2009年03月30日

礼拝メッセージ ―「律法と神の恵み」―

南大阪福音教会とそのブランチ教会である香芝ゴスペルチャーチでは、毎月第4週目は牧師のメッセージのあとに分かち合い形式の礼拝がもたれている。名付けて「ディアコノス礼拝」と言う。
7回目の昨日は福野主任牧師が香芝へ来られ、香芝の教会から各ブランチへインターネットで配信しての礼拝だった。

「ディアコノス」とは、ギリシャ語で「執事」の意味であり、「ディアコネオー」(給仕する、仕える、奉仕する、世話する、助ける)という動詞から派生した言葉である。

聖書は執事の働きを、助け仕えて世話をする役割だと教えていることから牧師の役割に近いと考えられる。
ルターの宗教改革によって生まれた万人司祭説を旨とするプロテスタン教会では、会衆一人ひとりが司祭でありその中心的存在が牧師である。

放出教会でも同じようなやり方が導入されていると長女から聞いている。
メッセージを一方的に受け取るだけではなく、一人ひとりの主体性に働きかけ、その最終目的は主体的宣教奉仕を願って設けられたものであろうと私は理解している。

さて、昨日はヨハネによる福音書1章14節から18節の箇所を開き、「律法と神の恵み」と題してメッセージされた。
そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。

わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。
律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。
神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。

イエスは神の言(ことば)であり、人格となった神の恵みである。

以下は我流の速記メモから起こしたメッセージの概要である:


みことば(聖書の言葉)は理解することからではなく、信じることから始まる。人と人が互いに分かり合っていく時、結局は信頼することであり、信頼はその人を理解することを助けてくれる。

神は私にとって良いかたであり、私に素晴しい計画を持っておられることは事実である。そのことを信頼できると、あるいは、信頼しようとするとわかってくる。

聖書には、罪はもともと神さまが創ったものではないと書いている。
罪の結果さまざまな問題や混乱が生じてきて最終的には死である。死を考えるのは私たちが生きることに意味を求めているからであり、人間には魂があり、道徳基準、即ち良心があるからだ。

クリスチャンになると道徳基準に対して、もう一つ入ってくる。
クリスチャンになると間違いなく悩みが増えるのは確実だ。クリスチャンにならなければ悩まないことを悩む。良心よりももっと高い道徳基準、生活基準が入ってくるからだ。
ただし、悩みは増えるが、どんな悩みであっても勝利できる。解決策を知っているからである

クリスチャンになるとそれまで以上にチャレンジすることができるようになる。それは、神さまが知恵を与えて、神さまが助けて下さることを知っているからだ。

これを聞いた時、真智子たちを思い出した。勿論言うまでもなく、私もまた恵みの世界に生かされているのでよくわかる。

神は、私たちが神との契約である律法を守り切れないことをご存知だから、イエス・キリストが来られる以前には「幕屋」という逃れの道を与えて下さった。
そして、動物の血を流すことにより赦されて契約の民とされ続けることができた。幕屋は憐れみと恵みの象徴である。

贖いとは代価を払って命を買い取ることである。
罪を犯したことのない方が死んで下さらなければ贖われないのであり、従って、イエス・キリストは恵みそのものとして地上に来られたのである。

私たちは何かを決めようとする時葛藤がある。(ガラテヤ人への手紙 5章16・17節)
それはイエスさまを信じて新しく生まれ変わっているから葛藤があるわけで、この葛藤をすべきであり、イエスさまにより救われて神の子とされていることを感謝する時でもある。

この葛藤は地上生活においては死ぬまでついてくるのであり、葛藤が起こる時は、律法支配の中で自分の力で守られねばならないと働きかけているから葛藤が起こるのであって、その時御霊(みたま)によって導かれる。

なぜならば、イエスさまを信じた時に私の霊の領域に御霊、即ち、聖霊なる神が入って下さったからである。
律法を自分で守ろうとしないで、全てのことを恵みによってするのである。従って、感謝して喜んで行うことだ。


自分のペースで信じて行けばいい。
例えば礼拝には月に一度しか来られないかもしれない。しかし、それでいい。神の恵みを信じられる範囲で積極的になっていけばいい。そうでないと律法的になり限界になる。
神さまがあなたの心の深い所に刻んでおられるから、イエスさまを信じることはなくならない。

世界最高の基準である「十戒」、私たちがこの律法(神さまの基準)を守ろうとしても、どしても10番目だけは絶対に守れない。
十戒
(1)あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
(2)あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。(教会には拝む像は一切ない)
(3)あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
(4)安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
(5)あなたの父と母を敬え。
(6)殺してはならない。
(7)姦淫してはならない。
(8)盗んではならない。
(9)あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
(10)あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

自我という生まれつきの自分を聖書では「肉の働き」、「古き人」、「外なる人」と言っている。

牧師は述懐された。
「世の中は人の外側しか見ず、自分の都合の悪いことは言わない。
しかし、私は誰に何と言われようとも、自分は正しい人間ではないということを知っている。私は教会に行って罪深いんだと言われてホッとした。
罪を赦されるのは神さまだけしかない。
そのことがわかって直ぐに神の平安が来て、神の愛が内側から溢れてきて涙が出てきた。それは聖霊が居られる結果として起こってきたことである。

私たちは聖霊が居られるから神の愛を経験するのである。
イエスを救い主と信じているあなたの人生は赦されているということであり、神を信頼していくならば神の計画を人生で経験できる。」


それはパウロが語っている通りである
「そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(ローマ人への手紙5章5節)

自分のやり方で生きていくと、神から本来受くるべき祝福を受けなくなる。
人生は問題がいっぱいでうまくいかないことばかりである。しかし、あなた自身も最終的に喜ぶ道は神を信頼して歩むことだ

人生の救いを得て律法的に従うのではなく、恵みによって歩もう。そこに先取りの平安、喜びを持つことができる。


最後に、福野牧師は次のように祈られた。
「イエスさまの十字架の贖いによって救いを受けていることを感謝します。イエスさまが全て成就して下さったことを信じて感謝して生きていけますように助けて下さい。
みことばによって語り、それによってあなたの計画の道によって導いて下さい。」


このメッセージを主に在る方々に、そして、神を求めておられる方々にお伝えしたく記述した。神と共に歩む人生以外に幸いはない。神の豊かな祝福がありますように祈りつつ刻んだ。


昨夜と今日の午後にも長女から長い電話があり神の光と導きを強く感じている。急きょ、今夜から孫を預かることになり、夫が会社の帰りに長女宅へ立ち寄って来ることになった。
どうか彼が問題から逃げ続けることをやめ、砕かれて自己洞察できる人になるように神の導きを祈るのみである。

23時25分追記:たった10日間にも孫に成長が見られる。
例えば、「バス」を「バス」と言いかけており、かわいくてたまらぬ「バブ」と聞くのも時間の問題だろう。

孫が来て真智子と太志君の姿がなく寂しさがひとしお身にしみる。
真智子たちが帰国してからは、殆どマチ・クマが子守りをしてくれていたことにも気がついた。既に腰が痛いから(>_<)。

離れていた10日間も、孫は毎日毎日「ポッポー、ばあ(おばあちゃん)」の連発だったそうだ。
「あした、ポッポー見に行こうね」と楽しいことを想像させてやり、明日を楽しみに眠ったユキ。明日からは折りたたみの椅子持参で行こうと思う。



posted by 優子 at 18:36| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2009年03月29日

美濃紙業のHPに『JP会ニュース168号』転載

真智子夫婦が日本を離れて1週間過ぎた。
いつもならば、先週の今頃は○○していた・・・と思いながら過ごす1週間だが、今回は1昨日まで仕上げに集中していたので寂しさを感じることもなかった。
1週間過ぎると時間が経つ一方で寂しさが現実になる。しかし、それを越えてしまえば慣れる。

昨日買い物に出たスーパーでマチ・クマを懐かしく想った。
15日のこと、まるで小学生のように2人がお菓子を選んでいた姿を思い出し、これを書いている今も涙が潤む。スーパーのどこを捜しても2人の姿はなかった。

真智子は時差ボケが取れずにしんどいらしいが、夫婦共著の論文(本?)を今月中に仕上げようと共に奮闘中だ。頑張れ!

出発前日の21日の夜、クマに美濃紙業のホームページを更新してもらった。
「日本紙パルプ商事株式会社広報室『JP会ニュース168号』(2007年5月20日発行)」に掲載された文章を、「会社概要」に追加してもらったのである。夫の許可も得ており、ずっと前から機会を待っていたのだった。

クマは今回の帰国で、パソコンに強い経理のYさんに更新の仕方を伝授してくれ、毎月1万円(?)出費していたHP管理費を削減してくれた。

21日夜、私はクマの傍で説明を聞きながらやり方を見せてもらった。
そのページまで開くのがややこしいが、ブログを書いているおかげで理解できるところが多々あった。
ブログで字の色を変えるには簡単だが、HPでは例えば字を青くしたいならば自分で「blue」と入れるのを見て感激した。
実は私も試行錯誤でやったことがあるのだ。
背景のデザインによっては最後に記されている「posted by 優子 at 10:24| 読書会関係 | 」が左側になっているのがある。絵柄が気に入ってもその位置が気に入らないので使わなかった。

そこで、私はスタイルシートを触ってみた。
     .posted{
     text-align: left;

となっているのを「right」に書き換えたところ、右側に変更されたので機械(?)は言葉がわかるんだと感激したのだった!
どうなっているのか知りたい。


ちょうど1年前のこと、ブログを書き始めて3年目に入った昨年の今頃だった。私はスタイルシートを触る冒険に出た。
かつては全く変化のない画面だったが、背景を変えたくてもあれ以外のデザインは全て文字が小さいので変えなかったのだ。

本文の字の大きさだけではなく、看板の字も、右サイドに表記してある字やカレンダーの数字も全て自分の好みにできるようになった。

クマは私のパソコンでも美濃紙業のHPを更新できるようにしておこうかとも言ってくれたが、そのページに入るまで大変そうだったのでやめた。
勿論、内容を変更したい時には必ず夫の許可を得てからということは言うまでもないことだが、担当者のYさんも居られることだから必要ない。

と言うわけで、私の質問に答えてくれながら30分ほどでアップしてくれた。
ようやく念願の掲載記事がHPにも記載されたので是非ご覧頂きたい。
これはカテゴリ美濃紙業関連・2007年5月26日の記事を転載したものであり、この内容は夫から聞き書きしたのものを元にしてまとめたものだ。


太志君、ありがとう!
ついでに、あの時言えなかったんだけれど、「−昨年FSCのCoC認証を取得されたとお聞きしました。」のあと、1行詰めてほしいんだけれどふらふら、いつでもいいから時間のある時にお願いね!わーい(嬉しい顔)

真智子に入れてもらったゲーム「ぷよぷよ」も一度もできなくて・・・。
かつて、母が亡くなって数ヶ月した頃だったか、真智子にテトリス(ゲーム)を教えてもらった。意欲をなくしていた私は、2時間も3時間もやり続ける日々になり、半年間ほどゲーム中毒になってしまった。

そして、パソコンをやり始めた時に「ソリティア」に夢中になり、ついに知子にパソコンから削除してもらった。
2台目のパソコンでも同じことを繰り返した私なので、そのゲームを入れてもらうのを躊躇したが中毒になるどころか一度も楽しんでいない。

真智子は夕食後にしばらく楽しんで脳を活性化させて夜の頑張りにつなげるそうだが、私ならばよけいに疲れてしまう。上手に気分転換をしていると感激した。
これは真智子たちの中学校時代に流行ったゲームらしい。今日の午後はようやく楽しめそうだ。「ひとりでぷよぷよ」「始めるよ〜〜〜」(笑)。

今朝は4週間ぶりの礼拝である。

19時7分追記:教会の帰り蕎麦屋さんで昼食を済ませてからデジカメを買いに行った。24日の探索で私も欲しくなったからだが、果たして写真をPCに取り込むことができるかを思うと気持ちがしんどくなる。




posted by 優子 at 08:53| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2009年03月28日

24日、私たちが去った直後に浅田先生が道場跡に!

写真掲載の関係上、浅田先生から頂戴した大切なご本も預けねばならないので、昨日商大に出向きデータと共に原稿をお届けして来た。これで無事完了である!
時々思い出してはお祈りしていた神田宏大牧師も、「戦国時代河内キリシタンの世界」を書き上げられたことだろう。

今週、浅田先生に2通のメールをお送りした。
3月25日お昼前のメールでは、昨日道場跡を訪ねたことと、ブログに現在の状況写真を掲載したことをお伝えし、26日夕方には、書き終えた原稿に内容的な間違いがないかお目通し願ったのである。

すると、26日午後7時前に驚喜のメールを頂戴したのだった!お許しを頂き、ここに感謝して刻ませて頂いた。
 藤本優子様
 
 只今、いただいたメールを開きブログを読んで、びっくりしているところです。一昨日24日の午後遅く4時〜5時頃に私も健康道場跡を訪ねたのです。脚の具合に自信がなかったので、東大阪読書友の会の松村冨子さんと現会長の井上さんにご足労願って3人で出掛けたのです。そのほんの少し前に藤本さんもあそこへおいでになっていたとは………、全くの偶然ですが、まことに不思議なことです。

 実は帰宅後やはり脚のしびれと冷感がひどくなり、昨日は一日中寝込んでしまっていたのです。今日はやっと元に戻りました。それでメールを見るのが遅れてしまったのです。甚だ申し訳ないことをしてしまいました。お許しください。

 それにしても、小橋と石段の新旧位置関係などの藤本さんの細かい観察はさすがです。感じ入っています。現場体験された後に書き上げられた原稿も素晴らしい、大変うまく纏められています。間違った箇所もありません。有難くお礼を申し上げます。
        
        浅田高明

あの日帰宅したのは4時55分だったから、5分間ほどであっただろうが、先生が居られた同時刻に私も石切駅近くに居たのである。
もしもそこでお目にかかっていたら、ああ、私はあまりの驚きに大声を出したことだろう。神は再会させてあげようとされたのか!喫茶店を出て北口の改札へ戻ればお目にかかれていたかもしれない。

原稿についても、発見者の浅田先生からこのようなコメントを頂けたことは感無量だ。一つの仕事をやり終えた充足感だけではなく、思いもしなかった望外な喜びを頂き、これは神さまからの励ましだと思った。

孔舎衙の地については、苦手な万葉集、日本書紀、古事記を横に積んで、先生が挙げておられた箇所を一つ一つあたろうとしたが、時間的な焦りを感じて万葉集の段階で挫折してしまった。しかし、今後も先生の足跡を丁寧に辿っていきたいと思っている。

何かわからないが、浅田先生のメールから私の内部で発火するものを感じた。失意に沈みそうになる重い心の深いところで何かが弾んだのがわかった。

人との交わりは心を贈り合うことだと思う。
心を贈り、心を贈られる。
これは人生で体験できる最大級の喜びであり、私たちの心を満たしてくれる。


ここ数日前から2月中旬の寒さに戻り洗濯物を干す指先が痛いほどだ。
義母の花壇にはピンク色のヒヤシンスが咲き、街々には春の花々が顔を見せているのに朝晩の大気は真冬である。昨日は日中も寒かった。

これを何に喩えようか。
現況は失意の中にあっても、私の根底には私を支えて下さっている神が居られ確かな希望がある。神の厳然とした希望があるのだから、状況に圧倒されないで耐え忍んで前進せよと語って下さっているようである。


「私たちの罪は大きい。しかし、神の恵みはもっと大きい。」

「神の御手がすべてを治めておられると知るなら、その神の御手にすべてを委ねることができる。」

「クリスチャンという名前は『キリストに貼りついている』という意味で、文字どおりにキリストにくっついている人です。」

「御霊は何と祈るべきかご存知です。『神のみこころに従って』祈られるからです。ですから、私の祈りが正しいかどうか、心配する必要はありません。
ただ、神の助けを信じ、手を伸ばせばよいのです。


神さまからの慰めを感謝し、浅田先生の体調を支え守って下さるように祈りつつ、今日も心の録音を記した。



posted by 優子 at 10:24| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年03月27日

脱稿! ― 私にとって書くということ ―

次女たちの帰国前に、遅くとも3月10日までには仕上げようと思っていたので、3月初めにはほぼ書き上げていたものの長い中断になり、ようやく昨日書き終えて肩の荷が降りた。

「原稿の仕上げスムーズにいきますように。」と覚えて祈って下さっていた千里さん初め、祈って下さっていた方々に感謝している。
夫もまたここ数日は、これを書き上げるまで心騒がすことは耳に入れないでいてくれていたようである。

タイトルは「太宰治『パンドラの匣』の舞台は孔舎衙健康道場だった!」にした。最後の推敲段階まで進めてはいたが、写真を2枚掲載するので5枚足らずの文章でも、いや、短いものだからこそ時間を要する。特に私はそうだ。

推敲には草稿の3倍から5倍、活字になるものは10倍近くの時間を要して行う。自分の考えや感じていることを最も正確に表現したいがためである。

それだけではなく助詞や接続詞など、私は言葉の使い方がわからくて何度も考える。考えすぎるといよいよわからなくなるので、日を変えてやってみることもしばしばだ。
その上に語彙が貧弱なので困る。知っている言葉で表現するしかないのだが、語彙の豊かさは心の豊かさと関係しているように思う。

書いては直ぐに公開するブログなどには、多くの時間をかけて推敲することはできないが、それでも書き上げた時間と同じくらいの時間をかけて見直すようにしている。
書く時間よりも見直す方が長い時間かかっていると感じる時もあり、時間のない時には翌日になることもある。

とにかく筆の運びが散漫にならないように心がけて書いているが、削除した方がよい記事も数多くある。
文章は難しい。
単純明快な内容をあえて難しい文章を駆使して書く人もいれば、井上ひさし氏のように「難しいことは易しく、易しいことはおもしろく、おもしろいことは意義深く」書く人もいる。とにかく上手に書けなくとも、私は私らしく書けばいいと思って励んでいる。


仕上げの推敲段階で私が重んじていることは、心を神の前で整えるだけではなく体調にも留意して、朝一番の頭の冴えている時に取り掛かる。まさに命を注いで作品を作り上げていく気持ちなのだ。

苦しい時は文章に苦しげな息遣いがあっていいし、喜びだけではなく人間の心の複雑さ、胸の裡のざわめきなどを書き表したいと思う。推敲しながら自分の考えが練られていくのがわかる。


先日届いた「希望の風」さんのメールマガジンを興味深く読ませて頂いた。その一部を抜粋引用させて頂きたい。
大江健三郎著『話して考える 書いて考える think talk think write』(集英社)

本書は大江氏の講演集です。その前語りの部分を、大江氏は「講演集をまとめるに当たっての、前口上、言葉のエラボレーション( elaboration)」と見出しをつけています。・・・

大江氏は、elaborationには、入念に作る、仕上げること、労作などの訳語を想定しているようです。大江氏は、言葉のelaborationを、言葉をみがくの意で使っておられます。

「自分の小説家としての仕事を短く言うならば、言葉をみがくこと、みがいた言葉によって自分を表現することと考えています。言葉のエラボレーションということが、私の生きる働きの中心にあります。・・・

準備期間の後、ある時間をかけて文章を書きます。その草稿を、最初に要した時の、三倍かけて、二度、三度と書き直します。そしてあらためて仕上げの、エラボレーションをします。」

言葉を磨くことは心を磨くことに繋がる。
私にとって書くということは心を磨くことでもある。

昨夜、浅田先生より驚きのメールが届いた。
不思議なことがあるものだ。それは私にとって大きな喜び、神さまからの励ましであった。常に長女のことが脳裡にある重い心に弾みを与えるものだった。是非、次の記事に刻ませて頂きたいと思う。

posted by 優子 at 09:16| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年03月26日

「主は今に至るまでわれわれを助けられた」

最近は朝の散歩の折にも讃美歌が唇に出てこない。
今朝は言葉にならない祈りだった。しかし、その呻きをも神は聴いていて下さっている。

そして、数日前の『デイリーブレッド』に書いてあった言葉が口に出た。
「感謝とは喜びの心を忘れずにいることである」と。
そう。こんなに陰鬱であっても、私は神がして下さった良きことを決して忘れてはいないし、そのことを思い出すだけで心が神の許に引き寄せられる。

「主よ、私は今まで良くして下さったことを忘れてはいません。現況においても揺るがぬ感謝があります。お導き下さい」と、神さまとの対話へ導かれていった。

そして、サムエルの言葉、「主は今に至るまでわれわれを助けられた」を思い出し、その母・ハンナのことを読みたくなってサムエル記を開いた。
ハンナは心に深く悲しみ、主に祈って、はげしく泣いた。・・・「・・・ただ主の前に心を注ぎ出していたのです。・・・積る憂いと悩みのゆえに、・・・」。
そこでエリは答えた、「安心して行きなさい。どうかイスラエルの神があなたの求める願いを聞きとどけられるように」。・・・こうして、その女は去って食事し、その顔は、もはや悲しげではなくなった。 ・・・

あなたがたは重ねて高慢に語ってはならない、たかぶりの言葉を口にすることをやめよ。主はすべてを知る神であって、もろもろのおこないは主によって量られる。

・・・主はその聖徒たちの足を守られる。

・・・主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。

私は神の前に心を吐き出した(心を注いだ)はいいが、自分を神に明け渡しきれないからいけないのだ。ハンナのように自分の人生を捧げて、神の御心に従い抜きたい。これもまた私の切なる祈りの中核なのに!

自分の悩みが正しい悩みであっても、いつしか感情に支配されて自己中心的な悩み方になる。毎日毎日、刻々の神との交わりの中であっても愚行を繰り返す弱い者だ。

「私の心は主を誇り、・・・私はあなたの救いを喜ぶからです。」と、主に従った喜びを祈るハンナのように、私の罪と憂いをきれいに取り除いて下さって、再び力強い信仰に立たせて下さるように!
「その顔は、もはや悲しげではなくなった。」

「主は今に至るまでわれわれを助けられた。」
(サムエル記上7章12節)
「しもべは聞きます。お話しください。」
サムエルのように謙遜に心を開く時に聖霊が働いて下さり、その人にとって最も必要なみことば(神の言葉である聖書の言葉)を与えて導かれるのである。

祈り:主よ、私を謙遜な心へとお導き下さい。深く悔い改めさせて下さるように切に祈ります。このことが一切の祝福の基であることを知っているからです。

サムエル記はBC1020年頃に書かれたもので、サムエルは古代イスラエルの最後の士師(神から命じられた人)、預言者である。サムエルによって選ばれた最初の王がサウルである。

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posted by 優子 at 12:20| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2009年03月25日

ついに道場跡に立った!

真智子たちが日本を発った翌日から寒さが戻り、昨日は薄手のオーバーコートを着て行こうかと前日に思っていたほどに、最低気温は0.9度と寒かったが、太陽が高くなると春のポカポカ陽気になり下着の上はシャツブラウス一枚でも十分なほどだった。

午前中に掃除を済ませて(2階は2週間ぶりの掃除)12時半頃に家を出た。
MIKIOさんと近鉄石切駅北口で1時半に待ち合わせしていたのに、大和八木駅で人身事故のために11分も遅刻してしまった。携帯電話を持たぬ身の辛さと、連絡無しで待って頂く申し訳なさに恐縮至極だった。

最初に、旧生駒トンネルと昔の孔舎衙(くさえ)坂駅跡に案内して下さった。ちょうど今、MIKIOさんのHP(http://www.d3.dion.ne.jp/~mikio566/)に駅のスケッチが挙げられている。
旧生駒トンネル.jpg

線路跡はコンクリートで埋められ、その左右にプラットホームが残っていた。小説の主人公「ひばり」のモデルとなった木村庄助氏も、このプラットホームを踏んだのだと思うと胸が熱くなった。

『パンドラの匣』の舞台が孔舎衙健康道場であったことを発掘された浅田高明氏は、京都から50回も60回も日下へ足を運ばれたという。今から20〜30年前のことである。私は探索されている浅田先生のお姿を思いながら歩き始めた。

次に目的の日下新池に向かった。いずれも駅から歩いてすぐの所にある。
MIKIOさんは池に差し掛かった所にある家のご主人に昔の話を聞かれた。
この方は昭和34年(1959年)頃に永楽館(料亭)あとに引越して来られたが、台風で建物がつぶれたので建て替えたとのこと。今も永楽橋の道標が残っていた。

永楽橋道標.jpg

「ここがボート小屋があったところで」と教えて下さり、池の向かい側中央あたりが温泉跡で銀水(料亭)があった。今から20年前頃までは建物が残っていたと仰ったが、資料ではそれより以前に取り壊されていたように思う。

そして、ついに道場跡正面の石垣と石段に着いた!
あの時、そのまま進んでいけば行けたのだ。しかし、オッチョコチョイで見つけられなかったおかげで、郷土に詳しいMIKIOさんに案内されての探索になるなんて誰が想像しただろう。神さまとMIKIOさんに感謝している。

石段と石垣は昔のままだが、木村庄助氏が立っていた写真と比べると、石段前の小橋の欄干の位置が違っているので小橋は付け替えられたことがわかる。

道場跡.jpg

浅田先生は、「昔の素朴な鉄パイプ造りの欄干の方が余程良かったのに、何故異なった形にしてしまったのか残念でたまりません。もう健康道場当時の面影を残すものは正面の石段と石垣、敷地内にある1基の石灯籠だけです。」とメールに書いておられたように、全くデザインの異なったものに架け替えらていた。

石段を上がると奥に石灯籠がポツンと立っていた。

灯篭.jpg
 
先月から池の工事は進み、その正面をピンクっぽい色の石で囲っていた。
今秋公開される映画による見学者を見込んでのことだろうが、もうこれ以上、手を入れないでほしい。

文化に意識の高い現地の人たちが、石垣や石段などを保存するように運動しているとお聞きしたので安心しているが、東大阪市の文化行政に希望を託したい。市職員OBのMIKIOさんや現役のクロベエさんもお力添えを!

2009,3,24.jpg

そして、この写真の中央に見えている植物が東大阪市の天然記念物になっているヒトモトススキである。詳しくは記事の最後でお目にかけたい。
hitomotosusuki.jpg

道場跡まで続く池の端の桜も一つ二つピンク色の蕾を見せていた。私は開花した景色を思い浮かべて陽春の道場の写真と重ねていた。

日下新池.jpg


ちなみに、西口先生が発掘された谷崎潤一郎遺跡に関わる根津家跡は動物霊園になってしまったそうだ。
駅に戻る途中に河内木綿のはたおりを見せてもらったり、春の陽射しを浴びながら歩くのは気持ちよかった。最後に駅近くの店でコーヒーを飲みながら久しぶりの文化談議を楽しんだ。

その何軒か隣りには懐かしい東大阪福音教会があった。
時は1989年5月7日(日)、放出教会はお休みして当教会の30周年記念礼拝に集った。聖歌隊が歌う「ハレルヤコーラス」の伴奏を知子が務めることになっていたからだ。

娘たちのピアノの先生はノンクリスチャンだが、この教会で讃美歌の指導をされていた関係で伴奏を頼まれたのだ。
知子は11歳。
ピアノを弾くお姉ちゃんの横で楽譜のページめくりをしてくれた真智子は8歳だった。私は懐かしく電車の中から建物を見ていた。


岡田千代子牧師は93歳で引退されて、昨年の5月に100歳で召天されたというから、あの時は81歳であられたのだ。

帰りの電車でMIKIOさんのお知り合いが乗ってこられ紹介して頂いた。
立派なカメラを持っておられた通り、「インターネット通信・どーなってるの東大阪」の編集部の方だった。
「こちらは有名なブログを書いておられる方で・・」などとMIKIOさんが私のことを紹介されるので、「とんでもない、謙そんではなくて私は・・・」と恐縮しながら名刺を交換したのだった。

孔舎衙健康道場については東大阪の人も知らない人が多いので特集を組む予定とのこと、ついてはその時は取材させてほしいとのことだった。
確かに日下の人たちも知らなかったから、太宰生誕100年を機にまず東大阪市民に流布してほしいものだ。

早速その方の通信記事と共に「ヒトモトススキ」をご紹介したい。
2月28日に私が見たのはイネ科のススキを見ていたのだった(>_<)。
http://www.do-natteruno.com/con_c/c41/c41.html#1

『河内文化のおもちゃ箱』が刊行された暁には、東大阪市内の有名書店だけではなくジュンク堂にも置いてもらうとか、今日明日中に原稿を仕上げて今週末には商大へ参上したい。
尚、この記事の写真は全てMIKIOさんに提供して頂いたものである。

MIKIOさん、WBCの野球決勝戦の日なのにすみませんでした。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)


posted by 優子 at 09:54| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年03月24日

原稿締め切り前に再び現地取材

知子に侘び、知子の声を聞いて一安心したので、あとは全てを神に委ねて、ようやく締め切りが迫る『パンドラの匣』にかかった。
まず、石切駅前にあった日下行政サービスへ電話して日下新池の奥まで入れるのかを聞いた。もう一度行かねば完了しないからだ。

職員さんは池の名前もご存知なければ、駅近くに道案内されている市の天然記念物、ヒトモトススキの名前もご存知なくて困った。
遠方なので無駄足を踏みたくないこともあるが、締め切りが迫っているので半日も無駄にする時間の余裕がないので聞いたわけだが、よく考えてみると行政サービスではなく市の観光協会が窓口だった。

こうなればMikiOさん(HP『小阪庵だより』筆者、河内の郷土文化サークルセンター副会長)しかいない!
お聞きしたところ、明日ならば一緒に行ってあげるよとのお返事、ご好意に甘えて早速今日出かけることになった。最後の閉めの1〜2行の文章のためであるが、自分の目で見ていないことは書けないし、何よりもその地に行ってみたいのだ。

これが2月28日に夫と共に探し当てた日下新池だ。
太宰治の『パンドラの匣』のモデルとなった孔舎衙健康道場が、かつて実際にここに在ったのだ。
2009,2,28.jpg
この左奥、池の北側に当たる所に道場入り口の石垣と石段が残っているのである。カメラを長女に返してしまって手許にないので、厚かましさついでに、MIKIOさんにはカメラ持参でお願いした。

こうしていた今、太志君から無事到着のメールが入った。感謝!!!
太志君の許可を得て、ここに刻んでおきたい。
良輔お義父さん、優子お義母さん

連絡が少し遅くなってすみません。
真智と僕は、無事、予定通りにミネソタに着きました!

着いてすぐに大学へ行こうかと思うぐらい、家に着いた当初は元気だったのですが、急に疲れが出てきたので、一休みしてからと思ったところ、夜中まで寝てしまい、その後時差ぼけで寝たり起きたりを繰り返し、早朝5時頃ようやく寝れたのですが、起きた時には午後2時になっていて、午後2時30分からの授業にぎりぎり出席する、という始末でした。

いまその授業後で、ようやくメールを書けています。遅くなってしまい、ご心配をおかけしてすみませんでした。
授業は僕だけが取っているので、真智はまだ家にいて休んでいます。

>お義母さんおはがき、拝見しました!
優しいメッセージをありがとうございました!
僕こそ、弱さからお義母さんを傷つけてしまったと思います。どうぞお赦しください。

成田空港にて、お弁当は美味しくいただきました!
ちょうどお腹も空いて、作っていただいて本当に感謝しています。

取り急ぎ、無事到着のご連絡まで。
太志

主よ、感謝します!
さあ、新しい気持ちで出かけよう!


posted by 優子 at 07:37| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年03月23日

私は神が最善を成して下さることを信じる

12日朝は目覚めた瞬間に「真智たちはもう飛行機に乗っている!」と思い、今朝は「真智たちはもうミネソタに着いてる」と思った。

家ではインターネットを繋いでおらず、無事到着の連絡は大学に行ってからになるので遅くなるとも伝えてくれている。
飛行機事故のニュースがないので安心している。ミネアポリス空港にはタクシーを手配してあるとのこと、無事に帰還したであろうことを神に感謝し、祈って下さっていた方々に感謝した。

昨日は次女夫婦を見送って、毎回のように空の巣になったような寂しさでしばらく座っていた。知子のことは脳裡から離れたことはない。ブログを書き終え、葬儀会場の集会所に向かった。

神戸の叔母のところへ行くことになっていた20日の朝、チャッピーの散歩から帰宅した8時前、夫が智子さんから訃報の電話を受けていた。私は家にも上がらずに直ぐに病院へ急いだ。(智子さんのことは2008年3月19日の記事に詳しい。)

「母が 先週末から また 肺炎を 起こして います。 今回は ちょっと 厳しいものが あります。」と17日にメールを頂いていた。
孫は真智子に頼むことにして、智子さんが病院へ行かれる時に声をかけて下さるように電話したのだった。

ところが、翌18日に来た長女の体調の悪さに驚き、智子さんからの連絡を待ちながら祈っていたが、19日からは祈ることさえ忘れてしまう状況になっていたので、20日朝の訃報を耳にして悔やんだ。

股関節をかばいながら祈りつつ病室に馳せ参じた。
亡くなられて30分後のこと、ご遺体はまだ暖かかった。
智子さんは声を殺して、しかし、呼吸を荒げて激しく泣いておられた。暫くして智子さんの手を握りながら祈った。祈りの途中でお兄様から電話が入り、求められて電話を変わりお慰めの言葉を申し上げた。
そのあとも親族の方々に連絡され、まもなく故人が親しくされていた近隣の方や縁者の方々が来られた。

智子さんのご様子が心配で、私だけ叔母のところへ行かずにおこうかと迷った。どうすればいいか祈りながら、智子さんに葬儀屋さんや葬儀場をどこにするのかをお聞きし、看護師さんにこれからのことを聞きに行った。

ご遺体の処置をされて霊安室に移されるまでの間に、自宅の部屋を整えに帰ることになり、私もお手伝いしたいところを近隣の方にお願いして帰宅。
総会を予定している22日は葬儀が入ったことを大急ぎで自治会長に伝えて、神戸に出発したのだった。

智子さんは翌日21日にも納棺の時に来て頂けないかとお電話下さったが、明日旅立つ次女たちのための買い物、夕食の仕度など・・・どうしようも時間がなくて心ならずもお傍に行けなかった。それでも夕食作りはお通夜から帰ってからすることになってしまった。

昨日は葬儀のあと、大急ぎで昼食を済ませて義母と夫の3人で墓参に行った。義母が「あんたは疲れているからいいよ」と優しい言葉をかけてくれたのが嬉しかった。帰りは買い物もしてたいそう喜んでくれていた。

その日の用事が終わってホッとしたのか買い物先のドラッグストアで、真智子が行ってしまった寂しさが突然やってきて目頭が熱くなった。

店を出ると再び空は真っ暗になり大急ぎで帰宅した3時15分、真智子たちを乗せた飛行機が離陸する時間だった。
洗濯物を入れ終わった時、激しく雨が降り出した。
「まちちゃーん、また会おうねー!」と、空に向かって大声で叫んだ。

そうしている間も常に知子のことが心配で、昨夜、何人かの友に祈りの要請メールを送った。そして、友の祈りやメールで神に導かれつつあった。
知子さんは大丈夫。神様に守られているのですから。
優子さん、心配しすぎないで。神様が最善をなして下さいますから。
知子さんのこと、祈っています。ゆきひさくんのことも。

今は知子ちゃんの心身の回復が第一ですね。
真智子ちゃんのメールも心に届き慰められ、すでに主の祝福が始まっていると信じています。

そして今日、千里さんの電話で諭されて神さまからの平安を頂いた。
電話を切って直ぐに知子に「ごめんなさい」と電話で詫びた。

裕子さん初め、祈って下さっていた方々のおかげで霊的危機から脱したが、引き続き、知子のために祈ってやってほしい。昨夜は4日ぶりに食べることができたというから心配でならない。命が守られるように祈ってやって下さい。

「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。」           
                  (創世記 2章24節)

千里さんから頂いたみことばだ。
結婚した子供は、親を離れてそれぞれの人生を歩み始めたのである。娘を信じて親は背後で見守るのみ。



posted by 優子 at 14:18| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2009年03月22日

真智子と太志君、午後3時15分に日本離陸!

とうとう2人は行ってしまった。
伊丹空港まで送ってやるはずだったが友のお母様のご葬儀があり、夫も疲れているので見送りは最寄の駅までとなった。

プラットホームで4人で手をつないで祈った。
短い滞在中に次女夫婦ともいろんなことがあったが、激しくぶつかり合ったことまで懐かしく、今回も理解と愛を深める時となった。互いに心の中には全くわだかまりは残っていない。
プラットホームでは「楽しかったね!」と、真智子と共に同じ言葉を掛け合って笑った。


8時21分の電車が到着した。
「また会う日までイエスさまと共に励もうね!」と太志君とも抱き合った。

見送ったあとはいつもしばらくモノトーンで無音の世界になる。
自宅近くに帰ってきて、よそのお宅の庭に咲く鮮やかな花の色が目に飛び込んできた。ゆきやなぎ、れんぎょう、ぼけ、もも・・・と、季節はすっかり春になっていた。


ブログを更新できなかったのは時間的に限界だったからだが、その間は楽しいことばかりではなく、またしても長女との関係が最悪になってしまった。
長女は18日午後1時過ぎに来て、19日夕刻6時半頃に孫と共に帰ったが心身の危機的状況だ。

先ほど真智子たちを見送った帰り道で、「こんなふうになれないのかなぁ。」と言った私に、夫もしみじみと「ホンマやなぁ」と返した。たった一言だけ夫婦で交わした会話だった。

悔い改めへと導かれてもう一度神さまにすがって立ち上がれたが、長女の心配で胸がつぶれそうな心境を神に委ねて、真智子との時を大切に今しかできないことに集中した。

今回は一緒に散歩にも行けず2人の写真は非常に少ない。
これは、昨日の午後、太志君も手伝ってチャッピーを洗ってくれていたところ。チャッピーは昨年の7月19日以来のお風呂だった(>_<)。

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真智子はお湯運び。

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太志君はチャッピーの尻尾を洗ってくれている。
地面に白く見えるのは塊で抜けた冬毛だ。

昨日の朝は0度まで下がったが、最高気温は19.7度まで上がり春うららの陽気になった。

昨夜、お通夜から帰ってきた時、おとなりの9歳のY君に聞かれた。
「おばちゃんとこ、中学生の女の子がいるの?」
「いないよ。大学院生で、アメリカで大学生を教えているよ」と言ったら、「ええー?!大学の先生?!」とビックリしていた。
真智子が中学生にまで見られたのは初めてと本人と共に夫が大笑いした。

「神さま、今回もどうか無事にミネソタの地まで2人を送り届けて下さい。
真智子と太志君をあなたに委ねます。
これからも2人の霊肉を守り支えて下さい。IMFで働くワシントンでの生活も一切をお委ねします。」

今頃は羽田に向かって飛んでいる頃だろう。そして、午後3時15分には再び母国を離れ、激しい努力の地、ミネアポリスに向かう。
(便名: NW 20 、所要時間: 10 時間 50 分 、概算マイル数: 5,953 、機材: ボーイング747-400 )


到着は日本時間23日午前2時過ぎで、現地時間22日午後12時過ぎだ。アメリカでは今月8日にサマータイムに変更されたので、日本とミネソタの自差は14時間となった。
翌日早々にクマの発表が控えている。長旅の疲れと時差ボケで大丈夫?

真智子、太志君、楽しい時間をありがとう!
また会おうね!!
その日までママも磨きをかけるね!


私はまもなく智子さん(書道家)のところへ出かけねばならない。心を整えよう。

posted by 優子 at 10:50| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年03月17日

「指月の指」、私流には「神の栄光を見逃すな!」

15日は一度もパソコンを開く時間さえなかった。
夫は鹿児島でのゴルフ翌日の疲れにも関わらず、快く次女夫婦の買い出しに連れて行ってくれた。昨日は次女夫婦は美濃紙業へ。夕刻から真智子の大学時代の結婚された友と再会し、二組のカップルズで交わり10時過ぎに帰宅した。

長女は14日の谷口家の家庭集会で恵まれたようだ。
「私たち個人のためにかなり話した。牧師に質問したり時間をとってもらって、皆口々に話して下さり希望がわいた。あの方達は格別。大槻さんと抱き合った。
来週子供を迎えに行くことや将来の事など、考えて落込んでいたし行きは暗かった。悪霊の箇所だったから牧師にも聞いてみたりいい時間でした。」
とメールしてくれていた。

全てのことを用いて益として下さる神に、そして、神の家族に感謝している。長女の伴侶が砕かれ導かれていくことと長女の癒しを祈り続けている。

孫との生活もすっかり慣れた。
この頃では「ママ!」と呼びかける言葉もすっかり消えてしまい、「ばあ!」と大きな声で呼ぶようになった。早くまた「ママ、ママ」と呼んでほしい。
長女は明朝に来る予定だ。妹との時間を過ごして明日の夕刻に孫を連れて帰ることになっている。

さて、3月初めにあった浄土真宗の葬儀で「指月(しげつ)の指」という教えを知った。
文字通り月を指す指のことである。
月を指して「月だ!」と示す時、私たちは指を見ないで月を見るのであり、指を見るならば指の指し示す方向を見ていないことになる。

そこで住職は、人間は念仏するために生まれてきたのであるから、白骨(死者)ばかり見て悲しんでいてはいけない。念仏せよと勧められ、念仏するとは成仏するということであり、それにしっかり応えることが「指月の指」の意味だと仰った。

簡単に調べたところによれば、これは禅宗の教えで仏の教えを月(悟り)、経典を指に喩え、「愚者は悟りではなく経典を見る」という意味である。

実にうまく表現した言葉であり、住職の話をお聞きしながら私の脳裡で連鎖反応を起こしていた。表現法を相似形で移行させ、内村鑑三とシーリーのことを想い起こしていた。
じっくり思索したいところだが孫との日々では叶わず、以上のことだけでも記録しておきたい。

内村鑑三とシーリーについては、2007年7月2日の記事にある。以下はその要所のみを転載したものである。

アマスト大学の総長を務めたシーリー(Julius.H.Seelye')が、内村鑑三に語った「植木鉢の教え」も想起する。

「内村、君は君の衷(うち)をのみ見るから可(いけ)ない。君は君の外を見なければいけない。
何故己に省みる事を止めて十字架の上に君の罪を贖ひ給ひしイエスを仰ぎみないのか。
君の為す所は、小児が植木を鉢に植えて其成長を確定(たしか)めんと欲して毎日其根を抜いて見ると同然である。
何故に之を神と日光に委ね奉り、安心して君の成長を待たぬのか。」


札幌農学校時代の鑑三は、唯一絶対なる神を知っただけで、アマスト大学のシーリーとの出会いにより、神が人格的な存在であることを教えられて福音信仰に回心したのである。

鑑三は述懐している。
”slow gradual process "、
「私は一度に回心したのではない。私の歩みは少しずつ遅々たる歩みであった」。

私たちはそれぞれの十字架を負って生きている。
愛情や経済的に豊かな環境で生まれ育った人もいればそうではない人も居る。特に親の愛、あり方で傷を負い、人格形成が健全になされずに大きくなった人もいるだろう。それは自分の責任下にないところであるし、親とて誰も完全な親はいないのであるが。

いずれにしても、私たちは多くの問題を抱えて生きている。
深刻な病気や経済的破綻など大きな艱難が襲ってくればそれどころではなく、恐れと闘いながら無我夢中の日々を生きざるを得なくなる。

仏教では生きる目的は念仏することであり、死者は念仏を唱えられて仏に成仏するという教えであるが、私たちクリスチャンは故人の冥福を祈るという考え方ではない。

生きている時こそが大切であり、死んでからでは遅いのである。如何に生きたかである。もとより、それは人間的価値観に基づくところの成功失敗を意味するものではない。

どの宗教の人も皆、死ねば全ての人が命を与えて下さった唯一絶対なる神の前に立たされて、その命を如何に使ったかを問われるのである。
それゆえに、未だ全知全能なる神をご存知でない方に叫びたい。
「あなたは神によって、
 そして神のために造られました。
 このことが理解できるまで、
 人生は決して意味を持ちません。」


そして、かの無神論者・バートランド・ラッセルでさえこのように言っている。
「神がおられると仮定しない限り、
 人生の目的を問うことには何の意味もない。」
と!


最後に私流に「指月の指」を表現するならば、"Don't concentrate on the finger, or you will miss all that heavenly glory."
「指に集中しないように。そうでないと、あなたは神の栄光を見逃してしまう(でしょう)!」


この言葉は自分自身に、そして、クリスチャンたちに贈る言葉かもしれない。
即ち、神に見出され、神を見出した人たちに、「さあ、全ての問題は神に委ねて主イエスと共に歩いて行こう!」と。

これをお読み下さったあなたの上にも、神の豊かな祝福と恵みがありますように!

posted by 優子 at 09:56| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2009年03月14日

時差ボケのなか甥っ子との時を楽しむマチ・クマ

12日夜は10時2分頃に「ただいまー!」と元気な姿で帰宅した。成田空港へは夕刻6時頃に着いたとのことで3時ではなかった(>_<)。

飛行機では1時間ほどしか眠れなかったというので積もる話もそこそこに12時半過ぎに寝室に入った。娘たちはこんな夜にも聖書を開くというので驚いてしまった。
「ママも一緒にどう?」と真智子に誘われたが、「わーい(嬉しい顔)いや、いいわ」と辞退して孫の眠っている部屋に入った。

昨夜、夫は不在。夕食後、妹からの電話が入った。私も疲れからいつものような寛容さは示せずにぶつかり合った。
時差ボケで昨夜も5〜6時間しか眠れずに疲れている真智子に、相変わらずのしんどい話を聞かせてしまうことになったが、既によく理解してくれており、最後に『ヨブ記』から私に忠告してくれた。

今朝、『ヨブ記』の最後を読み直していた。

かつて私は母の上に起こるあまりの理不尽さ、不条理さに神とのすさまじいまでの闘いを続け、『ヨブ記』こそが私の人生の最大テーマだった。

かくして、神への信仰に立つ新しい地盤が与えられて今在るを得た。
「主は与え、主は取られ、また与えられるのだ!!ハレルヤ!!!我が信仰告白である。」と、『ヨブ記』最後の余白に書き込んである。母のあと父も召されて後に、半生を振り返って書き記したものである。

昨夜の真智子の言葉から、今も尚理解できない人生の不可思議な出来事に苦痛を感じながらも自滅を免がれしめている不思議から、まさに神が私を支えておられることを今一度思い起こすことができた。

これまでも常にどんな中にあっても、苦しみながらも、いや、それゆえに、立ち上がらせて新しい出発を可能にして下さってきたのである!

そして、真智子に祈ろうと促されて3人で篤い祈りを捧げたのだった。それぞれが主の前に心を開いて祈り合った。
乱れた心は即座に全き神の平安に変えられ、祈り終えた時、3人ともが穏やかな笑みを湛えていた。神の臨在を示して下さった!


神が真智子と叔母、真智子夫婦と叔母との時を祝福して下さることを信じよう。
私たちが祈っている途中、孫も一緒に「ァーメンと言っていたようだ。祈り終えた時、幼子は私たちをジッと見つめていた。

次の写真は、昨夜、真智子たちがお風呂から出てきた孫を世話してくれていた時のものだ。
固まり君のニックネームがついた幸悠も、今ではすっかり仲良しになった真智子おばちゃんと太志おじちゃんである。

真智子が叔母ちゃんになったのである!

孫に関わってくれている二人を見ていると、この子たちの愛児の世話をしている姿ばかりを夢みている。きっと素晴しいママとパパになることだろう。
学びを終えて職業に就いた時にはこの子達にも授けて下さいますように!


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神は真智子と太志君、そして、私の人生に神の御心を実現しようとされるのだから、これからも主に信頼して従って行こう。

主よ、感謝します。アーメン!

※昨夜からの春の嵐も過ぎ、午後2時半頃から外出した。
髪の毛をすくテクニックはアメリカよりも日本が優れているようで、真智子は美容院へ、只今2人は外出中だ。


posted by 優子 at 16:44| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年03月12日

真智子夫婦、まもなく日本着陸!

真智子たちはもう日本に向かって飛んでいる!
今朝、眼が覚めた瞬間に思った。

2人を乗せた飛行機は今朝5時頃にミネアポリス空港を離陸し、3時に成田空港に到着する予定である。孫との日々で次女たちの帰りをゆっくり指折り数えて待つ楽しみもなく今日を迎えた。

孫との生活にもリズムができてきて、昨日はいつものようなペースで2階の掃除も終えた。今週から朝の愛犬の散歩は夫が家を出る前に行くことにした。
今朝は大きな月がこうこうと冴えわたる冷たい朝で、この時期は6時を過ぎた頃から一気に夜が明ける。

散歩に出ればいつも、「天のお父さま、新しい朝をありがとうございます。今日も一日、危険や悪の誘惑からお守り下さい。」と祈り始め、神との密なる語らいの時になる。
何とも表現しがたい心の満たしを覚える。神の息吹をいっぱい吹き込まれて弾力のあるアドバルンになるような気持ちだ。

多忙な時ほど一人になる時間が大切だ。
イエスさまもよく寂しいところへ行かれて祈っておられたことを思い出しながら池のほとりを歩いていたが、会社に行く夫のことを思い出しユーターンして家に向かった。

先週7日は悪いことをした。
NHKの「おかあさんといっしょ」を見ている孫に、直ぐに帰ってくるからねと言ってきかせてチャッピーの散歩に出た。
大急ぎで10分ほどで帰ってきたのだが、外に出で居られたお隣さんが「(お孫さんは)今、一人?泣いてるよ。でも、時々、泣きやんでいるから大丈夫よ」と、優しい思いやりの言葉に感謝しながら家に駆け込んだのだった。

やはり1歳7ヶ月の幼児には無理だった(>_<)。(ユキ、大胆なことをして、ごめんね。)そんなわけで、早朝であっても安心して出かけられるのがいい。

ここ2〜3日、あまりに股関節が痛いので昨日は大事をとったが、今日は痛みが和らぎ、お日さまに誘われてユキと手をつないで散歩に出た。
昨日約束していたポッポーを見に行ったが、近くで見る電車は少し怖かったようだ。公園では4〜5歳児の保育園児たちでいっぱい。ユキは笑顔で彼らの中に入って行った。

1時間半も外出して疲れたのか、生協で届いたばかりの鱒寿司も好んで食べ、パン、ヨーグルト、野菜ジュースや牛乳を飲んでいたら、急に眠気がやってきた。まさにこのような感じだ。

寝てしまったユキ!.jpg

これは昨夏、お友達といっしょに外でたっぷり遊んで帰ってきたところらしい。遊びつかれて水分補給中に眠ってしまったように、今日もお腹がいっぱいになって幸運にもお昼寝に入ってくれた。

主に守られ、祈り祈られて今日を楽しく生かされている。
祈って下さっている多くの方々のお顔を思いつつ、メールに触れて下さっている文字だけでも刻ませて頂きたい。

今晩も、「藤本優子さんお守りください。」と祈って休みます。

人を赦せぬ想いに捕らわれそうになっていることをクリペンのS兄にお伝えした時のメールだ。声を出さずに号泣した。

知子さんが快方に向かっているようすをうかがい、ほっとしています。
食事ができないほどになられたときは心配で、夜中に目覚めた時も知子さんのこと祈っていました。
続けてお祈りさせていただきます。

私はここまで友のために祈っているだろうか!魂に堪えた。

知子ちゃんお薬飲まないで、ここまで快復され良かったですね。ご家族おひとりおひとりが、良い選択をされたからですね。何を最優先すべきなのか、ブログのみことばから今日を振り返ることが出来ました。
   (中略)
大阪先生の新しい門出に神さまからの大いなる励ましと祝福を、優子さんの祈りとともに祈らせていただきます。優子さんもギリギリまで頑張らないでね。お体大切にね。

神さまから賜った友から愛を受け続けて導かれてきた。これからも信仰から信仰へと進んでいきたいと願う。


飛行機がまもなく日本に到着する時間だ。
急に涙が溢れてきた。
真智子、おかえりなさい!
太志君、おかえりなさい!

幸悠も真智叔母ちゃんと太志叔父ちゃんの帰りを待っているよ。3日前から写真を見せて特訓しているからね。わーい(嬉しい顔)

午後8時25分追記:8時18分、関空から真智子より元気な声で電話あり。今回は早くゲートを出られたので今からバスに乗って上六へ向かうとのこと。
明日の九州行きの用意をしていた夫は、大急ぎでチャッピーの散歩に出かけた。昨日から運動のために行ってもらっている。
これだと10時半頃に家に着くかも!
神さま、ありがとう!!!


posted by 優子 at 14:52| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年03月11日

賢い選択 ―「親ばと子ばと新聞」より―

若い頃、子供を連れて診察や薬の番号が出るまでの時間はイライラしていた。
しかし、長女が中学3年生、次女が6年生の夏休みから母の通院介助に行き始めた時、「今日は母のために時間を捧げるのだから」と心に留めることで全くイライラせずに寄り添うことができた。

このことをいとも簡単に可能にしたのは、イエス・キリストを通して人生で最も大切なものが何であるかを教えられたからだ。まことの神は永遠の命を与えて下さるだけではなく、より良い生き方を教えて下さった。
ここにあまりにも有名な「マルタとマリヤの話」(ルカによる福音書10章38節〜42節)をご紹介したい。
一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。

ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください。」

主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである。」

神と出会って以来、私は常に最も大切なことを考えながら日々生かされるようになった。選択に迷う時は「今しかできないこと」を最優先するようになった。

それでも尚、いつしか大きなストレスになってしまう時もあるが、このお言葉を思い出すことにより神の座標軸に正されて、人生をマクロ的視野で見直すことでストレスから解放されるのである。

以下は娘たちの小〜中学校時代に書いていた家族新聞「親ばと子ばと新聞」(1989年10月19日付け)から引用したものである。
冒頭にある感想文というのは『さすらいの孤児ラスムス』の感想文を指し、過去ログ・2006年11月3日にも掲げている。

24号の知ちゃんの感想文はとてもよく書けていたね。実に深いところに焦点があてられ、12歳にして、これだけの思慮が与えられていることにママは驚いています。作者もそのことを伝えたかったのだと思うよ。

知ちゃんが考えている通り、私たちの人生は選択の連続であるということ。そして、実は「私選ぶことが、私選ぶこと」につながっていくことに気づかされていくのですね。

そこで大切なことは、何を一番大切なことにするかという優先順位です。ママは、「ルカによる福音書」の中の「マルタとマリヤ」のお話をよく思い出します。

イエスさまを我が家へお招きした時、心を尽くしてもてなそうと忙しくしていたマルタは、お手伝いもしないでイエスさまの足もとで教えを受けていた妹のマリヤにいらだちを覚えたでしょ。

その時、イエスさまは優しくマルタにおっしゃったのね。
「マルタよ、マルタよ。あなたは、いろんなことを心配して心を配っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」と。

マルタのご奉仕はすばらしいのだけれども、イライラしてまでもたくさんのご馳走を作ることはなかったのね。イエスさまとのことを第一にすればよかったのね。知ちゃんと真智ちゃんも、そのことをいつも忘れないでね。

私たち一人ひとりが、そして、私たちの家族が一歩一歩、神さまのお導きによって築かれていきますように。

今の私は孫との日々なのでライフワークは中断せざるをえないが、知子が健康を取りもどすための助けをするのは親として最高の恵みだ。このことが今の私の尊い仕事であるから、この日々を感謝し大切に過ごしている。

まことの神さまから絶対的価値観を教えられ、マリヤのように第一にすべきものを第一にすれば、体力や時間的限界を越えてまでイライラすることもない。

マルタの奉仕は実際に大切なものだった。
ところが、マリヤはイエスの言葉がなくては自分は生きられないゆえにイエスの言葉に聞き入ったのであり、マリヤのそういった心情の尊さをマルタは理解できなかったのだろう。


神さまはマルタにだけではなく、特に大切なことを話される時、いつも名前を二度呼ばれる。
そして、知子にも「知子よ、知子よ。いろんなことを心配して何もかもしようとしないで、最も大切なことをすればいいんだよ。」と語って下さっているのである。

人生は美しく素晴しいものだ!

新しい門出を迎えられた和子さんにも、「マルタとマリヤの話」をはなむけの言葉としたい。

posted by 優子 at 12:43| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2009年03月10日

春、春、春が来た!

日本では4月は新しいスタートラインにつく新年度の初めである。専業主婦の私とて新しい気持ちになる春である。

子育てをしていた時は、私自身が進級するような気持ちで胸がワクワクしたものだ。特に子供たちの小・中学校時代は担任の先生やクラスのことを聞くのが大きな楽しみだった。

毎日毎日学校の様子を細かく話してくれた知子と真智子。
私は毎年毎年、年がら年中飽きずに聞いていた。それが子育て中の最高の楽しみだった。ああ、懐かしい!


さて、昨秋、娘たちの中学校時代の恩師、大阪和子先生がたまたま『メメントドミニ』を見つけて下さり、インターネットによる思いもかけない再会となった。

和子さんは体調を壊されその春から休職されていたことを知り、以来、祈りとメールを通しての交わりを重ねてきた。
そして、1年の休養を終えて4月から復職されることになった。復帰早々から学年主任をも兼務されるそうだ。


実は、6日のスナップ集にある孫のかわいい服は、再会後まもなく和子さんからプレゼントされたものだ。
当時の和子さんは声が出ない、出すこともいけない状況下であられたのに、わざわざ買い求めてきて下さったことを思うと胸が熱くなってお品を抱しめた。

私は来月の復帰にエールを贈ろうと、和子さんにはこの写真に寄せて熱い想いを込めて発信したのだった。
この贈り物を決して忘れないし、知子もまたお洋服が小さくなっても大切にしまっておくことだろうが、大人になった時の幸悠への宝物としてもお名前を刻んでおきたいという願いがあった。

その後、ご依頼したところその時のメールと共に掲載のお許しを頂いたので、感謝をもって刻ませて頂きたい。
優子様

メール有り難うございました!
復帰まで残りひと月を切り、今は少しずつ声を出すトレーニングを週3回、そして、2日に1冊を目標に教育書を読んでいます。
ずっと心に留めておきたいところはコピーしてファイルに収めています。

「メメントドミニ」のお写真見ました!!
お洋服を見るなり「あっ!!」とびっくり!!!
ユキちゃんの表情がまぶしく、こちらまで幸せな気持ちにさせていただきました!
ブログにお洋服のことを載せていただけるなんて感激です!
お洋服のクマさんよりもユキちゃんの笑顔がかわいくてかわいくて!
また、ご主人様の表情も最高です!

私は神様を信じ、これからも前を向いて少しずつ頑張っていきます!!
不思議なくらい、今、やる気に溢れています。

知子さんのこともお祈りしています。
優子さんもどうぞご無理なさらないように・・・・。

ご長女の知子ちゃんも第一志望高校へのご入学が決まり、嬉しい、新しい春である。
そして先ほど、知子からもこんな嬉しいメールが着信した!
今ブログ読ませてもらったよ。
どうか無理しないで、股関節と腰が悪くなりませんように。
私の方は、体力がついていきそうな兆しがあります!!
根拠はないけど、昨夜も今朝もしっかり沢山食べ、消化することができ、睡眠も取れているんよ!!
有難う!!
   (中略)

とにかく私は今とてもとても気楽で、薬以上の治療を開始しているという感があります。
ママには本当に負担をかけているけど、初めての長期の試みで根本的に少し体力が既についてきています。昨日は胃痛が全くなかったよ!
今から休憩します。
ピアノの練習は午後からにしよう(−−)
また何かあったらいつでも電話くださいね♪

知子にも春が訪れていた!
文末に「るんるん」も付いていた!
たとえ調子が悪くなろうとも大丈夫なんだ!
神は何もかも完璧に計画されているんだから、体調に依拠することなく何もかも心配せずに進んでいけばいいんだ!

知子は14日(土)の谷口家の家庭集会で奏楽のご奉仕に与り、その練習をするようだ。私たちは已む無く欠席させて頂くことになった。次女夫婦は帰国早々で長旅の疲れがとれていないだろうし、九州出張のために夫の不在と重なったからだ。

連日、幸悠にピアノを弾くのをせがまれて困っているので、真智子が帰ってきたら先に弾いてやってもらおう。

春、春、春!
嬉しい嬉しい春が来た!

「本当の春」「意味深い春」というお言葉に涙が溢れてきました。
こんな思いは本当に一生に何度もありません。

「メメントドミニ」への掲載、どうぞよろしくお願いいたします!!

優子さん
もしもお時間が許されるのでしたら私へのメールもどうぞ頂きたいです!!
きっと、その都度私は勇気づけられて頑張れると思います!!
ありがとうございます!
私も和子さんのメールでどんなに励まされていることでしょうか!
では、和子さん、お邪魔虫にならない程度にメールさせて頂きますね。ただし、お返事にはお気遣いなくね!お仕事が始まれば返信する時間も体力も難しいと思いますから、お心遣いはご無用にね!

和子さんと知子に神の祝福と恵みが豊かにありますように!



posted by 優子 at 12:34| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年03月09日

知子の上に神の奇跡が起こっていた!

娘ではないが孫との一日は長い。
それでも近頃は、腰や股関節の痛みがひどくなるとソファーに横になり、この前などウッカリ10分間も眠ってしまったこともあるくらい、適度に身体を休ませることもできるようになった。

孫を預かっていて最も困るのが愛犬の散歩だ。
6日(金)のこと、ようやく雨が上がったものの孫が起きているからチャッピーを散歩に連れて行ってやれない。しかし、孫が眠るのを待っていられない。

夫は一回ぐらいパスしても大丈夫だと平気で言うが、既に17時間も排尿していないのに私はとても放ってなどおけない。そして、孫を負んぶして霧雨の中、傘をさして出かけた。

1〜2年ほど前から常に痛みを感じるようになってしまった股関節と腰は辛いし、手術することになれば怖い。

しかし、この散歩で股関節の手術になってもいいと思った。犬のことくらいでと言ってはチャッピーに悪いが、犬のことでこんな思いになったのは自分でも意外だった。私には愛犬も人間も同じだった。

3回排尿したので10分間ほどの短い時間だったが良しとした。帰り道では手術しないで一生を終えることができますようにと祈っていた。やはりかなり負担がかかったのでもう2度としない。


散歩のことを娘にメールすると、とても嬉しい返信が戻ってきた。
本当にゴメン(>_<)。ママの腰がどうもない様お祈りしてる。
blog最高!(6日の記事)写真あんなに沢山、レイアウトやコメントもすごいね!有難う。
(5月の連休に、今もMRで活躍中のファイザー時代の友人に会うために、自然豊かな四国へ行くそうだ。その飛行機の手配を完了させたとのこと。そして、)
こんな時間に気楽にお風呂入って寝転べるのもママの助けのお陰です。ママの体に皺寄せいきません様に(;´・`)

私にはとても嬉しく、力の湧くものだった。
そして、娘の楽しみのために子供を預かるなんて本当に嬉しい。5月を迎える頃には、もっともっと元気になっていますように!

7日(土)は美濃紙業のリクレーションで夫は知多半島へ出かけて留守。娘も一人で静かな一日を過ごし、ゆったりとした気分で受診した。

その報告の電話を受けて話し合う中で、既に神さまが強迫症状を完全に消滅させ奇跡を起こして下さっていたことに気づかされた。

昨秋にはアレモコレモと全て今まで通りにしようとしていた苦しみがあった。毎朝、伴侶が家を出るまでに少しでも用事を済ませておかねばと強迫症状が強く出て、ついにトマトを切ろうとしても震えて切れなくなってしまったのだ。

その薬を服用したのは1ヶ月弱くらいだったと思うが、薬が効かなくなって倍にしたものの効かなかった。量を増やしても効かないこの時こそと、私は強く服用を反対した。薬に依存しては大変だからだ。

娘は自ら薬を拒否した。1月終わり頃のことだと思う。
薬をやめても悪化することもなく、神の前に謙虚にされていよいよ祈る者へと方向転換されていった。
最近は何度もメールや電話のやりとりがあり、私の気持ちも和らいでいる。祈って下さっている方々に心から感謝している。
昨日から孫も元気になり、今朝から完全に通常食に戻った。

尚、昨日の自治会(新旧班長顔合わせ)では、懸念していたことが既に明らかになったので、22日総会後の役員会で明確に発言しておきたいと思う。

夫に子守りを頼んで外出したので気晴らしになるかと思っていたが、困っていないか気になって気になって落ち着かなかった。

posted by 優子 at 12:03| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年03月07日

神さまからの導き手

藤本優子 様
知子さんやお孫さんの事ご心配ですね。
母として、祖母としていろいろ思いめぐらすのは当たり前の事でしょう。でも主に委ねてられる様子をブログから拝見し、つくづく優子さんの信仰の強さには感服致します。

3月1日と今日5日のブログを拝見し、ご主人との関係が素晴しい事に感銘を受けています。以前の記事から比べると優子さんのご主人に対する接し方が随分変わった様(ありのまま受け入れる)に思われます。

男性の立場から言わせて戴くと、多くの夫は妻の言動が本当はその気でなくても何か指図されている様に感じるものです。これは夫にとって我慢ならないことでありだから常に構えてしまうのです。

しかし妻にありのまま受け入れてもらうと構える必要が無くなります。結果、夫は妻の言葉に耳を傾ける気持ちのゆとりも出来、妻の何気ない行動にいらだちを覚える事が少なくなります。(男性って単純でしょう)

性別に関わらずこういう事を理屈で解っていても行動がなかなか追いつかないのが人間ですね。 信仰の問題は伴侶の一方だけが信じている場合には特にそうだと思いま す。言葉に出して言われなくても、ボディランゲージは言葉以上に強要します。

今、優子さんはご主人の事を主に委ねて夫婦関係、家族関係、親戚関係のキーパーソンとして細やかに毎日活動しておられます。(現状は身体の不調を押してでも活動せざるを得ないのでしょうね)

どうぞそのままご主人を受け入れ続けて下さい。其の事がご主人と信仰の事に付いて自然と話が続く根源かと拝察致します。

優子さんはそんな事を百もご承知の事でしょうが、私は男性としてどうしてもご主人の側に立ちたいのです。差し出がましい事を言って申し訳ございません。不躾をお許し下さい。

知子さんの体調不良もさることながら優子さんご自身の体調も充分御自愛下さい。無理をすればますます体調が悪化します。御身体お大切に。

ブログ開設当時から愛読して下さっているクリスチャンドクター、O兄から頂いたメールである。
O兄は信仰の導き手として、また、医師としてのご教示など、今では家族全員に及ぶお支えを頂いている。

このように夫の立場から見えるものを示して頂けるのは本当にありがたいことだ。
かつて、夫婦について苦悩していた時、男性は言葉が無いというがそうではなくて、この人だからこうなんだ、この人格だからこんなにひどいことをするのだと思っていた。

そんな時、読書会の年配者が語られる男性観が大きな助けになった。夫への憤りの半分が一般化できる性差で占めていたので、気持ちがかなり楽になり、あの時がターニングポイントになったように思う。
その後、長い時間をかけて少しずつ自分のことも見えてきたのだろう。

勿論それからの進歩も今も遅々たるものであるが、かつてはたびたびボディランゲージで強要もし、プレッシャーをかけていた私が、いつしか夫に対する「接し方が随分変わった様(ありのまま受け入れる)に思われます。」とは、本当に嬉しい。
私は素直に喜びたい。
何よりもそのことにより私自身がとても生き易くなり、いつしか心が羽のように軽くなっていた。


昨夜、夫もこのメールを読ませて頂き、理解者を与えられて嬉しそうな表情を見せた。
からし種粒ほどの信仰しかない私には神さまからの大いなる励ましだった。そして、今後ますます他者を理解する助けとなって、他者を受容し共感できるようになりたいと思う。
O兄に感謝と希望をこめてかわいい


posted by 優子 at 17:24| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2009年03月06日

2月21・22日の孫とのスナップ集

昨日は知子も昼食を共にし3時間ほど滞在したので、写真をパソコンに入れてもらった。
2月23日の記事にある、「心配事は神に委ねよ!」(カテゴリ「知子の育児便り」)の孫との時、3人と1匹の散歩スナップ集である。

2月21日(土)、午前中にスーパー3軒で買い物をした日の夕方。暖かい日だったので、保育園入り口にあるお気に入りのミッキーマウスを見に行った。私たちの足ならば自宅から2〜3分ほどの所にある。

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「うわぁ、知ちゃんとまちちゃんの顔にそっくりやなぁ!」と、夫は写真を見た瞬間に驚きの言葉を発した。

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幸悠の喜ぶ声が聞こえてきそうだ。

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公園は自宅から2分ほどの所にある。その帰り道。

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チャッピーと何をお話ししているの?
この一週間後にはチャッピーの足は既に夏毛に変わった。

次は22日(日)、礼拝が終わった直後に写したもの。
礼拝後の小グループでの分かち合いにも、このままの姿で参加してくれた。

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同じ日の夕方、夫は再び汽車ポッポを出して遊んでくれた。

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私は子育ての時にも一度として組立ててやったことはなかったと思う。コツコツすることは苦手なのだ。

夫と孫との情景に知子や真智子の姿が重なり、自分ひとりで子育てしたのではないんだと、祖父母になってからしみじみ(神さまに)思わされている。
夫への感謝が溢れ、そのこともまた嬉しくて感謝感謝である。


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狭い我が家では床の間も物置場所になってしまった。
さて、昨日からの孫は体調不調でこのような笑顔はないが、昨夜はおじいさん(夫)を相手にボール投げをして遊んでいた。

食餌はご飯、食パン、番茶、ジャガイモ、鰹節くらいなのでかわいそう。幸いにして嘔吐はなく、便の状態は悪いが一回だけだった。

むずがっていたが、ようやく眠ったので大急ぎでアップした。
これらの写真を見て、誰よりも大喜びして飽きずに見るのは孫本人である。何度も指差して、「エッ、エッ」か「アッ、アッ」かの声を出して見ている。

悪いこともまた、全てのことを良きにして下さる神に感謝し、知子の癒しを信じて委ねていこう。

posted by 優子 at 10:57| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年03月05日

夫の内的状況に感謝!

昨朝、長女に電話したところ、その前日と今朝も孫が吐いたと言うので葬儀には出かけられないのではないかと思った。
娘は不調も忘れ気力でやっている状況だった。いろいろ話し合った結果、とにかく朝に受診することを告げ、電話口で溢れる涙と共に短く祈った。とにかく、どんな時も神が最善を成して下さると信じて家を出た。

私は火葬場から帰って来た段階で娘の所へ走らねばならぬことも覚悟していたが、幸いにして、夫の携帯電話にメールが届いた。孫はノロウィルス症状だが軽度であり安堵する内容が書かれていた。

横に居た夫の妹にお願いして「安心しました」とだけ書いて返信してもらった。私は携帯電話を持っていないのでやり方が全くわからないし、夫もまたメールを開いて読むことしかできないのだから情けない。共に時代についていけない似た者夫婦である。

そんなわけで、朝の9時半過ぎに家を出て、お骨上げのあとの初七日法要にも列席し、ようやく夕刻6時過ぎに夫と義母と一緒に帰宅したのだった。

初七日の法要の時、私は焼香を辞退させて頂いた。
ご遺体を前にした葬儀中には、持参した一輪の白菊にご遺族への慰めの気持ちを込めて神に黙祷を捧げたが、仏壇の前で神に黙祷を捧げるのはよした。

勇気が要った。
傍に義母や兄弟たちもいる。
主よ、勇気を下さい! 私を支えて下さいと力を込めて祈った。
まもなく、スーッと神の平安がきた。

しかし主よ、私が出て行かないことでご遺族のお心を傷つけることがありませんように。そして、周囲の方々のつまずきになりませんようにお守り下さいと祈った。

そして、順番が近づいてきた時、義弟(次男)氏に「良輔のあとは○○さんが続けて行って下さい」と伝えた。

ついでながら、どういうわけか葬儀では夫が留め焼香を頼まれた。

夕食後、夫に2〜3のことを尋ねたらこのように答えた。
イエスさまを信じていないわけではない。今日の仏教の話を聞いても全く思いはブレないと!
それも最近のことではなく、ずっと以前からだと言った。

私が放出教会で洗礼を受けた3ヵ月後、1987年秋の伝道集会で聴いた有賀喜一師のメッセージからのようだ。

しかし、お骨上げのあと式場へ戻るマイクロバスの中で夫はこんなことを話し出した。
人は焼かれて白骨になったら全て終わる、無になる。死ねば終わりだと言った。とても次があるとは思わないと。

私の能力の許す限り話したが夫には理解してもらえなかった。
もとよりこれは形而上学的な問題であり、このことを受け容れるには神の介入なくしては成就しないことである。

それに先立って知的理解の限界はあっても、納得できるような内容が書かれた書物はないか・・・と思い巡らしながら聞いた。
「私も知子も真智子も天国に行くのに、あなたは別でもいいの?」
夫は首を横に振ってくれた。
今はそれでいい。嬉しかった。ハレルヤ!神に感謝!


そして、私はこんなことを話した。
「そしたらね、今はこのように思って生きてほしい。
聖書には永遠の命が在って、主イエスに救い出された者が天国に入れられると書いてあるけれど、死んでみないとわからないというわけだから、信じないでいたら在った時に後悔するやろ?
在ることを信じて生きていけば、聖書が告げていたことが真実だった時は良かったと思うやろ?だから今はそのような考え方で生きてほしい。」
と話したのだった。

若い頃に読んだ本にこのようなことが書いてあった。たぶんヒルティかトルストイあたりだと思う。

私は今、『撰集抄』の一節にある、「宵にみし人朝(あした)に死し、朝(あした)にありしたぐひ夕(ゆうべ)に白骨となる。」を思い出しながら書いている。
過ぎてしまえば人生はアッと言う間だ。
人は次第送りである。白骨を自分の目に焼き付けた。私自身もこのようになることを実感できる年齢に達したから、いよいよ時間ほど大切なものはないのだ。

私は最愛の娘たちに何を残してやるのか。
最も大切な信仰は継承できたであろうから安堵しているが、今もこうして言葉を残しているつもりでも書いている。
そして、友人や知人、社会から多大に受けた恩恵を還元しつつ文書を残そうと真剣に考えている。

今日は久々の晴天で気持ちいい。いよいよパンドラの原稿最終仕上げに入りたかったが、今日から孫がやってくる。

文章というのは文字数が少ないほど難しいものである。3枚の写真掲載を考えているので、原稿用紙5枚は4枚少しの文字数になる。過不足なく書き、本の趣旨に叶う内容を凝縮したい。

今は知子の体調が癒され、全てのことを益に変えてくださる主を信じて心安らかに過ごそう。
真智子は4日に2つの発表があると言っていたが無事に終わった頃だろうか。帰国は7日後に迫っている。


posted by 優子 at 08:20| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2009年03月04日

いつもとは違う心のうずき

昨日の奈良の最高気温は4.9度で最低気温は1度で(大阪は6度、3.5度)、真冬の寒さに加えて冷たい雨の一日だった。
その夕方から義母と一緒に八戸ノ里まで出て、そこから夫と共に若江岩田に向かった。

2週間ほど前のこと、毎日ウォーキングしている義母と一緒に久々に歩いた時も、その健脚ぶりに驚いたものだが、昨日は私より2分ほど先に家を出た義母に追いつこうとしたが、ついに駅まで追いつけなかった。

駅の階段を降りる時に手をつなごうとしたものの、義母は私よりもしっかり早く降りた。それぞれに与えられた生命力が違うのだと思った。
道中では知子の体調を心配してくれ、ここまでお導き下さった神に深く感謝した。義母は今月86歳になる。いつまでも元気でいてほしい。

亡くなられた方の長女、義弟(三男)夫人はお昼過ぎまで仕事をして、そのあと父親の病床に毎日通ったと言う。会社帰りの伴侶に病院へ寄ってもらい、伴侶もまた毎日義父を見舞っていた。約3ヶ月間ずっと。

私は本当に冷たい娘だった。
夫の妹も、次男氏の伴侶も、叔母の娘もみんな本当に親への愛を尽くしている。
私は週に2度行っただけだった。回数の問題ではないが、私は最後まで両親から愛を受けるばかりだった。
父と母に申し訳なく、辛くて涙さえ出なかった。

しかも、三男夫人は妹と共に、それはそれは仲睦まじく助け合って親孝行を尽くした。そのことを伴侶(義弟)もまたつくづく感心する姿は本当に麗しいものだった。

私は言葉にならぬ心の痛みを感じた。
ただ兄だけは毎日父の病床にも行ってやってくれていたから、そのことで少しは気持ちが楽になるが、ようやく今、これを書きながら疼きが破れて涙が溢れ出た。


昨夜の帰り道の大和川沿いで、夫は赤信号で止まりかけたのに止まらなかったから、私も「アレッ」と思った瞬間に、横からパトカーのサイレンが鳴った。
夫も疲れていたのだろう。
交通違反で引っかかった。

今朝、夫が自動車に乗る寸前に、私は夫の手をとって短く祈った。私がこんな行動に出たのは初めてではなかったかと思う。夫も「アーメン」と言った。

今日は次男夫人が仕事を休むので、自動車で義母と私を乗せて行ってくれることになった。
お骨上げの最後まで居てほしいと頼まれている。
今の心境はとても辛く苦しくて逃げ出したいが、主イエスを想って行こう。主が知子を守って下さるように祈りながら。

posted by 優子 at 07:53| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2009年03月03日

これら一切の上に神の導きがあらんことを!

次女夫婦の今回の帰国は短い滞在だが、真智子は大叔母との時間をとり20日に再会を約束している。
孫のいない大叔母にとって私の娘たちは喜びであり、娘たちにとっても(母方の)祖父母を亡くした慰めであり、交わりの回を経るごとに大切な時間になっている。

「(優子の)お母さんやお父さんにも真智子ちゃんや知子ちゃんに会わせてやりたいなぁ。私がこんな幸せを味わわせてもらってお母さんとお父さんに申し訳ない」とばかり繰り返す叔母。

叔母よ、ありがとう!
私は永遠のいのちが現実のこととして信じられるようになったから、もう悲しくない。父と母にはまた会えるし、叔母の言葉で慰められてもいる。

今日もある話題で叔母と話していてお昼を過ぎてしまった。そして、昨日も今日も神さまの話をすることができた。
叔母の心をも痛めさせている愛する者とも、共に人生を分かち合えるようになりますように、願わくば叔母が元気なうちにと祈る日々である。神はそれを叔母に見せてくださるような気がしている。

両親の晩年の悲しみと苦しみに関わってくれた叔母に、それら一切が喜びに変えられたことを時には涙を流しながら話し、いよいよ大胆に福音をも語らせられている。
神が叔母を救いの計画に入れて下さっていることがわかったから、尚更熱心に祈っていこう。


我々は今は元気であっても、いつ死ぬかもわからぬ中で生かされているお互いである。
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。
 主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」


                (ヨブ記 1章21節)

逆境の時は順境な時には知らなかった苦悩と悲しみに絶叫した。しかし、そのあとで眼が開かれて見えるようになり、以来、順境な時には見えなかった神の臨在を鮮やかに見ている。

主よ、能力も知識もお金も時間も、私に頂いた賜物を尊く用いる生き方をさせて下さい!
そして、「死」を人生最後の賜物として受け取らせて下さい!


今日は夕方から義母を伴って悲しみの場に向かう。
春を前にして冷たい雪がしきりに降っている。


posted by 優子 at 13:21| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年03月02日

聖霊に励まされて進もう!

昨朝のスカイプの最中に妹から電話が入った。「知ちゃんが教会へ行くから私も行きたいが・・」という嬉しい電話だった。
神さまが妹を再び教会へ!
そして、知子たちが教会へ行くということは知子の体調も落ち着いているのだろうと、私たち夫婦も安心して喜んで教会へ向かったのだった。

ところが、昨夜ブログを書き終えてPCを閉じようとしたら、知子からのメールが入っていた。

昨夜(土)も今夜(日)も7:30-10:00迄、立てぬ程、顔をしかめる胃の苦しみに突如襲われて寝込んだ。・・少しましになったので即座に寝室へ。まだ苦しい。この苦しみは半端じゃなく言葉では表せない。

やはり食事をしっかりしたら後こうなる。おいしく食べるのに…金曜に39`弱になってしまったけれど、週末はかなり食べ今は増えてるはず。でもこんなに苦しむなら食べない方がまし。

さっき迄、メールどころか意識が朦朧とするほどでした。
突如痛みが来るから一人になる平日の昼は食べるのが怖い。今日は吉見さんと谷口さんをご自宅までお送りしたので気疲れもあったからかな。

チャイルドシートを外し、学園前でおばちゃんと楽しく食事し始めたのは一時半を過ぎた。明日詳しく話す。
この急変する体が癒されるようにママも引き続き祈って。

衝撃だった。
即座に祈り、神さまに泣きついた。
遅い入浴中にもずっと祈っていた。
疲れている夫には心配かけずに眠らせてやりたいので、今夜は話さないでおられますようにと祈ったが、テレビの部屋で一眠りして目を覚ましていた夫を見て即刻話してしまった。

今朝の9時頃に娘から電話が入ることになっていたが、8時半過ぎに夫から電話が入った。婿から聞いた知子の様子かと思ったら、義弟(3男)の伴侶のお父さんが亡くなられたのだった。

そんなにお悪かったとは!
胃ろう(お腹に穴を開けて直接管から胃に栄養を補給する方法)になったとお聞きしていたが、転院の話も出ているとのことなので少なくとも数ヶ月の時間があるかと思っていた。

28日(土)朝、お見舞いに伺っていいかどうかを義弟に尋ねたところ、「今日聞いてくる」とのことだった。義弟の仕事先は義妹の実家と同じ東大阪だから、毎日のように会社の帰りには妻を迎えに行きがてら訪ねているであろから、休日にわざわざ婿が東大阪まで行くのは変だなぁとは思った。

そのことで昨夜電話しようとしたが、夫は明日電話があるだろうからと言うので祈っていた。お見舞いの気持ちに添えて星野富弘さんの本をご夫妻にと思って買ってきたのだが、ご本人には間に合わなかった。

福音をお伝えできず、病床で平安と慰めをお祈りできなかったことを神さまにお詫びし、ご遺族の慰めを祈った。

その後、今朝は妹からの電話、知子と妹へ電話し、そして、神戸の叔母からの電話でお昼になってしまった。
知子は落ち着いているようで明るい声で話しており、木曜日からユキを頼みたいとのこと。私は今日直ぐにでも母子共に迎えようと思っていたのだが。

やはり、こんな状況では自治会の役を引き受けるのは無理かもしれない。あと2名の副会長も決まったそうだが、例年は今月(8日)の自治会で新班長さんの中から決めるとのことだから申し出よう。

知子の子供時代を知って下さっている放出教会の人たちは、あまりに痩せてしまっているので心配し、祈って下さっているそうだ。
昨日、知子のことを尋ねて下さった福野牧師夫人も祈って下さっているだろう。
「全てはあなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」          
         (コリント人への第1の手紙 10章13節)

主を畏れ聖霊に励まされて進んでいこう!

posted by 優子 at 14:46| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年03月01日

3年越しの祈りに一段落を得る

今朝8時50分頃から30分ほど次女夫婦とスカイプした。
自差の関係から夫に同席してもらう時は日曜日の朝が多い。3月に入ったので帰国時の打ち合わせをしておかないと、あっという間にその日を迎えてしまう。
結局、お迎えは最寄の駅までということになってしまった。はるばるミネソタから帰って来るのに申し訳ない。

しかし、去年6月の次女一人の帰国ではもっとかわいそうなことをした。
私の膀胱癌の検査入院後で腰椎麻酔の後遺症に苦しみ、少々無理して床上げした日だったから駅にさえ出迎えてやれず、まるで神戸大学に通っていた頃のように「ただいま」と玄関に入って来たのだった。


さて、スカイプを切って大急ぎで自動車に乗った。今朝9時半に家を出て、帰宅したのは5時40分。クタクタで腰も股関節も痛い。
「今日は大カシオペアやった?」
「ホンマや。大貸しやった」と夫は自動車から降りながら言った。ふらふら
土・日は休養なしになってしまったので、どうか神さまが夫の疲れを癒して健康を守って下さり、明日からの仕事を祝福して下さいますように!

今朝は高校野球で有名なPL教団近くにある富田林の教会へ向かった。礼拝後は注文依頼しておいたホッカ弁を皆さんと頂き午後の総会に出席した。

講壇左前に座ったものだから福野牧師ご夫妻とご一緒になり、久々に親しく歓談した。このことにも神の導きを感じた。
私は神田牧師の野崎観音について話し、闘いの中で執筆されていることをお伝えした。

この時、牧師はこんなことを仰った。
「この頃、ご主人、優しくなられたでしょう?」と仰るので、私には意味不明で、どうお答えしてよいかわからなかった。牧師は「見ていてわかりますよ」とまで仰ったが、どういう意味で仰ったのだろうか。

勿論、互いに若い頃よりはるかに人生が深められているので、その意味においては優しくなったと感じるが、肯定するのを些(いささ)か自己欺瞞に感じながら微かに頷いた。

「私が変えられたからでしょうか」と言おうとしたが、何か自意識過剰気味にも思えたので「理解してくれるようになったからですかしら」と申し上げると頷いておられた。

そして、「もう洗礼を受けられたらいいのですよ。今のままでいいんですよ。」と仰るので、確かに、夫自身が神の臨在体験について分かち合いの場で証言していたことを話し、「しかし、今でも人は死んだら終わりだと思っていますので」とも付け加えたのだった。

1時半から始まった総会は、ようやく4時半に終了した。無事に総会を終えて牧師もホッとされたことであろう。
今日は南大阪福音教会のブランチ(枝)教会の一つである、千葉県野田市梅郷(うめのさと)から代表者のK姉も来られていた。いつもはインターネット同時中継で礼拝を守っておられる。

このK姉について全く存じ上げなかったのだが、N兄と話していた時、「メメントドミニ、いつも見ていますよ」と仰ったので驚いてしまった。どなたかの紹介ではなく、たまたま見つけて下さって以来愛読して下さっているとのことだった。

1月には鳩飼さんからも淀川教会の牧師夫人(ご夫人もまた牧師でもある)が読んで下さっていると教えて下さった。共に神さまからの励ましと受け止め心から感謝している。
ちなみに、2月で一番多かった日のアクセス数は269、訪問者は88名で、1日の平均は160のアクセスと訪問者67名だった。

私たちクリスチャンは、週の初めに教会で魂を癒され、練られ、新しい力を頂いて再び世に遣わされて6日間の信仰生活を送るのである。

私は先週の香芝の総会のあと、3年来の祈りに対してようやく進むべき道が照らし出されたように思う。まだ具体的ではないが懐疑心は消え、一段落した結果に平安を得た。

これまでの疑問は、解釈と力点の置き方の違いによる違和感であり、それぞれの教派により違うという領域内のことであるので、私は私らしく宣教の業に励もうと導かれた。神が今後も最善へと導いて下さるから安心している。

「ただ、わたしたちは、達し得たところに従って進むべきである。」(ピリピ人への手紙3章16節)。与えられたみことばをしっかり胸に刻んで、ヘンデルの如くに前進していきたい。


これは、私の思いですが、「藤本さんは藤本さんにしかできない方法」が与えられております。それは異言ではなく、言葉で、文書で伝えるために、召されておられるのではないでしょうか。

昨日頂いたペンの友からの言葉を心から感謝している。

22日の総会で意見した時に思い浮かべていたみことばは、コリント人への第1の手紙14章である。その後も先週は何度も開いた聖書の箇所である。

愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。

しかし預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。

わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。

だから、兄弟たちよ。たといわたしがあなたがたの所に行って異言を語るとしても、啓示か知識か預言か教えかを語らなければ、あなたがたに、なんの役に立つだろうか。

また、笛や立琴のような楽器でも、もしその音に変化がなければ、何を吹いているのか、弾いているのか、どうして知ることができようか。 また、もしラッパがはっきりした音を出さないなら、だれが戦闘の準備をするだろうか。

それと同様に、もしあなたがたが異言ではっきりしない言葉を語れば、どうしてその語ることがわかるだろうか。それでは、空にむかって語っていることになる。

世には多種多様の言葉があるだろうが、意味のないものは一つもない。もしその言葉の意味がわからないなら、語っている人にとっては、わたしは異国人であり、語っている人も、わたしにとっては異国人である。

だから、あなたがたも、霊の賜物を熱心に求めている以上は、教会の徳を高めるために、それを豊かにいただくように励むがよい。 このようなわけであるから、異言を語る者は、自分でそれを解くことができるように祈りなさい。

もしわたしが異言をもって祈るなら、わたしの霊は祈るが、知性は実を結ばないからである。すると、どうしたらよいのか。わたしは霊で祈ると共に、知性でも祈ろう。霊でさんびを歌うと共に、知性でも歌おう。

そうでないと、もしあなたが霊で祝福の言葉を唱えても、初心者の席にいる者は、あなたの感謝に対して、どうしてアァメンと言えようか。あなたが何を言っているのか、彼には通じない。

感謝するのは結構だが、それで、ほかの人の徳を高めることにはならない。わたしは、あなたがたのうちのだれよりも多く異言が語れることを、神に感謝する。

しかし教会では、一万の言葉を異言で語るよりも、ほかの人たちをも教えるために、むしろ五つの言葉を知性によって語る方が願わしい。

兄弟たちよ。物の考えかたでは、子供となってはいけない。悪事については幼な子となるのはよいが、考えかたでは、おとなとなりなさい。 律法にこう書いてある、「わたしは、異国の舌と異国のくちびるとで、この民に語るが、それでも、彼らはわたしに耳を傾けない、と主が仰せになる」。

このように、異言は信者のためではなく未信者のためのしるしであるが、預言は未信者のためではなく信者のためのしるしである。
もし全教会が一緒に集まって、全員が異言を語っているところに、初心者か不信者かがはいってきたら、彼らはあなたがたを気違いだと言うだろう。

しかし、全員が預言をしているところに、不信者か初心者がはいってきたら、彼の良心はみんなの者に責められ、みんなの者にさばかれ、その心の秘密があばかれ、その結果、ひれ伏して神を拝み、「まことに、神があなたがたのうちにいます」と告白するに至るであろう。

すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教えをなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである。

      (略)

わたしの兄弟たちよ。このようなわけだから、預言することを熱心に求めなさい。また、異言を語ることを妨げてはならない。しかし、すべてのことを適宜に、かつ秩序を正して行うがよい。



posted by 優子 at 23:24| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする