2008年10月31日

日付けが変わる前に書き始めた雑感

温度が下がったからだろうか、今週に入って左の股関節と腰の強い痛みのために座っているのも苦痛なので、今日はブログをお休みにしようと先ほど2階へ引き上げた。
「昨日、ピー(夫のこと)がケーキ買ってきてくれたことを書いておこうかな。」と夫のそばでつぶやいてみたところ、いつもなら「もうやめとき、(こんな遅くから)書かんでええ」と言うはずなのに、言わないので再び11時半になってPCの前に座った。どうやら夫はウトウト居眠っていたようだ。

昨日のことを書こうと思って下りてきたのだが、新着メールが届いていたので、それに関して書くことにした。私は直接関わっていないことなので客観的に考えることができると思うからだ。

まず、人間って本当に弱い存在だなと思う。
自分を自虐的にしか思えない人もいれば、他者とコミュニケーションが成り立たないほどに自己主張する人もいる。後者の場合は自分に自信がありすぎるのか、心に傷があるからか・・・。

我々は他の人の助けなしには、自分自身の姿を見ることができないのだから、相手の言葉に耳を傾けることなくしては自己の成長もないし、コミュニケーションもできなくなる。
組織でのことならば、私的なことよりもはるかに客観的になりやすいと思うのだが、当事者になればどんな場合も難しいものだ。

私の僅かな経験から、読書会の代表をさせて頂いていた時のことを振り返って考えてみると、とにかく団体や組織は民主的に運営すべきが大前提である。
読書会を去るにあたり、近年気になっていた会計の支出について、市の読書会なのでウヤムヤにすることはできず、もう一度、意見するために心を砕いた。公の場で話すことにした。あえて曖昧な書き方でブログにも書いた記憶がある。(カテゴリ「読書会関係」、過去ログ・2007年3月20日記事)

さて、コミュニケーションが難しい相手の場合はどうすればいいか。
例えば、相手がクリスチャンならば互いに主イエスの御心(みこころ)を想いながら、主に在って話し合えるだろう。
ところがクリスチャンでさえ、日本人の良くない部分とも言える意識構造からか、話し合いをしない場合が非常に多い。聖書を学んでいても話し合うことが争いであると認識されているように感じる。


私の目にはクリスチャンの逃げに見える。
熱した話し合いから逃げてはいけないのだ。物事を中途半端に議論して終わるのであれば、余計に問題を深めるだけである。心は傷つき、ストレスいっぱいの余韻を引きずることになる。

「沈黙を守るに時があり、語るに時がある」のだ。
組織は個人のものではないから、尚更に民主的であらねばならない。愛と勇気をもって真理を主張し、そして、あとは主に任せればいい。私は主に在って、公の場でも正しいと思うことは意思表示できる者でありたいと思う。
ただし、主に在って!
そして、主に在ってならば声を出せるはずだ!

それでも勇気がなくてできない時もあったが。

人はみな共通した弱さを持ち、それぞれの弱点を持っており、弱いのは私だけではないということを改めて知り大いに励まされた。
クリスチャン一人ひとりが主のうちに居り、それぞれの中に主が居られるのだから、次の段階に導かれるように祈っていきたい。


夫への感謝も書いておこう。
昨夜帰宅した夫は、「はい、誕生日おめでとう!」と笑顔でケーキの箱を差し出した。
「買ってこなくていいからねって言ってたのに」と言いつつも、ニヤッとして受け取った。「そのかわり1人一つずつにした」と夫が言った。普通は当たり前のことだ。
私は夫が買ってこないと思って、みたらし団子を3本も食べてしまっていたのにケーキも食べてしまった(>_<)。

夫は自分が食べたいから買ってきたということも大きい。しかも私が夕食を食べ終わらないうちに、食事に続いてまるでパンを食べるように食べてしまい、雰囲気も何もあったものではない。

昨朝、長女から「おめでとう」電話が入り、次女夫婦からグリーティングカードが届いた。そして、友たちからもメールを頂いた。

明日、夫はゴルフ。
私は初めて訪ねる淀川教会へパイプオルガンの演奏会に行く。そこで友と6年ぶりで再会するのだ。
今年の9月に1000万円をかけてパイプオルガンが設置されたのを記念するコンサートなのだ。オルガニストは土橋薫さん。大好きなバッハが聴ける。
演奏曲目は、J.S.バッハの「オルガン曲集」より、「我、汝を呼びまつる」BWV639、幻想曲とフーガト短調BWV542他だ。

主が再会を祝福して下さり、友の上に慰めと励ましが豊かにありますように!
posted by 優子 at 23:59| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年10月30日

格差社会の危機感から『蟹工船』50万部突破!

今、小林多喜二の『蟹工船』が人気を呼び、新潮文庫版では今年に入って増刷され、古典としては異例の50万部を突破したらしい。

『蟹工船』は「昭和初めに過酷な労働を強いられる労働者を描いたプロレタリア文学」である。現代の格差社会に世代を超えて危機感を共有していると伝えている。

「共感できる理由」は、貧困は社会全体の問題である 68%
              今の日本の状況に似ている  27%
              身近な人と境遇が同じ     1%
              自分と境遇が似ている     1% の順だ。

参考のために、「共感できない」人は全体の29%で、その理由は、
              今とは状況が違う     57%
              自分とは境遇が違う   24%
              貧困は個人の問題    11% だった。

以上は、毎日新聞社の「第62回読書世論調査」結果で、20代の若者の10%が読んでいる。

この作品は1992年12月の読書会で取り上げており、私の感想はお粗末なものだが記憶に残る作品だった。
「蛸部屋の臭いまで伝わってくるようなリアリティに富んでいた。
監督の浅川の非人間性、病人を放置し、亡くなった人に対しても無感覚で、ユダヤ人のゲットーを連想させた。
今(当時)からたった70年前ぐらい前のことである。日本社会は格段に進歩したが、当時の運動家たちの勇気が胸に強く迫る」。


皆さんの感想も記載されておらず僅かなメモだけしか書いていない。

◎ 『西部開拓史』というアメリカ映画をもってきたのは、今の時代から考えるとブラックユーモアにも感じる。
◎ 8章の「その小さい『○』だった」という「○」とは何か。
それは浅川が川崎船の船頭(即ち、浅川の子分)に金を渡しているという意味である。


余談として、年配の方々の面白かった話として、
◎ 缶詰のこと。第2次世界大戦でアメリカに負けたのは缶詰のせいだったのでは?!
◎ 戦後、心斎橋のそごう百貨店はアメリカ軍のPXだった。
(このことは両親から耳に馴染んだ話だった。検索すると「PX」とは購買部のことだった)

今回、西口説が炸裂した。西口孝四郎氏は谷崎潤一郎をこよなく愛した文学評論家であり新聞記者である。

文学で「蟹」という字が出てきたら要注意である。
それは即ち、男女の交わりを意味する。例えば、『3匹のカニ』(アメリカの作品)。
「かにと」は「あのと、このと」の言葉で、「〜のようになった」の意味である。啄木の詩もそうだ。
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」
この「かにと」は「かにのようにたわむれた」と解するのが定説になってきている。
ホンマかいな!!

それどころか、川端康成の『雪国』ではビックリ仰天することを言われた。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
このあまりにも有名な書き出しについてである。氏はトンネルの写真を掲げて、トンネルは女性の性器を表現していると仰ったので、私は「ええ?!」と声を出してしまった。すると、「いや、ホンマでっせ」と西口節が炸裂した。
確かにわかりにくい作品だった。
しかしながら、耽美主義の谷崎文学を愛する西口氏らしい発想だと笑っていたけれど、考えてみるのも一考の価値はあるだろう。このような説は誰も発表していないはずだから大ヒット間違いなしの研究論点になる。


本筋から逸れてしまったが、『蟹工船』では「沈黙の一つの表現として、『ムッとした』というのは彼らの共通の感情であり、これをもってくることから一つの文学になっている」。
「今の時代もまだ、企業家は労働者を搾取するものだと思い込んでいる労組もよくない。」
と言われたことも深く感じ入ってしまった。

多喜二は特高警察に逮捕され、その日のうちに虐殺された。1933年、29歳4ヶ月だった。
西口氏に多喜二の遺体写真を見せてもらったが、体中はあざだらけで腫れ上がり、太ももが丸太のようになっていたのが忘れられない。

ところで、次回の日本クリスチャンペンクラブ例会日が、谷口師宅の家庭集会と重なっている。
昨年までは家庭集会を優先させていたのだが、今年からペンクラブが唯一の学びの場になっていることと、役目も頂いているので困っている。私が集会を欠席すれば夫ひとりでは行かないし・・・というわけで祈りつつ考えているところであるが・・・

読書が好きなようで苦手な私なので、本来ならば一度読んでいる作品は読まずに出席するのだが、あれから16年の年月を経てどのような感想を抱くのかも興味深い。
テキストは『蟹工船』と、多喜二の母を書いている三浦綾子の『母』の2冊。『死の棘』の原稿もそのままだし、集中してやらねばならない。

そして今日、私は57歳になった。感謝。



posted by 優子 at 18:34| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2008年10月29日

娘達の恩師と奇跡的な再会!

今朝の10時前頃だった。真智子からチャットで声がかかった。
「チャット」とは文字で電話のように話し合う方法だ。パソコンで何か作業をやっていても声がかかれば、新着メールが届いた時のように「ポコン」と音が入り、一番下のラインにオレンジ色で「会話」という文字が入るのだ。
それをクリックするとチャット画面になるので、私は大急ぎで「A般」から「あ般」に変更して「はい、ママ」とか書いて送信しておしゃべり(チャット)するのである。

ところが今日は、「大ニュースがあるよ!大阪先生が・・・」、そのあとの言葉は憶えていない。そして、先生からのメールを転送してくれたので待ってもらって読んだ。

大変ご無沙汰いたしております。私は、あなたの新喜多中学時代、音楽を担当しておりました○○です。

実は、ひょんなことから、お母様のブログをパソコンで見つけました。私が真智子さんに宛てた中学卒業時のサイン帳のメッセージのことが書かれてあるのを見たとき本当に驚き、そして感動し、なんとかお母様にお返事を送りたいと思いました。・・・

このブログにはコメント欄を設けていないために、先生はリンク先の真智子のホームページに書かれているアドレスに連絡して下さったのだった。
私がもう一度お目にかかりたい先生だった。
チャットを切ってからも早鐘のように打つ鼓動が治まらず、静まるまで1時間近くもかかった。カテゴリ「ミネソタ便り」2008年3月26日の記事に先生のことを書かせて頂いている。他にも何度か書かせて頂いたことがある。


大阪和子先生。
知子と真智子ともに一度も担任を受け持って頂いたわけではないが、音楽家として、また、教師として心魅かれる方だった。まだ漸く40歳くらいになられたところだろうか。

平成11年に新喜多中学校から他校へ転任されたということは、私たちが東大阪を去ったのと全く同じ年だった。真智子が大学入学の春であったから中学校を卒業して3年後のことになる。

先生は元気いっぱいで心配事もなく教壇に立っておられるとばかり思っていたら、声帯のことで心配な中を通っておられることがわかった。
誠心誠意、精一杯励まれる教師であられるから、その後も長い年月を無理されていたようだ。今は療養専一にされているようで安心したが、先生のためにも祈ろう。

神は試練を与えられるが見捨てられることは決してない。
必ず守って下さり、その苦難を通してかえって大きく前進させて下さるからだ。互いに慰め励まし合ってこの世の旅路を歩いていきたい。


「神は ご自分を愛する人びととともに働いて 
すべてを益となるようにしてくださる。」
                
                       (ローマ人への手紙 8章28節)
このことを私は固く信じるのである。
ブログを書いていてよかった!!!
真智子はこの出会いを「奇跡!」だと言った。
本当に主がなさった奇跡だ!

今日は記念すべき特別の日になった。
朝から「すだち事件」という大きなハプニングもあったが、それゆえに、より深く知り合えた近隣知人から多くのことを教えられ、神のタイムリーなご配慮により感謝な出来事に変えられた。

そして、まだお目にかかったことのない遠隔地の友と電話で話せたこと。主イエスにより一層深い愛で結ばれたのだった。
生きるって素晴しい!
悩みや悲しみ、挫折があるからこそ生かされていることの素晴しさが身に沁みる。その当座は本当に辛いけれど。

今試みの中にある方々のことを想いながら夕食の準備にとりかかろう。
posted by 優子 at 17:17| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

広中氏の記事に太志君からメール届く!!!

優子お義母さんへ

太志です。メメント・ドミニを先ほど拝見しました。
温かいメッセージ、ありがとうございます。お会いできないのは僕も寂しいです。週末などに簡単にお訪ねできたらいいのに、とよく思います。

また、広中先生のお話には、励まされました。
自分のやっている研究を、価値が無い、なんて言われたら、すごい傷つくだろうと共感します。特に最近は、未熟な研究テーマを抱えつつ、先生にコメントをもらう、という状況なので、まさに身にしみます。

それでも、それに耐えて頑張った結果、フィールズ賞に輝いたというので、心の傷の重みが分かる研究者が活躍できたのだ、とすごく励みになりました。


研究の話をする時に、相手を傷つけるような言い方をしない、というのは、目指す職業上、とても大事なことだと思っています。
傷つけばやる気をそがれて、研究活動が大きく滞りますが、それだけでなく、もしかしたら、研究そのものよりも、その過程で誰かの心が傷ついたかどうかの方が、人生にとっては大事かもしれない、なんて、最近はよく思います。

どんな理論の構築より、どんな賞よりも、自分の周りの人々を傷つけたり、逆に傷つけられたりする事の方が、はるかに大きな問題なのではないか、と思うのです。

後者の方が実際に、もっと苦しみが大きいと思います。
神様から見ても、新しい理論の構築云々よりも、愛すべき隣人を傷つけることの方が、大きな罪なのではないか、と思うのです。 心の傷に配慮することが、それ自体大事であり、かつ、研究の質を向上する環境を作ることにもなる、と信じて、これからも頑張ります!

励ましのメッセージ、どうもありがとうございました。
それではまた。
                      太志

嬉しい!!!
励みにしてもらえたことが本当に嬉しい!手(チョキ) ありがとう!
これからも毒素にやられた時には、広中氏の記事を読んで毒抜きしてね(笑)。

先ほど12時50分にようやく真智子のオンラインが消えた。
今夜もまた今から大学を出て家路に着くのである。ミネソタ時間28日22時50分とは、気力だけではなく体力が伴わないととてもできないことだ。

今日は朝からいろんなことがあった。
まずご近所の独居老人の方とのことで、大変だった。(私自身の記録のために「すだち事件」と記しておきたい。)
そして、10時頃に真智子からビッグニュースが入った!!!!!
今から3時間前のことだった。そのことは是非次のページに!!!
posted by 優子 at 13:00| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年10月28日

若い学者に贈る広中平祐氏のメッセージ

2004年4月末、真智子が東大大学院へ進んで2年目の春のことだった。私はいつも読むことのない『日経ビジネス』を開いて引き込まれてしまった。
巻頭にある「有訓」というページで、数学者の広中平祐氏が「ベテランが陥る罠、若い芽を摘むその一言」と題して、興味深いことを書いておられたからだ。

学問の道を往く次女は尚更興味深く読んでくれるに違いない。励ましと何かのひらめきに結びつくかもしれないと思って、私は子育て時代のように娘の賜物を引き出す仕掛け人の気持ちでワードに打って送信したのだった。

先週、家庭集会の朝に娘とスカイプで話していた時にも、再び同じように感じて広中氏の記事を思い出した。私はよほど感銘を受けたのだろう。フロッピーを捜してみると消去せずに残っていた。
そこでもう一度娘に、そして、太志君にも読んでもらいたく記事にした。私も読みたい時に直ぐに読めるからありがたい。

以下が『日経ビジネス』(2004.4.26発行)のNO.1239より転載させて頂いたものである。

ハーバード大学で「特異点解消」という難問に取り組んでいた頃、26歳の時のことです。その分野の世界的権威と言われる高名な仏人数学者にお会いする機会があり、なかなかうまくいかないというような話をしました。
すると、その大先生、「特異点問題を解いても価値はない。解けた頃にはほかの理論で間に合っているから、役には立たないよ。」と言うのです。

私の生涯で最悪と言ってもいい、ものすごいショックを受けました。
特異点解消とは、世の中の複雑な現象を単純明快な形に変えることによって、問題の本質をはっきりと目に見えるようにする理論です。必ず世の中のためになると信じて頑張っていましたから、この一言には愕然としました。

知識とか経験の蓄積というのは怖いものです。発想の「壁」を作ってしまい、自由な考え方ができなくなってしまう。自分でも気がつかないうちにだんだん周りが見えなくなっていき、若い芽を摘んでしまう。ベテランが絶対にやってはいけないことです。

当時、ハーバード大の担当教授からは「歯を大事にしておけよ」とよく言われたものです。歯を食いしばって頑張っても、簡単には解けないよという意味です。
でも、自分なりにいろんな“道具”を使って何とか解いてやろうと。熱意だけが私の頼りでした。(ここなど言葉まで学部時代からの真智子そのままだった!)

出身地である山口に「やんがやあ」という言葉があります。どんな失敗や不幸に遭っても、済んでしまったことは後で地団駄踏んでも仕方がない。悲嘆に暮れず、前に進めというような意味です。
ド田舎から出てきた私に根性を与えてくれた言葉ですが、あの時ばかりは「やんがやあ」では済みません。正直かなり落ち込みました。
 
何とか立ち直って、33歳の時に特異点解消問題を解き、1970年に数学の世界的栄誉であるフィールズ賞を頂くことができましたが、73歳になった今でもあの一言が心に棘のように引っかかって忘れられません。

コロンビア大学にいた時、メキシコ出身の数学者がいました。とても真面目な人物でしたが、お世辞にも数学のレベルが高いとは言えません。ところが、ある時、一流の数学者が束になってかかっても解けなかった超問題を簡単に解いてしまったのです。皆、びっくり。ベテランが気づかなかった盲点を突く見事な着想でした。 

ある討論企画で故・松下幸之助さんとお話した時、「 どんな人でも活躍できる場がある。その人が“はまる”場がある」というようなことをおっしゃっていました。

数学の世界でもビジネスの世界でも、秀才ばかりでは成り立ちません。元気のいい“落ちこぼれ”が時々、思いもよらない大きな仕事を成し遂げることがあるんですね。

この春から群馬県高崎市にある創造学園大学で芸術家の卵たちに数学を教えています。数学の源泉は芸術であるという私の持論を若い学生さんたちと一緒に実証したい。
福島県太宰府市の新設小学校では、子供たちが持っている創造力、直感力を伸ばす「創才キャンプ」を開く計画を練っています。

私自身、ベテランの仲間入りをして見えなくなったものがたくさんあるでしょう。肝に銘じているのは、後輩をディスカレッジする(意欲を削ぐ)ようなベテランにはなるまいということです。「 面白いじゃないか、やってみろよ」 と言えるポジティブなベテランであり続けたいと思っています。(学者としてだけではなく、教育にも崇高な理念をもって励んでいる真智子の言葉と全く同じだ!)

どの分野でも情熱をもって自分の夢に向かっていく者は、絶えざる努力の連続である。若かりし頃の広中氏が今の真智子であり太志君である。
しかも次女は4年前と違って教師としてもキャリアを積み始めたので、より一層共感すること大きいものがあるのではないかと思う。

昨日のブログを見た太志君からメールが届いていた。今朝の8時20分着信だから、この日(ミネソタでは27日)もまた夜10時過ぎても大学に居たことがわかる。

ミネソタ大学のパーカー、気に入ってもらえて嬉しいです。
知子さんと剛臣さんにどうぞよろしくお伝えください。・・(略)・・・

今日(27日)の真智は、朝と午後のTAオフィスアワー(質問受け時間)で、中間試験前で、いつもより多くの学生が質問に来ており、その間に、昼食と計量経済学の授業をする、という忙しさです。

僕は時間に余裕があるので、うまく仕事に家事に分担できて良いです。体には気をつけて、二人で頑張ります!

太志君、メールありがとう!
結婚して2年4ヶ月、すっかり一人前の夫婦になっている2人の姿に胸が熱くなりました。私にとって2人のテーマソングはディズニーだから、そのCDを聞きながら書いています。
今年の年末は帰国しないので寂しいです。会いたいです。クマダンスを見たいです。

でも次に会える日を楽しみに、私も太志君と真智子に励まされて、神より与えられたタラントを磨き続けたいと思います。

では、またね。黒ハート

ところで、日々トップで報道される金融危機、中小企業にも金融崩壊の波が押し寄せてくるようで心配だ。
「我々企業も地雷原を踏みながらやっているようなもので、地雷を踏んだら倒産してしまう」と、夫は26日のスカイプで次女と話していた。

「インフレで奨学金も減らされたのでは?」と仕事先で夫に聞いて下さる方もおられた。しかし、「インフレを考慮されて奨学金が少し上がっている」とのこと。
夫はこれを聞いた瞬間、「アメリカはわけのわからんことをする」と言ったのでおかしかった。アメリカは我々が思っている以上に厳しい状態にあるらしいが、日常生活の影響などを聞いてみたい。

日本も秋が深まり、今日は冬布団を出したついでに毛布も敷いた。既に衣類の入れ替えも終わり、電気カーペットも敷いてあるので、これで冬支度完了である。
寒い冬に向かうので僅かながら緊張するが、虫の恐怖から解放されるので嬉しくもある。鶯の声を楽しみに、さりとて今聞いたとしても嬉しくはない。鶯の声は春の声だ。厳しい冬を耐えたからこその喜びであり、これが喜びの法則とも言うべきものであろう。

まもなくミネソタは、28日(火)の朝7時半。そろそろマチ・クマが起きる頃だろう。私は今からお風呂に入って28日を終える。
posted by 優子 at 21:27| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年10月27日

間延びした25日の日記

今日は冬の気配を予感させた。それほど寒くなったというわけではないが、風に揺れる木を見て冬空を思い起こさせた。

さて、先の記事の続きとは言え、既にタイムリーさを失い少々間延びしてしまって、書きたかったことがしぼんでしまった。
詩画展を講演会のあとに見たものだから大勢の人でゆっくり味わえず、孫も限界になってぐずり始めたので半分ほどで出てしまったのが残念だった。しかし、じかに見た絵の見事さに驚いた。

この日の感想も要点だけになるが記しておきたい。


★私が知らないだけかもしれないが、星野さんの奥様への思いがあまり伝わってこない。私にとっても母や父の存在は特別であるけれど、伴侶への想いももっと読みたい。

★ソプラノ歌手の方が「星野先生」と呼ばれていたが、その敬称はよくないと思った。日本人は誰でも先生にしてしまう傾向があり、そのように呼びたい気持ちは分からないでもないが、これに関してこだわりを感じ心していることがある。

例えば、近隣の医師や商大関係の方(共に80歳代の方)を谷口家の家庭集会へお連れした時のこと。
医師と患者と言う場面での出会いではないので「○○さん」とご紹介しようと思っているのに、(無意識的にではなく)「○○先生」と言ってしまって大きなことは言えないが、呼ばれる側もまた、どこに行っても「先生」では自分自身に戻れないのではないだろうか。

ましてや教会や家庭集会でまで、先生であり続けねばならないのはよくないし、こちら側も親しさを深めるのを妨げるように感じたことがあった。

とにかく、星野さんを先生と呼ぶのはふさわしくないだろうし、ご本人も不本意であられると思う。


当日、娘たちは家田のお義母さんと「行基さん」の噴水前で待ち合わせ、私たちは寂しく2人だけだったからデートのつもりで楽しむことにした。

私宅は同じ奈良県であっても、奈良駅までは東大阪まわりで奈良線に乗り継ぎ、乗車時間はちょうど1時間だった。東大阪に住んでいた時は30分もあれば行けただろうから、奈良県に住むようになってから奈良が遠くなった。
京都から来られた家田さんも30分だったという。娘たちは20分ほどで行けるのだから奈良公園はお薦めスポットだ。猿沢の池も近いので散歩しながら亀を見せてやれる。

私は鹿を見つけるなり自分の年齢を忘れて大はしゃぎしてしまった。大きな目がすごくかわいかった。鼻はチャッピーよりも濡れていて水でふやけたような色をしていた。背中を撫でてやると想像していたよりも鹿の毛は軟らかかった。
鹿は平気で道路を渡るのだから危ないといったらない。私は鹿のために黄色いママさんになっていた。


鹿はお腹がいっぱいなのか、せんべいをもらっても見向きもしないのまでいた。ドングリはおいしそうに食べていた。近くにお住まいの御老人が、いつもドングリをやっておられるようだ。
私も一緒にあげた。こんなに硬いものをそのまま食べても大丈夫だなんて、鹿の胃腸はよほど強いのだろう。

孫は鹿を見ないままだった。鹿がいる時は寝ていたらしく、講演会のあと詩画展を見ていたから、出てきた時には鹿はもうどこかへ帰ってしまっていなくなっていた。

講演会に家田さんを招かれたのは神さまだった。
最初、私の脳裡にはその思いはなかったのに、チケット一枚残ることになった時に、神さまが私の心にその思いを注がれた。最初からのご計画だったと思う。しかも万事を益としてくださるために。このことが最も書きたかったことだ。


2008.10.25奈良で.jpg
「ならまち」に通じる商店街で。

真智と太志君へ:幸悠はもうこのようにひとり歩きしているのですよ。
幸悠が着ている黄色い上着は、2006年末に買ってきてくれたミネソタ大学のネーム入りパーカーです。知子がとても気に入っていました。ありがとう!昨日のスカイプもありがとう!

posted by 優子 at 18:32| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2008年10月25日

「ありがとう 私のいのち」 ―星野冨弘さんのメッセージ―

奈良文化会館国際ホールへ行ってきました。星野富弘さんの体調を心配していましたが、日常生活は問題ないとのことでした!
今夏の暑さに体調を崩され、この2ヶ月間かけて今日のために体調管理をしてこられましたが、8〜9時間かかる群馬から奈良までの長距離移動が難しく、こんな際になって漸く結論を出されたのでした。

「到着しても寝ているわけにはいかないので(この時少し笑われましたよ)、結局ご迷惑かけるだけになるだろうと思って決断したのです」と仰っていました。

奈良へは行けないと関係者に連絡が入ったのが21日の朝のことでした。そこで急きょ主催者の代表が星野さんを訪ね、この日のために群馬テレビの協力を得て、メッセージを映像に収録して下さったというわけです。
その要諦を速報させて頂きます。
私はまさか21世紀まで生きられるとは思っていませんでした。
自分のいのちに「ありがとう」と言えるのは、いのちを客観的に見た者、思った者でないと出てこない言葉です。

人間は死ぬんじゃないかなと思っている時は、生きたいんですよね。人工呼吸の助けをかりて生きていた時、いのちについて思わずにはおられなかった。

生きていてもしょうがないという思いになり、生きているのが苦しくてならなかった。しかし、心臓は動いているし時間がくれば腹がへるし、いのちが私を助けて生きようとしているということに気がつきました。

友が聖書を贈ってくれたけれど、直ぐには読みませんでした。三浦綾子さんの作品を読んで聖書を読みたくなりました。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたし(イエス・キリストのこと)のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」と、家の裏の土手に白い十字架がありますが、神さまは私がこんな苦しみにあう前からそばに備えて下さっていました。

いつしかそれを身近に感じるようになり、4年後に病室で洗礼を受けました。苦しい時に助けてくれるような言葉を心に蓄えようと思いました。

私の書くものは、イエスさまに著作権料を払わないといけないだろうと思うようなものばかりです。
しかし、キリスト教を毛嫌いしていた時のことを思うと、あまり「神さま」、「イエスさま」と言うのは未信者の方には背中が痒(かゆ)くなってしまうような言葉があるので、もっと素直に受け入れてもらえるような言葉はないかなと思って詩を書いています。

私はこのような経験を感謝して、逆境を、自分ではそのようには思っていませんが、思いきり生かして、自分にできることを精一杯やっていきたいと思います。経験を文章や絵に描いていきたいと思います。

奈良に行けなかったということは、いつまでも希望があるということです。いつか行けるという希望があるということです。

大会委員長のご挨拶に続いて、牧師によるお祈りに始まった「2008年讃美のつどい」プログラムをご紹介しましょう。

第一部の奈良県キリスト教連合会聖歌隊の合唱讃美も素晴しいものでした。各教会の聖歌隊により結成された「ならジュビリー」は、20名余りの男性含む100名強の混声合唱で素人とは思えない心打つものでした。

曲目は、「ああ、驚くべきイエスの愛」、「血潮したたる主の」、「キリストは生きておられる」、「ヘイル・ホーリー・クイーン」、「来なさい重荷を負うもの」、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、「ハレルヤ・コーラス」

合唱 「ばら・きく・なずな 〜母に捧ぐ〜」

第2部 「アヴェ・マリア」、「今日もひとつ『日々草』」

そして、星野さんのビデオメッセージ 「ありがとう 私のいのち」

常田(ときた)富士男さんによる朗読
   「故郷への道」より冨弘エッセイ
   詩 「ルリヤナギ」
   童話集 『さびしいおさかな』より「なにもないねこ」

最後は星野さんの愛唱歌、讃美歌312番「いつくしみ深き」をみんなで讃美し、牧師による閉会のお祈りで終わりました。

テレビ漫画の『日本昔話』でお馴染みの常田富士男さんの朗読はさすがでした。
常田さんは、「語りは祈りの心」をモットーに活動されておられるとのこと。昔語り・俳優というのは、その人の感受性、人格のすべてで表現されるものなんですね。私は即刻大ファンになりました。


讃美では何度も涙を拭いていました。
最初の讃美「血潮したたる」は、難病になった母に寄り添っていた時に何度も聞いていた讃美歌でした。悲しみに打ちひしがれて座り込んでいる自分の姿が見えるようでした。

でも、「ああ、おどろくべきイエスの愛」と「キリストは生きておられる」は私の愛唱歌でもありますから、一緒に立ち上がって大きな声で歌いたかったです。

「ハレルヤコーラス」では熱いものが込み上げて泣きました。ヘンデルが最も苦しい時に書き上げたがゆえに涙したのです。感動の涙です。主に栄光あれ!

ついでながら、カテゴリ「音楽」にあります2006年12月7日の記事を書いて以来、2年近くにわたって今も毎日1人はアクセスして下さっています。
「ハレルヤコーラス(メサイヤ)について教えて」という検索先から訪ねて下さり、今も変わらず回答の筆頭に私のブログを挙げて紹介して下さっています。ですからそのページにもっと主イエスを書き込まねばと思うほどです。

その記事に書いたように、「メサイヤ」を書いた時のヘンデルに感極まって、神に栄光を捧げずにはおられなくなって泣いてしまったのです。
畢竟、苦しみや悲しみからでしか良きものは生み出されないのです!それゆえに私たちを慰め励ますのです。


家族の光景や所感は次のページに書かせて頂きます。
尚、2006年12月14日にも「ハレルヤコーラス」について、星野さんの詩は2008年7月21日付け記事に少しご紹介させて頂いています。

神さまが星野富弘さんの健康を回復して下さいますように、昌子夫人の上にも豊かな祝福がありますように!
そして、貴方の上にも神の恵みが届きますように祈ります。
世々限りなく神に栄光がありますように!


posted by 優子 at 23:11| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年10月24日

タイトルが思いつかないミックス譚

   I hear and I forget.     聞いたことは忘れる。
   I see and I remember.  見たことは覚える。
   I do I understand.     したことは理解する。


これは学習や教育に関する3原則と言うか、3大真理とも言えることであるが、昨日の後半部分の記事に関連させて思うに、このことからもロールプレイによる疑似体験から気づかされたことは改善につながりやすいと期待できる。
なぜならば人格的な成熟は全て気づきから始まり、疑似体験により気づかされるから期待できるのではないだろうか。

我々は自分の姿は見えにくく「裸の王様」に陥りやすい。
また、相手の立場に立って考えるにも難しい曲面があり、経験した者でないとわからないと言うものの、それでも尚気づきにくい部分や場合もある。

" role playing "は、今から90年近く前にサイコドラマ(心理劇)からあみ出された心理学の技法で、役割演技、即興劇という意味である。
このことにより他者の気持ちを今まで以上に理解できるようになるだろうし、傍で見ている者には自分の姿が鏡に映し出されたようで、自分では気づきにくい領域が見えてくるように思う。

ところで、家庭集会の朝、次女から電話が入った。
国際電話である。と言っても電話機からかけているのではなく、プリペイドカードを挿入したパソコンから話しているのだから、すごい時代になったものだ。しかも電話代もかなり安い。しかし直ぐに切ってパソコンの電源を入れてスカイプにした。

次女が電話をかけてくるのだから何かあったと緊張が走り、瞬間的に祈りながら優先順位をつけた。
集会が始まる1時間半前のことである。
いつもならば当日に時間的余裕はあり得ないが、席も整え、メイン料理のラザニアも作り終えて、あとはサラダと果物の用意だから10時半まではいいだろうと計算した。

幸いにして心配事ではなかった。
娘の方が私を心配してくれていて、最近はめったにオンラインしていないからというのが第一声だった。私にとっては何と言っても娘達とのモメゴトが最大のストレスなので、「お姉ちゃんとの関係も円満だから安心してね」と口走っていた。

「家庭集会だけれど1時間はいいよ」と伝えて、互いの消息に始まり1時間余り話していた。
どうやら主な用件は、この冬は帰国しないことを伝えたかったようだ。私への配慮からメールではなくスカイプで。
来年の夏はIMFの仕事があり、3ヶ月間ワシントンに滞在するので帰国できないからガッカリした。論文のことなど諸事情もあるが、それ以外に真智子の胸中を察して親として辛いものがある。私自身のためにも祈りたい。


この日の昼食の献立は真智子に教えてもらったラザニアを作ったが、私のもうろく度もかなりのものだ。パスタとソースを交互に重ねないといけないのを全く忘れていた。

娘がアメリカで買ってきてくれたせっかくのラザニアをバキバキとメチャクチャな形に割って、湯がいてナポリタンのように混ぜてしまったのだ(>_<)。

教えてもらったように最後に生クリームを上からかけたけれど最悪。友は「おいしい、おいしい」と言って召し上がって下さったけれど、ラザニア料理がどんなものかに気がついたのは昼食時だった。
「お腹に入れば同じやね」と、こんな具合いに厚かましくも感謝して私は私らしく過している(笑)。優しい友たちに恵まれて。結局サラダは作ることができなかった。

そして、明日は待ちに待った星野冨弘さんの講演会だが、星野さんの体調が悪くてお出でになれず、DVDに変更されたという連絡が今しがた入った。

家庭集会の夜、この講演会にお誘いしていた方に連絡すれば行けないとのことで、友に声をかけたがご予定ありで、急きょ今朝になって家田のお義母さんにと促しを感じた。そして、長女から声をかけてもらったところ大喜びされたというのに残念だ。

星野さんのことも祈ろう。
展示物もあるので予定通り私たちは出向こうと思う。








posted by 優子 at 12:20| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年10月23日

assertion (アサーション)!自己主張は優しく論理的に!

昨日の学びの時、私はスイスの信仰篤き精神科医・ポール・トゥルニエの言葉を思い出していた。

「他人の苦しみにキリスト教徒が出会うということは、その苦しみを和らげるために、神によってそこに呼ばれたことを意味するのです。

よきサマリヤ人の話や、よき羊飼いの話は医師の心に響くこと大きなものがありますが、それは『神は私を、人を助けるために召して下さった』と感じ、自分の職業の真のすばらしさを教えられるからにほかなりません。ですから医師は神の協力者となるわけです」。


私がキリストにより新しい生涯に入れられて半年後のことだった。この具体的な教えが、私のそれまでの考え方を決定的に転換させるものになった。
何よりもトゥルニエに魅かれるのは次の告白を読んだからだ。
ある時、ネリ夫人が夫のトゥルニエに次のように言った。

「おわかりかしら。あなたは私の先生。私の精神科医。私の牧師ですらあるかもしれません。でも私の夫ではありません」。

この言葉により、真の心の通い合いは対等な関係なくしてありえなく、問題は平等性にあるとトゥルニエは気づかされたのだった。

そして、「私の信仰すら、教義についての思想にすぎなかった。・・・私は自分の気持ちや悩みや落胆を人に言うことを知らなかったのである。と告白した。

その後、トゥルニエは長い黙想の日々の中で霊的成長を遂げ、冒頭の考えに至ったのである。私はここに人間の実相を見るのである。

即ち、人は皆同じだということ、どんなに立派に見える人間もまた同じような心情を経験していることを直観して、決定的なほどに大きな影響を受けたのである。書名の通りまさしく『人生を変えるもの』であった。

これからも昨日教えて頂いた原点を忘れないで、何度も何度も思い起こしながら進んでいきたいと思う。
主イエスを信じる者は、永遠へと続く道を歩ませて頂いているのであるから大らかに進んでいけばいいのだ。既に永遠の中に在るのだから!

また、昨日の午後の歓談では有意義な話題が溢れた。
まず、A姉の体験談は私には興味深い人間学だった。そして、冨美子姉が教えて下さった「アサーション」は、初めて耳にした言葉でとても面白いものだった。

" assertion " は心理学用語でもあり、「自己の主張をやさしく論理的に行うこと」である。
例えばレストランでのこと。
肉の焼き方をミディアムでお願いしたのに、しっかり焼いたものが運ばれてきた。さあ、あなたならどうする?というものである。


例えば、「これではウエルダンではないか!ミディアムに変えろ!」と怒って文句を言うのか、文句は言わないけれど「こんなもの頼んでいないのに・・」と不満を感じながら食べるのか、あるいは、「すみませんが、私はミディアムをお願いしたのですが、」と穏やかに言って変えてもらうのかである。
勿論、最も良いのは最後の対処の仕方である。

また、こんな例も話して下さった。
明日から試験が始まるのにノートを貸して欲しいと言ってこられたらどうするだろうか。

しぶしぶノートを貸して惨めな気持ちになるのか、ぞんざいに断わるのか。最も良い対処の仕方は、「ごめん。今度借りたい時はもっと早く言ってね」と断わるなど、こういう内容のものだった。

このことは境界線の問題と重なり、方法論としてではなく、考え方や生き方につながる意味深いものだと思った。
前者の例で言うならば、店の人や客の役になって疑似体験するので、気づきが与えられやすく身につきやすいと思った。

夫婦喧嘩のロールプレイでは、「夫側の言い分にすごく共感してしまったり、言葉で言ってみて初めて分かるということがあるんですね」と、その一端を話して下さった。
" I am OK.You are OK. "で生きていきたいものだ。わーい(嬉しい顔)

次回の「オリーブの会」は11月26日(水)に決定、これが今年度最終の集会になる。







posted by 優子 at 18:28| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2008年10月22日

第37回 オリーブの会 ―善いサマリヤ人―

先月の家庭集会の日には花が一つ二つだったシュウメイギクは満開で、淡いピンク色の花びらがたくさん散り始めている。
昨日まで1週間ほど夏日が続いていた秋晴も、今日は打って変わって曇り空。いつしかシトシト小雨が降り出した。

先月に続いて今月もまた家庭集会を開いて下さった神さまに感謝しつつ、読者の皆様にも恵みをお分かちしたい。私は今回もまた信仰の原点に立ち返らせて頂く恵みに与った。
今回の聖書箇所は「ルカによる福音書」10章25節から37節、「善きサマリヤ人の譬え」と呼ばれているところである。
25節 するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
26 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
27 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
28 彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。
29 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って(新改訳聖書では「しかし彼は、自分の正しさを示そうとして」と、わかりやすく鋭い)、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。

30 イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
31 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
32 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。

33 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
34 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
35 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。

36 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
37 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。

まず時代背景のご説明から:
イエスさまの時代、サマリヤ人(びと)たちは混血だということから、ユダヤ人たちは彼らを異邦人に近いと見なして軽蔑し排斥していた。
譬え話の傷ついた人は、おそらくユダヤ人だったであろう。
祭司とレビ人は、たぶん宗教儀式のために神殿に向かうところだったと思われる。もし彼らが血に触れると、その日は一日中、汚れて神殿に入れなくなる。

「祭司」と「レビ人」は常に聖書を読み、神に仕える最も神に近い人々である。彼らは創世記から申命記だけを自分達の聖書としていた。

今回は次のようなことを話し合った。

@ 道端に何時間も横たわっている間、この傷ついた人の胸の中に、どんな思いが湧いたか想像して下さい。(父親が旅から帰って来ない時の、妻と子供たちの気持ちを想像して下さい。)

A この2人の宗教家、祭司とレビ人は、どうして死にかけている人を助けようとしなかったのですか。いろんな理由を考えて下さい。
  急いでいたから。誰かが助けるだろう。かかわりたくない・・・。

B 聖書から学んだ愛の戒めを、この祭司とレビ人はどう解釈していたのでしょう。(27節参照)

C 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして神を愛していながら、隣り人の苦しみを無視するのは可能だと思いますか。その理由も言って下さい。

D サマリヤ人にも傷ついた人を放っておいて当たり前という理由はたくさんありました。できるだけいろいろ考えて下さい。

E こういう場合、まともな人ならするべき最低限の助けは、どんなことですか。
  「どうしたのですか?」「大丈夫ですか?」と声をかける。
  傷の手当て。家族に知らせてやる・・・。


F サマリヤ人は、それ以上にどんな助けをしましたか。

G 銀貨2枚(1デナリは一日の日当、今なら1万円以上)は、2日分の給料に相当します。それだけで2ヶ月間、宿屋に泊まれました。
このサマリヤ人が、そんなにたくさんのお金を他人のために使ってもよかったのは何故でしょう。

H みなさんは、どんな人のためなら、このサマリヤ人が他人にしたようなこと全部をしてもいいと思いますか。

I サマリヤ人は、愛と戒めの最初の部分を守ったと思いますか(27節)。なぜそう思うかも言って下さい。

J 祭司とレビ人が怪我をした旅人を無視したように、あなたが今まで無視してきた隣人は誰ですか(37節)。心の中で答えてもかまいません

K イエスさまと善いサマリヤ人の共通点は何ですか。

L サマリヤ人がした以上に、イエスさまが敵のためになさったことは何ですか。

M 人に心を傷つけられた私たちのために、イエスさまは何をして下さっていますか。


これらの設問から自らを省み、神さまに探られ、最後に次のような問いかけがなされた。

N イエスさまは律法の専門家に何を教えようとされたと思いますか。

そして、学びの締めくくりとして冨美子姉が語って下さったことが、深く私の心に届いた。

私たちは「何をしたら」ということに関心が向くが、これは古今東西どの国の人も同じである。日本では、お百度を踏む、滝に打たれる、千日回峰などに象徴される。

律法の専門家は「私にはできません」と言うことができればよかったのである。神の基準を示されても自分はそこにはとても到達できない。

私たちは努力義務を持つが、それをやり通すことはできないということを正直に認めればいいのに、自分は精一杯やっていると自分の正しさを示そうとして質問した。

神の国とか永遠の命を得ようとするのは人の常なのだが、「ありがとうございます」と受け取ることが信仰であり永遠の道である。それを頂いて歩んでいくことが永遠に続いていく道である。

神さまのほうから寄って来て下さって傷の世話をして下さり、もう一度立ち上がれるようにして下さる。
私たちは横たわった病人のように、ただ受け取ることができたら幸いである。

この譬え話で、このところに力点を置かれたメッセージを見聞するのは初めてなように思う。
クリスチャンならば聞き飽きるほど耳にしていることであるにも関わらず、我々は依然として何かをすることで受け容れてもらえると思いがちである。
私など生き方に不自由さを感じる時には 、必ず" doing "の枠(罠とも言える)に入っていると言っても過言ではないからだ。" doing " ではなくて" being " なのである。

私は冨美子姉を通してこの点を何度も何度も導かれてきた。この家庭集会で最も多くの恵みを頂いているのは私であろう。
ついでながら私の愛用している手引書から要所を記しておきたい。

29節の「わたしの隣り人とはだれのことですか」の問いかけに対して、イエスさまは「だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」(36節)という問いで答えられた。

「如何にしたら隣人になれるか」と言うのである。

それは隣人を必要とする人の傍らに行ってあげること。
隣人とは相手ではなくて、相手にとっての自分である。これがイエスの愛の教えの急所であり、それは即ち「自分を必要としている人を助けよ」ということである。


時と場所に応じて、人間は誰かの隣り人にならなければならないことを示している。その時、その場所で彼を必要としている人が彼の隣人にほかならない。

尚、この「善きサマリヤ人の譬え(グッド サマリタン)」は、ルカだけが伝えている。
午後の交わりにおいて興味深かった話題は明日の記事に記したい。
posted by 優子 at 23:16| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2008年10月20日

生から死へ移されつつある親に寄り添う時

実は17日に続いて今日もまた、『希望の風』さんのお母様の御容態と姉の心的状況から、私まで沈み込み何も書けない日を過ごしてしまった。
明日もこれではいけないと思い、夫の帰りを待ちながら勇気を出して向き合おうと決心した。

父の時もそうだったが、特に母の時のことが辛く重なってしまうのだ。父の時よりも苛酷な精神的家庭的状況であったからだが、17日に書けなかったのは、希望姉の15日の記事に書かせて頂いたコメントに対するお返事に同情したからだ。

私はコメントに「生から死へ移されつつあるお母様」と明確に書かせて頂いた。さすがに最近では「癒されますように」というコメントはなくなったが、不毛な言葉にクリスチャンと言えども真正面から死と向き合うことは難しいのだろうと拝見していた。

神の癒しがあったとしても、人はいつかは死ぬのである。いくら覚悟していても覚悟できるというものではないが、ご高齢ゆえに心の備えが必要だ。
咄嗟には動揺しようとも「予期悲嘆」は有益な備えである。私はそのことも配慮して祈りつつ書かせて頂いたのだった。


それに対して、「母は日に日に弱っています。ほとんど食事が摂れません。主の御手にゆだねますと祈っているのに、気がつくと心がどんどん沈んでいき、どうにもなりません」と、姉は正直に吐露して下さっていた。

この短いコメントから私は希望姉の状況が手に取るようにわかった。信仰者と言えどもこれこそが本当の姿なのだ。だからこそ人の悲しみを知る者になるのだ。私は何か慰めと励ましの記事をと思うのだが、何の言葉も紡げない。

1995年8月25日のこと、母の病室に泊まった明けの日の帰りにキリスト教書店に立ち寄り、柏木哲夫氏の『愛する人の死を看取るとき』を購入した。私なりに看取りの導きを求めていたからだ。

主の御霊と御言葉に支えられながらも、神に対して失望や憤りなどの感情は稀ではないし、それは神学的視点からも容認されていることでさえある。
自分の言葉で悲しみや辛さを訴えることは愚痴ではなく、健全な態度である。そのような人間的な感情を経験してこそ信仰が生きるのである。


そういえば上掲の書物にこのようなことが書かれている。

ところで、彼女が落ち込んでいたとき、多くの人がいろいろな慰めの言葉をかけてくれた。もちろん、皆、善意から出たことばであったのだが、そのなかでいちばん慰めにならなかったのが、実はクリスチャンの仲間の言葉だったという。

例えば、「ご主人が亡くなったのは、きっと神様の御心よ」、「神様のご計画なんだから悲しんではダメよ」などと言われたときには、怒りの気持ちさえ湧いてきたという。・・・・「クリスチャンの友達というのは、とかく神様の意志とか御心とかいう言葉を振り回して、私の心を傷つける」と、彼女にしては珍しく、強い調子で私に訴えたのであった。

訴えている彼女とは牧師夫人である。
そして、これまで何かにつけて「神の愛、神の摂理」という言葉で慰めようとしていたと気づかれて反省されたという。
これは結局、慰めてあげたとか、励ましてあげたなどという、ある意味では自己満足にすぎないことも多いのである。
これらの安易な励ましの言葉は、実は何の慰めにもならず、むしろ腹立たしく思われてしまうことを、私たちは知っておく必要があると思わされたのだった。

10月25日は母と死別した日である。その5日後に私は45歳になった。
希望姉は私と違って20年以上もお母さんと長く居られて羨ましくもある。でも、別れの時の悲しみは同じだ。私もまた何の慰めの言葉もかけられなくて祈らせて頂くしかない。

希望姉、本当にお辛いと思います。あの時の深い疲れ、どうやっても奮起できなかった日々、悲しみの日々を思い出すと、未だにかたまってしまうほどです。
ただただお母様の平安をお祈りしています。
父も亡くなってからのことですが、「これは私だけではない、みんなもこの悲しみを経験しているんだ」と、こんな当たり前のことに気がついて慰められたのでした。
畢竟、最後は神学も何も必要ないのです。ただただ「イエスさま」だけなのです。私はそう思っています。


今週末、母が逝って12年目の日は星野富弘さんの講演会に行くことになっている。そして、30日に私は57歳の誕生日を迎える。母が召されてからは、誕生日は「母を偲ぶ感謝の日」である。

クリスマス御殿(市内でも有名なイルミネーションの家)も、先週初めに庭木の剪定を終え、18日の土曜日には親しい人たちが手伝いに来られ何台もの車が止まっていた。既に2階の屋根から電飾がぶら下がっている。
これから2ヶ月近くかけて土・日に電飾の準備をされる。このこともまた風物詩のように感じているのは私だけではないだろう。

先ほど、夫が上機嫌で帰って来た。
毎年この時期に帝国ホテルで北越製紙主催の謝恩パーティが開かれる。200名近くの卸業社が招かれ夫は最後に出番があった。
昨夜の散歩で「夢と希望を紡ぐと言えばええかなあ」と言っていたので、「上手にできた?」と、私は夫がまだ靴も脱ぎ終わらないうちに聞いてみた。「まあな」とニヤッとし、「夢と希望は言わんかった」と笑っていた。

私は書くことにより前駆的鬱症状から脱出し、軽快な気持ちで夫を出迎えたのであった。


posted by 優子 at 21:45| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2008年10月18日

繰り返すことのできない日々を生きる

人生には、喜びが、悲しみが、希望が、恐れがある。
だがそれは、愛を学ぶ価値を知るチャンスにすぎない。
愛が何であったか、何であるかを学ぶチャンスにすぎない。
            ・ 
とにかく喜びを与えなさい。喜びを与えるどんなチャンスも失わないように。それこそ真に愛のこころを持っている人の隠れた勝利だからです。

「私はこの世での生涯はただ一度きりですから、私にできるよいこと、私が人にしてあげられる親切があれば、どうか今、それをさせてください。それを一寸延ばしにしたり、無視したりすることがありませんように。
なぜなら、私はこの人生をもう一度くり返すことはないからです」。
         
             ・
             ・
私たちの生涯かけての仕事は愛を学ぶこと、これこそ私たちがこの世で本気に取を組まねばならない最上の仕事なのです。
人生は愛を学ぶ機会に満ちているではありませんか。
男でも女でもみんな、日ごとにそういう機会に数えきれないほどぶつかっているはずです。
            ・
            ・
神の国のうちにいると公言している人たちの愛のなさによって、なんと多くの放蕩息子たちは、神の国から閉め出されていることでしょうか。
            ・
            ・
意志の力が人々を変えるのではありません。
時が人を変えるのでもありません。キリストがそれをなさるのです。

       (ヘンリー・ドラモンド『人生で最高のもの』)
次に掲げるのはパウロの手による「コリント人への第1の手紙」の13章である。ここは「愛の章」と呼ばれている有名な箇所である。
そこで、わたしは最もすぐれた道をあなたがたに示そう。
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢(にょうはち)と同じである。

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。

しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。全きもの(神であるイエス・キリスト)が来る時には、部分的なものはすたれる。

わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。

わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。

このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

このパウロでさえ愛の人ではなかった。
かつてはキリストを迫害していた者が、キリストに出会ってキリストの御霊により変えられたのである。しかも、年齢を重ねるにつれて優しさが際立っていったことを思う時、私はいつも大きな励ましを受ける。

そして私もまた、生涯の終わりまでひたすらキリストの品性を求め続けていきたいと思う。生きることは愛することであり、愛こそがキリストのメッセージなのだから。

posted by 優子 at 13:47| 引用文 | 更新情報をチェックする

2008年10月16日

キリスト教の葬儀について

今年5月9日に召されなさった小山牧師の告別式で、放出教会では告別式参列者の方々に「キリスト教式の葬儀について」と題して書かれたものが式次第と共に配布されていた。

良い機会なので『メメントドミニ』をお読み下さっている方々のために、「キリスト教式の葬儀について」を転載させて頂きたいと思う。

はじめに

私たち人間は天と地を創造されたまことの神によって造られました。
聖書の神は愛と祝福の神であり、神は私たちが生かされている間、神のみ思いに従い、互いに愛し合い、神に喜ばれる道を歩むことを願っておられます。

しかしながら、私たちは神から離れて、神に逆らって自分勝手な生活をしています。聖書ではこれを罪といいます。神は正しいお方でもありますから、私たちの罪をお見逃しにはなりません。罪は必ずさばかれます。

しかし、神は憐れみ深いお方でもありますから、ひとり子イエス・キリストによって私たちのすべての罪を赦し、永遠の命を与えて下さいます。

このイエス・キリストを救い主と信じる者は永遠の命を受け、キリストが復活されたように復活します。
これがキリスト教の救いです。

キリスト教式の葬儀の特徴

キリスト教式の葬儀では、故人礼拝しません。人は死んで神になるのではないからです。
私たちは故人を愛と公平の神に一切を委ねて祈り、故人の神への信仰を思いうかべて故人を偲び、故人に対する敬意を表します。

したがって、キリスト教葬儀では故人の信仰と生活を導き、故人を罪と死から救って下さった神を礼拝し、ご遺族の方々への慰めと励ましを与えることに重点をおきます。
また、参列される方々にとっては、自己を反省し、死に対する備えの機会になります。

お願い

葬儀参列の際の服装は、ふつうの喪服で結構です。数珠は必要ありません。

キリスト教の葬儀では「香典」や「ご霊前」という言葉の代わりに、「花料」または「お慰め」、「寸志」という言葉で志を表します。

葬儀の司式は牧師がいたしますので、その指示に従って下さい。

献花については、葬儀の際に行うことがあります。その時は係りから花を受け取り、黙礼しておささげ下さい。

キリスト教では死を不浄であるという考えはありませんので、塩などでのお清めの習慣はありません。

キリスト教では、適当な日数を経て、故人の記念会をいたします。ご遺族あるいは教会からご案内がありましたら、ご出席ください。
                  
最近は仏教式でもお香典を辞退されるのが一般的になってきたが、ひと昔前はお香典を受け取られる場合が多かった。
その折に「お花料」と記すと「供花」の意味に受け取られたので、私は「お慰め」と記すようにしている。そのほか「哀悼」などもふさわしいであろう。

私は焼香を辞退させて頂くので、ご遺族へのお慰めの気持ちで菊一輪用意して献花するようにしている。
焼香しないからと憤りの気持ちを表わされたことは今までに一度もなかった。それどころか、「わざわざお花を・・」と喜んで下さり、棺に入れて下さったたことが何度もあった。
教会での葬儀はこちらから献花を用意していく必要はない。

昨日の牧師夫人の厳粛な場に導かれて、私もまたその時のために備えをしておきたいと思う。
好きな聖句、讃美歌、経歴、信仰歴、そして、私の証しを書いて、自分の葬式への意志と希望を夫と娘達に伝えておきたいと思う。

死を考えてこそより良い生を生きることができる。その最後は、周囲の人々や会葬者に主を証しして私の生涯を締めくくりたい。
いよいよ証しする日々を重ねさせて頂きたいとの祈りに力が入る。
posted by 優子 at 21:25| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年10月15日

ある牧師夫人の65年の御生涯

午前11時、故 富浦佳子(よしこ)先生の葬送式が始まった。
列席者は150名以上居られたように思う。到着順に席に着き、私は庭に張られたテント下の椅子に同じ頃に到着された徳山師と並んで座らせて頂いた。南大阪福音教会関係者は徳山師と私だけだったようだ。

かつて夫と長女と3人で初めて国分福音教会を訪ねた時、この庭で昼食を頂いたことを思い出していた。

牧師夫人は65歳のご生涯だった。
一女四男のお母様で11人のお孫さんがおられ、子供さんたちもその配偶者たちも全員救われたとのこと。ハレルヤ! (良かったですね!)

1年365日、夫人は毎朝5時に起きて教会で祈っておられたそうだ。子供たち、教会員の方々一人ひとりの名を呼んで。
毎日のウォーキングでは、いつもの場所に立って国分の町に手を挙げて神の祝福を祈っておられたという。

本当に明るくて活発な方だった。
牧師夫人だからと地味であらねばならないわけではない。ショートカットがよくお似合いで、アイシャドーもお似合いの明るいお化粧や服を好まれる牧師夫人は魅力的だった。


2010年に開催予定のフランクリン・グラハム大阪大会実行委員会の委員長(?)の御用にあたられるはずだったそうだ。(私としてはフランクリン・グラハムについては詳しく調べる必要があると思っているが)

会葬者が多いのでご遺族の方々とのご挨拶は一礼だけにとアナウンスされたので、富浦牧師に申し上げたいことがあったが我慢した。「私は佳子先生と親しくお出会いしてお導きを頂きたかった」と。
しかし、富浦牧師のほうでも長い間私に目を向けて離されなくて、まるで何かお話になりたいのだろうかと思うほどだった。

私たち夫婦が集っていた頃、会堂が新しく献堂されて間もない時だった。教会の献金だけでは経済的に苦しかったからだと思うが、富浦牧師は信徒同様に平日は全日働きに出ておられた。

また、日曜日は私の家近くに住んでおられた年老いた信徒たちのために、自ら運転して自動車で迎えに来られていたことを知り、私たち夫婦は感心していたものだ。


今夜夫に話していた時も、「顔を見ただけで真面目な人だとわかるやんか」と牧師のことを好意をもって語り、夫もまた奥様のことや牧師のことを思って胸を痛めた。

「今月は結婚43周年を迎えるはずでした。42年間も一緒にいたんだなぁと思うと・・・」と語られた牧師。残された者の悲しみ、寂しさはいかばかりだろうか。
突然に一人残されてしまった富浦先生、ああ神さま、あなたの慰めで支えて下さい!

人の一生は誰と出会ったかで決まると言われている。
私は富浦佳子先生とのチャンスを逸してしまったように思えてならない。もはや名前を記憶して下さって頂けただけでも感謝して、このことを通しても信仰から信仰へと導かれていきたいと願う。

「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」

                     (詩篇116篇15節)
神に罪赦され罪の解決を得た人を「聖徒」と言う。
罪赦されて生かされていること以上の喜びと生きがいはない!

それだからこそこのような突然の別れもあることを憶え、悔いの無ないように生きていきたいと心に刻んだ。


富浦牧師ご一家の上に神さまの豊かなお慰めがありますように、尊い主イエス・キリストの御名を通してお祈りします。

・・・・・・・・・・・・・・・・
<12日(日)からの記録しておきたい消息>
12日朝10時半、町内会の草引きを終えて帰宅。その直前に知子たちが到着していた。その後まもなく知子の婿を伴って初めて両親の墓参に行った。

墓の前で神を礼拝し、両親の愛を思い巡らせた。
「お父さん、お母さん、これが知子の伴侶です。知子は母になりましたよ。私の孫がそこまで来ているのですよ。車の中で寝ているのですよ。」と語りかけていた。

13日(月・体育の日で祝日)、朝から義母のためにおはぎを作り、庭の草引きに来てくれていた義弟にも持ち帰ってもらうよう用意した。義母を誘って6人で昼食に出かけた。
現在85歳の義母は若い頃から少食だが、この日は「おいしい」といつもの2倍近くの食欲で、しかも天ぷらやデザートのケーキとコーヒーも平らげた。

昨日14日朝、婿は夫と共に出社し、昼過ぎから集合場所の伊丹空港に向かい新潟へ飛んだ。明日は目的の北越製紙工場を見学して豪農の館などを観光して今夜帰宅する。
そして今日、知子と幸悠は明るいうちにと4時過ぎに帰って行った。夕食用に生協の「マグロ丼」を持たせた(笑)。

知子が来た時はゆっくり娘を眠らせてやるために、私が孫と2人で寝ているが、その寝顔はもはや知子や真智子の幼かった顔ではなく幸悠になっていた。

葬送式で挨拶された娘さんの言葉が心に響く。
「母は子供や孫にもできる限りの愛を尽くしてくれました」。

受胎から出産までだけではなく、この1年3ヶ月間も命の成長は奇跡の連続だった。今ではこちらの話していることがわかるようになっている。こんな時はやはり我が子の幼かった頃を懐かしく愛おしく重ね合わせている。

この命を育む日々こそ何にも代えられぬ偉大な仕事を成している時だ。子育てでしか経験できない喜びや学びが溢れている。


私は幸悠の成長をどのくらいまで見ることができるのだろうか。
私もまた佳子先生のように全力投球で残りの日々を生きていきたいと思う。
私は私らしく・・・。るんるん
posted by 優子 at 23:59| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2008年10月14日

『死の棘』 D ―研究例会余録―

11日の正午、小川姉と待ち合わせた大阪駅8番線のプラットホームは、6年間同志社へ通っていた当時のままである。

私はこのたび初めて大津での例会に参加した。下車したのも初めての大津である。駅から眺める町並みはホッとひと息つける雰囲気が漂っていた。
そこからすぐの所に日本基督教団大津教会があり、教会に隣接する愛光センターへ入って行った。

長原兄はいつものように日野原重明氏のコラムと共に、長原さんの地元紙でもない中日新聞から島尾関係の興味深い記事を2点配布して下さった。
氏は私のブログだけではなく、三浦姉(「希望の風」)と島田姉(「生かされて」)のブログを毎日印刷して下さっており、この日は10月10日付けのページを印刷して全員に配布して下さった。

伝道所を開いておられる長原さんの情熱と御愛労に頭が下がり、ブログへのご好意は神さまからのお励ましであると心から感謝している。

さて、『死の棘』のご講義のあとに私の疑問点をお聞きした。

まず、島尾は悪いことをしたということはわかっていても罪意識が感じられないことについては、先生方のお話から理解することができたことを述べ、今後は私自身の信仰生涯の深まりと共にお説を深く理解できるようになるだろうと申し上げた。

もう一点の敏雄の狂気に対しては師も私と同じ御見解だった。

このあとの作品高評では、今夏発行された『関西ペンの声(No.14)』を取り上げ、掲載された人では出席者が私だけだったということから拙文を取り上げて頂いた。
膀胱癌の疑いから命と向き合って気づかされた「ここを起点として新たなる出発」である。


※以下は自分のための記録である。
死を目前にしてやりたいことは愛する者たちへの遺言だったことについて、「そのあとの文章は、遺言でこのひとことだけは伝えたいとして次の段落へ入っていくと良い」と指摘して頂いた。

同じく大田先生から下段3行目から9行目まで「手術室に入ってから〜自らを責めた。」のところは、「この論理は信仰のない者にはわからないものだから、2〜3つの文章にたたみかけたほうが良い。」とのご指摘を受けた。


久保田先生からは「徳性とはどういうものですか?」と問われて、おこがましいと思いつつも次のようにお答えした。
「これまで多くの知人から『藤本さんは相手の気持ちになって話を聴ける人だからカウンセラーに向いている』というようなことを言われたことがある。例えばそのようなことが私の徳性ではないかと思われる」。

自分の徳性というのは意外にも自分ではわからず、他者の目を通して気づかされるのではないだろうかと思うのでそのようにお答えし、次のように続けた。

「このたびは癌の疑いだけで終わったが、健康な者にはわからぬ病者の気持ちを僅かなりとも体験したことにより、今まで以上に病者の気持ちを想像することができるのではないかと思っている」とお答えしたのだった。


そのあとO姉より、最後の「徳性」は「信仰」にするほうがいいのではないかということと、「磨いていきたい」という表現は「自分で頑張る」ということになるから変えたほうがよいとのご意見を頂いた。

前者については私の言おうとしていることと全く同義なのでそれでよいとも思うのだが、このたびの経験ではより具体的に「徳性」という促しを感じたことをお話した。

「頑張る」については私もまた同様に、誤解を招かないようにと常々心にとめて使わないようにしている言葉である。
しかしながら、主に委ねて変えられていくにも主体性は不可欠であり、その本質を言葉にしたつもりであると御説明した。

入信当初に読んだ阿部光子氏の書物から、「『頑張る』とは『我を張る』ということである」と私の心に飛び込んできて以来、私もまた常に熟慮させられている言葉であることもお話した。

しかしまた、正しい認識をもって使っていても、いつしか自力の道に外れやしないかとの懸念を意識して慎重に扱っているつもりであるが、語彙や表現力の乏しさを痛切に感じるところである。しみじみ文章は難しいと思う。

このあたりでだったと思うが、大田先生はこんなことを仰った。「藤本さんは常に前向きでいつも明るいですね。これも賜物なのでしょうね」と、師の目に映っている私の印象をお聞きした。
敬愛する大田先生を通してイエスさまからの励ましでもあることを忘れないでいたい。
 

大田先生は「関東ブロックでは遺言を書いているそうですが、遺言は書きましたか?」と問われ、まだ書いていないことと今月末の誕生日には書きたいと思っているとお答えした。

すると続けて「どんな内容を書こうと思っていますか?」とお聞きになり、私は即座に「物語の中でシンデレラの実母が言い残したのと同様に、娘達には神を信じて素直な心で生きていくようにと書きたい」とお答えしたのだった。
大田先生ご自身が仰った「ありがとう」の言葉も忘れずにいたい。

私にとっては今回の研究例会は特に実り多い学びだった。
それだけではなく久保田先生は、次号の『関西ペンの声』に『死の棘』について感想を書くようにとご指名下さった。
喜んでお受けしたものの前回に続いて掲載して頂くのは恐縮だったので、編者の松本姉にお尋ねしたところ快く背中を押して下さった。原稿締め切りは11月末である。

尚、次回の研究例会は11月15日(土)、大阪府吹田市で開かれる。
テキストは三浦綾子の『母』と、小林多喜二の『蟹工船』である。『母』は小林多喜二の母のことである。

長原さんが配布して下さった朝日新聞の広告記事には、『母』の解説が詳しいと触れられている。解説者は我らが久保田先生である。『母』を開いてみると確かに久保田先生が解説を書いておられるではないか。

この2冊は読書会でも取り上げた本であるが、まさか著名な久保田先生から直接学ばせて頂けるとは光栄至極だ。溢れる神の恵みを感謝し益々熱心に励んでいきたいと思う。
  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

12日朝、JECの富浦好之理事長夫人がくも膜下出血のために緊急入院され、今朝召されたとの訃報が入った。元気溌剌とした方だったのでショックだった。神のみ前に頭を垂れた。
JECは今通っている教会と同じ教派であり、スウェーデンのオレブロミッションから始まっている。富浦牧師はその委員長を務めておられる。

この土地に移って教会を捜していた時、富浦牧師が牧会されている国分福音教会へ通っていたことがある。
我が家からは2駅向こうで大阪府柏原市になる。国分駅で下車してからも歩いて行ける距離なので、夫が来てくれなくなってからも1人で2〜3ヶ月通っていたことがあった。

佳子(よしこ)先生は放出教会の牧師夫人を想わせる活発な方で、同じように牧師の夫をよく支えておられた。
それほど大きな教会ではないので、特に個人的なお交わりのなかった者が行くのは遠慮したほうがよいのではと思ったが、明日の告別式に参列させて頂こうと思う。

長女の婿は今日明日と新潟へ出張のため、娘と孫は明日の夕食を済ませてから帰宅することになっている。
私は娘に訃報を伝え、私もまた佳子夫人のように突然召されるようなことになった時には悔い改めの祈りもできないので、「その時はママのために執り成しの祈りをしてほしい」と頼んでおいた。

今夜もまた朦朧とした頭で11時半頃から書き始めて午前1時を過ぎてしまったが、明日の厳粛なことがあるので昨日の記事で更新することにした。
posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2008年10月13日

『死の棘』 C ―JCP例会での学びから―

11日(土)のクリスチャンペンクラブ例会の学びを一刻も早く記しておきたかったのだが、5日から長女家族が来宅しているために遅くなった。
例会報告(書記役に変更になった)の役目を仰せつかったので、感動も鮮明なうちにと体力限界ながらも昨夜11時過ぎから1時過ぎまでかかって書いた。今夜読み直してブログ記事兼報告文の準備とする。

久保田暁一先生のお話から

この作品は昭和29年10月から30年6月までの9ヶ月間のことを題材に、その間の修羅の状況を書いている。
敏雄は昭和31年12月に洗礼を受け、35年4月に短編として発表し始めた。その後、テーマも題材も同じものを16年かかって書き上げたものである。

奥野健男氏は次のように好意的に評している。
「これほど夫婦というものを宿命的な本質に迫り、そして狂乱の中に一対の男女の愛と憎しみの姿を原始的に描いた作品はない。
夫への糾弾のきわみに見せる女の裸の切ない求愛、妻の狂態と尋問のはてに絶望しながらもあらわれる妻へのいたわりと贖罪とやさしさが心を打つ。」


この激賞に久保田先生もまた同感され、稀有の作品であると述べられた。
「この作品はいい格好をしようと思っていては絶対に書けないものである。
これだけ書けるのは強い信仰があるから書けるのであり、妻の魂の底からの訴え、悲しみ、怒りを十分に汲み取って、敏雄が狂人化していくほどの深みに沿っていく」。


作家であり文学者である久保田先生は次のように述べられた。
「これを読んでいて自分の魂が抉(えぐ)られる。よくこれだけ書けるなあと思った。信仰者としての視点も感じる。
深い信仰があるということと、深く深く見つめている作家だなあと感じた。ここまで掘り下げて見つめていかねばならないのだなあと思った」。

このお言葉は私の深いところを鋭く刺激した。私にとっては「魂を抉られる」どころか、最初のうちは退屈な繰り返しでさえあったからだ。深い信仰云々についても同様であり別のページで述べたいと思う。

夫のことを心から愛し従順だった妻が、敏雄の書いた日記を見て変わった。この地獄を変えるのは、作者の優しさ、妻への鎮魂であった。


大田正紀先生のお話しから

甲南大学に事務局を置く島尾文学研究会は、神戸外大で史学概論と中国文化史を担当していた島尾から教えを受けた人が中心になっている。

昨年、伸三(島尾の息子)さんが「父と母を語る」と題して講演された。
伸三さんは写真家で、古い日本や昭和の風景など穏やかな日常を撮っている。ユーモアのある人である。
家庭の持つ怖さ、愛の怖さを感じさせられるが、深刻な現実を越えていくのは信仰でありユーモアだと思った。

奄美大島はアミニズムのような宗教しかなかった所であるが、日本で唯一キリスト教(カトリック)伝道が成功した島である。
近代日本のプロテスタントの伝道は個人の信仰でありインテリの信仰であった。しかし、そうではなくて家の宗教として受け容れたのが奄美大島だった。

『はまべのうた』は一見牧歌的な作品である。これを読むと、島尾が遠くからやって来た救い主のような存在であり、村の人たちから如何に敬意をもって迎え入れられたことかわかる。

その奄美で島尾は洗礼を受けた。
洗礼の動機については、「洗礼は方便だ。カトリックの中で生きていく上でカトリックという看板を着ないと生きていかれない」と語っている。

しかし、久保田先生が「島尾は深い信仰を持っていた」と先にレールを敷いて下さったので、私(大田先生)は安心して試論を発表した。

すなわち、本当に自分(島尾)はひどいことをしたけれど、神さまは私の究極の滅びを避けて下さった。それを告白する視点があったからこの物語を書いたのではないか。

短編の各々の題名には、聖書に典拠を持つ語句が選ばれているのが際立った特徴である。
(第一章 離脱(出エジプト記を想わせる)、第二章 死の棘、崖のふち、日は日に、流棄、日々の例、日のちぢまり、子と共に、過ぎ越し、日をつ繫けて、引越し、入院まで)

ただし、疑問点が二つある。
第一点は、当時奄美は米軍の支配下だったので、そこの人が日本へやって来るのは国籍を失う密入国になるのに、その親が娘を手放すというのは解せない。(ミホは親とは血のつながらない養女だとわかった)

第二点は、ミホはカトリック信者というが土俗的な信仰であり、神父さんの話を聴いて私は罪人だと悔い改めての信仰ではなかった。例えば、死ぬまで洗骨の儀式をやっていた。

これまで島尾の研究が進んでいなかったのは、ミホが島尾の日記全部を取り込んでいたからである。しかも、島尾の作品は原則として妻ミホの清書を経ていた。

ミホはとてもワンマンであり、例えば自分にとって都合の悪いところは書き直したり、自分の嫌いな義父の年譜は取ってしまうなど考えられないことをやっている。


島尾の父は長男(敏雄)への愛は相当なもので、上京時に家を2軒与えて小遣い程度の稼ぎでいいように生活を援助していた。しかし、作品ではそのようなことは全く触れられていない。

また、女(浮気の相手)が家にやって来た時、ミホに叩けと言われて島尾がミホと一緒に女を叩いているが、そんなことをするだろうか。なぜ女を叩いたのか不思議である。

昨年ミホが亡くなったので今後は研究が進められていくだろう。
ところで、島尾はなぜ(行き来のある)すぐにわかる雑誌編集者のような人と恋愛をしたのかも不思議である。この女性は今も健在で千里(大阪)に住んでおられる。

島尾は自分が戦争に加わって183名の命をあずかり、出撃命令が出れば特攻兵50名と共に敵艦に体当たりして自爆する任務を受け、常に死を前にした特殊な体験をした。

私(大田先生)の想像では、島尾は自分が生きるとはどういうことなのか。国家のために死ぬとはどういうことなのか。また、誰かのために死ぬとは何だろうという問題の解決を持っていなかったのではないだろうかと考える。

エジプトで奴隷生活していたイスラエルの民が、モーセに率いられてエジプトから出て行き、40年間荒野でさまよい、そして、約束の地カナンに入って行く。

あの営みをこの人類の歴史と重ねながら、私はいったいどこから来てどこへ行くのかという問いを考えているのではないか。


安楽な地位や愛情に対して、むしろ自分で幸せを壊してしまいたいという絶望的な気持ちがあったのではないだろうか。
だからこのようなわざと家庭を壊すようなことをしたのではないか。なまじっか神さまを知っている人間は神さまを試みることがある。


伸一こと伸三さんは、「母を狂わせたのは父だ。女の手紙を家のすみで焼くなど、母に見えるようなところで焼いている父を見て、父はずるい、バカだと思った。」と話していた。

本当の悔い改めがなく、自分のおかしたことに向き合っているのかという疑問があるかもしれないが―ここは私の感想を思って語って下さったのだと思う―、そもそも日本の男性の本質は女性はモノでありオモチャである。

女性が自分と同じ人間で、男性と同じように悩み苦しむ人間なのだというのを初めて書いたのは夏目漱石だった。
『行人』の中に、「女も気を狂わせてみなければ本心はわからないね」と書いている。


男性は女性のコケティッシュ(フランス語 " coquettish " 「あだっぽい、なまめかしい」の意、女性に対する形容)なものへの恐れも持っている。

今まで正常な人が精神病院に入った人はいない。
受苦の気持ちがあったから入ったという人もいれば、口の悪い人は島尾は作家的根性で入ったという人までいる。

すごく神さまの影を感じる作品だった。
島尾敏雄においてキリスト教体験は、少年時代の神戸でのプロテスタント教会や日曜学校の経験もあることを無視できない。
『日曜学校』にあるように再臨信仰の強い教会で、路傍伝道や証しを半ば強要されながらも日曜学校に通い続ける島尾少年を捉えてやまなかったのは、裁きの日にはいったい誰が生き残れるのだろうか、という問いであった。


ふるさとも親も信仰も捨てて夫だけを頼って島を出たフミにとって、夫の裏切りはどうしても許せなかったのだろう。
日本人の男性は軽い気持ちで浮気するが、そういう男が悔い改めるに至るには、ここまでしないといけないのではないか。

最後に、タイトルを聖書の言葉のから取ってきた「死の棘」という表記である。
「死のとげ」や「死の刺」という表記はあるが「棘」という字を使っている聖書はない。島尾はどこからとってきたのか不明である。



posted by 優子 at 22:22| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2008年10月11日

三浦元社長、ロスの護送先で自殺!

夜8時50分、帰宅して20分後だった。
「三浦が自殺したで!」と、2階へ上がった夫が叫んだ。

すぐにテレビをつけるも、2階へ走って上がりテレビを見た。
ショックだった。
ひどくショックだった。
私だけではなく号外が出るほどの衝撃だった。

やっぱりやっていたんだ! 
悪は正義に勝てなかった。正義は悪よりも強かったのだ・・・。
いろんなことを胸中で言い続けていた。

しかし、バカだ、愚かだ。
死ぬほど苦しんでいたならば、どうして悔い改めなかったんだ! 地上でのことは地上で解決しておかなくて、どうして死後に解決があるのだ!

今度はひたすら三浦元社長が憐れでならなかった。


いや、まてよ、ひょっとして殺してはいなかったんだろうか。
冤罪ならば大変なことだ。
しかし、今まであれだけメディアに主張し続けてきた人だから、無実ならばこのことが耐えられないわけがないだろうに・・・。結局真相はわからずじまいになってしまった。

誰か神さまのことを話してやる人はいなかったのだろうか。
心から悔いるならば、主イエス・キリストにより完全に赦されるんだということを、誰一人伝えてやる者はいなかったんだろうか。あるいは、それでも尚、彼は拒否したのだろうか。

私は彼がサイパンからロスに護送される表情をずっと見ていた。今回の表情だけは違っていた。
しかし、それでも尚、不思議でならなかった。
人を殺していても、このような平気な顔で生きてこられるものなのだろうか。常にそれだけが私の関心事だった。

1981年から27年、ついに耐え切れなくなってこのような最期に至ったと思っているのだが、どこまで真相究明できるか当分の間報道番組から目が離せない。

和美さんのご遺族も彼の口から真相を語られぬまま終わってしまった。


12日午前6時半追記:夫は夕方4時頃に知ったらしいが、テレビで報じているのを私に見せたくて叫んだのだった。

事が起きたのは日本時間1時45分頃だったという。
昨日の例会は定刻を過ぎて始まり、ちょうどその時全員集合になったので私は時計を見たのだった。
その同じ時に、彼は因縁の地で終わりを決行していたとは!

未解決のまま生を終えて逃避から解放されるわけではない。
死んで終止符が打たれるわけではなく、苦しみ続けねばならぬのだから憐れでならない。

この出来事で改めて人生の重みを考えさせられ、厳粛な気持ちで追記した。
posted by 優子 at 23:06| 随想 | 更新情報をチェックする

私はトシオとミホの世界、夫は一人静かな休日

ここ数日は夏日で、使い古した薄っぺらなTシャツ1枚でも寒くなく、昼間は窓を開け放していても室内は28度にもなり、掃除をすれば汗が流れた。ミネソタにいる真智たちは羨ましいだろう。

昨夜は旅行帰りの夫を迎えに行きがてらチャッピーの散歩に出た。夜もTシャツだけで寒くなかった。

駅に着いた時、幸運にも夫が改札口から出て来た。
「これこうてきたで」と嬉しそうに袋を見せた。
「また余計なものを買ってきた」と思ったが、私の顔から微笑がこぼれた。甘いもの好きな夫は、鶴橋駅構内で「御座候」(これは商品名だが関西では通称になってしまっている。関東では回転焼きとか今川焼きというのかな?)を買って来たのだ。これでは電車通勤だったら糖尿病も本格的に悪化することだろう。

「今回もまたすごいイビキで一睡も寝られへんかった」と、同じ部屋だった人のイビキに悩まされたらしい。我が家でイビキで悩ますのは夫なのに、その上をゆくのだから相当なのだろう。

「嬉野もこれで2回目、観光先も全く一緒やった」と言うから、「よろしおまんなぁ、私ら一度も行ったことない」と言葉が突いて出た。

しかしまあ、この金融大危機の時に中小企業の経営者たちはこんな悠長な旅行をしていていいのだろうか。「昭和の時代ではないよ!」と言いたかった。製紙メーカーも製紙メーカーだ、いつも時代錯誤を感じる。

2人で薄暗い道にさしかかった時、私はトシオ(島尾)とミホの姿が自分達にかぶさった。チャッピーのリードが小さな伸一とマヤの手のようで、島尾夫婦は惨めな気持ちで何度夜道を歩いたことだろうかと、島尾の世界に入っていた。
そして、全てをやり終えて彼らも逝ってしまった・・・と、いつもながらの優子流寂しさを感じていた。


そして、今日は大津教会へ出向く。例会で司会か書記を依頼されたので司会役を申し出た。
鳩飼さんはお土産話を楽しみにして下さっていることだろう。
読者の中にこのようなキリスト教文学に関心を示して下さっている方が、と言うか、私のブログを楽しみにして下さっている方が居られたら嬉しくて大きな励ましになる。

8時過ぎ、夫が起きて来た。
「よく眠れた?」
「うん。ユー、イビキかいてたで」
「(>_<)疲れていたんやね」

では、我が夫よ、今日は妻に「何か話して話して!」とまとわりつかれずに嬉しいでしょう。一人で休日を楽しんで下さい。手(パー)

夜中降っていた雨は上がったようだ。

posted by 優子 at 08:07| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2008年10月10日

『死の棘』 B

内容がすさまじい修羅場の連続なので何度も本を閉じて息抜きしながら、ようやく昨日『死の棘』を読み終えた。
姿勢が悪かったのだろうか首と肩の凝りがひどくて、昨日は短い記事を書く体力もなかった。今朝もまだよくなっていない。

さて、島尾は妻に過去の細部まで追及され続けているうちに、妻の発作が始まると彼自身が気が狂った真似をするようになった。
これは恐怖を生き延びるためにあみ出した自己防衛策だ。私にもよくわかる。相手よりも先にこちらが激するのである。

そんな島尾を不快に感じながら読んでいたが、妻は「蜘蛛の巣さながらにはき出されてくる疑惑のため、不信の焔(ほのお)を燃え立たせ」て、ここまで何度も何度も夫の女性関係を追求するミホにも耐えがたく、島尾への同情を感じずにはいられなかった。

無限の繰り返しであり、それを限りなく書き続けるのが島尾の特徴(資質)なのだろう。
ミホは夫を許すか憎むかの二者択一だと精神科医に言われたが、夫への信頼が強かったぶん許せなかったのだろうか。

しかしながら、かくまでも夫と妻が互いに深く傷つけ合って、いたわり合う。これが夫婦であり、夫婦愛なのではないか!
妻も夫も苦しみぬいている。
発作を起こしたくないのに起こして夫を裁き続ける妻、夫はそれを黙って耐えねばならぬと思っているのに耐えられないという繰り返し。人間とはかくも弱いのだ。

こんな中では自己の内面と対峙することもできないだろうが、再読した今回も島尾は自分の本質に向き合っていないという見方は変わらなかった。

不倫した自分はよくないということはわかっていても、島尾から罪意識はどうしても感じられず、この点を久保田・大田の両師がどのように語られるのか興味深いところだ。

幼い子供たちが異常になるのは当たり前で、子供たちがかわいそうでならなかった。
前回読んだ時は、前半部分で忍耐尽きて後半部分はしっかり読んでいなかったのかもしれない。このような拙い感想であれいくらでも語れるのに、かつて鳩飼さんに尋ねられた時は一言も出なかった。

前回は妻の尋問の繰り返しに退屈して、途中から適当な読み方になったに違いない。今回も辟易しながらも読み通せたのは、ライフワークへの真剣さからだけではなく、島尾と島尾夫婦に対して共感できるところがあったからだ。

この変化は、以来11年間の経験と収穫によるものだろう。不倫の問題ではないが、私もまた「かていのじじょう」を経て少しは人間が熟成されたゆえであろう。

※『死の棘@』(200年9月6日)はカテゴリ「JCP関係」であるが、『A』(同年10月7日)は「読書会関係」に分類している。

長くなるが一気呵成に読書メモを書いておきたい。
人間や文学に関心のある方は、下の「続きを読む」をクリックして頂きたい。

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posted by 優子 at 12:25| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2008年10月08日

日本人3氏にノーベル物理学賞、そして、化学賞も!!! 

素粒子の理論で先駆的な役割を果たしたことが評価されて、3人の日本人がノーベル物理学賞を受賞した。このようなニュースは私を大いに元気づけ奮い立たせる。

この理論は、飽くなき努力の中で30年も前に閃(ひらめ)いたもので、既に理論物理学に大きな貢献をもたらしているという。
かつて、テレビのアーカイブで湯川秀樹博士がこんなことを語っていたことを思い出した。

「自分の努力は、もう手遅れではないかと悲観的になったこともある。
しかし、自らを励まして大きな目標を定めて登り坂に向かう。坂を登り続けた旅人は、ようやく峠にさしかかるのだ」
と。

湯川秀樹のような人でも悲観的になり自らを励まして努力したのだ。いや、ノーベル賞を受賞するほどの人だからこそ努力の塊だった。
枕元には常にメモとペンが置かれていたという。閃いたアイデアが消えないうちに直ぐに書き留めるためだ。

努力に努力を重ね続ける者に閃く考え。
その閃きも不発に終わることも多々あるだろう。しかし、そのアイデアさえ無駄にはならない。アイデアはプールしておくことができ、いつか必ず役立てることができる。

そして、最後には問題の核心を突くのだ。
深く鋭い洞察力で最も重要な問題に絞り込む。こうして全ての研究や新しい理論は苦しみの中から生まれるのである。
このことはまた、あらゆる領域の学問に共通しているだけではなく、人生の患難を乗り越えて歓喜に至る場合も全く同じある。
        

私はいつしか、大学時代からの次女の姿を想いながら書いていた。学問に没頭する真智子を想い起こすだけで胸が熱くなる。以下は、メールもご無沙汰の次女にエールを贈りたい。

真智へ

ある数学者(藤原氏)もこんなことを話していたよ。
「人間は能力的なものが伯仲しているので、集中しているかどうかで凡人か非凡をつくる。

相当の集中力と努力こそが天才であり、それほど集中しないと真理は見えてこない。そして、大切なことは野心を持つことだ。過剰でもいいから自信がないとダメだ。

楽観的であること、そして、持続力と体力、情緒力、即ち、感動力がないとダメだ。」
ってね。

情操教育こそが全ての原動力であり、知能を開く鍵だと思って育てたけれど、真智の感動力と情熱は超一流だ。真智が自我に目覚めた頃からは、真智自身により培われてきたものだ。

経済学を真智子ほど面白がって打ち込めるのはスティグリッツなみ!ノーベル賞をとった経済学者はこの人しか知らないから(笑)。
そして、絶対に個性と独創的な考えを持ち続けることが大切だと思う。学問の世界にも絶対に共通するとママは確信するよ。


かつて、新島襄が留学したアマースト大学はリベラルアーツ教育で有名な大学でね、ジョセフ・E・スティグリッツとウォルター・ニコルソンもアマースト出身だった。

内村鑑三や新渡戸稲造も学んだ大学であり、新島襄が同志社の建学精神にリベラルアーツを重んじたのもそこから来ています。
どの道を究めるにも専門分野と共に深い教養が必要だし、その中からこそ創造力が豊かに開花されていく。

しかも全ての創造性は自由のあるところから始まり、「知識に愛が翼を与える」と言うならば、真智にはその根源である神への信仰がある。神への信仰が努力に閃きと新理論を打ち立てる。「考えが行き詰まった時には、感を働かして進めて行け」と広中氏も言っているよ。

努力を続ける真智子をいつも応援しています。真智子は何か大きなことをする人生だと思う。だからこそ、他の追随を許さぬほどの情熱と努力する力をも備えられたのだと思う。
太志君の個性と合わさって、2人の一貫した経済学理論を打ち立てて世界に貢献できれば最高やね。

私は私に賜った主に在る生涯を書き表して、証し文学と呼べるものにまで高めたいと情熱を注いでいます。「聖書そのまま」の文章ではなくて、その底辺にキリスト信仰が流れているのがわかるというような、キラッと光るものがあるというような文章を書きたいのです。

理論物理学者に例えて話してみればね、物理学をやっている人にとっては、物質の根源に対する考え方が一般人とは全く違うわけやね。

重さを測ることができる質量が、測ることができないエネルギーに変わり、このエネルギーもまた質量に移り変わることができるというのが、いわゆるアインシュタインの相対性理論であり、つまり、この人達にとっては目に見える世界と見えない世界が現実世界なわけです。

クリスチャンもまたそれと同じで、神を信じる者には霊の眼が開かれていくから、目には見えない神さまとの生活が現実世界になっている。


というわけで私に賜った生涯を通して、複雑で矛盾に富む人間の心のうちと、神が厳然として存在されるということを、何とかうまく書けないものかと励んでいるわけです。

クリスチャンは何事があっても決して偶然だとは考えず、全てが神の摂理であり必然と捉える。ここまでは頭の理解で可能かもしれないけれど、「あっ、これは神さまや!」と受け止められるのは頭の理解だけでは不可能なことで、神さまからの賜物やね。

真智も主に在って厚かましいくらいに自信をもって前進していってね。ママの励ましなります。今日はこのみことばを贈ります。

「今日も明日も次の日も我は進み行くべし。」
                    (ルカ伝13章33節)

次女は9月から研究だけではなく教壇にも立っている。
週に3コマの講義を受け持ち、しかも同じ講義を3度すればいいのではないと聞いてから、緊張だけではなく準備に全ての時間がとられるのではないかと心配した。

ミクロ経済学と計量経済学の中・上級(間違っていたら訂正してね)である。日本の教育のように先生の一方通行ではないから、受身でおられぬ学生だけではなく教える側も同様に大変だ。
しかし、娘はやりこなしていた!

9月14日のスカイプでは、パソコンを動かして教室も見せてもらった。(11月25日追記:なぜカメラではなくPCごと動かすのだろうかと不思議に感じたが、最新のPCにはカメラも内臓されているのだと一ヶ月も経ってからわかった。)

時たま、次女がオンラインになっている時があっても、私は邪魔をしてはいけないと思って声をかけないことにしている。
1万キロ離れていようとも、その時は私のそばにいるようで嬉しい。


この前の土曜日(4日)朝のチャットでは、「頑張りすぎるほど頑張っている」と書いていた。自分のHPを授業(学生達)にも使っているというので、すぐに開いてみると、リンクの項目が増えていた。(お料理のページのリンクも直ぐに見つけたよ。日本料理を紹介できていいね。)

連日殺人ばかりのニュースに、日本人が3人もノーベル賞受賞とは本当に元気づけられた。快挙だ!
しかも、今夜また、化学賞も決まったなんて、日本人の活躍ぶりに心が弾む。頑張れ、ニッポン!

※ 今日は『死の棘』を150ページほど読み進んだ。何度も息抜きしながらも、ようやく残すところ158ページになった。後半は速く読み進めそうだ。

明日はまた夫は九州へ、出張と言う名の三菱製紙主催の旅行だ。とにかく夕食を作らなくていいのが嬉しい。すっかり料理が嫌いになってしまった。
posted by 優子 at 22:27| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2008年10月07日

『死の棘』 A ―読書会ノートより―

今週末のクリスチャンペンクラブ例会に間に合うようにと『死の棘』を再読しているが、なかなかはかどらない。
この作品は1997年4月の読書会で取り上げて頂いており、私の推薦図書ということもあって3冊の関連図書を読んでいる。

97年4月と言えば、母の死から半年、激しい悲嘆が和らぎつつある中、家庭再建に取り掛かかろうと立ち上がった月であった。しかし、既にこの1月の例会で推薦図書を出していたというのも私らしい。弱いようで弱くない。
そして、この1ヵ月後に父が死に至る病に倒れることになる。長女が大学2回生、次女が高校2年生の春だった。


余談になるが、なぜ、いつも両親の晩年と重ね合わせるのか、うっとうしく思われる方もおられるかもしれないが、私は常に最愛の両親との時間を重ねて、生きてきた実感と懐かしさを感じたいのだ。

これらのことがまた、両親の苦難の最も辛く悲しかった日々を、最も懐かしく幸せだった日々に変えられていく道程なのかもしれない。

そして、もっと長い時間が過ぎた時に、最愛の知子と真智子に私の生涯を振り返ってほしいからだ。「ママはママなりに精一杯生きていた。子育てしながらこんなことをしていたんだ」と、私が父や母を懐かしむように娘達に想ってもらいたいのだ。


5日に俳優の緒方拳さんが亡くなられていたと、今日報じられた。71歳だった。この時期は精神的にこたえる。
1996年の秋、知子がキンモクセイの枝を一輪折ってきて、「おばあちゃに」と言付けてくれた。12年後の今年も4日の夜からキンモクセイの香りが街中に漂っている。

では、11年前の感想を引っ張り出してみよう。

島尾が妻に悪いことをしたという自覚はあっても、自分の内面に向かっておらず、私には罪意識が感じられない。自分の職を捨て、ペンを投げ、家庭を放棄してまで妻を看護して精神病院で寝起きを共にしているのに、内面の苦悩を全く感じなかった。

「死の棘」というのは、まちがいなく聖句から引用し、「罪」を意味しているだろうが、加害者意識に苛まれており、自己の内面に触れていないのが印象的だ。過去から解放されたいのだけれど、過去を背負い、耐えていこうとしているのはわかる。

その視点に立てば、ここにカトリック作家の姿が見えてくる。信仰を強く出していないけれど、贖罪の気持ちが伝わってくる。
作品に対する私の物足りなさは、カトリック信仰とプロテスタント信仰の違いというよりも、島尾自身によるところが大きいと思う。


聖書の箇所は、第Tコリント・15章55〜58節である。
「『死は勝利にのまれてしまった。
  死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
  死よ、おまえのとげは、どこにあるのか』。
  
死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。 」
  


続いて、不十分なメモながら、この時の読書会出席者の感想をいくつかをご紹介しよう。

「夫婦とは何か、夫婦なのに他の女を愛するとはどういうことか、書き切れていない。
我々は夫(妻)にない魅力のある異性を見た時に魅かれるものがあるが、それも人間の持つ原罪というのか、そのようないい影響を受けるのも悪いことか。
見えないものを見たいというか、もっと掘り下げていきたいというのは文学の毒であるが、物足りなさを感じた」。
(男性、作家の海谷氏)

「妻がこれでは解決にならないし、ミホがうっとうしくなった」。
 
「クリスチャン作家だというので最後に救いがあると思って読むのだが、毎日毎日戦いばかりで救いがない。今の時代と一緒だ」。

「こういう夫婦愛もあるのかなと思った」。

「異常やけれど夫婦やなあと思った」。

「夫婦とはこういうものか・・・」

「男から見たら女はこんな風にしか見えないのかなと思った。
『また言うてる』、『また、同じことゆうてる』と男は言う。女の執拗さ。男と女は神話的なわからないものがあると感じた」。


「浮気は男の甲斐性、女は利口に立ち回れと言われているが、ミホは女の自分勝手、自己中心的な見方で夫を見ている。
島の娘なら、もっと男の教育の仕方もあるのではないかなあと思った」。


「作品を通して作者(人)を見る。自分の経験したこと以上は越えられないなと思っているが、作品は自分のキャリア以上に越えられるのか?
『文は人なり』と言うが『人は文なり』とも言えるのではないか」。(男性・A氏)


「ミホの育ち方。夫を突き詰めていくのは、これも愛情の表現かなあと思う」。

「育ち方も全く違い、純粋培養されたミホさんも一生懸命やっていた。ミホがここに来るまでにはいろいろあったからだと思う。
ミホは愛を与えるよりも与えられたい人だと思う。これは受難の記録と読んだ」。


「ミホのことを『手負いの猪』と言っているが、ここに敏雄の愛情を感じる」。

以上である。
ペンクラブ例会まであと3日。
鳩飼さん、大田先生初め、文学を深く理解できる人たちは、この作品を名作として絶賛され、芸術選奨を受賞した作品でもある。

あれから11年、人生を僅かなりとも深めた私が最後まで読みきった時に、今度は何を感じるのかを楽しみにしていたことを思い出して、最後まで読み終えたいと思う。

※『死の棘 @』(2008年9月6日)と『B』(同年10月10日)は、カテゴリ「JCP関係」に分類している。
posted by 優子 at 17:05| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2008年10月06日

重い使命を果たされた鳩飼姉

ブログ更新が鈍くなっている時は、忙しくしている時か精神的に弛緩している時かどちらかである。最近は後者の場合が多い。

私のメールアドレスはフリーメールのアドレスのせいなのか、この頃、送信失敗と跳ね返されて何度試みてもメールが届かないことがよくあり、ペンクラブの池田牧師にも届かずじまいである。
先月初めに「アウトルック・エックスプレス」から「eo」のアドレスでも送信できるようにしてもらったが、今は長女の携帯専用にしている。

今日も更新しないでおこうと思っていたが、夫がお風呂から上がるのを待ちがてらPCを開くと、鳩飼さんからメールが届いていたので元気づけられて書き出した。
先週初めにお手紙を頂き、ようやく今日着の便でお葉書きをお送りしたので「ありがとうメール」を書いて下さったのだ。その間に、サリドマイド承認の出来事があり昨日の記事に書かせて頂いた。

メールには今回のことについて次のように書いて下さっている。
「サリドマイド剤承認のこと、相変わらず日本の政府のやることは遅いなあという実感です。命が救える薬と判った以上いっこくも早く認可すべきでした。
話が持ち上がってから十年以上たっています。その間何人の方が死んでおられるでしょうか。被害者だって感情論で誰も足ひっぱってなんかいません」
と。

私は被害者を代表するコメントとして読ませて頂いた。

また、「私にとってはやっぱりトラウマの種で新聞にあの薬の名前が出ただけで、どきどきして、神経が乱れます」と書いておられた。
被害者の方々は45歳になっておられるのにである。

どんなに苛酷な苦難であったかが窺え、まさしく命を削って闘ってこられた鳩飼さんは、神さまからの重い使命を果たされたのである。被害者の方々に神の特別なるお恵みがあるように祈り続けよう。

昨日書ききれなかったケルシーという女性についても触れておきたい。
「アメリカは先進国のなかでは唯一サリドマイド被害児をつくらなかった国である」という。それは薬の危険性に強靭に反対したケルシーという審査医務官がいたから、「認可には及ばず、そのために無残な悲劇を見ずにすんだ」のである。

私は敢然と闘い抜いたケルシーの強さ、使命感、勇気、生き方を少しでも倣いたいと願う。カメレオンのように周囲に合わせてしまうようではダメだ。いろんなことを教えられた本であった。

「それにしてもあの薬の摩訶不思議なことね。ドラマチックですよね。
あなたはよく要約して私の本を読んでくださっています。感謝です。」
と書いて下さって嬉しい。このお言葉も記録させて頂いて、今後の励ましにしたい。

やはり重い内容ゆえに筆は重く2時間以上もかかってしまったので、鳩飼さんへの返信は、明日書かせて頂くことにしてお風呂に入ろう。


posted by 優子 at 23:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2008年10月04日

サリドマイドが「福音の薬」として甦った!

昨日、夕食の準備に取り掛かろうとラジオをつけた瞬間、「46年ぶりにサリドマイドが販売される」というニュースが耳に飛び込んできた。
大きな驚きと共に、鳩飼さんはどのような思いで聞かれるのであろうと思った。

鳩飼姉が第20回潮賞・ノンフィクション部門を受賞され、2001年9月に出版された『不思議の薬 サリドマイドの話』については、今までにも何度か書いたことがある。私が昨夜のニュースに驚きを示したのも、この本を読んだからである。

この本は、サリドマイド禍と闘った鳩飼さんの苦悩と悲しみと共に「薬害の構図」が浮き彫りにされており、しかも、その薬が種々の難病や「エイズの特効薬」になるということを教えてくれた。

その中でも最も印象的だったのは、製薬会社がこの薬の副作用を認めないために、一人の母親がとった残酷非道な人体実験はあまりにも衝撃的で、そこに人間の実相を見る思いだった。

薬の副作用を証明するために妊娠して薬を飲んだ人がいたのだ。
「今度の子は5、6ヶ月ころにおろすのだそうである。堕胎した子が首尾よく(?)奇形児だったら、『それ見てみろ、イソミン飲んだらやっぱり奇形児ができた』と製薬会社や世間に公表しようと思っているのだ、という。・・・
だが、取り出した胎児はどこにも異常がなかったのだ。」


この中で紹介されているレンツ学説によれば、
母体の中で、「その成長の過程のどのあたりで母親がサリドマイド剤を飲むとどういう奇形が現れるのか、歴然とした原則があるというのである。
耳ができかけのとき、あるいは手の生えかけの途中で服用すると、骨や神経の成長がそこで阻害され、それ以上形成されない。

つまりひらたく言うと、いつ飲んだらどんな奇形ができるかが原則として決まっているのであって、そんな知恵もなかった当時の中迫夫妻が、もはや胎児が母体の中で正常な形を造り終えたあとで服用したものだから、薬のききめがなかったのだ。飲むのが遅すぎたのだった。
『神をも恐れない暴挙!』
世の人たちがあびせかける言葉の刃が、彼を刺した。」


確実に薬の副作用であるにも関わらず過誤を認めない製薬会社ゆえに、人道にも背くことをやってしまった夫妻・・・恐ろしい行為が悲しくて悲しくて胸がえぐられる。

鳩飼さんは、息子さんの痛々しい外耳形成手術に神経を病んでしまわれた。何度も繰り返される言葉を絶する手術に、親御さんの精神が耐えられずに手術を諦めた方も多かった。

「肋骨の軟骨をとり、あちこちの皮膚を剥ぎ、おおげさに言えば満身創痍(まんしんそうい)の身になってやっと耳らしいものができたというところが真相である。・・・・ここまで子供を苦しめてまで耳のようなものを造らねばならないのか、と。」

人は何という苦しみを越えていかねばならないのか!
何という凄まじい人生を渡ってこられたのだろうか!


『不思議の薬』では、「免疫学の進歩と共に、サリドマイドの免疫抑制剤としての役割が大きくクローズアップされ」ていると、その効用にも触れられている。

ハンセン病の活動性病変を劇的に消失させ、「難治性の全身性エリテマトーデスのデスコイド型皮疹、全身性アフタ症、結核性痒疹、ベーチェット病、エイズによる潰瘍など、いわゆる難治性粘膜皮膚病変の治療に有効なことが判り、皮膚科領域におけるサリドマイドの有効性が確立されるに至った。」と、帝京大学医学部の栢森良二氏の本から紹介して下さっている。

人間の愚かさは世界共通であるが、10数年にも及ぶサリドマイド裁判を経験してさえも全く学ぶことなく、再びエイズの薬害を出した日本人はあまりにも罪深い。
この「悪魔の薬」が、46年ぶりに、我が国においても「救いの薬」として承認されたのである。


「明日の命が危ない人びとが、最後の望みをこの薬にかけているならば、早くそれに応えてあげるのが行政というものではないか。

外国から個人が勝手に輸入などして(今はインターネットなどでそういうことも可能になっている)知識のないまま、やみくもに使うというような危険を野放図に見て見ぬふりをしているならば、また第二のサリドマイド事件が起こるだろう。
ケルシーが昔警告したように、この薬にはまだまだ未知なる危険がふくまれているような気が私には感じられてならないのだ」。


とは、鳩飼さんが御著書の最後で刻まれた祈りであった。
それから7年の年月が流れて、ようやく祈りが成就されたのである。

今朝の朝刊によれば、多発性骨髄腫の治療用にのみ使用され、厳格な安全管理の下で患者も登録制にして、「安全管理策が守られているかどうかは、サリドマイド被害者も加わった第三者評価機関が監視する。」と書いてあった。

薬は正しく使ってこそ薬となる。
問題は全て、薬を扱う人間の側なのだ。
もう二度と再び一人として苦しむ者を出してはならない。
そして、この薬によって喜ぶ者がうまれた時には、サリドマイド禍に苦しんだ人々の苦悩が苦悩だけに終わらずに、人類史的にも意味を持つことになるのであろう。

万感の思いが去来する。
苦しんでこられた方々、今も苦しんでおられる方々のために涙の祈りを捧げている。
posted by 優子 at 12:37| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2008年10月03日

JCPニュースレター第20号届く

日本クリスチャンペンクラブ(JCP)発行のJCPニュースレター、『文は信なり』第20号が届いた。
巻頭文で、池田勇人理事長(牧師)がサトウ・ハチローのことを書いておられる。クリスチャンの感性によるところの「小さい秋のヒミツ」を皆様にもお読み頂きたく、ブログ転載許可願いメールを送信した。

この誌面には私の拙文、関西・中部合同夏期研修会での恵みを書いたものを掲載して頂いているので、ここに転載させて頂きたい。
 
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          文書伝道のバトンを握り直す            
                             藤本 優子

日本では数少ないクリスチャンの中で、文書伝道を志す者もまたごく少数である。その僅かな中の一人に召しを受け、昨秋の55周年の集いに続いて、今夏の関西・中部合同研修会において計り知れない恵みを賜った。

いのちの言葉を紡いでいく者たちが、教派を越えて一致して学び合う恵みの座で、文書伝道への使命感を強くされ、新たなる意欲と情熱が体内に充満した。

日本クリスチャンペンクラブの存在と活動を、全国の教会に周知させたい。今後は機関紙をペン仲間だけで細々と配布するのではなくて、会員たちがまず自分の教会に配布し、また、キリスト教書店に配置して頂くなどの広報活動が必要ではないだろうか。

今ではインターネットが普及定着し、情報が頭の上を飛び交っている。しかしながら、私たちが書くものは、深く心に届けたいものである。いつの時代も文書伝道は地道な働きであるが、数少ない働きに召された者同志が励まし合ってペンの業に励もうではないか。

研修会最後の集会では私自身の歩みについて、火花の如く一瞬にして啓示されたことがあった。お二人のお証しが私の魂を揺さぶったのだ。
「私が召された後も、神を求める人たちのために文章を書いて残すことに専念していきたい」。
「イエスさまに出会わなければ今の私はなかった。このイエスさまのことを書かずには死ねないなと思っている」。


最近ペンが重いのは、私の書く姿勢が不徹底だったからだ。主と共に歩んできた道を書くことは、神が私にして下さったことを伝えるためだ。単なる自分史ではなくて、福音を知らない人たちに伝えんがために書くということだった。

形には表れないほど微妙なズレであったが、座標軸が寸分の狂いもなく正されたことがわかった。それは、「わが生涯がキリストの作品として与えられていること」を再確認させられた瞬間でもあった。

しかも、私たちが書く個人の証しは時代の証人でもあり、私たちはキリストからバトンを託されたのである。こうして私は、文書伝道のバトンを強く握り直したのであった。
posted by 優子 at 16:56| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2008年10月02日

孫の成長に見る神の全能

9月30日朝に来た長女と孫は、ちょうど48時間滞在して今朝の9時半頃に帰って行った。10時半に友と約束していたからだ。
その方は、4月まで住んでいたマンションで知り合った方で、幼稚園児と2歳の子のお母さんである。引越しの日に私もご挨拶に伺ったのでお目にかかっている。互いに出会いを深め合っているようで嬉しい。

まもなく1歳3ヶ月になる幸悠の成長には目を見張るものがある。
孫を見ていると、「わたし(パウロ)は植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させて下さるのは、神である。」(コリント人への第1の手紙2章6節)の御言葉が、何度も脳裡に浮かんだ。

娘は伴侶に助けられながら、アポロの如くに一心不乱に養育しているのであるが、娘が身ごもった瞬間から、人間としての一切を孫の中に組み込まれた神さま。それゆえに驚異の成長を遂げていくのである。
子どもの心を満たしてやり、幸悠に備えられた知能と感性を豊かに伸ばしてやってほしい。

「オムツを替えてあげるから、オムツを持って来てちょうだい」と言えば持ってくる孫。
この頃だったのか・・・と、私は一瞬、娘達の幼い日の姿に想いを馳せた。知子と真智子が、オムツを手にしてヨチヨチ歩いて来るのが今も鮮明に見える。ああー「ともちゃん」、「真智ちゃん」と、私は手を出して抱しめようとしていた。

「お外に行こうか。お靴を履くからターター(靴下)を履こうね」と言うと、嫌いな靴下も嫌がらずに足を出してくるのだから驚く。
今までシャワーのように浴びてきた言葉が、1歳を過ぎた頃から目に見える成長として現れてくるのだ。

食前の祈りで、「イエスさま、ありがとうございます。頂きます、アーメン。」と言った時に見せる幸悠の嬉しそうな顔!
「イエスさま」と言うと、ユキ坊はいつもニコニコする。幼い時から最高の人生への種を蒔き続けてやろう。


私自身にもハッキリした変化があった。
今までは自分自身や周囲に対して何か照れくさくて、自分のことを「おばあちゃん」と明確に呼べなかったが、今回からはっきりと「おばあちゃん」と言うことができた。15ヶ月もかかったなんて!

次回は12日に婿も一緒にやって来る。
14・15日に今度は婿が北越製紙の工場見学に行くので、14日はここから新潟へ向かうことにして、娘は15日まで滞在する予定である。

さて、私も娘に倣って、この、どアップのユキ坊をデスクトップの背景画にしよう。
かわいいユキ坊.jpg

私のことだからブログのデザインと同様にいろいろ変更するだろうが、
画面からユキの笑顔が飛び込んできた瞬間に笑ってしまう。

そして、この無邪気な姿!
「ユキちゃん!何がそんなにおかしいの?」


脱衣かごのユキ.jpg

今度はすぐに来るからと、娘は孫の洗濯物を置いて帰った。
私はベランダに干している小さなズボンやパジャマを見て胸が熱くなり、それらを握りしめて、孫の生涯が神に祝福されたものであるようにと祈った。

私や夫は、孫のことを「チャッピー!」と呼んでしまうことがある。
私などもっとひどい。「真智ちゃん、チャッピー、ユキちゃん」と3回目でようやく名前が出てきた時には、さすがに娘にバツが悪かった。しかも、2度もやってしまった(>_<)。
それなのに静まり返った今夜、チャピーのことを「ユキちゃん」と呼んでいた。

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする