2010年09月30日

関西北越会で伊豆方面へ

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相模湾の夜明け

これは昨日の午前5時40分頃、静岡県伊東市にある川奈ホテルの部屋から写したものだ。地平線上に太陽が顔を見せるとアッという間に全貌を現した。

28・29日は北越製紙とその代理店主催による卸商3者による恒例の親睦旅行で伊豆方面へ行って来た。
年に一度開催されている「関西北越会」(関北会)は今回で33回目を重ねる。今年は17社全社が出席、32名の参加だった。

東京の方々と三島で合流して再会の喜びを交わした。
バスに乗り込み、さほど遠くない佐野美術館内にある登録有形文化財の「隆泉苑」で昼食(懐石料理)をいただいた。いつものようにさっそく歓談の花が咲き一気に盛り上がった。

このような和気あいあいの旅行はないと男性方は言うが、私にすれば互いにライバル同士でもあるのにと不思議な感じがする。

さて、『伊豆の踊り子』に出てくる「浄蓮の滝」では、朝まで降っていた雨が濁流となってすごい勢いで落ちていた。
その後、天城峠を越え、ループ橋を通って伊東市へ向かった。

温暖な気候の伊豆では20種類もの柑橘類を栽培しているそうだ。
有名な「みかんの花咲く丘」の発祥の地であり、歌詞に出てくる船は相模の海に浮かぶ船とのこと。

「いつか来た丘 母さんと / 一緒に眺めた あの島よ / 今日もひとりで 見ていると / やさしい母さん 思われる」

私の大好きな歌の一つで、母を亡くしたあと何度も歌っては悲しみを堪え母を偲んだ。

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これは到着した28日の夕暮れ、川奈ホテルの部屋からの景色だ。物音ひとつ聞こえない静寂さと美しさに時が止まったかのようだった。
次の写真は29日朝7時過ぎ、太陽は天空に昇り、日の光で海がキラキラ輝いていた。右奥にかすかに見えるのは大島だ。

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太平洋を臨む海の色と芝生のグリーンが実に美しかった。
写真手前に見えるのが名門の川奈ホテルゴルフコースだ。毎年「フジサンケイレディスクラシック」が行われている世界屈指の名門コースらしい。

夫は初めてとあってプレイするのを楽しみにしていたが、かなり叩いて昨年とは打って変わって冴えない成績だった。ふらふら

同じ日、私たち観光組11名は下田へ向かった。

バスは白波打ち寄せる海岸沿いを走り、開国の港町では黒船を模(かたど)った「サスケハナ」号に乗って下田港を遊覧、その後、下田開国博物館を見学した。

黒船が来航した時の人々の驚きぶりは大変なものであっただろう。
日本人が鉄の舟を見るのも初めてならば、その大きさも大型バスにして6台分の長さだったというから、日本の船とは比較にならない大きさだった。
そして、この事件より幕末に入っていくのである。

タウンゼント・ハリスの世話をさせられたお吉(唐人おきち)の話を久しぶりに耳にして、芝居好きだった父を思い出していた。
世話役といってもたった3日間なのに、最期は川に身を投げて果てたお吉が哀れだ。
ちなみに、日本人に牛乳を教えたのはハリスだった。

吉田松陰がつながれた「平滑(ひらなめ)の獄」は博物館前にあたる。吉田松陰の伝記を世界で初めて書いたのが、『宝島』を書いたスティーブンソンだったとは驚いた。

誰だったか聞きもらしたが、ある人から松陰の人柄を聞いたスティーブンソンがえらく感動して書いたそうだ。そういえば、サモアにスティーブンソンの墓があると妹から聞いたばかりだ。

開国博物館はもっと時間をとって感慨深く見学したかったが、見学はこれにて全て終了となり昼食場所の下田東急ホテル・フェニックスへ向かった。ここも南国風で心地よい気分を味わった。

2月が見頃の早咲きの「河津(かわづ)桜」と、日本初のカメラマン下岡蓮杖(れんじょう)の名前をここに残しておこう。蓮杖とは蓮根の杖を持っていたことから命名された。

銀板写真は1枚撮るのに20〜30分間もジッとしておらねばならず、できあがったものは一枚きりの写真というわけで、焼き増しの時は忠実に再現して残したという。
左右反対に映るので刀は右側に挿したが、着物の合わせ方までは気がつかず右前になって映っていた。

日米和親条約は、英語、漢文、オランダ語、そして、日本語の4ヶ国語で記されてあったが、英語は分からないからと英文のものにはサインしなかったという。

このことに違和感すら覚えるほどに感銘を受けたのは、このたびの尖閣海域の問題でも中国政府や世界に対して確固たる主張もしない政府に呆れたからだろう。

このことはまた自分自身の中にもある嫌な部分であり、一般化できる日本人の意識構造でもあるが、主張できない日本国は絶望的だ。
幕末の時のように国の為に働く賢く個性的な若者が出てこないものか。


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黒船・サスケハナ号

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あの時もカモメは飛んでいたんだろうな・・・
川奈ホテルC.jpg
毎年思うのは、特に紙業界は苦しい状況になる一方なのに、このような豪華な親睦旅行は時代錯誤ではないかということだ。

夫人たちは5万円の参加費(そのうち1万円をおみやげ代としてキャッシュバックされる)で、メーカーさんと代理店さんから多額の寄付によって、その3倍くらいの豪華旅行をさせて頂くわけだ。
総会資料によれば、昨年だと1人につき約14万円近くかかっている。

「このような(和気藹々の)会はどこにもない」というのが男性方の感想だ。確かに個々の交わりもあり、全体の雰囲気もとてもよい。
これからも北越製紙の社風を無くさないでほしいと、今回はそんなことを感じさせた。

帰りは熱海で東京の方々とお別れした。来年は2泊3日で日光から軽井沢の旅に決まっているそうだが、何事も神のお許しがあってのこと。地雷を踏むような状況をサバイバルさせて頂きたい。

熱海と言えば、かつては毎年8月に日本クリスチャン・ペンクラブの夏期学校が熱海ビレッジで開催されていた。何度も何度も満江牧師からお誘いを受けながらも一度も参加することなく終わってしまった。

私は満江牧師のお姿を捜すかのように駅の周りに目を走らせた。もう天に帰還されて何年にもなるのに・・・と、たまらなく淋しい思いがした。

posted by 優子 at 15:10| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

「キリストの力によって闘う」

9月最後の聖日の昨日、妹が私達の通っている教会へ行きたいというので喜んで迎え、教会の方々も心から歓迎して下さった。

昨日はコロサイ人への手紙から神さまのメッセージを頂いたが、ここずっと私にはありがたいメッセージとなっている。

さて、今までコロサイ書はパウロが書いたと言われていたが、20世紀に入って起こされた聖書学によればパウロではないというのが定説になっているそうだ。

コリント書やガラテヤ書などとは言葉遣いや思想的内容が違っているからだ。しかし、客観的に断定できるものではないらしい。

それはさておき、この箇所ではキリストを伝えることは喜びであるが、喜びは苦しみと表裏一体であるから福音に踏みとどまるようにと勧めている。

コロサイ人への手紙 1章24節〜29節:
今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。

わたしは、神の言を告げひろめる務めを、あなたがたのために神から与えられているが、そのために教会に奉仕する者になっているのである。

その言の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。
神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。

わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人を訓戒し、また、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。

わたしはこのために、わたしのうちに力強く働いておられるかたのにより、苦闘しながら努力しているのである。

この「力」とはギリシャ語の「エネルゲン」(英語の「エネルギー」の語源)が使われている。
そして、牧師は次のように話された。

私達もキリストを知らなければよかったと思う時があるのではないか。彼らもキリストを知らなければこのような迫害を受けなくてすんだのにと思ったかもしれない。

日本でも500年前に切支丹への大迫害があり、先の戦争ではホーリネス系の教会が天皇を拝むことを反対したために、教会は解散させられて牧師は牢に入れられた。これはつい60〜70年ほど前のことである。

キリスト教では「キリストを信じたら(現世的に)幸せになりますよ」とは決して言わない。

かつて仕えていた教会でのこと。
ある人にお届けした証し文やテープには、「祈ったらこんなことがありました」とか、「祈ったら神さまが応えて下さった」という話ばかりだったために、その人は「祈れば本当に応えて下さるのか? では、なぜ、私の病気は治してもらえないのか?!」と怒りをあらわにされた。

祈れば叶えられるという信仰は怪しい信仰であり、叶えられなかったら祈りが足りないということにもなってくる。

祈りは神さまのみこころがなりますようにというものであり、自分が幸せになりますようにというものではない。イエスさまは神との絶縁を経験され、神がいない苦しさを通られたのである。

キリストと本当に出会った人、キリストを知ってしまった人は、自分の幸せを祈るのではなく他人の幸せのために祈り、他人のために犠牲にする力を神から与えられ、それが喜びとできるようになる。

パウロもキリストに出会って人生を苦しみの方へ転換させられた。
そして、十字架の苦難を通られたキリストから力を与えられたので苦難を通ることができたのである。

私達はイエスを捜しながら行くというものではなく、イエスが突然私達の人生にやって来て下さるのである。それは突然の出会いであり、向こうから与えられたものである。

例えばクリスチャンホームに生まれたとか、キリスト教主義の学校に入学した、また、キリスト教の保育園に就職したなど・・・皆そうである。

聖書は、「あなたがたがわたし(神)を選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである」(ヨハネ伝15章16節)と言っている。

キリストに出会ってしまった人には、信じる力(エネルギー)を下さる。その力によって私達は生かされる。

前に進むことができるし、台風が過ぎ去るまで待つ力を与えられ、感謝する力が与えられる。
現実は何も変わらず苦難の人生は変わらくとも、それを感謝して喜ぶことができる力を与えられる


一人ひとりにそれぞれの闘いがあるが、それを手持ちの力でやるとすぐに敗北してしまう。

しかし、キリストから力を頂く時、人生の闘いに勝つことができる。人を愛せない時も愛する力を与えて下さり、神さまの使命に沿ったものであるならば必ず勝利させて下さるのである。

私も神さまのことが分からなかった時は、「キリスト信仰など持たなければよかった」と嘆いたことがあった。(私の)こんな中途半端な信仰だから余計に苦しかった。一般の日本人のように因果応報を信じて生きるほうがよほど耐え易いと嘆いていた。

周囲の出来事があまりにも理不尽で因果律に反することばかりで、「なぜ正義がなされないのか、あなた(神)はいつまで黙って見ておられるのか?!神の目は節穴か!」と、のた打ち回る年月があった。難病の母を介護していた頃のことである。

その頃の私は教会の方々と交わす会話でも、「おかげで(神さまに)守られて風邪も引かずに」という言葉にも反応して、「では、風邪を引いた者は神に守られなかったのか!」と心中穏やかではなかった。

しかし、そのような私をもついに変えて下さった。
これからも困難なことに出くわせば呟(つぶや)いてしまうだろうが、しかし、あの頃のものとは質的に違う。その呟きさえも直ぐに消滅させて主を見上げて歩き始めさせて下さるだろう。

昨日の説教にも共感するところが多々あった。
人間ならば多少の差こそあれ人生の局面で感じるのは誰もが似たり寄ったりであろうに、私達はその気持ちを話せないし、書けないのだろう。特に日本人はそうなのかもしれない。

それだから、「祈ったらこんなことがありました」とか「祈ったら神さまが応えて下さった」ことしか書けないのだろう。
きれいごとだけではダメだ。美しい物語にしてしまってはダメだ。苦しかった葛藤を話してこそ神の実在と恵みを証しできるのである。

久保田先生の書く姿勢、教えは私の気魄でもある。
ドロドロしたものを書けるのは信仰しているからであり、闇を書けなかったら光を書けない。「闇は光に勝たなかった」のである。

苦しみの道中を見ているがこそ書けるのであり、全身全霊をかけて書く。人の書けないものを書くのはたいしたものだ。

書くことへの情熱を燃え上がらせるメッセージだった。
今は幼児がいるので、かつてのように食事するのも忘れて5〜6時間集中することはできないし、夜に頑張る体力はなくなった。しかし、今も感謝に溢れて過ごしている。

知子は来月から奏楽のご奉仕を月に2回受け持たせて頂くようだ。
いつの日にか妹とも信仰の喜びを語り合える日がくることを祈り続けよう。神さまは祈らせて下さるのである。

posted by 優子 at 16:26| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年09月25日

「あなたも、あなたの家族も」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより H―

あなたも、あなたの家族も(村上 宣道牧師)

私の友人が書いたある告白の一部を紹介します。
「『さあ、そろそろ家に帰ろうか』。『うん、お兄ちゃん。もうお父ちゃん寝たかなあ』。
一晩中、外で過ごした私は、震える妹の手を引いて家に帰り、そっと中をのぞきました。酒を飲んで、一晩中暴れ狂った父もさすがに疲れ切って大の字になって寝ていました。

母は泣きながら、竹ぼうきで家中に散乱しているガラスの破片や食べ物を集めていました。額からは血が一筋流れていました。小さな弟は、部屋の隅で両足を抱えてうずくまっていました。

『父を殺してしまおう、そうすればみんな幸せになれる、自分ひとり刑務所に入ればいいんだ』。
いつの間にか、中学生であった私の心の中にそんな思いが広がっていきました」。
 
この方の両親は、ある宗教団体の熱心な信徒で、その団体の部長もしていたとのことです。朝夕、仏壇の前で首を振りながら、大声で読経する父と、酒乱になって暴れ回る父と、どちらが本当の姿なのだろうかと不思議に思ったとその友人は話していました。

そして、宗教には人間を変える力はない、単なる気休めにしかすぎないのだと思うようになっていったそうです。そんな中で、友人は十七歳のとき、生まれて初めて聖書のことばを聞いたのです。

それは、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイの福音書11章28節)というキリストの招きのことばです。

その後、彼は教会へ行くようになって、自分のように、父をさえ殺そうとしていたこんな者をも愛してくださっている本当の神、十字架の上で私の罪の身代わりとなって死んでくださったイエス・キリストという方を発見したのです。人生の疲れも、罪の重荷も、この方が負ってくださるということがわかったのでした。
 
友人は、このお方を信じて救われました。
そして、あの酒乱のお父さんを含めた家族みんながイエス・キリストを信じて、幸せな家庭へと変えられていったのです。
 
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16章31節)という聖書のお約束のとおりになりました。

イエス・キリストは、その人やその家庭がどんな状況にあろうと、救うことができるのです。それはまず、あなたがこのお方を信じることから始まるのです。
posted by 優子 at 22:43| 引用文 | 更新情報をチェックする

2010年09月24日

部落解放フィールドワーク・水平社博物館見学

ようやく秋になった。
一昨日は「静岡市や甲府市など全国19の観測点で最も時期の遅い猛暑日」を記録した。当地では33度止まりだったが35度ラインを突破したかと思うほど暑かった。夜もお風呂上がりのパソコンタイムにはしばらくの間クーラーをつけたほどだった。

その夜から降る降ると言っていた雨は明け方になって突然の集中豪雨になって降りだした。
この日(秋分の日)は、日本キリスト教団大阪教区部落解放委員会主催の部落解放フィールドワークがあり、夫に頼んで奈良県御所市にある水平社博物館と水平社ゆかりの史跡見学に同行してもらうことになっていた。

雨天決行とは言えこの土砂降りではと心配になって牧師に電話した。欠席しようかと思っていたら天気予報よりも早く豪雨はおさまり、9時半頃には小ぶりになったので予定通り家族全員で参加した。

遠くは神戸や岸和田からいろんな教会から34名の参加者が集まり、「人権NPO『ほっとねっと』」の方の案内で水平社博物館周辺にある史跡を訪ねた。
このあたりは水平社運動の中心的メンバーが生まれ育ったところで、地理的には自動車で5分も走れば明日香へ、西へ30分余り行けば大阪府内に入る地だ。

私の娘達の世代は学校で被差別部落について学んでいるが、昭和26年生まれの私の世代は一世代上の人々の偏見を耳にすることはあっても、同和問題を学校で学ぶこともなく全く知らずに育った。

私は既にこんな年齢になってしまっているが、今からでも正しい知識を得て、人間の尊厳と差別する側に見る人間の実相について、自分自身をも深く探りながら考えたいと思って参加した。

本間川を境に北側が岩崎村で、博物館真正面の西光寺を起点に約1時間あまりの見学だった。西光寺は西光万吉(本名・清原一隆)が生まれた所である。

「柏原の三青年」と呼ばれた西光万吉、阪本清一郎(阪本膠工場跡)、駒井喜作の生家跡、燕神社、水平社宣言記念碑、神武天皇社、そして、誓願寺を見学した。

誓願寺の住職・三浦大我(たいが)は、彼らの運動を助けた部落外の人で新聞記者でもある。

岩崎村の世帯数は、西光寺建立時の1748年には38軒で、全国水平社が創立された1922年には200軒余りになっていた。ここに来れば仕事があるので人々が集まって来たわけだ。

職業はおもに「桐屋さん」と呼ばれる桐下駄作りが多かった。今は奈良県の地場産業になっているヘップサンダルが有名だ。

1980年代頃から2002年にかけて村の道路が現代のように広げられ、結成から80年後の2002年には同和問題の全ての法律が消滅し行政上の差別部落は無くなった。以来、この博物館は人権の学びの場として活動している。


部落は点在しているのが多いのに対して岩崎村は集まっていたことと、経済的に豊かであったことが特徴的だ。昔の写真にも瓦葺の家が密集していた。

と言うのは、古文書に「売渡シ申草之場之事」が残っており、牛馬の無償の処理権が与えられていたために経済の支えとなり、1頭で7人が1年間食べていけるだけの収入があったからだ。

「鳴き声以外は捨てるところはない」と言われるぐらい動物の命を大切にし、蹄(ひづめ)を使ってボタンを作っていたという。

私は最近、日本語の「いただきます」とは「いのちをいただきます」の意味であり、外国語には翻訳できない言葉であることを知ったばかりだっただけに、命を大切に扱っていることを具体的に見た思いだった。

今は「膠(にかわ)」とは言わず「ゼラチン」と言うようになったと聞いて、そう言えば「膠」という言葉は聞かなくなったと気がついた。
膠製造は1970年代中頃まで続き、奈良特産の墨造りにも無くてはならぬものだった。

また、国産フィルムの製造技術は岩崎村の人が膠を使って作ったことに始まる。その技法が富士フィルムに受け継がれていったことは、不条理な人生でありながらもたくましく生きた人々の姿に胸が熱くなった。

ところで、今やネットで検索すれば何でも出てくるし、小雨降る中でメモを取りながらの写真記録は大変なので、心を残しながらも水平社宣言記念碑だけの写真となった。

水平社宣言記念碑.jpg

荊冠(けいかん)は、キリストがかぶっていた荊(いばら)の冠であり、殉教者を意味している。

これが水平社宣言の全文である。
全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。
長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた吾らの爲の運動が、何等の有難い効果を齎(もた)らさなかった事實は、夫等(それら)のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎(つね)に人間を冒涜されてゐた罰(ばち)であったのだ。

そしてこれ等の人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
 
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇迎者(かつごうしゃ)であり、實行者であった。陋劣(ろうれつ)なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。

ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下(くだ)らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸(か)れずにあった。

そうだ、そして吾々は、この血を享(う)けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。
 
吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ・臆病の意)なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いたわ)る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求(ねがいもとめ)禮讃(らいさん)するものである。水平社は、かくして生れた。

人の世に熱あれ、人間に光りあれ。

大正十一年三月三日
全國水平社創立大會

最初は「部落民」への呼びかけになっているが、最後は「人間」になっている。これは全人類の解放を訴えた日本初の人権宣言なのだ!

『橋のない川』の作者、住井すゑは何度もここを訪れた。この宣言を讃えたが、女性のことが入っていないのが残念だと何度も話していたという。

水平社創設当時は差別撤廃運動のメッカだったので来客が多く、女性たちは食事の世話も大変だったと思われる。
入れ替わり立ち替わりの来客のことが書いてある阪本かずえさん(字を確かめていない)の日記からも、男性の背後で女性たちが支えていたことがわかる。

このあと初代の天皇と言われている神武天皇社に行った。
そこから北東は日本人が気にするところの鬼門にあたり、マイノリティの岩崎村発祥の地と目と鼻の先に神武天皇社があるのはなぜか?!

神社の傍には必ず被差別部落があり、祭りには必ず部落の人々が行列の先頭に立ったという。彼らは天皇のけがれを守る役目に立たされたのであった。

このことから互いに密接な関係があることが考えられ、それが部落の起こりであり、室町時代ぐらいにできたのではないかと思われる。私達が聞き及んでいる被差別部落の人たちのことは、江戸時代に幕府が利用して制定されたのであろう。
この話に深く頷きながら互いの関係性を文化人類学の視点から知りたいと思った。



史跡見学のあと、買っていったお弁当を自動車の中でいただき、午後から博物館を見学した。
館内の説明が終わった頃は孫も限界になってきたので先に帰らせて頂いたが、実は孫よりも私の方が限界になっていた。
前日ゴルフだった夫の体力を心配ばかりしていたのに、私の方がフィールドワークの途中から急にしんどくなって説明さえ聴けなくなっていた。

燕会、燕神社、早稲田大学の佐野学の「特殊部落民解放論」のこと、その論文の「善き日」からとって名づけた水平社創立趣意書『よき日の為めに』のことなど、説明を十分に聴くことができなかった。

しんどい中にも記憶に残っているのは、水平社大会は1940年(昭和15年)の第16回の大会で幕を閉じたことと、その大会の壇上中央には日の丸が掲げられていたことだ。

そして、全国水平社を支えた各界の部落外の人々の中に同志社総長の住谷悦治がいたことだ。
「戦中は軍国主義と戦い、戦後は民主主義の発展に力を尽くし、クリスチャンらしくいつも穏やかな笑顔を絶やさず、主義の異なる人々からも慕われてきた」。

これは1987年10月5日付けの読売新聞記事で、住谷先生はこの前日に91年の地上生涯を終えて天に帰還された。

妹が同志社女子中学に群を抜いた成績で合格した時、入学式の壇上で新入生代表の言葉を述べた。その間ずっと妹を凝視しておられた住谷先生の鋭く深いまなざしは今も私の目に焼きついている。


平和主義運動と民主主義運動に尽くして激動の生涯を送られた先生が、水平社運動にも足跡を残されていたことを知り目頭が熱くなった。

この夏休み期間中に水平社博物館に24万人の人が訪れている。私達はこの数字に驚くのだが、「10日間ほどの正倉院展にはこれ以上の入場者があるので、人権意識はまだまだだなあと思う」と、案内して下さった方が述べておられた。

帰り道で行く時に見つけた牛舎に立ち寄りユキに見せてやった。
牛はこんなに大きかったのかと私達も驚いて見ていた。このホルスタインたちも猛暑は耐えがたかったであろうが、真冬も辛いだろうなと、私は牛の目を見つめていた。

ユキは半袖のTシャツ一枚で、雨上がりの肌寒い中を珍しそうにいつまでも牛を見入っていた。

※ この日(23日)の最高気温は20.7度しか上がらず、今日も20度で真夏日から急に寒くなってしまった。

posted by 優子 at 15:02| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年09月23日

JCP研究例会 C ―日野原重明の選ぶ祈り―

学びの最後に、日野原重明氏が『病むこと みとること』で取りあげている医学とキリスト教信仰の祈りを紹介して下さった。これらの祈りのいくつかは『メメントドミニ』でもご紹介したことがある。

私の手許にある『病むこと みとること』(日本基督教団出版局)は、母が最期の1年3ヶ月を住友病院に入院していた時、泊まりの明けの帰りに買った。

あの頃、私は父と兄の3人で分担し合って母の病室に泊まり夜を共にした。父は1週間に3回、兄と私は2回受け持った。
脊髄小脳変性症という過酷な神経難病を負った母。

入院後は母の傍にいるだけで何もしてやれることはなくなっていた。カテーテルで胃に経管栄養を流し込み、痰を吸引することぐらいだった。吸引は私だけにゆるされていた処置だった。

泊まりの帰りに大阪駅近くにあるキリスト教書店に寄って買った本である。本の裏表紙には、「1996年1月9日 、その日のうちに読了」と記されている。その9か月後、10月25日に母は息をひきとった。

先日、全盲のU兄から見事なる返信メールを頂戴して涙が溢れた。私のメールの引用だけではなく複数のファイルまで添付して下さっていた。

それらを読ませて頂いて母が亡くなった同年同月にUさんもお母様を亡くされていたことを知り、あの頃、Uさんもまた悲しみに耐えておられたのかと思うと、言葉にはならない感慨で胸がいっぱいになった。

O姉に頂戴していたU兄の作品が見つかったので、ペンライト賞に入賞された『母に伝えたかった聖書の言葉』も読ませて頂いた。

本論から外れてしまったが、日野原氏が書いておられる祈りの中から紹介して下さった2つをここに掲げたい。
   
ある病者の祈り

大事をなそうとして
力を欲しいと神に求めたのに
慎み深くあるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
わたしはあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ 

(ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた患者の詩)

「こういう祈りに出くわすと、キリスト教の神さまは本当の神さまだなあと思う」とは、大田先生のコメントだ。

これがそれである。
ある病者の祈り.jpg 
「キリスト教の有名な祈りと詩」のサイトより写真を拝借した。

次は「パスカルの定理」を発見した高名な数学者・ブレーズ・パスカルの祈りである。「人間は1本の葦にすぎない。自然界で最も弱いが、それは考える葦だ」と著述した『パンセ』(思考の意)は、あまりにも有名である。

神との主体的な関係、出会いを重んじるパスカルに私も魅かれており、大学時代から影響を受けていた一人だ。
   パスカルの祈り

主よ いまから
あなたの御用のために
あなたとともにまたあなたにおいて役立てる以外には
私が健康や長寿をいたずらに願うことがありませんように。
あなたお一人が私にとって何が最善であるかをご存じです。

ですからあなたがご覧になって
もっともよいと思われることをなさって下さい。
御心のままに私に与え また取り去って下さい。
私の意志をあなたのご意志に従わせて下さい。

そしてへりくだった まったき従順の思いをもって
きよらかな信仰を保ちつづけ
あなたの永遠の摂理によるご命令を受け取ることができますよう

そしてまたあなたから与えられるすべてのものを
讃美することができますように。

「パスカルはカトリックであるがプロテスタントの影響を受けた慎み深い信仰者と言われている。あんなに高名な学者が一人の信徒として、この祈りはまさにプロテスタントの信仰だ!」

日野原氏はこのほかに、「ラインホールド・ニーバーの祈り」(プロテスタントの神学者)、「アッシジのフランシスの祈り」、「マザー・テレサの祈り」などを挙げている。

ついでながらこのテーマから外れるが、マザー・テレサの力強い祈りをご紹介したい。日々、主にあって良き闘いを闘っておられる人々への励ましになるであろう。

     あなたの最良のものを世に与えなさい

人は不合理、非論理的、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと思われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達成しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、しつづけなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの最良のものを、世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい



posted by 優子 at 08:07| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年09月22日

JCP研究例会 B ―山本周五郎『赤ひげ診療譚』―

黒澤明が『赤ひげ』を映画化しようとした時、、「赤ひげを英雄にしないでほしい。人間の罪を知っている人間として描いてほしい。ヒューマニストにしてはいけない」と、周五郎は黒澤に一つの注文をつけた。

ヨーロッパでは「ビルディングロマン」と言われる「成長小説」のジャンルがある。人間の魂を耕し
ていくという意味で「教養小説」と分類する人もいるが「成長小説」の方がよい。
しかし、日本では人間が何かに出会って成長するというのは読まれない。

この作品は保本登が成長していく話であり、保本が主人公であるのに『赤ひげ』とタイトルをつける周五郎の不思議。日本には珍しい成長小説である。

黒澤は上手に描いているが、後半部分は原作と全く違うものにしている。
ロビン・ウィリアムス主演の『パッチ・アダムス』という映画があるが、アダムスは世界中から助けをもらってディズニーランドのような大きな土地を手に入れて、無償で診る病院を作っている。これは黒澤映画の『赤ひげ』を見て思いついたとのこと。

日本の医学界で「医道」や「医学概論」を唱えだしたのは、阪大文学部の哲学者・沢瀉久敬(おもだか・ひさゆき)だった。

医学の本質は病んでいる人を診させて頂くということであり、医師は生命力に手を添えるだけで、本当に治すのは神さまであり生命力であると医の道を教えた。そういう意味で阪大の医学部は大切な存在である。

『医学概論』で書かれている医学観は、赤ひげこと新出去定(にいで・きょじょう)の考え方によく似ており、今や「赤ひげ」は栄誉栄達を求めない町医者の代名詞になっている。

周五郎が『赤ひげ』を書くきっかけになったのは、周五郎が日本魂(やまとだましい)社勤務の記者時代に、『日本医学史』を読み養生所の存在を知ったからで、その30年後にこの作品に書きあげた。

具体的なイメージとしては、妻が膵臓がんで亡くなるのを看取ってくれた医者が医者の鑑のような人物で、その人がモデルになっているという手紙が残っている。

この作品は1話ずつ完結していながら8話が関連しており、作品の構成を詳しく解説して下さったがここでは省略したい。

自分の出世や学問しか見えなかった保本には、婚約者が自分を裏切ったことでいかに傷ついたかはわかるが深い改心には至らない。

しかし、「ごみため」のような施療所で人々は深い思いで生きていることや、自分を深く内省し良い人生を歩みたいと励んでいる患者や貧しい人たちとの関わりをとおして気づかされていく。

長崎留学期間の3年も待てないと思ったちぐさ(婚約者)の気持ちが分からなかったと、女性を傷つけたことの痛みを感じるようになる。

そして、今まで(道徳的に)悪いこともせずに親の期待通りになったのは、自分の努力によるものだと思っていたが、実はいろんな人が支えてくれていたことに気づいていく。

罪を知らぬ者だけが人を裁く。
罪を知った者は決して人を裁かない。
自分に罪を求めない生き方ではなく、自分も神さまに赦された人間であることがわかれば違った生き方ができる。

周五郎は、神に赦されたからこそ仕えて生きるという積極的な人間像を作り上げることができた。周五郎55歳の円熟期の作品である。


以上、大田先生の講義内容を短くまとめた。最後に先生の研究論文より抜粋引用して終わりたい。

水谷昭夫の『山本周五郎の生涯 たゆまざるものの如く』(人文書院刊)によれば、門馬氏(朝日新聞学芸部の記者であり牧師)の生涯ただひとつの洗は中山義秀の臨終の信仰告白に際してのものであり、晩年の周五郎は寡黙な牧師の記者に、聖書の解釈を示し、その是非を仰いだという。

と、突然2月14日、周五郎の急逝によって連載は8回で中絶する。

人生は難破であり、座礁でもある。志をすべて果して召されるわけではない。しかし、周五郎の仕事は、主なる真実な方のみこころを尋ねつつ、重荷を負って苦しみ、労する人々のために捧げられた文業であった。
 
また、旅先で周五郎と部屋を共にした木村久迩典は、
「地の底から天上の神に呼びかけるような、しんとした響きのなかに、必死の祈りが込められているのを、わたくしは聞いた。
山本の作品は、すべてが神への問いかけではなかったか。そんな気がしてならない」。 

と述べている。

「私たちはクリスチャンとして生きねばというしんどさもあるが、医者が白衣を着るように、私たちもクリスチャンとして生きるという上着を着ることは大切なのではないか。そうやって証しを立てていくことは大切だと保本のことで思うようになった」。
大田先生の敬虔な信仰と謙遜なお人柄を存じ上げているだけに心の深みに入ってくる。

「人は愛されることでも変わっていくが、愛するという主体性の獲得の中で人は変わっていく」。
文学作品を読み深めながら年齢と共に円熟していきたいものである。


※ 過去ログ・2006年10月18日の「山本周五郎の世界(第41回交歓読書会報告)」に、東大阪読書友の会に大田先生を講師としてお招きした時の、「とよ読書会」(豊中)との交歓読書会を記録している。

posted by 優子 at 16:53| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年09月21日

JCP研究例会 A ―「平和を考える―大和戦艦帰還兵・吉田満の場合―

大田正紀先生(クリスチャン文学者、JCP理事、梅花女子大学教授)による学びでは、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』に入る前に戦艦大和の生還者・吉田満について次のようなことを話された。

総勢3332名の乗組員を乗せた戦艦大和に下された命令は、片道の重油だけを積み護衛機一機もつけないで沖縄出撃しなければならない無謀な作戦だった。
果してこのことにどのような意味があるのか、「真の作戦目的」は何かと、第2艦隊司令長官だった伊藤中将は大本営に訴えた。

すると、「要するに君達には死んでもらいたい。一億玉砕したということで士気を高めるために立派に死んでもらいたい」と通告された。

伊藤長官は納得したが、一つだけ自分に権限を与えてほしいと訴え、作戦の中止命令を自分に与えてほしいとの求めだけは確約された。

そして、100機以上の爆撃を受けて、ついに作戦中止命令を出し、「生きている者は海に飛び込め!」という英断で、1割にも満たない200数名ではあるが生き延びることができたのであった。伊藤は大和と運命を共にした。

生き残った吉田満は『戦艦大和ノ最期』を書き遺した。
大田先生曰く、「この手記が何よりもすばらしいと思うのは、戦後の回顧・反省によっていわゆる後知恵で戦争を語っていないことです。

どんなに批判されようと、そのとき自分はどのような思いに支えられて生きていたか、同様に同じ乗組員がどのような葛藤を抱えて生きていたかを書き残したことです。
          
           (略)
置かれた条件の中でいかに真実に生きたか。それを知ることが大切なことです。その上で、反省すべきことがあれば反省し、悔い改める」。


私(優子)はこういう考え方に魂が躍る。そして、クリスチャン文学者たる大田先生独自の視線に深く共感する。

復員後父母の疎開先に住み、この頃に吉川英治と知り合い、吉川のすすめでこの手記を書いた。
その後、日銀に入行、その1年後の昭和21年暮れに、この手記を読んだカトリック教会の今田健美神父から是非会いたいとの申し出を受けた。 

大の宗教嫌いだった吉田は殺気だって訪問したという。
「神父は、信仰の話も、神の話も、ましてキリストの話もせず、ただ美について、死について、永遠について」の議論を重ねていった。

この神父との出会いが吉田の覚醒をもたらせた。
「私は真に人を愛することはなかった。あれほど死に近くいながら、死の持つ意味と直面しようとしなかった人間だ」と、今田神父の眼差しの中に神の愛を感じるようになり、回心が起こり、日本カトリック教会世田谷教会で受洗。

その1年後、プロテスタント信者の中井嘉子と結婚。
妻の関係から日本キリスト教団駒込教会(のちに西片町教会と改称)の鈴木正久牧師の知遇を得て、鈴木牧師の教会論や戦争責任論に共鳴し、プロテスタントに改宗。
 

戦艦大和の艦内で出会った臼淵大尉や伊藤中将について詳しい伝記などを書き、島尾敏雄とも対談している。

昭和54年9月17日に召天。プロテスタントで葬儀。
カトリック教会からは自ら破門されていると受け止めていたが、日銀カトリック研究会でも追悼ミサを行っている。

『戦艦大和ノ最期』の出版は戦争文学であるため進駐軍が許さない時代だったが、白洲正子の文章を読んだ気迫ある小林秀雄が骨を折って創元社から出版されることとなった。三島由紀夫は絶賛を博した。

1985年には英語版 " Requiem for Battle Ship Yamato "が、ワシントン大学プレスと講談社インターナショナルとの提携で刊行された。
このほか、『平和への巡礼』(新教出版社)、『戦中派の死生観』(文藝春秋・1979年11月号)、『白洲大尉の場合』など、日本銀行勤務の傍ら多数執筆した。

以上、『戦中派の死生観』、そして、『戦艦大和ノ最期』の一部を資料として配布して下さったものからの引用も加えて短くまとめた。

これらを読むと「戦争反対!」と声高に叫ぶよりも、はるかに反戦のメッセージが迫力をもって伝わってくる。私達は終戦記念日の8月だけではなく、常に平和について考えていかねばならない。

最後に、吉田が死の間際に書いた『戦中派の死生観』の結びの言葉をご紹介して終わりたい。

ベッドから顔を上げると、窓いっぱいに秋の雲が、沸き立つように、天の涯てを流れるのが眺められる。
  
   おうい雲よ
   ゆうゆうと
   馬鹿にのんきさうぢやないか
   どこまでゆくんだ
   ずっと磐木平の方までゆくんか

と、明治の詩人はうたった。雲に対して、戦中派はこんなふうに呼びかけることはできない。ただ圧倒されて、しかし来るべきものにひそかな期待を寄せながら、高い雲の頂きを仰ぎ見るのみである。
 


posted by 優子 at 09:13| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年09月20日

イエス・キリストによる罪の赦し

「聖書には『いけにえ』というのが出てくるでしょう?だからキリスト教は好きじゃない」と、大学時代に通学電車の中で言われた友人の一言が今も忘れられないでいる。私は「うーん」と一言も答えられなかった。

昨日の説教はそれに関連する解説にもなるだろう。
と言ってもご本人はすっかり忘れておられると思うが、日本人ならば多くの人が感じる素朴な疑問だと思うので興味深く読んで頂けると思う。以下は説教の要諦である。

宗教儀式にはその国や民族や文化特有の意味があり、他のものには理解しにくいことがあり、ヘブライ人、即ち、ユダヤ人たちの宗教文化は私たち日本人にはわかりにくい。

ユダヤ教では旧約聖書の最初に出てくる創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の5つの書物が「トーラー」(律法)と呼ばれており、宗教書としてではなくイスラエルの法律そのものであった。

レビ記4章には、「もし人があやまって罪を犯し、主のいましめにそむいて、してはならないことの一つをした時は次のようにしなければならない。」と、人が罪を犯した時のことが書かれている。

祭司が罪を犯した時、つかさたる者が罪を犯した時、また、一般の人の場合など、いけにえにする対象物が雄牛、雄山羊、雌山羊などと動物が違うだけで同じことが書かれている。

では、日本ではどうだろうか。
神社で水で手を洗い、口をすすいで清めるように、水によりけがれが清められるという思想がある。

しかし、ユダヤ教では無傷の動物の血を注がねばならず、たとえ自分の体に傷をつけて血を流してもダメで、他のものの犠牲によらなければ救われないという教義である。

もしもこのことを人間が考えたとすれば、自分のために何の罪もないものを犠牲にするのだから、何という自己中心な考えであろうかと思うが、これは神さまが決められたのである。

謝ればゆるしてもらえるというような単なるゆるしではない。
誰かが血を流さなければいけないという厳然たるものであり、 「こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。」と、ヘブル人への手紙9章22節に記されている。

しかも、罪をおかした者が罰を受けるものではなく、誰かが身代わりになることで罪が赦されるのである。


多くの人が「私はそんなに悪いことはしていませんよ」と思うであろう。
しかしながら、生きるということ自体が多くの命を犠牲にして私達の命をつないできたのであり、見えないところにも多くのものが隠されている。

哲学者・滝沢克己氏のお孫さんが豊かな感性で鋭い質問をしている。
「おじいちゃんに聞きたいんだけれど、人を殺したらつかまるのに、牛や豚を殺して肉にしてもつかまらないのですか?」という率直な質問に対して、滝沢氏は平易な言葉で丁寧に答えた。
それは『中学生の孫への手紙』に収められているが、この子供の質問にすでに答えがあるのではないか。

また、文明の利器も同じであり、チェルノブイリの犠牲者のことを考えればわかる。平和や便利さは誰かの苦しみの上に成り立っていることを私達は知らなければいけない。

食べ物においても、例えば世界一のエビの消費国である私達は、エビの養殖のために他国の自然を破壊しているのであり、人間は罪をおかさないで生きていくのは不可能である。

それゆえに、イエス・キリストが既に私達の罪の身代わりになって死んで下さったことを、感謝して受け取るのである。キリスト教が言うところの「信じるだけで救われる」とは、そういうことを指すのである。

そして、自分の罪を赦された者は、イエス・キリストが通られた道を歩んでいくこと望まれている。

今日の聖書の箇所は、ヘブル人への手紙9章23節〜28節。

「このように、天にあるもののひな型は、これらのものできよめられる必要があるが、天にあるものは、これらより更にすぐれたいけにえで、きよめられねばならない。

ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。

大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。

もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。
しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。

そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることが、人間に定まっているように、キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救いを与えられるのである」。


さて、貴方はどのように感じられただろうか。
聖書は単なる外国の宗教儀礼を語っているのだろうか。

聖書は国や宗教や文化の違いを超えて、人間に共通する普遍的な問題である罪について一人ひとりに問うているのである。

附記:本日、カテゴリ「馬見労祷教会関係」を新設した。
2012.9.9追記:同カテゴリをを本日削除し「神(聖書)」に組み入れた。
再度2015年1月5日夜に「馬見労祷教会関係」を復設した。


posted by 優子 at 13:48| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年09月19日

JCP研究例会 @ −視覚障がいの方とメール交信?―

私は更新した記事を翌日の午前中にもう一度見直すのが日課になっているので、ブログ記事は更新後1日経過してからお読み下さるとありがたい。目

運筆が冴えない時はブログを開くのも勇気がいる。17日の記事もそうだ。しかも、昨日は休日だったので周囲がにぎやかすぎて少し訂正しただけで外出したので今も見直せていないままだ。

というのは、今朝も先の記事の手直しよりも先に、昨日のクリスチャンペンクラブのことを書かずにはおられないからだ。こんなことは初めてだと思う。

昨日はMI姉のご紹介で視覚障がい者の方がお出で下さった。
驚くことに全盲の方が「メールして下さい」とメールアドレスを教えて下さったのだ!パソコンが音声でメールを読んでくれて、返信も可能だという。

漢字の変換も音声でしてくれるのだそうだ。
例えば「公園」は「おおやけの公、植物園の園」、「公演」は、「おおやけの公、演劇の演」、「講演」は、「講座の講、演劇の演」というふうに案内してくれるという。


文明の利器がこんなにも障がい者の方々の大きな助けになっている。
それでもやはり目が見えないことにはかわりなく、どんなに不自由なことだろうかと思う。
こんな言葉でしか表現できない歯がゆさと、自分が盲目になってみないとわからぬ人間の限界をゆるしてほしい。


U兄は25歳の時に厚生労働省が認定している難病、網膜色素変性症で全盲となられた。
目が見えない地獄だけではなく、不幸は次々とやってきた。小学校の教職を辞し、まとまりかけていた縁談もなくなり・・・と、言葉では尽くせない苦悩を舐めてこられた。

医学は視覚障がいについて説明できても、「なぜ私が視覚障がいにならなければならないのか」という疑問には答えてはくれなかった。

自宅の最寄りの駅は駅員不在だから多くの人がキセルしていたが、「自分もキセルをしたから目が見えなくなってしまったのだろうか。それならば彼らも目が見えなくなっているはずだし、刑務所の人達も目が見えなくなっているはずなのに見えているではないか!」

当時、まことの神を知らなかったU兄は自暴自棄になり、あまりに悲しくて何度も布団の中で泣いておられた。
その後、結婚して2人の子供も与えられたが、夫婦関係の不和をきっかけに教会へ行くようになった。しかし、それでも神さまのことはわからなかった。

そして、その問題がどうしようもなくなって初めて神を求めてイエスさまと出会われたのである。


聖書を読む中で、特に二つの御言葉がUさんの考えを大きく変えたという。一つは、イザヤ書43章4節、「あなたは高価で尊い」という御言葉だ。
「この言葉の前には形容詞がない。あなたは何々だから尊いというのではなく、神さまは全ての人に対して『あなたは高価で尊い』と仰っている。

目が見えなくて劣等感にさいなまれ、自信を失いやすい私にとってありがたい御言葉でした。他人がどれだけ私を見下げることがあっても、天地を造られた神さまが私のことを高価で尊いと仰っていることは大きな励ましとなりました」。


もう一つは、ヨハネによる福音書9章3節の御言葉だ。
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」。

「この御言葉で視覚障がいの意味がわかった!」と、こうして不条理な苦悩から解放されたのだった。

亡くなられたお母様にこの御言葉を伝えてやりたかったと仰ったU兄のお気持ちが、私の胸にも痛いほどわかった。

結局、結婚生活は終止符が打たれたけれども、現在は盲学校で鍼灸マッサージと臨床医学や基礎医学を指導されている。

そして、「これからの私の人生に神さまがどれだけすばらしいみわざを見せて下さるのかなと思うと、希望と勇気と力が出てくる」と仰っている。

2008年には、証し文で『百万人の福音』のペンライト賞佳作の入賞者だから、クリスチャンならばお読みになった方も多いと思う。
今後もご自身の経験を文章にしてイエス・キリストをお伝えしたいとのお話に、一同は神の御名をほめたたえ大いに励まされた。
このことは参加者一人ひとりにとどまらず、関西ブロックへの神さまからの祝福でもある!

11月の例会は会場を神戸に移して開催予定である。
当初は神戸バイブルハウスを予定していたが、大田先生が通っておられる日本キリスト改革派・灘教会を使わせて頂くことになった。この教派は日本キリスト教団の流れをくみ、その後独立して100ほどの教会を有する規模だそうだ。

私たちはU兄のお話に深く感動し、次回の例会ではU兄にも奨励の形で話して頂くことに決まった。
大田先生は多くの人々に聴いていただきたいので灘教会の方々や多聞教会にもご案内したいとのこと。

その時に今回の宿題でもあった「医学とキリスト教信仰」についての文章を冊子にして配布して下さることになった。字数は800〜1200字に改め、10月25日までに大田先生に送信提出することになった。

日本基督教団神戸多聞基督教会は、「盲目のグーテンベルク」と呼ばれている点字の活版印刷技術を発明した左近允孝之進(さこんのじょう・こうのしん)が洗礼を受けた教会だ。(詳しくは過去ログ・2010年8月11日の記事に掲載)

昨日も長原兄が『メメントドミニ』の記事(2010年8月12日の「祝福された夏期学校 E(最終回)―「喜びのおとずれ」)を皆さんに印刷配布して下さり深く感謝している。恐縮しつつも私にはありがたい励ましとなっている。

U兄は『メメントドミニ』も読んで下さるというので、「音声に耐えられる文章ではないので」と恐縮したが、このこともまた、筆が重くなっている私への神さまからの励ましだと思う。いつまでも怠けていないで励もう!

実は先週の礼拝後に馬見労祷(うまみろうとう)教会の高見牧師が、「今、声を出して読んでいましたが、よく書けていますね。文章にリズムがある・・」と声をかけて下さり、『あかし新書 第28篇』に掲載された証し文をほめて下さった。(過去ログ・2010年9月11日の記事に掲載)
嬉しかった!!!


ペン友たちは常に精力的に執筆活動をされており、私も書くことへの情熱だけは負けないと思っていたのに長期間停滞したままで、ついに意欲をなくしかけていただけに高見牧師の声かけは神さまからだと心から感謝したのだった。

試練も喜びも全てが神さまの絶妙なるセッティングだ。
きっと昨日のU兄にとってもそうに違いない。


Time is up.
さあ、教会へ出かけよう!

posted by 優子 at 09:18| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年09月17日

秋の雑感

毎年10月になるとクリスマスキャロルを聞き始め、毎日聞き続けるのでアドベントの頃にはピタッと聞かなくなる。これが若い頃の慣わしのようになっている。

ところが今年は昨日からクリスマスシーズンに入った。例年より半月も早まったのは、異常な猛暑から急激に朝晩涼しくなったからだろう。

人生に限らず季節もまた、突然の変化に順応するのは大変だ。
今日の昼間は30度以上になったからいいが、ここ数日は天気が悪く日中もヒンヤリしていたから心細さを感じたのだ。

秋の初めのこの感覚は若い頃からあり、これは死の予感ではないか、人間はいつかは死ぬ存在であるということを直観的に感じているからではないかと思う。

今日は孫と一緒に公共バス(無料)に乗って知子に頼まれた用事で役所へ行った。
社会福祉センターを出る時、デイサービスに来られた車いすの老人に孫の目は釘付けになった。そして、あまりに真剣に見ている孫の顔に私が釘付けになってしまった。

「どうしてあそこにいるの?」と、孫は車いすで運ばれていく老人のことを聞くので説明した。
そして、「おばあちゃんやおじいちゃんも、あのように歩けなくなったら、ユキちゃんも車いす押してくれる?」などと歩きながら話している時も、真剣に聴いているので刺激的すぎてはいけないと思って楽しい話題に変えた。

今日は娘の用事で来たが、いつか娘が私のことで手続きに来てくれるのだろうな・・・そんなことを思うと胸がキュンと痛くなった。

その時の自分自身のことを想像してではなく、娘が私のことで病院や介護施設を訪ねるのだろうと思ってかわいそうになったのだ。私が経験した母と父の時の悲しみを娘も通るんだなあと思いを馳せた。次第送りであることは喜ばねばいけないが。


話を変えよう。
孫との生活になって2週間目に入り、孫は見る見るたくましくなってきた。私達の呼吸も合い始め、私が感情的に怒ることも激減して楽しく過ごしている。

私達は毎朝、夫と知子を見送った足でチャッピーの散歩に行き、それが終わればユキに手伝ってもらいながら洗濯物を干して朝食だ。

最初はありがた迷惑のお手伝いだったが、今では結構役に立ち、『ゲゲゲの女房』が始まるまでに手際よく終える。
教育上好ましくないが、朝食はNHKの朝ドラ(『ゲゲゲの女房』)を7時45分からのBS放送で見ながらである。

そして、今週は民主党の動きから目を離せなくて、ユキが食べ終わる8時10分頃から子守りは教育テレビに託して、私は2階で『朝のワイドショー』を、孫は下で『おかあさんといっしょ』を見るので、私は朝からゴールデンタイムとなる。

その間、毎日定刻になるとトントントントンと走る音がするので、私は咄嗟に手元のリモコンで12チャンネルに変える。するとやっぱり体操をやっていて、こうして孫の様子を確かめながらテレビタイムを続ける。

そして、いつも決まって9時前になると「おばあちゃ〜〜〜ん」とお呼びがかかって、朝のゴールデンタイムは終わる。わーい(嬉しい顔)

そういえば、昨日の朝のこと、急に雨が上がったので私は孫を残して一人でチャッピーの散歩に出た。すでに夫と知子は家を出たあとだからだ。

しかし、7時前なのでまだ子供番組はしていなかったが、ユキは一人で留守番できるというので安全を確かめて実行した。

15分後に帰宅しても泣いていないので、もう一度行ってもいいかと尋ねて再び8分間ほど出たが泣かずに待っていた。すごい成長ぶりに感激しつつも、無意識の心の深いところで不安がっているかもしれないので注意したい。

最後に、選挙直前の最後の演説で感じたこと。
「自らの資質を問い考えた」と語った小沢氏の言葉を信じ、「それぞれの背景があり、経験と問題意識が重要」だと述べた管氏の考え方に共鳴し、今後の動向に期待したい。

今日、管改造内閣が発足した。
小沢氏とその派閥の人達は国のために心を一つにして、管首相が提唱する「412人内閣」を是非機能させてほしい。何をするにも結局は全てが自己との闘いであり、自我に縛られずに責任をもって職務を遂行できるかどうかだ。

せっかく幼児が鳩山総理大臣の顔を覚えていたのに短期で変わり、ようやく管総理大臣の顔も記憶していたから、ユキのためにも変わらなくてよかった。

posted by 優子 at 23:57| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年09月16日

「がん患者からのお願い」

祈りの友でありペンの友のブログ、『生かされて』と『希望の風』、そして、日本クリスチャンペンクラブ(JCP)のHPには『メメントドミニ』と相互リンクを張らせて頂いている。

友たちのブログをとおして、友の篤い信仰に教えられ励まされること多大である。

『生かされて』の著者・文香さんは、今から7年近く前に乳がんの手術を受けられた。
今年の5月25日の記事には「がん患者からのお願い」として、がんになった人でないと感じることのできない真情を伝えて下さっているので、昨日の拙文の記事に関連してご紹介したいと思う。

 
がん患者からのお願い

がんを告知されて落ち込み、泣いているときは一緒に泣いてください。
それだけでいいんです。
聖書の言葉は語らずに悲しみの嵐がおさまるまでそっとしておいてください。

再発転移を恐れてオロオロしているときは、
「心配だよね」と言って一緒に心配してください。
心配することは不信仰だなんて思わないでください。

手術や治療の不安を抱いているときは、祈ってください。
どんなときでも主が共にいて下さることを確信させてください。

死への恐怖があるときは、天国について語ってください。
天国について書かれている聖書の箇所を読んで、希望を思い起こさせてください。


「また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示録21:3―4)」

今、深刻な病にある方々への希望と力になることを祈りつつ御紹介させて頂いた。

posted by 優子 at 15:06| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年09月15日

「がん哲学外来」・メディカルカフェ

18日に予定されている日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックの研究例会では、原稿用紙600字程度の課題が出ている。テーマは「良い医者」、「癒し」、「仕える」、「病」など医学とキリスト教信仰についてだ。
(※ ご関心のある方は、画面右「お気に入りリンク」の「日本クリスチャンペンクラブ」をご覧下さい。案内が出ています。)

書かねばならないとずっと気になりながらも孫との日々にあっては苦しい状況だ。
本当のところは状況ではなく問題意識が薄れているから書けないのが実情で、人間学がライフワークのテーマである私にとっては教育や医療は書きたい分野である。

さて、昨日の毎日新聞科学面の記事、「1杯の力」に目が止まった。
『がん哲学外来』の著者で「メディカルカフェ」を展開されている樋野興夫(ひの おきお)順天堂大教授の働きだ。

福島県立医大病院で月1回開催される「がん哲学外来」では、先月から有名コーヒーチェーン店による飲み物が無償提供されるようになったという内容だった。

樋野氏は臨床医ではなく病理学者であるが、患者の思いや悩みをじっくり聴くことができていない多忙な医者と患者のコミュニケーション不足を感じて、思い立って直ぐに行動に移された。

対話とは癌患者さんの話を聴くだけではだめで、こちらからも話して双方の流れがあってこそ論理が展開されると、実際はご自身も多忙だが、「暇げな風貌」で「偉大なおせっかい」をしたいというのが主旨である。

クリスチャンの方ならば樋野氏のことはご存知だろうと思う。以前にもご紹介させて頂いたインターネットテレビ(http://www.harvestinternet.tv/)の、「社会・教育」をクリックして頂くとご覧頂ける。

これは病院でやることではなく、開放的で共同体的な場である喫茶店がいい。自由にお茶を飲みながら同じ目線で話し合いたいというものである。

今回の新聞記事では病院内でのカフェになっているが、これは新渡戸稲造の「地方学(ぢかたがく)」の教えから、それぞれの土地に合った実現できるやり方での院内開設だったのであろう。

昨日の新聞記事が課題文章の導入になっていくことを願いつつ思いつくままに書いてみた。

これを書きながら脳裡に浮かんできたのは、「他人への痛みは何年でも耐えられるけれど、自分の痛みとなると1分1秒が耐え難い」と言われた西川喜作氏の言葉である。

この言葉は何と人間の本質を現していることか!
これも人間の限界であり、かつ偉大な人格者の発露だ!

これは国立千葉病院精神科医長だった西川氏が、骨転移による痛みに襲われた時に自己批判を込めて言われた言葉である。

痛みだけではなく、他者の病や死への不安と恐怖もまた、私はどれだけ自分のこととして祈れているだろうかと思うだけに強く迫ってくるものがある。


もう一つ想起するのは、『死ぬ瞬間』を書いたキューブラ・ロスが、晩年脳梗塞に倒れて左半身不随になった時に神をヒットラー呼ばわりしたことだ。

「私は40年間も神に仕えてきて引退したら脳梗塞の発作が起きた。だから烈火のごとく怒って、神に『あなたはヒトラーだ』と言ったら、神はただ笑っていた」。

「死の専門家」とまで言われ、それまでに1万人もの死にゆく人たちに寄り添ってきたロス博士だっただけに、あの激変した表情と言動は大きな衝撃だった。


受容するまでのプロセス途上であったことを願うが、これもまた人間の実相である。願わくば、主イエスを見上げつつ平安と感謝のうちに死の門を越えさせて頂きたい。

静かな時間が与えられれば書けそうな気がする。神さまの前で書きながら考えてみたい。

附記:遊び心で触っていたら画面トップ右上に「プロフィール」を付け加えることができた。

猛暑日は12日(日)で終わり、その後は季節の変わり目で不安定な天気が続いている。
チャッピーは既に冬毛をたくわえてフワフワ、プカプカ!

ミネソタでは最高気温が15度前後で、最低気温は6度近くにまで下がり、再び極寒の冬の始まりである。
真智子と太志君に神のお守りを祈りつつ。


posted by 優子 at 14:33| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年09月12日

パウロに学ぶクリスチャンの一致

昨年はある牧師のことで苦悩し、その果てに辿り着いたのは「人間の限界」という境地だった。勿論、その時は自分自身も例外ではなく客観視してのことである。
このことについては、過去ログ・2010年1月20日の「新たなる出発」に述懐している。

その経験もあって、今朝の礼拝説教は示唆に富むメッセージだった。私の問題意識から言えば「クリスチャンの一致」というテーマであり、説教の概要は次のようなものであった。

初代のエルサレム教会にはペテロがおり、イエスに指名されたイエスの弟子達がいた。
教会の筆頭となっていたのがイエスの実弟のヤコブで、そこにはユダヤ教から信者になった人がたくさんいた。つまり、厳格に戒律を守っていると主張するパリサイ人たちである。

ユダヤ人は生まれたらまず割礼を受けなければならないという律法があり(使徒行伝15章の前半に記載)、信徒たちは「割礼を受けなければ、救われない」という教えが身についていた。

パウロに対して我々こそが正統であると主張して、パウロの使徒性にまで疑問を投げかけた。

パウロにすれば、割礼を受けねばならない、律法を守らねばならないと言ってくるエルサレム教会に対して、エルサレム教会から独立してパウロ教団を作ってもよかったのであるが、パウロはそれをしないで聖なる人たちに献金を送り続けたのである。

私が唸(うな)ったのはこのところである。 

「聖なる人」とは、神の前で謙遜で心の美しい人という意味であり、「貧しい人」の意味も含まれる。

パウロは「かの『重だった人たち』は、わたしに何も加えることをしなかった。 」と(ガラテヤ書2章6節に)書いている。
もう少し7節から9節まで見ると、
「それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、(というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務めにつかせたかたは、わたしにも働きかけて、異邦人につかわして下さったからである)、

かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである」。


即ち、「あれをしなさい」、「これをしなさい」ではなくて、「お互いの立場を認めて、お互いに頑張りましょう」との相互理解を得たのである。
 
このことは心に深く刻んでおきたいことだ。

今日の聖書箇所、「コリント人への第2の手紙」9章6節〜15節で、パウロは次のように書き送っている。

わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。

神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。 「彼は貧しい人たちに散らして与えた。その義は永遠に続くであろう」と書いてあるとおりである。

種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。
こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。

なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補えだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。

すなわち、この援助を行った結果として、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であることや、彼らにも、すべての人にも、惜しみなく施しをしていることがわかってきて、彼らは神に栄光を帰し、そして、あなたがたに賜わったきわめて豊かな神の恵みのゆえに、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのである。言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する。

「貧しい人のことを覚えましょう」とは、「忘れないで祈っているだけではなく献金して助けましょう」の意味が含まれている。

ところで、私達が信仰するプロテスタント教会には多くの教団や教派がある。
ルーテル派、 改革派、バプテスト派、会衆派、メソジスト、ホーリネス、メノナイト、長老派(カルヴァン派)、アライアンス、カベナント、クエーカー、ディサイプル派、ペンテコステ派、カリスマ派、単立教会、セブンスデー・アドベンチスト教会、ブラザレン、エキュメニカル、無教会主義(内村鑑三の流れ)・・・など多岐に渡る。

そもそも日本キリスト教団は複合教団であるから、例えば、洗礼を受けていない人が聖餐式に与るかどうかという「未受洗者陪餐の問題」も賛否両論あり対立している。

一方の考え方は、もともと合同の教団であるから一つになる必要はないのではないかというものであり、他方は、合同になったのだから考え方は統一すべきだという考え方である。


両者共にうなづける考え方だが、問題は聖餐に与らせた牧師を教団が免職しようとしていることである。これに対してそのような命令で牧師職を奪うことは不当であると闘っている。

これについては日本キリスト教団に籍を置いておられる友からお聞きしていたが、イエス・キリストはこの現状をどう思われるだろうか。
牧師は言われた。
自分のすることが神さまの目から見て正しいのだと信じてすることは恐ろしいことだと思う
私達は、神さまの前で私のしていることはいかがでしょうかと身を低くするしかなく、そのことを教えるのが牧師であると思う。

時には考え方が違い意見が合わないこともある。特に宗教改革以後は、自分が神さまのために信じていることについてはどうしても譲れないところがある。

一つの教会においても、日本全体の教会においても、また、世界の教会を見ても、それぞれの違いがあるが、これらは一つの教団教派に与えられている賜物として受け止めたい。

世界のキリスト教会全部が一つであるという認識に立って、エキュメニカル運動があり、プロテスタントとカトリックで同じものを作ろうとの試みで新共同訳聖書が誕生した。

コリント人への第1手紙12章26節に、『もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。』とあるように、それぞれのことを同じ体の一つとして覚えていきたい。

『覚える』ということは『忘れない』ということであり、与え続けることで一つになっていきたい。神さまはそれを喜んでくださるだろう」
と、メッセージを結ばれた。

私は、教団内の問題も公にして共に考え合う労祷教会の在り方に深い感銘を覚える。教会によってはこのようなことも役員会だけの話になっているところもあるからだ。

労祷教会の信徒一人ひとりが主体性に富み能動的である。新人の私には学ぶこと多くて心地よい刺激を感じるのもそのことに無関係ではないだろう。

最後に冒頭に書いたことについて、かくて「人間の限界」という言葉を噛みしめて苦悩から解放されたのである。


なお、今日の説教に関連して、尾山令二著『クリスチャンの和解と一致』(地引網新書・2007年発行)より引用して終りたい。

「地上における教会は、どこもまだ救いが完成されていないクリスチャンによって構成されているわけですから、問題があってもやむを得ないことではあります。神の救いの御業が不完全だということではありません。

神の救いのご計画は、私たちが霊的に生まれ変わった時から始められて、キリストの再臨の時に完成されるというものであるために、地上で生きているクリスチャンの救いは未完成だということです」。


私達は地上においては未完成だからクリスチャン同志も不一致があるということであるから、それぞれの立場を尊重して、愛の心で議論していきたいものである。


posted by 優子 at 23:59| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年09月11日

「愛を宿らせ給う神」 ―『あかし新書 第28篇』掲載文―

今夏発行された『あかし新書 第28篇』は、先月の日本クリスチャンペンクラブの夏期学校で執筆者に配布された。今回のテーマは「愛・ゆるし・平和」である。

「証し」とは、日々の出来事をとおして神さまから頂いた恵みを人に伝えることである。
このたびの試練については久保田先生初め関西ブロックの方々にはお話しているが、私の証し文には具体的に書いてないので「読む人にわかるように」書くようにとアドバイスされた。

今はまだ渦中でもあるのだから書けないことも重々承知しながらも書かずにはおられなかったし、具体性に欠けながらも悩める人への助けになると思った。

切実に求めている魂に触れる文章を書きたい、読者の心に訴える文章を書きたいとの願いは、文書伝道の志を賜った時から微動だにしない。

私の中では筆は鈍っていないつもりだが、要は概念的すぎるのであり説教調なのだろう。

しかし、ここに書いたことは内村鑑三が述べているように、「人生の実際問題に遭遇して、血と涙をもってその解釈を求めてついに得られ」たものであり、しかも、この人生の危機、試練においても、神の平安と支えがあったことを証ししたかったのである。

かくて、この証しを書きながら愛と赦しと平和は同じことであると悟った。赦しがなければ愛も平安(平和)もないということである。これからも祈りをこめて文筆を磨いていきたいと思う。


あかし新書 第28篇.jpg

表紙の写真は長原武夫兄が提供して下さったもので、一輪で咲く時計草を造形したものである。
時計草については2010年7月1日の記事に詳しく書いている。
        愛を宿らせ給う神
                         
                         藤本 優子

昨年、春の訪れと共に私達夫婦に大きな問題が明るみにされた。新たな問題が起こったのではなく、既にあった問題が限界になり破綻したのである。以来、無我夢中の一年を過ごし、これからも困難な道を歩いて行くことになった。

しかし、かつてのように神に対して人生の不条理を問うことはなかった。以前ならば、非道なことをやり続ける人を、神はいつまで見過ごしにされるのかと苦しんだが、葛藤に苦しむことはあっても心の底に深い平安がある。

ここに至るまでには数え切れぬ苦しみをなめた。
私は信仰を与えられてからこそ、理屈に合わぬ不条理さに七転八倒した。

そして、洗礼を受けてようやく十年過ぎた頃になって、神は常に最善をなして下さっていることを信じられるようになった。なんという遅い歩みであろう。

しかも、神の力と平安を深く知るのはもう少し後になってからのことである。その契機となったのが、身近な人々のあまりにも身勝手で神をも恐れぬ暴言だった。

心を尽くして生きてきた母が難病に苦しんで召され、他者のことなど全く省みず、言いたいことを言って生きている人々に安穏な生活がゆるされている。

この納得できない積年の問題に苦悩していた私は、理不尽極まりない暴言の大打撃に打ちのめされて、ついに力が尽きた。

しかし、この最悪が神の最善だった。

それから一ヶ月ほど経って衝撃が和らいできた頃、突如、神の聖霊により私の霊の眼が開かれて、長い苦しみに終止符が打たれたのである。

つまり、あの人がどうのこうのではない、神の真理は人と比べてではなく、徹底的に神と自分とのことでしかわからないことを悟ったのだ。
こうして克己と努力では決してわからなかったことを納得させて下さった。

これは神がなされたことゆえに、その後の幾多の試練においても私の平安は揺らぐことなく、このたびの大きな試練も、そのどん底において主は信仰を証しさせて下さった。

神の愛が心に滲みる。
神に愛され守られていることもよくわかる。
畢竟、人は神を深く知らずして試練は耐え難い。

いや、神の愛がわからないから不条理に苦しむのであり、私は私達を苦しめた人を赦すことで神の平安と愛を知った。

赦しは愛につながっており、神は赦した者の心に愛を宿らせて下さるのだ。そして、それを成長させて下さるのも神であるから、私は愛を蒔き、愛を育てながら歩んでいこう。

今こうして感謝と喜びをもって生かされているのは神の奇跡だ。
主の御名を呼び求める者は、どんなことがあっても必ず最後には勝利に導かれることを信じて、これからのことも思い煩わないでイエスの道を歩いていこう。

この本の「あとがき」には、この本が「主に用いられることを祈りながら、一人でも多くの人たちにお渡しするという仕事が残されている」とある。

未だ労祷教会と妹に届けたのみで、心の友である千里姉にもお届けしていないことを情けなく思う。今夏の猛暑で魂まで夏枯れしたのでもあるまいに、情熱が萎えてしまって主に申し訳ない。

「いかに美しいことか
山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
救いを告げ
あなたの神は王となられた、と
    シオンに向かって呼ばわる。」


        (イザヤ書 52章7節)

「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣(の)べ伝えなさい。」


        (マルコによる福音書 16章15節)

『メメントドミニ』の読者の方へ:
今や印刷物の洪水どころか、インターネット時代に入って文章も無際限に溢れかえっています。
そんな中にあって、『メメントドミニ』を開いてお読み下さっていることを心から感謝しています。お読み下さってありがとうございます。
貴方の上に神さまの豊かな祝福がありますようにお祈りします。
posted by 優子 at 16:02| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2010年09月10日

ユキ、おばあちゃんに叱られてプーさんを歌う 

「おばあちゃん、食べしゅぎ」
今朝、ユキが目覚める直前の寝言だったらしい。
「ママのお顔、真智のお顔みたい。ママ、真智に似てるねえ」と話しながら知子とユキが下りてきた。

今朝一番のユキ.jpg 出窓に座って、朝からニコニコ。

異常気象でも自然界は夏から秋へ、数日前から朝夕はめっきり涼しくなって窓を全開して寝ると肌寒い。
これは今朝の5時45分頃だが、夜が明けて10分たっても薄暗さが残る。後ろに見えるのは二上山の雄岳だ。

最近の特筆すべきことは、8月下旬頃から始まったユキのすさまじい反抗だ。2人の子育てをした私もびっくりしてしまう。
知子は育てやすかったので顕著な反抗期も無く、活発な真智子でさえここまでではなかったと思う。

私が忘れているということも多分にあるだろうし、性差の違いもあるのかも知れないが、「やめなさい!もうユキちゃん、怒ってきたから」というセリフが半泣き状態で出てくると要注意。とにかく辟易する。

これはもう異常の域ではと悩んだが、知子の知人や友人、また、私の友人にお孫さんのこと尋ねると、3歳児の様子はユキの言動と見事に一致するのでホッと胸をなで下ろしたのである。

反抗期はあるほうがいい。
しっかり自己主張をさせてやらねばと思う。
が、関わるには忍耐がいる。

孫密着の生活になり早々5日目から感情的に怒っている。
確かに子育て現役だった頃よりは忍耐力が養われているが、相変わらずの自分に失望することしきり。そこで、感謝を思い出しては本心に立ち返る繰り返しである。

昨日は生協さん(配達)が来るお昼までに掃除を済ませておきたいのに、オモチャをかたづけないので注意した。私は余裕があり冷静に叱った。しばらくすると、どこからかかわいい声が聞こえてきた。

「お月さま お星さま おしえてよ
どこにいるのー
まっくらな中 ひとりぼっち 助けて
君がそばにいないと 僕はなんにもできない
お星さまに 聞いても 答えてくれない
しかたがもれる(本人も意味不明????で笑っている)
お月さま お星さま 教えてよ」


ユキはどこへ行ったのかと思ったら、階段の上で歌っていた。あまりに可愛いくて写真に収めた。

プーさんユキちゃん.jpg

これは10日ほど前から歌っているプーさんの歌だ。
真智子の『プーさん』のビデオがすっかり気に入って、毎晩のようにお風呂から上がるとおじいちゃんに見せてもらっている。その中でプーさんが歌っている歌らしい。

次は8月下旬からのユキの記録である。

古紙回収のトラック.jpg

これは古紙回収屋さんごっこ。

8月の古紙回収を2階から見ていたユキは、すぐさま真似て遊びだした。
ソファーを大きなトラックに見立て、そこに古紙を放り投げ、積み終われば運転席に座って運転して移動する。そういうシチュエーションで、毎日飽きずに何度も何度もやっていた。(笑)(8月19日撮影)

花火は4回したかな?.jpg

この夏、生まれて初めて花火をした。4回したね。

ユキは「チャッピー、見てよ!見てよ!」と、花火を見ないでチャッピーばかり見ているので、「チャッピーはいいから!花火を見ないと終わってしまうよ。」と、声をかけねばならない疲れる花火だった。(8月21日撮影)

次は、9月から始まった新生活2日目のユキ。
こんなに大きくなって、幼児の可愛さも盛りを越えつつある。

自分で手を洗えるよ!.jpg

奥に見える乾燥機に描かれた絵は、
東大大学院に進学する直前の真智子に描いてもらったもの。
もう7年以上も前のこと・・・
今は忙しくて情緒的感情もなし。

今日は午前中にお隣の大おばあちゃん(曾祖母)のところで遊んで来て、昼食、歯磨きも楽しくすませて、今はお昼寝中。

今日の絵本は久々に『フランダースの犬』を選んだユキ。「3冊でもいい?」と持ってきたが、いつも1冊目で眠ってしまうから何冊積まれてもOK!

案の定半分くらいのところで眠ってしまった。枕元には、『くまのプーさん』と『マッチ売りの少女』が積んであった。
「おやすみなさい、ユーキちゃん」

そして、ようやく私の小休止。
来週にはクリスチャンペンクラブの研究例会があるが、課題の文章もまだ書いていないし、課題図書も読めるところまででも読もうという意欲もなくなりスランプ状態になっている。

睡眠不足になるとユキに感情的になりやすいので夜は眠るようにしているので、金曜日と土曜日の夜が頑張り時かと思っている。

問題: この絵本の中にチャッピーがいます。
ユキに「この(絵本の)パトラッシュはこわい顔してるね」と言われて、ちょうどいい写真があったのでチャッピーに登場してもらいました。
わーい(嬉しい顔)犬眠い(睡眠)

パトラッシュはチャッピー!.jpg

知子と真智子に読んでやった絵本は昔のまま。

ユキは明日で3歳と2ヶ月になる。
生後3ヶ月のM君の手術が無事に終わったことを祈りつつ・・・

posted by 優子 at 15:09| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年09月09日

秋のひととき、ご一緒しませんか?

殆どの教会で毎年9月下旬から10月下旬にかけて「秋の特別伝道集会」が開かれる。
昨日、敬愛する久保田暁一先生よりお電話があり、久保田先生が通っておられる大溝(おおみぞ)教会の集会にお招き頂き、先ほど詳しいご案内状を落手した。

私はお誘いをお聞きしながら、9月から平日の外出ができなくなっていることを思い出してガッカリしたが、カレンダーに目をやったところ10月11日は祝日だったので「是非参ります」と即答し、ペンクラブのO姉とご一緒させて頂くことになった。

大溝教会の浅見文博牧師は、かつて40日間だけ馬見労祷教会で牧会しておられたことがあり、労祷教会に連なろうとしている私にとっては不思議な関係性を感じる。

教会は全ての方々に開かれているので、このブログでもご案内させて頂きたいと思う。

場所は、京都駅からJR湖西線で近江高島駅下車(ガリバー像のある駅)、徒歩約10分のところだ。大溝教会の写真は過去ログ・2010年7月1日の「大溝教会にて会合を開く」に掲載しているのでご覧いただきたい。

 
日本基督教団 大溝教会 
特別伝道集会のご案内
日時  2010年10月11日(月)体育の日 
         PM2:00〜
場所  大溝教会
講師  佐伯 晴郎牧師
演題  「今を生きるには」

   ※講演後、座談会を開きます。
    入場無料。
    どうぞお気軽にお出かけ下さい!

佐伯晴郎牧師プロフィール:
1927年 韓国・ソウル生まれ(愛媛県出身)。
1952年 東京神学大学(旧制)卒業。
52〜57年 日本基督教団上野教会牧師(三重県)。
57〜61年 欧米留学。米国プリンストン神学校大学院卒業、スイス・ジュネーブ大学大学院、ドイツ・エヴァンゲーリッシェ・アカデミーに学ぶ。
61〜65年 (財)日本クリスチャン・アカデミー専任牧師。
65〜95年 宮城学院高校宗教主任、同女子大学助教授を経て教授。定年退職後2000年まで非常勤講師。
1970年より「家の教会」の開拓伝道を初め、日本基督教団西仙台教会に至る。
2002年まで同教会牧師。
現在、日本基督教団正教師、宮城学院女子大学名誉教授、仙台YMCA名誉理事、宮城刑務所教誨師会元理事。

著書:
『現代人に語る聖書』(創元社)、『家の教会の論理』(新教出版社)、『日本のキリスト教に未来はあるか』(教文館)他多数

佐伯牧師は久保田先生が発行されている『だるま通信』(現在256号)誌上で存じ上げている。

その250号の特別寄稿によれば、お二人の出会いは、久保田先生が県立名張高校の教師をされていた時、伊賀上野の教会で牧会されていた佐伯牧師を訪ねられたことに始まる。今から半世紀以上も前のことである。

その後、佐伯牧師が名張高校の臨時の英語講師になられて親交が深まっていき、佐伯師が久保田先生の「下宿の一つの布団に泊めてもらうこともあった」とか。麗しい青春の日々を彷彿とさせる。

多くの人々との交わりの中で人生を展開してこられたお2人である。佐伯牧師のお話と、そのあとに持たれる座談会も楽しみである。
関西にお住まいの方は、湖西線を楽しみながらお気軽にお出かけ下されば嬉しい。

posted by 優子 at 15:17| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年09月06日

人生の諸段階を生きる

昨日の最高気温は36.7度だったか、9月に入ってからも連日の猛暑が続いている。夫によれば、自動車の運転席に表示される昼間の室外温度は41度だったという。

小学校ではあまりの猛暑のために運動会の練習ができなくて運動会は延期とか・・・。
夜になってもパソコンに表示されている現在の外気温は34度である。

さて、孫をあずかる生活になって4日目に入ったが、新しい生活に順応していっている娘にホットしたからだろうか、昨日から急に心身の疲れを感じる。
今日はサモアから帰ってきた妹を迎えて楽しい時を過ごし、新生活の緊張感が幾分和らいで気分転換になったようだ。

私はサモアの写真をとても楽しみにしていたのに、パソコンにつなぐコードが必要なことを言い忘れたのでカメラ越しに写真を見せてもらった。

その小さな画面からでも実に美しい真っ青の海と空だった。海の水はどこまでも透き通っているという。夜は満天の星で、25年前と全く変わっていなかったそうだ。

しかし、こんなに美しい国が今も国連の最貧国の1つなのかと不思議に思って聞いてみたら、工業生産ではかるのでそういうことになるらしい。未だに一日の労働賃金が2タラ(80円ぐらい)であることにたいそう驚いていた。

今日の昼食は妹の自動車で日本料理店へ出かけた。
そこはユキの献児式のお祝いと真智子が婚約して家族顔合わせで使った店で、先月末の28日夜には、知子の新しい門出と夫の65歳の誕生日を祝ってささやかな夕食会をした。(ミネソタの読者のために書きました)(^−^)

その後、ユキの昼寝に付き合ってもらい、3人で川の字になって横になった。
短期間で変わる今一番のユキのお気に入りは『みにくいあひるの子』で、読み終わっても起きているので、次のリクエスト本の『マッチ売りの少女』は妹が読んでくれた。

そのうちに眠ってくれたが私も気持ちよく眠りかけていた。いつもなら一緒に寝るところだが、妹と話したくて起きた。

いろんな話の最後に、「人生ってあっという間やったね」と妹が言ったので、「え? もう過去形?」と、互いに目を合わせて微笑んだ。
その意図するところはよくわかる。


妹のように能力のあった(ある?)女性ならば、文字通りそのように思うこともあるだろう。若い頃は、何かもっと大きな仕事ができると思っていたに違いないと。
兄も数年前に同じようなことを話していた。
私は学生時代に何かに夢中になって情熱的にやったことがなかったから、そのようなことを思ったことはないが。

互いにいつしか年を重ねたが、これからはこれまでの経験をインテグレイトしていく段階であり、これまた素晴らしい味わいがあるというものだ。
特に青春時代から自分の務めに励んできた人にとっては、私などとは違って喜びを噛み締める豊かな収穫の時だ。

共に神を仰いで人生を完成させて頂こうではないか!
神に期待し、厚かましく恵みの中を闊歩させて頂こうと思う。

妹と別れる前におチビ(ユキ)も加わって、立って3人で手をつないで祈った。今思えば、3歳になったばかりの子が、よく祈りに合わせてくれていたと驚く。

今日の時を感謝し、妹の上に神の導きと豊かな祝福がありますようにと祈る。


posted by 優子 at 23:34| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年09月05日

全てのことを有意義に変えて下さる主イエス・キリスト

まず、今朝の礼拝説教から:
我々の営みは評価の中で生きていると言える。
仮に「私は人の評価なんか気にしない」と言っても、知らず知らずのうちに評価の枠の中で行動しているのではないだろうか。

少し極端な例になるが、暑いからといって裸で外に出ることはしない。私達がそのようなことをしないのは、社会全体が有するところの枠の中で行動しているからであり、この枠組みは文化により違い、人の評価も異なる。

今日の箇所、マルコによる福音書14章3節〜9節では、食事に招かれてもいない女が家に入ってきて石膏の壷を壊し、イエスさまの頭にかけたという話である。

※ このブログでは口語訳聖書を用いており、時に新共同訳、新改訳、リビングバイブルなどの諸聖書から引用している。
イエスがベタニヤで、重い皮膚病の人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女(マルタの妹のマリヤ)が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

すると、ある人々が憤って互いに言った、「なんのために香油をこんなにむだにするのか。この香油を300デナリ以上にでも売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。そして女をきびしくとがめた。

1デナリとは1日の労働賃金にあたり、マリヤが使ったのは300日間の賃金にあたる高価な香油だった。
そこで、そこにいた人々は高価な香油を無駄にしたと咎めたのであるが、家に入って来たことについては何も言っていないので、当時のイスラエル地方では異様ではなかったのであろう。

するとイエスは言われた、「するままにさせておきなさい。なぜ女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときにはいつでも、よい事をしてやれる。

しかし、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではない。この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。

よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。

しかし、イエスさまだけはその行為の奥にある心をご覧になった。
彼女の根源的な思いを見つけて引き出して下さり、意図を評価されたのである。


人の意図の中には良いものと悪いものがあり、私達は悪い方を見てしまいやすい。
しかし、イエスさまは私達が悪いことをしようとしていても私達への信頼を忘れず、私達の良いところだけを見て期待して下さるのである。

私達はそのような信頼を受けているのだから、他の人に良い評価ができるようになっていきたいと思う。

しかし、これにはかなりの訓練が必要だ。
他者に良い評価を捜すというのは、訓練に訓練を重ねないとできない。
訓練とは、相手の立場に立って人を見ることであり、相手は悪意をもってやったのではないことを押さえ、相手の立場に立って原因を考えるのである。

例えば、知人に「おはようございます」と挨拶した時、知人は挨拶を交わさずに知らん振りして通り過ぎてしまったとしよう。

そんな時、「あの人はどうして挨拶しないんだろう。私はあの人に何か悪いことをしたかなぁ」と、私達は不愉快になったり気になったりする。

しかし、その時に、相手は体調が悪いとか、心配事があるとかで、挨拶をすることもできない状況にあったのかもしれないと思えるように、悪意ではなく良い評価を見る努力、訓練を重ねるのである。

私達自身の行為はイエス・キリストから赦され、しかも「できる限りのことをしてくれた」と、私達が思いもしなかったような最大の評価をして下さっているのである。

イエスさまの愛と信頼により、私達もイエスさまのように相手の奥にある良いものを見つける者となりたいものである。


礼拝のあと、牧師よりナルドの香油の匂いをかがせてもらった。
アロマテラピーとして微かにかぐにはいいが、鼻の先でかぐと鼻が痛くなるほど凄く強い匂いがした。

今朝もう一度、古森牧師のメッセージをとおして神の愛と神の御手の中にあることを確認し、神さまから新しい力をいっぱい頂いて、意欲に満たされて新しい週を始められる幸せを心から感謝している。

そしてもう一つ、神さまに感謝していることがある。
それは、私達家族がいつしか労祷教会の方々とのお交わりの中で育まれているということだ。


これまでは礼拝が終われば即行退場していた私達であった。
と言うのは、夫は今も現役で毎日東大阪まで通い、近年の厳しくなるばかりの経営状況の中で悩み多く、その上に3〜4年前(?)からこれまで以上に業界の重責も加わっている。それゆえに土・日はゆっくり休養してもらいたいと思っている。

休日は2時間ぐらい昼寝をするので、礼拝が終われば即行帰ってしまう夫ちっ(怒った顔)にこれ以上の無理は言えないし、そのために教会の方々とのフェローシップが全くできないでいた。
私はクリスチャン同志の交わりというのは特に大切だと思っているので残念だった。

7月の「交わり会」が初めだったと思うが、Ko姉を初め多くの方々が声をかけて下さった時、たまたまだろうが参加してもいいような夫の表情をすばやくキャッチし、娘の方にも目をやって様子を探った。

そこで「良し」と判断して2人に参加を促したのであった。
私もマイペースでやっているようでも、実は常に細やかな配慮と努力をしているのである。わーい(嬉しい顔)

7月はユキの誕生月でもあった。教会で毎月もたれている「交わり会」は、誕生月の方を囲んでの歓談だとわかった。

その時はまだまだ知子の魂は回復途上にあったので消極的だったが、あの時を機に少しずつ変えられてきて、先月末の奏楽者研修会への参加へと導かれていったのである。


神さまは大きな痛みを痛みだけに終わらせず豊かに成長させて下さっているのがわかる。今ではかなり知子らしさが出てきた。

私達の間で労祷教会のことや教会の方々の話題が多くなり嬉しい限りである。神さまがこんなに早く祈りを叶えて下さろうとは思ってもいなかった。神さまと古森牧師、そして、教会の方々に心から感謝している。

私と知子の南大阪福音教会(香芝ゴスペルチャーチ)転出については、古森牧師が福野牧師からの関係書類を待って、労祷教会の10月の役員会で正式承認となる。感謝!

「私達の役に立たない行為も、イエス・キリストの目から見れば、すべて最良、最善の行為になります。
(マリヤの)はた迷惑に過ぎなかった油注ぎ事件も(イエスの)埋葬の準備という意味が与えられました。
すべてを有意義に変えてくださる主に『できる限りのこと』をしたいと願います」。
                 
        (古森牧師の「今週の一言メッセージ」より抜粋)

ユキのコーナー:

先週からユキはリュック持参で教会へ行く。
その中には、お絵かき道具、オモチャ一つ、ジュースなど、礼拝が終わるまでの間、何とか静かにしてもらうための小道具が入っている。

それでもゴソゴソと周囲の方々にご迷惑をかけているが、今日は絵を書いたあと眠ってくれたのでお互いに良かった。ノートの絵に目が止まったので記録しておきたい。

ユキ3歳1ヶ月・教会の絵.jpg

十字は教会の十字架で、右上の丸いのは教会の建物。その上や周辺に描いてある髭のようなものは階段だそうだ。

ユキが描いた讃美歌.jpg

これは讃美歌だって!
 
おじいちゃんが書いた絵etc.jpg

左のページは夫(ユキの祖父)が相手をしてくれていた絵で、
右のページはユキが定規でかたどったものだ。

この記事のカテゴリに悩んだが、ユキの絵と知子の精神的状況を記しているので、知子とユキの足跡として残したい。

以上、讃美歌391番の「ナルドの壷ならねど」を聞きながら、ユキが昼寝しているうちに一気呵成に書いた。


posted by 優子 at 17:45| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年09月03日

民主党政権、どうなるニッポン!

2009年夏に民主党政権に変わって1年目の今、3人目の代表交代劇が始まった。
「もういいかげんにしてよ!」と呆れてしまう。児童会会長でさえ1年ごとの交代だ。

今まで政治の表舞台に出ようとしなかった小沢氏が総理を目指すのは何故か。「政治とカネ」の問題もスッキリ決着したわけではない。訴追逃れの出馬ではないかとの論調もある。

今日の夕刊では「首相でも訴追拒まず」となっていたが、「強制捜査でも犯罪性はないと言われたのに、何をこれ以上説明する必要があろうか」というのが本心であるから、パフォーマンスをとったところで国民が納得できる説明は期待できないだろう。

「政治とカネ」で思い出したが、作家活動されていた知人の鳩飼きよ子姉は「人間とカネ」をテーマにした懸賞論文で見事第一位入賞されたことがあった。

かつて毎日新聞で「21世紀賞」という論文募集があり、1990年頃から5年間以上続いていたかと思う。毎年1月1日の新聞紙上に「人間と遊び」、「人間と教育」など、その年のテーマが発表されていたと記憶している。

原稿用紙で30枚以上だっただろうか、私も書こうとしていた事があったが挑戦することなく終わった。
鳩飼さんは入賞論文の最後の方で次のように書いておられる。

「カネは恐ろしい生き物である。飼い馴らせばこれほど強力な味方はないが、ひとつ間違うと命とりにもなりかねない。人は一生この生き物と共存してゆかねばならないのだが、この生き物とのかかわり方で、人の幸、不幸が決まる」。

公私の違いや額の多少に関わらず真をついている。

さて、今朝の生出演の朝日テレビ番組では、見識者たちが小沢氏に私達の聞きたいことを次々と斬り込んでくれて見ごたえがあった。

50分間近くもCMなしで、孫をトイレに連れて行く時は大音量にしながら、また、邪魔をしてくる孫に見せて欲しいと懇願しながら見ていた。

「政権交代しても鳩山さんや管さんが実現できなかったことを、小沢さんならばできるのか?」という質問に対しては、「総理大臣は最終決定権を持っているのだから、『ここはこうだ』と判断することだ」との熱弁は説得力があり、政策についても多弁だった。

ジャーナリストの鳥越氏は、「世界の流れは核廃絶の流れになっていて、唯一の被爆国の日本なのに管さんは広島の秋葉市長の言葉を否定して核抑止力が必要だと言った。」と、憤りをもって考え方を聞こうとされたが反応がない。

「鳩山さんは勉強すれば抑止力が必要だとわかったと前言を翻された。・・・アメリカに沖縄県民の気持ちを伝えられるかにかかっている」と、応答の無い小沢氏に再度食い込まれた鳥越氏。ジャーナリスト魂を見た。

今日の毎日新聞夕刊にはペシャワール会現地代表の中村哲氏が、「現実を学べば学ぶほど、米軍の傘に頼るのは危険と分かる」とメッセージを出しているが、小沢氏は日米関係についてになると覇気がなくなりスッキリしない。

憲法9条の問題にしても、クリスチャンであっても堅持する立場ばかりではない。
人格高潔にして知識人たる信仰者が改憲賛成だった。それを聞いてたいそう驚いたが、あの方がその意見というのは・・・と、私も知識を得て学んだ上で自らの考えを出さねばならないと思ったのだった。


確かに管氏の弱点も目につくが、今は民主党が一つになって議論し、現総理を有能な総理に育てていくことこそが政権を託された者たちの使命ではないか。

総裁選の果てに民主党政権が失敗すれば、今度という今度は国内外に致命的な影響を及ぼすだろう。

与野党を経験した小沢氏である。この総裁選で目が開かれることもあるやも知れない。国のために健全なる豪腕振りを発揮してくれるのであればと、一縷の希望をもって選挙戦を見守りたい。

政治や国際政治を一個の人生と同じに語るのは愚かかもしれないが、究極的には同じだと思う。

率直な意見交換をしてこそ最善の道が開かれると信じるし、どの分野においても、人間の本質の部分にまで訴えかけることでしか道は開かれていかないと確信している。

要は神の前で、信仰者でなければ他者の前で、自分の心を開くことができるかどうかに尽きる

ぶつかり合うことで互いの人格を高めていける関係は素晴しい。生きる喜びだ。



posted by 優子 at 22:39| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年09月02日

教会移籍に際しての苦渋

やっぱり今夏は異常気象だった。
昨日の気象庁の発表によれば、今年は過去113年で最も暑い夏で、今年の6月から8月まで3ヶ月間の平均気温は平年より1.64度高かった。

私達は就寝時にはよほど暑くない限り扇風機で眠るので、昨夜も12時前にはクーラーを止めたが、今朝は最高にすがすがしい朝だった。さすがにもう少し眠っていたかった。

しかし、昨夜からユキが熱を出しそうな雰囲気だったので、今朝は夫と娘が家にいる間にひとりでチャッピーの散歩に出た。
早朝の5時台の方が7時前後よりもはるかに歩いている人が多く、交わす言葉はみんな「今朝は気持ちいいですね」だった。幸いユキは元気で一日を終えた。

さて、知子はかつての職場に戻りストレスも最高度に達したことであろうが、25日の夜から―あの音楽講習会の日から―ずっと変わらず自力で眠れている。

昨日はさすがに疲れた顔で帰って来たものの、子供を寝かせて自分もそのままバタンキューで眠ってしまった。この2年ほどは考えられないことである。

どんなに睡眠不足が続いていようとも、どんなに疲れたところで眠ることができなかったのだから、こんなに嬉しいことはない。
心の健康は眠られるかどうかではかられるので、良く眠って、眠っている間に体調が整えられていくことを切に望んでいる。

友や知人からたくさんメールを頂戴しているらしいが、昼休みに会社で読ませて頂くのが精一杯で返事も書けないままでいる。この場をお借りして私からも心から感謝をお伝えしたい。

知子は教会のことも不幸なことが重なったが、それもまた神の摂理であり、事実、こうして神さまから多くの方々のお祈りとお支えにより新しいページを開くことができたのである。

このたび、この地で7〜8年間通っていた教会を転出し、別の教会へ移ることになった。今週初め、転出希望をお伝えして快諾された。このことは3年前から祈りに覚えていたことであり、神のお導きと確信して決心したことである。

12日の役員会を経て手続きをして下さるというが、牧師は転出理由を聞かず、また私も言わないまま通り過ぎようとしている。今週に入ってから祈りつつ思いめぐらせているところである。

私はこのブログを通してキリストをご存じない方にキリストをお伝えしたいと思っている。
ましてや、キリストを遠ざけるようなことがあってはいけないと心に刻んでいる。

そのためにも人間の本質(弱さ、醜さ)や人生を分かち合いたいと思うし、それなくしてはキリストの福音(ふくいん・喜びの知らせ)をお伝えできるとは思わない。

そのためには自分のことや人生について、順調な部分だけを書いていては他者の共感など得られるわけがなく、それゆえに教会を移籍することについても書ける範囲で書こうとするのだが、消しては書き、消しては書きの繰り返しになってしまって、書き始めて既に1時間になってしまった。
 

やはりここに書くことは良くないだろう。
要は私自身がどうするかである。

話し合えるという信頼関係があるならば、このようなことで思いわずらうこともないだろう
この一言の苦渋を記すことを神さまにゆるしていただきたいと思う。

私としてはしんどいことから逃げないでやるべきことをやって移籍したいと思うが、考えるだけで心が乱れるので抑制している。
その実相が「事なかれ主義」ではないことを願うのみだ。


神に導きを乞い、一切を委ねて感謝して眠ろう。


posted by 優子 at 23:42| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

知子の出社

新しい出発@.jpg

「ママ、行ってらっしゃい!」(今朝6時40分頃)

新しい出発A.jpg

ママとおじいちゃんを見送って、私はユキとチャッピーの散歩に行った。

知子がお昼休みに短く送ってくれたメールでは、就労時間は始業時の8時半から3時半までと決まったので、帰宅は5時半頃になるだろう。

先日お出会いした牧師(先生)が、知子に創世記39章21節〜23節の御言葉を贈って下さった。

主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた。
獄屋番は獄屋におるすべての囚人をヨセフの手にゆだねたので、彼はそこでするすべての事をおこなった。
獄屋番は彼の手にゆだねた事はいっさい顧みなかった。主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた。

「本当にこのお出会いは恵みでしかありません。ママ、ゆきをよろしくね」と、書かれていた。

私は知子が愛おしくて愛おしくて、愛おしくてならない。
ユキは、「ママ、いつ帰ってくる?」と何度も聞いて、一度は「ママー!ママー!」と窓際で叫んでいた。義母も「(ユキは)どうしている?」と心にとめてくれていた。

ユキは朝食の時も昼食の時も同じように祈っていた。

「イェスしゃま、
今日はおじいちゃんとママが会社へ行ったでしゅ。
ユキちゃんはおばあちゃんとお留守番でしゅ。
この食べ物を感謝しましゅ。
ママが早く帰ってきますように。
このお食事を感謝していただきます。
イェスしゃまのお名前によってお祈りしましゅ。
アーメン。」


ユキのお蔭で私も一日3回、歯ブラシせざるを得なくなり面倒がってはいられない。

今日は『ごんぎつね』をリクエストされて読んだのだが、母を失ったゴンと死んでしまった母狐が可哀想で、今日もまた途中から涙を流しながら読んでいた。そして、涙を拭いている時に「スースー」聞こえる寝息に気づいた。
午後1時半、ユキはいつものように読み始めて5〜6分で眠ってしまった。

ユキ、ママはもうすぐ帰ってくるよ。ママがひどく疲れてなければいいけれど・・・ね。

posted by 優子 at 15:32| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする