2010年01月31日

「せん方尽くれども望みを失わず」 ―久保田暁一先生との10時間半―

昨日は予定通り久保田先生と日本キリスト教文学会に出席した。
先生は右膝の強い痛みだけではなくパーキンソン病も発症しておられる不自由なお身体で、遠路はるばる滋賀県高島からおいで下さったのである。膝の手術は順番待ちで5月になるそうだ。

10時半に大阪駅中央改札口でお出会いして、関学のキャンパスに着いたのが12時45分であるから、いかに困難な足取りであったか想像して頂けるだろう。仮に阪急電車との連絡が悪かったとしても1時間少しあれば十分に到着する所である。

私は先生と歩きながら母を介助していた時のことを思い出していた。不自由になりながらも何とか歩けていた頃のことだから、もう15年も前になる。私が43〜4歳の頃だ。

昨日もまた母の時のように何度も立ち止まりながら、ようやく阪急梅田駅界隈の紀伊国屋書店近くまで辿り着いた時、一枚のコピーを頂戴した。

そこには、「せん方尽くれども望みを失わず」(コリント後書4章8節)という文語訳聖書の言葉と、「限りある命見据えて日を刻む。うねりあるとも 御旨のままに」と書かれていた。

この聖句は桜美林大学創設者・清水 安三(1891〜1988)の愛唱句で、「清水さんは立派な方だった」とエピソードを話して下さった。そのコピーの最後には久保田先生の信条が書かれてあった。

        限りある命なれば 
        一日一日を大切に
        生きていこう
        命を愛しみつつ
        精一杯に生きていこう
        人間として


「藤本さんに元気で楽しく生きてほしいんや。
聖書を読んでクヨクヨするのは読み方が間違っている。聖書は私達が幸せに生きるようにと(神さまが)下さったものだ。苦しむために下さったのではない。」
と、柔らかい口調で、しかし、単純明快に言われた。

「力になれることがあれば何でも言うておいで、相談にのるから。・・・藤本さん(何度も「優子さん」とも呼んで下さった)は突込んで書くからいい。今まで書いた論文や新しく書いて是非一冊出そう。慌てなくてもいいから。私でよければ出来る限りのことをする」と、今回もまた身に余るお言葉を頂いて身にこたえた。

久保田先生は誰に対しても優しく愛に満ちた方である。
昨日は残念ながら時間切れになってしまったが、研究発表していた若い研究者の後方支援のためにと質問しようとされていたし、多くの方々に心をかけ励ましの言葉をかけておられた。

お別れする前に大阪駅構内でコーヒーをいただいていた時、久保田先生は私のことを心配して出て来て下さったことを知った。やっぱりそうだったのか・・・と涙が滲んだ。
それなのに今日も、「ありがとう」、「悪いなあ」、「嬉しいなあ」と何十回言って下さっただろうか!


私は先生と腕を組み、指と指をしっかり絡めて手をつないで歩いた。先生は何度も手を強く握られ、私も強く握り返して手でも会話していた。
行き帰りの5時間、先生に寄り添いながら歩かせて頂いたことは生涯の宝。その背後にずっと神の愛を強く感じていた。


20時53分の敦賀行き快速を見送って環状線のホームに向かった。
自宅の最寄り駅に着いたのはちょうど10時だった。その1時間も前から長女が駅で待ってくれていたとは思いもよらず、申し訳なくもありがたく自動車に乗り込んだ。

「優子さんは明るいからいい。優子さんが家族の要(かなめ)やからな、お嬢さんを励ましてやりなさい。」

夫の人柄で感銘を受けたことを話すと、「りっぱな人や。ご主人を大切にな。」と仰った。

「2歳半の孫が、『おじいちゃんが無事に帰ってきたことを感謝します』とお祈りするんですよ」と話すとビックリされて、「強制せんでも(しなくても)か?」、「はい」、「お孫さんも(神に)守られているんや。(これからのことは)心配ない。」と喜んで下さった。

孫は毎回このように祈るわけではないが、幼子は娘や私が口にしている言葉を聴いているのだ。神さまに繋がって生きていくならば案ずることはない。「うねりあるとも 御旨(みむね)のままに」だ。

2008.8.jpg

写真は2008年8月、日本クリスチャンペンクラブ関西・中部ブロック夏期研修会、関西セミナーハウス・クリスチャンアカデミーにて。久保田先生79歳、優子56歳の時である。
七転八起

ころんだら 起き上がれ
ころんでも
ころんでも
   起き上がれ
起き上がる力が
   人にはある

                        久保田暁一
 

posted by 優子 at 21:43| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年01月24日

低音で歌う信仰告白

キルケゴールは、我々は幸せな時にはソプラノで神を讃美できるが、そうでない時はベースで歌えばよいのであり、ソプラノではなく低音で歌うことこそが深い信仰告白であり、信仰の世界が開かれていくのだと語っている。

信仰生活の初めの頃は子供の反抗期のように、神を根本的に否定してしまいたくなるような思いに悩んだことがあるが、このたびの「ぐらつき」はそれとは全く異にするものである。

信仰には神への懐疑が起こるほどに、人生は時に過酷であったり不可解な出来事が立ちはだかるのであるが、その問題から逃げないで徹底的に懐疑し苦悩する時に深い信仰の恵みが開けてくる。

まさにキルケゴールが言っているところのベースで歌う讃美であり、そこから真の信仰が始まるのである。


このたびの試練ではベースでも歌えなくて祈りが呻きになった時もあったが、主は常に私とともに居て下さってこうして立ち上がらせて下さったのである。

今週末、関西(かんせい)学院大学で日本キリスト教文学会がある。
研究発表は「キェルケゴールの女性論―その生涯と思想について―」で、シンポジウム(公開討論会)は、「芥川龍之介の切支丹ものをどう読むか―日本の精神風土とキリスト教―」である。


共に興味深いので気分転換に行ってこようかと思っている。夫も「行ってきたらいい」と、私が意欲的になりつつあることを喜んでくれているようだ。

準備もせずに気分転換のために学会に出ようなど不遜であるが、久保田先生からお誘いを頂いた時も正直にそのようにお伝えした。

先生はご体調さえ良ければ参加したいとのこと、「思い悩んでノイローゼなんかになっては駄目ですよ」と書いてきて下さっている。苦境の時だっただけに嬉しくて胸が熱くなった。主が私のことを心配して下さっているのだと思った。

ノイローゼになりかけるほどに悩んだのは、口にしている信仰と行為があまりにも乖離した人々を見せ付けられたからだが、30代ならばともかくも、私もいい年をして悩みこむとは情けない!

しかし、長女のわが子への愛ゆえの熱烈なる信仰を目にして迷妄から覚めたのであった。


既にその束縛からは解放されているが、もしも久保田先生がお出でになれるようであれば、大阪駅から会場まで同行させて頂くことになっている。敬愛する師ゆえに、是非とも行き帰りの道中でご見解をお聞きしたいと思っている。

教会のあり方も時代精神と無関係ではおれないが、私が問題にしているのはそういうことではなく、人間の実相という普遍的なことゆえに素通りするわけにはいかないのだ。

先週の土・日は夫が風邪でダウンしていた。
安堵して気が緩んだのか、私も20日夜から風邪を引き、孫は間違いなく私の風邪がうつったようだ。

22日夕刻になって8ヶ月ぶりにユキが病気になった。20日夜には2回目の新型インフルエンザの予防接種を終えたところなので、その影響が出ないかと心配した。翌朝には熱が下がり順調によくなっている。

今朝は夫と二人で礼拝に集った。
クリスマス礼拝に続いて100才の姉(しまい)が、桜井の病院から教会員の愛の奉仕により礼拝に出席された。特に仏教色濃い異教の地・奈良に、このような高齢の信仰者が居られるのは意味深く、大きな励ましになる。

「ピリピ人への手紙2章1節〜11節」の牧師説教はタイムリーに我が魂に届いた。私もまた生涯の終わりまで信仰をもって生きていけるように守り導かれたい。

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posted by 優子 at 22:43| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年01月21日

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ A

昨日の最低気温は−0.7度だったが、午後は一昨日の13度を上回るポカポカ陽気となり16.6度の大寒となった。
今朝は雨天でも室内の気温は14〜5度あるが、午後から気温は急激に下がり始め、朝は春だったのに夜には真冬に戻ってしまうそうだ。

さて、過去ログ・2009年8月24日の「試練の2009年、晩夏にヴォーリズの風そよぐ」の、ウィリアム・メレル・ヴォーリズを続けたい。

ヴォーリズは同志社とも関係が深く、同志社大学アーモスト館(寮)を建築し、私も歌い親しんだ「同志社カレッジソング」はヴォーリズの作詞によるものである。

             Words by W.M. Vories
           Music by Carl Wilhelm

1. One purpose, Doshisha, thy name
  Doth signify one lofty aim;
 To train thy sons in heart and hand
 To live for God and Native Land.
 Dear Alma Mater, sons of thine
 Shall be as branches to the vine;
 Tho' through the world we wander far and wide,
 Still in our hearts thy precepts shall abide!

  一つの目的(同じ志)、同志社、という汝の名は
  一つの高い目的を意味する―
  神と生まれ育った国のために生きるよう
  汝の息子らの心と腕をきたえるという目標を。
  親愛なる母校、汝の息子らは
  葡萄の木につながった枝のようになるであろう。
             (新約聖書ヨハネ15章)
  たとえ世界中、我々が遠く広くさまようとしても、
  なお我々の心には汝の教えが留まっているだろう! 

この世的にも大成功の生涯を捧げたヴォーリズが『失敗者の自叙伝』を残しているのは、私にもとても興味深いところだ。

それについてヴォーリズは次のように語っている。
「およそ人間の内的生活の深さは、外に現れる現象によってとらえられるものではない。
またとかく作者というものは、その話をよくするために、事実を創作で飾ることがある」から「ひとさまから伝記を書いてもらわないために」
自ら書いたのである。

失敗者というタイトルについては、「部分的な成功は失敗に過ぎないのです」と語っている。
落ち着いたらヴォーリズの聖書観を知りたいと思う。

posted by 優子 at 10:30| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2010年01月20日

新たなる出発

このたびの苦悩 ― 現時点においては悲劇に終わった ― に、ようやく昨日終止符が打たれた。絶え間なく続く容赦ない悪の攻撃に終止符が打たれて解放されたのである。

この10ヶ月間、私は拙著「『リア王』は悲劇か」(カテゴリ:「掲載文(神・文学)」)の冒頭に書いたことを何度か考えていた。即ち、自分の愚かさが招いたことによる苦悩云々についてだ。

人生は選択の連続であり、時には間違った選びをするお互いである。しかし、そこで大切なことは、その間違いを受け止めることであり、そのこと以上に大きな勇気はないであろう。私はそこにこそ人間の偉大さを認めるのである。

そして、もう一点考えさせられたことは『ヨブ記』についてである。しかも今回はヨブのことではなく、ヨブが大試練に見舞われた時の友人たちに焦点が向けられた。

賀川豊彦は「悩みのある人は教会へ来なさい!」と言ったが、このたびのことでは早々から牧師たちが遠ざかって行った。そして、私たちと同じような、あるいはもっと厳しい状況を経験している人たちも姿を消した。

未だ心に生々しい傷を隠し持っておられるからだろうか。あるいは、未解決のまま放置してあるために傷が疼いて対峙することができなかったのだろうか。

それならば尚のこと、「神は全てのことを相働きて益として下さる」という教えを知っているのであるから、解決、癒しへの導きから逃げてはいけなかったのだ。クリスチャンとは互いの人生に関わる者ではなかったか!

試練の中にある者は孤独である。
しかしながら、特に牧者たちの悲しい状況ゆえに、私たちはより一層神に近寄せられたのであった。それは神のご計画でさえあったのだろうと今これを書きながら思う。それゆえに、最悪の危機的状況時に神は研修中の牧者を動かされたのだ!

ただし、私たちにはヨブと違って、寄り添ってくれる友がいた。
最初から最後まで、昨日に至るまで、私たちの苦痛に耳を傾けて共感的理解を示して下さった友が3名も与えられていた。そのことを重く受け止めている。
後半からはもう一人をも遣わして下さって、そのおかげでぐらついた信仰を支えられたと深く感謝している。


昨秋頃のこと、私の中であらゆる苦痛が凝縮されて浮かび上がってきたのは、「人間の限界」ということであった。

現時点において私はクリスチャンとして辛い状況である。
人生の歩み方を通して主イエスを御紹介できればと願っているのに、かえってイエスを遠ざけるような結果になっていることを神さまに申し訳なく思う。

しかしながら、これで終わりとは思っていないし、そのことのためにも、神は責任をもって導いて下さると確信している。

いよいよ娘の真の人生が始まるのであり、必ずや神が人生の終わりにおいては、この苦悩に余りある喜びをもたらして下さるものと堅く信じている。
いや昨春4月より今に至るまでも、既に証しへの道を歩ませられているのではないかと思う。
 

「主はわたしを広い所につれ出し、わたしを喜ばれるがゆえに、わたしを助けられました。」 


1月14日に神さまが私に娘のことを語って下さったみことばである。


posted by 優子 at 22:56| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年01月16日

祈る幼児

孫はおやつであれ、食事であれ、その都度、「ママ、ありがとう!」や「おばあちゃん、ありがとう!」と言う。

今日の午後のこと、娘はある方との電話中に涙した。
すると驚いたことに、私と遊んでいた孫が母親のところへ行き、ママを抱きしめて「ママ、もう泣かないでね」と言いながら、右手でヨシヨシしていた。そして、「泣いたらあかんよー。ユキちゃん、ママ、だーいしゅき!」と言っていた。

次も今日のこと、知子が血のにじむ手荒れを見ながら、「ユキちゃん、早く治りますようにってお祈りしてね」と言いながら手当てをしていたら、ママの手を握って「イェシュしゃま、ママをはやくなおしてください。イェシュしゃまのおなまえによっておいのりします。アーメン」と祈った。

また、昨日から風邪気味だった夫が今夜は寒気がするからお風呂に入らないというと、「イェシュしゃま、おじいちゃんをはやくなおしてください。イェシュしゃまのおなまえによっておいのりします。アーメン」と、おじいちゃん風に手を合わせてお祈りしていた。

お祈りのことを「イェシュしゃま する」と言う孫は、「あっ、チャッピー、イェシュしゃま してないわ!」と、犬が祈らずに食べていると真面目な顔をして言うのだ。
そして、いつも「ゆっくり食べてね。ゆっくりね。おいしい?」とチャッピーに声をかける。

かくのごとく、人間は2歳半にして育てられ方が見事に現れるのだ。子供は親を映す鏡であり、親は子供を映す鏡と言われるとおりである。

今日の『生かされて』(お気に入りリンク!)の記事に大きな慰めを得た私は、そこに紹介されている詩を、深い愛と祈りをもって子育てしている知子に贈ろう。

     やわらかな
     ひとかたまりの粘土を手にとって
     わたしはある日 なにげなくいじっていた
     わたしの指の押すままに
     粘土はへこんで
     わたしの思うままに伸びて曲がった

     それから何日たったろう
     わたしが かえってみたときに
     粘土は固くなっていた
     わたしがつけた形のまま
     そしてもう 変えることはできなかった

     わたしは ひとりの子どもを手にとった
     神様がくださった生きた粘土だ
     一日また一日
     救い主の技巧をもって形をつけた
     おさない子どものやわらかな
     云うなりになる心を

     あれから何年たったろう
     わたしが かえってみると
     彼はもう大人になっていた
     はじめにつけたあの形が
     まだはっきりと残っている
     そして もう変えることはできない
 

この詩を知子に読んでやった時、知子の目から涙が溢れた。絶対者なる神の慰めをいただいて流した麗しい涙だった。
知子とユキには神さまがついておられる。安心して、今歩いているとおりに歩いていけばいい。知子も私も神の平安の中にある。


posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年01月14日

紙業界新聞に掲載された年頭所感 ― 統廃合は時代の必然 ―

この冬4回目の寒気団、昨日の奈良の最低気温は−1.3度で最高気温は3.9度だった。今朝もチャッピーの水は厚く氷っていたし、娘が入れ替えてやった水もまた薄い氷が張っていた。

今日は陽射しがあるのでありがたいが、10時頃でも30分間ほど窓を開けていただけで室内は2度になってしまった。

しかしながら寒気も極まると爽やかささえ感じて心地よい。それは苦悩極まって苦境を通り抜けつつある時の境地に似ている。
「真理は寒梅の似(ごと)し。敢えて風雪を侵して開く」。
私は新島襄の言葉を口ずさみ、人生とはかくも味わい深いことかと噛みしめていた。


さて、夫は今年も大阪印刷工業会の新年会に招かれて、9日に続いて昨日も太閤園へ出向いた。
印刷業界の厳しさも凄まじく、この10年ほどで全国に一万軒ほどあった印刷会社が半分になったという。仕事柄営業内容も我々以上に苦労があるようだと夫はしみじみと語った。

その席でのこと、紙業界の新聞社の方が「いい文章を書いておられますね」と声をかけて下さったという。
その方は『紙之新聞』の記者で、同紙の「念頭の挨拶」に掲載された拙文について仰って下さったのだ。夫の経営者としての理念と明日への方向性に共鳴して下さったのである。

昭和21年から(?)発行されている『紙之新聞』1月11日発行(5674号)より、ここに転載し記録しておきたい。
統廃合は時代の必然
         
         日本洋紙板紙卸商業組合・副理事長
         日 紙 商 西部ブロック会・理事長   藤本良輔
         大 阪 洋 紙 同 業 会・理事長 
              
新年明けましておめでとうございます。
厳しい2010年の幕が開きました。一昨年のリーマンショックに端を発した世界同時不況はデフレをもたらし、厳しい年越しとなりました。21世紀に入ってからの1年は、これまでの1世紀を凌駕する勢いであり、経営者は明日のことさえ予測できない緊張を強いられております。

紙業界におきましても需要の落ち込みは予想以上でした。大阪洋紙同業会主要27社の昨年度1月から5月の洋紙統計では、数量ベースで20%以上も落ち込み、5月には前月比58、4%に拡大し、肝をつぶすほどの驚きでした。

幸い、6月以降は15%程度に縮小してきましたが、マイナス数量の減少は当面期待できそうにありません。ただし、価格の下落はメーカーが大幅減産を続けてくれたおかげで、予想していたよりも小幅におさまっております。

これまでの薄利多売の時代は終わりました。これからは2割落ちた売り上げでの経営を余儀なくされ、収益重視の経営に方向転換することになります。

今や経済成長の限界が見え、今後はこの構図の中で持続可能な経済活動を実現していかねばなりません。その歴史的転換期にあって、時には立ち往生しそうな気持ちにもなりますが、今こそ互いに共存できる枠組みを構築する好機でもあります。

そのためには、これまでの経験と知恵に加えて柔軟性が求められます。特にオーナー経営者にとりましては大きな心の痛みを伴いますが、統廃合は決して敗北ではなく時代の必然なのです。私達はそのことを認識し受容する聡明さが必要です。

「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚(よ)りの糸は簡単には切れない」のです。
複数の会社が一つになり、しかも、それぞれの良さを失わずに存続することは可能であり、それでこそ互いに統合の強みを発揮することになるでしょう。
私達の身近にも選択の時が迫り、賢い選択が求められています。ともに雄々しく前進していきたいものです。

最後になりましたが、紙業界、関連業界、関係者の皆様方のご健勝とますますのご隆盛を祈念申し上げ、新年のご挨拶といたします。
                     〈美濃紙業(株)社長〉

私の父は「誠実を信念とする」を社是にしていた。
神に対して、人に対して誠実であるには、何よりも己に誠実であらねばならない。人間として誠実に努力することなくして幸いはない。
誠実に生きようと励み、苦労している人々に、神の導きと恵みが豊かにあらんことを祈る。

posted by 優子 at 13:39| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2010年01月13日

2歳6ヶ月健診

高血圧の不調に気づいてから1ヶ月になる。
以来、チャッピーの散歩、ごみ出し、洗濯など、朝の用事はすべて娘がやってくれるようになり、私はすっかり怠け者になってしまった。穏やかな午後は歩くようにしているが、1ヶ月間に2〜3回行っただけだ。

今では毎日2〜3回血圧測定するのが日課になってしまった。
相変わらず高いので、先週は薬を2ヶ月分処方されてショックだったが、今は薬がないと大変なことになる。
しかし、私はこのことを心身症のように理解しているので、半年後くらいには快方すると期待しているのだが。

雪の舞う寒い今日、知子は息子を2歳半の健診のために生駒市の医院まで出かけて、2時過ぎに無事に帰宅した。

体重は12.73s、身長は92.7cm、頭囲は49cmだ。
平均身長を50とすれば90もあり、背が高い。
肥満度は−5%だというからちょうどいい加減である。


夜驚(やきょう)は発達段階でのことなので気にしなくてもよいらしい。しかしながら、ここ数ヶ月前から就寝時間が10時半から11時頃と非常に遅く、朝は8時過ぎまで寝ているので注意された。早寝早起きは成長に必須だからだ。

私は長女が2歳半と2週間の頃に次女を出産したので、今の孫にその頃の知子の姿を重ね合わせて懐かしく思い出している。

ユキは一人っ子だが、ほど良い生存競争もあるので喜んでいる。
と言うのは、良輔おじいちゃんが我が子のとき同様にチョッカイを入れるのである。
「おじいちゃんダメ!これユキちゃんのん。おじいちゃんはオカキ食べてね。ユキちゃんが甘いのを食べるから」とか、毎日二人でやりあっている。ユキは本気で!(笑)


「そのうちに知子や真智子たちのように作文に書かれてしまうよ。『おじいちゃんはぼくのおかしをたべるのでいやです』ってね。」と、孫のおかげで笑いも絶えない。

「おじいちゃんの名前は?」と聞けば「りょうけしゃん」と、私が呼んでいるとおりに答え、「もう一つの名前は?」と聞くと「ぴー」と答える。
「おじいちゃんにピーと呼んでいいのはおばあちゃんだけね」と説明すれば、2歳児でも十分に理解でき決して呼ばないのにも感心する。

今も残るかわいい言葉は:
「ででんぶ(自分で)」、「つがいでる(繋いでる)」、「ゆきたぐるま(雪だるま)」、「おふどん(おうどん)」、「メーシュモップ(メープルシロップ)」ぐらいだろうか・・・・。

「あっかたい(暖かい)」、「クムライス(クリスマス)」も正しく言えるようになり、「パカション(パソコン)」も「パショコン」になった。


9日には大阪南港のATC(アジア・トレード・センター)ホールで開催されていた「プラレール博」に行って来た。
お正月休み中のテレビニュースで知り、9・11・12日も開催されるというので孫と一緒に出かけたのだ。今年はプラレールができて50年になるらしい。

この日を楽しみにしていたユキの喜んだこと!
こんなに幼いのにその日を楽しみにし、会場に着くと大喜びで楽しさと満足感を体一杯で表わした。


私達は男の子を育てたことがないだけに、このようなことには関心もなかったので全くの新しい世界だった。驚いたのは、来ていた殆どが幼い2〜3歳の男児だったことだ。

プラレールB.jpg

北海道、関東、中部、近畿、・・に分けられており、それぞれの地域に走っている列車を走らせていた。
ユキが捜すのは勿論アーバンライナーだ。
会場でも本の中からも見事にすばやく見つけるのには驚かされた。2歳児にしてこれだけの知能が開かれるとはすごいものだ。

プラレール@.jpg 

私達は1時間近くもすれば疲れてしまったが、孫は「もっと見たい」と飽きないで見ていた。たかだか2歳半の幼児がこの日を楽しみにし、実際に夢中になって見ていた姿に感動した。

神は人間にすごい能力を備えられたものだ。これら「知・情・意」が豊かに育ってほしいと思わずにはいられない。

帰りに太閤園で遅い昼食を摂った。
帰ってからも、まるで中学生が勉強に集中しているかのように、じっと冊子を見ていた。その姿から未来を想像させて胸が熱くなった。

マスクしている子供たちもいたが、新型インフルエンザにもかからずに2歳半の健診も済ませた。これからも神さまが孫の心と身体を守り育てて下さいますようにと祈る日々である。

posted by 優子 at 16:46| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年01月12日

感謝と喜びをもって悔いなく生きる

勇気を失わないために私の精神界の一冊、マリー・キュリーの本を開いた。『母と娘の手紙』(人文書院)は、大学の恩師である西川裕子先生が訳されたもので結婚祝いに頂戴したものである。

1970年当時、第2外国語は2年間必修に定められていたが(72年から1年間に変更されたと記憶している)、英語もわからぬ者が勇敢にもフランス語を4年間履修した。3・4回生の時には6〜7名の受講生という恵まれた環境での学びだった。
この本を1975年に初版発行されておられるということは、先生が38歳の時である。

マリーの長女イレーヌは母の道を継いで原子物理学者になり、1935年には「人工放射性元素の研究」で、夫フレデリックと共にノーベル化学賞を受賞している。
マリーとイレーヌとの往復書簡には次のような内容もある。

          ジュネーブ、1924年7月23日水曜日
いとしいイレーヌ
あなたが昨日書いた葉書きをいま受け取ったところです。
磁場による分析器の結果がよかったときいて嬉しく思います。あなたは微細な構造を見たとは書いていませんね。なかったのだとは思いますが。

あなたが得た結果をくわしく知らせなさい。また、余分があればアルファー線の分析について書いたあなたの論文の別刷り(『物理学誌』)をこちらへ送りなさい。アインシュタインさんにお目にかけます。

このほかにも天才数学者ポアンカレの名前が出てくるが、私は改めて数学がどういうものであるかを感じて心熱くされた。

というのは、次女が打ち込んでいる理論経済学の探求もまた壮大な数式を紡いでいるからだ。まるで数学の世界なので、数学は語学と同じように学問探求の道具だと思ったものだ。

そして、数学は楽譜と同様に普遍的な人類の共通語であり、数学という言葉が理解できる者にはキュリー親子の研究論文は壮大な叙事詩なのだ!

イレーヌが急性白血病になって59歳で死んだのは、当時はまだ放射性元素の危険について認識されていなかったためであり、マリーもまたその22年前に同じ病気で67歳の生涯を閉じている。共に人類のために尽くした犠牲者だった。

今、ブログ開設早々の記事を懐かしく読み直し、マリー・キュリーのように真智子に手紙を書きたくなった。(2006年1月7日の記事は、この記事最後の「続きを読む」に転載させて頂いた。)

真智子へ

ママは真智子が東大の大学院へ進んだ時、将来のことを想像すらできないほど無知でした。世界にも通用する学者になろうと5年間の留学を選んだ時も、5年間の辛抱だと思っていました。

その後まもなく、学位を取ったあとも外国生活が続くであろうことを知り愕然としましたが、すぐに覚悟できました。二度とない人生です。どうかこれからも悔いのないように生きてほしいです。

日本に根を下ろして生活するのはまだまだ先のことですね。少なくとも真智子が40歳くらいになるまでは辛抱かなと思っています。そのあと数年間でもいいから、真智子夫婦と度々会える生活を楽しめたらいいな。

マリー・キュリーやイレーヌのように、いつか私たちもみんな人生を終えるのです。悩みも喜びも生きているからこそのこと、全てが感謝であることをママも忘れないように喜んで生きます。

今は心が重くて非常な勇気が必要ですが、神さまが勇気を保持させて下さることでしょう。
そして、マリー・キュリーも自らを励ましたように、「雨のあとは、きっと晴れというしっかりした希望をもっていなければなりません」。私も希望を持ちながら今を耐え忍びます。

さて、次の帰国はいつになりますか?
今度帰国した時には、ユキも一緒に是非みんなで旅行に出かけましょう。楽しい時を過ごしたいです。ユキにアーバンライナーを乗せてやるのがいいのか、新幹線がいいのか思案中です(笑)。行きたい所を考えておいてね。

真智子が日々打ち込んでいる研究においても良いものが生まれますように!
次の言葉は、マリーが22歳の誕生日を迎えるイレーヌに贈った言葉です。ママの気持ちそのままなので真智子に贈ります。

「どのような贈物も、あなたが日々私に与えているものとくらべることができません。あなたの若さ、あなたの感じている生きて働くよろこび、あなたの母親をおもう心が私を力づけるのです。

私のやさしい大きな娘、今のあなた、未来のあなたを心から祝福します。そして、私の期待し望むとおりに幸福になってください」。

真智子と知子は私にとって本当の宝です。
ブログを書きながら心地よい涙を流して心が洗われたように爽やかになりました。「これから先、残された短い年月を共に幸福に生きることができますように」。

付記:
昨年末に送った航空便は12月28日に大学に届いていたことが7日にわかった。

大急ぎで娘に連絡し、ようやく(ミネソタ時間)8日に手にしたのだった。荷物の行方は電話一本で分かるのに、私はそんなことさえ気がつかないでいた。大学側も年末年始や休日と重なって連絡ミスがあったようだ。
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posted by 優子 at 14:23| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年01月06日

天空より光さす

昨日から冬型気圧配置に戻り、今日は寒風吹く寒い一日だったが、ミネソタの−23度という寒さは想像を超える。(7日朝追記:6日の最低気温−0.8度、最高気温7.2度で平年並み)

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午後2時頃のこと、洗濯物を取り入れていた時に雲の合間から光がさした。曇り空で斜光線も弱くて暗いが、私はこのような空を見るのが大好きだ。

広い草地で見ると吸い込まれて高く上げられていくような気持ちになる。私は天を仰いで天地を創造された神を想い、唇には、
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空は御手(みて)のわざをしめす。」(詩篇19篇1節)のみことばが出る。

まるで神が天の窓を開いて私に語りかけ、溢れる祝福を注いで下さっているようで、しばらくの間、私は神との語らいを楽しむ。

今日は下手ながら自分で撮った写真にいざなわれて、ずっと聖書を読んでいた。

「あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。

弱った者には力を与え、
勢いのない者には強さを増し加えられる。
年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。」


             (イザヤ書40章28〜31節)

「わたしはあなたの神、主である。
わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、
あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。

どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。
そうすれば、あなたの平安は川のように、
あなたの義は海の波のようになり、
あなたのすえは砂のように、
あなたの子孫は砂粒のようになって、
その名はわが前から断たれることなく、
滅ぼされることはない。」


             (同書48章17〜19節)

「あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。

            (略)

試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」


             (ヤコブの手紙1章2・3節、12節)

冒頭に掲げた写真のように、みことばの光が魂に届き霊が潤されるのを感じる。


posted by 優子 at 17:13| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年01月05日

2010年稼動!

ママへ

メールと写真、ありがとう。
(ミネソタ時間の)1日は、スカイプできてよかったです。
こちらこそ、長時間ありがとう。
その後、無事に神戸に行って帰ってきたみたいで、ほっとしました。それに、楽しい時間を過ごせたみたいで、嬉しいです。その後、血圧が上がっていないといいけれど。

ママたちも、おばちゃんも、それぞれが心痛む状況にあって、それらは同時にまちの心の痛みでもあって、つらいです。イエス様を中心に一歩ずつ歩んでいきたいです。

2日の新年会は、とってもとっても楽しかったよ。
高山君は手作りの伊達巻を、聡史君は手作りの巻き寿司を持ってきてくれて、すごかったです。
まちのお料理(トンカツ、黒ゴマのトンカツソース、鶏唐揚、キャベツの浅漬け、スモークサーモンと玉ねぎのマリネ、切干大根)も大好評で、ほとんど無くなったし、残った分も持って帰ってくれたよ。
クマの優秀なアシスタントぶりも、凄かったです。
2人で準備するのも楽しかった。
写真です↓。

http://picasaweb.google.com/fkomachi/2010# (このブログの右「真智子のギャラリー」です)
昨日はゆっくり寝てたけど、お祭りの後という感じで、少し寂しさがこみ上げてきてました。

今日は仕事初めでFEDに来たので、良い気分転換でした。

またメールするね。

真智子

2日朝9時から2時間あまり次女夫婦とスカイプし、その後、私たちは神戸の叔母宅へ出かけたのだった。

次女夫婦はその翌日に二人の友を自宅に招いて新年会を開いた。
友とは東大大学院時代の同級生と後輩で、男の子が巻き寿司や伊達巻を作っていた!お相伴したかった!巻き寿司も伊達巻もおいしそう!
マチ・クマも一緒に作り、しかも、喜んでもらえた嬉しさが伝わってくる。4人が楽しい時間を過ごすことができて私まで嬉しく心和む。

2010年が動き出した。
聡君も高山君もマチ・クマと共に努力の1年が始まるのだ。

真智子は4日のFED(フェッド・連邦銀行)が仕事初めだった。
”FED ”とは連邦準備銀行の総称で、日本の中央銀行・日銀に当たる。広大なアメリカ合衆国においては12地区に設けられており、その一つがミネソタ州に置かれているのだ。今年は大学とFEDと両方に籍を置いての研究の日々となる。


美濃紙業も今日が初出だ。
今日明日と社長を筆頭に役員4名で年始の挨拶回りである。
夫の霊肉を強くされて、夫の上に神の栄光が現されるようにと祈らされている。聖霊の導きによって祈らされているのである。

私も新しい力を頂いて意欲を回復しつつある。
アドバルンに空気が入っていくような感じだ。信仰を与えられていること、そのことが感謝の全てである。

そして今、ダビデが人生航海途上の大嵐のただ中で告白したのと同じ思いである。

「神よ、わが心は定まりました。
わが心は定まりました。
わたしは歌い、かつほめたたえます。
わが魂よ、さめよ。
立琴よ、琴よ、さめよ。
わたしはしののめ(暁)を呼びさまします。」
(詩篇108篇1・2節)

この思いを重ねるたびに神との交わりを深め、神の近きに行くようである。私はどんなに苦しくとも神を離れるどころか神さまだけが逃げ場なのだ。これが私の唯一の証しかもしれない

長女のことも、神の御前に娘自身が自分の意思を委ねての苦悩の果てのことである。私は娘が自分の思いでやっていないかということだけを心配して関わってきたが、私の中に残っていた一縷の思い煩いもようやく取り除かれつつある。
背後で力強く祈って下さっているおかげでもある。そのことを鮮明に感じている。

人生途上において、神が介在しておられたことであっても選択を間違うことはある。
その「そもそも論」の信仰解釈が人によって違うことと、「赦し」の意味を深められて、神が開いて下さる道はそれぞれであるとの思いに至った
親子でさえわからなくて当人でしかわからないこともあるのだから、このこともまた最終的にはその責任も含めて当人に任せるべきだ。


そして、私にとってだけではなく娘自身にとっても、主に在る限りにおいては、「主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる」(詩篇23篇3節)と信頼することだ。

私に示されたことへの責任は果たしたつもりだ。だからこれからのことは思い煩うのをやめよう。
神は愛なる方だ。このことも最善に導いて下さると信じよう。
時を経て、神が全てのことを明らかにされるまで「忍耐して歩め、わが愛に居れよ!」とのお応えを頂いたように思う。

人間には限界があり、神のなさることも御心も私にはわからないが、私は神を信頼する。肉の親以上に限りない愛をもって愛して下さっている神を信頼する。

私は今こそ、イエスを死から復活させた絶大なる力、神の愛を知る時だと思う。だから今日一日を精一杯生きることだ。そして、あとは御手に委ねよう。

「異国で励む真智子と太志君が、この年も聖霊に励まされて豊かなる日々を重ねていくことができますように。
その友たちのことも祈ります。
いや、善良に生きる全ての人に神の励ましと導きがありますように。
そして、悪意に生きる人々には、人生を無駄に終わらせることのないようにと祈ります。
一人でも多くの人が救い出されて永遠のいのちを賜り、地上においても感謝をもって生かされる喜びを知らしめて下さいますように。そのためにこのブログを用いて下さいと祈ります。」


「優子さんのブログには、祈りのことが多くなりました。」

昨日のメールで友が書いて下さっていたが、今日もまた祈りへと導かれた。感謝。

posted by 優子 at 14:45| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年01月01日

2010年開幕、ブログ開設5年目を刻む

 頌主頌春!

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「たといわたしが倒れるとも起きあがる。
たといわたしが暗やみの中にすわるとも、
主はわが光となられる。」

                   (ミカ書7章8節)

「フリー(無料)素材集」に今の私の心象風景にふさわしいのがあったので使わせて頂いた。

このお正月でブログを書き始めて5年目に入る。
当初はコメント欄に現代人の「甘え」を感じて抵抗を感じていたが、昨年に一つの気づきを与えられて私のこだわりは解消された。

友のメールに書かれていた「励まされたいのです」という言葉にハッとし、その後、今度は自分が苦境に至ってその気持ちがよくわかったのであった。
私たちは弱った時は慰められ励まされることが必要で、人生を全うするには互いに慰め励まし合わねば行き着けないのではないだろうか。

それでもなおブログを奇妙な現象に感じないではないが、現代はそれほどに生きにくい時代なのだろうと思い始めている。

ブログは遠慮なく独自の色彩を出せる発表の場だ。
例えば、文学論ならばどのような誌面でも自分の思想信条を明確にできるが、エッセーならば掲載される誌面によっては憚(はばか)らねばならない場合がある。
その意味において、ブログは遠慮なく自由に書くことができるありがたい道具だ。

『メメントドミニ』は、万物を創造された父なる神が居られることと、救い主の贖いによって永遠のいのちが与えられることをお伝えしたいがために書いている。
そもそもブログを書く人は読んで欲しいから書くのである。読んでもらうためには人の心に響くものでなければならない。

それゆえに『メメントドミニ』もまた、牧師のメッセージ同様に自分自身の経験を通したものでないと届かない。自らの苦い経験、心の傷からしみ出るものを書かねばならない。

ただし周囲への配慮から何もかも書けないこともあるが、苦しい時は苦しいと書く。苦しいのに陽気を装うことだけはしない。
一人のキリスト者として苦しみ悶えながら神との関係を深めていく、そういった生き方を書き続けていきたいと思っている


神の約束をしっかり握りしめている限り、希望の光は常に見出すことができる。今も私の心の奥深くに主の光が差し込んでいる。祈ろう。

「主よ、あなたの2010年の幕が開きました。
過ぐる一年を守り導いて下さったことを感謝します。
今はその場にたたずんでしまうような心境ですが、
神さま、あなたに新しい年の導きを祈ります。

私に進み行くべき道を示して下さい。
私の思いと行動をあなたが導いて下さい。
一歩一歩とたゆむことなく、
あなたに向かって進み行かせて下さい。

あなたに祈れることを感謝します。
私の救い主である主イエス・キリストの御名前を通して
この祈りを御前にお捧げします。アーメン。」


昨日の『ゆく年くる年』は雪の大晦日だったのに何の感慨もなかった。悲しみも苦しみも渦中にある時は情緒的にはなれないのだと思った。そのような気持ちの余裕はないのだ。

私は感動したかったのに、まるで無感動で「ニル・アドミラリィ」になってしまったようだ。
ただ2010年になった瞬間だけ、心の中に少しのドヨメキを感じた。しかし、それもその瞬間に僅かに感じただけだった。

今年から元旦のお雑煮は母屋ではなく、夫の弟たちの家族もそれぞれの家庭でということになり、義母は我が家で白味噌のお雑煮をおいしく味わってくれた。
夫と知子と孫と義母と私の5人で2010年を始めた。
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本年もどうぞよろしくお願いします。


posted by 優子 at 15:00| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする