2008年09月30日

第36回 オリーブの会 ―敵を愛しなさい―

昨日の最低気温は12.3度で、最高気温も15.6度までしか上がらず、9月の終わりなのに昨日も今日も2時間ほど暖房した。今週後半には再び夏日が戻ってくるというので待ち遠しい。
 
さて、昨日の「オリーブの会」は讃美歌285番に続いて、いつものように司会者・冨美子姉のお祈りから始まった。
聖書の箇所は「ルカによる福音書」の6章27節から38節である。それぞれ1節ずつ輪読した。この集会では新改訳聖書を用いているが、ここでは聖書オンライン利用の関係から口語訳を引用した。
27節 しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。
28 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。
29 あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。
30 あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。

31 人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。
32 自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
33 自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。
34 また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
35 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
36 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。
37 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
38 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。

輪読のあと黙読し、そのところから「敵を愛しなさい」というテーマで自らを省み、神さまに探られて幸いなる時間を共にした。私にとっては特に恵みのリトリートの時になった。

初めの導入部分で、「この箇所を読むとき、先週のことを思い出して下さい。皆さんは毎日の生活で、どのくらいこの戒めに従いましたか。」と司会者が語られた。
この箇所からの設問は以下の通りである。
これらの問いかけに対して正解を述べるというのではなく、それぞれがこれまでの人生経験を通して感じたことを心を開いて分かち合うのが目的である。

(27節〜30節では)
@ おそらく殆どの人が、ここでイエスさまが教えられているように生きるべきだと思うでしょう。
それなのに、その通りに生きるのはなぜ難しいのですか。

A もし、イエスさまが「敵に親切にしなさい」とだけ言われたら、そのようにするのはもっと簡単になると思いますか。

B 皆さんが家庭や学校、職場でこの通りにし始めたとしたら、そこはどのように変わるでしょう。

C 皆さんが、嫌いな人のために祈ったら、その人との関係は良くなると思いますか。

D イエスさまはこの戒めを全部、完全に守られました。それでもたくさんの敵がいたのはなぜですか。

E 憎しみを抱くことには、どんな害がありますか。

(31節〜38節より)
F ここに描かれている「いと高き方の子ども」と「罪人」(聖書で言う罪人とは犯罪者のことではなく、神を認めないで生きている人を指す)の根本的な違いは何ですか。

G 皆さんは「いと高き方のこども」とどういう点が似ていますか。「罪人」と似ている点はどこですか。

H 自分を大切にしてくれないと文句言う人は、どういう間違いをしているのですか(36〜38節)。

I 無条件の愛を誰よりも必要としているのは、どういう人でしょうか。

J 35節は、敵(私たちも含めて)をも愛されるイエスさまの愛のことを言っています。人間はこのような無条件の愛を信じることが難しいですか、易しいですか。

K この戒めを守れば、大きな報いが得られます(35節)。イエスさまは守られましたが、報いを受ける代わりに十字架に付けられました。なぜですか。

L 私たちは、どうすれば敵を愛せるようになりますか。

M 敵を愛せなかった人は、どのようにして「いと高き方の子ども」になれますか。


以上の問いかけに対して、一人ひとりが心を開いて自己の醜さを正直に語り合い、無言のうちに励ましを得たのは私だけではなかったであろう。
最後に、司会者の冨美子姉が次のように語って下さった。

「神さまは私たちに敵を愛するようになったら救ってあげるよ。そうしたら神の子どもになれるよと、条件をつけておられるのではないのですね。

神を受け容れている人達に対しての奨めではあるけれど、条件で話されたのではありません。
自分の中に無いものに気づかされ、その愛は自分の中には無いと素直に認め、それをくださいと求めていく。赦す心を与えて下さいと、神さまと対話しながら生きていく人生を導こうとしておられるのですね。

私たちはこうあってほしいという願いや、自分の中に無いものばかりが出てきて、無条件で愛されているということを受け止めきれていないのですね。」


私は皆さんとの分かち合いを通して、「ああ、醜いのは私だけではないんだなぁ」と、今更ながら改めて知ることができたことが特筆すべきことだった。それゆえに、冨美子姉のお言葉に強く励まされて、心からそのように変えられていきたいとの思いを与えられたのである。

初めて参加して下さった方もまた次のような感想を返して下さった。ここにも「オリーブの会」が、神の御臨在豊かな集会であることをお伝えできるのではないだろうか。
昨日は、素敵な時間をありがとうございました。
大先輩のクリスチャンの方々との交わりは、あんなにも静かで、安心できて、でも心が燃えて・・・何よりも昨日一日がとても平安で、仕事場でも家庭においても、不思議なくらい悪しき感情が制御されていたような・・・よかったです。感謝します。

次回は10月22日(水)に決まった。
この次もまた、神さまが「オリーブの会」を開いて下さって豊かに祝福して下さいますように!

今日も冷たい雨の一日だった。
子育ての息抜きのために長女と孫が朝9時半頃に到着。たった2泊の予定だが、既に腰も膝も痛い。しかし、1ヶ月ぐらい一緒に住めば、私のコレステロール値も正常になるだろう。

孫への愛を強く感じる。
そして、しみじみと老いを感じ、子育てしていた頃が輝いて見える。
今、ようやく孫の一日が終わったので、日付けが変わらないうちに昨日の家庭集会の恵みを記録した。
posted by 優子 at 23:09| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2008年09月29日

死刑存廃論 C ―8年前の発表から B―

元最高裁判所判事であった団藤重光氏は次のように述べている。
誤審の可能性の内在する死刑制度は、いかなる意味においても正義論によって擁護されることはあり得ないでしょう。

仮に殺人の真犯人に対する死刑がいかに正義の要請だとしても、無実の者が処刑されることは、それを帳消しにしてはるかに余りある、とうてい許すべからざる正義であります。

無実の者が死刑になるという恐るべき犠牲において、犯罪の予防を重視するという議論がもし要るとすれば、私はその人の人間的なセンスを疑うものです
。」


私は団藤氏の書物から納得させられて導きを得ることができた。

〜私の結論〜

最初は存置論にも廃止論にも与(くみ)することができなかったが、団藤氏の教えから廃止論に至った。

参考文献を読んでいる時は、常に「罪と罰」の問題にこだわりを感じていた。
つまり、加害者が自分の犯した罪を悔いてのちに、どんなに素晴しい人格に矯正されたとしても、罰を免れることとは別問題ではないかということである。

聖書にも「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。」(ロマ書13章1節)とあるではないかと思っていたからだ。

人の命を奪った者は自分の命をもって贖うしかなく、それでさえ失われた命が戻されるわけではないのである。それゆえに地上での罰、極刑を免れ得ないのではないのか。

ところが有限な人間のなすこと、誤審の可能性は否定できず、特に死刑の場合だけは取り返しのつかぬことであり、それを説く団藤氏の教えに説得されて廃止すべきと思った。

また、前掲の御言葉の意味も、その権威が神の意志に沿った場合に限ってのことなのだ。
裁きは神の領域であり、「刈り入れの時」(マタイ伝13章24〜30節)に神がなされることであるから神に委ねることである。


冒頭でご紹介した米国人女性、ドロシア・モアフィールドさんの生き方に深い感銘を受けた。
最後に、" journey of hope "の市民団体をご紹介して終わりたい。この団体は、殺人により家族を失い、死刑制度を持つ州を1つ選んで毎年「ジャーニー(旅)」を実施してきた。

被害者遺族の方々がいろんな人に出会い、自らの体験から学んだ「死刑では誰も癒されないんだ」というメッセージを伝えている。
まさにドロシアさんと同様に、最悪の苦悩に懊悩しながらも生きる意味を見出した人々である。


ちなみに『癒しと和解への旅』によれば、1996年は19645件の殺人事件が米国で報告された。
殺された一人の被害者につき平均7〜10名の親族がいるとすれば、毎年少なくとも20万人が犯罪によって家族を失って苦しんでいることになる。
20年間では400万人になり、すさまじい数の人々が殺人の影響を受けていることも忘れてはならない。

<参考文献>

@ 団藤重光著『死刑廃止論』(第5版)、1997年、有斐閣
A 団藤重光・他2名編『死刑廃止を求める』、1994年、
                          評論者
B 重松一義著 『死刑制度必要論』、1995年、信山社
C 後義輝著  『死刑論の研究』、1993年、三一書房
D 佐藤友之著 『死刑囚のうた』、1996年、現代書館
E 坂上香著  『癒しと和解への旅』、1999年、岩波書店
F ? ?著  『死刑制度の歴史』、 ? 、 ? 
                       
                       (レジメ転載 完)

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

この発表のあと、導き出した見解に対して予想していた通り、「自分の家族が殺された場合もそのように言えるのか?」、「他人事だからそんなことが言えるのだ」と殆どの人から反論されて、やはり揺れ動く自分があった。

しかしながら、決して傍観者的に考えたのではない。可能な限り心して考えたつもりだ。現実になった時、この考えは一瞬にして吹っ飛ぶかも知れない。
いや、吹っ飛んで当然である。
それほどのことゆえに、だからこそ冷静に考えておかねばならないのだ。

殺人を犯した者は、神の前で悔い改めれば完全に赦されるのである。しかし、事件後すぐに公に対して(犯人にではなく)そのことだけをコメントするクリスチャンを目にする時、何と安易な赦しであり、何と被害者感情に鈍感なのであろうかと憤りさえ感じる。

被害者感情を最大限に大切にしなければならない。
長谷川敏彦へのNさんの手紙のように、イエス・キリストの全き赦しと共に、奪い取ってしまった命は取り返しがつかぬことと、そのご遺族の方々に深く謝罪できるような導き手になりたいものである。


さて、この勉強会の時、まさか9年後に裁判員制度が導入されるなんて予想だにしなかったわけで、ひょっとすれば、あなたが、私が裁判員に選ばれるかもしれないのだ。

このことからも、もはや全ての人が自分の問題として考えなければならない状況になっているわけである。
人を殺してはならぬと言いながら、死刑は国家の手によって人を殺すことである。しかし、無垢の命を残虐非道に殺された者は・・・と考えていく時、堂々巡りになってしまう。
その堂々巡りを充分に経たあとで自分の意思決定をしなくてはならない。

私が存続反対の立場を選んだ決定的理由は、誤審があってはならないためと、死刑執行に携わらねばならぬ刑務官のことに大きな問題を感じたからである。

ロマ書13章1節の聖句については、「その権威が神の意志に沿った場合に限ってのことである」と述べた。
では、神の意志とはどういうものなのかということになる。
そこで、いよいよ聖書の光に照らして私なりに考えを深めていきたいと思う。


田宮氏が述べているように、専門的にも一般的にも「論点はほぼ出尽くしている」のであるならば尚のこと、聖書を開いて考察を加えることはノンクリスチャンの方々にも意義深いことであろう。

(このテーマについてはしばらく小休止して、クリスチャンペンクラブの例会が迫ってきているので島尾敏雄に集中したいと思う。)

昨日の奈良の最低気温は12.3度、最高気温は18.7度だった。夏の異常な暑さだけではなく、9月末にこの肌寒さも異常だ。

冷たい雨の日の今日は5ヶ月ぶりの家庭集会である。再開できる喜びと感謝にあふれて、皆さんをお迎えする準備をしよう。
冨美子姉と千里姉との再会を思うと、胸に熱いものが込み上げてくる。


posted by 優子 at 06:56| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2008年09月28日

死刑存廃論 B ―8年前の発表から A―

〜死刑廃止を主張する論拠〜

@ 国家の根本的自己矛盾として、死刑が国家の手による殺人、法の名のもとに行う殺人であるゆえ認めることができない。

A 神でない不完全な人間が同じ人間を裁くという行為であるため、誤審の場合には絶対的価値である生命の復活が不可能で適法手続きに反したこととなる。

B 死刑には教育効果がなく、むしろ被害者およびその家族への贖罪、救済にあたらすべきである。

C 死刑には威嚇力、すなわち一般予防の効果がなく、かえって人の心を残虐化させ、憲法でいう残虐刑に該当するものである。

D 刑務官は矯正教育を任務とするものであって、死刑執行の任を命じることは、制度的にも使命的にも反するものである。


〜死刑存続を主張する論拠〜

@ 人を殺した者は、その生命を奪われるとすることは一般国民の法的確信・国民的感情である。人の命を奪った者への生命保証は人命尊重とはいえない。自らの妻子が殺されても廃止を主張し続けるものか疑問である。

A 死刑には威嚇力・犯罪抑止力、すなわち一般予防の効果があり、凶悪犯に対する社会防衛・法秩序維持に不可欠である。

B 死刑は被害者およびその家族に対する被害感情を満足させる国の代行行為である。


この機会に7〜8冊の本を読んで考えたものの、両者の主張共に頷くばかりで、存置か廃止かのいずれの立場に立つのか決定できなかった。
しかし、その中で私を立ち止まらせるものがあった。

それは、団藤重光氏の「白紙から出発の必要」を説くものである。

「『死刑の存置か廃止か』ではなく、『死刑の積極的肯定か否か』の問題である。
従来の議論は現行法に死刑制度が存在することを前提として、それをそのまま『存置』するべきか、それとも『廃止』するべきか、という形になっているが、・・・・・原点に立ち返って、これから死刑制度を設けるべきかどうか、即ち、死刑制度の肯定かどうか、という議論の建て方をしなければならない。」


そして、田宮裕氏(『犯罪と死刑』)の指摘に注目した。

「これは、理論的な解決、つまり意見の一致を見出すことの困難な深遠な問題である。その意味では、今日また明日も理論的な探求の歩みは進めなければならない。

ところが、他方、今では論点はほぼ出尽くし、ありとあらゆる理論的立場も出揃ったともいえる。
『死刑論はもはや認識の問題ではなく信仰告白の問題だ』といわれるのは、この間の事情を指す。」
          

私の考え方を深く導いてくれたのが、誤審の可能性を訴える団藤氏であった。それについて触れながら私の結論を述べたいと思う。
                           (つづく)
posted by 優子 at 07:46| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2008年09月27日

死刑存廃論 A ―8年前の発表から @―

かつて「二時の会」と称する勉強会に参加していたことは、これまでにも何度か書いたことがある。この会は毎回テーマと発表者を変えて、担当者のプレゼンテーションに始まり批評し、議論し合うものであった。

メンバーは6名、その中でも、中国語を学び続けながら中国の小説を翻訳しておられるYさん、大物主など日本書紀時代の3000枚に及ぶ長編を書き続けているSさん、カウンセリングを共に学び臨床心理士になられたYさん、そして、鳩飼さんたち4名は、際立った個性派で手厳しい論客だった。

ほかにWさん、途中から千里さんも参加して下さっていた。千里さんはとても柔和な方なので安心して批評を聴くことができ、それでいて鋭い感性を持っておられるので読書会でも気づかされることが多かった。

その2000年5月2日の会で「死刑について」と題して発表した。実はその半年か1年くらい前にも同じテーマを候補として挙げたのだが、ほぼ全員からテーマが重すぎると言われてはねつけられた経緯がある。

会の趣旨にもふさわしいテーマであるのだから、私もその時にアピールすればいいのに、時に一言も言えなくてサッと引いてしまうところは自分の嫌なところだ。

その後、再び次回のテーマが決まらずに困っていたので、再度名乗りをあげて取り挙げられたのだった。結果、全員から「良かったよ」と高評を得た。

2000年5月と言えば父が亡くなる3ヶ月前である。そんな時にこのような問題と取り組んでいたとは意外だった。

当時の読書会のテキスト名を見ると、この月のテキストは読んでいないが、翌6月は私が推薦した『リア王』になっている。ということは、「死刑存廃」に続いてシェークスピアに没入したのだった。

「死刑について」を発表するために7冊の本を読んでいる。中にはザッと目を通しただけのものもあったが、発案してから1ヵ月の間に読破してまとめたのである。週に2回とは言え父の病床に通い、心痛を抱えながらのことであった。

今ふり返ると自分でも信じられないし、当時もそんなに集中したという思いはなかった。
そうすることでしか悲しみを通り抜けることができなかったのであろうか。人は窮した時にこそ最良のものを生み出せるのかもしれない。


まずは、その時に配布したレジメを転載してその続きを考えていきたいと思う。
レジメのデータが残っていないので打ち直さねばならないが、既にパソコンでワードを打っていた。たぶん大学2回生だった次女から教わったのだろう。
前置きが長くなったが、早速レジメ冒頭の導入部分から始めたい。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

私が死刑存廃論に関心を持つようになったのは、1992年12月7日付けの新聞記事を読んだ時に始まる。
16年前に息子を殺害された米国人、ドロシアさんが死刑の廃止を訴えるために来日し、「憎しみでは心は癒せない」と、被害者の立場から、死刑の無用性を語った内容であった。

「私の一部を破壊し、大切なものを奪い去ったその男を私は憎んだ。そして、ゆっくりと苦痛を味わいながら私の目の前で死んでいくことを望んだ。私は正義を欲すのだと言った。

しかし、私の欲したのは実は復讐だった。息子の死を本当に悔やみ、私の心を癒し、気持ちの整理をつけるためには憎しみと決別する必要があった。
憎しみを持ち続ける限り、犯人は私の家庭を破壊し続ける、と感じ始めた」。


当時、ある悩み(現追記:善良な者に対して非道なことをし続ける人を赦せぬ苦しみ、その人に縛られずに解放されたいという悩み)の中にあった私は、その言葉に突き動かされた。

最愛の我が子を殺された人が、憎まないことを選んだのだ。

そして、「死刑は、何の問題解決にもならない残虐行為だ」と、死刑廃止を訴える言葉で結ばれたこの記事が、私と死刑制度存廃論との出会いであり、以来、自分の問題として考えるきっかけとなった。

死刑制度の歴史はもとより、死刑に関しては多くの書物が出ているので多方面から取りあげるのは難しく、ここでは理論的根拠から考えてみたい。

                           (つづく)

晴れ昨日と違って今朝は明るい光が降り注いでいる。
    さて、夫が帰って来るまでに掃除を済ませよう。
かわいい
posted by 優子 at 08:02| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2008年09月26日

死刑存廃論 @ ―大塚公子著『死刑』より読書メモ―

書名を見るだけで拒否反応を示し、図書館での手続きをするにも気が引けた。ブログ記事のテーマにするのも祈りつつである。
この本で取り上げられている長谷川敏彦は、愛知県と京都府で生命保険をかけた知人ら3人を殺害したもので、「半田保険金殺人事件」と呼ばれている。

死体遺棄に問われ、1993年9月21日に死刑が確定した。
共犯の一人も死刑が確定しており、もう一人は有期刑となり既に刑期を終えている(1998年10月初版発行時)。

敏彦は姉3人と兄3人がおり末っ子である。
3歳の時に母を亡くし、以後、父親は再婚もせずに7人の子供を育てた。犯罪を犯してからも、父親や姉たちだけではなく、子供の学校のことを考えて離婚した妻も敏彦を見放してはいない。

事件後、国選の青木弁護士に聖書を読んでみないかと言われて新約聖書を読み始めた。青木氏により内村牧師を紹介され、1985年8月洗礼を受ける(事件後3年後?)。
以下は、『死刑』(角川書店発行)からの読書メモである。

★永山則夫は犯行当時は19歳の少年だったことや、貧しさ故に人生で学ぶべきことも学べずに生きたことなどなど、死刑制度の是非をめぐる論争の象徴的な存在であったといえる。

★加害者が執行されたという報(しら)せさえ受けないのでは、被害者も浮かばれないのではないか。

★職員の中には、「こんな残酷な死刑制度は早くなくしてほしい」と、いう者もいるし、「死刑執行の立ち会い命令があったら、命令を拒否して辞職する」と、いう者もいる。


敏彦が母のように慕っていた次姉が自殺(1987年3月)し、この姉の死によってより深く罪の重さに気づかされていく。

★家族の者が殺された遺族の人たちの・・・悲しみ、嘆き、そして深い深い憎悪の気持ちを、敏彦が百万遍謝罪の言葉を繰り返そうとも、そうそう癒されるものではないことを知った。何度殺されても、敏彦の犯した罪は償えないものであることを、また改めて知ったのだった。

自分は何もできない、無力で、愚かな小さい生きものであることを再確認した時、敏彦は祈った。神に祈る、それだけがいまの敏彦にできる、たったひとつのことだったのだ。
「神さま、憐れみたまえ!」


「人間社会の法」は処刑されて刑を終えるが、神の前に悔い改めない限り、死後も罪は赦されず、いかなる罪もその報いは死であり、永遠の滅びに到る。
しかし、十字架を信じて悔い改める時、罪は完全に赦されて永遠の命を得る。

死刑が確定するまでに、次姉の自死、父の死、伯父の死、そして、息子の自死により、自分の犯した罪がいかに重いものであったか気づかされていく。

『百万人の福音』(キリスト教月刊誌)に掲載された敏彦の証し文を読んで、100人から手紙を受け取った。
以下はその中の「厳しいながらも、慈愛のこもった」Nさんからの手紙である。
「・・・お姉さまはどんなにか苦しまれたことでしょう。・・・
弱い者(犯罪者の家族)はますます隅に追いやられ、立ち上がることができないほど打ちのめされるのが、いわゆる世間ですね。神をのみ畏れる信仰がなかったら、とても耐えられないでしょう。

あなたは本当に、毎日心からひれ伏して懺悔の中を過ごさねばなりませんね。しかし、そこで終わったら仏教と変わらないことになります。ここでやはりイエスの死がどんなにもったいないことかがわかる訳ですよね。

『あなた(神)は、滅びの穴から、私のたましいを引き出されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました』(イザヤ書38・17)とあるように、イエスがあなたの罪を引き受けて、代わりに死んでとりなして下さったのです。

そのことをもって、神はあなたの罪を後ろに放り投げて下さったのですからね。そのことを心から受けとめる時、立っていることも座っていることもできなくて、ひれ伏して神の前にあるしかない自分というものを思わしめられるのですよね。だからもったいなくて、感謝にあふれて生きるように変えられるのです。

このようなことは、何も今書かなくてもあなたはすでに経験なさって来たことでしょうけれど、お姉さまのことを通して、もう一度新たな思いにさせられたことでしょう。

神は時に応じて、そのような試練を与えて、高慢になることや、人を裁くことから、むしろ遠ざけてくださるのでしょうか。知らず起こってくる裁く心に、神はいろいろな方法でもって戒めて下さるのですね。・・・」

「神さま、ありがとうございます。イエスさまありがとうございます。自分の胸の中にイエスさまを抱けたことで、発狂せずにすみます。」

★生命を失った被害者と、その遺族の人たちへの、いくら詫びても詫びきれぬ重荷を背負っている身には、その犯した罪を贖うためにイエスは十字架にかかったのだと知ったとき、・・・・敏彦の生命がある限り、詫び続けて、それだけというより、神も共に贖罪に懸命なのだということが、敏彦にとっては大きな励みにもなるのだった。

このような人生に導いてくれたのが国選弁護士の青木氏だった。

★死刑の執行に立ち会いますのは、検察官、検察事務官および矯正施設の長およびその配下にあります矯正施設の職員です。
執行を行うのも、当然ですが、強制施設の職員が行っております。それから、死亡の確認は、矯正施設に勤務する医師が死亡の確認をすることになっております。
執行時間は、・・大体15分から20分ぐらいの見当ではないか思っております。(1998年5月13日、衆議院法務委員会での法務省矯正局長・坂井政府委員の弁)


イギリスは1969年に死刑を廃止した。その年の世論調査では、死刑存置が85%で、廃止論者は13%。フランスもまた、圧倒的に存置論者が多い中で廃止している。

カナダでは1987年に死刑復活法案が審議された。
「当時死刑を復活せよという世論が60ないし70%あった中で、マルルーニ首相は、世論に従うのではない、あなたがた国会議員の本当の選挙民は自分たちの良心だ。自分の良心で決めなさいと言った。私は、まさにこれは国会で決める、国会議員の見識で決めるものだと思います。」とは、二見委員の弁。

下稲葉国務大臣もまた同様に、「政治的信念に基づいて国会議員が行動する。それが私は筋である」と発言している。

執行する刑務官の問題は、私もまた以前から重大問題と考えていた。
情報公開される必要性と共に、長年死刑囚と関わってきた刑務官の声が、最終的に重要な意味をもたらすのではないかと思った。
                           (つづく)
posted by 優子 at 08:09| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2008年09月25日

コスモス、蕎麦の花、彼岸花、里は秋一色。 蕎麦の花は臭かった!

奈良県桜井市にある笠山荒神の里は、蕎麦の花が満開だった。
13日に御夫妻で行って来られたNさんは、私にも見せてあげたいからと、今日の生協の荷受けを終えて12時半頃から出発することになっていた。

そんな今朝、久々に読書会のDさんからお電話を頂き、ランチのお誘いを受けたのでDさんもお誘いして3人で行くことになった。Dさんは何年か前に一度だけ家庭集会に来て下さったことがあるので、Nさんとも面識があったからだ。

蕎麦畑は白い花が満開だった。
お蕎麦を食べていた時はわからなかったが、蕎麦畑で途中下車した瞬間に「田舎の香水の臭いがする」と言ってしまった。
今まで「蕎麦の花がきれいだったよ」とは聞いても、蕎麦の花が臭いとは聞いたことがなかったのでビックリした。まるで、馬や牛小屋の臭いそっくりだ。蕎麦畑の近くに行かないとわからないから、知らない人が意外に多いのかもしれない。

麺類が大好きな私は、ラーメンよりもうどんと蕎麦が好き。
しかも、どちらかと言えばうどんの方が好きだったのに、今年からは蕎麦中毒なほどに蕎麦ばかりを食べている。しかし、蕎麦の花の匂いを知ったから蕎麦嫌いにならないだろうか。

気軽に外出されるNさんご夫妻は、20日の土曜日に行かれたところなのに、彼岸花がきれいだったからと飛鳥村もドライブして下さった。
今では「亀石」と「石舞台」が有料になっているとお聞きして、これまたびっくり!石舞台は外から見えなくなっていた。

黄金色の棚田の稲田に赤い彼岸花。里村の風景は本当に美しかった。創作の案山子がたくさん立っていた。

先月から毎月一回、Nさんとランチに出かけている。
来月は葛城山のロープウェーに連れて行って頂くことになっている。Dさんもお邪魔でなかったらと乗り気だから、レギュラーメンバーになりそうだ。

たった今、東京出張だった夫が帰って来た。
明朝は有馬まで運転するので早く寝てもらわないと心配だ。ゴルフのあとは有馬温泉泊まりなので私一人になるが、チャッピーがいるので心強い。
夫は明日の有馬行きを来月末と勘違いしていたので、来月末の星野富弘さんの講演会にはゆっくり行ってもらえそうだ。

posted by 優子 at 21:53| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年09月24日

「一般的な感覚」と、発言することの大切さ

来年5月から始まる裁判員制度を前にして、以前から関心を持っていた死刑存廃問題について再び考えさせられている。
昨年初めに民生委員会から大阪高等裁判所を見学した時のことは、過去ログ2007年2月10日から12日に書いた4つの記事に見ることができる。(カテゴリ「社会問題」)

その時の裁判官の説明で最も印象に残っているのが、法律の専門家ではない国民の「一般的な感覚」を参考にしたいというものだった。
これはどの分野においてもとても大切なことで、22日の「人間は社会的存在である」で述べたことにも関連することだと感じている。


著しい医学の進歩により生命倫理が問われ始めた時、医学には関係のない知識人も加わって生命倫理委員会が設置されたのと一脈通じるものがある。これはどの分野でも例外なく大切なことであろう。

先週の北越製紙工場見学の折に、例話になるふさわしい出来事があった。
見学したあとで感想や質問を求められた時、どなたも発言されずシーンとした中だったが、知りたいことがあったのでせっかく来たのだからと挙手した時のことである。

私のように全く知識のない者にとっては、「N9」マシンに入る前段階の木材からパルプになる行程についてもまた、興味深くて聞いてみたいことがたくさんあった。そういった説明が全くなかったので、木材チップについてのみ尋ねることにした。

自然環境を損なわないために、100パーセントを植林木を使っていることに感動したこと。ついては、チップとなる木材の種類は決まっているのか、そして、チップの配合により紙のできばえが違うのかという点について尋ねてみたのだった。

そして、その夜の夕食会でのことだった。
私が驚いたのは、その質問について北越製紙の常務さんが仰ったことだった。
私たちは接待される立場であるから、持ち上げて下さっているのは重々承知の上だが、「いい質問をして下さった。担当者が返答に困っていたように、我々内部の者には気がつかないような質問であり、説明が良くない」というような内容だった。

私には意外な驚きと嬉しさと共に、仰ったことの中に私が大切な視点としている「一般的な感覚」の重要性に気づかれていることに一目置いたのである。


他にももうお一人が同じようなことを仰って下さったのに、代理店の方だったのか、卸しの方だったのかさえ覚えていない(><)。

お互いに一般的な感じ方を知るためには、互いに感じたことや考えていることがあれば発言することから始まる。
発言するためには主体的であらねばならず、傍観者的に生きていてはダメだ。斯く言う私も現状の教会生活において自戒をこめて書いている。
また、発言した者を排除するような組織ならば不健全な組織であり、いつしか自分自身の精神的健康を損なう危険性もあるので注意が必要だ。

さて、この話が裁判員制度や死刑存廃論にどう関係するのと問われそうだが、これこそが私が問題にしようとしていることの中枢である。
即ち、門外漢の意見は多いに参考になるということだ。


かつての勉強会で「死刑制度存廃論」について発表したことがある。今回は反対の立場から考えてみたく死刑囚についての本を読み始めている。まだ1冊読んだところであるが実に難しい問題だ。

裁判員制度で我々が扱う対象事件は、「死刑又は無期の懲役・禁錮に当たる罪に関する事件(法2条1項1号) 」と「故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪に関するもの(同項2号)」という重罪事件であるから、全ての国民が関心をもって備え始めなければならないことであろう。

時には中断しながらも、ブログ上に私なりに考察したものを述べ、最後に聖書ではどのように考えるのかを考えてみたいと思う。




posted by 優子 at 15:54| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2008年09月23日

ユキちゃん、遊園地へ行く

今日はユキにとっては冒険でした。
沢山歩いたのでぐずったけれど、6時半からもう寝てしまいました!!宝山寺まで家から歩き、ケーブルに乗って(生駒)山上へ。
初めてSL機関車に乗せてあげました。
2周するだけで300円、昔は幼児向けの乗り物など見向きもしなかった。親として遊園地に連れて行ってあげるという夢が、生まれて初めて叶いました。

生駒山@.jpg

生駒山A.jpg

疲れたら絶対歩かずしゃがんで泣く、という体験もしたよ!
何とベビーカーなしで、おんぶひもだけで急な山道も行ったのです。しかし園内はずっと歩いたり抱っこでユキもかなり楽しんでたよ!

その後、乗り物のすごい音の中、ござの上で半時間熟睡した坊ちゃんでした(〜〜)

知ちゃん、おかしくて笑ってしまったよ。
順境の日々を生かされている知ちゃんの顔を見て、直ぐにこの聖句が浮かんだよ。
「順境の日は楽しめ。逆境の日には考えよ。
神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。」
               
               (伝道の書 7章14節)
順境の時は感謝して楽しみなさい。
子育ては何にも優る尊い偉業。
神さまから預かった我が子を育てる日々は最高の喜び。
苦労も多いけれど、こんなに楽しませてくれて喜びが溢れているね。
楽しいメール便をありがとう!

長女たちは20日土曜日の午後は、放出教会の秋の伝道集会へ参加した。メッセージとバイオリンの演奏、そして、ティーパーティの交わりが、しみじみよかったと月曜日に電話してきてくれた。

しかも、その後、婿の実家がある京都へ向かう予定だったが、谷口先生が電車で来られていたというので、先に先生をお宅までお送りできたことを心から喜んでいた。
「神さまの御用をしたんやね」と私も嬉しくて、娘夫婦がそのことを喜んでいることもまた2重に嬉しくて感謝した。

家田(婿の父)さんは無事に退院されたが、足首にはギブスがはめられており、血液の循環が悪いためにふくらはぎが腫れているというのだ。
まもなくギブスも取れるらしいが、辛い日々を過ごしておられるので、孫の姿は大きな励ましになったことだろう。

家田さんたちは、娘たちに地元の運動会に是非参加してほしいというのだが、残念ながら21日の京都は朝から雨で28日に順延されたとのこと。来週は晴れになりますように!

今日は気持ちのいい秋晴れだった。
私たち夫婦は、朝から義母と義弟達と5人で藤本の墓参に行き、帰宅してからも母屋で団欒の時を過していた。

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」
ここまで導かれてきたことを感謝し、これからはもっと義母との時を大切にしたいと思っている。

真智へ:
お姉ちゃんたちの服装を見たでしょ。朝晩は17〜19度(奈良)になっているけれど、お昼は今もこんな感じです。今日の最高気温は28度くらいだったかな?

14日のスカイプで、ミネソタでは5度って言ってたよね。
こちらもこれからは雨が降るごとに気温が低くなっていくそうです。
2人とも体に気をつけて、特に睡眠時間をタップリね!
posted by 優子 at 22:40| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年09月22日

人間は社会的存在である

このたびの旅行で広い社会に触れてリフレッシュされた。どうやら今の生活スタイルに息苦しさを感じていたようだ。

というのは、これまでのあまりに忙しすぎた日々に終止符を打ち、今春からは自分の最もやりたいことに焦点をあてて研鑽を積んで行くことにしたのだが、当然のことながら人との交わりが急減し、関わりの殆どが教会関係の人たちだけになっていた。
生活の場の全てが同質の中だけであったことと、それ以上に活動の場をなくしてしまっていることに閉塞感を感じ始めていたのだと思う。

そういえば最近の私はよく、「男の人はいいね。自分を磨ける場所があるから」と、夫に言っていた。不平不満ではなくて社会と関わりたいという気持ちから言っていた。


この旅行は同業界の方々なので多少の気遣いがあるものの、初めて参加した時からいい雰囲気にすっかり溶け込んで楽しくさせて頂いている。

ところが、今回は大きな衝撃を受けたのだ。
ところがまた、それが何なのか、どのような衝撃なのか自分ではわからなくて、旅行について書きたいのに全く書けなくて、先の2つの記事を書くにも何と筆が重かったことか。


あまりに文章が書けないので呆けてきたのかと心配するほどだった。しかも長い時間をかけて漸く書いたものの、20日の記事を翌朝に読み返すと冒頭部分があまりに唐突であり、意味不明な文章なので書き直した。
ようやく得体の知れない気持ちの正体がわかったのでペンが走り出した。

信仰をもって一般社会で活動するのがふさわしいだろう。
同質の人たちとだけでは視野が狭くなり、全体が見えなくなる危険性がある。異質の人たちとの中でこそ信仰が練られ、自分らしさが育っていく。

家庭を治めているだけでも責任を果たしていることになるのだろうが、もっと直に、他者との関わりの場を持たなくてはダメだ。

勿論、私に与えられた文書伝道を何よりも大切にしたいので、今までのように忙しすぎては元の木阿弥になってしまう。
それゆえに多少の無理を聞いてもらえるであろう夫の会社で、何か私にふさわしい仕事を与えて欲しいと求めているのであるが、未だ仕事をもらえないでいる。
 

旅行の2次会の席で、私は長老のK氏に、「女性(専業主婦)と違って男性は大変ですけれど、自分の能力を磨くことができていいですね」と言った時、「いやぁ、妻が男だったら仕事ができる人間やと思いますわ」と夫が言い放ったから驚いた。「そんなふうに思ってくれてるん?!」と、私は心の中で喜びの声を上げた。(それならば私を採用して!)

夫は多くの人との関わりを通していろんな人を見てきているので、今では夫のことを父のように一目置いている。その夫にこのようなことを言われて嬉しかった。思いもかけないところで伴侶の気持ちを確かめられるものである。

この旅行では夕食の時だけ席が定められており、このたびは北越製紙の新社長と丸大紙業の新社長にはさまれての席だった。
クリスチャンにとっては高いも低いもなく、そのようなことは意に介しないが、紙の売上高からだとこのような高い席にはならないだろうから驚いたものだ。

夫は何も話してくれないのでわからないが、業界でも重い役にあるようだ。60歳代は油が乗り切っている時なのだ。
同業会においてもますます重責に就かねばならぬ状況になっている。経営至難な時代ゆえに、これ以上自社のことができなくなっては困ると頭を抱えている。

「この旅行の感想や気がついたことを(メーカーや代理店の)HPからメールで書こうかな」と言った時も、「それはええな、喜びはるで」と言うところが夫の好きなところであり、いいところである。
少々大げさに言えば個が確立しているからであろうし、意欲をつぶさないのはリーダーの大切な資質だ。

仕事関係の方々との交わりは、私にとってリフレッシュされるからありがたい。
妻の務めをおろそかにしてばかりで反省しきりであるが、今の気持ちが失われてきた時には製紙工場で写した記念写真を見よう。夫が存分に仕事ができるように内助の功を務めていきたいと思う。

主よ、これからも御手に委ねます。
まず私があなたの御声に従うことができますように。そして、夫にあなたの栄光が現れるまでにお導きください。










posted by 優子 at 21:43| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2008年09月20日

飛行機の話

先日の伊丹空港で飛行機が動き出した時、目に入った見送りデッキは新婚旅行の時と同じだった。あの角のところだ、父が立っていたのは。

藤本とは7回目のお見合いだった。2度目のデートの時に、「新婚旅行は北海道へ行こうと思うので旅館をとらないと」と夫が言ったので、さあ大変。私は次のデートで勇気を出して聞いた。「新婚旅行はアメリカへ行きたいのですが」と。

すると夫は「いいですよ」と、いとも簡単に答えたので驚いた。私はアメリカがダメならこの縁談を断ってもらおうと思うほど、若い頃はアメリカに憧れていたから大喜びだった。
こうして夫もまた7度目のお見合いで結ばれたのである。

新婚旅行に出発する私たちを見送るために、父は角のところに立って、いつまでもいつまでも大きく両手を振っていた。
新潟へ向かう飛行機の中から、誰もいないデッキに父の姿を重ねて見ていた。もう32年も前のことだ。


まもなく飛行機は向きを変え、いよいよ離陸するために高速度で走り出した。昔はこの迫力にこそ感動したのに、今では恐怖に変わってしまっている。

離陸した瞬間からジェットコースターに乗っているような恐怖だった。向田邦子さんが飛行機事故で亡くなり、御巣鷹山の日航機墜落事故からすっかり怖くなってしまった。

落ちるかもしれないという怖さだけではなく、ひどい高所恐怖症なのだ。私はずっと夫の手を握りしめていた。手のひらは汗でビッショリ。そのうち手を放されてしまったので、今度は夫のズボンを握りしめていた。

良いお天気だったから地上がよく見えたので余計に怖かった。「あれが生駒山やな。・・・あそこに通天閣が見える」と夫が言うので、勇気を奮って通天閣を捜した。

この地上で全ての営みをしているのだ。
残虐な迫害も、北朝鮮で30年以上も拉致されたままだとは信じられない。人間は何と愚かなことか・・と、かなり小さくなった地上を悲しく見ていた。

雲を突き抜けると真っ青な空だった。
システィナ礼拝堂に描かれたミケランジェロの絵(最後の審判)の空色を思い出させ、手を伸ばせば天に届きそうな気がした。
天地を創造された神を想い、礼拝堂の天井に描かれている「アダムの創造」の御手が出てきそうだった。私は飛行機に乗っていることを忘れるために、そんなことに思いを馳せていた。


離陸後12分ほど経ってから少し落ち着いてきた。
「しかし、これではあかん。アメリカへは行かれへん」と思った。ホッとした時には立山アルペンルートと「お釜」が見え、ようやくお尻のあたりのこそばゆい感じも消えた。離陸後22分経っていた。
無事に新潟空港へ着陸した時には手を叩きかけたが、周囲の人々の無感動で淡々とした雰囲気に喜びを抑えて神に感謝した。

帰りは窓側の席には座るまいと思ったが、隣りの人への気遣いもしんどいので再び窓側に座ったものだから、「怖いんやったら目をつむっとき」と夫に言われた。(よく理解してくれている)

しかし、私は人間の英知の凄さにも驚いている。
こんな重い物体が空を飛ぶなんて!!!
飛行機の乗り心地は32年前も同じで、サービスは今よりも良かったくらいだ。違っているのは情緒豊かなタラップを上り下りしていたことくらいだろうか。言葉にならないほど飛行機に感動しているのも私だけだろう。


憧れのアメリカへ行けたのはいいが、未だ北海道へ行っていない。








posted by 優子 at 23:38| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2008年09月19日

新潟は暑かった!北越製紙工場へ新マシン見学

17・18日は「関西北越会」の旅行で新潟へ行って来た。
この会は、北越製紙の紙を販売している大阪、京都、四国、岡山、広島、富山・・などの卸会社(社長・あるいは会長夫妻)と、メーカー、代理店3者の親睦旅行である。
新潟空港で東京の方々と合流して、計17社、総勢34名のメンバーだった。

31回目の今回は、北越製紙が誇る世界最大級の最新鋭機、「9号抄紙機(通称N9)」の見学だった。総全長が264メートル、幅10.7メートル、夫の表現を借りれば、まさしく軍艦のようである。

1分間に1600メートル、時速にして100キロ程度のスピードで動いている。今までは紙のつや付けは別にしていたが、一気に製品まで仕上げてしまう世界最新の機種だそうだ。
これは工場長の有能な技術設計により造られたフィンランドの機械である。

「N9」は、1日に1000トン、年間35万トンの紙を生産している。できたてホヤホヤの紙を機械からちぎって下さった時、私はうっかり口に入れそうになったほど感激していた。

総工費550億円、ほかに700億円投入されているとも聞いた。7月から試運転に入り1年3ヶ月をかけて完成し、9月1日から稼動している。
この「N9」が生まれるまでには、多くのストーリーがあったことだろう。「N」には「新潟」と「新しい(NEW)」の意味が込められている。

見学に先立っての説明会場では紅白の垂れ幕が張られていた。私たち「関西北越会」が初めての見学者で、今日は日本製紙の方々を迎えておられるらしい。

見学後、信濃川に架かる萬代橋たもとにあるホテル・オークラへ向かった。総会が開かれている間は、夫が帰ってくるまでベッドに横になり、スーツとパンプス姿にチェンジしてロビーに向かった。

伊丹空港のレストランでどなたかが仰っていた通り、この会は超グルメ旅行である。夕食はバスに乗って、新潟を代表する老舗料亭「行形亭(いきなりや)」へ連れて行って頂いた。

行形亭は300余年前からというから、創業は江戸時代に遡る。140畳の広間に通される時、夫は「つるや」(京都の老舗)みたいだとお仲間と話していた。
毎年三菱製紙の新年会は「つるや」で開かれ、今では舞子さんとの写真もいっぱい。今回は私も極上のお料理と芸者さんに感激した。

2年前のTOB問題(カテゴリ「美濃紙業関連」)で時の人となった北越製紙の三輪社長は、今年初めの古紙偽装問題に責任を取って退陣された。しかし、今回も出席されたし、名社長だから今後も来られることだろう。

夫は煙草を吸わないしアルコールも苦手だが、乾杯した「北越の風」は口当たりがまろやかで、「これなら私たちにもいけるね」と美味しく頂いた。
新社長就任祝いのお返しで送って頂いた「北越の風」は、三輪社長が命名されたものだ。

2次会はホテルのバーを貸し切りで、カラオケなど必要ないほどに早々から歓談の花が咲き、ようやく最後のほうでカラオケを添えたという感じだった。
私は乾杯のお酒だけしか頂かなかったのに喉が渇いて、ソフトドリンクを3杯も飲み干した。

明日ゴルフに行く人は朝が早い。
夫によれば、私も今回で3回目の参加だから妻の守りはいいだろうということでゴルフ組に復帰し、私は観光組にと夫婦別行動になった。
ゴルフコースは紫雲ゴルフ倶楽部で、来月初めに女子のトーナメントが予定されているとか。それに先立って何とかいう名前のプロが練習に来ていたとのこと。

さて、観光組は15名。
阿賀野川ライン舟下りも最高なら、北方(ほっぽう)文化博物館の驚きも最強だった。江戸時代中期に身を起こし、代を重ねてついには越後一の豪農になった館である。
驚くことなかれ全室60部屋、13〜15名の家族に50〜60名の従業員。毎朝炊くお米が1俵(60キロ)だったとは!


昼食は五十嵐邸ガーデンで西洋懐石料理を頂き、清水園・足軽長屋を経て新潟空港へ。ゴルフ組と同時に到着したのだった。

「あそこはどのくらい(北越から紙を)こ(買)うてる?」
「40億くらいかな」
「うちは?」
「○○億ぐらいかな」
「少ないなぁ」
「あそこは北越主流でやってるからな」
「そしたら会社の規模はどちらが大きい?」
「向こうやな」
「(>_<)」

仕事の厳しさを感じ、夫の苦労も全く知らないで生活を守られてきたことに気づかされる旅行でもあった。
感じたこと、考えたことは疲れを癒してから書きたい。

新潟は暑かった!
暑いだけではなく台風13号の影響もほど遠く、帽子や日傘が要った。出発時から雨を覚悟していたが帰宅するまで雨に降られずに、上六で夕食を済ませて9時半頃帰宅した。

今回初めて義母にチャッピーの餌をお願いできたので安心して出かけたものの、私たちが帰宅するまで40時間も排泄を我慢していた。
実に体に悪い。小屋の近くでしてくれていると思ったのに!
夫は翌日仕事があるので、タクシーから飛び降りた私は家の中にも入らずにチャッピーを連れて出たのだった。

今朝一番に長女から「お帰り!」コールがあり、10時半にはゴルフクラブも新潟から戻って来た。
参加費5万円、お土産代として1万円頂いたので実質4万円で、こんなにリッチな旅行とは毎年ながら感謝。

感謝録:
旅行のお世話して下さった代理店の丸大紙業様、特に大阪支店長とMさん、お疲れ様でした。
写真を楽しみにしています。
Mさん、御社のHPを拝見させて頂きますね!

今後は美濃紙業のHPをもっと個性的進展をもくろんでいる私は、「給与はいらないから私にさせて!取材が必要な時の交通費だけでいいから」と、昨夜の夕食時に夫を説得していたのだった(笑)。




posted by 優子 at 14:10| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2008年09月17日

「きょうの祈り」より

「イエスの焼き印をこの身に帯びている」
             (ガラテヤ人への手紙 6章17節)

在天の神さま。地上はまだあなたの再臨を待たず、いばらとあざみの生える所です。あなたに召された者らは、至る所で、いばらの針やあざみの刺で傷ついています。

国外では宣教師が迫害されたとか、あなたを信ずる者が投獄されたとか、と耳にします。痛ましいことです。
国内においても、兄弟たちが親や上司の無理解や友人同僚の誤解で、信仰生活を非難されたとか、仲間はずれにされたとか、と聞いて胸を打ちます。

でも、その主にある先輩や友たちにお教えください。それが主に在る者の祝福だということを。それが主イエス・キリストご自身の道のりだったということを。

そして、「私は、この身に、イエスの焼き印を帯びている」のだと、誇らせて下さいますように。

          マイアーの『きょうの祈り』9月18日より

いつも主が私を支えて下さっていることを忘れないで、我が宝である魂を磨いていきたいと思う。

あなたの上に神の豊かな祝福がありますように!


posted by 優子 at 05:21| 引用文 | 更新情報をチェックする

2008年09月16日

迫害は未だ治まらず

12日夜にインド・オリッサの迫害を知り、直ぐに牧師にメールしたもののブログ上には掲載しなかった。
まず牧師に尋ねることで、私なりに真偽を確かめてからと思ったからだが、検索を通して誤報でないことがわかったので、当ブログからも祈りの要請をお願いした次第だ。

インドの迫害について、私の見ている限りにおいては日本のメディアでは取りあげていないようだ。ただ、サンケイ新聞だけが9月9日付け紙面で報道していたことを知った。

このような時こそインターネットという利器を利用せぬ手はない。今こそ自身のブログを役立てることができる。
1日のアクセス数が僅か130〜140、訪問者が60人ほどのささやかなブログだが、主が用いて下さると信じている。

『クリスチャントゥディ』によれば、16日14:26分更新の最新状況においても未だ沈静化されていないとのことである。
以下は関連サイト記事からの情報である。

「暴力の発端となったヒンドゥー教指導者の殺害について地元警察は、毛沢東主義の反抗勢力によるものとしている。
しかし、世界ヒンドゥー機関(WHO)の幹部であるスバッシュ・チャウハン氏らが、キリスト教過激派にその責任があるなどと主張しているため、今回のキリスト教徒に対する暴力を助長するかたちとなっている。」

「これまでに1万3000人のキリスト教徒が政府の避難キャンプへの移動や、周辺の森林へ隠れるなどの避難を強いられている。」 


オリッサ州責任者ジュリア・バーダン氏(インド宣教に重点を置いた活動を展開しているキリスト教団体「ゴスペル・フォー・アジア」)は、
聖職者も迫害を受けていることを明らかにする一方、「多くの牧師たちは、『彼らが私たちを殺しても問題ありません』と語った。これによって何千人もの人がキリストの元に来るのですから」と、多くの聖職者たちが迫害をキリストの苦難を分かち合うための機会として見なしていることを語った。

バーダン氏はまた、オリッサ州では数十年にわたってキリスト教徒に対する迫害が続いているが、キリスト教が発展し続けていることについても言及し、「励ましとなるのは、人口の2%しかいなかったキリスト者が今では28%にまで増えていることを、攻撃している人々も知っていることだ」と語った。

「主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、あなたを見放さず、見捨てられないであろう。
恐れてはならない。おののいてはならない。」


                (申命記 31章8節)

一刻も早くインド政府が即時停止命令を発令し、警察力により鎮圧されるように。そして、恐怖の中を逃げ惑う人々を主の聖霊で満たして、恐れを消し去って下さるように。
キリスト者が決して報復の連鎖に出ないで、勝利させて下さるように祈ろう!
posted by 優子 at 16:30| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

「しかし、キリストがいる!」

「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。・・・
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。


13日の家庭集会で、この聖書拝読箇所を読んだ時、私の脳裡にインドでの迫害がよぎった。

イエスさまはこのところで「迫害は一時的であるが天国は永遠である」と言われたのである。
そして別のところでは、「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」と仰っている。

しかし、暴力は怖い。
私は迫害に耐えられるのか!

第2次世界大戦中のドイツで、ミュンヘンの大学生であったハンス・ショルと妹のゾフィー・ショルを中心に、非暴力主義でナチスに抵抗した彼らは、ゲシュタポにより逮捕されてギロチンで処刑された。

医学生のハンス・ショル、その妹ゾフィーは生物学・哲学学生、そして、医学生2人と心理学・哲学教授の5名は、悲劇の歴史に記録されている「白バラ運動」の人たちである。
私は若い頃(1975年3月末・24歳)に読んで以来、今も鮮明に記憶している悲しみだ。

「おおゾフィー、あなたはまだ知らないのだ、人間がどれほど臆病な家畜であるかを。」

「神があなたについていらっしゃるように、ゾフィー」
「神よ、あなたに力を与え、今もなお耐えぬかしたまえ。」

「1分1分が永遠の長さである。私は時計を回転させたい、早くいっそう早く。あなたがたが苦しみのきわみをのりこえてしまうように。しかしテンポ正しく1分ずつ流れてゆく。
やっと5時・・・5時4分・・・5時8分・・・」


「あなたがぼくを生んでくださったことを感謝します。
ぼくがふり返ってみると、この生こそは神への唯一の道だったのです。ぼくはあなたがたより一足先に去り、あなたがたをりっぱにお迎えする準備をしましょう・・・」

「沈思すれば考えはいつも断末魔の苦しみに終わる。
もしもキリストが此の地上に生まれてそして死ぬことがなかったとすれば、僕の逃れる道は全くあるまい。
そのように泣いてみても、悲惨と無意味には変わりないであろう。ただ頭を到るところ壁にぶち当て、脳味噌を叩きつぶす外はないだろう。しかし、キリストがいる!

「ぼくはもう憎しみを持っていない。ぼくはいっさいをのり越えたのです。」


ゾフィーもまた女看守に連れ出された時も、・・・それは終わりまで、最後の瞬間までつづく、言いようもない人生の肯定だったのです。・・・
この数日、彼女の大きな憂いは、母親が同時に2人の子どもの死を耐えるだろうか、ということでした。けれども今、母がこんなに気丈に立っているので、ゾフィーは救われた気持ちになったのです。・・

「どの子もみんな神さまが導いて下さる」
「ねえ、ゾフィー、イエスさまのことを(忘れないで)ね。」

「ええ、しかしお母さんもね。」

もはや涙でキーボードが見えなくなってしまったので、このくらいにしよう。彼らもまた、キリストを憎みぬいたヒトラーにより殉教の死を遂げたのである。
では、聖書は艱難と迫害をどのように教えているのであろうか。私の座右の書の一冊にしている黒崎幸吉著(昭和8年初版発行)によれば、

艱難は世の不信に対する神の審判として地上に臨むにも関わらず、これはキリスト者にも臨み、苦しみを与える。
迫害は、キリスト者に対するこの世の審判であるにも関わらず、これによって異邦に福音(イエスの教え)が宣(の)べ伝えられて彼らの救いとなる。
要するに、キリスト者はこの世の悪のためにも、また、その益のためにも苦しまなければならない。この世の人々を愛し、これがために苦しむことは主イエスの道であった。これがキリスト者の踏む道程である。

これを受けて私はこう考えている。
キリスト者の迫害を知り、キリストの教え、あるいは、クリスチャンに関心をもつ人がいるだろう。そして、何故このような残虐なことをするのかと真剣に心を痛める人々、その中のたった一人の人であったとしても、滅びゆく魂が救い出されるならば大いなる喜びなのだ。
私は今回のようなニュースが報道されるたびに、そんなことを思いながら耐えている。


21世紀に入ってテロが世界の現実となった。
1999年の秋に娘たちとヨーロッパへ行った時も、2004年に長女とイタリアへ行った時も、私は機内持ち込み用のショルダーバッグは、内側を外側にして持つことにした。

そのショルダーバッグには、「I 黒ハート Jesus」と書かれた布のワッペンを縫い付けてあるので、キリストを憎む者を恐れたからだ。
このような弱い腰抜けの私だからこそ、ゾフィーやハンスたちの勇敢さに圧倒されたのだ。

特に今、一刻も早くインドでの迫害が終わるように。
神の御心が成り、迫害に苦しむ者たちに御心を耐え抜かせたまえと祈るばかりである。
posted by 優子 at 21:29| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年09月14日

インドのクリスチャンたちが激しい迫害に!

今、インド東海岸のオリッサ州で、クリスチャンへの激しい迫害が起こっています。
私は12日夜に『光の中を歩め』のブログで知りました。
早速、コピーして福野牧師にもお知らせしましたが、返信を頂けなかったので、アンソニー師(南大阪福音教会に関わりの深いインドの牧師)とも連絡がとれないほどの状況なのかと心配していました。

幸いにして今日の午後、牧師にお目にかかったので一言ふたことの短いやりとりでしたが、直接お訪ねしたのでした。
福野牧師にメールは届いていたようですが、返信が頂けなかったのは残念です。今日の南大阪の教会週報には、アンソニー師からとりなしの祈りの要請が記載されていました。

以下は、『光の中を歩め』(9月12日付け)記事より入手したものです。とりなしの祈りをお願いします。

祈ってほしいのは、オリッサという州で起きている、クリスチャンの迫害についてです。
ヒンズー原理主義者の武装集団が次々に教会を燃やし、クリスチャンを襲っています。
教会やクリスチャンの家に火がつけられ、男性は縛られ、3歳以上の女性は全員レイプされてから殺され、それを男性は目撃させられてから、殺されます。人間が生きたままガソリンをかけられて火をつけられています。

体をバラバラに切断されたクリスチャンもいます。犯行は計画的で、オリッサからクリスチャンが逃げられないように交通網も遮断されているそうです。クリスチャンができるのは森に逃げることだけですが、森には毒蛇や猛獣がいて非常に危険です。

これほどのひどい迫害は、最近にもあまり類を見ないそうです。
インドの警察や政府は、ヒンズー寄りの世論で動くので、事がいったん収まるまでは何の行動もおこしません。

オリッサで始まったこの迫害は、他の州にも飛び火していて、デリーからそう遠くない場所でも教会が燃やされました。
僕がいまいるデリーでいつ同じことが起こってもおかしくないそうです。

明日、ニュージェネレーションチャーチという教会が主催する、この暴力問題に対して社会に呼びかけるイベントに、僕は参加してきます。
とりなしの祈りの集会にも何度か参加しました。
デモ行進も行われており、それにも参加しました。

ニュージェネレーションチャーチの牧師は、迫害を通してクリスチャンが強められ、福音が広まるような迫害もあるが、今回のはそうではない、と示されていると言いました。

今回のは単なる暴力であり、政府の傍観であり、人々の無関心であり、何より、サタンのなせる業だと。
われわれはこれが止むように祈る必要があると。

天使を遣わして神様がクリスチャンを守ってくださるように、家や家族を失ったクリスチャンたちを励ましてくださるように。
またこのことを通して、インドという国の抱える問題の深い部分に神がメスを入れてくださるように、日本のクリスチャンのみなさんにも祈っていただけると幸いです。

よろしくお願いします。

とくに重荷に感じた方は、メールでまわしていただいて祈っていただくと、とても感謝です。
                陣内俊
追伸
英語のクリスチャントゥデイによると300以上の教会が壊され約50人が殺さ れ約5万人が森に逃げているそうです!

かつて、日本でもキリスト教徒への激しい迫害があり、60数年前の戦時中にも弾圧、迫害がありました。
私も祈りの連鎖の輪に加わって祈ります。

以下は今日の日記:

今日の午後は「香芝ファミリーセンター」の聖別式に臨んだ。
過日、お邪魔したスー先生が滞在されている所で、かつての「神の愛チャペル」だ。私は未だに香芝の教会状況を詳しく知らないのだが、マグナー師はスー先生とは全く関係ない方とのこと。

召命を受けてこの地域の人々に、特に子供たちから家族へと福音を伝える働きをされるとのこと。教会ではなくプレチャーチのようなものだろう。
そして、RCI(リバイバル・チャーチ・インターナショナルの略。南大阪福音教会)の傘下に入られたので、福野牧師も来られたわけだ。このほか、生駒にある日本ミッションの??氏と奈良福音教会牧師も外国の方で、国際色豊かな顔ぶれだった。

ついでながら、9月11日のご案内を再掲載させて頂きます。
日本クリスチャンペンクラブのホームページに私の証し文章が掲載されました。
ここには毎月3名のお証しが掲載され、1ヶ月ごとに更新されますので、是非この機会にペンクラブのHPを訪ねて頂き、これからも時々、覗いて下さると嬉しいです。

このブログ画面の右側にある「お気に入りリンク」「クリスチャンペンクラブ」をクリックして頂き、出てきた画面の「ENTER」をクリックして頂くと、いろいろな案内表示が出てきます。
そこにあります「NEW」(動いているので直ぐにわかります)のところです。

公開されているうちにお読み下さり、今後も時々覗いて下されば嬉しいです。
posted by 優子 at 20:18| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年09月13日

心の貧しい人、悲しんでいる人は幸いである

今朝の谷口先生宅の家庭集会は、定刻よりも30分遅れの11時から始まった。
と言うのは阪奈道路が渋滞で、私たちも帝塚山から阪奈道路に入った瞬間から渋滞に巻き込まれ、そこから10分ほどで行けるのに30分もかかって10時40分に到着。薮野先生が運転される放出教会の方々も55分頃に到着されたのだった。

最初に新聖歌272番を18名一同で力強く讃美し、いつものように谷口先生のお言葉から始まった。以下はその概要である。

収穫の秋が近くなりましたが、自分のことだけで精一杯で愛のない者であったことを反省します。
イエスさまは漁をした弟子たちに、「何か収穫はあったか?」と聞かれます。私たちは神さまの前に収穫のない者で、自分の力では何もできません。

「実を豊かに残らせるために、あなたを選んだんだよ」と仰るイエスさまに、「私にも実を結ばせて下さい」と御前に心を低うして御言葉を伺いたいと思います。

目には見えませんが、キリストがここに立って下さっていますから、このお方さまの声を聴いて下さい。人間の声ではだめですが、神さまが今日、私に何を語ろうとしておられるか聴きたいと思います。受け容れたいと思います。

次に吉見兄(きょうだい)(大阪府立天王寺高校で教師をしておられる)が、集会に先立って祈られた。
私たちは今、悩みや心配事を十字架のもとに置きます。それぞれを気にかかっていることから解き放って下さり、集わせて下さったことを感謝します。

今日でなければ聴くことのできないみことばを、心深くで「アーメン」と受け止めることができますように。私たちの弱いところ、欠けたるところを聖霊で満たして下さい。

マタイによる福音書の5章から7章は、「山上の垂訓」と呼ばれているところで、イエスさまの言葉がまとめられている。
今日は5章1節から12節までを1節ずつ輪読した。
イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。

こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。


わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

下線部分はあまりにも有名な部分である。ここに薮野牧師の説教のあらましを刻み、神の恵みをお分かちしたい。

このところに、何度も「幸いである」という祝福の言葉があり、私たちに届けられている。
神さま、イエスさまは、私たちに幸いな人生を歩んでほしいと願っておられる。ところが、現実は自分の描いた幸せとはほど遠い現実にある。

なぜ、心の貧しい人や悲しんでいる人が幸いなのか。
それは、神さまに頼る以外は頼るすべがないと思いあぐねている人である。今は昔と違って、神さま以外で問題や課題を解決できるかもしれない。

例えば医学の進歩は著しく、神に頼るよりは医者となるだろうが、それでさえ限界を知らされた時に、我々は心から「神さま、助けて下さい」と叫ぶのではないか。

このような極限に置かれた時の状態が心の貧しい人だと考えられる。それが神さまに向かうことができる幸いであるというのだ。

「天国」とは「神の国」の意味であり、神のご支配がその人に届いているということである。

人の言葉は約束してもできない時がある。例えば、今朝の道路渋滞というような不可抗力ではあっても、約束通り10時半に間に合わなかった。

このように人の言葉は当てにならないが、イエスさまの言葉は神さまが語っているのであるから、必ずその通りになっていく力のある言葉である。信じて受け容れるならばそのようになっていく。

「幸いである」と言われた言葉が虚しくならないように、その通りにして下さった。従って本当に幸いな人は、神さまだけに拠り頼んでいく人なのだ。

自分の思いではできないが、それを受け止めていく時に私たちも変えられていくのだということであり、一人ひとりをそのように考えていて下さるのだ。

放出教会には信仰生活半世紀以上の、生き証人がたくさんいらっしゃいますから幸せです。

今日もまた御臨在豊かな集会で、癒され、正され、励まされて、再び頭(こうべ)を高く上げて「また会う日まで」を讃美して散会したのだった。
このあと、薮野牧師は大阪府大東市の住道(すみのどう)伝道所へ開拓伝道に向かわれた。今日は兄弟姉妹5名と共に。

私たちもまたいつものように知子たちと共に食事を摂り、今日はそのあと3時半まで娘の家で過ごし、買い物に立ち寄って5時半過ぎに帰宅した。

毎年9月の集会では谷口先生お手製のおはぎをご馳走して下さる。私たち家族は20年も前から言葉には尽くせぬ、もったいない御愛を受け続けている。
谷口先生とご家族の上に特別の祝福がありますように。
そして、先生の愛が私の中に生かされていきますように。
posted by 優子 at 22:11| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

娘を想う夫の姿

真智子の夢を見た。
どこかのホテルのようだった。白地のサッカー生地に赤の水玉模様のワンピースを着ていた。中学1年生くらいの溌剌としたかわいい真智子だった。再びアメリカへ戻って行くという、その場面だけの夢だった。

心理学で夢分析を学んで以来、見た夢について考えるようになった。と言っても、内容を書くほど熱心ではないが、夢は我々の健康状態や心の状況であるからだ。

9月になり新年度に入ったアメリカで、真智子は教壇に立って教えると言っていたから、時々思い出しては心の中でエールを送っていた。

夫の苦悩、悲しみは深く、沈鬱な表情に愛の大きさを見る。
娘たちを真に深く想っているのは夫のほうかもしれない。
私は鈍感だ。
薄情なのかもしれない。
夫は寡黙でも愛が深いのだ。

今日は特に谷口先生宅の家庭集会がありがたい。

今朝、真智子からメールが届いていた。

posted by 優子 at 08:27| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年09月12日

愛を蒔けば、それを刈り取ることになる

我々が生きていく時、実に次から次からいろんな問題が起きてくる。しかも、若い頃の悩みと違ってスッキリ解決するようなものではなく、長い時間がかかり、あるいは生涯を必要とするものが多い。

これまでの半生にいろんなことを経験してきたが、今朝の出来事もまたあまりに衝撃的なことだった。私まで物事が見えなくなっては大変と恐れた。

真剣に考えた上で一つのことを選択した場合に、思いもかけない十字架を負う場合がある。ここには選び取ったがゆえの責任があるが、病気や災難のように自分の責任とは関係のないものに思ってしまう。運命なのかと!

親と言えども、時には我が子とでさえぶつかり合うのだから、自分の子でない人を愛するのは誰しも至難だ。価値観の違う人を受け容れるには、何よりもまず、私が無条件に愛されているということを徹底的に知らねばならない。この心の土台が必要だ。

我々に神の愛を説かれても、無条件の愛を理解するのは何と難しいことだろうか。ましてや両親から愛されなかった、拒否され続けられてきた人にとっては、神の愛を知ることは難しいのかも知れない。

しかし、一般的な親だった人の子がA少年だった。少年の母親は、いろんな世話をしたが拒否的だったのだろうか。その点も注意しながら読んだが、私はそのようには思えなかった。
ということは、人間はこうだからこうだと考えるような単純なものではないし、反対に不幸な生い立ちが人生を決定するものではないのだ。

私はこれまでの経験を無駄にしてはいけない。
主に目を向けよう!
神の前に心を開くことができる幸いを何よりも感謝している。
神の存在を忘れては怒り狂ってしまうだろうが、御前で謙れば、まもなく怒りと動揺から解放して、重荷を共に負って下さっていることを思い出させて下さった。


主よ、私の愛する者を支えて下さい。どんなに苦しんできたか、初めて実感することができました。
愚かな親でありますが、物事すべてを善きになしたもう主よ、愛する者をあなたの力強い御手で支え、豊かな慰めと力を、そして、私もまた支え導いて下さい。


楽しかった昔よりも、すばらしい明日を信じて歩いていこう。主イエスと共に!
このことも主イエスに在って主体的に受け止めれば、運命は運命でなくなるのだ。これこそ信仰生涯の醍醐味ではないか!

「あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。
互いに忍びあい、もし互いに責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。

これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい」。

「どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐を持たせて下さるように」。
           
  (第Uテサロニケ 3章5節)

全てのことを益にして下さる主よ、この出来事を通して広い視野を与えて下さり、新たな悔い改めへと導いて下さったことを感謝します。
彼の上にも祝福を祈ります。祈らせて下さったことを感謝します。
病気の方、病気の伴侶を支えておられる方、問題多き闘いの中にある方々の上にも慰めと励ましがありますようにお祈りします。

主と共に愛を蒔いていきたい。
時が来れば、それを刈り取ることになる。仮に私が死んだのちであろうとも、その時は我が子たちが喜びの刈り取りをするであろう。


posted by 優子 at 17:55| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年09月11日

歩き始めて世界が拡がった幸悠

長女に合わせて私宅もヤフーから" eo光 "に切り替えたので、電話代は無料のかけ放題になったものの全くと言っていいくらいに使用せずに、おしゃべりは99パーセントがメールになっている。
秋になって保育園の園庭開放が再開されて、久々に友人と行った感動を伝えてくれたので、知子に代わって育児日記を記録しておいてやろう。以下は昨日届いたメールより。
昨日(9日)はユキに感激したよ!
今まではユキの為に行っているようでいて、本人はベビーカーに座ったままだから、付き添いのような感じだったけれど、歩けるようになっている昨日は初めて運動場を歩行しました。

それから雄くんとみんなに混じって初めて砂遊びをさせてみたら、真剣に20分ほど砂をいじってました。
一日3回着替えさせ、帰ったらシャワーというのが母親には過酷だけど、そうなっていくみたいです。

本当に真剣に遊んでました。
バケツをかぶって砂だらけになられてしまったけれど
(><)、砂やシャンプーの泡を全然口に入れないユキは、とってもおりこうさん。

この年頃の子は砂を食べるらしくて、ガーゼをつっこんでかき出すとか大変みたい。油断はできないけど、今のとこママの教育が◎なのかもね。
すっかり幼児です。これからいい季節だからお砂遊びさせてあげないとね・・・。

そして、今日はポリオの生ワクチン2回目も無事終了し、ホッとしている知子ママの気持ちがよくわかる。
次は3歳頃の麻疹の予防接種だったかな?
ちょうど知子の3歳前頃に無料の接種が始まったと記憶している。予防接種のおかげで2人とも麻疹にならずにすんだ。

ユキは毎朝決まって5時50分頃に起き、魚、肉、野菜、そして、大人並みのお茶碗いっぱいのご飯に牛乳と食欲旺盛だ。
お気に入りの絵本を持って歩き回り、音の出るおもちゃからは音楽が鳴りっぱなし。

そんな微笑ましい光景を思い浮かべては微笑み、我が家を歩いていた幸悠のシルエットを思いながらあやしている。そんな自分にも微笑み幸せを感謝した。孫は今日で1歳2ヶ月になった。

家田さんの術後も大変に順調で、予定通り18日に退院される予定である。
お祈りして頂きありがとうございました。

posted by 優子 at 17:38| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年09月10日

闇からの突破口は祈りしかない!

昨朝の散歩の時のこと、近隣の迷い出た犬のために奔走し無事に家に送り届けた。長い間見なかったゴロは、チャッピーの1.7倍くらいの大きな犬になっていた。
ゴロは散歩に連れて行ってもらえず、年がら年中、鎖につながれたままの犬だから、凶暴になっていると思ったらそうではなかった。

「夜のお食事を食べてから出てしまったのです」と言われた飼い主さん。7日の夜に首輪を噛み切って庭から抜け出たそうだ。
「帰って来ないなら、ご縁がなかったのでしょう」とあっさり言われた時には、「そんな薄情な!」と心の中で叫んだ。

ゴロは遠くへは行かずに近くでウロウロしていた。
初めて足を使って歩いたゴロ。歩くことができない不自由な生活でも家に連れ戻してやるのがいいのか悪いのか。ゴロにとってどちらが幸せか考えてしまったが、ゴロは自分から入って行った。

ゴロのことを考えながら朝の家事を終えたが、A少年の両親の手記があまりに重すぎたことと、7日の夜はよく眠れなくてしんどかったこともあって、昨日は加害者の絶望の深さに陰鬱な一日を過していた。

しかし、昨夜は熟睡できたので今日は元気だ。
今朝の散歩では、老人会を休んでいる義母のことを尋ねて下さった方があり、帰宅後すぐに、またしても義母を説得に行った。

というのは、8月初めにお仲間とちょっとした出来事があり、以来、義母は老人会を休んでいる。会長さんと道で会うたびに、また、今までに2度も訪問して下さった時も、そして、7日には夫からも説得してもらったがダメだった。今朝、お目にかかったMさんに初めて事情を話した。

今朝も30分間も話していたが、「もう老人会を辞めようと決心した」と、義母の意思は固かった。苦痛に耐えてまで行くことはないが、一週間に一度、人との交流はとても貴重だと思うだけに、もう少し様子をみてから世話人さんにお伝えしたいと思う。

最近は近況を書かないようにしているが、先週末に「空中楼閣にお住まいのあなたへ・・・強く賢くあれ」と忠告の葉書きが届いており、悲哀は深まる一方である。

「空中」と言うからには、地に足つけず理想化した虚像の中で生きているという意味であろう。このように言われたからとて悩むことは全くないのだが、人間の複雑さ、怖さを思う。

私は最初からその人の、怒り、攻撃、混乱のサインを読み取れているので、神に助けを求めながら関わっているのだが、未だ本人に気づきは与えられず突破口が開かれない。祈りによらなくては解決できぬ混乱の中にある。

理性や知性がいかにあてにならないものか!
私が常々思うには、人は皆、自分一個の体験は小さいものだから他人の体験を受け容れられるかどうか。それが受け容れられれば次が見えてきて進んでいくことができるのだが。


しかしまた、真の自覚や反省が伴うと鬱になる。
私はしみじみ神の恵みを知らされたことが、何とありがたいことかと思う。

精神の健康を損なってしまっては出口なしの脱出不可能になる。
だからこそ神の出番なのであるから、神に助けを求めよと伝え続け、神の恵みを届けたい、知ってほしいと祈り続けている。


人生の幸不幸は、その人が他者や物事をいかに見るかで人生の方向が決定されていく。その人の心の在り方によって、またスタンスの取り方によって感じ方は違ってくるものだ。
義母のこともそうだ。私は自由のない生き方だと思っている。


気象変動も犯罪も全て今までの経験則では予知できなくなり、全てが混沌とした暗闇の時代になってしまった。一方でインターネットの威力に驚異し、これをも包括した混沌の世界なのだ。

今朝長女から届いた育児メールが、私の心に神に希望を求める弾みを与えた。
誰かさんへ、
あなたが言うように、私は知識もなく愚かな者だけれど大きな声で言いたいです。
「井の中の蛙 大海を知らず
 されど 天の高きを知る」
と。

私は神の存在を知ったから、主イエスに出会って、愛されていることを知ったから、今のまま歩いていくよ。
祈ってごらん?
自分の知性や理性によらないで、本気になって求めるならば、必ず与えて下さる。まず、イエス・キリストが主であると信じることができますように。

人間の考え出した偶像や偉人賢人に祈ったところで、それは虚しい気休めでしかない。私たちの信仰は心の拠りどころでも気休めでもなければ、精神修養でもない。

まことの神に祈らば、必ず心に平安が来る。
あなたが平安を鼻で笑うのは、きっと経験がないのね。
最も大切なことは教えてもらえないし教えてやれないのよね。体験でしかわからない不思議。神さまのやり方なのでしょうね。

平安が与えられ解決はあとからついてくる。時間をかけてね。
急がないこと、神さま抜きで自分のやり方でやらないこと、いつも私自身に語っていることです。
祈っています。

posted by 優子 at 13:57| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

『「少年A」この子を生んで』 読後メモ

「少年A」とは、1997年5月末に日本全国を震撼させた神戸連続児童殺傷事件の犯人のことであり、この手記は事件から約2年後に出版されたものである。

Aの精神鑑定によると:
・・・直観像素質者(パッと一瞬見た映像が、まるで目の前にあるかのように鮮明に思い出すことができる能力のある人のこと。)であって、この顕著な特性は本件非行の成立に寄与した一因子を構成している。
また、低い自己価値感情と乏しい共感能力の合理化・知性としての「他我の否定」すなわち虚無的独我論も本件非行の遂行を容易にする一因子を構成している。・・・

最初に父親の手記より:
A少年は、被害者のことを「僕が殺した死体であり、僕の作品」と呼び、その遺体を切り裂き、血を飲んだことを、「その理由は『僕の血は汚れているので、純粋な子供の血を飲めば、その汚れた血が清められる』と思ったからでした」(検事調書より)と告白した。

妻は事件後、ショックのあまり放心状態で、食欲もありませんでした。
もしかしたら、私が目を離すと死のうとするのではないか、と心配になり、一人置いて出かけるのが不安になっていました。
どちらかが「死にたい」という気持ちになったら、もう終わりだと私は思い、どんなに錯乱しても、Aに会って真実を確かめるまでは、自分がしっかりしないとダメだ、と何度も言い聞かせていました。

Aは自分の息子です。あんな凶暴な事件を起こしても、怖いとも思わないし、憎いとも思えません。見捨てようとも思いません。・・・
私が死んで被害者の方々の気持ちが和らぐのであれば、いつでも死にたい。・・・
でも、ここで自分が踏ん張って頑張らないと、私が死んだら下の弟達はどうなるのか。誰がご遺族の方々にお詫びしていくのか。弟達に、これ以上重荷を背負わせる訳にもいきません。

次に母親の手記より:
「自分のような人間は生まれて来なければよかった。(このような残虐に人を殺す異常な自分に)未来も何もない」

「事件後、怖い夢を見ました。僕の首を誰かが絞めるので、必死でもがきながら相手の顔を見ると僕でした」

「ボクは逮捕されるまで、人を殺したら、必ず死刑になるとずっと思っていました。少年法という法律があり、僕は死刑にならないと接見した弁護士さんから聞いた時、初めて自分が死刑にならないと知りました」

「自分は生まれなければよかった。このまま(鑑別所)で、死にたいです」


では、自分が生んだ息子にこう言われる私は、あの子の何だったのでしょうか?
私は夫のためには死ねませんが、息子のためであれば、死ねます。Aのやったことにはあの子を生み、育てた私の責任です。 ・・・

一体、この子は何を考えているのか?なぜ、人を殺しながら何も感じないのか?・・・

精神鑑定の結果、精神や脳に異常はない。
あの子は一体、何者なのでしょうか?
私も夫も親戚縁者に、精神を患った人がいるとは聞いたことがありません。
一体、何に問題があったのでしょうか?

「Aの言葉や行為を、あなたたちは、親としてではなく一人の人間としてどう思われるのか」
いく度となく、私たちにこの質問が投げかけられました。
でも、私はAの親です。人間としてAの行為を裁くことがどうしてもできません。(そんなものなのか。その立場にならねばわからぬことだろう。)
親としてでしか、Aを見ることがどうしてもできません。
Aの行為はやはり、私たち親に責任があります。

「Aは良い祖母、悪い母親に囲まれて幼少期を過した」と鑑定書には記されていました

「と鑑定書には記されていました。」というところに、力を落とした母親の状況が窺える。
母親はそれを認めたくないというのではなく、しかしまた、「悪い母親」という表現には釈然とせず、何がいけなくてこんなことになってしまったのだろうかと、呆然とする心情が感じられる。

この両親の手記を読む限りにおいては、特に悪い母親とは感じなかった。子供への不十分さも我々のそれとどこが違うだろうか。
それどころか、我が子を放任している親が多い中、親としての務めを励んでいた母親であっただけに、同情し原因がわからないからこそ、我々は謙虚にならずにはいられない。


そして、Aに対しては、「もし生まれ変われるのなら、亀になりたい。そうすれば、他者を傷付けずに済む」という言葉に、私はかろうじて人間の痕跡を認め、自分の中に棲む得体の知れない魔物に苦悩しているAを感じた。
「自分は生まれなければよかった。このまま(鑑別所)で、死にたいです」と、取り返しのつかないことをしてしまった者が14歳であったとは!


精神鑑定では、「(A)に良心が目覚めてくれば、自己の犯した非行の大きさ、残虐性に直面し、いつでも自殺のおそれがある。また(今後)精神心分裂症、重症の抑鬱等の重篤な精神障害に陥る可能性もある」と診断されており、数パーセントのわずかな数字だが立ち直る可能性もあると言われていた。

検索によれば、2006年初め、関東医療少年院を退院して、その後は保護監察官や有志のサポートを受けて、精神的に安定した社会生活を送っているとのことだ。現在25歳。

A少年の両親の気持ちも、子供を殺されてしまった方々の両親の気持ちも、我々には決してわかるものではないだろう。
神の前で頭を垂れて被害者の両親のことを、そして、加害者の両親のことを祈るのみである。しかし、あまりにも重い十字架を背負われた方々ゆえに、すぐに祈りの言葉はでてこず、ただ深く黙祷を捧げるばかりである。

posted by 優子 at 18:26| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2008年09月06日

『死の棘』を再び @

来月のペンクラブ例会での学びで、島尾敏雄の『死の棘』を取りあげられるので、再び長編に挑戦している。

と言うのは、1997年4月に読書会で一度読んでいる。これを推薦したものの私には退屈な本だった。
しかも、導き手であった西口孝四郎氏不在の読書会は深みがなく、体(てい)のいい井戸端会議のように感じていた辛い時期でもあった。この年の1月に西口氏は亡くなられている。

自分史的には母が亡くなって5ヶ月半、長女の卒業と入れ替わりに次女が高津高校へ入学した春である。
3年後にPTA会長にという強い薦めを辞して、長女の時同様に3役には入らずに、学年委員長として3年間を務めることになる。

母親1年生の気持ちで家庭再建に漕ぎ出した春であり、母の不在にも少しずつ慣れつつあり、普通の生活に戻り始めた時。しかし、この1ヵ月後に父が死に至る病床につくことになる。そんな頃に読んでいた。


正直のところ、この作品に感動した記憶はない。
読書会のあとの勉強会(6人で毎月1回開いていた『二時の会』)で鳩飼さんにお目にかかった時、感想を尋ねられたが何も答えられなかったことを憶えている。

ところが、ペンクラブ研修会で大田先生が語られたものとあまりにも違うので、2度と読むことはないと思っていた作品を読み返している。

読書会で読んだあと、私もまた、すさまじい「かていのじじょう」を重ね続け、家庭の修羅場を何度も経験してきたので、島尾の修羅場は以前よりも実感をもって読めているような気がしている。
ただし、夫の名誉のために書いておくが、我が家の場合は夫の不倫によるものではない。

さて、再読したあとの感想が自分なりに楽しみである。
「そんなこと(夫の不倫)で気狂うか?」と簡単に言い放った夫の言葉に、「あー、あなたは人間というものがわかってない」と、私も咄嗟に言葉が出てしまった。

今朝は朝一番に夫に美容室へ送ってもらい、夫は私が出てくるのを待ちがてら、車の中で『死の棘』を読んでいた。次に場所を移動して、私を図書館まで送って夫も理髪店へ行った。

私は夫を待つ間、借りてきた『「少年A」この子を生んで ―父と母 悔恨の手記― 』を読んでいた。(鳩飼さん、私は今になって読んでいます。)

人間とは何だろう。
不可思議な存在だ。私は人間の実相にこそ強い関心がある。
まだ40ページほど読んだだけであるからわからないが、Aの親は子供を放任していた親でもなく、教育の何たるかを知らない教育ママでもなかった。そのような両親であり、その家庭の子供が何故?!

私は事件そのものと同じくらいに、少年Aの心の闇、人間の不可思議さに震撼している。『死の棘』同様に少年Aのことも読み終われば、感じ考えたことを書いてみたいと思う。
posted by 優子 at 17:47| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2008年09月05日

福田首相辞任表明について

9月1日の夜、夫がしでかしたことの後始末を終えて一段落した時だった。2階へ上がった夫が騒動直後なのに声をかけてきた。「福田首相が辞任するらしいで。今から辞任発表がある」と言ったので、私も直ぐにテレビをつけた。日本全国に激震が走った瞬間、夫への文句も完全に終結した。

翌朝のテレビのワイドショーでは、一斉に辞任挨拶に対する批難の花が咲き、その後まもなく総裁選挙の話題に移っていった。
事情は違えども、昨年の安倍さんに続いて福田さんも投げ出してしまったことに驚きを隠せない。

そして、3日夜のニュース番組で、現在90歳になる中曽根さんのコメントを聞き、「やっぱりそうなんだ」と納得したのだった。
国家の首相と我々一般の人生体験を同じに論じてはいけないだろうが、畢竟、人間社会のことは同じことだ。
中曽根氏は次のようなことを言われた。

「執念、信念が弱い。簡単に会社を辞めるような感じが強い。
我々は総裁になろうという志を持って同志をつくり、同志を助けて・・・そういう順序を経て総理の席に近づいていったものだ。」

また、麻生氏については、

「麻生を叱りつける存在が必要だ。そのような人を傍に持ったら鬼に金棒だ。総理になって、どの程度成長するかだ。
今は政治の面白みが無い。政治の堕落だ。総選挙をやったあとこそ大事だ」。


ここ半年ほどずっと考えていることがあり、この投げ出し辞任を通して自分なりの結論に至ったように思う。そのことについて書いてみたい。

私が何事にも問題意識を持たずに生きていた頃は、何の意見を持たず、こだわりも感じなかった。
しかし、小さなことであれ真剣にやり続けていくことで、時にはここはどうしても譲れぬという気骨が、自分の中に育っていることに気づいた。

それとは反対に、祈りの生活の中で小さな努力を積み重ねているにも関わらず、依然として変わらぬ自己の短所にも気づかされて愕然とする。

自分の言動をふり返らずに、原因は全て他者や環境にするのでは哀れであるが、しかしまた、自分の情けなさに釘付けされてしまってはいけないのだ。

人は長所も短所もそれぞれに違うし、性格を改善するというのは誰にとっても至難だ。要は、いかに長所を伸ばすかである。
それは、子供の学習能力を伸ばすのと同じことだ。

日本では全てを優秀にさせようと「オール5」を目的にするが、何よりも得意の科目に力を入れることが大切だろう。
私は何一つ得意科目さえないやる気のなさで両親を困らせた中学高校時代を送ったが、そんな子供でさえ、かろうじてありそうな得意分野を捜して伸ばし、面白みや自信を持たせてやれば、不得意科目にも影響が出てくると確信する。

性格の短所についてもそれと同じことだと思う。
「私はダメだ、ダメだ」とばかり思っていては、長所までダメにしてしまう。これが私が陥りやすい点だ。そんな時、このように情けないのは私だけではないことを知っていることが、私にはとても大切だ。


それで何が言いたいのかと言えば、他者の意見を聞きながら信念を貫くべしということである。一国の首相であれ、会社の長も、組織の長も、私もまた同様であると。

例えば、牧師にもそれぞれに独特のカラーがあり、牧師と言えども同じ人間であるから短所もある。悔い改めても尚、性格はなかなか変わらないものである。

しかし、その牧師が地上を去られたあとには、その牧師の善き業だけが際立って残っている。「人を批判できる者は誰もいない」とは、小山牧師がよく言われたことである。

そこで大切なことは、カウンセラーや精神科医にはスーパーバイザーというアドバイザーが居るように、リーダー職の人にはブレインとも呼ばれるアドバイザーを持つことで、最高の仕事ができるだろう。

信仰生涯もしかり。信仰の友との交わりにより歪まずに進んでいける。だから、「私がおかしいなと感じていることを大切にしていいのだ」と、自らに檄(げき)を飛ばしている昨今である。

我々は迷い、考え、そして、選び取る。
祈っていても、時には間違った選びをすることもあろう。
しかしながら、それさえも意味のあることであり、実を結ぶにまで至らせて下さるのである。失敗やぶつかり合いを恐れているならば、何もしないで人生は終わってしまう。これこそがどうしようもない本当の失敗である。

福田さんにとっては、父親からの恵まれた環境が、かえって成長しようとする足かせとなったのであろうか。
しかしながら、やっぱり思うのだ。
安倍さんも福田さんも自分なりの限界まで頑張ったことには違いないと。ここに私の甘さを暴露してしまっているのかもしれないが。
少なくとも、彼らは自らを知らなさ過ぎた。首相になろうとした時点で誤ったのだ。

米国でも次期大統領選が繰り広げられている。
マケインは負けへん?(笑)
posted by 優子 at 16:53| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2008年09月04日

神は祈る者を守り支えて下さる

讃美歌を聞きながら、小さな花々の写真を見て待っていましたら、3時
45分に長女から手術無事終了の電話が入りました。家田さんの麻酔も覚め始めているとのことで安心しました。傷口は5〜6センチとのことです。
よかった。イエスさま、ありがとうございました。術後も順調に回復されますようにお祈りします。
04budou_2e.gif

イエスさま、私たちの試練は年齢と共に大きなものになっていきます。私たちはキリスト者であれ誰であれ、全ての者が病に倒れていきます。昨日もまた、S兄の奥様が癌であることを知りました。

私たちは弱いですから最悪の事態を思い、深く落ち込みます。
心は萎えてしまいそうになりますが、未来に立ち向かう力強い信仰をこそ与えて下さい。

イエスさまは、いつも、どんな時も私と共にいて下さると思える信仰へと導いて下さい。それさえ頂ければ最後まで耐えていけるからです。

      悲しい時に 悲しめる 
          心を持っている
      あふれる 涙がある
      なんという 慰めであろう

                       (星野 冨弘)

   「われらの辿る道筋は長く疲れさせる道
    年ごとに悲しみの冠が加わるが
    われらは道を避けず、暗闇も恐れたりしない」
   
   「主はうずくまっている人を起こされる」(詩篇146・8)   

特に今、あなた(神)の恵みを必要とされている方々を祝福して下さい。
今もあなたに向かって語りかけられるのは、あなたから賜った信仰があるからこそのこと。今がどんなにアップアップした状態であろうとも、神に祈る者のことを主イエスは必ず守り支えて下さるのです。

posted by 優子 at 17:47| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年09月03日

第36回 オリーブの会ご案内

今春4月の集会を最後に休会させて頂いていた家庭集会の日程をご案内申し上げます。
次回、今月は9月29日(月)11時15分からです。

この会は聖書を読んだことのない方を対象に、それぞれの人生経験を通して感じたことを自由に語り合いながら、聖書を読み進めていく「聖書の集い」です。

自分自身の歩みを振り返りながら、また、皆さんのお話をお聴きしながら、聖書、即ち「良き知らせ」に耳を傾けるのです。

     「主はあなたに告げられた。
      人よ。何が良いことなのか。
      主は何をあなたに求めておられるのか。
      それは、ただ公儀を行ない、誠実を愛し、
      へりくだって
      あなたの神とともに歩むことではないか。」

                   
                    (ミカ書 6章11節)

私は何度も何度も失敗し、そのつど神の赦しと励ましにより、何度も何度も立ち上がります。自分の理性や経験によらず、主の前に出ていくから立ち上がれるのです。
まことに、人生の意義は、神と共に歩むことです!

どうぞ気楽にお出かけ下さい。
椅子と昼食準備の関係上、20日頃までに出欠のご連絡を頂けるとありがたいです。よろしくお願いします。



posted by 優子 at 21:58| ご案内 | 更新情報をチェックする

2008年09月02日

全身が言葉の塊

先週金曜日の宵、12チャンネルの教育テレビで『きらっと生きる』を見ていた。障害を負われた方が雄々しく心豊かに生きておられる姿を紹介する番組で、母の介護に関わっていた時は、毎週見ていたものだ。

先週紹介された新里さんは、生まれた時から筋ジストロフィの症状が現れた。しかも、管を食道に通す処置を受けている時に、医師が声帯を傷つけたために声まで失ってしまった。何という苦難を耐えておられるのであろうか。

体重は20キロくらいしかない男性だ。車椅子生活であり、全身どこも動かせるところはなく、腕と手は曲がったままで板のように硬かった。その指の間に絵筆を挟んで、それはそれは見事な絵を描いておられる。私は自由に動く手があっても何も描くことはできないのに。

「キャンパスの中では自由に動けるから」とイルカを好んで描き、どのイルカも自由に泳いでた。かわいくて、優しくて、楽しそうに群れをなして泳いでいた。どれもこれも心に響く絵だった。

「声が出ないと冷静になれる。言葉が出るまで時間がかかるから、それがいいところでもある」。
彼がマウスを一字一字クリックして打ち出した言葉だ。
このような苦しみの中にあっても、人はここまで崇高になれるのか!自分の姿が恥かしい。


まさしく「障害者」ではなく、「障碍(しょうがい)者」である。
災いの「害」ではなく、「妨げる」を意味する「碍」を当てるのがふさわしいと思った。「外に出るのを防ぐためにかぶせる石」の意味だ。
身体に妨げがあっても健常者以上に力強く生きておられる人々である。字を変えることで我々の意識がかわり、社会的位置づけも変わっていくのではないだろうか。


そういえば、アメリカでは障害者のことを"challenged"(神さまから挑戦を受けた者)と呼ばれている。

新里さんは福音を一度も聞かれたことがないかも知れないが、間違いなく神さまが生かしておられるのだと思った。そして、このような方だからこそ、神の深い慰めと励ましを届けたい。

話せないがゆえに、新里さんの全身が言葉の塊に見えた。
彼が打つ一字一字は、私の心にくさびを打ち込まれていくようだった。





posted by 優子 at 08:50| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2008年09月01日

『関西ペンの声』14号より

日本クリスチャンペンクラブ関西ブロック会報、『関西ペンの声』14号に掲載された証しを公開させて頂きたい。

この原稿は6月末締め切りだったので、検査手術が終わってから書くつもりだった。しかし、想像以上に及ぶ検査手術の心身のダメージと、そのあとの腰椎麻酔の後遺症で4〜5日間寝たきりの生活になり、すっかり忘れてしまっていた。

麻酔の後遺症も殆ど消え去った6月17日、次女がミネソタから帰国するというのでこわごわ床上げをしたが、全快したのは手術後10日を過ぎた頃だった。

次女と尽きない話の日々のおかげで結果を思い煩うことなく過せたが、検査結果を聞く日を自ら間違ったために、癌の疑いが晴れたのは予定より4日後の6月27日のことだった。

その翌日には私たち夫婦と次女の3人で答志島へ1泊2日の旅に出かけたものだから、このたびのことをゆっくり黙想しないまま、旅から帰宅した夜に書き上げたのだった。

医師と病院について悩まされたこと、医療現場の大きな問題意識が脳裡を占めていたこともあり、癌ではなかったのに心から喜べなかったことが悔しく、不全感にひどく悩みもした。

そんな中で書き上げて翌30日の締め切り日の朝、長女と孫が到着するまでに大急ぎで推敲してお送りしたものである。
書くことにより神との対話がなされたことを感謝している。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

        ここを起点として新たなる出発

長年放置していた尿潜血が気になって、原因を突き止めるべく受診した。腎盂造影検査は異常なかったものの、内視鏡検査では膀胱内に2箇所不正なものが見つかり、腰椎麻酔をかけて生体検査手術のための入院となった。
医師の不適切な応対が相まって、私は癌の覚悟だけではなく、余命2〜3ヶ月かも知れぬと思い込んでしまった。

時間が無い。何をやりたいのか。本を読みたい。直ぐに読み始めるが落ち着いて読めない。本はもういい。自分の想いを書き残しておこう。夫、娘たち、兄、妹、そして、友に遺言を書こう。命の期限が切られた時、最後に残った願いは自分の思いを伝えたいというものだった。

命を揺さぶられた時の恐怖。持ち時間がないとわかった時の焦り。弱いことは恥かしいことではないと思っていた私が、いつしか弱さを恥じたこと。そして、肉体に加えられる恐れと痛みは予想を上回る耐えがたいものだった。

手術室に入ってからの恐怖は最後まで消えることなく、すがれる神を知っていることを感謝しつつも、最後まで恐怖に耐え続けねばならないのは、自分自身の信仰ゆえなのかと自らを責めた。

しかし、死後の裁きは完全に解決されていることを見せて下さり、私は改めて神の全能をこの身で知った。幸いにして悪性なものではなく経過観察という結果で終わったが、この50日間の意味を問うている。

私は神によりて強くあると共に弱くもあった。恐怖を耐えねばならなかったのは、私の信仰が弱いからというものではなく、神が私を恐怖と痛みの中に置かれたことにより、私の徳性を磨こうとされたのではないだろうか。 

今より新しい世界が開かれていき、ここを起点として新たなる出発をなさしめられることを切に願っている。喉もと過ぎればでは困る。神の摂理に身を委ねて、私に賜っている徳性を是非とも磨いていきたいと願う。  

  
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これに対して30日に、大学の恩師であり、ペンクラブの理事であられる川上先生から驚きのメールを頂戴した。感謝。

『関西ペンの声』を今日落手。藤本さんの「ここを起点として新たなる出発」を読み、びっくり! そして感銘! 怖い思いをしたのですね。
文章も内容も信仰の姿勢も見事なもの。教えられました。「神が私を恐怖と痛みの中に置かれた」というのは、あかしとして最高のものでしょう。

今日は良輔の誕生日。
戦後直ぐに産声を上げた夫は63歳になった。
posted by 優子 at 06:00| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする