2011年08月30日

「ユキちゃんには大好きなおじいちゃんがいる!」

「おじいちゃーん、虫とりに行こう!」
月曜日の朝もユキは目を覚ますと言った。
27・28日の土・日はユキも一緒に虫とりの網と虫かごを持ってチャッピーの散歩について行った。
よほど楽しかったのだろう。1時間半ほどして帰ってきた時、勢いよくドアを開けるなり、「ただいまー!こんなに虫をとったよ!」と嬉々として虫かごを見せた。その顔は得意げで、新しい世界を知った喜びに溢れていた。

こんなにとったよ!.jpg

これは土曜日(27日)の朝。

しかし、まだ虫が怖くてつかめない。とったのは全部おじいちゃんだ。
それでも毎朝虫とりに行きたいユキ。でも残念ながらおじいちゃんには仕事がある。せめて虫とりをしてから出社してくれたらいいのにね。(笑)

そして次は日曜日(28日)の朝の写真。
カゴの蓋を開けるのも怖いユキに代わって、つかまえた虫をおじいちゃんがベランダで逃がしてくれたが、バスタオルにとまったトンボが飛んでいってくれない。
今はまだトンボも怖い.jpg

ユキは勇気を出して頑張ったけれど、羽もしっかり触れないから向こうへ飛んでいってくれなくて泣いてしまった。実は「そんなことでは情けない」と私が強く言ってしまったから。そう言う私も触れないのでバスタオルを振って払いのけた。

では今夏の光景から記録しておきたい3枚:

かっこいい!.jpg

マチ・クマと行った民家の鉄道。ミニSL、かっこいいねぇ!

大きくなりすぎたキュウリ.jpg

大きくなりすぎたキュウリ。

真智が今回帰国した時、「日本の野菜が食べたい。アメリカの野菜はナスもピーマンもキュウリも何でも大きいから」と、小松菜やピーマンを美味しそうに食べていた。
しかし、この大きさにはアメリカ産もビックリするだろう!

ところで、この前真智子の子供時代のオモチャ缶からコマを見つけたユキは、おじいちゃんにコマまわしを教えてもらっていた。
その光景は知子や真智子に教えてやっていた26〜7年前と全く同じだったので、ユキのそばに幼かった頃の知子と真智子の姿も見えるようだった。

ユキは「お菓子をとらないおじいちゃんと替えてほしい」と言ったこともあるが、おじいちゃんが大好きだ。

先日、テレビでユキくらいの男の子と父親の楽しそうなシーンがあった。私はテレビの前で立ち止まっているユキに気づいてそっと目を移した。硬い表情で凝視していたので何か言葉をかけないのは不自然だった。

「ユキちゃんにはいないね」

すると、「ユキちゃんには大好きなおじいちゃんがいるから!」と明るい声が返ってきた。
この子はよくわかっているんだ。自分には父親がいないことを。そして、ユキの心は神さまに守られているのがわかった。

このことは2009年6月にスー先生が仰ったとおりだった!
「ユキにはパパがいないの?と幼稚園で言われたり苛められたらどうしたらいいのでしょう?」と、苦悩のどん底にいた知子が尋ねた時、スー先生はこう仰ったのだ。

「おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らして、いっぱい愛情をもらって大きくなれば、『僕には優しいおじいちゃんがいるよ』ってきっと言うようになるから大丈夫。神さまに委ねて進みなさい!」

ユキが大好きなおじいちゃんとおじいちゃんが大好きなユキと.jpg

ユキが大好きなおじいちゃんとおじいちゃんが大好きなユキと(8月16日)。 ユキとおじいちゃんのツーショット。いい写真だ。

神さまがユキのためにも夫の健康を守って下さり、おじいちゃんパパとの楽しい思い出をいっぱい作ってやって下さいますように。

9月1日におじいちゃんパパは66才になる。
「おじいちゃん、お祈りしてる時、目あいてたよ!」
「ということはユキちゃんも目あいてたんやんか」(笑)
今夜も賑やかな声が飛び交う夕食タイムだった。

これを書いていたらユキが覗いてきた。
ユキが覗いてきた.jpg

ユキ、お風呂からママの呼ぶ声が聞こえるよ。入っておいで!

今日は近隣のNさんの自動車で淳子姉と待ち合わせているお店へ行き、ユキも一緒に久々のランチ。3時間はあっという間だった。楽しかったなぁ〜〜〜。ありがとう!

posted by 優子 at 21:01| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2011年08月28日

恵みによって選ばれた者として生きる

日本キリスト教団が8月の第1聖日(せいじつ)を平和聖日と定めているのは意義深いことだ。
これは日本の教会が、戦時中に国家権力の弾圧にひるんで当局の言うがままになり、教会も国家に従うのが当然という姿勢をとったことの悔い改めからきているのだと思う。

そのことを記憶し後世に伝えるためにも全ての教会が平和聖日と定めるといいだろう。そして今日は戦争や平和を考えた8月最後の聖日礼拝だった。

今朝の説教は「ローマ人への手紙11章1節〜6節」から「恵みによって」と題して語られたが、私は偉大な預言者エリヤに非常に親近感を感じて励まされた。

エリヤ(BC875〜848)はイスラエルの最暗黒時代に立てられた預言者である。
時の王・アハブは最悪の王で、その妻・イゼベルは偶像神バアルを拝み、主の預言者たちを粛清していた。エリヤはバアル礼拝と断固戦い神の奇跡を起こした。

しかし、預言者として頂点を極めた直後に、自分の命を狙うイゼベルを恐れて40日40夜逃げた。その山奥で、「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」と、神の声を聞いて再び立ち上がったのである。
大預言者エリヤにして、私達と同じような弱さをも持つところに非常に親近感を覚える。しかもこのような恐れをよく理解できる。

牧師は言われた。
「私達もエリヤのように自分が有頂天になって自分が誇らしげになった直後に自分の弱さやどん底を経験するのではないか。しかし、恵みによって選ばれたものが残っている。
聖書がエリヤについてなんと言っているか、あなたがたは知らないのか。すなわち、彼はイスラエルを神に訴えてこう言った。
11:3「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこぼち、そして、わたしひとりが取り残されたのに、彼らはわたしのいのちをも求めています」。
11:4しかし、彼に対する御告げはなんであったか、「バアルにひざをかがめなかった七千人を、わたしのために残しておいた」。
11:5それと同じように、今の時にも、恵みの選びによって残された者がいる。
4節は、あなたの気持ちを分かってくれる人がいるところに神がおられるということを表している。私たちが神と共にいる時、神は私たちの苦しみを理解できる人を送って下さるのではないだろうか。これは神さまの恵みである。

私達の苦しみを必ず分かって下さる人がいて、慰めて下さり、そして、私達もまたそのような存在となることができる。神の恵みによって残りの者として選ばれた恵みを感謝して、私たちを通してイエス・キリストを届けさせて頂きたい」。


私は今朝の説教を通して「恵みによって選ばれた者として生きよ」という神さまからのメッセージを頂いた。今まで信仰の良き友が与えられてきたことを感謝し、私もまた神の声が聞こえる者でありますように。

そして、政治の暗黒時代が続く日本に神が介入して下さり御心がなりますように祈ります。


posted by 優子 at 23:47| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2011年08月27日

地震の次は大型ハリケーン?

日本は3月11日の天災に加えて人災の原発事故でどうしようもない苦悩をもたらされている。以来、目には見えないゾンビのごとき放射能との闘いが日常になり、かつての日々が夢のようだ。

アメリカでは次女夫婦がワシントンに引越す前日の23日、東部ではめったにない地震が起こったかと思うと次は大型ハリケーンの直撃だ。これもまた大変に稀なことらしい。

「アイリーン」は27日にノースカロライナに上陸し、ワシントンD.C.やニューヨークに最も接近するのが28日(日)の早朝らしいが、オバマ大統領は休暇を切り上げてワシントンへ戻り、主要都市は厳戒態勢に入るほどの事態である。

日本政府の危機管理の違いもあるが、報道される記事を読むと次女夫婦は大丈夫だろうかと案じてしまう。

娘夫婦はニューヨークの海沿いではなくワシントンの頑丈な建物にいるのだからと安堵するが、引越し荷物も届いていない状況だから困っているだろう。ニュースを見て食料を買い込んできたのだろうかといろいろ思いを馳せる。

こんな時にネットができないのは何と不便なことか。つながったところで何も助けてやれないが、ネットのありがたさを思うと同時に「待つ」ということができなくなってしまった自分に気づく。

私がネットを使い出したのはかなり出遅れた2003年の後半だったと思うが、すっかりネットの便利さに慣れてしまっている。ネットがないと非常に困る。息子の無事を案じ首を長くして帰りを待っていた野口しかさん(野口英世の母)からすれば信じられない世界だ。

しかし、ワシントンではめったに起こらないことが今というのはどういうことなんだろう。
これから国際機関で働く2人に神さまが何かを伝えようとしておられるのだろうか。母国の痛みを知っている日本人に良き働きをするようにと期待しておられるのだろうか。

そんな話をしている時、長女はこんなことを言った。
「めったに地震のない国が地震を経験することで、他国の痛みも理解しやすくなるだろう。これからは、もっと日本(や他国)の痛みを実感した上で様々な支援をしリーダーシップを取って行きなさい、と神さまがアメリカ人におっしゃっているのだろうか?

防災対策を講じる為だけであってはいけないと思う。神さまの真意を断定はできないが、とにかくこの地震とハリケーンを通して、アメリカ人が何か神さまからのメッセージを受け取ろうとする姿勢が大切だと私は思う」。


そういえば冷泉彰彦氏が「M5・8が『大地震』というアメリカ東海岸の動揺」と題するコラムで次のように書いておられた。

「震度やマグニチュードから考えると、何とも大げさな騒動になっているのですが、とにかく東海岸でこの規模の地震は100年以上なかったそうで、これが生まれて初めての地震の経験になる人も多かった以上、仕方がないでしょう。

             (略)
この規模の地震でパニックになるアメリカ東部の人々を見ていると、日本人の強さということを改めて痛感します。それは過酷な自然環境に鍛えられた受け身のものかもしれませんが、明らかに決意と知恵によって現実のものとした強さだということは否定できない、そう思うのです」。


どうかハリケーンの被害が最小であるように。次女夫婦の安全と荷物も無事に届きますように。

そして、私達はどんな惨事の時にも神の主権を信じて耐え忍ぶ者でありますように。何よりも日本の未来に希望を与えて下さるように祈ろう。

今から48年前の8月28日はマーティン・ルーサー・キング牧師がワシントン大行進を行ない、かの有名な”I have a dream ”を演説した日である。
このたびの地震で170メートルのワシントン記念塔にヒビが入り無期限の閉鎖になっている。その上に大型ハリケーン襲来とあっては記念のイベントはできないだろう。

日本では再び民主代表選一色だが、私はもう誰に対しても一縷の期待さえ持てない心境だ。あんな大惨事があっても彼らの姿勢は全く変わらなかったのだから!

与野党全て、彼らは他を批判し足を引っ張り合うだけで「仲良し政治クラブ」部活動をやっているだけだ。
管さんだけが問題なのではなく政治家たち全員が問題なのだ!

志のある人はいないのだろうか?!
全うな志のある人が居られるならば、どうか神さまがその人を引き出して用いて下さるように!政争をやっている時ではない。

私達もより良きを求めて為政者たちのために祈り続けねばならない。神さまが真に国のために働く政治家を立て、その周囲の人々もまた邪心なく労する者に導いて下さるように祈ろう。真剣に祈ろう。


posted by 優子 at 23:59| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月26日

ワシントンから感動と感謝の第一報着信!!!

今朝6時に着信していたワシントンから家族への第一報は、夏の疲れと怠け病でたるんでいた精神を吹っ飛ばしてくれた。メールから2人の声が聞こえてきそうである。
みんなへ

昨日、無事にNew Homeに到着して、手続きも無事終えました!

今は、歩いて数分のところにあるカフェに二人で来て、ネットしてます。
インターネットは、昨日さっそく太志が電話してくれたけど(ほっ)、モデムを届けてくれるのが土曜日なので、家でネットができるようになるのは、それ以降になると思います。

到着して、くまもまちも、もう感動しっぱなしです!
スタッフはみんなとっても親切・誠実・優しい人たちで、本当に心からの歓迎を受けました!
「Welcome home!」と言ってくれるし、部屋に入ると、ティッシュ箱や石鹸、ハンドペーパーにトイレットペーパー、そして数回分の洗剤(食器洗い機用と洗濯機用)のが置いてあって、歓迎のメッセージまで置いてありました!

昨日は到着した時、本当にクタクタだったけど、疲れも吹き飛ぶほど嬉しかった!

お部屋も本当にきれいで、まるで新築のようです!
扉などのペンキも、塗りなおしてあるんじゃないかな、と思います。それに、掃除もとっても行き届いてて、感動です。

ミネソタを出発する前に、アパートをいっぱい掃除してきたから、新しいお部屋の掃除の完璧さに沢山気付けて、「こんなにもきれいに掃除してある!」とか「どうやってここまできれいにしたんだろう!?」とか「大変だっただろうな」とか、感動と尊敬の気持ちでいっぱいになりました!

リサイクルも色々してくれてて、とっても嬉しい!
気候もとっても良いです!セミも鳴いてるよ!
夜には日本で聞くような虫の声も聞こえます。

みんなも、いつか是非来てね〜!
くまもよろしく言ってます!
またね!
真智子
続けてもう一通!
みんなへ

数日前から日通さんから連絡してもらっていたけど、予定通りに今朝、着物を無事に受け取りました!!

配送も、日本人の方がしてくださいました!
連絡も日本語なので、本当に有難いです!
日通さん、最高です!

今回の引越を通して、本当に本当に色んな方々のお世話になってることを改めて痛感して、感動・感謝の日々です。

到着して、さっそく開けてみました。

一着一着広げて見てみたけど、みんな無事でした。
輸送によって、箱全体が押し付けられるような状況になってたみたいで、多少シワになった部分があるので、そういった着物は、天気の良い日に広げてあげようとくまと話しています。今朝もお天気が良かったので、早速広げてあげました。

本当に無事に到着して良かった!
くまと大喜びしています。
箪笥も届くのが楽しみです。
色々と有難う!
くまも感謝してます!

では、またね!
真智子
メールを読み終わった時、一つの言葉を思い出した。
「昨日は過ぎ去った歴史、明日はまだわからない神秘、今日は贈り物。だから『今』のことを『プレゼント(present)』というのです」。                

これはルーズベルト大統領夫人の言葉だが、昨日までは過ぎ去った過去であることを強く思わされた。そして、「後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして」走るパウロを想った。

神さまに向かって身を乗り出して歩くマチの姿と、マチ・クマ2人の姿がパウロのシルエットに重なって見える。
Arrival!.jpg

Kimono_1.jpg
ふらふら「ああっー、こんなところに置いて!」と、神経質な私は写真を見た瞬間に思った。
そして次の瞬間、「これでいいのだ」と天才バカボンのパパ風に思い直して笑っていた。わーい(嬉しい顔)

それに土足生活のアメリカ人も、近年は靴を脱いでスリッパに履き替えて生活する人が多いらしく、家に入れば土足でいいのかどうか聞くのがエチケットのようだ。
この子たちも新居では玄関先で靴を脱いでスリッパに履き替えている。 
kimono_2.jpg

衣紋掛けを持たせてやるのを忘れたが
一つだけ入れて行ったのね。良かった。
次の帰国までに買っておくね。

「天気の良い日に広げてあげよう」とか、「今朝もお天気が良かったので、早速広げてあげました」だなんて、無意識のうちに着物を擬人化しているところに真智の思いが表われている。
フーもありがとう。
ちなみに、「IMFはホワイトハウスの隣り、道路を渡ったところだと言っていた。」とあるけど、隣ではないです。歩いて数分のところにあると思うけど。
World Bank(世銀)が道路を渡ったところにあるという話をしたから、きっとゴッチャになったのかな。
では、そろそろお家に帰ります。
またね!
真智子
「ミネソタ便り」最終記事、訂正しておくね。(^^)

新居から歩いて5分ほどのところにスーパーマーケットもあり、自動車さえ必要ない恵まれた環境だが、落ち着いたら早々に運転免許を取る予定だ。

また、時差について聞いたところ、「確かに、ミネソタとワシントンでは1時間の時差があります。こちらでは、現在夕方の5時10分頃です。」とあり、そのメールの着信時間が6時11分になっていたから、ワシントンは日本時間マイナス13時間で覚えておこう。だからサマータイムが終わればマイナス14時間になるわけだ。

数日前からワシントンの天気を「お気に入り」に追加した。http://tenki.jp/world/point-391.html
これからは毎日マチ・クマを想いつつこれを覗くことになるが、今もミネアポリスの天気を削除できないでいる。何年間も毎日見ていたサイトである。http://tenki.jp/world/point-420.html

遥かなるミネソタに感謝を捧げ、只今「ワシントン便り」開設である。

posted by 優子 at 11:25| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月24日

よりによってワシントン近郊で大地震とは! ―思いもかけない「ミネソタ便り」最終章に追記―

夫が帰るなりアメリカで地震があったと言うのでびっくりした。
アメリカ東部でM5.8の地震 ワシントンやニューヨークで人々が避難するなど一時騒然
(フジテレビ系(FNN)8月24日(水)12時48分配信)

大きな地震が珍しいアメリカ東部で23日、マグニチュード5.8の地震があり、ワシントンやニューヨークで建物から人々が避難するなど、一時騒然とした。

・・・23日午後、バージニア州中部を震源とするマグニチュード5.8の地震が発生した。首都ワシントンでは、ホワイトハウスや近郊の国防総省などの建物が一時閉鎖され、職員が避難した。

またバージニア州では、建物の一部が崩れるなどの被害が出たほか、原子力発電所2基が運転を停止した。マンハッタンの高層ビルでも、大きな揺れを感じたということで、大勢の人がビルの外に避難していた。

アメリカ東部では地震は珍しく、大きな被害がなかったものの、一時はテレビ各局が一斉に伝えるなど、騒ぎとなった。

よりによって何故今アメリカで地震なの? しかも東部で。
そして、ワシントンD.C.のすぐ隣りのバージニア州に原発があったとは!
私は「原子力発電所2基」という字を見ただけで怖い。
ニューヨークの飛行場は一時封鎖されたらしい。ホワイトハウス周辺では人々がうろたえていた。IMFはホワイトハウスから歩いて数分のところにあると言っていたが・・・

これは何か良くないことの前兆なのか。
一瞬、不安がよぎったがすぐに聖書の言葉に堅く立った。
私たちの「下には永遠の腕があり」と、神さまは常に私たちをしっかり支え、私たちは神さまのわざに生かされていることを憶えて、平安な心で安心して出発すればいいんだと自らに言っていた。
「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」である。

まもなくミネソタの家を出る次女夫婦の行く道を主が守って下さるように。
25日朝午前6時過ぎ、パソコンを開けると今朝未明3時18分の着信で、「無事にワシントンD.C.に着いて空港で昼食をとっている」とのメールが入っていた。
マチたちも地震のことは直後に聞いて知っていた。
これからも一切を神さまにゆだねて過ごそうと自らに言う私だった。

posted by 優子 at 21:34| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

「ああ感謝せん」 ―「ミネソタ便り」最終章 ―

 ああ 感謝せん

ああ 感謝せん ああ 感謝せん

ああ 我が神 今日まで 導きませり
げに主は 我が飼い主 
強き手もて 我を守りませり

ああ 感謝せん ああ 感謝せん
我が神 今日まで 導きませり

ああ 感謝せん
我が神 今日まで 導きませり

この曲は、出エジプト記14・15章 に描かれているモーセ率いるイスラエルの民が、紅海を渡る奇跡をもとに作られた讃美歌で、作曲者はゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルである。

今、次女夫婦の5年間の歩みを振り返り、私もまたこの心情に尽きるのである。

この曲は20年ほど前に妹からもらったテープ、バリトン歌手・今仲幸雄氏の『子羊の歌』で知った。今仲氏はクリスチャンで、1980年の第6回ライプチヒ・ヨハン・ゼバスチャン・バッハ国際コンクールの男声部門で優勝、ドイツの音楽家国家試験合格者である。

以来そのテープを聞きながら進行性難病と闘う母に寄り添って歩き続けたのであった。そして、この曲で母の最期を受け容れたのである。

その時の心の状況は決して今のような感謝に溢れるものではなく、私は人生の不条理に絶叫していた。独りでいる昼間、この曲を聞きながら床に伏せてどのくらいの時間号泣していただろうか。
そのことをこのたび初めて娘たちに話し、伝える機会を与えられたことを感謝している。

しかしその後、ついに神の恩寵をわかる者とされて今在るを得、私がこの地上を去る時もこの讃美を捧げたいとの思いに至らせて下さったのである。
それがどのような最期であろうとも、どうか感謝して逝かせて下さるように。

私の葬儀では献花の時に必ずこの曲を用いてほしいこと、演奏ではなく今仲氏の歌を流し続けてほしいとそばにいる長女に遺言した。


過日の帰米前夜、真智子たちは今仲幸雄氏のCD『子羊の歌』と、岸義紘氏のサクソフォン演奏による『聖歌・讃美歌の世界』をパソコンに入れていった。非常に嬉しい。

今この時、ミネソタ最後の夜を迎えた真智子と太志君に、2人の結婚式次第に刻んだみことばを拝読したい。この「ヨハネによる福音書15章4〜5節」は、真智子が選んだみことばである。

「わたし(イエス・キリスト)につながっていなさい。
そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
    
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」。


最後に今仲氏の「ああ感謝せん」をご紹介したいが、ユウチューブにアップされていないのでドイツのカール・リッダーブッシュ(Karl Ridderbusch)の歌”Dank sei dir, Herr”(Thanks be to God )で「ミネソタ便り」を閉じたい。
http://www.youtube.com/watch?v=WwuVHXtv3iw&feature=related

この5年間、次女夫婦のことをお祈りに憶えて下さった方々に感謝し、これからも思い出しては祈ってやって下されば感謝です。

ハレルヤ!
主よ感謝します!
次女夫婦に賜った喜びを主に捧げます。栄光主にあれ!

付録:宮島と広島旅行の写真をマチ・クマたちの1ページにしようと思って取っておいたのに、機会を逸してしまって残念。ミネソタ時代の思い出としてここに記録しておきたい。

宮島の鹿と.jpg


引き潮時の厳島神社 .jpg


原爆ドーム前のマチ・クマ.jpg

原爆ドームの前に立つ。

被爆者は「私たちが最後であってほしい」と言われていたのに、原発事故により新たな被爆者を出してしまったことは筆舌に尽くしがたい。
今こそ全ての人が「人類と核は共存できない」ことを認め、往くべき方向を正して新しい努力を始めるべきである。


posted by 優子 at 08:46| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月23日

引越し完了、感慨無量!

夕方パソコンを開くと真智子からメールが届いていた。引越しで大変だった日の夜半の送信である。
そのメールを読んで私まで感慨無量になり、改めて「ミネソタ便り」の2006年8月7日あたりの記事を開いた。
これはミネソタでの住居が決まった時のことである。
2006年8月12日:真智子たちの住居が見つかった!
かなりのストレスに耐えていた太志&真智子カップルに道が開かれた。

6日に日本を発った2人は、到着した翌日の7日(現地日時)には銀行口座を開設するというタフさを見せつつも、とにかく食事には辟易していた。・・・それぞれに携帯電話を持ち、自転車も購入し、これはと思う家物件があれば電話をかけ続ける努力をし、「今日は現物を見て回る」と言っていた。

※ 大学が用意しているテンポラリーハウジング(”temporary housing”、一時的に借りる臨時の住まい)は3日間の予約のみだった。

先ほど吉報が入った!
「今日」、即ち我々からすれば昨日11日のこと、「家が見つかったよ!」という知らせ。
しかも、最高の条件だ。大学から歩いて15分の近さ。
ガスコンロは4つあり、冷蔵庫もついていて光熱費込みで月額620ドル。しかも、大阪生まれの大阪育ちの娘の手腕を発揮したところアメリカ人にも通用し、590ドルに値引きしてもらったというからスゴ腕である。

     (略)

その家主さんご夫妻はすこぶる良き人々のようである。
ご主人は弁護士とのことだが、太志君の促しで念のために大学の法律サービス機関へ契約書をチェックしてもらいに行ったところ、そこの弁護士さんからも家主の彼は信頼できる弁護士だとお墨付きを頂いた。人品骨柄第一印象は間違っていないであろう。

現在、家は改装中で真智子たちが入る時にはきれいになっているらしい。

※ 15・16日は、IMFの本部へ出向き小切手を受取りに行くとのこと。IMFから給付を受けるのは真智子だけだが、配偶者にもホテル代は出るので彼の飛行機代だけ実費で一緒に遠出する2人。翌年、フーにもIMFから奨学金が出た。

家が見つかったとしてもどこも9月1日からしか入居できないと嘆いていたのに、ワシントンD.C.から帰って来る19日頃には改装も終わっているから入居OKだという。

物件先を訪ねた時、内装業者の人と家主の奥さんが居られ、夫人といろいろ話しているうちに”I like you."(私はあなたが気に入った)の連発。
「ここは赤く塗ろうと思うんだけれど、あなたは何色がいい?マチコの好みに合わせたいわ。」というほど気に入られようだ。

"I really want you to live here."と何度も言って下さる奥さんだそうである。

私は嬉しいことも悲しいことも全て感慨深く感じたことを記述しているので、読み始めるとその事柄やシーンが鮮明に蘇ってくる。この記事を読むとその場に居たような感じさえするのは、4月末にミネソタを訪ねたからであろう。

マチ・クマはここで5年間を過ごし、次の新天地ワシントンD.C.へ向かうのである。そして、
今日、朝に大きなトラックで2人来てくれて、家はすっからかんになったよ。
本当にミネソタからいなくなるんだ、という実感が出て、不思議な気持ちです。ブログを読んで、さらに感慨深く思い出したよ。

今日来てくれた二人はすごい筋肉質な人たちで、すごくたくましかった。しかも、すごく親切な人たちで、感動しました。梱包はスピーディーかつ丁寧だし、ベッドやテーブルはあっという間に解体して、運んでくれたし。言葉にならないけど、感動・感謝です。

家の中はピカピカに掃除しました。
まちは、ペンキを塗ってくれたボブやメアリーベスの姿を思い出しながら、感謝の気持ちで掃除したよ。

明日は大学へ行ったり、メアリーベスと会ったり、銀行口座を閉じに行ったりバタバタして、あさっての早朝に空港へ出発します。

向こうに行ったら、しばらくネットがないと思うから、メール遅くなるかもしれないけど、心配しないでね。できるだけ早く連絡はしようと思います。

写真満載のブログもありがとう!
ゆきちゃんにも「大好きよ!」って言ってね。
真智子

太志君からも真智子よりももっと遅く、(現地時間)真夜中の2時に送信されてきた。「まだ起きてるの?早く寝ないと!」
(「フー」と「クマ」は次女の伴侶のニックネームで、その時々の気分によって呼び方を変えるのでご容赦あれ。)
朝9時過ぎに作業開始して、午後1時過ぎに終わりました。大変な作業を効率よく丁寧にしていただいて、感謝しています。
  
       (略)
メメントドミニ、拝見しました。
ミネソタ便りの回想は、とても感慨深く、読み入っていました。本当に色々あった中、お義母さんは、ずっと共に歩んで来てくださったんだと感じました。改めて、今までの感謝を思いました。これからもどうぞよろしくお願いします。

夏の記録は、とても楽しい記憶を思い出して、読んでリラックスできました。ありがとうございました。どちらもとても良いハイライトに感じました。

真智からもお伝えしていると思いますが、新居ではすぐにネットにつなげないと思いますが、できるだけ早くにご連絡したいと思っています。

明後日24日は、午前8時前に家を出発します。午前10時18分発で、便名はDL1764です。ワシントン時間で、午後1時45分着です。

それではまた。
太志

愛するふたりに贈るみことば:

「あなたがたがわたし(イエス・キリスト)を選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
 
               (ヨハネによる福音書 15章16節)

これからもキリストから目を離さないで人生の旅を続けてください。
いつも私たちのことを祈ってくれてありがとう。
私たちもいつもお祈りしています。
God bless you!


posted by 優子 at 17:45| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月22日

晩夏に刻む2011年夏

1年ぶり以上のシャンプー(12歳).jpg

チャッピーは1年以上ぶりのシャンプー。
いくら暑くっても水で洗うなんてかわいそう。

ヤッホー!.jpg

楽しかったミニSL。
出勤前のラジオ体操.jpg 
2年前から始まった自治会主催のラジオ体操。
8月1日から10日までは出勤前に公園へ。
家族では私たち夫婦だけが皆勤だった! 

ラジオ体操A.jpg

ユキも大きくなった。

マチ・o.jpg

夏の早朝に.jpg

後ろに反り返った時、サルスベリの花が咲いていた。

「あーん」.jpg

納豆を食べさせてもらっているところ。
納豆だけは1人で食べてもらいたくない。

仕上げはマチに!.jpg

歯磨きの仕上げはマチ!
フーにも何度かやってもらったね。

食器洗いクマ.jpg

食器洗いクマだよ。
これってボーリングのフォーム?.jpg

きっとこれもストライク!
「ウィー」でボーリング中のユキ。
スペアやストライクをバンバン出して、
このフォームで最高161点を取った!

笑ってください!.jpg
わーい(嬉しい顔)やっぱり小さくして載せちゃった。
異国生活でストレスを感じた時の清涼剤。
笑って下さい。癒されて下さい。

イッチョマエのユキ.jpg

カラオケも大好き!

もうこわくないよ!.jpg 
もう高いのも怖くないよ。
これはおじいちゃんには頼めないものね。

4歳のバースデープレゼント.jpg

三輪車は卒業して自転車になった。
ママに買ってもらった4歳のバースデープレゼント!
かっこいいね〜!.jpg
こんなに上手に乗れるよ!
蚊に刺されてかゆいよう!.jpg

マチとフーはヤブ蚊に刺されてかゆいかゆい。(^^)

楽しかったね。
ユキが一番楽しかったのかも知れないね。四六時中、マチやフーにまとわりついていたね。
ユキのママとマチは姉妹でママはマチのお姉ちゃんだよって教えてやると、「マチと一緒に生まれてきたかった」と訳の分からないことを言ったが、とにかくマチが大好きで、見送った翌日は寝言で「マチ!」と呼んでいた。

知子からマチ・クマにケーキ!.jpg

8月10日、帰米(ついに先日からこの表現を受け入れた)前夜の夕食後、知子がケーキ屋さんに予約していた妹夫婦へのケーキを囲んだ。
2人の就職を祝い、まもなく迎えるフーのバースデーもお祝いした。

ホワイトチョコレートのプレートには「マチとフーに幸あれ!」のメッセージが書かれていた。
知ちゃん、ありがとう。

「(写真を撮るけれど)あなたの服装はそれでいいの?」と聞くと、「ええわ」と良輔。
「これがパパのユニフォームやから」と真智子の言葉に爆笑してパチリ!
確かに夏は家にいる時、常にこの格好をしているから、まさに夫のユニホームだ。

それにしても珍しく夫はいい顔しているから、これを会社のホームページの写真に使ったらおもしろそう。そんなことを想像して笑っている私・・・ 

晩夏、楽しかった夏の日々をブログに収めた。
ミネソタもまもなく月曜日(22日)の夜が明ける。
午前中に引越し業者さんが来るので、お昼ごろには終わるだろう。
マチ・フー、頑張って!!!

posted by 優子 at 17:30| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2011年08月21日

「ミネソタ便り」回想

ミネソタでは22日朝に引越し業者さんが来て、真智子たちよりも一足先に荷物だけワシントンへ向かう。その後出発までの2日間とワシントンの新居に荷物が届くまでは、エアーベッドとわずかな生活用品で過ごすことになる。

このブログは次女が結婚する半年前の2006年お正月に誕生した。ミネソタ時代を終えるにあたり、次女への想いをまとめた「ミネソタ便り」を振り返りたい。

2006年3月17日:
花嫁衣裳も決まり娘を見送る覚悟もできてきた今週初めのこと、海外生活は5年間で終わらず、Ph.D取得後も外国暮らしになるであろうと2人で話しているのを聞いてしまった。
驚いて尋ねると、「卒業後は日本も含めて世界に向けて就職活動をすることになるから・・・」と娘は言った。
再度、覚悟するのに2日間の時間を要した。
娘の足を引っ張ってはならぬ。安心して飛び立たせてやらなければ。

2006年4月6日:
真智子たちは明日の午後3時半に離陸し3泊4日でアメリカへ行く。目指すはミネソタ大学だ。
同大学から「パトリック・キーホー奨学金」も獲得できたから50万円給付されるという連絡があったとのこと。別の論文が評価されたのか、プレゼンテーションが良かったのかそこまで話を聞く時間的余裕はなかったが、、いろんなことにチャレンジしている娘の姿に励まされている。
IMFからも正式に文書が届いた。

2007年1月18日:
「いかに聖書が、自分自身に訴えかけてくるものかを、二人で感じあえました。今後とも読み進めていきます。」said Futoshi.

※ 忘れもしない。神さまの大手術が始まったのはこの年の年明け早々だった。この時、初めて聖書を読んだクマ。以来、マチ・クマ共に聖書を道しるべとして歩み始めた。

以来、当初は真智子を支えるべく「ミネソタ便り」を書き、みことばを書いた。イエスさまのことをよく知っている真智にトラクトを運ぶような気持ちで神さまのメッセージを伝え、いつしか2人のために書き続けた。親鳥が雛に餌を口移しであげるような気持ちだった。

神のくすしきみわざ。
ここまで導かれてきたことを感謝するのみ。


2007年2月8日:
冬はマイナス30度の世界。
「窓際(カーテンと窓の間)にブドウを3粒程おいておいたら、見事に凍ってシャーベットになりました。(>_<)」

※ 初めての冬に向かう2006年9月末には、−35度まで耐えられる防寒着を買ったそうだが、そんな防寒着が売っていることにも驚いたものだ。

2007年5月25日:
「あの時、聖書がなければ私たちはつぶれていた。」

2007年8月2日:
ミネソタの橋崩落?! 真智子夫婦の家から歩いて5分とは!
今朝の9時半頃だっただろうか、なかなか眠ってくれない孫(生後20日ほどのユキ)を抱きながらテレビを見ていたら速報で番組が中断し、日本時間の今朝8時前頃(?)に、ミネソタの首都ミネアポリスのミシシッピ川に架かる高速道路の橋が崩落したと報じた。

「ミネソタ、ミネアポリス、ミシシッピ、橋、・・・」、全てが関係している。ミシシッピ川が近くにあると聞いていた。そして、「橋」と聞いて私はハッとした。
(略)メールを飛ばした。
「・・・・短くてもいいから連絡してね。
真智子と太志君はイエスさまと一緒だから万が一の時も天国へ行ける、再会できるからと安心しました。」
と、最悪のことも覚悟しつつ・・・11時27分のことだ。勿論、まさかのことになっていたら返信はもらえないのだが・・・・。

そして、今、パソコンを開くと太志(君)がオンラインになっていた。よかった!
メッセンジャーを開くと「無事です!」の文字が飛び込んできた。真智子からだ。よかった!
「大学から帰ろうとしたら、いつも通っている橋が閉鎖されていました。迂回して家に帰ってきてCNNを見てびっくりしています。
私達が毎日通っている橋の隣の橋が落ちたのです。とてもショックです。 落ちた橋まで歩いて5分とかからない場所なので、今も家の近くは警察や消防車でいっぱいです。・・・」


※ 今年4月末にミネソタを訪ねた時、新しく作りかえられていた橋を見た。
アメリカの高速道路を走る自動車のスピードは日本の比ではない。さすが自動車王国だと思った。しかし、町を走る車はトヨタ、ホンダ、ニッサンが目立ち、「頑張れ、ニッポン!」と誇らしく心の中で叫んだ。


2008年1月11日:
「牧師や書物からではなく、いつも直接イエスさまからみことばをいただいている」と真智子は証しした。
私は太志君と真智子に聖書は毎晩読むのかと聞いてみた。
すると、2人はどんな時も毎晩寝る前には聖書を読んでいると言った。睡眠時間が3時間しかない時も聖書を読めば落ち着くからと読んでから眠り、この1年間に読めなかった日は10日間ぐらいだった。
「ワシントンに行く時も、どんな時も聖書だけは持って行きます」と!

2008年1月14日:
今回は夫も一緒にプラットホームまで見送った。真智子を抱きしめた時、目頭が熱くなった。・・・家に戻った時、雑然としたリビングルームにしばらく立っていた。
真智子が着ていたカーデガンを抱きしめ、真智のカーデガンに着替えた。テーブルに目をやると真智たちの食器を見て泣きそうになり、急いで洗い桶に運んだ。
夫は「部屋が広くなったな。空虚な感じ・・・」とシュンとしている。
そして、「これはきっとママが好きだと思った」と真智子がコピーしてくれたディズニーのCDをかけて食器洗いにとりかかった。

※ 再会の喜びと見送る淋しさは何度繰り返しても変わらない。これまでのことを深く感謝し、これからの日々も守られるように祈ろう。

2008年3月21日:
ミネソタにも春近し、神の祝福あれ!
ママへ
ミネソタにも春がやってきてます。今日は7度です。
先週に第三学期が終わって、今週は春休みです。週末に随分寝て、疲れも取れて、今週はなかなか充実した日々を送っています。

ブログでママが溌剌とした人生を歩んでいる様子を読んで元気付けられてます。
読書会の退会も、今までママが心を傾けてきたこと、努力してきたこと、感動してきたことなどを思い出し、またその周囲の人たちへの影響を感じる、感慨深いものだったのではないかと思います。

私も、ママの退会に対して、読書会への懐かしさと寂しさを感じながらも、積極的に生き方を選んでいっているママの姿に元気付けられる感じです。

「神さま(イエスさま)が望んでおられることは、苦しみの中で平安を見つけることである。苦しみの 中で神さまに与えられた命を喜ぶことが大切である。」と聞いて、目が開かれた気がしました。

とても力強い励ましでした。
私も、このように覚えて一瞬一瞬を生きていきたいと思いました。・・・努力し続けてくれてる両親に、心から感謝し、尊敬しています。
          ・
          ・
ヨブ記の神様の言葉は力強く、私に響いたのです。・・・ママたちに祈ってもらっていることも感謝しています。ありがとう。
       (略)
来週はイースター。
教会へ行く予定です。
              真智子

※ 私が20年間続けていた読書会の退会について、かくも深い想いを感じてくれたことが嬉しかった!!!
そしてこの頃、マチ・クマも最悪の状況から脱して春を感じつつある時期であったことがわかる。


2008年6月6日:
ママ、ブログからのお誕生日メッセージを有難う!
すごい嬉しかった。読んでて、涙でました。
まちを産んでくれて、育ててくれて有難う。

    (略)

もうすぐ帰れるから、時々楽しみで想像してます。
いつもお祈りしているからね。
  
                  真智子

※ 帰国を楽しみに努力を重ねる日々。「もうすぐ帰れるから、時々楽しみで想像してます。」に、その精神的状況を窺わせた。

2008年6月20日:
「真智の人生は、私の心臓が動く限り与えられている。その間にこの命を、時間をどのように使うかを真剣に考えるようになった。

私は常にこういう経済学者になりたい、教師になりたいというビジョンを持ってやっているよ。目的を持って生きる私に、「頑張れ!」と応援してくれている神さまが居てくれるのが嬉しい。

試練もあるけれど、どんな状況であっても絶対的な終わりは神さまの時なのだから、パニックにならずに、私は今何がしたいのかをいつも考えるようにしているよ。

それを体験したのは本人であり、本人しか意見は言えないのだから、しっかりとアクションをとることが大切。神さまを見上げていたら、いつだって次の一歩を踏み出せるよ!

だって、何があっても神さまの御手の中でのことだもの!!!」

※ 真智をとおしていつも私の信仰が強められてきた。
この時(6月18日夜から7月3日)は、真智子が一人で帰国した。私に膀胱癌の疑いが濃厚だったからだ。しかも主治医は会話が成立しない人だったので苦しんだ。
その間の真智のレクチャーに教えられること大なりで、それらの記事への読者の反響が大きかったことも思い出される。
そして、健康を与えられている時を有効に用いなければと改めて思う。


2008年7月3日:
12時15分、出国ゲート前で私は真智子を抱しめた。涙をこらえて娘から手を放すと、娘はゲートに入って行った。・・・

そのあと、妹の案内で造成中の2期空港島を展望し、南海電車が関空駅を出発した1時15分過ぎ、「きっとこの飛行機やね」と言う妹の声に立ち上がると、一機が離陸するのが見えた。

「真智!」
私は心の中で呼んだ。そして、また涙。やっぱり空港への見送りは今回だけにしよう、辛くてたまらない。強い陽射しなのに、飛行機は直ぐに梅雨空の雲で見えなくなった。

※ これは私の癌の疑いが晴れて、安心してアメリカへ帰るマチを関空まで見送った時の記事だ。
クマはミネアポリス空港までマチを迎えに行った。
マチを想うクマと、クマを想うマチに、親として淋しささえ感じないほど夫婦愛が溢れている。これから何度も開いてみたい記事だ。


2009年4月3日:
次女は先学期に指導教官として3クラス受け持った。それぞれ違う科目だったから大変な努力を要しただろうが、学生たちから感動のコメントが多々寄せられていた。

・・・ミネソタへ戻った早々にミネソタ大学の授業監督委員会から真智子の授業に対して " Distinguished TA " を頂いたという吉報が入った。" Distinguished " とは、「際立った、抜群の、優れた、顕著な」という意味である。これがその内容だ。
生徒と大学による授業評価に基づき、経済学部のは、2008年秋学期に行われたEcon4261-002におけるあなたのTAとしての働きが、真に著しかったと結論しました。

あなたの素晴らしいteaching serviceは、我が経済学部の学部教育の質を大いに高めました。経済学部の教授一同と学部生の感謝を表し、授業監督委員会の推薦により、あなたを正式にDistinguished Teaching Assistant(素晴らしいTA)と称します。

2009年10月6日:
3日(土)の国際会議での発表は、とても大きな反響があったようだ。聴衆席が不足し、イスを足してもらっても足りず、立見席で聴いて下さった方々が廊下にも溢れていたそうだ。

何人かのパネリストも聴きに来て下さったことや、ある外国人から真智子が教授と間違えられたエピソードなどから、娘の活躍ぶりを彷彿とさせた。
真智子自身もアメリカでの成果の手ごたえを感じたようだ。汗と涙と努力の結晶である。

     (略)

再び皆が元気で再会できたことを神さまに感謝した。
真智子と太志君は疲れていたが、到着した夜も寝室に入ってから聖書を開いていた。私は2人の姿が三浦綾子夫妻のシルエットと重なって見えた。

※ マチ・クマとの再会は4日の夜。そして、9日には再びアメリカへ発った時のことだ。
この年の8月末に私の従兄弟に死が近いことがわかった。マチ・クマは日本でゆっくりできない状況だったが時間を割いてくれた。大叔母を慰め、従兄弟を見舞うために帰郷し神戸まで足を伸ばして訪ねてくれた。

従兄弟は51歳で今年2月1日に召された。若い真智子もまた大きな痛みだった。人はいつか死ぬのだということを思い知らされたようだった。


2009年12月25日:
それで、それでね、一大ニュース!!!
人生最大級のニュース!!!!

昨日、Third Year Paper Competitionの結果が出たの!!!
まちと太志との共著論文、一位入賞!!!!!!
一位だったよ!!!!!!!!!!!!!!!

勿論一位とりたかったけど、とれると思ってなかった!
信じられない!神様、本当に本当に感謝します。

まちと太志がミネソタでやり始めた研究第一号。研究者として、沢山学び、成長してこれた研究。2人が面白いと情熱をもってしてきた研究。2人のそれぞれの力を活かしてこれた研究。ノツノツの英語だったけど、2人で会話を補いあいながら沢山の先生に話して、コメントをもらえて、多くの改善をしてこれた研究。

神様が与えてくださった最高の研究!
しかも、こんな最高な形で神様が祝福してくださった!

これからも頑張ろう!と心底思います。
本当に嬉しい。本当に本当に嬉しい。

研究が苦しいときも、いつも祈って支えてくれたママ、本当に有難う。
今まで、何度も何度も支えられた。
情熱と努力の真の理解者。
だからママ、早く元気になってね。

※ 2009年は長女のことで過酷な試練の年だった。そのことも影響してか、その年の12月から血圧が高くなり今に至っている。
私は真智に「情熱と努力の真の理解者」と言われたのが嬉しかった。ミネソタでもよくそんな話をしているとクマから聞いて本当に嬉しい。
最近は怠けてばかりでダメママだけれど、真智と知子の母にふさわしくあらねばと思う。


2010年6月16日:
" Heller Fellowship "(ヘラー・フェローシップ)とは、ミネソタ大学の経済学部が出している奨学金で、毎年博士論文に取り組んでいる卒業間近の学生を対象に一人だけに与えられ、優秀な学生は副業せずに研究に打ち込むようにと日本円にして200万円授与される。

5月末に真智子が受賞し、ミネソタ大学大学院経済学部代表になっていたことを昨夜聞いた!

※ すごいとしか言えない。このようなサプライズばかりで私の感動感知器は機能しなくなっている。

2011年3月8日:
マチ・フーそろってIMFに就職決まる! (正式にオファーがあったのは2月半ばだったと思う)
特に今年は、Economist Programでの採用は例年より少ない20名と狭き門だったが、幸運にも努力が報われて夫婦そろっての採用となった。経済系職員は基本的に博士号取得者だと聞いてびっくりした。

※ これも先のコメントに同じ。ママには雲の上の話です。

2011年4月21日:
次女が結婚と同時にアメリカへ渡って5年、努力の末に夫婦共に経済学のPh.Dを取得し、その授与式が29日にあると聞き、是非行きたいという全く突然の衝動が吹き出した。

しかも夫婦共にIMFへの就職が決まり、今夏にはミネソタの地をあとにしてワシントンD.C.へ移ることになった。私にも懐かしい心の中のミネソタを訪ねたくなった。

※ この想いは就職活動の一環で帰国した2月半ばのことであり、すぐに飛行機のチケットも手配してもらった。そのあとに東日本大震災が起きた。
それゆえに、東北地方の大災害だけではなく、この時も福島第一原発が予断を許さない深刻な状況にあって、日本をあとにするのは不本意で出発の数日前まで悶々としていた。


2011年4月29日:(ミネソタより真智子のパソコンでブログ更新!)
次女夫婦がめでたく経済学のPh.D(博士号)の学位を取得した。ガウンの上から身につけるフードの色は「Ph.Dブルー」と言い、博士号取得者が身につけるものだ。
IMG_2838.JPG真智子、太志君、おめでとう!

※ ミネソタへ行ってよかった!!!   

2011年7月13日:
次女夫婦は先月結婚5周年を迎え、今ようやく真智子にも少しだけでもアレコレしてやれる嬉しさをかみしめながら今日は楽しい時間を過ごした。
しかし、嬉しさばかりではなく5年前の淋しさもよみがえった。
来月11日の出国までにワシントンの新居へ引越し屋さんから荷物を送リ出すことになり、私はもう一度真智子を手放さねばならないさみしさを味わっている。

margaret1b.gif

そしてまもなく、2人は試練と努力の地・ミネソタを発つ。
結婚5年後と言えば、知子が4歳で真智子が1歳の時・・・この頃の夫への想いってどんなだっただろうかと考える。
外国で力を合わせて生きてきた2人、運命共同体として伴侶の問題を受容した真智子、苦労してきた2人だから、その頃の私たち以上の夫婦愛が育っているに違いない。

私はこれからもいつまでも娘たちやユキのことを見守りたい。
母親になる真智も見たいし、孫の成長を見守りたい。いつまでもブログのページを重ねて書き続けていきたいと思う。

そんなことを思う時、60歳という年齢に残された時間を思う。元気で長生きしたいなぁと思うけれど寿命だけはわからない。だからこそ今を大切に生きねばと思う。

8月からはミネソタ大学に移り、新しい生活を始めますが、2人で支え合いながら一生懸命頑張ります。
アメリカは遠く離れてしまうようで寂しいけれど、お互い、寂しさを吹き飛ばすぐらい充実した日々を報告するつもりです。                  
                      真智子

真智、このとおりだったね!
よく頑張ったね!!!
真智子も知子も一生懸命努力できる子だから嬉しいです。ママの誇りです。
フー、よく頑張ったね!!!
これからも真智子と太志君の上に神さまの祝福が豊かにありますようにお祈りしているよ。



posted by 優子 at 16:30| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月19日

「パフォーマティブ(自己表現的)であることはキリスト教の発想」

昨日までの猛暑はどこへやら、今日の秋雨前線が秋をもたらしたようで、今夜は肌寒くて窓を閉めてお風呂に入った。自然の涼しさは気持ちよく、久々に『クリスチャントゥディ』を開いてみた。

そこにパフォーマンス学の創始者・佐藤綾子氏の記事があり興味深く読んだ。佐藤氏は10年前にクリスチャン生涯に入れられて活躍されている。
プロフィール:
長野県生まれ(現在64〜5歳か?)、パフォーマンス・心理学博士。内閣府認可社団法人パフォーマンス教育協会創設者・理事長、同協会認定パフォーマンスインストラクター資格発行者、株式会社国際パフォーマンス研究所代表、日本大学藝術学部教授。

ビジネスと人間関係づくりに直結する同氏の主宰する「佐藤綾子のパフォーマンス講座R」(SPIS)は18年の歴史を持ち、すでに3100人の卒業生を社会に送り出している。医療・政治・ビジネス・心理学、各分野の著書全162冊(2011年8月現在)。
 
信仰観については少々違っているところもあるが、アグレッシブなほどに積極的な佐藤氏らしさと一致する背景だった。ここにご紹介したい。

どのようにしてキリスト教を信じるに至ったのでしょうか?
〜悲しみと嬉しさの狭間で導かれた教会〜


2001年2月に5年がかりで作成された博士論文が受理され、心理学博士号を取得することができました。しかし同じ時期、2001年3月7日に母が死んでしまいました。これまで母だけに人生の相談をしてきましたが、その母の亡くなり方があまりにも悲惨で、神も仏もないという感じでした。

生前の母は骨粗鬆症で全身が痛くて、死んだ方がいいとも思っていたようです。生きる気力が無くなると、人間はどんどん病気になってしまう様で、あっという間に亡くなってしまったように思います。その母の亡骸を見て、私も妹も後悔しました。

妹は母と同居して看病していましたので、力いっぱい看病したという思いがあるのですが、私は長女なのに何も看てあげなくて妹まかせでした。実家のある長野県松本市に頻繁に帰ってはいましたが、毎日母と一緒にはいませんでした。そのことで、娘としてきちんと面倒を看なかったというか、やるべきことをやらなかったという気持ちがものすごくあり、随分落ち込みました。

一方で私には20年間連れ添った心臓外科医の夫がいましたが、彼には自分の仕事が大変なので私の仕事を辞めてほしいと言われましたが、私は「パフォーマンス学」の先駆者としてこれからどうしても開拓していかなければならなかったので、これ以上一緒に結婚生活ができないと判断し、自分から彼に「結婚を卒業させて下さい」と言って離婚していました。

その後に会った開業医の歯科医が、今度はパートナーとしてずっと私を支えてくれていました。ですが、自分の仕事と私のサポートで無理をしすぎてバーンアウト(燃え尽き症候群)してしまって、倒れてしまい、自分の存在が私の活動の邪魔になると思って私の元を去っていきました。

このことが、4年がかりで書いた論文が認められて立正大学から博士号を取得し、母が亡くなったのと同じ時に生じました。博士号を取得した際には多くの祝電が届けられて、お祝いのセレモニーには立正大学に800人ほどの方々が集まってくださいました。

―これが全部同じ時でした。落ち込むなら落ち込む、悲しいなら悲しいの方が気持ち的には整理されたと思います。落ち込む、悲しいと言うネガティブな精神状態があるのに博士号取得のことで「おめでとう」と言われて、感情コントロールができなくなってしまい、食べると吐くということが毎日続きました。

(その後教会へ導かれる軌跡は、最後でご紹介しているサイトで!)

神様を信じるようになってから、ご自身の考え方はどのように変化しましたか?
〜自分の力で馬車馬のように努力する姿から、神様に委ねる姿へ〜

自分が目標を立てて馬車馬のように努力すれば、すべてのことは可能であると2001年までは思っていました。パフォーマンス学を日本で創設する、日本中に広める−それはみんなの幸せに貢献すると思ってやってきました。

でも「目標を立てて馬車馬のように努力してもできないことがある、全くひどい結果になる」ことを2001年に知ることになりました。それまでの私は随分生意気な人間だったと思います。

目標を立てて努力したらできる−確かにそうですが、どこかでできないことがあることを忘れていました。自分が新しい学問の創設者なのだから、自分で全部決めなければならないと思っていました。

神様を信じるようになってからは、自分が決断できなくても大丈夫、「最後は神様よろしく」と丸投げにすれば良くなりました。自分で見事な決断ができなくてもたとえ無様であっても大丈夫と思えるようになって、とても気が楽になりました。

神様を信じるようになって自分でやる仕事に対する「判断」という行動において、ある意味ズボラ、手抜きができるようになりました。

それまで自分で全部やらなければいけないと思っていましたが、神様を信じるようになってからは、「一回はベストを尽くす」、その結果うまくいかなかったとしたら、人間レベルでは腹が立ちますが、神様レベルでは大した問題ではないと思うようになりました。(というよりも、私《優子》は神さまが神さまの最善をなして下さると思うようになった。)

人間レベルではどうしてよいかわからないような難しい事柄で腹が立つことがありますが、神様レベルで見れば、本当にささいなどうでもいいことであると思うようになりました。

クリスチャン信仰は自己表現にどのように役立つのでしょうか?
〜キリスト教信仰は自己表現の縦軸〜


パフォーマンス学の定義は「日常生活における個の善性表現」ですが、「善性」という言葉はパフォーマンス学界で問題視されました。というのも「何に照らして善なのか?」―イスラエル、イラン、イラクでは争うのが「善」だと思っています。ミャンマーでは軍事政権で自由がないのが「善」だと思っています。

国際パフォーマンス学会ではかなりこの定義に使った「善性」という表現に対して批判がなされました。世の中に悪い人が増えるほど「善とは何か」と思うようになります。
何に照らして善かというのはとても問題なのですが、「善かどうかは聖書に書いてある」と思うととても気が楽になりました。

そうなると善悪判断の縦軸がぶれません。自己表現の縦軸は信仰、横軸は社会的生活です。ですから隣の人には嫌いでも挨拶しなければいけないと判断することができます。信仰があると縦軸がぶれなくなります。

信仰は「縦軸としての善」と思ったときに、引きこもりの人、話下手な人や鬱の人でも「聖書に照らして善」というのはとてもシンプルな考え方であり、聖書に照らして善と思う事をどんどんやっていけばいい、・・(略)・・

ですからクリスチャンであるということは、パフォーマンス学を考えるときには有利に働きます。何にも軸がなく、自分の好き嫌いを軸にしていれば、嫌いな人がいれば避けてしまうでしょう。

しかし「縦が神様」と思うと、横の振る舞いが公平になります。早くなり効率が良くなります。クリスチャンであることはパフォーマンス学においてとても有利なことだと思います。

佐藤先生はとてもアクティブに様々なご講演や執筆など様々なご活動に取り組んできておられますが、神様を信じることがご自身のキャリア形成に影響を与えてきたのでしょうか?
〜蒔いた種は刈り取れる、蒔かない種は刈り取れない〜
 

神様を信じることは大いに影響を与えてきたと思います。ひとつは「蒔いた種は刈り取れる」という考え方ですね。

−「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。(詩篇126篇5−6節)」という御言葉がありますが、聖書の考え方は、「夜になっても種を蒔き続けなさい。朝種を蒔いて、泣きながら蒔いた人は刈り取れる」−

やればやっただけ刈り取れると聖書に書いてあるのです。やっても刈り取れないと思ったときにつらいのですが、聖書ではやったことに応じて刈り取れることが明記されています。

「やったことは刈り取れる」と思うことがタフさの秘訣だと思います。元々普通の人よりはタフでしたがクリスチャンになってから、・・(略)・・とにかく蒔くことで刈り取れる、蒔かなければ刈り取れない、という考えの基に行動できるようになりました。

日本人の自己表現下手とキリスト教文化が薄いことは関係があると思われますか?
〜言葉をきちんと話すためには聖書を読むべき〜


日本人の中に「キリスト教の信仰がない」という事は、自己表現下手に多いに関係していると思います。私はキリスト教を信じるようになる前に、他の宗教に関する論文もたくさん読みあさりました。

しかしもし仏教を信じたならば、最後は自分が無になるのです。諸行無常で、自分を無にしてゼロにして仏様に帰依します。我を無にして阿弥陀仏に差し上げる。即天国に行ってしまいます。

しかしそう考える時、「人殺ししてすぐ南無阿弥陀仏、天国に行くだろうか?」「そんなに単純なのだろうか?」という疑問が沸きます。それならば結局人生で色々頑張っても空しいということになってしまわないでしょうか。

一方聖書の場合は結局「人生は空しくない」と言っています。仏教の場合は何かやっても「全部無です」ということになってしまいます。

何をやっても自分の意思とは関係なしに変化してしまう。いろいろ努力しても、最後はゼロですよ、ということになってしまうと人生で努力することにあきらめの気持ちが生じてきてしまいます。無に等しいと言われると頑張りにくいのではないでしょうか。

しかし聖書では「人生は無に等しいわけではない、この世はこの世で頑張って、最後は天国で会いましょうね」と言っています。この世はこの世で頑張れば、それに応じてちゃんと刈り入れるときが来る。

そう考えると、人と意見が合わなかったら論争して、弁証法的にどんどん議論していけばいいと思えますが、人生の最後は無であると考えてしまうと「議論したら関係もゼロになってしまうかもしれない」と思って敢えて人と議論しようと思えなくなってしまいます。
「ことばは神である」―と考えることが非常にキリスト教的だと思います。話さなければ互いのことはわかりません。

ピリピ書4章4節では「いつも主にあって喜びなさい」と書かれています。他にも聖書には「喜べ」と多く書かれています。つまり「生きていることはワンダフルで、死んでからもワンダフルである」ということですね。

そうではなくて生きていること自体が空しい、諸行無常といわれてしまうと、「空しいなら生きてなければいい」と思ってしまわないでしょうか。口論することは空しいから話さない、話さないと誤解が生じます。

そうではなく、とことん話してやがてわかってくれる、AではなくてBですよ、いや、AもBも違ってCでしょう、そう語り合っていくことで収穫が得られるという、この考えはキリスト教的発想だと思います。 

パフォーマティブ(自己表現的)であることはキリスト教の発想です。ですから日本人が自己表現下手というのは、言葉を重視するキリスト教の教えが広がっていないことと大きく関係していると思います。

さらに同じ話すにしても「何が善であるか?」という根本のことを忘れると話しがばかばかしくなってしまいます。何もおかしくないことをおかしがったり、まったく意味がないことをすごいと反応したり、会話の実がなくなってしまいます。

言葉のワード数は増えても、意味もない言葉を連発していては、話し上手とは言えないでしょう。そうではなく、きちんと力強く反対なら反対で言っていく、その中から真実を見つけていく−そういう考え方の方が結局、グローバル社会でも日本はうまくいくと思います。


聖書で「初めにことばありき。ことばは神だった」と言うくらい重い言葉、考えに考えて話す言葉は、本当にどうでもいい言葉ではありません。

信仰がなく、「何が善であるか」を忘れてしまうと、きちんと信念を表現できないのに無意味なことはよく話す、ということが生じてしまいます。言葉を発するときは言葉の意味をかみしめて、必要な言葉はきちんと話すようにならなければなりませんし、それには聖書をきちんと読んでいただかないといけないと思います。

nemofila2.gif
 
詳しくはここをどうぞ  http://www.christiantoday.co.jp/view-3411.html
私も信仰が与えられているのだからもっとタフでありたいと思います。

posted by 優子 at 23:59| 引用文 | 更新情報をチェックする

2011年08月18日

いよいよ1週間になったミネソタの日々

「出発地時刻で深夜に乗り継ぐ便は相当疲れることを改めて実感しました」。
ワシントンへの引越しで大変だとわかりつつも、次女夫婦からメールがなくて心配していたら帰米してからクタクタだったらしい。

しかも、日通から気をもむメールが届いていたという。
外装込みで3立方の予定だったのが、組み合わせの問題で3.862立方になってしまったので見積もりの相談をしたいとのこと。とにかく一眠りしてからスカイプで電話したそうだ。

相手の状況を聞き、交渉の結果、妥当な値段でお願いできたそうだが、少しでも容量が越えると格段に費用がアップするというから疲れている時はしんどい話だったことだろう。
その一方で、この迅速なやり取りはインターネット時代ならではのことと関心してしまった。

帰米翌日は家主の娘さんが家を探している人たちに部屋を見せたいというので、寝ていたいところを起きて協力し、その日は私達にも案内してくれたスーパーマーケットへ行ったそうだ。レインボーに行くのもこれが最後になるのではないだろうか。

13日はマチが体調を壊してダウン。
その間に、クマが「もらって欲しい物リスト」のHPを完成させて学部のメーリングリストに流したそうだ。実に上手に作ってある。ここをクリックしてご覧下さい ↓(http://www.econ.umn.edu/~narit002/moving.html

すると、すぐに色んな人から反応があり、もらってくれる人には今週の金曜日に取りに来てもらう予定とのこと。

そういえば神戸大学を卒業した時、神戸で下宿していた卒業生が不要になった物のメーリングリストが真智子の携帯電話にも流れてきた。今から8年も前のことである。

すぐに娘が洗濯機や炊飯器、冷蔵庫もだったと思うが「ほしい!」と返事すると、その後まもなく「すべて完売しました」とのメールが再送信されてきたので笑ってしまった。
これらは東大大学院進学のため千駄木での下宿生活必需品だったのである。

私はこんなことを見聞きするのも初めてだったし、次女に中古品を使わせるのがかわいそうでならなかった。特に次女は物を大事にする子で次女に説得されたものの、「新しいのを買ってあげなくてかわいそう」という気持ちがいつまでも消えなかった。

しかし今ならばよくわかる。
それは見当はずれの間違った感情であることを。

しかし、「かわいそうに」の思いだけではなくすごく感動したものだ。
どの時代の人も「今の若者は・・」とクレームをつけたがるがそんなことはない。今の若者は使い捨てしないで物を大切に使っている。こうすればリサイクル処理代もいらないし合理的だ。しかも、「完売しました」とは何てユーモラスなんだろう!

相手の方は京都の学生さんで、真智子とは学部も違い初対面の人だった。
六甲道駅近くだったと思うが、指定された場所へ夫と共に1トン車か2トン車で譲り受けに行った。その時、夫は胃粘膜切除術を受けてからまだ日が浅かった時で、顔色が悪くしんどそうだったのを覚えている。

真智子が東京へ行くのが寂しくてならなかった私は、「不要になった電化製品を処分して自宅へ帰る子はいいなあ。親御さんも息子さんが帰ってきていいなあ。4年間辛抱されたのか・・・」と、そんなことを思いながら青年を見ていたことも懐かしく思い出される。


真智子が東大を去る時もメーリングリストを流し、それでも残った物は文京区の粗大ゴミ処理場まで運んだのであった。

さて私達が盆法要だった15日は、引越し後すぐに必要なシャワーカーテンなどを買ったり、ソファー&ソファー周りの家具を下見して、お気に入りのが見つかったので(ワシントン)D.C.に着いたら、オンラインで発注するそうだ。

16日は銀行系の仕事と書類の整理。オンラインシステムがトラぶって2回も電話する羽目になって大変だったとか。

そして今日(ミネソタでは17日)は2人とも体調不良なために、大学での用事をする予定だったのを中止して、家でできることをしながら身体を休ませていたようだ。

次女夫婦がミネソタを発つのは24日、ミネソタ滞在もあと1週間になった。ワシントンまで飛行機で4時間ほどらしい。

「こっちは湿気が少ないせいか、寒いんだか暑いんだかわからない、秋みたいな気候です。セミも一匹も鳴いてない。昼は半袖だけど、夜は長袖で薄い目の布団を着て寝てるよ。(日本とは)別世界みたい」。

ちなみに最近のミネソタの最高気温は28〜30度で最低気温は15〜17度くらいだが、8月の終わりになれば急激に温度が下がってくるのだろう。ミネソタの秋は早い。

来週の今頃はワシントンD.C.だ。
引越しが無事完了するまで2人の健康が支えられますように。

附記:
こちらは相変わらずの猛暑。夜まで暑いのがかなわない。昨夜、暑くて目が覚めたら夫のベッドは空っぽで1階で寝ていた。下では扇風機さえいらなくて、風がなくてもヒンヤリした外気が入ってくるので私も下で寝た。

今日、年に一度の浄化槽の清掃が終わりホッとした。
毎年決まって25日頃なのに昨年から順番が変わったのか、お向かいの家の前にバキュームカーが止まっているのを見てビックリ! 大慌てでチャッピーの小屋を動かしてチャッピーを家に入れてやった。喫茶店


posted by 優子 at 21:20| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月17日

美濃紙業のホームページ管理・更新

次女夫婦が帰国するたびにパソコンの使い方でわからないことを聞いて解消している。今回もいくつか聞きたいことがあった。今回は長期滞在にも関わらず毎回のように出発の数日前になって必死になっていた。

出発前夜になって「ウィンドーズ7(セブン)」のワードの使い方を次女に聞いていた。「セブン」では何字何行と設定の仕方がわからなくて「ウィンドーズXP」で書いていたが、そちらも字数や行間がメチャクチャで設定できなくて困っていた。共に解決して感謝!

そして9日朝、クマ(次女の婿)に美濃紙業のホームページの更新の仕方を教わった。前回も少し聞いたのだが、そのページを開くまでがややこしくて投げ出してしまった。

しかし今回は本気で覚えようと臨んだところ「FFFTP」で開く簡単な方法を教えてくれた。しかもワードでできるので実に簡単だった。これなら常に変更可能だから夫と長女が喜んでくれている。

そこで早速、「会社概要」の文面を更新した。字が小さくて読みづらいので大きくするのが次の課題だがわーい(嬉しい顔)、画面右側にある「お気に入りリンク」から「美濃紙業株式会社」を開いてお読み下されば嬉しい。
写真の差し替えについては時間切れになってしまったので、時間があるときに試行錯誤でやってみようと思う。

さて、紙業界はどこも3割も売上げを落としており、これ以上になると経営するのは難しくなるという。ペーパーレスもどこまでいくのだろうか。

私の実家が印刷業ということで美濃紙業から伝票の注文をもらっていたが、今年になって1000万円を投資してパソコンを入れ替えて連動するようにしたので、とうとう伝票も必要なくなってしまった。そのことは13日の墓参のあとの食事の席でも出ていた話題である。

昨今は軒並み食料品の値上げで、紙も値上げに踏み切ることになる。私たちとは分野の違う家庭紙においてもそうだ。トイレットペーパーも値上がりし始めている。

製紙メーカー、代理店だけではなく、卸し商もまた毅然として値上げを実施していかねばならない。そのためにも業界の重鎮として働く夫のリーダーシップは必至である。

美濃紙業においてもここ数年間は管理職の給料を下げ経費節約で切り抜けてきたが、今後は従業員数減ということもあり極めて厳しい状況であると聞いている。

6月末のこと、ギックリ腰になる直前まで長女主導で経営についての重要なビデオを夫と3人で見ていたのだが、そこから夫の意識は大きく変えられてきており新たな気づきに期待しているところだ。

それまで以上に社員に対しても姿勢を正すよう働きかけを続けているが、私が懸念している部門の著しい改善は未だ見られない。

全ては心のあり方であり、心ある人が真の意味において有能なる人物に開花されていくのであり、向上心があり互いに高め合える人物、それが私たちの求める社員像だ。

背後で夫のことを祈り続けたい。
そして、本領を発揮してすさまじい集中力と努力で知識を日々獲得し続け、自己を磨きながら父の支えになろうと励んでいる知子のことも祈り続けたい。


附記:
「7月21日、フェイスブックの登録者数が5億人を突破した」とのこと。
東日本大震災後まもなく「クリスチャンの地震被災情報」を紹介されて、ペンの友にフェイスブックを開設してもらったが7月25日にクマに削除してもらい利用を停止した。

理由は、フェイスブックでは知人から知人の友達を紹介されて面識の無い人と友達になることに戸惑いを感じたことと、私が更新していないのに私のお気に入りとして「ウォール」に記事が書かれていたので不安になったからだ。

いずれにしてもフェイスブックの利用方法を理解できていないということに尽きるのかもしれない。「クリスチャンの地震被災情報」を覗けないのは残念だが、それ以外は利用停止しても全く不便はない。
himawari2.gifフェイスブックで私を見つけてメールを下さった方々、ありがとうござました。

posted by 優子 at 15:55| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2011年08月16日

2011・お盆雑感 A

自宅近くに禅宗のお寺がない。義父が亡くなってから谷町筋のお寺さんに来て頂いている。

谷町筋は相撲の力士を贔屓(ひいき)にする人を呼ぶ「タニマチ」の語源であり発祥地で、大阪の谷町7丁目から四天王寺前にかけて軒並み寺が並ぶ寺町である。

義母のところは毎年最後の訪問宅になっており、今年の来訪予定時間は夕方6時から7時。昨日お見えになったのは7時前になっていた。毎年滞在時間はごく僅かで昨日も疾風のように帰って行かれた。(笑)

集まった親族は13日に墓参に行ったメンバーに知子とユキが加わっただけだった。その後の2時間余りのひとときは、私には今までで最も和やかな食事会だった。
18日追記:昨年は義母が三男の嫁の前で鬼のような顔をして震えながら私を罵倒したのだった。話題は植木剪定のこと。知子もそばにいた。そのことをスッカリ忘れていたが、この夜遅くに思い出した。

2人の義弟は、それぞれに2人の息子に恵まれ野球少年を育てたのでユキに野球を教えてくれていた。ピッチャーとバッターの両方を。
そして、実のおじいさんは教えてやらないで、蝉をつかまえては怖がるユキの服にとまらせて泣かせる「いじわるじいさん」である。

夕食後、例年のように冷えた西瓜を我が家に取りに帰った時、何度も渡し忘れていた『パンドラの匣』についての小論コピーを持って行った。次男三男さんのお嫁さんが東大阪の方々ゆえに興味深く読んでいただけるだろう。

その後、お下がりを分けて皆で麻幹(おがら: 皮をはいだ麻の茎)を焚いて送り火をした。浄土真宗は送り火はしないので(母がやらなかっただけかもしれないが)当初は物珍しかった。

「大じいちゃんはこの明かりで天国へ帰って行くんよ」と義妹がユキに話していたから、ユキが混乱しないように折を見て話してやろうと思う。天国や神さまのことを。

義母のそばで夫と義弟たちが声をあげて高校野球に見入っていた。年老いた親にとってこれ以上の幸せがあるだろうか。子供にとってもこれ以上の親孝行はないだろう。私は何とも言えない感慨を覚えていた。

お盆のあとかたづけもだいたい終わり、夫とふたりで婿が帰国した時にパジャマやバスタオルなどがすぐに出せるように衣装ケースを買いに出かけた。

店の中に入ってこの前一緒に来た時のことを思い出し、マチ・クマの姿を追っていると寂しさがこみ上げてきた。

しかし、人はすぐに慣れるものだ。

50日間も一緒にいたことさえ夢のようだし、6月末に再会した時も娘が外国に住んでいるとは思えなくて、一瞬にして離れ離れだった時空は埋まってしまった。きっと死に別れてのち天国で再会した時もそのように感じるのだと思う。

また、滞在期間の後半の過ぎるのが速かったこと。人生もこのとおりだと思う。
50歳代はそれまでの3倍の速さに感じ、60歳代は5倍速にも感じる。夫が60歳になってまだ1年少ししか経っていないような気がするのに、9月になればもう66歳である。お互いに今を大切に生きていきたいものだ。


お盆休みも今日で終わり明日から後半の働きに入る。それぞれの務めを誠心誠意果たして一年の終わりを迎えたいと思う。

父が亡くなって11年、義父母の隣りに引っ越してきて12回目の夏である。いつしか私は夫の親族の祝福を祈る者へと変えられていた。
神さまは生きて働いておられる。私は人の悪に引き込まれずに、忘れてその人に対しても心を込めて生かして下さっている。ハレルヤ!


posted by 優子 at 17:21| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2011年08月14日

2011・お盆雑感 @

今年は3月11日の大震災により悲しみのお盆を迎えている人が多いことだろう。ご遺族の方々に神さまの慰めが豊かにありますようにお祈りしよう。

昨日は朝7時に夫の親族が集合して7名で藤本の墓参に出かけた。義妹も間に合うように早朝に到着した。こんなに多くの人が揃うのは久しぶりだ。兄弟全員が母を囲んで父の墓参とは、なんと麗しいことか。嫁の姿まであり・・・

墓前ではいつも義母が般若心経を唱えるので、私はいつものように神さまに黙祷し始めたら今回は唱えることもなく終わった。こんなことは初めてだ。

知子とユキは予定があって欠席したので私達夫婦は家へは帰らずに実家の墓がある服部緑地(豊中市)へ向かった。

早ばやと阪神高速道路は渋滞していたため地道で行った。それでも11時の待合せには早すぎたので江坂近くのマクド(関東ではマック)で時間をつぶしてから行った。

「お父さん、お母さん、来たよ」。
墓に両親はいないとわかっていても、やっぱり父と母がいるような気持ちになって語りかけてしまう。

「いつも先に来て掃除してくれているから僕も早く行くわ」と言ったとおり、兄も待ち合わせの時刻より30分も前に来た。

黙祷ではなく兄の前で声に出して祈れたらいいなぁと昨夜寝る前に思ったことを思い出し、勇気を出して言った。
「声を出してお祈りしてもいい?」
兄は「いいよ」と快く言ってくれたが、兄から「アーメン」は聞こえなかった。

このあと、例年のように昼食を共にしながら歓談した。
いろんな話題で2時間もしゃべっていたが、話の流れで神さまの話になり「イエスさまはね」と言うと、兄は「イエスさまの話はええわ」とやや強い口調で言った。

こんなことは初めてだったので体中の力が抜けたように疲れがドッと出てきた。悲しくて心の力が抜けてしまった。

でも、夫は違ってきている。
夫は昨日も兄に同感して「死んだら終わりやと思う」と言っているし、まだまだ信じきれていないところがあるが、神さまの平安をいただいて御手の中で生かされていると思う。仕事の話を聞いてしみじみそう思った。

厳しい状況にあっても意欲的でチャレンジ精神が旺盛になっているのは神さまからきていると思う。
知子の忍耐と努力も父に届き生かされつつある。

夫に贈りたいみことばは「申命記33章25節」
「汝の力は、日々汝が求めるところに従わん」。   
       

附記:墓参のあと、高島屋へ寄ったので6時頃に帰宅した。

この時期、夫と一緒に服の買い物が恒例になっている。ちょっと気の張る旅行(製紙メーカー主催)の準備のためだ。

母ではなく夫のアドバイスを参考にするのだから私もよほどノーセンスな女である。今も服を買うのが最もじゃまくさく、オシャレに関心なく一生を終えるのだと思う。


posted by 優子 at 23:59| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2011年08月12日

乗り継ぎ地シアトル空港よりメール届く

無事にシアトルに着きました。

昨日は空港まで来てくれて、一緒に楽しい時間を過ごしてくれてありがとう。別れてからも、幸せな気持ちで、くまもまちもずっと胸があつかった。
くまも本当に喜んでいました。
ゆきちゃんとママも無事に家に辿り着いたかな?

まちたちは、オーバーブッキングだった為に、なんとビジネスクラスに乗せてもらいました!
座席は広くて、ふかふかの枕もあって、ホテルのようでした。
4年前にもこのようなLuckがあったけど、その時よりも感動が大きかった!

             (略)

ちょっと映画を見たりおしゃべりした後、二人とも約3時間半ほど熟睡したと思う。元気になりました。あっという間にシアトルに着きました(^^)。・・・

今朝早くに着信していたメールと添付してくれた5枚の写真を何度も微笑ましく見ていた。
シアトル空港で「あと3時間程待ちます」ということは、ミネアポリスに着くのは(日本時間)正午過ぎで、家に辿り着くのは3時頃になるのでは。

私達は昨日、マチ・クマと別れて2時間半後の7時に家に着いた。
ユキはリムジンバスに乗ってまもなく眠ってしまった。高速道路が渋滞して2倍くらいの時間がかかったけれど、その間ユキは1時間余り眠ったので終始元気に歩いてくれた。

デパートに寄ってお土産を買おうとしたけれど、マチ・クマが居ないのでガッカリ。ミニクロワッサンだけ買ってデパートを出た。

私達が駅に着いたのは7時前だった。知子はユキが疲れているから負んぶしてやろうと6時から45分間も駅で待ってくれていたそうだが、一旦帰って帰宅した父の車に乗って再度大急ぎで迎えに来てくれたところで出会って、私達は歩かずに帰宅した。

これはユキからマチ・クマへの伝言だ。
マチとフーが遊んでくれるから楽しかった。
マチがまたアメリカへ行って淋しいけれど、マチとフーが飛行機を見に連れて行ってくれたから楽しかった。マチとフーとおばあちゃんとユキちゃんとみんなで見れて楽しかった。おばあちゃんと一緒に電車に乗れて嬉しかった。

マチがダッコして見せてくれたから嬉しかったって書いてね。
でも今は「マチー!」って呼んでもいないから悲しいよ。
だからまた帰ってきてね。


みんなで(ウィーで)ボーリング楽しかったからまたみんなでしようね。持って帰ってこなくてもおばあちゃんが買ってくれるからいいよ。以上です。
と言って笑った。

アメリカからウィーを持ち運ぶのは大変だから自宅用に買うつもりだ(笑)。次回の帰国は4ヵ月後の予定。その頃に商品を届けてもらってクマにセットしてもらおうと思う。

まもなく飛行機がミネアポリスに着く時間だ。
後片づけは後日からにして、今日は休養しながら「無事帰宅」のメールを待とう。

明日は兄と両親の墓参を約束している。
真智子は結婚してから一度も行っていないことやクマも未だ行ったこともなく、真智子は墓参をとても心にかけてくれていたが、多忙や私の体力的なこともあって平日に行くこともできなかった。

明日は冬に亡くなった従兄弟の初盆で叔母は息子のいない家へ行く。息子を亡くした悲しみだけではなくいろんなことがある。叔母の上に神の慰めと導きを祈るばかりである。

14時21分追記:
たった今、真智子から11時半ごろ無事家に着いたとのメールが入った。神さま、感謝します!


posted by 優子 at 12:13| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月11日

「マチとフー、(今日)もう1回帰ってきたらいいのにな」 

真智子の部屋の本箱は空っぽになってしまった。
殆どをワシントンに送り、先月に続いて今朝の古紙回収に本やノートをたくさん出した。左端にまとめてある本は大学に寄贈するそうだ。
空っぽになった真智の本箱.jpg

私が時々開いてみたい卒業アルバムや小学校時代の作文集は右下の段に収めた。その上の段には「ユキちゃん、これ使ってね。まち」と書かれたメッセージと共にノートやお絵かき帳を置いてくれている。

今回は関空から発つので、ユキに飛行機を見せてやりたく空港まで見送りに行った。
出発直前に.jpg

10:50過ぎ、出発前に祖母に挨拶を。
神戸の大叔母と祖母から就職祝いを頂いた。

関空へ向かう列車の中で.jpg

20分もの間、重いユキを抱いて電車の運転席から見せてくれた真智。ユキ、よかったね。真智、ありがとう。 

今朝は思いもかけず近隣のNさんが和三盆のお干菓子を届けて下さった。日持ちするものを選んで下さり、ワシントンに移って落ち着いた時に召し上がれと真智子に持たせて下さったのだ。

昼食は上六にあるマチ・クマもお気に入りのお寿司屋さんに入り、その後リムジンバスに乗り込んだ時、ユキがNさんを見つけた。
今日はNさんの股関節の術後1ヶ月検診で、この時は病院へ行かれた帰りだった。いつまでも見送って下さったNさん、ありがとう。

行きのリムジンバスで.jpg

ユキは空港へ行くリムジンバスの中で眠ってしまった。

関空のスタバで.jpg関空のスターバックスで休憩タイム。
関空で.jpg

関空で@.jpg
まるで親子のよう・・・ユキを不憫に思う。
両親の愛の中で育ててほしかった。
そして、真智たちのこのような光景も見たい。
関空でA.jpg

ユキは目に見える何もかもが珍しい。
「スーツケースはどこへ行くの?」とスーツケースが気になっている。

昨日はこんなことを言った。
「(空港には)飛行機が何匹いるかなぁ。3匹くらいかなぁ、11匹いるかなぁ」。
ユキには飛行機が生き物のように見えているのだろうか、何てステキなんだろう。

展望台へのバスが出てしまって時間いっぱいになってしまったが、空港へ来たのにレストラン街だけではデパートに来たのと変わらないからと、タクシーに乗ってまで展望台に連れて行ってくれたマチとクマ。
展望台にてA.jpg
展望台にて
展望台にてB.jpg

ありがとう、マチ・クマと一緒に見ることができて楽しかった。
私は離陸する飛行機を見て泣いてしまった。真智子の目にも涙が光っていた。 

次の写真は2006年8月6日、成田空港からミネソタに飛び立つ直前だ。この時と比較したくて今日も同じ服を着て行った。

以来、5年間に9回帰国。正確には10回、日本とアメリカを往復している。この2ヶ月前に留学先に決まったミネソタ大学を3泊4日で訪ねているからだ。
2006.8月、成田からアメリカへ.jpg
私の髪の毛は白くなり、体重は3〜4キロ増えた。
特筆すべきことはフーが大きく変えられてきたこと。
そして、私たちもまた。マチ・クマに祝福あれ!.jpg

出発口前で真智子を我が胸に抱きしめ、太志君を抱きしめた。
16時30分、またね!!!
マチ・クマに神の祝福あれ!

2人はシアトルで乗り継いで、ミネアポリス到着は日本時間の明朝8時頃だと思う。ミネソタへの最後のフライトの無事を祈りつつ。

posted by 優子 at 23:59| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

2011年夏、真智子と着物と母と。

先月18日の記事で娘達と3人で買い物に行った時のことを読まれた友が、母親の想いを見事に代弁して下さっていた。

「久しぶりの母娘だけの外出なんかのときは、うれしいというより、しみじみと涙がにじむでしょう。でも、もう大人で、それぞれの家庭があり仕事がある、自分だけの娘ではないと思うと、限りなく寂しくなってーーー」

私だけではない。わが子への想いはみな同じなんだなぁと慰めを感じていた。
長いと思っていた50日間もアッという間に過ぎ、次女夫婦はまた明日アメリカへ行ってしまう。
箪笥が届いた日の昼寝.jpg

後半は多忙な日々だった。箪笥が届いてからは踏み場もなくなった部屋で、しばしの昼寝をとるマチとフー。

着物のことを全く知らない真智子が自分で着られるようになりたいと言うが、着付けを覚えるには日数が少なすぎると私は諦めの気持ちのほうが強かった。
しかし、娘の本気さに心動かされて呉服屋さんを訪ねたのが7月21日のことだった。

呉服屋さんとは不思議と感じるほどありがたいお出会いだった。さっそく時間を割いて下さって3回に分けて教えていただき、見事に着られるようになった!!!

真智子の情熱と熱心さに呉服屋さんが何度も何度も感嘆されていたが、真智子はこの情熱で何事もやってきたんだと親ながら改めて驚嘆したのだった。

着付けレッスン初回.jpg

レッスン初回は着物を着るところまで。

着付けレッスン2回目.jpg

2回目は我が家で帯の締め方を教わる。
前回共にご自身も着物を着ながら教えて下さった。

着付け補助クマ.jpg

そして、8月3日はマチ・クマ2人で呉服屋さんを訪ねて総ざらいをしていただいたが、実によく理解して着こなしていると絶賛して下さり、クマの助けを借りつつも一人で着たとは思えない見事な着こなしに呉服屋さんも絶句された。(この日、私はユキを連れて高島屋へ行った)

お世話になった名倉屋の名倉さんご夫妻である。
これは6日のこと。真智子と共にC.jpg

2重太鼓にリフォームした袋帯ができあがったので、締め方を教わるために自分で着物を着て出かけた時の写真である。夫はお抱え運転手のように自動車で待っていてくれた。

奥様(女将さん)は、真智子の祖母への想いや祖母につながる着物への想いを知って、「お母さん(私の母)が生きておられたらどんなにか喜ばれたことでしょうね」と仰った。

今日はお預けしていた雨コートができ上がってきたとの連絡が入ったので、マチ・クマ、ユキと4人で出かけてこの写真を差し上げ、ブログ掲載のお許しを得て記録させて頂いた。

「この雨コートは大島紬で『格子紬』・・」
と言われたと思うが、今日もまたご夫妻揃って母のことを仰った。

「お母さんは着物がお好きだったんですね。着物のことをよくご存知ですね。この雨コートもとてもいいものです。本当にいいものをたくさん持っておられるのだから着物を着て下さいね」。

帰り道、私は母の形見の日傘をさしながら正午前の炎天下を歩いた。誰ともしゃべらずに歩いた。母を偲び、母に詫び、父と母を想いながら歩いた。
今年は忙しくて、父が亡くなった8月8日のことも忘れていた。


両親への感謝を込めて古くなった油単を新しく作り直すことにした。母が作ってくれたものと同じように草色の生地に家紋をぬいて朱色の房をつけたいと呉服屋さんにお願いした。

帰宅した夫に伝えると、夫は値段を聞いて目を丸くした。
私もその半分くらいの額を想像していたが、全てが母につながることゆえに驚かなかったが、もう少し足せば真智子に買ってやった箪笥が買えるほどの値段だった。やはり一度は値段交渉をしてみるべきか・・・

真智子のおかげで着物が無駄にならなくてよかった。結城なら何代も着られるからと話していた母。真智子に雨コートもスーツケースに詰めるように言った。
2011年、父と母を偲ぶ夏である。


posted by 優子 at 23:59| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月08日

ワシントンへ荷送り完了!

ついに荷送りの朝を迎えた。
9時15分、「日通の海外引越し」さんが到着。

真智子の荷物@.jpg

真智子の箪笥.jpg

箪笥には念のために上下を記入したが、この上からも梱包したので必要なかった。

着物は航空便で、あとは全て船便にした。
箪笥も着物と同様に航空便にしたかったが、それだと箪笥代と同額くらいの輸送料になってしまうので断念した。船便は1ヶ月から2ヶ月かかるそうだ。

荷物にはお皿からタオルに至るまで枚数を数えて記入し、全てに値段設定しなければならなかった。
値段の張る漆器や、ノリタケ、香蘭社、ウエッジウッドやジバンシーなどの食器も全て、超安値のバザー値段付け感覚で申告した。保険金が高額にならないように押さえるためだ。

船便は重さではなく大きさで値段が決まる。パッキングされた荷物は段ボール箱15箱と(小袖)箪笥一棹と折りたたみ椅子1つ。見積もりどおり3立方メートルに収まった。

着物の総重量は19、5キロになり、これも見積もりどおり20キロ内に収めることができた。ただし、裾の寸直しに出していた雨コートは間に合わなかったので、次回帰国した時に別の着物と共に送る予定だ。

着物関係の保険に対しては着物一着の申告上限が30万ということで、それに倣ったがそれでも高額だからと着物と帯は写真にとっておいてほしいとの申し出があった。私はそのことでより一層信頼を篤くし快く写真をメールで添付報告してもらった。

ユキもお手伝い.jpg

ユキは好奇心に燃えて始終ウロウロしていた。日通の人達は真智子たちの子供だと思っておられたようだ。(笑)

チャッピーは吠え続けるので家に入れてやった。
この頃太ったのかと思っていたら、いつの間にかプカプカの冬毛になっていたのを数日前に発見した。私はゆっくり撫でてやることもしないダメ飼い主だ。

荷造り中のチャッピー.jpg

早い時は大寒の頃から冬毛が抜け始めるチャッピーは冬毛が生えるのも早い。今年は特に早過ぎる!どおりで7月下旬から「ハア、ハア」と息苦しそうにしていたわけだ。
今日は立秋とはいえ、この猛暑である。あの毛皮では拷問に近い。

真智、フー、この時のチャッピーのことも忘れないでいてやってほしい。現在12歳と3ヶ月のチャッくんである。

では、母を偲びながら真智子に持たせてやった着物を記録しておきたい。
真智子と共に@.jpg

加賀友禅・袷・訪問着

真智子と共にA.jpg

加賀友禅・単衣・つけさげ

3. 大島紬_2.jpg大島紬2点4.大島紬_3.jpg

5.絞り_3.jpg絞り2点6.絞り_3.jpg

7. ぼかし・コート.jpg

ぼかしの道行きコート

二重太鼓にリフォームした袋帯.jpg

二重太鼓にリフォームした佐賀錦の袋帯、この他に帯3点

おもな小物類.jpg
新しく用意した主な小物類

梱包された着物類.jpg
梱包された和服

9時20分頃から荷造りが始まって、お見送りしたのは正午を過ぎていた。10日間ほど足の踏み場もなかった6畳間に空間が戻った。

このたびも呉服屋さん初め多くの方々の助けを頂いた。このあとも、船、空、トラックなど、日本や外国の多くの方々の手助けによってワシントンの住居まで運ばれるのである。
私はこのことに深い感謝と感動を覚える。


posted by 優子 at 15:26| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月03日

驚愕の放射能汚染の実態 D

以下は、児玉教授の息子さんのツイッターです。
親父が厚労委員会に参考人として招致されました。
東大放射線センター長として、毎週末南相馬に400km車を走らせて、自身で除染にあたったうえでの訴えです。どうか見てやってください。

俺は、この人の息子で良かった。
とても多くの方から父の参考人招致について激励の言葉をいただき、感謝の言葉もありません。全ての皆さんにお返事するのが難しいほどですが、全て拝見していますし、父にも伝えます。本当にありがとうございます。

父は、3.11の前に東大のアイソトープセンター長に内定しており、放射線の研究が本業というわけではないのですが、このタイミングで父がなっていたのも何かの巡り合わせか、という気がします。

ちょうど一年前に父から肝臓移植をした母は、おかげさまでかなり体調が回復し、今度仕事にでることになりました。あの時もいろいろな方に激励をいただきました。この一年間本当にいろいろなことがありますが、家族一同支え合ってなんとかやっています。

親父からはいつも、勇気ということを教えられてきた。
親父の立場で、公開の場でああしたことをいうのは、どれだけの勇気がいったことだろう。まずはそれをねぎらってあげたい


親父のスピーチを通して、どうか学者にも社会のため、人のために真摯に仕事をしている人間がいると伝わればと思っています。利権やポジションにとらわれた人間の多さに嫌気がさすこともあると思いますが、物事をよくするために行動することをどうかあきらめないでください
 

繰り返しになりますが、父のスピーチに激励をくださった皆様、本当にありがとうございます。きちんと伝えます。親父のスピーチを見ていただいた方に、一つだけお願いさせてください。

父は影響力のある科学者ですが、同時に病気の妻を抱えた58歳のただの男です。一人ですべてを解決できるわけではありません。本当に状況が良くなるために、一人一人ができることがあると思います。
   
以上、教会の友から送って頂いた情報共有を5回に分けて連続掲載させて頂きました。
遅ればせながら7月19日の情報もご紹介します。今もUSTREAMで見ることができますのでご覧下さい。

◆福島第一原発事故から4ヶ月。今、福島県や関東全域で、体調の異変を訴える人が増えています。

〜放射能で広がる異変 子どもたちに何が起きているか〜
   http://www.ustream.tv/recorded/15990353

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驚愕の放射能汚染の実態 C

第1に
国策として、食品、土壌、水を、日本が持っている最新鋭のイメージングなどを用いた機器を用いて、もう、半導体のイメージかは簡単です。


イメージ化にして流れ作業にしてシャットしていってやるということの最新鋭の危機を投入して抜本的に改善して下さい。これは今の日本の科学技術力で全く可能です。

2番目、緊急に子どもの被ばくを減少させるために新しい法律を制定して下さい。私のやっている、現在やっているのはすべて法律違反です。現在の障害防止法では各施設で扱える放射線量、核種等は決められています。

東大の27のいろんなセンターを動員して現在南相馬の支援を行っていますが、多くの施設はセシウムの使用権限など得ておりません。車で運搬するのも違反です。

しかしながら、お母さんや先生方に高線量の物を渡してくる訳にもいきませんから、今の東大の除染ではすべてのものをドラム缶に詰めて東京に持って帰ってきております。受け入れも法律違反、全て法律違反です。このような状態を放置しているのは国会の責任であります。

全国には、例えば国立大学のアイソトープセンターはゲルマニウムをはじめ最新鋭の機種を持っているところは沢山あります。そういうところが手足を縛られたままでどうやって国民の総力を挙げて子どもが守れるのでしょうか。これは国会の完全なる怠慢であります。

第3番目、国策として土壌汚染を除染する技術を民間の力を結集して下さい。
これは、たとえば東レだとかクリタだとかさまざまな化学メーカー、千代田テクノとかアトックスというような放射線除去メーカー、それから竹中工務店とか様々なところは放射線の除染などに対してさまざまなノウハウを持っています。

こういうものを結集して現地に直ちに除染研究センターを作って、実際に何10兆円という金額がかかるのを、いまだと利権がらみの公共事業になりかねない危惧を私はすごく持っております。

国の財政事情を考えたらそんな余裕は一瞬もありません。
どうやって除染を本当にやるか、7万人の人が自宅を離れてさまよっている時に、国会は一体何をやっているのですか!


以上です。
続きを読むに初めて聞いた専門用語など、少し調べて書きました。
アイソトープ
ひとことで言うと原子は、地球上のすべてのものを構成する目には見えない小さな粒のこと。
カリウム、鉄、酸素、炭素などたくさんの種類があって、それぞれの役目を果たして活躍しているのです。
そしてその中に、化学的性質は同じでも、重さが少しだけ違う原子(元素)があります。これらの元素を同位元素(アイソトープ)と呼びます。

同位元素の中には「活発な状態の原子」から「落ち着いた状態の原子」に変わろうとする時に、放射線を出す放射性同位元素(ラジオアイソトープ)というものがあります。
自然界には、ウラン、ラジウム、カリウムなど約90種類の元素があり、一方同位元素は原子炉などで人工的に作り出されているものを含めると約2,000種類以上もあります。

ちなみに放射線を出すアイソトープを含んだ物質を放射性物質、放射線を出す能力を、放射能といいます。

抗体医薬品
がん細胞などの特定の細胞だけを狙い撃ちにする抗体を利用した医薬品。
抗体医薬品とは、特定の細胞や組織(物質や分子)にだけ効果がある抗体を利用した医薬品のことです。
抗体医薬品は、がん細胞などの表面に出ている、異物であること示す目印(抗原タンパク質)をピンポイントでねらい撃ちするため、治療効果と副作用の軽減が期待できます。 そのため、効果的かつ副作用の少ないがん治療が可能になることが期待されています。

トロトラスト
二酸化トリウムコロイドを主剤とするX線。
造影剤トロトラストは、わが国では広島、長崎の原爆に次ぐ大規模な放射線による健康障害をもたらした。体内に注入されたトロトラストは肝臓や骨髄などに沈着しα線を長年月にわたって放出する。数十年経過後、肝がん、肝硬変や白血病を発症し、死亡率も高いことが明らかにされている。

福島 昭治(ふくしましょうじ)
食品安全委員会添加物専門調査会座長、中央労働災害防止協会日本バイオアッセイ研究センター所長
名古屋市立大学医学部卒。医学博士。
大阪市立大学大学院医学研究科長兼医学部長、都市環境病理学教授等を経て現職。
化学物質の発がん性、特にリスクアセスメントを研究領域とし、発がん物質のしきい値、ヒト発がん物質ヒ素の実験的証明、がんの化学予防などについて焦点を絞って研究。
また、実験的膀胱発がんおよび膀胱の病理、特にチェルノブイリ事故後の膀胱病変を追究している著書多数。

MAPキナーゼ
分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼ(英:Mitogen-activated Protein Kinase)。全身の細胞に広く発現しており、様々な細胞の機能発現において重要な働きをしている。単にMAP(マップ)キナーゼと略して呼ばれることが多い。

NF-κB(エヌエフ・カッパー・ビー)
NF-κBは免疫反応において中心的役割を果たす転写因子の一つであり、急性および慢性炎症反応や細胞増殖、アポトーシスなどの数多くの生理現象に関与している。
NFκB活性制御の不良はクローン病や関節リウマチなどの炎症性疾患をはじめとし、癌や敗血症性ショックなどの原因となり、特に悪性腫瘍では多くの場合NF-κBの恒常的活性化が認められる。
さらにNF-κBはサイトメガロウイルス (CMV) やヒト免疫不全ウイルス (HIV) の増殖にも関与している。

答弁質疑応答続編(文章起こしはまだです。) http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=LunV27H3oW8#at=777
国会審議テレビ中継のビデオです。


説明・質疑者等(発言順): 開始時間 所要時間
牧義夫(厚生労働委員長)  9時 01分  02分
明石真言(参考人 独立行政法人放射線医学総合研究所理事、薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会放射性物質対策部会委員)  9時 03分  12分
唐木英明(参考人 日本学術会議副会長 東京大学名誉教授)  9時 15分  14分
長瀧重信(参考人 長崎大学名誉教授)  9時 29分  16分
沢田昭二(参考人 名古屋大学名誉教授)  9時 45分  15分
児玉龍彦(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授、東京大学アイソトープ総合センター長)  10時 00分  16分
今中哲二(参考人 京都大学原子炉実験所助教)  10時 16分  16分
山口和之(民主党・無所属クラブ)  10時 32分  21分
吉野正芳(自由民主党・無所属の会)  10時 53分  20分
坂口力(公明党)  11時 13分  21分
高橋千鶴子(日本共産党)  11時 34分  21分
阿部知子(社会民主党・市民連合)  11時 55分  22分
柿澤未途(みんなの党)  12時 17分  25分
                      以上

                    (つづく)

posted by 優子 at 09:25| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

驚愕の放射能汚染の実態 B

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我々アイソトープ総合センターでは、現在まで毎週700キロメートル、大体一回4人づつの所員を派遣しまして南相馬市の除染に協力しております。

南相馬でも起こっている事は全くそうでして、20K30Kという分け方が全然意味がなくて、その幼稚園ごとに細かく測っていかないと全然ダメです。

それで現在20Kから30K圏にバスをたてて1700人の子どもが行っていますが、実際には南相馬で中心地区は海側で学校の7割で比較的線量は低いです。

ところが30キロ地点の飯館村に近い方の学校にスクールバスで毎日100万円かけて子どもが強制的に移動させられています。このような事態は一刻も早く止めさせてください。

いま、その一番の障害になっているのは、強制避難でないと保証しない。参議院のこの前の委員会で当時の東電の清水社長と海江田経済産業大臣がそういう答弁を行っていますが、これは分けて下さい。
保障問題とこの線引きの問題と子どもの問題は直ちに分けて下さい。子どもを守るために全力を尽くすことをぜひお願いします。


それからもう一つは、現地でやっていますと除染というものの緊急避難的除染と公共的除染をはっきり分けて考えていただきたい。

緊急避難的除染を我々もかなりやっております。
たとえばここの図表に出ておりますこの滑り台の下、滑り台の下は小さい子が手をつくところです。が、この滑り台に雨水がザーッと流れてきますと毎回濃縮します。

右側と左側とズレがあって、片側に集まっていますと平均線量1μのところだと10μ以上の線量が出てきます。それで、こういうところの除染は緊急にどんどんやらなくてはいけません。


それからさまざまな苔が生えているような雨どいの下、ここも実際に子どもが手をついたりしているところなのですが、そういうところは、たとえば高圧洗浄機を持って行って苔を払うと2μシーベルトが0,5μシーベルトまでになります。

だけれども、0,5μシーベルト以下にするのは非常に難しいです。
それは、建物すべて、樹木すべて、地域すべてが汚染されていますと、空間線量として1か所だけ洗っても全体をやる事は非常に難しいです。

ですから、除染を本当にやるという時に、いったいどれだけの問題がありどれ位のコストがかかるかという事を、イタイイタイ病の一例で挙げますと、カドミウム汚染地域、だいたい3000ヘクタールなんですが、そのうち1500ヘクタールまで現在除染の国費が8000億円投入されております。

もし、この1000倍という事になれば、いったいどのくらいの国費の投入が必要になるのか。ですから私は4つの事を緊急に提案したいと思います。
                     (つづく)

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驚愕の放射能汚染の実態 A

第2番目です。
私の専門は小渕総理の時から内閣府の抗体医薬品の責任者でして、今日では最先端研究支援というので30億円をかけて抗体医薬品にアイソトープを付けて癌の治療にやる、すなわち人間の体の中にアイソトープを打ち込むという仕事が私の仕事ですから 、内部被曝問題に関して一番必死に研究しております。

そこで内部被曝がどのように起きるかという問題を説明させていただきます。

内部被曝というものの一番大きな問題は癌です。
癌がなぜ起こるかというとDNAの切断を行います。ただし、ご存じのとおりDNAというのは二重らせんですから、二重らせんの時は非常に安定的です。これが、細胞分裂をする時には二重らせんが一本になって、2倍になり4本になります。この過程のところがものすごく危険です。

そのために、妊婦の胎児、それから幼い子ども、成長期の増殖が盛んな細胞に対しては放射線障害は非常な危険をもちます。


さらに大人においても増殖が盛んな細胞、たとえば放射性物質を与えると髪の毛、それから貧血、それから腸管上皮の、これらはいずれも増殖分裂が盛んな細胞でして、そういうところが放射線障害のイロハになります。

それで私どもが内部に与えた場合に具体的に起こるので知っている事例を上げます。

これは実際には一つの遺伝子の変異では癌は起こりません。
最初の放射線のヒットが起こった後にもう1個の別の要因で癌の変異が起こるという事、これはドライバーミューテーションとかパッセンジャーミューテーションとか細かい事になりますが、それは参考の文献を後ろに付けてありますので、それを後で、チェルノブイリの場合やセシウムの場合を挙げてありますのでそれを見ていただきますが。

まず一番有名なのはα―線です。
プルトニウムを飲んでも大丈夫という東大教授がいるというのを聞いて、私はびっくりしましたが、α―線はもっとも危険な物質であります。

それはトロトラスト肝障害というので私ども肝臓医はすごくよく知っております。
要するに内部被曝というのは先程から一般的に何ミリシーベルトという形で言われていますが、そういうものは全く意味がありません。

I131は甲状腺に集まります。トロトラストは肝臓に集まります。セシウムは尿管上皮、膀胱に集まります。これらの体内の集積点をみなければ全身をいくらホールボディースキャンやっても全く意味がありません。

トロトラストの場合の、このちょっと小さい数字なんで大きい方は後で見て欲しいんですが、これは実際に、トロトラストというのは造影剤でして、1890年からドイツで用いられ1930年ごろからは日本でも用いられましたが、その後20〜30年経つと肝臓がんが25%から30%に起こるという事がわかってまいりました。

最初のが出てくるまで20年というのは何故かというと、最初にこのトロトラスト、α―線核種なんですが、α―線は近隣の細胞を傷害します。
その時に一番やられるのはP53という遺伝子です。我々は今ゲノム科学というので、人の遺伝子、全部配列を知っていますが、一人の人間と別の人間は大体300万箇所違います。ですから人間同じとしてやるような処理は今日では全く意味がありません。

いわゆるパーソナルライフメディスンというやり方で、放射線の内部障害をみる時もどの遺伝子がやられて、どういう風な変化が起こっているかという事をみるということが原則的な考え方として大事です。

トロトラストの場合は第一段階ではP53の遺伝子がやられて、それに次ぐ第二第三の変異が起こるのが20〜30年後かかり、そこで肝臓がんや白血病が起こってくるという事が証明されております。

次にヨウ素131。ヨウ素はみなさんご存じのとおり甲状腺に集まりますが、甲状腺への集積は成長期の甲状腺形成期が最も特徴的であり小児に起こります。

しかしながら1991年に最初ウクライナの学者が「甲状腺がんが多発している」というときに、日本やアメリカの研究者はネイチャーに「これは因果関係が分からない」ということを投稿しております。

何故そんな事を言ったかというと1986年以前のデータがないから、統計学的に優位だという事を言えないということです。

しかし、統計学的に優位だという事がわかったのは、先程も長瀧先生からお話しがありましたが20年後です。
20年後に何がわかったかというと、86年から起こったピークが消えたために、これは過去のデータが無くても因果関係があるという事がエビデンス(evidence 証拠・根拠)になった。ですから、疫学的証明というのは非常に難しくて全部の事例が終わるまで大体証明できないです。

ですから今、我々に求められている「子どもを守る」という観点からは全く違った方法が求められます。

そこで今行われているのは、ここには国立のバイオアッセイ研究センターという化学物質の効果をみる福島昭治先生という方が、ずっとチェルノブイリの尿路系に集まる物を検討されていまして、福島先生たちがウクライナの医師と相談、集めて500例以上の、前立腺肥大の時に手術をしますと、膀胱もとれてきます。

これをみまして検索したところ、高濃度汚染地区、尿中に6ベクレル/ℓという微量ですが、その地域ではP53の変異が非常に増えていて、しかも、増殖性のぜん癌状態、我々からみますとP38というMAPキナーゼとNF-κB(エヌエフ・カッパー・ビー)というシグナルが活性化されているんですが、それによる増殖性の膀胱炎というのが必発でありまして、かなりの率に上皮内のがんができているという事が報告されております。

それで、この量に愕然といたしましたのは、福島の母親の母乳から2〜13ベクレル、7名で検出されているという事が既に報告されている事であります。

                     (つづく)

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驚愕の放射能汚染の実態 @

以下は「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(子ども福島)」からの情報で、2011年7月27日(水)、衆議院厚生労働委員会「放射線の健康への影響」の参考人説明に立たれた児玉龍彦( 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)の答弁です。京大原子炉助教の今中裕之さんも参考人です。

国会審議テレビ中継は、http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.php?deli_id=41163&media_type=wb のビデオで観ることができます。
それを文字に起こした【答弁質疑応答】を今日の記事で5回に分けて連続掲載させて頂きます。
   
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次に児玉参考人にお願いいたします。

kodama_tatsuhiko_l.jpg
私は東京大学アイソトープセンター長の児玉ですが、3月15日に大変に驚愕いたしました。

私ども東京大学には27か所のアイソトープセンターがあり、放射線の防護とその除染の責任を負っております。それで、私自身は内科の医者でして東大病院の放射線の除染などにずっと、数十年かかわっております。

3月15日に、ここの図にちょっと書いてあるんですが、我々最初に午前9時ごろ東海村で5μシーベルトという線量を経験しまして、それを第10条通報という文科省に直ちに通報いたしました。

その後東京で0,5μシーベルトを超える線量が検出されました。これは一過性に下がりまして、次は3月22日に東京で雨が降り、0,2μシーベルト等の線量が降下し、これが今日に至るまで高い線量の原因になっていると思っています。

それでこの時に枝野官房長官が、「さしあたって健康に問題はない」という事をおっしゃいましたが、私はその時に実際はこれは大変な事になると思いました。

何故かというと、現行の放射線の障害防止法というのは、高い線量の放射線物質が少しあるものを処理することを前提にしています。

この時は総量はあまり問題ではなくて、個々の濃度が問題になります。
ところが今回の福島原発の事故というのは100キロメートル圏で5μシーベルト、200キロメートル圏で0,5μシーベルト、さらにそれを超えて足柄から静岡のお茶にまで及んでいる事は今日みなさん全てがご存知のとおりであります。

我々が放射線障害を診る時には、総量をみます。それでは東京電力と政府は一体今回の福島原発の総量がどれくらいであるか、はっきりした報告は全くされておりません。

そこで私どもはアイソトープセンターのいろいろな知識を基に計算してみますと 、まず、熱量からの計算では広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しております。ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます。

さらに恐るべきことにはこれまでの治験で、原爆による放射線の残存量と原発から放出された者の放射線の残存量は、一年に至って原爆が1000分の一程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は10分の一程度にしかならない。

つまり、今回の福島原発の問題はチェルノブイリと同様、原爆数10個分に相当する量と原爆汚染よりもずっと多量の残存物を放出したという事がまず考える前提になります。

そうしますと、我々システム生物学というシステム論的にものを見るやり方でやっているんですが、現行の総量が少ない場合にはある人にかかる濃度だけを見ればいいのです。

しかしながら、総量が非常に膨大にありますとこれは粒子です。粒子の拡散は非線形という科学になりまして、我々の流体力学の計算でも最も難しいことになりますが、核燃料というのは要するに砂粒みたいなものが合成樹脂みたいな物の中に埋め込まれています。これがメルトダウンして放出するとなると、細かい粒子が沢山放出されるようになります。

そうしたものが出てまいりますと、どういうようなことが起こるかが今回の稲藁の問題です。

たとえば、岩手のふじわら町では稲藁57000ベクレル/kg、宮城県のおおさき17000ベクレル/kg、南相馬市10万6千ベクレル/kg、白河市97000ベクレル/kg、岩手64000ベクレル/kgということで、この数字というのは決して同心円上にはいかない。

どこでどういうふうに落ちているかは、その時の天候、それから、その物質がたとえば水を吸い上げたかどうか。

それで、今回の場合も私は南相馬に毎週700キロ行って、東大のアイソトープセンター、現在まで7回の除染をやっておりますが、南相馬に最初に行った時には1台のカウンターしかありません。

農林省が通達を出したという3月19日には食料も水もガソリンも尽きようとして、南相馬市長が痛切な訴えをウエブに流したのは広く知られているところであります。

そのような事態の中で通達1枚出しても誰も見る事が出来ないし誰も知ることができません。稲藁がそのような危険な状態にあるという事は全く農家は認識されていない。

農家は飼料を外国から買って、何10万と負担を負って、さらに、牛にやる水は実際に自分たちと同じ地下水を与えるようにその日から変えています。

そうすると、我々が見るのは、何をやらなければいけないかというと、まず、汚染地で徹底した測定が出来るようにするという事を保証しなくてはいけません。

我々が5月下旬に行った時、先ほど申し上げたように1台しか南相馬に無かったというけど、実際には米軍から20台の個人線量計がきていました。

しかし、その英文の解説書を市役所の教育委員会で分からなくて、我々が行って教えてあげて実際に使いだして初めて20個の測定が出来るようになっている。これが現地の状況です。

そして先程から食品検査と言われていますが、ゲルマニウムカウンターというものではなしに、今日ではもっと、イメージングベースの測定器というのが遥かに沢山、半導体で開発されています。

何故政府はそれを全面的に応用してやろうとして全国に作るためにお金を使わないのか。
3か月経ってそのような事が全く行われていない事に私は満身の怒りを表明します。

                       (つづく)


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