2012年05月31日

Exodus 今の事業展開は「出エジプト」の如し

今や会社(美濃紙業)での知子の働きを何に喩えようか。取締役に就任して以来、出(しゅつ)エジプト記(12章〜15章)の紅海を渡るモーセのようで、モーセを通して現された神の奇蹟の中にいるようだ。

知子もまた神に祈りを捧げて徹底的な経営改革に取り組んでおり、会社や社員はモーセに導かれてエジプトを出国するイスラエルの民のようである。

だからこそ知子の姿が湖上を歩くペテロの姿とも重なり、私は自らにも語りながら知子に語り祈る日々である。
「苦境の現実を恐れないで、絶対に主イエスから目をそらさないようにね!」と。マタイによる福音書 14章28節〜33節の箇所だ。
するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。
イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。

イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。 ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。

今年早々から昨年にも増して知子はどんなに密度の濃い仕事をこなしていっていることか!

子供を幼稚園へ送ってから大阪駅のホテルへ直行し、依頼した有能なスペシャリスト達との3時間にわたる会議も何度かあった。まさにエンカウンターであり、祈りつつ励むとき不思議な出会いのハプニングが起きる。

この方々に先立って昨年に大きな出会いがあった。私にとっての西口孝四郎氏のような、知子にとって初めての忘れられぬ人物と既に出会っている。会社の身近な方だ。

子供を眠らせてからも夜遅くまで膨大な資料を読んだり文書を作成することもしばしばで、昨夜も午前1時前までやっているので健康を害さないか心配だ。

そうは思っていてもそのあとで時間を気にしながら、知子と教育観や生き方について熱く語り合い共鳴し合っていた。私たちは常に語り合っている。
かつて真智子とは何度も何度も昼も夜も熱く語り合ったものだ。知子とも語り合えるようになったのは何年ぶりのことだろうか! これぞ最たる喜び、最も生きがいを感じる時だ。

ついに知子の知力は全開し、強靭なのは精神力だけではなく肉体的にも決して同年齢の人たちに劣らないだろう。3年前の姿は別人のようで、これはもう奇跡としか言いようがない。私は知子を立たせて動かしておられる聖霊(神さま)を強く感じる。

今日は幼稚園で保護者参加の虫歯予防教室があった。来月は何度か親子のイベントがあり、「子供第一に」とは言え全てに参加できないので、出席するならばどれがいいかを先輩方に尋ねて選択した。そこで今日は私の出番となった。

ユキは伸び伸びとお友達と交流している。今週初めなど、知子が当番の朝でもないのに、ユキが「出発進行!」と大きな声をあげたというではないか。私には飛び上がりたいほど嬉しいニュースだった。

今日も先生が「朝からすごくエンジョイしておられますよ」と仰ったので、「幸悠は土曜日も日曜日も幼稚園があったらいいのにと申しているんですよ」と言うと、「そんなに嬉しいことを言ってくれているんですか」と満面の笑みで仰った。ユキも心満たされた日々を過ごしているので、一歩家を出たら仕事に専念できる。

明日は月初めの朝礼があるので知子は父親と家を出、今月もまた濃密なスピーチをすることになっている。
美濃紙業の全体像と問題点を浮き上がらせるために専門家による社員のヒアリングを行うこと、7月1日から施行される「育児・介護休業規定」等々・・・。

神さまは常にパラドキシカルで、最悪を通して最善へと導かれることを私は知っている。

知子がよく口にする言葉:
「お祈りしながら 
力いっぱい できることをしたら、
神さまは きっと 手伝ってくださる」。

アーメン!
栄光への脱出、希望に満ちた展開になるだろう。
今や夫も聖霊の働きを感じているはずだ。2007年の真智子と私のスカイプを通して「聖霊の存在を感じた」と教会で告白した夫だから!
神さまと知子のミッションを祈りで支えよう。



posted by 優子 at 23:59| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2012年05月30日

漱石の「私の個人主義」

今日はスローダウンから脱しつつあるが、この1週間ほど身体が重くしんどくてならなかった。元来が怠惰な者ゆえに自らに鞭打つも動けなくて、挫折感も加わって心身共に冴えない状態でゴロゴロしていた。

しかし、数日前から奮起して漱石を読み始めている。日本クリスチャンペンクラブの6月研究例会に備えての読書だ。

夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、遠藤周作は、これまでに私の中で何度かブームがあった。漱石を読むのは2005年以来だろうか、それまで継続していた思索活動は長女の一大事で一変してしまい、2009年春以降じっくり文学作品を読んだ記憶はない。

今回の課題図書の一冊『私の個人主義』は、今からちょうど100年前の1912(大正3)年11月25日に、漱石が学習院輔仁会で講演した記録である。
それは『こころ』を書いた2年後であり、亡くなる4年前のことだ。漱石の言う「個人主義」は「自己本位」と同意語と解することができる。

講演記録とあって漱石を直に感じ、早々からまるで私も聴衆の一人になって聴いているような気分だった。21世紀に入った現代でも全く異和感がないどころか、現代人は今も同じ課題で励んでいるのであり、100年前に風穴を開けた漱石の偉大さを思う。

次に思ったことは、漱石はもとより聴衆も全て死んでしまったことを思い、暫くの間ぼんやりと一点を眺めながら限りある人生をいかに生きるか、また、同時代の人々との連帯感に考えを馳せていた。

かつて私は漱石の晩年の境地を表す「則天去私」(天に則り私を去る)を、「『自己本位』で自己の精神を確立支配しようとして成らず、その対極にある『則天去私』を唱え迷走した。」と読書会の機関誌に書いたが、「則天去私」は「自己本位」と対極にあるのではなく、その延長線上にあるとも捉えられるのではないか。

というのは、漱石が生涯かけて求め続けた問いかけに対して光らしきもの、結論への手応えを感じつつあった時に人生の終焉となって、「いま死んじゃ困る。いま死んじゃ困る。」と言ったのかも知れないとも考えられる。
http://yukochappy.seesaa.net/archives/20060128-1.html

「耶蘇嫌い」で有名な漱石だが、キリスト教の影響を強く受けている。
いずれにしても、漱石は生涯求め続けてきたテーマの解決を得ずに人生を終えたと見るのは妥当であろう。そんなことを考えたあと、最近よく思い出す西口孝四郎氏の言葉が脳裡に浮かんだ。
 

「文学に玄人も素人もない。即ち学問のあるなしではなく、それぞれの感受性が勝負になる。自分の立場で深く読んでいくことが大切であり、目に見えないものを見、耳で聞こえないことを聞くのが文学を読む者の心である。

文学研究家には、作品について問題が出てきた時に、文献上の知識を話して頂だけばよい、そういうことだ」。

http://yukochappy.seesaa.net/archives/20080226-1.html

この姿勢は漱石の、「この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。」と語った考え方と類似する。

文学作品を作る者と読む者の違いこそあれ、読む側も評論家の説を鵜呑みにするようではいけない。独自の読み方を深めていきたいものだ。研究例会ではクリスチャン文学者の評論を拝聴できるので自分の文学を深める機会となる。
以下は私の読書メモとして本文から引用抜粋したものである。

それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。

もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。

ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。

容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡(もた)げて来るのではありませんか。

すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。

必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。

もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰(ふみつぶ)すまで進まなければ駄目ですよ。――もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。

・・この私は学校を出て三十以上まで通り越せなかったのです。その苦痛は無論鈍痛ではありましたが、年々歳々感ずる痛には相違なかったのであります。

だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならん事を希望してやまないのです。

もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思うから申し上げるのです。

なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。
そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。

それで私は常からこう考えています。第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。

今までの論旨をかい摘(つま)んでみると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。

第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。
第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重じなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。
 
これをほかの言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。

それをもう一遍云い換えると、この三者を自由に享(う)け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。

私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚(はばか)らないつもりです。この個人主義という意味に誤解があってはいけません。

個人の自由は先刻お話した個性の発展上極めて必要なものであって、その個性の発展がまたあなたがたの幸福に非常な関係を及ぼすのだから、どうしても他に影響のない限り、僕は左を向く、君は右を向いても差支ないくらいの自由は、自分でも把持(はじ)し、他人にも附与しなくてはなるまいかと考えられます。それがとりも直さず私のいう個人主義なのです。

『私の個人主義』はネットの「青空文庫」でも読める。(http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html


posted by 優子 at 18:17| 文学 | 更新情報をチェックする

2012年05月26日

早くも虫採り始まる

「ユキちゃん活発になったねえ。参観日の時も園庭を走り回っていましたよ」と、幼児教室でご一緒だったお母さんが仰った。ユキの変化はかつてのユキを知って下さっている人の目にも明らかで、今や集団生活に溶け込みエンジョイしている。

とにかく幼稚園が楽しくてならないユキだ。
「今は土・日がお休みだけれど、ママやマチの時は幼稚園や会社も行ってたよ」と話すと、「昔はよかったなあ。もういっかい昔になってほしいな」と、早くも月曜日を楽しみに待っている。

今朝は爺(じい)幼稚園長が早々と虫採りに連れて行ってくれた。虫とりの網とかごは、既に教会の帰りに買って準備OK!

もう虫採り?.jpg

只今4歳10ヶ月。大きくなったねえ。

この網、実はユキよりも先に私が昨日の朝に使った。家の中で。
洗面所の天井にとまっている蛾を捕まえようと奮闘したが、簡単なようでむつかしく、「エイ!」、「キャー!」と何度も声を上げて、ようやく4度目につかまえて外へ出ていってもらった。
蛾ならば対決できるが〇〇は怖くて動けなくなってしまう。字を見るのも怖いアレ( big spider)、 苦手な季節到来である。

今年も去年同様に毛虫が多くて、駅近くの人は箒とちりとりで集めておられた。それでも道路は踏まれた毛虫だらけで一面が毛虫色の絨毯を敷いたようだ。成虫になるまで生き残れるのは1割ほどか・・・

こんなに採ったよ!.jpg

「ママー、見て!こんなにとったよ!」

かごの中には、モンシロチョウが6匹、アゲハ蝶、トンボ・・・と、たくさんの虫が入っていた。
虫を逃がしてあげようね.jpg
逃がしてあげようね。

放されたトンボがおじいさんの肩にとまっている。
飛んでいったね.jpg
チョウチョウも飛んでいったねぇ。

朝夕は未だ肌寒く8時前からの虫とりは寒かったそうだが、途中から日陰を歩かないと暑く、9時半に帰宅した時のユキは汗で髪の毛がぬれていた。今からこれだと夏が思いやられる。 

これは昨日の登園風景。
ユキは雨の日も大好きなんだって。子供ってステキ!
嬉しい雨の日@.jpg 嬉しい雨の日A.jpg



posted by 優子 at 14:07| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年05月24日

神戸連続児童殺傷事件から15年

今年もまた5月24日という日がめぐってきました。淳が私たち家族の前から姿を消して15年という年月が経ちました。15年という期間は長いように感じますが、今でも子供の可愛い笑顔を、つい昨日のことのように思い出します。
 
今年も、弁護士を通じて加害男性からの手紙を受け取りました。手紙の内容については公開することができませんが、この1年の間にも、彼自身に大きな変化があったようで、自分自身に向かい合い始めたのではないかと思われるような内容だと感じました。

現在、私たちが加害男性と能動的に関わることは困難かもしれませんが、事件の真実を求め続けていきたいと思います。(後略)

この手記は土師(はせ)淳君の父・守さん(56歳)が、昨日弁護士を通じて朝日新聞社他に寄せたものである。全文は朝日新聞デジタル(http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000001205230010)で読むことができる。

1997年3月から5月に神戸市須磨区で発生した「須磨連続児童殺傷事件」(別名「酒鬼薔薇事件」、「酒鬼薔薇聖斗事件」)は昨日のことのように思い出される。

3月16日、小学4年の山下彩花ちゃんが金づちで頭を殴られ死亡、同日午後、小学3年の女児が腹をナイフで刺され重傷。そして15年前の今日、小学6年の土師淳君が殺害された。

5月27日未明、犯人は頭部を中学校の校門前に遺棄し、神戸新聞社宛てに届いた声明文は我々を震い上がらせた。そして、6月28日、犯人が逮捕された。14歳の少年だった。

この猟奇的な痛ましい事件が起こった時、5月15日未明に父が重い脳梗塞に倒れて何とか命を取り留めた頃だった。しかし、今までの父ではなく、「魂とじかにつながっていないような目をしている」父に変貌していた。

父のことを記したノートには父のことばかりで、事件のことは一言も見出すことはできなかったが、私は心の中で事件のことを何度も父に語りかけていた。

山下彩花ちゃんの両親も命日の3月23日を前に手記を寄せ、心境を語っている。神戸新聞(2012/03/16 08:00配信)より抜粋:
神戸市須磨区の連続児童殺傷事件で、山下彩花ちゃん=当時(10)=が襲われてから3月16日で丸15年。両親の賢治さん(62)と京子さん(56)は、命の尊さを訴えるとともに、見えることのない加害男性の「今」に悩んできた。

「彩花が赤ちゃんを産むとき、そばに寄り添い、母親になる喜びを伝えることが、私のささやかな夢でした」。今月7日、京子さんは今年も、彩花ちゃんが通った同区の竜が台小を訪れた。涙を浮かべ、児童一人一人の顔を見つめ語りかけた。

事件後に支えてくれた人たちへの感謝や、彩花ちゃんに教わった「命の尊さ」。京子さんはそれらを語り継ぐことが使命と考え、講演を続けてきた。

京子さんは体調を崩し、乳がんも患ったが、夫婦で事件に向き合ってきた。「苦しくても正面から立ち向かえば、いつか道は開け、笑顔になれる。逃げないで生きてきてよかった」。そう思えるようになった。

「ずっとそばにいるよ 姿は見えなくても… 彩花」。同校の正門近くに植えられた「彩花桜」は、プレートに刻まれた両親のメッセージに見守られている。

事件がなければ今年で26歳になる彩花ちゃん。二人は彩花桜が満開になるのを楽しみにしている。

男性の「今」を垣間見るのは年に1度の手紙だけ。「(男性と)直接会って話したいという思いと、会ってしまったら自分がどうなってしまうのか分からない怖さがある」と、揺れ動く胸中を明かした。

また京子さんは20日、「大切な人を亡くした遺族にとっては心の区切りなどないような気がします」などとつづった手記を神戸新聞に寄せた。

腹部を刺され重傷を負った当時小学3年だった女児は24歳になり看護師の道を歩んでいる。以下は神戸新聞(2012/05/14 10:17配信)より抜粋:

女性は今でも、テレビドラマで人が刺されるシーンを直視できないという。一時期は、10代くらいの少年を見掛けると、刺された時の恐怖がよみがえり、足がすくんだ。

友人に傷を見られるのが嫌で、修学旅行に行くのを渋ったこともあった。「あの時の腹部の傷もまだ残っています。身も心も傷つきました」と手記に記す。

女性の両親は、これまで加害男性の両親と5回ほど面会したという。女性は「15年間、事件にも負けず生きてきました。私の気持ちがやっと伝えられるときが来たと思います」と手記に記し、次の機会には一緒に会うつもりだ。

「自分の言葉で被害者の思いを伝えさせたい」と母親(51)。男性の両親の15年を思い、「成長したこの子の姿が、男性の両親にとって救いになるかもしれない」と、複雑な心境ものぞかせる。

女性は「つらい経験も絶対無駄にはしません。仕事に誇りを持って生涯生きていきます」と手記を締めくくっている。

過去ログ・2008年9月8日で『「少年A」この子を生んで』を取り上げて感想を書いている。この本は事件から2年後に書いた加害者の両親の手記である。http://yukochappy.seesaa.net/archives/20080908-1.html

現在はどのような思いで生きておられるのだろうか。
罪を犯した側の親の苦悩もまた計り知れない。被害者の御遺族と加害者関係者の苦悩の生涯を神さまが伴って下さるように。神の慰めが届いていればいいのだが。

「わたし(イエス・キリスト)は、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」。   
                 (マタイによる福音書 28章20節)



posted by 優子 at 10:24| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年05月23日

ワシントン時代に自動車免許取得!

ユキが幼稚園へ行くようになって私の食生活が悪くなった。今日は今も昼食を食べていない。
朝は洗濯物を干して知子を駅まで送りがてらチャッピーの散歩に行き、帰宅後は即行自分の時間に入る。家事は後回しにして体調のいい時にはコーヒーを入れて読み書きの時間になる。それでも9時半頃になっているので、気がつけば午後1時すぎというのはザラだからそれからが大変だ。

ユキを公園へ迎えに行くまでに、掃除、台所、お風呂洗い(ただし浴槽のみで、周囲は知子がマメに掃除してくれる)、そして、洗濯物を取り入れると制限時間いっぱいになって迎えに行くというわけだ。

今日は11時前にワシントンの真智から電話があり20分間ほど話していた。この時、お互いにパソコンがオンラインになっていたが、最近ずっと真智子側のスカイプの調子が悪く、こちらの音声が届かないので電話をかけてきてくれたのだ。

電話の音声は鮮明で間延びもなく、すぐそこからかけてきてくれているようで、こんな時は遠くアメリカにいることを実感させられて寂しい。

今日(ワシントン時間22日)は休暇をとって運転免許の試験を受け、ついに免許を取得したというニュースが飛び込んできた。アメリカの事情やその様子が面白くて何度も大笑いした。

3月半ば頃からドライビングスクールに通い始めていると言っていた。アメリカのドライビングスクールは、日本と違って送迎つきで家の前まで迎えにきてくれて、そこから即、その自動車の運転席に座って運転するというシステムにビックリしたものだ。

クマは真智より2週間早く始めたので2週間前に取得した。クマ(太志君)とアライグマのラスカル(真智)が並んで運転しているようでおかしい。
「地図が読めるクマナビがいるから便利」と喜ぶ真智。また一つ新しい業務が加わった太志君。「マルチグマ」と言おうか「働きグマ」と言おうか、そのうち「何でもグマ」にさせられてしまいそう。わーい(嬉しい顔)

真智の教官(女性)は時間にルーズで、5回目は早朝の6時に指定された上に30分も遅刻されたので、今回は別のスクールを探したという。こういうシステムは日本では考えられない。

2人はレンタカーを使い始めたらしい。今はホンダのシビックが気に入っているとか。いろんな車に乗って将来自家用車を持つときの参考にしたいそうだ。

ワシントン(アメリカ)ではジップカーというレンタル会社が町のアチコチに車を配置していて、アパートのすぐ近くにも数台あるそうだ。インターネットで予約すると、その時間になると会員カードでドアが開けられるという。

返す時もガソリンは4分の一ぐらい入れておけばよく、ガソリンが切れた時のガソリン代もレンタカー会社のカードで入れ、ユーザーは1時間700円だけで利用できるという。これならば自家用車を持つよりもいいかもしれない。

仮免許代は1000円ぐらいだったと思うが、そのための練習代を入れても1人55000円ほどで取れたというから、アメリカでは誰かに教えてもらえれば仮免許代の1000円だけで取れるようだ。

今朝電話が入った時、私は過去の重い出来事に集中していた。明日で15年になる神戸連続児童殺傷事件についてだ。過去の神戸新聞を調べ、ご遺族の方々のことや加害者のことについて、また、その周囲の人々について考えていたところだった。とても重い内容だが明日の記事にしたい。

ユキは今日初めての遠足だった。バスで大阪市立博物館と大阪市立長居植物園へ出かけて、先ほど元気に帰ってきた。只今、おやつの残りを平らげて昼寝に入った。


posted by 優子 at 16:00| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

チャッピーと見た世紀の天体ショー 、「もろもろの天は神の栄光をあらわし、 大空はみ手のわざをしめす」。

「人間には直視できないものが二つある。それは太陽と死だ」。
ラ・ロシュフコーの言葉である。

ブログの更新が緩慢になった5月2週目はアクセス数がガクンと300台に下がり、12日の記事で再び786に跳ね上がった。16日の記事も849で、その間の平均は700を超えるアクセスをいただいて励みになった。

しかし、17日の「延命医療」で366に落ちた。私はラ・ロシュフコーの言葉から、人は死や老いを考えたくない見たくないのだと思った。多忙でご覧いただけなかったのが原因でなかったことは、以後も平均390に留まっているのがそれを物語っているであろう。

私としてはこれからも読者受けする内容でなくても、その時に感じ考えたことは重いテーマであっても取り上げたい。お読みくだされば嬉しい。

さて、今日のテーマはもう一つの直視できないもの、太陽だ。今朝、日本全国で沸いた「世紀の天体ショー」、金環日食の話題である。

ネットで調べたところによると、日本の金環日食は1987年の沖縄以来25年ぶりで、東京(関東)では173年ぶり、大阪(近畿)では282年ぶり、名古屋(中部)では932年ぶりに見ることができた。
「国立天文台助教の相馬充さんによると、今回のように日本の広い範囲で金環日食が見られるのは、なんと平安時代末期の1080年以来」ということだ。

今朝のことはかなり前から報道されていたのに私は殆ど関心がなかった。そして、常識と言われる程度の知識さえないままで迎えたのでガッカリして終わった。

というのは、周囲が夜のように暗くなる皆既日食から類推して、金環日食は僅か外側に輪を残すだけだからかなり暗くなるのだろうと思っていたものだから、「なあ〜〜んだ暗くならなかった」というお粗末な一言で幕引きとなった。

今朝のニュースで木もれ陽(び)でも見ることができるというのを聞いたにも関わらず、その瞬間が終わってかなり経ってから撮る始末で、今これを書き始めてようやく興味を持ち始めるのだから惜しいことをした。

これは7時41分撮影。木もれ陽に太陽の輪の半分が見える。
金環日食の木もれ陽A.jpg

7時25分頃だと輪になっているのが撮れたと思う。
次は7時47分撮影。
金環日食の木もれ陽@.jpg

チャッピーは「いつもの影と違うなぁ」と思ってるのかなあ?
「思うわけないよねぇ」(笑)

そして、7時54分撮影。
金環日食の木もれ陽B.jpg

曇り空ながらもずっとこのように明るかった!!!

余談になるが、私は関心を持っていなかったのに今朝はその関係の夢で目が覚めた。夢にストーリーはなく印象的な1シーンだけだった。

それは線路工事をしている10名ほどの人が押し迫ってくる闇から逃げる場面で、まるで聖書に記録されているエジプトの民が近くに及んできた災いから逃げるかのように、すぐ後ろまで迫ってきた日食の暗さに呑まれる寸前、プールに飛び込むように安全圏に飛び込むという夢だった。

私は前述の通りかなり暗くなると思っていたことと、意識化にあるこの強烈な「過ぎ越し」のイメージからそんな夢を見たのだろう。

「過ぎ越し」というのは映画の『十戒』にも出てくるので、クリスチャンではなくてもご存知の方が多いと思う。

イスラエルの民をエジプトから脱出させるために、神は80歳になっていたモーセをリーダーに任命して約束の地へと向かわせようとした。しかし、ファラオが妨害する。そこで神がエジプトに対して10の災いを臨ませた。
私の記憶に残る強烈なイメージとは10番目の災いをくだされた箇所で、聖書の出エジプト記12章12・13節に記されている。

「夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。わたしは主である。
その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。わたしがエジプトの国を撃つ時、災いが臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう」。


話を本筋に戻そう。
驚くべきは天文学者が金環日食の時間を算定できるほどに、宇宙の運行は天と地ができた時から今も寸分たがわず動いていることだ。

私は精神が鈍っていたこともあって関心を持てなかったけれど、各局で中継報道されている映像を見ながら、実は心の中で大きな声で聖句を朗読していた。

この宇宙を創られた神さまを知っていて、無条件に愛してくださっていること、そして、祈りを通して交わるすべを与えられていることを誇らしく思いながら。


もろもろの天は神の栄光をあらわし、
大空はみ手のわざをしめす。
この日は言葉をかの日につたえ、
この夜は知識をかの夜につげる。

話すことなく、語ることなく、
その声も聞えないのに、
その響きは全地にあまねく、
その言葉は世界のはてにまで及ぶ。
    
               (詩篇 19篇1節〜4節)

当地の小学校も登校時間を30分ずらしたそうだ。
子供たちが空を見上げながら歩くと危ないという配慮からだとわかったが、これを書き始めるまでは一瞬暗くなるからと思っていた。ふらふら

posted by 優子 at 12:47| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2012年05月17日

延命医療についてB ―胃ろう―

今夜の『NHKクローズアップ現代』は「人生の最期 どう迎える?〜岐路に立つ延命医療〜」と題して、特に「胃ろう」の問題が取り上げられていた。

「胃ろう」とは、食べられなくなった患者の腹部に穴を開けて胃に直接栄養物を流し込むものである。この10年間で非常に増えたそうだが、これでいいのだろうかという苦悩も続出しているという。

思考することも意思表示もできない寝たきりの人が、胃ろうのおかげで何年も生きることができる一方で、傍で寄り添う家族の心情から胃ろうの中止を希望する人が増えているのだ。

今年3月、日本老年医学会は「患者本人のためにならない場合には治療の差し控えや撤退も選択肢」とするガイドラインを発表した。しかし、患者本人の意思を確認できないために医療現場はどのように寄り添い関わればよいのか模索しているという内容だった。

私の母は晩年の1年3ヶ月間は口から全く食べることもできず、鼻腔から胃に達する管で栄養剤を流して生命維持された。朝に500キロカロリー、昼と夕食時には250キロカロリー、1日に1000キロカロリーの液体状の栄養を入れていた。

そもそも「胃ろう」というものがどのような発想で開発されたのか知らないが、介護や看護に視点がおかれたものであり主体が逆さまだ。
私には人間の尊厳に触れるような、経管栄養とは別の心の痛み、違和感を感じている。


これまでにも延命医療については何度も取り上げてきた。主な「過去ログ」には以下の記事がある。

◆2008年6月26日:「明日はまた病院へ。今度こそ!」
◆2008年11月14日:「我が子への父の篤い想い」
◆2009年2月5日:「聖書と生命倫理@ ―延命医療について@―」
◆2009年2月6日:「苦悩の日々を勝利させて下さった神」
◆2010年12月9日:「聖書と生命倫理F ―延命医療についてA―」


今も私の考えは更新することはない。
そして、知子と真智子に伝えておきたい。(夫にではないというのは『メメントドミニ』不読者だから)
将来、私がそのような状態になった時には「胃ろう」を施さないでね。

先日はサクランボの季節に酔ったが、私は毎年桜の花を見るたびに「何回見ても飽きないなぁ、100歳になっても飽きないだろうなぁ」と独り言を言い、いつも長生きしたいなぁと思う。

四季は何度でも巡ってくるが人生の四季は一度限り。しかも春や夏で終わる人もいるのに60歳になれたのは感謝なことだ。
そして、60代に入ったということは人生の仕上げに入ったということであるから、自分らしい仕上げに挑戦したいと密かに思っている。


posted by 優子 at 23:46| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年05月16日

見送り当番の朝は羊飼い?

ユキの通園生活が始まって1ヶ月過ぎた。それまで退屈なほどにゆったりした生活を送っていたユキにとっては、刺激に満ちた毎日だろうが順調に溶け込みエンジョイしているようだ。

しかし、ストレスフルな出来事もあった。
5月初めにトイレで順番抜かしをされて強く尻もちをついて泣いた。その泣き声で先生が飛んで来てくださったこともあった。その夜、ユキは自身の機嫌が悪くなったのを機に、そのことへの怒りの感情を激しく出した。

感情を出したのはよいが、あまりにも激しく本来のユキとの落差が大きかったので心配になるほどだった。知子と私は慎重にユキの心に寄り添った。

子供は人との関わりを通して学んでいく。嫌がらせに対してされるままになっているのではなく、「やめて!」と意思表示できる子になってほしいというのが目下の大きな課題だ。

小さいときの知子によく似ている。ユキの心を大切に関わっていこうと思う。お便り帳には先生と知子の交信記録が重ねられている。

昨日は、「ユキちゃんのおばあちゃん、〇〇ちゃん(自分の名前)ね、ユキちゃんが一番好き」と言いにきてくれる子がいて、私はユキが青年になった時のことを想像して微笑んでしまった。

今朝は昨日に続いて知子の見送り当番だった。私は子供たちを幼稚園へ送っていく様子を撮っておいてやりたくて、カメラを持ってチャッピーの散歩に出かけた。

私の姿がちょっと見えただけなのに、「あっ、ユキちゃんのおばあちゃん!」と、子供たちから一斉に声がかかった。今ではすっかり有名人?!(笑)
しかし、子供たちの気を散らすと危ないので来ない方が良い。子供たちを誘導する知子にも迷惑だ。新学期からどれだけ多くの子供たちが交通事故の犠牲になっていることか!

子供たちの顔が写っているのは掲載できないので画質を最低に落としたりしてアップした。知子とユキの良い思い出になるだろう。

見送り当番B.jpg

ユキは左端に写っている先頭の向こう側の子だ。

殆どの子供たちがマイペースで歩くので、昨日の雨の日は誘導するのが大変だったと言う。チャッピーに子供を追い込む牧羊犬(?)になってほしいが、チャッピーを放したら本犬がどこかへ行ってしまう。(>_<) 

見送り当番@.jpg

ユキは知子の右側に写っている。
外側に年長組の子が並ぶように決められている。

見送り当番.jpg

後ろに続くグループは片道45分間以上(?)もかかって登園する。校区の端にあたり、自動車の通行量が多い箇所もあるので2人で担当されているようだ。
ということは当番の日の保護者は2往復、3時間のウォーキングになる。暑くなれば大変だ。この校区の子供たちは足腰と精神力が鍛えられているので、今やユキの足の筋力もダントツではないと思う。

私は今朝の光景を見ていて、主イエスの「良い羊飼い」の話を想起させられた。イエスがパリサイ人に比喩で話されたところだ。

「パリサイ人」とはユダヤ教徒の律法(戒律)を厳格に守った派閥の一つで、形式主義や教条主義的な人、また、偽善者を意味し、イエスと激しく対立した人々である。

ヨハネによる福音書10章3節〜5節:
「門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。
羊はその声を知っているので、彼について行くのである。ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。


門番(羊飼い)は自分の羊の名を呼び、羊は自分を世話してくれる羊飼いの声を聞き分けて従っていく。イエスは羊飼いを神に喩え、羊を私たちに喩えて話されたのである。

私は今まで神さまにアクセントを置いて読むことが多かったが、今朝は羊の従順さに目が向けられた。しかも、「ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る」ということもすごいことだ。

そんなことを思うと、孫が幼い時にまことの神がおられることと本物を知るというのは何と幸いなことだろう。そうすればその絶対基準を通してそれが良いものかどうかを見分け、人生の羅針盤を持って歩んでいくことができる。

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」。(詩篇 23篇1節)" The Lord is my shepherd;I shall not want."
Amen!


次の見送り当番は金曜日。
知子はお迎えに行けないので朝ばかりを受け持たせてもらっている関係で、月に6〜7回当番が回ってくる。羊飼いさん、よろしくね!

ユキはこの子達と一緒に大きくなっていく。


posted by 優子 at 16:23| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

初めて知るサクランボの季節に

当地に引っ越して13回目の春である。この春に私は生まれて初めてサクランボができる季節を知った。
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町の端にあるサクランボの実る桜は知っていたが、昨日の散歩で教えてもらったサクランボはいつも通っている街路樹の桜だった。今まで知らなかったとは私の目は何という節穴なのだろう。

ちょうど昨日、教会員さんが御自宅に実ったサクランボをたくさん持ってきてくださった。実のなる桜はふつうの桜よりも雄しべと雌しべが長いそうだ。花も見たいものだ。

礼拝後には、ユキは2人のお友達と一緒に別の教会員さんのいちご畑へ連れて行ってもらった。露地物はこれからだそうだ。子供たちは畑でいちごを積みながら口に入れ、私たちも礼拝後の「交わりの会」でいちごとサクランボをご馳走になった。

今朝、木に実っているサクランボを見て私の心は子どものように躍った。60歳にして初めてサクランボの季節を感じたのである。私には初めて直に知った季節だ。

今日の穏やかな風はやさしく肌を撫で、小鳥のさえずりが心を癒す。
シャンソンの「サクランボの時(実る頃)」に浸り、サクランボの季節を味わおう。桜の花のようにサクランボの季節は短いのだから。

この曲を聞いていると人生の何もかもが懐かしく感じる。
母の上に起こった理屈に合わない苦難の不条理さに泣いた時も、人生がうまく行かなかった時も全てが懐かしい。心の痛みも残っているけれど・・・きっとどんなことも最後には全てが懐かしさに変わるのだと思う。

いや、人生のゴールが見えてきて、これから人生の胸突き八丁も超えていかねばならないのに、甘い懐古に浸るにはまだ早い。しかし、痛みに満ちた苦しかった日々こそが懐かしく感じられるのは不思議である。
 

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」

     (第1テサロニケ人への手紙 5章16節〜18節)

このみことばは実に真実だと思う。
だからどんなに苦しい時も、どんなに悲しい時も、生かされている間は、いつも喜んで感謝して歩いていきたいと思う。最後まで。

イエスが「互いにゆるし合いなさい」と言われたのも、ゆるさなかったら人生を破綻させてしまうことをご存知だからで、そのようになってほしくないから教えお導きくださるのだ。

おお主よ!
これからも導かれる者でありますように。
そして、私を愛の人に変えてください!

苦悩を本当に苦悩して通り抜けた人だけが聖書の教える「愛」を知るのだろう。だから口先できれいごとを並べていてはだめだ。神学や聖書の知識よりも遥かに大切なことは神との親密な関係だ。

弱さはお互いさまの姿だけれど、いつまでも心を頑なにしている人や問題を見つめないで他のこととすり替えてしまう人の多いこと。

ましてや、神と出会い、神のメッセージを語り、神を証しする人が、小さな小さな問題とも言えない日常の出来事で豹変してしまう人を見るのは悲しいことだ。

その時にこそ私たちの魂は輝きを放つのに!
その時にこそ神の平安を深く深く味わえるのに!


自分のことも他人のことも人間の本質をリアリズムの目で見ない限り、決して苦悩を通り抜けることはできないし、経験を積み上げていくことはできない。人間の本質を直視しない限り聖書の「愛」には行き着かないだろう。

ネガティブなことから目を背けないで正面から向き合い、真に苦悩を通り抜けた者だけが霊の目を開かれて神に目覚めるのだと思う。

神さまが創られた美しい自然、さくらんぼを見ていたら、私の霊は神をほめたたえずにはおられず、何度も神の息吹きを深呼吸しながらいつまでも満面の笑みを天に向けていた。

さくらんぼ.jpg

この記事は大好きなマリオ・アカールの「さくらんぼの季節(時)」(私訳)を聞きながら書いたので、この曲を聞きながら読んでくだされば嬉しい。
" Le Temps des Cerises " (Mario Hacquard)
http://www.youtube.com/watch?v=Zh39Eoyy4O8&feature=related

附記:12日の土曜日のこと、このサクランボの木の下に夫は携帯電話を落としたのを知らずに松竹座へ出かけた。

あの朝、知子とユキがチャッピーを連れて駅まで送ってくれたのだが、私は知子と喋りしながら歩き、後ろから夫とユキが歩いていた。
そして、夫はサクランボの実をユキに取ってやろうとジャンプし、その時に携帯電話が胸ポケットから飛び出てしまったのだ。

ようやくそのことを思い出して、10時間後に夫の手に戻った!


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年05月13日

私の「母の日」

今朝はさすがに寒くて1時間ほど暖房を入れた。1週間前から入浴前には5分間暖房を入れて入っている。

さて5月第2週目は「母の日礼拝」を捧げるが、今所属している教会では創立記念礼拝と重なるためか「母の日礼拝」はなく、「母の日」の言葉さえ聞かないのは不思議に思う。今年も理由を聞かないまま帰ってきてしまった。

同志社や母教会の日本イエスキリスト教団・放出(はなてん)教会では、「母の日礼拝」には毎年讃美歌510番を歌っていた。中学生の時から歌っていた讃美歌は今も私の脳裡に深く刻まれている。特に2番と4番の歌詞が胸を熱くする。
@ まぼろしの影を追いて 浮世にさまよい
移ろう花に誘われ行く 汝が身の儚さ

(繰り返し)春は軒の雨、秋は庭の露
母は涙 乾く間なく 祈ると知らずや

A 幼くて罪を知らず 胸に枕して
むずがりては手に揺られし 昔忘れしか


B 汝が母の頼む神の 御元には来ずや
小鳥の巣に帰るごとく 心安らかに


C 汝がために祈る母の いつまで世にあらん
とわに悔ゆる日の来ぬ間に とく神に帰れ

亡き母は今も私の心に生きている。いや、年を取れば取るほど母の面影は強くなっている。
母は70歳で、父は75歳で逝った。私は母や父の年齢を超えるのだろうか。母と同じならばあと10年。もはやそれほど長い時間とは言えない。

少ない蔵書ながら読んでいない本がたくさんあるので、買い集めた本くらいは死ぬまでに読みたいと、孫の入園を期に少しずつ本来の生活に戻しつつある。
そんな昨今であるが、今年になって久々に人間の不可解さに悩むことが多い。相手は信仰を同じくするクリスチャンのことゆえに考えさせられる。

先週から読んでいる『霊的な出発』(高橋たか子著)に今の私の気持ちを代弁してくれているような文章があり、笑いが出るほど明るい気持ちにさせられた。

「人と人の間は何とむつかしいことであろう。
若い頃からあまりにも多種多様な人々と出会ってきて、その都度むつかしさを通り抜け、もうこれ以上のむつかしさはあるまいとおもうほどになっていた私ではあったが、それでもまだ、新手のむつかしさが次から次へと襲ってきたこの数年の体験を考えるにつけ、人間ってますますわからないものだ、という想いにとらわれる」。
     

今日の夕方の散歩で長女が面白いことを言った。
「今まで経験したそれらの人々をパターン化できない?」
「それはできないわ、10人十色だから」と言ったものの、クリスチャンたちの場合は同じ範疇でくくれるようだ。

若い頃ならば相当に悩み抜いたと思う事例ばかりである。私ならば知子と違って信仰もぐらついたかもしれない。
しかし、さすがに60年の人生を踏んできた経験からバウンダリーズ(境界線)を引ける。いい年をして、もはや同じような例題にたっぷり時間をかけることはない。

素直な心を保持し内省できる人々との交わりを大切にしようと、これを書きながら今日の感情も整理されて神の平安に至った。知子との会話が大きな助けとなった。

ワシントンにいる次女夫婦から「母の日」のグリーティングカードが届いていた。
「ママ、今日は母の日だね。いつもいっぱいの愛情をありがとう! ・・・  真智子 」

「優子お義母さん、いつも想ってお祈りいただいていてありがとうございます。・・・健康が守られて、お義母さんの情熱が発揮できるよう、お祈りしています。  太志」

いつも心に覚えてくれ、いかに遠く離れていようとも心と心を行き交わしながら生きる幸せ。そばには長女と孫、そして、夫がおり、その生活を感謝し、幸せを味わい尽くしながら生きたいと思う。

その夫はついに昨夜風邪でダウン。今日は一日寝ていたが非常に辛そうだ。今夜も7時過ぎからベッドに入った。お風呂には入ってもらって。

ユキの風邪は全快したが、結膜炎は完治までもう少し。
4月28日に受診した時は全く異常はないとのことで、抗アレルギー点眼薬を処方された。しかし9日のこと、痒がっていた右目を真っ赤にして帰宅。
幸運にもこの日は夫が早朝からゴルフだったので帰りが早い。5時半過ぎだった、夫の帰りを待ってすぐに眼科に連れていってもらって結膜炎と判明。ついでに隣りの内科で私も薬を処方してもらった。

夫はゴルフで疲れているであろうのに、嫌な顔をしないで連れていってくれた。これは「傍若無人man」の長所の一つであるが、勿論、私は心からの言葉を十分にかけてお願いし、心からの感謝の気持ちを伝える。そして、孫への教育的配慮も忘れない。

知子と私の風邪は昨夜を境に今朝からかなり良くなった。ここにくるまで1週間かかったから夫はまだ数日かかるだろう。


posted by 優子 at 22:07| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

今日の歌舞伎は悲しくて気分転換にはならなかった

今日は夫婦で松竹座へ出かけた。今回は長女と行き、夫は孫を交通科学博物館へ連れて行くはずだったが、孫は昨日も幼稚園を休んだので例年どおり夫婦で出かけた。20年ほど前から歌舞伎を観る機会が与えられ、いつしか歌舞伎の世界を楽しんでいる。

「團菊祭五月大歌舞伎」午前の演目は、「歌舞伎三大名作の一つ『菅原伝授手習鑑』の中でも特に人気の高い名場面」の『寺子屋』と、「狂言の『花子』をもとに作られた」舞踏劇『身替座禅』、そして、おなじみ近松門左衛門の梅川・忠兵衛こと『封印切』だ。

藤十郎の忠兵衛と菊之助の遊女梅川だが、江戸歌舞伎役者は上方にはなじまない感じがした。
印象に残っている片岡秀太郎の梅川のように、上方ものは上方の役者でないと良い味をだせないのではないだろうか。江戸は江戸出身の役者というように、それぞれの地方出身の人物にこそ独特の味わいがあるように思う。

『寺子屋』は男女を問わず周囲の観客が涙を拭いていた。
松王丸(松緑)と千代(菊之助)が我が子・小太郎を菅秀才の身代わりにする話。封建時代の信じ難い悲しみと憤りの方が強くて最初は涙も堪えていたが、首を落とされた子の亡き骸を見て涙が吹き出してきた。

主君のために愛する我が子を身代わりに立てなければならない親の気持ちと、健気に死んでいった幼い子供のことが頭から離れず、今回は気分転換どころかそれとは反対に、松竹座を出たとき悪夢から覚めた時のように現実世界でよかったと思った。それもまた、それほどに感動させられたということだが。


それにしてもずっと肌寒い日が続いている。今日はもう肌寒いどころではなく、心斎橋でもセーターを着ている人を何人も見た。4月初めの服装では寒くて、松竹座を出ると夫に引っ付いて腕を組んで歩いた。高島屋へ寄ったのはいいが1時間も食料品売り場をウロウロしてしまった。

夫は風邪がひどくなってきたこともあってしんどがるので椅子に座って待っててもらい、私は何回も見て回ってユキと知子に満足してもらえるようなケーキを選んだ。

大学時代は地下鉄御堂筋線の難波で下車して南海電車に乗っていたので、高島屋界隈は毎日通っていた所である。しかし、心斎橋どころか高島屋に寄ることも数えるしかなかったので未だに高島屋の中がわからない。お気に入りの七味を買うにも案内人の助けをかりねば全くわからなかった。

明日は「母の日」だからもうすぐ5月の半ばになろうとしているのに、明日の最低気温が5度と予報しているから尋常ではない。

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年05月11日

「母の日に思う」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより 36―

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「母の日に思う」 (村上 宣道牧師)

「親孝行したい時には親はなし」などと言います。今は「親孝行」という言葉すら死語になりつつあるといわれます。母の日に際して、親に対して、ことに母親に対しての私たちのあり方について、聖書はどう教えているかを少し考えてみたいと思います。
 
旧約聖書の箴言には、「わが子よ、あなたの母の教えを捨ててはならない」ということばや「愚かな人はその母を軽んじる」とか「年老いた母を軽んじてはならない」というようなことばが何回か出ていて、母と母の教えを尊ぶべきことを教えています。
 
イエス・キリストもこの地上で人の子としての生活をされた時には、両親に従い、大工として働き、家計を助けたといわれています。
父ヨセフは早く他界したと思われますが、ご自分が十字架につけられて殺される時、母マリヤはその十字架のすぐ近くで、わが子の苦しみを見守っていました。

イエスが十字架上で発せられたことばが七つ聖書に記されていますが、その中の一つは母マリヤに関することでした。
イエスは十字架上で間もなく息を引き取ろうとする時、わが子の苦しみを目の当たりにしながら、悲しみもだえている母のことがとても気になられたようです。

ただ一人、弟子たちの中で、十字架のそばにいたヨハネを見ながら、母マリヤに「そこにあなたの息子がいます」と言われ、ヨハネに向かって「そこに、あなたの母がいます」と言われたのでした。「その時からこの弟子は彼女を自分の家に引き取った」と、聖書は記しています。

主イエスは耐えられないほどの苦しみのさなかにありながら、自分を生み育ててくれた母親のことを心にかけ、愛する弟子に、その後の面倒を託していかれたのです。
 
親を、家族を大切にするということは、聖書が一貫して教えていることです。その親孝行についてですが、日野原重明先生が新聞に次のようなことを書いておられました。

「親の愛情は『海より深い』などと例えられるが、その愛情のお返しを子どもに望むべきではない。親は、子どもが社会のニーズに貢献することが一番望ましいと考えて欲しい。子どもは親への感謝の心を無形の言葉で返せばよい」ということでした。
 
私たちが神様に喜ばれる生き方をし、少しでも社会のニーズにお応えできる生き方をしていくこと、それが今も変わらぬ親孝行につながることなのではないでしょうか。


posted by 優子 at 20:55| 引用文 | 更新情報をチェックする

2012年05月08日

良い一日をね!

1泊2日の旅行から帰ってきた翌5日の午後、ユキも一緒に夫と買い出しに着いて来た。2件目の店内で選んだお菓子をカゴに入れると、「先に行って自動車で待ってるから」とユキは自分から休憩を申し出た。

帰宅してすぐに知子に報告。ユキを抱くと熱い。38度5分の熱があり、夜には39.5度にまで上がった。

私の子育て中、熱だけならば2日ほどは様子を見てもよいと医師に言われたので、遠くにある救急医療機関にも行かずに朝まで様子を見ることにした。

疲れというよりも風邪のようだ。翌朝、37度台になり夕方には平熱に下がっていたが、寝ると咳き込んでいたので月曜日(昨日)は幼稚園を休ませた。

私も土曜日の午後から喉が痛くなり夜にはしんどくなり、6日の礼拝は全員欠席した。昨日は1日中ユキとゴロゴロしていたが夜はもっとひどくなり、夫も風邪薬を飲んでいた。
今日は幼稚園の創立記念日で休み。ユキは快方に向かっているが、私は相変わらずしんどい。

病気の人々のことを想う。
元気な者は健康でいることが当たり前のことのように思い、神さまからの賜物であることをしばしば忘れることがある。私も例外ではない。しかしまた、よく思い出すほうであるとも思う。

もっと正直に言えば、病床にある人々のことを思うといつも気持ちが滅入る。母と父の晩年のことや、病院の中ではお正月もゴールデンウィークも休みなく変わらぬ日々が続いているのを思い、加齢と共に自分のことが現実感をもって想像できるからだろう。

病床にある知人友人を覚えて祈り、その人たちを忘れてはいないことを伝えることができますように。

健康でいることが当たり前ではない。健康も家族も仕事もすべて、今与えられているものは神の賜物である。それらを失ったり損じた時に、そのありがたさや価値に気づく。

家族とのかけがえのない日常生活も仕事が与えられていることも全ての全てが感謝である。傍若無人な夫も感謝なのだ。いつもそのことを忘れないで生きることができますように。

当たり前ではない今日という1日、いのち。
そして、病む時には私もまた耐え忍ぶことができますように。

常に神への感謝の気持ちを忘れないで生きたい。それが今日を大切に生きるということであり、最も悔いのない生き方だと思う。その意味を込めて、近隣の人にもしばしば「良い1日をね!」と声をかける。

そして、今日も最愛の娘にそう言って送り出した、「良い一日をね!」と。


附記:今日、私より年上のご夫妻がヨーロッパ旅行に出発された。いくつもの病気を抱えての方だけに嬉しくてならない。健康が支えられて良き時間を過ごされるように、旅の御無事と祝福をお祈りしている。るんるん


posted by 優子 at 14:58| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年05月04日

北近畿丹後鉄道の旅 

幸運にも1ヶ月ほど前に旅館の予約が取れた。その直後、次女夫婦から休暇の調整がつかないのでゴールデンウィーク頃の帰国は叶わぬとの連絡があり2人分キャンセルした。

そして昨日、私たち4人で片道4時間少しかけて日本海・夕日ヶ浦温泉へ出かけたが、悪天候のために目の前の海岸を散歩することさえできなかった。もうやだ〜(悲しい顔)
雨雨雨の日本海.jpg

雨風でホテルの部屋から窓越しに見ただけの日本海。

大阪から「こうのとり」で天の橋立まで行き、そこからタンゴエクスプローラーに乗り換えて木津(きつ)温泉駅へ。

タンゴエクスプローラー.jpg

窓が大きく流線型になっているのが特徴の列車である。

丹後エクスプローラーに乗ったよ!.jpg

木津温泉駅プラットフォームで.jpg
木津温泉駅のプラットフォーム(柱の左横)に足湯があった。

木津温泉駅.jpg

宿泊所はここから車で数分先。
連絡するとすぐに迎えに来てくださった。

帰りはタンゴ・ディスカバリーで福知山まで.jpg

帰りは、このタンゴ・ディスカバリーに乗って福知山まで戻った。

昨夜の夕食でのエピソードを一つ。
言葉の少ない義母に似た仲居さんが、「速いですねえ」、「本当に速いですねえ」、「速いですねえ、1時間以上も速いですよ。まだ6時45分ですよ」と、お料理を運ぶたびに夫の食べるスピードに仰天された。こちらまで影響されて困る。

ユキは車窓から鯉のぼりを見つけては「アッ、鯉のぼり!」を連発した。いろんな電車に乗って嬉しかったはずなのに、ようやく家に着いたと思ったら、「今からお散歩に行きたいよー。電車見に行きたいよう」と言うので倒れそうになった。

そして、帰宅直後におじいさんと一緒にチャッピーの散歩に行って満足そうに帰ってきた。ユキにはこの平凡な日々が良いようで、帰宅してから爆発的な食欲に戻るのも私ソックリだと知子が笑う。

とは言え、今回はアイナメの天ぷらをひと切れ残したものの、「〇〇に一晩泊まればトドになる」という売り文句どおりたくさんのご馳走でトドになってしまった。(笑)

ここから若狭湾原子力発電所群はすぐ近くだ。美しい風景を見ていると失われた福島を思い起こさずにはいられなかった。
この美しい自然はここが故郷の人たちだけではなく、全ての日本人の心の故郷でもある。そのことを最も強く感じさせた旅だった。

単線の北近畿丹後鉄道は情緒たっぷりでよかったが、外泊が好きではない家が一番の私は夕方4時過ぎの外光で入るお風呂が最高だった!

ユキは7時前から就寝し、夫も私の傍らで熟睡している。
食べたいだけなら高い交通費を使って出かける必要もない。旅行が下手な変な家族である。



posted by 優子 at 19:48| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2012年05月01日

大震災から1年1ヶ月、日本製紙・石巻工場は今

先月23日(月)、夫は大震災で大きな被害を受けた日本製紙・石巻工場を訪ねた。震災による損害額の5位は日本製紙でその額は750億円にものぼる。

夫が持ち帰ったA4版46ページに収められた『震災の記録』(2011年9月16日発行)には、工場正面前に津波到達後から南浜町水没炎上、高台の社宅敷地へ避難する様子などが時系列に写真記録されている。瓦礫で埋めつくされた工場構内や工場建家の内外の悲惨さは胸がつまる。

そして、復旧していく様子も収められ、津波で全滅した1階の機器系統を復旧させ工場再開への道程は胸が熱くなる。しかし、今もなお町は全く手つかずでそのままだったという。

改めて当時の紙業界の被災状況を読むと、ここに至るまでの関係者の必死の姿を想って万感こみ上げてくるものがある。

紙業界の地震被災状況@ ―日本製紙と三菱製紙が大打撃― http://yukochappy.seesaa.net/archives/20110318-1.html

紙業界の地震被災状況A ―OEMで紙の安定供給を!―
http://yukochappy.seesaa.net/archives/20110322-1.html

紙業界の地震被災状況B ―23年度は「グリーン購入法」撤廃を政府に要望―
http://yukochappy.seesaa.net/archives/201103-1.html

さて、昨日の記事に附記した夫の結石排泄の感謝は、上記の仙台出張の夜、宴会でウーロン茶をたくさん飲んだことが良かったようだ。コップ半分のビールで手のひらまで真っ赤になる夫は、アルコールの代わりにいつもウーロン茶をいただいた。それもたくさん。

(4月)24日に帰宅した時、尿の出が悪くなったのでの「石が下りてきたな」と思ったそうだ。そして、「何杯もウーロン茶を飲んだのがよかった」と言っている。

そのようなことを全く話さないものだから、26日夜に夫が排尿している音を聞いて驚いた。ジャーと出なくて、ピュッ、ピュッ・・・とぶつ切れでしか出なくて、本人に聞くと力を入れて出していると言った。

いろいろと聞き出しても全く何も話さないのは今に始まったことではないが、「次の受診日まで待ってないで直ぐに泌尿器科外来に電話して・・・」と、私は小さな子供に説明するように話したが、石の「い」の字どころか、「うん」とも「すん」とも言わずに寝てしまった。

だから傍若無人だと言うのだ。
夫は人が心配している気持ちを察することも解することができないのだろうか。私は今、石が出た喜びから2日経ってこれを書いているが、夫に対して憤りや情けなさを通り越して虚しさを感じる。知子も会社でよく耐えていると思う。

しかもこの石の話には前段がある。
実は昨秋の健診にひっかかって尿道に結石が見つかった。痛みはなかったが腎臓が腫れていると言われて再検査となった。腎臓が腫れているなんて・・・このことだけでもどんなに心配したことだろうか。

その再検査の結果と治療方針を聞きに行った12月28日のこと、前立腺癌の疑いがあると言われて結石どころではなくなってしまった。

次の検査は1月末まで待たねばならず、私たちは癌の疑いを抱えて重苦しい年末年始を過ごした。さすがの本人もそのはずだが、35年連れ添っている私にも確信は持てない。「たぶん大丈夫だろう」と思っていた感もある。
経営者の資質としては、こんな時も狼狽しないのが良いのか悪いのか、私は悩み抜いているのでもはやわからない。

そしてまた再々検査となり、その1週間後に癌ではなかったということがわかった。2月初めのことだった。

「前立腺が肥大しているが年齢相応のもので前立腺ガンではない。何の治療も必要ない」とは、どんなに感謝なことであったか! 神さまが命には限りがあることを知らしめて、時間と危機管理をせよと語っておられるのではないかと思った。

その医師もまた結石のことはすっかり飛んでしまって、のんびり屋の夫から医師のことはどうすればいいのかと尋ねたほどだった。

すると2ヶ月後の4月初めに石の位置を見て治療方法を決めればいいと言われ、4月初めの受診では石が動いているからまた様子を見ようということになったが、それを待たずに4月29日に石が出たというわけだ。
私も「石が動いている」ということを思い出せなかったことは情けなくてため息が出る。

018.jpg
9mm×7mm×7mm の結石だった。感謝!
出る時にチョット痛かっただけだったそうな。

排尿も排便も全てが当たり前ではなく、どんなに感謝なことであるか!!!
眠れることも、話すことも、食べることも、歩くことも、見えることも、聞こえることも、泣くことも笑うことも、忙しくできることも、全ての全てが当たり前のことではない。
そのことを知っていたら私たちはもっともっと生き方が変わるはずだ。生かされていることを感謝して今日を悔いなく生きよう。


「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」。           
       (第1テサロニケ人への手紙 5章16節〜18節)

ユキは今朝も嬉々として登園した。
「おばあちゃん、ユキは幼稚園やからおばあちゃんが1人でお祈りする時、『今日もユキちゃんをお守りください』ってお祈りしていてね」と言った。
おばあちゃんはいつもいつもユキのことをお祈りしているよ!
Have a good day with Jesus!


posted by 優子 at 10:28| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする