2011年09月30日

清水安三と崇貞女学校C ―山崎朋子氏の講演より

以上、3回に分けて講演会の要諦をご紹介したが、山崎氏は講演の最後を次のように結ばれた。

私は思いがけなかった境遇からノンフィクション作家となって50年近く、アジアと日本の女性が歴史の中でどのような交流を持ったかという本を書いてきた。

調べれば調べるほどアジアの人々に対して日本の国民は加害者であったことがわかる。土地を奪い、富を奪い・・・それを認めないわけにはいけない。

踏んだ者はその痛みを忘れるが、踏まれた者の痛みは先祖から子孫へ語り継がれていく。ただし、崇貞女学校だけは違った。

清水安三という高島市が生んだ1人の青年の営みは、侵略した日本のレベルを超えて中国の最も貧しい人々と寄り添い、惜しまずに限りない努力をしたことにあった。

アジアの人々が日本に向ける視線は我々日本人の想像を越える熱いまなざしだ。アメリカに追随している日本が、今後アジアにどのような態度を取るか。
「朝陽門外の虹」は美しい大変大きな虹となって、これからの我々の指針になると思う。この虹を高島市の人々が架け続けて頂きたい。


講演後、市の職員は山崎氏の壮絶な体験と清水安三の人生から「ふたつのドキュメンタリーを見たように思う」と挨拶されたが、私もまた山崎氏の数奇な半生に驚愕した。

そして私のもう一つの驚きは、後援が市の教育委員会の講演会であるにもかかわらず、教会で聴く話と同様に全く違和感を感じなかったことだ。

というのは、例えばニュースや報道で取り上げられる場合、その人物の真髄たるキリスト教信仰をカットしては何も伝わらないだろうと思うようなことが間々あり、市や市の教育委員会の後援を受けて開催される講演会に対しても偏狭な印象を感じることは珍しいことではないので、このような話を聴くことができたことに深い感銘を覚えた。

清水安三の愛唱句は「コリント人への後の書 4章8節」(文語訳聖書)である。
「われら四方より患難(なやみ)を受くれども窮せず、為(せ)ん方つくれども希望(のぞみ)を失はず」

生涯を神に捧げた安三。自分自身を省みれば、ぬるま湯に浸かっているような安穏な生き方に強く迫られるものを感じている。
イエス・キリストは言われた。

「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」。
                (ヨハネによる福音書 12章24節)

「キリスト者であるひとりと2人の日本人夫妻が、日本と中国のあいだの空に架けた、小さいけれど美しい虹の橋!」              
             
山崎朋子著『朝陽門外の虹』(岩波書店)をお薦めしてこのシリーズを閉じたい。
                      (完)

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2011年09月29日

清水安三と崇貞女学校B ―山崎朋子氏の講演より―

1931年9月18日、日中戦争の火蓋が切られて反日活動が起こるが、崇貞学園だけは全く無関係だった。その2年後、京都の病院に入院していた愛妻美穂が結核による突然の死、わずか38歳だった。

「ミナサマ オサキヘ
 ヨロシク タノミマス
 パパ シッカリ オヤリヨ」


何とかこれを書き終わって鉛筆がベッドに落ちた。臨終だった。
安三の悲嘆は甚(はなは)だしかった。後に美穂の死を知った北京の町中の人はずっと喪章をつけていた。

遺骨は「私の中国への最後の捧げ物です」と、美穂の希望どおり中国の地に埋めた。崇貞女学校の片隅に埋められたところに立つ墓碑には、ウーチーランの妹、ウーイーウェンが墓碑銘を書いた。

「清水美穂は一生自分の楽しみを求めなかった。その身の3分の一を崇貞女学校に、3分の一を夫に、3分の一を子供達に捧げた」。

このような苦難を乗り越え乗り越えて女学校が大きくなっていった。
妻亡きあと、安三は子供達のためにも再婚を決意した。

相手は御茶ノ水、オベリン大学、ミシガン大学を抜群の成績で卒業し、青山学院の教授をしていた当時としては最高学歴をもつ小泉郁子である。この人にプロポーズしたら「イエス」の返事が来た。

「ふつつかものなれど、神行けと仰るから貴方を助け、尊き使命を一緒に果たしましょう」。

昔も今もエリートコースを歩んだ人物はエリートを選ぶのに、これは志に基く結婚であり「志婚」とも呼ぶべきものである

郁子の経営手腕は大変なものがあり、地域への大変な信頼となった。朝鮮や日本の少女も国内から通って来た。

本を読みたい時は読みなさいと、図書館は鍵をかけず24時間門を開け続けた。そして、朝鮮人に稀な教育をした。「絶対に日本名で名のるな、朝鮮名を名のりなさい」と言い続けたのである!


当時、中国の女の子は「チャンコロ」と呼ばれていた時代に毎朝漢詩を読ませ、中国には素晴しい文化があると教えた。
また、算数の嫌いな者はやらなくてもよいと、子供達には自由に自分の好きなものを存分にやれという教育を施した。

今振り返ってもめざましい教育の底流にあったのは、一貫して異民族とベストフレンド(親友)になれというものであった。

1992年6月、崇貞女学校の初めての同窓会では、白髪になった中国人、韓国人が再会を喜んでいた。その姿はまことに美しいものであった。

安三さんが蒔いた種は友情が続いていた。しかもそれは個人レベルに止まらず、民族を超えて確かなものになっている。

1945年、日本が無条件降伏の敗戦により北京を追われて帰国。(賀川豊彦と再会し、豊彦の計らいにより日本での学校創設の一歩が始まる。)

そして、埼玉県の桜並木のある町に土地を買い、小学校は持たないが、幼稚園から短大、大学、大学院までの一貫校、桜美林学園創設に到る。
かつての朝陽門外は中国外務省が建つ高級な町になった。

                  (つづく)
                 
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2011年09月28日

清水安三と崇貞女学校A ―山崎朋子氏の講演より―

崇貞女学校卒業生のモデルケースとして、非常に美しく優秀だった姉妹の姉、ウーチーラン(仮名)がいた。
ウーチーランは暗門子(あんめんず)出身で、売春婦の中でも最低のランクにある人たちだった。安三は思いもよらぬ化粧の姿をしたウーチーランを見て驚いた。ウーチーランは11歳から3年間、この生活に足を踏み入れていたことを知った。
その後、同志社へ留学させ、教師にさせた。

建学6年後には城内の人々も入るようになっていた。
安三が帰国中で留守にしていた時、中流の親から暗門子出身者が教壇に立つなんてとんでもないと、我が子を退校させる親が続出し、妻は安三に危機を伝えた。


それを知った安三は何と電報を打ったか!
「たとい全生徒が退校するともウーチーランを免職にするな 安三」。
これが教育の基盤にあった。安三は急ぎ北京へ帰った。

ウーチーランは「昔のウーチーランは死にました」と言い、牧師にして医師の資格を持つ男性と結婚して、最も奥地の福祉活動に入って行った。

被差別地帯に生を受け、放置すれば売春婦に生きるしかなかった人々を助けた安三。ウーチーランは幸せな妻となり、母となったばかりか、福祉活動を果たすことができたのである。


安三は女学校運営に必要な資金のために夫婦別居し、アメリカや日本へと募金の旅を続けた。同志社大学講師の収入の殆どを北京へ送り続けた。
安三の心には、常に必要なものは神さまが働いて下さるとの信念があったと思う。

子供達に刺繍を教え、ハンカチやテーブルクロスに刺繍させた。
ある時、刺繍製品を販売している安三を同志社大学総長が見て大学教師にあるまじき行為と受け取った。安三は説明もしないで自ら辞職届を出した。

同志社に捨てられたが近江兄弟社が安三を必要とした。中国でメンソレータムの販売権を獲得したヴォーリズが責任者を必要としていたのだ。企業利潤の大半はキリスト教伝道のために使うのである。

(山崎氏は)書くための文献を手に入れる時はいつも自己負担である。出版社に出してもらうと出版社の都合に合うものしか書けないから、いつも自己負担でやっている。

取材に行く時はプロの通訳ではないが心の優しい人を見つけて、「渡航費はお支払いするが通訳料は本が売れてからにして下さいませんか」と聞く。
源川澄子(みながわ・すみこ)さんは快諾して下さり、私に(出費の)負担を軽くしようとホテルで朝食を摂らずに屋台の立ち食いで朝食をすませてくれた。「私は言葉ができるからね」と微笑んで・・・

                (つづく)

附記:
同志社でのことを聞いた美穂は讃美歌506番「わが行くみち」を歌い、このように祈ったのであった。
「神様、わたしどもは、家庭を持ってよりこのかた、今日一日、食べ物があたえられないということはございませんでした。
あなたは、わたしどもを、かならず活かして下さいますことと信じます。同志社はわたしどもを棄てても、神様、あなたはお棄てにならぬと信じ、すべてをあなたの御手にお委(まか)せいたします」


同志社を去った翌日、安三は眠りがたい夜を明かして募金集めに旅立つ。その時、京都を出て大津で下車してヴォーリズを訪ねさせたのは神の計らいであった!

   わがゆくみち いつ いかに
   なるべきかは つゆ知らねど
   主はみこころ なしたまわん
     そなえたもう 主のみちを
     ふみて行かん ひとすじに

   こころたけく たゆまざれ
   ひとはかわり 世はうつれど
   主はみこころ なしたまわん
     そなえたもう 主のみちを
     ふみて行かん ひとすじに

   あら海をも うちひらき
   沙原(すなはら)にも マナを降らせ
   主はみこころ なしたまわん
   ふみて行かん ひとすじに


讃美歌506番は三浦綾子さんの愛唱歌でもあったが、多くのキリスト者が口ずさむ讃美歌である。

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2011年09月27日

清水安三と崇貞女学校@ ―山崎朋子氏の講演より―

世界子供白書には学校に行けない子供が1億2100万人おり、特に女の子が多く世界中で女性差別が根強く残っている。
アジア各地を足で歩いたが、女の子たちから「学校へ行きたい」と何回聞いたかわからない。日本でも秋田県へ出稼ぎに来ているフィリピンの子供から聞いた。

今から92年も前に日本人の限界を見事に乗り越えて、貧しい少女たちのために働いた清水安三は世界に誇るべきことだ!

【清水安三年譜】

1891年 滋賀県高島郡新儀村に誕生
1896年 父・弥七永眠
1897年 中江藤樹祭に行き、藤樹さんのようになる決意をする
1906年 滋賀県立膳所(ぜぜ)中学校入学、W・M・ヴォーリズに
出会う
1908年 大津基督教会で白石牧師より受洗
1910年 同志社大学神学部入学
1915年 同志社大学卒業
      平安教会でペトキン宣教師より殉教の話を聞き
      中国行きの決意固める
1917年 日本人宣教師第一号として瀋陽(中国)へ
1918年 横田美穂と大連教会で結婚
1919年 北京に移住、災童収容所をつくり799名収容
1921年 朝陽門外に崇貞工読女学校設立
1924年 米国オベリン大学・神学部に留学
1926年 同学部卒業
1927年 同志社大学講師 
1933年 同大学辞任、清水美穂召天(38歳)
1936年 小泉郁子と天津教会で再婚
1937年 北京を戦禍から守るため、日中両軍司令官にかけあう
1939年 北京市天橋にセツルメント、「天橋愛隣館」を作り館長になる
      『朝陽門外』を大阪朝日新聞社より出版、ベストセラーになる
1941年 崇貞学園に日本人部を作り高等女学校とする
      校長は妻・郁子
1945年 北京市政府により崇貞学園接収
1946年 帰国
      その1週間後に賀川豊彦と会う、翌日に学園設立を決意
      その1ヶ月余り後には桜美林学園の開校式
      まもなく高等女学校・英文専攻科設立認可される
   

この時、安三55歳
以上は「2011年7月23日桜美林学園同窓会広報委員会制作」年表参考

安三は1919年に中国に入った。日本人が中国人の中に入って伝道・教育活動すると、通常報酬の4分の一しか払ってもらえない仕組みになっていた。

その翌年、中国北部地方で大干害(ひでりの害)が起こり難民が続出した。200文で子供を売る者あれど、それさえ米1升にも満たなくて、井戸に家族全員が投身したという新聞記事を読んだ安三は、決してこのことを忘れなかった。

北京は城壁の町で城外はスラム・貧民窟(くつ)である。安三は朝陽門外のスラムに子供達の収容施設を作り、延べ34000人以上の子供を連れて来た。
体中、デキモノだらけの子供をお風呂に入れ(洗ってやり)、食物を与えるにも(栄養失調状態ゆえに)重湯、お粥から始めた。

車夫、残飯売りなど文字通りのその日暮らしの人々である。
女の子ならば6〜7歳から金持ちの玩具、冬ならば金持ちの足元に女の子を置いて足を暖め、長じては売春婦にするのだった。
人権の危機にあり、娼婦になるより仕方がない女の子の救済のために学校を作り、「崇貞(すうてい)女学校」と名づけた。つまり貞操を重んじるという意味だ。


お化け屋敷と呼ばれていた空き家を買って、4人の先生を集めた。
そして子供達を集めるために宣伝するが、チラシを何枚貼っても来ないはず。みんな字が読めないからだ。そこでチンドン屋を雇って伝えると、たちどころに60人集まった。

子供達には、読み・書き・ソロバン、そして、書道を教えた。中国人は字を重んじるからだ。
「成績優秀な者は俺が必ず日本へ留学させて、帰国した時には必ず崇貞の教師にさせるぞ」と、安三はよく言っていたという。

                 (つづく)

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2011年09月26日

山崎朋子氏の地獄の苦難

海軍士官の父が艦長を務める伊号潜水艦が沈没したのは1940年、山崎氏が8歳の時だった。
艦長の娘だから「非国民の子」と指を指され、後には潜水艦も遺骨も全く見つからないまま軍国の英雄として祀(まつ)られ、今度は軍国の遺児として世間の視線が変わった。

成人して心の澄み切った素晴しい青年に出会い(事実上の)結婚。
東大法学部卒の優秀な人だったが仕事がなかった。彼が朝鮮人だったからだ。山崎氏が朝鮮人と一緒に生活していることを知った雇い主は、ただそれだけで首にした。
そして、彼の側でも日本人妻を忌避され、彼の使命を生かすために已むなく別離した。

日本人はなぜ朝鮮人を軽蔑するんだろうと漠然と思っているのと、少しなりとも痛みを分かち合うのとは天と地ほどの違いがある。

その後、ストーカーに顔に7ヶ所68針も縫う大怪我を負わされ、出血多量の意識不明で運ばれた。(左)目も血だらけで(左)手の小指はぶら下がっていた。

この時、2つの支えで不幸を乗り越えた。1つは主治医の言葉だ。
井上かねあき、まだ若い医師だった。私が聞くよりも先に医師の方から包帯の中の現実を話されて、
「しかし、いいね。傷も身のうち。頑張って生きていけよ!」
言葉とは力があると思った。
子供たちに「お化けだ!」と指差され、「その顔じゃあねえ」と仕事もなかったが、この言葉を何回も何回も胸に呟きながら生き抜いた。


パン屋の2階で住み込みで働いていた時、パン屋のおかみさんがいつも階段に新聞に包んだパンの耳を置いて下さっていた。
サンドイッチを作る時に出る耳を少し幅広めに切って下さって、このパンの耳と水で何週間か生きながらえることができた。

ある時、国会図書館へ行き、ロマン・ロランの『魅せられたる魂』の「魂」という言葉に惹かれて読んだ。あの時ほど真剣に読んだことはなかった。
感動で涙が流れてやまなかった。涙は(包帯下の)傷に良くないからと医師にコンコンと言われていたがどうしようもなかった。


学ぶことは本当に生きることであると感ずることができた。
こうして医師の言葉とロランとの出会いで苦難を乗り越えることができた。

                    (つづく)

私(ブログ著者)はあまりにも過酷な氏の半生に絶句し、人生の重さを感じるのが精一杯だった。
このあと本論に入っていかれた。それは次のページに続けたい。

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2011年09月25日

山崎朋子氏の講演会に

遠方だったが行ってよかった!
O姉とご一緒に大阪駅から1時間15分乗車、会場には開会5分前に着いた。2時45分からの講演会でも11時半に家を出なければならず、今日は致し方なく神を第一にすべき礼拝を休んで滋賀県は安曇川(あどがわ)まで出かけた。
ここは湖西線・近江高島の次の駅で、目指すは高島市立安曇川公民館だ。

講演会は高島藤樹会主催、後援は桜美林大学孔子学院高島学堂と高島市教育委員会で、今年度の「中江藤樹(とうじゅ)心のセミナー 郷土の先人に学ぶ集い 清水安三について学ぼう」というもので、「清水安三と崇貞女学校 −朝陽門外での日・中・朝女性交流―」と題して、女性史研究家でノンフィクション作家の山崎朋子氏が講演された。

著名な作家の講演は桜美林関係者と久保田先生と弟様のご尽力により実現したという。

帰宅して2時間余り経った今も清水安三の世界に在る。
感想をひとことで言えと求められれば、桜美林学園を建学した清水安三は同志社を建学した新島襄ほど周知されていないかもしれないが、このような偉大な人物は声を大にして伝えていくべきであると痛く感動した。

久保田先生よりお借りしていた本は、いよいよ面白くなり始めたところまでしか読めなかったが、斜め読みではなく詳しく読み上げたい。

受付で市外出席者名簿に名前と住所を記すように求められ、「藤本」と書いた瞬間に「藤本さんですか、久保田先生のところまでご案内します」と声をかけられ、いつもながらの先生の行き届いたご配慮に身が引き締まる思いがした。

落ち着いたアットホームな雰囲気が漂う会場には、既に150名ほどの聴衆が席を埋めていた。案内されたのは最前列真正面の席だったので恐縮したが、厚かましくも久保田先生と並んで一等席で講演を拝聴した。

今年は清水安三生誕120年、桜美林学園創立90周年であり、折りしも今日は中江藤樹の命日にあたるそうだ。清水安三も幼少時より敬慕した同郷の藤樹である。
(過去ログ2007年11月4日に藤樹について簡単明瞭に記載:http://yukochappy.seesaa.net/archives/20071104-1.html
講演会の内容については明日に譲りたい。

講演後の懇親会(夕食会?)にもお誘い下さっていたが、遠方ゆえに断念して帰路についた。
懐かしい大溝教会の牧師夫妻と信徒の方とも再会し、何度もお訪ねしているうちに高島と大溝教会をふるさとのように感じた。また、近江兄弟社学園理事長とは初めておめもじした。

安曇川公民館・山崎朋子講演会.jpg

山崎氏は1932年のお生まれとは思えない溌剌とされたご様子だったが、東京に帰れば手術をしなければならず体調を壊しているからと座って語られた。
ご講演の冒頭で語られたご自身のご経歴もまた大変センセーショナルなもので、明日はそこから書き始めたいと思う。


posted by 優子 at 22:51| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2011年09月22日

「地の塩・世の光」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージ 24―                  

「地の塩・世の光」(村上 宣道牧師)

イエス・キリストは、次のように話されました。「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう」(マタイの福音書5章3節)。

また、「あなたがたは、世の光である。・・・あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし・・・」(マタイによる福音書5章14〜16口語訳)。
 

まず、「地の塩」についてですが、塩の役割というのは、第一に、味をつけるということです。本来そのものが持っている味を引き出すという役割です。

さらに、塩の効用は腐敗を防ぐということでしょう。そのままにしておけばすぐに腐敗してしまうものでも、塩によって腐敗を防ぐばかりか長く保存することができるわけです。

このように、私たちもこの世にあって、周りに味をつけるように、周りを生かし、また、腐敗をとどめるような存在として役割を果たすようにと勧められているわけです。

ただ、その塩が塩として効力を発揮するためには、自分が世の中に溶け込んでいく、つまり自分自身を犠牲にしていく覚悟というものが求められるだろうと思います。

「光」というのはこれとは対照的で、自分自身の存在を周りのために明らかにしていくことが求められます。また、光は通常、熱を伴い、周りに温かさを提供するものともいえましょう。

さらに、光は燈台が最も象徴的なように、その行く手を照らし、方向を示す役割を果たします。そして、光はすべて生きているものに命を与え、育みます。

そのように、私たちもこの世にあって、周りを生かし、人々の人生のガイドになるような生き方をしなさいとキリストは勧められたのです。

あるキリスト教主義の全寮制高校の教頭先生が次のように言っていました。
「私たちの学校は、『地の塩、世の光』というのがモットーなので、生徒に、人のしたがらないことを率先して行いなさい。自分が汚れ、泥だらけになることをいやがらないようにしなさい。

つまり、地の塩となって周りを生かすために、自分を溶け込ませていく生き方をすることで、周りの人々に光を与える存在となれるのだ」と教えています。

お話を伺って、地の塩と世の光というのは、別のことを言っているのではなく、本当に地の塩としての役割を果たしていくと、それは光となって輝いていく存在になるのだと思わされました。私たちも存在感のある生き方をしていきたいものです。

posted by 優子 at 21:54| 引用文 | 更新情報をチェックする

2011年09月21日

JCP研究例会A ―相互講評のコメントから―

研究例会では学びのあとに作品(文章)を持ち寄って相互講評というのがある。私は書かないで出席することのほうが多く機会を無駄にしているが、相互講評で出たコメントはどの書き手にも通じることであるのでメモしておきたい。

まず、はっきり物を言われるので非常に興味深い今関氏のコメントから。

★ ここで読者を巻き込みたいが巻き込まれていかない。ただ経歴を伝えられただけで、それは書く人にとってのみ大切であるだけで、書く人の問題が読む人のものになってこない。

★ ここはすごくいいシーンを拾って書いているんだけれど、それがもっとこちら側にビンビン響くように書けたらいいのになあと思った。

★ ここも打ち明け話をされているだけで○○さんちの事情を聞かされているだけだ。気持ちを抑えて羅列されているだけだから読む者の気持ちが入っていかない。
読んでいて切実に自分のものになる時ってどういう時だろうか。

★ この人(登場人物)は、どうあがいても悪者でしかない。

★ ここで弟が死んだことに地団駄踏んでもいいのではないか。
この人のことをはっきり書くよりもぼやかして書けないだろうか。そこを信仰で乗り越えてほしい。(said 大田先生)


含蓄のある批評だった。

私は自分の体験を通して具体的に書く証し文は苦手だ。
周囲への配慮からぼやかして書くことができればいいが、そこが難しく、書いては消し書いては消しで苦心する。それは全身全霊で命を削りながらの気魄で書く。

私が「書くことで信仰が練られていく」というのはこのことを言うのであり、神さまと向き合って自己洞察を深めながら作品を書き上げていくのである。
まるで同じ机でイエスさまと向き合って勉強しているかのように、共に黙してそれぞれのワークをしている光景をイメージする。

大田先生が「そこを信仰で乗り越えてほしい」と言われた言葉から信仰者としての広い裾野を感じ、「そういうことなんだ」と深い実感と励ましを感じた。
今回もまた自己洞察を深めるヒントを頂く講評だった。

ところで、私にも同じようなことを助言して頂いたことがある。
大田先生は、「『私は赦せない』と正直に書いてもいいのではないか。そして、なぜ赦せないのかを書いて・・」とご教示を頂いたので、書き方論から逸れるのを承知で、
「いや、私の中では既に赦せているのです。時には苦しみの感情が出てくることがあっても」と、この証しの背景となっている出来事の顚末を簡単にお話したのだった。(過去ログ・2010年2月27日より・http://yukochappy.seesaa.net/archives/20100227-1.html

この必死さ!
このように話していた時の自分の険しい表情が見えるようだ。
この頃は長女のことで一段落はしたものの、今振り返るとまだまだ闘いの最中だった。つまり、イエス・キリストの教えに従ってはいるが、それを十分に受容するまでには到っていない。

それゆえに必死になって出来事を話しもしたのだろう。
それを大田先生と東牧師、また、ペン仲間の信仰の先輩達が黙って聴いて下さったのである。私の内面の情況を感じて下さりながら。

あのような段階でそれをテーマに選ぶには機が熟していなかった。
私はテーマの選び方が不適切であるのを感じていながらも、どの試練の時もある段階にくると共通して、焦燥感にせき立てられる心境になる。いつまでもこのままではいけないと。

しかし、焦ることはないのだ。「すべてのわざに時がある」のである。そのことを覚えていたいと思う。

そして、「藤本さんは文学レポートはいいのを書かれるから、文学作品を論じながら自分の信仰を書いていけばいい」と仰って下さった、大田先生のコメントに励まされて私の得意とするところを磨いていこうと方向づけられた。

次回の例会は11月19日(土)、会場は東(あずま)道男牧師が牧会されている日本キリスト教団・千里ニュータウン教会の予定である。

posted by 優子 at 13:03| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2011年09月20日

JCP研究例会@ −『天路歴程』を読む ―

キリスト教日本文学は前回で終わり、今回からはそれぞれが研鑽を積んでいることを発表してもらおうということになった。

第1回目は、おもに滋賀県で作家活動されている児童文学作家・今関信子氏が引き受けて下さり、ジョン・バニヤンの『天路歴程』を取りあげられた。

私は『天路歴程』については英米文学史で作者と書名を知る程度に過ぎなかったが、洗礼を受けて間もない頃、通っていた教会の牧師夫人に「『天路歴程』は第2の聖書と呼ばれているのよ」と教えられて、早速『天の都をさして』(訳:柳生直行、すぐ書房)を買って読んだのが出会いだった。

実際、聖書に続いて最も数多い言語で翻訳されている本であることを知った。尚、タイトルの『天路歴程』は先に翻訳された漢文訳からきている。

あらすじは、「滅亡の市に住む男クリスチャンが神の都への巡礼に出る。落胆の沼を通り、死の影の谷を過ぎ、虚栄の市では投獄されるなど苦難にあうが、信仰をもちつづけて、ついに天国の都を望み見る」というもので、その行程で出会う数多くの登場人物は人間の本質を見事に描き出している。

鋳掛(いか)け屋の長男として誕生したジョン・バニヤン(John Bunyan・1628〜1688)の背景を探るべく、今関氏は17世紀のイギリスに出発点を置いて話し始められた。

1560年代、純粋に教会を守っていこうとする人を揶揄して「ピューリタン」と呼ばれるようになり、1642年にチャールズ1世の専制政治に対してピューリタン革命が勃発。

そして、1649年にチャールズ1世を反逆罪で処刑してしまう。
しかし、1660年に王政復古となりピューリタンは迫害され、このような中でバニヤンは無認可説教活動を理由に逮捕され、ベッドフォードで12年間の牢獄生活が始まる。

1665年には第2次英蘭戦争が勃発し、ロンドンでペストが大流行、翌年にはロンドンの大火があった中世末期から近世に差し掛かった頃で、これらは西洋文化史の中でも私の記憶に残る時代だ。

以下は今関氏の講演より:

「この時代は識字率が上がっている時期で、聖書が各家庭に届いていった。
信仰的に強い人もいるが、共に信仰を守りながら歩いていこうという人々もあり、教会の枠を守りながら、学びながら力をつけていった。

このような時代にペストの大流行があり、ピューリタンたちは原罪について考えるようになる。

『天路歴程』は魂の遍歴であり、『ガリバー旅行記』同様に大人が読むために書かれた本であるが、子供は本に書いてある内容を自分の生活の近いところで垣間見るので、空想を楽しみながら読んでいく。

『悪魔がささやく』と書いているところがすごいなあと思う。悪魔はささやくのであって、これ実感だなあと思って読んだ。

「死の谷」を歩むのは他にも歩いている人がいるよ、だから歌っているんだよ、神さまがその人と一緒におられるということだよ。その神さまはあなたにも私にも共に居て下さっているよとバニヤンは語っている。

見かけだけの町があり、その繁栄の町は要らない物をやたら作って安く売っている町で、全く今と同じだなと思った。

「形ばかり氏」、「見せかけばかり氏」、「怖がり氏」、「高慢ちき氏」、「おべっか氏」・・・など、私達の中にそういうのがある。外との戦いとは違って魂の中に疑いが出てくるなど、よく内省しているなあと思った。

最初に出てきた「死の谷」は自分の問題ではなく逃れ道だったが、今度は自分に降りかかってくる。牢獄に閉じ込められていた時に、体も暗く重い体験をして思いついたのかも知れない。

闘いは年を取るほど厳しくなってくる。(人生の)終わりになるほど厳しくなる」。


作家らしい感性を感じるお話だった。

さて、ネット時代の合言葉、「何でも検索!」とばかりに探してみると、良いサマリーになるのを見つけたので貼っておきたい。http://www.megumibaptist.com/Portrait02.html

             (つづく)

最後に今関氏が登壇される集いをご紹介!
2011年 滋賀・不戦のつどい

辻井 喬(詩人・作家)+武村正義(官房長官・滋賀県知事)+今関信子(児童文学作家)

「戦争と平和」・憲法9条を語る
と き: 2011年12月4日(日)午後2時〜
ところ: 大津市 びわ湖ホール 中ホール

主 催: 革新の会しが、大津革新懇 
連絡先: 革新の会しが事務局(п@077−515−7100)


posted by 優子 at 20:48| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2011年09月19日

島崎藤村と清水安三(桜美林学園創設者)を語る講演会

日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックで親しくお導き頂いている大田正紀先生(梅花女子大学教授、クリスチャンの日本文学者)よりご紹介いただいた講演会のご案内です。

島崎藤村学会第38回徳島大会 〜藤村と関西U〜

○ 島崎藤村学会主催 学術大会・学術講演会
○ 大会テーマ 島崎藤村学会第38回徳島大会 藤村と関西
         
◇ 日  時  平成23年9月24日(土) 9:30 〜 16:40
                    (9:00〜受付)
         
◇ 会  場  四国大学交流プラザ 5階
       (徳島市寺島本町2−35−8 TEL 088-602-4858)

詳細は次をクリックしてご覧ください。
http://shikoku-ai.betoku.jp/link/23092493A191BA8A7789EF.pdf

この集まりは藤村研究者だけではなく半数が一般の人々であるとのことです。
今回の特別講演(13:30〜14:20)では、女優・藤村志保さんが映画『破壊』で「お志保」をいかに演じたかを語られます。

藤村志保さんの芸名はデビュー作『破壊』の役名「志保」と、『破壊』の作者・島崎藤村に由来するというので、藤村さんの(島崎)藤村観をお聴きできるのではないかと興味深いところです。

次に、日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックの創設育成に御尽力下さり、今も祈り導いて下さっている久保田暁一先生(文芸評論家、作家)に山崎朋子氏の講演会を教えて頂きました。

女性史研究者でノンフィクション作家の山崎氏が清水安三氏を語られます。
清水氏(1891〜1988)は、教育者で牧師。桜美林学園創立者。中学時代にウィリアム・メレル・ヴォーリズの感化を受けて、同志社大学神学部に進学、アメリカ・オベリン大学へ留学。

その後、中国に渡ってキリスト教を布教、敗戦で帰国し、キリスト教主義の学校・桜美林学園を創立。「桜美林」の命名は留学先のオベリンに由来します。

清水氏と懇意にされていた久保田先生から何度か清水安三のことをお聴きしたことがあります。
「せん方尽くれども望みを失わず」(コリント後書4章8節)の聖句(文語訳)は清水氏の愛唱句で、「清水さんは立派な方だった」と感慨深く語られたのを今も心に残っています。以来、桜美林を近しく感じています。

平成23年度 中江藤樹心のセミナー

    郷土の先人に学ぶ集い

今年は新旭町出身の郷土の先人「清水安三」氏について学びます。
清水安三氏の生涯を描いた『朝陽門外の虹』の著者、山崎朋子氏を迎えて、ご講演いただきます。

  開催日 : 平成23年9月25日(日)

  会 場 : 安曇川公民館(ふじのきホール)

  参加料 : 無料

  日  程 : 14:30 〜 14:50    受付
        14:50 〜 15:00   オープニング
        15:00 〜 16:30   講演
                       演題 : 『朝陽門外の虹』と
                            清水安三氏について
                       講師 : 山崎 朋子 氏

  主 催 : 高島藤樹会

  後 援 : 桜美林大学孔子学院高島学堂/高島市教育委員会

「このような(講演)機会はめったにないから」と、久保田先生から早くからお誘いを受けていました。湖西線・安曇川(あどがわ)はかなり遠方なので、久保田先生は「無理せんようにな」と優しく仰って下さっています。

礼拝を休まねばならないので迷っていたのですが、私もO姉と共に出席する予定です。連日の外出は体力的にきついので藤村の方は断念しました。
17日に久保田先生から『朝陽門外の虹』をお借りしたのでできるだけ読んでいきたいと思います。

秋の一日、関西在住の方はお出かけになってはいかがでしょうか。
久しく「読書の秋」も忘れていましたが、藤村の作品から読み始めたいなという思いが湧きつつある2011年の秋です。


posted by 優子 at 21:17| ご案内 | 更新情報をチェックする

2011年09月18日

神の恩寵 ―馬見労祷教会報掲載文より―

昨日は大津教会の一室を会場にJCP(日本クリスチャンペンクラブ)の例会が開催された。私は午前の編集会議から出席するために朝8時に家を出て帰宅したのは夜8時頃だった。

昨日の学びを直ぐに書きたいが、今日は本日発行配布された馬見労祷教会報に掲載して頂いた拙文を公開させて頂きたい。

今夏7月31日の礼拝は、夏季休暇中の牧師に代わって同志社大学大学院の今井このみ神学生が語られた。帰国中の次女夫婦も共に集った礼拝であるが、その時のメッセージの感想を書くように原稿依頼された。

ご依頼をお聞きした瞬間に、私は知子が話してくれたことを書こうと思った。これは知子の証しでもある。
「証し」(testimony)とは、自らの体験に基づいて神の恵みを証言することである。
神の恩寵
                           藤本 優子

今井このみ神学生が講壇に立たれた朝、ルカ伝7章36節から50節の「イエスが罪深い女を赦された話」からメッセージされた。礼拝を終えて教会をあとに自動車に乗り込んだ時、長女は熱く語り始めた。それは証しであり私の心を強く打った。娘の承諾を得てお分かちさせて頂きたい。

「『娼婦になりたくてなったわけではない。・・・詳細は書かれていないが生きる為にしかたなく就いた職業だったのであろう』。差別されていた娼婦の背景解釈と、離婚後の自分の内面に共通性を感じた。   

今の日本では、離婚しても社会的制裁は一見なく、『今は多いから』と変な慰めを受けるほどだが、人が直接的に自分を批判しないからこそ、自分への責めと後ろめたさは増すばかりであった。

離婚したから自分の言動が評価されないのか。だから説得力もないのか。離婚という過去によって発言権もなくなるのかと、人との意思疎通で不具合が生じるたびに、万事原因をそこに帰着させる癖も未だに直らない。

それでも、『赦された罪の度合いによって神を愛する度合いも変わる』という神学生の言葉にハッとした。あそこまで自分を責めてきた私が、今では一見『反省もなく吹っ切ったのか』と思うほど新しく生きられているのは、自分がこれまで以上に神様を愛して信頼できているからなのだと解ったからだ。

以前ならば、来春幼稚園に入園して社会生活が始まる息子に対して、心身を病むほど過剰に負い目を感じるはずだが、今日改めて『安心していきなさい』とイエス様に言って頂いたようで嬉しかった」。

この日、娘は涙で目を潤ませながら奏楽のご奉仕を終えた。
それに比べて私の感想はなんと稚拙なものであったか。人はそれぞれの経験とその切実さにより、賜る恵みがかくも違うのである。これぞ神の恩寵だ。

かくして神学生のメッセージを通して神さまが娘を祝福して下さり、私たち家族の上にも祝福が注がれたのである。

ここに至るまでの苦悩の行程を思う。
以下は過去ログ・2009年6月8日と21日よりの抜粋で、神さまが遣わして下さったアメリカ人宣教師スー・ベネディクト先生とのやり取りが刻まれている。

「私は感情ではなくて意志で赦すことができ平安になりました。たった数日だけれど全然違います。
神さまが状況を変えて下さったから平安があるのではなく、状況はますます悪くなる一方だけれど、どれだけ努力してもできなかったことなのに平安があります。
感情ではなくて意志で赦すことができ平安になったのです。赦すことを選び取ったのです!」


知子の話を聞かれたスー先生は、何度も何度も喜んで下さり「ハレルヤ!」と神を讃美された。

そして、「あなたは世の中の女性を助ける働きをする人になる。『私もこういう経験をしました』と共感してあげられるからです。私も経験したから『あなたの気持ちがわかります』と言えるのです。

知子さんのように、ここまで苦しんで赦す経験をする人は少ないから、教会には必要な人だ」
と3回も4回も仰った。
 
「私は今も『(神さま)助けてー!あなたが必要です!』と一日に何度も委ねるよ。知子さんが苦しんでいる時に砕かれていたのよ。その痛みを通ってキリストに似た者に造り変えられていくの。

”Hallelujah! I am very proud of you.”(ハレルヤ!私はあなたを非常に誇りに思っています。)」

と、「正しく前に進んで行っている」知子を喜んで下さったスー先生。

互いに祈り終えた時には共に流れる涙を拭いた。
慰めに満ちたお導きに感謝している!
そして、このあともまた、のた打ち回る苦悩の谷を通っていくことになるが、スー先生はアメリカへ帰られてからもテネシーから何度もお電話を下さった。祈り支えて下さった忘れられない師のお1人である。

「神はあなたの受けた傷から、人を癒す働きが生まれてくることを期待しておられるのです。人生の最大のメッセージは、あなたの最も深い傷から生まれてきます。

あなたが最も恥かしく思っていることや、人に分かち合うことなどできそうにないと思っているまさにそのことが、他の人を癒すために神が用いられる最も力強い道具となるのです」。
(リック・ウォレン牧師)
kosumosu2.gif
今は、あの頃には想像できなかった神さまの平安と恵みの中で生かされている。教会ではオルガニストの1人として用いられ、神さまが知子に与えられたギフト(賜物・能力)を活かす道をも開いて下さったのである。
ハレルヤ! 

神さまがここまでお導き下さったことを感謝し、共に寄り添い祈って下さった方々に感謝します。このお証しがどなたかのために用いられますように。 
附記:今日は教会の帰りに手芸店で布地を買い、夕方から知子の最も苦手とする洋裁に初めての果敢なる挑戦が始まった。(笑)
ユキのゴムの長パンツを作ろうというのである。
一心不乱に集中してにミシンをかけている知子。その真剣な顔は微笑んでいた。
さてさて、どんなズボンができるのやら・・・楽しみだ。るんるん(^−^)


posted by 優子 at 23:04| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

「嘆きは人生の転換を与えるためにある」( リック・ウォレン牧師)

以下は9月15日に『クリスチャントゥデイ』が配信した記事である。

9.11テロ事件から10周年−「悲しむ者は、慰められる」

米国のメガチャーチであるサドルバック教会牧師のリック・ウォレン氏は9.11米同時多発テロ事件から10周年となった11日に特別礼拝を行い、「この事件は決して見過ごされ忘れ去られてしまって良いようなものではありません」と強調した。

サドルバック教会では「希望と自由」と題した5回にわたる礼拝がリック・ウォレン牧師によって取り次がれ、10年前の9月11日、またそれに続く戦争で愛する人を亡くした人々への追悼を述べた。

米同時多発テロ事件をきっかけに、米軍がイラクおよびアフガニスタンで戦争を展開し、多くの犠牲が生じた。

ウォレン氏はサドルバック教会のそれぞれの礼拝に集った3千人以上の人々、そしてウェブキャスティングを通して礼拝を閲覧しているすべての人々に対し、9.11テロ事件の悲劇から学ぶべき教訓として、「先週私は9.11テロ事件に関する多くの異なる見解を述べた文章や社説を読んでいました。

その結果その中の多くの論者たちが米国人は9.11を乗り越えていかなければならないと主張されておられました。明らかに、このような論説を書く人々は人間の性質について知り得ていないのではないかと思いました。

なぜなら嘆きというものは乗り越えられるような種類のものではないからです。嘆きというものは、乗り越えるのではなく、それを理解した上で通り抜けなければならないものだからです。

嘆きは、神様が私たちに与えてくださった、私たちの人生の転換をもたらすツールであるともいえます。私たちは壊れた惑星に住んでおり、多くのいのちの損失に直面しています。イエス様は『悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから(マタイ5:4)』と述べておられます。

嘆きというものは私たちを硬直させてしまうようなものではなく、私たちは9.11を通して人生の転換を生じさせなければなりません。困難な時に直面したならば、それから転換するための一定の期間が必要です。そのような転換を与えるのが嘆きの感情であるといえるでしょう」
と述べた。
 
ウォレン牧師はクリスチャンは人生の様々な段階に差し迫る変化に適応するためにも、聖書勉強をする小グループのメンバーである必要があるとし、「私たちは共同体のために作られているのです。神様はあなたに、人生をひとりで歩まないように願っておられます」と述べている。

礼拝中のメッセージの動画はニューヨーク市南部マンハッタンコミュニティチャーチにも生中継の映像が届けられ、共にメッセージが分かち合われた。マンハッタンコミュニティチャーチはグラウンド・ゼロのすぐ近くにある教会で、9.11テロ事件後数か月間にわたってサドルバック教会員による聖書勉強グループが行われたのが始まりのきっかけであった。

礼拝では今年初めに行われたブッシュ前大統領に対するウォレン牧師によるインタビュー動画も流された。ブッシュ前大統領はウォレン牧師のインタビューに対し、「このような教会の人たちの前で話をするのは大変です。テロ事件の犠牲者のご遺族の方々には、この国は皆さまのために嘆いていることを伝えたいと思います。真の慰めは神様の中にのみ見出されます。神様は悲劇の最中にある人々を助けられます」と述べていた。

礼拝後、南部マンハッタンコミュニティ教会牧師のライアン・ホラデイ氏は9.11テロ事件後のニューヨーク市民の行動の大きな変化について言及し、「9.11テロ事件が生じた際に、それは地上に物理的な穴を形成しただけではなく、精神的な空洞も作ってそれを置き去りにしていきました。それは、このテロ攻撃にはいくつかの混同したメッセージが含まれていたからです。

イスラム教過激派テロリストからは飛行機が建物の中に突っ込んでいったことが神様のニューヨーク市に対する裁きであったという意味をもっていました。

しかし神様は逆に『わたしからもっとも離れている人々がわたしが最も愛する人々である』こともこの事件を通して伝えられたのです。自分の夢の実現のために事を成そうと決心している人々が、実は神様がもっとも捜し求めていた人々であったのです」と述べた。

ホラデイ氏は、グラウンド・ゼロの付近に教会を置いている理由について、神様の愛を伝える権威を与えられたクリスチャンとして、その愛を宣べ伝えて行くことにあると述べた。サドルバック教会の礼拝はウォレン牧師の一連の説教と、「ゴッド・ブレス・アメリカ」含む愛国的な賛美歌で締めくくられた。

9.11後、アメリカはアフガニスタンとイラクに220万人の兵士を送り、2つの戦争に4兆ドル(320兆円)もつぎ込んだが、米兵たちにも深刻な問題が起きている。
それは年間6500人にも及ぶと推定される自殺者のことだ。


夫を自殺で失った女性は次のように語っていた。
「頻度の派兵で回数を増すごとに夫がおかしくなっていくのがわかった。そして、8度目の派兵から自宅に戻った今年6月、夫は自ら銃で頭を撃ち命を絶った」。

どの国も多くの問題を抱えており、世界は混沌とするばかりである。「アラブの春」が未来を開く突破口になることを祈らずにはいられない。

posted by 優子 at 16:20| 引用文 | 更新情報をチェックする

2011年09月15日

油単を新たにして母を偲び、今夏を想う暑い初秋

先月注文した油単が昨日できあがってきた。
母が持たせてくれた色よりかなり違って深緑だったのでガッカリ。夜に見ると威圧感を感じブツブツつぶやく私は、「そのうち慣れるよ」と知子に言われてうなずいた。とにかく、色あせてボロボロになっていた油単を新しくできてよかったと思っている。感謝!

新しくなった油単.jpg

「真智、こんな感じになったよ。どう?」

しかし、この夏は忙しかった。
真智子が今夏帰国した時、ワシントンへ着物を持っていくと言ったので2着ほど選ぶつもりだったが、どんな着物があるのか見たいと言う。そこで全ての着物を一つひとつ出して写真を撮りながら整理したのだった。

ところが、そのあとに2回もそれを繰り返すことになった。ふらふら

というのは、呉服屋さんが真智子の着物への想い入れとワシントンでも着たいとの意向を聞かれて、着物だけではなく帯も一緒に選んで下さることになり再び全部引っ張り出すことになった。

そして3回目は写真の撮り方を改善したいとの思いが出てきて、頑張りついでに撮り直そうということになったのだった。

さすがに3回目は手際よかったが、立ったりしゃがんだりのスワットは股関節が悪いのでできない。真智子の細やかな気遣いでが嬉しかった。その間、フーがユキの子守りをしてくれていた。

しかし、あの暑いさなかによく頑張ったものだ。真智子と私の着物にまつわる2011年夏の思い出となった。

油単・母との別れのように淋しい.jpg廃棄するために既に外に出してあった油単を思いつきで写真を撮ったとは言え、地べたにおいて撮ったことを悔いて、今朝、玄関の門にかけて撮り直した。

しかし、朝の射光線も関係してか、本来の緑色が出なくて昨夕撮ったものも記録しておくことにした。
この緑色が本来の色で、
箪笥の裏側はほぼ当初の色のままだった。
35年の色あせた油単.jpg布も朱色のふさもすっかり色あせた。
 
夫と娘は値段を聞いて目を丸くした。勿論、私とて同じだが、母の話を聞いていたので免疫がある。

さて、ワシントンの最低気温は8〜10度とかなり低いが、ミネソタでは今日は0度になっている。「アメリカの冷蔵庫」と呼ばれている北極圏並みのミネソタで、5年間生活して鍛えられてきたマチ・クマだからワシントンの気温は平気だろう。

一方、こちらは毎日34度前後の厳しい残暑が続いている。
今ではツクツクホウシが時々鳴くくらいで、いつのまにかアブラゼミやクマゼミの声が全く聞こえなくなってしまった。夜は今が盛りと耳が痛いほど秋の虫がないているが、そのうち虫の声も聞こえなくなってシーンとした闇になる。

毎年この時期は苦手だ。
正直言えば、命のはかなさに今は泣き出したいほど悲しい。
最近は体調不調からすっかり怠け者になってしまって、自分のライフワークが長い間停止しているからだと思う。


私とは正反対に次女は活動的だ。
さっそく11月には2週間ほど担当している国にも出かけるという。それを「ミッション」呼ぶそうだ。あのあたりは中南米になるのだろうか。

フーの担当国はアフリカの○○で、低所得国へ低金利の貸し出し方を・・・と、11日の朝は40分間ほどスカイプして元気な顔を見せて様子を話してくれた。

スカイプを切った矢先にユキが虫取りから帰ってきて、マチとスカイプしたことを話すと、マチとスカイプすると言って聞かないのですぐにパソコンを開いた。しかし、マチは既にログアウトしていたのでユキはガッカリしたのだった。

次女夫婦は夜もたびたび公的な食事会(?)もあって忙しい日々を送っている。
いつもなら活動的な日々を送っている真智子の姿に励まされるのに、今はそんな娘さえ羨ましく感じて、何か取り残されたような気がする。
冴えない私はこんな一言もとても嬉しかった。
ブログ読んだよ。ゆきちゃんの作品、すごいね!
ゆきちゃんのサインも、良い味出してるわ(笑)。

ママの心の声が言葉になってるような感じで、記事も興味深く読んだよ。
いつもそうなんだけど、しみじみ思った。
ユキはたった一切れの個包装の焼き菓子も「マチとフーが帰ってから一緒に食べる」と言うが、2人の帰国を待っていたら消費期限が過ぎてしまう。
ある日の朝は私の声を真智子と間違えて「マチー?!」と叫んだ。「マチが帰ってきたと思った。おばあちゃんの声、マチの声にそっくりやった!」とユキ。

今夏、マチと一緒に着物を出し入れしたのが信じられないほど、今の私はマチを遠い存在に感じる。


posted by 優子 at 17:41| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2011年09月14日

「9.11記念式典でオバマ米大統領ら聖書を引用」 

以下は9月14日に『クリスチャントゥデイ』が配信した記事である。
9.11記念式典、オバマ米大統領ら聖書を引用
無宗教の記念式典とはならず

米国内無神論者らから、合衆国政府で行う9.11記念式典は公的な式典であるため、いかなる宗教からも自由であるべきだとの意見が高まる中行われた11日の米同時多発テロ事件10周年記念式典では、オバマ米大統領およびルドルフ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長は聖書から御言葉を引用し、祈りを捧げた。ブッシュ前大統領もアブラハム・リンカーンが神について述べた文書を引用して演説を行った。

オバマ米大統領は記念式典において旧約聖書詩篇46篇を引用し、「神はわれらの避け所であり、力であり、苦しむときにそこにある助けです。それゆえ、私たちは恐れません。たとえ、地は変わり山々が海の真ん中に移ろうとも、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても」と演説の初めに聖書を朗読した。

オバマ米大統領は、ミシェル・オバマ夫人、ブッシュ前大統領およびローラ・ブッシュ夫人とともにグラウンド・ゼロを訪れ、黙とうを捧げた。9.11記念式典が行われる数週間前から、ニューヨーク市長ブルームバーグ氏が記念式典においていかなる宗教指導者も招かず、いかなる宗教的祈りも捧げないとの決断を下していたことに対し、米国中で議論が生じていた。

ブルームバーグ氏の決断にもかかわらず、9.11記念式典は祈りや聖書の御言葉を引用した演説に満ちたものとなった。 

ブッシュ前大統領は、記念式典で1864年のアブラハム・リンカーンの文書を読み上げ、「天にまします我らの父が悲しみを和らげ、失ってしまった最愛の人の良い思い出だけを残し、自由の祭壇の上に犠牲になった方々がご遺族の方々の誇りとなりますように」と述べた。

ジュリアーニ前ニューヨーク市長は、伝道者の書を引用し、「私たちがこの10年間を通して必要とした見識、その後も必要な見識は『伝道者の書』の神の御言葉にもっとも良く表現されています」と述べ、伝道者の書3章1節から9節を朗読した。

ジュリアーニ前市長は「神様が私たちが失ったすべての魂を祝してくださいますように。神様が遺族の方々の心を祝し、また私たちが天で再び結ばれるように導かれ、この国を祝福してくださいますように」と述べて演説を終えた。

オバマ大統領は詩篇46篇のすべてを演説で読み上げ、「『やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。』万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである」と述べて演説を締めくくった。
(※9月15日22:51更新)


posted by 優子 at 22:51| 引用文 | 更新情報をチェックする

2011年09月13日

今も至福の時!

ユキは生まれた時からなかなか寝なくて睡眠時間の短い赤ちゃんだった。抱きっぱなしの知子は腱鞘炎になって装具をつけなくてはならないほどだった。

子守歌を歌いつくしても眠らないユキに、私はいつもエルガーの「愛の挨拶」を流しながら抱いていた。以来、「愛の挨拶」は赤ちゃん時代のユキを思い出す懐かしい曲になった。

今日はお昼寝前に読んであげる絵本を『瓜子姫とあまんじゃく』を選んだものだから、眠たくなるどころかすっかり目を覚まさせてしまったので、眠りにいざなうテーマソングをかけた。

すると直ぐに眠ってしまった。
スースーと寝息をたてて寝ているユキのそばで、エルガーを聞きながら昨日のことを記録しておいてやろうと思う。今夏はずっと体調がすぐれず、昨日は一日中血圧が下がらなくて書けなかったが、昨日の幼児教室で作った作品を書いておいてやりたい。

今月は「敬老の日」が近いということで、おじいちゃん・おばあちゃんへのプレゼントを作った。

私は「おじいちゃんとおばあちゃんへ」と聞いた瞬間、義母のことを思ったが、「いや違う、私たち(夫婦)のことだ」と気づいて自分に認識させねばならなかった。
私は自分が祖母であるという感覚が希薄なのか、孫を子供と錯覚してしまうのか、未だしっくりしない感覚である。


実は孫が与えられて祖母になれたことを感謝しつつも、「おばあちゃん」と呼ばれることに密かなる抵抗を感じていた。

2年前の12月頃のことだったが、夫が孫との会話で「おばあちゃんに聞いといで」とか、「おばあちゃんにしてもらい」と、私のことを「おばあちゃん」と言っているのが耳についた。
しかし、そのおかげで呼称に慣れて受け容れることができたように思う。

つまり私は、「老い」という人生の段階を受け容れがたくて抵抗していたのだ。まさに今これを書きながら気がついた。

さて、昨日は絵の具で型どった子供の足型を小鳥の羽にした素敵な工作を教えて頂いた。

大きくなったね、ユキ.jpg

足のサイズは16.5センチ、大きくなったものだ。
 
「おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう!」ではなく「おじいちゃん」だけにしたのは呼称への抵抗ではなく、あえて言えばテレだろうか(笑)。

ユキは「おじいちゃん、むしとり いつもありがとう!」と書いてほしいと言ったので書き足してやろう。ユキの芸術的な自筆のサインがいい味を出している。

出来上がった素敵なプレゼントを手に、同じテーブルのお母さんたちの交わす会話が面白かった。
「これをどっちのおばあちゃんに持っていくかやね」。わーい(嬉しい顔)

9月幼児教室@.jpg
 
9月幼児教室A.jpg

そういえば、知子がユキの4歳の誕生日に手形をとっていたので一緒に記録しておいてやろう。
4才のお誕生日に!.jpg

虫をつかまえるときは毎回決まって、「えーい!」と声を出して網をかぶせるユキ。
「イエッしゃま、今日はシックス(6匹)もバッタがとれましたことを感謝します」と、何でもイエスさまにお話して感謝するユキを、イエスさまは微笑ましく思っておられることだろう。

昨日もママが帰宅すれば休憩もさせてあげないで虫取りに連れて行ってもらった。
8センチもある大きなバッタを怖がらないでつかまえるなんて格段の進歩だ。バッタの名前はショウリョウバッタとわかり、昨夜から昆虫図鑑がユキの座右の書になった。

玄関のたたきに置いてある虫かごからガシャガシャと賑やかな音が聞こえている。がく〜(落胆した顔)
それを帰宅したおじいちゃんに見せてから、おじいちゃんと一緒に逃がしてやるというのが最近の日課である。(^0^)

「ユキ、幼稚園へ行くようになれば朝から虫取りはできないよ。夏休みだけやね。ということは、朝の虫取りも今年だけってことやね」。
と、今朝はそんな話をしながら歩いていたら近隣のSさんと会った。そして、ただひとことしみじみと言われた。

「犬とお孫さんと一緒で至福の時ですね」。

Sさんは2年前に愛犬を亡くされ、お孫さんも大きくなられた男性だ。
至福の時を感謝し、大切に過ごそうと思う。


posted by 優子 at 15:37| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2011年09月11日

日本全国のキリスト教会で捧げられた礼拝 ―3.11被災者の慰めと再生のために―

東日本大震災から6ヶ月が経った今日、プロテスタントだけではなくカトリックも共に日本の全キリスト教会で、「3.11東日本大震災を心にとめ、死者への追悼・被災者への慰め・被災地の再生を求める礼拝」が捧げられた。

「大震災から半年を経て、新たにこの出来事を心にとめ、共にすべての人々と結び合いながら、犠牲者を追悼し、被災者の慰めと再生のために祈り」続けようと制定された礼拝である。
招詞:「わたしたちの助けは、天地を造られた主の御名にある」。
聖書: イザヤ書54章10節
「山は移り、丘は動いても、
わがいつくしみはあなたから移ることなく、
平安を与えるわが契約は動くことがないと
あなたをあわれまれる主は言われる」。
説教:「生も死も」

以下は古森敬子牧師の説教要旨である。

自然災害は神が起こしているという理解から、神の怒りを治めようとさまざまなことがなされてきた。これまでの人々もまた自然災害を神の祟りと思ってきた。
例えば、水害は竜神様の祟りだと思って娘を川に沈めて人身御供(ひとみごくう)にしていたように。

ところで、子供は家族の死を災害死に関わらず自分のせいで死んだと考える。
「あの時、僕がお母さんの言うことを聞かなかったからお母さんが死んでしまったんだ・・」というように、周囲の状況を全て自分中心に考えるからである。

この考え方は天罰の考え方とよく似ている。
ヨブを見舞った友人たちもそうだ。「このような苦難にあうのはあなたの信仰が弱いからだ」と。

では、キリスト教はどのような答えを与えているだろうか。
マタイによる福音書5章45節、「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。」と、神さまは分け隔てはないと言っている。

天地を造られた神だからと言って、決して誰かを罰するために神が災害を起こしたのではない。私達は「なぜ?!」と原因を探るのではなく、ここから立ち上がることを考えねばならない。

そのためにはまず亡くなられた人への追悼であり、愛する人を亡くされた方々への慰めであろう。家族はいろいろと(うるさいことを)言うが、強い愛の絆によって結ばれている。

特に子供を失った親はいつまでも悲しみから立ち直れない人もおられ、私たちはその人たちに、「もう半年経ったんだから」、「もう1年経ったんだから」とは言えないのである。

また、家族はみんな死んでしまったのに何故自分だけが助かったのか。自分も死んでしまえばよかったのにと自分を責める人もおられ、それら死別の悲しみは私達の想像を越えるものである。

悲しみを乗り越えるのは自分の心の働きであり、「グリーフ・ワーク」と言う。それに関わることを「グリーフ・ケア」と言い、その基本には「悲しむ者と共にある」というイエスの教えがある。

壊滅的な大震災は大きな山の前に一匹の蟻が置かれたような感じがする。
しかし、秋になりサンマの水揚げがあった。
その歓声は打ちひしがれている人にも届いたと思う。それは小さなことだが、確実な一歩が始まっている。この小さな一歩がどんなに大きな意味を持っているかを思わされた。


自分が生き残った意味を思い、その人達のためにも私達は心を合わせて祈り続けていきたい。

                     (以上)

尚「グリーフ・ワーク(悲嘆の癒し作業)」については、過去ログ2011年4月13日で簡単に触れている。
悲しみの段階

第1段階:ショック状態
  ショック状態とは、一時的な現実逃避です。
  一時的であるならば、それは良いものなのです。

第2段階:感情を表現する
  聖書は明らかに告げています。
  信仰の勇者が苦難に襲われた時
  彼は激しく泣くということを。

第3段階:憂鬱になり孤独を感じる
  イエスは、十字架上で孤独と直面しておられた。 
  彼は叫んだのだ。
  「わが神、わが神。
   どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。

第4段階:悲しみが身体的な症状として表れる
  大きな喪失への対処と 
  身体的な病気との間には
  これまで私たちが考えていた以上に
  深い関係があるのです。

第5段階:パニックになる
  悲しみの時に何事にも集中できないのは、
  悲しむことと同じぐらい自然なことなのです。

第6段階:喪失に罪意識を抱く
  罪を深く悔いて告白することは、
  私たちが捧げる礼拝の一部なのです。

第7段階:怒りと恨みでいっぱいになる
  最も敬虔な人でさえ、
  怒りや恨みを持つことがよくあるのです。

第8段階:元の生活に戻ることを拒否する
  現代の生活様式は、
  人前で嘆き悲しむということを
  より困難にしています。

第9段階:徐々に希望が湧いてくる
  私たちは周囲からの
  温かな愛情と励ましを必要としています。

第10段階:現実を受け入れられるようになる
  大きな喪失の時
  人は成熟した信仰を持つようになり
  神との特別な関係を体験するのです

最後に今朝の礼拝で捧げた連祷、「追悼と慰めと再生のための祈り」から一部を刻みたい。

神さま、あなたのみ恵みに感謝いたします。
いつ、どこにおいても、あなたはわたしたちの主でいて下さるからです。
それゆえ、わたしたちは、またあなたに祈ります。祈る言葉を失うわたしたちを、あなたの霊によってとりなして下さい。主よ、どうかあわれんで下さい。・・・

突然に終わりをもたらされた命の歩みを祝福して、あなたのみ手に抱いて下さい。どうかあわれんで下さい。・・・

主よ、私たちを力づけ、見えない目を開き、恐れる心に平安を与えられるあなたのみ業が、一人ひとりに確かになされていることを信じさせて下さい。
あなたのいのちの光をともして、一人ひとりを生かしめて下さい。どうかあわれんで下さい。・・・

神さま、私たちはあなたがお造りになった自然に対する謙虚さを欠いていたことを認めます。私たちは自然の大きさを軽んじ、自分たちの安楽さ、便利さだけを考えて生活を築いてきました。

主よ、私たちは万物の造り主であるあなたの前に謙(へりくだ)ります。どうか目を上げて、現実をありのままに見る勇気と知恵を私たちにお与え下さい。

あなたの真理に根ざして考え、自分たちの生き方を変えていくことができますよう、私たちを導いて下さい。どうかあわれんで下さい。・・・

共に生きるための絆を紡ぐ人々があり、信仰者もそうでない者も、今一度、あなたによって与えられる命を生きることのかけがえのない意味を確かめようとしているのです。・・・

どうか、主イエス・キリストの復活の光に照らされた私たちが、希望と喜びを分かち合い、互いに仕え合い、すべての善きことを願い、あらゆる隔てを超えて力を合わせていくことができますよう導いて下さい。

一人ひとりの命が祝福で満たされ、一つひとつの町や共同体があなたの御心にふさわしく復興されますように。その働きのためによき知恵と勇気とを与え、私たちをこの礼拝から遣わして下さい。

すべての感謝と願いを私たちの主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

附記:
「ブログでゆきひさくんの成長を嬉しく拝見しています。
虫とりもするようになって、明るくのびのびと成長されていますね。
こちらでは、放射線量が高くて虫とりはできません。」


茨城県在住の友のメールを読んで涙が溢れ、この現実が胸を突き刺した。放射線の心配をしなくてもいい生活がどんなにかけがえのないものであったか!

「神さま、助けて下さい!」と絶叫したい気持ちになる。
しかし、ここ数日の報道特集番組を見ていると、改めて事の重大さに身震いすると共に神さまのお守りがあったことがわかる。神さまは人々の働きに心をとめて、私たちを生命ある状況に留めおいて下さっているように思った。

今この時、アメリカでは「9.11」の同時多発テロ10年目の追悼式典が始まっている。もう2度と再びテロが起こらないように、相互理解、国際理解に心を尽くす世界を構築していかねばならない。

posted by 優子 at 21:17| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2011年09月10日

4歳の晩夏、ユキは虫とりに夢中!

ユキは2〜3週間ほど前からチャッピーの散歩の時には必ず虫とりあみとカゴを持って行く。
今ではウォーキングされている方々にもすっかりお馴染みの光景となり、「今日はたくさんつかまえた?」「どんなのが採れたの?」とカゴをのぞいて声をかけて下さる。

ユキが捕まえる虫はバッタばかりだが、日に日に虫を怖がらなくなり、今では網ごしにつかんでカゴに入れられるようになった。
そして今朝は「お手々でつかまえられるよ」と挑戦し、今夕には大きいトノサマバッタもつかまえたという。

そう、ユキは朝も夕も虫取り。休日はおじいちゃんが保育係だ。
特におじいちゃんと行くのが楽しいらしく、昨朝は「おじいちゃん、お仕事お休みして虫取りに行こうよ!」と言っていた。

昨朝は私もやってみたら面白くて虫とりに夢中になってしまった。こんなこと生まれて初めてだ。私はバッタではなく飛んでいるトンボを捕まえるのだが、
「痛い!」

50肩を忘れて思いっきり右腕を振り上げたものだから悲鳴をあげたが、そのうちに「網、おばあちゃんに貸してね」ばかりで自分用にもほしくなった。

左手にはチャッピーの綱を持ちながら2匹もつかまえた!
トンボはユキがカゴにいれてくれる。頼もしくなったものだ。

そして、今朝は夫と孫の後姿を撮りたくて同行した。ユキのためにおじいちゃんとの思い出を残してやりたくて。

虫とり大好きA.jpg

虫とり@.jpg

トンボ取りたいよ!.jpg

虫とり大好き@.jpg

ここはユキと毎朝行く道。我が家で「じゃり道」と呼んでいる。 虫とりD.jpg 虫とりE.jpg 虫とりF.jpg
この傍で、残暑の中1時間半も連れ回されたチャッピーが舌を出して喘いでいた。
慎ましく咲くツユクサ。
あまり見かけなくなった花に遠い記憶を蘇らされた。つゆくさ.jpg

↓これは昨日の午後、洗濯物を取り入れようとした時に眼下の裏庭にいた。私は蝶々も好きではないが、青色が美しかったのでベランダから最大にズームアップして撮った。

裏にいた蝶々.jpg

そして7日、今週初めの肌寒さでユキのパジャマのズボンを作った。洋裁は30年ぶりくらいかな?お料理よりも好きかも・・・楽しかった。

30年ぶりの洋裁?.jpg

布は次女が中学時代の家庭科でパジャマを作った時の残り布だ。股上のくりかたが浅すぎてゴムを通す上部に4センチほど布を足したので2時間もかかってしまった。

その後、残暑がぶり返して再び夏用のパジャマになった。
真夏と比べれば耐えられるはずだが体感のコントロールができないのか、昨夜も今夜もお風呂上がりだけは我慢できなくてクーラーをつけている。日中の室温は34度を超えていた。

そして、ユキと良輔じいは疲れて9時前から寝てしまった。明日もまた夜が明ければ虫とりだよ〜〜〜ん。(犬「いっしょに行きたくないなぁ、ワン」)

被災地の子供たちにも放射能汚染の無い空の下で思いっきり虫取りをさせてやりたい。
明日は大震災から半年になる。

posted by 優子 at 21:34| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2011年09月09日

「キリストを伝えるという意味で伝道と社会運動は一緒」

私が24年来所属している日本クリスチャンペンクラブの会員に、長浜市在住の長原武夫さんがおられる。
長原さんは日本開拓伝道団長浜教会の重荷を負っておられるかたわら、4年前に結成された同市の革新懇でも活躍しておられる社会運動家だ。

その『全国革新懇ニュース』の9・10月号で、「町長、元・現市議、キリスト教徒らが力を発揮」と題する「ルポ 滋賀・長浜革新懇」で大きく取りあげられておられる。

「政党には所属したことがない」と語る長原武夫さんは、キリスト教の「イエスの友会」役員です。

「伝えるという意味で伝道と運動は一緒」との思いで、原発問題や県立高校の統廃合問題の資料を自治会に配るほか、「全国革新懇の新聞を見ても多彩な人が参加する革新懇は、各方面に影響力を広げるのに、よき運動体です」。

長浜市は滋賀県の北側に位置し13キロ先には敦賀原発がある。市全体も50キロ圏にあることから、「今年の5月には長浜市長に原子力災害対策計画の策定や原発の廃炉を関西電力に求めることなどを申し入れた」。

そのことは6月の例会でお聞きしていたが、今になって初めて「全国革新懇」を検索してみた。
「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会、通称全国革新懇(かくしんこん)は、日本の政治運動団体。・・・『思想・信条、政党支持の違いを超えた国民多数の革新的な運動の結集』として個人・団体と日本共産党が共同した一種の政治的統一戦線運動である。1981年に結成」とある。(ウィキペディアより)

革新懇に限らず、世の中を良くしようといろんなところで活動している人々がたくさんおられることを改めて知る。

革新懇には実に幅広い人々が関わっておられ、その人々と共同して政治を変えていくという働きであるが、そこにキリスト者が加えられているというのは意義深いことだと思う。

「全員一致性という民主主義を貫く」というのが長浜革新懇の運営だという。理想的なことだけに話し合いにおいても難しい局面が多々あるだろうと想像に難くない。

長原さんの記事を読んでヒルティの言葉を思い出した。
「正しい考えの人々の味方になりなさい。その人々がどんな宗教、どんな哲学を持つか、またどんな階級に属するかは、どうでもよい」。
これは私の座右の銘でもある。

長原さんは特定の政党に所属しないからこそ、クリスチャンの社会運動家としての働きを発揮できるのだと思う。革新懇の働きが世に影響を与えていくだけではなく、革新懇の中においてもキリストの影響が広がっていくに違いない。

神さまが長原さんのお働きを豊かに用いて下さいますように!
来週のJCP関西ブロック・研究例会で目にかかるのを楽しみにしている。

posted by 優子 at 19:16| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2011年09月06日

「3.11」から半年、「9.11」から10年目の秋

台風12号は死者・行方不明者合わせて100人を超える被害者を出し、平成になって最悪の台風被害になるだろうと報じている。

しかも、これまでの土砂崩れではなく、大規模な土砂災害は岩盤ごと崩れる「深層崩壊」だそうだ。
そのつめ跡は東日本大震災の光景を思わせ、奈良県や和歌山県の山深いところに大津波がきたような悲惨さだ。そういえば山津波という言葉がある。

そして、またしても多くの人命が失われ、ご遺族の人生もまた暗転し悲しみと絶望の淵に立たされている。早速自衛隊や消防隊の人々が行方不明者の搜索のために労して下さっている。

いつの時代にも災害の犠牲者が出て、多くの人々により復旧復興されてきた。そしてまた、いつしかそれらの人々も地上から姿を消していくのである。

この台風で亡くなられた方々は、3月の大震災で心を痛めた人々であり、まさかその秋の台風で自分が死んでしまうとは思わなかったであろう。

生きている限り明日は我が身のお互いだ。この最悪な中にあってもなお神の最善がありますようにと祈る日々である。

「3.11」から半年が過ぎ、今年は「9.11」アメリカ同時多発テロから10年である。『クリスチャン・トゥデイ』誌は、
「アメリカの著名な福音伝道者ビリー・グラハム牧師の娘であるアン・グラハム・ロツ氏(63)は、2001年9月11日に生じた米同時多発テロ事件は、世界中すべてのクリスチャンが『目覚めなければならない』神様からの呼びかけの時であったと信じている。
              (略)
9月11日の米同時多発テロ事件は神様が米国全体が目を覚ますために行った警鐘であり、・・・・世界で紛争が起こり、予期しない大災害が生じ、貧困と飢餓が生じており、他にも聖書に書かれてある『終わりの日』に関する出来事が生じています。・・・」


と語っていると報じているが、私は「神さまが米国全体の目を覚ますために行った警鐘」と断定するロツ氏の信仰観に少々違和感を感じる。

確かに世界中で見られる近年の災害はあまりにも悲惨であり、「終わりの日」を思わせる出来事ばかりだ。
しかし、それらは今に始まったことでもなく人間がもたらした結果によるところも大きいのではないだろうか。

何よりも、神さまは私たちの目を覚まさせるために、あのような狂気を許されるだろうか!

テロから半年あまり経った2002年4月、長女が洗礼を受けた日の午後、お世話になった谷口先生とモーゼスさんご家族を我が家へお招きしての昼食会の席で、
「とにかくこのテロで亡くなった人は、全ての人が特別に天国に入れられるのだと思う。そう思わないと理解できない出来事だ!」ということが熱い話題になったが、クリスチャンならば誰もみな神の御心を思い巡らし続けたことだろう。

オバマ大統領就任式で祈りを捧げたリック・ウォレン牧師は同誌で次のように述べている。

「9月11日の礼拝は、私たちにとって、米国の自由を保ち続けた人々を讃える大きな機会になるでしょう。国家的な祈りがささげられる予定です。常に米国では祈りが必要です。そして今まさに米国では祈りが必要であると思われませんか?」

私もより一層厳粛な気持ちで次の礼拝に臨もうと思う。
ところで、グラウンド・ゼロ近くにあって奇跡的に被害を免れたトリニティ教会(ブロードウエーとウォール街の角)は、次女夫婦も訪れたことがあり「お気に入りリンク」の「真智子のギャラリー」に収録されている。(その中の「NYC」にあります!)

トリニティ教会(Trinity Church)では9月10日は夜を徹して祈りが捧げられ、聖ポール教会(Saint Patrick's Cathedral:これも前掲箇所に収録されている)では11日午前8時45分に「希望の鐘」を打ち鳴らすそうだ。

「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。

わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである」。

 
        (コリント人への手紙第U 4章7節〜9節)

私たちは倒されても滅びない。どんなことがあっても完全に打ちのめされることはない。
信仰とは神に揺るぎない信頼を置くことであると、改めて思わされる初秋である。

posted by 優子 at 23:59| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2011年09月04日

とりとめのない話から夫との日々を愛しく想う

今朝教会へ向かう自動車で、ユキが後部座席前の中央に立って賑やかな声を出していた。私は危ないからちゃんと座るようにと孫に注意した。

子供達が幼かった頃、自動車に乗ると知子と真智子もいつもこのように立っていた。実家から自宅に帰る道中も家に着くまで立っていた。背が高くなると頭が天井についてしまうから、きっと4〜5歳の頃だろう。

その頃は安全のための注意喚起も今のように徹底されていなかったので、助手席に座っていた私は立っている子供を右後ろに見ながら乗っていた。今までずっと事故なく守られてきたものだと思う。

そして、娘たちと同じようにしている孫と運転する夫を見て不思議な感じがした。
今から30年前の子育て中も夫は今日のようにずっと運転してくれていた。そして、夫は66歳になった。アッと言う間に過ぎてしまったので、今から30年後もこうして運転しているだろうかと思った。瞬間、「そんなバカな」と心の中で打ち消した。

30年後は96歳だ、生きているわけがない。少なくとも運転しているなんてありえない。そう思うと何とも悲しくなった。
人生には限りがある。もうしばらく無事に生かして下さったとしても、運転できるのもあと10年くらいだろう。


それに比べて娘達には長い時間がある。それとても全ては神さまのおゆるしがあってのことであるが、30年後、40年後の人生設計ができる若者と私達との違いは明白だ。

夏の終わりを告げるツクツクホウシが鳴いている。その鳴き声が切迫感をもって聞こえるのは私の心境が反映しているからだろう。それなのになんと怠けて無駄に時間を浪費しているのだろう。

そういえば、今乗っている自動車とは今日が乗り納めになった。
以前はリース会社と3年ごとの契約だったが、経費節約で5年に延長し、なお7年の延長になってようやく新車に替わる。地デジになってテレビはかからなくなり、カーナビも数ヶ月前から故障して直らないままだった。

リースはいよいよ6日で切れるが新車が届くのは8日だという。東日本大震災の影響で自動車不足なのだ。リース会社もそれを見込んで随分前から発注していたそうだが、これが震災から半年後の状況でもある。新車が届くまで6日の午後から代車になる。

ところで「リース(lease)」の意味を調べると、「賃貸借(契約)、賃貸期間、人生で与えられた期間」とある。

「新品物件をリース会社が借手企業の代わりに購入した後、貸し出す。物品の所有権はリース会社にあるが、企業は自社で購入した場合とほぼ同様にして物件を使用することができる為、日本を含め世界中で設備投資の手段として広く普及している」そうだ。

私には軽い言葉に聞こえる「リース」を神さまとの比喩に譬えるのはどうかと思うが、リースは神さまと人間の関係に似ていると思った。

私達の人生は全てのことを支配されている神さまが握っておられ、それぞれに人生という時間を与えて下さっている。
その時間をどのように使うかはそれぞれに任されており、ゆるされた期間が終われば、誰一人例外なく命を与えて下さった神さまの前に立たなければならないからだ。
 

今日はとりとめのない話を書こうと思った。冒頭のことと、記録のために自動車が変わることだけを。しかし、これを書きながら過ぎた年月を振り返らされて深い感慨を味わっている。

この自動車との7年間に娘達の結婚があり、苦悩と喜びと、そして、苦悩の大変動期であった。私達夫婦の絆が最も強くされたのはこの7年間だったと思う。


7年前、自動車が白に近い色から濃紺に変わった時、チャッピーはあるじの自動車を見分けるまでに1ヶ月ほどかかった。そして今度はシルバー色に決めたというからまたまた苦労することだろう。

白黒でしか識別できない上に12才の老犬になってしまったチャッピーは、覚えるまで何度も吠えることだろう。混乱しないように早く認識させてやりたいと思う。

7年間の走行距離は132500キロ、日本とワシントン間を6往復した距離である。
この自動車で出社する夫を見送るのはあと2日。この自動車は苦労を共にしてくれた同志のように感じる。夫への想いは言葉では尽くせない。



posted by 優子 at 16:43| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2011年09月02日

「希望を持って生きる」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージ 23―

希望を持って生きる (安海靖郎牧師)

2005年は第二次世界大戦が終わって60年という区切りで、戦争のことが話題になりました。イギリスのBBCが24時間の広島原爆特集をしたそうです。しかも、それがフランスでも放映され、高い視聴率だったそうです。
 
逆に、日本では、夏にナチスのアウシュビッツの虐殺についての連続テレビ特集がありました。アウシュビッツだけでも120万ものユダヤ人が殺されました。

でも、そこで生き残った人たちもいたのです。生き延びた人々に共通するのは「とにかく生きるんだ」という強い希望を持っていたというのです。
 
戦後60年の今、私たちは平和で自由の中で生活していますが「希望を持って生きているか?」と考えてみるとどうでしょうか。
 
ある小学生対象の生活実態調査によりますと、60%以上の子が「明日もよいことがある」という希望を持って眠りに就いていないというのです。

10万人もの小中学生の不登校。80万人のニート(働くこと、学ぶことをしない青年たち)現象。不気味さとともに身近な現実でもあります。子どもは大人の鏡といわれますから、10年以上に及ぶ不況、仕事や将来に希望を持ちにくい現実の反映でもあるでしょう。
 
だからこそ、希望とは何か、どうしたら希望を持って生きることができるのか、真剣に考える必要があるのではないでしょうか。
 
熟年を力強く生きている方々へのインタビューの中で考えさせられる話がありました。90歳まで現役で働いた中村おさむさん。東京都文京区で牧師として多くの人のために働いた方です。こう言っています。
 
「大切なのは、人生のねらい(目的)をどこに定めるかということです。人生の価値を自分の寸法で考えてはいけません。
私たちの肉体が、『神によって与えられ、神によって生かされていること』を知ると、命に対する認識が根本的に変わってきます。人生の希望、平安はそのことによってもたらされるのです」。


「望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように」(ローマ人への手紙15章13節)。
人生の座標軸を神さまに正し祈り求めて生きる時、神さまは悪いことを悪いままに終わらせはなさらない。
今日もユキに読んでやった絵本の言葉を思い起こす。

「ある雨の日、小さなウサギくんがわかったこと。
それはね、お祈りしながら力いっぱいできることをしたら、神さまはきっと手伝って下さる」
ってことを。

私は人生で最も大切なものを幼い孫の心に蒔き続けている。


posted by 優子 at 21:52| 引用文 | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

2011年9月、それぞれの新しい季節を始める

美しい四季に恵まれた日本だが災害も多い。
この週末は大型で強い台風12号が関東から四国に接近して上陸のおそれがあるという。このような予報は日常の出来事であるが、昨今の自然現象は侮れず、多大な被害が出ないようにと祈らずにはいられない。

さて、ワシントンに移ったばかりの次女夫婦がハリケーンに見舞われ、ワシントンとニューヨークを直撃とあって心配したが、ずっと家にいたので安全だった。

インターネットもTVも見ることもできず、状況はあまりよく分かっていなかったようで、窓の外の木は強風ですごく揺れていたと、私たちがテレビニュースで見ていたとおりの様子を伝えてくれていた。

そして今日(現地時間8月31日)、ようやくインターネット設備のセットアップをしてもらって、家でもネットにつなぐことができるようになった。ミネソタからの荷物は9月2日に届く予定だ。

それまではスーツケースで運んだ荷物だけで頑張っているが、いよいよ勤務が始まるのでアパートメントのオフィスの人々が事情を理解して下さり、不在になる次女夫婦に代わって荷受けして下さるとのこと、本当にいろいろ助けられているそうだ。

5年前、日本からミネソタに渡った時もアクシデント続きで苦労した2人だが、カフェから送信してくれたメールからストレスフルな日々に耐えている様子が窺えた。

ようやくネットが繋がって気持ちはかなり和らいだことだろう。longest 9days に耐えた次女夫婦、どうか今よりスムーズに事が運びますように!

そして、こちら日本では新リーダーが選ばれ、野田佳彦首相は明日にも新内閣を発足させる予定だ。
政治理念があり忍耐強い人のように思うので期待したいが、少々自虐的なトーンが耳にひっかかるのは私だけだろうか。

「野田首相は自身を『ドジョウ』に例えて、低姿勢でのコミュニケーションを心がけているのだそうで、国内的にはそれはそれで有効な『攻撃姿勢』なのかもしれないが、国際社会では通用しない」
と、国家の威信を失わないようにとの論調に目がとまった。

低姿勢でのコミュニケーションもまた有効な攻撃姿勢とは、そういう捉え方もあるんだなぁと少々異論を感じながら読んだ。

11月にはハワイでアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開催される。今年は「真珠湾攻撃70周年」にあたり、主催国がアメリカだけに日本の姿勢が気になるところだ。

今日は夫の66才の誕生日であり、長女が父の会社に再入社して1周年。次女夫婦のIMF初出勤。そして、明日は新内閣スタートと、新しい出発の秋である。

いつも私たちの目に見えないところで心を砕き配慮して下さっているイエスさまを覚えつつ、それぞれの新しい季節を始めたい。

posted by 優子 at 12:17| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする