2008年04月30日

大きな出会いのハプニング ― まこさんからのメール ―

『生かされて』の裕子さんを介して、今月15日に出会ったまこさんのことは16日のブログに書いた。以来、メールのやり取りを始めて2週間、それぞれお互いに14通ものメールを交わしている。

23日のメールには、「主に愛された奥深い魂の持ち主、壮絶な中を通られた苦悩の日々は、決して無駄にはなりませんね」と、長女の婚約式の証し(過去ログ・2006年3月26日掲載)についてお伝え下さった。

過去ログを携帯電話で読んで下さっているなんて、もったいなくも望外の感謝であり喜びだ。
私は娘たちの結婚の引出物に用意した記念誌をお送りしよう、嬉しがりでも何でもない、自己紹介の気持ちも込めてお送りしたいと思い始め、その2日後に頂いた下記のメールを読んで決心したのだった。

「今、一番最初の1月3日から始まり、やっと4月3日まで読み進んできました。携帯からは本当に読み辛くなかなか進んでくれなくて、でも、小説を読むように楽しみで楽しみで仕方がありません。

毎回、わくわくしながら読んでいますけれども、読んでいくうちに私はとんでもなく素晴らしい優秀な方とお出会いしてしまったと困惑しています。・・

真智子さんが何と何と優秀なことか。神様の守りも恵みも導きも素晴らしい力でしょうが、真智子さんご自身の持っていらっしゃる素晴らしい謙遜なお人柄と、優秀極まりない才能を読ませていただき・・・

・・・また、様々な経験を通って来られる中での一つ一つの感受性にとても共感を覚えます。

娘さんたちは、私の中では、今婚約中でこれから式を迎えるわけですが、優子さんの親としての情緒が切々と伝わってきまして情愛の深さに本当に感動を覚えています。・・・」


「娘さんたちは、私の中では、今婚約中でこれから式を迎えるわけですが」とは、なんてステキな表現だろうか。
記念誌と共に掲載文のいくつかも同封させて頂いた。

そして、まこさんのお手許に届いた日(28日)の夜遅く、早速にも思いを伝えてきて下さった。これまでにもまこさんのメールから多くの励ましと御教示を頂いてきたが、ナウエンの言葉を覚えつつも、ついに私は掲載させて頂くことをお願いしたのだった。
その経緯を述べるために、いくつかのメールまで抜粋掲載させて頂いたことをお詫びしたい。

優子さん、言葉がありません。言葉になりません。と言いつつ長いメールになるかもしれません。実に驚愕しております。胸が一杯です。

先程、お礼のメールをした時にはほんの何編か、読書友の会の作品を読み進めていただけの段階だったのです。ですから、優子さんの手書きのカードを発見したのもずっと後のことでした。

次に読み始めたのが、知子さんへの贈り物でした。
私は読み始めて直ぐに泣き始め最後まで、ずっと泣きながら読み終えました。何がそんなに私を泣かせたかと考えた時に、私の中に既に答えはありました。

優子さん、おじいちゃん、そして旦那様の知子さんに対する深い深い底の無いほどに深い愛、情愛、愛情、可愛さ、愛しさ、言葉に出来ない程に行間にさえ溢れ出るような、そんな愛深いお気持ちが、私に切々と伝わってきたからに他なりませんでした。

そして、何より心を打ったのは旦那様の知子さんへの贈る言葉でした。あんな風に気持ちを素直に露される旦那様は何と素敵な方でしょう。
プライドに捕われず、きちんと娘さんに詫びる気持ちを露されるなんて、素晴らしいと感動しました。

何か、以前に確執なるものが横たわっていたのでしょうが、綺麗に清算され、しかも、公に配る冊子に載せるなど、凡人には真似できないことだと感動しきりでした。

そうして、次に真智子さんのものを全て読み終わり、次に息子の帰り(お迎えコール)を待つ間、私はブログの続きを携帯閲覧しながら過ごしておりました。

すると、私はそこに凄い記事を見い出したのでした。
優子さん、貴方は素晴らしい!
神様の御心をちゃんと察知して感謝を捧げられる方です。
本当に神様の計らいだったのですね。ご主人が知子さんに謝られたのは神様の業だったのですね。

確か5月27日位の記事でした。ご主人の口述筆記中に、優子さんが驚きつつ感情が麻痺していた話です。確かに人間はあまりにもショックな時には、感情が麻痺するように出来ているのかもしれません。

私も臨終や葬儀の最中、今ひとつ感情が変に働き夢の中のような、ゆっくり時間を送りました。現実ではないような、なんだかボウーとしたフワフワした気持ちでいました。

優子さん、貴方のブログと筆力は素晴らしい!
私は優子さんが救われた時の兄嫁さんとの出来事や、変えられた優子さんや、15年経って振り返った神様への思いなど、一行一行感動に震えながら読ませていただきました。

文香さんのコメントはそのまま私の思いと同じです。
優子さん、沢山沢山色々なことがありましたね。まだ妹さんとの関係はよく解らないでいますが、そこにも涙があったのですね。

私は優子さんの文章の一ファンに止まらず、共に祈り合えるパートナーになれれば、どんなにこの先心強いかと思います。
私も優子さんも本当に書くことが好きみたいですね。強い共通点、強い絆です。

神さまが解決へと伴って下さったことを忘れたことはないが、夫が長女に謝ったことは、まこさんが仰る通り、まさに神さまの業(わざ)であったことを、改めて確認したのだった。

夫婦関係も、親子関係も、姉妹関係も全て、主にある修復だった。当地に引越してきた時は最悪時代が続いていたし、その後も無我夢中の日々だった。

そして、娘たちの結婚、その後のことも全て、今の喜びを享受するには、人間の努力だけでは決して不可能だった。このことだけは、夫もしっかり神を認めており、土曜日の妹夫婦の前でも明確に頷く夫だった。

改めて2006年5月27日の過去ログを読んだ。
書いたものが、以前にも増して貴重な宝物になっていた。気付かせて下さったまこさん、ありがとう。

私はまこさんとの出会いのハプニングが、神さまのご計画の中で時満ちて、何かの実を結んでいく、意味を持った大きな出会いのように思い始めている。
posted by 優子 at 06:40| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年04月29日

夫一人惰性で歩いた長谷寺を熱愛夫婦になって歩く

26日の土曜日に引き続き、日曜日は緊急な思いに促されて妹夫婦宅に出かけていたので、夫は休みなしになってしまった。しかし体力に余裕があるのか、昨夜、「明日、長谷寺へ行こう」と誘ってくれた。

土曜日は妹夫婦と私たち4人で4時間ほど話し合った。
その帰りに長女のところに寄って、鯉のぼりと金曜日に忘れていった筍の煮物を届けてやったが、まだ帰っていなかった。娘たちは月に1〜2度、東大阪の放出教会に行き、この日は帰りにソファーを見に行くと言っていたからだ。

再会して家に入った早々、夫と婿で鯉のぼりを組み立て、夕食に連れて行ってもやらずに、コーヒーをよばれて1時間ほどで別れた。私は精神的にクタクタに疲れきっていたからだ。

そんな私のために今日は外へ連れ出してくれたのだろうか。
とにかく出不精を改め、夫の誘いを受けて喜んで外出した。
長女のCDをセットして走り出した。車内に" She "が流れた。「ノッティングヒルの恋人」のテーマソングだった思う。
「デートみたい」と言うと、夫の笑った目と目が合った。ハートたち(複数ハート)

1時間で長谷寺に着いた。
腕を組みながら参道を歩いた。最高に幸せだった。
店がいっぱい出ていて「なんか旅行に来たみたいやな」と、夫も嬉しそうに言った。

実はここ、長谷寺に夫が一人で来たことがあった。
もう15年くらい前のことだと思う。東大阪に住んでいた頃、夫婦喧嘩の時に長谷寺へ行ったことを数年前に聞いた。


あの頃の私は、とにかく道理に合わぬ母の苦しみに苦しみぬいていた。今ほどの信仰もなかったから、実家のことや家庭のことで悪戦苦闘し、夫にも口汚くののしったこともあった。
夫は一人になる部屋もなく、いたたまれなくなって一日出て行ったのだった。


本当に申し訳なかったと涙が出る。
「どんな気持ちで歩いてたん?」と聞くと、「惰性で歩いていた」と言った。「これで2人で長谷寺の思い出を塗り替えられたよね。今は幸せ?」と聞くと、照れくさそうに頷いた。
本当にごめんね、良輔さん。

アナウンスを聞いて、「法話を聞こう」と夫に誘われて休憩がてら聞いていた。そして、終わった瞬間に夫は嬉しそうに言うのだ。
「結局、(牧師と)同じことを言うてるなあ、感謝する気持ちと怒ったらあかんって」と笑いながら言ったので、

「全然違うわ。根本的に全く違うわ。第一、あれは倫理やんか。
人は他人に迷惑をかけて生きているって言いはったことについては同意するけれど、例話がおかしいわ。

『私(説法者)が大学にとおったおかげで人が落ちた。その人に迷惑かけている。だから我々は迷惑をかけないで生きていけないから、人に迷惑をかけられた時には目をつぶる』なんて、変な話や、ピントずれてるわ。」
と、ペチャクチャペチャクチャ話しながら歩いていた。

長谷寺は牡丹の季節でたくさんの人で賑わっていた。有名な登廊も歩いた。3年くらい前に近隣に住むNさんに連れて来てもらったことがあるが、その時は平気だったのに今回は股関節が痛かった。もうすぐ人工股関節の手術をされるNさんを想った。

長谷寺回廊.jpg

帰りの参道では、何軒もの店で草もちの試食をして結局買わなかったけれど、干しいも、はじき豆、胡桃、山菜おこわ、大和茶のひげ茶(葉っぱを取ったあとの茎というので珍しくて買ったが、美味しくなくて失敗。髭のように細く、枯れた芝に似ている。匂いも味もお茶ではなく干し草みたい。)と、いろいろ買って楽しかった。

カメラも持たず、私たちのスナップは一枚もないが、心の中に色あせずに残る思い出が刻まれた。帰宅してすぐに寝始めた夫は、今も私の横で寝息をたてている。
愛しい人よ、これからは夫孝行したいと思う。
これは神への感謝録でもある。
posted by 優子 at 18:12| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2008年04月28日

ミネソタ大学キャンパスオーケストラ & 真智子の感謝と感動からブログ考C

今日(22日)はミネソタも16度。春を通り過ぎて、急に夏です。
というのも、ミネソタの人々は、早速ビーチサンダル、ノースリーブ、短パンといった夏ファッションだからです。

ミネソタ大学には音楽学部があり、23日にキャンパスオーケストラによるホルストの「惑星」を鑑賞してきたとのこと。

25日(日本時間)の夕方、長女に筍を持たせるのを忘れたことを伝えるべくPCを開いた時に、次女から「ママ」と声をかけてきたから驚いた。
長女が帰って直ぐだったから3時45分頃だ。
と言うことは、ミネソタは真夜中の1時45分なので「こんなに遅くまで起きてるの?」と聞くと、興奮気味で眠れないというのだ。

久々に本格的なオーケストラのフル演奏に感激した真智子は、研究においても先生に認められ(私の表現)、日々の人々との心豊かな交わりなど、溢れる恵みに感極まり眠れないので起きていた。

私には真智子の様子が目に見えるようにわかる。
「人間は不幸すぎる時も、幸せすぎる時も眠れないものね」と、チャット画面に書いた。
真智、これはビビアン・リーの映画『哀愁』に出てくるお姑さんの言葉なの(^−^)。

さて、これがミネソタ大学の音楽ホールだ。オーケストラが始まる直前に映したものである。

オーケストラ.jpg


こんなステキなホールで本格的な演奏を無料で聴けるなんて驚きである。
音楽は直感に訴えてくるから、ハードな研究生活のリフレッシュになるだろう。クラシックファンの娘には最高の贈り物だ。

神の恵みが溢れ、感動と感謝で眠れない娘に、その喜びを直接書いてきて欲しいとお願いしたのだが、「(それらのトピックを話すことは)自分をアピールするようで」と辞退された。
そのことはまさにブログを書きながら私も常に感じていることなので、ナウエンの告白、「霊的著述家として成功したゆえの誘惑」を思い出していた。
即ち、ナウエンの「神を利用する罪」の告白である。


「主よ、私は自己中心的で、自分自身、自分のキャリア、将来、名声にとらわれています。たびたび思うのですが、私はあなたさえも私自身の利益のために利用しているようです。・・・

私は、しばしばあなた(神)について語り、あなたについて書き、あなたのみ名によって行動していたのですが、それは、自分自身の栄光と自分自身の成功のためであったのです」。


この告白の祈りに大塚野百合氏は「私の脳天に一撃を加えました」と書いておられるが、私もまた骨髄にも響く激震が走ったのだった。

偽善者にならぬようにとは、私が最も心に留めながら生きていることであり、書くことにおいては、特に公開ブログを書き続けていく時、自己崇拝にならぬことをも警戒して書き進めている。

そのことを覚えつつも真智子直筆の記事を依頼したのは、具体的な出来事を示さないと抽象的な域を出ないという必要悪(?)、これが現時点での私の考えであり、このことは醜い葛藤から勝利させて頂いた時も同じである。

苦しみが喜びに変えられた経験を伝えるためには、どうしても最低限度の具体的事実を述べなくては神の恵みを証しすることはできない。常にこのジレンマを感じながら書いている。


このように私も常に考えていることだけに「自分をアピールするようだから」と辞退した娘の本意を直観したのだった。

「気がきいた言葉を用いてキリスト教について本を書きたいと願ってしまう私にとって、これは厳しい言葉です」と、著名な大塚野百合氏は語っておられるが、そのこともまた感銘を受けるのだ。

話は「ミネソタの春」からそれてしまったので、最後に最近のお料理スナップをご紹介したい。
これはラザニアを作った時のもの。

ラザニア・2008・4.jpg

もう一つ、最近は「クマ喫茶」がスイートホームの朝食時に開店するらしい。これが定番メニューのクマサラダだ。

クマ喫茶.jpg


2人の娘たちだけではなく、今では夫婦共に、新家庭が神に導かれていることを思う時、神の真実に身震いする。これ以上の喜びはない。

「主イエスを信じなさい。
そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」


わたしはしあわせ、かんしゃ。
posted by 優子 at 07:25| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年04月27日

太宰の悲劇 ―『かわちの』最終寄稿文―

昨日の理事会の折に、読書会のロッカーに入れておいて頂いた『かわちの』を持ち帰った。年に一度発行される読書会の機関紙『かわちの』に、私に代わって長女と次女に紙面を譲ったこともあるので正確には18回、通算20回目の寄稿が最終となった。

昨年で永年務めてきた編集委員も下りている。
残念なことに一箇所、校正ミスがあった。たった一字違いでも全く意味が違ってくるので、本文とは別の色で提示しておいた。
昨日も例年通り各理事さんたちに配布させて頂いているので、ブログを読んで下さっている方々にだけでも訂正をお伝えしたい。
   
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

          太宰の悲劇

                        藤本 優子

久々に『人間失格』を読んだ。
「人間失格」とは神に対して言ったものではなく、人間不信が高じて恐怖となり、ついに人との関係が完全に失われてしまったことを意味する。

太宰ほど聖書を熱心に読んだ作家はいないという。確かに、マタイ伝を読むだけで3年以上もの年月をかけている。

かつて私が不可解だったことは、そんな太宰が自己の内面をごまかさずに追求したのはいいが、限りなく自己を嫌悪し否定したままで果てたことだった。

真の自己否定に至ったならば、自分の罪を贖って下さったイエスの十字架によって、自己肯定に転じられるであろうに、太宰にとってイエスはキリストではなかった。

もうひとつ不可解なことは、愛なる神ならば、そこまで苦悩して聖書を読む者を、どうして救いに導いて下さらなかったのかということだった。

しかし、今回再読するまでの年月を通してこれらの疑問が解けた。悲劇の原因は太宰の傲慢さであり、救いについては、神から自由意志を与えられている我々一人ひとりの選択に委ねられているということだ。太宰は苦しみ抜いた果てにも神に助けを求めることはしなかった。

聖書の読み方にしても、「聖書は祈りつつ読め、読みつつ祈れ」という言葉があるように、議論する姿勢ではなく、知識を得るためでもなく、応答するつもりで読んでいくならば、必ずキリストと出会ったことだろう。太宰にとって、聖書は自己を追いめていくものでしかなかった。

では、我々にとって聖書とは何であろうか。
自己を直視せずに問題から目を背けている者には聖書も太宰文学もわからない。自分を本当に生かしてくれるものは何か。それを求めてこそ太宰の悲劇を越え、太宰文学を生かすことになるのだと思う。
     
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

訂正箇所は「自分を追い求めていった」ではなくて、「自分を追い詰めていった」である。
著者が、たった一字の校正ミスにもこだわることを理解して頂けるだろう。

posted by 優子 at 08:59| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2008年04月26日

人生の新しいページを開く

4月の終わりだというのに、昨夜は夫婦共に電気毛布をオンにして寝た。薄手のパジャマになったせいもあるが、今朝も寒くて分厚いカーデガンを羽織っている。

昨夜は6時間の睡眠だったが、20歳ぐらいも若返ったような顔になり元気になった。讃美歌を聴きながらまこさんのブログを読み始め、まこさんのことを想った。

父が亡くなったあと、半年間は泣いてばかりいた。
突然突き上げてくる悲しみに号泣したことも度々だった。その頃の日々を思い出された。しかし、泣くことはいいことだ。すごくいいことだ。泣くたびに悲しみが癒されていき、泣くことにより再生されていったのだと、あとになってわかった。
美しい笑いも恵みだけれど、美しい涙も素晴しく溢れる恵みだ。


4月早々に同じ班の方のお葬式に参列した時のこと。
最後に親族の男性たちが立礼し、喪主の挨拶を聴きながら、人生苦を知らなかった娘時代の頃を思い出していた。

私が高校1年生、大学4回生の時に、祖父と養父(独身だった祖父の兄)が亡くなった。
その時の喪主として立っていた父の姿を思い出した。

それから24年、母が亡くなった時の父。

父が亡くなった時は兄が喪主になった。

そして、藤本の義父の時の夫の姿と、次々と思い出していた。

最後のお見送りをする時、遺影を持って立つ悲嘆極まる奥様、娘さんたちに、知子と真智子の姿が重なった。
私が悲しんだように、今度は娘たちが悲しむのだ。
知子と真智子、かわいそうなふたり・・・・


その日がくるまで悔いなく生きよう。
娘たちに、「ママは与えられた人生をよく生きたんだ」と思ってもらえるように、頂上をめざして生きよう。

まこさんの涙は最高の親子関係であった証拠だ。
父に愛され父を愛した娘の幸せの涙なのだ。
涙の皮袋がいっぱいになるまで泣けばいい。
思いっきり泣けばいい。
この私だって、ほら、涙は渇いてしまったから!

お父さんを亡くされたまこさんがかわいそうで涙し、両親のこと、娘たちのことを想って、ついに涙が止まらなくなってしまった。


私も精いっぱい生きるぞ!!

目覚めた時は20歳も若返ったと思ったけれど、もうしんどくなって顔はどす黒く、声は徹夜している時のような低い声だ。そんな私に「アリナミン飲みや」と言って、夫は歯医者さんに出かけていった。

今日は最後の商大理事会だ。
鯉のぼりを買い求めに行く用事ができたので、自動車で行くことになった。理事会の総会が始まれば、まもなく役員改選である。そのあたりでご挨拶して退室するので、夫には商大で30分ほど待ってもらって、その後はまっちゃまちに行くことになっている。

心晴れやかに、みなさんにお別れのご挨拶をしてこよう。そして、新しい人生のページを開くのだ。
これまでの恵みの数々に感謝しつつ、これからはもっともっとイエスさまと密着の旅だ。そこにはどんな絵を描き、どんなことが綴られていくのだろう。楽しみだ。





posted by 優子 at 08:46| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年04月25日

「来て嬉し、帰って嬉し」、実感する体力のなさ

昨日は初夏のように熱かったのに、今朝は寒くて少しのあいだ暖房を入れて、お昼過ぎまでセーターを着ていた。
さて2泊した知子は、普通の疲れ程度まで回復して3時半過ぎに帰って行った。今日もまた抱しめ合って別れた。

前回から、夜は娘を休ませてやるために、孫は別の部屋で私と2人で寝るようにしているが、昨夜は困った。11時に寝た孫は、今朝4時半に夜泣き(朝泣き?)して、5時半起床の夫を待ちわびてバトンタッチ!

我が夫は、孫が男の子だからなのか可愛くてしかたがないのだ。
男の子のように元気いっぱいでヤンチャだった真智子のことを、「まっくん」と呼んだりしていたのもそこからきている。


夫は朝食を摂りながら、ハイチェアーに座る孫にヨーグルトとバナナを食べさせていた。
その後、椅子に座ったまま急に寝てしまった孫を2階まで運んでくれた。寝顔をしみじみと見ている夫の顔を見て、心が熱くなった。

「もう、こんな時間かいな」と、今日もまた定刻6時半に自動車をスタートさせて、それぞれの一日を始めたのだった。

一昨日、私がお風呂に入れた時、初めて泣かずに入ってくれた。
昨夜のお風呂も孫の笑い声が聞こえていたので、ちょっと拝見!

ピーと 2008,4.24.jpg

夫も泣かれなかったので嬉しそうだった。
そして、お風呂上がりの良輔&幸悠。
我が夫は常々若く見られるが、やっぱり年は年、それでいい。 

お風呂上り.jpg

0歳児のユキちゃんは一日中いい匂いがするが、いつかやっぱりオヤジ臭になるのだろうか。あんなに綺麗な顔にヒゲが生えてくるなんてかわいそうと、いつもいつも思ってしまう。


孫は今9か月と2週間、動き回るのでいよいよ目が離せない。
今日はコードを引っぱって、頭の真上に電話が落ちてきた。私は怖くて悲鳴を上げてしまったが、幸いにして、本当にイエスさまのお守りがあった。

ピクピク動いている急所を免れて右前頭部分に当たり、しかも、神の御手が入ってクッションになったに違いない。軽く泣いて、軽く赤くなっただけだった。私は神のお守りがあったと信仰によって受け止めている。

今夜の夕食の一品に筍とわかめの含め煮を作ってやったのに、できたばかりで熱いからと、冷たいものと別にしていたら、持たしてやるのを忘れてしまった。
娘を見送って台所に戻って筍を見つけた時、「ああー!!!」と、これまた大きな声を出してしまった。実に残念だった。

ともちゃん、筍ご飯は美味しくできた?


posted by 優子 at 22:28| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年04月24日

いのち

チューリップ.jpg

南向きのベランダのチューリップは、殆ど花びらを落としてしまった。これは、昨日長女に撮ってもらった玄関前のチューリップだ。既に盛りが過ぎ、昨夜から降っている雨で黄色、紫は前にうなだれてしまった。

チューリップの向こうには、秋に咲くシュウメイギクの葉が日に日に芽を出して、すっかり緑色で埋め尽くされた。チューリップの手前に見えるのはミントの葉っぱだ。どこもここもいのちが吹き出ている。

          「植物のように」

     神さま
     植物は 小さなたった一粒の種子から
     葉が出て 根が張り 茎が太くなり
     たくさんの葉を茂らせて 成長していきます
 
     やがて 成長した植物は
     自分の生命を次の世代に継がせるために
     花を咲かせ 果実を実らせます
     その果実の種子は 新しい生命を宿して
     次の年 同じように葉を出し成長するのです

     植物は 春から夏 そして実りの秋へと
     植物の移り変わりの中で自らを成長させます
     そして成熟すると 花も葉も枯れ 散って
     次の種子のための肥料となっていきます

     人間の生きる歩みも
     どこか それに似ています
     愛らしい幼児の時
     若々しく 元気な時代
     そして 人間として 心も身体も
     豊かに成熟した時代を迎えます

     人生も その年齢に応じた
     それぞれの実りの時を迎え
     さまざまな彩りをみせながら
     いつか枯れ落ちて
     土の中に埋もれていく日が やってくるのでしょう

     枯れ落ちて 埋もれて 次の世代に伝えることを
     喜びとして生きられる 信仰をください

          
          (『癒されない心の祈り』より)

posted by 優子 at 16:50| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年04月23日

お見舞いに上がって1ヵ月後だった

今夜10時50分頃、ようやく帰宅した夫は玄関に入るなり言った。
「Sさん(美濃紙業の運転手さん)が21日に亡くなられた。」
「えっ?Sさんが・・・」
「お見舞いに行って、ちょうど1ヶ月後やった。56歳。・・・会社にも迷惑かけたくないからと、昨日、身内だけでお葬式も終えたそうや」。

信じられないことだった。
毎週一度は夫にSさんのことを聞くのだが、お兄さんは(兄弟で働いて下さっていた)何も言われないからと、面識のない私は祈るしかなかった。

癌が体中に転移しているとお兄さんから伺っていたが、お見舞いに上がった時、そんなに悪いご容態には見えなかった。
 「このあたりが重く、何とも言えない痛みで、経験した者でないとわからない」と、胃のあたりを押さえておられたが・・・。

3月22日、そろそろ失礼しようと立ち上がった時、「社長、今まで
30数年間、ありがとうございました。」
と言われた。このお言葉を最期に、Sさんは本当に逝ってしまわれた。
ベッドに入っていた長女(今日明日と連泊)にも伝えた。
あまりの衝撃で私は眠れそうになくパソコンを開いて書いている。

「生ある時にこそ語らせてください」

     神さま
     死体の底知れぬ冷たさを知った時
     ああこの人は、ほんとうに死んだ
     もう再び言葉をかわし
     心をかよわせたあのあたたかさは
     かえってこないと思いました

     生きている時に
     どうしてあのことこのことを
     話しておかなかったかと思います
     いや、いま死者に対面して
     生きている時に言えなかった
     全てのことを語ることができます

     憎しみとうらみに苦しんだ日々
     ゆるしと愛に感動した日
     なぜもっと、本当のことを
     何でも話せなかったかと悔いています

     死という事実のまえに
     何を語り、何を叫んでも
     すべて「おそかった」という
     むなしさを味わっています

     生きている時に
     どんなに辛く悲しくとも
     語るべきを語り、なすべきをすべきでした

     忙しそうだ、いま病気だから
     老いているからと、さまざまの理由をあげて
     ついに「神さまを信じて生きよう」と 
     すすめませんでした
   
     愛と勇気をもって、いま愛する者に
     共に信じて生きようと語らせてください


         (『祈れない日のために』より)

お渡しした『心からの安心』をSさんが読まれて、平安に死を迎えて下さっていればいいのですが・・・・。神さま、せめて今からでも、ご遺族のために私をお導き下さい。
posted by 優子 at 23:53| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

春の日の雑感

「優子さんも二人の手中の玉を旅立たされ、第二のステージに移られました。これからのときをどう生きるか、とても大切な岐路に立っていると思います。
これまでの活動から軸足を動かして、より神と共に生きることへと移ろうとしておられますこと、大いに励まされております。」
とは、冨美子姉だ。

お若い頃からKGK(キリスト者学生会)の働きを重ねてこられ、教会以外でも多くの学びを重ねてこられた敬愛する姉上から、このように仰って頂いたことは大きな励ましである。

しかし、残りの人生を賢く選び取れたとは言え、早、4月も終わろうとしているのに何も進んでいなくて焦りを感じている。

娘たちのこと、育児をする長女の支えになってやりたいこと、そして、妹のことなど、形としては見えないことだが、今は大切なことがなされているときだから焦る必要はないと思い直すが、日常を振り返ると怠けの言い訳でもある。

健康上の問題も放置できなくなってきたので、近々受診しようと思っているが、医者嫌いなので行くまでにはもう少し時間がかかる。

また、肉体的なことだけではなく、精神寿命というか、記憶力減退もはなはだしい。ブログが書けているから大丈夫だと思っていたが、関心をもって毎日やっている領域に異常が現れるのは最終段階だろう。

記憶力だけではなく理解力低下もひどい。理解力が乏しいから、ますます要約が書けない。一般的な加齢現象ならばいいが、脳内でとんでもないことが起こっているのではと心配だ。

いかん、いかん、春の気持ちのいい朝からこれではいけない。
昨日、MR.Kが掘りたての筍をたくさん届けて下さった。
「キョンが死んだのは2月11日だったね。」と言うと、目を見開いて驚かれた。キョンが死んで2年経ち、キョンがいない生活もようやく慣れてきたと仰った。

キョンが死んだ時、ブログを書き始めて直ぐの頃だった。悲しくて書いた内容は今も映像のように記憶している。「本当に利口な犬だったから『キョン物語』を書いて、祇園荘の伝説として残したい気持ち。最近もキョンの姿を思い浮かべながら歩いていたよ」と話したことだった。

しかし残念だったなあ。もう少し早く頂戴できれば、集会の時に季節の筍ごはんをご馳走できたのにな(^−^)。

「うわぁ、筍も食べられる!」と喜んでいるのは長女。
育児の疲れが限界になり、最近は再び夜泣きもするので婿まで睡眠不足、会議で帰宅が遅くなるなど実家で息抜き条件も整ったので、私の腰痛を気にしながらも今日母子がやってくることになった。
なにしろ引越し1週間後には、ダンボールを全部開封し終わったというのだから、そりゃ疲れるよ。頑張りすぎ!

昨夜、娘たちが来ることを夫に報告すると笑顔を浮かべて、「あっ、明日は帰りが遅いわ」と残念そうに言った。どうやら私以上に喜んでいるようだ。
無言爺さんなのに、孫に首ったけだ。「顔見て泣かれへんかな」ともボソボソと言った。

ユキ坊は、鯉のぼりの風車がクルクル回るのを見て、「アッ!アッ!」と声を出して注目しているという。しかし、この鯉のぼりも返品して買い替えとなった。今度は大阪の松屋町筋(通称、まっちゃまち)へ行くことにした。

さて、チャッピーの散歩が遅くなった。
チャッピー、遅くなってごめんね。今から散歩に行こうね。
posted by 優子 at 08:25| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

第35回 オリーブの会 ―天にある名―

昨日の家庭集会では、始まる直前までそれぞれに出欠メンバーが変化し続けた。
前夜に妹から出席の知らせがあったことは既に書いたが、当日朝、仕事がキャンセルになったからと出席の連絡を下さった方、そして9時半に、初めてご参加予定だった方から病欠の連絡が入った。

風邪のためにお出でになれなくて残念だったが、全て神が良しとされた今日のグッドメンバーなのだと受けとめて、期待して準備を続けた。
押し寿司10本を7分間で作ることができたのは良かったが、そのあとがいけなかった。ご近所の方に声をかけられて、自治会の話で30分間以上も取られてしまい大わらわだった。

さて昨日はルカ伝10章17〜20節から、「天にある名」と題してみことばを深く読み味わった。
その箇所の背景を知るために同章の1節と9節も読んだ。
ここは、イエスが12人の弟子のほかに70人を加えて、「その町の病人を治し、彼らに『神の国があなたがたに近づいた』と言いなさい。」と、ご自分よりも先に2人ずつペアにしてお遣わしになったことが書かれている。

そして、彼らが伝道報告をしているところが17〜20節である。
今回の設問の一部をご紹介したい。括弧内は私の心に残った意見である。

★この70人と同じ力が私たちの教会の中にあれば、どういうことになると思いますか?
(病気を治して欲しいと、病人が教会に多く集まってくるのでは・・・)

★弟子たちが、伝道活動の一部しか報告しなかったのはなぜでしょう。

★人はなぜ、力や権威を持つことを喜ぶのですか?

★この世でのことを喜ぶほうが、天国でのことを喜ぶより易しいのは、なぜですか?

★自分がしたことを喜ぶのと、自分の名前が天にあるのを喜ぶのとは、どう違いますか?

(能動的な喜びと、ただ受けるだけの喜びの違いか・・・・)

★私たちが、天に名前が記されていることを喜ぶようになるためには、何が必要ですか?
(人生の軸足が自分の中にあると、できないことや不甲斐なさに立つと苦しく、神さまに軸足があるということがわかってくると、物の見え方が違ってくる。)

★いつ、どのようにして、人の名前は天に記されますか?

★あなたはどういう時なら、ヘビやサソリ(悪魔、悪の力)を踏みつける勇気がわいてくると思いますか?

★イエスさまの弟子に害を加えるものが何一つないのは、なぜですか?《19節》

★あなたや家族に、何が害を加えると恐れますか?

★イエスさまの弟子のほとんどは殉教したのに、「敵のあらゆる力に打ち勝った」と、どうして言えるのですか?


どの設問でだったか覚えていないが、「悪魔は人間を神から離れるようにいざない、自分の力で生きるようにいざなっていく」と冨美子姉が言われたことが印象的だった。

かつて私は、自分の誠意と知性と努力によって幸いな人生を送ろうとしたが、苦しんだ末に自分の限界と不可能であることを認め、神の前にギブアップした。
その後、心底からイエスの十字架のもとに重荷をおろすことができるようになったのは、救われてから12年後であったとも言える。

イエスとの出会いは人それぞれであるが、長い人生の途上において、その後再び悪魔に根底から乗っ取られてしまい、日本古来の因習や闇の世界など恐れに縛られてしまったクリスチャンもいる。

しかし、ひとたびイエスの十字架によって贖い出された者は、その人が苦境に落ち込んでもイエスご自身が最後まで責任をもって導かれるのだ。
神は悪魔に巣食われてしまった者も、必ずや神の御手に奪回して下さると信じているし、「救いの永遠顕示」のお約束を握って、その方たちのためにとりなしの祈りを積み上げていこう。

「名が天に書き記されている」
とは、永遠に滅びない生命の保証であり、これこそが私たちの喜びであり、喜びでなければならない。
23節には、「あなたがたの見ていることを見る目は幸いです」とある。これこそが人類史上、経験しうる最大の幸福なのだ!

「クリスチャンの生涯は、それが真実なものである限り、如何に不成功であっても勝利の生涯であり、生命の書に(名前を)記された不死の生涯である」。

次回は5月28日(水)に決定した。

このあと皆さんをお送りしてから、妹が後片付けを手伝ってくれた。
なんて懐かしい空気だったろうか。
妹は私が実家に帰った時、いつもいつもこのように母を助けてくれていた。私は見事なほどに若い頃は実家で何もしなかったから。

失われていた年月、それぞれに苦悩していた姉妹に和解の融合をさせようとして下さっている神さま。
焦らず、ゆっくりゆっくり祈りつつ進んでいこう。


posted by 優子 at 18:42| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2008年04月20日

新しいことは常に始まっている

「慰めを得よ。
 汝はすでにわたし(イエス・キリスト)を見出しているのでなけれ ば、わたしを求めはしないのだ」。


学生時代に私が深く慰められたパスカルの言葉である。
後年、イエスと出会い、イエスと共に苦難を越えながら、私はついに魂の満たしを得た。神でしか人間を真に満足させることはできないのだ。

「あなたはどう?満たされている?」
と、メッセージの流れから礼拝中にひとこと夫に聞いてみた。
やはり満たされてはいないと頭を横に振った。
夫は環境や状況を思ってピントはずれのことを言ったのではない。仮に世界一の財と地位が与えられ、最高の妻を得ているとしても人は決して満足することはないからだ。

夫自身が心の満足はないと返してくれて嬉しかった。
大きな前進であるとわかったので嬉しかったのだ。
なぜならば、家路につく自動車の中でその話を続けた時、やはり夫は私が心の満足を得ていることもよくわかっていたからだ。

そして、もうひとつ嬉しいことがあった。
今朝は香芝の教会にも初めてギデオン協会の方々が来られ、夫も快くギデオンの働きに献金を捧げてくれたのだ。


「ギデオン協会」とは、世界のベストセラーである聖書を、ホテル、旅館、病院、刑務所等に配布し、兵士(自衛官)、警察官、学生・生徒、ナース等に贈呈する団体である。

「イエスさまと一緒に生きていこうよ」と言えば、「まだええわ」と拒否している夫だが、ギデオンの働きに心から賛同するのだ。以前ならば素通りするところなのに、明らかに以前とは違っていた。神に感謝した。

午後は自治会の総会へ定刻2時丁度に到着した。
簡単な理屈についても他者に攻撃的に受け答えしたり、神の家族たちとの違いを肌で感じた。
週の初めに神の前に出る生活は神の民に与えられた特権である。そこで魂が養われて新しい週を始める。それぞれの遣わされた社会に出て行き、「地の塩、世の光」としての働きを進めていくのだ。自分自身の生きざまを通して。

今日も左下半身が痛くしびれているので、午後もまた同じ姿勢で2時間座っているのは苦行のように辛かったが、明日は「オリーブの会」である。

節子姉はお孫さんのベビーシッターのため、また、初めて来て下さるはずだった書道家のTさんも急用のために欠席となった。
しかし今朝、思いもかけず妹から「明日行きたい」との電話が入った。神が働いて下さっている。神のご計画がなりますように!

「見よ。わたし(神)は新しい事をなす。
 やがてそれが起こる。
 あなたがたはそれを知らないのか。
 わたしは荒野に道を、
 さばくに川を流れさせる。」
           

             (イザヤ書43章19節)

この「やがて」の語源は、「既に起こっている、芽生え始めている」という意味で使われている。
私たちが希望を失っている時も、神は私たちの目には見えないところで新しい事を始めて下さっているのだから、希望を取り戻したならば、荒野を行く時も何と耐えやすいことだろうか!
打ちひしがれている方々に慰めと力が与えられますように! 
posted by 優子 at 18:19| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2008年04月19日

『ヨブ記』を開くB

3月5日の「『ヨブ記』を開くA」に続けて、『ヨブ記』から学んだ他者の苦しみを正しく聴く聴き方について考えてみたい。
傾聴については、20世紀になって心理学が良き教えを示し、日本でもカウンセリングに注目するようになった。

では、悪い聴き方とはいかなるものだろうか。
共感がない、説教してしまう、根拠のない慰め、訴える、怒る、私の言うことを聴きなさい」という態度をとる・・・など、いろいろある。

自分の問題が自分の中で未解決の時は、すぐに自分のこと、即ち、苦労話を話してしまうものだが、このことはカウンセラーの訓練においても度々指摘されるポイントである。

私自身もイエスさまによって大きく変えられ、質的にも大きく違っているが、最近もまたまだまだだなあと自分の姿に気づかされたものだ。

『ヨブ記』においては、ヨブこそが苦悩の専門家なのに友人は自分の経験を話した。
その揚句に、正しい人にこんな災いが起こるはずがない、だからヨブは悪いことをしたに違いないと言った。これでは、巷に溢れている淫祠(いんし)邪教と同じではないか!


友人はヨブの慰めになるべきだったが、ヨブを責めた。
しかしまた、傾聴するにも長い関わりになってくると忍耐が求められるので、このことを今一度心に留めて訓練されていきたいと思う。

ヨブの友人の神学は「栄光の神学」だった。
別名を「勝利主義的信仰」、「ハレルヤ信仰」と呼ばれるもので、「ハレルヤ、感謝します」ばかりの信仰である。
今、この信仰が増えてきているから注意しなければならないとは、私も20世紀末から聞き知っていたことである。


私は母の死が近くなってきた時、神はついに母の上に正義はなされなかったと絶望し、神に不敬なことをたくさん言っていたが、おかしなことに同時に祈ってもいたのだ。

我々が苦しみの渦中にある時は、苦しみの意味などわからない。
しかし、苦しみがどん底のどん底に達した頃から、神は最善へと導いて下さるという、今から思えば大きく矛盾する正反対の想いも芽吹かせて下さっていたのだ。

そして、深い暗闇を抜けた時、大きな疑問は消えていた。もはや深遠な人生については神と問答したいと思わなくなったなり、神が支配されているのだからと思えるようになった。

今も困難が立ちはだかれば反発する時があるが、神に信頼する賜物を受け取ったので、必ず全てのことを良きに変えて下さることを頭から信じられるようになった。現実を直視して苦しんだおかげであり、これこそ「ハレルヤ、感謝します!」である。

かつて、神に疑問をぶつけ、反発していたが、その時私は神から遠ざかっていたのではなくて、実はより近くに接近していたのだった。
posted by 優子 at 21:07| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年04月18日

神による出会い

さて、信仰者の中には「ハレルヤ信仰」とも呼ばれている「勝利主義的キリスト信仰」者もおられるが、私が教えられ導かれてきたものとは異なる。

生きていく時、そう簡単には越えられない大きな苦闘も多々あり、次から次へと難題が押し寄せてくる。しかし、自分が悲惨な状態の中にあっても、自分の心が頑なになって苦しんでいる時も、神の言葉は変わらないのだ。

「私は負けても大丈夫なんだ。苦しみ悲惨でも大丈夫なんだ。イエスが既に、私を滅びの世界から引き上げておいて下さっているのだ!」と思えるようになってから、実に生きやすくなった。

そうでなければ、このブログだって書けるものではない。
明日の私がいかなることになるかもわからない、ひょっとしたら神の愛さえ分からなくなるほど苦しみに苛まれるかもしれない。そうなれば、「あんなにりっぱなことを書いていたのに、なあんだ」と人は笑うだろう。

しかし、そうなった私をも神は持ち運んで下さると信じているから、安心して感じ考えたままを書き連ねているのだ。
仮に、「神も仏もあるものか!」という気持ちになって絶望の死を遂げようとも、私の人生をイエス・キリストだけは評価して下さるのだ。
人は社会的に貢献し、何か人の役に立つことをすれば評価してくれるかもしれない。しかし、日が経てば変化してしまうような人の評価には立たないし関心もない。
ついでながら、昨秋まで3年間務めた会では、人の評価に立って生きている人が何人もおられ、その方たちとのストレスこそが大きくて、私にとっては新たな社会勉強になったのだ。


苦悩し、もがいている時は辛い。惨めだ。
しかし、それを経験してでなければ、聖書の言葉も自分のものにはならない。まさに " endure " である(「耐え忍ぶ、持ちこたえる」の意味)。

『生かされて』の裕子姉、『希望の風』の喜代子姉、『光の中を歩め』のまこ姉、そして私もまた、その人でなければ書くことのできないイエスとの歩みを書いていく。それぞれが何と個性的だろうか。

教会や家庭集会でも、私がもっともっと期待するのは、一人ひとりが経験している葛藤と恵みを分かち合い、励まし合って、祈り合って、地上の旅路を力強く歩んでいこうよということだ。

posted by 優子 at 09:20| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年04月17日

谷口諭師の告別説教

まこさんだけではなく、谷口師のメッセージに心強くされた方々のために、そして、私自身のためにも、谷口師が残して下さった言葉を続けて刻んでおきたいと思う。

    ・・・・・・・・・・・・・・

「思い煩うな」という言葉を、そのまま受け取ることができて、そのように生きていけるとしたら、もはや人間ではなくなるようなものである。
このような生身の人間が、それとは無関係に、その出来事を越えて、主は「あなたはわたしと一緒にパラダイスに居るんだぞー」と言って下さる。

自分の善行でもっては神の前に立つことのできない人間に語りかけて下さる。悪い事もしてしまうその瞬間瞬間に「パラダイスに居るぞー」と語りかけて下さっている。
クリスチャンらしい善行ができるという形ができることによって救われているのではない。

              ―1995年2月の集会より―

95年と言えば母のところへ週2回通っていた頃のことだ。
その頃の集会は、まさしく私にとってオアシスだった。明日もまた苛酷な現実に向き合わねばならないと思うと逃げ出したくて、谷口家を立ち去りがたい心境だった。

師は98年7月に昇天されたので、今から記す97年9月、10月のメッセージは告別説教になった。

    ・・・・・・・・・・・・・・

イザヤ書35章よりメッセージ。

「荒野(あらの)と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜んで花咲き、・・・」とあります。

苦難の中に在って、どうして楽しめるのでしょうか?
苦難が解決したのではないのです。
苦難(荒野)を突破させて下さる何かがあるのです。それが神の働きであり、神の熱愛なのです。


マザーテレサの生涯こそ主の誉れです。マザーのように神の恵みを証言し続けていくことこそ主の誉れなのです。ここに神の恵みがあります。

(人生の出来事について)いろいろ疑問があり、苦しみや質問があるでしょう。しかし、悩みつつ生涯を終えたとしても主ご自身が証言して下さるのです。

私は人生ここまでと思った時、最終的な拠りどころはこれでありました。

「傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道を示す」。
             (イザヤ書42章3節)

これが神のみこころなのです。
失敗ばかりの皆さんに迷惑をかけるばかりの人生であったこの私を、受け容れて下さるみ旨をお受けした時に、荒野が喜びの地になったことを証言させて頂きます。              
              ―1997年9月の集会より―

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

イザヤ書43章21節〜44章5節よりメッセージ。

21節〜24節は、旧約の背景をもって書かれていますが、本意は真剣に神を求めないという人間の本質をあらわしています。

そのような我々に、「わたしは、あなたの罪を心にとめない。」と言って下さるのが神であり、これが神の本質なのです。

今起こっていることも我々の反省や判断を越えたところの、神の領域において宣言なさって下さっておるのですから、人間がとやかく言わないで受け取るということです。

恐れるというのは、人間の避けることのできないことですから、「恐れるな」というみことばを絶えず握って生きていくことです。

ヤコブは人(兄)を騙し、人を押しのける者でした。我々もヤコブに等しい者です。
しかし、神はヤコブを「エシュルン(ギリシャ語で『愛されている者』)」と呼ばれたのです。
そう呼んで下さったのは、ヤコブの行動が変わったからではなく、神ご自身の方からそのように呼んで下さるのです。「あなたは神の皇太子なんですよ」と。

苦闘の中において、聖霊が教えて下さるのも確かな出来事であります。人生で誰にも荒野があり、必ず苦しみが伴います。
しかし、常に細い声がいつも私達に語りかけて下さっています。

パラダイスはどこかにあるのではなくて、天のどこかそのような空間なり場所があるのではなく、将来あるのでもないのです。神と一緒に居る所がパラダイスなのです。

この世を去って、キリストと共にあることが最高の恵みなのです。最終的な勝利へと導いて下さっています。
              
              ―1997年10月の集会より―

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いま聞け」。今朝心に響いたみことばである。
私もまた、一つひとつのことと真摯に向き合って、内なる促しを頂きながら誠実に果たして生きたいと思う。
最高の恵みを頂ける地上を去る瞬間まで!

posted by 優子 at 12:30| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年04月16日

まこさんから届けられた恵みと妹との恵み

「今の私にとって、昨日と今日の優子さんの記事がどんなに慰めと支えになったか計り知れません。神様からの恵みです。」とお伝え下さったのはまこさんだ。

「私は文香さんのブログからリンクして最初の頃から優子さんのブログを読ませて頂いていました。途中からコメントなしになったのは存じておりました。・・・今までは、読むだけでしたが、昨日はあまりにも感動して、また感謝が溢れて、一言お礼が言いたくて、裕子さんに感銘を受けたことを伝えてほしいとお願いしました 」。

真摯に生きておられるまこさんのお声を頂いて、私もまた恵みから恵みへと溢れる感謝に満たされている。
『生かされて』のコメント欄ではよくお目にかかるお名前であり、日本クリスチャンペンクラブのお仲間でもあるのに、未だ面識のない方だ。

まこさんは『生かされて』の記者・文香さんと同じ教会の方で、昨年12月からブログ『光の中を歩め』を書いておられる。
「始めたばかりの12月にパソコンが壊れて以来、ずっと携帯で更新をしています。」というブログのアドレスは、http://blog.goo.ne.jp/58411319/ だ。是非、お訪ね下さい!

昨日にこの第一報を文香さんから頂いており、今朝はまこさんからも返信を頂戴していたので、直ぐにでも更新したかったところだが、今朝もまた妹から3日連続で電話が入り、30分くらい話してから急きょ、ついに、出かけることになった。

と言うのは、昨夕から長女に「明日行こうって、叔母ちゃんに電話してあげて!」と誘われていたのだが、腰と股関節の痛みに加えて風邪のためにしんどかったこともあってしなかった。

昨日、奈良では午後に23.4度にもなったというのに、私は分厚いウールのカーデガンを着たまま、2時過ぎから電気カーペットを熱くして2時間寝ていたが、夜もまだ明日の体力に自信がなかったのだ。しかし、ようやく今朝は、ほぼ本調子に戻っている。

昨日の電話では、「今から京都へ出かけない?」と誘われたが、今朝の電話では、妹は昨日電話を切ってから仁和寺まで出かけたという。同じ姉妹でも私とは正反対のフットワークの軽さだ。子供の時からそうだった。
妹は4月初め(2日、4日は10分間の滞在)の来訪後もずっと私に大切な話がしたいと言っている。私自身の心も備えられているという促しを感じて、11時40分に生駒駅で再会し娘の新居に向かった。

孫が寝てから2時間あまり、主は静かに語らえる時を下さった。
人生の中でも最もしんどく、最もエネルギーのいる、最も重要な作業の一つである。逃げてはいけない。
一時緊張の走る時もあったが私も明確に語った。
私からはこう見えていた、こう感じていたと、とにかく、情報として提供しておくことが大切だし、お互いに無益に悩むことは愚かである。今は話し合うべき時なのだ。そのためにも正しく事実関係を把握する勇気が必要である。


12日朝のスカイプで次女に助言を求めた時、次女が最初に言ったことは、「ママはヨブの友達と同じことをやっている」と指摘されてハッとしたのだった。「私(次女)は、それを自分へのフィードバックとして受け止めるようにしている」と。

また、「事実認識のくい違いがあるだろうし、相手のやったことを正確に捉えているとは限らない。自分のやっていないことに許すと言われても・・・神様だけが公正に裁くことができるお方だから・・」と言われて、確かにお互いにとって大切なことだと全て素直に心に刻んで臨んだのだった。


長女もまた、祈りつつ、公正な立場で真実にして聡明に、私たち互いの理解を助ける働きをしてくれていた。話し合いは共に祈りで始め、祈りで終えた。
これからも、神のご計画が成るように常に導きを乞いながら焦らずにいこうと思う。

「私たちふたりがこうして一緒に居る所を見たら、お父さんとお母さんが喜ぶと思うわ」と、私がプラットホームへの階段を下りながら言うと、妹は「うん」と頷いた。

私は妹に見送られて電車の窓越しに投げキッスを送った。
妹も返してきた。
私は嬉しくて2度も3度もキスを送った。私は10代に戻っていて、自分の年齢をすっかり忘れていた。妹の目は(^^)のように細くして思いっきり笑っていた。すごく美しい笑顔だった。
「あ・り・が・と・う」と言った妹の唇を読んだ。私も大きく口を動かして言った。「あ・り・が・と・う!」と。

6時過ぎに帰宅し、朝入れたままひと口も飲まずにいたコーヒーを温めなおした。

posted by 優子 at 23:20| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年04月15日

谷口諭師記念会での幸子姉のお証し

いよいよの時が来たと思いました。
そんな時、死の問題について語り合いました。
良くならない病人に死について話すというのは、クリスチャンでないと話すことができない領域です。元気な時はまだ語れますが、確実に時が来たという時にどうでありましょうか。

クリスチャンはよく死について簡単に言いますが、そうではありません。死はそんな簡単なものではありません。
イエス様でさえ、あれだけ悶え、死の問題に取り組まれました。もう死の問題は解決しているはずのイエス様が、カルバリの丘で苦しみの言葉を吐かれました。「なぜわたしが?!」と。


しかし、みたま(御聖霊)の御助けによって、平安のうちにそこを通られました。終えられましたのです。

私達は病気で死にますが、イエス様は病気ではありません。
しかも罪のない方が、その人が死を受け容れられました。そのイエス様の苦しみを少しずつわからせ、味わわせて頂いています。

十字架から降りられることもできましたが、もしそうならば私達の救いも、神の栄光もなかったのです。それができない愛の神様なのです。ですから、私達にも十字架を負う力をきっと与えて下さるということです。

黙示録の21章に真珠の門を通らなければ天国に入ることはできないとあります。真珠貝の涙が真珠を作り上げるのです。
私達も苦難を通って栄光の道を入って行きますが、一番苦しまれたのがイエス様でした。

しかし、苦難が苦難に終わらず栄光の道に入って行くのです。そのことがわかり、周りの人の慰めの者となれますように・・・。

私が22歳、夫が23歳、結婚した1年後に夫は脊椎カリエスになりました。
信仰生活も初めでありましたから、最初はもうひたすら「癒して下さい。癒して下さい」と祈っていました。そして、きっと癒して下さると信じて歩んでいましたが、ある祈りの時、神様が語られました。

「この弱い男性を一生面倒見てくれたら嬉しいな」と、体の弱い息子を持った父親の切ない想いを見せて頂いて・・・イエス様に喜んでもらいたいという思いで介護の任を受けさせて頂こうと思いました。

しかし、私は信仰の勇者ではなかったのです。周囲を見たんです。サタンはそんなものばかり見せるんでしょうね。私の中に悪い思いが走りました。
世の中には、夫の健康のことなど考えたこともない奥さんもあるんだなあと思いました。新婚早々から私の一生は病人の介護やったなあという気持ちになりました。

すると、自分が不憫になり、かわいそうになり、自己憐憫に陥りました。従って、勝利がありません。
幸いなことに、御聖霊の助けがありました。
あれだけ神様と約束したんではなかったのか・・・と。あれほどあなたから、鮮やかに介護の任を拝受しましたのに・・・と赦して頂きました。

心が変わると不思議ですねえ。病床が変わって見えてくるんです。主人の顔がイエス様の顔に見えてきて、イエス様の介護をさせて頂いていると思え、思われました。

この冬、ふたりとも流感(流行性感冒、インフルエンザのこと)に罹りませんでした。神様は何かを意図しておられ、「わたしがおるぞ、ついてるぞ」と示して下さるんですね。

介護をさせられていると思ってやっていたら本当に辛くて辛くて。
良くなる病気の人を介護するのは介護ではありません。良くならない病人を看ていると落ち込むのです。

最期は休んでいたそのままの昇天でした。
傍についていた私にもわかりませんでした。イエス様が音もなく、携え上げられました。

「神様、もう十分病気してきました。あなたもご存知でしょう。弱い体でここまで頑張ってきまして、せめて最期は苦しまないで静かにお願いします。
できることなら、誰も起こさないで私一人そばについて、ふたりだけで終わらせてやって下さい」。


これは私の祈りではないんですね。祈りは聖霊(みたま)が導かれます。みどりごが母のおっぱいをおなかいっぱい吸って、安心して眠るように・・・。

長い闘病の最高のプレゼントだったと感謝しています。
みどりごになって、眠りから上へ上げられました。死も神様からの賜りものですから、悪いはずはありません。

病気で死んだ死は敗北ではありません。その使命が完了したのです。負けた敗北の死ではありません。任期が満了して使命を完了して逝ったのです。凱旋将軍で天に帰りました。
このことがはっきりと私の中に据えられています。

                 
                     (完)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

孫の初節句祝いの「鯉のぼり」についてお考えをお聞きしたくて、昨日谷口先生にお電話した時、私自身の半生を振り返って述懐したのだった。

「私は谷口先生と違って、相変わらず泣き言や愚痴を言うのですが、しかし、神さまはこれまでのことをよくぞ乗り越えさせて下さったと思いますし、泣き言を言いながらも練り鍛えられてきたなあとしみじみ思うのです」と申し上げた。

すると、「優子さん、優子さんは本当に変わりましたよ。
以前の優子さんは神経質そうな感じでしたが、今ではいつも笑顔が絶えなくて本当に変わりましたよ。

優子さんには優子さんにしかできない使命を与えておられ、使命を与えるだけではなく、神様が傍について養い育てて下さっているのだなあと思いますよ。

神様に泣き言や愚痴を言ってもいいんです。・・・
『力は神にあり』、神様から力をもらって乗り越えさせて頂くのです。・・・神の祝福がなければ生きていけないですからね」
と話して下さった。

霊の促しだけではなく、時に応じて谷口先生を通して肉の言葉で励まして下さるイエスさま。
これまでの私は、素晴しいクリスチャンの生きざまと自分の姿を比べて落ち込むことが多かったが、いつしかそのことからも解放されつつあることに気づく。

神は人と比べての相対評価ではなく、どんな時も常に絶対評価をして下さるお方なのだ。そのことはすぐに理解でき、よくわかっていても、幼子の如くにそのまま受けとれるようになるまで、何と何と遠いことだろうか。

「神の祝福がなければ生きていけないですからね」。
私の心に今も深く響いている。
posted by 優子 at 10:44| 引用文 | 更新情報をチェックする

2008年04月14日

キリスト者の勝利 ―谷口諭兄記念会のテープメッセ     ージより―

母が亡くなって2年、父が病床に着いてから1年半頃のこと。
1998年11月3日、谷口諭師が昇天されて4ヵ月後に開かれた記念会(故人を追慕する会)で、かつて諭師が語られたメッセージテープを流された。

先週の記事で谷口師ご夫妻をご紹介させて頂いたので、大体の輪郭はお分かり頂けたと思う。
そこで、テープを拝聴しながらメモ書きしたものがあるので、この機会に文字に刻んでおきたいと思う。この時、2年(以上?)ぶりにお訪ねした谷口家の居間に入り懐かしさで胸が痛くなったことを覚えている。

     ・・・・・・・・・・・・・・・
    
     「キリスト者の勝利」

我々の平安の根拠はどこにあるのか。
それは、キリストの中にあっての平安である。しかし、世の人々は修養や努力で平安をもとうとする。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言って焼け死んでいくが、そのような世の者から与えてくれる平安ではない。神との関係に入れられることが平安である。
「貧しい者は幸いである」
と言うのは、まず貧しいあなたは祝福されているぞーということである。
人間は富むことを良しとするが、経済的なことだけではなく、能力的なことでも全て貧しいあなたが幸いなのだと言っておられる。

人間の生きざまの最高目標は何かと問えば、人格的に豊かになり・・・と答えるだろう。
しかし、イエス様はそうではないのだと。
良きクリスチャンであるということに根拠はない。それによって神の平安が与えられるのではない。

クリスチャン生活を続ければ続けるほど、自分はどうしようもない人間であること、弱い人間であることに気付く。しかし、失望落胆せずして、その時こそ、神の絶対的恩寵が降り注いでいるのだ。

聖書は真っ向からひっくり返される。
聖書を読んでいて、それがわからないのなら、聖書を正しく読めていないと言えるかもしれない。

患難について―
患難の本質は世にあるから、世に在るから患難なのである。
良い例が、エジプトにおけるイスラエル人の苦難は、呻き、わめくほどのひどさだった。

どの時代にも、どうしようもないところの苦しみに苦しんでいる人が何と多いことか。その解決は、この世から救い出される以外に解決は無い。
医学が及ばないところの病気がどんなにあるか。
混迷する世界に国連が介入してもダメ・・・。
全て人間のやることにおいては解決はなく、世から引き出されることによってのみ解決がある。

しかし、苦難がガラリとひっくり返る。
パウロは自分の苦難は、周りにいる人に慰めとなるために苦難が与えられていると言った。そこに人間の個性が出る。
貴重な苦難を通して、この苦難において人格が確立されていく。
世に遣わされた者として、ひっくり返されてしまうので患難も喜びとなる。

我々は罪の支配の中にあり、世に在っては患難からは逃げられない。しかし、患難の考え方がガラリと変わってしまう。

イエスは弱さの極みの姿で十字架につけられた。
強ければ、十字架にはりつけられなかった。弱さのゆえにつけられた。これこそが我々の受けるべき姿だった。

十字架の上では信仰さえなくされたと思えるほどの言葉を吐かれた。絶対的敗北をなさっている。
唾をかけられても、一言も弁明されなかった。
一言も弁明できない人間である我々の身代わりになって下さった。

死の床においてこそ、神の大能が働くんだぞ。
従って、死は大能の働く最上の良きことであり、勝利であり喜びである。弱さこそ誇るということが、生きる最高の目標の根拠である。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

拙いメモなのでご判読頂きたいが、最後に、「世界が世の支配にあって呻いていますが、神の絶対的愛の世界へ引き入れて下さい」と祈られた。

諭師が天に召し上げられて6〜7年後(?)から、放出教会の薮野牧師による谷口家の家庭集会が再開されている。こうして再び、私達も恵みの座へ集わせて頂いていることを、ただただ感謝している。

このテープメッセージのあと、「しかし、私は信仰の勇者ではなかったんです」と語られた幸子姉のお証しを明日お届けしたいと思う。

posted by 優子 at 18:40| 引用文 | 更新情報をチェックする

2008年04月13日

今は恵みの時

睡眠は治療でもあると聞いたことがあるが、金曜日の限界を越えた疲れはほぼ癒された。しかし、その夜から風邪の症状もひどくなり夜には悪寒もしていた。
今日はさほどしんどくないので予定通り、夫と共に娘に頼まれていた荷物を運びがてら長女の新居を訪ねた。

今までよりも5分余り遠方になり、自動車でも1時間かかった。
「ホーホケキョ!」と言うと大喜びする孫、新居では当地と同じように朝は鶯の声で眼が覚めるという。

さて、9か月になったばかりの孫は、家が変わったことに気がついたかどうか、私の一番の関心事を尋ねてみたところ全く気がついていないとのことだった。
お風呂では天井をジーッと見ていたようだが、いつものようにパパさんと楽しく入っていたそうだ。

対面キッチンになったことや、ひと部屋多くなったものの、大体においては間取りがよく似ているからだろうが、「なあーんだ、騙せるんだ」と、私は心の中でソッと笑った。

私たちのもとから巣立った長女が母になり、今や2人が3人の家族になっている。
愛されて、理解されて、認められる健全な家庭の中で育ててやってほしい。親の労したことは、何十年も経ってから実ってくる。何十年も経ってから、その子供の人格に現れてくるに違いない。

「人は誰でも、愛されれば愛を心にもつことができる。そして憎まれ無視されれば、それと同じような気持ちを心に抱いて、いつかそれを行為に移すのである。・・・
人間は、受けていない愛を他の人に注ぐことができない悲しさをもっているからである。」


神様の守りの中で子育てできる心強さ。最高の恵みである。

「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
それで、たいせつなことは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです」。

             
              (第1コリント3章6・7節)

母乳を飲ませ、離乳食を与える・・・、数年間は本当に手がかかり目を放せないが、母子一体となって過ごすのは限られた時間であり、まさに「今は恵みの時」である。
そして親もまた、これから長い時間をかけて親に育てられていくのである。


今日は何一つ手伝うことも無いほど片付いていたが、やりたい仕事は山積みだろうに、私が風邪で不調ということもあり「明日はいいよ」の電話あり。そんなわけで、私の出番は引越し当日だけで終了となった(>_<)。

posted by 優子 at 21:11| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年04月12日

「力は神にあり」 ―谷口先生のお便りから― B

「自分のやってしまったことばかり見ていてはいけない・・・光を見なくてはいけない・・・」
ほんとうに、そうだと思います。私もこのことについて、神様の語りかけをうけました。

半身を送って、将来に不安を覚えた時です。
神様は「後ろをふりむくな」と仰って下さいました。神の言葉に従わないでロトの妻は後ろをふりむいて塩の柱となりました。―創世記19章26節―

神様は不安と寂しさの中にある老女(「おうな」の漢字が無いので代用)をかえりみて下さって、こんこんと語って下さったのです。

「過去の恵みも、すばらしいけれども、しかし、それだけではないぞ。これから先も、もっともっとすばらしい恵みを、お前のために用意しているのだから、それを受けよ」
と。

神様の恵みを私は自分の不信仰や、取り越し苦労で失っていることに気づかされました。
ああ、そうなんだ、この世にありながら、この世のものから根が切られて、永遠をめざして再出発させて頂きました。

大きなこれは神様の恵み以外の何ものでもありません。今は残りの持ち時間が少なくなりました。
今は主の聖前(みまえ)に立つ準備の時として与えられた時です。
丁度、テスト1週間前になると、生徒はすべてのクラブ活動も止めてテスト準備に集中するように。

この身体も、与えられている時間も、お金も、もしタラント(能力)があるならばタラントも、これすべて神様が「その身をもって神の栄光を現しなさい」と言って、お預け下さった大事な預かりものです。

私のものとて、何一つありません。
貴いあずかりものを十字架の血で聖別して頂いて、神様のお喜びになるために用いさせて頂きたい。神様専一の最後のテスト1週間前の人生だと拝受させて頂いています。


いつも家庭集会のためにお祈り下さり、ご参加下さり心より感謝致します。
                    
                          幸子

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

赤ちゃんが母乳を飲んで育っていくように、私達も聖書を読み、信仰者の証しを聴いて育てられていくのである。これらを喜んで読んで下さることを願っている。

さて引越しの昨朝、久々に娘の家を訪ねた。
菜畑駅に着き、9か月前のことを思い出しながら歩いた。孫が生まれる直前の数日間、娘とまで分かり合えぬ苦しさが限界に達し、あの時も危機一髪の崖っぷちから守られたことを決して忘れることはない。
こんな日が来るなんて!

天候まで恵まれて無事に引越しを終えた。
わずか1年半ほどの滞在だったのに、転宅祝いにと孫への玩具を下さった方、また、軽食と飲み物やスイーツを届けて下さったりして心が熱くなった。娘も周囲の方々と良き交わりの中に生かされていたことを感謝した。

私もまた東大阪から引越しする朝、千里さんがパンと飲み物を届けて下さったことを婿にも話した。「人にして頂いたことを忘れないように。その人にお返しできなくても同じようにしてあげるようにね。」と、繰り返し言っていた母の言葉も思い出していた。結局は、そのようにできる人が最も幸せなのだ。

8時15分過ぎに引越し屋さんが来て下さり、新居に運び終わったのは1時半頃だった。その後、電気屋さんやガス屋さんが来られ、大きな警報音を鳴らしても起きないほど孫は熟睡していたので、娘と共に2時間ほど荷解きにかかった。

娘は思っていた以上に片付いたと大喜び。
そんなわけで、今日は私も休養することになった。娘は何度も何度も私の腰を気遣いながら、何度も何度も感謝してくれた。
婿は旧居の立会いのあと、役所の多々ある手続きも全てを終えて帰って来た。いい夫婦だ。もう、婿に対しても心配はしていない。

私は腰も体中痛くクタクタになって7時に帰宅、9時過ぎにはベッドに入った。明日は夫も一緒に手伝いに行ってやりたいと思う。
posted by 優子 at 10:03| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年04月11日

「力は神にあり」 ―谷口先生のお便りから― A

今も厚い雲が立ち込めているとは言え、既に雨は上がり午後からは晴れ間も広がるとのこと、大阪では12.3度と暖かい朝である。感謝。
私の体調が少々心配、今朝から喉が少し痛い。
夫は5時半頃、滋賀県へゴルフのために出発した。毎度のことながら、夫は今日のことも何も言葉をかけないで行ってしまう。(>_<)。

では昨日予告させて頂いた、谷口先生のお手紙を通して神様のメッセージをお分かちしたい。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

「一度しかないチャンスを失敗してしまったことを認めることは勇気がいる・・」
読ませて頂いて、私の人生は失敗の連続であった。しかも同じ失敗をまたもくり返して来た者です。

何一つまともに出来ない、する事、なす事、すべて中途半端な人間を、神様はなおも見棄て給わず、赦し抜いて下さり、愛し続けて下さった神様に頭を垂れて、よくぞ赦し続けて下さいましたと、感謝がこみあげてくるのです。

私は信仰の初めに、重近牧師(放出教会・小山牧師の前任者)が「人は神様が一人一人、その人でなければならない使命を与えて、この地上に生まれしめ給うたのです」と教えられ、それでは、私の使命は何でしょうかと、幼稚な祈りだったと思いますが私なりに真剣に祈りました。

すると、「汝の若き日に、その創造主を覚えよ」という聖言がひびいてきて、その瞬間「ああ、私の使命は学校にあるんだ」と直感させられました。

そして、導かれて正雀(阪急沿線)にある薫英学園高校に遣わされました。私は単に就職したというのではなく、神様に遣わされたのだと認識させて頂きました。

そこでバイブルクラスを創立させて下さり、女子高生に聖書の学びをさせて頂きました。
その責任の重い故に祈らされ、誰よりも私がいちばん恵まれました。

バイブルクラスの中から近くの教会で洗礼を受けた生徒も神様がおこして下さいました。中に牧師夫人になって伝道の一戦でがんばっている人がありました。(後日、塩屋聖会でばったりと神様が出会わせて下さいまして、神様が育てて下さったのだと、どんなに感謝したかわかりません。)

また、信仰熱心な生徒で洗礼も受けた生徒が脳腫瘍になって、阪大で脳の大手術を受けましたが、眼が見えなくなって点字を習って聖書を読んでいましたが、ぐち一つも言わず、お母さん、お父さん、妹さんを信仰に導いて、輝いて神のもとに早く帰りました。

私はその子が(北田貞子という子です)天国から見守ってくれていて、「谷口先生、しっかりがんばって下さい」と、精いっぱい声援してくれているようで、天国で再会した時に、北田さんを失望させてはいけないという励みが私に力を添えてくれているのです。

私は私なりに神様から与えられた私の信仰のはせ場で、走りぬかせて頂きたいのです。この事は、神様の私に対する特例の御愛だと拝受させて頂いておるのです。

それ程、神様の特別の御愛をうけながらも、私は何一つまともに出来ない、失敗だらけの人生でした。
教師としても、どれだけ誠実に生徒に接してきたか。どれだけ一人一人の生徒を愛したか。生徒の置かれた困難性を理解し得たろうか。何にもわかっていないんだなあー、悪い教師だったなあ、申し分けないことをしてきたなあと思うのです。

また妻としても、諭さんだったからこそ、喜んでくれたのだと思います。
半身は実によく出来た人でした。神様が長い長い病の中で練りきたえられた神の傑作でした。健康な人が頂けない格別な恵みを受けた人でした。

又母親としても、母親らしいことは何一つしてやれず、悪かったなあーと正直、思うのです。教師としてもだめ、妻としても悪妻、母親としても、親と呼ばれる資格もない、失格者ですのに、神様は、すべて、赦して下さって、ありのままの私を、そのまま受けいれて下さって、「愛するわが子よ。我が愛におれ」と、神様のこのご寛容と一方的な御愛の故に、今あることが出来るのだと思うと、感謝にむせび涙がとまりません。すべて赦された一生でした。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

今年82歳を重ねておられる幸子姉もまた神の傑作である。
明日の記事では、お手紙の最後に書かれている現在のほとばしる信仰をお届けしたいと思う。
posted by 優子 at 05:48| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年04月10日

長女一家の引越し、あした天気になあれ!

6日の夕方から来ていた長女と孫は今日のお昼過ぎに帰宅した。
娘は今も鼻声だが、漢方薬(授乳中なので風邪薬は飲めない)が効いてしんどくないようだ。心配していた孫も元気になり、神のお守りと祈って下さった方々に感謝している。

「モタモタしてごらん」と言えばもたれてくる我が子に感激する長女。昨夜は夫(おじいちゃん)の胸で眠った孫。すごく嬉しそうな夫だった(^−^)。

「ダメ!」と言えば泣いていたに、昨日から目を逸らして知らんふりをするようになった。日に日に知恵がついていく子供の成長に感動しきり。私なら絶対に育児日記に書くだろう。

私たち夫婦と娘との親子関係が一気に完全に修復されて以来、娘の夫婦関係も正しくされて、お互いの理解を深め合う良き日々を過ごしている。
「ユキちゃんが本当によく笑うようになった」と、娘は会うたびに言っている。

確かに、0歳児の赤ん坊でも目の表情が本当に違うのだ。「本当に優しい目になったなあ」と夫も何度も話題にするほどだ。
決して成長期だからというだけではない。それほどに周囲の大人の心の通い合いが大切なのだ。特に親の心の平安が!

さて、孫が滞在中はいつものように今日もお昼頃にようやく初めてパソコンを開いた。その時に真智子から声をかけられた。元気にしているようで嬉しい。

パーテーに鶏肉の日本式唐揚げを作っていくと、すごい人気であっという間になくなってしまったらしい。50〜60は作っていったというから、作るのにも胸焼けしただろうけれどやり甲斐があったというものだ。

今日の短いチャットで、ここ連日ご紹介している谷口姉のお証しを読んで、「感想を言葉にできないけれど力づけられたし、人生がとても尊く思えた」と書いてくれていた。

とても嬉しかった。紹介し甲斐がある。
若い時から人生の尊さに気付かされて生かされていくなんて、母である私は何と言う喜びだろうか。世代ごとに満たされていく気持ちだ。


明日の記事は4月2日の続きに戻りたい。
これは真智子の言葉を受けて書いて下さったものである。真智子だけではなく、多くの方々に神のメッセージが届きますようにと祈りつつ、今夜のうちにアップする準備をしておこうと思う。

明日は娘たちの引越しだ。
今朝まで降っていた雨は一時止んでいたが、午後2時半頃からまた振り出した。
新居は近鉄王子線の一駅ぶん会社に近くなったので、東大阪まで地下鉄で15分ほど乗るだけだ。今回も通勤に便利で空気のいい所というのを最優先して決めたので、実家までは変わらない。

明日はゴルフの夫と共に、私も早朝5時起きで一日が始まる。
あした天気になあれ!


追記:
ついでながら今夕7時前に、「問題の原因と思われる点についての修正を行い作業が完了いたしました」と、カスタマーサポートから届いたメールの通り、「DNSエラー」は漸く解決、確かに直っていた(^−^)。ありがとう!

 

posted by 優子 at 17:49| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年04月09日

谷口幸子姉のお証し ―歌集『生きてふたたび』より― B

以下は林善衛氏による「序」から抜粋させて頂いたものである。
3回に分けてではなく一気にお読み頂こうと思う。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この歌集には旅の歌が多い。殆どが旅の歌と言ってよいかも知れない。しかしただの物見遊山の旅ではなかった。・・・


この命死なしてならじ夜もすがらイエスよと呼びつつ足さすりいき

昨夜よりうずく痛みの消えぬまま一日堪えつつ教壇に立つ

春来れば教壇を去る身と思う睦月如月凛とわがあれ

病みつつもない生かされし命とも婚四十年をアルプスに寿ぐ

あずかれる宝と思え七人の澄める瞳につつがあらすな

まき上がりきのこ雲なすナイヤガラに時はも久し曙(あけ)の水煙



著者は教職にあって夫を助けながら、なお母として妻として一男二女の成長から独立まで、さまざまの重圧をはねつけて責任を果たされた。

その原動力はキリストを主と仰ぐ、深い信仰と崇高な信念のもたらしたものであることは言うまでもない。
私は毎年行われる「かぐのみ」の大会や吟行会に親しくお目にかかっているが、本人の病気はもとより、不治の夫を看病中のその人とはとても思えない明るさが、不思議でならなかった。

お2人とも全身全霊を捧げられての神意による、絶大なみ恵みのあらわれだったのだろうか。今にして病床でキリストに出会ったという告白も、私にはうなずけるのである。


若きシャツ夫に着せつる撮影の旅三たび目のスイス機に乗る

癌汝と同行の旅ぞ急(せ)かば共に倒るるさだめゆるり歩まな

腰折られされど生くべし立山に身を震わせて這松しげる

夜半目覚めごくごく寧楽の水うましメス入れし喉しきりに呼べば

癒されて仰ぐアイガーこの宿に生きてふたたび花の苗挿す

童の如く身を投げ出して寄る夫にキリストの面輪顕つ束の間を



あげるときりがないが、こうした歌にもその真実の信仰の一端が出ていると思う。生ある限り病みながら国内はおろか、海外旅行をスイス、フランスなど4回も数えたと言うのもおどろく外ないが、これも選ばれた神の限りない恩寵によるものだろう。その上でご主人を見送られた至福の旅だったと言わねばならない。


木枯しの荒ぶかわたれゆめうつつ生きねばならぬ我は待たるる

あずかりもの神に返すと心一つ定まるまでの我がゲッセマネ

同病の翁にたまわる桃二つ残して夫昇天したり

この人とともに歩かんと決めし日の怖れあらざりし我はも天女


歌集の終に近く、このように夫への挽歌に占められて行くのも、この一巻が敬虔な神の使徒として、たとえ幽明境を異にしても、なお生きてふたたび夫と共に旅をという、作者の熱い祈りが込められているからであって、本書が故人に捧げる何よりの餞となったのではないだろうか。・・・

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

まさしく神の栄光を現されたご生涯であり、夫人の幸子姉のお働きは衰えるどころか、ますます勢いを増している。滅び行く魂のために、また、救われた者たちのためにも祈り続けておられる。私たち家族も愛の交わりの中に置いて下さっていることを神に感謝している。





posted by 優子 at 17:02| 引用文 | 更新情報をチェックする

2008年04月08日

谷口幸子姉のお証し ―歌集『生きてふたたび』より― A

最期は七夕の宵でした。
いつもの通りに夕食をぜんぶ食べ終わって、食後の薬も呑み、入れ歯も洗って、いつものように仮眠に入ったままの静かな、静かな召天でした。

あたかもみどり子が、母さんのお乳をいっぱい吸って、満腹して深い眠りに入っていくその通りの絵にかいたような召天でした。ふわっと音もなくイエス様のもとへ昇って行きました。

今日まで神様から、数え切れないほどたくさんの愛を受けてきましたが、こんな見事な最期、こんなにも静かで穏やかで美しい最期を賜ったことは、永年の闘病に対する神様からの最高のプレゼントだったと思っています。

「はるかに仰ぎ見る輝きのみ国」をどうして否定することができましょう。
思えば夫の75年の人生は、まことに不思議な人生でした。わずか2年の社会人でしたが、神様はビジネスマンとして否応なしに被るであろう社会悪から、彼を保護するために、あえて病床に隔離されたとしか考えられません。
ご自分の傍近く侍らせて日夜親密な交誼に入らしめんための病床であったとしか思われません。

げに神の傑作なりき病む床も恩寵にもえし君がひと世の

この歌で歌集をしめさせていただきましたのも、神様が関与したもうた人生、まさしく神様の傑作であったとしか言いようがないと思うからです。私もこんな最期をたまわりたいと願わされることしきりです。

今、しばらく私はこちらに残りましょう。
また会う日まで、あちらとこちら、天と地と相呼応しつつ、ともに勝利のかちうたうたう日まで、人生を深めつつ、感性をみがきつつ自分なりに命の賛歌をうたっていきたいと願っております。・・・

    平成11年3月             
                   谷口 幸子

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次に「序」を転載させて頂きたい。ここにこそ、ご夫妻の旅路と幸子姉の信仰生涯が端的に示されているからだ。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日記:
明日から3回に分けての記事になる間に、11日には知子夫婦の引越しがある。引越しと言っても実家である当地に近くなるわけではなく、通勤時間が少し短くなる程度の近距離引越しだ。
その日は、雨模様という予報も気の毒だが、それ以上に娘夫婦の体調が心配になってきている。実は今、娘母子がこちらに滞在している。

6日の夕方に娘から電話が入り、急きょ娘と孫がこちらへ来た。
不定愁訴を抱えながらの娘は、今も3時間ほどしか熟睡できないのに土・日も早朝5時過ぎから引越しの準備に終日頑張ったのだが、婿は日曜日から風邪でダウンした。

夫の食べ物も万全に準備できていることもあって、お互いのために実家へ帰るほうがいいと風邪菌から遠ざかってきた。翌月曜日、婿は欠勤するほど最悪な状態だった。

知子も目の下にクマができていたが回復しつつあり、今日は簡易型のベビーバギーを買ってやり、私をカットにも連れて行ってくれるなど孫と3人で3時間の外出をした。

ところが、娘の風邪の症状が時間の経過と共にひどくなってきて大変!孫も少々心配な状況だ。そんなこともあって娘夫婦で話し合った結果、娘の帰宅は引越しの前日になった。

さてさて私も頑張りどき、こんなことに手助けできるとは幸せなこと、感謝して頑張ろうと思う。シンドイけれど・・・(^−^)。


posted by 優子 at 22:26| 引用文 | 更新情報をチェックする

2008年04月07日

谷口幸子姉のお証し ―歌集『生きてふたたび』より― @

ここに改めて谷口先生ご夫妻をご紹介したい。
長年、短歌を親しまれてこられた谷口姉は、御半身が召された翌年に『生きてふたたび 谷口幸子歌集』を刊行された。そこには500余首と共に、諭兄の遺稿「盛大な晩餐会」と幸子姉の「あとがき」が収められている。
最初に、「あとがき」より抜粋して谷口幸子姉のお証しをご紹介したいと思う。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

平成10年(1998年)7月、夫諭が地上の使命を完了して召天いたしました。
昭和24年に結婚し、1年後に戦争の後遺症のため、脊椎カリエスで療養する身となりました。

入退院をくり返しつつ、13回に及ぶ手術を受けましたが、完治はしませんでした。しかしそれはそれなりに落ち着いていたのですが、手術時の輸血がもとで、30年後頃からC型肝炎が発症してきました。
肝硬変から肝臓癌、肝不全へとだんだん悪化していく過程を見守りながら、召天までの通算48年間に及ぶ長い闘病生活でした。・・・

少子型高齢社会となって、介護が大きな社会問題となりました今日、はからずも40数年間、病夫の介護と、育児と、教師と、家事の狭間にあえぎつつも、大きな力に支えられて生かされてきた一手弱手の生きざまそのものです。・・・

夫は社会的には何の仕事もしませんでした。病床が彼の人生でした。しかし神様が病との同行の人生へと誘導されましたので、一言の不平や不満や愚痴もこぼさずに、いつも明るく、穏やかで、他人に病を感じさせない療養でした。

そればかりか未だ自分に残されている健康を感謝して、神の創造された大自然の美しさをカメラにおさめたいとの思いをあつくして、スイスへは4回も出かけました。
カナダのナイヤガラの滝ではカメラにおさめきれないと感嘆したり、アメリカのグランドキャニオンの砂漠の凄さに驚かせていただきました。限られた命を惜しみなく自分の力以上を生かしていただいたと深く感謝しています。

「これ等のものは、誰が創造せしやを思え」、アルプスを仰ぎつつ、神の呼びかけをきいて、二人の癌患者(幸子姉もこの5年ほど前に甲状腺癌の手術をされている)が限られた命を見つめつつ、神に出会うために旅に引き出されたように思います。
童児の如く驚嘆してシャッターを押す夫の傍らで、私もまた美しい言葉をさがし求めて歩いた旅でした。・・・

彼は病床でイエスキリストに出会い、貪るように聖書を読みました。キリストの十字架の血によって罪ゆるされ、霊の救いと平安を与えられました。病に負けない、環境に打ち勝つ力をキリストから注入されて、彼の病床は輝きました。さいわいにも病床で学んだ神の愛を語る場が与えられ、その遺稿の一篇をテープより掲載させていただきました。・・・

最後の入院では二人は「死」についてゆっくり語り合う時が与えられました。信仰者といえども「死」はそう簡単なものではないこと、イエス様でさえゲッセマネの園で、苦しみもだえ血の汗を流して「死」ととりくまれたこと。

ご聖霊の助けによってそこをのりこえて、カルバリーへと進まれたがそこでも「わが神、わが神、なんぞ我を見捨てたまいし」と苦悩の言葉を吐かれ、最期は「父よ、わが霊をみ手にゆだぬ。」と平安に生涯を終わられたことなど枕辺で語り合いました。

愛する独り子に、十字架の道を歩ませた神の愛は、私達にも十字架を負うて生きる力を必ず与えて下さるのだから、心配はいらないと語ってくれました。
自分のことよりも、残される者に対する配慮でした。思えば、病床は二人にとって珠玉の時であったと深い感謝がわいてきます。

               ―つづく―

posted by 優子 at 11:30| 引用文 | 更新情報をチェックする

2008年04月05日

桜の神秘に主の御名を讃美する

桜が満開になった。
今日は絶好のお花見日和だから歩きに行こうと夫が誘ってくれたが、最近は腰の痛みだけではなく、股関節に釘を差し込まれたような強い痛みが常にあるので無理だ。

このシーズンは毎朝チャッピーと歩くコースが決まっている。
桜で囲まれた旗尾池周辺は見事である。2日には妹を案内してチャッピーと3人(?)で歩いた。

夫や妹と歩くのもいいが独りもいいものだ。
私はいつの頃から桜の美しさだけではなく、それを創られた神を想いつつ桜を愛でるようになったのだろうか。この見事さ、美しさが骨身にしみる。それは、私自身の存在の意味が明らかにされたからだろう。


己の存在の意味がわからない時は美しさだけを感じていた。
人生の目的も意味もわからない時は、人間の根源的な不安や虚無を感じた。それらさえ感じない人がいるならば、その人は未だ自我の目覚めがないということであり幼子のままなのだ。

美しい自然から安らぎを感じるだけならば、その人は苦しみや矛盾を感じていないのか、自分の気持ちを偽っているのかもしれない。
ただ自然が大好きで外側に目を向けているだけでは人生は深められないし、いつしか矛盾(悩みや問題)に対しても無感覚になってしまうであろう。


一方では不安や恐れに苛(さいな)まれている人もいる。このことが人間たる証しであるから、そのような人こそ自己の存在の意味を問うてほしい。
「存在の根拠」(Ground of Being)、内側の深みに目を注いでいくのだ。澄んだ目、素直な心になって目を向けるのだ。

満開の桜の下に立ち、私は自然に使徒信条を口ずさんでいた。

「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。・・・
我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の命を信ず。アーメン。」


「年々歳々花は同じなれど 歳々年々人は同じにあらず」。
より深く桜の神秘を感じる春である。


posted by 優子 at 10:33| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年04月04日

PCアクシデントにスパークされた魂

「ブログを拝見したところ、僕への質問があってびっくりしました(^^)」とは太志君。早速色々と考えてくれた次女の婿からアドバイスメールが届いた。

私の心配事に対しては、「電話で説明を受けながら、リモートサポートをする準備をされたと思いますが、それをした時だけ、外からそのパソコンに接続できる、ということのようです。」
と読んで安心した、ありがとう。

そう言えば、一度繋がった接続を切ってしまって再度入力した時に数字が違っていた。
また、MSNの復旧については、「MSNを再インストールしたらいいかもしれない、と真智と話しておりました」とのことだが、メッセンジャーからも今日同じ回答を頂いた。

「・・・最新の Cookie を参照していない状態となりますので、エラーが表示されることがございます。
お客様には、お手間をおかけすることとなり、誠に申し訳ございませんが、MSN JapanトップページのURL をお気に入りにご登録いただき、[Hotmail] 項目より、サインインを行っていただけますと幸いです」。


これならば簡単に私にもできた。

今まで「ツール」など触ったこともないし、「タグ」も何もかも初めてのことだった。難しくて本当に疲れたけれど、困難にぶち当たってまた新しいことを知ることができて感動している。

人生も同じだ。 
何事も失敗しない限りコツはつかめない。
何事もうまくいき、良いことばかり、良い日ばかりでは進歩もなければ喜びもない。


「失敗と見ゆるところに成功が始まる
何故か?
人に失望して、いやおうなく神のもとに追い込まれ、神に望みを置かしめられた。悲哀に徹して、自分に潜在的な力の湧き出ずるを知った。・・・失敗してみなければ信仰などわからない。信仰は生きることだ。・・・人生は生きてこそ意味が出てくる」。


とは、私が何度も開く手島郁郎の言葉だ。
ブログで手島郁郎の名前を書くのは初めてである。私にとって出し惜しみしたくなるほどの存在なのだ。


ストレスフルなPCアクシデントにおいても霊の火花を散らしてしまったが、MSNからも3名の方々(部署)から親切なメールが届いている。しかもビックリしたのは、私のエラー内容についてアメリカまで調べに出して下さっているというのだ。

「お客様からお知らせいただきました状況より、特定のアカウントのみの問題の可能性があると判断させていただき、現在米国の担当部署にて総力をあげ、問題の調査を開始させていただきました。
 
担当部署にて、新しい情報や問題改善の方法が判明し次第、早急にご連絡を差し上げたく存じます」


だなんて、「そんなたいそうなエラーだったのか」と、わけのわからない者の質問ではなかったのだと嬉しい驚きだった。

あらゆる分野のプロがおり、それぞれの賜物を磨きながら互いに享受し合って、より良き社会、時代、己の人生を築き上げていく。
何という感動!!!!!!!
パソコン故障で頭を痛めたがゆえに霊の火花が散った。本気になって取り組めば必ず感動がある。


太志君、真智、MSNの方々に感謝!

posted by 優子 at 18:22| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年04月03日

私もPCアクシデント

昨日の最低気温は1.4度、明日も2度だというから真冬並みの寒さだ。昼間の気温は16〜17度に上がるのだが、そんなに暖かくはない。特に今日は風も強く花冷えのお葬式だった。

2日間のお役目を終えてホッとしたい午後だったが、一息ついた2時頃から夕刻6時15分までパソコン集中講座が始まるなんて思いもしなかった。

私は"msn"を使っており、起動すれば自動的にmsnのメール画面が出るように次女が設定してくれている。
ところが、封筒の絵をクリックすると数日前から、こんなものが出る。

Service Unavailable - DNS failure
The server is temporarily unable to service your request. Please try again later.
Reference #・・・・・(数字)・・・・


何度トライしてもダメ、何を参考にせよと言っているのかもわからない。
それで、お気に入りに入れている" Windows Live Hotmail "をクリックするのだが、以下のものが出てくるばかり。

Cookie を有効にしてください。

Windows Live Hotmail を使用するには、お使いのブラウザの Cookie を有効にする必要があります。下記の手順では、Windows Live サイトの Cookie だけが有効になります。他のサイトには、以前と同じプライバシー保護のレベルが適用されます。
Internet Explorer 6 以上の場合:

[ツール] メニューの [インターネット オプション] をクリックします。
[プライバシー] タブをクリックし、[サイト] をクリックします。
[Web サイトのアドレス] の下に [www.live.com] を追加し、[許可] ボタンをクリックします。
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「クッキー(Cookie)」の意味すらわからないがアタックするしかない。ところが、いろいろ触っていたらインターネット自体が不能になってしまった。もうやだ〜(悲しい顔)

夫に電話して次女夫婦に助けのメールを打ってもらっておうと思った。私はフリーメールだし、困った時にはヘルプを頼もうと思ってパスワードを伝えてあるので、アメリカから何とかしてもらえるだろうと思ったのだ。
3時過ぎでは夫はまだ外出しているかもしれない、夕方に電話しようと疲れた体を横たえた。

しかし、このパソコンの故障ならばどうしようもないと、すぐに体を起こしてメーカーのサポートセンターに電話した。

さあ、それからが大変だった。
丁寧に忍耐強く説明して下さるのを感謝しながらも一心不乱だった。
1時間あまりして、セキュリティのノートンかヤフーのモデムに原因があるとまで突き止めて下さった。

次にヤフーへ電話した。
モデムの電源のアダプターをコンセントから抜いて、向こうから発信してもらっても繋がる。ということはモデムは正常とのこと。しかも、どういうわけかインターネットは回復した。これさえ戻れば不満はないくらい嬉しくホッとした。
私が触っている時に入れたらしい2箇所のチェックを取り外したからだと思うのだが、それならばそう言われたはずだ。説明を聞いたところでわからないだろうが、復旧した理由を知りたい。

しかし、相変わらず"DNS"や「クッキー」云々が出ている。
これで今朝までの振り出しに戻ったわけだが、この段階で既に2時間半以上経過していた。


「クッキー」の手順通りさえ最後までできないので導きをお願いしたが、PCの機種によって違うためメーカーに依頼せよと言われ、もう限界だったが乗りかかった船だ、日を改めてするのも煩わしい。
そこで、再びメーカーに電話して、先ほどの方につないでもらって再チャレンジとなった。

要は「メッセンジャーに入り込めない」というところまで進んだ。
msnの情報は持っていないのでと、「リモート接続」して下さった。これには驚いた。サポーターの方も私と同じ画面を見ての説明になったのだから!
「ここに・・・がありますので」と板書するように、説明しながらそのところを線や丸を書かれるのだ。
すごい時代になったものだと驚くのだが、今頃この程度で驚くことに驚かれるほどハイテク時代になっているということは認識している。
とにかく著しい遅れをとりながらも、私は亀の歩みでハイテク時代を生きているのである(笑)。


最後にメーカーのサポーターさんは、違う方法でメールの画面に辿り着く方法を教えて下さった。インターネットの「e」をクリックして、「msn」のHPを開いて・・・の方法で。


私にはこれでさえ完結と言えるほど感謝感激である。
しかし、この人は私のメールを読めるし、書くこともできるのではと夕食時に気がついたのだが、心配ないやろね?!
(これは太志君にお尋ねしているのですが・・・・、もはやメールを書く元気もなくて)。

とにかくメッセンジャーのサポートセンターにだけは問い合わせをメールしておいたのだが、体だけではなく脳もクタクタになってしまった。

そうでなくても昨日今日のことについては、体力を回復した明日に書くつもりでいたが、『生かされて』を拝見すると同様にアクシデント中であることを知り、私も書いてしまった。
幸い、私の場合はメール送受信回復したのでご安心を!
posted by 優子 at 22:27| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年04月02日

「力は神にあり」 ―谷口先生のお便りから― @

先週末、敬愛する谷口先生にお手紙を書いた。
具体的なお導きとお祈りをお願いするために、時に応じて手紙や電話でお導きを頂いている。いつものようにすぐに昨日お返事が届いた。

両親亡きあとも、私たち家族のことだけではなく、妹のことも兄のことも毎朝祈って下さっている。
このお言葉は次女たちへの励ましだけに終わらず、多くの方々にも神さまからのメッセージになるだろう。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・

異国の地で、家族と離れて二人で新しい生活を始められました。そこには想像以上に多くの困難があることを思わされました。

しかし、二人が毎夜聖書を開いて、神様の聖旨(みむね)を聴いて、神様に従って生きておられることを知り、心の奥深く感動させられました。

これぞまさしく神様だ。
神様が二人と共にいて下さるから、これから先も、どんなことがあろうとも大丈夫だと、神様に感謝申しましたよ。


「世に勝つ勝利は我等の信仰なり。世に勝つ者は誰ぞ、イエスを神の子と信ずる者にあらずや」

クリスチャンの生涯は、その道程で、たとえどのようなことがありましょうとも、他から見たら、敗北のようであっても、勝利の人生です。
困難がこないようにではなく、どんな困難にも打ち勝つ力を神様がキリストを通して、私達に下さるのです。

「力は神にあり」の聖言(みことば)の通り、私も60年近い信仰生活で、どれだけ神様の力を頂いて、自分の力以上の神様の力を体験させて頂きましたか。

人類最後の困難は死です。
その死すら、イエス・キリストは打ち破って復活して下さいました。その如く、私達も、死んでも死なない命、焼いても焼けない命を、イエス・キリストの十字架と復活によって神様から頂戴していることは、何とすごい力でしょうか。
この私が死んで焼いても、栄光の体に復活するのですから。

     (略)

・・・とのこと。真智子さんにご聖霊様が確実に導いて下さっていることを見せて頂いて、信仰の成長ぶりに感動しました。

今後太志さんにも、真智子さんにも予測できない困難が待っているかもわかりませんが、しかし、大丈夫です。
神様の御愛はぜったいに変わりませんから。

そんな時に大事なことは、お互いに赦しあうことです。
こんな私でさえも、神様はイエス様の十字架の血で免じてゆるして下さったのですからね。

                  
                       (つづく)
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

雄々しく前進している人たちには力を、我が子のことを悩み心配している人には慰めと励ましを、いや、手ごたえある確実な人生を求める全ての人々に大いなる道しるべになるだろう。

さあ、私も今日のわざを始めよう。
祈り、神の愛を頂いて、神の助けを信じて妹を迎えよう。
インマヌエル(God is with us.)。
あなたの上にも神の豊かな祝福を祈りつつ・・・
posted by 優子 at 07:46| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年04月01日

第35回 聖書の集い「オリーブの会」ご案内

次回「オリーブの会」は、4月21日(月)に決まりました。
時間は11時15分からです。


この会は聖書を読んだことのない方を対象に、それぞれの人生経験を通して感じたことを自由に語り合いながら、聖書を読み進めていく「聖書の集い」です。

自分自身の歩みを振り返りながら、また、皆さんのお話をお聴きしながら、聖書、即ち「良き知らせ」に耳を傾けるのです。

近隣の方もお気軽にお出でかけ下さい。
食後の交わりはご無理でも、メインプログラムだけでも大歓迎します。昼食準備の関係から15日頃までにご連絡下さいね。るんるん

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
posted by 優子 at 21:43| ご案内 | 更新情報をチェックする

多忙な新年度スタート

当地に移転してきて10年目に入る。
家の建築メーカーから10年目のメンテナンスの案内が届く昨今、昨日はトイレが詰まり今日の午前中は大騒動だった。

今朝一番にメーカーに電話したところ、早速水道工事の方を寄こして下さった。以前にも一度来て頂いたことがある。専門家はありがたい。本当に感謝してもしきれないほどありがたい。

詰まった原因は外にあるかいしょ(漢字を知らないので教えて下さい)にあった。ツタのような植物がツルを延ばしてカイショの中をふさいでいたためだった。

あとの掃除と生協の共同購入を終えてホッとし、午後はブログの字を大きくできないものかとくつろいだ時を過ごしていた。
検索してもわからなかったが、いろいろ触っていたら暗号のような意味不明な画面が出た。専門用語はわからないし、英語を読みながら「font- ○ px:」のところを見つけた。

と言ってもフォントが何箇所もあって、○のところに大きな数字を入れてはプレビューを見て、わからないながらここまで改良できた。「メメントドミニ」も大きな字にし、右側の字も適当な大きさに変換できた。

今までのように読みやすい大きさの字だと、シンプルなデザイン(背景)で我慢するしかなかったのだが、大きくできたので嬉しくてならない。人任せにしないで自分で頑張れたことが嬉しい。

その直後、太志君からチャットの声がかかり、すぐにそのことを話題にしてしまった(^−^)。
そして、朝のトイレのことを夫に伝令しようとメールを書きかけていた時、自治会の同じ班の方から訃報が入った。

今日から1年間、自治会の班長なのだが、第1日目に同じ班の方が急逝されたとの電話が入り、早速、弔問をかねて自治会放送の用紙を持って上がった。

この自治会では日本で初めて自治会放送を始めた地域で、このような時は回覧板ではなくて放送によって320余りの会員が知ることになる。
テレビの11チャンネルでは重要な御知らせを毎日放送している。例えば、古新聞回収日について、また、痴漢や泥棒勃発などの注意も喚起される。もう15年くらいも前から開設されていると思う。


訃報が入ると普段の内容は中断され、お通夜、葬儀の日程や会場についてのみの案内だけとなる。
この住宅地が誕生して40年ほど、自治会もすっかり組織化され機能しているのがよくわかる。

「ご香典ご辞退・・・」を追記して下さった放送も開始されてホッとした。
電話のやりとりや行ったり来たりで大変だったが、明日明後日の受付けのご用は祈り心で務めたい。


妹からも電話があり、明日の午前中に来るとのこと。
明日に備えて祈ろう。





posted by 優子 at 18:38| 随想 | 更新情報をチェックする