2010年08月31日

明日から新しい船出 ―「その日その時をただ神が知る」

いよいよ今日で8月は終わり、知子は9月1日付けで父親の会社に入社する。
知子は明日からの新しい門出にあたり、祈って下さっていた方や妹夫婦にメールを送った。それを読ませてもらっていると私の霊性まで高められ、神さまへの感謝と喜びで胸がいっぱいになって、知子の承諾を得てここに刻ませてもらった。

これは私の喜びにとどまらず、『メメントドミニ』を読んで下さっている方々の励ましになれば嬉しい。そして、後年、知子自身が半生を振り返った時の貴重な足あとになるに違いない。

(略)音楽講習会は外国旅行から帰国したぐらいの別世界でした。
感動していたら、もう治ったと思ってたのに土曜朝からずっと起きることもできないぐらい、1年ぶりにひどい症状が出て苦しんでいました。半日で3キロも体重が増加したのです。

1ヶ月1キロのペースで体重を増やしていく妊娠中でも過酷なのに、お風呂でタオルをしぼることも困難なぐらい指はむくみ、目も開けていられないほどまぶたが腫れ、とにかく起き上がれなくて、そんな中で日曜日の礼拝の奏楽をなんとか終えました。

甲状腺機能障害でもなく1年近く漢方を飲んでも無駄で、この不思議な症状はこれまで、どの医者も解決できていません。体の小宇宙は神さまだけがご存じですね。
しかし、ようやく自分でもがくことをやめて本当にゆだねるということができそうです。

突然体が腫れて浮腫までできるこの症状になると、回復には2週かかっていたのに、不思議なことに今朝からかなり楽になり、今は3キロダウンしていました。出産直後のような感じで皮膚も延びたり縮んだりです。

それだけではなく少しずつ、いえ、私の中では考え方の面でとても大きな変化がたくさん起きています。あの講習会は、今までの人生で一番充実した時間だったかもしれません。

『讃美歌21』の575番は葬儀でも用いられる曲だそうですが、今回の講習会では、パイプオルガンの伴奏(格別!!)で何度も歌い、涙が出てきました。

「讃美歌21−575番   球根の中には」

 1 球根の中には花が秘められ
   さなぎの中から命はばたく
   寒い冬の中春は目覚める
   その日その時をただ神が知る

 2 沈黙はやがて歌に変えられ
   深い闇の中夜明け近づく
   過ぎ去った時が未来を拓く
   その日その時をただ神が知る  


この2番!
今日ここに至れた自分を思うと涙が出ます。
6月の終わりにはまだ私は人生を投げていたのです。どうしようもない悲嘆にくれる「気力」さえなくなっていました。

その後から今日まで、これまでの数々の衝撃的な出来事をはるかに上回る出来事が、しかも、私が望みも想定もしていない事柄が・・・予測もできない中で次々に起きてきました。

馬見労祷教会に導かれたこと、そして、オルガンの操作法もわからないところから出発する私をも、主は奏楽の奉仕者として用いて下さろうとしているのです。今までの苦難「以上に」、感謝に身震いします。

全ての時に全ての時がある。
8月28日の母のブログの礼拝引用部分は私の感動した部分です。

講習会でそれを朗読されたと時、私が希望を失って人生を投げていた時さえも、主は既に球根のなかの花のように導きを用意されていて・・・全てにふさわしい時があって、今、この段階、この時に、この講習会に出られたことも「時」だったんだと思いました。

明日から勤めに出ず今までどおりの生活なら、これからこそ音楽、オルガンに親しみ、先生に習いに行ったりもできるのに!などと、かつてなら思っていたことでしょう。

でも嘆くこともせず、全て最善と信じられるようになっています。
「その日その時を神が知る」
過去の事がその時にわからなかったのと同じで、神だけがふさわしい時を知っておられるんだと思います。


明日から新しい船出!
主に信頼して希望を持って、最善を尽くして、今日を感謝して。ここまで私を導いて下さったことを感謝します。
祈り支えて下さった方々に祝福がありますように!

時々こうしてやりとりできる恵みの時間に感謝しつつ。
知子

神は神を求める者を決してお見捨てにはならない。
頑張りすぎる我が子を心配しそうになるが、その心配も神に委ねよう。

明日は夫の65歳の誕生日である。高齢者の1人になったかと思うと万感の思いがこみ上げてくる。

そして、私もまた新しい出発だ。

人生の大きな危機を喘ぎながら過ごした知子との日々が、今、かけがえのない思い出に結晶した。


posted by 優子 at 23:12| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

「最も大いなるものは愛である」

6月に続いて今月初めには夫の甥の結婚式があったが、今やクリスチャンでなくてもキリスト教式の結婚式ばかりで、参列するたびに日本人の不可解さを思わないではいられない。

式はあまりにも機械的で、まるでベルトコンベアで流れて行くように終わってしまう。その中で必ず引用される聖書の箇所が「愛の章」と呼ばれているコリント人への第1の手紙13章(4節から7節あたり)だ。ノンクリスチャンの人も一度は耳にされた言葉ではないだろうか。

「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」。

今朝の礼拝では、この箇所に先立つ12章27節から13章13節までを開いて説教された。
今一度自己だけではなく信仰者たちの歩みを振り返り、昨秋11月の出来事に象徴される一連のことついて、神さまからの慰めと励ましを受けとった思いである。

最初に聖書を開いてみたい。

あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言(いげん)を語る者をおかれた。

みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行う者だろうか。みんながいやしの賜物を持っているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。

だが、あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。そこで、わたしは最もすぐれた道をあなたがたに示そう。

以下は牧師の説教からであるが、孫に気を取られて聞きもらしたところがあった。

(※「異言」は英語では「舌」と訳されている。)

これは西暦50年頃にパウロが信者たちに書いた手紙である。
即ち、聖霊を受けた証拠としてこういうことができるという風に言う人もいるが、それは神さまを誇っているようで自分を誇っているような信者たちに書いたものである。

これらの賜物も大切であろうが、最も大きな賜物を受けるように求めなければいけないですよと、13章に入っていくのである。
第13章
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢(にょうはち)と同じである。

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。

なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。

わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。

しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である

では「愛」とは何か。
「愛」という言葉はキリスト教が日本に入ってきて訳された言葉であるから、実態が感じられにくく使いにくい言葉であるが、聖書では対等の関係の時に用いられる。

仏教では「愛」は「自己愛」を指し、仏教の言葉では「慈悲」という言葉を使う。

「愛がなければ」というのは、「私がもしアガペーの愛(神さまが私達に下さった愛)を持っていなければ」という意味であり、「愛」というところにイエス・キリストを入れることができる。
「イエス・キリストがなければ」、即ち、「イエス・キリストを持っていなければ」ということである。


では、「イエス・キリストを持つ」とはどういうことであろうか。
その本質は私達1人ひとりがイエス・キリストと個人的な関係に入るということではないか。マルティン・ブーバーの「我と汝」の関係である。

つまり、神さまと私の関係であり、あなたは我と汝の関係に入るのか、入らないのかということである。

宗教に入る、あるいは、宗教を信じるとは、その教えを信じて入るということだろうが、キリスト教は違う。私達は難しい教理を知ってクリスチャンになったのではない。

一番大切なことはイエス・キリストを持っているか。
あなたはイエス・キリストとどういう関係にいるのか。

キリストを着ているか。
キリストにゆだねているか。
キリストを信頼しているか・・・というように、密接な関係に入っているかを問われているのであって、三位一体論や聖霊論を知らなくてもよい。

そして、この方と人生を歩いて行こうと決心がなされる時に洗礼を受けるのであり、それが出発点である。

神は見えない存在であるが、見えるようにして下さったのがイエス・キリストであり、この方にゆだねて生きるのがクリスチャンである。人間的に見て素晴らしい人であったとしてもキリストを知らなくては虚しい。

イエス・キリストは言われる。
あらゆる聖書の知識や神秘に通じることよりも、愛を持ちなさいと!


このお方にしっかりと結び合わされて生きていきたい。

附記:知子の初めての奏楽 感謝!

前奏  『前奏曲』Ch.H.Rinck
讃詠  28番
讃美歌 18番、487番、567番
頌栄  27番
後奏  『主は我が隠れ家』

posted by 優子 at 23:59| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年08月28日

「新しい季節の入り口で」 On the Threshold of A New Season

聖書 イザヤ書43章19節

     見よ、新しいことをわたし(神)は行う。
     今や、それは芽生えている。
     あななたちはそれを悟らないのか。
     わたしは荒れ野に道を敷き
     砂漠に大河を流れさせる。


祈り 

神さま、しばしば、私たちは、
自分の人生の短さを嘆いています。
そして夢見るのです、
この人生をもう一度新しくやり直せたら、と。

私たちは 楽しく思い返せるような時代を
もう一度思いきり楽しみたいと願っています。
嬉しかった体験を再び繰り返したいと、
できなかったことを取り戻したいと、
そして過去に残してきた失敗を取り消したいと望むのです。

でも、私たちは知っています。
全てのことには、「時」があります。
神さま、あなたがそのように創造されたのです。
私たちはそこから何一つ取り去ることも、何一つ加えることもできません。

なぜなら、神さま、
私たちの「時」は、あなたの「時」でもあるからです。
あなたが「時」を私たちに分け与えてくださり
あなたが私たちと「時」を共有してくださるのです。
全ての瞬間を、全ての日を、私たちの人生の全ての時を。

あなたが私たちに与えて下さる恵みがあります。
この人生を生きるかぎり、私たちはそれらを喜ぶことができます。
あなたが私たちの人生に負わせられる重荷があります。
私たちは大きな信頼をもってそれらをあなたみ手に委ねることができます。


だから、もう嘆くのはやめます。
私たちはあなたに感謝します。
昨日も、今日も、そして明日も
初めから終わりまで、そして永遠に至るまで。アーメン

       
Eckhard Herrmann/Neue Gebete für den Gottesdien

まさに人生の新しい季節を迎えた知子にとって、2泊3日のキリスト教音楽講習会は最高の恵みであり神の時だった。豊かに恵まれて昨夜帰宅した。

初日の研修終了後すぐにくれた電話では、「ここは(専門家の集まりで高度すぎて)私のような者が参加する所ではなかった!」と、興奮した口調で言った。
この第一声に私の心は弾んだ!
「不思議なことがいっぱいで、何から話していいかわからない」と、高揚して溢れる感動を伝えてきた。

「まさに無知の知だった」と何度も語る知子。
この大発見は明るい未来への扉が開かれたことであり、音楽的な学びだけにとどまらず、個性的で生き生きした信仰者たちとの交わりは初めての経験だった。
「こんな会は初めてだった。ママがペンクラブで経験している喜びはこういうものだったんだと初めてわかった」と何度も語った。

参加者の殆どは20年30年、50年ものベテランの奏楽者たちである。
リードオルガンでは1クラスが9人から10人に編成されているのに、どういうわけか知子のクラスは3名だった。

指導者も牧師ならば、生徒の1人も牧師であり、もう1人は高度な技術を持ち用いられておられる方であり、そういう方々の集まりだった。

かたや、知子はと言えばリードオルガンの何たるかも知らない素人であり、最初は音を出すことさえできなかったという。そのために実技ではたくさんの時間を割いて頂き、申し訳なく感じながらレッスンを受けたそうだ。

リードオルガンはピアノと違い、足で演奏する楽器と言われている。足踏みによって空気の流れを変え、様々な音を作り出す。ようやく音は出せるようになったが、強弱は全くつけられないそうだ。スウェル(普通のオルガンにもある)は使うことさえできない。

ピアノ演奏者は足を常時動かすことはないし、指使いも違い、まさに初めて出会った楽器である。

しかし、「フォルテ(強く弾く)もピアノ(弱く弾く)もできない演奏でいい。今できることをすれば神さまは喜んでおられるよ」と指導者が激励して下さった。

まず、何番かの棒(?)を引っ張って音が出るようにセットしてもらわねばならない状況で、明日の礼拝の奏楽をさせていただくことになっているが、何もかも感謝である。
派遣と祝福

派遣のことば
神の導きのもとに旅する私たちが
決して行くべき方向を見失うことがありませんように。

主なる神が置いて下さる道標を見逃すことがありませんように、
雲や雨が私たちの視界を遮る時も、導きの確かさを疑うことがありませんように。


私たちの一歩一歩の歩みが、神を求め、神に近づくものとなりますように。
神のみ言葉から勇気を得、神の愛のみを旅路の守りとして歩んだ
すべての聖徒の足跡に倣う者でありますように。

平安の内に、この場から旅立って行きましょう。

神さまは数々の手段を用いて私達を何と熱心に追い求めていらっしゃることだろう。
知子は祈りに対して神が答えて下さることを知り、これからは日々喜びと感謝に包まれていくことだろう。
力強く生きていってほしい。
明るく、楽しく、主イエスと共に!


posted by 優子 at 15:54| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

「神は死んだのではない」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより G―

神は死んだのではない (羽鳥 明牧師)

マルチン・ルターという人のことをご存じでしょう。
宗教改革を興し、誰でもが聖書が読めるように、聖書を初めてドイツ語に翻訳した人、信仰のヒーローです。そのルターに、こんなエピソードがあります。
 
彼の奥さんのケーティーがある日、夫のマルチンの前に真っ黒な喪服を着て現れました。
「ケーティー、誰が死んだのだね」とルターが尋ねますと、妻のケーティーは「神様が死なれたのです」。

びっくりしたルターは、「ばかな、そんなはずはないじゃないか。神様は永遠に生きておられるお方だよ」と答えました。するとケーティーが言いました。
「でもマルチン、あなたを見ていると、すっかり失望していらして、神様が死んだと思えるんですもの」。

ルターは妻のケーティーが賢い女だとはっきりわかりました。そして自分が極度に失望、落胆していることに気づき、もう一度、いつも一緒にいて私たちを助けてくださる神様を信じ直して、立ち上がったというのです。

マルチン・ルターのような信仰の勇者でも、失望、落胆することがあるんだとわかって、ちょっとホッとする話です。

このエピソードによって私たちも、もう一度、どんな激しい困難や試練に遭っても神様は私たちを愛し、助け、救ってくださる。神様は生きておられるという励ましを受けます。
 
有名な讃美歌に、「神はわがちから、わが高きやぐら、苦しめるときの近き助けなり。たとい地は変わり、山は海原の中に移るともわれいかで恐れん」(讃美歌286番)という歌があります。
 
この讃美歌は、聖書の詩篇46篇から作られたものです。
「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも」(詩篇46篇1、2節)常に生きていらっしゃる神様は、いつもそこにいて、助けてくださるのですね。

生きて、愛して、生かして、助けてくださる神様を信じ、その神様の懐に憩う生活こそ大切なのです。

聖書のことば、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない」。(詩篇46篇1、2節)


posted by 優子 at 17:33| 引用文 | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

知子、心軽やかに2泊3日の奏楽者研修会に!

「美しい! 何もかもが極彩色よ! wounderful!
サモアに居たのに国連の仕事のことで頭が一杯で見えていなかった。サモア人は節度があるし・・・マーガレット・ミードに対抗して何か書きたい気分」。


日本を離陸して約36時間の長旅とは疲れたことであろう。
ホテルで3時間ほど仮眠して電話してきてくれた。こちらが午前7時ということは、サモアは24日の午前11頃か・・・ということは時差はマイナス20時間?????

飛行機事故からも守られ、アピア空港にも迎えの人が来て下さっており、現地時間(24日)の明け方4時に空港を出てホテルに向かったそうだ。神さまに感謝し、妹の祝福を祈った。

私の大切な妹、愛する妹よ、いつか一緒に海外旅行に出かけたい。そんな幸せな思いを与えて下さるイエスさまに感謝!

7時の電話で妹が無事に着いたことを喜び、今日から2泊3日で関西キリスト教音楽講習会に出かける知子を見送った。

先週の礼拝後、O姉をとおして声をかけて頂いて参加することになった。いつも知子に関わって下さっているO姉は、奏楽のご奉仕を30年間もされておりピアノ教師をされている。

このお誘いは神さまからのお導きだと直感した。
この教会では来週の礼拝で初めて奏楽のご奉仕をさせて頂くことになっているが、ピアノではなくリードオルガンなので指のタッチが違う。

神さまは知子に与えて下さった賜物を、どうしても開花させたいと望んでおられるのだろうか。私はそう思えてならない。
時には子供から解放されることも必要だ。きっと全てが楽しい時になるだろう。


私は娘がチャレンジしようとする意欲を感じて大いに喜び、大いにプッシュした。O姉は牧師にも相談して下さったのだろう。牧師からの受講料の半額を教会が負担して下さるというメールに恐縮している娘に、「感謝して受ければいいのよ!」と背中を押した。

今年で第28回を重ねる講習会の会場は同志社大学神学部なので、2時間半もかけて通うのは大変だからと同志社周辺のホテルを検索した。便利な時代になったものだ。
ありがたいことに同志社からさほど遠くない所に安価で素敵な部屋が空いていたので、私まで嬉しくなってしまった。(^0^)

知子も今は携帯電話を持っていないので不便だろうに、今朝10時、「迷うことなく無事に着いたよ」と明るく心の美しい声で会場から電話してきてくれた。JCPの夏期学校で乗った京都の地下鉄案内も大いに役立ったようで最高に嬉しい!

「ありがとう!ユキのことは心配しないでね。大切に預かるからね!」。

チャッピーの散歩を兼ねてユキと一緒に家を出て改札口で見送った。帰宅して汗だくのユキをシャワーに入れてやり、しばらく休憩して本を読んでやっていたら1冊目の途中で寝てしまった。2日前に読んでやった『マッチ売りの少女』がお気に入りだ。

神さまがここまでお導き下さったことを心から感謝し、今日の記事は今まで祈り支えとなって下さった方々への感謝報告だ。
そして、9月1日から美濃紙業に正社員として入社する。


研修会内容は次のようなものだ。
〜ことなる賜物、ひとつの讃美:力強い会衆讃美を求めて〜

パイプ・電子オルガン、リードオルガンクラスとも、次の課題曲の中から選曲し、実技レッスンのためにご準備ください(オルガンクラスはグループレッスンです)。
讃美歌については、ご自分の力に合わせて、『讃美歌21』の楽譜どおりに弾く、メロディーとバスのみを弾く、両手でメロディーを弾く、などの工夫をしてください。

オルガン課題曲
次の1〜3のカテゴリーから課題曲を選んでください。

1 『讃美歌21』の頌栄(24〜29番)の中から1曲以上
2 次の讃美歌の中から2曲以上(番号はいずれも『讃美歌21』のもの)
番号 初 行 歌 種
1 19 「み栄え告げる歌は」  英語創作讃美歌
2 60 「どんなにちいさいことりでも」  こどもさんびか
3 133 「み神は避けどころ」  スペイン語創作讃美歌
4 160 「深き悩みより」  コラール
5 162 「見よ、兄弟が」  答唱詩編
6 231 「久しく待ちにし」  単旋律聖歌
7 369 「われら主にある」  韓国の讃美歌
8 385 「花彩る春を」  日本語創作讃美歌
9 493 「いつくしみ深き」  伝統的英語讃美歌
10 499 「平和の道具と」  英語創作讃美歌

3 自由に選ぶ奏楽曲を1曲(讃美歌以外の曲、奏楽曲など)

オルガンクラス課題曲
   
課題曲はバッハの『主よ、人の望みの喜びよ』に決めたようだ。
参加が決まって1週間足らずなのに課題曲も準備できるなんて大したものだ。

初日の今日は10時半から開会礼拝があり、続いてオリエンテーション、「昼食と交わりの時」をもち、午後は実技とゼミで19時半まで続く。最終日も17時まであり密度が濃い。今からおみやげ話が楽しみである。


posted by 優子 at 12:21| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

妹のサモアへの旅

「お姉さん!着いたよ。今、オークランド!」
今朝8時10分過ぎ、受話器から元気な弾んだ声が飛び込んできた。
昨日の午後、関空からサモアへ発った妹が、中継地ニュージーランドのホテルからかけてきた電話だった。

サモアは妹が国連の経済専門職員として赴任していた地で、25年ぶりの訪問である。この旅のために国際電話もかけられる携帯電話を買い、国際運転免許証も取得したという。

同じ姉妹でも私は妹とは全く正反対で、パック旅行さえ1人ではいけない情けない人間だ。笑われるのを承知で言えば、今月初めJCPの夏期学校があった京都の宿泊地へ行くだけでも大きな冒険だったし、1人で行けて自信につながったというのが実態である。

さて、妹は日付け変更線を越えるのでアピア到着は現地時間23日22時頃(日本時間は今日18時頃)と言っていたが、午後3時過ぎに再び妹から電話があり、飛行機のエンジンの具合が悪いとかで2時間遅れになったという。
これでは到着が真夜中になる。ホテルにメールしたが未だ返信がないらしい。受話器を切って直ぐに祈った。

昨年のニューヨークの旅に続いてサモアの旅もまた、これまでの半生を振り返り、自他共に客観的に見つめ直す機会となるように。
妻でもなく母でもない自分自身に戻ってリトリートの時にしてほしい。帰国は9月2日、旅の無事と神の豊かな祝福を切に祈っている。

25年といえば長い時間には違いないが、あの時は両親の死などまだまだ遠い先のことだと思っていた。
あれから12年後に母が亡くなり、15年後には父まで亡くなっているなど思いもつかぬことだった。

だからこそ、今のこの時もかけがえのない日として過ごしたいのだ!
58歳と言えば、母が妹をサモアに見送った時の年齢である。


posted by 優子 at 16:51| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年08月22日

聖書と憲法を学ぶ会@

昨日、日本脳炎の予防接種を受けた孫が夜から発熱したために、今日は私達夫婦だけで教会へ行った。(ようやく今夜平熱に戻った。)

労祷教会では毎月第3週目の礼拝後に「憲法を学ぶ会」があり、今回は絶好のチャンス到来とばかりに夫に頼んで付き合ってもらった。

いつもは参加したくても幼い孫が一緒なので諦めるしかなかった。かと言って関心があっても自ら学ぶという熱心さに欠ける私なのだが、高見敏雄牧師から14枚にも及ぶレジメを手に至福の時を過ごした。

終ったのが3時過ぎだったので、途中から何度も中座を促す夫を幼児のようになだめながらの参加だったが・・・ふらふら

私は常々、キリスト教会が社会や政治に対してもっと関心を持たねばならないと思っているので、このような学びがある馬見労祷教会に敬意を表したい。

確かに、聖書は社会機構を変えよとは言わない。
クリスチャンが「地の塩」として社会に浸透していくことで周囲に影響を及ぼし、本質を変え、社会を変えていこうとする教えであるが、私達も政治や社会に関心を持たねばならないと思っている。


高見牧師は冒頭でヨハネによる福音書3章16節、
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」を引用し、「世を愛される神には教会と世に区別はない。世に起こる事柄は教会の責任と受け止める教会の在り方」として、教会の中で憲法を考える会を位置づけられた。

そして、ヘブル書13章13・14節、「したがって、わたしたちも、彼(イエス・キリスト)のはずかしめを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。」から、
「私達も営所(教会)から外へ出て、この世の苦しみを経験し、この世のことに関わりながら御許に行こうではないか」と奨励された。

次に国連本部前の「イザヤの壁」を紹介され、ここに刻まれているイザヤ書2章4節を読んだ。
ちょうど2週間前に教会のK姉から、これと同じ絵はがきを分けて頂いたところだった。絵はがきを再度撮った写真からは文字が出ないので、ネットから写真を拝借した。

国連本部イザヤの壁.jpg

THEY SHALL BEAT THEIR SWORDS INTO
PLOWSHARES. AND THEIR SPEARS INTO
PRUNING HOOKS. NATION SHALL NOT LIFT
UP SWORD AGAINST NATION. NEITHER
SHALL THEY LEARN WAR ANY MORE.ISAIAH 


ここに刻まれているのは下記の下線部分である。

「彼(神)はもろもろの国のあいだにさばきを行い、
多くの民のために仲裁に立たれる。
こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、鋤(すき)とし、
その槍を打ちかえて、鎌とし、
国は国にむかって、つるぎをあげず、
彼らはもはや戦いのことを学ばない
。」

また、ミカ書4章3節にもこれと同じ預言が記されており、これらは日本国憲法9条と同じ戦争放棄の立場であり、キリスト者が、また、教会が憲法を考えることは必要であると説かれた。

これまでの世界の教会の歩みを見ると、ドイツではナチスに協力した教会と、告白教会のようにヒトラー(鉄十字)に敬礼することを拒んだ教会もあった。

では日本の教会はどうであったか。
抵抗したために獄に入れられた牧師たちもいたが、その殆どは政府に対してあまりにも無抵抗であり過ぎた。

この反省から、”EXPO'70”の日本万国博覧会で「キリスト教館」を作るように言われた時も、政府への協力はやめようと万博反対運動が起こったそうだ。

政府の言いなりになるのではなく、隣人に仕え、隣人のために奉仕することの方が大切だということで、社会や政治への関心に方向づけられていったという。

戦時下の教派の合同については、クリスチャンペンクラブの例会で詳しくお聴きしたことを思い出していた。
今年90歳になられた千里ニュータウン教会の東道男牧師の話(過去ログ2008年11月19日・JCP関係)である。

「昭和17年の頃、教会(宗教)を管理していたのは文部省ではなく警察でした。警察はあらゆる宗教が一つになって日本教を作れと言いました。
『それはできない』と私は当局に日参し、ついにキリスト教と神道と仏教をそれぞれ独立した形でやっていくことになり、こうして日本基督教団を強制的に作らされたのでした。・・・」


また戦時中、日本政府のキリスト教政策の実行担当者の一人であり、キリスト教を弾圧した西村徳次郎が書き残した『昭和キリスト教受難回想記』のこと(2009年11月24日・JCP関係)が脳裏に浮かんだ。彼はのちにクリスチャンになった。

今日の学びについてはこの程度にとどめるが、印象に残ったことは、
▼条文は違っても「9条」を持つ国が増えつつあること。
▼今夏の広島市長の平和宣言に触れて、「今こそキリスト者の出番だと読ませてもらった」と高見牧師。
▼そして、水平社創始者の西光万吉にキリスト教を伝えたのが賀川豊彦であり、馬見労祷教会の前身でもある労祷保育園の資料に万吉と豊彦が会っていることが記録されていることなど、
興味深く聞かせて頂いた。

最後に質問を受けて下さるというのでお聞きした。
国家主義下に在っては、私は命を賭した信仰を貫くことができるか非常に自信がない。私だけではなく過去の歴史が物語っているように、人は暴力(弾圧や拷問)を恐れて屈するのではないか。
それは聖霊の力によるところであると思うが、そのあたりについてどのように思われるかお聴きしたが、的を得たお答えを得ることができず残念だった。

そのあたりのことは語り合えなかったが、「政府の弾圧が始まってしまったら何もできなくなってしまうから、今こそ自分にできることをすべき時だ」と言われたT兄の発言に深くうなずかされた。

また、司馬遼太郎の明治史観の間違い、サブリミナル効果・・・など、興味深い事柄が多くあった。

「新聞は正面からだけ読んでいたらあかん。後から、斜めから読まなあかん。」とは、読売新聞の東大阪支局長でもあった西口孝四郎氏の言葉であるが、今になっていよいよ目が開かれていく思いである。
メディアリテラシーのみならず、教科書に対してもリテラシーが必要なのだ!


「ふたたび『銃口』が背中に当てられる時代がきた。今度はキリスト者として目覚めて戦いたい。権力へのおそれやへつらいからもっとも弱い者を二度と犠牲にはしない」。三浦綾子

附記・西口孝四郎氏の出版著書:

『新聞記事の読み方・活かし方 仕事と生活に役立つヒントとアイデア』1980年・ぱるす出版発行

『新聞記事の選び方・楽しみ方 何を、どう読み、どう活用するか』1981年・ぱるす出版発行

『新聞特ダネを深読みする The newspaper scoop 』1992年・講談社発行


附記:馬見労祷教会では以前から「聖書と憲法を学ぶ会」を重ねておられるが、ブログでは私の記録上より初めて参加した今回を第1回とした。

posted by 優子 at 23:12| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

「人を裁くこと」と「戒めること」は違う

日中はクーラーをめったにつけない我が家でも、「暑い、とにかく暑い、もうたまらん」とばかりに、いつの頃からかつけっぱなし状態である。昨日の大阪(堺)ではついに38度台にもなったそうだ。

さて昨日の記事を書いていて思ったのだが、「詐欺をしてはいけない」と諭すことさえできないのは、諭すことが裁くことになると考えているからだろうか。

確かに聖書(マタイによる福音書7章1・2節)には、 「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。」という御言葉がある。

この御言葉を間違って理解していると、例えば裁判員制度の裁判員に選任された時は辞退せざるをえないのではないか。

しかし、「人をさばくこと」と「戒める(指摘する)」ことは全く別のことだ。

人の罪を指摘することは人を裁くことではないし、戒めることがなければ祝福につながる悔い改めに導くことはできないのである。

罪を黙認し、何も言わないで「祈っています」だけで終わるならば、聖書の教えが全くわかっていないのであり、わかっていてそのまま通り過ぎていくならば、もはやキリスト教会ではなく、教会の名を借りた仲良しクラブに成り下がるか、○○牧師教となってカルト化してしまう懸念さえある。


あくまでも主体性をもって互いに愛と祈りにより教え合い、赦し合いたいものである。
ついでながら裁判員制度に関して、クリスチャン弁護士・湊信明氏は次のように書いておられる。

主がさばいてはならないと命じているのは、むやみに他人のあら探しをして批判してはならないと教えているのです。

刑事裁判というのは、事実を認定して、認定された事実に法を適用して刑を宣言する国家作用をいいますから、他人のあら探しをして批判することとは全く異なります。

ですから、刑事裁判に参加することは、聖書が禁ずる「人をさばくこと」には該当しません。むしろ、クリスチャンが、聖書信仰と祈りをもって、加害者及び被害者の一生を左右することになる刑事裁判に携わることは極めて重要なことであると思います。     

( 略)

裁判員候補者に選ばれた際には、クリスチャンとして、是非、堂々と裁判員裁判に参加して来て頂きたいと願っています。

クリスチャンとして成熟していきたいものである。

附記・ブログ季節録:

今年はアブラゼミの数がとても目立つ。
いつもは8月中旬頃になると数が減ってくるのに、下旬になった今でもアチコチで見かける。
夫によれば桜ノ宮(大阪・造幣局近辺)の木には、手づかみできるほど一本の木に何匹もクマゼミがいるとか、夏はまだまだ真っ盛りのようである。

しかし、数日前から夕方になると「ツクツクホーシ」が鳴き始めた。
正しくはツクツクホーシも夏の初めから鳴いていて、他の蝉の声の勢いに消されて聞こえないだけだという。アブラゼミやクマゼミが少なくなる8月下旬から鳴き声が際立ってくるということだ。

私はてっきり夏の終わりに出てくる蝉だと思っていたから、58歳の発見となった。わーい(嬉しい顔)
周囲が静まってその存在が浮かび上がるとは何かの例え話になりそうだが、暑さで思考力が低下して直ぐには思いつかない。

ツクツクホーシのことを今夜の夕食時に夫に教えてあげた。
「何でも検索」を合言葉にキーワードを入れれば、直ぐに知りたい欲求を満たしてくれるパソコンは魔法の箱だ。検索する楽しさを知った夏である。

今日は蝉の声の勢いがトーンダウンし、昨夜以上に秋の虫が鳴いていた。
夜のウォーキングの折に、夫がキリギリスをつかまえてユキに見せてやろうとしたら、怖くて固まってしまった。こんなことで虫取りを楽しめるのだろうか。(笑)

既に夜明けが遅くなり5時を過ぎても薄暗くなり(今朝の大阪の日の出は5時21分だった)、午後になると部屋の中に陽が差し込み、いろんなところに秋の気配がいっぱいだ。


posted by 優子 at 21:07| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年08月17日

福音は歪められていないか?

1ヶ月前から気が向いた時に少しずつ身辺整理をしている。
お盆前の古紙回収日には百科事典を初め、本や信仰雑誌をたくさん手放した。
今は僅かに残しておいた冊子やスクラップ記事を整理しているので、つい読んでしまい中々進まない。そして、ある記事を読んでいた時、一部の教会に対して懸念している福音理解について共感する記事を見つけた。

これは1986年の『いのちのことば』という小冊子の第1ページに、毎月シリーズで掲載されていた「諫言(かんげん)・苦言・寓言」の一文である。
いつからキリストの福音は変わったのか?
伝道メッセージで、罪を指摘し、責めてはならないと、いつなったのか?
罪を指摘しないで、どうしてキリストの十字架を宣べ伝えることができるのか?
神の永遠の律法を知らずして、どうして罪意識を持てるのか?
罪意識を持たずして、どうして罪からの救い主イエス・キリストを求めるのか?
神の愛や恵みは、人間の罪を前提として初めて言えることなのに、どうして罪を語らないのか?

          (略)

罪を指摘せず、悔い改めを迫ることなく「ただ信じなさい」と説くことこそ、人々を混乱させ、神の恵みから人々を締め出すことになるのではないか?
          (略)

歪められた福音に対して、憤りを示すのは、愛のない、柔和と寛容に欠けることになるのだろうか。「愚言」なのか。

例えばある教会では、「あなたは神さまに愛されていますよ」という言葉だけが行き交い、福音が心理学化してしまっているのかと思うことがよくあった。

また、これは私がずっと以前に見聞したことであるが、詐欺まで働く夫のことを相談にきた夫婦の話を、60年にも及ぶ信仰歴を持つ女性が相談にのっておられた時のこと。

私もそこに同席していたのであるが、その女性は本人を諭すどころか、本人のいる前でクリスチャンの若妻に対して、「あなたには過ぎたる伴侶だ」と言われるのみだった。

私は大変な違和感を感じて、相手は信仰人生の大先輩ではあったが進言し、まさしくこのことを申し上げたのだった。

神の愛と寛容のみを強調したり、あるいは、そのような耳触りのいい話だけで終始して誤解させるような話し方は戒めるべきだ。

しかし幸にして、私の目には「歪められた福音」、「薄められた福音」に警鐘を鳴らす人は少数派ではないと映っているが、これは現代に生きるクリスチャンの祈りの課題とするほどに重大事であると思う。

posted by 優子 at 23:07| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2010年08月16日

父が亡くなって10年目の情況

父が亡くなった2000年の夏も猛暑だった。あの8月8日の気温までインターネットで検索すれば出てくることにびっくり!

そして早10年過ぎた。
父の葬儀の2日後、これから毎年お盆に兄妹会おうと声をかけた。そうでなければ会えなくなってしまうような状況だったからだ。

案の定、兄さえ快く賛同してくれたわけでないが、以来、兄とだけはお盆に両親の墓参を共にするようなり、今年も休み前に兄が電話してきてくれた。

今年も休み初日にお墓のある寺で11時に待ち合わせた。
今年も阪神高速が渋滞していたので名阪を降りて途中から地道で行った。この時期、(大阪)市内はガランとしているのに結構走っていた。

それでも30分も早く着いたのでお墓の掃除を終えて、家族そろって墓前で神さまに祈りを捧げた。ユキも小さな手を合わせて祈っていた。

まもなく兄が到着し、暫くの間、墓前で話していた。
私は両親を囲んで団欒しているようで、ここに妹が一緒ならば両親はどんなに安堵し喜んでくれることであろうか!再び妹のことを祈り初めて4年目の夏であった。

その後、いつものように昼食を共にしながら近況を語り合い、商売の厳しさ、政治、経済、そして、人生観、神さまのことなど、今年もいろいろ話した。

別れ際に見た兄の後姿があまりにも父に似ていたので、私は「お父さん!」と声を出しかけたほどだった。
お互いに年を取った・・・今後はますますアッという間に過ぎていくのだろうから、悔いのないように生きねばと自分に言った。

昨日の礼拝は、牧師が夏期休暇中なので長老の信徒説教だった。
週報には、先週お持ちしたクリスチャン・ペンクラブの機関誌と『あかし集』のことを書いて下さっていた。

藤本の盆法要も昨日の夕方にお寺さんをお迎えして終わった。親族も9時過ぎに全員帰宅し、以前ほどではないにしてもホッとするのを感じた。

ある出来事から変わらない人間の姿に驚いたが、今では力まずにほぼ自然体で通り抜けられる自分の姿に神のご真実を知った。

同質の中だけで生きていたら、変えられている自分の姿はなかなかわからないものだ。これからも人に期待するのではなく、神に期待して主イエス・キリストを見上げて進んでいこう。


13日から始まった美濃紙業の盆休み最後の今日、夫は只今朝寝中。
実家の墓参に向かう時、運転しながら熱く語った夫の宗教観も次の機会に記したい。

知子は今朝からバッハをやり始めている。
教会の方々のお祈りと愛のお導きをとおして神さまの愛が届いたのだと思う。来週3日間、同志社大学神学部・神学研究科で開催される奏楽者の学びを紹介され、参加したいという前向きさを大いに激励した。

40年も前のこととは言え6年間通っていたところだ。さすがに同志社界隈のことはわかるので、検索した地図を見ながら説明していたのだった。
「同志社大学入り口には『薩摩藩邸跡』って書いてあるよ。・・・ここに新島襄の『良心の碑』があるから・・・。ここが蛤御門で・・・」と、私も楽しかった。

神さまは知子を力強く導いて下さっている。
光の中に引っ張り出され、押し出されていくようだ。神の御手を実感することだろう。
娘と私に明るい希望の光が見えてきた2010年の夏である。


posted by 優子 at 10:44| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年08月13日

目に見えない成長 ―『関西ペンの声』17号に掲載―

先週のJCP夏期学校で配布した『関西ペンの声』(JCP関西ブロック会報)は、同日8月4日の発行である。そこに掲載して頂いた拙文をここに転載させて頂きたい。

        目に見えない成長

                       藤本 優子

森有正は『バビロンの流れのほとりで』の中で、こんなことを書いている。
かつてノートルダム寺院の裏は鬱蒼としたマロニエの木立だったが、それらを全て伐採して菩提樹の苗木に植えかえた。
その時は僅か直径1センチにも満たない苗木が、成長すれば直径1メートル以上もの大木になることに気がつき、「実に何とも言えない深い感動を受けた」と言うのだ。

そして、その成長過程はどんなに見つめていても目に見えず、その過程こそが生命の成長であり、「経験」に至る過程だったと思いを深めるのであった。

私は万物復興の春を迎えるたびに在りし日の有正を偲び、「夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」と語られた、イエスさまのことばに想いを馳せる。

そして、アマスト大学の総長シーリーが、内村鑑三に語ったところの「植木鉢の教え」を思い出し、神さまはよくぞ私をここまで導いて下さったものだと感謝するのである。

年齢を重ねると、神さまが導いて下さっていることがよくわかる。そして、目に見えないものにこそ積極的意味があることも理解できるようになった。

その時は私達にはわからないけれど、最も忍耐を要している時こそ力が矯められている時であり、自分の可能性を拡げられている時である。私達はただキリストに繋がり、自らの誠実を尽くして成長を待てばよいのだ。


この信仰を頂くまでの年月を思うと今も胸が痛むが、それからは困難なことに悩みながらも平安と希望がある。今や私もまた、有正が感動した菩提樹のように、神ご自身が私の人生の根を深く張り、枝を広げて下さっているのである。
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posted by 優子 at 06:34| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2010年08月12日

祝福された夏期学校 E(最終回)―「喜びのおとずれ」―

今回でこのシリーズ最終回としたい。
プログラム作成時には、閉会礼拝を川上与志夫先生(私の大学時代の恩師でもある)にお願いしていたが、体調を崩されており欠席されることになった。

6日のメールには次のように書いてきて下さっている。
「ぼくの体調は一進一退。でも、悪くはなっていません。秋ごろまでには、快復するでしょう。体調を整えることに、いまは集中しています。クリペンの皆さんに会えなくて、とても残念でした」。

安堵したが、ご快癒を祈ろう。

では、以下に閉会礼拝で話された大田正紀先生のメッセージをお分かちしたい。聖書箇所は、ペテロの第1の手紙1章1節〜19節。

イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤおよびビテニヤに離散し寄留している人たち、すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たちへ。恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。

ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである

あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救いにあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。

こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、讃美と栄光とほまれとに変るであろう。

あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。それは、信仰の結果なるたましいの救いを得ているからである

下線部分は神さまから深い慰めを感じたところで、最初から何度も一字一句を噛み締めるように読んだ。
以下に記したのが大田先生が語られた要諦である。

この箇所は異邦人が大多数を占める中で、今の日本のクリスチャンに宛てた手紙のように読むことができる。

今、私達の教会では戦争体験を記録に残していこうとしているが、今は天皇制や国家主義からも教会に集うことも全て自由になっているのに、それを妨げているものはマモン(富や財)の神、物欲の神が支配しているからだ。

私達クリスチャンもその発想の中でしか自分の成功や失敗を受け止められなくなってしまっている。

私は大学で勉強をやった記憶がなくボクシング(フライ級)ばかりやっていた。大学時代とサラリーマンをしていた時も教会から離れていた。そして妻に、「もう一度勉強したら?」と言われて大学院へ行った。

(関西学院大学日本文学科の)水谷昭夫先生に、「君は隠れキリシタンだからクリスチャンであることを正直に言って学問するのであれば、成績が悪くても受け入れよう」と言われて道が開かれた。

私は自分が聖書を読んでいく時に、つまみ食いして気に入ったところだけを、自分の読みたいところだけ読むのはやめようと決めた。

読んでいくうちにキリスト教は愛の宗教というだけではなく、贖いの十字架であり、復活、再臨の宗教だと見えてきた。
そうすると、改めて神さまに贖われた身が同じ生き方をしていてはいけないため、十戒を戒律ではなく感謝の教えとして受け入れることができるようになった。

それまでは十戒を読むたびに怖いなあと思った。
この地上にある限り完璧に罪を犯さないでは生きていられないが、十戒が5つになり3つになりと、段々きよめ(潔め)の道を歩んでいるなあと気がつくようになった。

みんなも痛みや傷を負っている。普通ならば自暴自棄になっているような状況なのに、その傷を負いながら光り輝いている。
それは私達がこんなに神さまに愛されているという証しである。ペンクラブにおいても、このように教会教派を越えた交わりは素晴しい。

さて、漱石はキリスト教の本質が贖(あがな)いの宗教であることに気づいた数少ない知者だったと思う。
漱石は明治43年の修善寺の喀血で30分間意識を失う重症に陥ったが、自分は自分の意識だと思っていたのに自分の命根を捜したらどこにもないと、存在のはかなさを思った。

そして、末っ子の死を苦しみ抜いた。
愛する者を失うことがどんなに悲しいことか!
死によって別れた者がもう一度復活できないのなら虚しいと、晩年はアウグスティヌスをよく読んだ。

漱石は倫理的に正しくあろうとすると必ず自分を裁き、人を裁く。そして、イエスに自分のやったことを全ておっかぶすのはズルイと考えた。

漱石はキリスト嫌いと言われているが、誰よりも聖書を読み、イエスの贖いに気づいていた作家である。私はこのことに気づいたので、この視点から読み直すことをライフワークとしたい。

キリスト教の本質はイエス・キリストによって私の罪が赦され、復活の希望が与えられるということだ。この喜びを先に伝えられた者が人々に伝えていきたい。

神さまだけが讃えられるように。
そして、神さまを知らないで生きている人々が、真実の神さまに導かれていくように。

「私達が出会っている救い主を伝えていけるように私達を励まして下さい」と祈られた祈りにクリスチャン文学者としての姿勢を見、大田先生の健康が守られるように祈らずにはおられない気持ちになった。

実のところ、今回の研修会から帰宅して少々挫折感を感じていた。長女に話すと不思議がってくれていたが、私もまた神さまに励まされてペンの業に励みたいと思う。感謝!
                          (完)
posted by 優子 at 07:27| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年08月11日

祝福された夏期学校 D ―「盲目のグーテンベルク」―

少々間延びした感じがするが、先週のJCPでの学びを書き終えたい。今夏は本を出版された方々による3回の講演がメインだったので、ペン活動に励む私達には興味深い内容だった。

山本優子姉が『見はてぬ夢を―「視覚障害者」の新時代を啓いた左近允孝之進の生涯』を執筆出版されたのは、尊い仕事であったと感動した。

左近允孝之進(さこんのじょう・こうのしん)は1870年(明治3年)に鹿児島で誕生し、26歳の時に白内障で失明。29歳で結婚し神戸に移る。

32歳の時に(現)日本基督教団神戸多聞基督教会(神戸大学医学部向かい筋にある)にて洗礼を受け、神戸訓盲院を創設、点字の活版印刷技術を発明、39歳で召天した。

没後100年も過ぎると戸籍も何も残っておらず、多聞教会の月報のみが貴重な資料だったという。「その記録から左近允が信仰に燃えて盲教育をやっていったのがわかる」とは著者・山本優子姉。

当時の盲人は生きていることすら誰にも気づかれずに生涯を終えた人さえあった。その人達に生きがいを与えようと、日本の盲教育はクリスチャンの出会いにより進められていった。

短い生涯の間に点字の活版印刷技術を発明し、現代の盲教育の要を作った左近允孝之進の愛と献身の生涯が、没後100年を経て明らかにされたのである。

この本の出版に先立って、盲学校で教鞭を執っておられたK氏が山本姉に、「孝之進の志を本にまとめてほしい」と依頼されたのが始まりだった。
この出会いに私は神の摂理を感じないではいられない。私達もこのような出会いを何度か経験しているのではないだろうか。
この日、同席されたK氏は次のように言われた。

「私が思っていたことの200%書いて頂いた。
私もクリスチャンの一人であるが、クリスチャンだけではなく視覚障害者をはじめ広く読んで頂きたいために、聖書のことをあまり出さないようにと、かなりカットして頂いたことを申し訳なかったと思っている」。


山本姉の没頭して書いておられた姿が想像できた。「祈りによって、祈られて書いた」と仰った著者。

素材を得ていかに創作していくか。
このたびの2つの講演をとおして、その概要がわかったことが大きな収穫でもあった。

正直のところ、今回の学びは私には待ち焦がれる内容ではないと思っていた。主催者側ということもあり落ち着いて味わう気持ちになりにくかったこともあるだろうが、ブログも2回くらいで書き終えよう、書き終わるだろうと思っていた。

しかし、このページの書き初めと今でさえ大きく違っている。今までの研修会と同様に今回もまた密度の濃い学びだったことがわかった。そこでこのシリーズの最終回は次回に譲ることにした。

それでさえ作品講評や大学生の証しと讃美など他にもお分かちしたいことが多々あるのを割愛せねばならない。閉会礼拝で話された大田先生のメッセージをこのシリーズの最終回としたい。

posted by 優子 at 14:05| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年08月10日

ラジオ体操に思う日本の文化

8月1日から始まった自治会主催のラジオ体操は今朝で終わった。2年目の今回は延べ1000人に近い参加者があり大盛況だった。
その一方で、早朝6時15分過ぎになると大音量でラジオを流すために、今年も公園周辺の住人から苦情があったようだ。

「ちょっとの間やのになぁ」と音に寛容な人が多いとは言え、「おかしなことを言う人やねえ」という言い方には違和感を感じて日本の文化について思い巡らせていた。


私は金魚売りを知らないが、以前は豆腐売りや物干し竿売り、チリ紙交換の音で賑やかだった。近年、当地では廃家電の無料回収が最も多く、私も10日ほど前にCDラジカセ、パソコン、ガスコンロ、電気炊飯器、新品のカーステレオを持って帰ってもらったところだ。

このほか選挙前の宣伝カーの騒がしさにも日本人は寛容である。しかし、これらの騒音の苦情が英字新聞の投稿欄に「外国人の不満」としてよく出るらしい。

そんなことを思うと、期間限定のラジオ体操だからとはいえ無頓着ではおられない気になる。
最良の策としてラジオ体操の広報には、期間中の騒音への理解と協力を願う言葉をひとこと書き加えておくのがよいだろう。

ところで集団でするラジオ体操についても比較文化論の視点から興味深い。
日本では幼稚園に入って以来、小学校、中学校と団体行動をたたきこまれるわけだが、個人の考え方や行動を重んじる欧米人にはラジオ体操をしている光景はどう映るのだろうか。

社内での体操は超過勤務に見えるらしいが、とにかく私は年代を超えてラジオ体操が人々に浸透していることに感動する。8日からは義母も一緒に4世代揃っての参加だった。
2010・ラジオ体操@.jpg
上下の写真は7日(土)の光景。
↓ 体操のあと、カードに判を押してもらって景品をいただくところ。
2010・ラジオ体操A.jpg

2010・ラジオ体操B.jpg
これは夫と義母、今朝の写真である

快く参加してくれた夫も明日からは再び狭いリビングルームでのテレビ体操となる。最終日の今日は去年同様に集会所でビンゴゲームをして、全員がお土産をもらって終わった。0808fu.gifラジオ体操、日本の夏である。

附記:10日午前1:00より14:00までブログのメンテナンスが行われた。
posted by 優子 at 17:14| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年08月09日

祝福された夏期学校 C ―中国は今、神の時!―

今回の夏期学校で最も驚かされたのは、玉木功牧師が(5日)早天礼拝の説教で話された中国のキリスト教会のことだった。

使徒行伝2章43節〜47節:
みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。

そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。

以下は説教の要旨である。
聖書に書かれているそのままのことが中国で実現している。
私達も多くの教会の写真を見せて頂いて驚愕した。
この写真はネットで検索して見つけた北海道新聞記者・佐藤千歳さんのページから拝借した中国のキリスト教会だ。
中国のキリスト教会.jpg
この写真に見るような予想外の教会をイメージして下さればよい。このような大きな教会の写真をたくさん見せて頂いて私は目を疑った。

中国ではこれまで「家の教会」と言い、小さな、あるいは、地下の暗い教会を想像していたが、素晴しい教会が多く建てられていて、多くの奇跡が起こっているのが今日の中国のキリスト教会である。

中国には「三自愛国運動」というのがあり、まず、教会は政治的に独立していかねばいけない。即ち、自身で教会運営していくこと。
そして、外国から支援を受けず、外国人の宣教師によって伝道しないで、中国人自身の力によって伝道していくというものである。これはかつての悲惨な戦争体験からきているという。

今から20年前は中国へ聖書を送る「命の水・計画」運動があり、聖書を体に巻きつけて中国へ行った。しかし今は、自分達の力で聖書ができていた!

日本の工場が中国にたくさんできたことにより、その技術を利用して聖書を作っていったのである。

私達は神さまから与えられた恵みを自分のものにするのではなく、みんなに分け与えていく。そして、自ら進んで礼拝に参加し伝道の意味をしみじみ実感していく。

彼らの讃美歌のうち400曲が中国人の作詞作曲と言われている。聖書解釈書も信徒が作って出版して分け与えていく。

これまで孫文を初めとした多くの指導者に蒔かれた種が芽を出して育っている。(毛沢東を育てた人もクリスチャンだという)
今は中国にとって「神の時」(カイロス)であり、救い主イエス・キリストを信ずることは容易になっている。


「私達はその本質を見極めていくことができるように英知を与えて下さい。そのためには聖霊の働きがなければできませんから聖霊を与えて下さい」。
玉木牧師が説教のあとに祈られた祈りである。

教会の方が召されたとの連絡が入った池田牧師(JCP理事長)と共に、体調すぐれない玉木牧師も朝食後に東京、名古屋に帰られた。

                   (つづく)

posted by 優子 at 14:04| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年08月08日

祝福された夏期学校 B ―分団での分かち合い―

006.JPG
日本クリスチャンアカデミー・関西セミナーハウス
大会議室にて夏期学校風景
周囲がガラス張りで緑のロケーションは最高!

さてティータイムのあと、4つに分かれての交流会では文香さんの言葉が私の心に深く静かに沁みこんでいった。

「私は三浦綾子さんの本で救われた(キリストを信じる者とされた)が、三浦さんと同じように体が弱い。
しかし、具合が悪くなるたびに神さまに愛されているのがわかる。伏せっている時にアイデアを与えられるので、病気は嫌なんだけれど私には必要なんだなあと思う」。


久保田先生は、「自分が信じるのではない。イエス・キリストに支えられて書かざるをえないということであり、そのためには裸(正直に書けという意味)になる必要がある。

意欲をもって前向きに続けて行くと必ず自分なりにモノになる。心ある人を神が放ってはおかない」
と、この時もあとに続く私達を励まされた。

                            (つづく)

posted by 優子 at 23:35| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年08月07日

祝福された夏期学校 A ―『命をつなぐ250キロメートル』―

4日の開会礼拝に続いて今関信子氏(関西ブロック)による「講演T 作品をとおして行き交うもの」に移った。
最初に『命をつなぐ250キロメートル』について、コメンテーターに選ばれた3人の読後感の発表から始まった。お二人のコメントについては要諦のみ記録した。

この作品は聖書を土台にして一般の人にもわかるような言葉で書かれており、聖書の言葉がたくさんちりばめられている。それらの言葉の裏に作者の祈りを感じた。

手をつないでいこうということから「葡萄の木のたとえ」を思った。
このイベントに参加した25万人の中に何人のクリスチャンがいるのか。1%ならば2500人、その人たちがイエスさまにつながって拡がっていけばいい。

福祉とは金銭の問題ではなくて愛の心の問題だと気づかされた。
                  (O姉・関西ブロック)

この本はテーマを前面に出して、「あなたはどうですか」、「人が生きるとは何ですか」、「障がい者って何ですか」、「自分の居場所を持っていますか」と問いかけている。

もしもこれが活動報告だったら人は惹かれるだろうか。
ただ感動に終っただけでは文学にはならない。イベントを文学にすることについてはあとでお聞きしたい。

理想と現実の間を埋めるのは一つひとつやっていくことであり、それを読ませるのはすごい筆力だと思う。
                  (M姉・関東ブロック)
 
今春まで小学校の教師をされていM姉らしく、最後に子どもたちの感想も披露された。そして、私の番となった。

20年間読書会活動をしていた間には、作者をお招きしての読書会を何度か経験してきたが、それは最高に嬉しい半面、やりにくい点もある。
それは批判的なことが言いにくいからだが、気楽に話させて頂こうと思う。

私は児童文学というものに特に関心があるわけではないので苦手に感じていたが、読み始めると引き込まれて読んでいった。
今関さんがバイタリティに富んでおられるのは知っていたが、バイタリティがあって物事をまっすぐに見ることができる人だなと思った。
2010.8夏期学校、発表.jpg

読んでいて楽しかったのは、真と咲と友美で湖岸調べに行ったところで、あれは実際に行かれたのかお聞きしたいと思ったが、先ほどこちらへ来る時にタクシーでご一緒だったのでお聞きしたら、やはり実際に足を運ばれていたことがわかった。
私はとにかく創作が全く苦手なので、どのあたりに創作が入れられているのかお聞きしたい。

私は関西に住んでいながらこのイベントを全く知らなかったし、琵琶湖が滋賀県の面積の6分の1を占めることや、琵琶湖大橋を境に南湖と北湖に分けられることも知らなかった。

また、葦(ヨシ)の本来の名前は「アシ」で、昔の人は言葉を大事にしたので「アシ、アシ」と言うと悪いことがおきそうだからと「ヨシ」と呼ぶようになったとか、地元の話が紹介されていたのがよかった。

そして、最も考えさせられたことは「志」を持って生きるとはどういうことかということだ。
知事を引っ張り出してでも多くの人を動員しようという意見が出た時、「わしは、志を捨てることはできん」と反対した峰に対して、湖学園長・中谷は「志も大事やが、目の前にいる人間はもっと大事や。」と、どうしても学園を引っ越しさせたいとの思いで賛成した。
    
「どんな命も大切にする社会を考えること、一人一人が立ちあがること、そのポイントがずれるなら、イベントとしての『抱きしめてBIWAKO』が成功しても、『抱きしめてBIWAKO』は、失敗やろう。
テレビや新聞でムードを作って、大きな渦を作ったとしても、それでは何も変わらない。」

と訴える峰にとても共感して読んでいたが、知事を参加させる話になった時、知事を担ぎ出して多くの人を動員することを決断した学園長は成熟したクリスチャンだと思う。

クリスチャンとして生きるというのは、具体的にはこういうことだと思った。特に日本という国でキリストに従って生きていく時、生きにくいことも多い。
私達は何と闘い、何と闘わないのがいいのか。何と妥協し、何と妥協してはいけないのかなどを考えさせられた。


コメンテーターに指名されて読む機会を与えられたことを感謝している。
読書会に入っていなければ自分では手にすることのなかった本だとは、読書会でよく耳にしたことだが、私も今回のことがなければ出会えなかった本だった。

人と人の輪をつくっていくことの大切さに気づかされ、また少し社会への目が開かれたように思う。この本は読書会で取り上げても大変盛り上がる内容だと思った。

次に作者・今関信子さんの講演に移った。
その最初に、「作家を支えて下さるのは良い読者であり読者を頼りにする。この本は特にクリスチャンに読んでもらって感想をお聞きしたかったので」と私達のコメントを感謝された。

この湖学園とは琵琶湖第一学園のことで、登場人物の吉井は退職した牧師。吉井曰く、クリスチャンは何ができるのか。それは子供の傍にいることだ。何かをやれということではなく、礼拝を受けて恵みを受けたまま子供の傍にたたずむ人が必要だ。

イベントの文学化については、「場」が大事である。
イベントを書くのではなく、「人は神さまに愛されるために生まれてきた!」ということをねじ伏せるために書いた。どの命も神さまは愛して造ったということを伝えたい。

咲と友美は実在者ではない。
キャラクターがどのように生きるかによって状況の中でドラマが生まれて、作品の中で着地させる。

この場合の状況は「抱きしめて琵琶湖」であり、状況が変化していく中でキャラクターがどのように動いていくか。そして、どのようにして自分の一番言いたいところへ持っていくのかである。

具体的な創作技法の話を興味深く拝聴した。

市の図書館にもリクエストして買って頂いたことを話し忘れたので御礼状に書き添えたが、今関さんから今日御礼状が届いた。

                           (つづく)



   
posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年08月06日

65年目の広島原爆の日

         生ましめん哉
             ―原子爆弾秘話―

こわれたビルディングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
くらいローソク一本ない地下室を
うずめていっぱいだった。

生ぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。

この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりの中でどうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

と、「私が産婆です。私が産ませましょう」
と云ったのは、さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめん哉
生ましめん哉
己が命捨つとも


      「原爆詩181人集」(2007年・コールサック社)より
「『生ましめん哉、生ましめん哉、己が命捨つとも』は愛の気持ちではなかったか。そして、産婆さんの命が赤ちゃんにつながっていったのではないか」。

とても心打たれた。
これは夏期学校2日目の昨朝、「神の平和」についての講演で紹介して下さった詩だ。作者は爆心地から4キロ離れた所で被爆され、この詩は人から話を聞いて作ったものであるという。

65年目の広島原爆の日、午前8時15分から1分間黙祷する私の横で孫も真似て立っていた。孫は祈りの姿勢をとり手を合わせていた。

今朝の原爆記念式典に初めて米国代表(ルース駐日大使)が参列し、核保有国の英、仏の代表も初参列した。65年目にしてようやくのことである。

昨年4月に核兵器廃絶を目指すと語ったオバマ大統領の演説と、大国トップの影響力の大きさを実感したというのが私の率直な思いだった。

と同時に歴史的な意味を感じて胸を熱くした。
しかしながら、「今なお原爆投下の肯定論が世論の6割を占める米国」である。オバマ大統領の演説の真意も探りながら見守っていかねばならない。

私は潘基文(パン・キムン)国連事務総長の初参加に、人間への具体的希望を感じた。
バン・キムン氏は今日の式典に先立って長崎を訪問して衝撃を受けられたようだ。今後ますます核兵器禁止条約の締結に向けて尽力し、核兵器のない世界を実現したいと決意を語っている。

つまり、実際に原爆の悲惨さを見る、知るということがいかに大切であるか。広島や長崎の地を踏むことが人間の良心を揺さぶることができるという希望を感じたのだ。

広島市はオリンピック誘致を希望している。
広島五輪で多くの人が広島を訪ねることで核廃絶の重要さに気づいたり、パン氏のように核廃絶への決意を強くさせるのではないだろうか。その思いはうねりとなって世界を動かすに違いない。

と言う私もまだ広島を訪れたことがないのを恥かしく思う。
真智子たちとの旅行で行こうと考えてもいたが、幼い孫には刺激が強すぎる展示もあるだろうと懸念して別の機会に譲ったのだが、孫の成長を待たずに一人でも訪ねてみたい。

平和のために広島五輪が実現するように国を挙げて努力し、私達も平和への意識を高める努力をしなければならないと思った。



posted by 優子 at 10:54| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年08月05日

祝福された夏期学校 @ ―クリペン一つになる―

3年ぶりに日本クリスチャン・ペンクラブの全ブロックが一堂に会した。
4日午後1時から今日の1時半まで、京都にある日本クリスチャン・アカデミー関西セミナーハウスにて夏期研修会が開催された。ここは2年前に関西と中部ブロック合同の夏期研修会が開かれた場所で、私は今回が2度目の滞在であった。

昨日、関西ブロックのメンバーは11時過ぎに会場に集まって準備にかかった。その後、昼食を終えてフロントに戻ってきた時には東京の方々が既に到着され、懐かしい13名の方々と再会を喜んだ。

今回は「喜びのおとずれ ―伝える者の幸い―」をテーマに、3回の講演、グループに別れての交流、讃美と証しなど、いつものように盛りだくさんのプログラムとなった。総合司会役は大田正紀先生だ。

余談になるが、今日の讃美と証しでお招きした大学生の一人が大田先生の姪御さんなのだが、関西聖書学院(KBI)の理事長が大田先生の弟さんだったとは驚いた。

『河内のおもちゃ箱』執筆関連でお出会いした神田宏大牧師もKBIで教えておられる。
神田牧師は野崎観音が切支丹の寺であったことを発見された方で、昨秋11月のメールでは、「ブログを読ませていただき、おなじような所で、行動しているような気がしています。」と書いて下さっていたのを嬉しく記憶している。


話が横にそれてしまったが昨日の開会の挨拶でN兄は、今回の全国大会が京都で開催されたということで、今年2月に召天された京都のN姉のことを話された。

配布して下さったN姉の文章、「たんこぶ二つ」と「良心を手腕に ―新島襄の生涯―」は共に私の記憶に残っている。

N姉ご自身が同志社出身(同志社女学校と呼ばれた時代)であられたから、私が新島襄(『あかし新書13篇 日本キリスト教史の人物像』)やデントン女史(『あかし新書16篇 日本に献げた宣教師』)について書いた時はお電話やお葉書きを下さり、同窓のよしみもあってお目にかかった時はいつも親しく声をかけて下さっていた。

N姉とは2007年10月のJCP55周年でお目にかかったのが最後となったが、また会える。この確信を与えて下さっているのは大きな慰めだ。

開催地京都にちなんだ開会の言葉は、「伝統あるJCPが60年という長い歴史に向かって、これからも関東、中部の方々と一つになって歩んで生きたい」と歓迎の挨拶で結ばれ、私の心に強く迫るものがあった。
                            (つづく)

posted by 優子 at 23:14| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

反戦と平和を伝える合唱団結団式に参加して

今日は心ならずも礼拝を休んで葛城市にある新庄文化会館へ向かった。自動車では山麓線を走り当麻寺(たいまでら)を経て20分余りで着いたが、電車では乗り継ぎが多く4倍はかかるだろう。

「平和を願う葛城市民が、誰でも参加できる非核平和宣言都市にふさわしい市民参加の事業として成功させたい」とは、94歳の実行委員長の思いである。

先日お電話を頂戴したのは、この方の娘婿にあたられるのだろうか。副委員長のW氏だった。

今日の結団式では、『ぞうれっしゃがやってきた』の原作者・小出隆司氏と、作曲者の藤村記一郎氏からもメッセージが届いており、この取り組みへの情熱をうかがわせた。

今日現在で153名が集まり、その内訳は、2歳の幼児から小学生が38名、男性24名、これに対して女性が89名と断然多い。今日も男性会員を募っておられ、夫の参加を期待されたが恐縮しつつも辞退した。

私は1人で電車で行くことを覚悟し、月1回の参加のつもりで帰り際に申し込んだ。ゆえに参加者は154名となった。

今朝出発する直前になって娘達のビデオを引っ張り出し、Haさんとお電話を下さったWさんに見て頂きたくてお持ちした。

折りしも今日から8月、終戦記念日を迎える月である。
「終戦ではなく敗戦記念日だ」と強い語気で言われた人を今も忘れられないが、これを機に日本の戦前戦後の歴史を学び直す機会としたい。

受け付けでは思いもかけず自宅校区の中学校の教頭先生にお目にかかった。
お互いに「どこかでお目にかかりましたね」と見つめ合い、同時に「ああ!」と思い出したのだった。私は記憶力低下も甚だしいだけに、すぐに思い出せて本当に嬉しかった。相手のお人柄によるところも大きいだろうが。

N先生(女性)とは、私達が当地に移ってそんなに長い年月も経っていなかった2004年に民生委員を拝命した時にお知り合いになり、その任期中に中学校での会議や小学校の運動会などでお目にかかった。
思いもかけないところで、より良き人との再会は生きる喜びだ。

「急きょ、今日から実行委員になってしまって・・・」と仰ったが、市長や原作者、また、作曲者からの長いメッセージ代読も御専門内のこと、落ちついておられてさすがである。

とにかくこの取り組みには葛城市在住の教育関係者が多数おられた。教会のHaさんもまた中学校の音楽教師である。

葛城市教育長の祝辞にあった、「悲惨な事件の絶えない世の中になってしまいました。いかに人と人との絆をつくっていくのか・・」との言葉は、今更ながら深くうなずいてしまった。

先日の和子さんからのメールに、「私は『平和』をテーマに文化祭にこだわっています」と書いておられたことでは、私は平和についてどれほど真剣に考えているだろうかと探られた思いがした。

そして、昨日の記事に書いた「抱きしめて琵琶湖」に関連して、今後ますます人と人の輪を広げていくことの重要さに気づかされたことが、今日の最も大いなる収穫だった。

今後も絶えることなく『ぞう列車』が日本のあちこちで走り続けて欲しいと、私の中で平和への思いが広がりつつある。私なりの発展を期待したいと思う。


posted by 優子 at 22:15| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする