2012年01月31日

聖書と憲法を学ぶ会C ―聖書・憲法・原発―

先週19日の礼拝後にもたれた「聖書と憲法を学ぶ会」は後ろ髪を引かれる思いで帰宅した。その朝は明け方の4時前まで知子と話し合っていたからだ。午前0時前から時間を気にしながらも知子との話は尽きず、人生観、仕事への情熱を語り合った。

知子は日曜日の午後もやらねばならぬことに追われ、私も3時間余りの睡眠時間では体調に自信がなかったので帰宅したのだった。

最近は毎回このような事情で欠席が続いているが、その時は資料を私の週報ボックスに入れておいて下さるのでありがたい。

今回は「聖書・憲法・原発」というタイトルで高見敏雄牧師が講演された。その資料から上山修平氏の『放射能を聖書の視点から考える』(新教出版社刊)についてだけ記録しておきたい。

上山氏は日本キリスト教会横浜海岸教会の牧師で、京都大学工学部卒業後、放射線CTの設計開発に携わるが、問題を感じて牧師に転身した経歴の持ち主である。

まず、「理解されていない放射能の本当の危険性」として4点を挙げて説明されている。

@ 放射能の危険性は、その値がゼロになるまで存在し続ける点にある。
放射線障害については、怖さの全体がまだ分かっていない怖さ、それが放射能の怖さであることをしっかりと認識すべきである。

A 晩発性障害は、宝くじに当たるような確立的障害である。
安斎育郎氏は分かりやすく「癌当たりクジ型障害」と表現されている。宝くじと同じように、放射線を相当浴びても癌にならない人もいれば、わずか浴びただけで遺伝子が傷つけれてしまう場合もあり、確率的障害であることを認識しなけらばならない。

B 放射能の怖さは、生体内濃縮を起こす怖さである。
例えば、牛が微量のヨウ素131の付着した葉を食べ続けていくうちに生体内で濃縮され、その牛乳は数百万倍に濃縮されてしまう。

C 環境ホルモンの怖さは、すでに放射能に現れていた。
ナノ(10億分の1)やピコ(1兆分の1)という極めて僅かの量でも人体に蓄積して悪影響を及ぼすと言われている環境ホルモン(内分泌攪乱化学物質)は、原爆や原発によって20世紀半ばより空気中に拡散し続けている人工放射性核種についてすでに言えることであった。

つまり、自然界には存在しなかった物質を人類が作り出し、予想外の悪しき副産物に苦しめられている。そのような現代科学を代表するものこそが、核分裂や放射線利用なのである。

では、聖書から何を聞き取るべきか!

@ 創世記11章1〜9節(人間によるバベルの塔建設と神によるその停止)
人間が天まで届く塔を建設しようとした時、神が人々の言葉を混乱させて建設を停止させた。これは人間が神の領域まで入り込もうとする時に伴って起こる神の恵みの行為である。

神が人間には予想できない大きな不幸と悲惨をもたらすことを警告して下さったのであり、これを「神の恵みの停止介入」と受け止めるのかどうかは我々の判断に委ねられている。

A ローマ人への手紙8章18〜25節(被造物のうめき一核分裂の際の放射能)
自然界にウランのような放射性元素は存在するが、そのままの状態では濃度は薄く、連続して核分裂を引き起こし続けるような事態は起こらない。

上記の「被造物のうめき」の箇所を読むたびに、神の被造物の一つであるウランが呻く呻き、流す涙を人間がエネルギーとしているのではないかと思われてしかたがない。

B 使徒行伝24章25節(「正義・節制・来るべき裁き」を語るパウロ)
キリスト信仰を語るとき罪人を赦す主イエスの愛を思いがちだが、パウロは「正義や節制や来るべき裁き」について話したというのである。

相手により語る内容は異なるのだ、ということを思わされる。特に「節制」について語った点に注目したい。
人間の限りない欲望に対する自制心。信仰的に言っても、核の平和利用など本当にあるのかどうか、早急に考え直すべき時が来ているのである。

そして、上山修平氏はそのまとめとして、シュバイツァーが激怒したエピソードを紹介している。

かつてシュバイツァー博士は、ICRP(国際放射線防護委員会)が初めて一般人に対する線量限度を勧告したと知った時(1954年)、
「誰が彼らに被曝を許容することを許容したというのか(Who permitted them to permit?)」
と激怒したという(『新公害言論』P222参照)。

本来、神にしか決定できないはずのことを、しかも他者に害を与えることの許容量などというものを、人間が決定し始めたことへの激怒である。

この『放射能を聖書の視点から考える』は、『福音と世界』の2000年2月号「特集=東海村臨界事故の衝撃」に「東海村臨界事故から問われること―現代科学が生み出したものを聖書の視点から」と題して掲載されたものである。

上山氏は「3.11」の原発事故後、エレミヤ書を通して感じたことを次のように書いておられる。

「イスラエルにとってのバビロン捕囚が持つ意味と、日本にとっての原発事故が持つ意味との比較です。あの苦悩が『イスラエルの中のある人々にとっては』、深く自分たちの罪に気づかされ、『残りの者』となり、新しい信仰に導かれるきっかけになりました。

今回の原発事故は日本人をどのように変えるのでしょうか、また変えないのでしょうか。否、日本人と言うのは正しくなく、『日本人の中にある人々を』と言うのがイスラエルに起こったことからして正しいのでしょう」。


「今回の原発事故は日本人をどのように変えるのか、また変えないのか」とは、私が常に考えさせられていることであり、ここでは取り上げなかった大江健三郎氏が指摘している「『頑張れニッポン』イデオロギー」、「『大丈夫日本』精神」もまた同じ認識だ。

便利さと効率性のみを追い求める生き方を悔い改めてこそ「頑張れニッポン」は励ましとなるであろうが、人々との繋がり一色で突き進む日本の行く末が心配でならない。

横の繋がりだけではなく、何か大いなるものの存在に目覚めて縦の関係との座標軸をもって進んでいかねばとの強い危機感を感じる。

このことは生命倫理の問題も全て同じで、高度に発展し続ける科学といかに向き合うか。つまり絶対的価値観を持って管理しなければ人類の滅亡を加速させる。


書きたいことが泉のように溢れ出ているが強制終了しよう。
尚、前掲の聖書箇所は「続きを読む」に掲載させて頂いたので是非お読み頂きたい。

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posted by 優子 at 21:45| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2012年01月30日

哀悼 玉木功牧師

ここに1冊の本がある。
『ガリラヤの風かおる 玉木真一の足跡』は、東山キリスト教会牧師・玉木功先生のご子息真一氏が2006年6月4日に44歳で急逝された半年後に、真一氏に関わる方々により発刊された遺稿集である。
聖路加国際病院の医事課に勤務されていたことから日野原重明氏も一文を寄せておられる。

第3部の「足跡」では玉木牧師が執筆され、父の愛深い情感溢れる言葉が綴られている。幼い頃のご子息の写真は胸を打つ。学会や研究会での発表、著書や論文の履歴を表にまとめられ、父の息子への愛が凝縮されている。

告別式では、「なぜ私の息子を、若い彼を神は召されたのか」と悲痛な苦しみを吐露されたとあり、牧師玉木功ではなく父玉木功の深い悲しみが伝わってくる。

その玉木牧師が地下鉄の事故で急逝されたとの知らせが昨日の夕方5時前に入った。
その時私はPCの前におり、傍には先月買ったばかりのDVDデッキの修理に来て下さっていたが、私は咄嗟に「名古屋の地下鉄の事故があったの?」と夫に聞いていた。

いてもたってもいられず関係者に尋ねたところ想像どおりだった。そしてまもなく、前夜式に出られた方を通して状況が伝えられてきた。

病身であられた玉木牧師は強い薬を飲んでおられ貧血状態になられたのか線路上に落ち、そこへ電車が入ってきたという。
私は目をふさいだ。何ということ!
心痛で心は宙を浮いたような感じだった。

玉木先生とは2年前の京都での夏期学校が最期になった。
その前年の名古屋では談笑しながらお食事をご一緒した。10年ほど前に胃を全滴されているので少ししか召し上がらなかったけれど、あの時はけっこう召し上がっておられたので嬉しかった。しかし、集会の時も中座されて部屋に戻られるのでお辛いのだろうなと拝察していた。

今秋予定されている日本クリスチャンペンクラブ60周年記念で再会するのを楽しみにしていたお一人なのに、玉木先生も天国に住まいを移されたとは寂しい限りである。今日が葬儀式だった。

私は泣きたいのに涙も流れず、祈ろうとしてもただただ黙祷するのみで言葉がでてこない。今も疲れているのに眠ることもできず、こんな夜遅く11時を過ぎてから先生を偲ぶために書き始めている。

以下に『ガリラヤの風かおる』から心の琴線に触れたところを目につくままに書きとめてみたい。

死を受け入れることの難しさ、夢中で聖書を読んだ。あちらこちらとページをめくった。・・・

8月21日、聖歌隊の合同讃美の写真が送付されてきた。男性の最前列左に真一がいた。「なぜ、あの時はいて、今はいないのだ!」と叫んで、真一に投げつけた。・・・

44年という時間の中の交差と堆積がそこにはある。今も、ゼロ歳児のあどけない笑顔の真一が目の前にいる。・・・

私の大好きな詩人、室生犀星の詩がある。長男を亡くした率直な思いを書いている。
『あきらめのない心』
(前略)
ひとびとは皆あきらめたまへと 云へども
げにあきらめんとする心
それを無理やりにおしこもうとするは
たとえがたくおろかなり。
あきらめられずある心よ
永くとどまれ

犀星は、あきらめられない心を大事にしている。無理やりに抑えようとすることは、おろかなことだという。・・・

母に感謝する、と同時に、母としての妻の悲しみに触れた。妻は胎内に宿してから、ずーっと真一を見つめてきている。妻が昨夜も枕もとで、真一に対する配慮が、祈りが欠けていたことをしみじみと自戒しつつ語っていた。
私の目頭が熱くなる。妹の由夏より原稿が届けられた。妹の気持ちも大事にしたい。親子、兄弟姉妹というものを、新たに認識した。・・・

聖書ヘブル11章に「アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています」とあります。真一は死にましたが、信仰によって私たちに今日も語っています。そのことを日々、実感しております。このことは、本当に感謝なことです。主のみ名を賛美いたします。・・・

・・・やがて、主の再臨の時に、ともによみがえり主の家で真一と再会することを信じる
手を彼の肩の上にのせて抱きあうことを信じる
    
     (5日に棺の前で書いた。家族葬の時に詠んだ詩)

悲嘆に呻(うめ)き苦しむ姿を明かし
愛息の死を受け容れゆく心を語られた牧師よ
私は改めて深く敬愛する
あなたの涙と呻きと祈り
これこそが悲しむ人を慰めるのだ。

15年前の母を亡くした時を思い出す。
その悲痛は耐え難く手当たりしだいに本を読みあさった。

聖書のほかに私を慰めたのは
矢内原忠雄だけであった。
玉木功牧師の綴られたものにも心打たれる。

ここに玉木先生の一筆を刻んでおきたい。
唯一残っている2007年10月末に頂いたものである。

藤本様
お約束のものを同封しました。
今 明日説教の備えを祈りつつしております。昨夜になってやっと、主のつぶやきをいただきました。感謝。
お元気で。
             玉木 功

神さまが御遺族を慰めて下さることでしょう。
ただただお慰めをお祈りします。

附記:2010年の夏期学校早天礼拝で語られた玉木師の説教
http://yukochappy.seesaa.net/archives/20100809-1.html

2009年の夏期学校での奨励
http://yukochappy.seesaa.net/archives/20090811-1.html

「神さまの働きが思わぬところで実っている。その事実を本人は知らないが、隠れたところで大いなる働きをしていかねばならない。それが文書伝道として最も的確な場であることを忘れてはならない。

私達の書いていることがいつどこで実るかわからない。売れない本であっても、それがどれだけ大きな励ましを与えているかわからない。
心に描いていることを書き上げることができますように!」


最期まで主の文筆に励みたい。

posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年01月29日

「いのちを救う情報」―あなたの心を元気にするショートメッセージ 30―

「いのちを救う情報」(安海 靖郎牧師)
 

「災」という文字に象徴された2004年は台風の連続でした。そして、スマトラ沖地震、インド洋大津波で暮れました。この半年、マスメディアは「災害」から解放される時はありませんでした。災害は、忘れないうちにやってくるようになってしまったようです。

 
旧約聖書で、ノアの洪水で当時の世界が滅びた後に、神は「大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない」(創世記9章15節)と約束しました。そして、その恵みの契約として、虹をしるしとして示しました。
 

ですから、洪水の起こるたびに、災害の起こるたびに、この主の恵みを思い起こし、同時にやがて火による滅亡が来ることへの備えをするようにとの意味があります。
 

新約聖書では、「主は……忍耐深く……ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進む」ように、そして、永遠のいのちを頂くようにと勧めています(ペテロの手紙第二3章9節)。
 

スマトラ沖の震源から至近距離にある小島シムルのことが別の意味でニュースになりました。日本の新聞にも写真入りで載りました。

人口8万余のシムル島で、あの巨大津波に直撃されたのに、犠牲者は、わず7人でした。対岸のスマトラ島沿岸、アチェ州では20万人余が亡くなったというのにです。なぜだったのでしょうか。

それはこの島では97年前にも津波の被害があり、その経験から「地震の後に海水が引いたら、山に逃げろ」という言い伝えがあり、代々語り継がれてきたのでした。

他の島では、海水が引いたところで、魚や貝を採っていて波にのまれたり逃げ遅れて犠牲になってしまったのです。
 
「救いの道を知る幸い」と「知らなかった悲劇」を二つの絵で見るような戦慄を覚えました。インドネシア政府は、最大の津波の被害対策・予防は、子々孫々にこの事実を語り続けることだと、全国民に訴えました。
 

天国への道、永遠のいのちを得る道を知っているかどうか、それは、文字通り、天国と地獄、永遠の光とやみに分けます。
 
キリストは言いました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」。(ヨハネの福音書14章6節)

posted by 優子 at 23:37| 引用文 | 更新情報をチェックする

2012年01月28日

従兄弟の一周忌に

神戸市灘区にある新在家の妙善寺で従兄弟の1周忌の法要が営まれた。このあたりは「灘の清酒」を産み出す土地柄らしく酒蔵の多い町並みである。

私達は定刻の15分前に着いたのに誰もいないので境内にあるお宅のチャイムを鳴らした。法事は正午からとのことでそれまで手厚いおもてなしを受けた。しばらくして私の勘違いで11時だと思い込んでいたことに気がついた。

膝関節が痛くて歩けない叔母を私も何か手伝ってやりたくて何度か話しているうちに、当日私達は寺へ直接行ってもよいことになったから12時前でよかったのである。

妙善寺は叔父が亡くなって以来お世話になっているお寺さんで、私達はカーナビを頼りに初めて訪ねた。寺は神戸の大震災後に建て直されたりっぱなお寺だった。

以前から御住職の純粋なお人柄に感銘を受けていたが、奥様も息子さんも御家族全員が澄んだ美しい目をされて、実に謙遜で素晴らしいお人柄だった。

しかも寺使用料は1万円だというから耳を疑った。いや、そのような方々だからそうなのだろう。私の実家の寺ならばどのくらい請求してくるだろうか。

卑近な話だが、母の時も父の時も葬儀の場所代だけで100万、戒名代が70万。これに3人だったか5人だったかのお坊さんへの費用などがドンドン追加されていき、通夜のあと夕食接待する部屋にまで使用料の別料金が加算される。

建て直す前の寺は和室だったので焼香台を回していくが、その時に台に御布施を置くように要求されるのである。
ゆえに母はいつも銀行員に頼んで100円玉を何本も用意して、集って下さった方々に3枚ずつ配っていた。これは子供時代から見慣れた光景で、このことに呆れる叔母と夫は何度も話題にするほどだ。

寺の改築にも高額な寄付をした檀家の人から高額な使用料を要求する寺。あまりにも心の伴わない拝金住職に嫌気がさした兄は、両親が亡くなって檀家を抜けた。そのことを兄に相談された私は快く同意した。以来、両親の法要は行なっていない。

冒頭から話が逸れてしまったが、今日はそれほどに妙善寺の方々に感動した。お金のことではない。彼らの人間性にだ。
このような方々を神さまはどのように見ておられるのだろうかと、読経を聞きながら思いめぐらしていた。

また、従姉妹の伴侶とお父上もまた(欠席されたお母上も勿論)、誠実で実に美しい目をし情熱をもって生きておられるので、今日も話が弾み共鳴し合い今も心がポカポカしている。

「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう」。(マタイによる福音書 5章8節)
今日はこのような人々の存在により慰めを得た。

人間には神のような眼力はないが、人というのはその人のまなざしと話す内容でその人物のだいたいの輪郭はわかる。見る人が見ればわかる。澄んでいなければ見えない見分ける私の目も幸いにして澄んでいた。

食事のあと叔母を家に送りしばらく話していた。
神は妙善寺の奥様を通して年老いた叔母を慰めて下さっていた。住職ご夫妻は神戸の大震災で娘さんを亡くされており、「私にも奥さんの気持ちはよくわかります」と言葉をかけて下さっていた。叔母はそのことを3度も私達に話していた。
叔母の上に神の慰めが豊かにありますように祈るばかりである。

ユキは「こべ(こうべ)おばあちゃん、げんきしてますか?」と書いた大叔母への手紙を渡した。
ユキは誰にとっても光の子、神が遣わされた子だ。


叔母にもらったオルゴール.jpg

叔母からもらったオルゴール。

これはAちゃん(私の従姉妹)と富士五湖へ行った時に買ったそうだ。オルゴールが鳴ると頭を左右に振る。曲は「虹の彼方に」で、叔母はこの曲が好きで玄関にもあると言った。
「叔母ちゃん、大切にするね。」

真智へ:
真智がお正月にプレゼントした襟巻きがとても暖かいと愛用してくれていてね、「まちちゃん」という名前までついていたよ!

「まちちゃん、いくよ」と身に付け、娘の家から帰る時は「まちちゃん、忘れなや」とAちゃんが言うんだって!!!
叔母ちゃんの嬉しそうな顔を見て、ママまで嬉しくなったよ。

真智、いよいよミッションに出発やね。霊肉ともに支えられて良き働きができますようにお祈りしてるね。


posted by 優子 at 23:59| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年01月27日

知子に注がれている神の勢いがわかる!

「恐れることはない、わたし(神)はあなたと共にいる神。
 たじろぐな、わたしはあなたの神。
 勢いを与えてあなたを助け
 わたしの救いの右の手であなたを支える」。

           (イザヤ書 41章10節)

この聖句(御言葉)は、知子のことを祈って下さっている牧師から頂いたものである。
知子自身の目に留まった聖句ではないが、昨秋からずっと、そして、いよいよ今の知子に最もふさわしい御言葉を頂いて身震いするほどである。知子と私は何度も声を出して読んだ。

「ずい分お元気になられて安心しています。
幸悠君も、おじい様、おばあ様、お母様の間で、また教会の中でも皆さんに見守られてすくすくお育ちになってしっかりしておられて嬉しい限りです。・・・」


今週初め、知子のことを祈って下さっているお一人の牧師がユキに絵本を送って下さった。添えられたカードにこの聖句を書いて下さっていた。

知子は先月初め頃から、小学生の時のように帰宅と同時に目をキラキラ輝かせて「今日も神さまが教えてくれてね」と熱く語り出す。ママの帰りを待っていたユキはママをとられて怒らせてしまうことしきりだ。

「ユキ、ユキのママはすごいよ。
すごい集中力で神さまから与えられた頭脳と心を最大限に発揮しているよ。ユキのママだものね!」


「ユキもすごい?!」

「勿論、ユキもすごいよ。だってママのユキだものね!」
と、私はユキを強く強く抱きしめた。

では、我が家の希望の子、最近のユキで〜す。

年賀状の当たり番号を捜すユキ.jpg 

↑ これは22日夜、年賀状の当選番号を調べるユキ。
約200枚の年賀状を根気良く最後まで見てくれた。

今年は幸運にも末等の切手シートが6枚も当たっていただけではなく、下4桁の3等が当たった!!!これは1万本に1本だそうだ。
主婦業35年目にして初めての幸運である!晴れ
早速、知子とユキと私の3者会議を開いてカタログからカステラとプリンの詰め合わせを選んで申し込んだ。わーい(嬉しい顔)

これは1月7日、真智子夫婦も一緒に食事に行った時のもの。
ユキはお子様プレートだったけれど、
ユキのテーブルマナーはどうかな?

ユキも一人前!.jpg

私は最近何度も2009年春からの知子の記事を開く。
あれから3年。あの時、このような日が来るとは想像すらできないほど必死だった。

神さまが知子に触れて下さり完全に癒して下さったのがわかる。これまで多くの友に祈られ、関わって頂いた。ただただ感謝し、私達も友が苦しむ時、そのようでありたいといつも話している。

これからも、いや、今もまた、常に新たなる試練はあるが、神さまの教えは常に現実肯定だ。神さまの平安を頂いて進んでいこう。

「恐れないで、ただ信じていなさい。」(マルコ 5:36)
真智子は日々、このみことばを握って励んでいることだろう。

「まことに、主は、ご自分の民を見放されず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません」。
                     (詩篇94篇14節)

私の最愛の娘たちよ
信仰の翼をピンと張って
さあ 大空高く飛べ!!!


附記:血圧が非常に高い。(173/105)もあり吐き気がする。

posted by 優子 at 22:05| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年01月26日

赤ワインに染まった訪問着の顛末

昨年のIMFのクリスマスパーティ(12月10日)で訪問着を装って出かけた次女は、各国の方々に美しい着物姿を披露できたのはよかったが、後ろ身ごろ下方部の広範囲を赤ワインで汚された。

パーティから帰宅した直後に気がついたからさあ大変!
楽しかったパーティ気分も吹っ飛び、大ショックで悉皆屋さんをネットで検索し、我が家に電話をかけてきた。高価な着物だから見ず知らずの検索先に依頼するのはリスクが大きすぎる。

それに誰よりも信頼できる方がいるではないか!!!
私にとって昨夏お出会いした呉服屋さんは母のような存在だ。専門家としてだけではなく何よりもお人柄がいい。初めてお目にかかった時から信頼できた。ご夫妻共にとてもステキな方々だ。


商売っ気がなく、しかし、親身になって考えて下さるので結果的には大きな成果に繋がることになる。
とは言っても、私は何も買い求めないので有り難くもない客だろうが、私の方はいつも大満足、感謝して代金をお支払いできるのは幸せだ。

今朝、呉服屋(名倉屋)さんから電話が入った。
訪問着についた赤ワインのシミは殆どわからないくらになって戻ってきた。名倉さんが懇意にされている京都の悉皆屋さんにお願いして下さったのだ。

ご主人は「これが届いたんです。このようにしっかり梱包されて届きました」と、ワシントンから送られてきた航空便のパッケージも取って下さっていた。
真智子の肉筆ではないが、"Fragile"(取り扱い注意)の文字が書かれていた。2011年末、呉服屋さんに届いた着物の航空便.jpg

こうして昨夏アメリカへ渡った着物は、クリスマス前にワシントンD.C.から空を飛んで、年末年始を京都で過ごし、今日、実家へ戻って来た。
「今度真智が帰ってくるまで日本でゆっくりしてね」と、真智子ではないけれど擬人化して着物に話しかけていた。
そしてまた、アメリカへ持って帰る(行く)ことになっている。

真智子はまもなく始まるミッションの準備で1週間程前から(ワシントン時間の)夜遅くまでオンラインになっている。明け方近くまで仕事をしている時もある。大変なんだろうなと娘の姿に想いを馳せるが、チャットはもとより私からはメールもしない。

担当国の財務大臣(?)に対して国の経済状況を説明したり、IMFの要望などの資料作りに追われているのだと思う。日本のように時間をかけて行われる新入社員研修などはなく、ましてや学者の採用ともなれば即戦力として分析やサマリー作成など課されるようだ。

再び2週間ほどアメリカを離れるので、この土・日は十分に休養して体調を整えて出発できますように。霊肉が守られるように祈っている。

今朝の名倉さんの明るい声は溌剌とした気持ちを思い出させてくれた。私の敬愛する大好きなお一人で母を思い出させる人である。

posted by 優子 at 19:44| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年01月23日

案ずる日本の行方

「東日本大震災は、明治維新、日本の敗戦に匹敵する大きな激変であり『第二の敗戦』とも言える。
その上で、震災後のグッドニュースとしてはまだこの国が存在して私たちが生かされているということ、バッドニュースとしてはこのままいけばこの国は滅びることである。」

と指摘したのは中川健一牧師だ。

では何に敗戦したのか中川師の弁を読んでみたい。
以下は1月20日に掲載された「クリスチャン・トゥデイ」より抜粋したものである。
中川氏は、「第二の敗戦」で何に負けたのかということについて、「戦後の物質主義、物の豊かさを求めるという戦いが『砂上の楼閣』であったということ、成功哲学が人を幸せにするという考え方が破れたのです。そして戦後のエネルギー政策も敗北しました。

第一回目の敗戦では、日本が『良き敗者』となることを認め、経済的に復興していく道を歩むことで国を建て上げていきました。しかし『第二の敗戦』においては、まだ『負けた』という感覚が、この国に満ちていません。

そのため第一の敗戦よりも第二の敗戦の課題の方がさらに大きいという特徴があります。このまま(敗北を認めず)『頑張ろう日本』という掛け声のもとに、従来の路線を踏襲していくならば、個人的には日本の未来はないと思っています」と述べた。

私も同じ考えだ。これまでの間違いを認めて方向転換しなければ日本に未来はないだろう。「頑張ろう日本」の前に全ての人が間違いを認めて方向を正したいものである。間違いを認め悔い改めてこそ神は私達の頑張りを祝して下さるのだ。

昨日発行された馬見労祷教会報(222号)に掲載されたK兄の言葉は我が心に強く響いた。

「私はフクシマ被災者の故郷を去る姿が楽園を追われたアダムとイブ(マザッチョの「楽園追放」)の姿に重なって映ります。masaccio_cacciata_top.jpg
二度と原発事故の悲劇を繰り返さない、神から託された美しい地球をこれ以上傷めつけないでおきたいのです」。


敬愛するK兄は節電の努力なくしては脱原発は達成できないから、私達一人ひとりが主役になって取り組むようにと説得力ある論説を展開されている。

posted by 優子 at 17:47| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年01月21日

主体的に生きるとは ―私のモットーとしていること―

私が子育てで重視した「主体性」について1月14日記事の関連で書きたいと思う。
この言葉を初めて知ったのは高校2年生の聖書の授業だった。中学校3年間は聖書について学び、高校1年でキリスト教会の成立と世界的発展(歴史)を、2年では「キリスト教と人生」、即ち、キリスト教倫理、人間の本質的な問題、人間の生き方、いわゆる「キリスト教人間観」を1年かけて学んだ。

それに先立って、カント、マルクス、ニーチェ、キルケゴールなど代表的思想家の人間観を学び、神との関係において自己を考えたキルケゴールの思想を取り上げた時に、「主体性」ということを知った。

人間は矛盾を抱えながら生きていかねばならない存在であるが、矛盾だらけの惨めさをごまかして(避けて)生きるところに主体性が失われる。

その絶望感をどのように克服していけばいいのか、どうすれば主体性を取り戻せるのか。努力すればするほど絶望は深まるばかりで、これが人間の力の限界である。

絶望からスタートして絶対者である神の前に単独で立つ。その時に神との関係が回復して主体性を戻されるということである。 

しかし、信仰するかしないかは自分の決断に任されており、神と自分と1対1で生まれてくるのが信仰であり、それが主体的真理だというのである。


キリスト教では人間は神の意思(本質)があって実在している被造者であり、主体性こそが神が私達一人ひとりに求めておられるものである。

クリスチャンになって15年くらい経ってからのことだったと思う。何人かの友に「今さら聞けないこと」を質問したことがあった。当時の私には切実な問題だったからだ。

それは、神さまは私達が祈る前から必要なものをご存知ならば、どうして祈らねばならないのかということだった。愚かさをさらけ出す質問であったが、誰一人として私に満足いくように答えてくれた人はいなかった。

その後、40歳代の終わり近くなって真に理解できる者として下さったが、あの時私が聞きたかったことが全て書いてある記事を見つけたので、ここに記録させて頂こうと思う。(記録ミスで出典不明)

主体性は、人間を理解する上でも祈りの意義を知る上でも、必須のことなのです。主体性が、人間に対する神の御意志であるが故に、人間は祈るように要求されているのです。そして、祈り求めることによって、神は人間に介入されるのです。主体性が人間創造の摂理であるゆえに、祈りは必然なのです

神は、あなたが求め続け、捜し続け、叩き続ける主体性もって祈る霊性に成長することを期待しておられるのです。御子をさえ惜しまずにあなたに与えた「父なる神」は、あなたにすべてのものを与えたいのです。

しかし、それは、あなたの人格の中心である主体性から泉のように湧き出る、祈りを通してなのです。あなたの人格の状態とは無関係に、祝福が与えられるわけではありません

神は父親としてあなたに与えたいのです。そのために、あなたに主体性を命じておられます。「求め続けなさい、捜し続けなさい、たたき続けなさい」と。(これらの命令形の時制が、継続を意味することを覚えましょう。)

このことは最近長女との話題のテーマそのものであるから、知子も深く頷きながら感動をもって読んでくれることだろう。

そして、昨日付けの文香さん(『生かされて』)の記事を読んで「ハレルヤ!」と叫んだ。
知子もまた全く同じ奇跡を体験していることを記し、文香さん初め祈りに覚えて下さった方々へのご報告としたい。
ただ、イエス様を信じ傷をみつめたとき、癒しが始まるのだと思います。でも、傷に蓋をしてしまっている場合、そしてそのことに自分で気づかないときは難しいですね。
深い心の傷は、簡単には治りません。時間がかかります。でも、必ず治ります。

       (略)

カウンセリングを受けたわけでもないのに、どのようにしてそうなったのでしょう……。いつ、どこで、どのようにして、なぜ癒されたのか……思い巡らしていますが、はっきりわかりません。誰に癒されたかだけはわかっています。それは、イエス・キリストです。

         (『生かされて』2012年1月20日記事より)

ハレルヤ!私達もその証言者である。

posted by 優子 at 22:59| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2012年01月19日

日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックより 証し文集『種を蒔く』創刊1号刊行 

昨年末に日本クリスチャン・ペンクラブ 関西ブロックから証し文集『種を蒔く』の創刊1号を刊行した。(A4版・168ページ/税込1000円)
証し文集.jpg
ここには昨秋召天された奥村直彦牧師の遺稿となった作品も含めて3名の遺稿と共に、24名62作品が収録されている。

久保田暁一先の「東日本大震災とカミユの『ペスト』をめぐって」と、大田正紀先生の「平和を考える―吉田満の場合」は非常に興味深い。

大田先生の巻頭言最後のところで『メメントドミニ』をご紹介下さっている。
わたしどもの活動は「日本クリスチャン・ペンクラブ」のホームページに掲載されています。また、事務局の藤本優子姉のホームページ「メメント ドミニ」にも会の近況が更新されていますので、ご覧下さい。
このお言葉を受けて文筆活動の認識を新たにされた。
私は4作のほかに巻末の「日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロックご案内」を書かせて頂いたので、まずはブログを用いてご案内させて頂き新規会員を募りたい。

日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロックご案内

日本クリスチャンペンクラブは、1952年(昭和27年)6月に日本基督教文筆家協会として発足し、来年創立60周年を迎えます。関西ブロックはその枝として2001年に創設されました。文書伝道を志し、信仰を土台とした文筆活動に励む者の集まりです。

例会では、久保田暁一先生と大田正紀先生のお導きのもとで、長らくキリスト教日本文学作品を学んできました。今後は会員それぞれが研鑽を積んでいるものを発表したり、読書会形式で感性を磨いていこうとしています。
また、書いてきた証し文章を相互講評し、自分の内に溢れるものをいかに表現すればよいかを学びます。

年に5回の例会と、毎年ではありませんが1泊2日の夏期学校を開催しています。また、『関西ペンの声』を発行しています。この『種を蒔く』も発行を重ねていきたいと思います。会場は大阪や神戸など毎回例会の終わりに次回の会場を決めています。

入会資格はクリスチャンまたは求道者の方で、教会生活に励んでおられる方であればどなたでも歓迎いたします。詳しくは事務局へお問い合わせください。
                         (文責 藤本優子)
例会案内
例会日:2・4・6・9・11月の第3土曜日

時 間:午後1時半から5時まで

場 所:大津教会、千里ニュータウン教会

費 用:入会費 不要 、年会費 5000円、参加費 500円

事務局:
※連絡先は例会前に公開されるJCPホームページ(画面右の「お気に入りリンク」の「日本クリスチャン・ペンクラブ」)をご覧下さい。

私は昨年に続いて書記と会計役を務めさせて頂くことになっており、この年末年始にかけて振り込み口座開設の手続きを完了した。

私はこれまでとは違って信仰の先輩方に追随するだけの姿勢を改め、昨年度より感じたことは率直に発言して会の運営に積極的になっている。

今年はJCP創立60周年の節目で上京することになるだろう。
入会してからの25年間を振り返ると、これまでの自分自身の歩みと重なって胸に熱いものが込み上げてくる。
今から仲間たちとの再会が楽しみだ。理事長・池田先生のことを祈りつつ・・・

posted by 優子 at 23:57| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年01月18日

春を予感

60歳はまだまだそれなりにテキパキできる年齢であろうが、知子は常に私の体調を気遣ってくれる。
次女夫婦が発った日と翌日にパジャマやシーツは洗ったもののそのあとはそのままだった。今日は幾分体調がいいようなのでゆっくりのんびり2階の掃除し、ようやく今夜から自分たちのベッドで寝られるようになった。

というのは、狭い我が家では次女夫婦が帰宅する時は民族の大移動ならぬ我が家内で大移動になる。
まず、夫が寝ているセミダブルのベッドには知子とユキに、夫は空いている真智子の部屋へ。私はそのままで、知子とユキのベッドを次女夫婦に譲るというわけだ。

今日は知子とユキだけでも自分の部屋で寝られるようにとやり始めたところ、夫の分もできそうなので移動し、もう少し頑張って私のところもホコリを払って気持ちよくした。2時間要して全部やり終えることができた。

さて、今週末に関西学院大学で開催される日本キリスト教文学会がある。昨年末に久保田先生から「遠藤周作だから行きませんか」とお電話を頂いた時、申し上げにくかったが関西支部長(関西学院大学の副学長)にメールし退会したことをお伝えした。

久保田先生にご紹介頂いて入会したのにご相談もしないで退会したのだが、探究心は全く消え失せて自分の可能性の限界を感じていた。

しかし、久保田先生がはるばるお出でになるならば是非サポート役をさせて頂きたいと思っていたが、体調が良くないので昨夕欠席する旨お電話したのだった。先生も大事をとって欠席されるとのことで気持ちは楽になった。

退会したことについては後悔はしていないが、十分に祈りもしないで自分の思いで事を進めたことはよくなかった。

同じ頃に森有正の妹・関屋綾子さんのことを書いてみないかと声をかけて下さった方もあるが、こんな機会にも食いつかず見逃すことができるというのが現状だ。

しかしながら、今年は3年ぶりに手帳を持った。今ではすっかり孫との生活に慣れ親しんでしまって、予定が入っても手帳に書き込むのを忘れる。まさに社会復帰、リハビリが必要だ。


今春からはユキが幼稚園に入園するので徐々に自分の時間がとれるだろう。焦らずに、しかし、止まらずに、何かを始めていきたい。今はまだ全くテーマも見つかっていないが。

知子は今月末の株主総会と新体制に向けてハードな日々を過ごしている。今や知力も全開して小・中学校時代のような冴えを見せている。
私は生き返った知子が嬉しくてならない。

あれから3年。
今年は春の感情を思い出すことができるのだろうか。
知子の耳に鶯の声はどのように響くのだろうか。
大寒を前にして春を予感する。

posted by 優子 at 23:27| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

再びアメリカへ飛んだ朝のスナップ

マチ・クマが再びアメリカへ出発して明日で1週間になる。1月10日の出発時の写真を送ってもらっていたので記録しておきたい。

出発前・荷物.jpg

二人が着ているコートは氷点下30度のミネソタでも耐えられるものだ。
真智子のはチャコールグレイでキュートなタックがとってある可愛いデザインだった。

ワシントンは日本並の寒さなので―とは言うものの今日はマイナス7度に最高気温も2度という冷え込みだが―日本で着ていたバーバリーのコートも持って行った。

出発前1.jpg

この日の朝、二人を見送ったすぐあとに、「マチとフーは(おかき)おいしいって言ってくれるかなあ」と言っていたユキ。

ユキ、マチ・クマは優しいね。新幹線の中でもおかきと一緒に写真を撮ってくれていたよ。

「ゆきちゃんからもらったおかき、食べるとゆきちゃんの優しさで胸いっぱいになるよ。それに、本当に本当においしい!また買いたいぐらい。

今日は早速、ゆきちゃんが作ってくれたカレンダーや絵本、はがきをふぅもまちもそれぞれオフィスにもっていったよ。

ゆきちゃんに伝えてね。
本当に嬉しい。喜んでるって。
ありがとうって。」


これはワシントン時間11日に送ってくれた真智のメールだ。

その後、13日には部署の新年会もあり、戻ってすぐ仕事に就いたので緊張感もあるせいか時差ぼけは順調に回復しているようだが、日本に滞在していた時もセキュリティの厳しい職務上のボックス(?)に、1日90件近いメールが入っており返信する姿から仕事の厳しさが想像できた。

今日は「マーティン・ルーサーキング・ディ」で休日とのこと。真智子は2月に入れば再び担当国へ出向かねばならないから、この3連休で長旅の疲れがとれますように。

マチとフーへ:
この朝、チャッピーの散歩の時にカラオケの歌を思いついたよ。アンディ・ウィリアムスの「ダニー・ボーイ」です。この日は一日中口ずさんでいました。
いつもお祈りをありがとう!
私達もふたりのことをいつもお祈りしています。

posted by 優子 at 22:19| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年01月15日

ワシントンより知子に励まし届く

昨日の記事に関連して、知子の生き方もまた長女に送られたフー(次女の伴侶)の言葉に現れている。

「お義姉さんのお仕事の話をお聞きして、本当に頑張って来られたんだと思いました。明確な指示がないにも関わらず、すごい成果を挙げられていると思いました。お義姉さんの努力を、主が豊かに祝福されたんだと思います。

煩雑な物事を、整理して有用な形にまとめていく、というのは、すごい判断力と労力だと思います。真智と共通する才能ですね」。


これは知子の労苦を豊かに労うものであり私にとっても喜びだった。自分の働きを正しく客観的に評価してくれる人がいるのはどんなに嬉しいことであろうか。経験を分かち合えるのは生きる喜びだ。

私はみことばを贈りたい。昨夜神さまから知子へのメッセージとして示されたエレミヤ書33章3節だ。

「わたし(神)を呼べ。あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」。(新改訳)

知子よ、今年も神さまに期待して大いにチャレンジし続けてほしい。
会社においてもこれまでの歩みを経て1月からの日々は、神さまが働いておられるのが私の目にも見えるようだ。神さまが最善に導いて下さることを確信しているゆえに、私は神さまと知子のミッションの邪魔をしないように、適切な促し以外は祈りに徹することができますように。


附記:先週初めから血圧が高く、医師の指示を受けていたので夜の薬の服用量を2倍に増やしている。
13日の葬儀の時も脳梗塞にならないか心配なほど脳に異常感があり、火葬場へ行くマイクロバスの中の温度を上げてもらったほどだった。

今日は大事をとって教会を休んだ。
今頃知子の奏楽で礼拝が始まったのだろう・・・と、礼拝に想いを馳せながら聖書を読み始め、時間を忘れて2時間も読んでいた。その直後に知子たち3人が帰宅。
「ただいまー!」
ユキの明るい声は神さまの強い光、希望が飛び込んできたようだった。


posted by 優子 at 23:23| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年01月14日

日本語と日本人の意識構造 ―回想私の子育て―

先日、長女が次女夫婦との会話でこんなことを話しているのを耳にした。
「日本人の礼儀正しさは断定を避けて、『〜と思います』や『〜ではないでしょうか』という話し方だから、はっきり物を言うと喧嘩だと思ってしまうことが多いよね。
だからあちらでは”would ”を多用したくなるのが日本人だと思うけれどどんな感じ?」


これは私にも興味深い話題なのであとで聞いてみると、長女の想像は次女夫婦とも一致した見解だったという。

アメリカで日本(語)的発想でやっても議論を深められないようだ。
それは文化や言葉の違いだけではなく、人は全て個性が違うというのが根本にあるので、議論のあとも気持ちを引きずっている人もいるのであり、それは人間の普遍的な姿だというのがマチ・クマの印象だった。

これを聞いて私は学生時代に読んだ笠信太郎の『ものの見方について』に書かれていたことを想起した。これは笠氏が朝日新聞の特派員として8年間欧州に滞在した時の仕事や生活体験から書いたものである。

近年私は文化論や日本人の意識構造だけではなく日本語そのものにも関心がある。
日本語の美しさ、豊かさはそれを母語とする私達の誇りであるが、他方で日本語の成り立ちゆえに意識構造の弱点も見逃せない。

ここまでは導入部分でここからが話したいことである。
日本人は「ノー」と言えなくてぼやかしてしまう。その本意は関係を壊したくないという懸念と、はっきり物を言うことは失礼だと考える文化だからである。

ゆえに、「何となく〜と思います」や「〜ではないかと思います」、あるいは「そのようなことはないとは限らない」など、遠まわしで婉曲な言い方をするのだが、ここに日本人の特徴とする主体性に欠ける弱点が形成されていくバックボーンがある。

井上ひさしは、「日本語が曖昧なのか、日本人が曖昧なのかわからないが、自己表現、主張しない日本人だからではないか」と言っているが、森有正は真髄を突いている。

つまり、「人間が自分を主体として、第一人称として、自分の世界を述べ、それを背負っていくことが、いかに困難であるかということ」、そして、「常に一人称が成立するためには同時に他に向かっては三人称でなければならない」と言う。

これに関連する内容を何十年も前に新聞紙上に掲載してもらったことがある。その投稿文にも書いたことであるが、日本では常に二人称でしか生きていけない。

例えば、私は誰々の娘、誰々の妻、嫁の誰々と意識させられる社会だからだ。加えて日本語は相手によって言葉を変えなくてはならない敬語の問題がある。

英語ならば相手が大統領であろうと我が子であろうと"you"でいいが、日本語はそういうわけにはいかない。相手によって自分の位置がアップダウンし言葉遣いや語尾を変化させなくてはならない。

その点英語は相手によらず同じ言葉であり、しかも英語は論理的であるからロジカルシンキングをも訓練しやすいと思う。

しかし、日本文化の中で一個の人間としての意識を築き上げるのは容易ではない。その意味において、私の子育てで重要視したのは日本文化の弱点を補おうとした点であると言える。

即ち、娘たちには自分の頭で考えて判断できる人に、そして、自分の意見を言える大人に育って欲しいと願って育てた。

私が子供たちの小・中学校時代によく言ったことは、大人も間違えるし、親や先生の言ったことが常に正しいとは限らないということだ。
先生が言ったことだから正しいのではなくて、その人がどのようなことを言ったから正しいと考えるように機会あるたびに教示した。

それは周囲に迎合する安易な生き方ではないだけに、時には周囲との摩擦や抵抗にも合っただろうが、自分は自分だという自己の自覚をもてるようになることを教育の目標に据えた。

娘たちは私の期待に応えてしっかり自己を見つめながら歩むことを身につけた。それでこそ知育も大いに発展していくのであり、学ぶことは面白いと思えるようになる。そうなれば学習面でも大成功である。

その後、私は森有正と出会い、「自分は一個の人間として立つという自覚を養うにはキリスト教の『神』の存在が出てこないと不可能である」と述べているのを知り実感をもって共感したのだった

両親が同志社で学ばせてくれたことが生かされ、その後神との出会いにより、私だけではなく娘たちの教育にも多大なる影響を与えた。


日本人が英語圏で仕事をするのは母国に居る以上に努力を要すると想われるが、次女に賜った能力はますます養われてその手応えを感じることだろう。

posted by 優子 at 17:59| 教育 | 更新情報をチェックする

2012年01月13日

良き生を生きて良き死を迎えたい

8日のこと、夫の叔母が勝手口から外へ出た瞬間に脳梗塞を起こし、意識が戻らぬまま10日朝に亡くなった。81歳だった。夫の両親は共に岐阜出身で唯一大阪に在住する親族である。

とは言っても、私がお会いしたのは2度だけだったと思う。
第一子の娘さんは生まれたばかりの時に医療ミスで重い障がいを負われ、娘さんのお世話のために義叔母は冠婚葬祭の時も外出することができなかったからだ。

義叔母は私の結婚の荷送りの時に新居で荷受け(藤本側)のお手伝いに来て下さっていた。その時、手芸好きな義叔母は花嫁道具のミシンに目が止まり、とてもいいものだと驚いておられたと新居への先導役を務めてくれた兄が話していた。それを聞いた母がたいそう嬉しそうな表情になったことを覚えている。

それが唯一のエピソードだが、今から25年ほど前に家族揃って(第2子)息子さんの結婚のお祝いに伺ったことがある。夫もまたその時に私達の結婚式以外に一度だけお目にかかっただけだった。

故人は重く深い悲しみを越えてこられた母親であり、それゆえの深い人生を送られたことだろう。2年前の冬にお送りした星野富弘さんの本を読んで下さっただろうか。突然に愛する人を取り去られたご遺族に神の慰めを祈るばかりである。

昨夜のお通夜には長女に出てもらい、今日は会社を休んでもらって私が参列した。

葬儀での最後の別れの時、火葬場で、昼食時、そして、骨揚げ(遺骨拾い)の時と、私の視線は常にご遺族に向けられていた。特に義叔父と孫娘さんたちに。

意外なことに義叔父の姿は遺体になった私を見る夫ではなく、母を亡くした時の父を連想させた。その父もまた亡くなって12年になる。

老いに入った私達夫婦の未来を想うのではなく父であり、あの時、痛々しいほどに悲しんでいた娘たちを思い起こさせた。母の進行性難病の死はあまりにも過酷だった。


そして、これから先のことを想った。
私の遺骨を拾ってくれる人たちは誰だろう。
正直のところ現時点では拾って欲しくない人たちもいる。

知子と真智子の姿、そして、太志君の姿も見える。
もうしばらく生かして下さるならば少年になったユキも拾ってくれるだろう。

60歳になるとこれまで以上に自分の死に現実感が帯びてくる。
娘たちも親の死を想像するのだろう。真智子が、「義叔母さん亡くなられたのね。知らない方ではあるけど、やっぱり気持ちが沈みます。」と書いていたのはそのためだと思う。命には限りがあることを心にとめている娘たちであるから。

今週に入ってようやく徐々にスランプから抜け出しつつあったが、このたびのことを通して私の中に神の息吹が吹き込まれたような気がする。魂に力が漲っていく感じだ。

残り少なくなった時間を無駄にすまい。私は私らしく生きたいと思う。

「悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。
 死はすべての人の終りだからである。
 生きている者は、これを心にとめる」。
            
         
              (伝道の書 7章2節)

posted by 優子 at 22:48| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年01月11日

ユキちゃん、初めてのおつかい

8日夜のテレビで幼児が初めておつかいに行く番組があった。それを興味深く見ていた我が家の幼児は大いに刺激されて、早速実践することになった。(笑)

駅近くに歩いて行ける唯一の小さな店がある。利用することは殆どない。
このあたりは郊外の住宅地なので自動車の行き来もはるかに少ないが、テレビ局の方が同伴してくれているわけではないのでママがすぐあとをついて行った。(笑)

今日の記事は9日のお昼前のことで、その直後に知子ママが本人から聞いた話である。

店内に入って「おはようございます」と挨拶したユキは、
「マチとフーいう人がおるんです。マチとフーが新幹線の中で食べるおいしいおかきはどれですか?」と聞いたそうだ。

店のおばさんに「(そのあたりを)ちょっと見に行っといで」と言われ見ていたらしいが、最終的には店の人に選んでもらったそうだ。

そして、店の人に「ほかのおやつはいりませんか?」と聞かれて、
「チーズほしいです」
「どんなチーズ?」
「ピラピラのチーズありますか?」
店の人はスライスチーズを手にとって「これか? もう買うものはありませんか?」という会話だったそうだ。そして、
「ありませんって言うたら、『財布を見せてみ?』と言われて、大きい玉のゴーゼロゼロ(500円)とイチゼロ(10円)を3つ取りはった。」
初めてのおつかい.jpg

お金を払っている時に「ママは居るか?」と言われて「外で写真撮ってます」と、ドアの外でユキの様子を見ているママを指さしたそうだ。ママはかなり隠れていたので店の人にはわからなかった。
そして、店から出てきた瞬間のユキ!

店から出てきた瞬間.jpg

このあとすぐに知子ママは店に入って事情を話してお礼を言ったという。
帰宅したユキの顔は大冒険を成功させた自信と充足感に満ちていた。
やったね、ユキ。エンジョイ!

附記:
★マチ・クマは無事にワシントンに着き、(日本時間)今朝7時過ぎに家に着いたと連絡あり。感謝!

★9日夜、良輔の叔母が危篤状態との連絡あり、今朝6時過ぎに永眠されたとのこと。亡くなられた直後早朝の電話に驚いたが、夫と知子は訃報を聞いて出社した。
11時過ぎの電話で式場、時間、家族葬でするなどの連絡あり。すぐに詳細を夫に電話した。

知子は連日時間的に猶予のない重要な仕事を抱えているので休めず、私はユキを連れて葬儀に行くべきかどうか。
ユキの感受性の鋭さが気になってどうすべきか考えている。

posted by 優子 at 13:56| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年01月10日

またね!

16時25分、2人はもう機内に入った頃だろう。
16時40分、出発時刻だ。
ついに飛行機は動き出し、加速度を付けて走る、そして、離陸。
飛んだ!
「真智!」
大粒の涙が頬に落ちた。

優しい真智と優しいフーはまた行ってしまった。

ユキは今お昼寝中。
静寂の中、私はマチ・クマのテーマソングを聞きながら涙の目で微笑みボンヤリしている。

ワシントンはミネソタよりも遠い。
現地には日本時間の明朝5時頃の到着予定だ。旅の無事を祈りつつ・・・



posted by 優子 at 16:45| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年01月09日

楽しかった年末年始、マチ・クマ明朝再びワシントンへ

大好きな真智と!.jpg大好きな真智と。
ユキが書いた真智への手紙―
「まち さみしい また かえて(帰って)きてね まてる(待ってる)からね」
ユキの真智への手紙.jpg

左上に貼られた切手には「かみはあいです」と書いている。何て素晴しいんだろう!
真智は「オフィスに持っていくね」と喜んでくれた。
フーには詩のような手紙を書き、「癒されるよ」と喜んでくれた。

オセロゲーム.jpg

これもステキな写真だ。
フーに何度もオセロゲームをしてもらったね。

今回も「ウィー」を持ってきてくれたマチとクマ。セッティングや後片付けは全てウィーグマ(太志君)だった。ありがとう!とっても楽しかった。

カラオケ大会.jpg

『浪花恋しぐれ』を歌う祖父を真似るユキ。
「あんた、泣きなはれ。あんたに一生ついて行きます」に大爆笑!

ウィーでゴルフ.jpg

ユキのゴルフのフォームは野球みたい。

ナイスショット!.jpg

ボーリングは常に高得点を出すユキ。

ストライク!.jpg

そして、ユキはまた手紙を書いた。
「まちとふう さみしいな いつも あいしてるからね」 わーい(嬉しい顔)

2012年も神さまに守られて神さまと共に漕ぎ出して行こうね。

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」。                    
                  (ローマ人への手紙 8章28章)

真智子と太志君の上に神の祝福が豊かにありますように!

posted by 優子 at 23:12| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

「わたし(神)はあなたを見捨てない」

「しかし、わがしもべイスラエルよ、わたしの選んだヤコブ、わが友アブラハムの子孫よ、
わたしは地の果から、あなたを連れてき、地のすみずみから、あなたを召して、あなたに言った、『あなたは、わたしのしもべ、わたしは、あなたを選んで捨てなかった』と。

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。
驚いてはならない、わたしはあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる」。

              (イザヤ書41章8節〜10節)

自分達の理解を超えたことを「想定外」と言い、このたびの津波は想定外とした。
しかし東電は、スマトラ地震のあとで13メートル以上の津波がくるのは0.1%の確率があると想定していた。

人はもしもの時を想定してそれに備えるが、危険の可能性をいかに捉えるのか。考えないことにするのか。

人生の途上で捜しても解決がない真っ暗闇のトンネルの中に入ったような時があるが、いつまで耐えられるだろうかと私(牧師)も苦しい時期があった。その時に私を支えてくれたのがこのみことばだ。

祈ったからと言って目に見えるような変化があったわけではなく状況はかわらない。しかし、神さまに支えられていつかその状況から抜け出せるという希望が与えられた。
神さまは生きていくのに必要な支えを必ず与えて下さる。

聴く者の心深くに届くメッセージだった。

礼拝後の新年親睦会には26名が集い、毎年恒例となっているお善哉を頂きながら、1月生まれの方々だけではなく全員が近況や「今年の抱負」を語り合った。

今ではマチ・クマもすっかり馬見労祷教会の家族の交わりの中に置いて下さり、親としてこんなに嬉しく感謝なことはない。
その席で語った今年の抱負を記録しておきたい。

良輔:血糖値が下がるように努力したい。

優子:これまでの恵みを忘れないで信仰を奮い立たせて進んでいきたい。(新たな試練の始まりを感じているので)

知子:昨年以上にリスク管理は自分でしないで神さまに委ねて祈ってやっていきたい。

幸悠:今年から幼稚園に行くので毎朝早く起きて行けますように。

真智子:神さまに委ねて恐れずに歩む。

太志:主体的に自分の考えを常に持って生きる。


帰宅後、ユキの熱狂的な趣味となっている「ウィー」でゴルフやボーリングを楽しんだ。その様子は別のページに記録しておきたい。

次女夫婦は昨日からアメリカへ戻る準備を始めた。10日朝、東京へ向かい午後に日本を離陸。アメリカへ戻った翌日(11日)から勤務に就く予定だ。

posted by 優子 at 22:52| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2012年01月06日

「人生を見つめなおそう」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージ 29―

人生を見つめなおそう (関根 弘興牧師)
 
忙しい時代の中にあって、ふと立ち止まり、人生を見つめ直す、これは本当に大切なことです。聖書には「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ」とあります(伝道者の書7章14節)。ですから、折にふれ、自分の人生を静かに見つめ直すのです。
 

人生を見つめ直すのには、二つのアプローチがあります。
一つは「過去から今を見つめる」ということです。昔を振り返りながら、今の自分を見るのですね。
 

しかし、ともすると、「昔は良かった、良かった」と、ただ懐古するだけになってしまうこともあります。過去の栄光に縛られて、今を正直に受け入れられずに、「こんなはずではないのに!」と叫んでいる人もいるかもしれません。

また、過去に多くの苦しい経験をしたために、未来にまったく希望をもてないでいる人もいます。これでは見つめ直すどころか、かえって人生をむなしいものにしてしまいますね。
 

聖書の視点は、まったく違います。
過去を見るなら、神様のなさったことを思い起こしなさい、と教えます。あなたがここまで生かされていることの中に、神様の支えを過去の出来事から見つめてみなさい、と勧めているのです。

あなたは自分の人生、何一つ良いことなんてなかった、とおっしゃるかもしれません。しかし、あなたはこうして生かされているのです。静かに過去を振り返り、神様があなたの人生を支えていることを考えてみることは、大切なことです。
 

そして、もう一つのアプローチは、未来を見つめ今を見る、ということです。未来にある希望を見つめ、待ち望むとき、今という時が限りなく大切な時となっていくのです。
 

聖書に登場する人物も、未来を望みながら、今を力いっぱい生きていったと紹介されています。彼方の永遠の国を見つめながら、今を生きていったと。

人生を見つめ直すとは、あなたの人生に神様が共にいてくださり、永遠の御国を待ち望みつつ生かされていくことなのですね。

「私は、主のみわざを思い起こそう。・・・私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう」。(詩篇77篇11・12節)

過去には感謝、現在は勝利、未来には希望、まさに私のモットーとしている通りです。
お互いに良き日々を築き上げていきたいものです。

posted by 優子 at 16:58| 引用文 | 更新情報をチェックする

2012年01月02日

マチ・クマの" New Year Card 2012 "

これは先ほどできたばかりの次女夫婦の「ニューイヤー・カード」だ。日本にいる友人や知人と共に私のアドレスにも送信してもらった。

Machiko_Futoshi_NewYearCard2012.jpg

IMFでの仕事内容や様子を聞く中で、「laissez-passer:レセパッサ」(http://en.wikipedia.org/wiki/United_Nations_laissez-passer)と呼ばれる国際公務員専用のパスポートや、IMFの名刺や携帯電話を見せてもらった。190px-UN-laissez-passer.jpg

ある時、ユキが目をキラキラさせて言いに来た。
「おばあちゃん! マチね、英語でアメリカへ電話しているよ!」と。
これで真智子の勤務中でも緊急時には連絡がとれるようになったので安心だ。

今日は次女夫婦と一緒に神戸の叔母を訪ねた。長女は一昨日から体調が悪く今日はずっと床についていたので、私達夫婦とユキと5人で外出した。

いつものようにお昼はカニ鍋をご馳走になり、お菓子を頂き、まだ昼食が終わって2時間半しか経っていないのにおせち料理をご馳走になった。叔母は足が痛くて立っていられないのに、今年も私達が来てくれるからとおせち料理まで作ってくれていた。
叔母のおせち料理.jpg

昨年の今頃は従兄弟の容態が悪く1ヶ月後に亡くなってしまった。
今日別れる前のお祈りを終えた時、葬儀以来初めて叔母の涙を見た。叔母は真智子と私の涙を見て、「人前では泣かないようにしているけれど」と泣いた。

「良いお正月やったわ。真智ちゃんからこんなプレゼントをもらってお母さん(私の母)ひがむね。日本へ帰ってきた時はまた会いに来てね」と嬉しそうだった。

ユキは豪華なクリスマスプレゼントを送って頂いた上に、今年も叔母や従姉妹からお年玉を頂いた。

83歳になる叔母と従姉妹夫婦との楽しい時を過ごした。

行きの車中で真智と人間観を語り合う中で非常に共鳴し合い、フー(太志君の愛称の一つ)の客観的なコメントにも助けられて、スランプ状態から抜け出せそうな予感がした。

結局のところスランプの原因は、霊的な渇きから自己アイデンティティが稀薄になってしまったのだと思う。だから自分らしい文章で良しとできなくなってしまったのだと思う。文章の学びとは別の微妙なことなのだが。


今月末に従兄弟の1周忌の法要がある。叔母の上に神さまの慰めを祈り続けたい。

posted by 優子 at 23:59| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年01月01日

2012年を始める

新年明けましておめでとうございます。

2012’年賀状.jpg

今年の年賀状です。
そして、長女の年賀状です。

2012年・知子年賀状.jpg

次女が2006年のお正月に開設してくれた『メメントドミニ』は7年目に入りました。拙い歩みではありますが、これからも私は私らしく綴っていきたいと思っています。

昨夜妹の電話で狼狽し翻弄されそうになりましたが、全てを主(しゅ:神であるイエス・キリスト)に委ねて平安を頂き、予定通り元旦礼拝に全家族が集い聖餐にも与ることができました。

しかも、娘たちは和服で行きました!
「お姉ちゃんも着物を着てみない?」と次女が長女に声をかけてくれ、着付けグマ(クマとは次女の婿・太志君の代表的な愛称)の助けを借りて姉にも着せてくれたのです。

知子と真智子と太志君と。.jpg

次女のお気に入りの着物は昨夏ワシントンに運んでおり、残っている帯も自分では結べない袋帯ばかりでした。
数少ない名古屋帯にマッチする着物を選んだのでお正月らしい華やかさはなかったのですが、姉妹そろっての和服姿を見せてもらって嬉しかったです。

母が私の嫁入りのために用意してくれた着物が、35年経ってようやく日の目を見、娘たちが袖を通してくれたのです!

母が亡くなって15年、私には「豚に真珠」だった着物を孫娘たちが着てくれて母も喜んでくれていることと思います。


2012.1.1.jpg

神の祝福豊かなれ!.jpg

太志君は昨日、夫と共に母屋の掃除まで手伝ってくれました。

ママの着物姿にユキの喜びよう!.jpg   

「ママ、いっぱい、いっぱい、いっぱいかわいい。
天使が14種類も居るぐらい楽しかった!」
  
ユキは何度も何度も言い、ママが着物を着たのが嬉しくてならなかったようです。
そう言えば1ヶ月ほど前には、「ママ、メガネをかけないでコンタクトにしてね」とも言っていました。まもなく4歳半になるユキは日に日に子供に脱皮しつつあります。

さて、2012年はどのような1年になるのでしょうか。
21世紀に入ってから世界はますます混沌とし、科学技術の進歩とは正反対に真っ暗闇に突入したように感じます。全てにおいて非常に生きにくい時代になりました。

日本の状況も非常に深刻です。また、公私共に大きな壁が立ちはだかっています。行くてに何があるかわかりませんが全ては神の御手の中でのこと。神さまに守られて生かされているのですから恐れずに進んで行きたいと思います。

「2012年霞ヶ関キリスト教会は、『愛による安らぎ』《ゼパニヤ3:17》をテーマに歩みます。」
とは、日本クリスチャンペンクラブ理事長の池田勇人牧師から頂いたお年賀状の一節です。
早速ゼパニヤ書を開きました。

「あなたの神、主はあなたのうちにいまし、勇士であって、勝利を与えられる。彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛によってあなたを新たにし、祭の日のようにあなたのために喜び呼ばわられる」。

私もそのように歩んでいきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
皆様の上に神の導きと祝福がありますようにお祈りします。

附記:今年も義母を招いてお雑煮とお煮しめを頂きました。
例年通り最初に夫に新年の挨拶をしてもらったところ、夫はお祈りをしていたのでびっくりしました。

義母が席を立つ前に義母を教会へ誘いました。いつの頃からかこの思いが私の深い祈りの中にあったので言葉にしたのです。するとすぐにでも行こうとしたので驚きました。残念なことに自動車の定員オーバーなので知子の奏楽の時に誘いました。

私の中では喜びだけではなく複雑な気持ちも去来しますが、このことも全て主に委ねます。


posted by 優子 at 23:59| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする