2011年05月30日

原発問題を考える

先週の聖日礼拝の午後に開催された「脱原発」の公開講座のDVDを友からお借りしたが、どういうわけか見ることができない。しかし、その資料には驚くべき現実が書かれていた。

「現在放出放射能量は、チェルノブイリ原発事故の10分の1と言われているが、それは広島原爆の60発分の量。

原子炉の冷却システムは回復できず、未だに一歩間違えばもっともっと深刻な災害に陥る恐れがある。

炉心が吹っ飛ぶ蒸気爆発が起これば首都圏壊滅もあり、『福島第一原発重大事故はチェルノブイリ事故のような放射能災害には至らない』と断言できる者は、現時点では誰一人としていない」。


「もんじゅ」を含めて14基が林立する原発銀座若狭。
関西でも「6.11 脱原発 世界同日アクション」として、「原発はいらん!関西行動 第2弾」が予定されているのでご案内したい。

6月11日(土) 雨天決行 
2:00〜2:30 中之島剣先公園(中之島公園東エリア)にて集会
3:00〜4:30 御堂筋デモ(淀屋橋→本町→心斎橋→難波:体力に応じて途中離脱OK!)

「若狭ネット」http://www4.ocn.ne.jp/~wakasant/

昨夜の日野原さんが話された中で興味深かったことは「国民の幸福度」だ。経済的に貧しいブータンが1位で、日本よりも貧しい国が多数上位にランクキングされているという。

ちなみに、2位はデンマーク、3位はオーストリアと続き、アメリカは23位で日本は90位だ。

脱原発を考える時、効率や経済力にのみ重きを置くのではなく、人間らしく生きるとはどういうことかを中核にすえて考えることだ。

要はそのことに気がつくかどうかであり、あらゆる分野においてそれぞれの概念規定を問い直すことから始めなければならない。


posted by 優子 at 11:58| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

今朝は夫に導かれて教会へ!

この時期に台風2号というのは時期はずれであるが、大雨警報が出ていたので今朝は教会へ行くのを躊躇していた。

私はいつしかくつろいだ雰囲気の中で大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』を開き、印象に残っている箇所を夫と長女を相手に朗読していた。

というのは、今夏、次女夫婦も一緒に家族で広島へ行く計画を立てているからだ。原爆資料館は幼児に恐怖を与えないかと心配だが、その箇所に目を向けさせないように娘と交代して・・・と思っているがどうだろう。
ユキには新幹線にも乗せてやれるので、交代で子守りしながらでも是非現地に立って考えてみたい。

さて、『ヒロシマ・ノート』の一部朗読を終えたのは9時45分頃だった。
すると夫が「教会へ行こう!」と言うではないか。私は瞬間的に悔い改め、大急ぎでお化粧して雨にも負けず出かけた。思いもしない夫の導きだった。幸いなことに行きも帰りも霧雨だった。

今日のメッセージで私の中で強化された真髄は、悟りや心の目が開かれるのは神さまの働きであるということ。

私達は神さまと出会って信じるのであるが、信じる者となれるのは神さまの働きである。神さまとの出会いを与えて下さって救いを得させて下さったのは神さまなのだ。


私達は信仰をどのように受け取り、どのように神さまの恵みを受け取っているだろうかとの問いかけに、先週から精神がたるんでいる私は姿勢を正した。

神さまから頂いた恵み、感謝の心、正義のために働く勇気、人々を助ける愛に生き、周囲の人々に神の恵みを伝えていくことができるように真剣に求めたい。

今週の週報には大阪教区にある教会の牧師就任式が記されていて、その中にクリスチャン・ペンクラブの集会で行った大阪城北教会と昨年召された鳩飼さんの淀川教会があった。

夕食後、淀川教会のHPを開いた。久々に集合写真の鳩飼さんを見て悲しみに包まれてしまった。(http://yukochappy.seesaa.net/archives/20101118-1.html)鳩飼きい子(本名:きよ子)さんは作家活動されていたので検索するとすぐに出てくる。

大江健三郎については何度も勉強会を重ねた。
文学や信仰について、島尾敏雄についてもよく語り合った。
先日も梅田に出た時、おしゃべりしながら一緒に歩いたことが懐かしくてならなかった。このたびの大震災や原発事故について何度も鳩飼さんと会話している。

夜10時を過ぎているのにお風呂にも入らないで何をするでもなくパソコンを開いていたら、2階から夫が降りてきて「テレビで日野原さんが出てるで」と教えてくれ、それを機にパソコンを閉じることができた。

2階へ上がってテレビを見ていたら夫はすぐに眠ってしまった。日野原重明さんの話を聴き終わってお風呂に入ったのは11時前だった。

特に新しい話を聞いたわけではなく著書からよく知っていることばかりだったが、後ろ向きになっていた目を前方に向けられた。

過去の恵みに目を奪われがちになる私は、神さまは過ぎた日々にも増して恵みを注いで下さることを忘れないでいたい。
そして、今年100歳になられる日野原さんの生き方からパウロの言葉が我が胸に響いた。


「兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。
すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」。
            
            (ピリピ人への手紙 3章13・14節)

台風は温帯低気圧に変わったが強風が吹いている。

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年05月27日

未来の世代への責任

今週に入ってから雨や曇天の連日で肌寒く、夜も夏布団では寒い。そんな昨日、気象庁は近畿以西の梅雨入りを宣言した。

近畿は平年より12日、昨年より18日も早く、これは私が生まれた1951年の統計開始以降、63年の5月6日に次ぐ記録だそうだ。

ということは、私が小学校6年生の年は立夏を迎えた頃に梅雨入りだったのか・・・と目を細め、一瞬遠い日々にタイムスリップした。

東日本大震災から2ヶ月半が過ぎた。
あらゆる努力が積み重ねられているが復旧への道のりはまだまだ遠い。

大打撃を受けた紙業界、関西でも4月末頃から紙不足で大変なことになるだろうと予想していたが、経済活動が停止してしまったように売上げが極度に落ち込み、紙不足で困る状況にさえなっていない。

報告されている東日本の関連倒産(連鎖倒産も含む)だけでも1000社近くあり、近年悩みの種になっている統廃合も加速されるようで私達の現実も厳しい。

テレビでは毎日のように畜産や水産業を初めあらゆる分野での無情な被災状況が映し出され、その現実に対して果敢に挑む人々の姿から人生について考え叱咤激励される。

1人の人の努力は家族やその周囲の人々だけのためではなく、多くの人々のためであることが目で見るようにわかる。
1人ひとりの勇気と努力は明日の日本のためになり、しかも世界につながっている。

私達が人生を渡っていくためには何と多くの人々から恩恵を受けていることか、今ほど実感できた時はなかったと思う。


昨日はフランスのドービルで37回目のG8サミットが始まり、福島原発の事故を受けて原発の安全性が議論された。

あくまで原発を推進するアメリカやフランスに対して、ドイツに続いてスイス政府も「脱原発」に向けて大きくかじを切った。

管首相は自然エネルギーの拡大を表明しつつも、原発の安全性の確保を強調した。
国際関係も大事だろうが全てに先立って、今こそ日本でしか語ることのできない時代精神ともなるべき理念をアピールすべきではなかったのか!

世界で唯一の被爆国日本が、この狭い国土に世界第3位になるほどの原子力発電所を作り続け、よりによって深刻な原発事故を起こしたのである。日本は何という特異な国だろうか!

このことにより世界の目が「フクシマ」に向き原発問題を考える機会になったのはよかったが、世界の歴史的転換点になるかどうかは未定だ。

神は私達に原子力発電を考え出すほどの高い知能を備えて下さったが、もともと地球上には存在しない「セシウム134」や「セシウム137」を作り出して脅威にさらされているのである。

このたびの大惨事により、私達が生きていく上で必要なものは全て神より与えられていることも再認識させられた。

今後はそれらに目を向けることが文明の最終段階であり、進むべき方向だ。
それはあらゆる領域の学問においても共通するものであり、最先端の研究課題として集約されていくものであると確信している。


人間らしく生きるとはどういうことかを哲学しつつ、自然界や人間の本質に目を向けて人間の叡智を結集させていく。これが唯一残された道であり私達の前に開かれた道だ。

そのことがとりもなおさず、自然の恩恵を受けながら自然を正しく管理することにもなる。


日本はこれからどこへ行こうとしているのだろうか。

とにかく今、未来の明暗を分ける分岐点に立っていることだけは間違いなく、未来の世代への責任が求められている。未来は世界中の大人たちに託されているのであり、特に日本は使命を果たすべく神よりチャレンジを受けている。

日本はフランスやアメリカの顔色を見るのではなく、優先順位を見極めて言いにくいことを言う勇気をもたねばならない。過去の経験から確固たるメッセージを発しなくてはならない。

私も同時代を生きる人間として、その志と情熱を自らも発信したい。

"We have not inherited the earth from our fathers, we are borrowing it from our children."

「私達は地球を私達の祖先から受け継いだのではなく、私達の子供達から借りているのである」。
                   
(アメリカン・インディアンの言葉より)salvia2.gif


posted by 優子 at 15:57| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2011年05月23日

神の選びと導きは実を結ばせんがため!

先週半ばに昨日の礼拝も休まねばならぬことがわかり、午後にもたれた原発問題の公開講座にも出席できなかったのは残念だった。

その前日21日の教会規則改訂委員会に出席したものの、その後血圧の関係で体調が悪く、昨日は孫の世話以外は家事もしないでゴルフ疲れの夫と共に夕方まで寝ていた。

そして、知子は「関西キリスト教音楽講習会」で出会った方が牧されているK先生の教会へ出かけた。もう一人の友は奏楽者として遠路名古屋から始発に乗って今週来週と2週続きで来られるという。

昨朝のお説教でK牧師が開かれた聖書箇所は、ヨハネによる福音書15章12節〜17節:
わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。

わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた

それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。

何という恩寵の先行的選びであろうか! 神の待ち伏せの恩寵である。
今までの人生を振り返った時、確かに神さまはあらゆる所で先に待ち構えて下さっていたことがわかるから、きっと生涯の終わりまで最善にして下さるに違いない。

昨夜帰宅した知子から喜びが溢れていた。
神さまにインスパイアされた知子を通して、私もまた神さまの御臨在とK牧師が語られたメッセージをかみしめたのである。

自分が望んで神に繋がろうとする人に神は手を差し伸べられる。
「つながれば」が条件として繰り返されているが、「つながっていても実を結ばない枝」もまた剪定されるのである。

私達が正しくつながっているならば、祈る内容もまちがわず見当はずれな祈り(望み方)は決してしない。

初めから友のために命を捨てようと思って生きている人は少ない。しかし、日々イエスさまに繋がっていれば、いざという時に「結果的に」できるであろう。

イエスさまは常に真理を発信しておられるのであるが、それを受け取る側であるこちらの心の状態が整っていなければキャッチすることができない。

イエスさまはあらゆる方向から、違う内容の試練を通してなど何度もアプローチして下さるが、それでも生涯キャッチできずに終わってしまう人も実際いるわけです

「生涯キャッチできずに終わってしまう人も実際いるわけです」。
そうなのだと改めて厳粛な気持ちにさせられた。
単に繋がっていればいいものではなく、「つながっていても実を結ばない枝」もあり、神は自分から神に繋がろうとする人に手を差し伸べられるのだ。

15章1節から11節、イエスさまはこのように仰っている。
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。

わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。

あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい

もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。

わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである

確かに、「わたしにつながっている枝で実を結ばないものは・・・」とあり、再発見させられたような気持ちでみことばを読んだ。不可解だった人生の疑問の一つを納得させられた思いだ。

心身を病む弱い人々のために労しておられる牧師、それゆえに神さまはY姉のような愛の実践者を遣わされたのだろう。
そして今、神さまが知子や私にも語って下さっているのだと思う。

「あなたのこれまでの苦しみも、また後にはきっと喜びに変えられるでしょう。そう信じて祈っています。」と言って下さったK牧師。
知子は話の最後に次のように語った。

「自分の愚かさを心から悔い、根本から軌道修正しなおした去年からの歩みを再確認した。
両親はじめ、どんなに多くの方に祈られて今の自分とゆきひさが生かされているのかも改めて身にしみた。
今度こそ、このまままっすぐ、正しく主につながっていこうと改めて思った一日だった。」


感謝!!!
教会を休んだ私は知子から恵みをシェアーしてもらって新しい週を始めた。
K牧師、そして、Y姉の上に神さまの豊かな祝福がありますように、いつも覚えてお祈りします。

附記:
K牧師の教会に日本クリスチャン・ペンクラブの会員が居られたことも驚きだった!
満江巖牧師(理事長)時代からの古い方で、私の拙文が初めて掲載された1988年当初から書いておられたので記憶していたお名前だ。
そして、先月の例会で千里ニュータウン教会で初めてお目もじした方だった。


posted by 優子 at 12:03| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2011年05月19日

公開講座・「フクシマ」事故の本当の話、脱原発へ! 

私が籍を置いている馬見労祷教会では毎月一回、高見敏雄牧師を導き手として自主学習グループ「憲法を学ぶ会」が開かれています。

今月は若狭連帯行動ネットワーク・日高原発に反対する大阪の会代表の久保良夫氏をお招きして公開講座が開催されます。

日時: 5月22日(日)13時30分〜15時

場所: 日本キリスト教団 馬見労祷教会

   奈良県北葛城郡広陵町平尾546−3 
   Tel:0745−55−7573

入場無料!

元教師で、30年前から反原発運動一筋の久保氏が、「フクシマ」事故の本当の話、そして、原発に頼らない社会に向けて語られるお話に耳を傾けたいと思います。

是非、あなたもお出かけ下さい。



posted by 優子 at 21:11| ご案内 | 更新情報をチェックする

2011年05月18日

「今日は楽しかった」 ―移動動物園をエンジョイ!―

今朝は当市から委託された自宅近くの私立保育園で、地域子育て支援拠点事業の一環として移動動物園が開催された。

昨年は雨天で、一昨年は新型インフルエンザで中止になったため、ユキは今年初めてで最後の参加である。来年の今頃は幼稚園に通っているであろうから。

今日は見事な五月晴れ、ユキは風邪が治って5日ぶりの外出である。手をつないで歩くユキは嬉々としていた。るんるん

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かわいいね。ユキはヒヨコとウサギが好きだったね。

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どんな感じ? フワフワでしょ。いのちはあたたかいでしょ。
ヒヨコを見た瞬間、私の胸がキュンと痛んだ。

小学生の時、学校の前で売っていたヒヨコを買ってきた。
母に返してくるように言われたが飼い始め、その早々に兄か私か誰だったか忘れてしまったが、ヒヨコを落として歩けなくなってしまった。大きくなっていく動けないヒヨコを最後まで世話してくれた祖父。
かわいそうなヒヨコ。ずっと寝たきりのままだった。
もう50年も前のことだ・・・
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お馬さんもかわいいね。にんじんが大好きだったね。

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「滋賀県守山 ほりい動物園」のおじさんも優しかったね。
ありがとうございました。

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この鳥もニンジンが好きだったね。

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「おじちゃん、うさぎの中に入ってもいいですか?」
ってユキがおじさんに聞いたら、
「いいよ。入って抱いてやって!」って言って下さったね。
ユキはちっとも恥ずかしがらずに自分で言えたよね。
すごいよ、ユキ!enjoy!

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右手には園で頂いた氷菓子を持っているのよね。

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メロンパンナちゃんと一緒でちょっと恥ずかしがっているユキ。

「アンパンマン」のテレビを一度も見たことはないけれど、ユキはメロンパンナちゃんが好きなのよね。バイキンマンはいなかったけれど、おばあちゃんがバイキンマンだったりして(笑)。

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機関士は園長先生、ついにこの汽車にも乗ったよね!
帰りに好きな色の風船を頂いた時、「ピンクでいいの?」って
先生が仰った。
だって、ユキの一番好きな色はピンクだもんね。

保育園の門を出る時、ユキはしみじみと言った。
「楽しかった」
「楽しかったね」
「うん、今日は楽しかった」

私は54枚も写真を撮っていた。

今も時々、「いぬ(犬)」と言えなくて「いにゅ」というユキ。
ユキ自身が小動物のように可愛いのに、「どうぶちゅ(動物)がいっぱいいてね!」と目をキラキラさせて必死で話すユキが可愛くてたまらない。

先週末はこんなことを言った。
私が、「こんなに甘いかりんとうを食べていたら、また蟻がくるね」と言うと、ユキは人差し指を口に当てて、「シッ!大きな声で言うとアリさんに聞こえるよ」と小さな小さな声で言った。

ユキは何て素敵な世界に生きているんだろう!
ユキと過ごす私もまた感動の日々である。


「イェッしゃま、今日はヒヨコを抱けたことを感謝します。うさぎやお馬もさわれたことを感謝します。楽しかったです。
おばあちゃんの心を見ました。イェッしゃまのお名前によってお祈りします。アーメン。」

今日のお昼の食前の祈りである。

「おばあちゃんの心を見た」と言われてドキッとして意味を聞いてみたら、昨朝、知子の苦痛を祈っていた私の祈りを聞いて、「おばあちゃんがママのことで苦しんでいるから、おばあちゃんのことをお守りくださいって言うたの」と答えた。

大きな驚きと感動だった。

昨日の朝のことを唐突に祈るユキの想いや「おばあちゃんの心を見た」という表現に唸った。

これから成長と共に失っていく純粋さ・・・
でも感動する心だけは失わないように育ててやりたい。

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只今、3歳10ヶ月。
大きくなったね、ユキ。

ママがユキをどんなに愛しているか!
おじいちゃんもユキをどんなに愛しているか!
時々おじいちゃんは
ユキのお菓子を食べるけれどゆるしてあげてね。

ユキの幼い日々の思い出が幸せで満たされますように。
そして、ユキが自由に自己表現できる人間に育ちますように。
ユキとの生活を神さまに感謝します。


posted by 優子 at 20:33| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2011年05月17日

旅行を機に夫の人生にも新しい季節の兆しを見る

知子は信仰心が萎えるほど相変わらず体調が悪く、私も負荷が加わって気持ちのしんどい日々を過ごしている。
孫は先週末に寝冷えして以来不調で今週の礼拝は欠席。これを幸いに疲れが見える夫にも休養してもらい、奏楽のご奉仕に当たっていた知子は一人で出席した。

今週の週報の「消息蘭」には、「藤本優子さん、良輔さんは次女ご夫妻の卒業式に出席するためにアメリカに行っておられましたが無事帰国されました。」と記載して下さっていて、祈られていたことを改めて感謝した。

誰もみな地味な日常があり、地味な努力の積み重ねがあり、それゆえに時を得て旅に出るのはリフレッシュされていい。今まで旅行に魅力を感じなかったがとても意義深いことだと思う。

人はいつか病んでこの世を去って行く。
与えられる試練も時もそれぞれに違い、私の母はこの頃から難病の苦悩が始まり、進行性難病と10年間闘病して生涯を閉じた。私も母と同じなら動けるのはあと2〜3年か・・・と、人知れず思うこともある。

私達も互いに明日のことはわからない身であるから、順境の時は感謝して幸いな時をもっともっと味わって過ごすことだ。イエスは禁欲的になれとは仰ってはいないのだから。

いつもいつも楽しみばかりでは楽しくもないが、私達のように残りの人生が見えてくると、ことのほか時間が尊くなってくる。

旅日記に書き切れなかったが、夫は帰りの飛行機の中でスカイマイル入会申込書に記入していた。これから海外旅行に行く気なのだ。きっとワシントンにも行く気なのだ。
私は笑うのを堪えて黙って見ていた。神さまがそんな日を備えて下さっていればいいな。


これまでに何度か夫に言ったことがあった。
「社長だから休めないと言うなら私達はいつ旅行に行けるの?仕事に一生かけていたら人生は終わってしまう」と。

あまりに老いてしまっては旅行には行けないし、体力がいることも今回でよくわかった。

経営者であるから定年もなく仕事があるのはありがたいことだが、今の時代はストレスフルでしかなく、いつまでも第一線で働くのは人生の段階に合った生き方ができないのでよくないと思う。

幸い夫自身も考えているようだ。
業界での重職からも少しずつ離れるべく、6年間会長を務めている会の会長辞任を今年初めに申し出た。

今夜は日紙商の集まりで日づけが変わる頃の帰宅になるだろう。
娘に自動車に乗って帰ってほしいというので、私は東大阪の友に形ばかりのお土産を長女に託け届けてもらった。

お互いに会う時間は全くなくなってしまったが、私は友の存在を思うだけで何とも言えない喜びと力が湧いてくる。

ユキは昨日もまだ調子が悪く、楽しみにしていた月一回の幼児教室(鯉のぼり作り)を休んだが、明日の移動動物園には行けそうだ。すぐ近くの保育園に小動物がやってくるので餌になる野菜を持って出かけることになっている。
キャベツや人参を用意して、ひょっとしたらユキ以上に楽しみにしているのは私かも知れない。

そして、雑感の記の最後に書いておきたいことがある。

このたびの旅行中に夫の仕事観や人生観に変化の兆しを感じた。夫にとってもこれまでの経験をインテグレイトしていくきっかけとなる貴重な旅だったように思う。新しい季節の始まりである。 

人生には必ず問題が起こる。
しかし、その時神に背を向けて祝福を逃してしまわないように。問題が起こったら神に助けを求め、神を信じて通り抜けていこう。
「信仰者が体験する苦難はすべて、後の喜びのために神が計画されたものだ」から。

これは我が半生を振り返っての確信だ。
神に委ねるまでには血の出るような苦しみや葛藤があるが、人生を分かち合い、共に慰め励まし合える家族や友がいる。これからも主イエス・キリストだけを頼みとして前進していきたいと思う。最後の日まで。


posted by 優子 at 22:43| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

ユキの一日保育園体験、ママ感激!

私達が無事にアメリカの地を踏めたことも最終電車で帰って来られたことも、旅行会社以上の世話をやってくれた知子のおかげだ。

伊丹や成田空港へのリムジンバスの時刻表から切符の買い方まで、困った時の英文をまとめておいてくれたり、それはそれは至れり尽くせりの案内書だった。
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それなのに、私は飛行機に乗ってからも英文に目を通すこともなく(帰るまで見なかったなんて)申しわけない。遊び心で学習して現地で会話を楽しもうという気持ちの余裕はなかった。

正直のところ、私はミネソタで3泊することさえ出発の数日前まで理解していなかった。3月11日の出来事以来、真智子に申し訳ないと思うほど気持ちを切り替えられなくて何も目に入らなかったのだ。

咄嗟のひとことが出なくて「すんません」と言ってしまったこともあったしふらふら、一度は英語では無理だと思って日本語で話したこともあった。わーい(嬉しい顔)

何の準備もしない私達に「よくそんなままで行くわ!」と長女に呆れられた似た者夫婦。その珍道中が大成功に終わったのはアメリカ側と日本側の娘たちや娘婿のおかげであり、知子の優しさも身にしみている。
ありがとう、知ちゃん!

ところで、私達が出発した4月28日、知子はユキを市立保育園に預けて出社した。
ユキが泣くとは思わなかったが、その日の保育園の様子を速報してくれていたメールをミネソタの家で興味深く読んだ。抜粋してここに残しておきたい。

とにかく信じられないほど素晴らしい園児だったそうで、「こんな子みたことない」と言われました。
そして、やはり「優しい子」と言われました。
(というのは、公園で遊ぶお友達のお母さん方が口を揃えて「ユキちゃんは優しい」と言って下さるからだ。)

本人に聞いたところ、先生が昼寝の布団をかたづけているのが重たいみたいだから手伝ったというのです!
人のお片づけを手伝ったりタオルもたたもうとしたとか。家でだけおかたづけができないらしい。(>_<)

トイレも自分でOK、給食は一人で全部食べ、しかも昼寝もしたんだって!!
そして一人でちゃんと起きて、外での遊びも楽しそうにしていたらしい!

信じられない!
何もかもが満点すぎて気持ちわるいぐらいですが、自我を殺してではないことだけは確かです。

先生からの情報だけでなく、本人にどんな1日だったかの質問に対しても答えてくれるのでびっくり!

給食ではお箸を使い、スモックが嫌だと自分で言って、しかも「何もこぼさずに食べたよ」だって!

そして一番かわいかったのは、どうやって起きたのか聞いてみたら「おばあちゃん!!」っていつもみたいに呼んで、先生に「おばあちゃんはいないよ」と言われて保育園であると認識したと言います!!

私の靴も出してくれるし、ユキはとっても優しい。
お手々つなぎながらの掃除も大変やけど(これは知子にだけ)、可愛いユキがここまで成長したのかと思うと嬉しくて。

あれだけ苦しんできた乳幼児期前半だったから個性が出てきたこと、思考する内容が一人前にあることを改めて知り、去年の9月から8ヶ月間でここまで知らぬまに成長したんだなと少し複雑な気持ちです。

私にとっても生涯で一番思い出になる連休にしたいです。

しかし、その夜半2時頃に熱があるのを発見、翌日は39.5度まで上がったそうだ。

30日に行く予定だった枚方パークの「はなかっぱ」と、日曜日の教会帰りのマクドを楽しみにしてカレンダーを作っていたユキも残念がっています。

(お医者さんは何と82人待ち!!私が予約した直後8人の予約も入りました!!午後2時ごろにみてもらえたらいいところでしょうか。でも診察していただけそうで安心しました。)

熱は保育園との因果関係はなく、環境の変化か何か、昔風でいえば知恵熱(?)かなということです。ずっとおんぶしてほしいぐらいしんどがってたのに、「ママが疲れるから降りる」と言う優しいユキ。

枚方パークは行けなかったけれど、ユキのお弁当箱に予定していたお弁当を作って家で食べたよ。

真智、太志君、卒業式、おめでとう!
また帰国後連絡楽しみにしてるよ。

最後に大笑いのエピソードを1つ!

28日夜のこと、台所の流しの下の開きの中から、ユキが「食べた」と言っていた最後のイースターエッグとカゴを発見!!!
どうしてここに置いたのかを聞いて爆笑。
「だって、おじいちゃんが食べてしまうと思ったから」だって!!!!!
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わが子の作文にも「パパが私のお菓子を取って食べます」と書かれていたけれど、孫にまで同じことをしているグランパ。

ユキはイースターエッグを隠したまま5日間も忘れていたので食べられなくなってしまったけれど、これこそ本当のイースターのお遊びだったね。(※ 英語圏やドイツには卵をイースター・バニーというウサギが隠すという伝承があり、復活祭の朝に子供たちは隠された卵を探す)

病気になってかわいそうだったけれど、知子とユキも二人だけ(と一匹)でしか味わえない良い時を過ごし、家族みんなが祝福された連休だった。感謝。

         2011年春のユキ(4月26日撮影)

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「ユキちゃんも大きな鯉のぼりがほしいな」だって・・・


posted by 優子 at 23:43| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2011年05月11日

ミネソタへの旅 最終回 ―娘夫婦から贈られた言葉の花束―

サンフランシスコ2日目の夜、真智子と太志君からカードをもらったことが今回の旅の最大のハプニングだった。
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真智、そして、太志君へ:
私は今、トニー・ベネットの歌(http://www.youtube.com/watch?v=Kee9xdQbQ4s&NR=1)を聞きながらこれを書いています。胸を熱くし涙ぐみながら人生で最高の時を刻んでいます。

ママとパパへ

今回は2人揃ってミネソタまで来てくれて有難う!
それになれないくま&真智のおもてなしを喜んでくれて有難う!本当に嬉しかったし、本当に楽しかった。

今まで真智を愛して、ずっと支えてくれたママとパパに感謝の気持ちで一杯です。
約10年前に経済学に目を輝かせていた真智は、今も希望に目を輝かせています。有難う。

パパとママの新婚旅行から35年。
2人と一緒にサンフランシスコを歩くなんて夢みたい。35年前の2人の姿に想いを馳せています。そして、2人の姿が愛しい。イエス様がずっと2人を導いて、2人は今日まで来たんだな、と思います。
(何度読んでもここで涙があふれてしまいます)
結婚35周年、本当におめでとう!!!
                    真智子

真智とハネムーンの地を踏む.jpg

ケーブルカーから.jpg

良輔お義父さん、優子お義母さん

ご結婚35周年、おめでとうございます!!
こうしてミネソタ、サンフランシスコとめぐり、僕らの卒業と併せて、とても楽しくお祝いできたこと、本当に嬉しかったです!来てくださって、本当に有難うございました。

卒業までの5年間、お二人の優しさと愛に、本当に支えられました。僕を家族として受け入れてくださり、理解して励ましてくださったこと、心から感謝しています。

今回の旅行で、少しでも僕の感謝の気持ちをお伝えできていたら嬉しいです。くま喫茶は奈良にも出張しますので、ぜひ呼んでください。(^^)

これからもたくさん楽しい時間をご一緒いたいです。
お2人の35周年に、主の恵みが多くありますように!!
                    太志

このカードはミネソタを発つ前夜に書いてくれたそうだ。

真智 ありがとう。
太志君 ありがとう。

忙しい日々なのに、なんと多くの時間を割いて考えてくれていたことでしょう。心のこもった計画を立ててくれたこと、最高のおもてなしを受けたことを忘れません。本当にありがとう。

これを書いていると、あの6日間が永遠に色あせない思い出に結晶していくようです。


朝食では香り高いコーヒーにマフィンや幾種類ものフルーツが盛られたお皿、「くま喫茶」はとってもおいしかったよ!

dinner.jpg

しかし、ミネソタでゴボウのキンピラや手作りの揚げ出し豆腐をご馳走になるとは思わなかった。
一生懸命ささがきごぼうを作ってくれているクマの姿を想像して微笑ましく思いました。本当においしかった。ありがとう!

手作りの揚げ出し豆腐にチンゲンサイの入ったあんかけ、手に入る食材で真智のお料理のセンスと味は最高だったよ。

料理好きな真智が楽しさを伝えながらクマも料理ができるようになるって素敵ね。きっと子育ても子供の能力をうまく引き出して伸ばしていくことでしょう。

ママは若い頃、実家へ帰ると全く動かなくて全て母にやってもらっていたけれど、このたびはコップひとつ洗わなくてごめんね。

居心地がよくて、マチとフー(くま)の見事に息の合った空間の中で、すっかりくつろいでいました。ミネソタの家は本当に温かい愛の巣だった!

これからファイナルディフェンスとワシントンでの家探し、それらを終えて6月半ばに帰国予定とのこと、ハードな予定が詰まっているけれど帰国を楽しみにしています。

今まで神さまから賜った導きと恵みを感謝し、いよいよ真智子と太志君が神さまに豊かに用いられますように祈っています。

「真智たちも結婚35周年にはもう一度サンフランシスコの地を訪れるといいね。その頃には私達はとっくに地上の生涯を終えているけれど、この日のことを思い出してね。」
と、陽射しいっぱいのタイムズスクェアで言った時、真智の目にも涙が光ったね。

遠く離れていても真智はいつもママの中にいる。
ありがとう、真智ちゃん!
真智、いい人生を生きるのよ。これからもイエスさまと一緒にね!

始発駅で.jpg

お祈りして下さっていた方々に心から感謝しつつ・・・
(「ミネソタへの旅」 完)

                      
posted by 優子 at 11:39| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月10日

ミネソタへの旅 E ―次女夫婦と思い出の地を再び―

昨日は関西で真夏日になった所もあり、当地でも29.7度になった。帰国後の2日間、電気毛布を入れて寝ていた(>_<)が、いよいよ暑くなって昨日は毛布をめくって綿シーツと夏の掛け布団に交換した。

5月1日(日)のミネソタは小雪が舞う寒さで最高気温は6度だったのに、明日(10日)は29度になっているからミネソタの激変ぶりにはびっくりする。

さて、ミネソタへの旅の後半は4人一緒に2泊3日のサンフランシスコの旅に出た。
娘夫婦は私達にミネソタの乗り物を全て乗せてあげたいからと、5月1日の朝は路面電車(light rail)に乗って町を外周して空港へ向かった。

駅に着いた時、新聞販売機からビンラディンの顔と見出しが目に飛び込んできた。

ビンラディン死す.jpg

「アメリカがビンラディンを殺した」
「オバマが殺せと命令した」

オバマ大統領はクリスチャンではなかったのか?!
一国の頭ともなれば個人的な信仰信条とは一致しないのか?!
衝撃的なニュースに震撼し、キング牧師だったらこのようなことをしただろうかといろんな思いが去来した。

ミネソタやサンフランシスコでは何事もなかったように静かだったが、その夜のニュースでビンラディンの殺害を喜ぶ米国民の姿を見て、私は得体の知れない恐れを感じた。
テロがテロを生む。
私の中で重く深い沈黙が落ち、夫や娘達も話題にすることはなかった。

空港での身体チェックで靴を脱いで歩いて行かねばならないことは聞いていたが、男性はベルトも外さねばならなかった。

そして、サンフランシスコから日本へ向かう時には両手を上に高くあげて立ち、その瞬間にカプセルのドアが締められてのX線照射によるチェックがあった。まるでピストルを突きつけられている時の格好なので怖かった。とても怖くて緊張した。

空港で知り合ったインド人女性は「ビンラディンの影響でしょ」と笑っていたが、私の緊張は相当なもので通り抜けた時にはストレスで疲れてしまった。


では再び思い出のスナップを心に焼きつけながら娘夫婦との日々を刻んでおきたい。

これは路面電車に乗り込むところ。
路面電車に乗ってMSP空港へ.jpg

米国では乗り物が右側通行であるからバスや自動車は左側から来るのに、私はいつまでも慣れなくて最後まで右側を見て乗り物を待っていた。ふらふら
ミネソタドーム.jpg

ミネソタ・ツインズの本拠地、ミネソタドーム

MSP空港.jpg

↑電車のあと"metro transit"(?)だったかに乗り継いでミネアポリス空港に着いたところ。

そして、ミネソタからサンフランシスコまで飛行機で4時間。
サンフランシスコではハネムーンで泊まったヒルトンホテル隣りのハイアットに泊まった。チェックインを済ませて早速サンフランシスコ湾のクルーズに出かけた。

サンフランシスコ湾クルーズ.jpg

サンフランシスコも肌寒かったけれど陽射しの強かったこと。
まさに" golden sun "だった!


サンフランシスコ湾シークルーズ.jpg

後ろに見えるのは翌日に見学したアルカトラズ島。
あのアルフォンス・カポネが収容されていた刑務所だ。

「ピア39(pier:埠頭) 」では5月から10月まで
アシカ(Sea lions)が何百頭もいるそうだ。

アザラシとアシカ.jpg

フィッシャーマンズワーフA.jpg

楽しみにしていた「ファーマーズ・マーケット」は木曜日が定休日だと聞いていたので残念だったが、この店はハネムーンの時の光景を思い起こさせた。あの時、目の前で絞ってくれたオレンジジュースの味は今も忘れられない。

さんふらんしすこ.jpg

サンフランシスコB.jpg

サンフランシスコ再び.jpg

今から35年前のハネムーンでは最初から最後まで手もつながなかった。
良輔は私があんなにアメリカに憧れていると知っているにもかかわらず、飛行機の窓からついにアメリカ西海岸が見えてきたのに窓際に席を変わってくれなかったのだ。

変わって欲しいと言えば変わってくれたに違いないが、言わないとわからないという鈍感さが嫌だった。夢見る夢子だった私は、あまりのムードの無さに気持ちを切り替えられなかった。私もまた何という幼稚さ!

次の写真は思い出のユニオンスクエア。
あの時、私達は夕食に組まれていたレストランの1つ、「パムパムイースト」へ行こうとしていた。

感慨深いユニオンスクエアで.jpg 

「店はそっちと違うで」said Ryosuke.
「私はこちらから行きたくて歩いています」と答えたものの、方向音痴の私は全くわからなかったので彼が先になるように歩くスピードを落とした。この人は外国でも方向だけはわかるんやなと思った。
「良輔さん、あの時のこと覚えてる?」

そのユニオンスクエアに次女がいる。真智子の伴侶と共に。

ユニオンスクエア.jpg

ユニオンスクエア.jpg

ふふふ・・・.jpg

サンフランシスコでのディナー.jpg

1泊目の夕食はフィッシャーマンズワーフのカニ料理で有名な店(名前忘れてしまった)をリザーブしてくれていた。

フイッシャーマンズワーフ名物のカニ!.jpg

2泊目の朝食はユニオンスクエア近くにある有名な"Sears fine Food"(http://www.searsfinefood.com/)でパンケーキを味わい、昼食は再びフィッシャーマンズワーフに戻ってこの店先で名物料理を味わった。

その夜は" 5th floor ?なんとか"のレストランを予約してくれていた。
外国なのにまるで地元大阪の店を検索して来たみたいで、世界がこんなに綿密にネットで結ばれていることに仰天した。

そこは写真を撮るのを遠慮してしまうような雰囲気のレストランで、お料理もサービスも最高だった!

いつでもどこでもマイペースの夫は、「アメリカは日本と違って、お皿にパンが無くなると何も言わんでもすぐに持ってきてくれるからええな」と、4回お代わりしたと満足そうに笑っていた。食べ過ぎ!

私達はご馳走と歓談で時間を忘れ、店を出たのは10時になっていた。

マチ・クマは時間をかけた心尽くしの準備ともてなしだけではなく、就職祝いをしてやりたい立場の私達にサンフランシスコの旅をプレゼントさせてほしいと、費用をどうしても払わせてくれないようだ。

そして、この夜ディナー席に着いた時、2人から私達にカードが手渡された。
読みながら胸が熱くなって声がつまった。その言葉を次に刻んで「ミネソタへの旅」を閉じたい。


なお、「お気に入りリンク」にある「真智子のギャラリー」http://picasaweb.google.com/fkomachi に、このたびの写真集も記録公開されている。

                         (つづく)

posted by 優子 at 16:04| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月09日

ミネソタへの旅 D ―娘と娘夫婦の日々の中に―

(ミネソタ時間)4月29日金曜日の晴天と打って変わって翌日は雨だった。真智子たちが予定してくれていたアメリカのスーパーマーケット見学は小降りになった昼下がりから出かけた。

ここは昨年帰国した時にグーグルアースで見せてもらっていた所で、真智子たちの足跡を訪ねたくて見学を希望した。

買い出し先のスーパー.jpg

5年間通ったスーパーマーケット「レインボウ」。このスーパーで揃わない米やゴボウ、味噌などの日本食材はアジアン・スーパーで買うそうだ。

アメリカ産は何でもデカイ!.jpg

ご馳走になったイチゴもすごく大きかったけれど、ナスやキュウリもこんなに大きい。
「ポパイ」に出てくる缶詰のほうれん草ではないが、アメリカと言えば何でも缶詰かと思っていたら、新鮮な野菜も豊富で青ネギまで常備されていた!

rainbow2.jpg

ハムの塊もこんなに大きい。

日本ではこの10分の一くらいの大きさで売られているのに、牛乳も1ガロン(3.78リットル)入りだし、アメリカは何でもデカイ!
人もデカ〜〜〜イ!
アメリカで私はスリムだと言われたのだから!

アメリカのお菓子は甘すぎるからと、真智子が日本からクッキーを持って行く気持ちもわかる。
前日のセレモニー会場に大きなクッキーとレモネードが用意されていたが、そのクッキーの甘かったこと!

女性も男性もみんなよく食べていた。
それを平気で2枚続けて食べる日本人(夫)にもびっくりしたが、「これでは(アメリカ人は)肥えるわ!」の言葉連発のアメリカ旅行だった。

foodshelf.jpg

これは「フードシェルフ」と呼ばれるもので、500円くらいの食料が入っている袋を買って出口に設けられているこの箱に入れて寄付するのだそうだ。

私達が店を出た夕方には大きな箱が一杯になっていた。日本では見ない日常的な寄附行為に感じること大なり。

また、イースター・グッズが半額から75%オフで売られていたのも外国ならではのものだ。卵やうさぎのおもちゃ、卵で作ったリースなど格安だったから買おうかどうしようか悩んだが、迷いに迷って結局買わなかった。せめて写真だけでも撮ってくればよかった

レインボウ前の表示.jpg


スーパー前のバス停.jpg

スーパー近くのバス停。
バスに乗るのは5分ほどだが、自家用車も運転免許も持っていない2人はバスに乗っての買出しだった。

大学時代も学業に燃えていた真智子は、駿台予備校で教えていたアルバイトも1年間で断ったほどで、運転免許取得に割ける時間は全くなかった。ようやくワシントンに移ってから2人揃って免許を取るようだ。

stop requested.jpg

"stop requested"

次の駅で下車する時はベルではなく、バス中に張り巡らされている紐を引っ張って知らせるのはワシントンでも同じとのこと。これならどこからでもできるのでベルよりもはるかに便利。レトロ調なのもいい。

こうして5年間、雪の冬もリュックを背負い、キャリーを持って買い出しに通った2人。

買い出し光景.jpg

愛しい真智子。
22歳から親元を離れて生きてきた真智子。
これからもこうして2人で歩いていくのね。助け合って・・・
なんて素晴らしい光景だろう。

                              (つづく)

posted by 優子 at 07:00| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

ミネソタへの旅 C ―Ph.D授与、日本人の経済学者2名誕生!―

Ph.D授与式はミネソタに到着した翌日4月29日午後1時半からだった。
その日の朝はマチ・クマがアルバイトしていた" Minneapolis FED "へ案内してもらった。ここは日本銀行にあたるアメリカ合衆国連邦準備銀行の一つであり、紙幣も造られている。

そのホームページに紹介されている娘夫婦を今ならまだ見ることができる。(今月末まで掲載されている)
http://www.minneapolisfed.org/research/economists/gradstudents.cfm

真智子が渡米して以来重ねてきたメールの中で今も心に残る印象的なメールがある。
それは過去ログ・2010年5月18日に掲載しているが、昨年の今頃はまだまだ知子のことが心配で重苦しい日々を過ごしていた私の心の奥深くに、ミネソタのキラキラ光る日差しが神さまの光のように届いたのだ。

メールありがとう。
こちらも、土曜日からとても暖かくなって、今日は夏のような美しい日です。ミネソタの気候は、この時期が一番素敵だと思う。
真っ青な空、強い日差、きらきら光るミシシッピ川、さわやかな風・・・。
昨日からバスの定期が切れたので、自転車でミシシッピ川沿いの道を自転車で走ってFEDに通っています。最高に気持ち良かった。

このメールをもらった1年後に、まさか私達夫婦がマチ・クマと一緒にミシシッピの川沿いを歩いてFED(フェッド)まで行くなんて、全く思いもしないことだった。

mississippi.jpg

2人はいつもはこの道をバスで通っていたそうだ。後ろに見えるのはミネアポリスのダウンタウンだ。
歌にもある「オールドマン・リバー」の別名をもつアメリカの母なる川ミシシッピ。このあたりはミシシッピ川の源流に近い上流付近だ。

ミシシッピー川上流.jpg

FED近くの景色はここをクリックを!
川に沿って歩いて行くと、この写真右端に着いた。(http://www.minneapolisfed.org/news_events/events/

FED.jpg

ここはセキュリティが厳しくて身分証明書がないと中に入れないので、正面玄関前でパチリ!
シャッターを押して下さった方はFEDに入って行かれた。

FED2.jpg

このあとバスに乗って真智たちが愛用しているレストランへ。

4.29、ランチ.jpg

店内も窓から見える町並みもテレビドラマで見ていたアメリカそのままだった。私は娘時代に夢見ていた1950〜60年代のアメリカを想像しながらランチを楽しんだ。

アメリカは完全なカード社会でバス代からコーヒー1杯まで、旅行中に一切お金のやり取りを見なかった。サンフランシスコで「現金だけ」というのを一ヶ所見ただけだった。
そして、バスに乗って大学へ。
commencement0.jpg

セレモニーが始まる前の2人。
後ろに見えるのはセレモニー会場前方にある陸上競技場だ。

いよいよ修士と博士の学位記授与式会場へ。
マチ・クマは集合場所へ行き、ここからは私達だけになるので緊張情況に切り替えて入って行った。

会場はキャンパス内にあるアイスホッケーの競技場で、
リンク内に設けられた卒業生席の手前の集団が博士号取得者で、
向こう側は修士取得者だ。

2011.4.29 プログラム.jpg
博士号授与式A.jpg

1人ずつ名前を呼ばれて壇上に上がり、博士号取得者には
学長より「Ph.Dブルー」のガウンをかけられた。
 

授与式 @.jpg

おめでとう!
アメリカの大学では卒業式を"commencement"と言う。
この言葉には「新しい出発、スタート」の意味がある。

9月からIMFでの就職が決まり、夫婦揃っての入局は
日本人枠を広げた感がある。
 

COMMEN~4.jpg

「IMFから奨学金を頂き、これからは給料を頂くけれど、それらは日本政府から出ているものだから、日本のためにも貢献したいという気持ちだ」と話していた真智子。
 
これからも学問と高い品性を磨き続け、「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)」(新島襄の言葉)なる人物として、個性豊かに良心を手腕に大いに活躍してほしい。

では、もう一度大きな声で、
”congratulations!”
                          
                          (つづく)

posted by 優子 at 07:56| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月07日

ミネソタへの旅 B ―広大なミネソタ大学キャンパス―

到着した午後に大学を案内してもらった。
昨春のミネソタは暖かかったそうだが、今春は寒い。薄手のオーバーを着ていても寒かった。
マイナス何十度にもなる時の寒さはこういう感じだそうだ。零下30度にも耐えうる防寒着を着ていても、このような寒さを感じるという。

大学のキャンパスはとにかく広い。
東大本郷キャンパスの広さの10倍?20倍?、いやもっともっと広いだろう。
とにかく大学の敷地という感覚ではなく一つの町なのだ。建物は5〜6階建ての高さに統一されてホッとする美しい景観だった。

campus_connector.jpg「キャンパス・コネクター」と
呼ばれるバスがアチコチで走っていた。

バスは私たち部外者も全て無料だ。大学院生たちの住居が集まっているマチ・クマの家界隈にもバス停があり、長く待たされることなく多系統に数多く走っている。

キャンパスコネクターの中.jpg

これがバスの中、「M」はミネソタ大学のマークだ。
次の駅でたくさんの学生が乗ってきた。

classroom.jpg

ここはクラスルーム。
マスプロ教育の日本と違って、このような20〜30人用の教室がたくさんあり、多くの部屋で授業していた。真智子はこの2倍くらいの大きさの教室で教えていたそうだ。

GopherWay.jpg これは「ゴーファーウェイ」。

"Gopher Way"(リスの道)は、ミネソタ大学のキャンパス内の情報案内システムとして開発された。ミネソタ州の愛称は"Gopher State(ジリスの州)"で、ミネソタ大学はリスをマスコットとしている。

とにかく冬は零下30度〜40度にもなる極寒の地ゆえに、外に出なくても別の校舎に行けるように地下でつながれている。ダウンタウン(中心地)のビル街も同様に、2階から橋渡しされている廊下でビルとビルがつながれていた。

マチ・クマの家の前の木や芝生でも何度も見かけたリスは真冬にもいるという。道路でも走っていたので自動車で轢かれるリスもいるに違いない。小さくてとっても可愛かった。

office.jpg

ここが真智子のオフィスで4人部屋だ。太志君は一階上にある。
ちなみに次の写真が東大大学院時代のオフィス(研究室)だった。
高校生に間違えられていた24〜5歳の時の真智子。
やっぱり今よりもっと若いね! 

東大大学院時代・ピンクのお洋服.jpg

CarlsonSchool.jpg

ここも大学内の建物の中だ。
まるでホテルのロビーにいるようなゴージャスな雰囲気だった。

(この時のパパは疲れて笑顔も消えていたねかわいいつづく)

posted by 優子 at 10:22| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

ミネソタへの旅 A ―ミネアポリス・セントポール空港でのハプニング―

ミネアポリス・セントポール国際空港に着いたのはミネソタ時間4月28日の午後1時頃、日本との時差はマイナス14時間だから日本では29日午前3時頃だ。

12時間の飛行中に眠れたのは1時間ほどだったからしんどかったが、飛行機から出た瞬間から疲れを忘れた。

税関チェックでは「どこに泊まるの?」から始まったので「娘の家に」と、不完全な英語ながらも緊張感なく聞かれたことを話していたら、「あなたの英語はとってもいいよ」なんて言われて嬉しくなって税関を通過した。

アメリカ人の陽気さというか、英語のもつテキパキな雰囲気に魅了されて、何も考えずにすぐ前の列に並ぼうとした。

私達はベルトコンベアにキャリーとスーツケースを乗せた。
すると、「MPS」だったかミネアポリス・セントポールのタグに気づかれた係員に声をかけられてハッとした。(Oh,help)

「そう、私達ミネアポリスです!」
「ほかに荷物は?」
「もう一つ、黒いのが」と言った瞬間にベルトコンベアをストップさせて、「どんな荷物?」と聞かれた。
「黒いキャリーバッグ、これと同じ色のリボン(がついている)」
と言った瞬間に、ベルトコンベアの上を歩いてカーテンの向こうに行ってバッグを探して取って来て下さった。

私は好調な出だしの税関通過で嬉しくなって危機一髪で荷物を別便に積むところだった。ふらふら

セントポール空港はハブ空港になっており、入国審査や税関を終えた人の殆どが別便に乗り継いでいた。税関で並んでいた時に、出る場合と乗り継ぎについて日本語でもアナウンスされていたが、麻薬を探知する小さな犬が気になってよく聞いていなかった。

とにかく無事に事なきを得てドアを出ると、そこは待ち合わせ場所になっているバッゲイジ・クライムだった!わーい(嬉しい顔)

「それにしても真智たちが撮ってくれていた空港案内写真の景色は全くなかったねえ」と夫に話しながら・・・ドアを出て辺りを見た。

いよいよ再会を喜び抱き合える!
と思いきや・・?・ん?・?・・マチ・クマの姿がない。
がく〜(落胆した顔)
端から端まで歩いて探したがいない。

会えない時はこのあたりのベンチに座っていたら見つけてくれると言うが、全く来る気配がないので真智子の携帯電話に連絡することにした。

紙幣や多種のコインを持たせてもらっていたものの、さて公衆電話にいくら入れればいいのかわからなくて近くの人に聞き、ついでにコインを見せて選んでもらった。ふらふら

するとその時、通りがかりの人が「この携帯を使っていいよ」と自分のを差し出して下さる方がいて、その親切さに驚きながら心から感謝して辞退した。

私は"No,but thank you anyway." と言うべきところを、日本語的に"Thank you,but no anyway."と逆さまに言ってしまったことにあとで気がついた。

そして、受話器から"Hello"と真智子の声。
「ママだけど、真智、どこにいるの?」
真智子は私達がまだドアの内側にいると思ったのであろう。階段を降りるように言われて降りると地上階だった。これはダメだと思って目の先の方に見える案内所に向かった。

私は絶対に会えるという安心感があったのでさほど不安はなかったが、この時はもうカタコトの英語も出なくて単語だけのブツギレもいいところだった。ふらふら

そこで真智子の携帯電話番号を見せてかけてもらうことにした。
「娘さんは英語を話せるの?」
「Of course.very well.(勿論、よく話せるよ)」と答えたのだった。
真智子にこの場所を説明してくれていた。しばらくしてもう一度かけ直して場所を詳しく説明してくれていた。

真智子たちが来るまでにいろいろ話しかけられ、ミネソタ滞在のあとは35年ぶりにサンフランシスコに行くと話し、「サンフランシスコはミネソタよりもいいよ」と言われたところで、マチ・クマがこちらに向かって歩いて来るのが見えた。

そこで、"Thank you very much. You are our Messiah!"(あなたは私達の救世主だ!)と感謝の気持ちを伝えると、彼は左手を胸に当てて満面の笑みで喜んで下さった。

見るからに善良な男性だった。あのとき一緒に写真を撮らせてもらっておけばよかった。
税関チェックの人、携帯電話を貸してくれようとした人、そして、ここでも最高に親切な人に恵まれ、神さまのご配慮を強く感じていた。


ところで、かつてブログに記録した空港案内写真はデトロイト経由でミネソタに戻った時のもので、つまり国際便ではなく国内便から出て来た時のものだと気がついた。ちっ(怒った顔)
(2013年2月21日追記:その記事にも何人もの人が訪ねて下さっているので、訂正しておかねばならないことに気づいて加筆する。)

先ほどは10〜20メートルしか離れていない所で電話し合っていたようだ。夫は「真智らは絶対遅れて来たんやで」と何度も言っていた。わーい(嬉しい顔)
ミネアポリスセントポール空港で再会!@.jpg

こうして無事再会!(^0^)
夫の嬉しそうな顔!!!

ミネソタセントポール空港で再会!A.jpg

このあと"Shared Ride Vans"(乗り合いタクシー)に乗ってマチ・クマの家に向かい、しばしのアメリカンライフが始まった。るんるん

                  (つづく)

※ 13:20、たった今、「真智子のギャラリー」に今回の写真がアップされているのを見つけた。右画面の「お気に入りリンク」にある「真智子のギャラリー」をクリックして頂くと、その画面の左上に出ているのでご覧下さい。

私はカメラの操作ミスで多くの写真を削除してしまったので、ここから頂いて記録しておきたい。


posted by 優子 at 12:15| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月05日

ミネソタへの旅 @ ―家を出て日本を飛び立つまでの緊張の9時間半―

昨夜遅く5日に日付けが変わる寸前に最終電車で無事帰宅した。サンフランシスコ空港で真智子夫婦と別れて23時間後ぐらいだと思う。

ミネソタとサンフランシスコの時差が2時間、日本に着いてからも時計の針を動かしたから、トータルでどれだけかかったか混乱してわからないが、徹夜してずっと30時間以上起きている計算になると思う。

疲れていても昨夜も4時間しか眠れず昼寝もできなかったが、良い天気になったので何度も洗濯機を回しながら殆ど後片づけを終えた。今回も昼に眠っていないのでタイムラグから早く抜け出せるだろう。

ミネソタ・サンフランシスコへの旅は私達夫婦にとって想像以上に意義深い旅だった。留守を守ってくれた知子と幸悠にとっても意義深い1週間だったという。

ミネソタへ発つ前夜は緊張して少ししか眠れず、当日4月28日朝の血圧は(177/101)と高く、心配しながら朝7時の電車で出発した。

8時半に伊丹空港に到着したはいいが、娘婿に取ってもらった「Eチケット」をどうすればよいのかわからないことがわかった状態になり、脳をそれまで以上にフル回転させて頑張った。

そして、航空券に発券し荷物を預けて手続きを終えたのが9時、「まずは第1関門通過やな」と夫の一言に笑った。

飛行機を間近で見るとすごい迫力だ。こんなものが空を飛ぶのだから恐い。血圧が上がっていくのがわかった。

娘たちが大学生の頃、知子や真智子を関空へ見送りに行った時は上昇気分が喚起されて胸がワクワクしたものだが、それは50歳までのこと。「墜落事故死した時は遺った者たちをお守り下さい」と、私は覚悟の祈りをしていた。

成田空港着、第2関門突破。

そして、ミネアポリス・セントポール空港行きの搭乗手続き完了、これで第3関門突破。

デルタ航空の飛行機に乗り込むと、そこはもうアメリカだった!
日本人がほとんどいない!
私はガリバーの気持ちだった。
よくぞこんな外人の国で学問を修めて博士号を取り、しかも教科書やニュースに出てくる国際機関で働くとは!
そして、その父と母が私達だなんて信じられないことばかりだった。


夕方4時25分、離陸。
真智子と太志君が日本を離れてアメリカへ向かった時のことを思って目頭が熱くなった。学問への情熱だけではなく不安もいっぱいあったことだろう。
よくやったね、真智!
太志君!


Mt.Fuji.jpg

機内から見た富士山はとても美しかった!

               (つづく)

posted by 優子 at 22:42| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする