2008年07月31日

☆通り魔殺人も神が許されたことなのか?!

昨日ご紹介した「人生模様」の詩のごとく、一つの体験が経験に結晶するまでの過程においては、私たちは刺繍の裏側を見ているようなもので、何が起こっているのかわからないものである。
そもそも人間の理解力で、神のなさることを理解できると思うこと自体が高慢不遜である。


神は常に何かの目的と計画があって、災いが起こるのを許しておられるという教えも心から信じられる者として下さった。
しかしながら病気や災害や事故ではなく、通り魔殺人などのような報道を目にした時だけは今も考え込んでしまう。


「2羽の雀が1アサリオン(100円くらい)で売られているではないか。だが、その1羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」


イエスさまはこのように語っておられるが、またしても通り魔により22歳の大学生が殺されるというような報道を目にすると、大きな疑問と神への反発を感じてしまう。

どうしてこのような悪を許されたのだろうか?
このようなことに何の意味があるのだろうか?
殺されてしまった人だけではなく、残された家族にとって何の意味があるのだろうか。


仮に意味があったとしても、誠実に生きている人の命を犠牲にしてまでの価値があるのだろうか。若い命がもったいなくて、かわいそうで、私は深い悲しみに襲われてしまう。

確かに我々は、私自身もまた、不条理と思われる試練を通して練られ、優しさや思いやりを引き出されて強くされてきた。
苦しみや悲しみが人の心を神に向けさせ、それらを通して神に近づけられて濃密な人生へと導かれていくのだが、再び迷路に入り込まないように祈りつつ、もう少し考えを進めてみたい。

もはや家族が殺されるというような出来事は、理論的にも地上人生だけでは説明がつかず、死ねば終わりという世界観では立ちゆかない。

人生を終えた時、全ての者が命を下さった神の前に立たされるという厳粛なる事実を認めざるを得ないのだ。その時に永遠の命に迎え入れられるのか、滅ぼされてしまうのか、そのことをもってでしか考えられないのではないだろうか。
ましてや、「死ねばみんな仏になる」というような、どんな生き方をしても何も問われず、死んで終わりということは有り得ないだろう。


神は、ヨブにも最後まで苦しみの意味は明確にされないままであったが、ヨブが手を口に当てたように、私もまた苦悩を通して、それ以上深入りしないでいられるようになり、もはや神と議論することはしない。

通り魔殺人被害者ご遺族の慟哭は、人間が経験するところの理不尽で不条理極まりない究極の苦しみであり、私はただ、地獄の苦しみを舐めておられる方々のことを黙して祈るだけだ。


今日は長女と孫が1ヶ月ぶりに一晩泊まりでやってくる。
悲しみ、苦しみにある方々のことを覚えながらも、私は平穏な日々を与えられていることを感謝して、良き時間を過ごすことが神への誠実なる応答でもあると思うようになった。
posted by 優子 at 08:59| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年07月30日

1泊2日で友の別荘へ

昨日の記事を書き終えた時、私たち家族の苦しみと悲しみの、それら一つひとつの涙、叫び、祈りに、いつも心を砕いて寄り添って下さった主がおられたことを思い、一つの詩が脳裡に浮かんだ。
「人生模様」と題した詩だ。
  
  私の人生は、
  刺繍の反対側の糸を、
  一本一本一枚の布に刺し込んでいるようなものである。
  
  刺繍の全体像は見ることはできない。
  ただ、私の流すひとつの涙、そして、祈りが、
  こちら側で一本の糸として刺し込まれてゆく。
  
  やがて、神のみ国の完成する朝に、
  私は自分の、
  その刺繍の絵を神のみ前で見ることになる。
  
  生きる歩みの中で、流す涙も祈りも、
  人生の模様が描かれてゆく上で、
  ひとつひとつ意味があるのだ。

人生途上の私に、チラッと刺繍の表側を見せて頂いた想いがしている。
そして、このような満たされた気持ちで、実は昨日の朝からNさんのお誘いを受けて、榊原温泉にあるNさんの別荘へ出かけていた。

20人は優に泊まれる大きな別荘で、ここへ行くのは今回で3回目。今まで多忙だったことや出不精なために宿泊させて頂いたのは今回が初めてである。

榊原温泉は17度だから温泉ではなく冷泉というらしいが、ヒノキ作りの浴室、大きな窓を開ければ露天風呂の気分も楽しめる。3回もお風呂に入って肌がツルツルになった。

高速道路を100キロ以上の速度で走るご主人の運転だと、別荘まで1時間半もかからないらしいが、股関節の手術をされてまだ3ヶ月にもならないのに、長距離の運転も平気でこなされたNさん。

女2人、共に理解ある夫に感謝しながら楽しい時を過していた。
いつもなら5時半頃に起床する私たちも、今朝は7時過ぎまで寝ていた。窓を全開して寝ると寒いくらいで、5センチほど開けていただけだった。

「今度は本物の暖炉を体験したいから冬がいいな。」
「その時はお鍋をしようね。暖炉の上でお芋を焼くのよ。・・・それにいつでも使って!鍵を渡すからね。」
と話しながらシャッターを下ろして家中の戸締りをした。

そして、「緑を渡ってきた風は気持ちいいねえ」と深呼吸し、Nさんの言葉も爽やかに別荘をあとにした。

今朝は10時過ぎに別荘を発ち、室生赤目国定公園・青山高原の三角点までドライブして下さった。
「三角点(さんかくてん)とは、三角測量に用いる際に経度、緯度、標高の基準になる点のことで、測量法で定められている測量標の一つであり、永久標識に分類される。また地震予知などにも重要な役割を果たしている」とのことだが、私はその名前さえしらなかった。

標高756メートルの頂上に立つと360度のパノラマで、実に美しい山々に感動した。
そこから車を走らせると直ぐに、別荘や三角点から見えていた巨大な風車群に着く。ここは、三重県津市が管轄する久居榊原風力発電施設で、直径が20メートルもある風力発電の巨大な風車に大きな声を上げ圧倒された。

外に出るのはいいものだ。これからは出不精を改めて、もっと気軽に外出できるようになりたいと本気で思った。
美味しいお蕎麦の昼食を摂り、場所を移してケーキセットを頂きながらおしゃべりして大いに羽を伸ばしてきた。
さてさて自由にさせてくれた夫のために、買ってきた新鮮なナスで夫の好物の焼きナスを作って迎えよう。

付記:ブログを書き始めて2年7ヶ月経過し、この記事で1000の
   記事数を重ねた。



posted by 優子 at 17:38| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年07月29日

神による軌跡

もう12年前のことになる。
母の入院中に出会った今も忘れられない不思議な方がいた。
その方は入院患者さんに24時間そばについて世話をする付き添い婦さんで、実に心の行き届く誠実な介護をされていた方だった。それだけではなく、とても深い精神の持ち主であることは話していて直ぐにわかった。

私は人生を分かち合えそうな方には、出会いを深めていきたいがために、自己紹介の意味も込めて活字になったエッセイをお渡しする。この時は読書会会報の最新版、「娘として、母として」だったように思う。

するとまもなく、「よく書けているねぇ。こんなに短い文章のなかで、これだけ書きこめるなんてすごいねぇ」というような言葉を下さり、ひどく感動して下さった。

そして、「今は親の面倒も見ない。ほったらかしやのにあなたはえらい。あなたは必ず幸せな人生になるよ。」というようなことを何度も仰った。

しかし、そんな時はいつも、「私は自分の親のためにやっているので当たり前のことです。舅や姑のことではないので、えらいことも何もないんです」と語気を強めて言ったものだ。決して謙遜で言ったのではない。
すると、
「いや違う。今は自分の親でも世話をしない人がどんなに多いことか。あなたのやっていることを子供が見てる。」と、いろいろと話して下さった。

この頃の私は、この方が話して下さった因果応報説にも鼻で笑うような荒んだ気持ちになっていた。
聖書に書いてある「人は自分のまいたものを刈り取ることになる」という教えさえ信じることができないほど、苦しみの「深い淵」にあった。(「深い淵」については7月19日記事ご参照)


ゆえに、このような話も慰めにならなかったが、しかし、この方の存在は大きな慰めであった。
そして、エッセイを読まれて、ご自身は数ヶ月間ほど付き添いの仕事をしては、自動車で長い旅に出るのだと話して下さった。
夏まつり 合掌の手に 母を思ふ
  
                     豊月

平成七年七月二十五日 天神まつりによせて
                 住友病院にて

このように毛筆で書かれた和紙の短冊に添えて、
「ふと浮かぶ 貴女のお顔 なぜ
美しい あたたかい心にうたれ ○(達筆な一字が読めない)を思い出したように筆を執りました。
私は無の世界をひたすら美しい世界をもとめあるきつづけています」

と、同じく和紙に書いて下さっていた。
水墨画を描いておられたと記憶している。
その後まもなく半年近く姿が見えなくなり、その間にお手紙を下さった。この方のことを読み直したくノート『母のこと』をめくるのだが見つからない。
身にしむや 病魔を流せ 堂島川
                     豊月

八月二十八日 貴女の祈り

病む母の 心をのこし 夏の暮れ
                     豊月
八月二十八日 貴女の心の声

付き添い婦さんらしくない不思議な方。
それがまた不思議なことに元の病室に戻ってこられて、同年、即ち1996年の10月13日に再会したのだ。かろうじてこの記録だけを見つけたが、これは母が亡くなる12日前のことである。

私から危機的な雰囲気を察知されたのだろう。
「頑張るんよ。最後まで頑張るんよ。お母さんのために頑張るんよ。貴女は必ず幸せになる。子供たちも貴女の姿を見てきたんだから、これからの貴女の人生は幸せや。必ず幸せになる」というようなことを仰って、力強く励まして下さったことだけは鮮明に覚えている。

その後、その方と連絡がとれなくなってしまったので、私には尚更に不思議な出来事として記憶に残っている。

この方はクリスチャンではないが、再会したのは神さまのご配慮だと思った。
母の死が近いのに私に平安など全くなく、苦しみ抜いた妹のことだけではなく、夫婦間も家庭もメチャクチャ、多感な娘たちも危機的な状況だった。
これでどうやって母の死を通過できるのか!
倒れそうになっていた私のために突然現れて姿を消されたと思っている。神の計らいによって。


新井豊子さん。今もお元気ならば75歳くらいになっておられると思う。私は今、新井さんに神さまのことを伝えたくてならない。

気がつけば母のノートを2時間もめくっていた。
気持ちはすっかり落ち込んでしまった。何という地獄を通ってきたのだろうか! もう過ぎてしまったことなのに、底知れないほど心が重く沈んだが、悩みや怒りに引きずり込まれることはなかった。

そして思う。
よくぞあの地獄を生き延びさせて、しかも私たち家族4人をこのようにして下さったと。私だけではない知子も真智子も苦しみ抜いた。
その頃すでに、長女が身心の健康まで損ねていたことさえ私は気づいておらず、尚も新たな苦しみが増し加わっていたのである。このあと長い年月にわたって。

しかし、私たちが苦難に破滅されることなく今あることを思うと、不思議としか言いようがない。
それは何よりも、根底に神に助けを求め続けていたからこそであり、そして、問題から逃げなかったからだ。
自分の義務、親への愛を果たすべく努力し、そして、子どもたちもそれぞれ血の出るような努力をしたゆえに、人生の崖っぷちから落ちないように守られたのだ。


私たちは決して、何か大きな良い事があって家庭の平和を取り戻したのではない。神さまが私たちを憐れみ、失敗ばかりのそれら一切のことを生かして下さったのだ。

それぞれが現実を直視し、問題から逃げないで、的外れでない苦しみを苦しんだゆえだと理解している。常に主が共に居て下さっていたことがしみじみわかる。「あしあと」のごとく、私の詩を書き残したいほどだ。


「人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる」ということさえ信じられなくなった私が、その3年後には、「神は常に最善をなして下さっていると、いつしか信じられる者として下さっていたのだ」と書き、その翌年には、「最悪と思われる出来事を通して、ついに神さまが(刈り取りについて)説明し納得させて下さった」とまで書かせて下さった。

この時の「最悪」もまた言葉では尽くせぬ現実であり、決して過去のことになったから麗しく書けたというものではないのだ。


傲慢な私だから10年以上も百戦練磨しなければならなかったのだが、私の魂を揺るぎないものに造り変えて下さったのはイエス・キリストであることだけは、もう疑うことのできないことなのだ。

それゆえに、今の大きな問題も、これからのことも何も心配していない。ただ私がキリストに繋がっているかぎり!


posted by 優子 at 07:46| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2008年07月28日

死に至るまで忠実であれ!

昨朝はO姉(しまい)と姉の息子さん・M君をお誘いして、放出教会で礼拝の恵みに与った。幸いにして若者の洗礼式があった。
私達夫婦もよく存じ上げている吉見姉のお孫さん、20歳のK君だった。谷口家の家庭集会でもご一緒だったからK君のことは幼い時から知っている。あのK君が自ら信仰告白を・・・と思っただけで胸がいっぱいになった。

「父と、子と、聖霊のみ名によってバプテスマを授けます。・・・死に至るまで忠実であれ!」と宣言された牧師の言葉に、涙が溢れて溢れてしかたがなかった。
私は我が子のことのように喜び、K君の上に神の祝福を祈った。そして、私自身も受洗の恵みに与ったことを改めて感謝したのだった。

M君にとっても幸いだったと思う。M君は、「見せて頂いてよかったです」と話してくれ、神さまのお導きであったことを感じた。

久々に訪ねた教会なのに多くの兄弟姉妹が声をかけて下さり、そのちゃん、みっちゃんなど次女の仲良したちからも親しく声をかけて頂いて本当に嬉しかった。

しんや君、よしや君はご奉仕中で、しんちゃんと目で挨拶を交わしただけだったが、その場に真智子の姿を重ねていた。真智がいれば最高なのにと、一瞬寂しさも感じたが、「この冬も帰ってくるからね!」と話していたのだった。

ふたり揃って小学校の教師をしている姉妹。何てかわいい先生だろう。どちらが生徒?って感じだ。心身共に元気いっぱいで命が輝いていた。このような若者に触れると大いに励まされる。
(ついでながら次女に私信を:真智からもメールでよろしくね!)

帰る道すがらO姉たちと昼食を摂り、M君とは話が弾んで尽きなかった。今ではすっかり友達気分だ。M君もまた必ずや神さまと出会ってほしいと祈らずにはいられない。

さて、パイプオルガンの奏楽で心を静め、讃美歌を歌う礼拝、私はやはり放出教会で礼拝を守りたいという思いが強くなるばかりである。
2年前に今の教会に転籍したが、再び真剣に祈り始めて1年の時が過ぎている。祈りの真剣さが足りないゆえなのか、教会生活自体が不真面目だからなのか、未だ決心がつかないでいる。

このことも祈って下さっている谷口先生やクリスチャンペンクラブの方々、またH姉からも放出教会へ戻るのがいいと示唆されている。

教会が正統な教義に立っている限り、神への讃美はそれぞれであっていいのだから批判すべき事柄ではない。
ただ、私にはワーシップと呼ばれる讃美、「栄光、尊厳、力は主のもの」という内容だけでは恵まれないのだ。しかも、同じフレーズを延々と繰り返すので礼拝が2時間半近くに及ぶ。


人間が集中できる時間という点からも考えてしまうのだが、穏やかな夫が「時間の管理ができないのか・・」と、少々憤った感じでつぶやいたこともあった。そういえば昨日の放出教会では、洗礼式が加わった礼拝でも12時に終わった。

讃美についてだけではなく、聖書解釈や牧会についても考えさせられるところがあり、夫もまた私と全く同じ印象や考えを持っている。
これを書きながら思ったことだが、教会転籍については夫のことも考えながら祈り始めよということだろうか。真剣に祈って神の導きを頂きたいと思う。

礼拝は自分を喜ばせるためにあるのではない。
しかし、恵まれたい。
厚かましいほどに恵みの御座につきたいのだ。
どうか神さま、不忠実な私を正して下さり導きを頂くことができますように。

改めて洗礼式の牧師の言葉が魂に響く。


「死に至るまで忠実であれ!」


posted by 優子 at 10:29| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年07月27日

あしあと

まず、先の記事の続きを少々。
ようやく午前2時を過ぎて眠り始めましたが、4時に目が覚めた時には蝉は既に鳴いていました(>_<)。そして、6時過ぎに起床し洗濯物を干していた時のことです。

左足にクッションを感じたので瞬間的に目をやったと同時に「キャー!」と叫んでいました。「何やのん。大きな声を出して」と夫。
蝉は既に死んでいたのですが、半分ほど踏んでしまったのです。ごめんなさい。夫に裏庭に棄ててもらったのでした。

当地に移ってから夏が苦手です。いつも虫を警戒しなくてはならず落ち着けません。
都会と違って虫が多くて、字にするのさえ恐怖なものもあり、私は2〜3日に一度は叫んでいます。早く寒い冬になってほしいです。

では今日の語りを初めましょう。
この頃、度々画面のデザインを変更していることにお気づきでしょうか。昨日から登場しているこのデザインには「あしあと」という名前がついています。そこでこのデザインを使用しているうちに、有名な詩をご紹介したいと思います。

クリスチャンならばご存知でない人はいない「あしあと」という詩です。私も受洗後すぐから多くの本を読み始めた早々に知りました。当時は作者不詳として紹介されていましたが、これはアメリカ人のマーガレット・F・パワーズという夫人が、1964年に書いたものであることがわかりました。

         
         あしあと

ある夜、私は夢を見た。
私は、主(しゅ、イエス・キリスト)と共に、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生で最も辛く、悲しいときだった。

このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。私があなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において私とともに歩み、
私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の最も辛いとき、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
最もあなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、
私にはわかりません。」


主はささやかれた。

「わたしの大切な子よ。わたしはあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていたんだよ。」

というものです。いかがでしょうか。
英語の原詩も御紹介しましょう。
       
    
         Footprints

One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
one belonging to me
and one to my Lord.

When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.
I realized that this was at the lowest
and saddest times of my life.

This always bothered me
and I questioned the Lord
about my dilemma.
"Lord, you told me when I decided to follow You,
You would walk and talk with me all the way.
But I'm aware that during the most troublesome
times of my life there is only one set of footprints.
I just don't understand why, when I needed you most, You leave me."


He whispered,

"My precious child,
I love you and will never leave you
never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints
it was then that I carried you."

この詩は、これからも多くの人々に慰めと励ましを与え続けることでしょう。
詳しくは、マーガレット・F・パワーズ著、『あしあと<Footprints>−多くの人々を感動させた詩の背後にある物語−』、(財)太平洋放送協会<PBA>発行(1000円)をお読み下さい。

「気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。」         
             (ヘブル人への手紙 12章15節)
posted by 優子 at 08:25| 引用文 | 更新情報をチェックする

蝉の狂い鳴き

昆虫は気持ち悪くて苦手な私だが、蝉にだけは寛容である。
何と言っても地上での命が非常に短いからだ。飛ぶのも下手、歩くのも下手な蝉は、今朝もベランダでひっくり返っていた。このままなら、あっという間に死んでしまうし、鳥に見つけられて食べられてしまうだろう。

蝉には寛容だから放っておけない。
しかし、触るのは気持ち悪くて怖いから、こわごわ足でひっくり返してやるのだが、すぐにお腹を上にしてもがくので再度もどしてやった。

こんな蝉だが、今夜だけは苛立った。
深夜を過ぎても昼間のように鳴き続けているのだから、「やかましい!」と怒鳴りたかったが、ご近所に丸聞こえだから我慢した。寝る時はクーラーをつけないで窓を開けて寝るので、やかましいといったらない。

ついに寝そびれて下へ降りてきた。
葛藤に負けて夕刻に買ったクリームチーズ入りのクロワッサンを食べてしまった。しかも2個も! 意志が弱い。ここ20年くらいは、夜食を食べることなどなかったのに、ああ情けない。

パンをかじりだした午前1時になって、ようやく蝉は静かになった。
外の空気も冷たくなってきた。今度こそ眠れるだろう。
posted by 優子 at 01:20| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年07月26日

父と母を偲ぶ夏

平成4年1月19日、早朝5時
夜半3時30分、看護婦さん2名、いつもの通り体位交換と排泄物の処理などで見回りに来室される。
ふとその気配で目覚めた私は4階の喫煙室で煙草を一ぷくして、1階の飲料機でCドリンクを飲む。

深夜の病院は不気味な静けさである。而し、この静けさのなかで、どうしようもない痛さや辛さや悲しみで、呻吟している患者さんが寝られぬ夜を過し、また辛く悲しい朝を迎えるのだろうと思うと切ない。

私達も平成2年頃からの通院から約5年が過ぎた。
寄り添って歩いて通院していた頃は普通の健康体であった妻、手を取り合って通院していた頃は、2名で歩くのが昔人間の私には恥かしい思いが一ぱいだった頃。

街路樹が春から夏への変化が何故か懐かしく、懐旧の念がしきりと心にうずく。
やがて妻は車椅子に乗る。優子はそれらの初めより病院前で出迎え、診療を受け、診察を終える迄 一切世話してくれた。
診察から点滴が週2回(月・金)となり、政子さん(母の妹・神戸の叔母)も応援にかけつけてくれた。ロイヤルホテルで3名で、また4名で「すし萬」で食事したのもその頃である。

妻と初めて二人だけで「すし萬」で差し向かいで食事した頃は、病人とは思えない程、二人で楽しく、上手に、そして、美味しく食事したものである。
今から思えば、初老の男女の楽しく、貴重なデートであったらうか。

平成6年頃〜7年6月頃までは、妻の前に立って手をとり自宅の廊下も歩けたし、お便所の介護も司(優子の兄)と2名で、よく出来たものであった。

病状の変化に私たちは慌て、また、次の変化で「とまどい」「あわて」、その変化する度に私達の身心も疲れを覚えたものであった。
それ等の病状の変化するのに慣れた頃に、また次の病状悪化と また闘いが始まる。

体重も妻が元気であった頃は65kgの体重が、現在は56〜57kgである。
加えて平成4年に頂点であった日本経済が、平成6年7年と
27%〜30%ダウンの経営時代と、妻の介護、心労である。

けれど 私には 昭和24年頃からの必死の人生があった。
誰にも負けない人生の辛さを克服してきた懸命の生きざまがある。成子と2名で頑張り人生がある。

「負けてたまるものか」
私達には優子を初め立派な子供達が 私達を励ましてくれている。会社の方も司ひとりが涙ぐましい程 頑張ってくれている。
             (後略)

今日もあの時のように、クーラーのきいた病室から真夏の空を見つめていた。
今日は夫はゴルフで不在のため近隣の病院に入所されている方を慰問した。もう4ヶ月ぶりになっていた。

病院のロビーでは夏祭りの夜店(よみせ・同じ関西でも京都では縁日と呼ぶ)をイメージして、ヨーヨー、金魚すくいならぬ小物すくい2種、綿菓子(綿あめ)の模擬店が出ていた。
金魚を食べてしまう老人がいたので、今年から金魚ではなく、おもちゃを浮かせるようになった。穏やかな雰囲気ながら、秋の催し(敬老の日だったか?)と違って入院されているご家族の姿は殆どなかった。

知人のお母様は大正10年のお生まれだから87歳になられ、脳梗塞の父を思い出させる恍惚状態である。

しかし、5日前に肺炎になられたとは思えないほど、おいしそうに嚥下も上手に早いスピードで昼食を摂っておられたが、痰がゴロゴロして吸引して頂いた。
ところが、吸引のやり方がいけなかった。と私は思っている。

母の時を思い出していたのだが、吸引は長くやりすぎるといけない。本人が苦しいだけではなく刺激が強すぎるので気になって見ていた。その後、血液中の酸素濃度が低くなった。このたびの検査手術で私も経験した指先で測るものだ。

さすがに母が逝って12年9か月、父の時からもまもなく丸8年が過ぎようとしているので、私もずっと見守っておられたが、何度も何度も口や鼻からされているのを見ていて、いたたまれなくなった。その後、お母様は酸素マスクをされたそうだ。
既に3時間も過ぎていたこともあり、知人のことを思いつつも一足先に失礼した。4つのヨーヨーはお隣りのお子達に差し上げた。

帰る道すがら、ずっと母や父のことを思い出していた。
母が入院した日も、父が亡くなった日も、今日のような猛暑だった。

昼食を済ませて、久しぶりにノートを取り出した。意志伝達ができなかった母の病室に置いていたノートだ。
冒頭の述懐は、父が母の病室に泊まった時に書いたものであり、その父もとっくに逝ってしまった。

父と母のことで胸がいっぱいになると、私はいつも取り残された思いになる。しっかり命の義務を果たし終えて早く会いたくなる。
父の記述したものを文字で打ちながら涙していたら、日に焼けた夫が「買い物行こかー」と元気な声で帰って来た。


今週はゴルフで休養日なしになるが体力は大丈夫と言うので、明日は放出教会へ連れて行ってもらうことになっている。高校生の男の子が伝統的な教会の礼拝に出たいというので、明日は放出教会で礼拝を守ることにした。

今の時を心から感謝して大切に大切に生きよう!!!
病床にある方、そして、ご家族の方々のことを覚えつつ。



posted by 優子 at 21:26| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2008年07月25日

Boundaries (バウンダリーズ)「境界線」

バウンダリーズは「聖書が語る人間関係の大原則」である。
この本を読んで私が最も気づかされたことは、それまで私が感じていた否定的な感情全てを良くないことと決め付けていたことだ。

しかも、と言えばいいのか、だから、と言えばいいのかわからないが、自分の感情を無視して考えなしに、「右の頬を打つなら左の頬も向けてやりなさい」を「〜せねばならない」でやっていたから、「こんなにしてあげているのに」と不平不満、怒りが出た。

即座にそのことを悔い改めるものの、このやり方でやっているため苦しい悪循環であった。「忍耐している間は愛はない」というのを読んだことがあるが、忍耐忍耐でやっていては愛も育っていかないのである。

今思うと、自分自身に限界を設けることを悪としていたのだろう。
少しなりとも本文から引用してお分かちしよう。

☆ 私たちをいつまでも傷つける人から離れ、自らのために安全な場所を確保するよう聖書は強く勧めています

☆ 良くない行いをする人たちに自分自身をさらさないよう限度を設けることです。私たちは彼らを変えたり、彼らのふるまいを正しくすることはできません。

☆ 相手が「悔い改めの実」(ルカ伝・3章8節)を結んでいるか確認することなく、「赦し」の名のもとに信頼の回復を急ぎ過ぎてしまう人が大勢います。

虐待傾向のある人、依存症の人に対して、真の変化を見ないまま、あなた自身を感情的に開き、しかし持続した変化が見られるまでは、あなたの心を守ってください

☆ 聖書は心に二つの機能があることを明らかにしています。それは、恵みと愛を内側に受け取り、またそれを外側に向かって解き放つことです。

愛に満ちた心は、ちょうど心臓がそうであるように、そこに血液が流れ込み、またそこから流れ出る必要があります。そして心臓と同じように、私たちの心もまた筋肉です。信頼筋です。この信頼筋は使われ、鍛えられなくてはなりません。傷を負うと、それは衰え、弱まります。

☆ また多くの人々が、自分がいかに愛に抵抗しているかということに気づいていません。回りに愛が溢れているのに孤独感を覚えるのは自分が愛に応答しないからだ、と悟らないのです。・・・応答する責任が自分にあることを否定しています。


最後に、(財)ライフプランニングセンター研究教育部長、臨床心理ファミリー相談室長の丸屋 真也氏の推薦文をご紹介したい。

本書の原著をはじめて読んだのは、私が米国の臨床心理学の専門大学院に在学中のことでした。まさに「目から鱗」というか、今でもその時の感動は忘れられません。私は、「バウンダリー」を博士論文のテーマにさえしました。

バウンダリーというのは、自分の責任と他人の責任の領域の境界線のことなのですが、私が臨床に携わってクライアントの抱える問題に接して驚いたのは、この境界線の曖昧さがあらゆる人間関係の根底に潜んでいるということでした。そして、この境界線の曖昧さは、日本社会の根底にある日本人特有の傾向であり、それだけ問題の根っこは深いのです。

日本におけるカウンセリングも含めたこれまでのアプローチを考えてみるときに、互いの責任を明確にするよりは、むしろ曖昧にするような対処の仕方であったと思われます。

曖昧にすると、どちらか一方に我慢を強いるようになり、解決するどころか、表向きは平穏でも関係的には身動きできなくなるような、八方塞がりの状況に追い込まれてしまうのです。

しかしバウンダリーの概念を用いたアプローチは、この根底の問題にメスを入れながら対処することが可能なのです。
方法としては、まずバウンダリーの有効な手段である「ノー」と言う選択肢を明確にします。人と人との間の曖昧さから生じる問題に対しては、「ノー」を言わずして根本的な解決はあり得ません。

また、「ノー」と言う選択肢は、単に「ノー」と言うための「ノー」ではなく、心から「イエス」と言うためでもあることを強調します。 

さらにバウンダリーは、自分を取り巻く人間関係がどんなに八方塞がりのようであっても、有効な解決手段を提供します。
例えば他人の態度や行動が原因で生じた怒りや不安等の感情も、他人のせいにするのではなく、つまり、相手を変えることでではなく、自分を変えることで解決しようとするのです。 

このようなアプローチこそ、片方だけではなく、共に成長できる人間関係の構築が可能となります。その秘訣は、本書が「真理」と「愛」という本来相容れないような二つの概念を統合しているからです。

真理だけを土台とする関係は傷つきやすく、それだけもろくもなりますが、「愛を伴った真理」を土台とした関係は、互いの責任の領域を尊重しつつ形成することができます。そしてこれは、バウンダリーを確立すること無しには不可能なのです。

皆様が本書を読むことで、これまで考えも及ばなかったような知恵が与えられ、人間関係における実際的な対処法を見い出すことでしょう。心からお薦めします。

この学びから、私は反応するのではなくて、自分で選択して応答することができるようになったことが嬉しくてならない。ストレスが大幅に軽減されて生きやすくなった。そしてまた、より深く聖書の言葉を理解することができるようになった。

地引網出版の『境界線』(本体価格2400円)は、実りある人生、自己への旅の貴重な道しるべになるであろう。
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2008年07月24日

こんなゲームをしていませんか?

今日ご紹介するのは、かつて小学校PTAの広報誌でペンを奮っていた時の記事です。
1991年12月7日発行とは言え、賞味期限の切れていない内容なので転載させて下さい。と言うよりも、時代を越えて通じる内容のものを書きたいがために、PTA活動報告をセットして40号を重ねたのです。

そういえば、クマ君から『ふじとニュース』の感想を返してもらっていなかったね
(>_<)。実は春までは、今か今かと待っていたのですが・・・(笑)。

では久々の『ふじとニュース』(東大阪市立藤戸小学校・PTA広報委員会発行の手書き新聞)の第21号をどうぞ!

     こんなゲームをしていませんか?
      
       心理ゲーム  ばかもの(Stupid)


子 「ぼくバカなんだよ。」


母 「そんな事ありませんよ。お父さんも頭がいいんだし、この家の長男とし
  て立派なあとつぎになれるわよ。」

子 「お父さんとは違うんだよ。ぼく頭が悪いんだよ。」


母 「そんなに自信をなくしちゃだめよ。よく勉強すればちゃんとできるわ。さ
  あ、宿題してしまいなさい。」

子 「だめだよ。頭が悪くてバカだから、やれないよ。」

母 「先生は学校の授業中、あんたはよく答えるってほめてたわよ。」

子 「おだてたってだめだよ。ぼく、お母さんと似ているから勉強できないん
  だよ。」


母 「まぁ、何てこと言うのよ。やってもみないで、努力が足りないのよ。能
  力はあるのよ。・・・やればできます。」

子 「フフフ・・・。できやしない。バカなんだから。」

母 「バカじゃありません。」(怒った声で)

子 「バカなんだよ。」

母 「バカじゃありません。このバカむすこ!」

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このようなやりとりを心理学では「ゲーム」と言い、私たちの職場や家庭でもいろんな心理ゲームが無意識的に行われています。

この「僕はバカだ!」というゲームでは、子どもが母親にこういう形でしか触れ合いを求められないことを示しています。

最後には母親に「このバカむすこ!」と言わせたことにより、子どもは「僕はダメなんだ」という歪んだ満足感を味わいます。
一方、母親の方は、「また言ってしまった」という自己嫌悪と罪悪感が残り、お互いに嫌な感情が残ります。

いろんなゲームがありますが、自分や相手の欠点がオーバーに見えてきた時や、自分や相手の長所が軽視されていると気がついた時、ゲームになっている場合が多いのです。
      
          
みんなこのようなゲームを経験しているのではないでしょうか。
今これを書きながら、我々が日常経験する人間関係について考えさせられ、それと共に聖書が教える境界線を知ることにより、かなり生きやすく改善されていることにも気づかされています。「境界線」は聖書における心理学的考察と呼べるものです。

この心理ゲームの言わんとしていることからは少々ずれるかもしれませんが、自分の愚かさだけを拡大視して「私はダメなんだ。ダメだ、ダメだ」と自分を責め続ける人を思い浮かべます。時に私も同じ袋小路に入り込んでしまいますが。

またその反対に、いつまでも自分の姿を見ようとしないで、問題は相手や環境、状況にあると言い続ける人がいます。
自己中心的にマイペースにやっているならまだしも(でもないですが)、ついには最も身近な人をも信頼できなくなり、混乱し、恐怖心に縛られてしまっては悲惨です。

心理学もカウンセリングにも解決はありませんが、人間理解の参考になります。自分自身の心的状況を知る助けになります。
勿論それだけでは意味がありません。心ある人は修養に務めるでしょうが、それでさえ解決にはなりません。

最後に、結論に代えて童謡「ぞうさん」の詩を贈ります。
       
         「ぞうさん」

        ぞうさん
        ぞうさん
        おはなが ながいのね
        そうよ
        かあさんも ながいのよ

        ぞうさん
        ぞうさん
        だあれが すきなの
        あのね
        かあさんが すきなのよ



鼻が長いからといじめられていた象さんは、鼻を長く創られたのは神さまなんだから、これでいいんだね、ありのままでいいんだよねと気づくのです。

どんな格好でも、どんな状況でも、今は誰も信頼できなくなっていても、神さまはありのままのあなたや私を愛して下さっている。あなたは愛されているんですよと、ここには神さまの大切なメッセージが込められているのです。

大切なことは一つだけ。ただ主を見上げること。
私たちがまことの神に目を向ける時、神は決してそのままにはしておかれない。主を呼び求める人に解決を与え、生きる意味、目的を与えて下さるのです。

作詞は、まど・みちおさん。
そうです!
作者が信仰篤いクリスチャンであることをご存知でしたか?
まどさんは、今年白寿を迎えられました。

posted by 優子 at 10:25| 掲載文 | 更新情報をチェックする

2008年07月22日

ユキちゃんの初旅行

19日の谷口家の家庭集会のあとは、長女たちと共に昼食をとってすぐに別れたが、娘たちは翌20・21日は自動車で片道3時間半かけて、淡路島へ一泊旅行に出かけたというから驚いた。

普通ならば1〜2ヶ月前から予約が必要だろうに、幸運にも3軒目の電話で宿が見つかり、オシメをしている小さな子どもを連れての旅行に出た。慎重派の私にはとてもできないことだ。

初めて見る海。海は広いね〜〜。

船.jpg                             お船も見たのね。


離乳食もほぼ完了した今、外食も食べられるようになったユキちゃん、元気になってよかったね。この夜は8時頃から親子3人共に朝まで爆睡したそうだ。

ということで、初めての1泊旅行を楽しんだ親子だった。
全ての事故から守られたことを感謝している。

ついでながら19日の家庭集会の帰りは、初めて「道の駅」とやらに立ち寄ってスイカを2玉と野菜を買って楽しんだ。私たち夫婦はこんなことでさえ刺激があると喜ぶ出不精夫婦(>_<)である。

そして、3時前に帰宅し、休憩もしないで良輔パパはチャッピーを洗ってやった。いつも夫自らやってくれる。とは言うものの、チャッピーは1年ぶりのお風呂である。

そのあと2人で昼寝して、夕刻5時前からカキ氷を食べに再び外出し、帰りにはたくさんのアイスキャンデーを買ってきた。
とにかくこの3連休は、19日は34.6度、20日は36.2度、21日は35.1度という猛暑の日々、今日も夏空が続いているが今日は風が入って気持ちがいい。

昨夜の散歩の時、私が「3日間もずっと一緒だったからピーと離れるのが寂しい」と言うと、夫は「スッとするわ」と、それはそれは嬉しそうに笑いながら言った。そんなたわいないことを話しながら、昨夜も手をつないで歩いていた。

再び写真掲載できるようになったので、孫の残しておきたい2葉の写真もここに記録しておこう。まずは、みんな幼い時にする可愛いしぐさ、電話で話してるつもりのユキちゃんだ。

「もしもし?」.jpg 

「もしもし、ユキちゃんですか?」 

DSC03040.jpg 

これは熱を出す2日前(6月21日)の幸悠。
真智が撮ってくれたのね。
何を見ているのかな?1歳児にも知性の芽生えが見える。


幸悠よりも1ヶ月あまり先に誕生した節子姉のお孫さん、ひかりちゃんもスクスク育っておられる。夫までが、表情豊かなひかりちゃんをあやしている姿に微笑んでしまう。礼拝中に!(笑)

そういえば、今日は知子たち結婚2周年だ!!!お め で と う !!!
posted by 優子 at 14:25| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年07月21日

神に取り扱われて慰めを祈る

  体のどこかが 人の不幸を笑っている
  人のしあわせが苦々しく
  「あいつも俺みたいに動けなくなればいい」
  と思ったりする

  体の不自由からのひがみだろうか
  心の隅にあった醜いものが
  しだいにふくらんできたような気がする

  自分が正しくもないのに 人を許せない苦しみは
  手足の動かない苦しみを
  はるかに上回ってしまった

  ただ花を見て
  白い紙に向かっている時だけ
  その苦しみを忘れる


                
星野冨弘さんの詩だ。
正直に己の心を見つめ、己の醜さを告白する星野さんに深い感動を覚える。
これは「信仰があるからこそできることである」と評されている。
「こうして自分の赤裸々な心の内に正直に向き合い、そして、それを言葉にして言い表すことを通して、主の御霊(みたま)に心を取り扱っていただいているのでしょう」と結んであった。

        ひなげし

     花が上を向いて 
        咲いている
     私は上を向いて
        ねている
     あたりまえのことだけれど
     神様の深い愛を感じる
   

        つばき

     木は自分で
          動きまわることができない
     神様に与えられたその場所で
          精一杯枝を張り
     許された高さまで
     一生懸命伸びようとしている
     そんな木を
         私は友達のように思っている



        はなしょうぶ

     黒い土に根を張り
             どぶ水を吸って
     なぜきれいに咲けるのだろう
     私は 大ぜいの人の愛の中にいて
     なぜみにくいことばかり
     考えるのだろう



        まむしぐさ

     ひとたたきで折れてしまう
              かよわい茎だから
     神様はそこに
           毒蛇の模様をえがき
     花をかまくびに似せて
     折りに来る者の手より
           護っている
     やがて秋には
     見かけの悪いこの草も
     真紅の実を結ぶだろう

     すべて 神さまのなさること
     わたしも
     この身を よろこんでいよう


人生の悲しみに苦悩する方に「人生模様」という詩をお贈りしたい。神さまの豊かな慰めを祈りつつ。

    私の人生は、
    刺繍の反対側の糸を、
    一本一本一枚の布に刺し込んでいるようなものである。

    刺繍の全体像は見ることはできない。
    ただ、私の流すひとつの涙、そして祈りが、
    こちら側で一本の糸として刺し込まれてゆく。

    やがて、神のみ国の完成する朝に、
    私は自分の、その刺繍の絵を神のみ前で見ることになる。

    生きる歩みの中で、流す涙も祈りも、
    人生の模様が描かれてゆく上で、
    ひとつひとつの意味があるのだ。



一度限りの人生を思いっきり喜び、嘆き、苦しみ、楽しみ、悲しみ、悶え、・・・率直に語り合い、神の祝福を心から祈り、そしてついには、共に祈り合って人生を渡っていきたいと願う。

posted by 優子 at 14:44| 引用文 | 更新情報をチェックする

2008年07月19日

使命に生きる

「主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる
 主よ、どうか、わが声を聞き、
 あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。
    ・
    ・
 わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます
 そのみ言葉によって、私は望みをいだきます。・・・」 
 

                (詩篇 130篇) 

この「深い淵」とは苦しみであり、神さまの交わりが絶たれているような状態、あるいは、そのように思っているような状態を指す。
自分が深い淵にはまっていると認められず、自分の力ではどうすることもできない状態である。

しかし、その時に神に呼ばわった、祈ったということである。
ところが現実は、悩みを訴えられないで悶々としている人が何と多いことか。心のうちを人には隠せても神さまは全てをご存知である。ここ一番という時に祈れる人は幸いである。

神さまに見られているからと安心できる人は幸いである。

即ち、自分の罪を認められる人は幸いなのだ。プライドが高い人ほど認めにくいが、そこは神さまと人との関係なので私たちが間に入ることができない。

神を「待ち望む」、即ち、神を信頼するには手を放すことである。
手を放さないと恵みを受け取れない。
自分にはできないと思ったら、早く手放した者勝ちだなと思う。

以上が今日の説教の要諦であった。

東大阪市にある放出教会では、今も多くの信徒宅で毎月一度の家庭集会を開いている。遠方では奈良市の谷口家と生駒市の吉見家で交互に開いておられる。
今日は2ヶ月ぶりに谷口家の集会の恵みに与り、このたびのことを祈って頂いたことを感謝した。

薮野先生のお話のあと、おもてなしのティータイムの折に谷口先生からご指名を受けて、私は今回のことをお証しさせて頂いた。
そのあとで谷口先生が仰ったことも刻んでおきたい。

「普通ならば癌でなくて良かった良かったで終わりますが、これは再出発ですよ。神さまが一度取られて、またお返し下さったのですから、これからは自分のために生きるのではなく、神さまのために生きるのですよ。
優子さんに使命があるということです。
イエスさまを伝える使命を与えておられるということですよ。
神さまは、正直に自分の気持ちを話す貴方のことを喜んでおられるのですよ!」。


6月初めの頃だった。
大阪洋紙同業会の女性が、夫にお見舞いの言葉をかけて下さったことから、このブログを読んで下さっていることがわかった。
「ブログでは自慢話しか書かないのに、こんな病気のことも書かれるって勇気がありますね」と仰ったと、夫が嬉しそうな表情で伝えてくれた。
このこともまた私には大きな励ましだった。

私はこんな者であるから何一つお証しすることはできないかもしれない。しかし、唯一つ証ししたいことがある。
それは、何度も何度も失敗を重ねる私であっても、そのたびごとに主イエスを拝して起き上がっていく。主イエスを慕い続け、赦され修復されて立ち上がっていく姿もまた、神の栄光を現しているのではないだろうかと思わされている。


素直な心さえ保持していれば、刻々に悔い改めることができ、それができない時も、できないことを赦し、深く悔い改めることができますようにと祈れるから、心がすさむことはないのだ。
深い淵にいる人が、神に助けを求めるようにと祈るのみである。

「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。
実るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つとも良いのであるか、あなたは知らないからである。」


                (伝道の書 11章6節)

私は許されて戻して下さった時を用いて、より熱心に主イエス・キリストを語り、書き続けていきたいと思う。


posted by 優子 at 18:14| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年07月18日

私はどのように生きたいのか

遠藤周作は純文学作品ばかりを書いていたのではなく、軽小説と呼ばれるものも書いている。『わたしが・棄てた・女』もその類であるが、内容は深く重いテーマである。

無垢な田舎娘の森田ミツは、男にもてあそばれながらも崇高な愛に生きようとするが、ハンセン氏病の症状が出たために全てのことから断ち切られて病院に入る。
ところが、3週間後に誤診だったことが判明する。

「一刻も早く、この別世界から―歪んだ指や膨らんだ顔しかない世界から逃げていきたかった」

「小川が世間とあの悲惨な病舎とを隔てる境界線ならば、今、ミツは再び自由な世界に足をふみ入れることができたのである」


小川を境に健康な人と、そうでない人との世界があり、ミツは再びもとの世界に戻れるのである。
しかし、戻ろうとした時に見棄てられている自分に気づいて、あんなに嫌悪していた病院に戻っていった。
このあたりが強烈な印象として残っており、癌でなかったことを実感してから何度も考えている。

「昨日(6月27日)は夕方から何度もパソコンを展いて、8時すぎに結果を知りました。
夜寝る前のお祈りで深く神に感謝した次第です。」

と書いて下さったH姉に深く頭を下げた。
そして、H姉のことを神に感謝した。

「あなたはまだお若いのだから、もう一度新しいことにチャレンジされては、と思うの。・・・あなたの前途はまだ洋々としています。」とも書いて下さっている。

正直のところ、癌ではなかったとわかってから「良かった!」という思いが希薄で、そのことよりも癌で苦しんでいる方々に後ろめたさを感じていた。
必ず神の御心があるはずだ。
H姉のお手紙を何度も読み返しながら、この命をどのように用いればいいのだろうかと真剣に考え始めている。






posted by 優子 at 23:57| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年07月17日

体験を経験に深める ☆

森有正(もり・ありまさ)は「体験」と「経験」は違うことだと峻別しているが、昨日の記事を書き終えたことにより、このたびの体験を経験に深めることができたように思う。

日赤での出来事は体験であるが、そのあとの悶々とする時を要して、事実関係を振り返りながら心を整理し、書くことを通して自分自身を確かなものにできた。

このことが有正が言うところの、体験を体験のまま終わらせずに経験に高めたことになり、これが私の書く意味でもある。


「体験」が「経験」に変わるということは、体験が自分の人生において教訓に結晶したとも言えよう。それは今後も経験を深めながら普遍にまで至るものである。

体験で留まっているならば不愉快で嫌悪することでしかないが、経験は未来に開かれている。未来に向かって開かれていくものである。
「体験を経験化する努力こそ」尊いことだというのだ。
「自分が今まで心をこめてきたことを更に続けて、それを深める。そうすれば経験は自ずから成熟していく」と述べている。

感性は磨くものと承知してはいたものの、このたびの無気力的な気分に支配された時にしみじみ思い知らされたことは、感受性の鋭い人は問題意識(こだわり)を持って生きている人であり、不断の努力を重ねているからこそ感受性が磨かれていくということだ。

そして大切なことは、判断力と批評力を養っていかねばならぬのであり、有正のように熱心に知性を磨いて、多くの有能なキリスト者が世に輩出されることを懇願する。

「体験というのは、自分の経験の中に閉じこもって、自分の経験だけを唯一の砦として、それをもって他を批評して止まない。それを体験といいます。

ところが経験というのは、あくまで開いていて、新しいものを学び、外の経験に向かって開いて行く。・・・そういう体験ではない経験は、信仰という要素を含んでいなければ、実は経験にならないのです。・・・

信仰だけは、現在から将来に向かって、つまり将来に新しいことが出てくることを恐れずに待ち望んでいる、それが信仰です。これは信仰によってしかできないことです。・・・・

このキリストの福音こそが、死をもって終わる人間の経験に、尽きざる新しさを与えるところのものです。

つまりたえず経験が信仰に養われるときに、その経験はどこまでも深まっていくことができます。死がそこに来ても、その死を安らかに迎えることができます。」


有正は、キリスト信仰だけが未来に向けて経験を開くものであると述べている。
50歳代は、30代、40代の収穫期である。
それまで積み重ねてきた多くの体験や経験を深めて円熟していく段階だ。

有正の書物を開くと生きる意欲が沸き立つ。
大きな慰めと励ましを感じ、真の自己が生き生きと動き出してくるのがわかる。精神の高揚を覚える時ほど生きがいを感じる時はない。
自分の死を納得して死んでいくことができるように、今より再び経験を深める努力を意欲的に再開したいと思う。

梅雨明けの昨日、キリスト教書の出版社各社から共同で目録が送られてきた。その中の新刊書のタイトルに目が留まった。
「サタンが稲妻のように落ちるのが見える」という言葉に、希望の閃光を見る思いだった。
「必ず救い出すぞ!」という神さまからの励ましに思えた。
涙の祈りは間違いなく神さまに届いている。
サタンに縛られてしまった方々の魂が奪還されることを信じて祈り続けよう。
posted by 優子 at 21:19| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

☆安全管理責任者の姿勢に病院の体質を見た

高度に分化発達した現代の医療現場では多くのリスクが生じている。人間の能力は有限でありミスを犯すゆえに、医療事故を防止するために多岐にわたって検討が加えられ実践している病院も多いことだろう。

このたびの私の経験は、幸いにして不幸な医療過誤に遭遇しなかったが、大阪赤十字病院のリスク管理体制そのものに大きな問題を感じる結果になった。

初診で回された神経内科医の問題ある診療態度、尿潜血を便潜血と記載したこと。泌尿器科医においては、話ができない云々では語れない例外的、かつ、不可解としか言いようのない言動であった。

医療安全課の事務所に通されたところまではよかったが、それは名前ばかりでリスクマネジメントにはほど遠い存在であった。クレームを聴取する段階でリスクマネージャーとして不能状態であると言わねばならない。     

これが深刻な医療過誤の問題だったならばと想像しただけで、精神的苦痛につぶれてしまいそうだった。
そのような状況に置かれた時、果たして真実を追求していける精神力が私にあるだろうか。これほどの苦痛な作業はないだろう。私は無気力感にさいなまれて落ち込み、問題から逃げてしまうかもしれないと思ったほどだ。

故阪大名誉教授の中川米造氏は、病気の治療よりも病人へのまなざしを持った医療の大切さを訴え、インフォームドコンセントの重要性を強く主張し、医の倫理啓発と日本の医学教育に大きな功績を残された。

私は今一度、中川氏に励まされて重いキーボードを叩いている。
全てに先立って、心こそが、対応する姿勢こそが問われるのだ!

以下は昨日の行政官にも話したことであるが、今回私が経験したことは大切なことであるけれども、別の視点から見れば小さなことである。
しかし、このような小さなことに対して誠意を持って対処しないならば、大きな問題が起こった時にどのように対処していくのだろうかと、大阪日赤の体質、姿勢に大きな危惧を感じた。
病院側は聞きっぱなしにしないで、誠意を持って対処するように指導を入れてほしいと要請した。


術後の医師の説明には夫と妹が立ち会っており、6月27日朝の安全サービス課のKさんとのやりとりは次女が同席していたので、医師のたわごとや管理責任者から伝えられたKさんの虚言(11日の電話でのこと)は明白である。

ついでながら大阪市の保健行政官の介入により、KさんのことについてはKさんの無責任な仕事に原因があり、少なくともKさんの虚言ではなかったことがわかり救われる思いがした。

しかしながらKさんもまた、2度にわたる私への返答をも気にかけないで捨て置いたことは、心の伴わない無責任さであったことは免れない。
医療サービス課は、患者の愚痴を聞いていればよいというものではない。必要な時にはフィードバックしてこその役目である。こんなにやりがいのある仕事を与えられているのに!!!

私の事例からでさえ、人間的な問題以外にも医療現場での危険や事故につながる可能性が潜んでいるではないか。
問題が多々ありすぎたのでブログにも記載していないが、上述した以外にも泌尿器科医は早々から患者名を間違っていた。

私が受診した状況を話していた時、パソコンの画面に目をやれば別人の名前が記載されているではないか。医師は私に一切目をやらずに画面を見ながら手を動かしているので、「名前が違っています。私は藤本優子です。」と、驚いて訂正することから始まったのだった。

すると、「ああ、言ってくれていいんですよ。」、「言ってくれてよかったですよ。」と、まるで、私が言ったことは失礼なことではないよと言わんばかりに、同じことを明るい口調で3度ほど繰り返された。
今思えば不思議なことに、このことで彼が機嫌を損ねたという感じは全くなかった。


先般の船場吉兆廃業の折に、マスコミはこぞってリスクマネージメントについて論じていたが、問題が起こった時の対応の仕方をマニュアル的に論じるのではなく、その精神性こそが大切なのであり、クレームは誠心誠意聴くことだ。

ましてや話半ばにもなっていない時から、病院側の立場や都合ばかりを主張するのであれば、問題を複雑にするばかりである。安全管理責任者の長(?)は、筆舌に尽くしがたいほど資質に欠ける人物だった。

大切なことは素直な心を養い、心を込めて聴く訓練を重ねることだ。このことこそが全ての解決への道のみならず、最高の生き方に通じる道なのだ。

これで成すべきことから逃げているという懸念からも解放され、充足感の中で終えられることを神に感謝している。
あとは大阪赤十字病院の医療従事者たちが、それぞれの力量を発揮できる医療環境構築に導かれていくことを祈るのみである。

今回の出来事を通して、クリスチャンは正しい信仰理解に立って、社会に対しても正しい認識と批判精神を保持する必要があるということもまた、痛切に感じたことである。






posted by 優子 at 21:37| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

国境を越えた愛のエールをありがとう!

昨日の記事を読んだ次女は、このような形で日赤問題に終止符を打てたことを安堵してくれた。
今振り返ってみれば、不快なことだけでは済まされないような問題が連発した出来事だったにもかかわらず、健康被害から守られたことから、神が何かを啓示されているのだろうかと思うほどである。

次女のメールには、「ところで、メタボ検査、すごく良かったね!行動力200%・・」と書かれてあり、ニッコリした私は親に褒めてもらった子どものようにやる気満々の効果を生んだ。

ゴールデンウィークの頃に長女から発破をかけられていたカーテン洗いに手をつけたのだ。
洗うのは何年ぶり?と聞かれても思い出せないほど汚れていた。(知ちゃんの部屋のカーテンは全て洗ったよ!ドロドロだった窓ガラスもスッキリ!気持ちいい!!)

ちなみに5月に3キロ体重を落としたこともあり、メタボの腹囲もニッコリ報告だ(^−^)。
3月初めは87.1センチあったのが76センチになっていた。あとはコレステロール値がどうなっているか。尿の潜血反応も気になるところだ。

さて、ミネソタでは、里帰り明けのアンディーと久しぶりに大学で会った時、開口一番に「お母さん大丈夫だった?」って聞いて下さったというではないか。

やっぱりメールそのままでいこう。

検査結果はOKだったって言ったら、「良かったねー」って言ってくれました。 あと、先週土曜日にメアリーディーに会ったときも、同じように覚えていてくれて、聞いてくれたよ。

さらに、くまおが家賃をメアリーベスに渡したとき、「まちのお母さんは大丈夫?」って聞いてくれてたって。
みんな、ママのことを覚えていてくれて、心配してくれていたんだね。国境を越えた愛のエールでした。

マンガ大好きの真智ちゃん、ありがとう。
ミネソタへ行った時、アンディとメアリーディーとメアリーベスに会ったら、こう言おう。
" Thank you for worrying. " これでいいかな?(笑)

心が澄みきった今だから尚のこと、喜びと感謝で胸が熱くなった。








posted by 優子 at 21:25| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年07月15日

覆いかぶさっていた群雲消え去る

国からのお達しである特定健診の受診券が、6月初旬に大阪紙商健康保険組合から届いていた。
「8月になると夏の疲れも出てくるから早く済ませておいた方がいいよ」とNさんに言われていたこともあって、昨夜の夕食後から絶食して指定されている地域の病院へ出かけた。

このことから思いもかけず、5月からの群雲が消え去って晴れ晴れとした気持ちでいる。
先般の不快極まる日赤問題に終止符を打てたことと、中途半端になっていた体のことについても信頼できそうな医師との出会いがあり、大きな進展を見たからだ。


測定や検査を終えて診察室に入り、最近の病歴を聞かれて今般のことを簡単に話した時、日赤の医師について触れたことから、その時に受けた心の傷まで癒して下さるような医師だった。

私が詳しく話さずとも、「今の若い人は本当に人としゃべれない人が多いんです。どのように話せばいいかわからない人が多く、親の育て方に大きな原因があるのです」と言われた。

「内科は診断学と言い、外科は治療学、眼科などマイナーな分野はそのスペシャリスト」だと教えて下さったが、だからと言って、外科に属する泌尿器科の医師に、黄疸については心配しなくていいのかと聞いてもわからないとでも言うのだろうか。

この医師は阪大病院でも外来を受け持っておられ、研修医達に何度も指導していると言われた。大学病院と言えば教育機関であるから希望に繋がる。

これまで体調のことや黄疸についてもそのままになっていたが、検査結果如何で関わって下さるとのこと。少し遠いがホームドクターに決めてもいいかと思うほどだ。

まもなく病院を辞められるとのことだが、この医師は阪大病院そばの吹田にお住まいなのに、今秋(?)から当病院近くで開業されるとのことだった。もう6年も診ている患者さんがいるからとも言われた。(ふう〜〜〜ん、こんな医師も居るんだ・・・)

帰りは久々に満たされた気持ちで下田まで歩き、保健センターのK保健師さんを訪ねた。3月末に検査結果を送って下さっていたのに、お礼を申し上げないままで気になっていたからだ。お礼方々、潜血尿のご報告をした。

日赤での出来事は医師のこと以上に、相談の窓口がもっと最悪であったので、もはや終止符を打って関わらないのが懸命だと思っていた。
ところが保健師さんは、大阪府の医療行政に声を出しておくべきとのご意見だった。

最近は本来の自分らしさまで失い、正直のところ煩わしく感じていた私だが、夕方になって検索した先で、大阪保健所の保健医療対策課を教えて頂き、日赤のある天王寺区担当の方につないで頂いた。
今回のように病院の相談窓口が、かえって問題を複雑にして拗(こじ)れさせてしまうこともよくあるということだった。


こちらの話を聞いて下さったあと、日赤の医療サービス課の女性にだけ電話して下さった。
と言うのは、私が最も問題に感じている相談役という肩書きを持つ人には、話しても難しいだろうということからだが、私の僅かな説明にも関わらず、さすがに鋭い洞察力に経験への信頼感を強めたのだった。
折り返し電話をして下さり納得し、行政による関係機関の介入により落着した。

私は最後に、日赤を指導する立場にあるこの方にお願いした。
このように話せばすむことなのに、メールを受けているにも関わらず無視することは問題を複雑にし、病院への不快感、不信感が募るばかりだから、誠実に対処するように指導されたしと。

癌の疑いは去ったにも関わらず、実は悶々とした冴えない気持ちで過ごしていたが、かくして不全感を残すことなく終止符を打つことができた。
神さまからのゴーサインあってこそのアクションであり、神の導きゆえの結果であると感謝し、私は晴れ晴れとした気持ちである。

これに関連して、リスクマネジメントに絡めて後述したいと思う。







posted by 優子 at 18:20| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

ミネソタ旅行は未定に

「愛する妻に贈ろうと、クマ君が自転車に乗ってファーマーズマーケットで買ってきたバラの花。このクマ君の満たされた表情!」と書きたいところが、またしても写真をうまく貼れなくて残念。

写真を軽くしてもサイズが小さくならず大きいままなので、画面右側の案内板がなくなってしまう上に、私のドキュメントの中身が丸見えになってしまうのだ。原因不明。ついに写真は諦めた。

さて、私と妹とのミネソタ旅行は、妹の腸のトラブルから計画は頓挫している。特に夏には具合が悪いようだ。
「もしもの時は1人で行ってね」と言われても、何とかミネソタまでは勇気を奮い起こせても、パック旅行ではないから尚のこと、ニューヨークに1人でというのはとても無理だ。

9月半ばに予定されている北越製紙主催の旅行までに帰国したいこと、ミネソタが寒くならないうちに、そして、マチクマの予定に差しさわりがない時にということから、8月半ば過ぎに出発して末には帰国する予定で組んでいたのだがやむをえない。

楽しいはずの旅行を修行にしたくはないので、今回の計画を白紙に戻すことになった。何よりも妹の体調が改善されるようにと祈っている。

このこともまた神の御心が成るためのことと受け止めているが、「ミネソタの旅行記楽しみにしていますよ。」と書いて来て下さった友よ、ありがとう。
妹とのことを喜び、祈りに覚えて下さっている友たちをありがたく思う。

「旅行は、一大イベントだと思うから、予定変更とかはどんどん気にせずやっていくほうが、良い旅行になると思うよ。気にしないでね。」と書いてきてくれた次女の言葉に気持ちが楽になった。

梅雨明けはまだなのに、毎日カンカン照り。
12日土曜日は夫婦で難波へ出た。
デパートのあと、夫の誘いでナンバウォークを歩き、真智子と買い物した日(6月24日)のことを話しながら歩いた。この日は夫婦同伴の旅行準備で、セリザワや花菱の店を目当てに歩いた。
今はどの店も50パーセントもダウンしていたよ(>_<)。

長女から、「誕生日翌日から、歩幅はすごく小さいものの、昨日は8歩歩いた!!!」と、母親の感動が届いた。

初めて笑い声を聞いた時、お座りした時、ハイハイした時、歩いた時、・・・全てが喜びの連続、毎日が感動の日々だった。



posted by 優子 at 17:38| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年07月11日

ゆきひさが1歳になりました!

1歳の誕生日のプレゼントに、私たちから贈った積み木の写真を長女が写メールで送ってくれたが、うまく掲載できないので割愛した。

私が子育てした時と違って、あるいは各府県の行政の違いなのかわからないが、1歳の誕生日の今日、幸悠はホームドクターである開業医のところで1歳児健診を受けてきた。

2824グラムで誕生した孫は9017グラムになり、47センチが
77センチに成長した。
成長曲線では50が平均であるのに対して、75もあるというから背が高い。体重は少なめだ。

知子が1歳の時はどのくらいだったのだろうか。
知子の母子手帳と育児日記は手渡してやったので、手許にある真智子の育児日記を開いて1歳の頃をたどってみるのだが、肝心の身体測定記録が書かれていない。母子手帳にだけ記録したのだろう。

「真智子はお外が大好きで家に入ろうとすると、反り返ってブリッジをして怒る。物まねが上手で、直ぐに私の真似を短時間でするので、賢いのかしらと親バカにも思ったりする。・・・

誕生日の2日前から5〜6歩歩くようになった。日に日に上手になるようで、いよいよヨチヨチ歩きの真智さんである。・・・お誕生の
10日後からヨタヨタと歩き、上手だと2メートルほど歩く。歩くのが本当に楽しそう。」
と書いてあった。

幸悠は「まだ歩けないが、しきりに立つ」とのことだから、歩き始めるのも秒読み段階だろう。

知子ママにこの1年間の感想を聞いてみたら、「1年で一生分を動いたような気持ち」と即答した。
今再び1年前の記事を読んで感謝を新たにしている。これからも神の守りと導きがありますように祈らずにはいられない。

最後に知子と孫にメアリー・ハサウェイの詩を贈りたい。

          Creative Love  創造的な愛
   
     私は願います。
     あなたの子供のころが
     幸福な思い出ばかりであるように。
     私なりに あなたの人生を
     精いっぱい愛してあげたいのです。
     あなたの生涯の安らぎのために。

     そして、私は祈ります。
     あなたをめぐるこの愛が分かりますように。
     そうすれば、あなたは内なる喜びを見出し
     あなたや他の人のために
     すばらしい思い出を作り出す力を
     自分のものとすることができるでしょう。

     すでにあなたは、大きな喜びを与えています。
     さらにあなたが、それを見出し続けて
     他の人々にも与える者となりますように。







posted by 優子 at 22:07| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

☆このたびの試みの意味 B ―周囲に及ぶ恵み―

ちょうど1ヶ月前の6月11日11時過ぎだった。
検査手術のために点滴注射が始まった時も、看護師さんに「息をして下さい」と肩を叩かれて、呼吸していなかったことに気がつくほどの緊張状態だった。

その後まもなく剛臣君が現れたのだから、何と懐かしく力づけられたことか。娘が私の所へ行けないので、代わりに行ってほしいと知子からの電話を受けて参上してくれた。

剛臣君自身が選んで買ってきてくれた本、『いつも心にはなを』は聖書の言葉を添えた美しい花の写真集だ。

私もプレゼントに用いたことがあるが、自分のためには買っていないので尚のこと嬉しかった。ありがとう!
そして、妻(知子)にも同じものを買ったと嬉しそうに話してくれた。

その上に私を飛び上がらさんばかりのことを話してくれた。
美濃紙業のYさんのことだった。

「Yさんは私の耳元で小さな声で話されたんです。
いつもブログを読んでおられたわけではないのに、たまたま開かれたてビックリされたそうです」。

そして、Yさんからの伝言を伝えてくれた。

「あの時、奥さんが祈って下さったことを忘れません。私も頑張っていますから頑張って下さいと伝えて下さい」とお聞きして、神の御名を崇めた。
神さまから私への最高のプレゼントだった。
Yさんのことは、カテゴリ「美濃紙業関係」の2007年4月23日と5月16日後半部分に記録されている。

心身ともに苛酷な病いと今も闘い続けておられるYさんは、いつも私の祈りの中に覚えている方であり、週に何度かYさんの様子を夫に尋ねるのが習慣になっている。夫も経営者として当然とは言え、Yさんを見守っているのだ。それは祈りと同じだ。

昨秋、井置牧師の教会へ行く前に会社に立ち寄った時、Yさんにお目にかかった瞬間から溢れ出たYさんの美しい涙は、決して忘れることはない。

今日再び集中治療のためにYさんは短い入院をされた。
神さま、どうかYさんの体力を支えて悪い細胞を消し去って下さい。
そして、どんな時もあなたが共にいて下さり、あなた御自身が御本人に臨んで下さいますようにお願いします。

Yさんは今もブログを読んで下さっているに違いない。
まことの神に祈るとはどのようなことであり、このたびのこと一つとっても、私がどんなに多くの方々に祈られてきたかをお知りになったことだろう。

主と共に在る確信だけではなく、多くの人を通して慰め励まして苦難を突破させて下さるのである。

このたびのことが起こってからも、私は何度もYさんを想い自らを励ましていたが、谷口先生の言葉を思い出して、完璧に刻々と計画を進めていかれる神さまを拝した。

「このことが周囲の全ての人にとっても、そこまで神さまは考えて下さったんだと思うほど、神さまの愛は間違いないですからね。」(6月9日記載)

    「主の慈しみは絶えることがなく、
     その憐れみは尽きることがない。
     これは朝ごとに新しく、
     あなた(神)の真実は大きい。」
          
               (哀歌 3章22・23節)





posted by 優子 at 11:54| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年07月10日

このたびの試みの意味 A ―兄と叔母にも流れゆく恵み―

「優ちゃん、昨日の話は本当やのん?」と、あまりの信じられぬことゆえに、今朝叔母から電話が入った。

さっそくにも、神さまは叔母に話す機会を与えて下さり、昨日の記事に書いたとおり、ここに到る経緯を叔母に話した。叔母は静かに聴いていた。
神さまのことについては異論も共感もなかったが、間違いなく叔母の深いところに浸透していったように感じた。神さまは必ず叔母とも出会って下さると信じている。

妹とのことは、神さまが私に今までの集大成として大いなるチャレンジを提示されたと受け止めている。関係が復活したから万々歳というような甘いものではないことも重々承知の上だ。

回復への道を開いて下さったのであり、私や私の家族との関わりを通して、妹自身の巨大になってしまった問題を解決されようとしておられるのだろう。
だから問題が生じても、それは必然のことであり、摂理の道程であることを覚えておかなくてはならない。


私はイエスさまから理解と忍耐と寛容と愛に満たされて、感情に翻弄されないように、一切のことの上に神の導きを切に祈りながらである。

叔母には、妹のことはこれからも神さまに全てをお任せして、焦らず、祈りながら、一歩一歩進んでいくからと伝えて安心してもらった。

妹は私の一大事を知り、早速、兄にも知らせていた。
私は兄に心配かけたくなかったので知らせて欲しくなかったから、長女にも「叔母ちゃんが伯父ちゃんにもと言ってきたら断っておいてね」と話したのだったが、その時は既に知らせたあとだった。

しかし、このことも神さまは無駄にはされなかった。
兄から電話をもらった時、また一つイエスさまを伝えることができたのだ。
この時、兄は次のように言った。
「僕は優ちゃんの気持ちがよくわかっていた。あえて僕に知らせなかったことを。
僕は優ちゃんが僕のことを祈ってくれていることを知っているから、僕も祈っている。神さまに祈らせてもらっている」。

そして、「お父さんとお母さんに祈っている」と兄が言った。

私は体に熱いものを感じながら穏やかに力強く話した。
「お兄さん、ありがとう。
でもね、お兄さん。
お父さんとお母さんに祈っても、お父さんとお母さんにそんな力はないよ。まことの神さまにしか守る力はないよ。
お兄さん、思い出してよ。
同志社で教わったやろ?
お兄さんだけが教会へ通っていたからよく知っているやろ?
まことの神さまに、イエスさまのお名前でお祈りすることを。
神さまは厳然として居られて、主イエス・キリストの御名によってでしか神さまと交流できないから、これからはイエスさまの御名を通してお祈りしてね」

と、話すことができたのだった。

兄は頷いてくれた。
あとはきっと、愛なる神さまが兄をお導き下さる。
誠実に生きる兄をイエスさまが見過ごしにされるわけがない。

殆どの人々が虚しい偶像に手を合わせているのに、私は誰に感謝しなければならないかを知らされた。このことが嬉しくてならない。全てのことを治めておられる神さまを、私は「天のお父さま」と呼べる仲なのだ。

最愛の○よ。
「人生の意味も目的もわからないで生きている」なんて言わないで!悲しすぎる。
主よ、私が今また、ヨブの友人の如くに説教しないように助けて下さい!

posted by 優子 at 13:36| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年07月09日

このたびの試みの意味 @ ―妹との回復への道開かれる―

「見よ、兄弟が和合して共におるのは、
 いかに麗しく楽しいことであろう。」

                    (詩篇 133篇1節)

昨年から妹との交わりが始まり、今年になってからはもっと頻繁になっていた。
神に祈りつつ主と共に歩んでいく時、これまでにも主の計り知れない奇跡を経験してきたが、今もまた不思議な神の御手により妹との関係が急速に修復されつつある。

私はいろいろと考えるところがあって民生委員を一期で辞し、20年間続けていた読書会と東大阪市の文化活動からも決別したので、今春からタップリの時間が与えられた。

すると、まるで堰を切ったように妹からの関わりが頻繁になり、「叔母ちゃんとのことのためやったんやね」と長女も言っていたように、私も同じように神さまからの意味を感じとっていたのだった。それなのに4月27日(日)に私たち夫婦で妹夫婦を訪ねた時、悲しい別れ方になっていた。

その頃、過労から体調の悪さが顕著になってきており、ついに5月8日受診したところ、思いもかけない癌の疑いに直面して思ったのだった。もうこれからは、妹のことにかまってはいられないと。

妹はブログから私のことを知ったのだろうか?
まだあの頃は読んでくれていなかったように思うが、とにかくひどく心配してくれていた妹は、検査入院中の3日間毎日行きたいと申し出てくれていた。私は夫だけでいいと思っていたのだが、妹への頑なさを微かに感じたことがあった。

そして、明日入院という前夜になって、突然私の心にある思いが入ってきたとしか言いようがないことが起こった。
心細くなったからというのではなく、かといって妹の厚意を受けようかどうか悩んでいたわけでもなかったのに、夕食の後片付けをしている時に「そうだろうか」と、急に手を止めてつぶやいたのだった。自分でも不思議だった。


今までの考え方でいいのだろうかという意味で言ったのだ。
これは神の導きかも知れないと思った。
そうであるならば、素直な心にならないと導きを察知できない。
私は祈った。
すると、妹の厚意を受けようとの思いが与えられて、直ぐに妹に電話したのだった。午後8時40分のことだったと記録されている。ちょうど1ヶ月前のことである。
その時はまさか、妹とこのような関係になるなんて思いもしなかった。

私自身の中では、既に何年も前に妹とのことは解決されていたし、私と同じように妹もまた苦しんでいたんだと受け止められるようになっていた。

私だって妹の身代わりになれるほど妹を愛している。
ところが、そこまで心から思っているのに具体的な話になると生々しい感情が出てくるのだ。これまでにも何度か緊迫した空気になった。
互いに祈りつつも、複雑に絡みついた問題は、感情が邪魔をし、共に自己を主張し、人間の努力だけでは解決の方向に進んでいけないのだ。


私も妹も神に祈り続けていた。
しかし、私たちの努力ではどうしようもなく行き詰まってしまっていた。そして神さまは、神の御心に叶うことを求めている私たち姉妹を助け、神さまのやり方で回復への広く大きな道を開いて下さったのだった。
神様は藤本さんを愛しておられます。思い煩い一切を神様にお委ねして、神様を信頼しましょう。
神様は何かご計画をお持ちなのだと思います。神様は無駄なことはなさらない。主にあって、すべて御手のうちに物事は運ばれていると思います。祈り続けます。み心が成りますように。

癌の疑いがわかった時に頂いたペンクラブのO姉のお言葉も、ずっと脳裡から離れなかった。

私もこれまでの経験から、神さまは無駄なことはなさらないということだけは疑わず、微動だにしなかっただけに、6月10日の妹の美しい涙を見た時、神さまは私と妹との関係を修復して下さるために癌を与えられたのだと思った。

今日もあっという間の楽しい6時間半だった。行動的な妹は旅行日程や予定を考えてきてくれていた。
帰る前に妹が神戸の叔母に電話した時に私も替わった。
叔母は、「優ちゃん、本当に2人で旅行に行くの?!ホンマかいな!どこの神さんでもええ。あんたらが仲良くなって、こんなに嬉しいことはない。ええ冥土の土産ができたわ。せっかく、ええ(良い)きょうだいやのに・・・ホンマに嬉しいわ」と、叔母は泣いていた。

母に代わって嬉し泣きしてくれているのだ。
叔母がそこまで心を痛めてくれていたなんて、私は悔いを残さないように叔母孝行をしたい。
「神さまがして下さった」と何度も言う私に、「どこの神さんでもええ」と言った叔母に、是非共まことの神さまを伝えねばならない。どうしても叔母にも永遠の命を賜って母(叔母の姉)とも再会してもらわねばならない。
神さまは必ずや、そこまで成就して下さることを信じているし、今より熱心に祈り始めよう。
posted by 優子 at 23:53| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年07月08日

長女との断絶1週間で修復される

先週は長女との悲しい出来事があり、ずっと悩みの中にあったが、千里さんの助けとNさんのアドバイスを頂いて回復への道が開かれた。

5月初めからの癌のことで長女は我が家に来られなくて、心身の限界を越えてしまったのだった。
夜に眠れていれば若い娘だから育児もこなしていけるのだろうが、年中不眠症の身で神経過敏な男児の子育ては命を削っての日々なのだ。

私にとっては検査結果が出てひと息ついた時のことであり、娘とぶつかり合うような時もなかっただけに、何が何やらわからなかった。

我が命のことと同じく、わが子のことも命と同じ。娘との関係が悪くなると、あれだけ打ちひしがれてしまうのだ。友からのメールに感じて救援を求め、勇気を出した。

死を近くに感じた時の生の喜びを思い出せば、こんなこと何ほどのこともない。あの1日の夕刻にも、次女が姉と私のために涙をもって祈ってくれた。

そして昨日、主の前に母娘が素直になり、共に勇気を奮い起こせたことを感謝します。そして、立ち上がるのを助けて下さった千里さん、Nさんに感謝します。

知子へ:

5月からの騒動も(こんな書き方をして病気の方々のお心を傷つけませんように)一件落着したので、いつでも子育て支援大歓迎だから来てね。
11日はユキちゃん1歳のお誕生日。
ピーおじいちゃん(たったいま命名)とユーおばあちゃんからのプレゼントは11日に届くから、お楽しみにね。

明日はミネソタ・ニューヨーク旅行のことで妹が来訪することになった。本当に実現する方向になり、妹と旅行中にもめたりしないか心配もするが、「イエスさまが一緒だからけんかしたって大丈夫」と旅行のことでではないが、いつか次女が書いてくれていたことを思い出している。

妹は8月7・8日にある日本クリスチャンペンクラブ関西・中部合同夏期研修会にも参加したいとのことで、ブロック長にお尋ねしたら大歓迎して下さるとのこと。

ペンクラブの案内状と共に日本キリスト教文学会からも関西支部大会の案内が届いたが、あの50日間のことが信じられず、あるいは、再び日常生活を許されたことが信じられないのかわからないが、未だフワフワと浮ついた気持ちで落ち着かない。
posted by 優子 at 21:48| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年07月07日

心身ともに冴えない日々

次女が日本を発つ前日から真夏日になり、4日夜からは窓を全開したまま寝るなど夏本番になっている。昨日の朝、しばし蝉の鳴き声も耳にした。
次女はちょうどいい時に日本を離れたと思う。
あんな寂しがっていた私も翌日から平気になって過ごしている。

ところで、27日は検査結果を聞きにいったというものの、結局は何も説明されていない。検査手術中にモニターを見るように促されたが、それを見る余裕が無かった私に、「あとで写真を見せて説明します」と言われていたのに、その説明さえなかった。

また、ブログには記載していなかったが、5月9日の泌尿器科初診時に「かなり出血しているし、黄疸も出ている」と言われており、検査詳細情報にも「T-BIL(ビリルビン)」が「1、9」あり、正常値(0、2〜1)を越え、「黄疸 弱」と記載されている。

私は過労気味だったせいだろうとぐらいにしか思っていなかったが、「黄疸も出ているということは、泌尿器科の疾患にも関係するとも考えられる。黄疸についても、どんなことが考えられるのか何度も聞いてみようとしたが、聞ける状況ではなかった。

膀胱癌の心配がなくなったことの安堵と、医師の異常なほどの応対ゆえに、今改めてこの事の重大さに気がつく始末である。
そもそも疲れやすいので受診したのに、例えば内科を受診するようにという肝心の指導も皆無、心配事も全く解決されないままである。

あの冷静な次女でさえ、一言だけで引いてしまったことから察して頂けると思う。
麻酔医もいなくて、その医師一人だけで生検部位を取るのも全てを1人でされ、その医師が施術者自身ゆえに今後不安が生じてこないとも限らないのだ。

昨日の礼拝後のこと、若き牧師はこの心配事について私が一言発しただけで、「藤本さん、神さまを信じましょう!」と強い口調で言われて、私はもう何も説明する気力はなくなった。そうでなくても2時間半近い礼拝でクタクタだった。

これまでとは違ってこのような内容ゆえに、聖書理解に対する違和感と不快感を感じた。師の傾聴姿勢と言葉不足ゆえなのだと信じるが、今の私にとっては霊的危機に陥らないとは限らない。

病理の検査技師をされている姉(しまい)に主治医のことを話したところ、検査で取ったところは正常でも、直ぐ横のところは癌だったということもあると専門家としての知見を述べられた。

長女とのことで再び問題が生じて意気消沈している私は、姉(しまい)から「気になることは早いうちに解決させ、後悔しないように又納得して下さい。」とのアドバイスを頂いて、ようやく奮起して今日のお昼前に日赤にメールを書いたのだった。今の私には面倒でしんどい作業だ。

神さま抜きでしないように。
神の前にへりくだって、祈り求めながら進めていくことを今一度心に刻む。






posted by 優子 at 17:34| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年07月04日

シャチがマチになった!

バラの花.jpg 

Machiko come back to me.
マチが帰ってきて満たされたクマの顔!

これが真智子がミネソタの家に着いた時に用意されていたバラの花束だ。
クマ君が愛する妻に贈ろうと、自転車に乗ってファーマーズマーケットで買ってきたバラの花。このクマ君の満たされた表情!
12時56分着信(ミネソタ時間は3日夜10時56分):
優子お義母さん

無事に真智が出発したとのメール、どうも有り難うございました。
実を言うと、今日は朝からずっとメールチェックをしていなかったので、今さっき、メールに気が付きました。申し訳ありません。でもお義母さんのお気持ちがとても嬉しかったです。有難うございました。

もう真智からメールがあったと思いますが、真智は無事、ミネソタに着きました。いまは先に寝ています。

きんぴらごぼう、どうも有り難うございました!
香りがあって、歯ごたえも味も僕好みで、すごくおいしいです!
白いご飯の上に乗せて、おいしくいただきました。(^^)
梅干のおにぎりもいただきました。とてもおいしかったです。

真智が寝る前に、たくさん買っていただいたものを見せてくれました。おみやげとして買っていただいた小粒浅利とちりめん山椒をはじめ、ごまやあずきに、松前漬けにえいひれまで、全部挙げられませんが、とても感謝しております。大切にいただきます。
お義父さんにも、感謝をお伝えいただければ幸いです。

真智に買っていただいたお洋服も、真智が嬉しそうに合わせて見せてくれました。実際、真智が着るのを見るのが楽しみです。有難うございました。

このメールを書きながら、ブログを拝見いたしました。
僕のことを、とてもたくさん書いていただいて、ありがとうございます。お義母さんの優しさが、すごく嬉しかったです。

是非、暖かい内にミネソタにおいでください!
これからはいよいよ、具体的に話を詰めて行きましょう。(^^)
それではまた。
                太志

太志君、ありがとう。
「僕のことを、とてもたくさん書いていただいて嬉しい」と喜んでくれるのが嬉しくて、太志君のメールも転載させて頂きました。(^−^)

太志君、やっとベッドのシャチがマチになったね!(^0^)

こちらも昨夜からマチから夫に替わりました。
「こっちはええわ、広いから」と、自分のベッドに戻ってスースー眠っていました。

結婚3年目に入り、神の恵みをかみしめる日々ですね。
これからも神さまの御手の中で良き日々を重ねていって下さい。

今頃はマチとクマが並んで眠っていることだろう。
God bless you !


posted by 優子 at 18:06| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

ミネソタに無事到着!神さま、ありがとう!

今朝、8時55分着信:
ママ、昨日は空港までお見送りありがとう!
無事に着きました。

今は、お風呂上りで、きんぴらごぼうを食べて、くまは感動しきりです。本当においしい、ありがとうございます!って。
まちも、めっちゃおいしいと思う!

前日にも言ってなかったし、忘れててもおかしくなかったのに、おにぎりも、きんぴらごぼうも本当にありがとう。機内で、お腹が減ったときにたべたら、梅干の味がとてもおいしかったので、一つはくまおにあげました。おいしかったって!

ところで、くまおは、大歓迎してくれたよ。
空港には、おなかすくと思ってと、おにぎりと麦茶とぶどうを持ってきてくれててん。

それで、おうちに帰ったら、なんと、ピンクと赤のバラの花束をくれたの!嬉しかった。

とりあえず、無事の連絡でした。
また連絡するね。
                 真智子

今回も無事に辿り着けたことを神さまに感謝します。
本当にありがとうございました。
今、飛行中の数え切れない飛行機も事故無く目的地に到着しますようにと、チャッピーと歩きながら空を見上げては祈っています。

続いて9時3分着信:
プレリムのもう一つの科目、エコノメも合格していました!
晴れて、研究に頑張れます!
ちなみに、さっきから、本当にくまが喜んでいます。
きんぴらごぼう、本当においしいって。ありがとう。
                 
                 真智子

この合格通知に先立つ1日(2日?)夜には、もう一つの試験の合格結果をインターネットでキャッチしていた。しかも、" Very good. "と書かれていた。
掲示板で確かめていた私たちの時代と比べると千年の差を感じる。

これで追試の日取りを気にしないで渡米計画を進めることができる。しばらく休養してから考えたいと思う。

きんぴらごぼうをそんなに美味しく食べてくれたなんて嬉しいな。
日本食に飢えていない二人だけれど、ゴボウや大根は手に入りにくいし高価だろうから、本当にミネソタへ行く事になれば、土がついたままの長いゴボウを何本もスーツケースに入れて行くよ(笑)。
これぞニッポン。日本の味!
posted by 優子 at 11:07| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年07月03日

再びミネソタへ! ―次女夫婦の研究室をご案内―

今日の早朝のこと、「もう寝よか・・・」と、真智子は優しく寝言を言って微笑んでいた。クマに言っているのだと直ぐにわかった。

留守中は妻の寝る所にぬいぐるみのシャチを置き、「真智が作っておいてくれた夕食も、あと一食になってしまった」と、妻の帰りを首を長〜〜くして待っている太志君。昨夜のスカイプでは、寂しさも限界に達したようだ。

次女は関空で天ぷら(天ぷらそば)を食べ納めて、母国に別れを告げたように見えた。そのあと、コーヒータイムを過ごして共に祈り合った。
私は「イエスさま」と御名を呼び始めた時から涙が溢れて祈れなくなった。次女、妹と、順に祈り合った。
涙でボトボトの顔を上げた時、近くで本を読んでいた外国の青年が私たちを見ていた。小さい声ながら私たちの祈り合う姿を目にし、「アーメン」と聞こえたのだろう。


搭乗する飛行機は、遅延で予定時刻よりも20分遅れで1時10分の離陸となっていた。
12時15分、出国ゲート前で私は真智子を抱しめた。涙をこらえて娘から手を放すと、娘はゲートに入って行った。
手荷物のパソコンは必ず開けないといけないために、出し入れに時間がかかっていたが、12時20分、真智子はエスカレーターで降りて行き、ついに見えなくなった。
主よ、どうぞ今回も危険から守り、かの地に着くまで体調を支えて下さいと祈った。

そのあと、妹の案内で造成中の2期空港島を展望し、南海電車が関空駅を出発した1時15分過ぎ、「きっとこの飛行機やね」と言う妹の声に立ち上がると、一機が離陸するのが見えた。

「真智!」
私は心の中で呼んだ。そして、また涙。やっぱり空港への見送りは今回だけにしよう、辛くてたまらない。強い陽射しなのに、飛行機は直ぐに梅雨空の雲で見えなくなった。

難波へ戻って高島屋で用事を済ませてから、姉妹でなんばウォークを歩きかけたが、ここは24日に真智子と一緒に歩いた地下街だ。辛いからと妹に話して早々に引き上げた。またまた涙だった。

5時前に帰宅し、早速、太志君にメールを打った。
楽しかった日々を思い出しながら、今回の帰国で見せてくれた写真集の中から、いくつかを記録しよう。

DSC02994.jpg

これは5月(?)に新しく建てられた新校舎だ。
財を築いたミネソタ大学卒業生の寄付金で建てられたものだそうだ。アメリカではよく聞く話だ。
娘たちも研究室の引越しを済ませ、3年目からはより快適なキャンパスライフになった。帰国前に留守宅になっている我が家に、東大大学院からそれぞれに封書が届いていた。ついに東大へは退学届けを提出するとのことだ。

DSC03006.jpg

これが娘夫婦の研究室だ。
このクマ君、先週は自動車の仮免にパスしたって!!!
驚くなかれ費用はたったの1000円ほどだったらしい。
そして、もっと驚くのは、今から友達や家族に運転を教わって3ヵ月後に運転の試験を受けに来いというのだから、自動車免許取得アメリカ方式にビックリ仰天だ。

そして、妻の不在中にもう一つの冒険があった。
29日にはクマ君1人で教会へ行ったんだって!!!
しかも、妻に教わったココナッツプリンを作って持って行ったところオオウケ!
しかも、今までバスを乗り継いで行っていたが、行きも帰りも同乗させて下さり、帰りは牧師ご自身が送って下さったのだった。
これで時間と体力の許す時にも教会へ行きやすくなったね!

DSC03008.jpg

ここは4人部屋で、これが真智子のデスク。
椅子も何てハイグレードなこと!
かわいいピンクのパソコンは、日本で売り出す前にアメリカで買ったソニーの「 Windows Vista 」だ。何もかもが英語の表示なので私にはサッパリわからない。

DSC03000.jpg

真智子が日本へ旅立つ日が近くなって元気のないクマ君。
真智は明日帰るからね!!
いや、今そちらでは3日の朝だから、明日ではなくて今日やね。
もうすぐ着くよ。今度は私がクマの気分だもうやだ〜(悲しい顔)

アンディは、寂しそうにしているクマを夕食に誘ってくれたり、クマもまた祝福された日々だった。寂しい寂しいクマ君の2週間もいよいよ終わろうとしている。

そして、こちらも思いもよらなかったことからミネソタ行きが実現しそうになってきた。癌の疑いから始まった妹との新しい展開、しかも妹と一緒にだなんて予想だにしなかった。
昨夏、パスポートを更新したものの、また億劫になってきた私だっただけに、これこそ神さまのお導きでなくてなんだろう。


6月10日、入院した日のことだった。
午後1時10分、かくてパジャマに着替えた私は病人になり、ションボリしていた。
昼食を終えて帰ってきた妹に、「そんな気の弱いことを言うてたらあかん。来年は一緒にニューヨークへ行こう!」と誘われて大きな励ましを受けた。その時、妹の目に美しい涙が光っていた。


人生の暗転、そして再び健康を許された側に戻された今回のことについて、気づかされ考えたことを書きとめていこうと思う。
関空をあとにする頃には、私は本気で行ってみたいと思うようになっていた。神さまの御心ならば実現されることだろう。

梅雨明けも間近かなようだ。






posted by 優子 at 22:06| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年07月02日

思い出を胸に明日出国

ようやく28日頃から孫の容態は快復に向かっていたが、6月28・29日は長女母子欠席のまま、真智子と共に3人で近鉄鳥羽駅から船に乗って答志島(とうしじま)へ行った。

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娘は伴侶がいないので寂しそうだったし、私自身もまたそのように感じた。「クマー!」って、海に向かって大きな声で叫んだよね。

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海開き前の小雨降る海で泳いだ真智子。
私は小さな貝殻を集めていた。

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答志島では新鮮な魚介類を堪能した。
29日の昼食は次女だけにでも松坂牛をご馳走してやりたくて店に何度も電話したが通じず、鳥羽駅で2時間もロスしたあげくに臨時休業だったことがわかった。

こんなことならば、28日の朝食だけで空腹を我慢して待っているチャッピーのためにも急いで帰るんだった。案の定、30時間以上も排尿さえしていないチャッピー。体に悪い!

孫は体験入園で強力な風邪(?)をもらってきたらしく、左手に続いて右手にも点滴針が刺されて、土・日にも受診していた。

ダウン.jpg


熱が下がって快方に向かう28日のユキ。点滴ユキ.jpg

長女もダウンして30日は私が出向くことになっていたが、娘のほうから来てくれたのでありがたかった。昨夜、急きょ帰宅。

今回の旅行は、私たち夫婦にとっては家族水入らずでも、子どもにとってはそういうものではないのだろう。
それでいいんだという思いと、一抹の寂しさを感じる旅だった。


こうしているうちに、ついに出国する日が来てしまった。
今日は朝から神戸大学へ出かけている。
出発の前日だが、共著している先生が精一杯日程を調整して下さって東京(?)から足を運んで下さり、夕方に神戸大で再会することになったからだ。

その先生だけではなく、今日は時間刻みで合計7名もの先生方とお目にかかることになっている。何人かの先生方と夕食を共にするので帰宅は遅くなるだろう。

明日は上本町まで送るつもりだったが、妹が真智子を見送りたいと言ってくれているので、私も一緒に関空まで送ることにした。
叔母や姉、そして、私にイエスさまを伝えに来てくれた真智子。
旅の無事を祈ろう。

Thursday 3 July 2008
Northwest Airlines Inc - Flight NW 0070
12:50 PM

Detroit Wayne County Airport
Travel Time: 12:10
Detroit, MI, US
Arrive: Detroit Wayne County Airport
Travel Time: 12:10
Detroit, MI, US
12:00 PM

Thursday 3 July 2008
Northwest Airlines Inc - Flight NW 0749
Depart: Detroit Wayne County Airport
1:40 PM
Arrive: Minneapolis St. Paul Int'l Airport
Travel Time: 1:55
Minneapolis, MN, US
2:35 PM Aircraft: D95


posted by 優子 at 18:46| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする