2009年11月30日

今朝の読売新聞朝刊に刊行本報道さる!

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我が家は毎日新聞を購読しているので知らなかったが、MIKIOさんから喜びの速報が届いた!


posted by 優子 at 10:43| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年11月29日

河内の郷土文化サークルセンター創立25周年

昨日は千里さんもお誘いして「河内の郷土文化サークルセンター創立25周年記念事業」の記念式典に集った。
私はこの文化活動に昨春まで通算8年間を理事として、最後の3年間は役員としても関わらせて頂いた。20年所属して去年お別れしたということは、センター創立4年目に入会したことになる。私たちには懐かしいふるさとの一つである。

記念式典には大阪商業大学学長・谷岡一郎氏に続いて、東大阪市長(野田義和氏)、八尾市副市長、そして、大阪市生野区区長が祝辞を述べられた。

私は田中絹子会長のご挨拶を拝聴しながら、亡き西口孝四郎先生ご夫妻を偲んでいた。ご健在ならばどんなに喜ばれたことであろう。
式の終わりのご挨拶に立たれた杉山三記雄さん(MIKIOさん)もまた草創期からのメンバーであり、それぞれの個性を活かして魅力的に生きておられる方々だ。

昨日は240名を越える芳名記載があり、刊行本も昨日だけで47冊も売れたそうだ。私は午後のシンポジウム、「出版記念フォーラム」にも残りたいのは山々だったが断念して昼過ぎに会場を出た。

驚いたことに、そのフォーラムでパネリストが私の記事を賞賛して下さっていたとのこと。浅田先生に感謝の想いが募る。
折りしも今年は太宰治生誕100年であり、再度映画化されて話題を呼んでいる。その幸運なタイムリーさも忘れられない思い出になった。

先生の御体調が悪く残念ながら再会は叶わなかったが、先生が書いて下さった本への賛辞を編集された方々にお伝えし刻ませて頂きたい。

「河内の国の歴史、風土、習俗、宗教、文化・・・・など、あらゆるジャンルに関する多くの立派な論考が並んだ、まことに素晴しいご本、これから読み進めてゆくのが楽しみです。(略)
いただいたご本を読むことで、記念フォーラムの内容を偲ぶことにしたいと思います」。


ところで、10月3日に石切神社の石切寮で開催された映画『パンドラの匣』の試写会と座談会では、冨永昌敬監督や俳優のミッキー・カーチス、主人公ひばりのモデルになった木村庄助氏の実兄、そして、浅田先生たちで語り合われたが、この開催のために尽力されたお一人が、昨日の会場で掲載文の執筆者ということで声をかけて下さった。

その方は、「NPO法人・コミュニティ・エンパワーメント東大阪」の事務局長さんで、以前は市会議員をされていた活動的な女性だ。
試写会の時にも署名帳に私の名前を捜して下さっていたとお聞きして、思いもよらぬことに恐縮した。

あの時、無理をおしてでも行けば先生にもお会いできたのにと悔いが残る。寒い冬が過ぎて春爛漫の頃に、先生とご一緒にお近くの醍醐の桜を見たい。

人と人の出会い、心の通い合い、同時代に生きる者同士の連帯感・・・いろんな熱い思いが溢れてくる。
どの人も皆、幸いな生涯でありますように。
私も良い人生を送りたいと思う。


posted by 優子 at 22:15| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

「今日という日は、神さまからの贈り物」

「昨日は過ぎ去った歴史、明日はまだわからない神秘、今日は贈り物。
だから『今』のことを『プレゼント(present)』というのです」。
                
                
                (ルーズベルト大統領夫人の言葉)

「兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。
すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」。


             (ピリピ人への手紙 3章14・15節)

この書簡を書いたパウロは、かつてイエスを激しく迫害し、イエスに従う人々を捕らえて拷問していた人である。

そのパウロが自らの過去を忘れ、神に期待して、未来に向かって情熱的に生きよと言うのだ。
「忘れ」るというのは、神に一切の過去を赦され罪悪感から解放されて自由になったという意味である。

それでも残る心の痛みもあろうが、それは今を安易に過ごさないようにさせてくれる。そして、神の確かな助けを頂いて希望を持って生きていくのである。素晴しい生涯を築き上げていくことだろう。

私たちもパウロのように、「前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走」ろうではないか。その情熱もまた全て神が与えて下さるだろう。

「昨日は過ぎ去った歴史、明日はまだわからない神秘、今日は贈り物。」
朝ごとに神さまからのプレゼントを感謝し、心を込めて生きよう。
今日も良い一日を!

     
posted by 優子 at 08:27| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2009年11月25日

JCP研究例会での恵み C (余録)

作品講評では、今年度の執筆課題になっている「私の愛唱聖句」について二つの作品が取り上げられ、私の作品も講評して頂いた。

この作品はようやく先週になって初めて取り組み、2〜3日かけて書いたものである。3枚の短いものであっても2〜3回で良しとできるのは、私にとっては大変な速筆である。
神さまを身近に感じながら19日の朝に書き上げたのだった。題して「神のナビゲーター」。

私は11月に入ってから自分の時間を早朝に取るようにした。
夜寝るのが遅くなって4時間の睡眠時間でも、しんどくない限りは起きて5時半過ぎから机に向かう。直ぐに書き始めることもたびたびだが、聖書を開き、信仰書を読み、神の前に静まる時間を最優先することにした。
夫を見送ってからも雨の心配がない限り、愛犬の散は後回しにして孫が起きるまで集中するのだ。

さて、作品を朗読し終わった瞬間に、大田先生と今関先生が拍手して下さったのには驚いた。神さまからの励ましを感じた。
ある友は、「自動車のナビゲーターを見て神さまを想像するなんて、豊かな感性だなぁ」と仰って下さり嬉しかった。
活字になってから公開させて頂きたいと思う。

今後の役割分担では、『関西ペンの声』の編集長をしないかと推された。嬉しかったが、今はとてもできそうにない。
本当ならばこんな光栄なことはなく、ペンクラブのことで労することは私の願いであり喜びだからだ。

パソコンの使い方を学べる絶好のチャンスでもある。
パソコンで送られてきた文章を「テキストに変換する」など、耳にするのもこの時が初めてというくらい何も知らないが、レイアウトの仕方も教えて下さるのだから挑戦したいところだ。関心があっても自分から進んでというほどではないだけに良い機会なのだ。

しかし、今はお受けできない。無責任な引き受けかたはできない。
私は言葉少なく、ひとことで事情を話した。

あとに沈黙が落ちた。

そして、快く了解して下さった。

限りある人生を最大限に生きたいと思う。
しばらく筆が重くなっていたが、にわかに盛んになってきた。
深い痛みの中に在っても神を賛美できる恵みに感謝!

                    (完)

posted by 優子 at 08:42| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

JCP研究例会での恵み B ―文学の使命―

まず先の記事で、はしょっ(端折)たところを書いておきたい。
「神を離れて正しくあろうとするのでなく、罪を悔い改めるところから歩みをはじめたい。
三浦綾子の厳しい自己呵責や罪意識、虚無感の根底には、自己中心的にしか生きられない人間に対する深い自己省察がある。」
というところだ。

主人公・北森竜太の誠実な教師像は既に述べたとおりである。しかし、彼には深い反省がある。大田先生のお説を続けたい。

「たとえば、帰途、下関で飢えた子どもに握り飯のひとつこころよく差し出すことができなかった。教師として立つ前に人間として悔い改めねばならぬものが自分にはある」。

主人公はいかに自己中心であったか。
教師として立つ前に人間として悔い改めねばならない。竜太は自分の生きてきた本質は自己中心であると自己の愚かさに目覚めた。
私たちは自己中心と闘わねばいけませんよと、作者はそのことを訴えていると読みたいと思う」。


このほか、三浦さんのストーリーテラーとしての構成力のすごさについても触れられ、その一例を挙げれば、

「主人公の父が質屋の設定で学歴はないが大変な人格者だったこと。宗教は持っていないが、根っからの正直者で誠実に生きてきた人だ。昔の日本人の殆どはこういう人たちだったと思う。

父は命をかけて金俊明を守り、金もまた父(北森)を命がけで守る。
(三浦は)最初から父をクリスチャンにしてしまわないで、それを我慢して、いわば隠れクリスチャンとして書いていった」。


さて、今回も大田先生から膨大な資料を頂戴した。
その中で西村徳次郎著『昭和キリスト教受難回想記』103ページに及ぶ書を、一冊丸ごとコピーして配布して下さった。

西村氏は戦時下において、政府のキリスト教政策の実行担当者の一人であった。キリスト教を弾圧し圧迫した人であるが、のちに受洗。まさに日本版パウロのごとき証し人である。

私は、『ベン・ハー』を書いたルー・ウォーレスのことを想起した。
彼は反キリスト者でキリスト教を批判するために、あらゆる文献を詳細に調べた。しかし、調べれば調べるほどに、キリストが神の子であることを信じないではいられなくなり、『ベン・ハー:キリストの話』を書いたのである。

この西村徳次郎もまた奇しき神のみわざである。
『昭和キリスト教受難回想記』には、文部官僚でなければ知りえなかったことがかなり入っている貴重な文献だ。

編者の吉岡繁氏(西村は吉岡の父にこれを託した)は、この本が一人でも多くの人の目に読まれるようにとの意志でコピーすることを快諾され、大田先生が労して配布して下さったのである。
毎回惜しげもなく与えて下さる膨大な資料を無駄にしてはならない。

このほか、特高の資料である「知識人に対する弾圧」、『大東亜戦争時代の子どもの綴り方・もり上がる力』は少し読むだけでも、歴史を目の当たりに見る思いである。

大田先生は、「今、日本の反省を口にすると『売国奴』という言葉が飛び交うようになった。それが怖い。」と、言論封殺の風潮を懸念された。

私の目にも、今の日本が「この道はいつか来た道」を歩き出しているのが明確にわかる。
日本はいったい何処へ行こうとしているのだろうか。
大きな力がジワジワ動いているのを感じる。
再び愚かな歴史を繰り返さないでおられるのか?!罪深い人間の本質、限界を見る思いだ。


しかし、私たちは最後の最後まで努力を続けなければならない。
そう、ルター(ルターの言葉だと伝えられている)が言ったように、「たとえ明日世界が終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える」のである。それぞれ自分の置かれた所で、神に在る希望を植え続けたいものだ。

「ふたたび『銃口』が背中に当てられる時代がきた。今度はキリスト者として目覚めて戦いたい。権力へのおそれやへつらいからもっとも弱い者を二度と犠牲にはしない」。(三浦綾子)

まさに、『銃口』は私たちへの遺言だ。文学の果たす役割もまた多大である。

「クリスチャンも、どのような社会を作っていくのかという幻をみつめながら、社会に対しても発言しなければならない」。

御講義を結ばれた師の言葉が今も脳裡に響く。

(21日)夕刻5時半過ぎ、教会を出るとすっかり日が暮れていた。
これは大津教会から数歩先の大通りに出たところで、JR大津駅は目の先にある。

大津駅前.jpg


                          (つづく)

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2009年11月23日

JCP研究例会での恵み A ―「昭和への遺書『銃口』」―

学びでは、大田正紀先生より三浦綾子の『銃口』について拝聴した。
その導入部で、現代日本でタブーとなっている天皇制、自衛隊、宗教と政治について。また、教科書検定問題の経緯、「日本の近代史をいかに書くか?」について述べられた。

その中で「歴史観の修正を促した小説家・歴史家」として司馬遼太郎について触れられた。

「司馬さんのペンネームは司馬遷を遥かに越えるという野心をもって作ったものである。
司馬さんがなぜ小説家になろうとしたかと言えば、日本が近代アジアの中で最も良い歴史を持っているのに、なぜ、昭和の20年はこのような愚劣な道に入っていったのかというところにあった。
しかし残念なのは、プラスのところしか書いておらず最後まで詰めていない。

それに比べて漱石は、日露戦争をピークにして、これからの日本はもっと危ういところを歩んで行くことを見通していた。
『三四郎』の中で、日露戦争の勝利で浮かれている時に『これから日本はどうなりますか』と尋ねられた広田先生は、『日本は滅びるね』と答えている。

漱石と三浦綾子の似通っている点は、漱石は明治を丸っきり生き、明治の終焉と共に死んだにの対して、三浦綾子は昭和を生き、昭和の御大葬を見た。

そして、本論に入られた。
その冒頭で、三浦文芸を「愛とあかしの文学」と名付けられた久保田先生の批評について:
「『銃口』は、これまでの作品において見られなかった、時代と社会の不条理との対決という視点を全面に押し出して書かれている点において、三浦の数ある小説のなかでも異色で骨太な作品として注目したい」。
これは鋭い指摘であると紹介された。

三浦綾子が小説にも書いていないひとつの物語は『石ころのうた』に数行出ている。
それは、子供時代はあまり教師に好かれなかったことと家庭の中で罪としか言いようのない何かを見たのである。この家に居たくないがために教師になった。


しかし、教師と言っても教職課程を修めておらず、教育とは何かを勉強せずに代用教師になったのである。

そして、思想も行動も全て国家主義で統括するような校長に対して、何の疑問も感じなかった。それに反して、あの時代に自由主義に立つ校長もいた。
そのような校長にだらしないなどと批判していたものだが、実は強靭な信念に基づいて子供たちを育てていたんだと気づいた。


作品には何人かのクリスチャンが出てくるが、主人公そのものが神さまと対話していない。そこが致命的である。
しかし、それも含めて、誠実だけれど凡庸(ぼんよう)な、神さまと向き合わない人間を批判している。三浦さんが元気ならばもっと書いたであろう。

この作品の弱さとしては、満州からの引き揚げ者のところがとても駆け足である。本来ならば体調が悪くても現地調査して書けたのではないか。

主人公は自分の恩師に憧れて教師になり理想を生きようとするが、本当は人の目にさらされている自分をつくろうことがあっても、教師が信仰のモラルの軸になっていないところがあったのではないか。
それは我々日本人と同じように、人の目を意識してしか生きられないのと同じ
で、描かれていない限界性をもっと書けたのではないか。

神を離れて正しくあろうとするのでなく、罪を悔い改めるところから歩みをはじめたい。
三浦綾子の厳しい自己呵責や罪意識、虚無感の根底には、自己中心的にしか生きられない人間に対する深い自己省察がある


この作品で大切な問題は作文教育だ。
臆病な少年・主人公の竜太は、作文に「足が冷たかった」と書いて殴られた。小学校が国民学校に切り替わる頃の作文教育は、子供たちの気持ちを書くのではなく、先生の喜ばれることを書くのが本義だった。

しかし、戦前に「生活綴り方運動」に取り組む教師もいた。
運動に加わった教師たちには、弾圧、拷問して辞表を書かせた。心ある教師たちが捕らえられて、自分から辞表を書かされて教壇から下ろされた人々がいたのである。
三浦綾子がこれを書くまでは多くの日本人が知らなかったことである」。


この日の出席者に戦前の教育を受けた人が居られ、次のようなことを話して下さった。
「例えば、『教師になりたい』と書いてはいけなくて、『天皇陛下のお役に立つ教師になりたい』と書かないといけなかった。どんなことにもその言葉が必要だった」。

私は21世紀の今も現存する北朝鮮と重なってゾッとした。

                    (つづく)


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2009年11月22日

JCP研究例会での恵み @ ―何を語り、何を伝えていくべきか―

昨日は日本クリスチャンペンクラブの研究例会に出席するために大津教会へ赴いた。大阪、京都を越えて2時間の道中である。

これが日本キリスト教団・大津教会だ。大津駅から徒歩で3分ほどのところにある。

大津教会.jpg

この会堂は、1928年にウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により献堂されたもので、市の文化財になっている。
この右横に幼稚園(学校法人・愛光学園)、左横に愛光センターが同敷地内に併設されており、私たちの例会は愛光センターの一室をお借りして開いている。

研究例会は、いつも讃美歌225番の讃美で始まる。
これは久保田暁一先生の愛唱歌だ。残念ながら久保田先生は今回も健康の理由で欠席され、当分の間は休会されるとの報告があった。

司会者の祈りに続いて、M姉(しまい)の「みことばと祈り」に進む。
ずっとマルコ伝を読んでおり、今回は6章14節から29節である。

さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。

ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。
このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。
それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。

(20節)それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教えを聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。

ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝いに、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、 そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞いをまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。

そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、 さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。

そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。

するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。
王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。

そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。

ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。

導き手となって下さっているM姉は、牧師の資格も持っておられるとお聞きしている。以下はM姉のお言葉である。

「この集まりは聖書研究会でも祈り会でもなく、イエスから受けた恵みを証ししようというグループである。
聖書にはヨハネの首をはねるなど、あくどいことも忠実に書いてあることに注目したい。
そして、『ヨハネは正しい聖なる人であった』とあり、ここでマルコは、ヨハネが神の人であったということを中心に伝えているのではないかと思った。

ペンクラブの私たちが読む時、克明に状況を書いていき、(20節で)はっきりと大切なことを伝えて事件を伝えていることに注目したい。

聖なる正しい人が中心にいて問題が言い表されているように、教会で養われてきた目と耳でもって証しの文章を書いていけたらいいと思う。

私たちも何を語り、何を伝えていくべきか、しっかりと証しを立てていくことができるように」。


この奨励に深く共感した。
それは例会中の語り合いの中で、児童文学者の今関信子先生が話された内容とも関連するので、ここに記しておきたい。

「今、戦争体験を語る人たちが亡くなっていかれ、その話を身近で聞いていた人たちが語り継いでおられるのだけれど、その人たちの間接的な話になると子供たちは聞かない。

戦争体験していない人たちが語る児童文学はどういうものかと、難しい問題を突きつけられている。
文学は文学の世界だけではなく全体をリードしていく。子どもたちに社会を見破っていくにはどうすればいいのか考えさせられている。

自分の中にある悪、闇を見ないで戦争体験を語っていても何もならないのではないか


今年8月の夏期研修会で、ホームレスの人々が彼らの中においても格差をつけて他者を虐げるということをお聴きして、人間は本当に人を踏みつけて生きていくものなんだなと思った」。


人間である限り誰一人として例外なく自己に内在する悪、醜さ、闇の部分がある。それを見ないで、また、知らないで、知ろうとしないで、あるいは、知っていても悔い改めずして、人の心に届く話はできない。

そして、自分の傷を、すなわち、人生を分かち合うことができなければ、他の人を癒すために神に用いて頂くことはできない。

私は自分の弱さを通して現される神の栄光を拝するために、聖霊に助けられて私でしか書けないものを書き続けていきたいと志をかたくした。


                   (つづく)


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2009年11月21日

「主の山に備えあり」 ―三浦光世氏の証し―

昨日の記事でご案内した今朝の「ハーベストタイム」の要諦をご紹介したい。『道ありき』は、『この土の器をも』、『光あるうちに』と共に三浦綾子の三部作と言われている。私は20年以上も前に妹から薦められて読んだ。

口述筆記で妻を支えた夫、三浦光世氏は次のように語られた。
「綾子は自伝を書きたいと思っていた。
『道ありき』は『塩狩峠』と並行して書いた作品で、大変よくできていた。TVの画像でも見ながら描写しているなと、(傍で)見ていて思ったことがある」。


光世氏が闘病中の綾子さんを見舞ったきっかけは、「光世(みつよ)」を女性の名前と間違われて、綾子さんを見舞うようにと派遣されたことに始まる。
綾子さんの第一印象は大きな目だったと語られ、テレビに映った若かりし頃のお二人の写真に私は目を細めた。

「綾子に、『聖書の好きなところを読んで頂けませんか』と言われて、ヨハネ伝14章1節を読みました。ここはまことに酷な内容でした。葬式の時に読むところでした。

次に讃美歌を歌って欲しいといわれて、葬式によく歌われる讃美歌(主よ、みもとに近づかん)を歌い、聖書を読んだので、どうぞお帰りくださいと言われても仕方がなかったのですが、綾子はそういう縁起をかつぎませんでしたが、後年、変わった人だなあと思ったと言いました。

私はとにかく治してほしいと思ったので、神さまの全能の力でもって堀田綾子さんを癒して下さいと何度も祈リました。

すると、聖書でキリストが弟子に語った言葉、『おまえはわたしを愛するか?』という言葉が妙に迫ってきました。
結婚しなければいけないのかなあ・・・しかし、そういう愛は私にはないし・・・と困ったような思いになりました。そのような祈りをクドクドと祈っていましたが、そのうち平安になりました。そして、『一生愛する愛を下さい』と祈りました。


綾子に、『来年も来て下さるでしょうか?』と聞かれました。
『いや、来年は二人で一緒にお父さんとお母さんに挨拶に参りましょう』と言いました。それがプロポーズでした。

そして、1959年5月24日に結婚しました。
家は九帖一間でしたが、私達は一言も苦情を言ったことがありませんでした。

40年の夫婦の歩みの中で、三浦綾子記念文学館が開設されました。
77歳の生涯を終えて、召天から10年過ぎました。

『主の山に備えあり』のみことばのとおり、(神さまから)いろいろ備えを頂いたなと感謝して今日まで来ました」。


以上の話から中川健一牧師は次のショートメッセージで結ばれた。

「イエスは彼に言われた、『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもと(天国)に行くことはできない』」。
                (ヨハネによる福音書14章6節)

この箇所は弟子の一人、疑り深いトマスに言われた言葉であり、まさに「道ありき」を伝えようとしているところである。即ち、

@ イエス・キリストは道であるという認識
  イエス・キリストは自ら悩んで道を極められた方ではなく、「わたしは道だ」と言われた方が居られたということ。

A 自分に与えられた道があるという自覚
  それはイエスこそ道であり、イエス・キリストの愛を受けて歩み始める時にそれがわかる。

B そして、そのように歩み始めた時にそのような体験になってくる。  神が共に歩いて下さるということを体験するのである。

まさしく、三浦光世さんも「主の山に備えあり」と言う体験を振り返っておられたのである。
今、絶望しておられるあなたにも道はあるのだ!
                       (完)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

三浦綾子さん召天後、光世さんは全国の教会を回られて講演なさった。私も放出教会で直にお話を伺ったことがある。その時に「赤とんぼ」を独唱されたのを記憶している。

10年の月日が光世さんに老いをもたらしていたが、今も変わらず駄洒落(今風に言えばオヤジギャグ)を言っておられたのが懐かしかった。いつまでもお健やかでいてほしい。

今日は、日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックの研究例会のために大津まで出かけた。このような時は、天下一品の出不精をかこつ私でもフットワークは軽い。

ただし、前回に続いて今回もまた課題図書を全く読まずに出席するのはもったいない限りで、折しも前回に続いて三浦綾子作品(『銃口』)であった。
今日のことについては明日の記事に綴りたい。


posted by 優子 at 23:38| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2009年11月20日

「大股で闊歩し、目標を目指して走り出す」

ドイツでは、数年前まで11月18日を「贖罪の日」として祝日に定めていたそうだ。
アドベント(待降節)を前にしたこの時期、今週は「キリスト降誕前の一番闇が深まる時期」で、「この1年を神の前に振り返って罪を悔い改めて祈り、赦されて神の御子の訪れを待つ」のである。私もそのように過ごそう。

さて、先の記事に挙げたメッセージではないが、我々は年齢を重ねるたびに謙虚にならざるをえない経験を重ねていくものである。
その渦中にある時は実に辛く苦しいものだが、その経験こそが人生の味わいを深くするのである。

このような時は何気なく読み流す文章にも感性鋭くなるものだ。数日前は次のようなところに目が止まり私の中で長い沈黙が落ちた。

「実は、彼女のその明るさの中にも、もっと深い人間性が秘められていました。
ただ明るいだけでなく、他の人の苦悩や悲しみも判る心を持った人でした。それが判るだけの自分自身の苦悩を持っていた人でした」。


特に「それが判るだけの自分自身の苦悩を持っていた人でした」というところだ。そして、人間性を深く洞察できるということはそういうことだと改めて思ったのだった。

苦境の時は聖書のみことばも身に沁み、涙なしでは読めない。

「『やみの中から光が照りいでよ』と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。

しかしわたしたちは、この宝(イエス・キリストのこと)を土の器の中に持っている。
その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。
途方にくれても行き詰まらない。
迫害に会っても見捨てられない。
倒されても滅びない。
いつもイエスの死をこの身に負うている。
それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである」

         
         (コリント人への第2の手紙 4章6節〜10節)

何度読んでも、「イエスのいのちが、この身に現れるためである」というところで涙が滲む。
祈りの友たちもメールで優しい気持ちを送って下さっている。
「元気で頑張ってください。
もう、頑張ってくださいといってもいいですか?」

「優子さんのように大きな痛手を負ったら、誰でも力がなくなります。
でも、主が力を与えて下さることを信じて祈ります。シャローム」

「主は働いておられます。」

「優子さんは、立ち上がり、大股で闊歩し、目標を目指して走り出せる人です」。

おかげで再びゴールを目指して歩き始めた。祈って下さっている方々に感謝が溢れる。

今朝、夫は王子製紙の新マシーン見学のために徳島へ行った。王子製紙ならば北海道だと思いきや全国に点在しているそうだ。帰りは明日の夜になる。

私はチャッピーの散歩を兼ねて夫を駅まで見送った。8分足らずの短い時間だったが、二人の時間がすごく楽しく嬉しかった。
家を出ようとした7時半、郵便受けに新聞を取りに来た義母(夫には実の母)と出会った。
義母:「遅いな」
夫 :「今日は出張やから」
会話はこれで終わり。これが藤本流の基本形だ。わーい(嬉しい顔)
鍵を閉めていた私も義母の視野に入っているので、急いで声をかけようとした時には既に遠い人。

「いつもああいう感じってこと分かってくれる?
普通ならば、『気をつけてね』とか『どこまで行くの』とか自然に言葉が出るのにねぇ。子供時代もそうやったん?そんなお義母さんと私とどっちがいい?」

「そりゃ、ユーの方がええな」と、夫はニコッと笑って、私もニッコリ笑った。このように言ってくれるまで30年かかった。私は嬉しくて夫と腕を組んで歩いた。右手にはリード越しにチャッピーと手をつなぎながら。犬

昨朝は大またで闊歩すると直ぐに股関節が痛くなったのでやめたが、それほどに元気回復しつつあることを友に伝えたくて二つ目の記事を書いている。この記事は現在の精神的状況と霊的状況を示す感謝報告ログだ。
背後に真智子と太志君の篤い祈りを覚えつつ・・・

posted by 優子 at 23:37| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

「失敗から学ぶ」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより @― 

メッセンジャーは「ライフライン」でお馴染みの関根弘興牧師です。


天才的な発明家、トーマス・エジソンをあなたもご存じでしょう。
あるとき、彼のふたりの助手がこう言いました。
「先生、私たちはちょうど今、700番目の実験が終わったところですが、それでもなお、答えが得られませんでした。私たちは完全に失敗しました」。

するとエジソンは言いました。
「そうではないよ。君たちは失敗したんじゃない。僕たちはこの問題について誰よりもよく知っているということじゃないか。僕たちは答えに近づいているぞ。なぜなら、今、してはいけない700の事柄を知っているのだからね」。

エジソンはさらに研究仲間にこう語りました。
「それを失敗と呼んではいけない。教育と呼びなさい」。

「失敗は成功のもと」などとよく言いますが、現実にはどうでしょう。
失敗は失望のもと、になっているケースがはるかに多いことでしょう。私たちは、小さいときから失敗することを恐れてきました。「失敗=敗者」という図式を頭の中に描いて生きてきたと思うのです。

しかし、どの人を見ても、どの世界に行っても、失敗しない人はひとりもいません。多かれ少なかれ失敗はつきものです。しかし同じ失敗をしても、それをどう受け止めていくかによって、人生は180度変わってしまいます。

聖書の有名な人物の中にペテロという人がいます。
彼はイエス様の弟子のひとりでした。しかし、人生最大の失敗をしてしまいました。それは、自分の先生であるイエス様を、なんと三回も人前で「知らない」と否定してしまったのです。

そんなペテロに、イエス様は非難のまなざしではなく、愛のまなざしを注がれました。彼は後悔し、男泣きしました。しかしある意味で、彼の人生はそこからスタートしていったのです。

自分のプライドが砕かれ、本当に弱い者とされたとき、他の人々に勇気を与え、励ましを与えることのできる柔和さを身につけていったからです。 

失敗を恐れる前に、その失敗からあなたは何を学ぶかをいつも心に留めていきませんか。イエス様の愛のまなざしは、あなたが失敗したときにも注がれていることを忘れないでくださいね。

聖書のことば、「主は振りむいてペテロを見つめられた」。
            (ルカによる福音書22章61節・口語訳)

※近畿地方では「ライフライン」は日曜日朝7時からサンテレビジョンで、「ハーベストタイム」は土曜日の同時刻同チャンネルです。
過日ご紹介した三浦綾子さんの『道ありき』は明朝に放送されます。


posted by 優子 at 18:27| 引用文 | 更新情報をチェックする

2009年11月17日

『河内文化のおもちゃ箱』掲載文          ―「太宰治『パンドラの匣』の舞台は、 孔舎衙健康道場だった!」―

編集者のお許しを得て、昨日ご紹介した書物に掲載された拙文をブログ上に公開記録させて頂きたい。

太宰治『パンドラの匣』の舞台は、
孔舎衙健康道場だった!
藤本 優子



太宰治の小説『パンドラの匣』に登場する健康道場は、現在の東大阪市日下町八丁目六番地、日下新池(天女ケ池)畔にあった「孔舎衙(くさか)健康道場」がモデルになっている。昭和十二(一九三七)年頃から十七(一九四二)年秋まで開設されていた、全国的にも知れ渡った結核療養所である。

健康道場という名の示すとおり、患者を塾生、医師を指導員、看護師を助手さんと呼び、常時三、四十名の職員と百名もの患者が寝起きを共にしていたのである。

創設者の吉田誠宏氏は香川県出身の剣道家で、本職は警察官であった。正義感に燃え、私財を投じて部落解放や差別撤廃のために水平社運動に尽力した。その活動中に肺病で倒れていく青壮年たちの姿に心を痛め、驚くべき情熱と行動力で「吉田式健康法」なる「孔舎衙健康道場」を創設したのである。

当時、結核の薬はなく、「大気、安静、栄養」とされていた時代に、肺以外の健康な部分は運動させるという画期的な療法であった。主に手足の屈伸運動と腹式呼吸、そして全身の冷水摩擦を繰り返し、そこにビタミン類を大量に摂取させた。

もう一つ特徴的なことは、心身の平衡調和を重視し、起床後は合掌念仏から始まり、午後にもたれる一時間の講話、就寝前の二〇分間の感謝読経が日課になっていた。

孔舎衙健康道場が小説の舞台であることを発見された太宰文学研究家の浅田高明氏は、胸部疾患を専門とする医師であり、医学的見地からも吉田式健康法を高く評価されている。また、全人的医療が叫ばれている昨今、心身医学も注目している。

『パンドラの匣』の主人公「ひばり」のモデルは、京都府綴喜郡青谷村(現・城陽市)在住の結核を病む青年、木村庄助氏である。昭和十六(一九四一)年八月から道場に入院し、年末には病態が軽快して退院したが、その後再発して、最後は京都保養院入院中にカルモチンを服毒して二二歳の生涯を閉じた。

木村氏は熱烈な太宰ファンで、太宰から木村氏に宛てた四通の手紙が太宰治の書簡集に収められている。太宰は木村氏の遺言を果たすべく、彼が残した全十二冊の療養日記を基にして『雲雀の声』を書き、戦後に『パンドラの匣』として発表した。

絶望に打ちひしがれて健康道場にやってきた「ひばり」、そこに「竹さん」と「マア坊」との女性をめぐる恋愛感情の揺れ動きなど、明るい療養生活を描いている。

孔舎衙は萬葉集や記紀歌謡にも登場する歴史ある土地だ。古代は河内が海であったことから、日下新池には海辺に自生するヒトモトススキが生えており、東大阪市の天然記念物になっている。

現在、健康道場の面影を残すのは正面の石段と石垣、そして、敷地内にある一基の石灯籠だけである。石段前の小橋は付け替えられ、素朴な鉄パイプ造りの欄干も姿を消した。

しかし、池のほとりに立って耳を澄ませば、道場で交わしていた患者さんたちの元気な挨拶が、今も生駒山麓にこだましているようだ。

「やっとるか」
「やっとるぞ」
「がんばれよ」
「よーしきた」

〔参考文献〕

太宰治『パンドラの匣』(新潮文庫 一九七三年)
 この小説は一九四五年一〇月から翌年一月に仙台
 の河北新報に連載。単行本は一九四六年に河北新
 報社から刊行。
太宰治『太宰治全集』第一二巻(書簡)(筑摩書房、一
 九九九年)
浅田高明『太宰治 探査と論証』(文理閣、一九九一年)
浅田高明「『パンドラの匣』余聞」(『日本医事新報』第
 二八九二号、一九七九年)
浅田高明「続『パンドラの匣』余聞」(『日本医事新報』
 第二九〇〇号、一九七九年)

   (ふじもと・ゆうこ/日本クリスチャンペンクラブ)

PRコーナー:
『河内文化のおもちゃ箱』は定価2800円+税、全国の主要書店に置いています。大阪のジュンク堂では平置きして頂いているそうです。

尚、関西にお住まいの方は今月28・29日に開催される「河内の郷土サークルセンター25周年記念」イベントにもお出かけ下さい。
場所は大阪商業大学、近鉄奈良線・小阪駅下車北東へ徒歩5分です。

両日共に「河内人の物語」と題して各サークルによる記念展示と、次のようなプログラムが予定されています。
時間は10時から16時まで。
入場無料。先着300名様にプレゼントを進呈します!

11月28日(土)
   10時〜    記念式典
   11時〜    祝いの舞 (山村若佐紀)
   13時30分〜 出版記念フォーラム 
           記念講演「『河内文化のおもちゃ箱』と記憶遺産」
             講師 浅野詠子氏(ジャーナリスト)
           ミニシンポジューム

11月29日(日)   
   10時〜    記念展示の解説
   13時〜    記念講演会「考古学から見た河内」
            講師 水野正好氏
   15時〜    民謡コンサート
            「河内木綿織り屋節」他
            井上整憧と井上邦楽会

私も28日は式典に間に合うように馳せ参じたいと思います。
懐かしい役員さんたちに「おめでとう!」を申し上げ、読書会の方々ともお目にかかるのを楽しみに・・・


posted by 優子 at 14:35| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年11月16日

『河内文化のおもちゃ箱』、発売日の今夕拝受!

先週初めに発送して下さった『河内文化のおもちゃ箱』が先週末になっても届かず、今夕、MIKIOさんが当駅までお持ち下さった。メール便の追跡調査によると、12日に我が家の郵便受けに届いたことになっているらしいが・・・。

MIKIOさんが当駅よりもう少し先の駅に御用がおありとのことで、お言葉に甘えてご好意をお受けした。次の電車が来るまでプラットホームでの15分間は、本ができるまでのことやご苦労話など矢継ぎ早に伺う楽しい時だった。今の私には異世界の出来事のように不思議に感じた。

折りしも今日が発売日、待ちに待った本はこれだ!

河内文化のおもちゃ箱.jpg

掲載文1.jpg

ブログに掲載する写真は低画質にしているのでわかりにくいが、上の写真は太宰治『パンドラの匣』の舞台となった孔舎衙健康道場で、その下の写真は主人公「ひばり」のモデルになった木村庄助氏だ。

つづき.jpg

このページの写真は、「竹さん」と「マア坊」のモデルになった女性が写っている。文末にある私の所属は「日本クリスチャンペンクラブ」と記されている。

道場を発掘された浅田高明先生が、快く写真を掲載させて下さったことを心から感謝している。先生にはMIKIOさんにお願いして先週ご送付して頂いた。

MIKIOさんには最初から最後までお世話になった。
今年3月24日には現地を案内して下さったおかげで、思いもしなかった有意義な取材となり(当カテゴリ・3月25日付け、「ついに道場に立った!」に収録)、その直後にこの文章を書き上げたのだった。

この頃はたびたび孫を預かっていたので時間を取れず、その合間を縫って1月半ばから3月末の締め切り直前に仕上げた作品である。

『河内文化のおもちゃ箱』は、東大阪市内にある栗林書店とヒバリヤ書店はもとより、ジュンク堂、旭屋、紀伊国屋書店・・・など、全国の有名書店にて本日より販売されている。
また、最寄の図書館にリクエストして下されば購入してもらえるので、是非図書館で手にとってお読み頂きたい。

今週末の日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックの研究例会でもご紹介し、掲載文を配布させて頂こう。

MIKIOさんの電車をお見送りして改札口を出ると、すっかり暗くなっていた。
季節は今日から冬に入ったようだ。

posted by 優子 at 23:46| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年11月13日

幼子は現実を映す鏡 ―落葉は芽吹くため―

秋深まる.jpg

一昨日の雨で木々の紅葉が鮮やかになった。
9月末から良好だった腰、股関節、膝が、11月に入って再び痛み出したので、すぐそこまでの散歩だったが、昨日はママがいなくて寂しがるユキを短い散歩に連れて行った。

ママはお出かけ中.jpg

この前日(11日)に2歳4ヶ月になったユキ。

ここは徒歩で2分ほどの自治会集会所周辺で、左端に写っているのが集会所だ。右端にある庭木はクリスマスイルミネーションのお宅だ。10月半ばから飾り付けを始められて完成間近である。

ここで孫の特徴的なエピソードを書いておきたい。春からずっと書いておきたかったことだ。
4月半ばのこと、療養のために実家に戻ってきた知子と孫と3人で初めて散歩に行った時のことだ。3人で手をつないで歩き始めると、このように手を合わせるのだ。
昨日のように私と二人だけの時は、握っている私の手の甲を自分の頬に引っ付ける。

2009.11.8 仲良くね!.jpg

手を合わせて「なかよし!」と言って喜ぶユキ。

私はあの頃も知子と関係が悪かったわけでもないが、このようにされてドキッとし不思議に思った。
その頃の孫は、「ママ、えんえん(泣いている)、パパ、メンメ(だめ)」と何度も言っていた時だ。

4月5月の頃は3人で歩くたびに、こうして私たちの手を合わせていた。おじいさん(良輔)と歩く時もそうだった。幼子の感性はどの子も鋭いものだが、これはユキ自身の特性だ。

そう言えば、ここ2ヶ月ほど前から全くしなくなっている。
孫を預かっていた4月までと違って、また、夏までの頃よりもはるかに孫は明るくなった。これは月齢によるものだけではないと思う。

今では言葉も話せるようになってきたので面白くもある。
「おばあちゃん、しゃべってばっかり、いや!」
「おばあちゃん、食べてばっかり、いや!」


2ヶ月前頃からのかわいい言葉集:
パカトー(パトカー)、ココモス(コスモス)、ビオコン(リモコン)、ピーリー(テレビ)、ちきんぼ(けちんぼ)。

「けちんぼ」などはこんなに早くに覚えてほしくない言葉だが、「しろくまちゃん ぱんかいに」という絵本で覚えたのである。
「つまんないの、ケーキかってくれないの、おかあさんのけちんぼ!」を変化させて、「つまんないの、ケーキかってくれない、おばあちゃんのちきんぼ!」と面白がって言うのだ。

「ほしいなあー」、「ああ、どうしようー」、「なーんなん(何なの?)」は、半年くらい前から言っている言葉だが、どれもこれも私が使っている言葉だった。
子供というのは身近にいる人の特徴を見事につかんで真似るのだ。考えさせられることが多い。

お腹がいっぱいになった時などに言う「もういいなー」はユキのオリジナル。最近の特徴は、願望を表す時は語尾に「〜たい」をつけるのだ。
例えば、「きったい(切りたい)」、「はったい(貼りたい)」、「ひらったい(拾いたい)」などだ。

「書きたい」、「読みたい」など正しく言える言葉も、わざと「かいたい」、「よんだい」と言って笑っている。

今日も昨日のように不安定な天気で空は暗く、風に吹かれて木の葉が惜しげもなく落ちていく。しかし、よく見ると桜の木には既に蕾らしきものが点々とついていた。

一つの扉が閉まれば必ず別の扉が開かれる。
落ち葉を見ながらこんな風に感じるのは初めてだ。
心の疼(うず)きを感じながらも、今また人生のパズルが一つ解けたような気がする。そんなすがすがしさと主の御臨在を感じる朝だった。

ユキの笑顔を消してはいけない。

付記:
ついに今日、夫は会社を休んだ。結婚してまもなく33年、欠勤したのはこれが初めてだ。
夫の老いに寂しさを感じ、これまで健康を与えられてきたことを感謝した。
今朝は平熱に下がっていたが午後はまた上がってきた。しかし、昨日一昨日よりも元気そうなので安心している。私は社員の方々の健康を祈りつつ、不在中もよろしくお願いしますと頭を垂れている。

posted by 優子 at 15:37| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年11月12日

盲人が盲人を導くブラックユーモア

今日の驚くべき感動の実態から感じたことを走り書きしておきたい。
大切な用事を終えてきた知子は、夕方からかかりつけの内科を受診した。睡眠薬を処方してもらうためだ。今からちょうど1年前に、ある非道な出来事から眠れなくなり今も快方されていないのだ。

娘は言った。
「K先生は心療内科という肩書きを持っている人よりも、はるかに素晴しいお医者さんだ!このことは世の中でよくあることかも知れないね。」と。

確かに、日本人の医師には珍しい謙遜な方で、一般職種の人たちから見ても質的な違いを感じるような人柄だ。私も高脂血症のために6月からお世話になっているのでよくわかる。娘の言葉を聞いた私は牧師やクリスチャンもさもありなんと思った。

私たちの信仰生活が長くなればなるほど罪の自覚が深くなっていくのは、自分の傲慢さ、不可解さを思い知るからだ。
ところが、パウロの「わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。」(ロマ書7章25節)という二律背反の呻きを、まるでブラックユーモアで表現しているかのような人々がいるのである。


キリスト信仰それ自体が神より賜ったものであり、それゆえに日々刻々と悔い改めて、神による軌道修正をしないととんでもない信仰になりかねない。
彼らは盲人が盲人を導いてはいないか?!
イエス・キリストが最も諌(いさ)められたことは偽善だ。
そして、主体的に生きよと教えられたのに、集団の誰一人として主体性のかけらもない。


それに反して、心の病で苦しんでおられる心豊かな友よ、あなたのような人たちこそが神と共に歩んで頂きたい!
まず、「繰り返し、考えながら、思い出しながら、隠された気持ちや感情を言うことができれば癒しが始まります。話す力は心の力、言える力は癒える力です」!

そして、クリスチャンである同胞には、こう伝えたい。
教会歴では10月31日がルターの宗教改革記念日だったが、現代においてももう一度宗教改革が必要にならぬように、それぞれが常に神の前で悔い改めねばならない。
私も一層深く心に刻もう。私まで心の盲人になってしまわないために。

posted by 優子 at 23:49| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

『河内文化のおもちゃ箱』、既にアマゾンにも出ていた!

昨日、河内の郷土文化サークルセンターの役員をされているMIKIOさんから、読売新聞に掲載された『河内文化のおもちゃ箱』の広告記事を添付して下さり、執筆者には発送の手配をして下さったとのメールを頂いた。

検索してみると、既にアマゾン(ネット通販サイト)でも見ることができた。新刊書の紹介をしている「版元ドットコム」や発行元である批評社のサイトには次のように紹介され、発売予定は16日になっていた。

紹介
「河内もん」の世界を描いた今東光、グリコのおまけ博士宮本順三、東洋のハリウッドとうたわれた帝国キネマ長瀬撮影所、庶民文化の発明品である回転寿司。近世以降独特で多彩な商業文化を育んできた河内を様々な角度から眺める河内文化のインデックス。

大和川によって形作られる河内地域は、古くより水陸交通の要衝の地であり、日本史において幾多の分岐点となってきた。『記紀』において神武天皇がナガスネヒコと戦いを繰り広げ、聖徳太子が物部守屋を破った地である。

以後、南北朝時代には楠木正成が河内往生院で決戦に臨み、大阪の陣の戦場ともなった。幾多の争乱を経て、河内の地域は「河内もん」に象徴される反骨心を育んできた。

多くの政争の場となった河内地域は、有名な1704年の大和川付け替え工事によって豊かな農業地域となり、綿作等の商業作物栽培によって富農層が誕生した。

近代になると大阪電気軌道の開通によって大阪船場の商人や企業経営者、文化人が移り住み、独特の商業文化を生み出しはじめる。歴史的に育まれた反骨と進取の気質は、民間開発による人工衛星「まいど一号」の打ち上げに表されるように、21世紀になった今なお河内の人びとのこころと文化に息づいている。

目次
序文 U—BOX〔大学の箱〕とおもちゃ箱(谷岡一郎)
インタビュー 無量の光の中で——河内とわたしの考古学(水野正好)
総論——1 河内イメージの形成と展開——河内の文芸史(石上敏)
総論——2 河内・おもちゃ箱の世界(河内の郷土文化サークルセンター)
エッセイ 『河内文化のおもちゃ箱』と記憶遺産(浅野詠子)

■河内のおいたち

河内平野のおいたち(別所秀高)
河内の渡来人(田中清美)
馬と船——河内と東アジア(山野隆雄)
皇紀二千六百年の孔舎衙(中谷作次)

■河内の古代・中世
幻の河内大橋(安村俊史)
横野の万葉歌と犬養孝(大東道雄)
古代山城・高安城の歴史と発見(棚橋利光)
河内玉櫛——楠木正成の生まれた地(関谷広)
楠木正行の墓(滝住光二)
織田信長と若江城(勝田邦夫)
大坂城石垣の石材——生駒山西麓の石切場(館邦典)
大坂築城の石奉行 足立家の墓碑(田中絹子)

■河内の宗教的世界

河内往生院の多様性——生駒山の宗教的世界(小林義孝)
民俗学者赤松啓介と生駒の神々(小林義孝)
コリアタウンと生駒山系の韓寺〔朝鮮寺〕(゙奎通)
戦国時代の河内キリシタン(神田宏大)

■近世の河内と大坂

付替え前の大和川の治水と開発(小谷利明)
柏原船——近世河内平野の大動脈(吉村馨)
舟板塀に魅せられて(杉山三記雄)
河内木綿の生産と新田経営——鴻池新田の分析から(井上伸一)
鴻池新田会所史跡指定奮闘記(天竹薫信)
河内木綿再生へ(中井由榮)
水車〔踏車〕——河内を流通する民具(川口哲秀)
水車〔踏車〕と平野屋新田会所(小林義孝)
近世河内の庄屋と地域社会——『日下村森家庄屋日記』を資料として(浜田昭子)

■近世河内の文化

生駒山人と上田秋成(浜田昭子)
慈雲尊者と梵字研究(横田明)
近世河内の文化人二人——医師芦田梅三と国学者岩崎美隆(伊ヶ崎淑彦)

■河内の伝統と習俗
河内音頭は、民謡か?——そのなりたち、そして今(村井市郎)
雑記帳 河内の方言(後藤利幸)
河内相撲(大西英利)
石地蔵伝承あれこれ——大阪府中部編(三村正臣)
今東光・河内風土記の世界(伊東健)
今東光著『悪名』について(井上万里子)

■河内の近代
おまけ博士の 河内から世界へ発信——井の中の蛙 大海を知る(樋口須賀子)
大軌物語(黒田収)
帝キネ界隈(荻田昭次)
稲荷山遊園地と谷崎潤一郎(浜田昭子)
太宰治『パンドラの匣』の舞台は孔舎衙健康道場だった!(藤本優子)
司馬さんのいた町——鶴橋・猪飼野から守口・八尾へ(足代健二郎)
河内の戦争遺跡——日常の中の戦争痕跡(大西進)
大東ヒストリー——水の恵み、水の災い(古崎勉)
人工衛星まいど一号の推進力——東大阪のものづくり(成瀬俊彦)
河内の回転文化(黒田収)

著者プロフィール
水野正好(ミズノ マサヨシ)
昭和9(1934)年、大阪市生まれ。大阪学芸大学卒業。奈良大学名誉教授、(財)大阪府文化財センター理事長。専門は日本宗教考古学。宗教、まじないなど精神世界の考古学的研究を進める。
主な著書に『土偶 日本の原始美術』(講談社)、『島国の原像』(角川書店)など。研究論文多数。

河内の郷土文化サークルセンター(カワチノキョウドブンカサークルセンター)
昭和58(1984)年創立。中河内地域(柏原市・八尾市・東大阪市・大阪市東部・大東市)などで活動する25の文化サークルセンターで構成。大阪商業大学の支援を受け、同大学谷岡記念館を活動の拠点とする。機関誌『あしたづ』を発行。

8日の自治会役員会にはチラシとサークルセンター会報を持参し、終了後に今月末のイベントを皆さんに紹介した。当地は東大阪や八尾から移って来られた方が多いので、関心を示して下さったように思う。

昨夜、添付して下さった広告写真を拡大して見ると「A5版、360ページ、定価2940円」とあり、「A5版」の大きさを聞きたくて早くからベッドに入っていた夫のもとへ行った。

「A版の紙を16切りしたもの」という説明だけで、具体的な大きさがわからない。B版と違って大きいサイズだからと大体の予想はついた。
明日が楽しみだが、校正後の要望を承諾して下さったものの、写真をどのように仕上げて下さったのか気になるところでもある。

夫は昨夜から喉の具合いが悪くなって早くベッドに入ったが、今日は営業に出たついでに紙商組合の診療所を受診したそうだ。その時は38度2分も熱があったという。がく〜(落胆した顔)
検査の結果、幸いにして新型インフルエンザではなかったが、幼児がいるので緊張感が走る。


夫は昨日も一昨日も孫をお風呂に入れてくれていたが、しんどくなかったのだろうか。もう若くないのだから、今日は少しでも早く帰って来ればいいのに・・・

夕食後は36度2分だからとお風呂に入り、上がってきた時は寒気がすると震えていた。若い時と同じようにしているととんでもないことになる。
私は昨夜に続いて今夜も茶の間で寝ることにしよう。

posted by 優子 at 23:25| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2009年11月07日

久々に孫と二人で一日過ごす ―深夜の黙想で―

3日ほど前から気温は再び平年並みに戻り、日中の陽射しもとても暖かい。
夫は昨夜の帰宅も遅かったのに、今朝は早朝6時前に家を出てゴルフに出かけた。さすがに今夜は目の下にクマができていた。

長女もまた教会の友の結婚式で6時半過ぎに家を出て彦根に向かった。片道3時間半もかかるので教会の方々は全員前日から泊まりがけだったとのこと。そのためだろうか、帰りのバスの手配がされていなくて困ったそうだが、初対面の新婦の友人と共に京都までご一緒でよかった。

そんなわけで私は久々の子守りになった。
知子ママがいると、起きている時はしゃべっているか歌を歌っていて静かにしている時がない。いつもなら思うようにならない時は喚(わめ)くのに、今日はとてもいい子だった。

部屋を整理しながら丁寧に3時間かけた掃除も難なくこなし、子育て中と同じ感覚を思い出して写真を撮るほどの余裕だった。これが今日のユキである。

2009.11.7.jpg


3〜4週間ほど前からオマルからトイレを愛用するようになり、恥じらいまで出てきたのかウンチの時は、「おばあちゃん、あっちへ行って」と必ず言うのである。そして、「終わったよー」と呼び、長い時には7〜8分間もゆっくりしている。(笑)

掃除中ずっといい子で待っていてくれたので、私は休憩なしに電動自転車の後ろに乗せて、寝言にまで出てくる大好きなポッポー(電車)を見に連れて行ってやった。
こんなアップダウンの土地柄でも電動だから楽々スイスイである。孫も大喜びだった。

そして、2時半からお昼寝タイム。
室内は29度になっており敷き布団がなくてもポカポカ。掃除し始めた午前中から夕方まで、家の中では半袖のTシャツ一枚でちょうどよい暖かさだった。眠ったので服を着せたのだが。

11.7.jpg 

長女は疲れていたので今日のことを詳しく聞いていないが、これを書きながら「コリント人への第1の手紙9章27節」のみことばが脳裡に浮かんだ。

「ほかの人に(福音を)宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない」。

そして、同じく第1コリントの13章13節、

「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」。

このみことばの意味がよくわかったように思う。

今、頂いた2つのみことばは、私たちが今春から探っていたことへの答えであり、納得させて下さって励ましをも添えて与えられたのである。
神は沈黙しているが心の中も全てをご存知であり、いつも共にいて教え力を与えて下さる。

そして、あるエピソードから、長女は本当に主イエスを愛しているんだなと胸が熱くなった。
ならば、困難な時ほどクリスチャンの本質が輝き出すことを体験させて下さるのであるから、これからは心安んじて余計なことに心のエネルギーを費やさないことだ。
これは愛する長女への切なる思い、我が愛である。


幼子の笑顔や寝姿に微笑んでしまうではないか!

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2009年11月05日

マチ・クマ再びワシントンDCへ

11月2日朝、ミネソタの次女夫婦から誕生日カードが届いた。改めて真智子と太志君に感謝しつつ、ここに記録しておきたい。
To ママ

時差もあるから、約2日遅れになってしまったけど、お誕生日おめでとう!

結構忙しくしているって、クマから聞いてたけど、充実した日々を過ごしているのかな。旅行も楽しめたみたいね。今度、一緒に行きたいです。

先週まちは、少々体調を壊してました。葛根湯も早々に飲んだし、症状は軽く抑えれてるけど、微熱が出たり喉が痛くなったりと、地味にしんどい日々でした。家事は殆どクマさんがしてくれました。

体調は悪かったけど、太志もまちもワークショップでそれぞれ発表しました。一つ一つ、神さまが間に合わせてくださると感じて、感謝していました。頑張ります。

ゆきちゃんに、ハッピーバースデーの歌を歌ってもらったかな?
もうすぐお姉ちゃんのお誕生日もあるから、ゆきちゃんは大活躍やね。お誕生日、おめでとう!

真智子



優子お義母さんへ

少し遅れてしまいましたが、お誕生日おめでとうございます!

メメント・ドミニをお読みしましたが、真珠のお話がとても心に響きました。今後も苦しみに耐える時には、きっと励みになると思います。
また、いつも僕らのことを想って頂いて、優しいお気持ちがとても嬉しいです。

これからもどうぞお元気で、きっと大変お忙しい中とは思いますが、無理なくお過ごしください。

お誕生日、おめでとうございます!
太志

P.S. 先日のメールは、またご返信差し上げますね
「真智の想像通り、ユキは『ハッピーバースディおばあちゃん』を歌ってくれてね、2〜3日続いていたよ。今月は『ハッピーバースディ ママ』やね。

太志君、返信はいいよ。今度帰って来た時でいいからね。ありがとう!」


返信内容というのは、縦型の写真をデスクトップの背景に使うと、上から押しつぶしたようになり、写真のサイズを小さくしても駄目なのでどうすればいいのかと、くだらないことをミネソタにまで声をかけてしまう「お邪魔虫ママ」なのだ。(笑)

さて、今日の午前2時5分に入っていた婿からのメールによると、真智子の風邪は完治しておらず喉の痛みと軽い咳が出るので、念のために4日午後に大学付属病院を受診するとのこと。予約なしで、多分無料だったと思う。

この時間だから既に受診を終えて、今はワシントンのホテルで5日の朝を迎えているはずだ。そう、ミネソタではなくてワシントンで!婿が詳しく書いてくれている。
それで、今日の夜から、3泊4日でワシントンDCに行きます。
僕らが受けていたJapan-IMF Scholarship Programの一環で、IMFで5日と6日に行われるカンファレンスに招待されたのです。
僕らは発表はしないで聞くだけですが、とても興味のある発表が多いので、行くことにしました。

僕らの関連分野の有名な教授たちがけっこう来るので、二人でがんばって、話しかけようと思っています。
5日木曜の夜には、今年IMFに就職された、東大時代の先輩二人と、夕食をご一緒する予定です。
今日4日の夜7時の便で出発し、7日の午後12時過ぎの便でミネソタに戻ります。

結局あまりゆっくりできませんが、この後は通常の予定になるので、週末はしっかり休み、来週も真智は少し休み気味で活動できると思います。
・・・ブラウニングの詩、僕も心に覚えて励みます。
遠い異国の地で命を燃やしている次女夫婦に、神の豊かな守りと導きがありますように!
常々、私の起爆剤的存在であった真智子に加えて、もう一人の同志が与えられた気持ちだ。

「お義母さんのブログは特に、『神さまの働きが思わぬところで実っている』ことが、とても多いだろうと思います。」とも書いてくれた太志君。
誰よりも太志君に神さまが働いて下さっていると思います。
人生のスタートである青年期に霊的な力を蓄えて下さい。それが全ての原動力になるのだから!」


夕食はいらないと夕方4時頃に夫から電話をもらったが、帰りが遅くて心配していた。ようやく今(10時45分)無事に帰宅した。
業界の全国的な重責まで担わねばならなくなったそうだ。明日もまた別の会合で遅くなるらしい。健康が守られるよう祈るばかりだ。


posted by 優子 at 22:57| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

「最善は常に未来にあり」

昨日から一気に冬が来た感じである。今日の最高気温は12度で最低気温は5度になっている。12月上旬の気温らしい。
先週末まで室内は30度にもなりポカポカだったのが、今は16度で足温器を出してこれを書いている。朝は12度しかなかった。

しかし、こうして寒くなってしまえば、これから寒くなると身構えていた時のストレスは緩んで心地よい緊張感に変わる。

さて、2006年6月に次女、続いて7月に長女が結婚し、私は娘たちへの想いをそれぞれに一冊の記念誌に綴った。

以下は真智子に贈った記念誌より抜粋引用したものであるが、この箇所は娘たちへの私の遺言でもあり、長女次女共に内容的にはほぼ共通している。(過去ログ・2006年6月23日にも公開)

これからの長い人生には避けることのできない試練もたくさんあるだろうけれど、嘆き悲しむことも敗北も失敗も貧しさもそれらは恥ずべきことではない。
何度も何度も立ち上がることが尊いこと。前進しないことが恥ずべきことだからね。
一つの扉が閉まる時、必ず別の扉が開かれていることを忘れないでね!


「それゆえに、人生は失敗と見えるところにて成功する」
のです。
私には神さまのなさることはパラドックスとしか見えません。
だから、どんなに最悪に見える時でも神さまに祈りつつ元気を出して進んで行ってください。

私は今まで、真智子から溢れている若者らしい情熱と希望にいつも励まされてきました。どうかこれからも神さまと共に在って、魂を躍動させて大いに人生の冒険をしてください。

「倒れるは立ち上がるため、敗れるはより善戦するため。眠るは目覚める(死は天国に移されて生きる)ため」と歌って天に凱旋したブラウニング。

最後にママの大好きなブラウニングの詩の一節を、真智子と太志さんに贈ります。


       Grow old along with me !

The best is yet to be,
The last of life, for which the first was made:
Our times are in His hand
Who saith “ A whole I planned,
Youth shows but half ; trust God: see all nor be afraid ! ”


        老いゆけよ、我と共に!

   最善は常に未来にあり。
   人生の最後、そのために最初も造られたのだ。
   我らの時は御手(神の手)の中にあり。
   神言い給う「全てを私が計画した。
   青年はただその半ばを示すのみ。
   神に委ねよ。全てを見よ。しかして恐れるな!」と。 

       
この冒頭に書いた試練、しかも大きな試練が思いもかけず結婚早々にあった。私達夫婦にも大きな痛みと犠牲があった。私自身が何度もブラウニングに叱咤激励され、自ら書いたものに励まされる日々でもあった。

神に導かれて峠を越え、今ようやく安堵して見守る幸いを得ている。
あの苦悩の日々を越えてきたように、私は今の問題も一切を主に委ねて信仰を奮い立たせて歩んでいる。

「さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った。
『主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか』。
彼らに言われた。
『時期や場合は、父(神)がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう』」。

                  (使徒行伝 1章6節〜8節)

みことばから深い慰めと励ましを頂いている。

付記:
今日は協和紙業(美濃紙業から枝別れした代理店)社長のお嬢さんの結婚式で、今頃夫は(夫の)弟と共にリーガロイヤルホテルで祝宴の席に座っている。
新婦さんは長女と同じ年齢だったと思う。


posted by 優子 at 12:24| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

花盛勲一牧師と馬見労祷教会

かつてJCPの理事をされていた重鎮のお一人、花盛勲一牧師が長い年月牧会しておられた教会が奈良県北葛城郡広陵町にある。日本キリスト教団・馬見労祷(うまみろうとう)教会という。

労祷教会は1947年に創立された古い建物の小さな教会だ。道路を隔てた向かいに労祷保育園がある。
教会の方の話によれば、この教会は賀川豊彦の献金で建堂されたとのこと。胸が熱くなり、なるほどと思った。花盛牧師は賀川豊彦と関係が深いからだ。
賀川を敬愛され、今も賀川の伝道の原点を大切にしている「イエスの友会」を率いておられる牧師だからだ。

労祷教会では礼拝後に「憲法を学ぶ会」がもたれていたことも、平和憲法を守る賀川精神に原点があり継承されているのだと思った。

花盛牧師が東京へ移られたのは、私達が奈良へ移るより数年前のようだ。もうかなりのご高齢だと思うが、今も「青山の朝祷会に毎週出ておられ、学びも続けておられます」と、東京の希望姉よりお聞きした。

花盛先生から何度かおはがきを頂いたことがあるが、私のことはご記憶にないと思う。
花盛牧師は面識もない者のために時間を割いて下さった、私の最も苦しかった時の忘れることのできない牧師である。
神は私の信仰を支えるために、言葉や口先だけではない真の牧者と出会わせて下さったのである。


2008年8月28日の過去ログで、母が召される5週間前にお目にかかったことを書いている。これは母のことを書いた日記からの引用である。

1996年9月18日(水)
(母に)神の時が近づいていることを予感した。
とにかく私は長い間の次から次への苦難に加えて、K牧師やM牧師(9月6日、高津高校役員会を途中で退席し京橋のホテルケイハンへ急ぐ。クリスチャンペンクラブの重鎮である山崎宗太郎師と花盛勲一牧師に相談するため)の不可解な苦悩も全て真剣だった。
しかし、一切の苦悶の果てに、ついに神と対決することもなくなり虚脱状態になった。

私は嫌と言うほど神の前に素直になれぬ頑なな自分を知った。
理論や考え方の転換では、イエスを主とは呼べないことも最近わかるに至った。聖霊の助けがないと祈ることもできないことを知った。ああ、これが私のキリスト体験なのか!!!・・・・
しかし、今は心から信じられるのだ。
祈り求めることは叶えて下さると!!だから祈ろう。

あの時、花盛牧師はこのような交通の不便な所から大阪まで出向いて下さったのかと胸が熱くなった。優しく穏やかな山崎宗太郎師もまた奈良市から同行して下さった。

二人の師は、親しくもない一人のために愛と誠実を尽くして下さった。そのことは44歳の大人になっていた人間にも大きな影響を与えた。生涯忘れることはないだろう。

そして、神さまが私をどんなに心配して下さっていたか、改めて神の愛が身に沁み、愛こそが生きる意味を与えるのだと深く気づかされる。主体的自由の内実は愛であり、愛が全ての問題を解く鍵なのだ。


10月26日ブログ記事のJCPニュースレターには、新しく入ってこられた方々の声が載っている。

「あかし文によって今までの私に見えていなかった物事が見えてくるとき、いかに自分がゆるされ愛されているか新たな気づきが与えられる。ペン・クラブへ導いてくださった神様の愛が私に迫ってくる。

     (略)

あかし文によって賛美の心が導かれている。
心の奥に賛美の根が力強く伸びている。
今ここに、すべての出来事、出会いを恵みに変えてくださる神様をあかしする歩みに、さらなる導きを期待している私がいる」。

「受けている祝福を、また越えてきた挫折や苦闘、涙の数々を、書くことによって昇華させてゆきたいと心から願っている」。


私も主に導かれて、私に賜った人生を全うしたいと思う。


posted by 優子 at 15:15| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする