2011年03月30日

紙業界の地震被災状況B ―23年度は「グリーン購入法」撤廃を政府に要望―

最初に先ほど発見した些か不愉快な驚きから始めたい。
夫の仕事に関係する記事は『北越製紙ブログ』にもヒットして挙げられているが、その中に私の記事(過去ログ3月18日付け)の一部を殆どそのまま盗用している方がおられてびっくりした。

ブログを書くにも書き方の作法がある。ひらたく言えば原稿用紙の使い方という基礎的なものだ。引用する場合は「カギカッコ」をつけて引用文であることを明示しなければならない。

私もブログではつい出典まで書くのを怠りがちだが、評論を書く場合は必ず出典とページを明記する。

ブログであっても自分のものではない言葉はカギカッコをつけ、長文になる場合は誰々が話されたものであると明記するのが書き方の作法というものであり、それを徹底しているのが学術論文やジャーナリストの文章だ。

特にこのたびの災害が起こった矢先のチェーンメール騒動以来、私はブログを書く時も常に評論を書く意識で書いている。


今もう一度その方のブログを開いて写真を拝見した。きっと書き方の作法をご存知ないだけなのだろうと、不愉快さも治まりつつあるので今日の記事を始めたい。

「紙業界の地震被災状況」のシリーズ第1弾を公開以降、平均1000を超えるアクセス数があり、多い日は1700〜1800を数える。

最近お読み下さっている方々のために、この記事は夫(日紙商《日本洋紙板紙卸商業組合》西部ブロック会理事長)による正確な情報であることを改めて明記しておきたい。


災害が起きてまもなく3週間、関東地区では早々から大変な紙不足で出版物の発売が遅れている。
日本製紙石巻工場が再開するまで紙を抄(す)くことができないだけではなく、印刷会社やインクメーカーも被災したためだ。

日紙商は紙の安定供給には相当な時間が要することを考えての対処として、政府に対して印刷工業組合と紙業界の連名で、23年度は「グリーン購入法」の基準を撤廃してほしいとの要望書を出すことを決定した。

官公庁の入札については「グリーン購入法」の基準に沿って再生紙を使用することになっているが、震災によって再生紙の納入が困難になった。

紙需給においても東海地方を境に関東と関西では温度差があり、関西ではまだ何とか紙を調達することができ、まわりまわって在庫のあるところから納入している。
しかし、4月半ばぐらいから商品の品薄感が出てくるであろうとのことだ。

製紙メーカーの復旧への努力や紙流通業界の奮闘はもとより、あらゆる業界のあらゆる業種の方々が使命感をもって職務を遂行されている姿に心を揺さぶられる。

そんな中、福島県の農家の方が絶望して自殺された。
地震と津波だけではなく大地が放射能で汚染されては、もう農作物が作れないと絶望されたのだ。高い志で農業に取り組んでこられた方だけに希望をなくしてしまわれたのだろう。

せっかく助かった命、被災された方々がどうか生き抜いて下さるように。
「それでも道は開かれる」と信じて祈る日々である。


posted by 優子 at 22:02| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2011年03月28日

CRASH Japan と Churches Helping Churches!

「愛は大水も消すことができない、
 洪水もおぼれさせることができない。」

「大津波もキリスト・イエスさまにある神の愛を押し流すことはできない。」 アーメン!


宣教師たちが立ち上げた救援協力組織「クラッシュ(CRASH Japan)」が機動力を発揮している。「CRASH」とはクリスチャン・救援・協力・支援・希望を表す英語の頭文字を並べたものだ。

私はこのたびの大災害以来ずっとクラッシュジャパンのリポートも読んできたが、特に今日の速報から大きな励ましと導きを感じた。

以下は、”CRASH Japan ”の パートナーである ”Churches Helping Churches ”のエグゼクティブ・ディレクター、トム・キム氏のリポートだ。

日本にはおよそ8,000の教会があり、多くの教区が50人未満の信者です。本州北部の東北地方は津波を引き起こした地震の震源地からもっとも近い場所です。教会の数は決して多くありませんが、親密なコミュニティーです。 

人口の1%以下のクリスチャンしかいない日本は、先進国のなかでもっともクリスチャンの少ない国であります。ですから言うまでもなく、それぞれの教会の果たす役割は大変大きいものがあります。

昨日、私たちは今回の重なる災害を被災し、大きなダメージを受けている教会と牧師たちを探して東北地方を走り回りました。被災の状況はひどいけれども注目されていないような小さな町へ向かったのです。日本におけるアルファコースを監修している永井信義氏は津波が襲う前の地域の様子をよく知っておられ、私たちを案内してくださったのです。

日本の教会の団結


地域の教会は、被災した場所に駆けつけていました。東京の教会も東北の教会に物資を送っています。内陸部でそれほど影響を受けていない教会が太平洋沿岸のひどく被災した教会を手助けしています。

沿岸の教会も地域の被災者を助けています。外部の助けを借りずに自分たちで助け合っているのです。私はここの兄弟姉妹たちを誇りに思います。日本において起こっているこのすばらしい助け合いを補うために、CHCが支援の輪を広げ、グローバルな教会として、日本の教会が立ち直る力になるでしょう。

キリストへの信仰を通じてひとつになる力は目には見えませんが、確実に結果を残しています。この力は教会が教会を助ける鼓動となって響きあう力です。

一日の牧師たちの感想を通して彼らの考えを知ることができます。

たとえば「津波に襲われる前に、私は地域のために何か力になれることを神に祈っていました。今私は隣人の家で手助けをしています。津波は言葉にならないほどひどいものでしたが隣人に手助けをする機会に恵まれたことに私は感謝をしています。」ーオモト師

「私は、なぜ私に教会と家を建てさせてそれを破壊したのかと神に問いました。でも私は避難所へ行った時にとても多くの人に出会いました。多くの人と語り、多くの人を助けることができました。私はこの機会が与えられたことを神に感謝いたします。」ー内藤師

「この危機を乗り切るために私はなんでもできることをします。」―永井師

不安な時期の支援

未来はとても不確かなものです。ある町はすっかり流れてしまい一軒の家も残っていません。散り散りになった街で、みんなはどこ?と探すばかり。街はいったい元通りになるのでしょうか。元の街に教会を建てられるのか、新しい街に行くべきなのか、またどこか他へ移るべきなのか。教区の皆は戻ってくるのでしょうか。

長期のビジョンをもって決断するには、それぞれあまりに準備が異なってしまいます。決断に時間はかかるでしょうが、こういう難しいときにこそ私たちが被災者とともにいることをコミットすればそれが支えになります。

CHCは長期プランの選択肢を待つ一方ですぐにできることをやっていきます。以下にCHCが支援する4つの教会をリストアップしておきます。

聖書バプテスト教会 気仙沼

最も被災のひどい教会です。不毛の荒地が見渡す限り何キロも続きます。街は津波によって破壊され、建物はもともとどこに建っていたのか皆目見当もつきません。

嶺岸浩師は多賀城市のそばの自宅で無事でした。CHCは聖書教会の将来のプランを支援する準備ができています。がれきを歩きながら、私は文房具の飛び出したランドセルを見つけました。しっかりと書かれた宿題から、鈴木ひとみという名前の6年生のものとわかりました。さっそく避難者名簿の確認をしようと思います。

第一バプテスト教会 福島

佐藤彰氏の教会は原発施設のそばにあります。彼と50人の教会員は避難し、彼は山形にいます。教会の建物がどうなるかはわかりません。放射能汚染が進めば建物を使用することはできなくなるでしょう。第一バプテスト教会の必要について 話し合いを進め、どのようにサポートしていくか決めて行きます。

最初に支援を申し出た時、佐藤師は申し出を拒みました。もっと助けを必要とする教会が他にあることと、それらの教会への支援する方法について語ってくれたのですが、私は第一バプテスト教会も支援することを(日本風に)説得したのです。

シーサイド•バイブル•チャペル 仙台

内藤師は津波を車のバックミラーで確認し、逃げ出しました。 彼の教会は海辺にありましたので、自宅と教会と牧師、生計の手段を失いました。彼は避難所で生活していましたがCHCの用意したアパートに移りました。内藤師は彼のまわりの新しい人たちへの奉仕の機会を大変喜んでいます。

宮城聖書教会 松島

この地域では建物の倒壊はありませんでしたが、大分厚いコールタールのような汚泥が覆い尽くしています。田中師の東京の教区員がここにもどれるよう、CHCは一階の床の修理を手伝うことにしました。

もっともっとやるべきことはありますが、とにかく最初の一歩を踏み出すことが重要です。どうぞこれらの教会と地域のためにお祈りください。

http://www.youtube.com/watch?v=NzxVyOIYxIQ&feature=channel_video_title
(↑ 字の上をクリックして下さい。このビデオをご覧になれば神の慰めと励まし、そして、希望と力を受け取られることでしょう!

私たちのミニストリには祈りが不可欠です。どうぞ、今援助を必要としている方々、また、その方々に必要な援助を届ける方々を祈りに覚えてください。 

雅歌8章7節:
「愛は大水も消すことができない、
 洪水もおぼれさせることができない。」

「大津波もキリスト・イエスさまにある神の愛を押し流すことはできない。」



posted by 優子 at 23:57| 引用文 | 更新情報をチェックする

2011年03月27日

「チェルノブイリ」の意味が聖書に出てくる「苦よもぎ」だったとは!!!

今日の午後は高見敏雄牧師の「聖書と憲法」の学びがあったが自治会の総会と重なり、私の中で二転三転して泣く泣く帰宅することにした。昨年度の役員だったことと地域のことも大切だからだ。

自治会総会は審議の内容についてよりも議論の姿勢に問題があり長時間になった。帰宅したのは5時、3時間も座っていたので股関節や腰の痛みがあるが今朝の礼拝メッセージをお分かちしたい。

少々センセーショナルなタイトルをつけたが、1986年の歴史上最悪の原発事故を起こした「チェルノブイリ」が、「ヨハネの黙示録」に書かれている「苦よもぎ」の意味であるとは驚いた。

1998年のアメリカ映画『アルマゲドン』をご覧になった方も多いことだろう。私は映画館へ行くことは滅多にないので知らなかったが、この内容は現況と非常に似通っている。

以下は、この話を導入に「イエスに従う」と題して語られた古森敬子牧師の説教の要諦である。(あらすじは「ウィキペディア」より拝借した。)
1998年。流星雨の直撃によって衛星修理中のスペースシャトルが爆発し、宇宙飛行士も全員死亡する。さらに、流星雨はそのまま地球の大気圏を突破してニューヨークに降り注ぎ、壊滅的打撃を与えた。

調査の結果、彗星が小惑星帯に突っ込んだ折に先の流星雨が発生し、しかも地球への衝突コースを取るテキサス州の大きさにも匹敵する小惑星が発見される。

人類滅亡までわずかな日数しかない状況の中、NASAによって衝突回避の核弾頭設置の任務についた石油採掘のスペシャリスト達が宇宙に向かう。

最後は誰かが核爆弾のボタンを押さなければならなくなった。
それは死を意味し、1人の人間が自分の命を犠牲にすることによって地球を救うという物語だ。

「アルマゲドン」とはヨハネ黙示録16章16節(「三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。」)に出てくる地名(北イスラエル)で、全能者である神と悪魔との戦いの地と予言されている。

ヘブライ語で「ハル」は「山、丘」の意味で、「メギド」は町の名前であり、「ハルマゲドン」とは「メギドの山」という意味だ。

このあたりは石器時代の遺跡が残っており、B.C.2000年頃から聖書の中にたびたび出てくる主要な町である。

「メギド」は「列王記下」23章29節にもあるように「戦場」を意味し、「地球最後」、「この世の終わり」の意味を表している。

そして、「ヨハネの黙示録」にもうひとつ予言されている。(8章10節)
第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。

この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。

チェルノブイリの事故は広島に投下された数百倍もの放射能が放出されたと言われており、大気に乗って8000キロ離れた日本にも飛んできた。

チェルノブイリが「苦よもぎ」という意味というのは、とても皮肉な名前だ。
少し前の報告になるが、世界には435機の原発が運転中で、建設中と計画中のものを加えれば531機にもなるという。

アメリカが104機、フランスが59機、日本は53機で建設中と計画中のものを合わせると69機で2位になる。

原発はクリーンで安全なものだからと平和利用として推進されてきたが安全神話は崩れた。

私達は電気やコンピューターに頼りきっているが、想定を超えたことが起こった時、最後には人間の手でしなければいけないことも学んだ。最後は人間の手作業でしなければいけないのだ。

東電職員の方は家族に「覚悟するように」と伝えられたそうだ。まずはリモコンの効かなくなった現場へいかなければならないのだ。

放射能汚染を恐れて福島へ物資が入らないということも、福島から遠くにいる私達はトラックの運転手さんを非難することができるだろうか。

自らのことを顧みずに最後の最後まで津波警報をアナウンスし続けて津波に呑み込まれてしまった若い女性のことを聞くと、何とも言えない心の痛みと共に胸に熱いものを感じる。 


「それから、みんなの者に言われた、
『だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。・・・』」


イエスに従うことは何と重いことであろうか。
今度は私達がイエスの足跡に従って自分の十字架を担うことが求められている。
一人ひとりが自分を捨てて他者のために尽くす時、そこに愛が生まれ、愛が手渡されていく。
そして、人はその愛を受け取った時に安らぎと慰めを頂くことができる。

パウロは「コリント人への手紙U」(1章)で、心配や心の苦しさは何の役にも立たないものではなくて、被災者たちの慰めになると次のように述べている

神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。

それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。

わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。

だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない。あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである。

続いてこのように言っている。

「これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。あなたがたも祈りで援助してください。」と。

パウロと同じように必ず救って下さると確信する。
他人の十字架として捉えるのではなく、自分の十字架として担い続ける覚悟をしたいと思う。

                                (完)

私はそうでありたいと願いながらも実行が伴わない者であるが、しかしまた、心からそうでありたいと願っているのも神の前に真実である。

危険な作業をして下さる原発事故のニュースを見るたびに、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネの福音書15:13)のみことばが迫ってくる。

本日午後3時現在の犠牲者は、死者:10668人、行方不明:16574人、死者と行方不明者は合わせて27242人となっている。

神さまのことが今ほども分かっていなかった若い頃、まさにこんな時は祈ってもしょうがないではないかと思っていた。
しかし今は違う。
私もパウロのように神に希望をかけて祈り続けよう。最悪を最悪のままで終わらせない神さまに祈ろう。

posted by 優子 at 21:29| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2011年03月24日

それでも春が来ていた

緊急支援募金のお願い:
私達夫婦は娘たちの自立を機に、2006年12月よりマラウィ共和国(アフリカ)の女の子のチャイルド・スポンサーをさせて頂いています。

このたびワールド・ビジョン・ジャパンの東日本大震災緊急支援募金のリンク協力をさせて頂くことになりました。

ワールド・ビジョンの支援活動をご覧下さり、募金のご協力をよろしくお願い申し上げます。

いつの時代にも多くの苦難があり、先人たちは苦難と闘ってきた。
このたびは一瞬にして何もかも根こそぎ奪い去られた上に原発事故が起こった。

今日は3号機の復旧作業に当たっていた男性作業員3人が被爆したというニュースが飛び込んできて涙が溢れた。

未曾有の大惨事だ。
この先どうなっていくのだろう。
悲惨としか言いようのない出来事に心が萎えそうになるが、何が起きても神への信仰に立ち、神を信頼し確かなる希望に目を向けよう。

関西ではこの惨状からは信じられないような今までと変わりない生活が許されているが、誰もが節電に心がけている。

きっと日本中の人が電気も水もガスも全てが当たり前ではないことを思い知り、生活そのものが変わってくのではないかと思う。そうでなければならない。

朝は氷点下の寒さだがウグイスがさえずり、毎年わが街で一番に咲く桜がすでに満開になっていた。

それでも桜は咲いた.jpg

根こそぎ奪い取られた東北の大地に、再び美しい四季が訪れるのはいつだろう。被災された方々のことを想いながら私はいつまでも桜の花を見つめていた。

ベランダのチューリップもいつのまにか蕾をのぞかせていた。
蕾が顔を出していた.jpg
こんなに悲しい年でも春は来ていた。
それでも春が来た。

「この世は苦難に満ちています
     しかし
     それに勝ちうる力を与えられる神も
     またおいでです。」
        
             
             (ヘレン・ケラー)
     
     「今まで起こった全ての問題は
      神のゆるしなくしては起こらない。
      そうである以上
      神がきっと何かの考えをもっておられるのだ。」
             

             (チャプレン マーリン・キャロザース)

絶望してはいけない。
神さまが最善をなして下さることを信じ、被爆された方々の癒しと、原発で作業して下さっている方々の安全と無事を切に祈ろう。

posted by 優子 at 22:21| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年03月22日

紙業界の地震被災状況A ―OEMで紙の安定供給を!―

3月18日の記事を更新して以来、紙業界関係からアクセスして下さる方が増え、今日もすでに1000を超えているのでその後の状況をお伝えしたい。

まず、連絡不明となっていた紙卸商4社のうち3社とは連絡がとれたが、残る1社とは今も連絡がとれていない。(22時追記:本日無事確認された!)

震災で大打撃を受けた日本製紙の石巻・岩沼・勿来(なこそ)工場、三菱製紙の八戸工場は現在も操業のメドはたたず、2社からの情報が全く入ってこないので入荷のメドもたたない状況である。

日本製紙や三菱製紙は製品を供給できないため、製紙連合会に依頼してOEM(「オーイーエム」とはOriginal Equipment Manufacturerの略で他社ブランドの製品を製造すること)で協力してほしいと申し出た。
即ち、三菱と日本製紙の紙を他のメーカーに製造してもらって協力してもらおうというわけだ。


地震と津波により工場や倉庫に置いてあった紙も全て使い物にならず、東京ではすでに紙不足のパニック状態で供給不安が関東地区に広がっている。

しかし、この不安は関東地区だけではない。
従来、日本製紙の石巻工場で製造された紙は東京で消費され、関西地区の供給工場である八代や岩国は関西で消費される紙を製造している。

この緊急事態のために八代・岩国ほか関西の他工場でも増産しているが入荷への不安があり、関西の卸商は今持っている在庫だけが頼りで紙が無くなると商売ができなくなってしまう。

このパニック状況が長引けば、関西だけではなく紙不足は全国に波及していくだろう。
というわけで、何とかして在庫だけでこの難局を乗り越えて行かねばならないが、倉庫を持たない会社はこの時点で窮地に立たされている。

また、三菱や日本製紙の製品を主力で売っている卸商は入荷が遅れて販売に支障をきたすと思われる。商品を調達できないために他メーカーの製品で代替しようとしても、これまで取り引きもなく実績がないということで断られるからだ。

印刷業界からも紙業界に対して安定供給を願い出ているが、他メーカーもフル生産となりOEMでも協力することになるため、他メーカーであっても今までのような入荷は期待できないだろうから、この状況が長引くと心配だ。

とにかく関西支社から本社へ連絡しても応答なしで、今後のことが全くわからない状況である。

本日付けで届いた情報によると、このような未曾有の危機にあって日本製紙連合会会長の篠田和久氏(王子製紙社長)が、OEMでそれぞれの可能な範囲内で協力して紙の安定供給を図ろうと決議された。

しかし、原発事故による計画停電のこともあり操業自体が大きな制約下にある。コメントの最後は次のように結ばれていた。

「被災地の復興や民生の安定のため、そして日本経済の早急な回復のために適切かつ迅速な政策の実行をお願いするものであります」。

あらゆる業種の人々が尽力し、同時代に生きる者が共に苦難に立ち向かい母国復興のために頑張っている。
今は特に原発事故が終息するように祈りの手を挙げて祈ろう。


posted by 優子 at 23:21| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2011年03月21日

イエス・キリストはこう言われている、 「あなたがたに言うが、そうではない」。

災害について考える時、まず想起するのが罪にまみれた町、ソドムとゴモラを神が天からの硫黄と火によって滅ぼされた箇所だ。
長くなるので創世記18章23節から33節だけを引用したい。
アブラハムは近寄って言った、
「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。たとい、あの町に50人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる50人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。

正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。

主は言われた、
「もしソドムで町の中に50人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。

アブラハムは答えて言った、
「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。もし50人の正しい者のうち5人欠けたなら、その5人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。

主は言われた、
「もしそこに45人いたら、滅ぼさないであろう」。

アブラハムはまた重ねて主に言った、
「もしそこに40人いたら」。

主は言われた、
「その40人のために、これをしないであろう」。

アブラハムは言った、
「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。もしそこに30人いたら」。

主は言われた、
「そこに30人いたら、これをしないであろう」。

アブラハムは言った、
「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに20人いたら」。

主は言われた、
「わたしはその20人のために滅ぼさないであろう」。

アブラハムは言った、
「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに10人いたら」。

主は言われた、
「わたしはその10人のために滅ぼさないであろう」。

主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。アブラハムは自分の所に帰った。

今回の大惨事を天罰であると考えるのは石原都知事だけではなく、実はクリスチャンの中にも神の怒りと考える人も少なくない。

確かに私達の信じる神は天地万物を創造された全知全能なる神であり、旧約聖書では怒りの神、罰する神である。しかし、神は愛と赦しのために神の御子イエス・キリストを地上に送って下さったのである。

「それならばなぜ神は善人を苦しめるのか」と、理屈に合わない不条理な出来事を見て神から離れていった人も多い。

この問題は人間の歴史が始まって以来ずっと議論されてきたことだが、これはどんなに議論しても人知では理解できない神の領域なのだ。

私もまた私なりに10年以上に及ぶ年月を苦悩して受容できたことだ。もっと正確に言えば、それは神さまの領域のことであると神さまが納得させて下さったので終止符が打てたのである。

災害が神の裁きであるのかどうかは、残念ながら同じクリスチャンであっても考え方は一致しない。それは戦争についてでさえそうである。

かつて湾岸戦争開戦の時、戦争ということでさえキリスト者の考えは一致しなかった。憤りを覚えた私は、日本クリスチャンペンクラブから出版された証し集に「破れを繕う者」と題して他をはばからずに書いた。(『聖書と平和』1992年発行)


湾岸戦争開戦前夜、ビリー・グラハムは「正義のために戦う時がきた」と説き、英国教界の殆どの人が「小さな悪」として戦争を肯定した。

キリストの福音は、いかなる場合も非暴力の上に成り立つのであるにもかかわらず、戦争という重大な事にも意見が分かれ、キリストにある一致はなかった。

           (過去ログ・2007年8月15日掲載)

ビリー・グラハムが如何に有名な20世紀の大伝道者であっても私は容認することはできなかった。
牧師と言えども正しい教えから逸れて行くこともあり、我々は受け身ではなく常に主体性をもって自分の頭で考えることをしなければならない。

そこで災害について私が導かれたところの考えを述べたいと思う。ルカによる福音書13章1節〜5節には次のように記されている。
「ちょうどその時、ある人々がきて、ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、それを彼らの犠牲の血に混ぜたことを、イエスに知らせた。そこでイエスは答えて言われた、

『それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。

また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。

このところからもイエス・キリストの教えは明らかである。

災害を天罰とする偏狭な考え方は、人々からキリストを最も遠ざけてしまうであろう。
イエスは罪人である私達に神の裁きが下らないように、身代わりになって罰を受けて十字架上で死んで下さったのである。神は日本を愛して下さっている。

私たちは神のご計画やこの災害の意味も完全に理解することはできないからエポケー(判断停止)するのが肝要だ。それは神の領域のことだからだ。

そして、神を求める者には最悪なことがあろうとも必ず最後には神に感謝できるように導いて下さると確信しており、これが私の解釈であり信仰告白である。


ついでながら3月15日の「ヒゼキヤ、緊急の祈り」の記事の最後に書いた「これまでの罪を悔い改め、」について加筆すれば、私もまたいつこのような災害で突然に召されるかも知れないから、キリストに導かれてからの自らの罪をもう一度悔い改めたいと思ったのであり、この意味において日本もまた、まことの神を畏れず繁栄のみ追い求めてきたことを悔い改めねばならない。

先週の礼拝で、「イエスさまが亡くなられた方々の魂を抱きかかえて下さるように」と祈られた古森牧師の祈りに私は深い慰めを得た。

では、神さまの愛を受け取っている者として私は何ができるだろうか。
キリスト者の第一の使命は福音の証しであり、祈り続けることだ。そして、一人ひとりが神さまからのチャレンジを受け取らねばならない。私は改めて文書伝道の使命感を強くされている。

posted by 優子 at 21:24| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

明朝、宇野繁博さんのことがテレビで放送されます!

たった今届いた宇野繁博さんからのメールです。
大急ぎでご案内させて頂きます。

拝啓
 突然の御無礼をどうかお許しください。
 先週より私は東日本大震災の被災家族二組(計9人)と共に我が家で生活を始めました。
 本日NHKが我が家に取材に来られました。
 私も被災者の方に向けて応援メッセージをさせていただきました。
 明日、NHK総合テレビ午前7時45分から8時までの時間帯に約数分間、その内容が全国に放送されます。 
 もしお時間がございましたら御覧ください。
 突発的な大きな事故や事件がありましたら、放送は延期になるかカットされますことを御了承願います。
 あふれる祝福を祈りつつ 滋賀県彦根市 宇野繁博

3月24日09時43分追記:ここに詳しく報道されていました!http://mytown.asahi.com/areanews/shiga/OSK201103230155.html

posted by 優子 at 20:55| ご案内 | 更新情報をチェックする

2011年03月20日

聖書に聞く、この災害は天罰か?! 

18日の記事をアップした瞬間から訪問者数は一気に跳ね上がり、その日の訪問者数は896名でアクセス数は1470を記録した。

19日も同様で、今日は少し減ったもののそれでも現時点で450名余りの方が覗いて下さっており、今まで一日のカウント数が約250名からすれば驚くべき数値である。

紙業界に関わらずあらゆる分野で災害の影響を受け、今後はそれぞれが置かれた所で多くの努力が積み上げられていくのであろう。

今日は聖書やキリスト教に関する記事だが、聖書に親しみのない方々にも関心をもって読んで頂けると思う。

先日、石原都知事が天罰発言したことは報道でも大きく取り上げられたが、このような不条理な出来事を日本人はどのように受け止めているのであろうか。

また、日本人だけではなく世界の人々はどうであろう。そして、聖書はどのように語っているのだろうか。

苦難の問題は全ての人に関心のあるテーマであろうから、今日の記事も興味深く読んで頂けると思う。是非、最後までお読み下さることを願って今日の礼拝説教をお分かちしたいと思う。

教会暦では先週から受難節(レント)に入った。
古森牧師の毎週の礼拝説教は、日本キリスト教団の聖書日課の箇所からメッセージされており、今朝はヨハネ第一の手紙4章1節〜6節から「霊の見分け方」と題して神のみことばを取り次いで下さった。
愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。

あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。

子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。

彼らは世から出たものである。だから、彼らは世のことを語り、世も彼らの言うことを聞くのである。

しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。

以下は説教の要約である。

石原都知事はこの災害を天罰であると発言していたが、彼がただの作家や知識人だけならばいろんな考え方があると思えるが、知事という公的な立場にある人の発言としては不適切であると思った。

これまでの人々もまた自然災害を神の祟りと思ってきた。
例えば、水害は水の神様、つまり竜であり、竜神様の祟りだと思って娘を川に沈めて人身御供(ひとみごくう)にしていたのである。

豚まん(関東では肉まん)も人身御供に起源がある。
諸葛孔明があるところを通りかかった時に、洪水を川の神の怒りだと信じる民衆が人身御供として人間の生首を供えていたのを見た。

諸葛孔明はこの野蛮な行為をやめさせるために、小麦粉を練って皮にしたもので肉をつめてそれに変えさせた。これが肉饅頭の由来であり饅頭という字からもわかる。

このようなことは世界に見られることであり、誰かが神を怒らせたからこうなったんだと原因結果の考え方から出たものである。
これは石原氏の天罰発言と同じ考え方であり聖書の中にも見られる。


旧約時代も同じであったことは『ヨブ記』からもわかる。
(『ヨブ記』については、最近では過去ログ2月28日、3月1日で取り上げている。)

苦難のヨブを見舞った友人たちは、この苦難には原因があるはずだとしてヨブを責め、慰めるどころか苦悩を増し加えた。
その長い議論が記されているが、友人の言い分が正しいのか、ヨブの言い分が正しいのか。

最後に神の言われた言葉は、彼らの言い分の次元とは全く違っていた。我々には自然を知り尽くすことはできないと語っているように思う。

私達は自然法則と計測値を知ることはできるが、なぜなのかは知ることができない。それは神の領域だからだ。人の誕生も死も同じである。

この災害は悪魔の仕業でも神の天罰でもない!
私達はこのような大きな苦難の時にこそ真理を見極める目を持ちたいと思う。


生まれつき目の見えない人に対してイエスはどう言われたか。

「イエスが道を通っておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、『先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか』。

イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである』」。

      (ヨハネによる福音書9章1節〜3節)

弟子たちは目の見えない人と自分は違うという一線を引いているが、私ではなくその人が私の身代わりとして負って下さっているのであり、その考えからいくとあのような質問は出なかったであろう。

このたびの災害が近畿で起こったとすれば福井の原発になっていたのである。
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。」と言われたイエスさまの言葉から、この苦難に打ち勝つのは愛であるということではないだろうか。


イエスさまは私達を生かすために命をさしだして下さった方であり、私達の内には自分の命を他の人に与えるイエス・キリストがいて下さる。
私達はイエスさまの足跡に従うことを改めて決心したいと思う。


このような状況の中で美しい愛の物語もたくさん報道されている。また、海外からも日本から受けたこれまでの恩を返したいとのメッセージが届いている。

私達も具体的に何かできるようになるまで、今は他の人に与えられる愛を募金として表したい。
正しい情報を見極め、この教会として何ができるか考えてさせて頂きたいと思う。

「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。

愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである」。
  (ヨハネの第1の手紙 4章9節〜11節)

私たちの愛が試されているように思う。神さまのご期待にそえる者として頂きたい。

以上が説教の内容である。
ページを改めて説教をお聴きして感じたことを書きたいと思う。


posted by 優子 at 21:53| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2011年03月18日

紙業界の地震被災状況@ ―日本製紙と三菱製紙が大打撃―

東日本大震災から1週間経った。広範囲の壊滅的被害に加えて原発の脅威は今も増すばかりである。

昨夜夫から紙業界の被災状況を改めて聞いたところ、紙業界も大きな被害を受けていた。
東北には美濃紙業のような紙卸商が25社あったが4社とは連絡がとれないままだ。

製紙メーカーでは日本製紙と三菱製紙が大打撃を受けた。
特に三菱製紙は主力の八戸工場が壊滅的な状況である。マシンは大丈夫だが浸水したために停止中、操業再開は未定だ。

製品が入ってこないので代理店は出荷を止めた。
このことにより卸商も実績のある主力先にしか商品を出さないために、三菱の紙を主力で売っているところは困っている。

日本製紙では主力工場がある石巻、岩沼、勿来(なこそ)は操業停止。
北海道、岩国、八代にも工場があるが、東北の3工場は主に関東地区向けに製造しており、倉庫がある有明や浦安は液状化現象のために出荷止めとなっている。

これらの状況から紙不足になっている東京に関西から売っているという状態である。

北越製紙は地震が起こった11日早々にマシンを止めたとの連絡が入った。勝田工場の天井が落ちる被害を受けたが、それ以外は操業再開しているとのこと。

しかし、燃料不足や支援物資の輸送が優先されるために、王子製紙と北越製紙からも製品が滞っており入荷がいつになるか未定である。

毎週木・金・土曜日に多く出る新聞折り込みチラシも今週は打たないとのこと。関西でもチラシは減っているが、関東ではチラシ云々の日常ではなくなっている。

夫が23日に上京する予定だった全国日紙商役員会も中止になった。
今後は紙需要も減り紙業界はますます厳しくなるだろう。これが長引けば印刷業界の倒産も増え、卸商への連鎖倒産の危機も増す。

出荷停止による品薄状態は日を追うごとに厳しくなっていくだろうが、卸商としても今まで実績のあるところに安定供給を心がけるしかない。冷静に対応することだ。

私は夫から業界の状況を聞いて、今までの価格下落に終止符が打たれ適正価格になっていくのではないかと思ったが、こんな時も一部の会社が買い占めに走っている愚行も耳にした。

今は一人ひとりが自分の仕事への使命感に目覚める時ではないか!

私達が日々の仕事を誠実に果たすことは各自の生活のためだけではなく、人々のためにも役立っていることを再認識させられる日々にあって、買い占めとは何とも情けない。この未曾有の国難の時に!売る側の倫理観も問いたいものだ。

今こそ一人ひとりが姿勢を正して新しい一歩を踏み出したいものである。


日本経済は大打撃を受け、これから深刻な影響が出てくるだろう。今回も今までのように復興するのだろうか。最悪のシナリオに神の助けは届くのかと悲観的になってしまいそうだ。

同時代に生かされている私達は連帯感を強くして、互いに励まし合って奮闘せねばならない。
この最悪をいかに生かしていくかである。勿論、各自の生き方にだ!
ルターの言葉が何度も脳裡に鳴り響く日々でもある。

「たとえ明日世界が終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える。」 
Keep looking to Jesus!

「わたしは山にむかって目をあげる。
 わが助けは、どこから来るであろうか。
 わが助けは、天と地を造られた主から来る。」

                 (詩篇121篇1・2篇)
主を見上げて祈りつつ前に向かって進もう。


posted by 優子 at 09:27| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2011年03月17日

クリスチャン地震被災状況のサイトです!

日本キリスト教団(北海道北地区)公式サイト 
下記のサイトで日本基督教団の東北教区と奥羽教区の被災状況を見ることができます。
http://www.douhoku.org/

原子力発電所が極めて危険な状況になっています。
今朝は自衛隊の方々が原発3号機に上空から海水を投下し、午後には警視庁機動隊の方々が高圧放水車から直接放水するとのことです。

電力会社の方々初め、危険極まりないところで命をかけた仕事に従事して下さっている方々、どうかその方々の安全と無事が守られるようにただただ祈るのみです。
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DAIJOBU 作詞作曲 : 林 賛美

大丈夫だよ きっと 羽を広げて 
今空高く とんでゆけ

今までいた場所 それは神様が用意してくれていた
いろんな思いであなたにとって大切な宝物
たくさんの人が 愛と祈りをもって 育ててくれた
忘れないで 愛されてる ここまで来れたこと
だけでも 奇跡だよ 忘れないで
これからもずっと祝福された道しかないよ

これからいく道 何も見えなくて不安になるけど
どんな場所にいっても神様がいつもそばにいてくれる
恐れていると 何もできないから 心を強く
大丈夫 必ずできる 神様はあなたに
使命を与えている 大丈夫
それはきっと 多くの人を救うそのため

     
    (「クリスチャン地震被災状況」今日の書き込みより)

posted by 優子 at 11:54| ご案内 | 更新情報をチェックする

2011年03月15日

「ヒゼキヤ、緊急の祈り」 ―クリスチャンの地震被災情報―

クリスチャンの方々へ祈りの要請です。
日本クリスチャンペンクラブの友より、福島原発の危険区域で牧会されてきた保守バプテスト教会の佐藤彰牧師の文書を読ませて頂きました。
この文書は佐藤牧師より公開許可を頂いていますので、ここに掲載し祈りの要請をさせて頂きたくお願い申し上げます。

諸教会の皆様、先生方へ
主の御名を賛美します。
ご心配いただき、ありがとうございます。お祈り感謝します。

3月11日の震災の時、私は東京キリスト教大学の卒業式に出席のために千葉におりました。その後、道路状況やガソリンの給油が難しいことなどから、今、引き続き、千葉におり、被災した教会員と、佐藤将司副牧師と連絡を取り合い、安否を確認しているところです。
 
三重の被害に遭いました。地震で、ある教会員の家は半壊し、海沿いに住む教会員の家族たちといまだに連絡がとれません。JRの富岡駅は津波で流され、町は壊滅的状態です。

そして、ご存じのように、福島第一原子力発電所の事故が起こりました。強制的に全住民の避難が命じられ、教会員は着の身着のままバスに乗り、あちらこちらの小学校、中学校、体育館等々に分散して行きました。

なかなか連絡はとれないものの、必ずしも当初毛布が全員に行き渡らず、寒さの中で一睡もできずに過ごした人もいました。一日中水もパンも届かなかった避難所もあったようです。

心配なのは、肺炎のため入院していた末永兄弟は95歳にもかかわらず、病院から強制避難し、過ごしております。そのほか骨折中の方、透析の必要のある方、小さい子どもを抱えている方、障害のある子どもさんを連れている方など、心に浮かんできます。
 
その後、配給は朝昼晩おにぎり一個ずつ配られるようになったとの報告も受けています。ただ、疲労もたまり、病身の方とお年を召した方のことが心配です。ぜひ守られるように熱くお祈りください。
 
加えて、最もお願いしたいことは、放射線の漏れがこれ以上ないようにお祈りください。最悪を考えると、家や町に戻ることもできずに、もちろん教会も閉鎖となり、宣教の歴史も今回の震災までで終わりとなってしまいます。

再び町に人々が戻り、教会の門が開かれ、賛美と礼拝がささげられるように、どうかお祈りのご支援をお願いします。


本日3月13日の礼拝はもちろん、立ち入り禁止のゴーストタウンなので、予定されていた洗礼式も婚約式もすべてがなくなりました。果たして教会員の流浪の旅がいつまで続くのか、想像すると暗澹たる気持ちにもなりますが、大自然をおさめる全能の主が歴史の主として新たな宣教の1ページを導いてくださることを信じ、告白いたします。
 
森恵一先生が今朝、私からの電話を受けてお祈りの要請をしてくださいました。感謝します。避難所の中のとりあえず十数名が会津チャペルにお世話になり、そこに滞在させていただくこととなりました。感謝します。

そのほかの方は今のところ各避難所で辛抱することとなりそうです。何か支援できることがありますかと、多くのご連絡をいただき感謝します。会津チャペルで食べるものなど、少し差し入れがあるとありがたいと思います。

献金の申し出も感謝します。今、教会堂も閉鎖で、町に立ち入ることもできませんが、保守バプテストの住所録に載っている教会の口座を何かしたいと示されている方が用いてくださると感謝です。(郵便局からの振り込み先:郡山1−2199福島第一聖書バプテスト教会)

最後に実は先週の日曜日、まさかこのような事態となるとは思わず、「ヒゼキヤ、緊急の祈り」と題してメッセージをしました。

アッシリアに飲み込まれそうになる中、ヒゼキヤは荒布をまとい、祈り、預言者イザヤにも、国家存亡の危機に際し、緊急の祈りを要請しました。

すると、アッシリヤの王は自分の国に引き返し、ニネベの神殿で自分の息子の謀反に遭い、亡き者となり、気がつくと脅威が去っていたという不思議な歴史の顛末を目撃したことを確認し合いました。

そしてまさか、その週に私たちの群れが緊急の祈りを要請し、流浪の民のようにそれぞれの避難所にて日曜日の聖書の箇所をかみしめることになろうとは想像だにしませんでした。

繰り返しになりますが、どうか教会の活動がピリオドを打ち、宣教の働きがストップしてしまうことのないように、再びよみがえるように、放射能がとどめられるように、熱くお祈りを、緊急のお祈りを、祈りの結集をなにとぞよろしくお願いします。

2011年3月13日                   
               佐藤 彰

佐藤彰牧師は1957年生まれの方で、師の御著書・『「苦しみ」から生まれるもの』は1992年に購入して以来、手元近くに置いて何度も開く1冊である。

巨大な地震に打たれて壊滅した被災地や被災者の方々を目にして、過日読んだクシュナーの”When bad things happen to good people ”を読み直したいと思っている。

また、避難生活されている方々のはかりしれない苦痛を思う時、昨秋のチリ落盤事故で地下700メートルに閉じ込められた人々のことを思い出させた。

あの時、マリオ・セプルベダさんが「地下には神と悪魔がいた。私は神の手を握った」と語った言葉が忘れられない。彼は絶望への誘惑との闘いに、常に神に目を向け続けたのであった。

被災情報を見ていると私達まで無気力になり茫然自失になってしまいそうだが、最悪の事態に直面した時、私達は絶望するか神に祈るかである。

あのヒゼキヤもまた、時に不信仰になり、ためらいもし、恐れもした人物だった。
しかし、そのような者にも神は勝利を与えられたのである。私達も今こそ渾身の祈りを捧げよう。絶望しないで今こそ神に祈り続けよう。

ヒゼキヤの切なる祈りが神の摂理へと至らされたのか、あるいはまた祈りも神の摂理の中でのことなのか・・・、とにかく私達も苦境極まる今こそ摂理の参与に預かりたいものである。
共に神にのみ頼り、神のみまえに魂の底からの祈りを注ぎ出そう。
 

被災された方々が一刻も早く救い出されるように。
そして、生きる意欲を持ち続けることができるように祈り続けよう。

被災された方々、主にある全ての教会のために祈ります。
これまでの罪を悔い改め、日本国に主の憐れみを祈り続けます。

posted by 優子 at 07:22| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2011年03月14日

非常時こそ付和雷同せぬよう、チェーンメールに要注意!

このたびの巨大地震(東北地方太平洋沖地震)のマグニチュードは13日に9.0に修正された。

マグニチュードが0.2大きくなると地震のエネルギーは2倍にもなり、今回は阪神大震災の1000倍(180倍?)という驚くべきエネルギーだった!

今朝は地域の幼児教室に1時間あまり外出して帰宅すると、午前11時過ぎに福島第1原子力発電所3号機の原子炉建屋も爆発したと報じていた。
原子炉の中に入って勇敢に働いて下さっている方々のこと、そして、放射能漏れが心配でならない。

この最悪な状況にあってチェーンメールが回っている。
メールのことは昨日教会で初めて耳にした矢先のことだった。帰宅後、その前日に娘にも届いていたことに気づき、私は軽薄にも関西圏の知人友人に転送したのだった。

関西電力で働いている人からのお願いです。本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。
> 一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!
> このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!

幸いにして、これを送信したすぐ後に私のメールを受け取った友から、関西電力に問い合わせてわかったことだが、これはいたずらによるチェーンメールであると教えて頂き、直ぐに誤報であることを再送信したのだった。

確かに関西電力のサイトでは次のように広報されていた。

今回の震災復旧に際して、当社名でお客さまに節電に関するチェーンメールを送ることはございませんので、ご注意ください。

当社は11日夕方から、電力各社と協力しながら最大限可能な範囲で電気の融通を行っております。
  
[注]東日本と西日本では、電気の周波数が違います。
   従って、関西電力の電気を東日本に送るには、周波数を変換しないといけません。
   この周波数変換施設の容量には上限があります。

平素より皆さまには省エネ・節電にご協力を頂いておりますが、今のところ、お客さまに更なる特別な節電をお願いするような状況にはございません。

関電関係のチェーンメールでは節電について間違ったことを伝えておらず、その発端はイタズラではなかったのではと思わせるが、「コスモ石油関係者より」と名乗る悪質なチェーンメールも出回っているという。

こちらの内容は悪質で不安感をあおるが、コスモ石油もまた「そのような事実はない」とのこと。
ここにコスモ石油(株)広報室が発している情報を転載させて頂き、皆さんに周知して頂く助けとなればと思う。

千葉製油所関連のメールにご注意ください。
本日、「コスモ石油二次災害防止情報」と言うタイトルで不特定多数の方にメールが配信されております。
本文には「コスモ石油の爆発により有害物質が雲などに付着し、雨などといっしょに降る」と言う記載がありますが、このような事実はありません。
タンクに貯蔵されていたのは「LPガス」であり、燃焼により発生した大気が人体へ及ぼす影響は非常に少ないと考えております。
近隣住民の方々をはじめ、関係する皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけしております事を心よりお詫び申し上げます。
2011年3月12日
コスモ石油株式会社
コーポレートコミュニケーション部 広報室

総務省も注意を呼びかけている。
東北地方太平洋沖地震に関連して、チェーンメール、電子掲示板、ミニブログ等で誤った情報が流れています。報道や行政機関のウェブサイト等の信頼できる情報源で真偽を確かめ、これらのチェーンメール等に惑わされないようにしましょう。
 また、チェーンメールを転送することは、いたずらに不安感をあおることにつながります。
チェーンメールを受け取った時は、すみやかに削除して転送を止めて下さい。

私達はこのような時こそ信頼できる情報源で真偽を確かめて付和雷同しないようにしなければならない。

昨日の転送メールをお送りした方々から頂いたお返事には、既にどなたもが節電に心がけておられるとのこと。国難の時、他者を思いやる心の波長は皆同じだった。

関東大震災の時、チェコの作家・チャペックが地球の裏側の災害を次のように書いているという。

「日本で地面が震えたその瞬間、私たちの地球にひびが入ったのです。
もし全人類を一つに合わせた心の波長、連帯の波長が地殻の並に反応しないならそれは恐ろしいことです」。
     
               (3月12日付け毎日新聞『余録』より)

壊滅した被災地、今や万を超える死者が予想され、生き残った人々もまた悲しみに絶叫し、また茫然自失の状態にあり、その上に原発という最悪なシナリオを知りながら、被災者や全ての人心を弄(もてあそ)ぶとは恐ろしいことだ。

「いたずらによるとされるチェーンメールは残念なことでしたが、初期のうちにデマに気をつけなさいという警告をいただけたという意味では、益とされることだったと思います」。
友の言葉に感謝!

posted by 優子 at 20:02| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2011年03月11日

マグニチュード8.8、過去最大規模の巨大地震と土肥隆一衆院議員の大激震

3月に入ってからずっと真冬の寒さに震えているが、ようやく13日は春のポカポカ陽気になるとのことで楽しみにしていたところ、東北地方に大地震が起きた。

孫を寝させて国会中継を見ていた時だった。地震の緊急警報が鳴り、その後すぐ午後2時46分頃、三陸沖を震源とする大きな地震が起こったと報じた。

マグニチュードは何度も修正され最新の情報では8.8。これは500年から1000年に一度というぐらいの国内最大規模の地震だった。

各地に大津波が押し寄せ、10メートルもの津波に自然の巨大な力に恐れおののいた。このあとも第2派、3派の津波が来るというから要注意だ。

会社から帰ってきた娘は開口一番、
「大丈夫やった?!東大阪でも何分間もの長い時間横揺れして怖かった。電話したけれど出なかったから2階にいるんやろうと思っていたけれど」と、私たちのことを心配してくれていた。

私は全く揺れを感じなかったがとんでもないことが起こっていた。時間の経過と共に被害報告が拡大していくので阪神大震災を想起させる。

以下は昨日書いていた「日韓キリスト教議員連盟」の日本側代表として参加した土肥隆一衆院議員が、キリスト教精神を理由に竹島の領有権放棄宣言に署名したことだ。
これもまた私には激震で見逃せないことなので時制を訂正して記録しておきたい。

土肥氏は産経新聞の取材で、「個人的には、竹島は日本の領土とは一概にはいえないのではと思っている」と話しており、別のインタビューでは、「内容については十分議論する暇がなくて。軽率だったと思いますよ。(竹島は)そりゃあもう、日本の領土ですよ」と答え、この相反するコメントに驚きだけではなく憤りを感じた。

昨夕の記者会見ではこんな釈明をしている。
「牧師として、同時に衆院議員であることは間違いないが、あまり国家を背負っての交流という意識はなかった」と!

日韓のキリスト教議員連盟でのことではあっても、政府の見解と全く反する宣言に、「内容については十分議論する暇がなく」署名したとは!
こういうのも普遍的な人間の弱さなのだろうか・・・・

しかしながら、彼の言う「キリスト教精神」で領有権を放棄するとはどのような意味なのだろう。

一切を神に委ねる時も、あくまで自分の信じる主体的論理や主張を相手に合わせて歪めたり迎合してのことではない!
土肥氏の考えと私の理解しているところのものとは大きく違っている。


これは自分自身への批判と戒めもこめて言うのであるが、「日本キリスト教」と言おうか「日本的キリスト教」と言おうか、これは日本のクリスチャンの問題であり未熟さだと思う。

北方領土と違って竹島についてはいろんな考え方があると思うが、私が懸念するのはキリスト教議員連盟云々のことゆえに、日本におけるキリスト教理解を後退させるのではないか。イエス・キリストを遠ざけるのではないかと直感的に思ったのだった。


クリスチャンの方々は祈っておられることだろう。私もまた、土肥氏の失敗をも神さまが最善へと導いて下さるように祈っている。

地震の被害は刻々と悲惨な状況を報じ、各国から支援の声がかかっている。


posted by 優子 at 19:43| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2011年03月08日

マチ・フーそろってIMFに就職決まる!

真智子が神戸大学を卒業して早8年が過ぎた。
卒業と同時に2003年4月から東大大学院に籍を移し、同じ研究室に東大から上がってきた太志君と出会った。

修士を修得したあと博士課程在籍中に、共にミネソタ大学大学院への道が開かれて急きょ結婚式を挙げることになった。26歳の誕生日を迎えた4日後、2006年6月10日のことである。

それからまた5年間の努力を積み上げて、まもなく夫婦共に博士号が授与されることになり、昨年末から全力投球していた就職活動にも終止符が打たれ新しい人生の節目を迎えた。

IMF(アイエムエフ・International Monetary Fund、国際通貨基金)への道が開かれたのである。 


IMFは通貨と為替相場の安定化を目的とした国際連合の専門機関で、本部はアメリカ合衆国のワシントンD.C.にある。

特に今年は、Economist Programでの採用は例年より少ない20名と狭き門だったが、幸運にも努力が報われて夫婦そろっての採用となった。経済系職員は基本的に博士号取得者だと聞いてびっくりした。

というわけで、今年9月からはミネソタをあとにしてワシントン,D.C.での生活になる。

大学卒業後8年間という長い修業時代を終えた真智子、私の胸に熱いものが込み上げてくる。
よく頑張ったね、真智!
そして、太志君!

真智子が大学を卒業して東京へ行ったあと、私は寂しくて寂しくて何度も泣いた。
同じ日本なのに、それはそれは寂しかった。


あの頃、千里さんが知子に下さったCD「Face to face(天のベール)」を何度も聞いていたので、そのケースには「真智子の巣立ち 2003.3.30 東京へ」と記した。

いつ聞いても一瞬にしてその頃のことが鮮明によみがえる。空気の冷たさも千駄木の家や町並みも何もかもが懐かしい思い出になっている。

結婚してアメリカへ発った2006年8月6日の記事もこの曲を聞きながら書いた。
 2006年8月6日 
「真智子、伴侶と共に日本を飛び立つ!」

「小学校の頃には宿題さえも忘れて飛び回っていた私だが、中学生の頃から学校で新しいこと学ぶこと、一生懸命になって考えることが面白くなった。

大学で経済学を学ぶことを決めたのは、日本史から人間の群像が見えた時であった。高校生だった私は、時代を遡っても共通する人間の姿や経済に強い興味を抱いたのである。

そして、本校の経済学部に入学し、経済学に没頭する日々を送り今に至るのである。

この卒業論文の作成中、私は大学卒業後も経済学を続けることを決心した。研究職についての厳しい就職状況を覚悟した上での果敢なる挑戦である。

動植物を見つけては夢中になり、遊びを考えては友達と駆け回っていた頃と同様の好奇心が、『童心』が騒いだためである」。


2人を見送ったあと、これが私の耳に真智子の声で聞こえていた。
そして、結婚式に寄せて贈ってくださった神戸大学の指導教官のメッセージを思い出していた。

「彼女は神戸大学経済学部で学業が一番の六甲台賞と、論文が一番の最優秀論文賞の両者を獲得した、神戸大学経済学部ではダントツの学生でした。

これは前人未踏の業績で、今年も含め彼女だけが得た、神戸大学では燦然と輝く業績です。しかも、2番に大きな差を持ったずば抜けて1番の学業成績を修めました。

彼女は経済学部のみならず、理学部にも数学の勉強に通っており、授業後も熱心に教師に質問に行き、彼女の努力家たるや並はずれており超優秀な学生でした」。


東京大学大学院においても自分を磨ききった真智子。
一つだけ「良」があったと思うが、見事なほど全てに「優」を並べていた。
そして今日、新しい挑戦をするために次の夢に向かって飛び立った。こんどは生涯を共にする伴侶と共に!

いよいよ出国ゲートの前に来た。
これより先は一緒に入って行けない。
真智子を抱きしめた私は涙がボロボロ流れた。
真智子は涙をこらえていた。
もし私の家族に囲まれていたら、あんなに簡単に涙は止まらなかっただろうと思う。

今度再会する時には、離れていた間の経験を語り合おうね!
真智子、太志君。
いってらっしゃ〜〜〜〜〜い!!


「お父さん、お母さん、26年間、本当に有難うございました。今日からは太志さんと二人で信頼しあい、協力しあって、明るくあたたかい家庭を築いていこうと思います。

8月からはミネソタ大学に移り、新しい生活を始めますが、2人で支え合いながら一生懸命頑張ります。

アメリカは遠く離れてしまうようで寂しいけれど、お互い、寂しさを吹き飛ばすぐらい充実した日々を報告するつもりです。                  
                      真智子」

あれからいろんな困難なことがあった。
どうしようもない壁が立ちはだかって苦悩した年月があった。
しかし主は全てを乗り越えさせて下さった。
ハレルヤ!

私はPh.D(博士号)授与式に行きたいと全く突然の衝動に駆られた。
この際、飛行機が怖いなんて言っていられない。このチャンスに行かなかったら一生外国へは行けないだろう。娘が5年間もアメリカにいるのに、一度も訪ねたことがなかったのだから!

夫にも一緒にと声をかけると、説得するどころか夫も行く気満々で即決!(笑)

フーに大至急飛行機のチケットを取ってもらった。
関空からミネソタへの直行便はなく、かと言って英語がわからない我々に途中で乗り継ぎは困る。
東京まで行くのはしんどいけれど、日本語が通じるところで頑張っておこうと成田から乗ることにした。幸いにして空路羽田までのチケットがとれた。

今年は私達の結婚35年目の節目でもあり、忘れられない思い出になるだろう。
ミネソタで3泊してから、ハネムーンで行った西海岸へ次女夫婦と共にサンフランシスコで2泊することになった。楽しい旅になるだろう。揺れるハート

たった2日間だが、結婚して初めて会社を休んでの記念すべき旅行だ。どうか神さまが実現させて下さるように!

今も思い出のCDの一曲だけを繰り返し聞きながら書いている。

「小さな翼で羽ばたいてみたよ。
高く深く心は空を巡る。・・・
湧き上がってくる歌が聞こえる。
愛と力はどこからくるのかと」

神を讃える歌にいつも気持ちを引き上げられて祈り続けてきた8年。その途上で太志君にも信仰を与えられ互いに祈り合って歩んできた年月である。

数え切れない溢れる恵みを感謝しながら振り返る。

2011年3月、真智子が私達のもとから巣立って8回目の春が巡ってくる。


posted by 優子 at 08:16| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年03月07日

宇野さん 3キロ全盲男子の部で第2位!

昨日の第28回視覚障害者京都マラソン大会の3キロ全盲男子の部で、宇野繁博さんが第2位でゴールされた!伴走して下さった方は洛南高校陸上部のK君だ。

私はあまりに感動して次女に宇野さんの写真を転送したら、
「宇野さんすごいね!輝いているね。
どんな試練があろうとも、イエス様と一緒に歩んでいけば喜びある人生に変えてくださるね。」
との返信で感動が倍になった。

絶望の人生から神と出会って生きる意味と目的を与えられた宇野繁博さん。
宇野さんはひたすら主イエスを見上げ、神は宇野さんに助け人を送りながら神の大いなる働き人として用いておられる。

今日の午後は彦根市立中央中学校に招かれて、1年生の約180名の方々を前に「いつも喜んで」と題して約1時間のメッセージと約15分のサックス演奏を行われるそうだ。
今日も神のお守りの中で尊いお働きをなさることだろう。

posted by 優子 at 12:33| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年03月04日

「感謝の領収書」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより 19― 

「感謝の領収書」 (関根 弘興牧師)
 
心から尊敬している一人の婦人牧師が昨年天に召されました。ちようど、わたしの母親ほどの年齢の方で、何かにつけ相談にのっていただいた先生でした。

先生は、昔、肺結核を病み、肺の機能が健康な人の半分くらいしかありませんでした。しばらく前から、酸素を携帯しながら、牧師の慟きをされていました。

ある時、先生がこう言われました。
「関根さん、私は酸素吸入しないと息苦しくなって、いつも酸素をこうして携帯しているんですよ。一月の酸素代がいくらになるかわからないでしよう。ばかにならないほどかかるのよ。

みんなは、空気を自由に吸って、ただだと思っているかもしれないけれど、金額に直したら大変よ。毎月、神様が請求書送ってきたらそれこそ大変よね。

小さな当たり前と思えることの中にどれほど神様に感謝してもしきれないことが、たくさんあることを案外みんな知らないのよね」。
 
どうも、私たちは、神様に、「これしてください」「あれしてください」と、まるで請求書ぱかりを出していて、神様に対して、心から「ありがとうございます」という感謝の領収書を出していないようですね。

聖書はこう記しています。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」。(テサロ二ケ人の手紙第一 15章16〜18節)
 
すべてのことについて感謝しなさい、とわざわざ記されているということは、私たちの周りには、感謝すべきことがあふれている、ということだと思いませんか。

私たちは「当たり前」という思いがいつも強くて、感謝することを見失っているようですね。
あなたを愛し、あなたの最善を尊いてくださる神様へまず感謝をささげ、あなたの口に感謝を満たしていきませんか。感謝することを探すことも楽しいものですよ。

長原さんよりメジロ.jpg感謝することや小さな喜びという宝探しの人生は素晴らしいに違いない。


posted by 優子 at 21:18| 引用文 | 更新情報をチェックする

2011年03月03日

予想外の読後感、『なぜ私だけ苦しむのか』読書メモ

H.S.クシュナーの『なぜ私だけが苦しむのか ―現代のヨブ記』(岩波現代文庫・257ページ)は、1981年にアメリカで出版されてのち3年間で約16万冊も売れたそうだ。
この本から生きる勇気を得た人は数え切れないほどおられたであろう。

内容は原題(”When bad things happen to good people ”)にふさわしいものであり、訳者・斎藤武氏の邦題から想像し期待した私には物足りなさを感じた。

意外なことに感想の要点は本書の主題ではなく、同じ旧約聖書を読むクシュナーの神理解に集中してしまった。印象的なことを思い出すまま書いてみたい。

言うまでもなく、ユダヤ教徒はイエス・キリストを待ち望んでいたメシア(救い主)とは信じていない。
この際立った一点が全てを物語るのであるが、しかしそれにしても、ユダヤ教の神も全知全能で全てを創造され支配しておられるという点は同じであると思っていたが、それも違っていたのだ。

クシュナーの考えはユダヤ教の異端ではないかと思うところも何箇所もあり、「クシュナーの信仰観」と題して一つの論文を書きたくなるほど予想外の読後感だった。

クシュナーもホロコーストが神の意志だったとは思わないと言いつつも、神に対する怒りが感じられた。

例えば同じユダヤ人でもヴィクトール・フランクルの本を読んでいて、今回感じたような違和感を感じることは全くない。
クシュナーはこんなことを言っている。

「死後の世界で、地上で受けた苦しみの埋め合わせを得るという考え方によって、人は信仰を失うことなく、この世の不公平を耐えることができます。

しかし、こうした考えは同時に、不公平に心を悩までもせず、正当な怒りを抱きもせず、不公平に対応すべく神から与えられた知性を用いようともしない態度の言い訳にもなりかねません。」


「埋め合わせ」というのは私の意とするところとやや意味が違うが、私が10年余りの年月を経て『ヨブ記』から受け取ったメッセージは、「あなたは十分に力がある。さあ、立ち上がりなさい」というものであった。

「なぜ善良に生きる人にこのような苦難が?!」という問いかけに対しても、死後に明らかにして下さると死後の生命と共に信じられるようになったのである。
これは苦悩の果てに辿り着いた境地であり、決して神の栄光を守るためではない。  

正直なところ今も私は、世界で起こっている悲惨な出来事も全て神が許されて起こっているということについては信じ難く苦しむ時がある。
クシュナーはこんなことも言っている。

「神が苦悩するとはいったいどういうことなのか、私にはわかりません。私は、神が私のような一個の体をもつ存在であり、実際に目から涙を流し、神経があって痛みを感じるとは信じていません」。

「私は神を信じています。しかし、今の私は、神学生だったころや子供だったころと同じことを信じているわけではありません。私は神の限界を認識しています」。


そこで、「なぜ苦しまなければならないのか」ではなく、神の慰めと助けを求めながらも、後半は「この苦しみにどのようにして対処したらよいのだろうか」という原題にふさわしい内容になっていくのだが、私には都合の良いように神を使っているようにも感じた。

稚拙でまとまりのない感想は書き出したら切りがないので読書メモ程度に留めておきたい。

訳者・斎藤武氏は、米国で神学を学びミネソタ大学附属病院で学生の指導にあたっておられた。この本の翻訳原稿に協力されたのが妻の若林一美氏だ。

次女夫婦が籍を置いているミネソタ大学は「死学(死生学)」(thanatology)発祥の地であり、若林氏もまたミネソタ大学の「死の教育と研究センター」の研究員をされていたことがある。

母の死後買い求めた『死別の悲しみを超えて』は若林氏の著書で、この本は悲嘆のプロセスを順調に進めていくことができた1冊である。

posted by 優子 at 22:50| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2011年03月02日

心の友、宇野繁博さんのお証し

「ユダヤ教は日本と同じく因果応報を唱えてきた。その考えにイエス・キリストは異を唱えられたのである!」と、2月28日の記事を書いていた時、私はイエス・キリストのことばと共に全盲の宇野繁博さんのお証しを思い出していた。

イエスが道を通っておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。

イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」。
 
                 
           (ヨハネによる福音書 9章1節〜3節)

ここに『恵みの雨』2010年1・2月号の「証しのページ」に掲載された宇野さんのお証しから、1月号の分を転載ご紹介させて頂きたい。

私の絶望を希望へと変えたもの
                  
☆絶望のふち☆ 

意識のなくなった母を診察した主治医は、母の死を静かに伝えました。1996年10月、母は天に召されました。多くの死に接してきましたが、母の死は私にとって最も悲しい別れでした。母は命をかけて私を愛し、守ってくれたからです。
 
私は今から20年前、25歳の時に厚生労働省認定の難病である網膜色素変性症により、視覚障害の身となりました。

当時小学校の教員をしていた私は、大好きな仕事を失いました。無邪気な子どもたちともう一緒に勉強することができないと思うと、胸が張り裂けそうでした。

また、互いに理解し励まし合い、結婚の約束をしていた女性からも婚約破棄を告げられました。毎晩、布団に入ると涙が滝のように流れました。自殺する勇気はありませんでしたが、ナメクジが塩をかけられて消えてしまうように、自分に塩をかけて消えてしまいたいと思いました。
 
そんな私の姿を見て、母も共に涙を流してくれました。共に涙を流してくれる人がいることは、私にとって大きな慰めでした。
ある時、母が次のように言いました。
「繁博。おまえがもし、目が見えないためにどうしても生きていけないと思うなら、かあちゃんと一緒に死のうね」。
 
このことばを聞いた時、体が震えました。
母は私の気持ちをよく理解していてくれました。いや、私以上に母の方がつらかったかもしれません。
ローマ人への手紙12章15節に「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」(口語訳)というみことばがありますが、まさに泣く者と共に泣いてくれた母でした。
 
仕事ができなくなって後、私は鍼灸マッサージの資格を取得するために大阪府立盲学校理療科(鍼灸マッサージ師養成課程)に入学し、その後、東京で盲学校の教員免許を取得し、30歳で、現在勤務している滋賀県立盲学校に就職することができました。そして33歳で結婚し、その翌年長女が与えられました。

☆イエス様のもとへ☆

しかし、長女が生まれてから夫婦関係が急速に悪くなり、解決を求めて彦根市内のある教会を訪ねました。その教会の牧師先生は、聖書の言う「罪」について次のように説明してくれました。

「宇野さん。罪とは、自分を中心に生きることを意味しています。夫婦関係で悩んでいる宇野さんは、自分を中心に物事を考えていますね。それが罪なのです。それが夫婦関係を悪化させているのです。殺人や銀行強盗も罪ですが、それらも自己中心に生きる結果の表れなのです。

今日から、自分を中心として生きるのではなく、イエス・キリストを心の中心に迎えて人生を歩み始めませんか。豊かな人生が宇野さんに約束されていますよ」。
 
私はこのことばを聞き、イエス様を直ちに受け入れることができました。すぐに洗礼を受けたかったのですが、夫婦そろって洗礼を受けたいという思いが強く、イエス様を信じてから6年間、妻が救われますようにと毎日毎日祈りました。

しかし、妻は信仰に対してとても強い抵抗を示しました。信じるだけですべての罪が赦され、救われるなんて、そんな都合のよい話があるはずがないと……。
 
結局、私だけが2005年12月に洗礼を受けました。
その時与えられたみことばは、「罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい」(使徒2章38節)でした。

残念ながら妻との関係は回復せず、妻は私から離れていきました。妻の拒絶など、私の願い通りにならないこともありましたが、私の人生をしっかりと握って導いていてくださる神様と共に、今も希望を持って歩んでいます。

☆希望を与えるみことば☆ 

受洗後、間もなく、全盲で盲学校の教員をしているクリスチャンの先輩と話していた時のことです。先輩はこう言ってくれました。

「ヨハネの福音書9章にはこのようなことが書いてあるんですよ。生まれつきの盲人を見て、弟子たちが『どうしてこの人は生まれつき目が見えないのか。本人が罪を犯したからか、それとも、両親が罪を犯したからか』と尋ねると、イエス様はこう答えられたんです。

『この人が罪を犯したからでもなく、両親のせいでもありません。神のわざがこの人に現れるためです』。
宇野君のこれからの人生にも神様のみわざが現されるからね。希望をもってイエス様を信じて、楽しみにしているといいよ」。
 
今まで長い間疑問に思ってきたなぞが解け、私の心の中に光り輝く希望が飛び込んできました。
母の生存中にこのみことばを伝え、次のように話してあげることができたなら、母をどんなに励まし慰めることができたでしょうか。

「かあちゃん。僕の目が見えなくなったのは、僕が悪いわけでもなく、かあちゃんが悪いわけでもないんだよ。僕の視覚障害を通して、僕の人生にも、かあちゃんの人生にも神様のすばらしいみわざがあらわされるためなんだよ」。


息子にしてあげられることは1円でも多くのお金を残すことだけだと考え、無理をして朝早くから夜遅くまで働いて病気になり、55歳の若さで逝去した母のことを思うと、断腸の思いでした。
 
私は自分自身の経験を基に、人生の嵐に遭遇して悩み苦しんでいる人々に聖書のみことばを伝えていきたいと思いました。あれほどの絶望の中にいた私に、みことばが希望を与えてくれたからです。

現在、滋賀県立盲学校の教職に就いておられる宇野さんは、年間に10回以上も講演会に招かれておられる。関西だけではなく、東京や埼玉県蕨市の高校にまで出向かれている。

このほかアルトサックスを演奏されたり、3月6日(日)には第28回視覚障害者京都マラソン大会の3キロコースにエントリーされている。

まさに神のみわざが宇野さんの上に現れ、私は神の御臨在を間近で見せて頂いている。
ハレルヤ!栄光主にあれ!

孫に宇野さんのことをお話して以来、孫は毎食前に祈っている。
「今日も目の見えない人や歩けない人をお守りください」と。
これからも神の溢れる祝福の中で大いなるお働きをなさいますようにと祈り続けよう。


posted by 優子 at 21:40| 引用文 | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

”When bad things happen to good people ”

『ヨブ記』に関するものは、2008年3月4日・5日、そして、4月19日に「『ヨブ記』を開く」と題するシリーズで3回まで重ねている。

2009年5月19日・20日の記事では、我が家で開いていた家庭集会・「オリーブの会」(2009年5月から中断)で取り上げているので興味深く再読した。

このほか2007年11月5日の「トゥルニエを読む」では苦難の問題について次のように書いた。
聖書にある『ヨブ記』や『詩篇』、『エレミヤ記』の詩人たちの苦悶が、私の人生においてもあった。

まさに太陽が中天にかかろうとしていた頃から47〜48歳の頃まで、神と出会ってまもなく始まった約12年間は、すさまじい嵐が吹きすさぶ神への激しい反抗の時代だった。

「この時代は熟考の時代であり、しばしば激しい反抗の時代でもあります。
神は往々にして自分の敵に勝ちを得させ、自分の最も忠実なしもべに試練をこうむらせます。悪しき者が成功するという事態は一体なぜ起こるのだろう?
こういう不正に対して我々はどう考えるべきなのか?」


そして、エレミヤが行き着いた結論は、  

             (略)

そして、父が亡くなった2000年8月には私の中で奇跡が成就されていた。即ち、人間的価値観における敗北や不成功を受け容れることができたという奇跡であり、ようやく神の霊的な眼が開かれ始めたということであろう。

「苦しみは誰から?」をテーマに2009年5月20日「オリーブの会」の記事では、その前書きで次のようなことを書いた。

「ヨブ記」の主題は人類に共通している「苦難」の問題だ。人生には人間の側で、その原因がどうしても分からない苦難がある。
昨日の記事にあるように、ヨブは富裕な家長であり篤い信仰をもって生きる善良な人だった。そのヨブが一日にして全ての財産と子供たちを失い、その上に自らも悪性腫瘍に苦しまねばならなかったのは何故か?!

善良な者が苦しみ、悪人が栄えるのは、時代や国を越えて世の常のようにも見える。これをいかに理解すればいいのか。まことに深遠で壮大な問いである。

私の半生においてもヨブ記が最大の関心事であり、30歳代半ば過ぎてより10年以上に及ぶ神との問答、対決があった。

私もまたヨブのように決定的な答えを頂くことはできなかったが、信仰が練られて明確なる神への信頼と、詩篇131篇1・2節のみことばを賜った。自分のものになったのである。 

     「及びもつかない大きなことや、奇(くす)しいことに、
      私は深入りしません。
      まことに私は、
      自分のたましいを和らげ、静めました。」


畢竟、私もまた神の領域である深遠なことにも関係したいという人間の思いあがり、全てを理解できると思っている人間の心理、傲慢さを自覚したというものだった。
言葉を代えれば、自分が無知であることも知らなかったという感動の気づきであった。

ヨブもまた苦難の原因は最後まで分からなかったが、しかし、神と密接に出会うことにより、理由は分からないままに苦難の問題は解決したのであった。

これらの過去ログを読んでもっと具体的に書きたいと思わされた。

今日、クシュナーの本が届いたので僅かながらも早速読み始めている。
原題は ”When bad things happen to good people ”
(善良な人に悪いことが起こるとき)であって”Why”(なぜ?)ではない。

私は「なぜ善良な人にも苦難が起こるのか」、いや、「善良に生きている人ほど過酷な苦難があるのはなぜか」との絶叫だったゆえに、この原題からは強いインパクトを感じなかったが、

「アーロン(プロゲリアで夭折したクシュナーの子ども)が生き、そして死につつある時、私たちの助けとなった本や人は、そう多くはありませんでした。・・・・私の読んだ本は、神の栄光を守ろうとすることに重きを置き、理論的な証明でもって・・・」

と語るクシュナーに、彼を貫く自己欺瞞の無さを感じ非常にひきつけられている。

私は神が共に苦しんで下さっているということがなかなかわからなかったし、神の長い沈黙に耐えられず神を罵ったこともあった。
しかし、神はこんな私をも決してそのままにはされなかった。


そして、古森牧師が言われたように、「新たに生きる力と勇気が必ず神さまが与えられる!必ずそのようにして下さる」と信じられるまでにして下さったのである。

壮大で深遠な問題を扱っている『ヨブ記』の解釈は多くの余地を残すだろうし、それゆえに、それぞれに賜った人生と共にそれぞれの『ヨブ記』を深めていきたいものである。

内村鑑三は、「最良の聖書の注解書は、苦難である。人生苦である。人生で苦しまずに、聖書はわからない」と述べている。

凄まじい苦難を通らされたクシュナーの『ヨブ記』は姿勢を正して読もう。読み終えたら読後感を是非お話したいと思う。


posted by 優子 at 23:42| 神(聖書) | 更新情報をチェックする