2009年04月30日

回復は一進一退の日々

長女が実家に戻って来て2週間過ぎたが、回復は一進一退で体重も40キロに定着しない。心の傷は相当に深い。

25日の受診日、父と共に自宅に立ち寄って必要な荷物を持ち帰ったが、滞在が思っていた以上に長期になりそうなので今朝再び自宅へ取りに帰った。

明日は、ファイザー製薬でMRをしていた時の友に招かれて高知県へ出かけることになっている。
娘はまさかの飛行機事故死を思って幼い息子のことを遺書に書いての出発だ。体力的な心配もあるが気分転換になることを願っている。

連日体調がすぐれないが、昨日は神戸の叔母(知子には大叔母)と約束していたこともあり叔母を訪ねた。
今回は叔母宅のつもりで出かけたのに、3月20日に真智子夫婦と訪ねた時のように従姉妹宅で心づくしのおもてなしを受けることになってしまった。

結婚後も外資系の会社で活躍している従姉妹(私よりも10歳下)は、かなりの料理好きで日本料理から中華まですごいものである。
今回も前夜まで仕事だったのに専門店顔負けの酢豚を作ってくれた。そして、幸悠にも食べられるものをとグラタンに茶碗蒸しも作ってくれた。

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この日も朝から食欲がなくて全く食べられなかった知子だったが、おいしくたくさんいただいた。
激痩せをカモフラージュするためにカサのある服を着ていたにも関わらず、「いろいろと話だけは聞いていましたが、知子ちゃんのあまりの痩せようには、びっくりしてしまいました。」と、今日の従姉妹のメールに書かれていた。
本人の承諾を得て今月18日の写真を掲載したい。顔は老人のようである。
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この日は異常なほどの勢いでイチゴ狩りに行った。いや、こんな体になってもそのようにやってきたのであるが。
この前夜12時半頃に救急車で運ばれたので、イチゴ狩りは私たち夫婦だけで孫を連れて行くことになったと覚悟したのだった。

しかし、3時過ぎに帰宅し、その夜は3時間半ほどの睡眠時間で予定通り参加したのだった。クリスチャンペンクラブと重なった日のことである。

今までのことを知れば知るほど何と罪深いことかと思う。
この私でさえ、事の重大さに初めて気がついたような衝撃であり、孫の世話がなければ寝込んでしまっていたかもしれない。

明日で4月も終わるというのに午前中は寒くて連日暖房をつけている。
知子は今朝7時半頃に出発したので、10時頃から電気カーペットを最強にして横になった。孫も眠ってくれたので私も1時間余り眠った。

詩篇139篇を読んだ。

主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。
あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。
あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。
わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。
あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。
このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません。
わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。
わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。
わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、
あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。
「やみはわたしをおおい、わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、
あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。
あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。
わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。
わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。
あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。
神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。
わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。

       (略)

神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。
わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。

最近祈りに集中できないでいたが、多くの方々のお祈りのおかげで祈られるようになってきた。
友に祈られていること、メールを通して慰めと励まし、みことばや助言のおかげで支えられている。ありがたいことだと身に沁みる。

本当は頂いたメールを私自身のために全てを掲載させて頂いて、何度も読ませて頂きたいところだが差しさわりがあるので、昨日頂いた友の言葉の一部を刻ませて頂きたい。

神様の御心はすぐにはわかりません。
奇跡が起きるのを期待することも短絡的です。現実を正しく見極めることが大切です。

優子さん、おろおろしないで太くたくましく悠然と知子さんとゆきひさくんを受け入れ愛しいたわってあげてください。
堅い信仰と信念に立って娘を助けるのです。
娘ですもの、我が身より大切でかわいい娘ですものね。親ばかになれるのは親だけです。

ありがとう!!!感謝します。
そして、しっかりします!!!
主に在って!!!


posted by 優子 at 22:38| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年04月27日

文学作品に見る人間の実相

日本クリスチャンペンクラブ・関西ブロック会報『関西ペンの声』(NO.15号、2009年3月28日発行)より転載。

  『死の棘』を
     私はこう読んだ

           藤本 優子

この作品を退屈な連続としか読めなかった私は、「自分の魂が抉られる」と仰った久保田先生のお言葉に驚いた。
 
故郷も親も捨てて夫だけを頼って島を出たミホだから、夫の裏切りが許せなかったのだろう。しかしながら、「蜘蛛の巣さながらにはき出されてくる疑惑のため、不信焔を燃え立たせ」る繰り返しには辟易した。

その苦痛を耐えるために、島尾自身が狂気を演じるようになったのを不快に感じながらも、妻を棄てない情愛に心打たれた。投げ出せないからこそ、狂気を演じてまで耐えようとしたのだろう。

かくまでも夫と妻が互いに傷つけ合って、いたわり合う姿もまた夫婦愛なのだろう。しかしながら、子供たちの成長に深い影を落とし続けたことは、胸を抉られる痛みだった。

ミホの精神に異変をきたしたのは、夫を責める視点しか持たなかったからではないだろうか。人間は他者や状況にのみ責任を転嫁し続けていけば、いつしか精神に混乱をきたして狂気していくのだと思う。相手がどうであれ、苦悩しながらも、その中で自分はいかに生きるかだ。

妻は発作を起こしたくないのに起こして夫を裁き続け、夫は黙って耐えねばならぬと思っているのに耐えられないという繰り返し。人はかくも弱いものであり、ここに人間の実相が見事に映し出されている。終わりのない繰り返しを書き続けるのは島尾の特質であろう。

再読した今回も、島尾から罪意識を感じることはなかったが、妻と共に精神病院で生活を共にするというのは贖罪行為だと思った。

久々に同じ作品を読むことにより、自分の成長がわかったことが大きな収穫だった。今よりももっと信仰の高嶺に至らされた時には、私もまた島尾に深い信仰を読み取るのかどうなのか、私なりに興味深い点である。

この関連記事は、2008年10月10日、13日(カテゴリ「JCP関係」)に記録されている。尚、この15号より「関西研究会は今」を書かせて頂くことになった。

今夏は名古屋南山大学の研究所で中部・関西夏期研修会が予定されている。今年は読書さえままならず、読むことも書くことも皆無の状況だが今から楽しみにしている。

posted by 優子 at 08:30| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2009年04月25日

常に自分の気持ちと向き合うことの大切さ

17日夜10時頃、婿と義母が来られ、12時過ぎ(日付けは18日)に知子は救急車で3駅向こうの病院へ搬送された。あとは婿に任せて私たち夫婦は自宅に留まった。
幸い、内科的に問題はなさそうなので口からの栄養摂取と療養は自宅でと言われ、結局点滴のみで父親が迎えに行き深夜3時前に帰宅した。

そして、今日はかかりつけの近大病院の受診日だった。
自動車の運転も心配だったので夫(父親)が同行し、私は孫と家に留まった。婚家先のご両親も叔父さんの自動車で来院され、午後に3時間近く話し合い5時頃帰宅した。

医師によれば、娘は現在40.2キロになっているので一安心とのこと。36キロにまで落ちると内科入院して点滴とチューブの栄養治療になるらしい。

これまで長年の間、胸に押し込めていた感情(不当なことに対する憤り)を吐き出すことで、37キロ代にまで下がった体重が急激に戻り始めたことは驚きだった。
「今迄、育児疲れということにしていたが、それは仮面の姿であり、本質的原因があると思っていた。」とは知子の弁。そのことは私も見当はついていた。

早速、真智子からヤフーの新アドレスにメールが入っていた。そして、今朝、スカイプした時に語ってくれた真智子のメッセージは、まことに神さまからのものだと思った。
お姉ちゃんは今、これまで抑えてきた怒りがあふれ出して、今は最も苦しい状態だと思う。・・・(略)・・・
体をそんなに壊さなくとも不快感や怒りを訴えていい。
壊れないと訴えられないことではなく、怒っていいのだということを忘れないで!

お姉ちゃんの悔しさ全てを神さまが見て知って下さっているので、自分が何をしたいのかを考えてね。
神さまが全てを見ておられるのだし、神さまが報いてくださるから、どんな最悪だって諦めないで神さまに求める限り与えられる。

神さまは私たちが思ってもいないような良いことを、いつだって用意して下さっているのだから、大切なことはいつも自分の気持ちと向き合うこと。

誰にも必ず神さまの足あと(良心)を残しておられるから、悪いことに気づくようになるはず・・・だから、この人は無理と思い過ぎないようにね。
いつもお祈りしているからね。

「コントロールされた感情を信頼できる人と分かち合う時、交わりが深まり、いやしが働きます。」
否定的な感情もあっていいのだ。
全ては自分の感情を認めることから始まるのであり、問題から逃げてはいけない。

最近、PCの調子が悪くてスカイプ中も不具合になって強制終了した。一時は国際電話に切り替えて話してくれた。
的確なアドバイスは神の導きだった。元気のない私が明るい表情になったと喜んでくれた真智子。

ワシントンでの住まいも今日(ミネソタ時間の24日)決まったそうだ。そのことは真智子のページで書こうと思う。

19日の光景
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「真智子叔母ちゃんは飛行機に乗ってアメリカへ行ったよ」と言って以来ずっと、飛行機を見つけるたびに「まー!」と大きな声で叫ぶユキ。私はそれを聞くたびに「真智は空を飛びっぱなしやなぁ」と心の中で笑う。

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ベランダのチューリップはあと一つだけ、玄関のチューリップも半分近く散ってしまった。まもなく春は終わり新緑の季節に変わる。

3日前から肌寒く4月の終わりなのに暖房を入れるほどだったが、真冬にはマイナス30度にもなるミネソタが、今日は29度もあったとか。それを聞いて私も意欲的になってきそうな気がした。
ありがとう、真智子!

posted by 優子 at 23:50| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年04月23日

体脂肪6.8が9.2に、体重は37.5から40.5キロに!

ヨブのような試練の中にある知子さん。
知子さんの苦しみは、私の想像を超えています。
今までこらえていた思いをやっと吐き出すことができて、よかったですね。何よりも知子さんの心に平安がありますように。
そして、たくさん食べ、食べたものが栄養となり健やかな体を造りますように。

優子さん、心身共にお疲れでしょう。
無理なさらないでくださいね。

どのような苦しみの中にでも主が伴ってくださること、感謝ですね。わたしが試練の中にあったとき友人より贈られたみ言葉を贈ります。

「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。 (詩編84:6)」

涙の谷を過ぎてから祝福されたのではなく、涙の谷にいる時から祝福されていた。そして、そこが泉のわくところとなったというこの詩篇の箇所を読んで、わたしはどれだけ強められたかわかりません。
優子さんの置かれているところが、泉のわくところになりますように

多くの友からメールを頂いて感謝しています。どんなに力づけられていることでしょうか。
苦難の渦中にある時、人はいつしか物事を正しく見えなくなる恐れがありますからメールを頂くのはありがたいことです。

1週間も更新が中断してしまったのは初めてのことです。3月末から大事変の連続で心労ゆえに、一人の時間を取れないということ以上に、さすがの私も執筆する精神的余裕がありませんでした。

しかし、苦難の中に在っても神さまからの不動の平安を頂いていることは感謝です。祈って頂いていることを心から感謝しています。ありがとうございます。

おかげさまで知子の体調は良い方へ向かっております。
4月18日まで6.8しかなかった体脂肪が8.8に、37.5キロだった体重も40.8キロにまで戻って来ました。内臓脂肪は未だ1です。

最初の3日間は一日に1キロ増えていく勢いでしたから、日に日に体力が違うと申していましたが、一方では、その激しさに体がついていかず、腹部だけではなく体中に膨満感を感じるしんどさを訴えています。

今も新しい心労が加えられるばかりで心配な現況です。
私もまた、これから時間をかけて今までの怒りや悲しみを通って行かねばなりませんが、神さまが働いて下さっていることがよくわかりますから苦痛を越えていけるでしょう。

この間にも、自治会の副会長だけではなく、地域福祉推進委員会の副会長と書記役も始まっています。心身の疲労で頭脳が動かない上に、21日の福祉推進委員会中も家にいる娘と孫のことが心配で集中できませんでした。

多忙な中、保護司や民生委員として労していた母のことを思いながら自らを励まし、イエスさまのことを思い出して心を込めて作業すると、即座に愛を感じ、感謝しながら仕事ができるのは感謝です!ハレルヤ!

ただ、今年中に本を出版するようにと久保田先生から強く後押しして下さっているのに、静まる時間さえない状況ですのでライフワークは当分無理でしょう。今は娘が元気になることを最優先に励んでいます。

先ほど、クリスチャンぺンクラブの小川姉(しまい)から、関西ブロック会報が届きました。先週は休んでしまったので書記の仕事までご負担をおかけして申し訳ない限りです。

明日の記事で『関西ペンの声』に掲載されたものを公開させて頂こうと思います。(27日の記事になった)



posted by 優子 at 16:53| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年04月15日

知子、明日から実家で療養生活に入る

4月7日:
育児は大変やけどね、でも今日…不思議。
食事しないつもりの私でしたがユキは20回程『ママも食べろ』と言った。
昼は野菜無しの手抜きですが、私もパンとバナナヨーグルトを無理矢理かなり食べる羽目になりました。しきりに言うのです。「ユキと同じものやね、おいしいね、ママも食べてって?」って。
本田路津子さんの音楽の中、会話して楽しかったよ。
私が食べて、「分けてくれて有難う」と言ったら満面の笑みで喜んでました。次はママが食べろと言うんです。今からまた洗濯お手伝いしてくれそう。ユキに感謝しなければね。

同日2通目:
ありがとうを言いたくてメールを送ります。(父・母・妹・妹婿宛て)
人間は愛されることがどんなに大切かと痛感します。
私も今精一杯一日中声をかけて愛しく可愛がって、育児2日目、体力も守られてきています。

伝えたい事;
毎日頻繁に「ばあ、ポッポー、チンチン(遮断機の音)」
しつこいぐらい言ってお話し始めます。
「へぇー、ばあとチャッピーとポッポー見に行ったの?」
など聞くと『うん』と言って笑います。
次に地面をたたきます。
これは椅子を持って ばあと駅に行って、座ったと本人は言っているのです
この会話、日に4回は出てきます。ユキのほうから。
ばあ、ばあと言ってます。じいも出てくる!!!

じい大好きらしいです。
じいと滑り台、ぶらんこをしたと。
こないだ婚約式の日曜のことも覚えていて、「じいとたんぽぽとったの?」と私が聞いたり。
「じい」と言って笑ったりしているんよ、ユキは。

午前の昼寝が足りなかったのでまた寝ていただこうとおんぶしながらメールしています。
いつもPCを開いて寝てもらおうと試みるときは
おんぶで まず画像を見せ、その後は篤姫の曲を
聞かせて寝てもらうという順序。今その最中ですが
このPCを開きにいくときはいつも
「まーとふー見に行く?会いにいく?見たい?」と
誘います。すると喜んで、今などは自分からおんぶひもをもってきました。

本当に本当に、育て方次第で愛深い子供になっていくし、今は愛を一番受けるべき時期だと痛感しています。
私も4人(父母と真智と太志君)に負けぬぐらい愛を注いで育児に励みます。
ありがとう、本当にありがとう。

4月14日:
最近たんぽぽを覚え、たんぽぽといえば香芝ゴスペル近くの公園で遊んで摘んだから「ジィ〜」と大きな声で叫びます!すごい記憶力…パパに伝えといてね。
バアとジイに会いたくて仕方ないそうです。
そして、今日「どうぞ」といい始めました!!!!
完璧な発音でこんな綺麗な言葉を!!!!!

知子のメールには、愛しいわが子への愛と母親の喜びが溢れていた。
今日のメール:
私も一緒に必死で食べてます。体重をはかってみたら…どこまで下がるのという感じです。心労のツケ、37.8`でした。
どうしよう。
食べてるんやけどな…これでは11`の子を抱っこしたり階段上って荷物持ちで駅への往復はこたえるはず。

明日から療養をしなきゃと本気で思ってます。
私の体は弱りきった…もう限界。
他人を考慮しすぎず、二度と意志に反した事はすまいと自分に言い聞かせています。

だけどユキは愛しくて仕方ないから連れ出してあげたの。
明日からはタンポポじい(今日もタンポポ見て四回言った)とチンチンのばあに頼ります。沢山食べます。

このメールを読んで、クリスチャンペンクラブの研究例会は休会させて頂くことに心が定まった。
昨日もメールだけではなく、お電話まで下さったO姉。
今から欠席させて頂くことをお伝えしよう。申し訳ない。
長原さんにもお目にかかりたかった。お借りしている賀川豊彦の『一粒の麦』もそのままだ。
知子ちゃんの「今日はイースターやね。」の言葉の中に、イエス様を思うおもい、復活は知子ちゃん自身の復活にもつながっているんですね。
惜しみなく与えてくださる主を信じて祈っています。
知子ちゃんの明るい声が聴けますように。

優子さんが撮った満開の桜の写真、散歩されている写真、どれもいいですね。何だかホッとして癒されました。カメラ壊れてなくて良かったですね。ブログでの写真も楽しみの一つです。ではまたね。

私もまた千里さんのメールでホッとしたので載せさせて頂いた。夕方、お電話も頂戴した。
そして、冨美子姉と三者で相談の結果、4ヶ月ぶりに「オリーブの会」が再開される。

ご案内
次回「オリーブの会」第40回目は、5月18日(月)に予定しています。時間はいつものように11時15分から始めます。
きっとこの集会でも神さまが御臨在を示して下さることでしょう。
お祈り下さっているお一人おひとりに心から感謝します。言葉では言い尽くせぬ気持ちです。
神さまの豊かな祝福が私たち一同の上にありますように!


posted by 優子 at 22:46| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年04月14日

『出家とその弟子』再読後の感想と、『パウロと親鸞』より

クリスチャンペンクラブでご指導いただいている久保田暁一先生の御著書に『日本の作家とキリスト教 ―二十人の作家の軌跡―』がある。

その倉田百三のところには次のようなことを書いておられる。
「親鸞とその弟子のことを書きながら、『罪』『隣人愛』『祈る』といったキリスト教的用語が盛んに使われているだけではなく、キリスト教思想そのものがかなり導入されてい」て、親鸞に語らせているところは、「『佛様』を『神様』に置き変えたら・・キリスト教思想にも通じるのである。」

明確に違和感を感じるところも何箇所かあったが、百三が聖書の影響を受けていることは前回読んだ時にも直ぐにわかった。
臨終の親鸞に、「人の僕になれ。人の足を洗ってやれ・・」と語らせているところなどイエス・キリストそのままで、百三が教会に通っていたことを知り「なるほど」と納得したのだった。

失恋と結核発病のために一高を中退した百三は、大正3年3月に広島県在原村に帰郷し、大正4年11月まで日本アライアンス在原教会に通っている。
その後、一燈園の生活に入り西田天香の影響を受けるが、諸宗教と思想を遍歴する求道者で終わった。


今回もいろんな箇所に線を引きながら読んだが、12年前に読んだ時は僅かな箇所に記してあるのみで、その時の精神的状況を伺える箇所が多かった。

例えば、臨終の親鸞に「仏を信じる」と言ってやれと勝信(かえで)が善鸞を説得する場面で、「この世を去る人の心に平和をあたえてあげてください。」に線が引かれていた。
こんなところは特にどうというところではないが、母の悲痛な死と、近い将来看取らねばばらない父のことを思っての私の祈りだった。

今回は第5幕・第2場の、かえでとの恋に悩む唯円と親鸞のやりとりが興味深かった。
また、善鸞が仏を「信じられない、わからない」と答えるところは百三の内的状況でもあったのではないかと推測させた。


親鸞の教え自体が聖書と似通っていることはよく知られているが、佐古純一郎は『パウロと親鸞』(朝文社)でおもしろいことを書いている。以下は引用である。

不思議だと言われているんですが、ヨハネ福音書ができるのと、浄土三分経の原初的な阿弥陀経ができるのがほぼ同じ紀元百年前後なんです。

それで、今、西洋の仏教学者には、インドにおける浄土信仰には、福音の思想が影響を与えているという学説が非常に強くなってまいりました。日本でもそういうふうに考える仏教学者がおります。

これが証明されたら、ちょっと本願寺はまずくなるんです。
もっと言いますと、親鸞上人が聖書を読んでいたという説があるんです。天台の図書館に景教の宣教師が訳した漢訳の聖書が持ち込まれていたというんです。

もう親鸞の時代にはできていました。親鸞は20年、天台の図書館の本は一冊残らず読んでおりますからね。
親鸞の読んだ聖書は、本願寺の宝庫にあると言う人がいるんです。もう古い話ですが、アメリカから来た宣教師が、その時の本願寺の偉い人に頼んで見せてもらった、という記録があるんです。

龍谷、大谷の仏教の歴史を研究する若い学者がそれを何とかしようとしたが、本願寺はノーコメントというから、どうかわからないですね。
だけど、教えとして考えると非常に共通しているんです。両方とも「永遠の命」と、「まことの光」なんです。・・・・

今回の感想を一言で言えば、人はいかにしてこの世を出離していくのかということ。即ち、人はいかに死んでいくのかということであり、それは何を信じて生きたかということに全てが集約されると思った。

※この記事は昨日の関連から、「JCP関係」ではなく「読書会関係」に入れた。
尚、これに関連する記事は、同年5月12日(「JCP関係」)に続く。



posted by 優子 at 20:31| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年04月13日

倉田百三著『出家とその弟子』再読中

次回の日本クリスチャンペンクラブ・関西ブロックの研究例会では、倉田百三の『出家とその弟子』を取りあげることになっている。

かつて入っていた読書会のノートを捜すと、1997年11月の例会で私の推薦図書として取り上げてもらっていた。
ということは母が亡くなった3ヵ月後の例会で、次年度に読むテキストの候補を出していたとは我ながら意外だった。弱いようで強いというか、悲嘆の中にありながらも前向きで意欲的なところを神が支えて下さっていたことがわかる。

この4ヶ月後には父が重い脳梗塞に倒れて入院し、その後、2度と家に帰ることなく3年3ヵ月後に亡くなることになる。『出家とその弟子』の例会では、父が既に病床に就いて半年後のこと、そのような人生の旅路を歩いていた頃のことである。

読書会ではテキストの推薦者が口火を切ることになっていたので、私が語ったことから始めたい。
『歎異抄』は、親鸞の教えが正しく伝えられていないことを嘆いた親鸞の弟子、唯円が書いたものである。私は未だ腰をすえて読んでいないが、
「親鸞は弟子一人ももたずさふらう」
「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
「いづれの行もおよびがたき身なれば、 とても地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし。」
など、有名な言葉は若い頃から見聞きしていた。

特に最近は、自分の行くべき所は地獄だと言った親鸞の言葉に共感している。私たちも地獄に行くべき人間であるということを受け取らねばならないし、その自覚がなければ聖書をいくら読んでもわからない。

浄土教の中心である阿弥陀仏は無量光仏であり無量寿仏だという意味で、即ち、無限の光と無限の寿命を持った存在という意味だが、ここがキリスト教とは全く違うところだ。

聖書の教えは、神が憂いを通って下さるのであり、憂いを持った人間になって下さったのである。私と共に苦しんで下さるのである。
死すべき人間となってこの暗黒の世界に突入して下さり、ここに「死」が「死」を克服し、復活が現実となったのである。

作品では佐衛門のすさんだ気持ち、唯円と遊女かえでの恋、善鸞と遊女浅香の恋、そして、親鸞と善鸞との父子関係、親鸞の悩みと悟りなど、どうしようもないお互い(人間)を認め合い、ゆるしと祈りをもって生きることを求めることが書かれている。

私の一番の感想は、他力本願に生きる親鸞像があまりにも弱いというものであった。
倉田百三は「性」について悩み続けていた。
倉田が固執した問題とは、「神と性」に関することと、「信仰と性」についてだった。

次に当時の参加者の感想を刻んでおきたい。

★ 百三の最後は天理教だった。西田天香は懺悔の生活で、よその家に入って便所掃除をする。一燈園は京都の山科に今もある。
東北地方は善鸞が導いた。善鸞は親鸞が立派すぎて父を越えられないという大きな悩みがあった。
今の浄土真宗は第8代目の蓮如の影響が大きい。蓮如には7人の正妻があり、85歳まで子供を産ませて27人の子供があった。(蓮如を強く批判された)

★気になっていた『出家とその弟子』が親鸞だと知ったのは最近だ。
鎌倉時代にあって、人は皆同じだという平等思想を説いた親鸞はすごいと思った。

★死を考える年齢になった今、この本を読ませてもらって良かったと思う。

★宗教を語ることは人間を語ることになるから人間の生き様を考えることになる。

★自分に何が一番合うのか模索し続けた倉田は精神的には弱い人ではなかったかと思う。
善鸞の考え方については正直に書けている。押し付けではなく、みんなが頷いて読める本だと思った。

★性善説をとっていることがわかる。
戦争の時には「神さま、仏さま」と言っておられなく、動物的本能で動きまくらないと生きていけない。
この本で一番よく出てくる言葉は「淋しさ」(「寂しさ」ではない)と「涙」である。

★「ゆるす」ということが一番心に残った。26歳でこれを書いた倉田に敬意を表す。


この他に5名の参加者があったが、その人たちの感想は書き留めていない。

この時、天香のことを初めて知った。
家々を訪ねて「便所掃除をさせて下さい」と回っている人の話を聞いたことがあった。
微かな記憶をたぐり寄せると、私の家にも来られたのか、あるいは、そういう話を母がしていたのを聞いたのかは覚えていないが、私が7歳になるまでの頃のことだから1957・8年までのことだったろう。

ところで、私の実家は浄土真宗なので、「門徒(もんと)物知らず」とはよく耳にした言葉だ。これは「ひたすら南無阿弥陀仏と唱える門徒宗を他宗の者が無知であるとあざけっていう言葉」である。

しかし、南無阿弥陀仏を唱えることはやはり自力の「行」でしかない。だから異端、歎異だと言うわけだ。
ついでながら、「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は親鸞の言葉ではなく、正しくは法然の言葉である。

さて、私はまことの神、「イエスが主である」という信仰を賜ってからの苦難こそが、この世の不条理に絶叫する神と敵対する年月だった。これまでの半生で最も苦しかった時である。

その激しく荒れ狂う魂を鎮めたのは、「宗教(神)の真理は徹底的に主体性の論理である」というキルケゴールの言葉にインスパイアされたからだ。

己を見つめるがゆえに神との出会いに導かれるのであるが、のた打ち回る苦悩の果てにキルケゴールの「徹底的に」という言葉から、「どんなことも徹底的に自分と神であり、他者と比べてのそれではない」ことに気づかされ、かくして宗教的実存というものを理解したのである。


その瞬間、苦しみが自然に溶けていくかのように神の前に安らぐことができたことを覚えている。以来、かつての考え方に陥ることは全くない。
ここに辿り着いた信仰的境地こそ是非書き残したいと思っている。それが私の自分史でもある。

研究例会に向けて「遺書」を書き始めているが、当日は欠席することになるだろう。もうしばらく祈りの内に考えてO姉にご連絡したいと思う。

posted by 優子 at 12:38| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年04月12日

春から一気に初夏!

「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」

(ヨハネ伝 11:25)
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麗しの白百合 ささやきぬ昔を
イエスきみの墓より いでましし昔を。
 
   ※麗しの白百合 ささやきぬ昔を、
    百合の花、ゆりの花、ささやきぬ昔を。

春に会う花百合 夢路よりめさめて
限りなき命に 咲きいずる姿よ。

冬枯れのさまより 百合しろき花野に、
いとし子を御神は 覚ましたもぅ今なお。
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 今朝の散歩中、私は真っ青な空に両手を挙げて神を讃え、復活祭に歌う讃美歌496番を讃美しながら歩いた。

昨日は夫に朝から梅田まで運転手をしてもらい、週末の買い物を終えて帰ると夕方4時前になっていた。
今朝は富田林会堂での合同礼拝なので遠い。連日の外出では休養できないので、今日は一人で放出教会へ行こうかなと話しながら歩いていた。

すると、夫が「教会へ行きたいんか?」と聞いてくれるではないか!
私は孫の真似をして「うん」と微笑みながら頷いた。「いいの?!」、そして、直ぐに「ありがとう!」を言った。
神さま、夫にこそ特別の祝福がありますようにと感謝した。


しかし、その前に長女の様子を聞いてからだ。
昨日から婿が子供を連れて実家へ帰っており、今もずっと大きな動きの中にある。そのことよりも娘の心身が心配だったので電話すると、心身ともに支えられていたが体力のない疲れた声だった。

時々時計を見ながらも10時15分になった時には教会を諦めた。
夫もずっと傍で聞いていた。
「今日はイースターやね。」と、最後に知子がしみじみ言った。
電話を切って、知子にイースターの祝福が豊かに注がれますように祈った。


桜は美しさの盛りを越えていたが、今朝の散歩で夫と写真におさめた。
今春のチューリップも記録することができた。
まだ朝早かったので花は目覚める前。お昼前には「開きすぎ!」と声をかけたくなるほど花びらを大きく広げる。左の鉢はイソトマだ。
その間に見える後ろの若草色の木は、7年ほど前の「父の日」に夫が教会で頂いたゴールドクエストだ。

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スリムなように見える夫でも、結構ボッテリしている。

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今では孫のほうがチャッピーの知力を上回ってしまい、正面を向かせるのが大変。そこで、夫が「あげよ!」と言った瞬間に向き直ってこの姿勢の良さ!
「あげよ」とは「○○をあげよう」の意味だ。
夫婦揃って撮りたかったが、チャッピーにシャッターを押してもらうのは無理だろう。


私もすっかり老けた。
2008年よりブログに掲載している写真は全て軽くし、画質を「3」の低画質にしているので鮮明でないところがいい(笑)。
体重は3月だけで3キロ減り、現在53キロ弱になった。真智子たちが発った時には52.5キロになっていた。股関節の痛みも楽になっているように思うので、この調子で50キロまで下げたい。

今年は寒の戻りで開花から満開まで10日間もかかったそうだが、昨日は28度にもなり、先週から一気に初夏になっている。
今朝から毛糸の帽子から日よけの夏用に切り替えた。
さすがに昨夜は電気毛布のスイッチを入れなかったが、我が家は未だ敷いたまま。主婦にとっては冬物を片付けるのに忙しくなる時期到来である。

posted by 優子 at 21:43| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2009年04月11日

ミネソタも一気に春! ―神戸大学卒業から6年―

ミネソタは一気に春になっていた。
帰国した3月10日頃はマイナス5度と言っていたが、戻る頃には7度になり、昨日の外気温は12度だった。
既に日暮れが遅くなり、夕刻7時過ぎでもこちらの夕方5時過ぎのような強い陽射しには驚いた。真智子は今回持って行った初夏のセーターを着ていた。

真智子と太志君が(今回で7回目の?)渡米後に共著の論文を仕上げて、ある国際的なカンファレンスの公募に投稿した。昨朝のスカイプでは、そのカンファレンスで「ひょっとしたら発表できるかもしれない」と話していた。

何しろ大きなカンファレンスらしく、会場は毎年世界各国で持ち回り、しかも、今年の会場は東京だという。(ということは10月に再会できるの?まさか!)
日本へ行けるかどうかは6月に入ってからの発表を待たねばならない。


今夏は昨春まで2年間奨学金を頂いていたIMFのインターンシップがある。伴侶もまた1年遅れでIMFの奨学金を受けており、一緒に参加できるのでワシントン行きも家賃など経済的だ。

ところが、いよいよ日が迫ってきているのにどこで働くのか調整が遅くなっていて、いつからどこへ行くのかも決まっていないという。とにかく5月に入るとワシントンに引越さねばならない。

8月末には「サードイヤー??」(留学3年目の論文?)の締め切りがある。
しかし、5月からの3ヶ月間は論文に時間を割けないので、今のうちにやっておかねばならないと常に時間いっぱいの生活だ。

アメリカでは2007年に住宅価格が崩壊して、90年代の日本と同じように長期不況になっている。
今指導を受けている教授のお一人が企業の生産性について、最新の方法をいち早く使ってアメリカ経済に応用しようとしておられるのだが、(真智、間違っていたら訂正してね!)それを5月初めにミネアポリス連邦銀行で発表されるとのこと。

その発表の最後に2分間ほど君の研究についても話してやってもいいよと仰って下さったそうだ。たった一言であれ、関係者に知ってもらえるからありがたいと娘は喜んでいた。

神戸大学で最優秀賞を受賞した卒業論文では、80・90年代のバブル経済と崩壊、その不況とアジアの金融危機も重なり、企業の生産性はどうなっていくのかを論じたが、その後も続けている研究について2分間ほど話してやろうと仰っているのである。

親バカながら、真智子は大学卒業時に平成14年度の最優秀論文賞を受賞し、しかも首席で卒業したのは神戸大学初まって以来とのこと。今もあとに続く人は出ていない。

その後、東大の大学院へ進み(同じ研究室に東大出身のクマも入ってきた)、3年間で博士課程の単位満了で休学届けを出して現在のミネソタ大学大学院に籍を移した。そして、2年後に東大に退学届けを出したわけである。

今から3年前の春のことだ。ああ、懐かしい!
6年前の3月、東京へ移った時の寂しさは堪えた。今思い出しても泣けてくる。

久しぶりに卒業論文の「あとがき」を読んだ。
何度読んでも大きな励ましを受け、私の体内に生きることへの意欲が溢れてくる。お読み下されば嬉しい。

http://www.econ.kobe-u.ac.jp/doc/rokko/shoureisho/shiraki.html

「研究においても常に涙の種を蒔いている。
日本経済の分析についてはうまくいったと思うけれど、勿論全てがうまくいっているわけではないし、見方も時により変わる。
次のもう一歩もしんどい毎日を歩いていくのだと思うけれど、神さまは真智を経済学者にならせて下さるのかも!」
と微笑んだ。
常に謙虚さを忘れない真智子の顔には希望と意欲が溢れていた。

研究についての会話の中で、「チャンスは人の策略では得られないし、まして策略など全く考えもしていないのに、(神の)不思議なことが重なりあって道が開かれて行くようだ。・・・人のやること(失敗)で神の計画は変わらない」と語った真智子の信仰に強く励まされた。

ところで、マチ・クマは頭をほぐすために毎日のようにデジカメで撮ったユキ(甥っ子)の動画を見ているらしい。
つい3週間前の滞在中には「ジュージュ(ジュース)」も言っていなかったとのこと、幼児の成長は今の草木のように命が中から溢れ出ている。

このたび帰国した早々に真智子が語った言葉にも感動している。
「ユキちゃんに会ってよかった!!
夢にも出てきた時もある。
でも、かわいさは写真に収まりきっていなかった!


この真智子の感動こそ子供に育ててやって欲しい。
感動の蓄積がいかに大切なことであるか。
感性が鋭いことと傷つきやすさを同じものと考えている人が多いが、それらは全く別のものである。


既に私の子育ての時代にも、2〜3歳の頃から学習を売り物にした幼児教育が盛んになっていた。
しかし、私は幼い頃はできるだけ子供を文字から遠ざけた。読み聞かせやオリジナルの物語はいくつもしてあげたが、文字を覚えさせるようなことはしなかった。
それでも主にテレビの幼児番組などの影響で、幼稚園入園の頃には自分の名前ぐらいは読み書きできるようになっていたが、それが時代の在りようというものである。

とにかく、どんな時代であれ親の生き方が子供の人生に大きな影響を与えるから、子供を授かった人は育児を通して育自の喜びを知って欲しいものだ。
人生に行き詰まった時こそが自分の成長に役立つ時であり、その機会を失うことこそが人生の最大の不幸だ。


私は人間の才知は個々の魂がもたらすものであり、その魂を神により満たされてこそ才能は開花すると確信している。

私など何と出遅れたことか!
しかし、今、私に備えて下さっている賜物を喜んで楽しく磨いているのである。

神が一人ひとりの心に喜びを与えて下さるように!
神の恵みの中で、2度と繰り返すことのできない日々を今日も悔いのないように生きていこう!
主よ、感謝します。アーメン!

※ 感謝録:8日のブログアクセス数は202、9日は227、昨日は377ものアクセスがあった!(3月5日の1758は何かの間違いだと思うが・・・)


posted by 優子 at 08:21| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年04月10日

『マタイ受難曲』に表わされたバッハの信仰

この3日間、ずっと『マタイ受難曲』を聴いている。
周知の如く『マタイ受難曲』は、新約聖書開巻マタイ伝に記されたイエス・キリストの受難にバッハが音楽をつけたものである。
イエスの捕縛、裁判、十字架上の死を音楽に表わしたものであり、バッハの神への信仰を表現したものでもある。

捕縛後のペテロの否認、十字架を担ぎながら歩くイエス、十字架が地面を擦(す)る音は人類の罪の音だ。
私の罪の音だ。
私のために身代わりになって死んで下さったことを深く思い極めたい。

バッハの250曲にも及ぶオルガン作品の源泉は全てルター派のコラール(讃美歌)である。ここ数日、私の脳裡に『マタイ受難曲』のコラールが響き続けている。讃美歌136番だ。

「血潮したたる主のみかしら、棘に刺されし主のみかしら、・・・・。
主の苦しみは我がためなり、われは死ぬべき罪人なり、かかる我が身に代わりましし・・・。
主よ、主のもとに帰る日まで、十字架のかげに立たせ給え。み顔をあおぎ御手によらば、今わの息も安けくあらん。」


今日はキリストが十字架にかけられた日である。
神を知らぬ者は十字架にかけられた金曜日を不吉だと忌み嫌う。
しかし、私たちクリスチャンにとっては「Good Friday、グッド・フライデー」と呼ぶ。この苦しみを受けて死んで下さらねば葬られて復活されなかったからである。
クリスチャンはイエスが十字架から降りずに、十字架の贖いを成就されたがゆえにイエスが神の子、救い主であると信じるのである。

ああ、私たちの今の苦悩と悲しみもまたそうであれかし!
最悪の苦悩を突き抜けて最善へと至らせたまえ!


『マタイ受難曲』は神の恵みと愛へと導かれる。
我々はかくも罪深く、弱い者であるが神に祈ることができる。
この世の一切を支配されている全知全能なる神に祈ることができるようにして下さっているのである。そのこと自体が神の愛だ。罪を認め、神の御前で悔い改める者は幸いなり。祈る者は幸いなり。

バッハの音楽には比類なき深さがある。
バッハは私の魂を鎮めてくれる。純粋な音楽というのは言葉以上のものだ。知的には理解し得ないことを魂に浸透させる力がある。


マタイによる福音書27章40節から54節を開こう。
2000年前の今日のことである。この日、イエスは朝の9時頃に十字架に架けられて、午後3時頃に息を引き取られたのである。

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「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。
彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。 一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。

さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤ(イスラエル初期の預言者)を呼んでいるのだ」。
するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。
イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。
そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。

イエスを嘲弄する者は、兵卒、群集、祭司長、学者に長老たち、そして、十字架につけられた強盗であった。
即ち、彼らは全人類を代表する者たちである。


「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」

この言葉は一瞬間たりとも神より離れなかったイエスが神を見失い、神より棄てられた時の苦悶の叫びである。詩篇22篇1節にある言葉である。


このあと、アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を引き取ったのであるが、祭司長やパリサイ人たちがピラトに、
「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。

ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。

しかし、イエスは3日目によみがえられたのである。
しかも、ピラトが命じた番兵たちがイエスの復活の証言者になったとは皮肉だ。神のなさることはかくも万全なのである。
(28章4節)見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。・・・・(同11節)女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。

事実を事実として述べることのできる心は貴いことだ。
これらのことからも明らかなように、人間が悪賢く計画をもって神に敵対しようとして、かえって自己が破滅に至ることは恐るべき神の力である。


今、絶望の淵にある者よ、いかに現実が絶望であっても、己の眼差しをイエスに向けよ! 心を神に向けているならば恐れるに及ばない。力と慰めと平安は常にイエスより与えられる。

「神もし我らの味方ならば誰か我らに敵せんや」               
                    (ロマ書8章31節)

たった今、日本クリスチャンペンクラブのHPを管理して下さっている裕子さん(『生かされて』の著者)からJCPの更新メールが届いた。
『メメントドミニ』をお読み下さっているあなたにも、裕子さんのお言葉をお贈りしたい。

「祝されたイースターのときを過ごされますようにお祈りしております。」


posted by 優子 at 11:37| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2009年04月08日

受難週のイエスに心を重ねる

昨日は疲れきって午前中は寝込んでいたが、地域のことで何度も電話が入り眠ることができなかった。
泣いてもいないのにまぶたが重く、筋無力症とはこういう感じなんだろうかと思うほど、まぶたが重く垂れていた。過労ぎみになった時に経験する感覚だ。

昨日は疲れていたせいもあろうが、あまりの出来事と不可解さに恐怖して不安が大きくなっていった。幸いにして、昨夜は珍しく7時間近くも熟睡できたので心身はほぼ回復している。

あれから数日経ち、今は現実があらわになって絶望的な気持ちであるが、とにかく原因が明確にされたのでひと息つき、4ヶ月間の厳しい緊張が解かれて疲れを感じたのだろう。
その間、私が風邪を引いては孫をみてあげられないからと、健康面においても真剣に管理しながらの日々だった。

この時期、チャッピーとの散歩は桜コースを歩くが、今朝は静けさだけが心地よかっただけで心からの感動も祈りも溢れてこなかった。

私は黙想の中で、この情況が、そして、この状況が神の必然であるのかどうかを考えた。現況は間違いなく神によるものである。

ならば、神の御心によるものであるのだから、神は私たちの心を安全に守って下さり、この苦痛は苦痛だけに終わらないことを心にとめた。

今これを書きながら " anguish " という言葉を思い出した。
英語で最も激烈な心身の苦痛を意味する言葉だと読んだことがある。

時は今、受難週である。
イエス・キリストの苦しみを想い、イエスは " anguish " の血の汗を流しておられるのが直に見えるようだ。
主よ、どうか私の思いと行動をお導き下さい!

そして、私の苦悩の体験から滲み出るものを書き続けていきたいと思う。それこそが神が用いられるものであることを知っているからである。


「自分のことは自分でできるという人は、遅かれ早かれ、頼るものは神だけだという状況に置かれます。
頑張る力も解決方法もなく、神しかありません。
神の助けなしには救いようのない状態に、神が導かれます。」


罪意識のない者に悔い改めはなく、悔い改めのないところに救いはない。自己の姿に気がつけば必ずや絶望から希望へ導かれていくのであろうが、自分の姿を認められるようになるには狭き門を通らねばならないのだ!

いろんな思いがよぎった今朝の散歩であったが、私は神の臨在の中で安らいでいる。
理解して従うのではなく、受胎告知を受けたマリヤのように神の御心が私たちの上に成るように祈って委ねよう。
さあ、私の思い煩いは全て神に委ねて、今から掃除にとりかかろう!


posted by 優子 at 08:53| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年04月06日

新しい春を生きる

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                     さくら
          
          車椅子を押してもらって桜の木の下まで行く
          友人が枝を曲げると
          私は満開の花の中に埋ってしまった

          湧き上がってくる感動をおさえることが
                           できず
          私は口の周りに咲いていた
          桜の花をむしゃむしゃと
          食べてしまった


星野冨弘さんが1977年に書かれた詩画である。

昨日、買い物先の桜が満開になっていた。
なんて美しいのだろう。
しかし、深い傷を負った私の心には花の美しさがが痛かった。
そして、美しさと優しさから心が痛むほど神の慰めを感じた。


昨日の朝、知子は起き上がれなかった。
トイレに行きたくても起き上がれないから膀胱炎になると言った。

私たちは今、神が起こされている奇跡の真っ只中にいる。
3月29日、知子からの電話で本人も思いもよらぬ出来事があり、全てはそこから始まったのだ。
きっと神さまは、もはやこれ以上彼の気づきを待っていては知子の命に触ると思われたのだろう。知子の口をついて破らせて、長年押し込めてきた心の奥にある深い悲しみと激しい怒りを吐き出させられたのであった。


3月29日(日)夜7時45分頃だった。
知子は大河ドラマを見るからと簡単に何かを話そうとしての電話だった。きっと心配している私たちを安心させようと、苦しいながらもやっていることを伝える電話だったと思う。落ち着いた明るいめの声だった。

ところが、途中から堰を切ったように心中を吐露し始め、激しく泣きながら話し続けた。私だけではなく父親(良輔)にも代わって1時間半に及ぶ電話になった。

「ママよりも最も怒っていたのは私だった!
それなのにママにはいつもいつも無意識に全く反対のことばかり言っていた。自分でもわからない。ごめんなさい」
というものだった。

それを横で聞いていた彼が何かに気づいたのである。

話そうと思ってもいなかったことが口を衝いて出たので、誰よりも驚いたのは知子自身であった。

娘は気持ちが楽になったというが体力が心配だった。
その木曜日(4月2日)にはマンションの各部屋の排水溝に高圧水での掃除があるのでそのあとの掃除も大変だ。
案の定、あの体で12〜3キロの子供を負んぶして拭き掃除をすると言っていたので、1日(水)の夕方5時過ぎに生駒駅で出会って孫を預かることを決めて電話を切ったのだった。

気持ちを吐き出して楽になったものの、翌朝(先週の月曜日)に昨朝と同じ状態になり伴侶が会社を休み、その日の朝10時頃、夫の電話で彼が休んでいることを知った。
私は直ぐに電話を入れた。そして、その日の会社帰りに夫が孫を迎えに行くことになった。

昨朝、娘が瀕死の状態で体を引きずって降りてきた時に、改めて事の重大さと生命の危機的状況に恐怖を感じた。
やはり、あまりに悲痛な時は私の目に涙はなかった。
今までにも何度も聞いていたが、その実態を現実に目の前にした驚きと深い悲しみは言葉にはならない。

一昼夜経った今、微かに涙を感じるも胸を抉られる痛みと吐き気を覚える。
4日の夜は激しくぶつかり合った。
ようやく不可解だったことの氷山の一角がわかり、憤りと憎しみに襲われそうになった。

しかし、教会へ見送る時には彼を神の愛で包み込めた。

それは神が私になさっていることであり、しかしまた私の真実でもある。私の苦悩をも越えて、今もまた彼を受け容れねば神の御心が成就しない。
私もまた御心が成ることを願っているので神は私を支え、我が夫をも同じように支えて下さっているのだと理解している。


仮に全てが解決されたとしても、質量の重さ多さと長い年月のことゆえに、何度もフィードバックされて苦しい葛藤を越えていかねばならないのである。

前途多難だが、とにかく自分に原因があったのだと気づくことができたということ自体が神の奇跡である。

私は人に期待しないこと。
彼に期待せずに神に期待することだ!


昨日は礼拝の初めから出席することはとてもできないので、知子は横たわりながら牧師に電話した。婚約式は12時を過ぎるとのことで、11時半頃に家を出た。
私もどうしても行きたかったが、1時から自治会の総会があるので娘夫婦に神の祝福を祈って見送った。

この教会の礼拝が長時間にわたることが幸いし、12時前からでもメッセージを聴くことができた。
その間中、知子は泣き続け、誰が手を握ってさすってくれていたかもわからなかったという。それは前の席に座っていた婚約される真知子さんだった。

知子のあまりの激変ぶりに教会の方々は驚かれ、礼拝中、後ろからずっと知子のことを祈って下さっていた方もいたそうだ。

礼拝後の持ち寄りパーティでは、夫が孫の子守りをしてくれていたおかげで、知子夫婦は福野牧師夫人とずっと話すことができた。
ご夫人もまた私と全く同じことを仰って、ご夫人のあとについて彼を祈りに導いて下さった。
私たちの話し合いの時にも「祈ろう」と誘ったが、とても強い抵抗の力を感じ、次女夫婦の時とは全く違い一度も祈ることはできないでいる。

今、これを書きながら気がついたが、4日夜、目には見えない悪の力を初めて体で感じ目で見た。
そうか!!!
だから多くの方々に祈ってもらわねばならないのだ。
悪の力がいかに強いか!
だから祈りの陣幕を張らねばならないのだ!
インターネットという強靭な利器に感謝せずにはいられない。ネットのおかげで一気に多くの兄弟姉妹に祈っていただけた。


充実した将来を迎えるために悔い改めへと導かれるように!
そして、そこに至るまで知子のいのちが守られるように!


「ママはいつだって直ぐに飛んでいくよ!
いつでもママは知ちゃんを助けにいくからね!
両腕を広げていつも知子を助けるよ!!!」


新しい力を頂いて私も立ち上がろう。
今も知子から電話はないので神さまが守って下さっているのだろう。
今からチャッピーと共に桜を見に行こう。池の周りの桜も咲いているだろうか。
9時には市の広報誌班別仕分けのために集会所で初仕事がある。間に合わなければチャッピーの散歩帰りに立ち寄ろう。

私もフレッシュマンの気持ちで新しい春を生きる。
息ある限り、どの人もフレッシュマンの春である。


posted by 優子 at 08:00| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

知子よ、健やかなれ!

パン、ポン(卵)、クック(靴)、ターター(靴下)、マイマイ(前掛け)、タンタン(お風呂)、ジュージュ(ジュース)、メンメ(ダメ!)、ポッポー(電車)、ブーブー(自動車)、バブ(バス)、カック(トラック)、マンマ、ジンジン(にんじん)、ぶー(お茶)、ッパイ(酸っぱい)、バーバイ(バイバイ)、ピン(プリン)、いやいや(嫌嫌)、豆、ジャー(お風呂でのお湯遊び)、まー(真智子おばちゃん)、ふー(太志おじちゃん)、ママ、パパ、じい(おじいちゃん)、ばあ(おばあちゃん)、いない・いない・ばー、ニャンニャン(猫)、タッチ(立つ)、・・・。

1週間後に1歳9ヶ月になる幸悠が話す言葉である。
早い時期に「ワンワン」と言えていたのに、1ヶ月ほど前から「ニャンニャン」になってしまった。しかし、猫の「ニャンニャン」とは微妙に違っている(笑)。

今回増えた言葉にバイクがあるがバス同様に「バブ」と言う。本人はうまく言えていないことがわかるので、はにかむしぐさもまたかわいい。
私は「バブ」、「カック(トラック)」が可愛くてたまらない。

ユキの手をつなぎ、もう一方の手には折りたたみイスを持って散歩に出る。16台くらいの列車を見て、1時間40〜50分の外出である。
2回目からは駅に行く途中でも椅子に座れと訴えてくる。そして、私の膝に自分も座るのだ。道路で椅子に座るなんて変だが、すれ違う人や自動車から微笑みかけてくれる人もいる(笑)。

私は電車に乗せてあげたくてたまらない。
もうすぐ紙商健保組合主催でイチゴ狩りがあり、長女夫婦たちの分も申し込んでやってから誘った。2週間以上前のことだが、あの頃の知子も喜んでくれていた。
その時は集合場所の飛鳥まで電車に乗れるだろう。
残念ながら私はクリスチャンペンクラブの研究例会と重なっているので申し込みをキャンセルした。

今日、夫はゴルフに出た。スタートが遅いので夜まで帰ってこない。そして、間もなく長女夫婦が着く。明日、香芝の教会で友の婚約式があるからだ。知子たちの結婚披露宴でスピーチして下さった友である。

知子を抱しめてやりたい。
私は・・への感情を整えるために、孫を寝させてから祈った。
そして、孫のしゃべり始めた言葉を書きながら神との時を過ごしている。

今まで、知子さんはどれだけ辛い思いをし、耐えて来られたのでしょう…・・・涙が出ます。
でも、このように心を打ち明けられたことがよかったですね。

もう、大丈夫。明るい方に向かっているのですから。何よりイエス様が知子さんと共にいて助けて下さいますからね。

知子ちゃんから電話があって主からの光と導きを強く覚えられ、私も感謝の祈りを捧げました。知子ちゃん必ず良くなられますよ。原因がわかったのですもの。
ふたりの再スタートにより知子ちゃんの治療も今日から、という言葉が確信に満ちていますね。

祈って下さっている方々のお名前を挙げていつも感謝の祈りを捧げている。祈られていることがどんなに心強く、また、慰めになっていることだろうか。

真智子と太志君のお祈りも心から感謝している。
真智にもどんなに苦しく悲しい思いをさせたことか。神が癒して下さることを祈っている。

昨日も深い悔い改めへと導かれて、メールではなく電話で知子に心から詫びた。知子の苦悩をもっともっと理解してやらねばならなかったことを。

知子は、この5年間の出来事では今まで以上に自他共に客観的に見ることができるようになっていた。完全に本来の娘に戻った。しかも、信仰が強く脈打つようになっているのである!

私と違って、知子と真智子には私の母の忍耐強さを備えている。聡明で胸に治めて見守ってやる寛容さがある。
どうかこれからは間違った忍耐をしないで、神の恵みの中で教え導く者となるように!


心は解放されたが、38キロの体重で育児ができるだろうか心配でならない。主が知子の健康を完全に癒して下さることを信じている。

知子への想いを書きたいが静かな黙想の時にしたいと思う。
明日の婚約式もまた見事なる神のご配慮である。神のメッセージが彼の心に届くことを願わずにはいられない。


posted by 優子 at 11:50| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年04月03日

ミネソタ大学の授業監督委員会が大賛辞!

先月末にマチ・クマ共著の論文の初稿を無事に完成させたとのこと。
K先生も「すごい論文になりましたね」と仰って下さり、努力が報われて喜んでいる。今後はそれぞれ単著の論文に力を入れていくことだろう。

さて、次女は先学期に指導教官として3クラス受け持った。それぞれ違う科目であったから大変な努力を要しただろうが、学生たちから感動のコメントが多々寄せられていた。

専門的なことはもとより、励ましが彼ら一人ひとりに届き、人生への肯定、意欲を引き出された喜びと感謝が書かれていた。帰国中にそれらを写させてもらおうと思ったが時間切れで叶わずにいた。
それだけでも満たされた喜びであったのに、ミネソタに戻った早々に授業監督委員会から " Distinguished TA " を頂いたという吉報が入った。

そして、論文を書き上げた翌日(日本では昨日のこと)に、頼んでいた文面が届いた。" Distinguished " とは、「際立った、抜群の、優れた、顕著な」という意味である。メールには次のように書いてあった。
Distinguished TAをもらったクラスは、Introduction to Econometricsで、先学期TAをした3つのクラスの中で一番難しいし、TAとしてカバーする内容も一番多いクラスでした。

エコノメは個人的に苦労した科目でもあったから、「こう説明したら分かりやすいのに」と過去に思っていたことを全てやってみた。だから、説明が分かりやすかった、とか言ってくれたのは、一層嬉しかった。

学生もやる気のある子が多くて、すごくやりがいのあるクラスだった。そんなクラスで評価してもらえて、すごく嬉しい!今後も頑張るわ。

27 February 2009 Based on the student and departmental teachingevaluations, the Teaching Review Committee of the Department of Economics has concluded that your teaching performance in Econ 4261-002, during Fall semester 2008,was truly outstanding.

Your excellent teaching service contributed significantly to the quality of theunder graduate program of the department. On the recommendation of the Teaching Review Committee, wedesignate you as a Distinguished Teaching Assistant as anexpression of appreciation from the Faculty of the Department and the students in your undergraduate program.


生徒と大学による授業評価に基づき、経済学部のは、2008年秋学期に行われたEcon4261-002におけるあなたのTAとしての働きが、真に著しかったと結論しました。

あなたの素晴らしいteaching serviceは、我が経済学部の学部教育の質を大いに高めました。経済学部の教授一同と学部生の感謝を表し、授業監督委員会の推薦により、あなたを正式にDistinguished Teaching Assistant(素晴らしいTA)と称します。

日本の大学においても学生たちに感想を書かせているが、それは形式だけで本当に有用に活用しているか疑問だ。
教育の重要さを熱く語り、教育者への志をも秘める真智子にとっては大きな手ごたえと喜びを感じたことだろう。

真智子たちの居ない孫との生活にも慣れた。
6日間を真智子叔母ちゃんと太志叔父ちゃんと共に過ごした幸悠は2人が大好きだ。3月31日にマチ・クマとスカイプをした時、真智子のことを「まー」、太志君のことを「ふー」と覚えていた。

飛行機を見つけた瞬間に「まーー!」と大きな声で呼ぶユキ。周囲に恥かしいくらいに大きな声で叫ぶ。
私がマチ・クマのテーマソングにしているディズニーの曲を流すと、「まー、ふー」を思い出しているのがはっきりわかる。そして、腰を上下に振りながら手を叩いて踊っている。


アメリカで「ふー」と言ったら、「who(誰?)」と言っていると思われるだろうなと、私は孫が「ふー」と言うたびに同じ事を思っては微笑んでいる。



posted by 優子 at 11:53| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年04月02日

私は赦すことを選ぶ

赦しは感情ではなく意志だ。意志の行為である。
未だ私が人を許せぬ心に支配されていた時のこと、コーリー・テン・ブームの本を読んで感じたことがあった。

それは、相手が「悪かった」と許し(赦し)を乞うた時こそ本当に赦せるかどうかが問われるのではないかということだ。
長年苦しんでいる出来事の場合は、許しを乞われた時もまた辛い闘いが自己の内に起こるだろうと思ったのだ。

例えば、愛する者を殺した犯人が許しを乞うてきた時を想像してみるがよい。犯人が罪を認めて謝罪してくるほうがいいに決まっているが、それでさえ被害者遺族は血の涙を流す苦悩を越えねばならない。

安穏な日々を許されている大多数の人生においては、そこまでの苦悩をなめなくとも、しかしまた人生での出来事は真剣である。いずれにしても傷つけ続けた人に罪の自覚が訪れることは幸いに決まっているが。

その人に初めて気づきがもたらしたことによるよりも、新たに知った諸事による憎しみの増幅に縛られないために、助けになる本を何冊か取り出してひたすら再読した。

これまでにどれほど人を赦し、また人に赦される経験をしてきたとしても、常に我々は赦すことを学ぶプロセスの中にいる。
赦しは一度獲得すればそれが第二の性格になるような、そういう「技能」ではない。傷を受けるたび、不正に打たれるたびに、赦すことを繰り返し経験していかねばならない。

赦しは、それをひとたび体験して自分のものとし、内在化させ、そして生涯持ち続けるような、そういうものではない。痛みの状況ごとに再発見されなければならない。
学びの段階を卒業することはできない。赦しにおいて我々は学ぶ人であり続ける。赦しをマスターした人は一人もいない。

     (略)

赦しは痛みの出来事を否定するのではない。会話を避けることではない。何もなかったようなふりをすることでもない。現実に存在した悪を見逃す寛大さではない。困難な道をたどるのを避ける弱さではない。

また、相手の人よりも高い所に自分がいることを誇示して、不問に付することでもない。悔い改めを進めるという、困難で痛みの多い、リスクに満ちた道を一緒に歩くことである。・・・


一回限りで全面解決といった単純な赦しの理解には注意しなければならない。即席の解決は赦しであるよりは、むしろ逃避、問題の否定にすぎないことが多い。赦しには時間がかかる

     (略)

赦しはまれなこと、困難で犠牲を伴うことである。

『赦し―新しい人間関係を生み出す』を一文字一文字刻みながら祈り心に導かれつつある。

今の現実は、神が当人に働かれての奇跡である。
私にとっては、ある人たちへの私の怒りや不信感が正当なものであったことを神が明らかにされたことでもある。

どうか神が私の感情を治めて下さり、知子の苦悩がいかばかりであるかをもっともっと気づかせて下さるように。母親として主に在って賢明でありたい。そして、最後にはその人たちの祝福を祈れるようにと思う。

「あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。
キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。
ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。」

          (第一ペテロ 2章21節〜23節)

私も神に赦されたのだから赦そう。

大切な所に主語さえなく読者には何のことかわからぬ内容であるが、ブログ上で書ける範囲の限界である。ただし、私が祈りに導かれることを願って書いてるのであるから、この記事をも神はどなたかの為に用いて下さるかもしれない。
私の心は既に平安を得ている。
主よ、感謝します。アーメン!

posted by 優子 at 16:39| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする