2012年03月31日

降圧剤を飲むようになって2年4ヶ月、今日別の医師を訪ねる

今日は天気予報通り春の嵐が通り過ぎた。その嵐の最中に長女に新たな内科医院に連れて行ってもらった。かかりつけの医師には何度も訴えてきたが変薬さえしてくれず、全く血圧がコントロールできなくてこれ以上放置しておくのは怖いからだ。

長女に1年以上も前から何度も促されており、教会の友も親身になってアドバイスして下さっていたのに真剣になって取り組まなかったが、150〜160の数値は日常的で体調も安定しない。先日は180/105という数字に怖くなった。

今日の医師は血液検査だけではなく、検尿、胸のレントゲン撮影、心電図、動脈硬化の程度を調べられた。説明や私の質問に対する返答も論理的で要点をついて話してくださり、これを機にもう一度真剣に日常生活をも改善しようと意欲的になった。

結果は1週間後だが、ベッドサイドの機器に私のデータが残っていた。何のことかわからないが2つの項目に「正常値範囲内」、動脈硬化度は「50代前半」と書いてあったのでひとまず胸をなでおろした。

その後、予約していた店で遅い昼食を摂った。チャッピーの餌も買いに連れて行ってくれて帰宅したのは夕方4時を過ぎていた。ユキはお昼寝なしで、知子とユキの3人で夕食のシーフードグラタンを作った。

グラタン作り.jpg

28日にユキと神戸の叔母を訪ねた時に、従姉妹が作ってくれていた豪華なシーフードグラタンをご馳走になったからだ。叔母はユキの入園祝いにお赤飯を炊いてくれていた。そして、今年も手作りのイカナゴの釘煮(くぎに)を真智子の分まで預かってきた。
叔母の優しさが身にしみ母を思い出させた。

明日から受難週に入る。

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2012年03月30日

「傷んだ葦を折ることなく」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより 33―

「傷んだ葦を折ることなく」 (羽鳥 明牧師)

さあ、きょうの神様からの約束のことばをご紹介しましょう。
「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす」(イザヤ書42章3節)。
 
八百屋さんは、傷んでいる桃をはじき出し、ぐったりしたレタスを取り除きます。売り物にならないからです。雇い主は、怠けて働かない使用人や役に立たない者を辞めさせます。世の中、弱っている者を退けます。
 
しかし、神様はそうはなさいません。神様は、弱い者に眼を向け、心砕けた人といろいろなことに虜になっている人々を顧みてくださいます。
 
誘惑に負けてぐんなりしている者、罪を犯して神の前に立つことを恐れ、恥じている者、道徳的、霊的な破産者に、優しく眼を向けてくださるのです。
 
神様の赦しの恵みの福音は、すべての折れかかった葦のような、くすぶって消えそうな燈心のような者を、いつくしみ、生き返らせる力があります。
 
溺れて沈みそうな者のために、神様の愛の手は、差し伸べられているのです。神様は、折れかかった葦をもたげてまっすぐにし、煙りを出し始めて今にも消えそうな燈心に手を添え、油を注ぎ、もう一回、明るく燃え立たせてくださいます。
 
神様は、決して、弱くて倒れそうな人をお見捨てになりません。神様の眼の前では、どんな魂にも値うちがあります。
だからこそ、イエス・キリストは、そのような者の身代わりになり、あらゆる苦しみを受けきり、血を流して、いのちを捨ててくださったのです。
神様は、このイエス・キリストを信じてより頼むすべての人を、お救いくださるのです。


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2012年03月29日

「がんばれナラの木」

私はNHKラジオ第1放送のファンで、夕方は『私も一言!夕方ニュース』を聞きながら夕飯の用意をしている。今日の番組は終わり近くからしか聞けなかったが、「頑張れナラの木が繋ぐ復興」で昨夏同番組で紹介されたという Johnny Ray Ryder Jr. 原作の " The Oak Tree."(ナラの木)を聴いて深い感銘を覚えた。

「クマ研究者仲間のメーリングリストにアメリカのダイアナ・ドーンクライダー(Diana Doan-Crider)さんという人から『The Oak Tree』(ナラの木)という詩」が送られてきたことがきっかけだったという。

検索するとその出処である高槻成紀氏のサイトを簡単に見つけることができたので是非ご紹介したい。ラジオで紹介されたことがそのまま載っていた。番組ではその詩を盛岡弁でも朗読されていた。

以下に掲載させて頂いたのは高槻成紀氏が訳されたものである。

  ナラの木

ナラの木 たいそう強い風が吹きました
昼となく夜となく
ナラの木のすべての葉っぱを吹き飛ばし
枝をびゅんびゅんと揺らし
木の皮も引きはがすほどでした

ついにナラの木は丸はだかになってしまいました
それでも地面にしっかり立っていました
ほかの木はみんな倒れてしまいました

くたびれてしまった風は
あきらめて言いました
「ナラの木よ、どうしてまだ立っていられるのだい?」

ナラの木は言いました
「あなたは私の枝を折ることも
すべての葉っぱを吹き飛ばすことも
枝を揺らすことも
私をゆさゆさと揺することもできます

でも私には大地に広がる
根っこがあります
私が生まれたときから
少しずつ強くなりました
あなたはこの根っこには決してさわれません

わかるでしょう
根っこは私のいちばん深い部分なのです

実は今日まで
私はよくわかっていませんでした
自分自身がどれだけものごとに耐えられるかを
でも、今おかげでわかりました
自分が知っていたよりも
私はもっと強くなったのです」

「震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて ”The Oak Tree ”を地方ことばに訳すことを始めました」と、26の方言とスペイン、ポルトガル、ブータンの言葉で翻訳された詩が掲載されている。

この詩には力がある。人生途上で経験する苦悩や悲しみ・・・その人々の心を静かに、力強く慰める。こういう詩や文章を書きたい。技法云々ではなく人物そのものの素晴らしさから生まれるのだろう。

今日はあることで教育関係者と議論になった。互いに理解し合うことはできず、激論になったが私は冷静さを失うことはなかった。しかし、相手が同じ信仰者であるだけに挫折感は強い。

お互いに考え方は違っていい。違うからこそ互いに学び合い人格を磨きながら良きものへと高め合っていくのである。しかし、自分の信条を語ることもなく、語れなくて感情的になってしまわれるということが悲しい。時間の経過と共に力が萎えてしまった。

そんな日の夕刻にこの詩が耳に届き、人間の良きものを思い出させてくれた。詩だけではなく、高槻成紀氏の志、そして、この詩によって励まされる人々がいて、それを分かち合う人々に深い感動を覚える。これこそが人間の美しき姿だ。

「なおも神の御手と御心にさからわず、
 勇気と希望を少しも捨てぬ。
 私は静かに耐え、まっすぐ前進する。」
(ミルトン)

The Oak Tree   Johnny Ray Ryder Jr.原作,

A mighty wind
blew night and day
It stole the oak tree's leaves away,
Then snapped its boughs
and pulled its bark
Until the oak was tired and stark.
But still the oak tree held its ground
While other trees
fell all around.
The weary wind
Gave up and spoke,
"How can you still be standing Oak?"
The oak tree said,
"I know that you
Can break each branch of mine in two,
Carry every leaf away,
Shake my limbs, and make me sway.
But I have roots
stretched in the earth.
Growing stronger since my birth.
"You'll never touch them,
for you see,
They are the deepest part of me.
Until today, I wasn't sure
Of just how much I could endure.
But now I've found,
with thanks to you,
I'm stronger than I ever knew."

『がんばれナラの木』http://blog.goo.ne.jp/oaktree1949/e/84487e25594d75b78550a8718f0ccb60

posted by 優子 at 21:41| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年03月27日

讃美歌「ああ主のひとみ」作詞者・井置牧師との出会い

来週の礼拝も奏楽を務める知子は少しでも時間のある時にと、日曜日の夜に次週歌う讃美歌をめくっていた。その1曲に「ああ主のひとみ」がある。
この讃美歌を作詞された井置利男牧師が我が家の家庭集会に来て下さったのである。今思い出しても信じられない大きなハプニングをお証ししたい。

この讃美歌もまたあまりにも有名でクリスチャンならば知らない人はいないだろう。イエスが十字架に架けられる前に起こった出来事を書かれたものである。

井置牧師が来宅下さったのは2007年12月18日で、その前年の7月に師との出会いとなるきっかけがあった。その後、井置牧師が「ああ主のひとみ」の作詞者であることを知ったのは、ユキが誕生した2007年夏のことであった。

その関連記事(過去ログ)を読み直した。当時の言葉に尽くせぬ悔しさと悲しみを思い出して一瞬涙ぐんだが、本当に神さまはいつも必要な助けを送り、私が倒れないように支え守り抜いて下さったと身震いする。

井置牧師との出会いはここに記している。あの時の私の苦しみ、大打撃とは知子とその関係者のことであった。今回ブログで初めて明かしたが、これ以上のことは今後も書く事はないであろう。

http://yukochappy.seesaa.net/archives/20070903-1.html

http://yukochappy.seesaa.net/archives/20070904-1.html

そして、家庭集会で語ってくださったメッセージで作詞の背景も語っておられ、読み返して記録することの大切さを再確認させられた。是非お読み下さい。

http://yukochappy.seesaa.net/archives/20071218-1.html

その後も牧会されている教会にお招きいただいたが、知子の心身の危機的状況を申し上げて御無礼し、2年ほど前(?)に関東へ戻られてから音信が途絶えてしまった。今は85歳になっておられるので、もう一度お目にかかって感謝申し上げたい。

知子は今、神の祝福の中を歩ませて下さっている。知子の苦悩の年月を振り返ると、そこにも主の足跡がはっきりと見える。
神の御名はほむべきかな!

私は知子をどんなに愛しているか!
朝から何度も知子への愛と神さまへの感謝の涙が滝のように流れている。来週の礼拝は涙なくしてこの讃美歌を歌えないだろうと思う。


讃美歌243番:

 1 ああ主のひとみ、まなざしよ。
   きよきみまえを 去りゆきし
   富める若人(わこうど) 見つめつつ、
   嘆くはたれぞ 主ならずや。

 2 ああ主のひとみ、まなざしよ、
   三たびわが主を いなみたる
   よわきペテロを かえりみて、
   ゆるすはたれぞ、主ならずや。

 3 ああ主のひとみ、まなざしよ、
   うたがいまどう トマスにも、
   み傷しめして  「信ぜよ」と、
   宣(の)らすはたれぞ、主ならずや。

 4 きのうもきょうも かわりなく、
   血しおしたたる み手をのべ、
   「友よ、かえれ」と まねきつつ
   待てるはたれぞ、主ならずや。
                 アーメン


知子は今日、眼科を受診するために午後から出社した。
今日もまた知子に絶妙なる神さまの力強いサポートがあった!感謝!

※昨日も2月上旬の寒さ(0.3度、10.2度)で今年はいつまでも寒いが、この街で一番咲きの桜が満開になっているのでテンプレートを期間限定の桜に変更した。今朝も-0.6度と真冬の寒さだが突如として春が開くことだろう。

posted by 優子 at 17:02| オリーブの会 | 更新情報をチェックする

2012年03月25日

村山盛忠牧師の講演で初めて共感できたパレスチナ・イスラエル問題

礼拝のあと「憲法を学ぶ会」にも参加した。今日の講師は高見敏雄牧師の御紹介で村山盛忠牧師をお招きしてのご講演だった。

司会者は「世界的にも有名な」と言われたが、私はお名前さえ知らなくて今検索したところ、中東キリスト教会、パレスチナ問題のために用いられている著名な牧師だったことを知り驚いた。

そして、それ以上に驚いたことは、私が疑問に思っていたパレスチナ・イスラエル問題に「そうだよね」と、自分の視点が正しかったことがわかったことである。

今まで見聞きしてきたイスラエル・パレスチナ問題ではイスラエル寄りの報道が多い。また、活発に活動しておられるある牧師は、聖書という「本質を知らずして報道を理解してはいけない」というようなことを言われ、イスラエル側擁護の主張ばかりでパレスチナ側への痛みが全く感じられなかった。

私はそのことへの憤りと聖書解釈の疑問があったので今日の講演で目が開かれる思いだった。
ただし、私には難しい内容であっただけではなく日本語の読解力がないことと、先週から再び血圧が高くて今朝から特にしんどかったので理解力がなくて困ったが、要は、イスラエル占領は「神への罪」とするキリスト者たちが声明を出しているということだけは間違いない。

私がイスラエル寄りの牧師にいぶかしく感じていたパレスチナ・イスラエル問題に対して、初めて共感できる論説を聴けたことが嬉しく、体調が良ければもっと感動したことだろう。

そしてこのたびも示されたことは、いろんな感じ方や考え方があるのだから自分自身の感性を大切にしなくてはいけないということだ。
特に聖書に関係することになると、自分は読みが浅く知識がないから・・と消極的になってしまう。何事も受身で問題意識の希薄さが私の弱点だけに、このように受けとめることができたこともまた大きな収穫だった。

では以下に、「キリスト教とパレスチナ問題 ―パレスチナ・カイロス文書を読む―」と題して語られた講演内容の要諦を簡単に記しておきたい。
パレスチナ問題はキリスト者の問題だと思っている。それについて焦点を絞って話したい。
南アフリカのアパルトヘイト政策の国難な時に、パレスチナのキリスト教徒が出したのが『パレスチナのカイロス文書』である。

アラブ・パレスチナ人からすればユダヤ人問題はヨーロッパのキリスト教社会が生んだものではないか! ユダヤ人問題の最終解決はナチスのやったことであり、まずキリスト者が悔い改めて懺悔するのが筋ではないか!
それをやらずにイスラエルを建国した。
建国時は95%以上がアラブパレスチナ人だった。そこにユダヤ人国家を建てたのである。殺され、土地を奪われて占領し続けられているというのがパレスチナ人の切なる思いである


声明の正式標題は「真実の時、パレスチナ市民の苦難の核心からの信仰、希望、愛の言葉」で、声明にはカトリック教会指導者、ルーテル教会エルサレム監督のムニブ・ヨウナン氏、ギリシャ正教会のテオドシオス・アタラ・ハンナ大司教ら13名が署名している。

2010年4月に『トーラーの名において』が出版(平凡社)された。
「トーラー」とはユダヤ教徒にとっては無くてはならない神の言葉(律法)で、旧約聖書の最初に出てくる5つの書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)のことである。

この本は、この「トーラー」は現在のイスラエル建国をどう見ているのかという貴重な本であり、正統ユダヤ教徒からすると「トーラーの名において認めることはできないのです」と克明に文書にしている。そしてこれは現地のキリスト者の生の声である。

政治主義になると明確な反イスラエルの立場になるので私は政治主義ではない。私はあくまでも人と人と共存していくというのが自分の考えであるから、主義主張でやっているわけではなく、その人々に痛みを覚えてやっている。しかし、政治的であると言われることを恐れることはない。恐れてはいけない。

PLOやアラファトと言えばゲリラや暴力というイメージをもっていたのは政治的に仕組まれたものであった。

キリスト教界において村山師の見解は少数派だと思うので―これも私が無知なだけでそうではないのかも知れないが―、師が勇気をもって我が信じるところのことを語り伝える姿は原発問題で声を上げている科学者の姿と重なる。
「政治的であると言われることを恐れることはない。恐れてはいけない。」と語られた言葉からもわかり、大いに励まされた。

村山師の「パレスチナ問題はキリスト者の問題だと思っている。」という言葉は重い。私にとって課題が一つ加えられた思いである。

最後に、今日頂いた資料の一部をご紹介できるので貼っておきたい。ネット時代の大いなる利点として、家に居ながらにして読めるのはありがたい。私も体調が良くなれば早く読みたい。
http://asmile.jp/image/i_pdf/paresutina/KAIROS%20PALESTINE2009.pdf

※ 今日の礼拝に近隣の方がご家族揃って来てくださり、礼拝後の昼食にも同席してくださって感謝な日だった。
ご家族の上に神さまの祝福が豊かにありますようにお祈りします。

そして、礼拝のオルガニストを務めた知子が選んだ前奏曲、『サラバンデ』は心を静められて礼拝へと導かれた。ヘンデルやバッハの音楽は魂に届く。


posted by 優子 at 23:58| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2012年03月22日

ユキの手紙、桜満開のワシントンに届く

米国の首都ワシントンD.C.の桜が満開と昨夜のニュースで報じていた。同じ日の真智子のメールにも「アパート前の桜も満開になりました!」と書いてあった。
この時期は、「毎年1か月にわたって桜祭りが行われ、花見シーズンには100万人以上が訪れる観光スポット」になっているという。

今年は日本がワシントンに桜を寄贈して100周年という節目にあたり、日本は「タイダルベイスンに日本風の石庭を造るなどして100周年を祝う計画だった」そうだが、東日本大震災の関係で実現できなかったという。
しかし、アイドルやアーティストを送って震災後の米国からの多大な救援に感謝の意を伝え、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴなど全米数十の都市にも日本の桜を植樹する予定だそうだ。

「桜のことは本で読んで知っていたけれど、実際にこの目で見て圧倒されたよ」。「春の到来を告げる新しい発想で、その美しさははかない。まさに日本的だ」。 
ワシントンを訪れる人々はまず日本の影響を思い浮かべるが、桜には「大事なメッセージ」も込められていると語る。

「タイダルベイスンのほとりに寝転び、花の下を歩く人たちの話し声を聞いていると、人生がどんなにかはかなく、美しく、だからこそ精一杯生きなければいけないことに思いをはせます。それこそが日本人の信条で、それを今わたしたち(米国人)も迎え入れているのです」。
              (AFP/Shaun Tandonより引用)


さて3月12日の記事にあるマチ・クマの手紙に返事を書いたユキの手紙が、予想通り1週間後の今日マチ・クマの家に届いた。今日の午前11時過ぎ(ワシントンは21日夜9時過ぎ)、朝の散歩から帰宅してまもなく真智から電話が入った。

私はすぐにパソコンを起動させてスカイプに切り替えたが、今回も真智のPCの不具合か音声が聞こえないというので再び電話をかけてきてくれた。
ユキが描いた新幹線やまびこと貨物。マチ・クマへ書いた手紙.jpg

このほかにお手紙も書いた。新幹線

マチ・クマへお手紙書く.jpg


これがアメリカへ渡った!.jpg

「乱筆お許し下さい」の判子も押してある。本当に乱筆だったので知子ママが説明書きを加えていた。(笑)

電話では毎度お馴染みとなっている電車のことを熱く語っていた。これだけ好きになれる世界があるのは素晴らしいと私は感心しているのである。大きくなったら新幹線の車掌さんになりたいそうだ。

その話が一段落して私もユキに負けないくらい熱く語り合った。今話題になっているメリル・ストリープ主演の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙(原題:The Iron Lady)』について、主にサッチャーとストリープという女性の生き方について話し合った。http://www.youtube.com/watch?v=djUTosfnxT4

かつてサッチャーさんはこのようなことを語っていた。
男が涙を見せると「よほど〜だろう」と同情されるが、女が涙を見せると「女は泣くから・・」と否定的にみられる。だから私は絶対に涙を見せなかった。
外では何をやっても批判されるが、家では何を言っても共感的理解を示してくれた。私は夫によって支えられた。

家族の大切さを強調したサッチャーさんの生き方に共感する。サッチャーさんの家庭は次女夫婦のそれと重なるので是非伝えてやりたいと思っていた。そして、私は長女の手腕を発揮できるように大いに支えてやりたいと思った。

サッチャーさんが家族を大切にするところはストリープさんの生き方とも重なる。彼女は子供のために必ず土・日は在宅し、また、毎日夕食を作っていたという。
真智は非常に感銘を受けたようだ。
「そういうことが聞きたかった!」と、まさに今必要なマナ(糧)であったかのようだった。

メリル曰く:

欧米初の女性首相であるサッチャーには、ずっと興味を持っていたの。私たちの社会は、いまだに女性のリーダーになれていないでしょ。彼女は、その突破口を開いた人。正直、彼女の政治方針には賛同するとはいえませんでしたけどね。・・・彼女は愛されもしたけど、憎まれもしました。その両方をキャラクターの中で融合させるのが難しかった。

サッチャーの魅力については首相になり権力を持っても、女性らしさを失わなかったことね。政治という男社会で生きるとき、おそらく女性らしさを捨てたほうが楽だったはず。けれど、彼女は、ハンドバックや華やかなブラウスを着たりして、いつも女らしく装っていたんです。

実際に、彼女の引退後、訪米したときに講演を聞きにいきましたけど、とても美しい女性でしたよ。もっと野暮ったい人だと思い込んでいたから、驚いたくらい。でも、涙とか、女っぽい弱さは決して許さない人だったから、おそらく“鉄の女”と呼ばれたのね。

アメリカ人のメリルが、「私たちの社会は未だに女性のリーダーになれていないでしょ」と言うところに現実が物語られている。
男性性と女性性、そして、フェミニズムの問題は先進国アメリカにおいても努力継続中なのだ。日本では赤松良子さんの働きを思い起こさせる。

これについてはアメリカ社会で生きる次女から聞いたことがあるので、今回はさほど驚きはしなかったが、いつの時代も目覚めた女性はあらゆるところで闘っているのだ。

その意味においても私は次女の生き方を注目し応援している。真智が感じる悩みや葛藤は真智だけのものではなく普遍的なものであり、これもまた学問研究に劣らず果敢なる挑戦である。


私は1週間前からユウチューブにはまってしまい、文書なども含めて1日に3〜4時間も夜遅くまで見ていた。ネット中毒になる気持ちがわかった。

歌の分野では両親を思い出して戦中戦後から始まり東京オリンピックマーチ、そして、経済大国になって20世紀末までの懐かしい歌を聞いていたのだが、行き着いた今の日本は放射能汚染とは悲しくて涙が滲んだ。

また、放射能汚染下の食物問題を読み始めると深刻で、原発事故が発生してから1年も経つというのに私は無知すぎた。風評被害は断じていけないが、汚染実態を知る努力なしでは生きられない時代になっていた。

そして、以前から問題意識を持っている国連食糧農業機関(FAO)が指摘している工場式畜産の問題だ。気候変動の最大原因の一つだけではなく、それに関する動物に与えている苦痛。人間の罪深さには絶句する。

これらの現状に打ちのめされ重苦しい気持ちになっていたので、今日の会話は実に楽しかった。今は息を吹き替えしたような気分だ。映画館へは15年に一度行くかどうかの私だが、メリル・ストリープ演じるサッチャーの映画は見に行きたいと思わせる。

彼女が認知症であることを娘さんが公表したのは2008年だった。今ではもう寝たきりになっておられるのだろう。悲しいが、私達も働ける間は精一杯やりたい、サッチャーさんのように。

多忙でストレスフルだった真智子も仕事の区切りを迎えてホッと一息つき、ドライビングスクールに通い始めている。
と言っても送迎つきで家の前まで迎えにきてくれて、そこから即、運転席に座って運転するというから驚きだ。夫婦共に初心者コース1回2時間を休日の朝に頑張っている。また、入居後初めてアパートメント内のジムに行き30分ほど走って汗を流したという。

電話の最後に再びスカイプに切り替えて顔を見ながら「またねー!」と切った。
日本人の精神的象徴である桜。
開花が待ち遠しい。

posted by 優子 at 23:59| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年03月18日

悲しみも苦しみも全てのことに意味がある

ヨハネによる福音書 12章1節〜8節:
12:1過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
12:2イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
12:3その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
12:4弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、
12:5「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。
12:6彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。
12:7イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。
12:8貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが、わたしはいつも共にいるわけではない」。

「給仕する」とはギリシャ語で「ディアコネオ」で、「奉仕、務め、仕える」という言葉と同じである。
また、「ナルドの香油」は埋葬の準備に用いられるものの一つで、1斤(約300グラム)が300デナリとは1年分の賃金に相当し、たった300グラムが300万円もする高価なものである。

私は私にとって「ナルドの香油」とは何だろうと考えさせられた。
今朝の礼拝から牧師のメッセージをお分かちしたい。

マルタの自分でできる最高のものはお料理を作ることであり、マリアは大切にとっていた香油を捧げ、ラザロはイエスさまと食事をしただけだが、それら一つひとつがイエスさまには大切な意味になった。

マリアの塗った香油はずっと香っていたことだろう。マリアのお礼を超えて十字架上で息を引き取られる時までイエスさまを慰めたのではないか。

神さまは時に応じて私達に必要な役目をさせて下さると思う。私達は自分の精一杯のことをやっているのであるが、神さまの計画の中で別の意味をつけ加えて下さるというのがあると思う。

苦難を刺繍の裏側に譬えられるが、過ぎた日々を振り返ると神さまの計画の中に(私を悩ませた)あの人もいたんだなと思う。人生にはすべてのことが意味がある。

それを気づくことができる時に、今の苦しみや暗闇にも意味があり、悲しみの中にもきっと喜びがあると信じることができる。

その時にはわからなくても、そうなると信じていく時に感謝が生まれる。
だから私達は今できる最高のものを捧げたい。教会に仕え、隣人に仕えること。私達の持っているナルドの香油をイエス・キリストに捧げたいと思う。

被災された方々への私達の支援はあまりにも小さく何もできないのではないかと思うが、神さまの計画の中でお役に立てて下さることを信じて感謝します。

これを書きながら一つの讃美が唇を突いて出た。

小さなかごに花をいれ
さびしい人にあげたなら
へやにかおりが満ちあふれ
くらい胸もはれるでしょう

愛のわざは小さくても
神の御手がはたらいて
悩みの多い世の人を
あかるくきよくするでしょう
春の花束.jpg
今週も心をこめて日々の業を誠実に果たしていきたい。神さまは私達のするどんな小さなことをも祝福して尊く用いて下さることであろう。

「主は言われる、
『わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである』」。 
              
                   (エレミヤ書29章11節)

posted by 優子 at 19:12| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2012年03月15日

ワシントンより桜の便りとどく


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これも桜の一種かな? IMFのHQ2の前で今日撮ったよ。
今日のお昼は26度ぐらいあったと思う。色んな種類の花が咲いててすごくきれい!桜もいっぱいあるよ!

まちたちのアパートの前には、ソメイヨシノがあって、その一本は満開に近いです。他の数本はまだほとんど咲いてないけど。明日撮って送るね。

先週の日曜日からデイライトセービングでサマータイムに切り替わったから、一気に日が長くなったような感じで、とても気持ちが明るくなるよ。

この写真は仕事が終わって夕方に撮ったのだろうか。穏やかで暖かい空気が直に伝わってくるようだ。

こちらはまだまだ寒く、今週に入ってからの最高気温も8度〜12度止まりで、最低気温はマイナス2〜3度と真冬並みの寒さだが確かに陽射しは春の光だ。

昨日、ユキはマチ・クマのお手紙(前ページ3月12日掲載のエアーメール)に返信を出した。
以来、昨日は1時間おきに「今頃お手紙はどこ?」と聞かれて困った。「今はまだ大阪中央郵便局かな」・・・そして今朝一番に「今日はもう飛行機に乗ってる?」と聞かれた。
ユキの頭の中では刻々とメール配達便のように追跡をしているのだろう。ワシントンの家に届くのは21日頃になるだろう。

先ほどDVDを見ていたユキが、「おばあちゃん、女の子ってやっぱりかわいいね」と何とも言えない表情で言うので、私は用事の手を止めてユキのそばへ行くと顔だけではなく耳まで真っ赤になっていた。

画面には幾人かのアメリカの子どもたちが歌いながら踊っていて、「ユキちゃんはこの子が好きやねん」と指さした。
すごいなあ、4歳8ヶ月にして恋心を抱くのだ!
私はいろんな思いを感じながらしばらくユキを見つめていた。

私はユキの表情から春をグっと身近に引き寄せられた感じがした。
恋愛感情は私の心にしっくりこないが、春を感じるとハイネの詩が脳裏にうかぶ。
たのしい春がやってきて
いろんな花がひらくとき、
その時わたしの胸からも
愛のおもいが萌えだした。

わたしのあつい涙から
いろんな花が咲いて出る、
そしてわたしのため息は
あのウグイスのうたとなる。

                     ハイネ(生田春月訳)spring.jpg

春はやはり希望だ。
誰にとっても希望の春でありますように!

真智子の春の便りにはみことばも刻まれていた。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」


写真2枚16日に着信!
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桜は満開!
Arlington-20120315-00011.jpg


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2012年03月12日

ワシントンより愛のエアーメール届く


ワシントンから愛のお手紙とどく.jpg

だいすきな ゆきちゃんへ
ゆきちゃん、あめりかには もう はるがきて、ぽかぽかしてきたよ。ゆきちゃんのちゅーりっぷも もうすぐさくかな?むしたちも、いっぱい あそびにくるよ。
まちは ゆきちゃんにもらったおてがみとかれんだーを かいしゃでまいにちみてるよ。ありがとう!
ゆきちゃんも もうすぐようちえん、うれしいな。またあそぼうね!   
                      まちより


ゆきちゃんへ
ふうも、ゆきちゃんがつくってくれた すなめりのえほんとおてがみを かいしゃで いつもよんで、ゆきちゃんのことを おもっているよ。ありがとう!
もうすぐ ようちえんにいくの たのしみだね。どんなようすか、たくさん おはなしきかせてね。いつも おいのりしてくれてありがとう!
まちとふうも、いつもゆきちゃんのこと、おいのりしてるよ。またあそぼうね!   ふうより

真智がアーバンライナープラスを、太志君(ふう)が新幹線を描いてくれたという。こんなに心のこもった愛の手紙を書くには時間がかかったことだろう。3月4日(日)に書いてくれたお手紙は、1週間後の今日、帰宅した知子が郵便受けで見つけて喜びの声をあげて入ってきた。

ありがとう、真智、太志君。
このお手紙は飛行機で運んできてくれたんだよって話すと目をパチクリして聞いていました。
ユキはさっそくお返事を書いています。ユキと一緒にできるだけ早く郵便局へ行って送るね。

9日の記事にさせて頂いた情報、「母国、日本へ IMF日本人スタッフからのメッセージ」”Thinking of Home 〜Japanese staff at the IMF〜 をありがとう! 先ほどIMFのサイト(http://www.imf.org/external/index.htm)を見つけて覗いていました。

日本時間10日(土)の午前11時過ぎ、真智にチャットで声をかけられ、「ブログの記事感動した!ママはビジョンがあるからすごい。それに聡明!」、「すぐに短時間であれだけ書くのはすごいってクマと話していたよ」と言われてすごく嬉しかったです。

そして、フーにも「IMFのビデオの紹介だけにとどまらない、とても内容のある記事で、読んでとても胸に響きました。」とメールで書いてもらって嬉しかったです。ありがとう!
こういうことを載せるのもチャッカリしてるよね。(笑)

今日はユキにとっては幼児教室の最終日で「すだちの会」でした。桜が咲けばいよいよ幼稚園。新しい季節の到来です。私もまた本を読み始めたいなという意欲が芽生えつつあります。
でも幼稚園だから行ったと思ったらアッという間に帰ってくるだろうけれど・・・(>_<)

ユキへのお手紙は私達がいつも目に見えるところにかけました。
これを見るたびにふたりの顔を思い出して励まされることでしょう。ありがとう!

IMFが職場のマチ・クマだけれど、ユキには「かいしゃ」というのがわかりやすいよね。わーい(嬉しい顔)
そちらでは今から12日の活動時間やね。
私は今からお風呂に入るので、このブログをお礼メールに代えてアップしますね。
では今日も元気で会社で良き働きを!(^0^)

まだ蕾みもついていないよ.jpg
こちらは再び真冬の寒さで今日は30分間ほど雪が降りました。(13日23時追記:12日の気温は―0.6度、8.6度)
ベランダのチューリップはまだ蕾さえつけていません。
咲いた!.jpg
8日の記事の球根はクロッカスだった!
昨日教会へ行く前に蕾が少し開いているのを見つけました。


posted by 優子 at 22:28| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年03月11日

3.11を覚える祈り

今朝の礼拝は説教に続いて「3.11を覚える祈り」を捧げた。
その「序詞」と「祈り」より一部抜粋してここに刻んでおきたい。

序詞:
本日は3月11日です。・・・私たちは心を一つにして、被災地の人々と教会に主の慰めと支えを祈り求めると共に、その歩みを支え共に担っている全国の諸教会の働きに主の導きと力づけを祈りましう。

聖書:
詩篇 46章1節〜12節
神はわれらの避け所また力である。
悩める時のいと近き助けである。

このゆえに、たとい地は変り、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。

たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
そのさわぎによって山は震え動くとも、
われらは恐れない。

一つの川がある。
その流れは神の都を喜ばせ、
いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。

神がその中におられるので、都はゆるがない。
神は朝はやく、これを助けられる。

もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、
神がその声を出されると地は溶ける。

万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。

来て、主のみわざを見よ、
主は驚くべきことを地に行われた。

主は地のはてまでも戦いをやめさせ、
弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、
全地にあがめられる」。

万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。

アモス書 9章11節〜15節
その日には、
わたしはダビデの倒れた幕屋を興し、
その破損を繕い、そのくずれた所を興し、
これを昔の時のように建てる。

これは彼らがエドムの残った者、
およびわが名をもって呼ばれるすべての国民を
所有するためである」と
この事をなされる主は言われる。

主は言われる、
「見よ、このような時が来る。
その時には、耕す者は刈る者に相継ぎ、
ぶどうを踏む者は種まく者に相継ぐ。
もろもろの山にはうまい酒がしたたり、
もろもろの丘は溶けて流れる。

わたしはわが民イスラエルの幸福をもとに返す。
彼らは荒れた町々を建てて住み、
ぶどう畑を作ってその酒を飲み、
園を作ってその実を食べる。

わたしは彼らをその地に植えつける。
彼らはわたしが与えた地から
再び抜きとられることはない」と
あなたの神、主は言われる。

祈り:
東日本大震災とその後の原発事故によって、痛み苦しむ地と人々と教会のために祈ります。・・・どうか、あなた(神)の強い御手による導きと慰めを願います。

どうか、この出来事の中で慣れ親しんだ教会を離れることがあったとしても、どうぞその信仰をお支えください。この出来事の中で、同じく傷つきながらも御言葉を語り続ける牧師、教会を支える信徒たちを、あなたが支えてください。

痛みの中にある教会のために、日本と世界の教会が祈り支えています。どうか、それらの教会と信仰者の営みの上に、あなたの恵みがありますように。

また、私たちがこの出来事を忘れず、永く祈り続けてゆくことができますように導いてください。

この震災の中で、被災地の多くの教会が地域のために仕えています。教会というあなたの体を通してそれらのことがなされていることに感謝し、あなたへの信頼を篤くします。・・・

この出来事に際し、「私など何もできない」と自らに憤る方々ために祈ります。あなたは私たちに祈りをお与えくださいました。

どうか、あなたによって祈ることを通し、誰もがどこにいてもこの出来事に直接的に触れ関わり、恵みを分かち合う者とされることを教えてください。
どうか私たちが、今以上にあなたへの信仰と祈りを篤くすることができますように。

この震災による極度の緊張状態の中で、ともに傷つき傷つけあい、多くの人の輪、信頼の輪が崩されました。その中で痛み苦しむ方々のために祈ります。どうか、あなたによる愛と信頼の回復がありますように。

バベルの民のように、何物も意のままに操れると信じ容認してきた原子力。まさに私たちはそのことによって散らされようとしています。どうか私たちに謙虚さを教えてください。

その放射能の恐怖の中にあって、子どもの健康と未来と、その不安の中にある家族のために祈ります。
どうか、あなたの強い守りがありますように。
どうか私たちが、大きな災害に目を向ける中にあって、身近にある出来事にも引き続き目を注いでゆくことができますように。

私たちはあまりにも多くを失った出来事の中で、あなたを知らぬかのように恐れ憤る者であることを告白します。

しかし、あなたは十字架の主として私たちの悲しみと絶望を知っていてくださり、私たちの痛みと苦しみをご自身のものとしてくださいます。それが私たちの慰めです。

私たちはこの出来事の中で、依るべきはあなた以外にないことも知りました。そのようなあなたに感謝し、あなたのみに依り頼み、祈ります。

哀れみと慈しみと慰めの主、イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。


最後に今朝の交読文の最後の一節を私の祈りとして結びたい。

「私たちの手の働きを 私たちのために確かなものとし
 私たちの手の働きを どうか確かなものにしてください」。
             
                       (詩篇 90篇17節)

神が一人ひとりを導き豊かに祝福して下さり、神の栄光が現されますように祈ります。


posted by 優子 at 23:59| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

「3.11」レクイエム ―掲載文「未来の世代への責任」より― 

東日本大震災から1年経った今も34万人が避難しておられ、被災された方々は混乱から抜け出されたでしょうが、より深い絶望に瀕しておられるのではないかと心が痛みます。
被災された方々の上に神の慰めと支えがありますように切にお祈りします。
                 
                 1line-aka2.gif1line-aka2.gif1line-aka2.gif1line-aka2.gif

この文章は東日本大震災から3ヶ月後に書いたもので、昨年末に日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロックから発行された『種を蒔く』に収録したものである。
未来の世代への責任
                       藤本 優子                  
このたびの東日本大震災の死者・行方不明者は2万人を超え、津波は人々が営々として築いてきたものを根こそぎ奪い去った。壊滅した村や町は瓦礫と化し、記録写真で見た戦後の焼け野原のようだった。

そして、福島第一原子力発電所の事故は世界を震え上がらせた。被災していない私たちでさえこの現実が受け入れられず、しばらくの間は毎朝目が覚めれば、あれは悪夢だったに違いない、悪夢であってほしいと願い、テレビをつけてはその現実に呆然とする日々だった。

「フクシマ」が世界の言葉になり、あれから3ヶ月過ぎた。原発では日夜2500名もの人々が命がけで作業をしてくださっているが、未だ深刻な状況から脱していない。日本は「ヒロシマ」と「ナガサキ」を経験した唯一の被爆国なのに、原発事故を起こすとは何という特異な国なのだろう。

先日、カタルーニャ国際賞を授賞した村上春樹氏は、「我々日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。」と授賞式のスピーチで語っておられたが、ヒロシマとナガサキはずっと叫び続けていたのである。
しかし、被爆国の当事者であるにも関わらず、多くの人々が傍観していたために悲惨な体験を生かすことができなかったのだ。私も例外ではない。

日本は戦後10年に原子力基本法を成立させ、いつのまにか世界第3位の原発保有国になっていた。私はそんなことさえ知らなかった自らの無関心さを恥ずかしく思う。
せめて今からでも主体的に考え、同時代に生きる人間としての責務を果たしたいと願う。その責務とは、批判に臆することなく「原発反対」の声を上げることだ。

今や人間は核爆発で地球を破壊するほどの力を持ってしまった。そもそも地球上に存在しない物質を作り出し、それを廃棄することもできず脅威にさらされている私たちの姿は、あまりに深刻すぎてブラックユーモアにもならない。

青森六ヶ所村の原発再処理工場で大事故が起これば、北半球で人は生きていけなくなってしまうという。この現実にありながら今も、「反原発は集団ヒステリーだ」と公言する政治家もいるのである。

原爆の地獄を経験した日本は、日本独自の道を歩むべきだった。人は間違いを犯しやすいが、間違いに気がつけばそれを認めて方向転換することだ。これまでの政策批判だけではなく、私たちもまた連帯的に責任を負わねばならない。

即ち、今より傍観的態度と決別し、自分の問題として考えることだ。日本の未来はもとより、世界の未来は今の大人たちに託されているのであり、私たちは未来の世代への責任を負うている。

一人ひとりがヒロシマとナガサキの人々に連なって、被爆国日本のメッセージ伝えねばならない。子や孫に、日本のために、世界のために、全ては神のために果たしていきたい。

原発事故はどうしようもないほど膨大な仕事と保障問題を生み出した。仮にそれが十分になされたところでかつての日々は戻ってこない。そして放射能を封じ込めるために、福島原発ではこれから何世代にもわたって気の遠くなるような長い年月を石棺で覆い続けなければならないのである。チェルノブイリのように。

この狭い日本で原発を再稼働させて再びこのような事故が起こった時には、日本は間違いなく滅亡への道を辿ることになるであろう。ストレステストがどうのこうのの問題ではない。
どこまで彼らは傲慢なのであろうか!
反対する私達と価値観が違うのだ。

再稼働を決定しようとしている政治家たちの多くは私達の世代だから、早かれ遅かれ10年20年後にこの世を去っていくからいいだろうが、子や孫に対してあまりにも非道ではないだろうか。彼らを見ていると一つの聖句が浮かぶ。

「何度も神に救い出していただいたにも関わらず、彼らは決して学ぶことはなかった。そして、ついに彼らは自らの罪のために滅んでしまった。」(Msg訳聖書・詩篇106篇43節)

私もそのような道を辿るであろう人を何人か見てきたが、事は一人の人生に終わらず日本の行く末にかかっているのである。同じ過ちを繰り返さないように私達も今こそ脱原発を叫ぼう。

最後に、世界に深い感銘を与えた演説『荒れ野の40年』から一節を刻みたい。これはドイツの降伏後40周年にあたる1985年5月8日のドイツ連邦議会で、かのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーが発したあまりにも有名な演説である。

「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。あとになって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。
しかし、過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります
。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」。


大人たちよ 目覚めよ!
現実を直視して脱原発実現のために子々孫々への責任を果たそう。


posted by 優子 at 08:30| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年03月10日

「3.11」から1年を振り返る

東日本大震災から明日で1年を迎え、今週は連日各局のテレビやラジオで特集番組が組まれている。
2012年3月8日現在の報告によれば、死者15,854名、行方不明者3,203名もの人が犠牲になられた。

家や財産を無くし、家族まで亡くし、自分ひとりだけ生き残った人もおられる。それでも生きていかねばならないのか。私ならば耐えていけない。そんなこと誰だって耐えられない。あの人たちはそれを耐えておられるのだ!
自問自答しながら言葉なく映像を見つめるばかりである。

その上に福島第一原子力発電所の事故である。これまでの生活を一変させ、自然や大地は取り返しのつかない状況になってしまった。

小学校低学年の頃だったと思うが、「今の雨に濡れると放射能で髪の毛が抜けるから濡れないように」と母に言われ、緊張しながら雨の道を歩いたことを覚えている。
友達も傘から頭が出ないように歩いた光景も感覚も全て鮮明に記憶しているが、あの時中国かソ連で核実験でもあったのだろうか理由は覚えていない。

チェルノブイリの事故が起こった時、放射能の大気が偏西風に乗って日本に到達すると聞いて、私は娘たちのために保存できるスキムミルクを買いに走った。物理学で学んだ牛乳や魚など食物連鎖の記憶が脳裏をよぎったからだ。

チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日未明に起こり、人々はその日のうちに何が起こったのかを知ったが、多くの人は買い物に出かけたり公園で遊んだり普段と同じように過ごしていた。
そして、原発周辺30km圏内の人々の強制避難決定は事故から1週間後のことであった!

私は放射能の危険について国民に何も知らせない旧ソ連は怖い国だと思った。住民もまたキュリー夫人の時代ではあるまいに、放射能に対してそんな知識さえないのかと驚いたものだが、私は今それと同じことを自分や日本政府に感じている。

つまり国への信頼は大きく崩れ旧ソ連よりもひどいではないかと恐れを感じる。そして、私もまた何と無知なのかと思い知らされる日々である。


福島原発事故当初、放射能に汚染された人が「除染する」ためにと自衛隊のテント内に入っていかれたが、どんな薬剤でどのようにして身体を洗っているんだろうと思っていたし、着ていた服は放射能がついて汚染しているからと袋に入れるのを見て、そういうことなんだと理解するなどあまりにも無知であった。

35歳という年齢でチェルノブイリ事故を知ったのに、私もまた何も学習していなかったし、全くのよそ事であった。世界中を汚染したことは理解しているのにである。何よりも自分の問題としてなど全く考えていなかったのである。

そして思うことは、正しい情報を得るためには自ら時間を割かなければならない時代であるということだ。情報時代と逆行することであるが何事も受身ではいけない。

本来メディアは権力の見張り番であり戦後民主主義社会になって久しい今も、報道される情報を唯々諾々と鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考えて納得し信頼できるものを得る努力が必要だ。

今まで以上に生き方一つひとつを自分の責任で選び取っていかねばならず、孫の教育についてもしみじみと考えさせられる日々である。


事故後まもなく東京では計画停電が実施され、不便な生活をしておられる友人を想ってお見舞いメールを送った。鈍い私は友のメールで東京23区は計画停電を除外されていることを知った。
昨年3月22日にやり取りしたメールも当時の貴重な記録である。

「計画停電はかなり厳しいです。しかし、東京23区はありません。日本の中枢ですから電気を止めたら会社も官庁もいっさいの業務や情報網がストップし、混乱し、日本中に被害が及びます。それで23区だけはありません。
私のところも停電はしませんが、そのかわり、JRも私鉄も間引き運転、また各商業施設も6時で閉店など、まるで50年くらい前の暗さです」。


東日本大震災は被災地から遠く離れた幼い子供にも記憶させた。

「イエスさま、また地震が起こりました。津波が来ました。いっぱい流されました。助けてください」。
発災後2ヶ月間ほどユキは毎日毎日このように祈っていた。
そして、
「水(津波)を止めてください。水に流されませんように・・・仮設に住んでいる人が自分のおうちに帰れますように。そして、福島第一原発を止めてください」。
これが3月に入ってからのユキの祈りになっている。
これはこれから大きくなっていく子供たちにも負わされた日本人の十字架である。


小出裕章氏は書いておられる、
「ことがこうなってしまった限りは、日本人としてそれを受け入れるしかない」と。
そういうことなんだと納得した。

附記:先ほどJCP(日本クリスチャンペンクラブ)のHPが更新されたとのメールが入った。
昨年は3月11日当日の12時37分に更新のお知らせが届き、その2時間後にあの大患難が襲ったのである。その後初めて繋がったメールで「地震の前に更新できてよかったです」と書かれた返信を読んで、私は黙祷をささげたのだった。
これは先ほど届いたものだ。
主の御名をあがめます。
今日は土浦では冷たい雨が降っています。
ひと雨ごとに春らしくなっていくのが感じられ、春の光に希望を見つけました。
皆さまお元気でしょうか。
今日、JCPのホームページを更新しました。http://jcp.daa.jp/をぜひご覧ください。

関西も昨日は冷たい雨の一日だった。
春の光も神さまからのプレゼント。主に希望を繋いで進んでいきたい!

「お気に入り」に「日本クリスチャン・ペンクラブ」がありますので、時々ご覧くだされば感謝です!

posted by 優子 at 11:57| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年03月09日

「母国、日本へ IMF日本人スタッフからのメッセージ」

先ほどフーから、YoutubeのIMF公式チャンネルに上げられているリンク先を紹介してくれるメールが届いた。
(これは)IMFの日本人スタッフが、昨年の東日本大震災の発生当時を振り返り、またこの秋に日本で執り行われるIMFと世界銀行の年次総会に向けて、メッセージを語っています。

3月11日からもうすぐ一年になるので、その前に公開できるようにしたそうです。皆さん、心から話されている感じで、見て励まされたので、お義母さんにもシェアしたいと思いました。

日本での年次総会に向けてのヒアリングに参加したのですが、開催委員たちは3.11を主眼に置いていると思います。

またラガルドさんは、色々な国を訪問するときに、その国の女性リーダーと会見する、ということを企画されるそうで、日本でも誰かを探しているようです。

日本での年次総会が、いろいろと良い方向に働くといいですね。

では、「母国、日本へ IMF日本人スタッフからのメッセージ」”Thinking of Home 〜Japanese staff at the IMF〜 ”をご覧下さい!
http://www.youtube.com/watch?v=YjiQ1f4gNhA

尚、「IMF世界銀行年次総会」とは:
国際通貨基金(IMF)と世界銀行、それぞれの最高意思決定機関である総務会が、毎年秋に合同で開催する会議です。

総会は3年に1度、IMFと世銀の所在地であるワシントン以外で開催することが通例となっています。日本での開催は1964年以来2度目、また2012年は日本がIMF・世銀に加盟して60年目の節目にあたります。

日本が再びIMF世界銀行総会の開催地として立候補したのは、もう一度「再出発」を実現したい、という想いからでした。

大震災から力強く復興するこの国の姿を、世界のみなさまに見ていただくために。日本独自の高い技術やサービス、効率を追求した会議運営を通じて日本経済の底力を肌で感じてもらうために。

そして、助け合いや団結する大切さを誰よりも知る日本で、世界各国が絆を強め、ひとつになって世界経済の不透明な状況を払拭するために。

2012年10月、日本、そして世界経済の希望ある「再出発」を、東京から。

(主催国公式ホームページ http://www.imf-wb.2012tokyo.mof.go.jp/より)

ついでながら、2011年11月14日の『クローズアップ現代』に出演したラガルドさんが、世界金融危機について語られたことを記録しておきたい。
各国が内政問題を最優先していると責めることはなかなかできません。危機に際して内向きになることはよくあるからです。しかし、こうした態度に対しIMFや国際機関は戦わなくてはなりません。各国が自国の問題にばかりとらわれている間は根本的な問題解決ができないからです。

長期的に見れば保護主義や内向化、自己中心的な政策は必ず悪い結果へとつながります。
私たちが1930年代に経験したことを思い出してください。経済は一時グローバル化していましたが、その後世界恐慌が起こるとすぐさま、各国は世界への扉を閉ざし自国の周りに壁を立て保護主義へと走りました。協調と協力は失われてしまったのです。

その後、戦争へ突入するという悲劇的な結果を招いてしまいました。ですから、このことを教訓にIMFは最悪の事態を避けるため各国に協調を呼びかけることが役割なのです。

各国が協調して正しい政策を選択すれば、参加者全員に利益がもたらされるということがIMFの研究を通して明らかになっています。

試算によれば、各国がばらばらに行動したときに比べ、協調して正しい政策をとった場合GDPがおよそ2%高くなるという結果が出ています。

このことによって、何百万という新しい雇用が生まれるわけです。ですから、このような取り組みを始めていかなくてはいけません。短期的に見れば苦痛を伴う難しい選択だとしても長期的な利益を見るべきです。

ヴィクトル・ユーゴーは次のようなことばも残しています。

「生き残るためにはたたかわなくてはならない」。

私たちがまさに直面しているのは孤立主義、迎合主義、保護主義との戦いです。
それらは一見、魅力的な政策に映るかもしれませんが、決して世界を、そちらの方向に向かわせてはいけないのです。

孤立主義、迎合主義、保護主義が良くないことは金融危機時にだけではなく、人生における全ての領域にも一脈通じるものがある。

例えば夫婦問題であれ親子問題であれ、自治会のことも、会社のことも全てそうだ。
常に互いに自らを振り返りつつ両者が共に改善努力することなしには希望の光はさしてこないだろう。とても難易度の高いものだけれど人生の営みはその繰り返しではなかろうか。

そして大切なことは、私達は何と闘い、何と闘ってはいけないのかを見極め、闘わねばならない時には、激流をかきわけて前へと漕ぎ出す気力を奮い立たせたいものである。加えてリーダーシップを担う者は主導していく責任と自負が必要だ。

今秋10月に日本で開催される年次総会が、日本だけではなく世界にとっても意義深いものになるように神の祝福を祈ろう。
「3.11」で大きな痛手を負った日本が、世界から示された愛の行為に支えられてきたことを忘れないで、絶望しないで歩み続けたい。
その歩みが報われるためにも為政者たちに神の導きが成就するように祈り続けよう。

海外で生活している人は、自国にいるとき以上に母国への想いが募るであろう。

日本を何に喩えよう。
日本は親のようであり、悲惨な子どものようでもある。
子が親を心配するように国難にある母国を思って胸が痛み、愚かな為政者たちは愛なき親のようで日本は苦悩の日々を生きねばならない。
私は「3.11」後の政府の在り方からいつもこのように感じてしまう。

とにかく原発を再稼働させてはならない。まず脱原発と心を一つにしてこそ頑張れるのである。為政者たちが道を誤らないように国民は声を上げよう。彼らはこんなことになっていても懲りないのである。

目先のことではなく、大きな痛みがあろうとも将来のために方向を変えなくてはならない。何を置いても優先順位は明白である。


posted by 優子 at 13:56| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年03月08日

春を見つけた!

今日はユキとのゆったりとした今までと変わらない日常を書こうとしているのだが、東日本大震災から1年を前にしてそのような記事を記すことに躊躇する。

しかし、将来ユキがこの記事を読んだ時に、これは「3.11」から1年後のことであることを理解するだろうし、その時に日本が今よりも混迷を深めていることがないようにと祈りつつ書かせて頂きたいと思う。

国は福島の子供たちを今尚危険の中に放置したままで、未だ4号機の恐怖も去ってはいないのに原発再稼働の狼煙(のろし)を上げており、これは日本人の特徴なのか人類の普遍的なものなのか考え続けている。「3.11」についての思いは次のページに書きたい。

未来のユキへ:

ユキの記事はいつも私の脳裡に刻むような思いで書いています。そして、ママ(知子)とユキへの贈り物のつもりで書いています。

ブログというのは私が削除しないかぎり消えないものだと思っているのですが、どうなんでしょうね。私は書き上げたものを「天に宝を積む」ような気持ちで空高く上げるのです。

では今日の記事を書いておくね。
今のユキはまもなく4歳8ヶ月で、来月11日は幼稚園の入園式です。ユキと朝の散歩をするのも残り少なくなってきたので、昨日と今日は私にとっても懐かしい散歩道を歩きました。
楽しかった時間を今日も刻みます。

6日の朝は土砂降りの雨だったのに午後は17.8度の陽気になった。私は腰が痛いので10分が限界だったが、久しぶりに庭の手入れを楽しんだ。するとこんな花のつぼみを見つけた。
春の挨拶.jpg

春を見つけた!

これはお隣に新しい家が建った時、外構の仕事をしている植木屋さんが工事中にお世話になったからと幾つかのサツキと共に下さったものだ。もう7〜8年も前のことになると思う。

日当たりの悪い粘土質な地だから球根を植えてから初めて見る蕾だ。どんな花が咲くのか楽しみだ。

昨朝と今朝は久々に遠くまで散歩に出かけた。3日に知子がユキと歩いた道の半コースだ。その途中に私の大好きなスポットがある。その場所を撮っておきたくて今日はカメラを持って出かけた。

小さな踏切りのそばに手入れの行き届いた小さな畑があり、私にとっては桃源郷のような場所だ。お許しを得て撮らせて頂いた。

私の桃源郷.jpg私の桃源郷
梅の花はようやく咲き始めたばかり。

ユキはここで何台も電車が通過するのを見る。ここは幼かったユキとの懐かしい思い出の場所、ユキの原風景としても生涯心に残る景色だと思う。

今日は幸運にも到着早々にアーバンライナーが通過した。残念ながら「お顔」(ユキが言う先頭車両のこと)を撮りそこねた。

アーバンライナー!.jpg

この真剣な顔!.jpg

この真剣な顔!電車が見えなくなるまで敬礼している。
小さな踏切りで.jpg

小さな踏切りの真ん中。ユキの右後ろに平和の畑がある。

撮影者はユキ!.jpg

撮影者はユキ。
チャッピーも私と同じ60歳くらいだ。

昨日、「こんな子がいたらいいねえ。かわいいねえ」とユキの頭を撫でて下さった老婦人が、今日も薬の袋を持って踏切を渡ってこられた。

外でチャッピーの綱を持たせるのは今日が初めてのこと。今はまだユキよりもチャックンの方が力は強い。ユキ、綱を離さないでよ! 

ユキ、しっかり綱を持ってよ!.jpg

ユキは上機嫌。
ユキ、大きくなったね。.jpg

私の心身の状態がユキの精神にも連動する。
この日は体調が良かったので歩きながら歌を歌い小躍りし、
ミュージカルでも演じているように楽しんだ。

ユキ、大きくなったねA.jpg

そして、散歩から帰って来たらいつものように大ばあちゃんと遊ぶ。いつも大ばあちゃんを外へ連れ出すので、ユキは大ばあちゃんの心身の健康にも貢献していることだろう。義母は今月89歳になる。
神戸の叔母にユキと触れ合わせてあげられなくて胸が痛む。

89歳の大ばあちゃんと.jpg

同じ敷地内(独立した2世帯住宅)だからいつも一緒ということもあるだろうが、ユキは幼かった時の知子と真智子よりもはるかに親しんでいる。娘たちは子供ながらも藤本の祖母に遠慮がちだった。

それに比べて、「大ばあちゃん!ちょっと待って!こっちへ来て!」といつもユキの賑やかな声が聞こえてくる。そんな声を聞きながら私は1階の掃除をする。

知子の勤務が始って1年半、このような午前中の過ごし方もあと1ヶ月。ユキもまもなく新生活が始まる。今となっては私も淋しい。

今日は薄手の防寒着を着たのに帰りは汗ばむほどだった(最高気温14.4度)が、天気予報では明日からまた真冬並みの寒さに戻り14日あたりから春めいてくるらしい。私には高血圧注意報でもある。


附記:
昨日は自治会長さんが再度本気で自治会役員の依頼にこられて困った。この時は指名委員会の最中だったようだ。

この自治会には240〜250軒はあるだろうに、私は副会長を退いてまだ2年しか経っていないのに・・とは言わなかったが、何度事情をお話しても諦めて下さらない。

最後にこれならば説得力があるかと思って、教会のお役を頂いているがそれも休みがちでと言ったところ、「でも役を受けてはるんやからこちらも受けてほしい。教会も大事やけれど自治会も大事やで」ふらふらと言われて詫びるしかなかった。

「おばあちゃん、どうして何度も謝っていたの?」と、あとでユキに聞かれて説明したのだが、自治会関係で対立する意見を両者からお聴きしているので、両者の良いところを生かしてより良い方向へ進めることにチャレンジしたい気持ちもある。

何よりも地域や社会と関わりつつ福音を伝えていくのが私のポリシーでもあるだけに心苦しかったが、とにかく今は体力に自信がない。

それに昨年度からクリスチャン・ペンクラブ関西ブロックの重責を担っており、4月からはもっと真剣に関与していかねばならないこともありお断りするしかなかった。

それだけに地域のことで労して下さる方々には感謝の念が強まるばかりである。
 
posted by 優子 at 15:54| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年03月05日

原発事故と水俣病の共通点、繰り返される人間の愚行

私の世代ならばアメリカの写真家、ユージン・スミス(William Eugene Smith、1918年12月30日 - 1978年10月15日)の名前をよくご存知だと思う。
戦争写真家であり、何よりも水俣病の悲劇を世界に知らしめた人である。今も私の脳裡に彼の写真が何枚も記憶されている。

スミスと結婚したアイリーン・美緒子さんは私より1歳年上の方で、30年も前から反原発のNGO「グリーン・アクション」代表として活動されていることを知った。

原発事故関係の記事の中で、悲惨な訴えが直に聞こえてくるようなアイリーンさんの記事に目が止まった。

折しも石牟礼(いしむれ)道子さんの『苦海(くがい)浄土 わが水俣病』の一字一句を丁寧に読みたくて発注したところだっただけに、被害者の叫びを代弁する2人の声が共鳴し合って私の心を大きく揺さぶった。

以下はアイリーン・スミスさんの言葉である。
「福島第1原発事故は水俣病と似ている。共通する責任逃れ、曖昧な情報流し、繰り返してほしくない被害者の対立。原発事故と水俣病との共通点は国の無策ではなく『不公平』の3文字だった」。

 ■水俣と福島に共通する10の手口■
 
 1、誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する

 2、被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む

 3、被害者同士を対立させる

 4、データを取らない/証拠を残さない

 5、ひたすら時間稼ぎをする

 6、被害を過小評価するような調査をする

 7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる

 8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む

 9、海外に情報を発信しない

10、御用学者を呼び、国際会議を開く 


アイリーンさんが最も胸を痛めているのは、被害者の間に亀裂が広がりつつあることだ。
「事故直後、家族を避難させるため、一時的に職場を休んだ福島県の学校の先生は、同僚から『ひきょう者』『逃げるのか』と非難され、机を蹴られたそうです。みんな不安なんです。だから『一緒に頑張ろう』と思うあまり、福島を離れる相手が許せなくなる」。

福島の人々の姿に、水俣で見た光景が重なる。和解か裁判闘争か。「水俣の被害者もいくつもに分断され、傷つけ合わざるをえない状況に追い込まれました。傷は50年たった今も癒えていません」。

だから福島の人たちに伝えたい。
「逃げるのか逃げないのか。逃げられるのか逃げられないのか。街に、職場に、家族の中にすら、対立が生まれています。でも、考えて。そもそも被害者を分断したのは国と東電なのです。被害者の対立で得をするのは誰?」

悲惨な事故にもうひとつの地獄が重なる。このようなことは人類史が続く限り繰り返される愚行なのであろう。サリドマイド薬害裁判に労された鳩飼きい子さんが話しておられたこととも重なる。

アイリーン・スミスさんは言う。
「被害者の苦しみは、その立場に立たない限り分からない。分かっていないことを自覚しながら、被害者と向かい合い、発言するのは怖いです」。


この告白こそが長い年月被害者のために労している人の姿勢だと思う。私はここにアイリーン・スミスという人間の全体像を見、どのような働きをされているかが想像できるのである。

posted by 優子 at 22:25| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年03月04日

人生を導かれる神

昨日は午前と午後に大切な来客があり教会の委員会を欠席した。知子は話の邪魔にならないようにとユキを長い散歩に連れ出してくれた。
知子は2010年の春先から何度もユキと歩いたコースを辿ったそうだ。私も何度か一緒に歩いた。大人の歩数で6000歩の道のりだが、あの頃まだ2歳半すぎたばかりのユキだったが平気で歩いていた。

1歳8ヶ月まで住んでいた生駒のケーブルを今も覚えているというから、きっとその道も覚えていると思っていたが忘れていたという。しかし、ところどころの風景を思い出したそうだ。

昨日もまた通過する電車に直立不動で真剣な表情で敬礼していたユキ。知子の心身がボロボロだった頃に歩いていた場所で、「そんな大きくなったユキを見て涙が溢れてきて」と知子は言った。

来客と共に昼食を摂り、ユキが食前のお祈りをしてくれた。
「イエスさま、今日はママとお散歩に行けたことを感謝します。ユキちゃんが電車を見ている時も、おばちゃんとおばあちゃんとおじいちゃんがお話できたことを感謝します。・・・」

祈り終わった時、客は仰天して言った。「お祈りの前に言い方を教えたの?」と。
勿論、そんなことは誰も一言も教えてはいない。私達はいつもこのようにユキのお祈りで心を穏やかにされ癒されている。

さて今朝の礼拝は、「ヨハネによる福音書」9章35節〜41節のみことばから「見えるようになる」と題して説教された。生まれつきの盲人がイエスによって見えるようにされた話であり、「続きを読む」に9章全体を掲載しているので是非お読み下さい。

この箇所は、生まれつきの盲人がイエス・キリストにより見えるようになる奇跡が記されてあり、信じない者が信じる者になる奇跡である。「パリサイ」という言葉は「分離」の意味で、汚れた事柄や人々から自らを分離した。

私は今朝のメッセージを「物事が見えない人が見えるようになる」という視点で興味深く聞き入った。ここ半月ほどの間、この関連で考えさせられる出来事をいくつかの場面で経験しているからだ。
見えることは気づくこと、発見することである。
今の映像は平面上から奥行のある「3D」の世界だが、今から50年以上前はこんなものがあった。それは無数の点々が描いてあり、寄り目にしたり遠くに見たりすることで点々が動物に見えたり山(?)に見えたりした。

人生の出来事が点のようなものであるならば、信仰の視点は神の目から見る立体的な見方であり、その視点から見た時に神さまのご意思、配慮がわかる。

良いこと悪いことについてもそれらを立体的に見ることができるようになった時に、神のご意思や見守りを感じることができるようになり、信仰の視点で奥行の愛を見えるようになる。

ところが、パリサイ人たちは癒された者の溢れ出る喜びを見ようとしなかった。

イエス・キリストが私達の心へ来てくださって、私達の人生を導き養って下さっていることを知ることができるようになった。
時が至れば見えるようになるのを信じて進んでいきたい。そして、神の愛の視点を忘れずに今週も歩みたい。

家庭や社会の日常生活においても物事を客観的に見ようとする心を養わないと本質は見えてこず、疑いや先入観を取り去って素直な心でないと見えるものが見えない。

そう言えば、英語の"see"は、「見る、見える」という意味だけではなく、"I see."(分かる)と使うではないか!
感動!!!


パリサイ派の人々が目が開かれた人に、見えるようにしたのは誰だと尋ねるあたりを読んでみたい。
9:24そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」。
9:25すると彼は言った、「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲であったが、今は見えるということです」。
9:26そこで彼らは言った、「その人はおまえに何をしたのか。どんなにしておまえの目をあけたのか」。
9:27彼は答えた、「そのことはもう話してあげたのに、聞いてくれませんでした。なぜまた聞こうとするのですか。あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか」。

目が開かれた盲人は経験した事実について堂々として一歩も譲らずに語るところと、パリサイ派の人々は自分たちに必要な都合のいいことしか聞く耳を持たないところに注目したい。

こういうことは誰にでもあることだから常に心せねばならない。そして、議論すると自分もまた見えなくなってしまう迷妄に陥らないとは限らないから、不毛な議論は避けるのが賢明だ。

「論議しても何の解決にはならないから、ただ自分の経験を話すのみである」という女性牧師のメッセージは、今の私に絶妙のタイミングとして耳に届いた。神の導きを感じないではいられない。
とにかく主イエスから目を離さないことだ。


礼拝で読まれた招詞と聖餐式で讃美した讃美歌78番の一節が心に響く。

「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神は侮られることはない」。

「我が主よ、主のほかには助けも望みもなし。
ただ主こそ我が力、祈りつつ求めゆかん(※恐れなく進みゆかん)」。


来週の受難節第3主日礼拝は、東日本大震災からちょうど1年にあたり「3.11を憶える礼拝」でもある。厳粛な思いである。

附記@:先週の礼拝後に開催された教会総会で新役員2名が選ばれ、私は次点者に選ばれた。

附記A:今日の昼食は久々にユキの大好きな「マクド」で、私が祈った。そして、今夜の食前のお祈りは「ユキちゃんがするー!!!」と自ら名のり出て、御臨在豊かなるお祈りを捧げた。

そして、「いただきま〜〜〜す」とお箸を持った時、
「あっ、2つお祈りするのを忘れたことがある!!」と「待った!」がかかった。良輔はすでに一口食べていたがお箸を置いて中断。(笑)

そして、ユキは続けた。
「イエスさま、目の見えない宇野さんと食べ物のない人をお守りください。
ほんで(そして)、遠くにいるマチとフーを元気にしてください。
このお祈りをイエスさまのお名前によって御前におささげします。アーメン。」


これを読んだ真智とフーの笑う顔が見えるようだ。

こんな光の子ユキだが片づけができなくて毎日毎日ママに怒られている。勿論、私からも注意の連発だ。ちっ(怒った顔)
今も知子が、「片づけられないのはユキの特徴やね」と呆れながら片づけている。ヤンチャだった真智子でもこんなことは全くなかった!

では今週も、真智のモットーとする「いつもイエス様と一緒!」を口ずさみながら主に在って歩もう!

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posted by 優子 at 22:10| 馬見労祷教会関係 | 更新情報をチェックする

2012年03月02日

ユキの心

昨年6月から始まった月1回の未就園児交流も昨日が最終回だった。その間に行ってやれないことが2度あった。

昨年7月の交流会当日朝に結膜下出血になっていた時は、真智子夫婦が帰国していたので娘婿がユキを連れて行ってくれた。私は真智子に伴ってもらって一足先に家を出て眼科と内科を受診した。

そして、先月初めに再び結膜下出血を起こし、このたびは半月以上も体調不調が続いたので行ってやれなかった。

昨日は8名のボランティアの方々による紙芝居(笠地蔵)と人形劇(愚か村)を在園児と共に鑑賞し、「ひな祭り」の歌を歌って、最後にカルピスをいただいた。

「ユキの家にもお雛さんがあるよ」と、知子の初節句の写真を見せてやった。
父から藤本の父に宛てた大きな箱が今も倉庫にある。当地に引っ越してきた頃は一度開けようと思っていたが、出し入れの動作を思うと手が出ず、早13年も経ってしまった。

知子の初節句.jpg

この時、知子は3ヶ月半で私は26歳、父は53歳だと思う。

その半月後の「お食べぞめ」は、藤本の両親の代わりに実家の両親が祝ってくれた。
知子のお食べ初め.jpg

歯が強くなるようにと知子はタコの足をしゃぶっている。

昨年の夏、ユキのお友達のお母さんも何人か第2子を出産されベビーラッシュだった。私は知子とユキのことを思って少々心の痛みを感じた。そして、真智子が生まれた時のことを思い出していた。
真智子の初節句.jpg
真智子の初節句。知子と真智子の年の差は2歳半。
母はいつも大きなケーキを買ってきてくれた。これは2段重ねだ。私は29歳、母は56歳で父は57歳の頃だ。
 
さて、夏に生まれた赤ちゃんたちも今ではハイハイできるようになり、ユキは羨ましく見ていたようだ。先月23日は知子(ママ)が不在だったからだろうか、こんなことを言って泣いた。

「ユキも兄弟がほしい。電車の好きな男の子がほしい。げんちゃんはいいいな、弟がいるから。ユキはひとりぼっち。

うた歌う子(大叔母にもらったオルゴール)がいるけれど、『2才よ』って言ってもいつまでたっても大きくならない、お人形だから。ユキはひとりぼっち・・・オルゴール人形はネンネ.jpg
ママはどんなときにユキが生まれたん?」


鋭い質問だと思った。勿論、生物学的なことを聞いているのではない。それゆえに私は言葉が詰まった。自分はこれからもずっと一人っ子であるというのも理解しているのだ。
そのうちにしゃくり上げて号泣しながら言った。

「おばあちゃんが死んだらどこへ行くの?
 ユキはひとりぼっちになってしまうの?
 ママは?・・・・」


「ひとりぼっちになんかならないよ」と、ただただユキを抱きしめていた。そして、ユキは眠ってしまった。
私は「ひとりぼっち」という言葉が気になった。文字にはしたくないが意味があるのだと察している。

知子が出張で不在中は私のベッドで一緒に寝たので狭くて、特に一日目は熟睡できなかったが、2日目、3日目は夜が楽しみになったほどだ。

最後に最近の私とユキの会話より:
「おばあちゃんとママは親子で、ユキとママも親子」
「違う!ユキとママだけが親子で、おばあちゃんもマチも入れたげへん!」

ユキはママが大好き!ママはユキだけのママやね!

入園当初は新しい環境に慣れるまで疲れるだろうが、きっと楽しい日々になるだろう。目をキラキラさせて毎日幼稚園の生活を話してくれる姿が今から見えるようだ。

私もユキの発達のために入園を首を長くして待っている。
人は一人では生きていけない。みんな仲間の中で成長していくのだ。
山の上の小さな幼稚園。
桜が咲いたらユキはいよいよ幼稚園!
「おめでとう」の春がやってくる。

posted by 優子 at 22:52| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする