2008年06月27日

結果は良性でした!

長い間、ご心配をおかけしましたが、おかげさまで結果は悪性のものではなく経過観察ということでした。これだけ徹底的に検査しても血尿の原因はわからないのですが、定期的な検査の必要もないとのことです。

今はまだ喜びの実感さえないのですが、再び健康を許されたからには、この経験を是非とも生かしていきたいと思っています。
この体は神さまの栄光を現しなさいと、私に預けて下さった大事な体であることも思い知らされました。今後は体を大切にします。


ところで、今日は次女も一緒に話を聞きましたが、主治医については次女もまた大きな問題を感じました。とにかく話しにくい人というだけで、私はうまく表現できなかったのですが、事の重大さ、異常さに驚きを隠せない次女と夫でした。

今後は病院を変えることで私の問題は解決しますが、このことについて1時間近く、夫と次女と3人で病院側に伝えることで責任を果たしたつもりです。

今日こそは高島屋で服を買ってやろうと思いましたが、私たちはひどいショックを受けてそれどころではなく、上本町のデパートの喫茶室で次女と2時間も話し合って、ようやく心の傷を癒して学びとしたのでした。

今回のことではこのこともまた、即ち、社会に対して発言するという私の社会的責任、活動を示されているのではないかとさえ思いますので、神のみこころを祈り求めながら考えていきたいと思っています。

2ヶ月間、多くの友、知人たちの御愛に支えられて、ここまで来れましたことを心から感謝しています。お一人ひとりの上に私たち以上の祝福がありますように、特に病いと闘っておられる方のために祈ります。

そして、私自身がこのことの意味をしっかりと受け止めることができることを切に願いながら、取り急ぎご報告させて頂きます。
ありがとうございました。


posted by 優子 at 20:48| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月26日

明日はまた病院へ。今度こそ!

入院5日後の1995年8月16日(木)、4時15分過ぎから主治医の話を父と2人で聞く。

OPCA(オリーブ橋小脳萎縮症)
母は運動をプログラムする小脳と筋肉などの運動系が侵されている。即ち、小脳の変性から錐体路(橋・ポンスのこと)、錐体外路(体の硬さ、固縮)などの症状が出ている。
起立性低血圧、多系統が障害されており、全体的な流れからヒルトニンも無力である。

この病気の平均寿命は、発症してから7・8±5・4年。
最も多い死因は肺炎。しかも、昨日元気だったのに今日亡くなったなど、急に亡くなることがある。
今最も問題になるのがゲルハルト症候群(声帯開閉麻痺)のために、呼吸の状態が非常に悪いこと。

そこで選択肢を示された。

@ 声帯の下を気管切開する方法。

A それをしないで呼吸停止した時は、心肺蘇生の基本として直接気官に管を通しての人工呼吸。これにより落ち着けば年単位で生きながらえることになる。
ただしその場合は、途中でスイッチを切ることは殺人になるため許されず、とても悲惨である。

B 気管切開しない場合に「DNR」と言って、Aの処置をしないでほしいということを家族が申し出ておくことにより、挿管しない医療行為がなされる。

母の容態は突然死の時期に来ていて、その時の対処の方法を考えておく必要がある。
世界の流れは治る見込みのない病気に対して、末期医療のあり方はBが主流になっている。頭で理解しても、実感するまで時間がかかるので、今これらのことを話して下さったのだ。
また、いろんな方法を説明しておかないと、「なぜ話しておいてくれなかったのか」と、あとでトラブルが起こることがあるためだ。

私は最後に医師に伝えた。
「父と私の話し合いにおいてはB(延命措置をしない)で一致している。ただし、兄と妹にも伝えて相談したいので、しばし待って欲しい。
もしも意見が不一致になった時は、母の世話をしてきた父の意見を尊重したいこと。お返事するまでに緊急事態が起こった時は、Bの方法をとって下さい」
と述べた。

まさかの時、当直医が主治医でなくても、カルテに記述されるので延命措置をとられることはない。

個発性であるから遺伝性については心配なしとのこと。

昨日、妹との時に母の記録ノートを開いたのがきっかけだが、なぜ、こんな過ぎ去った日々のことを刻んだのだろうか。

" DNR " とは " do not resuscitate " のこと。
即ち、蘇生を望まない意思表示を意味し、患者の自己決定権を表現する一つで、" no code " とも言う。
悲しく無我夢中の日々だったことを思い出す。


しかし、実感は失われている。
まるで呆けてしまったようにボンヤリとしか思い出せない。
こんな話を聞かされた父の気持ちは如何ばかりであったろうか。この時、母は69歳で父は70歳だった。

と言うことは、私は43歳。
母の時は、こんなにしっかりと医師の話を聴けたのに、13歳年を取ったにしても、まだ56歳ではないか!
理解力もメモすることもできなくてどうする!自分のことだからか!しっかりしなきゃと思う。

先ほど、大津のM姉(クリスチャンペンクラブ)からお電話を頂いた。退院した12日に800字の原稿ご依頼を頂いていたのに、その夜から起き上がれなくなって以来すっかり忘れてしまっていた。締め切りが30日と迫っているが、とにかくお受けした。

M姉は、牧師の資格も備えておられるとお聞きしている。
M姉のお人柄溢れるご依頼状に心打たれていた。そしてお電話から、深く静かなキリストの愛に触れてイエスさまの励ましを感じた。

そして今、外出している次女からお迎え電話が入った。
夕方から大学の友人と(大和)八木駅で再会するというので、私も一緒にカットに出かけた。反対方向に行く娘を見送ると、直ぐにこちらの電車も来た。

42分着の電車で帰ってくるので、夫は直ぐに駅まで迎えに行った。娘たちが居た頃が懐かしい。
来週の今頃はもうミネソタに向かう飛行機の中か・・・

長女は、子どもの初めての病気で母性愛を引き出される日々。
昨夜に続いて休診日の今夜も診て頂き、11ヶ月のユキは連日点滴注射を受けている。今回私も経験した点滴針だ。針を抜いても血管内にプラスティックのチューブが残る。ユキの腕に一昼夜入れたままの状態だった。

幸いにして39度4分という高熱から38度弱に下がってきているが、3日以上経っても熱が下がらずに発疹も出ていないので風邪かもしれないとのこと。早く元気になってワンパクユキに戻りますように!

そして、私は真智子と共に明日はまた大阪赤十字病院だ。
もう一度、予約表を確かめておこう。
あっ、真智が帰って来た!
posted by 優子 at 22:46| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月25日

人生の検査結果を放置して生きる人々

一夜明けて改めてバツの悪さを感じつつも、昨日のことを例話にして感じたことを述べてみたい。

病気の結果を恐れて聞きに行かないまま生きていくこともできる一方で、結果(問題、現実)から逃げずに立ち向かっていく生き方があり、どちらを選ぶかは本人次第だ。

結果と対峙しないまま放置して生きていけるが、そのうちに病気は進行し、いずれ耐えられなくなって病院の門をくぐるだろう。仮に結果に問題がなかったとしても、現実の問題から逃げたことには違いない。

病気のこととなれば殆どの人が後者であり判りやすいが、与えられた人生を無駄にしないで如何に生きるかということについてはどうであろうか。

人生の大事なことに対峙しないで、問題をそのままにして簡単に通り過ぎて行く人がいて、それが自己の問題だけに留まるならばいざ知らず、往々にしてそれに関わる人たちが居るにも関わらず、彼らは平気で素通りしていくのだ。

そのような人は自分の姿、行いを振り返らないから、申し訳なかったという気づきがないので自己主張一色の生きかたである。大切な問題を置き去りにしたままで、おめでたくもこちらに好意まで寄せてくる。


私は昨夏の悲劇で苦しみ抜いたので境界線を引くことができたが、人生の大切なことを正さないで素通りしていく生き方は、検査結果を恐れて病院に行かないのと同じである。

17世紀のフランスで活躍した哲学者であり、天文学者、神学者のガッサンディはこんな言葉を残している。

「私は、なぜ生まれるのか知らないで生まれた。
 私は、どういうふうに生きていいのか知らないで生きてきた。
 そして、なぜ死ぬのか、どういうふうに死ねばいいのかも知らないで死んでいく。」


病気や事故に代表される不可抗力な出来事だけではなく、自分がやった失敗や頭打ちなど、日々の出来事は自己の目が開かれていく貴重なチャンスである。
我々には常に生きる意味を知る者とされるチャンスと導きが示されているのである。
私は検査結果を放置する生きかたはしない!


「どうか、平和の神ご自身が、・・・あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように」(第一テサロニケ人への手紙5章23節)と、私もまた常に自己を振り返りながら歩んでいきたいと思う。神のお導きを切に祈りながら。

今日は真智子との交わりを望んでいた妹を招いて昼食を共にすることになった。
妹に対して何度かヨブの友人になってしまったからと述懐する私に、「近い関係だから仕方ないよ。その誘惑に負けないようにしないといけないけれど」と語ってくれた次女。

お昼はフライパンで簡単なパエリアを作り、次女は先日のココナッツミルクが残っているからと、今日も美味しいココナッツプリンを作ってくれることになった。

主イエスが共に居て下さって幸いな時間を過ごせますように。
イエスさま、ありがとう!


        



posted by 優子 at 08:31| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月24日

結果を聞く日は昨日だった!!!

ご心配をおかけしているのに申し訳ありません。検査結果の予約日は昨日でした。既に12日記載時に間違っていました。

病院の自動機に診察券を入れたところ、(予約の)「受診する科はありません」と書かれた案内表が出てきたので、おかしいなあと思いつつ予約表を見たところ6月23日(月)となっていました。
何と言うこと!!!!情けない!!!!××××××××××

とにかく外来の受付へ行き、結果だけでも教えて欲しいとお願いしたところ、今後の治療方針についての話もあるので主治医でないとダメだと言われて、再度27日の午後に予約を入れて頂いたのでした。

自分が情けなくて情けなくて、夫と次女に詫びたのでした。何も責められないだけに辛く、祈って下さっていた方々に、思いっきり笑い飛ばして下さったほうが気持ちが楽になります。笑えないほど情けないです。

叔母も妹も、「そんなことあるある」と言ってくれましたが、本当に申し訳ないです。
その後、上本町のデパート、難波のナンバウオークに行き、次女の普段着を買いながら気持ちがほぐれていき、8時前に帰宅しました。

長女のほうは昨日から子どもが39度4分という高熱で、どうやら生まれて初めての病気・突発性発疹かもしれません。知子と真智子は共に突発疹をしないまま大きくなりました。

そんなわけで、残念ながら旅行は3人で行くことになりました。
長女は子育て本番、「子どもが寝たら一緒に寝ないと倒れるよ」と、私は母が言っていたことと同じことを娘に話していました。

子育てでしか経験することのできない日々を過ごしている長女、そして、勉学に励む次女。
私も娘たちと共に今を大切に生きていきたいと思います。

皆さまの尊いお祈りを感謝しつつ、ドジなご報告を終わります。


posted by 優子 at 20:44| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月23日

真智子からの学び多き日々 A

真智子さん帰って来られてよかったですね。
体に弱さを覚えているとき、身内の者がそばにいてくれるのは何よりうれしいですね。
今朝のブログを読んで、たくさんのことを教えられました。
真智子さんが、人間関係についてこれほどまで深く掘り下げて考えておられることがすごいですね。
考え方、信仰、素晴らしいですね。
コメントメールを感謝します。

私はイエスさまと密接な関係になればなるほどに、自分の気持ちや考え方を大切にするようになっているのに気づかされている。
このお正月に我が家で話題になった『ゲド戦記』の次女との話し合いを通して、より具体的に教示されてきた。

アメリカへ渡ってからも自分に与えられたビジョンに向かって日々勤しんでいる真智子は、19日にこんなことも話してくれた。

自分の未熟さに気がつき、それを認めなければ改善することができないし、なりたい自分、目指す自分にはなれない。
・・・特に母国語ではない英語では格好悪い自分と戦うことがいっぱいあった。

しかし今は英語でしゃべる時も、日本語でしゃべっている私自身の人格と一致するようになった。神戸大や東大にいた時と同じように、今では多く(7人)の先生方に話を聞いてもらっている。
自然に聞き返せるようになっているし、いろんな人にしゃべってもらいたいから、まず私から働きかけている。

例えば3日間のマクロカンファレンスがミネソタで開催されて、教科書に出てくるような有名人が世界中からたくさん集まってきた時も、コーヒータイムでは彼らにも臆せず話しかけていった。
そのような時の話し方にも考慮している。

と、このあともうならされることしきり、導きいっぱいの語らいが続いたのだった。

「”Open to be changed. ”
変えられることに対してオープンであることが大切やね」
と語ったこの言葉に、真智子の生き様の一端を垣間見た。

真智子の深いところで、驚異的な命となって躍動している神のことば。娘が語る言葉の端々に神への信頼が溢れており、神さまが真智子に大きな期待をかけておられることがわかる。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求められておられることである。・・・すべてのものを識別して、良いものを守り、あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。」

   (テサロニケ人への第一の手紙 5章16〜18節、20節)

このみことばの通りに生きている真智子に神の栄光を見ていた。
妹(叔母)に対しても、熱い祈りをもって関わってくれていたことは想像以上のものであり、深く悔い改めさせられた。
私もまた真智子のように、神さまから教えられた本当に良きものを固く守って生きていきたいと思う。

家族との充実した日々を過ごしてきたが、いよいよ明日は検査結果を聞く日である。
昨日のハードな一日も予定通り終えることができ、1週間前の容態は嘘のように体力は完全に快復した。たとえ厳しい結果が告知されたとしても、雄々しく立ち向かっていく気力も備えられた。

神が許された苦しみならば、私にとって最善であることは既に納得させて頂いているのであるから、恐れと苦悩、涙の日々であっても、必ず通り抜けさせて下さると信じている。
それが、まことの神に祈り祈られている者の使命だと思う。

緊張が高まるのを覚える。

ここまで導かれたことを神に感謝します。


posted by 優子 at 08:54| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年06月21日

感謝を深めつつ過ごす日々

パソコン作業は完全に以前のようにできるようになったが、散歩に出た時は今もまだフラフラする。宙を浮いているようで体に力が入らず、食欲は完全に戻っているのに疲れやすい。

しかし、少しずつ良くなっている。
19日に更新できなかったのは、真智子との語らいで時間いっぱいになっってしまったからで、一緒に居る時はいつもこのように話が尽きず、18日は横になりながら話していた。
今回はたった2週間少しの滞在で7月3日には再び日本をあとにする。

今は横になるのも市民権を得ているので後ろめたさはないが、いろいろと作ってやりたいのに粗食ばかり。ご馳走をいっぱい食べさせてやりたいのに何もできなくて、こんなことをしていたら、あっという間に出発日になってしまう。

あと11日。
この機会に家族(孫と5人)で一泊二日の小旅行を計画し、次女に検索してもらって予約した。

珍しく娘が服を欲しいとねだってくれているので、親の幸せを夫婦で感じている。大切な食料品の買い物だけは自動車でないと行けないので、夫が居る休日を優先させねばならない。

この際、24日に最悪な告知を受けたとしても、上六の近鉄デパートへ寄って行こうと思う。そして、夕食はホテルに入って何かおいしいものを食べさせてやりたい。これを実行できれば私も相当なものだ。時間がないから私は本気である。

今日は妹の誘いを受けて妹宅を訪ねることになっている。
妹が奈良に引越して7年目、私たちは昨年に、真智子は今回が初めての訪問である。そこに長女たちも合流し、そのあと長女の新居を案内し、婿は大学時代の集まりがあるので、長女と孫ともに帰宅する予定だ。私たち夫婦にとっては久々の家族団欒である。
妹夫婦にも神さまの祝福を祈りつつ過ごそう。

ところで、私が近隣の人たちに会いたくなかった理由がわかった。
Nさんやお隣りの方、ゴンご夫妻にMさんなど、何人かの方々とはいつものように何でも話している自分の姿に気がついた。
先日も皆さんからの優しいお心を頂いた。

では、なぜ私は人と会うのが嫌だったのだろうか。
それは世間話のごとくに、軽い気持ちで話題にされたくなかったからだ。こんな単純明快なことにも気がつかなかったなんて、本当にどうかしている。
それほどの大きな打撃で思考停止になってしまったのだろう。

恐怖の検査手術を経験して、肉体に加えられた苦痛の恐怖の受け止め方(乏しい信仰だったということ)の間違いと、5月8日の記事、即ち、問題医師への反応解釈の誤謬について書いておきたいが、話題が溢れて困っている。

毎日2000ccの水分を摂るように言われたのに、次女が帰国した18日からやや怠ってしまった。
夕食以後は喉が渇いた時だけでいいが、それまでは努めて飲み、せめて1500ccは摂るようにと看護師さんに言われている。膀胱内の傷口のためらしい。かさぶたが剥がれにくくなるからと言われたように思う。

そういえば、2〜3日後に真っ赤な尿を見ても驚かないようにとのことだったが、1週間以上経っても未だ無し。水分不足のためにこびりついてしまったのだろうかと心配もしている。

神さま、家族の時間を感謝します。
どうぞ、それぞれの健康を守り、幸いな時間を過ごすことができますように。そして、雄々しく前進していくことができますように。

愛こそが苦難をも突破せしめる力となる。
神の愛に充満された家族の愛、友の愛、今ほど深く感じたことはなかったと思う。そう、人生と共に感じ方が深化更新され続けている。


祈って下さっている方々に、神さまの絶大なる祝福がありますように。神さまとお一人おひとりに言い尽くせぬ感謝をこめて。



posted by 優子 at 08:27| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月20日

真智子からの学び多き日々 @ ― 今日は美濃紙業へボランティア出社 ―

次女は今朝、早朝から父親と共に美濃紙業へ出発した。
ホームページも自社で更新できるようにと、PCに強そうな社員さんにレクチャーすることにもなっている。
本来ならば有能なSEでもある婿が関わってくれるのだが、今回は単身帰国のために次女の全日ご奉仕となった。

真智子は既にこの4月から、2年間給付されていたIMFからの奨学金も終わっている。
アメリカの学費は高額で、年間200万円相当必要となるがミネソタ大学が学費免除してくれるので、生活費分が不足というわけだ。

ところが娘は学生ビザで渡米しているので、キャンパス内でしか仕事に就くことはできない。
幸いにして、専門分野と語学力ともに能力を認められた娘は、9月から大学生を教えるというから我が子ながらすごいものだと感心する。私の驚きの感知器は留学が決まった時点で壊れてしまっている。

そして、来年は3ヶ月間、ワシントンに居を移してIMFで働くことになっている。
そのために来夏は研究する時間がとれないからと、この夏は来夏の分まで頑張りたいと意欲満々の真智子だ。

そう言えば、その理由で今夏は帰国しないつもりだったということも聞いていたのを思い出した。だから私たち夫婦でミネソタへ行こうという話ではなかったか!!
この頭、どうなってるんだろう!
申し訳ない。
ごめんね。そして、ありがとう、真智。揺れるハート

昨日も次女からいろんなことを教えられた。
24日に向けて主治医とのことも相談した。
会話が難しいからだ。一度面談している妹もまた同様の感想を持っている。
そのことについて、娘は次のようなことを話してくれた。今後の自分自身のために書きとめておきたい。

「そんなに強い口調で言わないで下さい」とその場で言って、自分が聞きたいことを答えてもらうようにすればいいよ。
質問して違うことを答えられたら、「いえ、そのことではなく、このことを聞きたいのです」と、聞き直すようにすればいいの。

なるほどと思った私は、「そうやね、きっと相手にとっても、いい学びになるよね」と言った。
すると、次女は次のようなことを話してくれた。

いや、相手が態度を改めるかどうかは相手が決めることだし、相手の態度を変えてもらうことが目的ではないからね。こちらが今までのやり方を変えればいいの。

different にすれば different な結果になるから、better(より良き) をめざすのだけれど、改善改善と一生懸命 better にしようとしないで、今までと違うやり方をすればいいよ。

相手を自分と切り離すことが大切で、そうすれば相手に左右されないし、私が better にしているのに相手が better にならないのは、相手が悪いという構図にもならないよ。

どんな状況でも自分ができることがあるから、今、私は何をしたいのかということを思い出して、相手から目を逸らして自分のできることをするの。

相手を変えることは自分のコントロール下にないものであり、それを自分がコントロールすることではないからね。
だから、相手が失礼なままであるのも自由であれば、失敗に気づいて学ぶチャンスにするのかも相手の自由なのだからね。

それに、人間の見る世界は数学に喩えられるよ。
全てを見ることができる神さまを3次元(立体的)とすれば、我々は2次元(平面的)にしか見えていない。
確かに真実の一部は見ているけれど全体を見ているのではない。だから、人間は不完全にしか見えないということを覚えておくのは大切やね。

神さまは多次元で見ておられるけれど、人間の判断は完璧ではないから、相手にこうすればいいのにと思い過ぎないこと。自分は主観の判断として意見を持っているのであって、同じことを体験しても人により感じ方が違うからね。

だからこそ、これだけの人間が存在していても同じ人はいないし、それほどに一人ひとりがユニークな存在なのだってこと!
それは価値観が違うということではなく、それぞれの人生の意味の問題やね。

意見を持つ時には、必ず相対的には今の自分が思っているという相対性が大事だと思う。だから伝え方はとても大切で、伝え方はその人の考え方でもあると思う。

我々は直ぐに相手の心に向いてしまうけれど、常に自分の心と向き合うことが大切でね、常に常に自分の心を見ることがどんなに大切なことかと思う。

自分は相手にただ単に怒りをぶつけたいのか。
そうではない。お互いの関係を良くしたいんだということを思い出して、例えば「返事をしてくれないので無視されているようで辛いです」と伝えて、話をそらさないことが大切やね。

言葉で分かり合えるということは当たり前ではなくて、すごいことなんだと受け止めれば、誤解されても憤り方が違ってくるの。
神さまは私たちがどういう気持ちでいるのかわかって下さっているけれど、我々はそうではないからね。言葉の定義よりも、その人が何を言いたいのかを知ることが大切やね。

人生から人間関係を抜いたら何が残るだろう。
人との交わりこそが最高のものであり、その時に最も大切なことは自分と向き合うということやね。

見事なほどに開花していく娘は、最後に嬉しそうに語った。

真智の人生は、私の心臓が動く限り与えられている。その間にこの命を、時間をどのように使うかを真剣に考えるようになった。

私は常にこういう経済学者になりたい、教師になりたいというビジョンを持ってやっているよ。目的を持って生きる私に、「頑張れ!」と応援してくれている神さまが居てくれるのが嬉しい。

試練もあるけれど、どんな状況であっても絶対的な終わりは神さまの時なのだから、パニックにならずに、私は今何がしたいのかをいつも考えるようにしているよ。

それを体験したのは本人であり、本人しか意見は言えないのだから、しっかりとアクションをとることが大切。
神さまを見上げていたら、いつだって次の一歩を踏み出せるよ!


だって、何があっても神さまの御手の中でのことだもの!!!るんるん

私は今後も何度もこのアドバイスを読み直すことだろう。
ありがとう、真智!
posted by 優子 at 10:21| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年06月18日

ほぼ快復した今、書いておきたいこと

昨夜は今か今かと「着いたよ!」と、次女から電話を待っていたのに連絡がなく、8時40分頃、「ただいま!」と玄関を入ってきたからビックリした。

昨日は簡単な掃除どころか、シーツまで取り替えて2時間かけた掃除もやりこなせた。布団のほこりを掃(はら)えることも何もかもが感動と感謝だった。

昨日は夫のベッドに真智子の寝具を整え、共に感謝の祈りを捧げて同じ部屋で寝た。飛行機でも3時間ほどしか眠れなかった娘は、父親(我が夫)のセミダブルのベッドで大の字になって眠った。

ところが、今朝は共に5時過ぎに目が覚めてしまった。
朝食後、一緒にチャッピーの散歩に出た。昨夜からおしゃべりしてばかり、散歩の途中から文化論に花が咲き、帰宅して土井健郎の「『甘え』の構造」を紹介して、娘と楽しい朝のひと時を過ごしていた。

午前中は頭が重く完全に快復していなかったが、脊椎の強い痛みと吐き気はほぼ消えていた。どんなに我慢しても体を起こせる時間が2〜3分だったのが、日曜日の午後からは10分、20分と座ってられるようになっていった。ようやく麻酔の毒が消滅したという感じだ。

そして、Oさんからこの苦痛の原因を教えて頂けた。
「術後早い時から頑張り過ぎたので、髄空内にわずか残っていた麻酔薬が脳の方へ回り、辛い症状が出てしまったようです」とのことで納得できた。

主治医は、「激しい運動はいけないが、とにかく動く方が早く快復するのは統計にも出ている」。掃除もしていいのですかと問えば、「してはいけないようならば入院してもらっています」というのが全てだった。これでは親切な説明とは言えず、かといって会話を続けるのは難しい人で聞くに聞けなかった。

10日のこと、入院早々に看護師さんとの面談で既往歴を聞かれていた時、「では手術は初めてなのですか?」と言われて驚き怯えた。

次に別の驚き、重大な驚くべきことがあった。
「今も便から血が出ていますか?」と仰るではないか!
「えっ?!」
私と妹は同時に声を出した。
「私は尿から潜血反応が出ているのであって便ではありません」と言いながら、看護師さんが手にされている書類を覗くと、「便潜血」と書いてあるではないか!

あの医師だ!
5月8日の過去ログを開いてみると、問題の初診内科の医師については当日の記事に少し触れているだけで、肝心なことは書いていない。

実はこの日、病院を出る前に、その医師について人格的なことは別にしても、医師としての守備範囲のことだけは、どうしてもそのままにはしておけない事があったので病院サイドに伝えた。

有限な人間のなすこと間違いはある。しかし、資質的にも問題を感じた医師だったゆえに病院側に伝えたのだった。医事サービス課の係長の女性と、他男性1名が来られた。

その医師の名前を告げただけで係長は眉を寄せられた。そこで私は、この病院の医師は何名居られるのかを尋ねたところ、約200名だと言われた。

200名もの医師が居られて直ぐに気がつかれたというのは、クレームの多い医師なのですかと尋ねた通り的中した。「何度も注意していますので、あれでもましになったのですが・・・」と話されたのだった。

6月10日の時点で、このことを優先させるわけにはいかないので保留にした。
私自身が書いた5月8日の記事内容、物事の受け止め方については自ら批評を加えたいと思う。間違っている点があるからだ。


さて、入院早々の看護師さんとの面談で示された「入院診療計画書」には、「病名」は「膀胱Carの疑い」と記載されてあり、文字で見て改めて身が引き締まるのを覚えた。

「Car」とは「Cancer」の略語であると直ぐに判った。
短縮形の英単語を見て、次女が大学時代に留学生と英語でチャットするのと同じだと思った。
しかし、何もこれだけ英語にせずとも、はっきりと日本語で「膀胱癌」と記載すればいいのに、意味のないことをと思ったものだ。

「治療計画」は「手術のための入院です」とあり、「手術内容及び日程」は「2008年06月11日 膀胱生検」。
「その他」として、「不安の軽減に努め異常の早期発見。手術がスムーズに行え経過よくすすむよう関わらせて頂きます」と記載されていた。
説明を受けた私は快く署名した。看護師さんたちは、この書類に記されていた通りだった。

便潜血の時点で、事の重大性と共にその医師について、また、主治医から十分な説明を希望していることを告げた時、主治医を変えることもできると言われた。
また、「このようなことを話して下さってありがたい。話す人は稀で、殆どの人は飲み込んでしまわれる」というようなことを言われて、その現状を意外に思った。しかし、泌尿器の患者さんは一世代上の年老いた方が多いので頷けた。

6月24日の記事のタイトルは、「やっぱり癌だった!」になるのか私にはわからないが、私はどんなことがあっても、神は共に居て通り抜けさせて下さると信じているし、私は神に対して全幅の信頼を持っている。

そのためにも人間の側で、主に在ってなしていかねばならぬことがある。ただ盲目的に委ねるのではなく、主に在って聡明なる判断をせねばならないのだ。神の導きを選び取れるためにも、24日は率直に医師と向き合いたいと思う。

検査手術して丁度1週間目の今日、私は本来の冷静さと客観性を取り戻せたので、祈り求めて、雄々しく進んでいこうという気魄に満たされている。

結果については、ずっと不思議なほど平安である。
明日のことは明日思い煩おうと思えるから不思議である。

夕刻、東京から帰宅した夫は嬉しそうに次女と再会した。
夫は長女のベッドで休んでいる。
さあ、私も早く次女の寝顔を見にいこう。快復第一日目はハードな一日だった。感謝。




posted by 優子 at 23:59| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月17日

感謝のご報告 Yuko is surviving!

「あなたがたのいのちは、どんなものであるか。
あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。むしろ、あなたがたは『主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう』と言うべきである。」

        
             (ヤコブの手紙 4章14・15節)

「あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。」
        
             (ペテロの第一の手紙 5章10節)

これが入院中に頂いたみことばです。

おかげさまで昨日の夕刻から急速に快復し、昨日は夕食の準備と後片付けもできました。長い間、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

いつも祈って下さっている方々を想いながら、感謝の喜びと励ましを頂いていました。既に多くの尊い経験を重ねています。一言で言えば、私は今まで幸せな愚者だったということです。書いておきたいことが溢れていますが、まだまだ体力がありません。

今頃、次女はミネソタの地を飛び立ち、はるか雲海を越えて日本に向かっていることでしょう。夕刻6時20分にキックスに着陸します。
長い年月、私と妹は不幸な関係にあったため、真智子とも疎遠だった妹は、帰りの電車で次女と話したいからと、関空へ迎えに行ってくれることになっています。神の祝福を祈ります。

13日の知子の助けはありがたかったです。
「優ちゃんも娘がいてよかった」と、年老いた時の私を想って話していた母の言葉が思い出されました。
昨日も心配して電話してくれた叔母が長女のこと、そして、真智子が明日ひとりで帰国することを聞いて、飛び上がって喜んでくれていました。

娘さんのおられない方には心苦しくも、娘のありがたさを身に沁みている叔母だからこそ、母親のような気持ちで喜んでくれたのです。これもまた婿たちの理解があってこそです。

長女の助けと介入により、夫もよくしてくれました。
起きていられる1〜2分間の間に説明し、夫の手による小松菜の煮びたしが出来上がりました。
昨朝はいつものように特に言葉も無く出社しましたが、お昼過ぎに「どうや?」と電話がありました。1分何秒かの短い電話でしたが嬉しくて、子機を置いてから、私は「ハハハハ」と笑ってしまいました。このようなことがグーッと快復を加速させていったように思います。

そして今朝、夫はチャッピーの散歩まで済ませ安心して東京へ発ちました。
「ミネソタチャッピーが帰ってくる」とニコニコしながら。

まずは Yuko is surviving. です。
本当にありがとうございました。これからもよろしくお導き下さい。
何度かに分けて書きましたが、また調子が悪くなってきましたので、お昼頃まで横になって、午後は簡単ながらも掃除をして真智子を迎えてやりたいと思います。

無事に再会できますように真智子のためにも祈ってやって下さい。
お一人おひとりに感謝し、神の豊かな祝福がありますように、主イエス・キリストの御名によりお祈りします。

posted by 優子 at 08:38| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月13日

ご連絡

長女の代筆です。
2時間ほどおんぶしていましたら
今やっと息子が寝たので
書き方を習って
初めてブログというものを書いています。

今朝電話してみると、予想以上に
しんどそうな母の様子だったので驚き、
幸悠を連れてすぐに車で実家に向かいました。

退院した昨夕、母は体調が結構良かったらしいのですが
深夜から吐き気と異常な肩凝りなどで
今(今日午後3時)の時点でもまだ
食べることができません。

とにかく水分補給と言われているのに
私が買ってきたスポーツドリンクも殆ど飲みません。
顔色が悪く、ぐったりしています。
しかしながら、これは麻酔の影響によるもので
仕方がないらしいです。
1週間程度は安静にせよとのことです。

PCを開くことも良くないらしいので
ブログ更新やメールチェックもしない予定です。
いつも読んで下さっている方々にご連絡を、
という依頼を受け、ご連絡いたしました。
1週間ほどすれば体調は回復すると思います。

*****************************************************

11ヶ月の赤ちゃんをつれての病院は避けた方が良い
と言われ、仕方なく検査は父と叔母に任せたのですが
今日、母に会って
想像以上に大変だったのだと実感しました。

私は父に置手紙をして帰ります!!
退院翌日なのに、今朝洗濯も母が
吐きながら干していたとか。
犬の散歩もお昼に10キロ弱の息子をおんぶして
私が行きました(><)

それぐらい、私の愛する主人ならしてくれるぞ〜
独身時代、食器を最長2ヶ月洗わずシンクに放置して
いたほどのずぼらさんが(最悪!!)私の妊娠を期に
週末は今でもお料理までしてくれるんだよ!?
愛情は育んでいくものだから、半身(伴侶)が
弱った時には助けあわないと・・・

私(長女)自身も育児による体の酷使で
持病の自律神経失調症が最近頻発しているのですが
今日はたまたまとても元気で感謝です。
火曜日までなら不調でとても外出できませんでした。

頭痛、吐き気、胃痛、めまいなどは
突如予測不可能に起こってくるので
長年の不眠症に加え
普通のママより大変なのですが、それでも
息子には最高の愛情をかけて頑張っています。

乱文で申し訳ありませんが、息子が起きてくる前に
急いで今から洗濯物を入れますので
この辺で失礼いたします。
後半は自分のことばかり書いてしまったようで
申し訳ありません。

母はやっと今寝息を立て始めました。
数日分寝て欲しいと思います。



posted by 優子 at 15:44| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

この空間が実感できないほどの恐怖だった

怖かった!
あの恐怖をどのように喩えてよいかわからない。
もしも癌ならば、癌であることよりも、死ぬことよりも、死に到るまでの外科治療が怖い。絶対に嫌だ。命が短くなろうとも私は絶対に拒否する。

10日は妹が病院を出たのは夕刻の6時20分だった。
ようやく5時50分過ぎになって、主治医から明日の説明があったからだ。妹も共に聞いてくれたおかげで、検査説明書に本人以外の者の署名ができたのである。病院側からは家族の同席も求められてはいなかったが、まさしくこれがインフォームドコンセントであり、署名まで求められたのだ。

昨日当日も6時間もいてくれ、術後の私が相当なものだったので、心配して今日もまた来て、遅い2時頃に摂った昼食の様子を見て帰った。主と妹に感謝した。妹に大いなる祝福がありますように!

検査とは言うがリスクの少ない手術という位置づけであるので、血栓ができないように手術の1時間ぐらい前からサポーターのニーソックスをはかされた。

手術は当日の最後の番で午後の2時から3時頃になると分かったのも、前日の主治医の話の時だったから、知子への連絡も遅くなり心配をかけた。

11日は朝から絶食で、手術が午後なので11時から点滴が開始し、しかも4時頃に漸く声がかかった。まるで死刑執行を待っている心境だった。

いざとなれば落ち着いて歩いて行けたものの、「ご家族の方はここまでです」と言われて入っていく時、夫と妹に会釈する余裕はなくなっていた。
そこからの恐怖は出産どころではなかった。

手術台に横になり、心電図と血圧計をつけられたが血圧が高すぎて始められず、4〜5分間、深呼吸をさせられた。では、座って下さいと言われ前かがみになって腰椎麻酔、このことは恐怖で今も書きたくない。

下半身は冷凍体(これは下肢静脈瘤手術経験者の谷口先生の表現だ。今夜、お電話した時に仰った)のようで、麻酔薬が体内に入った瞬間からの異常さと言ったらない。

麻酔が効くまでそのまま看護師さんに支えられて座っているが、「気分は悪くないですか?・・・悪いですか?」と聞かれても、最初から悪いからどう答えようかと思っていたらたまらなくなって、「あっ!」とビックリされて私を横にされた。血圧がストーンと急激に落ちたのだ。
念のために酸素入れますからね・・・と、チューブを鼻腔に入れられた。


そのあと、おなかの辺りが赤くなってきたので、彼らは「何だろう」と話し合っていた。「おなかの辺りが痒かったことがありますか?」と問われたが、ない。
そして、主治医は部屋を出て走って行かれて帰って来ない。
大丈夫なのか?!
3〜4分間(?)待ってからそのことを問うと、服装の着替えと、器具の消毒に行かれたというのだが、意味がわからない。それでは今まで不潔だったのか?!

麻酔医に尋ねに行かれたのではないのか?恐れが増し、何が起きるかわからないと覚悟し、悔い改めの祈りをした。
「今までの罪を赦し天国へ入れて下さい。夫、娘たち、妹と兄のことよろしくお願いします」。もう死んでもいいと思った。

だいぶしてから「では始めます。よろしくお願いします」。
まだ始まっていないのか!!!

こんなに清潔で明るい手術室で最高の医療を受けていることを感謝した。日本人に生まれてよかった。四川省やミャンマーの人たちのことを思った。

始まってからは痛みはないが、もう耐えられなかった。
右側のモニターを見せて説明されようとしたが、「嫌、見たくない。先生にお委ねします」と答えた。見るのが怖いのでは全く無くて
気分が悪くて耐えられなかったのだ。


「どうしたの?泣いたの?」と左目の涙をふき取ってくださった看護師さん。

イエスさまと御名を何十回も呼んだ。
自らを励ますためにみんなの顔を思い出そうとしたが、夫の顔を思い出したものの瞬間に消えた、恐怖と不快感でそんな余裕など全くなかった。イエスさまだけだった。


「まだですか。」
「今、膀胱を洗っているから、もう終わります。」

手術台からストレッチャー(病棟のベッドか?)に4人(?)で移して下さった。「重くてすみません」「これで重かったら僕なんか・・・(あとは覚えていない)」と主治医が言われた。

手術室を出て隣の部屋には同じように横たわっている人が2人くらい居られた。みんな男性だ。
泌尿器科の病気は男性がはるかに多い。
例えば、膀胱癌は男性が女性の2〜3倍だったか、しかも喫煙者はリスクが高いというのだから、タバコも吸わないからわからないものだ。

主治医は、「緊張しすぎ。周囲(周り)の人に気を使い過ぎ」と仰って肩を叩かれた。
病室に戻ったのは6時半頃だった。

入院当日は眠れず、すごいイビキの人もいて、1時間ずつ3時間弱の睡眠時間だったので、しんどくて霊性も下がった。
それなのに、手術当日も限度を越えた緊張で眠れそうになく眠り薬をもらった。

今朝は朝食を美味しく頂いたが、1〜2時間後から首から頭の異常なコリと吐き気に襲われて、2度嘔吐し、痛み止めのシップ薬を貼ってもらった。

8時に点滴終了、血栓予防のサポーターを脱ぎ、11時頃に尿のカテーテルが外された。
自力で排尿し、その尿状態が良ければ退院になるが、いつまでたっても尿意をもよおさず、するにも恐れを感じたが3時頃に許可が下りた。内視鏡検査と時よりもはるかに排尿時の苦痛は少ない。

2〜3日後に、真っ赤な尿が出るらしいが、それは傷口の止血のために焼いた所のかさぶたが落ちるためなので、ビックリしないようにとのこと。そのうち血が止まるらしい。

4時過ぎに夫が来てくれて、まもなく病院をあとにした。
「今日は帰る時に美味しいものでも食べて帰って下さい」と看護師さんが仰ったが、2時の昼食時も吐き気があって3分の1くらいしか食べられなかったから、近くのデパートでいろいろ買って6時40分に帰宅した。

書いていくうちに、あの恐怖が和らいだ。
結果は24日(24日夜追記:正しくは23日だった)の2時になっている。この時は真智子もいるので心強い。

今夜、谷口先生にご報告をかねてお礼のお電話をした。
「手術室の恐れ、私の信仰はこの程度なんです」と申し上げると、
「誰でも肉体の痛み、不安はありますよ。あなたは自分を責めすぎるのよ」と言われた。

疲れた。

病気の方々のために祈ろう。
今までよりも、もっともっと本気になって祈ろう。

お祈りして下さっていた方々、本当にありがとうございました。
個人メールを差し上げられなくてお許し下さい。




posted by 優子 at 23:31| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月10日

備え完了、感謝、出発します!

昨夜は爆睡、10時半から5時半まで寝ました。
私は今、お一人おひとりのお顔を想っています。

昨日の夕方の散歩の時からいつもの私に戻りました。忘れていた私の生きかたを思い出した気持ちです。

昨日、もすごく吠える犬を連れている方がチャッピーをよけて下さった時、「すみせん、ありがとうございます!もうすぐ雨が降り出しそうですね」と、私は久々に大きな明るい声で言いました。(結局雨は降らず、夜に夫ひとりでもう一度行きましたが)

その自分の声を聞いて活力が漲ってきました。
そして、思い出したのです。
挨拶しない人には先手必勝を!
この方は会話が弾む気持ちのいい方ですが、無視する人に対しても常にこちらから挨拶していたように、何事もここに勝利に到るキーがあるのですね。その積極性を思い出したのです。

人は嬉しいから感謝するのではなくて、感謝するから嬉しくなるのですね。全て自発的に主体的に生きることを選び取ると、うなだれていた頭が天に向きました。

明日明後日は雨模様、お留守番のチャッピーは雷が鳴っても家の中に入れてやれないから、どうか雷はなりませんように。

「ご主人や、おじょうさんたちや、お孫さんや、チャッピーのためにもがんばってください。まだまだ生きていなければどうするの。神様は無慈悲ではありません。」

「主の平安が優子さんを包んでくださいますように。
祈っています。」
         

ブログは甘えの構造だと思えてしかたがない私が、これでは甘えの骨頂です。まあ、それもいいか(笑)。きっと、イエスさまも笑っておられることでしょう。

妹は毎日でも病院へ行きたいと、ずっと心配してくれていましたので真剣に祈りました。導きを感じて妹の気持ちを感謝して受けることにし、今日は妹と一緒です。
今、ゴルフに出かけた夫にも帰りに寄ってくれなくていいよと念を押しました。明日の検査時間のことは妹から娘に伝えてもらえるので安心です。勿論、夫も駆けつけてくれますから。

たった今(6時30分)、試験が終わったばかりの真智子が声をかけてくれ、5分間ほどチャットしました。励ましのメールも送られてきました。感謝です。
知子と真智子の母であることを神さまに感謝します!!!
ママへ

さっき、労働経済学の試験も無事終了したよ!
合格したと思います!
結構色々考えさせられる良い問題で(難しくもあったけど)、意外と研究意欲を刺激されました。これで試験は終わりで、いよいよ研究だ、というプレッシャーが最近ちょっとあったのだけど、試験中に吹っ飛んだ感じです。

今日は、検査入院の日やね。
ブログを読んでいると、大きな不安と色んな気持ちと向き合っているのが伝わってきました。偉かったね。

結果が分からなくて不安が掻き立てられる、という側面では、試験と似てるな、と思いました。命の心配をする、という点では全然違うのだけどね。
試験の合否についても、不安に呑まれてしまうと、人生の明暗というか、すごく深刻になってしまって、這い上がるのがしんどい時があってね。

そういう経験から、ママの不安や色んな気持ちと向かい合うことの大変さを思うと、良い言葉が思いつかないけど、偉いな、頑張ってるな、と思ったよ。

最近まちが使ってる不安からの脱出策を、ちょっと書いてみます。
やり残したことが気になったときは、出来たことを思い出す!
そして、一生懸命やってきた気持ちとかを思い出して、イエス様に、「私はこういう思いでこう頑張ってきたから、どうかこのようにさせてください」ってお祈りしてみます。積極的に。

例えば、今回のプレリムについては、「今まで努力していっぱい学ぶことができました。試験に対しても、ベストを尽くして頑張ってきました。この試験は、一回で合格して、この夏休みには研究を進めていきたいと思ったからです。だから、どうか試験時間中、私の頭を鈍くさせないでください。」って昨夜お祈りしたよ。 前向きになって、不安が消える感じになったよ。

それでも落ちたら、きっと別の理由があるんだろうって思って納得できる、とか思って、安心できるというか。なんか、落ち着きました。 ちょっとでも不安対策の足しになればいいな。
でも、昨日は熟睡できたって言ってたから、十分かもね。
お祈りしてます。
いってらっしゃい!
                真智子

ありがとう。
みんなみんな、ありがとう!
私の前を先に進んで行って下さる主が居られるから、雄々しく出発します。
もう、結果のことも思い煩わないで。
posted by 優子 at 06:49| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月09日

思い煩うなかれ

どんな時にも傍に居られるイエスさまに話しかけて、イエスさまの御名を呼びながら行って下さいね。イエスさまの御名にサタンと恐怖に打ち勝つ力があるのですからね。
最後にイエスさまの御名によってお祈りするでしょう。
勝手な間違った祈りをしていても、イエスさまの御名が聖(きよ)めて祈りを聴いて下さるのですからね。

どうしてこんなものを与えられたのかなんて思わないでね。
優子さんが今まで藤本家でどんなに仕えてこられたか神さまは全てをご存知でおられるから、このことが周囲の全ての人にとっても、そこまで神さまは考えて下さったんだと思うほど、神さまの愛は間違いないですからね。

ご主人、知ちゃん、真智ちゃん、それぞれに最善を尽くしてくださるから、イエスさまに委ねてね。イエスさまが一緒に行って下さいますからね、お医者さんに委ねてご指示を仰いで下さいね。

たった今、これが全ての短いお電話を谷口先生から頂いた。最後に、29日礼拝の午後に小山先生の記念会があるとお知らせ下さった。
真智子も帰国しているので一緒に放出教会へ行きたいと申し上げたが、29日までに検査結果は出ている。

「周囲の全ての人にとっても・・・」
と言われて不吉な予感がした。
死を不吉だと思うこと自体、全然わかってはいないのだ。
しかしまた、死を受け容れていく初めはこの動揺も真実だから、消さずに記録しておこう。


「周囲の全ての人」という言葉に反応したのは藤本の人々を思ってのことだった。
実は昨朝は悪夢で目がさめた。
5〜6年ぶりの久々に義母たちの夢だった。
この家を追い出されて、かつてのマンションに夫婦だけが居た。
天井も壁もすすで黒く汚れ、家具も何も無く、私は玄関を上がった所で立ちすくんでいた。私は「掃除を手伝って!」と、何度も何度も必死で夫に訴えるも声が出ない。夫は怖い顔をして立っていた。
まだ心の傷は癒えていなかった。

藤本の義母には話す機会(雰囲気)があったので、内視鏡の検査の必要があるとわかった時点で話したのだったが、何も心にはとまっていない。

嫁の体に心配があることも記憶されていない義母(周囲)にも影響を与えようとされるならば、神さまは私の命を取り去られるのだろうか。
動悸が激しくなった。

あとのことについては子の代に残さぬようにとは思っているが、もう何年も前から私の中では藤本のことは解決されている。何よりも夫、兄、妹の救い、そして、娘の伴侶とそのご両親のことが祈りの課題である。

藤本のことについては、心の傷があることもわかっていたが、夢にまで見たことが驚きだった。精神的に大変不安定になっていることを認めればいいのだ。

明日10時半までに入院受付に来るようにと、病院から電話が入った。

「イエスさま、イエスさま、私を助けて!」と囁くと、熱いものを感じた。涙が滲む。イエスさまが居られるのがわかる。
もう思い煩わないでいよう。
posted by 優子 at 11:17| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

心(魂)の知覚過敏 ―Oさんに見せて頂いた自分の姿―

私は今、トコトン自分の弱さを知らされ、憂鬱な時間を過ごしている。
昨日頂戴したOさんの静かな語りかけから自分の姿に気づかされた。自己吟味が過剰だったかもしれない。
こういったベクトルも加速度を増していくことを何度も感じているだけに、確かにやり続けると破綻をきたすだろう。
今後、悩みすぎる時はこのことを思い出したいと思う。

Oさんは私にすごく大切なことを、あえてさりげなく伝えて下さったに違いない。すごく大切なことを。
私だけではなく、自分を振り返ることのできる人には大いなる助けになるだろう。お導きを感謝して刻ませて頂きます。
藤本優子様

検査入院が迫っていますね。
いろいろと心煩わされることが多いと思います。
今まで元気で過ごして来られた方は特にそうでしょうね。

すでにご自身で素晴らしい気づきをされましたね。
今更こんなことを書くのは必要ないとは思いますが、ブログを読んで感じたことを少し述べさせていただきます。

歯の診療をしていると口の中はとてもきれいなのに、痛みを訴えられる方が少なからずおられます。
殆どの場合は「知覚過敏」という病名が着き、とりあえず薬を塗って、後は歯磨きの方法を変えてもらう事で治まります。まじめな方に限ってなる歯の病気(?)です。

歯の病気にならないためには歯磨きが大切なのは言うまでもありません。
まじめな方は汚れが落ちてもなお磨き続け、歯茎の肉(歯肉)や硬い歯の表面(エナメル質)を磨き落としてしまうのです。
エナメル質や歯肉は外部からの刺激を防ぎ、生きている歯が痛まないための大切な役割を担っています。良いことをしているのですが力加減が大きすぎるのです。

痛みを感じて更に磨かなければとがんばり痛みを増してしまいます。そこで少々汚れが残っても良いから力を抜き、必要以上に磨かない様注意をしてもらいます

優子さんも心(魂)の汚れを溜めない為に常に自己吟味をされていますが、その力加減が過ぎるので心(魂)の知覚過敏ではないかと懸念いたします。

無神経なのは傍が迷惑しますが、やりすぎると一寸の刺激に自分の心(魂)が痛みを感じます。
肉体も心も刺激から痛みを感じるのは私たちが健全に生きている証拠ですが、必要以上に感じれば疲れ果て破綻を来たします。
もう少しまじめの度合いを緩めても十分ではないでしょうか。


(歯磨きと同じで真面目な方ほど分かっていても手加減が難しいのです。優子さんにこう書きながら実は自分自身に言っているのかも知れません)

検査はデリケートな場所なので、術後も不快症状が少しの間残る場合もあります。
(多くの場合は何だこんなものか。これだったら心配しただけ損したな〜と思います。)
検査が無事終了し、不快症状が残らないよう祈っています。
主の平安が豊かにありますように。

今もう一度、神に心を注ぎ出して祈ろう。
私たちの全き義は、ただただ赦しにのみあるのだから、今の歩み方を続けると方向を見失う恐れさえある。

検査の結果を恐れているくせに、一方ではそのまま無癌放免では困る。その程度では私は造り変えられないからと、当初から思っていた。まるでサディストのようで、既にかなり重症だったのだ。

神は、私の人生に神のみこころを実現しようとされるのだから、私は主に信頼して従っていくのみだ。
posted by 優子 at 09:24| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

テロのごとき通り魔殺人

昨日はNさんをお誘いしてお気に入りの店で昼食をご一緒し、そのあと3人で週末の買い出しに行った。もう一人は勿論、我が愛夫だ。Nさんは、数日前よりも力強い足取りになっておられた。

痛みから解放されたNさんと入れ替わって、最近は股関節の痛みがひどくて、歩くのは勿論のこと、座っているのも苦痛なので横になることが多い。命に関係ないとは言え、命があるならば無理はできない。
午前中はずっと横になり、今日は午後の礼拝に出た。

東京・秋葉原ではとんでもない事件が起きている。
男がトラックで数人をはねたあと、そのあと歩行者天国でサバイバルナイフで無差別に10人以上もの人を殺傷し、そのうち7名もの人が亡くなられた。

「世の中が嫌になり、人を殺すために秋葉原に来た、誰でも良かった」と供述している25歳の男。
それならば自殺すればいいじゃないかと思うことも、責められるのだろうか。

こんなことで命が絶たれるなんて!
信じられぬ現実を引き受けなければならぬ家族。
胸が痛み涙が滲む。

命ある限り、精いっぱい生きなければならないと思わされた。




posted by 優子 at 21:08| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年06月07日

RED CROSS HOSPITAL

皆様の尊いお祈りを感謝しています。
日が迫ってきました検査入院を前にして、未だ医療者への不快さと不信感があり、僅かながらも心の騒ぎを覚えています。
怒りや不快感を感じる医師に、どうして命を任せられるでしょうか。どうか私の上に完全なる備えがなされますように祈り助けて下さい。よろしくお願いします。


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「赤十字病院の基本理念」には、「人道・博愛の赤十字精神に基づき、すべての人の尊厳をまもり、心のかよう高度の医療をめざします。」と謳われている。

「患者さまの権利」の「3」には、「医療についての情報や治療上の説明を受ける権利を尊重します」と書いてある。

これらのことは、少なくとも私が知る30年前から、既に日本全国の医療現場で実現されていることである。
時に悲惨な悪質病院が報道されるが、そのことを通しても、多くの人々の努力によって人間の尊厳が周知されるに到ったのである。

赤十字病院を英語では「RED CROSS HOSPITAL」と言う。「RED CROSS」とは、イエス・キリストが磔刑にされた血潮したたる十字架を現している。

殆どの日本人はそのことの意味さえ知らないのが現状であるから、そこで従事される医療者たちにさえ、その深い精神性を求めてはいない。

それどころか、ことは医療現場以前の問題なのだ。
いや、これに限らず、このような葛藤と、その解決に心砕く営みが人生そのものなのだが、今は十分に思い巡らす時間がなく焦りを感じている。私の中の不快感と不信感を神に委ねることができるように祈ろう。

人々は知らずとも、病院中に見られるレッドクロス「」は、私にイエスを思い出させてくれる。
これもまたありがたい神の恩寵である。


5分後の追記:
この記事を読み直してハタと気がついた。
そういえば、医療者のことについて祈り求めてはいなかった。
そのことに気づいただけで、今すでに、堰き止められていた大きな石が取り除かれたように、神の平安が流れてきた。
イエスさま、ありがとう!!!

posted by 優子 at 09:55| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

そして、今日は私の21歳の誕生日!・・・? 

I was born again on the day of the pentecost in 1987. というわけである。
何も英語で書かなくてもよいのだが、、「I was born again!!!」と大声で感謝したい。
これが、洗礼式の写真である。

洗礼式.jpg

1987年6月7日、ペンテコステの日に小山恒雄牧師より洗礼を授けて頂いた。35歳に一度死んで、新しく誕生して21歳である。この場に両親も集ってくれていた。

この日、小山牧師から頂いたみことばは、私には全てに叶うものであった。色紙には次のように書いて下さっている。
「キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」          ピリピ人への手紙 1章27節

為 藤本優子姉   1987年6月7日
         洗礼記念    主の小僕  小山恒雄

そして今、試練の中を歩まされているが、これまでの苦しみにより神の恵みと、最悪の時にこそ最善への道が開かれたことを知らされたゆえに、神さまはどんな良きことをなさろうとしているのだろうかと瞬間的に思った。

小山先生も多くの苦難と悲しみを通り抜けてこられた。その最大の悲痛は御長男の死であった。
知子が中学1年生だった1990年夏、ケンタッキーのアズベリー神学校に留学中の望兄が、自動車事故で即死されたのだ。

「使命があるうちは、あらゆる危険から守られる」と牧師は何度も説教で話されていたのにと、当時、幼い信仰だった私は神のみこころが信じられなくなった。

しかし、それ故に神の教えを真剣に求め始めたように思う。
以来、今に到るまでの歩みにより、イエスさまのことを心から信頼できるようになった。

5月からの試みが始まって、まず祈り求めたことは ―
@ 藤本の問題を子どもの代に残さないように。
A 愛するKをもう一度救い出して下さい。
B 誠実に生き続ける兄の救い。そして、導かれつつある夫
  の完全なる救い。

娘たちは既に信仰を与えられているので、神さまは生涯の終わりまでお導き下さると安心している。従って、その伴侶たちにも救いが及んでいくということも。

私の祈りは短いものになった。
まず、祈って下さっている方々のために祈り、そして、上記の3つのことが主な祈りになった。主に在る兄弟姉妹の祈りに支えられて、謙虚に、かつ、雄々しく進んでいきたいと思う。

「昨日と今日(5月31日)のブログを見て安心いたしました。
神様は無駄なことはなさらない。
主にあって、すべて御手のうちに物事は運ばれていると思います。祈り続けます」。

                 
「大変なところを通っておられるのですね。お祈りいたします。神様は試練とともに必ず脱出の道を備えてくださっています。主のみ声を待ち望んでください」。               
                

「本当に危険なのは人生の荒波の中でイエスに身を委ねないことです。
イエスから目を離さないでいなさい。そうすれば、恐れは消える」。


受洗21年目にして、主の力を最も感じられる記念日となった。ハレルヤ!!!
主よ、感謝します。アーメン!!!


posted by 優子 at 08:19| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月06日

真智、喜びと勇気をありがとう!

真智へ
夕方にPCを開けると真智からメールが届いていました。
いつもお祈りしてくれてありがとう。クマも祈ってくれていることをこの身に感じ、感謝しています。

多くの方々に祈られてママは幸せ者です。とてつもなく幸せ者です。おかげでママの心は平安です。しかし、今はまだ無気力に傾きやすく、メールを読んでいると力が充満されていくのがわかりました。

これを読んで、マルコ伝1章11節のみことばが浮かびました。
「すると天から声があった、『あなたはわたし(神)の愛する子、わたしの心にかなう者である』」。
そして私もまた、神さまが私の存在を喜んで下さっているとわかりました。

保存したいメールはフォルダーに入れますが、それさえ数多くなるばかりだから、どうかこのメールをここに刻ませて下さい。メールは走り書きだからこそ強く伝わってくるのです。

ママ、ブログからのお誕生日メッセージを有難う!
すごい嬉しかった。読んでて、涙でました。
まちを産んでくれて、育ててくれて有難う。

今日5日は、計量経済学の試験でした。
4時間の試験、全力疾走して、多分合格したっていう手応えあったよ!
すごい勉強してきたから、超嬉しいです。
次の試験は9日で、労働経済学の試験。もしかしたら、こういう大変なペーパーテストは、今回で終わりかも。

もうすぐ帰れるから、時々楽しみで想像してます。
いつもお祈りしているからね。
  
                  真智子

メールは14:47分の着信だから、そちらでは夜中の1時前頃やね。最強レベルの頑張りの日々であり、試験のあとで疲れ切っているのにありがとう。

東大の大学院でも飽き足らず、本場アメリカにおいても頭角を現していく真智を思うと、「ようし、ママも挫(くじ)けないぞ!」と勇気が出ます。お姉ちゃんと真智のママだもの、子どもたちに負けずに頑張らなくっちゃね。

次の試験は9日、日本では10日です。
ちょうどいい、ママも雄々しく病院に向かって行くよ!
激流を漕ぎ分けて前へと漕ぎ出して行くよ。
この坂道も、イエスさまは強い御手でママの手を引いて下さるから大丈夫。喜びと感謝と勇気をありがとう、真智。


帰って来たら11日遅れのお誕生日のお祝いをしようね。
武勇伝を楽しみにしています。
ゆっくりおやすみ。おやすみなさい、真智ちゃん。

posted by 優子 at 18:38| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

真智ちゃん、お誕生日おめでとう!

今日は真智子の誕生日、私は28歳7ヶ月で2人の母になった。

1980年6月6日当日の記録より:

6日の早朝4時40分、破水したかと思ってトイレへ行く。
しゃがんだ瞬間に腰の痛みと同時におしるし(出血)を見たので、直ぐに北野病院へ電話する。

朝食を済ませて、まだ寝ている知子の傍で、「お母さん、知子のことをよろしくお願いします」と、私は初めて母に慇懃にお願いした。
前日より実家に来ていた夫と共に6時半に病院着。まもなく夫は会社へ行った。

9時に病室より陣痛室へ移るが、11時半頃には短くなった痛みの合間に座って昼食を摂った。12時頃より痛みがかなり強くなり、2時過ぎにようやく分娩室に移される。

分娩台に横たわって力もうとするが、左足太もも(お尻もだったか覚えていない)から下まで、痛くて痛くてきばることができなかった。
「初めてではないんでしょ?!そんなんじゃ産まれませんよ!」と助産師さんに言われても、産みの陣痛よりも痛くてきばれなかった。

「イエスさま、助けて!」と心の中で叫び、命がけできばった。「産む時は障子の桟(さん)が見えなくなる」と母が言っていたように、その時、分娩室の照明器具と壁が崩れ落ちたように見えた。
2〜3度きばって、ついに元気な産声が聞こえた。
午後3時02分、3420グラムの元気な赤ちゃんだった。
「まあ、可愛い赤ちゃん、鼻が高いねえ」と助産師さんや医師が何度も仰った。成長と共にお鼻は低くなってしまったけれどね(^−^)。

しばらくすると軽くおなかが痛くなり、指示の通りきばると、後産(あとざん)がズルズルと流れ出たのがわかった。
その後、病院の連絡ミスがあり、実家にも夫にも無事に女の子が誕生したことを連絡されていなかった。

夕刻6時過ぎに夫が病室に入ってくるなり、「まだか?!」と尋ねた。連絡ミスがあったことを知らなかった私は、その言葉に驚いて「もう生まれたわ!」と軽く溜め息をつきながら言ったのだった。

長女の時は、それからまだ12時間も苦しんでいたので、誕生の電話を待っていた母も病院に尋ねなかったのだろう。
7月23日に整形外科を受診、分娩中に起きた痛みは坐骨神経痛だったことがわかる。主治医は私より2〜3歳年上の女医さんで、美しく人格的にもステキな方だった。

全てが遠い懐かしい思い出だ。
全て守られてきたんだなあとしみじみ思う。感謝すべきことがいっぱいあった。

今朝は真智子の誕生を想っていると、讃美歌466番が唇に溢れ出た。同志社の花の日礼拝では、毎年この讃美歌を歌っていたよ!
教会暦では今年は6月8日が「花の日(子どもの日)」だ。今年も9日の礼拝で讃美することだろう。

私の歌声は真智子に届かないが、神への感謝と喜び、真智子への想いをここに刻もう。ブログは私の心の録音である。


この世は花園、 こどもは花
恵みの雨つゆ、 愛の日かげ
父なる御神の 日々たまいて
咲かしめたもうよ、 色香きよく、色香きよく。

  草間に隠れて 咲けるすみれ
  み山の岩かげ 飾るつつじ、
  空をもあおがぬ 谷のさゆり、
  訪(と)い来る友は 里のこども、里のこども。

    黄金(こがね)のうてなに、玉の殿(との)に、
    雨もる伏せ屋に、 草の庵(いお)に、
    生い立つところは ことなれども、
    花は開くよ、人の幸と、人の幸と。
                       アーメン


帰国した時に一緒に讃美しようね!
真智ちゃん、28歳のお誕生日おめでとう!!!

神さまから賜った能力を磨き続ける真智子に神の豊かな祝福がありますように!
この一年もイエスさまが常に真智と共に居て下さり、守り導いて下さいますようにいつもお祈りしています。
posted by 優子 at 11:36| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年06月05日

愛が生きる意味を与える

手許にある本だけでも読みたいのに時間がない。
5月12・13日は焦燥感に駆られ、次女の大学受験時を思い出しては自己を律していた。

高3の夏になって、ようやくクラブ活動が終わり受験に集中していった次女だった。10月に入っているというのに、地学(だったと思う)はまだ全然手付かずの状態だと言い、日を追うごとに、「今日はここまでできたよ」、「もう少しで終わる」、「地学も終わった」と、自らの焦る心を律して努力する姿に、私は我が子ながら敬服した。

学問が好きな娘は大学に入ってからも、すべき事が山積みで、私ならばそのストレスだけでも大変なのに、一つひとつ進めていき見事なほどにこなしていった。

神大時代も東大時代も、そして、結婚により苛酷な運命を引き受けなければならなくなり、留学先ではそのことで膨大な時間と心を使いながらも、次女は自分の夢に向かって歩み続けている。

私は真智子の言動を思い出しては焦る自分を励ましたが、2日と続かなくて投げ出してしまった。
まもなく死ぬのに本を読んでもしかたがない。そんなことはどうでもいい、そんな気持ちになっていた。

しかし、まだ心の余裕はあったのだろう。
「今回は真智だけ帰ろうか、ということを検討していたの。」と、次女から5月9日に届いたメールに夫は賛成したものの、私は躊躇していた。
そうでなくても、私はずっと親子(家族)水入らずになりたいとぼやいていたのに、いざとなれば婿が可愛そうになったのだ。

そのメールには、「『真智とおかあさんの2人の時間も大切だから。』とクマは泣いていたよ。優しい涙でした。」と書かれていた。

常に一緒の2人だから、時には別々に分かれるのもいいだろう。そう思うことで私は好意を受けたのだった。こんなに深刻なことになってしまったので、その選択は良かった。

親しい友は乳癌の濃い疑いがかかった時、結果が出るまでは子ども達には知らせなかった。
それに比べて私の不甲斐なさはどうだろう。
両親がしっかりしていたのに子どもの私は愚かで、私のような愚かな母親に育てられた2人がしっかり者の大人に育ったとは皮肉だ。

「ママは私に知らせて可愛そうだなんて言わないでほしい。
現実を知らせることで不安を共有し、そういうこと全てが、関係する人の体験になる。直接の現実だと思うよ」
と、5月30日早朝のチャットで書いてくれた真智子。
この言葉でどんなに気持ちが楽になったことか!

― ここで書くのを中断 ―

実は今朝、生きる意欲が萎えてしまっていた。
ここに引越してからも、どんなに誠実と愛を尽くしてきても相変わらずの義母の姿に、不快感と怒り、悲しみを感じて心乱れてしまったのだ。

しかし今、心は短調から長調に転調された。
まるで人工呼吸器が外されて自発呼吸ができるようになったような気分で、とても楽になった。

Kオプティコムの人と電話で会話している間に気持ちが引き上げられたのだ。インターネットを光に変更しても、全く高速にならないので、今日は何もする気になれなくいから電話した。

すると、有能で誠実なSEさんとの会話で癒されて、受話器を置いた時にはいつもの自分に戻っていた。
彼はSEの仕事以上の尊い働きをしたのだ。
つぶれそうになっていた人間の心に意欲を取り戻させたのだから。

涙が溢れてきた。
どうして、こんなことぐらいで涙がでるのだろうか?!
泣かないで!
あんなことぐらい何でもないではないか。
この何億万倍もの悔しさ、悲しみを乗り越えてきたではないか!!


「ママ、いつも思っているからね。
 生きる意欲を持ってね!!!
 今生きる希望を無くされても困る!
 大事なママとの時間、私はまだまだ足りませんから!!」
とは、昨日帰宅した長女からのメールだ。嬉しかった。

検査当日は病院へ行きたいと何度も言ってくれたが、小さい子どもは病院に連れて来ない方がいい。やはり、そのようにしてほしい。ありがとう!

次女は4日と9日だったか、今は今年度最後の大切な試験中である。
そして、17日の夕方6時20分には関空に到着する。

Monday 16 June 2008
Northwest Airlines Inc - Flight NW 0750
Arrive: Osaka Kansai Int'l Airport
     Travel Time:13:40
Osaka, JP Stopovers: 0
Tuesday, June 17, 2008
6:20 PM


ミネソタチャッピーが帰ってくる。
でもこの日、夫は東京泊だから迎えに行ってあげられない。

知子と真智子の存在の大きさを想う。
やはり愛こそが生きる意味を与えるのだ。







posted by 優子 at 21:32| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

書いておきたかったこと

読書会とサークルセンターの役員を辞して文化活動から退いたのは、クリスチャンペンクラブ専一にと思ってのことだった。しかし、14日の例会もまた欠席になってしまった。

8月7日(木)から1泊2日で、関西と中部ブロック主催により日本クリスチャンアカデミーで合同夏期研修会がある

久保田先生たちと共に、クリスチャンアカデミーの下見で京都へ行くのを楽しみにしていたのに行けず、今は参加できるかどうかも答えられない状況になっている。
とにかく入院していない限りは、どうしても出席したいとお伝えしてあるが。

しかし、日本キリスト教文学会は欠席することにし、今後は会員継続もしないつもりだ。
と言うのは、遠藤周作の『深い河』を読んでいる時に、学究研究は私が最も関心のあることではないとわかったからだ。

読書中(3月半ば)、「遠藤さん、あなたはそんなふうに感じていたんですか。・・・」と、まるで遠藤氏と対話しているような読書になっていた。あんなことは初めてだった。

もとより遠藤文学に対しては少々違和感があり、救いの手軽さを強く感じ、信仰解釈を異にするので、決して遠藤と考え方が一致したからというわけではない。

故 能登一郎牧師に至っては、遠藤をクリスチャン作家と呼ぶのは危険であり、異端であるとまで明言している。
私はそれも承知の上で遠藤作品を読んでいる。

しかし今回強く感じたことは、遠藤の信仰が異端に行き着いたとしても、彼にとっては誠実に神を求め続けていたことには違いないのだから、あとは神の領域であろうし、私は作家自身の深い思いを知りたく、それらを互いに交わしたい。これこそが私の求めていたものであるとわかったのだ。

従って、文学(学問研究)というよりも、常々主張しているように、クリスチャンの深い心のうちを語り合える交わりがしたいのだ。
クリスチャンならば誰でもというものではなく、偽りない自己の内面に向き合える正直な語らいのできる人との交わりである。


従って名を残した作家ならば魅力的な相手であり、その意味において文学を深めていきたいと思っている。

以来、今も鮮明に覚えている1月29日(カテゴリ「キリスト教文学」)に記した考えとは違ってきた。

「23号を重ねている学会誌『キリスト教文藝』・・・これは権威ある研究誌であるとのこと。
私は早々から、ここに論文を発表したいという大きな望みを抱いた。続きを書いてやろうとは、ここに発表してやろうとの意気込みであり、それほどに私のボルテージを上がらせる会合だった」。


文学の知的資料としては今も大変興味深く思うが、先月早々から事態が変わってしまったこともあり、文学会の案内状はゴミ箱に捨てた。



posted by 優子 at 09:23| 文学 | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

回想、感謝、Nさんの快復、ゴンの死

夕方、長女と孫は帰って行った。
いつものように娘と強く抱き合った。
両親が健在だった頃、― 健在だった頃だなんて胸がキュッと痛くなった。こんな日が来るなんて想像できなかった ―
「ありがとう!愛してるよー!!!」と、私は実家から帰る時はいつも大きな声で車窓から叫んでいた。両親は私たちが見えなくなるまで見送ってくれていた。

「おじいちゃ〜〜ん、おばあちゃ〜〜ん、ありがとう!!また来るわねー!!大好きよー!!元気でねー!!」と、知子と真智子もそれぞれ大きな声で叫ぶ。近所迷惑になるのも忘れて。

そして今年から、長女もまた運転席から「ありがとう!」と大きな声で叫び、「ありがとう!」と私もまた叫ぶ。
母と父の別離の悲しみを越えて、今は娘と再会の喜びと別れの寂しさを繰り返す日々にある。

そして、部屋に戻ると、「ああー!!!」と叫んでしまった。
たけのこの時と同様、またしても持たせてやるのを忘れてしまった。せっかく今夜の夕食にとハンバーグを作ってあげたのに!!!全く情けない!!!直ぐに忘れてしまうのだ。

今回は娘に印鑑を持って来てもらうように頼んだ。
2泊3日の検査入院でも、入院申し込み書には連帯保証人の記入が必要なのだ。
「患者様の容態によりご本人からの了解を得ることが困難である時は、ご家族の了解をもってこれに代えさせていただきます」とあり、署名してくれた娘も少々緊張したことだろう。
入院前日の9日に病院から電話があるので、この土・日には目を通さねばと思っている。

まだまだ先のことと思っていたので、生協の共同購入を再開するNさんの商品は私がお届けするからねと言ってきたものの、私自身も今週は注文してはいけないことに気がついた。

そのことを娘が帰ってからNさんに電話しようと思っていたのも忘れて、2階の掃除を始めようと窓を開けたところ、けたたましく吠えているチャッピーに、「チャッピーちゃん」と声をかけて下さる声がした。
「ちゃん」づけで呼んで下さるのはNさんだ!!!
なんと、外には杖をついてNさんが立っておられた!!!

リハビリついでにと仰ったが、ご自宅の一画を回ったあとにここまでは歩き過ぎだ。Nさんは私が落ち込んでいないか心配して来て下さったのだろう。
そしてその時、I さんのゴンが死んだことを知った。

夜になって I さんに電話した。
私が会ったのは5月9日だったとのこと。その時、ゴンは心臓のエコー検査のために、おなかの毛を刈り取っていたのを見せてもらったが、その後10日間で見る見るうちに容態が悪くなっていったそうだ。

オスのゴンは、いつもメスのチャッピーにチョッカイを入れていたのに、この時はその元気もなかった。

私は今夜も疲れていたので夫一人でチャッピーの散歩に行ってもらおうと思っていたが、ゴンを偲びたかったので一緒に出かけた。

ゴンが死んでから既に16日も過ぎ、その間に土砂降りの雨の日も何回かあったのに、チャッピーはゴンの臭いを嗅いでいた。そこにゴンの姿はなかった。
どんなにゴンの名前を呼んだところでゴンは来ない。
2度と再び会えないなんて、地団駄踏んで泣きたい気持ちだ。

チャッピーは不安や悩みが無いかわりに喜びもない。
そして、悲しみも無い。

私は常々いつか来るチャッピーとの別れを想像し、チャッピーと歩いた道と思うだけで辛くなっていた。
だから23日(5月)には思ったものだ。
チャッピーを看取れなくてよかったと。

ゴンも逝ってしまったなんて・・・悲しい。



posted by 優子 at 23:30| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2008年06月03日

両親と孫への想い

知子の心.jpg

長女の家からこちらに向かう道中の「道の駅」では、花が市価の半額くらいで売っているので、いつも大勢の人で賑わっているらしい。
この黄色い花の名前はなんて言うのだろうか、娘の気持ちが込められた花を台所に置いた。

私は台所の流しに立つたびに両親と目を合わせる。
このたびのことでは、気丈だった母は心配ながらも笑顔で励まし、涙もろかった父は私を励ましつつも心配で堪らぬ悲しみの目で見つめている。

平安を取り戻した私は父と母に言った。
「お父さん、お母さん、大丈夫よ!
私には神さまのみことばを握らせて頂いているから、心配しないでね」
と。
そして、吉田松陰の辞世を思い出していた。

「親思う心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん」

これはペリー来航の際に密航に失敗した松陰が、獄において斬首刑に処された時のあまりにも有名な辞世である。

たった29歳の若者(松陰)は、自分が斬首されることよりも、息子(松陰)が斬首刑で没した報を受け取った時の親を想ったのである。今更ながらすごいものだと思う。

しかし、私は両親のことを心配しないでおこう。
父と母は天の御国に入れられているのだから、私を励ましこそすれ心配はしていないはずだ。天に帰れば、地上の心配からは全て解放されているのだから。

ようやく眠ってくれた孫に合わせて、過労気味の長女も一緒に休ませた。私も股関節がうずくほど痛いので横になりたいが、母でもなく祖母でもない自分自身に戻りたくてPCを開いた。

これは雨が降っていた今朝のイソトマだ。

イソトマ.jpg

先ほどから雨が上がり、今は緩やかな日射しで色が美しく映えている。18個も咲いている上に、風船のように膨らんで今にも咲きそうな蕾が3つある。

では、ここからは「知子の育児便り」を!
一秒でも目を離せないわが子を、夫が不在の時も自分一人でお風呂に入れられるようにと購入した、浴室で使うアイテムだそうだ。

yuki 5.jpg

これはお風呂で遊ぶオモチャの金魚をくわえている。この格好でハイハイする姿を是非見たいものだ。

金魚の君.jpg

昨日から我が家のリビングでのハイハイも解禁にした。もはや汚いからと言っておられない。自由に放牧(?)され、「こら待て、こら待て!」と追いかけると大喜びする孫に、幼かった頃の知子と真智子の姿を思い出させた。

昨夜は孫の寝顔をしみじみと見つめていた。
知子や真智子の寝顔を見ながら、「いつまで見てても飽けへんなぁ」と言っていた母と同じ気持ちだった。
娘の愛してやまない孫のためならば、私も命さえ惜しくはない。

「幼くて罪を知らず 胸に枕して
 むずかりては 手に揺られし 昔忘れしか」


幼稚園、小学校、中学校と、孫の成長を見たいと思う。
長生きしたい。
「もう十分に生きた」とは傲慢だった。

知ちゃん、花をありがとう!
嬉しかった。
あっ、起きてきた!




posted by 優子 at 15:37| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年06月02日

Nさんの退院と、愛なき我を悔やむ大沢さんの訃報

先週30日の長女への報告電話で、「じゃぁ、もう行ってもいい?」と尋ねられて、「いいよ、楽しみに待ってるね」と、鮎釣り解禁に続いて実家帰りも解禁となった(笑)。

人工股関節の手術をされたNさんは経過も良く、一昨日に退院された。特に術後3週間は患部への細菌感染注意と、人工骨に肉が巻いてくるまでの3ヶ月間は要注意しなければならないそうだ。

今朝お訪ねした時に傷口を見せて頂いた。
10センチくらいの痛々しい傷跡だったが、傷病みすることなくきれいだった。自動車の運転もまだまだ先のことになるとのこと。今後も順調に快復されるようにお祈りしよう。

Nさんは私の体調のことを心配して手術2日後にお電話を下さり、以来ずっと心配して下さっていた。
「オリーブの会」の友たちがお見舞いに行かれるたびに、ご自分のことよりも私のことを心配して下さっていたことをお聞きし、母親の面影を思い出させた。

27日の夜には、「もうすぐ退院だから来てくれなくていいよ。退院しても私は藤本さんの所へ行けないから、藤本さんが来て!気持ちが沈む時はいつでもおいでね」と、電話して下さっていた。

このような愛深い友をたくさん与えられた私は、神さまから強い示しを感じている。私も愛に満ちた人にお導き下さり、どうかこのままで終わらせないで下さい。


明日からの来る予定だった長女は、雨にならないうちにと急きょ今日から1ヶ月ぶりの来訪(帰宅)である。思いもかけずお花を持ってNさんを訪ねてくれたので、しばらくして娘と共においとました。

さて、今しがた母の通院時に、住友病院のリハビリ室でお知り合いになった方の娘さんから訃報が入った。あのころ既に車椅子生活になっておられた大沢さんが今日亡くなられたのだった。

筋ジストロフィーだった大沢さんは、ついに呼吸筋まで侵されて1年前から入院生活になっておられたそうだ。今年は年賀状が届かなかったので心配しつつも、お尋ねすることもしなかった。娘さんはお父様に届いた年賀状を見て連絡して下さった。

私はお父様との関係を申し上げ、お母様が亡くなられてまもなく、私たち家族でお慰めに伺ったことを申し上げた。
あれは、既に病床生活になっていた父を見舞った帰りだった。
その時にクリスマスケーキをご馳走になったから、母が亡くなって1年2ヶ月、1997年の12月のことだ。
連絡して下さったのは、その時にお目にかかった娘さんだとわかったが、お互いに顔も覚えていない。

大沢さんはとても明るく常に前向きで心の美しい方だった。
享年80歳だったというから、よくお話していた頃の大沢さんは64〜5歳で、私は40歳になった頃だったのか・・・。

「藤本さん(優子さんと呼んで下さっていたような気がする)、あんたは人の心に寄り添える人だから、カウンセラーになったらいい」 と何度も仰って下さっていた。

会話の中で何度も口にされる「そうやぁ。」と言うお声が耳に聞こえる。
大沢さんもまた、母の苦難時代に私を支えて下さったお一人だった。


しかし、当地に移ってからはお訪ねすることもしなかった。そのことを娘さんにだけでもお詫びできてよかった。
ご遺族のお慰めだけではなく、このことを神さまに赦して頂いて、このような悔いは2度と再び繰り返すことがないように祈ろう。

午後から冷たい雨になり、気象庁が入梅を発表した。


posted by 優子 at 17:45| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年06月01日

Oさんのメールは神の導きだった!

昨日、香芝ゴスペルチャーチの徳山牧師が訪ねて下さった。
家に入って頂かずにご無礼したが、その所で祈って下さり牧師と神さまに感謝した。若き牧師ご一家の上に神の祝福が豊かにありますように!

今朝は先週の雨で延期になった自治会の草引きがあり、夫は昨日のゴルフで疲れているために教会は無理かと思っていたが、礼拝の恵みに与ることができた。

午睡中に叔母から電話が入り1時間ほど話していた。それを機にPCに向かい、夫の寝息を聞きながらキーボードを叩いている。

29日の記事に続けて、Oさんのメールによって不可解だった心理が解明されたことを記録しておきたい。
これまで私が経験してきた試練は肉体的なことではなく、精神的な苦難とも言えるものばかりだった。ところが、今回のことは今までのとは違って病気である。

命が揺さぶられた時の最強の恐怖については、これまでの元気だった時に想像していた通りを実感しているが、いくつかの不可解な心理状況に見舞われた。
その一つが既に解決済みの「面白くなってきた」というものであり、もう一つは、ブログを書き続けたいという思いと書き続けたくないという拮抗する感情だった。

それはこれまで「ブログ考」で吐露していたような心境とは、いささか異にする意味でのブログ継続についてだった。

私は時に私生活(霊的)露出症かと悩むほどに、自己の内面の醜さや弱さを書いてきた。ところが、今回のことについては書くことが苦痛になったのだった。

書くのを止めるのは私にとって逃げることになると直観していたものの、何から逃げるのかがわからなかった。
そのことについて、29日に頂いたOさんのメールを拝見して、パウロの目からうろこが落ちた如くに解明したのだった。

私も友人の牧師もみな弱いのです。弱くて良いのです。
弱いからこそ、弱さを知るからこそ主により頼むことが出来るのです。どうがんばっても自分を強くし、完全無欠にすることは不可能です。
パウロが言ったように弱さを誇ろうではありませんか。

ここのところを読んでハッとした。
私はこの状況になるまでは、自分が弱いということは言葉では言っていても、実は何もわかっていなかったのかも知れない。

弱虫であることを恥かしいことと思っているのだろうか。
とにかく、自分の力で強くなろうとしていたことに気づいた。そのために書くことが苦痛に感じたのであり、このことは予想外の出来事だった。


かつての私は傲慢にも、殆どの人は悩むことすらできず、深く悩むにも能力がいると本気で思っていた。しかし、悩むということは神の恩寵であることを悟らせて頂いた。

ところが、このたびの怯えは悩む能力云々のことではなく、深刻な病気の前には恐怖に動揺し悩まない人はいないだろう。
しかるに私は、パニックに落ちた自分を認められず、そういう自分を受け容れたくなかったのだと思う。
そして、殆どの日本人の心理はこれだと確信した。


本心とは違うことを書けない私にとって、ブログを書き続けることはできなくなる。今回のブログ継続についての苦悶は、まさにこのことだった。

近隣の人を避けたかったのも、これと同じ延長線上の理由からだと思う。だから同情されたくなかったのだろうか・・・真相はわからないが、もはやこれ以上は分析的になるので捨て置こう。

かくて、私は改めて自分の弱さを思い知らされて謙虚にさせられる祝福に与ったのである。
神を信じ求め続ける者には、このようにあらゆる方法で助け導いて下さるのである。


この苦悶は、私にとってはのっぴきならぬことであることもご存知である神は、感性鋭いO兄を通して解決に到らせて下さったのである。ハレルヤ!

O兄に心から感謝し、人知をはるかに越えた神のお計らいに神を讃える。私はこれからも神のお許しがある限り書き続けていきたいと思う。


posted by 優子 at 18:05| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする