2012年07月30日

南通市の王子製紙工場見学は中止

8月2日から2泊3日の中国行きは中止となった。
中国南通市の王子製紙工場建設は、10年の歳月をかけて2000億円注ぎ込まれたという。それが排水管建設計画撤回を受け、現地の邦人幹部も漏らしているように「社全体の事業計画に影響が及びかねない」状況だという。

このことはシャープが液晶テレビ製造に勝負しての失策投資とは全く異にするものではあるが、日本一の製紙メーカーのガタイを揺るがすほどのピンチであるようだ。

本日付けの王子製紙HPには、「排水中に発がん物質が含まれているなどの一部報道がありますが、まったくの事実無根であり、中国の国家基準を下回るまで十分に浄化処理を施し、責任を持って水質管理をする所存であります。」とあった。

中国人が急速に環境意識を高めているのは大歓迎すべきことで私も大喜びしている。しかし、それが裏目に出て中止に追い込まれることになった。勿論、それだけが理由であるとは思っていない。海外で操業する難しさ、特に中国は最強の難易度だと思う。

王子製紙に対して「がんばれニッポン!」と応援する一方で、かつて王子製紙が北越製紙に仕掛けて失敗した買収劇が思い出される。(過去ログ「美濃紙業関係」/2006年9月6日・9月22日「『時の人』と接した関西北越会」)
とにかく世界を相手に闘っている日本の企業に頑張ってもらいたい。

附記:一週間ぶりに私は平常に戻ったが、そのかわりに今夜から再びユキが熱(38.5度)を出している。

昨朝も6時半から2時間も虫取りに連れていってくれたおじいちゃん。ユキはしんどがらないおじいちゃんをタフガイであると強く印象づけられたのか、「ユキちゃんもおじいちゃんと同じものを食べる!」と俄然張り切っていた矢先だった。

ちなみに夫の朝食は、食パン1枚、納豆(ネギも)、ノンカロリーの無糖ヨーグルト、バナナ1本、紅茶。


posted by 優子 at 22:40| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2012年07月28日

来週見学予定の中国南通市の王子製紙で抗議デモ

ロンドンオリンピック開幕の今日、「AFP」によれば「中国上海近郊の、江蘇省南通市啓東で28日、日本の製紙会社、王子製紙(Oji Paper)の工場から出る排水を海に流す計画に対し、数万人が参加する大規模なデモが行われた。」と報じた。

まさに夕刻のニュースで見ていた時だった。夫は中国行きを日常の出来事のように「ここに見学に行く」というのだ。しかも、来週に!雷台風爆弾

そう言えば1〜2ヶ月前にパスポートを出して欲しいと言われたことがあった。私もそのとき何故必要なのか聞くこともしなかったから ― 実際は聞いたのだけれどよくわからないまま流してしまった ― 雷・台風・爆弾の絵文字で心情表現する立場でもないが、未だ新発見の絶えない古伴侶である。
しかしまあ今や私も似た者夫婦になっており、このことは少なからずショックだった。

とにかくこんな暴動があって日本人が見学に行けるわけがない。それに王子製紙は南通市の工場の操業を停止したと発表している。私としては月曜日に中止連絡があるのを期待したい。

話変わって今日は店屋のおうどんを食べに行くのは見送った。体力と食欲がそこまで戻っていなかったためだ。今朝は朝一番に光視症のことで1ヶ月ぶりに眼科に出かけたが、早朝から猛暑で自動車に乗っただけで疲れてしまった。

今回も再度、瞳孔を開いて眼底検査をしたが今のところ全く心配ないとのこと、しかし、光は未だに見えるので次は2ヶ月後に再びとなった。

瞳孔を開いているので夕方まで薬の影響があり、医院を出ると眩しくて目を開けていられなかった。体がしんどい上にヨタヨタとした足取りなので5メートル足らずの距離もままならなかった。

ようやく自動車にたどり着いたとき「おねえさん、おねえさん」と呼ぶ声あり。近年は「おねえさん」と呼んでくれる関係者とは滅多にお目にかかることがないので、そこに私たちしか居なかったにもかかわらずかなり呼ばせていたようだ。

三男氏のお嫁さんだった。彼女は足を痛そうにしているので、私の方から必至で歩いていった。
「どうしはったん?こんなところで!」と声をかけられて、お互いの近況を簡潔に述べ合った。彼女は整形外科から出てきたところで、膝を骨折して少し前までギブスをしていたそうだ。かわいそうに、痛かっただろうに!
久々の再会は爽やかだった。いつも変わらぬ元気ぶりでよかった。

このあと、向かいのスーパーでスイカや桃を買って帰宅した。眩しくて目が開けられないので店内まで夫に手をつないでもらったが相変わらず周囲を気にする夫。

高齢になればお互いに助け合っていかねばならない。しかも、後に続く子供たちに私たちの二人寄り添う麗しい姿を見せることもまた、年取った親としての大事な子教育でもある。

今日はやはりこの絵文字で終わろう。読みながら笑って下さる友や知人を想いつつ雷台風爆弾
月曜日からは通常生活に戻れるようにと願っている。

附記:26日に美濃紙業(株)のHP・" being & doing " が更新されました。


posted by 優子 at 23:58| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2012年07月27日

神を近くに感じる時

週の初めから養生していたが一向に回復せず、25日の午後はいよいよしんどくて手足が冷たくなった。熱が上がる前の兆候だ。指先は氷のように冷たくなって痛くてしびれた。そして、熱が猛烈に上がり出した。

「早く帰宅して欲しい」と会社に一報を入れて伝言したが家族の帰りを待てず、ユキは曾祖母に預けてタクシーを呼んだ。医者までの5〜6分間でさえ車の中のクーラーは耐え難く長く感じられた。

直ぐに胸のx線検査と血液検査を受けた。咳きは出ないものの肺の下が少し白くなっているので気管支炎と診断された。白血球が増えていないことやリンパ腺も腫れていないので初期だったのだろう。しかし、声が殆ど出ないし、胸の痛みの原因は不明だった。

受診した時は38.7度だったが、帰宅した時は39.9度にも上がっていた。その後、頓服薬や薬が効き始めたのか気分が楽になっていたので、大急ぎでシャワー浴をした。幸いその夜も大事なく次の朝を迎えた。

この日(昨日)ユキは近隣の知人が長時間預かってくださることになった。昨年の幼児教室でお世話下さっていた方だ。神さまの助けだと思った。おかげで午後はユキの心配もしないでずっとウトウトしていた。

この日は夫が東京出張でいつもより30分ほど遅くに家を出ればいいからと、チャッピーの散歩を済ませてくれていた。
ところがユキにねだられて知子もまたユキと短い散歩に出たのだった。その時に近隣の知人に会い、「20分後には電車に乗っているのに蝉取りしてるの?」と大笑いし、理由を聞かれた知人はユキを預かってくださることになり、10時半頃に迎えに来てくださって8時間近くも預かって下さった。

送り届けて下さった時は私も朝より少しは元気になっていたのでしばらく待っていただき、必死で大きなスイカを持ち上げて外へ出た。このあと知子も帰る前にお訪ねしてお礼を申し上げてきたのだが、私もお目にかかって感謝を伝えることができてよかった。

庭で何度も水遊びをさせていただいたユキ。楽しそうな様子を知子に伝えてくださったことで、まだユキが帰っていないことに驚いた知子が電話してきた。私も午後から気になりながらも横たわっていた。

着替えや衣類をたたんだりするのも全部自分でできるので、本当に手のかからない子だと驚いておられた。
昼食の焼き飯をお代わりして、昼寝しそうにないのでスーパーへ行きお菓子を買っていただき、公園ではフルパワーで遊んだので目の下にクマができていた。
我が孫、固まる君にしてはすごいことだ。一人でお友達の家へ遊びに行ってエンジョイしてきたんだから。

別れるとき、1歳年下のNちゃんが「ユキちゃん、帰ったらいや」と泣き、「ユキちゃんがスイカになったね」と帰りの車で言ったという。

ユキはこのまま朝まで寝てしまいそうな状況だったので、私は気合いを入れて湯船の縁に座ってユキを簡単に洗ってやった。そして、歯磨きもしてやらないとと思っていたら、ユキは直ぐに爆睡してしまった。今朝の6時過ぎまで。(笑)

その夜、私は寝つきが悪くて
隣りのベッドで寝ている夫を見ていたら奇妙な気持ちになった
私は何もしないで寝ていただけなのに
この人は東京を往復してきたのだ・・・と見つめていた

そして、長い時空を超えて遠い遠い日々に想いを馳せた

病気した時はいつも食欲がなくて
母がいろいろと口に合うものを作ってくれた

今は少し食欲が出てきたのか
うどんならば食べられそうな気がして
急に温かいうどんが食べたくなった

子供の頃もそうだった
食欲の回復時はいつもうどんだったように思う
そう、「深川」のうどんが食べたい
実家の駅前近くに今でもあるのだろうか

「まいどー!」と元気な声がよく玄関に響いた
ふ か が わ 
何と懐かしい音の響き

私のお気に入りは かやくうどんと鍋焼きうどんだった
お腹の悪い時は出前でとったものをもう一度煮込んでくれた母

今日の午後はかなり回復してきた
水なすの浅漬に土生姜をすっておいしくいただいた
人が最後に食べたいものは決して豪華な食事ではなく
温かいご飯にお漬物や海苔、お味噌汁など素朴な味なのだろう
日本で生まれ育った者の懐かしいふるさとの味だ

明日は是非店屋のものが食べたい
昔ながらの店がいい
夫に連れていってもらおう
道頓堀の「今井」にも是非行きたいな
両親と行った懐かしい店
夫とは一度行ったことがあるが
たぶん娘たちは一度も連れて行ってやっていない

昨夜はそんなことを想っていたら眠ってしまった

いつしか夕焼け空が淡いパープル色に変わり
今まさに日が暮れようとしている
明日も暑い一日になるだろう

痛みと熱に唸っていた時は死を意識した
救い出されたことを感謝し
これまでの罪の赦しと残される家族のことを
ひたすら神に祈っていた

そして肉体の苦痛から解放されて静かに横臥する時
神を近くに感じ
全てが美しく愛と感謝に満たされた
今闘いの中にある人に主の平安がありますように
ただただ平安を祈ります

主の平安
これが地上での最高のものだ
このたびの病気でそのことがよくわかった
私はずっと主の平安の中にあった

使命があるならば
必ずもう一度立ち上がらせて下さることは百も承知の上だから
どんなときも友のためにも平安を祈ろう
私もまた友の篤いお祈りを感謝しつつ

シャローム
(「シャローム」とはヘブライ語で「平安あれ」の意味)


附記:
おかげさまで今日の午後は平熱に下がっているようで、夕方からずっと起きています。
1週間何もせずに寝てばかりの日々、その間も家族が守られたことを感謝します。


posted by 優子 at 19:24| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年07月24日

夏の祈り

「あっ、車のタイヤに蝉がおるから動かしたらあかん!」タ孵化した蝉.jpg
今朝、夫をパーキングまで見送りに行った時、ユキは視覚に入りにくいタイヤにとまっている蝉を見つけて叫んだ。

蝉は孵化したばかりで羽は透き通っていて、写真で見るよりももっと黄緑色をしていた。カメラを取りに帰った私の話を聞いて知子も目を輝かせてやってきた。 

蝉は5年間も地中にいて地上に出てからは2週間ほどの命だという。蝉の声が心地よく体内にしみいる。私は真夏にこそ命を実感し命の輝きを知る。

実はまたしても体調が悪く19日の異常なしんどさは熱中症かと思った。日曜日からいよいよしんどくなり礼拝中に吐き気を感じて、帰宅してから寝込んでしまった。

喉が痛いので風邪だろうと様子をみているが、しんどさ以上に胸が痛くて痛くてたまらないのだ。肋骨に囲まれている部分のあらゆる箇所に肋間神経痛の強い痛みがあり、耐えられないほど強くて唸っている。

昨夜も一昨夜も痛みで目が覚めるほどだ。今朝もベッドの上で唸りながら夜明けを待っていた。長い時間だった。

今この時も癌の痛みで苦しんでおられる知人に想いを馳せていた。また、母や父の病床の時と自分の最期を想像して重ねたり、父と祖父たちが逝った夏の日を思い出したりしていた。

高校一年の夏に亡くなった父方の祖父、大学4回生の時に亡くなった祖父(父の養父で祖父の独身だった兄)、そして、2000年の父が逝った夏を思い出していた。


最近は売薬さえ服用するのが嫌で風邪薬も飲まなかったのだが、あまりに痛いので昨日は飲んだ。飲むとまもなく痛みが嘘のように和らいだ。しかし、6時間ほど経つと再び痛み出した。今日は薬を毎食後飲むことにしたので楽になった。時々、痛みが走るだけだ。

昨日も今日も一日中寝ていた。熱も下がった。体の変わり目なのか最近は故障続きで嫌になる。「上手に60の大台に乗らないとずっと弱くなってしまうよ」と友が心配してくれる。

自分の体力にかげりがあるだけに命が輝いて見える。
洗濯物を入れるときに見つけたトンボ。何もかまってやれないのでユキは退屈しきっている。トンボの名前を嬉しそうに教えてくれた。
「これはね、シオカラトンボ!」シオカラトンボ.jpg

神さま、病気で眠れない人々をお守りください。
今夜も痛みや心配で眠れない人々をお守りください。
主のお守りの中で安らかに眠ることができますように。
主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン



posted by 優子 at 23:54| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年07月19日

幼稚園も明日は終業式

17日に梅雨が明けたが、15日から34度以上の酷暑が続いている。庭木に水をやった20〜30分後には、ホース内に残った水はさわれないほど熱くなっている。

あと1週間で夏休みだというのに、ユキは日曜日(15日)の夜中からまた熱を出して二日間欠席した。私には独りでおられる貴重な二日間であり、しかも17日は最後の給食だっただけに残念だった。

夏休みになると昼食の世話があるので、どの時代のお母さん方も口を揃えて「ブツブツブツ」、私も子育て時代を思い出して懐かしがってはおられぬ身だ。

しかし、人間とはおかしいものだ。ユキが入園すれば寂しいと言っていたのは春のこと。まあそれだけ人間には旺盛な適応力が備えられているということでもあるが。

今日は今週はじめての登園で、ユキは知子と一緒に嬉しそうに家を出た。ママが見送り当番だから余計に嬉しいようだ。当番はユキが休んだ昨日も、今日、明日と続く。

しかし、あの几帳面な知子が今朝は子供の忘れ物続出だった。麦わら帽子、ハンカチ、プールのバッグと、私は3度も呼び止めねばならないほどだった。

昨日は昼食さえ食べる時間がなくて夕方5時過ぎになって、やっと小さなオニギリをお腹に入れるのが精一杯だったという。体も頭脳もクタクタになって帰宅してからも子供を寝させてから夜遅くまで書類に目を通す日々である。

先週から体重も落ちている。2009年とは全く情況が違うとは言え、あの頃の悪夢が私の脳裏をよぎる。また37キロ、35キロになってしまわないかと・・・

昨夜のように父(社長)がゴルフで会社を留守にしたり、日帰りの東京出張で帰宅が遅くなった夜も、夜遅くからその日の経過報告を兼ねて共通認識を得るための話し合いは日課になっている。

「忙しい」とは「心」を「亡ぼす」と書く。
多忙で心を失って本末転倒にならないように、せめて通勤電車の中では何も考えず心を静めるようにと言葉をかけて見送った。

ユキは今学期最後のプール遊びに参加できて満足そうに帰宅した。水温が34度もあったとはお迎え当番さんの話。病気上がりにプールだなんて大丈夫?

ようやく実ったミニトマト.jpg

ようやく実ったプチトマトは赤ではなくて黄色だった。お弁当に使おうと思ったのに間に合わなかったね。😃

附記:
美濃紙業(株)のHP・" being & doing " が更新されました。まずは画面右側の「お気に入りリンク」の「美濃紙業株式会社」からどうぞ!
 

感謝録:
太志君にはブログ「being & doing」の設定からHPとのリンクはもとより、記事投稿できる段階まで環境を整えてもらった。

今週に入ってから試行錯誤の毎日で、質問を送っては(ワシントンの)夜に返事をくれていた。こちらはお昼頃までの時間帯だが何度もやりとりするので、平日にも関わらず時には夜中の12時過ぎまで煩わせたことがあった。

今後は企業のHPではあっても普遍的かつ個性的な歩みを綴らせてくださるであろう。
私は神さまに期待し、つまり新たなる美濃紙業の大いなる歩みを神さまに期待し、太志君に感謝しつつ記事を更新していきたい。


posted by 優子 at 15:22| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年07月18日

「踏みつけられてできた道」 ―あなたの心を元気にするショートメッセージより 最終回―

「踏みつけられてできた道」 (村上 宣道牧師)

旧約聖書というのはヘブル語で書かれていますが、「道」と訳されている「デレク」ということばは「踏みつける」という動詞から来ています。

イエス・キリストは「わたしが道である。わたしを通してでなければ、だれも父のもとに行くことはできない」と言われました。ヘブルの文化の中でお育ちになったイエス様は、ご自分が「踏みつけられるもの」としての道であることを意味しておられたに違いありません。
 
イエス・キリストが神の子でありながらこの地上に来られたのは、罪人である人間、私たちがみな神のもとに行くことができるように、究極的には神の国、天国に行くための道となるためだったのだ、ということです。そのためにご自分が、「踏みつけられるもの」となることを覚悟のうえだった、ということができます。

実は、あの十字架こそは、踏みつけられた姿そのものなのです。あの十字架は、言うまでもなく、私たちの罪の身代わりとして受けられた刑罰の苦しみです。
 
イエス様は、「わたしを通してでなければ、だれも父のもとに行くことはできない」と言われたのですが、それは、この道を通らずして、つまり、この十字架が私の罪の身代わりとして踏みつけられたものだと受け止めることなしには、だれも父なる神のもとに行くことはできないし、そしてその祝福にあずかることはできないということを意味しているのです。

天国へは、自分の努力や功績、自分の作りだした道によっては、決して行くことはできません。

逆に言えば、自分が今まで道を踏みはずしていて、とても天国に行く資格などない、罪人だ、というふうに自覚し、その罪のために踏みつけられて道となってくださったイエス・キリストの十字架を信ずるならば、そしてその道を歩んでいくならば、確実に神のもとに行くことができるのだということを、ぜひ知っていただきたいと思うのです。


posted by 優子 at 22:56| 引用文 | 更新情報をチェックする

2012年07月16日

When you believe in Jesus

昨日の朝教会に出発する前のこと、知子は何気なくかつてよく聞いていたCDをかけていた。それは私にも聞きなじみのある曲ばかりだったが、いつごろ聞いていたのか思い出せなかった。

その中の一曲、" When you believe " (あなたが信じる時)はアカデミー最優秀主題歌賞に選ばれたゴスペルソングで、マライア・キャリーとホイットニー・ヒューストンのデュエットで歌われていた。
知子はそのCDが発売されてすぐに輸入盤を買ったそうだ。調べてみると2001年12月のことだ。

あれから11年経った今も歌詞を見ずに歌い、訳してくれるその歌詞に私も心打たれたので、次の記事に書こうと思った。
そこで歌詞を引用するために検索したところ、この歌は旧約聖書の『出エジプト記』を題材にして作詞したものであることを知り胸が高鳴った。まさに今の知子を物語っているからだ。 

そのことを知らなかった知子は、今この時にそれを知り得たことと、11年以上も前に心惹かれていたことの不思議さに驚愕して神を讚美した。


昨朝久々にかけたお気に入りのCDはマライアとホイットニーのデュエットではなく、敬虔な信仰者レーナ・マリアによる歌ゆえに私の心にも強く迫ってくるものを感じた。

5〜6件の歌詞を検索したところ、間違った訳に加えて感動の乏しい意訳ばかりだったので知子に翻訳してもらうことにした。訳してくれたあと知子は次のように語った。

「この歌は本当の信仰とは何かを語っている。
訳すにはいっぱい言葉を足さないとわからない。
特にまことの神を知らぬ日本人には余計に誤解を生じやすい歌詞だけに、分かりやすく解釈を入れながら、作詞者の意図を明確にして訳した」。


前置きが長くなったが、まず歌詞をご紹介して神と共にある人生の喜びと思いを書きたい。

知子の翻訳による
 " When you believe " (あなたが信じる時)

「この祈りが聴かれる」という確信は持てなかったけれども
私達は幾夜も幾夜も祈り続けてきた。
私たちの心の中には
かろうじて信じられる程度の希望の歌しかなかったけれど・・・

人生の歩みの中で、決断し、踏み出す時には強い不安や恐怖を感じることも多々ある。
だが、私達はもう恐れない。

「成し遂げることができた!」と後になって気づくことがあるが
その遥か前から既に
少しずつ 少しずつ
私達は神の力を得て大きな山々を動かしていたのだから。

あなたが信じる時、奇跡が起こる。
たとえ、それが消えてしまいそうなほどかすかな希望であっても、その希望は消えない。

将来、どのような奇跡をあなたが成し遂げるのか
現時点で誰が知っているだろうか。(人間には明日のことさえ100%予測することはできないのだ。)

しかし、(神が必ず最善の時と方法によって私達の祈りをいつか聴いて下さるいうことを、見なくても堅く)信じることができる時に
必ずあなたは神の栄光に満ちた奇跡を見るはずだ。
あなたが「(神を)信じる」なら・・・!

恐れの真っ只中にある時
また、私達の祈りが実は神に届いていないのだろうかと思う時・・・
希望はまるで夏の鳥のように
たちまち飛び去ってしまったかのように見える。

しかし今、私はまぎれもなくここに立っていて
「そんな恐れの中にある時でさえも」私の心はとても満たされている。

この心境は言葉では言い表せないが
しかし敢えて言い表すならば(まだ手にしていないにも関わらず、神が成し遂げさせて下さるその奇跡を確信できるという)捜し求めてきた本当の信仰

今私が口にしているこの言葉自体
私がこんなことを言うようになるとは思いもしなかった。(これも奇跡だ)

「祈り求めても、いつも奇跡が起こるわけではない。
だから私達は(往々にして)恐れに押し潰され、失望してしまう。
それは簡単なこと。

しかし、苦しみ(恐怖)によって信仰が萎え
希望や神の示す道が見えなくなってしまっている時でも、
かすかで小さな
しかし力強い声で
「失望しないで。希望は、助けはすぐそこにあるのだよ」と
神は語りかけて下さっているのだ。
そう、信じる時に奇跡は起きる。

アーメン!
そして、知子は次のように続けた。

「これはまさに今の自分だ!
かつて歌っていた時も神さまを知っていたけれど、自分を奮い立たせて自分の努力だけでできるのだと信じる力をこの歌から得たのだった。

この歌に感動した人たちも『私にはできる、信じて進め』、つまり『自分の努力によってだけの未知の力』を信じて進むことに心が躍ったのだろう。

しかし、作者はそうではなく、『神を信じて神と共に進め!』と言っているのだ

祈り求めつつ努力し続けること、諦めないこと、そのことなしに奇跡はありえない。祈れば良いものが魔法のように降ってくるのではない。

いつその「時」が来るのか私達にはわからないが、祈りながら力いっぱいできることをしている者を神さまは助けてくださるのだ!
私は今、神の奇跡の日々を生かされている
と。

日本では神を神と認めず、神に対して心が頑ななままの人々が何と多いことだろうか。その中にあってキリスト者はごく僅かである。しかし、キリスト者の勝利の歩みは始まっているのである。

主はモーセに仰せられた。
「パロはあなたがたの言うことを聞き入れないであろう。それはわたしの不思議がエジプトの地で多くなるためである」。

神は私たちの祈りを間違いなく聴いてくださっているのである。
私は以前よく口にしたものだ。
「神のみこころにそう祈りならば、神が聴いてくださらないはずがないではないか!」と。

かつて私は「私のヨブ記」を書きたいと思った。そう思いつつも未だ書き始めてもいないが、知子には是非とも「私の出エジプト記」を書いてほしい。
人生をふりかえる年齢に達した時、必ずその一書を書き残してほしいと思う。きっと神に導かれる人が起こされ、多くの信仰者を励ますことであろう。


最後に" When you believe " (あなたが信じる時)の歌詞をご紹介したい。

Many nights we prayed
With no proof anyone could hear
In our hearts a hopeful song
We barely understood

Now we are not afraid
Although we know there's much to fear
We were moving mountains
Long before we knew we could
(Oh yes)

There can be miracles when you believe
Though hope is frail its hard to kill
Who knows what miracles you can achieve
When you believe, somehow you will
You will when you believe
(oh yeah)

In this time of fear
When pray so often proves in vain
Hope seems like the summer birds
Too swiftly blown away

Yet now I'm standing here
My heart so full I can't explain
Seeking faith and speaking words
I never thought I'd say

There can be miracles when you believe (when you believe)
Though hope is frail its hard to kill
Who knows what miracles you can achieve (you can acheive)
When you believe, somehow you will
You will when you believe

Things don't always happen when you ask
And its easy to give in to your fears (oh)
But when your blinded by your pain
Can't see your way straight though the rain
Thoughts of a still, resilliant voice
Says hope is very near (yeah yeah)

There can be miracles (miracles) when you believe (lord when you believe oh ho)
Though hope is frail (though hope is frail) its hard to kill (it's haaaard to to kill oh oh)

Who knows what miracles you can achieve
When you believe, somehow you will
somehow you will
You will when you believe
You will when you believe
Just believe (2 times)... (oh yeah)
You will when you believe

ハレルヤ!
神に栄光あれ!
神を信じて歩む者の上に神の栄光あれ!

「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」。             
       (ヘブル人への手紙 11章1節)


posted by 優子 at 15:09| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年07月14日

チャッピー久々の逃走劇

このあと1年ぶりにチャッピーを洗う。知子は美容院へ。ところが洗っている時に首輪が抜けて逃げてしまった。
「チャッピー、おいで!チャッピー、チャッピー」と呼んでも知らんぷりのチャッピー、そのうちにユキが大泣きした。

ご近所の方が「チャッピー、逃げるの久しぶりやね」
「(チャッピーも私も)お互いに60歳になってもまだやっているんです」と大笑い。
そのあと、夫が道路をグルッと回ってきてチャッピーの後に行き、私とふたりで挟み撃ちして捕獲成功!
今までで最短の10分ほどの逃走劇で終わったが、最長4〜5時間かかったこともある。わーい(嬉しい顔)

その時は遠く隣りの自治会区域の奥まで逃走されて、どこへ行ってしまったのかわからず見失ってしまった。みんな体力も尽き果て、「自動車に轢かれても知らないから!」と探すのをやめて門を開けたままにして家に入った。
その数時間後だった。外へ出たとき、玄関前に戻っていた。あれは3〜4歳の頃で精悍な成犬時代だった。

posted by 優子 at 23:59| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

腹部のエコー検査とユキのバースデーランチ

今朝は絶食して腹部のエコー検査という多忙な1週間だった。腎臓、膵臓、胆嚢、脾臟は問題なかったが、肝臓に2センチぐらいの嚢胞(のうほう)があった。

これは加齢によるものらしいが、3ヶ月後に再検査して大きくなっていれば手術しなければならないという。ただし開腹手術ではなく注射針で水(?)を抜き取るのだそうだが、そうであるならば「手術」と言うのは大げさではないか。いずれにしてもその時はその時のことだと思えるようになった。

というのは検査中に心臓の動きを見たことによるのが大きいと思う。規則正しく弁を開け閉めしている心臓を見て、私は何とも言えない厚い気持ちになった。その気持ちをどのように表現すればよいのかわからない。

母の胎内に在った時からずっと動き続けてくれている心臓。私が死ぬ時に動きが止まるのだ。動きが止まるから死ぬのではなくて、全てをやり終えて神さまが「良し」とされたら、動きを止めて下さるのだという思いが強い。

心臓が何とも愛おしく感じられ、だからこそ生かされている間は真摯に積極的に生きたい、そのように生きなければと思った。今も休まず心臓は動いている。


医師は副腎に血圧を上げる原因があるのではとの推測からエコー検査をされたが、副腎も腎臓も全て問題なしであった。動脈硬化が進んでいるとアップダウンすると言われた。

11日の血液検査の結果はホルモン関係だけまだ出ていなかった。心労が重なっているからだろうと思うが、命は神さまが握っておられるのだから御心のままに委ねよう。

このあといつものレストランへ3日遅れのユキのバースデーランチに行った。
12日の朝登園直後に、「ユキちゃん、昨日はご馳走作ってもらった?」と先生に尋ねられているのが見送り当番だった知子の耳にも聞こえたそうだが、ユキはどんな顔をしたのだろうか。

あの日は市長と懇談のあと医院へ寄って疲れてしまって、お赤飯を炊いてヘレステーキとサラダだけだった。ふらふら今では私は肉食をしないのでお赤飯とサラダだけだった。

5歳のバースデーB.jpg

5歳のバースデーA.jpg

誕生日のお祝いにお店からバラの花をいただいて照れているユキ。レストランの方々4〜5人で「ハピーバースデー」を歌ってくださるというのに、恥ずかしくて頑として断ったユキ。本当に変わった子だ。バースデー
5歳のバースデー@.jpg

では写真だけでも撮っていただいて、" Say cheese. "

我が家では手作りのケーキではなく、悲しいかなケーキは買うもので、明日教会の帰りに買うことになっている。
このあと、チャッピーを洗っていた時に首輪が抜けて逃げられてしまった。そのことも思い出のためにページを改めて記録しておきたい。

posted by 優子 at 23:58| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

6年ぶりの会社訪問、未来の展望を探る

今日は知子の出社に同伴して6年ぶりに美濃紙業へ行った。常に知子をサポートし教示して下さっている方に感謝を申し述べるためであった。

10時20分頃に到着し、最初に改めて知子に社内を案内してもらった。従業員の方々を紹介してもらい挨拶方々、社員の意識や社内の雰囲気を私なりに見たかった。

ここは2階の倉庫。

2階倉庫.jpg
20年前くらいに見た時はもっと山高く積まれていたが、今は在庫を少なくしている。

紙の断裁、包装、配送を受け持つ1階は、夏は暑く、冬は寒い中での作業である。主になる人の統率で良い雰囲気の中で仕事をしておられた。

再び3階の事務所に戻った。
私は女性社員と営業マンに多くの改善すべき課題を感じているので、営業マンが出払っていたのは残念だった。

女性社員の方々もかなり改善されつつあるが「道まだ遠し」で、もっともっと具体的な指導が加えねばならない。年を取った私がすべきかどうか思ったが、アポイントの時間が迫っていたこともあり触れなかった。
節電のために玄関のドア近くの電気は半分消して、エレベーターも切るべきではないかと夫に言った。

ご挨拶には夫婦で伺った。私がお目にかかるのは2度目である。1時間以上も時間を割いて示唆に富んだ話をしてくださったことは忘れない。
その後すぐに夫と別れ、ユキのお迎えに間に合うように大急ぎで帰宅した。


<15日20:45追記>この記事は14日に書いていた最初の部分であるが、適切なカテゴリに独立させた。


posted by 優子 at 20:45| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2012年07月12日

吉田新市長と懇談 

昨朝は「香芝市・放射能からこどもを守る会」の5名が市長と懇談の時間を与えられた。私は会合に一度参加しただけで活動はしておらず、事務局に名前をあげさせてもらっていないが同席させていただいた。

会の方々はこれまで市長と教育長交渉、香芝市議会傍聴、放射能についての学習会などに取り組んでこられた。私は懇談に向けて事前の準備として市のHPを読んだ。http://www.city.kashiba.lg.jp/

吉田市長は「NPO西日本」を立ち上げた人で、市長に当選したので5月で代表を退任されたことをお聞きした。そんな経歴の持ち主ゆえに行政はなかなか進まないのもよく知っているとのこと。何度も転職しておられ叩き上げの営業マンのようにお見受けした。

最初に教育長が入ってこられたので面識を得るために名刺を交わした。私は教育に強い関心をもっており、地域の学校に対して気になることがあるので今後お目にかかる機会があるかもしれないことを述べた。

7名の懇談は我々の自己紹介から始まった。
参加者5名の中には共産党の市会議員と神奈川から避難されてきた方もおられ、欠席された避難者たちの意見書を市長に手渡した。

今回の話し合いは香芝市保育園・学校・幼稚園の給食食材(7000食分)の放射能測定に関することだった。私たちは市が測定器を購入してチェック体制をとって欲しいと要望している。

市のHPには7月3日から食材の産地が公表されており一歩前進であるが、7月5日の市議会答弁では、教育次長が「放射能測定器を購入するのは考えていない」、吉田市長は「選挙中、そういう約束を市民としたが検査は業者でする方向で・・・」と答弁している。

それはどのような考えによるものかを問う中で、放射能測定器を購入すれば測定検査のためにコストがかかるのではとの話になったが、20〜30分でできるのでコスト(人手)は不要とのこと。
このことは参加者の中学校教師で理科を教えておられた人の説明で私も知った。

市長は測定器を買わないが、「仕入れ業者には市のリクエストを聞いてくれる取引先から買うように指示した。我々の要望を聞かない業者は切る」と、営業マンらしく熱く語られた。

しかし、一つ疑念を感じた。
この時すでに30分が過ぎ、今にも教育長から「ではこのへんで・・」と終了宣言されようとする寸前に私は突っ込んだ。

「業者から検査結果の報告をもらっているのですか?」
市長、教育長共に沈黙。
甘い!
それでは業者に丸投げであり、「我々の要望を聞かない業者は切る」と声高に語っている人の言動が一致しない。業者もまた結果報告を発信しないとはいいかげんなものだ。

最初からこれではあまりにもおざなりではないか。これでは「業者に100%安全を保障させる」という主張さえ鵜呑みにするわけはいかない。
私は産地公表だけではなく検査結果も公表していただくよう申し入れた。お二人共しっかりメモされていたので注目して見守りたい。


自治体の給食食材放射能検査によれば、徳島市で179BQ/Kgの干し椎茸が検出されていることからも、産地よりもそれが安全であるかどうかを確かめることが大切なのだ。

神奈川から避難されてきた人は、「有機農法をやっていた友達が土地を捨てて逃げてきている。同じ畑でとれたものでも業者によって測定値が違っていたから、業者にまかせないでほしい」と訴えられた。

私は市長の経歴に期待するのだが、反対に営業畑の人だからコスト面に重きを置くのではないかという見解も耳にした。

外観は覇気があり溌溂としておられるが、内容的には私が描く有能な営業マン像と少々違った。どうか威勢のよい言葉だけで終わらないようにと願う。


あまりにも時間が少なくて、肝心の避難されてきた方の発言が一言だけで終わってしまったのは残念だった。

市長に訴える代表者の姿を見ていて、アメリカの市民運動の先駆者であるラルフ・ネーダーの言葉を思い起こさせた。

「理想的な市民は、自分の仕事や家庭だけではなく、政府を改善するとか、公害をなくすとか、学校を良くするとか、これらのことにも時間をさく人たちだ。

そうした努力なしでは、民主主義は堕落し、少数が多数をコントロールしてしまう」。


私もその姿勢だけはなくさないでいたい。否、口先だけではなく、もっともっと本気にならなければダメだと思った。

附記:今週から調子が悪く昨日の懇談の帰りに内科を受診した。
血液検査をして、次回は絶食して腹部のエコー検査を受けることになった。血圧を上げる原因を探るためだ。目は今も光が見えるので冴えない日々が続いている。

そんな昨日、薬局を出た所で読書会のDさんと再会した。数えてみると2年7ヶ月ぶりの再会で、私が読書会を退会して4年3ヶ月になる。
退会して1年後から長女の一大事があったことを話した。読書会の人に話すのはDさんが初めてである。「白髪が増えたね」と言われた。

読書会を続けていた頃は体調に左右されることなどなかったが、私はDさんよりも15歳年下なのにまるで90歳近くの高齢者のようで、あの頃が遠い昔のことのように感じる。Dさんは今2期目の会長を務めてくださっている。

また元気になればいいが・・・ユキのために運動会で玉入れもしてやりたいし・・・


posted by 優子 at 18:19| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2012年07月11日

ユキが5才になった!

5才の誕生日の今日、幼稚園の学期末の個人懇談会だった。
知子は家庭訪問の時のように懇談会期間中で都合のつく日の最後を希望して、懇談会最終日の今日4時半から始まった。

こういう日の朝の見送りは私が務め、知子は朝早くに出社するのだが今日はお弁当の日と重なり、昨夜に下ごしらえ済みとは言え5時起きでお弁当を作っていた。6時半過ぎには家を出なくてはいけないからだ。
2012.7.11のお弁当.jpg

ご飯はオムライス。デザートは
クリームチーズとブルーベリーのシロップ漬け。

蓋を開けた瞬間、「うわぁ、ユキちゃんのお弁当、お花ばたけみたい!」とお友達に取り囲まれたそうだ。その時の様子をご覧になっていた先生は、「ユキちゃんは『もういいから』と言う感じで手で追いやって食べていました」と話してくださった。何かおじさん風(笑)。
このようなエピソードは話してくれないが、虫の話は連発してくれるのでまあいいか。(笑)

入園して3ヶ月、ユキの様子をお聴きするのは興味深い。
「まだ喧嘩には発展しないけれど、スコップの取り合いをしていて無言で引っ張り合いしていました」と話して下さり、先生と知子は「よくやった」と共に喜んだ。

「でも、私(先生)と目が合った瞬間にパッと手を放すんですよ。ユキちゃんは『お砂で遊ぼうと思って』と、すぐに私に言いました。引っ張り合いをいけない事だと思ったのか、放した事に対して単に体裁を繕ったのかは不明ですが、とにかく何をするにも必ず大人並に理由を言ってくれるんですよ」と、ユキの特徴をよくつかんでくださっていた。

喧嘩を勧めるわけではないが、先に自分が使っているのを横取りしようとする子には「ノー」と言える子になってほしい。この年齢の子供の自然な自己主張ができるようにと思うが、知子もユキと同じだった。

家での食事中の様子を話すと先生はびっくり。というのは知子だけではなく私たち夫婦の3人がかりで注意しても立ち歩くからだ。
「とてもお利口さんで絶対に立ち歩いたりせずお行儀が良いので信じられません」と仰天された。

しかし、「どこでもいい子であったり、どこでも悪い子であったりするのは心配だけれど」と仰ったので、外と内とのギャップはユキ自身が心のバランスをとっていると理解していいようだ。

私は知子が仕事をしていなくてもそうなのかを知りたい。専業主婦の母親のもとでもそうならばユキの個性として理解できるが、寂しい思いがそうさせているのではないかと思ったりもする。 

私と知子が気になっている点は人と違うのを嫌がることだ。
例えば、衣替えになってからも肌寒い時は長袖シャツを着せたことがある。そんな時は非常に嫌がって他者との違いを気にするのだ。

こういうのは人間の本質としてあるのだろうが、この頃の子供にも見られるというのは意外だった。発達段階でのことなのかどうか知子は尋ねたのだが、コメントはなかった。

嬉しかったのは、今まで絵を描くとき人の様子を伺ってから描いていたのに、最近は自発的に描くようになったということだ。

自分から前へ出ていく方ではないが自主性も出てきているそうで、先生が子供たちに「〇〇かやってみない?」と聞くとユキも手を挙げるようになったという。


給食当番の時の声は小さかったが、本人は当番をとても楽しみにしていたので心配はしていない。

また運動会では誰が出ても良いと聞くと、「かけっこはおじいちゃんで玉入れはおばあちゃん」と先生にお話したという。これはすごいことだ!るんるん

「ユキちゃんはしっかりしつけられていると思いました。
何もできない子にできるようにさせることのほうが簡単ですが、ユキちゃんのように何もかもちゃんとできる子に羽目を外させるのは難しいんです」。


ユキが羽目を外せるようになってほしいというのが先生の願いであるとのこと。30人余りの子供がいるのに、それぞれの様子をこんなに見てくださっているとはすごいものだ。

先生は「おとうさん」という言葉も最近使われているとのこと。ユキを気遣ってなるべく使わないようにして下さっていたようだ。この立場になって人々の配慮に気づくことも多く、感謝と感動を覚えるのもしばしばだ。

最後に「ユキの頭どうなってんの?大丈夫?」事例を一つ。
驚くことなかれ、自分の誕生日が言えないのを発見。がく〜(落胆した顔)
昨日と一昨日の朝に何度教えても覚えられなくて、自信なく「7がつ・・11がつ」と言うので先が思いやられるが、ユキはユキらしくユキのペースで歩いて行けばいいか。住所は半年も前に簡単に覚えたのに・・・

今朝、知子は「今まで助けてもらったおかげでユキが5才になりました。ありがとうございます。」と私たちに頭を下げた。
こんなに多忙な日々でなければ、ゆっくり心ゆくまで感動と感謝の涙を流したいであろうに。

ユキ、5才のお誕生日おめでとう!
大きくなったね、ユ キ


ユキ、何読んでるの?.jpg

ユキは私たちの宝物。
mqA.jpg
ユキが幸せでありますように揺れるハート


附記:今朝は市の給食の放射能対策について新市長と懇談する機会を与えられて市長室を訪ねた。そのことは明日の記事に記したい。

posted by 優子 at 23:27| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年07月10日

" being & doing " −美濃紙業のHPに新たなページ誕生!―

美濃紙業の新たなる歩みが始まって5ヶ月余りの本日、美濃紙業のHP上に新たなるカテゴリを開設し、巻頭言として濃縮させた経営理念を発信した。

この更新作業を助けてくれたのは、ワシントンD.C.にいる太志君(次女の伴侶)の愛労によるものである。

太志君に美濃紙業のHPの全く機能していないカテゴリのところに" being & doing " を入れてもらえば、あとは昨年からHPの管理を任されているので簡単にできると思っていた。今年4月も簡単に更新できていた。

ところがうまくいかない。太志君のアドバイスどうりやっても編集画面に入ることができなくて何度もやりとりして、今回はワシントンから更新完了となった。

というわけで、今後は新しくブログを立ち上げて" being & doing " の画面からブログにリンクさせての方法になると思う。(この設定も太志君にお願いすることになるわーい(嬉しい顔)

ここに" being & doing " 巻頭のメッセージを記録し、今後は『メメントドミニ』でも更新をお知らせしたい。
※美濃紙業のHPは「お気に入りリンク」にあります。
2012年2月1日に経営方針の改革が始まり、役職や部署に関わらず心をこめて働いている者にとっては一日が一年にも匹敵する濃厚な日々になっています。

そこで今までめったに更新されなかったホームページも一新させ、美濃紙業の動きを公表できる範囲でお伝えしたいと思います。

タイトルの" being & doing " は「(自分の)在り方と行動」を意味し、このページで「美濃紙業はこのような姿勢でこのようなことをやっています」ということをご紹介していきます。

一般社会では何かをすることで評価されますから、私たちは何かをすることで受け入れてもらえると思いがちです。確かに、社員は会社に貢献することが求められ、企業は顧客に満足してもらえるように努力せねばなりません。   

しかし、会社として、また、社員としてよりも、全てに先立って自分自身がより良い人生を歩むために、どのように生きているかに焦点を合わさねばなりません。

” Not doing , but being. ”

つまり、私たちは何をするかではなくて、どのように生きているかという「在り方」こそが大切です。このたびの改革は、そのことを中核に据えてのチャレンジです。

心理学では、行動は人格と環境条件の2つの要因によって表現されると考えます。

社員はすでに人格形成を終えた段階で入社してくるわけで、しかも、人格は時間が経っても大きく変動せず「人格の恒常性」が事実として認められていますから、あとは職場という環境条件において経営の根本的大転換を図って新しい歩みをしていくわけです。
 
なお、" being & doing "の更新は不定期で、内容は多岐にわたると想われます。社内報的なものにとどまらず、仕事を通して互いに高め合いながら新時代にも通用する人物の養成と、読んで下さる人々の心のよりどころとなるような場にしたいと願っています。

社員も会社も淘汰されていく激烈な時代にあって、願わくは更新される記事が社員に気づきを与え、能力開発と労働意欲を高め、そのことにより自社の目指す方向と形を実現させたいと思います。

神さまが夫と知子の働きを導き支えて下さり、美濃紙業自体が更新されていきますように!

posted by 優子 at 13:14| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2012年07月06日

大手出版社の倒産

教学研究社(大阪)、破産手続き開始決定-負債6億円
2012年7月6日

(株)教学研究社(資本金1,000万円、大阪市西区新町3-4-8、代表 小谷一夫氏、従業員43名)は、7月5日に大阪地裁より破産手続き開始決定を受けた。
 
同社は、1947年5月に設立した教育図書出版業者。小、中学生向けの参考書、問題集を発行し、「中学事典」「力の5000題」などを主力として、関西地区では一定の知名度を得ていた。問屋向けを中心に販売活動を行い2003年8月期には年売上高約17億円を計上していた。
 
しかし、少子化の進行に伴い売り上げは徐々に減少し、2007年8月期の年売上高は約12億5,000万円までダウン。赤字決算を計上して以降、業績は回復せず厳しい資金繰りを余儀なくされていたなか、割引手形利用などでしのいできたが限界となり今回の措置となった。
負債は推定6億円。
(帝国データバンク調べ)
   ― 印刷業界ニュース(夕方4時頃配信)より―

『力の5000題』は私も中学受験でお世話になった。1960年の頃だ。
増進堂の『自由自在』を何度も繰り返し、そして、6年生になってから『力の5000題』も併用したのだと思う。もう50年以上も前のことだ。

教学研究社の倒産は私にとっても大きな衝撃である。
神が小谷さん御一家を憐れみ守ってくださいますように。社員の方々もまた。

posted by 優子 at 21:51| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2012年07月04日

日本文化の中でキリスト教信仰を養う

今日は7月の参観日でユキはママと七夕飾りを完成させて持ち帰ってきた。それぞれの国の文化は大切にされるべきものであり、幼稚園や小学校は日本文化である七夕を教えるのである。

七夕の行事に強い宗教性を感じることはないが、日本の伝統的文化の中で幼い子供にキリスト教信仰を育てるのは容易ではない。これは海外宣教に匹敵する大いなるミッションである。

クリスチャンの中には子供を文化的なものから全て遠ざける人もいるが、私の教育的スタンスは日本に生まれ育つならば、日本の文化を知ることは大切なことであり楽しめばいいと思っている。

しかしながら、無批判に受け入れると危険であり宗教多元主義に陥る。「七夕」や「豆まき」、また、日本人が「クリスマス」と称するものはキリスト教信仰とは全く異質なものだからだ。

ユキは幼稚園で教えられた「星に願う」ことに疑問を感じることなく私たちに質問さえしなかったが、星に願うのではなくまことの神さまに祈らねばならないことを話したのであった。

2012 七夕.jpg短冊に書く願い事はなかなか思いつかずママとの合作となったそうだ。
私は来週5歳になるユキの幼い字を記録しておきたい。
祈りごと.jpg

これは「ユキが元気に過ごせますように」ということらしい。この前の病気が記憶に新しいからであろう。

5歳前の絵.jpg

何てステキな絵だろう。ユキは右の子だって!
先生が絵のストーリーを聞き書きして下さっている。
「GくんとAちゃんとぼくと あめがふってきたから ちゃんと かさもって オークワ(スーパー)へ ばなな かいにいく!」

次は6月8日の「PTA親子親睦会」でのユキ。
ピンクの帽子が「うさぎ組」で黄色は年長さんだ。

エンジョイユキ@.jpg

6月から登園すると制服になっている体操服を脱いで
それぞれのTシャツに着替えて過ごす。
このTシャツは、昨春ミネソタで買ったものだ。

エンジョイユキA.jpg

幼稚園にもすっかり慣れてVサインしているが、今月2日の「プール開き」は緊張していた。
顔が濡れるのが嫌で、どういうわけかママの時だけ今も毎晩お風呂で大泣きしており、「プールは全部お休みする」と言っていた。ちっ(怒った顔) もうやだ〜(悲しい顔) ふらふら わーい(嬉しい顔)

初日はどんな顔をして帰ってくるかドキドキしながらも楽しみだった。ユキを迎えた瞬間に「プール楽しかった?!」と聞くと「楽しかった!」と笑っていた。

しかし、また明日明後日はプールがあるので気になっているようだ。テルテル坊主ではなくアメアメ坊主雨雨をつらなくてはね。(笑)
 
4月から刺激に満ちたユキを見ていたらいつしか深い万緑の季節になり、今朝今年初めて蝉の声を聞いた。

posted by 優子 at 21:44| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

どんな時も感謝できる喜び

昨日も先週末に続いて内科と眼科を受診することになった。
結膜下出血は1週間ほどで自然吸収されたが、(先月)26日の夜から同じ右目に線状の光が走る。

光は非常に良くないからと両目の瞳孔を開いての眼底検査となった。幸い眼底出血はしていなかったが経過観察のため1ヶ月後も行くことになっている。
(21:20追記:眼科医は4〜5日経っても光が見えるのを懸念しておられたが、その夜も今も光るので心配だ。)

このとき内科にも2週間を待たずに受診したのは、先週の投薬で血圧は見事にコントロールされたものの、即効薬ではない降圧剤が直ぐに効き、しかも下がりすぎの時もあるからだ。
別の病気が隠されているかもしれないとのことだが再び降圧剤を変薬してもらった。

「年を取ると(このような症状がでてくるので)」と眼科でも内科でも言われたのは、やはり少なからずショックだった。

最近は同年齢の人と比べて体力がないので「情けない」「情けない」と思ってしまうのだが、私はハタと気がついた。それは「神さまは情けない」と言っているのと同じだと。だからもう言うまい。私は私のペースで歩めばいいのだ。

叔母の相談事で体調を崩してからというもの、日常の心労が今まで以上に重く感じる。特にしんどいわけではないが、今はユキに大きな声で注意したり、それを聞くだけでも心身に非常な負担感がある。

今は1週間だけでもいいから一人静かに静養したいところだがそれも叶わず、私が療養の身になっては大変なので昨日今日は知子に任せて安静にしている。不本意ながら当分の間、知子と私を教会のご奉仕から外していただくように牧師にお願いした。

27日から登園し始めたユキの体力はすっかり回復したようだが機嫌が悪くよく怒る。最近の我が家は常に会社運営全般についての話題一色なので、ユキにも安らぎをなくさせているのだろう。

それを思ってか、今日は夫(ユキの祖父)が10冊も読み聞かせしてくれたり、雨の合間を縫ってユキを虫採りに連れて行ってくれた。大事業を成功させたところで我が子や孫を犠牲にしては意味がない。

最近のユキについて特筆すべきことは、幼稚園生活に慣れた頃から自ら祈らなくなったことだ。かつては「祈りの人」とまで呼ばれ、おじいちゃんの導き手になっていたユキが今では祈るのを嫌がるのだ。

そんなユキを熱心に祈るように促す夫(ユキの祖父)。今日は固く拒むユキに代わって、夫自らがお祈りするので私と知子は声を抑えて歓喜した。

これはストレスフルな日々にあって大きな喜びだった。
このようなことを喜びとし感謝する私達をご覧になっている神さまは、必ずや私達を祝福してくださるであろう。


私は老いを感じ体力に自信がなくなったからか、6年もほったらかしていたことをやり始めることにした。久保田暁一先生(著名な文芸評論家)に今まで書き溜めたものを一冊にするようにと、何度も声をかけていただいていたものだ。

先週半ばに取り掛かり始めたものの今は1時間もすればしんどくて1回やったきりで終わっている。私に残された時間が迫っているのだろうか、神さまからの促しのように思えるので仕上げたいと思う。

「神の道は完全であり、
主の言葉は真実です。
主はすべて寄り頼む者の盾です。

主のほかに、だれが神でしょうか。
われらの神のほかに、だれが岩でしょうか。

神はわたしに力を帯びさせ、
わたしの道を安全にされました。

神はわたしの足をめじかの足のようにされ、
わたしを高い所に安全に立たせ、
わたしの手を戦いに慣らされたので、
わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。

あなたはその救いの盾をわたしに与え、
あなたの右の手はわたしをささえ、
あなたの助けはわたしを大いなる者とされました。

あなたがわたしの歩む所を広くされたので、
わたしの足はすべらなかったのです」。


        (詩篇 18篇30節〜36節)

「自分のしようとすることをみな神さまにゆだねなさい。
信頼するものを神さまは助けてくださいます」。
        


     
posted by 優子 at 16:54| 随想 | 更新情報をチェックする