2008年05月31日

敬愛するH姉へのお返事と共に

「・・・・
しばらくいろいろあってあなたのブログは拝見しませんでした。
昨夜久しぶりに展いたのです。あまりにショッキングなことが書いてあって、これはあなたもいよいよフィクションを書き出したのかと一瞬思ったのですけど。」


昨日落手したH姉のお手紙からも真の愛が滲み出て、弱った心に沁みいる。
H姉のことは、「船場吉兆廃業」の記事を書いていた時も思っていた。生協の毒入り餃子の時のように共感して下さるだろか、今回も「そういうこっちゃ!」と仰って頂けるだろうかと、何度もH姉のことを想っていた。

作家やジャーナリストに一目置いている私は、このブログについて、「こんなん何も書けていない」と言われて意外だった気持ちもあったが、H姉の鋭い批評が嬉しかったくらいだ。

小説だけではなく、ノンフィクションにおいても筑紫哲也氏、猪瀬直樹氏、鎌田慧氏など、多くの選考委員に絶賛された第一級作品を世に出されたH姉である。

もう一度だけでも勉強会が開かれるならば、私は裁判員制度のテーマを提起したいなと、毎日懐かしくH姉のことを思い出しては御健在を祈っている友である。

もし長い入院(そんなことないにきまっているけど)にでもなって、お気持ちがそんな風に動いたら呼んで下さい。いつでも地下鉄一本で行けるから。・・・・

すべて検査が済んでからね。ブログに書いてね。私あての返事はいらないから。電話もしない、メールも書かない。
ただただ祈っていますね。それしか出来ないから。

何かみ言葉を一つ、と考えたけれど、今は次ぎのみ言葉が与えられてるので。

     「汝ら立ちかへりて静かにせば救を得
      平穏にして依頼まば力をうべし」

               
             (イザヤ書 30章15節)
                          ・・・・

ごめんね。何もできなくて。あなたとお知合いだった頃のあなたの可愛いらしいお顔を思い出しながら書きました。
お返事いりません。
ただただ何事もありませんようにいのります。
お大事になさいませ。

人との出会いこそが人生の最高の宝だ。
神さま、私への恵みはもう十分です、溢れています。
もしも命延ばされるならば・・・・と心中で号泣し、涙が滲んだ。

Hさん、私たちの経験することは通俗であるけれど、個人にとっては何と厳しく尊いものでしょうか。このことが最も印象深く残っています。
たった6〜7年前までのことなのに、勉強会に集っていたのが遠い青春時代のように思います。

H姉こそ、どうぞ御身お大切になさって下さい。
神さまがご健康を守り支えて下さいますように祈り続けます。
メールをと思うのですが返信のお心遣いを頂いては申し訳なく、何度も躊躇しては、Hさんから頂戴した御著書を抱きしめています。

未熟ながらも書く者の心中を理解して下さるHさんだけに、母親に会って安心したようにヘナヘナと座り込んでしまいそうな気持ちです。
ありがとうございました。
イエスさまに縋りついて雄々しく進んで参ります。
近いうちにメール便をお送りさせて頂きますが、私にもお返事はご無用になさって下さいね。
posted by 優子 at 16:30| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

気づきの喜び、感動の嵐

いやぁ、皆さん本当にすごいなあと思う。
このたびのことでは既に多くのことに気づかされて、覚醒の驚きの連発、喜びの連続で書き留めておきたいのに追いつかない。

昨夕はクリスチャン作家のHさんからお手紙を頂き、どんなに嬉しい感謝で胸が高鳴ったことか!
時系列的に前後するが、まず今朝届いていた宝から記録させて頂こう。ブログを見て下さっている唯一の大学時代の友人Aさん(ファーストネーム)は、こんなことを書いてきて下さった。

ご主人は、責任の重いお立場が長く、どんなに大変な時でも、立場上平気な顔をしていなければならないでしょう。
今回のことも、自分が心配そうな顔をしたら優子さんの不安をあおるだけと、思ってらっしゃるのではないでしょうか。とても心配してらっしゃると思いますよ。

今は、ブログを、優子さんからのメールと思って読んでいます。

私は今まで次のように思っていた。
千里さんご夫妻が素晴しいのは、まず、お互いが素晴しいからこそであり、それだからこそお互いを高め合っていけるのであって、私が成長できないのは全く会話のない夫の在り方が大きく関係していると、苦しんでいた時代は本気で思っていた。

ところが、このメールを拝読して大きな衝撃を受けた。
それは喜びの衝撃であり、私がもっと感謝できるようになるための新たな気づきだった。私は早速この感動の喜びを傍にいる夫に伝えた。そして、尋ねてみた。

「本当にそうやったん?
 冷たさもあった? どのくらい? 50パーセントくらい?」

「そうやな」

31年半も連れ添っている私は、夫の本当の気持ちを確かめておきたくて尋ねるのだが、何もしゃべってくれないのでいつもこのように誘導尋問のようになってしまう。勿論、今朝はいい雰囲気なのでご安心頂きたい(笑)。そして続けた。

「そしたら私と同じように、あなたもAさんのような妻だったらもっと成長できていたと思う?」と聞いてみると、「そうやな」と答えた。

私はまるで、合わせ鏡で自分の姿を見たような気がした。
実は、昨日の朝の次女とのチャットでも同じようなことを言われて、気づき始めていたところだった。

「パパは、ママが癌で死ぬかも知れないという精神的な重圧もあるよ。その重圧からきているから冷たい人ではないよ」というようなことを言われ、その前日には長女もまた、「・・・だから、パパは冷たい人ではないと思うよ」と、柔らかく語ってくれていた。

この時の私は既に夫への怒りなど微塵もなかったし、失望も、期待することもなく、全き平安が与えられていた。素直に聞けるようになった私ゆえに、このような話をしてくれたのだろうと思っている。

ちなみに夫が病院へ行ってやろうと思ったのはいつからか、昨夜の散歩の時に聞いてみたら、二日前の水曜日頃からだったそうだ。きっと神さまのお導きだ。夫の心にそのような思いを与えて下さったのだ。

私は何という幸せ者だろう!!!
自分にはない友たちの他者への深い心遣いに気づかされ、自分が恥かしいと思う。家族や友に支えられて喜びに溢れ、今まで以上の感謝を捧げている。
私はいま既にこの苦しみを心から感謝している。今後もまた恐れて乱心しようとも、この姿こそが私の本心である。


今日は美濃紙業主宰のゴルフのために、夫は5時半頃に出発した。と思ったら、見送ってから2分後くらいにまた玄関に戻ってきた。
「忘れた、歯!」ハハハハ!!!
挿し歯を入れるのを忘れて戻ってきたのだ。
「携帯、ハンカチ持った?歯 入れた?」って、玄関のドアに貼ってあげてるのに。

このようにおかげさまで私たちに日常が戻っています。
私の心中を察して下さって、つかず離れずに見守って下さったことを心から感謝し、多くのことを教えられています。
クリスチャンの友だけではありません。
神さまは私が倒れないようにと多くの方々を遣わせて下さいました。お一人おひとりに心から感謝申し上げます。

この試練は、より多くの葡萄の実がなるための葡萄の木の剪定だと思います。必ずや神さまは善きことをして下さるに違いありません。仮に最悪な状況だったとしても、この感謝の喜び、神への讃美こそが私の最も求めていたものでした。
イエスさまを信じて進んで行きます。
平安への導き手になって下さった皆さまにこそ、神の豊かな祝福がありますようにお祈りします。そして、これからも祈ってやって下さいませ、弱い私のために。

検査日にも祈りたいから日を教えてほしいとのメールをたくさん頂戴しています。感謝します。心強いです。厚かましく御愛を拝受します。
6月10日に入院し、11日に検査します。
検査後順調に止血すれば翌日退院とのことです。
担当医師へのことも祈って整えられたいと思っていますのでご安心ください。よろしくお願いします。
posted by 優子 at 07:20| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月30日

担当医師の豹変振りにビックリ仰天・・・でもないか。

多くの方々の尊いお祈りを常に肌で感じています。
ありがとうございます。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の病院行きは、先週と比べれば50分の1にも満たない緊張なのに、今朝は4時40分頃から目が覚めてしまった。ところが、朝から最高に嬉しいことがあった。
夫が家を出る直前の玄関で、さり気なく言ったのだった。

「今日は何時からや?」
「えっ?来てくれるの?・・・11時半の予約なんやけど。泌尿器かは何階だったかな、覚えてない」と答えた。

思いもかけないことだっただけに飛び上がるほど嬉しくて、いつもだったら「ありがとう!」って抱きついたのに、気持ちを抑えてしまった。私もさり気なく答えたのは照れくさかったからだと思う。

今日はいつもの3分の1以下の空きようで、ガラガラの廊下に夫が姿を見せたのは11時10分過ぎだった。
私は嬉しくて大きく大きく手を振った。
まるでデートみたいに嬉しかった。一人とは比べものにならないほど、どんなに心強かったことだろうか。

間もなく呼ばれた。
私のあとに夫の姿を見た医師の表情が正されたのを目撃した。先週とは正反対の応対で始まった。

組織検査のための検査結果は問題なし。検査自体は30分ほどだが、麻酔は1時間。結果は1〜2週間後で、検査室の混みようによるらしい。

早速入院日程が決まった。
「見たところ急ぐような状態ではない」と、こんなことまで医師の方から言われたのだ。
ホッとしたものの、この違いは何だ!
応対の違いだけでも驚きと憤りを感じるのに、これでは内容まで違うではないか!
そのおかげで、癌の覚悟をいとも簡単にできたことは良かったが、発見して2〜3ヶ月の命ならばどうしようと、私は最悪の最悪を直感して取り乱してしまったのだった。

血液検査の腫瘍マーカーについて尋ねてみると、万能のマーカーは無く、泌尿器科では前立腺癌くらいが参考になる程度だという。それさえ、異常と出て正常だったこともあるそうだ。

医師の「ひどい血尿なので」という言葉に、夫は「血尿の原因は何ですか?」と尋ね、禁句を発した。

すると、「それがわからないから検査するんですよ」とは言わず、丁寧なる説明があり、原因がわからないままの時もあり、体に悪いことをしていないならば血尿のままでもいいということまで言われた。
「先週はよほどご機嫌が悪かったのですね」と、私は皮肉を言いたかったが、最後まで素直に聞こうと心をこめた。

それにしても、この違いは何なのか?!
夫は押しが利くような風貌ではないのに、そこまで女性を軽視するのだろうか?日本は今もそこまで男社会なのか?!

しかも、彼は35〜6歳の若い世代だから驚きを隠せない。
今どき、そのような陳腐な人物は博物館行きだろう。
そうでなければ、私がよほど馬の合わないタイプなのだろう。明確に説明できないが、これは心理学でも説明がつくのだ。


難病の専門医を紹介されて母も一人で受診した時、医者に無礼ぞんざいな扱いを受け悲しい思いをした。次に父が同伴して、「ライオンズクラブで・・・」と語った瞬間に(その関係者だったから)医者は豹変し、母のことを「奥様」と呼ぶようになったというから滑稽でさえある。

私は診察室を出て以来、先週の医師の言動、対応の在り方に大きな問題を感じて考え続け、夫にも医師の印象を聞いてみた。

「あなたは多くの人を見ているからわかるやろ?
どういう人物だと思った?
私たちが最後に丁寧に感謝の挨拶をしているのに、しかも20歳以上の年配者が挨拶しているのに、たとえ軽薄な挨拶さえも全く無く、顔も全くこちらを向けなかったやろ?」

「話していても確かに傲慢な感じはしていた。医者を特別視してるんやろ。」と、夫は答えた。

彼はどの大学で医学を修めたのだろうか?
どのような親に育てられたのだろうか?
今どき、年配の医師でもこのようなタイプは僅かであるのに!


20年前の日本では、19世紀になされていたドイツの教育が行われていたが、その後、心ある医学者により日本の医学教育に力が注がれてきた。
日野原氏は勿論のこと、既に亡くなられた中川米造氏の働きにも感銘を受けたものだ。

これでは日赤が掲げている理念の対極にある医療であり、私は素通りしていくことはできない。とにかく検査が終わってからするようにと夫に助言された。

日本の医療現場は、今まで多くの人々の努力によってここまで変わってきたのである。気がついた者は声を出す責任がある。これでは良い医療効果は生まれない。
これについては後日ページを改めたい。





posted by 優子 at 23:59| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

「船場吉兆」廃業に思うこと

昨年10月に消費・賞味期限の偽装が発覚し、11月には原材料産地偽装、そして、12月に謝罪会見をして新しく出直したのだと思っていたら、5月初めには事もあろうに、客の食べ残した料理の使い回しが発覚し、ついに28日廃業に到った。

さすがの私も使い回しには唖然とした。
それも鮎の塩焼きだけではなく、新たに8品もあったというではないか。高価な吉兆の料理だからということもあろうが、吉兆でこれならば外食は気持ち悪いと思った。

それでも尚、一昨日の女将(吉兆創業者の娘)の会見を見ながら、地上でのことは地上で謝罪できてよかった、身から出た錆とは言え、高齢だから体にこたえるだろう。
80年近くも営々として積み上げてきた信用も、壊れる時は一瞬なんだなぁと創業者のことを思って胸を痛めながら見ていた。


ただ一つ違和感を感じたのは、廃業に到った原因を問われて、「暖簾にあぐらをかいていた」と語ったことだ。「暖簾にあぐらをかく」とは、そのような意味ではないだろう。

その意味は、例えば、新作の料理や盛り付けなどの勉強を熱心にしなかったということであり、料理屋の倫理にここまで反することを指すものではない。

しかもその翌日の報道では、1時間以上の会見中、下を向いたままだったのは、記者たちの質問に答えるために用意された「QアンドA」を見ていたからだった。

確かに緊張して言葉が出ないかもしれないから用意した気持ちはわからないでもない。
これについて企業のリスク管理の専門家は、経営陣は謝罪の仕方の勉強し、記者会見のあり方を学べと声高に語っていた。
座った時の手の置き方、しゃべり方など種々あるらしく、今回の湯木女将は、「やってはいけない謝罪のケーススタディ ナンバーワン」だったと言う。


リスクマネージメントができていないと言うが、私に言わせれば、それさえマニュアルになってしまって、謝罪の心そこにあらずにならないようにと苦言を呈しておきたい気持ちだ。

何よりも大切なことは、間違いに気がついたことを詫びることである。手の置き方も参考にすべきかもしれないが、全ては気づきがあるかどうかである

問題が生じた時の最も大切なことは、何事も早く対応することである。
嫌なことほど早く対処することだ。
小さなクレームであっても、相手に返事しないでおくのは問題をこじれさせる原因になる。例えば会社ならば、悪い報告ほど早急に上司に報告することだ。

問題が起きたら直ちに対処し、情報の共有をはかり、直ぐに対応して事後報告も忘れてはいけない。そのためにも、会社のトップ、管理職、上司の姿勢が正されていなければ、部下は有能に育ってはいかない。


船場吉兆幹部たちは、去年のインタビューにおいても嘘をつき続けていた。いつかは明るみに出されるのに、あそこまで発覚していても尚、トコトン嘘をついてしまう姿もまた人間の実相だろう。

慣れからずさんになりやすいのが人間の弱さであり、何度も失敗を重ねるお互いである。しかし、去年明るみに出た段階で姿勢を正せば廃業に到らなかっただろう。早く事の重大さに気づくべきだった。

しかし、今よりもっと最悪もあるのだから、今こそ地上でのことは地上で誠意を尽くして、今もまた新しい出発のチャンスにして欲しいと祈るばかりだ。





posted by 優子 at 06:31| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2008年05月29日

深呼吸して呼吸を整えねばならぬほどの励まし届く

Oさん、ありがとうございます。
メールを拝読して、今も胸の高鳴りが治まらず深呼吸して気持ちを整えています。それほどに嬉しかったのです。

多くの方々からも同じ御愛を頂戴しています。また、節子姉や三記雄さん、淳子姉からのメールもそうです。
弱い私は自分のために、頂戴したメールの一部なりともここに載せさせて頂けるとありがたいのですが、ご依頼するのも自重しています。

Oさん、私の精神的状況にかくも寄り添って頂き、的確なお言葉を頂いて、どんなに元気づけられたかわかりません。
Oさんと共にトルニエを思い出し、今朝は久しぶりにトルニエを読んでいました。『人間・仮面と真実』(原題は『人物と人格』)です。非常に慰められました。「霊的露出症」は考えすぎだと思い直していたところです。

しかし、書き続けるにはやはり勇気がいります。
私のうろたえ、弱さを吐き出すことこそが人間の普遍的な真実の姿なのですが躊躇してしまうのです。

Oさんのメールは、私の心中の深い所にまで届く最良の処方でありお導きでした。
豊かな知識だけではなく、クライアントとの関わり方も熟練されているOさんに関わって頂けたことで、神の平安に加えて自分らしさを取り戻せたことが嬉しくてなりません。

これで祈りながら導きを求めて進んでいけると思います。どうか、お言葉をここに刻ませて頂くことをお許し下さい。

ブログでのご連絡ありがとうございました。
前回メールを送信してから、優子さんの次のブログを拝見しました。

医者から自分の知りたい事をはっきりとは告げられなかったことで、いろいろ考えて不安になるのはよくある事です。
一方、黒とはっきり告げられたら足下が崩れ落ちるほどの落胆をして恐怖を感じますし、白と言われてもそれは医者が私のことを考慮して真実を告げてないのではないかと疑心暗鬼になり、よけいに悶々とするものです。

その様な時に一度パニックになって自分の気持ちを素直に表に表せば、時間と共に現状を客観的に受け止める事が出来る様になります。また、周囲の方々を通して、主の平安が与えられます。(今の優子さんの状態です)

しかし、多くの人は表に自分の感情を出せずに精神的破綻をきたし、死にたくないと望みながら、絶望から自分の死を選ぶ事も多いのが現状です。


イエス様は私たち人間が悩む以上に悩み、これ以上無い肉体的苦痛を経験された方です。人間の間でも、苦悩を経験した人が同じ立場にある方を理解し寄り添う事が出来るのに、イエス様はそれ以上のお方です。

辛い時には辛いと愚痴をこぼすのは、イエス様を意識するしないに関わらず、その御臨在を信じているからこそ出来るクリスチャンの特権では無いで しょうか。

検査結果が出る迄の間は不安と平安の間を大きく揺れ動きます。出てからもじたばたするのが私たちです。
ブログに気持ちを吐出すのは優子さんにとっては一番効き目のある薬ではないでしょうか。
無理をしないでそのままで行き(生き)ましよう。
続けて祈っています。

最初のメールには具体的なお話のあとに、このように書いて下さっている。

「クリスチャンだからといって病気もすれば落ち込みもします。
それを正直に人前(誰でも良いという訳ではありませんが)や神の前に出せるのはとても大切で勇気のいる事と思います。
友人や神様に信頼していなければ、愚痴一つこぼす事は出来ません。
暫くは精神的にも肉体的にも辛いと思います。
無理をなさらず、お過ごし下さい」。


Oさん、私の場合はブログですから誰彼なく話していることになりますが、全て神への信頼がなければできないことなので、このように具体的に言葉でもって伝えて下さったことを感謝しています。これからも信仰をもって書いていこうと思います。

『メメントドミニ』の看板にありますように、「私は私らしく」を思い出し、心だけではなく歩む足の乱れも整えられたことが嬉しいです。
Oさんもくれぐれも御身お大切になさって下さい。私も覚えてお祈りしています。

あとになりましたが、もう一つのアドレスに今からお礼メールを送信させて頂きます(>_<)。届くことを祈りつつ。

最近読み始めて下さっている方へ:
Oさんは、クリスチャン精神科医・工藤信夫先生の「トルニエ読書会」をお世話し、主宰されていた方です。
トルニエは有名なスイスのクリスチャン精神科医で、その会でナウエンのことも教えて頂きました。
posted by 優子 at 15:59| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

感謝から感謝へ

立っち.jpg

1分たりとも目が離せないユキちゃんは、只今10ヶ月と17日目。
 
ハイハイ2.jpg

           「こら待て、こら待て!」

ハイハイ1.jpg
 

ペンギン.jpg

ミネソタからやって来たペンギンのぬいぐるみは大のお気に入り。
いつも口にくわえてハイハイしています。

ストローマン.jpg 
ストローユキ.jpg

練習もしないで、今日からストローで上手に飲めるようになったのね。ところで、ユキちゃん、何を飲んでるの?


「ママが元気になればと思って」と、写真を送ってくれた知子。
26日の最悪な時でも写真を見れば、「フッ」と笑ってしまったよ。ありがとう。

私は親不孝な娘で、子不孝な母親です。

遠く異国にいる真智子にもこの上ない心配をかけてしまって、直ぐに帰りたくても帰れない状況なのに、本当にごめんなさい。

そうでなくともハードな日々を重々承知の上で、何でも書いてしまうママの稚拙さゆえに、過酷な精神状況にしてしまってごめんなさい。
どうぞ、真智子に主の守りがありますように!

皆さんにもすっかり御心配をかけてしまって、申し訳ない(>_<)です。おかげさまで支えられ第一期の危機を突破させて頂きました。
私は胸に秘めておられない分、気負ってこのような(>_<)絵は書けません。これが出てきたのは平常心に在るとご理解して下さい(笑)。

私にとって書くことは祈りと同じなのです。
聖霊(イエスさま)のお働きがなければ、「イエスさま」とお名前を呼ぶこともできなければ讃美も出ず、一言も祈れないのと同じで、私は心に無ければ一行すら書けないのです。
それ故に、何よりも神の前に心を正すことを第一にしているつもりです。そして、書きながら信仰が練られていくのです。


孫の写真を特集することも、辛さを隠すためになど絶対にできないのです。皆様の尊いお祈りを心から感謝しています。
お一人おひとりに言い尽くせぬほど感謝し、祝福をお祈りしています。
posted by 優子 at 16:10| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年05月27日

ブログ継続について ― ブログ考G ―

本日のお昼前にヤフーから「EO光」に変更した。
「かんたん設定ツール」のディスクで初期設定に挑戦したが、早々からわからなくなって、今回もまた電話サポートのおかげで助かった。

※我が家の電話番号で、「050」から始まるIP電話番号は使えなくなりましたのでご注意下さい。

設定を完了したものの、もはや我が家では高速にする必要はなかったかもしれない。生協から配送延期案内されてきたサイド本箱も今朝キャンセルした。

25日に記したことについて:
「どうなっていくのだろう、面白くなってきた」という気持ちがある。これは何だろう。悪魔のささやきか?


この真相は神への抵抗だとわかった。
私の中で未だ神への反抗心、不信感があったのだ。


神を信じる者の最期、最期に到るまで、あなた(神)は本当に平安を守られるのかということへの不信感であり、神への挑戦的な気持ちであることがわかった。

とにかく、この思いは何だろうと訝(いぶか)しく思っていたし、良くない感じ方であるというのは直観的にわかっていたので、霊的に悪いものであると解明できた今朝、直ちに捨て去った。

いつか書いたように主を信じて生きる者は、例えば「癌末期でありながら心安らかに」、また、「苦悩に打ちのめされながらも希望を持ち続けており」と生かされると信じているものの、神は約束通りに守って下さるのであろうかという不信感でもあった。
これから進み往く苦難のために、まずこのことを解明して下さり、私を正道に誘導して下さったと受け止めている。

今回のことも全てブログで書いているくせに、チャッピーの散歩でも人に会いたくないし、ましてや話題になどしたくない。
父が亡くなった時も同じ心境だったが、父の時は単純明確に悲しみのためだった。

あの頃は当地に越してきて1年4ヶ月であり、ここから西九条の病院まで通う日々だったから知人も少なかった。それなのに外に出るのが苦痛だった。
チャッピーは引越した4ヵ月後に我が家にやって来たので、夕方の散歩は夕食後に夫と共に行くようにした。

ところが今感じている人に会いたくない理由は、それとは違っているのがわかる。しかし、それが何なのかわからないから、このこともまた早いうちに、自分の本心を探りあてたいと思っている。考えているだけでは進まないので書きながら考えてみたい。

たぶん、この、人に会いたくないのと同じ理由だろうということから、ブログを書き続けることについても考え始めている。
神の前で黙想できるので書きたいが、これは日記ではなく公開しているブログなので、これを機に閉じようかとも思っている。

と言うのは、ここからは「ブログ考」の続きになるが、私はブログを書きながら、ナウエンが答えてくれた「神を利用する罪」(過去ログ5月13・14日)だけではなく、それと対極にあるかもしれないもう一つの思いにも悩んでいた。

それは、「霊的露出症」ではないかということだ。
私のブログでさえ、作家の友は全然書けていないと言われる。
私は鋭く書き込む難しさを感じながらも、一方では露出症ではないかと悩んでいた。

少なくとも今後は、読者にあまり負担感をかけないようにと思っている。私が友人の人工股関節の手術開始時間を尋ねなかったように、検査入院がいついつだの・・・は書かない方がいいと思っている。

さすがに手術になれば祈って頂きたいので書こうと思うが、それだってメールの同時送信でお願いすれば済むことだろう。
そして、前述したような心境も加わって、今改めてブログ継続について考えている。口で言うほど私は勇気がないのが原因かもしれない。

今日また、2つイソトマの花が開いた。
5弁の花びらだった。
昨日のも5枚の花びらになった。

posted by 優子 at 17:39| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月26日

24時間の乱心、悔い改めに導かれる

午後になって夫への心の静けさが戻ってきたのはいいが、今後への恐怖が襲ってきた。
担当の医師とも短時間の2度の面識しかなかったが、内視鏡検査中の異様な沈黙と、直後にその場で尋ねた時の反応に異質なものを感じていた。(私の前に2人の検査中の雰囲気が廊下にも漏れ聞こえていたから)

経験上、あるいは、教科書的に典型的な癌のケースなのだと私は直感した。
しかし、翌日には癌さえ受け容れる覚悟はできたが、昨日からは違い、もっと最悪ではないかとの恐れを感じ始めている。
例えば進行性の悪性癌で、余命数ヶ月というものではないかという恐怖だ。

夫への動揺は治まったが、病気の恐怖で居ても立ってもいられずに谷口先生に電話したのだった。
病気のこと、教会のこと(1年前より放出教会へ戻るかどうかでずっと悩みつつ、谷口先生にも祈って頂いている)、そして、昨日の夫とのことを話したのだった。

たとえどんな結果でも、医師が指導される通りに委ねるようにね。悪い所が見つかったら早く除去するのよ。
神さまがメスを執って執刀して下さるのだと委ねて手術を受けるようにね。神さまが医師の手を誘導なさるからね。

癌になったら再出発ですよ!
神さまは、いい加減なクリスチャンで終わらせなさらないから、もう従っていくだけですよ。

私たちは自分ではなかなか明け渡すことができないのよね。
神さまに体も魂も一切を明け渡すの!
開城ですよ。自分は死んでもいいが領民は救ってくれという、昔の城主が城を明け渡すのと同じです。

自分の最後の葬式のことを考えているのね。
葬式は地上でできる自分の最後の証しの場ですからね。
どのような生涯を歩いたかということですね。夫を助け、子どもを養育して、これは誰でもすることですが、キリストに出会ったということですね。

死んでこのままの状態ではなくて、クリスチャンの死は終わりではないのです。死を通してでないと永遠に入っていけないのです。
これがクリスチャンに与えられた死の意味であって、死は永遠に入っていく出発です。
肉体を持っていたら永遠を体験することができないでしょ。肉体には限りがあるから、死を通して無限の世界へ入る出発です。

ママは知ちゃんと真智ちゃんをいつまでも生きて見ているよ。
私の居る所へ来るのよという最後の証しの場ですね。
知ちゃんも辛いねえ、かわいそうね。(しばし沈黙された)

クリスチャンは神に赦された身であると同じに、一番夫を赦せる身にならないといけないよ。優子さんはキリストに赦されて受け容れて下さっているのだからね。

優子さんにとって一番頼りになり、甘えられる人はご主人ですよ。子供たちは独立して家庭をもっているのです。
ご主人があなたのことをいっぱい赦して下さっている。自分だけ赦してきたんじゃないよ。「あんなこと言ってごめんね」って謝ってね。まずご主人に感謝してくださいね。

見えるところは変わらないようでも、神さまはご主人の置かれた立場をよくよくご存知だからね。時が来たら必ずご主人を変貌させられますよ!必ず!

よーく電話して下さったね、祈っていますよ。


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夫のことを今、悔い改めます。
神さま、良輔さん、ごめんなさい。狂気乱心してしまいました。
でもね、良輔さん、病院で医療費を支払う時は毎回、心からあなたに感謝していたよ。お金の心配をしないで治療を受けられることを感謝しています。ごめんね。
「私の葬式では喪主にならないで!」と言ったこと、ゆるしてね。

去年のことなど、悔しかったことが溢れ出て怒りに変わっていたのです。主よ、どうぞ私を赦してお導き下さい。

夕方になったら会社へ電話して、少しでも早くお詫びの気持ちを伝えよう。安心して帰宅してもらいたいです。
皆様のお祈りのおかげです。感謝します。

谷口先生との電話を通して、夫に対しても心から悔い改めることができ、本心に立ち返れたことがこの上なく嬉しい!感謝します。
さあ、これで悩みは病気だけ。真剣に神さまの導きと恵みを求めていこう。


「主は言われる、
 わたしがあなたがたに対して抱いている計画はわたしが知っている。
 それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」。
                 
               (エレミヤ書29章11節)

posted by 優子 at 15:43| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

主イエスを信じて進む!

イソトマが咲いた。
今朝、かわいい花が一つ咲いていた。
真智子が帰国する3週間後も咲いているはずだ。去年はこの花を見ながら寂しさをこらえていたのだから、真智子に見てほしい。

イソトマは昨年の今頃に帰国した次女夫婦を、再渡米で見送った帰りに買ったものだ。2007年6月12日の記事のことは今も鮮明に覚えている。
この時は婿の大変な大変な問題を抱えての帰国だった。
祈りに祈り続けた。
私はそれまでに、この時の真智子ほどに祈ったことがあっただろうか?!祈りに祈って、とにかく一つの出来事だけは成就されての再渡米であった。

記事にはかわいい5弁の花びらとある。
今朝咲いた花は4枚だった。あと25個も蕾をつけているが、全てが4枚なのだろうか。開花が怖い。怖いだなんて、どうかしている。

鳥は朝が早い。いつものように鶯の鳴き声がやかましくて4時半頃から起こされてしまった。窓を閉めているのに、なんと大きな声だろう。今朝はもう眠られず5時過ぎにベッドを出た。

ベッドから起き上がろうとした瞬間に新着メールに「5」の数字が見えた。その通りだったからゾッとした。
沖田総司(新撰組隊士)が死が近くなった時に、透視するような冴えがあったというのと同じで不気味だった。
全てプライベイトメールで、その中には慰めと励ましが静かにどっしりと詰まっていた。

人は一人では生きていけない弱い者だ。
共に支え励まし合って生を終えることに価値を置き、そこに人間の麗しさを見る私だが、この立場になりたての今はバツが悪い。良くない感じ方だと思う。

ブログは現代の甘えで嫌だと感じている私が、最も甘えを享受してしまったから苦笑さえできない。

昨日ペンクラブで島田さんとお話ししていたのですが、・・・この上なく落ち着かなく重たいことでしょう。お察しします。

でも先へ先へと思いを走らせないで、主のみふところでストップし休んでください。 ・・・医師の上に主の正しい導きがありますように。祈った上でお医者さんも信頼しましょう。

5日間不在でして、お返事遅れて失礼しました。

更なる精密検査へと進まれるのですね。
結果を一人で聞きに行かれたのでしょうか?
帰路どのようなお気持ちだったのでしょうと、いろいろ推察しております。

最終診断を待たねば、なんともいえませんが、耐えられない試練をお与えになることはない主に、お祈りさせていただきます。

優子さんの主治医が的確な診断をなさり、的確な処置を示してくださいますように、全能の主が導いてくださいますように。

また、お電話させていただきます。

ありがとうございます。
おかげさまで主のそばで気楽にすごしています。・・・気持ちが萎えた時には、これらのメールを読ませて頂き祈り心を取り戻したいと思います。
知子と真智子、そして、太志君、剛臣君、ありがとう。


やはり死を覚悟しているので、この機会に最後の祈りをこめて夫に書いておきたいと思う。全てが終わってからでも読んでもらえるかもしれないので。

私は世間の奥さん方のように服やアクセサリーにも関心がないので、お金のかからない妻だった。
その私がただ一つ求めていたことは、このブログを読んで欲しいということだった。

私のために、一日に5分間だけでいいから時間を割いて欲しかった。何度も何度も願ったが読んでくれないので、ついに諦めたけれど悲しかった。

妻が一生懸命書いているものだから読んでやりたい、読みたいと思わないのだろうかと、数え切れないほど経験しているのに今更ながら思ったものだ。「愚かなりし我が心」である。

他人にそれを望むのはわがままであっても、伴侶ならば微笑ましいことだろう。私はそのような夫婦を麗しいと思っているし、せめて全てが終わってからでもと願っている。


読者の皆様へ:

重い気持ちの負担感をおかけして申し訳ありません。
やはり今後も自分の気持ちに向き合って書いていきたいと思いますので、今後はどうかご遠慮なく不読にして下さってもありがたく思います。

でないと、読者の方に負担感をかけてはいけないということでは、真摯に向き合っていけません。
命を揺さぶられた時、私は、たぶん一般化してもよいと思いますが、その時、人はどうなっていくのか。そこを書き込んでいきたいと思っています。
神さまの体面を気にしないで、真剣に神さまとのより深い関係に入っていきたいと思います。今はそのような気持ちです。

今まで以上に、書くことが生きることになっていくと思います。
自分自身を見つめ、書くことで生を支えることにもなるのではないか。そして、最後まで書きたくとも体力が無くなった時に、ブログが終わるのだろうと思います。その時には娘たちで最後の言葉を添えて完結させてほしいと願います。

「わたし(キリスト)は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」。
今朝はこのみことばを頂きました。雄々しく進んでいこうと思います。今より最初から最後まで書き続けよと、今は励ましさえ感じています。
「辛いどんな時間にも必ず意味がある。」
ママのブログを読んで、改めて思いました。
ママの心からの言葉は、ブログを通じて多くの人の心に届いていると思います。

周りの人に優しい気持ちを引き出させてくれたり、 何かについて考えるきっかけを与えてくれたり。
(このことが最も私を喜ばせる)

いつもイエス様が傍にいてくださることを感謝します。
ママの不安な気持ちが少しでも和らぎますように。

                       真智子

「ひたすら一人になりたい」と書いてあったので 平日行くのも電話もやめておきます。でも、、今度の土日はどうですか?   知子

ありがとう。
それまでにお返事するね。


明日は我が家もADSLから光に変わる。
長女が引越しと同時にイオ光に変更したので、私宅も明日工事をして頂くことになっている。
開通したら第一番に知子に電話しよう。揺れるハート


posted by 優子 at 11:18| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月25日

乱れる心を治める

           23日21:06着信
優子さん なんて言ったら良いかわかりません。
どんなにショックだったか。
私は、「一生治らないと思ってください」と言われた時やはりショックという言葉しかありませんでした。
友達に訴え聞いて貰いました。

優子さんは結果も出ていなくて、これから入院、検査を待つ間の期間も辛いでしょう。さぞ ご心痛だと お察しいたします。

イエス様は近くに近くに居てくださいますが、やはりショックには変わりはありません。私もショックを受けました。優子さんの記事を読んで非常にショックでした。

検査、検査でさぞお疲れでしょう。
私には適切な言葉が見つかりませんが、どうぞ 今夜はゆっくり休んでくださいね。
イエス様が共にいてくださり、身体も心も守ってくださいますように。

          24日21:29着信
優子さん

昨日、今日と出かけていたので、病院に行かれると書いておられた優子さんのことが気になっていました。
帰宅していちばんにメメントドミニを開きました。
検査入院されることになった状況の中で、主にある平安を感じておられる優子さんの信仰に励まされています。
どうか、検査結果が悪いものではありませんように。
祈っています。・・・

優子さんのブログを読んで、多くの方が心配しておられることでしょう。そして、クリスチャンは祈っておられるでしょう。・・・

わたしが乳がん手術を終えて無事退院したとき、ある方から「神様から必要とされているうちは生かされる」と言われました。

優子さん、「神様から必要とされているうちは生かされる」のですよ。だから、心配しないでね。どんな結果が出ても大丈夫。

主が優子さんと共にいて支えてくださいますように。

当日よりも、翌日よりも、今日になってショックが生々しく現実感をおび、孤独感にも苛まれているので、まこさんと文香さんのメールを何度も読んで慰めを得ている。
不都合な文面ではないとは言え、無断で掲載させて頂いたことをお許し下さい。

常に少々しんどいのは怠けなのか、気持ちからきているのかわからない。全く会話のない夫に古き自分が出てくるのを押さえられず、越えさせて下さったと思っていたはずの母と父の悲しみが噴き出してきた。

乱れる心を治めるために4時頃から美容院へ出かけた。

床に落ちた髪の毛に微笑み、「苦しみから解放されてよかったね。ありがとう」とサヨナラし、残った髪の毛には「よろしくね」と心の中で言葉をかけた。
カットして美容院から出た時の爽快感も、これで終わりになるのだろうか。

そのくせ、「どうなっていくのだろう、面白くなってきた」という気持ちがある。これは何だろう。悪魔のささやきか?
客観的にこれからの自分自身を観察したいというような気持ちだけならばいいが、正体はわからない。精神状態が大変不安定になっている。

夫のことの悲しみから来ているのだろうか。
私は病気のことに専念したいのに、そのことよりもかつて苦しみを繰り返し始めている。夫は何も学んでこなかったのだ。
何か問題が起こると不機嫌になる夫。こんな時まで私にリーダーシップを求めるの?!
非常に私の気持ちを萎えさせる。

だからこそ主はこのような友を遣わせて下さったのだ!!!
友とのメールのやりとりで心の乱れは治まり助けられた。心から感謝している。優しい友に甘えすぎないようにしようと心に刻んだ。

今はひたすら一人になりたい。
posted by 優子 at 21:31| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月24日

祈っていたからこその出来事

昨夜帰宅した夫は、さすがに「どうやった?」と聞いてくれ、神妙な顔つきになった。
と言うのは、子どもが病気をした時、赤ちゃんの時からずっと仕事から帰宅して、「どうや、熱は下がったか?」などの言葉が一切なかった人なのだ。

かと言って、一度として子どもの様子を見に行くわけでもなく、それは見事だった。私が育った家庭環境では考えられず、若かった私は子どもが病気をするたびに口論し、両親をも悲しませ続けた。

今度の検査は麻酔をかけるので緊張感があるし、万が一にも何か緊急事態が起こるかもしれないから、「検査の時は来てくれる?」と聞いてみた。
すると、「どこに?」と聞き返されてビックリした。
「エッ?病院やんか」
「警察病院か?」
「私が行っているのは赤十字病院やよ」。

脱力感に襲われてひどくガッカリはしたが、もはや私には怒りも何もなかった。これで憤慨していたら、何のための32年の結婚生活だったのかと絶望するではないか。

私は忍耐することもなく通り過ぎられたことを神に感謝した。
今までの苦しみは無駄ではなかった。少なくとも私にとっては無駄でなかった。勿論違う反応だったら、私はどんなに嬉しかったことだろうか。

今日電話をくれた妹に、このようなことを話すつもりはなかったのに、このエピソードを話した時、妹は「私の良輔さん像とは全く違っている」と述べたので、この小さなことも神さまが用いて下さるのではと感じた。

確かに穏やかで優しい夫だが、みんなそれぞれに長所も短所もあるのだ。私はこの1万倍の悲しみを何度経験してきたことか!
しかし、こうしていつしか受容できるようになったから、今後は夫にも変化が起こってくるのだろうと祈って待てるようになった。

昨日、内視鏡検査で尿道を傷めたために排尿が苦痛で、早朝も緊張しながらだったところ、痛みが殆ど癒されていた。自然治癒力を備えて下さった神さまはすごい!と快復させて下さったことを感謝した。3日間服用の抗生剤も3食後忘れずに飲んでいる。

それからまた眠って、夫がチャッピーの散歩から帰宅したドアの音で目が覚めた。8時過ぎだった。その瞬間に現実を思い出して一瞬ひるんだが、週末の買い物にも通常通り出かけた。

確かに右往左往するが、どんなに荒れ狂う台風でも台風の目は静かなように、私の魂は主の平安で守られている。祈って下さっていることがありがたい。

神は真実なお方だ。私にも約束通り支えて下さっていることがビンビンと感じている。夕飯の後片付けをしている時も、微笑みながら感謝を捧げていた。

昨日からハンナのことが胸中から離れないので、「サムエル記 上」(聖書)1章を読んだ。私のこれまでの信仰生涯の軌跡に重なり、今再び強力な神のメッセージを感じている。

子どもが授からないためにペニンナのいじめに苦しみ続けていたハンナは、主に祈り、激しく泣いた。神に気持ちを吐き出し、心を注ぎ出したのだった。
すると、「彼女の顔は、もはや以前のようではなかった」とあるように、ハンナは神より力を頂いて信仰に立ったのである。

その後、身ごもって男の子を産んだのだが、ハンナは子どもが与えられたから明るくなったのではなく、祈りが叶えられる前のことだった。この神の奇跡に私はひどく感動する。
しかも、生まれた男の子はサムエルであり、イスラエルの歴史を変える預言者になった人物である。

人に嘆きを言うのは愚痴でしかないが、神に本心を打ち明けるのは祈りであり、怒りや悲しみが感謝の祈りに変えられていく。
ハンナは神の前で心を注ぎ出したことにより、主との深い交わりに入っていったのだ。


心が変えられたハンナにとって、もはやペニンナの存在は彼女を苦しめるものでもない。状況が変わらずとも神はまず求める者を強くして下さり、そのあとから状況が変えられていき、大いなる喜びをも増し加えて下さるのである。

このことがよくわかるようになった私だからこそ、愛する者に伝えたい。主イエスに祈るのだ。イエスから目を離してはならないと!

今の私の身に起こっていることも全て神のお考えがあるのだ。もっと言うならば、祈っていたからこそ、このようになったと言うべきか、その背後に深い意味を感じる。今という絶妙のタイミングで。

私はこれまでの苦悩を通して心から信じられる者に変えられ、以来、聖霊の働きをこの身に体験してきた。
最初はわからなかったけれど、苦しみぬいて求め続けたからわからせて下さった。それ故に、この出来事を通しても既に私だけではなく、私に関わる愛する人たちに聖霊が強く働いて居られることがわかる。

主に心配事も恐怖も何でも持っていけば、「平安を与える」と約束して下さっているのだから、厚かましく恵みの御座の最も前に進み出ればいいのだ。

サムエル記上1章のページの空白に、「なぜ神は私の両親を、父母とも先に取り上げられたのか?!!」と書いてあった。
両親よりも年上なのに共に健在だった藤本の両親のことを思って書いたのだろうか。苦しんでいた足跡を見て、その時の自分自身を愛おしく思うと共に、今は言葉では言い尽くせぬ喜びを味わっている。

何度も何度も立ち上がらせて歩かせて下さり、ついに私にも力強い信仰に立たせて下さった。ハンナと同じように最悪な状況下で霊の目覚めを与えて下さったのだ。

ハンナとは「恵み」の意味である。
私たちプロテスタントは、カトリックのようにクリスチャンネームを持たないが、「ハンナ優子」でありたい思う。

今、私の愛する人に祈り求める心が与えられるように、愛する者の人生に力強く神さまが介入して下さるように祈る日々である。でも神さま、今はまだ私を「一粒の麦」にしないで下さいとも願う。

30歳前後で母親を失う娘たちを想うと悲し過ぎる。
私(人間)は自分のためには頑張れないが、娘たちのためにならば頑張れるので病気と戦おうと思う。


posted by 優子 at 20:17| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月23日

56歳まで元気で過ごせた恵みを感謝します

尿の細胞検査は異常なし、今日の尿はきれいで、腎臓の超音波検査も異常なしだった。

しかし、膀胱の内視鏡検査で異常があった。
膀胱の入り口に突起物があり、通常ならばツルッとした感じの内部の粘膜にも一部(かなりの部分)に不正なところがあり、次は組織をとっての検査となった。

組織検査は腰から下半身に麻酔をかけるために、まず、その検査を受けるための検査があり、血液検査、心電図、胸部X線検査を今日済ませてきた。

組織検査は短期間入院の必要があり、検査前日に入院して検査後一昼夜(?)は導尿管をつけて要観察、良好ならば退院ということになるらしい。
検査入院の日程は次回の受診時(30日)に決定するのだろう。

今日は話を聴くも何も、これが全てだった。
「では御経験上、どういう場合が多いですか?」
「それを突き止めるために検査をするんですよ。」の繰り返しで、「焦る気持ちはわかりますが、今は何もわからない。」と言われて忍耐の限界に達してしまった。

「しかし、当事者というのはこういう気持ちになるものですよ」と、それ以上は言葉を呑んだが、その焦る気持ちも含めて応対するのがプロではないか。しかも、ここは命を扱う現場なのだ!
要は、「とにかく白ではない。」と断言されて、「限りなく(と言われたように思う)疑わしい」との診断だった。

コミュニケーションが取りにくい医師なので不満を感じている。
まだ若い方だからとかプロ意識に欠けると言うよりも、その人の在り方なのだ。若くて経験の少ない医師にも心惹かれる人も多い。
子どもとの日々の関わりを通して親になっていくのと同じように、教師も、看護師も、牧師も、社長も・・・全て同じ。医師もまた患者によって育てられていくのだ。
早々にこの不快感をイエスさまにもっていかねば心が乱れて、神のみ声が聴こえなくなる。

      苦しみのさなかにいると
      苦しみはもうなくなって
      ただ生きるということだけだった。


八木重吉の心境と同じである。
やり残している心残りなことは何か・・・。帰りの電車の中でいろんなことを思い巡らせていた。

帰宅して直ぐに長女に電話した。
考えていたことを話していると嗚咽(おえつ)してしまった。
泣く気配は全くなかったのに、やはり頑張っていたのだろう。半生を振り返って悔しかったこと、嬉しかったこと、今後の心配事、どうしても神さまに成就して頂きたいこと・・・などを話し始めると、直ぐに涙で言葉が詰まってしまった。
静かに聴いてくれていた長女だった。ありがとう。

直ぐにでも私(母)のところに行きたい、顔を見て話したい、明日行ってはいけない?と、何度も励ましの手を差し伸べてくれたが、感謝しつつも受けなかった。

一人になりたいからでもない。
今週十分に一人だけで神さまとの時間を過ごしていたからね。
でも、ユキが来ると疲れるの。ごめんね。今日もとても疲れてしまったから。

孫は勿論かわいいけれど、かわいさが違う。
「我が子が可愛いから孫も可愛い」と言っていた母の気持ちがよくよくわかる。私にとっては知子と真智子が一番かわいい!!!

若さって素晴しい。子育てしていた20代、30代の時はこんなじゃなかったもの。

56歳まで元気で過ごせたことを心から感謝している。

一昨日も心配して神戸の叔母が電話してきてくれていたので、叔母にも報告の電話をした。年をとっている叔母に申し訳ない。
つい口がすべって「叔母ちゃんに見送られたい」と言ったら、「なに言うてんの、優ちゃん!」とカツを入れられた。

夫は昨夜に続いて今夜もまた別の会合で帝国ホテルに行っている。帰りが遅くなるので、今からチャッピーの散歩に行こう。

祈って下さっていた方々、ありがとうございます。
覚悟していたものの緊張の高まりを娘や叔母に、そして、今、Nさんからの電話でも励まされ、緊張がほぐれました。友の愛を感じます。

何よりもイエスさまの気配を感じながら過ごせていますので、どうぞこれからも私が主と共にありますようにお祈り下さい。
お一人おひとりの上に神の豊かな祝福がありますようにお祈りします。



posted by 優子 at 19:32| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月22日

逃げないで!

若者へのメッセージ:

現代のストレス社会を生き抜くにも、全ては自己の建設から始まる。
ストレスがあるからこそ自分を磨いていけるのであり、まずはストレスの受け止め方こそが大切だと思う。

カントの『純粋理性批判』だったと思うが、― 最後まで読まないで途中で投げ出してしまったので確かめていないが ― 真空の中では鳩は飛べずに落下してしまったというようなことが書いてあったと記憶している。

ということは、空気の抵抗があるからこそ鳩は飛べるわけで、真空がストレス抜き社会だとすれば、果たして我々はストレス皆無な状況を提供されたところで、今のように生き生きと生きていけるだろうか。

余談だが、このことを考えていたのは、母の介護の帰りの地下鉄の中だった。私が最も苦しんでいた人生の不条理さに葛藤していた時代のことだ。
頭の中で鳩がパタッと地に落ちた時に、下車しないといけなかった駅でドアが閉まってしまってハッとして立ち上がったのだったが、あの頃はアップアップしながらも神に食い下がり、苦悩があるからこそ生きる意味を見出せるのだと自らを励まし続けていた。

若者よ、ストレスに埋没してしまってはダメだ。
今の状況から逃げても解決は無い。
居場所を変えたところで新たなストレスが起こる、と言うよりも結局全ては同じなのだ。なぜならば自分から逃げることになるのだから、逃げ続けたところで絶対に自分からは逃げられない。

「石の上にも3年」という諺は決して過去の遺物ではない。とにかく、今の持ち場で悪戦苦闘することだ。
その時に神に助けを求めるならば、全てが最善に導かれていくことになる。大きな実を結ぶことが保障されている。

ついでながら、「ストレス」という概念と言葉の創始者、カナダの生理学者セリエは、「ストレスは神への感謝によって解消する」と述べているそうだ。

この困難の中で練られながら、神は私たちそれぞれに備えられた最高のものを引き出して下さり、成熟へと導いて下さるのだ。一生をかけて!

   全ての人間の抱える問題の中には
   そこに何らかの可能性を捜そうとする
   前向きの人にとっては
   チャンスが隠されています。
  
  
        (ロバート・シュラー 牧師)

「求めなさい。そうすれば与えられます。
 捜しなさい。そうすれば見つかります。
 叩きなさい、そうすれば開かれます。」


        (マタイによる福音書 7章7節)


若者よ、今こそチャンスなのだから逃げないで!
若者の上に神の導きがありますように!

いよいよ明日は検査の日だ。
私も逃げないで雄々しく進んでいこう。
握らせて頂いたみことばは、詩篇112篇7節。

 「その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心は揺るがない。」 アーメン!

前述した真空の鳩のことは、今から14〜5年前の苦悩に呻いていた時だった。今改めて、まことの神である主を頼みとできる生涯に招かれたことに深い感謝を覚える。
主は私をここまで連れて来て下さったのだ(^−^)。
ハレルヤ!

posted by 優子 at 19:45| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年05月21日

初めまして、美濃紙業の○○君!

ゴールデンウイークの連休に入った頃から、急にブログアクセス数が300〜384ほどにも跳ね上がり、訪問者は100名を越えて喜びに驚いていたが、連休明けから再びダウン。
結局、アクセス数も訪問者数も元に戻り、約130と60名ほどに落ち着いてガッカリしたのだが、ずっと読んで下さっている方々に改めて感謝したのだった。

そんな新しい気持ちにさせられていた19日の夜に、長女から思いもかけない嬉しい速報が入った。

「就職活動中に美濃紙業で検索して見つけたようで、以来一年『優子の部屋』(旧名)の愛読者ですとのこと」。

19日の午後、新入社員の○○君が長女の婿と共に営業に同行した時のことだった。
親バカパパ婿が、我が子の写真を嬉しそうにご覧に入れたところ、「よく存じております」と返されてビックリ仰天したことからわかったのだった。

「ハイキングのコースってどこですか」
「お孫さんをお風呂に入れる社長の顔、普段と全然違いますね」
「奥さん、目が悪いのですね」
などなど、
婿にすれば妻の母が書いている文章やブログに未だ関心を示さないままだから、二重の驚きだったことだろう。(と願っている)(ごめん)
まさにこういう会話こそが、営業マンの有能さでもあろうから、営業マンとしても大いに期待できると、昨夜も夫と話していたことだった。

書いているものを読めば、書き手の人物像が見えてくる。
その人の関心事、価値観など、その人と関わらねばならぬ相手であるならば、真摯に向き合うべきが誠実さであろう。

それゆえに私もまた尚のこと、どのような方だろうかと嬉しくなってしまった。
『メメントドミニ』は会社のニュースレター風のブログではないのに、就職活動中から、そして、入社が決定してからもずっと読んで下さっていることに、その人の生きる姿勢を感じている。


無機的なものではないからこそ読んで頂けたとも思うが、それにしても、自分にとって大切な関わりとなる相手、あるいはまた会社であれ、それらに対する姿勢や関心の示し方に誠実さを感じた。


入社してすぐの今は、無我夢中で精神的にもしんどい時期でもあろうが、もう一人の新入社員の若者も、今よりしっかりと人生の土台を造り上げていって欲しいと思う。

大学を卒業され、人生は始まったばかり。美濃紙業というグラウンドで自己を大いに磨きつつ、最高の人生へと導かれんことを心から願う。

一日の終わりに『メメントドミニ』を読むのを日課にして下さっている○○君へ:

ようこそ美濃紙業へ!
美濃紙業は全人的経営にハンドルを切った会社ですから、フレッシュマンのあなた方の意欲をつぶしてしまうことがないようにと、私も背後で「only one 」なる人材育成に情熱を注ぎたいと思っています。

ブログのことが話し合いのきっかけになるなんて最高の喜びです。
ブログをお読みになって共感されたこと、異なった見解をもたれたこと、疑問点など何でも反響を返して欲しいです。出会いが深まっていくことを希望しています。

コメントを通して新しいことに気づかせて頂きたいので、どうぞこれからも読者でいて下さいね。よろしくお願いします。
るんるん




posted by 優子 at 15:50| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2008年05月20日

扉が閉まる前に!

四川大地震が起こって1週間経ち、時間の経過と共に悲惨な現状が報じられ被害の大きさに言葉を失う。
中国政府は昨日の時点で死者が3万4073人と発表し、ミャンマーでも死者・行方不明者が12万人の大惨事となっている。

中国はようやく人的支援を受け容れたが、5月2日にサイクロンが襲ったミャンマーにおいては未だ、人命救助を最優先せずに軍事政権を誇示している。
このことがどうしても理解できなくて考えてしまう。

このことは国家レベルだけではなく、個人の問題にしても同じではないかと考えさせられている。
自助努力で解決できそうにない時には、助けを求めるべきだ。

「私は○○で困っています、悩んでいます。」と、親や信頼できる友や上司などに相談して、アドバイスを求めるべきだろう。
ましてや為政者が国の体面を気にして、また自己の体面を気にして家族や会社のために助けを求めないとしたら、何と罪深いことかと思う。

「物質支援は受け入れるが・・・」という言葉にも違和感を感じている私は、その姿勢が奇妙でならない。
国家間のことになるとそのような感覚になるのだろうか。
人生問題であれ、国家のことであれ同じ延長線上の問題だ。助け合う、助け合えるというのは、お互いに何と健全で感謝なことか!

家族を失った人々の慟哭。
私たちもどうする術も無く、ただ神に最善を祈り、援助金を捧げることしかできないが、大災害から神のみこころを思い巡らしている。
報道を見た時、咄嗟にマタイ伝24章19節の聖句が浮かび、今も脳裡から離れない。
「その日には、身重(みおも)の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である」と。

地のひと震いのもとに瓦礫と化し、多くの人命が失われてしまった。神は全世界の人々に何かを告げるために人々を犠牲にされたのだろうか。災害で生き残った者だけではなく、他国の我々もまた深い意味を探らねばならない。

生活よりも、健康よりも、経済や学歴よりも全ての全てに先立って、自分の存在の意味、即ち、神を捜し求めよと告げておられるのではないだろうか。

2006年2月20日発行『JCP関西ペンの声』に掲載して頂いた拙文、「扉が閉まる前に」の一節と同じ心境である。(カテゴリ「JCP関係」2006年2月22日参照)

「この前の津波を思い出してほしい。善良な人々もそうでない人々も一瞬にして取り去られたのだ。
このこと一つ考えても、死ねば終わりであるわけでも、死ねば全てが赦されるわけでもない。」


そして、こう続けたい。

「ですから私たちは、地震によって一瞬に失われてしまうもののためにあくせくするのではなくて、突然に命さえ取り去られてもいいように備えをしようではないか。」と!

キリスト教精神に基づく国際NGOのワールドビジョンは、40年間にわたってミャンマーで支援活動を行ってきた地道な活動を通して、ミャンマー政府から信頼されて、「このたびの災害で、国連以外で緊急援助の要請を受ける数少ない団体の一つ」として、早々から現地に入って活動を続けている。

3000円で、約4家族に1週間分の食料(米17.5キロ、豆類6キ
        ロ、食用油4キロ)を配給可。

5000円で、毛布2枚ずつ、15家族に支援可。
10000円で、子どもの衣料3枚ずつ、47家族に支援可。

問い合わせ先は、http://www.worldvision.or.jp
       0120−465−009 です。

 「何もかもはできなくとも、何かはきっとできる」。


posted by 優子 at 15:51| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年05月19日

悩めるナウエンにより自己確立へと導かれる

世界的な霊的指導者のナウエンだからこその「神を利用する罪」は理解できても、彼に神の愛を疑う苦しみがあったとは驚きだった。

私の場合は神の愛を疑うというよりも、なかなかわからないがゆえに信頼できていなかったというのが正しいが、著名な信仰者にして何という正直な告白であろう。
私は初めて分かち合える友、「霊魂が響き合う友」と出会えたような喜びである。

ナウエンの受け止め方に驚かされたのは、「放蕩息子」の弟が放蕩の果てに悔い改めて父のもとへ帰ってきた時のことだ。弟は息子としてではなく雇い人として迎え入れてほしいと願ったことについて―

「弟は、ありのままの自分を息子として赦す父を信じることができない・・・この『雇い人』という言葉に、ナウエンは、弟が、どれほど神の無条件の赦しを信じていないかを感じとっている」というのだ。

それ故に、ナウエンは、「霊的生活における最大のチャレンジは、神の赦しを受けること」だと述べている。

肉体の棘(病気)だけではなく、精神的な棘(心の傷)を持っている人は、一般の人々が感じ得ない深いメッセージを感じとれるのだと思うが、しかしまた、我々は歪んでしか見ることのできない部分があるということも人間の本質としてあるので、ナウエンの見方が全て正しいものではないであろうことも視野に入れながら探っていくべきだろう。

霊的なものを読み進めるにも受身ではなく、常に自分自身が神と向き合って読み進めることの大切さを強く感じる。神はそれほどに一人ひとりをユニークな存在として大切に関わって下さっているのだと思わされている。

いずれにしても天才と呼ばれるような人々に共通しているのは、健全な域を越えた鬱を経験しているようだ。
と言うよりも、それゆえに天才と呼ばれるのであろうし、内側が飛び抜けて優れたものを生み出していくのだろう。ナウエンを読みながらしみじみ思う。

posted by 優子 at 16:36| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月17日

新たな力に満たされた家庭集会

更新しなかったためにご心配をおかけして申し訳ありません。
元気にしております。ありがとうございます!


今日もまた御臨在に満ちた谷口家の家庭集会に集わせて頂き、平安と恵みに満たされている。お祈り下さっている方々に私以上の祝福がありますように!

拝読した聖書は、ヨハネによる福音書2章1節〜11節で、イエスさまが初めて奇跡を起こされたカナ(地名)の結婚式での記事が書かれている。ヨハネ伝では「奇跡」とは言わずに「しるし」と言っている。

結婚式最中にぶどう酒が足りなくなり、イエスさまが水をぶどう酒に変えられた箇所である。我が体内、霊のすみずみに行き渡った薮野牧師のメッセージをあなたにも!

ぶどう酒が無いというのに、イエスさまはカラッポの「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われた。
そんなこと何の関係があるのかと思うが、母マリアと僕たちはイエスさまが言われた通りに従った。


私たちも問題や困難と出くわした時に、神に求める者には必ず関わり助けて下さる。助ける時と方法は神に委ねること。
聖書の神さまはどこまでも主権者であり、私たちの願い通りになるわけではなく、神が最善にして下さる時と方法がある。そのためには、イエスさまのみわざに与ることであり、従うことである。


イエスさまは人を助け、祝福するために御力(みちから)を用いられた。荒野にて40日間サタンより激しい試みを受けられた時も、ご自分のために神の御力を使うことはされなかった。

ご自分を満たすために、また、ご自分を誇示するためには一切使われず、人々に祝福を与え続け、注ぎ続けるご生涯であった。

どんなに状態が悪くても、イエスさまがそう仰るのならそうしようという時に、神さまの新しい祝福がなされていくのではないでしょうか。


アーメン!
春から特に祈らされている妹のこともしかり。(ブログは読んでくれていないようだ)
状況を見ないで、主イエスを見上げよう。
私にとっても大きな訓練だ。祈りの中で内なる促しを感じたら従って行こう。今まで経験してきた折々の助けと恵みを忘れないことだ。信仰の先輩方にもどんなに感謝していることか!

ところで、Nさんより1週間遅れて昨日、近隣の知人が股関節の手術をされた。
この方はNさんよりももっと悪く、左右同時手術の予定だった。
ところが、思っていたよりも骨の状態が悪くて時間がかかり、昨日は片方だけの手術となり、3ヵ月後にもう片方されるとのことだった。

今日は術後の痛みも和らいで居られたとお聞きして安堵し、引き続き順調に快復されるように祈り続けよう。
「藤本です」とインターホンごしで話すと、「はいはい!」と、いつも元気よく応えて下さるYさん。
Nさんと共にご快癒をお祈りしています。

15日は冬布団カバーを洗濯し、布団を干してからお昼までは証しに集中し、午後は家事に大忙しだった。
昨日今日と長女の婿が紀州製紙の工場見学で留守のために、昨日のお昼頃に娘は孫台風(とにかく寝なくて困る)を連れて我が家に上陸したのだから大変!

実は長女が再び13日に頭位変換性めまいの発作を起こしたので、夫は私が行ってやるようにと言い残して昨日は日帰りの東京に出発した。

チャッピーの狂犬病の注射を済ませて午後に出発しようと思っていたら、無事到着となった。(今年もチャッピーは大暴れ。私にも噛みつくかと思うほど怖かった。)

夫もまた東京行きの前日はゴルフで、その翌日も出張のために会社を空けるからとゴルフ帰りに会社に寄り、昨夜も夜遅くに帰宅したのだった。
にもかかわらず、今朝も9時前から谷口先生宅の家庭集会に連れて行ってくれた。夫の車のあとを娘の車でついて行き、娘宅に娘の車を置きに立ち寄ってから集会に急いだ。

5時過ぎに娘の家を出て、買い物をして夕刻7時に帰宅。全ての道中を守って下さったことを主に感謝している。

posted by 優子 at 23:39| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年05月14日

ナウエンにより回答を得る  ―ブログ考F―

今朝はハバクク書を開いたあと、中断していた大塚野百合氏の『ヘンリ・ナウエンのスピリチュアルメッセージ』を読み始めて大きな示唆を与えられた。
そこで今回もブログに関して考察を加えることになった。

私は時として、ブログを書きながら「自意識」に悩むと書いたことがあったと思うが、私が感じていた自意識の正体は「誘惑」だったのだ!

「・・(牧師が部屋にこもって)神の前で集中して祈る・・そのような祈りについても、ナウエンは、誘惑があることを敏感に察しています。
それは、祈りによって自分の魂を『充電』して、素晴しいミニストリー(牧会)ができるようにしたいという誘惑です。

立派な牧師であり、伝道に成功している、という評判を得たい、霊性において深い人であると評価されたい、という思いです。
これこそ、彼が繰り返し警告を発している『神を利用する罪』です」。


これだ!
これが私を不快に感じさせ、戦い続けていたものだった。
私は著名であるどころか、全く名も無き一人の人間なのだが、人に読んでもらうことを意識して日常的に書いていく時に、いつの頃からか私も感じ始めた意識だった。
そのような自意識に煩わされて霊的にスッキリしない時には書かないことにしていた。

常に祈りながらであるのは言うまでもなく、それでも尚、幾たびか書くことに抵抗を感じることがあった。それゆえに「神を利用する罪」が直感的にわかった。(「過去ログ」2008年4月28日参照)

大塚氏は続ける。
評判になっているような著名な信仰者であっても、「神を利用する誘惑にさらされていることに全くきづいていないようです」と。

私を苦しめていた自意識の正体がわかったこと、求めていた答を与えられたことが嬉しくてならず、それはまた、神さまに「書きなさい、書き続けるように」と背中を押し出されたように感じている。

そして、やっぱりそうなんだと、私が書こうとしていること、書きたいことについて再確認させて頂いた。

「また彼(ナウエン)は心理学者カール・ロジャースの言葉を引用して、最も強く人の心に響くものは、それを語る人にとって、最も個人的であり、その人特有の経験から出たものであることを強調します。
どこかの本に書いてある、誰かの言葉をただ引用するだけでは、聞く人の心を動かすことはできないということです。

それゆえ、ナウエンはくどいほどに、いつも繰り返して、いつも述べています。牧師は、自分自身の心の傷、苦悩の体験から滲み出るメッセージを述べるべきであると。このことこそ、本書のテーマなのです」。


そのためには、私はもっともっと裸にならねばならない。
ナウエンがひそやかな心の動きも隠さずに書き記したように。
少なくともこの黙想と考察により、ブログを継続する方向性は決まったように感じている。


12日に発生した中国・四川大地震の死者は1万2000人を超し、1万8000人が今も生き埋めになっている。
毒入り餃子に始まり、チベット問題、北京五輪と中国政府の思惑に苛立ちを感じていた時に、大きな自然災害が起きてしまった。
発生3日目の今も瓦礫の中で助けを待っている人々がいる。
一人でも多くの命が救い出されんことを切に祈り、この最悪な出来事が中国政府の姿勢を揺さぶって、一切の問題解決の突破口になるようにと願っている。



posted by 優子 at 14:42| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

信仰の証しとブログについて ―ブログ考E―

先の記事に関連して、私は今もまだ、ブログを継続すべきかどうかを迷いつつある。
ブログというのは自分の甘えではないかと思うからだ。
今は甘えの世紀なのかなあと感じたりしている。

共に慰め励ましあって生を渡っていくというのが私の信条であり、イエスさまを伝えたいとの願いで、神に捧げる気持で書き綴ってはいるのだが、どうもスッキリしない感情が常にある。

聖句を引き聖書講読調の内容ならば、そのような感情を抱くことはないのだろうが、イエスさまをご存知でない方は学びだけではなく、クリスチャンの息づかいをこそ知りたいと思うのだ。
ものごとや困難に出くわした時の感じ方、それをいかに受け止め、何を求めていくのかなどをお知りになりたいのではないだろうか。

そこで、私が書きたいのは、日常生活での人生の機微にふれて、それを私が如何に感じたか。
時に葛藤し、キリスト者なる私が如何なる方向に転じるのか、あるいは、神によって転じられるのか。私の思いと行動が、いかにしてキリストに導かれていくのか、そのあたりを書きたいと思っているので、私生活を包み隠しては心中を語れぬし、かといって限界がある。

その制限の中で書き込んでいるつもりであるが、ある方にとっては『メメントドミニ』は順風満帆の人生でしかなく、「読んでいても面白くない」とコメントを下さったこともある。
同じような受け止め方で、あの方(クリスチャンの男性)も読むのをやめられたのではないかなと感じてもいる。

確かに書けていない、まだまだ書き込めていないことにも気がついている。それゆえに、『光の中を歩む』のまこさんのブログに圧倒されたのかもしれない。
「私にとって書くということ」(過去ログ『掲載文(神・文学)』)を発表して半年後くらいから、柳田邦男氏への続編を書きたいと思い続けている。一言で言うならば、偉そうなことを書きすぎた。

さて先週から始まった新たなチャレンジに、信仰の無かった頃に読んだ原崎百子さん(牧師夫人)の言葉が強烈な印象となって浮上してきた。

「皆さま、自分の信仰はいざという時に役立つだろうかと、ふとお思いになることがあるかもしれませんが、これだけは私は経験者としてはっきり申し上げます。信仰は力になります。ほんとうになります。・・・信仰は言葉ではない、力なのです。・・・自分でもほんとうに不思議なくらい、主のみことばは私を支える力になっています」。

これは、1978年に肺がんのために43歳で召された原崎百子さんの病床日記、『わが涙よ わが歌となれ』からの引用である。
次女が生後3ヶ月の1980年9月15日に購入し、一気呵成に読んだもので、この時はまだイエスと出会っていなかった頃のことであるが、有名な下記の歌と共にこの言葉が大変印象に残っていた。
   
       わが礼拝

   わがうめきよ わが讃美の歌となれ
   わが苦しい息よ わが信仰の告白となれ
   わが涙よ わが歌となれ
     主をほめまつる わが歌となれ
   わが 病む肉体から発する
     すべての 吐息よ
          呼吸困難よ
          咳よ
     主を讃美せよ
   わが熱よ 汗よ わが息よ
     最後まで 主をほめたたえてあれ

やはり、人生の本番の呻き、証しこそが人をひきつけるのだ。
命の限界を知った時、それと同じく様々な悲しみと苦悩の極みを渡った時に発するもの、それこそが人の魂に留まるのだろう。
勿論、それまでの労苦はその時のための訓練であり尊いものだ。



posted by 優子 at 12:45| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

妹とメール開通、初交信! ―ブログ考D―

昨夜、妹からメールが入った。私がPCを使い出して初めての交信である。
私のメールは、文末に名前だけではなくPRを書いているので(笑)、ブログも訪ねてくれ、今朝は電話をかけてきてくれた。
「検査の日に一緒についていこうか」とは嬉しかった。感謝。
次女のHPも覗いてくれたようだ。

妹が私のブログを読み始めるということで、ブログを書く姿勢を振り返った。今年のお正月の帰国時だったと記憶しているが、次女とこんなことを話したことがある。

私がブログを書く時は、例えば読書会のことであれ何であれ、ある人について書く場合は、その人がこのブログを読んでいてもいいような姿勢で書いているし、その人に後ろめたさを感じるような内容は書いていないことを話した。

その時に他の読者への心配りは難しく、例えば、読者を私の友人知人に限った場合でも、いろんな立場や状況の方々がおられるわけだから、一人ひとりへの細心の心配りは不可能だし、何も書けなくなってしまう。

例えばこういうことだ。
ブログを書き始めて4〜5ヶ月経った頃だったか、娘の結婚準備をしていた頃、私は今まで以上に藤本の両親への感謝に気づかされた。

関西では一般的には、どういうわけか男性側が台所関係の調度品を用意することになっており、私たちの新生活のために揃えてくれた食器棚や主な食器(勿論、私も溢れんばかりに持ってきたが)、テーブル、ガスコンロなどを思いうかべて感謝が込み上げる日々だった。

ところが、その頃は長女の婚家先のご両親もブログを読んで下さっていただけに、(台所用品もこちらで用意しなければならなかったので)それが書けなくて、藤本の両親への感謝を書けないでいた。

書かないまま悩んでいたが、このような気持ちが書けないならば、あるいは、書かないならば、私にとってブログを書く意味がないと悩んでいた。
結論は保留になっていたが、、いつの頃からか、私の真摯な思いを書ける範囲で書こうと思うようになった。


話は今回書きたかったことの本論からそれてしまったが、(前述の赤い字に続いて)その時に次女が言ったことは、「アカウンタビリティをとっているんやね。神さまに申し開きできる姿勢で書いているんやね」と言い、私の意思を聡明にして明確に表現してくれたことが嬉しくてならなかった。

それでも尚、時には良くない書き方もあるだろうが、書き続けながら改善されることを願うしかない。それは、表現法というよりは自己への気づきであろうが。

少なくとも持論を述べるには、その事柄や人物に対して、受けて立つ真剣さなくしては何もできない。社会や組織に対して発言する時もそうである。
「ペンは剣よりも強し」という言葉もある。証しどころか人を傷つけることがないようにと、常に自戒しつつ書いている。

※尚「ブログ考@」は、「過去ログ」2006年4月1日、Aは同年4月3日、Bは2007年12月13日、Cは2008年4月28日の記事にあり、自分なりの結論を得られるまで、今後も折々に考えながら進んでいきたいと思う。

最後に、「病院へついていってあげようか?」という妹の言葉に関連したことを一つ。
昨朝、夫に当日10時に病院へ来てもらえないだろうかと一声かけてみた。9日の医師の話も聞き漏らしが多かったからだ。

夫の手帳には大事な予定は入っていなかったようだし、急な用事ができれば優先順位が変わっても承知の上なのだが一言もなかった。「そんなことみんな一人でやっている」とも言われなかったが。

会社経営者であり、業界でも重い立場を担っているから仕方ないか・・と、簡単に諦めることができた。
相変わらず私は甘い!人を頼りすぎ!
今からこれでは先が思いやられるというものだ。

しかし、ここで新発見もあった。かつての私と違って大きく変えられていた。以前ならば文句を言ってひと悶着あったのに、これもクリアーしていたからイエスさまに微笑んだ。

妹にも神さまの計らいを感じる。このブログを用いて下さるのかもしれない。
同時に命への不安と恐れもよぎった。
イエスさまから目を離さないでいよう。

posted by 優子 at 11:48| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月12日

Nさん、明日からリハビリ開始 & 「オリーブの会」休会のお知らせ

「痛みも治まっておられるようで、明日からリハビリが始まるそうです。いつもの明るいNさんでしたよ。骨の仕組みなど人体の不思議を、さすが神様だと言っておられました。」とは、今日冨美子姉と共にお見舞いに行って下さった千里姉からのメールだ。

実は今朝9時ジャストにNさんからお電話を頂いた。
昨日から松葉杖で歩いておられるというから、痛々しい手術直後の傷を想像して驚いたのだった。そこまで早い早期離床なのか!

そして、手術後間もないNさんが反対に私の体のことを尋ねて下さったものだから、整形外科と泌尿器科の報告を簡単にしたのだった。
すると、「もしも悪い結果が出たとしても、早く判ったんだから良かったのよ。その時は手術すればいいんだから!」と、いつもの肝っ玉母さんのように力強く仰った。多くの優しい友に恵まれて感謝している。

Nさんは西国88箇所(数字はこれで正解だったか自信がない)ツアーに行かれて、寺のはんことサインを集めて教帷子(きょうかたびら)と掛け軸を完成させて見せてもらったことがあるが、ずっと我が家の家庭集会に集って下さっている。

その方が、「骨の仕組みなど人体の不思議を、さすが神様だ」なんて、それを聞いた私も「さすが神さまだ」と本当に嬉しかった。

私はとりあえず、気になる23日の検査が終わってから行くからねとお伝えした。どうかNさんが、これからも素晴しい快復の喜びを体験されますように。
お祈りして下さっている方々、ありがとう!
       
家庭集会休会のご案内

私のためにもお祈り下さいまして感謝します。
おかげさまで歩くと痛い背中の痛みは1週間後の10日から急激に快方に向かい、その夜には完全に消えました。
体調もよくなりました。元気です(^0^)!

しかしながら23日に嫌な検査(10分ほどですが痛いらしい)を控えており、結果を聞くまではそのことに集中したく思いますので、今月28日に予定していました「オリーブの会」は、休会させて頂くことになりました。

急きょ6月半ば過ぎに、今回はカップルではなく娘だけですが、次女が2週間ほど帰国することになり、できれば娘の滞在中に開かせて頂きたいと祈り始めています。
                                   ご報告まで。
posted by 優子 at 21:33| ご案内 | 更新情報をチェックする

摂理の道程

   「あなた(神)に選ばれ、あなたに近づけられて
    あなたの大庭に住む人はさいわいである。
    われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の
    恵みによって飽くことができる。」

                
                   (詩篇65章4節)

私の口語訳聖書には線が引かれ、「恵みの4段階」であると書き込まれている。小山牧師から教えて頂いたものである。
遺稿集でもある『恩寵の選び』にも、このところを「神と私たちの関係が4重の意味で祝福される」とし、次のように続けておられる。

「あなたの神、主はおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは・・・」 (申命記7・6〜8)とあるのも、「・・・無きに等しい者を、あえて選ばれたのである」(Tコリント1・28)という使徒パウロの告白も、取りも直さず、私たちがキリストにあって恩寵の選びにあずかった事実を裏書きするみ言葉である。

特に異教社会である私たちの国で、キリスト者が二百人に一人に近いことを思う時、なおさらである。・・・


神が恩寵の選びをもって私たちを抜擢して下さったことを覚え、明確な目的をもって私をも選び出さして下さった恵みに感謝溢れる。

午前中は小山牧師を偲びつつ再読し、その一部分を我が魂に刻みつつ記しておきたいと思う。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・

信じて救われるのは、瞬間的な神の恵みのみ業と決断によるが、信じ抜くことは一生一代の大事業であり、そこには山あり谷ありの生活がある。しかし、聖書は試練と忍耐の祝福を確約している。・・・

信仰生活の途上にあっても、悩みや試練は尽きない。
心ならずも失敗や挫折のために霊的スロー・ダウンを経験することもあるだろう。しかし、その時あなたにこの憐れみのみ座が見えているならば、信仰生活の破綻は絶対にないのである。なぜなら主イエスご自身が恵みの御座だからである。

これは常に開かれており(ヘブル10・19〜20)、神の贖いの恵みには二重三重の安全装置が施されている。背けるペテロも、惑えるトマスも大成した主の恵みである。・・・

では何ゆえに人はこの素晴しい恵みのみ座に近づかないのであろうか。それは自分の弱さ、必要を自覚していないからである。・・・
人は自分の限界に直面するまで、自らの問題点を発見しない。・・・

「私たちの弱さ」を告白する恵み・・
自我の本性、罪深さが見えてくる時、十字架の恵みがわかりすぎるほどわかる。(ローマ5・20)・・・

「この世」とは、神なき巨大社会である。政治も、教育も、経済も、文化も、芸術も、マスコミも、神の支配を締め出したこの世、ゲネアである。
その真っ只中でクリスチャンは、いのちの言葉すなわち福音の言葉を堅持し、闇夜を照らす松明のように高く掲げて証しするのである。


            (『恩寵の選び』より抜粋引用)

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

祝福の原点は神の前にへりくだることであり、そこから祝福への道が始まる。
「神の原点から離れる時、いつも神の恵みはその人から去る。」という苦い経験、私はいくたびしたことか!

信仰生涯第1章(1987年〜2007年)とも言える様々な訓練を終えて、私は今、次のステップに引き出されたように感じている。
いよいよ純度高く練られていくのだろうかと緊張しているが、全ては神の御手の中でのこと。

それは摂理の道程であり、訓練度が増すほどに神の恵みがいかなるものかを判らせて下さるに違いない。
緊張しつつも、私は大いなる期待をもって臨んでいる。

posted by 優子 at 15:54| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月11日

小山恒雄名誉牧師召天 教団・教会葬

今朝の礼拝中に教会に電話が入った。
呼ばれてビックリして受話器を取ると、放出教会の礼拝に出ていた長女からだった。
私に洗礼を授けて下さった小山恒雄名誉牧師が、9日の午後2時39分に召されなさっていた。
既に前夜式も終わり、今日の午後2時半から告別式が執り行われようとされていた。ママも出たいだろうからと、せめて告別式には間に合うようにと娘の計らいであった。

席に戻ると、ポタポタと涙が落ちた。
私たち夫婦は説教のあと、献金を捧げて直ぐに退出して帰宅した。放出教会の知子たちは乳幼児を抱えて遠く着替えに帰るのも大変なので、礼拝を終えて帰宅した。

谷口先生は私に知らせるべきかどうか迷われ、知らせれば何をおいても来られるだろうからとのお心遣いを、何度も詫びて下さり申し訳なく思った。
しかし、神さまはどうしても大切なことは、このようにして必ず伝えて下さるのだ。毎週行かない(行けない)知子たちを、今週の礼拝に導いて下さったのだった。

以前住んでいた家のあたりを過ぎ、高井田の交差点を右折した時、急に涙が溢れ出た。我が父の遺体に会うような、3人目の父も地上を去ったという気持ちだった。

かつて、「見えますか愛?」というキリスト教番組がテレビであった。その終わりに、「安心して通える近くの教会を紹介します」というので、葉書きを出したのだった。
しかしその時、教会へ行く気持ちは全くなかった。ただ、この近辺の教会を知っておきたいというだけで投函したのだった。

すると番組から返信を頂いて直ぐに、小山牧師ご夫妻が我が家を訪ねて下さった。記録簿を探せば日時がわかるはずだ。マンションの狭い玄関の中に入って頂き、そこで少し話しをして下さり、祈って下さった。お祈りを聴いて同志社時代のことを思い出した。

「来週はイースターですから、是非、いらして下さい」と誘われて、私は生まれて初めて教会の門をくぐったのだった。家族と共に。そして、人生が大きく展開していった。

今、このように神の恵みの中で生かされるのも、小山先生との出会いから全てが始まった。それからの数年間は、先生の説教が私の動脈にドクドクと流れていき、即刻血や肉になっていくのが判るほどだった。

日本イエス・キリスト教団の委員長をされ、世界宣教局長の時には、インドネシアのカリマンタンの奥地にまで行かれた。
このほか、関西聖書神学校教師、日本聖書協会理事、ジョン・ウェスレーに学ぶ会会長、大阪ケズィック・・・など、多くの要職を歴任されてきた。

また、今日も何人かの方が弔辞で仰っていたように、実に文才に優れ、真理を求める学者肌の牧師であった。私には信仰に導かれた初めから、知的探究心を強められる説教でもあった。

2002年11月に脳梗塞を起こされ、心臓の手術をされたが、雄々しくリハビリに励まれて、お体とお言葉がご不自由ながらも礼拝の祝祷と、月に一度の礼拝説教をされていた。
そして今年3月3日に再入院されて、ついに天に帰還された。

告別式の説教者、日本イエス・キリスト教団委員長の斉藤亘牧師は、小山先生の牧師伝道者としてのご生涯にふさわしいみことばとして、また、先生が私たちに託する言葉として、テモテへの第二の手紙 4章1〜8節を読まれた。
この箇所は、パウロが若い伝道者テモテに書き贈った言葉である。


「神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、・・・
わたし(パウロ)が世を去るべき時はきた。
わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。

かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現(復活の意味)を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう」。


小山恒雄牧師の地上生涯は79年だった。

私が最後にお目にかかった今年1月第一聖日の礼拝のあと、「『恩寵の選び』を渡しましたか?」と聞いて下さり、内田兄から頂戴したことと共に、何度も拝読させて頂いていることを申し上げた。
『恩寵の選び』は4年前に世に出されたものであり、私の宝物でもある。

あの時、「まっちゃんは・・・、ともちゃんは・・・」と、姉と妹を間違えておられたようだが、今も娘たちの名前を記憶して下さっていることに胸が熱くなり、父親のごとき愛に感謝した。

今日参列者に配られた御著書、夫婦共に頂戴した2冊は知子と真智子に手渡すことにした。夫もこれを機会に拝読すると言ってくれている。1696.jpg
                     いのちのことば社発行

毎月寄せて頂いていたM家の家庭集会の帰り道、中央大通りの長田の交差点で牧師の車は右折、私たちは直進するので、小山先生はいつも「ブー!!!」とクラクションを鳴らして「サヨナラ」を送って下さった。
懐かしすぎて耐えられない。


神さまに小山先生を感謝し、小山先生のごとくに、私も私の走るべき行程を走り尽くす覚悟を固くした。
ご家族の方の上に神さまの豊かな慰めをお祈りしています。
小山先生、ありがとうございました。

       
        

posted by 優子 at 22:33| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

命の告知について

先の記事の続きになるが、自分自身の命の終わり、死を意識しながら検査台に横たわっていた時、こんなことも考えていた。

夫や娘たちには、私の伝えたいことは伝えているつもりであるし、このブログが遺言となってくれるだろうと安堵したが、残りの時間がたった1ヶ月と告知されたところで、突然死よりもありがたいと思った。

私が癌ならば絶対に告知してもらいたい。
命の期限を告知されて平気な人はいない。落ち込んで当たり前だし、そのことも越えて行きたいのだ。勿論、家族や友たち、周囲の方々に支えを頂いてのことであるが、私も一切を乗り越えて行きたいと願っている。

子どもたちはそれぞれ伴侶を得て、自分たちの人生を独立して歩み始めているので、既に肩の荷はかなり軽減されているし、収入のない私なので経済的には夫を困らせることもない。
しかし、隠されては困る。絶対に困る!


娘たちの伴侶たちのことも神に委ねているので、もはや心配はしていないが、時間的余裕があれば、もう一度それぞれに語って安心を得たいと思う。妹や兄、叔母とも話したい。

ところで、4月21日に亡くなられたSさんのこと、お兄様に申し上げてお気持ちを少しでも楽にして頂きたいと思うのだが、今も十分に祈られておらず促しを得られずにいる。

奥様がご本人に命の期限を告知されたことを、お兄様が憤られて揉めごとになったことは直ぐにお聞きしていた。奥様は当日になっても会社関係者が誰も参列していないので不思議に思われたが、亡くなられたことを勤め先にも連絡されていなかったことを、奥様からの電話で共に知ったのだった。

奥様の悲嘆、また、お兄様の悲嘆・・・を思い、神の慰めを祈り、どうか悲嘆を複雑にされないようにと祈らずにはおられない。

昨日、私自身の死を意識して思ったことは、これまでの考えと同じであった。
つまり、お兄さんの弟さんへの思い、愛はよくわかるが、ご兄弟は奥様(ご本人のお嫁さん)の気持ちを尊重してあげてほしい。


それに、兄という立場と、妻という立場では見え方が違うだろう。
一家の大黒柱であるご本人は、残される家族の生活が心配だろうし、成人したとはいえ、2人の若い未婚の娘さんがおられるのだ。私ならば涙ながらにも夫と共に話し合っておきたい。夫だって娘たちの将来のことを妻と話しておきたいだろうし、奥様も話し合っておきたかったに違いない。


しかも、ご夫妻は数年前に結婚した人たちではないのだ。
結婚して30年以上もの年月を共にして、人生を切り拓いてきた夫婦なのだ。だから、妻の気持ちが第一にされるべきだし、亡くなられたご本人の最も近くで、最もお世話をしてこられた方なのだから、お嫁さんの考えが尊重されるべきだ。


どうかお互いに悲しみを重ねないで!
死別という悲しみだけでも耐え難いのだから!


病んでやつれる間もないほどにすさまじく増殖し続けた癌細胞。
病気は非情だ。最期もやつれてはおられなかったというのだから絶句する。
外見からだと癌末期の方とは全く思えなかったゆえに、それからたった1ヶ月で絶命されたとは、どんなに苦しかったことだろうかと何度も何度も痛みを覚え偲んでいる。

悲しみから3週間しか経っていないが、時間が鎮痛剤となって和解することができるように祈っている。
神さま、助けてあげて下さいね!
必要ならば整えられて遣わされたいと願う。
posted by 優子 at 17:04| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

死を意識して

Nさんの手術は昨日無事に終わって快方に向かっておられる。
早々からリハビリが始まるとお聞きしているので、どうか順調な快復とリハビリが進められていくように祈り続けよう。

私はあえてNさんに手術の時刻を尋ねなかった。居ても立ってもいられなくなると思ったからだ。
今朝留守宅にお電話して、朝の9時半頃から2時間くらいの手術だったと知った。ちょうどその頃は私も検査台に横たわっていた時で、手術台のNさんを想っていた。

Nさんは今、手術台の上に居られるのだろうか?
この手術にあたり、Nさんご自身が神さまに祈っておられますように。手術を成功させて下さったならば、股関節の痛み除去の喜びだけではなく、もっともっと大きな喜び、神の恵みを受け取る奇跡がなされますように。・・・

今回行われる3種類の検査で悪い結果が出ることも覚悟しつつ、どんな人生も未完で終わるんだと思った。
持ち時間いっぱいになれば、解答用紙が空白であってもペンを置かねばならないように、「はい、そこまで」と心臓が止められるんだ。そもそも人生を完成して終える人は誰もいないだろうが。

しかし私たち、イエスを神の子と信じる者には、イエスによって人生を完成させて下さることを限りなく感謝した。全ての人間が命を下さった神の前に立たされることも実感として感じとれた。

何とありがたいことか、私の罪は既に贖われているのだ!!
森有正は人間最後に残るのは罪の問題だと言った。罪が解決されていないと死ぬに死ねないと。
私は何と感謝なことか。完全に罪赦されて贖いを完了して下さっているから、全くの恐れがない。そのことも体感させて頂いた。
「イエスさま、ありがとうございます」。
身に沁みてわかった。


部屋に流して下さっている「音の風景」も全く耳に入らず、そんなことを想っていた。
Nさん、よく頑張ったね!!
痛みが取れた頃にお見舞いに行くからね!
「オリーブの会」の皆さんがお祈りして下さっているからね!!

        雨犬雨犬雨犬雨犬雨犬雨犬雨

今日は2ヶ月くらい前の気温に戻り、暖房を入れるほどの冷たい雨の一日だ。出したままの足温器が役に立っている。
さて、5月10日は誰かさんのお誕生日。
その子は、1999年に神戸市で生まれ、まもなく奈良県のペットショップに売りとばされて、値段を下げられても一匹だけ売れ残っていた血統書つきの芝犬だ。

チャッピー、9歳のお誕生日おめでとう!

7歳からは高齢犬に入るなんて知らなかったよ。
でも、人間ならば52歳なんだから、我が家ではチャックンが一番若いね。お鯛さんはないけれど、今夜は3人で鰆を焼いてお祝いしようね!
来週の狂犬病の予防注射、お願いだから困らせないでね。わーい(嬉しい顔)

posted by 優子 at 15:08| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月09日

検査に検査が続く

今日は泌尿器科を受診した。
尿への出血が僅かだと思っていたら、医師は開口一番にかなり出血していることを言われ、何度もくり返された。早速、造影剤を使って尿の流れを見て、石が詰まっていないかの検査に取り掛かった。

造影剤を使っての検査なんて初めてだった。
「非イオン性造影剤(ヨード造影剤)」という検査薬を使用するので、時に重い副作用が出て、入院、手術や、死亡もありとの説明を受け、誓約書を差し出された時は一瞬かたまってしまったが、確かに神は私をも見棄てられなかった。体験者が語るごとくに、主は私にも深い平安のうちに事を進めて下さった。

検査台に横になって腹部の写真を撮り、その後、1秒に2〜3滴の速い速度で点滴を流し入れた。腎臓に溜まり始めた開始10分後に1枚、膀胱にまで達した頃に1枚、そして、点滴終了して1枚と計4枚のX線写真を撮り、30分ほどで終わった。

この排泄性腎盂造影検査では異常は認められなかった。
腎臓は正常に機能して尿を作り、膀胱へ滝のように流してくれていた。腎臓が腫れている様子もなし。感動!感謝!

2週間後には膀胱の内視鏡検査である。もう恥かしいも何も言っておられない。
(読書会の今は亡き)近藤さんが何度もやっておられた検査だ。「あの検査は痛いからなあ、嫌やねん」と、警察病院へ何度かお見舞いに伺った時のことを思い出して懐かしかった。

それと、腎臓の超音波の検査も同じ日に予約を入れた。
「出血の原因が考えられるのは3つで」と2度も説明されたのに、結石、・・・・あとは全く聞き取れていない。やっぱり動揺していたのだ。腎臓か、膀胱かということだろうか。全く耳に残っていない。

長時間診察を待ちながら、知らない者同士が話していた。
「お医者はんは、主人が死んだら息子のところへ行けって言いはるけど、何でこんな年になって嫁に気遣わなあかんのん。別に一人で死んでたってええがな。」
「ほんまでんな。一人で死んでたってよろしおまんがな。気楽が何よりでんなあ。」
「こんなことが何で男にはわからんのかなあ」。

私は両親のこと、そして、これからの自分のことを思いながら聞いていた。

今日も単科でみっちり5時間かかった。
会計の順番を待ちながら院内で食事を済ませるも、まだ出ていなかったので、昨日の一点(最高最低血圧共に基準をオーバーしているのに、こちらから問うてもなお『いや、普通ですよ』と流されたこと)だけはどうしても問題を提起しておこうと、先に医療サービス課と関連の課の方々と面談させて頂いた。
この病院では約200名の医師が従事する大人数でも、お2人は直ぐに判別された。クレームの多い医師だったからだ。

夫は、「苦情を言えば良い医療をしてもらえなくなるから言わないほうがいい」と言ったが、医療現場だからこそ沈黙してはいけないのだ。

私は日頃ボンヤリ生きているが、ここは見て過ぎ行くことはできない。本畝さんの影響である。過去ログ「社会問題」の2006年10月5日記事、「私の社会性を目覚めさせた本」をお読み頂きたい。

このたびのように公的機関であり、しかも医療や教育現場でのことならば尚更である。共により良きを求めて、共に育ち合って造り上げていこうではないかという信念から発している。


デパートに寄り道しても今までのようにおやつを買えないし、今日は千日前通りを下って鶴橋から電車に乗った。
posted by 優子 at 18:32| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月08日

ついに受診、明日もまた。

奈良県の住民になって10年目というものの、やはり足は大阪に向く。足の便が良い大阪日赤病院を受診した。読書会の方のお見舞いに2度行ったことがあるが、受診するのは家族の中でも初めての病院だ。

整形外科と初診内科を受診、整形は今日で完結だったが、総合案内ミスと初診内科での看護師さんのミスが重なり、時間切れになって明日も行くことになった。

尿に潜血反応が出ているのだから初診内科ではなく、最初から泌尿器科に誘導してくれればいいのに、その上、内科の看護師さんの指示ミスも重なり、11時半の初診受付に間に合わなくてガッカリ。

体調不調の原因は今もわからない。血液検査からは、寒気の原因となる炎症反応は出ていないとのことで一安心したが、そんなわけで明日もまた早朝よりonce againである。

整形外科では、股関節3枚、腰3枚、合計6枚撮ったX線写真による診たては17年前と同じ、臼骸(きゅうがい)形成不全。いわゆる股関節のカブリが浅いのだ。

このような人は将来、変形股関節症になりやすく、60歳頃から急激に悪くなる場合があるので無理をしないこと。そして、足の筋力を鍛えるようにとのことだった。

医師は気楽に、「今は人工股関節も良くなっているので」と言われて心強くもあったが、できることならこのままで寿命を終えたい。

腰は軽い側湾(曲がっている)があると言われてショック。
椎間板も少し悪いが、グラグラしているほどではないとのことで、今すぐどうこうというものではないらしい。共に危惧していたほどの悪い診断ではなかった。


病院に入ってちょうど5時間後に病院を出た。既に1050名もの会計番号が表示されていた。
千日前通りに出れば懐かしい高津高校への通学道。今日も背中が痛くてゆっくりしか歩けなかったが、新緑と風が心地よく上本町に向かって歩いて行った。

帰りは近鉄デパートで遅い昼食を摂った。朝食も摂らず、2時前の昼食だというのにいつもの食欲はなかった。
そのあと、書籍売り場で河合隼雄の『こころの処方箋』を買い、帰りの電車で読みながらクスクスと笑ってしまった。

「危機には人間の生地が出る、・・・平素は強そうなことを言っている人が弱さをさらけ出したり、またその逆のこともある。・・・自分の基本的傾向を変えようと努力してみたりすることによって、その傾向が鍛えられてきて、現実適応に対する有効性を高めるように思われる。
いざという時は、思わずその傾向が出てくるにしろ、やはり鍛えられているものの方が役に立つのである」。


総合案内所でのベテラン看護師のミスリード。
しかも、複数科受診の時は、それぞれに初診用紙に書かねばならないのに、ベテランナースが初診受付の人に教えられている始末。これで、かなりの時間をミスしていたのだが、主(しゅ。イエスさまのこと)に在ってスイスイと流せた。

そして、それぞれの部署で働くスタッフたちの姿を見ながら感激し、誰一人無用な人はいない、それぞれのパートが必要であると感謝していた。
ここまではよかった。
が、そのあとで初診内科のミスが重なって生地が出た。それが私の基本的傾向の一つであることも心得ている。


医師は、「先に整形も受診していると言っておいてくれたら、初診受付に間に合ったのですが」と言われたので、「最初から申してましたが」と言うと、自分を正当化して理屈をこねられたので、私の生地(勿論、心の中でのこと)が出てしまった。この医師に対して最初に不快なことがあったのが影響していたと思う。しかし、問答はしなかった。

こんなことはレベルの低い危機でさえなかったが生地が出た。
しかし、「クリスチャンは許す、何でも許す」と言われた関兄のことを思い出して、即座に不快感も忘れてしまったのだった。

改めて思うに、かつてならば、そういう自分が嫌になっていた。相変わらずだなあと。しかし、これは正常な反応ではないだろうか。その段階で自分を断罪してしまうのが間違っていたのだ。この点はとても大切な気付きであり要所だ。

医師の無礼さを不快に感じたけれど、私は確かに鍛えられていた。
まず、不快のレベルが低い、そして、すぐに主に在って流せることから、確かに神さまは鍛えて下さっている。神さまの恵みの中で生かされていることがわかった。

長谷寺のお坊さんもこのような例話こそが、ご自身の主意ではなかったのかなあと、夕食時に夫と笑った。

お祈り下さっていた方々、お見舞いメールを送って下さった方々、ありがとうございます。今日の記事をご報告に代えさせて頂きます。

posted by 優子 at 20:18| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月06日

帰国は6月中旬に

明日から人工股関節の手術のために入院されるNさんにお電話した。今日も前向きで明るい。
幸い次男さんのお嫁さんが、昨日から10日間ほど滞在して下さるので喜んで居られたが、留守中の連絡先を教えて頂いた。
Nさんの手術が最善になされますように祈ろう。

Nさんは、「コレちゃんのこと気になっているんだけれど」と、高いコレステロール値のことを気にかけて下さっていた。
腰・股関節に加えて体調まで不調なので、ついに今週中に病院へいくことにしたと伝えると、「医者嫌いの藤本さんが行くというのだから、よほどのことだと思うわ」と返された。

昨日今日と休養一筋にしていたが一向に良くならない。
鈍い頭痛、寒気、歩くと振動で背中が痛み、時間と共にしんどくなっている。何事も嫌なことから逃げないで向き合うことが私の特徴かなと思っていたが、健康については逃げていた。

何年間も平気で市民健診程度さえ受けないし、まあ、まだ大丈夫だろうという気持ちが大きかった。健康管理を怠らずに励まねばならないのに、情けないことだ。主治医もいないから困ったものだ。

さて、ここから「ミネソタ便り」に切り替え、2年目を終えようとしている娘のことを書いておきたい。
最近、と言っても10日間ほどのことだが、音信不通になっていた真智子のことも気になり始めていた私は、今朝、サインインした真智子にすかさず声をかけた。
チャットでおしゃべりしたあと、(大学のオフィスに)誰も居なくなったからとスカイプに切り替えて話した。意欲的な生活をしているのがわかり安心した。

今週で授業が終わり、6月上旬まで試験シーズンに入るとのこと。
6月5日と9日にプレリムの試験がある。プレリムとはスタンダードな試験のこと(?)で、1年目にマクロとミクロ経済学の試験があったように、2年目は労働経済学と計量経済学の試験があり、それにパスしなければならない。

2年間終了したのでIMFの奨学金も切られるが、大学で雇ってもらうから大丈夫とのこと。大学から留学資金を頂くかっこうで学費免除されて、働きながら生活費を得ることになるらしい。

この夏の仕事も決まり、まずは新入生の数学の採点をすることになった。
私には2年前のことが鮮明に残っている。真智子たちは知子の結婚式のためにギリギリになって米国の地を踏んだので、新入生が受けねばならない数学の授業も家探しに奔走し、受講したのはたった2回だった。その娘が今年は新入生の数学の採点をすると言うのだから感慨深い。

来年はIMFのインターンシップがあるので、3ヶ月間、ワシントンに拠点を移してIMFで働くそうだ。今日の最終の英語のテストにも合格し、秋からはいよいよアメリカ人を前にして教えるとのこと。

私は娘の活躍ぶりを覗いてみたいが、私たちのミネソタ行きは来年にしようかと夫婦で話している。試験日と仕事の日程が決まったので、6月10日以後に帰国する予定だ。

私たちが話し合っていた朝の7時半頃、世界中で777万人の人たちがスカイプしていた。父と母にもインターネット時代のすごさを楽しませてあげたかったな。
今日(現地5日)のミネソタは20度で、夕方の日射しがキラキラ輝いていた。

溌剌としている若者は希望だ。
夕方に出かけたドラッグストアの女の子も最高にステキだった。「幸せを祈らずにはいられない。いや、このように生きる人は、既に幸せなのだ」と、毎度お馴染みの言葉を心の中でくり返していた。
posted by 優子 at 21:29| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年05月05日

長女夫婦、初めて大叔母を訪ねる

5月3日、長女夫婦は神戸の叔母を初めて訪ねた。ユキベビーと3人家族になって。
途中、阪神高速も混雑し、芦屋出口を降りてからも1時間もかかったのでベビーもベビーをあやす大人も大変だった。

叔母は昨年早々から体調を壊していたので、今年のお正月も真智子たちは再会せずにアメリカに帰って行った。
幸いにして叔母は元気そうではあったが、膝の痛みはひどく強い痛み止めを飲みながらの日常である。そんな中にあっても心づくしの歓迎をして頂いて、知子も感謝で心満たされたことであろう。

ところが、せっかくの機会なのにデジカメを私たちの家に置いてきたために、携帯電話でのスナップとなった。

2008.5.3.jpg

「優ちゃんがおばあちゃんになったなんてなあ。・・・お母さんが生きていたら喜んだやろうにな。私だけ抱かせてもらって悪いなあ」。と語った叔母に、私は一瞬、母の姿を重ねた。

2008.5.3 C.jpg

家に着いてすぐに叔母と夫と3人で、神戸の名物である甲南漬けの本店に買い物に行った時、叔母は第一声に「赤ちゃんは知子ちゃんに似てるねえ」と言ったが、婿の実家では婿にそっくりとばかり言われて娘は少々悔しい思いをしていることを話し、「身びいきがあるのやろうね」と叔母と笑ったのだった。

従兄弟たちも結婚し、それぞれに仲睦まじい生活を送っているが、共に子供はいない。息子さんだけではなく娘さんもまたバリバリのキャリアウーマンとして活躍している。
私は叔父の子煩悩なおじいちゃんぶりを何度も想像していたものだが、孫を抱くことなく叔父は1999年に亡くなった。

さてさて、いとこのお婿さんはアマチュアながら腕のいい写真家であり、「本職はどちら?」と聞きたいほど、何度もコンテストに入賞されている。
ご本人のHPは声高々に案内されていないが、当ブログで紹介のお許しを頂いたので是非ご覧頂きたい。

「こんな携帯の解像度の低いカメラで撮らずに、私の持ってる2万画素以上のカメラで撮ってあげたかったです。・・・
(HPを)真智子ちゃんに特に見て貰いたいです!!
またワンちゃんやお孫さんの写真、機会があれば撮らせて貰いますので遠慮なく言ってください」
とのこと、サンキュー!(^0^)

とは言うものの、私の場合は携帯がいいのかも。
画像が不明瞭ゆえにアップできるから嬉しくもある(笑)。

ポンタさんは、このブログを開設後すぐにコメントを下さった方でもある。これを機会に再び、『メメントドミニ』をご愛読頂ければ感謝感謝。

叔母も80歳になった。
住友病院に来てくれて居た時は67〜8歳だった。
病院の帰りはいつも気分転換のために梅田まで30分かけて歩いていたが、あの頃の叔母は平気だった。叔母にお世話になったことは年月が過ぎていくほどに感謝が溢れ、ありがたさがわかる。
一人で越えてきたのではない。イエスさまとふたりだけでもなく、叔母と千里さん、谷口先生ご夫妻を遣わされて私を支えて下さったのだった。

「私が受けた恩寵は、求めた何万倍であったか判らないことが近頃一層明瞭になった。私にとって良いものは本当に神さまだけが知っておられるだけで私には判らなかった」。
昨日の定家師の神への想いも、今はよくわかるようになった。今後は一層イエスから目を離さずに生きていきたい。

posted by 優子 at 21:40| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

神の前で心を静める

もう召されなさったと思うが、定家都志男牧師が祈りについて綴られた『祈りの細胞』という機関誌を、受洗後直ぐから2〜3年間ほど、送って頂いていたことがある。三浦綾子さんのコラムも楽しみの一つだった。

一度読んで深く記憶され、今もなお通奏低音のように私の中で流れている祈りについて。

下手な祈りは裸の祈りであるから神さまがきかれる。
上手な祈りは人間だけが感心して聞くだろうが。

祈る時、「互いに愛し合っていけますように」と祈っている時、神の臨在は何ほども必要ではない。自分の夢を語り、自分の夢に酔って満足しているに過ぎない。・・・

祈りの答えは二つしかない。
「はいやります」か、「今はできません」かである。
「できますように」など、のんきなことを十年一日のように祈っていけるのは、自分の夢に満足しているからである。・・・

祈りは我々の幸福追求の手段ではなく、祝福を賜る恵みの業なのであろう。・・・
私が受けた恩寵は、求めた何万倍であったか判らないことが近頃一層明瞭になった。私にとって良いものは本当に神さまだけが知っておられるだけで私には判らなかった。・・・

「信じることができますように」、「信じます」。
この二つは天地の隔たりのように違う祈りである。


時に耳をそばだてて聞き入る祈りがある。
私もそのような裸の祈りを捧げたい。

明日は「こどもの日」、ゴールデンウイークもあと2日になった。
昨朝10時過ぎにやってきた長女たちと共に神戸の叔母を訪ねた。結婚後のご挨拶も無礼してしまい、叔母が婿に会うのは今回が初めてである。

今日は1時間ほどだったが藤本の大おばあさんと過ごしてから、娘たちは休日診療所経由で婿の実家へ行った。今朝から孫の顔に湿疹ができて、朝よりもひどくなってきたからだが、医師は様子を見ようとのことだった。

私は最近体調が悪くて、昨日今日は特にしんどくて、昨夜は殆ど眠れなかった。夜中の1時間おきの頻尿6回にも驚いた。

もはや、私は頑張りがないからと悩む気持ちさえ消えている。
昨年まで多方面で活動できたのも体力があったからで、今は謙虚な気持ちにさせられている。健康であることのありがたさを改めて思いつつ、神の前で心を静め、祈りについて黙想していた。

叔母にも熱心に語らねば間に合わなくなってしまう。
眠れない昨夜、私の胸に強く迫ってきた。





posted by 優子 at 21:46| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年05月02日

現代の焦燥感

一般家庭にファックスが入ってきたのは1980年半ば頃だったと思うが、便利になった分、寝ている時も伝言が送られてくるわけで、コンピューター導入に連れて生活のリズムが加速されていった。

そして、今やインターネット隆盛の時代になって、情報も溢れかえっている。居ながらにして情報を得られる便利さも功罪相半ばするから、自分に必要な情報を賢く選びとらなくては、自己の空洞化を招くのみだ。

今朝、キリスト教のインターネット放送を覗いた私は、久々に焦りを感じてしまったのだ。
長女が幼稚園に通い始め、私なりに充実感に満たされて母親業に励んでいた頃に感じた焦りだ。
近隣の奥さんがいろんなことを教えて下さるのはいいが、自慢げに優等生の母親ぶりを披露されるので、お弁当作りもそこまでしないといけないのか・・・と、自信をなくしかけたことがあった。

しかし、落ち着いて考えてみると、私だってちゃんとやれている。私のやり方で、しっかり母親業をこなせていることに気がつき、その方に翻弄されないように自分の足をしっかり地につけ直したのだった。

受験のために塾通いをさせる親の気持ちも、これに似ているかもしれない。
現実は厳しい受験競争だが、学校の勉強もしっかりとこなせない者が、塾で溢れるメニューを提供されても消化不良になるばかりで本末転倒だ。
高額の授業料は親の安心料でしかなく、果ては子供の自信喪失、意欲減退に拍車をかけることになるだろう。

このような不安や焦燥感を何度か経験した私は、これは自分の特性だと理解し、以来、周囲を見てこのような気持ちをを感じた時には、「これは私の癖だから」と自分に言い聞かせて、自分自身の求める生きかたを積み上げてきた。

今や恵みの時代が到来し、キリストの喜び、神のメッセージも溢れている。渇いた土地に水が吸い込むように、自分があれもこれもと求める時はいいが、聴かなくてはならないという焦りは的外れである。

また、本を読んだり思索したりする時間のない人にとっては貴重な宝であり、子供たちが自立し夫の庇護のもとで生活を許されている私にとっては、自分の時間がたっぷりあるので、今後ますます何を選択していくのかが問われてくるだろう。

インターネット時代になってしまった今は、今までにも増して自己が確立されていなければ、何が何かわからぬまま一生を終えてしまうことになる。

その自己の確立も一切合財を面倒みて、丸抱えで生涯を伴って下さる方がイエス・キリストであり、2人と居ない唯一最高の生涯へと招いて下さるのである。
「あなたは、わたし(イエス)の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」と言って下さる主に感謝。


今日の焦燥感は、最近の心身が冴えないことに起因しているのだろうが、信仰生涯においても、イエスさまと私とで織り成す自己存在にこそ意味があることを忘れないでいたい。

追記:
以前にもご案内しましたが、この機会にもう一度 http://www.febcjp.com/をご案内させて頂きます。
24時間、いつでも聞けるインターネット放送のキリスト教放送局
FEBCです。
勿論無料です。


    




posted by 優子 at 16:51| 随想 | 更新情報をチェックする

知子と真智子の「せんせい あのね」ノート

28日のこと、クローゼットの上段から子供たちの「せんせい、あのね」ノートを引っ張り出して読んでいた。小学校1年生の時のものだ。
心が疲れた時には懐かしい日々に浸るのもよし、リラックスできる。同じ姉妹でも小さい時から持って生まれた性格が表れていて、真智子のは何度読んでも笑ってしまう。貴方も笑って下さい。
まずは長女の知子のノートから。
おかあさんのしごと
おかあさんは、やるときにはそうじとか、おふろあらうのとか、せんたくとか、やってそして、おかあさんは、のうとに、じを、かくのが、すきで、15さいからかいて、もう100 10(110)さつめです。
そして、やるときには、やってねるときにはなんじかんでもねます。そして、のうとを、かくとき、いつもわたしの、つくえで、やっています。そして、おかあさんは、おこるときのほうがおおいです。
ごめんね。ダメ母だったのにいい子に育ってくれて感謝です。

おとうさんが、よる、かえってきてそしてくまぜみをもってかえりました。そしてさいしょおかあさんもわたしも、いもうとも、こわかったけど、さいごにがすとき、いもうとと、わたしが、もたしてもらいました。
そしてせみをもったときよこが、どっきん、どっきんして、いました。そしてずかんをみて、しらべたらくまぜみがありました。
そしてさいごに、わたしがべらんだから、にがしてあげました。もてました。
懐かしいね、その時のシーンが目に見えるようです。
前の家は会社から自宅まで徒歩10分、その帰り道で蝉を見つけたパパと「キャーキャー」言ってる子供たち。あの頃は、ともちゃんも持てたんやね。
0歳児のユキちゃんもアッという間、男の子だから蝉とりに行くんだろうな。
せんせい、あのね。
きょうは、たけうちさんとおなじ、おかあさんのたんじょうびです。わたしといもうとでつくったぷれぜんとをあげました。おかあさんは33さいに、なりました。
わたしは、おかあさんが33さいになったからうれしいです。そして、おかあさんは「ありがとう」といいました。とってもおもしろかったよ。またしたいな。

この秋には57歳になります。(>_<)ではなく感謝です(^−^)。
続いて次女、真智子のノートから。
     
パパのこと

パパは、いつでも、わたしたちのおかしを2こずつたべてなくなってこまります。
だからもっとおかしをかってほしいです。
パパがたべるあめのびんもつくってあるのに、おかしのたべないパパがほしい。
パパのことで、いつもはじをかく。

お酒もタバコも吸わないけれどお菓子が好きで、パパのビンも作ってあげたのにね。先週スーパーに行った時もね、いつのまにか好きなおやつが入っていてレジで気がついたよ。
胃が弱いくせにスルメも大好きだったね。 
     
サンタさんのこと

きょうのよるサンタさんがきてくれた。
でも、ちがうたんぽぽぐみをもらった。
ペンも下じきもせいしょものがたりももらったよ。
でもサンタさんってどじね。

「どうしてサンタさんはどじなのでしょう。」と、先生の赤ペンコメントにも「どうせサンタさんはミスがおおいのね」と返事を書いている。
     
アイススケートのこと

きょう、さくらのみやにアイススケートにいきました。
1かいで3かいこけて2かいで1かいこけました。
2かいめでこけたのはあたまうちました。
いたかったけどすぐおさまりました。
そしてだれといったかというと
パパとママとおねえちゃんとかずこおばちゃんととしひこおじちゃんといきました。
ままはや(っ)とてすりをもたないでできました。
パパは、かっこをつけて2かいこけました。
おもしろかったです。

そんな日もあったね、楽しかったね。
懐かしいなぁ。
振り返ると、楽しかった思い出がいっぱいあるね。

では再び前に目を向けて、「さあ行くぞ、しゅっぱーつ!」
『ローハイド』のギル・フェイバーさん式に言ってみましたが、古いですよねえ〜。
posted by 優子 at 07:39| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2008年05月01日

神さまからの労いと励まし ―『光の中を歩め』に紹介されて―

「本当に痛みを体験した者の真実な心の声は、どんな言葉よりも説得力をもって胸に響きます」。

私の書いたものが、今苦しみの中にあるかたの慰めに用いられていることを感謝し、神の御名を崇めます。

昨日の『光の中を歩め』に、『メメントドミニ』と娘たちのことを4つもの記事にして掲載して下さっている。
まこさん、ありがとう!

「ご紹介とご案内」、「感動の嵐」、そして、2ヶ月前にお父様を亡くされたまこさんは、「今朝、もうひとつ 凄い記事見つけて目が腫れるくらいに、またまた泣きました。」と、「真智子さんの想い」と題して祖母への別れの言葉を、そしてまた、長女婚約式の証言、「知子さんのお証」を掲載して下さっている。

既に毎日リンク先を訪ねて下さっている友も居られるが、是非一度、開いて頂きたい。ブログなので何もかも書けないが、率直に心の痛みも書き刻んでおられるので、読む者の心の琴線に触れることだろう。

希望の風さん、文香さん、千里さん、冨美子さん、節子さん・・・多くの友を思い出しては励んでいる。
自分自身と向き合っているまこさんとの出会い、語り合える友をまた一人与えられたことも神さまからのエールに違いない。

私にとってブログは心のスナップ集であり、心の録音であり、私が成熟していく実況中継でもある。
年を取るに従って同時代に生きる者への連帯感を強く感じ、友、知人たちだけではなく、触れ合う全ての方々と共に、互いに感化し合いながら、それぞれの生を全うしたいと切に願う。


ところで、子育てしていた時は何と元気だったのだろう。
今はすっかり体力の衰えを感じるようになった。しかし、私は若い頃に戻りたいとは思わない。

今のほうが若い頃よりもはるかに生きやすくなったから。
苦しみや悲しみを越えて、人生の何たるかがわかり、神の恵みがわかるようになったから戻りたいとは思わない。

父と母、幼稚園や小学校時代の娘たちが懐かしくてたまらないけれど、あの頃に戻りたいとは思わない。
いろんな悔いもあるけれど、拙いながらも精いっぱいやってきたんだからもういいよ。もう一度やり直したいとも、あそこに留まっていたいとも思わない。


何度味わっても飽きない春の歓びも、美味しいものを食べる楽しみも、これから先何十年も経験したいと思うけれど、ようやくここまで来たという感慨も強い。
もう少しだ、もう少しだから頑張ろうと。
もう少し頑張れば懐かしい父と母にも会える・・・という想いもある。だからこそ悔いのないように生きたい。


私にとって「悔いのない」とは失敗しないとか、完璧をめざすということではなくて、自分の気持ちに向き合って逃げないことである。大切なことを素通りしないことだ。
イエスさまがついて下さっているのだから、折々の気持ちを思いっきり経験してやろうと思うのだ。

生きていくうえで最も大切なことは、自分と向き合うことであり、それこそが最大の勇気である。私は自分の限界がわかったから、自分の感情を抑圧しないようにしている。自分を見失わないためにも、今までよりもはるかに自分の気持ちを大切にしている

このたび、まこさんのブログに掲載して頂いたことを通しても、夫、知子、真智子たちにも神が働いて下さっていることを感じとっている。

若葉が日増しに色濃くなり、日ごとにツツジが花開く。
人に見られなくても道端の小さな小さな花は、溌剌として天に向かって咲いている。うす曇りの今日も花や木々は輝き、小鳥たちがいのちを喜び歌っている。

昨日の奈良は28.1度だったとは暑かったはずだ。
ついに毛布から綿のシーツに交換したが、掃除しているうちに半袖のTシャツ一枚になった。これから梅雨までに、主婦は冬物の片付けで忙しくなる。
ご主人を亡くされた節子さんは、ご自身のものだけの用事なのか・・・と心痛み、神さまからの深い慰めを祈った。

私もまた、許されている今のいのちを感謝し、このいのちの日々を用いることができますように祈りつつ、新緑の5月の歩みを始めよう。

posted by 優子 at 13:16| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする