2012年02月28日

「津波のあとで」―ウェッブで公開されている神への希望―

先週木曜日の雨上がりの薄暗くなった夕刻、ユキと愛犬の散歩中に今年初めて鶯の声を聞き、昨日の朝は鶯の声で目が覚めました。
今朝もチャッピーの水が厚く凍るほどの寒さですが、春はすぐそこまで来ていました。

そして、まもなく3月11日を迎えます。
あの日からそれまでの日々は一変してしまいました。最大級の原発事故まで起き、私達は常に放射能の恐怖と向き合いながら生きていかなくてはならなくなりました。それは25日の記事にもある通り、悲惨で絶望したくなるような状況です。

臨床心理学にメモリアル反応(Anniversary reactions)」という心の危機を意味する言葉があります。
私は15年前の秋に母を亡くしましたが、翌年「母の日」が近づくと耐えがたい気持ちになりました。スーパーや生協のチラシを初め、至るところで目につく「母の日」の広告が嫌で目を背けていましたが、これも「メモリアル反応」と呼ばれるものです。

津波を経験した子供は水が怖くて触れなくなったという事例も読みました。震災の日が近づくにつれて、あの光景と悲しみがうねりとなって襲ってくるのです。

今一度亡くなられた方々に哀悼の意を表し、ご遺族の上に神のお慰めを切に祈ります。

「3.11」後まもなく『デイリーブレッド』から送って頂いた『津波のあとで』を読みました。その後ウェッブでも公開されましたのでここにご紹介させて頂きます。下記のサイトを是非お開き下さい。

「デイリーブレッド」は、1956年に米国で発行され、世界中で1000万人の方々が愛用しているデボーション(devotion:祈り)・ガイド です。
http://rbcjp.info/ds/jds_q8801.html


被災者のバラ.jpg

これは被災された方から贈っていただいた
”preserved roses ”です。
優しい友を想いつつ「被災地のバラ」と名づけました。
神さまは悪いことを悪いままで終わらせることをなさいません。
私たちは神さまに支えられて人生という道を歩んでいます。だから倒れても大丈夫なのです。必ず起き上がらせて下さいます。真の希望を頂いて歩み続けていきたいと思います。

どうか『メメントドミニ』をお読み下さっている方が、悲しみや苦しみを通してまことの神さまを求め、神さまとの出会いがありますように切望します。

posted by 優子 at 23:48| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2012年02月27日

「新しい人間関係が」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージ 32―

新しい人間関係が(村上 宣道牧師)
 
おなじみの落語にこういうのがあります。
一人の婦人がある人のところに相談にやって来て、さんざん姑の悪口を言い、あの人さえいなければと何回も繰り返します。

そうまで言うならと、「毎日少しずつ飲ませると、三か月後には原因不明で、ぽっくりいく薬」というのを分けてもらいました。ただし、「原因不明とはいえ、姑が亡くなって、仲が悪いとの評判で、嫁のあなたが疑われては困るだろうから、今後三か月間はだれにも疑われないように仲良くしなさい」と言われるのです。

「そんなことは無理だ」「三か月だけだから」のやり取りを繰り返し、婦人はしぶしぶ、三か月間は我慢して、親切に、優しくすると約束して、薬をもらって帰って行きました。

さて、そろそろ薬の効き始める三か月目ごろに婦人が駆け込んできました。今度は「前の薬が効かなくなる薬を下さい」と言うのです。

訳を聞くと、「姑がとてもいい人になって、殺すことなんかできません」「どうして急に変わったんです」「わかりません」。

そこでその人は言いました。
「それはね、あんたが変わったからですよ。まさか自分を殺すためにやっているとは思わないから、ああ、うちの嫁はなんて優しく親切なんだろうと思っているうちにお姑さんも変わったんですよ。問題はあんただったんです。あんたが意地悪だったから、お姑さんも意地悪になり、あんたが優しくしたからお姑さんも優しくなったのですよ」。

「そうだったんですか。それにしても死んでもらっては困ります。なんとかしてください」。「大丈夫。あれはただの栄養剤です」というわけで一件落着。
 
私たちは毎日の生活の中で人間関係が難しいと言います。そして、あの人がいるばっかりに、あの人さえいなくなればと、他人のせいにしてしまう。

客観的にはあるいはそうなのかもしれませんが、しかしこの落語の中にありましたように「問題はあなた」かもしれませんし、自分が変わることで、相手も回りも変わってくるということがありえるのではないでしょうか。
 
聖書に「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者」(コリント人への手紙第二 5章17節)とありますが、その前の句に「かつては人間的な標準で人を知っていたとしても、今はもうそのような知り方をしません」とあります。

キリストにあって新しくなるというのは、まず自分が新しくされることによって、人の見方や人間関係が変わり、新しくなるという意味でもあることを知っていただけたらと思うのです。


posted by 優子 at 20:47| 引用文 | 更新情報をチェックする

2012年02月25日

小出裕章『原発と憲法9条』を読む

19日の礼拝後に紹介されて購入した小出裕章氏の『原発と憲法9条』(遊絲社)を読んだ。
今や「時の人」でもある京都大学原子炉実験助教の小出氏については、今さら御紹介する必要もないであろうが、学部で原子核工学を学ばれて以来、常に原子力の危険性を訴え続けてこられた方である。

この本を読んでの感想は、人間の実相を再確認させられたこと、マスメディアの驚異を感じたこと、そして、何よりも「3.11」の現実は私が感じ考えていたことと全く同じものであったということだ。

かつて読書会で親しくして頂いた読売新聞東大阪支局長の西口孝四郎氏が、「新聞に書いてあることはそのまま受け取ったらあかん。横から斜めから読まなあかん!」と折々に仰っていたことを想起する。

私は西口氏の感化でメディアリテラシーの目が開かれたのであるが、小出裕章氏の『原発と憲法9条』を読んで西口氏の言葉が身に沁みる思いである。

事故後しばらくすると厳しい現実を伝える専門家の姿がテレビ映像から消え、以来今に至るまで政府側に偏った情報の方が圧倒的に多い。しかし、今はインターネット時代である。その利点を活用して私達は事実を知る努力を怠ってはならないと思う。

この本により改めて事実を知らされた。その深刻な事態はまるで原爆が炸裂した時の閃光のように私の体内に突き刺さった。
本からいくつかを引っ張り出して皆様にもお伝えしたい。下線部分は私が新しく教えられたところで、再度探しやすくするための箇所だ。

●今進行している悲劇を金銭で贖うことは出来ないが、もしするとすれば日本の国家が潰(つぶ)れても足りない。・・・自分自身の歴史、そして自分が関わっている社会の現在・未来については、すべての人にそれぞれの責任がある。

●福島でこれほどの事故を起しながらまだあきらめない。未だに日本は原子力発電をやり続けよう、高速増殖炉だってやり続けると言っています。・・・そこには、ある目的、究極的な目的があります。・・・それは「核兵器を造る」です。

原子力の問題というのは、単なる「テクニカルな問題」ではないのです。・・・私は、「原子力の問題は、差別の問題だ」と言ってきた。憲法9条を形作っている問題意識の土台も、たぶんそうだと思っています

●釜ヶ崎(大阪の日雇い労働者の町)はいま空っぽだという話も聞いている。(2011.10.31時点)

●今、日本中の原子力発電所を即刻、すべて止めても、電力が不足することはないのです。

●(除染しても)放射能は煮ても焼いてもなくならない。・・ただし、子どもたちが遊ぶ学校の校庭であるとか、幼稚園の園庭であるとか、その他、子どもたちが泥んこになって遊ぶような場所の土は「必ずどけろ!」・・・これは必ず効果がある。

●これから日本中の食べ物が汚れます。特に福島を中心として東北地方、関東地方の食べ物は汚染されます。・・・そうすると、日本の国は、ある基準を決めて、基準を超えた物は出荷停止、基準を超えない物は安全ですというわけですけれども、私はそのやり方が間違っていると思っているのです。

・・・福島の農業や漁業を支えなければいけません。それはどういうことかというと、汚染されたものを受け入れなければいけないと私は言っている。・・・ことがこうなってしまった限りは、日本人としてそれを受け入れるしかない、と私は思っている

人間は歳をとればとるだけ放射線に鈍感になります。・・私のように50歳を過ぎた人間になると、平均的な人に比べて、100分の一ほどにも鈍感になります。

私のような人間の世代が、日本に原子力発電所を造ったわけだし、その存在を許してきた人間なんですね。
そういう人間は、いまこの事態を受けて、積極的に放射能で汚染されたもの(食物)を引き受けて(食べて)、農業、漁業の崩壊を防ぐことをやるべきだと思います。

赤ん坊や幼い子どもたちには、汚染された食物を決して与えない。でもそれをやるためには、この食べ物がどれだけ汚れているかということをきちっと調べて、国民に知らせるということが保証されないといけない


そして、小出氏は本の最後で次のように語っておられる。

一人ひとりが、自分がどうしてもやりたいこと、自分にしかできないことを、一人ひとりがそれぞれにやっていく。こういうことが大切なのだと思います

自分がやれることを、自分の個性を活かす形で、原子力廃絶のための活動をしてくださるなら、いつか原子力をなくせるかもしれないと思います。・・・
一歩ずつ、気の遠くなるような時間をかけながら収束に向かっていく。・・・

どんなに苦しい事実であっても、見ないよりは見たほうがいいと思っています。歴史、あるいは事実に目を閉ざしてはならない。・・・

安全だよ、安心だよ、大丈夫だよと言ってくれる専門家がいたら、その言葉にすがりつきたいという気持ちは、誰だってある。それくらい切実に願っている。
でも、それは、正しいあり方ではない。・・・どんな未来を手に入れるかは、私たちの手にある」。


私は自分のブログでこのような記事を紹介して原子力廃絶を訴えることが今の私にできることだと思う。社会に目を向けて重荷を負う馬見労祷教会に導かれたことと、本を紹介して下さったS姉に感謝しつつ。


posted by 優子 at 22:20| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年02月22日

末就園児交流も終盤 ―問題も円満解決!―

昨年6月から始まった月1回の「未就園児交流(ひよこ組)」も終盤を迎え、来月1日を最後に次は入園式となる。

今日は体験入園ということで子供たちは「うさぎ組」のクラスへ、保護者は遊戯室で「我が子の将来を見通した子育てについて」と題する講演をお聴きした。

当市は40年前に保育園から枝分かれして市の幼稚園が誕生したという。講師はその年に幼稚園教師になられ昨年退職された方で、市の幼稚園教育研究会の長としてもご活躍された方だった。

私より半年年上の同年齢の方というわけで私のこれまでの年月に思い馳せ、その間ずっと保育に情熱を捧げてこられたのかと思うと熱いものを感じた。

心身ともに生涯で最も著しい成長の時期であるこの年齢の子供にとって、幼稚園生活の重要さと幼稚園の一日の生活について語られ、それぞれの個性や個人差を認めて伸びる芽をつまないようにと話された。

知子には後日話してやることにして、ここでは私がユキとの関わりの中で反省したり再確認させられたところだけ記しておきたい。

●友達とうまく遊べない時は、無理やりに遊びの中に入れてはいけない。「お友達と一緒に遊びなさい」というのは絶対に良くない。

●子供が片付けやすいように場所や箱など環境作りをする。一度片付けてから次の活動をするように。

●いわゆる「内弁慶」の子供は、内と外を使い分けているとも言える。
(これは主任教諭のコメントだ。「なるほど」と肯定的に見ることを教えられた。)

そして、講師と主任教諭とのやりとりの中で、「子の気持ちと親の気持ちは呼応するので、職員は親との信頼関係を築いていくことが大切だと思う」と語られたことが講演内容を包括するものであったように思う。

そして、今日のもう一つの要件も円満に解決した。
今朝は登園してすぐに職員の方から声をかけて下さり、講演会のあと職員室で講師の方も交えて3名でお話し、信頼関係を築いていけるお互いであることを確かめ喜び合った。

今日のことも本人が是非行きたいと願っているのに叶わないことや、子への熱い思いなども関係して、職員の言葉足らずな表現に不快に感じた部分もあったのだろうと思った。

確かにご本人が仰ったように言葉足らずのところもあったと思う。しかし、実はそれとは反対に、立ち入ったことを聞いてはいけないという配慮ゆえの言葉であったことがわかった。早いうちに話し合い理解し合えたたことは最善であった。

それでもなお、「2年通っているうちに(片親が)いなくなる子もいますしねえ」というのは不適切な言葉だったと思うが、お人柄がわかったので私はもう審議しなかった。

娘の立場上敏感に受け止めた感もあり、それゆえの誤解もあったと思うのでお詫びした。しかしまた、その敏感さこそが問題に気づかせるのである。

そして、結論として申し上げたことは、その立場にならないと見えないものがあることと、そしてまた、このたびのことはその背景に行政上の矛盾が関係していたことを理解して頂いた。


私は子育てのことであれ自治会や教会のことであれ、何事も問題が起こったら最初は当事者同士でできるだけ少数範囲での話し合いを取っている。

放っておけない需要事項ならばそれでもダメな時は第三者に入ってもらい、それでもダメならば公にするという手順を踏んできた。これも聖書の教え(マタイ18章15〜17節)に倣っているのだが、最終段階にまで至ったことはなかった。

娘は行政への問題意識の方が強かったためにこの方策を取った。
つまり当事者をとばして児童福祉課と学校教育課の早急な連携という最終課題へ意識的に働きかけたのは、入園式までに市の全職員に指導を入れて認識を徹底してほしかったからだ。


やはり日本はどこも縦割り行政で保育園と幼稚園すら別の管轄になっており、全く関係性も希薄で機能されていないのがわかった。将来は「総合子供園」として幼稚園と保育園が一本化されるので多くのことが改善されねばならない。

こうして知子の言動が行政の矛盾、手直ししていかねばならぬ一石を投じることになった。そして、入園前から新しい出会いへと導かれ、共に高め合い影響を与え合える人との出会いは大きな喜びである。大切に育んでいきたいと思う。

クリスチャンの中でも意見交換を批判や対立としか受け止められない人も案外多いのではないかと感じている私は、今日は久々に精神の高揚を感じている。子育て中のPTA活動で何度も経験してきた充足感を思い出し生きがいを感じる。


その方は最後に私のことをこんなふうに仰った。
「他のお母さん方とは全く違う子供たちへの関わり方を見て癒されていました」と。
思いもしない私への印象をお聞きして励まされ、「癒される」という言葉からご苦労を想わせた。

1時間の体験入園中、ユキは積み木で電車を作っていたと「うさぎ組」の先生が仰った。乳幼児時代は「固まる君」だったユキが、いつのまにかスムーズに馴染めるようになっている。地域の方々との交わりに感謝している。

泣いていた子もいたそうだが、臨床心理学的にはこの年齢の母子分離不安については心配はない。人は親に十分に依存して自立していくのである。十分に依存した子は自立できるからだ。

3月になると陽射しが急に春めき、いよいよ入園式まで一直線だ。
嬉しい春である。

posted by 優子 at 21:19| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年02月20日

教会報に刻まれた知子とユキの「今年の抱負」

では昨日の記事に続いてユキと知子の「今年の抱負」をご紹介したい。
ゆきひさ:
ふじもとゆきひさです。今年ようちえん行きます。早起きしてしっかり行きたいと思います。

知子:
5年前はいっぱい問題がある中で毎日悩みが絶えず、苦しくて流産しそうになった時期でした。3年前は悩みすぎたのが高じて悩んでいる自分さえも自認できなくなり、自分が幸せで一杯だと思い込んでいた時期でした。

その1月から体がどんどん悪くなり、この教会に来はじめた2年前(2010年3月頃)は、やるべきことを全てやり終えて1年たっ(本人のミス印字)た頃ですが、子育ての責務があるのに心には希望もありませんでした。

まして元気になって仕事もし、再びピアノも弾けるようになった今日の自分があるなんて想像もできませんでした。

振り返ると本日の説教内容の通りに、道を誤らず多くの人に支えられてここまで心身が回復してこられたのだなあと感謝します。

去年の抱負は「自分でリスク管理をせず神様に委ねる」ということでした。これは必要なことだったのですが、私は自分が急死したのちの息子の親権について公証人役場で遺言まで書いています。

怖れと心配から、自分で先回りをして危機管理をしておかないと眠れない性格だったので、公私共に何事も先々を自分の頭で考えてやってきたのですが、不安を動機とする自力の危機管理だと息が詰まるということがわかったので、これからは神様にお願いして、導きを乞うて祈って委ねていくことを目標にしました。

嬉しいことに、この目標は達成できました。これは私の信仰生活において飛び級の成長です。まだ途中ですが、かなり意識的に自分に課して訓練をしたからです。

自分の頭で考えようとした時に、強制的にそれを遮断し、神様に祈って委ねるということを3月くらいまで毎日自分で1日に何回も言っていたら、そのうち仕事面でも自分の頭だけでリスク管理しなくても不思議と神様の助けや知恵が与えられてきました。

今年も引き続き同じ目標を掲げます。加えて、神様に委ねずに許容量を超えて問題を抱え込みすぎたために傷んだ体をもっと元気にすること。
癒して下さるのは神様ですから「元気にする」はおかしいのですが、あえてそのように言いました。

私の場合、「肉体の刺(とげ)」として癒されずにいる神様のお考えがわかる気がするからです。

即ち、自力で苦しみ抜いたために心身をあれだけ病んだはずなので、先の目標を実行し続ければ、主は私の体も癒して下さる気がするのです。神に委ねながら体も治ることを信じて仕事もします。

今年の4月からは息子が幼稚園に行くため、今以上に体力的に過酷になるので、自分の健康管理も含めて神様に毎日祈りつつ、いろんな意味で去年よりも充実させたいと思っています。

                (以上)

昨日の記事にある真智子のスピーチを聴いて、私はクリスチャンの日銀総裁だった速水優のことを思い出させた。(過去ログ・http://yukochappy.seesaa.net/archives/20070625-1.html
そして、知子のスピーチに深い感銘を受けた。
クリスチャンでも自分の苦悩や弱さを正直に語れる人は少ないから、真智子夫婦の「抱負」と共に多くの人々の心に響くであろう。

知子は4月からユキを幼稚園へ送り届けてから、その足で出社することになっている。と言うのは、ユキに淋しい思いをさせたくないからだ。知子にも母親の喜びを味わわせてやりたい。そして、お母さん方との交わりも大切であると知子に助言し、良輔も容易に同意してくれた。

園児はそれぞれの地域に集まって集団で登園し、集団で帰ってくる。ユキの場合は近くの公園が集合場所になっており、そこを8時半に出発する。当番はローテーションで最初のうちは保護者2名で送り迎えすることになっている。

既に2月1日にこの説明会があり知子に変わって私が出席した。全員で11名のメンバーだった。そこで簡単な自己紹介があり、私は知子がシングルマザーで仕事に就いていることを述べた。

それでお迎えには行けないが、子供を見送ってからその足で駅へ向かうことになっているので、見送り当番を増やして頂きたいと知子の伝言を伝えた。皆さんがうなずかれた。

そんなわけで、4月から知子の帰宅は父親と同じ7時過ぎになる。今月から役付きになったので夕刻からの諸会議にも出るようになり、その点においても都合が良い。

数日前に真智がくれたメールの言葉を知子に贈りたい。

「人生のなかで、優しさ、愛が一番だと最近もっと分かってきたよ。・・・・(略)・・・・・
お姉ちゃんの生き方にも本当に励まされる。
どんな中でも、ポリアンナみたいに『いいこと探し』して生きていったら素敵だと思うわ。神様がしてくださったことを探して喜んで覚えて生きていきたい」。
 
                        buce2.gif
そして、このメールを読んで知子が言った。

「真智もポリアンナのことが心に残っているんやね。私もそう。子供の頃って本当に大切なんやね」。

そして私は知子と真智子に贈りたい。いや、主と共に生きる全ての人々に古森牧師が祝祷の初めに語られる言葉を贈ろう。

「平和(平安)のうちに この世へと出て行きなさい。
主なる神に仕えて隣人を愛し、
主なる神を愛して隣人に仕えなさい」。


posted by 優子 at 23:01| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年02月19日

教会報に刻まれた「今年の抱負」

昨夜は厳しい冷え込みで、知子の部屋の出窓の下についた結露が凍っていたというので、三浦綾子さんがインク壺のインクが凍っていたと書いておられたのを思い出した。(この日の最低気温は―5.3度)

ユキは昨日の夕方に土遊びの器に水を張って置いておいた。すると昨夜まだ早いうちから薄く氷が張り始め、今朝はチャッピーの水も底まで凍っていた!

夫は休みの朝はユキと一緒に散歩に行くのを楽しみにしているので早くからユキを起こすので困る。そのくせ「おじいちゃんは何もお話しないで歩いているよ」と、家では孫にまで緘黙じいさんの印象がついている。

では最初に今朝の氷を見つけて大喜びのユキの表情から。
実はこの時すでにユキはひと泣きしたあとである。おじいさんがユキより先にチャッピーの氷を割ってしまってユキの感動を横取りしてしまったからだ。

ママ 凍っていたよ!.jpg

ところで次の写真の氷は、表面から鉛筆ぐらいの太さの氷が5センチほど30度ぐらいの角度で突き出していた。

夜のうちに氷になった!.jpg

先日ニュースで見た諏訪湖の「御神渡り」を思い出させた。毎年全面凍結する諏訪湖では、冷え込みが続くと湖面の氷が山脈のように盛り上がる現象だ。
この器は垣根のそばに置いていたそうだが、どうしてこうなったのか不思議でならない。

ユキちゃん、「ん」が抜けてるよ!.jpgこれはたった今見つけたもの。

おじいちゃんに食べられないように自分で張り紙をしているのだが、肝心の「ん」が抜けている!!ふらふら
これでは食べられてしまうから、お昼寝から起きたら直ぐに教えてあげなくては!
「おじいちゃん、たべといてね」(たべないでね)

このようにユキは一人っ子でも生存競争に勝ち抜くための知恵も鍛えられる生活環境にある。

では、家族全員の今年の抱負をご紹介したい。これは1月8日の新年親睦会において発表したものを、牧師が本日発行の『馬見労祷教会報』第223号に記録して下さったものである。
まずは夫から―

良輔:
何年か努力しているんですが血糖値が下がらないので、もっと改善できるように頑張りたいです。信仰のほうもなかなか進まないんですが、孫が毎日食事の時に我々がびっくりするようなお祈りをしてくれ、「おじいちゃんも頑張ってやらなあかんで」と言われるので、一緒になんとか少しでも頑張っていきたいと思います。

優子:
実は今年は抱負というのがなくて、特に何かあったわけではないんですが、秋頃から何も感じなくて、精神活動ができなくなっています。6年前から続けているブログを書こうにも何も感じなく言葉も出てこなくて大きなスランプ状態です。
家業や健康問題など心配事が多いですが、今まで神さまが良くしてくださったことを忘れないで信仰を働かせて一歩一歩進んでいきたいと思っています。
(おかげさまで徐々に回復してすっかりスランプから脱出しました。このたびのスランプの原因は気がついていたとおり、セルフ・アイデンティティが希薄になったからです。つまり「私は私である」という位置づけが揺らいだのでした。)

真智子:
日々不安や恐れがあり、どう備えていいか分からないことばかりで、イエス様に「一緒にいてください」と祈ることが多いですが、これからも益々神さまを信頼して生活していきたいです。「自分は弱いけれど主は強いから」と、恐れずに歩んでいきたいと思います。

ワシントンに移って、生活も落ち着いてきたので、教会を探したいと思うようになりました。馬見労祷教会のような「行きたい」と思える教会が与えられたらいいなと思います。

太志:
自分で主体的に考えて行動したいと思っています。周りに合わせてついていくことが多いので、しっかり自分の意見を持って、いつ聞かれても自分の意見をはっきり言えるように意識してやっていきたいと思っています。



マチ・クマ(真智子と太志)も日々神様と共に大いにチャレンジしている。

なお知子は、抱負を語るために近年を振り返りながら神さまに変えられてきたことを話しているので、ユキの抱負と共に明日の記事に「知子」のカテゴリで収録したいと思う。

posted by 優子 at 16:09| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2012年02月18日

「ママ あした おやすみでうれしいな」

ここ数日前から知子は毎朝出社前にユキに手紙を書いてテーブルに置いていく。これは昨朝の手紙だ。
毎朝の手紙.jpg

「あしたは どようびよ。」
私の心を打った。
ユキは一生懸命読む。ところどころブツギレに読むので、「これ何て書いてあるの?」と読んだあとも本人は意味がわからないこともある。わーい(嬉しい顔)
さて、ママの手紙に対してユキもまた返歌ならぬ返文を書く。来週からは裏紙ではなくノートに書くといいね。母と子の生涯の宝物だものね!
ユキからママへ.jpg

ユキも書いた。「ママ あした おやすみでうれしいな。」  
全文を翻訳すると、「ゆきは きのう ほっぺとほっぺとやれて うれしかった。ゆきは (5時)10分まで プラレールする。ママ あした おやすみでうれしいな。」  
プラレール熱はますます熱をおび、電車一筋のユキである。

私が「入園のお祝いは何がいい?」などと何度も言っていたものだから、
「入園のお祝いに、ママは はやぶさとこまちの連結セットで、おばあちゃんはまっすぐなレールと二つに分かれるレールで、おじいちゃんは踏切りで、大ばあちゃんには何してもらおうかな・・・」だって!わーい(嬉しい顔)

久々にママとクッキング.jpg

今日は久々にママが台所に立った。ママと一緒で楽しいね。
今はクリームチーズを切っているよ。
切りながらユキのお口にもたくさん入っちゃったね。

これはいつ書いたのだろう。

2012.2月のカレンダー.jpg

ママが出張で家に帰ってこない日には悲しい顔を、
帰宅する日には笑顔を書いていた。

寒さに耐えるチューリップ@.jpg

ユキが植えたチューリップの球根からいくつも芽を出している。
せっかく書いたのに翌朝には寒風に飛ばされていたね。
寒さに耐えるチューリップA.jpg
ユキの落書き(4歳5ヶ月頃?).jpg

4歳5ヶ月頃に発見した落書き。
新幹線がいくつも走っている。おじいさんが怒るのが面白くて、私は笑うのをこらえるのが苦しかった。

春になればユキは幼稚園、幼稚園入園の春である。
知子だけではなく私もまたどんな感情になるのだろう、楽しみだ。

附記:
●今日は教会では規則改訂委員会があったがクリスチャン・ペンクラブの例会と重なったので休ませて頂いた。

しかし、この大寒波である。この冬5回目の寒波だ。高血圧で調子がよくないので外出は控えるべきだが、今朝も体調はさほど悪くはなかったので躊躇しながらも外出の準備を整えた。安心して家を出たかったので10時過ぎに再度血圧を測ったところ(179)もあった。

さすがに例会は急きょ断念するしかなかった。
幸い、総会は今年度から4月に変更されたのでよかったが、書記と会計をあずかっているのですぐに関係者に連絡してお世話をお願いした。しんどくないのに動けないのも辛い。

今日の例会では奥村直彦牧師と玉木功牧師の追悼礼拝から始めることになっていた。

●お祈りしていた天皇陛下の心臓のバイパス手術が無事終わってよかった。

posted by 優子 at 22:20| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年02月17日

知子ここに立つ 

2009年4月、知子は心身を病み体重はわずか35キロにまで落ち、生命の危険を感じて我が家で静養することになった。その後、あらゆるすべを尽くしても伝わらぬ相手に絶望し、2010年1月に調停離婚した。

そして、知子とユキは生駒市から当市に転入し、健康を取り戻しつつあった2010年9月、父親の経営する会社へ入社した。

就職にあたり子供を保育園へ入れようとして2度児童福祉課を訪ねたが2度とも断られた。
知子は親と同居する子をもつ寡婦(シングルマザー)で、〇〇市としては同居人(子供の世話をする者)が勤務しているか障がい者でないと受け入れられないというのが理由だった。

しかし、両親(夫婦)揃っていて週に1〜2日だけ数時間のアルバイトに行っている母の子なら、祖父母と同居していても入園できるという不合理がまかり通っている。
かつて保育士だった知人は、「ごねて頼めばいいのに」と言ったが、そのようなことは全く望まない。

数年前に民生委員をしていた時、「いつもはこの家に居ないが、夜はここで寝泊りしているから承認してほしい」と、保育園入園許可取得のために証明書発行の依頼を受けたことがあった。

このような時は近隣に聞き合わせるのだが、児童福祉課は「調査しますから」と言って書類を預かっておいて、2〜3日後に渡せばよいと言うのだからいいかげんなものだと思った。

幸いにして自宅近くに保育園があるが、私は孫を預けて自分の時間を確保するよりも、保育園に通園することで送り迎えの時間を気にしなければならないことや、園生活で発生する諸用事のほうが大変だろうと思ったので児童福祉課に対してもアタックしなかった。

昨年6月から幼稚園入園を前にして毎月1回の未就園児交流会に参加している。祖母同伴はユキだけで私達は目立った存在だ。
その間、知子も何とか半休をとって園に行ったことがあった。今週15日は3回目だった。しかし、この3回共に、ある教職員の方に疑問を感じていた。

初回の時は決められた時間内に行くのは無理だったので相談したところ、17時頃でも良いとのことで登園した。
その教員は、「必ずしもそんなに無理して幼稚園に来なくてもいいですしねえ」と仰ったのだ。

昨秋の親子面接では家族構成の書類を提出したが、「子供に辛い思いをさせないようにどうぞよろしくお願いします」と言った時に、「2年通っているうちに(片親が)いなくなる子もいますしねえ」と笑いながら仰ったのだ。
私達には考えられない教育者とは思えない言葉である。

そして今週15日、入園許可証の受け取りと、申し込んでいた教育用品一式を購入した時のこと。
来週22日はどうしても外せない出張があるので母(子の祖母)が代理で来ることと、必要ならば後日にお伺いしますがと申し上げた時、「?・・・ああ、そうなんですか、・・・べつに・・・」と苦笑いされた。

(あなたは仕事よりも子供のほうが大事ではないんですか?)と言わんばかりの不快感を感じたようだ。そして、「この方は3回ともに一貫した雰囲気があった」と知子は語った。

これでは「我が子は幼稚園にも保育園にも社会に出ることもなく小学校へ上がりなさいね」と〇〇市が言っているのと同じである。それが〇〇市のメッセージになってしまう。

その問題意識をもっていた知子は我が子のために母親として、そして、〇〇市が良くなってほしいとの思いから受話器をとった。

電話の先は、これまでの経緯から保育園の管轄である児童福祉課だ。15日の夕方4時前のことであった。

しかし、知子から感情的な憤りは全く感じられなかった。終始穏やかに論理的に話していた。そして、行政が聞きっぱなしにならないように示唆に富んだ話し方をしていた。 

生駒市の模範的なケースを伝え、当市がやっている意味の無い保育園の縛りを解くこと、そのシバリによって入園できない子がおり、そういう子も幼稚園に来ることを教職員に理解してもらいたいこと。

また、日中の養育者は祖父であれ祖母であれ母親に準ずるものであるという当たり前のことを認識してもらい、幼稚園の体制を変えるように要望した。


翌朝(16日)9時半。知子が想定していたよりも遥かに早く、幼稚園を管轄する学校教育課から(所在先の会社に)電話が入った。
「いろいろと嫌な思いをさせてしまったようで申し訳ありません。」の挨拶から始まり、それは真意のようで話のできる人であった。

知子がここで再度要望したことは、当市の全ての教職員に、まさに私(知子)のケースを説明することで、養育者のいる寡婦の子も園に入園しうることを理解してもらうことであった。保育園の入園資格さえも知らない幼稚園の職員達への指導の徹底を依頼したのだ。

そしてその場合、その養育者を母親と同一視すること。
もし、全職員にその指導ができないのなら保育園入園資格を変更すること。あまりにも不公平すぎるからだ。

離婚している人は自ら「寡婦」であると申告しないことが多いと思うが、入園前に家族構成を書く書類があるのだから幼稚園としては必ず把握できる。それをチェックして職員は情報を共有する必要がある。


学校教育課の人は最後に、「2月21日に開かれる市の役員会にて早速貴重な議題とし、指導を徹底させる」ことを約束された。そして、教育委員会からも謝罪の電話させてほしいと言われたが、娘は不要だからとお断りしたという。

来週22日は体験入園の日である。このまま放置しているのは気まずいので、私(ユキの祖母)とその方と何かしら話す機会を持ってほしいと知子がお願いしたところ、先方から私に懇談の申し入れがあるようだ。

体調に障るといけないので今日は出来事の記述だけにとどめるが、私は娘の生き方、人生の歩み方を喜んでいる。

知子のように社会に対して発言する人はそう多くはないと思う。しかし、問題を感じたことは伝えることが大切だ。それは一個の人生だけではなく周囲をも変えていくことになるからだ。

そして、このようなことはこの立場でないとわからないことだ。
私は子育て中にPTAの広報誌でペンを奮っていたことがあるが、あの時、私の視野に弱い立場の人のことがどれくらい実感として入っていただろうかと探られている。

一時は心も体もズタズタになり、あんなにまで苦悩し悲しんでいた知子が、ここまで強くなって立ち上がっている。これは全て神さまがして下さったことである。

失敗をも益に変え、世の人のためにも用いようとしておられるのである。必ずや、ユキが幸せな大人に成長するように助けて下さるに違いない。それだけに養育の大任を感じずにはいられない。


posted by 優子 at 23:45| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年02月16日

知子のミッション、改革の一歩を踏み出した!

今年に入ってからの知子の動きは水を得た魚のようだ。
給料計算や従業員の労務関係は勿論のこと、既に億単位のお金を動かしているが、2月からはそれらに加えてマネージメントも託されたので俄然忙しくなった。

就任早々から自社についてのアンケート葉書きを作成し、各営業マンに自分の担当先から10社を選び出して配布するように指示した。
返ってきた得意先のレスポンスをどう活かすのか。それを集計分析して美濃紙業の姿勢と方向を返さねばならない。
まず営業マンに新しい気づきを与えるための導入、そして、具体的に示しながらそれぞれの良さを伸ばして強化していく。まるで教師が指導案を考えるのと同じで教職課程の学びが活きる。

また、一昨日は経理部の部会を開いた。こんなことは初めてのことで、他の課のやる気のある社員から知子の改革に期待の声が聞こえている。

経理部会で配布したレジメを見せてもらった瞬間に知子の指導力に唸った。詳しいことは書けないが以下はその一部だ。  
経理部 会議  2012年2月14日(火)
今月の議題: 実務上の上司がいなかった数年間の状態を正常に戻すための取組み。
●報告、連絡、相談の仕方の見直し
〜円滑に仕事を進める為に〜
@ 営業との意志疎通頻度は今のままでよいか?
     
      (略)

(2) マニュアル(手引書)の作成と提出
マニュアルとは、全くの初心者に対して示し、教えるための文書である。  
    :4月末迄に作成、提出
    → 提案のある場合、再わりふりも検討

●昔からの「経理部は日報なし」を継続していきたい。
⇒3人の間でどの程度情報を共有しておかねばならないか自ら判断し、自主的に報告・連絡・相談し合える、という事が前提条件となる。

☆現在、提案または 相談したい事は・・・

ついに通しが皆無だったところに風穴をあけた。
これを今夕刻からの部課長会議で伝えるので、営業と店頭にも改革の波が及んでいくだろう。

思うに、一流会社と二流三流会社の違いは、まず、社員たちが礼儀正しく覇気があるかどうかではないだろうか。しかし、マニュアルだけで心が伴っていない形だけの一流(?)会社もあるから確たる理念とビジョンが必要だ。

知子の置かれた実態は重責だけではなく、誰からも系統だった引継ぎが一切無いという厳しさだ。要は指示できるほど社内は機能していないというのが実態である。

こんなことを書いては会社の信用に関わることだが、既に変革の波に社員が呼応しているので書いている。

良いモデルのもとで薫陶を受けた経験もない者が、指示がない中でやっていくというのは非常に高次元の挑戦になるが、それに面白みを感じて他の追随を許さぬほどの情熱があれば道は開かれる!
神が常にその時々に必要な助け人を遣わして下さるのは驚きである。


昨日の記事に掲載させて頂いたクリスチャンドクターのOさんからも貴重な示唆を頂いている。

医師が患者の治療方針を決めるためになされる視点や配慮に感心させられただけではなく、会社経営の視点でも同じことが言えると思った。
つまり経営者も従業員に対してこのような心配りをもって関わることが肝要だ。

そして、ゴッドハンドの話では、知識や技術を伝える側と伝えられる側のことを教えられた。将来、知子がキャリアを積んで後継者育成の時にも大いに参考にさせて頂けるので、ここにそのところを記録しておいてやりたい。

    (略)

何か事を行う場合、私たちは自分の懐の中に幾つもの選択肢を持っています。その内のどれを、どの程度、何時使うかの匙加減が難しいのです。

又医療の例えになりますがお許し下さい。
病気の人を治す場合、先ずどのような病気なのか、病状の進行具合はどの程度なのか、その方の健康状態にはほかの考慮すべき問題が無いか、など十分に見極めなければなりません。

その上で、次に治療方法の選択肢を探ります。
時間はかかっても内科的方法をとるのか、バッサリと外科的に短気決着をつけるのかは、病人の一般的健康状態、年齢、社会的責任、家族問題等々を十分考慮しなければなりません。(勿論経済的問題が一番大きく影響しますが)

内科的に薬を使う場合には、他に服用中の薬が無いか、副作用と健康状態の関係は大丈夫かを見極め、服薬指導をして指導通りに実行しているか(コンプライアンス)をチェックしなければなりません。

期待の成果が上がらなければ、薬を変える必要もあります。時には、薬が合わなければショックを起こし、死に至る危険もあります。(医者が患者自身だけではなく家族歴を尋ねるのはこの危険を避ける為です)

外科的処置を選択する場合は、もっとデリケートな注意が必要になります。普通、患者はそれ以外方法が無い時でも外科的処置を極端に怖がります。痛みを伴うからです。

起こりうるあらゆる危険を考慮し、メリットがデメリットを上回ることを説明し同意を得る必要があります。(意識不明、救急の場合は同意を本人から得る事は出来ませんけれど)

以上は患者に対する配慮ですが、医療者には次の注意が必要です。

一番安全で効果的な術式を選ぶのは当然ですが、手術中に予定では対処できないことが生じる場合がままあります。その時いかに短時間で適切な対応を繰り返しながら手術を終了するのです。

ゴッドハンドと呼ばれるドクターとは、起こりうるあらゆる不測の事態に対応出来る人です。

又、当然一人では手術できないので、手術に関わる全ての関係者がそれぞれの仕事を全うしながら上手く協力できる様に普段から調整し、緊急事態には的確な指示を出す司令塔なのです。

若いドクターはその手技を含めて全てを学びながら自分の技量を高めていきます。指導医は決して若いドクターの技量の6割を超える手術は許可しません。不測の事態の起こった時に対応できる余裕を残しておくためです。

又指導医は常に手術中傍らにいて、いざという時には自分が責任を取ります。だからこそ次世代のゴッドハンドが育つのです。


内科的、外科的何れの方法を選択するにせよ、患者に病気を治す本来の力が無ければ決して治ることはありません。又その力を持っていても、身体自体が治すスピード以上には早く良くなりません。患者はわがままで、少しでも症状が和らげばもっと早くと期待するものです。

それに多くの患者は、病気になってから医者にかかれば治してくれるものと思っています。病気の治るのは本来神が人間に与えられている生命力そのものです。

それを自覚して大切に自己管理しない限りは、決して良くなることはありません。医者は本来、患者が自分で治すのを邪魔しない様にお手伝いするだけです。

家内の友人の女性は最近悪性リンパ腫の再発で治療を受け始められました。初回の時、医者はなかなか難しいとい言っていましたが、抗腫瘍薬治療が期待以上に功を奏し、今年で5年目になりました。

今回は新薬の治験も兼ねての治療となります。副作用の脱毛や消化器症状で苦しむ人が多い中で、彼女はあまり辛い思いをしないで治療を今回も続けています。

彼女は常々「病気にはなっても病人にはならない」と口癖のように言っていて、高齢の母親を世話しながら仕事とプライベートを満喫しています。

主治医は彼女が入院や通院するたびに、同病で入院中の患者と話をしてくれるように頼み、他の患者のカウンセリングをしてもらっています。
彼女が特別なのかも知れませんが、神様に与えられた人生を大切にしている方を見るのはほっとします。

病気を完全に癒す事の出来る時もあれば、現状維持が精一杯もあります。
しかしいかに手を尽くしても命は人の手に負える物ではありません。その時々に最良の選択と思える方法でやる以外には出来る事はありません。
多くのドクターは自分のベスト尽くし、結果は謙虚に神(或は人を超えた何者か)に委ねています。

私たちは年を重ねれば何処かしらガタが来ます。生き物も機械も社会もみな同じです。与えられた生命力を大事にすることが大切です。
優子さんも決して無理をしないで寒いこの季節大事にお過ごし下さい。

これを読ませて頂くと教育的観点からだけではなく神さまから自らを探られた思いである。神さまに与えられている生命の尊さを再確認させられて、私自身の働きにも期待されているように感じた。
今日は朝から今もずっと体調がいい。感謝!

良輔はユキと一緒に夕食後にチャッピーの散歩に行ってきたが、知子がまだ帰宅していないからと駅まで迎えに行った。
その後まもなく入れ違いで知子は8時40分に帰宅した。

「神さまはすごい!」
開口一番語った知子の顔は疲れていたが上気していた。
「何から話そう! 神さまは支えて下さっている!
〇〇市の教育行政も動かせて下さったよ!」

と、改革の一歩を踏み出した知子は今日も神さまとの物語が尽きない。

神と共に生きる者にとっては全てがミッションである。
子育ても孫との関わりも、家事も仕事も全てがミッションである。


教育(幼稚園)問題については明日の記事に書きたい。
良輔とユキは9時5分に帰ってきた。ふらふら

posted by 優子 at 21:09| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2012年02月15日

良き友との出会いも主イエス・キリストの恵み

敬愛する友(と呼ばせて下さいね)、クリスチャンドクターのOさんから嬉しいメールを頂戴した。Oさんはクリスチャン精神科医・工藤信夫氏を囲んで『トゥルニエを読む会』を主宰されていた方で、私も何度か参加させて頂いたことがある。

Oさんは私よりも遥かにお若い頃から信仰生涯を歩まれている信仰の大先輩である。その方から「最近の記事は私自身が経験してきたことと類似している内容が多く、何時も深く心に沁みてきます。」との嬉しい感想を届けてくださり、お許しを得て記録させて頂いた。

藤本優子様

随分永いご無沙汰ごめんなさい。
この間もずっとブログは拝見いたしておりました。

最近のブログから結膜下出血がなかなか回復しないご様子、案じています。
優子さんは藤本家皆様方のキーパーソンとしての大事な方です。ほかに変る方はおられません。
身体全体の不調は先ず一番弱いところに現れますので、目だけの問題ではなしに御身体全体の健康問題としてくれぐれもご自愛下さい。

最近の記事は私自身が経験してきたことと類似している内容が多く、何時も深く心に沁みてきます。
特にカーナビの例えは車を運転する者にとっては「ウンウンそうだよね」と納得でした。

特に私はナビの指示に逆らってよく別の道へ舵を切ることがあります。すると必ずその道から目的地への道を又新たに知らせてくれるのですが、家内からは「貴方の信仰と一緒ね。何時も別の道へ行こうとする」と突っ込まれます。

又、知子さん、真智子さんの記事も嬉しく拝見させていただいています。

知子さんの取締役就任おめでとうございます。
この舵取りの難しい時代に責任ある立場を引き受けることは中々出来ることではありません。
就任演説の内容からしても自分も会社に関係する方々をも大切にしていることが伝わってきます。
又正解の無い問題に対処する方法も良くご存知ですね。
過去の苦労が今になって大きく花開いた感じがします。

真智子さんもIMFでなくてはならない人材として活躍されているのは素晴しいことです。
昨今、日本の若い方が国外へ出ようとせず、国内での安逸のみを求めているのとは大違いです。
数年後には世界各国で是非にと来訪を乞われる活躍をされるようになるでしょうね。
優子さんと同じで、自分を無理してでもやりすぎる処が少し心配ですが・・・

それにしても主の祝福がこのように豊かに藤本家に注がれているのは素晴しいですね。
これからのブログも楽しみにしています。

寒さがまだまだ続きます。
どうぞ御身体ご自愛下さい。

多くの方々に祈られ導かれて今在ることを思う。
主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、私達一同と共にありますように。 感謝します。

今は知子の一挙手一投足に熱い視線を注いでいる。
あれから2年、いや、あれから3年、まもなく向かえる2012年の春。
きっと今年は知子にも春の感情が蘇ることだろう。知子は鶯の声を聞いてどんなふうに感じるのか、私は今から楽しみに待っている。


来週は21日の仕事を終えてから遠方へ出かけることになっている。22日の始発に乗っても開始時間に間に合わないからで、3泊4日で女性リーダーのための研修会に参加することになった。
既に締め切られていた中小企業向けのプログラムであるがアタックして参加の許可を得た。次回の機会を待つと1年後になるからだ。

しかし、22日には幼稚園の体験入園が予定されており、その間保護者には講演会が組まれている。いつもママがいなくて我慢しているユキのためにも知子は会社を休むつもりでいた。
しかし、数日間祈り巡らせた末、苦渋の選択をした。働く女性の辛いところだ。

そこで制服や道具一式の販売日になっている今日の午後、何とか仕事をやり繰りしてお昼過ぎに退社し、息を切らして2時頃に帰宅。先ほどふたりで出かけた。

見送った今も私の耳にユキの喜ぶ声が響いている。


附記:昨日も生協さんは「まだしんどそうですね」と仰った。
   幸い右目は充血した程度にまで回復したが体調はすぐれない。

posted by 優子 at 14:19| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年02月12日

「癒し主キリスト」

今朝は家族揃って教会へ行く幸せをこれまで以上に噛み締めながら家を出た。
今朝の礼拝説教は昨日知子と語り合っていたことと全く同じで、あまりにもタイムリーだっただけに、神さまからのエールのように感じた。私は説教の途中で遠くに座っていた知子を探し、アイコンタクトをとり親指で「Good!」ポーズを送りうなずき合った。

今日読んだ聖書もよく知られている箇所であるが、今朝の牧師の説教で「なるほどなあ」と深く感じ入るところがあったのでお分かちしたい。

ヨハネによる福音書5章1節〜9節:
5:1こののち、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。
5:2エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。
5:3その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。
5:4それは、時々、主の御使いがこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕
5:5さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。
5:6イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。
5:7この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。
5:8イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
5:9すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。

ブログでは私が読みやすい口語訳聖書を引用しているが、新共同訳聖書では4節の内容が省かれている。

その理由は噂など明確さに欠けることから省略されたということである。
この回廊に居りさえすれば施しを受けて生きることができたので、例えば歩ける人が更に恵みを取って元気になったのかもしれず、それがこのような噂になったのかもしれないというように。

以下は古森敬子牧師のメッセージを私が理解したものである。

「なおりたいのか」というのは「よくなることをあなたは願うか?」ということであり、原書では「弱さ」という言葉が使われており、治る病気ではない人のことを言っている。

今までイエスのように「あなたは何を望んでいるのか」と聞いてくれる人は誰もいなかった
本音を話せる家族や友がいるとよい。その時、批判なく聞いてくれる人がありがたい。精神科を受診する人の殆どの主訴は、自分の気持ちを誰もわかってくれないというものであるという。

母は癌で亡くなったが、闘病中も母の顔はこれまでと変わらず病気でやつれた感じではなかったので、お見舞いに来て下さる方は口を揃えて「思ったより元気そうでよかった」と言われた。

しかし、母はそう言われるのが一番辛い。「〇〇さん、どうですか?」と聞かれるのがよいと言った。
※やっぱり誰だってそうだ!
 従兄弟のT君だってそうに違いないはずだったと思うが、メールでも自分の本心は全く語ることなく逝ってしまった。


母の思いを知り、母は最期の闘いをしている人なので、見舞い客は本音を出せる人だけにした。辛さ、痛みを訴えて、祈って頂ける人にのみ見舞って頂いた。
「思ったより元気そうでよかった」というのは他者の安心でしかない


38年間患っていた人にとっては、イエスは初めて自分の気持ちを聞いてくれた人ではなかったか!

しかし、「良くなりたいのか?」と言われたイエスの問いかけの答えになっておらず、他者への不平不満、絶望であった。自分自身に対する絶望と他者に対する絶望である。

「良くなることを願うのか」という本当の願いを聞かれた時、それを自分自身が気づくことが大切だった

「蚤のサーカス」を想う。
※「蚤のサーカス」とは、見物する対象が体長3mm程度の小さな昆虫なので、その「舞台」もごく小さく、机の上の画用紙の上で行われ、観客はその周囲にせいぜい30人程度が取り囲む。このような曲芸団は町から町へと移動しながら興行を行う。

(その曲芸とは)ノミの体重の2,000倍もの重さのあるローラーの取っ手にノミをつないで引かせる(2匹がかり)。他に大砲のおもちゃを引かせたりもしたようである。
ノミにボールを蹴らせる(ボールの重さはノミの約5倍)などである。(ウィキペディアより)
 

蚤は最初はピョンピョン飛ぶが、そのうちに蓋があるから飛んでも飛べないんだと蚤に自覚させる。すると、蚤は飛ばなくなる。絶望は人間だけではなく、蚤さえも希望をなくさせてしまう。

しかし、人間には秘めたる可能性がある!
イエスさまの言葉には力がある!
私達が起き上がらねばならないところは人それぞれ違うから、それを聞いて自分の意志で起き上がった時に癒されている。それが本当の癒しである

祈り:うずくまる私達の本心を聞いてくださり、・・・イエスの愛に感謝します。絶望の虜(とりこ)になっているできない自分を信じるのではなく、させて下さるあなたを信じて起き上がる者にして下さい。

このメッセージから勇気をもらったのは私だけではないだろう。
これを書きながら、先月末のメールに「ブログの読者に勇気を下さい!!」と書いて下さった友を想った。
Kさんもこれをお読み下さればきっと勇気を受け取って下さることだろう。そして今こそ、まことの神さまからのメッセージを受け取って頂きたいと祈っている。

今朝のメッセージで私の心に新鮮に響いたのは、「イエスのように『あなたは何を望んでいるのか』と聞いてくれる人は誰もいなかった。」というところであり、気づかされたことは、最近の私はサーカスの「蚤」になっていたこと。すっかり意思が弱くなって、しかもそれに安住しようとしていたことだ。

高血圧の不調ですっかり怠け者になってしまったという思いがあり、このままで居ることに慣れて諦めつつあった。
ましてや長年病んでいた人は癒されたいに決まっているが、病気によっては「大変ですね」と言われて、後ろ向きな気持ちで「何もできなくてダメなんです」と病気のままでいることを選び取っていることもあるのではないだろうか。

今までこの「ベテスダの池の病人」についてはそのような想いと、本人の口から「治りたいです」と語る主体性が大切であると思っていたので、「聞いてくれる人は誰もいなかった」という指摘に目が開かれる思いがした。

私はたった10日間の不調で犬の散歩や掃除すら思うようにできずにイライラが募っていた。
不調でしんどいと精神的にしんどい話を聞くにも忍耐を要し、本来の自分よりもはるかに許容量が低下し、そういう自分にも嫌悪するという悪循環を起こしかけていた。

昨日はそんな私に知子がカウンセラーのように耳を傾け、私の気持ちを吐き出させてくれ神さまに気持ちを向けてくれた。そして、今朝のメッセージで神さまに裏打ちされたように気持ちがシャンとした。

今月に入ってから毎日のように人間(人間学)について知子と語り合い、体験や想いを分かち合うことの大切さを日々確かめ合っている。

先月の交わり会の「今年の抱負」で語った知子の証しは、今日の説教にぴったりの良き実例でもある。つまり、全てを神さまに期待して真摯に自らの務めを果たしていく姿に神の栄光を見る思いである。

来週発行される教会報(教会レター)にも刻んで頂いているので、『メメントドミニ』でもお分かちしたいと思う。

クリスチャンはこうして週の初めに信仰を同じくする兄弟姉妹と共に神の前に静まり、過ぐる一週間に犯した罪を悔い改め赦されて、新しい力を頂いて歩み続けるのである。
今週も生かされていることを感謝して心新たに想いを深める旅路としたい。

附記:真智子はミッションを無事終えて(日本時間昨日の夕方)ワシントンに帰還した。海外出張の時は滞在中だけではなく、その準備期間から帰還後もかなりハードなようだ。
今回は行きも帰りも真夜中の3時頃に家を出て帰宅するというタイムスケジュールだったが、霊肉共に守られたことを感謝している。

posted by 優子 at 21:44| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2012年02月09日

神のナビゲーター

結膜下出血を起こして1週間になるが今回は回復が遅い。濃い血糊が消えないところもあり、そこを触ってみると痛みがある。

しかし、今朝の体調はいい。とは言っても昨日からの寒波で外に出るのは怖い。昨朝に続いて今朝も知子が出社前にチャッピーの散歩を済ませてくれているのでありがたい。

先週は寒波の強風の中、自治会役員の方に話しかけられて審議内容の進捗状態や運営について立ち話してしまい、それが直接の原因ではないかと思っている。体感的にもきつかったのに言えなかった。

先ほど聖書を読み、祈り終わって頭を上げた時のこと。
ユキが「神さまは何て仰った?」と聞いたので驚いた。今朝洗濯物を干しながらユキに話していたことを覚えていたのだ。
「神さまの声は小さいから、心を静めて聴かないとね」と話したことを。

ユキとの会話に導かれて一文をご紹介したいと思う。
これは、昨年末に日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック刊行の『種を蒔く』に掲載された証し文である。文集をまだどなたにも配布していないのを神さまにお詫びし、この証し文を『メメントドミニ』の読者の方々に用いて下さいますように祈ります。

神のナビゲーター

私は自動車のナビゲーターを見るたびに神を思う。目的地を設定すると音声付きで道案内してくれるナビゲーターである。

高速道路が混んでいる時は赤く表示されるので、あまりにひどい渋滞の時には地道を行くこともある。すると即座に、そこを起点として新たな道が表示される。

神をナビゲーターに譬えるのは不謹慎かもしれないが、私はナビゲーターを見るたびに神の愛と導きを想って胸が熱くなる。

失敗して挫折感に打ちひしがれた時、人間関係に悩んで行き詰まった時、また、神の御心がわかっているのに自己を通したために悲しみを味わったこともあった。しかし、そのいずれの時も神は新しい道を開いて下さった。

常に寄り添い慰め励まして、手を携えて一つひとつ乗り越えさせて下さった。ナビゲーターは時に間違うことがあっても、神は決して間違うことなく、完璧に光の道にいざなって下さった。私にとって神は、「傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす」お方だ。

進むべき道が判らない時や、心に小さなざわめきを感じる時はじっと待つようにしている。そして、神は私に何を求めておられるのかを考えながら動かずに待つのである。それでも選択を間違うこともあるが、そこからまた最善へと導いて下さるのだ。

そして今、しみじみ実感できるようになったことは、私もまた神の目的があって存在させられているということだ。ということは、最終的には神の責任で全てのことが運ばれていくのであり、そう思えるようになって心強くなった。

この世は不可解なことに満ち、理屈の合わぬ悲しみに溢れているが、そのことも最後には納得させて下さると信じることができる。

神を知らずに生きていた者が、神の愛を実感できる者に変えられて、神の恵みの中で生かされている。永遠のいのちを賜り、しかも、地上にいる間は神と交わるすべを与えられているのである。これ以上に祝福された最高の人生があるだろうか。

これからも天の御国に辿り着くまで、神のナビゲーターに導かれて行こう。人の目には見えなくても信仰者の目には見える。聖書に多くのみことばあれど、常に私の胸中にあるのはイザヤ書のみことばであり、最期に人生を振り返る時も、神はこのようなお方であったと御名をほめたたえることであろう。

ここまで導かれてきたことを深く感謝し、これからもただ主にすがって、最後まで主と共に生きていきたい。

私の愛唱聖句
「傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす」。 (イザヤ書42章3節)
アーメン。  
                   

これは2008年8月の関西・中部合同の夏期学校で発表したものである。
私は生涯に一書を残したいとの願いがあるが、間に合わない時にはこの一文を印刷して会葬者に配布してもらいたいと思っている。

20:53追記:今日の『生かされて』の追記で、この記事を紹介して下さっています。
文香さんのお人柄そのままの自然体で書いておられる文章は心に届きます。その内容は深いです。是非お読み下さい。


posted by 優子 at 12:37| 掲載文(神・文学) | 更新情報をチェックする

2012年02月07日

私のリラックスタイム

時々、フッと一息つきたい時は「お気に入り」に入れているユウチューブを開く。
その中の1つ、「ジェット・ストリーム」は、学生時代から愛聴していたラジオ番組だ。「FM大阪」で毎晩午前0時から流れた。私は毎晩ベッドの中で聞き、「レコードアルバム」の時間にはたびたび好きな曲を録音していた。

「遠い地平線が消えて、
深々とした夜の闇に心を休める時、
遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、
たゆみない  宇宙の営みを告げています。

満点の星をいただく果てしない光の海を、
豊かに流れゆく風に  心を開けば、
煌く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、
なんと饒舌なことでしょうか。

光と影の境に消えていったはるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります。

これからのひと時。
あなたにお送りする
音楽の定期便。「ジェットストリーム」。
夜間飛行のお供を致しますパイロットは、
わたくし、城達也です」。


城さんのアナウンスで外国に憧れた遠い日々。新婚旅行でアメリカへ行ったのも城達也さんの影響だ。利用した飛行機は勿論JAL!
ロスのディズニーランドで日本語の案内ブースから城さんの声が聞こえた時には驚いた。

結婚後、長女が幼稚園に入った頃(?)にWラジカセを買い、「ジェットストリーム」から録音して編集したテープを何本も持っていた。
城達也さんの声は、まだ人生の苦悩を知らなかった時代へタイムスリップさせてくれる。

http://www.youtube.com/watch?v=TdOitzTLcXM&feature=related

その後聞かなくなってしまったが、城さんが亡くなられた時は大きなショックを受けた。
あの頃は母が生から死へ移りゆく時で、自分史においても最も辛く悲しく一心不乱の日々、母と、そして、父との濃縮された時を過ごしていた。

今夜は雲海の上を翔ぶ飛行機を見ながら真智子を想っていたのに、心がこのような方に向くならばリラックスタイムにならない。より寂しくなるが、「ウィキペディア」に書かれている城さんのことを我が心にも記録しておきたい。
特に、深夜の時間帯に「イージーリスニング」と呼ばれた穏やかで美しい曲を流し、世界各地をロマンチックなナレーションで紹介する『JET STREAM』は27年間7387回つとめ、城の代名詞的番組であった。

1994年2月に食道癌に罹っていることが発覚した後も治療のかたわら『JET STREAM』の放送を続けたが、「自分の納得できる声が出せない」と同年12月にパーソナリティを降板。翌年2月25日に死去した。63歳没。

また、『JET STREAM』のナレーターをするときは、機長の役に入り込むために、必ず、スーツを着てスタジオの照明を暗くして臨んでいた(航空会社における定期運送用操縦士の制服はダブルのスーツスタイルである。また夜間、旅客機のコックピットは当然真っ暗)他、機長としてのイメージを壊されないようにテレビ出演は一切しないなど、仕事に対して大変真摯なプロ意識を持っていたという。

私はよくこんなことを思う。
死ぬ前にどんな曲を聞きたいかなといろいろ考えるのだ。
そんなつもりで母の病室にもいろんな曲をテープに入れて届けた。日本の抒情歌、讃美歌、ベートーベンの「スプリング」などクラシック音楽、そして、私がよく聞いていた母の耳にも懐かしい歌や演奏、知子と真智子の小さい時の声などを。

私は今日も体調が非常に悪く、「藤本さん、顔色がすごく悪いけれど大丈夫ですか?」と、挨拶もしないうちから生協さんに言われたほどしんどい。
血圧が高いために全ての血管にダメッジを与え続け、今や眼球の血管はもろくなって、いとも簡単に出血を繰り返す。これも死の前兆である。

今聞きたい曲はと自分に問えば「5つの銅貨」かな・・・人格も素晴らしいダニー・ケイは大好きな一人。心ある人こそが真に有能な人物でありいつまでも人の心に生き続ける。

今日はこの曲を聴きながら微笑もう。http://www.youtube.com/watch?v=zPdYotzHadU&feature=related

"THE FIVE PENNIES"   DANNY KAY

This little penny is to wish on and make your wishes come true.
This little penny is to dream on and dream of all you can do.
This little penny is dancing penny,
See how it glitters and it grows,
As bright as a whistle, light as a thistle,
Quick,quick as a wink,up on it's twinkling toes.
Oh,this little penny is laugh on
To see that tears never fall.
This little penny is the last little penny and most important of all.

(repeat)

For this penny is to love on, 
and where love is heaven is there,
So with just five pennies if they're these five pennies
You'll be a millionaire.


この小さな銅貨には「願い」を叶える力があるんだよ、君の願いも叶えてくれるよ。
この小さな銅貨には「夢」を叶える力があるんだよ、君が見た夢を実現してくれるよ。
この小さな銅貨には「踊る」力があるんだよ、
見ててごらん、とっても輝いて、そして もっと輝くから、
眩しくなったら口笛の音が聞こえてきて、鮮やかなアザミの花みたいに見えちゃうんだ、
速い速い動きは、瞬いた瞬間に、目を開けたら、つま先の上に乗って光っているよ。

おっと、この小さな銅貨には「笑顔」を絶やさぬ力があるんだ、
君が見る世界を悲しみのない世界にしてくれるんだ。

この小さな銅貨が最後の小さな銅貨だよ、
そして、この世の中で最も大事なことが詰まっているんだ。
そうさ、この銅貨には「愛」を叶える力が詰まっているんだよ、
そして「愛」する場所こそが天国であり、天国は愛する気持ちの中にあるんだよ。

そう、たかが五つの銅貨、けれど、持っていれば、五つの銅貨は、
君を億万長者へと導いてくれるよ。
 

城達也さんもダニー・ケイも亡くなってしまったのに声が残っているなんて不思議だ。無性に悲しくてリラックスとはかけ離れた想いになってしまったけれど、今夜は「ジェットストリーム」のエンディングを聞いてから眠ろう。
http://www.youtube.com/watch?v=27jqNnEWIMM

飛行機を見ていると涙が溢れてきて困る。
これはどういう涙か。
真智子の活躍を祈る嬉しい涙であり、人間の叡智に感動し、飛行機事故のないように祈る熱い涙だ。
しかし、地上ではどうしようもないほど悲惨なことが繰り返され、地球をも破壊し続け、もはや希望を見失ってしまうほどだ。

神の平和がなるように祈り続け、あらゆる分野で飽くなき努力を続けねばならない。

日常生活でやりたいことができる体力があるというのはありがたいことだ。そして、いつかは私も動けなくなるだろう。残り少なくなった時間を大切に用いたい。


posted by 優子 at 23:59| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年02月06日

信仰をもってチャレンジせよ!

私が結膜下出血を起こした翌朝、知子は早朝4時半に起きて洗濯と愛犬の散歩を済ませてから出社した。

今日は寒さもかなり和らいだが、1月末から大寒波中だった3日は9時過ぎでも洗濯物は凍っていた。チャッピーの水は4〜5センチ凍っていたし、お昼過ぎでもホースの中に残っていた水は凍ったままで水も出なかった。

今日もまだまだ体調が悪く無理できる状態にもなっておらず、ユキには申し訳なかったが「未就園児ひよこぐみ」の集まりに行けなかった。

今回は昨夏の時よりも軽いと思っていたが、2日後の土曜日(4日)になって出血範囲が広がっていたので受診した。眼科には行かなかったので眼科で処方される止血剤も内科で出してもらった。

同じ日、知子は朝一番に整形外科を受診した。数日前から左足の裏に異常と強い痛みを感じていたため、前日の夕診時間に駆け込んで受診するつもりだったが帰宅が遅くなって行けなかった。
その時、足と腰を合わせて5枚もレントゲン写真を撮ったそうだが、幸いに心配なしとのことでホッとした。

この1週間ほど我が家の話題は、経営について、また、社員教育の具体論に至るまで会社関係一色である。
私は一つひとつ見事に実践していく知子に目を見張る。しかし、知子の横溢する情熱も今の私の体調には影響多大なだけに安静環境が壊れてしまう。


多忙で仕事も持ち帰らねばならない知子なのに、昨日は私のために時間を割いてくれ、気になっていた会計報告書をエクセルで作成してくれた。
今、私にやり方を教えるには時間がないから作成したという。刻々と優先順位を考えて動いている。

おかげで表に内容を打ち込み9割方でき上がったので、これからリラックスして静養できる。しかし、そのために知子の段取りを狂わせてしまい今日は帰宅が2時間も遅くさせてしまって申しわけない。もうやだ〜(悲しい顔)

ついでながら夫の帰宅は9時だった。5時からの営業会議に出ていたというが、私に言わせれば3時間も要する会議自体が優劣の程度を物語っている。

会社には代理店や銀行関係から取締役就任の祝電が届いている。
ある製紙メーカーの方は、「知子さんは社長の奥様ですか?」と訊かれたそうだが、世代交代をしていかねばならない時にそれはない。

我がパソコンにも祝メールが届いている。

るんるん「お義姉さんの取締役就任挨拶をお読みしましたが、重圧の中で、強い使命感を持って頑張られてると感じました。
真智も、今回の出張でも、色々なチャレンジがあると聞いてますが、真智らしさを発揮して、とても頑張っていると思います。僕も頑張ろうと思います」。(太志君)

るんるん「知子ちゃんの重圧感は想像できないくらい大変なものだと思います。神様は私たちの知らないところで、たくさん働いてくださっていることも、今まで何度も経験してきた私たちですから、主を信じて祈っています」。(C姉)

るんるん「知子さん頼もしくたくましいですね。ご活躍の様子をお聞きするのはうれしいです」。(K姉)


感謝!

私は今の知子を見る時、詩篇66章10篇〜12篇を思わずにはいられない。
神よ、あなたはわれらを試み、
しろがねを錬るように、われらを錬られた。
あなたはわれらを網にひきいれ、
われらの腰に重き荷を置き、
人々にわれらの頭の上を乗り越えさせられた。
われらは火の中、水の中を通った。
しかしあなたはわれらを広い所に導き出された。

ハレルヤ! 主のみ名は誉むべきかな!
知子は今、与えられた賜物を大いに活かして人生を謳歌し始めた。
どうか主が常に知子と共にいて下さいますように!
背後で祈って下さっているお一人おひとりに感謝し、私もまた日々感謝と祝福のお祈りを捧げている。

posted by 優子 at 22:36| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年02月04日

「さわやかに生きる」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージ 31―

さわやかに生きる(関根 弘興牧師)

私たちの人生から、さわやかさを奪うものがあるなら、その一つは執着心です。これは、何でも握りたがる癖と言ってもよいですね。これも私のもの、あれも私のもの。いまのこの地位も権力も名誉も、何でも握りたがる癖を、人はもっているのですね。
 
でも、ギュッと握った手を差し出しても、何も受けることができません。握りしめているのですから。
こんな話を聞いたことがあります。サルを捕まえるためにどうするか。まず壺の中においしい食べ物を入れておきます。サルがやってきて、その壺をのぞくと、おいしいものが入っているではありませんか。

さっそく手を入れてその中の食べ物をわしづかみにします。さあ、問題はここから起こります。たくさんの食べ物を握ったまま手を壺から出そうとすると、壺の入口が狭くて手が抜けない。

しかし手を離すと食べ物が落ちてしまうので握った手を開くことができない。そんなことをしているうちに捕まってしまう、というわけですね。握ったものを放さなかったばかりに、結局、たくさんのものを失うなんてこともあるのですね。

いつまでもいろいろなことに固執し、執着し、ギュッと握りしめていると、逆に不自由になることもあると知っておくことは大切なことです。
 
旧約聖書に登場するヨブと言う人は、いろいろな苦難を経験した人でした。しかし、彼は、こう告白しているんです。
 
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」。(ヨブ記1章21節)
 
人生には様々な出来事が起こります。たくさんのものを失い、また手に入れます。私たちは、失うことばかりを心配して、逆に縛られ、不自由になっていることがないでしょうか。
 
聖書は、私たちに、「ゆだねる」という生き方があると教えます。
自分の握った手を開いて、イエス・キリストにゆだねるのです。思い煩いをゆだねるのです。心配事をゆだねるのです。握った手を開く、ほんの少しの勇気をもちたいですね。


posted by 優子 at 20:45| 引用文 | 更新情報をチェックする

2012年02月02日

ユキのお祈りに思うこと 

天のおとうさま

今日も一日過ごせましたことを感謝します。
おばあちゃんは、また前みたいに目から血でています。
どう治していいのかわかりません。イエスさま、治してください。

ママも疲れています。
今日の夜、ぐっすり眠ることができますように。
ユキちゃんも今日眠ることができたことを感謝します、お昼。

おじいちゃん、おばあちゃん、ユキちゃんもママも皆んな元気でおれますように。
遠くにいるマチとフーも元気でおってください。
目見えない人の宇野さんも助けてください。

このお食事を感謝し、
このお祈りをイエスさまのお名前によって みまえにお捧げします。
アーメン。

これは今夜のユキの食前のお祈りである。
毎日、朝昼晩とこのようにその時々の出来事も入れてお祈りするユキである。

「このお食事を感謝し」と書いていて思い出したが、先週末の法事の折りに御住職が、「毎日3度、手を合わしますが、どんな時でしょう」と問いかけられた。
聴衆からは応答なくシーンとしていたので私は声を出そうと思っていた時だった。
「いただきます」とユキが答えて「正解です」と褒められた。幼児が答えたのでひどく感動されていた。その後もたれた食事会の席でも話題に上がっていたが、「全然わからなかった」と言われた人には驚いた。

ついでながら、御住職の話をお聴きして思ったのは、御住職が仰ったように、日本人は野菜を作って下さった方や漁師さん、流通の方々などに感謝するのだが、私達クリスチャンはそれだけではなく、野菜や魚を造って下さった神さまに感謝できる幸せをかみしめるのである。

そして、教会のM姉の文章を思い出していた。(過去ログ・2011年11月20日掲載)

「私たち人間は、植えて世話をしたのだからできるのは当たり前、芋苗を植えたのだから芋ができるのは当たり前、とつい思いますが、私たちの手では何もできないし作れないのです。神様の豊かな恵みを改めて感じ、感謝のひと時でした」。

神さまの愛の中で育てられているユキは幸せ。成長が楽しみだ。
ユキは今まで「優しい子」と言って頂くことがよくあったが、最近はそれに加えて「賢い子」と言われることもたびたびだ。
私は「へえ〜そうかなあ」と思っていたが、子育ては親ばか祖母ばかが一番!褒めて育ててやりたいものである。

世の人々は私が子育てした時代も今も変わらず知的能力開発に熱心だが、私は3歳の時からこのようなお祈りを捧げるユキに驚いている。
思ったことをすぐに言語化できるのは最高度のパフォーマンスだからだ。

どんなに時代が変わろうとも心を耕し育てること、心が育ってこそ知的能力も開花するという確信は今も変わらない。

ユキも知子や真智子のように塾に行くこともなく、ゆったりとした中で学ぶ楽しみと集中力を高めてやりたいと思う。


私の体調がいい時はユキと一緒に廊下で滑ってスケートごっこをしたり、歩きながら歌ったり踊ったり、カタコトの英語で会話したり、今やすっかり息の合う名コンビである。るんるんかわいい

さて、ユキのお祈りにあったように、私はまたしても結膜下出血になってしまった。今度は右目の半分で昨年7月8日記事の写真ほどひどくはないが、帰宅した知子に言われるまでわからなかった。

今月半ば頃より私もまた高揚した緊張の日々が続いており、体に負担感を感じていたので気遣ってはいたが、この大寒波も影響したのかもしれない。今の外気温はマイナス1度になっている。

ちなみにワシントンでは40年ぶりの温かさで5月上旬の気温だという。ポトマック川の桜も開花していた。
日本がプレゼントした桜が100周年にあたる今年は、真智子たちにとって初めての花見になるのに、数日前から真智は出張中でアメリカには居ない。

明日はチャッピーの散歩も止めてしばらく安静にしようと思う。
明日の心配事も神の摂理の中でのこと、一切を主に委ねて安んじていよう。
今月のクリスチャン・ペンクラブの総会に向けて会計報告書作成も気になるが、今は安静第一だ。今、私に何かあっては大変だ。

posted by 優子 at 22:46| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

知子の新たなる船出 ― 取締役就任挨拶で美濃紙業に活!―

昨夕の株主総会を経て、本日2月1日づけで長女が取締役の立場で勤務することになった。時代はペーパーレスに切り替わり希望の見えぬ過酷な状況にである。

しかし神は、あえてこの時に知子を立たされたのである。
幼児を抱えて何故このような重責をと不安に感じることもあるが、神さまが立たされたからにはご計画があるのだという信仰を頂いている。
知子の能力を有能に発揮されようとしているのである。私の目にもそれに応えられる努力する力と聡明さを有しているのは明らかである。

12月半ばに年末調整の業務を終えてからも、最高度の集中力で勤務時間をオーバーする日々が続いていたために疲労ぎみである。背後で祈り支える私もまた緊張感に満ちたハードな日々であった。
情熱は横溢していても体力が減退すると、まるで湖上を歩くペテロのように一瞬でもキリストから目を離すと怖れで進めなくなってしまう。

今朝の朝礼で就任式も終えたことであろう。
この機会を生かしてこれまでの問題点を就任挨拶に込め、知子の理念と燃え上がる情熱を語った。ここにその挨拶内容を記録しておきたい。

この真摯さと気魄!
神が常に知子と共にいて下さり、常に導いて下さり、知子に託されたミッションを大いに祝福して下さるように背後で祈り続けたい。
本日づけで取締役に就任いたしました藤本知子です。就任にあたり、美濃紙業の現状認識を共有していただきたく、これからの私の仕事と関連させてお話させて頂きます。

まず、取締役として私独自に指令されている任務とは、
● 資金繰り面で社長をサポートすること
● 紙の知識・営業を含め、経営していく上で必要な幅広い知識を数年かけて社長から引き継ぐこと
● 社員を根本から教育し直すことで全社員の質を高め、統率すること 
の3つです。

社員教育については日常・個別に指摘もしていきますが、今以上に全員が同じ方向を向いていけるよう、主に毎月の朝礼で少しずつお話ししていきたいと考えています。早速今日は第1回目として、その根幹部分をお話致します。
 
現社員のうち、大企業へ入社経験のある人は少ないのではないでしょうか?私が大卒後に就職した国内の大手企業では、貿易事務なのに中小企業の中途採用と同じく即戦力的に使われ、研修期間がありませんでした。

しかし、中小企業と違って大企業ではふつう入社後すぐにマニュアルに基づく一斉の新入社員研修期間があります。

成果主義のより厳しい外資系大手企業の医薬品メーカーに転職した時は、中途採用でも朝9時から18時まで、丸4ヶ月間も研修所に住み込み、徹底的に医薬品業界や法律、製品知識習得のための授業を受けました。当然試験もありました。過酷すぎて4分の1の人は脱落し、研修中に辞めていきました。

中小企業では金銭的に難しくてこうした教育ができませんので、入社と同時に現場に配属されてしまいます。そのうえ、もし業務知識と同様に大切なモチベーション面での適切な社員教育まで受けられないままですと、社員は自分の育ちに基づく判断によってのみ仕事をするので 一丸となることができません。

何か目標を掲げられても、その為に具体的にどうすればよいのか分からず、目標自体のイメージさえつかめない人も出てきます。大企業と中小企業で差のつく部分は、むしろここだと私は考えます。

大企業の場合、研修終了後、恐らく社員達は成果主義をたたき込まれることになるでしょう。かつて営業として働いていた会社の例を申しますと、現場で働き始めるや否や、本部や支店からの1日10通はある指令メール、週1回はあるチームミーティングや支店会議が絶えることはありませんでした。

立てた目標を毎日監視され、何故できなかったかの追及は国内企業以上に容赦なく徹底的でした。未達成が続いた場合、賞与の支給額の差が歴然とすること以上に怖いのは部署移動で、最終的にリストラされてしまうことです。

ストレスで退職した人もいましたし、当時から所長や支店長の異動は頻繁でした。8年前の泉大津支店に今も残っている人は、先月時点で3人ほどだそうです。

大企業においては、全体の売上をつかむというスケールでよりも、自分がずっと在籍できるかという意味で、皆危機感を持っていました。

これが全面的に良いとはいえませんが、規模の小さい中小企業こそ、業績悪化=ダイレクトに自分の在籍にかかわってくるはずなのに、こういった数字追及に基づく危機感を持つことを訓練されていない為に、当社には愛社精神や危機意識が希薄なのが現状です。そういう意味でも今、全員の再教育、再出発が求められているわけです

実はこの1年半の間に、私は他社の人3名から同じことを言われました。
「美濃さんは売上減少も ひとごとで、仕事する姿勢も公務員みたいだね。おたくの会社の前だけ空気がポワーンとしていると いつも思う」と。
愛社精神に基づく危機感が足りないと、特に紙業界は大変なので存続していけなくなります。

しかし、営業に出ている人以外は、朝礼でいくら社長が「厳しい、厳しい」と話しても、実感がわかないのが正直なところではないでしょうか?
そこで、分かりやすい内容でイメージして頂きます。

まず、先日初めて出席した新年互礼会で、商工中金の常務がおっしゃっていた言葉をお伝えします。
「銀行業界では、震災後の2012年、今年ほど予測不可能な年はない と言っています。銀行は 見込み数字を乗せて色々と予測を出すわけですが、今年は出てきた数字をどこまで信頼できるだろうか、といった感じです」。
これが経済界全体の状況でしょう。

一方、紙業界はどう大変なのか?
時代は紙屋に逆行してペーパーレスに進んでいるので、社員一丸となること、プラス何か付加価値をつけて紙を売らなければ、確実に「消えていく会社側」になってしまいます。

今、卸商は全体で70社。
「この現状は多すぎる。20社で十分だ」と言われているそうです。「それはオーバーに言いすぎだ」という人もいました。


しかし、私はこれを真剣に受け止めて、70分の20を想定しながら仕事すべきだと思いました。

考えてみて下さい。
銀行が「今年ほど予測できない年はない」と日本経済を見ている時に、特に縮小する一方の紙業界にいる者が楽観主義でいてよいのでしょうか?
この数字を想定して仕事していくべきで、その為にも生ぬるい気持ちを一蹴し、社員一丸となることが今必要なのです


70マイナス20。50社は近いうち要らなくなるということです。倒産や廃業、吸収合併で20社になってゆくのも秒読みに入っています。
これは(株)藤本との合併で多少想像がつくかと思いますが、2つが1つになった時、規模次第では、だぶった部署の社員は要らなくなります。能力の劣る者は リストラ対象となります。

勿論、美濃紙業の名で生き残ることがまず前提ですが、このまま業績が悪くなっていくならば、11月の全体会議で就業規則を紹介することでお示しした通り、現社員のリストラも当然あり得るわけです。
 
皆さんにも、養うべきかけがえのない家族がいます。独身の方でも、この御時勢では正社員転職の難しい年齢になってきている方が多いはずです。

それを今一度心して、美濃紙業の業績悪化が自分の経済に係るという危機感と愛社精神を、今日からもっと持つようにしていってください。
これが社員教育のやり直しの目的の一つであります。


では、どうすれば改善していけるのか?
それは、小さな修正の積み重ねであり、当面はこれを毎月朝礼で1つずつ伝える事で変わっていって頂きたいと思います。

そして、それらが直接紙の売上高に寄与していないように思える初歩的な課題であったとしても、これから毎月お示しする課題について、人事考課表欄外の査定項目として評価していきますので宜しくお願いします。

これは先週、東大阪商工会議所主催で行われた「変化の時代に対応できる会計」という事業主向け講習会の柱として強調されていた内容とも合致していました。

決算書に現れる財務情報は氷山の一角であり、経営を左右するのはあと9割の隠れた部分、すなわちビジョン・組織・人材・ノウハウ等といった非財務情報の部分であるので、そこを立て直さなければならないのです。 

今月はまず、
★何かミスや気付いたことが発生した時は「会社の為に」という発想ありきで、お互いに指摘し合おう、という課題を掲げます。
最近の美濃の悲しい特徴は、部長、部下等の身分に関わらず、皆が直にひどい口調で責める、もしくは陰口を言い、そこからいじめ的な雰囲気を生み出しています。

まず、仕事する上でこれを改めることから始めていきましょう。ミスした人をつるしあげるような口調や陰口はやめましょう。
間違い、知らなかったことがあれば、指摘された側は謙虚に聴く姿勢を持ち、また指摘する側は感情的に責めないこと。双方の姿勢が問題です。

人間性の面でこれが難しくて私情の入ってしまう方は、「ミスした人には、『自分が腹がたったから怒るのではなく、会社を良くする為にミスを指摘するのだ。だから、『感情で怒ってはいけないのだ』」と自分に言い聞かせる練習をして、まずはビジネスライク(事務的)に指摘する努力から始めて下さい。
 
来月からも1つずつ朝礼で課題を伝えていきたいと思います。
こうした小さな改善を積み上げて社員の質を高め、皆が同じ方向を向いて美濃紙業が生き残っていけるよう、共に少しずつ向上していきましょう


私の4月からの勤務時間帯の変更については、長くなりましたので来月の朝礼で御連絡させて頂きます。

厳しい寒さの中、紙文具団地内を歩くとき、「絶対に淘汰されずに 生き残る側に入るぞ!」と心の中でつぶやくことが多くなりました。

私も、学んでいかねばならぬことが山積しており、体力的に疲れすぎるとその重圧に押し潰されそうにもなるのですが、一つひとつ着実な努力を積み上げて行こうと、より真剣な気持ちで今日からスタートしますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

知子に届けて下さった神さまからのメッセージ!

「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
 たじろぐな、わたしはあなたの神。
 勢いを与えてあなたを助け
 わたしの救いの右の手であなたを支える」。
          
            
            (イザヤ書 41章10節)

主を信頼して主と共に漕ぎ出そう!
知子の忍耐と愛の労苦を豊かに祝福して下さいますように祈っています。

附記:美濃紙業のホームページを更新した。

posted by 優子 at 09:41| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする