2010年07月31日

迫ってきたJCP夏期研修会

いよいよJCPの夏期研修会が来週に迫ってきた。
今年は3年ぶりの全国大会であり、関西ブロックが世話係となって関西での開催である。会場は2年前に関西・中部ブロック合同研修会で利用した京都にある(財)日本クリスチャンアカデミー・関西セミナーハウスだ。

7月1日の大溝教会での集まりからちょうど1カ月。
すでに『あかし新書』はでき上がり印刷屋さんから発送されている。あの時は僅かながらまだ原稿さえ揃っていない状況だっただけに驚く。

私も僅かながらお役を務めながら主催者側の行程を垣間見て、1泊2日のセミナー準備のご苦労を知った。

かつて所属していた読書会では、講演会を開催したり他の読書会の方々をお迎えしての合同読書会を開くなど、何度もお世話してきたが宿泊となるとかなり大変だ。

急にキャンセルの人が出るのはよくあることだが、一部参加の人も居られるので参加費も異なるし、各食事の人数のチェックなど、私のような冴えない頭ではかなり難しい。プログラムへの心配りも勉強になった。

さて、プログラムの中で私も出番を頂戴している。
開会礼拝に続いて児童文学作家・今関信子さん(JCP会員)が、昨年、童心社から出版された『命をつなぐ250キロメートル』について講演される。
3名のコメンテーターを登場させて、言葉が響き合うような講演を考えておられるようだ。


その1人にとご依頼下さったのは3月頃だったと思うが、N兄が4月の例会で本を持ってきて下さり、以来ずっとお借りしている。早く読むと忘れてしまうので7月に入ってから読んだ。

この作品は、1988年に滋賀県を中心に大きな盛り上がりを見せた福祉イベントをモチーフにして書かれたものだ。

私は関西に住んでいながら、本を読むまで「抱きしめてBIWAKO」というイベントを全く知らなくて少々恥ずかしく思った。

多くの人々が障がい児施設移転のために立ち上がり、このイベントを成功させるために協力する中で、時には対立したりしながらも、人の輪を大きく広げていくプロセスに引き込まれて読んだ。

あの時、25万人が1分間手をつないで琵琶湖の周囲を取り囲んだのだ!

主人公・咲の成長していく姿が感動的に描かれている。
私は創作というのが全く苦手なので、取材をもとにどういう風に書き上げていくのかお聞きするのが楽しみである。


さっそく、市の図書館にもリクエストして置いてもらったが、今日は貸し出されていて借りることができなかった。
読みながら感じたところは書きとめているが、話す内容を十分に考えておらず、夏の暑さでのんびりしすぎてしまった。

『命をつなぐ250キロメートル ―抱きしめてBIWAKO―』は、童心社から出ている。

posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年07月29日

こころ響き合う喜び ―和子さんからメール届く―

中学校教師の仕事もまた過酷で、時には連夜10時11時の時もある。夏休みに入ったとは言え吹奏楽部の顧問である和子さんは、今年もお盆前まではクラブのコンクールの練習のために休日返上で頑張っておられる。

和子さんの大変さを思いながらも、このたびのエピソードだけは一刻も早く聞いて頂きたくて、昨日のブログを更新したあとに和子さんにメールさせて頂いた。

その夜、お風呂から上がってPCを開いてみると和子さんからお返事が届いていた。
そこには『ぞう列車』が文化祭で実現するまでの過程が生き生きと語られてあり、職場(学年の先生方)の素晴らしい人間関係に感動した。
また、保護者たちの練習時の御記憶に、主導者であった和子先生の高揚した精神が目に見えるようだ。


読ませて頂いて私は深い喜びをかみしめている。
目には見えないけれど、互いの心が響き合うという人生の最高の喜びを感じている。

お許しを頂いてここに記録させて頂いた。

優子様!!

嬉しいメールを頂戴して、この暑さでバテ気味だった心も体も蘇りました!!!

知子さんと一緒に取り組んだのは今から20年前!!!
ああ〜懐かしいです!!!

そして真智子さんと取り組んだときには優子さんも一緒にノーカットで40分の舞台発表でしたね!!!
あの時、お腹の中には知子がいたんです。
ああ〜私は28歳という若さでした。

「ぞう列車がやってきた」のシナリオは平成2年の秋、社会科の大野先生が見つけてきて下さり
「音楽の先生が転勤して来たから絶対に組曲を文化祭で!」と提案され
当時、25歳の私は「えらいこっちゃ。責任重大や!」とプレッシャーで眠れない夜がたくさんありました。
そうそう、新聞にも載せて頂き、大感動でした。

その3年後、美術科の村上先生と「ノーカットでやってみよう!」と
今度は子ども達のイメージ画もスクリーンに映して「芸術作品に!!」と提案したところ
理科の今城先生が「保護者にも呼びかけて一緒に歌おう!」と意見を下さり
スタートからわくわくしていたのを思い出します。

最後の大曲の伴奏は藤本さんに!とお願いするとお二人とも快諾でした!!!
保護者合唱団の夜の練習会に、真智子さんも一緒に参加して下さったこと
今でも覚えています!
あの夜は少し肌寒くて、真智子さんは薄いピンク色の上着を羽織って音楽室に来られ
見事なピアノ伴奏を披露して下さいました。

知子さんは今でもピアノであの曲が弾けるなんて!!!
素晴らしいです!!!

あれからずっと私は「文化祭」へのこだわりを持ち続けています。
あの経験は、新喜多中学校で、あの生徒達や保護者の皆さん
そしてあの教師集団だったから成功できたのです。
今でも新喜多中時代の仲間とは定期的に集まっています。
必ず話題になるのが文化祭の取り組みです。
あの頃は市民会館で文化祭が出来たのです。
今、そんなことが出来る中学校は東大阪にはありません。
「授業数の確保」「行事の精選」が理由です。
しかし、体育館でも私は「平和」をテーマに文化祭にこだわっています。

優子さん、いつもいつも本当に有り難うございます。
ブログに励まされております。
ラジオ体操をするユキちゃんの表情!!
最高です!!!
思わず顔がほころびます。

実は今日は吹奏楽部のコンクールに向けての練習の 
一番ハードな一日だったのです。
朝9時から夕方6時まで練習していました。
クタクタになって帰宅して
優子さんからのメールでハッとして
そして元気になれましたm(_ _)m
「以心伝心」を感じました。

また明日も頑張ろうと思えました。
優子さん、本当に感謝します!!!

神さま、この喜びを感謝します。
まだまだ体調の悪い和子さんです。
どうか完全に癒して下さい。
和子さんのお働きを豊かに祝福して下さい。
優秀なお子達の上にも、
あなたのお守りとお導きがありますようにお祈りします。
そして私もまた、和子さんに励まされて情熱をもって励むことができますように。

和子さん、ありがとう!


posted by 優子 at 10:13| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年07月28日

17年ぶりに「ぞう列車がやってきた」!

今日の記事のカテゴリは何にしようか?
知子と真智子に共通している内容だから困ったが、これは私にとっても強烈な印象に残っている子育て時代のエピソードでもある。だから私自身のカテゴリに入れよう。しかも、その続編が私次第で始まるかもしれないのだ。

この話題が出た時、和子さん、いえ、大阪和子先生に何か良いハプニングがあるのかもしれないと予感させた。

その話の発端は18日の礼拝後のことだった。
(教会の)婦人会に参加していた時にHa姉(しまい)が、どこかで『ぞう列車』の指導があるので・・・と口にされて、私はとっさに「『ぞう列車』は私も知っています!」と言葉を発していた。
それは知子と真智子が、それぞれ中学1年生の文化祭で参加した合唱劇だ。

あの大きな反響を呼んだ『ぞうれっしゃがやってきた』が、17年の歳月を経て私の近くにやってきたのだ!

昨日の毎日新聞ローカル版にもその参加者を募集する記事が出ていた。来年1月23日に葛城市新庄文化会館マルベリーホールで『ぞう列車』が上演される。
ちなみに「マルベリー」とは「桑の実」の意味で、名づけ親はHaさんだ。


そこで今週は、『ぞう列車』の新聞記事を載せている家族新聞をお持ちした。それがこれだ。

「ぞう列車」家族新聞@.jpg
知子は1990年秋に。 
「ぞう列車』家族新聞A.jpg
真智子は1993年秋に。
この時は保護者も参加し、私も舞台に立った!

Haさんは、市の後援も得たいと仰った。そのためにはいろいろとご苦労があるようで、それならば家族新聞の記事が役に立つのではないか。説得力があると思った。

と言うのは、この合唱劇は東大阪市の公立中学校での取り組みであり、市民会館で上演して新聞にも大きく報道されたからだ。(持って行ってよかった!)

今から20年前、新喜多(しぎた)中学校に着任された大阪先生の燃え上がる情熱が学年全員参加の舞台を成功させたのである。

情熱のかたまりのような和子さんは私を魅了した。
その溢れ出る情熱が子供達や学年の先生方、そして、保護者を巻き込んでそれぞれの心に良き思い出を刻んだ。それが17年を経て、新しい物語を生み出そうとしている。人生は麗しい!

和子さんはちょうど2年前に、『メメントドミニ』をとおして私達を見つけて下さり、「お気に入りリンク」にある「真智子のHP」の連絡先にメールして下さってミネソタ経由で再会したのだった。
以来、大阪先生ではなく、「和子さん」、「優子さん」と呼び合う交わりを頂いている。

Haさんは「是非、ご主人も合唱団に加わってほしい」と誘って下さっているが、「僕はええわ」と良輔。ふらふら

家族新聞を読んで下さったHaさんは、日曜日(25日)の午後、感動したとお電話を下さり、実行委員の方にもお見せになるとのこと。

そして先ほど、この実行委員会代表の男性からお電話を頂戴した。やはり教師の方だった。
「『ぞう列車』で育った子がお母さんになっておられるのですね」と感激の一言から始まり、「是非参加して下さい」と期待のお誘いを受けた。

8月から1月まで計12回の練習日は日曜日であり、次の日曜日、8月1日が結団式である。
私が即答を躊躇するのは練習日が教会と重なり、クリスチャンにとっては難しい選択なのだ。このお電話でとにかく来週だけは行ってみようと決意した。

その時にあの時のビデオを是非お持ちしたい。ご覧になって、より良いものを作り上げる参考にして頂けると思うから。

私の体内の血管に「ぞう列車」の歌が流れている。
楽譜も何もないのに、知子がピアノを引き出した!
知子と真智子が弾いた箇所は最後の組曲、「平和と象と子どもたち」だ。オオ、懐かしい!!!

書いたものは残る。
しかも、20年も前に書いたものがこのような形で読まれるなんて想像もしなかった。あの頃の情熱を思い出しつつある。

しかも私達にとっては、この今、この段階での出来事だけに、神の御手を感じないではいられない。知子にとっても、私にとっても、そして、きっと和子さんにとっても、神さまからの大きな希望の励ましと思えてならない。


最後に私からもPR協力です: 
戦後の実話「ぞうれっしゃがやってきた」の合唱団員大募集!葛城市民だけではなく、市内外を問わず他市の方も大歓迎!
お問い合わせは、事務局長の田畑昭子さん(0745−48−7065)まで!


posted by 優子 at 17:57| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年07月27日

「明るい峠は明るい峠になる」 ―真智子 中学生の時の感想文より―

昨日の午後、久々に真智子から短信が届いていた。昨日の記事をアップしてまもなく見てくれたようで、ミネソタ時間で26日午前12時半頃に送信されていた。

知子とはメールのやり取りをしているようだが、こちらの近況や私の精神的状況はブログで感じ取ってもらえるのでありがたい。私の側の話を聞いてもらうばかりで申し訳ないが。
まあ、そんなわけで私と真智子とのやりとりはめったになく、ひと月に1回くらいの時さえある。

それに忙しい娘の時間を取りたくないという気持ちもあり、真智子が太志君と一緒に感謝を忘れないで頑張っているのだろうと思うだけで十分なのだ。

そして、遠く離れていても心通わし合っている知子と真智子の姿に大きな喜びを感じている。


さて、先日の整理では、ずっと以前にスクラップしていた真智子の作文が出てきてた。中学校時代の国語の教科書で読んだのかなぁ、星野富弘さんの『風の旅』についての短い読後感だ。
私は再び深い感銘を受けて整理する手が止まってしまった。

「これからわたしの歩いていく道にはどんな峠があるだろう。泣きながら・・・と思う。」
この文章は、私の心の中の心と重なって聞こえました。文を読んでいるのを忘れ、自分自身に語りかけ、力づけている感じがしました。

今、これまでの私の道を振り返ってみても、短いなりに幾つかの峠がありました。これから築いて行く道には・・・と思うと、思わず二の足を踏んでしまいます。

でも、星野さんの言うとおりです。辛い時の峠の先には必ず明るい峠があるのです。

もし、人生が明るい峠ばかりなら、きっと何の張り合いもなく、生きていることさえ忘れてしまうような気がします。辛い、暗い峠をも通るからこそ、明るい峠は明るい峠になるのだと思います。

私はこれからも一つ一つ峠を越えて行きたいです。見渡した時、大好きな道となるように

真智子らしい文章に真智子らしい感性が光っている。
中学生にもなればその子らしさがよく出るものだ。私は整理の手を止めて何度も声を出して読んでいた。


また、高津高校2年生の時に『年輪』で取り上げられた作文も出てきた。「人間の尊厳を問う」は長いのでブログ掲載を断念したが、その文章をコピーしていたところをみると、私は家族新聞にでも記録しようと思ったのだろう。廃刊となって実現しなかったが・・・

真智へ

ツイッターメールありがとう。
昨日のブログの写真どうだった? パパも元気そうでしょ!
「ステテコ姿はいい味を出しているでしょ」と言いたかったところだけれど、この記事を書く前に写真を差し替えました。ズボンをはいたのとね。(笑)

でもね、ああいう家庭の雰囲気は、外国生活をしている娘にはホームカミングの気持ちにさせていいのではと思ったわけです。今やクマにもね!わーい(嬉しい顔)

いつもは体操が終わればズボンをはいて疾風のように出て行くけれど、今朝はズボンをはいて体操してもらいました。(笑)

ママね、「お気に入り」に「ミネアポリスの天気」を入れて毎日覗いているよ。夜は肌寒いくらいやね。

グーグル・アースだったっけ、もう一度、真智たちの家やFEDやスーパーマーケットなどを訪ねたいのだけれど、やり方がわからないので残念!

昨日はFEDでポトラック・ランチがあったとか。楽しかった?
クマと一緒にクッキングしている光景を思い浮かべていました。

これからも健康に気をつけて、思いっきり頑張ってね!
満足できる研究が生み出されますように祈っています。良き日々をね。黒ハート

今日も蝉が元気よく鳴いている。
今朝はアブラゼミの声はクマゼミの声に消されてしまって、賑やかで勢いがある。まさに盛夏だ。
私が年々蝉に親しみを感じるのは、命の持ち時間に限りがあることを実感し始めたからだ。悔いのない日々を生きたい。

附記:というわけで、昨日の最後の写真をリニューアルしました。
   昨日も考えてはいたのです。下着姿は読者に失礼だし、ずっとステテコ姿で立ち続けている夫にも申し訳ないと。それで今朝はズボンをはいて体操してもらいました。

今日も暑くなりそうです。皆様、ご自愛ください。


posted by 優子 at 09:05| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年07月26日

夏の風景

先週は長女に感化されて身の回りのものを整理していた。積んだままの冊子や信仰雑誌など20年以上も手をつけていないものは処分することにした。

1冊ずつ手にとるのだが、ゆっくり読んでいては仕事にならないので、大雑把にページをめくりながら是非読みたいところだけちぎって、50冊分くらいを1冊のかさにした。

古い写真や子どもの作文が出てきては中断し、かいもく仕事ははかどらなかったが、この動きを止めないで整理し続けていこうと思う。

連日35度以上の猛暑日で、夜も11時近くまでクーラーを止められないが、そのあとは急激に涼しくなるのでありがたい。

猛暑下のめざし.jpg

めざしって美味しいんだ。めざしが好きになった。
これを見たユキは、「おさかなの鯉のぼり!」と、
「鯉のぼり」の歌を何度も歌っていた。
 
蝉.jpg

裏の家人の庭木に蝉が4匹もとまっている。
アブラムシみたいで少々気持ち悪い・・・蝉さん、ごめん。

夏の風景A.jpg

オクラの実がなった!収穫は2つだけ。
孫は3歳で、私は58歳にして初めて見た。

CDラジカセとTファル.jpg

整理効果でカウンターの上もスッキリした。
洗礼記念に頂いた色紙には小山恒雄牧師が「キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(ピリピ人への手紙1章27節)と書いて下さっている。もう23年前のことだ。
真智へ:
土曜日にCDラジカセを買い換えたよ。コンパクトになってスッキリしたでしょ!
その横にあるのは、コップ一杯分のお湯を瞬間的に沸かしてくれるスグレモノです。

朝のテレビ体操@.jpg

朝のテレビ体操A.jpg

今年も自治会主催のラジオ体操が8月1日から始まるが、孫も先週あたりから6時半までに起きるようになったので行けそうだ。

夫は今朝もテレビ体操(教育テレビ、6:25〜6:35)をして、元気よく出社した。今週も神と共にありますように!感謝。

posted by 優子 at 12:18| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年07月22日

金賢姫(キム・ヒョンヒ)の数奇な人生

20日に来日した金賢姫(キム・ヒョンヒ)工作員は、拉致被害者家族の方々と会って明日帰国の途に着く。

彼女は1987年に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯であり、死刑囚であるから、本来ならば出入国管理及び難民認定法の規定で日本には入国できないことになっている。

にもかかわらず日本政府が招聘し、しかもVIP待遇をしているとの批判も多い。特に大韓航空機爆破事件の被害者家族の胸中は無理からぬことだろう。この水面下には日本、韓国、米国の政治的な思惑もあるのかもしれない。

しかし一方で、キム・ヒョンヒの人生もまた何という数奇な人生であろうかと思う。

事件後捕らえられたヒョンヒは、「マルボロに隠された青酸系毒薬のアンプルを警官からひったくって自殺を図ったが、警官のハッサンがとびかかったため、完全に噛み砕け」なくて、「青酸ガスのため気を失って倒れたが、3日後に息を吹き返し一命をとりとめた」のである。

そして、死刑判決を受け、その後特赦された。
北朝鮮へ亡命すれば、それこそ勲章もので良い待遇で過ごすことができるでのではないだろうか。自白してしまったからそういうわけにはいかないとしても、あえてこれらの批判を覚悟して、このような行動をとるヒョンヒのことを考えないではいられない。

昨年の映像にある顔つきからは、とてもパフォーマンスとは思えないからだ。
157名もの命を奪ったには違いないが、彼女もまた横田さんたち拉致被害者やご家族の方々と同じ、北朝鮮の被害者なのだ!

横田早紀江さんについては、2006年1月30日と6月29日の記事で書いたが、キム・ヒョンヒ工作員もまたクリスチャンの生涯へと導かれたことをご存じだろうか。

ヒョンヒは取調べ中にクリスチャンだった捜査官たちの影響を受けて、聖書を読むようになり、罪を深く悔い、回心してソウル(ヨイド)にある中央バプテスト教会で洗礼を受けた。

今回の訪日が拉致された方々の開放と、北朝鮮為政者の悪の崩壊を早めるようにと祈るのみである。


長くなるが、今日届いた『ハーベストタイム』のメールマガジンにキム・ヒョンヒさんのことが載っているので、お許しを得て掲載させて頂いた。

『ハーベストタイム』は今年3月まで、24年間続いたキリスト教テレビ番組である。『ハーベスト・インターネットテレビ局』http://www.harvestinternet.tv/ は、24時間全世界どこからでも無料で見ることができるので、是非ご覧頂きたい。

■ 最近考えたこと「金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんのこと」

 大韓航空機事件の実行犯、金賢姫元工作員(48)が、20日に電撃的に来日された。マスコミ報道では、拉致被害者の家族の方々に会い、知っている限りの情報を伝えているようである。新情報はないようであるが、彼女の真摯な姿勢はニュース画面からも十分に伝わってくる。拉致被害者の家族の方々にとっては、慰めと励ましを感じる「恵みの時」であろう。

 金賢姫さんと言えば、ハーベスト・タイムで取材したことがある。1994年6月のことである。放映は翌月になった。今考えれば、よくもあのようなインタビューが実現したものだと、自分でも驚く。いくつかの好条件が重なり、これが実現した。
(1)当時、韓国政府は対北政策の一環として、金賢姫さんをマスコミに登場させ、広く国際世論に訴 える方針を取っていた。
(2)韓国在住の日本人宣教師が間に立って、韓国政府の要人の許可を取ってくれた。
(3)当時金賢姫さんはクリスチャンになっていたが、信仰のことを中心にインタビューすると約束した。

 以上の背景のもとに、いわゆる「単独インタビュー」を行うことになった。

 私の記憶に間違いがなければ、当時彼女は安全企画部の課長職に付いていた。彼女の経験が、北朝鮮情報の解読に役立ったのであろう。とは言え、常時ボディーガードが数名付き、ひとりで街歩きなどできない状態に置かれていた。彼女には常に暗殺の危険性が付きまとっていたからだ。その彼女が、韓国に来てしばらくしてから教会に出席するようになり、クリスチャンとなった。

 安全企画部からは、事前に、ある有名なホテルのロビーで待つようにとの指示があった。インタビュー直前まで、具体的な場所は明かされなかった。時間になると政府高官が登場し、ホテルの裏庭にあるバンガロー風の別棟に案内された。要人が宿泊するような間取りになっており、一番広い部屋に入ると、そこにはすでに金賢姫さんが待っていた。ハーベスト・タイムや私個人に関する情報は、すでに安全企画部に提出してある。金賢姫さんは、牧師である私に対して、韓国人クリスチャン独特の敬愛の態度を示された。カメラの前で、私たちふたりはソファに腰をおろして相対した。顔は白く、透き通るような美しさを感じた。少し大げさに言えば、「こんなに美しい人を見たことがない」というような感想を持った。しかも、その透明感は、単に外面的なものではなく、人格そのものが発している印象でもあった。

 インタビューには、日本語で答えてくれた。実に上手な日本語である。今よりもこの当時の方が、流暢な日本語を話していたような感じがする。

 今もそうであるが、彼女は真摯に私の質問に答えてくれた。お別れする時に、今後の彼女の歩みが祝されるようにと、按手の祈りをさせていただいた。

 歴史を揺るがすような重大な罪を犯した人とは到底思えないような透明感が、彼女にはあった。歴史とは、時には過酷な運命を無力な個人に負わせるものであることを、この時ほど痛感したことはない。そして今も、金賢姫という「歴史の生き証人」はその運命を背負い、自分にできることを精一杯果たしながら生きている。神が彼女に、「安らぎの時」を備えてくださるようにと祈らざるを得ない。

なお、金賢姫さんを取り上げたハーベストの番組を、DVDにしてご覧いただけるようにしました(価格1,000円、送料別)。ご希望の方は、ご一報ください。

感謝。中川健一

posted by 優子 at 23:19| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年07月21日

ユキとチャッピーと蝉のこと

今朝6時19分、奈良県南部を震源とする震度4の地震が起きた。
だいたいこの時間は経済ニュースを見ている出勤前の夫を横に、私はPCを開いている。長くなかったのでよかったが、家がグイグイと南北に大きく揺れて怖かった。

昨夜は10日ぶりに4人揃って夜の散歩に出かけた。
途中で躓いたユキは手をつないでいたので膝をついただけだったが、左足のひざをすりむいた。やや痛そうな傷ながら、痛みよりも治るかどうか心配で、家に着くまで「しゅぐ(直ぐ)治る?」と泣きながら歩いた。

そして、帰宅しても家に上がろうとしない。このままずっと靴も脱がずに朝まで玄関に座っているというのだ。私も怖がりだからその気持ちはよくわかる。そして、何とか家に上がらせたもののイスに座ったままだった。

台所の後片付けを終えて見てみると神妙な様子で座っている。近寄るとお祈りしているのがわかった。

祈るユキ.jpg

「イェッしゃま、血でませんように。なおりますようにお守りください。イェッしゃまのおなまえによってお祈りします。アーメン。」と何度も祈っていた。

この頃はお祈りするのも不真面目な時があり、「ユキちゃん、最近、『アーメン』聞こえてこないねぇ」と、先日も教会の方に言われたところだった。
そのユキが、3歳になったばかりの幼児が神にすがり自ら祈っているので感動してしまった。

お風呂に入るのも一騒動だったが、今朝は「あっ、痛くない!イエッしゃま、したからかなあ」と、目覚めた瞬間の声だった。
傷口はひっついて枯れていた。
神さまが私達に備えて下さっている自然治癒力、特に幼児に備えて下さっている自然治癒力のすごさに驚かされる。感謝!

さて、梅雨明けを待ってチャッピーを洗ってやったのは18日のこと、夫は教会から帰ってすぐにチャッピーを洗ってくれた。なんと1年4ヶ月ぶりのお風呂だった。ふらふら

1年4ヶ月ぶりのお風呂.jpg

私はお湯運び役だが2回でやめて、こんなに暑いのだからとあとはホースの水で我慢してもらった。水に濡れるのが大嫌いな柴犬チャッピーも気持ち良さそうだ。
ホースシャワーのあと、ご褒美に大好きなミルクをあげた。チャックンは冷たい牛乳をおいしそうに飲んだ。

このあと夫は犬洗いから自動車洗いに移ったが、掃除用洗剤がなかったので自動車もシャンプーで洗ってもらった。(>_<)

これは19日朝に咲いたオクラの花。花は一日で姿を消した。
オクラの花.jpg

桔梗は「秋の七草」だから秋の花とばかり思っていたら、毎年、梅雨が明ける前から咲き始める。蕾が風船のように膨らんで開くのはイソトマに似ている。
桔梗の花.jpg

今朝は地震で起きた孫も一緒に夫(おじいちゃん)を見送った。
「行ってらっしゃい!」をしたあと、ガレージの側面に生まれたばかりの蝉を見つけた。短い命の日々を守ってやりたい。

誕生直後の蝉.jpg

私は蝉を見つけるよりも、鳥に食べられたあとに落ちている羽の方が目につく。鳥だけではなく犬も蝉の天敵だ。
一昨日、夫との散歩でチャッピーが食べたそうだ。羽も全て!

話を聞いて吐きそうになっている私に、「どんな味なんやろう」と知子が言い、「蝉は栄養があるんやで、たんぱく質が」と、食料のなかった戦時中の人は食べていたと、さも体験者のような口調で夫が言った。19日夕食後の会話である。

ユキは今朝も傷をかばいながら慎重に服に着替えていたが、歯ブラシしながら鼻歌を歌っていた。讃美歌285番・「主よ御手もて」、私の愛唱歌だ。昨日歯医者さんで虫歯なしと誉められて嬉しそうだ。

夏本番になってから連日の猛暑で昨日は34度だった。何人もの高齢者が亡くなっている。87歳の義母は早朝5時過ぎから歩くようにしている。この時期、朝の散歩は7時までに済まさないとチャッピーもばてる。

室内も10時半を過ぎると気温が上がってくるので、涼しい朝風が流れているうちにと、讃美歌30番(朝風しずかに吹きて小鳥も目覚むる時)を聞きながらこれを書いた。

桔梗は既に強い陽射しの下で風に揺れていた。

posted by 優子 at 09:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年07月20日

「瞬きの詩人」水野源三 ―私は私らしく生きる―

昨日の記事に書いた水野源三(げんぞう、長野県埴科郡に誕生。1937年〜1984年)の詩をご紹介したい。
源三は9歳の時に罹った赤痢の高熱によって重度の脳性麻痺を起こし、一切の自由を奪われて話すことも書くこともできなくなった。

そこで母親が51音を書いた文字板を指で示し、源三の唯一残った瞬きをとおして意思疎通を図った。12歳の頃から聖書を読み始め、毎日欠かさずに訪ねてくれた牧師の愛によりクリスチャンの生涯へと導かれ、「瞬きの詩人」と呼ばれている。
水野源三さん.jpgでは、瞬きで紡がれた詩集から27篇をご紹介したい。いくつかは讃美歌にもなっている。

今年も毎朝

今年も毎朝
母に聖書を
1ページ1ページめくってもらい
父なる御神からの
新しい力
新しい望み
新しい喜びを受ける





60近い父が 自動車教習所に 通い出した
免許証を貰ったが 一度も運転しないで 
天に召されてしまった
日記には 免許証を取って 源三を乗せたいと
書いてあった



祈り

何を聞いても
どんなことが起こっても
この部屋から出られない

すべてのことを知っておられる
主に話し
波立つ心をそっと静める



ありがとう

物が言えない私は
ありがとうのかわりにほほえむ
朝から何回もほほえむ
苦しいときも 悲しいときも
心から ほほえむ



心はふしぎな所

心はふしぎな所
信じるべきを うたがい
愛するべきを 憎み
のぞむべきを 落胆し
喜ぶべきを 悲しみ

心はふしぎな所
いったん主の御手にふれるならば
見たり きいたり
ふれたり しなくても
信じ 愛し のぞみ
喜ぶことができる



我が心に

我が心に希望があり
  キリストがあたえてくださった
  なやみのときもかわらない
  まだ見ないものを待つ希望が

我が心に喜びがあり
  キリストが与えてくださった
  月日がたっても消えない
  この世では得られない喜びが

我が進み行く道があり
  キリストがひらいて下さった
  暗くあろうと迷わない
  御国へいたる嬉しき道



悲しみよ

悲しみよ悲しみよ 本当にありがとう
お前が来なかったら つよくなかったら
私は今どうなっていたか

悲しみよ悲しみよ お前が私を
この世にはない大きな喜びが
かわらない平安がある
主イエス様のみもとにつれて来てくれたのだ



母の上に

肩の痛さ足の痛さをこらえながら
重い孫をお守りしながら
体の不自由な私の面倒を見てくれる母の上に
愛のきわみなる神様
あわれみと恵みを 助けとささえを
豊かにお与えください



いつでもいつでも

母が涙ぐむ
幼い姪がほほ笑む
過ぎ去った日を思う
将来のことを考える
いつでもいつでも
いつくしみ深い主イエスを
思っていよう



はっきり見えてきた

自分の力では動けない生きられないと
気づいた瞬間に
私をしっかり支えていてくださった
キリストの愛の御腕が
はっきり見えてきた



苦しまなかったら

もしも私が苦しまなかったら
神様の愛を知らなかった
もしもおおくの兄弟姉妹が苦しまなかったら
神様の愛は伝えられなかった
もしも主なるイエス様が苦しまなかったら
神様の愛はあらわれなかった
  


まばたきでつづった詩

口も手足もきかなくなったわたしを
28年間も 世話をしてくれた母

良い詩をつくれるようにと
四季の花を咲かせてくれた母 

まばたきでつづった詩を一つ残らず
ノートに書いておいてくれた母

詩を書いてやれないのが悲しいと言って
天国に召されて行った母

今も夢の中で老眼鏡をかけ
書きつづけていてくれる母



傷跡

33年間 寝たきりの 
私の額には 三つの傷跡がある
その一つ一つの傷跡には
美しい野山を 遊びまわった 思い出がある
神様が 与えてくださった 尊い10年間が



黄ばんだ写真

引き出しの隅から 出て来た 黄ばんだ 一枚の写真
脳性麻痺の 苦しみも悲しみも まだ知らない 私がいる
写真屋へ つれて行った 若い父母の 祈りがこもっている



砕いて砕いて砕きたまえ

み神のうちに生かされているのに
自分ひとりで生きていると 思いつづける心を
砕いて砕いて砕きたまえ

み神に深く愛されているのに
ともに生きる人を真実に愛し得ない心を
砕いて砕いて砕きたまえ

み神に罪を赦されているのに
他人の小さなあやまちさえも赦し得ない心を
砕いて砕いて砕きたまえ



御心のままに

この道行きたいと願っても
御心でなければ行かれない
御心を成したもう御神よ
御心のままに行かせたまえ

試練をさけたいと願っても
御心でなければ避けられない
御心を成したもう御神よ
御心のままに助けたまえ

どんなに生きたいと願っても
御心でなければ生きられない
御心を成したもう御神よ
御心のままに生かしたまえ



キリストを知るためだとわかりました

病に倒れたその時には 涙流して悲しんだが
霊の病いやしたもう
キリストを知るためだとわかり
喜びと感謝に変わりました

友にそむかれたその時には 夜も眠れずに恨んだが
とわに変わらない友なる
キリストを知るためだとわかり
喜びと感謝に変わりました

過ち犯したその時には 心を乱しくやんだが
すべてをばつぐないたもう
キリストを知るためだとわかり
喜びと感謝に変わりました



天のお父さま

天のお父さまと 声を出して お呼びしたい
声を出さないで お呼びしても 
お聞きくださると 信じているけれども
やはり
天のお父さまと 声を出して お呼びしたい



境遇

自分の境遇を見つめて
嘆き悲しむものよ
どんな境遇にある心にも
救いと命を与えたもう
恵み深き主をあおげよ

自分の境遇を見つめて
死のみを願う者よ
どんな境遇にある心にも
希望と力与えたもう
恵み深き主を仰げよ

自分の境遇を見つめて
世間を恨む者よ
どんな境遇にある心にも
愛と喜びを与えたもう
恵み深き主を仰げよ



感覚

脳性マヒで 自由を失った
私の体にも 感覚は残っている
春の暖かさも
夏の暑さも
秋の爽やかさも
冬の寒さも 感じる
神様の 限りない恵みを 強く強く感じる



どうしてそんなにも

父なる神様に生かされているのに 生かされているのに
どうしてそんなにも 思い煩うのか

父なる神様に
愛されているのに 愛されているのに
どうしてそんなにも いつもつぶやくのか

父なる神様に
すべてをよきように すべてをよきように
なしてくださるから すべてをゆだねよう



主から受けし

今日1日 主から受けし 多くの恵み
人々が床につくこの静かな夕べ
たたえても たたえても たたえつくせなき

胸にうれしく み言葉思い ことあるごとに
祈りをなして 主の御愛に 生かされてきし
たたえても たたえても たたえつくせなき

こころみの風 時おり吹けど 憐れみ深き
主のみ腕に 支えられていて 喜び耐えぬ
たたえても たたえても たたえつくせなき



主よなぜですか

主よなぜですか
父につづいて母までも
み国へ召されたのですか

涙があふれて
主よ主よと ただ叫ぶだけで
次の言葉がでてきません

主よあなたも
私と一緒に 泣いてくださるのですか



ひまわり

庭から切ってきた 
大きな大きな ひまわりの花が
小さな小さなことに こだわる 
我が心に 話しかける
かみさまの大きな大きな愛を





リンゴ実る秋に体が不自由になり
コスモスの花が咲く頃に
初めてイエスさまの話しを聞き
聖書を読み
コオロギが鳴く夜に
救いの喜びに ねむれずにいた



母よ ありがとう

私の手となり 足となり
悲しみ 苦しみを 
一緒になってくれた


源三を御国へ送ってから
ゆきたいと
いつも話していた


先にゆくのが
すまないと言って
早春の朝
御国へ召されてしまった



生きる

神様の 大きな御手の中で
かたつむりは かたつむりらしく歩み
蛍草は 蛍草らしく咲き
雨蛙は 雨蛙らしく鳴き
神様の 大きな御手の中で
私は 私らしく 生きる


身動きできない源三さんは、私達に力強い希望の光を灯してくれた。私も私らしく生きるべく、『メメントドミニ』のサブタイトルに記している。私は私らしくと。

posted by 優子 at 15:32| 引用文 | 更新情報をチェックする

2010年07月19日

キリストの愛と感謝と希望に生きる

17日(土)に梅雨が明け、夏空が広がった。しかし、今年も豪雨により甚大な被害が出ている。ただ黙して祈るのみだ。

今日は「海の日」で3連休ということもあり、昨日は礼拝後も残ってもらった。スイカを頂いたあと、夫は壮年会に、私と知子は婦人会にも参加した。
ユキの好きな讃美歌ということで、初めに知子の奏楽で「主われを愛す」を讃美した。ユキは礼拝早々から眠っていたので機嫌よく待ってくれていたが、途中で限界になり1時に退席させて頂いた。

帰り際、牧師はいつものように玄関で見送って下さり、こちらの教会への転入会はクリスマスにとのお言葉を頂き快く承諾感謝した。4年近く祈っていたことの答えであると受け止めている。

さて、昨日の説教では、パウロが自らを語っているコリント人への第2の手紙から話された。

わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。
神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救いの日にあなたを助けた」。
見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。この務めがそしりを招かないために、わたしたちはどんな事にも、人につまずきを与えないようにし、かえって、あらゆる場合に、神の僕として、自分を人々にあらわしている

すなわち、極度の忍苦にも、患難にも、危機にも、行き詰まりにも、むち打たれることにも、入獄にも、騒乱にも、労苦にも、徹夜にも、飢餓にも、真実と知識と寛容と、慈愛と聖霊と偽りのない愛と、真理の言葉と神の力とにより、左右に持っている義の武器により、ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。・・・

                (6章1節から〜10節)

上掲に掲げたのは口語訳聖書から引用したものであるが、今通っている教会では新共同訳聖書を使っており、上記の下線部分はあらゆる場合に神に仕える者としてその実(じつ)を示しています。」となっている。
以下は古森牧師のメッセージである。

神に仕える者として非暴力を示したマーティン・ルーサー・キング牧師は、イエス・キリストの態度、実を示した生き方であった。
今も人種差別はあるだろうけれど、キング牧師はアメリカを大きく変え、毎年1月第3月曜日は「マーティン・ルーサー・キング・デー」という祝日になっている。

「キング牧師は特別な人であり、私のような小さな者のすることは何の力もない」と思っているならば、それは間違いだと言わざるを得ない。

私達の日常の態度には大きな力が宿っている。苦難や困難の中で我々がとる態度で、神さまが共にいて下さるという実を示すことができるからだ!

私達はイエス・キリストを信じたからとて、常に喜ぶことができないというような状況は、人生には必ずやってくる。
しかし、そのような時にこそ喜ぶことができる。それがクリスチャンではないだろうか。

死をも恐れずに暴力に立ち向かっていったパウロやキング牧師の源はキリストの福音である。私達の中にキリストが入って下さり、私達をリードして私達の人生を共に歩んで下さる。

それまでは「あいつが悪い」と言い、自分はどうしてこんなに弱いのだろうと嘆くのみだったが、キリストが私達の中に入って下さるとキリストの愛と感謝と希望に生き始めることができる。その苦しい状況の中で仕えることができる。

「瞬きの詩人」と呼ばれた水野源三さんは、イエス・キリストを信じたからと言って病気が治ったり、病気が軽くなったりしたわけではない。しかし、心が変わった!

苦難の中にあって喜びと感謝と希望を失わない源三さんに、人々は神の臨在を見るのではないだろうか。源三さんは神によって瞬きで多くの人に希望の光を灯した。

私達も困難な時こそイエス・キリストに仕える者として自分を示そうではないか。真理とはイエス・キリストご自身であり、イエス・キリストの態度に倣う時に神さまがその態度を用いて下さるのである。

大きなことだけがいいことではない。小さな態度でキリストのお役に立つことができる。
私の心が誰のものなのか。
私達自身はすでに十字架にかけられて死んで、キリストが生きておられる。従って私達の小さな仕事はパウロやキング牧師に匹敵する。それはキリストの実があるからだ。

心に迫る説教のあと、先週練習した讃美歌91番を力強く讃美した。画面右側の「お気に入りリンク」の「讃美歌midi集」にメロディーが収録されている。
神の恵みは 豊かに受け 
神の民は 勇み行く。
礼拝は終わった、そのみのりは
信じる者に 授けられる。
心の中にまかれたその種
行動の花を 開かせる
神は招き、愛は結び、 
み国のために 働こう。

なお、「続きを読む」で水野源三さんをご紹介している。
続きを読む
posted by 優子 at 15:16| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年07月16日

坂本竜馬を斬った男が後年クリスチャンになった!

日本は200年以上にも及ぶ鎖国時代があり、開国と同時に我が国にプロテスタント宣教が始まった。昨年は宣教150年目にあたる。
当時は漢訳聖書だったこともあり、最初にクリスチャンになったのは教養ある武士が多かったそうだ。

福沢諭吉、新島襄、内村鑑三、新渡戸稲造などは周知のごとくであるが、大隈重信はクリスチャンにはならなかったものの、生涯宣教師のフルベッキを慕い聖書の教えを大切にしたという。

ところで、私達家族は残念ながらNHKの大河ドラマ「龍馬伝」を見ていないが、坂本龍馬を斬った男、京都見回り組の今井信郎は後年クリスチャンになっている。

竜馬を殺した今井が禁固刑で済んだのは西郷隆盛の助けがあったからだ。竜馬の結婚の仲人をした西郷によってである!

西郷もまた聖書を実によく読んでいたらしく、その資料が2008年の「西郷隆盛と聖書展」(鹿児島・南州翁資料館)で出されたそうだ。

そして、根っからのキリスト教嫌いだった今井が、後年ひやかし半分で入った横浜海岸教会でメッセージを聴き、自分の間違いに気づかされて故郷の静岡の教会へ通うようになった。
そして、聖書を学んで洗礼を受けたのであった!

竜馬を斬った者が竜馬と親しかった西郷に命を助けらてクリスチャンになった。クリスチャンならば、そこに見えざる神の御手を感じないではいられないだろう。

今井は、武具をつけている相手の頭蓋骨を割ってしまうほどの武芸の達人だったという。
イエス・キリストと出会って殺気が消え、後半生は肥桶を担いで農作業に従事した。江戸時代が続いていれば「殿様」と呼ばれていた人であった。


以上は、昨年末に出版された『聖書を読んだサムライたち』の著者、守部喜雅氏の出版記念講演会から短くご紹介させて頂いたのであるが、このことがテレビで放送される。

以下は今日着信したメディア情報からのご案内である。

◆『聖書を読んだサムライたち』がテレビで紹介されます!

昨年末の発売以降、大好評の『聖書を読んだサムライたち』。
このたび、テレビ東京の看板番組「ワールド・ビジネスサテライト」の「スミスの本棚」というコーナーで、ゲスト出演のプロゴルファー、中島常幸氏により、「今、人に薦めたい本」として紹介されます。

放送日時:7月23日(金)22時54分〜

この番組は夫の好きな番組の一つであり、経済の視点からの切り口は私も面白い。来週末の放送を楽しみにしたい。

posted by 優子 at 21:30| ご案内 | 更新情報をチェックする

2010年07月14日

ユキ、久々の発熱

決して油断したわけではないが、昨日の記事で孫はいたって元気であると書いた矢先に今日は熱を出した。私がお医者さんで菌をもらってきたのだろうか・・・風邪らしき症状は全くない。

今朝は37度5分だったのがお昼には38度台になり、先ほどから39度5分になった。しかし、食欲がやや落ちたくらいで平日と少しも変わらなかった。今は私の傍らでママがお風呂から上がってくるのを待っている。

孫は今、「おばあちゃん、イェッしゃま(イエスさま)にユキちゃんなおりますように言うて?」と言った。
そして、自分でもお祈りし、「イェッしゃま、この食べ物を感謝します。」と食前のお祈りを始めるので、「ユキちゃん、違うやんか」と笑ってしまった。

今ようやく横になったのでしんどくなってきたのだろう。顔も赤い。私は今、これをリアルタイムで書いている。

すると、外に雷雨の気配を感じて、「雷はなんで鳴るの?」と聞いてきた。ユキはチャッピー以上に雷が怖いのだ。
うまく答えられない私に間髪入れずに言った。
「今、パカション(PC)で調べて?」と。
時代の子やなぁと私は大笑いしてしまった。

明日は夫が東京出張なので自動車がある。明日も大雨の予報だが、こういう時に自動車があるのはありがたい。
3月頃だったか、2週間おきに39度5分になったが、2度ともお医者さんに行かずに1日で熱は下がったので、今回もそうであればいいのだが。

先ほど傍で一緒にお祈りしたので安心したようだ。
しかし、「雷、鳴れへんかなあー」と雷のことを気にしながら、ママに抱かれて2階へ上がって行った。
「ママ、やさしい」だって。(^−^)


「神さま、今日は熱が出てしんどいです。今からぐっすり眠れますように。そして、また、元気にしてください。
ユキちゃんだけではなく、病気の子どもも大人の人もみんな元気になりますように。
このお祈りをイエスさまのお名前によって、神さまの御前にお捧げします。アーメン」



posted by 優子 at 21:55| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年07月13日

蝉の声、夏近し

昨年の5月から高脂血症のことでホームドクターにかかっている。と言っても、去年から高脂血症になったわけではなく、20年以上も前からだったのではないかと思う。無理を言って薬は2ヶ月分処方してもらっている。

そして、昨年末12月初めに体調が悪くなって降圧剤も必要になった。
季節が変わったこともあるだろうが4月頃から血圧は低くなりはじめた。3月には再び高くなり目まいと吐き気をもよおすほど具合が悪くなったが、以後は調子が悪いと思って測った時に限って正常値だった。

そして、5月半ば頃には測るのを忘れるくらいになり、6月に入ってからは殆ど薬も飲んでいない。ちなみに、この記事を書くにあたり測ってみたところ(122/67)だった。

医師は前回の受診時に薬を半分にしようとされたが、薬がないと不安だったのでいつもどおりに出してもらったものだから大量に残っている。

しかし、高脂血症の薬があと10日分ほどで無くなるし、昨日の午後は天気予報に反して雨は降りそうになかったので思いきって行くことにした。電動自転車があるので自動車がなくても10分ほどで行ける。

医師は冬になると再び血圧が高くなるかわからないけれどと仰り私も自信はないが、今のところは予想していた通り、ストレスによる心身症のようなものだったと思っている。

ところで、今どきの医院ではパソコンや携帯電話から予約したり、順番を確認できるので驚きだ。
小児科順番待ちを見る
小児科順番待ちをする
内科・外科順番待ちを見る
内科・外科順番待ちをする
<休診情報>
順番待ちを取り消される方は受付までお電話下さい。
パソコン用のホームページのアドレスはコチラ。
と、こんな画面になっている。

昨日は4人待ちで、内科は一人に20分間くらい診察時間をとられるのであわてなくてもよい。行きは電動に助けてもらわず20メートルほどのキツイ坂道は自転車を降りてゆっくり行った。

それでもまだ3人待ちで、急患の方も居られたので着いてから1時間以上も待ってから順番がきたのだった。

しかし、小児科は常にすごい人数で昨日も34人待ちだった。午前の診療が終った時点でも34人待ちだったそうだから、お医者さんは休憩なしで午後の診療に入られたのだろう。

夜も9時10時までかかるそうだから、収入もすごいだろうがお金を使う時間さえない過酷な日々だ。
内科・外科を夫が、小児科を妻が担当されご夫妻で開業されている。ご夫妻共にとても誠実で心ある医師だ。この時代に医師不足だという。このことも関係しているのだろうか、これでは医師の健康が損なわれてしまう。
信頼関係のもてるホームドクターと出会えたことを心からありがたく思っている。

ユキが大きくなってきたので、今月に入って2008年までの生活のリズムが戻りつつあり、1年半遠ざかっていた夜の散歩の回数が増えてきたので喜んでいる。

しかもユキも一緒についてくる。
約1時間、歩数にして6000歩だが、歩幅が小さいユキは常に駆け足状態だから1万歩以上だろう。しんどい時は途中で自分から短縮コースを希望し、知子と先に帰る。


とにかくユキは1歳の時からよく歩く。
高校時代はバスケットにテニス、大学時代は奈良から大阪を越えて六甲山の中腹まで通っていた真智子でも、小さい時はこんなに健脚ではなかったし、お医者さん通いもはるかに多かった。
夏の間は習慣になりそうな夜のウォーキング。これがまた孫の健康を強くするのだろう。

お医者さんで生後1ヶ月の赤ちゃんを見てユキのことを思い出していた。今は乳幼児の時と違う大変さはあるけれど、言葉が通じるようになったので子育ては楽になった。

任意の予防接種には7000円、9000円も要るので予約を躊躇して帰られた若いお母さん。
私はいろんなことを思いながら待ちあい風景を見ていた。


ヨエル書2章25節
「いなごが食い尽くした年々をわたしはあなたに償おう」。
祈りの友であるペン友が、『希望の風』7月3日の記事に次のように書いておられる。
私の熱愛するイギリスの説教者ロイドジョンズ氏は言われます。

『空費された年々、不毛の年々、いなご、ばった、食い荒らすいなごがむさぼり食らい、見たところ何一つ残されなかった年々、そうした年々について神は言われる。「いなごが食い尽くした年々をわたしはあなたに償おう」と。神がおいでになれば、一年のうちに十年分を埋め合わせるような収穫をお与えになることができる。それが私たちの神である。それゆえ、二度と現在におけるあなたの時間を無駄に費やしてはならない。二度とあなたの精力を無駄に費やしてはならない。過去を忘れ、神の恵みによって今の自分になっていることを喜ぶがいい。喜ぶがいい。……』

私はロイド氏の確信に満ちたきびきびした語り口調がとても好きです。

いなごが食い尽くした年々を主が償ってくださるとは、なんという神の寛容でしょうか。

「いなごが食い尽した年々」とは、自分の罪、そして、怠惰の罪だろうと、ペン友はコメント欄に書いておられる。

私にとって2009年からの出来事は、これまで積み上げてきたもの全てをイナゴに食い尽されたような心境でもあった。
しかし、愛なる全知全能の神は、人生の終わりには全てを喜びに変えて下さることを思い出させて下さり元気が出た。

事情は違っても意欲が萎えておられる方々にもお伝えしたくて引用させて頂いた。

朝の激しい雨が上がり、今一瞬、蝉の声が聞こえた。
蝉の声は重苦しい現況を打ち破る産声のようだった。
夏近し。
元気よく新しい季節を迎えよう!


posted by 優子 at 12:56| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年07月12日

低きに流れる神の愛

昨日の説教は誰にでもとてもわかりやすく語られていたので、今日もまた昨日のことを続けたい。

唯一神を信じている人たちは、時として自己主張を増大してしまうことがよくある。
信仰が強い、確信がある、という言い方それ自体は素晴しいが、何事にもそれが行き渡ると自己主張が強くなってしまう。この戦争は正しいという大統領までいるわけで、十字軍もその例だ。

しかし、本当の信仰はイエス・キリストから学ばなければならない。
即ち、神であったのにしもべの身分になり人間と同じになられた。謂(いわ)れのない罪状を挙げられても何も反抗することなく十字架に上がられた。

謙(へりくだ)りをとおして神の愛を現して下さったのであり、私達に神の愛が示されていると見ることができる。

「天国」とは神の本質であり、ヘブライ語で「シャーマイム」と言う。
それは「水が溢れているところ」の意味であり、神の国から溢れ出てくる愛は水と同じく低いところに流れていく。

だから私達も低くならないと受け取れない。 
自分が正しいと言う考えから出なければ、神の愛は避けて通っていき受け取ることができない。


「教会」はギリシャ語で「エクレシア」と言い、「呼び出された者たちの集り」を意味する。即ち、イエス・キリストを信じる者の集まりである。
教会に神の愛を溢れさせて下さり、そこから地域へ、また、神さまを知らない人々に愛を伝える存在でありますように!

この単純明快な説教をとおして、私は心の深いところを神に探られているように思った。

そして、このこととは別に、「神さまは人間が感じたり見たりできるような方法で現されるお方ではない。」という言葉が心にとまり、改めて深く考えさせられている。

以下は週報にある古森牧師の「今週の一言メッセージ」より:
テモテはパウロにとって重要な働き人でした。
パウロは彼を「わが愛する忠実な子」と呼び、全幅の信頼を置いていました。
そのテモテは教会ですでによき働きをしていたのに、パウロは宣教旅行に連れて行こうとしました。

テモテの母はエウニケといい、未亡人であったようです。大事な息子を旅に出す母の気持ちはいかばかりだったでしょう。しかし、彼女は信仰を持って息子を送り出しました。
 

名を残すような立派な働きをした人の影に、常に名前は出ないけれどもその人を支えた人がいます。教会はこういう人たちがいなければ、成り立っていきません。
私たちのする小さな奉仕は神様に覚えられています。


posted by 優子 at 07:35| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年07月11日

神さまに祝福された3歳の誕生日!

子ども礼拝(教会学校)のサマースクールが昨日今日の2日間にわたって開催された。
今朝は30分遅れでユキは最後の10分間だけになってしまったが、昨日はママと二人で9時半から15時までの全行程に参加した。参加者は子どもが27名、大人が20名だった。

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恥かしがりやのユキは教会到着直後しばらく距離を置いていた。
いつもは大人の礼拝なので子どもは誰もおらず様子が違っていたため、なじむまで時間が必要だったのだ。

開会礼拝のあとは「クラフトであそぼう」!
木の枠に紙粘土とビーズで写真盾を作り、ニスを塗って今朝の閉会礼拝で頂戴した。
サマースクールA.jpg

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昼食は、カレーライスとサラダ。
この頃にはこんなに溶け込んで得意のごっこ遊び炸裂!

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「はいどうぞ」と想像力を働かせて架空のおやつを配っている。小学生のお姉ちゃんたちは、ユキに合わせて遊んでくれている。
このあとは豆腐の白玉フルーツポンチのおやつを作っておやつタイムだった。

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タオルでマスコット人形も作ったよ!

帰宅は3時半過ぎかなと待っていたが、なかなか帰ってこなくて心配していたら、4時半頃に「今、教会を出たところで」と、とても明るい声で電話が入った。パンチ

子供達が帰ったあと、ご奉仕して下さっていた教会の方々や牧師先生との交わりへと導かれ、知子からいろいろ話したそうだ。
私は心配しながらもひょっとしてと思って神さまに委ねていたら、知子は思っていた以上の豊かな恵みの中にあった。その間、どなたかがユキの相手をして下さっていたそうだ。

最後にピアノの話になり勧められてオルガンを弾いた。
これまでにも何度か声をかけて下さっていた奏楽担当のO姉(しまい)は、私と同年齢の音大を出られた方で、バッハやコレルり、クープランなど数多くの音楽家の曲を前奏や後奏で弾いて下さり、厳かな流れの中で礼拝が終始する。

知子はピアノから遠ざかって17年になるのに初見(楽譜を初めて見て直ぐに弾くこと)は劣っていなかったそうだ。

歌謡曲でもメロディを聞いただけで直ぐに弾けるところは、知子に賜った神さまからの特別なタラントだと思うが、子供にせがまれてたまに童謡を弾くことはあっても未だピアノ演奏を楽しむこともない。

しかし、このたびはやってみようとの思いを与えられてお受けし、近々、奏楽のご奉仕をさせて頂くそうだ。私は本当に嬉しい。


昨夜は知子もユキもぐっすり眠った。
今朝はユキがゆっくり眠っていたために閉会礼拝には大幅に遅刻したが、昨日作った作品の発表には間に合って頂戴してきた。
写真盾の中には、今年のサマースクールのテーマ、「主の祈り」のカードを入れて下さっていた。

サマースクールE.jpg

これだけではなく、今日は礼拝後もみんなで讃美歌練習と交わりの会に残った。私には予想外のことだった。
今月生まれの人達を囲む交わりの会では、7月生まれのユキもゲストの一人で、昼食には昨日のカレーライスを初めいろいろご馳走になった。

教会をあとにして鯛と予約していたバースデーケーキを買い、選挙を済ませて帰宅。そして、夕食にはユキと私の大好物のお赤飯を作って孫の誕生日を祝った。

今日、幸悠は3歳になった!
神さまから祝された最高の誕生日であった。
 
神さまと教会の方々、そして、私達のことを祈りに覚えて下さっている方々に感謝します。
これからもイエスさまにつながって、神さまの恵みの中で成長していきますように祈ってやって下さい。


posted by 優子 at 22:44| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年07月09日

デジタル時代の教育と現実感迫る黙示録

私は先の記事を書きながら二つのことを想起していた。
一つは中野孝次氏(2004年没)のことだ。
彼は決して禁欲主義からではないが、インターネットどころかテレビも冷暖房も使わず、冠婚葬祭にも出ない生活を通した。

しかし、質素であっても吝嗇ではない。ただ己の内面生活を高めるために選び取った生き方であり、その根底には経済至上主義と文明への批判があった。

エミール・ゾラは遺伝と時代と環境が人生を決定すると言ったが、身近に孫を見ている私は、この猛烈な勢いで情報や知識があふれてくる時代の教育を考えずにはおられない。

大人ならば中野孝次さんのような生き方もできるだろうが、このような時代に誕生した子供はここに至るまでのプロセスを知らないことと、コンピューターの影響を避けることはできない。

孫にしてもすでに2歳になった頃には、パソコンもテレビや洗濯機と同様に当たり前のものとして意識化されていた。

そんなことを思うと、例えば学習面においては、小学校時代の「読み書きそろばん」は今まで以上に重視しなければならないだろう。ところが、学校教育ではますます不十分になるため親が直接与えてやらねばならない。

子供たちは電子化された教科書を楽しんで学習するだろうが、ノートをとって書くことがないとすれば知識を整理したり考えたりすることはできない。コンピューターとの距離をうまくとって、便利さに関心を示しやすい日本人の弱点が助長されないようにと願う。

思い出したことのもう一つは、ずっと以前に読んだ宇野正美氏の本だ。
美濃紙業のお得意先、大阪教育図書・ひょうたん書房から1988年に発行された『罠をふみ越えよ、こどもたち ―教育が変わると日本が変わる―』だ。
この第1章の「コンピュータが子どもたちを支配する」の中で次のようなことが書いてある。

バーコードには必ず「666」の数字が先頭に織り込まれてあるそうだが、世界を統御していくためには、この数字が全てにおいて最も合理的であるという。

驚くことなかれ、その数字は聖書に書いてあった!


ヨハネの黙示録13章15章〜18章:
「それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。

この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である」。


1900年以上も前に書かれた新約聖書に、世界を統御していく最良の数字、答えが書いてあったわけだ。
これを読んだ時、こんなことまで全ての答えは聖書にあるのかと驚愕したものだった。
あれから20年、今では見事にコンピューター化されて黙示録(聖書)の言葉がいっそう現実感をもって迫ってくる。

ネロやカイザルを数字に表すと「666」になり、イエス・キリストは「888」になる。今後は「888」の立場で進んでいくことになるだろう。「666」に注意せよ。

なぜならば、「666」を治めているのはイエス・キリストであるからだ。


アイパッドの出現が黒船襲来と感じたのは夫よりも私だったのかも知れない。機器の進化に驚いて歴史のゴールが近いのを感じて少々動揺してしまったようだ。

posted by 優子 at 23:59| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2010年07月07日

アイパッドは黒船か!どうなる紙業界!

お湯を注いで3分間待つとでき上がるインスタントラーメンが出たのは、私が小学校2年か3年生の頃だった。当時は「即席ラーメン」と言った。以来、何でも早く早くとインスタント文化が振興していった。

小学校に入学してまもなく我が家にもテレビが入り、従兄弟たちが見に来ていたのを覚えている。
中学1年生の時に東京オリンピックがありテレビが2台になった。そして、冷房、冷暖房、カラーテレビと、2〜3年間で家の中は次々と変化していった。

ソニーの重いオープンリールのテープレコーダーで英語の発音を聞き、ステレオやテレビから音楽を間接録音して楽しんでいたことも懐かしく思い出す。
その後まもなく買ってもらったトランジスターラジオ。トランジスターとはいえ1キロくらいの重さはあったと思う。

そして、高校時代の半ば頃にラジカセが出て、結婚してからは、ダブルカセット、ウォークマン、CDと、どんどん変化していったが、それでも速度はまだまだゆっくりしていた。

我が子たちの世代を新人類と言い、インターネット時代に誕生した孫の世代は新々人類と言うのだろうか。
「パカションのごみ箱からっぽ?」と、パソコンを開けば寄ってくる孫である。ユウチューブで『機関車トーマス』やテレビ番組の歌を楽しむのが当たり前の時代となっている。

さて、今話題になっているアイパッドが発売されて一か月。
今朝の経済ニュースでは、アイフォーンをアイパッドの上で傾ければ、アイパッドに写っているコップの中に飲み物が注がれていった。
このような説明しかできないのも私の理解度の低さによるのだが、まるでマジックを見ているようで、あまりの驚きにキョトンとしてしまったほどだ。どうしてこんなことができるのだろうか。

正直言って、アイフォーンさえ何のことだかわからない。携帯電話のことだと思って見ているが・・・今や関心がないでは済まされないように思った。

長女が小学校に入学して初めてのPTA文化講演会では、視聴覚時代の子育てについて語られていた。1984年の頃である。それから約25年後の今、5年以内に教科書が電子化されるという。
その関係の研究者でない限り、あの時の講師でさえ、まさかこのような時代が来るとは思ってはいなかったであろう。

21世紀に入っての技術革新はますます加速度を増し、もはや今の1年は1世紀を凌駕するほどの勢いだ。
このインターネット時代は、印刷機が発明されて以来初めての大きな技術革新の時代であることは間違いない。

グーテンベルグが活版印刷を発明して人類史が大きく発展したが、インターネットはそれに次ぐ2番目の大きな歴史の転換期にあることだけは明白である。

この時代の大きなうねりの中で既存のものが一部捨て去られていくのも必然であり、この時代に生きる者の宿命だろう。


直接影響を受ける紙や印刷業界の痛手は死活問題であり、紙を商いする夫の胸中は穏やかではない。
原口大臣は5年後には教科書を電子化すると公表し、教科書の出版社に紙を入れさせて頂いている美濃紙業にとってはただごとではない。

このたびのアイパッド発売が書籍の電子化に拍車がかかるだろうし、まさに紙業界にとっては黒船襲来の様相を呈している。

私は現時点で視聴覚時代とインスタント文化の終着点に行きついたと見ている。プロセスを大切にした生き方から大きく離れ、速さと結果を重視するデジタル社会、デジタル時代が来たのである。


しかし、あのような機械を持ち運ぶのは大変だろう。
本をバッグに入れるのとは違って衝撃や水にも気をつけねばならないし、結構なかさだ。しかしまあ、その進化も時間の問題だろう。

当初は電子書籍に傾くだろうが、物事を考えるにはやはり紙の本でないとだめだ。
情報を得るためや読み流して終わりというような軽い内容のものならばアイパッドで満足できるだろうが、その内容によって書物か電子書籍か吟味されていくのではないかと思う。

とは言え、このたびのアイパッドの出現にかなりの衝撃を受けた私は、黒船を見たサムライたちが一睡もできなかったと笑うことはできない。この衝撃に耐えて現実を受け容れねばならない。

そして、書物か電子書籍かという対立の構図で考えるのではなく本質に目を向けることだ。少なくとも書物が消滅することなどありえないのだからと自分自身に言ってやるのだが、何もかもが電子化されていくので心もとないかぎりである。

私たちは時代の影響を受けながらも、それゆえに、時代に流されないように、今まで以上に自分のこだわりを失わないで生きていきたいと思う。
これが今後の発展への転換期になるのかどうかは我々の運用の仕方によるだろう。

今の時代ほど人間の英知を結集させて動いていかねばならない時代はないと思う。技術にのみうつつをぬかしていては悲惨を招く。人間の成熟こそ求められる時代の最終段階に入ったのである。


20世紀の絵画に出てくる人物は本を手に持っていて、それが不安の象徴であると文化人類学で読んだことがあるが、21世紀の人物画にはアイパッドを持たせて描くのだろうか。


posted by 優子 at 17:05| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2010年07月04日

風そよぐ爽やかな聖日の朝

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今朝は梅雨の曇り空ながらも風があって、とても気持ちのよい聖日(せいじつ)の朝だった。
草がボーボーと茂ってしまった裏庭に、アガパンサスが首を伸ばして爽やかに咲いている。実際はこれよりももっと鮮やかな水色だ。私は蚊に刺されないように大急ぎでシャッターを押したが、それでも3ヶ所も刺されてしまった。

今朝は9時半過ぎに家を出て電気量販店に寄ってから教会へ行った。
今朝の説教ではガラテヤ書を開いた。
見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。

割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。

わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。

         (ガラテヤ人への手紙5章2節〜6節)
以下は牧師の説教より:

「ユダヤ教徒にとっては、『わたしが道だ』と言われるイエス・キリストを許せない。しかも、神さまの右側に坐しておられるなど、右とはより高い席でもあり、人間を神と同列に置いて神を冒涜している。こんな者は石打ちの刑で殺すことになっていた。

ガラテヤ書を書いたパウロは、かつてガチガチのユダヤ教徒で命をかけてイエスを信じる人々を迫害してきた人物である。
そのパウロが回心した。キリスト教では「改心」ではなく、心のベクトル(向き)をキリスト・イエスに向けることである。回心の様子は使徒行伝9章に詳しく書かれている。

さて、クリスチャンの中にもイエスを信じているだけではだめで、律法を守り、割礼も受けなければいけないと言う人々もいた。

しかし、パウロは言う。
イエスの十字架で我々の救いは完結しているのである!と。律法主義で救われようとしてはいけない。割礼を受けてはいけないと、パウロは口を酸っぱくして言っている。

最も大切なことは、キリスト・イエスに結ばれていることである。結ばれているかいないかである。

私(牧師)はぶどうの木を初めて見た時、とても驚いた。ブドウの木はどこまでが幹で、どこからが枝なのかわからないからだ。
イエスさまが、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」と言われたのは、このことを言われたのではないかと思う。

幹と枝の区別がつかない状態が、キリストと私たちの関係を表しているのではないか。
ただキリストにつながっている。
キリストにどっぷりつかっていればいいのだ。
ならば豊かに実を結ぶようになる。

私たちは実によって何につながっているのかわかる。
すなわち、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制という霊の実だ。
それは他者への愛、自己犠牲であり、他者から見れば本当に苦しい状況にあっても感謝と喜びをもって生かされる。

私たちクリスチャンは、体系だった宗教を信じているのではなく、イエス・キリストという一人のお方が愛を示して下さって、その愛が私に及んだことを知り、その愛によって生かされている。

世の人々はキリスト教を難しいと言われるが、イエス・キリストが私を愛して下さって、その愛によって生かされている。そのことだけでいいのだ!


私にも霊の実を結んで頂くために、イエス・キリストに結ばれていたい」。


今朝ももう一度、キリストのメッセージをしっかり受け止めて心新たにされて、感謝にあふれて教会をあとにした。
そして、私たちはいつものように食料品の買い物をして帰宅。2軒寄るので昼食は1時半近くになってしまう。食後、ひと眠りした夫は久々に裏の草刈りに精を出し、私は孫が寝ている静かなうちにと、セブン(新パソコンの愛称)の前に坐った。

教会籍の移籍について決断の導きを祈り始めている。

posted by 優子 at 17:27| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年07月02日

「悲しむ者の幸い」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより F―

      悲しむ者の幸い (村上宣道牧師)

イエス・キリストの教えの中には、常識から考えると「おや?」と思えるようなものもあります。例えば、「悲しむ者は幸いです」ということばもそのひとつでしょう。

これは、決して強がりやあまのじゃく的な言い方をしているわけではありません。または、悲しみを軽視しているわけでもありません。

イエス様は悲しむ者の気持ちを誰よりもよく理解できるお方なのです。なぜならば、イエス様は「悲しみの人」とさえ言われるほどに深い悲しみを経験されたお方だからです。

イエス様が悲しんで涙を流されたということが聖書には何回か記されています。十字架を前にしたゲッセマネという所での祈りのときには、「悲しみのあまり死ぬほどです」というほどの悲しみを通過されたのです。

ですから、悲しみというものがどのようなものであるかをよくご存じでありながら、あえて、「悲しむ者は幸いです」と言われたのです。
ここでひとつの詩を紹介しましょう。

「病まなければささげ得ない祈りがある。
 病まなければ信じ得ない奇跡がある。
 病まなければ聞き得ないみことばがある。
 病まなければ仰ぎ得ないみ顔がある。
 おお、病まなければ私は人間でさえもあり得ない」。


私は、この「病まなければ」というところに、「悲しまなければ」という言葉を当てはめてもよいのではないかと思うのです。この作者は、「おお、病まなければ私は人間でさえもあり得ない」と言っています。

人間は誰でも悲しみを経験するものですから、もしも、悲しみを通過したことがないとしたら、まさにその人は、「人間でさえあり得ない」ということになるのかもしれません。
 
誰でも悲しみなど歓迎したくはありません。しかし、悲しみを通してしか得られない、人間にとって大事なものがあるはずなのです。イエス様は、「悲しむ者は幸いです、その人は慰められるからです」と言われました。
 
聖書で言う「慰め」ということばは、特に旧約聖書では「救い」と同義語で使われています。
ここで言う悲しみというのは、自分自身を正直に見つめ、そこに見いだす自分の罪の深さ、わがままさ、愛のない冷たさなどのゆえに「悲しむ者は幸いだ」という意味なのです。

そして、自分自身の貧しさ、どうにもならない罪深さに本当に悲しむ者、その人にこそ本当の慰め、すなわち救いがあるということなのです。ですから、「悲しむ者は幸いだ」ということになるのです。
posted by 優子 at 17:06| 引用文 | 更新情報をチェックする

2010年07月01日

大溝(おおみぞ)教会にて会合開く

今日はO姉(しまい)とご一緒にJR湖西線・近江高島駅にある大溝教会を訪ねた。ここは敬愛する久保田暁一先生が籍を置いておられる教会である。

久保田先生は5月初めに手術された膝関節の予後も順調なご様子で、私達にも痛みを感じさせることなく歩いておられて本当に嬉しかった。

今日はいよいよ1ヶ月後に迫ってきた日本クリスチャンペンクラブ夏期学校の打ち合わせと、その時に配布すべく今月25日の発行を目指して『あかし新書』の編集会議のために集まった。

まず私は近江高島駅前のガリヴァー像に感激!
やっと会えたという気持ちでシャッターを押した。写真に写っていないが、この左側には小人の国のお城がある。

近江高島駅のガリバー.jpg

この像は町の活性化の一環として1987年に作られたもので、高さは7メートルあるという。
ここからそう遠くない静かなたたずまいの中に大溝教会があった。木に支えられた玄関正面の梅の古木は有名らしい。

大溝教会.jpg

2008年6月に100周年を迎えた伝統ある大溝教会は、40人も入れば満員になるような小さな教会であることと、仏教色濃い高島の地に福音の種を巻いた人が、最後の大溝藩城主・分部光謙だったことに胸が熱くなった。

中へ入ると真正面にウィリアム・メレル・ヴォーリズ直筆の文字が目に飛び込んできた。
「唯キリスト在るのみ 1951 1月1日 一柳米来留」
一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)とはヴォーリズの日本名だ。

大溝教会U.jpg

両サイドには召天された方々の写真がかけてあり、この礼拝堂でJCP関西ブロックの7名が集って一つひとつ決めていった。
左側奥から久保田先生、そして、大田先生だ。
大溝教会にて.jpg

大田先生は現役の大学教授で、5月に体調を崩されているのでご負担をかけないようにと、今日は久保田先生にご相談して決議することになっていた。

ところが午前の講義のあと駆けつけて下さって、3時頃にお姿を見た時には「アッ!」と声が出た。やはり嬉しかった。家族が揃ったような気持ちだった。夏期学校のことでは総指揮者としてお世話下さっている。

そして、左側手前は大溝教会の浅見文博牧師だ。
以前にもお目にかかったような気がした。気さくに声をかけて下さる浅見牧師は、馬見労祷教会に40日間おられたことがおありとか。もう50年も前のことだそうだが、高見牧師や花盛牧師のこともご存じだった。

また、近鉄奈良線の枚岡教会を牧会しておられたこともあり、ようやく故郷の教会へ戻ってこられたそうだ。
奥様は賀川豊彦から洗礼を授かったなど、歴史ある教会にまつわるエピソードには歴史に残る人物名が多々登場し、日本宣教150年を想わせられイエス・キリストを仰いだ。

会合の最後は浅見牧師がクリスチャンペンクラブの働きのために、そして、夏期学校が豊かに祝福されるようにお祈りして下さった。私も神さまの御用をさせて頂いていることをあつく感謝した。

最後に、このたびの出版本の表紙デザインのお知恵を拝借し写真を提供して下さったのがN兄(右側手前)だ。Nさんも多忙を極めておられる中、長浜から駆けつけて下さった。

皆の合議で本の表紙は「受難の花」の意味がある「時計草 Passiflora(パッシフローラ)」に決定した。

この珍しい花は近隣の知人に教えて頂いて知っていたが、クリスチャンならば命名のいわれを知っておきたい花の一つだった。
そういえば、我が家の庭にも咲いている今盛りのアガパンサスも、キリストに関係があることを2年前に妹から教えてもらった。

生け花にもよく使われるアガパンサスは、ギリシャ語で「神の愛、無条件の愛」を示す「アガペー agape」と、「花」の意味を持つ「アンサス anthos」との結合語で、「愛の花」、「愛らしい花」というような意味だそうだ。

時計草の英名は「Passion flower(パッション・フラワー)」と言い、「はりつけの刑にされたキリストを雌しべの柱頭にたとえ、放射状に広がる副花冠をキリストの後光にたとえたもの」である。
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「パッションは普通名詞の" passion "(激情)ではなく、" the Passion "(キリストの受難) のこと。
ブラジルが原産で旅行中のスペインの宣教師たちが発見したときの印象から名付けられたものだという」。

なんというユニークな花だろう。
高校の美術の時間に想像した魚を描けという課題が出て、みんな思いっきり想像力豊かに魚を描いていたが、魚も花も全て、神が自然界に創造されたものは人間の想像力をはるかに超えている。未だその驚きは更新し続けている。

神さまは人間一人ひとりをそれ以上にユニークな存在として誕生させて下さっていることだろう。それゆえに私は思いっきり個性化の道を励みたいと思っている。

特に人生後半を旅する者は個性化こそが課題であるのだから、神さまが備えて下さっている個性に磨きをかけ、それぞれに賜った人生を生き切りたいものだ。

ユニークなNさんに感謝! ありがとう クマさん.png

posted by 優子 at 02:06| JCP関係 | 更新情報をチェックする