2010年04月30日

「土の器」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより B―

『土の器』  (羽鳥明牧師)

私は「土の器」という聖書のことばが大好きです。作家の三浦綾子さんのエッセーにも『この土の器をも』という著書があります。
また、日商岩井の元社長で、日本銀行総裁でもあった速水優さんも、『土の器』という美しいエッセー集を出版しておられます。
私はその本を速水さんから頂いて、一気に読んでしまった覚えがあります。この二人の有名人も、「土の器」ということばが大好きだったのでしょう。
 
聖書の中に、「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです」(コリント人への手紙第二 4章7節)。
 
私たちは泥をこねた土の器のようなものです。しかし、その中にこの宝、つまり神様、神様の愛、神様の愛の福音を入れさせていただくことができるのです。

すると、測り知れない神様の業のひとかけらでもさせていただくことができる。なんと尊いことでしょう。私の材料は泥や粘土です。神様に拾い上げられ、恵みの火を通されて「土の器」になります。

私は友人に誘われて、アメリカの大農場に行ったことがありました。炎天下でひと働きした後、友人が農地の傍らに転がしてある素焼きの、それこそ「土の器」の所に私を連れて行きました。中の水を一口飲みました。

そこで私は、「命の水!」と叫んでしまいました。炎天下で冷たく冷えた水を飲んだからです。そのとき、「ああ、私もこんな土の器になって、渇いた人に、のどを潤す命の水を差し上げられるようになりたい」と思いました。

ところが聖書の中で、ダビデはこう叫んでいるのです。
「私は死人のように、人の心から忘れられ、こわれた器のようになりました」(詩篇31篇12節)。
土の器は壊れやすいものです。粉々に砕けた土の器に何の用がありましょうか。私たちは、「壊れた器」のようになると失望するのです。
 
日本には、どんなに壊れていても、そのかけらをひとつひとつ接いで直す方法があります。金で接いだ古い陶器などを時々見かけます。
神様の愛のみ手の中で「壊れた土の器」も元どおり、いいえ、元以上に珍重される「土の器」となれるのです。

聖書のことば、
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです」              (コリント人への手紙第二 4章7節)


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2010年04月27日

読書ノート <中山義秀『碑』を読む>

何から先にやらねばならないのか優先順位もつけられず、落ち着かないまま今日も本を読んでいた。中山義秀のもう一つの代表作であり、作家として不動の地位を与えられた『碑』である。
この作品は『厚物咲』よりも2年前に書いているが、発表したのは4年後の1939(昭和14)年、義秀39歳の時である。

小説のあらすじは、小さい時から反(そ)りが合わなかった高範と茂次郎の兄弟がいて、三男・平太は狂気して母親を殺してしまい高範に仇討ちされる。
時は幕末から明治へ、大政奉還、廃藩置県と、時代の情勢が大きく激変する中で高範と茂次郎の人生が進んでいく。

そして、40余年ぶりに二人が再会して兄弟の交わりが始まる。
時流に乗って金貸しで成功した高範と、貧困のままであったが多くの人々にその死を悲しまれた茂次郎、共に思いのまま生きた二人であった。

兄は弟の遺体の前で、「お主は我が意どおりに世の中を渡ってきた。何も思い残すことは御座るまい」と声を張り上げて叫び涙を流した。この言葉、この心情こそが、義秀の心であり遺言だと言いたかったのではないか。 

この作品を書いたのは義秀が36歳の時であり、その頃は「一身の不遇に絶望していた」と書いているので、人生は実を結ばずとも努力することが大事なんだと大声で叫びたかったのであろう。


本文で義秀の魂を感じたのは以下のところだ。
茂次郎の生涯は失敗だったにしても、とにかく彼は自分一人の力で生きてきた。そして彼相応の努力をつくし、命を賭けて闘いもしたのである。
してみれば彼とても己の生涯を代償にして人生の底から掴(つか)み獲(え)た物が、何かあったことだろうと思う。それは言葉にも文字にもあらわせぬ心魂の響にすぎなかったにしたところで、やはり誰からの借り物でもなく茂次郎自身の物にほかなるまい。

「人生の底から掴み獲た物」とは、義秀が36歳の人生途上で得た境地であり、これを出発点として円熟していったと思われる。それは人生の意味を求めての行程であり、死の前日にキリストの救いを求めるに至ったと解することができる。

この作品は「作者自身の孤高の精神の悲しみを投影した名作であり、不遇時代の義秀が自らの墓標とする決意で書き上げた執念の作」とのことだ。

『厚物咲』でも感じたが、義秀には「性格」を人物や人生で大きく位置づけているように思うのは、私の考え方と少々異にするからだろうか。作品を読んでいると、義秀が性格というものを強く意識しているような印象を受ける。

それに関連して、「人は同じ教えを受けて同じ環境に育っても全く異なる人格に育っていく。・・・一人ひとり違うことをしっかり認識し・・性格や生きていることさえ自分で選び取ってここにいるのではない」と、今週の礼拝で語られた牧師の話を思い出していた。

兄弟姉妹でもそれぞれ違うという、そんな当たり前のことに深く頷きながら、私の兄妹、そして、長女と次女に想いを馳せ、人間の尊厳について考えさせられる作品でもあった。

『碑』はインターネット上の電子図書でも読むことができる。
書物では2段組で22ページの短編小説である。興味のある方はここをクリックされたし。(http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/novel/nakayamagisyu.html


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2010年04月26日

神のみこころを感じる久保田暁一先生との出会い

4月初めに送って頂いた『近江の湖畔に在りて ―随想と歴史探訪―』に引き込まれて、先週から小さな時間をも見つけては読んでいた。
敬愛する久保田暁一先生が、この3月31日に発行された本である。御著書は既に30冊を超えている。

拝読していると師との出会いを深められ、出会いの背後に神の深い愛を感じる。
優しさと謙虚さに溢れる柔和なお人柄である先生が、常々仰っていることは正直に書けということだ。

「文学は人に訴える力がある。人を生かす力がある。・・・
人にどう思われるだろうかなど、よく見せようと思わないで、自分をごまかさずに書いていくこと。・・・苦しみの道中を見ているがこそ書けるのであり、全身全霊をかけて書く。人の書けないものを書くのはたいしたものだ」。


と力説される久保田先生に私は強く惹かれる。
信仰者といえども自分の悩みや問題を凝視して語り合える人は少ないだけに、問題を直視せよと言われるのは文学者でもあられるからだろうと思っている。

新刊書を拝読していると久保田先生の感性の鋭さ、つまり信仰と思想の深さ、人生の歩みの真実さを感じずにはいられない。


文学論の一例を挙げるならば、遠藤周作の『沈黙』に出てくる主人公ロドリゴが踏み絵に足をかけた時の描写についてだ。師はこの一文に深く注目してこられたという。

「司祭は足をあげた。足に鈍い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。
この足の痛み、その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。
こうして司祭が踏み絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた」。


師はこのところに遠藤の聖書の読みの深さと、同伴者イエスの愛がよく示されていると評されているが、「聖書の読みの深さ」というところに深く感じ入った。

遠藤周作は「同伴者イエス」というキリスト像を、椎名麟三は「復活信仰」を、三浦綾子は「贖罪の信仰」に立ち、それぞれ独自の追求から生み出した文学であるということは知識として入っていたものの、では自分はどうなのかというところが希薄だった。

私自身の実人生において、また執筆においても、もっともっと主体的に独自の視点で聖書を読んでいかねばならぬということを真に感じたのである。
これは私の精神史においてターニングポイントになるほど大きなことだ。


昨秋から、あるいは今年に入ってから感じつつあったことが明確にされた。このことは自分史的にはこの6〜7年間の結実であり、人生の新たな段階に入ったことを意味する


私が一書をなす時には、敬愛する著名な久保田先生がお言葉を添えて下さると言うのだ。その光栄を感謝し厚かましくお受けしたい。
いよいよ出版に向けて書きためたものを編集しようと着手したものの、再度推敲しなければならず、かなりの時間と労力がいることがわかった。しかし、今秋には刊行したいと思っている。

今日の午後は急にお誘いを受けて外出した。友との交わりも大切にしたいから。

posted by 優子 at 23:40| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年04月25日

キリストのことばが我が内にとどまりますように

「聖書の言葉が自己の中に宿る(住む)ものになるのか、素通りしてしまうのかの境目は言葉との出会いだと思う。すなわちキリストとの出会いである。
自分の経験として、言葉としてキリストと出会い、その言葉に勇気づけられ、慰められ、養われていく。

人は同じ教えを受けて同じ環境に育っても全く異なる人格に育っていく。・・・一人ひとり違うことをしっかり認識していくことが大事だ。自分の思い、考え、こだわりに完全なものはない。

性格や生きていることさえ自分で選び取ってここにいるのではない。
この性格も感謝すると共に、全く違う人のことも感謝し敬意をはらい、その中から同じ信仰する者が、神さまからより集められて教会にいるのである。
だから互いの至らないところをゆるし合って、愛し合い、キリストのためにしよう」。


古森牧師はメッセージの終わりに、もう一度今日の聖書の箇所を読まれた。コロサイ人への手紙 3章12節〜17節。
だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。

互いに忍びあい、もし互いに責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。

これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。

キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互いに教えまた訓戒し、詩と讃美と霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。

そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。

なお、「聖なる者」とは、その人を神の所有として聖別して下さったということであり、その人には欠点がないというのではない。神さまはイエスが十字架で流された血によってその人の傷を問題にされないという意味である。

今週の週報の一言メッセージには次のように書いてあった。

「わたしが聖書に出会った事は、すなわち神の子イエスに出会った事でもあった。その神の子の愛がわたしを変えた。こうして聖書はわたしにとってなくてはならぬものになった。」(三浦綾子)

私達は聖書のことばをとおして、キリストと出会い、キリストのものとなりました。キリストのことば(それはキリストご自身)が私達のうちにとどまる時、私達は変えられ、また力を受けます。
一人ひとりに語られるキリストのことばをあなたの心にしっかりと受け止めて下さい。

今朝歌った讃美歌の一曲は、クリスチャンペンクラブ・関西ブロック例会で毎回歌う曲だった。『讃美歌21』57番である。

     1 ガリラヤの風かおる丘で
       人々に話された
       恵みのみことばを、
       わたしにも聞かせてください。

     2 あらしの日波たける湖で
       弟子たちにさとされた
       力のみことばを、
       わたしにも聞かせてくだざい。

     3 ゴルゴタの十字架の上で
       つみびとを招かれた
       救いのみことばを、
       わたしにも聞かせてください。

     4 夕ぐれのエマオヘの道で
       弟子たちに告げられた
       いのちのみことばを、
       わたしにも聞かせてください。


私も日々、キリストから直接みことばを頂いて生かされていきたい。

教会の帰り、孫にポニーを見せてやろうと住宅展示場に立ち寄ったが、殆ど関心を示さなかった。この子は動物よりもはるかに電車が好きなのだ。今も電車一筋である。電車を見る時の目は真剣そのもので輝いている。

今年も早、今週後半からゴールデンウイークに入る。


posted by 優子 at 16:16| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年04月24日

読書ノート <田宮虎彦の中山義秀論より>

評論家・中島健三は、中山義秀は孤独、孤高の人で、背丈は「5尺9寸(約180cm)に近く、容貌枯痩とでもいうか、雲突く男で、剣道の達人。武士の面影があり、酒を飲むとよく怒り出した」と書いている。

大岡昇平の追悼文(1969年8月21日付け朝日新聞夕刊より):

「(義秀が亡くなる1ヶ月前の病床で)文壇の気に入らない連中の悪口を言っていた。・・・男の醜さを彼のように底の底まで掘り起こした作家はほかにない。真に独創的な人格だった。・・・
しかし、彼は言った。『美しいものを書けよ。おれたちには義務があるんじゃないかな』」。

以下は、田宮虎彦の「中山義秀論」からの抜粋である。
中山義秀氏の作品を貫いている精神は、孤高の精神であり烈しい求道の精神である。孤独に身悶えしながら、なお生きる道を求め続けている人の悲しみと苦しみとが、氏のすべての作品をつらぬく色調の基本である。・・・

氏の作品は、ことごとく人間が自分の力の限りをつくして生きてゆこうとする姿を描いているといっていいと思う。・・・

菊は片野老人の化身であり、老人が縊(くび)れ死んでもなお美しく咲き続ける。・・・

「『厚物咲』は私の意識せぬ悲願のおのずから成れるものだった。『碑』は私の一種の遺言状である。・・・
(『厚物咲』について)私がこれほど完全に、作品に没入しえたことは、前後にない」

と、書いているが、氏の作品は、『厚物咲』にかぎらず、『碑』にかぎらず、作者と作品の中の人物とが完全に一体となりきっている。・・・これほど完璧に『私』を作品に没入しえた作品は数少ないといわねばならぬであろう。・・・

作品の中に書かれた暗い人物は、中山氏自身の分身であり、そのおかれた凄惨な環境は、中山氏自身が当時おかれていた凄惨な環境そのものであったのである。・・・

美しい花も、主観の暗さの投影で、醜い花と化し去ってしまうのだ。・・・
氏は『厚物咲』の執筆中、作品の暗さに、しばしば思いまどったと書いている。・・・すなわち氏自身の暗さに思いまどっていた氏でなければならない。

『梅花』(戦後の作品につながる作品)にきざす明るさは、勿論、氏の精神の円熟ということから生まれたといわねばならない。・・・『梅花』で氏が氏自身の心の底をのぞいた時、氏は新しい坂道をのぼりはじめたということができるようである。

「現実の生活に自足していれば文学は生まれない。」
「不幸や悲しみにうち砕かれた人間の魂は手痛く傷つけられると共に、彼の心情にある微妙な翳りを漂わせ愛と徳と人情の優しい滋味を帯びさせるようになる。」
と、氏は、また、書いている。・・・

それは、ただ悲苦から逃避したり、悲苦に眼をふさいだりすることによって得られる境地ではない。たじろぐことなく悲苦と対決し、それを克服せねばならぬのである。

不幸や悲しみにうちくだかれたままならば、それは人生の敗北者にすぎない。・・・傷を自分一人の手で癒した時、人は再生のよろこびを感じるのだ」。
(以上、筑摩書房『現代日本文学体系 68』・初版第13刷発行)より)

と書き、「死人を生きかえらすほどの努力」を要したと田宮虎彦は続けていくのだが、それだけだったとすれば、義秀は神と出会うことはなかったであろうと思う。仮に死の前日に洗礼を申し出た義秀だったとしても。

このあと、もう一つの代表作『碑』を読み、『梅花』、そして戦後の作品、『春日』と『寂光の人』を読むと見えてくるかもしれない。死の直前にイエスの御手にすがることができた義秀の心の軌跡を。

『春日』は「その一行一行が、春の日の野にもえたつかげろうの明るさでうずめつくされている」そうだから、書かれた時系列で作品を追っていくと何か感じとることができるかも知れない。


今はやりたいことやしなければならないことが山積みだが、一段落したらもっと腰をすえて『テニヤンの末日』と『少年死刑囚』も読んでみたい。
これは2枚くらいの原稿であるので、とりあえずは『厚物咲』の感想文でもいいではないかと、自分自身に言って逸(はや)る気持ちを抑えている。

付記:
今日は午後も陽射しがなく、一日中暖房をつけなければおられない寒い一日だった。
夫は美濃紙業の美友会主催の「春の遠足と新入社員歓迎会」で近江八幡へ出かけた。近江八幡水郷めぐり、水茎焼き陶芸体験とバーベキューの昼食。そして、情緒ある町並みを散策して6時半頃帰宅した。

私は長女の運転で食料品の買出しに行った。
最初に図書館へ寄ってもらって中山義秀の本を借りたのはいいが、昼食は3人で美味しいものを食べようと、買い物のあとを楽しみに出かけたのに、結局、家で粗食な昼食になってしまった。
しかし、3時間に及ぶ大笑いの買出しだった。


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2010年04月22日

20年ぶりに中山義秀『厚物咲』を再読

早速昨日、中山義秀(ぎしゅう)の『厚物咲(あつものざき)』を読んだ。2段組で15ページ半の短編だが、やはり長編を読んだあとのように中身のある作品だった。

この作品は昭和13年に書かれたもので、その時代が作品によく表われている。例えば、28〜9歳の女を「年増(としま)盛り」と書いている。(笑)

小説の内容は、幼なじみの二人の男性(瀬谷直人と片野俊三)の友情と確執を掘り下げたもので、瀬谷の視点から幼友達・俊三のことを書いていっている。

片野は花作りの秘密を守り通し、それを瀬谷が奪ったということは、最後に秘密が破られたというわけだが、自殺した片野の傍にあった作品を盗んで展示したとは何と罪深い!


20年前の記憶では、菊作りについての秘密を絶対に明かさなかったことと、両者の執念だけが残っていた。読書会で発言した内容は長くなるので一部省略して掲げるが、この時は妻・お鱗についての洞察があまりにも未熟だった。

片野の生き方を思うと、いったい何のために生きているのかと問いたい気持ちだ。人生を台無しにしてしまって哀れである。
妻のお鱗の忍耐力はすごいものだが、これもまた人は何のために何ゆえに耐え忍ぶのかを考えさせられ、共に哀れでならない。

性格がその人の運命をつくるのか?!
とにかく、「人は生きてきたように死んでいく」と言われている通りだと思った。
そして、偏屈な片野夫婦から、これほど似つかない息子が出たのはなぜか。養子として外に出されたということから、人間は育つ環境によってこうも変わるということをしみじみ思った。

しかし、今回はこれだけでは済まない。
お鱗もまた片野同様に伏せられた魂を支えに生きており、意地の張り合いで生きてきた片野夫婦だった。片野が首を吊って果てた心理はいかなるものか。人間の真相というものを掘り下げて考えずしては終われない。

片野の心理もお鱗の心理も既に直観しているが、言語化できるまで考えねばだめだ。考えたい。
書くとすればそのあたりだが、この作品だけでは義秀が洗礼を授かって、平安のうちに生涯を終えるに至る息づかいを感じることはできなかった。

ひょっとして、自殺した片野が義秀の分身なのだろうか。
あるいは、分身は瀬谷なのか。
瀬谷もまた片野と同等に罪深く、一番救いがたいのは瀬谷かもしれない。『海と毒薬』の勝呂と戸田を彷彿させた。


1990年10月の読書会で西口孝四郎氏の解説は:
義秀は明治33年生まれで、明治6年に仇討ち禁止令が出た。父、祖父・・・みんな武士の名前で剣豪筋であった。
早大時代に横光利一と知り合い、その後は常にライバル意識があり、横光との精神的葛藤があった。

『厚物咲』とは、義秀にとっては「小説作り」なのである。物を作る者にとっては秘密を絶対に明かさないし、相手の顔やライバルの顔を浮かべて作るのである。
片野の死に焦点を持っていかないといけない。

この時の読書会は、年に一度交流していた豊中との読書交歓会で、豊中から来られた明治42年生まれ(当時81歳)の女性が貴重な話をして下さっていた。

「この当時の500円は今で言うなら3000万円位で、この当時は貯金など考えられない貧しい時代だった。ちなみに昭和6年で家は1000円で建った。今なら一億円。

女の考えが全く出ていないところも前の時代の作品とわかる。
封建制の中での友情(女同士あるいは男同士)の中に、片野と瀬谷のような関係がある」。


義秀は大学卒業後に英語の教師になったが、妻を亡くす。創作活動も長い苦節の時代があったようだ。
第7回芥川賞選考審査員に佐藤春夫、室生犀星、横光利一や久米正雄がおり、この作品を絶賛した久米正雄の選評(抜粋)を参考資料として記録しておきたい。

私は今度の芥川賞候補作品を、一と通り読了した時、中山義秀君の「厚物咲」に最も感心し、第一回会合の時から、敢て是を推奨し通した。(中略)読んだ時、深い感動に打たれて、暫らく芥川賞銓衡なぞの俗事を忘れ得たのは、正直のところ、此の作品だけだった。

室生君が、老人は書き易く、その易きについて、陳套だと言う意味の批難をしたが、その批難は当っているにしても、是だけ書ける人はそうザラに無いと考えた。

集中力が戻ってきているように思うので、義秀の作品をもう少し読んで人間の実相について考えてみたい。


posted by 優子 at 16:18| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2010年04月21日

メメントモリ

一昨夜9時30分過ぎてようやくブログを書き始めた時、一本の電話が入った。
紙文具流通センターの専務理事だったので直ぐに夫に代わった。夫は神妙な顔つきになって話を聞き、「意識は?」と尋ねたので何かあったのだとわかった。

流通センター内にある会社の設備の仕事をして下さっている方が、仕事中に中2階に張られたテントの上から足を踏み外して地上に落下。脳内に出血した血を抜いたが大変危ない状態で今夜が山だと、病院からかけてこられた電話だった。
その後まもなく日付けも変わらないうちに亡くなられた。まだ40歳くらいの方だったそうだ。

家族が事故の知らせを聞いた時の驚き、病院に駆けつけるまでのこと、伴侶のもとに駆けつけ、痛々しく横たわっている姿に目を疑い、ただただ回復を祈り・・・そして、その日のうちに亡くなってしまう・・・
こんな信じがたい現実。人生とはかくも非情なものかと思う。

人間はみんな死ぬということは大人になれば誰でも知っているのに、よほど年を取らない限り死は常に他人事の「3人称の死」であり、自分だけは死なないと思っているようなところがあるのではないだろうか。

私は両親共に亡くなった時に今度は私の番だと思った。死との間の衝立(ついたて)が取り去られたような気持ちだった。48歳の時である。
あれから10年経ち、体力の低下と共に老いを感じながら死を実感し始めているが、それでもまだまだわかってはいないだろう。

それゆえに「太陽と死は直視することができない」と言ったラ・ロシュフコーの言葉を何度も想起しては考えることがある。


中世のヨーロッパでは、修道院の壁に「メメント・モリ」という言葉がかけられていたというのを読んだことがある。
" Memento mori "とは、ラテン語で「自分が死ぬことを忘れるな」という意味であり、日本語では「死を覚えよ」、「死を忘れるな」と訳されている。

修道僧たちは毎朝起きた時に、「今日は私の残りの日々の最初の日」と心にとめて一日を始めたのだ。
「メメント・モリ」(汝の死を覚えよ)、それゆえに「メメント・ドミニ」(汝の主イエス・キリストを覚えよ。忘れるな)ということである。


このたびの事故死は人間の力の及ばぬ領域のことであるだけに、私達もいつ召されるかしれないことを教えられる。
また、曽野綾子はこんなことを書いている。
「死があってこそ、初めて、我々人間は選択ということの責任を知る。自分がどんな生涯を送るか、自分で決める他はないことを知る」と。

本当にそうだ。
自分の生き方は自分が選び取るものであり、その意味において自分の運命は自分で更新するのである。

自分の弱さから逃げないで問題を乗り越えていこうとするのか、いつまでたっても自分と向き合わずに他者をも傷つけ続けていくのか。

人生の履歴をいかに更新するかは本人に任されているのである。
人生は失敗と再生の繰り返しでもある。再生されるように賢い選択の日々を重ねていきたいと思う。


亡くなられた方とご遺族のことを想いつつ書いた。
家族葬で送られるそうだが、夫は流通センターの副理事なのでお通夜に伺うために、今朝は略礼と黒のネクタイを持って出社した。

今朝も自動車を動かしながら私に視線を向ける(これも数年前からのこと)夫に、「行ってらっしゃい、気をつけてね」と声をかけて一瞬目を交わす。

私はいつも神のお守りを祈りながら、これで最期かもしれないという思いで自動車が見えなくなるまで見送るのだ。
勿論、身の上に何か起こるのは夫だけではなく私かもしれないと心得てのことである。メメントモリ。


posted by 優子 at 16:28| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2010年04月20日

JCP関西ブロック研究例会・後編

開会礼拝に続く「みことばと祈り」では、マルコによる福音書6章30節〜44節、イエスが5000人に食べ物を与えるところを輪読した。
さて、使徒たちはイエスのもとに集まってきて、自分たちがしたことや教えたことを、みな報告した。

するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。

そこで彼らは人を避け、舟に乗って寂しい所へ行った。
ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。 イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。

ところが、はや時もおそくなったので、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。みんなを解散させ、めいめいで何か食べる物を買いに、まわりの部落や村々へ行かせてください」。

イエスは答えて言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」。弟子たちは言った、「わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」。

するとイエスは言われた、「パンは幾つあるか。見てきなさい」。彼らは確かめてきて、「五つあります。それに魚が二ひき」と言った。
そこでイエスは、みんなを組々に分けて、青草の上にすわらせるように命じられた。人々は、あるいは百人ずつ、あるいは五十人ずつ、列をつくってすわった。

それから、イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、二ひきの魚もみんなにお分けになった。みんなの者は食べて満腹した。

そこで、パンくずや魚の残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。パンを食べた者は男五千人であった。それからすぐ、イエスは自分で群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダへ先におやりになった。

「みことばと祈り」の導き手であるM姉(しまい)の言葉を記しておきたい。

「5000人の人が5つのパンと2匹の魚で満腹したというところを読んで、どんなに僅かなものでもイエスさまに差し出すことが大切なのではないかと(神さまに)思わされた。

私達の内には本当に何も無く乏しいものしかないが、『これだけあります』とイエスさまに差し出して、それを取り上げて頂いて、イエスさまに讃美の祈りを唱えて頂きたい。信じて差し出していくことの大切さを教えられた。

一人ひとりに与えて下さっているものを、日々の生活の中で発見していくのが大切だと思った。そのような信仰をもちたい。

文筆活動をしていく時も、常に聖書の言葉がもとになって湧き出てくる文章を書きたいと思っている。
主がこの会を省みて豊かに祝福して下さり、多くの人達に福音をお伝えすることができますように」。


体調がすぐれなかったが、今回もまた豊かに恵まれた研究例会であった。
ところで、山本周五郎担当の記者でもあった朝日新聞の門馬義久も興味深い。
1964年のこと、朝日新聞の懸賞小説で選ばれて世に出たのが三浦綾子の『氷点』であった。その選考委員の一人にキリスト教がわかる記者、門馬義久がいたことは大きな意味がある。

門馬は朝日新聞学芸部の記者でありながら、実は牧師であった。単立鎌倉山の教会を牧していたが、彼が生涯で洗礼を授けたのは中山義秀たったひとりだったというのも興味深い。

水谷照夫(大田先生の恩師)によれば、「門馬義久は彼(中山義秀)の壮烈な病床に立ち合い、涙を流しながら、ありあわせの湯呑み茶碗でバプテスマをほどこす。
義秀は彼から洗礼を受けたのち、すべての投薬、点滴、輸血を謝辞し、従容として死をむかえ」
たそうだ。


大田先生は、中山義秀の作品には確かに深いものがあるというようなことを言われたので、私は『厚物咲』(あつものざき)をもう一度読んでみたいと思った。

この作品は第7回芥川賞受賞作品で、読書会で一度読んだことがある。1990年10月のことだ。師事していた西口孝四郎氏がテキストに選ばれたもので、私の印象に残っている作品の一つである。

会の終わりで次号の『関西ペンの声』に紙面を頂けると聞いたので、『厚物咲』について書いてみたいと瞬間的に思った。今から読後感が楽しみだ。

posted by 優子 at 12:47| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

JCP関西ブロック研究例会・前編 ―山本周五郎『日本婦道記』について―

先週のように座っていることが多いと、てき面に股関節と腰が痛い。それだけではなく、最近は動かずにいると体調も非常に悪くなる。

昨朝はいよいよ具合が悪いので、夫と一緒にチャッピーの散歩について行くことにした。もう4〜5年前から休日の朝の散歩は夫に任せっきりだが、同行して1時間近く歩いたおかげでかなり楽になって教会へ出発したのだった。

17日(土)の日本クリスチャンペンクラブ関西ブロック研究例会では、午前中に総会と編集会議があったが所用のために少々遅刻させて頂くことになった。
ところが、電車の時刻検索を間違ったために電車は出たところで、20分近くも待たねばならなくなってしまい、自宅を出るのを15分遅くしただけで1時間もの遅刻となってしまった。

今夏予定されている夏期学校は、京都にある日本クリスチャンアカデミー関西セミナーハウスに一堂に会しての全国大会が予定されている。関西ブロックが企画と運営にあたるため、大田先生がプログラムの素案作りから労して下さっている。
関西ブロック例会での私の役割は今年も書記役を任されることになった。

盛りだくさんの審議を終えて昼食に出かけたのは午後1時前になり、研究例会は30分遅れでスタートした。
体調が悪いと感動が希薄になり、不十分なメモゆえに書記役としても心苦しいところだが、今回もまずブログに記録し、それをまとめて事務局に報告したいと思う。
最初に山本周五郎『日本婦道記』の概要をご紹介したい。周五郎については、2006年10月18日の記事(カテゴリ:読書会関係)に「山本周五郎の世界(第41回 交歓読書会報告)」を収録している。
内容的には重複している部分が少ないので共に興味深く読んで頂けると思う。


周五郎を考える時、幼少期からいろんな災害に遭っていることと、父親に拒まれたことによる父への恨みがあると言ってもいいだろう。

それが大きな傷になっているが、横浜に転居してから父(カトリック信者)の奨めで「山の上教会」と呼ばれた日本メソジスト横浜教会(現・日本基督教団横浜上原教会)に通っていた。

この教会は私達の信仰と同じプロテスタントで、日曜学校や児童文学を熱心に取り組んでいる教会であった。

周五郎は父への歪んだ像のエッセーを書いているが、人々に聞くと優しい人だったという。明治40年の水害では当時300円の借財を背負ってしまったが、逃げることもできるのにそれはできない人だった。

心の葛藤を書いた『ながい坂』は情けない父親を越えていく小説で、この作品が父親の反感を昇華された小説かもしれない。

周五郎のキリスト教理解は、聖書との出会い、イエス・キリストの赦しと祈りがある。
聖書とヒルティやストリンドベルヒの著作などを読みふけり、この頃の『青べか日記』は神と愛する者への祈りに満ち、我々クリスチャンの日記と大変似通った祈りをたくさん書いている。

日本の文学界には純文学と大衆小説の色分けがあるが、良い小説が書けているかどうかが大切だ。

斉藤茂吉の短歌はその頂点に立つ素晴しいものである。しかし、茂吉の全集には戦時中に詠った短歌は全て削除されている。自分はその時に信じていたのであるから過ちも含めて残すべきだという弟子もいる。大田先生に同じく私もその考え方に立つ。


『小説 日本婦道記』は1942年から1946年まで31編に及ぶ連作であるが、現在は周五郎自身が選んだ11作品が収録されている。
戦後も同じタイトルを通したのは、これらは愛の物語であり、人に犠牲を強いる物語を書いたのではなく、愛によって支えられたんだという自負があったからである。
その中からいくつかを記録するにとどめたい。

『藪の蔭』は、芥川を意識しながら書いたものである。
芥川が『藪の中』で、人間の心を暴いていったらどんなものかわからないというつもりで書いたとすれば、周五郎は聖なる人間を書こうとしたのではないかと言った、映画監督・篠田正浩氏の洞察はすごいものだ。 
周五郎は誰かが罪を犯した時に罪を暴くのではなく、愛は罪を覆うのだと、愛の中で立ち直らせる人間を描いている。


『尾花川』は戦争に追随して、いいめをしている作家への批判がある。
『二十三年』のモデルは先妻と後妻で、戦後の明るい作品は明るい人柄だった後妻(きん)の影響がある。

『松の花』は、死は全てを奪うが、妻の愛に満たされて生きていくところ、魂と出会って生きているところなどよく描けている。
このモデルは母親で、貧乏の中で死んだ母を家老職の妻にしたのは母への労いだった。

周五郎の死後に発見された書きかけの書簡には、『婦道記』について次のように書いてあった。
「あれは格別に意識して日本の女性たちの道を示すといふやうな大それた気持ちで書いたのではありませんでした。
わたしの好きな女性をあのようなテーマに置いて、読者には寧ろないしょで、いっしょに悲しみや悦びを味はつた、このくらゐの意味の小説なのです」。


周五郎は昭和18年の第17回直木三十五賞に推されたが、固く辞退して受けなかった。読者賞ならば受けてもいいが、もっと若い作家に与えるべきだと言った。

固辞した理由は、「俺は国家主義者(ファシスト)だ」と言ったこともある直木三十五への軽蔑や、この賞をやるぞと言っている菊池寛に対して、俺はもっといいものを書いているぞ、俺は戦争讃美作家に与しないぞという反感があったのであろう。


最後に、大田先生の著書『祈りとしての文芸』の「山本周五郎と聖書」から引用して終わりたい。

「人生は難破であり、座礁でもある。志をすべて果たして召されるわけではない。
しかし、周五郎の仕事は、主(しゅ)なる真実な方(イエス・キリスト)のみこころを尋ねつつ、重荷を負って苦しみ、労する人々のために捧げられた文業であった。
『何をしたかではなく、何をしようとしたか』に人の価値は決まると常々口にした周五郎にふさわしい最期であった」。


より良く生きた人も死んで行き、邪悪な生き方を省みることなく生きていく人も死んで行く。いつかは全ての人が地上を去って行くのである。

では、我はいかに生きるべきか!

しかも、「何をしたかではなく、何をしようとしたか」。
良い人生を生きて死んで行きたいものである。

posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年04月18日

神の栄光を現される生き方は神がされること

復活節第3主日礼拝の今朝は、早々に讃美歌の歌詞に惹き付けられた。この時期に歌われる讃美歌は「うるわしの白百合」が直ぐに思い出されるが、『讃美歌21』の575番もまた希望に満ちた曲だ。

     1 球根の中には 花が秘められ、
       さなぎの中から いのちはばたく。
       寒い冬の中 春はめざめる。
       その日、その時を、ただ神が知る。

     2 沈黙はやがて 歌に変えられ、
       深い闇の中 夜明け近づく。
       過ぎ去った時が 未来を拓く。
       その日、その時を、ただ神が知る。

     3 いのちの終わりは いのちの始め。
       おそれは信仰に、死は復活に、
       ついに変えられる 永遠の朝。
       その日、その時を、ただ神が知る。


今朝の説教はヨハネによる福音書21章15節〜19節から、「神の栄光を現す」と題して話された。

彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。
ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。

彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。
イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。

これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。
こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。

以下は説教の要約である。
「神の栄光を現す」とはどういうことか、一般の人々にはわからない言葉である。
イエスさまが十字架上で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」と神に赦しを願い、全てを神に委ねるイエスさまの姿を見て、百卒長(百人隊長)がイエスさまは神と共におられるということを認めたということではないだろうか。(その聖書箇所は4月2日の記事に掲載)

ペテロはイエスさまのために命を捨てるという死に方であり、死に方を通して神さまが共にいて下さるということを明らかにして下さった。伝承によれば、ペテロはローマにおいて十字架に処せられて神さまの栄光を現す死に方ができたと伝えられている。

ペテロは自分で望んだ時に望んだ方法で神の栄光を現すことはできなかったが、イエスさまと同じでは畏れ多いからと逆さはりつけされたと伝えられている。

「神の栄光を現す」ということを、私達は自分の考えや方法で捉えてしまうことはないだろうか。
例えば、試験を受ける時や就職など人生の岐路で、他人の目から見て順調であることや健康であること、また、幸せであることが神の栄光を現していると思われがちだと思われる。


私達は(この世の)幸福に溢れた中で神の栄光が現われることを望むが、そういう時には「イエスは知らない」という過ちを犯してしまうのではないだろうか。
そして自分が罪を犯した時に、「あなた(イエス・キリスト)は全てをご存知です」としか言うことができない。
しかし、神はそんな私達一人ひとりの名前を呼んで共にいて下さり、周りの人々に神さまの栄光を現して下さる生き方をさせて下さるのである。

私もまた一切のことを神に委ね神を信頼して生きているのである。


posted by 優子 at 16:07| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年04月16日

目には見えない成長☆

桜の花が散り始めた頃、何か落ち着かない気持ちになった。
いつまでもこの瞬間に留まっていたいと、過去を懐かしむ気持ちが強くなったのかもしれない。きっと残り少なくなってきた人生への焦燥感などが複雑に混ざっていたのだろう。

そんな春の憂鬱をかすかに感じていた頃に、クリスチャンペンクラブの研究例会案内が送られてきた。
「桜の花も惜しまれて散って行きますが、やがて新緑が目を楽しませてくれることでしょう。」と、冒頭の挨拶文に私の眼差しは前方に移されて、芽を吹き出してくる若葉に向けられた。

そして、森有正が愛した憩いの場、ノートルダムの裏に植えられている木のエピソードを思い出した。そこをもう一度読みたくなって何度もページをめくるのだが見つからず、この1週間ずっと探していた。

書かれた内容の情景まで鮮明に覚えているのにどこに書いてあったかわからなくて、腰をすえて『バビロンの流れのほとりにて』から読み直すことにした。
そして、400ページほど読んだ『流れのほとりにて』の半ばになって、この一群の本ではないことに気がついた。

昨夜12時半頃のことだ。私は大急ぎで下へ下りていき、『生きることと考えること』にその箇所を見つけたのだった。

ノートルダムの裏に以前はマロニエの木が植えられていたのだが、あるとき全部切り取られて菩提樹の苗木が植えられたそうだ。
そのとき森有正は、「直径1センチにもならない苗木が、直径1メートルも1メートル半もある大木に必ずなるんだということ」に気がついて、深い感動を受けたというのだ。
そして、その感動に私も深く感動したのであった。


「現に見ていると、いくら見ていても、その菩提樹が大きくなるのは見えません。ところが1年たつと、もうすでに直径5センチぐらいになっているのです。
小指ぐらいだったのが、もうそんな太い木になっている。
けれども、それだけ大きくなっていく過程は、どんなに見つめていても全然見えはしません
この目に見えない成長―それがやっぱり、生命というか経験というか、そういうふうなものの成長していく過程だったのです。・・・物が移っていくという絶え間ない時間の働きを、改めて考えたのです」。


私はマルコ伝4章27節のみことばを思い出した。
「夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」。

桜の花が散り始めると、たった半日足らずで若い葉が吹き出して木の姿は変貌していった。そんな桜やチューリップの成長を見ていると、どうしてもこの箇所を読みたくて、諦めきれずに1週間森有正の世界に浸ることになった。

今回はかつて受けた時のような強烈で若々しい感情にははるかに及ばなかったが、その後の自己の歩みと内面の深まりをしみじみと感じることができた。

私達が生きていく時、実にいろんな感情を日常的に繰り返し、数え切れないほどの曲折を経るのであるが、それは進歩が無いのではなくそれが人間の精神性というものであり、森有正のいう「経験」になっていく過程でもある。

私は昨年の秋に「人間の限界」―それは自分の限界だけではなく、どの人にもある弱さや人間の罪―ということを深く自覚させられ 、生きていく上で「意志」(選び取るということでもある)というものが極めて重要であることに気づかされた。それは人生を決定するほどの最重要事であると言っても過言ではない。


私の人生もかなりの時間が過ぎたのがわかる。あと少ししかないのに未だに何もできていないではないかという焦りを感じることもあり、それゆえに桜にノスタルジアを感じたのかもしれない。

しかし、イエス・キリストと結ばれている限り焦る必要はないのだ。
人生の途上で深手を負っても癒され、苦悩の意味をも知らされて人生は深められていくばかりである。
主に在って、「絶えざる変貌」をさせて下さり、森有正の意味するところの「経験」に高められ、聖書的に言うならば「聖化」されていくという神のみわざを私も味わっているのである。

今回の『証し新書』に書きたいのはこのところである。が、まだ書けないでいる。明日はクリスチャンペンクラブの研究例会があり大津まで出向く。総会や編集会議があるので朝から12時間の外出になりそうだ。


付記:
春まっ盛りのはずの昨日、長野では雪が降り、子供たちは季節はずれの雪合戦に歓声を上げていた。当地の最高気温も8.8度と2月に戻り真冬の寒さが続いている。この天候不順が農作物に及ぼす被害は深刻だ。

今年は雨が多く日照時間が少ないので田んぼは渇かず、田起こしの時期なのにできないから田植えも遅れるそうだ。昨日も今日も雨・・・
野菜が高騰しているというので今夜締め切りの生協の注文を追加したが、梅、茶、野菜、米作りなど食物生産を担って下さっている方々の御苦労と損害は大きくなる一方だ。

寒気は明日まで日本列島に居座り、その後ようやく春が戻ってくるらしいが、先週、お弁当をもってお花見をしたのが信じられないほどだ。



posted by 優子 at 12:38| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2010年04月14日

自分の影からの解放を祈る

桜の花は散り新緑の季節に移ったが、14年ぶりに低温注意報が出るほど寒暖の差が激しい。
11日には24.6度にも上がったのに、今日の午前中は暖房をつけていた。明日は2ヶ月ほど前に戻るほどの強い寒気だという。原因は北極圏上空の何とか振動によるもので、気圧の変動で天候が大きく変動し、この前のミネソタの暖かさもそのためだったのだ。

昨夜は知人のことでかかってきた長い電話のあと眠られず、午前2時前まで本を読んでいたので今朝は夫が門を出る音で目が覚めた。寝ぼけた顔で窓から見送る、相変わらずのダメ妻である。

しかし、3年かかってようやく事の真相が明確にされたのであるが、ことは深刻だ。

私が学んだ20年前の臨床心理学では「人格障害」と言っていたが、この日本語はその人を決定的に否定するような響きがあるので、最近は原語の”Personality disorder ”そのままに「パーソナリティ障害」と呼ばれるようになっているそうだ。

人格障害には10種類あり、「境界型人格障害」や分類外に含まれる「自己愛人格障害」について関心をもって学んだが、今は「妄想性人格障害(Paranoid personality disorder)」、いわゆる偏執病(パラノイア; Paranoia)的特徴を伴う人格障害に関心がある。

その特徴をウィキペディアから引用すると―

猜疑心:十分な根拠も無く、他人が自分を不当に扱っている・傷つけている・だましていると疑う
友人や仲間の貞節や信頼性に対し、不当な疑いを持ち続ける
情報が自分に不利なように用いられる、という根拠の無い恐怖のために、他人を信頼するのに躊躇する
善意からの発言や行動に対し、自分を卑しめたり恐怖に陥れるような意味あいがないか探る

執拗に恨みを持つ:自分が受けた無礼、負傷、侮辱などを許さない
自分の性格や世間体が他人に伝わっていないことに攻撃性を察知して、すぐに怒って反応したり反撃する
配偶者や異性のパートナーの貞操に対し、正当な理由もなく、繰り返し疑いを持つ


このような情況では混乱して苦しいことだと思う。
「問題から逃げないで!自分自身に目を向けないと!」と助言しても、問題の原因は全て相手にあると考えるため、自分の間違いを一切見ようとせず、自分の人格的問題に気づかない。
自らの弱さ、弱点を自覚できることがいかに幸いなことであるかを思う。


パーソナリティ障害は自己洞察できないから自分の異常性に気づかない。伴侶や身近にいる者が正常な範囲を逸していると感じたら、手をこまねいていていないで専門家の力を借りるように導かねばならない。

精神科医にじっくり時間をかけて関わってもらうことは不可能であろうし、心の問題はまずカウンセリングを薦めたい。
人格上の問題は人間関係を通してでないと気づくのは難しいので、特にグループカウンセリングが有効な方法だという。「自分の人格上の問題がほかのメンバーとのやり取りのうちに少しずつ投影され、明らかにされて」いくからだ。

私も学びの中で一度だけグループカウンセリングを体験したことがある。話し合いの中に専門家も加わって援助を受けながら進められていくので、何度も重ねていくうちに他者とのやり取りの中で自分の問題を表面化されて気づきが与えられる。
日常生活で大切なことは、他者の話に耳を傾けられるかどうかである。

クリスチャンは霊的なことだけを重要視するきらいがあるが、霊的なことだけではなく心理的なことも軽く見てはいけない。
怒りや不快な感情があれば一つひとつ吟味しながら進んでいかないと、自我を再構成することはできず霊的にまで悪影響が及ぶ。

森有正が言っている、「自分が自分に追いつき、それを追い越さなければ何事もできない」というのも、この延長線上のことだろうと思う。


知人が自分の気持ちを正直に言えることができるように祈ろう。
「友達がいない。私の人生はうまくいっていない。苦しい。悲しい・・・困っている」と思うことができ、言語化できるように。そして、私にできること、しなければならないことは何か導きを祈ろう。

自分らしく生きる喜びも知らず、花が開くことなく朽ちてしまうような人生にならないように、自分の影から解放されるよにこれからも祈り続けよう。


posted by 優子 at 15:38| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年04月12日

人の優しさに支えられて立ち直る

4月9日の記事は自らを鎮めるために書き始めたが、書き終わった時は、真智子に読んでもらいたくて書いたような気がした。
「急に思い立って梅田へ出た いや、娘とささいなことで衝突して家を飛び出したのだ」を伝えたかったのだと思う。

翌日の10日朝早く真智子からメールが届いていた。たまらなく嬉しかった。私の気持ちに関わってくれていることが嬉しかった。どうか無断で掲載することをゆるしてほしい。

身近な人に理解されているということが、こんなにも大切なことかと改めてわかったからだ。次女から言葉をかけてもらいたいという甘える自分に嫌悪を感じながらも、次女のメールで慰められ、人は他者なしでは生きていけないことを改めて気づかされたように思う。

ブログ読んだよ。
ケンカして孤独に感じる時、
心が通じ合っていた大切な人たちや思い出が
こいしくて、悲しくなったりする。
読んでいて、そんな気持ちを思い出したよ。
まちも、おじいちゃんとおばあちゃんが
いなくなってしまったことが悲しくなって
泣いたことある。

ケンカって、すれ違いだから、分かり合えない
気持ちになったり、孤独に感じたりするんだと思う。

また話し合って、どんな気持ちだったか
分かり合えたらいいな、と思っています。
あるいは、もう話し合えたかな?

お祈りしてます。

真智子

真智へ:
翌日(10日)はギクシャクしていたけれど、美味しいと定評のあるお弁当屋さんでお弁当を買ってきてパパも一緒に食べました。お姉ちゃんも引きずらないことを選び取った。
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前日、パパはゴルフだったので疲れていただろうに・・・・
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ママはユキの姿にマチを重ねて見ていたよ。

「知子さんとはもう大丈夫ですか? お祈りしております・・・。」と、大阪先生も書いて下さっていました。
もめた原因はね、互いに思いやり合っているには違いないんだけれど、言葉で伝えなかったことです。もっと言葉に出して話し合わないといけなかった。
私はこうしたいのだけれど・・・と伝えないためにストレスフルになって、察することができないのかと腹を立ててしまったのです。私の弱さが変えられていくように祈ります。

梅田界隈を歩いている時は、まさに真智の言うとおりの心理状況だった。真智の洞察の深さに驚き、真智に共感的理解されて直ぐに本心に立ち返ることができました。ありがとう。

お姉ちゃんとは昨夕からいつものように仲よくやっているよ。もめたことについては今も話し合えていないけれど、今までも何度も是正しながらの途上です。
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「ブログのお写真。(4月9日掲載)
 お父様と優子さんのお写真に胸が熱くなりました。
 優子さんは中学時代の知子さんにそっくりで
 懐かしさも溢れてきました。」
 

和子さん、ありがとう。
そして、祈って下さった方々を想い感謝しています。

「『万物復興の春』(4月6日の記事)を読んで涙が出ました。
知子さんの回復が嬉しいです。睡眠薬を断つことができたこと、感謝ですね。
つらい時はモノクロの世界にいるようですよね。
色が感じられるのは、当たり前のことではないのですね。」


友のコメントを拝見し、和子さんが胸を熱くして下さった写真の日のことを思い出した。
あの日の光景もモノクロだった。
私はあの時、色彩を感じないことに気がついていた。かろうじて桜の桃色だけ少し感じただけで、そのほかに色を感じなかった。春風も木枯しのように感じ、広場で遊ぶ子供や子犬を寒々と眺めていたのが忘れられない。

私は父のために笑顔を作っていたが、行楽を楽しむ人々の光景も全てが無機的で、母がいなくなってしまった悲しみのために、この世はこの世でなくなっていた。それほどの悲嘆の中にあった。

しかし、現像されてきたこの日の写真を見て唖然とした。父が急激に老いてしまっていたことと、父の悲嘆の深さを思い知らされて私の悲嘆どころではなくなった。

そう、この時は真智子が高津高校に入学した春だった。

話がそれてしまったが、この記事を書き始めた時に相互依存(共依存とは全く異にするもの)の大切さをお伝えしたいとの思いも与えられた。
私とは反対に、ただただ自分に厳しい生き方をしている方々に何か感じてもらえたら嬉しく思う。人は皆、支え合って生きていくということを。

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雨の日の今朝、ようやく咲きそろったチューリップ。
ただし、真ん中のピンク色だけはゆっくりしている。
さっそくデスクトップの背景にした。


posted by 優子 at 12:25| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年04月11日

「見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ」

聖書には、イースター(復活祭)からちょうど一週間目に起こった出来事が記されており、全国で持たれた今朝の礼拝説教では「見ないで信じる者の幸い」について語られたことであろう。
ヨハネによる福音書20章19〜31節を開きたい。
その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。

そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。

八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。

それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。

トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。

しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。

今までイエスのことを「先生」と呼んでいたトマスは、この時「主よ、神よ」と応えて信仰告白したのである。

さて、『星の王子様』の「大切なものは目で見えない。心で見なくちゃ、物事はよく見えないんだ。 肝心なことは、目に見えないんだよ」という言葉はあまりにも有名であるが、古森牧師は説教の中で若くして亡くなった童謡詩人、金子みすずの「星とたんぽぽ」を引用されて、大切なものは目に見えないから心の目で見る必要があることを教えられた。

           星とタンポポ

      青いお空のそこ深く
      海の小石のそのように
      夜がくるまで沈んでる
      昼のお星は目に見えぬ

      見えぬけれどもあるんだよ
      見えぬものでもあるんだよ


      散ってすがれたタンポポの
      川原のすきにだぁまって
      春のくるまで隠れてる
      強いその根は目に見えぬ

      見えぬけれどもあるんだよ
      見えぬものでもあるんだよ。


私達の人生においても一番大切なものは目に見えないのではないだろうか。
また、明治・大正期の女子教育者、矢島楫子(やじま かじこ)の逸話に深い感動を覚えた。
矢島は結婚10年で子供を残して離婚。36歳で受洗。53歳の時に仲間と日本基督教婦人矯風会を創立。同年、東京婦人矯風会会長。56歳の時に新栄・桜井両女学校が合併して女子学院となり、院長に就任し、生涯を女子教育・婦人運動に尽くした人物である。

矢島は自分の任された学校の校則をすべて取り払い、聖書によって自分を治めよと告げた。時代的なこともあり、当然のことながら校則を外すことに対して教職員から猛反対された。その時、矢島は次のように語った。

「私達は法律があるから人を殺さないのですか?! 法律があるから物を盗まないのですか?
人間としてしてはならぬことは絶対にしないのです。善悪の判断は法律ではなく、私達の良心がすべきです。育て給うのは神です。私達は祈るしかありません」。


こうして、抗議する教師達を鎮め、生徒達の自立自治の精神を伸ばした。
試験監督も無くし、答案用紙を配ったら教師は退室した。すると、カンニングを誘発するどころか、生徒は自分達は信頼されているとして一切カンニングはなかったという。

私も幼い孫の心に、自分のしていることを神さまが見ておられるということが刻まれるようにと願って関わっている。私達の人生で一番大切なものは目に見えないのだ。

「神の愛も目で見て確かめることはできないが、神の御ひとり子を地上に送って下さり、私達の罪の贖いとして十字架につけ神の愛を示して下さった。私達は心の目を通してイエスを見なければならない」。

教会を出た時、初夏のように強い陽射しになっていた。午後に自治会の総会があったので急いで教会をあとにした。

今日は一般会員として定刻に出席すればよかったので気楽だった。
役を務めたのはたった1年間だったから、開放感も殆どなく淋しさは全く感じなかった。しかし、家族揃って散歩していた夕方、先月までご一緒だった役員さんに車の窓から声をかけられて、とてもとても懐かしく淋しささえ感じた。

何事も役目はしんどいけれど、やはり人との出会いが大切な財産になった1年だった。

今年も新年度が動き始めた。
私の新年度も始めよう。

posted by 優子 at 21:28| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年04月09日

父と母に会いたい、早く会いたい、たまらなく会いたい

自分の感情を正直に書けるのが羨ましいとまで言われていたのに
私は書けなくなってしまっているのかもしれない
この頃のブログは美しいことだけを書いているようにも思う

マイナスと思える心の内を書かないならば
読む人の心を打つことはないだろう
「ハレルヤ、アーメン」のひとこまではなく
「ハレルヤ、アーメン」に至る心情を書かなくては
キリストを伝えるどころか
キリストを遠ざけるであろう


急に思い立って梅田へ出た
いや、
娘とささいなことで衝突して家を飛び出したのだ


大阪駅前の交差点に立っていると
無性に父と母が懐かしく会いたくてたまらなくなった
行き交う自動車に目をやり父を捜している自分がいた
自動車を運転する父などいるわけがない!と自分を叱った
父が死んでから8月で10年にもなるのに、いるわけがないだろう!と自分に言い聞かせていた

書店での買い物を済ませてデパートへ入った
母に寄り添っていた頃
いつも帰りはデパートをウロウロしていた
いつも悲しく重い心を引きずって歩いていた
家路に着くまでの時間は
娘から母親に
娘から妻になるために必要だった

もう14年も15年も前のことだ
悲しくも懐かしい日々・・・
父と母に会いたいなあ
会うにはまだまだ苦労を越えていかねばならないか・・・
とにかくもう少しの辛抱だ


桜ノ宮の桜は今日も咲いていた
あの時よりももっと花が残っていた

1997.4 最愛の父と.jpg

1997年4月12日 
半年前に母を亡くして憔悴しきっていた父(72歳)
この1ヵ月後に父は重い脳梗塞に倒れた


posted by 優子 at 17:37| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

万物復興の命の春


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ここは自宅から徒歩で6〜7分、いつもチャッピーと歩く散歩道だ。
電車に乗って遠くまで行かなくても、昨日も今日も私達だけの貸し切りでお花見を楽しんだ。

昨秋の台風でたくさんの枝が折れて、地域の環境業務を与っていた私は翌日に枝を拾い集め、その枝は5箇所に山盛りになるほどだった。あの頃の知子はまだまだ心身の回復は一進一退だったが手伝ってくれた。

あの痛々しかった桜が今年もこんなに美しい花を咲かせた!
見事なる開花だ。
そして、あの時どうなるのかと思っていた知子も、イースターの日から春を感じるようになった。徐々に回復しつつあったがイースターの日の午後から、まるで真っ暗なところから突如まぶしい光の春に移されたようだ。
「チューリップはこんなに鮮やかな色をしていたんやね」と言ったのには驚いたけれど、私もまた今年の春はひときわ美しく感じていることに気がついた。


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今年は満開になるまで時間がかかったが、満開になったと思ったら今日はもう花が散り始めて、池には花筏(はないかだ)が流れていた。

孫はチラチラ舞う花びらを手のひらで受けながら、「この雪、冷たくないね」と、いつも読んでもらっている絵本に出てくる言葉を言ったのだが、孫まで母親(知子)の癒しに比例して嬉々とし、ますます情緒が豊かにされ、知能が爆発的に開花しているように思う。

これはユキが食前のお祈りをしているところ。

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着ている服は同じだが、この1年でこんなに大きくなった。
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夜寝る時は念のためにオムツにしているがめったに濡れておらず、日中はかなり前からパンツになった。

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「娘と孫に神の祝福が満ちあふれますように」とシャッターを押した時、二人の上に神の目が注がれていることを強く感じた。  

知子は3月初めから意志で睡眠薬を断った。
最初の2週間くらいはとても辛かったが、そのあと徐々に眠られるようになり、今では普通人の睡眠時間の7〜8割がたまで眠られるようになった。夜中に何度も目が覚めても、またすぐに眠ってしまうならば私と同じだ。

「この春にこんな気持ちになるとは思わなかった。あと1年後にやっとこれぐらいの気持ちだと思っていたのに」と、桜の下を歩きながら語った。 

「『あなたがたは、先の事を思い出してはならない、
また、いにしえのことを考えてはならない。
見よ、わたし(神)は新しい事をなす。
やがてそれは起る、
あなたがたはそれを知らないのか。
わたしは荒野に道を設け、
さばくに川を流れさせる』」。

          (イザヤ書 43章18・19節)

原語で「やがて」は、すでに始まっている、芽生え始まっているという意味だ。

付記:娘たちと2時間の外出から帰宅した直後にNさんから電話が入り、お花見ドライブに誘われた私は再び信貴山(しぎさん)へ桜を見に行った。
桜を見るために自動車から降りることはなかったが、帰路でサーティワンのアイスクリームを食べ、その隣りにあるスターバックスへ席を移動してコーヒーを飲みながら、花よりおしゃべりの2時間を過ごした。

知子へ:
今日はエルガーの『愛のあいさつ』を聞きながら書きました。
いつか長い時間が流れてこれを読み返すときは、この曲を聞きながら読んでね。

この付記も知子のために書いたよ。
「そうだった、あのあとママはNさんと行ってたなぁ」と、この日を懐かしく思い出してもらうためにね。 
58歳のママより愛をこめて(^0^)揺れるハートるんるん手(チョキ)犬

posted by 優子 at 20:44| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

桜満開

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桜が満開
なんて美しいんだろう
昨日も桜のアーチをくぐった

花の命は短い
しかし
桜は大らかに咲いている

私も思いっきり生きよう
神さまの愛の中で
ゆったりと
思いっきり生きよう

「たった一人しかない自分を
 たった一度しかない一生を
 本当に生かせなかったら
 人間に生まれて来た
 かいがないじゃないか」
      

        (山本 有三)

今日はお弁当を作って春を楽しむ予定だ。


posted by 優子 at 07:10| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年04月04日

復活祭礼拝(イースター)の喜び

イースター、おめでとうございます!

イースター主日礼拝.jpg復活のイエスをお祝いする礼拝の恵みに与れたことを感謝します。

イエスの復活の体を私達の頭で理解するのはできないかもしれないが、イエスは今も聖書を通してご自分を示しておられる。私達の前に両手を差し伸べ、私達一人ひとりの名前を呼んで下さっているのである。

聖餐式で配餐されるパンとぶどう酒はイエスの体と血を表わしており、パンとぶどう酒に与るということはイエスの十字架と復活に与るということである。
「これは形をとったイエスさまの説教であり恵みである。この恵みの福音は全ての人に与えられている」。

まだ信仰に至っていない夫にも、2歳8ヶ月の幼児にも与えられるのである。大人にはアルコールを飛ばしたぶどう酒が、子供にはぶどうジュースが用意される。

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「イエスの愛に与り愛されている者として、隣人や家族に愛を尽くしていきたい」と、高見牧師は聖餐式を結ばれた。

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これがイースターエッグ。ユキは2つも頂いたね。

いつも礼拝だけで帰ってしまう私達に、「今日は残って下さいね!」と声をかけて下さったT兄(きょうだい)。

イースターの愛餐会は、古森敬子牧師着任歓迎も兼ねているので順番に自己紹介となった。
教会の向かいにある馬見労祷保育園の園長初め、たくさんの保育士さんも来られていた。今年は161名の園児に35名の職員で当たられるとのこと。

さて、当地の最低気温は4月になっても0度近く(昨日は0.5度、今日は−0.5度)で昨日は日中も寒かったが、ミネソタでは24度の夜もあったという。気温の変動が激しいというものの極寒の地でも冬は終わりを告げていた。

「今日は、真智と帰国の計画を話しています。二人でとても楽しみにしております。」

遥かなるミネソタにいる愛娘に、婿に、そして、これを読んで下さっているお一人おひとりの上にも、主イエスの恵みが豊かにあるように!

復活のイエスと出会った人は、力強く生き生きと生きていける人に変えられていった。私達家族も復活の主より力をいただいて新しく歩き始めたい。

桜が満開になった。


posted by 優子 at 17:50| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年04月03日

復活の祝福があなたにも届きますように!

「丘にたてる荒けずりの十字架にかかりて
救い主は人のために捨てませり いのちを
(繰り返し)十字架にイエス君 我をあがないたもう
十字架の悩みは 我が罪のためなり」


これは聖歌402番で、私の告別式に歌ってもらおうかと思うほど大好きな一曲である。毎日毎日何度も何度も流しているので2歳8ヶ月の孫もすっかり覚えてしまった。
3週間前の礼拝で讃美した時も、舌足らずで意味不明な発音のところも多々あるが、聖歌の歌詞で歌っていたのには驚いた。
私はこの繰り返しの言葉を噛み締めるたびに涙ぐんでしまうのである。

明日は、「週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえられた」日である。
クリスチャンでない人は「復活なんて信じられない」と思われるだろう。私も人間が甦ったなんていうのであれば頭から取り合わないが、イエスが神の子であり、神だから復活を信じるのである。

子供達が読む偉人伝にイエス・キリストが入っているが、イエスは人ではないから偉人伝の範疇に入れるのはいかがなものか。
復活が信じられない人にとっては、イエス・キリストが神であること自体が信じられないのだから、復活を信じられないのもしかたがない。
しかしながら、イエスが十字架につけられて死んだこと、そして、復活後のイエスに会った人が大勢いるのである。「記録によれば少なくとも500人以上」にものぼる。

次に掲げたのは、昨年の4月10日の記事より抜粋したものだ。

アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を引き取ったのであるが、祭司長やパリサイ人たちがピラトに、
「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。

ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。

しかし、イエスは3日目によみがえられたのである。
しかも、ピラトが命じた番兵たちがイエスの復活の証言者になったとは皮肉だ。神のなさることはかくも万全なのである。
(28章4節)見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。・・・・(同11節)女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。

事実を事実として述べることのできる心は貴いことだ。
これらのことからも明らかなように、人間が悪賢く計画をもって神に敵対しようとして、かえって自己が破滅に至ることは恐るべき神の力である。

イエスを迫害していたパウロ(旧名サウロ)にも復活の主が現われた。パウロは次のように語っている。

「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。
もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」。

       (コリント人への第一の手紙 15章17節〜20節)

復活がなければ、私達に希望も未来もなかった。
いよいよ明日はイースターである。教会では今頃イースター・エッグを準備して下さっていることであろう。卵の殻を破ってヒヨコが出てくるように、キリストが死という殻を破ってよみがえったことを象徴している。

ゆで卵をいろんな色に染めたり、あるいは染めずに聖句を書いてカラーセロファンで包んだり、教会によっていろいろあるようだ。
日本では卵だけだが、英語圏やドイツではウサギ(イースター・バニー)もイースターのシンボルとされている。多産なウサギは生命の象徴であり、跳ね回る様子が生命の躍動を表しているからだそうだ。

長女は今日、お弁当を持ってユキと共に大阪城公園に向かい、大学の友人と互いに子連れのお花見に出かけた。電車のマンが良ければ35分ほどで行ける。

たった今、子供が眠ってしまったからとお迎えコールが入り、3時15分に到着するというので、車にワックスがけをしていた夫が大急ぎで駅に向かった。娘は主の恵みの中でよみがえりつつある。

「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」。

キリストと共に甦ったところの私となってイースター礼拝に臨みたい。

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2010年04月02日

十字架の苦しみは我がためなり

イエスの弟子、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネらはそれぞれに、イエスが十字架につけられて息を引き取られた時のことを書いている。ここにルカによる福音書の23章32節から46節までを引用したい。

さて、イエスと共に刑を受けるために、ほかにふたりの犯罪人も引かれていった。
されこうべ(カルバリ)と呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。 そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。

人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。民衆は立って見ていた。役人たちもあざ笑って言った、「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」。

兵卒どももイエスをののしり、近寄ってきて酢いぶどう酒をさし出して言った、「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい」。イエスの上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札がかけてあった。

十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。
もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互いは自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。

そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。

時はもう昼の十二時ごろであったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして聖所の幕がまん中から裂けた。 そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。

百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、「ほんとうに、この人は正しい人であった」と言った。この光景を見に集まってきた群衆も、これらの出来事を見て、みな胸を打ちながら帰って行った。

「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください。」と犯罪人の一人が言ったこの祈りこそ、イエスが私達に求め続けられた悔い改めの祈りである。

「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう。」と仰ったお言葉から、死の一歩手前でもイエスを信じて悔い改めれば、誰でも罪が赦されて永遠の国に迎え入れられることがわかる。
洗礼式の必要もなく信仰箇条の承認もなく信仰のみで救われること、これこそ大いなる福音である!


しかしまた、そうであるならばやりたいように生きて死ぬ間際に悔い改めればいいと、信仰に導かれる前に思ったことがあった。

しかし、交通事故で即死することもある。今日、脳溢血になって意識が戻らぬままに死ぬかもしれないのである。仮に死の間際に時が与えられたとしても、そのような気持ちで生きてきた者が真の悔い改めに至ることができるであろうか。
それに最後に悔い改めることができたところで、そのような人生は幸せではないと愚かな思いを打ち消したのだった。

信仰を授かったことが私の生涯で最高の喜びであった!
神が目的とされた生涯、
神さまにしっかりと結ばれた生涯を生かされている。


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ユダヤでは十字架刑ではなく石打ちの刑だったが、ローマ人により残虐な十字架刑がなされた。しかも、罪なき者が罪に罰せられるのはどんな苦しみであろうか!

今日の記事は讃美歌136番(「血しおしたたる」)を聞きながら書いた。「お気に入りリンク」の「讃美歌MIDI集」にも収録されているのでメロディーを聞くことができる。ただし、讃美歌21の310番は讃美歌を一部編曲されている。私はスタンダードの讃美歌が好きだ。
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     血しおしたたる 主のみかしら、
     とげに刺されし 主のみかしら、
     悩みと恥に やつれし主を、
     われはかしこみ きみと仰ぐ。

     主の苦しみは わがためなり、
     われは死ぬべき 罪人なり、
     かかるわが身に かわりましし
     主のみこころは いとかしこし。

     懐かしき主よ、はかり知れぬ
     十字架の愛に いかに応えん。
     この身と霊(たま)を とこしえまで  
     わが主のものと なさせたまえ。   

     主よ、主のもとに 帰る日まで、
     十字架のかげに 立たせたまえ、
     み顔をあおぎ み手によらば、
     いまわの息も 安けくあらん。


十字架の死がなければ復活はなく、復活こそがキリスト信仰の最も中核になるところであるから、正統な教会では復活を祝い礼拝後には愛餐会がもたれる。
受難から復活されるまでの日々に主の臨在が豊かにあるように。

posted by 優子 at 13:24| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

最後の晩餐で弟子達の足を洗ったイエス

4月になった。
受難週の木曜日は最後の晩餐の日で、そのあとイエスは捕らえられて翌日十字架上で殺されるのである。この晩餐の席でイエスが弟子達の足を洗ったことから、今日は「洗足の木曜日」(Maundy Thursday)と呼ばれている。

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その箇所をヨハネによる福音書13章から引用したい。

夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。

こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。
イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。

         (略)

こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。
しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互いに足を洗い合うべきである。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ」。

現代においても人の足を洗うというのはとても謙遜な行為であり、2000年前においては奴隷の仕事だった。

イエスはこの夜が最後であることを知っておられたゆえに、愛し抜かれた弟子達の足を洗って最後の最後まで「自分を低くして互いに仕えよ」と弟子達に教えられたのである。

と言うのは、3年余りの間をイエスと共にした弟子達でさえ、自分達の中で誰が一番偉いのかと話し合うありさまだったからだ。これもまた人間の実相であろう。

そして、ペテロの番になった時、「わたしの足を決して洗わないで下さい」とペテロが言った。するとイエスは、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしと何の係わりもなくなる」と言われたのである。

私達が世界中に溢れているキリストを讃える音楽や絵画、また文学に触れて感動したところで、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしと何の係わりもなくなると言われるのである。

キリスト自らの手で足を洗って頂いて、その足で主と共に歩いていることを思うと洗礼にも通じる深い意味を感じる。
醜く罪に汚れた私達の足を洗って下さり、キリストと深い関わりをもって生かされている生涯であることを覚える時、頭を高く上げて十字架を見上げるのである。


ヨハネ伝では、このあと「告別説教」(14章から16章)が記録されカルバリへと続く。私達の罪のために身代わりとなって十字架上で死んで下さったキリストは、復活によって栄光の姿に変えられるのである!

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