2012年04月30日

神によるくすしき出会い ―神の家族、宇治大久保伝道所― 

昨日は日本キリスト教団・宇治大久保伝道所(教会)で礼拝を守った。この伝道所を牧会しておられる熊本絹江牧師は知子の敬愛してやまない牧師である。

師との出会いは2010年8月下旬に同志社大学で開催された2泊3日のキリスト教音楽講習会だった。その時の知子のレッスンメンバーが熊本牧師とオルガニストでありピアニストのY姉だった。

知子はこのお二人との出会いを通して大きな影響を受けた。知子の信仰から信仰への歩みを見ていると出会いの意味の重さを感じる。熊本牧師は私たちのことを祈ってくださっているお1人である。

昨日の午後にY姉も歌の指導に来られる予定だったが、急きょ変更になってお目にかかることができなかったが、知子にリードオルガンの操作を教えて下さるために馬見労祷教会にも一度来てくださったことがある。

昨年、知子が初めて宇治大久保伝道所をお訪ねした時に、私が所属しているクリスチャンペンクラブの同志が在籍されていることがわかり、神の不思議な御手を感じずにはいられなかった。Ho兄の笑いは主の御臨在を感じさせた。

週報に次のように私たちのことを刻んでくださっていた。
「本日は『馬見労祷教会』の会員藤本知子姉のご家族が礼拝に出席されます。午後からY姉も来られ、ご家族を囲んで交わりの時を持ちます」。

ユキのためにカードとお菓子も用意してくださっていた。感謝!

熊本先生に感謝!.jpg

昨朝のメッセージは「ヨハネによる福音書 21章15節から25節」より、神さまは弟子たち一人ひとりに独自のご計画を持っておられたことを教えていただいた。

「ヨハネはキリストの神学を立ち上げ、ペテロはエルサレム教会を導き、パウロは異邦人伝道で教会を造り上げた。神さまは私たち一人ひとりにも期待しておられることがあろうと思う。

人それぞれ賜物は違い、召された時も重荷も違う。しかし、そこに神の秘められた計画があることを信じ、神に問いつつ御心に叶う生き方をしたい。

私たちは神がそこにいらっしゃるのに撥ね付けようとし、呼び求めることさえ忘れていることも多いが、神に祈ろうと向き直ると必ず助けがくる。私たちも神に従って行く者となさしめて下さいますように」。


礼拝のあと祈祷会に移り、その後、昼食を頂きながら恵まれた交わりの時を過ごして2時頃教会をあとにした。

今も牧師の言葉が強く心に迫ってくる。

「プロテスタントでは天国の鍵を授けられたのは教会の一人ひとりであり、身近なところでは、家族、親族、同僚、地域の人々に親切の限りを尽くすのが、天国の鍵を託された者の使命である」。

「親切の限りを尽くす・・・天国の鍵を託された者の使命」
私も主に喜んでいただけるように今また心新たに励みたいと思う。そして、熊本牧師のこと、伝道所の皆さんのことを祈り続けよう。昨日は感謝の一日であり、もう一つの感謝は「附記」に記した。

2012.4.27.jpg

これは4月27日の我が家のチューリップだ。
今まさに使命を終えようとしているチューリップは、春の陽射しの中で一段と輝き有終の美を飾っていた。
今日はもう紫色の数本がかろうじて花びらを保っているだけだ。私も自分の花を精一杯咲かせたい。神さまの恵みの中で。


附記:家に帰る道すがらスーパーに立ち寄ったトイレでようやく石が出た!結石の石である。私ではない。夫だ。このことはページを改めて書こうと思う。
また、この夜は101歳で帰天された方の前夜式(お通夜)があり、知子は馬見労祷教会へ馳せ参じた。

posted by 優子 at 16:01| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年04月28日

初めての家庭訪問、ユキは奇妙な行動をとった! 

24日は幼稚園の参観日で知子は欠勤した。社長は前日から仙台に出張しており留守で、店頭部長も2泊3日の研修で不在だったが、参観時間の関係上、通勤時間が1時間半もかかるので休むしかなかった。

26・27日は知子も仕事がたまっているので父親と6時半に家を出た。帰宅はいつものように夜7時過ぎまで、私はユキの見送りから全て一手に引き受けた。月初めの5月1日もまたそうだ。

そして、昨日はユキの担任の先生の家庭訪問だった。
家庭訪問とは何て懐かしい響きだろう。そう言えば娘たちの学童時代4月は忙しかったことを思い出した。私まで嬉しくて溌溂とした気分だった。
この日、知子は昼過ぎに会社を出て昼食も摂らずに息を切らして帰宅した。それでも訪問の順番を一番最後に回して頂いてのことだった。

しかし、予定より50分ほど遅れて来られた。しかも、玄関の三知土(たたき)での立ち話だったので先生もお疲れだったことだろう。

ユキは日程が決まった日から先生が来られるのをどんなに楽しみに待っていたか!指折り数えて待っていた。
しかし、その時、ユキは非常に奇妙な行動を取ったそうだ。というのは、私は知子の帰宅と入れ替わりにカットに行ったので目撃していない。


先生の滞在中、ユキは姿を見せなかった。一度だけ2階へ積み木を取りに行ったらしいが、1階奥の部屋から姿を見せずに鯉のぼり(例の百均鯉)を一本ずつ廊下に放った。積み木は廊下を滑らせて、その辺りは鯉のぼりと積み木の山になった。

こんな奇妙な行動であっても活発なユキが先生には意外だったようで、「いやあー、こんな幸悠君 見たことないわー」と驚きの一句。

幼稚園へ通うようになってから非常に活発になったが、園ではまだまだおとなしいようだ。そこで先生はヤンチャな子とユキを喧嘩させようとしておられるそうだ。しっかり自己主張できるようにとの計らいからであろう。

褒めて下さったことは、「本当に一生懸命お話を聴いてくれるんです」。それはとても嬉しいことだ。花の水やりも毎日やっているそうだ。私が思うに大好きな水を自由に触れるからではないかな・・・(^ー^)

そして、「元気に走り回っています」とも仰っていた。私はその話を聞いてペットショップで売られていた時のチャッピーを思い出した。

売り物の犬たちも一度は広いところで放してもらえるようで、再値下げになっていたチャッピーを買った時、「この子だけ走り回っていました」と店員さんに言われた言葉を思い出し、チャッピーとユキが重なっておかしかった。

25日は初めてのお弁当!
これも「キャラ弁」になるそうだが、チーズを海苔と豚肉で巻いたフライも全て手作りで、先生の目にもとまっていた。
初めてのお弁当.jpg
ご飯の下にはシソワカメがしいてある

「幸悠くん、本当に嬉しそうにしていました。お母さん、本当に頑張って(作って)おられましたね」と先生。知子は5時50分に起きてチャレンジしたのだった。
面白いことにユキは周囲の子のお弁当を覗いていたようで、「みんなウインナーとポテトが入っていたよ。そして今度はね、ユキちゃん電車好きやから、海苔をハサミで切ってお窓を作って電車のおにぎりにしてー」と要望してきた。
人間って面白いなと思った。ユキはどんな顔をしてお友達のお弁当を覗いていたんだろう。(^ー^)

食育については「一度、講演にきてほしいです」と言われたほどに優秀だと褒めていただいた。多くの子供たちはレトルトやインスタント食品の味に慣れてしまっているので、給食が始まると先生のご苦労も増えるようだ。
ユキはしっかり朝食をいただいて、トイレでズド〜〜〜ンと済ませて登園するからハナマルだ。かわいい

参観日、家庭訪問、お母さん方との交わりなど、知子が子育て中の母親の喜びを経験していると思うたびに私の心は喜びで満たされる。
今しかできないことを大切に、ましてや子育てはどんな事業よりも大任だ。「ゆりかごを動かす手は世界を動かす」。ユキの心を見つめながら育ててやってほしい。私もできる限り協力したい。


今日は新聞折り込みのチラシを見た夫が、プラレールの催しがあるからとユキを八木の住宅展示場へ連れて行ってくれた。おじいちゃんとお出かけ.jpg私と知子は冬物から夏物の寝具にと毛布をめくって大忙しの1日だった。

出発前に知子は目を痒がっているユキを朝一番に眼科へ連れて行った。異常はなかったが、将来近視になると断言されてショックだった。遺伝なのだろう。
知子と真智子は幼稚園の頃は1.5の視力があったのに、小学校1年生には突然0.6〜7になり、その後はアッという間に0.01にまで下がってしまった。

知子の時は、眼科医に「楽譜を見るのは目に悪いからピアノをやめなさい」と言われた。真智子は小学校4年生からメガネではなくソフトコンタクトレンズを装用し始めた。今やパソコン必須の時代である。知子は仕事で、真智子は大学時代から目を酷使し続けている。

ユキも2人のように弱視になり、今のように見えるのはあと2年くらいかと思うと気持ちがひどく落ち込んでしまった。そして、改めて子供が与えられた時からの日々を思い起こしていた。
しかし、ここまで歩いてくることができたのだからと神さまを思い出し、このことも思い煩わないでおこうと平安をいただいた。イエスさまは仰っている。

それだから、あなたがたに言っておく。
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

              (マタイによる福音書 6章25節〜34節)

アーメン!
昨年の今日は夫と一緒にミネソタへ出発した日である。時間がとれたらゆっくり過去ログを開いてみたい。

posted by 優子 at 23:16| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年04月26日

JCP研究例会余録 ―宇野繁博さんの生き方―

クリスチャン・ペンクラブ関西ブロックに宇野繁博さんが加えられたことは、私にとってだけではなく関西ブロックにとっても神の計らいであったと強く感じる。

宇野さんは25歳の時に厚生労働省が認定している難病の網膜色素変性症で失明された。小学校の教師だった宇野さんは、現在滋賀県立盲学校の教師として尽くしておられる。

私と宇野さんとの出会いは2010年9月18日の例会だった。その翌日に書いた記事は宇野さんのご紹介になるだろう。http://yukochappy.seesaa.net/archives/20100919-1.html

その後親しいお交わりの中で、慰めと強い支えをいただき多くのことを教えられてきた。

宇野さんは昨年の東日本大震災発災後すぐに、被災された福島県のご家族をご自宅に迎え入れられ、そのことはNHKの全国ニュースで大きく取り上げられた。その後、半年間共に生活された。

先日の例会では参加者全員にご自身の講演を収録したCDと、フィンランド海外自由伝道教団京都教会発行のマガジン『ちから』579号を配布された。
今では年間20回くらい(?)の講演活動をしておられるのではないだろうか、このCDに入っているのは昨年12月に宇野さんの出身校である福井県若狭町の公立中学校で語られたものである。

『ちから』ではトップ記事の「クローズアップ」欄で、「神の栄光が現れるため ―せっかく目が見えなくなったんだから―」のタイトルで6ページにも渡ってインタビュー記事が掲載されている。
宇野さん.jpg

失明後、盲学校に入られた宇野さんは盲学校での勉強が大嫌いで、一時はいつもビールを飲んで寮へ帰っておられた。「酒ばっかり飲んでたらアカンやろ!」と多くの教師に諭されたが、ある先生だけは「宇野さん、酒も飲みたくなるよな」と言われ、その一言で酒が止まったという。

「私は目が見えない。精神科の閉鎖病棟に入っていたこともある。・・・そんなものはない方がいいんです。・・・でも、これがあったからといって人生が終わりではない。先の道はいくらでもある。・・・その苦しみの経験を神様が生かすと言っているんだから、もう楽しみで嬉しくて夜も眠れないぐらいです」。

私は例会から帰りの電車の中で一気に読ませて頂いた。
ようやく時間がとれて24日夜にCDを聴かせて頂いた。全身全霊で語っておられる宇野さんを目の前にしているかのようにお聴きした。

しかも驚くべきことは、このCDを全国の中学校に発送しようとの思いが与えられて、約10300校の中学校校長宛に発送されたというのだ!
約3ヶ月の期間をかけてCDを作成し、その経費は約100万円にもなったという。


伝道の書11章1節の
「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」とのみことばを信じて、祈りの中で実践されたのである。

神さまがこのCDを用いて下さって一人でも多くの人に神のみことばを届けて下さるように、そして、宇野さんを豊かに祝福して下さるように祈らずにはいられない。

例会の帰りはご自宅と反対方向の電車に乗られたので京都までご一緒した。その理由はいつかお話できると思う。
神は愛なり!ハレルヤ!

宇野さんのことを書いているとマザー・テレサの言葉を思い出した。
あなたの最良のものを世に与えなさい

人は不合理、非論理的、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと思われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達成しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、しつづけなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの最良のものを、世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい

あのマザーテレサにして言わしめた言葉である。
この言葉は宇野さん初め、素直な美しい心を失わずに誠実に尽くしている人々への励ましだ。私も素直な心を失わないでいたい。

今回の例会は私にとって特別な意味があった。
それは宇野さんとの再会と、久保田先生のお気持ちとお言葉に励まされて帰宅した。関西ブロックにおいてもしっかりやっていきたいと思う。


附記:さあ、孫の「お迎え」に行ってこよう。11時半にチビッコたちが幼稚園を出発する。

posted by 優子 at 11:23| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年04月25日

JCP研究例会 ―『三浦綾子の文学』―

先週末21日(土)は日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックの研究例会に出席した。2月の例会は高血圧のために欠席したので昨年11月以来ぶりである。

今回は総会開催の関係から11時から始まった。前回の1名に続いて今回は2名の入会者が与えられ、3年ぶりにお顔を見せて下さった方もおられ元気づけられた。

最初に奥村直彦牧師と玉木功牧師を偲び追悼の祈りを捧げた。

新しい方々の関係から簡単に自己紹介してから総会に移った。
私は昨年度から書記に加えて会計も兼任することになり、会計は超苦手分野だけに決算報告書作成には多大な時間を要し、長女のサポートがなければできなかった。

総会では事業運営していく上で気がついたいくつかの問題点を上げ、事務方の仕事がスムーズにいくように審議した。
そして愛餐会(昼食)。

第2部の研究例会の前に開会礼拝を捧げた。関西ブロックでは毎回、久保田先生の愛唱歌である讃美歌225番を讚美し、M姉(牧師)を導き手にみことばを読んでいる。
今日の聖書箇所は8章31節から9章1節までで、M姉のメッセージから篤い信仰が滲み出ていた。
文章を書く基は聖書である。聖書から離れないで文章を起こしていきたいなあと思う。

イエスに従うとはどういうことか。
結局は地に足つけて一歩一歩歩いて従うこと。困難な中で矛盾に満ちたこの世の中で地道に従っていくことだと思う。

イエスさまのお言葉のゆえに、従っているから歩いていけるのだと思う。イエスさまのゆえに十字架を背負わせていただいて、従って行く時に喜びを与えて下さるのは不思議だ。そうして強められて生きていけるのではないか。喜びの中で強く生きていける。

私達は生活の中で証しをいっぱい持っているし、それを文章に書き表したいと思っている。それを書きとめ、限られた字数や紙面の中でイエスさまをお伝えしたいと思う。

学びでは、久保田先生が昨年末12月10日に発行された『三浦綾子の文学』についてご講演下さった。
この本について今月4月2日付けの朝日新聞で、久保田先生の写真と共に大きく取り上げられて力作と絶賛されていた。著者から直にお話を拝聴できる私達は本当に幸せだ。

久保田師は日本文学では特に椎名麟三、遠藤周作、三浦綾子を深く研究されてきた。
椎名は復活のメッセージを伝え、遠藤は自分の傍らにいて下さる同伴者イエスを、三浦は人間の罪の贖い(贖罪:しょくざい)を書いた。日本文学では初めて贖罪を書いた人である。

一部の批評家からは護教文学だと矮小化されるが、ここには真実があり、愛と証しの文学、救魂の文学と評論されている。
また、誰にでもわかる明晰な文章、ストーリーテラー(話の運び方)が巧みで読者を惹きつけ、登場人物が非常に個性的であるなど、三浦文芸作品の特質や「三浦文学が語りかけるもの」について話された。

久保田師は三浦綾子・光世さんご夫妻とも親交が深く、『「お陰さまで」三浦綾子さん100通の手紙 』(小学館文庫)も出版しておられる。

学びのあとの作品の相互講評では、勢いのある書き手5人が発表された。以上。

新年度の始まりと同時に新しい人たちが加わって、会は俄(にわか)に活気づいた。5月は希望の風を感じる時季(とき)。会員一人ひとりが神さまの声に耳を傾けながら文筆のわざに励みたいと思う。

宇野繁博さんの前向きさと、秋に開催されるJCP創立60周年が私を元気づける。次のページで宇野さんのお働きを是非ご紹介したい。


※ 次回は6月16日(土)午後1時から日本キリスト教団 千里ニュータウン教会で開催される。
  今年度より開始時間が30分早まった。翌日の聖日礼拝への配慮で、長浜、神戸、奈良と殆どの会員が遠方なので私もありがたい。

posted by 優子 at 16:45| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2012年04月22日

「カメ人生で歩もう」―あなたの心を元気にするショートメッセージより 35―

「カメ人生で歩もう」 (関根 弘興牧師)
 
日本の昔話にうさぎとカメの話がありますね。うさぎとカメが「向こうの小山の麓」をゴールに、かけくらべする話です。だれが考えてもうさぎが勝つところですが、うさぎは、どうせカメは追いつけまいと余裕の一眠りをしてしまいます。
 
うさぎとカメの距離はどんどん縮まり、ついには、カメがうさぎを追い越して勝ってしまったという話です。どうしてそんなことになったのでしょう。
 
うさぎがなまけものだったからとか、自己過信があったとか、もちろんそういうこともあるでしょう。でも何を目標としていたかということも、大切だと思います。 
 
うさぎの目標はカメに勝つことでした。だから、カメがどのくらいのペースで、今どこにいるか、ということばかりを考えていました。しかしカメのほうは、うさぎに勝てるはずがありませんから、目標は、あくまで「向こうの小山の麓」まで完走することだったわけです。
 
どうも私たちは、このうさぎのような感覚をもってしまうことが多いようです。目標に向かって走っていくというより、まわりがどうであるかということに左右されます。まわりばかりが気になって、本来、完走すべき道のりを走ることができなくなってしまうのです。
 
私たちはすぐに人と比べたがる癖をもっています。すぐに批判的になってみたり、逆に劣等感に悩んでしまうこともあります。いつのまにか、ゴールを目ざす生き方ではなく、まわりの存在が自分の目標にすり替わってしまい、一喜一憂していることが多いのです。
 
新約聖書の多くの手紙を書いたパウロはこう書いています。
「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです」。(ピリピ人への手紙3章13〜14節)
 
私たちの人生は、永遠の天の都というゴールを目ざす生涯なのです。後ろのものを忘れ、一歩ずつ前に進む人生なのですね。カメのように歩むのがゆっくりでも気にしないことです。

「なんと歩みの遅い人」と言われようが、大切なのは、イエス・キリストが私とともに歩み、一緒にゴールをしてくださるということをしっかりと信頼し、歩むことなのです。


posted by 優子 at 20:45| 引用文 | 更新情報をチェックする

2012年04月20日

放射能汚染時代 

人生の最後が見えてくる年齢になると、今まで恩恵を受けてきた社会に僅かなりともお返ししたいとの思いが募る。

先月31日に当市の「放射能からこどもをまもる会」発足集会があった。案内をいただいていたが高血圧で体調が悪く、ついに別の医院に行くことになり欠席した。

その主宰者が同じ自治会の人で御自宅で委員会を開くというので、ある関係者を通して私にもお誘いがかかった。
それは4月13日・孫の登園2日目のことで大変だったが、私はその趣旨に賛同し、それを担っていく人々の働きや会の様子を見学すべく取材方々参加した。その根底には社会のために微力の微力であっても何かの力になりたいとの思いが原動力となっている。

会は中核になる人々の集まりで、私を入れて7名の参加者だった。2名は子育て現役の母親で、そのうちのひとりは他府県から避難して来た人だった。当市にも神奈川、横浜、大磯・・などからの避難者があり、この会に4家族が繋がっているという。

自己紹介を交わす中で会の主宰が共産党であることを知って驚いたが、その内容から「全国革新懇」(「思想・信条、政党支持の違いを超えた国民多数の革新的な運動の結集」として個人・団体と日本共産党が共同した一種の政治的統一戦線運動)と、そこで活動されているクリスチャンのNさんを思い起こしていた。

私は「3.11」直後から幼児教室で若い方々に放射能問題について何度か話題に出したことがあった。しかし、誰一人関心を示すこともなく東日本の出来事は全くの他人事だった。これが幼い子を持つ母親なのかと、あまりの意識の低さに失望したものだ。

しかし、今回参加された2人は当然のことながら意識が高く、私もまた全く無関心に生きている傍観者の一人であることを思い知らされた。

世界に誇れる日本人の素晴らしさがある一方で、原発を再稼働しようと躍起になっている政府や、この現実にあっても傍観者的に生き続ける人々が多いのも日本人の特質だと思う。

私は体力的なことや孫の世話があるだけではなく、何よりもまず文書伝道という志がある。そのためにあれもこれもと活動の手を拡げていくのは物理的に不可能なので、「今までどおり私のスタンスでできることをやっていきます」と明確にお伝えしたのだった。


参加された方は幼稚園や学校給食を拒否して子供にはお弁当を持たせておられた。折しも一昨日、幼稚園から給食の試食会や質問があればとの案内状を持ち帰ってきた。

今の日本政府は安全基準に「適合」したからと大飯原発3、4号機再稼働の判断を下そうとしている。
国の未来を担う者たちが、福島原発事故を経験しても価値観が変わらず、未だに「安心安全であれば」と同じ道を突き進もうとすることが理解できない。6割以上の国民が反対しているのが救いであるが、それでさえ数値は非常に低い。

電力も大事だが、ことは放射能である。何を置いても放棄し、今後は経済優先で進んではならない。震災前に戻ることが良いことではないのだ。

久々にスーパーで牛肉を買った時、「放射能線量検査済み」のラベルが貼られていた。こんな時代になってしまったのかと非常に悲しい思いがこみ上げてきた。

放射能汚染時代に子育てしなければならない親は、その切実さから社会を良き方向へ動かしていくであろう。社会改革は常にその切実さから生まれるのであり、私達も同労者でありたい。

こんな現実にあっても同じ路線を突き進もうとする為政者たちのコペルニクス的転換を祈るのみである。

「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」。(マタイによる福音書 16章26節)
イエス・キリストの言葉に耳を傾ける人は幸いである。


posted by 優子 at 08:05| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年04月19日

春の陽射しの中で散ったチューリップ

「あっ!」
チューリップの花びらが散っていた。
逝く.jpg

私は家族の死を看取っているような気持ちだった。どうしようもないほど悲しくていつまでも見つめていた。土に植えられたままで咲いていたかったであろうに、首を折られてからも小さなビンの中で生き、いのちを全うしたチューリップ。心の奥深くで「よく頑張ったね」と言葉をかけた。

花の死は、死をもって難病の苦しみから解放された母の最期を思い起こさせ、そして、いつか私が生を終えた時の姿とも重なり、眠りについた私を見る娘たちの姿も見えるようだった。

チューリップへの思いは年齢を重ねてきた者の感慨だろう。いのちが輝いて見える。

posted by 優子 at 23:15| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年04月18日

ユキの涙は心配しないで!

昨秋11月25日にユキと植えたチューリップは今が盛りと咲いている。
14日朝にユキが折ってしまったチューリップは、その後も夜は花を閉じ朝になれば開いて精一杯咲き続けてくれた。
みんな揃っていた最後の時.jpg
折られる直前の姿。
背筋をまっすぐ伸ばし凛として美しかった。

この花を真ん中に「華」として2012年春の思い出に収めよう。

2012年のチューリップ.jpg

桜の花も終わり新緑の季節に変わりつつある。大阪造幣局の通り抜け(夜桜)は昨日から始まった。浪花の春の風物詩だけにすごい人出だ。私は娘時代に家族と共に、そして、娘たちが中・高時代に一度行っただけだ。

ユキは園生活を楽しく過ごしている。ところが昨日は帰宅して30分以上も泣き続けていた。原因はつまらないことからだったが大切な涙だった。

4月から生協の配達時間が変わってお迎え時間と重なってしまったので、昨日は道中途上まで迎えに行った。それが嫌だったらしい。お昼もすっかりすぎているのに上がろうとしないので怒ったことが引き金になって、ユキの気持ちがあふれ出てきた。

「ゲンちゃんも皆んなママが居るのにユキだけママがいない」と泣きじゃくった。「ママ(知子)も迎えに来て、家に一緒に帰ってから会社へ行けばいい」と泣き続けた。

「どれだけ孫の世話をしても、孫はママが一番大好きでママには勝てないねえ」と話していた友の言うとおりだ。それでいい、それが最高の幸せであり私も最高に嬉しい。

しかし、慰めても号泣するばかりで、昼休み中だったので会社へ電話してママの声を聞かせてやった。知子も辛かったろうに。

そして、「ママが先に家に入って来てほしい」という要望も伝えた。
4月から父親と自動車で帰宅する知子は、父に代わって運転しているので最初に祖父(良輔)が入ってくる。知子は自動車をパーキングに入れて、祖父よりもあとから入ってくるのが嫌なのだ。
そんなことを思っていたのかと微笑ましく感じ、ユキの気持ちを大切にしたい。そして、早速昨夜から知子が先に「ただいまー」と入って来た。(^ー^)

ユキは思いっきり泣いてすっきりしたのかケロッとし、風邪気味のしんどさと新生活の疲れもあって3時間半も昼寝して、知子が帰ってきた時は「おばあちゃんブーム!」と言って私にひっついてきた。

ユキの気持ちを吐き出せてよかったと思う。昨日はユキを抱きしめていただけではなく、あの重いユキを抱いて立っていたので、今も股関節が疼き、膝も腰も痛い。

ちなみに現在の背丈は109.4センチ、体重は17キロだった。昨日測定した結果が「お便り帳」に記載されていた。靴は18センチを履いている。背は高いほうだろうが、迎えの時もすぐには見つけられないほど皆んな似たり寄ったりにも見える。

パンチで切り取り線.jpgついでに、これが穴を開けるパンチで作った「切りとり線」だ。そこには「ママいつも ママかいしゃいくと か(っ)こいい」と書いてあった。このように思ってくれていてよかったと安堵したが、きっと心の奥底では寂しさを我慢しているのだろう。

昨日の昼寝前には『花さき山』を読んだ。自分で選んできた本だ。読み終わる頃にはかわいい寝息を立てていたが、読み終わったあとも私は続けた。

「ユキ、いま、花さき山で、ユキの花が咲いてるよ。
お迎えの時、ユキだけママがいないのを、いつもしんぼうして、涙をこらえてしんぼうしているユキの花が いっぱい咲いているよ」
と。

知子へ:

専業主婦には子供との時間がいっぱいあるけれど、時間があるからと言ってgoodとは限らないよ。知ちゃんは短い時間の中で母と子の濃密な時間を過ごしているね。

専業主婦だったママは知子の生活から、働く母親についていろんなことを考えさせられているよ。60歳にしてこの感動は私自身も嬉しいです。

ユキをお迎えに行く時、ママは自分の年齢を忘れて知子や真智子のお迎えと錯覚しそうになり、知ちゃんにもお迎えをさせてあげたいなと胸がキュンと痛みます。

でもね、人は何もかもを体験することはできないし、知ちゃんは専業主婦には経験できない貴重なことをいっぱいやっているからね。人は制限の中でこそ輝きを増すのです。ママも応援しているよ!!!

「母親が使命をもって働けば、その姿を見て、子供は育っていく」!


今日は(ゴルフだった)パパが5時半頃に帰ってきて、玄関に入ってくるなり元気な声でユキを誘って公園へ連れて行ってくれたよ。たまにはいいこともするね。おかげでこれを書けました。るんるん

春の桜ごはん.jpg

友に教えられて以来、新学期の食卓に出す「桜ごはん」。
桜の塩漬けで餅米を炊いたもの。



posted by 優子 at 21:31| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年04月16日

恥ずかしがり屋のユキ

寝冷えしたのかユキは昨日から風邪気味なので上着を着て登園した。今朝はママが見送り当番で今週は3回あるので大喜び。

miokuei.jpg

初めての登園日12日朝のこと、「幼稚園の入口でみんな大きな声で『おはようございます』って言ってるなと思って、ユキちゃんも大きな声で『おはようございます!』って言うたよ」と話してくれた。

第一日目からチャレンジしたユキはすごい!
そして今朝の当番で、知子はユキが大きな声で挨拶しているのを見て感激していた。

園児なりに周囲を観察しているところなど笑ってしまったが、その話のついでに「幼稚園で恥ずかしがらないで喋ってる?」と聞くと、けっこう喋っているよ。だからそんなことばっかり言わんといて」と言った。

私が微笑ましく感じることであってもユキの自尊心を傷つけていることもあるんだなと、今キーボードを打ちながら気づかされた。気をつけようと思う。

そう言えばユキのしぐさが微笑ましくて笑った時、「ユキ、子供らしい?」と満足げに聞かれたことがあってヒヤッとした。

外で泣いたりわめいたりする子を「子供らしいねえ」と、そのお母さんに話していたのを聞いていたからだ。子供というのは実によく見ているものである。

この年齢の子供は親(身近で世話をする祖母の私もまた同じ)が喜ぶことを良いことと理解し、その積み重ねでスーパーエゴ(超自我:倫理観、社会性、人間性など人格の基礎となるもの)を形成していくので、ユキに誤解させるような話は避けねばならない。

今朝は知子が見送り当番だったので先生と話す機会があり、ユキの園での様子をお聞きしたそうだ。
「ユキちゃんはあんまり喋ってくれへんから、4月中がんばってみます」とのこと。
「固まる君」は今もかすかに「固まる君」の香りを放っているようだが、実は先生が大好きで「早く27日になればいいのに。本当にユキのおうちに来てくれるの?!」と、今から家庭訪問の日を楽しみにし、今日は先生の顔を描いていた。

帰ってくる時も嬉しそうにニコニコして帰ってくる。今日はお迎えのお母さん方から「ユキちゃん、かわいいね」の連発だった。
きっと私は親ばかならぬ「祖母ばか」で聞いているのだろうが、楽しそうにしているユキが嬉しくて言葉通りに喜んでいる。この「親ばか祖父母ばかの愛」もまた大切だ。

さて14日(土)のこと、ユキはチューリップの花についている雨粒をとろうとして、茎を優しく振ったのだが折れてしまって驚いたようだった。これは入園式の朝に初めて咲いてくれた花だった。折れられた花.jpg

同日夕方は大きな鯉のぼりがほしいと泣きじゃくった。とにかく鯉のぼりもまた大のお気に入りで、本物の電車、プラレールに次ぐユキの「お気に入りベスト3」に入る。
大きな鯉のぼりが欲しいと泣く@.jpg

大きな鯉のぼりが欲しいと泣くA.jpg

「ユキのは風が吹いても鯉のぼりが泳いでいるだけでカザグルマも回らないし」と、ベランダの「100均(商品)鯉のぼり」を見ながらブツブツ言っていた。
そんなに欲しいのだったらもう一度、松屋町(まっちゃまち)筋商店街へ行って買ってあげるしかないと決心したのだが、この夜ママに説得されて快く納得して眠った。折ってしまったチューリップのこともお祈りして。

その翌日(15日)ママと100均の店へ行って買ってきた。おかげで私は400円の出費で終わった。わーい(嬉しい顔)
お見事!
4竿の鯉のぼり!!!.jpg

「100均鯉」とは言え何種類もあって大きさや数が違い、色も微妙に違う。これらと食事中にも楽しめるように、名づけて「どこでも鯉のぼり」(笑)も買った。寝る時は枕元に置いて寝ている。どこでも一緒鯉のぼり.jpg

ユキは今頃大きな鯉のぼりに乗って空を泳いでいるのかな・・・いい夢をね!
イエスさま、ユキが眠っている間もお守りください。



posted by 優子 at 23:14| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年04月15日

私の喜びを神さまにささげます

9日(月)の朝、ワシントンでは日曜日の夜、真智子と20分間ほどチャットしていた。「じゃあ、またね」を交わす直前に、スー先生へのメールを英語に翻訳してもらうことを思いついて頼んだ。

真智は快諾してくれ、直ぐに「心をこめて英語で表現したよ」と英文にして戻してくれた。最後にクマもチェックしてくれたそうだ(^ー^)。

そのメールには4月8日のブログ記事を貼り、2信目は自ら短く書いて入園式の写真を添付した。
知子の苦悩に寄り添って下さったスー先生に、霊肉共に回復した知子の近況をご報告できたことは二重の喜びと感謝である。そして、スー先生の返信から私の喜びを深く理解して下さっているのがわかり三重の喜びになった。

今春のことは昨春ミネソタへ行ったことと共に、私自身の生涯においても大きな喜びとして残るエピソードであるので、そのごく一部を長女に助けられて和訳したものを刻んでおきたい。

ユキヒサとユキのお母さんは本当に幸せそうで美しく見えますね。神さまは本当にあなたがたを祝福して下さっています。
      ・・・(略)・・・
あなたの次女ご夫妻が主(イエス・キリスト)に在ってアメリカで成功できていることを、私はあなたが神さまに感謝していることを知っています。

優子さんよくやってますね。神さまから受けた憐れみと恵みを感謝し、神さまに助けられて癒された喜びを神さまにお返ししているのがわかります。

あなたとあなたのご家族に祝福を祈ります。

私は単にユキの入園が嬉しいのではない。
電車に乗る体力さえなかった知子が、かくも能動的に日々の務めを果たしているのを単に喜んでいるのでもない。

一時はチックや吃音症状まで出していた幼いユキと、生命の危険を感じるほど健康を損ないメンタルヘルス科で投薬されていた知子を、神さまが超スピードで癒して回復させて下さり、こうして平安と希望の中で生かされていることが嬉しいのだ。

同じく、次女夫婦がIMFで活躍していることが嬉しいのではなく、婿にも神さまが届いて下さって、あの子達が信仰をもって世界の舞台で励んでいることが嬉しいのである。
 

どんな問題も最終的には相手や環境がどうのこうのではなく、それで自分はどう生きるのかということである。

それら一切のことはイエス・キリストが知って下さっているのであるから神の主権に委ねるのだ。

しかし、神に委ねることがどれだけの痛み(苦しみ)であるかは経験したものでしかわからないだろう。神の導きを乞いつつ歩む者を神が良くして下さらないわけがない。結果的には自分自身の祝福のためにその人をゆるすのである。

私はなぜ書くのか、何を書きたいのかと問われれば、神と歩む者の魂の世界を書きたいのであり、それを一般社会へ発信するために書いている。

そして、その苦悩とどう闘ったかということと、神に受け入れられている者の喜びを書いていきたいのだ。そして、一人でも多くの人が神さまと出会って下さることを願って書き続けているのである。
 

「涙を蒔く人は、やがて喜びを刈りとります。」


4月16日8:06附記<スー先生へのメール>:
Dear Sue,
It has been some time since I last wrote, and I hope everything is fine with you. In Japan , cherry blossoms are in full bloom now. This spring, my grandson, Yukihisa, is starting kindergarten. The entrance ceremony will be on April 11 (It’s the day after tomorrow!). 

He is now 43.3 inches tall and his heart is also thriving with love. Every Sunday, he helps collect offerings at our church. Tomoko plays the organ during a church service.

Yesterday, at the Easter church service, it happened to be Tomoko’s turn to collect offerings. So, Tomoko and Yukihisa collect offerings together and prayed together. Please take a look at the photos of them on my blog http://yukochappy.seesaa.net/archives/20120408-1.html

I never forget about the year 2009. You helped, encouraged, and gave a strong influence over Tomoko. We are always remembering your love and your help. Thank you very much, Sue.

Tomoko is now working at my husband’s company and playing an important role there. My younger daughter, Machiko, and her husband both got their Ph.D.s of Economics at University of Minnesota last year. They moved to Washington D.C. and both of them started working as an Economist at the IMF in last September.

My dear Sue, I will never stop thanking you for my life.
Thank you very much.
Best Regards,
Yuko

今これを音読していたら日本語からは感じられない力強い感情が込み上げてきて目頭が熱くなった。

真智、私の思いを十分に表現してくれてありがとう。
これからも真智と太志君の上に豊かな祝福がありますように祈っています。主と歩む者は栄光から栄光へ、祝福に祝福が増し加えられていくことでしょう!
 

「主の御名によって来たる者に、祝福あれ!」



posted by 優子 at 21:19| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年04月12日

「幼稚園は電車で遊ぶより『切りとり線』よりもっと面白かったわ!」

私達のことをお祈りに覚えて下さり、思いを寄せて下さっている友のおひとりからメールを頂いた。
優子さま

なんという感動、感謝でしょう。ようやくここまで来ましたね。大きな恵みの一区切りですね。そしてこの区切りは明日の大きなスタート地点。

これからはあれよあれよという間にユキくんはどんどん成長しますよ。優子さんの手を振り切って走り出します。主が引っ張っていかれます。追いついていくのがたいへんかな。
でも安心。後ろ姿を見るのも幸いです。
      (略)
ではまた。ユキくんによろしく。知子ママにも。

私はユキのお迎えまでに自分の時間を確保しようと手早く家事を済ませ、PCを起動させながらコーヒーを入れた。

私もまた「ひとりでいただくコーヒータイムは格別です」とばかりに一息つき、友に返信を書きかけたときに電話が入って中断。受話器を置いた直後に2本目の電話が入り、自由時間は30分足らずで終わってしまった。もうやだ〜(悲しい顔)

ユキの昼寝中も貴重な時間なので家事もそこそこにして自分の時間を優先するのだが、今日は短い時間を濃密な時間にできなかった。やりたいことがいっぱいあるのでイライラしないようにと思う。

昨日は午後から土砂降りの雨になったので写真も撮せてよかったものの今日の快晴は少々うらめしい。まもなく春真っ盛りの陽気になってついにセーターを脱いだ。
通園初日の今朝、ユキは起こされなくても7時に起き、予定通りのタイムスケジュールをスムーズに進めて出発した。

通園初日!.jpg 通園初日いざ出発!.jpg

大きい組と小さい組(うさぎ組)併せて12名の集団登園で、その送り迎えは保護者2名ずつの当番制になっている。

知子は今朝がお母さん方と初めての顔合わせである。それぞれの自己紹介は私が知子の代理で出席した2月1日に終わっているので、今朝は出身地を紹介し合ったそうだ。

そして、9時前に帰宅し、その後すぐに出社する知子を駅まで見送りがてらチャッピーの散歩に出た。今後は駅までの10分間が知子との貴重な時間になるだろう。

その帰り道で土筆を見つけて、「ユキ、つくしの坊やがいっぱいいるよ」と心の中で会話し、たくさんのムスカリが咲いているのを見た時、「おばあちゃん、すごいねえー。きれいねー」とユキの声が聞こえてきて、手をつないでいるはずのユキがいなくて寂しかった。

今、そのことを思い出しながら書いていても涙ぐんでしまう。しかし、朝から寂しかったわけでもなく、いつもどんな時もイザ本番になると平気だったことを入園式前夜には思い出していた。

チャッピーはユキが居ないことに気がついているのだろうか。
ユキは幼稚園、淋しいやら嬉しいやらのチャッピー.jpg
「淋しいやら嬉しいやら・・・静かでいいなあ〜」とホッとしているように見える。

幼稚園から帰宅したユキは、「楽しかった」、「今日は楽しかった」と何回言ったことだろう。
「幼稚園は電車で遊ぶより『切りとり線』よりもっと面白かったわ!」には笑ってしまった。

「切りとり線」とは、チラシなどについているハガキを囲む切り取り線のことで、それを切ることに興味を持ち始めたユキは、紙の周りにパンチで連続で穴をあけたり、爪切りで切り目を入れて切りとり線にして遊んでいた。

この遊びはかなり前からお気に入りになっているので、先週の土曜日に裁縫で使うルレットを出してやるとすっかり気に入ってしまって、私は「ルレット坊や」と呼んだりするほどだった。その遊びよりも幼稚園の方が楽しいと言うのである!わーい(嬉しい顔)

「 土曜日も日曜日も幼稚園に行きたい!」
「子供がね・・」と自分も子供なのにお友達の様子を話すユキがおかしい。

さて、昨日の記事に書いた幼稚園からの質問、「どのような子どもに育てたいと考えておられますか?」に対して娘がどのように書くか興味深かった。

「私はこう書いたよ」とそのことを記した『証し集』を読んでいたら、知子は私が誰か有名人の本を読んでいると思ったらしく「すごいなあ」と感動するので、「これは私のよ」と言うといよいよ驚愕していた。

このことは今初めて話したことではないので、きっとあまりの多忙な日々なので忘れているのだろう。そのところだけ引用したい。
長女が幼稚園に入園する時のことだった。
身上書に、「子どもはどんな人になって欲しいか」という項目があった。その時、私に明確な考えのないことにハッとした。

自分自身がどのように生きたいのかも分からない者が、どうして我が子に「このように生きて欲しい」と言えるだろうか。

精一杯考えた末に、「自分に与えられた能力を能動的に発揮する人になってほしい」と書いたことを覚えているが、これが私の30歳の姿であり、遅い目覚めであった。


         (過去ログ・2006年12月12日より)

そして、知子は次のように書いた。
「多くの人々のお世話になって自分が生きていることを知り、感謝できる人に、また、与えられた能力を能動的に発揮する人に育てたいと考えています。」

私は知子のような若い時に、そこまで強く「感謝できる人に」という気づきはなかったので素晴らしいと思った。

そして、ユキの長所と思われることは「思いやりの心、粘り強さ、笑顔」で、短所と思われることは「自宅でのみあとかたづけを自分からしないこと」と書いていた。わーい(嬉しい顔)

育児は育自、人生で最もやりがいのある子育ての始まりである。
幼稚園からの緊急連絡は「PTAメール」で行っているとのことで早速登録していた。改めてすごいご時世だと思った。

posted by 優子 at 22:03| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年04月11日

雨天でも心は快晴の入園式!

おめでとう!@.jpg

ユキ、入園おめでとう!
知ちゃん、ユキの入園おめでとう!

入園式の朝に咲いたチューリップ。入園式の朝に咲いた!.jpg

幼稚園の制服.jpg当市の市立幼稚園の制服はこの体操服で、通園カバンはリュックだ。この服装で通園しこの服装で過ごす。

今朝、制服を着たユキは玄関のたたき(三知土)で寝ている愛犬に、「チャッピー、見て!チャックン!」と声をかけて見せていた。そして、「ママー、チャッピー笑ったよ!ママー、ユキ見て!」と大喜びでママのところへ走って行った。

入園式@.jpg

出発前、雨が上がっているうちに自宅前で。

入園式B.jpg

ユキは同年齢の子に劣ることなくしっかり育っていた。こんなにリラックスしてユキらしい表情も見せていた。

先生のお話もしっかり聴いていたし、しかも教室で先生から一人ひとりに「お便り帳」を手渡された時、「ありがとう!」って言ったのはユキ一人だけだったね!
私と知子は嬉しく満足げに顔を見合わせていた。


入園児は男児14名で女児17名、うち3分の2くらいが両親共に出席しておられた。
登園する道で知子はユキに話した。
「ユキ、今日はいっぱいお父さんが来るけれどごめんね。ユキちゃんにはお父さんおらへんよね。でもユキのお父さんはイエスさまよね。」
「うん!!!」と微笑んで答えたユキ。

入園式A.jpg 
道路を隔てた向かいは小学校だ。 

おめでとう、知ちゃん!.jpg

小学校の満開の桜をバックに
2人の幸せを祈ってシャッターを押した。
おめでとう!.jpg

ユキは大好物のお赤飯をお腹いっぱい頂いて只今お昼寝中。お昼寝の前にこれを書いてママ(知子)に渡したそうだ。

ユキのママへの感謝@.jpg
「ママ ユキのかさ買ってくれてありがとう」

ユキのママへの感謝A.jpg
「ママ 長ぐつ買ってくれてありがとう」

ユキのママへの感謝B.jpg「るく」とはリュックサックのことだ。
「ママ リュック買ってくれてありがとう」

ユキは優しく強い子に育っている。
知子は今、先ほどどっさり持ち帰ったプリントを読みながら提出物などの作業をしている。さて、娘は身上調書の問いにどう書くのだろう。

「どのような子どもに育てたいと考えておられますか?」

ゆきひさくんへ  ゆうこおばあちゃんのともだち〇〇〇より

ようちえん にゅうえん おめでとうございます!
せんせい たくさんの おともだち たのしい おあそびが いっぱい!! たのしみですね。
まいにち げんきにようちえんへ いけますように イエスさまにおいのりしています。
     (昨日届いた友のお手紙より)
               
posted by 優子 at 15:22| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年04月09日

春ひらく

「昨日はまだチラホラと一分咲きだったけれど、今日はきっと咲いていると思いますよ」。
散歩の途中で会った近隣の方が仰った。
池の近くまで来ると私は小走りしてしまった。そして、瞬間的に視界が淡いピンク色に変わった!咲いていた!!!

ようやく咲いた!.jpg

まだ6〜7分咲きだが、ようやく当地にも春が来た。

まだ8分咲き.jpg 2012年の桜、やっと会えたね。
愛しい桜.jpg何て美しいのだろう。

ようやく咲いた!@.jpg

朝はまだ暖房がいるが、ようやく昨日から昼間は穏やかな春の陽気になった。そして、今年もユキの鯉のぼりが上がった。
2012年ユキの鯉のぼり上がる.jpg
ユキは大きな鯉のぼりがほしいと言った。
でも、もうすぐ5歳になるのに今から買うなんてもったいないし、大きな鯉がのびのびと泳げるような空間がないから、今年も「100均鯉」でごめんね。しかも、一番小さい緑の鯉はなくなっていたので自分で作っている。

ママのお迎えも明日が最後になった。毎日迎えに行っていたわけではないが、行く時はいつもユキは自転車に乗って行った。
ママのお迎えも明日で終わり.jpg明後日から知子の帰宅はずっと毎日遅くなる。役職に就いてから部課長会議の出席だけではなく来客も多く、知子の熱心さゆえに銀行関係者も真剣に日参した。また、常に大量の仕事をこなしているので度々帰宅が遅くなっていた。

しかし、早く帰宅した時は毎日ユキを外へ連れて行ってやっていた。それでも常に夕刻6時前からの出発だったので、冬は家を出る時から暗くなっていて私は胸が痛かった。

こうして散歩していたのよね.jpg

知子がお勤めに出るようになって1年半。
その生活が始まって、私は毎朝右手にチャッピー、左手にユキの手を引いて散歩していた。その姿を記念に撮ってもらった。
毎日毎日こうして歩いていたね。
そして、いつのまにかユキはこんなに大きくなっていた。


でもこれで終わりではない。これからは夕方の散歩が必須だから、これからも名コンビと一匹で行こうね。今や町の有名トリオやね。
いよいよ明後日は入園式。
ユキ、これから毎日が刺激的で楽しくなるよ〜。

こんにちは ホンマ(本当)に昨日今日で桜は満開 言う感じです 今日 まちちゃんからも メール貰いました元気そうな二人の 写真つきでした

優ちゃん ホンマに ユキちゃんが 幼稚園に行き家の中が静かになったら ホンマに寂しく成るよ まあすぐに 慣れるやろけどね

入園の日お天気になってくれたら良いのにと思うけど ユキちゃんはこの間の電話の時 ユキちゃん雨降ってほしいねん 言うてたよ

ユキちゃんが嬉しくて 入園の日を待ちかねて 居る姿が目に見える様です
それは それは きっと 寂しいけど 帰って来たら 又 いろいろ お土産話 聞かして 呉れるから 又 違う楽しみができるよ

気持ちのこもった叔母の返信に目頭が熱くなった。
叔母ちゃん、ありがとう。

posted by 優子 at 22:26| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年04月08日

To become like Jesus!(イエスさまに似た者になること)

イースター.gif

ヨハネによる福音書20章1節〜18節にイエス・キリストが復活された朝の様子が記されている。
さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。

そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。

そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。

シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。

すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。

それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。

すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。

そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。

マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。

イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。

イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。

マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。

今朝の説教で心に残ったところは、「イエスと数年間を共にしたマリアでさえ復活のイエスがわからなかった」ということだ。
マリアはイエスに声をかけられて初めてわかった(出会った)ということは、「私達は外側だけに目を向けていて、そこに居られるイエスさまが見えていないのかも知れないし、意識の焦点がピッタリ合った時がイエスを信じる時とも言える」。

この20章はヨハネ伝のメッセージの意図が要約されており、最後の31節が執筆目的である。つまり、
「しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」。
これを信じる者は幸いである。

知子はオルガニストなので献金のご奉仕をさせて頂くことはないが、数日前に代役を仰せつかりユキとのご奉仕となった。私は神さまからの特別の祝福を感謝した。

2012イースター礼拝で.jpg
大きくなったね。まもなく4歳9ヶ月。2012.イースター礼拝.jpg
ユキ、ユキ、愛しいユキ.jpg
そして、知子の祈りは私を信仰から信仰へと導いた。
知子が常々言っている「To become like Jesus!(イエスさまに似た者になること)」はスー先生が何度も何度も言われたことであり、今朝の祈りであった。
もっとくっつけばいいのに!献金のお祈り.jpg

「私達は救われたあとも至らないことが多く、そのことにさえも気づかずに生きていることが多いです。しかしそれにも関わらず、神さまは深い深い忍耐と愛を持って今日までお導き下さいました。

そのことを今日の復活の日に改めて受け止めて、新しく具体的に一歩踏み出していくことができるように助けて下さい。

自分が受けた恵みを自分のものだけに終わらせることなく、日々それぞれの持ち場で関わる人々に自分の生き方を通して受けた恵みを流していくことができますように。

そのためにどうか至らぬ点は気づかせて下さい。イエスさまを妨げることのないようにして下さい。気づかされたことは謙虚に受け止めて改めていけるようにお導き下さい。

先に救われた者は、少しでもイエスさまに似た者となっていくことができますように。至らぬ点に気づいたら、勇気と信仰をもって指摘し合い、共に成長していくクリスチャンにならせて下さい」。


この祈りを聞いて、私達クリスチャンは何のために労しているのかということを考えさせされ、今後は私もまた教会やクリスチャンの集まりにおいても生かしていきたいと思わされた。
イースターエッグ.jpg
イースターエッグ
ユキちゃん、去年はイースターエッグをおじいちゃんに食べられないように隠したのよね。
2011年5月12日の記事より:
4月28日夜のこと、台所の流しの下の開きの中から、ユキが「食べた」と言っていた最後のイースターエッグとカゴを発見!!!
どうしてここに置いたのかを聞いて爆笑。
「だって、おじいちゃんが食べてしまうと思ったから」だって!!!!!
わが子の作文にも「パパが私のお菓子を取って食べます」と書かれていたけれど、孫にまで同じことをしている良輔。

ユキはイースターエッグを隠したまま5日間も忘れていたので食べられなくなってしまったけれど、これこそ本当のイースターのお遊びだったね。(※ 英語圏やドイツには卵をイースター・バニーというウサギが隠すという伝承があり、復活祭の朝に子供たちは隠された卵を探す)

良輔じいさんへ、あなたの卵は愛餐会で頂いてきたのだから手を出さないようにね!


posted by 優子 at 19:49| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年04月07日

ワシントンの桜が終わって2週間、わが町の桜いまだ開かず 

今日も真冬並に寒い。それでも一駅向こうの桜は咲いているのに、この地域は寒さのスポットにでもなっているのか目覚めが遅く、ようやく蕾がピンク色になった。今か今かと咲くのを待っている。

ワシントンでは既に3週間近くも前に桜が満開になっていた。ちょうどこの「ワシントン便り」の前ページを書いた日に、次女夫婦は仕事帰りに名所のタイダルベイスン(Tidal Basin)へ行ってきたそうだ。

多忙な日々にあるので今朝になって添付してくれたが、ちょうど日本の開花時と重なって趣きがある。

2012,ワシントンの桜@.jpg

「日本の綺麗な桜が、アメリカでもみんなに喜ばれているのをみて、とっても嬉しかった。」
それにしてもアメリカ人は気が早いね。半袖の人が多い。欧米人は日本人より体温が1度高いというのを読んだことがあるけれど寒くないのかなあ?聞いてみたいね。

Washington-20120322-00020.jpg
 
ユキの入園式の日はあいにくの雨天の予報になっているが、さすがにその時は当地の桜も開花していることだろう。速報をアップするので、その時はマチとフーも母国に思いをよせて春を2度楽しんでほしい。

さて私は先週に続いて今週も医者通いの週末となった。今週は夫も揃って皆んなに付き合ってもらった。
この1週間の血圧は非常に安定していて、低い時は110にまで下がっていた。詳しい血液検査でも2次性高血圧の心配も無く薬も今のままで良いとのこと。

しかし、この2年ほど前から何事であれ集中すると具合いが悪くなってしまう。こんなことでは生活できないではないかと自分自身が情けないと思っている。

先週は慣れない会計報告書作成でドジばかり。知子に作ってもらったエクセルの表が見当たらず、再び続きを手計算していた。後日知子に聞くと、表の下にあるタグをクリックすればエクセルの表も出てくると教えてもらった。最初に教えてもらっていたのだろうが、忘れていたというよりも全く頭に入っていなかった。表の線は消えてしまうしパソコンは苦手だ。

そんな私を見かねて、先週日曜日の午後に全てを仕上げてくれた。そうでなくても疲れている娘に申し訳なくて、これまた私にはストレスになる。感謝しているのは言うまでもないが、ホッとした反面、自分で仕上げられなかったという挫折感もある。

今日は最後に仰った医師の言葉が私を元気づけた。
「例えば、誰でも戦闘態勢に入ったら血圧は高くなりますが、動脈硬化も思っていたほど悪くはないので、その程度で血管は切れませんから」。
「そのお言葉が何よりの薬になります。ありがとうございました」と、ニコニコ笑顔を交わして退室した。

知子も心機一転、今日は長い髪の毛をカットして、真智子がこの前帰国した時にかけてきたパーマと同じだった。

「ただいま!」と明るい表情で入ってきた知子を真智と間違えて、真智はどうして急に帰ってきたのだろうとビックリした。
美容師さんもまた、「お母さんそっくりやね、妹さんにもそっくり」と、滅多に行かない私達のことを仰ったそうだ。
一息ついた時、真智は遠いアメリカか・・・と寂しくなった。

今日は荒唐無稽な「ワシントン便り」になってしまった。
明日はイースター。クリスチャンにはクリスマス同様とても大切な日、主の復活をこそ喜びたい。

追記:これを書いている途中から血圧が上がっているのがわかった。非常に具合いが悪いので、書き終えて血圧を計ると(174/104)になっていた。シビアな内容を書いているわけでもないから、精神的には全く負荷は加わっていないのにこんなことでは何もできない。

posted by 優子 at 22:15| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年04月06日

「なおも神をほめたたえる」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより 34―

「なおも神をほめたたえる」 (村上 宣道牧師)

「歌う」というのは「訴う」から出た言葉だといわれています。歌は必ずしも、楽しく愉快な気分からだけではなく、むしろ、とても歌えないような状況の中で、何ものかを訴えたい気持ちの表れとして生まれてくるほうが多いのかもしれません。

「バイオリンの名器は、谷に落とされ、流れにもまれ、あちこちの岩にぶちあたりながら流れ着いた木からなるものもある」のだそうです。その深い音の響きは、くぐり抜けてきた苦難の経緯と無関係ではないのでしょう。

聖書の中で、一番多くのスペースが割かれているのは詩篇です。この「詩篇」のもとの言葉は〈テヒリーム〉といい、〈ハレルヤ〉(=主をほめよ)という動詞から由来した名詞の複数形で「賛美歌集」という意味です。

この中には、賛美の歌や感謝の歌に分類されるものも多くありますが、嘆きの歌とされる詩篇の数も大変多いのです。イスラエルの歴史というのは、苦難の歴史でしたから、その中での神への切実な訴えが歌となり、それが賛美ともなっていったのだろうと思われます。
 

詩篇42、43篇は、典型的な「嘆きの詩」とされるものです。この二つの詩篇は、もともと一つであったろうといわれるのですが、この中に「わがたましいよ、なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか」(新改訳第二版)と三度も繰り返されています。

この作者を絶望にまで追い込んだ状況が何であったのかを詳しく知る由はありませんが、大変な極限状態にあったことは確かでありましょう。

また、この二つの詩の中には、「いつ」「どこで」「なぜ」という疑問詞が幾つか見られ、特に「なぜ」は九回も繰り返されています。私たちの生活の中にも、この「なぜ」という疑問はしばしば起きてくるのではないでしょうか。
 

しかし、そうした苦しみのさなかで作者は、「私はなおも神をほめたたえる」と賛美をささげているのです。その秘訣は、ある英語の訳で見ますと、「望みを神に置く」ことによってであることがわかります。

たとえどんなに状況が絶望的だったとしても、全能の神、いつくしみの神に望みを置くなら、歌えるはずもない中で、「なおも神をほめたたえる」ことができるということなのです。賛美は力です。
  
 「神を待ち望め。
  わたしはなおわが助け、
  わが神なる主をほめたたえるであろう。
 (詩篇43篇5節)」。


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2012年04月04日

ユキの入園を前に3年間のスナップから

昨日の春の嵐は先週末(3月31日)とは比べ物にはならない超大型台風並みの記録的な暴風雨となった。この時期には珍しく北から氷点下30度の寒気が下りてきたために、南から張り出してきた高気圧とのせめぎ合いが原因だという。

関西はお昼前後からピークになるという予報だったので生協さんの配達時間に気をもんでいた。しかし、空は明るく小雨さえ上がっていた。今回は予報はずれかと思っていたところ、午後2時半過ぎから外は真っ暗になり暴風と雷雨になった。

「ママはどうしてる? 大丈夫?」と心配するユキに、「ママは会社の中にいるから大丈夫」と安心させて本の世界へ誘った。

「ユキ、あの時読んでいたのはね、『あのね、わたしのたからものはね』だったよ。このようなことは忘れてしまうだろうけれど、長い時間が過ぎた時、時空を超えて、遠〜い日々の思い出に抱かれてくれたら嬉しいな」。

さて、昨日の記事に続けてユキの入園を前にして、神を想いつつ私の心に残る2009年からの知子とユキをたどってみたい。

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2009年4月、知子の体重は37キロにまで落ち、駅のベンチは痛くて座ることができず体力もなく、いつでも座れるように折りたたみ椅子を持って外出した。この時、ユキは1歳9ヶ月だった。

2008年末から翌年4月まで、私は知子を助ける為にユキを何度も預かっていた。その頃、電車が好きなユキに付き合うために、ユキの散歩にはいつもこの椅子を持って行った。
自宅に帰ってからユキは何度も「ばあ(おばあちゃん)、ポッポー」と知子に話していたそうだ。

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2009年5月1日、高知県の友に招かれて旅に出る知子を駅まで見送るユキ。ユキはこんなに小さかった。
 
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2009年6月。神は神に助けを求める者を決してお見捨てにはならなかった。最優先すべき本務を疎かにする牧師の代わりに、日本に滞在されていた宣教師・スー先生を遣わして下さった。

「赦す」ことを選んで神に一切を委ねた知子に、”Hallelujah! I am very proud of you.”(ハレルヤ!私はあなたを非常に誇りに思っています。)と、正しく前に進んで行っている知子を喜んで下さった。

しかし、容赦ない苦悩に七転八倒する日々だった。体調の悪さも容赦なく、スー先生が自宅に来られた時も、その後6時間ものあいだ死んだように横たわっていた。

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2009年11月。
この時、知子は1回目の調停に出かけていた。

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ユキは不思議な子。

4月半ば、療養のために実家に戻ってきた知子と孫と3人で初めて散歩に行った時のこと、3人で手をつないで歩き始めると、ユキはこのように私と知子の手を取って合わせた。

私と二人だけの時は、握っている私の手の甲を自分の頬に引っ付ける。知子との関係が悪かったわけでもないのに、このようにされてドキッとして不思議でならなかった。
↑この写真は2009年11月8日のユキだが、9月頃までの半年間ほどいつもいつもこのようにやっていた。

その頃のユキはまだ自由に話すことができないのに、「ママ、えんえん(泣いている)、パパ、メンメ(だめ)」と何度も言っていた。知子は争いをしていたわけでは全くないのに、このようなことを私に訴えるユキが不思議でならなかった。 

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2010年4月4日、イースター。
霊魂から血のしたたる痛々しい知子。

しかし、このイースターの日の午後から、まるで真っ暗なところから突如まぶしい光の中に移されたようで、「チューリップはこんなに鮮やかな色をしていたんやね」と言ったのには驚いた。
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2010年4月、これも忘れられないシーンだ。私は悲しみをこらえていた。しかし、「娘と孫に神の祝福が満ちあふれますように」とシャッターを押した時、二人の上に神の目が注がれているのを強く感じた。

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2010年6月、帰国していた次女夫婦と共に賢島へ行った。この頃から知子は少しずつ元気になっていったように思う。
ユキはスクスク育っていた!

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2010年9月1日、知子はこの日より勤務に就いた。
この数日前に突如、睡眠薬を飲むことなく眠れるようになったのは神の奇跡である。それでも時たま飲むこともあったが、体調の悪さを引きずりながらも心身を支えて下さった。

初出社の朝、ユキは早朝に起きてママを見送った。そして、朝食の時も昼食の時もこのように祈っていた。

「イェッしゃま、
今日はおじいちゃんとママが会社へ行ったでしゅ。
ユキちゃんはおばあちゃんとお留守番でしゅ。
この食べ物を感謝しましゅ。
ママが早く帰ってきますように。
このお食事を感謝していただきます。
イェッしゃまのお名前によってお祈りしましゅ。
アーメン」。


クリスチャンホームの子と言えども、ユキほど祈る子はいないであろう。不思議なユキ。
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2010年秋の写真
教会学校の子供はユキひとりだけだが教会の方々の愛の中でも癒されていた。この頃、ユキも教会にも慣れて親しみを感じ始めた頃である。昨夏から数人の子供が集うようになった。

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2011年5月18日、ユキは3歳10ヶ月。
この頃は知子もしっかり歩み出していたので、私達夫婦はこのゴールデンウィークに、次女夫婦の経済学博士号授与式に出席するために渡米したのだった。
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2011年夏に虫取りに目覚めたユキは、11月になっても網と虫かごを持って歩いていた。おじいさんは父親の役も果たしてやって欲しい。

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2011年10月(?) ママとお出かけ。
ユキ、大きくなったね。
 
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2011年秋、幼稚園の未就園児交流でもかなり活発に遊ぶようになった。嬉しかったなあ・・・

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ユキの幸せを祈ってくれているマチとフー。
ユキ、是非ママとワシントンへ行っておいで!
世界は広い。おばあちゃんが旅費を出してあげるよ!

ユキ、大きくなったねA.jpg

外ではまだまだおとなしいけれど、それでも活発になってきたね。最近は質問攻めにされる。

「何で(空を飛んでいる)飛行機は小さく見えるの?」
「(自分の)影が後ろやったのに前にきたね。どうして?」
「風はどこからくるの?」
「何でアメリカが朝の時は日本は夜やのん?」


私は地球儀を片手に説明することしきり。
昨日は、「(ベランダの柵の)影がこっちむいていたのに今はあっちむいてるよ!どうして?!」と大発見の喜びに高揚するユキ。

2010年3月初め、自治会の副会長をしていたことから老人会の会計報告書作成のお手伝いで、何度も会計さんの御宅へ出向く用事があった。
そんなある時、私は一緒に行きたがるユキを避けたい気持ちになった。世間体を気にしない生き方をしている私が、娘の離婚で世間を意識したのだ。ごく短い間ではあったが。 

そして、直ぐに神の平安を頂いて、少しの勇気を奮い立てて、ユキがこの地域で健全に成長していくために風穴を開けていった。

この3年間は私もまた私の苦悩と悲しみに向き合い、ひたすら主の道を求めて歩む日々だった。そして、全てを受容できた時、あの時のことがユキに申し訳なくて何度も思い出しては涙した。


ユキ、おばあちゃんはユキのことをどんなに愛しているか!!!
ユキとママの為ならばどんなことでもしてあげるよ。

「幼稚園は再来年の春なんです」と、まだまだ先のことと思っていたのに、あっという間の2年間だった。今は嬉しさ半分、寂しさ半分。私にとっても新しい春、嬉しい春である。

今や入園式は両親共に出席する時代だという。ユキは既に自分の境遇を知っているが、入園早々から心を痛めるかもしれない。そのことも神さまに委ねよう。きっとイエスさまがユキを慰め励まして強くして下さるに違いない。

知子とユキは神さまと多くの人々の愛と祈りに支えられて生かされている。ユキも安心して社会に出て行きなさい。これからもいくつも困難や試練があるけれど、何があっても大丈夫!いつだって神さまが助けて下さるから。神さまはいつも知子とユキの味方よ!!!

多くの方々に助けられてここまで歩いてくることができた。知子と共に感謝と歓喜の春を迎えられたことを神に感謝します。


愛と祈りに支えられるとき不思議が起こる。
知ちゃん、不思議の連続だったね。
よく耐えてよく頑張ったね。知子はママの誇りです。
ハレルヤ!
勝利させて下さった神さまに感謝します。


いよいよ入園式まであと1週間。
今朝もユキと朝の散歩を楽しんだ。
「ユキが幼稚園へ行くとやっぱり寂しいな、でも嬉しいな、でも寂しいな、でも・・やっぱり嬉しさの方が大きいな。ユキ、幼稚園は楽しいよ。 enjoy!」と、手を繋いで歩いた。

神さまの恵みは生涯尽きることはない。
ユキ、生きるって素晴らしいよ。エンジョイ!
知ちゃんもね!!!
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posted by 優子 at 14:24| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年04月02日

あれから3年、そして、あれから2年

(2009年)2月頃、知子は春を告げる鶯の声が胸に痛かったと言っていた。
息子だけを実家に預けて一人生駒の家で呆然としている時に聞こえた鶯の鳴き声は、耳をふさぎたいほど辛かったという。
「もうすぐ春なのに・・・今頃実家で息子はどうしてるだろう」と、ベランダから見える自然をボーっと見ていたそうだ。
(過去ログ:2009年5月1日より)

知子の一大事が露見した2009年春から3度目の春が巡ってきた。
私は2009年11月13日の記事にあるユキの写真を見るたびに目頭が熱くなる。この時ユキは2歳4ヶ月、この日は1回目の調停だった。

ユキは本当に不思議な子だ。周囲の人々を導く使命を与えられている天使のようだ。私達の信仰を強め、周囲に祝福を流していくユキ。ユキは本当に神さまから知子に託された子だ。

翌2010年のイースターの知子の表情は今も私の脳裏に鮮明に残っている。娘の心はズタズタで血が滴り落ちるのが見えるようだった。この時の娘の胸中が過去ログ・同年3月28日に記録されている。

「私が礼拝で流した涙は感謝の涙ではない。自分でも思いもしなかった感情があふれ出しての涙だった。
今はキリストの愛からゆるしているのではない。ゆるしの動機はイエスさまの十字架の愛からではない。悪に手向かうと巻き添えを食うからだ。だからしかたなく諦めから無抵抗になっているだけだ。
私の涙は感謝や再生への涙ではなく悔しさに耐える涙だ」。


そして、私は「知子の心と身体を完全に癒して下さるように。」と書いた。それを読んだ知子は、「まだ2年しか経っていないのに完全に癒されている!神さまってすごいね」と言った。

知子は今、神さまのために心を砕く日々である。それだけではなく、神さまが私に千里さんという友を与えて下さったように、不思議としか言いようのない出会いによって、小さき者たちのために労しておられる(女性)牧師とオルガニストと出会わせて愛の交わりの中で育まれている。今月末には私も御目文字が叶うであろうと楽しみにしている。

過日(3月8日夜)、私はお風呂の番を待ちながらその日に書いたブログを読み返してから過去ログを開いた。
2009年5月1日の記事と知子とユキの写真は忘れられない。
http://yukochappy.seesaa.net/archives/20090501-1.html)。
そして、いつも遠くから知子とユキを見ておられた生駒警察の婦人警察官が、久しぶりに見る激痩せした知子に人生の一大事を察知されて話して下さった言葉も忘れはしない。心からの愛の行為だけが人に伝わり神に用いられるのである。

知子がそばに来たので読んでもらった。
今の知子はどのように感じるのか知りたくて、読んでいる知子の表情を見守っていた。読み終わった知子は淡々と語った。

「これは過去のこと。過ぎ去ったことやわ。まるで10年くらい前のことのように感じる。『ああ、そんなことがあったなあ』と、痛みを伴うこともなく全く癒されている」。

神さまは多くの人を送って助けて下さった。我が娘のことのように一生懸命語って下さった婦警さん。私はこの頃のことを振り返るとき、いつも一番先に思い出す。あの時の感謝を決して忘れることはない。

そして、『讃美歌21』の306番を弾く知子の頬に涙が伝った。
「神さまを苦しめたことと、神さまの深い愛にふるえてくる」と語り、それはそれは限りなく美しい涙であった。

私には娘のような罪の自覚があるだろうか!
どれほど神の愛がわかっているだろうか!
私だけではない。クリスチャンの多くの者がそうでないだろうか。いつしか機械的に流れてしまい、最も大事な目的を見失ってやっているようではイエスさまが悲しまれていることだろう。

牧師は、私たちは何のために神のメッセージを語るのか!
私たちは何のために文書伝道しているのか!
「何のために」ということを考えるならば自ずと姿勢は正されるだろう。先週はあることをきっかけに娘に深く教えられる日々だった。
 

『讃美歌21』306番:
       あなたもそこにいたのか、
       主が十字架についたとき。
       ああ、いま思いだすと
       深い深い罪に
       わたしはふるえてくる。

       あなたもそこにいたのか、
       主がくぎでうたれたとき。
       ああ、いま思いだすと
       深い深い罪に
       わたしはふるえてくる。

       あなたもそこにいたのか、
       主が槍でさされたとき。
       ああ、いま思いだすと
       深い深い罪に
       わたしはふるえてくる。

       あなたもそこにいたのか、
       主を墓におさめたとき。
       ああ、いま思いだすと
       深い深い罪に
       わたしはふるえてくる。

       あなたもそこにいたのか
       主がよみがえられたとき。
       ああ、いま思いだすと
       深い深い愛に
       わたしはふるえてくる。


この曲は「お気に入りリンク」の『讃美歌midi集』の中程にあるので、その題名をクリックしていただくとオートリバースで聞くことができる。

また、575番も心に響く讃美歌である。
今悩みの中にある方には希望を抱かせ、悩みを突き抜けて自由人へと解放された方は神が生きて働いておられることを深く噛み締めることだろう。(http://www.youtube.com/watch?v=3Rl6-iv8uek

     1 球根の中には 花が秘められ、
       さなぎの中から いのちはばたく。
       寒い冬の中 春はめざめる。
       その日、その時を、ただ神が知る。

     2 沈黙はやがて 歌に変えられ、
       深い闇の中 夜明け近づく。
       過ぎ去った時が 未来を拓く。
       その日、その時を、ただ神が知る。

     3 いのちの終わりは いのちの始め。
       おそれは信仰に、死は復活に、
       ついに変えられる 永遠の朝。
       その日、その時を、ただ神が知る。


「知ちゃん、私達はこの世の努めが終わるその日まで、神様のご計画なんだから、その時までこの世の努めに励みましょう」。
知子に下さったY姉のお言葉である。

3年前は鶯の声を聞いて、「今は痛みは感じないけれど、美しさも何も感じない」と言った知子。今年はきっと忙しすぎて耳にも入っていないだろう。何事でも真剣に取り組み全力投球する生き方は素晴らしいけれど、頑張りすぎないように手のわざを休める時間はことのほか大切だ。それでこそ最高の働きができるのだからね!

ユキの入園式を前に私は3年間の日々に思いを馳せる。今日、大阪で桜の開花宣言があり、いよいよ春の開幕である。


posted by 優子 at 23:01| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする