2012年06月29日

原発再稼働を前に計画停電の知らせ届く

今日、孫が「関西電力の計画停電に伴う学校給食内容の変更について」のお知らせを持ち帰ってきた。

7月2日から9月7日の計画停電の月間予定が公表されたので、小学校・幼稚園の主食がパンかナンに変更され、アレルギー体質の子供は家から代替品を持参するとのこと。
また停電の状況により副食の調理ができない時は、パン、牛乳、ジャムの簡易給食となるそうだ。

現役の母親たちはごく自然体で読み流し、現象面のことを話題にするだけだった。私は周囲にいる子育て中の人から今まで一度も原発問題を論じるのを耳にしたことがないので非常な異和感を感じている。

そして、私は何度も想像するのだ。
私たちが子育て中にこのような時代になってしまったとしたら、私たちもこの人たちと同じように事の本質に無関心だっただろうかと。7月1日から原発が再稼働されることを思うと身震いする。

神さま、為政者たちの傲慢さ、悲惨なことからも学ぼうとしない日本人をゆるして下さい。そして、どうか事故が起こらないようにと祈ることをおゆるしください。

我が家の郵便受けにも関西電力から「万が一の備えとしての計画停電のお知らせ」が届いていた。「原則、実施いたしませんが」と明記してあったが、給食内容の変更のお知らせと共に身が引き締まる思いがした。

時間帯は8:30から21:00まで6つの時間帯に分けて2時間程度の停電となるという。そして、当地域のグループ名が記されていた。

27日に各地の電力会社の株主総会が開催され、東京電力と関西電力の様子が報道されていた。関電社長は総会後のインタビューで「脱原発は絶対にない」と言い切っていた。

電力会社前でもあんなに多くの反対者が声を上げているのに微動だにしない会社側を見ていて、戦争の危機が迫った時もこれと同じなのだろうと思った。国民がどんなに反対を叫んでも止められないのだろうと恐怖を感じ、私の心は絶望へと傾きそうになった。

そんな日々にあって、とても意外で驚きだったニュースは小沢一郎氏の妻が夫を告発したことだ。2012年6月23日(土)の読売新聞で、
「昨年3月11日の東日本大震災後に、小沢一郎元民主党代表(70)の妻(67)が支援者に宛てた手紙の中で、小沢氏が『放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出しました。(略)
一番苦しい時に見捨てて逃げ出した小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました』」。

と妻の告発手紙を報じた。

義憤を感じて離婚とはすごい妻だと思った。そして、小沢氏の伴侶はこのような女性だったのかと意外な驚きを禁じ得ず、これまでの夫婦像を思いめぐらせたことだった。

関西電力が大飯原発3号機の原子炉再稼動しようとしている7月1日目前の今夕、再稼働を反対する市民の抗議行動が首相官邸周辺で繰り広げ、「再稼働反対、再稼働反対」と「地中から湧き上がるような声が官邸を包んだ」。

私も参加せずにはいられない気持ちだ。祈りつつできることをして神に委ねるのでなければすまない気持ちだ。

デモは数万人規模になったもよう。「政府に圧力をかけるには10万人、20万人が必要」とのこと。警察当局は2万人と報告しているが、ツイッターの発信により実際は20万人規模にまで達したという。

日本は変わる!
抗議行動している人々の映像を見て元気が出てきた。希望をもって祈り続けよう。「アラブの春」のように国を動かすことができますように。

私が野田首相の妻ならば小沢氏の妻のような勢いで夫を説得し続けていることであろう。
 

posted by 優子 at 23:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年06月27日

感謝!

ユキは24日夜もずっと39度5分の高熱でうなされていた。25日朝、タクシーを呼び、知子はユキを連れてかかりつけ医のもとへ急いだ。

薬を飲んでも熱がストンと下がらないことや、舌に何もできていないので溶連菌が原因の熱ではないとのこと。前夜の医師と診断が違った。原因不明の熱もよくあるそうだ。

知子は一息つくことなく会社へ向かった。その後も一日中38度5分の熱が続いた。午後は長時間ゲップで苦しがり、知子に電話し医院との電話のやりとりなど長い一日だった。

ユキは母恋しくて声を抑えて泣いているので、「『ママー』って呼んで思いっきり泣いていいよ」と言うと、私の胸に抱かれてしばらく号泣していた。

切なかった。
病気の時ぐらいはママがずっとそばに居てほしいだろう。知子だって子供が病気の時ぐらいは居てやりたいだろう。専業主婦だった私には初めて知る切なさだった。


いつもは何時間も昼寝するのに40分間ほど眠っただけだった。私は夜の受診予約を頼まれていたのにスッカリ忘れていた。今から帰るとの知子からの電話で予約を5時半すぎに入れたものだから、知子が帰宅した時も33人待ちだった。

そこで夕食を済ませてからこの日二度目の通院となった。
私達が医院を出たのは9時を過ぎていた。朝から勤務されているスタッフや薬局の方々の顔に疲れが表れていた。医師は軽食を口に入れる時間さえなく毎晩10時頃まで働いておられるのだ。冬は70人待ちも珍しくない。

過日はあまりにも良心の痕跡なき非道な人間像に衝撃を受けただけに、このように真摯に生きておられる人々に触れて癒される想いだった。誠実に生きる人々との心の触れ合いが私の心を満たす。

ユキは昨日の朝から平熱に戻り、今朝は久々の登園である。玄関でユキを膝にとって神さまに祈った。

そして今、元気に家を出て行った。
母親に手を引かれて歩くユキの後ろ姿は心躍り弾けていた。私はいつものように声をかけた。

Yuki,have a good day!
You too.
Thank you!

カニさん.jpg

ユキの朝顔.jpg

★お祈りしてくださっていた方々、ありがとうございました。祈られていることをいつも感じていました。

今日の記事は聖歌582番を聞きながら綴りました。これをお読み下さっている貴方にも神の平安を祈ります。


http://www.youtube.com/watch?v=hc7HQgKVZNc&feature=related

@神の御子にますイエスの為に
 罪を敵として立つは誰ぞ
  
  ※全てを捨てて従いまつらん
   わが全てにます王なる主イエスよ

A富の楽しみと地の位に
 目もくれずイエスに付くは誰ぞ

B罪にとらわれし魂をば
 イエスに連れきたる勇士は誰ぞ

Cわが持てる物は 主よ なが物
 きよき みいくさに 用い給え

青い柿の実.jpg
幼稚園の柿の木に
小さな青い実がいっぱいなっていた


posted by 優子 at 08:13| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年06月24日

体調崩し三度目の結膜下出血、ユキも高熱続く 

21日午後から結膜下で出血し始めた右目は24時間かけて全面に拡がった。一ヶ所は山のように血の塊が大きく盛り上がっている。

22日(金)朝、夫は目が覚めた瞬間に私の目に視線を向けた。相変わらず言葉は全くなかったものの夫には稀なことなので嬉しかった。

夜明け前まで降っていた土砂降りの雨はいつしか上がり、お昼前から久々に太陽が顔を出した。体調は冴えなかったが真っ赤な目で幼稚園へ出向いて気になる写真の申し込みを終えてきた。

入園式に始まり遠足や園での写真がポケットアルバム16冊に収められており、それらの中からほしいものを選んで備え付けの袋に番号を記名するのである。それを後日費用を入れて委員さんに提出する段取りになっている。

写真の公開は5日間設けられているが、どうせならば2日早めて参観日からスタートするのが一般的なのに、何かにつけて非合理に感じることが多い。それらのことに問題意識を持つ人もいないのか万事例年通りやっているようだ。

その日の夕方は私が内科と眼科を受診したくて、夫に伝令し知子と共に終業後直ぐに会社を出てもらった。幸い道路がすいていたので6時過ぎ帰宅し、玄関のドアを開けたと同時に、「行こか」と夫は穏やかに言った。嬉しかった。

この日、降圧剤が変薬され、薬を購入したらすぐに頓服を飲むように言われた。この時の血圧が170あったからだ。私は医師の指示通りに薬局で薬を飲んで、同じ敷地内にある眼科を受診した。

頓服薬を飲んでから15分経った頃、眼科の検査で呼ばれて立ち上がった時フラフラし、その後待っている間に居眠りかけていた。この時はわからなかったが頓服薬の副作用だった。

その翌日(つまり昨日)の午後からユキが再び熱を出し、今も39度台の高熱が続いている。そこで今週の礼拝は夫と長女が出席し私とユキは欠席することを役員さんに伝えた。

毎月第4週目の礼拝では「連祷(litany:リタニー)」があり3名が一人ずつ祈ることになっている。今月は私が指名されているので代務者をお願いしなければならないのと、昼食の準備を二人分減らしていただくことを世話役さんに連絡をしたのだった。

ところが今朝になってもユキの熱は39度5分のままで、この高熱では私がユキについているとはいえ長女も心配であろうし、私もまた今朝も頓服を服用したので心身は朦朧とし、足取りは酔っ払いの千鳥足のように不安定なために全員が欠席することになった。

今日の午後は教会研修会として葬儀社の人をお招きしての葬儀セミナーが予定されていた。クリスチャンとして死をどうとらえるか。日本社会におけるキリスト教葬儀の実際として、葬儀の流れ、費用、各種手順と留意点、遺言書は必要か等々、質疑応答などが予定されていた。

家族全員が関心を寄せていた内容であり、特に60歳を超えた私たち夫婦には現実問題であるから一人も聴けないのは残念だった。

この数日間の緊急帰宅を通して夫の良さを再認識させられた。
18日のユキの受診の時、知子一人では大変だろうと思って急きょ私もついて行った。2人の連携プレーよろしく30分少しで帰宅した。
あの時は急に思いついたものだから夕飯はできあがっていなかったが、夫に魚を焼くのを頼んだところ嫌な顔ひとつしないで引き受けてくれた。仕事で疲れて帰宅しているのに文句を言わないで引き受けてくれたのである。

夫婦ならば当たり前のことではあるが感謝と幸せを感じた。
帰宅した時には独りで夕食を終えていたが。(笑)

そして今、夫は知子とユキに伴って休日診療所に出発した。そこに駐車場がない場合は運転できない私では困るからお願いしたのだ。

私は特に今年に入ってからずっと夫のことを危機感がないと批判していたが、このたびはのんびりやに見える夫の存在をありがたく思った。

実を言えば、私は情熱的すぎるゆえにかそれが健康に障っているようなのだ。関心のあることに対して問題意識旺盛なのはいいがドーパミンの分泌が少々多く、それがストレスになって高血圧を引き起こしていると言われた。(4月7日のこと)

そのために血圧が高くなった時の頓服薬として精神を弛緩させるための安定剤を処方されたのだが、2ヶ月間に飲んだのは叔母の家で16日の夜が初めてだった。薬はなるべく体に入れたくない。

夫は言葉が無く傍若無人で無礼なところがあるが、私のような情感豊かな部類の人間には夫のようなオットリ型がいいのではと思わなくもない。しっかり者が口やかましいとは限らないが口喧しい人ならば参ってしまうに違いない。

不得手と不誠実さを混同させてはいけないが、今一度互いの得手不得手を認め合い、補い合うことがそれぞれに与えられた良きものを最大限に生かすことであることを心に刻みたい。

ユキは大丈夫だろうか。
小学校へ上がってからは医者通いも少なくなると我が子の時を思い出す。親は何度も何度も数え切れない心配事を経験しながら子育てするのである。

娘たちはたいした病気にならずに成長したことを今一度感謝し、せめてユキが中学生になるまでユキと知子のために私たち夫婦が元気でいてやりたい。

今は体調が悪いので、このような軽い内容の雑感を書く程度の心と頭の使い方でも血圧が上がってくるのがわかる。

先ほど教会の方から7月8日の礼拝で子供へのメッセージを語るように連絡が入った。ご奉仕させていただきたいので、健康のことも全てを神に委ねて祈って準備しよう。

たった今知子たちが休日診療所から帰宅した。
ユキは溶連菌とか・・・
かかりつけの医師は自身の危機管理として、その後の考えられる事例も話すべきではなかったか。ならば20日の発熱時に受診し、その時に症状が出ていればすぐに適切な抗生物質を投与できたのにと、苦しそうに喘いでいるユキを見ていて思う。

明日は夕診ではなく朝一番にかかりつけ医の診察を受けるように指示されたそうだ。知子も大変だ。私が行ってやるべきか・・・

posted by 優子 at 18:21| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする

2012年06月22日

「変わらぬ愛、動かぬ契約」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより 38回―

「変わらぬ愛、動かぬ契約」(羽鳥 明牧師)
 
旧約聖書、イザヤ書54章10節に、こうあります。
「『たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない』とあなたをあわれむ主は仰せられる」。 

人は変わり、街が変わっても、山は変わらない。「ふるさとの山はありがたきかな」と石川啄木も歌いました。しかし、山も変わり丘も動くのです。天変地異ということば通り、太陽も地球も変わるのです。
 
しかし、そんなすべてが変わる世の中、人生にあって、変わらないもの、動かないものがあると、神は言われるのです。「神の愛」、「神の平和の約束」です。
 
旧い年を送り、新しい年を迎えても、「そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である」(申命記11章12節)と聖書は言っています。
 
お母さんの目が、いつも幼子に注がれていること、それがその子の安全と幸せであるように、神様の目がいつも私たちの上に注がれていることが、私たちの安全と幸せです。
 
また聖書の別のところに、「主(神)はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」(歴代誌第二16章9節)とあります。
 
目を注いで、守ってくださるばかりか、私たちが信仰と信頼をもって主を見上げるとき、カを与えてくださる。信じる力、祈る力、ほめたたえる力・・・人生の本当の力を注ぎ込んでくださるというのです。神を信頼し、神に従うことにおいて、いっそう徹底して行こうではありませんか。

「神様、信じます。信仰のない私を助けてください」。
そんなひとことで、私たちの神への信頼と服従の生活は始まるのです。私が69年前、そんな祈りをささげて以来、神様の愛は変わらず、神様の平和の約束は動きませんでした。

聖書のことば「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない」。(イザヤ書54章10節)

最後にエレミア書10章2節から5節をご紹介します。
このブログを愛読してくださっている方々に、まことの神さまをお伝えすることができますように。
主はこう言われる、
「異邦の人の道に習ってはならない。
また異邦の人が天に現れるしるしを恐れても、
あなたがたはそれを恐れてはならない。
異邦の民のならわしはむなしいからだ。

彼らの崇拝するものは、林から切りだした木で、
木工の手で、おのをもって造ったものだ。
人々は銀や金をもって、それを飾り、
くぎと鎚をもって動かないようにそれをとめる。

その偶像は、きゅうり畑のかかしのようで、
ものを言うことができない。
歩くこともできないから、
人に運んでもらわなければならない。


それを恐れるに及ばない。
それは災をくだすことができず、
また幸をくだす力もないからだ」。

私たちクリスチャンが信じる神は、人や自然、また、動物を神格化して信仰の対象としているのではありません。そこに人生観や価値観の大きな違いがあります。

ですから私たちはキリストの絵を拝むこともキリスト像や十字架を拝むこともしません。それもまた偶像であり、それらには何の権威もないからです。

これをお読み下さっている方々がまことの神と出会われるように切に祈ります。


posted by 優子 at 17:18| 引用文 | 更新情報をチェックする

2012年06月21日

主に在っては祈りつつミッションの日々

前記事の翌日(18日)、参観日の代休にユキは昼過ぎから熱を出した。受診したが風邪でもなく意味不明の熱で、通園している幼稚園では何も流行していないとのこと。

疲れなのだろうか。とにかく5月中頃からというもの、ユキの昼寝は夜まで続き3時間も4時間も寝るので、毎日夕食時はスッタモンダして起こすという具合である。

今回は入園後初めての受診というので医師は驚いておられたそうだが、それどころか1年2ヶ月ぶりの受診である。とは言え、その間に2度ほど熱を出している。

知子や真智子は1〜2ヶ月に1度は医者通いをしていたことを思うと、ユキは強いようだがそうでもない。事実、皆勤の子供たちも結構多い。しかも彼らは昼寝なしで習い事をこなしているのだ。

19日の朝には平熱に戻っていたが台風接近ということもあって休ませた。園児が帰宅する頃は長い間雨も降らなかったが、知子のPCには2時に一斉下校とのPTA緊急メールが入ったとのこと。

その影響なのだろうか、美濃紙業も3時で社員たちを帰らせて夫と知子は4時半頃に帰宅した。この日神戸では休校だったそうだ。6月上陸の珍しい台風4号は去っていったが続いて台風5号で週末まで鬱陶しい日が続く。

そして、20日は登園したはいいが、熱があるからと園から電話が入り、降園より1時間早く迎えに行った。本人はいたって元気だが今日も休ませた。

私は先週末より体調が悪く、今日またしても結膜下出血を起こした。昨年7月に発症して3度目である。やはり日常の出来事と大いに関係があることがわかった。

花を見ていると心癒される。梅雨に似合うイソトマ.jpg
梅雨にはイソトマもよく似合う。

心をアメリカの次女夫婦に向けて気分転換しよう。
クマ(次女の婿)は初めてのミッションで只今アフリカに滞在している。ロンドン経由で2日間かけて担当国に到着したという。

今はようやく半分過ぎたところで愛妻のもとへ帰るまでもうしばらくの辛抱だが、その後、マチもまた7月早々に次々と2ヶ国の短いミッションを控えているのでワシントンの家は寂しいことだろう。 

”mission ”(ミッション)とは「海外での交渉を担う派遣団、交渉団の任務、使命」の意味であり、次女夫婦はIMF職員として任務を果たしているのであるが、クリスチャンにとっては日々ミッションである。

今回は私事ではないが、あまりにも重い相談事に体調を崩してしまった。しかし、「使命」とは文字通り「命を使う」ことであるから命を削ることを惜しむことなかれ。

主に在る人々にとっては最善のことが定められてあると固く信じよう。

「神が誰の改心を望んでいられるか、
 その救いのみこころはおまえにはわからない」。



posted by 優子 at 21:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年06月17日

今朝の礼拝で語る予定だったメッセージは長女が代務 −子どもの礼拝で語ったこと @−

梅雨空の昨朝、ユキの幼稚園の参観日には私たち夫婦も出向いた。しかし、この時叔母のことで深刻な相談にのっていたので、十分に楽しさを味わえなかった。

そんなことから感性も乏しく、私は30年前の知子や真智子のことが懐かしいというよりも、自分たち夫婦の若かりし頃を懐かしく思った程度だった。

しかし、「今も現役でも通用しそう。ちょっと年の取った父親って感じやね」と知子と笑ったりした。おじいちゃんパパ.jpg
この日、私は神戸へ向かうために45分間ほど見て園を出た。夫もこの時に帰宅し私は駅へ向かった。

本来の予定では、このあとクリスチャンペンクラブの研究例会会場の千里ニュータウン教会へ向かうはずだった。
楽しみにしていた漱石の学びだけではなく、会計と書記の務めもありながら叔母のことを優先せねばならなかったのである。

ところが相談事が長引き夜遅くまでかかった。その途中から私は気分が悪くなって横になって経過を聴いていた。あとで血圧を測ると(189/113)もあるので動くのは危険でその体力もなかった。
携帯している降圧剤と医師から処方されている頓服薬を飲んで泊まることになった。

その翌朝(つまり今朝)の礼拝で子供たちにお話する御用に当たっていたが、やむおえず娘に頼んだ。私自身楽しみにしていただけに残念だったが、「読んでくれたらいいから」と知子に依頼すると快く引き受けてくれた。

幸いにしてしばらくすると血圧は130以下に下がって楽になり5時間あまり熟睡した。
今朝は元気になっていたので近くの教会で礼拝を捧げた。勿論、叔母を誘ったが残念ながら行ってくれなかった。「今度泊まってくれたら行く」とのこと(笑)。諦めないで祈り続けよう。

叔母の自宅近くには歩いて行けるほど近い所に4つも教会があるという。さすが神戸、羨ましい限りである。
私は最も近い教会を選んだ。そこは従姉弟たちが通っていた幼稚園(今は廃園している)の教会だった。

叔母宅から歩いて2分、今通っている教会と同じ日本キリスト教団の東神戸教会(http://www.higashikobech.org/index.htm)である。
HPの「教会の紹介」にあるように、この教会も馬見労祷教会同様に教会設立には賀川豊彦が関係していた。豊彦は多大な足跡を残している。
今朝は「CS(教会学校)合同ファミリー礼拝」で多くの子供たちが集っていた。私は嬉しくなって主の栄光をたたえた。数は少なくとも全国の教会で次世代のこどもたちが育っている。

礼拝後、「労祷保育園を訪ねたことがありますよ」と声をかけてくださった方がいたのでびっくりした。その方を通して牧師から賀川豊彦の直筆によるみことばのしおりをいただき、名刺を交わして大急ぎで叔母の家へ戻った。

夕方近く叔母と別れる直前に、今朝語るはずだった子供へのメッセージを叔母に語るように導かれ、最後に叔母の手をとって祈った。
神が私を動かしておられるのが身体にビンビンと伝わってきた。


ではここにその内容を記録しておきたい。
私は中学校講師時代の指導案程度に書いていたので、「この原稿を参考にして自由にのびのびとやってくれたらいいよ」と娘に説明してやることもできなかったが、知子は聡明に子供の反響にも対応して主題からそれずに終えてくれたようだ。

聖書の箇所はマタイによる福音書6章25節〜34節、主題は「思い悩むな」で、4歳児にもわかるような内容になっている。
今日のお話は「心配しないでいいよ」というお話です。
大人になるといろんな心配事がでてくるんだけれど、〇〇君や・・・や、ユキちゃんは困ったことはないですか?
例えば学校や幼稚園で、嫌なことばかりするお友達がいたり、順番抜かしするお友達がいたり、あるいは、お友達はみんな上手にできるのに自分だけでうまくできなくて、どうしようと思ったことはないですか?

また明日もあの子が嫌なことをしたらどうしよう。そのとき「順番を抜かしたらダメだよ」って言えるかなあ。言えなかったらどうしようと、これからのことが心配になることがあるよね。

そんな私たちにね、イエスさまは「空の鳥を見なさい」、「野の花を見なさい」とお話してくださいました。

空にはどんな鳥がいる?
すずめ、はと、カラス、ツバメ、うぐいす・・・いろんな鳥がいますね。

鳥たちは何も持っていないのにとても楽しそうに見えるね。私は空を飛んでいる鳥たちを見ると、みんなで追いかけごっこしているように見えるよ。

美しい声で鳴いている鳥たちは何かお話ししているのかなあ。上手に虫を見つけておなかいっぱい食べて生きているよ。

この鳥たちは誰にもお世話してもらっていないけれど、神さまが守って下さっているから、明日も食べるものがあるかなあとか、水を飲めるかなあと心配しないで、のびのびと楽しそうに空を飛んでいるんですよ。

また、野原にはタンポポやクローバーが咲いているし、道の端っこにも小さな花が咲いているよね。その花たちも誰にもお世話をしてもらっていないね。

(ユキちゃん・・・someone)は幼稚園へ行ったらいつも花に水をあげるでしょ?
ベランダのプランターに植えている花や幼稚園の庭の花は毎朝水をかけてもらえるけれど、野原のタンポポには誰もお水をあげないのにきれいに咲いているでしょ?
それはね、この花たちもみんな神さまが守って下さっているからですよ。

そしてね、神さまは私たちを鳥や花やよりも、もっともっと大切に思ってくださっています。神さまはね、〇〇君や・・やユキちゃんが大好きでいつも見守って下さっています。

だからね、どんなことも心配しなくていいよ。何でもイエスさまにお話するといいね。イエスさまにお祈りするととても気持ちが楽になるものね。

鳥は毎日食べ物を探して一生懸命生きているし、花は花で一生懸命生きているように、〇〇ちゃんたちもおウチの人や先生のお話をしっかり聞いて、毎日しなければいけないことを一生懸命しましょうね。

そして、明日からどうしようと心配しないで、鳥のように楽しく過ごしてくださいね。いつも神さまが居てくださっているから何があっても大丈夫!「心配しないでいいよ」というお話を忘れないでくださいね。

では、お祈りしましょう。

天の神さま、いつもぼくたちをお守りくださってありがとうございます。
神さま、僕たちが見えますか?
いつも僕たちを見ていてくださいね。
この1週間もイエスさまと共に過ごすことができますように。
今日おやすみしたお友達もお守りください。
このお祈りをイエスさまのお名前によって御前におささげします。
アーメン。

マタイによる福音書 6章25節〜34節:

それだから、あなたがたに言っておく。
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

叔母に最後のみことばも伝えた。
神の御心がなるように。


posted by 優子 at 23:59| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2012年06月14日

「人にはどれだけの土地がいるか」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより 37―

「人にはどれだけの土地がいるか」(安海 靖郎牧師)

『人にはどれだけの土地がいるか』というトルストイの小説、寓話があります。絵本にもなっています(いのちのことば社刊)。子どもだけでなく、大人にも人気があるそうです。子どもに読み聞かせながら大人が考えさせられるというのです。
 
話の内容は、働き者の農夫だったパホームが悪魔の誘惑を受け、人から借りていた土地を買い取って、自分のものにするというものです。そして、それを二倍、三倍、十倍と広げていこうと努力します。

しかし、最後に彼に必要だった土地は、自分の棺桶を埋めるための、わずかな土地だったという、いかにもトルストイらしい痛烈な皮肉です。
 
でも、考えさせられるものがあります。より広い土地を求めようとするパホームの姿は、私たちだれもがもつ欲望を、所有欲を象徴しているからでしょう。
 
興味深いのは、この小説で私たちの心と土地が対比されていることです。パホームは言います。「土地さえあれば、なんだってこわくない。悪魔だってこわくないさ」。何かバブル時代の私たち日本人の心みたいですね。
 
でも、こんなふうに書かれているんです。「パホームは、広い土地をもつようになりました。でも、彼の心は前よりもずっとせまくなってしまいました」。広い土地の代わりに色々なものをあてはめてみることができるのではないでしょうか。

「これさえあれば」「あれさえあれば」と思い、望んだものを手にしたら、実は心豊かになるどころか、狭く、むなしくなったという経験です。
 
三千年前、富や豊かさの象徴のようなソロモン王は言いました。「人の心を豊かにするものは物ではない。愛だ」と。
 
二千年前に書かれた新約聖書では、こんなふうに言われています。
「たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように」。(テモテヘの手紙第一 6章17節)
 
富や財産は大切なものですが、それが望みになったり、それを得ることが人生の目的になると、心は豊かどころか狭くなるというのです。
 
心の豊かさ、広さは、財の量ではなく、すべてのものを与えてくださる神様に望みを置き、頼りにしていくところにあるというのです。



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2012年06月13日

救いは今

あじさい.jpg

あじさいの時季(とき)、あまりに美しいので今朝のチャッピーの散歩はカメラを持って出た。

今週末にクリスチャン・ペンクラブの例会があり、翌日の礼拝では「こどもの礼拝」でメッセージの御用に立たせて頂くことになっている。今日の午前中にメッセージの準備はできたが、作品は完成まであと一歩。

夕方、ある人から深刻な電話が入った。

クリスチャンが試練に直面した際、「あなたを神の御用に間に合うものにしようとして問題が起きることを許されます。
問題が来たとき『もう一段成長するときがきた』『神がそれを許されたのだから必ず解決する』という考え方をもっていないと、神の真の目的に間に合わないクリスチャン生活を送ってしまうことになります。

試練は神様の許可があってやってきているのであり、試練を通してクリスチャンが強められ、倒れないようにされていく」のだという。

     (クリスチャン・トゥデイ:2012年5月21日より)

この記事は長女に贈りたくて取っていた。
そして、「この重責を許されたのだから必ず成功する」と伝えてやりたくて。

娘にその人のことを話した。信仰を分かち合える幸せは何にも代え難い。話し合いながら神の導きが示された。

その方の救いは今だと思う。
神に遣わされる者として私を整え備えて下さるように。闘うべきは闘い、神に委ねよう。神の御心が成るように。
紫陽花の時季.jpg

大好きな色のタチアオイが咲いていた。

タチアオイ.jpg

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたし(イエス・キリスト)のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
    
        (マタイによる福音書 11章28節〜30節)

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年06月12日

現実を受容せずして未来なし

放射能汚染も「喉もと過ぎれば」で再稼働か。
国民の半数が再稼働に賛成しているというが、仮りに原発の安全対策が万全であっても、「3.11」後は「ノーモア原発」だったのではないか。
にもかかわらず、安全ではないと分かっていながらゴーサインを出している日本政府は怖い。

今も放射能汚染はどうしようもない悲惨な状況であるが、これよりも最悪なシナリオはいくらでもある。大切なことは頭を打ったら悔い改めることだ。

私たちは誰しも弱いお互いである。
「まあいいか・・・少しなら大丈夫だろう・・」と、何事であれこういうことは日常茶飯事のこととして経験しているお互いだ。方向転換して新たな道を歩き始めるのは実にしんどいことである。
しかし、放射能だけは絶対にいけない。絶対に目先のことにとらわれて安易に流れてはいけない。

原発を再稼働しなければ原発関係者や周囲の人々の経済に深刻な影響があるだろう。しかしそのことは、例えば企業でリストラされる人と同じではないだろうか。

家業の紙卸業にしても同じだと思う。
ペーパーレスの時代になり印刷会社や紙会社が淘汰されていくのは、時代の変わり目に在る人間のどうしようもない運命であり受容するのが懸命だ。どの時代の転換期にも光と影はある。


勿論、だからといって手をこまねいてただ見ているのではなく、最後の最後まで精一杯の果敢なる努力を続けるのは言うまでもないことである。

私は現実感の伴わない精神論で言っているのではなく、痛みを被る人々のことを自分の問題として考えているつもりだ。原発やその関係で収入を得ている人々のことを常に視野に入れて考えているつもりだ。
事故を起こせばその周辺の人たちは逃げることさえできないのではないか。勇気をだして本当の気持ちを声にだしてほしい。

再稼働の賛否は命に対する価値観の違いである。生きる意味、人生観、世界観が違うのである。
今週末に原発の再稼働が決定されるような事態になっているが、今一度「3.11」直後の映像を見て自らに問うてほしい。
もはや諦めの境地に入ってしまいそうだが、最後の最後まで失望しないで祈り続けねばならない。

「あとからくる者のために」     
                坂村 真民

あとからくる者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ

あとからくる者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ

あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ

あああとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々自分で出来る何かをしてゆくのだ

「奈良広陵九条の会 発足5周年の集い」
「原発と憲法9条」を考える

日 時: 6月23日(土) 午後1時30分から
場 所: 広陵町グリーンパレス 5階大ホール
     (大阪府立大名誉教授、工学博士)


私たちの将来を左右する大問題です。立場や意見の違う皆さんをはじめ、多数の方々のご参加をお待ちしています。参加協力として500円が必要です。
後援:広陵町

posted by 優子 at 19:06| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年06月11日

哀れなエコノミックアニマル

野田首相は関西電力大飯原発3、4号機再稼働如何について、「精神論だけでやれない」とし運転再開は夏場だけではないと語ったが、私に言わせればこれこそが現実性を欠いた暴論であり哀れなエコノミックアニマルだ。

現在も放射能汚染が進行している解決不能な核エネルギーの再稼働反対論を精神論とかたづけて、目先の経済優先で突っ走ろうとする野田氏。

過去ログ・6月2日の記事で取り上げた野田首相の責任とは、「怠らないように万全を期していく」という責任だとわかった。これは第2次改造内閣閣僚名簿発表時の会見で記者たちとの質疑応答での発言だ。これとて話にならない。

これからは事故以前と同じ経済活動を目指すのではなく、この現実を受け止めてライフスタイルを転換していかねばならないのである。


昨日の「今日は何の日」で、「1969年6月10日は日本がGNP世界第2位になった事を発表した日」だと言っていた。戦争で壊滅した日本が復興し世界第2位の経済大国にまでのし上がったのは日本人の勤勉さゆえだ。

しかし、その後80年代あたりから深刻な社会問題が続出し始めた。
1980年11月に起きた「神奈川金属バット両親殺害事件」は、これまでにはない特異な事件だった。
20歳の予備校生の男が両親を金属バットで殴り殺したのだ。学歴社会やエリート指向による受験戦争が生み出した悲劇として大きく取り上げられた。

貧しかった日本がアメリカに次ぐ経済力を持ち、物に満たされたのはいいが、そのために犠牲にしてきたものが大きかったのではないかと立ち止まらせる事件だった。私が29歳になったばかりの頃である。

この事件は現代に通じる社会病理の象徴であり、それからというもの社会問題は深刻さを増すばかりある。

そして今、私たちの子供が親になって子育てを始めている。公立学校の教育現場では心ある教師たちが悪戦苦闘の日々を送っている。私立校は子供たちの外観が整っているだけで内実は同じであり可視化されていないだけだろう。

では、原発問題とどう向き合っているのか?!
事故のリスクは節電や停電とは比べ物にならない苦しみだ。再稼働しなければ国の経済活動が縮小するだろうが生存することができる。しかも、希望をもって生きていくことができる。要はフクシマ後の悲惨さの中でいかに生きるかであり、価値観が問われているのだ。

放射能汚染という解決不能な原発事故を起こし、今も放射能を垂れ流し汚染し続けておりながら、それでも懲りずに目先のことを選択することこそ国民生活を守るどころか破壊するのである!
しかも、既に溜まりに溜まった核廃棄物は120万年も管理し続けねばならないのである。

この首相発言で万事休すか。
現首相の意思表明に憤りを超えて絶望感に苛(さいな)まれそうだが、それでもなお神が突破口を開けてくださるように祈り続けねばならない。


posted by 優子 at 17:55| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年06月08日

神の促し

今日は幼稚園の「PTA親子親睦会」があるので知子は欠勤した。ユキを見送ってから登園するまでに一緒に散歩する時間はあったが、今朝は神の促しを感じて独りで散歩に出た。

人の声は黙想の邪魔になるが、チャッピーは黙々と歩くので邪魔にはならない。チャッピーと歩きながらの神さまとの語らいは私に深い休息をもたらす。

ところが、スタート早々にある老婦人と初めて話すことになった。
この方は民生委員をしている時に独居老人ということで訪問した方だ。人を寄せつけない人だから関わらなくてもいいとの引き継ぎを受けていたとおり、「私は民生委員に世話になるようなことはありません」と問答無用で門前払された。

民生委員に対してひと昔前の認識をされていてプライドが傷ついたのかもしれない。説明したが名刺とチラシさえ受け取ってはもらえなかった。

ところが、その方が今朝玄関から出てこられた瞬間、私は聖霊(神)さまの気配を感じたと同時に気がついたら声を出していた。

この町で一番先に咲く桜を毎年楽しませて頂いていることを話した。人恋しく思っておられたのだろうか会話は長く続き、最後には悩み事まで話されたのには驚いた。

腰を痛めての独り暮らしは不安だろうからと私の名前と自宅を伝えた。別れる時は表情が明るくなり笑顔でお礼を言ってくださった。

あの桜は「おかめ桜」と言い小さい苗を買ってきて植えたそうだ。別れてからその方のことを祈りながら歩いた。

チャッピーは立ち話が長くなると腹ばいになって待っていてくれるので、盲導犬のように賢いところある。(笑)

そのあともう一人の老婦人と会って話している時、まるで記憶喪失していた記憶が戻ってくるような感じがした。

母や父の介護の時、病院で出会った人々との関わりを思い起こさせ、私が真に生かされる場所を神さまに示されたように感じた。

散歩では静まることはできなかったが、神の愛の中で生かされていることへの深い感謝を覚えた。


緑の季節.jpg

周囲の草が刈られて木々が美しく映える。

草が生えるまで期間限定のお気に入りの景色だ。
午前中の緩やかな陽射しを残す空は急きょ曇天に変わり、昼頃から小雨が降り出した。昼のニュースで西日本が梅雨入りしたもようだと報じていた。

自然界はまもなく深い万緑の季節を迎える。



posted by 優子 at 22:14| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年06月06日

真智子の誕生日に 

次女の誕生日を前にアルバムを開いた。
最近はユキのお便り帳を毎日開くので、真智の幼稚園の頃も覗いてみたくて思い出の箱を開けた。

真智子のお便り帳.jpgこれは幼稚園のお便り帳だ。

1年目は「みず組」で2年目は「あお1組」だったね。
そして、こんな絵を見つけたよ!
先週ユキの幼稚園へ行った時、ユキも同じような絵を描いていた。

歯磨きの絵.jpg「はみがきの絵」だって!

これは真智の1才のお誕生日の写真。この時、母は56才だった。
1才の誕生日.jpg

真智1才の誕生日に.jpg

ケーキの箱の中に座っているマチ。おばあちゃんはいつも大きな大きなケーキを持ってきてくれたね。右側は藤本の母。
アルバムを開くとね、この写真にお姉ちゃんの幼い字でこんなメモ書きが添えてあった。
「この時、のせてもらったけど、まちのようにうごかしてもらえなかったから くやしかった」。

この時、知子は3歳7ヶ月だったから動かすには重たかったのだろう。そして、それから4〜5年後にこの時の気持ちを書いたようだ。まだ幼稚園にも行っていなかった頃のことを。ユキの気持ちを大切にしなくてはと思った。

次は真智が幼稚園に入園する前年10月の写真で、翌春入園する子供たちが幼稚園の運動会に招かれて走った。真智は覚えてる?
入園前のかけっこ.jpg

この写真を見つけた時は懐かしくてね。
真智の手をつないで走ったことや、少しの差で1等になってすごく嬉しかったこともよく覚えているよ。自分の笑い声が聞こえてきそう。今また続きを笑っているよ。
ママはこの時32歳だから今の真智と一緒やね!!!
真智と太志君にこどもが授かりますように祈っています。

1歳の頃、実家の前で。
真智1歳の頃.jpg
パパも若かったね。

そして、真智は今ワシントン。先月運転免許を取った真智。
今週末からクマが初めてのミッションに出発するので寂しそう。

運転姿.jpg

アメリカに渡ってまもなく7年目に入る。日本に落ち着くのは20年か30年先のことかな・・・

真智、32歳のお誕生日おめでとう!
神さまは全ての人にそれぞれにふさわしいタラント(賜物)を与えてくださっているけれど、真智は本当に一生懸命磨いてきたね。

世の中には誠実に励んでいる人々はたくさんいる。ママが嬉しいのは真智が神さまの愛の中で健闘しチャレンジしていることです。知子の日々も真剣そのものです。

神への感謝と喜びを忘れないで生きている真智を神さまは喜び期待してくださっていることでしょう。これを書きながらこの聖句が浮かびました。贈ります。 

「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。      
      (マタイによる福音書 13節31・32節)

真智の生き方を通して周囲の人々に証し(testimony)する大いなる働きをしていることでしょう。
この1年も健やかにして喜び多き日々でありますように。いつもイエスさまと共にね!


 去年は真智の誕生日に咲いたイソトマ。
今にも開きそう。(16:50)
今にも咲きそう(6月6日).jpg

このあと蕾はもっともっと丸くふくらんで、
18時15分には花びらが2枚はじけ、
そして、咲いた!(18:30発見)
イソトマが咲いた!.jpg

まるで真智の誕生日をお祝いしてくれているように、今年も6月6日に咲いたイソトマ。日本はまもなく梅雨入りです。
マチ、元気でね。(^ー^)
buce7.gif

posted by 優子 at 17:14| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2012年06月05日

『メメントドミニ』が同志社同窓会のHPにリンクされました!

本日、同志社同窓会のホームページに『メメントドミニ』をリンクしていただき相互リンクを張らせて頂きました。
これは同志社女子中・高校と同志社女子大学(いわゆる女子部、同女)の同窓会HPで、同ページの「学校法人 同志社」には新島襄についてや同志社の歩みなど、読み応えのある資料が多数掲載されています。

『メメントドミニ』は、同志社同窓会HP(http://www.dojo-doso.org/)の画面左側にあります「コンテンツメニュー」の「会員リンク集」に表示されています。覗いて下されば嬉しいです。るんるん

posted by 優子 at 15:49| ご案内 | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

「ハンサム・ウーマン」として生きた新島襄の妻・八重

もう何十年とNHK大河ドラマを見たことがないが、翌2013年の大河ドラマは新島襄の妻・八重が主人公であるというのは私の耳にも入っている。
先日届いた今年の同志社同窓会報の特集は「新島八重」がとりあげられており興味深く読んだ。貴重なグラビア写真もたくさん掲載されている。

同志社に入学すると最初に新島襄の生涯を学ぶので、私も八重のことを少しは知っているがごく僅かだ。
同志社は山本覺馬(かくま:会津藩士、人生の半ばに失明)から新島襄に譲渡された旧薩摩藩邸の敷地(6000坪)に設立された。私は6年間毎朝「薩摩藩邸跡」の碑を見ながらキャンパスに入っていたことを懐かしく思い出す。

覺馬より17歳年下の妹が八重であり、幕末最後の会津藩の戦いでは男装して刀と鉄砲を持って戦った勇ましい女性である。
余談だが、会津藩に合流して共に戦った土方歳三は八重と会っているのだろうか、幕末に想いを馳せる。

八重は結婚式の前日に洗礼を受け、京都で初めての受洗者となり、2人の結婚式が京都で初めてのキリスト教式の結婚式だった。

八重のことでよく引用されるのが、新島襄がアメリカのハーディ夫人に宛てた手紙だ。
"Of course she is not handsome at all. But what I know of her that she is a person who does handsome."

「彼女は決して美人ではありません。しかし、私が知っているのは、美しい行いをする人(ハンサム・ウーマン)だということです。私にはそれで充分です」。

同窓会報には101歳になる1928年卒業生の御子息が、母上から口述筆記した話が刻まれている。

「八重さんと新島先生の性格が対照的で、会津出身の気丈な八重さんに対し、先生は非常にお優しく、周囲に対して大変な気配りの方であったこと、・・・『八重さん、八重さん』と言っておられ、周囲はその様子を見て仰天していたことなどです」。

そして、この記事のあとに今年2月にご逝去されたことも附記されていた。

襄と八重は共に聖書を読み、「八重さん」「襄」と呼び合ったというから、互いを尊んだ精神性の高さがよくわかる。

いや現代であってもどちらか一方が敬称をつけるのならば、「襄さん」「八重」であろう。今から150年も前のことであるから、尚更に「周囲はその様子を見て仰天していた」のだろう。

新島襄の人柄は内村鑑三との関わりにおいても同じで、鑑三のことでアマスト大学のシーリー総長に愛の配慮をしたように、キリストの香りを放つ人物であったことがよくわかる。

八重は夫を亡くしてから社会奉仕に情熱を注ぎ86歳で天に帰った。同志社葬では八重の遺志により山室軍平(救世軍)が追悼説教したことと説教の一部も紹介されている。

「同志社の母」と呼ばれ、「ハンサム・ウーマン」として生きた八重。大河ドラマではどのように描かれるのか楽しみだ。

その一方で「会津魂」を持った女性であったことだけではなく、「クリスチャン」であったことが曖昧にされないようにと願う。人格の中核が曖昧になるとその人物を正しく描ききれないからだ。


同志社は全校あげて『八重の桜』で盛り上がっていることであろう。私も来年の大河ドラマこそ必ず見たいと思う。同志社が新島襄の建学精神を継承し使命を果たしていくことを祈りつつ。

posted by 優子 at 18:16| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年06月02日

大飯原発再稼働容認とは、大山鳴動して鼠一匹どころか理念なき茶番劇だった 

野田首相は「関係自治体の一定の理解を得られたと認識し、最終的には私の責任で判断する」と、再稼働に踏み出した。

「私の責任で判断する」と言うが、ことは放射能である。どんな責任がとれるというのだろうか!
国民に損害賠償するために世界の富みを集めても到底足りないし、そもそも何億の金銭を積まれたところで責任を果たしたことにはならない。


期間限定の再稼働ならば大丈夫だろうと思っているところに、全く懲りない日本人の弱点が見事に顕れている。

夫は私と考え方が違い「再稼働はしかたがない」と言うが、再び原発事故を起こせば間違いなく日本の再建はないだろう。国が原発ゼロになった場合の対策を講じていなくても絶対に再稼働させてはいけないのだ。

立地自治体の村や国の経済が悪くなろうとも原発事故以外ならば未来はある。しかし、再度放射能汚染を引き起こしたら未来はない。現段階での選択は価値観の問題だ。なぜならば再び同じような事故を起こせば、さすがに原発に依存はしないだろうから。

再稼働に反対していた橋下大阪市長や滋賀県の嘉田知事らは、「限定慎重姿勢は崩さない」や「限定的」と言葉を添えて一転し向きを変えた。

関西圏の人々は彼らの声に励まされて本気で節電する意気込みになっていたのに、大山鳴動して鼠一匹どころか蟻一匹出てこず政府に追随する方向だ。

もう35年も前の第1子を妊娠中のこと、2人目を妊娠されていた近所の同じ年の知人がこんなことを言われた。
「今の世の中を思うと子供を産んでいいのかどうか心配やね」。食物や社会状況を危惧されての発言だが、私はそんなことを思ったこともないので驚きと共に尊敬の念を抱いたものだ。

そして、原発事故以来何度もその言葉を想起させられ、孫や娘たち若い世代の将来を案ずるのである。

今の政府のあり方を見ていると、こんな国では早く年を取って死んだ者勝ちか・・・と、やりきれぬ思いになる時がある。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というパロディ標語のように、「放射能、みんなで食べれば怖くない」とでも思っているのだろうか。

臭いも味もなく煮ても焼いても消えない放射能。一度作ればゾンビのように存在し続けて自然界を壊し、人類を恐怖にさらし続ける放射能である。


その苦しみの真っ只中にあるのにフクシマから何も学ぶこともなく、政府はまたしても同じ道を進んでいこうとしている。日本の大地は悲しんでいるだろう。

6月下旬に再稼働の方向で動いているが、私は最後まで諦めないで反対を叫び祈り続けたい。

「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」。
(マタイによる福音書 16章26節)

為政者たちの賢い選択を祈るのみである。



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