2010年10月31日

人々の優しさに支えられて59歳のバースデー感謝録

To ママ

ママ、お誕生日おめでとう!!!
心から愛を注ぐママの生き方は、周りの人を本当に幸せにしているよ。
ママがイエス様を愛していること、隣人を自分のように愛していること、そしてイエス様がママを深く愛していることがすごく分かる。

本当にやさしい目をしているね、と、くまともよく話しています。これからも沢山の愛を振りまく、ママらしい生き方を応援しています。

まちも、ママに本当に本当に支えられてる。
専門も違うのに、状況を理解してくれて、応援してくれて、祈ってくれて、本当に支えられています。まちも愛を忘れず生きていきたい。
まちたちも、もうひと頑張りです。早くまた日本に帰りたい。

ママ、高血圧辛いね。体、絶対に大切にしてね。お祈りしてるからね。お誕生日おめでとう!

真智子


優子お義母さん

お誕生日、おめでとうございます!

高血圧でのしんどさがある中で、ご返信いただいてありがとうございました。ご健康のことも、強くお祈りしています。

大きな愛をくださったお義母さんのこれからの一年が、主イエスの祝福にあふれたものになりますように。心からお祈りしています。

太志

二人の愛の言葉を力にしてまた育まれていくのだろう。そうでありますように。
「早くまた日本に帰りたい。」の言葉に、心身ともに相当にハードな日々であることが窺える。
優子さん
お誕生日おめでとうございます!
ブログ拝見してメールを出さずにはいられなくなりました。
>子供は誕生日を祝ってもらうことで自分が大切な存在であることを体得し
>ていくように、自分の誕生日を祝うことはとても大切なことだと思う。
共感します!

母は誕生日になると、年をとることを嘆いています。
自分の誕生日を嘆くのではなく、祝えることは何と幸いなのでしょう!

「私たちアラカン世代(アラウンド還暦)は、ますます体に気をつけましょう!」(大学時代の友)

マチとクマ、宇野さん初めメールを下さった友、夫の仕事関係でお知り合いになった方はレタックスを送って下さった。
神さまが与えて下さった祈りの友や友人知人たちのことを想うと胸が熱くなった。あの方、この方と、お顔を思い出して祈る。

また、毎年かかさずに「おめでとうカード」を送って下さる淳子姉は、昨日お出かけ帰りに訪ねて来て下さった!ありがとう!

私には家族があって、まだまだ元気で社会を支える側の者であっても、このように覚えられていることがどんなに嬉しいことか!

昨夜、生放送だったNHK番組の『無縁社会』を見て、孤独な人々がいかに多いかを知った。
これを見て思ったことは、読書会に関わっていた時に感じたことは的外れではなかったということだ。

つまり、高齢社会にあっては読書会のようなサークルであっても、生涯かけて関わっていくような組織作りが必要だということであり、それは教会の門をくぐられた人や神の家族への関わりと同じである。
今後も心して笑顔の声かけをしよう。


話が横道にそれたが、労祷教会では誕生月の人に贈るカードがあり、牧師を筆頭に同姓の方々がメッセージを寄せて下さった。紙面が少ないので名前だけでもと記して下さった方々も多い。
2010年誕生日カード.jpg
中にはまだ存じ上げない方のお名前もあるが、9月にはボックス(個人への通信物入れ)も作って下さり、私達はすっかり馬見労祷教会の家族の一員に迎え入れられている。

古森牧師より頂いたみことばは、「どんなことにも感謝しなさい」(Tテサロニケ 5章18節)である。

「いつも素晴しいお証しとも言えるブログ、ありがとう。主に目なざしをすえ、前進!!」(K姉)

感謝します!!!
さあ、59歳のスタートだ!
皆様の上にも主のお恵みが豊かにありますように!
主(イエス・キリスト)に求める者には必ず恵みを与えて下さる!


posted by 優子 at 15:29| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年10月30日

自分の誕生日を喜び祝おう

神戸の叔母を訪ねた日の夜、ベッドに横たわった時に頭の異常を感じ、翌朝も体調が悪く血圧を測ったところ案の定高くなっていた。

昨年の12月に高血圧になって薬を手放せなかったが、今年の7月頃には完全に正常値になり、薬と縁を切ることができて喜んでいたのにガッカリした。

たくさん薬が残っていたので服用して様子を見ていたが、翌日になっても(160/101)から下がらず、夕方には頭痛だけではなく吐き気まであった。

会社から帰宅した知子に話すと、すぐにかかりつけの医院へ連れて行ってくれるというので、早速PCから予約を入れた。
昨日今日と夫が高岡(中越パルプ工場)まで出張しているので自動車があいていてよかった。

私は今日、59歳になった。
50代は時間の流れが3の倍数の速さに感じた。
60代の夫を見ていると、自分のことではなくても5の倍数のように速い。人生は新幹線の車窓から見える景色のようだ。

もうこんな年か・・・と溜息が出そうな気持ちだが、私の誕生日を一番喜んで下さっているのは神さまではないだろうかと気がついた。私を誕生させて下さったのは神さまなのだから!

母は父や私達の誕生日を祝ってくれたが、自分の誕生日を祝うことはなかった。ご馳走を作るのを面倒がったからだが、子供は誕生日を祝ってもらうことで自分が大切な存在であることを体得していくように、自分の誕生日を祝うことはとても大切なことだと思う。

それゆえに大切な存在である私たちのために、神さまはイエスさまを世に贈って下さったのだ。私達はそれほどに大切な存在であることを忘れてはならない。

だから私は自分に言おう。
Happy birthday to Yuko!

真智子たちは今週に続いて来週も重要な研究発表があり、それが終われば論文を書き上げて、研究職に就けるようにアタックしていくことになる。

今朝未明に届いていた太志君からのメールは、次のように結ばれていた。 
「まだまだ締め切りが多いですが、真智と共に、主に祈りつつ、頑張りたいと思います。」

信仰と理想と情熱をもって思いっきり挑戦してほしい。
ふたりに励まされて私達も良き日々を過ごそう。神に感謝!
 


今日は大型台風14号の接近で大雨の予報だったが、たいしたことないようだから夫は日本海を見ながらゴルフをしているのだろう。11月も出張が多い。今夜の帰宅もまた10時頃になるだろう。

posted by 優子 at 11:52| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2010年10月28日

幼児の祈りによって力を与えられる神

私はいつも知子が帰宅するとユキの様子を伝え、知子はそれを嬉しそうに聞く。ユキも私達の会話の邪魔しないで聞いているが、例えば会社関係など自分以外の話となると、ママを独り占めにして話させてくれない。

帰宅後の知子との会話では、いつも通勤帰りの電車で読んでいる『デイリーブレッド』(1日1ページにまとめられた聖書のショートメッセージ)の話題になることもしばしばで、1昨日の帰宅時はまさにユキのことを共に喜んだ。

その時読んでくれた『デイリーブレッド』の「2010年11月21日のメッセージ」の一部を引用したい。

親として忘れられない思い出のひとつは、夜、子供たちのベッドの脇にひざまずいて、彼らの心からの祈りを聞いたことです。

子供たちが祈るとき、そこには素朴な愛と信頼がありました。それは、私に深い感動を与え、恐れや疑いを消し、信仰が強められました。

幼い子供の信仰を決して軽く扱ってはいけません(マタイ18章6、10節)。子供たちの証しは、月や星の証しと同じぐらい大きなものです。
                        (by David Roper)

「子供たちは神の目に尊い宝石なのだから、キリストのために輝くように助け導きなさい」。

「あなた(神)は幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のために、敵と復讐する者とをしずめるためでした」。
                        (詩篇 8篇2節)

食前のお祈りでは、「今日は誰がする?」、「朝はユキちゃんやったから今度はおばあちゃんがお祈りしてね」と、私達はこのような恵みの日々を過ごしている。

全盲の宇野さんのことを話すと、「目の見えない人を助けてください」と昨日も今朝も祈っていた。そのような子供に育てて下さっていることに感謝が溢れて、「おばあちゃんもお祈りさせてね」と続けて祈る時もしばしばである。

ユキに イエスさまってどんなお顔?」と尋ねると、「イェシュしゃまはいつもこんなお顔してるよ」と大きく微笑んだ。ハレルヤ!

私はハインリッヒ・ホフマンのイエス像が最も好きだが、それさえユキの目の届かないところに直した。ユキのイエスさま像を壊したくないからだ。

そもそもヨーロッパの人々が描くキリストはヨーロッパ系の顔である。
日本人はキリスト教を西洋の宗教だと言うが、それを言うならば、ユダヤ人として生まれて下さったイエス・キリストはアジア人であり、髪の毛の色は私達と同じ黒だったはずだ。

知子に文香さんのブログに紹介されていた「母の祈り」を贈りたい。
母の祈り(作者不詳)

神様、あなたは完全な親であられます。
あなたは、私の子どもたちを私よりずっとよくご存じです。
あなたは、子どもたちの必要もご存じです。
あなたは、彼らをほんとうによく理解しておられ
その成長を守ってくださいます。
あなたは、彼らのことをよく見ておられ、
無条件に愛しておられます。

ですから私は、神様、あなたに子育てを助けていただきたいのです。
いや、それ以上のことをお願いします。
あなたに子どもたちをおゆだねします。
あなたが育てて下さい。
私があなたのじゃまをしないように導いてください。

そして、愛する神さま、
あなたが人の手を必要とされるときに
私の手を用いてください。
子どもたちが愛の言葉を聞く必要があるとき
私の口を用いて下さい。
子どもたちが慰めを必要とするとき
私の腕を用いて下さい。
子どもたちが勉強しなければならないとき
私の知恵と知識を用いて下さい。
子どもたちが人生を理解しなければならないとき
私の心を用いて下さい。

そして、子どもたちがあなたについて尋ねるとき
私の信仰を用いて下さい。
そのようにして子どもたちもまたあなたを
完全な親として知るように導いてください。
                     アーメン

「昨日は来て呉れて有り難うユキちゃんが可愛いくてとっても楽しかったよ、わーい(嬉しい顔)パンチ輪投げ頑張って来ます、他のギョゥジはみんなパス」。

叔母は雨の日の今日もタクシーに乗って、王子動物園の山手にある競技場へ出かけた。どうか足元を守って下さいますように!

posted by 優子 at 11:03| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

ユキとふたりで石屋川へ

昨夜から急に寒くなり、当地では今日の最低気温は6.5度で日中も14度ぐらいだったと思う。すでに最低気温は氷点下になっているミネソタでは、こちらの最低気温がむこうの最高気温になっていることを思うと、まだまだ温暖ではあるが寒い。

さて、2009年3月20日に開通した「阪神なんば線」により、阪神電車は近鉄電車と相互直通運転をスタートし、阪神三宮↔大阪難波↔近鉄奈良が乗り換えなしで行けるようになった。

私が乗るのは昨秋に続いて今回で2度目、今日はユキと2人で神戸の叔母を訪ねた。

鶴橋駅で「三宮行き」に乗り換える時、アーバンライナー、伊勢志摩ライナー、特急、急行・・など、次から次へと来る電車にユキは大よろこび。ユウチューブで見るより迫力満点!私まで感激の声を上げていた。 

敬礼!.jpg

この夏頃より電車を見ればいつもこうして敬礼する。わーい(嬉しい顔)

ユキは鉄道員!.jpg

家を出て1時間55分、ようやく叔母の家に到着した。
叔母は現在82歳。
この30日には私も59歳になるとことを告げると叔母はびっくりした。

叔母の膝の痛みは辛くて見ていられない。
それでも老いの気力を支えるために、痛みをおして毎日老人会の人々との交わりに出かけ、毎日出かけることで娘を安心させたいとの親心も込められている。


さすが神戸、このあたりにも教会がいっぱいだ。
「教会はあっちにもこっちにもあるよ」と、叔母の家から歩いて行ける所にいくつかある。しかし、叔母はそう言うだけ。

私は本当に叔母の救いを願っているのだろうか!
「叔母が救われますように」とお題目を唱えるような祈りではダメだ。みんな持ち時間が限られているのだから。

帰るときタクシーでJR住吉駅前のシーアに出かけ、ユキに玩具を買ってくれた。
電車が直通ということもあり叔母の言葉に甘えて手ぶらで出かけ、その上に買ってもらっては申し訳ないと遠慮する私に、叔母は「どうしても買ってあげたいの。買わせて」と言った。

ある時、「親の気持ちは感謝して受けるもんや」と父に言われたことを思い出し、感謝して受けた。


しかし、ユキがそのことをよく覚えていて、すっかりその気になっていたのにはびっくりした。昼寝から目覚めると、
「おばあちゃん、早く帰ろ!」
「どうして?」
「早くママに会いたいから」
「それだけ?」と叔母。すると、
「早くおもちゃ屋さんへ行こ!」と、バッグを持って急がせた。わーい(嬉しい顔)

神戸の大おばあちゃんに!.jpg

「機関車トーマス」のところでは、パーシー、ゴードン、スペンサー、エミリーなどどれにするか、独り言をいいながら20分以上も迷っている。ユキもすっかり一人前のこどもである。

叔母はもっと大きなものを買ってやりたいと言っていたが、あえて1つにしてもらった。そして、やっと決まったのは、と言うか私が決めたのは、「N700系新幹線ベーシックセット」だった。

そのあと、家とは反対方向の阪神沿線まで下って御影(みかげ)まで送ってくれた。
何度も母を見舞ってくれた叔母。
もう14〜5年も前のことだ。
いつも住友病院(肥後橋)から梅田まで一緒に歩いたのにと、叔母を乗せたタクシーを悲しく見送った。


ユキは帰宅した早々からプラレールに夢中である。
先ほど、従姉妹のAちゃんにもお礼のメールを打った。



posted by 優子 at 21:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年10月26日

「お金では買えないが」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより 11―

お金では買えないが (村上 宣道牧師)

アメリカのある新聞社が、金銭についての定義を募集したところ、「金銭は、天国を除くすべての場所に行くことができ、幸福以外の何物でも買うことができるもの」というのが一位に入賞したとのことです。

ノルウェーの詩人は、こんなふうに書いています。
「食物はお金で買えるが、食欲は買えない。薬はお金で買えるが、健康は買えない。ベッドはお金で買えるが、睡眠は買えない。化粧品はお金で買えるが、美しさは買えない。別荘はお金で買えるが、心地よさは買えない。快楽はお金で買えるが、喜びは買えない。友達はお金で得られても、友情は得られない」。

こうしてみると、お金があれば、いろいろな物を買うことができるのは確かなのですが、私たちが生きる上でなくてはならないものというのは、お金で手にすることは不可能ということもわかります。
 
主イエスは、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイの福音書4章4節)と言われました。

ある人が、この「パン」を「お金」と言い換えるとわかりやすいと言っていましたが、そうかもしれません。

確かに、パンもお金も生きるためには大切なものです。しかし、それがすべてでありえようはずがありませんし、私たちが生きる上で最も必要とするものの代替えにはならないのです。

先ほどの定義によると、お金があれば天国以外ならどこへでも行けるし、幸福以外の何物でも買うことができるということになります。

ですが、たとえどこへ行けても天国に行けず、ほとんどの物が買えても幸福は得られないというのであれば、生きる上で最も大切なものは、結局何も得られないのと同じではないでしょうか。

天国も、幸福も、お金やパンでは得ることができませんが、「神の口から出る一つ一つのことば」によってそれを得ることができるのです。

例えば、聖書の中に、”山上の垂訓”と言われるところがありますが、そこにはどういう人が天国を自分のものにすることができるのか、そして、どうすれば幸福な人になれるのかが明確に示されています。

ですから、本当に天国を、そして幸福を得たいと思われるならば、「神の口から出る一つ一つのことば」である聖書を読んでほしいと思うのです。さらに、生ける神のことばであるキリストを知っていただきたいと思うのです。

「山上の垂訓」はマタイによる福音書5章にあり、イエスが山上で説教されたものである。その3節から10節まで(下線部分)は最も有名な箇所である。
イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。

こころの貧しい人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。

悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。

柔和な人たちは、さいわいである、
彼らは地を受けつぐであろう。

義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、
彼らは飽き足りるようになるであろう。

あわれみ深い人たちは、さいわいである、
彼らはあわれみを受けるであろう。

心の清い人たちは、さいわいである、
彼らは神を見るであろう。

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。

義のために迫害されてきた人たちは、
さいわいである、
天国は彼らのものである。


わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。

喜び、喜べ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

あなたがたは、地の塩である。
もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

あなたがたは、世の光である。
山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照らさせるのである。

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。・・・・


posted by 優子 at 09:20| 引用文 | 更新情報をチェックする

2010年10月25日

嫌な思い出になってしまった浅草

翌日(24日)は夫が浅草に連れて行ってくれたが、雷門を出た所で急きょ夫と別れて東京駅へ向かった。10時10分過ぎだったと思う。

人が聞けば笑うようなつまらないことであっても、今も変わらぬ夫の強引さに、この時ばかりは自分を自制することができなかった。

特にこの10年間の日々は何だったんだろう、学習したのではなかったのかと虚しさと悲しみが一気に込み上げた。

私達にとってはこれまでの夫婦問題に象徴される出来事であり、こんなことでさえ変わってはいなかったことに愕然とした。


このあと千駄木界隈を歩く予定だった。
2003年4月から2006年夏まで、真智子が東大の院に籍を置いていた時に住んでいた千駄木は私にも懐かしい地。浅草のあとに訪ねる予定だったが、10時50分の「のぞみ105号」で帰阪した。

行きの新幹線では一睡もできなかったが帰りは1時間少し眠ったのに、昨夜は8時頃から眠ってしまった。

死という人生の厳粛さを前にして気持ちが変えられないのはなぜだろう。情けない。イエスを見上げればいいのに、心を低くできない。私らしくないが今も気持ちは晴れない。

20:45追記:
エペソ人への手紙 4章26・27節
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。また、悪魔に機会を与えてはいけない」。

アーメン。
昨夜も就寝前に夫のことを一言ながら祈った。
今夜、夫の帰宅は22時頃になるだろう。

浅草寺の境内から見えた建築中のスカイツリー。
浅草寺から見たスカイツリー.jpg

浅草寺で耳にした言葉の8割以上が外国語で、その中でも中国語がダントツに多かった。かたことの単語ならわかる英語を聞いたときにはホッとしたほどだった。

posted by 優子 at 17:43| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

先に神の恵みを知らされた者

昨日は予定より早く午後3時前に帰宅した。
帰宅後まもなくパソコンを起動させると真智子が起きていた。ミネソタ時間だと23日の午前1時過ぎだ。邪魔をしてはいけないと思ったがチャットで声をかけ、すぐにスカイプに切り替えて1時間ほどクマと3人で話した。

成田さんの御葬儀は無宗教でハープとフルート奏者による音楽葬だった。
最初に故人ゆかりの音楽ということで2曲献曲され、初めに『アメイジンググレイス』が演奏された。

この曲がお好きだったのか・・・どうしてなんだろう・・・知りたいなと思いながらも一縷の慰めを感じた。

葬儀が終わるまで、私はずっと太志君のことを想っていた。会葬者の献花の間もずっと、ご遺族のこと、そして、太志君のことを祈っていた。

まもなくして、神さまは先に神の恵みを知らされた者を導いていかれるのだろうなと示されて、目を開けようとしたら涙が流れた。

神に負わされた尊い重荷は豊かな祝福が伴うものだ。これからも今まで歩いてきた通りに心を尽くして歩いて行けばよい。


弔電は太志君と真智子のが最初に読まれた。

火葬場に行く前、太志君の友人ではないかと思って声をかけ、お2人が来て下さっていたことを知った。

火葬を待つ間の食事の席では、20年前からお父さんのもとで働かれたM氏と、同じ仕事仲間の少々年配の方とご一緒だった。

共に誠実で善良そうなお人柄を感じ、そのことも神さまからの慰めだと思ったので太志君にも伝えた。

火葬はたった1時間のことだった。
私は太志君の名代のつもりで夫と共にご遺骨を収めた。

食事の席で故人への「献杯」というのがあり、「乾杯」と同じしぐさに驚き、収骨の様子も関西のやり方と違っていた。

葬儀場に戻り、お母さんとお別れする時もまた、「太志は真智子さんと一緒だから安心しています」と何度も仰った。

こうして14時10分過ぎ、私達は会館をあとにして、その夜の宿をとったJR蒲田駅方面に向かった。

「以前いただきましたメールにお母様の命日が確か、10月25日と明記してありましたことを思い、メールを書いています」。
と、今朝早くに宇野さんよりメールが届いた。私は母のことさえすっかり忘れていた。

目の見えない方の記憶力が優れているだけではなく、これは宇野さんのお心のありようゆえだ。

今朝ユキが洗濯物を干すのを手伝いながら唐突に言った。
「フーのお父さん、どこにもいなかったぁ?
 ゴン(新美南吉著『ごんぎつね』のこと)のママみたいに、どこを探してもいなかったの?」


私はユキを抱きしめた。
引き続き、これら一切の上に神のお導きがあるように祈っている。
伝道の書 3章1節〜11節

天(あめ)が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。

生(うま)るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
     ・
     ・
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
     ・
     ・
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。

働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。


posted by 優子 at 10:37| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

悲しみの上京

明日は夜が明ける前に家を出て始発に乗って上京する。
夫は月曜日も東京出張なので東京に留まることになり、私も明日は夫と一緒に葬儀場近くで宿を探し、翌日は夫一人で東京駅近辺に宿をとって2泊することになった。

私は自分でホテルの予約もできなくて、夕方帰宅した知子に助けてもらって、ようやく夜になって準備を終えた。

訃報を受けてからの一日一日は長かった。

今日の昼食前のユキのお祈り:

「イェッしゃま(イエスさま)、今日はゆきちゃんは悪い子でした。(私が何度も怒ってしまったので)
ごめんなさいって言えますように。

フー(太志おじちゃん)のお父さんがなくなりました。
あした、おじいちゃんとおばあちゃんが新幹線にのって東京へ行きます。
フーが・・・悲しまないようにしてください。

今日もおじいちゃんとママが無事にかえってきますように。
これからご飯をたべます。
ほんで(そして)、はみがきしてゆっくりねますように。(お昼寝できますように)

イェッしゃまのお名前によっておいのりします。アーメン」


3歳3ヶ月のユキに死の概念などないだろうに、それでも何となく悲しみを感じているのだ。

慰めるチャッピー.jpg

今日のチャッピーもまたフーを心配しているように見える。
庭のシュウメイギクが今を盛りと咲いている。

「どんな状況においても、
 神さまが共におられることを感謝しなさい。
 なぜなら、これがキリスト・イエスに属しているあなたへの
 神の思い(みこころ・ご意思)だからです」。


   (テサロニケ人への第1の手紙 5章17節〜18節)


posted by 優子 at 23:57| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年10月21日

婿の父、永眠す

太志君のお父様が19日の午後5時29分に永眠された。
食道癌が転移しての急変、61歳だった。

次女夫婦の緊急帰国もままならず、23日の葬儀には私達夫婦だけで参列させて頂くことになっている。

ご遺族の上に神さまのお慰めを祈り、太志君がこれからも大いなる神の御手の中を歩まれんことを切に祈っている。

太志君と真智子夫婦に主のお守りが豊かにありますように。
 

太志君へ:
私の人生は、
刺繍の反対側の糸を、
1本1本1枚の布に刺し込んでいるようなものである。

刺繍の全体像を見ることはできない。
ただ、私の流す一つひとつの涙、そして祈りが、
こちら側で一本の糸として刺し込まれてゆく。

やがて、神のみ国の完成する朝に、
私は自分の、その刺繍の絵を神のみ前で見ることになる。

生きる歩みの中で、流す涙も祈りも、
人生の模様が描かれてゆく上で、
一つひとつの意味があるのだ。
       
      ―「人生模様」より―
01yuri2b.jpg

一度限りの人生に神の祝福を心から祈っています。


posted by 優子 at 16:43| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2010年10月17日

まことの神を知って生きる人生

日本キリスト教団では、今日から1週間を教育週間に定めており、今朝は箴言から「主を畏れよ」と題して説教された。

以下は、新共同訳聖書から箴言の22章1節から6節を引用し、古森牧師の説教の要約を記したものである。
名誉は多くの富よりも望ましく
品位は金銀にまさる。

金持ちと貧乏な人が出会う。
主はそのどちらも造られた。

思慮深い人は災難が来ると見れば身を隠す。
浅はかな者は通り抜けようとして痛い目に遭う。

主を畏れて身を低くすれば
富も名誉も命も従って来る。

曲がった道には茨と罠。
そこから遠ざかる人は自分の魂を守る。

若者を歩むべき道の初めに教育せよ。
年老いてもそこからそれることがないであろう

旧約聖書には「知恵の書」と呼ばれるものがあり、そのいろんな箇所で「神を畏れよ」と教えている。

日本語には「恐れる」と「畏れる」という語彙しかないので、本来の意味を正しく表現するには無理がある。

言葉はそれぞれの国の文化を表すものであり、日本にそのものがない場合は翻訳不可能で、例えばスパゲティ、バナナ・・など、そのまま外来語として入ってくる。

その反対に、トーフ、スシ、ワサビ、テリヤキ、カラオケ・・・などは、日本から外国に出て行った物で、そのままの言葉で使われている。

ところで、「おそれる」という言葉は(ギリシャ語訳の)旧約聖書だけで199回使われており、新約聖書も合わせると246回を数える。

元来へブライ語で書かれた旧約聖書では「おそれる」を19種類の言葉で表しているが、その意味するところは、まことの神さまを知って身を低くする、畏れ敬うことであり、そのことを通して真に生きるということである

神を知って生きる人生と、知らない人生とはいかに異なるか。
人が見ていなければいいではないかという生き方と、神は常に私たちを見ておられ、悪いことだけではなく、良いこともずっと見ていて下さることを知って生きる生き方である。

キリスト教教育とは、目には見えない神さまをしっかり教えるものであり、子供の人生を方向づけるものになる。
幼い時には意味がよくわからなかった聖書の言葉も、成長していく人生の節々で本当の意味を見出していくであろう


日野原重明氏が「よど号ハイジャック事件」に巻き込まれて手を後ろ手に縛られた時、幼い時に教会で教わった「なぜこわがるのか」(マタイ伝8章26節)という聖書の言葉を思い出し、「静まれ!」とイエスさまに言われたように思ったと話しておられる。

先日、広陵町の町長とお目にかかった時、町長の方からこのたびのチリ落盤事故で1人目が救出された時の第一声が、「神さまに感謝します」だったことを話されて、「日本人ならばこんなことは絶対に言わない」と感動されていた。

私(牧師)はテレビをずっと見ていたわけではないので知らなかったが、救出される順番は皆が「自分はあとでいい」と言っていたそうだ。

このような話からも幼児期からの教育がいかに大切かと思う。
子供を育てるために、まず自らが、神さまが共にいて下さるという生活を見せること。そして、いつも見ておられる神さまを伝えることだ。

神の存在を知っている子供は、人生途上で避けることのできないいろんな危機においても、平安を得ることができる


神さまが常に見ていて下さることを身を持って教えることができるようにと願う。今週はキリスト教教育の労祷保育園のために祈る1週間でありたい。

                                以上
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

チリ落盤事故について、10月14日毎日新聞・東京版の夕刊記事には次のようなことが書いてあったそうだ。

牧師のホセ・エンリケスさん(54才)は「鉱山勤務33年のベテラン」で「事故前にいち早く異変に気づいた」。

そして、「皆が地下で心を一つに出来たのは?」という報道陣の質問に対して、「多くの人がキリストを個人的な救い主として信じていたということが大きい」と答えた。

ちなみに、現在のチリは、カトリック信者が70%、プロテスタントが15%で、85〜6%のクリスチャンで占められているそうだ。

キリスト教国であっても形式的な信仰ではなく、その多くがキリストを個人的な救い主として信じていたことに感動し、共に励まし合うことの大切さを強く思わされた。

私もまたずっとテレビを見ていたわけではなく、最初の人と最後の人が救い出された瞬間さえ見ていないが、最初に救出されたリーダーの働きもまた皆の生死を分けるほど大きなものであることを知った。

ところで、説教のあとに歌った讃美歌は私の大好きな1曲だった。ただし、前世紀の終わりに讃美歌は「讃美歌21」に改編されて、その520番は歌詞が大きく変わっていて残念だった。

10年以上も讃美歌を歌う機会がなかったにも関わらず、讃美歌452番は今も3節まで覚えていた。

私が讃美歌を初めて歌ったのはもう46年も前のことになる。
讃美歌452番は同志社女子中・高の運動会で必ず歌う讃美歌だった。秋の澄み切った空の下で、中学1年生から高校3年生まで揃った開会式で歌った。

私はあの時の空気も、歌っていた感覚も、今も鮮明に思い出せる。

@ 正しく清くあらまし なすべき務めあれば
  雄々しく強くあらまし 負うべき重荷あれば 負うべき重荷あれば 

A まことの友とならまし 友なき人の友と 
  与えて心にとめぬ まことの愛の人と まことの愛の人と

B 完全(またき)に向かいて進まん 途(みち)にて気をゆるめず
  上なき目当てを望み 笑みつつ絶えず進まん  笑みつつ絶えず進まん


るんるんユウチューブで聞くことができる。
http://il.youtube.com/watch?v=dyBX6UMgo8Y&feature=related

ひらめき最後に若者に御言葉を贈ります。年老いている人にも贈ります。
もう若い頃に戻れなくても、誰にとっても今が最も若い日です。今こそ恵みの時です。神と共に歩む生涯へと導かれますように!

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。
 悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に」

                       (伝道の書12章1節)

posted by 優子 at 22:46| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2010年10月16日

父母を偲ぶ秋

母が生きていたら何歳になるんだろう・・・私は今も時々母や父の年を数える。

爽やかな秋の土曜日、昨日一昨日と北海道へ行っていた夫も今朝は元気回復して、孫を誘ってチャッピーの散歩に出た。

その間に私と知子はおしゃべりしながら丁寧に掃除した。昨日はしんどくて掃除も怠けて寝てしまったので、気になっていた埃だらけの2階をスッキリさせた。

すると、「ママー、おばあちゃーん、ちょうちょつかまえたよ!」と、ユキが走りながら帰って来た。

怖がりのユキがアゲハチョウをつかんで、「じゃり道のところでね、おじいちゃんが帽子でつかまえてん。」と、それは得意そうに見せてくれた。

初めて蝶をつかんだよ!.jpg

生まれて初めて触った虫はアゲハチョウ!

私も子供の頃はチョウチョやバッタにコオロギぐらいはつかまえたが、今は気持ち悪くて何も触れなくなってしまった。

2人は栗やドングリを拾いながら2時間近くも行ってきた。ユキは2歳の頃から平気で1万歩以上歩く。義母は「丈夫い、丈夫い」(岐阜弁)と感心してばかり。

そのあと2人は母屋へ行ったので、私は箱から溢れている夫の仕事関係の写真を整理し始めた。
会合、挨拶しているところ、パーティ、ゴルフ、旅行など、同じような写真ばかりなので、2〜3年前に続いて第2弾の今日も150枚くらいは捨てたと思う。

私も業界の方々の顔見知りが多くなっており、興味深く見てしまうので時間がかかる。
人は年を取る。
夫も若かったが、みんな若かったなあ〜〜〜。

男性は年を取った方が素敵だ。
夫も50歳代からいい顔になってきた。私は結婚後の日々と重ねながら夫の表情を見ていた。


しばらくすると裏庭から夫とユキと義母の声が聞こえてきた。
私はいつものように微笑ましく聞いていたが、そのうち母のことを思い出して悲しくなった。母や父にもこのような静かな日々を過ごしてほしかった。

10月は母が亡くなった月だ。
今年は10月に入っても寂しくなかったのに、やっぱり寂しくなった。
あれから14年経って、私は今月で59歳になる。来年は自分が還暦だなんて信じられない。母は我が子が還暦を迎えると知ったらどんな気持ちになるんだろう。


「知ちゃんと真智ちゃんは僕の孫やけれど、優ちゃんの孫になると縁が薄くなるからなぁ・・・」と話していた父。

「お父さん、今どうしているの?」


義母は87歳だからユキとの年齢差は84年、ユキの人生のごく僅かだけ重なってかすかな思い出となるのだろう。
私とでさえ56年もの年齢差があり、そう思うと私もまた母や父のように死んでいく存在であることを実感させられる。

ユキがどのような人生を歩んでいくのか具体的にはともかくも、神への信仰と正しい価値観だけはしっかり継承させて頂きたいと願っている。


義母は体調が良い時は私よりも速い速度で歩く。その遺伝子を受け継いでいる夫も元気で長生きしてほしい。

今週半ばから庭のシュウメイギクが咲き始めた。今年も秋が深まっていく。

たった今、真智子がログアウトしたサインが出た。
今はミネソタ時間の16日午前3時過ぎ。真智たちはハードな日々を頑張っているのだろう。

10日(日)の午前中は久々にスカイプした。
時差のことと、翌日は大溝教会から帰って来るのも夜になるため、大切な要件だったので教会を休んだ。


posted by 優子 at 17:09| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2010年10月15日

「靴磨きのジョージ」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより 10―

靴磨きのジョージ (羽鳥 明牧師)
 
私の娘一家は今、英国オックスフォードに住んでいます。そしてそこにいる中国人たちの間で、宣教師として働いています。そこで私たち夫婦は、オックスフォードを訪ねました。二週間ほど滞在しました。

オックスフォードは大学で有名な町です。私たちは、何百年の伝統を持つオックスフォード大学のいくつかも訪問しました。世界の若者が入りたがっている世界随一というべき大学です。
 
オックスフォードはまた、世界的に有名なキリスト教の伝道者、何万何千という人々を神の王国、天国に招き入れた人ジョージ・ホィットフィールドの出身地であることも知りました。

しかし、ジョージ・ホィットフィールドはオックスフォード大学の出身ではありません。オックスフォード大学で学ぶ貴族や秀才たちの靴を磨く、貧しい靴磨きの少年だったのです。彼はクリスチャンでした。

そして、「靴磨きだって貴い仕事だ。神様から与えられた職業だ。一生懸命やって神様の栄光を表そう」と、心を込めて靴を磨いていました。

大学生たちはいつの間にか、何でも進んでやり、辛抱強く、勤勉で誠実なジョージが、ただ者でないことに気がつきました。
「こんなに上手に靴を磨く少年だ。他のことも立派にできるだろうし、勉強もよくできるに違いない」と。

そして学生たちは、ジョージに一生懸命、学問を教えました。このジョージが学識豊かな、しかも情熱的な大伝道者となったのでした。

聖書の中に、羊飼いだったモーセに神様が現れて声をかける場面があります。
「あなたの立っている場所は、聖なる地である。」(出エジプト記3章5節)

貧しい靴磨きのジョージにも神様は声をかけられました。「あなたの立っている場所は、聖なる地である」と。それでジョージは、靴磨きの職業を聖なる職業として、一生懸命やり抜き、あの大伝道者ジョージ・ホィットフィールドとなったのです。
 
もうひとりの世界的大伝道者D・L・ムーディーも靴屋のでっちでした。
また昨年の四月に大業を果たして天に凱旋した本田弘慈先生も靴直しでした。いずれも、「今立っている所を聖なる地」として身をささげた人たちでした。

聖書のことば、「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である」(出エジプト記3章5節)

※ 本田師は2002年4月6日に召天された。90歳になって6日目のことだった。

posted by 優子 at 19:43| 引用文 | 更新情報をチェックする

2010年10月14日

極限状況からの突破、「私は神の手を握った!」

「最後の一人まで無事に救出されますように。特に最後の者を支えて下さい。独りでカプセルを待つ間もずっとあなた(神)が共に居て下さい!」
今朝の最初の祈りだった。

「地下には神と悪魔がいた。私は神の手を握った」と語ったのは、2人目に救出された40歳のマリオ・セプルベダさんだ。
彼は絶望への誘惑との闘いに、常に神に目を向け続けた。ハレルヤ!

チリ政府が早々に外国の政府やNASAなどの研究機関に支援と助言を仰いだことで、多くの助けを得た。
地下深くに閉じ込められた彼らの支えになったのは、家族だけではなく世界中が彼らのことを心配し、助け出そうとしていることを知ったからだと思う。

18時45分追記:この中に精神的支えになったホセ・エンリケス牧師がいた。カトリックの国にプロテスタント・福音主義派の牧師だった。

この人間の麗しい光景の背後で大統領の思惑もあったのではと聞こえてくる。その真偽はわからないが、真に救出のみに精魂をかたむけて労することができるのもまた人間の実相なのだ。

救出されて後、半年から2年以上の精神的後遺症に苦しむことも予想されている。周囲は彼らをヒーローにしないで、また、ヒーローにならないためにも、静かな日常生活を過ごしてほしい。

これからも主の手を握りしめて、この奇跡の体験を生涯かけて成熟させていくことができるようにと祈る。

私は昨日から大江健三郎の『飼育』と安部公房の『砂の女』を思い出していた。
極限状態に置かれたことを想像し、不可能なものからいかにして脱出するかを考えた。治らない病気からの解放もそうだ。

どうにもできないもの、宿命や閉鎖状況からの脱出はいかに。「それを突破するには考え方によるしかない」と、かつて西口孝四郎氏は言われた。

しかし、20年前と違って今ならば、「人間はそんなに強くはない。自力で考え方を変えることはできない」と発言したい。
きっと話が弾んだであろう。私の頭の中で西口氏との熱いやりとりが始まった。


また、状況的には全て自由であるにも関わらず、自分自身に幽閉されたままの人がいる。
恵まれた環境に生まれ育っても不平不満で満たされ、原因は全てが他者や環境であると訴え、何十年変わりなく不自由な穴の中でもがいているのだ。

これもまた閉鎖された人生であり、自分自身や自分の問題を直視できないことによる不幸である。
一言で言うならば、自分の人生の主人公になっていない主体性の無さだ。こういう人も案外多いかもしれない。そんなことを考えながら救出の映像を見ていた。

今はすでに33名全員が救出されていた。ハレルヤ!

私達はどんな状況にあっても、神による希望を忘れないように。そして、全ては神のやり方で神の御業が成されることを覚えていよう。
つまり、結果的には全てがこのようであるとは限らないということだ。


それにしても世界の人々が無事を祈り喜ぶ麗しい姿と、国家間の果てしない争いは何たる矛盾だろうか!


posted by 優子 at 11:37| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2010年10月13日

ハレルヤ!69日目の生還! 

ついに救出された!!!
全世界の人々が見守る中、チリ落盤事故で地下700メートルに閉じ込められた人々の1人目が救出された。69日目の奇跡の生還に人命の尊さが身にしみる。

33名全員の救出には2日間かかるらしいが、最後の一人まで無事に救出されるように祈ろう。
 

お昼過ぎの吉報からたった2時間後、午後2時過ぎに配達された夕刊トップ記事になっていた!


号外ではない。
写真をはめ込めばいいとことろでスタンバイしていたにしても、その後輪転機にかけて印刷し、各新聞配達所に配って家に届けるのである。

ここまでたった2時間のハヤワザだ。これらに関わる多くの人々の必死さが目に見えるようだ。出不精の私にも行ってみたい気にさせる新聞社。是非いつか見学に行きたいものだ。

posted by 優子 at 15:55| 随想 | 更新情報をチェックする

我が家の地デジ化、5日に完了!

昨朝は6時過ぎにユキが起きたので、長女は7時過ぎの電車で会社へ行くことにし、私はチャッピーの散歩をかねてユキと一緒に知子を見送りに行った。
帰りは右手にチャッピー、左手に人間チャッピーと手をつないで歩いた。(^-^)

知子は8月末からずっと自力で眠られるようになり、睡眠薬を飲んだのは1回だけだった。しかも子供と一緒に寝てしまうことが多く、夜中に何度も目が覚めるようだが、すぐに寝てしまうので心配していない。

最近は私の方が眠るのが苦手になっている。
今までなら5分もかからずに眠れたのに眠るまで時間がかかる。
昨夜は久しぶりに7時間ほど眠ることができたのはいいが、今朝目が覚めたのは6時半!ビックリして飛び起きた。

6時35分に「朝のテレビ体操」が終われば、夫はすぐに靴を履いて6時37分頃にはスタートする。今では知子も半々くらいの割合で運転席に座る。

知子は寝坊した私に、「今日も電車で行くから」とチャッピーの散歩に行こうとしてくれていた。
私はいつも2人が家を出るまでにチャッピーを連れて、15分か20分ほどの短い散歩を済ませているからだ。

3歳3ヶ月になったユキは、20分間くらいはテレビの幼児番組を見ながら留守番できるので自動車で行ってもらった。知子の気持ちが嬉しかった。「ありがとう」。

次は記録として、10月5日に我が家の地デジ工事が終わったことを記しておきたい。

地デジ関係の理由から昨年度で自治会の共同アンテナを廃止したので、テレビの映りがとても悪くなり夫に急(せ)かされていたが、私は来春くらいに申し込めば、工事が混んでいても7月初めには開通するだろうと思っていた。
ところが、NHKだけではなく他のチャンネルまでひどい状態になったので決断した。

「eo光」は神戸放送を受信できないので迷ったが、電話とネットで「eo」を使っているのでここに決めた。

私達はBS放送があればいいので「地デジBSコース」にした。
最も安い月額6500円の分だ。工事費無料で最初の1年間はマイナス800円の請求額である。義
母(母屋)の方は昨春に地デジに変更済み。毎月840円の追加料金だがBSは映らない。

ところで、BSはNHKしかやっていないと思っていたら、フジテレビなど他局でやっているBS放送も見られるという。別のコースだと「CS放送」も見られるとか。「CS」など何のことだかサッパリわからないが私達には無用だ。

今までのNHK総合テレビと教育テレビ、そして、毎日、朝日、フジ、読売、大阪テレビ、神戸放送の代わりに奈良テレビ、京都放送も映っているかも。何せゆっくり見る時間はない。これに加えて、BS1とBS2を含めて10局のBS放送が提供されているらしい。

リビングルームのテレビは昨年の初めに地デジ対応のテレビに買い換えたが、2階のは古いタイプなので年末に買い替えようと思っていたら、2015年まではチューナーをつけなくてもこのままで映るという。

このようなことこそ最初に問い合わせした時に聞きたかったことだ。古いテレビはチューナーをつけるか買い換えるかしないと映らないことと、テレビの個数ごとに毎月費用がいると説明されていた。

インターネットや地デジについて全くわかっていない私のような者も、いろんな人に助けられて時代を渡っていく。
文明開化後の人々の営みに想いを馳せる。

posted by 優子 at 15:40| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年10月12日

恵み豊かなカイロスの時

冷房も暖房も必要としない清々しい秋の日の昨日、大溝教会の小さな御堂は聴衆で溢れた。

「秋の特別伝道集会」の講師は、久保田先生の50年来の友人である佐伯晴郎牧師だった。
現在、久保田先生は81歳、佐伯先生は83歳。お二人の出会いについては、過去ログ・2010年9月9日の記事をご覧頂きたい。

集会の最初にご挨拶に立たれた久保田先生は、感受性がますます鋭くなられて来場者への感謝は涙声になった。

先生の心から滲み出てくるお気持ちがこちらに伝わり、昨日もまた感謝の意味を深くさせられた。
感謝とはそういうものだ。
私達は「感謝します」と機械的に言っていることが多いのではないかと反省させられた。

そして、これまでの人生の旅路を振り返って話された。
「本当の出会いとは、その人に出会うことにより自分の生き方や思想に影響を与え、自分が変えられていくことであると思う。

佐伯先生との出会いもそうだった。以来ずっと交流が深められている稀有な人である。

形ではなく心の関係は深まるばかりで、それは共通するキリスト信仰によるが、それだけではなく生き方の共通点による。共に、常に今を生き生きと生きた事実にある」。


私は久保田先生のお言葉をお聴きしただけで「今日来た甲斐があった」と思った。

そして、佐伯牧師は「今を生きるには」と題して次のようなことを話して下さった。
今とは何か?
ギリシャ語では「時」を2つの言葉に分けて考える。
1つは「クロノス( χρόνος )」であり、もう1つは「カイロス( καιρός )」である。前者は「時間」を指し、後者は「時刻」を指している。

「クロノス」は時計の秒針が動くように一瞬一瞬の物理的時間であり、ひたすら前へ進む。過去から未来へと一定速度で一定方向で機械的に流れる時間のことである。

昔の映画に『生きる』というのがあった。その中で歌われた「ゴンドラの歌」はクロノスを歌った名歌である。
(「いのち短し恋せよ乙女/朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に/熱き血潮の冷えぬ間に/明日の月日はないものを」)

では、今日の主題「カイロス」とは何か。
クロノスを直線にするとして、そこに垂直線を引く。その交差するところは点であり一瞬の時である。即ち、一瞬ひらめいてたちまち消えるのがカイロスである。

従って、毎日平凡に「事なかれ主義」で生きている時は、カイロス体験はゼロであり、目覚めている人にのみ起こる瞬間である。

そして、速度が変わったり繰り返したり逆流したり止まったりする人間の内的な時間のことだ。


生と死の2つのカイロスは戸籍に明記される大切な記録である。
この2つの間にある50年、あるいは、80年の寿命の中で出会いの接点を経験する。人生とは巡り合いである。

讃美歌463番は子供の讃美歌だが内容は深い。1番と2番はクロノスの時を歌い、3番から5番はカイロスを歌っている。

ギリシャ語で記述されている新約聖書、マルコ伝1章15節の、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」で用いられている「時」はカイロスである。

それまで宗教的戒律が重んじられた旧約の長い歴史は終わり、イエスの到来によってカイロスの時となる
このことにより律法よりも神の愛と恵みを中心とする喜びの訪れとなり、イエスの福音を信じる人は、神の愛によって救われると宣言されるのである。

カイロスは永遠を輝かせるものだ!

西暦はイエス・キリストの誕生を起点に作られている。事実としては4年ずれているが、それは問題ではない。

以上がその要旨であったかと思うが、このほかに宮崎刑務所で教誨師(きょうかいし)をしておられた時の話と、それに関連して死刑制度について触れられた。

死刑執行時の刑務官の苦悩と死を認める医務官の苦痛からも、死刑制度は廃止しなければならないと訴えられた。

メッセージの最後に余談として話されたことも記しておこう。
佐伯先生は富田林(大阪府)の二上山(にじょうざん)の麓に住んでおられ、當麻寺(たいまでら)までは自動車で30分で行けるそうだ。

「ふたかみ山(二上山の別称)には一本の塔も立っていない。塔を立てさせない美しい山だ。私はそのふもとに住んでいる。

この年になると木が倒れるように友が次々と死んでいく。そのような時はいつも当麻寺(たいまでら)の庭を歩く。素晴らしいところだ」。


そして、「大溝教会もモダンな近代的な教会と違って趣きがある。周囲には召された方々の写真がかけられている珍しい教会だ」と仰った。

私はN兄に促されて「私の家から二上山の雄岳が見えます」とお話すると、佐伯先生の顔がパッとほころび、「私は反対側から見ているわけです」と言われた。

二上山.bmp
これが二上山だ。(ネットより拝借)

左側が雌岳、右側が雄岳で、佐伯先生はこの裏側の景色をご覧になっているわけだ。
我が家は(奈良県と)大阪府との県境近くにあるので、雄岳の右端をやや後に回ったあたりの景色である。

この雄岳と雌岳の間に日が沈むので、飛鳥時代の人々は二上山の向こうに西方浄土があると思って手を合わせた。

私は何に手を合わすのでもなく、どなたに手を合わせばよいか知っている。
『メメントドミニ』を読んで下さっている方のお一人でもいい。これらキリストの神を信じる人々のことをお読みになって、その方のカイロスの時となればそれに勝る喜びはない。私はそのために書いている。


秋の特別伝道集会.jpg

いつも「一緒に写真を撮ろう!」とお声をかけて下さる情感豊かな久保田先生。
浅見牧師(左)にも「是非ご一緒に」と申し上げたのに遠慮されたのかな?

感謝録:
この集会で初めてN兄の奥様にお目にかかった。お顔を見てすぐにわかり、自分の顔がパッと笑顔になったのがわかった。

長い年月休むことなく礼拝を捧げ、伝道所を守って献身しておられるご夫妻である。
互いのカイロスの時となる忘れられない日になった。


posted by 優子 at 15:06| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年10月11日

再び大溝教会へ

今日は7月1日に続いて再び久保田暁一先生が通っておられる大溝教会を訪ねた。大阪からO姉と、妹は京都から合流して3人で秋の特別伝道集会に参加した。(大溝教会については、今年の7月1日の記事に書いている。)

近江高島駅に着いた時、教会の方の出迎えを受けた。案内された近道だと5分ほどで着いた。

その道すがら、「来年のNHK大河ドラマは浅井長政の三女が主人公だから、来年はこの地もブームになるかも」と仰った。大溝城は次女の初が嫁いだ京極高次の居城だからだ。

元和5年(1619年)に藩主は京極氏から分部(わけべ)光信にかわり明治まで治めた。
そして、最後の大溝藩城主・分部光謙公が大溝最初の受洗者であり、この地に福音の種を蒔いた重要な人物となる。

大溝教会のオルガンは、光謙の死後、夫人が教会に寄贈したものである。もう100年以上も前のオルガンだが、今日も優しい音色を奏でていた。

100年前のオルガン@.jpg

100年前のオルガンA.jpg

私はこの3〜4日間、寝るのが午前3時前後になり連日2〜4時間の睡眠時間のために、朝から目はヒリヒリ、頭は朦朧とし、さすがに今夜はとても書けないので早く寝て、活力をえてから今日の時を記したい。「カイロスの時」を!

これは帰りのプラットホームから撮った近江高島駅前のガリバー像だ。
ガリバーのバックから.jpg

近江高島駅のガリバー.jpg

とてものどかな街並みでゆっくりしたかったが、我が家にたどり着くには3時間もかかるので別れを惜しみながら列車に乗った。

posted by 優子 at 23:10| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年10月09日

スー先生と1年4ヶ月ぶりの再会

先月の18日、クリスチャンペンクラブの例会に出かける直前にスー先生からお電話が入った。
昨年の6月にお別れしてから3度ほど、テネシーのご自宅からお電話を頂戴したことがあるので、この時もアメリカからだと思ったら、「今、大津にいます」と息子さんの家からのお電話だった。

「私は今から大津へ行くんです!お会いしたいです!」と飛び上がって喜んだのだったが、再会は当地に滞在される時になった。

そして今日の午後1時間あまりの短い時間だったが、心の友である節子姉もご一緒に香芝ゴスペルチャーチで感謝にあふれる時を過ごさせて頂いた。

スー先生が語って下さったみことばは、ヨハネ伝6章63節:
「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」。

「みことばには霊と命があり、聖書を読むということは、まるでご馳走をいただくようなものですね。この世のことは全て過ぎ去ります。霊だけが残ります。だから霊的なものを貯えましょう」。

知子の証しをお聞きになって、「彼(イエスさま)のことを信じると、彼から力を得て、行えるまでにして下さるのね。いつも神の助けがあります。」と言われた。

その証しの中で、祈ることもできない時があったことを話すと、ロマ書8章26節のみことばを示して、
「御霊(みたま)もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。
なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」

と、祈り自体が聖霊の働きによるものであり、「祈りにインテリ(知識)もいらない。聖霊さまが祈るから」と話され、互いに信仰の恵みを分かち合ったのだった。

スー先生と節子さんは、”walk with jesus” 「中山道ウォーク・ウイズ・ジーザス」(http://www.walkwithjesus.jp)に2日間だけ参加されてこられたそうだ。
歩きながら出会う人々にトラクトを手渡して神さまの福音を伝えるのである。ディレクターをスー先生のご子息、ジョナサン・ベネディクト氏が務めておられた。

スー・ベネディクト宣教師の4人の娘さんと2人の息子さんたちはアメリカに、2人の息子さんたちは日本に在住されている。

80歳になられたスー先生。
節子さんを通して私にも出会わせて下さったことを神さまに感謝している。深い信仰へと導いて下さった私の忘れられない1人である。今月末にアメリカにもどられるスー先生の健康を強めて下さいますように。


昨年6月末頃、まもなく2歳になるユキ。スー先生と@.jpg
そして、1年3ヶ月でこんなに大きくなったよ!
まもなく3歳3ヶ月、背丈はジャスト1メートル。
スー先生と節子さんと再会!A.jpg
  
節子姉とも抱き合った!
スー先生と節子さんと再会!@.jpg

「節子さん、祈って下さってありがとうございました。
おかげさまで苦悩は感謝に変えられて、
神さまが開いて下さった道を歩き始めました。

今日のほのぼのエピソード
乳児の頃は「固まるクン」の愛称までつけられた恥ずかしがりのユキが、幼児番組「英語で遊ぼう」で覚えた英語を突如言い出し、スー先生を相手にネイティブスピーカーと見事な会話をした。

しかもはっきりと聞こえる声で間を置くことなくやりとりしたのだからびっくり!

" What's your name? "「あなたのお名前は何といいますか?」
" My name is Sue. What's your name? "
「私の名前はスーです。あなたのお名前は?」
" I am Yukihisa."「私はゆきひさです。」

英才教育でも始めているのかと誤解されそうだが、話せるのは唯一この言葉だけ。わーい(嬉しい顔)

ユキは前回の記事にアップした讃美が大好きで何度も聞きたがり、そのうち自分で「もう一度見る」をクリックして聞いていた。
最近では、「ごみ箱」を空っぽにするだけではなく、パソコンを閉じるのもお手のものである。まさにネット時代の子供である。

今日は教会で用意して下さっていた焼き菓子(ケーキ)のおやつを一人で頂いた時も、いつものようにお祈りした。
「イェッしゃま(イエスさま)、今日は無事に帰って行ってできましゅように。
ほんで(そして)・・・、今日はここへ来れたことを感謝しましゅ。
このお祈りをイェッしゃまのお名前によってお祈りしましゅ。アーメン」。


スー先生と節子さんは驚いておられたようだ。肝心のおやつを感謝するのを忘れていたが。(>_<)

お祈りしないで食事しかける祖父に、「おじいちゃん、イェッしゃまは?」
「おじいちゃんのお話、短いよ。もっとイェッしゃまにお話いっぱいしゅるのよ!」

とは、毎日耳にする言葉だ。
ユキにとっては、神への祈りは神との対話であり、私達は幼児の言葉に神の御臨在をこの目で見、神にいざなわれるのである。

私達は香芝の教会(南大阪福音教会)から別の教会に転籍することになって淋しい。

転出書類は福野牧師から古森牧師に送られ、馬見労祷教会への転入は12月の役員会に出席して正式承認され、クリスマス礼拝で転入させて頂く予定である。それまでに牧師が転入準備会を持って下さるが、全て知子と同時に進めて頂くことになっている。

「自分の導かれる教会へ通うのがいいです」と喜んで下さったスー先生。節子さんとも会えなくて淋しいが、共に神の家族である。
God bless you!


posted by 優子 at 21:13| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2010年10月06日

Blessed Assurance,Jesus is mine ! 「祝福の保証」

私の大好きな讃美歌の一曲(聖歌232番)をご紹介します。
初めに日本語の歌詞をご紹介し、そのあとユーチューブでお聞きください。
罪とがを赦され
神の子となりたる
わが魂(たま)の喜び
くらべうるものなし

※ 日もすがら証しせん
  夜もすがら主をほめん
 「み救いはたえなり
  み救いはくすし」と

主にまたく(全く)従がい
安き得しわが身に
あまつや(天つ家)の歌声
響きくるここちす
 ※

主の者とせられし
わが身こそ幸なれ
感謝なき日はなく
讃美なき夜はなし
 ※

この曲は、生後6週間のときに医者のミスによって失明し、生涯を盲目で過ごしたファニー・クロスビーが作ったものです。洗礼式のあとによく歌われる聖歌です。

では、次のアドレスのところをクリックしてYoutube(ユーチューブ)でお聞き下さい。画面に英語の歌詞が出てきますので声を出して歌って下さい。本当に上(神)よりの力に満たされます。日本語でもどうぞ!

(宇野さんへ:次の行をクリックして頂くと讚美が聞こえるのですが。)
http://www.youtube.com/watch?v=rh2a6RTO-uI&feature=related

全ての人々に神の豊かな祝福がありますように!

God bless you all !


posted by 優子 at 06:00| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2010年10月05日

人生の冬の時代、それは、やがてくる春に向けての準備だ!

今朝早くに届いていたメールに激しく魂を揺さぶられ、あまりにも感動したのでミネソタにいる真智子夫婦と、そばにいる知子と夫にも会社で読んでもらいたく転送した。

そして今、夫と長女を見送り孫が起きるまでにと大急ぎで書いている。

このメールを下さった宇野さんは、9月19日の記事でU兄(きょうだい)と記した全盲の方だ。宇野さんのお許しを得てここに掲載させて頂き、この大いなる励ましを読者の方々にもお届けしたい。

 拝啓
さわやかな季節となりました。いかがお過ごしですか。
現在、情熱思考という本を読んでいます。とても感動した記事がありましたので、以下に記します。よろしければご覧ください。
あふれる祝福を祈りつつ 宇野繁博

ある弁護士は44歳の時国の政策に反対し、逮捕される。そして、国家反逆罪で終身刑となり、島流しにされる。27年間の投獄生活から釈放された時、71歳になったその男が語った言葉は
「私は生き残ったのではない、準備をしていたのだ。」だった。

その後男は議会のリーダーになり、74歳で人種差別のない選挙を実施。75歳でノーベル平和賞を受賞。そして、南アフリカ共和国の大統領に就任。77歳で国の憲法を作り上げた。

自然界に季節があるように人生にも季節がある。冬には冷たい逆風が吹き荒れる。
しかし、必ず冬が終わり春が来るのだ。
 
大統領になった男の名は、ネルソン・マンデラ。
彼は、人生の冬の時代、やがてくる春に向けて準備していた。
生きて出所する。
国を変える。
大統領になる。
差別をなくす。
彼は素直な心で十分な準備をしていたのだ。
冬はいい季節である。必ず春が来るから。
準備ができるから。
 
あなたは今どの季節だろうか。どんな準備をしているのだろうか。
今は冬でもやがて季節は変わる。
春には種をまき、夏の日差しをあびて成長し、秋には大きな実をつける。楽しみだ。わくわくする。

人生にも季節がある。
準備をしていれば、必ずチャンスと出会う季節がやってくる。

宇野さんへ:
マンデラさんの生きざまだけではなく、その感動を伝えて下さったのが全盲という、計り知れない困難な人生を歩んでおられる宇野さんからのメールであることに深く感動しました。

本当にイエス・キリストと出会われた宇野さん、感謝に溢れて生きておられる宇野さんの生きざまに二重の励ましを頂きました。

このブログを書く前に、まず宇野さんにお礼を申し上げねばならないのに御無礼をお許し下さい。夕方になると思いますが、後ほどメールさせていただきます。

宇野さんと出会わせて下さった神さまに感謝しつつ

附記:11月のJCP例会が義父の7回忌法要と重なってしまい、宇野さんのお話もお聞きすることができず残念でならない。

posted by 優子 at 07:20| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2010年10月03日

私達は今を与えられてここに在る

先週は1週間が長く感じた。旅行に出かけたからだと思う。今朝はいつもよりも待ちわびて教会へ出かけた。

「神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。」(創世記2章3節)と聖書にあるように、日曜日は日々の業(わざ)を中断して心身を休めるのがよい。

現代のような多忙な時代にあっては日曜日に休むことができない場合も多く、病気や介護などで行けない場合も多々あるが、クリスチャンは可能な限り最優先して礼拝の恵みに与るのである。

このことはまた、「生活にメリハリをつけ、緩急を織り交ぜながら、意識を集中し、仕事に身を入れる」ことにもなる。
「1日の労苦は1日にて足れリ」と言われた、イエスの言葉の意味を深くかみ締めながら。

さて、今朝の説教、「ガリラヤヘ行け」では、もう一度人生の座標軸を正された思いである。
マタイ伝4章15節には「異邦人のガリラヤ」と書かれてあるが、ガリラヤとはどういう所であるか、B.C.1000年に遡って歴史的経緯を話された。

イエスが地上に居られた2000年前のガラリヤは、パレスチナを含む地中海一帯がローマ帝国の支配下で、イエスの弟子たちが初めてイエスと出会い、イエスに従って行った場所である。

きっと彼らには直弟子としての自負があったのではないかと思われるが、イエスはそれをこっぱみじんにされたのである。

聖書はマタイによる福音書28章6節〜10節、イエスが復活された箇所だ。
「(イエスは)もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。

そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。

そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。

そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。

かつて、弟子たちは親を捨て、仕事を捨て、故郷を捨ててイエスについて行った。
その師が反逆者として十字架上で処刑された。こんなことになってしまって彼らは故郷へ帰ることができるだろうか。

まさに室生犀星が詩に詠った、「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/うらぶれて異土の乞食となるとても/帰るところにあるまじや・・・」の心境であったであろう。

その弟子たちにイエスは「ガリラヤヘ帰れ」と指示されたのである。
賀川豊彦にとっては神戸のスラムが彼のガリラヤではなかったかと思うが、私達は自分が生まれた家庭環境や故郷は誰も選ぶ事ができないから、神さまが置かれた所であると思わされる。

今を与えられてそこに置かれたのである。
出会いや状況も関係性も全て神さまから与えられていくのだと思う。


イエスさまは、「あなたが生まれた所、置かれた所、与えられた所に帰りなさい。そこでもう一度わたしと会うことができる。あなたのガリラヤに帰りなさい」と言われるのである。

時として私たちはイエスさまを見失う時があり、どうしてよいかわからない時があるが、そのような時はイエスさまと出会った所へもう一度帰ろう。

この説教をお聴きして、私のガリラヤはどこだろうかと考えた。
私のガリラヤは今置かれている場所だ。

そして、問題から逃げ続ける人たちを思う。
イエスさまと出会った人は、その時のことを思い出して本心に立ち返り、どうか神さまの恵みの中で生きてほしい。

神は私たちの人生に神の御心を実現しようとされているのだから、主に信頼して生きていこう。
私が書きたいのは、試練とどう闘ったかというところをさらけ出して、自分の心をごまかさずに、深く掘り下げた魂の世界である。


悩みを悩みとし、悩む人は幸いなり。神さまと出会わせて下さるように!

昨日の夕方から突然に町中の金木犀が一斉に香り出した。あの猛暑にも耐えて香るゆえに例年以上に感激の声をあげた。

ちまたでは9月の終わりから年賀状の予約受付けが始まり、何と気ぜわしい。今年も残すところ3ヶ月。
異国で努力の日々を重ねている真智子たちのことを常に覚えつつ、新しい週も主と共にあれ!

posted by 優子 at 21:52| 神(聖書) | 更新情報をチェックする