と共に、午後に社員の方のお見舞いに上がるべく長田で待ち合わせていたからだ。

長女も我が子を元同僚に紹介しようと美濃紙業までやってきており、一緒に昼食を摂ることにしたので長田へ急いだ。
12時46分着、25分も待たせてしまった。
1時半、娘たちとも別れて関西医大病院へ向かった。

Sさんにお目にかかるのは初めてだったが、昨年末から祈りのリストに書き入れて祈らせて頂いている。Sさんは私がご自身と同じ26年生まれであることをご存知だった。

お顔の色も良く、私にはそんなにお悪いとは思えなかった。
そろそろ失礼しようと立ち上がった時、「社長!」と言われた。「ん?」
「今まで30数年間、ありがとうございました。」
「ぅん」。

私は、「いえ、これからも会社のために力になってください」と言った。

安易に励ましたつもりはない。

お見舞いに添えて小さなブーケと小さな冊子、『心からの安心』をお渡しした。
どうぞ神の平安と力がSさんに充満し、もう一度立ち上がらせて下さいますように!
神さま、癒されるだけではいやです。
癒して、神さまご自身と出会わせて下さい。


病床のSさんが心安らかに熟睡されますように!
Sさん、Yさん、千里さんのお兄さん、病気の方々に特別に豊かな祝福がありますように!


posted by 優子 at 22:50| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2008年03月21日

ミネソタにも春近し、神の祝福あれ!

ママへ

ミネソタにも春がやってきてます。今日は7度です。
先週に第三学期が終わって、今週は春休みです。週末に随分寝て、疲れも取れて、今週はなかなか充実した日々を送っています。

ブログでママが溌剌とした人生を歩んでいる様子を読んで元気付けられてます。
読書会の退会も、今までママが心を傾けてきたこと、努力してきたこと、感動してきたことなどを思い出し、またその周囲の人たちへの影響を感じる、感慨深いものだったのではないかと思います。

私も、ママの退会に対して、読書会への懐かしさと寂しさを感じながらも、積極的に生き方を選んでいっているママの姿に元気付けられる感じです。

「神さま(イエスさま)が望んでおられることは、苦しみの中で平安を見つけることである。苦しみの 中で神さまに与えられた命を喜ぶことが大切である。」と聞いて、目が開かれた気がしました。

とても力強い励ましでした。
私も、このように覚えて一瞬一瞬を生きていきたいと思いました。・・・努力し続けてくれてる両親に、心から感謝し、尊敬しています。
          ・
          ・
ヨブ記の神様の言葉は力強く、私に響いたのです。・・・ママたちに祈ってもらっていることも感謝しています。ありがとう。

先学期は授業に追われていて、研究に手が届かなかったので、春休みに期待を膨らませてきました。
そのやる気が空回りしないように、色んな小さな工夫をしてやっているのだけど、結構順調に進んでいます。

例えば、リフレッシュや自分の時間などにもバランスをとるように予定を工夫してます。達成感を味わえるように課題を細かく設定してみてます。

お料理も楽しんでます。
添付したのは、野菜の創作オーブン焼き。

久々のお料理.jpg

来週はイースター。
教会へ行く予定です。
              真智子

「神さま(イエスさま)が望んでおられることは、苦しみの中で平安を見つけることである。苦しみの中で神さまに与えられた命を喜ぶことが大切である。」とは、3月14日付けの『生かされて』に書いておられるものである。
著者が牧師から神のメッセージを受け取られ、それを読んだ私、そして、娘へと神さまからの励ましがリレーされていったのだ。

愛する真智子へ

ママは今、真智が読書会に参加してくれた懐かしい日々を思い出し、私の深い感慨を共にしてくれていることが嬉しくてなりません。神様からの労いのように思います。


5年生のお姉ちゃんと2年生の真智が麗佳ちゃん(3年生の千里さんの娘さん)と商大に早く来てしまったので、会が終わるまで後ろの長いすで待っていてくれたこと覚えてる?
あの時、西口ウタ子さんがモロゾフのアイスキャンデーを持ってきて下さっていて、真智たちは大喜びで頂いていたね。

真智が初めて読書会に参加したのは、小学校5年生の3学期、ちょうど今頃3月の例会でした。真智子の大好きな『星の王子様』を推薦図書に取り上げて頂いて、学校を早引きしやすいようにと3月に組んでもらっていたのです。

そして、高校2年生の8月は漱石の『道草』だったので、読んでいなくてもいいからと誘ったら来てくれたね。漱石研究家の鳥井先生がご一緒だったから、真智は『こころ』についての感想を述べたね。

その翌春発行の『かわちの』46号には、ママの代わりに真智の文章を掲載してもらった。「『こころ』を私はこう読んだ」は、
16歳だった真智のスナップです。

読書会25周年、サークルセンター10周年、そして、ママの講演会の時も、真智は何度もママの世界を訪ねてくれたね。10周年の時は、親子揃って初めて無声映画を見たよね。

今、それらの一切のことが永遠不滅の宝物に結晶したような感慨を覚えます。

今日はイエスさまが私たちのために十字架にかかって下さった日。朝の9時とありますから、今は苦しみの真っ只中ですね。 
真智子たちに神の祝福が豊かにありますように!そして、
ものごと全てを善きになしたもう主に栄光あれ!!!
posted by 優子 at 10:38| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年03月20日

聖霊に満たされて感謝溢れる

今朝7時半、「おはようございます!」と、いつものように明朗闊達に母屋の玄関に入った。ところが、雨だからお墓にはお昼から行くことになった、「あんたにも言うといたらよかったなぁ」と義母。
私も変えられたものだ。こんなこと全く平気になった。蚊がとまったほどでさえないのだから、心から主に感謝した。

しかし、お化粧までしたことだし、夫に山麓線沿いの店へ朝食に行こうと誘ってみた。夫は少し朝食を摂っているのに「行こか」と即決、夫婦だけだと気楽でいい(^−^)。雨の日のデートになり、最高の幸せを感じた。

昨日からの雨は午後になってようやく上がり、義母と弟妹たち3人と共に6人で藤本の墓参りに行った。今日は暖房するほど肌寒く暗い一日だった。

受難週を覚えつつ過ごす日々、祈りに導かれて18日夜、これまでの罪の告白をした。既に贖われている平安と喜びを実感することができた。
こんな罪深い私のために、十字架の苦しみを耐え抜いて下さったイエス・キリスト。私もまた、死んでも死なない命へと移された1人である。

既に勝利させて下さっている生涯なのだから、今後はもっともっと神さまの豊かな愛を知り、自分の時間や能力、そして、お金の使い方も、もっともっと変えられていきたいと願っている。このことは真に願っていることだから必ずそうしていって下さると信じている。

木曜日は弟子たちと最後の晩餐を摂られ、イエスは弟子たちの足をひとりずつ洗われた。当時、足を洗うという行為は最高の謙遜を表わすものであり、象徴的な愛の行為であった。
イエスは極限に至るまで弟子たちを愛された。最後の晩餐ということも知らない弟子たちを。

「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と、シモン・ペテロがイエスに聞いた時、イエスは答えて言われた。
「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう。・・・・
主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互いに足を洗うべきである。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ」
と。

明日は十字架にかけられた金曜日。
仏滅だから日が悪い、また、方角が悪いなど、滑稽なほどに意味も根拠もないたくさんの恐れに縛られている日本人はどう思うだろうか。
我々クリスチャンは、明日の金曜日を「Good Friday(グッド・フライデー)」と呼んでいる。

イエスが復活されるためには、死んで下さらねばならなかったからだ。もしも、ただ死んで終わりのイエスを崇めるならば、我々ほど哀れで滑稽な人々はいないだろう。
イエスは神の子であったからこそ復活されたのである。その歓喜に至る金曜日であるからグッド・フライデーなのだ。


ヨハネ伝14〜16章を読んだ。ここはイエスの告別説教と呼ばれている。

「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。・・・わたしの愛のうちにいなさい。・・・あなたがたは、この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」

信仰者の道を歩ませて下さっていることを感謝し、主を信じる人たちに主の祝福が豊かにありますように!

もう夕刻6時になるのに夫は今も母屋から帰ってこない。ブログも書き終わったのに、あっ、帰ってきた!
「相撲見ててん。今日は横綱2人とも負けたで」だって。
よかった、またしんどい話で盛り上がっていたならエネルギーがいるからホッとした。文章の見直しはあとにして、毎度お馴染み簡単夕飯の用意に取り掛かろう。
夫はチャッピーの散歩に行ってくれた。今朝の散歩は、雨の中、私が連れて行ったから(^−^)。
posted by 優子 at 18:01| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年03月19日

別離と明日への息吹

読書会最後の昨日、到着すぐに事務局を訪ね前室長にご挨拶に上がった。昨年まで室長をされていたO氏とも代表に立たせて頂いて以来の知己だ。
読書会の今後のことをお願いし、昨秋、ご紹介した関西外大の橋本先生の講座についての進捗状況をお尋ねした。来春4月から始まる商大での公開講座である。
既に予算も組まれ、お菓子と飲み物のテーブルを囲んでの今までに無い講座を計画中とのこと。まさに今、それをいかに効果的に広報するかの思案中とのことだった。

こんな話を聞くと私の中で意欲がムズムズ動き出す。今までの長年の努力が一つの実を結んでいく予感がした。
私は一瞬退会するのを忘れて、情熱を傾けたい衝動にかられたが未練を断ち切り、これまでの感謝と読書会へのご支援を願ってお別れした。

実のところ、ついに東大阪の図書館行政は破綻し、平成20年の新年度からは市からの助成金が完全にカットされた。市民の声を盛り上げなければ、近い将来図書館は民営化されてしまうであろう。

そんなこともあって、今後は今まで以上に商大の支援がありがたいことになる。読書会としてもサークルセンターへの協力を軽んじないで、読書会、サークルセンター、商大発展のトライアングルで3者の良き展望が私の中で描けるだけにお名残り惜しい。


読書会に出席したとは言うものの早々に退席させて頂くことを決めていたので、始まる前に古くからの方々にご挨拶した。
先月の会で会長さんから退会を伝えて頂いたのだが、欠席されていたSさんは「嘘!」と、長い間沈黙された。そして、「寂しい・・・どうして?」と聞いて下さった。
この方は長年休会されていたが25周年の時から再開された。西口ウタ子さんの友人で唯一の読書会設立当初からの会員だ。

会が始まりご挨拶させて頂いている途中でMiさんが来られた。お目にかかりたい方だった。
Miさんは、25周年記念読書講演会の時に初めて来られたのではないかと記憶している。あの時、緑色の服を着ておられた方だと思う。

この方はいつも言葉少なく感想を述べられるが、その内容から実に謙遜な方だと心惹かれていた。一般の日本人のように家の宗教を守っているのではなく、浄土真宗の門徒として信仰されている。

個人的には特に何を話し合ったわけではないが、今後もこの方のことを思い出しては心温められることだろう。
私の横に座られたが一言も言葉を交わせず、私は皆さんの拍手のなか立ち上がり、数秒間互いに固く見つめ合って部屋を出た。私の片思いではない。Miさんからも熱いものを感じとった。


ドアを閉めようとした時、Maさんが外まで見送りたいと出てきて下さった。そのあと直ぐにKoさんまで走って来て下さった。
Maさんは母と同じ昭和元年お生まれで読書会の重鎮だ。
その方の涙に潤む目と、私の姿が見えなくなるまでお見送り下さったお姿に感謝し、全てのことを勝利させて下さった主に感謝した。ハレルヤ!

1時20分に商大を出て、日展を観るべく天王寺の大阪市立美術館へ向かった。
10回目の日展入賞を果たされた書道家の友からチケットを頂いていたからだ。残念ながら作品制作に多忙を極めておられて、ご本人とご一緒できなかったが、4〜5年前のこと、体調不調だった知子と共に丸山応挙展を鑑賞しに来たことを懐かしく思い出していた。

昨日の最低気温は1.4度と朝は寒かったが、お昼は21.4度まで上がり春うららの天王寺公園を歩いた。大阪ではコブシの花が気持ち良さそうに咲いていた。

絵画以上に書道は全くわからない何も感じられない世界だ。
その方の作品を見つけた時の嬉しさ。拝見しながら、病院に終身入院されているお母様を想った。

「誰よりもお母様に見てほしかったことでしょう!
お母様もどんなにかご覧になりたかったことでしょう!
いつのまにか、私は我が子を想う親心になって見ていました。
『智ちゃん、おめでとう!10回も日展に入選して、本当におめでとう。よく頑張ったね。これからもお祈りしてるよ!」


と、たった4歳年上の私なのに、すっかり母親のような気持ちになって智子さんに語りかけていた。夜、その想いをお伝えしたメールでエールを送った。

「本当に渾身の力を込めて書かれたことでしょう。まさに命を削ってのことと思います。傾ける対象は違っても、段階も雲泥の差ですが(>_<)私なりによく分かります。

そして今、それでも尚、『まだまだ作品があまい、自分の作品とはまともに向かえないのが本心』だと不全感を抱く智子さんこそが、高嶺へと登っていく者の姿だと思います。

ご多忙を極めておられる3月に体調を壊されて、・・・しんどい時はいい仕事はできませんから、そんな時はできる限り体力の回復を優先されますように!ますますのご活躍を祈っています」。


すると、こんなに嬉しい返信が戻ってきた。

「優子さんの温かいお心、身に染みます。本当に本当にありがとうございます。 今日、あなたのメ―ル頂いて、元気が出、少し作品書きました。作品を書く事で又書く気力が湧いてきます。気力を起こさせる原動力は、温かいお励ましです。心から感謝します〓 ありがとうございます〓」

感謝である。
何も自己を誇るために披露しているのではない。
私はこのような交わり、精神的交流に最大の喜びを感じる。クリスチャン同志でさえ心開かぬ人とは自然と距離が開いていき、深め合えず親しい友に導かれてはいかないものだ。

それは日本人気質なのか、ガチガチの教条主義的信仰ゆえなのかわからないが、泣き言を恥かしいことと思っている人は人生の意味をわかっていない、年齢を重ねるほどにしみじみと感じる。

確かに、相変わらずの自己の姿に泣く時は実に辛く惨めだ。
しかし、苛酷な状況を進んでいかなくてはならぬ時、不安や恐れを感じて当たり前であり、それらに伴う苦渋、葛藤を語ってこそ、それを経験してこそ、神の愛を噛み締めることができるのである。


スランプだった智子さんが、昨夜、書に集中されたとのこと。
そのことがまた私を励まし、互いに息吹あえるのだ。
書道家として大いに窮めていかれんことを、そしていつか、その筆で聖句を書かれているお姿を想いつつこれからも祈っていきたい。




posted by 優子 at 11:45| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2008年03月18日

読書会の足跡 C 

過ぎた懐かしい日々と出会った人々に感謝しつつ、今日は最後の読書会に向かう。共に労してきた千里さんも本日で退会、最後の今日も欠席されることになった。

ここに読書会の方々から頂いたお言葉がある。これらは退会することをお伝えしていない時のコメントが殆どで、1年ほど前から頂戴したものである。
自己賞賛にならぬように戒めつつ、感謝な喜びが今後への励ましになるようにと願って刻ませて頂こうと思う。

「ずっとずっとの読書会の役員、本当にご苦労様でございます。そして、ありがとうございます。
藤本さんのリーダーは尊敬でき、とても好きです。」


「藤本さんが読書会で正面に座られてキラキラ輝く目、優しい笑顔、弾む声にお会いして出席できること嬉しいです。私の至福の時です。
読書会に出会えて人生豊かに進めています。」


「和やかな会の運営、心より感心します。」


「藤本さんのおかげで、悩んで悩んで暮らす中にも幸せを感じることができるようになりました。」

「長い間、読書会のために、大層、お世話いただいて有難うございました。先日来、少しばかり、運営の詳細を伺って、こんなに色々とご苦労をおかけしていたことを知り、改めて感謝したいと思いました。

何の懸念もなく、参加させていただいていたのは、ひたすら、にこやかに、陰のご苦労を微塵も感じさせることなく、毎月見事に、取り仕切ってくださっていたお蔭だったのですね。

温和に意見をまとめてくださり、楽しい会にしてくださっていたのは、藤本さんのお人柄によるところが大きいと思います。」



これらは千里さんと二人へのメッセージである。
皆さんのご理解と助けがあればこそ快く活動できたのだ。細かく引継ぎ事項をまとめてお伝えしてあるとは言え、立場が変わってから休みがちであったことを申し訳なく思っている。悩み、祈り、千里さんにも相談してのことであった。

読書会への感謝と発展を祈って、ページの最後に読書会の魅力をご紹介したい。
私の手許に豊中市の広報誌の「いんたびゅう」がある。
1971年から読書会活動を続けておられる豊中読書会の重鎮、大塚節子さんとは代表になってからの15年来の知己、生涯の出会いとなった方である。

2006年9月の「とよ読書会500回記念」を前にして、読書会の魅力を次のように語っておられる。

「初めて(読書会に)参加した時は、1冊の本でここまで議論ができるのかと驚きました。
辛口の感想もあれば穏やかな感想もあります。
相手の感想に共感することもあれば、新たな見方を発見することもあり、あまり興味のなかった本が、案外良かったりします。自分では決して手に取らない本を読めるのも会の楽しみですね。

ともすれば落ち込みがちな毎日を前向きに生きてこれたのは、今まで本を読んできたことで、発想を変えて進む意識と知恵が自然と身についていたからだと思うんです。

本の感想を話し合うことは、個人の内なる思いを語り合うことです。お互いに自然と打ち解け合えるし、何より、多くの知恵に出会えます。

本を読む時間、そして本について他人と語り合う時間。読書会は、本との時間がとても大切な時間だということを気付かせてくれるのです」。


読書会で育まれたことを心から感謝し、それを力にして、今後は自分の関心あるテーマに焦点を絞って読み進めていこうと思う。

既に開かれた新しい道を、神の霊感を受けてタラント煥発されたいと願って励もう。

フレッシュマンの春である。
posted by 優子 at 09:36| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2008年03月17日

受難週に主の受苦を想う

イエスがロバに乗ってエルサレムに入城された日曜日、今年は昨日がその日に当たり、この金曜日が十字架にかかられた厳粛な日である。
私の罪を贖うために苦しみを受けて下さったイエスさまを想いつつ、心を静めて受難週を過ごしていきたいと思う。

土曜日の家庭集会では、集会の最後に谷口先生から夫と婿に洗礼へと招いて下さった。
婿は予想通り未だ全く気づきさえなかったが、静かな放出教会が落ち着くので今後も行きたいと意思表明をした。夫は、今までの人生経験からイエスさまを意識しつつも、家の宗教へのこだわりを明言した。

薮野牧師は、「私はいつも一人ひとりに時間をとってやっています。・・・いつでもご都合の良い時にどうぞ。ご希望でしたらお宅に参ります。これが私の仕事ですから」と、一人の魂の救いのために時間をかけて下さるお姿に、私はイエスの愛を感じ、牧師のあるべき真の姿に感涙した。

人は教勢(教会の勢い、即ち、人数や建物など外側に表れやすいもの)に目を奪われがちであり、大量方式(mass-production)と言おうか、教会によっては伝道もまた世の人々のようなイベント的になってしまっている。

また、忙しいばかりの牧師や教会の在りようにいささか疑問を感じている私は、一人ひとりに時間を取って関わっておられる薮野牧師の地味な愛の労にずっと心惹かれていた。これこそが牧会者の姿であろう。


すっかり筆不精になってしまった私は、谷口先生に家庭集会のお礼を先ほどお電話で申し上げた。
真智子のことも聴いて下さった。
集会の最後の祈りに導かれて私も祈らせて頂いた時、一言、真智子のことを御前に申し上げたからだ。

50分間近く話す中、私は恥も無く何でもお聞きした。先生のご健在なうちにとの思いがそうさせた。そして、電話でもまた谷口先生を通して神さまからの力強い励ましを頂戴した。

これは私だけではなく、主を見上げて励まれている母親に語って下さったイエスさまからのメッセージである。

「夫、子供・・・と、私達は早く救いの実を見たいけれどイエスさまは気が長いよー。
クリスチャンは執りなし手よ!
一人の魂の執りなし手よ!
クリスチャンは、夫や子供や周囲の人々のために執りなし人として立てられているんですねえ。
藤本家で苦労している優子さんの立場も涙も全てイエスさまは知って下さっていますよー。よく頑張っておられますねえ。

『こんなに幸せでいいのだろうか』と剛臣さんが仰っておられましたが、知子ちゃんたちが仲良く家庭を築き、知子ちゃんの成長ぶりを思うと、ああ、神さまは知ちゃんを一粒の麦として用いておられるんだなあということがしみじみわかります。


母の祈りの手が上がっている間は、子供がどんなに大変な状況に在っても勝利していくように導かれていきますからね。
牧師の働きも大事だけれど、背後の祈りは大切ですよ。
これからも、陰の執りなし人として祈り続けていきましょうね。」


時は今、受難週である。
マルコ伝14章1〜9節にあるように、この水曜日は、ある女性がイエスさまに高価なナルドの香油を贈り、彼女なりにイエスさまに感謝を表わした。
「自分の感謝の表わし方をすれば、イエスさまがその気持ちを汲んで喜んで下さる」と教えて頂いた。

今改めて神さまが私に働いて下さっていることがわかる。
人生の意味がわからなくて彷徨っていた私を助け出して下さった神さま。私を破滅から守り、母の時、父の時、家庭の危機、夫婦・親子関係、知子の救出、真智子にも・・・と、どれだけ最悪の危機を守り抜いて導いて下さったことか!

ナルドの女性のように私も私の感謝を主に捧げよう。
私を贖い出して下さった私の主イエス・キリストに!
私もまた、「愛と力と慎み」の霊を頂いて一歩一歩進んでいきたいと思う。

ハレルヤ!
主よ、深く味わいある人生を感謝します。
相変わらず不満や怒りを抱きやすい憐れな私ですが、この罪深い私の一切の罪を赦して、私のために十字架にかかって死んで下さったことを感謝します。

これからも歩みを進めながら、どうぞそのことを深く深く感じ入らせて下さいますように。
特に愛する知子と真智子の上に、そして、私達のために背後で祈って下さっている方々の上に、神さまの恵みが豊かにありますように主の御名によってお祈りします。
アーメン。
posted by 優子 at 17:03| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年03月16日

生後8ヶ月のハイカー?

昨日の家庭集会のあと、引越し先のマンションへ案内してもらった。生駒山のケーブルカーに添って上がって行き、ちょうど山の中腹あたりになる。あの坂道の傾斜は、六甲道から神戸大学に上がって行く坂と張り合うほど急だし、駅から徒歩10分は無理だろうと思う。

その後、1時間ほど娘の家に立ち寄ったが、ハイハイする孫の姿に感動した。赤ちゃんの成長は命をじかに見るようである。
娘も伴侶から感化されてフットワークの軽い夫婦である。こんなメールが届いていたので早速アップさせてもらった。

晴れ

今日は朝10時半出発、3時帰宅。
季節よし、引越前後の最後の晴天の機会だろうから、何と妊娠中行った最長コースを歩いて来ました。9キロ近いユキを背負っているので、途中シートをひいて休憩しながら家から合計6キロの山道です。


最高の自然が身近にあって、剛臣のおかげでこれが最高の趣味になりました。ユキにも自然を見せてあげられて健康にもよくて、空気も眺望もよく最高!
結構山登りの中高年者って多いよ!・・・ユキが小学生くらいになって参加できるようになったら、どんどんつれていってあげたい。

車で行くどこよりも素敵でしかも無料。
音楽鑑賞と読書などしか履歴書に書けなった私に、こんな趣味をくれた剛臣に感謝です。こんな生き方もあるんやな〜って出不精だった私も思えたから、ユキが小学生になったら是非一度ママとパパも行こうね!感激するよ!

60代70代の人ばかりが歩いておられるから、まだまだママらもいけるよ。ハイキングは無理でも、車でこの自然を見にいくのはすぐできるから引越しすんだら是非いこうよ!

ユキにつゆくさで花束を作ってくれた剛臣。すぐにグチャグチャにしたけど(笑)、 ユキは全身で大喜びしてて必死で色々見ていました。


露草ユキ.jpg
愛夫弁当.jpg

今朝は1時間くらいかけて剛臣が過去最高の、女性顔負けのお弁当を作ってくれたよ。大自然の中、ママがくれたコープのシートの上で、お腹から出てきたユキが座って離乳食お弁当を完食!最高の幸せです。

ユキ.jpg

元のサイズで見ると、お口の横にカボチャがついていたよ。

本当に結婚して生きててよかったと思える1日でした。
ユキも剛臣も今熟睡です(^^;)。私も少し横にならなくちゃ。不眠症ながらこんなに普通の女性よりタフで元気になった!!
これも育児のおかげです。感謝。


とも・ゆき ハイキング.jpg
posted by 優子 at 22:06| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年03月15日

『深い河』読後直ぐの感想メモ

今朝は藤本の父の夢で目覚めた。死んだ人は夢の中で話さないと聞いていたがよく話していた。
社長現役時代の義父で溌剌としていた。私のことをすごく評価してくれていて、「優子さんは社交の術を心得ている」と歩きながら話していた義父。夢は無意識を表わしていると言われるが、これは昨夜の夫との経営論についての会話からきているなと気がついた。

場面が変わって、夫と共に元気に急な坂を下りていく義父のあとを歩いている時、「お義父さんとはあまり楽しい思い出がなかったから・・」と私は夫に話す。その時の私は、義父が既に死んだ人だとわかっていたのだから夢とは妙なものだ。

さて、昨日は集中しすぎてずっと座っていたので腰が痛くてたまらない。昨夕、『深い河』を読み終えた。
それまでは映画化されたビデオでしか知らなかったが、これは聖書から逸脱した宗教多元主義であり、キリスト教文学の範疇には入れられないものだろうと思った。

イエスを「玉ねぎ」と呼び、輪廻転生も認めている。
遠藤作品に聖書とは異質なものを感じてはいたが、晩年の作品に見事に現れている、現れてしまったという印象だ。


登場人物では大津が最も印象的だった。
カトリックの修道院からも異端視されてどこからも追い出された大津。これが遠藤のイエス像だろう。

最後には三條を助けようと止めに入り、首相の暗殺で気が立っていたヒンズー教徒に袋叩きにされて、首の骨を折って血まみれになった。それが大津だと分かった瞬間、私は心の中で「ギャッー!」と叫んだ。心臓が痛くなった。

私は遠藤に違和感を感じるものの、彼の生涯にわたってイエスを求め続けた真摯さを感じないではいられない。
幼い頃に母親から無理やり着せられた体に合わない服のようなカトリック信仰を、自分の体に合うように、即ち、真摯にイエスを求め続けていたことだけはよく理解できる。
尊いことだと思うし、遠藤の持つ危うさは我々日本人クリスチャンの危うさでもある。

インド・ベナレス、ヒンズー教徒の火葬を語るガンジス河畔の光景は地獄絵だった。怖かった。逃げ出したかった。今も変わらないのだろうか。あまりに怖くて、メモを書き終えた時にはすっかり疲れ切ってしまった。

ラジカセには讃美歌が入っていたが、なぜか讃美歌は聴きたくなかった。軽音楽を聴きたかった。手っ取り早くサイモンとガーファンクルを手にとって夕食の準備に取り掛かったのだった。

今朝は節子さんのご主人の記念会と谷口家の家庭集会が重なってしまった。記念会とは召された方を追慕する会だ。
私たち夫婦は教会へ寄せて頂くつもりだったが、導きを感じて家庭集会へ行くことになった。谷口先生初め、薮野牧師が熱心に婿と夫の救いのために祈って下さっているからだ。

節子さんを想い、主の慰めと恵みに溢れた記念会でありますように祈りつつ。
posted by 優子 at 08:03| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2008年03月14日

春の憂鬱

「40年ぶりのリニューアル」だったか、最近遠藤周作の懐かしいコマーシャルが流れている。
こういうのを見ると娘時代を回顧してしまう。あの頃私は何歳だった、母は何歳だったと・・・。それだけで終わればいいが、春の到来は往々にして気持ちを陰鬱にさせ、私の想いはこう続く。
・・・そして、みんな姿を消していくと。
最近は姿を消していく中に自分も入ってくる。

チャッピーを見ても辛くてしようがない。
チャッピーは犬だから長くは生きられない。5月で9歳になる。犬など飼わねばよかったと今から予期悲嘆ばかりしている。悲しまねばならないのならチャッピーより先に死にたいと思う時がある。犬とさえ、もう2度と死別は嫌だ。

私は夫よりも先に死にたい。藤本は元気で長生きの血筋だから元気で長生きして・・・と、こんなことを想念している時は神を忘れている。神を忘れるから憂鬱になるのだろう。

死んだ人が羨ましくもある。
いや、それは本心ではないにきまっているが、人間の努力ではどうにもならぬ問題がいくつも目の前に立ちはだかり、死ぬまでにはまだまだ苦労せねばならないなあ・・・と、生きるのが重く感じる。


いっそ早く死に至る病いがきて人生の本番になればいいのにと思う。これだって本心ではないに決まっている。
しかし、早く苦しみぬいて通り抜けたいと、順番が迫ってくる落ち着かなさをいつもいつも感じて生きている。

明るい春の日に憂鬱な感情が覆う。
昨日は掃除機をかけながらそんなことばかり思っていた。


今の時もあっという間に過ぎてしまう。10年や20年などあっという間だ。そして私も消えていく。私が父や母を回顧するように、「ママも死んでしまったなあ」と子供たちが思うのだろうと・・・・。そんな日も直ぐに来る。

と、掃除を終えて2階の窓から外を眺めていたら、鶯が目の前を飛んでいった。

今日は雨。
これを書いている時、神戸の叔母から電話を受けて1時間少し話していた。叔母も今年80歳になるとは。

人生は不可解だが、かつてのように「何故?」という人生の根本問題に対する疑問は解消されたから、どんなに楽になったことか。腹を据えて立ち向かうだけだ。

人生の意味がわからなかった時は重い荷を背負いながら、足には重い重い鎖がかけられていたようなもの。本当に苦しかった。苦しみ抜いた。

しかし、今は重い荷物だけだから何と生き易くなったことか。
人生とは味わい深いものだ。
最後までへこたれるものか!逃げるものか!
時が来て、いよいよ神の手による大手術が始まるのかもしれない。最悪の時にこそ神の大能が働くことを信じて怖じけるなよ、優子!
祈って神の知恵と愛を頂くのだ!!!!

昨日の浮ついた憂鬱は吹っ飛んでしまった。


次回4月12日のペンクラブ例会は長女の引越しで欠席せねばならなくなった。同じ生駒市内で築7年の中古の分譲マンションに11日に移動する。
長女もまた私に似ない頑張り屋で、乳飲み子を抱えながら既にダンボールを30箱以上荷造り済み。若いって素晴しい!!

娘は自分たちだけで大丈夫だからいいよと言ってくれるが、人生でめったにないことだから助けてやりたいと思う。
当日から数日間、子守りと食事役、今から想像するだけで腰が痛い(>_<)が、感謝して味わおうと思う。

しかし、次回の課題図書だけは読んでおこうと一昨日から遠藤周作の世界に入っている。
久保田先生より、次の3つを注意して『深い河』を読んで下さいとのこと。
1.「深い河」とは、どういう意味を持っているか、題名の由来。 
2.作者の訴えようとしていること、テーマ。
  イエス像の鮮明に出ている箇所。
3.特に惹かれ、感動したところ。


遠藤の世界は深くて今の私には重い。

人生の勝敗は心萎えた時に決定される。今こそ神に向かって心を奮い立たせることだ。
posted by 優子 at 11:03| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年03月13日

読書会の足跡 B

長くなるが、『サークルセンター会報』26号(1998年11月20日発行)に載せて頂いた内容を掲載させて頂きたい。

1993年の創立25周年からたった5年後のことなのに、30周年の時にはご夫妻は亡くなっておられた・・命の不思議、命には限りがあることを改めて思い知らされたことだった。


        東大阪読書友の会
           創立30周年に思うこと


(1998年)10月20日(火)、東大阪市立花園図書館視聴覚室において、創立30周年記念読書講演会を開催しました。
講師には、内科医であり太宰治研究会会員の浅田高明氏をお迎えして、「太宰治と東大阪」と題してご講演いただきました。内容については、当誌第14号にくわしく掲載されていますので省略させて頂きます。
開催にあたり、多くの方々からご協力賜りましたことを心から感謝申し上げます。

さて、創立25周年の折、創立当初からの唯一の会員であられた、今は亡き西口ウタ子様に、当会の歴史を詳しく教えて頂き、当会機関紙『かわちの』を創刊号からコピーさせて頂きました。

会として記録保存しておかなければならないと思ったからですが、西口先生ご夫妻がこのことをとても喜んで下さったことを懐かしく思い出します。

今、30周年を迎え、再び創刊号から目を通してみますと、創設当時の情熱が紙面から伝わってくると共に、あとを託された私達の責任の重さを痛感します。この機会に、当会の沿革を簡単にお話させて頂きたいと思います。

当会は昭和36年、まだ東大阪市が誕生する前の布施市時代に始まります。当時、「アザミ会」、「桔梗の会」、「若江中」、「縄手東小」など20の読書グループがあり、毎年2月にグループの人や個人参加者も含め、100名以上が集まって合同読書会が開かれていました。
現在も年に一度開催している豊中の「とよ読書会」との交歓読書会も、既にこの頃から始まっていました。

まもなく、多くの主婦がパート職に就く社会状況を迎え、活動の低下を危惧していた人々が、その存続を願って「東大阪読書友の会」を設立したのです。1968年、昭和43年1月のことでした。

その後、会をもっと盛り上げようと昭和57年2月より西口孝四郎先生が参加して下さり、平成6年度末までの12年間、熱心にご指導して下さいました。当会にとって、忘れることのできない師です。

また、「河内の郷土文化サークルセンター」に加盟させて頂けたことも幸運でした。そのご支援は私達にとりましてますます大きな支えとなっております。
以上が今までの歩みですが、30年の節目にあたり、読書会の過去と現在、そして、今後の展望を探ってみたいと思います。

昭和30年代といえば戦後の混乱も落ち着き、人々は精神的なものへの欲求が強くなっていった頃でした。
社会教育史上においても、終戦後の社会教育がいかに画期的なものであったか。社会教育理念が確立され、制度が整備されていき、それはまさに社会教育の民主的革命でありました


その同じ頃に、当市においても活発な活動が展開されていたことを思うと胸が熱くなります。そして、日本は強力な経済成長が進行し急速な社会変化を遂げていったのです。

では、平成に入ってからの歩みはどうなのでしょうか。
新しい人が増えず、特に若い人の参加がないため、会員の高齢化が進む一方です。しかしながら、私は以前にも増して読書会に大きな意義を見出しているのです。

というのも、私達は親と子の2世代が読書を通して意見交換しているからです。家庭生活においても、かなり以前から核家族化が進み、同世代の交流になりがちですが、私達は40代から70代の会員が、知らないうちに世代間交流を体験し、そのすばらしさを実感しているのです。(2008年現在は50代から
80代に更新)


このようなことからも、現代社会においては読書会が読書会だけにとどまらず、世代間交流と文化の継承というような役割をも担っていると考えている私は、そこに大きな意義を認めるのです。

一方、高齢ゆえの健康上の理由で出席できなくなり、退会される方も珍しくありません。そのような時、私達は最も心を痛めるのですが、今後ますます未曾有の高齢社会になるならば、生涯かけて関わっていく読書会があってもよいのではないかと考えています。

例えば、字が読める人には例会の様子を活字で伝え、読むことができない人には録音したテープを送るなどです。
勿論、これらの行為が押し付けにならないように、ご本人の希望によることは申すまでもないことですが、さて、この考えについては、その思いを与えられた個人が実践していけばよいことであり、会として重荷を負わなくてもよいのかどうか、未だ検討中です。

最後にもう一つ、それは子供達への読書会参加の呼びかけです。私達が取り上げるテキストによっては、小学校高学年になれば理解できるものがあります。

私は機会を得ては、我が娘たちを参加させました。読書会は自分の頭で考え、自分の考えを言える人間に育てるのにふさわしい学びの場だからです。

今後はこれまで以上に教育界にも働きかけて子供たちの読書推進のためにも力を注いでいきたいと思っています。

地道な活動ですが、これからは積極的に働きかけていかなければ、会の発展は難しい時代であることは確かでしょう。まずは、「市政だより」に毎月の案内を掲載して頂けるように努力するなど、気がついたことから始めていこうと思っています。
(※市政だよりへの掲載については、行政側は考える余地なしの返答だった。市の助成金で運営している読書会であるのにと、文化推進についてやりとりしたが叶わなかった)

以上、創立30周年にあたり、これまでの歩みと現在の状況、そして、今後の活動について、私が常々考えていることをお話しさせて頂きました。ご教示頂ければ幸いです。

最後になりましたが、文化の日に当会の多年にわたる活動に対して、東大阪市長と教育委員会から表彰して頂きましたことを、感謝をもってご報告いたします。
                    ―終わり―



この記事を書いた時は、西口夫人に続いて、母が亡くなり、西口氏まで亡くなられて2年後のことだが、私は悲しみから立ち直り意欲的になっているのが文面からわかる。

神が私達に備えて下さっている自然治癒力と同様に、精神的健康のためにも常に最善なる導きを示し続けて下さっていることのあらわれだ。

今、悲しみの辛い時間を過ごしておられる方々のことを祈り、また、問題の解決が見えなくて苦しい状況であっても、必ず喜びの時が備えられていることを忘れないようにと我が心に刻んでいる。
posted by 優子 at 09:47| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2008年03月12日

読書会の足跡 A

読書会が所属している「河内の郷土文化サークルセンター」の会報には5回執筆させて頂いている。

第16号(1993年) 創立25周年記念読書講演会のこと
第20号(1995年) 東大阪・豊中交歓読書会 
                 回を重ねて31回
第23号(1997年) 西口孝四郎先生ご夫妻を偲ぶ
第26号(1998年) 東大阪読書友の会 
                 創立30周年に思うこと
第34号(2006年) 新役員就任挨拶・書記

ブログには第23号と26号の掲載文を残し、今日は23号を刻みたい。

    
      西口孝四郎先生ご夫妻を偲ぶ

昨年7月に奥様がご逝去され、その悲しみも癒えぬ新年早々に西口先生の訃報を受け、私は耳を疑いました。しかし、現実は非情でした。

まるで両親を一度に亡くした子供のように、私は途方にくれ、取り残された思いでした。悲しみが極まると涙は出ず、体の内側に流れるのです。母の時のように。

私は1988年2月に読書会に入会させて頂きましたが、西口先生ご夫妻との出会いは、まさに「新しい季節の始まり」でした。

出会いが深まる中で、自分の感性を大切に、自分の求めるところを求めていけばよいのだということを教えて頂いたように思います。
そして幸運にも、ご夫妻が休会される前の最後の2年間を会長の任に就かせて頂き、ご夫妻の薫陶をお受けしました。

西口先生は元読売新聞記者で、「歴史文学春秋会」を主宰、短大講師、また、当サークルセンター役員としても尽力されるなど、多方面で活躍される中にあって、私達の読書会を導いて下さいました。

そして何よりも、他の追随を許さぬほどに谷崎潤一郎を愛された研究家であり、ある時など、机を叩いて谷崎論を力説されたこともありました。

一方、出席者の感想を聴かれる時の柔和な表情、特に奥様が発表される時はニコニコされていました。
どこへ行くにも二人でご一緒でしたから、奥様を亡くされてからの闘病生活は、どんなにお辛かったことでしょう。

お見舞いに伺った時、涙されていたお顔が忘れられず、そのことを思うと、「また、ご一緒になられてよかったですね」と、私は涙のうちにも申し上げることができるのです。

今は、ご夫妻の悲しみの涙もすっかり拭われて、「おもしろい一生やったなあ」と、語り合っておられる二人のお姿が目に浮かびます。

読書会を我が子のように愛し、育んでくださったご夫妻を失ったことは、私達にとりまして大きな痛みです。
でも、この悲しみを受容し、新たな夢と希望を抱いて再出発したいと思います。

お二人のことは、決して私の脳裡を去ることはないでしょう。ご夫妻の御霊の安らかなことを。そして、残されたご遺族の上に、神さまからの慰めが豊かにありますようにお祈りします。



これを書いた時は母を亡くして1年、父が病床に就いて半年が過ぎ、私と神との格闘は終盤戦になっていた。
全てが悲惨な状況だったが、神は最善へと導いて下さることを信じられる者に変えられつつあった時だ。入院している父の病床へ通いながら家庭修復に心を砕いていた頃である。
posted by 優子 at 07:42| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2008年03月11日

読書会の足跡 @

読書会を去る日が近づき、年月の流れに万感の想いが込み上げてくる。

今回の『あしたづ』に掲載した写真の記念講演会については、1993年(平成5年)11月20日に発行された『河内の郷土文化サークルセンター会報・第16号』に拙文を掲載して頂いており、翌年4月発行の読書会会報『かわちの』第1面にも書かせて頂いている。
その後半に私の読書会観を述べているので、そこのところを抜粋してブログにも刻んでおきたい。

      東大阪読書友の会創立25周年
        喜びと感謝と情熱と

                  

     (前半省略)

かつて女性の社会進出と共に読書会が衰退してきましたが、その大きな理由として、学歴や財産、地位、名誉など、人々は目に見えるものを追い求めていったからではないでしょうか。

しかも、それらを得るためになんと大きなものを失ってきたことでしょう。その結果として、今多くの社会問題が生じています。
そして、幸せの実感は外側のものによるのではなくて、内なる心の平安・満足から生まれるものであることにも気づき始めました。これからは、目に見えないものを求めていく時だと思います。

ですから、まず内なる自己をしっかり見つめ、自分とは何か、自分は何を求め、そのためにどう生きるのかということを問い続けていきたいと思うのです。
そのことが取りも直さず真の自立であり、自分らしく生きることである考えるからです。

自分の頭で考え判断できる人に。そして、自分の意見を言える人間になってほしいと願って子育てをしていますが、読書会こそは最高の環境だと思います。

なぜなら、読書会は自分が考えることによって参加する集まりだからです。しかもその中で、話し合う姿勢、相違に対する許容度の高さ、複眼を以って考えられる人間になっていくように思います。

私達の読書会では、毎回18名ほどが集い、活気に満ちた心の交わり豊かな時を重ねています。私達は読書会で育てられながら、読書会をも育てていきたいと願っています。

そのためには、何よりも読書会を楽しむことが読書会を育て、継承させていただくことになると確信しています。
  創立25周年。
  新たな感激と情熱があふれてきます。
  すべてが春一色です。


この記念読書講演会は読書会の代表に立たせて頂いた年の秋のことで、この9月から学校5日制が導入されたはずだ。
学校が休日になった土曜日に中学1年生の次女も来てくれた。また、次女の担任の先生(長女も中学1年生の担任)も駆けつけて下さり、講演会のあとの懇親会にも残って下さった。

文中の「問い続けていきたい」であるが、その後の人生苦を経て明確になった。「問う」のではなく、私が神に「こたえ続けていきたい」というのが正しい。ヴィクトール・フランクルによって教えられ受容できた。

ことのほか寒さ厳しかった冬を抜けて春になった。
2008年、新しい春である。
全ての人にとって新しい出発の春である。
posted by 優子 at 10:40| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2008年03月08日

『あしたづ』掲載文への御高評

2月24日から29日のブログに掲載させて頂いた「私の忘れられぬ人 ―西口孝四郎氏との出会い―」に対して、何人かの方々から感想を頂戴している。

「拝読して初めて分かったこともあり、西口先生の人間像があらためて私の胸に蘇ってきました」とは、新聞記者時代の西口先生について貴重なお話を提供して下さった杉山氏である。

このほか、「東大阪読書友の会」のKさんや豊中の「とよ読書会」のOさんからも嬉しいお言葉を頂いて感謝している。

また、2〜3年前から親しくお導き頂いている文芸評論家・久保田暁一先生は次のようなコメントを書いて下さった。

多彩で、かなり充実した誌です。
「私の忘れられぬ人 ―西口孝四郎氏との出会い―」、早速拝読しました。

西口孝四郎氏の人間像がよくうき彫りされていると共に、西口氏に寄せる藤本さんの思いもよく描かれています。ヒューマンな、潤いの感じられるエッセイです。

藤本さんの優しい感性と味のある行動力に私も感じいっています。また文筆力も。

今後は、一つのテーマを見定めて深めていくと良いと思います。読書と書くことにも集中してテーマを深めつつ、表現力をより磨いていかれることを期待しています。

書くことを志す私にとってたいへん示唆に富み、励みとなる嬉しいお言葉だ。

これまで読書会を通して感性を磨いてきたが、数年前から自分の最も関心のある領域に的をしぼって読んでいきたいと思うようになった。
それが読書会を去る大きな理由であり、50歳を越えた頃から徐々に今回の決断へと導かれてきた。

しかしながら、この年齢になれば高嶺に向かいつつある段階なのに、未だテーマさえ決まっていない状態に焦りと失望感で心揺れる時もある。

その私に、「テーマを深めていく」ようにとのご教示は神の導きであり、奮起して熱心に研鑽を積んでいこうと姿勢を正した。

「藤本さんの優しい感性と味のある行動力に私も感じいっていますと仰って頂いたことが最も嬉しかった。
 

あんなに穏やかで柔和なクリスチャンである久保田先生が、あの時のチャレンジに共感して下さったのだ。
このことが私を最も喜ばせ、「そのこだわりを生涯失わないように!」と、社会に対する姿勢に裏打ちをして下さったような心境である。
posted by 優子 at 23:56| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2008年03月07日

希望を告げる鶯

鶯がないている
新しい春がきた

小学生が走って坂道をくだっていく
いのちが輝いてまぶしかった
そんなに思いっきり走るところぶよ!!

茶髪の女子中学生がトボトボ歩いてきた
複雑な生い立ちの子だ
「髪の毛を切ったのね、どちらもよく似合うね」
今日は微笑んでくれた
「気をつけて行ってらっしゃい!」

特別なる神の祝福がありますように
負けないで幸せになるのよと祈りをこめた

3happa2a.gif 鶯が新しい希望を告げている

           チャッピー、
           そこに鶯がいるよ!
posted by 優子 at 09:01| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年03月06日

近きに友あり

今朝もチャッピーの水は薄く氷が張っていたが、この冬の寒さもこれが最後らしい。4日の朝には鶯の声も聞き、いよいよ春一直線である。

今朝は市の保健センターへ3年ぶり(?)に血液検査を受けに行った。K保健師さんは、今も私の名前をフルネームで覚えて下さっているから光栄だ。

この地に移った1999年の秋に一度だけ市民健診を受けたことがある。その時にコレステロールが250あったので、その翌春に生活習慣病教室の案内が届いた。5月頃から行き始めたものの父の死で4〜5ヶ月間中断し、秋になって最後の2ヶ月間だけ参加した。

その時にご指導下さったのがK保健師さんだ。
その2ヶ月でコレステロールの数値が200に下がり、模範的な事例になったからだと思うが、市の広報誌に体験談の掲載依頼があり、大和高田市にある「さざんかホール」で開かれた奈良県医師会主催の(名前を忘れてしまった)会でも15分間ほど話させて頂いたことがある。あの時は謝礼も頂いて驚いた。

それなのに、自制心のない私は再びひどい状態に戻ってしまった(>_<)。あっという間に。
今日も体脂肪は31あったし、不摂生もはなはだしいからコレステロールも依然として高いはずだ。

今回はメタボリックシンドロームチェックのために腹囲も測った。内臓脂肪型肥満(内臓肥満・腹部肥満)に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併するといけない。

女性ならば腹囲(おへそのところで)90センチまでが合格ラインだ。私は87、1センチだからパスしたことになるのかな?先週測ると98センチもあった(>_<)。

結果は送付して下さるとのこと。ご指導くださったのに申し訳ないとお詫びしたら、「注意して(結果を)見ておきます」とK保健師さんは笑っておられた。

そして、保健センターを出たのは9時40分。
夫に頼まれた確定申告書を市役所に届けたものの、時間が早すぎてスーパーも開いていないし、食事をしたいが時間が早いので店も準備中だろう。

2時間に1本とはいえ重宝な公共バスも休業日のため、帰りは電車で2駅分の道を歩いて帰ることにした。
途中、読書会のDさん宅がある。今月最後の読書会もご挨拶したら直ぐに失礼しようと思うので、この機会にご挨拶しておこうと思いついた。


すると、今回もまたご主人共々大歓迎して下さり、あっという間の2時間、既に正午が過ぎていた。そこで近くのお店へ出かけて昼食までご馳走になってしまった。

話題豊富なDさんご夫妻だから興味深い耳学問に時間を忘れて、お別れしたのは3時半を回っていた。親しい人との交わりは本当に楽しい時間だった。

「小阪庵だより」のMIKIOさんのように、アチコチに友人がいるような気持ちになった。友は人生の宝だ。なんて素晴しいのだろう。話題性に欠け緘黙症の夫だが、今度は4人で話の花を咲かせようともお約束した。


幸せの余韻に浸りながら歩く帰り道はあっという間だった。
Dさん、お土産のチョコレートもありがとうございました。感謝。
posted by 優子 at 20:27| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2008年03月05日

「ヨブ記」を開く A

我々は人生苦があるから聖書に求めるのであるが、日本人の多くは難行苦行によって人生苦に耐えているように見える時がある。しかし、そのようなことで苦悩が消えたり、あるいは浄化されて人格が高められるとでも思っているのだろうか。

それは人生苦からの逃避でしかない。それでは生きているとは言えないし、生きる意味も目的も全くわかっていない。

多くの人々が悩み(問題)を無かったことにしたり、綺麗ごとで流してしまう。自分自身との向き合いかたを知らないのだろうか、自分の人生にさえ傍観者として生きる人々にガッカリするが、出会いを深めていける人だとわかった時は深い喜びを感じる。

「最良の聖書の注解書は、苦難である。人生苦である。人生で苦しまずに、聖書はわからない」とは内村鑑三の言葉だが、特に「ヨブ記」を読み味わうには人生経験の切実さこそが最も必要だ。

「ヨブ記」は難解で読解するだけでさえ難しいが、仮に理解できたとしても解釈に多くの余地を残している。
ヨブに対する洞察の深さや、鋭さは言うまでもなく、神に絶叫するほどに苦悩する人には深い感動を覚えるだろう。そのような人の語るメッセージを聴きたいものだ。

ただし、最後においても苦難の理由は与えられていないので、浅野順一氏のメッセージのエッセンスだけでも伝言したい。

「ヨブの痛ましい生涯をただ痛ましいとして嘆き悶えるだけでは、彼の態度は未だ自己自身に対し傍観的であって主体的とは言えぬであろう。

我々が一見責任を負うているというところにこそ、却って人間が主体的に生きる生き方があるのであり、・・・そこを起点として新たなる出発をするかどうかにある。・・・

それ故に諦めて自己の運命をやむなく受け取ることではなく、神の摂理に委ねて失敗の都度また新しい出発をし直すということになる。・・・・

懺悔には必ず感謝があり奮起を伴う。

ヨブの懺悔は彼の自発的な意志によるというよりも、嵐の中から神の突如たる呼びかけによってということである。・・恵みの呼びかけとでも言うべきであろう。・・・

それはヨブに対する慰め、労わりではなく、叱咤、激励である。そしてそのことによって絶望のヨブに新しい世界が開かれて来た」。


自発的な懺悔ではなかったのに新しい出発をなさしめた。
苦悩する人よ、神への信仰を奮い立たせることだ!
運命を主体的に受け止めた時、それは神の摂理と変わる。いつまでも甘えて駄々をこねていないで立ち上がれ!


そして、愛するわが娘にも伝えたい。

「なぜ神がヨブを苦しみの中に置いたのか。
悪魔の誘いに耐えて、ヨブの徳性がいよいよ固く磨かれるためであった」
ということを!

共に、大いなる神のご計画を信じて立ち上がれ!!!
posted by 優子 at 17:31| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年03月04日

「ヨブ記」を開く @

「人間は何故苦しまねばならぬか。
しかも或る者は自分の責任ではないのにも関わらず苦しまねばならぬ。一言にしていえば義人の苦難は何故かということである。

そもそも苦痛は苦痛そのものが苦しいということはいうまでもない。しかし、何故自分は苦しまねばならぬのか、その原因が明らかになれば苦痛は半減する場合がある。

ことに精神的苦痛においてしかりであろう。しかしその原因が不明である場合に苦痛は倍加する。

義人ヨブは何故あのような不幸に陥らねばならなかったか、そこに義人の苦痛があったわけであるが、それがヨブ記の問題の中心をなしているといえるであろう」。


旧約聖書学者、浅野順一著『「ヨブ記」―その今日への意義―』からの抜粋である。

もう4〜5年前になると思うが、H牧師は『ヨブ記』のテーマは「自己義」(自分の力と頑張りを正しいとすること)だと説教された。
確かに、ヨブはいつしか自分の義を主張し、どこまでも神と格闘する。ヨブ(人間)が義ならば神が間違っていることになる。

しかし、ヨブ記のテーマは決して自己義ではない。
自分には責任のない苦難についてであり、人生で最も不可解な運命の問題だ。


サタンにヨブの苦難をゆるされたのは神である。ならば不幸の原因は神であり、責任は神にあるのだが、その苦しみを苦しみぬいていく時に、「そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」ヨブでさえ、人間の弱さをさらけ出し、高慢にも自己を義とした。

最後には自分の無知を告白したのであるが、そのくらい真摯に神に問い続けたヨブは「弱く、時には醜」く、「そのような人間の姿そのままに神の前にも人の前にもさらけ出して訴えた」。・・・・
友人達のように教義で自己を武装することもなく裸となったヨブである。

「神がヨブに耐え得ざるほどの苦痛を与えたことも彼を丸裸にするためであったと言えよう。
弱いこと、醜いことは必ずしも悲しいことではない、その弱さ、醜さに徹し得ざることが悲しいことである

ヨブの懺悔、その新しい出発はその裸から始まった。
繰り返しになるがそれはまさに幼児の如くならずば天国に入ること能わずといったイエスの言葉そのものを意味するであろう」。


ヨブに苦難をゆるされたのが神ならば、我々の責任の及ばぬ苦難においてもそうだ。
何故、善良に生きている者にほど苦難がくるのかと、両親のこと、特に母の晩年の苦難の意味がわからず10年にも及ぶ神との格闘があった。

のた打ち回る苦しみの中にある人よ、私も裸になりきるまで苦しみ抜いた。しかし、それができたことを感謝している。

そして、神に征服された時、言葉を代えれば、神に勝利させて頂いた時の心境は、この聖句だった。

「及びもつかない大きなことや、奇(くす)しいことに、
私は深入りしません。
まことに私は、
自分のたましいを和らげ、静めました」。


ここに至るまでには不抜の忍耐がいるのだ。
愛する者が倒れないように、私の残りの人生かけてずっと祈り支え続ける!

愛する者が苦しみぬいている今、私も同様に堪らない苦痛だ。
私が変われないものかと息が詰まる。私は一度苦しみぬいて勝利させて頂いたから免疫がある。耐え安いからと身代わりになっては人生の意味がない。

私に納得させて下さったように、神は必ず最後まで責任を持って勝利させて下さることを確信している。再び私が醜くくならぬようにも祈ろう。

posted by 優子 at 18:01| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年03月01日

充実の役員会議

昨日の『オリーブの会』では千里さんが初めて欠席され、お誘いしていたお2人もおやすみで5人だけだった。
夜は疲れて大切な集会の内容を記録することもできず、今朝も9時半から役員会があったので商大へ向った。

9時10分商大着、ホールのトイレをお借りしてから千里さん宅に『あしたづ』をお届けし、9時20分に商大に戻った。

大急ぎで読書会のロッカーに入れておいた『あしたづ』を取り出して、私の掲載文のミス4箇所を9冊分訂正し、役員会定刻2分前に会議室へ上がり、「おはようございま〜〜す」とホッとひと息ついた。

今日の役員会は実に有意義だった。
4月26日の理事会(総会)で役員改選となる。今日の組閣(?)でほぼ決定されるはず。
私にとっては22日の役員会が最後になり、読書会を退会するので総会でご挨拶させて頂くことになっている。

読書会を去るということは自動的にサークルセンターからも去ることになるので、「惜しい人や、何か会を立ち上げて残ってほしい」とまで仰って下さり感慨無量。

今や、読書会よりもセンター幹部の方々との別れのほうが寂しくてならない。しかし、今後もお交わりさせて頂くので感謝。

そのあと、4名でインド人のお店へ行って昼食会。
親しい交わりに心が熱くなった。市政のお仕事をされている方やOBの方のお話は、全く知らない世界だけに興味深い。お役人がそんなに厳しい職務を果たされていたとは思わなかった。香芝市のお役人もそうであってほしい。もっともっとお聞きしたいことがいっぱい!

今日は『あしたづ』の創刊号から今月発行された10号までを、香芝市民図書館に寄贈した。
河内と地続きの香芝市である。二上山とも関連が多いことも図書館長に強調してきた(笑)。


河内の錚錚(そうそう)たる郷土史家たちの執筆であるから、書店でも売れる内容であり、今年からは国会図書館にも保管して頂くことになった。しかし、私はもう寄稿できないので残念でならない。

さて、腰も背中も痛いし目もヒリヒリして疲れていたが、夕刻にパソコンを開けば、既に会長さんから今日の主な議事録が送られてきていた。

書記の私が怠けていてはならずと頑張って書き上げて、先ほど役員方に添付送付した。私よりも年上の方々の精神力に私の頭は下がりっぱなし。

生きるって素晴しい。
心の通い合い。人生でこれ以上の喜びはないだろう。
でも、疲れたよ〜〜〜ん!!
posted by 優子 at 22:00| 読書会関係 | 更新情報をチェックする