2010年06月29日

『メメントドミニ』は神さまへのツイッター

私がブログを始めるなど思いもしなかったが、それどころかメールさえ次女が大学卒業後に単身東京へ行くことになったのをきっかけに始めたのであり、しかも始めたのはその半年後からだったと思う。

そもそもこの家を建てようとしていた1998年初め、大学2回生だった長女はすでにPCを使っていたにも関わらず、どの部屋にインターネットができるようにすればいいのか建築メーカーに聞かれて、1階と2階の居間の2カ所だけしかお願いしなかった。

今思えばどうして子供たちの部屋に回線を引いておかなかったのか不思議だが、それが我が家のパソコンへの意識度の低さを物語っている。

ところが、次女の大学入学と同時に一気に時代の波が入り込んできた。
今の1年は10年を凌駕するほどの時代ゆえに時代的なこともあったであろうが、意欲的な次女ゆえに一気に新時代に適応していったということは大きいだろう。

早々から留学生とチャットしていたし、どうして次女がPCを使っているのが相手にわかるのだろうと私は不思議でならなかった。画面を覗くと英語の一部がチャット用の短縮英語だったのも驚きだった。

私は次女を通してPCの機能を目の当たりにしているうちに、時代に乗り遅れていた側から急に知っている側の人間になり、知人に尋ねられてチャットについて何度か説明したこともあった。私はワードさえ打ったことのない頃のことである。

その一方で、今もネットの意味がわかっていないことを曝露するような笑い話もある。
「今のは容量が小さくなったのでもっと大きなのを買うの」と話す友に、「そうなの」と答えつつも、「ピアノが置いてあるあの部屋にもっと大きなコンピューターが入るのかなあ〜〜〜」と、つい数年前まで思っていたのだから我ながら笑ってしまう。(>_<)


とにかく次女のおかげで私を億劫がらせずにネットを我が人生に導入してもらい、今ではすっかりネットを楽しませてもらっている。
先週は3日間ほど久しぶりにユウチューブにはまっていた。2〜3時間はアッという間で、懐かしい1960年代70年代のポップスや、アメリカのテレビドラマなど次から次へと見ていた。
Sさんの死の現実に、ジブリ漫画の歌詞ではないが人間が死んでいく不思議に立ち止まってしまったからだ。

話を戻そう。
メールを使い始めた頃は、傍に居た長女にも何度も教えてもらい助けてもらったことも感謝している。

そして、今はツイッターが流行している。
「ツイート(Tweets)」は英語で「鳥のさえずり」を意味し、「つぶやき」と意訳されて「短文のひとりごと」と規定されている。

ブログについてこだわりを感じていた私は、「ブログ考」としてブログ文化を考えたことがあったが、今や多くの人々が不特定多数の人につぶやき、独り言を聞いてもらうという、これまた文化の違いを越えて共通する人間の意識構造が興味深い。

ツイッターが流行るのは、人々はツイッターをとおして心の思いを誰かに伝えたい、誰かに聞いてほしい、誰かが聞いてくれたら嬉しいという心の表れだろう。

今日は長々と駄文を連ねてしまったが、私にとって『メメントドミニ』はまさに神さまへのツイッターなのだ。心の思いを伝える神さまへのロングツイッターと言った方がいいかもしれない。

クリスチャンは、いつも私達の思いを聞いて下さる方を知っている。
私達は友にメールを打つように神さまに祈るのであり、この『メメントドミニ』は神さまに聞いて頂きたい私の心の思いである。


その思いを読んで下さる人がいて、共に人生を考え、できれば共に語り合いながら人生を深めていくことができれば最高に嬉しいし、命も死も歴史も一切を支配されている神さまへの道案内になれば最高の喜びである。

posted by 優子 at 23:58| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

慰めの子・バルナバ

梅雨のさなかともなれば非常に蒸し暑い。
先週の土曜日に続いて昨日ももゴルフだった夫は2週間続けて休みなしとなったが、午後に休んでもらえば大丈夫だろうと思って今週も礼拝の恵みに与った。

今朝の礼拝で読んだ聖書箇所の説教は、58歳にもなって今更ながら生き方の指針を得たというか、人生観を豊かにされて大いに喜んでいる。

聖書はパウロの第1回宣教旅行の箇所で、その一部を引用したい。

「パウロとその一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から身を引いて、エルサレムに帰ってしまった。 しかしふたり(パウロとバルナバ)は、ペルガからさらに進んで、ピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。

律法と預言書の朗読があったのち、会堂司たちが彼らのところに人をつかわして、「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の言葉がありましたら、どうぞお話し下さい」と言わせた。

そこでパウロが立ちあがり、手を振りながら言った。『イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞き下さい。・・・』」。
          
              (使徒行伝13章13節〜16節)

かつてイエスの迫害者だったサウロ(パウロ)が回心し、パウロをクリスチャンの仲間にとりなしたのがバルナバである。
当初は誰もパウロの回心を信用しなかったが、エルサレム教会から信頼されているバルナバの紹介だったから信用したのであった。このところもなるほどと深くうなづかされるところだ。

バルナバは指導者としても素晴らしかったが、それ以上に素晴らしかったのは、「慰めの子」を意味する名前のとおり、弱い人達や苦境にある人を放っておけない人だったことだ。

このあと第2回宣教旅行では、第1回の途中でエルサレムに帰ってしまったような者を同行させることはできないと、ヨハネの同行の是非をめぐってパウロとバルナバは激論し、ついに袂をわかってバルナバはキプロスへ赴いたのであった。(15章の最後)
では、以下に今朝の説教をお分ちしたい。

「バルナバがヨハネを放っておけないのは、ヨハネが途中で帰ってしまった尤(もっと)もな理由があったのではないかと考えられる。

パウロはバルナバの愛によってエルサレム教会の仲間に入れてもらえたのであり、それゆえにパウロの大きな働きができたのではないか。
その意味においてバルナバはパウロを生み出し、キリスト教を広めたと言える。

バルナバはパウロの苦境を助け、次に、途中で旅を放棄してしまったヨハネのために全力を尽くして助けた。
このようにバルナバの愛のとりなし(愛の行い)によって多くの人が助けられたのであろう。人からの評価を期待するのではなく、その場にあって愛の行いをした」。


私が非常に考えさせられたことは、バルナバやパウロともあろう偉大な使徒たちが激論したことだ。それだけではなく激論した結果、一致を見ずに互いに別れ別れになったことだ。

これは主体性のない信仰者には考えられないことであり、自らの信仰生活を反省するとともに、今まで自分の中で保留にしていた物事の考え方について明確な導きを得たように思う


今週も新しい週の初めに過ぐる一週間におかした罪を赦して頂いて、新しい力と意欲を頂いて始める幸いをこの上なき恵みと感謝している。

ミネソタへ戻ったマチとフーの上に、そして、友人知人の上に、また、これをお読み下さっている人々の上に、私達と同じ恵みがありますように祈りつつ
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posted by 優子 at 23:34| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年06月26日

「頑張れ、日本(^o^)/」

「大学で数人の友人とワールドカップの日本・デンマーク戦を観戦しました!」と昨日の朝のメールに続いて、今朝もまた、「いろんな人の生き方に刺激され、触発されて感動した」と、次女から生きる喜びを伝播された。

折りよくこの機会に是非更新しておきたいことがある。
過去ログ・2006年5月16日:「今朝の朝刊第一面を飾っているサッカーW杯 日本代表23人の一人、中田浩二選手のお父様は我が美濃紙業の総務部長なのだ!」で書き出した記事だ。

その後、気になりながらも更新せずにいたが、中田さんは翌年の12月末に引退されて、息子さんのスポーツ用品関係のお店を手伝っておられる。退職される時には浩二選手のサインやグッズを社員たちも頂戴した。

その年のワールドカップ杯では、娘さんの赤ちゃん誕生と重なるかもしれないとハラハラドキドキされていたが、かろうじてその直前に誕生されて、中田さんはおじいちゃんになってドイツへ観戦に行かれたのだった。

昨日のメールで次女は次のように結んでいた。
「日本は全敗して決勝トーナメントには行けないと予想されてたのに、諦めずに頑張って決勝に進めるとは! 励まされました!!
まちも、全敗しそうに思えても諦めずに最後まで頑張ろうって思ったよ!
頑張れ、日本(^o^)/  真智子」


多くの観衆もまた大いに励まされたことだろう。
何事であれ悩みながら一生懸命励んでいる者が励ましを覚えるのであり、スポットライトを浴びている彼らは幾多の苦労を乗り越えてきたことだろうか。だからこそ人を感動させるのだ。

頑張れ、日本(^o^)!
同時代に生きる人々よ、共に人生の一切を味わおうではないか!


*夫は昨日、太閤園において過日の産業功労賞受賞に対して、大阪印刷関連団体協議会より顕彰状と記念品を頂いた。
受賞に際して製紙メーカーやメーカー代理店、また、業界関連から多くのお祝いを頂戴した。ここに感謝をもって記しておきたい。

狭い我が家には置く場所もなく、とりあえず記念品の美しい置時計は真智子の机の上に置くことにした。新しいパソコンの前に座ることも多いので。(^−^)

ウィンドゥズ7のひと時.jpg

このパソコンのデスクトップ画面の右側には、時計、カレンダー、そして、当地の天気と気温まで出ているので最高に気に入っている。

フー(次女の伴侶・太志君のこと。「クマ」は真智がつけた愛称であり、このたびの滞在でユキ流の呼び名が身についてしまった)に教わった新パソコンの写真掲載方法をすっかり忘れていて、ノートを見ながら苦心してようやくアップできたのだった。ちっ(怒った顔)
めったに頭を使わない私にとっては良いボケ予防エクソサイズでもある。


posted by 優子 at 10:37| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2010年06月25日

「神は愛なり」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより E―

      神は愛なり (羽鳥 明牧師)

ある質朴な農夫のクリスチャンが、納屋の屋根の上に風見を作り、「神は愛なり」と大きく書きました。
それを見たある皮肉屋が「ほう、あなたの神様はこの風見のようにくるくると変わるってことですか」と言いました。
農夫は「いいえ、違います。風がどう動こうと『神は愛なり』ってことです」と言いました。

「神は愛なり」、これこそ聖書の中心テーマです。
神様は私たちが美しいから愛するのではありません。頭がよくて、何でもよくできるから愛するのではありません。はんぱ者でも、キズ者でも、間違いを犯していても、傷んでいても愛するのです。

ピーチャーという有力な神学者は言いました。
「私の神様は、そのご本質から私たちを愛してくださるのであって、条件付きといったものではない。神様に愛されるために美しくなければならない必要はどこにもない。

神様は愛さずにいられないから愛してくださるのだ。私たちは神様の恵みによって救われたのだ。神様の救いのみ業は、私たちの身分には関係ない。神様の本質に関係がある」。
 
そうです。神は愛なり。神様のご本質が愛だから。愛されるのです。ある人はこうも言いました。
「神が人間を愛することができるように、キリストが死んでくださったのではなく、神が人間を愛するがゆえにキリストは十字架の上で死んでくださったのである。キリストの死、贖いは目的なのではなく、結果なのである」。

神様はいろいろな方法でその愛を表してくださいます。
まず第一に、御子(みこ)イエス・キリストの十字架に、根本的な愛の御心(みこころ)を表してくださっています。
次に、いろいろな導きの中に愛の働きを、そして、与えてくださる栄光の中に愛の輝きを見ることができます。

神は愛なり。
風見鶏は風の中でぐるぐる回っていても、いつも「神は愛なり」です。
イエス・キリストは言われます。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」。(ヘブル人への手紙 13章5節)

聖書のことば:
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。なぜなら神は愛だからです」。(ヨハネの手紙第一 4章10節)


posted by 優子 at 17:56| 引用文 | 更新情報をチェックする

2010年06月24日

人逝きて 紫陽花の庭 のこりたる

アルフォンス・デーケン氏(上智大学教授)が「死の準備教育」(Death Education)を提唱されて5〜6年経った1990年代初頭、母が難病になったことから私は強い関心を持った。

その後まもなく知った「サナトロジー」(thanatology・死学or死生学)は1970年代に確立された学問分野で、次女夫婦が籍を置いているミネソタ大学から始まった。創始者はロバート・フルトン(Robert Fulton)である。

死を見つめ、生きるとは何か、死とは、そして、高度に発達した医療時代に人間らしく死ぬことについて私も真剣に考えた。

今も常に週に1〜2度は「ゲルハルト症候群」という検索で当ブログへのアクセスがあるが、この言葉を目にするたびに厳粛な気持ちになり、今その悲しみの中に居られる方々を想って立ち止まってしまう。

こういうことが日野原重明氏が言われるところの、他者の痛みや不安を汲み取る感性でもあるのだろう。このことを思うと、苦労することは実に大切なことだとわかる。ましてや、自身が深刻な病気を経験し、あるいは病気と共存している人の感性たるやいかばかりだろうか。

それは病苦だけではあるまい。
夫婦や家族の問題、経済的なこと、事業や学究における精神的苦悶も同様だ。血の滲み出るような苦しみを味わった者だけが、同じようなことで苦しむ人に寄り添うことができるのだろう。


実は一昨日、自治会の同じ班の独居の方が亡くなられて、命に限りがあることや人生について考えさせられている。

昨年に自治会のテレビ放送が廃止されたので、訃報は自治会長から班長宅へ、そして、同じ班の方々に連絡することになっているが、班長さんと連絡が取れないので私に知らせがあった。

ご遺族は班の人どころか班長さんにさえ伝えてくれる必要はないと言われたそうだが、そういうわけにもいかず連絡してこられたのだ。

留守宅になっていた門が久々に開き、既に近隣の幾人かは異変を察知しておられたようだ。3ヶ月少し前に救急車で運ばれたSさんは、ついに帰宅されることはなかった。

Sさんは誰も人を寄せつけぬ方で、いろいろと周囲の人々とのトラブルも耳にしていたが、私はとても悲しい。

少なくとも75歳は過ぎておられたであろうが、私は若い人の死のような衝撃を受けて少々落ち込んだ。それほど元気な方でもあったからだ。


夫は「あっという間やったな」と言った。
そして、少ししてから、「それでも3ヶ月はあったけれど・・・」と付け加えた。

「あっという間だった」とは不適切な言葉かも知れないが、まだまだ死は遠くにあると思える人だっただけに、夫は命のはかなさを言ったのだ。
過ぎてしまえば人生はつかの間のことだから、私自身もそう遠くはないなという思いも過(よ)ぎった。

2000年8月に父が亡くなってまもなく10年が過ぎる。
2001年の今頃はまだまだ死別の悲嘆にあり、こんな句を作ったことを昨日のことのように覚えている。

正確には読書会の向井良子さん―今もご健在ならば95歳くらいだと思うが、もう7〜8年も前に千葉県の娘さん宅に引越され、いつしか音信も途絶えた―の指導を得て詠んだものだ。
人逝きて 紫陽花の庭 のこりたる 

紫陽花や 残りし人も 逝かれけり

廃屋と なりゆく庭や 濃紫陽花

Sさんは親しい人ではなかったが、今もまたこの句に詠んだ寂しさでいっぱいだ。私にも必ずやってくる死を見据えて、いよいよ真剣により良い日々を生きたいと思う。

今日のような梅雨の合間の晴天を「五月晴れ」というらしい。
今朝の散歩でチャッピーが立ち止まるので上を見上げたら、豊かな緑の葉っぱになった柿の木には3センチほどの青い実がたくさんついていた。


posted by 優子 at 13:30| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年06月22日

JCP関西ブロック研究例会・後編 ―山本周五郎『ちくしょう谷』について思ったこと―

「兄上である綾部さんを殺し、朝田家に汚名を衣せた卑劣な男を、貴方はゆるしきることができきますか、人間が人間をゆるすとか、救うとかいうことには限度がありますよ」と、隼人に詰め寄る岡村七郎兵衛。

「(兄を殺した)西沢は罪を犯したが、犯した罪を糊塗(こと)しようとして、逆に自分の正体を曝露してしまった。今日の彼の失敗は、どんな刑罰にもまさる刑罰だ、と隼人は思った」。

悪は必ず明るみに出されるという摂理信仰に通じるものを感じる。

西沢は己の仕業を悔い、「ここへくるまでの私が、どんな気持ちで毎日すごしていたかということを知って頂けたら・・・」と願い出たが、隼人は、
「話して肩の荷をおろしたいということかもしれないが、その荷をおろすことはできない、それは西沢が一生背負うべきものだし、一生背負いとおす責任があることもわかっている筈だ」とはねのけた。

これが罪と罰の関係でもあろうが、私の最も考えさせられたところは最終場面だ。

「隼人は黙って坐っていた。自分が判断し、その判断にしたがってやったことを、仔細に思い返していたらしい。
かなり長い時が経っても、なにごとかなし終ったという、くつろぎの色も、やすらぎの色さえもあらわれなかった」。

とある。

これが周五郎の到達した最高峰だと思う。
私は人間・周五郎の胸中に共感しつつも、イエス・キリスト抜きの人間の限界だと思った。
つまり、キリストが私達の、否、清水三十六(さとむ、周五郎の本名)の罪を贖って死んで下さったということを受け容れられなかったことと関連するのではないか。


イエス・キリストは、
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう」。
と言われる。
            (マタイによる福音書11章28〜30節)

キリストは私達を招いておられる。
全ての重荷を主にお任せし魂に安らぎを与えられて、今できることに全力を尽くす。この生き方とは異にする隼人の心中だ。

自分や自分の愛する者に悪をなした人を信仰によってゆるし、あとは全て神に委ねる時、憎悪の苦悩に苛(さいな)まれようとも癒されていくだろう。
少なくとも「くつろぎの色も、やすらぎの色さえもあらわれなかった」というのは心が痛む。


posted by 優子 at 13:25| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年06月21日

JCP関西ブロック研究例会・中編 ―山本周五郎『ちくしょう谷』について―

研究例会で『ちくしょう谷』を配布して下さった。
これは2段組み65ページの中編小説で、人間はどこまで人間をゆるしうるかについて書かれた興味深いテーマである。

出席者からも、「我々は信仰によって人をゆるすが、この主人公の意志の強さに驚く一方で、意志だけだろうかと思ったりした」や、「相手をゆるして憎悪感を感じないとは素晴らしい」という感想が聞かれた。

実を言えば私は本を読まずに出席したので、昨夜から読み始めて先ほど午前中に読み終えた。
ということで、最後に私の感想を書きながら思索してみたいので、中編を加えて3回に分けることにした。

最初にその大まかなあらすじをご紹介したい。
江戸にいた朝田隼人は、兄が部下の西沢半四郎と決闘して即死したので国元に呼び返された。決闘後、西沢は3年間ちくしょう谷の木戸詰めになる。

ちくしょう谷とは罰を与えるための場所で、数十年前まで罪人を流していた所だ。その木戸番は、不行跡とか職務上の失策をして左遷される藩士だった。

隼人は自ら志願して「ちくしょう谷」の木戸番頭となる。
しかし、兄を謀殺したらしい西沢に復讐するのではなく、西沢に何度も命を狙われるが問い質(ただ)すこともなく、最後にはまっとうな人間に立ち直らせたという話である。

では、大田先生のご講義より記録しておきたい。


一見理不尽に見えるようなこともたくさんあるが、「人間のしたことは、善悪にかかわらずたいていいつかはあらわれるものだ。世の中のことはながい眼で見ろ、たいていのことは善悪の配分が正しくおこなわれるものだ」。だから今は動くなと、隼人が兄に諌(いさ)められたことがあるが、これが周五郎が聖書から教えられた摂理だと思う。

「両親のない乳呑み子を見るような、やわらかな温かみのある」まなざしで人を見る隼人。
即ち、心の深いところで悪いと感じながらどうしても悪さを止められない人を見る眼、みなしごを見るような眼で相手を見た隼人の人格の変化は、イエスの福音によって変わった弟子達の生き方を、周五郎自身の理解できる範囲内で精一杯書いたのであろう。
神に赦された者は人を赦していく。
隼人の目つき、態度の中に作者の意図が読み取れる。

周五郎は人間の意志への信頼だけではなく、人間をそのまま放置しておけば動物以下になるのだという根本認識があった。

人間のいとなみは徒労が多い。
しかし、そうとわかっていても良いものに変えていきたいという志を持つことが尊いことであり、そこから逃げないで改善していこうとする願いを起こさせること自体が素晴しいことだと受け止めた。

その現実を認めながら人間は立ち直ることができるんだ!
それは自分の中にある愚かさや罪に気づいた時に変わることができるんだと、周五郎は聖書から気づいた。


クリスチャンは神への応答としての善行であるのに対して、周五郎は罪滅ぼしとしての理解への苦しさがあり、身を粉にして善行をしていくことで赦されていることを確認したいという思いがあった。


1970年頃から差別の偏見を糾弾されていったが、『ちくしょう谷』はひっかかっていないのが不思議だ。

以上が、その要諦であったかと思うが、このたびの作品では「自分の罪を知った者は決して人をさばかない」と言われた大田先生の言葉が強く心に残った。

それは作品論としてではなく、私自身の現在の精神的状況とでも言おうか、人生の段階と言おうか、とにかくうなづきながら心の深いところで感受している。ようやく自分の罪を深く自覚し始めたのかもしれない。

文学作品を通して感性が養われ、否、今回のように明確に神の光に照らし出されたと感じることもあり、それは神の励ましであり大きな希望だ。

付記:
真智子とカットに行ったのが先週の今日だったとは信じがたく、もっとずっと前のことのように思える。
マチとクマの時差ぼけもおさまってきたであろうか。私はすっかり日常生活に戻った。

夫が真智子夫婦から「父の日」のグリーティングカードが届いていたと嬉しそうに話した。
私はすっかり忘れていて、昨日の牧師の話で気がついた。楽しかったマチ・クマショックの影響だろう。
posted by 優子 at 12:02| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年06月20日

JCP関西ブロック研究例会・前編 ―山本周五郎、まずは『樅の木は残った』より―

千里ニュータウンは、日本最初の大規模ニュータウンとして開発されてまもなく50年になる。私はてっきり団地群の中に教会があると想像していたが、千里ニュータウン教会は閑静な住宅街にあった。
その教会は、今年90歳になられる東 道男牧師が牧会しておられる美しく明るい教会だった。

私は10時50分に家を出たにも関わらず到着したのは定刻より2分過ぎていた。2時間半もかかってしまったのは、またしても時刻表を見間違えたからだ。

今回は時刻は正しかったものの普通電車だったことに気づかず、2駅目で急行に乗り換えなかったために各駅停車で鶴橋まで行くことになった。(>_<)

先月体調を崩されていた大田先生は、いつものように資料まで用意して下さっていたが、まだ本調子ではないようだ。ご健康が守られるように祈ろう。

さて、学びでは前回に続いて山本周五郎作品を取りあげ、今回は『ちくしょう谷』を読んだ。この作品は新潮文庫『ちいさこべ』に入っている。
以下はご著書『祈りとしての文芸』を参考に、大田先生(梅花女子大学教授・JCP理事)のご講義をノートしたものである。

周五郎の中期の代表作が『樅の木は残った』であり、1970年のNHK大河ドラマで好評を博した。私が大学1回生の時で、両親が毎週熱心に見ていたことを今も記憶している。

まず史実について、森鴎外以来の定説になっているのが、史実とはそのまま歴史を引き写したものであっては正しくない。それだと優位にあった者だけが残るのであって、否定しようとした中に真実の姿が浮かび上がってくるという考え方である。

周五郎は徹底的にヒロイズム(英雄主義)を回避している。
「人が歴史に参与しようとする時、最もこころ動かされる誘惑は、ヒロイズムとサディズム」だ。我々はサディズムを肯定してしまう気持ちがある。

周五郎はこれまで逆臣と思われていた原田甲斐(かい)のイメージをひっくり返して、実は伊達藩を守るために全ての咎(とが)が自分に及ぶようにして、最後に確約をとって乱心して殺されていくというドラマにしたと評論されている。

確かに「原田甲斐は、江戸幕府の大藩取りつぶし政策とその策動にのった伊達兵部の陰謀を防ぐために、捨石となった」のであり、政治的なものが策動する中で全く孤立する立場であった。

ある研究者は、周五郎は「樅の木」にこだわっており、そこに罪、咎を表わすというイメージがあり、十字架を背負った意味が込められているのではないかという説を出している。

この作品が日経に載った時、タイトルを『原田甲斐』にするように言われて従ったが、単行本になった時に『樅の木は残った』に戻したことに意味がある。

『樅の木は残った』のあとに書かれたのが『ちくしょう谷』(1959年4月)で、裁きの物語『五瓣の椿』は同年1月に書いている。それらの集大成が『赤ひげ診療譚』である。

周五郎が生きている時に講談社から出版された全集に『五瓣の椿』は載っていない。周五郎自身が載せないでくれと言ったからだ。
この作品は、裁き続ける人間が、最後に自分の命を断つ終わり方をしている物語である。新潮社から出ている全集には載っている。

周五郎は『樅の木は残った』を書く前後から聖書を読み返しており、『ちくしょう谷』を書いている時は丹念に読んでいたと考えられている。
  

周五郎はキリスト教の信仰をすべて持っていたというものではないが、小さい頃に通っていた教会の感化で、神が居られることと、神は決して見捨てないという摂理への信頼を持っていた。
しかし、罪の問題、キリストが私達を贖って死んで下さったという点はわからなかった。受け容れられなかった。

                 
                   (つづく)

JCP例会の記事を楽しみにして下さっている方が居られることを知り、大いに励まされて書いている。次の記事で『ちくしょう谷』を記録したい。

付記(ウィキペディアより):
舘において保護をしている宇乃を前にして、原田は庭にある樅の巨木の孤高を語った。
「私はこの木が好きだ。この木は何も語らない。だから私はこの木が好きだ」。
宇乃は甲斐が樅の木に己の生き様を重ね合わせているように思えた。
         
 
posted by 優子 at 15:55| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年06月18日

今朝は紫陽花の色で目が覚めた

雨になりそうだったので、今朝は夫を見送ったあとすぐにチャッピーの散歩に出た。紫陽花を見るために祇園荘(徒歩で7〜8分)まで足を伸ばすと、紫陽花の真っ青な色が目に飛び込んできて目が覚めた。
2010年のアジサイA.jpg今朝は両膝が痛かったので、そのコーナーを回っただけで20分ほどで帰ったが、家に入るとユキの声がしていた。

ユキにも見せてやりたく、雨が降らないうちにと朝食前に散歩に連れて行ってやるように知子に勧めて、写真も撮ってきてもらった。

2010年のアジサイ@.jpg

見事な紫陽花!
知子とユキが帰宅してまもなく8時半頃から雨が強く降りだした。

真智と太志君とはここを夜に一度歩いたことがあったが、その時はまだこんなに咲いていなかったし、暗いから色は全くわからなかった。
梅雨に咲く紫陽花・・・・
異国に行ってしまった2人に日本を伝えてあげたい。

私は夢心地からゆっくり日常生活に戻りつつある。

明日はクリスチャンペンクラブの研究例会があり、初めて東牧師の千里ニュータウン教会を訪ねることになっている。梅田を経由するので、マチ・クマと一緒に歩いたことを思い出して淋しくなるだろうな。嫌だな・・

それでもやっぱり帰りには大丸へ寄って、喜八洲(きやす)のみたらし団子を買ってくるのだろう。(笑)
雨が激しく降っている。雨

22時34分追記:
5分ほど前、「ミネソタで竜巻が起きた!」と夫が呼んだので大急ぎでテレビの前に急いだ。2人死亡とのこと。検索しても出てこない。無事であることを祈るのみ!

19日6時20分追記:
真智子たちは無事だった。
あのあと知子がヤフーのUSA版を検索してくれたところ、20分前に記事が上がっていたとのこと。死亡されたのは3名で、大規模な竜巻だったと聞いて心配したが、今朝、真智子から無事の知らせが届いていた。

竜巻は全く知らなかったとのこと。
16時間寝続けて起きたのは午後4時だったという。
感謝。


posted by 優子 at 18:42| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年06月17日

感謝、マチ・クマ無事到着!

真智子と太志君は無事にミネソタの家に着いた。
別れの日が近くなると、真智はいつものように今回も「淋しい」、「淋しい」と言っていた。

昨日、スーツケースも玄関先に出し終わった午後2時頃、タクシーが来るまでもう一度母屋を訪ねた。
義母(真智子の祖母)は真智子のことを「高校生に見える」と何度も言って笑い、「次は一年後だからもう会えないかもしれない」と涙ぐんだ。
そして、「真智ちゃんの赤ちゃんを見たい」と言って目を赤くし、それを楽しみに生きると言った。私は胸が熱くなって義母を抱きしめ、真智子も抱きしめていた。


昨日の昼食では私が食前のお祈りをしようと思っていたのに涙で言葉にならなくて、真智子が力強く祈ってくれた。私は祈りの最後の「アーメン」というのも涙声になっていた。

それなのに見送りから帰ってきた時は涙さえなく、先ほどまでここに真智子と太志君が居たことが信じられなかった
その夜、2人の寝室を覗くと、確かにここに真智子と太志君が居たことがよみがえって涙ぐんだ。
しかし、一日経った今もまだ夢を見ていたような感覚から脱することができないでいる。確かに2人はここに居たのだ。


「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」
と辞世に詠んだ秀吉の気持ちを思った。
キリストとの出会いにより人生の意味においては、はかなさとは正反対の極みで生かされているのであるが、55歳を過ぎると人生はつかの間であることを実感し、「難波のことも夢のまた夢」には深く共鳴できる。

今朝早くPCを開くと、真智子が乗り継ぎ地のシアトル空港から無料のインターネットを利用して一報してくれていた。すごい時代だ。

「2階のテレビの部屋でメールするなんて、すごいね!無線LANを最大に活用できてるね!くまも喜んでいます。

家でとても寂しかった。日記を見直しても、本当に色々楽しかった滞在でした。本当にありがとう。くまも、心から楽しめて、本当に感謝していますと言ってました。

ママからのメッセージ読みました。胸が熱くなりました。本当にありがとう。
ゆきちゃんはあの後ちゃんと帰ってお昼寝したかな?」


そして、無事にミネソタの自宅に辿り着いたマチとクマ夫婦。

「シアトル-ミネソタ間は2人ともほとんど寝てました。
シアトルでおにぎりを食べたけど、本当に美味しかった。
ホッと癒されました。くまと2人で味わいながら食べました。
ありがとう!!
今からシャワーを浴びて、寝ようと思います。
無事に辿り着いたことを感謝しつつ。 真智子」


神さま、次女夫婦が飛行機事故にもテロにもあわずに無事に着いたことを感謝します。
ふたりはこれからも、常に神さまに悩みを打ち明けながら進んでいくことでしょう。どうか力強く導いてやって下さい!


今日は昨日以上に蒸し暑くなり、ふたりはいい時に日本を脱出したと思った。
今日から新しいパソコンは真智子の机の上に置いた。
パソコンを見るたびに真智子と太志君の笑顔を思い出す。

posted by 優子 at 23:55| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年06月16日

ミネソタ大学大学院経済学部代表に! 今夕再びアメリカへ!

「3月10日に論文の口頭試験を受けて合格したので、PhD取得に必要な試験は、最終試験を残すのみになりました。
あとは、精一杯努力して、良い研究をしていくのみです。」

このメールが真智子から届いたのは3月24日だった。

そして、クマも帰国直前の5月20日に口頭試験を受けて合格したという吉報が届いた。そのメールには続けて次のように書いてあった。

「あと、今日は良いことがありました。
まちはHeller Fellowshipという経済学部の
フェローシップに応募していたのだけど、
なんと合格しました!
帰ったらまた話すね」


私はそのことを聞くのをすっかり忘れていたが、真智子もまたすっかり話し忘れていた。
それを出発前の昨夜になって聞いたものだから、我が娘がアメリカの大学院でも頭角を現していたことにビックリしたのだった。

ミネソタ大学の経済学部は、多数あるアメリカの大学ランキングのトップテンに入る優秀な大学である。
そして" Heller Fellowship "(ヘラー・フェローシップ)とは、ミネソタ大学の経済学部が出している奨学金で、毎年博士論文に取り組んでいる卒業間近の学生を対象に一人だけに与えられるものだという。


研究生活するにも働いて生活費を稼がなくてはいけないわけだが、優秀な学生は副業せずに研究に打ち込むようにと与えられる賞で、日本円にして200万円授与される。

それを聞いて私も夫も目を丸くして驚き、こんなビッグニュースを今まで話題にしなかったことにも驚いた。
従って、来年度2010年9月からは働かなくてもよく、経済学部に評価された研究計画を論文に仕上げることに集中できる。

このことは大学の学部代表にノミネートされたということでもあるので、ジョブマーケット(就職活動)に出る時は良いシグナルになるだろう。

秋以降(?)は世界に向けての就活になり、エントリーした大学から面接の声がかかれば、アメリカ全土のみならずヨーロッパなど他国にも飛ぶことになるそうだ。

しかもその渡航費用は各大学が支払ってくれるというのだから、優秀な頭脳獲得のためには日本と違って多大なる投資がなされていることにも驚かされた。


マチと久々に人生を語り合い、信仰者としてもいかに生きたいかも語り合った。
何事も主に在って誠実にベストを尽くす、ただこのことだけが尊いことだなどと話していると、人生の終盤に入った私でさえ大いに人生の冒険にチャレンジしたいと思った。

主(キリスト)の大きな力強い希望を持って努力し続ける2人の上に、神の豊かな祝福があるように!
またね!@.jpg

これまでの数え切れない恵みを神に感謝し、これからも神の愛と力を頂いて翼を羽ばたかせてほしい。その姿が私の大きな励ましになる。

また会う日まで神の御手の中で、神のお守りとお導きが豊かにありますように祈っている。

またね!A.jpg

真智子の腕には神戸大学を首席で卒業した時の金時計が光っている。東大大学院時代に使い、このたび電池を入れ替えて4年ぶりに腕にはめた。

この写真を撮ったあと知子と真智子は抱き合って泣いた。
姉を想う妹の愛と、妹を想う姉の愛。麗しい姿を神に感謝し私も泣いた。

ユキは眠くてぐずっている。

「太志君、真智子、楽しい日々をありがとう!
おふたりの上に神さまのお守りと祝福が豊かにありますように、いつもお祈りしています。
真智、太志君、またね!!!」


ふたりは14時48分の電車に乗って関空へ向かった。
梅雨に入り蒸し暑くなってきた日本に別れを告げ、飛行機は夕方6時に離陸する。


posted by 優子 at 17:05| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年06月15日

出発前夜の光景

昨日は曇天ながらも雨は降らず、夜はユキも一緒に全員でチャッピーの散歩に出かけた。ユキは昼寝が足りなかったにも関わらず、50分ほどの道のりを大人のペースで歩いた。

ここ数日は毎晩遅くまでマチ・クマと話しているので、私は3〜4時間の睡眠時間になっている。ゆっくり新しいPCに向かう時間もなく、いよいよ今日しかないので午後はいろいろ教えてもらった。

まずは「ペイント」の復習だが、やはり一人でできなかった。これまで使っていた「デジカメール」がなくなったので、写真を小さく(軽く)する「ペイント」習得はブログに写真を掲載するための必須技だ。

これがペイント法で掲載した第一号(13日夜撮影)。
リビングにてA.jpg

とにかく特に機械のことは新しいことを覚えるのが億劫で、4年前にPCを買った時に購入したUSBメモリーも未だに使ったことがなかった。しかし、これほど簡単なものはない。フロッピーと全く同じだった。

USBの使い方、フロッピーのデータをUSBに移動する方法、デスクトップの背景画像変更時の表示方法、そして、ドックファイル(.doc)とドックエックス (.docx)、拡張子についてなど、初めて耳にすることも真智子はわかりやすく教えてくれた。

太志君は新しいPCにもスカイプできるようにセットアップし、写真(ピクチャー)と音楽(メディアプレイヤー)をデスクトップに置いてくれ、今後もライフワークが楽しめるようにPC環境を整えてくれた。
何という優しい思いやりよ、嬉しさよ!

その後、税関チェックのために持ち帰る(アメリカへ持って行く)食料品の品目明細を書き終えて、旅立ちの準備もほぼ終わったようだ。

今回最後の夕食となった今夜、寡黙な夫(良輔)も自ら経済の話題で口火を切り歓談の花が咲いた。

その話の中で、真智子が5月末に受賞した" Heller Fellowship "は夫と目を見張る驚きだった。このことは明日の記事に書きたい。

昨夜は午前2時前までマチ・クマと知子と4人で人生を分かち合い、それぞれ4人が涙の祈りを捧げて感謝と導きを祈り合って就寝したのだった。

「どっぷり日本に慣れてしまったから、また英語で生きるのはしんどいなぁ」と笑っていたマチは、明日、ベターハーフのクマと共に再び母国を離れる。


posted by 優子 at 22:57| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年06月13日

真智子たちには4年ぶりの梅雨?

昨日までの真夏日から打って変わって肌寒い雨の今日、近畿地方は昨年より10日遅れの梅雨入りとなった。
マチ・クマにとっては日本を離れて以来4年ぶりの梅雨かと思ったが、太志君にとっては4年ぶりであっても、真智子は2年前にも日本にいたことを思い出した。

2008年の今頃は、私が膀胱癌の疑いで腰椎麻酔をかけての検査入院した時であり、既に10年も前のことのように感じるのはどうしてだろうか。きっと昨年の苦難が記憶を遠のかせたのだろうと思う。

さて、昨日は神戸大学時代の友人たちと再会するために、マチ・クマは私達夫婦と入れ替わりで家を出た。
そして夜11時半、長女が駅まで迎えに行ってくれたが2人は最終電車にも乗っておらず、5〜6分ほど辺りを見ながら待っていたが居ないので、0時10分頃に長女一人で帰って来た。

二人は最終電車に乗り遅れて途中の駅までしか帰れず、そこからタクシーに乗って帰って来るのだろうと思っていたら、まもなくほうほうの体(てい)で帰って来た。0時20分頃だったと思う。
実は太志君がアルコールを飲みすぎてトイレに駆け込んでいたそうだ。

チャッピーは玄関に座り込んでいるクマを心配して、何度も右手(正確には右前足)で慰めていた。
私と知子がベッドに入ったのは午前1時半を過ぎていた。その後まもなくお風呂にも入って休んだらしく、今朝は元気な顔になっていたので安心したのだった。

そして、今夜は予定していた最終のプログラム、回転寿司を目指して行ったが、家を出るのが遅かったためにたいそう待たされて、しかもお目当てのハマチは終了となってしまい残念だった。もうやだ〜(悲しい顔)

いよいよ日本を離れる日が近づいて来た。今度帰国できるのは1年後だ。
買い忘れはないか、食べさせてやりたいものはないかと考えながら、昨日から心の準備に入った。
用意している食材を書き出したり、長女もいろいろ心を配ってくれている。

スーツケースの傍には、アメリカへ持っていくために数枚のブラウスが置いてあった。私には懐かしい見慣れたもので、次女のためにしてやれる僅かなことを噛み締めながらアイロンをかけ、心をこめてたたんだ。
「私の代わりに真智を暖かく包んでやってね、頼むよ。」とブラウスに語りかけながら。


明日は次女と一緒にヘアーカットに行くのを楽しみにしている。
その次に美容室に行く時、真智子のことを思い出して寂しくなるに違いないが、それでもいい。異国に行ってしまう真智子と少しでも一緒にいたい。今度は1年間も会えないのだから。

梅雨に入り出発日まで天気が悪いので、チャッピーを洗ってやる日がなくなってしまったのを残念がっている二人である。

posted by 優子 at 23:59| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

新しいパソコン起動!

夜があけてもPCは繋がっていた!(笑)
午後に新しいPCが届き、早速太志君がいとも簡単に初期設定をしてくれた。クマの滞在中に少しでも慣れておきたいので、この記事は新しいPCを真智子の部屋に持って来て書いている。

新しいPCのキーボードの右側には電卓式に並べられた数字もあるので、いつもの調子でバックスペースを押すと場所が違い使い勝手が悪い。打つスピードもいつもより2〜3倍近くの時間がかかる。

ところで7日に設置したアクセスカウンターをいろいろ試みているのだが、どれも正常にカウントされないので暇を見てはいろいろ試している。

例えば今日のアクセス数は午後2時で130名のカウントがある。2重カウントが防止されているからか実際の数は206名で、ページビューのアクセス数は390になっている。

ところが、画面上右上に貼ったカウンターは83で、毎日60〜70もカウント数が低く出るので困る。いずれ取り外すことになるかもしれない。

さて知子は今日、真智子の誕生日とマチ・クマの結婚記念日のお祝いに、ささやかな、しかし、心のこもった花を贈った。真智子は結婚祝いで頂いたプリザーブドフラワーさえもアメリカへ持って行けなかったので切花にしたそうだ。

そして、今朝一番に作ったロールケーキでお祝いした。そのあと、知子と真智子は手をつないだままずっと話し合っていた。
ようやく、知子の悲しみが少しだけ言葉になった。
真智子と私は涙し、妹の流す涙に知子は慰められていた。身近に理解者が居るというのは何と言う大きな慰めであろうか。


妹夫婦に贈る知子の愛.jpg

知子が真智子夫婦に贈った花
マチ・クマもまた心を込めて写真に記録した

今日は真夏のような暑い日だった。
山々はすっかり濃い緑になった。
私たち夫婦は明朝7時から義母と共に夫の姪の結婚式に出かけねばならない。私はイエスさまと一緒だ。

0時32分追記:
知子は先ほどから真智子に新しいPCのことをいろいろ教わっていて、傍で太志君もPCを使いながら談笑している。
私にとってはこれ以上のプライスレスな時間はない。言葉にならないくらい心地よい。明日の外出がなければアクセスカウンターを検索しながら、いつまでも3人の談笑を聞いていたいところだ。

ユーチューブの話をしていた時、「アメリカ人の漫画オタクもいて、君は日本人なのに『テニスの王子様』を知らないのかと言ってくるから・・・」と、真智子の話はとても面白くて私も爆笑してしまった。
知子も笑っている!
いつまでも起きていては明日が大変だから、残念だけれど私はそろそろ退場しよう。
わーい(嬉しい顔)


posted by 優子 at 23:54| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年06月10日

次女夫婦結婚4周年の今日、クマが家庭内無線ランに!

次女夫婦の滞在中に考えていたことの一つに、新しいパソコンを購入したいというのがあった。クマがパソコンにとても明るいからだ。私はどのようなPCを買えばいいのかさえわからないし、自分で初期設定できないからだ。

マチ・クマが結婚する3ヶ月前のこと、今使っているこのPCもクマに相談して買ったものであり、使い始めて5年目に入っている。
私の使用度は低く、メール、検索、ブログを書くだけだから、マチ・クマのようにPCを酷使しているわけではないのでもう少し使えるかもしれないが、PCが壊れた時に困るので寿命が来る前にもう一台用意しておきたいのだ。

PCの世界は次々と機種が更新されているらしく、まもなく新製品に切り替わる直前だった。私は古い機種で十分だし、その製品でさえ、既に次女が使っている「ヴィスタ」の次の「ウインドゥズ7」になっており、私は「セブン」の名前さえ知らなかった。

ところがと言おうか、だからと言えばいいのか、2箇所の店とも全て現品限りになっており、ただ1台だけ新品の在庫があったので明日届けてもらうことになった。

クマは2階でも無線ランでPCを使えるようにと、彼らの必要なくなったルータを持って帰って来てくれた。

そして、我が家を家庭内無線ランにしてくれたのだ!
「無線ラン(LAN)」とは無線通信システムのことで、我が家のIT化が格段に進んだわけである。


我が家はちょうど2年前にADSLから光回線に変更し、一つの回線だけでやっているが、クマは真智子と太志君(クマ)のPCも同時に開けるようにしてくれた。
成功を確かめるために2階と1階で3台同時にチャットしたところ大成功!PCの動作も非常に速い。
「これはクマがやった”3大すごい ”に入るよね!」とマチも大感激。

クマは学部時代(大学生時代)に第2種情報処理技術者とソフトウェア開発技術者(共に2000年頃の名称)の資格を取得したSEでもある。

この家庭内ランは理論的には253台つなげることができるそうだが、実際の上限は50台まで可能だという。
真智子のマウスに線がないことに気がついていたが、私は今初めてワイアレスを実感しワイアレス社会を垣間見た感じがする。


太志君、ありがとう!
真智もありがとう!
そして、結婚4周年おめでとう!


明日は知子が、真智子の誕生日と二人の結婚のお祝いにロールケーキを焼いてくれることになっている。これも長女がずっと前から計画していたことだ。

昨日・今日と夫が1泊2日の東京出張だったので、私は次女夫婦と長女と孫の6人で神戸の叔母を訪ねた。帰国のたびに真智子は必ず時間をとって大叔母を訪ねてくれる。
14年前に母は70歳で亡くなったが叔母も82歳の高齢者になった。


昨年10月に叔母と会った時、「これでもう二度と真智子ちゃんと会えないと思っていたけれど、また会えてよかった」と、何度も喜んでくれた。叔母は厳しく過酷な状況だったから気が弱くなっていたのだろう。それは今も変わりはないが・・・

4時間余りの時間はアッと言う間に過ぎ、別れる時は叔母の目に涙が潤んでいた。私は叔母とも永遠に一緒にいたいからイエス・キリストの福音を伝えたいと祈り続けている。これからはもっともっと真剣にと思う。

今朝届いた叔母のメール:
「 おはようございます、昨日は楽しい一日を過ごさせて貰って有り難う、楽しい時間て、アット言う間に過ぎてしまいます、・・・(略)・・・

今苦心惨澹してユキちゃん一人の写真待受に入れました。真智ちゃんに貰った、チャイ飲みながら、やってます、真智ちゃん夫婦が一週間で帰って終うのは寂しいケド、太志さんが、学校に勤めたらお休みはたくさん有るて言って居たのでそれを信じて、待って居ます、」


私も神さまがその日を与えて下さることを信じて励もう。

次女夫婦はPh.D.の学位(博士号)を取得できる見込みとなり、これからはジョブマーケット(就職活動)に全力を傾倒していくことになる。アメリカの大学で教授職を目指している。

" Ph.D. "とは、" Doctor of Philosophy "の略語で、真理発見に資する学術研究を行う者に与えられる称号である。


posted by 優子 at 23:59| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年06月08日

希望の旅は続く

賢島着!.jpg

賢島駅に到着!
ついに乗った伊勢志摩ライナー! ユキ感激!!!

伊勢志摩ライナーA.jpg

エスペランサ号D.jpg

マリンランドC.jpg
ドクターフィッシュの水槽

ユキと同じくらいの幼児は母親に叱られるくらい何度も手を入れて楽しんでいるのに、ユキは怖くてできなかった。
と言う私もどうしてもできなかった。
こんなことができないとは自分でも思わなかった。指だけでもと勧められて水面まで指を持っていったがダメだった。
よく考えてみると怖かったのではなく、気持ち悪かったのだと思う。ユキと私は似た者同士かな?体験した人の手はスベスベになっていた。

マリンランド@.jpg

海女さんが餌を与えに水槽に入ると、魚たちが集まってきて海女さんは見えなくなった。まさに、水槽に手を入れると群がってきた小魚の大型版だった。

「エスペランサの旅」から帰宅したのは(6日)夕方の4時前。
このたびは、マチ・クマがチャッピーにアメリカのお土産を持ち帰ってくれていた。餌を入れてタイマーをかけておけば、6時間毎に、あるいは、12時間毎に自動的に餌が出てくるという代物だ。

それはこれ、”AUTOMATICK PET DISH ” だ!
pet dish 2.jpg

この方法に慣れさせる必要もなく、新しいプラスティックの臭いがしていても餌があれば何のその。チャッピーはおいしそうに食べてくれた。

pet dish 1.jpg

ただし、今回も全く排泄しないで待っていた。30時間も止めていては体に障るのでマチ・クマが大急ぎで連れて出てくれた。室内チャッピー(ユキ)も一緒に。

楽しかったエスペランサの旅。
真智子と太志君が日本を離れれば、一つ一つが懐かしく思い出されることだろう。淋しくなったらブログを開いて共に過ごした時を思い出して、それぞれの希望の旅を続けよう。
楽しい時を与えて下さった神に感謝しつつ。


posted by 優子 at 16:48| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年06月07日

エスペランサの旅

「エスペランサ」とはスペイン語で「希望」という意味だと知り、今回の旅を「エスペランサの旅」と名づけた。
今の私達にふさわしい「希望の旅」、いや、全ての人にふさわしいものだ。なぜならば、どの人の人生も全てが希望の旅なのだから!


では昨日の記事に続いて、真智子のページにマチ・クマのツーショットをまとめてみよう。
これは行きの伊勢志摩ライナーの車内。
伊勢志摩ライナー@.jpg

次は昨年の関西北越会の旅行で乗ったエスペランサ号。ゴルフ組みだった夫も今回が初めての乗船だ。
一周約50分間のあご湾遊覧は、途中で真珠モデル工場を見学する賢島(かしこじま)エスパーニャクルーズで、予想通り家族全員が満足度10の好評を示した。

エスペランサ号@.jpg
天気は明朗、気分は爽快!

エスペランサ号B.jpg

↑ここで下船して真珠の核入れ作業を見ることができる。
過去ログ2009年10月31日、「関西北越会で伊勢志摩へ A ―貝の涙が真珠をつくる―」の記事に書いた場所だ。

核入れに使うドブ貝はミシシッピ川に生息しているものだと聞いて、ミシシッピ川上流に住んでいるマチ・クマにヒットした。

今回もアコヤ貝は私の目に痛々しく映り、知子と真智子も異物を入れられた貝を感慨深く凝視していた。
真智子へ:「ここでマチに話した内容が上記の過去ログに書いているので、是非読んでね。」
↓志摩マリンランドで
マリンランドA.jpg

船や水族館に馴染むまで時間のかかったユキも、
ようやくリラックスしているようだ。

↓貝を食べた海に浮かぶ店。
大アサリにバタ貝だったっけ、美味しかったね。
海上で貝を!.jpg


エスペランサ号C.jpg
旅館の窓から撮った朝の風景。
エスペランサ号の乗り場が船の寝床になっていて、
その手前に浮いているのが貝を食べた店だ。

英虞(あご)湾には60もの島があり、賢島と間崎島のほかは今も無人島である。賢島は昭和4年に「海の軽井沢」として開発された無人島だ。

先ほど、傍で昼寝しているユキが寝ぼけて、「マチ、遊ぼうよ!マチ、遊ぼうよ!」と泣いた。
二人がアメリカへ帰ればユキも寂しくなるだろう。私の中では、「行く」というよりも「帰る」というほうが自然な感じになってしまった。

そして、旅行明けの今日、マチ・クマは真智子の大学時代の友人Mちゃんと平城宮跡を散策し、そのあとお宅に招かれている。真智子たちの予定に合わせて休暇をとって下さったのだ。
帰りは10時頃になるだろう。
" Have a good time ! "


posted by 優子 at 15:55| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年06月06日

真智子30歳の誕生日は志摩マリンランドに!

昨日から賢島へ一泊旅行に出かけ、今日は旅先で真智子の30歳の誕生日を迎えた。
2003年に私達夫婦のもとから離れて以来、誕生日を共に過ごせるのは2度目だと思う。下の娘も20代から30歳になり、哀歓こもごも感慨深いものがある。

マリンランドB.jpg
28歳で真智子を出産し、
その30年後の誕生日は志摩マリンランド(水族館)に居た!

疲れているので、まずはこれまで。

*このあと、ブログの訪問者数(二重カウントの重複防止)カウンターをつける。
posted by 優子 at 22:58| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年06月04日

「暖衝帯」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより D―

    「緩衝帯(バッファー)」  (村上宣道牧師)

「この頃、どうもストレスがたまって……」というような言い方をよくします。
「ストレス」という言葉を使ったのは、カナダの病理学者ハンス・セリエ博士だとされています。博士は晩年になって、ストレスについて次のように追加しました。

「ストレスにはよくないストレスのほかに、よいストレスのユーストレスがある。人間にはストレスのない環境などはあり得ない。何らかの刺激があって、それが人の体や心に対してよい方向に作用する場合があり、それをユーストレスという」。

確かに適度なストレスはエネルギーともなり、進展へのバネにもなると言えましょう。ほとんどストレスのない状態のいわゆる箱入り娘、または温室育ちでは、いざというときに対応しきれないひ弱さを露呈することになります。

適度なストレスは誰にも必要なのですが、現代は複雑なストレスがあまりにも強くありすぎるようです。複雑な人間関係、仕事上のプレッシャー、経済的な圧迫などのほか、いろいろな問題が強度のストレスとなり、心身を疲弊させていきます。

そこで、人はそのストレスを和らげる緩衝帯(バッファー)を持っている必要があると提唱するのは、『人生百年私の工夫』を書いた日野原重明先生です。

それが家庭であったり、友人であったり、とりわけ宗教は誰にも必要なはずだと語っておられます。このバッファーと言われる緩衝帯、すなわちストレスを緩める所、憩いの場がなければ、人間は心も体もボロボロになってしまうと言うのです。

聖書に出てくるイスラエルの偉大な王として知られるダビデは、国を治めるという大きな責任のほかに、外から内から取り囲まれる敵との戦いというストレスのさなかで、
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりにともなわれます」(詩篇23篇1・2節)と歌いました。

ダビデにとって、生ける真の神こそは、心を憩わせる緑の牧場であり、水のほとりであったのです。
あなたにとっての憩いの場、また緩衝帯はどこでしょうか。

主イエスは、多くのストレスで疲れ切っている現代人にも、いやあなたにも、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と招きのことばをかけておいでなのです。

私達も今、次女夫婦との交わりを通して互いにストレスを解きほぐされています。常にイエス・キリストを中心にして物事を考え、振り返り、未来を語り合えるのは何と幸いなことかと思います。気持ちが引き上げられます。

posted by 優子 at 23:50| 引用文 | 更新情報をチェックする

2010年06月02日

神の御霊に導かれる者

ミネアポリスFEDの前で.jpg

週に20時間働いているミネアポリスFED前で

感謝録:クマこと次女の伴侶・太志君が、ブログ画面トップ右上に「アクセスカウンター」をつけてくれた。ありがとう!
★3日夜追記
正しくカウントされていないので取り外す。
★2011年2月22日19:24追記
その後6月7日に訪問者数カウンターを設置したが、只今をもって外した。その間に55400名の方が訪ねて下さっている。

今は「ミネソタ便り」の主人公は日本に滞在しているので、しばらくは「関西発ミネソタ便り」である。私達は家族揃った至福の時を過ごしている。

しかし、マチ・クマとて3週間も完全休止というわけにもいかず、月曜日から午前中のリビングは研究室に変わり、私も一緒に3人で3時間ほど集中している。
彼らのパソコン画面は数式ばかりなので「数学をやっているんやね」と言うと、次女は「経済学をやっているよ」と微笑んだ。

ユキは「マチ、マチ」と真智子の引っ付き虫のように離れない。
「マチ、一緒に遊ぼ! フー、これなあに?」と、一日中、「マチ!」「フー!」と、かわいい声が聞こえている。ユキも本当に嬉しくてはしゃいでいる。

マチ・クマは孫にとっては叔母や叔父であるから呼び方にも悩んだが、真智子は「マチ」でいいよと言ってくれるので、アメリカ式に親しい者同士はファーストネームで呼べばいいと思う。

人には「パパ、ママ」ではなく「父、母」と言うことを娘達に教えたように、孫にも言葉遣いを教えてやればいいことだ。7〜8歳にもなれば時に応じて、「マチとフー」を「叔父、叔母」と変換して言えるようになるだろう(^^)。

私はもっともっとしゃべりたいことがいっぱいあるのに何か落ち着かなくて、今もじっくりおしゃべりできないでいる。これではあっという間に出発の日になってしまうだろう。ああ、時間よ止まっておくれ!

そんな中にあって、昨日は太志君から素晴しい話を聞いた。昨年のいつだったか太志君が見た夢だ。
「神さまだと感じるような人物が出てきて、そこにその人とマチと僕が居て、その人が綺麗な言葉でしゃべってくれた。
『私の愛する子たち、私は二人のことを喜んでいる。二人それぞれにそれぞれの役割があって、それがいい』と言われて、目が覚めた時はすがすがしく優しい気持ちだった。
この夢を見ることができてよかったと思った。神さまは僕と真智を愛してくれていると感じることができてすごく嬉しかった」。


私は深い感銘を受け、瞬間的に先の記事、「神の御霊に導かれている者は、・・・御霊(みたま)みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。」という聖書の言葉を思った。

真智子は昨年の9月から書き始めた研究ノートを見せてくれた。
そこには研究のことだけではなく、イエスさまに研究生活の葛藤や不安、そして、感謝と喜びが綴られていた。
その話の中で、次女はミネソタでもよく伴侶に「ママは情熱をわかり合える」と話していると聞いて、本当に嬉しかった。

ミネソタ大キャンパス.jpg
ミネソタ大学のキャンパス
このあたりにはリスが一年中いるらしい

東京では予定通り多くの知己との再会を果たした。友の祝福を祈り、先生方には食事をご馳走になって深く恐縮し感謝していた。

日大のK先生が食前に黙祷される姿を見てクリスチャンだったことがわかり、自分達もクリスチャンであることを告げた。

これこそが待ち伏せの恩寵だ!
神はいろんなところで先回りしてまでも、真智子と太志君に励ましと導きを与えて下さっているのだ。
だからどんな時も主を見上げて雄々しくあれ!



posted by 優子 at 16:36| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする