2009年07月30日

聖霊によりて書かせたまえ!

日が迫ってきているのに未だ「証し」が一字も書けていない。
今も娘のことでは人間の実相と向き合わねばならぬ日々で、昨夜も午前2時まで長女と話し合うなど時間が取れないだけではなく、とにかくどういうわけか書けない情況だ。

しかし、娘と話しながら導きを得た。
今、渦中にある出来事について話すのではなく、かつて母の苦難を通して知らされた主の臨在を話せばよいのだと気づかされた。
今また試練の真っ只中に在って、かつてとは違う揺るがない信仰者に変えられていることを話したいのだから、そのことをこそ話さねばならないのにそんなこともわからなくなっている不可解さ。

ところがまた、それに気づいても書けないのだ。
今日も用事をしながら草稿を思い巡らせていたがダメだった。
気持ちがしんどいのである。
これはどういうことなのか。完全に私の中に堅くされていることなのに書くのがしんどい。
以前なら書きたくてたまらなかったのに、しかも、勝利者とされているにも関わらずしんどいのである。

ドロドロしたものを書けるのは信仰しているからであり、闇を書けなかったら光を書けない。『闇は光に勝たなかった』のである。
苦しみの道中を見ているがこそ書けるのであり、全身全霊をかけて書く。人の書けないものを書くのはたいしたものだ。

昨年のクリスチャンペンクラブ夏期研修会で、語気を強めて語られた久保田先生のお言葉を読み返している。

教会で耳にする証しなどで、どのくらいドロドロしたものが語られているだろうか。自分が経験した醜い気持ちや葛藤をこそ語らねばならないのに語られていないと感じることが間々ある。

私が2年ほど前から証しを書けなくなってしまったのは、ドロドロしたものを書くのがしんどいからだ。
嫌なのだろう。それを書くのは身を削るような痛みがあるから書けないのだ。


昨日、お見舞いに伺ったYさんの病床に母や父の時を思い出したからか?
重く辛い空気・・・・

1995年真夏、母の病室で流していた『パッヘルベルのカノン』を今も繰り返し聞いている。私はこの曲を聞くだけで厳粛な気持ちになるので、いつも厳粛なことを書く時の導きに用いる曲である。

パソコンの音量を最大にして、この一曲だけを繰り返し何時間も聞きながら没頭する。時には途中で筆を止めて檻の中にいる熊の如くに5〜6歩行ったり来たりしながら、書くことはまさに産みの苦しみなのだ。

昨夜は3時間の睡眠時間で瞼まで重いが、幼児がいるととても書けないから、今夜は夜を徹してでも書かなければダメだ。明日の体調を気遣ってはいられない。

Yさんのことを憶えつつ、今から書き始めよう。
今朝のスカイプで真智子は速達でお見舞い状を送ると言っていた。
全能なる神よ、
善良に生きる方の命を地上にとどめて下さい!

かつて呻吟した問いが脳裡をかすむ。
なぜ悪人が栄え、誠実に生きる人が苦しまねばならないのかと・・・


posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2009年07月29日

再会の希望を伝えたい

重篤な病者の心は研ぎ澄まされ、私たちの何十倍も鋭い感性になっておられるからお見舞いに伺う時は心せねばならない。

そう遠くない日に母の死を通らねばならぬと覚悟しつつあった1995年8月25日のこと。母の病室に泊まった翌日、私は母と別れてからキリスト教書店に立ち寄って1冊の本を買った。母が緊急入院して2週間後のことである。

本の題名は『愛する人の死を看取るとき』だ。
その頃の私の感性もまた鋭くなっていたから、14年後の今も本を開かなくても多くのことが脳裡に残っている。


ターミナルケアを一言で言えば、何かをすることではなく共に居ること(" Not doing,but being ")。末期の苦しみや悲しみの中にいる方と共にいることだ。
何もできなくていい。ただ共に居ることだ。
「お母さん、何もできなくてごめんね。」
私は母に何度も心の中で、また、声に出して言っていた。

本に書かれていた印象的なエピソードは、愛する人を亡くして落ち込んでいた時、最も慰めにならなかったのがクリスチャンの仲間だったこと。
「これは神さまの御心よ」とか「神さまのご計画なんだから・・・」と言う鈍感さ。
「『これは息子さんを立ち直らせようとする神さまのご意志よ』とはひどい。
神さまは、子供を立ち直らせるために最愛の夫の命を取られるような方ではない!クリスチャンは何かといえば神さまの意志とか御心とか言って私の心を傷つける。」
という訴え。

退院できない人に、「退院できたらまた一緒に」など安易な励ましはしないこと。
これは自己満足の安易な慰めであるだけではなく、そのような表面的な励ましを受けた者は腹立たしさを感じたという告白。

など、今も鮮明に記憶している。(これらは本文そのままではない)

淀川キリスト教病院名誉ホスピス長(当時は大阪大学人間科学部教授職にも就いておられた)である柏木哲夫氏が書かれたものだけに簡明直截に入ってきた。

昨夜久しぶりに本を開いた。
「神の愛、神の摂理」という言葉で慰めないように。そのような言葉は何の慰めにもならないことを改めて心に刻んだ。


私は臨床心理学の学びにより予期悲嘆がとても大切であることを知り、母と父の時に自分自身が助けられた。心の準備がないと悲しみの立ち直りに時間がかかる。予期悲嘆に助けられてさえ、あの悲嘆だったから!

人は死を前にして、それまでの人生では経験しなかった耐え難い孤独を経験せねばならぬと、日野原重明氏が何かの本で書いておられる。

「わたし(イエス・キリスト)が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父(神)のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14章6節)

「しかし、この方〈イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1章12・13節)

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力なのです。」(第Tコリント1章18節)

聖書にはキリストだけが我々を神のみもとに連れて行くことができ、永遠のいのちを与えることができると書いてある。
私はそのことを堅く信じる者とされたゆえに死後の備えは完了しているのである。


神に遣わされた者として私を整え備えて下さり、愛する方に救いの福音(good news)と再会の希望をお伝えすることができますように。
この切なる祈りを我らの救い主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げ致します。

「今は恵みの時、今は救いの日です。」
         (第Uコリント6章2節)


あれから13年。
今夏も蝉が激しく鳴いている。
母の時のように。
そして、
9年前の父の時のように。


posted by 優子 at 12:08| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2009年07月28日

神は人間の思いを越えて最善をなさる

愛する人へ
どうしようもないほど根の深い問題があろうとも、神のみこころを求めつつ進んでいくならば、必ず最善の道が開かれていくことを忘れないで下さい。
先ほどの電話で話した記事(2006年4月30日)を掲げます。
クリスチャンでない人も一度は耳にしたことがあるであろう。
讃美歌、「いつくしみ深き」が作られたいきさつを原文を通して作者の深い信仰を解説して下さった。

婚約者が亡くなるという悲しみからカナダのオンタリオ湖へ移った作者は、社会奉仕の務めに励む生活を送っていた。そして再び結婚へと導かれたが、明日は結婚式という時に婚約者が湖で水死した。

この讃美歌は、故国にいる母を慰めるために書かれた
話は周知の通りであるが、英文学を専門とされる大塚師は原文からも、師の篤い信仰に根ざしたところの深い感性からほとばしるメッセージをされた。

その前に、讃美歌312番「いつくしみ深き」の歌詞をご紹介しよう。
   
     いつくしみ深き 友なるイエスは、
     罪とが憂いを  とり去りたもう。
     こころの嘆きを 包まず述べて、
     などかは下ろさぬ 負える重荷を。


原文は次の通りである。
     
     What a friend we have in Jesus,
     all our sins and griefs to bear!
     What a privilege to carry
     everything to God in prayer!
     O what peace we often forfeit,
     O what
needless pain we bear,
     all because
we do not carry
     everything to God in praye


作者が”needless pain ”と書いているのは、
「私達が自分の持っている苦しみをそのまま神に訴えないから、不必要な苦しみや悲しみを感じる(背負い込んでいる)のだという深い思いが込められてあり、そのために何という平安を取り逃がしていることだろうか」というのだ。

”we do not carry everything to God in praye”とあるように、
「全てのことを祈りで神に訴えるということをしないから、受けるべき平安を受け損なっている」のだと。
作者からほとばしる信条の発露である。

そして、大塚師は言われた。
人間は自分の本当の苦しみを神に心を開いて訴えることができないという心の病いを持ち、本当の苦しみを意識の底に秘めている。ちょっとした辛いことは人に話すが、本当の辛いことは隠し押さえ込むと。
クリスチャンになって神に祈る時もそうだ。本当の辛さは神さまに訴えない。

「などかは下ろさぬ負える重荷を」とは「なぜ下ろさないのか、負っている重荷を」という意味なのだ。

私達の心の叫びを聴いて下さる神さまがおられ、私やあなたの負っている重荷を下ろす場所がある。
イエスさまは今、あなたを招いておられるのだ。

   すべて重荷を負うて苦労している者は、
   わたしのもとにきなさい。
   あなたがたを休ませてあげよう。
    
             
             (マタイによる福音書 11章28節)

神の祝福を祈りつつ

posted by 優子 at 16:55| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2009年07月24日

紙文具流通センターが東大阪市に300万円寄付

美濃紙業は東大阪市長田(大阪市地下鉄中央線)の紙文具流通センター内にある。
何とこの不景気な時に、紙文具流通センターが東大阪市に300万円寄付したというのだ!昨日のことである。

急きょ、理事長の都合が悪くなったから代理を頼めないかと、朝早くに事務局から夫に電話が入った。そして、まもなく局長と共に市庁舎へ向かったそうだ。

寄付金は記念行事に積み立てていたものだが、ホテルで会食というのでは意味がない。そこで紙文具団地の緑化も兼ねて市の環境整備に使ってもらおうと意義深い寄付となった。その関係で土木課の方々も同席されていたそうだ。

市長は分刻みのスケジュールのために短時間の会話で終わったが、ケーブルテレビの取材も受け、夫にとっては突然なことにも関わらず適切なコメントを返したので事務局長のSさんも喜んで下さったそうだ。

私は今年早々からまともにウォーキングできていないので、昨夜は久しぶりに夫と一緒にチャッピーの散歩について行きペチャクチャと会話を楽しんだ。
その中で、300万円も寄付できる余裕があるならば、今秋25周年の記念行事をする「河内の郷土文化サークルセンター」にも寄付してもらえないかと聞いてみた。

今の時代は紙使用量が文化のバロメーターになるとは単純に言えないかもしれないが、企業が自然環境や文化に無頓着ではおれない時代なのだから、河内の文化を全国に発信し続けている地元の団体を視野に入れて、継続的に文化推進のために協力してほしいと夫に熱弁を奮ったのだった(笑)。

サークルセンター機関紙への広告掲載くらいはこれからも可能らしい。それさえありがたいことだ。そういえば昨年度は頼みにこられたのだろうか。

もう随分前のことになるが、バブルが弾けて大不況になった時、読書会の機関紙に長年にわたって広告掲載して下さっていた市内大手の書店が広告を辞退され、頼りにしていた2万円の広告料を頂けなくなってしまった。

企業にとってはたった2万円の経費なのにと思っていたが、夫に言わせれば厳しさを知らぬ者の甘いタワゴトだった。
最後にこれまでの感謝を込めて大きな花束を持って書店を訪ね、社長さんにお届けしたのだった。

その後、読書会の年会費を500円上げて緊迫会計をやりくりしたが、市の助成金もカットされる一方になり機関紙の印刷代を捻出するのに大変だった。苦労していた時が懐かしい思い出となっている。

花園図書館が紙と印刷機は自由に使ってもよいということだから、今後は豊中の読書会のように自分達の手作りの機関紙にすればいい。私たちはその時々に描ける絵を描いていくことだ。

夫は数年前からいろんな所で挨拶に立つことが多いので、昨日のように急にコメントを求められてもツブシが利くはずだ。
そして、それらを通して夫自身の企業理念と業界での問題意識や哲学、また意欲が高められていくに違いない。大いにチャレンジしてほしいし、私は夫が思いっきり仕事に打ち込めるように支えていきたいと思う。

昨夜は夫に「もっと歩こう」と言われて1時間も歩いていたので知子に悪いことをした。帰宅したら一人でユキをお風呂に入れて着せているところだった。

ついでながら、美濃紙業のホームページの「会社概要」に「業界役職」を加筆した。次女の婿が発案してくれ、早速7月6日に更新してくれたものである。


posted by 優子 at 10:57| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2009年07月23日

「証し」をさせて頂くことになった夏期研修会

今年もクリスチャンペンクラブの夏期研修会が近づいて来た。
昨年に引き続いて関西と中部ブロック合同で、今回は中部ブロックのお膝元、名古屋で開催されることになっている。その研修会で私は証しさせて頂くことになった。

5月初めだったと思うが証しのご依頼を頂いていた。
その頃は長女のことで無我夢中の日々を過ごしていたことや、予想以上に問題が深刻だったために3ヵ月後のことでも辞退せざるをえない状況だった。

4月に続いて6月の研究例会も欠席することになり、そのうちに意欲をなくし気力は萎えてしまった。
しかし、6月下旬に入り、最終的な問題の核心が浮き彫りにされ事態の方向性が示されていくのと比例して、自分のライフワークにも目が向けられていくようであった。
そして、一泊二日の淡路島旅行から帰ってから研修会が待ち遠しく感じるようになってきた。

とは言っても、まだまだ主体性に欠ける情況で、今回は司会役も全ての役から外して下さっているのがありがたく、学びと交わりを通して奮起へと導かれたいと思っていたところである。

そんな20日夜に「証し」をしてもらえないかとのメールが届いたのである。決まっていた方の体調が悪く欠席されることになったからだ。
メールを拝見した瞬間、そのタイミングの絶妙さに神の計らいを直感した。

「証し(あかし:testimony)」とは、神さまから頂いた恵みを人に伝えることであり、そのことを「証(あかし)をする」と言う。このブログもまた神の存在を証しするために書いている。

長女の心身も癒されつつある今、私が毎日机に向かうことは可能であり娘にとっても最善なのだと思った。何よりも証しする機会が与えられたことで自分の信仰を確かめることができるだろう。
そして、これを機に生活のリズムを作りつつライフワークを再開させよとの神の計らいのように思える。


証しには30分間与えられているので論理的に語らねばならない。準備がいる。説教ではなく、私が経験したイエス体験を語るのである。
研修会に臨んで、「主のいやし」をテーマに原稿用紙3枚という課題も書かずに出席するつもりだったが、真剣に取り組もうと思う。

posted by 優子 at 23:05| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2009年07月22日

イエスから目を離さないで前進しよう!

22それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。
23そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた
24ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。
25イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。
26弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。
27しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。
28するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。
29イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。
30しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。
31イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」
32ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。
33舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。


( マタイによる福音書14章22節〜33節)

今朝はこの箇所から、 「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」というみことばを頂いた。

この時、ペテロは溺れかけたのであるが、無気力感に苛まれていた6月の私は溺れていた。
出来事の最大の当事者であるにも関わらず、いつまでたっても傍観的で最悪な状況を招いていても自己を振り返ることができず、どんなに心を尽くして関わっても良心は目覚めることもなく、そのような人々や状況に翻弄されてしまったのだ。

祈っていても心は重く悶々と過ごす時は誰しもある。そういう時は苦しみに徹すればいいと私は思っている。しかし、私の心を乱すものは何だろうと思い巡らせた。
それはよく考えなくても直ぐにわかった。
私の中で和らいでいた怒りが憎しみになっていたのである。我々の平安を奪うのは常に罪なのだ。

故にと言おうか、だからと言うべきか、ペテロがイエスから目を離して風を見て恐れたように、私はイエスから目を逸らしたために現状に没落してしまったのである。

しかし感謝すべきは、「主よ、助けて下さい」とペテロのように主イエスに呼びかけることができることだ。だから私たちは絶望するには及ばない。

福音書にはイエスが独りになって神に祈られるところが何度も出てくるように、私も独りになって過ごす神との時間が何よりの休養となり力の恢復となる。
それは苦しみを通して育まれてきた私の至聖所(しせいじょ:宗教建築物の最も神聖な場所)とも言うべき時空だ。


主よ、変えられないものを 受け入れる心の静けさと
変えられるものを 変える勇気と
その両者を見分ける 英知を与え給え。

若い頃から座右の銘としているプロテスタント神学者、ラインホールド・ニーバーの言葉だ。

そして、自分を取り戻して自らに言った。
" It is his problem , not mine."
「それは彼自身の問題だ、私のではない」と。
その人のことを祈りに憶えつつも、もうこれ以上、私はその人のことで心乱すまいと、もう一度心に刻み、聖書が教えるバウンダリーズ(境界線)を引き直したのである。


今、苦境にある友よ、主に在って強くあれ!
苦しみは決して苦しみで終わらない。
主と共に在るならば希望があり、いつか喜びに変えられる。歓喜に至るまでこそが人生の醍醐味であり、苦しみこそが人生の意味を教えてくれるのだから!

私はこれからも苦しみから逃げないで互いに祈り励まし合って、この世の旅路を誠実に愛をこめて歩いていきたい。友たちに祈って支えて頂いていることを感謝しつつ。


posted by 優子 at 16:40| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2009年07月21日

神を信頼するとはこういうことだ! ―今朝の出来事より―

今朝の散歩でこんなことがあった。
セントバーナード犬だと思う。大きな犬を連れたご婦人と出くわし、挨拶して安心して通り過ぎようとした時のことだった。チャッピーに興味津々だった相手の犬が、飼い主の手から離れて近寄って来た。
100キロ以上はあるだろうと思われる大きな犬だから、華奢な女性の力ではとても制御しきれなかったのだ。

私たちの方へやって来た。
私は犬を飼っているが犬が怖いし、犬についてはよく知らない。
チャッピーは吠えて慌てているし、私はチャッピーを守るために持っていた傘で犬を遠ざけようと必死だった。

しかし、いよいよ接触しそうになったので、私は「キャー!」と大きな声を出してパニック状態になってしまった。
その時だった。
そのご婦人が私を強く抱しめて、「大丈夫!大丈夫よ!遊びたいだけなの」と仰った。
普通ならばこのようなことはしないだろう。私はその人の何か深い人柄や専門性のようなものを感じた。


とにかく私はその言葉で安心した。
心から彼女を信頼することができたからだ。


そして、「待て!お座り!あなた、ダメじゃないの!」と、犬と同じ目線になって教えておられた。その犬は大きな体だがいたずらっぽい目をした若い犬だったから、まだ訓練中だったのだろう。
飼い主さんは私より少し年上か。初めて会った人だった。

その方が私を強く抱しめて、「大丈夫!大丈夫よ!」と確信をもって言われた言葉に、この人ならば制御できると信じることができたから安心できた。
そして、別れた瞬間に思った。
神さまを信頼して平安を頂くとはこういうことだと! 
私は神さまを信頼しているから明日からのことは思い煩わずにおられる。


しかしまあ、犬を連れていてもチャッピーは頼りないことである。
チャッピーが私を守ってくれることはなくて、いつも私がチャッピーを守ってやらねばならないのだ。気の強い猫をからも。ふらふら

posted by 優子 at 17:13| 大阪 ☔| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年07月19日

動物と触れ合った淡路島の旅

夫  「荷物は入れた?」
私  「まだ、今から」
知子「そういうのが信じられへんねん。
   私はそんなままで夜寝られへん。ママは不眠症にならんはずやわ。そういうのも全て不眠症の原因になるから」


18日(土)朝7時50分、一泊二日で淡路島へ出かける直前の会話である。
知子が1ヶ月ほど前から気分転換に旅行に行きたいと検索していたが、夫や私の予定があったりで計画を組むに組めなかった。
ところがラッキーにも1週間前の直前になって、私たちにとっても好都合の日だけ空いている宿があったので、急きょ予約して出かけたのであった。

このような時、知子ならば洗濯も前夜の内に済ませて乾燥機で乾かして片付けまでしておくというのだから驚いてしまった。

とは言う私も案の定当日朝になって、しかも出かける20分前になって、「えらいこっちゃ!」と大急ぎで荷物を詰めていた。最後に義母にチャッピーの餌を頼んで、予定よりも20分遅れの8時20分に出発したのであった。

本来ならば明石海峡大橋まで一時間で行くはずが、事故も関係して阪神高速は大渋滞。3時間かかってようやく明石海峡大橋を渡り始めた。帰りの今日も反対車線は昨日以上に大渋滞だった。

しかし、今回は最高についていた旅だった。
2日間とも天気に恵まれ、昨日の「淡路ファームパーク イングランドの丘」ではカンカンデ照りで暑かったが、孫だけではなく私たちも最高に楽しんだ。

しかも、夕食はレストランまで降りていかなければならなかったのに部屋食になったなど、こんなにラッキーだったことは今まで初めてかも。

知子は本当に喜んで喜んで、その喜びようといったらない。
終始嬉々とし、夫も私も幸せに満たされた小旅行だった。知子の笑顔はほぼ完全に戻ったように思う。


この2日前には1時間半かけて拭き掃除をして(実はこの3ヶ月間に3回目)、前日にはワックスがけまでし、体調が安定するようにと体力強化に励んでいる。
ワックスがけも4〜5年間はやっていなかったので、床はピッカピッカになって夫まで大喜び!(^−^)

以下に掲載した写真は全て昨日撮ったものである。

3人で.jpg

私たちは孫のことを知子に倣って「ユキちゃん」と呼び、誰も「ユキ君」とは呼んでいないのに、「ユキって言って?」と言うと「ウックン」と言い、2歳になった頃から自分のことを「ウックン」と呼ぶようになった。アクセントは「ウ」ではなく「ク」にある。

うさぎ.jpg

夫の帽子を持ってくるのを忘れたので夫に私の帽子を貸してやり、私は雨傘を日傘にして歩いた。

ウサギ.jpg

動物と触れ合えるエリアでは、
絵本で見ていた動物がいっぱい!
「ウックン、ウサギは怖がらずに撫でれたね。」

コケコッコ2.jpg

見るもの全てが驚きだったユキ。
「このあと、コッコは屋根に飛び上がったね。」

コケコッコ.jpg 

もう一羽の鶏は「コケコッコー!」と鳴いたのでビックリした。

かめ.jpg

こんなに大きな亀をこんなに傍で見たのは私も初めてだ。
ユキは怖がって「もういい、もういい」と言って手を横に振った。

ヒツジ1.jpg 

「ヒツジは怖くなかったね。」

ひつじ2.jpg

ひまわり2.jpg

知子もひまわり畑に感激していた。
そして、「映画の『ひまわり』を思い出すね」と言った。

ひまわり.jpg 

ユキの絵本と一緒で、
どのひまわりも「アッハッハ」と笑っているようだ。

海.jpg

最強に嫌な時にはバイバイするように手を振って
「もういい、もういい」と言うウックン。

海1.jpg

せっかく浜辺で遊ばせてあげようと思ったのに、
怖くて泣いてしまった。

旅館で2.jpg


いつもは食欲旺盛のユキなのに、はしゃぎすぎてあまり食べなかった。
私の父に負けないくらいに子煩悩な夫に懐かしい父の姿が重なった。

父が50代後半になった頃には長距離運転を嫌がり、遠出する時はいつも夫が運転してくれていた。
妹夫婦がタイに在住していた時の留守宅の草引きにも、城之崎へ泳ぎに行った時も・・・いつも婿として父に仕えてくれていた。
夫は年齢を重ね、婿時代を経て舅と祖父を生きている。


今日は往復270キロ走行し、お昼過ぎに無事帰宅。事故からも守られて元気に帰って来られたことを神に感謝した。

4月半ばから娘と一緒に生活するようになってちょうど3ヶ月過ぎた。
私は6月から孫の世話は娘を助ける格好で補助的にやっている。そして、(1階の)毎日の掃除は娘がし、洗濯と料理は私が受け持つというようにうまい具合に役割分担できている。

ただし、献立を考えるのは娘である。
かつてティッシュを手放せないほど鼻をかんでいた婿は、家を清潔に保つことにより見事に治った。その上に「D」や「E」だった健康評価を「A」にした知子である。

今度は両親こそ健康になってもらいたいと毎日の献立を立ててくれている。(^−^)
そして、6月末より夜は娘が孫と一緒に寝るようになった。
夜は娘をゆっくり寝させてやりたいと思って、それまで孫と一緒に寝ていたが、スー先生のアドバイスもあって私はマイベッドに戻った。この半年間に私が自分のベッドで寝たのは2ヶ月間足らずだった。

3月30日、夫が会社帰りに孫を引き取って来た時は孫にも異変が現れていた。笑わなくなっていて、幼児らしい表情に戻ったのは3日目だった。

今の知子を見ていると、あの時の知子とは別人のようだ。
9日に一目見て気に入って買い求めた洋服は、私の想像していた通り知子によく似合った。知子もそのことを喜び、忘れていた若い女性らしい気持ちを思い出したようだ。


実は去年のちょうど同じ日に、知子たち家族は1歳になったばかりの幸悠と共に淡路島へ行ったのだった。
今朝早く一人で浜辺を散歩していた知子の胸中に去来したものは何だったんだろう。
私は部屋の窓から祈りながら娘の姿を見つめていた。


「人は信頼していた人から裏切られ続けた時、心身の健康が見事に破壊されてしまう。
この旅行で、神さまが短期間で驚異的な癒しの奇跡を起こして下さっていたことが改めてわかった。」


知子がしみじみと語った言葉である。



posted by 優子 at 21:52| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年07月18日

聖書と生命倫理E ―2人称の視点で脳死を考える―

柳田邦男氏は『「犠牲」への手紙』で、河合隼雄さんとの会話で次のように話している。

今までの脳死論は「2人称」の視点が欠けていた。
他人事ですませることのできる「3人称」の視点より、死にゆく人とかけがえのない関係性をもっている「2人称」の視点の方がはるかに重要であるにもかかわらず、その立場の人は無視されていた。

人生を分かちあった肉親としてその肌に触れ、会話をしているというのは、頭の脳だけを相手にしてしゃべっているんじゃない。
体全体でしゃべっているわけで、向こうはいまやボディ・ランゲージしかないんですね。
   
        (略)

科学でわり切れないものを人間は持っている。それがいのちの精神性の側面であったり、「2人称」という人間の関係性の中でのいのち。

・・・脳死を判定するのは科学だけれど、人の死を決めるのは科学ではない。それを移植医などが脳死は人の死で科学的事実だと主張するから、僕は腹が立つんです。人の死というのは科学で割り切れるのかとね。

じゃあ、どうするんだといわれたら、「死は曖昧なもの」じゃないかといいたい。人間はだんだん死んでいくんだから、どこで死んだことにするかは幅のある決め方にしようと。

人はそれぞれの死生観に応じて、脳死で死としてもよいし、心停止まで待ってもよいという幅のある形で選択可能にしておくのが妥当な現実的解決策だと僕は主張しているんです。

そういうファジーなものを認めるのが21世紀じゃないかな。20世紀というのは18世紀以来の西洋合理主義で全てを一本線で引こうとした。そこでとんでもない不幸がでてきていると僕は思っているんです。

柳田さんは最愛の息子、洋二郎さんが25歳で自殺し、意識が戻らないまま11日間の脳死状態を経験された。経験した者でしか感じることのできない脳死論は重く響く。

生命倫理のテーマから逸れるが、柳田さんの精神界に共感するところが多く、引き続いて著作集を開いてみたい作家である。

「死ぬことによって、はじめてその人間がどんな内実を持った人生を送ったのかとか、どのように生きたのかということが、やっと理解できてくる」

「(今の)時代は根源的なものが見えるから心を病む状態になるのか、それとも、心を病むから根源的なものが見えてくるのか・・・」

「人生の影の部分、闇の部分をどのように受け入れ、どのようにそれらを豊かさとするのか、これからも悩んでいくことと思う」


尚、2007年2月26日から3月3日〈カテゴリ「掲載文(神・文学)」〉に掲載している「私にとって書くということ」の中で、『犠牲』と柳田邦男氏のことを取り上げている。


posted by 優子 at 06:41| 大阪 ☁| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2009年07月17日

聖書と生命倫理D ―脳死と臓器移植の問題A―

脳死問題が浮上したのは、1968(1967年?)に南ア共和国で世界初の心臓移植手術が行われたことに始まる。
脳死には世界の主流になっている「全脳死説」と「脳幹死説」があり、それらは植物状態(何と言う非情な表現であろう)と異にする。

なぜ脳死が問題になるのかと言えば、脳が死ねば(必ず)近いうちに身体全体が死に、それまでの時間を利用して臓器を摘出されるのではないかということだ。

「(必ず)」としたのは、脳死を宣告された人が生き返ったという事実があるからだ。
少なくとも、人工呼吸器で生かされていれば身体は温かく爪も伸びるのである。従来の心臓死ならば人工呼吸器をつけようとも身体は冷たくなり死後硬直が始まるのだ。

このことからも明白なように、「まもなく死ぬ」ということと「既に死んでいる」ということは断じて同じではないのである。
延命医療が死を延期させてその人の「死ぬ権利」を奪ってはならないのと同様に、私は脳死の概念を法制化して人工的に死を早めてはならないと考える。

前世紀後半から始まった著しい医療技術の進歩は、我々に人間の自由と責任の問題を提示しているのである。


移植を待つ人の気持ちはその立場にならないとわからないだろう。昨日の記事に吐露したように、移植により日常生活ができるようになった人を見れば考えも揺れ動く。

我々は現象面に惑わされてはいけないと承知しつつも、現況に右往左往し感情的に反応してしまうお互いであり、これが人間の実相である。しかし、これほどに重要なことを感情で決定してはいけないのである。

脳死を人の死と容認するか否かについては、欧米と日本の死生観と人間観の相違というだけではなく、個人の価値判断と信仰的判断が深く関わってくる問題である。

脳死を容認すれば、臓器売買の問題、分配の問題(機会均等にできるかどうか)、費用の問題(膨大なお金がかかるので富める者だけが移植可能なのか)など多くの問題が生じてくる。
しかも、臓器移植をしたために命を縮めてしまった例は枚挙に暇がないという。

これらの問題は、この時代に生かされているクリスチャンのキリスト教信仰への挑戦でもある。
我々は個人的に、また、教会としての見解を表明する準備があるのだろうか?余りにも無関心であり無知ではないだろうか。
生命倫理の問題だけではなく、何事も社会に目を向けたリーダーの養成が求められよう。

大病院の細かく専門的に分科した医療現場を見ていると、もはや身体全体を診るというよりも、医師は臓器だけをているように思えてならない。

彼らは各臓器の専門家であり、命を命として見るのではなく、機械の部品と見る考え方を基盤にしていることが見てとれる。
そんな中にも心ある医師が居られることは個人的喜びに留まらず、医療全体に対する信頼と希望に繋がっていくだろう。

* 一昨日から表示することにした天気は当てにならない。
 昨日は出ていないし、今日は「曇りのち雨」なのに「晴れ」になっている。大阪も同じだというのに!



posted by 優子 at 16:45| 大阪 ☁| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2009年07月16日

聖書と生命倫理C ―脳死と臓器移植の問題@―

13日に「脳死は人の死」とする臓器移植法改正案が参議院で可決・成立した。そこで、シリーズで重ねている生命倫理の問題を臓器移植の観点から考えてみたい。

読書会に入っていなかったら出会わなかったであろう本に、帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)の『臓器農場』(1993年5月発行)がある。まず、この作品から臓器移植の問題を考えてみたいと思う。
著者は1947年生まれ、東京大学文学部仏文科卒業後TBSに勤務。2年後に退職し、九州大学医学部に学び精神科医となり、その傍らで執筆活動に励んでいる人だ。

新任看護婦の規子がふと耳にした「無脳症児」。
『臓器農場』のタイトルから想像させることが病院の中で起こっていた。臓器移植に必要な臓器を得るためにわざと無脳症児を生まれさせていたのである。

この作品は作者の温かい人間性を感じるものであった。本文から印象的な箇所をいくつか抜粋してみたい。
★「命は脳にあるのではなく、全体にあるのです。考えることや感じることはできなくても、命はあります。」・・・
それは藤野茂の存在と生き方に輝くいのちを感じるのと同じことかもしれない。

★ヒトの妊娠4週目に大量のビタミンAを経口で与えるか、注射で投与すれば、確実に無脳症児ができることになる。(*サリドマイド児のそれと同じだ)

★臓器移植でしか助からない子供がおり、供給源となるドナーが絶対的に不足する限り、無脳症児が産みおとされて、部品の交換のように移植に使われる可能性は決して消えていないのだ。
狂気じみた研究心と金欲と名誉欲が、治療という旗をかざして無脳症児に襲いかかるうちは―。

次に出席者の読後感の中からいくつかご紹介したい。

★希望の中にはニセモノとホンモノがある。臓器移植については賛成も反対でもないが、これは赤ちゃんの臓器であり親のエゴがある。
人間は天命で生きていくのがいいのではないか。それ以上すると自分や社会など、しわ寄せがどこかにいく。

★どこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションかわからないが、現代医学の発達の恐ろしさを感じ、このような話もあり得るのではないかという推測のもとで読んでいった。
自分の研究のためにはどこまでもするところなど、オドロオドロの医学界の内幕を覗かしてもらった感じがした。

★研究欲と名誉欲の前には倫理観など吹っ飛んでしまう医者。今の科学が恐ろしい。結局は人間も養殖の魚みたいに感じた。

★「そんなことあるわけないわ」と思ってずっと読んでいた。
藤野はどの程度かわからないにしても障害を持っているのによくやっているのは、やはり作り物だと思った。

★最も怖いのは、医学がお金や名誉、功名心のために暴走することだ。去木優子さんが「本音が汚いほど建前が立派や」と言っているが、本当にその通りだと思う。

★大衆小説の書き方は" then and then "(それから、それから)で筋書きを追いかけていくやり方であり、直木賞作家はそのような傾向があると聞いている。
芥川賞の選考基準は人生について" why and why "(どうして、どうして)と何故を追求していく書き方である。
この作者は仏文学をやり医者になった人であり、命を軽視する向きの作品のように感じた。

★解説者が書いているように、作者の人間に対する深い愛情が滲み出ていると感じた。
障害があるのにうまくやりこなした藤野茂さんに矛盾を感じるが、作者の弱者への応援とも感じた。現代医学の難しさを考えさせられた。


この読書会は母が亡くなる7ヶ月前の1996年3月であった。
この頃、難病末期にあった母の苦しみに寄り添いながら延命医療について考え、私なりの考えが出ていた時である。

しかし、臓器移植については今も勉強不足のままで初歩的な疑問も残ったままである。神学的には移植をどう考えるのか、ご意見をお聞きかせ頂ければありがたい。

キリスト者は生を「賜物(gift)」と考えるので、どんなことがあっても延命するということに反対する。
また、脳死の基準は人間を知的な観点だけで判断することであるから、人間が「神の子」であるというキリスト教価値観を疎かにする。

ではなぜ、キリスト教国といわれている欧米で臓器移植が盛んなのか。今もそのことがわからなくて知りたいのだ。

聖書では、肉体は魂が宿る器であり、「死は魂が肉体を離れた時」と考えられる。
では、その器であるならば交換可能な部品になるのか。医学的にはそのような理屈になる。
そして、その同じ延長線上で、命がギフト(賜物)であるから自分に必要がなくなれば使ってもらおうという考え方なのだろうか。

臓器移植については自分の問題として熟慮したとはいえない段階だが、まずもって脳死を人の死とすることは反対であるから臓器移植は反対の立場になる。
しかしながら、移植したことで実際に助けられた人を目撃すると、自分なりに持っている倫理観が揺れ動くのである。

いずれにしてもあまりに死を延期させる延命医療と同じく、脳死状態という医学の進歩が神の支配権を侵していると思えてならないし、『臓器農場』が全くのフィクションであるとも思ってはいない。




posted by 優子 at 06:22| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2009年07月15日

ニューヨークの写真がアップされた

6月から8月下旬までIMFで働いている次女夫婦は、夜や休日には研究をこなしながらの多忙な日々。ニューヨークのお土産話も帰国してからのお楽しみになっている。

そんなわけで、ワシントンに行ってからのメールでも一つ二つのエピソードに触れているだけだ。

例えばIMFの職場では金曜日は「カジュアルフライデー」と言って、スーツではなくカジュアルな服装でもいいということと、IMFの隣りにある世界銀行のレストランではランチメニューがあり、先週は研究の一区切りを通過した打ち上げに豪華な昼食を囲んだことくらいである。

「ホテル並みでおいしかった!」と書いてあったほのぼのトピックを読んで、私は2人のシルエットを思い浮かべて微笑んでいた。しかし、平日のランチに2500円とはリッチなメニューだ。

さて、今回届いたメールではNYC(ニューヨーク シティー)での写真の一部をUPしたとのこと。画面右にある「お気に入りリンク」の「真智子のギャラリー」で見ることができる。

その中のメトロポリタン ミュジアムの写真では、背景の絵画からヨーロッパを旅しているようだ。
" Grand Central Oyster Bar "とは、グランドセントラル駅構内にある有名な生牡蠣を食べさせるバーだと思う。ずっと以前にFMラジオで毎晩聞いていた「ジェットストリーム」で、城達也さんが話していたのを思い出した。
9.11爆心地前のトリニティ教会にも訪れていた!
タイムズスクェアは毎朝の経済ニュースで見る景色だ。世界貿易センターにウォール街・・など43枚が公開されている。

ワシントン生活も残すところ1ヶ月余りとなった。
引き続いて神により霊肉が守られて十分に励むことができるように祈っている。私はマチ・クマにも励まされて倍速で意欲回復中。それぞれの人生のそれぞれの人生の段階を精一杯生きよう!手(チョキ)

*今日の記事から当地の天気も表示するようにした。(記事の最後の " posted ")
 当地は一駅隣りに行くまでに大阪府との県境があるので、大阪生まれで大阪育ちの私にはやはり大阪なのだ。




posted by 優子 at 08:46| 大阪 ☀| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年07月14日

「孔舎衙健康道場そのものが『パンドラの匣』だったような気がする」

今秋10月10日にテアトル新宿を皮切りに全国で順次ロードショーされる『パンドラの匣』の公式サイトがある。数日前に見つけたところだった。
その予告動画では道場内の雰囲気は資料に忠実だったが、「やっとるか」、「やっとるぞ」、「がんばれよ」、「ようしきた」という挨拶表現は、私の印象とはいささか違っていた。

本の刊行と共に秋が待ち遠しくなっていた今日、映画館で配布されているチラシと映画制作に関する冊子を浅田高明先生が送って下さった。

冊子には富永晶敬監督の話、出演者の紹介、裏話などが書かれてあり、浅田先生も4ページに渡って執筆されている。

「いずれにしても私には、孔舎衙健康道場そのものが『パンドラの匣』だったような気がする。」

これを読んだ時、文学的にというだけではなく、先生がこれまで歩んでこられた結晶、真に生きた者だけが見出せる真理と出会った喜びが私の体内にも流れ込んでくるのを感じた。


そのことを書き留めておきたくて走り書きした。
先生にお礼を申し上げるよりも先にブログに向かってしまったので、今からお礼メールを書こう。

posted by 優子 at 22:31| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年07月12日

私にも「確かに主が働いておられる」と教えられて

       青春            
                 サムエル・ウルマン作 

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地に這い、
精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。

君にも我にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。
人から神から美、希望、喜び、勇気、力の霊感を受ける限り
君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲嘆の氷にとざされるとき、
20歳であとうと人は老いる。
頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已(や)む。

昨日、微かにサムエル・ウルマンの詩が脳裡に浮かんだ。2007年9月19日でもご紹介した私の大好きな詩だ。

9日の朝早くに届いたメールの背後に、主の熱い眼差しを感じた。
友は8日の記事をお読みになって励ましを送って下さったのだと直感し、詩を口ずさんだのだと思う。
ブログの文章を読ませていただき、関西のクリペンの中にこれほど書かれている方がいらっしゃるのだとうれしく、心強く感じました。
「私にとって書くということは神の前で自己確認するためでもあるから、他者には雑文で価値が無くても私自身は雑文を書いている意識は無い。
仮に誰にも読んでもらえなくても書き続けるだろうし、勿論、読んで下さっていることが大きな励ましになっているのは言うまでも無いことだ」
とお書きになっていますが、まさにそういう意識が必要だなあ、と心うたれました。

友の優しいご配慮を強く感じた。
この方は日本クリスチャンペンクラブの同志であり、お名前は『百万人の福音』で存じ上げているが面識はない。

私は常々、ブログのコメント欄自体に現代の精神性が現れているように感じており、その私がメールから励ましのコメントを刻ませて頂くのは甘えの骨頂をいくように思う。

しかし、苦境の時には慰めと励ましがありがたく必要だ。私はこのことを素直に感謝して喜ぼうと思う。なぜなら、神が私に望んでおられるところに堅く立っていたいから。
「証しが全く書けなくて」と言われますが、
証し文章、ブログで書かれているではありませんか。
辛い状況の中で書かれている文章を読んで、確かに主が働いておられることを感じ、励まされています。

昨日(8日)もフラフラになって帰宅して
食事する気力もなく、パソコンを開いてブログを見ると
本当にタイムリーのメッセージでした。

心労が重なる中で
優子さんがこうやって「書くこと」を続けておられることは
私にとっても大きな励みです!!

あかし文章が書けないのは、気にされなくていいでしょう。
関西ペンの声に、いい文章を書いておられましたから。・・・

ブログは優子さんの作品集です。
自信を持って書いてください。
楽しみにしています。

祖母の大役をいただいた優子さんも、弱ってなんかいられませんよ。老いてもいられませんよ。

全くそのとおりだ!
「理想を失うとき初めて老いる。」
私は神さまから頂いているビジョンを見失いそうになっていた。
読書や思索も全ての意欲をなくしてしまっていたが、命ある限り積極的に生きていきたい。
さあ、立ち上がれ!
神さまの事が成るという信仰を奮い立たせて歩いて行こう!
この一刻一刻が何にも変えがたい命の日々。

ああ主よ、主を信じる人々に、そして、あなたをご存じない善良に生きる人々に神の豊かな恵みと導きがあるように!
ありがとう クマさん.png


posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2009年07月11日

孫は2歳になった!

「私は、あなた(神)のなさったすべてのことに思いを巡らし、
あなたのみわざを、静かに考えよう。」
  
(詩篇77篇12節)
   
孫が2歳を迎えるにあたり、このみことばが昨夜から心に示されている。
私は両親が亡くなってから、毎日がかけがえのない日々であることを実感して生きるようになった。
毎日繰り返される日常がとてつもなく尊く大切なことの連続であり、しかも、この日々はいつまでも続かず、いつかは死をもって終わるのである。それゆえにこれからも主に在って喜んで生きていきたいと思うのである。

孫が神の御手の中で幸いな人生を歩むように切に祈っている。

これは6月7日のスナップ。何度か行っている生駒の保育園で。

2009.6.7.jpg

これは昨日のユキ。
キーボックスについている電話音に反応する私を面白がって、何度も何度もリピートするから疲れる〜〜〜。ふらふら

2009.7.10.jpg

同じ日、お友達のお人形と遊ぶユキ。
この人形は6年ほど前に読書会の帰りに小阪(東大阪)で買ったもの。当時、真智子は東京住まいで、知子も泉大津で一人住まいすることになり寂しくて買った。

2009.7.10A.jpg

人形の名前は、知子の「と」と真智子の「ま」をとって「トマちゃん」とつけた。人形の顔にまつげを書いたけれど、書かないほうがよかった。

ある時、人形を抱いている私の姿を見た知子は、私が痴呆になってしまったのかと思ってギョッとしたことがあった。
ユキが人形の手をとって、電話音や歌のメロディーボタンを押して遊んでいたのを見て、人間の開花していく知能に感激した。


そして、以下は2歳の誕生日を迎えた今日のユキだ。
これはユキの「いいお顔」である。

2歳のバースデー@.jpg

お昼ごはんのあとは、ユキよりも祖父母が楽しみにしていたケーキ。
ケーキの絵や写真を見ると「ばあ!」(おばあちゃんが大好きなもの!)と言われてしまうほどだ。(私は高脂血症の自覚があるのか?!)

「ハッピー・バースデー」を歌ってロウソクの灯を消した。それが面白くて何度もリピートさせられたが3度目で終わりにしてもらった。知子の2歳の誕生日では6回まで要望に応えていた。

次はおじいちゃんに三輪車を組立ててもらっているところ。今どきの三輪車は組立て式である。
できあがるのを待たずに、午後は先週に続いてママと2人で教会へ行った。香芝ゴスペルチャーチでは日曜日のCS(教会学校)は土曜日に開かれている。

2歳のバースデーC.jpg

根気のあるおじいちゃんは2時間近くかけて組立ててくれ、教会から帰ってきたら三輪車ができあがっていた!
孫の身長は88センチで2歳半並みだから、そう長くは乗られないだろう。

2歳のバースデーB.jpg

左後ろにチャッピーが見える。
そこに置いてある植木鉢のアサガオの葉は丸裸で、虫がいるのかと何度も見ているがいない。そして、数日前に原因がわかった。犯人はチャッピーだった!
チャッピーがアサガオの葉をおいしそうに食べていた!

夕食は、知子の「食べ初め」の時に両親が誂(あつら)えてくれた祝い膳を使った。

2歳のバースデーA.jpg

これは女の子用なので男の子用は色が逆さまで、お椀やお膳の外側が赤く内側が黒い。
私は父母を偲びつつ遠い日々を瞼に浮かべていた。父と母の肉体は果ててしまったのに物が残っているなんて不思議だ・・・

私に似てお赤飯が大好きなユキである。
ついでながらユキの大好物は、トマト、オクラ、スイカ、桃、バナナ、ミルク、ベビーボーロ・・・ここに来てからジュースやケーキなども大好きになってしまった(>_<)。

スイカを「クウカ」と言うので、「食うか?」に聞こえて困る。
スイカに限らず、言えない言葉は「クウカ」である。「おじいちゃんはどこへ行ったの?」と聞くと「クウカ(会社)」と言うぐあいに。
現在で9玉目のスイカ(3L)を食べている。これは4人家族だった時のペースである。

4月初めには37.5キロにまでなってしまった知子が45キロになったのはいいが、暴食していないのに3ヶ月間で8キロも増えてしまい、摂食障害かもしれないと不安がっている。

しかし、体力も備わり、主に在って強歩のウォーキングを課して励んでいる。そのことも祈って委ねればいいのだ。

ユキは食前のお祈りだけではなく一品ずつ祈れと求めてくる。
いつも大きな声で「あっ!あっ!あっ!」と叫んでストップをかけるので困る。私たちはその都度祈らねばならない。

一日3食、おやつを入れて4〜5回ではなく、一日に10回は食前の祈りを祈らされる実に感謝な日々である。

デザートの時も勿論である。
「またお祈りせなあかんのか?さっきのお祈りはデザートの分も入っているのに」とおじいちゃん。
「今度は誰がお祈りするの?」と聞くと、「じい」や「ばあ」、また「ママ」などと、うまい具合いに平等に指名する。

感謝なことに今日はおじいちゃんもママも感動の篤きお祈りだった!(^−^)
「はや2歳にして 負うた子に みちびかれ」(字数めちゃくちゃ)

「求めよ さらば与えられん。」


posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

歌舞伎でシェイクスピア喜劇・『NINAGAWA 十二夜』

昨日は道頓堀の松竹座へ菊五郎一座のシェイクスピア喜劇を観劇した。
この前来たばかりの高島屋だが、せっかく難波(なんば)へ出たのだからと苦手な服売り場を回った。そのうちに自分の服は諦めて娘たちのことを想いながら歩いた。

しかし、たった1時間では落ち着いて買い物はできなかった。
諦めかけた時にマネキンに着せてあるワンピースを一目見て気に入った。真智子よりも年上の知子に似合うだろう。しかも幸運なことに、その店では新柄の服もその日から半額に再値下げになっていた!
知子は喜ぶだろうか。
きっとよく似合うに違いない。
私は娘の喜ぶ顔を想いながらプレゼント用に包装してもらった。

そして、大急ぎでお弁当を買ってデパートを出た。
戎橋筋では孫に甚平さんを買って、夫と待ち合わせている松竹座前へ急いだ。夫は10分ほど遅れてやって来た。心斎橋から歩いてきたらしく暑そうだった。

松竹座7月の大歌舞伎の演目は『NINAGAWA 十二夜』で、シェイクスピアのロマンティックコメディを蜷川幸雄が歌舞伎に演出したものである。

シェイクスピア悲劇の最高峰が『リア王』で、『十二夜』は喜劇の最高峰と言われているが、私は未だ原作を読んでいない。ふらふら
『リア王』についてはカテゴリ「掲載文(神・文学)」で2006年3月2日から8日まで7回連続で掲載している。「『リア王』は悲劇か ―リアの生涯を考える―」は、情熱的に書き上げた忘れられぬ作品の一つである。

ところで、「十二夜」とはクリスマスから数えて12日目の意味で、東方から御子イエスのもとに馳せ参じた3人の博士が到着した日とのこと、幕が上がると子供達にクリスマスキャロルを歌わせていた。
無知な私は内容とタイトルが合致せず、そのあたりを知りたい気持ちがあるので意欲が出てきたかなと嬉しくもある。

歌舞伎では、双子の兄セバスチャンが斯波主膳之助(しばしゅぜんのすけ)、妹ヴァイオラが琵琶姫で、琵琶姫が男装したシザーリオを獅子丸、この3役を尾上菊之助(31歳)が早代わりで演じた。

面白かったのはオリヴィア姫の侍女・マライアを演じる麻阿(まあ)役の市川亀治郎だった。今回は夫もゲラゲラ笑って最後まで居眠らなかった。

心に残る人物は菊五郎演じる捨助(原作ではフェステ)だ。
『リア王』にも出て来た「道化(fool)」である。これは阿呆な阿呆ではなくて、利口な阿呆だ。知者の究極である。
私はいつしか「賢けりゃ馬鹿になれ」と言っていた母の言葉を思い出しながら見ていた。


『NINAGAWA 十二夜』は今年3月に本場ロンドンでも好評を博したそうだ。共に400年の歴史を有する歌舞伎とシェイクスピアのコラボレーションである。

翻訳物を歌舞伎の決め事の中で表現するというのは、演出家にとっても役者にとっても大きな挑戦だ。原作に無かったものを付け加えたところもあるらしいが、意欲的でない今の私にはその新しいチャレンジに感銘を受けた。

「これは歌舞伎に新劇が加わったようなものやな」と70歳くらいのご婦人方が話しておられたが、私たち夫婦は「今日のは日本語でよくわかったね」と笑っていた。
しかし、言葉が現代語でなくて理解困難であっても私は古典的な純歌舞伎がいい。

芝居は良い気分転換になる。
そして、シェイクスピアの世界が懐かしく、もう一度寝食忘れて打ち込む日々を過ごしてみたいと思った。

ずっと知子のことが気になっていたが、私たちが夕食を頂き始めた5時半頃、知子は両手にチャッピーとユキを連れて一匹と一人の散歩に出ていたそうだ。お蔭で帰宅してからチャックンの散歩に行かなくていいので助かった。

知子は買ってやった服をとても喜んでくれた。


posted by 優子 at 23:18| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年07月09日

我がブログ人気記事ベスト4!

毎朝前日のアクセス数とアクセス先を見るのが日課になっている。春の頃より「国際平和協会」(http://jaip.kitaguni.tv/e871672.html)からのアクセス数が多くなっており、今朝もそこから訪問して下さっていた。関心を持って下さっている内容は賀川豊彦である。

『国際平和協会』ブログの3月2日付け記事には私のブログが紹介されている。今読み直しても嬉しく励ましを感じるのでその部分だけ転載して記録させて頂こうと思う。
2009年03月02日
賀川豊彦関連ブログ
 日々、ネットで「賀川豊彦」を検索して賀川関連のブログを探し始めて3カ月が経つ。こころなしか賀川に感心を持つ人が増えているような気がする。2月は「メメント ドミニ」が4回続きで賀川と取り上げている。7−9日は神戸大学主催のシンポジウムでバングラデシュのユヌス氏が来日する。講演会のチケットはすでに「完売」(もちろん無料だが)、事務局はうれしい悲鳴をあげている。・・・・

2009年02月26日 賀川豊彦の人物を描いた作品 高原幸男のブログ
2009年02月18日 「勝利者 賀川」" conqueror Kagawa "  メメント ドミニ
2009年02月16日 賀川豊彦の遺書 メメント ドミニ
2009年02月15日 賀川豊彦に学ぶ社会的正義 メメント ドミニ
2009年02月12日 我が魂に賀川豊彦の春一番が吹いた! メメント ドミニ
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ついでながら過去ログでよくアクセスがあるのは、野崎観音がキリシタンの寺であったことをご紹介した記事と、ハレルヤコーラスについても根強い人気がある。

そして、何と言っても2009年上半期のベスト1は、太宰治著『パンドラの匣(はこ)』の舞台が孔舎衙(くさか)健康道場だったことを取り上げた記事である
今年6月に太宰生誕100年を迎えたこともあり毎日のようにアクセスがある。

そのことを発掘された浅田先生のご協力とお励ましによって書かせて頂いた拙文が、今秋刊行される『河内文化のおもちゃ箱』に掲載される。ちなみに、野崎観音がキリシタンの寺であったことを発掘された神田牧師も「戦国時代の河内キリシタン」について書いておられる。

その後ご無沙汰しているが、浅田先生はお元気でお過ごしだろうか。
パンドラ関係のページへのアクセスを見るたびに先生に想いを馳せて神の守りをお祈りしている。

5日に蝉の初鳴きを聞いてから耳にすることはなかったが、今朝はアブラゼミではなく夏の初めからクマゼミが鳴いていた。
蝉が命を燃やしている間に私の情熱をもう一度燃え上がらせたいと思う。

posted by 優子 at 10:22| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

今もまた神による恵みの日々

「束縛があるからこそ私は高く飛べる。
 悲しみがあるからこそ私は高く舞い上がれる。
 逆境があるからこそ私は走れる。
 涙があるからこそ私は前に進める。」

                
                   (ガンジー)

確かにそうだ。
試練があるから謙虚にさせられて神に引き寄せられ、生きる意味を再確認させられる。我々は試練が無ければ人生の意味を見出すことも人生を深く味わうこともできないであろう。

かつての記事でも「真空の鳩」を取り上げたことを憶えているが、私は苦境の時にいつもカントの鳩を思い出すのである。

カントは『純粋理性批判』の序文で、「まるで軽やかな鳩が空気の中を抵抗なく自由に飛び回れるようになると、真空の中ならもっと楽に飛べるのではと想像するようなものである。」と述べている。

私もできることならば苦痛を取り去ってほしいと思うけれど、鳩が真空の中では飛べないように、この苦痛がなければ私の人格が養われないし歓喜を味わうこともできない。そして、歓喜に至る今こそが忍耐が練られる時である。

このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。
なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
そして、希望は失望に終ることはない。
なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである

       
              (ロマ書5章1節〜4節)  

ある友から「ブログがんばって書いて下さい」と言われて素直に励ましを感じていたのだが、「よう書くなあと思うこともあるよ・・嫌味と違うよ」と笑われて、「なあんだ皮肉を言われていたのか」とガッカリした。

しかし、私にとって書くということは神の前で自己確認するためでもあるから、他者には雑文で価値が無くても私自身は雑文を書いている意識は無い。
仮に誰にも読んでもらえなくても書き続けるだろうし、勿論、読んで下さっていることが大きな励ましになっているのは言うまでも無いことだ。

状況が落ち着いた6月に入ってから今もまだ筆が重くブログの空白が目立つ。決して超多忙なわけではなく、やはり気持ちが重いのである。

しかしまた、今のこの時も懐かしい日々になるであろうから愛おしく大切に生きている。苦しいけれど心安らかに神に期待し希望を持って生きているのである。これは私の信仰告白だ


今はまだのびのびと私らしく生きることはできていない。
しかし、こういう時があってもいい、こういう私も私なのだ。
ただし、生来怠惰な人間だけに、怠けで転落していかないようにとの心配を感じ始めているので、自治会の責務が助けにもなっている。

カントが「真空の鳩」を例話に出して批判したプラトンと違って私には神の恵みがある。
「自分の拠り所とし、自分の支えとし、知性を働かせるための足場とすべき」神の言葉が与えられている。
神より日々聖霊を頂いて後半の旅を続けよう。私でしか生きられぬ人生を生きるために。

posted by 優子 at 17:35| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

蝉の声に励まされて新しい季節を生きよう

電線に鶯は似合わない。
自宅周辺にはそれくらい鶯があちこちで鳴いている。
国定公園内という恵まれた環境だからだろうか、今朝も洗濯物を干していると庭の木にとまって大きな声で鳴いて、私の10センチほど目の前を飛んでいった。毎年8月の初め頃まで楽しませてくれる。

そして、孫を寝させていたら蝉が鳴きだした。いよいよ夏本番である。
当地に住むようになって、羽化しかけの蝉を朝早く何度か見たことがある。羽は美しく透き通り、身体は柔らかそうで、まさに全能なる神の手による神秘の世界だ。

蝉は7年もの間土の中で待ち、ようやく地上に出てくるという。
それなのに、「今朝、もうやられていたのを見た」と夫が言った。蝉が鳥に食べられて羽だけが落ちていたのだ。
生まれて直ぐに食べられて、一度も鳴かずに死んでしまったのだろう。かわいそうに、それも運命なのか・・・。

夫は悲運な蝉の話をして自動車のハンドルに手をやり、正午から開かれる集いのためにリーガロイヤルホテルに向かった。

美濃紙業の大のお得意先の一つである新興出版啓林館の代表取締役会長が、文部大臣から旭日中綬章を受章された記念の集いにお招きを受けていた。

教科書関係の諸団体で理事や理事長を歴任され、教科書業界と教育界の発展に功績を残されての受賞である。娘達の結婚披露宴にも御臨席頂いた方だ。

私は長女と孫と一緒に祝会を終えた夫と高島屋で待ち合わせた。11日に2歳の誕生日を迎える孫に何か買ってやりたくて、娘と共に買い物する幸せなひと時を過ごした。
娘の妊娠出産の時も娘とはずっとギクシャクした関係だったから、これが私の夢みていたシーンだったことさえ忘れていた。難病になる前の母と、デパートやロイヤルホテルで待ち合わせて買い物を楽しんだように。


デパートはちょうど夏のバーゲンセール中で幸運だった。
知子は自分の服よりも子供の服を買ってもらうのが嬉しいと、すっかり一人前の母親になっていた。
嬉々として子供の服や靴を選ぶ娘の姿と、大喜びして何度も感謝してくれる笑顔は私たち夫婦の親心を満たしてくれた。

娘にも買ってやりたかったけれど孫がいるから諦めた。
「自分の服は全く欲しくない」と言った時の娘の表情は一瞬曇ったが、若い女性なんだからオシャレを楽しんで欲しい。私のようにオシャレ心のない女性はだめだ。
娘がおねだりすれば私よりも夫(父親)の方が大喜びで買ってやるに違いない。私はそんな光景を見るのが楽しみなのかもしれない。

「今日は本当に楽しかった!おやすみなさい」と言って2階へ上がっていった知子。食卓には今日買ってやったものがきれいに並べてあった。


梅雨が明ければ夏本番でしんどい季節だが、今朝の蝉の声は遠い日々への懐かしさと明日への意欲的な気持ちを抱かせた。

知子、新しい季節を生きよう。


posted by 優子 at 23:58| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

Wake up my glory.

半月ほど前から全ての意欲が失せて仮死状態になっていた私は、家庭集会の記録さえ筆が重くなっていたので重症だとわかった。
昨日の記事は一日遅れで昨夜遅くから書き始めたのだが、日付けが変わる頃には魂に酸素が届き始めたように言葉が出てきた。書き終えたのは午前1時を過ぎていた。
(そのような時は更新時間を「23:59」にし、実際に「23:59」に書き上げた時には「23:58」にしてアップしている。)

そして今、昨夜は3時間少しの睡眠時間にも関わらず、昨夜の記事を推敲しながら魂が力強く回復していくのがわかった。そして、泉のように中から溢れてくる思いを言葉にしたくて続けて書いている。

ダビデも魂がうなだれて誘惑に陥りやすい時に「目覚めよ、わが栄よ!」(詩篇58篇)と祈った。
これまでの半生においても苦悩に押しつぶされそうになった時、この祈りによって何度支えられてきたことだろうか。

私の誉れよ、我が栄えよ、私の内にある最上最高のものよ、目覚めよ!と自らを励まし、神への祈りへと導かれてきた。一切を神に委ねて、心安く神の御手の内に生きていくのだと。

この一ヶ月間、私の魂はうなだれて重苦しい時間を過ごしていたが、今再び神に向かって力強く讃美しよう。

自作の曲の全てに「ただ神の栄光のために」とサインしたバッハ。
私の思いもバッハの思いに通じるように思えて、大作曲家バッハを身近に感じる。

わが魂はもだしてただ神をまつ。わが望みは神から来るからである。
神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない。
わが救とわが誉とは神にある。神はわが力の岩、わが避け所である。
民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。
そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。

            
                詩篇62篇5〜8節

posted by 優子 at 11:35| 随想 | 更新情報をチェックする