2010年05月31日

神の子として生きる

28日夕刻6時過ぎ、チャッピーがひと鳴きしたので大急ぎで外に出た。
そこに真智子と太志君の姿があった!!!
駅まで迎えに行った知子とユキもタクシーから降りてきた。

翌朝も二人は元気そうだったのでNさんに教えてもらったレストランを予約し、29日夜はフランス料理で2週間余りのスペシャルタイムが開幕した。

そして、昨日は家族揃って教会へ行き最高の時を与えられた。
礼拝後、陽射しが降り注ぐ庭で、ユキは古森牧師に植木鉢のイチゴを摘ませて頂き、私達もしばしの交わりの時を過ごした。

「私たちは神の子です」と題された古森牧師の説教は、まさに神さまが私たち一人ひとりの心に届けて下さった恵みだった。
オルガンの奏楽、讃美歌を歌い、「主の祈り」を祈り、お説教を聴き、・・教会の門を出た時、次女夫婦は「気持ちが落ち着いてとってもよかった」と語った。


聖書の箇所はローマ人への手紙8章12節から17節だった。ここに短く牧師のメッセージと共に14〜16節を刻んでおきたい。

すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。

御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。
もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

「最初の『神の子』は、ギリシャ語で『養子縁組』と訳す言葉が使われているが、そのあとは『実子の子供』を表わす言葉が使われている。

子供となれば親への義務があり、クリスチャンの場合は神さまがどういうお方であるか現すことではないだろうか。

私達は共に生活する者の影響を受け、いつも共にいる人、いつも目を向け続ける人に似てくる。
腹が立つ時、人がゆるせない時にイエスならどういう態度をとられただろうかと、いつもイエスに目を向け続け、聖書の言葉に触れて過ごしていきたい。

人は苦しい時にその人の本心が出てしまう。
そんな時こそ共に居て下さるキリストを仰いで、目を向け続けることによってキリストに似る者に変えられていきたいものである。

人々は私達を通してキリストとはどういう方なのか、どういう神さまなのかと見る。私達は神の子として恥かしい言動しかできない者であるが、神の子としてふさわしい者になりたいと思う」。


私達も神の祝福の中にあることを忘れないで、それぞれに賜った人生を最高に生きていきたいと思う。神の子として最高の人生を生きていこう。
マチ・クマも一緒!.jpg

感謝!!!
 


posted by 優子 at 07:51| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年05月28日

ミネソタは「アメリカの冷蔵庫」だって!

次女夫婦がミネソタに移り住んでまもなく5年目に入る。
それなのに母親が未だ訪ねたこともないなんて・・・と情けなく思う。

二人の努力が報われてPh.Dを取得し、幸運にも就職先が決まれば、ミネソタ滞在はあと1年。今後1年ほどは帰国できないようだから、それならば行く勇気が出るだろうか。行くとすれば今夏か来春4月中ぐらいかexclamation&question

今朝は当ブログへの検索先からミネソタの記事、「海外個人旅行 アメリカ、ミネソタ 森と湖の州」を読みながらそんなことを思った。
ミネソタ州はアメリカのほぼ中央の北端にあり、カナダと接し、ミシシッピ川の源流地域となっています。

湖が非常に多い地域で、自動車のナンバープレートには1万の湖(10,000Lakes)という愛称が書かれています。
美しい湖と森が多くあり、夏には豊かな自然を楽しむことができます。
その反面、アラスカを除いたアメリカの中で最も寒い州として知られ、アメリカの冷蔵庫ともいわれています。

極寒の冬、自然が豊かということから、片田舎の州を想像しますが、3M、ターゲット、ベスト・バイ、デイリー・クィーン、ノースウエスト航空(デルタ航空に吸収)など、アメリカを代表する企業の本社機構や、IBM、キャタピラーなどの工場がミネソタ州内にあり、州の名前を聞いたときには田舎という印象をあまり受けません。
西隣の南・北ダコタ州には本当に何もない州というイメージがあることとは大きく異なります。

スコッチテープやポストイットで知られた3M(スリーエム)は、ミネソタ・マイニング・アンド・マニュファクチュアリングの三つの”M”から名づけられた社名です。
また、ミネアポリス近郊には、アメリカ最大のショッピングモール、モール・オブ・アメリカがあります

さらに、ロチェスター市には全米で最も優れた病院のひとつとして有名なメイヨー・クリニックがあります。
メイヨー・クリニックはアメリカだけでなく世界的にも知られ、アラブの王族も治療などで訪れています。

そして、「アメリカ合衆国連邦準備銀行の一つ、日本では日本銀行にあたる Minneapolis FED が置かれている」と付け加えたい。

いよいよ会える。
あと12時間。
「今日、あなたが帰ってきた時には着いていると思うよ!」と言うと、夫はニコッと笑って車をスタートさせた。


*しかし、ここ数日の寒いこと。今朝は室温が17度しかなく、ついに暖房をつけた。昨日の最低気温13.4度より低いと思う。この時期に暖房なんて初めてだ。
きれいに片付けた布団を出したくないので、一昨夜から毛糸のカーデガンを着て、夏蒲団にタオルケットを重ねて寝ている。早く適温になってほしい。



posted by 優子 at 07:17| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年05月27日

タイムラグも何のその。マチ・クマ、精力的に東京3連泊!

真智子たちは無事に一昨日の夕方に日本の地を踏んだ。感謝!

東京では真智子が東大大学院の受験の時に宿泊した宿をとろうとしたが、修学旅行客で満室だったために別の所にしたそうだが、そこはネットにつなげないそうだ。ふらふら

マチ・クマは長旅の疲れがあるだろうに、早速その夜から渋谷で塾をしている友人と会っていたとは驚いた。そこから二人それぞれが無事到着メールを送ってくれていた。深夜11時に!

そして、昨日の午後は日大のK先生の研究室からPCをお借りして、「本当に楽しんでいます。神様に感謝。ありがとう!」と、命はじける短信を送信してくれた。
若さとはすごいものだ。しかし、こちらに帰ってから疲れがドッと出ることだろう。眠い(睡眠)

そして、いよいよ明日の夕食頃に帰宅する予定だ。
前回同様に乗り換えが1度で済むように、新幹線で名古屋まで行き、そこから近鉄線を利用して帰って来るとのこと。東京での日々に神の守りと祝福あれ!

posted by 優子 at 16:51| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年05月26日

琵琶湖は海のように大きかった!久保田先生の笑顔は輝いていた!

大阪から乗った電車は京都からJR湖西線に切り替わり、乗り換えることなく和邇(わに)駅到着までO姉とおしゃべりを楽しんでいた。

京都―山科―大津京―唐崎―比叡山坂本―おごと温泉―堅田―小野―和邇―蓬莱―志賀―比良―近江舞子―北小松―近江高島―安曇川・・・

唐崎とは何と懐かしい地名だろう。
同志社の「唐崎ハウス」はこのあたりなんだ・・・中学・高校の1年生は一泊2日の修養会があり、1学期中間考査の最終日に先生方の会議室に通学カバンを置いて出発した。

唐崎ハウスの広い庭は琵琶湖の浜に続いていたように思う。PTAの委員をしていた母も行ったことがあり、皆で讃美歌を歌ったのをたいそう感激して話していた。思い出すこともなかった遠い遠い日の思い出だ。

おごと温泉はこんな所にあったのか。行ったこともないけれど・・・
ここが近江舞子かと、子供の頃の懐かしい地名を目にして、両親に泳ぎに連れて来てもらったことや、あの時、父は自動車をどのあたりに止めたんだろうと車窓から眺めていた。
電車で行くっていいものだとしみじみ思った。

「あっ、あれがガリバーですね!」
近江高島駅前に立つ大きなガリバー像の上半身を見つけた。その高さは7.5メートルあると、久保田先生の御著書に書いてあった。

次は安曇川(あどがわ)か・・・と、これまた私は感慨深げに見ていた。
放出教会から行った「湖西祈りの家」のある所だ。子供達が小学生の時、家族揃ってサマーキャンプに2回参加したことがある。私達夫婦は自動車で行ったので駅に降りたことはないが。

そして、初めてのお見合い相手が安曇川の人で、両親と兄は家を探して見に行ったのである。
こんな遠くまで来てくれたのか・・・と、ナビゲーターなど気配もなかった40年近くも前のことに目を細めていたら、「軒先に玉ねぎがつるしてあったで」と話していた兄や両親の声が聞こえるようで、私はクスッと微笑んだ。

と同時に、「しかし、遠すぎる。和邇の駅」と思って、もう一度路線図を見に行った。
アッ、乗り越していた!
しかも7駅も!
おしゃべりしながらも「まだかなあ、次かなあ」と注意していたのに、迂闊にも7つも行き過ぎてしまい、あと8つ行けば敦賀に着いてしまうところだった。ふらふら
京都から7〜8つ目ということを頭に入れたものの、堅田まで停車しなかったのでウッカリしてしまったのが原因だ。
 

私達は慌てふためいて安曇川で飛び降り、幸い電車やバスの連絡が良く無事に目指す病院に到着したのだった。1時間も遅くなってしまったが。わーい(嬉しい顔)

久保田先生はようやく2〜3日前から術後の痛みも楽になられ、血色もすこぶる良くお元気だった。
乗り越した話をすると先生は爆笑されて、「藤本さんが元気になってよかった!」と喜んで下さった。
奥様は終始おそばで静かに微笑んでおられた。

御退院予定日は6月10日で、13日には中江藤樹記念館で1時間ご講演されるとのこと。
久保田先生は特に滋賀県では著名な方で、このたび一人目の中江藤樹賞を受賞されることになり、その記念講演である。

最初は御辞退されて若い人にと譲られたそうだが、先生こそがふさわしい方であるからと強く推されて、「中江藤樹を全国的に知らせたい」との思いでお受けになった。

中江藤樹については2007年11月4日の記事、「久保田暁一先生の放送から ―中江藤樹の宗教性―」(カテゴリ「JCP関係」)でご紹介しているので是非開いて頂きたい。

昨日は霞んでいたので向こう岸の山は見えず、湖は地平線になっていて琵琶湖は海のようだった。
湖畔を見てはガリラヤ湖を想像してイエスさまを想い、愛する祈りの友と一緒に師を訪ねる至福を神に感謝した。

久保田先生のご回復を祈り、8月の夏期学校での再会と、O姉の健康が守られるように祈ろう。

夕方5時過ぎ、今朝待ち合わせた阪神百貨店辺りでO姉と別れたあと、私は孫にリクエストされたおやつ(つまり私の好物でもある)をどっさり買って、重い足取りでJR環状線ホームに辿り着いた。

時計を見ると5時50分だった。
二人は飛行機事故なく無事に着いたことだろう。

真智子はもう日本の空の下にいる! 
そう思ったら嬉しくて嬉しくて、プラットホームの雑踏の中に大学生の真智子を想った。
あれから、東京、ミネソタと居を移して8年目。
真智子はまもなく30歳の誕生日を迎える。


posted by 優子 at 17:22| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

「自分を取り囲む底なしの失意」の中で愚行を重ねる首相

鳩山首相の問題解決能力の欠如に強い懸念が示されているが、批判することはたやすく、その立場になればこのようになってしまうのだろうか。それにしても首相に理念があるとは思えない。

ここに至っては十分に時間をかけて理解を得る努力をするべきで、これ以上沖縄の問題や苦しみを複雑にしてはいけない。

いつの場合も、どんな段階においても、もっと最悪な状況は常にあるのだから、勇気を出して立ち止まるべきだ。
在米軍の抑止力についても日米両政府で十分議論して、より良き方向へと進んで欲しい。

今日の夕刊では、昨日、沖縄を訪れた鳩山首相のことを手厳しく批評されていた。
例えば、シェークスピアの悲劇「マクベス」のセリフを引けば「目だけがどうかしてしまったのか、それとも、目だけが確かなのか」(福田恒存訳)。
かりゆしウエア姿で首相が「辺野古」を語る光景にこんな感覚にとらわれた沖縄の人たちは多かったろう。
自分を取り囲む底なしの失意に、舞台の主役が気づかず、独り「皆様のお気持ちを」としきりにうたいあげている。
これも悲劇だ。

   ―毎日新聞5月24日付け夕刊、「近事片々」より―

私もまた同じ感覚だった。こんな時は襟を正して背広で臨むべきだろうと心の中で呟いていた。

25日朝7時25分追記:昨夜遅く書いたこの記事を推敲している今、一つの記憶が浮かび上がってきた。
あの映像が何とも気になったのは、空気が読めないのを通り越して話せば話すほど不審な点ばかり見えてくる人を思い出させたからだ。まだ意識上にのぼっていなかったが、心が直感したのだろう。


しかしながら、私も窮地に立たされて自分の中枢を見失ってしまった時に、目先のことを取り繕うために愚行をやってしまったことがあるが、鳩山氏の場合はどうなのだろうか。
いずれにしても、私のように家庭内でのことと違って一国の首相だから事は重大だ。

もう一つ胸が痛むのは、今も猛威を奮っている宮崎県の口蹄疫だ。一刻も早く治まるように祈ろう。そして、為政者のために祈ろう。

私事では、ようやく先ほど証しを書き終えた。
今秋(?)、日本クリスチャンペンクラブから出版される『あかし新書』に掲載されるものである。
35字35行書くのに30時間くらいかかったと思う。相変わらず書き方は拙いが、聖霊が働いて下さってお証ししたいことが書けた。題は「愛を宿し給う神」とした。

そして明朝、いよいよ次女夫婦がミネソタを発って日本に向かう。今頃は自宅を出る頃であろうか。
二人の旅の無事を祈りながら、私は明日、7日に膝の手術をされた久保田先生をO姉(しまい)とお見舞いに伺うことになっている。

posted by 優子 at 23:55| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年05月22日

『ゲゲゲ』を見た孫の一言、「おばあちゃん、すばらしいねえ〜」

稚内にも春!
ようやく今日、全国で最後の桜が開花した。今年は南から北まで開花するのに73日間かかり、最も長い記録だったそうだ。

関西では昨日今日と真夏日に近い気温になっており、合いの布団から夏蒲団に入れ替えた。電気カーペットを片付けたのも今日だが、これとて最も遅い記録ではなく3年前には5月28日だった。

さて、今日はNHK朝の連ドラ、『ゲゲゲの女房』を4人揃って2度見た。夕食後にもう一度見ていた時のこと、孫の言葉に大人はビックリ仰天した。

ドラマは、主人公夫婦が結婚して1年になろうとしていた頃、妻の父上が上京している時の場面だが、あらすじを要約するのは大の苦手。そこでひょとして・・・と、検索するとHPが出てきた!
インターネット時代とはこういうことなんだ。私もすっかりネットを謳歌している。


(*興味のある方は、http://www9.nhk.or.jp/gegege/ をどうぞ。出てきた画面上の「あらすじ」の「8週」のところです。)

そこには書かれていなかったが、太一が自分のことを心配してくれている美智子(松坂惠子)に、自分はひがんでいた、捻(ひね)くれていたと素直な気持ちを取り戻して詫びるところがあった。
そこに感動した私は、「素晴しいねえ〜」と独り言のように言って見ていたのだった。

そして、夜にもう一度見ていた時、太一がそのセリフを言い終わった場面で、「おばあちゃん、すばらしいねえ〜」とユキが言ったのだ!!!
みんなビックリしてしまった。
 

私は腰が痛いので休憩の時は必ずと言っていいほど横になる。行儀が悪いが、このテレビを見る時もいつもソファーに寝転んで見ているので、朝見ていた時も孫がどのように見ていたかは全く知わからない。

夜見た時もやはり感動したが2度目ということもあり、また、そのこと以上に疲れていたので感動は鈍っていた。
それでも十分に人並みの感動はしていたが、孫の生き生きした言葉を聞いて人間の底知れぬ可能性と、人間を創造された神の驚異に魂が震撼した。

子供というのはすごいものだ。
良いことだけではなく、悪いことも全てこのように吸収していくのだろう。私は姿勢が正される思いだった。疲れていなければ、この感動こそ書きたくて書きたいことが溢れてきたであろうに!

子は親(祖父母)がどんなことに感動し、何を美しいと感じ、どんなことに笑うのか、また、憤るのか・・・それらが子供の人格形成に大きく影響していくのが目に見えるようにわかる。

そして、これはネットにも出ていたが、テレビを見ながら書き取った主人公と父の会話:

布美枝「なあ、おとうさん」
源兵衛「なんだ」
布美枝「お金はないけど・・・わたし、毎日、笑って暮らしとるよ」
源兵衛(うれしそうに)「そげか」


このセリフに文字って私は知子に言ったのだった。

「知ちゃん、状況は深刻だけれど、今は神さまに感謝して喜んで暮らしてるね」と。(^−^)

来週のドラマは再び一波乱ありそうで、ドラマのことでさえ少々気持ちがしんどいなあ〜と思わないでもないが、まあ人生とはそういうものであり、それが生きる喜びだ。お互いにめげずに前進して行こう。


posted by 優子 at 22:09| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年05月21日

裁判員制度に期待すること

2009年5月21日にスタートした裁判員制度が1年を迎えた。
以下は今朝の毎日新聞から転載したものであるが、最高裁の公表によれば、この1年間で3594名の人が裁判員を経験した。
 ■裁判員裁判の基本データ■

       <裁判員選任手続き>

     裁判員候補者数 4万1047人
     辞退許可    2万1435人
     選任手続き出席 1万6600人
     理由なし不選任   1997人
     裁判員総数     2565人
     補充裁判員総数   1029人

       <公判前整理手続き>

     平均期間       4.2月
     平均期日回数     3.7回

       <公判・評議>

     平均開廷回数     3.5回
     平均審理日数     5.5日
     平均評議時間   ※7時間6分
     被害者参加件数    ※32件

       <判決>

     有罪         444人
     無罪           0人
     起訴〜判決     ※6.0月

       <控訴>

     控訴した被告     ※99人
     検察側控訴        0件
     訴審終了       18人
     控訴棄却判決      12人
     控訴取り下げ       6人

 注)10年3月末まで。※は2月末まで
     ・・・・・・・・・・・・・・・
データはいずれも、4月16日に最高裁が公表した「裁判員裁判の実施状況」から引用

同じ紙面で興味深く読んだのは、裁判員に消極的だった人が過半数を超えていたのに、裁判に参加してのちは57%の人が「非常によい経験をした」と感じていることだ。

ある人は、「正しい意見を言ったと思うが違う見方をする人も多かった。自分を見直すいいきっかけになった」と答え、この気づきを職場でも活かして、部下の失敗の事実だけを見るのではなく、部下からも理由を聞くようになったと述べている。

裁判員制度は社会教育を目的としたものではないが、裁判官だけが成長するのではなく、裁判員を務めた人々もまた成長し、しいて言えば社会の改善につながっていくのではないかと思う。

私は裁判員制度施行に先立つ2年前に、民生委員の研修会で最高裁判所を見学したことがある。2007年2月10日〜12日付けの4つ記事(カテゴリ「社会(問題)的なこと」)に熱く書いているのでお読み下されば嬉しい。

posted by 優子 at 12:19| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年05月18日

真智子夫婦との再会を待つ日々

あと10日寝たら会える!
「もういくつ寝たらお正月」と指折り数えて待っていた時のように、真智子夫婦が帰ってくるのを楽しみに待っている。

今年は一回しか帰国できないからと3週間の予定で、父親とも一緒に過ごせるようにと土・日を3回はさんでの日程を組んでいる。

と言っても自宅に滞在するのは17日間で、今回は東大時代の友人や先生に、また、お世話になっている日大の先生にもお会いしたいからと東京で3連泊し、帰宅するのは28日の夕方だ。

帰宅してからも神戸大時代の友人や、大叔母と私の従兄を訪ねたり、結婚記念日の6月10日には二人で金閣や銀閣寺に行きたいなど予定が一杯。

「まちの誕生日には、お姉ちゃんがケーキを焼いてくれるというので、楽しみにしています。
最近はスカイプもほとんどしていないから、ママ達とも積もる話をするのが楽しみ。ゆきちゃんに会うのも、チャッピーと散歩するのも、楽しみです。
回転寿司で、思いっきりはまちを食べたい。
久しぶりに木曽路のしゃぶしゃぶを食べたいなー。
旅行ででかいお風呂とご馳走を食べたい。
などと、夢が膨らんでいます」。

と書いてきたのは3月末のメールだった。(^−^)

今朝も滞在中のスケジュール調整の返信が届いた。
私はミネソタに想いを馳せ、真智子夫婦に賜った祝福を神に感謝した。
メールありがとう。
こちらも、土曜日からとても暖かくなって、今日は夏のような美しい日です。ミネソタの気候は、この時期が一番素敵だと思う。
真っ青な空、強い日差、きらきら光るミシシッピ川、さわやかな風・・・。
昨日からバスの定期が切れたので、自転車でミシシッピ川沿いの道を自転車で走ってFEDに通っています。最高に気持ち良かった。

    (略)

くまと、帰国時にチャッくんを洗ってあげようってよく言ってます。
チャッピーにもよろしく。
では、またね。
真智子

真智子との交信のおかげで心の軌道修正されることもしばしばで、スローダウンしている時にはミネソタから神さまの祝福が流れてくる。
誠実に精一杯の努力を続けている二人を心ゆくまで労い楽しませてやりたい。私も再会を楽しみに精力的に仕事に励んでいる。

では一足先に、真智と太志君にチャッピーの様子や日本の初夏を送ろう。

朝のひと時.jpg

今朝のチャッピー。
頭に残っている冬毛がプカプカ浮いている。
これを抜くのがパパの趣味。

電線のウグイス.jpg

電線にウグイスは似合わないが、このあたりでは日常の風景だ。
蝉の声にかき消される時期まで
毎朝ウグイスの大きな声で目が覚める。
これはオスとメスだろうか、2羽一緒に飛んできた。

すずらん.jpg

花の盛りを過ぎつつある庭のスズラン。

エゴの花.jpg

昨日、Nさんに教えてもらったエゴの花!

よく見ればアチコチの庭木にもあった。私の目は節穴か!
昨日はNさんが、知子とユキも一緒に葛城山上に連れて行って下さった。自動車で30分で到着。ユキは生まれて初めてロープウェーに乗った!

今日のチャッピー.jpg

いつもこうしてのんびりと寝ているが、
家の前を犬が通ったり、自動車や人が来れば猛烈に吠える。
この町の「3大吠え犬(けん)」に入っているからネ。
「マチと太志君に早く会いたいなあ〜〜〜。
早く帰ってきてね。待ってるよ〜。」


posted by 優子 at 12:55| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

孫に重なるチャッピーへの想い

一昨日は寒くて昼間も暖房をつけていたが、ようやく寒気も去って今日はすっかり初夏らしい気温になった。

今朝は春の一斉掃除で帰宅したのは10時15分だった。大急ぎで行けば牧師の説教だけは初めから聴くことができたかも知れないが、夫が14日のゴルフで腰を痛めているので安静休養の日にして教会を休んだ。

今週は夫が欠席して娘と行けばよいのだが、教会の駐車場が止めにくいのだ。下手すれば段差のある畑に落ちてしまうので娘は自信がない。私も心もとないし、血圧が高めで少し不調だったので行くのを諦めた。しかし、夜になった今も教会に行けなかったことが残念でならない。

さて、今年もチャッピーの狂犬病の注射を一昨日に済ませ、昨日は動物病院を受診してフィラリアの薬をもらって来た。
これからの蚊の時期に、フィラリアに罹った蚊に刺されても大丈夫なように、来月から11月まで毎月1回、薬を餌に混ぜて飲ませてやるのだ。

知子に走らせてもらっているからだろうか、チャッピーの体重は8.9キロと少々スリムになっていた。柴犬では理想的な体重だと思う。チャッピーは若い頃にように、今も前足を2本揃えて元気に走るそうだ。

5月10日に11歳になったチャッピーは、人間でいうならば60歳である。
犬は誕生して1年で17歳になり、2年で23歳、3年で28歳、それ以後は1年で4歳加齢していく。つまり、人間の4倍の速さで老化していき、犬の寿命はとても短い。5年後にはチャッピーは80歳になるわけだ。

チャッピーと少しでも長く一緒にいたい。
ユキが小学校中学年頃のワンパク盛りになって、元気一杯のユキが学校から帰って来た時、玄関先にチャッピーはいるのだろうか。そんなことを思うだけで涙があふれてくる。共に元気でいたい。


時々吐くのは消化力が落ちてきているからで、人間の食べ物はやらないようにと注意されたのに、今日もトースターから「チン」と焼きあがる音がすると玄関で回り出した。トーストはチャッピーの大好物なのだ。

食パンのヘタを少しと、そのあとでミルクをあげたら満足していた。ただし、何もくれない良輔がパンを焼いていてもチャッピーは回らない。犬は賢い。無駄なおねだりはしないのだ。

今日は孫のことを書こうと思っていたらチャッピーのことになってしまったので、最後に孫のエピソードで締めくくろう。

狂犬病の注射を見ていた孫は、早速ボールペンの芯を抜いてそれを注射にして、ぬいぐるみの犬に注射して遊び始めた。
そのうちに「どうぶちゅ(動物)たち」、家中のぬいぐるみを集めてきて獣医さんごっこである。私達も動物と同じ注射をされる。(^0^)

ただし、ユキはとても優しい。
強くしないでソッと触れるだけ。そして、「よしよし」と撫でてやり、「どうぶちゅたち、まだ寝ているから起こさないでね」と、ソファーに横になりながらチョッカイを入れる祖父に言っていた。

私は孫のことを「チャッピー」と呼び、チャッピーのことを「ユキちゃん」と呼び間違うのは毎日のこと。
傍で一緒にいてやるととても嬉しがるチャッピーと、もっと遊んでやらなければ。チャッピーとの日々も悔いの無いようにしたい。

チャッピーのいる光景.jpg
2010年4月19日
冬毛は背中を残すのみで夏毛になっている。
足元にはお気に入りのテニスボールが見える。

posted by 優子 at 23:01| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2010年05月15日

「復讐するは我にあり」の意味を誤解していたとは!

佐木隆三氏が実在の連続殺人犯、西口彰事件を題材にして書いた『復讐するは我にあり』は1976年の直木賞受賞作品である。

これまでに何度か映画やテレビドラマ化されているようで、ゴールデンウィークの4日にもテレビで再放送していた。私は30分も過ぎてからだったが長女と見た。途中で1時間近く眠ってしまったが・・

偶然にもこの本はその数日前に図書館へ借りに行ったもので、あいにく貸し出し中になっていたので本を手にしたのは9日のことだった。

この作品は人間の心理が見事に描かれているというので読んでみたいと思いつつも、今も読む時間が取れなくて、今回は著者の「あとがき」に書いてあったことだけを確かめたくて借りたのだった。

ところがである。
ドラマの最後の方で、娘と共に「ええ?!」と声を上げて驚いたところがあった。
犯人が、「復讐するは我にあり」を誤解していたというのだ!!!


この言葉は周知のとおり、聖書(ローマ人への手紙12章19節)の言葉である。
「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と書いてあるからである」。

西口こと榎津(えのきづ)は、この聖句の意味を「復讐するのは自分にあり、自分で復讐してもいいのだ」と思い込んでいた。そして、「この『我』は、神さまの意味ですよ」と教えられて絶叫した。

それを見ていた私達も「ええっ?!そんな馬鹿な!!」、「何ということ!!」と絶句した。
誤読しようがないほど明確に書いてあるのに、印象的な言葉だけが彼の記憶に残っていたのだろうか!


ついでながら、これに続いてパウロは次のように述べている。

「むしろ、『もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである』。悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい」と。

今夜遅くになっていよいよ知りたくてたまらなくなり1時間余りページをくっていた。ゆっくり読む時間がないので焦りながら斜め読みもいいところで、その聖句だけを捜しながらページを何度もめくるのだが見つからなかった。

著者は犯行に至った象徴的な思いをタイトルにしたのだろうか・・・

ドラマでは、信じきっていた親や教師にだまされた榎津が、自分のように人を信じて簡単にだまされる者を殺していったというものだった。
だまされる者はかつての自分のようで、簡単にだまされた自分が許せなかったのであろう。人格形成期にそこまで深い心の傷を負い、傷が放置されたままになっていたのだ。


今回もまた読まないままで返却することになる。執筆期限が迫っているものをやり終えてからになるので8月半ば頃になるだろうが、今度こそ是非読んでみたいと思う。出版に向けての編集は全く手付かずになっている。

posted by 優子 at 23:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年05月12日

希望姉のブログに刻まれたユキのこと

月曜日から肌寒い日が続いており、当地では明日の最低気温は6度だそうだ。内陸部は晩霜の注意が出ており週末まで日中の気温も低いらしい。
立春から数えてちょうど99日頃にあたる今、このような状況を「九十九夜の泣き霜」というそうだ。天気予報の話が面白い。

さて、夏日になった8日のこと、2年半ぶりに再会したKさんは、翌日のご奉仕を終えてのち、もう一人の友とも良き時間を過ごされて月曜日に帰京された。

その3日間の関西旅行のことが今日の記事(「お気に入りリンク」の『希望の風』)にアップされた。
Kさんは青春期の若い時に洗礼を受けられたので、信仰生活は半世紀を重ね、幾多の苦難を乗り越えながら自己実現、否、神実現されている方だ。このたびも多くの身に沁みるご教示を頂いた。

その記事にはユキのことも書いて下さっているので、将来のユキのために記録しておいてやりたく、Kさんのブログから転載させて頂いた。

(略)その前後に、二人の姉妹と再会のスペシャル ジョイフルタイムを与えられた。関西は私にとってはいつになっても遠い地である。かつて夜行列車で行ったことを考えれば隔世の感があるけれど、会いたいと思いつつもめったに実現できないものだ。そこで、今回は奉仕の旅ではあるが、再会のプランも忍び込ませた。

             (略)

F姉はもうすぐ3歳になるYくんを伴って駆けつけてくださった。Yくんはときどきメールでお顔を見ていたが、いざ目の前に現れた時、胸がいっぱいになった。思わずしゃがんでハグさせてもらった。彼は驚いた表情で、体を固くして身をそらせた。いきなり知らないおば(あ)ちゃんに抱きつかれたのだから当然であろう。誘拐犯人と思ったかもしれない。Yくん、ごめんね。

おば(あ)ちゃんたちの尽きない話の間、彼はおとなしくしていた。適当に自分流に楽しんでいたようだったが、大きないたずらもせず、大声も上げず、困ることはなかった。時と場を感じ取るセンスが養われていると思った。育つ環境がよいのだろう。

F姉とはもっぱら信仰のことや書くことについて話が弾んだ。F姉とは20年来のぺん友で、文学や読書では私よりずっと深く、ペンも立つ方だから、意気投合して深い話ができた。大いに励まされ、前進する勇気を与えられた。
             
             (略)

今回、特に心に迫ったことは、顔と顔とを合わせる喜びであった。どんなに通信手段が発達しても、たとえスカイプとやらでコミュニケーションをとったとしても、直に会うことに勝るものはない。人間とは、やはり人と人の間で生きていく者なのだ。そのように創造されたのだ。メールを始め、そうした手段も毛嫌いせずに大いに使ったほうがいい、しかし人の心にはそれだけでは済まされない欲求が燃えている。

皆さんと直に会えてよかった。直に語り合えてよかった。直に笑い声を耳にできてよかった。いのちの通う手を握り合えてよかった。なによりも、ともに祈り合うことができてよかった。ともにイエス様を証しし合えてよかった。

この一大冒険の旅をくださった主に、心から感謝します。

私もまた神が備えて下さった友との交わりを感謝し、安らぎと力を得て帰宅した。そして、孫との外出という冒険で大いに自信がついた。これからは出不精をやめてもっと外に出ようと思った。

そして、人と人との交わりを楽しみ、衰退してしまった感性を燃え上がらせたい。神は私達を誰かとつながって生きる存在(Inter Being)として創られたのであるから!

ところでこの同じ日、夫と長女は松竹座へ出かけて難波(なんば)を歩いている時のこと、大画面から『ゲゲゲの女房』のテーマソングが流れて二人とも振り返ったそうだ。
「お父さんはニコニコしていたからユキが歌っているのを想像していたんやろうなと思って」と知子が言った。

『ゲゲゲの女房』とは、4月から始まったNHKテレビの朝ドラのことで、今、我が家で大ヒットしている。漫画「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な水木しげる夫婦のことをドラマ化したものだ。

私は高校生の夏休みにもテレビで見ていたのを覚えている。
「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲー、お化けは朝からグーグーグー。嬉しいな、嬉しいな。お化けにゃ学校も、試験もなんにもない」と、今も歌詞までよく覚えているほど、勉強に実が入らなかった私は学校へ行かなくてもいい鬼太郎を羨ましく見ていた。(笑)

NHKの朝ドラは、大学時代に母と一緒に見ていた『藍よりも青く』以来で、全く見たこともなかったが、3歳にならない孫から64歳の夫まで、夜7時半から再放送されるBS2で毎晩欠かさずに見ている。

そのテーマソングを孫は上手に歌うのだ。
「ありがとうって伝えたくてるんるん」と・・・ユキは今、幸せな日々を送っている。多くの方々に祈られて2歳10ヶ月になった。


posted by 優子 at 21:48| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年05月11日

苦難の谷を通った者でしか語れない「解放の神学」

当ブログを訪問して下さる方の中に、島しづ子牧師やジャン・バニエの検索から辿り着かれる方もしばしばある。昨夏のJCP夏期学校では、島牧師から直接お話を伺う機会があったのに惜しいことをした。

と言うのは、私はジャン・バニエのことはナウエンの書物で知っていたが、島牧師のことは全く知らなかったので、只々深い感銘を受けただけで言葉を交わすことなく終わってしまったからだ。

一昨日の朝も『メメントドミニ』への検索先を見ていたら、『メメントドミニ』が紹介されている検索画面に島しづこ牧師の講演文を見つけ、私は引きずり込まれて読んでいた。

とてもとても長いものだが詳しく語っておられるのを読んで、島牧師の苦難が今や多くの弱者のために用いられているだけではなく、社会全体の目を開くためのお働きを見せて頂く思いだった。

そして、経験された心の内を具体的に話されていることの重要さと、そのことの裏付けを得たようで大いに励まされもした。

引用文冒頭にある島師の内的情況もよくわかる。
私もまた母の難病という悲しみと苦悩の中で、病気に加えて家庭や親族の問題で無気力になってしまって、専門家を前にして聞く意欲さえなくなってしまった同じ状況があったことを思い出していた。

今、自己を見失ってしまっている人や心を病んでおられる人に、また、より良き自己実現に向かって努力している人に、そして、これらのことを一人ひとりが心にとめて良き社会を作り上げていくために大きな導きになると思うので、本文を3分の一に抜粋して記録させて頂いた。


以下は、http://www.wa.commufa.jp/~momochan/kaiho/shima.htmlより、島しづ子師が語られた「解放の神学」から抜粋引用したものを、常体文に改めて掲載したものである。

島師やジャン・バニエについては、過去ログ・2009年8月10・11日(カテゴリ「JCP関係」)でご紹介している。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

六甲でジャン・バニエの黙想会があった時、車椅子の娘を連れて参加した。しかし、バニエさんの話にとても惹かれながらも、バニエさんの所に行って私の問題を相談するという力は私になかった。

というのは、私は何が問題で私の解決してほしいことは何かということが、もう私は分からなかった。
一生懸命生きている娘を自慢にしたい気持ちと、娘と一緒に歩いているために周りの人たちが私をあまり大事にしてくれないという気持ちの中で、ごちゃごちゃしてしまって、私の問題は何か分からなかった。

休憩時間になるとバニエさんの所にみんな飛んでいって、手を引っ張るようにして「私の問題聞いて下さい」と相談してるが、私と娘はもう遠く離れていた。

私の娘は隠しようのない重度の障がいだった。障がい者は隠しようなく生きている。しかし、隠すことのできる障がいとか、病気とかがどんなに大変なことか、いつバレルだろうか。そのことが、もの凄いエネルギーを必要とするということに気がつかされた。

一番問題なのは、人間の社会、私たちの日本社会の中に普通の人がいて、普通以上の人がいて、普通以下の人がいるということ。

普通以下の人というのは出身が違うとか国籍が違うとか、他の人とは違う生き方してるとか、そういう人たちが普通以下だというふうに言われている価値観で、この価値観こそが変わらなくては、誰も解放されることはできないんだということに気がつかされた。

「メタノイア」とは「悔い改め」という意味のギリシャ語だが、それは基準を変えること。今まで持って来た価値基準を変えることである。

人間にはランクがあって、下に行けば行くほど低くって、上に登れば登るほど価値が高くなるという、この間違った価値観を変えることを意味する。

イエス・キリストが生まれたのは馬小屋だった。生まれたばかりの赤ちゃんが置かれるような環境ではないところにイエスは置かれたわけで、誰もマリアとヨセフとイエスのことは歓迎しなかった。歓迎されざる者としてイエスは誕生した。

私たちはそういうところに生まれれば生まれる程、同じような立場に生まれた人たちは、それらの人を踏み台にして、ここからのし上がっていく。このような人たちと一緒にいない、のし上がって行くんだという、それが私たちの生き方であり私の生き方だ。

しかし、イエスはそういう中に生まれ、そのような人たちと一緒に生きて行った。彼は底辺に生まれ、底辺の人と居続けた、そういう人だったと思う。
最後には、死刑囚と並んで死ぬわけで、死刑囚というのは人間の最後の権利である命を奪われる人だ。その死刑囚とイエスが並んで処刑される。

このみすぼらしい姿の中にこそ、イエスを通して神が私たちに示したかったものがある。
人間には上から下の立場まで値段が付いていて、下に行けば行くほど価値がないという価値観の中で生きている私たちに、イエスは最低辺のところにいるメシア(救い主)として生き、死なれた。

私は養護学校にいて、わが子はあの子よりはいい、この子よりはいい、しかし、上を見て、ああ、あんな風になれないな、なんとかしてのし上がって行きたいなと思っていた。

私達が無意識のうちに持たされていた価値観を、神さまはそうじゃないんだよ、人間はみんな同じ価値を持っているんだよ、どんなところに位置づけられようと、みんな尊いんだということを私たちに分からせるために、イエスの生涯はあのように定められたんじゃないか、そういうことに気づかされた。

だから「メタノイヤ」、悔い改めるというのは、私達が持っている人間のランクづけを止めて、それぞれが対等になるということだ。

私は、あのような母として生きたと思う時に、本当にあの自分が滑稽だったなあって思うのは、付属品によって自分が上がったり下がったりすることだ。

私は夫がいた時は普通だと思ったけれど、夫がいなくなったら、夫という付属物がいなくなったから下がったと感じた。
それじゃあ今度は息子たちを立派に育てて、娘は障がいを持ってるから余り期待できないから、息子を立派に育てて、自分も息子につられて登って行きたいと思った。

ところがよくしたもので、息子たちはそういうレールには乗ってくれなくて、世の中の人たちが普通以下にランクづけるところにいてくれたわけで、私は上がれなくなった。

ああ、私はなんて生き方をして来たんだろう。私に付属する物で上がったり下がったり、逆に言えば、娘という付属物が、重い障がいを持っているということで下がったように感じ、立派な息子をもって上がろうとする、あるいは私がこれで再婚なんかして、相手が立派な人だったりすると、また、上がったように感じる。

本来ならば、人間はたった一人の人間として尊ばれていいのに、世の中の人たちが私に所属する物で立派に見たり、無礼に扱ったりするということから解放されないために、私も私に付属する物を立派にしようとか、ちゃんとしたもの持ってこようとする。

そんな風に生きてきたことがいかに滑稽だったかと考えるようになって、一人の人間として生きて行きたいなあと考えるようになった。

 
でも、女であるということや未亡人であるということを、いろんな時にみなさんが無意識のうちに侮り馬鹿にする。そんな時に本当に怒りが湧いてくる。

怒りが湧いてきても、その怒りを爆発させてはいけない、怒ってはいけない。人間穏やかでないといけない。クリスチャンは、特に牧師は穏やかでないといけないというわけで怒れない。すると、この中に溜まってしまう。


そういう中でコオカウンセリングと言って、対等なカウンセリングという意味のカウンセリングに出会ってとてもよかった。
今までならばお医者さんにカウンセリングしてもらう時に、お医者さんと患者さんという立場で、この立場は逆転することがないが、コオカウンセリングは、10分間私がお医者さんの役をしますから、その後の10分間はあなたがお医者さんをしましょうと、互いにやりとりする。

その中で話されたことは秘密で、怒りや悲しみなどどんな感情を出しもよいというルールがある
そのようなカウンセリングを受けながら、私が母親から受けてきた価値観、そして、私が不当に扱われてきことや、夫が死んだ時の悲しみ、娘が障がいを持った時の悲しみなど吐き出して、泣いて泣いて泣いた時に、人間は本当に大事にされなきゃ駄目なんだってことがわかった

そして、他の人のカウンセリングを受けながら、お医者さんとしての立場に立って、一人ひとりの苦しみを聞いてきた時に、馬鹿にされるということが、いかにその人を悲しみの中に押し込め、色々な事に積極的にできなくさせ、力も封じ込めているかということが分かってきた


不当に扱われるっていうことが、お互いを非常に生きにくくさせている。昔から女性のヒステリーは歓迎されず、ヒステリーが昴じると病院に入れられて治療の対象とされてきた。

私達女性の多くは不当に扱われることが男性よりも多い。そのために、溜まったものを爆発させるとヒステリーになる。ヒステリーという形で発散してしか、「私だって一人の人間として尊ばれるべきなんだ!」ということを訴えるすべがない。本当に言いたいことはそのことだ

でも、そのことは本当の叫びとしては見えず、わけが分からない問題行動を起こすという形でしか周りの人たちから受けとめられない。ゆえにヒステリーは抑えないといけないという形で抑え込まれてきた。

しかし、「人間として正当に扱いなさい」というのがヒステリーを起こす女性たちの叫びである。正当に扱われるなれば、正当に聞かれるならば、ヒステリーは出さなくていい。

是非みなさんもCOカウンセリングを体験して欲しい。
私が不当な扱いを受けてごちゃごちゃになる時に、不当な扱いをした人に対して「お前はなんだ!」と言ってしまうと、相手も傷つくから怒ることはできない。

だからそのような時にCOカウンセリング受け、カウンセラーに不当な扱いをした人の役目をしてもらって、「あんたあの時こう言ったでしょう、私はほんとはこういうふうに言いたかった」という形で、私の怒りを出すわけだ。

すると、相手が「ごめんね」と謝る。そう言わざるを得なかった背景や、私が本当に何を言いたいのかということを叫んでいる中で、自分自身の思考がクリアになってきて、相手の立場も分かり、相手の言ったことも許し、そして、私自身がどうやって対処して行けばいいかってことが分かってくる。

このカウンセリングは私にとってとても助かったし、多くのメンバーたちがこれによって随分助けられている。

そのような中で私自身が解放されていく体験を通して、一番問題だったと思うのは、私の母に象徴される日本社会の価値観が私をがんじがらめに縛ってきて、それを一つ一つほぐして行く過程にある、というのが今の私の状態である。
 
障がいを持つ人が現れても、それは、前世の因果であるとか、何かに対する罰っていう考え方は当たらない。
それから、人間の中にはランクあるんだってことも当たらない。
それから、女は損だというのも当たらない。

女が損だって言う時には、日本の社会がそういう風に決めつけているから損なのであって、本来、女として生まれたことも歓迎していいことなのだということ。
それから、妻であったとしても、何も夫に従属する必要はないのだということ、そんなことが私の中に芽生えてきた。
(*読者へ:「従属」とイエスの言われた愛をもって「仕える」ということは、全く異なるものであることに注意されたし。)

私は先ほど述べたハガルが大好きになった。
(*ハガルは聖書の巻頭、旧約聖書の初めに出てくる人物で、時は紀元前1900年頃のこと。今から約4000年前のことである。)
ハガルは一人の女性として、アブラハムとサラという夫婦の付属するものとして生きてきたが、サラに追い出されてハガルとイシマエルは砂漠の民として生きて行くことになった。

それはとても生きにくいことだったが、奴隷状態を脱出して自由人として生きることになったわけだ。そして、ハガルとイシマエルはアラブ民族の先祖としてとても尊敬されるようになる。

ここでも、血の関係ということが問題になっていて、正妻であるサラに生まれたイサクに流れを持つイスラエル民族と、使女(つかえめ)であるハガルとイシマエルにつながるアラブ民族という中で、イスラエル民族の伝統を受け継いでいる旧約聖書、あるいはユダヤ教、そしてキリスト教という流れで、私たちはアラブ民族をパレスチナゲリラという形で蔑視し、良く思わないような風土の中で育てられてきた。

(*イシマエルとイサクはアブラハムを父とした腹違いの兄弟であり、パレスチナとイスラエル問題はここまで遡る。)

しかし、本当にそうだろうか?
そうではない。私たちが血族ということに拘(かかわ)って、正統に近ければ近いほど尊重されて、亜流に行けば行くほど価値がないという価値観の中にいるから、こんな価値観を得てしまったのである。


アラブ民族もアブラハムを先祖だって言うわけだ。アブラハムから見ればアラブ民族もイスラエル民族も同じ血である。しかし、イシマエルとイサクを考えると違う血になってしまう。

血というのは自分のイデオロギーの正当化とかイデオロギーの推進のために用いる手段なのである。
本当の意味でのイエス・キリストの福音に出会った一人一人になって行くまでには、私自身もまた、みなさんも母から解放されていくことが必要になってくる
    

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は島師がこんなにも正直に自分の中にあるドロドロしたものをそのまま話されていることと、自分を見つめてとことん苦しんでこられたことに目を見張り、真にイエスに出会った者だけが語りうる内容だと思った。

ハガルの見方についてもそうだ。言われてみれば実に単純明快な視点であるのに、あまりにも大きな驚きだった。
このようなハガル像は、自分自身が弱者の立場で生きざるを得なくなり、かつ、惰性ではなく苦悩のどん底で苦しみ抜いた者だけが発見できる視点だった。私が最も心打たれるのはそこだ


上掲のアドレスを開くと、島師の語り口調そのままで記録されているので、師の人間的なものを感じながらお読みになれるだろう。

なお、「障害者」の「害」については、20年余り前(?)から議論されていると記憶しており、私も一時期「障碍」と表記したこともあったが、これを機に現代の新聞紙上で表記されている「障がい」と記すことにする。

posted by 優子 at 08:42| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

「一粒の麦」 ―馬見労祷教会創立の背景―

アメリカの教会から始まった「母の日」の昨日、馬見労祷教会は教会創立63周年記念礼拝の関係からか「母の日礼拝」ではなかった。

馬見労祷教会創立は1947年5月8日で、それよりずっと以前、農繁期に子供達を見てくれる人がないということから「第1回農繁期託児所」が開設され、1932(昭和7)年に保育園が創立されている。

その活動は天理教や寺の方々と共に地域に密着しており、それらを通して天理教や仏教の人の中からも洗礼を受ける人が起こされて教会創立につながっていった。

最初は聖書を学びたいという数人の青年たちから始まった働きが、ある時(孫の注意に気をとられて聞き逃す)には、会場となった小学校の体育館が満員になったと記録されている。

そして、教会の献堂式には農民福音学校が開催されて、イエスの救いがこの地に広がって行った。
以来63年間、喜びと苦難の中、毎週礼拝が続けられたことは神のなされた奇跡であり、今日集った者たちの出会いや共に礼拝するというのも神のなされたことである。

イエスは言われた。
「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」。
               (ヨハネによる福音書12章24節)

多くの人々が一粒の麦となって先達になって下さった。
一粒の麦が「死ぬ」という言葉を「愛」という言葉に置き換えられるのではないか。
イエスの愛の足跡に従うということは、自分の人生においてどういう意味なのかを考えたい。私達は自分の努力した結果を見たいが、それは神に委ねて励もう
 

体は疲れていたが、私の心に神の言葉が深く滲みこんで行った。


礼拝が終わるとすぐに外に出ていく夫に気兼ねしながらも、時間にルーズでない教会なので、昨日は礼拝後の讃美歌練習に出た。
15分間ほどで2曲。音楽の知識を持っておられる方の指導を受けるのは何十年ぶりだろうか。実に楽しく意気高揚され、同志社女子中・高の音楽礼拝を思い起こさせた。

12時過ぎに教会をあとにして外食、図書館、買い物の用事を済ませて2時20分頃に帰宅し、まもなく私はダウンしてしまった。健康なくせに体力がないので情けない。疲れのために嘔吐して夕食まで寝ていた。

昨日は娘の体調が悪く孫と3人で礼拝に集ったが、帰宅した時には娘は奇跡的に回復していて助かった。
長女は今も理由なく体調不調になることたびたびだが、今回は急に回復していったそうだ。こういうことも数え切れないほど経験しているので、体調に合わせてゆっくり焦らずに過ごしてほしい。

真智子と太志君から「母の日」のグリーティングカードをもらって嬉しかった。感謝。
21:04追記:メッセージが消えてしまうのはもったいないので、「続きを読む」に記録させて頂いた。 
続きを読む
posted by 優子 at 10:57| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年05月08日

初夏の奈良で希望姉と再会!

今日は孫と二人で奈良まで出かけた。
日本クリスチャンペンクラブの理事であり、姉のようにお慕いしているKさん(お気に入りリンク・『希望の風』の著者)が、明日、ある教会で「あかし文章セミナー」の御奉仕のために奈良に来られるというので駆けつけたのだった。

私は二人の子どもを育てたが、小さな子供を連れて電車に乗った経験もなく、孫と二人だけで外出するのはとても勇気のいる冒険だった。

実は今日、夫婦同伴で松竹座へ行く予定が入っていたのをすっかり忘れていた。チケットを取って頂けるかどうかわからなかったのでカレンダーに書いていなかったからだ。
先方から連絡が入ったのが4月30日だったために変更もできず、夫は長女と行ってもらって私は孫を連れて奈良へ出かけることにした。Kさんはユキに会えることをとても喜んで下さった。

午後12時10分過ぎ、JR奈良駅近くのホテルで2年半ぶりに再会した。挨拶もそこそこにKさんはユキを抱きしめて下さり胸が熱くなった。
Kさんは知子とユキのことを祈って下さっているお一人で、この1年間どんなに力強いお支えとお導きを頂いてきたことか!


ユキは言葉不明瞭ながらいつものように食前の祈りをした。そのうちにすっかり馴染んで家にいるのと同じように、「そういえば・・・」と言ってKさんに電車の話をしていた。(笑)

3時間はあっという間に過ぎ、お別れする時は涙が滲んだ。
しかし、今夏はJCP全体の夏期学校が京都で開催されるので、3ヶ月後にまたお目にかかれるのを楽しみに潔くお別れした。淋しかった。

ホテルを出て、私達はJR奈良駅から三条通りを北に向かって歩いた。
昼寝もしていないのに上機嫌のユキは、猿沢の池で亀を見、興福寺の五重塔と東金堂(とうこんどう)の前で砂利遊びに興じ、鹿と遊びながら近鉄奈良駅に戻って行った。

JR奈良駅.jpgJR奈良駅
藤の花.jpg藤の花が美しかった
初夏の奈良公園.jpg

行基さんの噴水前.jpg
近鉄奈良駅前の行基像の噴水
手に持っているのは松ぼっくり

今年は平城遷都1300年で混雑しているだろうなと思っていたが、奈良市内はいつもと変わらなかった。しかし、電車から見える平城旧跡は行きも帰りもたくさんの人で賑わっていた。

Kさんの旅の平安を祈り、明日のご奉仕が豊かに祝されるように。そして、今日のお交わりを感謝しながら眠ろう。

posted by 優子 at 22:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

紙業界の役員を務めて18年、産業功労賞を受ける

昨日は一昨日よりももっと暑くなり30.9度になった。
晴耕雨読、気になり続けている原稿のことは忘れて、昨日も家事に励んだ。冬の寝具を全て片付けることができ、この充足感は主婦ならではのものだ。

そして、雨の今日は原稿書きに集中していた。
すると立て続けに2度もインターホンが鳴り祝電が4通届いた。ちょうど授賞式が始まった午前10時半だった。

今日は夫の帰宅を待って話を聞き、ブログにも簡単に記録しておこうと思っていたのに、表彰状や冊子は会社へ置いてきたとのこと。
どんなものか見せてくれてもいいのに、話さえ呆気なく報告とも言えないお粗末なものだった。こういうことは毎度のことだが、しかしまあ、表彰されてもそんなものかも知れない。

とにかく緘黙(かんもく)の夫から聞き出せたことは、今日の授賞者は教育界から福祉まで全ての領域から選ばれており、夫の場合は紙業界で18年間役員を務めていることから表彰されたそうだ。

本人に感慨がないことは私にもない。ただ一言記しておくだけ。

良輔 64歳、産業功労賞を頂く。

リーガロイヤルホテルの隣り国際会議場で開催された表彰式で、橋本大阪府知事が法律を改正しないと政治家は何もできないというようなことを話しておられた時、受賞者の一人が「憲法を改正してはならぬ!」と大きな声を上げたそうだ。

勇気のある人だ。
憲法問題もいろんな考え方があろうが、日本のこと、世界のことを熱心に考えている人なのだ。自分が恥かしい。

何であれ受賞したということは人生の小さな通過点になると思うのだが、心に残る受賞のエピソードは、得意げに語っておられたであろう橋本知事に対して、勇敢に声を上げた人のシルエットだけだった。

*この日、2階の居間にムカデが出た。
その部屋にいた知子の叫び声に続いてユキが泣き叫び、私は急いで2階へ駆け上がった。一度姿を見失ったので必死になって捜し、ようやく掃除機でしとめた。
掃除機の口に封をして明日夫に処分してもらうが、今年も恐怖の季節になった。ウグイスが鳴く自然環境には苦手な昆虫もいっぱいだ。時には爬虫類までも出没し、ストレス一杯の嫌な時期到来である。



posted by 優子 at 23:17| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

「日照りにあえぐ人々にも」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより C―

「日照りにあえぐ人々にも」 (村上宣道牧師)

命ある者にとって、太陽の光がどれほどありがたいかは、今さら言うまでもありません。しかし、猛暑といわれる夏に、それがあまりにも強すぎたり、直接その強い光に当たりすぎたりすると、いろいろな障害が起こるというのもご承知のとおりです。
 
私たちが熱い炎天下の中でありがたいと思うのは、冷たい水をゴクゴクと飲むときと、直射日光を避ける日陰に出会うことではないでしょうか。

常夏の国、ハワイの夏のひざしはとても強いように思います。しかし、ハワイの方々が言うには、いくら暑いときがあっても、時々やってくる夕立(あちらではシャワーと言っています)によって、さわやかになるようです。
それと、ハワイには大きな木が多いので、木陰には事欠かないから過ごしやすいそうです。
 
聖書の中に、「主は……昼は暑さを避ける陰となり、あらしと雨を防ぐ避け所と隠れ家になる」(イザヤ4章5、6節)ということばがあります。

私たちが試練や苦しみ、つらい目に遭ったりするとき、神様がそれを避ける陰となり、また避け所となってくださるという約束のことばです。
 
私たちは生きる上で、耐えられないような厳しい状況に直面しなければならないことがしばしばあります。これはクリスチャンであってもなくても、避けては通れないことと言えましょう。

そんな中で、心憩える陰があり、避け所があったなら、どんなにいいだろうかとお思いにならないでしょうか。
詩篇の記者は苦しみのさなかで、
「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」(詩篇46篇1節)と歌いました。

神様が避け所となってくださるというのは、神様に祈ることによって私たちの心に、その苦難に耐える力、打ち勝つ力を与えてくださるということなのです。

そして、しばしばその苦しみや悩みの意味をも教え、積極的に生きる勇気と希望を与えてくださるということです。
さらにまた、その困難を打開する道を備えてくださるということでもありましょう。
 

私の身内にも、思いもかけない生死にかかわるような事態が起きました。そのとき、避け所なるお方を知っていることの幸いをつくづく体験したのです。

ですから、あなたにも困難や苦しみに遭うとき、確かな陰となり、避け所となってくださるお方を、ぜひ知っていただきたいと思うのです。


posted by 優子 at 17:14| 引用文 | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

☆当事者意識に欠ける鳩山首相の言動 

ゴールデンウィークの間、ずっと晴天に恵まれたのは50年ぶりだそうだが、4月半ばには14年ぶりの低温注意報が出されたり、今年は記憶に残る1年になりそうだ。

今週に入って気温はグングン上昇し、昨日の当地の最高気温は27.8度。今日は真夏日になっていることだろう。(6日追記:5日は30.3度)

昨夜はさすがに毛布は暑く、休日明けを待たずに今日シーツに交換した。冬布団から合いの布団に入れ替え、一日中洗濯機を回していた。

夫は1日のゴルフで腰をひねったのか、3日から軽いギックリ腰状態で昨日今日は休養デー。横になって業界紙に目を通していた。
孫は寝冷えしたのか今日は熱を出している。しかし、幼児は熱に強い。38度あってもジッとしていない。

私は家事で大忙しだし、長女は1階のワックスがけをしてくれたので、孫は一日中「爺保育園」に預けていた。母屋にも行き、庭でチャッピーの飲み水で水遊びをしているのでママに叱られていた。

さて話変わって、お昼の休憩でテレビを見ていたら、沖縄を訪問している鳩山首相の言動に違和感を感じた。特に「学び学ばせて頂いて」という言い方だ。

「学ばせて頂いて」というのは謙遜の気持ちで遣われたのだろうが、私にはとても奇妙に聞こえた。「頂いて」には当事者意識が全く感じられない。

もしも昨日今日の見聞で考え方が変わったとすれば、長年の間政治家として生きてきた者の発言とは思えず、あまりにも不真面目だと思った。

鳩山氏は今まで基地問題を見物席で見たきたのではないか。
政治家は、政治問題を常に当事者として実存的に考える態度を身につけなくては、外交においても主体的決断ができるわけがない。


斯く言う私も他者の批判だけに終わらず、基地問題をどう考えるのか、核抑止や憲法9条についても、自分の問題として考えねばならぬことは言うまでも無い。
最後にアメリカン・インディアンの言葉を日本と米国の政治家に贈りたい。

" We have not inherited the earth from our fathers, we are borrowing it from our children ."

「私達は地球を私達の祖先から受け継いだものではなく、私達の子供達から借りているのである」。

とてもわかりやすく説得力のある言葉だ。これからも子供達が走り回れる山や森、美しい海を残すことを最優先に考えて舵を切らねばならない。

そのことは核の問題でさえ無関係ではなく、この方向にこそ最善への道が開かれていくと思っている。とにかく私達は未来の世代に対しても責任を持っているのである。


posted by 優子 at 21:37| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年05月03日

鯉のぼりの大群に感動しなかったユキ

鯉のぼり.jpg


去年と違って今年は鯉のぼりが大好きなユキは、教会の行き帰りにもスーパーに行く時も鯉のぼりを見つけては大喜びしている。そこで大群の鯉のぼりを見せてやろうと葛城山麓公園へ出かけた。

ここは自宅から12〜3キロのところで、昨年蛍を見に行った場所だ。2年前には鯉のぼりも見に来たので今回で3回目、入場無料、駐車場無料で人も少なく最高の穴場である。

2年前、松屋町(通称まっちゃまち)で鯉のぼりを買った。マンション用だが、染めも鯉の顔も気に入って少々奮発して買ったが今は無い。さりとて新たに買うつもりはない。

先日美容院へ行った帰りに立ち寄った百均(100円商品の店)で、鯉のぼりが目に付いたので買って帰ったところ、孫はたいそう気に入って一日中持って歩き、寝る時もベッドサイドに立てている。

こんなに鯉のぼりが大好きならば、大群の鯉のぼりに感動するだろうと、いよいよ広大な公園内に入った時、私はワクワクして孫の顔を見ていた。

ところが、本人は何と言うことはなかった。
大好きな電車に乗った時も同じで、憧れの対象が目の前の現実になった時は拍子抜けしたような表情になるのがユキの特徴だ。

そんなわけでいくつかの滑り台を楽しんだものの、一番楽しかったのは砂遊びだったかな?今日も石ころや落ちている木の枝拾いに忙しかった。(笑)

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長い滑り台.jpg
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「ママが作ってくれたお弁当、おいしかったね!」

最近のユキの特徴を二つ:
「なんでゆうて?」、つまり、「『どうして』って言うて(聞いて)?」と言う意味だが、「また来たゆうて?」、「悲しいなゆうて?」と、自分に言ってほしいセリフを要望してくるので、面白くて笑ってしまう。


最近はおじいちゃんと気が合う。子供に甘いからだ。
今日はもう食べてはいけないと言われているものを食べたい時は、「おじいちゃん、みかん食べない?」と誘って、自分の口にも入れてもらおうとする。

「おじいちゃん、来て!」と誘い、洗面所を締め切って何か食べているのを知子ママが何度も目撃している。今日は私達が2階で休憩している時に、またしてもシューアイスを二人で食べていた。

山麓公園から帰宅して郵便受けを見ると、たくさんの祝電が届いていた。何かの間違いかと思っていたら、夫に大阪府知事から産業功労賞を頂いたからだった。授賞式は7日にある。

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 昼食後、砂遊びをしているユキと知子を上から見ているところ。

 
posted by 優子 at 23:01| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年05月02日

礼拝の恵みと孫の助けで3日戦争で終わった夫との喧嘩

今朝は高見牧師が説教された。以下はその概要だ。

「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」と聖書に書いてあるとおり、M姉は神の言葉に養われた人生を歩まれた。
神の言葉を受け入れて歩む時に、私達の人生は幸せなんだと証ししておられるのだと思う。


1944年、M姉は神戸から馬見村に疎開して来られた。
そして、長男(4歳)が馬見労祷保育園に入園。ある時、長男がオモチャで遊びながらブツブツ言っているので、何を言っているのかと聞き正してみると、「神は我らの避けどころ、また力なり。悩める時の最(いと)近き助けなり」と言っていた。

そのことを保育園長に尋ねたM姉は、それが詩篇46篇の聖句だとわかり、M姉の聖書との出会いとなった。
その3年後、長男は流行した疫痢で亡くなった。1945年のことである。その苦悩の中、息子さんの死を通してイエスへと導かれ、翌年28歳の時に受洗された。

神は悲しみの中に鎮んでいるM姉を助けて、鎮んでいる人を元に戻される。そして、姉は復活のイエス・キリストの救いを経験する。

1947年になってシベリヤに抑留されていた夫が帰国、長男が召されたことを伝えた。
その後誕生した4人の娘さんたちの洗礼はいち早く成就していたが、夫が救われるまでには50年の祈りがあったという。アウグスティヌスの母モニカは30年間の祈りだったが、M姉の祈りは50年続いた。これはすごいことだと思う。

賀川豊彦が馬見労祷教会の名に込められた意味は「祈り働け!」という意味ではないだろうか。
M姉は賀川豊彦にも会っており、賀川の祈りの姿や奉仕の姿に打たれたのだと思う。祈り働くことに徹せられた人だった。

長男を通して示された詩篇46篇はM姉の愛唱句となった。
これはルターが大好きだった言葉であり、この聖句をもとに作られたのが讃美歌377番だ。神は苦難の時も共に居て下さり、苦難を耐えさせて下さる。

イザヤ書46章4節に、「わたし(神)はあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」とある。

私達も神の言葉を受け入れて、人生を全うしたいという思いでいっぱいになると、牧師は感慨深げなおももちで説教を結ばれた。
私も信仰生涯を全うさせて頂きたいと願う。

今日讃美した484番「主われを愛す」は子供の讃美歌とされているが、易しく力強く神の国が語られている。

2歳9ヶ月の孫も聞きなじんでいる讃美歌なので、ユキは1節を嬉しそうに歌っていた。

自分も知っているという嬉しさでキョロキョロと周囲の人々を見ながら、顔を赤らめて嬉しそうに歌っていた。1ヶ月ほどまえから、「主の祈り」も覚えているところを口ずさみ始めている。


私の娘たちもまた既に信仰を賜っているが、夫の救いを祈り始めて23年になる。しかし、M姉のように常に熱心に祈ってこなかった。

先週は久々に夫と険悪になり、「いつまでも感謝がなくて、だから救われないんや」と言ってしまった。相変わらずの自分の姿に、今までの年月の積み重ねは何だったのかと愕然とした。惨めだった。

孫は昨日、「おじいちゃんとおばあちゃん、また怒っているわ。ユキちゃん、怒ってくるわ」と言っていたそうだ。
そして、今朝も孫に注意された。
烈しく言い合いをしていたわけではない。刺々しく話していることに心を痛め、「おじいちゃんとおばあちゃん、けんかしちゃダメ!怒ってばっかりダメ!」と、幼い孫に言わせる始末だった。

しかし、礼拝で讃美歌を歌いながら悔い改めへと導かれ、心を美しくされて気持ちも引き上げられていった。夫もまた教会の門を出た時、いつもの表情に戻っていた。

私はまるで大空を気持ち良さそうに泳いでいる鯉のぼりのように、心が軽くなって再び意欲に満たされていた!
イエスさま、ありがとうございます。ごめんなさい。


真智子にももうすぐ会える。次女夫婦は今月末に帰国する。
今後は就職活動のために論文書きに集中するために、今年は一回しか帰国に時間を割けないそうだが、そのぶん今回は3週間ほど滞在できるので嬉しい!
マチ・クマとの時を楽しみに心待ちにしている。

posted by 優子 at 21:35| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする