2009年06月30日

第41回 オリーブの会 ―立派な息子―

昨日は「立派な息子」と題して、ルカによる福音書の有名な「放蕩息子の話」から、後半部分の兄に焦点を当てて考える時をもった。
放蕩息子(弟)については「オリーブの会」でも既に取り上げたことがあるが、『メメントドミニ』を開設する何年か前のことなのでブログには刻まれていない。この関連として2007年3月12・13日の記事を興味深くお読み頂けるだろう。
今回の聖書箇所は、ルカ伝15章25節から32節まで:
25 ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
26 ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
27 僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
28 兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
29 兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
30 それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
31 すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
32 しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。

このところから設問が出され、今回もそれぞれの体験を振り返りつつ神に自らを探られてそれぞれの思いを語り合った。

@ 彼(兄)はどうして弟のように外国へ行かなかったのでしょうか。

A 兄の一番求めていたことは何だったと思いますか。

B 息子は父親の財産に対してどんな誤解を持っていましたか。
 15章12節の「ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。」や、29・31節から考えてみたい。

C その誤解はなぜ起きたのでしょうか。

D 兄と父親の関係を人と神との関係に置き換えてみましょう。私たちはどんな時、兄のように「神さまは山羊一匹も与えてくれない」という誤解を持ってしまうのでしょう。

E 兄が父親をあまり愛せないのは何故ですか。

F 兄が父親の愛を信じなかったのは何故ですか。

G 兄は父親の戒めを完全に守っていると言いましたが、しかし父親を悲しませてしまいました。どうしてですか。
  父親は兄にどうして欲しかったと思いますか。

H 立派な人が一生懸命神に仕えようとしながらも、どうして神を悲しませてしまう場合があるのでしょうか。

I 私たちも宗教的な戒めを守っているのに、心の中に愛がない場合がありますが、どうしてですか。

J お祝いはイエスさまの譬えの中で、いつも天国を意味しています。天国に入ったのは放蕩息子だけでした。兄が天国に入らなかったのは何故ですか。

K それでは天国に入ることのできる人はどんな人ですか。

L あなた自身が天国に入れるかどうか、この譬えから考え出して下さい。

M このたとえの前半は弟の回心について教えていましたが、兄のように立派な人は何を悔い改めなければならないのでしょうか。

N 翌朝のことを想像しましょう。そのふたりの兄弟はどのような気持ちで畑仕事に出かけて行ったでしょうか。

O イエスさまが、兄がお祝いの中に入ったかどうかを語らないまま、このたとえを終わられたのは何故だと思いますか。


私は孫の世話をしながらだったので集中できず聞き逃したところも多々あり残念でならないが、最後の設問に対して冨美子姉のコメントが耳に残っている。

「兄は自分の権利主張、不愉快な気持ち、怒りでいっぱいだった。怒りのままで生涯を終わる人もいるし、その後の人生をどう生きるかはその人に与えられ任されている。

兄が父の相続者だったようにイエスさまは神さまの相続者だった。
そのイエスさまが奴隷となって十字架の死にまでも従われ、今も罪の奴隷である私たちと立場を交換したいと願っておられる。」


2時間かけて遠方から来て下さった参加者のお一人のOさんは、「昨日は今までで一番考えさせられた」と今朝長いお電話を頂いたが、神さまは参加者一人ひとりに何かを語って下さったことだろう。
今改めて昨日の箇所を開いて読み直し自らを振り返ってみたい。

兄の身分は完全であり、常に父と共に居り、父の全てのものを自分のものとしているから、兄と父はキリスト者と神との関係に相当する。
にもかかわらず、兄は、この最上の身分を十分に味わっていなかったのである。


兄はパリサイ人を表わしており、律法的立場以上にはなっていないから神の恩恵がわからないのである。
即ち、自分は正しく生きており、従って、父(神)の愛をより多く受けるのは当然であると思っている。ここにイエスさまは挑戦されるのである。

兄は父のもとに留まりながら父との関係を失っていると!
26節では祝宴が開かれているのを知った兄が、「これはどうしたことか」と僕(しもべ)に尋ねている。兄は何故、父と直接話さないのだろうか。

また、30節では「弟」と言わずに「あなたの子」だなんて、私には父の悲しみが痛いほど伝わってくる。兄には弟が帰ってきて喜ぶ父の喜びがわからないのだ!


兄は父の教えを守っているとは言え形式的で高慢で、自己義認で、このようなパリサイの徒には失われた魂の救いに無関心なのである。

神が愛であるということは、神の本質が喜びであるということだ。
喜ぶことをひたすら喜ぶことができる父、それが私たちの信じている全人類の唯一絶対なる神なのだ!

弟(放蕩息子)は神を拒否して自分で何かを成すことができると思って外に出たが、結局、自由を追求することで自分を完全に喪失することになってしまった。

しかし、過ちを犯してもそのことに気づいた弟は幸いだ。
自らの愚行のために大変な事態になっても自らを振り返ることができず、傲慢なままどこまで転落していく者もいるからだ。

惨めな自分に気づくことは自分の罪の認識でもあり、それゆえに弟は父のもとに帰ることができたのである。罪の自覚なくして悔い改めは絶対にあり得ない。


そして、大切な事は「罪を赦された弟の方が、正しい兄よりもはるかに幸福な人間になった」ということだ。 

憐れみと慈しみに満ちた愛なる神は、何度も私たちに手を差し伸べて忍耐強く招いて下さるが、それを受け取るかどうか全ての責任は私たち自身に任されている。

神は私たちをご自分の操り人形として造られたのではないから、幸せな生涯を送るか否かは神の責任ではない。地上生涯を終えたあとのことも全ては生ある間に決定されるのである。


実のところ私は数週間前から霊的に危機的状況にあり、ついに内側から湧き出でるものが何もなく枯渇状態になっていたが、これを書きながら息を吹き返した感じである。

それでも危機的状況を脱していないだろうが、これは霊肉の疲れだけではなく、今尚、己の罪に気づかず悪態を重ね続ける者に捕らわれてしまったのかもしれない。

それまでは憤りを感じながらも主の愛をもって関わることができたのに、今ではその者のために祈ることは全くできなくなってしまっている。(5月30日の出来事より)

これでは私自身に兄の姿が重なるではないか!
神に救われ、罪赦されて永遠の命を保証され、神と共に生かされていることを忘れたのか!
" Awake up my glory. "
「我が魂よ、目覚めよ!」

救われた喜びを忘れずに感謝して生かされている兄弟姉妹、己の十字架を負いつつ励む兄弟姉妹の存在に励まされるではないか!

これを書き終える今、微かな声が聞こえたように思う。神の御声が。・・・
「主よ、私を支えて下さい。天の御国に着くまで私を伴って下さい。
今より再びあなたが与えて下さった最上の身分を喜び味わいます。
家庭集会のために労して下さっている冨美子姉と千里姉に神のご加護がありますように。
主よ、祈れる幸いを感謝します。アーメン!」


次回「オリーブの会」の日時は未定だが9月に予定している。



posted by 優子 at 23:59| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2009年06月27日

マチ・クマ、ニューヨークへ行く

ブログありがとう!
「記事見て嬉しかったです」とクマから伝言。
HPへのリンクしか渡さなかったのに、プログラムがある場所を見つけ、
さらにマチ達をプログラムから見つけたなんて、びっくりした。英語なのに!くまもビックリしてた。
翻訳ツールも駆使してるし。
すごいね。
ありがとう!

お姉ちゃん優しいね。
せっかくの1人の時間にマチ達の記事を書いてもらっていいのかな、とも思ったよ。
ありがとう。

お姉ちゃんのことも想っています。
また時間みつけてスカイプしようね。

明日7時発のバスに乗ってNYCに向かいます!
そのために、明日は5時おき5時35分ごろ出発。
バス乗り場まで、市バス&徒歩で行きます。

11時15分にNYC到着予定。
天気は、なんか怪しいけど、夕立がある程度で済んでくれることを望んでます。
いっぱい写真撮ってくる予定。
くまも、「お土産買ってくるので、楽しみにしていてくださいね」って言ってるよ。

ちなみに、帰りは日曜日の夜になるので、月曜日は2人とも有給休暇をとることにしました!

では、またね。
良い週末を!

真智子

2日前から寝冷えをしたのか熱っぽくてしんどいが、メールを読みながら声を出して笑ってしまった。しかし、どうして瞬時に翻訳できるのか不思議でならない。長い文章でも一瞬だ。

ニューヨーク行きは6月19日のメールで教えてくれていた。
ペンシルバニア大学に留学してる東大時代の後輩と連絡することがあって、ニューヨークの話から「もしよかったらNY案内しますよー」と言われて、急に思い立って行くことにしたらしい。
以下はその時のメールより:
ワシントンからは、バスで約4時間半。
一人20ドルぐらいで行けるの!
ホテルも、ミネソタで泊まったことがあるビジネスホテル的なDays Innを探したらあったので、早速予約しました。
キングサイズのベット、インターネットアクセスと朝食付きで、2人で約一万円!しかも、事前予約とかで、15%分キャッシュバックがあるらしい。安かった!

土曜日の朝7時のバスに乗って11時過ぎに到着予定。
その日は、エンパイアステイトビルに登るのと、メトロポリタンミュージアムに行く予定!時間があれば、タイムズスクエアにも行くかも。

超楽しくなってきちゃって、今は行くのが楽しみ。
とにかく、こんなに手軽に行けるとは驚きです。
ワシントンにきて良かった〜。

後輩の君は土曜日に高校の同窓会があるので日曜日に合流するらしいが、ニューヨークで高校の同窓会とはワールドワイドに活躍する若者の姿を垣間見た感じだ。

私は9.11のグラウンド・ゼロ(爆心地)に立っての感慨をレポートしてほしい。
有名なトリニティ教会の小さなセントポールチャペルは、まさにグラウンド・ゼロの真正面に位置しているというから、そこで聖日礼拝を守れたら最高のニューヨークになるだろう。

いよいよこれからの時代を担うまでに成長した娘たち。
どの年代も大切だが、特に30代の生き方は50代からの歩みを決定するように思う。何事も誠実に心を込めて使命を果たしつつ、「地の塩、世の光」として生かされてほしいと願う。
私は知子と真智子に大いなる希望を感じている。

あと1時間半ほどでニューヨークに到着する頃だろう。体調も守られて楽しい時間を過ごしてほしい。
「太志君と真智子の珍道中にも主が共にいて下さいますように、旅のご無事を祈っています。」


posted by 優子 at 22:20| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年06月26日

マチ・クマ10月初めに帰国、一ツ橋大学で研究成果を発表! ―真智子と知子を想う―

「カンファレンスで発表できることが正式に決まったよ!」と、次女から嬉しいメールが届いた。
前回帰国して再渡米後の3月末、時差ボケと戦いながら書き上げた論文が取り上げられたのである。この会議は世界的なもので、今回は日本で開かれることになっているため再会できる喜びももたらされる。

短信には、「最近、冷房とスーツで疲れがたまってます。ひざ掛けとか靴下で対策しているけど、しんどいです。」と結ばれていた。真智子も頑張っているんだ。

先日、ワシントンの地下鉄事故のニュースを見た長女に、「真智たちは電車で通勤してるの?地下鉄ではないよね?」と声をかけられてヒヤッとした。
とにかく4月半ば以降、私はテレビのニュースさえ殆ど見ていなくて、この列車事故も発生から12時間後くらいに知ったわけだ。最悪ならば既に私たちのところに連絡が入っているだろうと心を強くしてテレビに目をやった。

真智子は電車に2駅乗ると言っていた。
あのような都会で電車と言えば地下鉄だろう。事故は夕方の5時頃だ。しかし、仕事が終わるのは5時半だと聞いている。家族が海外生活していると常に緊張感がある。

2年前、ミネソタの橋が崩落した時はもっとヒヤットした。大学への行き帰りは橋を渡ると言っていたからだ。娘たちは運転できないので自動車が走っている橋だと聞いて一安心したものの、自宅から徒歩で5分ほどの所だったというから驚いた。

ワシントンの列車事故現場は信楽の事故を思い起こさせた。
真智子たちが乗っているのはオレンジラインとのことだが、亡くなってしまった人も神の御心なのか・・・


知子は「今週も大きな用事をこなすことができた」と、今週に入ってからは体調に一喜一憂することなく耐え忍び主と共に健気に生きている。昨日は讃美歌を弾いてくれた。ピアノ演奏を喜ぶユキの表情に主の眼差しを感じた。

ところが、私も先週のようによく動き充実した日々を過ごしているのに充足感がない。それは机に向かう時間がないからと言ったのがいけなかった。知子は私への配慮から息子の昼食を用意して外出した。

今日は一人の静かな時間を与えられても一日怠けてしまうに決まっているからいいよと言ったのに・・・。申し訳ないことをした。
「では、ママも良い一日を過ごしてね!」と美しい笑顔で運転席から手を握ってくれた知子。


どうか自動車事故になりませんように。今のような精神的状況の時は非常に不安になる。祈ろう。神と繋がっている神の子の幸いを感謝。
せめて知子の優しさを無駄にせぬためにも真智子のことを書こうとPCに向かっている。

さて、次女夫婦の出番は10月3日土曜日の午前中だ。
http://gcoe.ier.hit-u.ac.jp/CAED/index.html(カンファレンスのリンク)を開いて、2人の名前が掲載されているところをここに転載した。

Special Meeting Room 101
SESSION 3d: Productivity Growth (WG1)Chair: Mika Maliranta
Explaining Reallocation's Apparent Negative Contribution to Growth in Deregulation-Era Developing Countries
Mitsukuni Nishida, The University of Chicago
Amil Petrin, University of Minnesota, Twin Cities and NBER
New Evidence on Japan's Aggregate Productivity Growth in the 1990s
Hyeog Ug Kwon, Nihon University and RIETI

Futoshi Narita, University of Minnesota
Machiko Narita, University of Minnesota

この”The 2009 Comparative Analysis of Enterprise (Micro) Data (CAED) Conference ”<2009年のエンタープライズ(ミクロ)データ(CAED)カンファレンスの比較分析>と名付けられた会議は、10月2日(金)から4日(日)まで一橋大学で予定されている。

アジアでは初めての第9CAEDカンファレンスで、その目的は、「企業ミクロデータを使用することで科学的研究を促進すること」であり、「会議は、この分野で最新の研究結果とそれらの政策的含意と知り合う政策立案者と同様に統計学者、エコノミスト、および計量経済学者の機会」というものだ。
    
        (以上、クリックで瞬時に翻訳してくれたものより)



posted by 優子 at 12:09| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年06月22日

神さまとの密な交わりに休息を得る

今朝の明け方から雨になりようやく梅雨らしくなった。
雨の合間にチャピーを散歩に連れて出た。靄のかかった山に目を向け深呼吸して「全地を造られた神さま」と祈り始めた瞬間、神の息吹きが私の体内に注ぎ込まれるのがわかった。

昨日の記事を書き終えたのは午前1時過ぎていたが、ゆっくりその日を振り返って眠ったこともあって、今朝は神さまからの新しい力を感じることができた。
昨日の午後は2時間くらい眠ったせいか、今日は体力だけではなく気力も備えられて神さまとの密なる時に導かれた。

今まで多くの友が真実の信仰者として祈り導いて下さった。
中でも自らの経験を通して語って下さった友の愛に深く感謝している。
また、今もご自身の問題が未解決のままで葛藤しておられるのかなと思わせた友もおられたが、信仰理解の違いなのかも知れない。そうであることを願いつつ、その方にも真実の愛に感謝している。

ところで、人は病床に就いた時に他者の人柄がよくわかるというが、今回の私たちもまたそうだった。そして、私たちは皆、弱く足りないものであることをもう一度教えて頂いた。

私たちは祈りや講壇の上でも罪を犯す弱い者である。しかし、神は私たちを造り変えて下さるのである。
短気なモーセを「地上で最も謙遜な人」にし、低いセルフイメージと自信に欠けるギデオンを「勇士」に、人を恐れるアブラハムを「信仰の父」に、短気で意志の弱いペテロを堅固な者に、傲慢で「雷の子」と呼ばれていたヨハネを「愛の使徒」に、そして、姦淫の罪を犯したダビデを「わたしの心に叶った者」に変えられたのである。

これらは何という希望であろうか!
しかも、神がお用いになるのは全て弱い人である。
しかし、機械的に語る人ではなく本当に砕かれた人だ。心を開いて正直に自分の弱さを分かち合える人である。
今は私にとっても試練の時、砕かれる(変えられる)には痛みを伴うが、私も恵みを深く味わえる者に変えて頂きたいと願う。


祈りの友のお一人おひとりに心から感謝している。  
主に在って優子は健在なり!
神さまは常に働いて下さっていることを信じる。だから思い煩わないで前進していこう。

スー先生が歌って下さった歌は、娘たちが幼かった頃によく歌っていた。私は幼い知子と真智子に何度励まされたことか!

「主イエスと共に歩きましょう、どこまでも。
嬉しい時も悲しい時も歩きましょう、いつも。」


posted by 優子 at 15:58| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

スー先生との出会いが深まった2009年6月

今日のクリスチャンペンクラブの研究例会も4月に続いて欠席した。
最近は時間的に余裕がないという理由だけではなく知的好奇心も低下する一方である。意欲も集中力もなく、またしてもブログの更新は途絶えてしまった。

しかし、ただ怠けていたわけではない。それどころか5年に一度くらいしかやらない家事に励んでいた。娘に動機づけられて先週は週日ずっと掃除していた。

食器棚の掃除は4〜5年ぶり。
欠けた食器や不要なものを処分したり、引越し後に整理したままのダンボールを開けて不用品は棄てた。今週末は教会のバザーだが、それらにはバザーに提供できるような物は何もなかった。

そんな物まで後生大事に置いておく生き方はやめよう。
狭い家を空き缶や空き箱で狭くしている愚かさ。明日は陶器などリクエストした燃えないゴミを収集してもらうように手配済みだ。

知子の体調は病弱な高齢者のように、その日の朝起きてみないとわからない状況であったが、6月に入った頃からは2時間後のこともわからない状況になっている。

そんな中にあって金曜日は体調もまあまあだったので、孫と3人で近くのデイケアセンター内にあるレストランへ昼食に出かけた。開館1周年記念で和食バイキングの案内があったからだ。

娘も楽しく食事を頂いたが、そのすぐあとから8時間も最悪な体調になって寝込んだままだった。私は孫を見ながら黙々と何時間も整理を続けた。

その夜、スー先生からお電話を頂いた。先生は大津に居られる娘さんの所へ1週間出かけて帰って来られて、直ぐに知子の体調を聞いて下さったのである。亡き母の姿と重なり胸が熱くなった。

主は主に助けを求める者を決してお見捨てにはなさらない。
神は牧師を補うために滞在されているスー先生に働かれて、砕かれた愛の人を遣わして下さったのである。そのタイムリーさからセッティングまで絶妙である。

娘は翌朝の体調が許せばということでありがたくお交わりをお受けした。

そして昨日、スー先生を自宅にお迎えした。この日、夫は自社主催のゴルフに出かけて留守だった。私は解らない人生問題をお聞きし納得することができたので、つまっていた管の通りが良くなったように心が軽くなった。
別の機会に知子がいただいた恵みだけは刻んでおきたいと思う。

2009.6.20.jpg

”Hallelujah! I am very proud of you.”
(ハレルヤ!私はあなたを非常に誇りに思っています。)
と、
「正しく前に進んで行っている」知子を喜んで下さったスー先生。
互いに祈り終えた時には共に流れる涙を拭いた。
慰めに満ちたお導きに感謝している!

知子は浮腫みもあり体調は非常に悪いが、
6月初めに信仰によって神に一切のことを委ねた知子の目は美しい。
次は必ず手料理を用意してお招きしたい。実現しますように!

青く茂ったシュウメイギクをご覧になって
「これは何て言うの?」とお聞きになったので、
秋になって花が咲いたらメールで写真をお送りすることをお約束した。
その時はブログにも掲載しよう。
この2ヶ月間に私は驚くほど年を取っていた。

※ シュウメイギクのことはいつも覚えていたが、狭い庭の草木が伸びて重苦しい感じだったので、写真をお送りすることもブログに載せることもしなかった。ちょうど真智子たちが帰国して在宅していた秋のことである。以上、2010年10月9日記す。

2009.6.20アップルハウスにて.jpg

徒歩で5分くらいの所にあるデイケアセンターにて。
今週木曜日には息子さんが居られる長野県へ発たれ、
7月2日には成田からアメリカ(テネシー州)に戻られる。

2009年あじさい.jpg

これは6月9日の散歩。
毎年楽しませてくれる近隣のアジサイ。
このKさん宅の庭は秋になるとシュウメイギクが咲き乱れる。

引越して2年後くらいの頃だっただろうか、我が家のシュウメイギクはこのKさんから頂いたものだ。
最初は玄関先に植えていたが、2年後に心ない者に一瞬にして抜き取られてしまった。残った小さな数本を庭に植えたところ、翌秋には数を増やして花を咲かせてくれた。それからも毎年少しずつ増えてきてお隣さんにも株分けしている。今年も秋が楽しみだ。

今朝も知子の体調が最悪だったが、眠っていた孫はゴルフ疲れの夫に頼んで、少しましになった娘と2人で11時頃から教会に向かった。8時半過ぎから眠った孫は12時過ぎまで寝ていたそうだ。

スー先生に「今も書いていますか?」と問われて、「今の私は知子ほど美しい心ではない。だから何も書けないし書いていません。」と言うと、「That's ok!」と笑顔を返して下さった。

信仰をもって赦した娘の姿を何より喜びつつも、健気な娘に不条理さを感じて娘と入れ替わりに霊性が澱んでしまい、今も沈滞したままでいる。私のためにも祈って欲しい。


" Keep looking to Jesus! " 

「イエスさまを見続けよう!」これがスー先生との合言葉。

先生にお願いして書いて頂いたものも目の前にある。私もキリストに似る者に変えられていきたいと願っている。

「主よ、感謝します。アーメン!」


付記:
昨夜、山麓公園へ蛍を見に行った。
私は57歳にして初めて蛍を見た。毎年数が少なくなってきているらしいが、目の前で8〜10匹も飛んでいる蛍は幻想的だった。



posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

自治会でのチャレンジA ―副会長を受けた理由A―

しかしまた、断わらせてくれなくとも、本当に無理ならば人間関係が悪くなろうとも謝り続けて辞退したであろう。
説得されて受けるということはバウンダリーズの問題以外に、その人の中に受けてもいいかなという気持ちがあるからだと私は常々思っている。
今回のことも例外ではなかった。
今回のように悩みに悩んだあげくに引き受けた心理の中に、どうしても挑戦したい課題を感じていたからだ。
それを書いておきたいがためにページを割いている。

現会長は私を「気心の知れた人」と仰り、しかも総会の席でも第一に指名したと仰ったのであるが、実のところ私は全く懇意ではなく、それどころかとても苦手な方だった。
と言うのは、民生委員時代に私の範疇では理解できないことで激しく叱責されたことがあったからだ。


それについては後述することにして、だからこそどうしても辞退したかった。
そうでなくても、あの頃は孫のためにも必死で自らの健康管理をしていたし、自分の時間が殆ど取れない状況だったから、引き受ける自信は全くなかったので断固断り続けた。

ところが、どうしても諦めて下さらず悶々とした日を過ごす中、どうしても引き受けねばならないのならば、民生委員の3年間に自分自身に不満を感じ続けた生き方を改善したいと思った。

即ち、組織のことでおかしいと感じたことは人を恐れずに発言できる人間になりたいと強く願っていたので、この機会をその実習の場にしたい、どれぐらい改善できるか試してみたいという気持ちを抱き始めた。


2回目の電話でもこちらの事情は問答無用で、ついに受けざるを得なかった。
勿論、最終的にそれを選んだのは私であるが。
受話器を置いて暫くのあいだ神に深く頭を垂れ、最後に「どうかよろしくお願いします」と申し上げて祈り終えたのだった。

既に2月8日の記事に、「話が進むようならば民生委員をお受けした時の経験を活かさねばならない。祈って考えたいと思う。」と書いているので、依頼を受けた日から自らの気持ちを直観的に察知していたのだろう。

拙い経験ながら、このような声がかかった時には事情が許す限り新しいことに挑戦してきたし、受けるかどうかについても今回ほど悩んだことはなかった。では何ゆえか?!

会長さんは行動的なので要望も多くなるだろうというのが何よりも大きな心配だった。
大きなストレスになることを懸念し、一方では、だからこそ発言する新しいチャレンジなのであり、しかしまた、しんどく感じる嫌な選択であったのも事実だった。
そんなわけで私には意味深いチャレンジなのである


とにかく無責任な引き受け方はしたくない。
会長補佐役をにおわされたので、会長代理でお葬式に参列せねばならない時はクリスチャンで不都合はないのかなど、3月下旬には気がつくことを事前にお聞きしながら心の準備に入っていた。

最初に「苦手な方」ということを書いたが、私の中では既に出会いを深めつつあると思っているので、もしもご本人がこれをお読みになったとしても不都合なことはないと思って記事にした。
少なくとも、私は常に神に申し開きできるようにアカウンタビリティをとって書いているつもりだ。

4月早々に心温まるエピソードもあり、主に在って臆することなく心を込めていく時、ぶつかり合っても親しくなれる人物であると思っている。


とは言いつつも、「やっと2ヶ月終わった。あと10ヶ月」と早々から指折り数える日々でもある。
つづく

posted by 優子 at 15:40| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

自治会でのチャレンジ@ ―副会長を受けた理由@―

新年度が始まって3ヶ月、長女の状況も一段落したので自治会の副会長を断わりきれなかった理由を書いておきたい。

この4月で夫の両親の敷地内に新築し引越して早10年過ぎた。昨年度に回ってきた班長もまもなく終えようとしていた今年2月のこと。
次に班長が回ってくるのは10〜11年後(私たちの入居後に2軒増えたが、ご高齢の独居者が2人おられるので)だと思っていたら、思いもかけず副会長を依頼された。

わが町は全体で27班、約330軒を有する自治会である。
それを3つのブロックに分け、各ブロックの代表が副会長であり3人が任に当たる。我が家は7班なので1班から10班まで(125軒分)のAブロックを受け持つことになる。

自治会会長の任期は2年だが、副会長、書記、会計の任期は1年間で、これら5名の役員は毎年新年度の班長の中から選出されることになっている。そういうことさえ今春まで知らなかった。

ところがだ。
このたびは、自分の気心の知れた人を副会長にしてもらえるならば次期会長を受けるということを条件に、2月8日の役員会の直後に会長と次期会長候補の現会長が訪ねて来られたのである。

依頼を受けた2月当初は、昨秋から心身の健康を損ねた長女を助けるために、12月下旬から孫だけを頻繁に預かるようになっていた。娘と共に世話することになった4月半ばまでの4ヶ月間に、通算40日近くも孫を預かっている。

そのような「事情をお伝えしたが、承諾してもらえず保留になった。私にすれば、もうすぐ班長が終わるとホッとしかけていたところだ。」
しかし、難色を示しても一向に引いてはもらえなかった。


それゆえに当時の記事に書いたように、「しかし、地域のことで奉仕されている方々には常々ありがたく感謝しており、副会長は3名で任期は1年間だ。こんなことさえ拒むようでは証しにもならず、神さまから社会的責任が問われるだろう。」と思ったのも事実だ。

少なくとも1週間は祈りながら思い巡らせる時間が必要だったのに、その2日後だったと思うが受諾を迫られる電話が入ったので困った。
普通ならば諦めて次の人にアタックするであろうに、現会長は強行かつ強引でどうしても引いては下さらなかった。
 
(つづく)


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年06月13日

神のお計らいと思える日々

8日のスー先生のエピソードから:
「日本のハンバーガーは美味しいね。野菜も入っていてとても美味しい。アメリカ人に教えてあげたい。日本人は味に敏感ね。むこうの味はバーン、バーンとしている。」

本場のアメリカ人がアメリカは大まかな味付けだと仰ったので笑ってしまった。「そのことを日本語で『大味(おおあじ)』と言います」と言いたかったけれど、調子に乗ってはいけないと思って遠慮した。
そして、6日の真智子たちのバースディランチのロブスター料理を思い出し、「美味しかったって言ってたよね」と写真の2人に笑っていた。

次は孫のエピソード:
とにかく最近は何でも自分でやらないと気がすまない。
例えば、スプーンを取りに来たユキにスプーンを渡してやると、黙って、あるいは「アッ、アッ」と言いながらスプーンを一端戻してから取り直す。

どんな時かシチュエーションは忘れてしまったが、手を貸してもらったのが気に入らなくて、まるでダンスのステップを踏むように片足を外に出して(戻して)から歩き出す。窓の開け締めも全てそうだ。

きっとこの月齢の子はそうなんだろう。
私は2人の子育てをしたのにすっかり忘れていた。手許にある真智子の育児日記を開くと、やはり2歳になる頃に全く同じことが書いてあったので笑ってしまった。これは1982年6月7日の記録である。

「最近のもう一つの大きな特徴は何事も一人でしないと気がすまないのである。
階段も一人で上りかけているので手を貸してやったり抱いて上らせると、怒って下まで下りていって自分でやり始める。下りる場合も同じだ。
自動車の乗り降りも私が手を貸すと怒って、また乗ってから降りるといったふうである。」


今のユキとちょうど同じ1歳11ヶ月の頃には、「ママ、あーとー(ありがとう)。ママ、あーとー」と2語連結させて話すようになった。・・・一人で本を見る時は、不思議なほどにいつも逆さまに見ているかわいい真智ちゃん。」と記されていた。

しかし、孫の食前のお祈りについてはユキ独自のものだろう。
それに関して書き忘れていたことがある。
常にユキが誰よりも先に目を閉じて祈りの体勢をとり、その時に「今日はママがお祈りしてね」と言うと、ユキは目を閉じたままで「ばあ」と指名してくるのだから牧師を想わせるではないか。

4人揃った時には、私が祈ろうとした時に「じいが祈って下さい」と言っているかのように、目を閉じたままで「じい」と言い、指名されて困るじいにも笑わずにいる辛さ。(笑)

また、おやつを頂くのは自分だけなのに、傍にいる者も手を止めて祈りに加わらねばならないのは改善してほしいものだ。


と、私たち以上の信仰篤き(?)孫であるが、やっぱり幼児である。今は大泣きしてぐずっている。(笑)

来月に2歳の誕生日を迎える幸悠。
今では義母を「おおば」(大きいおばあちゃん)と呼び、母屋へも頻繁に行き来するようになっている。

庭では曾孫が転ばないようにと気遣ってくれる義母の姿に胸が熱くなった。
義母と孫は85年もの年齢差がある。いや、私とだって55年もの違いがある。いつまでこの子の成長を見られるのだろうか・・・そんなことを思いながら、今の時も神の計らいとさえ思える日々に変えられて大切に過ごしている。


この1ヶ月間のスナップより:

これは夫のお気に入りの一枚だ。
会社のPCのデスクトップの背景画にしようと
何度も知子に聞いていたが、結局できなくて諦めた。

小人さんとユキ.jpg

玄関のツツジが満開だった頃。

ツツジ満開.jpg

梅雨入り間近の肌寒い日。
シュウメイギクの背丈も伸びて青々としている。

梅雨入り間じか.jpg 
この棒をチャッピーに向けては「ウー」と唸られている。
いつしか山々も万緑の季節になっていた。



posted by 優子 at 12:43| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

理事長就任の祝電届く

今月初め何通かの祝電が届いたので何かの間違いかといぶかしく思いながら受け取ったところ、先月、大阪洋紙同業会理事長に就任した夫への祝電だった。
夫は今、自社経営だけでも難しい中にあって大阪紙業界の為にも労している。それに加えて帰宅すれば孫の入浴から寝かせるまで助けてくれている。

私は社内のことや業界のことを聞きたいが、孫との生活では夫婦の会話は難しい日々である。ところが今夜は帰宅早々に、「(社員の)Yさんの奥さんから電話があって点滴がとれて食欲も出てこられたそうだ」と話してくれた。
良かった!
どうかこのまま順調に回復されるようにお祈りしよう。
明日はユキとのお祈りの時にもYさんのことを祈ろう。

と言うのは、孫はよく祈るのだ(^−^)。
孫の夕食は夫(孫にとっては祖父)の帰りを待たずに始めているが、昨日も夫は食前の祈りをせずに頂き始めたものだから、孫が「じい!」と言って手を組み、祖父にお祈りをするように促した。そして、自分も食事を中断して同じように祈るのだから感動する。

お祈りの間孫を見ていたら最後まで目を閉じて祈っていた。
昨朝はスー先生からの電話で私が「感謝します」と言った時、孫が「ンーメン!(アーメン)」と言ったのには驚いた。こんなに幼くても子供は我々の言動をよく見ているのだ。

私は何度も食事を中断して祈る孫の姿を笑っていたが、2歳にもならない幼子に神の思いが浮かんだ。夫にとっては孫が仕事の緊張を和らげてくれるであろう。

曇り空の昨日、九州から東海地方まで梅雨入りし、今日は雨の一日だった。恵みの雨に感謝しつつもチャッピーの散歩に頭を悩ませる季節到来である。

posted by 優子 at 23:59| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2009年06月08日

神の絶妙なるご配慮 ―スー先生との再会―

今朝9時半頃にスー先生から電話が入った。
宣教師として38年間日本に滞在されたスー・ベネディクト先生については、2008年8月26・29日と、12月18日の記事に記した。テネシーから送っていただいた讃美歌入りの美しいクリスマスカードは忘れられない。(12月18日の記事から開くことができる)

私はてっきりテネシーからの電話だと思ったが、今月3日から2週間ほどの予定で香芝ゴスペルチャーチに滞在されている。昨日の礼拝でお目にかからなかったからとお電話下さったのだ。

長女の体調は非常に悪いが、孫も寝そうにないので10時半過ぎから知子と3人でスー先生を訪ねた。
知子は3日前に苦痛より解放されていたので相談することは何もなかったが、このたびのことで牧師のあり方についてお聞きするためだ。

それでも3時間半はあっという間に過ぎた。神さまからの豊かな慰めと導きがあり、スー先生はまさしくイエスさまからの使者だった。タイムリーさと言い神の絶妙のご配慮だった。

知子は理路整然と端的に現況を話してから牧者のことを相談したところ、このたびのことにも重なる最終章とも言えるお導きを頂いた。
その冒頭で知子は次のように述べた。

「私は感情ではなくて意志で赦すことができ平安になりました。たった数日だけれど全然違います。
神さまが状況を変えて下さったから平安があるのではなく、状況はますます悪くなる一方だけれど、どれだけ努力してもできなかったことなのに平安があります。
感情ではなくて意志で赦すことができ平安になったのです。赦すことを選び取ったのです!」


これを聞かれたスー先生は、何度も何度も喜んで下さり「ハレルヤ!」と神を讃美された。

イエスさまの最後の祈りは、ご自身を十字架につけた人たちのことを「父よ、彼らをお赦しください」というものだった。
知子は、「この言葉は幼児の頃から聞き古していた言葉だったが、今初めてわかった。こういう経験をして初めてイエスさまの苦しみがわかった。」と語った。

知子の話を聞かれたスー先生は、「あなたは世の中の女性を助ける働きをする人になる。『私もこういう経験をしました』と共感してあげられるからです。私も経験したから『あなたの気持ちがわかります』と言えるのです。

知子さんのようにここまで苦しんで赦す経験をする人は少ないから、教会には必要な人だ」
と3回も4回も仰った。

そして、「私たちは皆、足りないです。牧師もあの方も足りていない。しかし、もしも謝りたいことが見つかればこちらから謝ればいいよ。へりくだった者勝ち!神さまはへりくだる者に恵みを授けて下さるから!と深い微笑で包んで下さった。

知子:「今までならばそんなことできない。それは逆ではないかと憤りを覚えたが今は受け容れられる。
また、精神的暴力を受けた時、『それは私は辛いです』とはっきり伝えることが大事だと教えて下さった。(これは真智子が常に教えてくれているところであり、バウンダリーズのある人の特色だ!)神さまが全てご存知だから『ああ、そうなの』と思って過ごしていけるってね!」


何箇所か聖書を開き、しかし、説教調では全くなく、「よく耳にする同じ発言でも全く違った。本当に聖書に忠実に生きておられる信仰深い方だ。」と知子に語らせたほどに、主は知子を深く慰めて下さり豊かに祝福して下さった。キリストの香りを放つ人物を用いて。
 
スー先生は今も、「(神さま)助けてー!あなたが必要です!」と一日に何度も委ねると仰った。
知子さんが苦しんでいる時に砕かれていたのよ。その痛みを通ってキリストに似た者に造り変えられていくの。」

そういえば、苦しんでいない人は砕かれていない。
私もまた娘と共にキリストの香りを放つ人格に造り変えられていきたいと思う。


家を出る時からグズっていた孫は、自動車に乗った瞬間に眠ってしまった。教会に着いて起きたものの、話が始まってからずっと私に抱かれて眠っていた。

その後、スー先生が作られたヨーグルトをおいしく頂いたり、寝転がってキャッキャッと笑い声を立てて和んでいた。
当初は「固まる君」とニックネームをつけたほど人見知りが強かったのに、かなり前から同年齢の子には自分から笑顔で関わっていく変わりようだ。

スー先生は、孫が標準よりも大きいので1歳10ヶ月とお聞きになって驚かれた。
頭を下げてお礼や挨拶をし、持参したジュースを飲む時も目を閉じて祈るユキ。今夜の夕飯時の祈りでは、祈る体勢を取っていない祖父に「じい!」と声をかけていた。「おじいちゃん、お祈りですよ!」と。
自分しか食べないおやつの時まで「ばあ!」と言うので、私は食卓まで参上しなければならないこともしばしばだ(笑)。

感情表現豊かなアメリカ人にユキの表情が豊かで、良く躾けられていると誉めていただいて、知子は大いに慰められたことであろう。

知子の英語を聞かれて、「発音がとてもいいね。外国に住んでいたことがあるの?どこで学んだの?」と何度も聞いておられたスー先生。
すっかり錆びてしまった知子の英語でもネイティブの人に誉めていただいた娘。それに比べて私はお粗末過ぎるね。今日も全く聞き取れていなくて申し訳なかったね(笑と汗)。

先生のお許しを得て今日のスナップを掲載させて頂いた。

スー先生とA.jpg

8人の子供を産まれ、曾孫が4人おられるスー先生。

スー先生と@.jpg 
知子にとっても生涯忘れることのできないスー・ベネディクト先生。
知子はとても美しい目をしている。

あの直後のイチゴ狩りの時も美しい目をしていたが、今は苦悩から勝利した美しさだ!

体調は悪いが44キロになった。この写真を通してお祈り下さっている方々への近況報告とさせて頂きたい。

知ちゃん、体調のことも恐れないでね!
必ず解放される。知子には主がついておられるのだから!
主よ、感謝します。アーメン!


posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

真智子29歳の祝福されたバースデー

優しいカード、ありがとう!
改めて、生まれて来て良かった!!!ありがとう!!
それに、お赤飯お祝いしてくれてありがとう♪

まちは今日、最高のバースディデートをしてきました!
写真です。見てね↓

http://picasaweb.google.com/fkomachi/MyBirthday2009#

丸ごとのロブスター、なかなかの迫力でした。
おいしかった♪白ワインとも良く合う!

シーフードレストランは、お誕生日ということで、
ケーキとコーヒーをプレゼントしてくれました。
とっても良いお店!
http://www.legalseafoods.com/

その後、International Spy Museumに行って楽しんできました。
結構広くて、気がついたら3時間半程も居ました。

帰ってきて、今は太志が夕食を作ってくれています♪
夕食後は映画をみまーす。

またね!
真智子

これは7日朝に届いた真智子からのメールだが、13時間の時差があるワシントンの6月6日付けで送ってくれたものなので、昨日の日付けで記録することにした。

そして、この記事より―即ちブログを書き始めて3年5ヶ月目から―、ブログのサブタイトルを「主と共に歩む心の旅」に変更した。一枚目のツーショットの写真を見た瞬間にひらめいたのだ。

29歳の誕生日を重ねた真智子。ベターハーフの太志君は8月に29歳になる。(この頃はIMFで働いていたことを記録しておくね)

私は真智子が生まれた時のことを思い出しながら、昨夜(6日)の夕食にはお赤飯を炊いた。この日、知子もまた主に在って勝利し祝福された晩餐を頂き、今朝は希望のそよ風が私たちを優しく包んでくれた。
祈り:

主よ、尊い御名をほめたたえ感謝します。
真智子と太志君の姿に神の支配と導きの御手があり、神の栄光を拝して私たちも励まされています。
どうか異国の地で励む彼らをこれからも守り導いて下さい。

真智子が幸いな時を過ごしていた同じ時に、知子もまた意志を用いてあなたの導きに従う者に変えて下さり、勝利させて下さったことを心から感謝します。

これからも何度も感情の疼きに苦しむでしょうが、心の傷をあなたが完全に癒して下さることを信じます。
私たちのためにお祈りくださっている兄弟姉妹に感謝し、お一人おひとりの上に主の豊かな祝福がありますようにお祈りします。

「人を恐れると罠にかかる。
しかし主に信頼する者は守られる。」
 
        
         (箴言29章25節)
  
このお祈りを尊い主イエス・キリストの御名によって神の御前にお捧げします。アーメン。

「ウェブアルバム」にある「Machikoさんのギャラリー」にはたくさん写真が収められていて、カヌーに乗っているのもあった。
今日から真智子のギャラリーも「お気に入りリンク」に入れて、見たい時に直ぐに見られるようにした。

真智子へ:
真智、主と共に素晴しい生涯をね!
真智は遠く離れているけれど、ママは今、真智子をこの胸に強く抱しめています。愛しているよ、真智!
また会える日を楽しみにママも元気にやるよ!
またね、真智。(^−^)


6月13日追記:
手許にある真智子の育児日記を開くと、やはりまもなく2歳になるユキと全く同じことが書いてあったので笑ってしまった。これは1982年6月7日の記録である。

「最近のもう一つの大きな特徴は何事も一人でしないと気がすまないのである。
階段も一人で上りかけているので手を貸してやったり抱いて上らせると、怒って下まで下りていって自分でやり始める。下りる場合も同じだ。
自動車の乗り降りも私が手を貸すと怒って、また乗ってから降りるといったふうである。」


今のユキとちょうど同じ1歳11ヶ月の頃には、「ママ、あーとー(ありがとう)。ママ、あーとー」と2語連結させて話すようになった。・・・一人で本を見る時は、不思議なほどにいつも逆さまに見ているかわいい真智ちゃん。」と記されていた。

最後にもう一度、
真智、お誕生日おめでとう!
これからも良き日々をね。活躍をお祈りしています。
ママより



posted by 優子 at 14:09| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年06月05日

神さまのご配慮により独居のNさん宅へ

人間は一人でおられる静かな時間がどうしても必要である。
今夜は9時過ぎから机の前に座り、讃美歌を聞きながら何とも言えない心地よさを感じていたら、まもなく入った電話で静けさは破られた。

「香芝市が委託している緊急通報システムの会社○○ですが・・」と言われてもピンと来ず間違い電話だと思ったが、かつて民生委員として関わっていた独居老人のNさんが転倒されて起き上がれないという内容だった。

ちょうどその1時間前のこと、今夜は珍しく私一人でチャッピーの散歩に出た時も、民生委員として身についた意識から、「Nさん宅は電気がついているな」と無事を確認して通り過ぎたのだった。

Nさんは母と同じ年のお生まれだったと思うので82歳くらいだと思う。息子さんは大阪市内在住であったことを覚えているが、子供または親族への連絡先や主治医名などが書き込まれた書類は全て社会福祉協議会へ返却したので覚えていない。

通報会社の人は既にNさん宅に向かっており、鍵がなければ壊して家の中に入るとのこと、息子さんには連絡済み。私は現民生委員担当者の名前を告げて直ぐにNさん宅に向かった。
股関節と腰に振動がいかないように足をするようにして急いだ。小走りして5〜6分くらいの所だ。

チャイムを鳴らすと元気な声が聞こえた。
門には閂(かんぬき)がかかっているために入ることができなかったが、リモコンで車庫のシャッターを開けて下さりそこから入ることができた。

「一人で心細かったでしょう」と手を握って抱きしめた。
Nさんの重い身体を起こす時はサムソンを思いながら頑張った。母の時のように。
Nさんはトイレで転倒しておでこの右側にタンコブができていたが、いつものようにハキハキと応答され、起こしてあげればスタスタと歩かれ大事なくてよかった。

全てが終わってから助け人が到着された。ユニホームの胸には「機動隊」と記されていた。その方に状況を話し終えて共に帰ろうとした時に、今も民生委員を務めておられるMさんが来て下さった。

帰宅して再度緊急通報会社へ報告して終わったが、民生委員を退いてから1年半も経つのに何故私に連絡が入ったのだろうか。
通報会社は市に聞いてみると仰ったが、Mさんが来られたことから委員名の訂正がされていないことがわかったから、福祉課や社協、あるいは委員会のミスなのか。

しかし、このことを感謝している。
股関節と腰はてき面に強い痛みになり、腰は灼熱感のシビレもあるが、悶々として重苦しい日々を送っている私に神さまが助けの手を差し伸べて下さったのだと思う。
「目を上げて高きを見よ。違う方向へ目を向けよ」と語って下さっているように思えた。明日からは新しい気持ちで過ごすことができそうな気がする。

母は12年も前に亡くなったが、母や父と同世代の方々が健在で居て下さるのが嬉しい。以前はこんな気持ちになるとは思いもしなかったが、数年前からそのように思う。
私はその方々に母や父の姿を重ねているのだろう。


全てのことを支配されている神さま
主(イエス・キリスト)に助けを求められる幸いを感謝します。
あなたが示して下さっている愛と、真理の福音を日々受け取って、あなたの喜ばれる道を歩くことができる者にして下さい。

私たちは弱い者ですから、どうぞあなたが支えて下さり、あなたが栄光を取って下さり、常にあなたを見上げて信仰を新たにして下さい。

年老いた独り暮らしの方々をお守り下さい。

今、病いにある方々を思います。
主よ、どうぞその方々を慰め、支えて下さい。
どうか、あなたがその方々のそばにいて下さっていることを知らせてあげて下さい。

特にYさんのことを祈ります。
どうか回復させて下さい。
言葉にならない切なる祈りを主イエス・キリストの御名前により御前にお捧げします。
                        アーメン


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年06月02日

今を突き抜けよ!

かつて私は苦悩によって求道が始まり救い出されて神への信仰を持った。カテゴリ『我が心の旅路』に「イエスさまとの出会い―わが生涯は改まりぬ―」(2006年5月19日〜25日)と題して6回に分けて綴っている。内村鑑三に倣えば、「私は如何にしてクリスチャンになったか」を書いた。

その後、私には不条理極まりない出来事の連続で神への信頼が揺さぶられ、練られて、ついに確たる信仰を賜わるに至った。以後、その信仰は微動だにしない。

その段階の最終章で突如新境地へと導かれたのがダンテの『神曲』だった。地獄篇第3歌50・51行、
「正義からも恩寵からも彼らはさげすまれる。
我らも彼らのことを語らず、ただ見て過ぎるがよい。」
        

また、ヒルティにも助けられた。
「悪人がもはや深い後悔を感じ得ないようになったら、それは彼に下された最も重い罰を意味する。自己の悪を知りながら後悔を覚えないということは、既にこの世ながらの地獄である。・・・突き抜けよ!」の言葉に納得させられた。

ヨブが最後に神より叱咤激励された如くに、私は彼ら先人たちを通して神から激励を受けて新境地に至らされたと受け止めている。

神に委ねるという不動の信仰を頂くまでの道のりは如何に困難なものであったか!
しかしまた、ひとたびこれを経験してしまえば人生で最大の喜びを得、神の恵みを味わいながら生かされていくのである。神が最悪なことを通して最善へと導かれることがわかるから、最悪な時は期待さえ感じることもまた事実である。


まず、神に助けと慰めを求めてから友にも祈りの要請をお願いした。
このたびも多くの方々の尊い愛のお祈りのおかげで、最愛の娘もまずは人生の難所を突き抜けたようだ。
精神的危機は過ぎ去り、知子の気高い魂は再び自由になった。娘が絶望に飲み込まれないようにと私もまた必死だった。友にも具体的に祈って頂いた。
「優子さんと知子さんのことは、なににも優先して朝晩祈っています。」
「今朝も御ファミリーのため祈りました。」
「神様は主により頼む者を決して悪いようにはなさいません。わたしも微力ながらお祈りさせていただきます。」


メールのお言葉から励まされ支えられてきた。
私は、「ここまで主が私たちを助けて下さった」と申し上げよう。
これからの道も神の導きがなければ歩き通すことはできないから、神に縋って進んで行こう。昨日今日と長い時間聖書を読み、上より平安を頂いた。神さまが働いて下さっているから安らいでいよう。神のお導きを切に祈りつつ。

「なおも神の御手と御心にさからわず、
 勇気と希望を少しも捨てぬ。
 私は静かに耐え、まっすぐ前進する。」
(ミルトン)



posted by 優子 at 19:05| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする