2009年09月29日

マチとクマ、明日、日本着陸!私も諸事多忙。

次女夫婦はもうアメリカを発ったであろうか。
29日に出発すると言っていたので14時間の自差を引き算して考えるのだが、何が何やらわからなくなってしまう。
とにかくこちらはもう29日は終わる。30日に到着するということは自差があろうとも、とにかく30日なのだから明日なのだ。

今回は何便の飛行機に乗ってくるのか、離陸時間も到着時間も一切聞くことなく帰国日になってしまった。

こちらも再会するまで多忙である。
1日には自治会主催で地域福祉推進委員会と班長会合同の会合がある。会長だけではなく私もいくつかのパートを受け持っている。
春に続いて18日に予定している秋の一斉清掃のことや、高齢者や障害のある方々のことで話さねばならないし、その夜のうちに議事録を仕上げてしまわねば娘夫婦を迎える準備ができなくなる。

先週から『河内文化のおもちゃ箱』が校正の段階に入り動きがある。
今日はお世話下さっているK氏からお電話を頂戴して、先週末にお送りした校正後の原稿についてやりとりした。
気になっていた写真についても、人物だけを拡大スキャンして出版社(東京は文京区本郷にある)に送って下さるとのこと。恐縮しつつも自分なりに悔いのないようにとお煩わせしている。

K氏からは掲載文に記す所属先を尋ねられた。
私は昨年の3月で20年間所属していた「東大阪読書友の会」を退会したので所属先がない。

では、今から直ぐに読書会現会長の了解を取って「読書会」と書いて頂きたい旨を申し上げたところ、K氏が「クリスチャンペンクラブ」にすればいいと仰って下さり快くお受けした。感謝!


昨年12月の執筆依頼状に記された目次を見ると、かなりの内容が凝縮されているので今から楽しみでならない。「河内の郷土文化サークルセンター」25周年記念行事はいよいよ2ヵ月後に迫ってきた。


昨日、吉祥寺キリスト集会にご依頼していた5冊の本が届いた。
ゴットホルド・ベック宣教師が書かれた『絶えず祈れ』(上・下巻)と、『実を結ぶ命』3冊である。少しの時間を利用しながら直ぐに読み始めたい。


最後に、『生かされて』の今日の記事に、私の愛唱聖句について書いておられるので一部を記録させて頂こう。
「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。(イザヤ42:3)」        
        
        (略)

いたんだ葦というのは、人間のこと。
くすぶる燈心とは、クリスチャンのことだそうです。

        (略)

わたしこそいたんだ葦であり、くすぶる燈心なのです。

でも、イエス様は、いたんだ葦を折ったり、くすぶる燈心を消したりなさいません。それどころかいたんだ葦、くすぶる燈心を用いて公義を行って下さると言われるのです。何と素晴らしいことでしょう。

        (略)

神様は、わたしたちがとうていできないことをできるようにしてくださると約束してくださいました。自分の力では不可能なことでも神様がなしてくださるのです。


信仰がためされるような出来事が起こります。忍耐が必要なことがたくさん起きてきます。あせりと恐れが沸き上がり、どうしたらよいかわからなくなってしまうことがあります。
「あなたの信仰はどこにあるのですか?」と問われたら何もいえなくなってしまうわたしです。

「信仰とは、わたしたちが神を信じることではなく、神がわたしたちを信じて下さっていること」と聞いて安心しました。
私の主イエス・キリストと文香さんに感謝!


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年09月28日

今朝の光景 

東京出張を見送る.jpg

今朝は東京へ日帰り出張するおじいちゃんを駅までお見送り。帰宅は夜11時を過ぎるだろう。
夫は一足先に真智子と東京で会えるのを密かに楽しみにしていたようだが、娘の帰国は30日である。次女の東大時代、東京出張の帰りに夕食を共にしていた父と子の光景が私にも懐かしい。

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郵便物をポストに投函するのが大好きなユキ。

帰り道はママとの散歩コースを辿って、黄色くなってきた田んぼ越しに大好きなポッポーを見る。

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その3.jpg  

「かっこいいなぁ」と喜ぶユキ。

公園で滑り台も楽しんだ。
私が前髪を切ったために「どんぐり坊や」になっちゃった。

その5.jpg

ちなみに半年前はこんなに幼かった。

画像 035.jpg

そして、家に着いたら86歳のおおばあちゃん(大きいおばあちゃん)とお砂遊び。これは10時半頃のこと、楽しくてなかなか家に入らない。「おおばあちゃん、いつまでも元気でいてね」。

その4.jpg

今も真夏のようにやぶ蚊がブンブン飛んでいたが、蝉はみんな姿を消して静まり返っていた。50代になってから、我が命にも限りがあることを感じる初秋の頃である。

さて、今の子は紙オムツで育っているのでオムツが取れるのが遅いと聞いていたが、だからと言って最初から決め付けてはいけないと何度か娘に言ったことがあった。

しかし、言葉が通じるようになったのにダメで、この夏はオムツを外せないと諦めたのだった。
ところが急に風向きが変わったのだ。何事も諦めてはならない。と言うより人生の諸場面で何度も経験するように、心がけていれば突然視界が開かれたというわけだ。

知子と真智子はウンチの方が簡単だったのに、孫は難しい方のオシッコから言い始めた。9月7日に訓練開始して翌日には100%の確立でできるようになった。

ウンチも訴えるのだがオマルに座ってもできなくて、もよおしているのにオマルが嫌で「出ない、出ない」と言って逃げていた。

そこで、私がきばる(息む)ことを教えてやったら理解し、続いてママが2〜3日の間、助産師さんのように傍について必死の介助である。まるで分娩そのものだった。(笑)

というわけで14日にはウンチもできるようになった。体得するまでの1週間は便秘気味になったが、これで万々歳である。毎回、「万歳!万歳!」と喜んでやったことも既に懐かしいエピソードである。

しかし、何と言っても排泄訓練成功の功労者はおじいちゃんである。
これに先立って、忍耐強くたびたびオマルに座らせてくれていたのである。「何十分も座らせて修行にしないでよ!」と声をかけなければならないほど、マメに気長に関わってくれていた。

朝の第一声も、会社から帰宅した瞬間も、常に「ユキちゃん、オマルでやったか?」と声をかけるオマルじいちゃんだった。

そんなわけで又従兄弟より遅れを取っていた孫は急激な進歩を遂げて、しかも早々には夜中までママを起こして教えるので嬉しいやら眠たいやら。
そこで、寝る時もオマルと共に2階へ移動することになり、私は「(オマルの)マルちゃん」と呼びたかった。

とは言え夜中に起こされたのは一回だけで、先週は就寝中に2回オムツをぬらしていた。買い置きのオムツ消費のために昼間もオムツを着けているが退行現象もない。オムツは一日一枚の消費量となった。

これを書いている今もまた、「おこっこ」と言っている。
「おしっこ」を「おこっこ」と言うので、私は何かに集中していると「コケコッコ(鶏)」と聞き流してしまうのである。

今日で2歳2ヶ月と17日。
1人でやりたくて私に関わって欲しくない時は、「おばあちゃん、パカション(へ行って!)」とパソコンを指差すユキ。
お腹がいっぱいになって満足した時や嫌になった時は、「もういいなあ〜」と言い、朝、目覚めれば童謡を歌っているかわいいユキ。1週間余り前から風邪気味ながら心身共に健やかに過ごしている。感謝!

posted by 優子 at 19:21| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

再び主の翼に乗って大空を飛びたい!

※ 28日朝9時に「近況追記」を末尾に補足した。

2日前から風邪を引き、ついに昨朝からダウンした。
受診していないが新型インフルエンザではない。熱は微熱程度で喉の痛みと頭痛としんどさで唸っていた。昨夜12時を過ぎた頃から急激に痛みが消滅してくれたので楽になった。真夜中に食べたリンゴのおいしかったこと!

今日の午前中はまだまだしんどかったのでベッドの中で聖書(ヨハネ伝)を読んでいた。みことばは病んだ肉体にも気持ちよく、今夜はお風呂にも入ってスッキリした。

しんどさに耐えていた24時間は死について考えていた。軽い風邪のしんどさでも耐え難かった私には、十分に想像力を働かすことができた。
「このような日々が続くならば何もできないし何も望まない。早く楽になりたいと思うだろう。救われていてよかった」。ただそのことだけを思った。


まだしんどかったが今朝8時に次女夫婦と短くスカイプした。
ミネソタは冬時間になり日本とはマイナス14時間の自差になっていた。
いよいよマチ・クマは日本に向かう日が近づいて来た。心身ともにハードな仕事も一つひとつこなせたようで、あとは国際会議の発表準備にかかるのみ。

二人は29日にミネソタを発ち30日から4日まで東京に滞在する。
2日から4日まで一橋大学記念講堂で開催される「Comparative Analysis of Enterprise Data (CAED) 2009 カンファレンス」では、二人が権先生と共同で行っている研究を報告するが、報告者は真智子とのこと。

「日本やのに英語でするんかいな」とは、今朝のスカイプで娘の父が娘に問うた言葉である。
夫よ、娘がどのようなグラウンドで活躍しているのか理解が乏し過ぎるではないか。しかしまあ、この父の雰囲気で娘はより一層自己の能力を発揮できるであろう。

学問を志す人が人生に誠実であるとは限らない。不純な気持ちで学位を取得する人も少なからずいるだろう。しかし、私は声を大にして言いたい。
人格こそが知識に翼を与えるのである!
知識を積み、知恵を磨きながら、日々の出来事を通して人格を磨いていくのである。

私は娘夫婦を誇りに思う。
婿にも信仰が与えられたことに神の特別なるご計画を思わずにはいられない。信仰をもって学問に励む彼らは、必ず何か大きなことをも成し遂げさせて下さるような気がしてならない。

いや、「何か大きなこと」が人生の目的にならぬように徹底的に人生の座標軸を神に正そう。
あらゆる分野で多くの人々が誠実に心を尽くして働いている姿を見、触れるたびに深い感動を覚え、その人々にこそ福音が届くように祈っている。


マチ・クマとの再会は4日の夜。そして、9日には再びアメリカへ発つ。

さて、昨日のメールでクリスチャンペンクラブより800字の原稿依頼が届いていた。先日、400字の研修会感想文を書かせて頂いたところだが、同じ誌面に研修会の学びも書くように仰せつかった。

これは神さまからのエールに違いない。
私は俄然やる気になって、早速夕方からやり初めて840字まで絞り込んだ。
ペン仲間の兄姉からも溌剌としたメールを頂き意欲的になっている。友のお祈りとお交わりを心から感謝している。

     「あなたは知らなかったか、
     あなたは聞かなかったか。
     主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
     弱ることなく、また疲れることなく、
     その知恵ははかりがたい。

     弱った者には力を与え、
     勢いのない者には強さを増し加えられる。

     年若い者も弱り、かつ疲れ、
     壮年の者も疲れはてて倒れる。

     しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
     わしのように翼をはって、のぼることができる。
     走っても疲れることなく、
     歩いても弱ることはない。」


                 (イザヤ書40章28〜31節)

私も再び主の翼に乗って大空を飛翔したいものだ。
真智子の努力が報われて十分なる発表ができるように祈っている。再会を楽しみに・・・

     
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近況追記:   

@ 今日、電動自転車を買った。
おもに高脂血症で医者通いのためだ。
ここは庭に蛇まで出るような山を切り開いた土地柄なので、自力の自転車では用を足さない。それでも引越して3〜4年間は使っていた。自転車だと駅まで何度かこぐだけで行けた。所要時間は1分間!

A 孫の排泄訓練が9月初めに完了した。これは知子のページに書いてやろう。


posted by 優子 at 23:59| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

長女とデパートへ。そこでバッタリ、友と再会!

「子供を見といたるから知ちゃんと行っといで。知ちゃんがアドバイスしてくれる」と、夫は言った。

2005年から北越製紙主催の旅行に私も同伴するようになって以来、毎年8月は夫婦で服を買いに行くのが恒例の行事になっている。

今年は1ヶ月遅く来月に予定されているのでゆっくりしていたが、日が迫ってきたので苦手な服の買い物に長女と一緒に出かけた。

私は股関節が悪いのでどこへ行くにもウォーキングシューズを愛用しているが、この旅行ではパンプス持参の少々気が張る旅である。

苦手な服選びだが、お気に入りの店が決まっているので直行した。
その店のお馴染みの店員さんは、1年に一回しか買わないのに私の好みや過去に買った服も覚えて下さっていて、TPOに合わせて選んで下さるのでありがたい。娘のアドバイザーぶりも中々のものであった。

さて、ほぼ満足できるものがあったので一安心し、他の売り場を見てから購入することにして歩いていたら、後ろから右肩を叩かれた。振り向くと、そこに千里さんが立っていた。神さまが会わせて下さったと直ぐにわかった!

千里さんは私たち以上に驚いておられたようである。
と言うのは、私たちと会えるかもしれないと思っておられたからだ。私には主の励ましだった。共に近況を語り合った。
今日の高島屋行きは主の導きでした。特に何か買いたいものもなく必要な物だけをと、祈って家を出ました。
ひょっとしたら優子さんたちに会えるかな? 会いたいなと思っていたので、本当にびっくりしました。いろいろ近況もお聞き出来、ひとつひとつお祈りさせていただきます。
                   
           (略)
          
信仰がへこんでいた私ですが、おふたりに会えて励まされました。本当にありがとう。
あの後色々見て回って今回、必要な物がないとわかり、地階でケーキだけ買って帰りました。(笑)帰ってから主人に今日の高島屋行きは優子さんたちに会うための、主の導きだったと話しました。
ご主人も幸ちゃんとのお留守番お疲れさまでした。ではまたね。ありがとう。

神さまが与えて下さった信仰篤き優しい友。
友と昼食を頂きながらの交わりは至福の時、地上のオアシスだった。
そして、知子と二人の買い物は母親ならではの喜びだった。今日は私のために同行してくれたので申し訳なく、今度は娘たちや孫のものを買うために行きたい。


私たちが出かける時、孫は「ママ、ママ」と泣いて心配したが、直ぐに泣き止んで6時間余りの間も困らなかったそうだ。
夫は昼食に使った食器まで洗って余裕を見せていた。これだと今後もじい(爺)保育園に安心して頼めそうだ。感謝。

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年09月21日

JCP研究例会 ―三浦綾子『塩狩峠』―

19日(土)、吹田で開かれた日本クリスチャンペンクラブ関西ブロック研究例会は、2月に続いて2度目の出席である。

今回の課題図書『塩狩峠』は、20年ほど前にテレビで放映された映画を見ただけで読まないで出席した。ビデオ録画してあるので、これを機会に近いうちに見たいと思う。

今回も大田先生から多くの資料を頂戴した。それらを読み終えてから記録するのがよかろうと思うが、最近では日常に流されてブログを書くことさえ苦しい状況であるので、メモ書きだけでも書いておくことにした。

大田正紀先生のご講義:

最初に星野富弘さんと『塩狩峠』との出会いを紹介された。
星野さんが頚髄損傷で仰臥したままの日々に入って2年目の春、ある人が『塩狩峠』を持って訪問された。それに続いて『道ありき』、『この土の器をも』、『光あるうちに』の三浦綾子の3部作も持って来て下さり、それらを通して救われたと告白しておられる。

大田先生曰く、それだけではなく、やはり星野さんの母が熱心なクリスチャンであったことが大きな影響を与えている。

星野さんは木瓜(ぼけ)の花の詩画に、詩篇119篇のみことばを書いておられる。
       「わたしは 
       あなた(神)のみおしえを 
       喜んでいます
       苦しみに会ったことは
       わたしにとって 
       しあわせでした」

これはこの人の生涯を語る信仰告白である。

続いて、クリスチャンと言えども、私たちが愛する人を失った時、地上で会えないということに一度は絶望を経験することを認めてはいいのではないかと、C・S・ルイスの生涯に触れられた。

ルイスが妻と死別した時の嘆きは、「むしろ怒りに近い感情で神に向き合っている」。
彼が晩年に書いた『悲しみを見つめて』は、その90%以上が神への抗議のようなことが書いてあり、最後にようやく死別の悲しみを受け入れる内容である。

そして、クリスチャンにとって、キリストにある復活の希望のみが死の恐怖を乗り越えさせ、死の悲しみから立ち直らせると告白している


さて、大ベストセラーになった『氷点』は、三浦自身は失敗作と受け止めていた。
「それは本来もっとも訴えたかったキリスト教の『原罪』のテーマが、倫理的な啓造や自己中心的な夏枝の人物像を通しても明らかにされなかったばかりか、健気で無垢な陽子の真剣な祈りも十分に読者に伝わらなかった」からだ。

そこで、『信徒の友』の編集長でもあった佐古純一郎の要請に応えて、今度はクリスチャンを対象に小説を書いた。その作品が『塩狩峠』である。意外にもこれが三浦綾子の作品で最も読まれている作品である


佐古純一郎は寺の坊さんになる道を歩んでいた人で、現役牧師をしながら旺盛な文学評論を展開した有名な人物である。(たくさんの著作がある中で5〜6冊しか読んでいないが、私の信仰にも大きな影響を与えた1人である。)

主人公・永野信夫のモデル、長野政雄の経歴は省略するが、彼は上司の転勤に伴い大阪へ来ている。
そして、関西法律学校(現 関西大学)の夜間部に通っている時に天満教会につながり、梅花学園の3、5代目の校長を務めた三宅毅牧師より受洗した。

長野の成長期は綾子の成長期と重なり、『泥流地帯』が光世と重なる。光世が信仰をもっていく過程で母親と和解していく。

森下辰衛(たつえ)は、「塩狩峠で(悪人の)三堀峰吉は信夫の死を見て人格が一変したとありますが、この『三堀』という名前は三浦の『三』と旧姓堀田の『堀』でできています。つまり彼女自身です。
峰とは暴走した峠、剣が峰だった戦後の危険な時期です。そこに吉があったという名前です。」
と書いている。
つまり三堀の回心の中に三浦自身の回心を入れているのである。

三浦綾子の作品は、「あなたはキリストの信仰をもってどこが変わったというのですか。その証しを見せて下さい」と問いかけている。

ちなみに、現在の日本キリスト教文学会はクリスチャンが30%、アンチキリストが30%、そして、どちらにも転ぶ人が残りを占めているという。
とは言え、キリストを嫌いながらついて来る人たちが30%いるのである。

以上。
書記なので早く例会報告を作成して送付したい。

土・日に続いて今日は敬老の日、明日は休日、23日(水)は秋分の日で、この5連休を「シルバーウィーク」と言うらしい。

夕刻、金木犀の香りが部屋に届いた。

posted by 優子 at 23:37| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2009年09月17日

玄関先で大きな蛇を真っ二つにかみ殺していた

玄関先でチャッピーが蛇を噛み殺していた。
チャイムが鳴ってドアを開けると、60センチほどもある結構太い蛇を二つに食いちぎっているので悲鳴をあげかけたが、網戸越しに孫が昼寝をしているので声を押し殺した。
チャッピーは口にくわえて振り回したのだろう。1歳の時に子猫を殺してしまったように。ゾッーとする。

私は夫の帰りを待つつもりだったが、我が子のためにと長女が始末した。母は強しである。
私はゴシゴシと棒のついたたわしで水洗いした。生臭く、すでに何匹か蝿が飛びまくっていた。

チャッピーが嫌いになった。
犬の本性だから怒りはしなかったが、不気味で3〜4日間チャッピーの傍に寄るのが怖かったし、その場所も気持ち悪くて踏めなかった。
でも、チャッピーがいなかったらどうなっていたのだろう。こんなのが家に入ってきたらと想像するだけで卒倒しそうだ。チャッピーがいてくれてよかった。

その後まもなくチャッピーは生理(発情期)になり、落ち着きがなくてイライラしているのでかわいそう。

posted by 優子 at 20:00| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

28年の時を越えてニューヨークに想いを馳せる

8月下旬のワシントンは日本のような気候だが、ミネソタへ帰るとベッドに毛布を敷いたそうだ。極寒の地はこれから急激に寒くなっていくのだろう。こちらも朝晩は肌寒くなり、今朝シュウメイギクの蕾が一つ開いていた。

雨の日の今日、妹がニューヨークのおみやげを持ってやって来た。
私も一度は行ってみたい所だけに、150枚以上もある写真を楽しく見せてもらった。地下鉄だけで使えるトークン(コイン)は姿を消していたという話も何もかもおもしろく、私もニューヨークの街を歩いているような気分だった。

妹がかつて住んでいたアパート、ローラースケートで走っていたセントラルパーク、お気に入りだったピザ屋のピザ、New York Public Libraryの職員用Cafeのミネストローネ・・・

それらの写真を見ていると遠い日々が写真に覆いかぶさるようだった。パソコンで打った文書を別のフォルダーに入れる時のように、娘の無事を祈りながら待っていた両親の姿そのままの時空が写真にピッタリと重なった。

妹はここに住んでいたのか・・・この通りを歩き、この景色を見ながら過ごしていたんやね・・・と、私は両親に話しかけながら見ていた。「ニューヨークの秋」を口ずさみながら歩いてみたくなるような、留学中の妹を思いながら想像していた通りの素敵な街並みだった。


孫にはニューヨーク名物のイエローキャブ(タクシー)とピーター・ラビットの飛び出す絵本を買ってきてくれた。孫は「えいご、えいご」と言っていた。
そして、知子には素敵なガラスのクリスマスツリー!

NYCのおみやげ.jpg

孫が長い昼寝をしてくれたのも主のお計らいだと思った。話し合いの間も主が私たちと共に居て下さり、一人ひとりを豊かに祝福して下さった。
今、これを書きながらみことばが与えられた。

「何事も思い煩ってはならない。
ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」
               
               (エペソ人への手紙 4章6・7節)

我が家は今日からアドベント(待降節:クリスマスを迎える前の時期)に入ろう。
「妹よ、心のこもったおみやげをありがとう、大切にします!」

今日の日付けを記しておこうと思ってツリーの裏を見ると、" MADE IN CHINA " と書いてあった。わーい(嬉しい顔)


posted by 優子 at 23:59| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2009年09月13日

賀川豊彦は日本人初のノーベル文学賞候補だった!

賀川豊彦が「戦後間もない1947年、48年の2年連続で、日本人初のノーベル文学賞の候補になっていた。」
その年の文学賞受賞者はフランス人作家のアンドレ・ジイドで、48年はアメリカ人詩人のエリオットだった。

また、「54〜56年の3回、平和賞の候補だったことも公式資料で確認された」と、今日の新聞で報じていた。

「インドのガンジーと並ぶ『東洋の聖者』として、生前は欧米で最も知名度の高い日本人だった」とは、過去ログでもご紹介した記憶がある。

「賀川は職業的な作家ではないが、人間に対する見方、底辺にいる人々への感性、社会観など、独自なものをもち、それが評価されたのではないだろうか」と、賀川豊彦記念松沢資料館(東京都世田谷区)の加山久夫館長が語っている。

魂の衰退著しい今、偉大な賀川豊彦の生涯に励まされ祈りへと導かれる。

「まことの神を信じられる幸いを感謝します。
そうでなければ、祈りは単なる独り言でしかありません。あなたに祈れることを感謝します。私はいろいろな出来事のために不信仰の目にさえぎられて、あなたのいつくしみと恵みが見えなくなっていました。
 
主よ、病床にあるあの方の上に奇跡的な祝福を与えて下さい。まことの神を信じることができるように、私の霊を強めて用いて下さい。キリストの御名によって祈ります。アーメン。」


今抱えている全ての問題もまた、私にとっては神がその道を開いて下さったのであるから、必ず最後まで成し遂げさせて下さるという確信に頼るべきだ。

神は従う者をいつでも最善に導いて下さる。今も多くの友を通して何度も助けて下さっている。祈って下さっている友や偉大なる先人たちに励まされて信仰の炎を再燃させたい。

posted by 優子 at 22:07| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

読者の方々に神の導きがあらんことを!

日本クリスチャンペンクラブのホームページが更新された。
今月掲載された堀川姉のお証しが逆境に居られる友、あの方への導きになるかと促され、また、ブログにも記録したく転載させて頂いた。
  
 闇の中の体験

            堀川 きみ子


      金木犀

庭にこぼれた 金木犀
一つ、二つと 手の平に
乗せれば小さい 星の砂
星の国より  まだまだ遠い
天の御国に 居る 母さん (1955年母死す)

秋の香りを国中に静かに放つ、金木犀の花が開こうとしています。初めてのあかし文は「記名票と金木犀」でした。神に導かれた旧会堂での信仰生活を書きました。JCPに入会して後は「あかし新書」400の字の短文が私の記念碑として残されました。

36年の信仰生活は、神の堅固な守りの中に置かれていました。大きな試練に会うことなく、恵まれていました。私が神の前に立てた約束「家族の救い」が、10年前に果たされて、安堵感に浸り知らない内に傲慢の種が芽生えていたのかもしれません。

3年前、娘たちに大きな試練が襲ってきました。一人は離婚、もう一人は難病。問題が解決しない上に、さらに大きな問題を抱えることになりました。悲しみ、苦しみの大波が打ち寄せてきました。嵐の中にいるような毎日でした。日々、涙を流したので顔も変ってしまいました。自分の顔を見るのも嫌でした。廻りの人もさぞ嫌だったでしょう。汚い思いや言葉が溢れてきて一人呟いていました。

表現できない程の強い怒りが不信感と一緒になって襲ってきて、私は物に当たり散らしました。そうしないと窒息しそうでした。理不尽に思えました。2年間そんな日々でした。

ついに忘れられない事が起こりました。それは夜の事、ウトウトしながら私は自分の泣く声で目が覚めました。泣き声は次第に大きくなり隣に寝ていた主人が「どうした、どうした」と言っても止められず泣き続けました。まるで犬の遠吠えのような声でした。それまで蓄積されていた心の中の深い深い闇の底から「もう我慢するのは嫌だ、嫌だ」と叫んでいるのでした。

その事があってから、心の内が少し楽になりました。神は私が吐き出した汚れを吸い取り、涙で洗い流してくださったのかもしれません。自分は罪人なのだとはっきり分かりました。「あれも、これもしました。なのになぜ? どうしてこうなるの?」自己義認や自己中心、思考と体がアンバランス、自己破壊寸前。回帰不能地点の直前で止んだ心境でした。

この間、牧師夫妻や多くの信徒の方々のかげのお祈りがありました。以前にいただいていたイザヤ43章が心の支えとなりました。荒波の中で聞いた「主権は、わたしにある」の御声。マタイ28:18、天においても地においても権威ある神。あなたの前にはただひれ伏すのみ。という体験をしました。娘2人も新生活へ、職場へとスタート。わが家も人生の荒波をくぐって危機を乗り越えようとしています。

リンク先のクリスチャンペンクラブHPの美しい画面でお読み頂きたい。『メメントドミニ』読者の方々が幸いへと導かれることを祈っている。

※ 今朝早く真智子とスカイプする。帰国日程が決まったようだ。9月30日に日本着。日本離陸は10月9日。
国際会議は10月4日午前中に終わるので、その夜には帰阪できるはず。真智子たちの発表は2日だと思う。

実質4日間、2日間の滞在と思っていたので感謝!
この日程で飛行機の手配をするとのこと。
妹はニューヨークの旅を終えて昨夜無事に帰国した。お祈りを感謝。


posted by 優子 at 09:04| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

能登一郎牧師説教より

私たちクリスチャンは主に従う者です。聖書にあるように、狭い道、狭い門を選ばせて頂いて、今それを歩いている者です。
この道の行く手にあるもの、最終的に約束されているものは、言葉で言い表すことのできない本当の栄光、喜びであって、また永遠のいのちです。

私たちはこの細く狭い道を歩いている今も、その栄光、喜びの先取りといいますか、そのゴールから漂ってくるその香りをうっすらとかぎながら歩いています。
            ・
            ・
苦しみを通る時、十字架を担わなければならない時、私達は疑ったり、恐れたり、怒ったりします。
しかし、そのこと自体は悪いことではありません。とことん疑ってみたり、とことん揺さぶられることは良いことです。


今、いろいろな苦しみや悩みの中で揺さぶられている人がいるならば、やっぱり妥協しないでとことん揺さぶられてみればいいかもしれません。

けれども、本当のクリスチャン、主に従う者は、必ずそこを乗り越えることができます。自分の力ではなくて、主によって乗り越えさせていただくことができます。

なぜならば、信仰とは突き詰めて言うと、自分の働きではなく、自分の中で神さまがしておられる働きだからです。

本物のクリスチャンでも疑うことがあります。けれども疑いきることができません。最終的に、捨てることがどうしてもできません。神さまの働きだからです。

そして、苦しみに対する備えの一番大切なことは、結局は主イエスさまとの関係です。主イエスさまとのしっかりした関係を持っているということが、最高の、そして唯一の備えです。

そのイエスさまとの関係を持つために、私達は苦しみ、疑い、恐れ、悩み、揺さぶりの中で、最終的に御言葉に帰ります。
御言葉に帰り、そしてやはり神さまは、この御言葉で証しされているとおりの方であるということを、信仰をもって受け入れます。

そして「この方の約束はやはり真実である」と言うことを、信仰をもって受け止めるのです。だから、私達は何も恐れることはありません。

お祈り:
神さま、・・・今、病の中にある方、いろいろな苦しみの中にある方を思います。
主よ、どうぞあなたが憐れんで下さり、真理をもってその方々を慰めて下さい。主の力によってその方々を支えて下さい。

神さま、私たちの思いをはるかに越えたあなたの力によって、解放を与え、救いを与え、そして奇跡を与えて下さいますよう、お願いいたします。イエスさまの御名によってお祈りします。アーメン。

               (故 能登一郎牧師説教より)

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたし(イエス・キリスト)を信じなさい。」
              (ヨハネ伝14章1節)
同箇所・リビングバイブル訳では、
「どんなことがあっても、心配したりあわてたりしてはいけません。神さまを信じ、何もかも、わたし(イエス・キリスト)に任せなさい。」            

私は今、一人でも多くの魂を救いへと導くことができるようにと真剣に祈らされている。
私もまた神の恵みによって救われた者である。私に残された生涯は福音を宣べ伝えることに専念していきたいと願っている。

「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」
                (ヨハネ伝4章35節)

救われるべき魂がたくさんあるのに福音を聞かなくてどうして救われようか!

posted by 優子 at 17:30| 引用文 | 更新情報をチェックする

2009年09月04日

神と共にそれぞれの船を漕ぎ出す

年齢を重ねて50歳を迎える頃には、誰しも人生が厳しいものであることを理解するようになる。稀に安穏な日々を許されて80代をも元気に生かされている人もいるが、私には人生とは「小説よりも奇なり」ばかりである。

9月1日の衝撃以来、言葉を紡ぐことができなくなり、ずっと聖書を開いていた。
これを書きながら過去ログ2006年2月7日の記事を思い出して開いてみた。今よりももっと稚拙な書き方だったので補足したいと思うが、まずその一部をここに転載して読み返したい。
「人は病気によって死ぬのではなく、神がわたしの所に来なさい、と言われた時が死ぬ時です。
それは最善の時であり、死は終わりなどでは決してなく、キリストと一緒にいられる最高の幸せの始まりなのです。」
と、べック宣教師は山川氏に話された。

以下は山川氏の日記より・・・・・・・・・

人間がいくら「気力」で頑張ってもダメです。人間はそんなに強い存在ではありません。
神を信じ、すべてを神の手に委ねることだけが、死に勝つ唯一の道です。

べック兄のテープ、「聖書とは何かE」を聞く。
空があり、ひとりの耳に神のメッセージがしみじみ響く。

「闘病」とひとくちで言うが、神にすがらなければ、やがて耐えることができなくなることが、今から見えてきた。

祈りがなければとても耐えられない。

祈っていただいた。心が高みに導かれる。ありがたいことだ。
祈りは人の精神に大いなる力を与える。妻よ、祈ろうではないか。

今は「神の恩寵」に近づいている。ならば、自分の苛酷な運命を知り、信仰に入りつつある私のほうが幸せであると私は断言できる。

この記事は、『死は「終り」ではない―山川千秋・ガンとの闘い180日』(文芸春秋刊)より引用したものである。

私がクリスチャンとして歩みだして1年経った1988年春に、千里姉と生涯の出会いがあった。
私と同じ年齢の千里さんもまた別の教会に通っておられて、私よりも1年遅れで洗礼を受けられた。その千里さんからお借りしたのがこの本だった。

国際派ニュースキャスターとして活躍しておられた山川氏(男性、1988年10月9日に55歳で永眠)が、死を見つめつつ綴った感動の日記である。「家族への愛、仕事への情熱、そして祈り・・・」が書かれてある。
病床で彼の人生が完成されていったことがよくわかる。

山川さんが予想されていたように、21世紀に入り情報化時代に突入して「大英語時代」になった。日本の教育は、山川さんが指摘していた情報力の訓練をしているのだろうか。誰が、何を、なぜ、・・・と。

「他者との相互関連が情報力であり、相手についての判断力、自分についての表現力、そして、相手を言葉で倒す説得力の統合が情報力であろう」
と書いておられる。
私はこのことを即刻子育てに導入したものだ。長女が5年生、次女が2年生の時であった。

山川さんは病床でイエス・キリストに導かれ、罪赦されて永遠のいのちを賜られた。
「普通なら考えられないほどの平安である。
改めて救いを信じる事の偉大さを思わずにはいられない。・・・

テレビに出る職業は「妬み」と「虚栄」の人間を作る。私もその典型だった。それに対する警告が神から示されたと今の私は理解した。」

「この病になってみると、相手が実によく見えてきます。気休めの慰めは一発で化けの皮がはがれます。

親切と配慮とは違います。
(欧米では)何しろ日本の常識とは逆で、相手は知らず、本人は本当の病を知っているのだから、人が悪いと言えるのかも知れませんが、嘘や、その場のつくろいは何の役にも立たないばかりか、その人を矮小に見せてしまいます。

好意であることはありがたいのですが、それ以上のものではありえません。人間は、自分の死も、人の死も、死を救えません。

だから『パリからの電話が鳴らない』のがいいのです。そのかわり祈って下さい。祈りの電話はいつでも下さい。私の求めているものはこれです。」

「このような病になると、信頼できる人、深い配慮に富んだ人がいかに少ないか改めてわかります。」


私はこれもまた人間の実相であると確信する。
ましてや知性と心ある人に気休めの言葉が通用するわけがない。
福音を伝えることができるように祈ろう。

妹は明日からニューヨークへ一人旅に出る。
かつて2年間学問を積んだ懐かしい留学地である。ここで国際政治学の学位を取得。その直後、外務省の試験に合格したので、再びニューヨークへ飛んで国連の試験を受けて見事合格し、経済専門職員として西サモアへ赴任したのである。


「訪ねたい場所は たくさんあります。 けれども ニューヨークに降り立って 2,3歩 歩けば わたしは もう それで満足なのです。 落ち着いて じっくり味わってきたいと思います。・・・

9.11前の空気は もう残っていないかもしれないけれど 28年前のわたしの空を探しに出かけます。」


旅の無事と平安を祈っている。
半生を振り返り、新たなチャレンジ精神を高めてくることであろう。私と一緒に行きたかったと言ってくれた妹の上に、神の豊かな祝福があるように!

posted by 優子 at 23:58| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

夫64歳の誕生日に

試練の年、2009年の今日、夫は64歳の誕生日を迎えた。

昨日は腰痛と疲れで一日中休養していたおかげで、今日は体調と意欲も回復し、気になる掃除を後回しにしてご依頼を受けた原稿を書き始めた。

するとまもなく、私の最も親しい友の一人から心もくらむ電話が入った。
娘さんが癌に侵されていることがわかり、それも大変深刻な状況で、私は何と申し上げてよいか言葉もなかった。これ以上は書くことも慎みたい。
今より、娘さんのために、そして、母親である友のために集中する日々になるであろう。


先月初めに亡くなられた美濃紙業の山本博史さんに、もう一度イエスさまのことを話すことができず悔やまれてならなかっただけに、電話を切ってから真剣に祈り求めた。

あの時、殆どの人がそうであるようにご家族が隠し続けたいというお考えだったから、ご家族の意志を尊重せねばならずたじろいでしまったのだ。

しかし末期に至っては、死に直面していることは誰よりも本人がよくわかっていると何冊もの本を通して知っていただけに、全てが終わってしまった時には取り返しのつかぬ悔いが残った。私は何度このようなことを繰り返せばいいのだ!

このような場合はどのようにアプローチすればいいのか、神がその知恵と機会を与えて下さることと、何よりも私の霊性が豊かにされることを求めよう。先の経験を生かさねばならない。

神さまは早速祈りに答えて、先月まとめた証し文を示して下さった。夏期研修会で証しする機会が与えられて書いたものだ。
このためでもあったのか!

この友は私の苦難をよくご存知なので、もう少し詳しく補筆したほうがいいだろうか・・・
 
頭から聖書のメッセージを語るのではなく、私がいかにして救われて今在るを得ているのか、私の求道と信仰生涯をお話すればいいのだ。


友がどうしておられるか心配なので午後に電話した。気持ちを聞いてもらえて落ち着いたと喜んで下さった。その中でこんなことを語気を強めて話された。

「あなたのお母さんが難病になった時、どうしてこのような人がこんなに苦しまねばならないのかわからなくて私も苦しんだ。」と、まさにヨブ記の問題を何度も言われた。

「どうして悪人がのうのうと生き、死ぬ時も苦しまないで、お母さんのような誠実に生きた人が、言いたいことを何も言わずに耐えて、人のために尽くした人が苦しんで死なないといけないのかわからない。」

「○○さん、だから死んで終わりではないのよ!
この世だけで終わるならば、この世で清算されるはず。
そうではないということは、そのあとが在るということなの。このことからだけでもわかるでしょ?」
とだけ短く話した。
友は証し文を送らせて頂くことを承諾してくれた。

どうか神さまがおられることをお伝えすることができますように。そして、必ずやその方々を救いへと入れて下さることを堅く信じる。

「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせてくださいますように。」 

人生の厳しさを前にして、書き始めていた400字の原稿は10分ほどで一気呵成に書き上げることができた。明日もう一度推敲して提出したいと思う。

posted by 優子 at 23:46| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする