2009年10月31日

関西北越会で伊勢志摩へ A ―貝の涙が真珠をつくる―

昨日の記事に続いて今回の旅行で感銘を受けたところを書いておきたい。それはアコヤ貝に真珠の核を入れるところだ。

真珠を作るには、アコヤ貝の細胞の一部を切り取ったものを、ドブ貝の殻を丸く削って作った核と共にアコヤ貝に挿入するのである。
これまでにも何度か見ているが、今回は貝の悲鳴が聞こえるようであった。鋭く我が身に感じて辛くなった。


人生に譬えれば、貝に挿入する異物は病気や経済の破綻、あるいは家族の不和や人間関係の苦悩などであり、美しい真珠はそれらを乗り越え得た人生の豊かなる実であろう。

そして、真珠を作り上げるまでの期間は、試練に耐えて豊かな人格が練られていく時である。
美しい真珠になるかどうかはそれぞれに任されている。困難に直面してさえも現実から逃避し、何よりも己を省みない人も少なくはないからだ。

逆境の時こそ自分の成長に役立つ好機である。
幸いな人生に開かれていくかどうか、神が与え給うた機会を失わないようにしたいものである。

船に戻る時、傍に居られた丸大紙業のMさんにそんなことを短くお話したのだった。過去ログ・2006年1月27日にも書いているのでお読み頂きたい。
「真珠貝のように」

「この苦しみに耐える時間が、いつか真珠のようになって自分の中で輝く時がくるように思う」。
祈りの友である文香さんのブログ、昨日の『生かされて』の一節である。
文香さんは今、神の御手の中でその病い(乳癌)を真珠に変えておられるのだ。

貝は異物を入れられて嫌だろう。
痛いだろう。
しかし、貝は異物を吐き出そうとせず、涙を流しながらじっと耐え、長い時間をかけて美しい真珠に仕上げるのだ。
真珠貝は、「美しいね!」と喜んでもらうためにじっと耐え忍んでいるのだ。


   試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。
   それを忍びとおしたなら、
   神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。
           
              (聖書・ヤコブの手紙1章12節)

文香さんの苦しみは、私達にも言い表せない祝福をもたらしてくれることだろう。
私も私の真珠作りに励もう。
地上の生涯を終えて神のみもとに帰る時、最高の真珠を携えていくために。


文香さんが今年になって植えたチューリップも、きっと今、土の中で芽をふくらませているにちがいない。春が楽しみだ。

この旅行中も主が共にいて下さり、真珠の核入れを通して私を激励して下さったのだろう。
神のみこころが何であるかわからなくとも、だからこそ、神のみこころが成ることを祈り求めて行けばいいのだ。

今朝も真っ青な空、秋晴れである。
この4〜5日は非常に暖かく、昨日は25度を越えた。
真智子夫婦が滞在した10月初めは天候も悪く肌寒かったので、この穏やかで暖かい空気をブログに乗せてミネソタへ運んでやりたい。あちらでは既にマイナス10度くらいになっているだろうから。

夫は今朝、自社の慰安旅行に出かけて今夜は和倉温泉泊まりである。好天も今日までで明日は雨模様で寒くなるらしい。

posted by 優子 at 09:48| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2009年10月30日

27・28日は関西北越会で伊勢志摩へ @

紀州製紙を完全子会社化した北越製紙は、 今月1日より北越紀州製紙株式会社と社名を新たにした。

私達の結婚披露宴で、私が唯一印象に残っているのが紀州製紙の社長さんだった。今もアルバムに残るお顔は穏やかで円熟した人柄を感じさせ、私の中では初めて親近感を感じた製紙メーカーだった。
あれから33年が過ぎようとしており、その間に社長は何代も替わられたそうだ。

今年も北越製紙とその代理店である丸大紙業主催による親睦旅行、関西北越会が27・28日に開催された。参加者は15社30名。私は5年前にデビューして今回で4回目の参加である。

香川・高知、姫路・富山を含む関西勢は大阪上本町から近鉄特急に、私達夫婦は京都や奈良の方々と大和八木から乗り込んだ。
そして、宇治山田で下車し、そこで東京勢の方々と合流して貸切バスで伊勢神宮に向かった。

10月は日本中の神が出雲に行くので「神無月」と言うが、伊勢は出雲同様に「神有(り)月」の地なのだ。
と言うのは、伊勢神宮は日本の八百万の神の最高位なので、出雲のような何段も格の低い所へは行かないそうだ。私はガイドさんの話に笑ってしまった。

ところで、伊勢神宮と言えば内宮(ないくう)と外宮(げくう)だけだと思っていたら、全部で125もあるという。
今年は20年に一度の「式年遷宮」の年にあたり、社殿や橋など清浄を尊ぶために一切を一新するのだ。厚さ14センチの檜の橋が20年後には7センチになり、そのあとも熱田神宮で再利用されるとのこと。

当日は地元のテレビ局が新しく架けられた宇治橋を撮影していた。
11月3日の「宇治橋渡始式(うじばしわたりはじめしき)」には3万人だったか5万人だったかの人出を見込んでいるという。

知子と真智子へ:
宇治橋とは「おかげ横丁」入り口近くにある橋のこと。
2005年8月7日、あれが独身時代最後の家族旅行になったね。

今回は内宮のみだが、本殿参拝と神楽殿に入っての正式参拝のために男性はネクタイ着用だった。
樹齢600年の楠の木は同じでも、高野山と違って伊勢神宮は明るい。

神宮に着いて歩き始めると、夫は得意先や自社に電話を入れていた。電話で話しながら違う方へ歩いて行くものだから、夫を誘導しなくてはならず、ガイドさんの説明に集中できなくて残念だった。
夕刻もホテルの部屋に入るなり自社に電話して今日の様子を聞き、家では見ることのない夫の表情にこちらの身も引き締まる思いがした。

参拝のあとは「おかげ横丁」散策のはずだったが、「赤福」の社長と同級生だったS会社社長さんの関係で「いすず茶屋」へ招待されて、つき立てのお餅で作った赤福をご馳走になった。

「赤福」という名は、無垢な心で相手の福を喜ぶ意を表す「心慶(せきしんけいふく)」に由来する。40歳代の現社長も命名に反することなく人格明朗な方だった。

昨年、社会を騒がせた消費・賞味期限の偽装(過去ログ・2008年5月30日)は「赤福」も例外ではなかったので、一言だけ柔らかく注意を喚起して激励した。
わーい(嬉しい顔)

突然の赤福ハプニングも感謝だったが、この日の観光はこれにて終わり。私は小学校の修学旅行以来行っていない二見浦「夫婦岩」を楽しみにしていただけに残念しごく。そして、早々と志摩観光ホテルクラシックに向かった。

男性たちの総会後、夫人たちもドレスアップして6時半から晩餐会となる。グルメ旅行の代名詞にふさわしく、大きな鮑や伊勢えび特注の豪華フランス料理を味わった。

翌朝はゴルフに出かける夫を見送り、ホテルの部屋に置かれていた聖書(ピリピ人への手紙4章4節から23節)を開き、神との濃密な交わりをもって一日をスタートした。

観光組みは直ぐ傍にある超豪華ホテル、志摩観光ホテルベイスィートの見学から始まった。
ここは1年前に開設されたそうだが、関心のない私は名前さえ知らなかったし、何か無機的で超豪華介護施設を感じさせた。

志摩スペイン村ではフラメンコショーを見ながら、いろんな人種を創られた神を想っていた。フラメンコや闘牛が生まれた歴史・文化的背景を知りたいが、今は簡単に検索する時間さえ割く余裕は無い。

賢島エスパーニャクルーズ、エスペランサ号にて英虞湾遊覧は最高だった。秋晴れの穏やかな海面を船は静かにゆったりと進んで行った。
この時から北越製紙の社長夫人が1歳8ヶ月のかわいい坊やを連れて合流され、人見知りしないS君は私のボールペンが気に入って一緒に遊んだ。抱っこもさせてくれる愛くるしい坊やだった。

今頃、孫はどうしているんだろう。
「ユキも連れて来てあげようね。一緒にお船に乗ろうね」。
気がつけば心の中で孫に語りかけていた。

途中、真珠工場で下船し、ここで見たアコヤ貝に核を入れるところが今回の旅行で最も感銘を受けた。そのことは明日の記事に書くことにして、以上、退屈で盛り上がりのない悪文代表例の旅日記を閉じたい。

付記:


旅行明けの昨日、夫はいつもより早く家を出て仕事に就いた。
私もまた朝早くから自治会の仕事で時間をとられ、午後は赤い羽根募金箱を回収して1時から始まるバザーのために集会所へ向かった。

疲れを感じつつも夜遅くから知子と静かな時を過ごし、ベッドに入ったのは午前2時になってしまったが、主の導きと臨在を強く感じる幸いな時だった。

今朝は寝坊してしまい、目が覚めた時は夫が家を出て30分も過ぎた7時10分(>_<)。申し訳ない。夫の気配に全く気がつかなかった58歳の誕生日の朝である。


posted by 優子 at 15:02| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2009年10月26日

JCPニュースレター『文は信なり』22号届く

日本クリスチャンペンクラブ発行のニュースレター、『文は信なり』22号が届いた。「文は信なり」とは、前理事長、満江巌牧師の言葉で、「文章は信仰だ」という意味だ。
今回、拙文を掲載して頂いた関係から、来月の例会で配布される前に拝見している。

22号で特筆すべきことは、久保田暁一先生が理事を退かれて大田正紀先生にバトンを渡されたこと。
そして、JCPのHPを通して問い合わせや入会者が増えており、紙面には6名のフレッシュな方々が神の恵みを証しされていることだ。心が躍る。

さて、このたびの原稿依頼では、早々に8月に開催された中部・関西ブロック夏期研修会の感想を求められ、後日、紙面の関係から編集者より学びについて書くように仰せつかった。
それらの原稿がそのまま一つにされているのでおかしな文面になっており、不本意でもあるので更新したものを転載したい。

   研修会の講演要旨と学んだこと

              藤本 優子


このたびの研修会で人間への洞察を深くされた。
主題講演された島しず子牧師は、三人目の子供さんが誕生する一ヵ月前に牧師である半身が急死、三子は百日咳から重度の障害を受け、苦難の日々を通って来られた。

「私は父がいる子のようにりっぱに育てなければいけない。男の牧師のように立派にしなければならないと、この世の階段を上り始めた」。この述懐に人間の実相が現れている。

即ち、主に在る生涯に入れられている人でさえ、人間的価値観に基準を置いてしまうことだ。その後、島牧師はジャン・バニエとの絶妙なる出会いから、島牧師でしか語ることのできないお証しに至る日々を歩まれた。

学びでは、大田先生は現代の日本文学に大きな影響を与えたキリスト教との関連から、明治の文豪、鴎外と漱石を取り上げて講演された。

日本のクリスチャン人口は1パーセントにも満たないのに、日本文学を築いた人々の中に多くのキリスト教関係者がいるのは驚くべきことである。
しかし、初期の文学者たちには贖い主の信仰と復活信仰がなかった。この欠落こそが大きな問題だったのではないか。

鴎外は、我々の人生が永遠の眼差しの中で見つめられているということに気づいていた。鴎外の娘も、「父の諦念はキリスト教の断念に近い素晴しいものがある」と語っている。
また漱石は、人を愛するとはどういうことかを真剣に考えた初めての人であり、近代社会の中に生きる隣人愛を書いている。

遠藤周作についても触れられた。
『深い河』はクリスチャンにとって非常に切実な問題を突きつけ、我々の信仰に背くような思いを与えるものである。
キリスト教から縁遠い人たちから関心を持ってもらえるかも知れないが、本人はキリスト教中心の包摂主義であり多元主義ではなかったであろう。宗教多元主義はキリスト教を内部から崩壊させる最も危険なものである。

今関先生は資料収集と取材秘話から、それらがどのように作品に生かされていくかを話された。
作品講評では、「目に見えるものを写真のように書くのではなく、最も言いたいことをどこに定めるのか。読者に感情的に伝わるように書く」ことを教えて頂いた。

研修会第一弾の久保田先生は、文学作品を徹底的に読んで自分の生き方に関連して、一貫した研究テーマを持ち、キリストの教える真実は何かを生涯かけて突き詰めていくようにと力説された。

私たちも自分に直面する問題をキリストに集中して、キリストからの語りかけを聴き、それぞれに賜った人生と人格の独自性を深めていきたいと大いに励まされた。


文書伝道に召された者たちの集いは、教会では味わえぬ深い喜びがある。私も「神さまの働きが思わぬところで実っている」ことを忘れないで、手を休めることなく書き続けよう。
研修会開催のために御愛労下さった坂口兄に感謝申し上げたい。

                       (完)

ついでに私事ながら、長原武夫兄が記された関西ブロック9月例会報告欄に、「9月21日付け藤本姉のブログで講演を報告している。」とあった。
これを読んで意欲を引き上げられるように感じた。
苦境の今も信仰と希望と情熱をもって前進していきたいと思う。神の恵みの中で。


posted by 優子 at 23:45| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2009年10月24日

南田洋子さんを偲び、母の死と自分自身の死を思う

21日に南田洋子さんが亡くなられた。76歳だった。南田さんは私の好きな女優の一人だった。
娘時代は「ミュージックフェア」を毎週家族と一緒に見ていたが、私が最も記憶に残っているのは、NHKで放送されていたテレビドラマ、『横堀川』だ。昆布屋の根性物のドラマだったように思う。
あれは1966年に放映されていたというから、あの時の南田さんは33歳で、私は15歳、高校一年生だった。

認知症になられた南田さんをドキュメントされていたのを何度か見たが、長門氏に対して虚飾的な臭いがして嫌だった。

南田さんが亡くなられたことを知った時、悲しみよりも安堵が先にきた。与えられた生を誠実に生きた南田さんだからこそ、全てのことから解放されたことに安堵し、私も最後まで務めを果たさなければと思った。

進行性難病だった母と認知症の南田さんの違いはあれど、在宅介護の空気は相通じるものがあり、南田さんの姿がなくなった家の中と、あとに残された者の寂しさを想って胸が痛い。


そして、自分の死を思った。
神はいつまで私を生かして下さるのだろうか。
あの時、精一杯やっておけばよかったという悔いだけは残したくない。これからも最後まで逃げずに誠実に心を込めて生きていきたいと、それだけを思う。

明日は母が亡くなった日だ。
明日というより日付けが変わって直ぐだった。2時半頃だったか・・・。いや、それは長女が生まれた時間だ。
もはや母が息を引き取った時間も忘れてしまうほど、死別の悲しみは癒されている。日記を開いて捜していると、傍らで長女が正確に「1時28分」と言った。

しかし、私は今でも亡くなった母や父の年齢を数え続けている。
母は70歳で亡くなったから、生きていたら83歳か・・・と。きっと90歳くらいまで数え続けるのだろうが、もはや私に母と父を亡くした悲しみは殆どない。

毎週、実母を訪ねてくる義妹を見ていると親孝行できていいな、60歳になっても母親が元気でいてくれるなんてと、時には羨ましさと寂しさを感じることもあるが、母と娘のいい時間を過ごしてほしいと心から思える。
そして、こんなことも思う。
義妹は母を看取らねばならぬ悲しみが残っていると。

そして、不思議なことに、いや、これは私の習性だからだろうが、86歳の義母のことよりも、自分の死を死ななければならないという想いの方が強く、緊迫感は増すばかりである。

だから、当たり障りのない話題でお茶を濁さなければならないような交わりは避けたいと思う。

母は病床で救われて天の御国へ召し上げられたが、葬儀は家の宗教である浄土真宗で執り行われた。
初七日が45歳の誕生日だった私は、今月58歳になる。10歳になったチャッピーの老いも気になり始めた2009年の秋である。

posted by 優子 at 23:51| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2009年10月20日

「河内の郷土文化サークルセンター創立25周年記念」ご案内

日時:11月28日(土)・29日(日)、10時〜14時
場所:大阪商業大学 ユニバーシティーホール「蒼天」 
   (近鉄奈良線小阪駅下車、徒歩5分)
入場無料。
先着300名に、ハウス食品(株)の提供によるプレゼント進呈。

「河内人の物語」と題して2日間に渡って記念展示があり、次のようなプログラムが組まれている。
11月28日(土)
   10時〜    記念式典
   11時〜    祝いの舞 (山村若佐紀)
   13時30分〜 出版記念フォーラム 
           「河内文化のおもちゃ箱」

11月29日(日)   
   10時〜    記念展示の解説
   13時〜    記念講演会「考古学から見た河内」
            講師 水野正好氏
   15時〜    民謡コンサート
            「河内木綿織り屋節」他
            井上整憧と井上邦楽会

さて、記念本『河内文化のおもちゃ箱』が、いよいよ11月10日に全国の主要書店で発売される。批評社刊行、定価(予価)は3000円。

河内と言えば、河内弁、河内音頭、今東光、司馬遼太郎、大和川付替え、回転寿司発祥の地、中小企業、最近では人工衛星「まいど1号」など、大阪市の東側、中河内地域(柏原市・八尾市・東大阪市・大東市)の歴史と文化が脳裡に浮かぶ。

そして、「太古の昔からさまざまな文化を育み、多彩な歴史を形成してきた」河内の多様性を、おもちゃ箱を覗いたような内容に編集し、「河内文化のインデックス(索引)」のようにまとめたのが『河内文化のおもちゃ箱』である。

監修は奈良大学元学長で名誉教授の水野正好氏、編集は河内の郷土文化サークルセンターである。

その一部をご紹介させて頂きたい。
「河内イメージの形成と展開−河内の文芸史−」を執筆されている大阪商業大学教授の石上敏氏は、役員をさせて頂いていた時に面識があり、大変興味深くお話を聴かせて頂いた。(過去ログ:2007年11月19・20日)
また、今年の日本キリスト教文学会で会員名簿に石上先生のお名前を発見した時は驚いた。文学についても親しくお話したい方である。

「戦国時代河内キリシタンの世界」を執筆されている神田宏大氏は野崎キリスト教会の牧師である。今年2月8日のブログ(「野崎観音はキリシタンの寺だった」)に書いたように、野崎観音がキリシタンの寺であることを発掘された牧師だ。

「おまけ博士の河内から世界へ発信」は、グリコのおまけの創始者・宮本順三の娘さんが書いておられる。八戸ノ里駅近くにある宮本順三記念館は私たちの年代にとっては懐かしい空間だ。 

この他、
「河内音頭の世界」(村井市郎・河内音頭研究家)
「河内のなりたち」(別所秀高・鴻池新田会所)
「河内の渡来人」(田中清美・大阪市文化財協会)
「皇紀二千六百年の孔舎衙」(中谷作次・新聞資料館)
「幻の河内大橋」(安村俊史・柏原市立歴史資料館)
    ・
    ・
「帝キネ界隈」(荻田昭次)
「稲荷山遊園地と谷崎潤一郎」(浜田昭子)
「太宰治『パンドラの匣』の舞台は、孔舎衛健康道場だった!」(藤本優子)
「人工衛星まいど1号の推進力」(成瀬俊彦) 
など、15の論考に29の小論が掲載されている。

本が刊行されたら、「河内の郷土文化サークルセンター会報」に広告掲載して頂いている関係から、協同組合・大阪紙文具流通センターに1冊贈呈して頂けるとのこと。流通センター事務局サロンの蔵書として多くの方々に読んで頂きたい。

紙と文化の関係にあやかって、企業団体と地元の文化団体と重なり合う関係になれればいいなと思う。
例えば、紙と文具の卸商が東大阪長田の地に結集して40周年を迎えるにあたり、40周年記念事業を開催するならば文化的な講演会をプログラムに加えるのはどうだろう。

当団体は市の著名人の集まりであり、多方面にわたる研究者の集まりなので、商業から文化的なテーマまで講演会の要望に応えてくれるだろう。
各企業が自国(地元)との関係を築きながら自国他国で存分に経済活動を発揮してほしいものである。

ついでながら、有名な岡山県の桃も、元は東大阪の稲田(長田のすぐ近く)の桃を原種としているとのこと。当時の絵を見せてもらったことがある。
かつてこのあたりは桃畑が広がり、今の流通センター附近一帯は蓮根畑だったそうだ。だから地盤が柔らかい。

ところで、拙文のタイトルは愚題だったかも・・・。
「太宰治『パンドラの匣』の舞台、孔舎衛健康道場」にすればよかったかな?そんなことを思いながら発刊を楽しみに待っている。

10月21日午前9時追記:

MIKIOさんに教えて頂いていた10月3日の『パンドラの匣』試写会に行けなくて、浅田先生にもお目にかかれなくて残念だったが、久々に「今どーなってるの?!東大阪」(http://www.do-natteruno.com/con_a/a25/a25.html)を訪ねると、その様子が掲載されていた!

画面の5つ目の写真、「『パンドラの匣』試写会&座談会」の写真にカーソルを置いて頂くと見ることができる。
写真左から木村重信さん(作品の主人公・「ひばり」のモデルになった木村庄助氏の実弟)、作品の舞台発掘者・浅田高明先生、映画監督、ミッキー・カーチスさん。

昨日、浅田先生に25周年記念のご案内をお送りした。
もう一度、懐かしい商大で先生とお目にかかれるならば、こんなに嬉しいことはない。



posted by 優子 at 23:35| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年10月18日

今月は三浦綾子召天10周年

今月は三浦綾子召天10周年である。1999年10月12日に亡くなられた翌年秋だったと思うが、母教会の放出教会で三浦光世氏の講演をお聴きしたことがある。

関西では毎週土曜日の朝7時からサンテレビで「ハーベストタイム」が放送されている。「ハーベストタイム」は当ブログで初めてご紹介させて頂くが、日曜日朝7時の「ライフライン」同様にキリスト教番組である。

「ハーベストタイム」では、召天10周年を記念して、来月2回に渡って三浦綾子を取り上げられるとのこと。特に『道ありき』をテーマとしたものであるらしい。

今月9日に配信されたメールマガジンの最後の部分をご紹介し、私も放映を楽しみに待ちたい。
私自身(中川健一牧師)、「道ありき」のハイライトとでも言うべき出来事の舞台となった春光台の様子を初めて見せていただいた。また、綾子さんのご主人の三浦光世さんの思い出話も聞かせていただいた。
その結果、三浦文学の神髄を一言で表せば、「道ありき」であることを確信した。

番組の最後のショートメッセージで、私は以下のように語らせていただいた。
前川正が堀田綾子(当時)に語った言葉にこういうものがある。
「綾ちゃん、人間はね、一人一人に与えられた道があるんですよ…… ぼくは神を信じていますからね。自分に与えられた道が最善の道だと思って感謝しているんです……」

三浦文学の神髄とは、以下の3点である。

(1)イエス・キリストこそ道であるという認識
 ヨハネの福音書14:6

(2)自分にも道が用意されているという確信

(3)その道を歩けば、神の守りと祝福があるという体験

 三浦光世さんは、人生を振り返って「主の山に備えあり」とまとめられた。
 認識から確信へ、確信から体験へ、これが「道ありき」の人生である。

 11月に放映されるこの2番組、ぜひご覧ください。

地上デジタル放送になれば、当地域ではサンテレビ(神戸放送)を見ることができなくなるので残念でならない。

※ 今日、自治会の秋の一斉清掃を終えてホッとしている。
約330軒、27班の総指揮者としての重荷が降りた。明日一番に市の生活環境課や公園・道路課と、地域内にある病院への要望連絡で完了するはずだ。
と言うのは、これまでにも何度か苦情をお伝えしており、今月初めには病院の事務局長と共にお二人が私宅を訪ねてまで受け止めて下さっているのに、未だそのままとのことで再び同じ内容の苦情が届いている。(>_<)

10月初めには赤い羽根募金箱と旗を持って設置のお願いに行き、快く協力して頂いているが、住民の苦情は届けなくてはならず役目柄辛いところだ。今月は29日に予定しているバザーの関係で月末まで自治会のことで多忙だ。

来月のクリスチャンペンクラブ関西ブロックの研究例会では三浦綾子の『銃口』を取り上げる。今年初めから聖書以外、読書する余裕は無いとは言え努力不足もはなはだしく、またしても読まずに例会に出席するのが不本意でならない。


posted by 優子 at 23:02| ご案内 | 更新情報をチェックする

2009年10月14日

証しを読んだマチ・クマからコメント届く

今夏、「神の臨在」と題して書いた証し―神による半生―を真智子にも読んでもらった。婿と従兄弟や友たちには改めて自己紹介のつもりであり、神が用いて下さることを祈ってお読み頂いた。

証しを読んでくれた真智子のメールに、私は涙が溢れて溢れてしかたがなかった。
まちは証を読んだ時、特におばあちゃんの関係のところで、色々なことや感情を思い出して、涙が出てきました。
今は、時間が経ったこともあって、どれだけ苦しい状況にママがいて踏ん張って頑張ってくれてたか、家族をまとめてくれていたか、といったことが、かつてよりも良く分かったような気もしました。
ありがとう

昨日のミネソタは雪が降って積もっていました。
今日の朝は、マイナス2度でした。。。。

もう、厳しい冬が始まりつつあります。

頬を伝う涙はかつての悲しみの涙ではなく、かつての苦難の日々について、それは娘にとっても苦難の日々であり、立派に成人した娘がこのように言ってくれたことが嬉しくて泣いたのだ。

「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
 種を携え、涙を流して出て行く者は、
 束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。」

                
                  (詩篇126篇5・6篇)

娘の言葉は神さまから頂いた最高の喜びだ。父と母も喜んでくれているであろう。
心配してティッシュペーパーを持ってきてくれる孫に、「悲しいから泣いているのではないよ。嬉しくて泣いているの」と言いながら涙を拭いていた。

人は悲しいから涙するだけではなく、最愛の人に深く理解された喜びにも泣くのである。悲しみや苦しみを癒すのも涙ならば、そこを突き抜けて歓喜に至った時にも涙するのである。泣くことは笑うことと同じくらい素晴しいのではないかと思う。

生きている限り次から次へと困難なことがやってくる。だから生きているということなのであるから、主に在って雄々しくありたい。

今また新たな涙の種まきが始まっているが、このこともまた喜びの刈り取りに至るまで、必ず神さまが支え導いて下さることがわかるので苦しくとも進んでいこう。
苦難を通してこのような信仰に至らされたことに、私は神の栄光を拝する。


太志君(婿、愛称クマ)からも嬉しいメールが届いている。

「本当に苦しい中を歩み続けて、報われない思いの連続だったにも関わらず、信仰に立ち返ることができたというのは、お義母さんが本当に真摯に、求め続けていたからだと思いました。

状況が目に見えて良くならなくても、信仰は、本人の意志と、それを支えられる主の御手によるのだと、改めて思いました。

今回の帰国は、僕も主の導きを大きく感じました。」       


証しに書き込んだことは神が臨在しておられることと、主の御名を呼ぶ者を神は決して見捨てずに最後まで守り導かれることをお証ししたのである。
神と共に在った尊い経験が拙い書き方になっているにも関わらず、太志君は私が最も伝えたかったことを読み取ってくれたことを神に感謝した。


一昨日、テサロニケ人への第一の手紙5章16〜18節が照らし出されて、一日の終わりにブログを書き始めたが操作ミスで消えてしまった。
その日、冬布団の入れ替えなど一日中動いていたので、再度書いて更新することができなかったので今日の記事に書き留めておきたい。

「絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。
 これが、キリスト・イエスにあって、
 神があなたがたに求めておられることである。」

例えば、クリスチャンならば危機的な話し合いの時にも、相手の話を聴きながら神に助けと導きを求めて祈るだろうし、電車の中で、また、散歩中に祈ることもしばしばである。

人間が呼吸しなければ生きられないのと同じように、クリスチャンは祈りが無くては生きられない。とにもかくにも、このように神と交わる術(すべ)を与えられていることが最大の祝福であると感謝している。

ところで、この箇所は英訳聖書の" New International Version "では次のようになっている。

Always be joyful.
Never stop praying.
Be thankful in all circumstances,
for this is God's will for you who belong to Christ Jesus.
               
               (I Thessalonians 5:16〜18)

日本語訳の「絶えず祈りなさい」は、" pray at all times. " の意味合いで理解していたように思うが、" Never stop praying. "とは何とわかりやすく魂にダイレクトに届くではないか!

「祈ることを決してやめないでいなさい」と言うのだ。
その真意は「祈り続けよ!」ということであり、太志君が感じ取ってくれたことと一致する。

そして、「すべての事について、感謝しなさい。」というのもわかりやすい。「どんな状況においても、神さまが共におられることを感謝しなさい。」と言うことであり、神のみことばが我が体内に充満する。


「いつも大きな喜びを言い表しなさい。
 祈るのを決してやめないでいなさい。
 どんな状況においても、神さまが共におられることを感謝しなさい
 なぜなら、これがキリスト・イエスに属しているあなたへの
 神の思い(みこころ・ご意思)だからです。

昨日の掃除中、真智子と太志君は本当に来ていたのかしらと思うほど夢のような4日間であった。
別れた時は、いつものようにモノトーンの景色にも無音の世界にもならなかったし、日常はこんなに賑やかなのに寂しくてならない。


冷蔵庫にはお正月のあとのように食料品が溢れるほど残っていて、先週末の買い物はヨーグルトと納豆を買い足しただけだ。
たった4日間だったから用意していた物の半分も食べさせてやれず、あれもこれも出し忘れたのが出てきて残念でならない。

真智子と太志君へ

我が家もベッドに毛布を敷き、居間には電気カーペットを敷き、すっかり冬支度が整いました。そちらではマイナス30度以下にまでなる北極並みの寒さなので、どうか栄養と睡眠を十分に取って健康第一で学究生活に励まれますように。

真智子と太志君の歩みに更なる祝福を祈りつつ、私もイエスさまと共に励みます。信仰生涯を分かち合える家族がいて、私は深い慰めを得ています。ありがとう。

春が来て、初夏になればまた会える!
それまで神さまが霊肉共に守って下さいますようにお祈りします。
                       
                主に在って喜んでいるママより


2009秋、奈良2.jpg

   「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。
   繰り返して言うが、喜びなさい。
   あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。
   主は近い。
   何事も思い煩ってはならない。
   ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、
   あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
   そうすれば、
   人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
   あなたがたの心と思いとを、
   キリスト・イエスにあって守るであろう。」

              (ピリピ人への手紙 4章4〜7節)


posted by 優子 at 11:47| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年10月11日

奈良公園で孫と楽しむ

昨朝6時に太志君からミネソタに無事到着したとのメールが入ったので安堵し、朝一番にカットを済ませてマチ・クマの洗濯物を片付けるのに精を出した。

真智子たちが帰った夜から寒くなったので羽布団にしたかったが、掃除まで手が回らなかったのでパジャマの上からセーターを着て寝ている。私は気持ちよく掃除をした時でないと布団を入れ替えるのが嫌なのだ。ようやく明日には掃除できるだろう。

今日は10時からの自治会役員会を終えて、午後は孫を奈良公園へ連れて行ってやることになった。帰宅したのが12時20分、大急ぎで昼食を済ませて洗濯物だけ取り入れて1時過ぎに家を出た。

とにかく今も電車が好きで好きでたまらない孫である。
平日はママが、休日はおじいちゃんが駅へ連れて行くのだから、今日は電車に乗れて最高の一日だっただろう。

奈良県に住んでいても奈良駅まで1時間はかかる。行きは八木、西大寺経由で行った。はるばるアメリカへ帰る真智子と太志君を見送った電車だ。
八木で橿原線に乗り換える時、特急に乗り換えて名古屋へ向かったマチ・クマの姿を追った。たった2日前にここで特急券を買っていたのだ。私は犬が臭いを嗅ぐように二人の姿を追い求めていた。寂しかった。


奈良に着くと心斎橋筋のような混みようで、このような賑やかな奈良公園は子育ての時以来だ。シルクロード博が最後だったかと思う。修学旅行の中学生や外国人も多かった。

2009秋、奈良公園@.jpg

初めて出会った鹿。今日一番のかわいい鹿だった。

2009秋、奈良公園A.jpg

まだ鹿に慣れなくて怖がるユキ。

2歳3ヶ月のユキは、日本最大の山門、
東大寺南大門の両側に設置されている運慶・快慶合作の
金剛力士像を恐れた。

帰り道では立ち止まって動かなくなってしまった。
どうしたのかと思ったら、南大門が視野に入って恐怖に脅えたのだ。
おじいちゃんが抱いても怖がって目を閉じてしがみついていた。↓

2009秋、奈良公園B.jpg

そして、そこを通り抜ける時はこんなことをしていた。

2009秋、奈良公園C.jpg

今気がついたが、
カメラを見ると目の前にもう一つの金剛力士像が見えるのだから
怖くて手で目を隠してしまったのだ。
ごめんね、ユキ!

2009秋、興福寺.jpg

興福寺五重塔の前で。

2009秋、猿沢の池.jpg

猿沢の池。(この時は夕方4時10分)
岩の上に上がっていた亀は一匹だけで、みんな泳いでいた。

2009秋、奈良@.jpg

私はこのシカを買ってやりたかった。
ユキは大いに喜んでくれた。
嬉しそうに引っぱって歩く姿が何ともかわいい!

2009奈良にて.jpg

知子にはピンクのを買ってやったのを鮮明に覚えているが、
真智子には赤いのを買ってやったと思うのだけれど・・・

2009秋、奈良2.jpg 

5時過ぎから早い夕食を摂り、8時前に帰宅した。
「ユキちゃん、鹿とポッポーとどっちが良かった?」
すかさずにユキは答えた。
「ポッポー!」 ふらふら わーい(嬉しい顔)

ユキの大好きなポッポー。それもローカルな近鉄電車がいいのだ。
「ユキ、布施駅ホームの写真を撮っておいてあげたよ。ユキの大好きな近鉄電車、ポッポーの勢ぞろい!」

2009秋、布施のホームで.jpg

「ほら、アーバンライダー(アーバンライナーのこと)もあるよ!
テンテチュトッキュがいっぱいいるね。」

ユキだけではなく知子も今日はとても楽しかったと喜んでいる。
秋の一日、孫と知子との楽しい時を感謝し、真智子と太志君のことを想いつつ記録した。

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年10月09日

真智、太志君、またね!

これは今朝7時の写真だ。
真智子たちの荷物を駅まで運ぶのは知子に任せて、夫はいつも通り6時40分過ぎに会社に向かうはずだったが一緒に見送ってくれた。
しかし、ひとことも全く話さない。昨夜もそうだ。言葉の少ない夫だが昨夜から全く話さなくなってしまった。寂しいのだろう。

また会おうね!感謝。.jpg


寂しさに耐えて娘を見送る夫。これを書きながら私も涙が溢れてきた。
「真智子、元気でね。太志君、またね!」

真智子と太志君は近鉄電車で名古屋に出て、そこから新幹線に乗り換えて東京へ向かう。そして、4時15分の飛行機で日本を離陸する。
次回の帰国は夏休みなので来年5月まで7ヶ月間の別れだ。

神さま、真智子と太志君との楽しい時をありがとうございました。今回もまた互いに人生を分かち合い、神さまからの深い慰めと喜び、そして、意欲と希望に満たして下さったことを心から感謝します。

これからもそれぞれの置かれた所で、それぞれの日々の務めを忠実に果たしていくことができますように助けて下さい。

真智子たちは再びアメリカに向かって飛び立ちますが、どうぞ無事に到着しますようにお守りください。これからも霊肉を支えて学問研究を進めさせて下さい。

私たちのことを背後で祈って下さっている方々を豊かに祝福して下さい。言い尽くせぬ感謝と祈りを尊い主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げします。アーメン。

ミネアポリス・セントポール空港には、日本時間の今夜半(10日)2時に到着予定、現地時間は9日(金)午前11時頃だ。

ミネソタでは日本に向かう9月末に既に5度になっていたという。5度と言えばこちらでは真冬の気温だ。
今回は帰国した日から天気が悪く肌寒くなってしまい、4年振りの日本の秋なのに暖かい陽射しを楽しませてやれなかった。勿論、それでも暖かいと言っていたけれど。

ミネソタはこれから急激に気温が落ちていき、マイナス30度以下の極寒に向かう。マチ・クマよ、4度目の冬も健やかなれ!

思い出のスナップ集
2009.10.8.jpg

昨日の日暮れ前の写真。
ユキはミネソタ大学のロゴマーク入りのパーカーを、
真智子は中学時代の服を着ている。(^−^)


昨日は台風が去って10時頃から急速に天気は回復したものの
台風一過というほどではなかった。
午後に訪ねてきた妹を見送ってから、
日暮れと競争するかのように大急ぎで散歩に出た。

次は、IMFでインターンシップに就いていた時の真智子。
(2009年6〜8月)

IMF時代@.jpg 

真智子が担当したのはアフリカ局(African Department)で、
太志君はIMF研究所(IMF Institute)だ。

ところで、真智子はアメリカへ渡って以来ずっと夫君のヘアーカットし、
自分のヘアーまで器用にやっている。
揚げだし豆腐を作ったりお料理も大好きな素敵な真智子である。


IMF時代A.jpg

太志君も決まってるね!

IMF時代B.jpg 

IMFのロビーにて。

これからも真智子と太志君の働きが祝されて
大いなる活躍をお祈りしています!
愛しているよー。
ありがとう!
 黒ハート


17時30分追記:
今回見送ったあとの景色は初めてモノトーンにはならなかった。きっとユキや知子が居るからだろう。昨夜は4時間足らずの睡眠だったので、昼下がりに横になっていると2時間も眠ってしまった。

目が覚めてから寂しくてならなかった。
時計の針が4時15分を指した。動き出した飛行機は次第に勢いをつけて天空に飛び上がる頃だ。私は寂しさに涙し、旅の無事を祈った。

締め切っていたリビングから廊下に出ると冬のにおいがした。日本もこれから一気に秋が深まっていくのだろう。


posted by 優子 at 13:36| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

不変のパラダイムに立って

大阪洋紙同業会のホームページの「理事長挨拶及び綱領」に夫の挨拶文が公開されている。

夫が発信しているメッセージを通して、古代ギリシャ人が美しいと考えた「円の思想」を想起させ、「円の思想」から「楕円の思想」への転換を考えさせられた。

インターネットが当たり前の時代になった今、あらゆる分野において時代の歴史的転換期、枠組み転換期の終盤に入ったように思う。

バブルが弾けて以来、かつてない激しい弱肉強食はますます激化するばかりで、経営者の気苦労は計り知れないものがある。小売店や卸商が容赦なく淘汰されていく今、倒産や廃業は単純に個々の努力結果によるものとは言えない時代だ。

私は経営の「いろは」も知らないが、思考の転換を図らねばならないと思うので神の知恵を祈り求めている。

自社を発想の起点とするのではなく、共に他者を生かす真の愛のように楕円の関係を形成するとよいのではないか。その観点から「楕円の思想」に目が向けられた。

花田清輝は『復興期の精神』で、「いま、私は、立ち往生している。思うに、完全な楕円を描く絶好の機会であり、こういう得がたい機会をめぐんでくれた転形期に対して、心から、感謝するべきであろう。」と結んでいる。

そして、エーリッヒ・フロムの弁、「愛においては二人は一つとなり、しかも二つに留まるという矛盾したことが起こる」にインスパイアされ、企業経営の考え方にも成り立つパラダイムだと確信的に思う。

つまりこうだ。
経営者は自社が立ち行かなくなるまで無理な努力を続けるのではなく、会社の体力のあるうちに対等な立場で、あるいは優位な立場で他社と合併して存続を図ることの方が賢明だ。
オーナー社長にとっては最強度の苦渋の決断になるが、時代を先見せねばならない。

この思いが正しければ、神の絶妙にして絶好の機会が到来した時には「今だ!これに歩め!」と示して下さることであろう。

とにかく経営においても永遠に変わらない神の価値観に立つことこそが、最も新しい時代の存続をも可能にすることになる。
道しるべは全て聖書の中に示されているから、「失望せずに常に祈るべきこと」を教えて下さったイエス・キリストの導きを祈り求めていきたい。


今後ますます夫の賜物を生かして手腕を発揮し、周囲に影響を与える事業家に導かれることを神に祈っている。

 明日の北海道行きは台風18号接近のために中止になった。
9日朝には真智子たちが再びアメリカへ発つ貴重な時、8日夜も一緒で良かった!
 わーい(嬉しい顔) るんるん 犬


追記:以下は理事長挨拶文である。
この度、大阪洋紙同業会の理事長に就任致しました藤本でございます。
現在紙業界は、景気減速による過去に経験したことのない需要の落ち込みで厳しい経営が続いております。

その中で卸商もまた、数量の大幅な落ち込み、価格の下落、そして、与信問題など、大きな問題を抱えて苦しい経営を余儀なくされています。

同業会もこのような厳しい状況下で、何を為すべきかが問われる時代になっております。
これまで大阪の卸商は長年代理店に預け、在庫を当てにして自社在庫を持たなくても商売ができておりました。

しかしここ5年程前から、代理店の物流経費の削減により、自社で在庫を持って保管料や物流コストを負担しなければならなくなり、倉庫を持っている卸商と持っていない卸商との格差が出てきております。

同業会のメンバーもピーク時には139社ありましたが、現在は73社になっておりますように、今はいかに存続していくかを選択するべき時期にきております。

今や既存の努力ではどうしようもない時代であり、事業家も考え方を変えなければなりません。

同業会もまた数量が大幅に落ち込んでいる今、価格を下げないで適正マージンを確保することが最重要です。

そのためにも、これから存続していくための知恵と情報を共有し、互いに協力することこそが自社を保ちながら時代の変わり目を乗り越えていく有効な方策であると考えます。

自社中心に考える時代は過ぎ去りました。今や他社との関わりでしか存続できない時代に入りました。この現状を改変し、いかに克服するか。

人間が一人では生きられないように、今や企業もまた自社と他社の二つの焦点を持って、柔軟性と可能性を併せ持つ考え方にチェンジしなければなりません。

事は緊急を要します。共に立っていけるように舵取りをしていこうではありませんか。
どうかよろしくご教示下さいますようにお願い申し上げます。



posted by 優子 at 16:41| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2009年10月06日

再会の喜び。出発は9日早朝。

4日夜、8時45分頃に真智子夫婦が無事に帰宅した。感謝!

3日(土)の国際会議での発表は、とても大きな反響があったようだ。聴衆席が不足し、イスを足してもらっても足りず、立見席で聴いて下さった方々が廊下にも溢れて聴いて下さっていたそうだ。

何人かのパネリストも聴きに来て下さったことや、ある外国人から真智子が教授と間違えられたエピソードなどから、娘の活躍ぶりを彷彿させた。
真智子自身もアメリカでの成果の手ごたえを感じたようだ。汗と涙の努力の結晶である。


昨夜はワシントン滞在期間の写真やIMFでのインタビューのビデオを見せてもらった。たいしたものだ!
心を働かせて生きる日々ゆえに、今回も感動のエピソード満載だ。何よりも共著させて頂いた権先生との出会い、そして、個人的出会いを深める交わりに神の御手を感じずにはいられない。

二人は権先生の学者として、教育者として、その大前提である人間としての在り方に感動していた。「権先生にはとても良くして頂き心から感謝している」と、恵みに感謝する二人である。

また神戸大学時代に顔見知りだった留学生とIMFで再会した話にも感動した。
その方はマダガスカルから神戸大学の大学院に留学していた人で、学部時代の真智子を知っていた。その後、キャリアを積んで今はIMFで仕事をされており、顔見知りだけだったお互いがすれ違いざまに同時に気がついた!その感激はすごいものだったに違いない。

写真にはその人の人物像も見事に表情に現れていた。
人はそれぞれの生き方が顔を作る。国籍や文化が違おうとも心豊かな表情は万国共通だ。

そして、世界は狭い!
世界のあらゆる所で、あらゆる分野の若者が、より良き明日のために惜しみない努力を重ねていることに私は深い感動を覚え、気持ちが引き上げられる。


さて、マチ・クマが帰って来て誰よりも驚喜したのはユキだった。
嬉しくて嬉しくて、次から次からお気に入りのオモチャや本を見せ、歌を歌ったり、帰宅早々からお絵かきをしたりしてもらったりで大変!
兎のように両足でピョンピョン飛んで喜びを表わしている。

「マチ(真智子おばちゃん)、こっち!」
「フー(太志おじちゃん)、あっち!」
と、夜遅くまで明るい声が聞こえていた。

まもなく2歳3ヶ月になるユキは、「マチ!」「マチ!」と同い年の友達を呼ぶように連発し、真智子から離れずにまとわりついている。
アメリカではファーストネームを呼び合う社会だから「マチ」でいいが、日本では「真智子叔母ちゃん」と教えなければ具合が悪くないか。将来、真智子の子供の前で「マチ」と呼んだら・・・といろいろ想像すると、やはり「真智子おばちゃん」と正してやろう。

再び皆が元気で再会できたことを神さまに感謝した。
真智子と太志君は疲れていたが、到着した夜も寝室に入ってから聖書を開いていた。私には三浦綾子夫妻のシルエットと重なって見えた。


今日は私の従兄弟のお見舞いにマチ・クマと3人で出かける。
二人はこのことのために大切なワークショップを2回も欠席して滞在を長くしてくれていることを昨夜知った。
そして、我が家を発つのは9日早朝だ。
あと3日。
夫は8日から北海道へ行くのでもっと僅かな時間になる。

従兄弟に贈った讃美歌が、今日届くとのメールがアマゾンから届いていた。真智子たちと共に主に在る慰めと励ましを届け、イエス・キリストの福音をお伝えできますように。

posted by 優子 at 08:44| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする